traverse 新建築学研究 vol.18

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新建築学研究

traverse 18 kyoto university architectural journal




The space beyond reason

INTERVIEW

Jun IGARASHI

例えばファンズワース邸は柱とスラブで構成され、壁は

― 壁を思考する

無く、ガラスで覆われています。ミースは壁を建てること を避けてガラスを選択したと思っていたのですが、実際に 五十嵐 あなたたちは壁をどのように考えていますか。

訪れて見るとものすごく質感があるガラスなのです。向こ うは見えるけれどもはや壁のように感じられ、まるで金魚

山口 一言で壁と言っても様々だと思います。物理的な壁

蜂に入れられてしまったように強烈な境界面ができてい

はもちろん、空間と空間の境界という、目に見えないもの

た。体感としての透明感は一切感じませんでした。もしか

もある意味で壁と捉えられると思います。

したら薄いレースのカーテンが引かれている方がよほど透 明感を感じるのかもしれない。反対にルイス・カーンは見

五十嵐 根本的なことですが、垂直面を壁、水平面を屋根

るからに存在感のある分厚い壁を多用し、ルイス・バラガ

と呼びますね。本来、壁や屋根は地球空間との関係性を人

ンの建築においては壁そのものが空間をつくり出してい

間が本能的に感じ取ることで生み出したものです。そのよ

る。どのような壁が必要か、ではなくどのような空間を意

うな原初的な例の一つとして、アイヌ民族の伝統的な仮小

図しているかが重要なのだと思います。

屋で、「クチャ」というものがあります。猟の拠点、ある いは獲れた鮭などをストックする共有の場所だったそうで

小林 現代における空間を設計するための「壁」とはどの

すが、周辺の草や枝を使って屋根とも壁とも呼べるものを

ようなものだと考えていらっしゃいますか。

つくっています。インディアンのテントにもよく似ていま

理性を超える空間 The space beyond reason

建築家

最近では、平田晃久さんの「からまりしろ」とい

すね。それに対して現代は、熱環境エネルギー問題や社会

五十嵐

的必要性など様々な制約のもとで壁が建てられています。

う概念や、藤本壮介さんの白と黒の間の「グレー」なゾー

極端な気候の地域では断熱や空調のために壁が必要であ

ンに対する思考のように、新たな空間を模索する試みがな

り、たとえ穏やかな気候の地域であってもセキュリティや

されています。彼らは総じて壁、或いは空間を分解、再解

プライバシーなどの問題があるため壁を無くすことはでき

釈してある種のレイヤーを生み出そうとしているのではな

ません。建築家にはそういった制約を理論的に用いて壁を

いでしょうか。

建てる人がいる一方、制約から脱出し、求める空間のため

僕もレイヤーを形成するひとつの手段として、風除室と

に壁を建てる人もいます。

いうものをずっと考えてきました。イギリスの民家によく

五十嵐 淳 インタビュー J u n I G A R A S H I / A r c hitect

traverse18 のリレーインタビューでは五十嵐淳氏が柏木由人氏から受け継いだ。 地域の「壁」、国の「壁」、建築要素の「壁」を超えて、建築に存在する「普遍解=壁」を追求して北海道を拠点に世界で活動されてい る五十嵐氏に、壁に関して多角的に切り込む。

聞き手=小林章太、田中健一郎、田原迫はるか、山口大樹 2017.7.13 京都大学 竹山研究室にて(Skype)

アイヌ民族の仮小屋 クチャ1)

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京都 高山寺の縁側

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The space beyond reason

INTERVIEW

Jun IGARASHI

ANNEX 内観 壁断面が縁側になるイメージ

ANNENX 断面模型

間の門 空間がレイヤーとなって重なる

間の門 中間領域内観

見られるサンルームもそうですが、レイヤーを作り出す余

くく、また鉄骨造は熱伝導が大きいので外断熱が理想的で

山口 空間をを設計する上で布という素材が重要だったと

建築には共感できません。すべてのことが相対的に解けて

白の空間があったほうが過ごしていて気持ちがいいですよ

すが、外断熱をしてしまうとレイヤーをあまりつくれなく

いうより、そこで光や人間が通り抜けられることが重要

いる建築が素晴らしいのだと思います。

ね。人間がこういった余白の空間を本能的に求めているの

なります。一方、木造では自然にレイヤーの考え方が現れ

だったのですね。

だと思います。 京都にたくさんある寺社には必ずと言っ

てきます。外壁、結露防止の通気層、防湿層があって、構

ていいほど縁側がありますが、あれもレイヤーを生み出し

造用合板が合わさり、断熱層、石膏ボード、そしてクロス

五十嵐 『間の門』では布を使うことで、空気も光も制御

ている。さらに言えばその先には軒があり、その下の空間

などの内装材があって仕上がっている。これだけで既に 7

でき、なおかつその光はとても美しいものになる。僕がイ

も1つのレイヤーだと思います。このように解釈の仕方に

個くらいのレイヤーがあるのでいろんな断面をつくること

メージする空間がより美しくなるのではないか、と無意識

よって様々なレイヤーが隠れていることが読み取れます。

ができます。『ANNEX』では自分が小さくなって壁断面の

に判断したのだと思います。頭の中では覚えていないだけ

山口 最近のプロジェクトではどのようなことを考えて設

また、レイヤーの構成はその地域の気候にも左右され、様々

中に居座るとどのように感じるかということをイメージし

で非常に膨大なことを考え続けていて、その結果が設計す

計していらっしゃるのでしょうか。

な様相を呈します。温暖な気候のスリランカで活動する建

ながら設計しています。そういう考え方を可能にするとい

る際の選択に結びついているのだと思います。

築家ジェフリー・バワは、内と外の境界がどこにあるのか

う点で、木造にはすごく可能性を感じています。 あわい

― 人間のための美しい空間をつくりたい

五十嵐 最近は、周辺や外部に対して「開く」建築を考え

分からないような間取りを設計しています。対して僕は厳

『間の門』という建築では開口部自体をレイヤーと捉え、

山口 光の制御という意味では、障子のある空間にも共通

ています。開き方は様々ですが、物理的にではなく意識や

しい気候の北海道で仕事をしているので空気のレイヤーが

3つの縁側のような空間を設けて、それらをカーテンで仕

するところがある気がします。奥の部屋に行くにつれて暗

感覚で外とつながっているような建築を目指しています。

どこで分かれるか、つまり内と外の境界を強く意識しなが

切っています。そうすることで、空気環境的にも光環境的

くなっていき、光のレイヤーができている、という日本建

ただ、僕はやはり内部の居心地が一番大事だと考えていま

ら設計しています。

にもレイヤーができる。空間自体が壁になるようなことを

築の暗がりの美しさを求めたところもあるのでしょうか。

す。建築は外から眺めるものではありませんからね。

五十嵐 『間の門』では暗がりを生み出すことよりも内部

山口 建築家には、ファサードや外装のリノベーションを

小林 『間の門』では、空間を仕切るカーテンのテキスタ

に柔らかい光を届けることが重要です。間接光は直射日

されている方も多いと思います。もしそのような仕事の依

イルもレイヤーに影響を与えるのではないでしょうか。

光 よりも柔らかく、人間にとって優しいものです。巨大

頼がきたら、どのように設計されますか。

考えました。

― レイヤーのあり方

な開口を開けて、透明なことをアピールする建築をよく見 山口 五十嵐先生の作品の中で、壁や空間のレイヤーを特

五十嵐 布を使っているのは、穏やかに空気環境を制御し

かけますが、そういった建築は最終的に一日中カーテンを

五十嵐 主題やコンテクストがどこにあるのか、またクラ

に意識したものを挙げるとすればどれになりますか。

つつ、さらに光も身体も通り抜けられる素材が他に無かっ

閉めっぱなしになってしまうことも多い。透明感のある開

イアントが何を求めているのかで対応の仕方が変わるので

たからです。もしも将来、SF 映画のようにすりぬけられる

放的な内部空間が実現していても、そこで過ごす人が快適

何とも言えませんが、どんなものであっても僕は人間のた

五十嵐 『ANNEX』という建築は、壁の断面が縁側だったら、

液体のような半透明の壁が開発されたとしたらそちらを使

でなければ意味がない。直射日光を浴ひ続けることは人間

めの空間をつくりたい、といつも思っています。特に綺麗

というアイデアから設計を始め、壁断面のレイヤーに着目

うかもしれません。

にとって必ずしも快適ではないのです。また、熱負荷がと

な空間をつくりたい。美しいものをつくりたいなんて言う

しました。壁と言っても鉄筋コンクリート造と鉄骨造と木

ても大きいため、膨大なエネルギーを使って内部をコント

と同業者にはたいてい鼻で笑われます。今更何を言ってい

造はそれぞれ全く違います。鉄筋コンクリート造は壁断面

ロールする必要も生まれます。かといって、改善策として

るんだと。けれど僕はそれをつくりたいと考えています。

が一つの層でできているので壁の中にレイヤーをつくりに

建築を建てた後で応急処置のように遮光や緑化などを施す

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The space beyond reason

INTERVIEW

Jun IGARASHI

― 白のリアリティ

山口 空間の美しさというのは古くから続く建築の永遠の

山口 ご自身の設計を説明する際に「天国のような状態」

テーマだと思います。その長い歴史がある上で今、美しい

という言葉をお使いになっていますね。美しさや凄みを語

のですが、講評のときに素材は何で作るのかと聞かれると

空間について考える意味について教えていただけますか。

る上で一つのキーワードになるかと思います。

答えられない学生も多いです。設計の際に、素材やディテー

山口 京都大学の設計演習課題では、白模型の作品が多い

山口 五十嵐先生の建築には「白」のイメージがあります。

ルにまで考えが及んでいないのだと思います。この問題に ついてはどう思われますか。

五十嵐 人種や年齢、知識、職業、文化など多様な予条件

五十嵐 当時使っていた「天国のような状態」という言葉

ですが一言で「白」といっても様々な白い素材を使ってい

によって美しいと思うものが異なってくるように、「美し

は主に室内のコンディションの話でしたが、今はやはり空

ますよね。空間を設計する上で素材の選定に関してはどの

い」というのは恐ろしく抽象的な言葉です。困ったことに

間や、光と影など、昔から言われているものを考えていま

ように考えていらっしゃるのでしょうか。

建築や空間の美しさや凄みは表や数値で表せるものではな

す。僕は空間が好きなのでとにかく空間をつくりたいです

いので、皆それらについて考えることを避けるのだと思い

ね。そのために壁が必要であれば壁を立てるし、壁をコン

五十嵐 僕は安価な素材を使うことが多いです。建築家の

いうことがポイントだと思います。どんな建築でなぜ白で

ます。一方、理論というのは、皆に納得してもらえます。 「あ

トロールすることで光も影もつくることができます。

中には素材やディテールに強いこだわりを持つ方もいます

ないといけないのかということを考えた上での白模型であ

が、僕はそれは嫌いです。当然、素材やディテールは真剣

れば、講評のときに指摘されないのではないでしょうか。

あなるほど、だからこういう建築になったんだ」という解

五十嵐 その問題は、素材のことを考えているかどうかで はなく、自分の案にどれだけリアリティを持てているかと

釈を可能にするのですが、理論的に設計をする建築家がす

山口 作品集『状態の構築』を読ませていただいて、例え

に選びますが、 建築の主題はそこではないと思っています。

実際にその作品が建つかどうかという意味ではなく、どこ

なわち素晴らしい建築家であるとは限りません。僕の場合

ば凍結深度や風除室といった、その地域の気候条件、いわ

素材ディテールが空間を構成する全ての要素になってしま

までリアリティを持って自分の設計に向き合っているかと

は、理論的な設計に対しては「よく解けているな」という

ば場所の個性から影響を受けて設計をされていると感じま

うとか、自分を表現するための材料になってしまうという

いうことが重要なのです。

感想を抱くに過ぎません。合理的でなおかつ美しい空間だ

した。ですがそれは普遍的な美しさとはある意味矛盾する

ことは避けたい。素材は自分の発明品ではないですしね。

と思えると良いのですが…。建築には、言葉では解説でき

考え方のようにも思います。

既製品を寄せ集めて使っているだけですごいだろと言われ

山口 自分がその作品の中に入り込んで考えられているか

てもぴんと来ない。それらはあなたが世界に生み出したも

ということでしょうか。

ないくらいの凄みがあってほしいと思います。 五十嵐 『状態の構築』は、当時を振り返りながらそのと 山口 確かに、美しさや凄みという概念は人の主観や好み

き自分が考えていたことを時系列で記した本です。僕は設

によって評価されるもので捉えどころのないものだと思い

計物それぞれに対して、実践を通してベストを尽くしてき 2)

のではないですよねと、つい言いそうになってしまう。 五十嵐 そうですね。どんな規模の建築であってもです。 一同 ( 笑 )

