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武蔵野大学環境研究所紀要第3号(2014) pp.99-115 The Bulletin of Musashino University, Institute of Environmental Sciences, No.3, pp.99-115 平成 26 年 3 月 1 日 published on March 1, 2014

「和歌の浦『あしべ屋』の増改築の過程」 Building Process of “Ashibe-ya” at Wakanoura

西本真一 Shinichi Nishimoto 西本直子 Naoko Nishimoto


ISSN 2186-6422

武蔵野大学環境研究所紀要 第 3 号 目次

地域自然エネルギ ー の導入がもたらす社会への影響 一相乗効果の重要性一

………・田辺直行・明石

修・新津尚子

1

温室効果ガスの削減費用の計算方法 一 方井誠治・栗田郁真 ・ 堀

勝彦

17

塩津豊志 ・ 田辺直行

33

時間的展望と環境意識や行動との関係…… ・ ………・………. . ..・ H ・..…村松陸雄

47

東京湾岸・主要河川河口地域における放射線量測定

英国、豪州、スペイン、中国、米国の高等教育機関における 沿岸域総合管理のための人材育成に関する比較研究 太田絵里 ・ 脇田和美・田上英明

59

価値共創の場がj函養する 学生の主体的な学習意欲について

一体験学習型授業 「自 然環境教育演習 1J のアプローチー 根上

明 ・ 村松陸雄

77

東日本大震災発災直後の学生の状況・…………………………ー伊村則子

87

武蔵野大学における防災情報に関する研究

その 6

和歌の浦「あしベ屋 j の増改築の過程...・ H ・..… H ・ H ・...西本

真一 ・西

旧西本組本社ピルの建造年代と平面の分析 ・ ………ー西本

武蔵野大学環境研究所

2014

本直子

子・西本

99

真一 117


和歌の浦「あしべ屋」の増改築の過程 B u i l d i n gP r o c e s sof “Ashibe-ya" a tWakanoura

西本真

S h i n i c h iNishimoto 西本直子*

NaokoNishimoto

要旨 平成 22 (201 0) 年 8 月に国指定の名勝となった和歌の浦には、以前、高名な老舗旅館「あし べ屋」が存在した 。 その本館とその附属施設について考察をおこない、関連文献や古葉 書 などの 画像史料を用いながら、明治・大正時代にかけての増改築の様子を大きく 3 期に分けて復原する。 前半ではまた、この時期に属する諸史料の特徴に関しでも触れる 。

1 、前言 和歌山県の和歌の浦にはかつて、あしべ屋と呼ばれる旅館が建っていた 。 今ではその跡地がわ

ずかに残るだけであるが、江戸時代の初期に紀州藩の初代藩主・徳川頼宣によって設けられたあ しべ茶屋に端を発し、後の明治・大正時代には有名な会席旅館として栄えたことが知られている 。 皇 族や文人 墨客 が多数訪れており、明治 22 年の春には小泉信吉が妻とまだ幼かった小泉信三

とその姉、女 中 とともにあしべ屋旅館に しばらくの 閥、滞在した l。明治 34 (1901) 年 2 月 14 日

に南方熊楠が来日した孫文と再会し、旧交を温める場として選んだのもこの旅館である 2。 田山 花袋が和歌の浦を訪れてあしべ屋の夜の印象を記したのは、これよりいくらか前の明治 32

( 1 8 9 9 )

年のことであった 3。明治 4 1 (1908) 年 3 月には大学を卒業したばかりの志賀直哉が大学生であっ た木下利玄・山内英夫(後の里見葬)と一緒に和歌の浦へ訪れており、下り松の枯死を伝え、ま

たあしべ屋を 一瞥 したことを旅行日記に記している 4。 明治 44 年、夏目激石があしべ屋別荘に宿 泊の予約を入れたことを日記に記録している点は前稿にて指摘した 50 あしべ屋は大正 14 ( 1925) 年に廃業 し、後発の旅館であった望海楼に吸収されたが、その後

も老舗旅館としての名声は続いたと見られ、望海楼の支店としてあしベ屋の名を残したようであ る 。 俳誌「ホトトギス」で活躍し、「かつらぎ」の 主宰者 であった阿波野青畝が昭和 6

( 1 9 3 1 )

年 4 月 6 日に第一句集「蔦両」を上梓 した際に出版記念会を催したが、これもあ しベ屋で聞かれ

たと記録されており、俳界における重鎮をなす山口誓子や高浜虚子たちが出席した 6 (図1)。 *環境学部非常勤講師

-9 9-


武蔵野大学環境研究所紀要

N o . 3( 2 0 1 4 )

r

図 1 : r寓両』 出版記念会、和歌の滞・あしべ屋にて」、句誌 「 かつらぎJ の HP より (http://www.haiku-katsuragi.com/ayumi.html より転載。閲覧日:平成 23 [ 2013] 年 10 月 31 日)

1

小泉信三「師弟 J

:r 小泉信 三 全集」第 16 巻(文義春秋 、昭和 45

[1970J 年)、 pp .

1 2 013 0;秋山加代

編「現代の随想 4 小泉信 三 集 J 禰生書房(昭和 56 [1981J 年)、 pp. 108-134 、特に p. 120。 山内慶太「慶 感義塾史跡めぐり第 80 回:紀州和歌 山 と義塾の洋学」 三 回評論 1168 (平成 25 [2013] 年)、 pp.

