国際演劇年鑑2022 ― 世界の舞台芸術を知る (Theatre Yearbook 2022 ― Theatre Abroad)

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Foreword

はじめに

公 益 社 団 法 人 国 際 演 劇 協 会日本センターは、ユネスコ( 国 連 教 育 科 学 文 化 機 関 )傘 下の NGOであり、世 界 約 90 の国や地 域のナショナル・センター、職 能 団 体とつながるネットワーク「 International Theatre Institute( I TI ) 」の一員です。 ユネスコ憲 章の前 文には、 「 戦 争は人の心の中で生まれるものであり、人の心の 中に平 和のとりでを築かなければならない」と書かれています。当センターの定 款 その目的を「ユネスコ憲 章の趣旨に基づき、各 国 相 互の理 解を深め、 第 3 条には、 広く演 劇 舞 踊の創 造と交 流を促 進することで、我が国の文 化の発 展と平 和の実 現に寄与することを目的とする」と定めています。

2 年 前に世 界を襲ったコロナ禍は、いまだ人々の生 活を揺るがし続けています。 行 動が制 限され、先の見えない不 安を抱えて日々を過ごすなか、舞 台 人たちも試 行 錯 誤を重ねています。少 人 数での観 劇や配 信などが試みられたことは、人が時 間と空 間を共 有する舞 台 芸 術の本 質をいっそう鮮 明に浮かび上がらせました。 ウ ィズコロナの時 代においても、人 間と社 会について多 面 的に考えることを促す舞 台 芸 術の役 割は変わることはないでしょう。

当センターは、1972年 以 来『 国 際 演 劇 年 鑑 』 ( Theatre Yearbook) を継 続して 発 行し、1997年からは 2 分 冊として、 「 Theatre in Japan」 (英語版) を海 外の読 者に向けて、 「 Theatre Abroad」 (日本 語 版 ) を日本の読 者に向けて企 画・編 集し ています。平 成 23( 2011)年 度からは、文 化 庁「 次 代の文 化を創 造する新 進 芸 術 家育 成 事 業 」として、委託を受けて実施しています。


また、同 事 業において、国 際 的な演 劇 交 流 促 進のための調 査・研 究 活 動とし て、世 界の優れた戯 曲を紹 介するリーディング公 演を2009年 以 来 継 続していま す。今 年 度は「 紛 争 地 域から生まれた演 劇 」シリーズの 13 回目( 13 年目) として、 アメリカの作 家による作品を日本初訳し紹介しました。

舞台芸術を通して世界と日本のつながりを保ち、文化の発展と平和の実現を図 るための活 動 基 盤として当年鑑を広く活用していただくことを願っています。

今 後とも、当センターの活 動に対して、皆 様からのご支 援・ご協力を賜りますよう お願い申し上げます。

2022年 3月27日 ワールド・シアター・デイを記念して

国際演劇協会( I TI /UNESCO) 日本センター 会長

永井多恵子


目 次

ワールド・シアター・デイ メッセージ ピーター・セラーズ

007

世界の舞台芸術を知る 2020/21 アジア・アフリカ 中国 ポスト ・コロナ時代の幕開けと中国共産党建党100周年/田村 容子

016

中国・香港

023

韓国

029

チュン ピンキュン

身体を整えることと自己の再発見をめぐって―示唆的テーマに挑む香港演劇/張 秉權 イ

ソンゴン

労働と環境、 そして人類の生存について/李 星坤

インド 演劇のありか/鶴留 聡子

036 042

インドネシア パンデミック初期数か月の生活/アート ―ダンス・フィルム、 Zoom空間、 そしてワヤン・オラン/ヘリー・ ミナルティ

049

タイ

059

ウガンダ

終わらないパンデミックとアートによる抗議活動/パーウィニー・サマッカブット 劇場閉鎖―悲劇的だが避けがたい/ジェシカ・アトウォーキー・カーフワ

南北アメリカ・オセアニア アメリカ

065

分断の修復と変容へと向かう試み/外岡 尚美

ヨーロッパ イギリス

073 080

演劇再開の兆しが見えた一年/ナターシャ・ トリプニー

ドイツ/オーストリア/スイス フランス やまないコロナ禍の嵐

086 093

100

ベラルーシ

忍耐の冬、 歓喜の春/萩原 健 不透明な見通し、 刻まれる歴史/藤井 慎太郎

弾圧を生き抜く―ベラルーシ・フリー・シアター 決断の年/ニコライ・ハレジン

ロシア 「再起動」 した劇場、 200年後のドストエフスキー/篠崎 直也


シアター・トピックス 2021

東日本大震災から10年―それぞれの持ち場で/ くらもち ひろゆき、 大信 ペリカン、 芝原 弘、 畑澤 聖悟

108

生誕160年・没後100年 森鷗外と舞台芸術/井戸田 総一郎

118

新たな観客を生む「2.5次元ミュージカル」 というシステム/鈴木 国男

125

〈インタビュー〉TPAMのしてきたこと、YPAMのめざすさき 同時代舞台芸術の国際的プラットフォーム構築の歩み/丸岡 ひろみ (インタビュー:藤原ちから、 中島香菜) 132

特集

紛争地域から生まれた演劇 13

密度の濃い短編動画5作/谷岡 健彦

152

日本の舞台芸術を知る 2021

能・狂言 歌舞伎

謡の演劇性を中心に/小田 幸子

160

続くコロナ禍と中村吉右衛門の逝去/矢内 賢二

167

文楽

173

名人の引退と新たな可能性/亀岡 典子 ミュージカル

現代演劇

一気に再始動/萩尾 瞳

現代社会を衝く、 亡き人たちと出会う/山口 宏子

児童青少年演劇 コロナ禍で子どもたちとの出会いをどうつくるかの1年/太田 昭 日本舞踊

新型コロナ禍に輝く舞踊/平野 英俊

185 193

200

対応に苦慮しつつ少しずつ正常を取り戻す/うらわ まこと 207 バレエ コロナ規制、 コンテンポラリーダンス・舞踏 テレビドラマ

生と死の境界に舞う 鎮魂と未来への希望/堤 広志 214 分断を超えて、 死者と生きる/岡室 美奈子

編集後記 世界の国際演劇協会センター

236

229

223

179


《凡例》 • 「世界の舞台芸術を知る」では、主に前年の公演シーズン (10月~翌年9月)の舞台 芸術の動向について報告します。 • 「日本の舞台芸術を知る」 「シアター・ トピックス」では、前年の1月から12月の舞台芸 術の動向について報告します。 • 姓名の表記順については、個人の属する国・地域の慣習に従って記載しています。ただ し、著者プロフィールでの姓名表記は、姓を持たない個人の場合などを除いて、 〈 姓, 名〉 としています。 • 外国語の人名、作品名、劇場名などのあとには、原則として、丸括弧で原語の表記を付 記しています。ただし、原語がキリル文字やアラビア文字、漢字圏以外のアジア諸国の 文字などの場合は、便宜上、 ラテンアルファベットに翻字して記載しています。 • 外国語の人名、作品名、劇場名などの表記は、 それぞれのことばの日本語化の程度を 考慮しつつ、慣用の形を尊重しています。慣用が熟していないものは、新聞社・放送局 等の用字用語集等に使用されている規則を参考に、原音を日本語音に置き換えてい ます。 • 作品名、劇場名などの固有名詞については、 オフィシャルな和訳/英訳がある場合は それを採用し、 そうでない場合は新規訳出したものを掲載しています。 • 漢字圏の国と地域の場合、作品名、劇場名などの和名のあとに、丸括弧で原語の表記 を付記するとともに、 オフィシャルな英訳がある場合は、 ( 原語表記/英語表記) と記載 しています。 • 韓国の名前など固有名詞の表記については、近年、ハングルのみの表記で漢字を使用 しない例が増加する傾向にあるため、漢字表記が存在する場合は漢字にカタカナでル ビをふり、漢字表記が存在しない場合はカタカナでの表記としています。


3.27

World Theatre Day ワールド・シアター・デイ 世 界 の 舞 台 人 が 舞 台 芸 術を通して平 和を願い、 演 劇 へ の 思いを共 有 する日《ワールド・シアター・デイ》は、

007

国 際 演 劇 協 会( I T I )フィンランドセンターの 提 案 から出 発し、 1 9 6 1 年に I T I 本 部によって創 設され 、2 0 2 2 年に6 0 周 年を迎えます 。 3 月2 7日は、I T I が 1 9 5 4 年 から主 催し、 歌 舞 伎 や 京 劇 、ベルリナー・アンサンブルやモスクワ芸 術 座など、 世 界 各 国 の 演 劇を紹 介してきた国 際 的な舞 台 芸 術フェスティバルの 先 駆け 「シアター・オブ・ネイションズ」 ( T h é â t r e d e s N a t i o n s=諸 国 民 演 劇 祭 )の 1 9 6 2 年 開 催 初日に当たります 。 以 来 、毎 年 3 月2 7日には、各 地 の I T I ナショナル・センターをはじめとする 世 界 の 舞 台 芸 術 関 連 団 体によって記 念イベントが 開 催され 、 多くの 演 劇 活 動 が 行われています 。 その中 心になるものの 一 つが パリのユネスコ本 部 でとり行われるセレモニーで、 1 9 6 2 年 のジャン・コクトーをはじめ、アーサー・ミラー、 ローレンス・オリヴィエ 、 ピーター・ブルック、ウジェーヌ・イヨネスコ、 アリアーヌ・ムヌーシュキン、ジョン・マルコヴィッチ、 ダリオ・フォなど、 I T I によって招 聘された舞 台 人 が 、世 界に向けてメッセージを発 信しています 。 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


World Theatre Day Message ワールド・シアター・デイ メッセージ

友人のみなさんへ さら

毎 分 毎 秒 、際 限なく更 新される情 報に晒されながら日々を過ごすクリエイター のみなさん。私はあなたがたを、私たち独自の思 考 、視 界 、領 域 へ 連 れ出した おお

いので す。もっと巨きな時 、巨きな変 化 、巨きな意 識 、巨きな展 望のあるところ 008

へ 。私たちは人 間の歴 史の一 部をなす 一つの巨きな時 代のなかで 、内なる自 分自身、人と人 、人ならざるものとの関 係をめぐる深 刻な変 化を体 験していま す。この変 化は人 智のおよぶところのものではなく、言 葉に書き記したり、口に したり、表 現することはおよそ不可能です。 私たちは、2 4 時 間 垂 れ 流される情 報のサイクルの中で 生きているのではあり ません。時 代の境目に生きているのです。私たちは新 聞その他のメディアには とても手 に負えない体 験をしています。この 重 大な変 化 や 破 断を説 明 できる 言 葉や 動き、ビジュアルイメージが、はたしてあるでしょうか 。いったいどうした ら私たちは、現 在のこの生 活について、情 報ではなく体 験として、伝えることが できるでしょう。 演劇は体 験のアートです。 プレス・キャンペーンや 擬 似 体 験 、おぞましい予 言に席 巻された世 界で、私た


Peter Sellars

ピーター・セラーズ(アメリカ)

おびただ

ちはどうしたら、この絶え間なく繰り返される夥しい“ 数 ”を乗り越え、一 度きり の 人 生 、一 つの 生 態 系 、友 情 、あるいは異 郷 の 空 の 光 のなかで 、神 聖 にして 悠 久なる体 験を得られるのでしょう。新 型コロナウイルスは2 年をかけて、人々 の感 覚をにぶらせ、生 活の幅を狭め、つながりを断ち切り、私たちを奇 妙なグ ラウンドゼロ生 活に追いやりました。これから数 年のうちに、私たちはどんな種 を蒔くべき、あるいは蒔き直 すべきでしょう。生い茂りはびこった外 来 種は根こ そぎ刈りとるべきなのでしょうか 。多くの人 が境目に立っています。理 性なき暴 力がそこかしこで突 発 的に生まれています。既 存のシステムの多くは、現 在 進 行中の残 虐な行 為の温床であることが明らかになってきました。 記 憶をたどる儀 式はどこへいってしまったのでしょう。私たちは何を思い出す べきなのでしょう。せめて、思い出すことを通じて、体 験したことのない事 態に 備えてリハーサルをさせてくれる儀式はないものでしょうか 。 壮 大な展 望や目的を持ち、回復 、修 復 、ケアをもたらす舞 台には新しい儀 式が 必 要です。必 要なのは娯 楽ではなく、一つの場 所に集うことです。空 間を共 有 すること、そしてその空間を耕すことが必要なのです。私たちには、すべてが等 しく、なにかに耳を傾けるための護られた空間が必 要です。 劇 場は、人々と神 、植 物と動 物 、雨と涙が等しく存 在し、再 生 するために、地 上 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022

009


に創 造された特 別な空 間です。あらゆるものが等しく存 在し、なにかに耳を傾 けるこの空 間は、目には見えない美しさに照らされて、脅 威 、平 静 、叡 智 、行 動 、 忍耐の相 互 作用によって生かされています。 釈 迦は「 華 厳 経 」のなかで人 生における1 0の修 行の段 階を挙 げていますが、 010

驚くべきことに、 「 一 切のものを幻 影として捉える」という修 行 がそのなかにあ ります。演 劇は古 来 、心を解 放 するような明 晰さと力強さをもって、この世の生 を幻 影 のようなものとして提 示し、私たちに人 間 の 幻 想 、錯 覚 、盲目、拒 絶 の 本質を見 せてきました。 私たちは、自分の見ているものや自分のものの見 方を信じるあまり、 もうひとつ のリアリティや新しい可 能 性 、別のアプローチ、目に見えない関 係 性 、時 代を超 えた結びつきに目を向けたり感じたりできないでいます。 私たちの心や感 覚 、想 像力、歴 史 、未 来を根 本から整え直 す時がきました。た だし、この作 業はひとり孤 独にできるものではありません。だれかと一 緒にしな ければならない仕 事です。演劇は、この共同作業への招 待 状です。 あなたの仕 事に心からの感謝を。 ピーター・セラーズ


Peter Sellars

ピーター・セラーズ

撮影:Ruth Walz

アメリカ・ピッツバーグ出身の演 出(オペラ・演 劇 )、 フェスティバルディレクター。古 典 作 品の大 胆 で革 新 的な解 釈が世 界 的に高く評 価されており、20 世 紀 以 降の現 代 音 楽のよき理 解 者でもあ る。独 特な視 点でコラボレーションプロジェクトを手がけており、人 種 問 題や戦 争 、貧 困や難民 問 題といったモラルや社 会問題のためのアートにも積極的に取り組んでいる。 これまで、演 出をオランダ国 立オペラ、 イングリッシュ・ナショナルオペラ、エクサンプロヴァンス音 楽祭、 シカゴ・リリック・オペラ、パリ・オペラ座 、ザルツブルク音 楽 祭など、多くの主 要な歌 劇 場や フェスティバルで手がけている。

011

作曲家ジョン・アダムス( John Adams) とは『ニクソン・イン・チャイナ』 『クリングホッファーの死 』 『エ ルニーニョ』 『ドクター・アトミック』 『もう一 人のマリアによる福 音( The Gospel According to the Other Mary )』 『 西 部の娘たち( The Girls of the Golden West)』など多 数の作 品を手がけている。 また、 カ

イヤ・サーリアホ( Kaija Saariaho) の曲からインスピレーションを得て製 作・演 出を行った作 品にオ ペラ 『 遥かなる愛( L Amour de loin )』 『アドリアナ・マーテル( Adriana Mater)』 『 Only the Sound

Remains −余 韻−』があり、いずれも現代オペラとしては比較的メジャーな作 品となっている。 最 近のパンデミック前の 作 品に、サンタフェ・オペラでの『ドクター・アトミック』、 フェスティバル・ ) コペルニクス、 ドートンヌでのクロード・ヴィヴィエール( Claude Vivier『 死の祭 祀( Kopernikus: Rituel

de la Mort)』、ザルツブルク音楽祭でのモーツァルト 『イドメネオ』がある。 ( 大 乗 仏 教の経 2020年 末 、世 界 的な新 型コロナウイルス感 染 拡 大に応 答する形で、 「維摩経」 典 )の言 葉を用いた映 像 作 品『この身は無 常 …( this body is so impermanent … )』 を発 案 。監 督を

務めた。 今 後の活 動に、新 作『フォーヴェル物 語( Le Roman De Fauvel)』のステージング、代 表 作『トリス タンとイゾルデ 』や『 黒い真珠、 ジョゼフィンのための瞑想曲( Perle Noire: meditations for Joséphine)』 の再 演など。 『フォーヴェル物 語 』では、中世 音 楽アンサンブル、 セクエンツィア( Sequentia)の創 立 者であり音楽学者でもあるベンジャミン・バグビー( Benjamin Bagby) とのコラボレーションが実現。 『ト

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国際演劇年鑑2022


リスタンとイゾルデ 』では鬼 才ビル・ヴィオラ( Bill Viola )の手がける映 像が作 品 世 界を深 化させて ( 楽 器 奏 者 )でもある作 曲 家 、 いる。 『 黒い真 珠 』はマルチ・インストゥルメンタリスト タイソン・ショーリー ( Tyshawn Sorey)の作品で、 出演はソプラノのジュリア・ブロック( Julia Bullock)。

アデレード芸術祭( 2002)など、主要なフェスティバルも率 ロサンゼルス・フェスティバル( 1990・93)、 いており、2006 年にはウィーンのフェスティバル、 ニュー・クラウンド・ホープ( New Crowned Hope)の 芸 術 監 督に就 任 。モーツァルトの生 誕 250 年を記 念して、若 手と経 験 豊かなアーティストを招き、

012

音 楽 、演 劇 、 ダンス、映 像、 ビジュアルアート、建築といった様々な分 野の新 作を創るフェスティバル を開 催した。 さらに2016年にはオーハイ音楽祭(カリフォルニア)の音楽 監 督に就 任した。 カリフォルニア大 学ロサンゼルス校( UCLA)ワールドアーツ・アンド・カルチャー/ダンス学 部 教 授 としての貢 献 度も高く、同 大ベーティウス研 究 所( Boethius Institute )の創 設 者でもある。 その他 、 テ ルライド映 画 祭( Telluride Film Festival )レジデント・キュレーター、 ロレックス・アーツ・イニシアティブ ( Rolex Arts Initiative) メンター、 マッカーサーフェローシップ( MacArthur Fellowship)受 賞 者 、 ヨーロッ

パ文 化への貢 献に対して贈られるエラスムス賞( Erasmus Prize)、 ギッシュ賞( Gish Prize)に加え、栄 えあるポーラー音 楽 賞( Polar Music Prize)を受 賞 。 アメリカ芸 術 科 学アカデミー( American Academy of Arts and Sciences)会員。2015年には、 ミュージカル・アメリカ誌( Musical America)のアーティスト・オ

ブ・ザ・イヤーに輝いた。

( 翻 訳:後 藤 絢 子 )


〈ワールド・シアター・デイメッセージ歴代発信者〉 1962 ジャン・コクトー

(詩人・小説家・劇作家/フランス)

1963 アーサー・ミラー

(劇作家/アメリカ)

1964 ローレンス・オリヴィエ

(俳優/イギリス)

1964 ジャン=ルイ・バロー

(俳優・演出家/フランス)

1965 匿名のメッセージ 1966 ルネ・マウ

(ユネスコ第 5 代事務局長/フランス)

1967 ヘレーネ・ヴァイゲル

(俳優・ベルリナー・アンサンブル創立者/東ドイツ)

1968 ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

(小説家/グアテマラ)

1969 ピーター・ブルック

(演出家/イギリス)

1970 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

(作曲家/ソビエト連邦)

1971 パブロ・ネルーダ

(詩人/チリ)

1972 モーリス・ベジャール

(振付家/フランス)

1973 ルキノ・ヴィスコンティ

(映画監督/イタリア)

1974 リチャード・バートン

(俳優/イギリス)

1975 エレン・スチュワート

(ラ・ママ実験劇場創立者・プロデューサー/アメリカ)

1976 ウジェーヌ・イヨネスコ

(劇作家/フランス)

1977 ラドゥ・ベリガン

(俳優/ルーマニア)

013

1978 ナショナル・センターからのメッセージ 1979 ナショナル・センターからのメッセージ 1980 ヤヌシュ・ヴァルミンスキ

(俳優/ポーランド)

1981 ナショナル・センターからのメッセージ 1982 ラーシュ・アフ・マルムボリ

(指揮者/スウェーデン)

1983 アマドゥ・マハタール・ムボウ

(ユネスコ第 6 代事務局長/セネガル)

1984 ミハイル・ツァレフ

(俳優・演出家/ロシア)

1985 アンドレ=ルイ・ペリネッティ

(演出家・ITI事務局長/フランス)

1986 ウォーレ・ショインカ

(詩人・劇作家/ナイジェリア)

1987 アントニオ・ガラ

(詩人・劇作家・小説家/スペイン)

1988 ピーター・ブルック

(演出家/イギリス)

1989 マーティン・エスリン

(演劇批評家/イギリス)

1990 キリール・ラヴロフ

(俳優/ロシア)

1991 フェデリコ・マヨール

(ユネスコ第 7 代事務局長/スペイン)

1992 ジョルジュ・ラヴェリ

(演出家/フランス)

1992 アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ

(小説家・作家・政治家/ベネズエラ)

世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


1993 エドワード・オールビー

(劇作家/アメリカ)

1994 ヴァーツラフ・ハヴェル

(劇作家・チェコ共和国初代大統領/チェコ)

1995 ウンベルト・オルシーニ

(演出家・劇作家/ベネズエラ)

1996 サーダッラー・ワッヌース

(劇作家/シリア)

1997 キム・ジョンオク

(演出家・劇団自由創立者/韓国)

1998 ユネスコ創設50周年記念メッセージ 1999 ヴィグディス・フィンボガドゥティル

(アイスランド第 4 代大統領/アイスランド)

2000 ミシェル・トランブレ

(劇作家・小説家/カナダ)

2001 ヤコボス・カンバネリス

(詩人・小説家・劇作家/ギリシャ)

2002 ギリシュ・カルナド

(劇作家・俳優・映画監督/インド)

2003 タンクレート・ドルスト

(劇作家/ドイツ)

2004 ファティア・エル・アサル

(劇作家/エジプト)

2005 アリアーヌ・ムヌーシュキン

(演出家・太陽劇団創立者/フランス)

2006 ビクトル・ウーゴ・ラスコン・バンダ

(劇作家/メキシコ)

2007 シェイク・スルタン・ビン・モハメッド・アル=カシミ(シャルジャ首長・歴史家・劇作家/アラブ首長国連邦)

014

2008 ロベール・ルパージュ

(演出家・劇作家・俳優/カナダ)

2009 アウグスト・ボアール

(演出家・作家/ブラジル)

2010 ジュディ・デンチ

(俳優/イギリス)

2011 ジェシカ・A・カアゥワ

(劇作家・俳優・演出家/ウガンダ)

2012 ジョン・マルコヴィッチ

(俳優/アメリカ)

2013 ダリオ・フォ

(劇作家・演出家・俳優/イタリア)

2014 ブレット・ベイリー

(劇作家・演出家・デザイナー・ インスタレーションアーティスト/南アフリカ)

2015 クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

(演出家/ポーランド)

2016 アナトーリー・ワシーリエフ

(演出家/ロシア)

2017 イザベル・ユペール

(俳優/フランス)

2018 ウェレウェレ・リキン

(マルチアーティスト/コートジボワール)

マヤ・ズビブ

(演出家、パフォーマー、劇作家、ズゥカック 劇団共同創設者/レバノン)

ラム・ゴパール・バジャージ

(演出家、舞台・映画俳優、教育者/インド)

サイモン・マクバーニー

(俳優、劇作家、脚本家、演出家/イギリス)

サビーナ・ベルマン

(劇作家・ジャーナリスト/メキシコ)

2019 カルロス・セルドラン

(演出家、劇作家、演劇教育者、大学教授/キューバ)

2020 シャーヒド・ナディーム 2021 ヘレン・ミレン

(劇作家/パキスタン) (俳優/イギリス)


世界の舞台芸術を知る 2020/21


CHINA

ASIA and AFRICA

田沁鑫作・演出『建国記念式典の生中継』 撮影:田雨峰/写真提供:中国国家話劇院

016

[中国]

ポ スト・コロ ナ 時 代 の 幕 開 けと 中 国 共 産 党 建 党10 0 周 年 田村 容子

ポスト・コロナ時代(後疫情時代)の幕開け 「 2020年 1 月20日、北 京 人民芸 術 劇 院( Beijing People s Art Theatre)実 験 劇 場を出 たあのとき、 それが半 年にもわたる待つことの始まりだなんて、 どうして想 像することができただ ろう。7 月 12日になって、私はようやくふたたび上 海 話 劇 芸 術 中 心( Shanghai Dramatic

Arts Centre)芸 術 劇 院の客席に座ることができたのだ」( 1 )。 シー ムー リアン

これは 、中 国 の 劇 評 家である奚 牧 涼( X i Muliang )が 、雑 誌『 広 東 芸 術 』のため に書いた 一 文 の冒 頭である。 ここに書 かれているように、2020 年 、新 型コロナウイルス ( COVID -19)の感 染 拡 大を受けて、中国の劇 場はおよそ半 年にわたり休 止 状 態を余 儀


なくされた。 その間の状 況を再 考したこの文 章では、 コロナ禍がもたらした影 響を、次の 3 点 にまとめている。 (1) コロナ以 前の流 行であった「 全 国 巡 演ブーム」が冷めたこと、 ( 2 )外 国 作 品の招 聘や海 外との共 同 製 作のスケジュールが立てられず、 それらによって発 展して きた国 際 的な演 劇 祭などが、新たな決 断を迫られたこと、 ( 3 )疫 病によってリスクが可 視 化 された演 劇 業 界から、流出した人 材が戻ってこないこと。 一 方 、2020 年 下 半 期 以 降 、 日常 生 活が徐々に回 復し、劇 場における上 演が再 開され たポスト・コロナ時 代については、公 的な資 金 援 助に頼った作 品や演 劇 祭が増えることが 予 想されている。たとえば 、中 国 語で「 主 旋 律 」と呼ばれる政 府 主 導の演 劇がこれにあて はまり、2020 年には疫 病とのたたかいや、 コロナ禍における防 疫を題 材とした作 品が、各 都 市の公 立あるいは国 立の劇 団によって数 多く制 作された。北 京 人 民 芸 術 劇 院の『 地 域 居民委員会( 社 区 居 委 会 )』 ( 2020年 11月)、中国 国 家 話 劇 院( National Theater of ル ー ガ ンミエン

China)の『 人 民 至 上 』 ( 2021年 3 月)、上 海 話 劇 芸 術 中 心の『 熱 乾 麵 の味( 熱 乾 麵 之 味)』 ( 2020年 6 月オンライン)、武 漢 人民芸 術 劇 院( People s Art Theatre of Wuhan)の 『 逆行 』 ( 2020年 9 月)などの例をあげることができるだろう。 サスペンス演劇の新展開

017

ホー ニエン

2020 年 9 月、上 海 話 劇 芸 術 中 心は、何 念( He Nian)演 出によるサスペンス演 劇『 深 淵( 深 渊 )』を発 表した。サスペンス演 劇とは、中 国 語で「 懸 疑 劇 」と呼ばれるジャンルで、

2010 年 代 前 半より上 海を中 心に、アガサ・クリスティのミステリーを原 作とした舞 台 作 品 群 が人 気を博してきた。2020年には、 オンライン配 信のサスペンスドラマ『 バッド・キッズ( 隠 秘 的角落/ The Bad Kids)』がヒットしたことや、東 野 圭 吾の小 説『片想い』の舞 台 版( 2020 年 11月)が作られたことなども、サスペンス演 劇の人 気を後 押しした。 その中で、数 少ない中 国オリジナル作 品として観 客の支 持を得たのが、 『 深淵 』である。 『 深 淵 』は、母と娘の物 語を軸に、殺 人 事 件の推 移によって隠された真 実が暴かれていく 過 程を描く。同 作では、仄 暗い部 屋の密 集する 3 階 建ての舞 台 装 置で迫 真の情 景を作り 出すと同 時に、 ライブ撮 影の手 法を導 入し、映 像と上 演の融 合によって、作 品 世 界の内 部 を体 験するような感 覚をもたらしたことが観 客に評 価された。1980年 生まれの何 念は、現 在 、 上海において気鋭かつ多作の演出家として知られている。 こうした作品の出現は、 コロナ禍 によって外 国 作 品の招 聘や海 外との共 同 製 作が困 難になった状 況の下 、サスペンス演 劇 が観 客を劇 場に呼び戻し、商 業 演 劇の復 興と中国オリジナル作 品の活 性 化を切り拓く契 機となったことをあらわしているといえよう。

世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


CHINA

ASIA and AFRICA

中国オリジナルのサスペンス演劇、何念演出『深淵』 写真提供:上海話劇芸術中心/撮影:尹雪峰、陸宇爍

018 オンライン演劇のゆくえ ポスト・コロナ時 代に、疫 病 下に試みられた新たな創 作の模 索はどのように引き継がれる のだろうか。昨 年 、中国においていち早くオンライン演 劇『ゴドーを待ちながら (等待戈多/ しん でん

Waiting for Godot)』2.0 版( 2020年 4 月)を上 演した薪 伝 実 験 劇 団( Théatre du Rêve ワン チョン

Expérimental)の演 出 家・王 翀( Wang Chong )は、劇 場が再 開した後も、 その挑 戦を継 続している。

2021年 3 月、香 港 芸 術 節( Hong Kong Arts Festival)において、薪 伝 実 験 劇 団は 2 作 目のオンライン演 劇『 The Plague 』 ( 英 語 版 )を上 演した。 これは、 カミュの小 説『 ペスト』を 原 作とし、 イギリスの劇 作 家ニール・バートレット ( Neil Bartlett)の翻 案した脚 本にもとづき、 王 翀 の演出によって 6 か国(中国・アメリカ・イギリス・ブラジル・南アフリカ・レバノン)の俳 優 が出 演した作 品である。 ライブ上 演は香 港の域 内 限 定 公 開であったが、俳 優はそれぞれ の住む地 域から接 続していたため、肉 眼で確 認できるリアルタイムの時 差が、 オンラインなら ではの効 果を生み出していた。 上 演は香 港 時 間の夜 9 時に始まり、90 分 間である。終 幕 近く、ペストが沈 静 化したところ で、主 人 公の医 師リウーを支えてきたボランティアのタルーが病にたおれる。 タルーを演じる ジャオ シ ー ニ ー

のは武 漢の俳 優・趙 皙 尼( Sydney Zhao)で、 そのとき背 景に映る夜 空は一 面の漆 黒だっ


た。同 時 刻 、 ヨハネスブルクのシンフォ・マゼンワ ( Simpho Mathenjwa)が演じる小 役 人の グランと、 ロンドンのフォーブス・マッソン( Forbes Masson)が演じる医 師リウーは、室 内から 外に出て、全身に明るい陽の光を浴びる。 この場 面は、観るものに希 望を与えると同 時に、 そ れぞれの運 命の明 暗が、画 面に映し出される現 実 世 界の風 景ともリンクしていることによっ て、 自分を取り巻く環 境を内 省させられるような、複 雑な余 韻を残した。

2021年 4 月におこなわれたインタビューで、王 翀 は、 「オンライン演 劇はパンデミックを超 越する運 命にある」と語り、 オンラインの可 能 性は今 後も開かれていると述べた( 2 )。薪 伝 実 験 劇 団は、2021年 1 月にはマカオに赴き、 イギリスの劇 作 家ニック・ペイン( Nick Payne)の 『 星の数ホド』にもとづく 『 平 行 宇 宙 愛 情 演 繹 法( Constellations)』 ( 2015年 初 演 )のラ イブ上 演をおこなったが、広 東 省 仏山での巡 演は許 可されなかったという。 この経 験をふま え、王 翀 は次のように語っている。 「 劇 場は基 本 的に元の状 態に戻りました。 しかし、過 去に 戻るのが難しいこともあります。公 権力が拡 大し、 コードをあちこちでスキャンしなければならず、 個人 情 報が失われていきます。パンデミックの名の下に、多くのことが理 屈を超えて、制 御 不 (3) 能になっています」 。 こうしたライブ上 演の不 確 実 性を補う手 段としても、 オンラインの試み

は、今後も継続されることが考えられる。

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薪伝実験劇団のオンライン演劇『The Plague』 写真提供:薪伝実験劇団

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CHINA

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演劇祭の復活と中国共産党建党100周年

2021年には、上 演 団 体や観 客の国 内 移 動をともなう演 劇 祭も復 活した。 まず、2021年 3 月には、2021南 京 戯 劇 節( Nanjing Drama Festival)が開 幕した。2017年より始まったこ の演 劇 祭は、 これまでに8,000人を超える大 学 生を劇 場に招き、文 学の古 都として名 高い 南 京の新たな文 化 的アイコンとなっている。2021年のフェスティバルには、上 述した『 深 淵 』 リンイー

のほか、サスペンス演 劇の名作として知られるアガサ・クリスティ原 作 、林 奕( Lin Yi)演出の 『そして誰もいなくなった( 無 人 生 還 / And Then There Were None)』 ( 2021年 7 月)が 参加し、2007年の初 演 以 来 、600ステージを達 成した記念上 演をおこなった。 また、2021年は中国 共 産 党 建 党 100周 年にあたるため、党の歴 史を題 材にしたさまざま フー ド ー リ ー

なドラマや演 劇が制 作された。南 京 戯 劇 節の参 加 演目『 輔 徳 里( Once Upon A Time

in Fudeli)』 ( 2021年 5 月) もその一つであり、同 年 4 月に初 演されたこの作 品は、中国 共 産党の第二次全国代表大会が開催された地名が、 そのタイトルとなっている。第一次大会 から第 二 次 大 会にかけての党 創 立の歴 史を描いたこの作 品は、1980年 代に前 衛 演 劇の モウ セン

旗 手として知られた牟 森( Mou Sen)が総 監 督をつとめ、1990 年 代 、2000 年 代 生まれの 若 者とともに創 作した。音 楽を多用したノンフィクション演 劇という形 式が、大 学 生の観 客を

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集めたことが話 題となったが、政 治 的な題 材を扱う内 容だけに、音 楽が新 鮮であったという 声と、脚 本が平 板であるとみなす意 見に評 価が分かれた。 そのほか、昨 年 、開 催 延 期となった第 8 回 烏 鎮 戯 劇 節( Wuzhen Theatre Festival) が、2021年 10月 15日より開 幕し、10日間で 24の国 内 作 品が上 演された。2020 年には、 コ ロナ禍において劇 場から遠ざかった演 劇 人が集まり、共 同 生 活することによって演 劇を作 るというオンライン配 信のリアリティショー『シアターフォーリビング( 戯 劇 新 生 活 / Theatre リウ シャオ イエ

for Living)』が制 作されたが、同 番 組に出演した劉 暁 曄( Liu Xiaoye)らの演出作 品が、 2021年の烏 鎮 戯 劇 節においても注目を集めている。

モン ジン フイ

フェスティバルのオープニングとして、芸 術 総 監の孟 京 輝( Meng Jinghui)は、 スタンダー

ろう

ル原 作の『 赤と黒( 紅 与 黒 / Le Rouge et le Noir)』を演 出した。2018年に発 表した老 しゃ

舎( Lao She)原 作の『 茶 館( Teahouse)』に続き、 ドラマトゥルクにドイツのゼバスティアン・ カイザー( Sebastian Kaiser) を迎えている。 また、 クロージングには、常 任 総 監をつとめる台 ラ イ ションチュワン

湾の演 出 家・頼 声 川( Stan Lai)の作・演 出による 『かつて( 曾 経 如 是 / Ago)』 ( 2019年 初演)が用意された。5 幕 390分の大作であるこの作品は、頼声川の代表作の一つである 『 夢のごとき夢( 如 夢 之 夢 / A Dream Like a Dream)』 ( 2013年 初 演 )の姉 妹 作と位 置 づけられている。


頼声川作・演出の大作『かつて』 で烏鎮戯劇節は閉幕した

撮影:Zodiac/写真提供:上劇場(Theatre Above)

ポスト・コロナ時代の大作

ティエンチ ン シ ン

最 後に、やはり建 党 100周 年を記 念する大 作として、中 国 国 家 話 劇 院 院 長の田 沁 鑫 リウ ジン ニ

ジアン ウェン リアン

( Tian Qinxin)演 出 、脚 本( 劉 金 妮[ Liu Jinni]、姜 文 良[ Jiang Wenliang ] と共 同 ) による『 建 国 記 念 式 典の生 中 継( 直 播 開 国 大 典 / Live Broadcast: The Founding

Ceremony of PRC)』 ( 2021年 10月)が上 演されたことに触れておきたい。 原 題の「 開 国 大 典 」とは、毛 沢 東が、北 京の天 安 門において、1949年に中華 人民共 和 国中央 政 府の成 立を宣 言した建 国 記 念 式 典を指す。同 作は、式 典がおこなわれた記 念 日である10月 1 日、国 家 大 劇 院( National Centre for the Performing Arts)戯 劇 場にお いて初 演された。 その内容は、建国記念式典の生中継を担当することになった北 平 新 華ラ ジオ放 送 局のアナウンサーや技 術 者たちを描く。建 国当初 、 ラジオ放 送 局のスタッフは、共 産 党の管 轄 下にあった延 安 新 華ラジオ局と、旧 国 民 党 系の北 平ラジオ局の二つの系 統 に分 裂していた。彼らが短 期 間で力を合わせ、国 家の重 大 任 務をなしとげるまでの舞 台 裏 に焦 点をあてた物 語である。 奥 行きのある縦 長の舞 台を用い、 ライブ撮 影によって舞 台 前 方の俳 優の演 技が後 方の スクリーンにモノクロで映し出されたり、時には舞 台 両 側のスクリーンも使って、俳 優の演 技 と実 景の映 像が重 層 的に表されたりする同 作の手 法は、 ドキュメンタリー映 像の中に没 入 しているかのような視 覚をもたらし、歴 史と現 実がつながり、 その間を行き来するような体 験 世界の舞台芸術を知る

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CHINA

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ほう はい

を観 客に味わわせた。 「 澎 拜 新 聞 」の記 者によるインタビューで、みずからを「 技 術オタクで ティエンチ ン シ ン

ある」と述べた田 沁 鑫 は、舞 台におけるマルチメディアの使 用について、 それは「 観 客の体 験を駆 動させるもの」であり、単なる舞 台 上の視 覚 的 効 果にとどまらず、舞 台と観 客 全 体と の関 係をつくるものなのだと語っている( 4 )。 このインタビューで、田 沁 鑫 率いる中 国 国 家 話 劇 院は、2021年 9 月、大 劇 場における観 客の視 野の死角を補うことのできるVRスクリーン をそなえた 5 Gスマートシアターの建 設を発 表したとも述べられている。 ポスト・コロナ時 代の幕 開けとなった 2020年 下 半 期 以 降 、2021年にかけての作 品からは、 映 像と上 演の融 合 、 オンライン演 劇とオフラインにおけるライブ上 演の共 存 、 そして公 的 資 金 に支えられた「 主 旋 律 」作 品の大 型 化といった潮 流を見 出すことができる。 このような動 向 は、今 後も後 戻りすることなく、加 速していくことが予 測されよう。 その一 方 、 コロナ禍の期 間 に演 劇を待ち望んだ人びとの多くが考えたであろう「 劇 場の効用」について、問い直すよう な作品が創 作されるには、 いましばらくの時間の経過が必要なのかもしれない。

(1)安妮看戯「後疫情時代,活下去,然後呢?」 (2021年4月1日) https://mp.weixin.qq.com/s/mtUAH1FTfW91ZDVN 8 WVJzQ

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(2)王翀·田村容子「コロナ時代の演劇—王翀の「線上戯劇」をめぐるオンライン·インタビュー」 『演劇学論集 日 本演劇学会紀要』第72号、2021年6月。 (3)同上。この発言の「コード」とは、スマートフォンのアプリで、PCR検査履歴や移動履歴などの個人情報を 表示するものを指す。 (4)王諍「田沁鑫談話劇《直播开国大典》:舞台大縱深,劇情大手筆」 (2021年10月4日) https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_14779963

たむら・ようこ

ナン タン

1975年生まれ。北海道大学大学院文学研究院准教授。専門は中国近現代演劇。著書『男 旦(おんな がた) とモダンガール―二〇世紀中国における京劇の現代化 』 ( 中国文庫・2019年) で第52回日本演 劇学会河竹賞奨励賞を受賞。共著書に『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい―乳房の図像と記憶』 ( 岩波 書店・2018年)、共訳書に『日本80後劇作家選』 ( 台北:書林出版有限公司・2013年) など。


前進進戯劇工作坊『2021 Who Killed the Elephant』 撮影:Carmen So@righteyeball

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[中国・香港]

身 体 を 整 えることと 自 己 の 再 発 見 をめぐって ― 示 唆 的 テ ー マ に 挑む 香 港 演 劇 チュン ピンキュン

張 秉權

新 型コロナウイルスの感 染がここ約 2 年の間に拡 大し、世 界中の演 劇 関 係 者がウイルス と共 生することを学ばなければならなくなった。 オンラインやライブ配 信プログラムをきっかけと して、 ミックスモードパフォーマンスの多 様な可 能 性が生まれている。劇 場は、収 容 人 数の 制限、 マスク着 用 規 定や体 温チェック、 ワクチン接 種 記 録の登 録など、一 定の制 限のもと で再 開している。演 劇が、将 来 的に「 普 通 」に上 演されるようになるためにはひとまず、 こう いった対 策をすべて行うことが必要だ。

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HONG KONG, CHINA

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ボディムーブメントのめざましい効果 パンデミックは、人 間には限 界があり、脆 弱な存 在であると気づかせてくれる。 コントロール できないもの、予 測できないことはつねにある。変わらないのは、 「 変 化 」そのものだけだ。 そし て、最も大 切なのは、自分自身を愛するすべを学ぶことだ。 ウイルスと闘う日々にあって、 ヨガ 教 室や手 軽なワークアウトプログラムが人 気を呼んでいる理由はこれにちがいない。 これまで 以上に自分の身体を整え、健康を保つことが望まれている。 そう、身体は嘘をつかない。身体 をよい状 態に整えることがかつてないほど重 視されているいま、演 劇 界でも身体 性にさらなる 注目が集まっている。 セリフ劇の舞 台にもダンサーが数 多く起用され、高 度なボディムーブメ ントを伴う上演が増えているのだ。 香 港 演 芸 学 院( HK A PA- Hong

Kong Academy for Performing Arts) は学 校プロジェクトとして、同 学 院 演 劇 学 部 長ポール・プーン ( Paul Poon、潘 惠森)作『 The Swordsman Wong-ng ( 大 刀 王 五 )』 を上 演 。2001年に劇 場

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空 間( Theatre Space)が初 演し、高い 評価を得た作品だが、 今回はロイ ・ツェト ( Roy Szeto、 司徒慧焯 焯 )の演出により、 新たな解 釈のもとに再 演された。清 王 朝が悲劇的な混乱に陥った19世紀末 を背 景とするこの作 品は、肉 体 的にも 知的にも 「自分を強めること」の重 要 性 を喚 起 する。学 生たちのアンサンブル が若々しい肉 体でよく訓 練された動き を見せ、作品のテーマが現前した。 綠 葉 劇 團( Théâtre de la Feuille) 製 作 、アタ・ウォン( Ata Wong、黃 俊 達 )演 出による 『 The Lost Adults( 小 飛 俠 )』は非 常に印 象 的な作 品 だ 。 有 名な古 典 、 『ピーターパン』を翻 案 したこの作 品は、 「どんな老いた魂もか 綠葉劇團『The Lost Adults』 撮影:Carmen So@righteyeball


つては無 垢だった」という切なさを、みごとに表 現している。 ウォンは、大 人にならない無 垢な ピーターパンを受け入れる一 方で、迷える大 人たちのいらだちにも共 感している。人は年を ロ ス ト ア ダ ル ト

重ねて成 長すると、 「 迷える大 人 」になりがちだ。 ミスター・ダーリング(この作 品 内ではウェン ディとピーターパンの両 方の父 ) とフック船 長を同 一 俳 優が演じる「ダブルイメージ」によっ て、 このことが強 調されている。パフォーマンスの質は高く、異なる世 代の客 層に相 互 理 解を もたらした。空 中 遊 泳シーンに必 要なアクロバティックなテクニックを確 実に身につけている チームであること、 また、 それを支える舞 台スタッフの高い技 術も特 別な称 讃に値する。自由 に空中を飛ぶのは美しい永 遠の夢だが、逆さ吊りにされるのは恐ろしい苦しみともなりうる。 とら

すべては人 生をどう捉えるかによるのだ。観 客は、宙を飛ぶシーンに胸を高 鳴らせながら自 身を重ねる。感 動 的で想像力に富んだ作品である。 前 進 進 戲 劇 工 作 坊( On & On Theatre Workshop)の『 2021 Who Killed the

Elephant( 2021誰 殺了大 象 )』 もまた、特 筆すべき作 品である。劇 作 家で演 出 家のヴィー・ レオン ( Vee Leong、馮 程程)が、 リー・カマン ( Li Ka-man)、 セシ・チャン ( Ceci Chan)、チャ ン・ウィンシュエン( Chan Wing- shuen) という 3 人の素 晴らしい女 優を率いて、2012年の 初 演 時に高い評 価を得た自身の作 品をまったく新しいバージョンで再 演 。 ジョージ・オー ウェルのエッセイ 『 象を撃つ』 ( 1936 )に触 発されて書かれた戯 曲だ。殺され、葬られながら も仲 間が記 憶することで「 生き残る」一 頭の象をめぐる作 品だが、地 球 上で最も大きく、驚 異 的な記 憶力を持つとされる動 物である象は、生 死をめぐるメタファーとしてふさわしい。舞 台 美 術に用いられた灰 色の柔らかい素 材を使ったソフトスカルプチャーが、たくみに象のイ メージを喚 起させる。象という動 物はつねに死の脅 威にさらされている。 しかし、劇 場では、 エネルギッシュな 3 人の女 性が力に満ちたボディムーブメントを遂 行し、暴力も忍 耐によって 組み伏せられると観 客に示す。すべてを覆いつくすエジプトの天 空の女 神ヌートであれ、あ らゆる生 命の源である地 母 神ガイアであれ、 ( 弱い性と見なされがちな)女 性 、 あるいは( 人 間によってつねに痛めつけられている)自然こそが、結局私たちが一 番 頼れるパワーなのだ。 再 演によってヴィーは、優れた戯曲がいかにみごとに新たな生 命を獲 得しうるかを実 証し た。今 回の上 演は、苛 酷な現 実に高い美 的 価 値をもって対 抗している。 Handover( 引き渡し)2.0と自己の再発見 この 20 年 間 、多 数の香 港 市 民は民 主 化の速 度を遅いと感じてきた。 しかし中 央 政 府 にしてみれば 、民 主 化 要 求は中 国へのレジスタンスや香 港 独 立 運 動の類に変 容してしま い、香 港の政 治は道を踏み誤ったということになる。中国の全 国 人民代 表 大 会で可 決され、

2020年 半ばに施 行された「 香 港 国 家 安 全 維 持 法 」や新たに改 正された立 法 会 選 挙 制 世界の舞台芸術を知る

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度では、国 家の役 割や機 能が際 立って強 調されており、社 会 全 体のパラダイムシフトが起 きている。 これを1997年の「 不 完 全な引き渡し」を補う「 handover( 引き渡し)2.0」と表 現す る向きもある。演 劇 関 係 者を含め、相当数の香 港 人が他 国へ移 住している。香 港に残る選 択をした人たちは、新しい状 況にどう対 処するかを熟 考しなければならない。 ズニ・イコサヘドロン( 進 念・二 十 面 體 / Zuni Icosahedron)製 作の実 験 演 劇『 2 or 3

Things about Interrupted Dream( 驚 夢 二 三 事 )』 (ダニー・ユン[ Danny Yung、榮 念 曾 ]演 出 )は、移 動する群 衆や高 波などさまざまなイメージを舞 台 上に示し、私たちの激 変 する時 代を描 写する。 イメージは監 視カメラに見 張られる息 苦しさへとつながっていき、舞 台 壁 面に設 置された大 型のマルチスクリーンとアクティングエリアが徐々に赤い線で囲い込ま れてゆく。最 後には、全 俳 優が観 客の目と鼻の先の床に座り込む。彼らが先ほどまで自分た ちのいたアクティングエリアを振り返る様 子は、前 例のないこの時 代 状 況にあっては、落ち着 くことこそが肝 要であると物 語っているかのようだ。 この作 品は同カンパニー製 作の『 Bach

is Heart Sutra( 心 經 即 是巴哈 )』 と 『 HK : A Theatre of Life and Death( 香 港 生 死 書 )』 (ともに同カンパニー共 同 芸 術 監 督のマティアス・ウー[ Mathias Woo、胡 恩 威 ])演 出 ) と

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響き合う。二 作はともに、 この混 沌とした時 代に心の平 安を求め、仏 教の般 若 心 経 実 践へ と進んでいく作品だ。 ユヴァル・ノア・ハラリは、著 書『 21 Lessons : 21世 紀の人 類のための 21の思 考 』の中 レ ジ リ エ ンス

で、困 難からの回 復 力を得るためには、 「 教 育( Education)」 「 意 味( Meaning )」 「瞑想 ( Meditation)」を学ぶ必 要があると提 案している。 このことは、近 年 重 大な政 治 的・社 会 的 変 化に直 面している香 港の人々にもあてはまる。 「 私は何 者か?」 「どこが私たちの立ち 位置か?」これらはまさに、誰もが熟 考するテーマだろう。 香港の代表的な劇団で、 メインストリームの作品を製作してきた香港レパートリーシアター ( Hong Kong Repertory Theatre、香 港 話 劇 團 )のようなところでさえ、 シーズンの目玉とし て、 アウグスト・ストリンドベリ ( August Strindberg )の『ダマスカスへ( Road to Damascus/ 往 大 馬 士 革 之 路 )』を上 演している。 この古 典は、才 能に恵まれた傲 岸な「よそ者 」が、社 会の中で苛 立ち、完 全に自分を見 失っていく物 語だ。だが、彼は最 後に気づきを得る。謙 虚にひざまずき、 これまで味わったことのなかった穏やかな心の状 態を獲 得するのである。 ツァン・マントゥン ( Tsang Man-tung、曾 文 通 )による、 マルチメディアを使った瞑 想のため の劇 場 作 品『 The Light of Metempsychosis( 黑 天 幻日)』は力にあふれている。仏 具のり んを使って「もうひとつの空 間 」を現 出させることで知られるステージデザイナーのツァンは、


りんを伴うマインドフルネスや瞑 想の実 践を楽しめるよう、多くの信 奉 者たちの手 助けをして きた。映 像とライブパフォーマンスで構 成されたこの作 品では、 イメージと音がつぎつぎと展 開し、一 人の求 道 者が究 極の答えを見つけるために自然を探 求してさまよい歩く姿が提 示 される。彼は鏡を通してようやく答えにたどり着く。答えはすぐそこにある― 彼が鏡をのぞき こみさえすれば。

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曾文通作『The Light of Metempsychosis』 撮影:Tsang Man-tung

おのれ

そう、己を知ること以 上に重 要なことはない。エドワード・ラム( Edward Lam 、林 奕 華 ) とロー・キー・ホン( Low Kee Hong、劉 祺 豐 )の 共 同 演 出による『 Hello, Baoyu( 寶 玉 ,你 好 )』 ( 西 九 文 化 区[ WKCD-West Kowloon Cultural District ]の自由 空 間 [ Freespace] と非 常 林 奕 華[ Edward Lam Dance Theatre ]の共 同 製 作 )はその意 味で、 特に鋭い洞 察に満ちた作 品だった。劇のベースとなっているのは傑 作 長 編 小 説『 紅 楼 夢 』、 主 人 公は本 作のタイトルで Helloと呼びかけられている賈 寶 玉( Jia Baoyu)。小 説からの 自由な翻 案が志 向するのは、つまるところ、真 実の自分を見つけることである。 「 寶 玉 」とは、 ひ すい

「 貴い翡 翠 」を意味し、人 格の究 極のエッセンスを指すとも言えるだろう。 上演は、会場となったブラックボックスの空間をうまく活用し、舞台正面に設置されたビデ オウォールを鏡として機 能させる。鏡は小 説の最も重 要な要 素であり、寶 玉と観 客が真の自 世界の舞台芸術を知る

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HONG KONG, CHINA

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分を発 見するための鍵ともなる。騒がし く、混 乱した世 界の雑 踏の中で生きる 私たちは、単なる外 面 的なものや人 間 が作りあげたシンボルからでは、 いった ん見失ってしまった自分たちの「寶玉」 を見つけることはできなかった。努力し ても、目的が 定まらなければ 何の助け にもならなかった。 「 寶 玉 」を取り戻す 唯 一の方 法は、余 計な飾りをすべてか なぐり捨て、子どものような自分の内 面 と向き合うこと。香 港 の 熟 練ダンサー であるユーリ・ン( Yuri Ng、伍 宇 烈 )は、 寶 玉という確 立したキャラクターを演じ ることは敢えてしていない。だが 、最 終 的に「ある一 人 の 寶 玉 」の 解 釈を提 示することに成 功している。 そしてさらに

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重要なのは、不要な飾りをすべてかなぐ 林奕華、劉祺豐共同演出『Hello, Baoyu』 撮影:Ray Leung@Edward Lam Dance Theatre

り捨てれば 、誰もが「 寶 玉 」になれるは ずとの気づきに観客を導いていることだ。

整えられた身体と自己の再 発 見を祝する演 劇 作 品が、 これほどまでに、美 的に表 現され ていることに勇 気づけられる。 さらに励まされるのは、 これらの作 品が、 アーティストたちの香 港 への深い愛 情によって結 晶 化したと確 信できることだ。だからこそ、未 来においても、 さらなる 創造の実りを期 待できるのである。 Cheung, Ping Kuen 国際演劇評論家協会(IACT/AICT)香港センター理事、 シアタープラクティショナー、アプライドシア ター・エデュケーター、演劇評論家。香港演芸学院(HKAPA) リベラルアーツ科科長(2003~2015 年)、第 6 回国際演劇教育協会(IDEA)世界大会(香港、2007年)共同ディレクター。

( 翻 訳:重 野 佳 園 )


リン・ノッテージ作、アン・ギョンモ演出『SWEAT―汗、過酷な労働』 写真提供:国立劇団

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[韓国]

労 働と環 境 、 そし て 人 類 の 生 存 に つ い て イ

ソンゴン

李 星坤

パンデミックで浮上した二つのキーワード、労働と環境 新 型コロナウイルス感 染 症( 以 下 、 コロナ) との「 闘い」そのものが最 大の関 心 事だった

2020年と比べると、韓 国ではこの一 年でコロナ禍がもたらした社 会の変 化と、 その結 果に関 心軸が移ったように見える。

2021 年 、韓 国の演 劇 界で最も関 心を集めたのは「 労 働と環 境 」だった。 「 労 働 」への 関 心は 2020年ごろから見られたが、 コロナ禍によって、新自由主 義が掲げる効 率の重 視や 公 平 性は表 向きのもので、実 際はただの自由 放 任に過ぎなかったことが暴かれたのだ。 そ して、 いわゆる新自由 主 義の「フレキシブルな蓄 積( flexible accumulation)」の副 作用が、 労働問 題として顕 在化したと言えよう。 世界の舞台芸術を知る

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SOUTH KOREA

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少 品 種 大 量 生 産を基 盤とするフォード・システムの硬 直 化した生 産 構 造から多 品 種 少 量 生 産が可 能なシステムへと移 行し、組 織を軽 量 化し柔 軟 化することが、新自由 主 義の 「フレキシブルな蓄 積 」の核 心である。 それによって労 働 形 態や条 件も、パートタイムや臨 時 雇 用 、外 部 発 注へと「フレキシブル化 」した。 そしてそこにコロナ禍が加わり、労 働からの 疎外が深 刻 化した。 また、気 候 変 動や環 境への関 心の高まりもパンデミックとの関 連を抜きにして考えることは できない。 ウイルス感 染 症の拡 大によって世 界中の人々が生 命の危 機を経 験し、今 回のウ イルスの蔓 延は、環 境 破 壊によって地 球の自浄 能力が低 下した結 果引き起こされたもので あるという認 識が広まったためである。世 界 的に見ると、気 候 変 動に警 鐘を鳴らしアクション を起こすアーティストが増えはじめたのは昨 今のことではない。韓 国も例 外ではないが、2021 年に入ってからは国 公 立 劇 場が気 候 変 動への取り組みを公に掲げたり、地 球 環 境をテー マに掲げた演 劇フェスティバルが開 催されるなど、芸 術を介した環 境 運 動への実 践 的な取 り組みが広がっている。 さまざまな形で描かれた労働問題

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まずは労 働をテーマにした演 劇について述べると、6 月から 7 月にかけて注目作が立て続 けに上演された。国 立 劇団( National Theater Company of Korea)の『 SWEAT ― 汗 、 パスクン

過 酷な労 働 』 (リン・ノッテージ[ Lynn Nottage ]作 、 アン・ギョンモ演 出 )、劇 団 番 人 の『 7 コレ

分間 』 (ステファノ・マッシーニ[ Stefano Massini ]作 、 イ・ウンジュン演出)、劇 団 鯨 の『 煙 突 コッキリマンボ

を待ちながら』 (イ・ヘソン作・演 出 )、 そして劇 団 象 万 歩の『 怪 物 B 』 (ハン・ヒョンジュ作 、 ソ ン・ウォンジョン演 出 )の 4 作 である。 『 SWE AT 』はもともと

2020 年のシーズン・ラインナッ プだったが 、 コロナ禍により劇 場 公 演 が 中 止されて配 信 の ミョン

みとなり、21年 6 月に国 立 明 ドン

洞 芸 術 劇 場での上 演が実 現 した。2000 年 代 初 頭 、米 国ペ ンシルベニア州のレディング市 を舞 台に、ある工 場で 働く労 働 者たちの身のまわりで起こる 出 来 事が 写 実 的に再 現され イ·ヘソン作・演出『煙突を待ちながら』 写真提供:劇団鯨


る。労 働 者 同 士の対 立を引き起こす経 済 構 造や資 本 家に対する告 発 、人 間の尊 厳をな いがしろにする新自由主 義 的グローバリズムへの問題提 起などがきめ細かに描き出された。 『 7 分間 』 も労 働 者たちの論 争と葛 藤を扱っているという点で共 通した問 題 意 識が見ら れる。主 人 公は多 国 籍 企 業に買 収 合 併された工 場で働く11 人の労 働 者たち。15 分の休 憩 時 間を 7 分 短 縮することに同 意すれば 、解 雇も人員削 減もしないという会 社 側の提 案 に皆 喜ぶ。 しかし議 論が進むにつれ、反 対 派と賛 成 派に意 見が分かれ激しくぶつかり合う。 新自由 主 義 経 済と多 国 籍 企 業の結 託により、資 本 家は「たった 7 分 」という甘い言 葉で 労 働 者たちを惑わせ、無 償の労 働を強 要するだけでなく、労 働 者たちを分 裂させて連 帯を 阻む。 『 煙 突を待ちながら』はタイトルからも分かるように、ベケットの『ゴドーを待ちながら』を下 敷 きにしている。2014年から2019 年まで 2 度にわたって400日以 上 闘われ、世 界 最 長の煙 突 籠城として知られるファインテック高空籠城( 1 )がモチーフだ。作中には『ゴドー 』のゴゴとディ ディに代わるナナとヌヌ、 そして人 間に代わって働く掃 除ロボット「 微 笑み」が登 場する。 ナナ とヌヌは人としての尊 厳が守られない多くの労 働 者を代弁している。 『 怪 物 B 』は近 代 化 以 後 、労 働 災 害で破 壊された労 働 者たちの肉 体が合 体してBという 怪 物に生まれ変わるという、一 種ファンタジー的な発 想を加えて労 働 問 題を描いている。怪 物 Bという架 空の存 在には長い労 働の歴 史が凝 縮され、ぼろぼろになった労 働 者たちの 身体に、今も繰り返される労働災害と死が象徴された。 韓 国では 2020 年 12月 10日から、 これまで雇 用のセーフティネットの対 象 外とされていた 芸 術 家に失 業 手当や出 産 手当金などを支 給して、安 定した暮らしができるよう支 援し、芸 術 創 作 活 動の基 盤を提 供するための芸 術 家 雇 用 保 険 制 度を実 施している。 しかし、 この 制 度はまだよく知られておらず、加 入 対 象や条 件が分かりにくいなど、今 後 解 決すべき課 題 ミ イン

も多い。劇 団 美 人 の『 私の仕 事の明日、明日の私の仕 事 』は、 この芸 術 家 雇 用 保 険 制 度 を舞 台 芸 術 従 事 者の立 場から考え、問い直すために企 画されたものだ。2020 年にはオン シン チョン

ラインコンテンツとして制 作 配 信し、今 年は新 村 文 化 発 電 所( Shinchon Arts Space) とい う小 劇 場で上 演した。芸 術は労 働か? 芸 術 活 動を仕 事として位 置づけることは可 能か? こうした問いに対する答えを探る過 程を描いた。 このように、2021年の韓 国 演 劇 界では、 『 SWEAT 』はリアリズム、 『 7 分 間 』は討 論・論 争劇、 『 煙 突を待ちながら』は不 条 理 劇 、 『 怪 物 B 』はファンタジー、 そして『 私の仕 事の明 日、明日の私の仕 事 』はルポルタージュ形 式など、労 働をテーマにさまざまなスタイルの作 品 が上 演された。

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SOUTH KOREA

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気候変動対策、第 1 回ソウル国際環境演劇祭 もう一つの重 要なトピックは気 候 変 化と環 境 問 題だ。2020 年 11月に国 立 劇 団の芸 術 キム・グァンボ

監 督に就 任した演出家の金 光 甫が最 初に宣 言したのは「 積 極 的な気 候 変 動 対 策 」だっ た。 これまで韓 国の舞 台 芸 術 界でも舞 台セットや小 道 具の廃 棄 処 理は難 題とされてきた。 国立劇 団は「 積 極 的な気候変動対策」によって少しでも二 酸 化 炭 素の排出量を減らすよ うな公 共 劇 場 運 営モデルを作り、演 劇の制 作 過 程で発 生するゴミを最 小 限に抑えられるよ う積 極 的に取り組んでいくという方 針を明らかにした。気 候 変 動 対 策は、一つの団 体や個 人の力で成し遂げられるものではない。舞 台 芸 術 界が共 通の認 識を持って「 公 的 価 値 」 の拡 大に取り組んでいくことが何よりも大 切だ。金 芸 術 監 督は「レンタル制 度を作って、他 の団 体の希 望があれば、小 道 具 、大 道 具 、衣 装などをシェアしていきたい。他の団 体とシェ アできる部 分を少しずつ増やしながら、演 劇の制 作 過 程で私たちが実 践できる行 動を通し て地球を守り、少しでも環 境にやさしい演 劇 制 作 文 化を作っていきたい」と語った。 こうした流れの中、8 月には意 味のある演 劇 祭が開 催された。第 1 回ソウル国 際 環 境 演 劇 祭( Seoul International Environmental Theater Festival)がそれだ。環 境 問 題と生 命 の価 値をテーマに、海 外 招 待 作 品 3 本 、国 内 作 品 16本 、計 19本の作 品が上 演される大

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規 模なフェスティバルだった。 この演 劇 祭は当初ソウル市 内のソウルイノベーションパーク( 2 ) で開 催される予 定だったが、 コロナ禍によって急 遽リモート開 催に切り替わり、8 月16日から

28日までの約 2 週 間 YouTubeで無 料 配 信された。公 演 団 体があらかじめ記 録用に制 作し た映 像や、 フェスティバルの性 格に合わせて新たに作られたコンテンツを配 信する一 方 、公 キョン サン プック ド チョン ソ ン

演の実 況をリアルタイムで配 信した。 ライブ配 信を行った団 体は、慶 尚 北 道 青 松に位 置 するナムダックムーブメント研 究 所( Namoodak movement Lab. )の野 外 劇 場に少 数の 観 客を招 待して上 演を行った。 このフェスティバルの芸 術 監 督を務めたチャン・ソイクはナム 4

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ダックムーブメント研 究 所の代 表でもある。地 方にある団 体の拠 点を会 場に「ソウル国 際 環 境 演 劇 祭 」を開 催したのである。他の演 劇 祭に比べて地 方の劇 団が多く参 加していた のもそのためである。参 加 作 品 19本のうち圧 倒 的に多かったのは児 童・青 少 年・家 族 向け の 20 分 前 後の公 演で、中でも人 形 劇やノンバーバル作 品が多かった。エンターテインメン ト的な要 素が加 味された公 演もかなりあった。チャン・ソイクは筆 者とのインタビューで、 ソウ ウ ン ピョン

ルイノベーションパークが位 置する恩 平 区からの要 請もあり、幼 稚 園 児や小 学 生を主な 観 客 層に想 定したと語っている。 「 現 在の地 球は、未 来の子どもたちから借りているもの」と いう言 葉がある。環 境 問 題を放 置することは、子どもたちの未 来を奪うことにつながる。だか らこそ、未 来を担う子どもたちとともに環 境 問 題を考え、経 験を共 有することが何よりも重 要 なのだ。


このほかに、劇 団ノルタンの 『 山を移 す 人 々 』 ( キム・ミン ジョン作 、チェ・ジナ演 出 ) も注 目すべき作 品だ。2020 年 、中 国の大 手 通 信 会 社が移 動 通 信システム基 地 局を開 設し、 エベレストの頂 上でも5G 通 信 が 可 能になったというニュー

キム・ミンジョン作、 チェ・ジナ演出『山を移す人々』 写真提供:劇団ノルタン

スから着 想を得 て 、中 国とネ パール、 インド、 ヒマラヤの国 境 地 帯で暮らす村 人たちが自然と開 発の狭 間で葛 藤する物 語を紡ぎ出した。 これまでも、環 境や気 候 、難 民など、同 時 代を生きる我々が抱える問 題を すく

丁 寧に掬い上げてきた劇 団ノルタンの本 作は、 ヒマラヤの大自然の中での暮らしを、高 度な 物質 文明の中で生きる我々の今とつなげ、舞 台の上に描き出した。 芸 術におけるリサイクルやアップサイクリング( 3 )については数 年 前から議 論されてきたが、 それは実 践をともなう具 体 的な議 論というより、芸 術 界に現われた新たな傾 向や変 化の兆 しを読み解くための努力程 度に過ぎなかったと思う。気 候 行 動の実 践や環 境 問 題は、 これ から韓 国 演 劇 界の重 要なテーマになりそうだ。 人新世の終焉とポスト・アポカリプス 気 候 変 動・環 境 問 題 だけ でなく、人 類の生 存の危 機や 終 焉 後 の 世 界を描いたり、 そ れを 暗 示 する公 演も目 立 っ た。興 味 深いことに、 その中に は日本の戯 曲が 2 作 含まれて こじ

