となりのエンドーくん

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大森 彩加

河井 彩花

木根 景人 彩乃  唯香

August, 2022

大西 美月

Endo-kun By My Side

加藤 文俊

西谷

篠原

松井

松下 竜大

山本

山中 萌美

となりのエンドーくん

慶應義塾大学

七海

池本 次朗

加藤文俊研究室(編)

會田 太一

もくじ はじめに.......................................................................................................... 2 まちを通じて関係性の変化を知る 4   [マップ]印象的な会話が発生した場所..................................... 6 ぱっちえんどう.............................................................................................. 8   [マップ]ぱっちえんどうルートマップ 10 Dear Endo....................................................................................................12   [マップ]手紙を書いた場所.......................................................... 14 まとって、あう 16   [マップ]ちがう着方で歩いて見る............................................. 18 おわりに....................................................................................................... 20 を思案する。のような経路を辿って目的の場所に向かえばいいのか。人とのかかわり場所を探したりする。家にいるのか、出かけるのか。いつ出かけて、どられるのだ。そのために、ぼくたちは、約束をする。時間を調整したり、る。つまり、時間と空間が相まって、コミュニケーションの現場がつくいうまでもなく、コミュニケーションは、いつか・どこかでおこなわれ [表紙 マップ/イラスト:山本 凜, 2022]

から、これからの日常生活を考える試みである。

加藤 文俊

場のチカラ プロジェクト

もちろん、初めてのことではない。だが、ずっと疑いなく 受け容れてきたはずの日常が、なんだかちがって見えてく るような、不思議な感覚をおぼえた。

こうした変化は、〈オンラインか対面か〉という対比によっ てとらえられることが多い。「3年ぶり」ということばが多 用され、画面越しのコミュニケーションから解放されたこ とを喜ぶ。何気ない仕草や、間合いなど、身体が果たし ていた役割をあらためて実感している。ぼくたちのコミュ ニケーションには、非言語的な手がかりは欠かすことが できず、文字どおり立体的にお互いを理解することの価 値を味わっている。

家の「外」に出るだけで、なんだか嬉しい気持ちになる。 そんな感覚を味わうことになるとは、想像もしていなかっ た。しばらく、あまり家から出ることもなく、平板な画面 ばかりを眺めて過ごすことが多かった。 2022年の春、 ぼくたちは、通勤、通学のある毎日を過ごすようになった。

車窓を流れる風景

いま述べたように、COVID-19の影響下での暮らしのな かに、少しずつ(物理的な)移動の機会が増えてきた。 長らく休んでいた身体をなじませつつ、あらためて通勤経 路について考えてみた。ぼくの場合は、クルマで通勤す ることが多い(とくにこの2年は公共交通機関をなるべく 避けるようにしている)。いうまでもなく、通勤のドライブ で大切なのは、家とキャンパスとの間をできるだけ効率 的に移動することだ。もちろん快適であることも求めたい が、景色を味わったり気まぐれに寄り道したりする余裕は ない。むしろ、そうした誘惑に負けないように渋滞情報を 確認し、時間に遅れないように家を出発する。 順調にいけば、1時間ほどのドライブでキャンパスに到着 する。いつも同じルートなので、同じ風景が車窓を流れ る。季節の変化には気づくが、家とキャンパスとの〈あい だ〉についてはほとんど実態的な理解がない。とりわけ 大半は高速道路を走っているので、どちらかというと単調 で個性を感じることのない風景を眺めている。くり返して いるうちに、移動の〈あいだ〉は、たんに消費する時間と して考えるようになる。 ぼくは、一人の通勤者として高速道路を行き来している。 じつは多くの人の日常生活から、高速道路のようすは見え づらくなっている。そもそも高架であれば目は届かないし、

人とのかかわりを思案する。このプロジェクトは、〈オンラ インか対面か〉のみならず、〈停留か移動か〉という観点

いうまでもなく、コミュニケーションは、いつか・どこか でおこなわれる。つまり、時間と空間が相まって、コミュ ニケーションの現場がつくられるのだ。そのために、ぼ くたちは、約束をする。時間を調整したり、場所を探し たりする。家にいるのか、出かけるのか。いつ出かけて、 どのような経路を辿って目的の場所に向かえばいいのか。

はじめに

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停留と移動

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防音壁に遮られていれば、クルマの往来は隠されてしま う。だから、高速道路は、点在するインターチェンジを 結ぶ「線」として理解されることになる。高速道路を降り たら、こんどはキャンパスまでの「線」を辿るだけだ。

