D.I.D全日本モトクロス選手権シリーズ2025 第6戦 21Group カップ 東福寺保雄記念

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D.I.D全日本モトクロス選手権シリーズ2025 第6戦関東大会 21Groupカップ 東福寺保雄記念が本県で盛大に開催されますこと を心からお喜び申し上げます。また、本大会の開催に当たり御尽力されました関係者の皆様、そして参加する選手の皆様に心から 敬意を表します。

本県では、スポーツの力を様々な分野で発揮していく「スポーツがはぐくむ 輝く埼玉」の実現を目指し、スポーツの推進に取り組ん でいるところです。そのような中、本大会が開催されますことは、本県のスポーツの振興はもとより、モータースポーツを通じた地域 の活性化にも寄与するものであり、心から歓迎いたします。

モトクロスの最大の魅力は、圧倒的なスピード感とダイナミックな走りです。ライダーが泥や砂ぼこりを巻き上げながらジャンプや急 カーブを巧みにこなす姿は観客の心をつかみます。また、未舗装のオフロードコースを高速で走り抜けるモトクロスは、高い技術力や 鍛え抜かれた肉体だけでなく、強い精神力も求められます。選手たちが自らの限界に挑戦する姿は、大きな感動を与えることでしょう。 ライダーの皆さんには、日頃の練習の成果を存分に発揮していただくとともに、磨き上げたテクニックで観客を魅了してください。

そして、全国から集まるモトクロス仲間と交流の輪を広げていただき、いつまでも記憶に残るすばらしい思い出が生まれることを願っ ています。本大会が参加されるすべての選手にとって実りある経験となるとともに、御来場の皆様にはモトクロスというスポーツの魅力 を存分に味わっていただければと思います。

結びに、本大会の御成功と選手の皆様の御健闘、またモーターサイクルスポーツのますますの普及・発展を心から祈念申し上げま して、お祝いの言葉といたします。

埼玉県知事

D.I.D 全日本モトクロス選手権シリーズ2025第6戦関東大会 21GROUP CUP東福寺保雄記念が盛大に開催されますことにお慶 び申し上げます。自民党モータースポーツ振興議員連盟幹事長、自民党オートバイ議員連盟事務局長、自民党二輪車問題PT座 長として、2015年より当大会の大会名誉顧問を務めさせて頂いております参議院議員の三原じゅん子でございます。 モータースポーツは、国民に夢と感動を与えるとともに、地域の活性化、観光の振興、関連産業の発展と技術の向上につながる大切 な競技であります。本大会は全日本選手権シリーズに参戦する国内のトッププロ国際A級からレディス・ジュニア・チャイルドクラス のライダーが全国から集結する大きなレースであります。華麗なライディングでコースを攻略する勇猛果敢なチャレンジ精神は観客 を魅了し、モトクロスの醍醐味を存分に味わって頂けると思います。

我が国のオートバイ産業とモータースポーツ界が世界のリーダーとして発展をしていくためにも、ファンの皆様をはじめ、関係者の 皆様のお力の結集が必要であります。モトクロス競技の更なる技術の進化と発展を目指して頑張りましょう。

私どもも全力で応援させていただきます。

結びに、本日の大会開催に向けてご尽力されました主催者のMFJ並びにうず潮レーシング及び小江戸観光協会をはじめとする地元 関係者の皆様方に経緯を表しますとともに、選手・チーム関係者・ファンの皆様方のご健勝とご多幸を祈念申し上げましてご挨拶と させていただきます。

大会名誉顧問 参議院議員

大野 元裕

全日本モトクロス選手権シリーズ 第6戦関東大会 21Groupカップ東福寺保雄記念が川越オフロードヴィレッジにて盛大に開催されますことを、 心よりお祝い申し上げます。

主催者であります一般財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会及び有限会社うず潮レーシングの皆様をはじめ、大会関係者各位におか れましては、モーターサイクルスポーツを通じた社会貢献活動にご尽力いただいていることに、深く敬意を表します。また、全ての参加者が安心 して競技を楽しめるよう、安全第一を心がけて準備を進めてこられたことに感謝申し上げます。

さて、モトクロスは、起伏に富んだ未舗装のコースを、レーサーがバイクと一体になって大地を駆け巡るワイルドなレースシーンが見どころです。 全国のモトクロス愛好者がこの大会を通じて交流を深められることは、地域の活性化にもつながり、たいへん有意義であると思います。大会に 出場される皆様には、ぜひ、日頃の練習で積み重ねた成果を大いに発揮していただき、多くの観客に感動を与えるダイナミックなレース展開と なることを期待しております。

今回会場となる川越市は、首都圏に位置する「歴史と文化のまち」として脚光を浴び、「古くから守り継がれたもの」と「新しいもの」の調和など も相まって、国内外から数多くの観光客が訪れる都市として発展しております。この度の大会開催に際し、市外からご来場の皆様におかれまし ては、この機会にぜひ市内各所にも足を運んでいただき、「小江戸」と称される川越の魅力を感じていただけると幸いです。

結びに、本大会のご成功とモトクロス競技の益々のご発展、また、選手の皆様、大会関係者の皆様のご活躍とご健勝を心から祈念いたしまして、 お祝いの言葉とさせていただきます。