いる。前 川知 大の『 太 陽 』 と古 ょう と し の ぶ

城 十 忍 の『 恐 怖が始まる』だ。 キョン ギ

京 畿 道 劇 団( Gyeonggido

ドゥ サン

Theatre Company)と斗 山 アートセンター( Doosan Arts

Center)が共 同 制 作した『 太 陽 』で 、演 出 のキム・ジョンは

前川知大作、 キム・ジョン演出『太陽』 (京畿道劇団/斗山アートセンター) 撮影:ユ・ギョンオ

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SOUTH KOREA

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サン ス

俳 優の独 特な動きやテンポで 21 世 紀のディストピアを描き、好 評を得た。劇 団 山 茱 萸 の 『 恐 怖が始まる』 (リュ·ジュヨン演 出 )は過 去と現 在の時 空 間を緻 密に交 差させ、すぐれ た舞 台 成 果を上げた。作 品に描かれている福 島 原 発 事 故は日本だけの問 題ではない。 い

「 原 発ゼロ」という議 論は韓 国でも熱い話 題だ。韓 国の観 客たちは日本の現 在を通して、 韓 国の近 未 来に起こりうる事 態を思い描くことができたに違いない。観 客の反 応は非 常に 熱く、真 摯だった。 ただ、死と恐 怖という重い題 材を取り上げているという先 入 観にとらわれ、 戯曲に内 在するユーモアが充 分に伝わらなかった点が惜しまれる。人 災による悲 劇や大 惨 事に関する言 動に極 度に神 経をとがらせる韓 国 社 会の厳 粛 主 義が、 この公 演でも働いた のではないか。 ペク ス ガ ン ブ

劇 団白 首 狂 夫 の創 立 25 周年 記 念 公 演として上 演されたゴーリキーの『どん底 』は新 型 ひと しん せい

コロナウイルス感 染 拡 大によって「 人 新 世( 4 )」終 焉の時が近 付いているという問 題 意 識か イ ソン ヨル

ら原 作に新たな解 釈を加えた。 これを演 出した李 聖 悦 は、 「この作 品に描かれた木 賃 宿の 風 景は、絵に描いたような最 底 辺の人 情 劇だ。 しかし考えてみるとノアの箱 舟のように最 後 の救いを示す希望の船でもある。 ( 中略) とにかく大 切なのは生きていくことだ。偽りの慰めで も、 イカサマでも、同 情でも、尊 敬でも、真 実でも、 クソでも、 ワラでもいい、 とにかくその手で掴

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んで…… 。 そんな叫びを届けたかった」と演出ノートに書いた。

李聖悦演出『どん底』 写真提供:劇団白首狂夫


これまでの『 国 際 演 劇 年 鑑 』でも何 度か 書いたように、10・11月は韓 国の演 劇 界も収 穫の季 節だ。一 年で最も多くの作 品が上 演される。代 表 的なフェスティバルであるソウル 国 際 舞 台 芸 術 祭( Seoul Performing Arts Festival/SPAF)だけでなく、 ソウル未 来 演 劇 ウィ ジョ ンブ

祭( Seoul Theater Future Festival)、議 政 府 音 楽 劇フェスティバル( Uijeongbu Music (5) Theatre Festival) などが目白押しだ。 それにしても、2021年の韓国演劇界を振り返ってみ

ると、主な関 心は労 働と環 境 、 そして人 新 世の終 焉に集 約される。 コロナ禍によって新たに 浮 上したか、再 燃した問 題だと言えるだろう。 もしかしたら新 型コロナウイルスがこれ以 上 私 たちの日常を脅かすことがなくなっているかもしれない一 年 後 、2022年の韓 国 演 劇を振り返 るこの誌 面に、私はどんな演 劇を紹 介し、何を書いているだろう? いつにも増して、 そんなこ とが気にかかる。

〔著者注〕 (1) 労働争議において、一人か二人の組合員が煙突や広告塔など高い所に登り労働者側の要求が通るまで籠城 すること。雇用側のスト破りを避けたり、世間の注目を集めて要求を通すためなどの理由で行われる。 (2) 2015年にソウル市が設立した、市民が主体となって社会問題を解決するための複合施設。民間企業や NGO、市民団体など多様な組織の活動拠点となっている。また、公園を兼ねた野外スペースではフェスティ バルやフェアなどさまざまなプログラムが開催されている。 (3) 廃棄物を材料にして付加価値の高い商品に作り直し再利用すること。 (4) 人類が農業や産業革命を通じて地球規模の環境変化をもたらした時代。 (5) 通常は5月に開催されるが、コロナ禍で11月に延期開催となった。

( 翻 訳:石川樹 里 )

Lee, Seung-gon 演劇評論家。韓国芸術総合学校演劇院演劇学科教授。同校卒業後、大阪大学大学院文学研究科で 博士号を取得。現在は在日コリアン劇団に関する研究、およびオンライン配信における観客のライブネス に関する研究に取り組んでいる。

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INDIA

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マリカ・タネジャ作・演出・出演『申し立てによると』 オンライン版

撮影:Mallika Taneja (以下同)

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演 劇 の ありか 鶴留 聡子

はじめに 本 稿 執 筆 時の 2021年 10月現 在 、 インドは厳 重なロックダウンこそ徐々に解 除されてきてい るものの、次から次へと押し寄せる感 染の波と、 それに対して政 府が打ち出すあの手この手 の規 制と向き合いながら、 どうにかやりくりする日々が続いている。 いまだに多くの教 育 機 関は 閉 鎖されたままであり、州 境をまたぐ移 動にはワクチン接 種 証 明 書か陰 性 証 明 書の提 示 が求められる状 況に、収 束の兆しは見えてこない。本 稿では、新 型コロナウィルス発 生当初 より劇 場が閉 鎖されたなか、 インド演 劇 界で展 開されたオンラインを使った新たな試み、続 いてコロナ禍が浮き彫りにしたインドの社 会 的 状 況とそれに対するインド演 劇 人の活 動を取 り上げる。 『申し立てによると』オンライン版 インドの女 性を取り巻く状況は、 コロナ禍でさらに悪化した。各 国 同 様 、長引くロックダウン


で行き場をなくした女 性に対する家 庭 内 暴力の被 害が増 加しているという調 査 結 果も出て いる。学 校も長 期にわたり閉 鎖され、 もともと女 子の就 学 率が低く、 いまだに女 子の教 育が 軽 視される風 潮のあるこの国で、真っ先に機 会を奪われたのは女 性である。 そのようななか、 日本でもTPAM−国 際 舞 台 芸 術ミーティング in横 浜 2017にて上 演された『 気をつけて( Be

Careful)』をきっかけにヨーロッパで活躍の場を広げる首都ニューデリー拠点のマリカ・タネ ジャ ( Mallika Taneja)は、Zoomを使ったオンライン演 劇『 申し立てによると ( Allegedly)』 を 発 表した。 これはコロナ以 前の 2018年にニューデリーのフェミニスト出 版 社ズバーン・ブック ス ( Zubaan Books)の委 嘱を受けて製 作された舞 台 作 品を、 コロナを機にオンライン版に 発展させた作 品である。 舞 台は、何 年も前に受けた性 暴 力の被 害 届を出す決 心をしたタネジャ本 人が演じる 女 性と、報 告 書を作る手 助けをする知 人 女 性アディティとの会 話を中 心に進 行する。パー ティーで知り合った男性に合 意なしに性 行 為を強 要された当 時の状 況や様 子について、 知人女性は詳しく聞き出しメモをする。 しかし同じ女性であり、 タネジャを親身になって助けよ うとするその知 人 女 性が尋ねる質 問からは、懐 疑 的に被 害 者から事 情を聞き出す警 察 官 の姿が重なる。 「そのとき着けていたブラジャーの色は?」その質 問の意 図を理 解できずに 口籠もるタネジャに対し、彼 女はさらに続ける。 「 隠していることがあるんじゃない?」 「 何か恥 ずかしいことをしたという自覚が あるのよね?」二 人 の 会 話 は 要 所 要 所で、 インド各 地からオ ンラインで出 演している14人の 女 性のコロスによって中断され る。彼 女たちは同じく女 性であ りながら、 それぞれがときに被 害 者 の 発 言に同 情し、 ときに 皮 肉を込めて野 次る。 その反 応は様々だ 。はっきりと意 見を 言う者 、 もじもじと返 答を避ける 者、 できるだけ波 風を立てない ことばかり気にする者 。 「彼女の言っていることを信じ られる?」 「 実は彼 女も乗り気 だったんじゃないの?」 「 彼の

『申し立てによると』オンライン版 アディティ (アディティ・ビスワス [Aditee Biswas] =写真上) とマリカ (マリカ・タネジャ)

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INDIA

ASIA and AFRICA 『申し立てによると』 オンライン版

金目当てじゃない?」 「あなたなら彼 女が被 害 届を出すのを手 伝ってあげる?」 「この女 性は 相 応なレイプ被 害 者かしら?」これらは、Zoomの投 票 機 能を使った「はい」か「いいえ」の

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二 者 択 一の質 問として、観 客に対しても投げかけられる。問いに対して「たぶん」 「 分からな い」 「 確かではない」というような余 地は与えられない。 それらの質 問は、 ( 大 抵がおそらく)自 宅というコンフォート・ゾーンから観ている者を引きずり出し、観 客は自らの偏 見と向き合うこと になる。 タネジャはインタビューで、一 般にタブーとされオープンに語られることのないインドにおけ る女 性に対する性 暴力について語る場を作り、観 客との対 話を生み出すことを目的に作っ たと語っている。観 客とパフォーマー、あるいは観 客自身の内なる対 話を生み出すメカニズ ムを作り出すことに成 功した、力強い作 品である。同 作 品は、 スイスのカゼルネ・バーゼル劇 場や、 ドイツのマンハイム国 立 劇 場など、 ヨーロッパ各 地の劇 場やフェスティバルの招 聘を受 けて継続 的にオンライン上 演され、2021年 夏に開 催されたスイスの国 際 舞 台 芸 術 祭チュー リヒ・テアター・シュペクターケルにおいて、 フェスティバルの最 優 秀 作 品 賞 ZKBパトロー ナージュ賞( ZKB Patronage Prize) を受 賞したことを記しておく。 コロナ禍における文化支援 首 都ニューデリー、 コルカタ、 ムンバイ、チェンナイなど、 インド国 内 6 都 市にセンターを構 えるドイツの文 化 機 関ゲーテ・インスティトゥートは、 それぞれの地 域に特 化したオンラインに よる活 動を展 開した。 インド南 部のバンガロール・センターは、 ドイツ語の戯 曲を現 地のカン


『申し立てによると』 オンライン版 この場面では、ボリウッド映画『Khal Nayak( 悪役)』 ( 1993) の中で女性たちが性的な挑発をしながら歌う恋愛歌「Choli ke Peeche Kya Hai(ブラウスの下に何がある?)」に合わせて、 コロスが登場する。

ナダ 語に翻 訳し、地 元のアーティストがリーティングを行う「ドイツ・スポットライト ( German

Spotlight)」シリーズを開 催した。 リーディングのライブ配 信や、俳 優が実 際にスタジオで行 なったリーディングの映 像をオンラインで公 開するフォーマットが取られた。 これらは予 定され ていた活 動のほぼすべてがキャンセルされ、政 府の文 化 芸 術 支 援などなく、今 後の見 通し の立たないインドのアーティストを支える役 割を担っていた。 ロックダウン状 況 下 、 これまでのような形で演 劇を続けることが不 可 能になったわけだが、 このようにインド国 内の演 劇 界はいずれもなんらかの形で欧 米の支 援を受けているケースが 目立つ。 それは欧 米などに比べ、 インドにおける行 政の文 化 支 援が限られており、必 然 的に 欧 米のイニシアチブに頼らざるを得ない背 景がある。南インドのケーララ州 政 府は 2020 年 末、 アーティストを対 象にした支 援 策を発 表したが、 いくら物 価が安いとはいえ、一 人につき

1,000ルピー( 約 1,500円)ではほとんど何の足しにもならないと言っていいだろう。コロナウィ ルス自体は人 間を選り好みせず平 等に襲うのかもしれないが、 それに向き合う社 会は、既に 存 在していた経 済 的 、社 会 的な不 平 等や偏 見をさらに悪 化させ、私たちが生きる世 界の 現状を嫌というほど浮き彫りにした。 国際フェスティバル コロナ以 前 、近 年の目を見 張るインドの経 済 発 展を映し出すように、国 際 的なフェスティ バル文 化が盛り上がりを見せていたインドの演 劇 界であるが、国 立 演 劇 学 校( National

School of Drama)が主 催するインド演 劇 祭( Bharat Rang Mahotsav)、ケーララ州 政 府 世界の舞台芸術を知る

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主 催のケーララ州 国 際 演 劇 祭( International Theatre Festival of Kerala)など、政 府 系のフェスティバルはコロナの波を受けて軒 並みキャンセルされた。一 方 、首 都ニューデ リーで例 年 開 催されるインド企 業マヒンドラ・グループによるマヒンドラ演 劇 祭( Mahindra

Excellence in Theatre Award[ META])や、毎 年 12月末にゴアで開 催されるセレンディピ ティ芸術祭( Serendipity Arts Festival)などは、 オンラインに場を移 行して行われた。 この対 応の違いは何だろうかと考えたとき、行 政と民間との体 制の違いももちろんあるだろ うが、 コロナ以 前の常 識だと、 「 人が集まること」を意 味した演 劇という行 為を煙たがる政 府 の思惑もあるのではないだろうか。

2020年 8 月にパンジャーブ州で始まった座り込みによる農民の抗 議 運 動が現 在 、デリー 近 郊までおよんでいるなど、国民の不 満やストレスが募るなか、政 府がフェスティバルを「ソー シャル・ディスタンス」の名の下にいとも簡 単に取りやめる様 子には、人が集まり権力に対し て声をあげることに対する危 機 感が見え隠れする。 文化勲章と社会背景

2021年 1 月、 イギリス人 演出家ピーター・ブルックが、パドマ・シュリー勲 章( Padma Shri 040

Awards)を受 賞 。 これはインド中 央 政 府が芸 術 、社 会 福 祉 、医 学 、教 育など幅 広い分 野 において卓 越した働きをした民 間 人に与える賞で、例 年 1 月 26日のインド共 和 国 記 念日 に発 表されるとニュースでも大きく取り上げられる話 題 性の高い賞である。現 代 演 劇 界の 巨 匠とも呼ばれるブルックの功 績に疑 問の余 地はないが、 インドで最も権 威ある文 化 勲 章 をブルックが今このタイミングで受 賞する社 会 的な文 脈とは何だろうかと考えざるを得ない。

2019 年に再 選を果たした現モディ政 権はヒンドゥー・ナショナリズムを全 面に打ち出し、そ むしば

の影 響は社 会の隅々にわたって確 実に人々の生 活を蝕んできている。30 年 以 上 前にヒン ドゥー教が誇る叙 事 詩『マハーバーラタ』を舞 台 化および映 画 化し、 その名を世 界に広め たブルックを今になり表 彰する (ちなみに同 作 品はインド国 内では上 演されず、映 画 上 映の みで終わった)。 そこには政 治 的な目論 見があると考えないわけにはいかない。 その意 味で は、 ヨガを用いたソフトパワー外 交が推し進められる現 状において、 この表 彰は格 好のタイミ ングであったのかもしれない。 社会における演劇のありか コロナ禍におけるインド演 劇 人の活 動は、 オンライン空 間に留まってはいなかった。 ロックダ ウンで居 場 所をなくした日雇い労 働 者など、社 会の底 辺に暮らす人々がその日の食 料にす ら困る危 機 的 状 況に対し、SNSを活 用して寄 付をつのり、食 料を買い集め、自らが地 元コ


ミュニティに出 向いて配 布する等の演 劇 人による活 動が、 インド各 地でまさにクラスター発 生した。自らがその一 部である社 会を映し出し反 応することが演 劇だとすれば 、 それは自然 な成り行きであったように思う。 残 念ながらインドでは、 コロナ禍で公 演が中 止あるいは延 期され 、活 動の場をなくした アーティストの救 済に関しての議 論はほとんど行われていない。孤 立する人々にコロナが拍 車をかけるのを目の当たりにしたインドの演 劇 人は、演 劇 文 化を救うための連 帯は二の次 で、 それぞれの場 所から、 目の前の現 実と格 闘していた。 コロナに感 染する危 険を冒しなが ら、地 元の NGO関 係 者と手を組んで、路 上で生身の人 間と向き合って状 況を少しでも改 善しようと躍 起になっていた。 それは、演 劇は社 会との関わりを通してこそ存 在しうるものだと インドの多くの演 劇 人が信じているからだろう。 いつかコロナが過 去のものになったとしても、 このことは忘れないでいたいと思う。

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『申し立てによると』 オンライン版

つるどめ・さとこ 演劇制作者。東京外国語大学ヒンディー語学科卒業後、国際交流基金ニューデリー事務所の海外運 営専門員を経て、現在、南インド・ケーララ州山間部アタパディに構える劇場兼住居を拠点に、国内外で 演劇活動を行う。

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042 私が滞在した家のウントゥン (中央の白い衣装の男性) は、村の公民館で行われたワヤン・オランの演目のひとつに出演した。 ©Helly Minarti

[インドネシア]

パン デミック初 期 数 か 月 の 生 活 / ア ート ダンス・フィルム、 Z o om 空間、 そしてワヤン・オラン ヘリー・ミナルティ この文 章で、過 去 19 か月にわたり私たち全員が経 験している世 界 的な不 条 理の中、 どの ように生 活(それは私の芸 術 活 動の実 践と複 雑に結びついている)のかじ取りを行ってきた か、私の個 人 的な観 察や経験を共有したいと思う。 パンデミック初期の私の生活とアート 背 景となる話を少ししよう。私はインドネシアのジャカルタ出身だが、 そこから飛 行 機で 1


時 間ほどのところにあるより小さな都 市 、 ジョグジャカルタ( 縮めてジョグジャと呼ばれる)に 移ることにした。引越しは、 より人 間らしい生 活を送りたいという願 望を満たすためで、段 階 的に行った。時 間 的な面でも、移 動することが多い私の仕 事や優 先 事 項にかなったもので、

2018年 末ごろまでに、私はジョグジャのダウンタウンに落ち着くことになった。 ジョグジャへ引 越したことによって、 しばらくの間は、忙しい移 動の合 間にゆとりを持った 生 活を送ることができた。主な理 由は、緑 豊かな庭つきのより快 適な家を借りることができ たからだ。サイクリングを始めたり、ガーデニングを習ったりもした。私の目標は、約 20 年の 間に参 加したさまざまな国 内 外のアートイベントで集めたダンス/アートの本やそのほか 諸々からなるコレクションを整理することだった。2019 年の半ばに「リンカラン | コレオグラフィ ( LINGKARAN | koreografi)」 (「リンカラン」は「円弧 」の意 ) と名 付けたプラットフォー ムを立ち上げ、 まずは自宅のリビングルームで読 書 会を主 催することを通して、地 元のダンス シーンの友 人たちとこのコレクションを共 有しはじめた。

2019 年末に新しく発見されたウイルスについて初めて耳にした時には、個人的な理由、 ま たは仕 事で忙しく飛び回っている最 中だった。約 3 か月の旅( TPAMでの横 浜 滞 在を含 む)の後 、 ジョグジャに戻って来た 2020年 3 月の最 初の週には、パンデミックはすでにインド ネシアに影 響を与えはじめていた。

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画面を見る(長すぎる)時間への対応 その後の 7 か月間、 インドネシアで行われたほとんどの現代舞台芸術イベントは、YouTube または Zoomの中に場 所を移した。4 月にはすでに、 インドネシア教 育 文 化 省が YouTube チャンネル「ブダヤ・サヤ( Budaya Saya )」 (「 私の文 化 」という意 味 )で 5 日間にわたり 「ディスタンス・パレード ( Distance Parade)」というプログラムを配 信していた。40 人の選ば れた若 手ダンサー/コレオグラファーに少 額の資 金を提 供し、本当に短い期 間にダンス・ フィルムを作 成したのだ。上 演のキャンセルが続き苦しむ若 手アーティストを支 援するために、 政 府はこのプロジェクトを行ったのだと思う。作 品はライブ配 信され、 その後 、同じYouTube チャンネルで視 聴できるようになっている。5 日間ぶっ続けであまりにもたくさんの作 品を見て、 目が回りそうになったことを今でも覚えている! 演 劇とは違い、 スクリーン上で見るダンス (より一 般 的には「ダンス・フィルム」として知られ ている)は、以 前からひとつのジャンルとして存 在している。だが、 フェスティバルや教 育を通し てそれを慣 行として組み込む取り組みは、 あまりうまくいっているとは言えず、継 続 的に行われ てはいないようだ。 このジャンル/ 様 式は、少なくとも10 年 以 上におよぶセルフィー文 化の影 響を受け、YouTube や Instagramといったソーシャルメディアを通して、現 在は異なった姿を 世界の舞台芸術を知る

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INDONESIA

ASIA and AFRICA

見せている。 これは配 信された

40 の作 品にも大いに反 映され ていた。 この表 現 手 段が、 これ までとは違った芸 術 言 語を見 つけるための可 能 性を秘めた ものであると気づいている人は ほんの少しだけだったように感 じた。 これがパンデミック初 期 のことだ。 「ディスタンス・パレード」で配信されたエカ・ワヒュニ『境界値(Ambang)』 ©Eka Wahyuni

舞 台 からスクリーンへの 移 行と並 行して 、会 議 やディス カッションが、新しく発 見された

Zoomや Googleハングアウトな どで 行 われるようになった 。 こ の 頃 、自 然 発 生 的 に 立ち上 がった 新 たな取り組 みのひと

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つに、ダンスと演 劇 の 分 野 で 活 動 する 6 人によって考 案さ れたプロデューサー・プラット フォームがあった 。私 の 記 憶 同、 リヨ・ トゥルス・ペルナンド 『ペ・キク−ペ・クク (PE・KIK-PE・KUK)』 ©Riyo Tulus Pernando

が 間 違っていなければ 、2 か 月にわたり毎 週オンラインの ディスカッションが 行われ 、共 通 する活 動から引き出される 主 要なテーマについて、深い 議 論 がなされた 。私 たちはこ れまで時 間がなくて行ってこな かった仕 事にまつわる事 柄に ついてじっくり考えるということを、 最 初のロックダウンの時に行っ

同、バタラ・サヴェリガディ・デワンドロ 『トゥスク・エンダ (Tusuk Endha)』 ©Bathara Saverigadi Dewandoro

たのだと思う。 そして日々は続き、 その最 初


の数か月間 、新しく導 入されたソーシャル・ディスタンスという制 約や、潜 在 的な集 団 的 恐 怖 のようなものと絡み合った全 体を覆う不 確かな雰 囲 気の中にありながらも、私は日常 生 活を 正 常に保とうと最 大 限の努力をしていた。 この期 間に行われたひとつのプロジェクトをここで 紹 介したいと思う。 それはジョグジャの郊 外 、 ムラピ山の麓にある村でワークショップを計 画 するという依頼だった。 スンバー村のワヤン・オラン・フェスティバル スンバー( sumber)村でワークショップをやらないかと誘われたのは驚きだった。私と同じ ジャカルタ出身で、映 像 作 家であるティト・イマンダ( Tito Imanda)は、以 前からボロブドゥー ル寺 院 近くに、彼の小さな家 族とともに暮らしている。10 年 以 上にわたって、彼はスンバー村 のコミュニティと深い関 係を築いてきた(「 sumber」はインドネシア語で「 資 源 」を意 味する)。 スンバー村は、彼の家からたった 16 kmのところにあり、車で 1 時 間 半かかるジョグジャから の距離の半分以下だ。 ティトのチームは、以前、宗教儀礼に焦点を当てて村の芸能を記録 したことがあり、彼と村のコミュニティは、短 編 、長 編 映 画などさまざまなプロジェクトを共 同で 行ってきた。 スンバー村は、 これまでも都 市 部や、 さらには世 界からアーティストや研 究 者を受け入れて きた。 この村はまた、20 年ほど前にスタント・ムンドゥット ( Sutanto Mendut )が始めたリマ・グ ヌン・フェスティバル( Festival Lima Gunung 、 「リマ・グヌン」は「 5 つの山 」の意 )の開 催 地のひとつでもあった。 インドネシア国内外のアーティストとの現代アートのコラボレーションに も触れてきたし、彼らが実 践する伝 統 芸 能を学びたいと望む人たちとも交 流してきた。例え ば、私が滞 在した時にもジャワ舞 踊を学ぶために村に住み込んでいたエクアドル出身の女 性がいた。 この地域の主 要 都 市マゲランやジョグジャの近くにあり、 アクセスもしやすい。 この緊 密なコミュニティの文化的中心人物がパッ・シトラス・アンジリン ( Pak Sitras Anjilin、 「 Pak 」は男 性に対する敬 称 )で、長 老として人々の敬 意を集めている。彼の家 族の家に は、小さいけれど最 新の機 器を備えた舞 台があり、 ガムランの楽 器 一 式が置かれている。 こ (1) こがパデポカン・チプタ・ブダヤ( Padepokan Tjipta Boedaja ) で、子どもから大 人まで、 (2) 村 人がジャワの舞 踊 劇ワヤン・オラン ( Wayang Orang ) の稽 古を日々行っている場 所だ。

このパデポカンは、地 域の集 落のひとつ、 トゥトゥップ・ギソール( Tutup Ngisor)にあり、 アー ティスト、研 究 者 、 そしてこの地 域のジャワ文 化に関 心のある人々の間では、比 較 的よく知ら れている。 この辺りの集 落に住む家 族の多くは親 戚 関 係にあり、村の開 拓 者とパデポカンの創 始 者の 2 人を祖 先とする系 譜で繋がっている。村 人の多くは農民で、毎 年 4 回 、縁 起のいい 世界の舞台芸術を知る

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日に 4 時 間におよぶワヤン・オランの上 演を儀 式として行う。 ティトと村 人との協 働 作 業は数 年をかけて深まり、昨 年 、政 府から大きな資 金を得ることに成 功した。 これにより彼らは多くの 集 落にまたがって開 催されるフェスティバルを組 織することができた。 フェスティバルの中心と なったのが、週に 5 夜 上 演されたワヤン・オランだった。2 つのグループが、 それぞれ異なる

2 つの演目を 1 時 間に短 縮して上 演した。 この公演は年末まで 3 か月間 続いた。 実践の共有、教えることからの脱却 夜に行われる上 演に加えて、 ティトは日中、村の若 者を対 象に、 ダンス、映 画 製 作 、 そして その他のクリエイティブなテーマについて、一 連のワークショップを開 催した。彼は私にも何 かワークショップを行うよう誘い、 「ダンス」に関わることという条 件を付けた。私は「 知 識とし てのダンス」というテーマでワークショップを行い、 インドのアイアンガー師のメソッドを学んだ ヨガ教 師と 6 人のスピーカー/ 発 表 者を招いてそれぞれに自分の研 究や実 践について話 をしてもらった。一 週 間に14 のセッションを行ったが、参 加 者のほとんどは村の若 者で、 ジョ グジャなど近 隣の都 市で舞 台 芸 術を学んだ者もいた。中には国 立 芸 術 大 学ジョグジャ校 ( Institut Seni Indonesia Yogyakarta)の卒 業 生もいた。

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私は発 表 者たちに「 教える」のではなく、ただそれぞれの研 究について共 有するように と言った。つまり、はからずも自分が知ることになった特 定のテーマや出 来 事について紹 介 し、 そこから議 論が展 開されるようにと。 その中の一 人 、振 付 家のニア・アグスティーナ( Nia

Agustina )は、2020 年のはじめに日本で 1 か月間レジデンスをした経験を共有してくれ、 そこ で出 会った 若 手 振 付 家につ いて、 それぞれの作品、関心事、 活動について解説してくれた。 多くの発 表 者は夜まで残っ てワヤンを楽しみ、ほんの少し ではあったかもしれないが、村 の 文 化 的 生 活 に 浸った 。理 想化するわけではないが、私は こうした時 間が私の同 僚と、 そ して私 たちの 新しい 友 人 、村 の若 者の双 方にとって意 義 深 いものであったはずだと思う。 シンタ (左) ともう一人の女の子(残念ながら名前を忘れてしまった) は、 日中 ワークショップに参加したあと、村の公民館で踊った。 ©Helly Minarti


生活、宗教儀礼、そしてアート この一 週 間の村での滞 在 中 、私は生 活とアートは肩を並べ、 それぞれが互いの流れの 中にあるのが最 善であるということを、再び思い出した。 日中ワークショップの参 加 者に会い、 夜になると彼らが衣 装を身に着け、化 粧をし、 それぞれのキャラクターに必 要とされる独 特 の型によってワヤンの登 場 人 物に変 容するのを見た。私が泊めてもらっていた家の家 族 2 人 、父 親のウントゥンと一 番 下の息 子も上 演に参 加していた。雑 談をしていた時 、 ウントゥン は、最も好きな『マハーバーラタ』の登 場 人 物である武 将のカルナが、人 生を送る上でイン スピレーションを与えてくれたと語った。 ワヤンの演目のお気に入りの登 場 人 物が、 いかに自 分の人 生を導いてくれたのかを情 熱 的に語ってくれたのは、 ウントゥン一 人ではなかった。 年 一 回の慣れ親しんだ宗 教 儀 礼としての上 演に対して、 これほど頻 繁にワヤン・オランを 上 演することが、彼らにとって非 常に退 屈な体 験であることに、私はすぐに気づいた。 ティトが 彼らにこのような「実験」を行う意図に疑問を思ったこともある。 ティトと同じジャカルタ出身者 として、時に自分が支 配 的なエネルギーの残 滓を体 現しているのではないかと自覚 的に疑 うことがあり、私たちは「中央 」からの特 定なアイデアを押しつける傾 向があるのではないか という懸 念を彼に表 明したこともある。 しかしより綿 密に観 察をしてみると、 それは彼とコミュニ ティの間の双 方 向のプロセスであることがわかった。信 頼に基づいた、共 有されたビジョンを 実 現するための長 期にわたる会 話なのだ。彼が尊 敬され、 コミュニティの一員とみなされて いるのは明らかだった。 しかしこう書くことで、私は牧 歌 的なイメージを描こうとしているわけではない。例えば、別の 側 面を見てみると、親 切で、 ホ スピタリティに溢れ 、柔 軟な考 えを持 つ 村 人たちは、農 薬に ひどく依 存した現 代 的な農 業 を営んでいる。1998年 以 降も、 「レフォルマシ( 改 革 )」運 動 前のスハルト時 代に導 入され た「 緑 の 革 命 」から脱 却して (3) いないのだ。 。宗 教 儀 礼とし

てのアートを通して彼らが表 現 している人 生 哲 学と比 べ 、私 はどこか違 和 感を感じざるをえ なかった。だが 人 生は複 雑な

公演のあと、出演者にだめ出しをするパデポカン・チプタ・ブダヤの長老で リーダーのパッ・シトラス。 ©Helly Minarti

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もので、私たちは誰もみな道に至るための学びの中にいるのではなかったか? これまで述べてきたこと以 外に、世 界 的な自粛 生 活に入って 7 か月経った頃にスンバー 村で過ごした 1 週 間は、 こうした奇 妙な日々に対する私の態 度を肯 定してくれた。鋭いエッ ジなしにシンプルに生 活を送る。 それは、物 事を、私たち皆が経 験している現 在 進 行中の不 条 理を含む物 事を、私たちがその中を進んでいるそのままに受け入れる生 活である。希 望を 持って、注 意 深く、 そして気 楽に。 その後すぐ私は 2 度 村に戻った。 ワヤン・オランの夜の上 演を見るために、 それぞれ別々 の友 人のグループを連れて行った。 その間 、各 集 落に上 演の順 番が回るように、上 演の場 所が 2 度 変わった。ほんの数 時 間ではあったが、私たちは舞 台で行われる上 演の生き生き としたさまと、かつて私たちが知っていた、 よい意 味での「ふつうのこと ( normalcy)」を体 験 することができた。 そこは、私たちの住む都 会から車でたった 1 時 間 半の場 所だった。

2021年 10月21日、ジョグジャカルタ 048

(1) 「パデポカン」はジャワにルーツがあり、昔、人々が特定の技能(武術やガムラン音楽など)を師匠から学ん だ場所を指す。 「チプタ・ブダヤ」は「文化の創造」を意味する。 (2) ワヤン・オランは、叙事詩マハーバーラタ、ラーマーヤナやインド・ジャワの伝承から派生した物語を演じる ジャワの舞踊劇。演者は、洗練されたジャワ語で語りながら演じ、踊り、歌う。ヒンドゥー教を信奉した古マ タラム王国の王宮ではじまったワヤン・オランは、その後、後継となった2つの王国、スラカルタとジョグジャ カルタによって復興された。この2つの王家は1755年にオランダの介入によって分裂したもので、中部ジャ ワの各市にイスラムを信奉するより小さなスルタン王国が成立した。 (3) スハルト大統領(在位1966~1998)の下、インドネシアはアメリカ化と自由主義経済による開発の時代に 入った。スハルトは、アジア通貨危機の中で起きた数か月にわたる学生デモの後、1998年5月に辞職した。 この運動は「レフォルマシ(改革)」と呼ばれる。

Helly Minarti インディペンデント・キュレーター/研究者(パフォーミング・アーツ)。最新のプロジェクトに「 Jejak−旅 Tabi Exchange: Wandering Asian Contemporary Performance」 ( 2018~2021)。移住先のジョグ ジャカルタで、振付をめぐる言説に関する共同研究プラットフォーム「リンカラン | コレオグラフィ」 を設立。 現在、過去 2 回ファシリテーターの一人として参加した東南アジア振付ネットワーク (Southeast Asia Choreography Network−SEACN) の第 4 回をもとにした電子書籍の編集に取り組んでいる。

( 翻 訳:戸 加 里 康 子 )


タルファー村でのノンタワット・マチャイ (Nontawat Machai)によるパフォーマンスアート 『バンクロイを救え (Save Bang Kloi)』。ペッチャブリー県のケーンクラチャン国立公園内バンクロイ地区に住む先住民族、 カレン族の人権保護を訴える。 ©Chanakarn Laosarakham

[タイ]

終 わらな い パン デミックと ア ートによる 抗 議 活 動 パーウィニー・サマッカブット 2020〜 21年 、パンデミックは世 界中で演 劇 公 演やパフォーマンスへの妨 害を仕 掛けてき たが、 タイも例 外ではなかった。同 時に、 タイでは政 治 的 緊 張が途 切れることなく高まり続け、 頂 点に達しようとしていた。 この二つの現 象によって、舞 台 芸 術が抱える問 題の根 源 的 原 因 、舞 台 芸 術の脆 弱 性 、強 靭さ、 また、あらゆる芸 術に携わる人々が激 変に順 応するため に取り組んだ懸 命な試み、 そして最 終 的には、芸 術と社 会の人々の関 係が明 確に浮かび 上がった。厳しい状 況への適 応 能力が高い人が多いというタイ舞 台 芸 術 界の強みと、活 動や生 活を維 持するための個 人 資 産に格 差があるという弱 点がはっきりしたのである。

2020年 3 月、タイ国 内で大 規 模クラスターが発 生すると、政 府は海 外 渡 航 制 限 令を発 世界の舞台芸術を知る

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令し、全 国 的なロックダウン措 置をとった。劇 場や映 画 館は真っ先に閉 鎖されたが、他の 対 策 同 様に適 切な支 援システムはないままだった。予 定されていた多くの公 演が相 次いで 中止や延 期になり、海 外 公 演も渡航制限のために次々中止になった。 それでもアーティストたちはオンラインのデジタルプラットフォームに活 動の場を移し作 品 制 作を継続してきている。 この活動形態の変化によって、 これまでライブパフォーマンスに触れる ことがなかった、あるいは関 心がなかった人々がライブに触れる機 会が拡 大し、 アーティスト との対 話を始めるチャンスができた。 かれらは新たな観 客となる可 能 性がある。 とはいえ、 ライ ブパフォーマンスには映画や動画とは異なる時間と空間がある。舞台をそのまま映像で提供 しても十 分に魅力が伝わるはずはない。 フラッシュモブによる抗議活動

2020年 後 半 、タイ政 府は外 出 禁 止 令と強 制 的 業 務 停 止によって抑えられた国 内 感 染 者 数の減 少にあぐらをかいていた。一 方 、中小 企 業は政 府の支 援 策に困 惑しながら孤 軍 奮 闘を強いられ、経 済 的 困 窮による自殺 者やホームレスが急 増したが、 これが新 型コロナ 危 機に起 因しているとみなされることはなかった。官 僚の無 策ぶりが一 層はっきり露 呈してき

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たのだった。 そして感 染が収まり始めた途 端 、年 初からくすぶり続けていた学 生や一 般の人々の抗 議 活 動が本 格 化した。民 主 活 動 家ワンチャルーム・サッサクシットの失 踪 事 件( 1 )やラヨーン 県での活動家の逮捕( 2 )が抗 議 活 動にさらに火をつけ、大規 模な路 上占拠となっていった。 興 味 深いのは、 フラッシュモブによる抗 議 活 動 の 多くでリーダーの 演 説とは別にカル チャーアイコンがギミックとして使われていることだ。例えば、学 生たちによる「ハム太 郎デモ」 では、 日本のアニメーション『とっとこハム太 郎 』の TVシリーズのオープニングテーマの歌 詞 「 大 好きなのはヒマワリのタネ」を「 大 好き なのは国民の税 金 」と、政 府の腐 敗を批 判する歌 詞に変えて歌い踊りながら議 会 の解 散を求めた。 トランスジェンダーの三 姉妹が主役の人気映画が模倣され拡散 してミーム( 3 )になった「トゥンティン ( 女っぽ い) デモ」では、 ドラァグクィーンのリーダー の指 揮で映 画の台 詞「お姉ちゃん、罵ら れても殴られてもアタシはかまわない。だ けどこの家から追い出そうなんて冗 談じゃ 2021年 6 月18日、文部省前で抗議活動をする学生運動団 体Bad Student。学校制度における男女平等とLGBTQの権 利を求め、Bad StudentのFacebookページで生中継された。 ©Chanakarn Laosarakham


ない。 この家はアンタだけのものじゃないんだよ」を参 加 者が繰り返した。 この台 詞の背 景 には、超 保 守 派で王 室 支 持 者の俳 優であり映 画 監 督でもあるポンパット・ワチラバンジョン ( Pongpat Wachirabunjong )の有 名なスピーチの一 節で、 ことあるごとに保 守 派の人々に よって繰り返される「 国 王と国は一つの大 家 族 。父 上への敬 愛がなくなったのなら出て行け。 ここは父 上の家なのだから」という台 詞がある。 「ハリー・ポッターデモ」ではリーダーが民主 主 義の守 護 霊(パトローナス) を演じ、王 政についてのかつてなかったレベルの活 発な公 開 議 論を引き起こし、 やがて王 政 改 革の要 求へとつながって「 天 井を突き破った」抗 議のひと つと呼ばれた。 抗議の手段としてのアート 抗 議 活 動の盛り上がりと同 時に、政 府は芸 術を通して異 議を表 明するアーティストや活 動 家に揺さぶりをかけ始めた。抗 議のステージに上がるアーティストに召喚 状を発 行したの である。 その中にはたくさんのラッパーや演 劇 人も含まれていた。 アーティストは政 府の脅 威 を糾 弾するキャンペーンを展 開して対 抗した。 そしてここが起 点となり、表 現の自由に対する 権 利を宣 言し、芸 術を手 段に抗 議 活 動をするアーティストやクリエイターのネットワークがで き、 そのひとつ「フリーアーツ ( FreeArts)」が中核的なグループのひとつとなった。 フラッシュモブは、数 万 人 、時には数 十 万 人の参 加 者が集まる大 規 模な抗 議 行 動に なっていった。2020 年 10月、抗 議 活 動への締め付けは一 層 厳しくなり、 リーダーは逮 捕さ

2020年10月16日、大型ショッピングセンターやバンコク芸術文化センター (BACC) がある市中心部のパトゥムワン交差 点。10代を中心とした数千人の非武装デモ隊に対し、機動隊は化学物質を混入した高圧放水銃と催涙ガスを使用。デモ 参加者は傘を使って抵抗した。 ©Kanoksak Thubthong

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れ催 涙ガスが使われるようになった。 しか し活 動はさらに拡がり、 しかも俄 然クリエ イティブになり、文 化 的 要 素やアートワー クが 抗 議を表 現 する強 力な手 段となっ た。2020年の終わり、政 治 色の濃い作 品 を創り続けている劇 団 B-Floorは、最も評 価の高い作 品のひとつ『フルフール( Flu-

Fool)』を再 演した。2010 年の初 演から 10年を経てタイの政 治はまた同じところに 戻ってきてしまったかのようだった。

2021 年の初めから半 ばにはタイ全 土 に感 染 が 拡 大し死 者 数も増え続け、公 演も企 業の経 済 活 動も再び中止や閉 鎖 を余 儀なくされた。活 動 家やアーティスト

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2020年11月14日、 これまでに幾度も民主活動の舞台となっ てきたラチャダムヌン通りで行われた「モブフェス」。音楽、パフ ォーマンス、スピーチ、アートインスタレーション、 ダンス、食べ 物屋台、物販などのプログラムを仮設舞台と路上で展開、政 府への要求や多様性を表現する空間を創り出した。参加者 はメッセージを書いた横断幕で正面に見える「民主記念塔」 を覆った。 ©FreeArts, Thailand

への政 府の取り締まりはさらに厳しくなっ た。自宅に押しかけ「 警 告 」と称しては家 族にまで脅しをかけ、非 常 事 態 宣 言 違 反 や不 敬 罪を理 由に活 動 家が次々と逮 捕 、 勾 留された。抗 議 活 動はこの頃から新た な形 態をとりはじめた。 そのひとつが 、現 在も最も活 発な活 動 を続けている「タルファー( Talu Fah )」 そら

(「 空 を衝く」の 意 )グループ( 4 )による 「タルファー 村 」の 設 立 だった 。他 の 活 動 組 織 やフリーアーツなどのアート系グ ループも合 流して 3 月 13日に政 府 庁 舎 横の路 上に設 立したこの村の目的は、政 府 側との直 接 対 話 、文 化 芸 術を手 段とし て社 会 問 題を人々に伝えることだった。 こ 2021年 4 月29日、22歳(当時) の反政府活動のリーダー、パ リット・チワラック氏(愛称ペンギン)の保釈要求が却下され た。公聴会の後、彼の肖像画を抱く母。チワラック氏は獄中で ハンストを続け、 この日45日目だった。 ©Chanakarn Laosarakham

れに対し当局は、3 月 28日、1 日に 2 度の 大 規 模 検 挙を行った。1 回目は早 朝 6 時 、67人の抗 議 者を検 挙した。残ったメ


ンバ ーは 、平 和 的 抗 議 は 違 法ではないと訴え、路 上に寝 転んで三 指サイン( 5 )を掲げ抵 抗した。 そこに 2 回目の取り締 まりが行われ、寝 転んでいたた だけの 抗 議 者 たちは 機 動 隊 に連 行された。筆 者自身、 この

2 回 目に連 行された 32 人 の 抗 議 者の一 人であった。抗 議 者たちは起 訴され 、1 日拘 留

2021年 3 月28日、大規模検挙時のタルファー村。早朝67人が連行され、残 ったメンバーは同日午後、路上に横たわり三指サインを掲げ抗議を続けた。 筆者(左下の眼鏡の女性) を含む32人はこの直後、連行された。 ©Chanakarn Laosarakham

されたあと釈 放されたが、 この逮捕容疑はいまだ晴れず、2022年 2月現 在も係 争中である。 コロナの影響と支援の格差

2021年 、舞 台 芸 術 界は 2020年よりもさらに酷い低 迷 状 態に陥った。作 品 数は激 減し、 今も行われているオンラインプラットフォームでの公 演は、 ラジオドラマスタイルの配 信はそこそ この成 功を収めているものの、 それ以 外は期 待ほどには成 功していない。 その中でも盛り上 がりを見せている公 演スタイルがスタンダップコメディだ。少ないスタッフ数と限られた予 算と いう課 題を解 決しながら、観 客にある種の解 放 感を与え、 さらに観 客に語りかけることでライ ブの雰 囲 気も残している。

2021 年に上 演された公 演は、明らかに海 外からの支 援によって可 能になったものばかり だ。例えば、For WhaT Theatreプロデュース、 ウィチャヤ・アータマート ( Wichaya Artamat) 演出の演劇作品『 9 月の 4 日間( Four Days in September)』は、パリのフェスティバル・ドー トンヌ ( Festival d Automne à Paris)の助 成により海 外 公 演を実 現した。 タイ国 内では上 演されていないにもかかわらずだ。劇 団マヤ( Maya)は 40 年 以 上も活 動を続けてきた偉 大 な老 舗 劇 団だが、 自分たちの劇 場マヤリット ( Mayarit) を閉 鎖し劇 団 活 動を停 止する道を 選ぶこととなった。 伝 統 芸 能や商 業 演 劇も危 機の影 響を受けたが、 その対 応は分かれている。伝 統 芸 能 の公 演を提 供する国 立 劇 場などの公 立 組 織が受けた影 響は最も少なく、観 光 客や学 生 団 体 客の減 少により厳しい集 客 状 況に直 面してはいるが、政 府の全 額 資 金 援 助があり経 済 的には無 傷だ。給 与も普 通に支 払われているし、すぐにでも公 演を再 開できる体 制にあ る。観 客の減 少はその存続にはそれほど大きな意 味をおよぼさないのである。 同じ伝 統 芸 能でも大 衆 演 劇のリケー( Likay)や東 北タイの大 衆 歌 謡モーラム( Mor 世界の舞台芸術を知る

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Lam)はファンからの支 援によって支えられているが、彼らはYouTube や TikTokでもライブを 配信してファンを拡 大し、 さまざまなオリジナル商 品を制 作しあらゆる手 段で販 売している。 大 規 模な商 業 劇 場の運 営 母 体は公 演 作 品のオンライン配 信やテレビ番 組 、 イベントの 制 作で利 益を上げているが、本 格 的な新 作 公 演の制 作はまだ再 開していない。 ショービ ジネスは、外 国 人 観 光 客の減 少を受け最も厳しい状 況に立たされている。ニューハーフ ショーの人 気 店も苦 境に喘いでおり、閉 店中のアルカザール( Alcazar Cabaret Show)は 再 開の目途がたたず、 カリプソ ( Calypso Cabaret)は 33年の歴 史に幕を下ろした。 タイ舞 踊を取り入れたショーを上 演し海 外からの観 光 客で連日にぎわっていた大 型 商 業 劇 場で は、バンコクのサイアム・ニラミット ( Siam Niramit/ 約 2,000席 ) もプーケットのプーケット・ ファンタジー( Phuket FantaSea/約 4,000席 ) も完 全に閉 館した。 上 演スペースが 次 々と消えていくのにともなって公 演を支 援 する機 関 や 団 体も消 滅 していく中 、毎 年 開 催されるパフォーマンス・アーツ・フェスティバル( Performative Art

Festival:PAF)にリハーサルや公演のためのスペースを提供したバンコク芸術文化センター ( Bangkok Art and Culture Centre:BACC)はほぼ唯 一の貴 重な助け舟となった。

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演劇人の共有・交流の場BIPAM バンコク国 際 舞 台 芸 術ミーティング( Bangkok Internationa l Performing A rts バイパム

Meeting:BIPAM)は、演 劇に携わる人々が共 有し交 流する場であり、主 催 者たちは年に 一 度の開 催を続けてきた。海 外 渡 航が不 可 能な中でも国 際 的なプラットフォームの役 割を 果たすべく、2020年は「 海の中( Under the SEA)」をテーマに、座 談 会 形 式のウェビナー シリーズをメインフォーマットに据えた。 そこには東 南アジアのアーティストが集い、パンデミック 下の各々の体 験や今後の展 望の共 有を試みた。

2021年 、取り巻く状 況はさらに悪 化したが、粉 骨 砕身の末 、 「 所 有 権( Ownership)」 をテーマに質の高いコンテンツのキュレーションを成し遂げ 、 ディスカッションのみならずパ フォーマンスやイベントもオンラインで展 開した。 その中にはフリーアーツによるNFT( 非 代 替 (6) 性トークン) を使った特別企画もあった。 タイとミャンマーのアーティストが民主革命をテー

マにコラボレーションし、動 画などの NFTデジタルアートのバーチャル・ギャラリーを開 設 、作 品をオークションで販 売したのだ。NFTの活用はタイの舞 台 芸 術 界では未 開 発だが、 その 「 no boundary( 境 界がない)」 「 decentralize( 非中央 集 権 )」というコンセプトや、権力に よる規 制のないオンラインプラットフォームであることを考えれば 、 ファシズムに対 抗し基 本 的 人 権の一 部である表 現の自由を主 張するフリーアーツにとっては積 極 的に取り組むべきプ ラットフォームだろう。


2021年 5月19日、 フリーアーツによる 『ここで……誰かが死んだ (Someone died here)』 より。2010年の政府による反独 裁民主戦線「赤シャツ隊」への暴力的弾圧の犠牲者を偲び、 また歴史をたどり記録する活動の一環となることを目的とした企 画。当時、6 人の犠牲者を出したパトゥムワナラム寺院前で上演され、同時にライブ配信された。 ©FreeArts, Thailand

「私たちは可能にする」をテーマに掲げたBTF

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バンコクシアターフェスティバル( Bangkok Theatre Festival:BTF)は演 劇 界 、 とりわけバ ンコクを拠 点に活 動する演 劇 人にとっては重 要なイベントのひとつである。20 年にわたって 渾身の努力を続けてきた BTFは 2020年 、 「 私たちは可 能にする ( We make it possible)」 をテーマに掲げ、毎 年 恒 例のイベントを継 続させる不 動の決 意を表 明した。規 模の縮 小 、 オンライン配 信 、厳 格な疾 病 管 理プロトコルに従ったライブ公 演 、限られた予 算とスタッフに 対応した運 営の再 構 築などによって、厳しい条件に対処した。 その中での注目作は、 ピチェ・クランチェン・ダンス・カンパニー( Pichet Klunchun Dance

Company ) とブーラパ大 学( Burapha University)音 楽・舞 台 芸 術 学 部のコラボレーショ ンによる 『 Number 60 』だ。 ピチェ・クランチェンの 20 年 以 上にわたる作 品 制 作 活 動や実 験のキャリアの中で培われたコンセプトを、書 籍 、展 示 、パフォーマンスという形で発 表する 作品である。 フェスティバルのもうひとつの 注目作 品 は 、パーンラット・クリッチャンチャイ ( Parnrut

Kritchanchai)が演出した『ファラン・ファラン( Farang Farang )』だ。政 治への風 刺が効い た台詞が繰り出されるこの作 品は大きな反響を呼び、追 加 公 演が行われた。

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バンコク・シアター・ネットワークのパーンラット・クリッチャンチャイ演出 『ファラン・ファラン』 (バンコクシアターフェスティバル2020) ©Nitaz Sinwattanakul

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コロナ禍の子どもたちとつくるBICT Fest 危 機 的 状 況と向き合い、 オンラインでの新たな可 能 性を模 索し続けたもうひとつのフェ スティバルがバンコク国 際 児 童 演 劇 祭( Bangkok International Children Theatre

Festival:BICT Fest)だ。2020年 、一 度は開 催 延 期を表 明した BICT Festは、パンデミック によりほとんどの家 庭が自宅での自粛 生 活を強いられている様 子を見て、延 期の取りやめ を決 断した。孤 立し常に警 戒を強いられる状 態は、子どもだけでなく親たちにも同 様に平 時 より多くのストレスを与える。 この状 況 下 、児 童を対 象とした教 育 的で娯 楽 的な創 造 活 動は、 情 緒や精 神 的ゆとりを育むのにとりわけ有 効だと考えられた。演 劇がこの問 題の解 決 策に なると信じた BICT Festは、学習関 係のプラットフォームである「 mappa」とのコラボレーショ ン『おうちから出 演しよう ( Play from Home)』 というオンラインプログラムを制 作した。 ラテン 語で「 地 図 」を意 味するmappaは「 学びはどこでも起こりうる」というコンセプトをもち、対 象と する学習 者の世 代や学習の手 段を問わず、学びに関するさまざまな情 報を提 供している。 『おうちから出 演しよう』は招 待を受けたボランティアの家 族がラジオ劇スタイルで物 語を読 むというプログラムだった。家 庭 内で自分たちの朗 読 劇を創 作し家 族がお互いに話を聞か せ合うことで、 自宅に引きこもっている時 間にアクティビティを実 行する意 欲を呼び起こし、大 きな成 功を収めた。 このほか、 さまざまな分 野のエキスパートを色々な国から招き、 オンライン ミーティング『おうちから出 演しよう特 別 編( Play from Home Specials)』 を開 催し、 「演劇


と立ち直る力( Play and Resilience)」というテーマでディスカッションをしたり、 『 BICTとおう ちのおともだち ( BICT

n Friends at Home)』という、二 人のプロのパフォーミング・アー

ティストによるオンライン・クリエイティブラーニングのシリーズを展 開した。

2021年 、BICT Festは交 流と対 話に焦 点をあてた完 全オンラインのイベント「 BICT Fest 2021: BICT on( line) the MOVE」を開 催し、BICT Fest の継 続と国 際フェスティ バルとしてのステータスの維 持を実 現した。2021年のテーマは「 想 像の学 校( School of

Imagination)」。パフォーマンスやオンラインのワークショップを通じて、教 室 以 外の場 所 での新しい学びの選 択 肢を提 供した。 このプログラムは、事 前 収 録 、 ライブビューイング、

Zoomでのインタラクティブな会 議のいずれかを選 択できた。さらにウェビナープラットフォー ムでは、世 界 10か国からのゲストスピーカーが参 加し、 グローバルな文 脈における演 劇と教 育の関 係について考えを共 有した。BICT Fest がバンコク以 外へも会 場を広げ、チェンマイ、 ウッタラディット、ペッチャブリーなどのアーティストとの共 同 作 業へと「 動いた( move)」初め てのプログラムだった。 舞台芸術の課題に向き合う

2021年を通して舞 台 芸 術 界はパンデミックとさまざまな危 機を受け入れざるを得なかっ た。 この国には頼れる支 援システムがない。平 時であってもそうだが、 ましてや今 回のような 危 機 的 状 況にあっては、ほんとうに何もないのだ。私たちアーティストは可 能 性と情 熱に満ち ているはずなのに、舞 台 芸 術が私たちが生き残る助けにならないと認めるのは残 念でならな い。経 済 的 危 機に直 面している間に、 タイの芸 術 界は才 能ある多くのアーティストを失った。 アーティストとしてのキャリアを断 念せざるを得なくなった人もいるし、 この脆 弱な体 制の中に 身を投じる意 欲をくじかれてしまった新 人もいた。

2021年 11月、バンコクシアターフェスティバル実行委員会はフェスティバル開 催を断 行し、 「ライブに戻る! ( Back to live ! )」をテーマに掲げ、 さまざまな制 約に応じて規 模を縮 小した プログラムを安 価なチケット料 金で提 供した。会 場は、何か月もライブ公 演に接することがな く仲 間とも会っていなかった演 劇ファンの再 会の場となり、ほとんどの公 演は完 売した。人 間 には人との交 流が欠かせないこと、 そしてその手 段として演 劇にとって代われるものはないと いう証だった。争い、選 択 、休 止 、 その後の前 進を目の当たりにし、舞 台 芸 術が今もなお希 求される人 間 同 士の営みであることを痛 感した。 その一 方で、 コロナ禍の 2 年が世 界を大き く変え、新たな境 界 線 上に追い込んだことを認めざるを得ない。 アーティストが以 前から意 識 していながら根 本 的な解 決にいたらなかった課 題も露呈した。 舞 台 芸 術の将 来について、 どうすれば 作 品 制 作を継 続できるか真 剣に再 考しなければ 世界の舞台芸術を知る

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THAILAND

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ならない。脆 弱 性の悪 循 環から抜け出し、生き延びるために私たちは何と闘うべきなのか、 こ の危機によって見つめ直さざるを得なくなっているのである。

(1) 政府を厳しく批判するSNSページを運営していたことで指名手配されていたタイ人民主活動家のワンチャ ルーム・サッサクシット氏(当時37歳)が、2020年6月4日、亡命先のカンボジアの自宅前で拉致され行方 不明となった事件。 (2) 2020年7月15日、東部民主青年グループの2人の活動家がプラユット・チャンオチャ首相の車列の前に、 政府のコロナ禍への無策に抗議する看板を掲げたことで逮捕された事件。 (3) ミーム(meme)は、イギリスの進化生物学者・動物行動学者のリチャード・ドーキンスが1976年に『利己 的な遺伝子』の中で、gene (遺伝子)とmimeme (模倣)を組み合わせて作った用語。人から人へ模倣されて いく習慣や技能、トレンドなど、文化を形成していく情報のことで、例えば「言語」はミームのひとつである。 現在では、YouTubeやTikTokなどのSNSを通じて多くの人が模倣し、急速に拡散されていく画像、動画、 文章、行動、アイディアなど、インターネット上のミームを指すことが多い。例えば、誰かが投稿したダンス を真似て踊った動画や、既存の作品の台詞をアレンジして言い換えた言葉などがある。 (4) タルファーグループは若い政治活動家たちのグループ。タイ東北部を徒歩で出発し、途中トークや映画上映 などのイベントを実施、仲間を募りながら200km以上の全行程を歩いてバンコクに入り、活動拠点タル ファー村を設立した。主な要求は、人民憲法の公布、不敬罪に関する法律の廃止、政治犯の釈放。タル ファー村は3月28日の大規模検挙で解散させられたが、グループは今も活発な活動を続けている。

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(5) 三指サインは、人さし指と中指、薬指の3本を空に向かって突き立て、反軍政の意思を示すサイン。圧政に 抵抗する人々を描いた米国の映画「ハンガー・ゲーム」に登場する抗議のサインに由来している。タイで最 初にこのサインが使われたのは2014年、軍が主導したクーデターに抗議する若者たちが使い始めた。その 後、SNSで世界に広がり、香港やミャンマーの抗議運動でも使われている。 (6) NFT (Non-Fungible Token)とは、偽造することができないデジタルデータを指し、資産やアートの鑑定 書、所有証明書の役割を持つ。コピーや改ざんが容易なデジタルデータに唯一無二な資産的価値を付与し たことによって、国や既存の枠組みにとらわれない新たな売買市場が形成されており、中には数億円の価格 がつくデジタルアート作品もある。

Samakkabutr, Pavinee 俳優・照明デザイナー・プロデューサー・アートマネージャー。タイ・バンコクのデモクレイジー・シアター・スタ ジオ (Democrazy Theatre Studio)創設者の一人。現在、芸術・文化・人々のための自由と基本的人権 及び民主主義運動を支援するクリエイティブアートに携わる人々のネットワーク「フリーアーツ」の制作・運 営チームの一人である。

( 翻 訳:千 徳 美 穂 )


マケレレ大学の学生たちによるコロナ前の上演。 ジェシカ・カーフワ作・演出『友よ あなたではない (Not You my Friend)』 筆者撮影

[ウガンダ]

劇場閉鎖― 悲劇的だが避けがたい ジェシカ・アトウォーキー・カーフワ コロナウイルス感 染 予 防のため、2020 年 3 月 31日にウガンダの劇 場が無 期 限での閉 鎖 となってから17ヵ月になる。劇 場が閉 鎖されたのは、若 者や中間 層にスタンダップコメディの 人 気が出てきたのを受け、一 般の人たちに演 劇を創る楽しみ、観る楽しみを知ってもらおう と、大 劇 場での取り組みが進みはじめたただなかでのことだった。1980 年 代 後 半から90 年 代いっぱいは、 ジャンルの硬 軟を問わず、演 劇は官 民の支 援の恩 恵に十 分あずかった が、 その後は数えきれないほどの困 難が待ち受けていた。 それでもアーティストたちは個 人とし てもグループとしても、 ジェンダー労 働 社 会 開 発 省( MGLSD )および同 省の管 轄するウガ (1) ンダ国 立 文 化センター( Uganda National Cultural Center、以 下 UNCC ) や国 際 機

関と連 携を強め、 ウガンダの外 交の一 翼 を担ってきた。 公 式 、非 公 式のこうした活 動は、明る い未来を予見させるオプティミズムをもたら して、 ウガンダ 演 劇に大きく貢 献した。特 筆 すべきは、今 回コロナによって活 動が

ウガンダ国立文化センター (UNCC) 写真提供:UNCC

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UGANDA

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制 限される少し前の状 況だ。 ウガンダ演 劇 は 、チケット代を支 払う経 済 力をもつ 労 働 者 階 級にようやく認 知され 、支 持さ れるまでになっていたのである。 アーティス トたちは充 分な収 入を得られるようになり、 アーティストとしての仕 事に専 念できるよう になった。つまりコロナの前 夜にやっと、演 コロナ前後の演劇界を支えたウガンダの著名なアーティストたち 撮影: Mariam Ndagire

劇は「 食える仕 事 」になり、 アーティストは 誇りを持って生きられるようになったのだ。

ファ ルス

特にスタンダップコメディや各 種 笑 劇 が数 多く制 作され、人 気はうなぎのぼり、研 究 者たち に「この状 況には何か新たな定 義が必 要だ」と言わしめたほどであったが、 それも2020 年

5 月までの話だ。劇 場 閉 鎖という悲 劇 以 降 、演 劇をとりまく状 況はふりだしに戻ってしまった。 劇 場 再 開の目処はまったく立っておらず、国からの支 援は不 足し、演 劇に関わる労 働 者た ちは気力をなくしている。演 劇をめぐる状 況はまたしても地におちて、例えばアニメーションな ど他ジャンルに隆 盛の道をゆずってしまっている。

060 デジタル化の打撃

UNCCは、パフォーマンスのデジタル化・オンライン化に踏み切った。劇 場が再 開される 見 通しがほとんど立たなかったからだが、意 図 的だったかそうでないかはともかくとして、 これ により、舞 台のアーティストたちにバーチャルな世 界で自分の才 能を生かしつづける方 途を 提 供することになった。 「 演 劇 公 演やワークショップ、 ディスカッション、 トレーニングを自宅で快 適に行える」 というのが UNCC 側の言い分だったが、 魅力的 なこの公 約は、演 劇 美 学の終わりの始まりを告げる ものとなった。実は、 コロナ前からウガンダ 演 劇は岐 路に立っており、 シアターゴーアーをオンラインのエン あ

ターテインメントに奪われないように足 掻いていた。 さらに、 オンラインという 恵まれた 選 択 肢の出 現 は、 イラストレーションやコミックの 活 用を促 進 する ばかりで、 アンサンブルによる劇 場での公 演は、 オン ラインで配 信されるソロ・パフォーマンスに取って代 わった。 マケレレ大学の学生たちによるコロナ前の上 演。チャールズ・ムレクワ (Charles Mulekwa) 作、バジリオ・ルターヤ (Bazirio Lutaaya)演出 『火の時代(Time of Fire)』 著者撮影


ウガンダの民間放送局NBSテレビジョンと U N C Cが Y o u T u b eで 配 信した「 U G Connect E-Concert」 より 撮影:Robert Musiitwa

2020年 8 月12日と14日、UNCCはオンラインイベント 「 Artalks 」と「 UNCC@home theatre」を開 催 。 その 後 、同センターは演 劇 以 外のさまざまなジャンルのアー トのキュレーションを加 速 度 的に行うようになった。例 えば 、商 業ベースのミュージカルのための広 告や、 ビ ジュアル・アート、劇 場 空 間を使ったスモール・ビジネス などだ。( 2 ) 配 信・デジタル利 用という選 択 肢は、 さまざまなハイブリッドのパフォーマンスを生んだ。 そ のほとんどが、手 近なオーディオヴィジュアル機 器 、つまりスマートフォン( 以 下スマホ)で簡 単 にアクセスできるように制 作されている。 データ量が限られているスマホでの制 作・視 聴を前 提とするため、作 品の内 容や俳 優の動 線 、空 間の使い方にも工 夫が必 要だ。表 現の選 択 肢が制 限されたわけである。 ところがこうした表 現 活 動は、 コロナ下で生じた危 機を生き延びる本 能が旺 盛な「ニュー アーティスト」とか「 悲 劇のアーティスト」と呼ばれる連 中によって、 どんどん推 進されていっ た。 そして、 これら、 「 頭だけ大 写しになってしゃべる連 中(トーキングヘッズ)」と形 容するに ふさわしい「 悲 劇のアーティストたち」の質は落ちていく一 方だ。 スタンダップ・コメディアン のなかには、自分の芸が笑いを生まないので、やたらとマイクを振り回して劣 悪なジョークを 連 発し、 フラストレーションを視 聴 者にぶつける輩もいる。 「 笑ってはいけない( Try Not to

Laugh! )」などがその典 型だ。 まるで、演 者と観 客 / 視 聴 者の間に、 「 私は演じます。みなさ んは笑いで私のパフォーマンスを盛り上げてください」という暗 黙の了解が成り立っているか のようだ。 なんとも悲しいことである。演 者と観 客の健 全な関 係を築くための責 任は、 アーティ スト側にある。観 客がついてくるよう、 日ごろからスキルアップにいそしむことが必 要なのだ。観 客の機 嫌をとろうとするギミックは、教 育や社 会のなかで培われてきたパフォーマーと観 客 のあるべき関 係を破 壊するという点で、最も残念なことである。 ウガンダ演 劇の現 状を評 価するなら、 もし、今の嘆かわしい未 熟さを放 置せず、 アーティス トたちが積 極 的に自己研 鑽に励めば 、未 来も開けてくるだろう。 しかし、事 態はパラドクシカ ルだ。上 述した「トーキングヘッズ」たちが狡 猾にふるまい、 ロックダウン時の規 制をものとも せずに、大 手テレビ局のゴールデンタイム枠を手に入れた。毎 週 金 曜 、夜 8 時から 9 時 、 ウ ガンダ国 営 放 送( NTV )の「コメディ・ストア( Comedy Store)」というお笑い番 組だ。皮 肉 なことだが、演 劇は低 迷し、 テレビやラジオ、 ソーシャルメディアが、何百万ものウガンダ人た ちへ、演劇のまねごとのようなものを発 信し続けるのだろう。 世界の舞台芸術を知る

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UGANDA

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新たな課題 国 際 演 劇 協 会は 3 月 27日を「ワールド・シアター・デイ ( WTD )」と定めている。 コロナ禍 が始まって約 1 年となる2021 年の WTDに、UNCCでディスカッションが行われた。 ロックダウン下ということもあり、俳 優と観 客が対 面する従 来の演 劇の特 殊 性が奪われた ことをめぐって、議 論は進められた。 この特 殊 性は、 リアリズムや舞 台の抽 象 性を成 立させる ための条件でもある。 「 人間の不在」は、パフォーマンスの質に甚 大な影 響を与える。 パネリストの大 半は、 コロナ禍に生まれた新しいプラットフォームがもたらす不 調 和や混 乱 を危 惧していた。つまり、 ライブでしか味わえない体 験や、同じ場 所に集うことで自然に生まれ る感 情の交 流がなくなることへの恐れだ。 しかし、パネリストがどれほど嘆き、非 難しようとも、 ウ ガンダの演 劇 界では、 デジタルが着 実にライブに取って代わろうとしている。 デジタル化を遅 らせている要 因はたった一つ、共 同 体 社 会・ウガンダならではの社 会 経 済 的な仕 組みと技 術革新へのマインドセットが時代の趨勢に追いついていないということだけだ。 ウガンダの演 劇は今まさに、舞 台 芸 術の死という悲 劇をなすすべもなく、体 験させられて いる。演 劇 芸 術にとってこのうえなく大 切な人 材を、家 庭 用テレビというエンターテインメント に奪われようとして、手も足も出せずにいる。俳 優と観 客という、従 来の舞 台 作 品にあった、

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相互に補完しあう関 係 性の美学が廃されて、過去のものとなってしまったのだ。 ここでもう一つ書いておきたいのは、 ウガンダないしアフリカ人のほとんどが、 どのような舞 台 公 演においても、 「 本当の演 劇 」を熱 烈に欲しているということだ。 カメラと映 像・音 響の 編 集が、演 者と観 客の従 来の相 互 依 存 関 係に取って代わり、 これを破 壊した。だが、 「本 当の演 劇 」の俳 優は、観 客という尊い存 在 がなければ 、自 然 の 養 分を奪われて 枯れてしまう美しい花 。( 3 )そう考える共 通 認 識は今も保 持されている。今 年のディ スカッションを特 徴づけたのは、 まさにこの 枯れゆく俳 優 、観 客から厳しく隔 離されて 従 来の美 学が崩 壊した演 劇についての 議 論だった。( 4 )

2020 年 の WTDは 、感 染 対 策として 劇 場が閉 鎖となり、開 催に漕ぎ着けられ なかったが、2021 年の WTDでは、 ウガン ダ演 劇はどうしたら規 制を乗り越えて、新 旧のスタイルのバランスをとりながら、他の マケレレ大学の学生たちによるコロナ前の上演。ジャン・ピエ ール・マルティネス (Jean-Pierre Martinez)作、 セルウーザ・ ユヌス (Serwooza Yunusu)演出『 13日の金曜日 (Friday the 13th/Vendredi 13)』 著者撮影


芸 術とはちがう独自性をもちうるかを探ることができた。 まずは前へ進む コロナ禍においても演 劇 用のスペース とリハ ー サルの 機 会を提 供し続 けてい るUNCCと国 際 演 劇 協 会ウガンダセン ターには拍 手を送りたい。 この 厳しい時 代 、実 演 家や制 作 者をはじめとする演 劇 関 係 者には、 ともに立ち上がることが求め られている。 なすべきことはまだ沢 山ある。 アーティストのスキルアップを全 国 規 模で 図ること。児童青少年演劇の育成。 ライブ とアーカイブにおける技 術力の増進。

活動はあらゆる場で。国内避難民が参加したバット・バレー・シア ター (Bat Valley Theatre) での戯曲講座。著者と参加者たち。

ここで提 示した見 解や、多くの重 大な懸 念 、疑 問は、 目下の、 そしてコロナ後に生じうる問 題を解 決するための重 要な鍵となるだろう。次にウガンダ演 劇を待ち受けているのが何なの (5) かは、時 間が経ってみなければわからない。

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(1) ウガンダ国立文化センター(UNCC)は、国会議事堂の隣りにあるが、皮肉なことに、シアド・バーレ通り (Siad Barre Road)によって両者は隔てられている(編集部注:シアド・バーレ[1919~95]は、タンザニ ア=ウガンダ紛争下の1972年10月、当時のウガンダ大統領、イディ・アミン[任期1971~79]を匿ったソ マリアの元大統領である。通りはこのとき彼に因んで命名された。アミンはその後、恐怖政治を敷き、自国民 の大虐殺に及んだ。シアド・バーレ自身もクーデターにより政権を掌握したのち独裁色を強め、ソマリアに大 きな混乱を招いた)。アーティスト(=UNCC)と政治家(=国会議事堂)がこの名前の通りによって隔てら れていることは、文化行政と舞台表現の自由のありかたを象徴的に反映している。 ( 2)ウガンダの演劇関係者は無料メッセージアプリWhatsAppにグループをつくり、コロナ以前には情報交換や 活動報告を盛んに行っていた。しかし現在は、やりとりはすっかり間遠になり、次第に健康保険や商売の宣 伝ばかりが目立つようになってしまった。これらは人間的関心の向かう対象ではあろうが、演劇業界とはまっ たく関係がない。この状況に辟易したメンバーはグループを抜け、残った人たちも「こんなものまでここに? (Kano nako nkarede wano)」など、辛辣なコメントを出している。 (2021年8月13日、WhatsAppの 「Uganda Theatre Fraternity」グループでのUNCC広報担当Robert Musitwaによるコメント参照) (3)これはあらゆる舞台作品にあてはまることだろう。ここで述べた演者と観客のつながりは、外から他の演劇的 アイディアを取り入れてハイブリッドな作品が仕上がる場合でも、その演劇の基盤であり続けている。実際、 演劇は人間の真剣な営みであり、娯楽・快楽のための演劇は、スタンダップコメディの台頭とともに最近に なって生じたものだ。美学上は、俳優と観客は人間の物語によって結びつき、互いの存在に影響されながら 作品を楽しみ、その中で提示されたテーマに沿って、恍惚感を味わったり、苦悩したりする。 ( 4) この集会は、政府の文化担当官がWTDの基調講演をするのに合わせて開催されたものである。演劇界はこ の機会をとらえ、政府の発行したコロナ禍に催しを開催する際の指示書から逸脱することなく、一人芝居と

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UGANDA

ASIA and AFRICA

二人芝居を企画した。アーティストたちはこの時点で9カ月に及ぶ劇場閉鎖期間を体験していたが、質の高 いパフォーマンスを見せ、めげないメンタルといつでも公演の準備はできているという力強さを印象づけた。 パフォーマンスは過去に創られた作品の短縮版で、ライブとオンラインの両方で観客に届けられた。観客 は、全編を観たいという思いに駆られたことだろう。 ( 5) WTD2021の祝賀会でも、数々の議論がなされた。筆者の印象に残るのは以下の4つ。 1. パンデミック以前に私たちがなじんでいた舞台・映画の才能あふれる人材の苦境を、誰が助けられるだろ うか。 2. 客席で笑いころげたり、感極まって涙を流したりしながら、俳優たちの渾身の演技に全身で対峙していた あの男女の関心を、どうしたら取り戻せるか。 3. デジタル化の制約のもと、演劇を生き生きと保ち、質の高い上演を維持するにはどうしたらよいか。 4.「ニューノーマル」となった現在の危機をどのように軽減し、劇場という神殿に機知にとんだ人々を呼び 込むか。

Atwooki Kaahwa, Jessica 長年にわたり、紛争解決や開発に参加するための仕組みづくり、 ファシリテーションを行っている。2020 年 3 月の定年まで、 ウガンダの首都カンパラにあるマケレレ大学(Makerere University) パフォーミングア ーツ・映画学科でテクニカル・デザイン、演出、演劇史、演劇論、批評について教えていた。

( 翻 訳:後 藤 絢 子 )

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民俗楽器アマコンデレの野外パフォーマンス。ホイマ (Hoima)市、 キガーヤ (Kigaaya) にて。アマコンデレはパパイヤの幹でできたトランペット。儀式のた めに使用され、大小何本かのセットで奏する。ウガンダ西部のバニョロ族(ニ ョロ族) とバトゥーロ族に共通する楽器である。


トニー・クシュナー作『エンジェルス・イン・アメリカ』 から抜粋した場面をまとめた 『偉大な業が始まる』

[アメリカ]

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分 断 の 修 復と変 容 へと向 かう試 み 外岡 尚美

2020/ 21 年シーズンは劇 場 閉 鎖と 5 月のジョージ・フロイド氏らの殺 害 事 件に続くブラッ ク・ライブズ・マター運 動のうねりのなかで始まった。3 月からデジタル配 信のさまざまな試み がなされていたが、同 時に黒 人・先 住民・有 色 人 種( BIPOC)の演 劇 人らが、共 同 執 筆し た「 親 愛なる白いアメリカ演 劇へ( Dear White American Theater)」と題したオープン・レ ターを 6 月 8 日に発 表 、商 業 演 劇と非 営 利 演 劇から演 劇 教 育までアメリカ演 劇が人 種 差 別と白人 至 上 主 義によって構 造 的に侵されていることを告 発した。 アメリカ演 劇の実 質 的 変容を求める要 求には発表から24時 間ほどで 50,000人が署 名した。 思えば 特にトランプ 大 統 領 就 任 以 降 、直 近 でもジェレミー・O・ハリス( Jeremy O.

