THAILAND Japanese Guide 2025-2026 (2025-03-21 Special Column - Lopburi)

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ドヴァーラヴァディー時代の都市の痕跡から推定される。ロッブリーの都市区域では、ロッブリー川の西部を天然の堀として利用し、さらに都 市の周りに環濠を掘り、その内側に円形の高台を築いていた。また、都市の城壁は煉瓦を使用して築かれており、城門および砦はアユタヤ王朝のナラーイ大王(注:プラ・ナライマハーラート)時代にフランス人技 師によって建造されたものである。 現代では、ラヴォーの町は「ロッ ブリー」として知られており、それは都市名および県名としても用いられている。「ロッブリー」という名称は、アユタヤ王朝の王朝年代記や文献にも記載されているが、ポルトガル、オランダ、フランスなどの外国での記録では、この都市は依然として「ラヴォー」と表記されている。 ワット・プラシーラッタナーマハータート

主要都市であること、一つの地方都市または王国であったこと、芸術文化の中心地であったこと、の3つの特徴に分けられる。

ラヴォーの都市計画は、現存する

ラヴォー(ロッブリー)の重要性は、

ラヴォー(現在のロッブリー)は、 ドヴァーラヴァディー時代にまで遡る古代都市であり、現在もなお都市の形態を保ち、経済的、政治的、文化的、宗教的に重要な役割を果たし ている。

21 号には、ラ ヴァプラという地名が記録されている。また、スパンブリー県ウートー た(注:アユタヤ朝時代)。一方、首都はアヨタヤ市(注:現在のアユタヤ)に移され、ベア川の河口付近に 遷都されたと記載されている。 ラヴォーという都市名について は、信頼できる文献に数多く記録されている。重要なものとして、『タムナーン・ムーラサート』(注:ランナー仏教文学)、『チナカーラマリー

ヴォーを統治していた国王の王女チャーマテーウィー王妃が北部へ向かい、ハリプンチャイ(現在のランプーン)の統治者となったことを述べている。一方、『チナカーラマリーパゴーン』はパーリ語で書かれており、『タムナーン・ムーラサート』 と同様に、ラヴォーの都市名をパーリ語で「ラヴァプラ」と表記してい ラヴォーとラヴァプラの両方の名 称については、確固たる碑文の証拠が存在している。例えばサーン・スーンまたはプラカーン神殿で発見され た仏暦 16 世紀の碑文第

プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート

6 世(注:モンクットクラ オ王)の見解では、「ラヴォー」という都市名はインドの「ラヴァプラ市」 から派生したと考察している。また、「ロッブリー」はラーマ王(注:古代インド神話の『ラーマーヤナ』 の登場人物)の息子であるラヴァ王(注:『ラーマーヤナ』インド語版 の名前)またはロップ王(注:『ラーマーヤナ』タイ語版の名前)を指していると考えられる。 タイの多くの古代都市の名前は、 インドの都市名を模倣したものが多く、さまざまな伝説や碑文にその例が見られる。「アヨタヤ」や「アユタヤ」という都市名も、インドのアヨーディヤーに由来している。これはヒンドゥー教のヴィシュヌ派の信仰と深く関係しており、歴代の王も「ラーマーティボーディー」や「ラー マスワラ」など、ラーマ王またはナラーイ神(注:インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に存在する、ラーマ王はナラーイ神の化身)に由来する名前を使用していた。ハヌマーン(注:古代インド神話のラーマーヤナの登場人物)が都市を築き、ラーマ王が

ン地区で発見されたドヴァーラヴァディー時代の銀貨には、サンスクリット語で「ラヴァプラ」と刻まれ ている。 碑文の証拠に加えて仏暦世紀の中 国人の記録にも、タイのある都市と領土を指して「ルオホ」と記されており、この名称は多くの歴史学者や考古学者によって「ラヴォー」と同一であると認識されている。 ラーマ

矢を射たという『タオ・コックナーク』の民話も、このような都市名の 意味を裏付けるものとなっている。 このことからも、「ラヴォー」ま たは「ロッブリー」という都市名は、 『ラーマキエン』(注:ヴァールミー キによるインドの叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ語訳)に登場するラヴァ王に由来しているということであった。さらに、「ラヴォー」または「ロッブリー」は、ドヴァーラヴァディー 時代の仏暦 1217 世紀頃から存在す る古都であり、その後も重要な都市として国王によって統治されていたことが確認された。ハリプンチャイやナコーンシータマラートなどの近

バーン・ウィチャエーン

隣の都市とも関係を持っていた。 ロッブリーの柱廊またはルーク ソーン柱神社は、ロッブリー川沿いの市場地区にある中国風の廟で、 ワットプンの裏手、ウィチャヤエン家の近くに位置する。この廟には高

1 メートルの石柱があり、「ラー マの矢」と呼ばれている。この名称

はラーマキエン物語を基にした伝説に由来している。ラーマ王がトサカント(注:古代インド神話のラーマーヤナの登場人物)の戦争を終えた後、都市を統治するためアユタヤに帰還して新たな都市を築くという話であった。ラーマ王が放った矢が山に落ち、その山の頂が平らになっ

