

渋谷のプリズム
加藤 文俊
コミュニケーションのあるところ
ちょっと渋谷のギャラリーへ、展覧会を観に行こう。そう
思ってギャラリーの場所、会期や開場の時刻を確認する。
アプリで電車の乗り継ぎを調べて、一番便利そうな出口
もわかった。せっかくなので、友だちとギャラリーで落ち 合って、帰りがけに近所でなにか美味しいものでも食べよ
う。ぼくたちの日常には、「ちょっと」くらいの気持ちで計 画されることがたくさんある。
ふだん、何気なく決めているように思えることも、じつ
は、いくつもの調整によって成り立っている。じぶんのス
ケジュールのみならず、施設の営業時間、電車の運行状 況、運賃や移動時間、(必要なら)事前の予約など、幾
重もの段取りが必要になる。友だちと会う約束をするな
ら、お互いに都合のいいタイミングを出し合わなければな
らない。場合によっては、遅れたり探したり(探されたり) する手間やストレスもある。「ちょっと」どころではなく、 かなり面倒なことを、ぼくたちはあたりまえのようにこなし
ている。
人と人とのコミュニケーションには、かならず時間と場所 が必要だ。〈いつ〉〈どこで〉やりとりするのか、つねに考
えなくてはならないのだ。つまり、コミュニケーションに ついて考えることは、時間と空間の調整について考えるこ
とだといえるだろう。コミュニケーションの内容や、話す
相手との関係の理解さえもが、時間と空間にかんする一
連の調整に(観察可能な形で)表れる。一緒に「ちょっと
渋谷のギャラリーへ」行くこと、現地で落ち合うこと、帰 りに食事に行くこと。これらは、ある日の具体的な行動 を表すと同時に、二人の関係性を示唆している。〈どのよ うに〉〈何のために〉といった情報が加わると、コミュニケー ションの状況がさらにくっきりと描かれることになる。
「時間地理学」のまなざし
トルステン・ヘーゲルストランド(スウェーデンの地理学者)は、 ぼくたちの日常生活が時間・空間の編成によってかたどら
れることを理解するために、「時間地理学」という概念を 提唱した。地理的な空間(つまり、緯度・経度で位置が 同定される空間)に時間軸を加えて、そのアイデアを図 解する。「ちょっと渋谷のギャラリーへ」を例に、時間地 理学で使われる基本的な概念を紹介しておこう(概説につ いては、たとえば [1]を参照)。
まず、一人ひとりが一日をどのように過ごすかという方針 は、ひと筋の線として表現することができる。これが「パ ス(path)」である。時間は、下から上に向かって流れて ゆくように図示するので、ある一日は、時間とともに変化 する位置を、連続的にとらえた一本の矢印になる。ある 場所から他の場所へ(たとえば最寄りの駅から渋谷駅ま で)移動するさいには、地理的な空間を横断的にすすむ。 移動するスピードに応じてパスの傾きは変わるが、あたえ られた時間内に移動できる範囲が決まると、(可能性の範 囲を表す)「プリズム(prism)」状の時間・空間を想定す
ることができる。
誰かと会うとき、それぞれのパスが同じ時刻・場所で束ね られることになるので、その状況は「バンドル(bundle)」
と呼ばれる。つまり、ギャラリーで落ち合うという友だち との約束は、お互いのパスのありようを考えながら、バン ドルをつくるための共同作業だと理解することができる。
食事を終えて、それぞれの帰路につくとき、バンドルは解 ほど かれる。
ギャラリーなどの施設は、ずっと同じ場所(所定の住所)
にあり続けるので、不動の「ステーション(station)」と なる。ここに、技術的・制度的な理由がくわわると、アク セスできたり、できなかったりする「ドメイン(domain)」
として性格づけられる。
プリズムに近づく
2022年度秋学期は、こうした「時間地理学」の考えをも とに「渋谷のプリズム」というテーマでフィールドワーク
をおこなった。学部の2、3年生はグループに分かれて渋 谷のまちに通い、「時間地理学」のことばを使って、渋谷 における人びとのふるまいをとらえようと試みた。
「時間地理学」の概念たち:西村(2006)をもとに作成
一連の概念は、ぼくたちがつねに移動する(あるいは滞 留する)存在であることを際立たせてくれるが、単純化・ 抽象化されたものである。いうまでもなく、ぼくたちが渋 谷の駅で降り、まちを眺めながら歩きはじめるとき、目 の前に広がるのは、複雑で猥雑な〈 臨
生きているフィールド 床的な現場 〉だ。
つまり、「渋谷のプリズム」は、一人ひとりの個別具体的 な体験を記録したり、人びとのふるまいを観察したりする ことを続けながら、より普遍抽象的な概念を身体に取り 込んでいくための「臨地実習」のようなものだった。
そもそも、ヘーゲルストランドが提唱した「時間地理学」は、 スピードの速さが社会的な価値として共有されつつあるな かで、いまいちど「生活の質(Quality
そうという問題意識に根ざしていた。一人ひとりのパスを 描くことは、じつはそれぞれの〈個性〉を時間と空間にひ もづけて扱うということだ。
だからこそ、ますます複雑で難解な構造に進化を続けて いる駅や、自動化・機械化にすすむサービス、明滅しな がら流れてゆく情報のなかで、自らが描いているはずのパ スを踏みしめ、その編成にかかわる生活観や社会関係を 問い直すことが重要だ。フィールドと概念とのあいだをた びたび行き来して、「時間地理学的な」想像力を獲得した ら、こんどは、あたらしい(これからの)プリズムの創造 に向けて、闊達に語り合いたいと思う。
[1] 西村雄一郎(2006)「トルステン・ヘーゲルストランド:時間地 理学」加藤正洋・大城直樹(編著)『都市空間の地理学』(pp. 99111)ミネルヴァ書房
of Life)」を問い直
バンドルのほどける瞬間
會田 太一・青木 日向子・酒井 彩花・篠原 彩乃
バンドルの結び目でゆらぐ
渋谷のイメージやそこでの時間の過ごし方を思い起こし、 共有することから私たちは始まった。メンバーの多くに とって渋谷は、誰かと一緒にごはんを食べるなど、目的 を持って赴く場所だった。他者と時間を供出し、互いの パスを重ねることでバンドルを作り、出来事の多くを積