大会名誉顧問 川越市長

森田 初恵

D.I.D全日本モトクロス選手権シリーズ2025第6戦関東大会 21Groupカップ東福寺保雄記念が、川越ウエストポイント・オフロードヴィレッジにて 盛大に開催されます

こと心よりお慶び申し上げます。

ここオフロードヴィレッジは地元でもあり、休日になると少し離れた河川敷までモトクロスバイクのエンジン音が鳴り響き、 遠方より多くのモトクロスファンが 集いオフロードを楽しむ聖地でもあります。

元県議会議員 渋谷 実 も大会に幾度とお招きいただき大会組織委員長 福本様はじめ関係者皆様との長年の御縁に心より感謝申し上げます。

モトクロス選手権の魅力は、一斉にスタートするエンジン音の高鳴り、未舗装で起伏の激しいオフロードコースを、その日のコースのコンディションに合わせ ドライビングテクニックを競う、その技術向上に並々ならぬ鍛錬を積まれた選手の白熱した競技は圧巻であり、初めて観覧される皆様もきっとその魅力 に心奪われることでしょう。

また、若男女問わず親子三世代でも楽しめるモータースポーツであることから、AIが進むこの世の中で、人としての大切な礼節を学ぶことの出来る 素晴らしい機会であることを様々な場面で認識しております。

加えてモトクロスを楽しむ女性の方も増加しており、日々のメンタルヘルスの充実も含め、誰もが活躍し楽しめるオフロードの可能性は無限大でもあります。

以前、パリ・ダカールラリーに日本人として初参戦された、オートバイラリーのパイオニアでもある風間深志氏の勧めで、地元の古谷教習所で普通自動 二輪免許を取得することを決意し、バイクで風を切る爽快感と技術の習得は人生で初めての経験であり大切な時間でもありました。

そのことがモトクロスバイクとの素晴らしい出会いに繋がり、私自身これからもモトクロスの魅力を県政から微力ながら支援してまいりたいと存じます。 結びになりますが、本大会のご成功、モトクロスをはじめ、モータースポーツ全体の益々のご発展、すべてのモトクロスファン皆様の御多幸を心より祈念 申し上げお祝いのご挨拶とさせていただきます。

大会名誉顧問自由民主党 埼玉県議会議員

全日本モトクロス選手権シリーズ 第6戦関東大会 21Groupカップ東福寺保雄記念の開催にあたり、21グループ主催によるモトクロスイベント 「21グループカップ」を、モータースポーツの聖地・埼玉県川越市オフロードヴィレッジにて開催できますことを、心より光栄に思っております。

まずは本大会の開催に向け、多大なるご協力とご尽力をいただきました関係者の皆様に、そして日頃より熱い声援で支えてくださっている観客 の皆様、ライダーの皆様、ご家族、ご関係者、そして全国のモトクロスファンの皆様に、深く感謝申し上げます。

毎年回を重ねるごとに熱気と規模を増し、多くのドラマと感動を生み出してきた「D.I.D 全日本モトクロス選手権シリーズ」。

ライダーたちの躍動感ある走り、支えるチームの努力、そして観客の皆様の熱い声援が一体となり、モトクロスの魅力を広く社会に伝えてき ました。

今や全国のモトクロスファンから絶大な支持を集める大会へと成長しております。これは、ひとえにライダー一人ひとりの情熱と努力、そして この競技に魅了されるすべての人々の支えがあってこその成果です。

モトクロスの醍醐味は、言うまでもなくその激しさと美しさが共存するリアルなドラマにあります。

目の前で繰り広げられるスリリングなレース展開、泥を蹴り上げながら疾走するライダーたちの姿は、まさに命をかけた真剣勝負。 観客の皆様には、ただの観戦を超え、心を揺さぶる体験を提供できることでしょう。

川越・オフロードヴィレッジの特設コースは、技術と戦略、そして勇気が試される舞台として、毎年多くの名場面を生み出してまいりました。

今年もまた、この場所から数々の新たなヒーローが誕生することを大いに期待しております。

コロナ禍から数年経った今、かつての賑わいと熱気が会場に再び満ちる中、私たちは改めて「リアルで感じるモータースポーツの力」を多くの 方に届けたいと願っております。

本大会が、その魅力をより深く体感していただく機会となることを、心より願っております。

私たち21グループは、モータースポーツの発展に微力ながら貢献し続けるとともに、ライダーの支援、地域との連携、そして次世代のファン 創出に向けた活動にも積極的に取り組んでまいります。

最後に、本大会に出場されるすべてのライダーの皆様が、日頃の努力を存分に発揮され、無事に、そして最高のパフォーマンスを披露される ことを願っております。そして観客の皆様にとっても、記憶に残る熱い一日となることを、心より祈念いたします。

株式会社

全日本モトクロス選手権シリーズ 第6戦関東大会 21Groupカップ東福寺保雄記念が有限会社うず潮レーシング オフロードヴィレッジモトクロス コースで開催されますことを心からお喜び申し上げます。

関東大会を応援させていただき4年目となりました。

今大会に準備に当たられました関係者の皆様に深く敬意を表するとともに、心より御礼申し上げます。

また、会場となるオフロードヴィレッジでは、毎月21日に腕時計専門店ベルモンドの日として2021年8月からイベントとしてもコラボレーション させていただいております。