は守らなければならない法律

例えば図面を描くときには、図面の中の小さなトイレに自

ます。一方で、五十嵐先生は「建築の普遍解」という言葉

ました。例えば、凍結深度

をよく使われていますが、美しさにも普遍的な答えがある

であって、当然対応するのですが、「空間に対して凍結深

五十嵐 建築の技術や環境のことばかり説明する人を見て

持って欲しいですね。それができていれば、質感をもっと

とお考えですか。

度をもっとポジティブに捉えられるんじゃないか」と、そ

いると本当にそう思ってしまいます。例えば構造の分野

こうした方が良いなど、ディテールや素材に気が向くはず

ういう思考を積み重ねてきました。つまり必要なコンテク

で、柱を細くしたいときには最も強いスチールを使います

です。その上で、白の方が良いと思ったら白で良い。そし

五十嵐 答えが分からないから設計をやっていられるのだ

ストを解いた上でいかに美しい空間をつくれるかというこ

が、それでもせいぜい直径 6cm です。もしスチールより

て白はペンキにしようかな、漆喰にしようかな、何にしよ

と思います。絶対的な解答が無いからこそ面白い。以前、

とを常に考えてきたのです。

もはるかに強度があって、安くて加工しやすいものが開発

うかなという順序で考えていけますし、逆にこういう白い

西沢大良さんが戦後住宅の一例としてル・コルビュジエ

されたとき、柱を細くすることは無意味になります。物理

材料があるならこういう使い方もできるではないか、とい

の ドミノ・システムを挙げていました。ドミノ・システム

的に 6cm 必要だったものが 5mm や 10mm で済んでしまっ

うようにフィードバックもできる。そのためには、毛細血

とは建築の物理的な構成を分かりやすく説明したものです

たら、現時点での「細い柱」は細くもなんともなくなって

管の端まで自分のリアリティを持って図面を描いて、想像

が、西沢大良さんはそれを「被災者が瓦礫を使って壁や扉

しまいますよね。今のテクノロジーを前提に、出来る限り

しないといけない。想像力が欠けていることが問題なのだ

をセルフビルドするための躯体として考案された、柱と梁

薄くして空間の価値を見出したというような建築物は、そ

と思います。

のみからなるシステムである」と説明していらっしゃいま

の 構造材料が刷新される瞬間が来た途端に、「そんな時代

した。しかし、ドミノ・システムのようにルールを与える

にがんばっていた建築がありました」という過去のものに

システムを考えることはできるけれど、美しさやすごみを

なってしまう。素材やディテール、技術ではなくて平面図

生み出すものを作るのは難しいでしょう。後者の場合、今

などを見て美しい、実際に空間を体験して美しいと思える

あるものに取り付いてより美しくする、ウイルスのような システムになるのかもしれない。

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分が入ったときにどう感じるか、くらいのリアリティを

ものを設計したいしそこに普遍性が存在すると思っていま 凍結深度を利用したダイアグラム

す。

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The space beyond reason

INTERVIEW

Jun IGARASHI

House of Density Sapporo , Hokkaido

― プログラムを超越した「何か」

す。狭小地の都市住宅のプロジェクトとして、 『集密の住居』 という小さな部屋がたくさんある建築をつくりました。小 さな空間と言えば、漫画喫茶の部屋の中はなんだか落ち着

五十嵐 最近、社会性やコミュニティを主題にして建築を

きますし、子どもにとっての押し入れはとても魅力的な空

つくっている人たちが多いことに、辟易しています。特に

間ですよね。現代のワンルームマンションも実に快適極ま

若い世代で増えているように感じます。例えば、パンテオ

りないスケール感だと思います。だからそういう小さな部

ンはもともとはローマ神を奉る万神殿だったわけですが、

屋が連続する空間は面白いし、相互の関係もすごく不思議

訪れるときにその社会性を気にする人はいませんよね。

な感じになるのではないか。自分が大きくなったのか小さ くなったのか分からなくなるような身体感覚も生まれると

山口 パンテオンに関しては、プログラムすら重要ではな

思います。そう考えて、「小さな空間の集積」という都市

いように思います。

のコンテクストを取り入れた結果、『集密の住居』が完成 しました。

五十嵐 そうですよね。プログラムをはるかに超えている

反対に『風の輪』や『原野の回廊』のような茫漠とした

「何か」があるし、皆そう感じてしまう。建築の空間が目

原野みたいなところに立つ建築物は、どういうコンテクス

指すのはそういった「何か」であるべきだと思います。歴

トを前提に考えていくのか迷いますよね。そういうときは

史的な背景やコンテクスト、社会状況にも対応して設計し

わがままになった方が良いと思っています。自分が設計し

なければならないのはもちろんですが、さらにパンテオン

たいものに合わせて、都合よくコンテクストを使えば良い Principal use: Private residence

のような「何か」が欲しいと思います。

のです。その意味では、竹山研究室のその課題は自分の好 Number of stories: 3 above ground

Couple + 2children

Structure: Timber frame

みを把握できる良い機会だと思います。学生には、器用だ site area:79.64m2

集密の住居 平面図 1:150

building area:37.92m2

total floor area:88.5m2 けれど自分のデザインを見つけられない人も多いですよ ground floor area:36.98m2

― 自分を見つめる

1st floor area:32.96m2 ね。デザインに共通性が無くまとまりも無い。器用なこと 2nd floor area:18.56m2

はもちろん良いことですが、建築家としてはそれだけでは

― 学生に向けて

なければ、醜くもない。設計課題や卒業設計展で評価され

ダメなのだと思います。「自分を発見しろ」ということが

ようという理由ではなく、本当に建てたいものを考えてほ

その課題の趣旨なのではないでしょうか。

しいと思います。そうすれば、空間として、居場所として 山口 最後に、学生に対するコメントをお願いできますか。

小林 竹山研究室の本年度の設計課題が歴史的な背景やコ ンテクストを捨てて、それを超越した「何か」を考えるこ

小林 なるほど。確かにこの課題に取り組んでいるときは

とを主題としたものでした (p.50 参照 )。地名や建物が排

自分の奥底を覗いているような感覚でした。

除され、ただ道路と水涯線と等高線のみが残された敷地が

のリアリティを獲得できるでしょう。それはディテールや 構造が成立しているという話ではありません。また、計画

五十嵐 僕は北海道の専門学校出身です。設計課題に取り

だけをしてそのプロセスばかりを説明する学生も多いで

組んでいたとき、「もしこれが札幌で実現したら、今の札

す。しかしその説明を聞いても、その計画のどこに良い場

各学生に与えられ、そこに「脱色する空間」を設計しなさ

五十嵐 同じ曲でも歌う人によって曲の雰囲気が変わりま

幌の建築家よりも良い建築ができる」と思っていました。

所があるのかと疑問に思ってしまいます。どこにオリジナ

いという課題です。空間を設計する手がかりがとても少な

すよね。それはその人から出てくる声によるものです。声

課題だからつくらせてもらえないだけだ、という感覚で、

リティがあるのか、どこがどうすごいのかと。本気でこれ

く、難しく感じました。もし背景やコンテクストが全く存

は脳から出ている気がしませんか。それがオリジナリティ

施工するチャンスがあればいくらでも勝負できるなと思っ

が良いんだと思うものを見せてくれないと伝わってこな

在しない敷地が与えられたら、五十嵐先生はどういったこ

だと思います。建築も歌と同じです。オリジナリティが無

ていました。そういった意識が必要ではないでしょうか。

い。それが強すぎると当然風当たりも強くなることもあり

とを手がかりに設計をされますか。

いと、コンテクストを奪われたときに何もできなくなって

ますが、フランク・ゲーリーとかザハ・ハディッドのよう

しまいますよね。課題ごとに作品が全く異なるのではなく、

山口 確かにハングリー精神が足りていないかもしれない

に貫き通せば、そんな風はいつか吹き飛ばせます。だから

五十嵐 コンテクストが無い場所における設計は考えにく

その人なりの「くせ」が作品のどこかに共通してあってほ

ですね。

恥ずかしがらずに、自分の個性をさらけ出すような設計を

いですよね。実施の経験からすると、原野のような場所よ

しいと思います。

りも狭小地の方がコンテクストだらけで設計しやすいで

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見たいです。コンテクストを解いた上でどうしたらすごい 五十嵐 最近の学生の作品は格好つけてばかりで美しくも

建築になるのか。それにはオリジナリティが不可欠です。

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The space beyond reason

INTERVIEW

Jun IGARASHI

小林 オリジナリティを出そうと思って設計することが難 しいと感じています。どうすれば見えてくるのでしょう か。 五十嵐 オリジナリティを見つけるということは、違和感 を消すことだと僕はよく言っています。設計をしていると き、 「これが良い」と感じるのはなかなか難しいけど、「何 か違うなあ」くらいは気がつきますよね。それを可能な限 り減らしていく努力を淡々とすることが大事だと思いま す。設計は膨大な判断の連続です。ただ、その選択が言葉 やプロセスに残せる場合と、残せない場合がありますよね。 例えば、ぼーっとしているときの判断。無意識的な判断は 記述できませんが、脳は常に動き続けていますから、どこ かで自分に嘘をつくと道を反れてどんどん進んでいってし まう。しかもこのプロセスは後戻りが利きません。それが 危険で、オリジナリティを逃す最大の原因だと思っていま す。違和感があったらすぐにちゃんと向き合って、自分な りに判断していくことが大事です。それがリアリティにも つながる。そういう判断を積み重ねていける人が建築家や 設計者に向いていると思います。 小林 地道な判断が大事なのですね。 五十嵐 どこに就職したいかにもよりますが、良い成績の とれる設計が良い設計だという考え方はダメだと思いま す。課題に対して、「俺はこれを作りたかったんだ。いい よ 0 点でも。何か文句あるか」くらいの考え方で良いと思 いますね。徹底的にやらないと。もっと言えば、自分が学 生だと思っている時点でダメですね。建築設計をするにあ たって建築家との違いは、経験と情報のストックが多いか 少ないかということだけです。それが良い建築をつくれる かどうかとは、別段関係ないと思うのです。オリジナリティ にあふれた人が出てきてほしいですね。自分のくせを見つ けてください。 山口 本日は貴重なお話ありがとうございました。 五十嵐 ありがとうございました。

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集密の住居 小さな部屋が連続する

1)HOKKAIDO LIKERS, 仮小屋をつくる / アイヌ四季の暮らし(3) (記事作成日:2012/9/2 亜璃西社 閲覧日 :2017/10/3) http://www.hokkaidolikers.com/articles/168 上記サイトの画像を一部切り抜き使用した。 2)凍結深度 地盤の凍結が起こらない地表面からの深さ。北海道など の寒冷地では、凍結深度よりも深いところに基礎や水道本管を設置しな くてはならない。

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The traditional materials close to you

INTERVIEW

Nobuo OKUDA ・ Shigenori UOYA

― 京壁を塗る

す。今では竹下地が多いですが、当初は藁を使っていまし た。しかし、藁ではどうしても強度が低いので、それを補 強するために竹を編んで入れました。それが今の竹下地の

魚谷 奥田さんが左官と出会ったきっかけは何ですか。

原型になっています。海外の土壁には日干しレンガを下地 に使っていますね。

奥田 小学校の低学年のときに左官屋が学校の給食セン じゅらくつち

ターの壁を塗っていて、たまたま一緒に壁を塗らせても

魚谷 京都で土壁を使おうとする際、聚楽土という土をよ

らったんです。そのときに「素質あるで」と言われ、左官

く耳にしますが、どのような土なのでしょうか。

に興味を持ち始めました。その言葉を信じて中学校を卒業 してすぐ親方の弟子になり左官を始めたのですが、自分に

奥田 聚楽土は日本で一番有名な土です。この土は鴨川が

素質があるとは感じませんでしたね。元から素質のある方

氾濫したときの堆積土であると言われていました。それを

もいますが、僕の場合はそうではありませんでした。必死

豊臣秀吉が気に入って、京都の御土居の外側に撥水剤とし

に努力しましたね。

て塗っていたと言う方もいます。でも、実際は九州の火山 灰が風で京都に運ばれてきて堆積したものが聚楽土だとい

潮田 京都で暮らしていると町家や寺社などの伝統的建築

う説が有力ですね。今では京都市西部の西陣地区で採れま

で土壁をよく目にしますが、京壁とはどういったものなの

す。聚楽土がなぜそれほど有名になったかというと、他の

ですか。

土に比べて雨に強いからだと思います。土壁の最大の敵は やはり雨で、一般的な土壁は雨に打たれると流れてしまい

伝統の境界を塗り替える The traditional materials close to you

奥田 京都で発展した土壁を京壁と言い、伝統的な工法を

ます。それに対し、聚楽土などは雨に打たれても流されに

使って塗ります。なぜ京都で土壁が発展したかというと、

くいのです。このように土壁の弱点を補っているという点

一つは土壁の原料である良質な土が京都で採れたからで

が有名になった主な理由だと思いますね。また、色や風合

す。例えば、ここの和室の壁には京錆土という土が使われ

いなどから利休が最も好んだ土でもあります。

ていて、これも質の良い土です。もう一つは、美しさを追 求した建物が御所を中心にたくさんあって、京都の人々の

左官職人

奥田 信雄 Nobuo OKUDA / P laster er

建築家

壁への美意識が高まったからですね。

魚谷 繁礼 Shigenori U O YA / A rchitect

京都で京壁を復元し再現することを一筋に追い求めている奥田信雄氏。

原 関西には優れた土がたくさんあるのでしょうか。 奥田 そうですね。大阪でも天王寺土などといった良い土

同じく京都で建築作品を数多く手がけている魚谷繁礼氏。

が採れます。それに比べて関東ではあまり優れた土は採れ

二人のこだわりや考えに迫り、いかにして手を取り合い空間をつくりあげていくべきかについて伺う。

ませんね。関東ロームの土の質感はあまり土壁に適してい ません。

聞き手=潮田 紘樹、千田 記可、得能 孝生、原 泉 2017.6.19 奥田左官工業所にて

魚谷 土壁は下地の出来によって仕上がりも変わってくる と思うのですが、左官屋が下地もされるのですか。 奥田 下地は大工がするときも左官屋がするときもありま

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京錆土を使った土壁

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The traditional materials close to you

