NichigoPress (NAT) Sep.2019

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2019年9月 37

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モリソン政府による 官僚機構改革の動き ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹 現在、巨大通信企業テルストラの前CEOを長とする諮問委員会が、連邦公務員制度のレビューを実施中 だが、2019年選挙で番狂わせの勝利を収めたモリソン保守連合政府は、同答申書の完了、結論を待たず に、公務員制度改革をスタートさせる見込みである。なお、豪州の人口は2,600万人に達しているが、その うちの200万人が「公務員」に分類され(注:豪州は連邦、州など、そして地方公共団体の3層構造となって いる)、さらに、そのうちの24万人が「連邦公務員」とされる。

2大政党と官僚機構 ここでまず、政 策/意 思決定 過程にお ける連邦官僚の役割、位置付けを見てみる と、実は豪州でも1970年代ころまでは官 僚の力が強く、官僚主導の政 策/意 思決 定が多かったとされる。首都のキャンベラ にはコモンウェルス・クラブという紳士/淑 女クラブがあるが、かつて連 邦の諸政 策 は、各省の次官たちが同クラブで食事をし つつ決定し、また、そこで各省庁間の政策 調整も行われていたとのエピソードが、ま ことしやかに語られるほどである。 ところが80年代以降、連邦官僚の影響 力は相対的に低下していき、それ以降は、 少なくとも重要な政 策、あるいはセンシ ティブな政策に関しては、2大政党共に政 治家主導で決定されてきた。また、94年に 当時のキーティング労働党政権が、それま で官僚トップの「力の源泉」であった終身 次官制度、すなわち長期にわたって在任で きた各省の事務次官を、任期制へと変更し たことによって、この傾向は一層推し進め られることとなった。 96年に誕生したハワード率いる保守連 合政 権も、初期から官僚機構に厳格な姿 勢で臨んでいる。まずハワードは政権奪取 直後に、政府が労働党系と見なす6人の各 省事務次 官を更 迭している。更に保守政 府は、勤務考課ボーナス制度の導入などを 通じて、事務次官給与を大幅に上昇させる 一方で(注:最高額の首相府次官の現在の 給与は、年間90万ドル程度と、55万ドルの 首相や60万ドルの最高裁長官の給与を大 きく上回る)、各大臣の次官への監督権を 強化し、また官僚機構に民間の効率意識 といったものの導入を図って、公務員のパ フォーマンスを常にチェックできるような 体制を築いてきた。 た だ 実 はそ れ 以 上 に 重 大 な 点は 、連 邦 省庁の中でも最も「格 の高い」首 相府 (PM&C)、しかも各省の事務次官を「採 点」する首相府の次官に、ハワードがモー ア‐ウィルトンなる、自由党のスタッフとも 言うべき人物を任命したことであった。こ のマックス・モーア-ウィルトンは、NSW州 財務省次官であった時代に(注:連邦官僚 も経 験。首相府次 官に就任する直前には シドニー証券取引所の理事長であった)、 厳しい緊縮財政を追求したことから、 「大 なた 鉈ふるいのマックス」とあだ名された、 極め こわもて て知性、 能力は高いものの、タフで強面、 ごうがんふそん 傲 岸不遜の人物であった。即断即決であっ たし、一旦決定したら「振れる」ことがない という長所もあったが、誰もが楽しく仕事 できるような人物では決してなかった。 こうして、ハワード政 権 時 代には 政 治 家、とりわけ大臣と官僚の「主従関係」が 強化され、 中立、客観性を旨とする官僚が おもね 政府に阿 る、あるいは迎合するようになっ たと批判されていたのである。少なくとも キーティング労働党前政権時代と比べて、 ハワード政権下で官僚の「政治化」が進ん だことは否定できない。 一方、労働党の官僚機構への姿勢だが、 労働党は野党時代から、高級官僚が政府

き た ん

に対して忌 憚のない助言を行えるような 環 境を整 備 すると述べつつ、5 年間の次 官任期の保証や、各省次官への勤務考課 ボーナス制度の廃止などを公約し、実際に 2007年11月の選挙で勝利したラッド労働 党政 権は、政 権奪 取後にそれを実行して いる。 ただ、当初はラッドも公務員の不偏不党 性、率直な意見具申などを尊重していたと されるが、在任期間の後半にはラッドの独 善的、単 独的な決定が 著しく増加してい た。またラッドは、公務員に対する要求が 極めて高い一方で、無意味とも言える仕事 の依 頼も多かったことから、キャンベラの 官界では、 「暴君」ラッドの人使いの荒さ に強い不満が醸成されていた。