モトクロスをきっかけに腕時計に興味を持っていただければと考えております。

モトクロスは、エンジンを轟かせ、ハイスピードで走り、土煙を巻き上げ、豪快なジャンプ、華麗なコーナーリングなどを繰り返し、観客の目の前 で競い合う過酷なモータースポーツです。レースを通じてたくさんの夢と感動のドラマが有り、このレースに挑むライダー達は強い肉体と精神力、 高い技術が求められます。

ご来場いただいた皆様方におかれましては、モトクロスは他のモータースポーツに比べて選手との距離が近く、目の前で繰り広げられる激しい バトルは観戦者をくぎ付けにします。特にスタートの前の一瞬の静けさから、第1コーナーへの緊張感はモトクロスの醍醐味です。

開催地であるオフロードヴィレッジでの全日本モトクロス選手権では、我々21グループの出店も年々拡大させて、来場者様の現地観戦の楽しみ が増えます様、お手伝いできればと思っております。

また、来場者の方が増え、たくさんの方にモータースポーツの素晴らしさをご体感いただき、心ゆくまでお楽しみください。

最後に参加されますライダーの皆様、メカニックやチーム運営に携わる皆様には、日頃の練習で積み上げた成果を存分に発揮し、エキサイティング なレース展開で多くの観戦者の皆様の心に残る素晴らしい大会になることをお祈り申し上げ、挨拶とさせていただきます。

株式会社

全日本モトクロス選手権シリーズ 第6戦関東大会 21Groupカップ東福寺保雄記念にご来場いただき、誠にありがとうございます。

全日本モトクロス選手権は、1964年にスタートした国内最高峰のモトクロスレースであり、2025年は年間7大会が開催されます。

2025年6大会目となる本大会も、トップレベルの選手たちによる白熱したレースが行われることでしょう。

選手たちの華麗なる走行を、ご来場の皆さまもぜひお楽しみください。

大会に参加する選手たちにとって、全日本モトクロス選手権をはじめ、すべての大会が、日々の鍛錬の成果を発揮する場です。 すべての選手が、世界各地で活躍されることを願っております。

そしてより多くの方にモトクロスというスポーツの魅力を知っていただけるよう、私たちも尽力して参ります。 今後とも、皆さまの熱い応援をお願いいたします。

結びになりますが、本大会の開催にご尽力いただきましたすべての競技役員、関係者の皆さまに、心より感謝を申し上げます。

そして、参加選手、チーム関係者の皆さまのご健闘を祈念いたしまして、開催のご挨拶とさせていただきます。

株式会社 BRIGHT21 代表取締役社長  清水 優輝

武蔵野うどんとは・・ ・

武 蔵 野 う ど ん

真 打 SHINUCHI CO., L TD .

武蔵野台地及びその周辺地域で収穫され た 小麦を使用し作られたうどんです 。

色はやや茶色がかった冷たく硬いうどん を

温かくて濃い目のつゆに浸けて豪快にいただきます 。

株式会社真 打

所在 地 埼玉県川越市小仙波 町 2の22の 1

電話 049 ー 298 ー 645 1

競技運営組織

審査委員長清野 浩 審査委員山下慶治

審査委員荒井 定男

競技監督中田 彰俊

競技副監督岡田 豊蔵

競技副監督春山 有

進行長小川 健一

副進行長森 竜一

荒井 英彦 副進行長

コース管理長田 智邦 コース審判長 佐々木 淳行 副コース審判長岩上 実 副コース審判長坂本 直也 副コース審判長佐藤 彰 副コース審判長佐藤 陽一

Mx Production

コース管理大内 健八

武蔵重量

大会組織委員長福本 敏夫 大会副組織委員長福本 高大

事務局長森本 修平 副競技事務局長福本 高大 副運営事務局長上原 明子

競技事務局福島 徹也

競技事務局 松本 美樹

副コース審判長高田精一

競技事務局森 誠二郎 副進行長新井 隆

進行員 和田 茂

進行員 佐藤 好宏

進行員速水 充男

進行員 秋山 元弘

進行員 北見 貞憲

進行員 平塚 晴代

進行員柳下 雄二

進行員谷内田 健一

進行員 澤田 将裕

進行員鈴木 淳一

マーシャルライダー 大澤 健司 マーシャルライダー瀬戸 隆亮

計時長春山 有

副計時長 福田 健

計時員森 亜美

計時員鎌田 恭子

記録員渡辺 千夏

記録員岡野 楓斗

車検長山中 栄司

副車検長岩崎 益男

副車検長 久保 亨

車検員大岩 弘樹

コース審判員

協賛団体一覧

埼玉トヨペット株式会社

株式会社ホンダモーターサイクルジャパン ヤマハ発動機販売株式会社 株式会社スズキ二輪

大同工業株式会社

株式会社カワサキモータースジャパン カヤバ株式会社

日立Astemo株式会社 株式会社ダンロップタイヤ

株式会社

Westwood MX

有限会社三蔵

車検員金澤 嘉範

車券員久保 正明

杉浦 利文 コース審判員 玉槻 賢 コース審判員 蓜島 晴次 コース審判員吉原 清 コース審判員飯塚 光幸 コース審判員戸口 茂樹 コース審判員山本 勝美 コース審判員山本 百合子 コース審判員西浜 嘉教 コース審判員 川崎 慎也