2022年度春学期は、キャンパスをとりまく遠藤地域を「と なりのエンドーくん」と呼び、フィールドワークを実施す ることにした。これまでは、どこか(ランドマークとなる 建物など)を中心に半径500メートルの円を描き、その 中をくまなく歩き回るような悉皆調査の方法を何度か採 用してきた。今回は、「遠藤」を対象地に設定した。「エ ンドーくん」の輪郭を描いただけで、キャンパスのすぐ南 側は茅ヶ崎市に接していることに、いまさらながら気づく。 知らないことは、たしかめよう。身体をつかって、「親密 で見知らぬ場所」の理解を創造しよう。 学期をとおして、4つのグループが、それぞれの個性的 な方法で、「エンドーくん」をとらえた。この冊子は、そ の成果をまとめたものである。全体をとおして、「親密性」 と「匿名性」をキーワードに〈停留と移動〉のありようを 読み解くことができるかもしれない。 *1 エリック・クリネンバーグ(2021)『集まる場所が必要だ:孤立 を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』英治出版 *2 富田英典(2009)『インティメイト・ストレンジャー:「匿名性」と「親 密性」をめぐる文化社会学的研究』関西大学出版部

親密で見知らぬ場所

クリネンバーグは、『集まる場所が必要だ』のなかで、キャ ンパスの成り立ちは、さまざまな理由で防御的になり、 大学関係者と近隣に暮らす人びと(地域社会)との緊張 関係を生む可能性があることを示唆している *1。たしか に、ぼく自身は、森に守られた安全なキャンパスで日々を 過ごしてきたが、界隈をあまり知らない。緊張関係では ないものの、地域社会とは切断されているように思える。

キャンパスは、藤沢市遠藤(神奈川県)にある。ぼくたち は、キャンパスに親密さを感じながらも、じつは界隈をよ く知らない。富田は、「親密性」と「匿名性」という観点 から「インティメットストレンジャー(親密な見知らぬ他人)」 という概念を導出し、メディア環境の理解を試みている *2。これを物理的な環境に転用して考えると、遠藤は「親 密で見知らぬ場所」とも呼ぶべき存在だといえるだろう。 慣れ親しんだキャンパスの「外」に踏み出せば、ぼくたちは、 すぐさま名も無い存在に変わる。知っていてもよさそうな のに、ほとんど知らない間柄だ。

界隈への関心

学生たちも、キャンパスの近所に住んでいれば別だが、キャ ンパスと駅との〈あいだ〉にかんするイメージは希薄なの ではないだろうか。 いわゆる「学生街」がキャンパスを取り囲んでいるわけで はないので、学生たちは、もっぱら森の中に引きこもり(そ れなりに居心地がいいことはたしかだ)、〈あいだ〉を迂回 して駅に向かう。これが、郊外型キャンパスの宿命なの だろうか。「地域に開かれたキャンパス」を標榜するとき、 じつは、キャンパスの界隈にこそ目を向けることが、求め られているはずだ。

ぼく自身の通勤経路は、家とキャンパスを結ぶひと筋の 「線」なのであって、長きにわたって、この線上をなるべく 早く行き来することがルーティンとなっている。途中で立 ち寄るのは、コンビニとガソリンスタンドくらいだ。さら にいえば、ぼくたちが通うキャンパスは、木々に囲まれて いる。ちょうど高速道路のようすが見えないのと同じで、 キャンパスは森に隠されているかのようだ。

場のチカラ プロジェクト

上記の枠組みは、グループワークを進める上で何らかの ヒントになるのではないかと感じた。また、事前に履修 課題で読んでいた『集まる場所が必要だ』*2を思い出し、 遠藤というフィールドを通じて「集まる場所」というコン セプトについて考えていくことにした。私たちは「集まる 場所」からさらにイメージを膨らませ、「人とつながりたい と思える場所」を考えていくことにした。そして、遠藤で 人とつながりたいと思える場所を探すためには、どのよう な調査の方法(=ラボラトリー)が適しているかを、探ろ うとした。 まちへの近づき方と人への近づき方 私たちはコンセプトについて議論を重ねていたのだが、 最初の進捗共有のプレゼンで、先生や先輩から「コンセ

河井は整備された歩道を何度も歩き、大森は気になった 場所を思うままに進み、松下は事前に歩く場所を決め、 その範囲内を歩いた。三者三様の歩き方をし、着目して いるものもさまざまであった。歩いた範囲や反応したも の、歩いた頻度などを共有し、違いに注目する中で、ま ちへの近づき方は人への近づき方に似ているという気づ きを得た。例えば、整備された歩道を何度も歩いた河井 は、新しい人に出会った時にも積極的に近づこうとはせず、 時間と共に馴染もうとする。気になった所をどんどん歩い た大森は、初対面にさまざまな話題に触れ、気が合いそ うな人を見極めていく。事前に歩く範囲を決めた松下は、 共通の話題を探してから話しかける。また、「切り抜きエ ンドーくん」越しに撮影した写真を見ると、河井は道路の 写真、大森は植物の写真、松下は建造物の写真が多い という特徴があった。 このように、まちを知る上での姿勢と、人間関係の慎重

