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ポ ー ラ ン ド 料 理 道 • マ グ ダ レ ナ ・ ト マ シ ェ フ ス カ = ボ ラ ウ ェ ク


ポ ー ラ ン ド 料 理 道 • マ グ ダ レ ナ ・ ト マ シ ェ フ ス カ = ボ ラ ウ ェ ク

Hanami Warszawa 2016


ハ ン チ ョ フ ス キ ェ 山 地 ︵ ベ ス キ ド ・ ニ ス キ 山 脈 ︶


目次 はしが き 11 ポーランド 料 理 の 歴 史 15 カー シャ、パ ン、穀 粉 加 工 食 品 41 肉 、魚 、乳 製 品 57 野 菜 、豆 、キノコ、果 物 71 香 辛 料 、香 草 、料 理 の 付 け 合 せ 85 アルコール 93 レ シピ 10 6 著者について 141

リンク集 142


ボ リ ム ヴ 景 観 公 園


はしが き

· ポーランドはちょうどヨーロッパの中心に位置する国です。北は冷たいバル ト海に面し、南は山脈を国境として隣国と接しています。魚に恵まれた多くの 河川、畑の幸を産む肥沃な大地、そして野生動物、ブルーベリーやキノコが 豊富な森林は、何世紀も前からポーランドの住民に食の恵みを与え、ポーラン ドの食文化を形成してきました。 · しかし、ポーランド料理の形成に重大な役割を果たしたのは地理的な 要素だけではありません。隣国との多様な国交関係や世界中の人々との 関わりも、大きな役割を果たしてきました。 · 昔から現在までポーランドで食されている料理は、スラブ系はもちろん、 ドイツ、フランス、イタリア、モンゴル、ユダヤ系、アラブ系、そして中国までもの 影響を受けています。 · 都会では世界中の料理が食べられますが、ポーランド人はそれらを味わっ た後、やはりなじみのある家庭の味に戻っていきます。 · ポーランド料理はポーランドの歴史と共にダイナミックに変化しています。 世界の有名レストランで経験を積んだ若い調理師達は、伝統的な料理を目を 引くような新しい形に変えることに腕を振るっています。現代的な技術や作り 方を駆使し、美食家を驚嘆させますが、料理の心は味に隠されていることを 忘れていません。その味は伝統、上質の食材、そして料理を食べてもらう人へ の敬意に基づいています。 · さて、ポーランドはどういう味をしているのでしょう?漬物や塩付けニシン、 ヴィエリチカ岩塩鉱の塩のように塩辛く、新鮮なリンゴのように酸っぱく、モツ、 紅茶、香草のように苦く、西洋ワサビのように辛いのです。旨味は、肉、魚料理、 キノコを使った料理などに感じられ、甘さはお菓子、芳しい香りの蜂蜜、そして ポーランドの温かいもてなしにあるのです。 · それでは、ポーランド料理の旅へ皆様をご招待いたします。

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G DAŃ S K TR ZE B IATÓW

SZC ZECIN

TO RU Ń

G RO DZ I S K WIE LKO P O L S K I

P OZNAŃ

ŁÓ DŹ K ALI SZ Z IE LO NA GÓRA

WRO CŁ AW J E LE N IA GÓRA


ポ ー ラ ン ド 料 理 地 図 K WIDZ Y Ń KO RYCIN O L SZ T Y N

ŻE L A ZOWA WO L A

WAR SZ AWA

LU B LIN K A Z I M IE R Z D O LN Y

B I ŁG O R A J K R AKÓW WIE LI C ZK A


ポーランド 料 理 の 歴 史

中 央 ヨ ー ロ ッ パ の 地 図 ︵

年 ︶

· 現在のポーランドの領域には大昔から人々が住んでいましたが、料理の歴 史上、特に重要なのは、5世紀から6世紀に移り変わる際に起きたインド・ヨー ロッパ系民族の一派であるスラブ民族の分布拡大だと考えられます。 · 当時、バルト海領域は、寒冷多湿でかなり気候の厳しい地域でしたが、8世 紀の温暖化に伴い農業がより勢いよく発展することとなりました。 · スラブ人は自然との繋がりが強い民族でした。山、森林、畑は食物を与える だけでなく、神聖な力が宿ると信じられていました。自然と調和し暮らしてい た民族の料理の多くは麦に基づくもので、キビ、ライ麦、大麦、カラス麦、小 麦が頻繁に育てられました。収穫された穀物は通常は粘土の容器に保存さ れていました。他の地域の文化と同じように、麦は貴重で大切に扱われたの です。麦からは、カーシャ kasza(穀物から表皮を除去し、そのままあるいは 砕いたもの)や穀粉が作られていました。カーシャはそのままでも食べられ ましたが、カーシャを使い、ブリヤ bryja というお粥のように柔らかく煮た穀 物にバター、塩、油、野菜や豆を加えた料理が作られたりもしました。穀粉 i 平らなパンまたは厚いクレープのようなもの)やクルス は、プラツキ pl ack ( kluski キ (丸く固めて煮込んだもの)といった形に姿を変え、調理されていま した。 · 多くのスラブの神々は、畑の幸を守ると信じられていました。母なる大地に 喩えられ、その中でも主要なのはマジャンナ Marzanna という女神で、特に 現在のポーランド、チェコ、スロバキアの領域で崇拝されていました。花嫁の 衣装を着た美しい少女として思い描かれたマジャンナは、金のリンゴ、麦の 穂を携え、そして春を呼び起こし、大地を冬眠から目覚めさせる力があるあの 世への鍵を握っていました。

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ポー ランド 料 理 道

· スラブ民族の食卓には、エンドウマメ、レンズマメ、インゲン、ソラマメなど の豆や野菜もよく並んでいました。ひょっとすると5世紀から6世紀の頃既に 漬物が作られていたとされています。肉は主に農場の肉でしたが、めったに 食卓には上りませんでした。田舎では、豚、鶏、アヒル、ガチョウが飼育され、 多くの河川では魚が採られていました。食事はリンゴ、ナシ、ラズベリーやプラ ム、またはそれらを干したもので補われていました。周辺の森林ではベリー、 香草、食用植物、野生動物も多く、食物の恵みを受けていました。甘い味が 好まれ、料理の味付けのために蜂蜜が使われることもありました。料理は手 や木のスプーンを用いた食べられ、水、牛乳、ビール、蜂蜜酒(蜂蜜と水で作ら れる醸造酒)が飲まれていました。 · 食物はとても貴重であったため、神々、精霊、また悪霊に捧げられていまし た。それは、恩恵を受けた事への感謝の気持ちを伝え、敵意を持つ悪霊を静 め安全を確保するためでした。中でも家庭や家畜を守る善意の神々を大事にす る必要があったので、特にそのための様々なご馳走を確保し、捧げていました。 · 現在、スラブ文化は再び好まれるようになり、文学、音楽、コンピューター ゲーム、そして料理のインスピレーションの源となっています。ポーランドでは、 歴史再現グループが数多く活躍し、伝統、料理、昔の工芸を伝えたり普及させ たりしています。毎年、様々なフェスティバルが開催されますが、例えばヴォリ ンのスラブ・バイキングフェスティバル、STADOスラブ文化フェスティバル、ビ スクピン考古学博物館が主催するイベントなどがあります。 · 10世紀に、ピャスト朝のミェシュコ一世 Mieszko I(922–992)はキリスト教 の洗礼を受け、ポーランドをキリスト教文化圏に仲間入りさせました。その出 来事は、料理を含め生活における様々な分野の発展に大きな影響をもたらし ました。その中で断食(肉食を控え、食べる量を減らす期間)は特に重要な事 の一つでした。キリスト教の断食の概念は、3、4世紀に四体液説から生まれま した。活動亢進状態や犯罪行為の原因だという考え方から、暖かい料理も控 えめに食べることが規則でした。食べてもいい食品の中には魚、蛙、カタツム リ、ザリガニ、亀、各種野菜、砂糖、そして植物の根から採れる調味料がありま した。ポーランドは数世紀にわたり、断食を守る習慣が厳しい国の一つでした。 年間に半年以上様々な制限があったので、調理師達は規則に従いながら、美 味しい料理を作るためにかなりの工夫をする必要がありました。そして肉料 理が制限されたことで、魚料理が発展してきました。 · 中世後期には、王様と貴族の一部は焼きたてのパンを堪能することがで きました。特に、細かい白い穀粉を使った焼き物が高く評価されました。金 持ちは胡椒、ショウガ、シナモン、カルダモン、サフラン、ナツメグ等、遠い東洋 からの香辛料を手に入れることができました。14世紀の半ばからはレーズン、

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ポー ランド 料 理 の 歴 史

イチジク、柑橘類そしてアーモンドも、朝廷や貴族の邸宅に供給されました。 その当時、肉の最も崇高な作り方は、丸焼きだとされていました。それに対し、 庶民の食事は残念ながらそんなに立派ではなく、生野菜または酢漬けの野 菜が主でした。10 、11世紀から作られ始めたキャベツも好まれるようになり、 赤カブ、カブラ、人参も数多くありました。乳製品も好まれており、バターは肉 やカーシャの味付けに使われていました。チーズも食されましたが当時は乾 燥し硬いものでした。アルコールは、変わらず主にビールが飲まれていました。 蜂蜜酒、ワイン(蜂蜜、植物の根から採れた調味料または果物で味付けられ たもの)は、貴族の間でも特別な機会にしか飲まれていませんでした。宴を催 すには多くの食料やお金が必要でしたが、最貧困層の人々でも特別な機会が あれば惜しみなく遊んだりしました。それは祝日や結婚式を指し、披露宴は 短くても二日間は続いたということです。 · 16世紀からポーランド料理は外国の料理法に、より強い影響を受けました。 ジグムント・スタリ王 Zygmunt Stary(1467–1548)の妻であるイタリア出身 のボナ・スフォルツァ Bona Sforza のおかげで、貴族はこれまでとは全く違っ た新しい味や食品に出会いました。イタリアの調理師たちはレタス、アスパラ ガス、ケッパーを導入したり、七面鳥の肉やパテ(肉、野菜、卵、香辛料、また は穀粉を合わせて焼いた料理)の作り方を教えたりしました。料理のデコレ ーションや食卓のアレンジにもより気を遣うようになりました。ソース、つまり 肉料理などにかける色々な材料を使った濃縮液も好まれてよく作られました。 魚は基本的にワインを元にした甘辛いソースと一緒に食卓に出されていまし た。すべてに、植物の根から採れた調味料、柑橘類、酢、ピスタチオ、アーモン ド、そしてドライフルーツや西洋ワサビなどのポーランド産のものが味付けとし て使われていました。 · しかし、誰もが新しい料理法を好んでいたわけではありません。地主階級 の者はよくそういった貴族の好みを冷やかし、単純な地元の料理を賞賛して いました。ポーランドを訪れた外国人は、植物の根から採れた調味料と酢漬 けが合わさった古風で珍しい味やビーバーのしっぽなどのような食材(断食 の食材として使われた)に驚嘆していました。 · 17 世紀から食物の摂取の差が大きくなりました。貧しい者は主にカーシャ と豆を混ぜた野菜を食べ、肉と魚は以前にも増して、ほとんど食卓に出される ことがなくなりました。アルコールは、ゴジャウカ gorzałka と呼ばれる蒸留酒 がますます人気となりました。それに対し、シュラフタ szlachta(騎士に由来す る高い階級)や金持ちは、 “zastaw się, a postaw się”という言い回し通り、見栄 を張り実際以上の姿を周りに見せていました。邸宅で開催されていた宴は驚 くほど豪華で、出された料理も数多くありました。しかしそれは、当時は宴を

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昔 の 住 ま い キ ェ ル ツ ェ 村 博 物 館 ︵ ト カ ル ニ ャ 民 族 公 園 内 ︶


ポー ランド 料 理 の 歴 史

鯉 の 灰 色 ソ ー ス か け

開き客をもてなす能力が重んじられていたためであり、社交的に振る舞い貴 族の中でも目立った存在になることに重圧を感じていたからでした。 · シュラフタはポーランド料理を賞賛し、いつもそのオリジナリティや伝統を 力説していました。シュラフタの料理は豪華で洗練されたものだという記録も 残っています。 · 料理の伝統を守り子孫に残したいという思いを込めて、スタニスワフ・チャ ルネツキ Stanisław Czarnecki(軍人、愛国者そしてルボミルスキ家に仕える 調理師)はポーランドで初めての料理の本“Compendium ferculorum, albo zebranie potraw”を書きました。その本は1682年クラクフで発行され、古ポー ランドの素晴らしい味を厳選し、333のレシピ本としてまとめられていました。 魚、鶏(特にカプウォンという去勢された雄の鶏)の料理のセレクションは豊 かでしたが、当時砂糖が普及しスイーツが評判になっていたにも関わらず、そ のレシピは比較的少ないものでした。多くの料理は、バロック風の料理に基づ いたはなやかさ、めずらしい形、そして人々を驚かせる要素を含んだレシピと なっていました。そのような珍しい料理の例としては、ボトルに入ったカプウォ ン(カプウォンを丸ごとボトルに入れた料理)が挙げられます。客を驚かせる その料理法は、まずカプウォンの皮を慎重にとり、ボトルに入れ、中に卵、牛乳、 調味料などを合わせたものを中に詰めます。そしてボトルにいっぱいになる まで塩水を入れ、お湯が入った鍋に入れて煮込みます。すると熱さで中身が膨 らみ、ボトルの中にカプウォンが実際に入っているように見えるというもので した。 · 18 世紀にはビールが一般に飲まれ、町の醸造所や領地で醸造されてい ました。富裕層はポーランドの様々な種類のビールだけでなく、イギリスやチェ コなどから輸入されたビールも手に入れることができました。蒸留酒もよく 家庭で作られていました。ポーランドでも外国でもグダニスクのウォッカやリ キュールの評判は良いもので、アニスの香りと22カラットの金箔が入ったゴー ルドワッサー Goldwasser(ハーブのリキュール)はその例です。 · 富裕層は、強いアルコールを朝食時、紅茶を飲んだ後に飲み、中流家庭で は家で作られたウォッカを、ジャムやジンジャーブレッドと一緒に飲んでいま した。外国のワインも注目を集めていました。 · その他の飲み物では、紅茶とコーヒーが最も好まれました。コーヒーの歴 史の中に、ポーランドに関係した部分があります。1683 年に行われたウィー ン包囲の後、ポーランドによってオスマン帝国のヨーロッパ進撃は止められ ました。当時軍人・外交官であったイエジ・フランチシェック・クルチツキ Jerzy Franciszek Kulczycki(1640–1694)は、コーヒーの種の袋を戦利品として選 び、その後ウィーンに最初のコーヒー店を開きました。蜂蜜や牛乳あるいは

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ボ リ ム ヴ の 森


ポー ランド 料 理 の 歴 史

ポ ー ル ・ ト レ モ の レ シ ピ で 作 っ た キ ク イ モ 入 り ロ ス ウ

生クリームが入ったコーヒーのレシピも、彼が考えたとされています。ポーラ ンドでは、コーヒーが人気となったのは17 世紀の終わりから18 世紀の始めに かけてで、グダニスクの住民が好むようになったのが始まりです。最初に最 富裕層が飲み始め、そのうち地主の間でコーヒーを飲む習慣が生まれました。 ポーランド風のコーヒーは特に濃く、脂肪分の多い生クリームを入れて飲んで いました。紅茶は少し遅く、18 世紀の半ばに広がり始めました(緑茶は未だ にあまり人気がありません)。新しい飲み物にはそれに適した器が必要となり、 銀や安い錫の食器は、陶器やファイアンス焼きへと変わっていきました。メ インディッシュの食器も、深い器はあまり利用されなくなり、浅くてより小さい 器に変えられました。 · お菓子もより人気の食べ物となりました。ゴマでできた歯ごたえのあるお 菓子、 マジパンやトルコのロクム、スフレ、ケーキやアイスクリームもよく食べら れました。フランス料理も大変人気となりました。 · 大富豪の邸宅では、フランスからの調理師を雇い食事を作らせていました。 芸術や文化の発展に大きく貢献したスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフス キ王 Stanisław August Poniatowski(1732–1798)は、ポーランドの貴族の 食習慣を変えようとしました。軽い料理とお酒を控えることを推奨しましたが、 それは自身が胃が弱かったことにも関係があると思われます。彼が好んで湧 水を飲んでいたのも、その理由の一つでした。 · スタニスワフ・アウグ スト・ポ ニャトフスキ に仕 えたポール・トレ モ Paul Tremo(1733–1810)は、ベルリン在住のフランス人でヨーロッパでは有 名な調理師でした。 · 彼はフランスの逸品でポーランドの朝廷を魅了させ、また伝統的なポーラ ンド料理を工夫して、現在の料理の元である軽くてより食べやすいレシピを 作りました。料理の作り方に関してはトレモが担っていましたが、テーブル コーディネートやセッティングに携わったのはフランチシェク・ジェヴゥスキ Franciszek Rzewuski でした。 · スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ王は客をもてなすのが大好きで、 よく客を招いていました。特に有名なのは国王主催の木曜午餐という行事で、 文化、芸術、科学、政治などに携わる人々が集まる宴のことでした。トレモの 弟子で朝廷で仕えたヤン・シットラ Jan Szyttler(1763–1850)はトレモの功 績を継承し、ポーランドやフランスだけでなくリトアニアとベラルーシの伝統 も合わせ、ポーランド料理の発展に大きく貢献しました。シットラは才能のあ る調理師だっただけでなく、料理に関する数十冊の本の著者でもありました。 軽い料理への好みは外国文化の流行だけではなく、スマートな体が流行り始 めたことにも関係がありました。

