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特集 ポーランド視察レポート ウクライナからの難民に聞く 「 戦争が始まったなんて、信じられませんでした」 報告 トルコ・シリア大地震 UNHCRの緊急対応 © 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya
2023年6月|第49号 www.japanforunhcr.org 国連UNHCR協会ニュースレター[ウィズ・ユー] 難民のために、難民とともに
WithYou

難民が到着するプシェミシル駅

国連 UNHCR 協会

難民の皆さん、UNHCR スタッフと

ポーランド視察レポート

2022 年 2 月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、多くの罪のない市民の命と日 常を奪い、甚大な被害をもたらしてきました。支援者の皆様には、ウクライナと近隣国の 支援の現場で活動を続ける UNHCR( 国連難民高等弁務官事務所)へ思いを託し、大変 多くのご寄付をお送りいただいておりますことに、心より感謝申し上げます。

2023 年 3 月、当協会は事務局長の川合と職員 2 名がポーランドを訪問。ウクライナから 逃れてきた人々に話を聞くとともに、皆様のご支援がどのように活用されているか、 UNHCRの様々な活動を視察しました。その4日間にわたる視察の内容をご報告いたします。

ウクライナからの難民の重要な受入国 ポーランド

侵攻が始まった 2022 年 2 月、ポーランド国境では 1 日で 1 万人以上が到着する日もあり大混雑となる中、国境地 域に事務所のなかった UNHCR は、急遽事務所を設置し 緊急対応を開始しました。3 月、政府はウクライナからの 難民を保護する法律を制定し、同国からの難民に教育や 医療、就労の機会を提供すると決定*。UNHCR は政府と 連携し、ポーランドで難民支援を行う83 団体の活動の調 整にもあたってきました。

2023 年 4 月現在、ポーランドではウクライナからの難民 約 100 万人が一時的な保護を受けるために登録されて

おり、UNHCR は国境や駅、難民の居住地での保護活動 から現金給付支援、就労支援にいたるまで様々な支援を 行っています。

*ポーランド国民識別番号(PESEL)にウクライナからの難民も申請が可能に。 登録後は無料で医療や教育を受けられ、子どもには毎月給付金がある

保護 75 , 069 人

保護施設ブルードットや コミュニティセンター で保護を受けた人

現金給付

307 , 654 人

現金給付支援を受けた人。

脆弱性の高い難民から 優先的に給付を受ける

駅でウクライナへ戻る列車を 待つ家族と川合

2023 年 4月現在。この数字には、すでに他国へ移動した難民も含まれる場合があります。

2022 年 3 月、ポーランド・メディカ国境へ逃れてきた人々

援助物資

1 , 198 , 467 点 政府自治体や パートナー団体へ配布した 援助物資

保護モニタリング、面談

52,140件

難民の支援のニーズを 把握しサポートするための モニタリング、難民との面談

電話による情報提供や支援

46 , 140 件 カウンセリングラインなど で対応した電話の件数

© UNHCR Chris Melzer © 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya © 国連 UNHCR 協会 Atsushi Shibuya © 国連 UNHCR 協会 Atsushi Shibuya
ポーランドでの UNHCR の支援( 2022 年 2 月~ 2023 年 4 月)
ウクライナ ロシア スロバキア 約11 5万人 チェコ 約50万人 ハンガリー 約3 5万人 ベラルーシ モルドバ 約10 8万人 ルーマニア 約9 9万人 ポーランド 約100万人

3 月 6 日[ 月 ]

視察地: ジェシュフ

(ポーランド東部・ウクライナ国境)