INTERVIEW

Nobuo OKUDA ・ Shigenori UOYA

潮田 京壁は耐久性に優れているということですか。

― 優れた素材がもたらす空間

奥田 僕はそのような丈夫な壁を目指していますね。京都 の料理屋さんは清潔感を求め、20 年ぐらいのスパンで壁

原 私たち建築学生は設計演習の際に、素材について深く

を塗り替えたりします。しかし、小間という四畳半より狭

考えないことが多く、模型制作では白い材料を選びがちで

い茶室の壁を塗ることが多いのですが、その壁は長い間塗

素材へのこだわりがすごく薄いと感じます。大学では土壁

り替えません。小間は味わいと趣を重視した空間で、お茶

などの素材に実際に触れて学ぶ機会が少ないからかもしれ

の世界では壁を大事に見るため、長い間丈夫な壁が塗られ

ません。そういった現状に対してどう思われますか。

てきました。土壁は年月によってその趣が変化するもので、

小間の茶室 撮影:奥田氏

10 年後、50 年後、100 年後で違う雰囲気を見せます。そ

魚谷 建築家は材料に頼らずとも良い空間をつくれないと

のような趣の変化を見てもらうためにも丈夫な壁を塗るこ

いけないかもしれません。そういう意味では白模型は必ず

とに力を入れていますね。また、小間の壁は利休や尾形光

しも悪くはないと思います。伝統的な素材や工法などに頼

琳などが考案した仕上げが施されていることも多く、昔か

るとそれだけですばらしく見えて満足してしまいがちで

らその時代の文化人による土壁に対する工夫がたくさんあ

す。そのような材料が本当に自分の意図する空間に適して

りました。

いるのかを判断できることも大事です。

魚谷 奥田さんは自分の思う壁を塗るために道具にもこだ

奥田 素材へのこだわりを持つためには、その違いをしっ

わっていますよね。設計をしている人間とは道具に対する

かり見極める目を養うことが一番大事だと思います。自然

意識もまた違うと思います。左官屋にとって鏝は欠かせな

素材がすべてすばらしいということはありません。良いも

いものですよね。

のもあれば悪いものもあります。空間ごとにどのような素

奥田氏がこだわりぬいた鏝

材が適しているかを考えて実践することが大切です。その 奥田 一つ一つ塗る場所や塗り方に適した形をしていて、 なかくびごて

組み合わせによって意図しているような空間ができれば、

こだわりを持っています。京都で生まれた中首鏝という鏝

その素材は自分の中で良いものとみなすことができます。

があるのですが、定説では明治に入ってからモルタル工事

そうした経験の積み重ねによって初めて素材へのこだわり

をするために重心を考慮した結果出来たものだと言われて

を持つことができるのだと思います。

います。しかし、江戸時代の終わりのごろの浮世絵に中首

鏝が描かれているのです。これはつまり、明治に入る前に

潮田 具体的にはどのようなこだわりをお持ちですか。

はすでに素晴らしい壁があり、単に経済性を追求しただけ ではなく、美しい壁を塗るための純粋な技術革新によって

奥田 伝統的な土壁の空間を再現する際には、京都の土の

中首鏝が生まれたということだと思います。昔から左官屋

の良さを残すように心がけていますね。聚楽土をはじめと

は道具に対する意識が強かったのは確かですね。

する京都の土は糊を使わないことで雨に強い壁になりま す。このような仕上げを「水捏ね」仕上げと言い、私たち は一切糊を使用しない聚楽壁によって土そのものを活かし ともつち

た空間をつくります。また、共土での仕上げを頼まれるこ ともあります。共土というのは荒壁の段階で使った土を中 塗り、上塗りにも使用するときの土の呼び方です。同じ土 土壁内部の仕組み

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をずっと使用することで土の本来の良さが生まれますね。

鏝が描かれている浮世絵

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The traditional materials close to you

INTERVIEW

Nobuo OKUDA ・ Shigenori UOYA

魚谷氏が手がけた御所西の宿群の和室。開口部によって自然の景色を切り取る。

― 現代建築における土壁の可能性

奥田左官工業所にある試行錯誤を重ねたたくさんのサンプル

を使うと自然な仕上がりになります。白い空間をつくる際

魚谷 気が付けば最近では土壁や漆喰をよく壁の仕上げに

も、ペンキのローラーの跡があるよりは鏝の手の跡があっ

使うようになりました。本当はクロス貼りなどたくさんの

たり少しムラがあったりする方が自然で味わいがあるので

― 作品をつくり上げるために

種類の仕上げがありますが、伝統的な仕上げを意識してい

潮田 現代では、真っ白な壁で仕上げている建築を目にす

はないかと思います。土壁や漆喰を伝統的なものにとどめ

潮田 今までで一番思い入れがあるのはどのような作品で

なくても、木造の建築を考えているときは土壁か漆喰のど

ることが多いですが、白い壁と土壁に共通点はあると思い

ず、現代建築にも応用していけばもっと魅力的な空間がで

すか。

ちらかを選んでいますね。

ますか。

きるのではないでしょうか。 奥田 実は宗教関係の建物が多いですね。そのような仕事

潮田 それらの仕上げはどのような空間を意図して使って

魚谷 現代建築においては、白い壁で抽象的に仕上げ、お

潮田 現代建築というと鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建

は多くの信者さんの願いや思いがあります。なので、それ

いるのですか。

さまりにおいてどれだけ線を少なくできるかが重視される

築を思い浮かべるのですが、木造以外の構造にも土壁を使

にしっかり答えようと思うと、使いたい材料や実現させた

ことが多いですね。それにより、例えば開口部を大きくとっ

うことはできるのですか。

い質感が頭に浮かんできます。それを実現できる機会にも

魚谷 特に真壁の建築を設計する際に土壁をよく使いま

て景色を見せながら、その開口部とその周囲の壁とが対立

す。町家改修の際もそうですが、真壁だとまず柱と梁とい

することなく調和するようにします。おそらく、それと同

奥田 今では鉄筋コンクリートでできた茶室などでよく見

う線材で空間が成り立っていて、そのうえで土壁を塗って

じようなことが真壁と土壁で構成される建築にもあるよう

かけますが、実はそのような構造の方が丈夫な土壁ができ

面にする箇所を考える。これには近代建築にも通じるとこ

な気がします。

るというメリットがあります。鉄筋コンクリートなどの構

ろがあるようで、面白さを感じています。土壁を塗らない

なるからですね。 原 予算内に収めるために妥協されたことはありますか。

造では水分が多く籠って土が乾きにくくなります。乾きに

奥田 それはありません。妥協したら作品として成り立ち

ところが開口部になるわけですが、目に入る木の柱と土壁

原 実際には土壁のどのようなところに現れているので

くくなればなるほど丈夫な土壁ができるのです。しかし、

ません。おかげで経済状況は良くないですね。でも、その

とその外に広がる自然の風景との相性がとても良いように

しょうか。

乾くのに時間がかかればその分色上がりがよくありませ

ような問題を考えずに仕事をしようと意識しています。そ

ん。その仕事を早く仕上げなくてはならないときは扇風機

の方が集中できて最高の作品づくりに繋がっていると思い

のような話になりますが、明るい空

や除湿器を使うこともあります。そこのバランスをコント

ます。集中できる環境があるかはやはり重要ですね。さら

奥田 土壁には日本画の余白と同じ効果があるのだと思い

間よりも暗い空間の方が魅力を放っていることがありま

ロールするのが難しく、そのような構造体に土壁を塗るの

には、ある程度自分の技術を維持できるくらいに仕事をし

ます。つまり、土壁は開口部から見える景色をより引き立

す。そのような暗い空間をつくろうと思ったときに、塗装

は慣れが必要になりますね。

て、その中で反省する時間をしっかり設けて、次に臨むと

てているのですね。

で暗い色を塗ると少しわざとらしい感じがしますが、土壁

思います。 いんえいらいさん

魚谷 『陰翳礼讃』

20

註1

いうのが一番良いですね。仕事をするたびに毎回反省会を

21


The traditional materials close to you

INTERVIEW

Nobuo OKUDA ・ Shigenori UOYA

しています。帳面などに現場名や仕事内容などを全部残す

めに路地が挿入されました。このような土地をどう扱い、

ようにしています。試行錯誤は欠かせません。

都市をどう良くしていけるかを考えた上で、建築をつくる ことにとてもやりがいを感じています。

魚谷 僕は西都教会における光の計画に思い入れがありま すね。礼拝堂からは窓が見えないのですが、光だけが入っ

奥田 僕が思う魅力は、町家の空間と京都の人々の色彩感

てくるように設計しました。壁はツヤがあまり無いように

覚です。京都の町家空間には人間が本来感じる安らぎがあ

見せながら、実は光をよく反射させるにはどのような素材

るようです。というのも、人類の最初の安住の地はほら穴

を使えばよいか試行錯誤を重ねましたね。様々な漆喰を取

の中で、周囲を土で覆い動物に危害を加えられないように

り寄せて、設計意図に合った素材を選ぼうとしたのですが、

していました。土で囲われた洞窟の中は人間にある安らぎ

漆喰の種類の多さに驚きました。

を与えていて、土壁で囲われた町家空間はその雰囲気と似 ているのだと思いますね。また、そうした美しい空間で暮

西都教会外観。上部の窓から礼拝堂に光を取り込む。

奥田 本当にたくさんありますよね。どのような漆喰をお

らすことで京都の人々は色彩感覚を磨き上げてきました。

選びになったのですか。

これも京都の魅力の一つで、壁の色や聚楽土の色、また伝 統的な染色技術などの発展に繋がりました。

魚谷 そのときは、イタリアのスタッコ

註2

を使いました。

大理石を含んでいて見た目はそれほどツヤがないけれど、

魚谷 そのような伝統的な技術をもった職人さんと仕事が

一番理想的に光をよく反射していたので。実際、この教会

できるのも京都の魅力に感じます。京都では自分が意図し

の壁を横から見るとじんわり光を反射しているのがわかり

ている空間に対して材料や職人、大工がしっかり応えてく

ます。そして夕焼けのときはその壁どうしが夕日を繰り返

れます。ずっと京都で仕事をしているとそれが普通に感じ

し反射させ、堂全体がほのかに赤く染まります。このよう

てなかなか気付かなかったりもするのですが、他の地域で

に素材の特性を十分に活かした設計をしようとサンプルを

仕事をしてみてはじめて実感することもあります。

たくさん集めて選んでいますが、左官屋と協力して欲しい 質感の仕上げを一緒につくったりしていけたら面白いです ね。そうすると設計の幅も本当に広がりますね。

― 京都の魅力

原 長い間京都で仕事をされていますが、京都の魅力はど こにあるとお考えですか。 魚谷 僕は碁盤目状に生成された街路街区に京都の魅力が あると思っています。京都の街区は正方形や長方形の形を していて、町家が通りに面して建てられたため、街区中央 部には余った土地(右図斜線部参照)ができます。その土 イタリアのスタッコを使用した礼拝堂内部