プトは事前に決めて出かけるのではなく、現場で見つけ るべき」というアドバイスをいただいた。そこで、事前に「何 を見たいか」「何を見るか」を決めることはやめ、メンバー がまちをみるための共通した方法(=ラボラトリー)を持っ た上で遠藤を歩き、注目した点をまとめることにした。そ れぞれの、まちの見え方の違いを見るため、3人が別々 に遠藤を歩くことにした。そして、ポストカードを人型に 切り抜いた「切り抜きエンドーくん」越しに写真をとると いう共通の方法を設計した。

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「ラボラトリー」を考える[マツシタくんとアヤカちゃん]

まちを通じて関係性の変化を見る

大森 彩加・河井 彩花・松下 竜大

私たちはまず、「となりのエンドーくん」というタイトルと、 全体で共有された資料を元に、今学期のグループワーク のテーマの意図と方向性について話し合った。私たちが 最初に話し合い、最後まで重要視した内容として、「フィー ルド・ラボラトリー・コンセプト」がある。これは、資料『「ラ ボラトリー」とデザイン』*1 を参考に理解を深めた。も のごとを、観察可能領域であるフィールド、不可視領域 であるコンセプト、これらふたつをつなぐ操作可能領域で あるラボラトリーに分けることで、仮説を作りながら思考 していくための枠組みである。

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さには、類似が見られ、また着目しているものもそれぞれ の関心に応じてさまざまであった。この違いをおもしろい と感じたため、さらに深堀をし、興味関心分野やこれま での経験を共有していくと、3人が全く違う人間関係の築 き方をしてきたことに気がついた。

3人で歩いた

相変わらず、進みたい道も興味を持つものもバラバラな 3人だったが、別々に歩いていた時と同じように歩いた 道のログや撮った写真を共有していても、話は「なぜそ れに注目したのか」ではなく、「その道を歩いていた時に 話していたこと」や「その写真を撮っていた時のお互い の様子」などが中心となった。地図を見るだけで、そこ での会話や3人の空気感を鮮明に思い出し、「この信号 待ちはぎこちなかった」「この道で会話が盛り上がった」 など、遠藤という場所を通じて3人の関係性を見ることが できた。

体験のおすそ分け

繰り返し歩く中で遠藤の地図はただの無機質なものでは なくなっていた。遠藤の地図を見ると、3人でした会話 を思い出す。それらの会話は、どれも他愛もないもので あるが、これまではバスで通り抜けるばかりで馴染みの ないまちだった遠藤に遠藤に私たちの記憶の断片が散ら ばって、自分が歩いたという事実を実感できるまちに変 わっていた。私たちは、遠藤を媒介にして、3人の関係 性を築いていった。

そこで、次に私たちは、3人の関係性、つまり「集まり方」 について考えてみることにした。そのために、別々に歩く ことをやめ、「切り抜きエンドーくん」を持ちながら一緒 に歩くことでお互いのことを知ろうとした。

6月、私たちは合計4回、3人で一緒に遠藤を歩いた。

*1  加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から 仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号(pp. 110-130) *2 エリック・クリネンバーグ(2021)『集まる場所が必要だ:孤 立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』(英治出版)

学期の終わり、私たちはこの体験を3人以外の誰かに届 けたいと思った。頭に浮かんだのは、なかなか会うこと のできないおばあちゃんのことだった。大学進学を機に 上京し、距離が遠くなったことに加えて、新型コロナウイ ルスの影響が重なって気軽に会うことができなくなってし まったが、おばあちゃんはいつも私たちのことを気にかけ てくれている。そんなおばあちゃんに春学期のグループ ワークの様子を届けることで、大学生活を楽しく過ごして いるということを伝えて安心してもらいたいと思った。 そこで作成したのが、遠藤の地図を8分割したポストカー ドセットだ。「体験を分け与える」という意味と「おばあ ちゃんに宛てる」という意味を込めて「endo ate…」とい う名前をつけた。体験をおすそ分けするために、ポスト カードの表面には「歩いた道」を色付け、「印象的な会 話が発生した場所」をプロットした遠藤の地図をのせた。 裏面には、表面のプロットと対応して「どんな会話をした か」を演劇の脚本をヒントに記載した。こうすることで、 どんな場所でどんな会話をしたかがわかり、私たちの春 学期の活動を追体験できるものにした。8枚のポストカー ドセットは、1枚ずつおばあちゃんに送るつもりだ。分割 して少しずつ送る仕様にすることで、おばあちゃんに何度 も手紙を出す理由ができる。記憶の断片が散らばった遠 藤の地図を、思い出のパズルを完成させるようなイメー ジで届けられるという点が気に入っている。

| 6 | 場のチカラ プロジェクト 印象的な会話が発生した場所 ❹ ❸ ❻ ❺ ❽ ❼ ❶ 11❾ ❷ と静かにつぶやいた。た。せているまわりが木々に囲まれている道を歩いていると、牛を乗❽牛さんありがとう、食べ物に感謝牛さんありがとう、食べ物に感謝「肉のさくらい」と書かれたトラックが傍を通っそれを見た大森は「牛さんありがとう、食べ物に感謝」❾マザー牧場で同期と喧嘩しましたマザー牧場で同期と喧嘩しました細い道に入り、坂を登ったところには牛の小屋があった。それをみて大森は、1年前にららぽーとのマザー牧場で、同期とかなり激しい喧嘩をした過去を思い出して、話し始めた。

