難民の命と尊厳を守り続けて
75 YEARS OF Life-Saving PROTECTION
Who We Are –UNHCR
誰も、難民になるとは予想していません。
誰も、戦争を計画に入れていません。
誰も、避難するとは想像していません。
しかし、考えられなかったことが起こった時、危機により人々が避難を強いられた時、 私たちは72時間以内に、嵐の中でも避難場所を提供します。
寒さの中で温かさを、混乱の中で尊厳をもたらします。
紛争が勃発すると、私たちは、最も弱い人々が必要とする助けを提供します。
私たちは現場にとどまり、命を救う支援を提供します。
私たちは、戦争や紛争、迫害で引き裂かれた家族の再会をはかります。
難民が支援を受けられ、人生が変わるとき、世界はより安全で、より安定します。
私たちは、カメラが向けられなくなっても立ち止まることはありません。
私たちは、その危機がニュースから消えても、いなくなることはありません。
私たちは、現場にとどまります。
これが、私たちのミッションであり、私たちの約束です。
これが、私たちUNHCR、国連難民高等弁務官事務所です。
2025年、UNHCRは創設 75周年 。
国連UNHCR協会は、創設 25周年 を迎えます
1950 年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、第二次世界大戦の影響で欧州で急増した難民を保護する目的で創設されました。 期限付きの暫定機関だったUNHCRは2003年に恒久機関となり、ノーベル平和賞を2 度受賞。
世界で増え続ける難民・国内避難民の命を守り続け、2025 年に75周年を迎えます。
2000 年には、日本におけるUNHCRの公式支援窓口として、国連UNHCR協会が設立されました。
民間からの寄付を受け付け、広報活動を担う世界で6 番目のUNHCRの公式なパートナーとなりました。
2022年には、民間からの寄付額は198億円を突破(2022年度実績)。
UNHCRの活動を力強く支え、日本各地で難民支援の輪を広げています。
UNHCR と世界の動き 国連 UNHCR 協会と日本の動き
1950年
国連総会によりUNHCR 創設
1951年 国連で難民条約 (難民の地位に関する条約)採択* (「難民」という言葉を定義) *1967年に「難民の地位に関する議定書」採択
1954年・1981年
UNHCR、ノーベル平和賞を受賞 (1954 年・1981年の2回)
1975~1980年代 インドシナ 3 国からボートピープル を含む300万人以上が避難
1991~2000年
緒方貞子さんが第 8代国連難民
高等弁務官として活動を指揮 1991年 湾岸戦争・イラクからクルド難民流出
1994年 ルワンダ大虐殺
推定 80万人が殺害され約 200万人 が近隣国へ避難
2011年~ シリア危機 紛争の勃発により数百万人が避難
2017年~ ロヒンギャ難民危機 ミャンマーでの迫害により100日で 約 60万人が避難
2022年 ロシア、ウクライナへ侵攻
約570万人が欧州へ避難(2022 年末) 世界で避難を強いられた人が 1億人を突破
2024年 シリア・アサド政権崩壊
1978年 日本、インドシナ難民受け入れ閣議了解
1979年 UNHCR 駐日事務所開設 1981年 日本が難民条約に加入
2000年
「日本国連 HCR協会」(旧名称)設立
2003年 認定NPO 法人となる 毎月の支援「毎月倶楽部」開始
2005年
「日本UNHCR協会」に名称変更
2004年 ニュースレター「With You」創刊 2006年 第1回難民映画祭(駐日事務所主催)
2009年
「国連UNHCR協会」に名称変更
2010年 街頭で難民支援を呼びかける
「国連難民支援キャンペーン」スタート
2016年
RHEP(UNHCR 難民高等教育プログラム)を UNHCR 駐日事務所と協働開始
2019年 「毎月倶楽部」を 「国連難民サポーター」に改称
2022年 年間の寄付金が198億円を超える (2022年度)
喜びも悲しみも、すべては難民とともに
UNHCRが変化していく中で、守り続けた点はどういうところでしたか。