22

地を庭などに活用したり、街区の中央へのアプローチのた

京都のグリッド状の街区形成

23


The traditional materials close to you

INTERVIEW

Nobuo OKUDA ・ Shigenori UOYA

奥田 その通りだと思います。でも、魚谷先生のような設

原 一つの仕事を進めていく中で制約が多くなるほど思い

も自分の中で信念を持つことは大事だと思います。

れよりも、そういった伝統的な材料や技術によりつくられ

計者の立場から職人や大工にしっかり仕事を任せていかな

通りの仕事をするのは難しいように感じます。

た空間に数多く触れることが大事だと思います。幸いその

魚谷 京都の左官屋が素晴らしい仕事をされているのは、

ような建築が京都にはたくさんあります。

いと、技術が衰えてしまい、そのような魅力は引き継がれ ません。

奥田 大工の仕事をいかに引き立てるかが左官屋に求めら

そのような信念を持っているからでしょうね。他の地域で

れる役割の一つなのですが、実はここが私たちの仕事の一

は必ずしも京都のように上手く土壁や漆喰を塗ってくれる

奥田 職人になる人は頑固であるべきだと思います。僕が

魚谷 確かにそうですね。今は良くてもいつまでこの魅力

番難しいところだと感じています。大工は図面を見て設計

わけではありません。地域によっては土壁や漆喰を塗れる

やってきたことは、最も優れた性能を有した明治末期の土

が続くかわかりません。重要文化財の修復やお茶の世界か

者のつくりたいイメージを汲んで、それに沿って建築を組

左官屋さんを工務店に探してもらうことから始めなければ

壁を京壁のスタイルとして復元し、再現することです。何

らの需要があってどうにか引き継がれている気もします。

み立てていきます。要するに、大工がつくった建築をうま

ならないこともあります。

か新しいものを編み出す力がとても大事な仕事をしていな

く活かすということが、設計者が考える空間をつくってい

がら、そのような創造性は僕に欠けていました。それでも

くことに繋がります。私たち左官屋が様々な要望を持って

奥田 そうなってしまったのは、左官屋が少ないというこ

左官を 50 年続けることができたのは、強い気持ちがあっ

細部の設計にまで指示するようなことがあれば、その仕事

ともありますが、一番の要因は、左官屋のアピールができ

たからだと思います。自分の信念を曲げないでほしいです。

が成り立たなくなります。僕は土壁をまっすぐ塗る技術を

ていないからだと思いますね。昔は家の壁の仕上げを左官

磨いてきましたが、自分の思うように塗れば良いというこ

屋にしてもらうことも珍しくなかったのですが、今では大

潮田 様々な職業の方と関わることが多いと思いますが、

とは決してないのです。設計者によっては少し丸みを帯び

半がクロス貼りで、左官屋が一般住宅の壁の仕上げを任さ

技術を活かし魅力を伝えるために意識していることはあり

た壁を要求することもあります。それでもやはり、左官屋

れることがなくなってしまいました。そのような状況の中

ますか。

が口を出す前に、設計者の意図に沿って仕上げることが大

で、僕らも先輩方も左官屋の技術をアピールしてきません

事なのです。そのためにも大工の技術をいかに美しく、間

でした。これが大きな要因ですね。京都以外の地域では土

原 左官屋と建築家という職業の今後について、お互いど

奥田 僕が最も大事だと思うことは、一つの仕事に関わっ

違いのないように見せてあげるかということが私たちの最

壁というと土が塗ってあれば良いのですが、京都では土壁

のような期待をされていますか。

ている職人さんが互いに配慮を欠かさないことです。設計

大のテーマだと思っています。

の質を求められるので左官屋個人の本来の技術が試されま

― 技術を知る

者が図面に二寸五分の丸太の口径を描いたときに、寸法は

― 左官屋と建築家のこれから

す。だから、京都では他の職人よりいかに自分が優れてい

奥田 僕は京都で左官屋をしているからこそ、京壁の基本

合っていてもそれより細く見えるような柱をつくる大工も

魚谷 自分の思うように塗ってくれと言われても左官屋か

るかを示すことに努力を費やしてきました。切磋琢磨する

をもっと勉強したいと考えている全国の左官屋のために、

います。お茶室の小間などは寸法よりも細く見える柱を使

らしたらそれはそれで困るわけですね。設計者は多分土壁

環境が京都の土壁の技術進歩につながったのかもしれませ

勉強の場を提供することを怠ってはいけないと思っていま

うからです。同じ寸法でも人や空間によって仕上がりは異

をまっすぐ塗ることの苦労を知らずに、まっすぐなのは当

んね。ある意味恵まれた京都の環境で向上した技術を認知

す。土に使われる防腐剤の変化や藁の変化や、それによる

なるということも計算に入れて工務店は大工を選ばないと

たり前だと思っているところがあるかもしれません。だか

してもらうためにも自分を示すということが大切です。左

土壁の味わいをしっかり勉強できる場を設けることが、京

いけないと思います。工務店が職人の癖に配慮することも

らこそ、そのような曲がった壁を要求し、奥田さんの持つ

官屋を理解していただけるかは、いかに自分の技術に自信

都で京壁を塗っている我々の役割だと思います。土壁を勉

大切です。

優れた技術をあまり理解できていないのかもしれません。

を持ちそれを示すことができるかにかかっています。

強するのなら京都に来ていただきたいですね。

漆も元は平滑にツヤを出す技術ですが、上手すぎるとラッ 魚谷 確かに設計者が職人を選ぶということはあまりない

カーのようになってしまうので、少しムラがあった方が手

ですね。僕も一緒に仕事をする左官屋さんのほとんどは工

仕事っぽくて良いという人もいますね。

魚谷 今後そのように左官という職業が広く認知されてい

― 自分を持つ

くためにも、まずはそのような技術を将来にわたって残し ていく必要があります。しかし、ただ残すといってもその

務店が選んだ方です。

残し方が重要です。伝統的な技術は今では特殊なものと考

奥田 設計者が求めるような丸みの帯びた壁を塗っていた 奥田 昔は建築をつくっていく上で左官屋ももっと設計に

こともあったのですが、今では土壁をまっすぐムラなく塗

潮田 今後、我々学生が設計を考えていく際、大事なこと

えられていますが、現在僕が使っている土壁や漆喰などは

関わっていたのですが、今は工務店が中心になっています。

る技術が一番大事だと思って日頃から努力していて、嬉し

は何だと思いますか。

身近なもののように感じています。特殊なものとしてでは

だから、左官屋としては与えられた費用の中で失敗のない

いことに同業者などからその技術を評価していただいてい

仕事をしなければならないという状況でして、挑戦的で画

ます。今となっては、自分の中では、よりまっすぐに塗っ

魚谷 建築は材料があって初めて出来上がるものなので当

いってほしいですね。そういった伝統的なものを残してい

期的な仕事というのはまず見られなくなりましたね。

た壁こそが美しく大事であると確信しているので、その信

然材料を知らないと設計できないのですが、難しいことは

く上で、奥田さんのようなトップランナーの方は絶対に必

念がぶれることはありません。設計者の意図を汲みながら

実務をしながら覚えていったら良いのかもしれません。そ

要だと思います。だからといって、左官の世界を敷居の高

24

なく、もう少し当たり前のものとして認識されて残って

25


The traditional materials close to you

INTERVIEW

Nobuo OKUDA ・ Shigenori UOYA

いものとするのではなく、むしろ誰もが気軽に楽しめるも

く知っている工務店では最初の5年間は掃除ばっかりする

お客さんにその丁寧さを理解していただけるようにアピー

のであっても良いのではないでしょうか。トップを走り伝

らしいです。しかし、その間に大工が仕事をしているのを

ルしないと評価につながりません。職人ではなく、ある意

統を守り抜いている世界と、気軽に楽しんで土壁を塗る世

自分で見て勉強するんですね。技術を一から教えるのでは

味営業マンにならないといけないときもありますね。

界とが上手く繋がればすばらしいと思っています。例えば、

なく、職人がどのように仕事に取り組んでいるのかを見て

サッカーでは J リーグのようなプロの世界がありますが、

勉強することがものづくりの世界の中で大事なことでもあ

魚谷 自分の仕事の良さをわかっていただくことが必要な

子どもたちが遊びとして楽しむこともできます。このよう

ります。

のは建築家も職人さんも皆同じですね。伝統技術に関して

に、特殊な世界ではなく、誰でも楽しむことができる世界

は、今では自分の仕事の良さをしっかり伝えている人があ

があって、奥田さんにはその中でのトップランナーでいて

原 職人の世界ではやはり厳しい修行の期間は必要ですよ

まりいなくて、古い物が良い、自然素材だから良い、とい

ほしいですね。そして、ただ昔の技術を残すだけではなく、

ね。そのような修行を重ねて左官屋は技術を身につけると

うような思考停止したような魅力の伝え方になってしまっ

新しい技術を皆と一緒に築き上げていく存在であってほし

思いますが、その技術を活かすためにも建築家はどうある

ているように感じます。そうではなくて、伝統とか自然と

いと思います。

べきでしょうか。

かに頼らず、純粋にものそのものの良さをアピールしても いいのではないかと思います。

潮田 我々学生としても、やはり伝統的なものに関わるの

奥田 私たち左官屋の仕事を正当に評価してくださる方が

は緊張しますし、敷居が高いと感じます。そのような伝統

増えることを期待しますね。そのような方と一緒に仕事を

奥田 その通りですね。一番の理想は、魚谷先生のような

的な世界を当たり前のものとして残していくために、建築

しているとやりがいがあります。

立場の方に、仕事をしている中で職人を発掘していただい て、その方を表舞台へ上げていただくことだと思います。

家が果たすべき役割はあるでしょうか。 魚谷 僕が左官屋の仕事を正当に評価をするためには、ま

若くて熱心な方はたくさんいますのでそういった方に仕事

魚谷 僕も敷居が高いと思っていました。しかし、実はそ

だ経験不足ですね。僕が仕事を始めてすぐの頃は、もろも

の機会を与えていただきたいですね。現場で優秀な技術者

うでもないのかもしれません。設計者は敷居が高いと言わ

ろの都合でクロスしか使えなかったり、自分でペンキを

や優れた材料がどんどん少なくなっている現状では、それ

ずに、もっとそういった伝統的な世界に触れたら良いのか

塗ったりしていたこともありました。そこから塗装が使え

が必要不可欠だと感じます。また、建築家の人には怖がら

もしれないですね。そして興味を持てばもっと勉強すれば

るようになって、最近になってようやく漆喰や土壁をとい

ずにもっと土壁を使っていただいて、様々な職人を見てほ

いい。それは建築家に限らず君たち学生にも言えることだ

う選択肢を知った。それでようやく漆喰や土壁にも様々な

しいです。そして土壁が過去の仕事にならないように我々

と思います。伝統技術の世界では勉強不足だと門前払いさ

種類があることが分かってきました。そうなるといつかは

左官屋も努力していきたいと思います。

れるような雰囲気が漂っていて、それが少なからず現代の

奥田さんのような技術を持った方に仕事をしてもらいたい

若い人を伝統嫌いにさせている要因だと思います。難しい

と思いますし、単に依頼するだけではなく、自分のつくり

潮田 左官屋と建築家がお互いにどのように手を取り合う

ことはよく分からないけれど、とりあえずやってみようと

たい壁のイメージをしっかり共有してもらって塗ってもら

べきか、そして今後どのような将来を思い描いているかを

思えると良いですね。

えるようになりたいと思いますね。こういった様々な段階

聞くことができ、とても興味深かったです。ありがとうご

を楽しめるのも京都で仕事をすることの面白さだと感じて

ざいました。

奥田 そのためには、今後の後進の育成にも気を配らない

います。

といけないと思いますね。実は左官業界の中でも半年で一 人前の左官屋として世の中へ送り出そうという動きがあり

奥田 そうですよね。町家の改修現場などをよく見かけま

ます。そのような考えもあると思いますが、一人前の職人

すが、土壁ではなくペンキなどで仕上げていることもあり

になるには最低 15 年はかかります。さらに良い評価をも

ます。あまり良いとは思えないですね。やはり土壁の文化

らうためには 20 年は努力しないといけないと思います。

を勉強してそれを考慮して改修するべきだと思います。そ

そのような修行に耐えることができる我慢強さがあるかな

れに対し、私たち左官屋も常に舞台に上がって仕事をして

いかを判断していくことは大事ですね。同じ職人を育てる

いて、全て見られているという意識を持って取り組まない

という意味でも左官屋と建築家は全然違いますね。僕がよ

といけません。そういった意識のもとで丁寧に仕事をして、

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1)小説家、谷崎潤一郎の随筆。可能な限り部屋の中を明るくしていた 西洋の文化に対して、日本ではむしろ陰翳を認め、その中でこそ、日本 の美意識、美学が現れ、芸術が生み出されると主張した。 2)化粧しっくいとも呼ばれる、骨材、結合材、水からなる建築材料で、 壁や天井の表面仕上げとして塗ったり、装飾としても使う。基本的に屋 内に使うものを漆喰(プラスター)、屋外に使うものを化粧しっくい(ス タッコ)と呼ぶ。