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ポー ランド 料 理 の 歴 史

ザ リ ガ ニ 入 り ス ー プ

· 18 世紀末にイギリス文化がポーランドにやって来ました。その中でも料理 に関して言えば、イギリス風の朝食、午後の紅茶に頂く焼き菓子、そしてポン チという紅茶、ワイン、果物、そして砂糖から作られたアルコールを飲む習慣 などがそうです。 · 18 世紀末とは、ポーランドの歴史において厳しい時代の始まりでもあり ます。1772 年から1795 年までの間ポーランドは三度も分割され、その領土は ロシア、プロイセン、オーストリアの領土に加えられました。独立を回復した 1918 年11月11日までの123 年間という長い年月の間、ポーランドは地図から 消えていたのです。 · それにもかかわらず、団結の魂は消え揺らぐことなく、多くの困難を越え、 ポーランド文化そして料理を忘却から救うことができました。 · 領主の邸宅の側には、野菜畑、果樹園、養蜂場などがあり、秋に収穫され た作物から、冬のために保存食が作られていました。冬に備える地下室には 酢漬けの野菜、肉製品、甘い香りの果物のジュース、芳しい香りのジャム、 果実酒やリキュールが欠かせないものでした。 · 一番できのよい作物は特別な機会や祝日のための物となりました。高級な 品物や輸入食品、たとえば柑橘類は都会で買われていました。 · 政治や経済情勢が困難な中でも、シュラフタは料理人を雇っていました。 しかし経済的な理由から、主婦が自分で料理に関する計画や管理そして調 理にも参加するようになりました。それにより、家計管理や低コストでの食事 作りのアドバイスが記載されたハンドブックが益々人気となりました。 · ルチナ・チフィエルチャキエヴィチョヴァ Lucyna Ćwierczakiewiczowa (1829–1901)は最もよく知られた料理本の著者で、女性雑誌の出版社と仕事 をし、また婦人解放運動で活躍していました。彼女の本の中で最も有名でよく 売れたのは、 「5ズウォティで出来る365の昼食」という本でした。彼女が書い た本は存命中に幾度も再版を重ね、その出版数は10万冊以上という、当時に しては膨大な数となりました。 · 現在でも彼女のレシピは多くの人々に使われていることや、新版化された 本を簡単に手に入れられることも、彼女の人気を証明しています。 · 20 世紀になっても、家庭管理や美味しい食事を工夫し計画する能力はと ても大切でした。経験の浅い若い主婦は、料理の知識を得るために、人気 の料理本だけでなく雑誌も読んでいました。第一次、第二次世界大戦の間 (1918–1939)、肉の価格は高めでしたが、料理は主に肉料理が作られてい ました。当時、人気があったのは牛肉と羊肉でしたが、モツや鶏肉もよく利 用されていました。魚料理は断食期間だけに限られることなく作られ、特に 美味しいとされたのはザリガニでした。ザリガニの旬は春に始まりますが、

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昔 の 料 理 本 ︑

の コ レ ク シ ョ ン よ り


ポー ランド 料 理 の 歴 史

の 昔 の ト レ ー ド マ ー ク ︑ 一 九 二 六 年

水や水とワインで煮込んだものがザリガニの代表的な料理で、手で食べられ ていました。再富裕層はより洗練された料理、例えばフランス風ザリガニスー プやザリガニの入ったバターで作られたカルディナルソースを食することがで きました。デリカテッセンと輸入食品店では、コーヒー、チョコレート、紅茶、ア ルコール、計り売りのハムなど、沢山の製品が手に入りました。そして19 世紀 末に現れたコーヒー専門店のおかげで、家でも美味しいコーヒーが楽しめた のです。しかしポーランドの最初のチョコレート工場は、そのもっと前から営業 を始めていました。1851年にカロル・ヴェデル Karol Wedel が設立したヴェ デル社はチョコレート、キャンディ、ポーランド人なら誰しもよく知っているプタ シェ・ムレチコ ptasie mleczko(チョコレートに覆われたマシュマロのようなも の)、トルチク・ヴェデロフスキ torcik wedlowski(ナッツクリームが挟まった ウエハースをチョコレートで覆ったもの)などを販売していました。都会のレス トランや菓子店は人々が集まる社交の場となっていましたが、そこでは一般の 市民の他にも詩人、小説家、俳優、歌手たちが集まり、食事やコーヒーを飲ん だりしていました。イギリス文化が再び関心を集め、午後に紅茶が飲まれたり、 夕食付きのブリッジの会は更に人気がありました。しかしゲームに集中しなけ ればならなかったため、スナック、サンドイッチ、お菓子などが多く食べられる こととなりました。 · 2 0 世 紀の 初め、調 理を簡 単にしてくれる新しい 技 術を使った 製 品が 現れました。オーブンはほぼ一般的なキッチンの道具でしたが、プロディジュ (ケーキや肉などを焼くための金属製電気容器)、冷蔵庫、冷却器などは高 価でした。 · 都会での料理が地主層の料理と違う点は、少なからず観光の発展に影響 を及ぼしたということでした。1930 年代、田舎で民宿が始められました。都 会に住む人々は、騒がしい場所からひとときの間逃げ、簡単な娯楽、伝統的 な、民族の料理にさえ通ずる食事を楽しめる所で、心身を休めたのです。暮ら しの苦しくなった地主階級の者は森の散歩、キノコ狩り、クリグ(馬が引くソリ に乗る遊び)など、都会ではできないごく単純な遊び提供し、自分たちの家計 を立て直すことができました。 · 第二次世界大戦が勃発した時、食料 不足の問題が起こりましたが、戦 後も数年間(1948 年まで)食料の配給が続きました。しかしそのような状 況下でも外食サービスが完全には崩壊せず、簡単な料理を提供する屋台が あちらこちらで見られました。国の再建はかなり困難を極めたため、洗練さ れた味より、高カロリー且つ手ごろな値段であることがより重要だとされまし た。街の屋台は後にバザーの周りでも出店されるようになり、発展していきま した。

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ポー ランド 料 理 の 歴 史

20 世 紀 初 頭 の 広 告

· レストラン市場は1950 年代に回復し始めましたが、残念ながら戦前の水準 には及びませんでした。食料不足が続いていたため、当時手に入った食材を 使った大衆食堂用のメニューを決める施設が設立されました。安い料理は、 誰でも入れるミルク・バーで提供されていました。このような店の幾つかは、 ポーランド人民共和国の時代を越え都会で生き残り、未だに手頃な値段で多 くの人々に食事を提供しています。 · 1940 年代の終わりから1950 年代の初めにかけて、ワルシャワで最も有名な お菓子の一つが誕生しました。ココアスポンジのベースにジャムとクリームが 挟まったヴゼトカ wuzetka のことです。そのお菓子の名は、W-Z(東西の頭 文字)高速道路の建設工事が行われた近くの菓子店で作られたことに由来し ています。 · 全国で物が不足していたため、肉、アルコール、高級品の横流しが横行して いました。クリスマスの際には輸入のドライフルーツ、クルミ、そして芳しい柑 橘類が人気で、チョコレート(またはチョコレートらしきもの)と一緒にプレゼ ントされていました。 · 60 年代に料理の本が再び人気となりましたが、新聞や雑 誌にもレシピ や家庭管理の記事が記載されていました。著者にとって、食材が限られている 中でレシピを考えるのはかなり想像力が必要で、決して簡単なことではありま せんでした。数百年前と同じように、新しく、そして驚かせるような発想が必要 とされました。シンプルな食材を使いつつ洗練された味に達した時、それは 料理作りの大きな成功でした。 · 1970 年代、エドヴァルト・ギェレク( 1913–2001)政治の時、国民の生 活状況は少し向上しました。ホットドッグ、ハンバーガー、そしてポロコクタ (70 年代から90 年代の初めにかけて生 産されていたコカコーラのポーラ ンドバージョン)が販 売されていました。最 近、ポロコクタは再び販 売さ れ始めましたが、昔の製品とは全く関係がありません。街の屋台では、人気 のザピェカンカ zapiekanka(バゲットのような細長いパンにマッシュルーム、 玉ねぎ、チーズを掛けて焼いたもの)を買うことができました。1955 年か ら生 産されたプリンス・ポロというチョコレートに覆われたサクサクした ウエハースも好まれ 、現在まで販 売されています。ペベクスやバルトナの チェーン店では、外貨(とりわけアメリカドル)でおもちゃ、ジーンズ、化粧 品、そして普段販売されてないアルコールや食品を手に入れることができ ました。 · ポーランド人民共和国の文化が象徴されるものといえば、大行列です。 特に、食料・物資不足のために配給券(国営商店で買い物ができる券)が 導入された80 年代には、あらゆる所で大行列が見られました。店で物が無い

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ポー ランド 料 理 の 歴 史

ポ ー ラ ン ド の レ ス ト ラ ン

一 九 七 四 年

ことは人々をとても苦しめましたが、人民共和国の時代を懐かしく思う人もい ます。その時期のことが未だに冗談、逸話、デザインに反映されたりしていま す。実際、若いデザイナーは、その時代を象徴する物やスローガンをモチーフ として、使うことがよくあります。 · 1989 年に経済状況も変わりました。自由市場経済が導入され、国立工場の 民営化が始まり、商店、レストラン、ケータリングサービス企業が普及し始め ました。世界中の食品を簡単に輸入することができるようになったため外国 料理を提供する店が増え、特にイタリア料理、ファーストフード、ベトナム料理、 すし屋などの店が人気を得ました。 · 21世紀は、現代ポーランド料理が形成された時期となりました。以前は手 に入らなかった調理器具や食材などが利用できるようになると、それらを実 験的に使い試し、その後数年を経て、フュージョン料理やポーランド料理の 発展の時期がやってくることとなります。国内外で勉強してきた調理師達は皆、 伝統を活かしたオリジナルメニューを作り始めています。そして2013 年ワル シャワで、ヴォイチェフ・モデスト・アマロ Wojciecha Modesta Amaro が経営 するレストラン“Atelier Amaro”がポーランドで初のミシュランの星を獲得し ましたが、そのことはポーランド料理が急速に発展されたきっかけとなりまし た。また若い調理師や菓子職人達も負けてはいません。最新の流行に則った 美味しい料理で人々を魅了しています。 · 都会の街ではバーガー、テックスメックス料理、ディムサム(点心)、そして ベジタリアンやビーガン料理を提供するフード・トラックがみられ、また思い もよらぬ所に幾つものポップアップストアが出店したりもしています。 · 21世紀、飛躍的に発展したのはレストランと製菓業だけではありません。 社会全体そして食生活にも変化が起こり、ポーランド人は食事の質、栄養、 製造方法をより気遣うようになりました。フェスティバルの開催、自然食品の 物流に携わる購買グループや地元の食物を売る市場の出現など、様々な料 理に関するイニシアチブが推進されていきました。 · そして、ポーランド人は料理を作ることを大変好むようになっていったので す。全国で料理学校が創立されたこともその証拠です。料理への興味関心が 高まるにつれ、料理本やレシピを紹介するブログ、そして料理に関する知識を 普及させる様々な講習会も増えていきました。 · このような環境下で料理と芸術が融合するイニシアチブは誕生されていく のですが、ヴロツワフのファンデーション“Food Think Tank ”の料理に対す る独創的なアプローチはその一つの例といえるでしょう。調理師、陶芸家、科 学者、芸術家などの様々な分野の専門家が、色々なテーマに基づいて料理 と専門分野を融合させ作品を創り出す実験をしています。最近の一番新しい

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ポー ランド 料 理 の 歴 史

プロジェクトは、 「森」というセッティングで自然の要素と最新技術を融合 させ、最後は夕食会で締めくくるというものでした。 · 今日では、ポーランドの美しい自然を楽しみ、その遺産を堪能することはも ちろん、料理に興味を持つその観光客達には、料理ツアー、ポーランド料理の ワークショップ、ブドウ狩り、そしてイニシアチブを推進している様々な地域で の食事会やプライベートダイニングなどが待ち構えているのです。 •

「 森 」 の セ ッ テ ィ ン グ

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カー シャ、パ ン、穀 粉 加 工 食 品

カ ー シ ャ と 豆

· 現在のポーランドの領域に住んでいた人々の生活には、昔からカーシャ (穀物から表皮を除去し、そのままあるいは砕いたもの)が身近にありまし た。スープにとろみをつけるのに使われたり、食事の一部になったり、肉に添 えられたりしていました。スラブ人はよくキビを食べていましたが、現在、主に カーシャ・ヤグラナ kasza jaglana(表皮を除去したもの)の形で使用されて います。残念なことに16世紀からカーシャは洗練さに欠け、質素で、田舎くさ い食べ物と見なされるようになりました。そういうネガティブなイメージにもか かわらず、カーシャは富裕層の食卓から消えてはいかなかったのです。しかし ジャガイモ栽培が始まったことで、カーシャは需要が減っていきました。 · 現在、健康的な食物という理由でカーシャは再び食べられるようになって きています。黄色い粒が細かいカーシャ・ヤグラナは消化しやすくグルテンフ リーで、ウイルスに強くレシチンとビタミンEが豊富に含まれています。大麦の カーシャはより粒が大きく灰色をしており、ペンチャク pęczak(表皮が除去 された丸ごとの粒)とカーシャ・ペルウォヴァ kasza perłowa(粒を砕いた形) に分類されます。大麦のカーシャは主に食物繊維、葉酸、ビタミンB 源が豊富 で、含まれる成分には、循環機能を保持し、コレステロールの水準を低くする 働きがあります。 · 蕎麦のカーシャも美味しく健康にいいとされています。グルテンフリー、抗 酸化物質が豊富なたんぱく質の源で、味はカーシャ・ヤグラナや大麦のカー シャよりはっきりしています。カーシャ・マンナ kasza manna(細かい小麦の カーシャ)は昔人気でよく食べられ、ミルクと一緒に子供に与えられたり様々 なデザートの材料としても使われたりしていました。 · ポーランド北部のチシェビヤトゥフ市では夏にカーシャ祭りが行われてい ますが、これは次の話に由来し、この街の歴史と繋がっています。昔チシェ ビヤトゥフ市はグリフィツェ市と、バルト海に注ぐレガ川の航行権を巡る

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カ ー シャ、パ ン、穀 粉 加 工 食 品

プ ロ ン ド ニ ツ キ パ ン ︵ 一 九 三 七 年 ︶

紛争をしていました。レガ川を利用できれば、貿易も海での漁獲もできるため、 二つの街はしばしば互いに攻撃し合っていたのです。15世紀のある時、チシェ ビヤトゥフ市の塀を守る守衛が高さ14メートルの櫓を上っている時、偶然熱 いカーシャが入った入れ物を落としてしまいました。カーシャは壁にこっそり 近づいていたグリフィツェ市の兵士達に落ちたのです。火傷した兵士の叫び 声に、町中が目を覚ましました。敵は慌てて逃げ、その櫓は「カーシャの櫓」と 呼ばれるようになりました。 · カーシャの他に、数世紀も前から主食として食べられていたのはパンでし た。パンの歴史はとても古く、エジプト、メソポタミア、ギリシア、古代ローマな どで食されていました。ポーランド領域に住んでいたスラブ人は、ポッドプオ ミキという穀粉、水、塩、そして時々それらに香辛料と香草を加え、平らな形 のパンを焼いていました。現在のパンに近いものは中世時代に作られるよう になりました。パン文化は、13世紀の半ばクラクフで設立された最古のパン 職人ギルドはもちろん、修道院もその普及に貢献しましたが、それはキリスト 教ではパンはイエスの体、ワインはイエスの血の象徴であることに関係してい ます。 · 各地方にはそれぞれ独自の有名なパンがあります。ポーランド南部のプロ ンドニツキパン、これに関する最初の書記は1421年に遡ります。発酵生地(菌 と酵母を含む前回のパンを焼く時に使った生地の一部)を元にして作られる 黒く厚い皮の伝統的な黒パンです。ルブリンのツェブラジュ cebularz は玉ね ぎに塩、ケシの実、オイルを混ぜ、それを載せた平らなパンで、ルブリン周辺 のユダヤ人が19 世紀から作っていました。ポモルスキエ地方では、様々な種 類のプンペルニキエル pumpernikiel という蜂蜜を加えた黒パンが作られま した。ウッチ市の辺りでは、穀粉と蕎麦のカーシャを用いた蕎麦のパンが焼か れています。現在パン屋では多くの種類のパンが売られています。様々な料 理フェスティバルでも美味しいパンを味わうことができますし、家でパンを焼 くこともますます人気となってきています。 · パンは多くの料理に合う素晴らしい付け合せだけではなく、ポーランドの 伝統的な文化の重要な要素でもあります。昔からとても尊重され、いつも大 切に扱われていました。 · 昔はパンは切らずに、ちぎられていました。パンを分け合う行為が人間関 係を築きました。仲直りしようと差し出した手の中に一片のパンがあったなら ば、それはこの者を許すべきでした。幸福、豊富、そして神様からの贈り物を 象徴したため、捨てるわけにはいかなかったのです。パンは大切な行事にも 伴いました。スラブ人がコロヴァイ korowaj という植物や動物のモチーフで 飾られたパンを、結婚式のために作っていたのはその例です。その習慣は少

