N°
877
1er juillet 2019
オヴニー・パ リの 新聞
LE JOURNAL FRANCO-JAPONAIS BI-MENSUEL GRATUIT w w w. o v n i n a v i . c o m m o n o v n i @ o v n i n a v i . c o m tél:+33(0)1 4700 1133 OVNINAVI OVNI_NAVI
Labo
04
Sylver Lounge
04
夜汽車の復活のための運動。 好評連載!「シルバー・ラウンジ」。 Exposition
05
シャンティイー城『笑うモナリザ」の謎。 Petites Annonces
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09-11
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ブローニュ・ビヤンクール、 30年代の街。
第
一次世界大戦が終り、第二次大戦 が始まるまでのつかの間の平和な時 代、1925年、パリで開催された「装 飾芸術と産業の国際博覧会(アール・デコ万 博) 」では、ル・コルビュジエのエスプリ・ヌー ヴォー館などの機能的でシンプルな近代建築 と、幾何学的だけれどシックなアール・デコ の装飾や建築が展示され、反響を呼びました。 ブローニュ・ビヤンクールの町には、この時 代に急成長したルノーの自動車工場をはじめ、
多くの産業が流入。それに伴って急増した新 しい住民たちの住居が次々と建てられました。 工場が多いセーヌ寄りのビヤンクール地区 にはおもに労働者のための住宅が、そしてブ ローニュの森に近い北側には、実業家や金 持ちたち、さらに文化人、芸術家たちのため の住宅が、大勢の建築家の手で競うように造 られた。 ちなみに1920年の町の人口は8万人。ルノー の工場は最大時約3万人が働いていたという。
1934年に完成した市庁舎の吹き抜けの大ホー ルで、当時のこの町の住民気分を味わってか ら、ル・コルビュジエのアトリエや“パクボ・ スタイル Style Paquebot” (パクボ:大型豪 華客船)の建物を巡ってみた。 セーヌの両岸にナチスのドイツ館とソ連館 が向かいあった1937年万国博「近代生活に おける芸術と技術の国際博覧会」 の後、アー ル・デコは消え、40年にはこの町もルノーの 工場もナチスに占領されてしまいます。 (稲)