人間を大切にするという価値です。
そのためにあらゆる努力をして、力を合わせてきたのです。 原則は変わっていません。「人の命を助けること」これに尽きます。
第8代 国連難民高等弁務官 緒方貞子さん
出典:「聞き書 緒方貞子回顧録」 野林 健、納家政嗣 著 岩波現代文庫 社会 319
UNHCR に関するキーワード
緒方貞子 現場主義
Stay and Deliver
UNHCR の指針であり、よく使う言葉に「 Stay and Deliver 」 ( 難民のそばにとどまり、支援を届ける )があります。UNHCR に とって、「どんな時も現場にいる」ことは重要です。危険な場所で あっても、いかにリスクを軽減しながら難民や国内避難民を守れる か、ということを常に考えます。困難な最前線に常にいるので、地域 や政府との信頼関係があります。そし て、これは UNHCR 職員の DNA のよう なものですが、困難な場所に行く気概 と奉仕の精神を持ち、懸命に活動する 献身的な職員が数多くいることも、
UNHCR の大きな強みだと思います。
UNHCRアジア・太平洋局 入山由紀子副局長
UNHCR はどんな時も 「 現場主義 」を貫き、 難民や国内避難民の そばにとどまり支援を 行う機関です。現場の ニーズを最も理解・ 把握し、70 年以上の 経験で培った機動力 が強みである UNHCR は、緊急支援の現場で最も力を発揮できる 機関だと私は確信しています。 UNHCRジュネーブ本部
どんな時も難民のそばにいて、支援を届けるのがUNHCR。 どうぞこれからも、あなたの力をお貸しください。
UNHCRイラン事務所 高嶋由美子代表
日本の皆様、難民そして UNHCR の活動へご関心とご協力を 誠にありがとうございます。
私はUNHCRに入って20 年以上になりますが、多くの難民の姿が 心に刻まれています。長年の避難の末に家へ帰り、「故郷で死ね る」と喜ぶ高齢の女性。地位の高い官僚だった人が一瞬にして全 てを失い、テント生活から生活の再建を目指す姿。一日一食とい う貧困の中でも、「お茶を飲んでいく? 」と声をかけてくれる人々。 難民の方々と接していて実感するのは、「人間の底力ってすごい。
人間って強い」ということです。理不尽な苦難を目の当たりにす る一方で、難民の強靭さと温かさに胸を打たれ、多くの事を教 わってきました。つらい状況にある誰かを、少しでも幸せにする サポートができることの喜びと、皆様のおかげでUNHCRを通し て支援ができることを心から光栄に思います。私にとって、 UNHCRで活動することは「仕事」ではなく、「生き方」だと思って います。
UNHCR のモットーは「現場主義」で「地域密着型」。常に難民の 声を聴き、寄り添うことを大切にしています。出張で1週間だけ 滞在しても、人々の信頼は得られません。毎日そばで話を聞き、 人々の苦しみに寄り添い続けることで、大事な話も打ち明けて もらえるようになります。そして、一緒に問題を解決するために 知恵を出し合い、時にはぶつかり合い、それでも解決していく姿 勢を学んでいます。UNHCR が全ての問題を解決できるわけで はありません。しかし、UNHCR の仕事は「難民の話を聞くこと」 から始まります。要望に応えることが難しくても、思いを受け止 めることを大切にしています。
難民や国内避難民がいるのは過酷な場所が多く、また、現在の 資金の縮小のもと私たちは時に難しい決断を迫られます。ただ どんな時も、UNHCR に「できません」という答えはありません。
難民の命がかかっているからです。時間がない中、正解か分から なくても勇気を持って決断しないと物事が動きません。「できな い」ではなく、難しいけれど、「どうすればできるか」を考え、現地 で人々と一緒に実行するのがUNHCRの強みだと思います。