Harris)の『スレイヴ・プレイ ( Slave Play)』 ( 2018年 初 演 、2019/ 20 年のトニー賞 12部 門 にノミネート)、 ジャッキー・シブリス・ドルーリー( Jackie Sibblies Drury)の『フェアヴュー ( Fairview)』 ( 2018年 初 演 、2019年ピュリッツァー劇 作 賞 )、同じくドルーリーの『メアリー 世界の舞台芸術を知る

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USA

AMERICAS and OCEANIA

ズ・シーコール( Marys Seacole)』 ( 2019年 )など、奴 隷 制の負の遺 産や現 在のアフリカ系 アメリカ人と白人との関 係を新たに問 題 化する黒 人 作 家による劇が目立ってはいた。 しかし 正 義と公 正を求める要 求の高まりのなか、新しいシーズンではアメリカ社 会だけではなく演 劇 界 内 部の人 種 差 別と白人の特 権を白人自身が直 視することを余 儀なくされた。 そしてそ れはアメリカの民主 主 義自体を再 検 討することにも通じた。2020/21 年のシーズンは年 間を 通じて民主 主 義 的 正 義と公 正の要 求に応えようとする試み― 状 況の是 正と分 断された 関係の修復への試みがなされたように見える。 オフ・ブロードウェイの応答 非営利のオフ・ブロードウェイ劇 場の対 応は早かった。 ニューヨーク・シアターワークショッ プ( NYTW)は 2020 年 9 月 22日から11月 17日(ライブ 配 信は大 統 領 選 前日の 11月 2 日 まで)、俳 優デニス・オヘア( Denis O Hare) と演 出 家リサ・ピーターソン( Lisa Peterson) 作・出演による 『そもそも共 和 国って何だ? ( What the Hell is a Republic, Anyway? )』 を

4 回シリーズで配 信 。共 和 政ローマ500 年の歴 史 的 経 験をシチズンシップ、統 治 、投 票そ して共 和 政の崩 壊まで、ゲストも招いてたどる講 演とも対 話とも言えるものだが、Zoom 上

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に顔を見せた観 客も画 面 上で劇の進 行に参 加する点で、公 演自体が民 主 主 義を体 現 するプロセスとなった。第 3 エピソードに挿 入されるオヘア作・独 演の印 象 的な「キケロの夢

『そもそも共和国って何だ?』第 3 エピソード中のデニス・オヘア作・独演「キケロの夢」


( Cicero s Dream)」は、 シーザー暗 殺を支 持してアントニウスの部 下に殺 害された古 代 ローマのキケロが、死 後に共 和 国の夢をアメリカに託すという内 容であり、演 劇による切 迫し た状 況への応 答となった。 ヴィンヤード・シアター( Vineyard Theatre)は『レッスン・イン・サバイバル( Lesson in

Survival)』を10月 8 日から11月29日まで配 信 。1964年から2008年までのジェームズ・ボー ルドウィンやトニ・モリスン、 アンジェラ・ディヴィスなど、 アフリカ系アメリカ人の指 導 的 知 識 人 や活 動 家のインタビューやスピーチ、対 話などの録 音を俳 優がイヤフォンで聴きながら再 演 する。8 つのエピソードからなる 『レッスン』は、2020 年 1 月から集まるようになっていた俳 優・ 作 家たちのゆるやかなグループが、 ジョージ・フロイド氏の殺 害 事 件のあと作り上げたもので、 アフリカ系アメリカ人が耐えてきた人種差別とトラウマの経 験を掘り下げるものとなった。 またパブリックシアターは 10月にアン・ワッシュバーン( Anne Washburn )作の『 難 破 ( Shipwreck)』 ( 2018年にパブリックシアターでリーディング、2019 年ロンドン初 演 )をラジ オドラマ化してポッドキャストで配 信 。2017年を舞 台にトランプ大 統 領も登 場する幻 想 的な 場面と現 実 的な場 面をとり混ぜて人 種と政治運動、 リベラリズムの失 敗を描いた。 演劇配信の新たな試み

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一 方で新しい演 劇 配 信の試みも続いていた。 デジタル技 術を駆 使した新 作としては、10 わざ

月の『 偉 大な業 が始まる ( The Great Work Begins)』がある。AIDS時 代のアメリカを描 いたトニー・クシュナー( Tony Kushner)の傑 作『 エンジェルス・イン・アメリカ( Angels in

America)』から抜 粋した場 面を作 家自身らが 1 時 間 弱にまとめたもので、 「 COVID- 19と 闘うアメリカエイズ研 究 財 団 基 金( amfAR Fund to Fight COVID- 19)」による慈 善 公 演として配 信された。1990 年 代の AIDS 禍のもとアメリカの 民 主 主 義 のあり方を問う 『エ ンジェルス』が、2020 年のアメ リカと重ねられたのは言うまで もない 。俳 優 たちがそれぞ れ

iPhoneなどで撮 影した場 面を 合成した対話場面が、幻想的 な映 像として構 成された。

10月後 半にはコネチカットの シアターワークス・ハートフォー

1990年代のAIDS禍と2020年のコロナ禍のアメリカが重なる 『偉大な業 が始まる』

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USA

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ド ( TheaterWorks Hartford)がアーカンソーのシアタースクエアード ( TheatreSquared) と、サラ・ガンチャー( Sarah Gancher)による 『ロシアン・トロールファーム( Russian Troll

Farm)』を配 信 。ネット荒らしによって2016年の大 統 領 選に組 織 的に介 入したロシアの「オ フィス」を舞 台に、元 KGBの上司と部 下 4 人がアメリカ人 相 手だけではなく相 互にも荒らし あう4 幕のコメディである。Zoom 劇であるが、 ヴァーチャル背 景の操 作で同じスペースを共 有しているように見せ、 アニメーションも取り入れた洗 練されたハイブリッド劇となった。大 統 領選前日まで配 信された。 異 色のリーディングとしては、ブロードウェイのプロデューサー 、 ジェフリー・リチャーズ ( Jeffrey Richards)が 2020年 5 月に開 始した「スポットライト・オン・プレイズ( Spotlight on

Plays)」のシリーズがある。名だたるスター俳 優たちが無 報 酬で登 場し、寄 付 金など収 益 は俳 優 基 金( The Actors Fund)に贈られる。俳 優 基 金は舞 台 芸 術・映 画・テレビなどで 働く人々の経 済 支 援・ヘルスケア・住 宅やキャリア支 援を行う非 営 利の慈 善 組 織であるが、 経 済 支 援の要 請が大 幅に拡 大しているなか、通 常の資 金 集めのイベントをキャンセルせざ るを得ず、苦 境に立たされていた。2020 年 12月26日付のニューヨーク・タイムズ紙によれば

9 月までの四 半 期において一 般の失 業 率が 8.5%のところ、俳 優は 52%、ダンサーは 55%、 068

ミュージシャンは 27%が失 業していた。 ウェイターの失 業 率が 27%、料 理 人が 19%であるこ とと比べても格 段に多い。パンデミックの始まりから12月までの間 、俳 優 基 金は 1,800万ドル の資金を集め14,500人に生活費として配布した。 個 別に撮 影された俳 優たちがそれぞれ Zoom画 面の枠 内に収まり、最 低 限の音 響・照 明があるのみで特にヴァーチャル背 景の工 夫もないリーディングではあるが、演 劇が俳 優の 力で成り立つものであることを実感させられた。2021 年 6 月 3 日に配信されたアフリカ系アメ リカ人 前 衛 女 性 劇 作 家の先 駆 者アドリアンヌ・ケネディ ( Adrienne Kennedy)の『オハイオ 州 立 大 殺 人 事 件( Ohio State Murders)』 ( 1992年 )では、 オードラ・マクドナルド ( Audra

McDonald)演じる中 年の作 家スザンヌ・アレクサンダーが母 校のオハイオ州 立 大での講 演で在 学 中の思い出を語るという枠 組みで、若いスザンヌが白人の英 文 学 教 師との間に 生まれた双 子をその教 師に殺されたという思い出が語られ/ 再 演される。静かな抑 制のな かに爆 発 的 熱 量を秘めたケネディの言 葉の独 特のリズムが際 立ち、 キャリアの破 綻を恐れ た白人が黒 人との子を殺し自殺するという事 件の核 心にある、人 種 差 別が意 識の深 層に 及ぼす暴力的 影 響とその恐 怖が、現在と過 去が混在する劇 世 界の中に浮かび上がった。 同 様に人 種 差 別の引き起こす深 層での暴力を探ったのは、 ヴィンヤード・シアターが 5 月から 6 月に配 信したコーネリアス・イーディ ( Cornelius Eady)の『 残 忍な想 像力( Brutal

Imagination)』 ( 2001年 、 ヴィンヤード・シアターで初 演 )である。1994年にサウスカロライナ


で起こった事 件から着 想を得てイーディが書いた同 名の詩 集( 2001年 全 米 図 書 賞ファイ ナリスト)が元になっている。若い主 婦が恋 愛のもつれから二 人の幼い子 供を車ごと湖に沈 めて溺 死させたが、黒 人の男が車をカージャックし子 供 達を連れ去ったと当初 証 言した悪 名 高い事 件である。 そもそもなぜ「 黒 人の男」という嘘が彼 女の口から出たのか、 その構 造 にイーディは関 心があったというが、主 婦の意 識のなかに形をなす黒 人男の皮 肉な声と主 婦の声が響きあい、白人の意 識に潜む黒 人 恐 怖や嫌 悪と、 そのような関 係 性に置かれた 黒 人の位 置が露わになる。 リーディングではあるが『ロシアン・トロールファーム』 も手がけた ジャレッド・メゾッキ( Jared Mezzocchi)によるヴィデオデザインで、主 婦の意 識 内に引きずり 込まれるような視 聴 体 験となった。 ニューヨークにおける実験と劇場の再開 ダウンタウン・ニューヨークでの特 筆に値する実 験 的 試みは「シアター・イン・クアランティ ン( Theatre in Quarantine)」である。俳 優・作 家・演 出 家のジョシュア・ウィリアム・ゲルブ ( Joshua William Gelb)が自己 隔 離 中( in quarantine)に自宅のクローゼットスペース ( 60cm×120cm×243cm)を白塗りの舞 台にして新しいデジタル作 品をYouTube 配 信し 始めたのは 2020 年 3 月30日だった。 その後『ハデスタウン ( Hadestown)』の振 付 助 手ケイ ティ・ローズ・マクラフリン ( Katie Rose McLaughlin) と共 同で演 劇・ダンス・抽 象 的なスケッ チなどをライブで配 信 、2021年 8 月までに60 作 以 上を配 信した。2 月に配 信された『ブラッ ド・ミール( Blood Meal)』は、 オビー賞 受 賞 作 家スコット・シェパード ( Scott R. Sheppard) による新 作で、吸 血虫が湧いたために自宅に自己隔離中の夫 婦のフラストレーションと恐 怖 とをコミカルに描く。 それぞれ別 なクローゼットで撮 影されてい るが 、 ライブで合 成されシンク ロされた動きで夫 婦が自宅 内 で同時に行動しているように見 える。 ライブのため後からの編 集 はないこと、必 ず 全 身が 撮 影されることで、 クローゼットの 枠が舞 台の額 縁のように作用 し、独 特 の 演 劇 的 臨 場 感 が 立ち上がる。実験精神とウィット に溢れた作 品 群は、デジタル

ジョシュア・ウィリアム・ゲルブとケイティ・ローズ・マクラフリンの『ブラッド・ミー ル』はスコット・シェパードによる新作

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USA

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化された演劇の可能性を示す最良の例となった。

2021年 2 月 20日からニューヨーク州 知 事の主 導によって「ニューヨーク・ポップスアップ ( NY PopsUp)」が開 始 、9 月 6 日まで野 外 、 そして固 定 席のない劇 場も使った 300以 上 のポップアップ・パフォーマンスがニューヨーク各 所で行われた。4 月には観 客 数を 3 分の

1 に制 限して小・中 規 模 劇 場 等が再 開することも可 能になった。6 月にオフ・ブロードウェ イのダリル・ロス・シアター( Daryl Roth Theatre)ではジョゼ・サラマーゴの小 説『 白の闇 』 ( 1995年 )の翻 案 劇『 失 明( Blindness)』が観 客を入れて上 演された。俳 優は登 場せず 声のみの出 演で、間 隔をあけて着 席した観 客は、人々が突 然 失 明しそれが感 染 症のよう に拡 大していく物 語を声と音 響・照 明に包まれて没 入 的に体 験した。失 明 者の隔 離や、生 き残りのための剥き出しの戦いと相 互 扶 助が現 在と共 振する。6 月26日にはブルース・スプ リングスティーンの『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ ( Springsteen on Broadway)』 でブロードウェイの劇 場が初めて再 開 。パブリックシアターのシェイクスピア・インザパークも

7 月から 9 月まで、観 客 数を80 パーセントに制 限してガーナ系 作 家ジョスリン・ビオ( Jocelyn Bioh)の『 陽 気な女 房たち( Merry Wives)』を上 演した。西アフリカからの移民で賑わうサ ウス・ハーレムのコミュニティを舞 台に、 『ウィンザーの陽 気な女 房たち』を感 染 症 対 策のた

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め休 憩なしの 110 分に短 縮し、 シェイクスピアの言 葉と西アフリカ系の人々の言 葉を取り混 ゆる

ぜ、報 復よりは赦しと受 容が印 象 付けられる展 開である。 アフリカ系の人々の苦 痛が焦 点 となった 1 年ののち、 「 喜びもまた私たちの体 験の一 部 」とするビオの言 葉が印 象 的だ。パ ンデミックから立ち上がろうとする人々に悲 劇よりは喜 劇 、 そして共 生の喜びを贈る公 演と なった。 ブロードウェイが 8 月 4 日、 アントワネット・ヌワンドゥ ( Antoinette Nwandu)の『 パスオー バー( Pass Over)』 (オーガスト・ウィルソン劇 場[ August Wilson Theatre])で本 格 的に再 開したことも意 義 深い。 『 ゴドーを待ちながら』を下 敷きに、 ゲットーの路 上から抜け出すこと のできない若い黒 人モーゼズとキッチの二 人を描く。警 官に殺 害された友 人の名が延々と あげられるほどの状 況の中、銃 声や白人 警 官に怯えながら、 「 約 束の地 」への憧れを語ら い、 ブラックジョークを交わしながら出口のない日々を送る二 人 。2018年 版では、預 言 者の 名を持つモーゼズが出エジプト記さながらに災いを呼び起こし警 官を圧 倒するが、初めて 自由と希 望を見 出した二 人の日々は、見 知らぬ白 人がモーゼズを射 殺することによってあ えなく終わる。抑 圧 的な警 官の暴力だけではなく、一 見 善 意の白 人と黒 人の関 係を規 定 する構 造 的 人 種 差 別と白 人 側の無自覚が痛 烈に描かれていた。 しかしヌワンドゥは 2021 年 版の結 末を書き換えた。黒 人の死で終わる劇はもうたくさん、 「 生きること」 ( life)に心を 注ぎたいというヌワンドゥは、 「 赦し」 ( forgiveness)について、 そして「 約 束の地 」を「 今 、 こ


アントワネット・ヌワンドゥ作『パスオーバー』ナミール・スモールウッド (左) と ジョン・マイケル・ヒル (右)撮影:Joan Marcus

こ」に求めようとする希 望を描 いたと述 べている。スパイク・ リー 撮 影 のステッペンウルフ ( Steppenwolf Theatre)での 初 演( 2017年 )は 2021年 10月 現在、 アマゾンプライムで視 聴 可能〜である。 このように 構 造 的 人 種 差 別を明らかにする作 品 がさま ざまな 形 で 年 間 を 通じて 配 信・上 演されたが 、 それは 現 状を直 視し変 容を引き起こそ うとするアメリカ演 劇 界 全 体 の 試 みの 現 れだったと言えよ う。 『 ハデスタウン』や『 ハミル トン( Hamilton)』 『ムーラン・

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ルージュ( ! Moulin Rouge! )』 など 9 月 早 々に 再 開 され た ヒット・ミュージカルに加えて、

2021/ 22 年 のシーズンには 、 ( 非 営 利 の 意 識 の 高い劇 場 ではなく)ブロードウェイで、黒 人 劇 作 家 による劇 が『 パス オーバー 』を入れて前 代 未 聞 の 7 作 上 演される。 これらの上 演がどのようにアフリカ系アメリカ人の存 在と声を響かせることになるのか、 そしてアメリカ演 劇界にどのような変 容をもたらすのか、結果はこれからだろう。 「前衛」を走った人々の死 最 後に2021年の 1 月には前 衛 劇 団マブ・マインズ( Mabou Mines、1980- ) をフィリップ・ グラスらと創 設した演 出 家 、 リー・ブルーアー( Lee Breuer、1937- 2021)が亡くなった。2 月にはニグロ・アンサンブル・カンパニー( The Negro Ensemble Company、1967- )をロ 世界の舞台芸術を知る

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USA

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バート・フックスらと創 設し、 アフリカ系アメリカ演 劇を主 導した劇 作 家・俳 優・演 出 家・プ ロデューサーのダグラス・ターナー・ウォード ( Douglas Turner Ward、1930- 2021)が、 そ して 8 月には夫ピーター・シューマンと共にブレッド・アンド・パペット・シアター( Bread and

Puppet Theater、1963- )を創 設したエルカ・シューマン( Elka Schumann、1935-2021)が 亡くなった。1960年 代 以 降アメリカ演 劇のまさに前 衛で活 躍し続けた人々の死は、一つの 時代の終わりを感じさせる。 とのおか・なおみ 青山学院大学教授。演劇学Ph.D. アメリカ演劇専攻。著書に『境界を越えるアメリカ演劇』 ( 共編著、 ミ ネルヴァ書房)、 『たのしく読める英米演劇 』 ( 共編著、 ミネルヴァ書房)、 『 戦争・詩的想像力・倫理 』 (共 編著、水声社)他。訳書にイヴ・セジウィック 『クローゼットの認識論』 ( 青土社)他。

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アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲、 エメラルド・フェンネル脚本『シンデレラ』©Tristram Kenton

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[イギリス]

演 劇 再 開 の 兆し が 見 え た 一 年 ナターシャ・トリプニー パンデミックに揺れた英国演劇界

2021年 10月現 在 、英 国のほとんどの劇 場は観 客を再び入れはじめているが、過 去 一 年 半にわたって新 型コロナウイルスによる感 染 症は演 劇 産 業を直 撃した。2020 年 3 月 16日、 公 共の場 所での集 会を避けるようにとの政 府の助 言に従って、英 国の劇 場は突 然の閉 鎖 を余 儀なくされた。 この影 響は甚 大であり、 とくに 7 割がフリーランスである演 劇 界の労 働力 にとっては壊 滅 的で、人員の多くが解 雇されたのである。 状 況は 2020 年 9 月になっても依 然 、危 機 的だった 。 ロンドン劇 場 協 会( Society of

London Theatre[ SOLT ]) と英 国 劇 団 協( UK Theatre)によれば、2020年 3 月から2021 年 3 月までの演 劇 界の経 済 的 損 失は 2 億ポンド近くになるという。2020 年 7 月 11日以 降 、 演劇関係の仕事は許可されたが、 それも最初は野外に限られ、公園や野外で安全な距離 世界の舞台芸術を知る

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UK

EUROPE

を保った公 演に限られていた。 ようやく8 月 15日から屋 内 公 演が許 可された。最 初の屋 内 公演はデヴィッド・ヘア( David Hare)による独白劇『 悪 魔をやっつけろ( Beat the Devil)』。 作 家自身が新 型コロナウイルスに感 染した体 験にもとづく作 品でレイフ・ファインズ( Ralph

Fiennes)が 主 演 、観 客 数を制 限し客 席から距 離を保ち、9 月にロンドンのブリッジ劇 場 ( Bridge Theatre)で上 演された。 しかし多くの劇 場には、2017年に開 場したロンドンの最も 新しいもののひとつであるブリッジ劇 場のような柔 軟 性も資 金もなく、無 観 客で舞 台のライブ 配信を行ったのである。

2020年 10月に英 国では感 染 症の広がりを防ぐために、地 域によって 3 段 階の制 限が設 けられた。国のなかで感 染 率の低いレベル 1と 2 の地 域の劇 場だけが公 演を許され、 レベ ル 3 の地 域の劇 場は依 然として閉 鎖されており、感 染 者 数が増 加すればすぐに変 更もあり うるとされた。地 方の劇 場のなかにはこの仕 組みのもとで観 客を再び入れて公 演できるよう になったところもあって、チチェスター・フェスティバル劇 場( Chichester Festival Theatre)や シェフィールド・クルーシブル劇 場( Crucible, Sheffield Theatre) といったところが含まれて いた。チチェスターではティヌケ・クレイグ( Tinuke Craig )演出でサラ・ケイン ( Sarah Kane) の『 渇 望( Crave)』が上 演され、観 客を魅了した。 ロンドンのナショナル・シアター( National

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Theatre)では、3 つの劇 場のうち最も大きなオリヴィエ劇 場( Olivier, National Theatre) を改 造して 500人の観 客を収 容できる円 形の空 間とし、 また 2 番目に大きなリテルトン劇

サラ・ケイン作、 ティヌケ・クレイグ演出『渇望』 (チチェスター・フェスティバル劇場)©Marc Brenner


場( Ly t t e lt on, Na t ion a l

Theatre)は臨 時の映 像スタジ オとなった。 しかしながら、 このような観 客 を 入 れ た 上 演も長 続きし な か った 。11月 5 日から 1 2 月 2 日まで 英 国 政 府 が ふ た たび 封 鎖 措 置を取ったため に、劇 場 は 閉 鎖を余 儀なくさ れた。 クリント・ディアー( Clint

Dyer) とロイ・ウィリアムズ( Roy Williams)が共に台 本を手が けた『 死 せる英 国 ― デルロ イ ( The Death of England:

Delroy)』は、ナショナル・シア ターのライブ 上 演 復 帰を飾る

クリント・ディアー、 ロイ・ウィリアムズ作 『死せる英国―デルロイ』©Normski Photography

作 品となる予 定だったが初日 公演の翌日に休演となった。 封 鎖 措 置が 12月に解かれたところで、 いくつかの劇 場が再 開を試みた。 その中には先ほ ども言 及したブリッジ劇 場でのサイモン・ラッセル・ビール( Simon Russel Beale)主 演のク リスマス恒 例の『クリスマス・キャロル( A Christmas Carol)』、バース王 立 劇 場( Theatre

Royal Bath)でのデヴィッド・マメット ( David Mamet)の『オレアナ( Oleanna)』 といった上 演がある。 ロンドンのウェストエンドにおける商 業 劇 場もいくらか再 開され、5 つの劇 場を運 営するナイマックス劇 場( Nimax Theatres)では、 ミュージカル『 六 人( Six)』 (ヴォードヴィル 劇 場[ Vaudeville Theatre]) とミスチーフ・シアター( Mischief Theatre)による 『 舞 台は大 混乱( The Play That Goes Wrong )』 (ダッチェス劇場[ Duchess Theatre])が始まったが、 たいていのプロデューサーは、 この時 期に再 開しても興 行として成り立たないだろうと判 断 していた。実 際このときも、 いったん再 開された有 観 客での公 演は長 続きしなかった。 クリス マスが近づき感 染 者 数も再び増 加したために、政 府は再 度の封 鎖 措 置を発 表し、結 局そ の後 5 か月間続くことになった。

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UK

EUROPE

公演再開に向けた取り組み 劇 場 再 開のプロセスがようやく始まったのは 2021年 5 月で、5 月 17日から英 国の劇 場は 観 客を迎えることができるようになった。 スコットランド、北アイルランド、 ウェールズでは、人と人 との間の距 離に関してより厳 格な規 則が定められていたので、劇 場 閉 鎖が続いた。再 開さ れた劇 場でも完 全に元に戻るわけではなく、客 席は形を変え座 席も少なく、 マスクの着用が 義務付けられた。公 共の建 物では出入り口が別となって、チケット販 売もオンライン化された。 ウェストエンドでは 超ロングラン作 品 であるアガ サ・クリスティの『 ねず みとり ( The

Mousetrap)』が最 初に再 開 、 ミュージカルでは『ジェイミー( Everybody s Talking About Jamie)』などが観 客を入れるようになった。敏 腕プロデューサーのひとりソニア・フリードマン ( Sonia Friedman)がウェストエンドのハロルド・ピンター劇 場( Harold Pinter Theatre)で 『 再 開( Re: Emerge)』 と名 付けられた 3 つの新 作を上 演したが、 なかでもヤスミン・ジョー ゼフ ( Yasmin Joseph)によるノッティングヒル・カーニヴァル*の歴 史を扱った『ジュヴェ (夜明 け/ J Ouvert)』が光っていた。 グローブ座( Shakespeare s Globe)の夏のシーズンも、5 月にショーン・ホームズ( Sean Holmes)が演 出した色 彩 感あふれる 『 夏の夜の夢 』で開 幕 した。 ナショナル・シアターは 6 月に是 枝 裕 和の映 画『ワンダフルライフ ( 英 題:After Life)』

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の翻 案である 『 死 後の生( After Life)』 と、 マイケル・シーン( Michael Sheen)主 演でディラ ン・トマス ( Dylan Thomas)の『ミルクウッドのもとに( Under Milk Wood)』の舞 台 版で再 開された。一 方 、 ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー( Royal Shakespeare Company) とマ ンチェスター・ホーム・アーツ・センター( Manchester s Home Arts Centre)はともに臨 時の 野 外 劇 場を作った。 フィリップ・ブリーン( Phillip Breen)演 出の『 間 違いの喜 劇 』が RSC の野外スペースで、 ショーン・ホームズ演出の『 夏の夜の夢 』 (上述のグローブ座バージョン とは別)がマンチェスターで上 演された。 人と人の距 離を保つことが奨 励されていたこの時 期には、多くの屋 内 劇 場では感 染の 危 険を最 小 限に保つために一 人 芝 居が選ばれた。 ロンドン西 部のブッシュ劇 場( Bush

Theatre)でのフィービ・エクレア=パウエル( Phoebe Éclair-Powell)の『 悪 意( Harm)』、マ ンチェスターのロイヤル・エクスチェンジ劇 場( Royal Exchange Theatre)での女 性 一 人の お笑い劇『とんでもエル( Bloody Elle)』、 リヴァプール・エヴリマン・シアター( The Liverpool

Everyman Theatre)でのマジッド・メフディザデ( Majid Mehdizadeh)の一 人 芝 居『 怒れる 若者のムーブメント ( Y'MAM:Young Man s Angry Movements)』などがその例だ。 スコットランドでは 、 より厳しい 措 置 のためにほとんどの 劇 場 が 閉 鎖されたままだった が、 ピトロクリー・フェスティバル劇 場( Pitlochry Festival Theatre)がエリザベス・ニューマ ン( Elizabeth Newman)芸 術 監 督のもとで特 設の野 外 劇 場を作り、 デヴィッド・クレイグ


( David Greig )作の『 彩 色した人びととの冒険( Adventures with the Painted People)』 の初 演など、夏のシーズンの演目をすべて上 演することができたことは特 記に値する。 劇場制限の撤廃と人気公演の再開 感 染 症にともなう社 会 的 制 限を軽 減する計 画 表にしたがって、英 国 政 府は 7 月 19日に 劇 場に対する制 限をすべて撤 廃した。 その結 果 、劇 場は観 客を上 限まで入れて、客 同 士 の距 離も空けなくてよいこととなった。 マスク着用ももはや強 制ではなく、推 奨されるにとどまる ようになったし、 ワクチン接 種 証 明のシステムもなくなった。 なかにはワクチン接 種の証 明や 陰性の検 査 証 明を要 求する劇 場もあったが、 ほとんどがそれらを必 要としなくなった。 かくして制 限があるあいだは開 幕を思いとどまっていた多くの上 演がようやく開 演の運び となった。 そのなかにはアンドリュー・ロイド=ウェーバー( Andrew Lloyd Webber)がアカデ ミー賞を受 賞したエメラルド・フェンネル( Emerald Fennell)の脚 本で作 曲した新 作『シン デレラ ( Cinderella)』や、82 歳のイアン・マッケラン ( Ian McKellen)が主演する 『ハムレット』 (ウィンザーのシアター・ロイヤル[ Theatre Royal Windsor])などが含まれる。 『 ハムレット』 は予 定 通り7 月 20日にオープンしたが、 『シンデレラ』は他の多くの公 演と同 様 、 スタッフや キャストが感 染の広がりを防ぐための検 査で陽 性となって隔 離を余 儀なくされたために、8 月18日まで開 幕が延 期となった。 けれども開幕後の批評はおおむね好 評だった。 観 客 数にももはや制 限は設けられなかったが、劇 場に戻ってきた観 客たちが心 地よいよう にと、 いくつかの劇 場ではソーシャルディスタンシングに配 慮した上 演が試みられた。

8 月にはヨーロッパ 最 大 の 演 劇 祭 で あるエ ディン バラ 演 劇 祭フリンジ( Edinburgh

Festival Fringe)がオンライン 併用で開 幕した。 スコットランド の首 都で開かれるこの演 劇 祭 は、2019 年には 300を超える 会場で3,800 以上の演目が催 されたが、2020 年は完 全にオ ンライン開 催となっていた。今 年はフリンジの規 模が 縮 小さ れて形を変えることは避けられ ず、多くの作 品がオンライン上

イアン・マッケラン主演『ハムレット』 (シアター・ロイヤル)©Marc Brenner

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演だった。観 客を入れた上 演は、 トラヴァース劇 場( Traverse Theatre)のような従 来 型の 劇 場に加え、駐 車 場やテント、海 岸でも行われた。エディンバラ国 際 演 劇 祭( Edinburgh

International Festival) も規模を縮小して行われ、 その目玉はアイルランドの劇 作 家エンダ・ ウォルシュ ( Enda Walsh)の新作『 医 療( Medicine)』であった。

8 月にはウェストエンドの劇 場もかなりの程 度 通 常の営 業に近い形に戻り、 『オペラ座の 怪人( The Phantom of the Opera)』が女 王 陛 下 劇 場( Her Majesty s Theatre)で、 『ハ ミルトン( Hamilton)』がヴィクトリア・パレス( Victoria Palace)でと、人 気 作 品が上 演され るようになった。

9 月になると、感 染 症 のせいで開 演が 延 期になっていたディズニーの『アナと雪 の 女 王( Frozen)』 (マイケル・グランデージ[ Michael Grandage ]演 出 )や、 『 バック・トゥ・ザ・ フューチャー( Back to the Future)』のような大 規 模ミュージカルもオープンした。 スコットラ ンド、 ウェールズ、北アイルランドの劇 場もしだいに観 客を収 容 人 数 一 杯まで入れはじめた が、 イングランドとは異なる制 限 基 準のため、 ここまでたどり着くのにはより長い時 間がかかっ た。 スコットランドでは 8 月に人と人との距 離をとることに関するすべての法 的 要 請が撤 廃 されたが、 マスク着 用は義 務 化され続けた。 またエディンバラのロイヤル・ライシウム( Royal

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Lyceum)など、いくつかの劇 場はいまだに再 開されていない。 特筆すべき作品と今後の課題 この一 年 、文 化 再 興 基 金( Culture Recovery Fund) という名の政 府による芸 術と文 化 遺 産 関 係の総 額 15 億 7,000万ポンドに及ぶ支 援 金が何 回かに分けて支 給された。 この予 算のなかから、ナショナル・シアター、 グローブ座 、バターシー・アーツ・センター( Battersea

Arts Centre)、 シェフィールド劇 場といったライブ・パフォーマンスの劇 場に「 生 命 線となる援 助( lifeline grants)」が支 給されたのは 2020 年 10月のことだった。 この資 金によって多くの 団 体が生き延びたが、 それ以 前にすでに多くの職が失われていた。 この支 援 金も多くの有 名 人の運 動によってやっと実 現したのであって、 このことは現 英 国 政 府が芸 術を経 済 的 観 点からしか見ていないという印 象を強めた。 この間アーティストや芸 術 団 体が被った損 害は多 方 面にわたったが、 それにもかかわらず 公 的 支 援を受けた部 門では目覚ましい舞 台が見られた。 レイチェル・オリオーダン( Rachel

O Riordan)演 出のマーティン・マクドナー( Martin McDonagh)の『ビューティ・クイーン・ オブ・リーナン ( The Beauty Queen of Leenane)』 (チチェスター・フェスティバル劇場)、 アン ソニー・アルメイダ( Anthony Almeida)による出演 者 数を絞った『やけたトタン屋 根の上の 猫( Cat on a Hot Tin Roof)』 (レスターのカーブ劇場[ Curve Theatre])、 レスリー・シャー


プ( Lesley Sharp)の燃えるような演 技が印 象に残るケイ・テンペスト ( Kae Tempest)の『 楽 園( Paradise)』 (ナショナル・オリヴィエ劇 場 )、80年 代の映 画『 バグダッド・カフェ』をエマ・ ライス ( Emma Rice)が翻 案し、自分の劇 団である「 賢い子どもたち ( Wise Children)」と 手がけた生き生きとした舞 台『 バグダッド・カフェ ( Bagdad Cafe)』 (オールド・ヴィック劇 場 [ Old Vic Theatre])、 オラ・インス ( Ola Ince)が大 胆なブレヒト風 改 変によって現 代 化し、 芝 居の精 神 的 病という主 題を前 面に押し出した『ロミオとジュリエット』 (グローブ座 )などが 挙げられよう。

2021 年 9 月末にはようやく英 国の劇 場にも、感 染 症が流 行して以 来 最も活 気のある状 態が戻ってきた。長 期の遅 延を余 儀なくされていた公 演も実 現しつつあり、新 作も上 演さ れている。 しかしながら、新 型コロナウイルス感 染 症による影 響はいまだに様々な面で色 濃く、 当面は払拭できないであろう。

〔著者注〕 *

毎年ノッティングヒル地区で開催されるカリブ文化色の強い路上カーニヴァルのこと。イギリスに入植した カリブ諸島出身者が1950年代に開始した。

079 Tripney, Natasha ロンドン在住のライター・批評家。英国の演劇産業の新聞である「 The Stage」 を率いる劇評家で、劇 評欄の編集にも携わる。2011年にオンラインの劇評マガジン「Exeunt」 を共同創設し、2016年までそ の編集主幹を務めていた。演劇や芸術に関する記事を「ガーディアン」 「インディペンデント」 「トータス (Tortoise)」、英国放送局BBC等のメディアに寄稿している。

( 翻 訳:本 橋 哲 也 )

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GERMANY/AUSTRIA /SWITZERLAND

EUROPE

ボン・パーク作・演出『ハート泥棒』 ( ハンブルク・ ドイツ劇場)©Thomas Aurin

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[ドイツ/オーストリア/スイス]

忍耐の冬、 歓喜の春 萩原 健 2020年 10月からの 1 年 、 ドイツ語 圏の劇 場は、2021年 初 夏を境に大きくふたつの動 向 に分けられる。第 一に、新 型コロナウイルス感 染 症のパンデミックおよびロックダウンを受けて 各 劇 場が閉 鎖されていた時 期 、 そして第 二に、感 染 拡 大が落ち着きを見せ、劇 場が再 開 されてからの時 期である。 劇場の閉鎖、初日の延期

2020年 10月から翌 年 初 夏までの約 8 か月、 ドイツ語 圏の劇 場はおおむね閉 鎖され、通 常なら秋のシーズン開 始とともに上 演されるはずだった演 出 作 品の数々が中止の憂き目を 見た。ベルリン国 立 歌 劇 場( Staatsoper Unter den Linden in Berlin)が 11月に初 演 予 定 だったモーツァルトのオペラ 『ポントの王ミトリダーテ ( Mitridate, Re di Ponto)』 もそのひとつ で、SPAC 芸 術 総 監 督の宮城聰が演出する運びだっただけに惜しまれた。


一 方 、一 部の劇 場では、 ロックダウンが明けて劇 場が再 開されたときに備え稽 古が続け られていた。 たとえば、ハンブルク・ドイツ劇 場( Deutsches Schauspielhaus Hamburg )での ボン・パーク( Bonn Park)作・演 出『ハート泥 棒( Die Räuber der Herzen)』の場 合がそ れで、稽 古は早々に済み、初 演は 2021 年 9 月とされた。 またこれに関しては珍しいことに、初 演に先んじて、同 劇 場の専 属 俳 優で出 演 者のひとり原サチコの尽力で、6 月に日本 語 訳 でのオンラインリーディング公 演が実 現した( 東 京ドイツ文 化センター主 催 )。同 作はシラー 『 群 盗( Die Räuber)』を現 代の観 客の感 性にひきつけてアレンジし、同 様にギャングを主 題にした映 画『オーシャンズ 11 』ほかを参 照した内 容で、役 柄に性 別を問わない極めて自 由な配 役と構 成が目を引いた。 オンラインを発表の場とした公演 劇 場が閉 鎖されていたあいだは、 オンラインの空 間を発 表の場とした公 演がしばしば 試 みられていた。 なかでも注目されたのは、12月末から 1 月初めにかけて上 演された、 ウィー ンのブルク劇 場( Burgtheater)制 作による 『 機 械の私( Version 1.0 )( Die Maschine in

mir [ Version 1.0 ])』だ。同 作はアイルランドの作 家マーク・オコネル( Mark O Connell) のノンフィクションを原 作とした一 人 芝 居で、科 学 技 術の発 展を背 景にした人 間の機 械 化 、 081 いわゆるトランスヒューマニズムを主 題とする。小 劇 場カズィーノ ( Kasino)の客 席には観 客 の分だけiPad の画 面が並び、 その各 画 面には、申込 時に観 客 各自が指 示に従って収 録し た顔が映り、適 宜 異なる表 情( 3 種 類を事 前 収 録 )が示された。俳 優は舞 台と客 席を行き 来し、チャットを活 用した視 聴 者とのインタラクションもあった。 欧 州のコロナ禍がちょうど深 刻 を極め死 者も増えていた時 期 での上 演で、 リアルに集まれな い人々の孤 独の一 方で、人々 が〈 機 械 化 〉されてこそかなう 〈 集まり〉の奇 異さが際 立って いた。 あるいは 2 月の、ベルリン・ド イツ座( Deutsches Theater

B e r l i n )によるゼ バスティア ン・ハルトマン( S e b a s t i a n

マーク・オコネル原作『機械の私(Version 1.0)』 (ブルク劇場) ©Marcella Ruiz Cruz 世界の舞台芸術を知る

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EUROPE

Hartmann)演 出による『 魔の山( Der Zauberberg )』 も特 筆される。舞 台 上にはモノトー じゅばん

ンの装 置 、背 景には冬 山の映 像 、登 場するのは肥 満 体やあばらの浮いた白い肉 襦 袢をま とった異 形の俳 優たちで、複 数のキャメラで撮 影される映 像 同 士が重なることもあれば、俳 優の顔にアニメーションがオーヴァーラップすることもあり、全 体として面 妖な、 それこそ悪 夢 のような印 象を強く残す作 品だった。 また同じ 2 月、 スザンネ・ケネディ ( Susanne Kennedy)の『 I AM( VR)』が、 シアターコモン ズ 21の一 公 演として東 京ドイツ文 化センターで上 演されたことも書き留めておきたい。鑑 賞 者は会 場の個々に仕 切られた空 間で VRゴーグルを装 着し、 目の前に展 開される神 殿ない し聖地めいた仮想空間を探索・周遊するというもので、 ゲームとの親近性が印象的だった。 かたや演 劇 祭についてみると、例 年 5 月開 催のテアータートレッフェン( Theatertreffen、 ベルリン演 劇 祭 )は昨 年に続いてオンライン開 催となった。各 劇 場からのライヴストリームな いし録 画 放 映が行なわれ、前 出の『 魔の山 』やゴブ・スクワッド( Gob Squad)の『 Show

Me A Good Time 』 といった作品が目を引いた。チューリヒ劇場( Schauspielhaus Zürich) からライヴストリームで上 演された、 クリストファー・リューピング( Christopher Rüping )演 テアーター・ホイテ

出の『まさに世 界の終わり ( Einfach das Ende der Welt)』は、 「 今日の演 劇( Theater

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heute」)」誌( 以 下「 Th」誌 )が選 出する年 間 最 優 秀 作 品にも輝いた( 原 作 戯 曲は仏 劇 作 家ジャン=リュック・ラガルス[ Jean- Luc Lagarce ]によるもので、死 期の迫った若い作 家

ゼバスティアン・ハルトマン演出『魔の山』 ( ベルリン・ ドイツ座)©Arno Declair


の帰 郷と当地の家 族との交 流を描き、映画化もされた)。 なお「 Th」誌の今季の新人賞を、 25歳(当時)のコスメア・シュペレケン ( Cosmea Spelleken) が、 オンライン上 演『 werther. live 』 ( 2 月初 演 )の演 出で受 賞していることが注目される。 ゲーテ『 若きウェルテルの悩み』の設 定がコロナ禍の現 在に移され、鑑 賞 者は主 人 公の視 点を画 面 上で共 有し、数々のアプリが駆 使されて展 開される「ソーシャルメディアドラマ」 だったと伝えられている。 コロナ対策を講じた劇場再開 初 夏になると、感 染 拡 大 防 止 対 策を取った上での劇 場 再 開の動きが目立ち始めた。国 際 演 劇 協 会ドイツセンターの主 導により、 デュッセルドルフで 6 月から 7 月にかけて開かれ た世 界 演 劇 祭( Theater der Welt)では、主 会 場のロビーで簡易検 査( Schnelltest)が 行なわれた。ベルリンでは、入 場 前に事 前の簡易検 査を観 客に求めるパイロット・プロジェ クト「 Testing 」が 3 月に次いで 5 月末から再 実 施され 、 これにベルリーナ・アンサンブル ( Berliner Ensemble)ほかが参 加した。

4 月末 、フランクフルトのムーゾントゥルム劇 場( Künstlerhaus Mousonturm)は、野 外 ゾ ン マ ー バ ウ

仮 設 劇 場〈 夏 の建 物( Sommerbau)〉の建 設を発 表 、同 劇 場が完 成し 7 月から10月に かけて行なわれた公 演のラインナップは非 常に充 実していた。たとえばザルツブルク・フェ スティヴァル( Salzburger Festspiele/ザルツブルク音 楽 祭 )の看 板 演目『イェーダーマン ( Jedermann)』で主 演を務めていたフィリップ・ホーホマイア( Philipp Hochmair)を主 軸 に 据 えた『 イェ ー ダ ー マ ン・リローデッド( Jedermann

R e lo a d e d )』、あるいは 、前 出のリューピングが 2018 年に ミュンへン・カンマーシュピーレ ( Münchner Kammerspiele) で演 出し19 年のテアータート レッフェンに招かれた、9 時 間 超にわたる『ディオニュソス・シ ティ ( Dionysos Stadt)』の野 外 劇 版が上 演されたとの報が 目を引いた。 ベルリーナ・アンサンブルでの「Testing」の様子 ©Moritz Haase

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劇場公演の平常化、公演シーズンの日程調整 劇 場が順 次 再 開されるとともに目立ってきたのが、劇 作 家・演 出 家ルネ・ポレシュ ( René

Pollesch)の仕 事だ。5 月末 、ベルリン・ドイツ座が、ポレシュ作・演 出の『 Goodyear 』ほかを 先 述のパイロット・プロジェクト「 Testing 」の枠 内で上 演したあと、追って 6 月にはウィーン 芸 術 週 間( Wiener Festwochen)が、同じく彼の作・演 出による 『カトリン・アンゲラーさんの 銃( Die Gewehre der Frau Kathrin Angerer)』を上 演した( 表 題はブレヒトの『カラール のおかみさんの銃[ Die Gewehre der Frau Carrer]』に依 拠 )。 この「カトリン・アンゲラー」 とは、ベルリン・フォルクスビューネ( Volksbühne Berlin)の元 看 板 俳 優で、 そのフォルクス ビューネの新 芸 術 監 督としてのシーズンをポレシュは 9 月半 ばにスタート、自身の作・演 出による 『あるカーテンの昇 降とそのあいだにある命( Aufstieg und Fall eines Vorhangs

und sein Leben dazwischen)』を上演した(表題はこれもブレヒトの『マハゴニー市の興 亡 [ Aufstieg und Fall der Stadt Mahagonny]』に依 拠 )。同 作にはアンゲラーに加えて、同 じくフォルクスビューネの元 看 板 俳 優マルティン・ヴトケ( Martin Wuttke)が出 演した。 ポレ シュを含めかつてのフォルクスビューネと縁の深い面々がそろい踏みし、多くのファンが歓 喜 したことだろう。

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ところで先 述のウィーン芸 術 週 間は例 年 初 夏の開 催だが、今 季は変 則 的で盛 夏にまで わたって実 施された(さらに11月にも)。一 方 、同じオーストリアのザルツブルク・フェスティヴァ

ルネ・ポレシュ作・演出『Goodyear』 ( ベルリン・ ドイツ座)©Arno Declair


ルは例 年 通りの 7 月に開 幕し、 『イェーダーマン』のタイトルロールをベルリンのシャウビュー ネ( Schaubühne)の看 板 俳 優ラース・アイディンガー( Lars Eidinger)が務めたことが注目 された。 そしてそのシャウビューネのスケジュールについてみると、夏のシーズンオフを例 外 的 に撤 廃して 7 月末から客 席を完 全に満 席にし、8 月にかけて公 演を連日行なっていた。 その 一方で秋の新シーズン開始を前倒しする劇場も見 受けられた。 つまり、夏に開 催されるフェスティヴァルが 各 地の劇 場のシーズン開 始と重なったり近 づいたりしていた。 そしておそらくこのことを背 景のひとつとして、当 初からフェスティヴァルと 共 同 制 作を行なっていた劇 場もあった( ザルツブルク・フェスティヴァルとハンブルク劇 場 [ Deutsches Schauspielhaus Hamburg ]の共 同 制 作で、ハンブルクで 9 月に初日を迎え た『リチャード・ザ・キッド・アンド・ザ・キング[ Richard the Kid & the King ]』はその一 例 と推 測される)。 また 9 月になって主な劇 場は再 開したが、観 客にワクチン接 種 証 明を求め ているケースもある模様だ。 ほかに注目された出 来 事としては、7 月、 フランクフルトおよびオッフェンバッハで 2023 年 開 催 予 定の世 界 演 劇 祭のキュレーターに相 馬 千 秋と岩 城 京 子のペアが選ばれたことが ある。ただその一 方で 9 月、前 出のフランクフルト・ムーゾントゥルム劇 場の芸 術 監 督マティ アス・ペース ( Matthias Pees)が、 テアータートレッフェンをはじめベルリン市の多くの催し物 ベルリーナ・フェストシュピーレ

を主 催するベルリン祝 祭( Berliner Festspiele)の 2022年 9 月からの芸 術 監 督に選ばれた。 ペースは相 馬が長らく仕 事 仲 間としてきた人 物だ。彼がフランクフルトを離れることで 2023 年の世 界 演 劇 祭へ向けた準備が少し気がかりでもある。 また 9 月初め、 スイス・チューリヒの演劇祭テアーターシュペクターケル( Theaterspektakel) で、同 市のノイマルクト劇 場( Theater Neumarkt) と市 原 佐 都 子 主 宰の劇 団Qの共 同 制 作による 『 Madama Butterfly( 蝶々夫 人 )』が上 演されたことも特 筆したい。 さらにハ ンブルクのタリーア劇 場( Thalia Theater)は、2022年 1 月に岡 田 利 規 作・演 出の新 作 『 Doughnuts 』を世 界 初 演 、 これがまもなく、2022年のテアータートレッフェンが選 出する注 目の 10 作 品に選ばれた。岡 田にとって 2 度目の快 挙である。 はぎわら・けん 明治大学国際日本学部教授。専門は現代ドイツの演劇・パフォーマンスおよび関連する日本の演劇・パ フォーマンス。著書に『 演劇と音楽 』 ( 2020年、森話社、共編著)、 『 演出家ピスカートアの仕事 』 ( 2017 年、森話社) ほか。

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FRANCE

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ティアゴ・ロドリゲス演出、 イザベル・ユペール (Isabelle Huppert)主演『桜の園』 撮影:Christophe Raynaud de Lage

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[フランス]

やまな いコロ ナ 禍 の 嵐 不 透 明 な 見 通し 、 刻まれ る 歴 史 藤井 慎太郎 フランス演 劇の 2020/21 年シーズンは、再び新 型コロナウイルスに振り回され、文 化 施 設 は長 期 間の閉 鎖を強いられ、前シーズンを上 回る規 模の深 刻な打 撃を受けた年となった。 乗り越えても乗り越えてもやってくる新たな感 染 拡 大の波に社 会には厭 戦 感も漂うが、将 来 の見通しもまた不 透 明なままである。 そんな状 況のなか、2020 年にはシャイヨー国 立 劇 場( Chaillot - Théâtre national de

la Danse) と国 立民衆 劇 場( Théâtre national populaire、TNP )が 1920 年の創 設から百 周 年 、2021年にアヴィニョン演 劇 祭( Festival d' Avignon、1947年 創 設 )は第 75 回 、 フェ スティヴァル・ドートンヌ ( Festival d'Automne à Paris、1972 年 創 設 )は第 50 回という節目 の年を迎えた(シャイヨー国 立 劇 場とTNPはともに、1920 年にフィルマン・ジェミエ[ Firmin


Gémier ]によってパリのシャイヨー宮に創 設された TNPを起 源に持つ。TNPは、戦 後はア ヴィニョン演 劇 祭の創 設 者としても知られるジャン・ヴィラール[ Jean Vilar ]のもとで黄 金 時 代を迎え、1972 年からリヨン近 郊のヴィルールバンヌに移 転している)。2020 年 3 月以 来 、 時 間が止まったかのような印 象もぬぐえないのであるが、 コロナ禍にあっても時 間は過ぎ、歴 史は刻まれることを印 象づけられる。 再び異例の年となった 2020 /21 年シーズンを、時 系 列に沿うかたちで振り返りたい。 感染再拡大、シーズン開幕、文化施設再閉鎖(さらに占拠)

2020年 春の第 一 波を乗り越えて劇 場が再 開を果たした後 、ヴァカンス・シーズンから感 染はじわじわと再 拡 大を始めていたものの、演 劇 祭・音 楽 祭などの大 規 模イヴェントが軒 並 み中止された夏を経て、9 月のシーズン開 幕がこれほど待 望されたこともなかったであろう。 コメディ=フランセーズ( Comédie-Française )ではクリストフ・オノレ( Christophe Honoré ) によるプルーストの翻 案 演 出 、 オデオン国 立 劇 場( Odéon - Théâtre de l'Europe)はステ ファン・ブランシュヴェーグ( Stéphane Braunschweig)演出作品、 シルヴァン・クルーズヴォー ( Sylvain Creuzevault)によるドストエフスキーの翻 案 演 出 、パリ市 立 劇 場( Théâtre de

la Ville、未だに改 修 工 事が終わらず仮 住まいが続く)はエマニュエル・ドゥマルシー=モタ ( Emmanuel Demarcy- Mota)演 出 作 品 、作 家エドワール・ルイ ( Édouard Louis 、エドゥ アールとも)が自らを演じるトーマス・オスターマイヤー( Thomas Ostermeier)演出作品などと ともに、 シーズンは華々しく幕を開けた だが、わずか 1 か月半の後 、10月 17日には夜 間 外 出 禁 止 令が敷かれ、21時 以 降の外 出が禁 止された( 半 券の提 示によって夜 間 外 出 禁 止の例 外とすることを劇 場 関 係 者は求 めたが認められず、劇 場は終 演が 20時 前 後になるように開 演 時 間の繰り上げを余 儀なくさ れた)。 それも大きな効 果を上げることなく、10月 30日には 2 回目の都 市 封 鎖に突 入し、文 化 施 設は再び全 面 的に閉 鎖された。稽 古や無 観 客 上 演(プロフェッショナルは入 場 可とさ れた)は認められたため演 劇の活 動が完 全に停 止することはなかったが、劇 場はオンライン 展開を再び強いられたのだった。

2020 年のフェスティヴァル・ドートンヌは、ボリス・シャルマッツ( Boris Charmatz 、ヴッパ タール舞 踊 団[ Tanztheater Wuppertal Pina Bausch ]のディレクター就 任が 2021年 10 月21日に発 表された) とジョリス・ラコスト ( Joris Lacoste) を特 集に組み、封 鎖の影 響を食い 止めるべく会 期を 7 月まで延 長したものの、最 終 的には大 部 分の作 品がキャンセルとなった。 そんななか、 ストラスブール国 立 劇 場( Théâtre national de Strasbourg)やナンテール・アマ ンディエ劇 場( Théâtre Nanterre- Amandiers)の監 督も務めた演 出 家ジャン=ピエール・ 世界の舞台芸術を知る

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ヴァンサン( Jean-Pierre Vincent)が、11月 5 日、 コロナウイルス感 染 症で命を落としたという 訃報が入った。

11月28日にクリスマス商 戦を控えていた商 業 施 設がまず再 開され、12月15日には封 鎖も 解 除されたが、感 染 者 数は高 止まりし、文 化 施 設の再 開は予 告と延 期が繰り返された。 あ まりに長 期 化する文 化 施 設の閉 鎖 、商 業 施 設の扱いとの不 平 等に憤った関 係 者が、 ま ず 2021 年 3 月 4 日にオデオン国 立 劇 場( 1968 年の五月革 命の際にも学 生や労 働 者に占 拠された象 徴 的な場 所である)、ついで 3 月 9 日にはラ・コリーヌ国 立 劇 場( La Colline -

théâtre national) とストラスブール国 立 劇 場を占拠した。 それに連 帯する動きはフランス全 土さらに国 外にまで広がり、占拠された劇 場・文 化 施 設の数は最 大で 100 前 後に上った。 そのうちに第 三 波の感 染 拡 大が深 刻 化し、2021 年 3 月17日から 3 回目の封 鎖に追い込 まれた。文 化 施 設は再 開されることなく、2021 年 5 月 18日まで半 年 以 上にわたって閉 鎖が 続き、2020 /21 年シーズンに予 定された作 品の大 半が上 演できなくなるという前 代 未 聞の 事 態となった( 多くの作 品は中止ではなく延 期されたが、 その結 果 、2021/22 年シーズンに すでに予 定されていた作品との兼ね合いで、 スケジュールには混 乱が続いている)。

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待望された再開、アヴィニョン演劇祭、衛生パス導入

5 月 19日、パリ市 立 劇 場はドゥマルシー=モタ演 出『 作 者を探す 6 人の登 場 人 物 』を中 心として、朝 8 時 30 分から21時まで、音 楽 、舞 踊 、演 劇のプログラムを組んで再 開を祝った。 オデオン国 立 劇 場ではイヴォ・ヴァン・ホーヴェ ( Ivo Van Hove)演出『ガラスの動 物 園( La

Ménagerie de verre)』 ( 奇しくも第 一 波による劇 場 閉 鎖 時にも公 演中であった。新 国 立 劇 場での来日公 演は 2021年も実 現しなかった)が再 開を飾るはずであったが、 さらなる待 遇 改 善を求めた占拠 者が当初 、退 去を拒んだことから再 開は予 定よりも遅れた。 いずれにせ よ、 シーズン末までに残された時 間は 2020年 同 様 、多くはなかった。

2020年は中止に追い込まれ、2021年も当初は開 催が危ぶまれたアヴィニョン演 劇 祭だ が、奇 跡 的に感 染 状 況が落ち着いて、2 作 品が出 演 者・スタッフに感 染 者が出たことを理 由に中止となったのみで、ほぼ無 事に開 催された。直 前に収 容 率が 100%に引き上げられ、 客 席 稼 働 率は例 年を10%ほど下 回る85% 程 度で、 コロナ禍の影 響は限 定 的であったが、 逆にフリンジの「オフ ( Festival Off d'Avignon)」の方が打 撃が大きいと報じられている。 その第 75 回は、 フランスのフィア・メナール( Phia Ménard、男性として生を受けた)、 スペイ ンのアンヘリカ・リデル( Angélica Liddel、 アンジェリカとも)、 イタリアのエンマ・ダンテ ( Emma

Dante)ら、プログラムの約 半 分を占めた女 性アーティストの存 在 感が強い年であった。演 劇 祭がまさに開 幕する 7 月 5 日、 オープニング作 品『 桜の園( La Cerisaie)』の演 出を手


がけるティアゴ・ロドリゲス( Tiago

Rod rig ue s )が 、オリヴィエ・ピィ ( Olivier Py )の 後 任としてディ レクターに就 任することが発 表さ れた。 ロドリゲスはベルギーはアン ティージースタン

トワープの劇 団 tg S TANに俳 優 として参 加した 経 歴を持 つ 演 出 家・劇 作 家・俳 優であり、2014 年 からポルトガル・リスボンのマリア二 世 国 立 劇 場( Teatro Nacional

Doña María II )の芸 術 監 督を

フィア・メナール演出『背徳の物語三部作(エウロペのための) 〈 La trilogie des contes immoraux (pour Europe)〉』 撮影:Christophe Raynaud de Lage

務め、 アヴィニョン演 劇 祭やフェス ティヴァル・ドートンヌの常 連であり、 フランスでも高い人 気を集めてき た。 ロドリゲスの任 期は 2022年 7 月の第 76 回が終わった後の 9 月

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1 日からである。 同じ 7 月、記 念 すべき第 50 回 の開 幕を控えたフェスティヴァル・ ドートンヌもまた 重 要 な 人 事 を 発 表した。演 劇・舞 踊・美 術のマ

アンヘリカ・リデル演出・出演『愛の死(Liebestod)』 撮影:Christophe Raynaud de Lage

リー・コラン( Marie Collin) と音 楽のジョゼフィーヌ・マルコヴィッツ ( Joséphine Markovits)の 2 人 の芸 術 監 督が、 ともに 2021年を もって退 任することとなった。2 人 は創 設 期から芸 術 祭の運 営に関 わり、長 年にわたって芸 術 祭を支 えてきた。後 任に就くのはイタリア 出 身の 弱 冠 42 才 のフランチェス カ・コロナ( Francesca Corona)で あるが 、外 国 人 が 同ポストに就く

演出家ティアゴ・ロドリゲス (客席が一新されたアヴィニョン法王庁中庭にて) 撮影:Christophe Raynaud de Lage 世界の舞台芸術を知る

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のは初めてであり、 アヴィニョン演 劇 祭のロドリゲスと並ん で、舞台芸術における欧州統合の深化を印象づける。

7 月 21日からは文 化 施 設の入 館に衛 生パス( passe sanitaire、 ワクチン接 種 済み証 明 書あるいは陰 性 証 明 書)の提示が義務づけられた( 8 月 9 日からカフェやレス トランにも拡 大 )。反 対するデモは続くものの、 これによっ てワクチン接 種 率は日本とほぼ 同じ水 準に達した。劇 場の現 場では混 乱は概ね生じていないようだが、再 開 以 降の文 化 施 設への観 客の戻りが鈍いことが報じられ ている。感 染のリスクが高い行 動や場 所を避けようとす フェスティヴァル・ ドートンヌの新芸術監督 フランチェスカ・コロナ 撮影:Andrea Pizzalis