み重ねる。その途方もない連続性によって毎日が彩られ る。渋谷での私たちの普段のふるまいもそのような見方 が可能である。議論を進めるなかで、私たちの「会い方」
には共通点が見つかった。それは、待ち合わせ場所周辺
に余裕を持って到着し、1人の時間を過ごしている傾向 があったり、解散後に1人で別の用事を入れ込んだりする
点だ。全員が誰かと会う前後で、1人で何かをするという
こだわりを持っていて、その時間がおびやかされることを
嫌っていたし、確保のための工夫をそれぞれの方法で行っ
ていた。そんな私たちが、もし待ち合わせの前後に偶然 会っちゃったら?という気まずさへの不安から、グループ
名を「アッチャッタラ」に決定した。「集合」と「解散」と は、それぞれのパスが集まりバンドルを形成し、そしてバ ンドルが解体される瞬間に当たる。私たちはそこで生まれ
るやりとりに関心があった。
解散する人びとのふるまい
それからは、渋谷に足を運びフィールドに身を浸しながら それらのことについて考えることにした。渋谷駅から明治
通りを恵比寿方面に歩いたり、松濤エリアをメンバーの 組み合わせを変えて歩いたり、歩いたパスをSilentLogで 記録したりと、私たちが何に興味を持つかという点に自覚 的に活動を続けた。そんなある日、(偶然、10/29の「渋 ハロ」が行われる日だった)私たちにヒントを与える出来 事が起きた。普段はハチ公前で待ち合わせをしていたが、 その日は人出があまりに多く、JRハチ公改札の隅で集ま り、最終的に全員集まるのに30分を要した。その待ち 時間に改札を眺めていると、集合と解散を繰り返す人びと
の様子が散見された。これまでも、歩きながらそれらを 見たいと思っていたが、一定の場所で行われることは少な く、十分なサンプルが集まりそうになかった。
この発見から、改札前で定点観測をする試みを行った。 初めはカメラを見知らぬ人に向けることに抵抗があり、メ モに文章で特徴を書き留めることにしたが、速い流れの 中で記録しきれないことが多々あった。そこで、動画撮 影ついて議論をした結果、大前提として私たちは社会調 査者であり、さらにはたとえばスクランブル交差点のライ ブ中継カメラなど、知らないところで暴露されていること に対して抵抗感を持たないことを思い出した。そして、撮 影した素材は成果物として公開しないことにした。映像で は、場所や時間などが自動的に記録され、後から見返せ る点でも優れており、私たちが必要とした情報が全て含ま れていた。また、様々な路線の改札で観察を行うと、そ こには差異があることがわかってきた。実際に私たちが
場のチカラ プロジェクト
観察をしたのは、田園都市線ハチ公改札・井の頭線・JR
ハチ公改札・東急宮益坂改札などである。それぞれの改 札には空間的な特徴があり、それによって解散の質も変 化していた。例えば、田園都市線改札は、薄暗くて天井 が低い空間がひろがり、改札を抜けた先にすぐホームに 向かう階段があるため、長い時間見送れない。対して、
井の頭線改札は、白を基調とした明るい広々とした空間 で、グループでもたむろするスペースが十分に確保されて いた。また、電車に乗る直前まで見送れる構造になって おり、ギリギリまで手を降り続ける人もいた。
解散と引き止めのせめぎ合い
様々な解散を記録し、ふり返るなかで、うまくことが進 んでいる「爽やかな解散」とその逆の「ぎこちない解散」
があることがわかった。そして、爽やかな解散は、グルー プ内での「解散の文法」が共有されているという発見が あった。解散の文法とは、足の向き、スマホいじりなど、
機微な動きが示す意味のことを指す。逆もしかりで、ぎこ ちない解散はそれらが噛み合わず、「解散しそう」という
意味の伝達がうまく行われない。実際に、私たちが解散 を観察できたのも、彼らが伝達しようとした意味を側から 見て汲み取れていたからだ。同時に、「引き止めの文法」
が存在していることにも着目した。改札方向に踏み出した 足を遮るように身体を動かす、など複雑な駆け引きがそ こにあった。
行われる駆け引き
そこで、どのようにして「解散しそう」が作り出され、私 たちまで届いているのかを探るために、「解散しそう」な やりとりを分解、分析した。具体的には、やりとりを行う
人びとを「見送るひと/見送られるひと」の構造でとらえ るのではなく、一人ひとりの些細な身体動作に着目しなお した。たとえば、足の動きや方向、手の仕草などである。
そうしたことで、次第に人びとの「解散しそう」は「帰りた そう」と「まだ一緒に居たそう」の駆け引きによって成り立っ ているように私たちには見えてきたのだ。そのように捉え
ると、バンドルの中では、駆け引きによって2人のパスが ゆらいでいる。互いのパスが一定の間隔を保ったまま垂 直に伸びていくのではなく、実はその中で、パスの距離 が近づいたり離れたり、離れたパスをもう一方のパスが追 いかけたりしながら、解散までの軌跡を残していると見る ことができる。解散と引き止めのせめぎ合いの中で、ゆら
バンドルのほどけ方
引き続き記録を続けていたが、どのように活用するかに ついて私たちは迷っていた。スケッチ、映像集、ショート ストーリーなど様々な案が出たが、先生が参考として提示 してくださった映像(タイミングが絶妙にズレた解散をま とめた動画)を参考にし、解散に関する映像集を作成す ることにした。私たちの関心のある文法を表現するという 点に立ち返り、身体のパーツを強調した映像を作ること が最も良い表現につながると考えたからだ。そこで、そ れぞれお気に入りの解散シーンを選び、台本を作成し実 際に解散が行われた場所で忠実に再現をする動画を撮っ た。その後、6人の加藤研メンバーと本番撮影を行った。 また、私たちが注目していた各改札の空間的な特徴につ いては、別途ポストカードを作成した。内容としては改札 の写真、ショートストーリー、改札の音声、改札の配置 を入れ、手に取った人が臨場感を持てるようにした。
ぎが作られているのだ。












































