私は、国連 UNHCR 協会で事務局長をしていた時に、皆様の信頼 を得てご寄付をいただくことがどんなに大変か、身をもって 学びました。今は現場で資金を使う立場となり、届けられるご寄 付の背後に、「苦しんでいる誰かの力になりたい。このお金を UNHCRに託そう」と思ってくださるたくさんの方がいるのだと 感じます。「このご寄付を少しも無駄にしてはいけない」といつ も肝に銘じています。私たち現場の職員は、皆様からご寄付を いただき、それを現場で活動につなげる「難民支援」という大き なサイクルの一部にすぎません。皆様、現場で活動する私たち UNHCR スタッフを信じて、貴重なご寄付を託してくださり、 本当にありがとうございます。「皆様の思いは届いています。 難民の確かな希望となり、次のステップにつながっています」と お伝えしたいです。
今、UNHCR の活動資金は大幅に不足し、非常に困難な状況に あります。しかし、それでもできることはあると信じています。 どうぞこれからも、家を追われ苦しむ人々の未来のためにお力 添えくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
高嶋由美子・プロフィール UNHCRイラン事務所代表。1999 年から現在までUNHCRジュネーブ本部、 アフガニスタン、ウガンダ等で勤務。UNHCR 緊急支援ミッションとして 東ティモール、カンボジア、ミャンマー、パキスタン、南スーダン、ウガンダ、 ヨルダンで活動。また、国連 UNHCR 協会・事務局長( 2009 ~2011年)。 2023年より現職。
国連 UNHCR 協会の設立に尽力
元職員・中村恵
さん インタビュー
2000 年、国連 UNHCR協会は2 人の職員から始まりました。その一人が中村恵さんです。
UNHCR本部から駐日事務所、ミャンマーでの勤務を経て、国連 UNHCR協会の立ち上げに従事。
以来 25 年間日本における難民支援に力を注いできました。
2025 年1月、惜しまれながら定年退職した中村さんにインタビューしました。
協会: 入職 3 年目のファンドレイザー* 、齋藤と申します。よろし くお願いします。中村さんはUNHCRの職員として活動されまし たが、どんなことが印象に残っていますか。
*全国で展開している「国連難民支援キャンペーン」の担当職員 中村: なんといっても、緒方貞子さんが第 8代国連難民高等弁務 官に就任されたことです。1989 年春からジュネーブ本部に勤務 していた私はとてもわくわくしました。1989 年11月にベルリン の壁が崩壊、東西冷戦が終結し、平和な1990 年代を期待してい ました。しかし逆に、激動の日々に対処せねばならなくなった 緒方高等弁務官のリーダーシップのもとで、UNHCRの人道援助 活動は大きくなっていきました。
もうひとつは、ミャンマーのラカイン州マウンドーで勤務した 日々( 1997 年12 月~ 99 年 4 月)です。国際スタッフ全員が単身
サトちゃん 当協会の動画 「難民『サト』のものがたり」に 登場する女の子
赴任で、UNHCR の仲間同士が助け合って共同宿舎で暮らしな がら、日々のフィールド業務に取り組みました。当時の仲間には 戦友のような絆を今も感じます。
協会: その後、中村さんは当協会の立ち上げに尽力されました が、設立のきっかけを教えてください。
中村: 当協会の設立は、UNHCR 駐日事務所のかねてからの念 願でした。一番の目的は、民間からのご寄付に税金控除を提供 できるようにすることでした。UNHCR に寄付しても、国連組織 は日本の法人ではなく税金控除が適用されないので、日本で寄 付を受け付ける窓口が必要だったのです。当時、国連難民高等 弁務官をされていた緒方貞子さんの賛同も得て、1999 年後半 から本格的に準備を始め、2000 年10月に法人登記されました。
協会: それから今に至るまで、ずっと続いているのですね。 中村: 本当に、「よくぞこんなきちんとした組織になってくれ た・・・・・」という思いで、とても嬉しいです。私が 40 歳の時に 設立されて、今では65歳。もう25周年ですね。私がUNHCR 職員 だった頃はこうした組織もなく、日本とのつながりもなくて 「糸が切れた凧」のような、拠り所がなく心もとない気持ちでした。 今は日々日本全国で、ファンドレイザーがUNHCRの活動を説明 していてつながっているし、世界各地で活動するUNHCRの日本 人職員も嬉しいと思います。
サトちゃん一口メモ
「 国連難民支援キャンペーン 」って何 ?