ウクライナと国境を接する街・ジェシュフ。侵攻が 始まって以来、ウクライナから多くの難民が列車で 到着しているプシェミシル駅に向かいました。

列車が到着すると、駅の中にあるパスポート コントロールを経て次々と人々が出てきます。

チェコ共和国に1年避難していたマリアさんはハル

キウ出身。これからウクライナに戻ると言います。

「学校は再開していないけど、友達もいるし、

オンラインで授業を受けます。日本の支援に 感謝しています。支援なしには、私たちは自分を 守れませんから」。流暢な英語で答えてくれた彼女 に年齢を聞くと12 歳とのことで、大変驚きました。 ついで、到着したばかりの母親と小さな女の子 に声をかけました。「名前は ? 」と聞くと「マーヤ!」 と、かわいらしく元気な返事。4 歳だそうです。

母親でキーウ出身のオクサナさん( 27 歳)は、 「ポーランドまで 12 時間かかりました。キーウで 暮らしていて最も大変だったのは、空襲警報が 鳴るたび地下のシェルターに避難しなければなら ないことでした。疲れ切っています」と話しました。

「私たちがこうしていつも駅にいることが大切です。 到着する人の多くは女性と子どもで、外国に来 てとても不安で疲れ切っていますが、私たちを 見ると喜んで笑顔になります。『あなたはウクラ イナ出身なのね!』と」。

抱き合って家族との再会を喜ぶ人、足早に目的 地へ向かう人など様々な人がいる中、UNHCR のスタッフに声をかけ質問する人が何人もいま した。自身がウクライナからの難民で、UNHCR のスタッフとして働くユリア職員は言います。

この後はウクライナとの国境の町メディカへ。 侵攻開始直後から避難した人がつめかけ、大混 雑となった場所です。国境周辺を巡回していたス タッフで、同じくウクライナ出身のナタリア職員 は、多くの支援団体が撤退した今、UNHCR の 存在は一層重要だと話します。駅にも国境にもこ うして UNHCR のスタッフがいることで、助けが 必要な人をすぐサポートできるのだと感じました。 このほか、UNHCR が支援する一時滞在セン ター(新たに避難してきた人が 2 日間無料で滞在

できる施設)やセンター内の女性や子どもの 保護施設「ブルードット」、防寒用の改修工事が 終了したばかりのシェルターを訪問。UNHCR の

幅広い支援とその意義を強く感じた一日でした。

© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya
© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya ナタリア職員と。川合の後方はウクライナとの国境 ジェシュフ クロスノ クラクフ ワルシャワ ベラルーシ スロバキア リヴィウ メディカ ポーランド
© 国連 UNHCR 協会 Atsushi Shibuya
ウクライナから到着したばかりのマーヤちゃん
ウクライナ
第49号|2023年6月 03
駅に到着した難民の女性とユリア職員
UNHCRオフィス
With You

With You

ポーランド

クラクフ

ジェシュフ クロスノ

ウクライナ

リヴィウ メディカ

ワルシャワ ベラルーシ スロバキア

3 月 7 日[ 火 ] 視察地: クロスノ (ポーランド南東部)

スロバキア国境に近い小さな町、クロスノを訪問。 難民の受入をいち早く決め、手厚いサポートを 続けてきた町です。ウクライナ・ザポリージャの 町から、バスで一緒に逃れてきた人々が避難す る集合シェルターを視察しました。民族衣装に 身を包んだウクライナの方々が待っており、歌と ダンスによる素晴らしい歓迎を受けました。中には、 涙で目を赤くしながら歌っている方も。美しく 力強い歌声に、ウクライナ語の歌詞が分からなく ても、彼女たちの苦しみや悲しみ、母国への思い

が直に伝わってくるようで、胸が震えました。

その後、3 人の女性たちがインタビューに応じ、 故郷や避難の旅などについて話を聞かせてくれ

ました( P6 に掲載)。以前からご支援いただいて いる、東京の淑徳中学校の皆さんからいただい た手作りのメッセージを川合が手渡すと、大変喜 んでくださり、廊下の壁に貼ってくださいました。

昼食は難民の方が作った食事をいただきました。 寒さの残るこの日、ウクライナ風のボルシチは しみいるようなおいしさでした。

3 月 8 日[ 水 ] 視察地: クラクフ

(ポーランド南部)