木村 温斗・松井 七海・山本 凛
渋谷で待ち合わせ
秋学期の初め、渋谷でのフィールドワークのために私た ちはハチ公前で待ち合わせをした。渋谷の待ち合わせ場 所といえば、という安直なイメージで選んだものの、人の 溢れる休日のハチ公前で合流するのは決して簡単ではな かった。また、渋谷のまちを歩いてみると、誰かを待つ
人の姿や、ちょうど声を掛けて合流しているような場面を 多く見かける。ハチ公前やTSUTAYA前といった、定番 の待ち合わせ場所以外で待ち合わせをしている人々を何
度か見かけるうちに、私たちは、渋谷というまちに馴染み、 土地勘を育てていくことで、待ち合わせの場所や集まり 方も変化していくのかもしれない、と考えた。
渋谷での待ち合わせを観察することにした私たちは、遠く 離れた友人同士の久々の再会の場面や、一時的に別行動
をとっていた2人が再合流する場面など、渋谷のまちの中
で大小さまざまな待ち合わせが行われていることに改め て気付いた。多種多様な待ち合わせを記録したいと考え
て歩いてみたものの、いつどこで起こるか分からない待ち
合わせを見つけるのは、想像していた以上に難しかった。
そこで、場所や時間といったシチュエーションを設定して
自分達で待ち合わせをし、それを記録することで渋谷で の待ち合わせ観察を試みた。
動画を見ながら考えたこと
待ち合わせの様子を記録するために、自撮り棒を購入し
て、待ち合わせまでの3人それぞれの移動の様子を動画 に収めることにした。表情の変化を見るために、インカメ ラを用いて自分の顔と風景が映るように撮影した。ハチ 公前や渋谷区役所などさまざまな場所を待ち合わせ場所 として設定し、計14回の待ち合わせを記録した。
自撮り棒を持つことで、自撮り棒を持っている私たちだけ でなく周りの人の振る舞いが変化することや、合流できた 時の感情と待ち合わせ場所との関係など、色々な発見が あった。また、3人の様子が同時並行的に確認できるよう、
3つの動画を横に並べて編集した。編集した動画を振り 返って見てみると、スタート地点から待ち合わせ場所に辿 り着くまでの私たちの移動の様子が、メタ的な視点で収 められている動画になっていることに気が付いた。
進行方向とは反対側の風景に、移動する”わたし”が埋 め込まれているこの動画は、スナップショット的な「ここ にいた」という点の記録が連なった線、つまりそれぞれ の移動の軌跡を示すルートになっている。時間地理学的 に捉え直してみると、スタート地点から待ち合わせ場所と いう2つのステーション(停留点)の間にプリズムがあり、 その中に現在進行形で描かれていくパスを追いかけるよ うな記録になっていると言えるだろう。私たちは、それぞ れがプリズム中でどのように活動・移動していたのかを観 察するためのメディアとして、この動画を深めていきたい と考えた。
場のチカラ プロジェクト
「じどる〜と」で渋谷をたどる
「じどる~と」
私たちはこの、自撮り棒を用いてそれぞれの移動の様子 を収めた自撮り動画を「じどる〜と」と名付けた。「じど る〜と」には、先述のようにメタ的な視点での移動の軌 跡が収められている。そのため、「じどる〜と」を観察す ると、撮影者それぞれの移動中の表情や仕草といった移 動の様子や、「会うこと」への意識のちがい、目線の位置 から読み取れるまちの中のランドマークに対してのリアク ション、そして、それぞれが歩いてきた道のり等が見えて くる。「じどる〜と」から見えてくるものに面白さを感じた 私たちは、私たち自身が渋谷というまちにどのように反応
しているのかを調べるメディアとして「じどる〜と」が役に 立つのではないかと考えた。
実際に3人の「じどる〜と」を並べて動画を再生してみると、
渋谷のまちに慣れている人とそうでない人とでは歩いてい
る時の表情や、動画内で描かれたパスのシンプルさなど に顕著に違いがあらわれていた。たとえば、「じどる〜と」
を撮影している間はスマホのマップ機能などを使うことが できないため、はじめて行く場所へ向かう人の表情は少し 暗いように感じられたり、それぞれが歩いた道のりから、 渋谷というまちをどのランドマークを頼りにしながら歩い ているのかが推測することができたりした。こういった撮 影者それぞれの違いをより具体的に見つめていくことで、 プリズムの中の活動・移動可能性に対するそれぞれの反 応や選択のちがいを考えていくことにした。
プリズムを拡大してみる
家族でショッピングモールに行って、「30分後にあのお店 の前で集合ね」なんていうシチュエーションを経験したこ とはないだろうか?私たちは、日常の中に溢れている小さ
な待ち合わせの中で何が起こっているのかを「じどる〜と」
を使って観察してみることにした。まず、ルデコをスター ト地点として、30分後に渋谷キャストで待ち合わせをす
るシチュエーションを考える。その間に、「東福寺にお参 りする」もしくは「茶亭羽當の写真を撮る」という2つの タスクのうち、どちらか好きなものを選んでこなすことに する。3人それぞれがこのシチュエーションを歩いて撮影 した「じどる〜と」と、それを元に作った時間地理学の三 次元グラフを立体模型で表し、それらを元にプリズムの 中で何が行われているのか考えた。
私たちは、待ち合わせ場所に向かうルートの中で、気に なるものに足を止めたり、知らない景色に惹かれて足を 延ばしたりする。その一方で、待ち合わせの時間が迫って くると、少し歩調を速めたり、迷子にならないよう、慣れ た道を選んだりしていた。このような選択を重ねながら場 所と時間を調整することによって、私たちは「待ち合わせ」 を成り立たせている。
時間地理学のグラフは多くの場合、デイリーパスやウィー クリーパスなど、ある程度まとまった時間の区切りで描か れることが多い。その中にあったであろう寄り道や信号待 ちのような小さなパスの揺らぎは、直線に統合されてな かったことになってしまう。30分のパスを拡大し、わた しと他者の個別具体的で微細な動きを並べてみることは、 私たちが普段、時間や距離の感覚・経験を用いながら、 その時間・その場所・その状況に合わせて、無数の選択 肢の中から行動を選択していること、その堆積によって 私たちの日常が成り立っていることを教えてくれる。プリ ズムの中で行われる何気ない活動・移動を可視化し、私 たちがどのようにまちと関係しているのかを知るためのメ ディアとして「じどる〜と」を提案したい。





























































































































































































































