コース審判員 藤田 嘉一

コース審判員 高木 昌一

コース審判員 松井 宣道

コース審判員 加藤 一也 コース審判員 丹野 博隆 コース審判員 佐々木 聡 コース審判員 藤崎 孝男 コース審判員 千葉 康孝

コース審判員 加藤 拓也 コース審判員 加藤 あけみ コース審判員 沼館 朗 コース審判員 佐藤 一大 コース審判員 吉村 敦俊

コース審判員 滑川 俊一 コース審判員 浅子 高広

コース審判員 鷲見裕二 副コース審判長井田優ニ

運営事務局福本 真由美 運営事務局(救急)池田 広子

運営事務局(機材管理)川辺 健太 運営事務局浅川 明博 運営事務局下田 喜代美

運営事務局小林 一絵

医師 二瓶 治彦

看護師稗田 貴純

救護長扇 良太

副救護長伊集院 兼 副救護長押田 毅 救護員田辺 浩輝 救護員篠田 雄輝 救護員 坂田 早苗

救護員 植田 明子

救護員 池田 茂 救護員 南 雄二 救護員 市川 富久 救護員 佐々木 洋昌

救護員 鈴木 秀之 救護員 久保 修二

救護員 石山 隆

救護員 黒澤 紀章

散水長大澤 忠雄

散水員大橋 剛

散水員佐野

救護員 長尾 淳

株式会社 BRIGHT21

株式会社NEXES21

武蔵野うどん 真打

車検員兼進行 下村由紀子

レースクイーン片瀬 亜乃

車検員 山田 健 カメラマン宮沢 秀男

車検員瀬戸 正勝 レースアナワダポリス

MFJ 嶋崎 一斗

散水員後藤 貴

散水員福本 義久

警備・導線管理長福本 義久 警備・導線管理後藤 貴 警備・導線管理大澤 警備・導線管理曽我 警備・導線管理佐野

警備・導線管理ゼンコーサービス

保安長園田 哲

MSP中西 悟 中西 啓子 ディレクター熱田高輝 アドバイザー北居良樹 テクニカルオフィサー坂本裕輔

東福寺レーシング小林好美 大塚忠和 有限会社東福寺エンタープライズ根岸順子 カメラマン佐藤敏光 東福寺保雄記念

株式会社 アクシス21/アクシス不動産

株式会社 Luxes21/BELLE MONDE

株式会社 Nexes21/ごくり

一般社団法人 こそだてびより

株式会社バトンTrading

株式会社アライヘルメット タカラ株式会社 スージーデジット

株式会社 折原

株式会社  CARRY エーエヌディーウェア

有限会社テクニクス アールケージャパン株式会社

DREAM TOKI 造形社 フィリップモリスジャパン合同会社

株式会社ダートフリーク インステイト株式会社 ブレンボ・ジャパン/トライアンフ東京ベイ 有限会社アシタプラニングMS カワサキプラザ太田 株式会社和光ケミカル

有限会社渋谷建材 エコーロジテム株式会社

有限会社アールエスビートル ジャパンVET

松建 株式会社シーアンドシー イチネンケミカル BOSS RACING サイクルロードイトー オートバイ事業組合

有限会社セキソーボディ

株式会社ミヤシーノ

2GMOTOCROSS 株式会社レオタニモト 初谷商店 新野商店

井上ゴム工業株式会社 ピレリジャパン株式会社

株式会社 NIPPO

株式会社トライボジャパン

「すべてがカッコイイ」誰もが憧れた「東福寺保雄」のモトクロス。

東福寺保雄さんが2025年6月8日に永眠された。最後の最後まで日本のモトクロス、世界のモトクロスの発展に深く関わられました。

全日本モトクロスIAクラスで「71勝」、1982年に開催された「ジャパンスーパークロス」で巻き起こったアメリカンモトクロスショック。

打倒アメリカンを日本中が掲げ、アメリカのモトクロスを追いかけていた1980年代前半。その最前線に立ち、1986年にはフル参戦 中のアメリカ人ライダー「スティーブ・マーチン選手」を見事に破りチャンピオンを獲得。

1980年に初チャンピオンを獲得後、10シーズンで「9度」のチャンピオンに輝いた。「最強」という言葉しか脳裏に浮かばない戦績を 残した。1992年に現役引退後、ここからは「後進育成」に全開で取り組み、数多くのトップライダーと開発者を世に送り出した。

今回は東福寺さんの「ライダー人生」を、「弟子」、「相方」、「志を継いで行く人」と共に振り返り、現役を知る皆さん、知らない皆さんと、 より深く、東福寺保雄という「日本人最強ライダー」の軌跡を皆さんと共有し、東福寺さんを笑顔で見送りたい。

小林好美

小林好美  (こばやし よしみ) 1987年 IBクラス ランキング10位でIAクラスに昇格。大塚忠和  (おおつか ただかず) 1988年 IBクラスダブルチャンピオンで IAクラスに昇格。昇格と同時、TEAM HRCに加入。

Q: 東福寺さんとの出会い

小林好美:私がセキソーボディで働いていた16歳の時です。新しくチームを作るという事で、候補だった私に会いにきました。カッコイイBMWに乗って登場。 トップライダーって雰囲気が凄かったです!

大塚忠和:東福寺さんがセキソーボディでキャンピングカーを作るようになり、関宿で一緒に練習する事になり、コースで出会いました。

Q: 一緒に練習していた当時のエピソードは?