る心 理が強いことは、文 化 省の調 査 報 告 書によっても 裏 付けられている。

コロナ禍における政府の文化支援

2021年 9 月 22日に2022年 文 化 予 算と合わせて、コロナ禍における文 化 支 援の実 績が 090

公 表された。文 化 省によれば 、政 府による文 化 支 援は同 9 月時 点で総 額 136 億 600万 € ( 約 1 兆 7,688億 円 、1 €=130円 、以 下 同 様 )に上る。借 入 金が返 済 不 能に陥った場 合 に政 府が肩 代わりする融 資 保 証など「 真 水 」ではない支 援の額も含まれていることには注 意せねばならないが、 これが世 界 有 数の支 援 水 準であることは間 違いない。政 府・文 化 省 は、文 化 施 設の二 度にわたる長 期 間の全 面 閉 鎖という未 曾 有の事 態に、巨 額の支 援に よって文 化を支えることで応えてきたわけだ。 一 般 的な政 府 支 援の枠 組み( 文 化に特 化していない)から86 億 4,300万 €( 約 1 兆

1,236億円)が支出されている。文 化 省による独自支 援は 16億 5,000万 €( 約 2 ,145億円) に上り、民間 企 業・製 作 会 社の固 定 費 支 援 、民間 上 演 団 体の損 失 補 償のための緊 急 基 金、 さらに民間 劇 場の入 場 料 減 収 補 償 基 金が創 設され、公 的 助 成も大 幅に増 強された。 フランス

ルランス

さらに復 興 計 画「 France Relance」 ( 総 額 1,000 億 € 、約 13兆 円)から20 億 €( 約 2,600 億 円 、総 額の 2 %、通 常 予 算に占める文 化 予 算の割 合 1 %前 後の約 2 倍 )が文 化 支 援 、 う ち 4 億 3,200万 €( 約 561億 6,000万 円 )が舞 台 芸 術 支 援に支 出される。加えて、舞 台 芸 術・映 画・放 送の領 域のフリーランス芸 術 家・技 術 者のうち一 定の要 件を満たした「アンテ ルミタン」の失 業 手当受 給 期 間の大 幅 延 長( 2021年 12月 31日まで)のために13 億 1,300 万 €( 約 1,707億 円)が失 業 保 険 制 度から支 出されたという (アンテルミタン制 度の対 象 外 となる芸 術 家・技 術 者への支援基金も文化省に設置されている)。


公 的 助 成セクターと民 間セクターを問わず、大 都 市から地 方 都 市まで、劇 場・製 作 会 社・上 演 団 体・個 人のすべてのアクターに資 金が行き渡るように、 よく練られたきめ細かい 支 援 体 制が敷かれた。通 常の文 化 予 算も前 年に続いて大 幅に増 額され、公 共 放 送 予 算 などを除いた狭 義の文 化 予 算が 2021年の 38億 500万 €( 約 4,947億円)から2022年は 40 億 8,300万 €( 約 5,308億円)へ 7.5%増となり、 はじめて40億 €( 約 5,200 億円)の象 徴 的な ラインを超えたことも特 筆される。 ディレクター人事とジェンダー・バランス、多様性への配慮 アヴィニョン演 劇 祭とフェスティヴァル・ドートンヌの交 代 人 事についてはすでに述べたが、 そのほかの動きにもふれておこう。 オデオン国 立 劇 場 監 督のブランシュヴェーグの留 任が発 表され( 2021 年 1 月 11日)、 シャイヨー国 立 劇 場 監 督にアルジェリア出身の両 親を持つ振 付 家ラシッド・ウランダン( Rachid Ouramdane)が任 命された( 同 2 月 12日、 そのほかの国 立 劇 場の監 督は留 任 )。 リールのノール劇 場( Théâtre du Nord)のディレクターには、同 性 愛 者であることを公 言し、芸 術における多 様 性の擁 護や脱 植民 地 化にも熱 心に取り組 むダヴィッド・ボベ( David Bobée)が任 命された( 同 2 月 15日)。振 付 家ドミニク・エルヴュ ( Dominique Hervieu)が 2024年のパリ・オリンピックの文 化 事 業の責 任 者に任 命された ( 同 11月)。かつてジョゼ・モンタルヴォ ( José Montalvo) との共 同 作 業で知られ、2011 年 からリヨンのダンス・ビエンナーレ/メゾン・ドゥ・ラ・ダンス ( Biennale de la danse de Lyon /

Maison de la danse)のディレクターを務め、 ヒップホップや公 共 空 間にダンスを拡 張してき た。東 京からバトンを受けてのパリ・オリンピックの文化プログラムに期 待が高まる。 フランス全 土に現 在 38 施 設が存 在する国 立 演 劇センター( CDN )の女 性ディレクター の数が 19 名となり、 この 10 年ほどで 12%から46%に増 加し、ほぼ半 数に達していることが明 らかになった( 複 数ディレクター制を採る施 設があるため 50%にはなっていない)。各 劇 場 のシーズン・プログラムもジェンダー・バランスや多 様 性に配 慮されるようになってきた。2000 年に制 定されたパリテ法によって、 フランスの国民議 会( 下 院 )の女 性 議員の割 合が 1990 年 代の 5 %前 後から現 在の 40%前 後に急 速に改 善したことを思わせる変 化である。 もちろ ん、 フランス現 代ダンスの第 一 世 代の女 性 振 付 家が退き、国 立 振 付センター( CCN、全

19 施 設 )のディレクターの大 半は現 在では逆に男性になっているし、国 立 劇 場の監 督はす べて男性であるように、 まだまだ改 善の余 地は残っている。 この数 年 来の #MeToo、Black Lives Matter の運 動は、 フランスの舞 台 芸 術 界にも大き な衝 撃を与え、強い反 省と行 動を促してきたが、2020/ 21 年にも告 発と問 題 提 起は相 次 いだ。 ジャン=ランベール・ヴィルド( Jean- Lambert Wild)はリモージュの CDNの劇 場 監 世界の舞台芸術を知る

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督 職を任 期 半ばで退くことを発 表し ( 2020 年 11月)、ベジャール・バレエ団( Béjart Ballet

Lausanne)の付 属 学 校( Rudra)は少なくとも 1 年 間 閉 鎖されることになり ( 2021 年 5 月)、 ヤン・ファーブル( Jan Fabre)の案 件は刑 事 裁 判 所に送 致されることになった( 2021 年 9 月)。 いずれもハラスメントと職 権 濫用に関わるものである。 これは氷 山の一角であり、ほかに も問 題は尽きない。 ヨーロッパ白人男性中心の規 範が疑われなかった時 代につくられたレ パートリー作 品をどう扱うのか、肌の色や容 姿をいかに考 慮する/しないのか、少 数 派の 役は同じ少 数 派の俳 優によって演じられねばならないのか、ハラスメントや性 暴力を告 発さ れていても有 罪 判 決を受けてはいない/ 証 拠 不 十 分とされた/すでに刑 期を終えたアー ティストをどのように処 遇すべきか、 いずれも簡 単に答えが出る問いではないが、問われ続け なければならない問 題でもある。少なくとも舞 台 芸 術の領 域において、 より公 平で公 正な制 度の実現に向けて、 コロナ禍がさらなる議 論と思 索の深 化を促したことはまちがいない。 ふじい・しんたろう 早稲田大学文学学術院教授 (演劇学、 文化政策学) 。主な著作に共同責任編集Alternatives théâtrales , numéro hors-série, « Scène contemporaine japonaise », 2018 ; Théâtre/Public , no. 198,

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« Scènes françaises, scènes japonaises : allers-retours », 2010、監修書『ポストドラマ時代の創 造力』(白水社・2014年)、共編著書『芸術と環境―劇場制度・国際交流・文化政策』 ( 論創社・2012年)、 『演劇学のキーワーズ』 (ぺりかん社・2007年)、共訳書『演劇学の教科書』 ( 国書刊行会・2009年)、戯 曲翻訳にワジディ・ムワワド作『 炎 アンサンディ』 (シアタートラム・2014/2017年、小田島雄志・翻訳戯 曲賞受賞)、 『 岸 リトラル』 ( 同・2018年)、 『 森 フォレ』 ( 世田谷パブリックシアター・2021年) など。


ベラルーシ・フリー・シアター (BFT) 『ヨーロッパの犬たち』 ミンスク公演(2020年) 撮影:Kolya Kuprich

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[ベラルーシ]

弾 圧 を 生き 抜く ― ベ ラ ル ーシ・フリー・シ アター

決断の年

ニコライ・ハレジン ベラルーシ・フリー・シアター( Belarus Free Theatre、以 下 BFT)は 2005年の創 設 以 来 、 ベラルーシの独 裁 政 権に対する抵 抗 運 動の一 拠 点として、演 劇とアートを手 段に、民 主 主 義 、人 権 、 そして芸 術 活 動の自由を求める運 動を展 開している。BFTはヨーロッパで唯 一 、政 治 的 理由で自国の政 府に活 動を禁 止されている劇 団であり、 ニューヨーク・タイムズ 紙には、 「この地 球 上で最も勇 敢でインスピレーションに満ちたアンダーグラウンド劇 団の一 つ」とも評されている。

2005 年から16 年にわたり、私たちの製 作する舞 台は観 客からも批 評 家からも注目され、 賞 賛を集め続けてきた。 それというのも私たちは一 貫して、ベラルーシの苛 酷な日常を表 現 し、 タブーや容易には口にすることのできないテーマに強い光を当ててきたからだ。同 時に私 世界の舞台芸術を知る

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たちは独 裁 政 権に対し、世 界 各 国の舞 台 上から弾 圧に対する説 明を求めてきた。 ときには 私たちの作 品が、 これから起こる出来 事を予 見したこともあった。 そして現 在 。創 立から16 年 、BFTの共 同 芸 術 監 督である私と妻 、ナターリャ・カリアダ ( Natalia Kaliada)がイギリスに政 治 亡 命してから10 年が経 過した 2021年 、劇 団メンバー 全員がベラルーシ国 外への移 住を決めた。 この重 大な、 かつては想 像することすらなかった 決 断は、16人の劇 団メンバー及びその家 族の身の安 全と芸 術 的自由を守るために下され た。ベラルーシ内で最も際 立った反 政 府 運 動の担い手である彼らは、 このような措 置を講じ なければならないほど政 権による厳しい報 復 措 置のリスクにさらされていたのである。 ここでいったん2020年まで戻って、私たちを現 状へと導いた 2 つの現 実に目を向けたい。 ひとつは新 型コロナウイルスのパンデミック、 もうひとつは 2020年 8 月の大 統 領 選(*)以 降 、ベ ラルーシに広がった複 合 的な政 治 危 機である。相 互に無 関 係ながら、同 時 発 生したこの 2 つの条件により、直近2年間の、 そしてさらには今後の劇団の存在形態が決定したと言える。 まず、ベラルーシ当局によっては、感 染 拡 大の事 実などないと否 定されたパンデミックに

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ついて。2020 年の春 、BFTはちょうど創 立 15 周 年を迎え、世 界の各 地を回って行う大が かりな記 念プログラムに向けて製 作 発 表を準 備中だった。 ところが残 念ながらコロナウイル スは私たちのそんな計 画などおかまいなしに、独自のプランを準 備していたわけだ。やむをえ ず、私たちはオンラインでの作 品 提 供を考え、手 元のアーカイブからは、24 作 品を無 料で視 聴できるようにした。 またこれと並 行して、#LoveOverVirusというキャンペーンを展 開 、おとぎ 話やショートストーリーの朗 読をYouTube 上で毎 晩 配 信した。 このキャンペーンには劇 団 員に加えて、BFTの著 名な友 人たち、俳 優のウィル・アッテンボロー( Will Attenborough) やスティーヴン・フライ ( Stephan Fry)、サミュエル・ウェスト ( Samuel West)、 ウクライナのロッ クバンド「ブームボックス ( Boombox)」のリードヴォーカル、 アンドレイ・クリヴニク( Andriy

Khlyvnyuk)、劇 作 家デヴィッド・ラン( David Lan)、女 優のジュリエット・スティーヴンソン ( Juliet Stevenson) といった人たちが参 加した。 私たちとしては、 この前 例のない不 安と恐 怖の時 代に、色あせることのない物 語を讃えあ うオンライン空 間を作りたかったのだ。BFTはこれまでも、 ひじょうにチャレンジングで制 約の 多い状 況 下で創 作 活 動を続けてきた。 その体 験から学んだことを世 界中の視 聴 者と共 有 し、多くの人が自分の創 造力とイマジネーションを発 揮して、平 和と希 望の未 来に少しでも 目を向けられるよう力づけたかった。


大統領選から約半年後にミンスクで行われた大規模デモ。185日間におよぶ平和 的抗議活動で 3 万人以上が拘束された。BFTのInstagram (2021年 2 月9日) より

1 5 周 年 記 念 シ ー ズン の 柱 のひとつ は 、2 0 2 0 年 8 月 のベラルーシ大 統 領 選 前 夜 に 、最 新 作『ヨーロッパの 犬 たち( Dogs of Europe )』を 初 演することだった。ベラルー シ出 身の 現 代 作 家 、アリゲル ド・バ ハレヴィッチ( A l h ierd

Baharevich )の同 名 長 編 小 説( 2017 年 刊 、現 在 は 政 権 によって禁 書となっている)を ベースにしたこの作 品は、およ そ 1 年 半 前から準 備を進めて いたので、私たちの支 援 者で あるベラルーシの観 客は今か 今かと上演を心待ちにしていて

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くれた。首 都ミンスクでの上 演 にあたっては、 もちろん感 染 防 止を第 一に考え、十 分な距 離 をとった 座 席 配 置とマスク着 用にこだわったが、新 型コロナ ウイルスの感 染 脅 威を否 定す るベラルーシ当 局にとって、 こ

『ヨーロッパの犬たち』 ミンスク公演(2020年) 撮影: Mikalai Kuprych

れは 前 代 未 聞 の 措 置と映っ たようだ。 『ヨーロッパの犬たち』はナチスの第 三 帝 国 復 活 / 再 来を描くディストピア的 作 品 で、ベラルーシにとっては予 言 的なものとなってしまった。上 演 後まもなくベラルーシの指 導 部 は、第 二 次 世 界 大 戦 以降だれも体 験したことのない規 模の弾 圧を繰り広げることになる。 邪 悪な皇 帝の死を描く民 話をもとにした『ツァーリ・ツァーリ ( Tsar Tsar )』 も同 時 期に上 演した。ベラルーシ内の河 川をいかだで下り、小さな集 落の近くに係 留しては夕方になると 岸 辺に集まった住 民や子どもたちを相 手に作 品を見せる。 そんなツアーをしたのだ。集まっ た多くの人にとって、 この作 品が生まれて初めての演 劇 体 験となった。上 演のために選んだ 場 所は、地 理 的に僻 地でエンターテインメントや演 劇 産 業から遠く隔たっているだけでなく、 世界の舞台芸術を知る

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『ツァーリ・ツァーリ』BFTのInstagram (2020年 8 月28日) より

そのほとんどがインターネット接 続もなかった。 ソ 連 初 期 の シ ュ ル レ アリ スム 作 家 、ダ ニイル・ハルムス ( Daniil Khalms)の作 品をもと にした不 条 理 演 劇のコラージュ 『 DerMagenFinDelMöön 』 も、 観 客と会 場で直 接 出 会うかた ちで上 演できた。短 縮 版の上 演 で、 ミンスク市 内のあちこちの建 物の中庭を会 場にした。弾 圧が 強まっていたにもかかわらず、観 客は毎 晩のように戸 外のスペー スに集まり、 この作 品を温かく受 け入れてくれた。 なかには、俳 優 を警 護し、治 安 部 隊による急 襲

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があったときに自分の住 居に俳 優たちを匿って、食 事の世 話を 『ツァーリ・ツァーリ』BFT提供の映像より *YouTube: https://www. youtube.com/watch?v=ETrj 5 BBHPxc ( 2022年 3 月1日現在)

してくれた人もいた。大 勢の子ど もも含むその場にいた観 客は、 こ

の真に共有された演 劇 体験に欠かせない存 在だった。 しかし、 その後 弾 圧がさらに強まり、BFTと観 客がオフラインで直 接 接 触するのは不 可 能と 判 断せざるをえなくなった。 そのころ、サーシャ・ソコロフ ( Sasha Sokolov)の小 説『 馬 鹿たち の学校( A School for Fools)』 を翻案した作品のリハーサルをしていた私たちは、 これをオン ライン用に演 出し直すことにした。演 出のパーヴェル・ゴロドニツキー( Pavel Gorodnitsky) はリハーサルで Zoomを使い、彼のヴィジョンに沿ってオンラインとオフラインの統 合を試みた。 実 現のためには相当の技 術 的イノベーションが必 要で、俳 優たちにもまったく新しいスキル が要 求された。配 信 担当のディレクター、 スベトラーナ・スガコ ( Svetlana Sugako)は、制 作 中にめざましい成 長を遂げた。彼 女がいてこそ、 この作 品はまったく新しい演 劇の地 平を切 り拓くことができたとも言える。 この作 品に関して私たちは、単に事 前に撮 影したものを配 信するのではなく、 その都 度ラ


イブ配 信するという方 針を早い段 階で決 定していた。俳 優たちは、 ロックダウン時 の 規 則を尊 重してそれぞれの自宅で 収 録をしなければならない。 そのため、上 記 のテクニカル上の工 夫と合わせて、 ステー ジングと俳 優 間 のインタラクションが 課

『DerMagenFinDelMöön』BFTのInstagram (2020年10月9日) より

題となった。 ミザンスを決めるに際しては、

Zoom 画 面に表 示される話 者 間の境 界 線を極力なくし、 オンライン上に一つの仮 想空 間を作ることにした。

1 回の配 信につき、12人の俳 優 、15 台 のカメラ、12カ所のロケーション、演 出 家

1 人と配 信 担 当ディレクター 1 人 。大 規 模な協 働 作 業だった。 『 馬 鹿たちの学 校 』における技 術 的イノ

『DerMagenFinDelMöön』中庭での公演

写真提供:BFT

ベーションと俳 優たちの演 技は、観 客に も批 評 家にも高く評 価された。国 際 的に 広く配 信されたこの作 品は、ニューヨー ク・タイムズ紙の「ロックダウン中の世 界 のデジタルプロジェクト・ベストテン」のひと つに選ばれた。演 劇の専 門 家が、パンデ ミックの文 脈を超えて、 このプロジェクトの グローバルな革 新 性を認めてくれたこと は心 強い。 なお Good The@tre Festival

2021で、BFTはこの作 品でベスト・アンサ ンブル賞 、最 優 秀 演出家 賞 、最 優 秀プロ

『馬鹿たちの学校』の配信テストをするスヴェトラーナ・スガコ 撮影:Kolya Kuprich

ダクション&デザイン賞の 3 つの賞を受 賞した。 ここで、前 述したベラルーシの政 治 危 機についてあらためてふれておきたい。2020年 8 月 の選 挙 以 降 、 アレクサンドル・ルカシェンコは反 対 派に対する残 忍な弾 圧を強め、異 論を封 じ込め、反 対 者を粛 清している。 ミンスクを拠 点に活 動していた BFTの俳 優 陣も、 この 18カ 世界の舞台芸術を知る

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月間というもの、暴力とすさまじ い脅 迫 、弾 圧に直 面し、 うち 5 人 のメンバ ーが 平 和 的 な 抗 議 活 動をしただけで投 獄され ている。 もし、彼らが 再び 逮 捕 されれば 、実 刑につながる刑 事 告 訴になる。 このような状 況 下 、彼らの身の安 全と芸 術 的 自 由を確 保 すべく、劇 団メン バー 全 員の国 外 移 住を決 定 した。 ベルリン国際映画祭2021での抗議行動。右手中央にベラルーシ民主化運動の リーダー、 スヴェトラーナ・チハノフスカヤの姿。不当に投獄された夫、セルゲイの 写真を掲げてその解放を訴えている。左手前は筆者。BFTのInstagram (2021年 7 月5日) より

妻のナターリャと私について 言えば 、 さかのぼって 2011年 にベラルーシからの亡 命を余 儀なくされているので、政 治 難 民になるというのがどういうこと

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か、 よくわかっている。 ディストピ ア小 説『ヨーロッパの犬たち』 の内 容には、私の経 験と重な る部 分がある。だからこそ、 この 作 品を舞 台 化し、来たる2022 年 3 月のロンドンのバービカン・ センターでの公 演を決めたの だ。 『ヨーロッパの犬たち』は、 『ヨーロッパの犬たち』 ミンスク公演(2020年) 撮影:Kolya Kuprich

私について書かれた作 品だ。 ラ イ ヒ

私は「 帝 国 」での生 活を経て、

ヨーロッパに逃げた。 この小 説や劇中で描かれているのとちょうど同じように、 もはや本が読ま れなくなってしまった場 所へ。私の秘 密はいまだにミンスクのシャディフ通り ( Siadych Street) に埋められたタイムカプセルの中に置き去りだ。小 説でも劇中でも私が最も恐 怖を覚えるの は、作中にシャディフ通り沿いの学 校が登 場するくだりだ。 この通りにある学 校はたったひと つ。 ほかならぬこの私がかつて通っていたところしかない。小 説がその場 面にさしかかり、通り の名 前と学 校についての記 述が目に入ったその瞬 間 、背中が冷や汗で濡れた。小 説を読


むのも台 本を書くのも、数 週 間ほど中断せざるをえなかった。 なぜなら、 これは私の人 生だか ら。 そしてそうなると、無 意 識のうちにこれは自分の物 語だという証 拠を細 部に求めて血 眼に なってしまうから。 だが、私は大きな希 望を持っている。 この作 品の観 客は、世 界のいかなる場 所にいようと も、 これがすべての人 間の未 来を描いていることに気づくはずだ。 『ヨーロッパの犬たち』は、 自治と弾 圧の本 質について重 大な問いを投げかける、力に満ちたスリラーであり、私たちの 生きるこの時 代にこれ以上ないほどふさわしい作 品だと信じている。

2020年 8月9日に投票、10日にルカシェンコが約80%にも上る得票で6選を確実にしたとの暫定結果が 発表されたが、首都ミンスクでは選挙結果を認めない市民により大規模な抗議デモが発生。治安部隊と衝 突し、デモ参加者2人が死亡、約7,000人が逮捕される事態となった。

Khalezin, Nicolai (Mikalai) 演出家、劇作家、舞台美術家、教育者、政治活動家、 そしてジャーナリスト。 ミカライ・ハレジンとも表記さ れる。妻、ナターリャ・カリアダとともにベラルーシ・フリー・シアター (BFT)の共同設立者、共同芸術監督。 BFTは2005年、 ヨーロッパ最後の独裁政権のもと、 ミンスクで設立された。2011年にイギリスに亡命後 も遠隔演出によってベラルーシ内の舞台制作に関わり、世界で最も挑発的と称される息を呑むようなフィ ジカルシアターを生み出してきた。フランス共和国人権賞(2007)、創造的異議申し立てに対するヴァー ツラフ・ハヴェル賞(2018)、炎の下での勇気に対するセルゲイ・マグニツキー賞(2020 Magnitsky Prize for Courage Under Fire)、英ステージ紙による国際賞(The Stage Awards 2021) などを受賞。 BFT公式ホームページ:www.belarusfreetheatre.com Twitter:@BFreeTheatre

( 翻 訳:垣 花 理 恵 子 )

筆者(左) とナターリャ・カリアダ

撮影:Marilyn Kingwill

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コンスタンチン・ボゴモロフ演出『ドストエフスキーの悪霊』 写真提供:マーラヤ・ブロンナヤ劇場

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「 再 起 動 」し た 劇 場 、 2 0 0 年 後 のドストエ フスキ ー 篠崎 直也 昨 年から続くコロナ禍は 9・10月の新シーズンを迎えても演 劇 界に少なからぬ影 響を及 ぼした。8 月にモスクワのテアトル doc( Teatr. doc)が他の劇 場に先 駆けて新シーズンを開 始し、ペテルブルグでは 9 月 2 日にアレクサンドル・ベグロフ市 長が劇 場の上 演 活 動 許 可 を宣 言したものの、10月になって国 内 各 地の劇 場 内でクラスターが発 生し、活 動 休 止を 余 儀なくされた劇 場が続 出 。ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇 場( Maly Drama Theatre,

St.Petersburg)では主席演出家レフ・ドージン( Lev Dodin) と妻で女優のタチヤーナ・シェ スタコーワ ( Tatyana Shestakova)、俳 優やスタッフ数 名が感 染し、 シーズン開 幕が延 期と なった。 その後もペテルブルグでは年 末 年 始の約 10日間 、劇 場を含むすべての文 化 施 設 が閉 鎖されるなど、地 域や時 期によってその数 字は異なるものの、 シーズンを通してロシア各


地の劇場で 25 〜 50%を上 限とする観客制限が課された。 演 劇 関 係 者の訃 報を伝えるニュースも例 年より多く目についている。 ソ連 時 代 最 後の文 化 大 臣を務めたタガンカ劇 場の俳 優ニコライ・グベンコ ( Nikolai Gubenko)、モスクワ・ジ ガルハニャン劇 場の創 設 者であり、 ソ連 及びアルメニア共 和 国の国民芸 術 家・俳 優のアル メン・ジガルハニャン( Armen Dzhigarkhanyan)、77年からモスクワ・ロメン劇 場の芸 術 監 督を務めたニコライ・スリチェンコ ( Nikolai Slichenko)、ペレストロイカ期に同 性 愛をモチー フにしたジャン・ジュネの『 女中たち』などで知られ、倒 錯 的でデカダンな独自の世 界 観を築 いたモスクワ・ヴィクチュク劇 場の創 設 者ロマン・ヴィクチュク( Roman Viktyuk)、モスクワ 青 少 年 劇 場をはじめとして数 多くの劇 場で舞 台 美 術を手 掛けたセルゲイ・バルヒン( Sergei

Barkhin)、ソ連 時 代の国 民 的 映 画『 運 命の皮 肉 』や『 職 場の恋 』などで主 役を務め、 チェーホフ記 念モスクワ芸 術 座で長く舞 台に立った俳 優アンドレイ・ミャグコフ( Andrey

Myagkov)、 ソ連 時 代に軽 演 劇で人 気を博したペテルブルグ・ルースカヤ・アントレプリーザ 劇 場の創 設 者ルドルフ・フルマノフ ( Rudolf Furmanov)、風 刺 的な作 風が特 徴だったモス クワ・ミニアチュール( 小 品 )劇 場の創 設 者ミハイル・ジバネツキー( Mikhail Zhvanetsky)、 多くの映 画でもお馴 染みの顔だったモスクワ・ソヴレメンニク劇 場の俳 優ワレンチン・ガフト ( Valentin Gaft)、 ミュージシャンとしても活 動し、近 年は幾つかの映 画で主 役を務めて高 評 価を得たモスクワ・スタニスラフスキー・ドラマ劇 場(エレクトロテアトル・スタニスラフスキー の前身)の俳 優ピョートル・マモノフ ( Pyotr Mamonov)など、普 段 演 劇に接しない人でも 知っている大 物の名 前が並ぶ。 コロナとの因 果 関 係は多くの場 合 明らかにされてはいない が、 ソ連 時 代に一 世を風 靡した演 劇 人たちの多くの訃 報によって人々は陰 鬱とした現 在の 状況をさらに深 刻に受け止めることとなった。 国 立のドラマ劇 場はコロナ禍においても国からの助 成を受けて活 動を続けることができた が、私 設の独 立 系 小 劇 場は消 滅の危 機に直 面する劇 場・劇 団も少なくない。ペテルブルグ では 27の小 劇 場が連 名で市 長に経 済 支 援 要 請を提 出 。10月にはロシア演 劇 人 同 盟 代 表のアレクサンドル・カリャーギン( Alexandr Kalyagin) と政 府の文 化 担当顧 問ウラジーミ ル・トルストイ ( Vladimir Tolstoy)が直接プーチン大統領に国 内の全ての民間 劇 場に対す る支 援を要 請した。今 年 2021年の 2 月にようやく政 府は国 内 366 の小 劇 場に対して5,000 万ルーブル( 約 7,500万 円 )の助 成 金 支 給を決 定したが、申 請 書 類の不 備や活 動 実 績 などを理 由に結 局 助 成 金を受け取ることができたのはわずか 40 の小 劇 場のみ。 それでも、 元々民間のスポンサーを頼りに存 続してきた小 劇 場の多くは今 季もしたたかに意 欲 作を発 表し続け、ペテルブルグでは 13 の劇 団が参 加し野 外でのパフォーマンスを披 露した「 第1 世界の舞台芸術を知る

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回民間 劇 場 移 動 型フェスティバル」が開 催されるなど、活 動を小さな劇 場 空 間だけに限 定 しないスタイルを強みとして見せた。 「 黄 金のマスク」賞は例 年 6 月に受 賞 作を発 表しているが 、 コロナの影 響で昨 季 分が

11月に延 期され、今 季は 2 度セレモニーが実 施される異 例のシーズンとなった。2018 / 19 シーズンの受 賞 作は大 舞 台部門最優秀作品賞にテアトル・ナーツィ ( Theatre of Nations,

Moscow)の『イランの会 議( Iran Conference)』(ヴィクトル・リジャコフ[ Viktor Ryzhakov] 演 出 ) 、小 舞 台 部 門はペテルブルグ・プリユート・コメディアンタ ( Priyut Komedianta) 劇 場 の『 罪と罰 』 (コンスタンチン・ボゴモロフ[ Konstantin Bogomolov]演出)、最 優 秀 演出家 賞にドミトリー・クルイモフ ( Dmitry Krymov) (『セリョージャ[ Seryozha]』、チェーホフ記 念 モスクワ芸 術 座[ Moscow Art Theatre ])がそれぞれ栄 冠に輝いた。 リジャコフとボゴモロフ は昨 季それぞれソヴレメンニク劇 場( Sovremennik Theatre, Moscow) とマーラヤ・ブロン ナヤ劇 場( Malaya Bronnaya Theatre, Moscow)に芸 術 監 督として新 天 地を求め、 クルイ モフは長年 拠 点としてきたモスクワ・ドラマ芸術学院( Theatre School of Dramatic Art) を 離れた直 後の作 品であり、奇しくも自身のキャリアの転 機を迎えた演出家が揃った。

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イワン・ヴィリパエフ ( Ivan Vyripaev)の戯 曲による 『イランの会 議 』は一 人の人 物の頭の 中での対 話であり、東 洋 学 者や指 揮 者 、政 治 学 者 、司 祭などの職 業がアバターのように

ヴィクトル・リジャコフ演出『イランの会議』 写真提供:テアトル・ナーツィ


各 俳 優に役として与えられ、 イランの問 題についてそれぞれの意 見を発 表する。 ドキュメンタ リー演 劇の形 式ではあるが、政 治 的 意 図はなく、人 間のポリフォニックな精 神 世 界を舞 台 上に具 現 化した。 この上 演の成 功により同 戯曲は国 内 各 地の劇 場でレパートリーに加わる ヒット作となっている。

2019/ 20シーズンの受 賞 作は大 舞 台 部 門『 最 後の天 使の物 語( A Tale of the Last Angel)』 (テアトル・ナーツィ、 アンドレイ・モグーチー[ Andrey Moguchy]演 出 )、小 舞 台 部 門『ピノキオ。 テアトル( Pinocchio. Theatre)』 (モスクワ・エレクトロテアトル・スタニスラフ スキー[ Stanislavsky Electrotheatre, Moscow]、 ボリス・ユハナノフ[ Boris Yukhananov] 演 出 )、最 優 秀 演 出 家 賞ユーリー・ブトゥーソフ ( Yury Butusov) (『 ペール・ギュント [ Peer

Gynt]』、モスクワ・ワフタンゴフ劇場[ Vakhtangov Theatre, Moscow])。テアトル・ナーツィ の充 実ぶりがうかがえるが、今 回の演 出はペテルブルグ・ボリショイ・ドラマ劇 場( Bolshoi

Drama Theatre, St. Petersburg )の芸 術 監 督モグーチーであり、ペテルブルグ・レンソ ヴェータ劇 場( Lensoviet Theatre, St.Petersburg ) を離れてモスクワにやって来たブトゥー ソフと共にペテルブルグ発の寓 話 的で破 壊 的なスタイルはやはりロシア演 劇の大きな潮 流 である。モスクワでこの傾 向に最も近いエレクトロテアトルも、 こけら落としで上 演した『 青い 鳥 』から続く童話のシリーズを継続させ、 『ピノキオ。 テアトル』は若手作家アンドレイ・ヴィシネ フスキー( Andrei Vishnevskiy)の戯曲を元に、ペトルーシカといった広 場におけるロシア土

ボリス・ユハナノフ演出『ピノキオ。テアトル』 写真提供:エレクトロテアトル・スタニスラフスキー

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着の道化芝居や、 シェイクスピア、 コメディア・デラルテなど国内外の民衆演劇を旅する仕掛 けがジャンクでグロテスクではあるが楽しい作 品に仕 上がっている。

2021 年の最も大きな話 題はドストエフスキーの生 誕 200 年だった。普 段からロシアで は頻 繁にドストエフスキー 作 品が舞 台 化されているが、今 季は記 念の年に合わせてさら に多くの上 演やイベントが続いた。主な初 演 作 品としてはノヴォシビルスクの国 立 劇 場「ス タールイ・ドーム」 ( Stary Dom[ Old House]Drama Theatre, Novosibirsk)の『 白痴 』 (アンドレイ・プリコテンコ[ Andrey Prikotenko]演 出 )、 ノヴォシビルスク・クラースヌイ・ファ ケル劇 場( Krasny Fakel[ Red Torch] Theatre, Novosibirsk)の『ドストエフスキー 』 (ウ ラジーミル・ゾロタリ [ Vladimir Zolotar]演 出 )、モスクワ・エルモーロワ劇 場( Ermolova

Theatre, Moscow)の『ラスコール( Raskol)』 (ドミトリー・アクリシュ[ Dmitry Akrish]演 出 )、 アストラハン・ドラマ劇 場( Astrakhan Drama Theatre)の『カラマーゾフの兄 弟 』 (ア レクサンドル・オガリョフ[ Alexandr Ogarev]演 出 )、ペテルブルグ・アレクサンドリンスキー 劇 場( Alexandrinsky Theatre, St. Petersburg )の『ラスコーリニコフの裁 判( Trial of

Raskolnikov)』 (アントン・オコネシニコフ[ Anton Okoneshnikov]演出)、ペテルブルグ・レ 104

ンソヴェータ劇 場の『 悪 霊 』 (アレクセイ・スリュサルチュク[ Aleksey Slyusarchuk]演出)が 挙げられる。 「 黄 金のマスク」フェスティバルは特 別プログラム「ドストエフスキーと演 劇 」を企 画し、約 2 カ月間に渡って 5 都 市から16 作 品をモスクワに集めた。同 様にテアトル・ナーツィでは「ドス トエフスキー 200」と題したプログラムに11作 品を招 待し、映 画や音 楽 、 クイズといった企 画 もあった。ベリーキー・ノヴゴロド ( Veliky Novgorod) とスターラヤ・ルッサ( Staraya Russa) で毎 年 開 催されている「ドストエフスキー国 際 演 劇 祭( Dostoevsky Theatre Festival)」で は 7 都 市から参 加した 16 作 品(ベラルーシとイタリアの劇 場がオンラインで参 加 ) を上 演 。 さ らに、 プスコフの「プーシキン演劇祭( Pushkin Theatre Festival, Pskov)では展 覧 会「ドス トエフスキーとコロナ」を併 設し、小 説『 罪と罰 』で疫 病の世 界 的な流 行について記した作 家の数々のテキストからインスピレーションを受けた現 代アートが展 示された。 そして、今 季 初 演されたドストエフスキー作 品の中でも特に注目を集めたのはマールイ・ド ラマ劇 場の『カラマーゾフの兄 弟 』 (レフ・ドージン演 出 ) とモスクワ・マーラヤ・ブロンナヤ劇 場の『ドストエフスキーの悪霊 』 (コンスタンチン・ボゴモロフ演出)である。 ドージンがドストエフスキーを扱うのはロシア演 劇 史の傑 作として名 高い 9 時 間 以 上の 大 作『 悪 霊 』 ( 1991年 )以 来であるが、今 回も 4 年の歳月をかけて 7 人に絞り込んだ俳 優


レフ・ ドージン演出『カラマーゾフの兄弟』 写真提供:マールイ・ ドラマ劇場

たちと濃 密で徹 底した小 説の 読み込みと考 察を行った。舞 台 下からせり上 がってきた 登 場 人 物たちは全員がずっと舞 台 上に座り、お 互いを分 析し 合う。批 評 家 のエリザヴェー タ・ロンギンスカヤ( Elizaveta

Ronginskaya)が「カラマーゾ フの地 獄 」と評した空 間は悪 で満たされ 、一 人だけ善を体 現する三 男アリョーシャも善と 悪の狭 間で揺らぎ呑み込まれ てゆく。俳 優が 横 一 列に並ん で 語る形 式 は 前 述 の『イラン の会 議 』 と同じ構 図であるが、 この 作 品 ではお 互 いの 掛 け

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合いによる心 理ドラマが深 掘り されている。 ドージン作 品の代 名 詞ともいえる最 小 限で最 大 の 効 果を発 揮 する舞 台 美 術 と照 明 、観 客を引き込む卓 越 した 俳 優 たちの 演 技 の 完 成 度は今回も健在である。 マーラヤ・ブロンナヤ劇 場で

コンスタンチン・ボゴモロフ演出『ドストエフスキーの悪霊』 写真提供:マーラヤ・ブロンナヤ劇場

の初 演 出 作 品となったボゴモロフは「自分が転 換 点を迎えた時はドストエフスキーに立ち 返る。 それは他の人々にとっても同じだろう」と語り、新たな価 値 観が出 現したコロナ後の世 界にこそ改めてドストエフスキーの大 作の数々が意 味を持つ点を強 調した。巨 大なプロジェ クターと小 型カメラを装 着した俳 優がその場で映す映 像の使用、今の時 代のポップミュー ジック、 スラングの数々、女 優が男性のスタヴローギンを演じるなど、 ボゴモロフの演 出スタイ ルはお馴 染みではあるが、今 作では他の作 品からの引用を織り交ぜながらも 『 悪 霊 』のテ キストをほぼ 忠 実に用いている。 いつものような大 胆な脚 色や原 作にはない要 素を組み込 んだ独自の演 出は抑え気 味にして、自分自身の読 書 体 験を時 系 列に即して視 覚メディア 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


RUSSIA

EUROPE

によって呈 示した。 一 見すると両 作 品は全く異なるアプローチに感じられるが、 ドストエフスキーの言 葉の持 つ普 遍 性や人 間への洞 察に対する信 頼を最も重 視している点で共 通している。言 葉をあ えて「 軽いもの」として扱う上 演 作 品が増えてきたロシア演 劇の潮 流の中で、過 剰なまでに 積み上げられた言 葉のもつ「 強さ」に立ち返ろうとする傾 向も同 時に残り続けていることがド ストエフスキーの生誕 200年を機に改めて確 認できた。 コロナ禍による制 限は取り払われる気 配がないが、 シーズンを通して国 立 劇 場も独 立 系 劇 場も休むことなく上 演を続けることができた。活 動 停 止 期 間 中に感じた演 劇への渇 望を エネルギーに変えて、 より練り上げられた新 作を意 欲 的に発 表し続けている。昨 季 急 速に 広まったインターネット上での創 作・発 信も終 息してはいない。劇 場は思ったよりも早く 「再 起 動 」を果たしたと言えるだろう。逆 境にあってもそれを楽しむ術を心 得ているロシアの演 劇 人たちが実に頼もしい。 しのざき・なおや

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大阪大学大学院博士後期課程修了。言語文化学Ph.D、 ロシア演劇専攻。20世紀初頭のロシア・アヴ ァンギャルド期と、ペレストロイカ以降から現在までのロシア演劇を主な研究対象としている。1999年から 通算して 4 年間の留学生活を過ごしたサンクト・ペテルブルグでは劇場通いの日々を送り、 ロシアでの観 劇本数は 1 ,000本を超えた。著書に『ペテルブルグ舞台芸術の魅力』 ( 共著、東洋書店、2008年) があ る。現在は大阪大学、同志社大学非常勤講師。


シアター・トピックス 2021


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[シアター・トピックス]

東 日 本 大 震 災 から10 年 ― それぞれの持ち場で くらもち ひろゆき(岩手) 大信 ペリカン(福島) 芝原 弘(宮城)

青森畑澤

東 北 地 方を中 心 に 、巨 大 津 波と東 京 電 力 福 島 第 一 原 発 事 故 と い う未 曽 有

盛岡

の 複 合 災 害をもたらした 東日本 大 震 災 。 2011年 3 月 11日 の 発 生 以 降 、関 連 死

青森

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利府町

も含 め て 約 2 万 人 が 亡くなり、2 ,500

石巻

人を超える人 の 行 方 が いまだわかって

仙台 福島

郡山

聖悟(青森)

い な い 。2021年 は 震 災 から10 年を 迎 盛岡

福島第一 原子力発電所

える 節 目 の 年 だった が 、折しも世 界 は 新 型コロナウ イル スの 脅 威 一 色 、関 連

須賀川 いわき

イベントの多くは中 止またはオンライン 利府町

へ の 移 行を余 儀なくされ 、 「復興五輪」

石巻

と銘 打った 東 京 オリンピックも復 興 の

仙台 福島 郡山

後 押しの 確 かな 実 感を伴 わな いままコ 福島第一 原子力発電所

須賀川 いわき

ロナ 禍 の 五 輪として 記 憶され ることに なってしまった 。だが 、東日本 大 震 災 は 、 終 わることのな い 課 題 だ 。東 北 各 地 に 拠 点を 置き 、そ れ ぞ れ の スタン ス で 震 災と向き合 い 続けて いる 4 人 の 演 劇 人 に 、こ の 10 年 の こと 、今 の 思 い 、そし

東京

0

100km

て「 震 災と演 劇 」のこれからにつ い て 、 寄 稿していただいた。


岩手― 未曾有ということ

くらもち ひろゆき

何から書き始めれば良いのか途 方に暮れつつ 10 年 後の晩 秋を迎えている。 震 災の直 後 、公 演のできない被 災 地の劇 団を呼んでくれた、横 浜ふね劇 場を作る会 主 催「 PAW2011東 北 ・ 復 興 week 」に出 演するために『 瓦 礫と菓 子パン〜リストランテ震 災 篇 』を創った。 この作 品は「メニューを読む」ことをコンセプトに創ってきた朗 読 劇の震 災 版 である。震 災 直 後 、被 災 地の避 難 所や自宅でどんなものを食べていたのかを中心に、当時 の新 聞や手 記などを織り交ぜて構 成したものである。 被 災 県ではあるものの、被 災 地と呼ぶにはふさわしくない盛 岡で活 動しているわたしたち はばか

が、震 災そのものを直 接 取り上げるのは憚られる。かといって、岩 手の沿 岸に、横 浜まで公 演を打ちに行く余 裕がある劇 団などない。 しかしながら横 浜の方たちの思いにもなんとか応 えたい。 そんな状況の中、 どんなことなら可 能だろうかと考えた末の作 品だった。 そして今 年 、 その作 品を「 3.11〜震 災 戯 曲でふり返る10 年〜」 ( 2021 年 2 〜 4 月、一 般 社団法人日本劇作家協会東北支部主催)の企画で、 コロナ禍の中、 リーディングイベントと して上 演し、配 信した。参 加してもらったのは、2016 年に震 災 被 害を受けた熊 本の演 劇 人 の皆さん。 そして、30 年 前から、 いつ来てもおかしくないと言われ続けている、東 海 大 地 震の 想定 被 災 地 、名 古 屋の演 劇 人の皆さん。 この他に配 信したのは、宮 城の方 言を使い、地 元の演 劇 人に参 加してもらった『ファミ あん

リーツリー 』 ( 相 澤 一 成 作 )、 そして、福 島の『キル兄 にゃとU子さん』 ( 大 信ペリカン作 )。 『キル兄にゃ〜 』に参 加してくれたのは、 ここもまた想 定 被 災 地で、原 発のある静 岡の皆さ んと、震 災1年 後に全 米をつ ないだリーディングイベント「 震 災 SHINSAI:Theaters for

Japa n」を主 導した 、八 重 樫 ジェイムズさん率いるアメリカの 皆さん。 リーディングの他 、 オン ラインとリアルを組み合わせた トークも配 信した。 さらに、震 災 を扱った高 校 演 劇も取り上げ た。以 下のサイトをご覧いただ ければ 、おおよその 雰 囲 気は

「3.11〜震災戯曲でふり返る10年〜」 トークライブ (2021) 撮影:髙橋宏臣

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伝わるかと思う。https://shin10year.shinsai-engeki.com/( 2021年 12月現 在 ) 震 災の年に作った『 瓦 礫と菓 子パン』の他 、 この 10 年で、何 本かの震 災 関 連の演 劇に 関わっている。 震 災が起こったまさにそのとき、 わたしは劇 作 家 協 会 東 北 支 部を活 性 化させるため、 まず は東 北の演 劇 人と会ってこようという意 気 込みのもと、福 島はいわきを訪ねる途 中の常 磐 線 車中にいた。 そこから盛 岡に帰ってくるまでの道中をモデルにした『 震 災タクシー 』 を青 森 の渡 辺 源 四 郎 商 店とわたしの主 宰する架 空の劇 団の合 同で作り、全 国 5 カ所を巡 演した ( 2012 年 9 〜 12月)。 この他 、2 年に1度 盛 岡で開 催される市民 参 加 型の芝 居では、 「あの年の盛 岡 」シリー ズと称して、明 治 三 陸 大 津 波( 1896 )、昭 和 三 陸 大 津 波( 1933)、 そして東日本 大 震 災 ( 2011 )のときの「 盛 岡 」をモチーフにした作 品に関わった。 共 通して言えるのは、 そう遠くない場 所にいた、 しかし津 波の場にはいなかった、 とはいえ 避けるわけにはいかない、 そして、関わりがないわけではない、 ということ。 この他にも、沿 岸の学 校で演 劇ワークショップをやったり、 シンポジウムを開 催したり、様々

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なことをやってきた。振り返ると、 どのようなことに意 味があり、 また、 それほど意 味がないのか、 なんだかよくわからないことになっている。役に立つとか立たないとか意 味があるとかないとか、

劇団モリオカ市民『あの年の盛岡1896』 ( 2013) 撮影:高橋宏臣


そんなことはどうでもいい、 と言い切れるほど達 観しているかというとそうでもないので、 これまで 自分のやってきたことはなんだったのだろう? と途 方に暮れたのである。 そしてまた、 コロナ禍の中にいまだわたしたちはいる。 「 生きているうちにこんなことが起こると は思わなかった」という事 態が 10 年の時を経て再びやってきたのだ。 しかもそれは、震 災 直 後の、隣 人を気 遣うある種のユートピアを完 全に引き裂く状 態を起こした。 未 曾 有がやってくるのは、 いつも想 像だにしなかった方 向からなのだと、やはり途 方に暮 れるのである。 くらもち・ひろゆき(倉持裕幸) 劇作家・演出家。1966年茨城県坂東市生まれ。岩手県盛岡市在住。寺や産婦人科、保育園、写真館 などを舞台にした作品で、重箱の隅をつつくような会話を得意とする。2005年より演劇ワークショップファ シリテーターとして、岩手県内各地で出前ワークショップを行う。日本劇作家協会東北支部長。岩手大学 教育学部非常勤講師。 「架空の劇団」代表。

福島― 広がるネットワークに期待

大信 ペリカン

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あん

2011年 6 月、東京で『キル兄にゃとU子さん』 という作品を上演した。東日本大震災と福島 との関 係を語る上で切り離す ことのできない東 京 電 力 福 島 第 一 原 子力発 電 所 事 故をモ チーフに、事 故 後に福 島を取 り巻いた「 見えない物 」に対す る戸惑いを描いた作品である。 シーベルトやベクレルなど聞 き慣れない数 値が日々更 新さ れる中 、政 府が 発 表 する「 直 ちに 影 響 はない 」というメッ セージも、SNS のタイムラインを 賑わした危 険か安 全かの激し い議 論も、住 民である私にとっ てはどれも判 断の参 考にはな

『キル兄にゃとU子さん』 ( 2011年東京公演) 撮影:Yasuhiro Akai

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らず、ただただ空 虚な情 報が縦 横 無 尽に飛び交っているかのように感じられた。一 度 事 故が起きればかくも制 御 不 能になってしまう原 発が、 まさかそうとも知らぬまま生 活の中に存 在していて、 そのことにずっと無 関 心でいたことに気づかされた私には、全ての言 葉が嘘をま とっているように感じられた。圧 倒 的な現 実と上 滑りする言 葉を前に、多くの演 劇 人がそうで つか

あったように、私もまた創 作の手がかりを掴めないでいた。 ごう

しかし、 それでも我々がこの作 品を創 作し発 表したのは、当時 私はそれを「 業 」と表 現した のだが、絶 望の渦中においてもなお、私の奥 底に残った演 劇への欲 望と希 望のためであっ た。今の空 気 感を描き留めておきたいという欲 望 、 そして演 劇は手 触りのある言 葉を語りう るだろうという希 望である。 そうして各 地での上 演を経て、絶 望が少しずつ癒やされていくの を感じた。稽古と上演はすなわちセラピーであった。 物語は、新聞屋の息子である「キル兄にゃ」という人物が店の新聞紙を切り刻んではそこ ら中にばらまいているという町で、登 場 人 物たちが消えた「U子さん」を探しているというただ それだけのものだ。 タイトルロールである「キル兄にゃ」と「U子さん」のどちらも劇には登 場し ない。 この物 語の主 役は汚された「 町 」そのものである。物 語の最 後 、登 場 人 物たちは切り 刻まれた新 聞のかけらを拾い読むことで(おそらく) U子さんが死んだことを知り、町に対する

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再生の思いを抱きながら「たなばたさま」の歌を歌う。 本 作は本 拠 地の福 島のほか、青 森 、仙 台 、横 浜 、横 須 賀 、北九州 、 そしてドイツ・ミュンヘ ンで上演された。 そんな『キル兄にゃとU子さん』が、震 災から10 年を経た 2021 年に 3 回 上 演された。一つ は自分たちの劇 団であるシア・トリエによる 1 月の再 演 。 これは仙 台 舞 台 芸 術フォーラムの 主 催によりせんだい演 劇 工 房

10 - BOXで行われ 、あとの二 つは日本 劇 作 家 協 会 東 北 支 部 主 催の静 岡とニューヨーク でのリーディング上 演である。 静 岡のリーディングは藤 枝 市 を拠 点とする劇 団ユニークポ イントに、ニューヨークでのリー ディングは俳 優の八 重 樫ジェ イムズさんによる座 組 みによっ て上 演していただいた。 どちら も震 災をきっかけにつながった 『キル兄にゃとU子さん』 ( 2021年仙台公演) 撮影:岩淵隆


ご縁である。震 災 直 後に作られた生々しい作 品に再び触れることで、10 年という年月の経 過と本 作が繋いだ縁を改めて感じた。 思えば 、震 災を契 機に福 島 県 内の劇 団と他 地 区との縁は確 実に深まっている。郡 山 市 の劇 団ユニット・ラビッツは、東 京の流 山 児 ★ 事 務 所との交 流を深め、数 本の共 同 作 業を ま ふね

いたち

行い、2021 年 2 月には福 島 出身の真 船 豊 作『 鼬 』を流 山 児 祥 氏の演 出 、福 島の俳 優を 中 心とした出 演 者によって須 賀 川 市で上 演するというプロジェクトを行った。 いわき市では とおる

青 年 座 座 員でいわき市 在 住の高 木 達 氏が中 心となり、福 島と原 発をテーマにした同 氏 作の『 東の風が吹くとき』 『 愛と死を抱きしめて』 という二 作 品をいわき市 及び東 京で上 演し た。 なお、 このシリーズは三 作 品が執 筆されているが、最 終 作はコロナ禍により未 上 演となっ ている。 その他 、高 校 演 劇も含め、書けばきりがないほど、福 島 県 内の演 劇 関 係 者は県 外 に向けてネットワークを広げた。 震 災から10年が経 過したが、 ここに来て原 発 処 理 水の海 洋 放出が決 定されたこともあり、 福 島を巡る状 況は未だ複 雑だ。我々地 元 演 劇 人の草の根の活 動が、福 島の復 興と手 触 りある言 葉によるコミュニケーションの活 性 化に繋がればと思う。 おおのぶ・ぺりかん

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1975年兵庫県生まれ。1994年福島大学入学。以来、福島県在住。大学在学中より演劇活動を始め る。1996年満塁鳥王一座 (現:シア・ トリエ) を旗揚げ。以来、 ほぼ全ての作品の作・演出を手がける。 シア・ トリエの活動以外にも外部作品多数。 また、 ワークショップ講師などアウトリーチ活動にも積極的に関わる。

宮城― 共に進んでいくということ

芝原 弘

私自身、 あの日を東京で迎えた。高校卒業と同時に飛び出すように東京に出て、帰るつも りがなかった私でも、故 郷を襲った災 禍に大きな衝 撃を受けた。 それでも、地 縁 血 縁が濃く、 小中学 校の関 係 性が大 人になっても持ち越されるような故 郷が苦 手で、傷ついた石 巻の 街を目の当たりにしても、震災直後には「 故 郷のために」という想いを持つことはなかった。 しかし、震 災 後 、石 巻に立ち寄るたびに演 劇を通じて増えていった友 人や、東 京で出 会った同 郷の友 人など新しくできた交 流が、ゆっくりと私の気 持ちに変 化をもたらし、今では 故 郷の演 劇 祭に携わっている。演 劇を通して、故 郷の方々の声を発 信している。故 郷と向 き合う時 間が続くようになり、2019 年に、20 年ぶりに宮 城で暮らす決 断をした。 世界の舞台芸術を知る

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この原 稿を書いている2021 年 11月 3 日。第 5 回目となる「いしのまき演 劇 祭 」の幕が上 がった。演 劇 文 化が盛んだったとは言えない街で、震 災 後に作られた劇 団や、東 京で活 動 していた石 巻 出身の演 劇 人が、故 郷を盛り上げたいという想いから、石 巻にて公 演を行う ようになり、2016 年にそれらが集う形でスタートした。

2011 年の東日本 大 震 災 後 、同じ宮 城 県でも仙 台 市においては演 劇 人がすぐに動き出 し、 ソフト、ハードの両 面において、復 興に向けて果たした役 割は大きい。一 方 、石 巻 市にお いては、 「演 劇 」という言 葉が聞かれることはほとんどなかった。 その中で生まれた「いしのまき演劇祭」というコンテンツは、1 カ月という期 間を設けて毎 週 末や祝日に演 劇 公 演が開 催される。1 カ月間 、毎 週 演 劇が観られる! 一 度で良いから演 劇に触れてほしい! そんな願いが込められている。昨 年 度の「いしのまき演 劇 祭 」は中止 を余 儀なくされたが、 コロナ禍においてもピンチを逆 手に取り、自由な発 想で作 品を創り、 ま たそれを楽しもうとする観客がいるのが、今のこの街の特 徴だ。

2020年 夏 、感 染が比 較 的 抑えられていた時に、石 巻では演 劇 人たちが早 速アイディア に富んだ上 演に挑 戦した。

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わずか四 畳 半のスペースで、原 則「役者一人×観 客 一 人 」が壁を隔てて劇 空 間を共 有するのぞき穴 演 劇 、 『 PeePing Tom 』 ( 6・7月)。 これを仕 掛けた矢口龍 汰 氏は私 同 様 、 進学で東 京に行き、演 劇 活 動を続けたのち、震 災 後の 2018 年に私より一 足 早くUターンし と こう

た。都 甲マリ子 氏によるVR(バーチャル・リアリティ)演 劇『ネイキッド・デイ・ブレイク』 ( 9・10 月)は市 内のギャラリーで創 作 、配信。東 京出身の彼 女は震 災 後 、 ボランティアで石 巻と関 わり、今は移 住して積 極 的に 活 動を続けている。私自身は

8 月に、毎月開 催していた朗 読 会を再 開 。事 前 録 音を目の 前で読んでいるように演 技する 「口パク朗 読 」。少しでも生の 舞 台に近い形で、安 全にご覧 いただけるよう取り組んでみた。 どの公 演も注目され、喜んで いただける作 品となった。東日 本 大 震 災で最 大 級の被 害を 出した街だ。 そして、 「 復 興 」に 矢口龍汰脚本・演出『PeePing Tom』 (2020) 写真提供:石巻劇場芸術協会


向けて進んでいっている街だ。だからこそ、たとえコロナで立ち止まることになっても、決して諦 めない、与えられた状 況を楽しもうとする心に溢れているのかもしれない。

2017 年より石 巻では、アート・音 楽・食の総 合 芸 術 祭「 Reborn-Art Festival」が開 催さ れている。2021 年の 8・9月も、 「 届けたい色をエピソードとともに、手 紙に書いて贈る」という テーマで市 民から手 紙を募 集し、 その色で市 街 地にある「 石ノ森 萬 画 館 」をライトアップし きょ うた

て完 成するアート作 品( 髙 橋 匡 太 制 作 )が発 表された。市 民は毎日、新 聞やラジオを通し てライトアップにこめられた想いを知る。会 期中に手 紙を用いた野 外 朗 読 公 演が行われ私 も出 演したのだが、役 者の身体・声を通して届けられる個 人 的な物 語は、東日本 大 震 災か ら10 年が経ち、語る言葉を探していた石 巻の街で大きな反 響を得た。 このように、演 劇を通して様々な形で故 郷の石 巻と関わっている。現 在は仙 台 市で暮らし ているが、故 郷の復 興と演 劇 文 化の発 展と共に、ゆっくりと、 さらに距 離を縮めていければ 良いと思う。

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Reborn-Art Festival 2021-22「光の贈り物」朗読会

写真提供:石巻劇場芸術協会

しばはら・ひろし 1982年石巻市出身。俳優。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻卒。劇団黒色綺譚カナリア派所属。演 劇ユニット「コマイぬ」主宰。東京で活動後、2019年より宮城県にて活動。石巻で「コマイぬ月いちよみ 芝居」 をライフワークとして開催中。 「いしのまき演劇祭」にも実行委員として立ち上げより携わる。令和 2 年度宮城県芸術選奨新人賞受賞。

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青森― 当事者でないということ

畑澤 聖悟

3.11 当日、私は青 森 市にいた。3 日停 電したが、幸いにして大きな被 害はなかった。だが、 しばらく何も書けなくなった。 こんなことが現 実に起きているのに机 上でひねり出す悲 劇など なんの意 味があるのか。 しかし、同じ東 北に住んでいて、震 災に無 関 心でいられるはずがな い。書かねばならない。 しかし、当 事 者でない自分が何を書いても無 駄ではないのか。悩ん だ結 果 、 「 距 離 」に誠 実になろうと決めた。被 害の大きかった地 域や都 市との距 離 、深 刻 な打 撃を直 接 受けた方々との距 離 。青 森 市に住む自分の作 品を東 北 以 外 、たとえば東 京 のお客さんに「被災者の側」からのものとして読ませることは罪だ。 「仲間ではあるが当事者 でない自分 」という立ち位 置を示しながら書こう。被 災 者に寄り添っても、被 災 者ヅラは決し てするまい。 そう心に決めた。 こうして書き上げたのが青 森中央 高 校 演 劇 部の『もしイタ〜もし高 校 野 球の女 子マネー ジャーが青 森の[イタコ]を呼んだら』である。東日本 大 震 災でチームメイトや家 族を失っ た高 校 球 児が青 森の高 校に転 校し、 イタコのコーチと出 会って甲 子 園を目指す物 語 。被

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災 地での応 援 公 演を想 定した。一 切の舞 台 装 置がなく、小 道 具を用いず、照 明・音 響 効 果も使わない。体 育 館や集 会 所など、ある程 度の広さのある場 所ならばステージや幕がな くても上 演できる。全員が劇 中 歌を歌い、全員が BGMをハミングし、効 果 音さえ肉 声で発 する。全てが役 者の身体と肉 声のみで表 現される。現 地に着いたらまず清 掃 。かつて避 難 所 だった 会 場もあり、気 持ち を込めて時 間をかけて行った。 ウォーミングアップ中に客 席が 満 員になってしまうことも何 度 かあった。仮 設 住 宅 団 地と隣 接していた会 場では特に来 場 者が多かった。大 半は高 齢 者 であり、孫のような年 頃の高 校 生が元気に駆け回る姿に大い に笑い、涙し、部員の手を握っ て会 場を後にした。 本 作は 2012 年 8 月に富 山 『もしイタ』 ( 2012年 6 月2日、利府町・十符の里プラザ文化ホール) 撮影:木村正幸

県 民 会 館で行われた第 58 回


全 国 高 等 学 校 演 劇 大 会に おいても上 演され 、最 優 秀 賞 ( 文 部 科 学 大 臣 賞 )を受 賞 した。演 劇の神 様がご褒 美を 下さったのだろう。2011 年 9 月 から現 在まで 全 国 22 都 府 県

50市 町と海 外で計 107ステー ジ上 演 。2014 年にはフェスティ

『もしイタ』 (フェスティバル/トーキョー14) 撮影:松本和幸

バル/トーキョー 14 、2015 年 には韓 国ソウルのフェスティバル・ボムに招 待されるなど、高 校 演 劇の枠を越えて国 内 外で 注目を集めることができた。

2019年に本 作を青 森 市 内の中 学 校で上 演したときのことだ。打ち合わせで、 「事前学 習が必 要ですね」と担当の先 生から言われた。当時の中学1年 生はあの日 5 歳 。 なるほど ピンと来ないだろう。結局、開 演 前のアナウンスで東日本 大 震 災についておさらいの解 説を することにした。時の流れを切 実に感じた。 その年の冬 、某 放 送 局から取 材 依 頼があった が、後日断りが入った。 「 復 興めざましいこのご時 世に鎮 魂の演 劇を上 演する意 味なんか ない、 と、上司に言われまして」と、若い担当者は受 話 器の向こうで恐 縮した。 「 震 災なんか 忘れて前に進もう」ということか。 それとも「日本 人はどうせ震 災なんて忘れちゃっただろう」と くく

高を括っているのか。 『もしイタ』を上 演し始めて11年目。令 和 2 年 度と 3 年 度は予 定され ていた公 演が全て中止となった。 しかし、 コロナの霧が晴れれば、再び全 国を飛び回りたい。 人々が鎮 魂を必 要としなくなっても、我々は決して止めまい。 それが演 劇の一つの大きな使 命だからである。 はたさわ・せいご 1964年秋田県生まれ。劇作家・演出家。劇団「渡辺源四郎商店」主宰。青森市を拠点に全国的に活動 している。2005年、 日本劇作家大会短編戯曲コンクール最優秀賞受賞。ラジオドラマの脚本で文化庁 芸術祭大賞など受賞。書き下ろしにこまつ座『母と暮せば』、 ホリプロ 『hana─1970、 コザが燃えた日─』 など。現役高校教諭で演劇部顧問。指導した高校を9度の全国大会に導き、最優秀賞3回、優秀賞5 回受賞。

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118 近代劇協会第 2 回公演『ファウスト』 左から伊庭孝の悪魔メフィスト、魔女とマルテ二役の山川浦路、上山草人のファウ スト。 ( 田中栄三編著『明治大正新劇史資料』 [ 演劇出版社、1964年]13頁より転載)

[シアター・トピックス]

生 誕 16 0 年・没 後 10 0 年 森 鷗 外と舞 台 芸 術 井戸田 総一郎 知られざる「演劇人 森鷗外」 森 鷗 外は 1862( 文 久 2 )年 津 和 野に生まれ 、1922( 大 正 11)年 東 京で亡くなってい る。2022年は鷗 外 生 誕 160 年・没 後 100 年という記 念の年である。一 般に鷗 外は『 舞 姫 』 や『 高 瀬 舟 』の小 説 家 、あるいは『 渋 江 抽 斎 』などの史 伝 作 家として知られ、演 劇やオペ ラに関 心を持ち続けていた鷗 外の姿は影の薄いものになっている。演 劇に関する鷗 外の 業 績のなかで今日でも比 較 的 手にしやすいものは、 『ファウスト』の翻 訳くらいである( 1 )。 し


ベルリン滞在中の森鷗外(1888年)©文京区立森鷗外記念館

かし、鷗 外 の 文 学 活 動 は 1889 年 1 月、 ドイツ留 学から帰 国して数ヶ月後 しらべはたかしギタルラのひとふし

に『 調 高 矣 洋 絃 一 曲 』 (カルデロンの 戯 曲『 サラメアの村 長 』の翻 訳 )を讀 賣 新 聞に連 載したことに始まり、1920 年 1 月雑 誌『 白 樺 』にストリンドベリの 戯 曲『 ペリカン』の翻 訳を掲 載して幕 を閉じている。文 学 者 鷗 外の始まりに も終わりにも戯 曲の翻 訳があり、 さらに この 間に 50を越える戯 曲が 訳されて いる。 これらの翻 訳に出 合うには岩 波 書 店 刊 行の 38 巻に及ぶ鷗 外 全 集の ページを開かねばならず、一 般にはほ とんど知られていないのが現 状である。 演劇に関わる鷗外の業績は翻訳に留 まらず、鷗 外 刊 行の同 人 誌『しがらみ草 紙 』第 1 号( 1889 年 10月 25日)掲 載の論 文「 演 劇 改良論 者の偏 見に驚く」などの演 劇 論や『 生 田 川 』をはじめとする創 作 一 幕 物がある。 『 生 田 川 』は「自由 劇 場 」第 2 回 試 演( 1910 年 5 月有 楽 座 )においてヴェデキント作『 出

讀賣新聞(1889年 1 月3日)別冊に掲載された『 調高矣洋絃一曲 』。新聞には『 音調高洋筝一曲 』 と掲題されていた。鷗 外漁史・三木竹二「同譯」 とあり、二人の共訳であったことが分かる (2)。

シアター・トピックス

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『しがらみ草紙』第 1 号(1889年10月25日、掲載誌面は1995年に臨川書店が刊行した復刻版) に掲載された「演劇改良 論者の偏見に驚く」。これは日本語で書かれた鷗外の最初の演劇論。鷗外はドイツ語雑誌『西から東へ(Von West nach Ost)』の第 5 号(1889年 5 月) に「演劇問題に就いて (Über die Theaterfrage)」 というドイツ語論文を掲載している。 「幻 の論文」 と言われたこのドイツ語論文は2018年、東京大学駒場図書館において所在が確認された。筆者による翻訳と解 説は『文芸研究』 ( 明治大学文学部紀要)第138号(2019年 3 月) に掲載されている。