UNHCR クラクフ事務所の代表から説明を受け た後、コミュニティセンターを視察。「子どもに やさしいスペース」では、子どもがフィンガーペ インティングで遊んでおり、ポーランド語のクラ スでは、約 10 人の難民が受講中でした。様々な アクティビティがある中で、私たちは折り紙セッ ションを開催。熱心な方が多く、飾り用に置いてい た「ツル」を見た女性の「これを折ってみたい!」と いうリクエストに応え、急遽一緒に挑戦することに。 さらに驚いたのは、母親・兄と一緒に来ていた デイビッドくん( 8 歳)が、折り紙が得意だったこと。

シェルターへの日本人の訪問は初めて とのこと。心のこもった歓迎セレモニー

この後 UNHCR がカウンセリングや現金給付の 登録など様々な支援を提供しているコミュニ ティセンターに移動し、2 組の難民の家族にイン タビュー。「今住んでいるシェルターが閉鎖予定 で、これから住む場所がないのです」と不安を語 る母親と表情が硬いままの男の子に、難民がい

かに不安定で先の見えない生活を送っているか を痛感しました。

折り紙の得意なデイビッドくん(中央)と2番目の兄、母親

私たちのセッションの後、もう一人の「講師」に なって「舟」の作り方をみんなに教え始めました。 聞けば学校で折り紙を学んだ兄に 教わったそうで、彼は今ウクライナに 残っているとのこと。ずっとニコニコし て見守っていた母親は、「母親はみん な、自分の息子が誇りです」と嬉しそう に話しました。夫と息子を戦闘中の ウクライナに残している彼女の、あたり を照らすような笑顔が心に残りました。 この後、心のケアを目的としたプログ ラムを視察。参加した女性たちが、互いの体験や 思いを共有し、表現するユニークな内容でした。 このセンターでは横浜市立金沢中学校の皆さん からいただいたメッセージをお渡しし、女性たち は集まって熱心に読み、嬉しそうに写真を撮った りしていました。

© 国連 UNHCR 協会 Atsushi Shibuya
© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya
© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya
第49号|2023年6月 04
一緒に記念撮影。この後囲まれて、 それぞれの携帯で撮影大会に

ワルシャワ ベラルーシ

ポーランド

クラクフ

ジェシュフ クロスノ

スロバキア

ウクライナ

リヴィウ メディカ

With You

3 月 9 日[ 木 ] 視察地: クラクフ

最終日、市が運営する難民のための集合シェル ターを視察しました。閉鎖が決まり、ここに避難 している約 400 人は、別の避難場所に移る予定

とのこと。簡易ベッドが立ち並ぶ空間を見て、 「男女別に分かれていますか ? 」と聞くと、「家族は 分けられないので男女一緒です」とのことでした。

インタビューに応じてくれた一人は、ヴァレン ティーナさん( 83 歳)。「シェルターでの支援は本 当に助かっています」と語り、初めて会った私た ちをぎゅっと抱きしめ、その明るい笑顔にこちら が励まされるようでした。

自分のベッドに腰掛けるヴァレンティーナさん。

母国に残る孫息子の無事を願っている

その後、最後に訪れたのは、娘、孫娘と避難生活 を送るニーナさん( 69 歳)のアパートです。ウク

ライナ・ハルキウ出身のニーナさんは、化学アナ リストとして 50 年勤め上げた女性。お手製の アップルパイと紅茶で迎えてくれました。「パイ の材料の小麦粉なども、支援の一環で受け取り ました。本当に感謝しています」と話します。

やさしくたおやかなニーナさんが話してくれた のは、一家に突然突き付けられた厳しい現実で した。「私の夫はロシア人です。戦争が始まった時、 彼は何日も黙っていました。とても信じられず、 激しいショックを受けていたのです」。