#シブヤインピクチャ
木根 景人・坂根 瑛梨子・山中 萌美
「すれちがい」と「心のつながり」
渋谷では「すれちがい」がよく起きているのではないか。
実際に渋谷を歩いてみて、私たちはそう感じた。まずは、 すれちがいの種類を考え、1.場所と時間を共有して、お
互いに認識するすれちがい2.時間は同じだが、位置がず
れて会えないすれちがい3.位置は同じだが、時間がずれ
て会えないすれちがい の3種類に分類した。1はその場 で気づくが、2、3はあとからすれちがいに気づく。次に、 この3種類のすれちがいをより具体的に見ていくため、す
れちがいの度合いを定量化しようと試みた。しかし、そ こに関係してくる変数は、距離、時間、相手との関係性、 場所の性質、と無数にあり、答えは見出せなかった。そ
のため、すれちがいという関心は持ちながらも、ふたた
び渋谷のフィールドに出ることにした。
そこで、すれちがい発見実験を行った。開始から1時間
半は自由行動。その後はお互いを探しながら見つかるま で歩いた。その際に、サイレントログを用いることで、事
後的にすれちがいを確認できるようにした。そして、その 結果を時間地理学に置き換えた。1.同じ停留点にいて、 事実上ではバンドルが生じていても、人が多すぎて認識
できないすれちがい 2.同じ時間に同じ位置を通る、つ
まりパスが交差していて、バンドルができないすれちがい
3.違う時間帯に同じ位置を通る、つまりパスが平行して
いてバンドルができていないすれちがい これらはどれも、
最初に挙げていた3種類のすれちがいに分類されない。
しかし、ここまでの活動を通して、すれちがいを分類する ことに興味がある訳では無いと感じていた。
そこで、再び何も考えを持たずに渋谷を歩いてみたところ、 「心のつながり」への関心に気づいた。私たちは、すれち がい自体よりも、偶然すれちがった時や、すれちがいを 事後的に発見した時の心がつながる瞬間に興味があるこ とがわかった。つまり、パスが交わる瞬間やバンドルが生 じる瞬間、さらにはパスが交わらずとも、すれちがいは起 きていて、これを発見することで心のつながりを感じられ
る。この心のつながりに私たちは興味があった。そのため、 私たちはこの「すれちがい」とそれを結ぶ「心のつながり」 に注目して活動を進めた。
「ちいさなメディア」と「場所がもつメディア性」
すれちがいに気づいたときの心のつながりへの興味を踏 まえて、私たちがすれちがいに関連して行ってきた活動を、 2つの観点に分けて記述することができる。まず1つは、 渋谷における「ちいさなメディア」への興味だ。渋谷は多 くの人が行き交い、「自分の居場所がない」「情報が氾濫 していて、匿名性が高い」と感じがちだ。だからこそ、自 分と限られたひとだけがつながれるものがあれば、安心 や嬉しさを感じるのではないかと考えた。そこに着目して 私たちは、3人が違う日時にそれぞれ渋谷を歩いて、すれ ちがいをつなぎそうなメディアを探してみた。写真を撮り たくなるような広告やアイドルがパフォーマンスをしなが
場のチカラ プロジェクト
ら走るバス、また路上に停まっている珍しい車などを見つ
けた。もう1つ、渋谷におけるメディアをめぐって偶然体 験したことがある。ある日、渋谷でのグループワークを終 えて解散したあと、えりこは友人と東急プラザを訪れた。
そこで綺麗なオブジェを見つけ、写真を撮った。そのオ ブジェはじつはもえみの叔母が手がけたもので、その上同
じ日の1時間後にもえみもそこで写真を撮っていた。オブ ジェがなければ、グループワーク後に2人がすれちがって いたことには気づけなかっただろう。オブジェがすれちが いをつなぐメディアになった。
もう1つの観点は、「場所がもつメディア性」だ。ジャスティ ン・ビーバーが渋谷にいたという情報を見て、数日後にそ の場所を訪れ、同じ画角で写真を撮ってみた。また、長 期的なすれちがい、自分とのすれちがいについても試そう
と考え、過去の自分とすれちがいを起こしてみた。例えば あきとが高校生のときにヒカリエの屋上から撮影した景色 と同じ場所から同じ画角で撮影してみたり、えりこが部活 の全国大会で訪れたNHKホールで、当時と同じ画角で 写真を撮ったりした。その他にも、Instagramのストーリー を使って、あきとがもえみを追いかける、という活動を試 してみた。ある場所に「さっきまであの人がいた」という 意味が見出され、場所そのものがメディアになりうること
を確認した。これらの活動や体験から、渋谷でのすれち がいをつなぐちいさなメディアを、私たち自身で作ってみ ようと考えた。
#シブヤインピクチャ
そこで私たちはシブヤインピクチャという活動を始めた。
シブヤインピクチャは、私たちが撮った渋谷の写真に、 誰かが同じ場所で写真を重ねて撮影し、その写真をまた
別の人が繰り返し撮影していくという活動である。この活 動の狙いは、1.時間差のすれちがいを起こして、心のつ ながりを感じること、2.直前までそこにいた、その人の 温もりを感じること、3.シブヤインピクチャをする人だけ をつなぐ、ちいさなメディアを作ることである。最初の2 つはこの活動を通して、渋谷という人に溢れた街で心のつ ながりを生むことが目的であり、最後の1つは私たちのお 気に入りである渋谷の複数の場所をこの活動をしている人 にとってのメディアにしたいという思いがある。
シブヤインピクチャはInstagramを通して行っている。ま
た、時間という鮮度を保つため、ファミリーマートのネッ トワークプリント機能を用いて使用する写真をシェアする
ことにした。ファミリーマートのネットワークプリントに写 真を登録すると、プリンターで印刷できる期限が1週間
しかない。この活動を続けるためには、前の人があげた 1週間以内に次の人が写真をファミリーマートで印刷しな ければならない。まずは研究会に所属している人に協力し てもらい、この活動を進めている。そして、フィールドワー ク展では、展示を見にきてくれた人にも協力してもらう予 定である。この活動を進めていき、Instagramの#シブ ヤインピクチャに写真がたくさん並んであるようにしたい。 渋谷は人の流れが激しく、日々たくさんのすれちがいが起 きている。この活動を通して、渋谷の街で心のつながり を感じることで、渋谷に人がいることに意識的になるだろ う。ただ目的があって人が集まる場所という渋谷から、自 分と限られた人だけがつながり、安心や嬉しさを得られ るような、新しい渋谷が見えてくることを期待している。
シブヤインピクチャの手順
1.Instagramの# シブヤインピクチャで最新の投稿を確認する