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様 々 な 種 類 の パ ン

し変わった形で(両親がパンと塩を持ち新郎新婦を迎えます)現在まで残っ ています。またパンは伝説や言い伝えによく出てきます。 · 昔グダニスクで飢饉が続いていた時のことですが、オリヴァの僧院(1188年 からオリヴァに位置する僧院、現グダニスクの地域)は貧乏な人に食べ物を 分けていました。そこへ地元の金持ちもパンを貰うつもりで列に並んだのです。 パンを受け取り満足した金持ちが、パンの入った袋を担いで家に向かった時、 ある貧乏な老人に遇いました。老人はよい香りのパンを少しでも分けて貰え るよう懇願しましたが、けちな金持ちは袋にはパンではなく石が入っていると 嘘をつきました。老人が去った後、卑劣な金持ちは罰が当たり担いだパンは 重い石に変わってしまったのでした。 · クリスマスイブに集まった人々が分け合う薄くて白いウエハースのような 物は、オプワテク opłatek と呼ばれパンの象徴とされています。 · クリスマスは家族みんなで過ごす大切な時間です。家族でクリスマスイブ の料理を作ります。イエスには12人の使徒がいたことから、伝統的にクリスマ スイブの夕食には12 種類の料理が出されます。 · 食卓のセッティングもとても重要です。イエスが馬小屋で生まれた事にち なんで、白いテーブルクロスの下に干し草を入れておき、また祖先の霊や不 意の客のために一人分多くセッティングしておきます。昔から、クリスマスイブ に一人ぼっちで過ごす人や貧しい人が家にやって来たら食卓に誘う習慣があっ たためです。 · 夕食は空に最初の星が現れた時に始まります。美味しい料理、森の香りが するモミの木、家族でクリスマス・キャロルを歌うこと、そして皆で12月24日 の真夜中に行われるパステルカ pasterka という特別なミサに行くこと、全て ポーランドのクリスマスの重要な要素となっています。 · パンに欠かすことができないのはバターです。バターと塩またはサワーク リームと砂糖を塗った焼きたてのパンのひと切れは、ポーランド人なら誰でも、 幼い頃を思い出す味なのです。 · 1970 年代二人のアメリカ人の医学史の研究者は、現在まで言い伝えられ ている次のような都市伝説を作り上げました。彼らは、パンにバターを塗る 習慣はポーランドで生まれ、ニコラウス・コペルニクス Mikołaj Kopernik (1473–1543)によってその革命的な発想は生み出されたというのです。コペ ルニクスは高名な天文学者、聖職者、医者、そして『天球の回転について』 の著者として知られており、天を観察する傍ら疫病の流行に関する研究も 行っていました。そこで、パンはばい菌の温床であることを発見しました。な ぜなら昔パンは長く保存されていて、地面に落ちたりする事があり、人間 に害を与えるばい菌がパンに付いてしまうためでした。ところが、パンにバ

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ピ エ ル ニ キ

ターを塗ると汚れがすぐ目立つようになり、人々が汚いパンを食べるのを避 けるようになりました。この事は、バターを塗ったパンがオルシュティンの街に 流行った疫病を治めることに貢献したというものでした。 · 様々なケーキもパンに由来しています。砂糖の普及につれ、菓子製造の技 術も発展していきました。元々スラブ人はデザートとしてドライフルーツ、クル ミ、蜂蜜の付けられた食べ物などを食べていました。その後古ポーランド料 理では、砂糖は香りを付けただけの物でもデザートとして扱われたり、またそ れを色々なジャムや砂糖漬けの柑橘類などに使用したりもしました。植物の 根から採れる調味料もデザートとされ(蜂蜜漬けのショウガ等)、よく食べら れていました。宴ではよくフランス風のタルト、バターケーキ、洋ナシやマルメ ロなどを使った様々な果物のケーキが出されたり、もっと珍しい物では例えば ザリガニやザワークラウトの入ったケーキが食べられていました。 · ポーランドのデザートの中で特に好まれていたのはポンチキ pączki(発酵 生地を球形にし、ラードで揚げ、粉砂糖またはアイシングをかけたもの)で、 古代ローマの時代に由来するとされています。ポーランドでは初め、パンと同 じ生地を用い、中にはサーロを詰め作られていました。恐らく、甘いポンチキ を食べる習慣は16世紀に誕生したのではないかと言われています。ポンチキ は「脂の木曜日」の習慣と強い繋がりがあります。 「脂の木曜日」とは、キリス ト教の最も重要な祝日である復活祭に先立つ四旬斎(懺悔したり、食事の品 目や量を節制したりする期間)の前の最後の木曜日です。次の一年に幸せと 幸運が訪れるためには、この日少なくとも一個のポンチキを食べるべきだと 伝えられています。 「脂の木曜日」にファヴォルキ faworki(「薪」とも呼ばれ たりします)という薄いリボン状の生地を揚げたものも食べられます。その由 来には、半人前の菓子職人がポンチキ用の生地の切れ端を、不注意で熱い油 に落としてしまってできたという説があります。 · ポーランドの東北部ではセンカチ sękacz という背の高い、こぶつきの木の 幹の形をしたケーキが人気です。その見た目も珍しいですが、火で炙って作 られるのもそうです。回転する金属の棒に少しずつ生地を流す作り方は手間 も時間もかかります。センカチは中世に、バルト海地域で生活していたヤジ ヴィン民族のレシピを元にして、初めてポーランドで作られたと言われてい ます。昔の言い伝えでは、センカチはジグムント2世アウグスト王 Zygmunt II August(1520–1572)の結婚式の披露宴に出されたといいます。 · 歴史が11世紀に遡る美しい町のカジミエシュ・ドルニでは、雄鶏の形をし たハッラーに似た甘いパンが売られています。伝説によると、昔カジミシュ・ド ルニの周辺では黒い雄鶏が飼育されていましたが、そこに悪魔が住み始めま した。悪魔はその飼育されていた黒い雄鶏が好きになり、あっという間にほ

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伝 統 的 な ス イ ー ツ と ケ ー キ

ぼ全ての鶏を食べてしまい、唯一残ったのは一羽の年取った賢い雄の鶏でし た。地元のレフォルマチの修道院の神父達はその鶏を救うために、悪魔の隠 れ場を清めました。悪魔は怯えて遠くに逃げ、もう町の人々を誘惑してこなく なったのでした。その後、生き残った鶏を記念に鶏の形をした甘いパンが焼 かれ始めたのです。現在でも地元のパン屋や菓子屋で買うことができます。カ ジミエシュ・ドルニは料理だけでなく、その周辺には多くの歴史的建造物(お 城、教会、井戸)、そして美しい黄土の渓谷があります。街では毎年、民族音 楽祭、映画祭、ユダヤ文化フェスティバルなどが行われています。 · カリシュ市で作られているアンドルティ・カリスキエ andruty kaliskie(薄く、 ぱりぱりとした食感のウエハース)も長い歴史を持つお菓子の一つで、1812年 の記述にその最初の名前が見られます。ぱりぱりとした甘いウエハースは、カ リシュの市立公園の周辺にある小さい屋台で売られていました。 · 伝統的なお菓子やケーキはよく食卓に出されますが、現代ポーランド料理 やフュージョン料理の精神をもった、特色のある新しい菓子も食べられていま す。数年前から職人菓子店が増えてきており、チョコレート、プラリネ、 マカロ ン、チョコレートクリームなどを作っています。珍しい味の組み合わせと凝った 包装から、お菓子はお土産に向いているといえます。そして店で展示されたオ リジナルなお菓子やデザートは、甘いもの好き達が訪れるのをいつも待って います。現代の料理法は、形や形式、名前の面白いアイディアを出したり工夫 したりしていて、例えばシャルロトカ szarlotka(リンゴのケーキ)で言うと、伝 統的な平たいケーキ、香りのよいプラリネ、 「ディコンストラクション」という 元の形を自由な発想で大胆に変えたもの、そして飲み物など様々な形で味わ うことができます。 · 夏になると、美味しい手作りのアイスクリームを無視することはできません。 多くの種類の中で、ポーランドで人気のあるイチゴ、ブルーベリー、セイヨウス グリ、クロスグリ、チェリーなどの果物の味は是非味わってみるべきでしょう。 · 穀粉を用いて作られたものはパンやお菓子だけではありません。クルス キ(丸く丸めて煮込んだもの)も作られており、昔はそれに付け合せを添え、 現在は多くの料理(特に肉料理)と一緒に食べられています。 · 昔、食事がもっと質素であった時、特に田舎ではクルスキに脂やスクファ ルキ skwarki( 脂の付いた豚の皮を炒めカリカリにしたもの)が添えられてい ました。 · 18 世紀にジャガイモの栽培が普及されるにつれ、クルスキを作るのにジャ ガイモまたは片栗粉が使われるようになりました。穴があいていることが特 徴であるクルスキ・シロンスキエ kluski śląskie は、最も知られているクルス キの一つです。シレジアのルーラード(肉料理の種類)と煮た赤キャベツと一

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現 代 の デ ザ ー ト

緒に食べられ、シレジア地方で日曜日や祝日によく作られる伝統的な昼食 の一つとなっています。クルスキ・シロンスキエについては、次のようなヴロツ ワフ市の伝説があります。昔、ヴロツワフ市の近くに最愛の妻を失った百姓が いました。その妻は頭も性格も良く、美しく、そして料理の才能で知られてい て、その辺りで最も美味しく優しい味のクルスキ・シロンスキエを作っていま した。彼女が亡くなった後、百姓はお祈りをするためにヴロツワフへ行きまし た。途中疲れたため、聖イジ協会の近くに座り居眠りをしていると、驚くべき 夢を見たのです。その夢の中では多くの天使達と霊がいて、皆嬉しそうな笑 顔をしていましたが、百姓の妻だけは夫の大きな悲しみや嘆きで安らぐこと ができていませんでした。妻は夫に悩みを捨てるように言い、慰めるためにク ルスキ・シロンスキエが入っている魔法の鍋を渡しました。鍋はクルスキを食 べてもまたいっぱいになる不思議な鍋でしたが、絶対最後まで食べてはなら ず、一つでもクルスキを必ず残すことを忘れてはなりませんでした。百姓は驚 き目を覚ますと、びっしょりと汗をかいていました。彼の前には魔法の鍋が 立っています。魅惑の香りと空腹でぼんやりとなり、妻が夢で言ったことを すっかり忘れクルスキを食べ始めました。最後の一個を食べようとした時、そ れは石に変わって飛び上がり、門にくっ付きました。その門はクルスキの門と 呼ばれるようになり、鍋は何時までも空っぽのままとなったのでした。 · 他に、特に子供達が好み人気のある食品は、生地に茹でたジャガイモと そして地方によってカッテージチーズも加えられた、クルスキ・レニヴェ kluski leniwe です。出し方も様々でバターで少し炒めたパン粉をかけたり、バター、 砂糖とシナモンをかけたりします。 · ポズナニは、ジャガイモとカーシャの代わりに食べられるピズィー pyzy で有 名です。生地にイーストを使い蒸したもので、焼いた鴨あるいはガチョウに よく合います。甘い果物やサワークリームと一緒に食べることもあります。現 代的なストリートフード・バージョンとしては、バオ・バンのような形をしてい ます。ポーランドの東部ではピズィーの中に様々な詰め物の入れた灰色のク ルスキが食べられています。その種類は、ジャガイモのピズィー、カルタチェ kartacze(ジャガイモかジャガイモと穀粉の生地に挽き肉、カッテージチーズ、 またはキノコが詰められたもの)などがあります。 · 中国から由来するピエロギ pierogi は、13世紀にはポーランドで食べられて いたと思われます。聖ヤツェク・オドロヴオンズ Jacek Odrowąż(1183–1257)が 初めてキエフからレシピを持ってきたとされています。伝説によると、聖ヤツェ ク・オドロヴオンズは1241年、タタールがクラクフを進入した時にそのレシピ を使い、自らで作ったピエロギを人々に配り、飢え死にから救ったと伝えられ ています。その時からピエロギ持ちの聖ヤツェクと呼ばれるようになりました。

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· 多くの種類のピエロギはルベルスキエ県で作られています。その中には香 辛料で味付けされたレッドキドニー、ソラマメとジャガイモ、ザワークラウトと キノコ、レンズマメ、蕎麦のカーシャ、そしてブルーベリーなど様々な味のピエ ロギがあります。別のピエロギの種類としてはコウドゥンというものがあり、刻 んだ牛肉と玉ねぎを詰めたものが一番よく知られています。このサイズの小さ いピエロギはよく中国料理のワンタンと同じように、ポーランドではバルシチ barszcz またロスウ rosół というスープに入れて食べられています。クリスマス イブ、ポーランド人はウシュカ uszka(小さい耳)という見た目が小さい耳のよ うでキノコが詰められた、小さいピエロギを食べます。 •

ウ シ カ 入 り の バ ル シ ュ チ

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タ ト ラ 山 脈


肉 、魚 、乳 製 品

ビ ゴ ス

· 肉製品は何世紀も前からポーランドの食卓で特別な位置を占めていまし た。オーブンやフライパンで焼いた肉、蒸した肉、燻製の肉などは食事の主 要な部分となっていました。多くの料理は長時間漬け汁に浸す調理法のお陰 で、風味豊かで奥深い味となります。 · 時代によって肉は簡単に手に入る物ではなかったため、祝日や重要な行事 に伴う料理だと思われていました。現在、ポーランド人が最もよく食べている のは豚肉です。牛肉、ウサギ肉、そして羊肉(特にポドハレ地方産)は値段が より高いため頻繁には食べられていませんが、美食家に高く評価されていま す。野性動物の肉も珍味とされています。昔、牛肉や野生動物の肉などの低 脂肪の肉は干し肉として利用されていました。燻製加工や酢漬けも食品が腐 るのを防いでいましたが、肉や魚の酢漬けは数世紀にかけて全く忘れられて いってしまいました。 · 現在のポーランド料理は肉製品を主材料としているので、よく知られ人 気のある多くの料理は肉を使っていることとなります。その中でも特別な 位置を占めているのは、ビゴス bigos というキャベツと肉を蒸した料理です。 古 ポーランド 料 理 のビゴスは作り方 が 少し異 なり、野 菜 が 加えられて おらず、酢 やレ モン 汁で 酢 漬 けされ た 細 切 れ の肉が 元となって いまし た。また魚、ザリガニ、野 生 動 物の肉のビゴスも作られていました。キャ ベツを用いるビゴスは、より安く作れる料理として現在まで残ってきまし た。ビゴスは酸味、甘味、塩辛味そして旨みを合わせています。その見た 目や構造も面白いです。主材料に加えられる食材は地方または家庭によ り、キノコ、ドライフルーツ、クルミ、蜂蜜、赤ワイン、カラメルなど多種あ り、ビゴスの特徴的な味を成しています。使用される肉はビゴスの味を決 定付ける大切なもので、牛肉、豚肉、そして様々なソーセージなども使われ ます。

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肉 、魚 、乳 製 品

ハ ム

ラ ー ド

そ の 他 の つ ま み ( ポ ー ラ ン ド の タ パ ス )

· 肉愛好家はポーランドの肉屋やレストランで、ハムやソーセージなどの肉 加工食品を手に入れることができます。伝統的なソーセージは豚肉で作られ ています。細い、ドライソーセージのカバノス kabanos、酸味と辛味の強い燻 製キンジュク kindziuk、もも肉でできているリシェツカソーセージ kiełbasa lisiecka、ミシリフスカソーセージ kiełbasa myśliwska、スーハクラコフスカ sucha krakowska などは特によく知られています。ジュレック żurek(ライ 麦粉のサワードウで作られた酸っぱいスープ)は復活祭の朝食によく出され る料理の一つですが、それには豚肉と牛肉でできた白ソーセージがよく合い ます。 · 香辛料やニンニクの香りが豊かなピアシュチャニスカソーセージ kiełbasa piaszczańska については、次のような言い伝えがあります。カジミェシュ・ヴィ エルキ王 Kazimierz Wielki(1310–1370)の時のことですが、ピヤスキ・ヴィ エルキェ市の人々はクラクフでのソーセージの販売を許可されていませんでし た。彼らがそのことを王様に言うと、ソーセージと気付かれずに町の門を通り 抜けられれば許可すると、王様は言いました。 · この賢い人々は、厚みのある棒に穴を開け、そこにソーセージを隠し、門を 越えたのです。このお陰でクラクフの市民も美味しいソーセージを味わうこと ができるようになったのでした。 · ポーランドソーセージの美味しさはアメリカ人も知っています。シカゴで人 気のあるホットドッグの中には、ケシの実が付いたホットドッグ用のパンにグ リルされたポーランドのソーセージ、玉ねぎ、 マスタードが挟まれた Maxwell Street Polish というものがあります。これは、シカゴの料理文化に70 年以上 も存在しています。 · またファーストフードにおいては、昔ポーランドの首都であったクラクフで 最初のハンバーガーのようなものが作られていた事を忘れてはなりません。そ れはマチャンカ・クラコフスカ maczanka krakowska と言い、豚の肩肉を炒 めた後、香辛料と玉ねぎを加えて蒸し、それを切った丸パンに挟み最後に炒 めた時の肉汁をかけます。この料理が最初にいつ出され始めたかはっきりは していませんが、馬車を走らせていた御者や大学生のお気に入りであったこと には間違いないでしょう。 · ソーセージの他に興味深いのはベーコンです。ベーコンはザピエカンカ、 肉巻き、スクランブルエッグなど多くの料理に欠かせないものとなっています。 ベーコンでできたスクファルキはピズィー、ピエロギ、クルスキにかけられます。 他には、煮たベーコンに香辛料、塩、ニンニクを加えて冷やし、薄く切って出さ れたりもします。ベーコンは燻製、フライパンで炒める、オーブンで焼く等様々 な調理法で利用できる食材です。