小林好美・大塚忠和:基本的にライディングに関しては教えてくれませんでしたが、練習で飛べないジャンプがあれば、飛べるようになるまで車やブルトーザー など全部集め、ライトをつけ、東福寺さんが「お前ら、飛ぶまで絶対に帰さないからな」って。僕らも腹を括り「東福寺さん、次で飛びますって」。夜10時まで練習 した時もありました。チーム全員が現役ライダーだったという事もあり、チームが一丸となって活動し成長していました。あの時の練習が今も私達の基礎となり 人生を楽しんでいます。

悔しさを思いっきり感じた翌年、1990年には「ダブルチャンピオン」を獲得。なにくそ根性の賜物です。

Q: 東福寺さんとの印象に残るエピソードは?

小林好美・大塚忠和:寮生活時代、ランニングに行かなければならなかったんですが、暖房もない部屋だったので、寒くて外に出たくなかったんです。起きてはいた んですが「そろそろ行かなきゃなって」思ったら・・・ガチャって部屋に入ってきて、ゲンコツをされて坊主・・・。

これが東福寺さんと一緒に過ごした日々で1番のエピソード。

大塚忠和:チームメンバーでレースをした際に東福寺さんが1番本気で、本番車「RC250」を持ち込んできたんです。僕は普通に練習車。レースが始まり東福寺さん がトップで最終ラップへ。最終コーナー、東福寺さんは丁寧にイン、僕は勝負をかけアウトを全開で攻めて前に出てトップでゴール!僕に負けた東福寺さん、一言も 喋らず、淡々と片付けをし帰ってしまいました。地方のコースだったので、何時間も悔しい気持ち全開で埼玉に帰ったんだと思います。

Q: 厳しい指導の裏にあった、想いや優しさを感じた瞬間は?

小林好美:私が骨折した時、悔しくて帰りの車でこっそり泣いていたんです。完治するまで1ヶ月、2ヶ月乗れなくなるって。最初は怒られていたんですけど「好美、 またステップアップするね」って言われたんです。私からしたら完治するまで1ヶ月、2ヶ月乗れなくなるから絶望的な訳です。でも、あの一言が「優しさに」感じて今 でも忘れられません。

大塚忠和:IAクラスで初優勝した時、東福寺さんは足を怪我していたにも関わらず、表彰台まで来て涙を浮かべながら「おめでとう」の一言だけを言ってくれました。 自分の事ように喜んでくれて、一生懸命練習して良かった!と思いました。あのレースは僕の宝物です。

Q: 東福寺さんから人として教えられた事は? 小林好美・大塚忠和:挨拶です。名前が分からなくても、会った事のある人には「絶対に挨拶しなさい」と言われ続けました。

Q: 東福寺さんとの印象に残る言葉は? 小林好美・大塚忠和:自分の信念に自信を持て。

Q: 弟子にとって東福寺保雄とは?

小林好美・大塚忠和: 越えなければならないライバル

東福寺さんの71勝・チャンピオン9回を共に支え合い勝ち取ったHRCメカニック。

ライダーだけでは勝利には辿り着けない。メカニック、エンジニアだけではなく、たくさんの人達の共感、共有があるからこそ「勝利」に辿り着ける。東福寺さんが 輝く事を、心から喜べる仲間が「最強のライダー」を共創したのだ。この記事は「過去の功績」ではなく、「現在に最も必要とされる過去の功績」です。

この時代を「知っている」皆さんには「なるほど〜」と昔話に花を咲かせていただき。

この時代を「知らない」皆さんには「レースとはこういう事だ」というノンフィクションを知っていただき、私たちと一緒に「輝いていた全日本モトクロス」を、また輝く 全日本モトクロスになるまで共創していただきたい。

Q: 東福寺さんとの出会い

小野信夫:ホンダワークスに来る以前、彼はヤマハワークス。その当時、とにかく無茶苦茶速かった。。その彼が来年からホンダワークスに来ると聞いて「いや~ この人のメカニックは大変だな」って。とにかく速くて速くて凄い!というのが印象です。何らかのミスで上位に入れなかった時には大変な事になるなと思っていま した。

岡崎和美:僕は彼が1981年にホンダワークスに入ってからですね。当時はホンダに来たって事すら知らなかったんです。1984年かな、もっと前かな、僕がホンダ に入る際にお世話になった方がいました。その方を通じ、彼が大阪に来た際には一緒にお酒を飲む事もありました。会社で初めて出会ったのは、僕がホンダに 入ってから無限分室でした。

甲哲男:僕は新入社員で、丁稚奉公で掃除ばかりやっていたんです。そこにレースから戻ってきた東福寺さん達ライダーが荷物を取りに来ているところを、 ひっそりと見ながら「こんにちは」っていう感じでした。笑 雑誌で見ていたスターライダーだって。

小野信夫:岡崎和美:甲哲夫:それはエンジンの「つき」ですね。低速のトルクに尽きます。

岡崎和美:ドライ用のシリンダーとウェット用のシリンダーがありました。彼が常用していたのはウェット用のシリンダー。 小野信夫:低速からトルクのあるシリンダーです。

甲哲男:僕が担当した頃(1985年、1986年)には、東福寺さんのテクニック、マシンへの理解度もすごく進んでいました。当時、東福寺さんが僕を連れ歩い てくれる中で、ご自身にキツイ意見をしてくれる方のところに、わざわざ連れて行ってくれるんです。東福寺さんが「ガミガミ」言われているのを僕は横で聞い ていました。その帰り際、東福寺さんに「なんで、わざわざそういう場所に行って、言われたくない、聞きたくない話を聞くんですか?」と聞いたんです。