發歬半時間 』 (鷗外訳) とチェーホフ作『 犬 』 ( 小 山 内 薫 訳 )の一 幕 物と共に上 演されて おり、 日本における一 幕 物ブームの火 付けの役 割を演じた。演 劇には常に同 時 代のアク チュアリティを再 現する難しさが付き纏い、鷗 外の翻 訳・創 作が新 劇 運 動の台 頭と密 接に 関 係していた状 況を活 写するには、資 料 面の難しさもある。 このような事 情が演 劇 人 鷗 外 の存在 感を薄くしているのではないだろうか。 鷗外の演劇論から分かること 「 演 劇 改良論 者の偏 見に驚く」や「 演 劇 場 裏の詩 人 」などの鷗 外の演 劇 論は、1880年 代 終わりからミュンヘン宮 廷 劇 場で展 開される演 劇 改 革に関する情 報を基に執 筆されて おり、 その読 解には日本の演 劇 改良運 動ばかりでなくドイツの同 時 代の演 劇 状 況に関する 文 献 学 的 調 査が必 要となる。鷗 外は現 地の新 聞や雑 誌からミュンヘン演 劇 改 革の詳 細 な情 報を得ており、 その過 程を再 現するには困 難が伴い、演 劇 論はこれまで十 分に研 究さ れてきたとは言えない状 況にある。同じことは鷗 外の劇 場 論 、 「 劇 場の雛 形 」 ( 1890年 )や


自由劇場第 2 回試演『 生田川 』 ( 1910年 5 月有楽座) 左から初世市川莚若(後の二世松蔦)の蘆屋處女(あしやをと め)、二世市川左升の僧侶、初世澤村宗之助の處女の母。右は二世市川左團次の菟会壮士(うないをとこ)。 (田中栄三 編著『明治大正新劇史資料』 [ 演劇出版社、1964年]1 頁より転載)

「 劇 場の大さ」 ( 1897年 )についても言える。鷗 外が留 学していたのは 1884 年から1888年 の 4 年 間であるが、 ヨーロッパ劇 場 史のなかで 1880年 代は疫 病や火 災などの災 害から劇 場を守るために白熱した議 論が展 開した特 別な時 期であった。1881年 12月 8 日に起きた ウィーン・リング劇 場の大 火 災は安 全な劇 場をめぐる議 論をヨーロッパ中に引き起こし、 その なかの一つに1883年 8 月11日付『ドイツ建 築 新 聞 』に掲 載された「 模 範 劇 場 設 計コンペ」 と題する重 要な記 事がある。鷗 外の「 劇 場の雛 形 」 (『 衛 生 新 誌 』28号 )はこの記 事の 内 容に沿っており、衛 生 学 者 鷗 外の啓 蒙 的な興 味 深い仕 事である。劇 場の構 造に関す る鷗 外の一 連の仕 事は、安 全な劇 場をめぐるヨーロッパ衛 生 学の言 説を再 構 成しながら、 国際的な文 脈のなかで再読されるべきではないだろうか。 鷗外戯曲翻訳・創作の世界 鷗 外と舞 台 芸 術の関わりの全 容を明らかにするには、複 合 的な要 素を設 定し、 それらが 相 互に作 用する局 面をみていかねばならない。 ここでは、 その見 取り図を示すために「 鷗 外 戯 曲 翻 訳・創 作の世 界 」と題した基 本 資 料を用 意した。 まず鷗 外の演 劇 活 動に深く関わ る四つの領 域を想 定し、 それぞれの領 域に関わる代 表 的な事 項・人 物を挙げた。中 央の 破線の上部は理論に重心を置いている領域、下部は実践の領域であるが、両者をはっきり と分 離できるものではないため破 線にしてある。演 劇の言 葉・表 現に関わる問 題 域は、 この 破 線 上にあり、理 念と実 践が重なり、鷗 外の演 劇 翻 訳・創 作における最も重 要な領 域を形 成している。左 上の領 域は帰 国 後に発 表された演 劇 論に関わる分 野であり、 シェイクスピア シアター・トピックス

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舞 台の再 現を目指すミュンヘン演 劇 改 革の試みなどが含まれる。額 縁 舞 台の制 約のなか でオープンステージ的 環 境をどのように実 現したのか、鷗 外はその工 夫に関するドイツ語 記 事を検 討しながら、歌 舞 伎の花 道や廻 舞 台の利 点を強 調している。 ミュンヘンの改 造 舞 台 を考 案した劇 場 技 師ラウテンシュレーガーは、1896 年にヨーロッパで初めて廻 舞 台を導 入 している。鷗 外の指 摘はそれに先 立つものであり、本 来もっと高く評 価されるべきであろう。花 道や廻舞台を芸術論の地平にもたらした最初の人が鷗外であったことを忘れてはならない。 翻訳戯曲にみる舞台言語の変遷 鷗 外は論 争 的な演 劇 論を展 開しながら、 カルデロンやレッシングの戯 曲の翻 訳にも取 り組んでいる。資 料の左 下の発 表 媒 体とも関 連することであるが、讀 賣 新 聞に連 載された 『 調 高 矣 洋 絃 一 曲 』は表 題から歌 舞 伎 調であり、当 時の芝 居 通の耳を意 識した七 五 調 を基 調とした翻 訳である。弟 篤 次 郎( 三 木 竹 二 ) との共 訳であり、 それは歌 舞 伎の表 現に 通じた弟の援 助を必 要としたためであろう。 『 調 高 矣 洋 絃 一曲 』が新 聞の別 冊を飾ってい ることも興 味 深い。 「 芝 居を読む」という伝 統の継 承が感じられる。 レッシングの『フィロタス』 とりこ

ほう ふつ

を訳した『 俘 』は、身分の高い武 士の言 葉を駆 使して、大 名と太 郎 冠 者のやりとりを髣 髴

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とさせる箇 所が少なからず存 在する実 験 的 試みである。 『 俘 』は鷗 外 主 宰の『しがらみ草 紙 』に掲 載されており、 そのことが表 現の自由な実 験を可 能にしているのではないだろうか。 日清 戦 争 従 軍( 1894〜 1895年 )や小 倉 左 遷( 1899〜 1902年 )によって演 劇 分 野に関 する仕 事は中断したように見えるが、鷗 外は小 倉 時 代からヨーロッパで起きている新しい演

鷗外戯曲翻訳・創作の世界 ゲーテ ティーク インマーマン ミュンヘン演劇改革

伝統的な芝居言葉 東京語の成立 標準語

ヨーロッパ演劇 のモダニズム

演劇改革の 理念と構想

(パラダイムの転換)

韻律学 舞台発話言語 音声学

戯曲翻訳・ 創作の世界

演劇・文芸 「しがらみ草紙」 「歌舞伎」 (三木竹二編集) ジャーナリズム 批評 「スバル」

シュニツラー ホーフマンスタール ストリンドベリ イプセン ハウプトマン

新劇運動等

自由劇場 近代劇協会 狂言座

筆者作成。2017年 2 月刊行の『文芸研究』 ( 明治大学文学部紀要)第131号64頁に初出したものを調整・修正したうえで掲載。


劇 運 動について情 報を集め、読み込んでいたと考えられる。図 版 右 上のシュニツラーの一 幕 物『 短 劍を持ちたる女 』などの翻 訳( 1907年 以 降 )は世 紀 転 換 期の演 劇のパラダイム 転 換の紹 介に関わる仕 事であるが、 それらは図 版 右 下の東 京の当 時の演 劇 状 況に大き な影 響を与えていくことになる。一 連の翻 訳は雑 誌『 歌 舞 伎 』や『スバル』に掲 載され、 この 時 期の文 芸 誌の展 開に貢 献した。1904 年の『 尋 常 小 学 読 本 』の制 定に始まる標 準 語の 普 及は、演 劇 翻 訳に対する鷗 外の意 欲を駆り立てたに違いない。舞 台 言 語を規 範 的 言 語とみなすことはゲーテ以 来のドイツ演 劇の伝 統である。多 様な内 容の多くの戯 曲 翻 訳は 新しい日本 語の豊かな表 現力を示すことに大きく貢 献した。鷗 外におけるゲーテの精 神の 継 承の一 端をここにみることができる。 ゲーテの『ファウスト』翻 訳は文 部 省の文 芸 委員会の 委 嘱によるものであり、 ヨーロッパの古 典を「 現 代 語 」に訳す試みの一つとして企 画された。 『ファウスト』第 一 部は 1913年 3 月 27日から31日まで近 代 劇 協 会によって帝 国 劇 場で上 演 され、 さらに大 阪の北 濱 帝 国 座で 5 月 1 日から10日間に渡って上 演された。当時の記 録か ら、鷗 外による翻 訳の校 正と舞 台 装 置や音 響に関する担当者との相 談が並 行して進んで いたことが分かる。 それは「 現 代 語 」による古 典 上 演にたいする当時のエリート層の関 心の 高さを示している。

123 創作劇にみる多様な実験 歴 史 劇の創 作 一 幕 物に「 現 代 語 」を初めて用いたのも鷗 外であった。 それは鷗 外自 身が、時 代 物に「 現 代 語 」を用いることは「自分の事ばかり云ふやうで可 笑しいが、僕の しずか

『 靜 』が始めだらう」と述べていることからも明らかである。自由 劇 場 第 二 回 試 演の『 生 田 川 』を観て劇 作 家 長 田 秀 雄は友 人と次のような会 話を交わしたことを記 録に留めている。 「 幕が下りて廊 下へ出て煙 草を喫しながら私たちは『もうこれからは史 劇でも現 代 語で書く んだね。』 『そうだとも。古い言 葉なんか使つたつて仕 様がありやしない。現 代 語で古い時 代 の味を出して行くのが詩 人の腕だ 』などと話し合つた」。 それは、鷗 外の言 語 表 現が当 時 の若い世 代に与えた影響の圧倒的な大きさを物語っている。 戯曲翻 訳に際して作 品を選ぶ際に鷗 外はベルリン・ドイツ座のレパートリーを意 識してい たに違いない。 ラインハルトを劇 場 総 監 督に持つドイツ座は、世 紀 転 換 期のヨーロッパの演 劇 改 革を主 導する劇 場であった。 ラインハルトは 1910 年 、古 代ギリシャ劇『オイディプス』を 改 作したホーフマンスタールの同 名 劇 上 演のためにサーカス小 屋を改 造 、都 市 空 間のな かにギリシャ風アレーナ劇 場を出 現させた。 これらの情 報に強い関 心を持った鷗 外は改 作 テキストを入 手し、 「 私は今 或る必 要から Hofmannsthal の書き直した Oidipusを讀んで ゐる」という記 録を残している。 「 或る必 要 」とは、改 作 劇『 曾 我 兄 弟 』の執 筆のことである。 シアター・トピックス

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戦 前 、曽 我 物は初 春に必ず上 演され、国 民 的 記 憶として機 能していた題 材であり、鷗 外 よ

うち そ

かり ばの あけぼの

は河 竹 黙 阿 弥の歌 舞 伎 脚 本『 夜 討 曾 我 狩 場 曙 』を底 本にしながら、歌 舞 伎 的 要 素を 大 胆に排 除した『 曾 我 兄 弟 』を出 現させたのである。 これは 1914 年 、狂 言 座によって帝 国 まけぎらい

劇 場で上 演されたが、専 門 家のあいだでも評 判は良くなかったようである。 「負 嫌 」の鷗 外 は、改作の国 際 的 背 景などを説明しているが、評価を大きく変えるに至らなかった。 たまくしげふたりうらしま

鷗 外の創 作 劇のなかで『 玉 篋 兩 浦 嶼 』は文 語 定 型 詩を基 本にした作 品であり、 その美 しい「 叙 情 体の韻 文 」はオペラとして書かれたものではないかという評 判を湧き起こしたよう だ。 ちなみに、鷗 外は文 語 定型詩を用いてイプセンの詩 劇『ブラン』の一 部を 『 牧師 』 と題し て翻 訳する実 験もしている。 『 玉 篋 兩 浦 嶼 』の評 判は、 ドイツ留 学中にモーツァルトやヴァー グナーなどのオペラをしばしば鑑 賞していた鷗 外にとって心 地よいものであったに違いない。 韻 文とオペラ台 本の関 係について鷗 外は一 応 否 定しているが、奥 行きの深いオペラ上 演 用の劇 場や優れたオペラの「 唄い手 」が準 備されれば、 オペラとして舞 台 化する可 能 性が 全く無いとは限らない、 というニュアンスの文を残している。 おわりに

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鷗 外は複 数の日本 語がまだ共 存していた状 況のなかで、 それらを駆 使して日本の演 劇・ 上演芸術に新しい軌道を切り拓いているのである。同時代のヨーロッパで展開している演劇 潮流について当時突出した情報量を持っていた鷗外は、達意の翻訳によってそれらの紹介 に努めるばかりでなく、 日本の題 材を発 掘しながら創 作 劇の新しい地 平を示している。 日本 の舞 台 芸 術における近 代 化の問 題を総 合 的に検 証するうえで、鷗 外は決して無 視できな い学域を作りあげていることを、生誕 160年・没後 100年を機会に改めて確認しておきたい。 〔著者注〕 (1) 新作歌舞伎『ぢいさんばあさん』 (宇野信夫作・演出、1951年初演)をはじめ鷗外の小説を原作とした舞台 作品は現在も上演されている。 (2) この紙面には、鷗外漁史の署名の入った緒言と「場割(ばわり/場面構成)」及び「役名(やくな/登場人 物)」が記載されている。翌日4日からテキストの本文の翻訳が始まる。

いとだ・そういちろう 明治大学名誉教授・元明治大学文学部ドイツ文学専攻教授。1950年東京都生まれ。アーヘン工科大 学文学部においてDr.phil.の学位取得。専門はドイツ近代文学、 ニーチェ研究、 日独比較文化史。著書に 『 演 劇 場 裏の詩 人 森 鷗 外 ― 若き日の演 劇・劇 場 論を読む』 ( 慶 應 義 塾 大 学出版 会 、2012年)、 『Berlin & Tokyo – Theater und Hauptstadt』 ( Iudicium Verlag、2008年) など。


ミュージカル『新テニスの王子様』The First Stage

©許斐 剛/集英社・新テニミュ製作委員会

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[シアター・トピックス]

新たな観 客を生む 「 2.5 次 元ミュージカル 」というシステム 鈴木 国男 漫 画・アニメを背 景に、従 来 の 演 劇ファン 層とは 違う新しい 観 客を創 出して いる 「 2.5 次 元ミュージカル 」。2018年 の ぴ あ 総 研 の 調 べ で は 、2.5 次 元ミュージカル 市 場 規 模 推 計は前 年 比 約 45%増 の 226億 円となり、新 作を含む約 200タイトル が 上 演され た 。近 年 では パリで 開 催され た「ジャポニスム 2018」でミュージカル『 刀 剣乱舞 』 『 美 少 女 戦 士セーラームーン 』のパフォーマンスショー “ Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Liveが上 演されるなど国 際 的に発 信されている。 2.5 次 元 の 舞 台 作 品 の 源 流 や 歴 史 、上 演モデ ル やステージングの 特 徴につ い て 、 鈴木 国男氏にご寄 稿 いただいた( 編 集 部 )。

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2014 年 3 月、一 般 社 団 法 人日本 2.5 次 元ミュージカル協 会が設 立された。そのホーム ページには、 このジャンルの定義として次のような文言が記載されている。 「 2.5 次元ミュージ カルとは日本の 2 次 元の漫 画・アニメ・ゲームを原 作とする 3 次 元の舞 台コンテンツの総 称 。 早くからこのジャンルに注目し、育ててくれたファンの間で使われている言 葉です。音 楽・歌 (*) を伴わない作 品であっても、当協 会では 2.5 次 元ミュージカルとして扱っています」。

「 2.5 次 元ミュージカル」という呼び名は、 ジャンル成 立の経 緯とも深く関わっている。 日本 の演 劇 文 化の中で、 このジャンルが生まれたのは偶 然とは言えず、今も根 強い人 気を獲 得 し、未来に向けて発 展の可 能性も十分に認められる。 まずは、 その根 本から検 討してみよう。 時 間・空 間を共 有して初めて成 立する舞 台 芸 術は、 そもそも 3 次 元の現 象であり、 そこに

2 次 元 、すなわち絵 画 的イメージが投 影されることは古 今 東 西 珍しくはない。古 代ギリシャ 悲 劇においては、仮 面を着けた俳 優が神 話・叙 事 詩の登 場 人 物を現 前とさせ、中世の聖 史 劇から現 在ドイツのオーバーアマガウで 10 年ごとに上 演される受 難 劇に至るまで、 キリス トや聖 母・聖 人の姿を目の当たりにすることによって感 動が生まれている。 そこには音 楽 的 要 素も加わり、やがてヨーロッパ演 劇の華となったオペラも、繰り返し英 雄の姿を登 場させ た。舞 台 芸 術の歴 史のほとんどが 2.5 次 元の、 そしてミュージカルの要 素に満ちているとすら

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言えるかもしれない。 日本の芸 能もまた、能 楽・文 楽・歌 舞 伎・組 踊を問わず、常に古 典 文 学にコンテンツを 求め、絵 画・音 楽によって豊かに彩られてきた。複 式 夢 幻 能では面や装 束を着けたシテに よって物 語・絵 巻の人 物が眼 前に立ち現われ、 コスプレと言ってもよい傾き者の出で立ちは、 歌・舞・伎( 演 技 )へと連なり、やがて独 特の衣 装・化 粧・身振りによってスーパーヒーローを 出 現させるに至る。 そのイメージは浮 世 絵に固 定され、 それがまた舞 台 上に再 現され変 容 する。 このような伝 統の延 長 線 上に、 ブロマイド、 フィギュア、 コスプレ、漫 画 、 アニメ、 ゲームが 生まれ、世 界へと発 信されているのも、驚くにはあたらない。 人 間がほとんど創 造 主のような可 能 性を持ちうる絵 画という2 次 元 作 品 、 それに動きと時 間さらには音 声を加えたアニメーションを、被 造 物としての限 界を持つ人 間の肉 体をもって 表現するところに、現 代の 2.5 次元作品の妙味が存在することは容易に推 測できる。 『ベルばら』から『美少女戦士セーラームーン』―2.5次元前夜

20 世 紀 後 半には、すでに漫 画を原 作とする演 劇が存 在した。江 利チエミによって演じら れた『 サザエさん』などは、一 般に広く親しまれた漫 画とスターのキャラクターが自然に結び ついた例と見ることができるだろう。 ここから一 歩 進んで新たな可 能 性を拓き、2.5 次 元という言 葉が出 現するはるか 以 前


の出 来 事ながら、遡って2.5 次 元ミュージカルの始まりだったのではないかと言われるのが、

1974 年に宝 塚 歌 劇 団によって初 演された『 ベルサイユのばら』である。絶 大な人 気を誇っ た池 田 理 代 子 作の漫 画を舞 台 化することは、 イメージが壊れるなどとして反 発する声もあっ たが、実 現してみるとその完 成 度の高さに観 客は驚 嘆し、宝 塚 歌 劇でも有 数の人 気 作とな り再 演を繰り返してきた。 ヨーロッパを舞 台としたコスチューム劇は元々歌 劇 団の得 意とするところであり、 「男装の 麗 人 」オスカルを演じるのには宝 塚の男役がうってつけだという要 素もあった。 しかし漫 画と いうジャンルが今日ほど社 会 的に認 知されていなかった時 期に、 その舞 台 化に真 摯に取り 組み、演 出・美 術から細かな演 技に至るまで工 夫を重ねたことが予 想 以 上の成 功をもたら した。 そうして「 絵から抜け出たような」人 物を舞 台 上に出 現させたことに、2.5 次 元の原 点 を見ることができるだろう。 その後も宝 塚では漫 画 原 作の優れた作 品が作られるようになっ た。2018 年に上 演された萩 尾 望 都 原 作の『ポーの一 族 』などは、原 作の持つ強 烈なイ メージと男役トップスターの演じる役 柄が少 年であるという制 約を突き破り、原 画と演 者が 一体 化したという感 覚を抱かせるまでのレベルに達したという評 価も得た。 セ イ ン ト セイ ヤ

『ベルばら』以 降も、結 成 後まもない SMAPによって上 演された『 聖 闘 士 星 矢 』 ( 1991 年 )、 『 美 少 女 戦 士セーラームーン』 ( 1993 〜 2005年 )、舞 台 化を前 提としてキャスティングした 声 優を使ったゲームソフト原 作のミュージカル『 サクラ大 戦 歌 謡ショウ』 ( 1997 〜 2006 年 ) などの話 題 作があり、劇 団 四 季が上 演してきた『ライオンキング』 『 美 女と野 獣 』 『リトルマー

『美少女戦士セーラームーン 完全版』第 1 巻 「ジャポニスム2018」で上演された『美少女戦士セーラームーン』のパフォーマンスショー ©Naoko Takeuchi “Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Live ©武内直子・PNP/"Pretty Guardian Sailor Moon" The Super Live製作委員会

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メイド』などもアニメを元にしたミュージカルである。 ただ、宝 塚と四 季は、 それぞれ長い歴 史を持ち評 価が確 立された劇 団であり、様々なレ パートリーを持っている。 したがって、漫 画・アニメ・ゲームソフトを原 作として2.5 次 元ミュー ジカルと呼びうる作 品でも、 それぞれの劇 団の範 疇に収めた方が現 状では妥当な分 類であ ると思われる。同 様に、 『ワンピース』のように歌 舞 伎 役 者によって演じられたものは「 歌 舞 伎」の範 疇に入れておきたい。 2.5次元の上演モデルをつくったミュージカル『テニスの王子様』 そこで、近 年になって成 立し、急 速な発 展・進 化を続けている「 2.5 次 元ミュージカル」と いうジャンルの出 発 点として設 定すべきなのが、 ミュージカル『テニスの王 子 様 』 (テニミュ・ この

2003 年〜)だということになる。原 作は、許 み たけし

斐 剛 によって永らく 『 週 刊 少 年ジャンプ 』 ( 集 英 社 刊 )に連 載された 漫 画 であり、 中学のテニス部を舞台としている。内容とい えば 、現 実 離れしたテクニックを持つ選 手

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を擁するいくつものチームが試 合を繰り返 すことにほぼ 終 始している。漫 画の舞 台 化 『テニスの王子様』第 1 巻

ミュージカル『テニスの王子様』Absolute King 立海 feat. 六角 ~Second Service ©許斐 剛/集英社・NAS・テニスの王子様プロジェクト ©許斐 剛/集英社・マーベラスエンターテイメント・ネルケプランニング

©許斐 剛/集英社


においては、 このように長 大な原 作からどう要 素を選び出し、限られた時 間 内に起 承 転 結 のある作 品にどうまとめるかが常に課 題になるが、 『 テニミュ』においては、一 回の上 演で中 心となるチームがもう一つのチームと対 戦するいくつかのゲームとそれにまつわるエピソードを 描き、 その続きは次の公 演に委ねるという言わば「 連 載 上 演 」の形をとることにより、複 数 年 にわたって原 作の全体を舞台にかけることに成功した。 このような上 演のモデルを作り上げたことが、 『 テニミュ』を2.5 次 元ミュージカルの先 駆け と位 置 付ける理 由の一つである。 こうすることによって、長 大な原 作が余すところなく舞 台 化 され、観 客も一つの公 演が終われば次の公 演を期 待し、続けて見ることによって漫 画 連 載 を楽しむ感 覚を舞 台で味わうことができる。 あくまでもテニスの試 合がコンテンツであり、中心 となるチームが次々と対 戦 相 手を変えることによって、一 貫 性とバリエーションが同 時に提 供できる仕 組みとなっている。上 演が進むにつれて大 勢の選 手たちが登 場し、多 彩な個 性 と技を競い合い、 それがゲームの展 開と勝 敗に帰 結することによって、 その都 度のカタルシス を生み出しながら、すぐに次のシチュエーションが準 備される。原 作のファンを舞 台に呼び 込み、新たな喜びを体 感させて観 客 層を広げる一 方で、漫 画の読 者が連 載 期 間中ずっと 購 読を続けるように、観 客もまたリピーターとなり、情 報を拡 散させ、新たなファンを呼び込む という効 果も期 待できる。 『 テニミュ』の場 合 、原 作のすべてを上 演し終えると、 また最 初から 次のシーズンを開 始し、原 作の続 編『 新テニスの王 子 様 』に対 応する上 演も実 現している。 このモデルも、 「 2.5 次 元ミュージカル」の拡大に貢献していることは間 違いない。 新しい才能を発掘するオーディションやステージング キャスティングを完 全なオーディションによるものとしたことも重 要である。漫 画という 2 次 元 作 品によって明 確に示されている登 場 人 物のイメージや属 性をできるだけ忠 実に再 現する ため、中学 生のテニス選 手を演じられる範 囲の若い男性を対 象に広くオーディションを行い、 それまでのキャリアに関 係なく、再 現 度の高さと内 在する可 能 性を見 極めながら選ぶことに よって、独自の新 鮮なキャスティングを実 現した。彼らはまず若く容 姿 端 麗な若 者であり、観 客の大 半を占める若い女 性に強くアピールすることができる。 それに加え、原 作に描かれた イメージに限りなく近づくために要 求される努力は、通 常の役 作りをはるかに超えるものであ る。 ミュージカルである以 上 、経 験にかかわらず歌・踊り・演 技の技 術を身につけ、 テニスの フォームもマスターしなければならない。 そして何よりも、漫 画に描かれた人 物そのものを表 現 するために、髪 型やメイクはもちろん、独 特なテニスのスタイルも再 現し、 そのすべてにおいて 表 面をなぞるに留まらない内 的な一 体 化も求められる。 それでも初 期の頃は未 熟さと懸 命さ がかえって魅力となった面も見られたが、公 演を重ねる中での成 長もまた観 客を喜ばせる 世界の舞台芸術を知る

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要 素となった。対 戦するチームが変われば、 その都 度 新たなキャスティングが必 要となり、中 心となるチームも何 公 演かの後には「 卒 業 」し新しいメンバーと交 代するので、常にフレッ シュな人 材が供 給され、 ファンは益々目が離せなくなる。 テニスコートと観 覧 席のみの簡 素な装 置を自在に動かし、 レーザー光 線や音 響 効 果 、 そ してラケットを振るという動 作を舞 踊のレベルにまで高めた振 付や、超 絶 技 巧を視 覚 化する などの独 創 的なステージングにより、エキサイティングな舞 台コンテンツを作り出したことも成 功の要 因である。 「 絵が肉 体 化する」という「 2.5 次 元 感 」に加え、 マジカルなステージングも

2.5 次 元の必 須アイテムと言えるだろう。 こうした「テニミュモデル」が様々なコンテンツに応用 され発展したことが、今日の隆 盛の秘 密であると考えられる。 また、 『テニミュ』を卒 業 後 多 方 面で活 躍している城 田 優や斎 藤 工などをはじめとして、

2.5 次 元ミュージカルは多 彩な人 材を輩 出してきた。最 近では、2.5 次 元 系の舞 台に次々と 出 演して独自の存 在 感を示す俳 優も現れている。演 技・演 出の双 方で新しい方 法 論の可 能性も感じられる。演 劇のジャンルとして確 立するかどうかは、 その点にかかっているだろう。

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「ジャポニスム2018」で上演された 『美少女戦士セーラームーン』のパフォーマンスショー“Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Live ©武内直子・PNP/"Pretty Guardian Sailor Moon" The Super Live製作委員会


〔著者注〕 *

http://www.j25musical.jp (2022年2月4日閲覧) 音楽を伴わないものを「ミュージカル」と称するのは語義として矛盾があり、同じコンテンツを元にして 「ミュージカル」と「台詞劇」の両方が上演されているケースもあるので、現在では総称として「 2.5次元演 劇」あるいは「2.5次元舞台」を用いるのが適当だろう。

すずき・くにお 共立女子大学文芸学部教授。専門はイタリア演劇・オペラ・ミュージカル・宝塚歌劇研究。東京大学イタ リア文学科卒業。著書に『イタリア・宝塚・2.5次元─多彩な演劇世界をめぐって』 ( 春風社、2021年)、 ( 共著、社会評論社、2020年) など。 『宝塚の21世紀─ 演出家とスターが描く舞台』

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2019年のオープニング・レセプションはBankART Studio NYKを継承するBankART Stationで行われた

撮影:山田優李

[シアター・トピックス]

〈 インタビュー 〉 132

T P A M のし てきたこと、 Y P A M の めざ す さき 同 時 代 舞 台 芸 術 の 国 際 的プラットフォー ム構 築 の 歩み 丸岡 ひろみ(横浜国際舞台芸術ミーティング ディレクター) ティーパム

1995年 に「 芸 術 見 本 市 」として 誕 生した T PAMは 、2011年 から「 国 際 舞 台 芸 ワ イ パ ム

術ミー ティング in 横 浜 」と名 前を変え、2021年 には 略 称をY PAMへと変 化させ た 。世 界 各 地 から舞 台 芸 術 のプロフェッショナ ル たちが 集まり、午 前 中 のラウンド テーブルから、公 演 、そして深 夜のレイトナイト・ミーティングに至るまで 、様 々な交 流を生み 出してきたこのプラットフォームは、 「 国 際 交 流 」と「 同 時 代 の 舞 台 芸 術 」 をテーマにする現 在 の 仕 組みを形 成 するまでに、実は様 々な変 遷をたどってきた。 2005年からその 事 務 局を担ってきた丸 岡 ひろみ氏に、TPAM/ YPAMの 歩 んでき た27年につ いて話を伺った。 インタビュー・構成:藤原ちから(orangcosong) 中島香菜(編集部)


舞台芸術の国際的マーケットをめざして(1995~2001年) ― まずTPAMのこれまでにつ いて、立ち上げからの経緯を伺えればと思います。

TPA Mの 立ち上 がりは 1995 年です。私は劇 団 の出 展 者として参 加しつつ 、TPA M パ ル ク

を運 営する国 際 舞 台 芸 術 交 流センター( PARC:Japan Center, Pacific Basin Arts

Communication)でアルバイトをしていました。 ただ お

PARCはプロデューサーの中 根 公 夫 が中 心になって立ち上げたものです。彼はフランス 国費留学生としてパリのオペラ座に留学をした時、 ヨーロッパの「大人の演劇」に感銘を受 けて、東 宝のプロデューサーになったのち、蜷川幸 雄さんを小 劇 場から商 業 演 劇の世 界に 引き入れ、海 外 公 演を成功させた人です。 彼は 1987年に「ポイント東 京 」という蜷 川さんの海 外 公 演 制 作に特 化した会 社をつくる んですけども、当時はまだ助 成 金が公 募されるような環 境もない。 「 蜷川幸 雄で海 外 公 演を やりたい」と各 所に働きかけながら実 現に向けた環 境をつくっていく中で、パリで開 催された マルス ( MARS:Marché international des arts de la scène[ 1987〜 1990]) という舞 台 芸 術の国 際 的な見 本 市に参 加し、中 根はそれに影 響を受け、 いかに素 晴らしかったかを関 係者に説いて回って、 「日本でも見 本 市をやりましょう」と提 案していったと聞いています。 舞 台 芸 術の国 際 交 流を構 想するなかで、1990年に「 環 太 平 洋 舞 台 芸 術 専 門 家 会 議 ( Meeting for Pacific Basin Arts Communication)」という国 際 会 議を日本でやり、 その 日本センター事 務 局を引き継ぐ形で任 意 団 体として設 立されたのが PARCでした。理 事 長が当時の松 竹の永 山 武 臣 会 長で、中根が事 務 局 長 、ボードメンバーには夢の遊 眠 社 のプロデューサーだった高 萩 宏さんや、勅 使川原 三 郎の海 外 公 演などをプロデュースして いた佐 藤まいみさんなどが加わっていました。 一 方で、西 武 百 貨 店 や 東 武 百 貨 店が中 心になって立ち上げた「 東 京 国 際 演 劇 祭

88 池 袋 」というフェスティバルがありました。第 2 回目からは東 京 都 文 化 振 興 会( 現・東 京 都 歴 史 文 化 財 団 )が主 催に加わって、池 袋から東 京 都へ規 模が拡 大したんですが、 そ の運 営を舞 台の専 門 家にさせようということで PARCに話が来たんです。結 局 、 「東京国 際 舞 台 芸 術フェスティバル」と名 前を変えて事 務局を引き受けることになりました。 そのフェス ティバルに併 設して見 本市をやろうというのが、1995 年 、第 1 回の TPAM だったんです。 主 催は国 際 交 流 基 金と、1994 年にできたばかりの地 域 創 造 。当時は文 化 庁の外 郭 団 体である公 文 協( 全 国 公 立 文 化 施 設 協 会 )が選 定した公 演 団 体のリストから劇 場が選ん で日本中をツアーする形が一 般 的でしたが、地 域 創 造にはそれぞれの劇 場がちゃんと主 体 的に公 演をつくるべきだという考え方があったと聞いています。 そこで国 内の劇 場 関 係 者を 世界の舞台芸術を知る

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集め、海外からもプレゼンターを呼んで、作品を自分の目で見て買ってもらおう、 という考えか らTPAMは始まったんです。 その後 、1997年に、東 京 都 庁の跡 地に東 京 国 際フォーラムができて、第 2 回の TPAM シ

はそこで 開 催されました 。日本 の 団 体を中 心 に 、カナダ の C I N A R S( C on f é r e nc e

internationale des arts de la scène)など海 外の見 本 市を誘 致して、ブースの数は200くら い。国 際 交 流 基 金やオーストラリア・カウンシル・フォー・ジ・アーツの資 金で、 クンステン・フェ スティバル・デザール( Kunstenfestivaldesarts) を創 設したフリー・レイセン ( Frie Leysen)な どのプレゼンターも招 聘されていたんですけど、評 判がよかったとは必ずしも言えなかったこ とを覚えています。 「これが日本を代 表するパフォーミングアーツなのか?」みたいなことも言 われたりして。 ― 海外のプレゼンターの要望とフィットしなかったということですか?

そうだと思います。 ブースで作 品を紹 介することにも限 界があったでしょうし、広く多くをまん べんなく紹 介されても、あまりよく知らないゲストからすれば 逆に何を観ていいかわからないと いう感じだったかもしれません。 よく日本 人はプレゼンが下 手だと言われていた時 代だったの

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でその影 響もあったかもしれませんね。出 展 料をもらって、 あるいは招 聘 費を払って、一 生 懸 命プレゼンターに参 加してもらおう、参 加 団 体を呼び込もうとしましたが、 日本の劇 団に見 本 市の価値を見つけてもらうのには時 間が必 要でした。 しかし、私は自分が所 属していた劇 団が、TPAMを通じて世 界に紹 介された経 験があり ます。当時は海 外にあらかじめコネクションを持ってる人たちに仲 介してもらって海 外に行くこ とが多い時 代だったんですけど、見 本 市なら直 接プレゼンターと話す機 会を持てる。 その貴 重さを実 感していたんです。私が所 属していた劇 団の主 宰 者も海 外 公 演への強い意 思が あったので、 フェスティバルでの公 演の間に同 時 期に開 催されていた TPAMにも参 加し、 プ レゼンターのリストをもらって招

恵比寿ザ・ガーデンホール内のブース展示会場(2008) 撮影:堀之内毅・魚住剛

待 状を送ったりして。 日本 人の 同 業 者が海 外のプレゼンター に英 語で「あんなのつまんない から観に行くな」とか 言ってる 横で、 「 英 語ならバレないと思 うなよ!」と内 心 思いながら、観 に来てもらうよう説 得したり。 そ んな今となっては 懐 かしい 攻


防を経て欧 州のフェスティバルに招 聘されることになったんです。 そういう経 験があったから、 私は TPAM がチャンスに繋がることを信じていました。 ただ、参 加 者を呼び込むには、 日本と海 外 、双 方の人たちに「 TPAMに来たら面白いも のを観られる、面白い人たちに会える」と思ってもらわなければいけない。実 際 、 そうした人た ちが参 加しているにもかかわらず、 なかなか顕 在 化していかない。2002年ぐらいまでの数 年 間は、 インフラとしての見 本 市をどうつくるかを探っていく時 期が続いていたと思います。 「同時代の舞台芸術」をテーマに(2002年~)

2002年の東 京 国 際フォーラムで開 催した TPAMは大 規 模でした。当時の石 原 慎 太 郎 都 知 事が「アジア大 都 市ネットワーク21」という構 想を提 唱して、 その一 環で「アジア舞 台 芸術祭( APAF:Asian Performing Arts Festival)」を立ち上げることになったんです。 その 第 1 回を東 京でやることになり、PARC が事 務局を受けて、TPAMと同 時 期に開 催しました。 その 2002年には河 合 隼 雄さんが文 化 庁 長 官になったんですが、彼の政 策に「 国 際 文 化フォーラム」を立ち上げるというのがあって、文 化 庁の職員が TPAMを視 察に来ました。 舞 台 芸 術 関 連のフォーラムを見 本 市に合わせてできないかということだったんでしょう。私は

TPAM 2003、2004 のときは文 化 庁の在 外 研 修員( 在 研 )としてニューヨークにいたので 立ち会ってはいないのですが、 いろいろな経 緯があって翌 2003 年には文 化 庁 主 催で「イン ターナショナルショーケース」という枠が生まれ、2010 年まで続きました。 インターナショナル ショーケースでは、 ディレクターを選んで、 カンパニーと折 衝してと、事 務 局 主 導でプロダク ションマネジメントをしていたんですけども、 それらと並 行してどんな会 議を実 施していくかなど、 見本市 全 体の方 向づけ=ディレクションすべきだという考え方が生まれていったんですね。 さらに2002 年は、エア・カナダの格 安 便が出たりもしてTPAM 事 務 局の複 数のスタッフ で CINARSに視 察に行った年でもあり、私も参 加しました。見 本 市には朝 食ミーティングが あって、 セミナーがあって、夜は参 加 者が集まって飲める場 所があって、 ライブも夜 中まで やって……というふうに交 流のポイントがあるということ、 そして見 本 市の周 辺でフリンジ公 演があることなど、多くをCINARSで私は知りました。 この時 期はそうやって、TPAMのスタッ フが世 界 中のコンテンポラリー・パフォーミングアーツのフェスティバルとその流 通の活 発さ を知っていく過 程でもありました。TPAMでもそうした仕 掛けをモデルとして取り入れるように なっていったんです。 そして、 これを機 会に海 外の同 種 催 事への定 期 的な参 加や交 換が始 まり、定 着するようになっていきました。 また、 これは TPAMとは別なのですが、翌 2003 年には文 化 庁の助 成を受けて「ポストメイ 世界の舞台芸術を知る

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ンストリーム・パフォーミング・アーツ・フェスティバル」をPARC 主 催でやりました。CINARS の オフで観たジェイコブ・ウレン( Jacob Wren、PME - ART)のイラク戦 争に関する公 開 討 論 会のような作 品 、 『 アンリハースド・ビューティー( Unrehearsed Beauty)』 を招 聘して六 本 木 のスーパーデラックスで上 演したのですが、チェルフィッチュの岡 田 利 規さんはこの公 演にイ ンスパイアされて『 三月の 5 日間 』をつくったそうです。2001 年の 9 月、 ちょうどTPAMの最中 に9.11が起き、2002 年 3月には、 それまで「湾岸戦争」と呼ばれていた紛争がいつの間にか 「イラク戦 争 」に変わり……そういう時代感でした。 私が TPAMの事 務局長になったのは 2005 年からです。在 研で 1 年滞在したニューヨー クから帰国した直後でした。 その頃には「国際交流」 と 「同時代の舞台芸術」に焦点を当て るという戦 略・方 針は立てていたと思いますね。同 時 代 的なパフォーミングアーツでは、補 助 金や助成金に頼る形ではあったけれど、主催の国際交流基金の協力はいうまでもなく、前出 パ

の CINARS や PAMS( Performing Arts Market in Seoul)などの海 外の見 本 市や、 ブリ ティッシュ・カウンシルやアンスティチュ・フランセ、 オーストラリア・カウンシル・フォー・ジ・アーツ など、各 国の文 化 交 流 機関やフェスティバルとの間にパートナーシップを組めたんです。 その頃はちょうど日本の文 化が、不 思 議な国のクールにソフィスティケイトされたもの、 とし

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てヨーロッパで認 知されていく時 期と重なってもいました。例えば 、2006 年にクンステンの 芸 術 監 督になったクリストフ・スラフマイルダー( Christophe Slagmuylder)は、 さっきお話し た「ポストメインストリーム〜 」でチェルフィッチュの『 三月の 5 日間 』を観て、2007年のクン ファイ ファイ

ステンに招きました。 また、快 快 の『 My name is I LOVE YOU 』は 2010 年にテアター・デ ア・ヴェルト ( Theater der Welt)に招 聘されたあと、 チューリヒ・シアター・スペクタクル( Zürcher Theater

Spektakel)で最 優 秀 賞を受 賞しています。私もその 審 査員でしたが、快 快と同 世 代の審 査員が「 彼らは 私だ!」と感 動していたのを覚えています。 それは作 品 の背 景に横たわる どん詰まり感 に共 感しつつ、何 よりもその自由な形 式に感 動したんだと思います。 例えば 、 ヨーロッパでは訓 練されたダンサーや俳 優が既 存のダンスや演 劇を脱 構 築していたわけで すが、 日本人のダンスや演劇はそもそも学校でメソッド を教わるものではなかったので、形 式がすごく自由で き ぐち のり

新しく見えたようなんですね。 そういう流れは、危 口 統 ゆき

之さん( 悪 魔のしるし)の「 搬 入プロジェクト」やコン YPAMディレクター 丸岡ひろみ氏(2018・ク ロージングパーティー)撮影:前澤秀登


タクト・ゴンゾが世 界中に呼ばれた 2015 年 頃まで続いたと思います。 日本のコンテンツを探 しに来るフェスティバルディレクターが増えていったし、国 際 交 流の状 況とムードも熟 成しつ つあったと思いますね。 同時代舞台芸術のネットワーク会議IETMの招致(2008年・2011年) ― 当 時 の TPAM は「 東 京 芸 術 見 本 市 」という名 称 で 、まだ「 見 本 市 」であることを強く 名 乗っていましたよね?

はい。やはり国 内の出 展 者(アーティスト/カンパニー)に対しては、作 品を買ってくれる 海 外の有力プレゼンターを呼ぶことをTPAMの強いミッションのひとつとしていたんですね。 でも、 ヨーロッパのプレゼンターは「マーケット」という言 葉を嫌う人が多かった。

T PA Mが モデ ルのひとつにしたものに I E T M( I n t e r n a t i o n a l N e t w o r k f o r Contemporary Performing Arts) という、欧 州における同 時 代 的 舞 台 芸 術のネットワーク 会議があります。IETMは年に 2 回欧州のどこかで総会がありますが、大抵はどこかのフェス ティバルと同 時 期に開 催され、500 人から700 人が集まります。昼は IETMのミーティングに 参加して、夜はフェスティバルを観るという構造は、 ヨーロッパのコンテンポラリー・パフォーミン グアーツのある種の マーケット として機 能していました。 でも彼らは「 商 業 的に活 動してる わけじゃない」という立ち上げからの思 想を継 承していて、少なくとも当時 IETMでは公 式プ ログラムには マーケット を前 面に出すようなものはありませんでした。 そのことに大きな魅力 を感じました。

IETMは 2000年 代の中頃からアジアでサテライトミーティングをやるようになったんですが、 そのサテライトミーティングを2008 年と2011 年の 2 回 、TPAMの時 期に合わせて日本に招 致しました。 こうした出張の理由になるイベ ントを誘 致して、人が参 加しやすくする狙 いもありました。 夜 、参 加 者が 一 緒に飲める場 所をつ くったのも、IETMの人たちに「レイトナイ ト・ミーティングスポットがなけれ ばネット ワークは成 立しない」と言われたのがきっ かけでした。でも会 場だった恵 比 寿ガー デンプレイス近くのバーを借り切ったんで すが、 この時は全 然 人が来なかった。 そう

「IETMアジア・サテライト・ミーティング」のセッション (2008) 撮影:堀之内毅・魚住剛

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DEVELOPMENTS in JAPAN and OVERSEAS レイトナイト・ミーティング・ポイント 「アマゾンクラブ」には 毎晩参加者が飲みに来る (2018)撮影:前澤秀登

いう場 所があれば 海 外のプレゼンターが集ま るということを、私たち自身がまだ信じきれてい なかったせいもあります。TPAM が横 浜に移っ てからレイトナイト・スポットになった「アマゾンク ラブ」では、 ワンコインやチケット制にするなど、 お 店の人たちがどんどん改 良してくれたことも あり、参 加 者の重 要なネットワークの場として 認 知されるようになっていきましたね。 新しい国内プレゼンターの発掘・育成(~2013年頃) ― TPAMが横浜に移った2011年には、海外のプレゼンターがたくさん集まっている光景 を目の当たりにしましたが、その状況が生まれるまでにはかなりの変遷があったんですね。

一方で、 日本のプレゼンターの海外への顕在化にもつとめました。地域創造のご担当者に お願いして公 共ホールを中心とした地 方のプロデューサーを推 薦していただき、交 通費と宿

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泊をつけてTPAMへご招待してミーティングを開催したり、TPAMが海外の見本 市にブース を出すときには「 資 料 持っていきましょうか?」 「あわよくば一 緒に行きませんか?」 と声をかけて、 次第にTPAMが彼らの年間スケジュールに入る、 という状態をつくっていけたと思います。 当時 、 ブリティッシュ・カウンシルやカナダ大 使 館 、韓 国の見 本 市 PAMSなどが、 日本 人の 若 手の制 作 者を自国に招 聘して作 品 鑑 賞や現 地 関 係 者とのミーティングなどの機 会をつ くってくださることがありました。 日本の作 品を海 外に紹 介することは TPAMのミッションのひ とつでしたが、 そのためには海 外の作 品を普 通に受け入れる体 制もなければならないと考 えていました。 そういう「 双 方 向の交 流 」を生むために、海 外 招 聘 公 演をするホールを積 極 的に応 援するようにしていました。2010 年までは地 域 創 造が主 催 団 体のひとつだったので、 地 域 創 造の 3 館 連 携プログラムを使って海 外 作 品のツアーを組もうとしている公 共ホール があれば、 ご担当者の海 外視察を手伝ったりもしました。 ―「 TPAM ディレクション 」という形 で ディレクター 制を採 用され てます が 、い つ 頃から 始まっているんでしょうか。

ディレクター制自体は 2005 年のインターナショナル・ショーケースから始まっていたんです けど、当初は評 論 家をディレクターに立てて彼らが参 加アーティストのピックアップをし、 プロ ダクションマネジメントは事 務 局の仕 事だったんです。でも制 作 者がディレクターなら、 ピッ


クアップだけじゃなく、公演の実現までやることができますよね。 それに2013 年にはON-PAM ( 舞 台 芸 術 制 作 者オープンネットワーク)が当時 30 代 半ばだった制 作 者たちを中心に始 まりましたが、ON- PAMでは「日本の公 共ホールでも、海 外の劇 場やフェスティバルのよう に、方 針 、理 念 、文 脈を持ってプログラミングされるべきだ」という話がよくされていたので、 そ の実 践の場として「 TPAMディレクション」のディレクターを若 手の制 作 者にやってもらうよう にしたんです。2015 年からアジア・フォーカスを始め、海 外からディレクターを招くようになると、 結局マネジメントの半 分 以 上を事 務局が負うようになってしまいましたが。 「マーケット」から「ミーティング」へ(2011~2013年) ― 本 当に紆 余 曲 折というか、TPAM で当たり前だと思っていた仕 組みができるまでに、 か なりの 時 間 が か かったということな ん で す ね …… 。見 本 市 の 象 徴 でもあったは ずのブースをやめたのはいつですか?

ブースがあったほうが 参 加しやすいと いう声もあったので続けていましたが、や

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はりブースには マーケット の象 徴のよう なところがあり、結 局 2013 年にやめました。 ブースをやめるには代 替 案が必 要でした が、TPAMディレクションのディレクターや 事 務 局の若いスタッフから「自由に幅 広 いテーマを設 定できるミーティングの仕 組

情報交換とネットワーキングの場「TPAMエクスチェンジ」 ( 2018) 撮影:前澤秀登

みを考えたい」と提 案があって、 「 TPAM エクスチェンジ」というグループ・ミーティン グの仕 組みが生まれたんです。 ―「スピード・ネットワーキング」は?

スピード・ネットワーキングは 2010 年か らやっていました。1 対 1 でプレゼンターに 作 品をプレゼンするピッチセッションはどこ の国もやっていて人 気がある一 方 、売り 込まれるのが 嫌という人もいました。ただ

1対1で売り込む/売り込まれる 「スピード・ネットワーキング」 ( 2018) 撮影:前澤秀登

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TPAMでやってみて、 「良いプレゼンターは、 自分の知らないアーティストに会うことを排 除し ない」ということはよくわかりました。売り込まれてなんぼ、 と思ってやっているプレゼンターは、 良い機 会だと思ってくれたみたいです。 ― TPAM がマーケットからミーティングへ 、という移 行をかなり明 確に意 識したのは い つでしょうか。

対 外 的に明 言したのは 2011 年に横 浜に移って「 東 京 芸 術 見 本 市 」から「 国 際 舞 台 芸 術ミーティング in 横 浜 」に名 前を変えたときですね。27 年の間 、 この規 模の催 事では死 活 問 題になるような組 織の大 転 換というのが何 度もありましたが、2010 年には、地 域 創 造が 主 催から降り、文 化 庁がインターナショナル・ショーケースをやめることが決まりました。 それは やはり大きなことで、資 金 的にも大 打 撃でした。ただ、2010年当時 、 「 双 方 向の交 流 」という 考え方や、見 本 市ではなくミーティングにするという変 化を進 歩 的として唯 一 支 持してくれた のが国 際 交 流 基 金でしたから、 その意 味では温まっていた考えを実 現して新 基 軸として打 ち出せるチャンスにもなりました。 「 国 際 交 流 」に焦 点を当てていくことを考えたとき、矛 盾する ように聞こえるかもしれませんが、同 時 代 的な舞 台 芸 術の主 要な マーケット である欧 州に

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とって、TPAMが「マーケット」から「ミーティング」になることは有 利に働くと感じていました。 こういう非 商 業 的な作 品のサーキットの場 合 、作 品を観て「お、 いいじゃないか」と買わ れる場 合ももちろんありますが、むしろ違 和 感がある作 品を観て「 何だろう…… 」と思って、 アーティストと直 接 話したり、場 合によってはアーティストを自分のフェスティバルに呼んで、 そ の場 所を体 験してもらって、 という過 程を経て、具 体 的な仕 事に結びついていくんですよね。 この出 会いのプロセスに至るきっかけをつくるのが TPAMのようなプラットフォームの役 割だ と思いました。

2010 年の東 京での最 後の TPAMは東 京 芸 術 劇 場で実 施したのですが、劇 場が改 修 に入るので翌 年は使えない、 どうしよう、 となった時に、横 浜にKAAT( 神 奈川芸 術 劇 場 )が できるからそこで TPAMをやらないかと声をかけていただいたのが、横浜に移った理由です。 会 場 探しという単 純な理由でしたが、公 益 財 団 法 人 横 浜 市 芸 術 文 化 振 興 財 団とKAAT くみ

が所 属する公 益 財 団 法 人 神 奈 川 芸 術 文 化 財 団が主 催にすぐ与してくれ、国と県と市が タッグを組んで実施するというある意味理想的な形で再スタートを切ることができました。 その 強力関係が続いたことが TPAM 継続を後押ししたことは、 もはや言うまでもないというか……。 地理的にも横浜は徒歩でいろいろ回れて、 すごくTPAMにマッチしてると感じましたね。 横 浜で最 初の TPAMは 2011年 2 月でしたが、直 後に東日本 大 震 災と東 京 電力福 島 第 一 原 発の事 故が起きました。 日本の舞 台 人がどのように応 答するか海 外から注 視される中、


その年の夏には原 発 事 故をめぐる「サマーセッション」を実 施しました。 日本の舞 台 芸 術 関 係 者の原 発に関する意 識は決して低くはない、 そのことを伝える必 要があると、すごく意 識し て活 動していましたね。 ネットワーク時 代の始まりと言われていた頃で、 プレゼンターをつなぐ

ON-PAM の立ち上げに関 与したのもこの時 期でした。 ヨーロッパからアジア・フォーカスへ(2015~2020年) ― アジ ア・フォーカスをテ ー マにした の は 、国 際 交 流 基 金 にアジ ア センター が できた 2014年の後ですよね。

そうです。 そこに至るまでの流れとして、2008年の IETMを東 京で開 催した時 、せっかく日 本まで来るんだったらアジアのプレゼンターに会いたいという声があったんですね。 それで

2009年にアジアの制作者を集めた「舞台芸術制作者ネットワーク会議( Performing Arts Presenters' Network Conference)」というのを開 催しました。アジアのネットワークをつくっ ていくのは、 その頃からTPAMのひとつのミッションになっていたんです。

2014 年当時の TPAMには、ヨーロッパと北 米のプレゼンターやプロデューサーはかなり 来ていたんですが、 アジア、特にシンガポールを除く東 南アジアからの参 加 者が少なかった んですね。公 演も中国や韓 国からはなんとか呼べても、 インドネシアやタイなどは資 金 的に難 しかった。 アジアセンターの事 業は ASEAN 諸 国が対 象でその目的とも合 致したので、 それ まで招 聘できなかった東 南アジアをカバーでき、紹 介できる地 域の幅が広がりました。 ― アジア・フォーカス時 代のTPAM は 、日本 人 や日本 の 作 品 だけにフォーカスして いな かった の がとても印 象 的 で 、個 人 的 には 、立って いる地 盤 が 変 わるような体 験 でした 。英 語 だ け で は なくたくさん の 言 語 や 文 化 が 入り混じって い る の が 当 たり前という環 境 でし たし 、日 本 に い な がら にし て 留 学し て い るような 刺 激 を 受 けました 。

そうですね。アジア・フォーカ スの 時は、ディレクターにアジ アの人たちも入ってもらってプ ログラムを組んでいきましたか

アジア・フォーカス 「AND+(アジア・ネットワーク・フォー・ダンス) ミーティング」 (2020)撮影:前澤秀登

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らね。双 方 向の交 流をして初めて国 際 交 流が実 現できると思ってきましたが、 それが具 体 的に行われていた時 期だと思います。TPAMディレクションでは、 アジアの作り手たちとの国 際 共 同 製 作に取り組むことで、舞 台 芸 術の地 政 学 的な軸をヨーロッパからアジアに寄せる ということをやってもいました。 鑑 賞 体 験としてはウィリアム・フォーサイス ( William Forsythe)の洗 礼を受けているので 個 人 的には欧 米の作 品を追う傾 向にあったのですが、 それが当 時 、 なんというか、 もうヨー ロッパで見るべき新しい作 家に自力で出会うのは難しいと感じていたと思います。一 方 、例え ば光州ビエンナーレ( Gwangju Biennale)などに行っても、 アジア系の作 家の作 品にまず目 が行く。知らない作 家 、異ジャンルから転身した作 家がアジア系に多かったのも注目する理 由だったかもしれませんが、新 鮮に思えたんです。

TPAMディレクションはほとんどが日本 人 以 外の作 品でしたが、フリンジにはたくさんの日 本 人アーティストが参 加してくれて、海 外 公 演の機 会を得る参 加 者も多かったんですよね。 普 段 劇 場ではないところを開 拓して上 演してくれたり、 フリンジをひとつのフェスティバルとし て捉えて、参 加すること自体を楽しみにしてくれる作 家などが増えて、 フリンジ自体が育って いったといううれしい展 開がありました。 日本の作 品は「 TPAMフリンジ」で紹 介できると思っ

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ていたので、 「 TPAMディレクション」がアジア・フォーカスできたということもあります。 T(東京)からY(横浜)へ、そしてフリンジへ(2021年~) ― ではフリンジを、日本のアーティストたちが参 加 するプラットフォームとしてすでに考 えていたということでしょうか。

そうですね。実は 2016 年に横浜市に対し て「横浜フリンジ」という企画書を出したこと もあるんです。 アジア・フォーカスと並 行しつ つ横浜でYPAMを展開していくにはどうした らいいかと考えて出した企 画でした。 その時 はボツになりましたけど( 笑 )、内 容は現 在 目指していることとほぼ同じでした。 例えば 、仮に TPAM 全 体で 500 人のプ レゼンターが来るとして、すごく話 題になる ような作 品であっても、 そのアーティストに興 味を持って関係をつくろうとする海外のプレ プレゼンターと話す藤原ちから氏(2020・クロージングパー ティー)撮影:前澤秀登


ゼンターは 20 人もいないと思うんです。逆に言えば 、 アーティストやカンパニーにとっては、自 分たちに興 味を持ってくれるその小さな塊にさえ出会えればいいわけですよね。 そう考えると、 その機 会をつくるにはフリンジ公 演の方がいいのではないかとも思いました。私自身、例えば

CINARSに参 加しても、なぜかオフの方に惹かれることが多い。オフやフリンジのほうがその 劇 団の実力も感じやすいので、 もらえるインスピレーションも多かったりします。 ― 2021年からYPAMに名 前が変わるタイミングでは、フリンジに注 力 するということを 丸 岡さんは対 外 的にも発 言され て いましたし、実 際 、横 浜 の 黄 金 町に「フリンジセンター 」 も設 置されました。今回からフリンジによりフォーカスしたのはなぜですか?

まず現実的な理由から話すと、TPAMは日本の文化政策や状況にものすごく左右されて きたんですよね。例えば 、 これも名 前をYPAMに変えた理 由のひとつですが、初 回から主 催 団 体として重 要な役 割を負っていた国 際 交 流 基 金が 2020 年 2 月の TPAM2020を最 後 に主 催 団 体から降 板しました。横 浜 市にお金を出してほしいということを本 気でお願いする にあたって、YPAMに名 前を変えるということ、つまり東 京の Tから横 浜の Yへ変えることは最 後の切り札のようなものでしたね。2021 年からは、国際交流基金と入れ替わるように横浜市 が共 催に入ってくれました。

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25 年以上もやっているので、一定の支援や国の政策の中に組み込まれているように外か らは見えるかもしれないですが、実 際の TPAMはかなり属 人 的に支えられている危うい存 在 です。 そのため YPAMというプラットフォームの可 能 性を町の人たちに知ってもらいつつ、経 済的にいくらか自立できるような状 態に持っていかなきゃいけない、 という気 持ちがあります。 もう一 方で、 これは少し乱 暴な言い方になるかもしれませんけれど、 プログラムされたフェ スティバルの価 値が以 前に比べると世 界 的に下がっているのではないか、 という印 象もある んです。 アジア・フォーカスの最 後の 2 年は特 別にテーマを絞ったプログラムを組みました。2019 年は「アジアにおける共 産 主 義の歴 史 」、2020 年はアジア・フォーカスの総 括 的な回でも あったので原 点に帰って「身体 表 現 」に焦 点を当てた。 そういうディレクションをすることで、 ある可 能 性のようなものを提 案でき、TPAMを通してその人の演 劇 観 、舞 台 観 、見る目が変 わっていく、 ということを考えていたんです。 ただ、 これだけ価 値 観が多 様 化した社 会で、 ひとつの価 値でキュレーションするという行 為そのものが時 代にフィットしているとは思えないというのもありますし、 むしろ、 キュレーション をしたフェスティバルは可 能なのか、 とさえ思うことがあります。近 年 、 フェスティバルのディレク ターが複 数 人 制になっていく傾 向があるのも、 そういう背 景によるものかもしれません。 世界の舞台芸術を知る

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DEVELOPMENTS in JAPAN and OVERSEAS 「 YPAMフリンジ」のプログラムを掲 載した冊子も配布された (2021)

そういう中で、 もし自分が作 品を紹 介する制 作 者を続ける のであれば、 フリンジを充 実させることに魅力を感じる。個 人 的にもそう思ったんですね。 ― エジンバラ演 劇 祭のフリンジをモデ ルにした「ソサエ ティ」という仕 組みの導 入も計画されていると聞きました。

エジンバラ演 劇 祭のフリンジには、 ライブパフォーマンスで あること、無 審 査 、公 平であること、 それから冊 子をつくって 近 隣のお店を含めて配 布することなど、具 体 的に参 考にな ることがいくつもありますが、 「ソサエティ」というのは、エジンバラの町の人による応 援 団のよ うなもの、劇 場やアートスペースをはじめ、上 演 会 場を提 供する人たちを含むネットワークの ことを指しているようです。横 浜 市の補 助を受けているだけではなく、 「 横 浜の人たちが支え ています」と名 実ともに言えるようなネットワークが、 自立したフリンジに必 要な仕 組みじゃない かと思っているんです。ただ、 まだこれから構 想を練っていく段 階ですし、横 浜の人たちに、 ソ サエティに参 加したいと思ってもらうための動 機もまだちゃんと見つけられていないのが正 直

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な状況ですね。時 間はかかると思います。 コロナ禍の先にある国際交流の可能性 ― 2021年 の YPAMフリンジには 私自身もエントリーさせ て い ただ い て 、いくつか 他 の 作 品を観たり、フリンジセンターで いろんな人と話したりして 、YPAMならではの 刺 激を受 けました 。ただやっぱりまだ 人 の 移 動 がままならないということで 、コロナ 前 の TPAMとは 風 景 が 様 変 わりしたという印 象は当 然ありました。

全 然 違 い まし た よ ね 。

TPAMが発 足した 90 年 代を 思い返 すと、海 外 のプレゼン ターは 全 然 来なかったし、日 本 の 演 劇 界にも、 まず日本で 力を蓄えて、次に海 外 、 といっ た考えが強 固にありました。今 もそういう発 想は根 強くあると 横浜・黄金町にフリンジの拠点「YPAMフリンジ・センター」 を開設(2021)


思いますが、 もしもこのまま移 動が制 限されていく中で「 海 外で活 躍するのは優れたトップク ラスのアーティストである」というヒエラルキーが前 提にされてしまうと、 「 海 外には限られた人 が行けばいい」という考え方になってしまいますよね。 「 優れている/ 優れていない」という価 値 観そのものを変えていくことは必 要だと思います。 おおとり ひで なが

例えば 、批 評 家の鴻 英 良さんは、 日本 国 内の均 質 化した文 脈の中にありながら、 「 外 」の 文化に触れ、対 話しつつ自分たちのポジションを見 定めようとする姿 勢を「 外の思 考 」という 言葉で表しています。 そうした目線でアーティストを再 評 価するとか。 ただ、 コロナで移 動が制 限される一 方 、世 界 中がオンラインでつながり、問 題が一 様 化 し均 質 化していく中で、探しに行ける、 もしくは行くべき「 外 」が本当にあるのかという感 覚も ありますよね。 オンラインが発 達して国 境がなくなっているように感じる。 その一 方で、 ライブパ フォーマンスにはものすごく強 固に国 境が立ちはだかる。 このギャップの中で人は何を生み 出すのか、 ということを追っていくのは興 味 深いですし、必 要なことだと思いますね。 ―

ア ジ ア・フォー カ ス を きっか け に 、ア ジ ア の プ ロ デ ュ ー サ ー や ア ー ティスト が ア

育 って い った と 思 い ま す 。彼ら は 台 北 の A DA M( A s i a D i s c ove r s A s i a M e et i n g バ イ パ ム

for Contemporary Performance)や バンコクの B IPAM( Bangkok International Performing Arts Meeting)といった他 のプラットフォームも使 いながらネットワークや 創 作を続けています。日本でも次世代のプロデューサーたちが育ってきて、さあこれからとい うタイミングでコロナが来てしまい 、彼らの移動が止まってしまいましたよね。

バンコクの BIPAMは TPAMをモデルにつくられ、台 北の ADAMは、 プレゼンターが主 役 の TPAMを反 面 教 師に、 アーティストを主 役にして始まりました。 いずれにしてもアジア各 国 のプレゼンターたちが TPAMに集まって、 そこからネットワークが形 成されていったのなら、 そ れはアジア・フォーカスのひとつの大きな成 果だったと思いますね。 「もう移 動しなくてもいい」とさんざん世 界を回った人が言ったりはしますが、 まだこれから の人たちについてはその機 会を奪うべきではないと思うし、私は少なくともアーティストの行 動 制 限はすべきでないと思っています。海 外 体 験をして明らかに成 長しているアーティストを見 てきたからかもしれないですが。 ― 自分自身 、TPAMをきっかけにした 海 外 で の 経 験 がとても大きかったから、 「移動」 や「 国 際 交 流 」の 重 要 性 は 身に 沁 み て わかります 。移 動 できないというの は 、TPAM から YPAM へと続いてきたアイデンティティの危 機でもありますよね?

特 別な時 代だとは感じますよね。私たちがやっているのは「 国 際 交 流 」である以 前にまず 世界の舞台芸術を知る

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DEVELOPMENTS in JAPAN and OVERSEAS

は「 芸 術 活 動 」なわけです。芸 術 活 動は、 「いま世の中がどういう事 態になっているのか」と いうことと決 定 的に繋がっていますよね。 日本の舞 台 芸 術 界では公 共 劇 場での上 演がメイ ンになってきたけれど、 その公 共 劇 場もコロナの影 響が大きく、誤 解を恐れずに言えば 官 僚 的になっていると感じます。安 全をまず第 一に、管 理 機 構の原 則にのっとっていなければい けないわけですから、 そこで働く人たちの意 志の問 題ではないと思います。 でも、 こういう状 態 が加 速していく中で「自由な表 現は可 能か」という問いが生まれるのも必 然という気がしま す。YPAMは、理解ある人たちのいる劇場に恵まれているとはいえ。 そういう難しさの中にあっ て、 これはもう本当に直 感 的としか言えないのですが、 フリンジに可 能 性を感じるんですよね。 ― それでいうと今 回のYPAMフリンジでは、ごく少 数の観 客を想 定してつくられた作 品 がいくつかあって 、非 常に興 味 深く体 験しました。その 作り手たちには「 大 人 数を集 客した い 」という欲 望とは異なる新しい 志 向 性を感じましたし、人 間の身体と空 間さえあれば何か できるというパフォーミングアーツの強みも感じることができました。

そうですよね。私たちにない発 想を持っている。だからこそアーティストであると思うし、 そのこ とに私たちは賭けていく― YPAMは彼らの「 役に立つ」ためにあるから、 「 賭ける」と言っ

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てしまうのはよくないですが―そういった感 覚はあります。 大 規 模なものを志 向しないというのは、潮 流かもしれないですね。例えば 、YPAMフリンジ の中に、 キュレーションされた小さなプログラムがあるのもいいかもしれません。 ― 今 回のYPAMフリンジはオンラインのみの参 加 登 録は不 可になっていて、オンサイト、 ライブであることにこだわりましたよね?