2. その投稿に書いてあるネットプリントの番号を確認し、ファミリーマートのコピー機で写真を印刷する

3. 写真と同じ場所に行き、写真の画角に合わせて写真を撮る
4. 撮った写真をネットプリントに登録する
5. 写真に @shibuya_in_picture をタグ付けし、キャプションにはネットプリントの番号と

# シブヤインピクチャ とできれば感想を書き投稿する
場のチカラ プロジェクト

シブヤインピクチャを行った場所
実行例
渋谷 PARCO 前で行ったもの。

12月22 日~2月5日の期間で、計6回行った。
写真が重なっていくほど、撮影位置は後ろに下がり、元の撮影場所から少しずつ遠ざかっていく。

コツは、枠となる背景を広めにとること、目印となる周りの建物に合わせて撮ること。
写真に対して平行に撮影するのが難しく、何度か撮り直しながら調整が必要だった。
Instagram に投稿する際、非公開アカウントで投稿しないように注意する。



ネットプリントには1週間の期限があるため、1週間以内に次の人がプリントして投稿をつなげる必要がある。
重ねて撮っていった写真を用いて、模型を作 成した。横から見ると時間のずれを感じるこ とができ、正面から覗くと奥行きのある1枚 の写真になる。


日常に溶け込み、普段気に留めていない渋谷 の一画でも、そこには時間の厚みが存在し、 同じ場所ですれちがった誰かと心のつながり を感じることが出来るのかもしれない。