東福寺さんは「こういう事を僕に言ってくれる人は限られているんだよ。だから、あえてそういう話を聞いて自分の中で吸収していく事が今、1番肝心なんだよ」 と話してくれました。V9につながっているのは「そこ」だと思っています。

小野信夫:彼がこう話してくれました。「判断に迷った時、友人に聞くんですけど、甘い事を言う友人は友人じゃない。きつい事を行ってくれる友人は真の友人 だから、真の友人をたくさん作る。」と言ってました。

Q: 東福寺さんのV9が決まった1990年の瞬間、どのようなお気持ちでしたか? 小野信夫:「やったなぁ、ここまで来たな」って。なかなか勝てなかった時期もあったからね。やっぱり獲ったよ。

Q: メカニック、チーム監督として東福寺さんを支えてきた小野さんは、東福寺さんは何度全日本チャンピオンを獲得するだろうと思ってらっしゃいましたか? 小野信夫:当時はF1がV9だったんですよ。それを「越えよう」と2人で話をしていたんです。だからV9を超えるんじゃないかなとは思っていたんです。でもね、 巨人軍だってV9。だからV9という壁を越えるのは容易ではないんだろうな。

Q: 東福寺さんのレース現場で印象的なエピソードは?

小野信夫:当時、彼が家を買ったんで借金が残っていたんです。サインボードにプラグの絵を描いて「返せ!」って出したら、タイムがボーンと上がったんです。

岡崎和美:北海道大会で、ダブルプロリンク乗った時。実はね、ダブルプロリンクは彼が最初から使ったんじゃなくて、佐藤健二さんと僕がセッティングをした んです。最後の最後に彼が乗って「これで今回走る」ってなったんです。何でかというと、どこか怪我をしていたんですね。ダブルプロリンクって全伸びが1番 剛性が高くて、サスペンションが縮むと剛性が低くなるんです。ギャップで振られたり、いろいろあったと思うんだけど「吸収性」が良いところをとって彼は使った んだろうと思います。そのレースの決勝ヒート2をゴールした際に、倒れ込んだと思うんだよね。レース中は体力的に相当キツかったんだと思う。そこまでレース をできるライダーってなかなかいない。その時の光景は、いまだに印象的で脳裏に残っています。 甲哲男:「やられたら、やり返す」。決勝ヒート1でやられ、ヒート2にパドックを出る時に「行ってくるからな」って。その言葉が出た時は、必ずやり返す時なんです。 で、僕が「やめてください」っていう事が何度かありました。笑

Q: レース以外で見せた以外な一面は?

小野信夫:レースに対し日常、目標に向かって進む意気込み。これは凄いと思いました。これは驚きです。壁をいくつも乗り越え、我々が想像しているよりも はるか上を普通にいっていました。その驚きは今でも「すっげえな」この人は!とくに追い込みですね、夢にいかに近づくか。追い込んでいく姿は驚愕です。 岡崎和美:んーーーーーー。やっぱり割りきかな。そのレースに対し、どこまで自分の好みに仕上げ、後はそれをいかに自分で努力し勝てるというところに持っ ていくか。そういうところの考え方がしっかりしていたと思います。

甲哲男:真面目な方じゃない話だと・・・1986年かな、当時はライダーとホテルの部屋も一緒だったんです。寝ようかなって思ったら、東福寺さんがテレビを つけたんです。画面に映った映像は●系でした。僕に「甲、辛いだろ」って。笑 今でも忘れません。

Q: 東福寺さんが話していた「勝つための信念」や忘れられない言葉は?

小野信夫:人の倍やらなければ勝てないと言ってましたね。人の倍の努力は、当然な事。

岡崎和美:僕は彼とこのような話をした事があまりないんですが、見ていて感じたのは、先ほども話しましたが、マシンセッティングは自分の最大限やり、そこ から先は自分自身でやるんだという信念。そういう考え方は凄く立派でした。

甲哲男:「愚痴を言うな」。僕は東福寺さんの背中を見て育てられました。怒られる事もありましたが、教えのような事は特には口にはしませんでした。

Q: 東福寺さんが若手メカニックだったに甲さんに伝えていた事は? 甲哲男:僕の荒い作業を見て「段取りを良くしなさい」と言われました。いきなり「ばーっと」バラして後どれだけ、ではなく「バラす際の順番を決めておいて、 逆から組んで行きなさい」。

Q: メカニックとして最も学んだ事は?

小野信夫:「確認」ですね。「確認は絶対に怠るな」。上と下に取り付ける「同じ部品」があったら「重い部品を下に取り付ける」。重心をなるべく下にする。その ような事を日頃から見ていて日常的にやっていました。

甲哲男:言われた事はあまりないんですけど、東福寺さんは物を置く際に「ドン」と絶対に置かないんです。その物が重くても、全てにおいて大切に丁寧に置く んです。1つ1つ丁寧に扱うという事をメカニックとして今でも気をつけています。

Q: 東福寺さんを一言で表すなら

小野信夫:努力家ですよね。

岡崎和美:天才であり努力家ですよね。人一倍の努力家。

甲哲男:鬼神。

Q: 監督としても東福寺さんを支えてきた小野さんに。東福寺さんがチャンピオンを獲得するために監督として意識されてきた事は?

