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武蔵野大学環境研究所紀要 第 5 号(2016)、pp. 105-112 The Bulletin of Musashino University, Institute of Environmental Sciences No. 5 (2016), pp. 105-112 ISSN 2186-6422

平成 28 年 3 月 1 日 発行 Published on March 1, 2016

和歌の浦「あしべ屋」を巡るその他の史料 Other Historical Material on "Ashibeya" at Wakanoura 西本真一 Shinichi Nishimoto 西本直子 Naoko Nishimoto


武蔵野大学環境研究所紀要 第 5 号 次

粘土鉱物による放射能除染 ーセシウム 133NMR スペクトルの検討ー…………塩津豊志・田辺直行 武蔵野大学有明キャンパスにおける化学物質管理……

真名垣

1

聡・塩津豊志

20 年後の未来社会に対する大学生のイメージ(その 2) 一環境意識と行動の違いに着目したテキストマイニング分析-...・ h ・..村松陸雄

33

ノンフォーマル教育は大学における持続可能な開発のための教育 (ESD) の触媒となるか? 村松陸雄・村山史世

43

使用済携帯電話を活用した環境教育…-… : …J ・… ~ …・高橋和枝・佐々木重邦

59

西東京市の地域コミュニティを対象にした防災力活性化に関する現状分析 伊村則子

85

ーそゐ鉄道工事記録などー・…. . .・ H ・.... . ・ H ・... . ..・ H ・...西本直子・西本真一

91

大正期の旧西本組本社ピル

『 d ,和歌の j甫 Fあしべ屋」を巡るその他の史料…

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・ H ・-西本真一・西本直子 105

2016


和歌の浦「あしべ屋」を巡るその他の史料 OtherH i s t o r i c a lM a t e r i a lon“ Ashibeya" a tWakanoura

西本真

*

S h i n i c h iNishimoto 西本直子 T

NaokoNishimoto

要旨 あしべ屋に関する新たな資料が発見された。特に明治時代初期に属する刊行書「国華余芳J の 発見は貴重である。地上から 2 階へ直接上がる階段がどの時代に撤去されたのか、示唆する広告 も探し出すことができた。また、あしべ屋妹背別荘の奥座敷については他所から移築されたこと

を暗示する痕跡が残り、この移築がいつおこなわれたかが不明であったが、その年代の幅を狭め ることもできた。

1 、前言 和歌山市和歌の浦に残るあしべ屋妹背別荘は、かつて明治・大正時代にわたって栄えた会席旅

館あしべ屋の最上の客をもてなす場として用いられたことが分かつているが、本館や別館が取り

壊された今、詳しい来歴は不明であった。前稿 1 における考察によって、あしべ屋の施設は 3 つ に大きく分けられ、第 2 期目に関してはさらにふたつに区分されよう(図 1) 。本稿ではこの区分 に従い、新たに渉猟された史料について紹介をおこないたい。

1

拙稿「和歌浦 『 あしべ屋別荘 』

と夏目激石 j 、武蔵野大学環境研究所紀要 2 (平成 25 [2013] 年 ) 、

p p . 7 7 9 3;["和歌の浦『あしべ屋』 の増改築の過程」、同紀要 3 (平成 26 [2014] 年)、 pp.99-115 。 *工学部非常勤講師(建築デザイン学科)

十工学部非常勤講師(建築デザイン学科)

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武蔵野大学環境研究所紀要

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図あしベ屋の変遷。左から右に向かつて第 1 期、第 2 期 A、第 2 期 8、第 3 期。

2 、「国華余芳J 第 1 期の姿を具体的に伝える資料は乏しい。鶏卵紙写真の「紀伊和歌芦部家」があるばかりとなっ

ていた 2。しかし「国華余芳 J (明治 13 [1880J 年)に、あしべ屋の遠望が含まれている点が明 らかとなった(図 2) 。

図2

2

:r 国華余芳和歌浦塩漬」、あしベ屋の位置を矢印で示す。

["和歌の浦『あしべ屋』 の増改築の過程」、 p.l07。 一 106-


和歌の j甫 「 あしべ屋」を巡るその他の史料 (西本 ・西 本)

当該の写真は和歌の浦最古の写真と言われる 3 ものであって、一般向けの本に書誌がないまま

転載されたことがある 4。 この写真は、撮影者や撮影目、さらには撮影場所までもが判明してい

る点で稀有であり、注目される 5。 撮影者の日記から、この写真が明治 12 ( 1879 ) 年 7 月 1 日に 撮影されたことが知られるが、大判の鶏卵紙写真に焼き付けていることはさらに重要で、この写