渋谷タイムスコープ
渋谷体温物語
岩﨑 日向子・河井 彩花・芝辻 匠・黄 才殷
渋谷には人がいない
渋谷では、いたる所にステッカーが貼られ、あらゆる所 に落書きがあり、いろんな落とし物やごみが道端に落ち ていて、路上にたくさんの自転車が止めてある。そんな風 景は特段目新しいものでもなく、「まあ渋谷なんてそんな ものだろう」というくらいにしか思わない。
渋谷でのフィールドワークを始める前の私たちは、渋谷 の風景に目を凝らすこともなくただ雑踏に紛れて、迷わず 目的地にたどり着くことだけを考えてこのまちを歩いてい
た。テレビ番組で見るスクランブル交差点は本当に渋谷 にあって、米粒くらいに見えていた人間がたしかにそこを 行き交っていた。すれ違う人の顔をいちいち確認していた
ら目が回ってしまいそうなほどたくさんの人がいるこの渋 谷で、私たちはどれほど他者の存在を認識できているだ
ろうか。渋谷を行き交う人々それぞれに生活があることを、
どれほど想像できているだろうか。
痕跡を見つける
秋学期の間、私たちは渋谷をひたすら歩いた。多い時は 週に3回渋谷に足を運び、いろいろな場所を歩きまわっ
た。歩きながらとった写真を見返すと、ある一定の性格 づけをすることができた。
建物と建物の間に設置される柵や、その周辺にわざと目
立つように設置されている防犯カメラ。隠すように、しか し無遠慮に捨てられたペットボトルやタバコの吸い殻。茂
みに残された人のお尻の大きさぐらいの凹み。渋谷の広 範囲に点在する「ECY」や、数日前に歩いた際にはなかっ た「I NEED 愛」の落書き。歩道橋の手すりに残された「田 中浩一」の証明写真。電柱に貼られたQRコード。柱の そばにきちんと揃えて置かれた作業靴。ポールの上に置 いてあるビューラー…。その場に人はいないのに「ここに は確実に人がいた」と思えるような痕跡に対して、私たち は反応していた。
それはなんだか、電車で座った椅子がまだ生温かった時 や、枕から恋人のシャンプーの匂いがした時のように、他 者の存在を身体で感じる体験だった。どこか無機質で、 よそよそしさを感じていた渋谷で、目の前にいない人の存 在を感じること。その体験によって私たちは、渋谷にいる 人々の生々しく具体的な生活を想像させられた。
〈じゃれあい〉から〈体温〉を感じる 渋谷で人の存在を生々しく感じた体験を、私たちは〈じゃ れあい〉と〈体温〉という言葉を共有してふりかえる。
〈じゃれあい〉という言葉では、渋谷を管理する人とされ る人の調整のことを言い表そうとした。駐輪禁止の看板 の少し横に停められた自転車や、標識の表面ではなく裏 面に貼られたステッカーを見て、渋谷に対してちょっかい を出す人とそれを止めようとする人が互いに距離感を調整 しているのではないかと考えたのだ。しかし次第に、〈じゃ れあい〉という表現を使うことで、渋谷にいる人々をラベ
場のチカラ プロジェクト
リングしてしまい、見たいものが見えなくなってしまってい
るのではないかと感じ始めた。一方で、〈じゃれあい〉を 観察することによって、自転車を停めた人と撤去する人、
ステッカーを貼る人と剥がす人というように、渋谷に存在 する人と人の間に輪郭が引かれ、より具体的に人の存在 を想像できたことは確かだ。そこで私たちは、用意した
属性を当てはめるのではなく、もっと目の前にあるものを じっくり見ながら、より適切に状況を言い表せる言葉を探 すことにした。
その結果たどり着いたのが〈体温〉である。〈体温〉は、 渋谷に人がいることを私たちが鮮明に感じた体験を共有 するための言葉である。電柱の落書きや、道端の落とし 物を発見した時、「どうしてこれを書いたんだろう」「誰が 落としたんだろう」とそこにいた人のことを想像する。ス
テーションにひかれた誰かのパスと、私たちのパスが重 なり、バンドルを結ぶその瞬間、私たちはそこに人の存在 を感じる。それを〈体温〉という言葉で表現した。
パスが空間的、時間的に一致はしないが、そこに人の温 度を感じられる景色が渋谷にはある。離れているのに温 かく、誰もいないのにそこにいるように感じる。この渋谷 の見方が、私たちにとっての渋谷のプリズムである。
428文字で書くこと
渋谷のこの生温かさを、どうにかして他者に伝えたい。そ う思った私たちは、428(=シブヤ)文字で文章を書くこ
とに決めた。言葉を使うことは、世界の認識の仕方を表 現することである。渋谷で感じた体温を、渋谷にいたであ ろう人びとを、自分たちの言葉を使って表現する。字数に 制限をかけることで、普段何気なく発する自分の言葉に ついてじっくり考え、悩み、迷うことになる。427文字で
も429文字でもなく、428文字で書くことによって、細 部まで表現にこだわらざるを得なくなる。そのことで、私 たちの渋谷への眼差しはよりシャープになり、感情を丁 寧に描き出すようになる。
私たちは実際に、428文字の原稿用紙を作り、手に持っ て渋谷に出かけた。そして歩きながら発見した痕跡から 発想して、「渋谷体温物語」を自由に綴る活動をした。グ ループのメンバー4人が書く文章は、内容も、文体も、そ れぞれに個性的で、一緒に渋谷を歩きながらも頭の中に は全く違う世界観が展開していた。あなたと私は違うとい うことを感じることであり、同時に渋谷にいる人びとがそ れぞれに独立して生活を営んでいる存在であることを認 識することでもあった。
想像でパスを形成する
私たちは、その場に人がいないのに人の存在を感じると いう状況に注目した。痕跡を見て〈体温〉を感じる時、 パスとパスは交差しない。私たちは、文章を書くことを通 じて、〈体温〉の持ち主と想像上でパスを結び、バンドル を形成した。その時、顔も名前もわからない他者は生々 しいリアルな存在になり、単純な記号の集合だった渋谷 に、わらわらと複雑な個人が浮かび上がってくる。そして ようやく、渋谷にはたしかに人が存在するのだということ を感じられる。
秋学期の間、フィールドワークを行っていた私たちもまた
渋谷を形作る一員である。一人の生活者として渋谷につ いて考えながら、これからも渋谷を歩く。
渋谷のプリズム図
渋谷でのフィールドワーク中、数日前に歩いた時には何も書いてなかった歩道橋の手すりに、「I need 愛」という落書
きが加えられていることを発見するという印象的な出来事があった。この体験を通じて、私たちは上図のように整理し、 理解した。