夫をハルキウに残しているニーナさん。そして、 借りているこのアパートを近いうちに出なけれ ばならないけれど、まだ次の家が決まっていない と言います。今も忘れられないのは、「私には泣 く権利はないのです」というニーナさんの言葉 です。彼女がどれほど張りつめた気持ちで生きて きたのか、胸が痛みました。別れを惜しみながら、 早く良い住む場所が見つかりますように、と願わ ずにはいられませんでした。

日本の皆さんへ

温かいご支援に、心から感謝いたします。何も差し上げることはできないけれど、私たちの心を贈ります。 どうぞこれからも、ウクライナのことを忘れないでください。

© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya
© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya
孫娘のアンナちゃんと
温かく迎えてくれたニーナさん。娘は東京で働いていたこともあるそう
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© 国連 UNHCR 協会 / Atsushi Shibuya 第49号|2023年6月 05

With You

「戦争が始まったなんて、 どうしても信じられませんでした」

ウクライナから、ポーランド南東部の町クロスノに避難 してきた 3 人の女性たちに話を伺いました。

国連 UNHCR 協会(以下協会):皆さんの故郷や避難した理由に ついて教えてください。

マリアさん:私たちは中南部ザポリージャ州エネルゴダル市の 出身です。クロスノから1500キロ、欧州で最大の原子力発電所が あります。エネルゴダル

は 2022 年 3 月3 日にロシ ア軍に占拠されました。 最初は、戦争が始まった

なんてどうしても信じら れませんでした。木曜日

キーウ ザポリージャ州 クロスノ ウクライナ

ザポリージャ原発 エネルゴダル

で子どもたちは学校に行っていて、ごく普通の日だったのです。 エネルゴダルはまだ爆撃されておらず、戦争が迫っている実感は ありませんでした。プーチンの演説*を聞いたリウドミラさん (避難を主導した女性)が「戦争が始まる」と感じ、町の人々に電話 をかけ始めました。「戦争が始まったら避難しますか ? 」と。信じら れず断った人もいました。*2022 年 2月21日のプーチン大統領によるロシア 国民に向けた演説。この後24日に侵攻が始まった。

メアリーさん:私は 4 か月間は占拠された町にとどまり、2022 年 7月にここに避難してきました。

カテリーナさん:私はすぐに避難しました。最初避難用のバスは 空っぽでした。誰も最初は信じなかったのです。

協会:空っぽだった? 結局そのバスでは何人が避難しましたか?

カテリーナさん:75 人です。定員は50 人でしたが、座席の間にも 座りぎゅうぎゅうでした。乗っていた一番小さな子どもは生後数か 月でした。私はその時、2週間くらいで帰れると思っていました。

マリアさん:私は3人子どもを連れていて一番下の子は2歳、上の 子は12 歳でした。バスは爆撃のたびにルートを変え、夜は危険な ので移動できませんでした。国境は徒歩で逃げてきた人、自家用 車、バスなどで大混雑しカオスでした。気温が 15 度ほどに上がっ

た後、一気に零下 5 度まで下がり大雪が降りました。でも誰も備え ていませんでした。冬の靴も上着もない人もいて、夜は眠れず、 この先どうなるのかも分からず、最も辛かった体験の 1 つです。

バスの中から、国境近くで子どもと手をつなぎずっと待ち続けて いる女性を見て、同じ母親として胸が痛みました。ポーランドに 入るまで3日かかりました。

(写真前列中央から右へ) メアリーさん( 28 歳)、カテリーナさん( 44 歳)、マリアさん( 38 歳)