6 87 1

も参照 。 父親と同じく慶応大学塾長の任に当たった小泉信三は後に、今上天皇が継宮明仁親王であった 時の教育掛(東宮御教育常時参与)も務めた 。 なお新島裏・八重夫妻もこれより早い明治 10 (1877) 年 7 月、和歌の i甫に滞在しているが、 sea

b a t h (海水浴)を目的としている点が興味深い 。

当時、海水浴

は娯楽というよりも医療効果がI喧伝されており、静養のために訪れたと見られる 。 「新島義全集」第 6 巻: 英文書簡編、同朋舎出版(昭和 60 [1985J 年)、 pp. 184-186 を参照 。 英文書簡の断片的な記述をもとに するならば、新島夫妻はあしべ屋ではなく、和歌の浦に在住の漁師から空き家を借り、そこに滞在した ように思われる 。 新島裏・八重夫妻が和歌の浦を訪問したことを示す文献に関しては和歌山大学教育学部・ 米国頼司教授に御教示を賜った。!享く御礼申し上げる。療養を臼的とした当時の和歌の j甫の状況に関し ては、高嶋雅明「近代の開発と和歌浦」和歌山地方史研究 17 (平成元 [1989J 年)、和歌 山地 方史研究会、

p p .3 2 3 7;高|嶋雅明「和歌浦開発と和歌浦土地株式会社.若干の資料紹介と覚え書」、紀州経済史文化史 研究所紀要第 10 号(平成 2 [ 1990 J 年)、 和歌山大 学紀 ナト|経済史文化史研究所 、 p. 26 ; 高嶋雅明「近代 の和歌浦」薗田香融監修、藤本清二郎・村瀬憲夫編「和歌の i甫:歴史と文学」和泉 書 院(平成 5

[ 1 9 9 3 J

年)、 pp. 115 - 139 を参照 。 明治初期の海水浴に関しては小口千明「日本における海水浴の受容と明治期 の海水浴 J 人文地理第 37 巻第 3 号 (1985) 、 pp.23 - 37; 後藤新平「海水功用論 J (石井栄三、明治 15

[ 1 8 8 2 J

年)など。明治 10 年代における、あしべ屋に関わると恩われる重要な記述としては、「小梅日記 j 中の 明治 11 [1878J 年 4 月 26 日付の文面、 「天気能候に付、午後より和歌へ行 。 子供弐人と岩崎・八回 ・宮崎・ 宮升・田中・辻等合 十 三 人。和歌 三 つ橋の際の料りやにて、かきめし・にざかな・造り等、 j酉共壱円 五十八銭のよし 。 一人分十 九銭余、夕方より雨降来り、車にて帰る 。 」という部分が注 目される 。 河 合小 梅著、志賀裕春・村田静子校訂「小梅日記 3: 幕末・明治を紀州に生きる」東洋文庫 284、平凡社、明和

5 1 (1976) 2

年 、 pp.18-19 を 参照 。

r 南方熊楠全集 J ~IJ 巻 2 ( 平凡社 、昭 和 50 [1975J 年)、明治 34 (1901) 年 2 月 14 日の日記、また「牟 婁新報」明治 44 (1911) 年 11 月 9 日の記事を参照 。 ただしあしべ屋にて宴会を催したが、宿泊した のは市内の別の旅館である 。

3

田山花袋「南船北馬 J (博文館、明治 32 [1899J 年) ;島津俊之「経験とファンタジ ー のなかの和歌浦 .

4

里見弾「若き日の旅 J (中市弘、昭和 15 [1940J 年)、 p.188 ;志賀直哉・木下利玄・山内英夫「旅中日記

田山花袋 『 月夜の和歌浦』を読む」、空間・社会・地理思想 14 号(平成 23 [20 11 J 年)、 pp.41 -670 寺の 瓦 J (中央公論、 昭和 46 [1971J 年)、 p.113 0

5 西本直子・西本真 一 「和歌 i甫 『 あしべ屋別荘 J と夏目激石」、武蔵野大学環境研究所第 2 号(平成 24 [ 2 0 1 2 J 年)、 pp. 77・93 0 なお、 p. 79 の「そこでは屋根に植物が繁茂するほど荒れ果てた小さな寺院の様子が観 察される」という部分は誤りである 。 御指摘いただいた和歌山大学・米田頼司教授に感謝申し上げる。

夏目激石による和歌山の来訪については梶 川哲司 「激石の作品にみる 和歌山 1- 8J 和歌山県高等学校

社会科研究協会会報、第 54 号(平成 16 [2004J 年)-第 61 号(平成 23 [2011J 年)の 一 連の研究、 また溝端佳則「激石が見た百年前の和歌山:写真・小説・日記・新聞記事より」、和歌山県立文書館 『和

歌山県立文書館だより 』 和歌山県立文書館、第 3 1 号(平成 23 [2013J 年)、 pp.2-7 を参照。

-1 0 0


和歌の i甫「あしべ屋」の増改築の過程(西本・西本)

本稿ではあしべ屋本店と別荘(別館)、及び休憩所といった付属施設の増改築に関し、その変 選を概観することを目的としたい。和歌の浦に立つ旅館の変遷に関しては、すでに先行研究が存

在する 70 文字史料の他、大量に残されている画像史料の時代判定に際して細かい観察がなされ ており、ここではそれらの 論考に多くを負った。上記した要人たちが訪れた足跡のうち、実際に

あしべ屋という旅館名が記録されている史料を優先しながら、時代ごとのあしベ屋の姿を探る際、 どのような史料が残されていて考察に役立つのか、またそれらの史料をどのように扱うべきかを 改めて見定めることが第一の作業である。

2 、あしベ屋をめぐる建造物の研究対象 最もあ しべ屋が隆盛をきわめていた時期の様子を示すものとして、岡田久楠 8 の作製に よる明

治末期の地図「紀伊和歌浦明細新地図 J 9 を挙げることができる(図 2) 。 ここにはあしべ屋の本 店の他にいくつかの間違施設が細かく記入されているため、有用である。 本論では便宜的に記号を与え、以下の区別をおこなうこととする。 A: 本店

B: 北の別荘(玉津島別荘) C: 妹背別荘 D: 別荘としての湊御殿(松窓庵:現在、養翠園に移築)

E :3 つの渡し船の船着所(休憩所) F: 海水浴休憩所

6

図 I にうかがわれる床の簡は I 間半の rpiií を有し、このような座敷はあしべ屋の妹背別荘には存在しない ため、あしべ屋の本館か、あるいは北の別荘(玉津島別荘)での撮影と推定される。あしべ屋が廃業し

た後、妹背別荘は西本健次郎に譲渡された 。 その正確な年代は判然としないが、滝上巨志「皇室と紀州」 和歌 山 大公論社(大正 11 [1922J 年)の口絵写真では、「妹背別荘(西本氏邸 )J という記述が見られる 。 山本 喜 平 「海草郡誌J 和歌山県海草郡役所(大正 15 [1926J 年)、 p.971 でも、「 明治四 年の頃養珠寺に 合 せて、

其跡、は葦溢屋の別荘(今西本氏所有)