プラーン・サームヨート

2 度拡張され、城壁と 堀はいくつかの場所で現在も残っている。北側にはターポー砦からワット・パータムソーポンとワット・トンブーの前を通り、南に曲がって東 側の堀となる土塀と堀が存在する。 陸軍ホテルの裏手とワット・ナ コーンコーサを通り、西に曲がると、 南側の堀と城壁がある。現在の堀は「クローンサイブア」と呼ばれ、ロッ ブリー川へと流れている。また南側の城壁は現在も高く、土塀のままであるが、ナラーイ大王時代に改修され、「チャイチャナソンクラーム要塞」と「プラトゥチャイ」と呼ばれるアーチ門が建設された。都市の内部にある主要な宗教施設として、「プラーン・ケーク」、「ワット・マハータート」、「ワット・ナコーンコーサー」、「プラーン・サームヨート」、 「サーン・プラカーン」、「サーン・ルー クソーン」、「ナラーイ宮殿」などが ある。

たこの土地に、「ロッブリー」という名前を授けたとされる。そのため、 この都市の柱は石になったラーマの 矢であると言い伝えられている。 ロッブリーはサームヨット山脈の

麓に位置し、ロッブリー川の東岸にある。都市は不規則な楕円形で、城 の堀は東側に

れたと考えられる。その結果、ロッブリーは大きな都市となり、台形に近い形状となった。また、ナラーイ大王の砦内には現在もいくつかの土手が残っており、その周辺には陶器の破片が散在している。それらはすべてドヴァーラヴァディー時代、 ロッブリー時代、アユタヤ時代のものとされている。特にロッブリー時代の遺物として、中国の宋王朝様式の陶磁器の破片や、スコータイ様式の陶器も発見されている。 都市の北側と南側の堀には、サ ケーオ地域と連続する土手や道路の跡がある。小高い丘や池が残っており、そこにはドヴァーラヴァディー時代およびロッブリー時代の集落が

プランケーク寺院

ロッブリー県

丘から東に離れた場所には、耕作地として利用されていた平地の跡や、 小高い丘の上に広がる集落の跡が点在している。この地域の集落は、ドヴァーラヴァディー時代から存在していた。また、いくつかの洞窟内

存在していた。また古い寺院の遺跡もいくつか残っている。町の東側でサケーオから少し離れた場所には現在の郵便局の敷地がある。政府が都市へ通じる道路を建設した際、巨大な煉瓦で作られた仏塔の基盤を掘削して破壊した。その際に、多くの漆喰の遺物が発見された。例えば、仏像の頭、鬼の仏頭、獅子の彫刻像、 カノック模様、チャン花模様、そしてプラジャムヤームと呼ばれる装飾模様などである。これらのすべてはドヴァーラヴァディー時代のもので、ラヴォー様式の芸術作品であっ ナラーイ大王記念碑の区域にある

『ナラーイ神の仏像』ワット・クーハーサワン

地理的特徴と環境を考慮すると、 ラヴォーは交通において非常に重要な都市であったと言える。なぜなら、 この都市には陸路と水路の両面で、 他の地域とつながる経路があるため である。

その後、ロッブリー時代にアヨタ ヤが成立すると、ラヴォーより水上交通の要衝に適した土地であったた

ロッブリーの北西部は低湿地のた め毎年水害が発生する。地元の人々はこの平野を「トゥン・プラマーサット」と呼んでいる。

ロッブリーの北側は低湿地で、東 側の山脈から流れる水を受けている。市内および周辺地域に水を供給するために、運河が掘削され、土手が築かれて水をせき止める工事が行われた。例えば、「タレー・チュップソーン」と呼ばれる地区や「バーン・ターカヤン」では、長方形の土手や水路が造られた。

では、ドヴァーラヴァディー時代とロッブリー時代の仏塔の遺跡や仏像、ヒンドゥー神像などが発見されている。例えば、ワット・クーハーサワンで確認された「アヴァローキテシュヴァラプレンラサミー菩薩」の仏像などである。

プランケーク寺院

プランケーク寺院

バーン・ウィチャエーン

プランケーク寺院

プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート

ナライ王国立博物館

ナコーンラーチャシーマー県、サラブリー県、アユタヤ県、アーントーン県、 シンブリー県、ナコーンサワン県と接する。

参考・引用

1. 『หนังสือกำ�เนิดสย�มประเทศ(The Birth of Siam)』

2.Srisakara Vallibhotama、第20章 『แพรกน้ำ�ในลุ่มน้ำ�ลพบุรี(ロッブリー川流域の分流)』、 Muang Boran Journal、第3号(2024年7月~9月)

3. Srisakara Vallibhotama、第21章『ละโว้(ラヴォー)』、 Muang Boran Journal、第1号(1975年4月~6月)

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