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復 活 祭 の ピ サ ン キ

· 他に伝統的な料理でよく使われているのは、サーロとラードです。ラードは フライパン焼きに使用するだけでなく、ペーストにも使われます。ペーストには サーロとベーコンでできたスクファルキ、そして塩と香辛料が加えられており、 パンに塗って食べます。香ばしい香りの焼きたてパンにいい香りのラードが塗 られ、薄く切った酢漬けのキュウリを載せれば、それは蒸留酒によく合う最高 の肴となります。 · ポーランド人は鶏や七面鳥などの家禽肉をよく食べます。最近は鴨やガ チョウはより高価で頻繁に食べられていませんが、昔ガチョウは人気があった ことや、ポーランド産の家禽類の肉は外国で評判が高いことにより、数年前 から再びガチョウの肉を食べる習慣が見直されてきました。 「聖マルチンの日 にガチョウ肉を」というプロジェクトが始められたのもそのためです。クヤフス コ・ポモルスキエ県にあるガチョウ肉料理ルートの枠組みで提携しているレス トランでは、ガチョウ肉の料理を味わうことができます。聖マルチンとはキリス ト教において子供、ホテル経営者、ブドウ園の所有者、粉屋の守護聖人で、よ くガチョウ、馬、水差しと一緒に描かれています。聖マルチンの日は独立記念 日と同じく11月11日です。ガチョウの肉は秋と冬に最も美味しく、人気のある 料理の中にはガチョウのオーブン焼き、ロスウ、パテ、プウゲンセク półgęsek (皮付きの胸肉をマリネし、燻製されたもの)があります。ポズナニでは聖マル チンの日にデニッシュ生地を用い、ケシの実、アーモンド、レーズン、クルミを 入れ、アイシングをかけて作られたとても美味しいクロワッサンが焼かれてい ます。 · 料理ではない話題ですが、ここで話をガチョウに戻します。昔ガチョウから 羽毛を「摘む」習慣がありました。取れた羽毛は布団や枕作りに利用されてお り、それらの布団一式は長い間嫁入り道具の一つとして使われていました。羽 毛摘みは冬に行われ、女性のみでお互いに協力し合いながらするものでした。 長く単調な作業が終わると、料理や飲み物が沢山用意された宴が朝まで開か れていました。 · 家禽類がポーランドで飼育されたのは食肉のためだけではありませんでし た。鶏、ガチョウ、アヒルの卵は多くの料理の重要な食材で、スクランブルエッ グやオムレツが作られたり、卵をつなぎとして使う料理に使用されました。 また多くの甘いケーキにも欠かせない材料でした。 · 卵 は 多くの 国 で は 春 、新 生、誕 生を 象 徴します が、ポーランドの 文 化においてもそうで す。またキリスト教 で 最も重 要 な祝日である復 活 際 の象 徴 でもあります。復活 祭は春 分 の日の 後 の 最初の満月の次の日 曜日に祝 われ 、家 族 で 過ご す 大 切な時です。その日の朝に行われるレ ズレクツィア rezurekcja という特別なミサの後、皆が集まり厳かな朝食と

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肉 、魚 、乳 製 品

バ ル ト 海

なりますが、そこでは様々な卵料理やハム、ジュレック(サワードウで作られ た酸っぱいスープ)が出されます。そしてアイシングがかけられたバプカ、ドラ イフルーツやナッツのケーキ、ジャム、ドゥルセ・デ・レチェまたはナッツクリー ムが入ったマズレック mazurek などの様々なケーキが、沢山並びます。朝食 の最初に、前日の土曜日に教会で清めた食品を分け合います。ポーランドで 食べ物を清める習慣は、13 世紀の終わりか14世紀の初めに始まりましたが、 第二次世界大戦後に流行った地方もあります。現在は聖大土曜日(復活祭 前日の土曜日)に卵、ハム、パン、ケーキ、塩、西洋ワサビなどが入った籠を 持って教会へ行き、清められた食品は日曜日に食べられます。復活祭で出てく る卵は全てが食べられるわけではありません。中にはピサンキ pisanki という 彩色や装飾を施されたゆで卵や、中身を取り出された卵の殻もあります。 · ポーランドでは肉の他にモツも利用されます。レバー、心臓、肺、腎臓、胃、 脳、舌は温かい料理でも冷たい料理でも出され、ハムの素材としても使われ ています。モツを用いた料理には牛タンのゼリー固め、カシャンカ kaszanka (血とカーシャで作られたソーセージ)、フラキ flaki(細く切った牛の胃が主 な材料となる濃いスープ)などがあります。 · ポーランド料理は、美味しい肉、ハム、卵だけが様々な形で出されるわけ ではありません。多くの河川や湖そしてバルト海では、昔から多種の魚を獲 ることができました。ポーランドの領域に住んでいたスラブ人はチョウザメを 好んで食べましたが、残念なことに現在バルト海のチョウザメは絶滅したと され、手に入れられるのは養殖の物か他の種類となってしまいました。海水 魚の中ではタラ、ニシン、フロンドラ flądra(ヒラメの一種)、スプラット、コモ ンソール、大ヒラメなどが人気です。 · タラは中世時代から人気があり評判が高い魚で、それは歯ごたえのある白 身とそして優しい味をしているからでした。焼く、炒める、茹でる、蒸すなどの 調理法があります。 · 次に重要な魚はニシンで、普段からよく食べられていますが祝日の料理にも 使われています。調理法としては、フライパンで焼いたり、オーブンで焼いたり、 煮ることもできます。生のニシンでは塩水、酢、油に漬けることができ、クリー ム、ヨーグルト、トマトなどのソースがよく付け合せのソースとなっています。こ れは酢漬けのキュウリと同様に、ウォッカの最高の肴となります。田舎では昔、 断食の終わりを知らせる象徴として木に魚を釘で止める習慣がありました。そ れは6週間近くも肉を威圧した魚に復讐する意味もあったと考えられています。 · 体が非対称という特徴を持つフロンドラも、バルト海で最も人気のある魚 の一つです。伝説によると、その醜い外見はフロンドラのうぬぼれのせいでし た。大昔、海の王になるコンクールが開催されることになり、ヘルとグダニスク

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ポー ランド 料 理 道

の間の距離を最も早く泳ぐ魚が海の王に選ばれることになりました。当時最 も美しい魚の一つであったフロンドラは、直ぐに泳ぎ出さず身だしなみを整 えるために沢山時間を費やしてしまい、当然コンクールでは勝つことができま せんでした。新しい海の王となったニシンを見たフロンドラは、あまりの怒り にしかめっ面をし、目をむき出し倒れ込んでしまいました。その時、体は左側 を下にして倒れ込み、それ以来その姿勢はずっと変わらず傾いたままになって しまったのです。しかしフロンドラはその見た目にも関わらずとても美味しく、 フライパン焼きとオーブン焼きがとてもよく合う魚です。 · 魚料理が特に盛んな地域はポモジェ地方とカシュビ地方で、数多くの料理 の中にはウナギ入りスクランブルエッグ、タラのレバー焼き、焼いたイクラなど があります。 · ポーランドの河川や湖も魚に恵まれています。ノーザンパイク、パイクパー チ、テンチ、ブリーム、ローチ、ヨーロピアンパーチ、 マス等の魚は肉を補う役 割をしています。観光地の湖の周りには燻製小屋や焼き魚の店があり、そこで 料理を注文したり、新鮮な魚や魚の加工品を手に入れることができます。引 き締まった美味しい身のホワイトフィッシュの薫製、優しい味のモトコクチマス、 そして脂の乗ったウナギは最高の前菜です。ブリーム、ローチ、ヨーロピアン パーチは塩や香辛料をかけフライパンで焼きますが、焼きたての身は弾力が あり、皮がさくさくでとても美味しいです。また焼いた魚を玉ねぎの入った酢に 漬ける調理法もあります。パイクパーチとテンチはフライパンで焼くと最も美 味しく、クリームまたはキノコのソースによく合います。マスはグリルしたり焼 いたりして、香草バターと一緒に出されます。 · ポーランド料理でよく使われているのは牛乳と乳製品です。昔ポーランドの 領域に住んでいたスラブ人は特に春と夏に牛乳、バター、クリームを料理に使 用していました。 · 独特の味がするズシャドゥエ・ムレコ zsiadłe mleko(牛乳を容器に入れ自 然に酸っぱくしたもの)も作られ、熱い夏に渇きを癒すための飲み物、料理 の付け合わせ、カッテージチーズ作りの材料として使われたりしていました。 · ポーランドはフランスやイタリアのようにチーズの国とはされていないにも 関わらず、最新の考古学研究の結果によると、チーズを作るために使われた 穴開きの陶器が、紀元前6千年の頃からクヤヴィ地方で使われていたというこ とです。 · チーズはポーランドの色々な地方で製造されています。ポドハレ(ポーラ ンド南部でタトラ山脈のふもとに広がる地方)ではブリンザ・ポドハラニスカ bryndza podhalańska とオスツィペック oscypek というチーズが有名で、二 つともEUの原産地名称保護制度に登録されています。ブリンザとは羊乳また

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肉 、魚 、乳 製 品

は牛乳と羊乳で作られた、味のはっきりした柔らかいカッテージチーズで、そ の最初の記録は16世紀の記述に遡ります。数世紀に渡る伝統を持つため多 くの調理方法があり、例えばピエロギ、クネデル knedle の中の詰め物として、 またはクルスキやクレープに使われたり、パンに塗られたり、オーブン焼きの 料理にも使用されたりします。 · オスツィペックは羊乳を用い手で作る燻製のチーズで、凝縮された味と塩 辛さが特徴です。そのまま食べたり、パンにのせたり、料理の付け合わせとし て、またグリルしたオスツィペックにクランベリージャムを載せれば、それはと ても美味しい前菜となります。オスツィペックの観光ルートの旅をすれば、更 に詳しくオスツィペックやその作り方についても知ることができるでしょう。 · ポーランドで最も人気のあるチーズの一つとして、軽い酸味のある粒々と した白いカッテージチーズがよく食べられています。蜂蜜をかけて甘くした り、塩やチャイブを加えて塩辛くしたりもします。ピエロギやクルスキの中身や ケーキの材料として、また復活祭のパスハ pascha(カッテージチーズ、卵黄、 ドライフルーツやナッツで作られるケーキ)、芳しい香りのチーズケーキ、チー ズパンには欠かせない物です。 · ポドラシェ地方のコリチン市では、低温殺菌処理していない牛乳を用いた セル・コリチンスキ ser koryciński が製造されています。直径が30センチの平 らにされた形のそのチーズは、17世紀から作られています。言い伝えによると、 クミアウカ川の合戦で戦った軍人の中にチーズ製造に詳しいスイス人がいま したが、彼はポーランド人のある地主に傷の手当や看病をしてもらった恩返し として、チーズの製造方法を教えたということでした。コリチンのチーズは様々 な使い方がありますが、新鮮なチーズはサラダや前菜に加えたり、他にはソー スやオーブン焼きの料理に使用したりもします。 · 数年前からポーランドではチーズ製造の文化が飛躍的に発展してきてい ます。昔から知られている種類の他に、驚くような珍しい味のものや、現代 ポーランド料理によく合う付け合せとしてのもの、また国産のワインによく合 う新しいチーズなど多くのチーズが製造されています。その他、チーズ製造者 の熱い情熱や信念によって生まれたこだわりのチーズメーカー、ヤギ乳チーズ のセリー・ウォムニツキエ Sery Łomnickie、 マリノヴァ・ザグロダ Malinowa Zagroda、ストヴァジシェニエ・マチェジャンカ Stowarzyszenie Macierzanka、 ゴスポダルストゥフォ・カッシュブスカ・コーザ Gospodarstwo Kaszubska Koza の様々なチーズやランチョ・フリンティエラのブルーチーズも味わうこと ができます。 · 乳製品の中では、バターと生クリームが重要な役割を果たしています。バ ターはフライパン焼きやオーブン焼き、ソース作りなどに利用され、生クリーム

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肉 、魚 、乳 製 品

はデザートにも料理にも使われています。またトマトスープ、キュウリスープ、ディ ルスープなど多くのポーランドのスープにも生クリームが加えられたり、肉・魚 料理のソースのベースにもなります。そして泡立てクリームとしてケーキを飾り、 ルルキ rurki(筒状の生地にクリームを詰めたもの)やプティシェ ptysie(シュー クリームのようなもの)の中身、デザートに広く使用されています。 · フリデリック・ショパン(1810–1849)は乳製品が好きでした。この才能あ る作曲 家の料理の好みはとても興 味深く、病弱でデリケートだったこと にも関 係 が あると 思 わ れ ます。外 国 旅 行 が 多か った ため 様々な 料 理 を味わい、フランスの一流レストランで食事をしていたにも関わらず、母国 ポーランドの食べ物や料理にいつも懐かしい思いを馳せていました。当時で は珍しいことに、ショパンは大人になってからもよく牛乳を飲んでいました。 カッテージチーズとライ麦粉のパンも好きでした。そして甘いものに目がなく、 チョコレート、ラズベリージャム、焼きたてのポンチキをよく食べていました。 •

様 々 な 種 類 の チ ー ズ

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チ ェ リ ー 園


野 菜 、豆 、キノコ、果 物

塩 漬 け の 食 品

· 野菜は、美味しく重要な素材として様々な料理に使われています。出汁を 作る際には、主に人参、パセリの根、セロリ、西洋ネギを用い凝縮した出汁を 取ります。ポーランド料理で特別な位置を占めているのはビーツですが、テン サイ(白カブ)からは砂糖が製造され、酢漬けの赤カブからはバルシチ・チェ ルヴォニ barszcz czerwony(温かくまたは冷たくして供される美しい深紅色 のスープ)が作られます。 · 最も古くから行われている野菜の保存方法の一つは塩漬けです。おそらく 昔のスラブ人もこの保存方法を知っていたとされています。塩漬けされたの は野生植物、キノコ、スイバ、コールラビやブロッコリーの葉、トマトなどです。 現在最も人気があるのはキュウリとキャベツで、キャベツの塩漬け(ザワーク ラウト)は、昔田舎で収穫期が終わった時期に家族や近所の人々が集まって 皆で作っていました。キャベツは大きな木製の樽で漬けられ、まずキャベツ を洗って外側の葉を取り、次にキャベツを半分に切って硬い芯を取り除き、最 後に細かく刻んで塩をかけます。味を豊かにするには、クミンの種、胡椒、西 洋ワサビ、人参、リンゴ、樫やチェリーの葉が使用されていました。材料を順 に重ねて漬けていき、汁が出るまでかき混ぜます。最初の一週間、発酵を促 すためにキャベツの入った樽は暖かい場所に置かれ、その後は地下室などの 涼しい場所に移されました。ザワークラウトを作る人々は、作業の時には歌を 歌ったりして楽しく過ごしました。出来上がったものは、スープや料理に使わ れたり、前菜として出されました。 · キュウリは、塩水に漬けて作られるのがキャベツと違う点ですが、西洋ワ サビ、ニンニク、様々な葉などがその味を豊かにするのはキャベツと同じで す。地方によっては、キュウリと水でヒタヒタに満たした樽を密閉し、井戸また は池に沈めていました。こうすることで別格の味になると思われていたのです。 酸味は何世紀も前から、ポーランドにおいては、社会的にも重要な意味を持っ