となった 」と触れられている。文献の御教示に関 し、米

国頼司氏に御礼申し t げる 。 西本家へと所有者が変更された後も、「妹背別荘」の名は続けて用いられた と思われ、その痕跡を雑誌「社会画報」で確認することができる 。

7

薗田香融・藤本清 二 郎「歴史的景観としての和歌乃浦.和歌の浦景観保全訴訟資料第一集」自費出版(平

成 3 [1991J 年) ;藤本清 二 郎編「和歌浦の風景:古写真でみる 『名勝』 の歴史」東方出版(平成 5 [ 1 9 9 3 J 年) ;和歌山市立博物館編「和歌浦

; [ 2 0 1 1 J

その景とうつりかわり」和歌山市立博物館(平成 17 [2005J 年)

和歌山市立博物館編「写真にみるあのころの和歌山.和歌浦編(戦前 )J 和歌山市立博物館(平成 23

年) ; 和歌山市 立博物館編「写真にみるあのころの和歌 山。市街 電車編(戦前 )J 和歌山市立博物館(平 成 24 [2012J 年) ;和歌山県教育委員会「和歌の浦学術調査報告書」和歌山県教育委員会(平成 22

[ 2 0 1 0 J

年) :溝端佳則「激石が見た百年前の和歌山.写真・小説・日記・新聞記事より」、和歌山県立文書館『和 歌山県立文書館だより j 和歌山県立文書館、第 31 号(平成 23 [2011J 年、 pp.

2 7;米回頼司編「和歌

浦昭和初期再現マップと資料」米国頼司(平成 25 [20 13J 年 ))な どが代表的な論 考である 。 菅原正 明 「妹

背山経石通信 J ( http ://imosefutatabi.net/co14/co14 .cgi)でも貴重な諸史料の紹介がなされており、重要 である。

8 岡田久楠という人物に関しては不明な点が多いが、金子郡平・高野隆之編「北海道人名辞書」第 2 版(北 海道人名辞書編纂事務所、大正 12 [ 1923 J 年)、 札幌市を之部、 pp .38-39 には 「 旧姓は 賞志。 明治 17 年 3 月 28 日、和歌山県和歌山市小松通六丁目生まれ」と記されている 。 優秀な土木技師であったことが 知られ、おそらく地図の作成は不得手で、はなかったように思われるが、しかし明治時代の末期における 彼の赴任先は遠く離れた北海道であって、和歌の浦の地図をどのように作成できたのかは究明すべき点 である。

9 岡田久楠「紀伊和歌 i甫明細新地図」岡田久楠(明治 42 [1909J 年) 。 101-


武蔵野大学環境研究所紀要

N O . 3( 20 1 4)

A: 本店は数度の建て替えがなされたようである 。 B: 北の別荘(玉津島別荘)についてはか

つての朝日屋を模した萱葺の平屋、及び木造の複層建て 2 棟などが含まれるが、ここでは一括し て扱う 。 C: 妹背別荘も玄関部、座敷、奥座敷、玉突室などに分かれるが、本稿では 一体のもの としてみなす 。残念なことに 、

D -F に関 しては 情報が少なく、詳細が不明である 。 近年、養翠

園へ移築された D : 湊御殿につい ては 三 尾功氏による論考がきわめて重要である 10 が、旅館の別 荘としてどのような使われ方がなされたのかという詳細まで、は分かっていない 。 E: 渡し船の船

着場でもあった休憩所は当初、あしべ屋本店の前から不老橋にかけてごく簡素な形式のものが 3

つ設けられていた 11。 明治 32 年以降、休憩所は県立和歌公園の管理規制によって不老橋の南側 に移され、また当初の屋根のないものから、勾配が緩やかな宝形の屋根を載せ、見晴らしの良い 建物の 三 方に欄干を巡らし、また四面に蔀を備えるものへと形姿が変化しているように見受けら れる 。

F: 海水浴休憩所については最も情報が不足しており、明治末期の写真がわずかに知られ

ているばかりであるように思われる 12 最終的には A -F の 諸施設に関して考察することを目指すが、 当論考では主に A : 本店を対象 とし、既往の研究に従って史料の整理をおこないたい 。

10

三 尾八朔( 三 尾功) I 湊御殿とその遺構」、私家本「城下町の片隅で」所収( 平成 13 [2001J 年)、 pp 73・ 94 (初出: I 木の国 J 26 号、木国文化財協会、平成 12 [2 000J 年 )、特に pp.88 - 90。 文献の御教示を いただいた和歌山市立博物館の額田雅裕氏に厚く御礼申し t げる 。

11

薗田香融・藤本清 二 郎「歴史的景観としての和歌乃浦:和歌の浦景観保全訴訟資料第 一 集 J 薗田香融・ 藤本清 二 郎(平成 3 [199 1 J 年)、 pp.

59, 62・63 :藤本清 二 郎編「和歌浦の風景.古写真でみる 『 名勝』

の歴史」東方出版(平成 5 [ 1993 J 年)、 pp. 32 , 65-66 , 68-69 , 72 , 76-77 , 82-83 , 88-89 , 102-105 , 1 34-

135:和歌 山市 立博物館編「写真にみるあの こ ろの和歌 山.和歌浦 編(戦前) J 和歌 山市 立博物館(平成 23 [2011J 年)、 p. 9 、「簡単な飲食ができ、昭和初期には 『 ちん 』 と呼ばれていた」などを参照 。三 木 甲子郎「和歌之浦公園長」 三木 甲子郎 ( 明治 33 [1900J 年)ではすでに休憩所が不老橋の南へ移動され ている点が看取される 。 和歌山市 立 博物鉛編「和歌浦

その景とうつりかわり」和歌山市立博物館 ( 平

成 17 [2005J 年 ) 、 p.22 、図 30 、及びfp.84 の解説文を参照 。 12

藤本清 二 郎編「和歌浦の風景・古 写 真でみる 『 名勝 』 の歴史」東方出版(平成 5 [1993J 年)、 pp. 40 - 41 。

- 102-


和歌の浦 「 あしべ屋」の 増改築の過程 (西本・西本 )

3 、あしベ屋をめぐる史料の特徴 研究の蓄積が重ねられているものの、和歌の浦に関する諸史料の全貌は未だ明らかにされてお

らず、基礎資料の入念な検討は途上の段階にあると考えなければならない。この困難な問題につ

いては米国頼司氏によって近年改めて指摘がなされている 13 が、絵葉書などの写真史料を扱う際 には修正が施されている可能性を常に勘案する必要が生じ 14、また刊行物に関しでも常識とは異 なって、細部を変えた版が存在する点を念頭に 置く ことが求められている 。