小野信夫:同じホンダワークスの中で競っている。チームオーダーのような事は「いっさい言わないでくれ、チャンピオンは自らの力で努力して掴むよ。」と 言われました。

Q: 東福寺さんの印象的なレース戦略は?

小野信夫:先行逃げ切りを目指していましたね。だから、スタートで何がダメだったのか、1コーナーまで何がダメだったのか、負けた際にはその辺を重点的 にやってました。だから上手く逃げれるんですよね。スタートで彼が出た時に「また、東福寺か」という声が聞こえてきました。

Q: その声を聞いた際に小野監督はどう思われました?

小野信夫:良い勝ち方をするな、勝負の世界を知っているなって思いました。

Q: 勝負どころの車両使用決定は? 小野信夫:もちろん本人が決めます。チームからの指示はないです。チームからの指示を嫌いましたね。

Q: 勝負どころの車両使用決定は?

甲哲男:東福寺さんがコメントを伝える時は兎に角、早く正確に伝える為に手振りに加えて擬音を使って表現してくれていました。これは私のレベルまで噛み 砕いてくれていたのです。それでも理解出来ない場合は私にバイクに乗って確認をすすめることも有りました。レースに関する事には妥協はなかったですね。

Q: 東福寺さんの一言でマシンが大きく変わったというエピソードは?

甲哲男:ロータリーの時は岡崎さんで、その後にCR250で「HPP」という排気バルブがありました。初期は電動だったんですが、東福寺さんが「トップパワーが ない」と。エンジニアさんが「これだけ上げたら乗れないだろう」というくらいまで高速側に大きく振ったんです。その仕様でレースに出場、アクセルを開けたら 「まくれ上がり」もう走れないくらいでした。レース後、東福寺さんが素直に「僕が望んでいるのは低速から、プワって使えるエンジンなんです」とエンジニアに伝 えたんです。結果、諸元から変更し滑らかな仕様にしました。その後、電動ではなくガバナ式に変更。あの仕様になったのは東福寺さんが話をし、変更され 市販化されたんです。

小野信夫:クランクシャフトのウエイトも変更したよね。

甲哲男:そうですね、ウエイトを上げましたよね。

Q: 東福寺さんはどのような存在ですか?

小野信夫:一生に1度、素晴らしい人に出会えた人生。幸せだなって思います。

岡崎和美:やっぱり、チャンピオンを獲得するために、少しでも協力できた事が凄く嬉しいです。

甲哲男:僕には恩人で、私生活を含めて「兄貴」のような存在です。東福寺さんが居なかったら、ロードレースでもチャンピオンは獲得できなかった。

東福寺エンタープライズ 取締役

根岸純子志を継いでいく

Q: マネージャーとしての役割と、監督としての東福寺さんの強みは?

根岸純子:私が仕事をするうえで中心に考えていることは「東福寺保雄を支えることがチームの為になる」です。引き継いだ当初は、右も左も分からない状況でした。

結局、東福寺さんからの指示で動く毎日。私の仕事は一般的なチームマネージャーというよりは、東福寺さんの秘書という方がしっくりくるような感じです。 しかし、その間にモトクロスに関する様々な話をたくさん聞いてきました。それは育成事業の成功と失敗、世代間ギャップに苦悩する日々、モトクロス業界のサポート 体制(スポンサー)の変化、問題は多岐にわたります。その中でも東福寺さんの想いは常に「自分が育てたライダーの成長と幸せ」にありました。他人様の大切な お子さんを預かるということは、モトクロス以前にその子の「人格形成に少なからず影響を与える」ということ念頭に置き「考え方」を伝える努力をしていました。

誤解されることもあったと思いますが、基本的に理念は東福寺レーシングの頃から何も変わっていないのです。言い換えればこの「考え方」こそがT.E.SPORTの強み であり、財産です。

私はこの10年程、ライダーに東福寺さんの真意を伝えるお手伝いをすることに時間をかけてきました。もちろん東福寺さんも直接ライダーに語り掛けています。

「伝わってないな」と思うことがあっても、根気強く、手を変え品を変え、アドバイスを続けてきました。亡くなる前もレースの後に電話で伝えています。最後までずっと 変わらず、ライダーのことを考え、成長を信じ、言葉をかけ続けていました。

Q: T.E.SPORTは多くの若手ライダーを輩出してきました。東福寺氏が育成に込めていた想いをどう感じていましたか? 根岸純子:東福寺さんの人生は「モトクロスを楽しむ」ことが原動力でした。そして、この楽しさを伝える天才でもありました。レースに限らずイベントやスクールなどで 一緒に走ったことのある方は分かると思いますが、教えている東福寺さん本人が1番楽しんでいるので周りも引き込まれていくのです。

「これ出来る?」、「これやってみようよ!」人を巻き込む天才です。「好きこそものの上手なれ」これも口癖でした。(好きなことは自然と熱中し、工夫や努力を重ねるため、

上達が早いという意味)この言葉が根底にありつつ、ライダーにはレースで頂点を目指すための創意工夫についてのアドバイスがありました。チーム員に限らず、多く のライダーに東福寺さんが繰り返し伝えてきたことをご紹介します。