い出し、かつての思い出を語った。ソースに浸かったエスカルゴを思見た大森はサイゼリヤのバジルるカタツムリを見つけ草むらでアルミホイルに乗ってい様に長い信号待ちの最人通りがほとんどない交差点で異怒られた❼エスカルゴがドブみたいと言ってエスカルゴがドブみたいと言って中、河井がた。それを にこう言った。とがなかった。沈黙に耐えられなくなった河井は、松丁度変わってしまった信号を待っている間、特に話すこ❺おもしろい話しておもしろい話して下「りゅうだいくんおもしろい話しして」。❶靴が濡れるから行きたくない靴が濡れるから行きたくない山道は少し急で、前日まで雨が降っていたため、水溜まりも所々にあった。冒険心をくすぐられる人がいる一方で、靴が濡れるから行きたくないという人も...。

❻17

「鼻が高い人はかっこいい」とい❷マッサージで鼻筋を整えたいマッサージで鼻筋を整えたい住宅街の細道を歩いている時に、う意見を聞いた松下は、鼻筋を整えるためにマッサージを始めることを宣言した。 り上がった。いた花がポップコーンに見えるとになっプコーンを食べるかどうかという公開中という話かニ道を歩いている左手には車道❹車がそこそこ通る大通り❸珍しい自販機珍しい自販機に、アルコール専用の自販機があった。アルコール自販機を初めて見た3人は興味津々で、河井は友達に連絡をするほどだった。しかし、今は販売はしていない様子だった。映画館でポップコーン食べますか?映画館でポップコーン食べますか?、右手には畑が見える時、松下の好きなアメ『五等分の花嫁』の映画が現在ら、映画館でポッ話た。そのせいか、沢山落ちて盛 時のチャイムって鳴りますか17 まずい空気が流れた。井、大のネタになると話を振った時を知らせるチャイムが鳴に入る会話が聞こえなかった松下歩いていが横に並車が沢山通る大通りで河井と大時のチャイムって鳴りますか森び、松下が2人の後ろをた。車が走る音で2人のは、話を伺っていた。その時17り、話が、河森ともに分からず微妙に気

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場のチカラ プロジェクト

地面の模様から考える

裏垢の投稿を作成しながら遠藤の人々の生活に近づけた 感覚はあったものの、コンセプトありきのフィールドワー

4月、「まずはとにかく歩いてみると良い」という先生の 言葉に従って、私たちは歩きやストリートビューで遠藤を 訪ねた。それと同時に、事前に提示されていた参考資料 や「となりのエンドーくん」というタイトルから、遠藤の「な に」を見るべきなのか、という問いの答えを探そうとして いた。

その後散策を続け、ストリートビューで通れない道やそこ にある生活の痕跡を「エンドーくんの素顔」と仮定した。

ぱっちえんどう

グループで何度か歩く中で、「エンドーくん」から、中学 や高校時代の、隣の席のクラスメイトを連想するという話 になった。席替えしてすぐの、物理的には近いが親しくは ない隣の席のエンドーくんとは、どこかぎこちなさもあり ながら、近いからこそ起こる反復的なコミュニケーション によって、少しずつ他人から隣人くらいの距離感に変化し ていく。近くにあるけれどまだまだ知らないことの多い遠 藤という地域は、私たちにとってそんな存在なのではない かと考えた。

まず、なぜ私たちが地面の模様に惹かれるのかについて 話し合った。そして、コンクリートで舗装された秩序のあ る場所に、混沌として無秩序な模様があるからこそ、そ のチグハグさや違和感が私たちの遊び心をくすぐるので はないかと結論づけた。そこから、地面の模様がどうし て生まれたのか?という疑問と、何かに見立てたり、遊ん だりといったように、地面の模様を介したコミュニケーショ ンの可能性について模索していくことにした。 地面の模様ができる理由を分析すると、大きく3つに分 けて整理できた。1つめは、電柱や標識を立てるために 部分的に舗装を剥がし、上から舗装を重ねた場所。2つ めは事故や劣化によって生まれたもので、そこに補修が加 えられている場合もある。3つめは水道管や暗渠などの、 水の通り道になっている場所。これは、表に出ている水 路の近くに多いことも分かった。地面の模様ができた背 景には、人々の活動や元々の遠藤の地形が関わっている。 つまり、地面の模様は、エンドーくんや地面の模様を作っ た人とそこを歩く私たちを結びつけるメディアとなり得る

クになっている、という指摘を受けた。「裏垢」というコ ンセプトから一度離れて、私たちが現場から何を感じるの かを知るために、とにかく惹かれたものを写真に収める、 ということだけ決めて何度か歩いた。すると、地面の模 様の写真が多いことに気がついた。