オンラインだけにすると世 界中からエントリーできてしまうし、かつ何でもやれてしまう。 そうい うオンラインだけのものを無 審 査 公 募 制でやるのは、YPAMの役 割ではないと感じます。 なに よりライブパフォーマンスのプラットフォームなので。 ― 交 流ということでいうと、今 回から Swapcardという交 流アプリをYPAMに 導 入されました 。正 直まだ自分 は 使 いこ なせたとは到 底 言えない んで すけど、理 想としてはこのSwapcardは将 来 的にど ういうふうに使っていくのでしょうか。

オンラインとオンサイトのハイブリッドで ネットワーキングに適したイベント用アプリ 「 Swapcard」 を導 入、通年の活用を進める (2021)


やっていくことは、国 際 交 流のプラットフォームである限り必 然 的に受け入れなければいけな いと思っています。Swapcardは CINARSなどでも採用していて、軽くて端 末への負荷が低く、 オンライン上で映 像を見せたり、会 議に参 加したりもしやすいので使うことにしました。今 後は

TPAM 期 間中だけでなく、通 年で、Swapcard 上で小さなミーティングを仕 掛けたりして、ゆ くゆくは参 加 者が自分たちで活用できるような状態に持っていきたいと思っています。 結局、YPAMの仕 事ってインフラをつくることなんですよね。 それをどうやってつくるのか。私 には TPAM / YPAMは「 人 」がつくってきたものだという意 識があるんです。 それぞれの フェーズで、 それぞれの場 所で、たくさんの人が TPAM/ YPAMと共に活 躍してくださった。 尽力してくださった。 そういう人が必ずいたんです。 それは私が若かったからかもしれないです し、今 後そういう人が現れるかどうかもわかりません。 これからどういう時 代になるかわからない ですが、 それでもYPAMは状 況に合わせて、必 要な何かをやっていくのだと思います。 〈インタビューを終えて〉 コロナ禍に突 入してすでに 2 年 。人が集うこと、海を越えて移 動することが、以 前とは比べ ものにならないほど困 難になってしまった今 、 あらためてTPAM/ YPAMの貴 重さを痛 感す る。 それは当たり前に設 置されたものではなく、 「 人 」がつくったものであり、様々な人々の試 行 錯 誤の積み重ねによって育まれてきたものだ、 ということを、四 半 世 紀 以 上にわたるストー リーを伺いながら感じることになった。

TPAM/ YPAMは、 そんな人と人とが、 ある時 代において出会うためのプラットフォームで ある。 と同 時に、時 代と共にいろんな人を巻き込みながら変 化していくムーブメントでもあるの かもしれない。 まるおか・ひろみ 国際舞台芸術交流センター (PARC)理事長、横浜国際舞台芸術ミーティング (YPAM・旧TPAM) ディレ クター、舞台芸術制作者オープンネットワーク (ON-PAM)副理事長。2003~2010年、ポストメインスト リーム・パフォーミング・アーツ・フェスティバル(PPAF)創設・運営。TPAMと併設してIETMアジア・サテラ イト・ミーティング( 20 0 8・2011年 )、アジアの制 作 者を集めた「 舞 台 芸 術 制 作 者ネットワーク会 議 」 (2009年) を開催。2012年にはフェスティバル「サウンド・ライブ・ トーキョー」 を創設。

ふじわら・ちから 高知生まれ、横浜在住。住吉山実里とorangcosongを結成し、 アーティスト、批評家、 キュレーター、 ドラマ トゥルクとしてアジアを中心に活動。 『 演劇クエスト』 を横浜、城崎、 マニラ、 デュッセルドルフ、安山、香港、 東京、バンコク、 ローザンヌ、 マカオで展開。台北のADAM2017では多国籍のアーティストたちと 『IsLand Bar』 を考案した。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー、文化庁東アジア文化交流使。

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DEVELOPMENTS in JAPAN and OVERSEAS

《TPAM/YPAM 沿革》 主催団体の変遷

1995

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東 京( 池 袋 )で「 芸 術 見 本 市 」 ( T P A M:T o k y o Performing Arts Market)開始(事務局長:中根公夫)。 国際交流基金、地域創造、劇場 プログラムは公募制のブース展示、ショーケース、交流 演出空間技術協会、日本音楽事 業者協会、東京国際舞台芸術 プログラムなど。 「東京国際舞台芸術フェスティバル」 (PARC運営)と同 フェスティバル’95実行委員会 時期に開催。 国際交流基金、全国公立文化施

1997

東京都庁の跡地にできた東京国際フォーラムで開催。

1998

主催者から全国公立文化施設協会、日本芸能実演家団 体協議会が脱退。

1999

主催を実行委員会形式に変更し、PARCが加入。

2002

東京都主催「アジア舞台芸術祭」 (PARC運営)併設。

2003

(〜2004年) 文化庁主催「インターナショナル・ショーケース」併催(〜 [PARC]) 2010年)。

設協会、地域創造、日本芸能実 演家団体協議会 国際交流基金、地域創造

芸術見本市実行委員会(構成団 体:国際交流基金、地域創造、国 際 舞 台 芸 術 交 流センター

2005

日本語名称を「東京芸術見本市」に改称し、丸岡ひろみ が事務局長に就任。 「同時代の舞台芸術」に焦点を絞り、インターナショナル・ ショーケースを公募制から選任ディレクター制に変更する とともに、公募プログラム「TPAMフリンジ」を開始。

2007

8 月末〜9 月初旬だった会期を、3 月に移す。 作品を映像で紹介するプログラム「ヴィジュアル・プレゼ ンテーション」新設。

2008

日本初の「IETMアジア・サテライト・ミーティング」を併催。 成団体:国際交流基金、地域創 (〜2010年) プロフェッショナルの国際的オープンネットワーク構築を 造、PARC) TPAMの主目的と定義。

2009

アジアのプロフェッショナル間のネットワーキングをテーマ に国際会議「舞台芸術制作者ネットワーク会議」を併催。

2010

観客参加型インタラクティブ・パフォーマンスのショーケー ス「Connected」をブリティッシュ・カウンシルと共催。 この年を最後に地域創造が主催から脱退、文化庁主催 のインターナショナル・ショーケース終了。

東京芸術見本市実行委員会(構


2011

東京から横浜へ会場を移動し、 「国際舞台芸術ミーティ ング in 横浜」 (Per fo rming A r t s M e eting in Yokohama)に改称。主催に神奈川芸術文化財団、横浜 市芸術文化振興財団が加入。 従来のジャンルごとのショーケースを終了し、選任ディレ クターがコンセプトをたててプログラムをつくる「TPAM ディレクション」を開始。 2 度目のIETMアジア・サテライト・ミーティングを併催。 会期直後に起こった東日本大震災と福島第一原子力発 電所の事故を受け「TPAM in Yokohama サマーセッ ション」を開催。

2012

舞台芸術におけるアーティスト・イン・レジデンスをテー マにした国際会議、公演プログラムを開始。 表現の自由、若手アーティストの国際的活動をテーマに 「TPAM in Yokohama オータムセッション」を開催。

2013

ブース展示を廃止。 参加者の自発的・双方向的コミュニケーションを軸とした 交流プログラム「TPAMエクスチェンジ」開始。

2015

5 年計画の「アジア・フォーカス」開始。

国際舞台芸術ミーティング in 横浜実行委員会(構成団体:国

2016

ピチェ・クランチェン 『Dancing with Death』、マーク・テ 『Baling 』、サイレン・チョン・ウニョン『変則のファンタ ジー 韓国版』の国際共同製作に参画。 「TPAMディレクション」で音楽プログラムを開始。

2017

エコ・スプリヤント 『BALABALA』 の国際共同製作に参画。 「アジアン・ドラマトゥルク・ネットワーク・ミーティング 2017」をCentre 42(シンガポール)と共催。

2018

「アジアン・ ドラマトゥルク・ネットワーク・サテライトシンポ ジウム 2018: ドラマトゥルギーと政治的なるもの」を Centre 42と共催。

2019

ホー・ツーニェン『神秘のライ・テク』、ファイブ・アーツ・セ ンター『 仮構の歴史 』、ファーミ・ファジール + 山下残 『GE14』の国際共同製作に参画。

2020

エコ・スプリヤント 『イブイブ・ベルー:国境の身体 』、ピ チェ・クランチェン『No. 60』の国際共同製作に参画。 HOTPOT 東アジア・ダンスプラットフォームと提携。ア ジア・ネットワーク・フォー・ダンス(AND+)のミーティン グを提携事業として実施。 この年を最後に国際交流基金が主催から脱退。

際交流基金、神奈川芸術文化財 団、横浜市芸術文化振興財団、 PARC) (〜2020年)

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DEVELOPMENTS in JAPAN and OVERSEAS

国際舞台芸術ミーティング in

2021/ 2

ホー・ツーニェン『ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声』の 国際共同製作に参画。

横浜実行委員会(構成団体:神 奈川芸術文化財団、横浜市芸術 文化振興財団、PARC) 助成:国際交流基金

2021/12 2022

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YPAM(横浜国際舞台芸術ミーティング/Yokohama Performing Arts Market))に改称。 12月に実施予定。

横浜国際舞台芸術ミーティング 実行委員会(構成団体:神奈川 芸術文化財団、横浜市芸術文化 振興財団、PARC) 共催:横浜市(文化庁拠点形成 事業補助事業)


特集

紛 争 地 域から生まれ た演劇 13


SPECIAL FEATURE

[特集

紛争地域から生まれた演劇 13]

密度の濃い短編動画5作 谷岡 健彦 2021年の「 紛 争 地 域から生まれた演 劇 」の演目がアメリカの作 品だと聞いたとき、 ちょっ と意 外な気がした。 このシリーズが取り上げるのは、 イスラエルやパレスチナ、 シリアなど大 規 模な軍 事 衝 突を近 年 経 験した、あるいは現 在も経 験している国々の戯 曲というイメージが あったからだ。 しかし、作 品の内 容が新 型コロナウイルスの流 行 拡 大に関わるものと知って 得心がいった。 たしかに日本でもコロナウイルス蔓延への対策は、 ある意味、 「戦争」の様相 を呈している。昨 夏 、感 染 者が急 増して病 床が足りなくなったときに設 置が検 討された臨 時の医 療 施 設のことを、 メディアは「 野 戦 病 院 」と呼んでいた。 このような言 葉 遣いのレベル にとどまらない。東 京と大 阪でワクチンの大 規 模 接 種センターの運 営を担ったのは自衛 隊 だった。感 染 者 数 、死 者 数とも日本をはるかに上 回るアメリカでは、 いっそう「 平 時 」とはかけ

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離れた経 験をすることになっただろう。 作品成立の背景 今 回 取り上げられた『 Viral Monologues 』は、2020 年 3 月、 コロナウイルスの感 染 拡 大 によりニューヨークの劇 場が閉 鎖されたのを受けて立 案された企 画である。制 作 主 体は 「 The 24 Hour Plays( 24時 間 劇 )」という集 団だ。1995年の設 立 以 来 、劇 作 家と俳 優 を集めて24時 間 以 内に作 品を創 作し舞 台にかけるというユニークな活 動で知られている。 『 Viral Monologues 』では、 「 The 24 Hour Plays」のスタッフがリモートで劇 作 家と俳 優 を引き合わせた後 、翌日の午 前 9 時までに劇 作 家がその俳 優のためにモノローグを書き、 俳 優はその日の午 後 6 時までに自分の演 技をスマートフォンなどで撮 影するという方 法が採 られた。早くも 3 月 17日に第 1 回の配 信が始まり、3 月中に公 開された動 画は 60 本にも及 ぶ。 タイトルの「 Viral」には、 この語の持つ「ウイルスの」という意 味と「インターネット上でひろ く拡 散された」という意 味の両 方が重ね合わされているのだろう。すべての動 画が後 者の 意 味で「ヴァイラル」だったというわけでもないだろうが、 なかには再 生 回 数が 2 万 回を超え ている動画もあり、2021年 10月の時点でもまだ新 作がアップされている。 また、最 初に公 開された 60 本の動 画の台 本の大 半を 1 冊にまとめた書 籍も出 版されて いる。今 回 、 日本 版が制 作されたのは、 そこから選ばれた 5 編だ。本 作を日本の観 客に提


示するにあたってはどのような形 式がいちばんふさわしいのか、主 催 者の間で議 論があっ たにちがいない。公 演 予 定 時 期の日本 国 内の感 染 状 況はいったん考 慮から外すとして、 シ リーズのこれまでの作 品のように、劇 場で演 劇 作 品として上 演するという選 択も検 討された だろう。演 出 家を置いて俳 優と稽 古を重ね、照 明や音 響も用いれば見ごたえのある舞 台に 仕 上がるはずだ。 しかし、 それでは完 成 度と引き換えに、限られた時 間 内で執 筆され演じら れた原 作のよい意 味での「 粗っぽさ」が消えてしまう。 それに、演 出 家を介さずに俳 優が自 由に劇 作 家の言 葉を解 釈して表 現することも、 『 Viral Monologues 』のねらいのひとつなの である。結 局 、5 人の俳 優に翻 訳 台 本を渡し、各 人が最 善と考える方 法で演じて動 画にし てもらうことにしたのは、主催者の賢明な判断だったと思う。 一方、 これだけ大きな裁 量を与えられることは、俳 優にとっては喜ばしくもあると同 時に負 担であったかもしれない。 とくに本作のモノローグは、上述したように、 ある特定の俳優が演じ ることを念 頭において書かれたものだ。別の言い方をすれば 、今 回の 5 人の俳 優にはみな 自分が口にするとは想 定されていなかった台 詞が与えられたわけである。 こうした言 葉と、 ど のように向き合うのか。 できるかぎり自分の方へ近づけるのか。 それとも、距 離をとって他 者の 発言だと明 示するのか。演じ手による台本へのアプローチの違いも見どころとなろう。

153 『今回の旅行』 東 京 芸 術 劇 場アトリエウエストで上 映された順 番に、各 作 品について見ていこう。 まずチャーリー・ オリアリー作の『 今 回の旅 行 』を、熊 川隆 一が演じ た。 コロナ禍に家 族で旅 行をしてきた男のモノロー グである。洗 面 所の鏡に向かって語りかける自分 の姿をスマートフォンで撮 影している男を、 さらに別 のカメラが撮 影しているという構 図が面白い。主 人 公の男は他人にどう見られているかを非常に気にし ているのである。彼は、自分たち家 族の旅 行はなん ら批 判を受けるようなものではなく、むしろ旅 先のレ ストランではチップをはずんでやり、苦 境にある飲 食 店を助けるのに貢 献したと主 張する。 しかし、自分は悪くないと言っている最 中に咳が 出てしまう。 ここで熊川は長く激しく咳き込んで、たん に喉がつかえただけの咳ではないことを示した。 ス

チャーリー・オリアリー作『今回の旅行』熊川隆一

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SPECIAL FEATURE

マートフォンで自分を撮 影するのを中 止し、他 人の目を意 識しなくてもよくなった男は、鏡に 向かって「お前はバカで、身勝 手だ」となじる。 どうやら彼はウイルスに感 染して自己隔 離中 らしい。今 回の旅 行についての饒 舌な説 明は、空しい自己 弁 護だったのである。いわゆる 「 経 済を回す」ためと称した消 費 行 動が、実は利己的な愚 行でしかないことを明るみに出 す佳編だった。 『発信者不明』 次のダン・オブライエン作『 発 信 者 不 明 』は、後 藤 佑 里 奈が演じた。 コロナウイルスによる 肺炎で死の床に臥せっている母へ向けての娘からのビデオ・メッセージという体裁をとってい る。朝 、主 人 公の女 性の電 話に発 信 者 不 明の着 信があり、長く音 信の途 絶えていた母が 危 篤で、面 会もできない状 態だと告げられたという。久しく連 絡がなかったのだから、 この母 と娘はけっして幸 福な関 係ではなかったのだろう。後 藤は、 ときに怒りを呑み込むような間 合 いを台詞に入れるなどして、複 雑な感 情の揺らぎを伝えている。 娘は自分がずっと母から愛されてこなかったと感じている。5 年 前にいろいろと難 事に見 舞われたときも、母はメールひとつよこさなかったそうだ。 こうした母を、彼 女は容易には許そう

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としない。同 性の配 偶 者といっしょに育てている自分の娘 、つまり母にとっては孫の写 真も見 せない。 しかし、 このように母への不 満の吐 露が続くからこそ、モノローグの最 後に 1 度だけ 口にされる「 母さん」という呼びかけが心に響く― ただし、彼 女がこのビデオ・メッセージを 母へ送信すると決心すればの話なのだが。

ダン・オブライエン作『発信者不明』後藤佑里奈


『訪ねてきてくれてありがとう』 ジュ・イー作の『 訪ねてきてくれてありがとう』 は、動 画を撮 影するカメラの用い方がユニーク な作 品だ。 クルーズ旅 行に出かけていた主 人 公の女 性が帰 宅するところから話は始まる。家 に入ると、彼 女は予 想 外の事 態に直 面する。 死んだはずの愛 犬が部 屋にいるのである。 この 犬の幽 霊に向かって、彼 女はクルーズ船で夫 がコロナウイルスに感 染してしまったこと、夫は 隔 離されたため最 期を看 取ってやれなかった ことなどを語り始める。本 作でカメラは、 この犬 の視 点に設 定されているのである。 だが、井 上 加 奈 子はこの指 定をあえて無 視

ジュ・イー作『訪ねてきてくれてありがとう』井上加奈子

し、ふつうにカメラに向かって台 詞だけでなくト 書きまで読む動 画を撮 影した。自分は劇 作 家の言 葉をそのまま伝える役 割に徹し、台 本が 演じられるさまは視 聴 者の想 像に委ねる方 法を選んだのである。犬の視 点からの情 景を目 にできないことに、 もどかしい思いをしないわけでもない。 しかし、部 屋の開いた窓から犬が空 へ飛び出していくという結 末が、 オリジナル版の動 画ではいまひとつ不 明 瞭であることを考え ると、 きちんとト書きを読むという井 上の選 択も理にかなっていたと思う。 『無敵の私たち』 一方、 『 無 敵の私たち』 を演じた土 井ケイトは、台 詞を極力、 自分のものにしようとしていた。 ニューヨーク市で働く実 在の看 護 師へのインタビューをもとに、 ジェシカ・ブランクとエリク・ ジェンセンが 書いた作 品であ る。台 本にある「ちょうど1週 間 で 70 時 間の勤 務を終えたとこ ろである」というト書きをふまえ たのだろう。土 井は看 護 服 姿 でカメラに対 峙する。表 情には 疲労の色が濃い。 看 護 師になろうと思ったきっ かけから始まった彼 女の話は、

ジェシカ・ブランク&エリク・ジェンセン『無敵の私たち』土井ケイト

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SPECIAL FEATURE

おのずとコロナウイルスの感 染 者の入 院が急 増している昨 今の状 況へと移っていく。彼 女 は、病 室にいられる時 間が 10 分までと制 限されているため、患 者に声もかけてあげられない のがつらいらしい。言いにくい話になると言 葉に詰まり、 カメラから目を逸らす土 井の演 技がリ アルだ。彼 女の口調はしだいに熱を帯びてくる。 マスクや防 護 具も用意できない政 府への怒 り、 あるいはまるで自分がウイルスに対して無 敵であるかのように思って感 染 対 策を講じない 人たちへの怒りを抑えきれないのである。 「もっとお互いを大 事にできたらいいのに」という結 語が深い印 象を残すモノローグだった。 『なによりつらいこと』 最 後のハワード・シャーマン作『なによりつらいこと』は、平 田 満が演じた。重 傷を負って入 院している息 子を気 遣うアジア系男性のモノローグである。余 計な感 情は乗せずに台 詞を 読んでいく平田の口調が、 かえって父 親の抱く不 安を際 立た せる。 コロナウイルスの感 染が拡 大するなか、高 齢で高 血 圧が持 病の男性に代わって息 子が食 料 品 店へ買物に行ってくれた。 すると、 「 中 国ウイルス」だの「 国へ帰れ」だのと叫ぶ暴 漢た

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ちに遭 遇して袋 叩きにされたのである。病 院へ見 舞いに行こ うにも、 この感 染 状 況のもとでは患 者 以 外の来 院は許 可して もらえない。彼にできることと言えば 、かつて息 子が自分にプレ ゼントしてくれた守 護 天 使の像に無 事を祈ることくらいである。 ようやく過 去のものとなったと思われたアジア人 差 別が、 ウイ ハワード・シャーマン作 『なによりつらいこと』平田満

ルスの蔓 延を機に再 燃してきたことを嘆く父 親の台 詞が、動 画を見 終えた後も長く胸に響く。

本作が「紛争地域から生まれた演劇」で取り上げられた意義 わずか 5 編の短 編 動 画だが、 それぞれ密 度が濃く、題 材も多 岐にわたっている。あえて 全 編に通 底するモチーフを探り出そうとするならば、5 編目の『なによりつらいこと』に作 者ハ ワード・シャーマンが書き込んだ「 憎 悪がウイルスによってあぶりだされたのかもな」という台 詞が手がかりになるだろうか。平 時には社 会 生 活の表 面の下に抑え込まれている諸々の感 情が、非 常 時となると、 それが憎 悪であれ愛 情であれ、一 挙に噴 出するさまが各 編のドラマ の核 心をなしていた。 「 紛 争 地 域から生まれた演 劇 」として取り上げるにふさわしい短 編 集 だったと言えるだろう。


最 後に翻 訳について付 言しておきたい。今 回 、月沢 李 歌 子が翻 訳を担当することとなっ たのは、国 際 演 劇 協 会日本センター主 催の事 業「ワールド・シアター・ラボ」を受 講したの がきっかけと聞く。翻 訳の経 験は豊かな月沢だが、戯 曲の翻 訳は初めてだそうだ。質の高 い上 演 台 本が作 成され、戯 曲 翻 訳 者としての素 晴らしいデビューとなった。月沢の訳 業 、 およびそれを後 押しした国 際 演 劇 協 会日本センターの翻 訳 者 養 成 事 業の功 績を特 筆し ておく。 たにおか・たけひこ 1965年生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。現代イギリス演劇専攻。著書に『現代 イギリス演劇断章』 ( 2014年、 カモミール社) がある。デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』 ( 2019年、新国 立劇場) の翻訳を担当。俳人協会会員。句集に『若書き』 ( 2014年、本阿弥書店)。 *戯 曲 集では、 『 無 敵の私たち』のタイトルを『 無 敵 』 と改めました。 また、Erik Jensenの読みは広 報 時の「エ リック・ジェンセン」より 「エリク・ジェンセン」と改めました。 (編集部)

「紛争地域から生まれた演劇」シリーズについて 世界の国際演劇協会(ITI)では、演劇を通じて平和の構築を目指す取り組みとして 「Theatre in Conflict Zones」と題するプロジェクトを行っています。日本センターで は、2009年より本誌『国際演劇年鑑』の調査・研究事業の一環として「紛争地域から生ま れた演劇」シリーズを始めました。当シリーズではこれまで13年にわたり、日本国内でま だ知られていない優れた戯曲を28本、翻訳とリーディング上演、作家や専門家によるレク チャー、展示等を通して紹介してきました。3年目からは戯曲集の発行も行っています。 『Viral Monologues』の翻訳を収録した最新刊やバックナンバーをご希望の場合は、国 際演劇協会日本センターまでお問合せください。 (編集部)

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SPECIAL FEATURE

《記録》 紛争地域から生まれた演劇13 『Viral Monologues』上映会 2021年12月11日(土) ・12日(日) 会場=東京芸術劇場アトリエウエスト(地下 1 階) ※アーカイブオンライン配信=2022年 1 月17日(月)10:00~1 月23日(日)23:59 ■ 上演作品 The 24 Hour Plays『 Viral Monologues』 より 1 . 今回の旅行(This Trip) 作=チャーリー・オリアリー(Charlie O’Leary) 出演=熊川隆一(劇団ラッパ屋) 2 . 発信者不明(Unknown Caller) 作=ダン・オブライエン(Dan O’Brien) 出演=後藤佑里奈(劇団俳優座)

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3. 訪ねてきてくれてありがとう (Thank You for Visiting Me) 作=ジュ・イー(Zhu Yi/朱宜) 出演=井上加奈子(アル☆カンパニー) 4 . 無敵の私たち(Invincible) 作=ジェシカ・ブランク&エリク・ジェンセン(Jessica Blank and Erik Jensen) 出演=土井ケイト 5 . なによりつらいこと (The Hardest Part) 作=ハワード・シャーマン(Howard Sherman) 出演=平田満(アル☆カンパニー) ■ トーク 12月11日 竹中香子(俳優) 12月12日 外岡尚美(青山学院大学教授、アメリカ演劇)

本誌『国際演劇年鑑2022』の別冊として、 『Viral Monologues』の翻訳を収めた「戯曲集」を発行し ています。ご希望の場合は、国際演劇協会日本センターまでお問合せください。


日本の舞台芸術を知る 2021


NOH and KYOGEN

国立能楽堂五月狂言企画公演『蝉』 シテ (蝉の亡霊) :野村又三郎/ワキ (旅僧) :野口隆行

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写真提供:国立能楽堂

[能・狂言]

謡 の 演 劇 性を中 心に 小田 幸子 落ち着きを取り戻した舞台と重鎮の逝去

2021 年の能・狂 言 界は、1 月 8 日発 令の緊 急 事 態 宣 言 以 降 、7 月発 令の同 宣 言が 9 月 30日に解 除されるまで、不 安 定な状 況が続いた。度 重なる発 令と解 除と延 長を受けて、 あらたに中 止・延 期とした公 演のほか、昨 年の振 替 公 演を再 度 中 止・延 期せざるを得な かった会も少なくなかった。 また、20 時 終 演に合わせて急 遽 開 始 時 間を早め、演目を削る などの調 整を行ったり、50%の入 場 率で販 売した座 席 数を規 制 緩 和に伴って追 加するな ど、時々の対 応に追われていた感が強い。 それでも、中 止・延 期 件 数はトータルとして大 幅 に減 少し (たとえば、国 立 能 楽 堂 主 催 公 演の中止は 4 月 29日と 5 月 8 日)、地 謡の覆 面は 見 受けるものの、筆 者の見 聞 範 囲でいえば、感 染 予 防のための無 理な演出上の変 更はな されずに済んでいる。50%の定員枠が解 除されてからは観 客 数も増 加し、国 立 能 楽 堂の


主 催 公 演は、常 時 定員の 90%を越えている。昨 年 来の絶 対 公 演 数と観 客 数の減 少に伴 うダメージはそう簡 単に解 消できるわけではないにしても、12月中 旬 現 在 、舞 台そのものは 落ち着きを取り戻している。一 年を通して、意 欲 的な舞 台 、質の高い公 演が幾つもあった。 本 年の大きな出 来 事は、三 人の重 鎮が亡くなったことである。7 月 13日に観 世 流シテ方 まさくに

げんせつ

の浅 見 真 州 氏( 1941 年 生 )が、8 月21日に、本 年 4 月「 幻 雪 」号を許された観 世 流シテ方 たかやす

で人 間 国 宝の野 村 四 郎 氏( 1936 年 生 )が、11月 17日に高 安 流 大 鼓 方で人 間 国 宝の柿 たか し

原 崇 志 氏( 1940 年 生 )がこの世を去った。常に新たな演出に挑 戦した華やかな芸 風の真 州 氏 、端 正さと柔らかみを兼 備し幅 広い知 見でジャンルを横 断した幻 雪 氏 、 シテ登 場 楽の 最 初の一 打で世 界を変えてしまう崇 志 氏 、 どなたも亡くなる直 前まで現 役として舞 台に出演 し、文 字 通り近 代の能を牽 引してきた。 それだけに、喪 失 感は強く世 代 交 代の感はまぬが れないが、名 舞 台の数々は観 客の心に深く刻みこまれているに違いないし、直 接 間 接に指 導を受けた後 進が着 実に育っているのが何よりも頼もしい。 浅見真州の『景清』 筆 者の「 今 年の一 番 」は、真 州 氏の最 後の舞 台となった能『 景 清 』 ( 3 月19日、国 立 能 楽 堂 定 例 公 演 )である。 シテの演 技はむろんのこと、地 謡( 地 頭:浅 井 文 義 )が抜 群の力を 発揮した舞 台だった。 はじめにストーリーを略 述する。 あく しち びょ うえ か げ き よ

平家滅亡後、 日向 国に流された平 家の侍・悪 七 兵 衛 景 清(シテ)は、盲目の身となり「日 こ う とう

ひとまる

向の勾 当 」として露の命をつないでいる。 そこへ、幼い頃 捨てた娘の人 丸(ツレ)が鎌 倉から 尋ねてきた。一 旦は知らぬ振り をしたが、里 人の計らいで娘と 対 面した景 清は、所 望されて 屋 島 合 戦の武 勇 譚を語った のち、亡き跡の弔いを託して娘 を鎌倉へ帰す。 豊 富な景 清 伝 説を踏まえて、 娘との 邂 逅という一 点に絞っ てドラマを形 成する 『 景 清 』の シテは、内 面に過 去の栄 光を 抱えつつ、現 在の零 落を堪え ている。 そこへ 、 「 女 子なれば 何の用に立つべきぞ」 (女なの

国立能楽堂三月定例公演『景清』景清:浅見真州/地頭:浅井文義 写真提供:国立能楽堂

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で何の役にもたつまい) と顧みなかった娘が、会ったことも無い父を慕って尋ねてきた。恩 愛 の絆を断ち切って武 勇を追 求してきた過 去への悔 恨が景 清をゆさぶる。真 州は、隅々まで 意 識によって照らされた緻 密な演 技で娘との出会いを表 現した。 たとえば、対 面のシーンの 「まさしき子にだにも、訪はれじと思ふ悲しさよ」と、娘の肩にかけた手を少しずつ上にずらし ながら、逆に上 体を床に付くほど沈めていく。通 常のシオリ ( 泣く型 )は行わずに、体 全 体で 悔 恨と情 愛をあらわした。 「 戦 語り」の勇ましさではなく、 「 思いも寄らぬ娘の訪 問によって引 き起こされた内 面の動 揺 」をテーマに据えた真 州の『 景 清 』は父と娘の物 語として優れて 現代的だった。 浅井文義の地謡 現 代の能が表 現しうる最 高のドラマ『 景 清 』を真 州とともに作りあげていたのが、地 頭の 浅 井 文 義が率いる、起 伏に富んだ地 謡である。 シテの心 情 表 現を主に地 謡が担う構 成と も関係するが、地 謡に全 幅の信 頼を置けたからこそ、 シテは思い通りの演 技ができたのだ。 大 阪に本 拠 地を置く浅 井は、 はやくから地 頭として高く評 価されてきたが、大曲や難曲の 地 頭を15 番 以 上 勤めるなど、本 年は突 出していた。 その魅力は、明 確な演 劇 性と丁 寧な

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ほとけのはら

言葉扱いにある。 それが十全に発揮された『 仏 原 』 (国立能楽堂 10月 6 日定例公演。 シテ: 片山九 郎 右 衛 門 )の最 終 場 面では、 「 嵐 吹く雲 水の、天に浮かめる波の、一 滴の露の始 めをば」と一 字 一 句に意 味を刻 印するように進 行する息 深い謡が、気が遠くなるほどはるか な世界の始まりへと誘い、本曲独特の宗教観を表現した。 単純化していえば、 シテは型を担い、地謡は言葉を担う。浅井は、 どちらかというと謡の持つ 音 楽 性よりも一 語 一 語の意 味 の連なりにこだわり、言 葉を実 体 化させる。浅井の方法だけが正 解というわけではないが、静かに 深く観 客の心に浸 透 する能の 魅 力は、地 謡に負うところが 大 であると改めて認 識した。謡を 駆 使して能の演 劇 性を追 求し ひさ お

た観 世 寿 夫( 1978 年 没 ) と八 てつ のじ ょう

世 観 世 銕 之 亟( 2000 年 没 ) に 師 事した浅 井は、地 謡の深 度 を推し進め、広く後 進に伝える 国立能楽堂十月定例公演『仏原』 シテ (仏御前) :片山九郎右衛門/ ワキ (旅僧) :福王知登/地頭:浅井文義 写真提供:国立能楽堂


役も果たしている。 攻めから受容へ 年 齢を重ね、身体の衰えを自覚した後 、 いかに舞 台をこなしていくかという課 題に役 者は 直面する。本 年は、 「老骨に残りし花 」 (『 風姿花伝 』)についても考えさせられた。 足 腰 不 調のため昨 年 来 能はほとんど演じていない梅 若 万 三 郎( 1941 年 生 )は、1 月31 日の「東京囃子科協議会 別会能」 (国立能楽堂)で、 『 二人静 』の舞囃子を野村四郎と 相舞した。座ってから立ちあがる負担を考慮して立ったまま開始・終了するなど、 「少な々々」 と控えめに演じたが、無 理なことにエネルギーを費やさない安 定 感のなかで持ち前の端 正 あい まい

きゅう こ う か い

な美を発 揮し、老 役 者 二 人による相 舞 は殊に華やいでいた。 「 観 世 九 皐 会 」を主 宰する 満 85歳の観 世 喜 之( 1935 年 生 )は、2 月 14日『 鶴 亀 』のシテをもって能の「 舞 納め」を宣 さ い ぎょうざくら し ら は や し

言した。引退ではなく、仕 舞や稽 古は続けるとのことである。5 月 21日の『 西 行 桜・素 囃 子 』 ひた めん

( 国 立 能 楽 堂 定 例 公 演 )の梅 若 実( 1948 年 生 )のシテは、直 面 で、右 手に桜 枝 付きの か

せ づえ

鹿 背 杖を、左 手に背より長い杖を付く異 例の姿 。作リ物の柱をようやく廻った後 、橋 掛リへ 向かい、最 後は倒れこむように幕ヘ入ったのが衝 撃 的だった。過 去の芸力を知るだけに残 念という言 葉さえ空しい。優美な地謡は健在であり、才能を生かす道はまだある。

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成 長し円 熟し衰えていく役 者 人 生を見 守るのは、 そこに観 客自身の人 生を重ねるからで しお つ あき

もあり、年 齢に応じた作 品の新たな世 界が拓かれるからでもある。 シテ方 喜 多 流の塩 津 哲 お

生( 1945 年 生 )が、 『 伯 母 捨 』で示した境 地を最 後に述べたい(「 塩 津 能の會 」、10月 2 日、 喜多六平太記念能楽堂)。 腰を中心にギリギリと絞り上 げるように力を充 満させてカマ エを作る塩 津は、凝 縮した身 体が与える強い存 在 感を持ち しゃっ

味としてきた 。 『 白 髭 』や『 石 きょう

橋 』など他 の 追 随を許さない 圧 倒 的 舞 台は忘れがたい。た だ 、数 年 前に体 調を崩し、今 回 万 全とはいえない状 態で 、 能の最 高 峰とされる老 女 物の ひとつに臨んだ 。前 場 はやや 不 安 定なカマエとハコビが 気

塩津能の會『伯母捨』塩津哲生

撮影:三上文規

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ちょう

になったが、後 場で、 「 檜 垣 女 」のようなシワの無い面を掛け、蝶の文 様を散らした白い長 けん

おお くち

絹と大 口 姿で現れたシテは、 月の光を反 射している受 容 体のように感じられた。近 年の『 姨 捨( 伯 母 捨 )』は、捨てられた老 女の「 執 心 」を表 面 化する傾 向があり、激しい情 念を残し て終わることも多い。塩 津のシテはそれとは逆に、仮に人の姿をとっているだけの淡い存 在で あり、舞 台に見えてきたのは月に照らされた山の情 景だった。 「 永きに亘り習得したものは総 て捨て去らねば 、有 害 以 外の何 物でもないとさえ、思 えて参りました」と当日パンフレットに塩 津は書いている が、身体が思い通りに動いてくれないことによって、 むし ろ全身ですべてを受け入れる状 態に至ったのではな こ てら

かろうか。囃 子はしみじみとして(とりわけ太 鼓の小 寺 ま

真 佐 人 が出 色 )、地 謡( 地 頭:友 枝 昭 世 、副 地 頭:香 せい じ

川靖 嗣 ) も控えめに、 「攻め」から「 受 容 」へたどり着い た塩 津の舞 台を支えていた。 まん

狂 言では、三 名の人 間 国 宝( 野 村 萬・野 村 万 作・ 山 本 東 次 郎 )がいささかも衰えを見 せない驚 異 的な 舞 台を展 開しているほか、 「日本ろう者 劇 団 」の「 手

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話 狂 言 」を40 年にわたり指 導してきた和 泉 流の三 宅 右 近( 1941 年 生 。両 者は 2021 年の催 花 賞を受 賞 ) も こし いのり

『 腰 祈 』の祖 父などに独 特の飄 逸 味をみせた( 国 立 能 楽 堂 狂 言の会 、9 月22日)。 また、和 泉 流の野 村 又 三 郎による『 蝉 』 ( 国 立 能 楽 堂 狂 言 企 画 公 演 、5 月 国立能楽堂九月狂言の会『腰祈』三宅右近 写真提供:国立能楽堂

26日)は、面 装 束と演 出に工 夫を凝らして、蝉の亡 霊 を不 気 味な迫力で演じた。

以下、2021 年のトピックを取りあげる。 ●催し

•日本 博 皇 居 外 苑 特 別 公 演「 祈りのかたち」が、3 月 12日と14日( 13日は荒 天のため中 止 )、皇 居 外 苑の特 設 舞 台で開 催された。 「日本 博 」の一 環として、能 狂 言と琉 球 舞 踊 などで構 成された演目を、国土安穏の祈りを込めて上 演した。

•「 東 京 2020オリンピック・パラリンピック能 楽 祭〜喜びを明日へ〜」が、7 月 27日〜 29日、 8 月 2・3・27、9 月 3 日の各日、国 立 能 楽 堂で開 催された。能 楽 協 会・日本 能 楽 会・文


化 庁・日本 芸 術 文 化 振 興 会 主 催 、東 京 2020NIPPONフェスティバル共 催プログラムで、

200 余 名の能 楽 師が出 演し、初日『 翁 』から最 終日『 羽 衣 』まで、各 7 番の能と狂 言ほか を上演した。

• 文化庁の「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」の一環 として、 「日本 全 国 能 楽キャラバン!」がスタートした。能 楽 協 会 主 催による「こころ弾む、能 楽 体 験 」をテーマに、北 海 道から九 州まで、能 楽 堂を中心に、全 国 20 地 域 35 会 場 71 公 たかむら

演 、延べ 2,700 人の能 楽 師が参 加 予 定 。7 月24日京 都 観 世 会 館『 篁 』 『 葵 上 』から開 始 した( 次 項 参 照 )。 ●復曲能

• 第 六 回 復 曲 試 演の会『 篁 』が、 2 月 13日と 7 月 24日、京 都 観 おののたかむら

世 会 館において、 シテ小 野 篁− み か た しずか

味方玄、 ツレ後 鳥 羽 院−片 山 九郎右衛門、 ワキ後 鳥 羽 院を 尋ねる僧−宝 生 欣 哉ほかのメ

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ンバ ーで 上 演された 。地 獄 の 冥 官を思わせる篁 が 、巨 大な 金 札を投げ捨てて荒れる演 技 が鮮 烈 。

•シテ方 観 世 流 、加 藤 眞 悟によ わ

だ さ か もり

第六回復曲試演の会『篁』小野篁(左) :味方玄/後鳥羽院を尋ねる僧(中) : 宝生欣哉/後鳥羽院(右) :片山九郎右衛門 ©︎公益社団法人能楽協会

る復 曲 能『 和 田 酒 盛 』が 2 月

13日平 塚 市 中 央 公 民 館で上 演された。同 氏による3 曲目の 曽我 物 復曲。 ●新作能 『ヤコブの井 戸 』 (ディートハル ト・レオポルド作 )、 『 長 崎の聖 母』 ( 多 田 富 雄 作 )が 、観 世 流 シテ方 清 水 寛 二のシテで 8 月 4 日〜 8 日、東 京の座・高 円 寺 1

銕仙会『長崎の聖母』清水寛二

撮影:宮内勝

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において上 演された( 銕 仙 会 主 催 )。能 舞 台 風のセットを組み、照 明・映 像を加えた上 演 は、新作 能の舞 台を開 拓するとともに、新たな観客層を呼び込んだ。 しょうじょうみだれ

●『夢の解剖-猩 々乱』 世 田 谷 美 術 館パフォーマンスシリーズ・トランス/エントランス特 別 篇として、10月 5・6 日、 世 田 谷 美 術 館エントランス・ホールで開 催された。月が幾つも輝く宇 宙を思わせる幻 想 的 な空 間(イタリアの演 出 家・振 付 家ルカ・ヴェジェッテイの演 出 )に、 シテ ( 長 山 桂 三 )が漂う みだれ

ように「 乱 」を舞う。姿が見えない地 謡( 観 世 銕 之 丞 )の声が天 上から降り注ぐ。強い照 明 う ざ わ ひかる

や鏡の利用など、能とアートの融 合が見 事 。微動だにしない鵜 澤 光 の後 見も印 象を残した。

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世田谷美術館パフォーマンスシリーズ・ トランス/エントランス特別篇『夢の解剖-猩々乱』 シテ : 長山桂三/後見 : 鵜澤光 撮影:今井智己

おだ・さちこ 能・狂言研究家。博士(文学)。法政大学大学院修了。主要研究テーマは、能・狂言の演出史研究と作 品研究。演劇批評、講演、解説、復曲・古演出上演のドラマトゥルクなど、研究と舞台をつなぐ活動にも取 り組んでいる。


『桜姫東文章 上の巻』片岡仁左衛門の釣鐘権助・坂東玉三郎の桜姫

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[歌舞伎]

続くコロ ナ 禍と中 村 吉 右 衛 門 の 逝 去 矢内 賢二 原状復帰への遠い道のり コロナ禍による長い休演期間を経て、 そろそろと手探りするように歌舞伎座の公演が再開 したのは 2020 年 8 月のことだった。 その後も全く先の見えない状 況の中で、各 劇 場では使 用客 席 数の大 幅な削 減 、公 演 時 間の短 縮 、部ごとの関 係 者の総 入れ替え等の厳しい感 染 対 策を継 続しながら公 演を実 施した。四 部 制で公 演を行ってきた歌 舞 伎 座は 1 月から 三 部 制に変 更 。 しかし年 明け早々の 1 月 7 日、首 都 圏の一 都 三 県に二 度目の緊 急 事 態 宣言が発出、開 演 時 間の繰り上げ等の対 応を強いられることとなった。 以 降 、緊 急 事 態 宣 言 及びまん延 防 止 等 重 点 措 置の発出・延 長が繰り返され、他のジャ ンルの演 劇と同 様 、歌 舞 伎の公 演は常に行 政 機 関による規 制や協力要 請の下に置かれ 続けることとなった。一 部の出演 者が新 型コロナウィルスに感 染して休 演と配 役 変 更が生じ 日本の舞台芸術を知る

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るなど、 「 綱 渡りの」 「 薄 氷を踏むような」と形 容されるべき苦しい状 況が続くうち、感 染 者 数 の減 少を受けて10月 1 日にすべての宣 言・措 置が解 除 。 ひとまず小 康 状 態かというムード が広がったが、11月に感 染 性の強い新たなウィルス変 異 株が報 告されたこともあって、歌 舞 伎公演についてはほぼ変わらぬ状況が続いた。 この間、近代五輪史上初の無観客で開催 しばらく

された東京オリンピックでは、7 月23日の開会式に市川海老蔵が『 暫 』の扮装で登場した。 中村吉右衛門の逝去 中 村 吉 右 衛 門は途 中 体 調 不良による休 演を挟みながらも 1 月歌 舞 伎 座『 忠 臣 蔵 』七 さん もん ごさ んの きり

段目の大 星 由良之 助 、続いて 3 月同 座『 楼 門 五 三 桐 』の石 川 五 右 衛 門をつとめていた が、 その千 秋 楽の前日、3 月28日に心 臓 発 作で緊 急 搬 送され、ついに復 帰 を果たすことなく11月 28日に逝 去した。 享年 77。 当たり役は、生 前に80 歳での上 演 を望んでいた『 勧 進 帳 』の弁 慶のほ か、 『 寺 子 屋 』の 松 王 丸 、 『義経千

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本 桜 』の平 知 盛 、 『 俊 寛 』、 『 熊谷陣 いちじょうおおくらものがたり

屋 』、 『 盛 綱 陣 屋 』、 『 一 條 大 蔵 譚 』、 『 石 切 梶 原 』など、特に義 太 夫 狂 言 の時 代 物における重 厚でスケールの 大きな演 技 、卓 越したせりふ回しは随 一であった。 『 元 禄 忠 臣 蔵 』、 『井伊 大 老 』などの歴 史 劇では陰 影に富ん だ奥 深い人 間 像を体 現する一 方 、世 話 物では『 河 内山 』、 『 幡 随 長 兵 衛 』、 『 法 界 坊 』などでこぼれるような愛 嬌 を見 せ 、 テレビドラマ『 鬼 平 犯 科 帳 』 でも幅 広い人 気を集めた。宿 命であ る初 代 吉 右 衛 門の芸の継 承を見 事 に成し遂げたのみならず、 さらに芸の 幅と奥 行きとを広げて独自の芸 境に 至ったと言っていい。いつの時 代にも 『楼門五三桐』中村吉右衛門の石川五右衛門

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名 優を失う衝 撃は大きいだろうが、2021 年の終わりを目前にしてもたらされた訃 報ははかり 知れない喪 失 感をもたらした。 充実した舞台成果 片岡 仁 左 衛 門と坂 東 玉 三 郎は半ば伝 説となっていた舞 台の再 演で大きな話 題を集め さくら ひ め あずま ぶ ん

た。特に歌 舞 伎 座で 4 月の「 上の巻 」、6 月の「 下の巻 」と分 割 上 演された『 桜 姫 東 文 しょう

章 』は、かつて孝 玉ブームを巻き起こした演目の 36 年ぶりの上 演で歴 史 的 事 件といえるほ どのインパクトをもっており、両 者ともに驚くべき若々しさと円 熟した芸の輝きとが溶け合った おそめひさまつうきなのよみうり

名 舞 台を見せた。 これに先 立つ 2 月には『 於 染 久 松 色 読 販 』のうち土 手のお六と鬼 門の ろう たく

おん ぼう ぼり

喜 兵 衛のくだりを、9 月には 38年ぶりに 『 東海道四谷怪談 』 の「 浪 宅 」から 「隠 亡 堀 」 までを 上演。 いずれも上 演 時 間の制 約を奇 貨と して実 現した企 画というが、重 苦しい閉 塞 感が立ち込める中で歌舞伎ファンのみなら ず演 劇 界に刺 激 的な話 題を提 供して活 気づけた意義も大きかった。 ゆき のゆ

尾 上 菊 五 郎 は 3 月 歌 舞 伎 座『 雪 暮

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うべ い り や の あ ぜ み ち

夜 入 谷 畦 道 』の片 岡 直 次 郎 、5 月同 座 『 忠 臣 蔵 』六 段目の 早 野 勘 平といずれ も定 評 のある当たり役で 万 全 の 舞 台を ことぶきそがのたいめん

見 せ 、11月同 座『 寿 曽 我 対 面 』の工 藤 すけ つ ね

祐 経 では貫目と苦 味と色 気とを備えた風 姿を堪 能させた。 松 本 白 鸚 は 1 月 歌 舞 伎 座での 親 子 三 代による 『 車 引 』の松 王 丸でさすがの 貫 禄を見せ、4 月同 座の『 勧 進 帳 』では 松 本 幸 四 郎との日替わりの配 役ながら本 興 行では最 高 齢の弁 慶を演じた。 まさに 渾 身の力を振り絞っての気 迫のこもった 弁 慶であった。11月同 座『 井 伊 大 老 』は か いしゅん

中 村 魁 春 のお 静 の 方とともに歴 史 の 奔 流の中に立 つ人 間 像を静 謐のうちに描 いて感 動 的であった。

『寿曽我対面』尾上菊五郎の工藤祐経

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『井伊大老』松本白鸚の井伊直弼・中村魁春のお静の方

いとおよづめばなし

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うつし え

中 村 梅 玉は 7 月歌 舞 伎 座『 蜘 蛛の絲 宿 直 噺 』の源 頼 光 、9 月同 座『 須 磨の写 絵 』の

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あり わらのゆき ひ ら

せ おん ど こい のね たば

在 原 行 平 で品 格の高さと存 在 感の大きさを示した。10月国 立 劇 場『 伊 勢 音 頭 恋 寝 刃 』 の福 岡 貢でも、淡 彩のうちに自ずと柔らかみがにじみ出るような得がたい風 情が印 象 的で あった。 劇 団 前 進 座は国 立 劇 場で九 十 周 年 記 念 公 演を行った。劇 団の代 表 作ともいえる、独 自の脚 本と演 出による 『 俊 寛 』が緊 密な空 間を作り上げて高い成 果を挙げ、改めて古 典 作品の再 検 討の重 要 性を示した。 次世代・若手の活躍 吉 右 衛 門が逝き、大 幹 部 俳 優の多くが傘 寿を迎えようという現 在 、 これに続く世 代の責 任が急速に増しつつある。 かがみやまごにちのいわふじ

てん じく とく

市 川 猿 之 助は、8 月歌 舞 伎 座『 加 賀 見 山 再 岩 藤 岩 藤 怪 異 篇 』、10月同 座『 天 竺 徳

べえいまようばなし

こ へい じ

は な くらべ

兵 衛 新 噺 小 平 次 外 伝 』、11月同 座での『 忠 臣 蔵 』 とその外 伝 物のダイジェスト版『 花 競 ぎ しの かお み

忠 臣 顔 見 勢 』、12月同 座『 新 版 伊 達の十 役 』 と、上 演 時 間の制 約を逆 手に取って既 存 の演目を抜 粋・再 構 成し、新たな形 式での上演を試みる仕 事が目立った。 よしかたさい ご

松 本 幸 四 郎は先 述の『 勧 進 帳 』の弁 慶の好 演のほか、8 月歌 舞 伎 座『 義 賢 最 期 』、9 月同 座『 盛 綱 陣 屋 』 といずれも初 役で義 太 夫 狂 言に取り組み、堅 実な演 技で時 代 物の 継承への期 待を高めた。


にん じょうばなし ぶ ん し ち も っ と い

尾 上 松 緑は 6 月国 立 劇 場の歌 舞 伎 鑑 賞 教 室『 人 情 噺 文 七 元 結 』の左 官 長 兵 衛で 見せた若々しい父 親 像が新 鮮で、5 月歌 舞 伎 座『 土 蜘 』、10月同 座『 太 刀 盗 人 』 と舞 踊 劇でも高い実力を示した。 尾 上 菊 之 助は 5 月歌 舞 伎 座『 鏡 獅 子 』で伸びやかな優 美さを、 また 7 月同 座『 鈴ヶ森 』 で柔らかみとともに緊 張 感のみなぎる白井 権 八を見せ、 めざましい充 実ぶりを示した。 また 3 と き は い ま ききょうの はた あ げ

月国 立 劇 場では吉 右 衛 門 監 修による 『 時 今 也 桔 梗 旗 揚 』で武 智 光 秀を熱 演して芸の 伝承を実 感させた。 さらに若 手の活 躍も目立った一 年であった。尾 上 右 近は 5 月歌 舞 伎 座『 三 人 吉 三 』大 しょう ちく ばい ゆし まの かけ がく

川端のお嬢 吉 三 、10月同 座『 松 竹 梅 湯 島 掛 額 』火の見 櫓のお七で、野 性 的とでもいうよ うな斬 新な情 熱 的 感 覚を見せ、独自の存 在 感を示した。 『 加賀見山再岩藤 岩藤怪異篇 』では猿之助が新型コロナウィルスに感染、休演したため、 坂 東巳之 助が急 遽 初日から代 役に立ち、六 役 早 替りで奮 闘を見せた( 8 月 18日まで)。 ま た巳之 助は 11月歌 舞 伎 座の十 世 坂 東 三 津 五 郎 七 回 忌 追 善 狂 言『 寿 曽 我 対 面 』での 曽我五 郎の爽やかな好 演も印象的であった。

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『鏡獅子』尾上菊之助の弥生

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『寿曽我対面』坂東巳之助の曽我五郎

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『 花 競 忠 臣 顔 見 勢 』は主 要な役を若 手が演じ、次 世 代の面々を前 面に押し出そうとす ことほぎて

る企 画であったが、 その大 星 由良之 助を演じたのが中 村 歌 昇 。他にも 1 月歌 舞 伎 座『 壽 はながたつどうはしらだて

さや あて

浅 草 柱 建 』の工 藤 祐 経 、8 月同 座『 鞘 當 』の不 破 伴 左 衛 門でいずれも堂々とした立 派な 舞台を見せた。 物故者

5 月23日に片岡 秀 太 郎が逝 去 。4 月に旭日小 綬 章を受 章した直 後のことであった。 『封 か わしょう

印 切 』の梅川、 『 河 庄 』の小 春 、 『 沼 津 』のお米などで上 方の風 情を濃 厚に漂わせる貴 重 か しゃがた

な女 形として高く評 価され、 『 封 印 切 』のおえん、 『 吉 田 屋 』のおきさといった花 車 方 の役も かくじゅ

得 意にした。時 代 物では『 道 明 寺 』の立 田の前などのほか、同じく 『 道 明 寺 』の覚 寿 、 『盛 みみ ょう

て る と ら はい ぜん

こし じ

綱 陣 屋 』の微 妙 、 『 輝 虎 配 膳 』の越 路などの老 女 役でも風 格を示した。 また『 伊 勢 音 頭 』 の万 次 郎 、 『 車引 』の桜 丸など、時 折 演じる立 役では独 特の柔らかみと愛 嬌で忘れがたい 印象を残した。

5 月 24日には浮 世 絵 師・舞 台 美 術 家の鳥 居 清 光が逝 去 。歌 舞 伎 座の絵 看 板を長 年 手掛け、6 月公 演の絵 看板を制作中の急逝であった。

172 やない・けんじ 1970年徳島県生まれ。国立劇場勤務等を経て明治大学教授。博士(文学)。専門は歌舞伎を中心とす る日本芸能史。著書に『 明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎 』 ( 白水社)、 『ちゃぶ台返しの歌舞 伎入門』 ( 新潮社) など。東京新聞で歌舞伎評を担当。


『国性爺合戦・楼門の段』吉田簑助の錦祥女

写真提供:国立文楽劇場

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[文楽]

名 人 の 引 退と新 た な 可 能 性 亀岡 典子 令 和 三 年の文 楽 界は、前 年から続く新 型コロナウイルス禍のため、 3部 制の興 行スタイ ル、客 席 数の制 限などさまざまな影 響が見られた。文 楽ファンの多くを占める年 配の観 客は、 どうしても劇 場への足が遠のきがちになる。舞 台のクオリティーは高いのに、客 席が寂しい公 演が見 受けられたのはなんとも残 念であった。だが、 そんななかでも、 なんとかしてファンをつ なぎ止め、 さらには、観 客 層を広げようとする意 欲 的な公 演も行われたことに、未 来への光を 感じた。 文 楽ファンがもっとも悲しんだのは、人 間 国 宝で文 化 功 労 者 、 日本 芸 術 院 会員の人 形 遣い、吉 田 簑 助の引退であろう。 そのニュースは四月の国 立 文 楽 劇 場での公 演中、突 然 飛び込んできた。簑 助は「 八月に八 十 八 歳を迎えるにあたり、全身全 霊で舞 台に打ち込 めるのも今月限り」と決 断したという。昭 和 八 年 、人 形 遣い、二 代目桐 竹 紋 太 郎を父に大 日本の舞台芸術を知る

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阪で生まれ、六 歳で人 形 遣いとして歩み始めた簑 助はまさに、文 楽の申し子であった。戦 後 、若くして頭角を現し、昭 和 三 十 六 年 、三 代目吉 田 簑 助を襲 名 。 その頃にはもう、 ヒロイン ほんちょうにじゅうしこう

の役どころを遣うほどになっていた。 なかでも、 『 本 朝 廿 四 孝 』の八 重 垣 姫や「 吉 田 屋 」の 夕霧など、華やかで色 香のあるお姫 様や傾 城 役を得 意とし、 その舞 台は現 代 文 楽の大き な魅力となった。平 成 十 年 、脳 出 血で倒れたが、不 屈の闘 志で舞 台に復 帰 。文 楽 人 形の 魅力を追 求し続けた八 十 一 年の舞 台 生 活であった。最 後の舞 台は四月、国 立 文 楽 劇 場 での『 国 性 爺 合 戦 』。 ヒロインの錦 祥 女を勤め、人々に華やかな記 憶だけを残して舞 台を 去った。 慶 事もあった。簑 助の一 番 弟 子 、桐 竹 勘 十 郎の人 間 国 宝 認 定である。勘 十 郎もまた、 後に人 間 国 宝になる人 形 遣 い 、二 代目桐 竹 勘 十 郎 の 息 子として大 阪で 生まれ 、中 学 卒 業 後すぐに、父の弟 弟 子の 簑 助に入 門 。勇 壮 な 立 役を 得 意とした父と艶やかな女 方 を得 意とした師というふたりの

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名 人の薫 陶を受け、立 役 、女 方 、両 方 の 役どころで 類まれ なセンスを発 揮 、毎 公 演 のよ うに、主 役 の 人 形を遣ってい 7 月16日 人間国宝認定記者会見での桐竹勘十郎

写真提供:産経新聞社

る。勘 十 郎 は 記 者 会 見 の 席 上、 「 文 楽の未 来のためにも、 もっと新 作 文 楽を作っていき たい」と述べたが 、確かに、い まの文 楽に必 要なのは、古 典 の継 承とともに、新しい観 客を 獲 得 するための 新 作 や 新 様 式の公 演なのかもしれない。 秋には文 楽 太 夫の人 間 国 宝 、豊 竹 咲 太 夫が 文 化 功 労 者に選 ばれた。咲 太 夫もまた 人 間 国 宝 の 父 、八 代目竹 本

10月26日

文化功労者選出記者会見での豊竹咲太夫

写真提供:産経新聞社


綱 太 夫の子 息として幼い頃から修 業を積み、令 和 4 年 1 月現 在 、切 場 語りの称 号を持つ ただひとりの太 夫として活 躍している。本の深い解 釈 、繊 細かつ輪 郭の大きな語りで時 代 物から世 話 物まで実に幅 広く、 その卓 越した技 量で浄 瑠 璃の神 髄を語り尽くしている。 また、 えん ざ

本公演で咲 太 夫の三味線を勤めている鶴澤燕 三も春に紫 綬 褒 章を受 章した。 咲 太 夫は記 者 会 見の席 上 、 自身の今 後の抱負について、 「クリーンアップを打てる太 夫 を育てること」と語っていたが、文 楽 界に必 要なのは、 まさに、次 代を担う太 夫 陣の育 成で ろ

た ゆう

あろう。竹 本 千 歳 太 夫 、豊 竹呂 勢 太 夫 は現 在 、毎 公 演のようにもっとも重 要な段を語る立 ろ

だ ゆう

しころ だ ゆう

場となり、 その上の世 代 、豊 竹呂 太 夫 、竹 本 錣 太 夫も安 定 感がある。 では、呂勢 太 夫の次 おり た ゆう

の世 代となると、竹 本 織 太 夫 あたりまで少し間があいている。幸い、若 手に将 来 性を感じさ せる人たちが出てきている。骨 太に、大きく、力強く、成 長してほしい。 ◇ 本 公 演について印 象 深い舞 台を振り返ってみたい。 一月の大 阪・国 立 文 楽 劇 場は、令 和 二 年に文 楽 三 味 線で初めて文 化 功 労 者に選ば れた鶴 澤 清 治の顕 彰 記 念 公 演となった。清 治は『 義 経 千 本 桜・道 行 初 音 旅 』のシンを勤 め、切っ先の鋭い音 色に緩 急自在のテンポで道 行もののおもしろさを堪 能させてくれた。呂 いちすけ

勢 太 夫の伸びのある美 声に、吉 田 玉 助の狐 忠 信 、吉 田 一 輔 の静 御 前という次 代を担うコ ンビが華やかで、静が後ろ向きに投げた扇を忠 信が受け止める「 山 越え」もきれいに極まり、 舞 台は正月らしい華やいだ気 分に包まれた。 そのほか、簑 助は、 『 菅 原 伝 授 手習 鑑・桜 丸 切腹の段 』の桜 丸を遣って、若くして命を散らす若者の悲 劇を美しく表 現した。 二月の 東 京 公 演( 国 立 劇 場小劇場) も清 治 の 文 化 功 労 者 顕 彰 記 念 公 演となり、清 め い ぼく せん だい

治 は呂 勢 太 夫と 『伽羅先代 はぎ

萩・御殿の段 』の前を勤めた。 四月の 大 阪は、前 述したと おり、簑 助の引 退 公 演となり、 引 退が 発 表されてからは、簑 助の最 後の舞 台を見ようと、 コ ロナによって制 限された客 席 数いっぱいの観 客で埋まった。 国の緊 急 事 態 宣 言が出たた め、千 秋 楽が 一日早まったの

『伽羅先代萩・御殿の段』鶴澤清治

写真提供:国立劇場

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は残 念だったが、 コロナ禍でさえなければ、 もっと多くのファンに舞 台 上から別れを告げること ができたであろう。 五月の東 京 公 演はコロナ禍で全日程 中 止 。続く六月の大 阪での鑑 賞 教 室は開 催され たものの、土 曜日と日曜日の公 演は中止となった。 大 阪の夏 休み特 別 公 演は無 事 、開 催 。第 三 部のサマーレイトショーで上 演された『 夏 祭 浪 花 鑑 』は、主 人 公の団 七 九 郎 兵 衛を遣った吉 田 玉男の迫 真の芸と、錣 太 夫 、織 太 夫をはじめとする床の奮 闘もあって、 いかにも大 阪らしい匂いのする熱い舞 台となった。玉男 は、 この年 、好 調で、大 阪の錦 秋 公 演で遣った『ひらかな盛 衰 記 』の松 右 衛 門 実は樋 口 次 郎 兼 光もスケールの大きな力強い演 技が光った。 この錦 秋 公 演では、同じく 『ひらかな盛 衰 記 』の神 崎 揚 屋の段で、桐 竹 勘 十 郎が遣ったヒロイン、傾 城 梅ヶ枝は思いが噴きこぼれ あ し や ど う ま ん お お う ちかがみ

るような姿 。 さらに、師 、吉 田 文 雀の当たり役を継 承した吉 田 和 生の『 蘆 屋 道 満 大 内 鑑 』 の女房 葛の葉は、母の情 愛とケレンを両立させて感動的な舞 台を見せてくれた。 なお、 この錦 秋 公 演から、客 席 数の制 限をほとんどなくし、ほぼコロナ前の客 席に戻った。 ただ、客 席の最 前 列と、太 夫と三 味 線が座る床の前の一 部 客 席はいまだ空 席のままにし ている。

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令和三 年の掉 尾を飾るのは十二月の東京・国立劇場小劇 場 、 『 仮名手本忠臣蔵 』 より もも のい やかた ほ ん ぞ う ま つ き り

ば さき しん もつ

でん ちゅう にん じょう

えん や はん がん せっ ぷく

「 桃 井 館 本 蔵 松 切 の段 」から「 下 馬 先 進 物 」 「殿 中 刃傷」 「塩谷判官切腹」 「城明 渡し」、 そして、 「 道 行 旅 路の嫁 入 」である。中堅 若 手中心の座 組だが、 よく入っていた。今 年は、 コロナによって中止となった公 演もあったが、年 末の段 階で日本の感 染 者 数は激 減 しているので、 なんとか、令 和 四 年も本公演がいい形で行われることを願うのみである。 八月二 十 一日に国 立 文 楽 劇 場で行われた「 文 楽 素 浄 瑠 璃の会 」に織 太 夫が初めて 出 演 、師 匠の咲 太 夫の父 、八 代目竹 本 綱 太 夫と三 味 線の十 代目竹 澤 弥 七が作 曲した て し ま や あぶら みせ

『 女殺油地 獄・豊 島 屋 油 店 の段 』 を語って確かな力量を示した。 ◇ 本公演 以 外では、二つの公演が、今 後の文 楽の可 能 性を示したように感じられた。 二月にロームシアター京 都で行われた文 楽 公 演は、 スーパーバイザーを、古 典 芸 能を き の した ゆう いち

この した かげ

現 代と結ぶ活 動をしている劇 団「 木ノ下 歌 舞 伎 」の主 宰 、木ノ下 裕 一 が務め、 『木下蔭 はざ ま がっ せ ん

狭間合戦

た け なかとりで

竹 中 砦 の段 』 を八 十 七 年ぶりに人 形を入れて復 活 上 演 。 さらに、人 形 遣いの つめ も よう ゆめ じの かど まつ

桐 竹 勘 十 郎が書いた新 作 文 楽『 端 模 様 夢 路 門 松 』 を新 鮮な配 役で上 演し、文 楽を初め て見るという人をも引き付けた。特に『 端 模 様 … 』は、普 段はその他 大 勢の役に用いられる ひとり遣いの「つめ人 形 」自体を主 人 公に、文 楽 人 形の哀 歓をユーモラスに描いた作 品で、 ひろ た ゆう

入 門して四 年という二 十 五 歳の最 若 手 、竹 本 碩 太 夫 が一 段 丸ごと一 人で語ったことも特


ロームシアター京都 シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 vol. 3 人形浄瑠璃 文楽『端模様夢路門松』 撮影:桂 秀也

せい すけ

筆される。 これは三 味 線のベテラン、鶴 澤 清 介 の 後 押しもあったそうだが、本 公 演でここまでの抜 擢

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はまず考えられない。碩 太 夫も大 変な重 責だった と思うが、 その伸び伸びした語りからは将 来 性が 十分見えた。 もうひとつは、人 形 遣いの師 匠と弟 子が 同 格 の役どころで共 演する画 期 的な公 演「 文 楽 夢 想 継承伝」 ( 八月七日、国 立 文 楽 劇 場 )。発 案し たま しょう

たのは人 形 遣いの中 堅 、吉 田 玉 翔 で、出 演 者 は、桐 竹 勘 十 郎とその弟 子の桐 竹 勘 介 、吉 田 玉 た ま みち

男と弟 子の吉 田 玉 路 、実の親 子で兄 弟 弟 子に みの ひさ

なる吉 田 一 輔と吉 田 簑 悠 の三 組 。若 手は入 門 十 年 前 後 、師 匠や先 輩の足 遣いが中心だ。つま り、 この年 代で、師 匠と同 等の役を勤めるなど本 来はありえない。 しかし、玉 翔は「 師 匠との力の差 は歴 然だが、修 業 時 代に師と対 等の役どころで 共 演することで何かを得られるはず」と企 画 。公 演 資 金は、民 間の寄 付で関 西の文 化 芸 術 活 動

文楽夢想 継承伝『五条橋』 吉田玉男の牛若丸(右)/ 吉田玉路の弁慶(左) 撮影:桂 秀也

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を支 援する「アーツサポート関 西 」の助 成 金に加え、文 楽で初めてクラウドファンディングも 実施。当初の目標額三十万円をわずか一日で達成し、最終的に三百五十万円近くまで集 まったという。 「それだけ文 楽を応 援してくださる方がたくさんいらっしゃることに感 謝の気 持 ちでいっぱいです」と、玉 翔をはじめ出演 者はみな感 激の面 持ちであった。 チラシやプログラムのデザインなども自分たちで考えた手 作り感あふれる公 演 。当日はほ ぼ 満 席となり、額から汗をしたたらせながら必 死で人 形を動かす若 手 、 それを受けて立つ 師匠の舞台に、観客の熱い拍 手が送られた。 コロナ禍のいま、春と秋に行われている地 方 公 演も、 コロナ前に比べるとおよそ半 分に減 少 。本 公 演も全 般に厳しい状 況である。だが、活 路はある。 この約 二 年の試 行 錯 誤の中で、 感 染 対 策を取りながらどうしたら最 高の形で公 演を行うことができるか、 その方 法を獲 得し つつあるように思われる。 コロナが終 息することを願いつつ、芸の伝 承もふくめ、 さらなる可 能 性を探ってほしい。 かめおか・のりこ