邦財務省勤務は4年間だけに過ぎず、一方 で、自由党大物閣僚のチーフ・オブ・スタッフ としての経歴は合計13年にも及んでいる。 ところが自由党色ゆえに、財務次官就任が 問題視されたそのガージェンが、先日公表 された人事で、今度は官僚トップの首相府 次官に任命されている。これはハワードを 師と仰ぐモリソンが、ハワードを踏襲して、 官僚機構全体の管理強化を狙ったものと 考えられる。 要するに、モリソンにとってのガージェン は、ハワードにとってのモーア-ウィルトンと みなせる。この人事を見ても、モリソンが官 僚機構の改革に熱心であることが窺える。

保守連合政権の官僚制改革

今回のモリソンの動きだが、実は5月18 日の連邦選挙で勝利した直後、正確には 5日後に、モリソンは計18の連邦各省の次 げき 官を一堂に集め、檄 を飛ばしている。し かも選 挙 後のモリソン第2次保守政 権の 組閣では、首相のモリソンが、自ら行政/ 公共サービスの所掌を兼任することになっ た。こういった一連の出来事によって、モリ ソン政府が連邦官僚機構の変革に向けて 動き出すことが予想されていた。 その目的は、行政機構の基本的使命であ る「政府政策のスムーズかつスピーディー な執行」を保証することにあるが、公務員 改革を進めるモリソンの動機としては、お そらく主として以下の3つが考えられる。 第1に、何よりもアジェンダ作り、改革志 向イメージの醸成である。19年連邦選挙 は、モリソン率いる与党保守連合が再選を 果たすという番狂わせの結果となったが、 周知の通り、同選挙での野党労働党の主 要敗因となったのは、野党の野心的な経済 政策への国民の恐れと、政権担当能力を 誇示することを狙って、そういった政策を前 面に掲げて選挙キャンペーンを戦った、野 党のいわゆる「大きな標的戦略」(Large Target Strategy)の失敗であった。 ただ、自信過剰気味であったショーテン 野党の「大きな標的戦略」は、結果的に失 敗に終わったものの、今次選挙では、与党 保守 連合の「小さな標的戦略」への強い 批判も惹起されることとなった。すなわち 今次 選挙を通じて、保守 連合には経済改 革の「青写真」がない、あるいはモリソン 保守政府には将 来の重要アジェンダがな い、ビジョンがないことが露呈されてしまっ たと言える。 そういった中で、米国と中国との貿易紛 争がエスカレートし、国際経済に負の影響 を及ぼすことが懸 念され 、また豪州準 備 銀行(RBA)の金融緩和の動きや、低GDP などの経済統計の公表によって、国内経済 の先行きにも不透明感、不安感が醸成さ れつつある。そのため、先日の連邦選挙で 再選を果たしたモリソン保守連合政 権に 対し、持続的経済成長を保証するため、あ るいは国家財政を健全化するため、可及的 速やかにミクロ経済改革、構造改革のロー ドマップ/行程表を策定し、改革を断行す べきとの要求が高まりつつあるのだ。