「土を知れ 音を聞け」

人と競わず コースと戦え、日々努力して 自分に勝て

「土を知れ」

日本は様々な土があり、土質によってタイヤの食いつき方や滑り方が違うため、土に合わせたアクセルワークやブレーキングでロスなく走る工夫をする。 「音を聞け」

エンジンの音を聞いて、いい所を繋いで走ることでスムーズな加速を心掛ける。

「人と競わず コースと戦え」

レース中にライバルのことを意識しすぎると力み過ぎたり、路面状況を見落とす原因になってしまうので、コース状況にあわせて集中して走れば自ずと良い走りに繋がる。 「日々努力して 自分に勝て」

これを行うには日々の積み重ねが必要となる。

この繰り返しの中で上手くいかないことも嫌になることもあるだろう、その時こそ、負けそうな自分を振り払い一歩踏み出すことで自分に勝てその一歩が勝利に繋がる。

Q: 長年そばで支えてきたマネージャーとして、改めて「東福寺保雄」という存在をどう表現しますか?あなたにとって「T.E.SPORT」とは、そして東福寺保雄とは? 根岸純子:東福寺保雄は「夢中になれる人」です。

今もきっと、どうしたら速く走れるのか、わくわくしながら探究していることでしょう。

そんな東福寺さんと一緒に成長し、活躍した東福寺レーシング。

東福寺さんの指導の下、切磋琢磨してきたT.E.SPORT。

東福寺先生に教わったキッズスクールの生徒達。

東福寺さんの教え子達にとっての合宿所や母校にあたるのが「有限会社東福寺エンタープライズ」です。

私達は東福寺保雄の志を継いで、モトクロスを精一杯探究していきたいと思います。

ENTRY LIST IA1 CLASS エントリーリスト

前年度ランキング10位までは「赤字に白」 ランキング11位以降は各クラスのベースカラー。

IAクラスに昇格したルーキーは、「0」を付けたナンバー。

ENTRY LIST IBO CLASS エントリーリスト

公式シグナル

ライダーは走行中に掲示される公式シグナルを確認   そのシグナルに従わなければならない。 レースが停止された。速度を落とし安全にスタートゲートに戻る。

速度を減 速、 停止準 備、 追い越し禁 止、 大幅に減速してジャンプを通 過すること。 警告、ラップされようとしている

ENTRY

太田 結馬

加藤 瑠一 PLAZA長崎

佐藤 吉弥

宮嵜 優真

伊原 七翔 愛知

ENTRY LIST CX CLASS エントリーリスト

ENTRY LIST K65 CLASS エントリーリスト

ENTRY LIST YZ125 BLU CRU Cup エントリーリスト

最年少は14歳、最年長は50歳を超えるライダーが、2ストロークYZ125(YZ125X)で競い合うワンメイクレースが「Yamaha YZ125 BLU CRU Cup」です。

一般社団法人日本モーターサイクルスポーツ協会とヤマハ発動機、ヤマハ発動機販売が、若手ライダーの応援などさまざまな思いを込めたタイアップ企画として2024年にスタート。 このレースの最大の特徴が、ポピュラーな4ストローク250ccではなく、フルサイズのモトクロッサーの中でもエントリーモデルとなる2ストローク125ccを採用していること。 中でも全日本へのステップアップを目指すヤングライダーには、怪我のリスクを抑えつつ、レース経験を増やし技術を磨く「鍛錬」の機会になればという思いを込めています。 一方で、参加可能な年齢を満 14 歳以上としたことで、ライダーが持つ「走りたい」、「楽しみたい」、「勝ちたい」といった気持ちを満たす「挑戦の場」として位置付け、さらに今年は 昨年の2戦から3戦とし、開催地も東北、近畿、関東に広げ、モトクロスの裾野を拡大する役割も担っているのです。そして全日本選手権第6戦21Groupカップ 東福寺保雄記念 では、最終戦となる第3戦が併催。ぜひとも2ストロークサウンドを楽しみながら、真剣に全力で挑むライダーたちに熱い応援をお願いします! 優勝者にD.I.D賞としてYZ125用のリムセット、トップ3にはBLU CRUクーポン、4〜10位にはワイズギアグッズと、豪華な賞典も魅力の一つ! ヤマハファクトリーライダーのJ・ウィルソン選手をはじめ、渡辺祐介選手や中島漱也選手が決勝前に激励に訪れ、ライダーたちに様々なアドバイスを送ります。

honda crf125F MEETING

CRF125Fをお持ちの皆様で、気軽にレースごっこを楽しみましょう!!

CRF125は初めてバイクを乗る人から、ベテランのプロライダーまで全員が楽しめるバイクです。

有限会社うず潮レーシングのショップ、ウエストポイントはオフロードバイク販売台数が日本一ですが1番気軽で遊べるCRF125が主力商品です。

ENTRY LIST FUNBIKE

川越警察署 電話 049-224-0110

川越警察署 からお知らせ

すべての自転車利用者に対する乗車用ヘルメット着用促進

令和5年4月からすべての自転車利用者に対し乗車用ヘルメット着用 努力義務が課されました。事故による被害を軽減させるため乗車用 ヘルメットを着用しましょう。

高齢者に対する思いやり運転の促進

高齢者を見かけた際は一時停止し徐行または安全間隔をとるなど 高齢者の行動特性を理解した思いやり運転を心がけましょう。

歩行者保護

横断歩道は歩行者優先です。横断歩道に歩行者がいたら必ず止まり ましょう。

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