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[ゲンシカイキ]地に足をつける

會田 太一・山中 萌美・山本 凜

さらに、普段の私たち3人が誰かと仲良くなりたい時にど うするかを考えた時、SNSからその人を知ろうとする、と いう共通点があった。そこから、インスタグラム上にエン ドーくんの素顔が切り取られた裏垢(結果的にはサブア カウント的なものになった)を作ることにした。

と言える。そして、この結びつきをより面白くするための 方法やツールを探す方向で議論を進めた。

地面の模様がパッチワークのようだという発想から、地面 の模様を「えんどうぱっち」と名付け、そこから「パッチ」 の意味を調べた。すると、①継ぎ当て用の小さい布、(パッ チワークの)布片。②オペレーティングシステムやアプリ ケーションソフトの不具合などを修正するためのファイル。

エンドーくんと遊ぶ

修正プログラム。修正パッチ。という2つの意味がある ことがわかった。遠藤の地面に介入することは、エンドー くんとの関係性を更新する行為(=遠藤をpatchすること) である。そう捉えると、①と②の両方の意味が名前に込 められるのではないかと考えた。

修正する必要がある部分のプログラムのみを更新する。

実際に遠藤に出向き、どのように「ぱっちえんどう」が行 えるかを試した。最初に、クリアファイルとホワイトボー ド用のペンを持ち、ファイル越しに線をなぞり、家に帰っ てなぞった線で塗り絵をする、という実験を行った。振 り返りをして、模様に近づけば近づくほど、何かに見立て 易くなることがわかった。1人あたり10個の模様をスケッ チしたが、塗り絵のパートで使われたのは、いずれも模 様に近いところで描かれたものだった。この結果を踏まえ、 よりえんどうぱっちに近づくために、チョークを購入し再 度歩くことにした。えんどうぱっちから見立てたものをそ の場で描いてみると、ただ線をなぞるよりも、エンドーく んと深く関わっている感覚があった。チョークのみを介し て身体的に地面と近づくことで、関係性をより深く更新し ている感覚が得られた。

また、お絵描きする際に持ち歩くためのキットとしてチョー クケースとサコッシュを作った。チョークケースは、メディ アセンターの3Dプリンターを使用して出力し、サコッシュ は、メンバーのいらない洋服を再利用したパッチワークで 作ることにした。パッチワークのデザインは、地面の模様 に着目するきっかけとなった、新設される学生寮の近くに あるえんどうぱっちをモチーフにした。 遠藤地域は道路拡張などが既に予定されており、今ある えんどうぱっちは消えてしまう可能性が大きい。そのため、 ぱっちえんどうという行為によってえんどうぱっちを記録 し残しておくことに意味がある。そういった背景を知り、 ただ楽しむだけでなく、ぱっちえんどうを通して地面の模 様が持つ歴史や関連する知識に触れる機会になって欲し いと考えた。具体的には、遠藤地域に住む方々の思い出 や記憶を喚起したり、子ども達が遠藤に親しみ、遠藤の 持つ時層的な面白さに触れたりするきっかけとなったら嬉 しい。今後は、キットを用いて私たち以外の人にもぱっち えんどうを試してもらい、フィードバックを元に、より良 い形に更新していきたい。

| 9 | となりのエンドーくん

私たちは、ぱっちえんどうの方法としてチョークを用いる のが最適だと考え、他の人にも試してもらうために、いく つかのコースを提案することにした。車通りが比較的少な く安全にお絵描きができること、お絵描きしやすい模様 が密集しているという2点を意識して、3つのコースを考 えた。コース①は、キャンパスからほど近い市道辻堂駅 遠藤線から宝泉寺に向かうルート。コース②は、藤沢ジャ ンボゴルフから湘南コミュニティチャーチに向かうルート。 コース③は、肉のさくらいから秋葉台公園の方をぐるりと 回って、高倉遠藤線に再び合流するルートだ。

Patch Endo

| 10 | 場のチカラ プロジェクト ぱっちえんどうルートマップ

| 11 | となりのエンドーくん

私たちはまず最初に今回のテーマについて考えるところか らスタートした。テーマを聞いてそれぞれ何を思い浮かべ たかを話したところ、私たちが立場や異なる視点を持つ からなのか、全員が違うものを思い浮かべていた。その ため、「視点や立場が違うからこそ発見できること」に焦 点を当てることにした。そこで、春学期の活動を通じて、 グループメンバーのもつ視点の違いを知りながら、自分の まちや人に対する感性を見つめ直したいと思った。そして、 テーマ「となりのエンドーくん」を、自分の「となり」に いるエンドーくんを考える活動だと考え、自分がエンドー くんに対してもつ考えを通じて、自分自身について見つめ 直したいと思った。

しかし、研究会での進捗発表の際に、「私たちが書いて いるものは本当にラブレターなのか」「ラブレターではな くファンレターなのではないか」というフィードバックをも らった。その後グループで話し合いを重ね、手紙のあり 方を再考する中で、遠藤を定期的に歩く一エンドーくん ファンとして書く手紙の方が、よりやりたいことに近いの ではないかと思った。ここから私たちはラブレターではな くファンレターとして手紙を認識するようになった。