UNHCRの難民援助活動を支えるため、全国各地の商業施設や街 頭、戸別訪問などで行っている対 面式のキャンペーンです。世界の 難民の状況や UNHCR の活動、支 援のニーズをご説明し、毎月の継 続的なご寄付「国連難民サポー ター」についてご紹介しています。
協会: 私もキャンペーンの現場で「ずっと支援を続けています」 「学校で習いました」というお話を聞くと、UNHCR の難民支援 と日本の皆さんの仲介役として「これからも頑張ろう!」という 気持ちになります。
中村: 私は「この協会は絶対必要だ」と考えていました。世界の 平和のために役立つと。UNHCRを支援する活動を通して、多く の人が世界の紛争や難民問題への意識を高めるでしょう。その 意識が必ず平和を守ることにもつながる、と思ったのです。世界 ではいろいろな問題が起きますが、常に高い意識をもって、より 良い方向に行くよう努力している人があちこちにいないとね。 当協会はそのためにいくらか役に立っているように感じます。
協会:「国連難民支援キャンペーン」はどのように始まったの ですか?
中村: オーストラリアなど他国で始めていた活動で、UNHCR 本 部の協力も得て2010 年に本格的に始めました。日本では新しい ファンドレイジングの方法で、すべて手探りで始めたので試行錯 誤の日々でした。この25 年で特に印象に残っていることですね。
協会: 中村さんも現場(街頭)に立ったのですか?
中村: 立ち上げ当初はやりましたよ。スーパーの店舗入り口に 一日立って活動しても1人もお申込みいただけず。18 時を過ぎて 片付けていたら、「何しているの?」と男性に声をかけられたんです。 説明すると「UNHCRって知ってるよ。入ってあげるよ」と言ってく ださって!とても印象に残っています。
人が人に語りかけて伝えるこの地道な活動は、とても UNHCR らしい活動だと感じます。AIなどデジタルなこの時代に、これほど
「紛争と難民 緒方貞子の回想」
緒方貞子 著 集英社
アナログな仕事もないですよね。UNHCR 職員は、難民に最も近 い最前線で活動していますし、このキャンペーンに従事するファン ドレイザーは、ご支援くださる方々の最も近くで活動しています。 生の人間同士の連帯感をつなぐ役割の一端を、私たち国連 UNHCR協会も担わせていただいているのだと日々感じています。
協会: 最後に、支援者の皆さんにメッセージをお願いします。 中村: 2019 年10月に緒方貞子さんは92 歳でご逝去されましたが、 その年の初夏にお目にかかった時、当協会を通じて「国連難民 サポーター」としてUNHCRを支援してくださる方がいかに多く いるかをお伝えすると、とても驚かれ本当に嬉しそうでした。 緒方さんが示してくださった「国際協力を自分事とする」姿勢を、 私たち一人ひとりが力を合わせて、引き継いで行けるように願っ ています。一人の力は小さくても、私たち一人ひとりの努力は 決して無駄ではなく、小さな努力の積み重ねが、自分だけでなく 世界の平和を築き守ることにつながっているのだと信じています。
※この記事は2024 年 4月に実施された インタビューに加筆したものです 中村恵さんプロフィール 東京外国語大学卒業。1989 年に UNHCR 入職。ジュネーブ本部、駐日事務 所広報室勤務の後、ミャンマーにて援助 現場の活動に従事。2000 年末に退職し、 国連 UNHCR 協会の設立に関わり、職員 として勤務。2025 年に同協会を退職。
サトちゃん一口メモ
国連 UNHCR 協会と
UNHCR 駐日事務所の違いは ?
国連 UNHCR 協会 は、日本におけるUNHCRの公式支援窓口です。
UNHCR 本部と契約し、本部や駐日事務所と連携して日本の民間 へ向けて広報・募金活動にあたっています。ご寄付に対して、寄付 金控除の領収証を発行できる認定NPO 法人です。
UNHCR 駐日事務所 は、UNHCRの事務所の一つです。日本政府 や市民社会と連携して、日本国内の難民や庇護希望者、無国籍者 などの保護・支援に取り組み、日本での難民問題の理解促進に向 けて、広報活動や情報発信、メディア対応等も行っています。
UNHCRと難民、緒方貞子さんについて知ろう!