07年11月から13年9月まで続いたラッド /ギラード/ラッド労働党政権にも終止符 が打たれ、13年にはアボット率いる保守連 合政権が誕生したが、アボットは政権奪取 直後に、行政組織の改編を行っている。 そもそも豪州の連邦各省は、法律によっ て設置されているわけではないことから、 省の統 廃 合、名称変更などは容易に行え る。実 際に、政 権 党の思 惑 、裁 量によっ て、豪州では相当に頻繁に省庁の再編、一 部所掌の省間移管、閣僚の担当所掌の組 合せの変更などが実施される。 アボット第1次政権の組閣の直後にも、 主として省の名称の簡略化と、一部省庁の 再編が断行されたのである。当時の省庁 再編の最大の特徴は、担当所掌名が錯綜 していた省の名称を簡略化したことであっ た。それまでの複雑で長大な省名により、 担当閣僚の肩書きも複 雑で長大なものと なっていたが、アボットは組閣の公表に際 して、労働党政権下では閣僚の「肩書きイ ンフレ」が進行し、閣僚には特大サイズの や ゆ 名刺が必要とされたと揶 揄しつつ、保守政 権は「肩書きデフレ」を実施すると宣言し ていた。 さて、ターンブル首相時代末期の昨年7 月に、モリソン連邦財務大臣(注:現首相) が記者会見を開き、フレイザー連邦財務省 事務次官が7月末をもって次官ポストから 辞任することを公表している。そして後任 の次官に任命されたのが、長らくコステロ 財務相やモリソンのチーフ・オブ・スタッフ を務めたガージェンであった。フレイザー の次 官任期は19年末までであったし、ま たわずか2週間後に辞任するという慌ただ しいものであったこと、さらにガージェン は6月に、ビショップ外務相によって、次期 OECD大使に任命されたばかりであったこ となどから、この唐突な人事は驚きをもっ て受け止められると共に、何らかの理由 で、フレイザーが政府により更迭されたと の見方も出されていた。 言うまでもなく、連邦各省の次官人事に は「政治的要素」が付きまとうものの、こ れまでの財務 省次 官は、何よりも財務官 僚として長年の経 験がある者が任命され てきた。ところがガージェンの場 合は、連

官僚機構革の背景

公務員制度改革を推し進めるスコット・モリソン首相

確かに、官僚 制度の改革は、直 接には 経済改革とは言えないものの、モリソン政 権は「何もしない政府」ではとの疑念が生 じつつあることから、同改革を通じてモリ ソンは、改革志向政権というパーセプショ ン、イメージを醸成しようとしているのだ。 第2の動 機は、財政の 健 全化に資する との政 府の思いである。まず連邦官僚 機 構の規模については、もともと保守連合は 「安価な政府」を標榜しており、実際に96 年にハワード保守連合が政 権に就くやい なや、首都キャンベラを中心にして公務員 数が相当に削減されている(注:ただ保守 連合が長期政 権化するにつれて、公務員 数は一転して増加の傾向にあったが)。ま たアボットも公務員数の削減を実施したと いう経緯がある。 これに対して労働党は、そもそも与党より は「大きな政府」を志向している。実際に、 野党時代の労働党は、経費節減のために 「贅肉落し」が必要と主張していたものの、 政権の座に就いてからは、省庁再編や数多 くの法定機関、諮問機関を設置し、そのた め公務員数は一層増加傾向にあった。 今回のモリソンによる公務員制度改革 の動きは、上 述したように、政 府 政 策の スムーズかつスピーディーな施行、そして 「レッド・テープ」や「縦割り行政の弊害」 の排除などを目指したもの、要するに官僚 機構の効率化を目指したものに他ならな い。これが、政府の規模削減、公務員数の ま 削減に通じるものであるのは論を俟 たな い。モリソン政府としては、国家財政の持 続的な健全化を図る上で、膨 大な人件費 のかかる官僚機構のスリム化が不可欠と考 えているのだ。 第3に、ゆくゆくは連邦制の改革につな げたいとの、モリソン政府の思惑である。 1901年より連邦制を採用する豪州だが、 そもそも個人主義を標榜する自由党は、伝 統的に州権擁護の立場である。ただ、州の 権限や役割を尊重した場 合、連邦政府に よる連邦制の「運営」は一層困難なものと なる。その理由は、教育や医療行政といっ た、いわゆる「共管的権限」分野、すなわ ち教育や医療 分野のように、連邦と州政 府が同じく担当する分野、権限や役割が重 複する分野が存在するからだ。 「共管的権 限分野」の存 在は、責任の所在を曖昧な ものにするゆえに、 問題が生じた際に連 邦や州は責任の擦り付け合いをすること となる。 いずれにせよ、とりわけこういった分野 でモリソン連邦政府が、連邦官僚機構の 効率化を目指すとすれば、それは必然的に 州政府にも州官僚機構の効率化を迫り、 また州政府の権限や役割の変更を促すも のともなるのだ。 更に言えば、連邦官僚機構の改革は、州 官僚機構の改革や州の役割に影響を及ぼ すばかりか、ひいては州の財政問題にも影 響を与えるものである。そこで州の財政を 保証し、他方で、連邦財政の健全化にも資 する、 財・サービス税(GST)制度の改革問 そ 題も俎 上に載せられることになるかもしれ ない。


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