渋谷を利用する人が、柱や看板などのステーションに対して落書きをしたりステッカーを貼ったりする。その場所を時間 差で訪れた私たちが、それらを発見する。この時、パスとパスが想像力によって結ばれることによってバンドルが時間 差で形成される。パスが時間的に結ばれた瞬間、私たちは渋谷に残されている痕跡に対して〈体温〉を感じ、確かに
この場所に人がいたということ、このステーションに一本のパスが通っているということを実感する。


私たちは、渋谷の生温かさを伝えるために428文字の原稿用紙を作成した。文章には、書き手の内面が滲み出るため、



















渋谷のゴミから
池本 次朗・大森 彩加・西谷 唯香・渡邉 鋼太郎
「待ち合わせ」への注目
9月、「渋谷のプリズム」というテーマを聞いた私たちは、
参考資料を読み、プリズム・パス・バンドル・ステーショ
ンなどの時間地理学のワードを把握するとともに、グルー
プワークの意図を話し合った。
最初に私たちが関心を持ったのは「待ち合わせ」につい
てだった。渋谷でグループワークを行った際、私たちは 即興的に「集まれるかゲーム」と称した活動を行った。「集 まれるかゲーム」でそれぞれのメンバーは、自分がいる
場所の写真を情報量が意図的に減るように「わかりにくく」
撮る。そうして撮った写真をSlackのチャット上にアップし、 互いのいる場所を推測し集合する。初回は、渋谷駅西口
スクランブル交差点から渋谷109周辺のエリアで集合し
た。実施してみると、送った写真が他の人よりもわかりや
すいため、他の人の写真からいる場所を理解し移動を始 める人や場所が伝わらず移動しながら何度も写真を撮り 直す人など、グループメンバーの動きに様々な違いがある
ことがわかった。
初回の待ち合わせの後、話し合いや先生からのアドバイ スをもとに「待ち合わせのプリズム」を事前に作成し、そ
の通りに「集まれるかゲーム」を実施することにした。人
と人が待ち合わせるとき、それぞれ別の場所にいた人が 同じ場所へ向かうことでパスは合わさってバンドルになる。
これらのプリズムは移動や滞在などの行為が終わった後に 「事後的に」書かれる。私たちは、そのプロセスを逆から
たどり、待ち合わせのプリズムをあらかじめ計画しその通 りに行動する「事前的な」集合を行ってみることにした。 それぞれのメンバーの動きを事前にプリズムに記入し、そ の通りに動いて集合するという活動が、ゲーム的なおもし ろさを引き出すのではないかという予想があった。しかし 実際にゲームを行ってみると、プリズムによって集合を計 画することは想像よりも難しいことがわかった。プリズム による指示がある状態だと、待ち合わせ場所に移動する ことが義務的なものになってしまい、普通に集まるよりも 面白みのない待ち合わせになってしまった。
「ゴミの観察」への移行
待ち合わせへの興味から集まれるかゲームの面白さを追 求しようとした私たちだったが、待ち合わせにこだわりす ぎて他のものが見えなくなってしまった。
そこで、事前の準備をせずに渋谷の駅周辺で気になるも のを探すことにした。歩く中で気になったのが、様々なと ころに無雑作に捨てられていた空き缶やビニール袋などの ゴミだった。リサーチを行った日がサッカーW杯の試合 翌日だったため、ゴミは試合を見ていたサポーターたちが 捨てていったものだと考えた。
渋谷に落ちているゴミに興味を持った私たちは、12月25 日の深夜から26日の昼にかけて、交代しながら駅周辺 に落ちているゴミの観察を行った。観察を始めた深夜は、 クリスマスの夜を渋谷で過ごした人々が捨てていったと思
場のチカラ プロジェクト
われるゴミがあちこちに散乱していたが、朝から昼間にか けて清掃作業にが行われ、それらはさっぱりと無くなって いた。しかし、清掃が行われる場所は駅周辺の目につき やすいところが中心で、駅から離れた路地裏には昼になっ ても変わらずゴミが落ちていた。同じゴミでも、落ちてい る場所やゴミ自体の大きさなどによってその場に残るもの と回収されるものに分かれるという点に興味を惹かれた。 私たちの関心はその場に留まり続けるゴミや、そもそも人 は何をゴミと見なしているのかという点に移った。
ゴミと「用途」
そこで、私たちは物が捨てられる現場に介入してみること にした。「ゴミ=用途が終了したもの」という仮説を立て、 「用途が終了したもの」「用途が残っているもの」「用途が 残っているか微妙なもの」の3種類に分類した物を、待ち 合わせスポットとして知られるモヤイ像の周辺に置き、行 き交う人々がどのような反応を見せるのかを交代で観察し た。この時は「用途が終了したもの」として空き缶と紙コッ プ、「用途が残っているもの」として未開封のカイロ、「用 途が残っているか微妙なもの」として片方のみの手袋を 設置した。空き缶や紙コップはそのまま放置されていた。
未開封のカイロは設置してすぐに持ち去られた。片方の みの手袋は、はじめ多くの人が無視していたが、少し経っ た後に誰かに拾われ、モヤイ像の口部分に投げ入れられ た。その途端、通り過ぎていた人々が手袋を指差し、視
線を向けるようになった。
この結果から、物がゴミとみなされる際「用途」の有無 が影響を与えていると考えた。使い捨てカイロが持ち去 られたとき、中身だけ持ち去られたことがあった。持ち去っ た人にとって身体を温めるという用途がある中身だけが必
要で、包装は不要と判断したのだろう。
一方で、手袋への人々の反応から、「用途」は事前に定義 できるようなものではなく、その時々によって変化すると も考えた。片方のみの手袋からは「手を温める」という 用途は半分失われているため、道に落ちている手袋に人々 は注意を向けない。しかし、ふと拾い上げた人(その人は まだ用途が残っていると思ったかもしれない)がモヤイ像 の口に手袋を投げ入れたことで、「手を温めること」だっ た用途は「モヤイ像の一部分」に変わり、手袋は一気に 注目を浴びることになった。誰かにとってのゴミも、別の 誰かにとってはゴミではないのかもしれない。
時間地理学の視点からゴミを考えてみる。物は自分の力 で移動することはできず、移動するには人に持ち上げられ たり、蹴られたりする必要がある。ある物を中心としたプ
リズムを描くとき、そのパスは、物を持ち上げたり蹴った りした人たちの断片的な行動を記録している。「そもそも 人は何をゴミと見なしているのか」という私たちの関心は、 物のパスが動く瞬間に向いていたといえる。モヤイ像の前 に設置されたゴミが描くプリズムは、たくさんの人が行き 交う渋谷における、物と人の関係性を伝えている。
ゴミと人の関係性
成果物として、観察する中で印象に残った物を主人公に した絵本を4種類作成した。絵本という形にしたのは、 絵本のストーリー内でゴミを擬人的に取り上げることで、
物の「用途」は場合によって移り変わっていくことを伝え ることができると考えたからだ。これらの絵本を読むこと が、渋谷のゴミと人との関係性を考えるきっかけになれば と考えている。
路上のポイ捨てゴミを見ると、袋にまとめられていたり、物陰に置かれていたりと、捨て方や物の置き方から持 ち主の動きを想定することができる。ゴミは、そこに人がいたという痕跡であると考え、私達はゴミから人の動 きを探るために、モヤイ像の前での定点観測を始めた。
モヤイ像前での定点観測を中心に行っていたため、ほ とんどの物のパスが大きく変化することはなかったが、 人が持ち去った後のパスは大きく変化した。
❶空き缶 全ての人が無視するか、蹴っていた。
❷カイロ
置くと必ず持って行かれた。その際に中身だけを取り出し、外 袋はその場に捨てて行く人もいた。
❸バスボム
渋谷の路地に落ちているにはかなり違和感のある物だが、1 人の人が落ちていることに気付くと、そのまま持ち去った。