「紀伊和歌浦明細新地図 」 については先に触れたが、この地図の初版は少なくとも 2 つ存在す ると考えられる 。 図 3~6 に和歌山市立博物館蔵と西本家蔵の初版を示した 。 発行年月日はまっ

図3

:r 紀伊和歌浦明細新地図(部分) J (和歌山市立博物館蔵)

図 5 :r紀伊和歌浦明細新地図(部分 ) J 発行年月日を示す(和歌山市立博物館蔵)

図6

:r紀伊和歌浦明細新地図(部分 ) J 発行年月日を示す(西本家蔵)

13

米田頼司「 名所絵葉書にみる景観観と 景 観変容: W溝端コレクション(和歌の浦) .1

14

州経済史文化史研究所紀 要 33 (平 成 24 [2012 ] 年 ) 、 pp. 1-34 0 典型例として、あしべ屋 の背後の鏡山に明光台のエレベータ ー が写っている絵葉書を挙げることができ

とその内容分析 」 紀

る。 i薄端佳則氏に御教示いただいた点を感謝申し上げる 。( 和歌山県立文 書館パ ネル展 示 ・エレベータ ー

とその周辺の風景、平成 24 [2012] 年 12 月 8 日 -25 [2 013 ] 年 1 月 20 日、 https://www. lib .wakayama­ c . ed .j p/monjyo/gyouji/index06 . html。 閲覧日・ 平成 25 [ 2013 ] 年 10 月 30 日 ) 。 同 ー の 写真 は、山上に 見えるエレベ ー タ ー の 頂部を 消す修正が施されて、後年にも絵葉書に 引き続き印刷された 。

1 0 3


武蔵野大学環境研究所紀要

No. 3( 20 1 4)

たく同 一 でありながら、「かねじゅう J の屋号を有していた鈴木商店 15 が、後者の場合では削除 されている点が注意を惹く 。 おそらくは鈴木商店を削除していない版の方が先に刊行されたので

あろう 。 「紀伊和歌浦明細新地図」は他に和歌山県立図書館と溝端佳則氏が所蔵しているが、和 歌山県立図書館の版は和歌山市立博物館のものと同 一 であり、また講端佳則氏蔵の地図について

は西本家蔵のものと同じである 160 同様の問題はあしべ屋が広告のために出版した小冊子「紀伊和歌浦図 J 17 でもうかがわれ、こ れまで確認ができた 13 冊を実見した結果、明治 26 [1893J 年の初版と明治 29 [1896J 年の再 版に大別されるが、各々はさらに 3 つに類別されることが判明した(表1) 。 「紀伊和歌 i甫図 J の米栄旅館版と呼ぶべきものも別に存在し(溝端佳則氏蔵「和歌浦出島米栄 別荘 J) 、内容はほとんど明治 29 [1896J 年の改訂版と同じである 一 方、米栄旅館の建物の姿が 挿入されている点が特徴である。

さらに、あしべ屋は観光名所の写真を 12 枚並べた一枚刷りの「和歌の浦名勝拾弐景 J 18 を販 売したが、これと同名のものは米栄旅館の別荘でも頒布された 19。 内容の改訂を正しく伝えない まま、同じ旅館から繰り返し部分的に改変された刊行物が出版され、また同名の刊行物が他の旅 館からも内容を変えて出されている 。 和歌の浦を総体的に捉えようとする「和歌の浦学 J の確立 のためにはこうした錯綜した情報の全体を網羅することが必要で、あり、これは壮大なパズルを解 く作業と似ていなくもない 。

大正年間に出版された「新和歌浦と和歌浦 J 20 には少なくとも 3 種類の異本の存在が知られ、 研究者を惑わせる典型となっている 。 良く知られている旅館である米栄と望海楼は、店名を冊子

の裏に印刷 し ているが、その外見の違いだけではなく、差異が最もあらわれているのは巻頭に挟 まれた 2 色刷りの折り込み地図であり、他の旅館の名前を部分的に消した 上 で、広告したい各自 の旅館名を赤字で印刷することをおこなっている(図 7 ~ 9) 。 ノンブルが振られているペ ー ジ

の合間に挟まれた広告も同一でない 。 以上の点は、題名や奥付の記述が合致していても本の内容

15

醤油屋を営んでいた鈴木商店に関しては、藤本清 二 郎編 「和歌浦の風景.古写真でみる 『名勝』 の歴史 」 東方出版(平成 5 [1993J 年)、 p . 37 において 言 及が見られる 。 鈴木商店について御教示をいただいた 溝端佳則氏に感謝申し上げる 。

1 6

1 紀伊和歌浦明細新地図」は翌年の明治 43 (1910 ) 年に再版が刊行されている(香 川 県立ミュ ー ジアム蔵) 。 しかしこの再版の体裁に関しては、やはり岡田久楠が発行した「名所旅館案内和歌浦地図 J (初版:明治

4 2 [1909J

年)と体裁が酷似しており、ふたつの刊行物の関連性を調べることが必要である 。 「名所旅

館案内和歌浦地図 J ( 初版

明治 42 [1909J 年 )

を述べた論考として、芳賀啓「明治末期の和歌浦 j 古

地図研究ニュース 54 ( 平成 19 [ 2007J 年 ) 、 p. 6 、及び巻末の添付地図 ( 1 名所旅館案内和歌浦地閃」、 3 版・明治 45 [1912J 年)を参照 。

17

塩崎毛兵衛「紀伊和歌浦図」塩崎毛兵衛(初版:明治 26 [1893J 年、改訂版

明治 29 [1896J 年) 。 な

お、色刷りの富永正太郎「紀伊和歌浦之図」富永正太郎(明治 26 [1893J 年 。 和 歌 山 県立博物館蔵)と の区l の詳細な比較も今後の課題である 。

18

伊勢本嘉三郎「和歌の浦名勝拾弐景 J 伊勢本嘉 三 郎 ( 明治 38 [1905J 年、発売・あしべ屋、薮清一郎 )。 なお、同様の掲載内容であるが、若干異なった題名を有する「和歌 i甫名所拾弐景 j が明治 34 [1901J 年 にあしべ屋から発売されている 。