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Folding finds forms

INTERVIEW

J un M I TA N I

一枚の紙から折られた球

― 紙がおりなすかたち

剛体でない折り紙におけるひずみエネルギーの推移

いなと思いました。加えた力が襞のような目に見えるさま で現れてきて、それが美しさにもつながっていると思うの です。

堺 三谷さんの複雑で美しい立体折り紙の作品はどのよう にして生まれるのでしょうか。

三谷 それもあるかもしれませんね。設計する際は紙の伸 縮無しに成り立つ形状として計算しています。なので、完

三谷 これ(上図)は一枚の紙から球を包むようにしてで

成に至る途中の過程では歪みなどが発生しながら、少し無

きるかたちを折った作品ですが、きれいなつるんとしたか

理をして作っているのです。固い板のような歪みを許容で

たちではなく、周りに襞のような要素が取り付いているの

きない素材だとうまく折ることができません。厚みのない

が1つの特徴です。この襞は目指す形をつくるときに出て

紙だからこそ成り立つのです。

くる余剰の部分です。すべて内側に折り込んで隠すのはと

折りなすかたちの美しさ Folding finds form

ても難しいので、外側に取り出すことを考えます。そうす

大須賀 確かに、部分部分で折り目をつけているときはう

ると、この余剰な部分もかたちを構成する大切な要素にな

まく折り畳めずぐしゃぐしゃになってしまい、これが本当

るのです。展開図の上では、球になる部分と襞になる部分

に綺麗なかたちになるのかと疑うほどでした。しかしある

が隙間なく並ぶことになります。

程度全体に折り目がついてくると、急にパタンと折り畳め てしまい、驚きました。

坂野 余った襞の部分が意匠として魅力のあるデザインに なっていると感じます。完成形を想像するときに襞の現れ

三谷 完成形は計算によって力学的に釣り合いのとれたモ

方まで意識しているのでしょうか。

デルになっています。紙が平らな状態での内部エネルギー を0とすると、折っていく過程で歪みが生じて内部にエネ

筑波大学大学院 システム情報系 情報工学域 教授

三谷 純 インタビュー

三谷 私の場合は純粋に余った部分を外に出しているの

ルギーが溜まっていきます。それが完成したときには力が

J u n M I TAN I / P ro f esso r

で、最初から狙っているわけではありません。しかし結果

うまく流れてエネルギーが0になり、最後はどこか落ち着

として出てくるかたちは、美しい陰影のあるとても単純な

いた姿になるのです。

折り鶴、手裏剣、紙ヒコーキ、、、

パターンを持っています。シンメトリーで規則正しく並ん

日本の誰もが触れたことのある折り紙。そんな折り紙で、息をのむほど美しい作品を作り出す人たちがいる。

でいたり最小の表面積で無駄がないかたちなど、人は合理

どんなに複雑なかたちでも実際に折られた作品を見れば

コンピュータグラフィックスの知識を生かし、複雑な立体折り紙の作品を次々と生み出していく三谷純氏と共に、

的なものに美しさを感じるようです。作品を見た人の反応

実現可能なのだと思えるものですが、新しい作品の展開図

折ることによって生まれるかたちの美しさ、そして折ることの本質に迫る。

は「これ、何 ?」「なんだかよくわからないけど、綺麗なか

がコンピュータ上ででき上がった段階では、それはまだ誰

聞き手=大須賀 嵩幸、堺 雄亮、坂野 雅樹

たちだね」と様々です。合理的な手法でデザインされたも

もつくったことのないかたちです。理論上可能とはいえ本

2017.6.10 つくばエキスポセンターにて

のはある種の美しさを持つのでしょうね。

当にできるのか、半信半疑になることもあるのですが、実 際きちんと折っていくと完成してしまうのです。これが立

大須賀 私も実際に立体折り紙の作品をつくってみたので

体折り紙の面白いところですね。

すが、力を加えると様々なかたちに変形していくのが面白

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29


Folding finds forms

INTERVIEW

J un M I TA N I

― コンピュータ・エイデッド・オリガミ

思います。CAD で図面を描くのは実際に工業製品や建築を つくるためですが、CG の専門家たちはつくることを考え る必要はありませんからね。

堺 三谷さんは CG(コンピュータグラフィックス)の専 門家としてご活躍されていますが、折り紙と CG の組み合

坂野 実作に関わることの少ない学生にとっては、CAD も

わせにはどのようなシナジーがあるのでしょうか。

CG も課題に取り組む際の制作ツールとしての印象があり ます。建築の分野では手描きに替わって CAD や CG パー

三谷 人間が立体を知覚するとき、だいたい表面だけを見

スが主流になってきていますが、コンピュータの発展は折

て物のかたちを認識しますよね。折り紙はまさにそういっ

り紙作品の製作にどのような影響をもたらしたのでしょう

た知覚の仕組みを利用していて、表面だけを再現すること

か。

でそこに立体があると思わせるのです。私の折り紙作品も、

愛知工業大学の宮本好信教授による、回転建立方式(RES)による、板材からのドーム形状立ち上げ

トし、各部分の長さなどをパラメータとして扱い、計算に

るために、歪みの生じない剛体パネルとヒンジから構成さ

立体の表面だけ覆ってやればいいという発想でできていま

三谷 折紙設計は展開図から考えるのが王道で、製作者は

よって展開図にまとめていきます。この手法だとより理想

れたようなモデルを考える「剛体折り」という研究分野が

す。そして、私が専門としている CG の世界においては、

展開図の上で作図をするようにして作品をつくり上げてい

的な形を得ることができるのです。最近では、アニメーショ

あります。厚みが集中する場所をどうやって逃がすかと

外見のビジュアルを何よりも重視します。映画やゲームに

きます。『オリガミの魔女と博士の四角い時間』(NHK, E

ンを用いてどんな動きをするかまでシミュレーションする

いった幾何学的な問題や、一部分に応力が集中しないよう

出てくる建物に、「内部はどうなっているんですか」と質

テレ ,2017) という折り紙をテーマにした短編ドラマがあっ

こともできるようになりました。

にするという実践的な問題に多くの研究者が取り組んでい

問するのは野暮ですよね。CG も表面だけをつくることで

て、オリガミ博士が毎回お題に応えた作品を披露していく

立体を認識してもらうわけです。それを考えると、CG の

番組なのですが、彼もやはり展開図からアプローチしてい

坂野 CAD やパラメトリックデザインに近い手法を用いら

発想と折り紙は相性がいいと思います。3 次元といっても

きます。

れているのですね。

ます。 大須賀 立体折り紙作品の中には大きなスケールでつくら れたものもあり、人が下をくぐることができて面白いです

結局表面だけの話なのです。 一方で私のようなコンピュータサイエンスの専門家は、

三谷 私の折り紙作品はコンピュータありきのデザインで

ね。もっとスケールアップしたら簡易的なシェルターや、

堺 建築の場合、実際に人が利用するわけですから内部空

最初に立体的な完成形をイメージすることから始めます。

すから、あるアルゴリズムに則ったデザインならいくらで

さらには建物にもなってしまうような気がしています。し

間まで考えなければいけません。場合によっては内部空間

軸対象や回転対称な形の作品であれば、予め組んでおいた

も量産できます。全く別のかたちがつくりたければそもそ

かし実際に作ると紙がたわんでしまって、実現はなかなか

が外側の見えに影響してくることもあります。

プログラムに断面形状を入力することで簡単に展開図を得

もソフトウェアから開発します。やはり折り紙ではなくコ

難しそうです。

ることができます。実はこの計算自体は電卓でもできるよ

ンピュータサイエンスの専門家ですから、ソフトウェアの

うなレベルのものですが、コンピュータの強みはいろいろ

使い分けでデザインを考えていますね。

三谷 それは CAD を扱う人と CG を扱う人の違いなのだと

三谷 これ(本ページ上写真)は愛知工業大学の宮本好信

なパターンを手間なく試せる点にあると言えるでしょう。

教授の作品で、一枚の平面から立体的に立ち上がる構造物

私の作品では襞のかたちが作品の美しさに大きく関わって

です。彼は建築家で、このモデルをスケールアップしてドー

きますが、その曲線の形状を計算によって求めることがで

― 厚みという壁

きるのです。

ムをつくろうとしています。平面で施工したコンクリート パネルを一気に持ち上げるシミュレーションを行ってい て、実現すれば非常に低コストでドームが建つそうです。

坂野 折り鶴など、私たちのよく知っている折り紙とはか

堺 立体折り紙を実用的な分野へ応用する際には、どのよ

また、東京大学の舘知宏助教は建築出身の折り紙研究者で、

なり違うように思えます。

うな問題が発生するのでしょうか。

折り畳みできる建物の設計に取り組んでいます。建築に携 わる人たちは応力や素材の物性による制約を考慮して、本

「ORI-REVO: A Design Tool for 3D Origami of Revolution」 : 回転体ベースの立体折紙設計ツール(三谷氏製作)

30

三谷 もともと折り紙は偶然できたかたちを鳥や馬などに

三谷 紙の折り紙では厚みをほぼ無視して設計することが

見立て、試行錯誤してより近づけていくというアプローチ

できますが、他の素材ではそうはいきません。ダンボール

が取られていました。それに対し近年の折り紙設計では、

など厚みのあるものを 2、3 度でも折りたたむと、とても

「こういう馬がほしい」という具体的なイメージからスター

当につくれるかどうかということを考えているのです。

分厚くなってしまいますよね。そういった素材をうまく折

31


Folding finds forms

INTERVIEW

J un M I TA N I

をつくってきた歴史があり、その延長としてレゴブロック

三谷 建築家の方が立体折り紙を見るとすぐに、「これは

うし、じわじわと進んでいく変化もあると思います。50

がある。同じように日本人は木と紙で作った家に住んでき

何かできそうだ」「ここに人が入れて、中から見たらどう

年後くらいに振り返ってみると、ある時折り紙のような建

て、その建築の構成の仕方に折り紙との親和性を感じてし

なのだろう?」といろいろなことを思いつくようです。イ

造物がたくさん出てきていて、そこが一つの転換点だった

大須賀 折り紙は日本で生まれた文化なので、日本の他の

まいます。柱・梁と床・壁といった線と面の構成は、まさ

ンスピレーションの素材を提供するという意味では、限ら

と後から認識することもあるかもしれません。先ほどお話

文化とも通じる部分があるように思います。日本ならでは

に折り紙における折り線と紙の面と同じ構成だと捉えるこ

れた素材で立体を作る折り紙はとても有用なツールなのか

しした宮本先生たちのように、折り紙建築の実現に向けて

の折り紙の特徴についてはどうお考えですか。

とができるかもしれません。歪みを許容するという点でも、

もしれません。私の作品は展開図を WEB で公開していま

積極的に活動する人がいれば変わっていくと思います。

木造や紙のやわらかい構造の考え方に近いものがある。意

すから、そういった野心的な人にはどんどん利用してもら

三谷 日本においては折り紙は遊びの文化として根付いて

外と三谷さんの立体折り紙も日本的な考え方に近い発想を

いたいですね。

いて、折り鶴は誰もが知っているところでしょう。しかし

しているのではないでしょうか。

― 折り紙と建築の関係

坂野 そこから皆が真似し始めて大きな変化が起こること もありそうです。

最近の折り紙作品における分かりやすい日本らしさや強み

― ただ面白いかたちをつくりたくて

といったものはなかなかないように思います。今や折り紙

三谷 何もそこまで意識してやっているわけではないです

は世界中で「ORIGAMI」と呼ばれるほどに広く知られるよ

よ(笑)。でも確かに、折り紙と建築は相互に刺激を与え合っ

くのも面白そうですね(笑) 。京都の町に折り紙のような

うになり、トップランクの折り紙研究者やアーティストは

ていると思います。ドバイにある『アル・バハール・タワー

建築をつくることができれば、一つの事例としてカウント

海外の人が多いのです。

ズ』は、折り紙に着想を得たスクリーンが高さ 150m のツ

三谷 私のスタンスを述べておくと、折り紙から何か革新

インタワーを覆っていて、見る人にすごく強い印象を与え

的な発明が生まれるという将来像を描いているわけではあ

大須賀 遊びの文化というと、そもそも西洋にはレゴブ

ます。でもこれは単体の折り紙作品とは違って、鉄筋でつ

りません。メディアで折り紙特集があると私のところにも

ロックがあります。西洋では石やレンガを積み上げて建築

くられた主要部分に衣装のようなものとして貼り付けられ

取材が来て、「この素晴らしい技術はどう未来の役に立つ

ているわけですよね。やはり柱梁と床の繰り返しでできて

のですか?」と目を輝かせて聞いてきます。でも、私はそ

いる構成はすごく合理的で、多くのビルはそうなっていま

の期待に応えられるような回答を持ち合わせていないので

す。

す。彼らの関心は折り紙よりもその先の応用にあって、別

堺 折り畳むという考え方は建築にとどまらず、生物の世

に折り紙じゃなくてもいいわけですよね。例えば、折り紙

界にも適応できそうです。例えば、DNA の二重らせん構造

隈研吾さんにしても、きっちり内と外を分けたうえで、

は大きいものを小さく折り畳む技術として、折り畳み傘か

やタンパク質の立体構造には折り紙にも通じるものがある

表面にいろいろなものを張り付けている。そういった装飾

ら衛星アンテナまでいろいろなところで応用されていま

と思います。

的な折り紙造形の実例は増えてきていると思います。そこ

す。それらは一見新鮮なアプローチに思えますが、テクノ

に対してもっと違うものを提案できるかが今問われている

ロジーが進歩しただけで、考え方は折り紙のそれと大差は

三谷 DNA を構成する DNA 鎖や、タンパク質の一次構造

ところでしょう。

ありません。私は折り紙を何かに利用するためにやってい

は一次元の紐状のかたちをしています。これを工夫して折

るわけではなく、ただただ面白いかたちをつくることに興

ることによって、二次元の平面や三次元の立体構造が得ら

味があるのです。

れます。つまり、折るというシンプルな操作を繰り返すこ

大須賀 確かに合理性を考えれば四角い箱を積んでいけば 良いかもしれませんが、それとはなにか別の形で建築を考

32

されることになりますから、是非やっていただきたいです。

― DNA とプラレール

とで、次元を上げた複雑な形ができるわけですね。理化学

えたいという思いはあります。立体折り紙が全体でひとつ

大須賀 エッフェル塔のように、エンジニアリングの世界

研究所で DNA の折り畳みを研究している平野達也先生と

の構造になっているように、建築の内と外を一体的につく

から新しい風が吹いて建築に大きな影響を与えた事例があ

対談させていただいたことがあるのですが、最近では「DNA

るアプローチとして、フォールディングの手法を挙げるこ

りますが、新しい建築が生まれるときは他の分野から何か

ORIGAMI」という技術も研究されています。DNA が決まっ

とができそうです。それこそ一枚の紙で襞を折っていくよ

変化が起こるのかなと思っています。三谷さんのような純

た塩基同士で結合を組む性質を利用して、思い通りの2次

うに、地面がそのまま盛り上がって壁になり屋根になると

粋に面白いかたちを追求されている方には、ついついそん

元、3次元微小構造物を作り上げる技術です。ここまで話

いう建築が 90 年代に生まれ、注目を集めました。そういっ

な期待をしてしまいます。

が進んでくると、皆さんのよく知っている折り紙とはかけ

た今までにないかたちのヒントが折り紙の世界にあるかも 『アル・バハール・タワーズ』のスクリーン 1)

三谷 みなさんが京都大学でそういった方向に誘導してい

しれません。

離れてくるかもしれませんが、海外ではあまりこだわらず 三谷 ビッグネームが時代を変えていくこともあるでしょ

に、「折り」を伴うさまざまな事柄に「ORIGAMI」という

33


Folding finds forms

INTERVIEW

J un M I TA N I

上:プラレール作品の展示 下:「鉄道模型コースシミュレータ」(三谷氏製作)

言葉が使われています。

最近、息子と列車のおもちゃのプラレールでいろいろな

せることもできるのです。タンパク質もよく見てみると長

コースをつくって遊ぶのにハマっていたのですが、実はプ

いものがただ折られているだけでいろんな機能を持つわけ

堺 折ることによって次元の拡張ができるということで

ラレールはレールをつなげて長いコースをつくるという点

ですよね。直接的な類似を認めるのはなかなか難しいです

しょうか。紙の折り紙も、2次元の平面を折ることで3次

が、DNA やタンパク質と近い性質を持っているんじゃな

が、生体構造とプラレールを見比べるのは興味深い視点だ

元の作品をつくり上げています。

いかと思っています。直線と8分の1円弧の組み合わせか

と思っています。そんなことを考えてのめり込んでいるう

らなるかたちとしてプラレールを捉えてみると、途端に幾

ちに、うちの家族の皆は私のプラレールに見向きもしてく

三谷 そうですね。逆に、折り畳んで小さくした情報を、

何学の問題になるのです。いくつかの幾何学的な性質に注

れなくなったのですが(笑) 、一方でインターネットを通

元のかたちに戻して簡単に取り出すこともできるのです。

目し、『鉄道模型コースシミュレータ』というソフトウェ

してプラレール作品は話題になり、ついには展示までさせ

DNA が折り畳み構造を取っているのは、膨大な量の遺伝子

アを組んでさまざまな幾何学模様を生成してみました。シ

ていただきました。

情報を刻み込むために都合のいいかたちだからでしょう。

ンプルなパーツを組み合わせることで、折り畳まれたよう な複雑な形をつくったり、少しほどいてそれらを繋ぎ合わ

34

35


Folding finds forms

INTERVIEW

J un M I TA N I

― 「ブルー・オーシャン」へいこう

いないような5年前の技術だとしても、それを扱うのが僕 の研究スタイルです。

三谷 そもそも私がなぜ折り紙やプラレールに興味を持っ

大須賀 三谷さんの研究に取り組む姿勢にはとても共感を

たのかというと、構成要素が非常にシンプルなエレメント

覚えます。京都大学に地球流体力学を専門とする酒井敏教

で、それに少し手を加えることで、幾何学的に綺麗な造形

授という方がいて、ヒートアイランド現象の研究を続けた

が得られるからです。折り紙は誰もがやったことがあるで

のちに『フラクタル日よけ』という発明をされました。酒

しょうし、プラレールも多くの男の子が一度は遊んだおも

井さんも三谷さんと同じような、面白いからやるんだとい

ちゃだと思いますが、日ごろ触れている身近なものの幾何

うことを言っておられて、今回のお話ととても繋がる点が

学的な側面を少し意識してみると意外と面白い発見があり

ありました。『フラクタル日よけ』は実用化され、今度台

ます。僕の場合はそれがたまたま紙を折ることや、プラレー

湾に建つ坂茂さん設計の美術館では、建物全体をすっぽり

ルを並べることだったんですね。

覆うほどの規模で屋根に使われています。 三谷 純氏

堺 三谷さんは研究者として数々の成功を収められている

三谷 酒井先生とは、紙を切って折り曲げる要領で『フラ

では最近特に機械学習に取り組む人を多く見かけます。機

ほとんどライバルはいないでしょう。複数の領域を結びつ

と思いますが、やはり競争の激しい「レッド・オーシャン」

クタル日よけ』を簡単に作れないか、というような話をさ

械学習が好きで、その研究に取り組んでいるのならよいの

けることで、独自の研究分野を拓いていくことができると

ではなく、未開拓の「ブルー・オーシャン」を目指してい

せてもらったことがあります。もう10年来その研究に取

ですが、時代に取り残されないように、という焦りから取

思います。

るのでしょうか?