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西谷 唯香・木根 景人・大西 美月

Dear Endo

ターを通して、エンドーくんのどこが気になっているのか、 そしてどういう人として自分の目に映っているかを表現して みたいと思ったのだ。実際に書いたラブレターはその都 度グループ内で共有し、エンドーくんを表現するためにど のような語句を用いているかに注目しながら、エンドーく んの人物像について考えた。

実際に3人で歩いてみると、注目してみたいものはバラバ ラだった。3人で歩く時と1人で歩く時では注目したいポ イントが変わって来るのではないかと考え、次からは各々 好きな場所を歩くことにした。その際の気づきをグループ で話し合ったところ、相違点だけではなく、共通点もある ことがわかった。全員が、エンドーに対して「〇〇と思っ ていたけど意外と〇〇」と感じていたのだ。これは、「他 者のギャップを知って好きになる感覚」と類似していると 思った。私たちはこの「好き」という気持ちをエンドーく んに伝えるために、ラブレターを書くことにした。ラブレ

ラブレター?ファンレター?

これまでは3人一緒に同じところを歩くことと3人異なる 場所を歩くことをしてきたが、次のステップとしてそれぞれ が同じ場所を違うタイミングで歩くことにした。また、今 回は場所という制限だけではなく、手紙を300mojiで書 くという文字数制限も設けることにした*1。制限を設け た方が自分たちが本当に知りたいことを表現できると思っ たからだ。私たちは、3人で決めた場所を別々に歩き、一 旦自宅に帰ってから300mojiを書いた。発見は後からやっ てくるというように、少し時間をおくことで頭が整理され

場のチカラ プロジェクト

制限を設けてみた

[歩み]テーマ考察

*2 LTD(Learning Through Discussion)とは、日本語で「話し 合い学習法」と呼ばれる1つの共同学習方法で、学習課題の理解 を深めることやディスカッションスキルの向上、論理的思考の発 達など多くのことを期待される方法である。 ・安永悟(2006)「実践・LTD話し合い学習法」ナカニシヤ出版

*1 300文字原稿用紙に自由に文章を書くことで、ことばを研ぐ 練習として行なっている研究会での取り組みの1つである。

| 13 | となりのエンドーくん

やっぱりファンレター 文字数を制限した手紙を書いていたが、活動をする中で やはり私たちの想いをエンドーくんに伝えるには文字数を 制限しないファンレターの方が適しているのではないかと 感じるようになった。そこで300mojiから離れ、再び字 数制限のないファンレターを書くことにした。私たちはエ ンドーくんを知ることを目的にしていることを再確認し、 歩いてファンレターを書くことを繰り返すことにした。私 たちはファンレターを5枚書くことに決定し、その中でエ ンドーくんと私の関係性の変化をみていった。論理的思 考を用いてメンバーの書いた手紙を分析することを期待し て、LTDを議論の方法として採用した*2。

ることを狙いとしていた。歩いて300mojiを書くことで最 終的に私たちの感性を元にエンドーくんを知っていきた いと思った。歩きのゴールは、始めは大学の近くに設定し、 徐々に遠い場所を目標とした。そうすることで、エンドー くんを段階的に知っていくことができるのではないかと考 えた。

実際にLTDを行ってみると、それぞれに文章の特徴や変 化があった。例えば、あきとのファンレターでは、毎回文 頭が形式的な文章になっている特徴があり、変化として は、最初の4枚は「公園の様子」「目の前に広がる植物」 などの視覚的情報が多く書かれていたが、5枚目のみ「雨 の落ちる音」「木がなびく音」などの聴覚的情報になって いた。ゆいかのファンレターでは、“!”が多く使われてい る特徴があり、内容によってその使用量も変化していた。 みづきは全体を通して「いろいろな顔を見せてくれるエン ドーくん」「おだやかで、あたたかく、平和なエンドーく ん」という表現で自分の中の理想のエンドーくんを綴って

Dear Endo 以上を踏まえて、私たちが成果物として作ったのは、”Dear Endo”という名のレターセットである。私たちが遠藤を歩 き、手紙を書くことを繰り返す中で、さまざまな発見があっ たように、手紙を書く前提があることで、細かいところを 意識して歩くようになり、自分が感じた正直な気持ちを 綴って遠藤を振り返ることを他の人にも経験してもらいた いと思った。特にファンレターは、相手からの返事を期 待するものでもなく、一方的なコミュニケーションである。 自ら終わらせようとしない限りは終わらないため、自分が 好きなように文章を書くことができ、自分の素直な気持ち が書きやすい環境なのだ。レターセットの手紙部分には、 私たち3人が歩いた場所をプロットした地図を載せる。1 つの地図で表してみると、みづきは遠藤地域に対して横 に分布していて、あきととゆいかは縦に分布しているとい う傾向が見られた。レターセットの利用者には、地図上 にプロットされた中から気になる場所を選んでもらい、同 じ場所を歩いてもらう。私たちが歩いた道を歩いてもらう ことで、私たちとの共通点や相違点がわかるだろう。レター セットを用いて手紙を書き、遠藤のことを知る中で自分自 身を見つめ直し、エンドーくんとの距離も縮めてもらいた いと思う。