19

梅崎毛兵衛「和歌の浦名勝拾弐景」塩崎毛兵衛(明治 42 [1909J 年、発売 。 米栄 別 荘) 。 薗田香融・藤

本清 二 郎「歴史的景観としての和歌乃浦 : 和歌の浦景観保全訴訟資料第一集」薗田香融・藤本清 二 郎(平 成 3 [1991J 年)、 pp.54・55 0 塩崎毛兵衛は、あしべ屋の広告冊子「紀伊和歌浦図 J も出版している 。 20

浜口弥「新和歌浦と和歌浦 j 枇榔助蒲生堂(大正 8 [ 1 919J 年 )。 なお、和歌山県立図書館蔵のものは、 数ペ ー ジが失われているとは言え、著者が寄贈 し ており、彼の手によると恩われる書き込みがうかがわ れる点で貴重である 。 国立国会図書館関西館蔵のものと同ーの版と考えられる。

-1 0 4-


和歌の浦 「 あしベ屋 」 の増改 築 の過程 ( 西本・西本 )

が完 全 に同じとは限らないことを意味しており、このため文献引用の際には差し当たり史料の所 蔵先を逐 一 明記する注 意 が望まれよう 。 和歌の j甫の旅館に関する詳しい研究を進める際、充分に

留意しなければならない点と考えられる 。 明治 ・ 大正時代は、メディアに大改 革 が急激に訪れた 時期であった 。 これにあわせて和歌の浦の旅館はきわめて柔軟に対応 し たのであり、江戸時代か 書

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(番号特 52- 124 )

改訂版

薄墨版のゴ刷旅り書を岡究畏いた版。

裏華紙 IO I 1flH!fIliH'< J の印 。

唯一

明治 二 +六年六月 三 日尭行 」

の奥付を有する 。

4

和 歓 山 文学紀州経済史 文 化 史 研究所態 A ( 番号 36ト1)

表紙が退 色 。

5

西 本個人蔵 B

査紙が甚だしく退色。

6

野田市立興風図書館蔵 A

O

朱印が A 特異

O

朱印Aなし

(番号 1 07)

明治四年

和歌浦全国 !こ 『 海水俗場」の朱印 。 裏表紙!こ 「茂 木信太郎」の 記 名 。

(1 896 年 }

7

8

9

1 0

1 1

和敬山文研 学究紀州経蔵済史 文 化史

B

和敬 山 県 立 図書館蔵 B (番号 311664825)

和 歌 山市 立情物館蔵 A ( 番号 2890 )

野 田市立興風図書館蔵 B ( 番号叩 6 )

和 歌 山 県 立 図 書館蔵 C (番号 3 114 58998)

和 歌浦全図に「芦辺海水場 j の朱印 。

和甚歌垂浦4全国に「芦辺海水場jの朱印。 紙に「明治 三十二 年 四月二日 大道」の 書き込み 。

和 歌浦全国 l ニ「芦辺海水場 j の朱印 。

1 2

和 歌 山 県 立 博物館蔵

1 3

和歌 山 市立博物館臓 B ( 番号 3246 )

表 1 :r紀伊和歌浦図 j の初版と改訂版

105

f海水,苗場」の削 o r除紀の惇みで朱印なし。

包紙の童 書き 1 伊国和 歌 浦図 』 、 また「明治甘六年 五月 出版 j と朱刷 。

表紙 t 浦は全県国立に図「芦 書辺館i蔵 Bのコピー。

和歌

海水場」の朱印 。

和歌浦全国に「芦辺海水場」の朱印 。 包紙の童書き 1 ゴ紀閉国和歌浦図 j 、 また「明治廿六年五月出版 j と朱刷 。

和歌浦全国に「芦辺海水場 J の朱印 。


武 蔵 野大学環境研究所紀要

N o .3 ( 2014)

ら続く印刷方法を継承しながらも次第に新たな出版形態を取り込みつつ、 写真 を駆使するように 変容 する 。 その変化の仔細を追うことも 、 本研究に課せられた仕事と 言 えよう 。

石刑一

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図ア : r新和歌浦と和歌浦 J

(和歌山県立図書館蔵) 。

彊函蛮璽童図

図8

:r新和歌浦と和歌浦j 、米栄版(西本家蔵) 。

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置璽盃盟童図 i

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図 9 ・「新和歌浦と和歌浦j 、望海楼版(西本家蔵) 。

- 106


和歌の浦「あしベ屋」の 増改築の過程(西本・西本 )

4 、明治・大正時代におけるあしベ屋の変遷 あしべ屋旅館の初期を写した写真が最近発見され、新聞にも 2012 年に掲載された 210 総 2 階建 ての南側に平屋が付設された姿を伝えており、非常に 貴重 である(図 10) 。 新聞では明治 10 年代 に遡る可能性が指摘され、注目される 。 この建物の 様子を第 1 期と呼ぶこと とする 。 ここでは若

干の時代の幅を勘案し、あしべ屋の第 1 期は明治 10 年代から 20 年代初頭とみなしたい 。 新島裏・ 八重夫妻が明治 10 年に和歌の浦を訪れた際、あしべ屋はすでにこのような姿を呈していたかも

しれないが、まだ旅館と しての設備を充分に整えていなかったことも 考えられ よう 。 写真の右端 には「紀伊和歌芦部家 j という文字が特徴的な装飾を持つ枠内に記されている 。 ほほ同時代に属 すると思われる鶏卵紙写 真( 図 11) の左端でもこれと同様の装飾枠がうかがわれ、すでにこの 時代、 単写真 だけではなく、組写真でも和歌の浦を表現しようとする意識があったことが明瞭に 伝えられている 。 ¥

H川 1 川川 ;;fJf l川l川叫1川11川1 申 11刊 1 川川 11111叩 川 11川 1111川川川 11川川押叩叩 11川m H円中 叩 1 町円 11"川川 111 仰川 11川川 111 11 川 叫叩 111川叩叩叩 11中巾 11ρ 111 11川 押 1 1111円 11111円門 11川川川 川 1111 ドい川川川叫叩 川川 円

図 10: r紀伊和歌声部家 J

(鶏卵紙写真、溝端佳則氏蔵)

図 1刊1

:r紀伊和歌浦拝殿 J (西本家蔵)