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野 菜 、豆 、キノコ 、果 物

ポ ル チ ー ニ

ていました。昔の迷信では、妊婦が酸味の強い物が食べたくなった場合は男 の子が生まれると信じられ、甘い物を好んだ場合は女の子が生まれると言わ れていました。また、赤ちゃんの性別を示すのは食べ物に対する好みだけで はありません。妊婦が特に綺麗に美しく見えた場合も男の子が生まれると言 われ、女の子は母の美しさを奪うという昔の言い伝え通り、妊婦の顔色が悪 く見えると女の子だと思われました。 · 健康志向や最新の流行りの料理傾向により、塩漬けの食品は再び人気と なっています。多くの研究では、塩漬けの食品はビタミンやミネラルが多く含 まれ、消化を助け、免疫力を高めるという結果が出ています。その上、低カロ リーな食品でもあります。 · ポーランド人は新しい味を探し世界中の食べ物を試していますが、発酵食 品を好む人々はザワークラウトや塩漬けのキュウリの他にキムチや日本の漬 物を食べたりもしています。 · 現在ポーランドで最も人気のある野菜の一つは南米を原産とするジャガイ モです。ポーランドにはヤン3世ソビェスキ王 Jana III Sobieski(1629–1696) によって取り入れられましたが、続く支配者達や朝廷にも好まれたため、栽 培や輸入もされるようになっていきました。大規模な栽培は18 世紀の半ばに 始まり19世紀には一般に食べられるようになりましたが、食卓に出されるよう になる前には、エキゾチックな飾りの植物として植物園で栽培されていました。 国民的詩人であるアダム・ミツキェヴィチ Adam Mickiewicz(1789–1855)は “ Kartof la”というジャガイモについての未完成の擬似 英 雄 詩を残してい ます。 · ジャガイモが食べられる物だと気付いたのは偶然の発見だったという話が あります。王様はある不思議な植物の株を国に持ってくると直ぐ、庭師にそれ を植えるよう命令しました。しばらくして、ついに地面から目立ちもしない小 さな植物が生えてきました。そして花も実も食べられなかったので王様は怒り、 すべてのジャガイモを抜き燃やすように命令しました。株までも火に投げ込ま れたのです。翌日、誰かが灰から焼いたジャガイモを取り出し、半分に割って 食べてみました。するととても美味しいだと分かりました。 · 現在、灰で焼いたジャガイモは火で炙るソーセージと共に、遠足やピクニッ クの時によく食べられ、人気のある料理となっています。 · 見た目は地味なジャガイモですが、種類が多いため様々な調理方法があり ます。焼いたジャガイモ、茹でたジャガイモは料理として食卓に出されたり、ま た他の料理を作る際に食材として使ったりもします。野菜は各地方で違う呼び 名を持っていたりしますが、ジャガイモの呼び方は他の野菜とは比べ物になら ない程数多くあります。

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ポー ランド 料 理 道

· 各地方ではジャガイモを用いた興味深い料理を味わうことができます。 ポーランドの東北部では、摩り下ろしたジャガイモとベーコンを焼いたバブ カ・ジェムニャチャナ babka ziemniaczana が人気です。シレジア地方では、 生地に生のジャガイモを使った穴の開いた白いクルスキ・シロンスキエと黒い クルスキが食べられています。ポドハレ地方では茹でて潰したジャガイモを用 い、モスコレ moskole という型で焼くジャガイモのパンケーキが出され、こ れにはバター、ブリンザ、ザワークラウト、キノコ、肉ソースがよく合いとても 美味しい料理です。 · ジャガイモと同じようにアメリカから渡来し、最近調理師や美食家に再 び見直されてきた野菜はキクイモというキク科の植物です。ポーランドでは 1730 年から栽培されましたが、ジャガイモのように人気が出ませんでした。現 在は、ナッツの味が軽く感じられる面白い味と健康に良い野菜とのことで、注 目を浴びてきています。キクイモの株は鉄やカリウムが多く含まれ、糖尿病、 循環器系、貧血症などの患者に勧められています。 · 豆は数百年に渡り重要なたんぱく質源でした。昔のスラブ人はソラ豆、レン ズ豆、エンドウ豆などを知っていました。ヨーロッパではインゲン豆の大規模 な栽培は16世紀です。豆は様々なスープ、ファルス、サラダに使うこともあれば、 単独の料理にもなります。トマトソースを用いソーセージを加えたベイクドビー ンズという、トロッとした食感の料理はその例です。現在は菜食主義が普及し ているため、現代料理では新グリーンピース、ソラ豆、インゲン豆などで作ら れたサンドイッチ用のペーストも作られています。 · 現在ポーランドでは多くの種類の野菜が栽培されています。店や市場で は、トマト、ブロッコリー、カリフラワー、ナス、ズッキーニ、キャベツ、ピーマン、 カボチャ、ケール、多種のレタスなどを見つけることができ、柑橘類、アボカド、 アジアの多種の野菜・果物・香辛料など世界中の物も簡単に手に入れられ ます。様々な食材が現代ポーランド料理、フュージョン料理、ベジタリアンや ビーガン料理に用いられていますが、特にベジタリアンやビーガン料理は飛 躍的に発展してきています。都会ではビーガン料理を提供する店が多くあり、 サンドイッチ用のペースト、そしてその他の野菜・果物加工品を販売する業 者も増えてきています。 · 何世紀も前からポーランドの領域に住んでいた人々は、採取された食物で 食事を補っていました。森では野生動物の捕獲、ベリーなどの果物採取、そし て特にキノコの採取はポーランドで人気がありました。キノコ狩りのシーズン は、アンズタケが発生する6月から始まります。黄色い芳しい香りのアンズタケ は、前菜やメインの付け合せとして出されています。キノコ狩りに適した天気 (雨が多く気温は低くない)だと、沢山のキノコを採ることができ、そして採っ

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野 菜 、豆 、キノコ 、果 物

たキノコは直ぐに調理したり、酢漬けにしたり、乾燥させたりします。ポーラン ドではキノコについては、堅さや味、そして香りが高く評価されます。キノコは 肉(特に野生動物の肉)や魚料理にとてもよく合い、キノコのスープも美味し く作れます。美食家が特に好むのは、ポルチーニ、アワタケ、アカハツタケ、そ して表面がつるっとしていることに興味をそそられるヌメリイグチです。しかし、 キノコを採るには十分な知識や技能が必要とされます。 · ポーランドの景色は畑、草地、果樹園で織り成されています。各季節はそ れぞれの魅力があり、春は木が白い花やピンクの花に飾られ、夏は緑が鮮や かで麦が金色に染まります。秋は収穫の季節で熟したリンゴ、洋ナシ、プラム、 そして色を変えた葉の隙間からはブドウの姿を見ることができるでしょう。冬 はふわふわの雪に覆われた白い世界が、静寂をもたらします。 · 朝靄に包まれたリンゴの花はとても魅力的です。瑞々しい果実、そしてその 重みで枝が下がるのもまた美しい姿です。リンゴはポーランドの料理や文化 において、特別な位置を占めていました。リンゴの種類は大変多く、瑞々しい、 甘い、酸っぱいものの他にもジュースやシードル造りのためのものや、料理や ケーキに使われたりするものもあります。ポーランドは最も多くリンゴを輸出 する国の一つです。 · リンゴの果実と木は、ポーランドと強く繋がっています。数世紀に渡り偉大 な詩人たちはリンゴについての作品を書いてきました。リンゴのモチーフはル ネサンス時代の詩人ヤン・コハノフスキ Jan Kochanowski(1530–1584)、ノー ベル文学賞の受賞者チェスワフ・ミウォシュ Czesław Miłosz(1904–2004)、 ヴィスワヴァ・シンボルスカ Wisława Szymborska(1923–2012)の作品の中 に見つけることができます。 · 民族文化のなかではリンゴは良い意味も悪い意味も持っています。キリ スト教では、聖書の中でイブはアダムに禁断の果実であるリンゴを食べさせ たせいで人間がエデンの園から追放されたので、罪と神への不従順が連想さ れていました。しかしリンゴには、良い意味もあります。リンゴの花は愛の象 徴でよく女性の美しさの喩えにされていました。ある地方ではとても尊ばれ たため、土足で木に上ることは禁止されていました。またリンゴの木を切ると、 罰当たりで死ぬ恐れがあると信じられていたり、リンゴの実は愛、幸福、健康 を招くとされクリスマスにモミの木に飾られたりしていました。ヨーロッパでは 王様が王権の象徴として、王冠やしゃくと共にリンゴと呼ばれる十字架が付い た金の宝珠を持っていました。 · ポーランドの領域に住んでいたスラブ人は、リンゴを愛の果実とみなして 恋のおまじないに使ったり、結婚式の最中、新郎新婦が迎える初夜の直前に 食べさせたりしていました。

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野 菜 、豆 、キノコ 、果 物

リ ン ゴ の 花

· リンゴの木は4月と5月に咲き、花は5 枚の花弁を持った薄いピンクの色で 優しい香りがします。花は食用で柔らかい味をしていて、飾りとして使ったり 乾燥したものをフルーツティーにしたりできます。リンゴの葉は、自然療法で は抗炎症や抗菌の煎じ出しに利用されています。もちろんリンゴの果実は最 もよく食べられており、食事の間の健康的な軽食として、あるいはケーキやデ ザート、肉や魚にも加えられたりします。低温殺菌された新鮮なジュースは、 喉の渇きをよく癒し、色々な健康によい性質を持っています。またリンゴは保 存がしやすいため、一年中用いることができます。 · 秋の果物では、西洋梨も人気です。ポーランドの領域では昔から知られ好 まれていました。洋梨はよく畑の近くに植えられ、大きく広がる枝が日陰を作 り、夏の強い太陽から隠れられる場所を作り出していました。 · 家 の そ ばの 洋 梨 の 木 が 一 年 に 二 回 咲くことが あ ると、最 初 にそ の ことを気付いた人に近いうち死が訪れるという凶兆だと思われていまし た。キリスト教 文化の普及により、13 世紀から西洋 梨は人間に対する神 の愛情や 母 親の愛の象徴となりました。洋 梨はドライフルーツにされた り、コンポートが作られたり、デザートに使用されたりしていました。また ケーキの材料だけでなく、肉料理にも用いられていました。19 世紀には蜂 蜜付けの洋 梨のドライフルーツがウォッカの肴に薦められたりしていま した。 · 伝説によると、ウォンツク市の教区司祭は罪を犯した信者にリンゴの木を植 えるように言い付け、セフナ市の司祭はプラムの木を植えさせていました。機 転の利く住民たちは直ぐにプラムを使ってシリヴォヴィツァ śliwowica という 強い酒を造るようになりました。司祭は頭を使い、信者がプラムを全部酒に 使わないよう、燻製にすることを薦めました。こうしてデザート、コンポート、肉、 オートミール、粥などに用いられる美味しく良い香りの燻製プラムを作る習慣 が誕生しました。中でも、シドウォフ市の燻製プラムも珍しい味をしています。 · 生のプラムからはジャムやジュースが作られたり、またデザートやケーキ に使っても美味しいです。ポーランド名物として知られているのはシリフ キ・ヴ・チェコラージェ śliwki w czekoladzie(ドライプラムをチョコレートで コーティングしたもの)です。 · 6月はポーランドでイチゴの月です。現在知られているイチゴはバージニア イチゴとチリイチゴの交雑によって作られました。チリイチゴはチリとペルー に派遣されたフランス人のスパイ、アメデエ・フランソワ・フレジールによって 1714 年にヨーロッパに取り入れられました。 · 特に評価が高い品種はポーランド北部のカシューブ地方のイチゴで、遅く 実をつけサイズは小さいですが、とても甘く良い香りをしています。

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野 菜 、豆 、キノコ 、果 物

ナ レ フ カ ・ ゴ ー ル ド ワ ッ サ ー

· イチゴは味、見た目、そして栄養価によりケーキ、コンポート、様々なデ ザートとして食べられ、6月で一番人気のある食べ物の一つです。またジャムや ジュースなどに加工されることで、秋や冬でも夏の雰囲気を感じさせてく れます。 · その他の赤い色で旬が 6月の果物は、ラズベリー(木いちご)です。中世、 修道士達によって修道院の庭園で栽培され始めました。伝統的な民間医療で は、ラズベリーから作られるジュースは消化不良、風邪、免疫力を高めるもの として使われていました。 · ラズベリーは美しい赤と魅惑的な香りを持つため、恋やエロティズムを思 わせる果物となりました。ポーランドの詩ではラズベリーの果実や木は恋人 達の場面によく登場します。女性の美しさや唇の甘さはラズベリーに喩えられ ています。ラズベリーの木は棘を持つにも関わらず、人々がその果実を採るの をやめないことから、ラズベリーは秘密、そして近づきにくいにもかかわらず、 誘惑するものの象徴となりました。 · ポーランド人の詩人ボレスワフ・レシミアン Bolesław Leśmian(1877–1937) の作品にはラズベリーのモチーフがよく出てきます。 · ラズベリーはジャムやジュースなどに利用され、ケーキや冷たいデザートの 味を豊かにします。ラズベリーの菓子パンやラズベリーのムースがかけられた チーズケーキは、ポーランドの夏の記憶を刻むような味です。その他料理の付 け合せとしても使用されたり、またラズベリーソースはワインを用いたソースの 代わりに使われたりしています。 · ポーランドは数年前からイチゴとラズベリーの原産地として有名になってき ています。その他の夏の果物には、ブラックベリー、サクランボ、チェリー、フサ スグリ、西洋スグリ、ブルーベリーなどがあり、イチゴと同じように利用されて います。また、プラムや西洋梨などの果物は酢を元にした甘酸っぱいマリネ液 に漬け、保存ができます。 •

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野 菜 、豆 、キノコ 、果 物

ボ レスワ フ・レ シミア ン 木 いちごの 繁 みで

• 木いちごの繁みで、知りたがりの人目を逃れて、 頭まですっぽり隠れて、長い時間を、 ふたりは、前夜のうちに熟した木いちごを摘んで過ごした。 きみの指は溢れる果汁のままに真っ赤に染まった。 不機嫌な虻が花たちを脅すように低い羽音を響かせ、 病んだ葉がさび色の瘤を日の光に暖め、 破れて垂れ下がる蜘蛛の巣が光り、 毛むくじゃらの甲虫があお向けのまま後ずさりする。 ささやきながらきみが摘んだ木いちごの香りでむせ返るよう、 その香りのなかで、ささやき交わすふたりがふと静かになるのは、 差し出されたきみの手のひらからぼくが唇で きみのからだの匂いでいっぱいの果実をくわえとるとき。 ラ ズ ベ リ ー ( 木 い ち ご ) ︑ 一 八 八 五 年

こうして木いちごが愛撫の道具になったのだ、 このはじめての、この驚きにみちた触れあい、 それは、この世界でそれ以外に経験したことのない陶酔、 その驚きを味わうためにいつまでも繰り返していたくなるような。 どうしてそうなったのか、ぼくにはわからない、 一瞬のうちに、きみが唇で汗ばんだぼくの額に触れ、 ぼくはきみの手をつかんだ――きみは息をとめて手をゆだねた。 木いちごの繁みがふたりのまわりにどこまでも続いていた。 ――― 翻訳 小山哲

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冬 ︵ ボ リ ム ヴ 景 観 公 園 ︶


香 辛 料 、香 草 、料 理 の 付 け 合 せ

伝 統 的 な 調 味 料 と 付 け 合 わ せ

· ポーランド料理によく使われる調味料は塩で、昔最も主要な保存料の一つ として利用されていました。ポーランドでは、岩塩の鉱床は西部、中部と南部 にあります。一番有名な岩塩鉱はヴィエリチカに位置し、20世紀の70 年代から ポーランド遺産、そして1978 年から世界遺産として登録されています。 · 伝説によると、ヴィエリチカ周辺の塩が発見されたのはポーランド支配者 のボレスワフ・フスティドリヴィ Bolesław Wstydliwy(1226–1279)の妻となっ たハンガリーの王女、聖キンガ Kinga(1254–1292)のおかげだったようです。 旅行中の聖キンガは現在岩塩鉱がある所で夜を過ごすことにし、すぐ眠りに 落ちましたが、振動で目が覚めたのです。直ぐに召使いに穴を掘らせると、見 つかったのは塩でした。聖キンガは結婚の贈り物として自分の新しい国、ポー ランドに塩を捧げることにしました。 · 塩は昔、とても高価なものでしたが、現在は安く誰でも手に入れられるよう になり、ポーランド料理に塩がないことは想像しがたいほど一般的に使われて います。塩漬け、パン、肉・魚料理に欠かせない材料です。様々な儀式にも重 要な役割を果たしていました。悪霊から守ったり清めたりすると信じられてい たため、人生の重要な出来事に登場することも度々あり、赤ちゃんの産湯に入 れたり、結婚式で新郎新婦を迎える際、故人が見送られる際も使用されまし た。お守りとして持つ塩は、安全の確保や家と家畜を火事から守り、もしこぼ すと喧嘩の兆しとされました。 · 昔のスラブ人にとっては、ニンニクも欠かせない物でした。調味料だけでな く薬として扱われていたり、また魔法の力があり悪霊や鬼、特に吸血鬼を追い 払う効能を持つと思われ、大切にされていました。 · その他に、現在まで料理の付け合せとして用いられ続けている人気の食 物は西洋ワサビです。西洋ワサビの葉はパンを焼く時に使われ、またバター