「難民に希望の光を 真の国際人 緒方貞子の生き方」
中村恵 著
平凡社
※印税の全額が当協会を通し、 UNHCRに寄付されます
「聞き書 緒方貞子回顧録」
野林 健、納家政嗣 著 岩波現代文庫 社会 319
「紛争・迫害の犠牲になる難民の子どもたち」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)著
櫛田理絵 訳 合同出版 「危機の現場に立つ」
中満泉 著 講談社
これからも、
「 国連難民サポーター 」の開始時から 22 年の
ご支援者:佐藤さん
1970 年代に日本に漂着した多数のインドシナ 難民や、ミュージカル「ミス・サイゴン」のサイゴ ン陥落の情景が、私の中で難民への関心を生 みました。何も持たず、着の身着のまま脱出してきた難民、彼らは 自らに何らの責任もありません。人類が果たすべき役割は明らか です。UNHCR 、国連 UNHCR 協会の活動に対し、これからもほん のわずかですが支援を続けていきたいと思っています。
国連難民支援キャンペーン担当 臼井ももこ 職員
足を止めてくださった方を、最後まで心 を込めてお見送りするよう心がけてい ます。私の話に耳を傾けてくださる方が いる。せめてそれが、「キャンペーン」という無機質、機械的 なものとならぬよう、私なりの誠意をもってお話ししてい ます。納得して支援を始め、「あなたに会えてよかった」と 言っていただけた時はとても嬉しいです。
広報啓発事業・UNHCR
難民高等教育プログラム担当 天沼耕平 職員
難民の人々も、この世界をより良 くしていこうと思って日々を力 強く生きています。どのような 境遇にあっても、大人でも子ども でも世界を変えるアクションを 起こすことはきっとできます。 みなさん一人ひとりができること を一緒に考えていきましょう!
ご支援者:ふみちゃんさん テレビから飛び込んでく る紛争地の惨状は目を覆 うばかりです。一人でも多 くの方の命が救われます よう、微力ではありますが UNHCR に私の思 いを託します。
スーダン難民で 弁護士・教師のアフメドさん
(避難先のチャドで難民の子 どもたちに自宅で英語・アラ ビア語・法律を教えている) 子どもたちは私たちの未来 です。私たちは、彼らが願う どんなことも成し遂げられ るよう、機会を提供する必要 があります。私は地域に貢献 したいと思っています。
UNHCR エチオピア事務所 渉外担当官 小坂順一郎 職員
故郷を追われた難民にとって、一番の不安は将来が見通せな いこと、そして忘れ去られること。そんな避難生活は平均で 10 年以上続きます。そんな彼ら、彼女たちに希望を届けるの が、皆さま一人ひとりの支援です。私たち UNHCR 職員は、 皆さまとともに「チームUNHCR 」として、現場で命と尊厳を守り続けています。 これからも難民とともに歩む力を、どうかお貸しください。
紛争や自然災害は絶えず、難民が増え続ける中で、常に難民とともにあり続けてきたUNHCR。 この75 年間、その活動を支えてきたのは、日本をはじめ世界各地の皆様の温かいご支援と励ましの声でした。 近年では、コロナ禍や自然災害の発生時など日本が苦しい時であっても、多くの人々が難民へ思いをはせ、
ご支援くださることに私たちは大変勇気づけられ、力をいただいてきました。
そして今、多くの人道危機が続く中で、世界的に人道援助への資金は大幅に削減され、 UNHCRを含む多くの援助機関がかつてない苦境に立たされています。
しかし、これまでもそうだったように、UNHCRは決してあきらめません。
難民を守る世界 それは、より安全で、より安定し、より公正な世界です。
一人ひとりに、必ずできることがあります。
ぜひこれからも一緒に、力を合わせて難民のもとへ支援を届けていきましょう。
©UNHCR / Joaquim Jamal
©UNHCR/Ying Hu
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