あしべ屋の外観についてはこれまで総 3 階建てに平屋が取り付いた建物が知られるのみであっ た 。 あしベ屋から刊行された小冊子「紀伊和歌浦図 J

29 [1896J

(初版-明治 26 [1893J 年、改訂版 : 明治

年 ) で見られる建物の様子はしばしば引用されており、図 12~13 に示す 。 図 12 では、

B: 北の別荘(玉津島別荘)に含まれるべき複層木造家屋はまだ設けられていないようである 。

図 13 ではいくらか室内が観察され、興味深い 。 双方の図より、 2 階の廊下から地上に降りることができるように階段が備えられていた点が了

解され、実際にこうした形式があったことは写真からも確認される(図 14) 。 これは白黒写真に

手彩色されたものであり、写真表現のさらなる拡大が図られている点が看取される 。 旅館の手前 には屋根のない簡素な形式の休憩所もうかがわれる 。

さて、野口保興編「地理写真帖・内国之部第 3 朕」東洋社(明治 33 [1900J 年)の第 16 図「和 歌の浦 J にもあしべ屋本店が背景に写っており、拡大して見ると、階段があった様子を同様に伝 えていることが了解される(図 15) 。 旅館の手前にはやはり簡素な休憩所が看取される 。 図 14 ~

15 の 写真を図 10 と比較した場合、複層建ての左側に平屋を併設するという全体の構成が良く似 ていることは特筆される 。 当初の 2 階建ての上に 3 階部分を増築したのではないかという疑念が

21

毎日新聞和歌山版、 2012 年 7 月 19 日 。

1 0 7-


武蔵野大学環境研究所紀要

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浮かぶかもしれない 。 実際にそうした例が知られているからである 220 しかし詳細に柱間などを 観察する限り、この説は排除できるように思われる 。 平屋建て部分の屋根も、切妻造から寄棟造

図 12

:r紀伊和歌浦図 J 2 丁裏(部分:西本家蔵)

図 13: r 紀伊和歌浦図 J 10 丁裏と 11 丁表(部分:西本家蔵)

図 14 :あしべ屋を示した古写真

(部分:溝端佳則氏蔵)

22

図 15: r地理写真帖 : 内国之部第 3 秩J 第十六図: 和歌の浦(部分 国立国会図書館関函館蔵)

明治時代末期において木造 2 階建ての上に 3 階部分を増築している旅館で現存している例としては、群 馬県 ・ 四万温泉の積善館を挙げることができる

( http://www.sekizenkan.co .j p/info/history. html 、閲覧日

平成 25 [2013 J 年 10 月 31 日) 。 あしべ屋と同じように 2 階から地上に降りることができるよう、階段が 備えられた点も注目される 。

108


和歌の浦「あしベ屋 J の治改築の過程 ( 西本・西本)

へと改変されているらしく見える 。 この平屋建ての部分が何に使われたのかは興味深く思われ、

さらなる検討を要するものの、「紀伊和歌浦図」において床高さが一段上がっており、玄関から

も遠く離れ、また縁側が鈎型に折れ曲がって西面と南面に巡っているさまを考える時(図 13) 、 ここが貴賓のための部屋 として用 意さ れていたとも推測される 。 本稿ではこの時期のあしベ屋を

第 2 期 A と呼称する 。 明治 22 年の春に小泉信吉とその妻、また幼少で、あった小泉信三が滞在した 時期]のあしべ屋が、この形姿を示していた可能性が指摘される 。 第 2 期 A は明治 20 年代初頭から、

明治 30 年代初頭にかけての姿と比定されよう 。。 後に第 2 期 A の階段は取り払われて、総 3 階建ての正面中央部分の 2 階には切妻の庇が設けら

れたらしい(図 16) 。 この姿は田井久之助「和歌浦名所拾弐景 J あしべ屋薮清一郎(明治 34 [ 1901J 年)で見られる他、あしべ屋の大正 2 年の年賀状(図 20) にも同じ姿があらわされており、今の ところ、明治 30 年代初頭から大正時代の初頭まで存続したと想定しておくのが良いと考えられる 。 建物全体の改変が認められず、部分的な改変のみがおこなわれたと考えられるので、この時期の

あしべ屋を第 2 期 B とする 。

明治 30 年代の文献資料としては、宇田 川文海 23、田山花袋 24、また中山昇 三 25 の著作が挙げら

れるが、明治 35 (1 902 ) 年に刊行された 田井久之助 26 r 紀伊名所」では色刷りであ しべ屋の様

図 16 ・階段が取り払われた後のあしべ屋、及び北の別荘(西本家蔵)

23

字凹川文海「紀泉名勝案内」太陽第 4 巻 24 号(明治 31 [1898) 年)、 pp.

1 5 4 1 6 4: r 夫から(芦辺茶屋)、

昔は芦辺屋 朝日 屋の 二亭 とも、萱葺の屋根に縄暖簾を垂れた、風流素朴なものでありましたが、世の文 明と共に進化して、今は芦辺屋は和洋混交三階作りの説然たる高楼となり、朝日屋の方は其別宅として、 平屋作りの亭坐敷、僅に昔の面影を残しであります J; 字国川文海「南海鉄道旅客案内」下巻(南海鉄道、 明治 32 [1899] 年)、 pp.84-85 ・「昔は芦辺屋、朝日屋の二亭ありて、萱葺の屋根に暖簾を垂れたるも のなりしか、今は芦辺屋の方は、数然たる高楼となりて料理を専らにし、芦辺の汐湯とて、海水を沸し て来客の使に供ふ、朝日屋の方は、あしべ犀の別宅として、平屋にて面白き庭を構へ、昔の芦辺茶屋の

面影が残しである、世と共に変遷るはすべての習慣なれば、実によんどころなき事とは云へ、和歌の i甫 の風景の為より云へば、 此茶 亭は普の姿の ま、にしておきたく恩 ふ、紀 三 井寺より見れば、殊に其感じ が多い」 。