いたが、その理想像は回を追うごとに変化していた。

| 14 | 場のチカラ プロジェクト 手紙を書いた場所

| 15 | となりのエンドーくん

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まとって、あう

いろいろな方法でエンドーくんを見る エンドーくんを深く知るために、ルートや記録の方法、 歩き方などを変化させて遠藤地域を歩いてみた。例えば、 2回目に歩く際、途中の気になったところをインスタント カメラで撮影し、スマホの録音機能を使って録音した。

松井 七海・篠原 彩乃・池本 次朗 [ちがうきかたで]エンドーくんはどんな人?

場のチカラ プロジェクト

記録の方法をさまざまな形に変化させることは、わたした ちがエンドーくんを見る視点にフィルターをかけているよ

いままでとはちがう視点でエンドーくんを見つめる エンドーくんの見方を変えるために、わたしたちは自身を 「キャラ化」して遠藤を歩いてみることにした。これまでは、 普段キャンパスで着るようなラフな格好で遠藤を歩いて いたが、この時はそれぞれが自分に設定したキャラクター で歩いた。ななみはハイヒールを履きこなすお洒落な女 子大生に、じろうは農作業をする高校生に、あやのは買 い物帰りで重い荷物を持った娘に自身のキャラクターを 設定した。また、歩くルートや時間帯は揃えず、その時 の自分が歩きたいと思った方向に進むことにした。自らの キャラを設定して歩いてみると、自分の視線や意識を向 ける対象、持ち物や歩こうとするルートの選び方に私服 で歩いた時と比べてわずかな違いが生まれた。例えばな なみは、ハイヒールによって生じた足の疲労感を回復す

うに感じた。同時に、そのフィルターは、記録方法だけ ではなく、他の方法でかけることもできるのではないかと 考えた。また、今まで歩いたことのない場所を歩いてみ ると、場所によって歩きやすさや人通りの多さ、店舗の分 布の仕方などに大きなばらつきがあることや、天気によっ て歩いているときの景色の見え方や歩くことのできる範囲 が大きく変わってしまうこともわかった。これらのことか ら、エンドーくんは一言で表現できるようなものではない こと、またエンドーくんの見え方は、「エンドーくんを誰 が見つめるか」によって大きく変わるのだとわかった。

私たちはまず「となりのエンドーくん」のねらいを探ろうと、 資料を手がかりに話し合い、「エンドー」を地名としての 遠藤と捉えて、キャンパス付近を3人で歩いた。言葉を交 わす中で、キャンパスへの行き帰りに使う交通手段が、な なみは徒歩、じろうは自転車、あやのはバスと、それぞ れ異なっていることに気づき、グループ名を「ちがうきか たで。」とした。何回かやりとりを重ねた後、実際に3人 で遠藤地域を歩くことにした。歩いてみると、エンドーく んは竹林や住宅街、工場、畑などのいろいろな顔を持っ ていることに気づいた。また、歩いている人の少なさや道 の歩きやすさに違いがあることも感じた。とりわけわたし たちが関心を持ったのは、わたしたち3人の遠藤との関わ り方が大きく違うことによる、エンドーくんとの距離感や スピード感の違いだった。そこで、わたしたちはより深く エンドーくんを知るために、遠藤地域を何度も歩いてみ ることにした。

自意識の変化について考える

歩き終わった後にそれぞれの撮った写真や状況などを共 有した。ななみは浴衣で、あやのはスーツで、じろうは 作業着で歩いた結果、総じて、それぞれが歩く中で居心 地の良い・悪い場所を感じていたことがわかった。また、

・3人が共通したルートを歩く。

多くの人の体験をもとに

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| となりのエンドーくん

服装や靴の変化によって生まれた「音や視界」の変化に 戸惑いつつ、面白さを感じていた点が共通していたこと がわかった。このことから、これらの心境の変化が、各 エリアを歩くスピードや視線の動かし方、背筋の伸び方な どの行動に影響しているのではないかと考えた。しかし、 行動の変化はとても小さく些細なものであるため、行動 の変化が「自意識の変化」によって生じたものである、と いう確証を完全に持つことはできなかった。「自意識の変 化」を明確に捉えることは厳しいと感じた。