真を拡大してみると、不明瞭ではあるが、あ しべ屋の 姿が確かに写っているように思われる(図 3) 。 その形姿は 「 紀伊和歌 芦 部家 」 と似ており、明治 12 ( 1879 ) 年にはあしべ屋の第 1 期がこ

こにあ っ たことが推察される 。 だが明治 10 年代の道中記などをみるならば、旅館としてのあしべ屋 の記述に出会うことは難 しく、代わりに和歌の浦で頻出する宿屋は「米屋栄蔵j で、これは後の旅館「米栄 」 を指すよう

に思われる 6。 米屋栄蔵は弘化 3 ( 1846 ) 年の「丙午紀行」にも登場 し 7、江戸時代末期から続く 旅龍屋であ っ たらしい 。

なお、 「足辺の茶屋 J については明治 7 (1 874 ) 年の旅日記でうかがわれる 80

図 3: 拡大図 。

3

藤本清二郎「和歌の浦百景

4

I 和歌山県の昭和史

古写 真で みる 『 名勝』 の歴史」、東方出版、平成 5 ( 1993 ) 年、 p.102 o

5

益田清 「 得能良介巡回日記

6

I 伊勢金毘羅道中講定宿帳 」 、今井金吾監修「道中記集成 J 43 、 大空 社、 平 成 9 ( 1997) 年、 p 目 49。 今井

別冊 『一億人の昭和 史 jJ 、毎日 新聞社、昭和 57 ( 1982 ) 年、 p.25。 明治 12 年文化財歴訪の旅 」 、私家本、平成 8 ( 1996 ) 年、 p.60。

によれば、「その 配色から見て、明治の始め、 10 年代くらいの刷りであ ろう」 と判断され て いる 。 同 書 、 pp .38 2-83。

7

佐藤怖亮 「 内午紀行 」天 、私家本、大正 11 (1 922 ) 年 、 p.79 o

8

森 川昭 「 明治七 年の旅」 、帝 京 大 学 文 学 部紀要「日本文化 学 J

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4 1 (平 成

22 [2010J 年)、 p.88 。


武蔵野大学環境研究所紀要

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3 、中山昇三「紀伊国旅の友J あしべ屋の広告はさまざまな本に掲載されているが、この本の広告には地上から直接 2 階へ登

る階段がいったん描かれたものの、それを抹消した痕跡が残っている点で珍しい 9。 赤い紙の上 に印刷されており、拡大図とともに示す(図 4 、 5) 。 階段はこの時期に撤去されたと考えることができるであろう 。

• きー今 •

図 4: あしベ屋広告。

図 5: 拡大図。

4 、土井林之助「和歌浦遊貰の友j この本は大正 2 (1913) 年に初版が出され、大正 6 ( 1917) 年に再版されている 。 あしべ屋の 広告はどちらの版にも見られるが、妹背別荘の奥座敷が初版(図 6) にはなく、また再版(図 7) にはあらわれる。

従 っ て、奥座敷の増築はこれらの聞の時期になされたと見て良い 。

9

中山昇三「紀伊国旅の友 J 、明治 32 (1899) 年。

1 0 8


和歌の j甫「あしべ屋」を巡るその他の史料(西本・西本)

昇長

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図 6: あしベ屋広告(初版)

図 7: あしベ屋広告(再版)

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No.5 ( 2 0 1 6 )

5 、奥座敷の痕跡 奥座敷と座敷は柱聞が 985mm 内外である。その聞に設けられた廊下柱聞は約 1060mm でやや 広いが、座敷東側に廊下に向けて書院が突出しているため、廊下幅が狭まり使いづらい。天井は

座敷側から奥座敷側に向けて勾配が下がっており、 r3. 座敷j と r 4. 奥座敷」の境に位置する廊 下には不自然な納まりが散見される。

奥座敷西側に、現在は座敷から開け閉てして使う押入れがあるが、その柱を観察したところ、 明瞭な 3 つの仕口痕が見つかった。仕口痕の高さは奥座敷の特徴とも言える高欄の高さと符合し た(図 9) 。また押入の敷居の外側に使われずに残された一本引きの建具溝が見つかった。廊下北