❹片手袋
多くの人が無視をする中で、1人の人が拾いあげ、モヤイ像の 口に置いた。すると、多くの人の注目を集めるようになった。

❺新聞 とある男性が持って行った。置いた物の中で唯一動いたパス を追えた物。男性は新聞を持ち、中目黒まで行った。
場のチカラ プロジェクト
(左写真)片手手袋とカイロをわざと配置している。一晩モヤイ像周辺を観察していたところ、誰かが捨てたゴミ袋に、 時間をかけてゴミが集まっていくという現象を目撃した。この体験は、ゴミの発生が人の行動を変化させたという点で 面白く、意識的にゴミを設置することで人の行動を生み出せるのではないかと考えるようになった。
(右写真)ずっと無視されていたゴミ袋が一瞬関心を引いた。意図的にゴミを設置する実験から、モヤイ像周辺のゴミ は通行人に見て見ぬふりをされるが、観光客やゴミを捨てたい人の目に入った瞬間に意識の対象になることがわかった。 そして、ふとした瞬間にだけ存在を認識されるゴミ、朝には回収されて一生を終えるゴミに面白さを感じ、ゴミの目線に 立った絵本を制作することにした。





制作した絵本

おわりに
ピーター・グールド(イギリスの地理学者)は、『The Geographer at Work』(1985)のなかで、トルステン・
ヘーゲルストランドの「時間地理学」の考え方を紹介して
いる。おなじみの図式を使って、一人ひとりのパスがつく
りだす「プリズム」について触れ、「プリズム(prism)」と 「プリズン(prison)」は、大して変わらないのかもしれな
いという。やや自虐的ではあるものの(そして、たしかに
見間違えるかもしれないが)、ぼくたちの日常を考える上 で、言い得て妙である。
ぼくたちは、いまいる場所と移動の可能性によって、一日
の方針を思案する。誰かに会って一緒に過ごすためには、 お互いの時間を供出するとともに、移動にかかわる手間 ひまを引き受けなければならない。だが、その共同作業
があればこそ、ぼくたちは、対面でやりとりする(あるいは、 ただそばに「いるだけ」で過ごす)喜びを味わうことがで きる。
この3年近く、ぼくたちは移動がままならない生活を強い られてきた。「ステイホーム」でずっと家で過ごしている
ときのパスは、ただまっすぐ上に延びてゆくだけだ。「密」 を避けるために、バンドルがつくられることはなかった。
移動を奪われていた状況は、まさにプリズンだったのだろ う。
だが、ぼくたちは、あらためて〈個性〉の出会いを実感 できるようになった。「ちょっと渋谷のギャラリーへ」とい うちいさな旅は、ひさしぶりだろうか。それとも、まった く初めての体験だろうか。いずれせよ、それは光を集めて、 ぼくたちのコミュニケーションに彩りをあたえてくれるプリ ズムのはずだ。
参考:Gould, Peter(1985)The.Geographer.at.Work. Routledge & Kegan Paul.
ちょっと渋谷のギャラリーへ。 フィールドワーク展XIX【たゆたう】
◎日時:2023年2月23日(木・祝)~26日(日)11:00~19:00(最 終日は15:00まで) ◎会場:ギャラリー LE DÉCO(ルデコ)渋谷駅から徒歩3分

渋谷のプリズム|Shibuya Prisms 2023年2月20日発行
グラフィック
場のチカラ プロジェクト
https://vanotica.net/shibuya_prisms/