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ポー ランド 料 理 道

が腐らないようにその塊を西洋ワサビの葉に包み保管していました。根は日 本のワサビに似ていて辛く、料理の味付けとして使われていました。 · 料理の味付けとしてよく使われていたものは西洋ネズの松かさ、タイム、カ ラシナ、ディル、ミントなどで、酢も度々加えられていました。 · ラベージも好まれていました。ポーランド語では“ lubczyk ”といい、 「好き である」という意味の“ lubić”という言葉に由来しています。ラベージは、恋や 幸せな結婚生活をもたらすと信じられていたため、若い女性はリースに絡ま せてかぶっていました。またラベージで味付けした料理を何度も相手に食べ させると、その人の気持ちが変わらないという効き目があるともされていまし た。料理にはラベージの葉(生か乾燥されたもの)と、セロリに似た味の根が 利用されます。 · スラブ人にとって西洋ネズも特別な意味を持っていました。悪霊を追い払う 力がある有益植物だと思われていました。西洋ネズの燃えた煙は病気から守 ると信じられ、おそらくこのことからからハムの燻製に使われるようになった のでしょう。人を疫病から守るなら、肉も腐敗から防ぐと信じられました。ま た西洋ネズの松かさでは、ジュース、ジャム、ウォッカ、そして西洋ネズのビー ルが作られ人気がありました。 · 古ポーランド料理は海外の香辛料の香りがしました。特に多くのヨーロッ パの国と同様に、料理を金色に染めるサフランは好まれました。金持ちは胡 椒、カルダモン、シナモン、ショウガ、丁子、バニラ、ナツメグ、アニスを好んでよ く使っていました。酸味は酢だけでなく、柑橘類の汁を使ったりして作り、また 砂糖は香辛料の一種だと思われていました。 · 現代の調理師達は世界中の香辛料を利用しています。民族料理を元にして フュージョン料理を作り、そしてそれらがポーランド人の口に合うよう工夫をし ています。都会ではラーメン、すし、テンシン、パッタイのオリジナルバージョン を味わうことができ、昔の時代の香辛料やその他の材料を用いる現代ポーラ ンド料理も流行っています。 · 香辛料の他には、植物油などの材料が使われていました。麻は人間が最 も古くから植えていた植物の一つです。小説家のマリア・コノプニツカ Maria Konopnicka(1842–1919)は麻の由来についての童話を書きました。昔々金 以外の物は何でも持っていた王様がいました。ある日旅をしている商人達に 出会い、その中の年上の商人が王様に種を渡し、その種から金が生えると言 いました。王様は貰った種を畑に撒かせ、どうなるかと待っていましたが、生 えてきたのは貴重な金ではなく、目立ちもしない植物が現れたのです。王様 は怒り、生えた植物を抜き捨てるよう命令しました。召使いは王様を騙した 商人を探しましたが、商人は自ら朝廷にやって来て、牢に入られました。そして

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香 辛 料 、香 草 、料 理 の 付 け 合 せ

生えた植物の茎を渡すように頼むと、看守の娘の手を借り、二ヵ月後には美し い布を作り上げ、王様の娘に結婚式の贈り物として差し上げることにしました。 王様はこの麻の布を見て、金より貴重な贈り物だということに気付かされたの でした。 · ポーランドの麻の布は洋服、寝具、テーブルクロス、テーブルナプキンを 作るのにとても適しています。また麻は料理にも広く利用されており、種をパ ンに加えたり、冷たい料理(魚など)やサラダによく合う濃厚な香りと味の亜 麻仁油も種から絞られています。健康にとても良いためスーパーフードとされ、 亜麻仁油に含まれる成分、特にオメガ3脂肪酸とリグナンは抗癌作用、ホルモ ン調節作用、またフリーラジカルをなくす効果があります。 · 濃いグレー色をした小さなケシの実は、多くのケーキやパンなどに使用さ れています。昔から食べると大勢の子孫に恵まれると言われ、クリスマスイブ の時の料理によく使われています。東部の国境地帯で作られる、小麦、ケシの 実、麦芽、クルミ、ドライフルーツを使ったクティア kutia という甘い料理、ケ シの実を混ぜ込んだクルスキ、酵母を使った生地にケシの実、ドライフルーツ、 クルミのマースを詰めたルーラードの形のマコヴィエツ makowiec というケー キ、これらにはケシの実が欠かせません。 · ケシの 実 は パンや 丸 パンに か け たり、現 代 料 理 で は 蜂 蜜と一 緒 に カッテージチーズに添えて出されたりします。またケシの実からは軽いサラダ やソース、デザートにもよく合う油が絞られています。 · しかし、ポーランドで最もよく使われる植物油は菜種油です。デリケートな 黄色い花の菜はポーランドの領土で16世紀から植えられていて、菜種油もそ の時から絞られていました。断食の時に魚料理にバターの代わりに菜種油が 使われていた地方もありました。現在、ニシンとサラダなどの冷たい料理にも 使用されています。ヒマワリ油もよく使われています。 · アーモンド、クルミ、ハシバミの実は、ドライフルーツとケシの実並びにケー キの重要な材料です。ケーキを飾ったり、甘い詰め物に加えたり、チーズの付 け合わせとして利用されています。ヒマワリやカボチャの種と共に様々なペー ストの元となるため、特にベジタリアンやベーガンの料理に重要です。 · ポーランドの領域では何世紀も前から蜂蜜製造が重大な役割を果たし ていました。蜜蜂が昔から飼われていたことを証明する最も古い養蜂の遺 跡は、2 千年も前のものです。15世紀からは家のそばにも蜜蜂の巣箱を建て るようになりました。昔、蜜蜂はこの世とあの世の境に生きる神聖な存在とさ れていました。そして、動物の中で蜜蜂だけが人間のように魂を持つと信じら れていました。蜜蜂の群れは勤勉さや賢明さを象徴し、多くの言い伝えでは 蜜蜂は貧しい人や酷い目に合った人の手助けをしました。

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香 辛 料 、香 草 、料 理 の 付 け 合 せ

· 大 切 に されて い た 蜜 蜂 が 作 る 蜂 蜜 は 、同じく大 切 に 貴 重 に 扱 わ れ、自然療法で利用されていました。冒険者の多くが中世のポーランドを、 「蜂蜜や牛乳が流れる国」と記述し紹介していました。現在でも、大変美味し いものまた世界で最も素晴らしいもののことを「蜂蜜ラズベリー」という言い 回しがあります。 · 蜂蜜は広く料理に使われています。ケーキ作り、サンドイッチに塗ったり、甘 い料理に加えたり、肉にかけたり、酒を造ったりもしています。ポーランド では、ピエルニキ pierniki(ジンジャーブレッド)が作られる前、ミョドヴニク miodownik という特殊なケーキを作るスラブ人の習慣がありました。生地は 娘が生まれた時に準備し、涼しい地下室に何年間も置き熟成させられ、そし て娘の結婚の祝いの時に焼かれていました。そのため、昔は「婚礼のパン」と 呼ばれていました。現在のミョドヴニクは形が変わり、生地にプディングまた はジャム、そしてカーシャマンナのマースを挟み上に蜂蜜漬けのクルミを飾り ます。 · ポーランドでは多くの種類の蜂蜜が製造されています。その中でも、様々 な花のブレンドとシナノキの花の蜂蜜は最も人気があります。蕎麦の蜂蜜は 味と香りが強く、ヘザーの蜂蜜は琥珀のような美しい色をし、甘さが少なく強 い味が特徴です。クローバーの蜂蜜は酸味があり、糖液の蜂蜜はたんぱく質 がたっぷり入っています。 · 蜜蜂と関連のある物には、ろうそくの製造に使われる蜜蝋、製薬や化粧品 製造に用いられるプロポリスや花粉があります。 •

コ ー ム ハ ニ ー

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ポ ー ラ ン ド の シ ー ド ル


アルコール

職 人 が 作 っ た こ だ わ り の ビ ー ル

· アルコールはポーランドの文化や料理において重要な存在です。多くの伝 統的な行事には欠かせないものであり、また消毒や薬とされることもありまし た(特にアルコール分の高い物)。 · 多種のアルコールの中で興味深いのはビールです。ビールはスラブ人の間 では、昔から一般的によく知られていました。ビールの醸造技術は中世に大 きく発展し、修道院の文化とも強く繋がっています。水の質があまり良くな かったため、軽いアルコールは階級や身分を問わず誰でも飲んでいました。 ビールは修道院の他に町の醸造所、大邸宅、また一般家庭でも作られていま した。ビールの高い人気は18世紀まで続き、その後ウォッカに道を譲りました。 · 史料では様々な酒の記 録が残されていますが、その中にグロジスクの ビール、ビドゴシチのビール、秘密の緑色のビウゴライのビールなどの記述が あります。グロジスクのビールはヨーロッパで最も古いビールの一つで、1301年 から醸造されていたようです。ポーランドでは18世紀に全国で有名となり、特 殊な味と香りのビールとして知られていました。質の高いものはお金が掛かる と言われるように、このグロジスクのビールも数百年の間最も値段の高いビー ルの一つとなっていました。この事については、イギリス人でビールとウイスキ ーの専門家として有名なマイケル・ジャクソン(1942–2007)の本でも取り上げ られています。 · ビドゴシチのビールは15世紀に質の高いビールとして高く評価され、ポーラ ンド国王を始め限られた人しか手に入れることができませんでした。 · ビウゴライ市では不思議な緑色のビールについての小話が残されています。 このビールは発泡性の綺麗な色のビールで、ポーランドの各地方で知られてい ましたが、外国からの製品が流行り、ビウゴライの住民は地元のビールを忘れ るほど他の酒を飲むようになりました。その後、需要もなくなり醸造も止まりま した。時が経ち、昔のビールの味が懐かしくなりましたが、残念なことに既に

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アルコ ール

オ ル シ ュ テ ィ ン の レ シ ニ ・ ザ メ チ ェ ク ビ ー ル 工 場 ︑ パ ヴ ェ ウ ・ ブ ワ ジ ェ ヴ ィ チ の コ レ ク シ ョ ン よ り

緑色のビールはもう手に入ることができず、レシピさえ不明となってしまった のでした。 · 数年前からビールへの関心が高まりつつあります。世界中の傾向と同様に、 ポーランドでも地ビールやこだわりの製法で作られたビールなどがますます人 気となり、ビールの種類に料理を合わせることや家でビールを造ることも流 行っています。都会では世界中のビールを飲むことができ、そしてそれらに合 う軽食を食べられる、ビール愛好家向けのビール専門店が出来始めています。 · 蜂蜜を原料とした酒の製造法の伝統も古く、中世に遡ります。蜂蜜酒は水 割りの蜂蜜(通常はシナノキの蜂蜜)を発酵させ作られています。水(または ジュース)に対する蜂蜜の割合により、プゥトラク półtorak(蜂蜜一に対し水 半分)という9 -10 年間も熟成させた蜂蜜酒の中で最も高貴な物、ドゥヴイニャ ク dwójniak という約4 年間熟成させた甘口の物、トゥルイニャク trójniak とい う通常一年間熟成させたやや辛口の物、そしてチフルニャク czwórniak という 6ヶ月で飲める辛口の物、この4つの種類に分けられています。 · 蜂蜜酒は加えられた果物、香辛料、香草などがうまく溶け合い、それぞれの 味や香りを感じ味わうことができます。飲み方は常温やオンザロック、または 香辛料を入れ温かくしたものがあります。蜂蜜のカクテルも最近は作られるよ うになりました。 · 辛口の蜂蜜酒は伝統的なポーランド料理、特に肉や魚料理に良く合い、 甘口のプゥトラクはケーキやデザートに合います。 · 16世紀まで強い蒸留酒は主に薬として利用され、効き目を高めるために よく香草が入れられていました。その後、次第に飲み物として扱われるように なりました。貴族とシュラフタはこのようなウォッカの由来を知っていました が、庶民たちにとってウォッカ(当時は一般的にゴジャウカと呼ばれた)は 頑健な人さえも倒し、頭を混乱、正気をなくさせる悪魔からの贈り物だと信 じられていたという話があります。その話はヴァンダ・ドバチェフスカ Wanda Dobaczewska によって以下のように記録されています。 · 昔々ある貧しい百姓がいました。ある日畑を耕している途中、疲れてきてお 腹がすいたので藪の近くに座り、パンを取り出しました。しかし、貧しい百姓 は食べるにはまだ時間が早いと思い直し、布にくるんだパンを地面に置き仕 事に戻りました。彼の耕す畑の一部は、運の悪いことに多くの鬼が住んでい る沼地でした。その中のチャルネ・リホ Czarne Licho と呼ばれるとても悪 戯好きの鬼は、百姓が怒り出すのを期待し色々な悪戯をし始めたのです。し かし百姓は大事なパンを取られても、何一つ怒ったり不満を言ったりはしませ んでした。チャルネ・リホが仲間の所に戻り変わった百姓の話をすると、彼ら は盗んだパンを返すように言いました。鬼は少年の姿に化け、疲れて果て今に

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アルコ ール

ポ ー ラ ン ド の ウ ォ ッ カ

も倒れそうな百姓を手伝い、残りの畑を耕しそして百姓の下で働かせてもら えるよう頼みました。こうして鬼は三年間もの間畑を耕し、種を撒き、そして収 穫をし、百姓はお金を集めることができました。鬼が帰ろうとするその時、鬼 は最後にもう一度悪戯をすることにしました。鬼は百姓の家に行くと、麦と大 きな鍋と水を用意させ、お湯を沸かし、作った湯を何度も移し、あれやこれや と手を加えると、百姓の前に強い香りのする透明な液体が入ったボトルを置き ました。どうやらビールや蜂蜜酒とは全く違う物のようです。百姓はそれを飲 んでみましたが、とても強く、一瞬息ができなくなる程でした。更に飲んでみる と、頭がふらふらになり、すると百姓は少年が本当は鬼であることが見えたの です。鬼は幾つかのボトルを残すと窓から逃げ去りました。翌日百姓は目覚め ると頭が痛く、胃が重く大変苦しく辛い思いをするはめになってしまいました。 · ポーランドのウォッカは、ジャガイモまたは麦の種から作られています。優 れた味のため、外国で高く評価されています。ロックバンドのローリング・ス トーンズは1967年にポーランドで主催されたコンサートの謝礼金の代わりに、 貨車二台分のウォッカをもらったという話があります。 · ウォッカはよく冷やしてから飲みます。飲み方はストレート、オンザロック、 カクテルにしても飲めます。また肉料理、ニシンの料理などによく合います。 · 昔の大邸宅では、花、果物、蜂蜜、香辛料、葉、根、そして琥珀までもを使 いナレフカ nalewka というアルコールを用いたエキスを作っていました。おそ らく14世紀にはもう知られていたようですが、テンサイから砂糖が製造され始 めてから飛躍的に発展していきました。ある地方では、シュラフタの家族に子 供が生まれるとその日にナレフカを作り熟成させ始め、そしてその子供の結 婚式に振舞われました。また結婚を望む若い男性が好きな人の家族からナレ フカが出された場合それは賛成のしるしとされ、反対の場合はチャルナ・ポレ フカ czarna polewka という鶏あるいは鴨の血の混ざったスープが出されま した。 · 強いお酒についての話に戻りましょう。芳しい香りの酒は前菜と一緒に食 卓に出され、普段朝に飲まれていました。飲む容器も大切で、ナレフカは小さ く綺麗なグラスに注がれ愛好家達はカラフを収集したりしていました。ナレフ カは通常冷たくして飲まれていましたが、蜂蜜や香辛料の味がする甘いクル プニク krupnik は例外でした。中口のナレフカは肉料理によく合い、甘口のも のはデザートと一緒に飲みます。ウォッカと違いナレフカは一気に飲まずに少 しずつ味わいます。 · 酒を飲む習慣は、旅中の人々が食事をしたり酒などを飲んだりできたカ ルチマ karczma、あるいはザヤズド zajazd という店に由来しています。この ような店は中世の初期に流行り始め、13 世紀から田舎でも出来始めました。

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アルコ ール

ア ル コ ー ル の ラ ベ ル ︑ ア ダ ム ・ ウ カ フ ス キ の コ レ ク シ ョ ン よ り

そこは商人だけでなく、地元の人々の憩いの場で、様々な行事も開催されてい ました。またカルチマでは陰謀が企てられたり、酔っ払った人間の弱みを掴も うとした悪霊も訪れていたと言われ、朝帰りの百姓は帰宅途中に幽霊が現れ たことや、カルチマで出会った不思議な客の話をよくしていました。 · カルチマについては、次のようなポーランドで最も有名な魔法使いヤン・ト ファルドフスキ Jan Twardowski の伝説があります。16世紀、クラクフに住むも ともとシュラフタ階層の人だった彼は悪魔と契約を結んだことにより、勢力を 持ち大金持ちになりました。しかし契約の条件として、悪魔は彼の魂をローマ で奪うことができる、となっていました。そのため魔法使いトファルドフスキは 外国旅行を避けていましたが、数年後、悪魔はなんとローマという名のカルチ マで彼に会い、魂を奪おうとしたのです。しかしそれはうまく行かず、トファル ドフスキは地獄にこそ連れて行かれなかったものの、月に到着しまいました。 · またカルチマごと消えてしまったという不思議な話があります。現在のルベ ルスキエ県には「悪魔の地」を意味するチャルチェ・ポーレ Czarcie Pole とい う自然保護区があり、昔大きなザヤズドが建っていました。店の主人は客の弱 みを利用し金持ちとなった悪い人でした。ある日、その店に夫を探しに妊婦が やって来ました。見つかった夫は酔っ払っていて妻を追い払うと、彼女は泣き ながら店を出て、 「悪魔よ、この店を奪ってしまえ!」と叫びました。すると強 い風が吹き上がり、カルチマは中で遊んでいた客と共に消えてしまいました。 現在でもその周辺に住む人々は、時々地面の下から音楽や遊び声が聞こえる と語っています。それはカルチマの客たちが鬼たちと一緒に地獄で遊び続け ているとからだと言われています。 · 現在はザヤズドだけでなく、レストラン、バー、ホテルなどで食事をしなが ら酒を飲むことができます。ローカルな料理や古びたカルチマの雰囲気を体 験したい人には、 マウォポルスカ地方美食家ルートの旅が勧められることで しょう。 · ポーランドはキリスト教文化圏の仲間入りをしてから、教会の典礼に重要 な役割を果たすワインの需要が増えました。初めワインの輸入は少量でした が、それは手間もかかり簡単なことではありませんでした。需要がだんだん増 えていくと、修道院の庭園や王子の所有地でブドウが植えられ始めました。し かし地理的な理由で、ポーランドのブドウで作ったワインはフランスやライン ランドのワインには及びませんでした。そのため、ワインは長い間高級な酒と され、主に豊かな人々の食卓に出されていました。古ポーランド料理にはワイ ンは使用されず、18 世紀末のフランス料理の普及につれ、材料として使われ るようになりました。ポーランドでは、長くハンガリーの強いワインや地中海 の甘口のワインが高く評価され好まれましたが、時が経つにつれワインを飲