3 人(口々に):ポーランド政府が、ウクライナから逃れてくる人を 公的な書類を持っていなくても受け入れたことは重要でした。 国境を越えると多くのポーランドの人々がきて食べ物や温かい スープ、毛布、温かい服などをくれました。国境ではシステムが何 度もダウンし、到着する人々の情報を手書きで記録し、休みなく 働いていました。私たちが「 3 日間眠っていないんです」と言うと、 国境のスタッフも「自分たちも3日間眠っていない」と答えました。 カテリーナさん:(クロスノの)この寮に住んでいた学生たちは、 私たちのために他の寮に移ってくれていました。私たちがここに到着 したのは朝の 4 時でしたが、町の人々が皆待っていて、とても温かい 出迎えを受けました。部屋は改修されきれいに整えられていました。 メアリーさん:私には1 歳の息子がいてお金もあまりなく、逃れて も住む場所も分からず怖くて避難できずにいました。ついに避難 を決め、車でロシアに支配されている地域との境界まで行くと 400 台ぐらいの車列があり、ロシア兵が全ての車をチェックして いました。普段なら町からザポリージャまで約 1 時間なのに6日間 足止めされ、どうなるか分からず辛い 6日間でした。ついにウクラ イナ側に入り、ウクライナ兵の姿が目に入った時、私は激しく泣き ました・・・、その感情は言い表せません。そしてクロスノのこの シェルターに着き、部屋のドアを開けたらおむつやおもちゃ、私た ちに必要な物すべてが置いてあったのです・・・(涙声になる)。 協会:状況が改善したら故郷へ戻りたいですか。

カテリーナさん:私は勝利した時のみ帰ります。勝利すれば平和 が戻るでしょう。

メアリーさん:ここにいる人の多くは「戻りたい、戻りたい」と話して います。これは私の(本来の)人生ではないし、これは私ではない、と いう気持ちです。でも、今先のことを決めるのはとても難しいです。

◆ インタビューの完全版は、以下ページでお読みいただけます https://www.japanforunhcr.org/news/2023/wy49-Poland このインタビューは2023 年 3 月に行われ、個人の経験や見解に基づくもので、必ず しもUNHCRの見解を表わすものではありません。

インタビュー中は涙ぐんだメアリーさん(左)も、別れ際はマリアさんと 笑顔を見せてくれた

【終わりに】「なぜ、この人がこんな苦しみに遭わなければならな いのだろう」。難民の方に話を聞くたび、戦争の理不尽さと悲惨さ を思い知らされた 4 日間でした。母国と家族を守るために困難に 立ち向かう、ウクライナの人々の強さにも圧倒されました。また、 避難の長期化に伴い、住居や教育、就労等の中長期的な支援の ニーズが増大していることを実感し、日本をはじめ国際社会が、 ポーランドのようにウクライナからの難民を多く受け入れている 国を支援し、共に難民を支えていくことも重要だと感じました。

© 国連 UNHCR 協会/ Atushi Shibuya © 国連 UNHCR 協会/ Atushi Shibuya
第49号|2023年6月 06

トルコ・シリア大地震  UNHCR の緊急対応

2023 年 2 月、トルコ南部のシリア国境近くで大地震が発 生し、トルコとシリアで 5 万 5 , 000 人以上が死亡する大惨 事となりました。両国で多くの難民と国内避難民を巻き 込んだ緊急事態に、UNHCR は直ちに対応を開始。

現在も援助物資の提供からシェルター支援、子どもの保護、 心のケアに至るまで様々な援助活動を続けています。

トルコでは政府の要請に応じ、緊急シェルター

など約 130 万点の物資を政府やパートナー団 体、緊急避難施設などに提供。また、UNHCR のカウンセリ ングラインでは地震発生以降 6,000 件以上の電話を受け ており、相談内容の多くは家屋の被害や経済的な支援に 関するもので、情報提供やアドバイスを行っています。

UNHCR は被災地域など4 か所の事務所で 82 名のスタッ フが活動。被災現場へ毎日出動し、人々の被害やニーズの 聞き取り調査、保護活動にあたっています。

内戦に苦しむシリアで、UNHCR は保護活動 とシェルター・援助物資を提供する活動を主 導し、132 台のトラックで約 21 万 7,265 人に援助物資 キット(内訳:毛布、マットレス、調理器具セット、防水シー ト、水くみ容器、ソーラーランプ、就寝用マット)を配布し ました。また、カウンセリングなど心のケア、子どもの保 護、家屋の損傷に関する支援など、61 万件以上の保護 活動を実施してきました。現在、集合避難所のプライバ シーや安全性を改善するための改修も進めています。