奥には雨戸の跡も見つかり、更に廻り込んで現在水回りとなっている北側の部屋の壁に大ぶりな 板戸がはめ殺しの状態で残されている(図 8) 。

以上の内容を整理すると、奥座敷は本来、東・南・西の三方が開放されて廊下と高欄が廻り、 北側から廊下に出入りする形式の建物であったと推測される。さらに、以上のような奥座敷の原 型を擁する大きな平面構成は妹背山では計画され得ず、奥座敷そのものは他所からの移築である と考えられる。奥座敷と座敷に 300mm ほどの段差があるのも原型の床高との落差と推測される。

雨戸戸袋の痕跡

高欄の痕跡

の 図 8: あしベ屋妹背別荘平面図

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5

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和歌の浦「あしべ屋」を巡るその他の史料(西本・西本)

図 9: 押し入れに残る高欄の痕跡

6、まとめ 今回、「国華余芳」の発見により明治 12 (1879) 年まであしべ屋の姿を遡ることができた。ま た明治・大正期のガイドブックとあしべ屋当主・薮清一郎の年賀状により、奥座敷が妹背別荘に

できた年代を大正 2 (1913) 年から 6 (1917) 年の聞と限定することができた。さらに建物の観 察を続けて他所から移築された建物であることが判明した。奥座敷は当初はどこに建てられた建 物であったか、その建造年代についても興味深いところである。また、旅日記文学により江戸か

らのあしべ屋の姿へのさらなる遡行の可能性が生まれた。 今後も引き続き史料の渉猟を続けていきたい。

参考文献 西本直子・西本真一「和歌浦 『あしべ屋別荘』と夏目激石」、武蔵野大学環境研究所紀要 2 、平成 25 ( 2 0 1 3 ) 年、 pp.77-930 西本真一・西本直子「和歌の浦 『あしべ屋j の増改築の過程J 、武蔵野大学環境研究所紀要 3、平成 26 ( 2 0 1 4 ) 年、 pp.99・ 1150 藤本清二郎「和歌の浦百景:古写真でみる 『 名勝』 の歴史」、東方出版、平成 5 (1993) 年。 「和歌山県の昭和史:別冊 『一億人の昭和史j J 、毎日新聞社、昭和 57 (1982) 年。 益田清「得能良介巡回日記・明治 12 年文化財歴訪の旅」、私家本、平成 8 (1996) 年。 「伊勢金毘羅道中講定宿帳」、今井金吾監修「道中記集成 J 43、大空社、平成 (1997) 年。

佐藤傍亮「丙午紀行J 天、私家本、平成 4 (1922) 年。

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森川昭「明治七年の旅J 、帝京大学文学部紀要「日本文化学 J 41 、平成 22 (2010) 年 。 中山昇 三 「紀伊国旅の友」、明治 32 (1899) 年。 「国華余芳」、国立印刷局、明治 13 (1 880) 年。

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武蔵野大学環境研究所紀要編集委員会 委員長佐々木重邦 委員(五十音順)金政秀

矢内秋生

武蔵野大学環境研究所紀要

第5号

2016 年 3 月 1 日発行

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編集

武蔵野大学環境研究所紀要編集委員会

発行

武蔵野大学環境研究所 千 135 8 1 8 1 東京都江東区有明 3-3-3 電話 03-5530-7312 (教学事務部学務課)

印刷

株式会社多摩デイグ

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武蔵野大学 MUSASHINOUNIVERSITY

干 184- 0 012 東京都小金井市中町 2-19-31 電話

0 4 2-3 8 4-2 4 9 1


1SSN 2186-6422

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TheCommonnesso f L o c a l" T e r m i n o l o g i e si nt h eAJ < haticSeaandt h eJapanSea s-Them a c r o s c o p i co b s e r v a t i o nc o n c e r n i n go c e a n i candm e t e o r o l o g i c a lc o n d i t i o n YANAIAk i o 67

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和歌の浦「あしべ屋」を巡るその他の史料 march 2016 ocr  
和歌の浦「あしべ屋」を巡るその他の史料 march 2016 ocr  

あしべ屋に関する新たな史料が発見された。明治時代初期に属する刊行書「国華余芳」の発見は貴重である。地上から2階へ直接上がる階段が撤去された時期を示唆する広告も見つかった。あしべ屋妹背別荘の奥座敷については他所からの移築と判明し、移築の年代の幅を狭めることができた。

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