24

岡山花袋編 「 新撰名!路地誌巻之九、南海道之部 J (博文館、大正 3 [1914) 年)、 p.490: r和歌浦には旅

館芦辺屋最も古くして且つ大なり J

;p p .491-492 ・「名 高き芦辺茶屋、また この地にあり J ;p .495 ・「猶

ほ前出芦辺茶屋はこの神社の南に当る 。 茶屋は美しき入江に面し、楼上より望めば、景趣恰も画くが如し J 。

25

中山昇 三 「紀伊国旅の友 J 中山昇雲堂(明治 32 [ 1899 ] 年)、 pp.6-7 の合間の広告、 2 ペー ジ目、「名に し負ふ芦辺の南に位置を卜し眺望風崇とも佳絶風流雅致なるを以て大昔徳 川 頼宣公より御休所の御用を 命せられ候以来今日に至るまで連綿として営業罷在候現今は妹背山の麓に塩湯を設け終日来客諸君の入 浴し得るの使に供し可申候尚料理会席は安価を主とし丁寧に可仕候間陸続御光来の程奉願候敬具」 。

- 109


武蔵野大学環境研究所紀要

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子が示されており(図 17) 、画像 資料と して 重要である 。 この「紀伊名所 J 6 枚を収めた袋の裏 には「特約販売所あしべ屋薮清 一 郎」と印刷され、あしべ屋の出版活動を見る上で注目される 。

本店の前には休憩所が建っている点も注意を惹くが、前述したように明治 35 年の時点ではこの 休憩所はあしべ屋の前になかったであろう 。 右側には萱葺の平屋も描かれている 。 明治 34 年 2 月 に南方熊楠が孫文と再開した際のあしべ屋は、こうした構えの時期であったと推測することがで きる 。

続く第 3 期では、南側にあった平屋が取り去られ、その敷地を含め、横幅が伸長された大型の 複層建築が新たに建立された(図 18) 。

この建物では左右の対称性が意識された計画であったこ

とが了解される 。 本店のすぐ右|務りには煙突を有する建物が見え、ここに浴場が設置されていた

と思われる 。図 18 で示 したのは 望海楼の支店となった時期のもので、時代はあ しべ屋が廃業し た大正 14 年以降に違いない 。 新和歌 i甫の万波楼も同じ支店として運営されていたことを示すホ

テルラベルが残っており、資料的価値が高い 27 (図 19) 。 3手ト弓重量

イ雪....

~車乙

甥 引nH f ogg白川町拝

図 17 : 国井久之助「紀伊名所三橋よりあしベやを望む」 問弁久之助(明治 35 [1902] 年。菅 原正明「妹背山経石通信第 147 号の 1 J )

図 18

26

望海楼の支店としてのあしベ屋(西本家蔵)

閉井久之助の名は、あしべ屋が販売した一枚刷りの「和歌浦名所拾弐景 J (明治 34 [1901J 年)の著作 兼印刷人としても記されており、注意を惹く 。 田井久之助は明治時代に多くの名所絵を刊行した人物で ある 。

27 当時の旅館の様相を知る上で 、こうした細 かい品々への注目も欠かすことができない 。 日本全国におけ るホテルタグの収集の 成 果としては 三 枝浩氏のサイト、 http://www. hotel-label.com/tag - wakayama html を参照 。

- 110


和歌の i甫「あしべ屋 J の増改築の過程(西本・西本)

同脳細伽[1

‘ 盟盟 a 図 19 : 望海楼の支店となったあしべ屋の名が記されているホテルラベル、 (三枝浩氏蔵。大・直径 8 .4cm 。小 : 直径 7 . 9cm)

2穫

第 3 期は大正時代の初頭から昭和時代の前期にかけての姿であるが、これと重なる明治時代末

期から大正時代にかけては、あしべ屋の付属施設がめまぐるしく変わる時期であり、建物の変更

を裏づける史料は詳らかではない 。 「 紀伊名所案内 J 28 の巻頭写真には、勾配の強い屋根を持つ 洋風の小屋の姿が妹背の島でうかがわれ、このビリヤ ー ド場が明治 42 (1909) 年までには建て られていた点が知られる 。 同書に「あしベ屋は和歌公園妹背山に面する、料理兼旅館なり、別荘

は玉津島と妹背の 二 ヶ所にあり、尚ほ妹背別荘に隣するところ、洋式の球戯室を設く J という文

が見られるものの 29、ここではもうひとつの別荘、つまり D: 別荘としての湊御殿(松窓庵)が 考恵されていないのが奇異に 思われる 。 ビリヤ ー ド場が建てられた後に妹背別荘の奥座敷は増築

され、昭和 天皇 が 皇 太子の時の大正 11 (1923) 年に立ち寄ったというビリヤ ー ド場は不評のた

めか、まもなく別の場所へと移築された 300 あしべ屋本店が第 3 期の姿に変えられたのは、その 後のことであろう 。 夏目激石が和歌の浦を訪れた際にあしべ屋の付属施設がどこまで、 揃っていた

かについてはさらに考察を重ねるべきであるが、こうした細かな増改築の過程を解く手がかりは、 あしべ屋が正月にあわせて毎年送付した年賀状(図 20) にあると思われ、これらを精査するこ

とで詳しい年代が今後判明すると期待される 。 「今回遊技場として妹背弊荘内に玉突室を新設」、 あるいは「今回大広間新築落成致し」といった短い文面が各年の年賀状には散見されるからであっ て、建造年代を判断する上でも大きな価値を有する 。 ここで示した大正 2 (1913) 年の年賀状に は明光台エレベーターが写っている他、本店は未だ改築がなされておらず、平屋の部分を左側に 有しており、第 3 期への改変は大正時代の初頭であったという意見を支持する史料となるであろ つ。

28

大 川 民輸(墨城) I 紀伊名所案内」紀伊名所案内発行所(明治 42 [1909 ] 年 ) 。

29

前掲 書 、 p. 137。

30

重松正史「大正デモクラシーの研究 J (清文堂出版、平成 1 4 [2002] 年)、 p .