り組まれていますが、それはすばらしい業績ですね。執念

り組むようでは、やはり先頭集団に入り込むのは難しいだ

深さは大事だと思います。建築の分野も折り紙の分野も、

ろうと思います。

三谷 今は時代の変化が速く、研究も常に競争の世界です。

常に新しいものを求めていなければなりません。

多くの研究者がやっている研究は 1 年やらないだけで置い

堺 最後にこれからの学生に向けたメッセージをお願いし

ていかれてしまいます。一方、私のプラレールの研究なん

坂野 誰もしない分野を研究するというのは学生に向け

て、5 年放置しても誰もやらないから、5 年後に論文を書

て、いい言葉だなと思います。

いてもおそらく大丈夫です(笑)。逆に言えば、誰も見て

ます。 三谷 建築系の学生に対してということであれば、やはり

三谷 そのような分野を見つけることが大変なんですけど

手を動かして物をつくることが大事だと思います。私の研

ね。

究室の学生に折り紙で面白いデザインを作ってごらん、と 言うと、まずパソコンに向かってしまいます。図面を引い

大須賀 周りと違うことに取り組んでいるときはとても不

たり、計算したりするのだけれど、実際に素材があるのだ

安になったり、やっていて意味があるのだろうかと悩んで

から、手を動かして考えてほしいです。やはりインターネッ

しまいますが、突き詰めてやり続けることで次第に周りが

トや本で調べる前に、自分のやりたいことをまず自分の手

興味を持ってくれることもあります。それはむしろ認めら

で形にすることが大事だと思います。

れたいからやっているというよりも、これが好きだから

やっているのに近いと思います。

もう一つは、好きなことを二つか三つ見つけてほしいで す。僕の場合はコンピュータと折り紙です。折り紙が好き

『フラクタル日よけ』の模型

36

三谷 大学では自分で研究テーマを選べるのですから、周

な人は山ほどいるし、コンピュータが好きな人もいくらで

りがやっているから自分もその研究をするという風になっ

もいるのだけれど、両方好きな人は意外と少ないのです。

てしまうのは少しもったいないですよね。もちろん流行り

その二つを合わせたことをやっている人は、周りを見ても

の研究というものあって、コンピュータサイエンスの分野

全然いません。二つ以上の領域を組み合わせた分野では、

1)AHR:Al Bahar Towers, AHR International Award Winning Architecture and Buildings Consultancy Practice ( 閲覧日 :2017/9/13) http://www.ahr-global.com/Al-Bahr-Towers 上記サイトの画像を一部切り抜き使用した。

37


今回、インタビューにご協力くださいました 今回、 インタビューにご協力くださいました三谷 純さんのご厚意により立体折り紙の展開図を掲 三谷純さんのご厚意により立体折り紙の展開 載させていただきました。 図を掲載させていただきました。 本誌を複写してお使いください。 本誌を複写してお使いください。

A column embossed with circles A column embossed with circles http://mitani.cs.tsukuba.ac.jp/ja/cp_download.html http://mitani.cs.tsukuba.ac.jp/ja/cp_download.html


どうして悪はいつも美しく見えるのでしょうか

DIAGRAM ①都市に寄生する

②都市に寄生する

野宿やシェルターでの生活を強いられる人々は都市に棲み つく。 住宅の中にある機能 ( ご飯を食べる、お風呂に入る、トイ レに行く、寝る ) を全て町の中に頼る。 家がなければ木の下にテントを張ったり、 公園の柵にダンボールをかけたりする。 寄生とは他の生物から栄養やサービスを持続的にもらうこ

③命を終え、都市に還る

シェルターとは、「無くなること」を使命としていてかつ、それ

この建築の成長の先には、建築としての死、都市に還ることを

が存在意義である。

夢見る。

その役目が果たされたら、シェルターは無くなることができる。

最後にはシェルターとしての役目を終え、都市における文化的

シェルターを作る、壊す ( 減らす ) の過程によって雇用を生み

な施設や店舗になる。

出し、就業支援をしていきながら、終業までの仕事のサポート

それと同時にシェルターが減少するにつれて、このあいりんで

も目指す。

命を落とした方の納骨堂が次第に形成される。 都市に還った高架下に、納骨堂という人々の命の記憶が地形と

とである。” 高架” とは都市の産物であり象徴である。

ともに、残っていく。

高架の構造に寄生する、軽量鉄骨個室二階建てを構想した。

シェルターが0になる日は来ないかもしれない、この建築は永 遠に夢を見続ける。

シェルターとは究極の

終業をし、出て行く人や

都市に寄生することで成

ヒューマンスケールの建

高齢化で人数が減少して

長を終えた建築は、役目

築である。

いくことが予想される。

を終え、都市的な空間へ

野宿者のための空間も設

住居空間は憩いの空間や

と還っていく、命の記憶

計した。

文化的な行為を誘発する

が納骨堂として、蓄積さ

その中で、互いに利用者

空間などへ転換してい

れていく。

が顔を合わせないような

く。

設計をした。

大阪市西成区の場所の力について考 えてみた。あいりん地区では多くの

SITE MAP

シェルター

日雇い労働者が集まり、ホームレス

納骨堂形成部分

新世界

や浮浪者者が多く生活している。

三角公園 釜ヶ崎

天王寺

PHASE1

SITE

SITE

飛田新地 PHASE2

PHASE1 1FPLAN 1/300

PHASE3 あいりん地区とは

PROGRAM

SITE

大阪府大阪市西成区、JR 西日本新今宮駅の南側に位置 する簡易宿泊所・寄せ場が集中する地区の愛称。

萩ノ茶屋駅の南にシェルターの機能を中心とした建築を計画する。

釜ヶ崎とも呼ばれ、近年はバックパッカーの宿泊地と しても人気を集めている。

PHASE4

シェルターとは ... ●その日の寝床が確保できなかった人への緊急避難所。

店舗

ホームレスは 2000 年前後をピークに減少しているが、 なお多くのホームレスが路上生活を送っている。

●萩之茶屋シェルターは午後 5 時半に利用券が配布され、午後6時 半から翌朝の 5 時までの利用。その時間以外でもシャワー洗濯機な

かつて大阪ミナミは海の底であったが島之内と呼ばれ る町場が出現、

どは利用できる。朝5時には必ず利用者はすぐ近くにあるあいりん

芝居小屋が立ち並び、人形浄瑠璃や歌舞伎が発達した。 千日前には竹林寺や千日寺があり、刑場、墓場があった。 ここには死体を処理する墓守の存在があった。

●あくまで緊急避難所であるため、ほとんどの場合期限が定められ

た。

ている。

今はウォールアート ( ウォールアートニッポン ) などで街を活性

・三角公園南側シェルター ...3 年期限 ( 結局 15 年利用された。)

化させようという動きなどがあるそうです。店舗は営業されてい

・釜ヶ崎シェルター ...10 年期限 ( 予定 )

るかは不明。 西側には今宮小中学校があり、東側とは雰囲気が高架を隔てただ けで違うように感じた。かつては泥棒市があったそうですが、今

割を担い、ここから芸術は発達していく。 シェルター利用者の一日 生が混在する地域となる。 そしてこの地域は今日という今まで生と死が隣り合わ せであるような発展の仕方をしてきたように思える。

PHASE5 1FPLAN 1/300

南海電車の高架下はもっと有効活用ができるのではないかと感じ

墓守が死体の処理、霊媒、詩人芸術家などの様々な役

この付近には次第に墓守や浮浪者が集まり出し、死と

PHASE5

センターへ職を求めに行く事になっている。

その賑わいが次第に道頓堀の向こう岸まで拡張され、

は落ち着いてる模様。

PHASE 1 SECTION 1/1000

この系譜を引いて、大阪市の事業として西成に住民主体の屋台村 を作るという構想も出ている。

PHASE 5 SECTION 1/1000



伊藤忠太に私淑する

帯水層

b. 別の場所に土を盛る。

c. コンクリートを流し込む。

d. 内部空間をつくる。あわせて、

更地の状態。地表高さは

a. 穴を掘る。地下水位より深いと

T.P.2.7m。埋立地なので、地下水

ころは沼地のようになる。土が余

まわりに地形が生まれる。

位は高い。

る。

…多宗教センター

d.

g.

a.

オリンピック終了後は、 仮設施設の跡地に、同 じような操作が繰り返 余った土は盛土に使う。盛土をし

e. 溝を掘る。

f. コンクリートを流し込む。

f. 内部空間をつくる。あわせて、

て海面から十分な高さとなった部

まわりに地形が生まれる。

分に居住棟を建てる。

…劇場

多宗教センター

劇場

イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教のた めの控室と礼拝室がある。

会期中は、日本の伝統文化を紹介する プログラムも組まれる。

されていく。

5

1 3

c’ b’

b

1 3

5

b

4

5 2

c’ b’

a

a

T.P.+2,000 T.P.+1,500 T.P.+1,000 T.P.+500 T.P.0 T.P.-500 T.P.-1,000 T.P.-1,500

d’

T.P.+6,500

T.P.+2,500 T.P.+1,500 T.P.+500 T.P.-500 T.P.-1,500

T.P.+3,500

6

6

6 7

6

1

11

4 7

9

10

4

8

8

5

3

3

平面図 T.P.+1,000 1:3000

屋根伏図

5 3

aa’断面図 1:1500

bb’断面図 1:1500

4

… 引用文:『伊東忠太建築文献 論叢・随想・漫筆』(一九三七年 伊東忠太)

4

d’

平面図 T.P.-500 1:3000

平面図 T.P.+2,000 1:3000

1

cc’断面図 1:1500

T.P.+5,500 T.P.+4,500

4

d

a

1

c

5

2

d

c’ b’

b

a’

a’

a’

3

d’

― 1

c

c

1. イスラム教 2. キリスト教 3. ヒンドゥー教 4. 仏教 5. ユダヤ教

平面図 T.P.-2000 1:3000

2

dd’断面図 1:1500

平面図 T.P.-500 1:3000

1. 屋内舞台 2. 屋外舞台 3. ホワイエ 4. トイレ 5. チケット 6. 楽屋 7. 舞台裏 8. 照明 9. 機械 10. 倉庫 11. 搬入

6


▲子どもの空間から

▲住戸外観

◀道から

交わり -人とのかかわりを織りなすみちー

保育園外観▶

幼い子どもが生まれて初めてを意思の疎通を図ろうとする相手は、親である。 そして両親をはじめ、同世代の子ども・近所の大人など、様々な人たちと関わりながら成長していくことが望ましい。 しかし、子供を幼いうちから保育園などに預け、働くことが珍しくなくなった現在、 通園時間は親が子どもだけに向き合える数少ない時間として、注目できると思う。 そのような” 忙しい親子” のコミュニケーションを触発するような「通園路」となるみちを提案したい。

▲住戸のベランダから道を眺める

▲寝室3から寝室2をのぞく

▲みちから和室をみる

みちは地域の子どもたちの遊び場であり、 親同士・近隣住民同士、あるいは子どもと近所の大人の交流の場である。

【新規住戸 ダイアグラム】

【街区平面図 GL+1500】 敷地は大阪市と京都市のほぼ中間にあるベッドタウンに位置する 戸建ての住宅が高密度に建ち並ぶ住宅街である。 周辺からは公営団地や RC 造の住戸・不規則に曲がった街路など 様々な時代の開発の痕跡を見ることができる。

街区内において住戸を建て替える際、新規の住宅は門型のフレームによって構成するものとする。 フレームを用いることの、道、住戸内部、街区・住戸の構成に対する意義を下に挙げる。

⑪ ⑨

~ 道 ~

・住戸のプランと連動したフレームが道まで延びることによって、

③-6

③-2

~ 住戸内部 ~

・フレームが各住戸のプランと連動している。

⑥ ④

・室を箱とせず、スキップフロアで緩やかに区切られた

③-1 ②

道の表情が変化していく様が楽しめる。

・フレームが窓口となって、住民同士または住民と歩行者が交流できる場が生まれる。

③-5

歩行者がそこに腰かけたり登ったりして楽しめるようになる。

・様々な高さから伸びたフレームが道で複雑に入り組むことで、

一つの大空間とすることで住戸内の視線の抜けを得る。

・また窓の開閉で十分に風が流れる。

③-3 ③-4

~ 構成 ~

①公共施設 ②基礎庭 ③保育施設 1. 保育室 2. 遊戯室 3. 職員室 4. 医務室 5. 多目的ルーム 6. 屋外遊戯場

・フレーム自体が住戸を支える構造体になっている。

・開口の向きが限定されることで、住民同士の視線のぶつかりを制限できる。

N

新規住戸の一例

①和室 (GL+600) ②洗面・浴室 ③リビング ④キッチン・ダイニング ⑤納戸 (GL+2800) ⑥寝室 1 (GL+3000)

⑦寝室 2 (GL+3800) ⑧ベランダ (GL+4600) ⑨ベランダ (GL+5200) ⑩寝室 3 (GL+5600) ⑪子供の部屋 (GL+6400)

1:800

【既存住戸活用】

◀学童保育施設

活用例:学童保育施設 自治会館 図書館 カフェ 基礎庭 など

旧街区からそのまま残る既存の住戸を公共施設として活用する。

▲基礎庭

みちと街区外をつなぐゲート。 近隣住民がこの街区を訪ねるきっかけを提供するとともに、 街区外からみちへと人々を引き入れる存在となる。

街区全体断面パース


神吉スタジオ

場所の力

KANKI studio

これまでにない変化をみせる現代の都市・地域で、どの ようなランドスケープが受け継がれ創造され得るだろう か。新しいランドスケープに向かうために、場所に潜む 力を読み、その力を顕在化させる建築と都市・地域空間 の提案をめざす。各人が選ぶ敷地およびその位置する都 市・地域の「場所の力」の読解作業を重視しつつ進める。 敷地は、全員参加でそれぞれの現地調査に赴くため、京 都から日帰り可能圏内とし、自由に選ぶ。

三浦スタジオ

新しい学びの場

MIURA studio

教員、外国人、企業人、地域との交流を取り入れるなど 学生寮を学びの場として積極的に位置付ける動きが見ら れる。本スタジオでは学生寮、企業の寮などの事例を調 べた上で大学に相応しい教育・研究・地域交流機能を有 する寮を学生の視点から構想する。

平田スタジオ HIRATA studio

Beyond X

独自の思想を背景に優れた作品を残した建築家を一人

私淑の建築

選び、その思想を再解釈して現代の建築を設計する。 重源、ミケランジェロ、伊藤忠太、ロース、フラー、

PROJECT 竹山研究室 TAKEYAMA Labolatory

シュプレマティズム-脱色する空間 Suprematism - Decolorizing Space

50

ホライン、、「私淑」する建築家は各自が何人かの候補 を挙げ、相談の上決めるが、鬼籍に入っていることを 条件とする。

柳沢スタジオ YANAGISAWA studio

子育てを軸とした既存街区の再編

建て住宅の建ち並ぶいわゆる住宅街は、今後どのよう に変わりうるだろうか。人口減少や空き家の増加、住 民の高齢化や世代間ギャップなどの問題に対して、住 宅単体、また集合住宅や団地としてでもない、戸建て の集合した街区スケールにおいて可能な提案があるは ずである。ここでは、主に住宅と街との関係を視点に、 ベッドタウンの戸建て住宅地における既存街区を対象 として、子育て環境の整備を基軸・契機とした、複合 的街区型居住への再編手法の提案に取り組んでほしい。