「なんとか家から抜け出ましたが全部置いてきました」と話す 5 人の子の 母ライダさん(シリア難民)。家は壊れテントで生活を送っている

アレッポの避難所で、UNHCR からの援助物資を受け取る家族

ラタキアの避難所の学校にて。UNHCR は被災した子どもたちのための アクティビティや心のケアにも尽力している

皆様のご協力により、UNHCR は迅速に緊急支援を開始し、 人々の命を守り避難生活を支える様々な活動を続けることができました。心より感謝申し上げます。

しかし、この甚大な被害からの復旧にはまだまだ長い時間がかかり、多くの資金が必要です。

UNHCR は家を失った人々への現金給付支援も開始し、生活を再建する支援を続けています。 どうぞ今後もご関心を持ち続け、ご支援をいただければ幸いです。

© UNHCR Hameed Maarouf © UNHCR Emrah Gürel トルコ・ハタイ市 シリア・アレッポ 衛生設備 44 万 3 , 800 基 毛布と寝袋 18 万 7 , 800 点 折りたたみベッド 9 万 1 , 300 台 就寝用マット 5 万 6 , 700 枚 テント 3 万 4 , 700 張 調理器具セット 4 万 1 , 500 点 衣類 4 万 5 , 000 点 衛生キット 7 万 2 , 600 点
トルコ シリア © UNHCR © UNHCR Hameed Maarouf © UNHCR / Emad Kabbas ガジアンテップ アレッポ アンカラ 地中海 黒海 ハタイ ラタキア 2023 年 5月現在 被害を受けた主な地域 M 7 . 5 M 7 8

ポーランド視察で会ったウクラ イナからの難民の親子。夫と 長男を母国に残してきた母親 も、一緒に折り紙セッションを 楽しんだ

With You

東京マラソン 2023 チャリティ へのご支援ありがとうございま した。本チャリティを通じていた だいたご寄付は、紛争で故郷を 追われた難民の子ども・若者の 生きる意志につながるスポー

ツや教育の支援に役立たせて いただきます。

東京マラソン 2024 チャリティ につきましても詳細が確定次 第、公式ウェブサイトや SNS で お知らせします。 https://www.runwithheart.jp/

は男 3 人兄弟の真ん中で、小学校 で野球、中学でバスケ部、高校で アメフトと、スポーツに励む活発な 少年でした。その後アメリカの大学で政治 学を、大学院では人権法を学びました。大学 院を卒業後、日本に帰 国し就職が内定したの ですが、国連ボランティ ア( UNV )が UNHCRへ 派遣する人を募集して いて、就職まで間が あったので応募しまし た。面接では「来週行け るか?」と聞かれ、すぐボ スニアに行くことに。何 の説明もなかったです。 すごい時代ですね、今 ではあり得ません。  当時、物資を運ぶ運 転手の中には荒くれ者 もいました。26 歳ぐら いだった私は「ここで なめられたらいけな い」と思い、初日からけ んか寸前に。ちょうど 緒方貞子さんが国連難民高等弁務官に着 任し、防弾チョッキを着てサラエボも訪問 された頃でした。私は結局日本で就職せず、 UNHCR でミャンマーやアフリカ各地、ジュ ネーブ本部、アジア地域事務局等での勤務 を経て、シリアとレバノンでは代表として活 動にあたりました。

初動が早いです。シリアで今年 2 月に地震 が発生した際は、翌朝には物資を提供して いました。あと、国籍、ジェンダー、経験、考 え方など多様性に富む職員がいることは、 UNHCRの宝です。

From the Field 難民支援の現場から

UNHCRレバノン事務所の仲間たちと (右端が伊藤代表)

With You

国連UNHCR協会ニュースレター

[ウィズ・ユー]