37:I 例えば、玉突場と

て建設された西洋風(擬似西洋風)の建物が俗化の最たるものとして批判されている」 。 - 111 一


武蔵野大学環境研究所紀要

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図 20 :あしべ屋から発送された大正 2 (1913) 年の年賀状 (部分:尼崎市立地域研究史料館蔵、 川 端 正和氏之書 (4)

685)

大 正 9 ( 1920) 年 に薮 清 一郎は浦田しげにあしべ屋 の営 業主 としての立場を移 譲するものの、

旅館の経営は思わしくなく、前述した通り、大正 14 (1925) 年にあしベ屋 は廃 業 する 。 だが望 海楼に吸収された後も建物は 残 って、あしべ屋 の名前はそのまま用い続けられた 。 妹背 別荘もま

た西 本健次郎に 譲ら れてからも 、 そこに 皇族が訪れることがあったら し い(図 21) 。 昭和 6 ( 1931)

年に「寓両」の出版記念会のため阿波野青畝とともに山 口誓子 や 高 浜虚 子 たちがあしべ屋 を訪れ

た時 、 本 店 は北の別荘とともに 第 3 期の状態にあったはずで、ある 31。 だが妹背にはビリヤ ー ド場

図 2 1 :高松 宮殿下を中心に妹背別荘の前で婦影(昭和 25 [ 1 950] 年 8 月 15 日撮影、菅谷恵子氏蔵)

3 1 この他、和歌山 県 教育委 員会「 和歌の浦 学 術調 査 報 告書 」和歌山県教 育委員会( 平成 22 [ 2010 J 年 ) 、 p. 1 30 の 年表 には、昭和 4 ( 1929 ) 年 6 月に 「 芦 辺屋経営主 、坪内遺遥作和歌 j甫あしべ踊り ・音 頭を発 表」 と 記 されている 。

32

現在 の 芦 辺 屋 朝 日屋 跡地には階段が刻まれた 岩 塊が残 っ ているが、 2 階へ 昇 るために設けられたもので あろう 。 同様の例として和歌 山 県 内では 東 i賓 口邸を挙げることができる 。 木村秀男 ・本多友常・ 平田 i登 行 「和歌山 県有 田郡広川町東 j賓 口邸について 」 日 本建築 学会大 会梗概論文 集 F- 2 分冊 ( 平成 20 [ 2008 J 年) 、 pp.241-242。 また東端 秀 典「 演 口家住宅.本 宅 ・本座 敷・ 三 階建て 座敷 j 和 歌 山 県建 築士会 HP r 和 歌 山 の建築と文 化 :紀州近代化遺産 め ぐり J http://www.wakayama - aba 伊lisan_meguril490.htm l 、及び

http://www.wakayama-aba.jp/isan_megurν493.html (閲覧 日 . 平 成 25 [2013 J 年 10 月 31 日 )も参照。

- 112


和歌の i甫「あしベ屋」の増改築の過程(西本・西本)

図 22 :昭和 29 (1954) 年 9 月、台風の来襲を妹背山の頂上より撮影(撮影:西本瑛一郎)

がない状態で、奥座敷が増築された妹背別荘は個人に譲渡されていたということになろう 。 昭和時代に入るとやがて本店の隣にあった茅茸屋根の平屋は取り壊され、そこには近代的な建

物が築造された(図 22) 。 これがあしベ屋の最後の姿となるはずで、ある 。 本店とその隣の建物は

やがて撤去された 。 現在、その跡地には往時の繁栄を示す説明板が立っているのみである 320

5 、結語 和歌の浦を巡る諸史料を扱う上で注意すべき点を確認しつつ、既往研究の整理をおこないなが

ら主としてあしべ屋本店における明治・大正時代の増改築の過程を大きく 3 つに分け、またここ を訪れた代表的な文人たちの各々の時期に対応する建物の姿を示した 。 関連資料の収集は未だ途 上にあり、さらに追究を深めたい 。

謝辞 和歌山大学教育学部藤本清二 郎教授と米田頼司教授、和歌山市立博物館の額田雅裕氏、和歌山 j秋石の会の梶川哲司氏にはさまざまな文献資料の御教示をいただいた 。 伊藤勲氏からは名所絵に

関する貴重な情報を御提供いただいた 。 記して感謝申し上げたい 。 和歌山市立博物館、和歌山県

立図書館、国立国会図書館関西館、玉津島保存会の溝端佳則幹事、 「かつらぎ J 発行所の森田教 子氏、尼崎市立地域研究史料館・辻川 敦館長、また菅原正明氏、三枝浩氏、菅谷恵子氏にはそれ ぞれ貴重な資料の転載をお許しいただいた 。 東i賓口邸の見学に当たっては、東 j賓植林株式会社の 塩路信兼常務取締役、有限会社坂井家起こしの坂井誠治代表取締役と坂井竹男氏、西岡建築一級 建築士事務所の西岡健 一 氏、株式会社菖蒲谷の坂東大介氏にお世話になった。各氏・各機関に厚 く御礼を申し上げる 。

- 113-


武蔵野大学環境研究所紀要

N o . 3( 2 0 1 4 )

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[ 2 0 1 1 J

年) 。

和歌山市立博物館編「写真にみるあのころの和歌山市街電車編(戦前 )J 和歌山市立博物館(平成 24 [ 2 01 2J 年) 。

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武蔵野大学環境研究所紀要編集委員会 委員長佐々木重邦 委員(五十音順)伊村則子

宇賀神博

武蔵野大学環境研究所紀要

第3号

2014 年 3 月 1 日発行

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ComparativeAna l y s i sonICMEducationi n Britain, Australia , Spain , China, andt h eUnitedS t a t e s r i/WAKITA, Ka zumi/TANOUE , Hideaki 59 OTA, E E d u c a t i o n a ls e t t i n g sf o rv a l u ec o c r e a t i o nc u l t i v a t i n gs t u d e n tperformance Ane x p e r i e n c eo r i e n t e dl e a r n i n gp r o c e s s andv o l u n t a r yl e a r n i n ga t t i t u d e: i nn a t u r a le n v i r o n m e n t a le d u c a t i o nseminar1 NEGAMI , Aki r a/MURAMATSU, Rikuo 77 o

Res e a r c hConcerningEmergencyI n f o r m a t i o ni nMusashinoU n i v e r s i t y P a r t6S t u d e n t s 'S i t u a t i o na f t e r2011TohokuBigEarthquakeD i s a s t e r IMURA, Noriko 87 o

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和歌の浦「あしべ屋」の増改築の過程  
和歌の浦「あしべ屋」の増改築の過程  

平成22 (2010) 年8月に国指定の名勝となった和歌の浦には、以前、高名な老舗旅館「あしべ屋」が存在した。その本館と附属施設についての考察をおこない、関連文献や古葉書などの画像資料を用いながら、明治・大正時代にかけての増改築の様子を大きく3期に分けて復元する。

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