754:『福音』とは良き知らせ

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アクティベート ・ リーフ No.754

『福音』とは 良き知らせ

「み たんだ!」

んな聞いてくれ! 勝利だ、勝利だ! 戦争に勝っ

戦勝の知らせが届きました。この地では、何年も隣国との 戦いが続いており、いつも終わるとも知れぬ戦争に、兵士の 間に疲弊感が漂い始めていましたが、その戦いがついに終結 したのです。勝利の知らせに、兵士たちはどれほど喜んだこ とでしょう。でも、周りの状況は前日とあまり変わりません。 敵はまだそばに潜んでいるようですし、うっかり出て行った ら捕虜になってしまう可能性もあります。不安でいっぱいの 兵士たちは、びくびくしながら塹壕に隠れていました。 実は、これと同じような状況のクリスチャンが沢山います。 どういうことかというと、イエスを信じる者は救われて天国 に行けると聖書に書いてあるのに、その良き知らせを信じる ことができず、本当に天国に行けるのだろうかと心配しなが ら生きているのです。 数年前、 ある聖書勉強会に参加した時に、 聖書の中で「福音」 と訳されている古典ギリシア語の「エウアンゲリオン」とい う言葉はもともと、戦争の勝利や、皇帝の誕生、即位に関す る知らせのような「良き知らせ」という意味であり、新約聖 書では、イエスが悪魔に勝利し、キリストによってもたらさ れた救いと神の国についての喜ばしい知らせ、という意味に なると教わりました。 その時私は、戦いはすでに勝利しているというコンセプト に感動し、福音の更に深い意味に気づきました。その時の解放 感は本当にすごいもので、喜びに涙が止まりませんでした。そ の時以来、私の確信は強められ、人生も大きく変わりました。 でも、この福音の意味を知らずにいると、自分は死んだ後、 本当に天国に行けるのだろうかという不安を抱えながら生き ることになり、さらに、天国に行くには、死ぬまで良き人、 正しい人でいなければならないと思い込み、過ちを犯さず善 人であろうと悪戦苦闘する人もいます。それは、修行による

築紫 裕子

救いを信じているようなものです。でも真実はそうではあり ません。救いは、キリストを信じる者に「賜物」として、つ まりプレゼントとして与えられるのですから。 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によ るのである。それは、あなたがた自身から出たものではな く、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、 だれも誇ることがないためなのである。 - 聖書 エペソ2 章 8 - 9 節

悪魔は、人の魂を狙って戦いを仕掛けてきますが、キリス トは、人の魂を罪と誘惑から救い出すために地上に来られ、 すでに勝利を宣言されました。十字架上で、人類の罪の贖い のために死んで、その三日後に復活された時、悪魔に対して も、死に対しても、完全に勝利されたのです。だから、キリ ストを救い主と信じる人は、死んだ後も新しい身体を受け 取って復活し、天国で生きることができます。そのことをパ ウロはこう説明しています。 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、 眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、また たく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが 響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたち は変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず 朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着 ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないもの を着、この死ぬものが 死なないものを着るとき、聖書に書 いてある言葉が成就するのである。 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、 どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。 」 死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべ きことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、 わたしたちに勝利を賜わったのである。だから、愛する兄弟


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