竹山 聖 Kiyoshi Sey TAKEYAMA

脱色する空間 Decolorizing Space

58


Suprematism - Dcolorizing Space

PROJECT

TAKEYAMA Laboratory

ごろちゃん

てつま

50

kiyoshi

51


Suprematism - Dcolorizing Space

PROJECT

TAKEYAMA Laboratory

01. 三浦 健

02. 菱田 吾朗

「9 つのイメージ形態操作による終焉的建築―新しい着色へ―」

ʻʻ 機能 ʼʼ と ʻʻ 敷地との関係 ʼʼ の排除

いのです。徐々に 「脱色」 し新しい概念としての着色をふるまう空

「E scape of space」

一時の逃避行のように

への、夢の中の砂漠への、一時の逃避行である。 常にありふれている空間のスケールを元にしたボリュームを回転

間を目指します。機能の残り香と敷地と関係をもった形態が薄れて “ 直観的な形態は、無から生ずべきものだ ”

いく先には、描き手としての私の場に対するイメージ形態が浮かび

絵画から主題や事物を切り離し、形態・色彩・構成をそれぞれ分

させ組み合わせることによって、既定の建築空間の関係性を一旦脱

“ 構成とは……重さと速度と運動の方向をもとに成り立つ ”

あがります。いわゆる直観を操作したこの形態は建築というよりも

離させたマレーヴィチ。彼は色を現実から切り離し一度脱色するこ

し、新たに作り上げる。地下から湧き上がったボリュームと空から

“ 直観的な感情によって、二つの形態の意想外の対決から力と

モニュメントの要素が強いのですが、人が訪れることで非場所性の

とで、現実の色に改めて意味を持たせた。シュプレマティズムの文

降りてきたヴォイドが地中で出会うそんな連想をさせる8つの空間

空間体験を促します。これはマレーヴィチに代表されるシュプレマ

脈における「脱色する」とは「ある要素を現実の意味から分離し、

は新たな脱色の空間となる。そこには人々が寄り添うための水平面

ティズム絵画が、見るものに自由な解釈を許すことに繋がります。

取り出すことでその要素同士をつないでいた関係性を一旦解き、新

だけがささやかに挿入され、脱色へと誘う。

これらは『ロシア・アヴァンギャルド芸術』からの引用です。

絶対零度からうまれる空間の魅力は、体験する人それぞれに私の感

たな創造としてつなぎ直すこと」なのではと考えた。

名もない場所で、軽やかに遊び、時には喧嘩をし、空を見上げ、

シュプレマティズムにおける究極の脱色は方向性や配置にたどり

覚とは違った意味を感じてもらうことではないでしょうか。

そんな考えのもと、この建築は、現実の世界から切り取られた地面

静かに座り込む空間を夢想した。

緊張をもった不協和のエネルギーがうまれた ” “ 事物は多くの時間的契機を含んでいる ”

着きます。建築における脱色する空間とは、脱色されたものではな

52

53


Suprematism - Dcolorizing Space

PROJECT

TAKEYAMA Laboratory

03. 山口 大樹

04. 川本 稜

「NOW H E R E 」

「Harmony」

記憶の図像化

な事象や情念をもとに空間をつくり、それらを利用頻度や意識を元

浮遊する面によって地面や既成概念から脱色する

に再配置した。 マレーヴィチは対象を捨て、本質を描こうとしていた。 彼に倣って空間の本質を考える。 空間の本質という曖昧を求める中で、視覚情報だけでなく更に体験 や感情などが加わってできる「イメージ」がヒントになると考えた。 そしてイメージの集積とも言える「記憶」に焦点を当てた。 僕が暮らしていた実家での記憶を元に、それを図像化し、空間を

遊を可能にし、面同士は螺旋階段で接続させて上下の動線を確保し ている。プロトタイプとして、6本の圧縮材で構成される簡単なテ

できあがった空間には、僕の痕跡が多く残っている。痕跡とは僕が

マレーヴィチは絵画において、無対象を描いた。その結果として

ンセグリティ構造を用いた。今日、テンセグリティ構造は主に空間

どんな風に何をして過ごしていたかを他者に感じさせるもののこと

絵画に表現されたのは、図形と図形の間の純粋な<調和>のような

を覆う手法の一つとして用いられているように見受けられ、新しい

だ。それらを消す。残った空間には用途や行動は見えないが、感情

ものではないだろうか。<調和>を三次元に置き換えて建築へと昇

空間の可能性を切り開いているとは言えない。この建築はそのよう

や心象は宿る。

華させることによって、「脱色する空間」を提案することを試みた。

な現状に一石を投じるものでありたい。

ここでは「脱色」を、地面からの離脱、建築の既成概念からの解放

6つの面のうち3つの面は地面に接しており、人々はそこから空

こそが空間そのものの価値だと考えた。空間に印象を生み出すため

と定義できるだろう。

間へと導かれるが、やがて進むにつれて<調和>のみによって空間

に、記憶の図像化は一つの手段となり得るのではないだろうか。

面を浮遊させる手段として、テンセグリティ構造を利用している。

が構成されていることに気づく。建築の様々な柵から「脱色する空

構造内で圧縮を担っている棒材を面材に置き換えることで、面の浮

間」が、マレーヴィチの絵画に入り込んだような感覚をもたらす。

言葉や表現を超え、脳の中に曖昧だが確かに与えられる印象。それ

生成する。それぞれの場所での行動、用途、感情、物や家具など、様々

しがらみ

1.Reconstruct spaces from images of memories and feelings.

Marevich drew the essence of things

1. Living room

2. Garret(Sisterʼ s room)

3. Storeroom

Floor, Bright, Relax

Wide, Roof, Sky

Slender light, Width, Read

4. Tatami room

5. Corridor

6. My room

Tender, Fragrance, Pray

Distance, Relation, feel

Narrow, Setting sun, Sit

7.Grandmotherʼ s room

8. Bath room

9. Parents bed room

Emptiness, Nobody, Hole

Gate, Change, Walk

Wind, Through, Sleep

2.Erace my traces from the spaces I made. Pure places remain.

Ground Floor Plan S=1:500

Section S=1:500

54

First Floor Plan S=1:500

West Elevation S=1:500

Second Floor Plan S=1:500

North Elevation S=1:500

55


Suprematism - Dcolorizing Space

PROJECT

TAKEYAMA Laboratory

05. 小林 章太 「I B I T SU 」

06. 王

「VOID」

07. 田中 健一郎 「大地からの解放 -Liberat ion from t he eart h-」

08. 田原迫 はるか 「Squ are Field Vanishmen t 」

歪んだ空間

建築の諸要素をなくした後、残ったものは。

関係性の再構築

秩序を手放すということ

空間とは、関係性である。今回はこの関係性を作る壁に注目し、

脱色する空間について考えるとき、記憶法である「記憶の宮殿」

建築には秩序と方向性がある。

秩序に従った建築は、心地よく、強く、美しい。建築を設計する

壁を複数重ね、開口に方向をもたせた。

を思い出した。これは、脳内に見慣れた場所をもとに、空間を定義

建築における関係性は平面的な秩序によって表現される。ここで

ことは、秩序を生み出すことだとも言えるかもしれない。この課題

することによって記憶を保存するという方法である。

はそれらを解放し、周辺の秩序から脱却し、方向を失った断片を集

ではあえてそれを手放すことを「脱色」ととらえ、空間に表した。

壁に挟まれた空間を歩いていると、いつのまにか自分の斜め後ろ

現存する建築も、建築の基本要素である壁、柱、床、開口部によっ

積させることで新たな関係を再構築し空間を構成する。

ここでは、初めから無秩序な空間を設計するのではなく、2つの

に別の空間が現れている。さらに前方にも全然別の空間が見えてい

て決まった機能を定義されていると考えられる。それらの定義に

与えられた唯一の関係性 “16 個の敷地 ” を 90 度回転し、集合さ

ベクトルの異なる秩序を重ね合わせた。具体的には、全体から決定

て、くぐり抜けるとつながっていたり、逆に微妙に離れていたり。

よって、建築の色が決められる。

せることで「空にのみ開いた空間」・ 「完全に抜けた空間」・「完全に

される秩序と部分から決定される秩序である。それらが同時に存在

それは、空間が歪んでバラバラになっていくような感覚をもたらす

その逆順として、建築空間の脱色はそれらの要素をなくし、空間

閉じられた空間」・「地面にのみ開いた空間」の4つの新たな空間が

することで、互いの秩序は失われる。足を踏み入れれば、日常の所

だろう。

を再定義可能なものにすると考えた。

出現する。

在の感覚から抜け出したような空間が広がるだろう。

site plan

全体が生む秩序 + 部分が生む秩序 ▶ 二つの失われた秩序

PLAN 1/1000 ▼

ELEVATION 1/1000 ▼

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Decolorizing Space

ESSAY

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

脱色する空間 竹山 聖

Decolorizing Space

直観とは意識的に形態を創りだそうとする新しい理性のことである註1。

マレーヴィチはもとより色を否定しようと考えてはいない。むしろ色を徹底的

Intuition is a new reason, consciously creating forms.

につきつめようとした。セザンヌが対象を徐々に脱し、解体して、画面を色の饗

さあ発進!白い、自由な深みが、永遠が諸君の目の前にある

註2

シュプレマティズムとは、現実の対象から離れ、純粋な空間へと向かう運動で

註1 J.E. ボウルト編著『ロシア・アヴァン ギャルド芸術』川端香男里、望月哲男、西中 村 浩 訳、 岩 波 書 店、1988、p.169。Russian Art of the Avant-Garde: Theory and Criticism 1902-1934, Edited and Translated by John E. Bowlt, The Viking Press New York, 1976, p.132.

あった。外に向かっては宇宙に、内に向かっては純粋な感覚に。それまでの芸術

註2 J.E. ボウルト編著、前掲書、P.182。

Sail on! The white, free depth, eternity, is before you. カジミール・マレーヴィチ

宴とした功績を、20 世紀の画家たちは明晰に感じ取っていた。絵画は物語でなく、 画面であり、そこに展開される色面の構成である。色によって奏でられる音楽で ある。 マレーヴィチはこのように語っている。 4

4

4

4

4

4

「私にとって明らかなことは、色彩の要求にしたがって構築される純粋な色彩絵 4

4

4

4

4

4

4

4

画の新しい枠組みが作り出される必要があるということであり、また第二に、色

がそうであったように、対象を描き出すことによる探求でなく、純粋な芸術的感

彩それ自体も絵画的混沌状態を脱して独立した単位に、すなわち集合的体系(シ

性の至高性に身を任せつつ芸術を志向する態度である。マレーヴィチは 1913 年

ステム)の一部分たり、かつそれ自体独立した部分たる構造(コンストラクショ

に白の上に黒の正方形を描き、1915 年にはマニフェストを公にした。ル・コルビュ

ン)へと、進化してゆくべきだということである。It became clear to me that new

ジエがドミノ構想を提出した時期と重なっている。いわば時代をあげて、芸術や

44 4 4 4 4 4 4 4 44

建築がその還元作業に向かっていた、と言っていい。

according to the needs of color; second, that color in its turn should proceed from

そしてそれはとりもなおさず、建築があらためてその自律性を問い始めた時代

a painterly confusion into an independent unit - into construction as an individual

でもあった。すなわち、なにものかに依存して(オーダーであったりスタイルで

part of a collective system and as an individual part per se.」註3(傍点は筆者による)

あったり、趣味であったり、もどきであったり)建築の形態が決定されるのでなく、

つまり、マレーヴィチは決して色を否定しているわけでなく、むしろその関心の

建築には建築の自律的な秩序があるのではないか、という信念に基づく探求作業 でもあった。因襲は言うまでもなく他律である。

4 4 44

4 44

4 4 4 44

4 4 4 4 44

4 4 4 4 44 4 4

frameworks of pure color painting should be created that would be constructed

註 3 J.E. ボ ウ ル ト 編 著、 前 掲 書、P.181。 John E. Bowlt, ibid. , p.144.

中心には「純粋な色彩絵画の新しい枠組み」がある。感性に支えられたシステムが、 コンストラクションが、ある。

芸術においても、描き出される対象の有する物語性や象徴性に寄りかかるので

そして彼はこう続ける。

なく、描きだされる対象から離れ、対象を脱して、いわば他律性を排して、純粋

「空の青はシュプレマティズムのシステムによって征服され、漂白され、本当

な感覚へと向かう還元作業が進められた。

の永遠の概念を示す超越的な白へと移行してゆき、そうして空色の背景から解

きょうざつぶつ

「装飾は罪悪である」 夾雑物は取り除かれる。1908 年のアドルフ・ロースの言葉、

放されたのである。The blue of the sky has been conquered by the suprematist

に倣うなら「装飾」を、だ。「様式」でなく「装飾」でなく「因襲」でなく「意味」

system, has been breached, and has passed into the white beyond as the true, real

でもない。いらないものは取り除き、純粋な形式に還元する。これ以上取り除く

conception of eternity, and has therefore been liberated from the sky’s colored

ことのできないほど純粋な状態に、芸術を、建築を、還元する。

background.」註4(傍点は筆者による )

4 44 4 4 4 4 4

この「漂白され」という言葉のロシア語は定かではないが、英訳では breach で

このとき、物知り顔の、理屈っぽい、手垢にまみれた論理を弄ぶ理性でなく、 直観が手掛かりとなる。それは思いつきの直観でなく、新しい理性ともいうべき、 意識、身体の底を流れるはずの、新しい秩序の源泉である。これがマレーヴィチ

註 4 J.E. ボ ウ ル ト 編 著、 前 掲 書、p.181。 John E. Bowlt, ibid. , p.144.