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産経新聞大阪本社文化部特別記者編集委員。平成2年、産経新聞社に入社。現在、大阪本社で古典 芸能を担当。紙面で劇評、 インタビュー記事のほか、 コラム「離見の見」 「古典の夢をみる」などを連載。 著書に『文楽ざんまい』 『 夢―平成の藤十郎誕生―』 など。


ホリプロ 『ジェイミー』 撮影:田中亜紀/写真提供:ホリプロ

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[ミュージカル]

一気に再始動 萩尾 瞳 2021 年日本のミュージカル界は活 気を取り戻した、 と言ってよさそう。 コロナ禍で息をひそ め恐る恐る公 演を増やした 2020 年を思えば 、本 格 的 再 始 動と見えなくもない。 もっとも、内 実はやはり薄 氷を踏むようなものだったし、中止に追い込まれた公 演もあった。 それでも激 増 した公演数に、 日本のミュージカルの底力を感じずにはいられない。 期待の翻訳ミュージカル次々 ミュージカル・ファンが開 幕を待 望していた期 待のブロードウェイ・ミュージカルも、 ようやく 日本 初 演された。劇 団 四 季の『アナと雪の女 王 』 (以下、 『アナ雪 』)や東 宝とTBSによる 『ニュージーズ 』は共に、当 初 予 定の 2020 年からほぼ 1 年 遅れての日本お目見え。 どちら も前 売り即 完 売の人 気だ。1 か月公 演の『ニュージーズ 』は当 然だろうが、 『アナ雪 』はロ 日本の舞台芸術を知る

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MUSICALS

ングラン・スタートの勢い付けにもなった。 『アナ雪 』は、2018 年ブロードウェイ初 演 。本 家の方はコロナ禍でブロードウェイ休 演が発 表された後 早々に打ち切りが発 表された。2020年 12月から 5 月まで開 催されたシドニー公 演に続き、6 月24日には日本 初 演の幕が開き、 あとにメルボルン ( 6月25日)、 ロンドン ( 8月27 日)、ハンブルク( 11月 8 日)の開 幕が続いた。劇 団 四 季 上 演 版は、 ブロードウェイのオリジ ナル演 出や美 術などを踏 襲するレプリカ上 演 。だのに、 オリジナル舞 台よりグンと良くなって いる。舞 台 転 換やエルザが魔 法の力で氷の宮 殿を建てるマジック・シーンにそこはかとなく 漂っていたダサさが拭われているのだ。初 演から 3 年のうちに舞 台 技 術が向 上したこともあ ろうが、 日本の舞 台 技 術スタッ フの優 秀さを再 認 識させられ もした。 『 ニュージーズ 』 もまたオリジ ナルを超える出 来ばえだった。

19 世 紀 末ニューヨークでの新 聞 販 売 少 年たちのストライキを 描くドラマで、脚 本はハーヴェ

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イ・ファイアスタイン。日本 版 の 訳 詞・演 出を手がけた小 池 修 一 郎は、原 作のテイストを保ち ながら、 ダンス・シーンを多 用し 劇団四季『アナと雪の女王』 ©Disney

撮影:阿部章仁

て華やぎとテンポを出し、丁 寧 なキャラクター造 形で生き生き とした舞 台に仕 上げた。公 演 が 延 期された期 間に、主 演・ 京 本 大 我らがダンス力と演 技 力に磨きをかけていたことも大 きそう。 翻 訳ミュージカルの初 演は、 最 終 的には 例 年と同 程 度 の 多さになった。 『 BARNUM 』 は 、1980 年ブロードウェイ初 演 作 。今 回が日本 初 演だ。実

東宝+TBS『ニュージーズ』 写真提供:東宝演劇部


在のサーカス興 行 師フィニアス・テイラー・バーナムの人 生を描くもので、 このタイミングでの 日本 登 場は同じ人 物を描いた映 画『グレイテスト・ショーマン』のヒットの影 響だろうか。主 演は加 藤 和 樹 。サーカスも織り込んだ舞 台( 演出:荻 田 浩 一 )だが、 この時 期 、客 席との距 離を取るなどの自主 規 制もあり、 いささかおとなしい舞台になったのが残 念 。 『ウェイトレス』や『 The PROM 』はブロードウェイ最 近 作の日本 初 演 。 『ウェイトレス』はダ イアン・パウルスのオリジナル演 出を踏 襲した舞 台 。 ヒロインを演じる高 畑 充 希の溌 剌とした 演 技とカンパニーの密 度の高さで、自立する女 性や友 情を讃える爽やかな作 品になった。 『 PROM 』は岸 谷 五 朗の演 出 。 レズビアンの女 子 高 校 生( 葵わかな)を巡る騒 動を描く ミュージカル・コメディ。 日本 版は、主人公と母 親の絆に踏み込んだのが新しい。 『 PROM 』同 様ジェンダーを扱った作 品には『ジェイミー 』 もある。 こちらはロンドン・ウエスト ふう

エンド発 。 ドラァグクイーンになる夢を持つ高 校 生ジェイミー( 森 崎ウィン、髙 橋 颯 Wキャスト) の物 語だ。多 様 性を打ち出した爽 快なミュージカル・コメディで、先 輩ドラァグクイーンたちを 石川禅 、今 井 清 隆 、吉 野圭吾らベテランが楽しげに演じ、舞 台に厚みを加えた。 『ジェイミー 』を手がけたホリプロはますます果 敢だ。映 画を原 作にしたミュージカル『 17

AGAIN』 (マルコ・ペネット脚 本 、 アラン・ザッカリー&マイケル・ウェイナー作 詞 作曲)は今 回 の日本での上 演が世 界 初 演 。 ミュージカル初 出 演の竹 内 涼 真が光った。演 出は谷 賢 一 。 同 社はまたブロードウェイ作 品『アリージャンス〜忠 誠〜 』 も日本 初 演した。第 二 次 大 戦 下 の日系アメリカ人を描くシリアスな物 語だ。 オリジナル演 出 家スタフォード・アリマの手 堅い演 出に、主 演の海 宝 直 人 、濱 田めぐみが健 闘した。韓 国ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー 』 の翻 訳 初 演( 演 出:白 井 晃 ) も同 社 の 作 品 だ 。新 作 の 上 演 数では、 ホリプロはいまや国 内でトップだろう。 翻 訳ものでは 、やはり韓 国 にい ろ

産の『 HOPE 』を俳 優の新 納 慎也が初演出。 また実 話ベースの小 説と映 画に基づいて米 国で作られた 『 OCTOBER SKY― 遠い空 の向こうに― 』が板 垣 恭 一の 演 出で日本 初 演された。心に しみる作 品だが、脚 本が粗 削

東宝『ウェイトレス』 写真提供:東宝演劇部

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MUSICALS ホリプロ 『アリージャンス~忠誠~』 撮影:宮川舞子/写真提供:ホリプロ

りの感 。演 出の板 垣が潤 色して、再 演をし てほしいものだ。板 垣は、後 述するようにオ リジナル・ミュージカルも数 本 手がけ、活 躍 が目立った。 同 様に新 旧のブロードウェイ作を 3 本 手がけ、演 出 手 腕を見せたのが原 田 諒 。 『 NICE WORK IF YOU CAN GET

IT』 ( 宝 塚 花 組 )はガーシュウィンの名 曲 で紡ぐ2012年ブロードウェイ初 演 作 。 オリ ジナル舞 台 のたるみを巧 みなステージン グで埋め、弾けるような楽しい舞 台にした。 『 プロミセス、プロミセス』 ( 宝 塚 宙 組 )は

1968 年ブロードウェイ初 演 。現 代の規 範 にアップデートしながら原 作ののどかな良 さは残した舞 台だった。 もう 1 本『エニシン グ・ゴーズ 』 ( 東 宝 製 作 )は、東 京の明 治

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座を皮 切りに名 古 屋 、大 阪 、福 岡での延 べ 2 か月近い公 演 予 定が、 コロナ禍で明 治 座の 1 週 間だけになった。松 井るみの 美 術も素 敵だっただけに、 もったいない。 オリジナル・ミュージカルの激増 オリジナル・ミュージカルがますます増えてきた。 日本のミュージカル界が成 熟した証でもあ も うりょう

はこ

ろう。作 品レベルも着 実に上がってきたようだ。 なかでも嬉しい驚きをくれたのが『 魍 魎 の匣 』 と 『フィスト・オブ・ノーススター〜北斗の拳〜 』 (以下、 『フィスト』)だ。 『 魍 魎の匣 』は京 極 夏 彦の人 気 小 説が原 作 。長 尺な物 語を上 手にダイジェスト、 コロスを ときふみ

巧みに使って一 気に見せてしまう。脚 本・作 詞・演出の板 垣 恭 一の腕が冴え、小 澤 時 史 の オリジナル楽曲がまた素 晴らしい。 板垣の脚本・作詞・演出作には『 GREY ―そんなに優しくなんてなれないよ』 (音楽:桑原 まこ) も。SNSによる分 断をテーマにした、極めて現 代 的な作 品だ。 『フィスト』は人 気 漫 画が原 作で、海 外 進 出を念 頭に置いたホリプロの新 作 。原 作を思い 切りよく凝 縮した脚 本( 高 橋 亜 子 、作 詞も)がよくできているし、石 丸さち子の演 出が淀みな


イッツフォーリーズ『魍魎の匣』 撮影:岩田えり

くかつヴィジュアル的な美しさもある。作 曲がフランク・ワイルドホーンだが、 いつもの、ある種 押しつけがましい盛り上がりリズムもほとんどなく、 ドラマに沿って滑らか。聞けば日本 側スタッ フが大 幅にアレンジを加えたとか。 こうした作 業は今 後も積 極 的に行うべきだろう。おかげで 作品のクオリティが上がったのは確かだから。 松 竹が手がけたのは『ゴヤ― GOYA ― 』。画 家ゴヤの生 涯を描き、彼が「 黒い絵 」を描 くに至る過 程が中心になる。原 案・脚 本は G 2 。 いい素 材だし、清 塚 信 也のスパニッシュ・テ イストの楽 曲も素 敵だ。ただ、時 代 背 景の説 明 部 分が長 過ぎるのが残 念 。練り直して再 演 すべきだろう。 劇 団 四 季はファミリー・ミュージカル『はじまりの樹の神 話〜こそあどの森の物 語〜 』 (脚 本・歌 詞:南 圭 一 朗 、音 楽:兼 松 衆 ) を初 演 。人の絆と大自然の懐の深さをじんわり伝える、 いかにも四 季らしい作品だ。 古田新太と尾上右近の顔合わせ『 衛生〜リズム&バキューム』は、手段を選ばずのし上 がっていくし尿 処 理 業 者の親 子の話( 脚 本・演 出:福 原 充 則 )。社 会・経 済 構 造を映した 濃 密な人 間ドラマで、題 材も台 詞も、起きる事 件も刺 激 的 。 いきものがかりの水 野良樹と益 田トッシュの手がける音 楽がドラマに合っていた。 れん れん

少 女 漫 画を原 作にした『ゆびさきと恋 々 』は小 品ながら心に残る作 品だった。 ろうの女 子 大 生( 豊 原 江 理 佳 )の恋を描くドラマで、手 話が流れるようなダンス ( 振 付:前 田 清 実 )にな り、 ヒロインの想いは歌 唱で綴られる。物 語も愛らしいけれど、 ミュージカルの特 質を十 二 分 日本の舞台芸術を知る

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に生かした作りがまた嬉しい。脚 本の飯 島 早 苗 、音 楽の荻 野 清 子 、演 出( 脚 本も)の田中 麻衣子に上 記 、振 付の前 田を加えた女 性クリエイティブ・チーム。 ワタナベエンタテインメント 製作。 宝 塚 雪 組の『 fff ─ フォルティッシッシモ─ 〜歓 喜に歌え!』は、音 楽に目覚めやが て飛 翔するベートーヴェンを描く作 品 。 キャラクター設 定や、 ナポレオンやゲーテなど時 代 背 景に織り込んだ歴 史 上の人 物の生かし方もうまく、音 楽が効 果 的なオリジナル・ミュージカル。 作・演出の上 田 久 美 子の面目躍如だ。 翻訳ミュージカルの再演・老舗ミュージカルの健闘 オリジナル作はまだまだあるけれど、翻 訳ものの再 演も多かった。 『レ・ミゼラブル』 『 モー ツァルト!』 といった大作から 『 The Last 5 Years 』 『グローリー・デイズ』 といった小 品まで。 小 品や中規 模 作 品のリメイク再 演には、 ストレート・プレイで名を挙げた新たな演 出 家が 起用されるケースも目立った。たとえば、 『ピーターパン』の演出は 2021年から森 新 太 郎に。 『 蜘 蛛 女のキス』の演 出を手がけたのは、社 会 派と言われる劇 団チョコレートケーキの日 澤雄介だ。 ミュージカルの世界は確実に拡がっている。

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一 方で、老 舗ミュージカル劇 団も、 どっこい頑 張っている。今 年『7dolls 』新 版を上 演し ソ

た音 楽 座は『シャボン玉とんだ、宇 宙までとんだ』 『マドモアゼル・モーツァルト』などのレパー トリーを他のプロダクションに貸し出している。 『 魍 魎の匣 』を製 作したイッツフォーリーズも、 着 実に歩を進めている。代 表 作『ひめゆり』 を持つミュージカル座も新 作オリジナル・ミュージ カルをコンスタントに上演し始めた。 * 薄 氷を踏むような上 演を強いられたコロナ禍中でも、 めげず、たゆまず歩き続けた 2021年 のミュージカル界。 いったん離れた観客、様子見の観客を呼び戻し、新たな観客層を生み出 すことが、今後の課題ではあるけれど。 はぎお・ひとみ 新聞記者を経て、映画・演劇評論家。朝日新聞などで舞台評、 ミュージカル誌で連載コラムなどを執筆。 著書に『ミュージカルに連れてって』 『「レ・ミゼラブル」の100人』ほか。編・著書に『ブロードウェイ・ミュージ カル トニー賞のすべて』 『プロが選んだはじめてのミュージカル映画― 萩尾瞳ベストセレクション50』 ほか。


NODA・MAP第24回公演『フェイクスピア』 撮影:篠山紀信

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[現代演劇]

現 代 社 会 を 衝く、 亡き 人 た ちと出 会う 山口 宏子 寄せては返す新 型コロナウィルス感 染の波に、2021年も演 劇 界はもまれ続けた。出 演 者 の一 人が体 調を崩せば、陰 性が確 認されるまで公 演は中止 。 そんな厳しい日々の中から生 まれた作 品を振り返る。 検証と反省を欠く社会、その「空気」を見すえて

7 〜 8 月、緊 急 事 態 宣 言が出る中、東 京オリンピック・パラリンピックが強 行された。2 月 には大 会 組 織 委員会 会 長の森 喜 朗 元 首 相が女 性を蔑 視する発 言で辞 任した。開 閉 会 式 演 出の中心を担っていた男性 3 人も女 性への侮 辱 、過 去に障 害 者をいじめたという発 言、 ホロコーストを揶 揄したとも受け止められる表 現が明らかになり、次々と辞 任・解 任 。 「多 様性」をうたう大 会は、 それとは正反対の現実を改めて浮かび上がらせた。 日本の舞台芸術を知る

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CONTEMPORARY THEATRE

総じて評 判のよくなかった五 輪 開 会 式の中で、鎮 魂をテーマにした森 山 未 來の独 舞が ザ

つる

注目された。森山はその直 前まで、岡 田 利 規 作・演 出『 未 練の幽 霊と怪 物 ―「 挫 波 」 「敦 が

賀 」― 』 ( KAAT 神 奈 川芸 術 劇 場 )で建 築 家ザハ・ハディドを演じていた。彼 女は五 輪の メイン会 場となった国 立 競 技 場のデザインコンペで最優秀賞を獲 得したが、建 築 費用の高 さなどが問 題 視され、 その案は葬られた。夢 幻 能の様 式を踏まえたこの劇は、言 葉と音 楽と 舞で、2016 年に65 歳で病 没したザハ・ハディドを出 現させ、彼 女の競 技 場を観 客に幻 視 させた。 イラク生まれの、女 性の建 築 家に日本がどんな仕 打ちをしたのかを改めて思い起こ させながら。 もう一 本の「 敦 賀 」のシテは、ほとんど稼 働しないまま廃 炉が決まった高 速 増 殖 炉が見える海 岸に現れる「 核 燃 料 サイクル政 策 の 亡 霊 」。 失敗を検証せず、 うやむやにし てゆく日本 社 会を映した舞 台 は、 コロナ対応と東京五輪をめ ぐって混 乱する現 実と重なり、 生々しい時 事 性も帯びていた。 日本 社 会を動かす「 空 気 」。

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それを作り出す一 因である報 道に切り込む永 井 愛 作・演 出 のシリーズは『 ザ・空 気 ver.3 KAAT神奈川芸術劇場プロデュース 『未練の幽霊と怪物 ―「挫波」 「敦賀」』 撮影:高野ユリカ

そして彼 は 去った … 』 (二兎 社 )で完 結した。舞 台はテレビ 局 。前 半は、政 権に批 判 的な 報 道 番 組のプロデューサー・ 星 野が、政 府の代 弁 者のよう な元 新 聞 記 者の政 治 評 論 家・横 松をやり込める軽 快な 喜 劇だが、途 中から転 調する。 横 松の中で記 者としての使 命 感がよみがえり、政 権に打 撃を 与える秘 密 資 料を公 表しようと 星 野に提 案する。すると、星 野 が揺れはじめる。横 松によれば

二兎社『ザ・空気 ver.3 そして彼は去った…』 撮影:本間伸彦


「自分の弱さ、自分のずるさと向き合わず、 とことん試されずにすんだ正 義 派 」である星 野 は、保身を考えている自分自身と向き合わざるを得なくなるのだ。苦い幕 切れは、私たちの中 に潜む「 空 気 」の源を照らしだした。 「 空 気 」の支 配 、検 証と反 省の欠 如 。 これは、古 川 健 作 、 日澤 雄 介 演 出『 帰 還 不 能 点 』 ( 劇 団チョコレートケーキ)が描く80 年 前とも重なる。 日本はなぜ無 謀な戦 争に突 入したの か。 日米 開 戦の半 年ほど前 、官 庁 、軍 、民間の若 手エリートたちの会 議が日本の敗 戦を予 測していた史 実をもとに、指 導 者が誤った道を突き進むのを、 なぜ止められなかったのかを 考える作 品だった。

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劇団チョコレートケーキ 『帰還不能点』 撮影:池村隆司

自己と他者との関係を考える 多 様 性を認め合う。 この「 常 識 」は、私たちの血 肉になっているのか。横山拓 也 作 、松 本 祐 子 演 出『ジャンガリアン』 ( 文 学 座 )はそれを柔らかく問いかけた。大 阪の下 町にあるトン カツ屋で、モンゴル人 留 学 生を雇うことをめぐり、経 営 者 一 家の意 見がぶつかる。 日本とい う国は、 アジア諸 国からの技 能 実習 生や留 学 生の労 働に大きく依 存しているにもかかわら ず、 「 移民 」を認めていない。外 国 人への人 権 侵 害も起きている。 そういう現 実を遠 景に置 きながら、舞 台は、小さな違いにこだわり、自己と他 者の間に「 線 」を引いてしまう人 間の心 日本の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


CONTEMPORARY THEATRE

を掘り下げる。店を支えるベテ ラン職 人を在日コリアンと設 定 したことで、考 察はもう一 段 深 まった。 谷 賢 一 作・演 出『 丘の上 、 ね む のき産 婦 人 科 』 (劇団 文学座『ジャンガリアン』 撮影:宮川舞子

DULL- COLOR ED POP) は、妊 娠・出 産をテーマにジェ ンダ ーの 問 題と向き合った 。

同じ台 本を役と演 者の性 別が「 同じ」 「 異なる」の二 通りで上 演し、刺 激と発 見の多い公 演となった。 不寛容は、多様性を損なう。17世紀前半のタイの日本人街で、様々な出自の人たちが作 る緩やかな共 同 体を描いた土 田 英 生 作・演 出『アユタヤ』 ( 劇 団 MONO)は、穏やかな 調子で大切なことを語った。主人公の男は言う。 「信念を言葉にするとこぼれ落ちるものもあ る。正しさを追いすぎると、やがて人を許せなくなる。 それがこうじると、近しかった人を憎むこと

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になり、気づいた時には元に戻れなくなる」。声高な主張がぶつかり合う現 代 社 会への静か な異議申し立てだった。 亡き人たちと出会い、その声を聴く 野 田 秀 樹 作・演 出『フェイクスピア』 ( NODA・MAP)は、死 者たちの言 葉に耳をすます 作 品だった。霊 場「 恐山」を舞 台に、 シェイクスピア悲 劇 、 「 星の王 子 様 」など様々なイメー ジが重なり合い、 それが「 言葉」についての思索に収斂してゆく。 ネット上を飛び交う悪 意 、 とげとげしい感 情 、 フェイクニュース、陰 謀 論 。 そうしたものの対 極にある現 実の言 葉を、野 田は劇の終 盤に置いた。1985年 夏に墜 落した日航 機のボイス レコーダーに刻まれた声だ。死力を尽くすパイロットらの言 葉が俳 優の身体を通してよみが えり、観 客を圧 倒する。制 御を失った飛 行 機の機 首を上に向けようと機 長が繰り返す「 頭 上げろ」が、遺された者への「 生きろ」という痛 切な励ましに響き、激しく心 揺さぶられた。 演 出 家 、蜷 川 幸 雄が世を去って 5 年 。芸 術 監 督を務めた彩の国さいたま芸 術 劇 場で 取り組んでいた事 業の数々が一つの区 切りを迎えた。1998年に始めたシェイクスピア全 37 作の上 演が完 結( 2020年に予 定していた『ジョン王 』は延 期され未 上 演 )。松 岡 和 子は、 日本で 3 人目、女 性では初めて全 作 翻 訳を達 成した。最 終 作は『 終わりよければすべてよ し』。演出を引き継いだ吉 田 鋼 太 郎は、女 性たちの関 係を丁 寧に表 現し、 シリーズの締めく


くりを幸 福 感あふれるものにした。無 名の若 者たちを集めた「さいたまネクスト・シアター」は う

8 月に新 作『 雨 花 のけもの』 ( 細 川 洋 平 作 、岩 松了演 出 )で解 散 。高 齢 者 劇 団「さいたま ゴールド・シアター」も12月の『 水の駅 』 ( 太 田 省 吾 作 、杉 原 邦 生 演 出 )が最 終 公 演となっ た。ネクスト解 散 後 、他の舞 台で活 躍する元 劇 団員を見ると、彼らの中に息づく蜷 川の精 神を感じる。劇 場は亡き人と再 会できる場でもある。

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彩の国シェイクスピア・シリーズ第37弾『終わりよければすべてよし』 撮影:渡部孝弘

多彩な舞台、豊かな収穫 新 作 劇では、 ケラリーノ・サンドロヴィッチが、俳 優・緒 川たまきとのユニット「ケムリ研 究 室 」で安 部 公 房の小 説『 砂の女 』を劇 化して演 出 。砂に閉ざされた世 界での女と男を見 かい たい あお ちゃ ばば

応えのあるドラマにした。創 立 40 周 年を迎えた劇 団 扉 座は『 解 体 青 茶 婆 』で、 「解体新 書 」翻 訳の陰の功 労 者に光を当てた横 内 謙 介の作・演 出が冴えた。俳 優・佐々木 蔵 之 さる

くん しに とも なし

介が主 宰する「 Team申 」は 18世 紀の中 国・清の皇 帝が主 人 公の異 色 作『 君 子 無 朋 〜 よう せい てい

のぶ ひで

中国 史 上 最も孤 独な「 暴 君 」雍 正 帝 〜 』 ( 阿 部 修 英 作 、東 憲司演 出 ) を上 演 。雍 正 帝の 為 政 者としてのあり方が現 代日本を衝いた。公 演が大 掛かりゆえ、 コロナによる被 害も深 刻 きつね せい めい きゅ う び が り

だった劇 団 ☆ 新 感 線は、2 年 半ぶりの大 作『 狐 晴 明 九 尾 狩 』 (中島かずき作 、 いのうえひ でのり演出)で元気なところを見せた。 日本の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


CONTEMPORARY THEATRE

新国立 劇 場では、芸 術監督の小川絵梨子が力をいれる「フルオーディション企 画 」と「こ つこつプロジェクト」が成 果をあげはじめた。全 役を公 募し、演 出 家が時 間をかけて出 演 者を決めてゆく 「フルオーディション」は、 『 斬られの仙 太 』 ( 三 好 十 郎 作 、上 村 聡 史 演 出 )、 『 反応工程 』 ( 宮 本 研 作 、千 葉 哲 也 演 出 、前 年中止された公 演の延 期 上 演 )、 『イロアセ ル』 ( 倉 持 裕 作・演 出 )の 3 作が上 演され、1 年 以 上かけて稽 古と試 演を繰り返しながら 戯 曲に取り組む「こつこつ〜」からは『あーぶくたった、 にいたった』 ( 別 役 実 作 、西 沢 栄 治 演出)が公 演に至った。 「フルオーディション」は演 出 家と俳 優の出 会いの場となり、他 劇 場 公 演への出 演につな がったケースもある。派 手では ないが、演 劇 界の基 盤を豊か にする国 立 の 劇 場らしい取り 組みだ。倉持が 10年前に新国 立 劇 場に書き下ろした戯 曲を 自身で演 出した『イロアセル 』 は SNS 時 代を予 見したような 内容で、生々しい迫力を増して

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いた。新 国 立ではこのほか、小 川が井 上ひさし戯 曲を演 出し た『キネマの天 地 』 も充 実して いた。 新国立劇場『イロアセル』 撮影:引地信彦

KAAT 神 奈 川 芸 術 劇 場で は芸 術 監 督に就いた長 塚 圭 史が、アトリウムに造った仮 設 劇 場で北 條 秀 司 作『 王 将 ― 三 部 作 』を演 出した。週 末は

3 作を一 挙 上 演 。芝 居を観る 楽しさがあふれる 6 時 間 余り だった。 海 外 戯 曲の翻 訳 上 演では、 ワジディ・ムワワド作『 森 フォレ』 ( 世 田 谷 パブリックシアター ) が 圧 巻 だった 。同 劇 場 が 取 新ロイヤル大衆舎×KAAT 『 王将―三部作』 撮影:細野晋司


り組 む 、ムワワドの「 約 束 の 血 4 部 作 」の 3 本目で、ある 家 族 の 150 年 の 歴 史を、 その 時々の世 界 情 勢や超自然 的 な力をからめながら描いた 壮 大な戯 曲 。上 村 聡 史 の 演 出 ソン

と、麻 実 れい 、岡 本 健 一 、成

世田谷パブリックシアター 『森 フォレ』 撮影:細野晋司

河 、栗 田 桃 子 、亀 田 佳 明らの 演技が鮮やかだった。

PA RCO 劇 場 は 挑 戦 的な 企画が光った。英国の現代劇 『 ザ・ドクター 』 (ロバート・アイ ク作 、栗 山 民 也 演 出 )は、大 竹しのぶ演じる主 人 公の医 師 が直 面する人 種 、信 仰 、階 級 、 ジェンダーなど多 様な問 題を

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緊 密なせりふの応 酬でつづる。 「 考える場 所 」としての 劇 場 の意 義を強く感じさせた。 シェ

パルコ・プロデュース2021『ザ・ ドクター』 撮影:宮川舞子

イクスピア劇を女 性 だけで 演 じた『ジュリアス・シーザー 』 ( 森 新 太 郎 演出)は「男たちの政 治 闘 争 」を明 晰に伝えた。 きょう

劇 団 俳 優 座の『 正 義の人びと』 (アルベール・カミュ作 、小 笠 原 響 演 出 )、英 国メディ たか し

ア界に材をとった『インク』 (ジェイムズ・グレアム作 、眞 鍋 卓 嗣 演 出 ) も意 欲 的な取り組み だった。 か

文 学 座の若 手 演出家 、稲 葉 賀 恵 の活 躍が目立った。 オフィスコットーネがプロデュースし た『 墓 場なき死 者 』 (ジャン=ポール・サルトル作 ) と 『 母 MATKA 』 (カレル・チャペック作 ) で確かな手 腕を発 揮し、文 学 座アトリエの会では 1973年に同 座で初 演された『 熱 海 殺 人 事件 』 (つかこうへい作 )に新しい光を当てた。 困難の中でも立ち止まらない意志 コロナ禍で海 外との行き来が困 難となり、 「 東 京 芸 術 祭 」の目玉だったフランスの太 陽 劇団の来日が中止になるなど、大きな影 響もでた。 日本の舞台芸術を知る

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CONTEMPORARY THEATRE

それでも隔 離 期 間に耐えてのアーティストの来日やリモートの活用などで、国 際 交 流の歩 みを止めない努力は続く。 日韓 両 国で互いに戯 曲を翻 訳し、 リーディング上 演する日韓 演 劇 交 流センターと韓日演 劇 交 流 協 議 会の活 動が 20 年になった。翻 訳された戯 曲はそれぞれ 50本 。東 京で 1 月に 開かれたシンポジウムでは、 リモート参加した韓国の演劇人から、演劇を通して互いが今後 どう向き合うか、建 設 的な提 言がなされた。 長野県松本市では、 まつもと市民芸術館の総監督、串田和美が 10月、 コロナ禍の中、敢 えて「 FESTA 松 本 」を始めた。劇 場に加え、 カフェや公 園など市 内の様々な場 所で、演 劇 やダンス、音楽など多彩な演目を上 演した。 串田は開 会 宣 言に〈フェスティバル= お祭り というものは決して社 会が安 泰で裕 福な 時にだけ行われるものではありません。 むしろ我々人 間が困 難な災 難に見 舞われた時にこ そ、平 和な社 会 生 活が戻るように祈りを込めて、 また心を健 全に保つために、 さらには人 類 がこれから先の生き方 、営みのあり様を見つけ出すために行われるものでしょう。 それこそが 祭り の本 来の役 割なのだと思います〉 と書いた。 コロナという深い霧がたちこめる中 、松 明を掲げるような、決 然とした意 志 表 明だった。

192 やまぐち・ひろこ 朝日新聞記者。1960年生まれ。1983年朝日新聞社入社。東京、西部(福岡)、大阪の各本社で、演劇 を中心に文化ニュース、批評などを担当。編集委員、文化・メディア担当の論説委員も務めた。武蔵野美 術大学・日本大学非常勤講師。共著に『蜷川幸雄の仕事』 ( 新潮社・2015年)。


劇団仲間『わすれものの森』 撮影:Uchistyle

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[児童青少年演劇]

コロ ナ 禍 で 子どもた ちとの 出 会 い を どうつくるか の1 年 太田 昭

アシテジ世界大会の開催

2021 年の大きなトピックと言えば 、なんと言っても第 20 回アシテジ( 国 際 児 童 青 少 年 舞 台 芸 術 協 会 )世 界 大 会 / 2020 国 際 子どもと舞 台 芸 術・未 来フェスティバル( 以 下 、 アシテ ジ世 界 大 会 )に尽きる。 このアシテジ世 界 大 会は、3 年に 1 度 開 催される、子どものための アーティストたちによる世 界 的な祭 典であり、2020 年 5 月に東 京で行われる予 定が、 コロナ 禍により2021 年 3 月に延 期となった。ただ、海 外からの作 品やゲストの招へいはできず、 リア ル参 加とリモート参 加のハイブリッド方 式に切り替えて、奇 跡 的に、緊 急 事 態 宣 言の出てい なかった東 京と長 野で 2021 年 3 月20日〜 31日の日程で行うことができた。 日本の舞台芸術を知る

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CHILDREN’S and YOUTH THEATRE

作 品 招 待には、世 界 中から1,254 作 品の参 加 希 望があり、 その中から海 外 作 品 26 作 、 日本 作 品 5 作を選んだ。 フリンジ(自主 参 加の枠 )では、国 内 外を合わせて110 作が参 加 する予 定だったが、66 作( 海 外 20 作 、国 内 46 作 )にとどまった。海 外のフリンジ作 品は動 画の上 映での参加とし、上 映後にはリアルタイムで各国と会場をリモートでつなぎトークを実 施した。国内のフリンジ作品は対面式の公演として、客席数は定員の半数以下に減らした。 フェスティバル中に行われる会 議は、国 際シンポジウムも多いため、ほとんどがオンラインで の開 催となってしまったが、 フェスティバル全 体としては、会 場に来た人たちがリアルに顔を 合わせ、語り合う場を大 切にした。文 化 芸 術に携わる人々が、子どもと舞 台の出 会いや文 化の未 来を決してあきらめずに追 求できるよう、子どもたちが少しでも世 界の風を感じられる ような工 夫を尽くしての開 催となった。 まず、国 内 招 待 作 品からいくつか紹 介 したい。 オペラシアターこんにゃく座『こん にゃくざのおんがくかい』は、歌とピアノと いうシンプルな舞 台で音 楽 会をベースと していながら、たしかな歌の技 術と演 劇

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的な演 出で子どもから大 人まで楽しめる。 ロバの音 楽 座『 楽 器の国へようこそ』は、 古 楽 器からオリジナルの楽 器までが多 数 登 場し、演 奏によって物 語が展 開され、 様々な音が自然と観 客に届く。子どもた ちがどんどん集中していく様は見 事だ。パ ントマイムユニットTORIO『 KOYOマイ ムライブ 』は、高い技 術のパントマイムに 加えて、紙 細 工を使った腹 話 術 、新 聞 や紙 袋などの日用 品を使ったコント、一 人 二 役のダンス、マジック等 、多 彩な表 現 形 式も新しい。 ラストラーダカンパニー 『 サーカスの 灯 』は、和 紙を素 材とした 舞 台 空 間での、高い技 芸に支えられたノ ンバーバル作 品で、温かみのあるクラウ ンパフォーマンスを子どもや親 子 連れが パントマイムユニットTORIO 『KOYOマイムライブ』 写真提供:山本光洋


ラストラーダカンパニー 『サーカスの灯』 写真提供:ラストラーダカンパニー

楽しむ姿が印 象 的だった。上 みつる

條 充 主 宰 の 江 戸 糸あやつり 人 形は、380 年 前に生まれた 糸あやつりの技 芸により、和 装 の男性が酔う姿や女 性の美し い裾 捌き、江 戸 時 代から伝わ る滑 稽な踊りなどを披 露 。 日本 の歴 史や民 俗 文 化を感じるこ とができた。 海 外 作 品については、今 回 、 初めての試みとして上 映 会が 実 施された。少しでもLIVE 感 を感じてもらいたいと、作 品の出 演 者や演 出 家といった関 係 者と会 場をリモートでつないで 実 施したアフタートークが好 評だった。上 映された映 像も、子どもたちが鑑 賞している姿が 映っているものが多く、子どもたちの反 応ともども鑑 賞できたことも「 世 界 」を実 感することにつ ながったように思う。

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今 回のアシテジ世 界 大 会は、多ジャンルにわたっており、 ノンバーバル作 品が多いことも、 観 客の評 価が高かった要 因の一つだ。春 休みということもあり、 ようやく客 席に子どもたちの 姿が見えるようになり、特に長 野 公 演では、春 休みを活 用した取り組みを自治 体が積 極 的 に行ってくれたおかげで、家 族 連れの参 加が多く、子どもたち のためのフェスティバルであるこ とが実感できた。 アシテジとしても20 回目とい う節目の 世 界 大 会であり、世 界中の子どものためのアーティ ストたちが、 日本でのフェスティ バルで出 会えることを期 待して いた。残念ながら、 リアルで会う ことはかなわなかったものの、 そ れぞれのアーティストがアイデア

長野公演で行われた、太鼓と芝居のたまっ子座の太鼓ライブ『道草ドンどこ』 写真提供:アシテジ日本センター

日本の舞台芸術を知る

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CHILDREN’S and YOUTH THEATRE

を駆 使した、ハイブリッドな大 会として「 出 会う」ことができた。今 回リアルで上 演できなかっ た作 品たちに、 またいつか日本で出 会える日が来ることを期 待している。 また、 このアシテジ 世 界 大 会は、 ロシアの文 化 財 団( Russian Cultural Foundation)がサンクトペテルブルク 国際文 化フォーラム ( Saint Petersburg International Cultural Forum[ SPbCF ]) と共 同 で行っている国 際オンライン文化賞( Culture Online International Award)の「オフライン からオンラインへのデジタル移 行の最 優 秀 賞( Digital Transformation: From Offline to

Online)」を受 賞した。 コロナ禍における文化庁の支援

2021 年は、いかにコロナ禍の影 響が大きいかを感じた一 年であった。東 京での緊 急 事 態 宣 言の発 令 期 間は、2021 年 1 月〜 9 月の 9 カ月のうち、約 7 カ月間におよんだ。長 期に わたる緊 急 事 態に対 応するため、保 育 園・幼 稚 園・学 校などでの公 演は、夏 休みまでは昨 年 同 様 激 減した。 このような状 況のなかで、文 化 庁をはじめいくつかの省 庁が支 援 策として、 補正予 算の中から、子どものための文 化 芸 術に関する施 策も実 施した。 通常、学校などでの公演は、劇団・創造団体と学校との直接契約で公演が成立する。 そ

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のため、昨 年は、 コロナ禍による上 演中止であっても、 キャンセル料( 補 償 )の支 払われない 上演中止・延 期がほとんどだった。 それに比べて、文 化 庁などの事 業による公 演は、 キャンセ ル料 、 またはそれに見 合った措 置が取られるため、劇 団・創 造 団 体 側も、学 校 側も安 心して 取り組むことができた。以 下にその例をいくつか紹 介する。 文 化 庁「 子 供のための文 化 芸 術 鑑 賞・体 験 支 援 事 業 」には、演 劇( 児 童 劇 ) ・音 楽・ 伝 統 芸 能( 能 楽 ) ・メディア芸 術の関 係 諸 団 体が作ったプログラムの中から、学 校 側が自 校の鑑 賞 事 業 等で取り上げるものを選ぶ「プログラム選 択 型 」と、 より広い分 野の中から学 校 側がアーティストや芸 術 団 体 、作 品を選ぶ「 学 校による提 案 型 」、 さらに「 文 化 施 設 等 活用型 」がある。 これまでとの違いは、 「 学 校による提 案 型 」があることで、劇 団・創 造 団 体と学 校 側は従 来 通り、直 接 、自由に公 演を準 備することができるようになった。 これまで、文 化 庁 等の助 成 金を使っての学 校などでの公 演では、学 校は、何らかの形ですでに選ばれたいくつかの作 品の中から上 演 作 品を選ぶしかなかった。今 回 、 「 学 校による提 案 型 」の導 入により、学 校 があらゆる作 品の中から選 択する権利を得られたというのは、画 期 的なことだった。 「 劇 場・音 楽 堂 等の子 供 鑑 賞 体 験 支 援 事 業 」は、一 般 公 演の一 部の座 席を、18 歳 以


下の子どもたちに無 料で提 供するという事 業だ。ただし、 その基 準となるのが、チケット料 金 (いくつかの価 格 帯がある場 合は最 高 額の席のチケット代 )が 8,000円 以 上の公 演という ことで、 「 子どものため」の舞台芸術公演と言えないものが多いと言わざるを得ない。 さらに、当事 業が 18 歳 以 下の子どもすべてを対 象にしているのに対して、前 述した「 子 供 のための文 化 芸 術 鑑 賞・体 験 支 援 事 業 」は、小中学 校のみが対 象となっている。つまり、 こ れまで子どものための舞 台 芸 術を専 門にやってきた劇 団・創 造 団 体やアーティストに対して は、小中学 生だけを対 象とした公 演のみに支 援をして、子どもたちを主な対 象としていない 公 演に対しては、0 歳 〜 18 歳までを対 象としているのだ。 ここには不 平 等 感があるし、同じ 文 化 庁の事 業でありながら、対 象となる「 子ども」の年 齢が、小中学 生だけだったり、18 歳 以 下だったりと、 ちぐはぐな印 象がぬぐえない。保 育 園・幼 稚 園および高 等 学 校における公 演は、子どものための劇 団・創 造 団 体の多くにとって大 切なものであり、当該 年 齢の子ども たちが支 援の対 象とならないことに大きな疑問が残った。 とはいえ、 そのほかの文 化 庁 事 業「 大 規 模かつ質の高い文 化 芸 術 活 動を核としたアー トキャラバン事 業 」では、10 の芸 術 分 野における統 括 団 体がそれぞれ全 国 公 演を行い、 日 本児童青少年演劇協会は、国内の影絵劇団 3 団体の作品が全国を回る「影絵劇フェス ティバル」全 国 縦 断 公 演を実 施できた。 また、同じく文化 庁の「 ARTS for the future!(コロ ナ禍を乗り越えるための文 化 芸 術 活 動の充 実 支 援 事 業 )」では、 あまり一 般 公 演を行った ことのない児 童・青 少 年 演 劇 団 体が、 この機 会を利用して自らが主 宰する一 般 公 演を多く 上 演できた。 ただし、次 年 度のことを考えるといまだ不 安は残る。 アーティスト側は、学 校などへ訪 問して の営 業 活 動ができず、学 校 側はいまだ直 接 契 約となる公 演への不 安が残っているため、 ま だまだ劇 団・創 造 団 体の苦 悩は続いている。 2021年の新作公演 昨 年 同 様 苦しい 2021年ではあったが、新しい作 品を生んでいる劇 団・創 造 団 体も多く あった。 そのなかでも特に気になった 4 作 品を紹 介したい。 じゅん

うら かわ りょ う じ

たまき

劇 団 仲 間『わすれものの森 』 ( 原 作:岡 田 淳+浦 川 良 治 、脚 色・演 出:松 田 環 )は、2020 年に上 演 準 備をしていたものがコロナ禍により1 年 延 期しての新 作 公 演となった。原 作の 世界観を損なうことなく、大 人でも楽しめる舞 台となった。 かんこう

スタジオエッグス 『カケル!〜糧と崖と賭け…の果て?〜 』 ( 脚 本・演 出:永 井 寛 孝 )は、多 日本の舞台芸術を知る

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CHILDREN’S and YOUTH THEATRE

彩なパフォーマーたちが結 集し、 パフォーマンスの玉 手 箱のよう な作 品 。 東 京 演 劇アンサンブル『 宇 宙 のなか の 熊 』 ( 作:デ ーア・ ローアー、訳:三 輪 玲 子 、演 出: こう け

公 家 義 徳 )は、現 代ドイツ演 劇 界で最も活 躍している劇 作 家 の一 人 、 デーア・ローアー( Dea

Loher)のはじめての子どものた めの戯 曲の日本 初 演 。環 境 問 スタジオエッグス 『カケル!』 写真提供:スタジオエッグス

題を背景に、他者との違いを認 めあうという世 界 的なトピックを テーマとした作 品だった。 みず たに あか ね

劇 団 風の子 九 州『「日記 図 書 館 」〜 私は私を生きていく〜 』 ( 原 案:水 谷 明 音 、脚 本・

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演 出:あさのゆみこ)は、鹿 児 島の中高 生たちとの共 同 創 作 。実 際に残された戦 時中の予 科練生の日記を手 掛かりに、過 去と現代を結びつつ、平和を考える作 品だ。

劇団風の子九州『「日記図書館」~私は私を生きていく~』 撮影:ワロカス


まだまだ、多くの劇 団・創 造 団 体の新 作 公 演があったが、紹 介しきれない。 コロナ禍の影 響は大きく、深く、今 後も建て直しには多くの時 間を費やすことになると思う。 そのなかで、新 たな創 造を模 索し続けることと、公 的 支 援が不 可 欠であることは言うまでもない。 アシテジ世 界 大 会では、世 界の国々の取り組みや舞 台に触れる子どもたちの姿に多く触れ、 日本の 児 童 青 少 年 演 劇 作 品とそれを取り巻く環 境の特 性やクオリティを再 確 認することができた。

2022年の児 童 青 少 年 演 劇 界に、少しでも回 復の兆しが訪れ、フレッシュな風が吹くことを 願ってやまない。 おおた・あきら 1996年、東京演劇アンサンブル入団。以降、 ほとんどの作品の制作にかかわる。日本児童・青少年演劇 劇団協同組合の人材育成担当理事として、多くの講座・ワークショップを担当している。2004年、文化 庁在外研修員としてスウェーデン国立劇場(Riksteatern) の児童青少年演劇部門(Unga Riks) へ短期 留学。現在、 日韓演劇交流センター事務局長などを務める。

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日本の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


JAPANESE CLASSICAL DANCE

華継会東京公演 藤間清継舞踊リサイタル『二人静』藤間清継(右)/鍵田真由美(左) 撮影:市田智之

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[日本舞踊]

2 0 2 1 年 の日本 舞 踊 − 新 型コロ ナ 禍 に 輝く舞 踊− 平野 英俊

2020 年から続く新 型コロナ禍の中 、2021 年となって最 初の数ヶ月は、感 染 対 策を進め ながらも劇 場は動いていた。 ところが、4 月23日に政 府が緊 急 事 態 宣 言を発出すると、事 態 は一変した。

2 日後の 4 月 25日。国 立 劇 場 大 劇 場では、貸 劇 場 公 演の日本 舞 踊「 西 川 会 」 ( 主 催・ せん ぞ う

西川扇 藏 )の開 催が予 定されていた。主 催 者 側からの連 絡が無いし、 貸 劇 場 なのだか ら開 催されるのであろうと判 断し劇 場へ赴いた私は、大 劇 場の正 面 玄 関で、主 催 者・西 み

の すけ

川扇藏の長男箕 乃 助 から開 催中止の文 面を渡された。文面には、


4 月 23日夕 刻 に 緊 急 事 態 宣 言 が 発 令され 、国 立 劇 場より無 観 客 で の 開 催 以 外は不 可 能であると要 請を受けました。 そのため 本日 4 月 25日(日)の「 西 川 会 」開 催を取り止 めることを決 定 し、昨日皆 様 に お 電 話 および FAXにて 中 止 のご 連 絡をさせ て 頂きました が、全ての皆 様に伝 達 することが出 来ませんでした。そのため本日ご足 労 をお掛けする結 果となってしまいましたこと、心よりお詫 び申し上げます 。 とあった。 ここから約 1 ヶ月間 、多くの日本 舞 踊 公 演は中止・延 期を余 儀なくされた。 1. 新型コロナ禍 4 人のがんばり

2020 年の日本 舞 踊 公 演では、機 器を使用したオンライン配 信など、新しい試みが注目を 集めた。2021 年も配 信の日本 舞 踊が一 層 盛んになったが、劇 場 芸 術は観 客との対 面が あって初めて成 立するもの。昨 年は対 面での公 演 数は減 少 傾 向にあったものの、秋にはか なりの公 演があり、充 実した作 品も揃った。公 演 規 模は小さいながら、 コロナ禍で蓄えたエ ネルギーが舞 台で成 果を上げた四 名の作 品を取り上げてみたい。 しゅうえ

か とう

とし な

花 柳 秀 衛 の、 『 河東 道成寺 』 (花柳寿南海振付。 「 秀 衛の会 〜古 曲によせる いまの 想い〜」11月 18日・紀 尾 井 小ホール)が一 番 印 象に残る。師の故・花 柳 寿 南 海は、小さく 丸 味のある身体で踊る味 付の芸であったが、細身の身体の秀 衛は、鋭 利の表 現で作 品 のテーマに迫る。 その様が、師が切り開いた表 現の世 界を更に深める効 果となり感 動 的で あった。 こうした形で日本 舞 踊 作 品の伝 承と進 化が見られた のは貴重であった。 しょうせん

次に市 山 松 扇 の年 間 活 動 を挙げたい。私が拝見したのは しゅうせん

「第五十五回記念 秀扇会」 ( 7 月 17日・日 本 橋 劇 場 )で 踊った長 唄『 浦 島 』 と、 「第五 けい か

回 恵華乃会」 ( 11月 8 日・セ ルリアンタワー能 楽 堂 )の長 唄 しず はた おび

ふな おさ

『 賎 機 帯 』の船 長 で、近 年の 充 実した彼の演 技を確 認でき た 。松 扇 が 20 年 以 上 代 表を こ

務める、舞 踊 集 団「 弧 の会 」

秀衛の会 ~古曲によせる いまの想い~『河東 道成寺』花柳秀衛 撮影:舞ビデオ

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

第五十五回記念 秀扇会 長唄『浦島』市山松扇

撮影:寿写真

おんばしら

の活 動も盛んで、彼らの代 表 作である創 作『 御 柱 祭 』は、近 年ではダントツに再 演 回 数が

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こ いで ご う

多い作 品である。2020 年は 2 月に米 子 市 公 会 堂 、3 月に新 潟 県 魚 沼 市 小 出 郷 文 化 会 館 、5 月に高 松レクザムホール、富 山オーバード・ホール、8 月に後 述する国 立 劇 場 公 演 、

12月に京 都 府 舞 鶴 市 総 合 文 化 会 館 、徳 島 県 阿 南 市コスモホール、広 島 県 三 原 市 芸 術 文化センターポポロ、山口県立劇場ルネッサながとで上 演された。 それから、以 前にこの欄で取り上げた作 品の再 演ではあるが、意 義 深かった 2 作 品を挙 み

つ てる

なか じ ま か つ す け

げたい。坂 東 三 津 映 の創 作『 黒 音(クローン)』 ( 三 津 映 作 詞・振 付 、中 島 勝 祐 作 曲 、望 さ

ぶ ろう

ぜん こう

月左 武 郎 作 調 、竹 屋 啓 子 振 付 、滝 善 光 美 術 、原 昌男照 明 。 「 第九回 三 津 映の会 」9 月 きよ つぐ

ふた りし ずか

しば さ き よ い ち

きね や かつまつ

20日・国 立 劇 場 大 劇 場 ) と、藤 間 清 継 の創 作『 二 人 静 』 ( 柴 崎 誉 一 脚 本 、杵 屋 勝 松 作曲、 ま

さ てる

ひろ き

はなつぐかい

中井 晃 作 調 、上 原 真 佐 輝 筝 手 付 、佐 藤 浩 希・藤 間 清 継 振 付 。 「華継会東京公演 藤間 清継舞 踊リサイタル」11月 5 日・紀尾井小ホール)。

2 作 品の成 果は、ダンスとコラボレーションすることによって、日本 舞 踊の身体を際 立たせ た事にある。前 者では、初 演から20 数 年を経た後に出 現した新 型コロナ禍における、先の 見えない世の中の怖さ、科 学 技 術の発 達でも抗し切れない人 間の弱さを演じる三 津 映の 姿がすばらしかった。後 者では、 フラメンコダンサー・鍵 田 真 由 美 演じる静 御 前の霊が昭 和 初 期の日本に現れ、水 子 供 養の巡 礼の旅をする女 役の清 継に憑 依するのだが、前 回 の国 立 劇 場 小 劇 場から紀 尾 井 小ホールへと移り、舞 台 空 間が狭くなったことで、 フラメンコ と日本舞 踊の身体の闘ぎ合いという作 品のテーマがより鮮 明になった。


2. 日本舞踊の核の「カラダ」 日本 人の身体 表 現を考える意 味でとても刺 激 的な作 品に出 会えた。金 子 仁 美 作 曲の 『 地 球・生 命 〜 3 D モデルによる音 楽Ⅶ

邦 楽アンサンブルのための 』 (「 第 三 回 現 代

邦 楽 考 」11月 9 日・東 京 文 化 会 館 小ホール)である。 プログラムに作曲者が「 邦 楽 器は 伝 統 的な構 造 、素 材をそのまま生かしているものが多く、奏でられる一 音で私たちをその独 特の世 界に引き寄せてくれる魅力を持つ。改良を重ねられた西 洋 楽 器のような近 現 代 的 なメカニズムを持たず、 その楽 器の仕 組みは自然にこよなく融 和したものに感じられる。 (中 略 )根 源 的なもの、自然の摂 理といったことが私の中で邦 楽 器に重ねられている。」と書い ているが、箏 、三 絃 、尺 八の邦 楽 器パート群( 計 18名 )が、単にメロディーを奏でるというより も、互いに連 鎖したり融 和したりを繰り返し、言わば水の流れと時の流れと共に曲は進 行す る。 それは正に、作 曲 家 言うところの邦 楽 器の根 源 性や自然との融 和 性だけが表 現できる、 地 球の命= 水の構 造 の音 楽であり、 この邦 楽 器の用法を日本 人の身体に移し換えてみ る事が、 日本舞踊の未 来へ繋がるのではないかと思えた。 国 立 劇 場 主 催「日本 舞 踊のススメ」 ( 8 月 1 日・国 立 劇 場 大 劇 場 )では、 『日本 舞 踊× ダンス おどるカラダ 』 と題した前 説が付いた。 コンテンポラリーダンスの一 翼を担う「コンドル せん よ いち

ズ」の近 藤良平と石 渕 聡がゲスト出 演し、 日本 舞 踊の西川扇 与 一 が案 内 役で、 コンテンポ ラリーダンスにおける身体 表 現の自由な創 造力に対し、 日本 舞 踊の伝 承された振の動 作・ 国立劇場八月舞踊公演「日本舞踊のススメ」~解説『日本舞踊×ダンス おどるカラダ』 西川扇与一(左)/近藤良平(右)/石渕聡(中) 写真提供:国立劇場

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

表 現の特 長を例 示してみせた。 これは画 期 的な企 画であったと思う。 その後で例 示された わか やぎ き ち ぞ う

作 品は、前 述の舞 踊 集 団「 弧の会 」の『 御 柱 祭 』 と、若 柳 吉 蔵 の親 獅 子に花 柳 源 九 郎 の仔 獅 子が挑む長 唄『 連 獅 子 』。 『 御 柱 祭 』の、伝 統を超えようとするとダンスに近づく創 造力、 『 連 獅 子 』では伝 統の獅 子 物の近 代 歌 舞 伎の創 造の確かさを見せて、ライオンダ ンス とも呼 称される伝 承 芸を見せた。 この公 演でも、 日本 人の身体をダンスと比 較すること で、 日本人の カラダ を見 極めることができた。 3. 日本舞踊の女形 日本 人の カラダ を見 極めるもう一つの核 、 ジェンダーを超える女 形( 女 方とも)の芸は、 能 楽の女 体 、 そして歌 舞 伎 女 形を基に作り上げられ、 日本 舞 踊において、 さらに新しく輝け る存 在であると思う。 うめわか

新 型コロナ禍に負けまいと、 いち早く劇 場 活 動を開 始した楳 若 勧 二 郎の演じる長 唄『 新 派絵番付 』 (「 楳 若 會 」5 月 26日・国 立 劇 場 大 劇 場 )は、歌 舞 伎 女 形ではない勧 二 郎が 独自に切り開いた、新 派 風の世 界とも言えるものである。白い着 付の女 姿で、新 派の名 狂 おんな けい ず

言 、泉 鏡 花 作の「日本 橋 」や「 婦 系 図 」、川口松 太 郎 作の「 風 流 深 川 唄 」の女 役を舞う

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姿は、昭 和も今やひと昔 、 という唄心を見事に表現した。 また、前 述の藤 間 清 継は「 舞 踊 女 方の会 」 ( 12月 5 日・紀 尾 井 小ホール) を発 足させた。 プログラムには「 近 年 失いつつある 『 女 方 』の存 続と 『 女 方 芸 』の継 承 、女 方を主 体とした きょうた え

みどり

舞 踊 作 品の研 究を目的 」としたとある。今 回は歌 舞 伎 界から中 村 京 妙と尾 上 緑 、 日本 舞 たい ち

踊から藤 間 清 継と大 智 が 、 そ れぞれ一 番ずつ踊った。京 妙 やま ん ば

の清 元『 山 姥 』は、故・四 代目 中 村 雀 右 衛 門 の 門 弟らしい 新 派 女 方にも通じる感 触の踊 、 清継は新派の女方芸で、 自身 よ ざ く ら し ば い ばなし

の振 付による 『 夜 桜 芝 居 話 』、 大 智 は 素 踊『 娘 道 成 寺 』で 素 踊 女 方 とも言える独 自 の境 地 、緑は長 唄『 松 風 』で 歌 舞 伎 女 方とは 違った 領 域 への 挑 戦と、 それぞれが自身 の 女 形 芸を真 摯に見 つめて 楳若會『新派絵番付』楳若勧二郎

撮影:ビデオフォトサイトウ


好感が持てた会であった。今後の発展に期 待したい。 4. 国立劇場と公益社団法人日本舞踊協会の公演 国 立 劇 場 主 催 公 演では、前 述の「日本 舞 踊のススメ」のほか、古 典日本 舞 踊の二 本 柱 の 1 つである素 踊 技 法に焦 点を当てた「 素 踊りの世 界 ―日本 舞 踊の技 法を知る― 」 (3 月13日・国 立 劇 場 小 劇 場 ) と国 立 劇 場 開 場 55 周年 記 念「 舞の会 ― 京 阪の座 敷 舞 ― 」 が、 日本 舞 踊 公 演の基 準 点といえる。前 者は『 振りと描 写 概 説〜動きと意 味 』 と題し藤 間 らん こ う

らんしょう

と う め い りゅう

蘭 黄が解説し、藤間蘭 翔に表現を実演させた。 この解説の流れで、蘭黄は東 明 流『 都鳥 』 ふじ こ

ふじ かげ しず え

ぼく せつ

( 藤 間 藤 子 振 付 )を踊り、長 唄『 吾 妻 八 景 』を藤 蔭 静 枝 、清 元『 柏の若 葉 』を尾 上 墨 雪 が踊った。

「 舞の会 」は今 回 、一日三 部 制として各 部で四 番の上 演と従 来より一 番 減らしたせいか、 客席に空席が目立ったのは今後への不安を感じた。出演者も若返ったのは良とするが、舞 とも ご ろう

の密 度も薄くなっているのが気になった。井 上 八 千 代・山 村 友 五 郎に迫る人 材 育 成に、国 立 劇 場も大いに貢 献しなければならないと思う。劇 場 側の果たす役 割の大きさを感じた。 ま た、 この公 演は大 道 具を大 広 間で飾ることが特 長であったが、今 回『 千 鳥 』 と 『 檜 垣 』では ホリゾントが用いられ、作 品 効 果は上がったものの、 座 敷 舞 を逸 脱してしまう点は今 後の 課題となった。 新 型コロナ禍に日本 舞 踊は何を成すべきか考えた公 益 社 団 法 人日本 舞 踊 協 会は、 「日 本 舞 踊 協 会 公 演 」を中止し、代 替に「 特 別日本 舞 踊 公 演 〜祈り 希 望

そして感 謝を

込めて〜」 ( 3 月 4 日・国 立 能 楽 堂 ) という、世 情 不 安に応える企 画を昼 夜 三 番ずつ能 舞 台で上 演し、観 客と共にコロナ禍 撲 滅に祈りを込めた。 また、 コロナ禍で一 年 延 期された創 作「 夢 追う子 」 ( 6 月 4 〜 6 日・国 立 劇 場 小 劇 場 )が、関 係 者やっとの思いで上 演の運び となった。昨 年この欄で、NHK『にっぽんの芸 能 』での放 映について書いているので詳 細 は省 略するが、群 舞で綴られる出 演 者の笑 顔が印 象 的であった。題 材は、神 話 世 界の人 間 誕 生から、ナンバーワンを競い合うオリンピックに至るまで、 さまざまな「 祭 」を取り上げた もので、 コンテンポラリーダンスの要 素を取り入れてはいるが、群 舞はやはり新しさに欠ける。 舞 踊 協 会はまた、 「とどけ明日へ 未 来へつなぐ日本 舞 踊 公 演 」 ( 10月 16日国 立 劇 場 小 劇

ぜい

場 、12月 3 日国 立 文 楽 劇 場 ) という新しい企 画 公 演を持った。現 代 箏曲に基づく創 作『 脆 せい

ひ や みず の

よ ひと

性ノスタルジア』 ( 冷 水 乃 栄 流 作曲、花 柳 貴 代 人 振 付 ) と琵 琶『 与 一の段 』 (海津勝一郎 じゅんこ

とう しゃ ろ せん

作 、半 田 淳 子 作 曲 、藤 舎 呂 船 作 調 、尾 上 墨 雪 振 付 )は、協 会の企 画 意 図が伝わる作 品 だったと思う。

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

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第 4 回日本舞踊未来座 祭(SAI) 『 夢追う子』 写真提供: (公社) 日本舞踊協会

5. 話題

7 月 26日に「 琉 球 舞 踊 」から初めて、重 要 無 形 文 化 財の認 定 者に宮 城 幸 子と志 田 房 すい せん

子が選 出された。 また、2020 年 度 文 化 庁 芸 術 選 奨 新 人 賞に市 川 翠 扇 、2021年 度 文 化 庁 芸 術 祭 賞では、舞 踊 部 門で藤 間 清 継が「 藤 間 清 継 舞 踊リサイタル」の成 果で優 秀 賞 を受賞した。 ひらの・ひでとし 舞踊評論家。1944年、仙台市出身。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。大学では歌舞伎を専攻。 出版社に勤務し 『 沖縄の芸能 』、季刊「民俗芸能」、 月刊「邦楽と舞踊」などの編集を担当後、身体表現 の研究を求めて評論家となり、文化庁、 日本芸術文化振興会などで専門委員などを務める。2016年には 『評論 日本身体表現史――古代・中世・近世』 (日本舞踊社) を上梓。


松岡伶子バレエ団『ドン・キホーテ』 撮影:むらはし和明

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[バレエ]

コロ ナ 規 制 、 対 応 に 苦 慮し つ つ 少し ず つ 正 常 を 取り戻 す うらわ まこと 規制と解除が交錯、振り回されたバレエ界

2 年目に入った新 型コロナウイルスの蔓延は、バレエ界 、 そして社 会の諸 相に影 響を与え 続けた。 まず、5 月連 休 前 後の無 観 客イベントなど厳しい人 流 対 策 。7、8月のオリ・パラ時の ひ っ ぱく

感 染 爆 発 、医 療の逼 迫 。 ワクチン接 種 者の増 加などによる 9 月からの感 染 者の激 減 。 そし て11 、12月には低 位で安 定 、感染対策はとりつつも、 じょじょにコロナ前の状 況に戻りつつあ る。ただ、海 外では感 染 者 数は高い水 準で、11月末には強い感 染力をもつ変 異 株オミクロ ンが出現 、年 末・年 初 、 そして寒 冷 期を迎え予断を許さない状 況だ。 こうした環 境 下 、バレエ界はどう対 応し、活 動を続けたか。 まず全 体の状 況を概 括してみ よう。 日本の舞台芸術を知る

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BALLET

昨 年のような公 演 中 止の要 請こそなかったが、 とくに前 半は、厳しい対 応を迫られた。 そ の最たるものが、前 記した無 観 客 公 演の要 請である。無 観 客ではバレエ公 演など観 客に 見せることを目的とする催しは基 本 的に意 義を失う。無 観 客を要 請されれば、原 則 的には、 中止、 もしくは延 期の対 応をとらざるを得ない。だが、延 期は会 場 確 保が難しいし、出 演 者 や団 体が集う合 同 公 演やプロデュース公 演 、国 内 外からゲストを招いての公 演というわが 国に多いケースでは、舞 台スタッフの確 保を含めてその実 施が困 難である。結 果として、中 止となる公 演も多かった。 ただ、緊 急 事 態 宣 言 、 まん延 防 止 等 重 点 措 置などの規 制と解 除が繰り返されたこともあ り、観 客 規 制も必ずしも完 全に実 行されたわけではない。 いずれにしろバレエ界では、出 演 者やスタッフが個々に感 染して対応したケースはあったが、 クラスターの発 生はなかった。 ここで、4 月 25日から 5 月 11日まで、無 観 客 公 演を初めて体 験したバレエ界の対 応を具 体 的に記 録しておく。 この時 期は連 休を挟み、毎 年 多くの公 演 、発 表 会 、 そしてコンクール が予 定される。 だが今 年はその多くが中止となり、延 期は東 京バレエ団などごく一 部 。ただ、 別の対 応もあった。 まず、無 観 客で上 演し、映 像 配 信したケース。新 国 立 劇 場バレエ団 、 ローラン・プティの『コッペリア』は全キャスト舞 台を配 信した。映 像 配 信を伴わない無 観 客

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公 演もあった。例として、バレエ団ピッコロの創 立 60 周 年 記 念 公 演をあげておく。 もし翌 年 への延 期となれば、記 念の意 義が薄れるし、祝 賀 出 演 者の予 定がたたない。祝 典や表 彰 は内 輪でも意 味はあるということで、実 施に踏み切った。会 場の練 馬 文 化センターでは客 席人数は 6 人に制限され、技術スタッフやカメラはなんとか入れたが、 その他の指導者やボ ランティアなどの関 係 者は舞 台 袖で見 学となった。同じく 「 無 観 客 」のはずのオリンピックと は異なり、厳 密な規 制が劇 場客席には適用されたのである。 もう一 つ 、珍しいケースは兵 庫のカンパニーでこぼこ。たまたま規 制 初日の 4 月 25日に 『コッペリア』の本 番が予 定されていた。 それで急きょ、本 番を前日( 24日)に繰り上げて通 常どおり上 演した。劇 場を押さえており、来 場 者の多くが連 絡 可 能という条 件がそろったま れなケースであった。 なお、翌日にも無観客で上演、 ライブ配 信している。 地域、団体で対応に微妙な差が 次いで、バレエ界のこの 1 年であるが、 わが国のバレエ界の特 徴を 2 点 、確 認しておく。 まずバレエ団の所 在 地 、活 動が大 都 市 圏 、特に東 京に集中していること。 もう 1 点は、新 国 立 劇 場バレエ団 以 外の団 体は、 自劇 場をもたず、公 演 収 入や寄 付 、助 成よりも、傘 下のバ レエスクールからの収 入が、団の活 動やダンサーの経 済 基 盤の大きな部 分を占めているこ と。舞 踊 家が生 計をたてるためのバレエ教 室は、全 国に多 数 存 在し、バレエ界の底 辺を支


えている。今 回のコロナ禍は、文 化 庁が新しく設けたアートキャラバン事 業や ARTS for the

future!などの公 的 救 済 、助 成が受けにくい中小 規 模の団 体やスクールに、より厳しく影 響 した。廃 業 、転 職を余 儀なくされたダンサーもいる。 これらを前 提に地 域 別に概 括する。 東 京を中心とした首 都 圏は、無 観 客や定員の 2 分の1などの規 制に悩まされながらも後 半は活 況を取り戻しつつある。 それに対して関 西( 大 阪 、兵 庫 、京 都 )は、団 体ごとの対 応 の差が続いているようにみえ、名 古 屋は、 ようやく主 要な団 体が本 格 活 動 開 始という状 況 。 もちろん、 このすべてが、観 客にマスク着 用 、消 毒 、検 温を課し、来 場 者の連 絡 先 確 認など の対 策をとる。 また生 演 奏をテープに変えたり、 ロビーでの物 販・飲 食の中 止など、公 演 形 態の簡 素 化が見られた。 まず首 都 圏 。吉 田 都が芸 術 監 督 2 年目に入った新 国 立 劇 場バレエ団では、前 半はコ ロナ禍に影 響されたが、10月には、昨 年 就 任 第 1 作に予 定して中 止となったピーター・ラ イト版『 白 鳥の湖 』の新 制 作 上 演を実 現した。 また『くるみ割り人 形 』は、開 館 後 初めて、