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ブ ド ウ ︵ パ ワ ツ ・ ミ ェ ジ ェ ン チ ン ブ ド ウ 園 ︶


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む習慣が衰えていきました。ワインが不足し、手に入れることが難しかったた めです。しかし1980 年代にブドウ酒醸造は復活し始めました。その歴史は長く はありませんが、ポーランド産の新たなワインは国内外でも人気を得たり、様 々なフェスティバルで受賞をしたりもしています。ワインツーリズムも飛躍的に 発展しワインツアー、ブドウ狩り、ワインスパ、著名な調理師による地元産ワ インに合う料理とそのワインの賞味などは、観光客の大きな楽しみの一部と なっています。 · 近年はポーランド産のシードル(リンゴを発酵させ造られるアルコール 飲料)も流行ってきています。シードルは 16 世紀に既にヤブウェチュニク jabłecznik(リンゴ酒)として知られていましたが、下層階級の人々の飲み物と され、多くは製造されていませんでした。21世紀にやっと関心が高まり、現在 は肉・魚料理、チーズ、ケーキと一緒に飲まれ、夏の暑さに体を冷やす飲み物 としても人気となりました。 •

ポ ー ラ ン ド の ワ イ ン

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レ シピ 鶏のロスウ Rosół drobiowy

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鴨のリンゴ 詰め Kaczka z jabłkami

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玉ねぎとリンゴのレバー炒め Wąt róbka drobiowa z cebulą i jabłkami

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牛肉のタルタルステーキ Ta t a r w o ł o w y

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肉のピエロギ Pierogi z mięsem

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スペアリブのビール 焼き Żeberka pieczone w piwie

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ズラヅィ・ヴォウォヴェ Zrazy wołowe

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鯉のフライパン焼き Karp smażony

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ニシンのオイル漬け Śledzie w oleju

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クルスキ・シロンスキェ Kluski śląskie

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ジャガイモのパンケーキ Placki ziemniaczane

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カボチャとキクイモとカリフラワー、 三種のサンドイッチペースト Pasta kanapkowa z dyni, topinambura i kalaf iora

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ラズベリーのナレフカ Nalewka malinowa

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焼きリンゴ Jabłka pieczone

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ピエルニキ Pierniki

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チーズケーキのラズベリーソース添え Sernik z sosem malinow ym

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鶏 の ロ スウ Rosół drobiowy • ロスウとは肉と野菜の出汁で作られる透明なスープのことです。家禽類 (チキン、アヒル、ガチョウ)の肉、牛肉、羊肉、または好みの肉を混ぜても作る ことができます。地方によってはパスタ、クルスキ、ジャガイモと一緒に出され ています。調理時間や材料に手間がかかるのため、日曜日の昼食や結婚式な ど特別な機会にしか作られない地方もありました。またロスウは体を温め強 くさせるとされ、病人や体が弱まっている人に食べさせたりもしました。最も贅 沢な種 類のロスウは雉、鳩、鹿などの肉を用いたロスウ・スタロポルスキ rosół staropolski です。

↓ 小さめの鶏(内臓取り除いたもの) 水 人参 パセリの根 セロリの根 玉ねぎ オールスパイス 胡椒(粒) ローリエ パセリの葉 塩

4リットル 大4~5本 3~4本 中2個 中2個 大匙½ 小匙1 4~5枚

→ 鶏を湯通しし、水の入った鍋に入れ沸騰させます。あくを取り、塩で味付けします。 30 分煮込んだ後、人参、パセリの根、セロリの根、玉ねぎの皮をむいて切り鍋に入 れ、胡椒、オールスパイス、ローリエを加え味付けをします。蓋をしたまま弱火で 90–120 分煮込みます。漉し、透明なロスウに刻んだパセリの葉を散らして食べるか、 または他の料理、特にスープやソースの元にもなります。ロスウは、煮込むのに使っ た肉や野菜も、細い小麦粉のパスタと一緒によく食べられています。

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鴨 のリン ゴ 詰 め Kaczka z jabłkami • 鴨は世界中で食べられていますが、ポーランドではその肉の柔らかさが特 に評価されてます。何世紀にもわたり様々な調理法が考えられてきましたが、 最もよく用いられるのは胸肉です。特別な機会には、丸焼きの鴨が焼かれま す。ポモジェ地方では、モツや豚肉を詰め物とした鴨料理が作られています。 シェヴィエジの鴨は、柔らかく焼き上げるためにパンを焼く釜を使い、西洋ワ サビ、塩漬けのキュウリ、酢漬けのキノコと一緒に出されます。果物を詰めた 甘い味の鴨が作られる地方もあります。また、魚や他の肉の場合と同じように、 焼いた鴨を小さくほぐし、ブイヨン、香辛料を合わせ、ゼラチンから作ったゼ リーに浸し固める料理もあります。ゼリー固めの料理は前菜として食べられた り、蒸留酒の肴に使用したりします。

↓ 鴨(内臓を取り除いたもの)1羽(1½ ~2 kg ) リンゴ オリーブオイル マジョラム リンゴ酢 干しクランベリー 胡椒 塩 水

中6 ~8個 大匙4~5 大匙2~3 大匙3~5 20 ~40 g 小匙1

→ 鴨を洗い乾かします。中側はリンゴ酢、塩、 マジョラム、外側はオリーブオイル、 マジョ ラム、塩、胡椒を塗ります。リンゴを2個皮をむき、芯を取り、切り分け、オリーブオイル と残りの香辛料とを混ぜ合わせ、鴨に積めます。味を染み込ませるために2–3時間冷 蔵庫に入れます。鴨を焼く容器に移し、水を少しかけ、180度のオーブン(なるべく下 段に)に入れます。12,3分ごとに鴨の肉に出てきた油をかけ、40–50 分後まんべんな く焼けるよう鴨をひっくり返し、油をかけ続けていきます。30–40 分後、鴨の胸が上に 向くよう再びひっくり返します。あわせて90–120 分(鴨の大きさによる)焼きます。焼 き終わる25–40 分前に、残りのリンゴを切り分け、オーリブオイル、 マジョラム、クラン ベリーと混ぜ合わせ、鴨と一緒に焼きます。焼けた鴨はジャガイモまたはクルスキと一 緒に出します。

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玉 ね ぎとリン ゴ のレ バ ー 炒 め Wąt róbka drobiowa z cebulą i jab łkami • 1990 年代末、モツはだんだん食べられなくなりました。しかし現在、豊か な味と面白い形をしていることで再び注目され、食べられようになりました。 胃袋、心臓、レバー、腎臓でできた料理は前菜やメインとして食卓に出され ています。モツはオーブン焼きの料理やピエロギの詰め物として、またパテに も使われています。

↓ 400 g 家禽類のレバー 玉ねぎ 中2個 リンゴ 大1個 ローズマリー(新鮮なもの) マジョラム 塩 胡椒 小匙¼ 小麦粉 菜種油

→ レバーを洗い乾かします。輪切りにした玉ねぎを少量の油で2–3分炒め、フライパンか ら取り出します。次に薄く切ったリンゴをマジョラムと一緒に2-3分炒め、これもフライ パンから一度取り出します。熱したフライパンにオリーブオイルを入れ、小麦粉をまぶ したレバーを強火で4–6分(レバーの大きさにより)炒めます。仕上がる直前に玉ねぎ とリンゴを入れ全体を軽く炒め、塩、胡椒、 マジョラムで味付けをします。出来上がっ たレバーは焼いたジャガイモと一緒に出します。

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牛 肉 の タル タルス テ ー キ Ta t a r w o ł o w y • 牛肉のタルタルステーキはポーランドで人気のある前菜です。主に牛の ヒレ肉が使われています。その料理の名前につては、フランス人の軍人かつ 製図家ギョーム・ル・ヴァスール・ド・ボープラン Guillaume Le Vasseur de Beauplan(1600–1675)が『ウクライナの描写』という本で描いたタタール民 族(チンギス・ハンの支配下にあった東ヨーロッパや北アジアの土地の民族) の馬肉の扱い方に由来するという説がありますが、真実かどうかは疑わしいと されています。

↓ 牛のヒレ肉 亜麻仁油またはオリーブオイル 玉ねぎ 塩漬けのキュウリ(または酢漬け) 卵黄 レモン汁 塩 胡椒

500 g 大匙1–2 120 g 120 g 4つ (半個分)

→ 材料は全て低温で使います。新鮮な肉を洗い、乾かします。よく切れる包丁で細かく 刻み、塩、胡椒、レモン汁、油をかけます。タルタルの出し方は幾つかあり、その一つ は、味を付けた肉に卵黄を加えよく混ぜ、小分けにし、お皿に盛り付け、細かく刻ん だ玉ねぎとキュウリと一緒に出します。もう一つ人気のある方法は、玉ねぎと塩漬けの キュウリを刻んでボールに入れ、卵黄を加え混ぜ、最後に味付けした肉を入れ、再 び混ぜます。小分けにし、お皿に盛り付けます。タルタルはパンと一緒に出されます。

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肉 のピエロギ Pierogi z mięsem • ピエロギという言葉の語源については幾つかの説があります。ウラル語 族に由来するという説もありますし、他の説では「祭り」、 「儀式」を意味す る“piru”という古代スラヴ語の言葉に由来するといわれています。数世紀に かけて田舎では、女性たちが集まり、一緒にピエロギを作っていました。主に クリスマスイブ、断食、結婚式の時に出されていました。 現在ポーランド中のレストランでは様々なピエロギを食べることができます。 伝統的なものとしては肉詰め、カッテージチーズとジャガイモ(ピエロギルスキ エ)、ザワークラウトとキノコ、蕎麦のカーシャ、モツ等で、その他にもモッツァ レラとホウレンソウ、チキンとチーズ等のモダンなピエロギも食べることがで きます。夏にはイチゴやブルーベリーを詰め、砂糖とサワークリームをかけた 甘い味のピエロギも人気があります。 生地:

中身:

小麦粉 卵 水 塩 菜種油

↓ 500 g 1個 225~250 ml ひとつまみ 大匙1

牛肉 キノコ 玉ねぎ 胡椒 塩 オールスパイス ローリエ ラード

400 g 70 g 1個 いとつまみ ひとつまみ 2~3粒 1枚

→ 肉を挽くか細かく刻み、キノコと玉ねぎも細かく刻みます。フライパンにラードを溶 かし、肉、玉ねぎ、キノコ、塩、胡椒、オールスパイス、ローリエを入れ炒めます。冷め るまで待ち、オールスパイスとローリエを取り出します。小麦粉に水と卵を入れ捏

ね、最後に菜種油大匙一加え一まとめにします。 → 捏ね上がった生地をのばし、グラスなどを使い輪の形に切り取ります。切った輪に中 身を載せ、半分に折り閉じて、閉じた部分をフォークで押さえ止めます。またはひだを 作って止めます。沸かした湯に塩を入れ茹で、3~4分してピエロギが浮いたらお湯か ら出します

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スペ アリブ の ビー ル 焼 き Żeberka pieczone w piwie • 現在、ポーランド料理に最もよく使われる肉は豚肉です。豚肉からはハム、 ラード、サーロなどが作られています。特別な機会には、モツと蕎麦のカーシャ などのファルスが詰められた豚の丸焼きが出されます。また豚足も好まれ、焼 いたり煮込んだりしたものはビールによく合います。細かくされた部分からは、 ヌシュキ(細かくした肉をゼリー固めにして、冷やして食べる)が作られていま す。スペアリブも好まれよく食べられています。 ↓

スペアリブ ビール 玉ねぎ ニンニク 蜂蜜 菜種油 小麦粉 塩 胡椒 マジョラム ローズマリー クミン

1500 g 500–600 ml 中2個 3片 大匙3 大匙3–4

小匙半分 小匙1 小匙1 小匙半分

→ スペアリブを切り、洗い、乾かします。小さいボールに油と蜂蜜を入れ、塩、胡

椒、 マジョラム、ローズマリー、クミンを足しよく掻き混ぜ、切ったスペアリブに 塗り、3–4時間冷蔵庫に入れておきます。その後、小麦粉をまぶしてからフライパ ンで両面を焼き、オーブン用の容器に入れ、ビールで浸し、蓋をします。180度の オーブンで40–55分焼き、途中で容器の中のソースをかけます。焼き上がったス ペアリブは、焼いたまたは茹でたジャガイモと一緒に出されます。

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ズ ラ ヅィ・ヴォウォヴェ Zrazy wołowe • 昔、時間や手間のかかる料理は特別の機会にしか作られていませんでした。 現在でも、ズラヅィ(牛肉または豚肉をよく叩き、中身を積めて巻く)が多くの 家庭でそういった料理とされています。ズラヅィは焼いた後、芳しい香りの濃 厚なソースと一緒に出されています。

↓ 牛肉(ヒレ肉またはしんたま) ソーセージ 塩漬けのキュウリ 玉ねぎ 胡椒 塩 油

幅1½センチのブロック6つ 1本(長さ8–10センチ) 2本 1個

→ 肉の両面を肉叩きで叩きます。ソーセージとキュウリは細長く、玉ねぎは薄切りにし ます。叩いた肉に油を塗り、味を付けし、ソーセージ、キュウリ、玉ねぎを少しずつ乗 せ、肉を巻き、つまようじでとめます。巻いた肉は先ずフライパンで焼き、その後耐熱 容器で25–35分焼きます。出来上がったズラヅィは、ジャガイモまたはクルスキと一緒 に出されます。

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鯉 の フ ラ イパ ン 焼 き Karp smażony • 鯉はポーランドで12世紀から食べられ、初めて養魚池で養殖を始めたのは、 ミルチ市にあるシトー会の修道院の修道士でした。断食の期間は長いため、 長い間鯉は人気の魚でした。特に好まれていたのは、ボレスワフ・クシヴォ ウスティ王 Bolesław Krzywousty(1086–1138)の時代からで、ワドヴィツェ市 の近くにあるザトルという場所で取られるザトルの鯉でした。第二次世界大 戦の後、鯉はクリスマスに食べる魚とされ、現在は少なくとも一種類の鯉料理 が、クリスマスイブの食卓に出されるべきだと言われています。伝統的な習慣 としては、料理をする時、家族の人数分の鱗を取っておき、洗って乾かしたも のを家族全員に渡します。それを財布に隠すと、幸運や金運が訪れると言わ れていました。

↓ 大きめの鯉(約1½ kg ) 小麦粉 大匙2–3 パン粉 大匙3–4 塩 胡椒 油(できれば菜種油)

→ 鯉を洗い、 下ごしらえ(鱗と内臓をとる)をし、頭とひれを取ります。幅4–5センチの筒 切りにし、キッチンペーパーで水分をふき取ります。塩、胡椒で味付けし、小麦粉、パン 粉をまぶしたら、フライパンに油を熱し、その中に入れて焼きます。途中でひっくり返 しながら、両面がきつね色になるまで焼きます。

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ニ シ ン の オイル 漬 け Śledzie w oleju • ニシンはいつでも美味しく食べられます。レシピは大変多いため、飽きる ことはないでしょう。ポーランドでは、切り身の塩漬け、新鮮なニシンのフラ イパン焼きなどが、クリスマス、断食の時、そして普段からも作られています。 またニシンの付け合せとして使用されるものは、甘いものも辛いものもあり ます。植物の根から採れる調味料もよく合います。

↓ 塩漬けのニシン 下ろして皮と骨を取ったもの 玉ねぎ 砂糖 ローリエ オールスパイス 胡椒 油(ヒマワリ油か菜種油)

8枚 大1個 大匙1 1枚 5~6 粒 小匙4分の1

→ 玉ねぎを細かく刻み、ボールに移します。砂糖と胡椒を入れて混ぜ、2–3時間冷蔵庫 に置きます。ニシンを巻き、瓶に詰めます。玉ねぎ、ローリエ、オールスパイスを足し、 最後に油で浸します。瓶を蓋し、味を染み込ませるために5–6日冷蔵庫に置きます。ニ シンは前菜として出されます。

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クルスキ・シ ロ ンスキェ Kluski śląskie • 小さい、大きい、白っぽい、黒っぽい、丸い、細長いなど、ポーランドのクル スキは種類が豊富です。スクファルキまたはバターがかけられたクルスキは、 単独の料理でもありますが、よくジャガイモやカーシャの代わりに、肉・魚料 理の付け合せとして出されています。ポーランドでは、家族全員が集まる日 曜日の昼食は特別な食事です。その時食べられる料理は、各地方で多くの場 合は、手作りのパスタが入った芳しい香りのロスウです。シレジア地方ではク ルスキ・シロンスキェ、シレジアのルーラード(肉料理の種類)、そしてモデゥ ラ・カプスタ(リンゴや玉ねぎなどと一緒に煮込み、砂糖、酢、塩で味付けさ れた赤キャベツ)がよく作られています。 ↓