第49号|2023年6月

発行 特定非営利活動法人 国連UNHCR協会 [国連難民高等弁務官事務所・日本委員会]

〒107-0062

東京都港区南青山6-10-11

ウェスレーセンター3F Tel.0120-540-732 Fax.03-3499-2273 www.japanforunhcr.org

編集 国連UNHCR協会

デザイン NDCグラフィックス

印刷 凸版印刷株式会社

©Japan for UNHCR

本誌掲載記事の無断転載を禁じます。

シリアでは、「書いたこと、言ったことは全 て漏れていると思え」と言われ、内部での メール1つにも気を使いました。本部にセン シティブな電話をかける時には、車で1時間 かけてレバノンまで行ったり。紛争が2011年 に始まり、政府側が国の約7 割を制圧した頃、 「もう難民に帰ってきてほしい」と言われまし た。でも「政権が変わるまで帰らない」という 難民も多く、UNHCRとしては「帰ってきてく ださい」とは言えない。何かと厳しい扱いを 受け、1年間、私が代表としてダマスカスから 移動することに許可が出ませんでした。

コロナ禍で現場や職員が心配でも、見に 行けずに辛かったです。でも、政府もコロナ 禍への対応に苦労していて、UNHCRと協力 する方向に態度を軟化したんです。波を変え られて嬉しかったですね。その後は現場を定 期的に訪れることができました。

UNHCRの強みは「現場」です。フィールド 重視で人に寄り添う。現場に裁量権があり、

6月20日は「世界難民の日」!

問題があったり迷う 時には、「難民に聞こう」 「難民は何て言ってい る? 」と話したりします。 チームだけで話している と基本を忘れ、UNHCR の目線と難民が本当に 望んでいることが違っ たりするので、「難民の 視点」を常に持ち、「傲慢 な UNHCR 」にならない よう気を付けています。  今も心に残っている のは、スーダン・ダル フールでのことです。長 男と長女が生まれた後 で、ダルフール紛争が 始まった頃でした。ヘリ コプターから、家が焼 かれているのが見えま した。ある村では武装勢力の被害に遭った 人達がいて、私を見た老人が、背中を斬ら れ半身不随になった男の子を抱いてきて、 私に差し出すのです。幼い息子の姿と重な り、この仕事をしてきて初めて泣きました。 レバノンでは、シリア難民のシングルマ ザーで生活の糧にと人形作りを始めた女性 がいました。私がレバノンを去る時、彼女が サプライズで私にそっくりな人形を作ってプ レゼントしてくれて、嬉しかったですね。  難民は「かわいそうな人」ではないんです。 多彩な経験やスキルを持っています。難民を 最初から会話に入れ込み、彼らに何ができる か考え、対等な立場で共に活動することが必 要です。

支援者の皆様のご支援に、心より感謝い たします。私は日本で、今まで支援を受け 現場で活動させていただいた恩返しをする つもりです。皆様も一緒に、難民支援の意 識や機運を高める「アクター」になってほし いと願っています。

プロフィール ……東京都出身。コロンビア大学 大学院修了。UNHCR ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、 ミャンマー、スーダン、アルメニア、レバノン、ソマ リアなどで難民保護に従事。UNHCR 本部 国際 保護総局 保護官、アジア太平洋地域局次長。 UNHCR シリア代表、UNHCRレバノン代表を経 て、2023年1月からUNHCR 駐日代表

キーワードは「#難民とともに」。

6月20日は2000年に国連によって制 定された「世界難民の日」。紛争や迫 害で家を追われた難民や国内避難民 に思いを寄せ、連帯を表す日です。

日本各地の様々な取り組みを掲載した、 2023年の「世界難民の日」の

特設ページはこちら

https://www.unhcr.org/jp/wrd2023

©UNHCR / Aline Irakarama
©UNHCR
伊藤礼樹 いとう・あやき 27 私
© 国連 UNHCR 協会 Atsushi Shibuya
今号の表紙
東京マラソン チャリティについて
第49号|2023年6月 08

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