2021年 大 晦日と元 旦を含めて連 続して上 演された。民 間で活 発だったのが東 京バレエ 団 。大 型 連 休中の公 演が無 観 客を要 請されたことを受け、6 月に延 期 。7 月には『 HOPE

新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』 撮影:鹿摩隆司

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BALLET

JAPAN 2021 』 として、12月にも 『くるみ割り人 形 』で、東 京に加え全 国 各 所を巡るツアーを みき こ

行っている。闘 病中だった創 設 者 松山樹 子を失った松山バレエ団では、世界のエトワール ともいうべき森下洋子は70 代半ばでなお、精力的に全幕作品の主演を続けている。今年は 『 新・白鳥の湖 』、 『ロミオとジュリエット』を東 京と大 阪 、広 島 、京 都などで踊ったほか、11月 にはさまざまな役に扮してその多 彩な才 能を示した舞 踊 生 活 70 周 年 祝 賀 記 念 会( 構 成・ 台 本・演 出・振 付:清 水 哲 太 郎 )を開 催した。創 設 者であり、70 年 近く団を率いてきた牧 阿 佐 美を亡くした牧 阿 佐 美バレヱ団は、10月には 16 年ぶりにローラン・プティの『デューク・ エリントン・バレエ 』、 『アルルの女 』を上 演 。 ここは年 間の多くの公 演 以 外に、複 数の関 連 する若 手 育 成のためのバレエ団も活 動を続けている。熊川哲 也 率いるK バレエカンパニー はヒューストン・バレエの飯 島 望 未( 8 月よりK バレエカンパニーのプリンシパル・ソリスト)を 招き、 『ドン・キホーテ』など着 実に公 演をこなした。2020 年に70 周 年を迎えた谷 桃 子バレ エ団や、井 上バレエ団 、小 林 紀 子バレエ・シアター、東 京シティ・バレエ団 、 スターダンサー ズ・バレエ団 、バレエシャンブルウエスト、NBA バレエ団 、国 際バレエアカデミアなども、 ウイ ルス対 策に苦 慮しつつも例 年

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松山バレエ団「森下洋子舞踊生活70周年祝賀記念会」 ©️エー・アイ 撮影:檜山貴司

に近い 活 動をしている。全 国 のバレエ人を統 括する日本バ レエ協 会も、創 作のトリプルビ ル「 Balletクレアシオン」やコン クールなど、例 年 通りの 事 業 を行った。 また、多くの 優れた 作 品を発 表している篠 原 聖 一が『アナンケ 宿 命 』を再 演 、 主 演の下 村 由 理 恵を中 心に 高い成 果を上げた。 最 近 の 傾 向として、中 堅カ ンパニーで日本 人 舞 踊 家 が 活 発に全 幕 創 作に取り組む ケースが目に付く。神 奈 川 県 やま と

の大 和シティー・バレエが、主 宰の佐々木 三 夏のプロデュー ほう まん

スで 2020 年 暮れには宝 満 直 也 版『 美 女と野 獣 』、夏 の 5


篠原聖一バレエリサイタル『アナンケ 宿命』 撮影:岡村昌夫(テス大阪)

本の中 小 創 作 作 品の会をは さみ、10月には池 上 直 子の振 付 で『 玉 藻 の 前 』 ( 原 作・岡 本 綺 堂 )を上 演 。井 脇 バレエ カンパニーでも高 橋 竜 太の『ト スカ』を初 演した。 この傾 向は 東 京 以 外でもみられ、名 古 屋 の BALLET NEXTが市川透 の『フランダースの犬 』を再 演 。 みど りま りょ うき

沖 縄 の 緑 間 玲 貴 のトコイリヤ

( 常 入 夜 )というカンパニーは、 東 京で古 事 記をベースにした 『 御 佩 劍 MIHAK ASHI 』を 初 演 。2022 年には地 元 沖 縄 で再 演が予 定されている。 関 西 3 府 県で 特に注目す

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べきは貞松・浜 田バレエ団 。3 月に森 優 貴 の 新 作『 囚 われ の国のアリス』など 3 本を創 作 、 秋には 芸 術 監 督・貞 松 正 一 郎が『 海 賊 』を新 制 作 、密 度 の高い舞 台をみせた。設 立 3 年目のバレエカンパニーウエス トジャパンでも創 作によるトリプ ほ う むら

ルビル。大 阪では法 村 友 井バ じ ぬし

レエ 団 、地 主 薫 バレエ 団 、野 間バレエ団 、佐々木 美 智 子バ レエ団なども公 演を続け、7 月 には 、かつてニューヨーク・シ ティ・バレエ団に在 籍し、現 在 はセントルイス・バレエ 団 の 芸 げん

術 監 督を務 める堀 内 元 が日

トコイリヤ『御佩劍 MIHAKASHI』 撮影:仲程長治

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BALLET

貞松・浜田バレエ団『海賊』 撮影:岡村昌夫(テス大阪)

本 各 地から実力者を集めて「 Ballet Future 2021」を行った。京 都は、例 年パリ・オペラ座 と提 携 公 演をする有 馬 龍 子 記 念 京 都バレエ団が、 『 眠れる森の美 女 』、 『 白鳥の湖 』など を日本 人ダンサーのみで演じた。名 古 屋も活 況を戻しつつある。越 智インターナショナルバ

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レエが一 昨 年 制 作した『ロミオとジュリエット』 を再 演 、松 岡 伶 子バレエ団は主 宰の松 岡 伶 すみ な

子の舞 踊 生 活 75 周 年 記 念 公 演『ドン・キホーテ』を。中堅の岡 田 純 奈 バレエ団 、川口節 子バレエ団なども昨 年に引き続き公 演を行っている。 これら以 外の地 域では、状 況はさらに厳しいが、各 地のコンクールはリモートやビデオ審 査などを組み込みながら行ったところも多い。 外 国のバレエ団やダンサーの来日としては、 コロナ禍の厳しい状 況にもかかわらず、海 外 から多くのダンサーを招いた「 世 界バレエフェスティバル」( 8 月) 、 「 Ballet Muses ―バレエ の美神 2021」(10月) 、モーリス・ベジャール・バレエ団来日公 演( 10月) を記しておく。 二つの巨星墜つ 先に触れたが、 わが国のバレエの土 台を築き、牽引した 2 人の舞 踊 家がこの世を去った。

5 月22日には、松 山 樹 子( 享 年 98 歳 )。夫・清 水 正 夫と松 山バレエ団を創 設 、ダンサー はく もう じょ

として活 躍しながら1950〜 60 年 代には『 白 毛 女 』などの作 品で日中 文 化 交 流に努め、国 交 回 復に貢 献 。子 息の清 水 哲 太 郎とともに森 下 洋 子を世 界のトップダンサーに育てた。第 二次世界大戦の敗戦( 1945 )翌年に『 白鳥の湖 』 (全幕) を日本で初めて上演、 わが国バ レエの基 礎となった東 京バレエ団( 現 存する同 名のものとは別 )で幹 部の 1 人として活 躍 。


彼 女の死でこのバレエ団の主 要な関 係 者はすべ てこの世を去り、大きな歴 史が終わりを告げた。

10月 20日には牧 阿 佐 美( 享 年 87 歳 )。日本 バ レエ界の実力 者を多く育てた橘 バレヱ学 校の創 設 者 、橘 秋 子の息 女としてその薫 陶をうけ、渡 米し てアレクサンドラ・ダニロワのもとで研 鑽を積み、牧 阿 佐 美バレヱ団を設 立 。70 年 以 上に亘ってダン サー、振付家、指導者、経営者として活動した。 また その間 、新 国 立 劇 場の舞 踊 芸 術 監 督 、バレエ研 修 所 長として、 わが国のバレエ界の発 展に大きく貢 献 。病に侵されながら、最 期まで活 動を続けていた。 逝去後、 バレエ界で初めての文化勲章を受賞した。

故・牧阿佐美氏

写真提供:牧阿佐美バレヱ団

最 後にもう一つ、わが国の特 性を示す状 況について述べておく。昨 年 逝 去した深 川 秀 夫に関する動きである。逝 去 後 、親 族やスタッフチームの有力者などによって彼の業 績や 作品を守る組 織「『 深川秀夫の世 界 』 を継承する会( Fukagawa Ballett Welt)」が生まれ た。 その活 動の一つに彼の作 品の権 利を守り、普 及も目指すというものがある。 わが国には 彼を始めとして世 界 的にみて決して遜 色のない振 付 者 、作 品が多 数ある。 しかし、 それらは その著 作 権のみならず、上 演を実 現する能力も振 付 者 個 人にしかなく、 その死とともに作 品 も実 質 的に終わりを告げる。後 継 者による再 演もほとんどなく、作 品を商 品として広く扱うこと など考えられていないし、 そうしたくても、舞 台 化を指 導する体 制 、 システムもない。本 年は東 京の大 塚 礼 子 、京 都の原 美 香 、兵 庫の波 多 野 澄 子などが過 去に上 演 実 績のある小 品を 上演したが、今 後さらに本格的に彼の作 品が普 及するかどうか、 わが国のバレエ界が振 付 者、作 品をリスペクトし、継 承する点で世 界 基 準に追いつくかどうかが注目される。 他の日本 人の作 品も権 利を守るだけでなく、上 演 機 会を増やす体 制・活 動について、新 国立劇 場などで研 究して欲しいと思う。 うらわ・まこと 本名・市川彰。元・松陰大学経営文化学部教授。元・公益社団法人全国国立文化施設協会舞踊アドバ イザー。舞踊評論家として、各種の新聞、雑誌に寄稿するほか、文化庁などの各種委員会の委員を歴 任、数多くの舞踊賞の選考委員、舞踊コンクールの審査員を務める。

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CONTEMPORARY DANCE and BUTOH

尾竹永子『福島を映す』 撮影:中川達彦

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[コンテンポラリーダンス・舞踏]

生と死 の 境 界 に 舞う 鎮 魂と未 来 へ の 希 望 堤 広志 2020年に発 生した新 型コロナウイルスの流 行は終 息することがなかった。第 3 波が 11月 から翌 2021年 2 月まで続き、4 〜 5 月に第 4 波 、7 〜 9 月に第 5 波が襲った。特に第 5 波 では感 染が急 拡 大し、 ワクチン接 種が間に合わず、医 療 崩 壊が起こった。妊 婦の救 急 搬 送 先が見つからずたらい回しの末に流 産したり、医 療を受けられず自宅 待 機中に死 亡する 事例が相 次いだ。 こうした状 況で話 題となったのは、東 京オリンピック・パラリンピックの開 催だった。国民の 生 命よりも五 輪 開 催を優 先する国の姿 勢に批 判が高まった。結 局 、無 観 客で開 催された が、開閉会 式の演出が物 議を醸した。


東京オリンピック・パラリンピック開閉会式の評価 当初 、 オリンピック開 閉 会 式の演出責 任 者は振 付 家の MIKIKOだったが、演出への権 力介 入を拒んで排 除され、辞 任した。演 出チームは解 散となり、 その後も総 合ディレクター やショーディレクターの辞 任・解 任が相 次いだ。 オリンピック開 会 式は統 括 者 不 在のまま行 われ、構 成 演 出にまとまりがなく不 評だった。出 演アーティストにとっては世の非 難を受ける リスクもあったが、誠 実な演 技はむしろ多くの理 解と支 持を得た。 とりわけ森 山 未 來のダン スが話 題となった。新 型コロナウイルスで命を落とした人々や 1972年ミュンヘン大 会のテロ 事 件の犠 牲 者への追 悼メッセージが流れた後 、白 装 束の森 山が大 地に体を打ちつけて だいすけ

舞い( 大 宮 大 奨 振 付 )、黙 祷が捧げられた。出 演 後に森山は自らSNSに投 稿し、降 板した

MIKIKOらも含め開 会 式に携わったクリエイターの名を挙げて謝 辞を捧げた。 そして「 最 後に『 未 練の幽 霊と怪 物 』の作・演 出である岡 田 利 規さんに、最 大のリスペクトを」と綴っ ザ

つる

た。 『 未 練の幽 霊と怪 物 』はその前月公 演され、夢 幻 能の形 式を取り入れた「 挫 波 」 「敦 が

賀 」の 2 本 立て音 楽 劇である。 「 挫 波 」は新 国 立 競 技 場の設 計コンペで選ばれながら後 に白 紙 撤 回され、ほどなく死 去した建 築 家ザハ・ハディドの未 練を描き、森 山はシテとして 演じ舞った。 そのため、開 会 式のダンスも亡きザハへの鎮 魂の意が込められていると解 釈さ れた。開 会 式ではほかに、競 技 全 50種 類のピクトグラムをマイム的な動きで次々と表 現した

HIRO -PON(が〜まるちょば)らも話 題となった。 一 方 、パラリンピック開 会 式は大 好 評を博した。逆 風でも勇 気を出して翼を広げれば 思 わぬ場 所に到 達できるというコンセプトで、パラ・アスリートたちを飛 行 機に喩え、離 着 陸する 「パラ・エアポート」を舞 台に設 定(ウォーリー木 下 演 出 、森 山 開 次・金 井ケイスケ振 付 )。 飛び立つ勇 気を持てない片翼の小さな飛 行 機を主 人 公とし、 オーディションで選ばれた車 わ ごう ゆ

椅 子の少 女 、和 合 由 依 が情 感 豊かに演じて絶 賛された。 その演 技をサポートするアカン パニストをマイム俳 優いいむろなおき、パントマイマー &ジャグラーの高 橋 徹(くるくるシルク) おおまえこういち

らが担当。少 女が飛び立つ勇 気を得るシーンでは、義 足のダンサー大 前 光 市と車 椅 子ダ ンサーかんばらけんたが渾身のダンスを披 露した。聖 火 台への点 火 前には、義 足の俳 優

&ダンサー森 田かずよが 太 陽のダンサー として生 命力溢れる演 技で踊った。 この成 功 く り す よし え

は障 害 者の社 会 参 加 活 動に取り組む NPO 法 人スローレーベルの栗 栖 良 依 がステージア ドバイザーを務めたことが大きい。栗 栖は日本 初のソーシャルサーカスカンパニー「 SLOW

CIRCUS PROJECT」を立ち上げ、4月に『 T∞ KY∞(トーキョー)〜虫のいい話〜 』を公 演しており、開 会 式でも障害者を支えるアクセスコーディネーターを配して臨んだ。

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CONTEMPORARY DANCE and BUTOH

東北への視線

2013 年 、東 京が五 輪 開 催 都 市に選ばれる際 、当時の安 倍 晋 三 首 相は福 島 第 一 原 発 が「アンダーコントロール」にあると述べた。東 北の復 興を後 押しする「 復 興 五 輪 」をスロー ガンにも掲げたが、実 質はともなわなかった。2021 年は東日本 大 震 災から10 年が経ち、 いま だ復興がならない東 北への視 線が舞 台 作 品にも感じられた。 東 京 五 輪の文 化プログラム「 Tokyo Tokyo FESTIVAL 」では、NPO 法 人ダンスアー カイヴ構 想の「 TOKYO REAL UNDERGROUND」が採 択され、川口隆 夫をキュレー ターに迎えて舞 踏の特 集 映 像をオンライン配 信し、尾 竹 永 子(エイコ&コマ)の『 福 島に行 く』 『 福 島を運ぶ』 『 福 島を映す』 も公 開された。尾 竹は被 災した福 島をたびたび訪れては 自身を風 景に晒し、 その模 様を撮 影したスライド映 像とともに踊った。 岡 田 利 規は異 才ぶりを発 揮した。津 波 被 害に遭った岩 手 県 陸 前 高 田 市の海 岸 線に かね うじ

建 設された巨 大な防 潮 堤の風 景に触 発され 、美 術 家の金 氏 徹 平とのコラボレーション え

『 消しゴム山 』を公 演 。湯 浅 永 麻との『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』では 第 1 部を発 表 、今 後 3 部 構 成で創 作 予 定である。 ラッパー Otagiriとの『アウトラップ 』では、 ラップの楽 曲やリリックとともにあるラッパーの体に動きを振り付け、映 像 配 信した。Dance

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Base Yokohamaの TRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系 譜 学 」ではバレエダンサー 酒 井はなとコラボレーションし、 ミハイル・フォーキン振 付『 瀕 死の白鳥 』 を再 構 築した『 瀕 死 の白鳥 その死の真 相 』 を初 演 。現実社会から乖離したバレエの様 式を突き崩し、SDGsな ど今日的な切り口で緻 密な振 付を施した。文 化 庁 助 成 事 業「 全 国 共 同 制 作オペラ」では だん い

團 伊 玖 磨 の歌 劇『 夕鶴 』を現 代 的に演 出し、主 役つうを資 本 主 義を乗り越えた女 性とし て描いて好 評を博した。 田 村 興 一 郎は、国 内で新 作 発 表を続けた。 『 THUNDER THUNDER 』は小 学 生の 頃の作 文をモチーフに、子 供 酒井はな出演/岡田利規演出・振付『瀕死の白鳥 その死の真相』 撮影:羽鳥直志

のように夢を語れなくなった現 在を表 現した。 『 K92 』は、祖 母 の 葬 儀を行った 寺 の 住 職 から聞 いた 話をモチーフとし た 。阿 弥 陀 如 来 の 仏 像 が 前 傾 姿 勢なのは、救う人のもとへ すぐ駆けつけられるようにする ためという。舞 台では倒れかか るダンサーに駆け寄り、交 互に


支えあう動 作を延々と繰り返し、死と向き合う状 況を描いた。 ストリートダンスをベースとした 田 村の振 付はシャープでエッジが利き、群 舞でのユニゾンはエネルギッシュで迫力がある。 『 窪 地 』では、津 波の被 災 者たちが今も行 方 不 明のまま成 仏できず、防 潮 堤の内 側で亡 霊となり彷 徨い続けていると強 烈に印 象 付けた。

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座・高円寺ダンスアワードⅡ・特別編

田村興一郎振付・出演『窪地』 撮影:梁丞佑

生と死の境界で舞う コロナの影 響から、鎮魂の思いや死生観を描いた作 品も多かった。 あきら

笠 井 叡 は、梶 井 基 次 郎の小 説をモチーフに『 櫻の樹の下には― 笠 井 叡を踊る― 』 を公 演した。笠 井は普 段から「 死 者がわたしの体を動かしている」と確 信し、土 方

の言 葉「 舞

踏とは命がけで突っ立った死 体 」との共 通 点から、生 命の誕 生と終わりは表 裏 一 体である しま じ やす たけ

という死 生 観を舞 台 化した。大 植 真 太 郎 、島 地 保 武 、辻 本 知 彦 、森 山 未 來 、柳 本 雅 寛の ふんどし

5 人がスーツ姿で鋭く踊り、クライマックスでは大 量の桜 吹 雪が降り注ぐ中、入れ墨に褌 姿 で乱 舞 。笠 井は白塗りにピンクドレスの女 装 姿で宙吊りとなり、生と死を鮮 烈に対比させた。 まろあか じ

麿 赤 兒 は、 フランスの鬼 才フランソワ・シェニョーとデュオ 『ゴールドシャワー 』を踊った。 ゼ ウスが黄 金の雨と化してダナエと関 係を結ぶギリシャ神 話をモチーフとし、エロスとタナトス が交 錯する遊び心に溢れたスペクタクルとなった。 日本の舞台芸術を知る

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CONTEMPORARY DANCE and BUTOH 笠井叡『櫻の樹の下には ―笠井叡を踊る―』 撮影:bozzo

勅 使 川 原 三 郎 は 、芥 川 龍 之 介 の小 説を原 作に『 羅 生 門 』 を初 演 。 平 安 時 代 末 期の京 都に疫 病が蔓 延し、生 死 の 境を彷 徨う人々が 放 置された羅 生 門が 舞 台 。雨 宿りし た下 人( 勅 使 川 原 )が 、死 体 の 髪 の 毛を抜き取って売る老 婆( 佐 東 利穂子) と出 会い、 その悪への憎 悪 から老 婆の着 物を剥ぎ取り逃 亡す る。原 作はそこで終わるが 、勅 使 川 原 版では老 婆のその後にフォーカス し、羅 生 門に棲む 鬼(アレクサンド ル・リアブコ) とデュオを踊る。ハンブ ルク・バレエ団で主 役を踊るリアブ コの力強い動き、醜から美へ変 転す しょう

る佐 東 のしなやかな表 現 、笙 奏 者

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の宮 田まゆみが 奏でる天 上の響き で、混 乱 の 時 代を必 死に生きる人 間の純 粋さを描いた。 山 田うんは、国 立 劇 場の特 別 企 フランソワ・シェニョー×麿赤兒『ゴールドシャワー』 撮影:川島浩之

画「 二 つの 小 宇 宙 ―めぐりあう今 しょう みょう

― 」で声 明とCo. 山 田うんのコラボ レーション『 Bridge 』を初 演 。彼 岸 の浄 土と此 岸の現 実の間でコロナ 終 息への願いを込めた。新 国 立 劇 場の子 供 向けプログラム『オバケッ タ』では、 「 死んだらみんなどこ行く の?」をテーマに、主 人 公の少 女が 死んだおばあちゃんや妖 怪・怪 物と ともにあの世とこの世を往 還する物 語をにぎやかに楽しく描いた。生と死 勅使川原三郎版『羅生門』 撮影:阿波根治(スタッフ・テス株式会社)

の境 界をテーマとした Noismのダブ


ルビル公演「境界」では、委嘱作品『 Endless Opening 』 を金森穣振付『 Near Far Here 』 とともに初 演 。つらく悲しい思いをしている観 客へ向け、生の喜びを捧げる献 花をイメージし 振り付けた。 北 村 明 子は、KAAT 神 奈 川芸 術 劇 場のキッズ・プログラム『ククノチ テクテク マナツノ ボウケン』を振 付・演 出 。死んだおばあちゃんに会う旅に出かけた子 供たちが、森の中で木 の神様に出会うストーリー。お盆の儀礼を題材に、生と死の循環、 自然の一部としての人間 といった死 生 観を綴った。森の精 霊のお面をかぶって観 客も一 緒に踊る趣 向も楽しく、好 評だった。 あや ね

じゅ さ

中川絢 音 は、 日本 舞 踊 家の藤 間 涼 太 朗・花 柳 寿 紗 保 美と 『しき』を公 演 。葬 儀の参 列 者と死者の解 脱の瞬 間を描いた。 橋 本ロマンスは『デビルダンス』でコロナ禍に応 答し、 ダンス・マカブル( 死の舞 踏 )や「え エ

えじゃないか」などのモチーフをコラージュ的に演 出 構 成 。 『 江 丹 愚 馬( ENIGMA )』では、 現 代 邦 楽 作 曲 家・太 棹 三 味 線 演 奏 家やまみちやえとコラボレーションした。人や国を治め お お なまず

る政 治 家たちを大 鯰に喩え、 「 ♪ 世 直し 復 興 景 気 回 復 お手のもの」と語る義 太 夫 節に 乗せて踊り、現 代日本の浮 世(憂き世 ) をディストピアとして皮 肉たっぷりに描いた。 能を題 材とした作 品も目立った。 日本 文 化に死 者への追 悼や鎮 魂の精 神が地 下 水 脈 のように流れているようにも感じられた。 つね まさ

はご ろも

森山開次は、現代作曲家カイヤ・サーリアホが能「経 正 」 「羽 衣 」を題材とした 2 部構成 の国際共同制作オペラ 『 Only the Sound Remains −余韻−』の日本初演に出演し、修羅 能の激しい葛 藤と天 女のたお やかで美しい舞を精 妙に演じ 分けた。 「ジャポニズム2018」 れい がく しゃ

で伶 楽 舎とパリ初 演した現 代 雅 楽とのコラボレーション『 彼 ごん だい

岸の時 間 』 ( 権 代 敦 彦 作 曲 )、 りん じゅ

さる や とし ろう

『綸綬』 (猿谷紀郎作曲) も 日本初演し、幽玄に舞った。 か お り

伊 藤 郁 女は、 「 失うこと」を テーマとした『 あなたへ 』を日 本 初 演 。亡くなった人への手 紙 や 、死 別した 故 人と話した い 思 いから海 辺 の 高 台に設

森山開次振付・出演『Only the Sound Remains −余韻−』 撮影:飯田耕治/写真提供:東京文化会館

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置され、東日本大震災後に多くの人々が訪れた「風の電話」をモチーフに、遺族が「どう生 きるのか」という問 題をエネルギッシュかつポジティブに表 現した。 また、俳 優・笈 田ヨシと共 あやのつづみ

作し、能『 綾 鼓 』 と三 島由紀 夫「 近 代 能 楽 集 」の『 綾の鼓 』から触 発されたダンスシアター 『 Le Tambour de soie 綾の鼓 』 も日本 初 演した。 コロナ禍への応答 コロナ禍の苦 難が続く中、 ニューノーマルな生活に対応した作 品も見られた。 し ゅ う

浅 井 信 好と奥 野 衆 英のフィジカルシアターカンパニー月灯りの移 動 劇 場は、 『 Peeping

Garden/re:creation 』を全 国ツアー。 ソーシャルディスタンスを保ちながら鑑 賞できるよう、30 枚のドアで舞 台を円 形に囲み、観 客は 1 人ずつ仕 切られた空 間に座ってのぞき穴から見 る趣向が話 題となった。 しげひろ

井 手 茂 太 のイデビアンクルーは『 義 務 』 を初 演 。 コロナと向き合って生 活していく 「義務」 を遊び心のあるシーンとともに描いた。 ラストでは東 京 五 輪 音 頭が遠ざかり、黒い巨 大な カーテンに人々が隔 離されていく情 景を展 開し、五輪開催を同 時 代 感 覚で描いた。 小 野 寺 修 二のカンパニーデラシネラは、 ジョージ・オーウェル作『 動 物 農 場 』から着 想を得

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た新作『 TOGE 』 を発表。権力や構造に左右されない自律的な生活を無言劇として描いた。

月灯りの移動劇場『Peeping Garden/re:creation』 ( 横浜赤レンガ倉庫1号館) 撮影:大洞博靖


未来への希望 公 立 劇 場では事 業の見 直しや人 事の刷 新が進んだ。財 政 難の自治 体も多く、兵 庫 県 伊 丹 市は市 立 劇 場アイホールの用途 転 換を検 討 、 自主 事 業を廃 止し、貸し館 事 業のみと する方 針を固めた。 新 潟 市は、新 潟 市 民 芸 術 文 化 会 館りゅーとぴあの劇 場 専 属ダンスカンパニー Noism のレジデンシャル制 度を見 直した。芸 術 監 督の任 期を 1 期 5 年 以 内とし、新たに 2 期 10 年までの上 限を設け、金 森 穣の続 投が決まった。Noismはこの年『 春の祭 典 』を初 演 。 ス トラヴィンスキーの楽 器 編 成や音のテクスチャーを振 付に変 換し、音 楽とドラマを鮮 烈に 可 視 化した。 また金 森は外 部とのコラボレーションにも精力的で、伶 楽 舎とは雅 楽の楽 曲 構 成を動きに置 換した『 残 影の庭 ― Traces Garden 』を初 演 。 「 Dance Dance Dance@ じゅういち

YOKOHAMA 2021」では芸 術 監 督・小 林 十 市を主 演に迎え、 『 A JOURNEY〜記 憶の 中の記 憶へ』 を公 演した。東 京バレエ団の委 嘱『かぐや姫 』では第 1 幕を初 演し、2023年 には全 3 幕の通し上 演に取り組む。 彩の国さいたま芸 術 劇 場は、次 期 芸 術 監 督に近 藤良平(コンドルズ)の就 任を発 表 。 コ ンドルズは旗 揚げ以 来 、既 成のダンスの枠に収まらない舞 台で人 気となり、幅 広い支 持を 得ている。25 周 年 記 念の東 京 公 演『 OneVision 』では、障 害 者ダンスチームのハンドルズ とも共 演 。 ダンスを通じて地 域 住 民や子 供 、障 害 者らと踊る社 会 貢 献 活 動にも取り組んで おり、文 化 芸 術 、教 育 、福 祉などをまたぐ開かれた劇 場への期 待が寄せられている。埼 玉 では毎 年 新 作を発 表してきたが、2021年は『 Free as a Bird 』 を公 演 。白い紙 切り絵のよう な街 並みのセットに佇む近 藤 の背後でメンバーたちがかくれ んぼするようなシーンを展 開し、 今 後どのようなカラーで地 域を 染めていくのか期 待を持たせ る演 出が喝 采を浴びた。 また、 オープンシアター「ダンスのあ る星に生まれて」を近 藤自らプ ロデュースし、 ダンス、音 楽 、演 劇などのジャンルを横 断 する 多 彩なプログラムで構 想の一 端を示した。朋 友の長 塚 圭 史 が一 足 先にK A AT 神 奈 川 芸

Noism 0 +Noism1 +Noism 2 /金森穣演出・振付『春の祭典』 撮影:篠山紀信

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術劇場の芸 術 監 督に就任し、各 地で世 代 交 代も進んでいる。 国の意 向に依らず、各 持ち場で今できることに取り組む姿 勢が未 来への希 望に繋がるだ ろう。中長 期 的な展 望を持ち、すぐ行 動を起こせるよう準 備しておくことが、 アフターコロナへ の出口戦 略となる。

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コンドルズ埼玉公演2021『Free as a Bird』 撮影:HARU

つつみ・ひろし 1966年川崎生まれ。文化学院文学部演劇科卒。アート、エンタメ、演劇、 ダンス等の専門誌編集を経 てフリー。小劇場から新劇、アングラ、商業演劇、伝統芸能、 ダンス等まで幅広く取材し、手がけた企画 特集多数。 トヨタコレオグラフィーアワード選考委員、 ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルやSAI International Dance Festivalの審査員を歴任。編著に空飛ぶ雲の上団五郎一座『アチャラカ再誕生』、 『現代ドイツのパフォーミングアーツ』、 『ピーター・ブルック─創作の軌跡─』等。


[テレビドラマ]

分 断 を 超 え て 、 死 者と生きる 岡室 美奈子 2021年も2020年に続いてコロナ禍という暗 雲に覆われた1年だったが、制 作 現 場が休 止を余 儀なくされた昨 年とは異なり、感 染 対 策への配 慮やさまざまな制 約の中で多くのドラ マが制 作された。劇中で登 場 人 物たちがマスクを着用するドラマも増え、withコロナが日常 にも浸 透してきたことを感じさせた。 特 筆すべきは、2021年は見 応えのあるドラマが多かったということだ。 これは、制 作 現 場が 止まるという昨 年の非 常 事 態を経て、 ドラマの作り手たちが奮 起した成 果だろう。 また、東日本 大 震 災から10 年の節目を迎え、震 災を取り上げたドラマも目立った。震 災 関連ドラマに秀 作が多かったことも、記 録にとどめておきたい。 ここでは連 続ドラマの中から特に印 象 深かったものを振り返っておきたい。

223 コロナ禍の渦中で心に響いたドラマ コロナ禍の制 約の中で生まれた傑 作ドラマの筆 頭が、 『 俺の家の話 』 ( 脚 本:宮 藤 官九 郎 、チーフプロデューサー:磯山晶 、演出:金 子 文 紀 他 、TBS 系 )だ。 これまで『 池 袋ウエス トゲートパーク』 ( 2000 年 )、 『タイガー&ドラゴン』 ( 2005年 )、 『うぬぼれ刑 事 』 ( 2010 年 、 いずれもTBS )などの大 人 気ドラマを生み出してきたチームの集 大 成とも言うべきドラマで ある。 み やま じ ゅ いち

じゅ さぶ ろう

主 人 公の観 山 寿 一( 長 瀬 智 也 )は、能 楽の人 間 国 宝・観 山 寿 三 郎( 西 田 敏 行 )を父 に持つが、若い頃に家を出てプロレスラーとなる。 ところが寿 三 郎が倒れたことをきっかけに 家に戻る。寿 三 郎が自分の婚 約 者として連れてきた介 護ヘルパーのさくら (戸田恵梨香) よう すけ

じゅ げ

や寿 一の妹・舞( 江 口のりこ)、弟・踊 介( 永 山 絢 斗 )、観 山 家の芸 養 子・寿 限 無( 桐 谷 健太) らを巻き込みながら、寿 三 郎の後 継 者 指 名をめぐってドラマは展 開する。能 楽 宗 家 の後 継 者 問 題や遺 産 相 続という、 いかにも泥 沼のお家 騒 動になりそうな題 材を扱いながら、 本 作はプロレスと能というまったく異なる世 界を繋ぐことで、最 終 話では生 死の境 界をも超え た親 子の情 愛を描き、視 聴 者に深い感 動を与えた。能 役 者とプロレスラーを演じた長 瀬 智 也の入魂の演 技は、私たちの記 憶に残り続けるだろう。 かつてホームドラマは日本のテレビのお家 芸であったが、 いつしか「 家 族 」を正 面 切って 日本の舞台芸術を知る

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TELEVISION DRAMA

描くドラマは傍 流へと追いやられてしまった感がある。 しかしコロナ禍による自粛 期 間は、多く の人々を再び家 族に向き合わせることになった。 『 俺の家の話 』は新しいホームドラマのか たちを示し、若 者にも「 老い」や「 介 護 」を身近に感じさせたと言える。 ( 東 京ドラマアウォー ド2021 作 品 賞 連 続ドラマ部 門グランプリ、同 助 演男優 賞:西 田 敏 行 、同 助 演 女 優 賞:江 口のりこ、第 58 回ギャラクシー賞優秀賞) 『 大 豆 田とわ子と三 人の元 夫 』 ( 脚 本:坂 元 裕 二 、 プロデュース:佐 野 亜 裕 美 、演 出:中 江 和 仁 他 、関 西テレビ) も、直 接コロナ禍を描かなくても、 コロナ禍の渦中に放 送されたこと に大きな意 味を感じさせたドラマである。離 婚 歴 3 回の大 豆 田とわ子( 松たか子 ) と三 人 はっ さく

た ろう

しん しん

の元 夫たち、田 中 八 作( 松 田 龍 平 ) ・佐 藤 鹿 太 郎(角田 晃 広 ) ・中 村 慎 森( 岡 田 将 生 ) との交 流を描く本 作は、劇 的なシーンで視 聴 者を感 動させる従 来のドラマとは、 まったく異 わた らい

た か な し ひろ し

なる文 法で作られている。親 友の綿 来 かごめ( 市 川実日子 )の死や小 鳥 遊 大 史(オダギリ ジョー)からのプロポーズといった大きな出 来 事は起こるものの、非日常 的な出 来 事は直 接 描写されず、 日常の言 葉に落とし込まれ、 まるで雑談のようにさりげなく語られる。視 聴 者はそ んな雑 談をとおして、登 場 人 物たちの人 生の機 微や痛みに触れ、彼らが過ごしてきた時 間 や実 現されなかった未 来に思いを馳せるのである。 コロナ禍で雑 談の機 会がめっきり減っ

224

てしまった日常を生きる私たちに、坂 元 裕 二が紡ぎ出す、時に切なく時に可 笑しい日常 会 話 は、雑 談の思いがけない豊かさを教えてくれた。松たか子をはじめとする俳 優たちの細やか さい り

な演 技 、伊 藤 沙 莉 の独 特なナレーション、毎 回 異なるエンディングの音 楽 、冒頭でその回 の見どころを紹 介する演 出など、すべて雑 談のようなテイストで、完 成 度の高いドラマだった。 ( 第 76回 文 化 庁 芸 術 祭 賞テレビ・ドラマ部 門 優 秀 賞 、東 京ドラマアウォード2021 作 品 賞 連続ドラマ部 門 優 秀 賞 、同脚本賞:坂元裕二、同 主 題 歌 賞:STUTS & 松たか子 with

3exes「 Presence」、2021 年日本民 間 放 送 連 盟 賞 番 組 部 門テレビドラマ番 組 優 秀 賞 、第 59 回ギャラクシー賞 上 期テレビ部門入賞)

くる

『 今ここにある危 機とぼくの好 感 度について』 ( 脚 本:渡 辺あや、制 作 統 括:勝 田 夏 子 、訓 べ

覇 圭 、演 出:柴 田 岳 志 、堀 切 園 健 太 郎 ) もまた、私たちの生きる現 在を映し出すドラマだっ た。元アナウンサーで名 門・帝 都 大 学 広 報マンの主 人 公・神 崎 真( 松 坂 桃 李 )は、次々と 起こる不 祥 事や事 件を場当たり的に収めようとするが、論 文 不 正を告 発したために大 学を 辞めた元 彼 女の木 嶋みのり ( 鈴 木 杏 )の影 響を受けながら、徐々に正 義の人へと覚 醒して いく。終 盤で巻き起こる、病 気をもたらす架 空の外 来 種 蚊「サハライエカ」がある研 究 室か ら誤って流 出したことに端を発する「 次 世 代 科 学 技 術 博 覧 会 」の開 催の是 非をめぐる騒 動は、 コロナ禍と東京オリンピック・パラリンピック2020 開 催をめぐる騒 動を思わせた。 本 作は大 学や社 会を取り巻く様々な問 題を盛り込みつつも、論 文 不 正の遠 因として、大


学における科 学 研 究のあり方や短 期 的な成 果を求める国や企 業の問 題にも言 及するなど、 単 純な勧 善 懲 悪に落とし込まずに、正 義のあり方を真 摯に問う深みのあるドラマとなった。 ( 第 76回 文 化 庁 芸 術 祭 賞テレビ・ドラマ部 門 大 賞 、第 59 回ギャラクシー賞 上 期テレビ部 門入賞 ) 震災から10年のドラマ

2021年は、東日本 大 震 災で多くの命が犠 牲になってから10 年の節目の年であり、震 災 やその後の時の経過を描いたドラマが目立った。 あかし

たかし

連 続テレビ小 説『 おかえりモネ』 ( 脚 本:安 達 奈 緒 子 、制 作 統 括:吉 永 証 、須 崎 岳 、演 もも ね

出:一 木 正 恵 他 、NHK ) もその一つだ。 ヒロインのモネこと永 浦百 音( 清 原 果 耶 )は東日本 大 震 災の当日、生まれ育った気 仙 沼の亀 島を離れていたために津 波を見ていない。無力 感に打ちのめされ、地 元の人たちの役に立ちたいと強く願うモネは、気 象 予 報 士という仕 事 に巡り合う。本 作は、医 師の菅 波( 坂口健 太 郎 )が「あなたの痛みは僕にはわかりません。 でも、 わかりたいと思っています」とモネに語りかけるように、当事 者の痛みを理 解することの 不可能 性を受け入れた上で、 それでも寄り添おうとすることを誠 実に描いた。 このドラマには、自然と生 命の大きなサイクルも描かれている。被 災 地と非 被 災 地 、当 事 者と非当 事 者 、東 北と東 京といった二 分 法で私たちは分 断されてしまいがちだ。 その分 断 は、 このドラマの大きなテーマでもあった。 しかし東 北から始まり東 京を経て東 北に回 帰しな がら、苦しみを理 解できなくてもわかろうとすることによって、 そうした分 断を超えてつながりた いという祈りが、本 作には込められているように思われる。 その祈りを体 現したのがモネだっ たのではないだろうか。 (ギャラクシー賞テレビ部 門 2021 年 10月度月間 賞 ) 宮 城 発 地 域ドラマ『ペペロンチーノ』 ( 脚 本:一 色 伸 幸 、制 作 統 括:青 木 一 徳 、演出:丸 山拓也 、NHK ) も、優れた震 災ドラマだった。 東日本 大 震 災 以 降 、幽 霊の登 場するドラマが増えた。 その幽 霊たちは生 者を脅かす恐 ろしい幽 霊ではなく、 むしろ死 後も家 族を温かく見 守るやさしい幽 霊たちだ。 これは、地 震や 津 波によって多くの生 命が突 然 奪われたという事 実を前に、死 者を忘れるのではなく、 いか に死 者とともに生きていくかを人びとが真 剣に考え始めたからではないだろうか。本 作もその 系譜に連なる作 品と言える。 主 人 公のシェフ・小 野 寺 潔( 草 彅 剛 )は、営んでいたイタリアンレストランが津 波に流され、 一 時はアルコール依 存 症となるが、震 災から10 年目のその日に、 自分を導いてくれた人々を 妻の灯 里( 吉 田 羊 ) と一 緒に再 建したレストランに招く。 ところが終 盤で、実は灯 里は津 波 で行 方 不 明になっていたことが明らかになる。草 彅の、感 情 表 現を抑 制した淡々とした演 日本の舞台芸術を知る

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TELEVISION DRAMA

技が乗り越えてきた苦 難をむしろ饒 舌に伝えて、10 年の重みを感じさせた。 ( 第 47回 放 送 文 化 基 金 賞 番 組 部 門テレビ・ドラマ最 優 秀 賞 、同 演 技 賞:草 彅 剛 、同 脚 本 賞:一 色 伸 幸 、 第 58 回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞) 『その女 、 ジルバ 』 ( 原 作:有 間しのぶ、脚 本:吉 田 紀 子 、 プロデューサー:遠 山 圭 介 、雫 石 瑞 穂 他 、監 督:村 上 牧 人 他 、東 海テレビ)は、東日本 大 震 災のほか、 ブラジル移民、 コロ ナ禍など多くの問 題や災 害を織り込みながら、平 均 年 齢 70 歳の高 齢バー「 OLD JACK う すいあらた

& ROSE」を舞 台に、 ヒロイン・笛 吹 新 の再 生を豊かに描いた。脇を固める草 笛 光 子や江 ま とぶ せい

口のりこ、真 飛 聖らの好 演も光ったが、何よりも「 女はシジューから」を合 言 葉に生き生きと 息づいていく新をリアルに表 現した池 脇 千 鶴の演 技が圧 巻だった。 「 勝ち組 /負け組 」 「 若さ/ 老い」といった、つまらない二 分 法を軽やかに粉 砕する高 齢 女 性たちのパワーは、 生きづらさを抱えた女 性たちにとって大きな励ましとなった。 ( 第 47 回 放 送 文 化 基 金 賞 番 組 部 門テレビドラマ番 組 奨 励 賞 、同 演 技 賞:池 脇 千 鶴 、2021 年日本民間 放 送 連 盟 賞 番 組 部門テレビドラマ番 組 優 秀 賞 、第 58回ギャラクシー賞テレビ部 門 選 奨 ) そのほかの優れたドラマ

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毎 年のようにヒット作を制 作しているTBSスパークルの新 井 順 子プロデューサー、塚 原あ ゆ子ディレクターのコンビも健 在だ。二つの殺 人をめぐって15 年の時を往 還しながらさまざ まな「 最 愛 」のかたちを情 感 豊かに描いた『 最 愛 』 ( 脚 本:奥 寺 佐 渡 子 、清 水 友 佳 子 、 プ ロデュース:新 井 順 子 、演 出:塚 原あゆ子 、山 本 剛 義 、村 尾 嘉 昭 、TBS )は、初 回から最 終 回まで緊 密に構 成されており、 きわめて完 成 度が高かった。秘 密を守る者と暴く者との 攻 防と葛 藤を軸にドラマは展 開したが、最 終 話では、 ヒロインの真 田 梨 央( 吉 高 由 里 子 ) と弟の朝 宮 優( 高 橋 文 哉 )を守るために、弁 護 士の加 瀬 賢 一 郎( 井 浦 新 )の秘 密を、刑 事として秘 密を暴いてきた宮 崎 大 輝( 松 下 洸 平 )が受け継ぐ。梨 央や優への愛が、大 輝 に秘 密を守る者 / 暴く者の対 立を超えさせたこのエンディングは、視 聴 者に深い余 韻を残 した。 スペースの関 係で詳しくは述べられないが、2021年にはほかにも素 晴らしいドラマがあっ たのでタイトルだけ挙げておきたい。 『コントが始まる』 (日本テレビ)、 『 六 畳 間のピアノマン』 ( NHK )、 『きれいのくに』 ( NHK )、 『オリバーな犬 、( Gosh! ! )このヤロウ』 ( NHK )、 『恋 です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜 』 (日本テレビ)なども忘れがたい。 おわりに

2021 年のドラマは、 『 俺の家の話 』、 『 大 豆 田とわ子と三 人の元 夫 』、 『 おかえりモネ』、


『 ペペロンチーノ』、 『その女 、 ジルバ 』など、死 者と対 話したり、死 者の気 配を感じたり、死 者が別の生 命に転 生したり、死 者の心を引き継いだりと、死 者とともに生きるドラマが多かっ たように思う。 それはおそらく、東日本 大 震 災から10 年の節目であることや、 コロナ禍で日常 に死が影を落とす日々が続いたことと無 縁ではないだろう。 「 家 族 」や「 雑 談 」、 「 人とのつ ながり」など、 コロナ禍の渦中だからこそ心に響くテーマやモチーフも多く見られた。 ドラマの制 作 者たちが私たちの置かれた現 実に真 摯に向き合った結 果 、多くの傑 作・名 作ドラマが生まれた。2022年は、 コロナ禍が収 束してほしいと切に願っている。 おかむろ・みなこ 早稲田大学演劇博物館館長・文化構想学部教授。文学博士。テレビドラマ論、現代演劇論を専門とす る。ギャラクシー賞テレビ部門、放送文化基金賞、 日本民間放送連盟賞等のドラマ部門の選考委員、放 送番組センター理事、 フジテレビ番組審議委員、橋田文化財団評議員などを務めている。

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日本の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


TELEVISION DRAMA

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Afterword 編集後記

P.093

ベラルーシ

2022 年 2 月24日、プーチンのロシアが戦争を始めた。 世 界中でパンデミックとの闘いが続いていた最中である。多くの人びとは不 意を 突かれ、驚 愕し、衝撃を受けた。私もその一人である。 権 威 主 義 国 家と化したロシアは、感 染を防ぐと称して、 自由を求める人々を弾 圧 した。2021 年 9 月に行われたロシア下 院 選 挙では、 プーチン政 権は野 党 指 導 者 ナワリヌイを支 持する立 候 補 予 定 者を検 査 抜きにコロナ感 染 者と断 定し、病 院に 強 制 隔 離することも辞さなかった。選 挙 管 理 委員会に立 候 補申請 書 類を提 出す るのを物 理 的に阻 止するためである。たとえ書 類を提 出できても、 その選 挙 管 理 委 員会が立ち塞がった。結局ナワリヌイ派は誰一人立 候 補を認められなかった。 強 権 政 治はロシアばかりではない。前 年の 2020 年 8 月に大 統 領 選 挙が行われ たベラルーシでは、不 正 疑 惑から大 規 模な反 政 府デモが長 期 間 続いたが、 ルカ シェンコ政 権はデモ参 加 者を容 赦なく取り締まった。2021 年に入ると、多くの政 権 批判 者は亡 命を余儀なくされた。演劇人も例外ではない。 国 際 演 劇 協 会日本センターのホームページには、2014 年 以 降の『 国 際 演 劇 年 鑑 』が無 料 公 開されている。本 号で紹 介されているベラルーシは 2014 年にも記 事 がある。読 者 諸 氏は、ぜひ 2014 年と2022 年( 本 号 )の二つの記 事を読んで欲しい。

8 年 間で生じたベラルーシ社会の変質に愕然とするだろう。 2014 年の記 事は、ベラルーシの演 劇を近 世から現 代まで丁 寧かつ包 括 的に紹 介している。 さらに、 ソ連 崩 壊 後の民 主 的プロセスが途 上であることを踏まえ、直 接 的 / 間 接 的に現 代の政 治 情 勢を批 判する作 品が現れてきたことを肯 定 的に描い ている。 こうした政 治 演 劇の代 表 的な劇 団として挙げられているのが、2005 年に設 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022

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中国

P.016

P.100

ロシア

立されたベラルーシ・フリー・シアター(略称 BFT )であった。 一 方 、2022 年( 本 号 )の記 事は、 この BFTの共 同 芸 術 監 督であるニコライ・ハ レジンが執 筆した。BFTはコロナ禍でも活 発に活 動を行っている。 ニューヨーク・タ イムズ紙の「ロックダウン中の世 界デジタルプロジェクト・ベストテン」の一つに選ば 230

れたほどである。 しかし、BFTはベラルーシで活 動していない。ハレジンは妻とともに

2011 年に、他のメンバーも2021 年に、自身と家 族の身の安 全と芸 術 的自由を守る ために、政 治 亡 命したのである。ハレジンは、パンデミックと2020 年 8 月の大 統 領 選挙とが重なったため、 「複合的な政治危機」が引き起こされたと分 析している。 こ の危 機の結 果 、今 私たちは、ベラルーシで合 同 軍 事 演習を行ったロシア軍がウク ライナに侵 攻しているのを目の当たりにしているのだ。 亡 命 前の 2020 年 8 月、BFTは大 統 領 選に合わせてベラルーシの首 都ミンスク で複 数の公 演を行ったという。 なかでも、 スターリン時 代に逮 捕されて亡くなった奇 才の文 学 者 、 ダニイル・ハルムスのテキストをコラージュした公 演の記 述は興 味 深 い。公 演はミンスク市 内の複 数の建 物の中 庭で行われ、観 客には子どもたちも大 勢いた。治安部隊の急襲を受けた際には、 自分の住居に俳優たちを匿った観客も いたという。権 威 主 義 国 家の抑 圧 体 制のもとでも、人々が演 劇を共 有する体 験が 存 在した事 実を、ハレジンは記している。 いつの日かミンスクで、 いや世 界中どこでも 例外なく、演 劇を共 有する体験が自然なことと思える日が来ることを祈りたい。 海 外の動 向を集めた「 世 界の舞 台 芸 術を知る 2020/21」には、昨 年に引き続 きパンデミックを通して顕 在 化した世 界 各 国の権 威 主 義との闘いを伝える記 事が


韓国

P.029

P.023

中国・香港

集まった。 アジア・アフリカ諸 国では中国 、香 港 、韓 国 、 インド、 インドネシア、 タイ、 ウガ ンダの演 劇 人の闘いが身に迫る。BLM( Black Lives Matter)に揺れるアメリカ。原 サチコ、岡 田 利 規 、市 原 佐 都 子の活 躍とともに2023 年 開 催 予 定の世 界 演 劇 祭 (テアター・デア・ヴェルト)で相 馬 千 秋と岩 城 京 子がキュレーターに選 出されたド イツ。 フェスティバルや劇 場の芸 術 監 督 交 代と合わせて、 ヨーロッパ白人男性中心 の規 範が疑われなかった時 代に制 作された作 品の扱いを問うフランス演 劇の現 在 。パンデミックから立ち直りつつあるイギリスとロシア。 日本 国 内の現 状を振り返る「日本の舞 台 芸 術を知る 2021」には、昨 年 同 様に 「 能・狂 言 」 「歌舞伎」 「文楽」 「ミュージカル」 「現代演劇」 「児童青少年演劇」 「日本 舞 踊 」 「バレエ」 「コンテンポラリーダンス・舞 踊 」 「テレビドラマ」というジャン ルごとの回 顧を寄 稿していただいた。残 念ながら、 コロナ禍にともなう劇 場 閉 鎖の 影 響は今も続いている。 「シアター・トピックス 2021」には、発 生から10 年を迎えた東日本 大 震 災 後の現 状について盛 岡 、福 島 、石 巻 、青 森でそれぞれ活 動するくらもち氏 、大 信 氏 、芝 原 氏 、畑 澤 氏に寄 稿いただいた。 それに加えて、生 誕 160 年・没 後 100 年を迎えた 森 鷗 外についての論 考と、2010 年 代 後 半から勢いを増した「 2.5 次 元ミュージカ ル」についての論 考も掲 載 。 さらに、横 浜 国 際 舞 台 芸 術ミーティング( YPAM)事 務 局 長 丸 岡ひろみ氏に同 時 代の舞 台 芸 術のプラットフォームを日本に根 付かせ た経 緯を振り返っていただくとともに、現 状の課 題と今 後の可 能 性についてうか がった。 「特 集 紛 争 地 域から生まれた演劇 13 」では、2021 年 12月に東 京・池 袋の東 京 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022

231


タイ

P.049

P.036

インド

芸 術 劇 場アトリエウエストで行われたリーディング公 演『 Viral Monologues 』につ いて、 その意 義を論じていただいた。 「 未 曾 有がやってくるのは、いつも想 像だにしなかった方 向からなのだ」 :盛 岡を 232

拠 点に活 動する劇 団「 架 空の劇 団 」代 表のくらもちひろゆき氏は、本 号の「シア ター・トピックス 2021」にこの一 文を記された。大 規 模な自然 災 害 、原 発 事 故 、未 知のウイルスによって引き起こされるパンデミック、地 球 温 暖 化 、 そして戦 争 。次々と 襲 来する未 曾 有の出 来 事は、私たちの感 覚を麻 痺させる一 方で、無 意 識 裡に緊 張を植え付ける。異 常な事 態の日常 化が進 行している。舞 台 芸 術は、今 私たちが 生きている時間の向こうに、 こうした事態をとらえなおす生を体験させてくれるに違い ない。

2022 年 3 月 1 日 『 国際演劇 年 鑑 』編 集 長 新 野 守 広 にいの・もりひろ 1958年生まれ。立教大学教授。専攻は現代ドイツ演劇。著書に『 演劇都市ベルリン』 (れんが書房新 社・2005)、共著に『「轟音の残響」から―震災・原発と演劇― 』 ( 晩成書房・2016)、訳書にファルク・ リヒター著『崩れたバランス/氷の下』 ( 共訳、論創社・2009)、デーア・ローアー著『無実/最後の炎』 (共訳、論創社・2010)、 ヨアヒム・ガウク著『ガウク自伝』 ( 論創社・2017) などがある。


公益社団法人 国際演劇協会日本センター 役員 会長

永井 多恵子

副会長

安孫子 正 吉岩 正晴

常務理事

曽田 修司

理事

安宅 りさ子 伊藤 洋 大笹 吉雄 小田切 洋子 糟谷 治男 木田 幸紀 坂手 洋二 真藤 美一 中山 夏織 野村 萬斎

233

林 英樹 坂東 玉三郎 菱沼 彬晁 松田 和彦 三輪 えり花 和崎 信哉 監事

岸 正人 小林 弘文

顧問

大谷 信義 河村 潤子 迫本 淳一 田之倉 稔 野村 萬 波多野 敬雄 堀 威夫 松岡 功 (2022年3月27日現在)

世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


創刊 5 0 周年 国際演劇年鑑 ITI Japanese Centre’s Theatre Yearbook

since 1972

国際演劇協会( I T I )日本センターの『国際演劇年鑑』は、1972年から、 1年間の国内外の舞台芸術状況をまとめて刊行され、2022年に50周年を迎えます。 『国際演劇年鑑』には日本語版の「Theatre Abroad」と英語版の「Theatre in Japan」があります。

234

日本語版には日本国内と世界の約15の国・地域の舞台芸術について各国の専門家が原稿を寄せ、 英語版は日本語版に掲載された日本国内の舞台芸術事情を英訳して構成されています。 また、2009年からは『国際演劇年鑑』の別冊として、 戯曲集『紛争地域から生まれた演劇』を発行しています。 I T I日本センターでは、皆さまにご活用いただけるような誌面づくりを目指しています。 本書へのご感想、 「この国を取りあげて欲しい」など年鑑についてのご要望があれば、 次号の企画の参考にさせていただきますので、当センターまでご意見をお寄せ下さい。 また、1972年からの『国際演劇年鑑』に関するお問い合わせや バックナンバーをご希望の方は、I T I日本センターまでご連絡ください。

mail@iti-j.org 『国際演劇年鑑』Web版 (カラー・2014年〜)は こちらから

http://iti-japan.or.jp Follow us on

itijapan

@itijapan


国際演劇年鑑2020

部僅 世界の舞台芸術を知る(日本語版) 残

中国、韓国、ラオス、イラン、南アフリカ、レバノン、イスラエル、アメリカ、ブラジル、 ニュージーランド、イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイス、フランス、 ギリシャ、マケドニア、ロシア 《シアタートピックス》「座談会・境界を越える舞台をめざして─平成30年間の 国際交流を振り返る」 (佐藤まいみ・宮城聰・中村茜(司会:伊達なつめ) 「新生 PARCO劇場開場」 「追悼・ジャニー喜多川」 「岡田利規の時代─2010年代の舞 台芸術」 《特集》紛争地域から生まれた演劇 11

日本の舞台芸術を知る(英語版)

能・狂言、歌舞伎、文楽、ミュージカル、現代演劇、児童青少年演劇、日本舞踊、バ レエ、コンテンポラリーダンス・舞踏、テレビドラマ 《シアタートピックス》「新生PARCO劇場開場」 「追悼・ジャニー喜多川」 「岡田利規 の時代─2010年代の舞台芸術」 《特集》紛争地域から生まれた演劇11 〈戯曲集〉紛争地域から生まれた演劇11

『リベリアン・ガール』作=ダイアナ・ンナカ・アトゥオナ(UK)、訳=小田島創志

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国際演劇年鑑2021

部僅 世界の舞台芸術を知る(日本語版) 残

中国、中国・香港、台湾、韓国、パキスタン、エジプト、カナダ、アメリカ、チリ、オース トラリア、イギリス、ドイツ、オーストリア、スイス、フランス、イタリア、スペイン、ポ ーランド、ハンガリー、スウェーデン、ロシア 《シアタートピックス》「座談会:コロナ禍の先へ 大劇場の模索と未来への展望―― 松竹、東宝、劇団四季のトップに聞く」 「100年前のスペインかぜと同時代演劇」 「統 覚の複数性――ダムタイプの方へ」 「追悼・別役実:ベケットの影響のもとに――別 役実とピンター、ストッパード+資料:翻訳出版・海外公演された別役実作品」 《特集》紛争地域から生まれた演劇 12

日本の舞台芸術を知る(英語版)

能・狂言、歌舞伎、文楽、ミュージカル、現代演劇、児童青少年演劇、日本舞踊、バ レエ、コンテンポラリーダンス・舞踏、テレビドラマ 《シアタートピックス》「100年前のスペインかぜと同時代演劇」 「統覚の複数性― ―ダムタイプの方へ」 「追悼・別役実:ベケットの影響のもとに――別役実とピンタ ー、ストッパード+資料:翻訳出版・海外公演された別役実作品」 《特集》紛争地域から生まれた演劇12 〈戯曲集〉紛争地域から生まれた演劇12

『イサク殺し』作=モティ・レルネル(イスラエル)、訳=村井華代 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


ITI Centres

世界の国際演劇協会センター(2022年3月27日現在)

236

アメリカ

アフリカ

アメリカ合衆国

アルジェリア

アルゼンチン

ウガンダ

キューバ

エジプト

コロンビア

ガーナ

ベネズエラ

カメルーン

メキシコ

コートジボワール コンゴ共和国(ブラザビル) コンゴ民主共和国(キンシャサ) シエラレオネ ジンバブエ スーダン セネガル チャド 中央アフリカ共和国 トーゴ ナイジェリア ニジェール ブルキナファソ ベナン ボツワナ マダガスカル マリ モロッコ モーリタニア


ヨーロッパ アイスランド

スロバキア

アゼルバイジャン

スロベニア

アルメニア

チェコ

イギリス

ドイツ

イタリア

ハンガリー

エストニア

フィンランド

オーストリア

フランス

アジア太平洋

オランダ

フェロー諸島

イスラエル

北マケドニア

ベルギー(フランドル)

イラン

キプロス

ベルギー(ワロン)

インド

ギリシャ

モナコ

韓国

クロアチア

モンテネグロ

ジョージア

ジョージア

ラトビア

スリランカ

スイス

ルーマニア

中国

スウェーデン

ルクセンブルク

日本

スペイン

ロシア

バングラデシュ フィリピン

237

ベトナム モンゴル

アラブ アラブ首長国連邦(フジャイラ)

サウジアラビア

イエメン

シリア

イラク

パレスチナ

オマーン

ヨルダン

クウェート

世界のIT Iセンターのリストは、本部のウェブサイトで随時アップデートされています。 International Theatre Institute ITI / Institut International du Théâtre ITI Office at UNESCO UNESCO, 1 rue Miollis, 75732 Paris Cedex 15, France Headquarters in Shanghai 1332 Xinzha Road, Jing’an, Shanghai 200040, China Tel: +86 (0)21 6236 7033 info@iti-worldwide.org / www.iti-worldwide.org

世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2022


東宝演劇


お問い合わせ

Tel.0570 -00 -5100

(10 :00〜18:00)

※一部の携帯電話・IP電話等からはご利用いただけません。

宝塚歌劇公式ホームページ

https://kageki.hankyu.co.jp/ 夢と感動のステージへ…

宝塚友の会がご案内します! 一般前売に先立ち最も早くチケットをお買い求めいただけます。 入会申込書のご請求・お問い合わせは

Tel.0570-00-8739

(10:00〜17:00/水曜定休)

※一部の携帯電話・IP電話等からはご利用いただけません。


『国際演劇年鑑』特集企画

「紛争地域から生まれた演劇」 シリーズの展開 Theatre Born in Conflict Zones 国際演劇協会日本センター主催の「紛争地域から生まれた演劇」 シリーズでは 13年にわたり32の戯曲を紹介し、2011年からは戯曲集を発行しています。 2018年には、彩の国さいたま芸術劇場のさいたまネクスト・シアターによる新プロジェクト 「世界最前線の演劇」の第一弾として、当センターが初翻訳・リーディング上演した 『ジハード』 ( 翻訳=田ノ口誠悟) が日本初演され、翌年には 『朝のライラック』 ( 翻訳=渡辺真帆) が同プロジェクト第三弾として上演されています。 この2作品はまた、小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞しています。 さらに、10周年を迎えた2019年8月には、 各国の劇作家をはじめ当シリーズに携わった演劇人たちによる 書き下ろし原稿によって、 この試みの意義を問い直す書籍 『紛争地域から生まれた演劇』 がひつじ書房より出版されました。

10年にわたる「紛争×演劇」の試みが、 混迷する現代社会に生きる私たちに語りかけるものとは――。

『 紛争地域から 生まれた演劇 』 国際演劇協会日本センター 編

林英樹・曽田修司 責任編集

定価3,600円+税

シリア、 パレスチナ、 イランなど世界の「紛争地域」で、 なぜ演 劇は創られ、 どのように演じられているのか。本書により、私た ちは未知の紛争について知り、 それが自分たちと直接関わり のある出来事であることを発見し驚愕する。欧米、 アフリカ、 そ してアジアの各地で。本書は、世界の歴史・文化・宗教・政 治が、語り手・演じ手・観客という個人の視点を介して交錯 し共鳴する、圧巻の「現代・世界・演劇」探究の書である。


一人一人の心に 届く 文化をつくる つたえる

C 小川重雄 ○


東京芸術祭 東 京の多彩で奥 深い芸 術文化を通して世界とつながることを目指し、毎年 秋に東 京・池 袋エリ アを中心に開催している都市型総合芸 術祭です。東 京の芸 術文化の魅力を分かり易く見せると 同時に東 京における芸 術文化の創造 力を高めることを目指しています。中長 期的には社会課題 の解決や人づくり、都市づくり、そしてグローバル化への対応を視野にいれて取り組んでいます。

To k yo F e s t i val This is a comprehensive urban arts festival held every fall around Tokyo’s Ikebukuro area which aims to connect with the world through Tokyo’s rich and diverse arts and culture scene. While showcasing the appeal of Tokyo’s arts and culture in an easy-tounderstand manner, at the same time the festival aims to enhance Tokyo’s own creative capabilities. In the mid-to-long term, we will continue to work on resolving social issues, developing human resources, developing urban areas, and tackling globalization.

h t t p s : // t o k y o - f e s t i v a l . j p Facebook https://www.facebook.com/tokyofestivalsince2016/ Twitter https://twitter.com/tokyo_festival Instagram https://www.instagram.com/tokyo_festival/ 主催:東京芸術祭実⾏委員会 [豊島区、公益財団法⼈としま未来⽂化財団、公益財団法⼈東京都歴史⽂化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)] Tokyo Festival Executive Committee [Toshima City, Toshima Mirai Cultural Foundation, Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture (Tokyo Metropolitan Theatre & Arts Council Tokyo)]





東京都中央区銀座41215

0335456800

新 橋 演 舞 場 東京都中央区銀座6182

0335412600

演 劇 本 部

東京都中央区築地 四 丁 目 一 番 一 号 電話 (五五五〇) 一五七三( 歌舞伎製作部)

松竹株式会社

サンシャイン劇場 東京都豊島区東池袋314

0339875281 大阪

大阪市中央区道頓堀1919

0662142211 京都

京都市東山区四条大橋東詰

0755611155

伝統が今日に生き明日につながる松竹演劇



文化庁委託事業 令和3年度 次代の文化を創造する新進芸術家育成事業

編集長

新野守広

事業担当理事

曽田修司

編集

垣花理恵子、後藤絢子、小西道子(オフィス宮崎)、 スティーヴン・デイヴィス(オフィス宮崎)、多田茂史、中島香菜、深沢祐一

編集スタッフ

壱岐照美、林英樹

翻訳

〈日本語版〉 石 川樹里(韓国語)、千徳美穂(タイ語)、垣花理恵子、後藤絢子、重野佳園 戸加里康子、本橋哲也(以上、英語) 〈英語版〉 ア ラン・カミングス、石川麻衣、ウィリアム・アンドリューズ、 エレナ・ゴールドスミス(オフィス宮崎)、角田美知代、ドナカ・クロウリー、 トニー・ゴンザレス(オフィス宮崎)、マーク・大島、 マット・トライヴォー(オフィス宮崎)、山下円、リチャード・エマート

校正・校閲

〈日本語版〉 垣 花理恵子、後藤絢子、中島香菜、深沢祐一 〈英語版〉 會 田裕子、荻野哲矢、小西道子、サイモン・シドオ(以上、オフィス宮崎)、 白石実都子、多田茂史、平野都子

協力

ナージャ・ムツキフ、菱沼彬晁、吉木均

装幀・本文デザイン 久保さおり 製 版

山浦印刷 (株)

印 刷

(株) 三協社

製 本

(株) ウィンカム

国際演劇年鑑2022

Theatre Yearbook 2022 発行日 発行者

世界の舞台芸術を知る

Theatre Abroad

2022年 3 月27日

公益社団法人 国際演劇協会日本センター

〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷 4 -18-1 国立能楽堂内 Tel: 03-3478-2189 Fax: 03-3478-7218 mail@iti-j.org http://iti-japan.or.jp 本年鑑は、公益社団法人国際演劇協会日本センターが文化庁の委託事業として実施した、令和3年度「次代の文化を創造す る新進芸術家育成事業」の成果をとりまとめたものです。本年鑑の複製、転載、引用等の際は、発行者までご連絡ください。 落丁・乱丁本はお取り替えいたします。 © Japanese Centre of International Theatre Institute 2022 Printed in Japan




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