そこで、わたしたちはより多くの人の「自意識の変化によ る小さな行動の変化」の体験を集めることにした。私た ち3人以外の「行動の変化」を収集することで、わずか な変化の中に共通する何かを見つけたり、遠藤との心理 的な距離が縮まったりするかもしれない。その結果として、 自意識の変化についてより深く理解することができるので はないか、と考えたためである。行動の変化を集めるツー ルとして、遠藤を歩くためのポストカードを作成した。多 くの人の「自意識の変化」は繊細な情報であり、持ち運 びができる気軽さと集まった内容がオープンにならないと いう2つの特徴を持つポストカードは、変化を集めるの に適していると考えた。このポストカードを使いながら、 みなさんにも私たちが歩いた約一時間のルートを、いつ もとはちがう服装で歩いてもらい、普段とのちがいをとら えてもらいたいと考えている。そして起こった変化を私た ちまで届けてもらうことで、「自意識の変化」をより深く 捉え、エンドーくんと接点を持ったそれぞれの体験を可 視化し、まちへの解像度をさらに上げていきたいと私た ちは考えている。

・ルート上のどの場所でどのように思ったのかを記録する。

るために座れる場所を探したり、綺麗な靴やワンピースを 汚さないために、きちんと整備されている道を無意識の うちに歩いたりしていた。じろうは、農作業用の服と雰囲 気が合う畑のエリアを歩き、いつもは買わない麦茶(普 段はジャスミンティーを買う)を手にしていた。あやのは、 重い荷物を持っていたために、少しでも坂の少ないルート を選んだり、少し休憩できる場所を探したりしていた。 しかし、この違いは、服装や持ち物を変えたことによる「身 体への物理的な影響」と、見た目を変えたことによる「自 身への心理的な影響」がごちゃ混ぜになってしまってい るのではないかと考えた。自分たちの体験を例にとると、 ハイヒールや重い荷物の影響で休み場所を探すのは身体 への物理的な影響であり、買ったお茶の種類が変わった ことは自身への心理的な影響であるといえる。その中で も、一見すると非常に些細ともいえる心理的な影響に興 味が湧き、深く考えることにした。

わたしたちはこの心理的な影響を「自意識の変化」と名 づけ、自意識の変化がどのような状況のもとで生まれるか を調べるために以下のルールを設けて遠藤を歩くことにし た。

・普段着ではない服装で歩く。

・歩く際には事前に決めていた箇所で時間を記録する。

| 18 | 場のチカラ プロジェクト ちがう着方で歩いてみる

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(加藤 文俊) おわりに

ない。立体的なモノとして、あるいは体験をもたらすコト として表現することもできるはずだ。この10年ほどは、 A5サイズの長辺を20ミリ短くした判型(148×190㎜) の冊子をつくってきた。同じサイズでつくり続けることに もこだわってきたのだが、COVID-19によって窮屈な暮ら しを強いられていたからだろうか。昨年の秋に、判型を 変えた。

毎回、学生たちから原稿や図版を集め、ぼくが序文やあ とがきを書いて編集し、仕上げてゆく。これは、なかな か面倒な作業だ。でも、その過程を毎回たどることで、 ある学期にぼくたちが出会い、集ったという体験を身体に きざむことができる。じつは判型を変えたのは、たんな る気まぐれではなく、移動が著しく制限されていた期間か ら、ようやく抜け出せる兆しを感じたからだ。元どおりに 続けるよりも、あたらしいやり方をしばらく試してみたい。

「ちいさなメディア」は、(不特定多数ではなく)特定少数 の読者のためにつくられる。状況にかかわりをもたない 読者には、説明がふじゅうぶんで、いささか不親切なもの に見えるかもしれない。だが、個別具体的な情景をとらえ、 記録しておく(記録を続けてゆく)という役割をふまえる と、過度な抽象化は避けなければならない。むしろ、文 脈に強く依存していることを自覚しながらつくるからこそ、 現場のようすを、より鮮明に復元するのに役立つのだ。 もちろん、「ちいさなメディア」は、紙媒体である必要は

https://vanotica.net/endo_kun/

しばらく前から、学期ごとのフィールドワークの成果を冊 子にまとめてきた。論文でも書籍でもなく、簡単な冊子だ。 じぶんたちの段取りで、好きなスタイルで形にする。おそ らく、学生の頃に読んだ津野海太郎の『小さなメディアの 必要』(晶文社, 1981)にずっと影響を受けているのだ と思う。その流れで「ちいさなメディア」ということばを 使うようになって、もう20年くらいになる(同書に敬意を 表しつつ、少しちがう文脈へと広げて考えるために、ひら がなで「ちいさな」と記して区別することにしている)。

『100円ショップを「読む」』(2021年度秋)に続く、A4 版変型(210×210㎜)の2冊目が無事に完成した。

| 20 | 場のチカラ プロジェクト となりのエンドーくん|Endo-kun by My Side 著者(50音順):2022年8月30日発行會田 太一・池本 次朗・大西 美月・大森 彩加・加藤 文俊・河井 彩花・木根 景人 篠原 彩乃・西谷 唯香・松井 七海・松下 竜大・山中 萌美・山本 凜 企画・編集: 慶應義塾大学 〒252-0882 神奈川県藤沢市遠藤5322 デザイン棟B(ドコモハウス)加藤文俊研究室 https://fklab.today/ 印刷・製本: 株式会社 グラフィック

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