煮たジャガイモ 片栗粉 卵 塩

750 g 250 g 小1個

→ 茹でて冷ましたジャガイモを、滑らかなペースト状に潰します。ボールに移し片栗粉、 卵、塩を加え、粒が残らないようによく捏ねます。大きな鍋にお湯を沸かし、塩を少 量入れます。出来上がった生地を4つに分け、長い筒状にします。長さ3–4センチに 切り、丸いクルスキを成形し、最後に指で小さな穴を開けます。沸かした湯に入れて 茹で、1–3分してクルスキが浮いたらお湯から出します。ベーコンのスクファルキをか けるか、ほかの料理の付け合せとして出されます。

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ジャガ イ モ の パ ン ケ ー キ Placki ziemniaczane • ジャガイモ料理は、ポーランドではまだそれほど長い歴史を持っていませ ん。19世紀からヴィエルコポルスカ地方では、バンブジョクという料理が作ら れていました。摩り下ろしたジャガイモに小麦粉、卵、香辛料を混ぜ、焼いた ものでした。バンブジョクはソーセージやベーコンと一緒に出されたり、また 甘い料理としてジャムと一緒に食べられていました。現在人気があるのは、カ リカリの食感で表面が黄金色をしたジャガイモのパンケーキです。肉のソース、 キノコ、燻製のサーモン、または生クリームと砂糖が付け合せとして一緒に食 べられています。 ↓

ジャガイモ 卵 片栗粉 玉ねぎ 塩 胡椒 油

500 g 小1個 大匙2–4(ジャガイモの水分により調節) 大1個

→ ジャガイモは皮を剥き摺り下ろし、玉ねぎも摺り下ろします。ジャガイモの水分が多い 場合は、余分な水を捨てます。摺り下ろしたものに卵と片栗粉を加え、よく掻き混ぜ ます。熱した油に小さく生地を流し入れ、黄金色になるまで焼きます。食べる時は好 みに応じて、砂糖をかけ甘くしたり、塩をかけ塩辛くします。

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カ ボ チ ャとキ クイ モと カリフ ラ ワ ー 、 三 種 の サ ンド イッチ ペ ースト Pasta kanapkowa z dyni, topinambura i kalaf iora • ポーランド料理は世界中の流行と共に変化しています。現在、伝統的な ポーランド料理のレシピは砂糖や塩、油も控えめです。またベジタリアン、ビー ガン、ローフード、グルテンフリー、ラクトースフリーを選ぶ人も増えています。 ポーランドで栽培される野菜と果物の種類は多いので、肉、乳製品を食べな い人でも困ることはありません。ビーガン料理の中には、肉を用いないパテ、フ ムス、サンドイッチのペーストなどがあります。ペーストは焼きたてのパンまた はプラツキと一緒に食べます。 カボチャのペースト: キクイモのペースト: ↓ ↓ 300 g 焼いたカボチャ 300 g キクイモ 30 g ハシバミの実 50 g カボチャの種 ニンニク 1片 ケシの実の油 大匙2–4 亜麻仁油 大匙2–4 ラベージ オレガノ 塩 塩

カリフラワーのペースト: ↓ 300 g カリフラワー 1枚 ケール 亜麻仁油 大匙2–4 マジョラム 胡椒 塩

→ カボチャのペースト:カボチャ、カボチャの種、油をブレンダーに入れ、滑らかな ペーストになるまでブレンダーで混ぜます。 → キクイモのペースト:キクイモを洗い、皮をむき、軽く塩を入れた水で15–25分茹で ます。水を切り、キクイモを乾かします。冷めたら、ハシバミの実と香辛料と共にブレ ンダーに入れ、ケシの実の油を足し、滑らかなペーストになるように混ぜます。 → カリフラワーのペースト:カリフラワーを洗い、乾かし、小さく分け、180度のオーブ ンで20 分焼きます。カリフラワーが冷めたら、ブレンダーに入れ、ケール1枚、亜麻仁 油、香辛料を足し、滑らかなペーストにします。

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ラズベ リー の ナレフ カ Nalewka malinowa • 真冬に夏の味を感じる方法があります。それは夏に良い香りの果物を採 り、ジャムとチーズを作るだけのことです。しかしそれだけではなく、体を温め る芳しい香りのナレフカ(チンキ)も作られています。多くの家族は、代々伝わ るレシピを使いナレフカを作りますが、手作りのナレフカは気分をよくさせ、デ ザートに合い、そして健康にも良いのです。昔は体を丈夫にさせるために使用 され、風邪にもよく効くとされていました。

↓ 熟したラズベリー ポーランド産ウォッカ 砂糖 シナノキの花の蜂蜜

1000 g 1000 ml 400 g 150 g

→ ラズベリーを洗い乾かします。乾いたラズベリーを瓶に移し、砂糖を入れ、そしてそ の上からに蜂蜜を注ぎ入れます。瓶の蓋をし、果物の汁が出るよう暗く涼しい場所 に2–3日置きます(たまに瓶を振ってもよい)。ウォッカを注いで果物を浸し、再び暗 く涼しい場所に置きます。2週間経ったらナレフカをよく混ぜ、漉し、ボトルに移します。 すぐに飲んでもいいのですが、涼しい場所に2–3ヶ月置くとより美味しく楽しめます。

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焼 きリン ゴ Jabłka pieczone • リンゴはポーランドで最も人気のある果物です。種類も多く様々な味や形 があり、料理に広く利用されています。多くのデザート、ケーキ、コンポート、ジ ャムの元に使われたり、肉・魚料理の材料としても使用されています。砂糖、シ ナモン、その他の香辛料と一緒に炒めることもできますが、リンゴの形を保つ には香辛料と一緒に蒸すほうがいいでしょう。 ↓

リンゴ レモン汁 蜂蜜 塩 ローズマリー

中5–6 個 (半個分) 大匙3–4 小匙1–2

→ リンゴを洗い、乾かします。皮を剥き芯を取り除き、切り分け、変色しないようにレモ ン汁をかけます。小さいボールに蜂蜜、ローズマリーを加えよく掻き混ぜます。それを リンゴに塗り、オーブン用の容器に入れます。180度のオーブンで20–30 分焼きます。

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ピ エ ルニ キ Pierniki • ピエルニク(ジンジャーブレッド)とは、独特 の香辛料の味や香りがする、 色の濃いケーキです。ポーランドでは、トルン市などでピエルニクとクッキー のように小さいサイズのピエルニキが有名です。その最初の記録は14世紀の 記述に遡りますが、おそらく既に13世紀でも食べられていたと思われます。し かし最も古いレシピは、より遅い1725年のものとなっています。数世紀にわた り、ピエルニキは高級なもの、あるいは薬だと思われてきました。ピエルニキ は、人間、動物(コウノトリ、猪、鹿、魚)、果物、ハートなど様々な形をしてい ます。現在はアイシングやマジパンがかけられたり、ジャムが詰められたり、色 々なピエルニキを手に入れることができます。ピエルニクやピエルニキはクリ スマスの時にも焼かれ、ピエルニキはモミの木の飾りとしても使われています。

↓ 小麦粉 バター 蜂蜜 卵 ベーキングパウダー シナモン ショウガパウダー カルダモン ナツメグ クローブパウダー 黒胡椒 レモン汁

375–400 g 40–50 g 150 g 1個 小匙半分 2½ g 1½ g 1g ½g ½g ½g 半個分

→ バターをボールで溶かし、蜂蜜、卵、ベーキングパウダー、レモン汁を加え、よく混ぜま す。最後に小麦粉、香辛料(シナモン、ショウガ、カルダモン、ナツメグ、クローブ、黒胡 椒を全て混ぜておく)を加えます。生地を捏ね、伸ばし(厚さ約3–4 mm)、型を使い 型抜きをします。180度のオーブンで9–10 分焼きます。

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チ ーズケ ー キ の ラズベ リーソース 添 え Sernik z sosem malinow ym • チーズケーキは最も人気のあるケーキの一つです。夕食の前や、昼食の後 のデザートに出されたり、コーヒー、紅茶、ナレフカを飲みながら食べたりも します。作り方には、焼いたり冷やし固めたり、様々な方法があります。チーズ ケーキは、ヤン3世ソビエスキ王のおかげで普及しましたが、当時は優しい味 の白っぽいウィーンのチーズケーキがシュラフタの間で流行っていました。現 在、果物のソースがかけられたもの、ケシの実のマースを挟んだもの、カッ テージチーズの代わりに豆腐を用いるビーガン風のものなど、様々なチーズ ケーキを味わうことができます。

↓ カッテージチーズ ラズベリー 生クリーム(30%) 砂糖 バター バニラエキス 片栗粉 卵

600 g 250 g 200 ml 200 g + 50 g 20 g 小匙1 大匙1 3個

→ ラズベリーを洗い、鍋に入れ、砂糖(50 g )を足して少し煮ます。このソースは冷めるま で置いておきます。カッテージチーズをブレンダーで細かくし、砂糖(200 g )、卵、バ ター、バニラエキス、生クリーム、片栗粉と一緒にボールに入れ、滑らかになるまで ミキサーで掻き混ぜます。丸い型(直径17–20 cm)の底にクッキングペーパーを敷き、 側面にはバターを塗ります。そこに生地を入れ、160度のオーブンで50–70 分焼きま す。焼き上がったケーキを冷まし、更に2–3時間冷蔵庫に入れます。食べる前に、冷た いあるいは暖かいソースをかけます。

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マグダレ ナ・トマシェフス カ ボラウェク M a g d a l e n a To m a s z e w s k a - B o l a ł e k 文/レシピ/芸術コンセプト/写真/スタイリング・料理製作 東洋学者、記者、 『日本食文化の伝統』、 『日本文化と十二支の動物』、 『日 本のお菓子』の著者。 『日本のお菓子』は、2014 年グルマン世界料理本大賞において日本料理部 門グランプリ受賞、2015 年フランクフルト・ブックフェアで開催されたグルマ ン世界料理本大賞20周年記念祭典で三位、1994 年と2014 年の間に発行され た日本料理部門の本の中で最も重要な本の一つとして認められました。 2015 年には、 『韓国食文化の伝統』が発行され、これもグルマン世界料理 本大賞にノミネートされました。 著者は世界中の料理の歴史、料理人類学、神経美食学、フードデザイン、 外交、料理ツーリズムを研究しています。数年前から講義、料理ワークショッ プなどを行い、食文化と料理についての知識を促進し、ヨーロッパ人にアジア 料理・文化理解を深めさせ、そしてポーランド文化をアジア人に紹介していま す。ワルシャワ人文社会科学大学の大学院プログラム「フード・スタディーズ」 のコーディネーター、ディレクターを務めています。

ブログ: www.kuchniokracja.hanami.pl(ポーランド語、Google 翻訳機能あり)

インスタグラム: www.instagram.com/kuchniokracja

アレ クサンデル・バロン A leksander Baron 協力/スタイリング・料理製作 調理師、芸術家、冒険家。ワルシャワの料理・文化スポットとして重要な位置を占め るSOLEC44店のオーナー。 インスタグラム: www.instagram.com/baronchef

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リンク集 ポーランド情 報サイト Polska — www.polska.pl/en Ministry of Foreign Affairs of the Republic of Poland — www.msz.gov.pl/en/ministry_of_foreign_affairs Culture.pl Asia — www.asia.culture.pl Poland Wave — www.facebook.com/polandwave Link to Poland — www.linktopoland.com/en

料理マガジンと料理サイト Magazyn KUKBUK — kukbuk.com.pl Magazyn SMAK — www.magazynsmak.pl Magazyn USTA — www.ustamagazyn.pl Warsaw Foodie — warsawfoodie.pl/en

協会、組合、ファンデーション、学習 Eat Poland — www.eatpoland.net/en Food Studies — www.podyplomowe.pl/foodstudies Food Think Tank — www.foodthinktank.pl Fundacja NADwyraz — www.nadwyraz.pl Polish Vodka Association — www.pva.org.pl Stowarzyszenie Cook in Poland — www.cookinpoland.com

観 光と料理ツーリズム Eat Polska Food & Vodka Tours — www.eatpolska.com Eataway social dining — www.eataway.com Lesser Poland Gourmet Trail — www.trasasmakoszy.pl Polish Tourist Organisation — www.poland.travel/en ポーランド政府観光局 — www.poland.travel/ja Solec 44 — www.solec.waw.pl Szlak Rzemiosła Małopolski — www.szlakrzemiosla.pl

デザイン、職 人製品、織 物 Agaf Design — www.agafdesign.pl Alicja Patanowska — www.patanowska.pl


artkaf le — www.artkafle.eu Bio-Textil — www.biotextil.pl fandoo — www.fandoo.pl Huta Szkła Kryształowego Julia — www.crystaljulia.com ICOALYOU — www.pl.icoalyou.com Joanna Szachowska — www.joannaszachowska.com Katarzyna Stefańska-Białek — www.kasiabialekceramika.blogspot.com KOOE — www.facebook.com/KOOE.studio.ceramiki Krośnieńskie Huty Szkła “KROSNO” S.A. — www.krosno.com.pl Manufaktura Porcelany — www.manufakturaporcelany.pl Pogo Pony — www.pogo-pony.com Pat Pottery — www.patpottery.pl Paweł Tarasiewicz — www.facebook.com/pawel.tarasiewicz.3 Polskie Fabryki Porcelany “Ćmielów” i “Chodzież” S.A. — www.porcelana-cmielow.pl

食品、アルコール ANIKA Stanisław Butka — www.butka.pl Browar Kormoran — www.browarkormoran.pl Browar Stu Mostów — www.100mostow.pl/en Browar Wrężel sp. z o.o. — www.browarwrezel.pl Cydr Chyliczki — www.cydrchyliczki.pl Gospodarstwo “Kaszubska Koza” — www.facebook.com/GospodarstwoKaszubskaKoza Komers International — www.komers.com.pl Kwaśne Jabłko — www.kwasnejablko.pl LOTTE Wedel sp. z o.o. — www.wedel.pl Mazurskie Miody — www.mazurskiemiody.pl Nalewki Staropolskie Karol Majewski i Wspólnicy — www.nalewki.pl Potocki Wódka — www.potockivodka.com RANCZO FRONTIERA — www.seryowcze.pl TiM S.A. — www.tim-wina.com.pl Winnica Pałac Mierzęcin — www.palacmierzecin.pl Winnica Srebrna Góra — www.winnicasrebrnagora.pl Winnica Turnau — www.winnicaturnau.pl Suska Sechlońska (Stowarzyszenie Producentów Owoców i Warzyw w Ujanowicach) — www.suskasechlonska.pl Wyborowa S.A. — www.wyborowa-pernod-ricard.com


プロジェクト・マネージャー ラドスワフ・ボラウェク アートコンセプト マグダレナ・トマシェフスカ=ボラウェク 文・レシピ マグダレナ・トマシェフスカ=ボラウェク スタイリング・料理製作 マグダレナ・トマシェフスカ=ボラウェク アレクサンデル・バロン

アラヒア・モルダビア・小タルタリ等、主要な地 域、都市、町、川、その他を示す新地図、エドワ ルド・ウェルス(1667–1727)、パブリックドメイン Polona コレクション( p.14 )、E .Wedel の昔の トレードマーク、Lotte Wedel Sp. z o.o.( p.30)、 20世紀初頭の広告、パブリックドメイン Polona コレクション(p.32)、ピョトル・クルゼクとプロン ドニツキパン、NACコレクション( p.42)、フラン ツ・オイゲン・ケーラー、 「ケーラーの薬用植物」、 パブリックドメイン、www.commons.wikimedia. org(p.80)、オルシュティンのレシニ・ザメチェク ビール工場、パヴェウ・ブワジェヴィチのコレク ション(p.94)、アルコールラベル、アダム・ウコフ スキのコレクション(p.98)

協力 アレクサンデル・バロン、パヴェウ・ブワジェヴィチ、 クシシュトフ・ガヴリコフスキ、アレクサンドラ・ク 印刷用紙 Munken Pure, 130 g/m 2 レシタ ナヴロツカ、浅井雄介 、服部祐果 本文デザイン・DTP to/studio – アレクサンドラ・ナウェチ ヤヴェツカ、 トマシュ・ケンジェルスキ 翻訳 マチェイ・クラフチャク 武部愛 ボレスワフ・レシミアン詩翻訳 小山哲

印刷 READ ME , ウッチ 初版第1発行 ISBN 978-83-65520-01-2 出版社 Hanami Radosław Bolałek www.hanami.pl hanami@hanami.pl

写真 マグダレナ・トマシェフスカ=ボラウェク(その 他)、バルトウォミェイ・ミカ(p.4–5、8–9、22–23、 68–69、82–83)、リディア・グワジェフスカ=ダニ 本章はポーランド共和国の外務省の依頼により コ( p.76)、バルトシュ・ディボフスキ( p.54–55 、 作成されました。 62)、トマシュマルチン・ハルトマン(p.36)、ヨア ン ナ・マ ティイェク( p . 7 6 )、マル タ・パ ニチ ク(p.140)、グラジナ・ルトコフスカ、NACコレク ション( p.34 )、パワツミェジェンチンブドウ園 (p.100–101)、ヤツェク・ジェンバ(p.18–19) イラスト ポーランド料理地図、バルトウォミェイ・クチン スキ(p.12–13)、現在ポーランド・ハンガリー・ヴ


Polish Culinary Paths, ポーランド料理道  

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