あり、bleach(漂白する)ではない。それは囲みを破ることであり、突破するこ とであり、限界を超えることである。つまりここではおそらくちょっとした誤訳

の「直観」であった。

が行われているのであるが、それが新しい想像力をかきたてもする、という不思

歴史を振り返ってみれば、近代建築の課題は、意味(装飾/様式)からの脱却、

議な効果をもたらしている、とわれわれは読んだ。

すなわち形式への還元であった。そして、それは芸術のすべての分野に共通した

それは「漂白」でなく「脱色」と読むべきではないか、と。

課題でもあった。デスティル、ロシアコンストラクティヴィズム、キュビズム、

漂白と脱色は違う。著しく違う。漂白は白くすることであるが、脱色は色を抜

シュールレアリズムを通じてこの関心は分け持たれ、音楽では物語豊かな標題音

け出ていくことだ。では色とは何か。

楽から離れて 12 音階による無調音楽に至る流れを生み、絵画では抽象絵画を生ん

われわれは、こうしたマレーヴィチのテクストの読解を通して、20 世紀初頭の、

だ。それは因襲的な価値観からの徹底的な離反であった。意味を消すこと。純粋

すなわちちょうど今から 100 年ほど前の、清新な精神活動を、その還元作業を、

な感覚の流れを抽出すること。そこに新たな価値を、そして秩序を見出すこと。

いわば「脱色」という言葉を手掛かりにして辿り直そうとした。

マレーヴィチのこうした試みの底を流れる態度、そしてその先に現れる空間を、 われわれは「脱色する空間」と名づけた。それは何故か。

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Decolorizing Space

ESSAY

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

絵画とは対象をうまく写し出すものではなくて、そこに新たな世界を構成する(自

ヴィチとはやや方向性が異なるのだが)絵画観の提示があって、「脱色」という言

然界の姿を原理的なものにまで還元する、ぎりぎりにまで単純化された、形と色

葉の射程を確かめたくなるモチベーションの一つを与えてくれた。

面によって)ものだと語るマレーヴィチ。それが「色」という言葉の持つ意味の 幅と不思議に響き合っているからである。 「色」はさまざまな意味を持つ。普通には色彩の意味で了解してまちがいない。

註5 竹山聖「形式化の意志と醒めた爽やか な楽観:リチャード・マイヤー論」『現代建 築を担う海外の建築家 101 人』鹿島出版会、 1985、pp.138-139。

註5

さらにまた遡って、私が初期のリチャード・マイヤーを論じた

ときに考えて

いた「形式への還元」 、その「意味の消去」を通した建築の原理的な姿の追求のこ とも思い出されて、「脱色する空間」という言葉に至った。

ただし、たとえば、色がついている、というときのこの言い方には、「色眼鏡を通

2017 年7月に日本では公開された「ブランカとギター弾き」は、主人公の少

して物事を見る」といったような、物事を歪めて見るニュアンスがある。つまり 「色」

女ブランカが、裏切りと疑心暗鬼の支配する混沌と混乱のスラムのなかで出くわ

が、固定観念、因襲的な考え方を指すのである。

すさまざまな出来事や、盲目のギター弾きとの出会いを通して、その猜疑心や貪

また、仏教でいう「色即是空、空即是色」のように、「色」が「物質」という意

欲に色づけられていた心が、信頼と愛情によってあらためて染め上げられてゆく、

味を持つこともある。ちなみに、マレーヴィチのテクストの言う「シュプレマティ

という感動的な場面に満ちた映画であったが、このブランカは「白」だ。少女の

ズムのシステム」やら「色彩絵画の新しい枠組み」は、この「色」に対する「空」

名前は「白」を意味する。まっさらな心の可能性を意味する。人間はまっさらな

のようなものであるようにも思える。仏教哲学において、「空」とは関係のことだ

心に還元される時を持つことができる。そしてそのまっさらな状態は善意に満ち

からだ。

た、愛に満ちた状態への予感である、という人間への信頼をも謳いあげている。

もとより「色のある世界」とは、美しさや豊かさに満ちた世界の比喩であり、 逆に「色のない世界」は無味乾燥で殺風景な世界である、と一般的には了解され

「色」をそのメタフォアをも含めて想像力の射程に収め、これを不在と結び、虚

ている。こうした色のない世界は、マレーヴィチがまさにそうであると批判を受

の中に置き、「あらずあらず」の論理にさらし、花も紅葉もなかりけりの心境をト

けた desert の風景であり、実はこれはマレーヴィチが思い入れを持って受け入れ

レースし、その真只中において脱してゆく作業。こうした作業が求められ、遂行

た言葉でもある。砂漠 desert には純粋な感覚のみが残されるからだ。感覚の他に

された。

は何もない。純粋な nonobjectivity の支配する場所。経験的対象を喪失した世界。

「脱色」は「色」を脱するのであって、固定観念や因襲からの脱出、通常の意味

そもそも「色」は「意味の生成」と密接に結びついており、マレーヴィチが一旦

に満ちた色や形からの脱出、ともすれば建築がまといがちな「社会性」からの脱出、

括弧に入れたかったのはそのような意味生成(さまざまな固定観念や因襲に満ち

政治や経済やビジネスや投機からの脱出をも含んでいる。プログラムやコンテク

た)であった。彼のおこなったのは、いわば世界の還元作業だ。すなわち脱色作業だ。

ストという建築の成立与件からも一旦距離を取る。建築という精神的秩序を求め

日本語の「色」という言葉の持つさまざまなニュアンスをも込めて。したがって、

る行為の根源を見つめ、無意識をくぐり、パルテノンやパンテオンやハギアソフィ

マレーヴィチの意図した構想を、あえて「脱色」という言葉に込めてしまっても

アといった、意味や社会性を突き抜けた形式の高みをも見据えつつ、空間の始原

良いのではないか。

へと遡る試みでもあった。

誤訳に触発された面もあるにせよ(誤配の可能性は「郵便的」なものであり、 エラーや意味の水平的な移行は、そもそもポエジーの本質であって、それは無意

「脱色する空間」とは、「脱色された空間」ではない。つまり他動詞の受動型で

識の層に触れている)、思考の運動、さらには脱線を、ポジティヴに捉えて実り豊

はないのであって、空間が脱色されるのでなく、自ずと脱色される、自ら脱色さ

かなものとすることもできよう。

れてゆく、そうした自動詞的な、それ自身が主体であるような空間がここでは問

むしろ「脱色」をこのように解釈してさらに建築的思考を深めていく事はでき

われている。二項対立的に脱色する主体があり脱色される客体がある、というよ

ないか。あるいはこれは、マレーヴィチの精神の本質を、案外穿った言葉なのか

うな、あるいは布を染めたり漂白したりする、といったような、対象と行為の乖

もしれない。

離があるのでない。その場所で脱色が遂行されていく、そのような空間を、建築

このようにわれわれの読みは重ねられていった。

という行為を通して構想していけぬか。マレーヴィチが砂漠にその空間の雛形を 見たように。宇宙に突き抜けて空色を脱し、内に向かって意識を突き抜け無意識

2017 年春に出版された村上春樹の小説『騎士団長殺し』は、 「免色(めんしき)」

へとダイブしたように。

という名の特徴的な人物の登場でも暗示されているように、絵を描くこと(主人

では、建築を原理的に還元し尽くして、しがらみから解き放したとき、どのよ

公と、その仮住まいの持ち主は、ともに画家である)、とは、いわば根源的な還元

うな「形」が可能なのだろうか。そこにどのような「新しい理性=直観」が働き

作業、脱色作業である、という、さながらジャコメッティのような(もちろんマレー

だすのだろうか。

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ESSAY

建築は、合理性(論理、理性、ロゴス、etc.)と非合理性(情念、欲望、エロス /タナトス、etc.)の重ね合わせとして生み出される。だからこそ理性という言葉 にどのような含意を込めるかには、注意を払うべきだ。因襲的な意識に捉えられ た順応的理性では、新たな世界の構想の役には立つまい。マレーヴィチは「直観」 という言葉を「新しい理性」と結びつけた。この「直観」こそが、合理性と非合 理性の間をつなぐのではないか。設計のプロセスで決断がなされるとき、論理と 同時に直観が働いている。「直観」は、ともすれば、いい加減な判断、根拠のない 判断、として軽蔑、排斥されがちである。しかしそこに新しい理性の輝きが秘め られてはいないか。 建築は当為ではない。かといって恣意でもない。つまりこれしかない、という ものでもなければ、なんだっていい、というものでもない。しかも喜びや驚きといっ た、ただ単なる論理を超えた期待の地平が隠れている。だからこそ、そこには合 理の判断を超えたところの、ある非合理といってもいい決断の構造があるのであ る。 建築という行為を、社会や資本への忖度やら、大衆への迎合やら、なにがしか のイメージ操作として遂行するのではなく、発見的で、非合理とすら呼んでもよ い決断を促し、遂行してゆくには、どのような新しい理性のあり方が求められる のであろうか。問いかけは問いかけを呼ぶばかり。しかしこうした原理的な問い かけの向こうにしか、新たな建築は姿を現わすまい。未来の建築のありようを構 想すること、このことを措いて建築論の課題はない。 100 年の時を経て、20 世紀初頭の清新な精神に触れる。われわれは創造的に過 去を振り返らねばならない。瑞々しい感性を持って、 歴史を辿り直さねばならない。 20 世紀初頭から今日に至る、その壮大な実験の成果を、結果を、われわれはす でになにほどか手にしている。モダニズムもポストモダニズムもコンセプチュア リズムもコンテクスチュアリズムもコンピュータ・エイディド・バロックも。い まあらためてその時の流れに思いを馳せつつ、20 世紀初頭の精神に再度立ち戻り、 触れることが、おそらくはわれわれの思考に、善き、人間精神への信頼に満ちた、 刺激を与えてくれる。 「脱色」は、思考と感覚の大掃除であり、リセットでもある。

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Design and Optimization for Seismic Wall

ESSAY

Makoto OHSAKI

耐震壁のデザインと最適化 Design and Optimization for Seismic Wall

大崎 純

― はじめに

建築構造の形式は、張力構造やシェル構造などの特殊な構造を除くと、骨組構 造と壁構造に分けられる1)。骨組構造は、主に梁と柱によって地震荷重などの水 平力に抵抗し、壁構造は耐震壁によって抵抗する。また、連続体の板で構成され る壁以外にも、ブロック壁や、ブレース構造のように、部材を組み立てて形成さ れる構造も、力学的には壁と同様の役割を果たす。 建築構造の「壁」は、耐震壁(耐力壁)と、間仕切壁(非耐力壁)に分けられ る。新築建物では、耐震壁と間仕切壁は明確に区別され、耐震壁は、高層ビルの コア回りや、集合住宅の住戸間に設置されて、防音などの機能を兼ねることも多い。 しかし、耐震改修では、設計当初は開口部であったところに、耐震壁あるいはブレー ス構造による「壁」を設置することが多い。学校建築などの耐震改修では、窓が 設置された外周構面に、図 1 のような K ブレースが設置される。しかし、このよ うなブレースは、美観的に望ましくないばかりでなく、居住性に問題が生じる場

置も最適化することを、トポロジー最適化という。さらに、節点(接合部)位置

合もある。

を最適化することを形状最適化という。

ところで、建築骨組構造の耐震改修には、免震、制振、耐震、減築など、さま

耐震補強ブロックを骨組構造としてモデル化すれば、そのトポロジー(部材配置)

ざまな方法が存在し、最適な方法は、個別の骨組の既存性能や用途によって異な

と剛性分布を最適化することが可能である。また、規則的な格子ではなく、自由

る。とくに、公共建築物や事務所ビルでは、事業継続性が重要である。そのため、

な形状の開口部を許容すると、より性能が高く、意匠性や通気性などの環境面で

施工時の振動や騒音を低減する必要がある。

も優れたブロックを製作できると考えられる。

事業継続性と美観性を考慮した耐震壁の増設法としては、約 20 年前から、図 2

耐震壁の性能には、剛性や耐力などのさまざまな指標が考えられる。新築骨組

のような格子で構成される耐震補強ブロック 2)、ガラスと鋼材で構成されたブロッ

の耐震設計ではなく、既存骨組耐震補強を想定したとき、以下のような設計条件

ク3)などが考案されている。これらのブロックは、接着によって耐震壁を製作で

を満たす必要がある。

きるので、施工時の騒音や熱の観点からも優れている。 最近になって、デザイン性を考慮した耐震補強について、さまざまな試みがな され、図 3 のようなスパイラル状のブレース配置4)5)、格子状壁による補強6)7)、 ストランドによる補強8)などが提案されている。以下では、格子ブロックによる 耐震補強に関する著者らの研究を紹介する9)10)。

図 3 デザイン性を考慮した耐震補強の例(金箱構造設計事務所提供)

図1 窓に設置された K ブレースの例

1. 水平方向の地震荷重に対して、十分な弾性剛性、強度(最大耐力)と靭性(エ 図2 建物内に設置するブロック耐震壁の例 (大林組提供)

ネルギー消費能力)を持つ。 2. 向上で製作した部品を現場で組み立てることにより、短い期間で設置でき、 作業中も熱や音によって建物の使用を妨げることなく、継続使用できる。 3. 設置と材料のコストが許容範囲内である。

― ブロック耐震壁の最適化

数理工学や経営工学で研究されている「最適化」を工学の構造設計問題に適用 することを、構造最適化という。構造最適化問題は、構造性能に関する制約の下で、

4. 既存骨組の梁や柱部材への付加的な応力が小さく、接合部への大規模な補強 が不要である。 したがって、最適化問題の制約関数あるいは目的関数としては、以下のような 関数が考えられる。

材料の重量などのコストを表す指標を最小化する問題、あるいは、コストに関す る制約の下で、構造性能を最大化する問題として定式化される。また、骨組やト ラスの部材剛性(断面積)を変数とする問題を、剛性最適化問題といい、部材配

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Design and Optimization for Seismic Wall

ESSAY

Makoto OHSAKI

図 4 格子ブロックのパターンのリスト

― おわりに

デザイン性を考慮した耐震補強に関する最近の事例と研究を紹介した。耐震補 強の際には、単に剛性や強度を向上させるだけではなく、既存骨組部材への影響 (a) 部材配置 図 5 剛性を最大化する解の例

(b) 軸力の絶対値

などの構造的特性に加えて、意匠性や環境面での性能も考慮することが重要であ る。上記の最適解を実際に製作することは、現状では容易ではないが、今後は3D プリンタを用いた付加製造技術の進化により、さまざまな形態の耐震補強が現実 的なコストで可能になると考えられる。

(a) 部材配置 図 6 梁せん断力の増加を最小化する解の例

(b) 軸力の絶対値

・格子部材の体積(材料のコストの指標) ・指定された層間変形角でのせん断力(弾性剛性の指標) ・既存骨組部材の最大付加応力(既存骨組部材への影響を表す指標) ・最大耐力時の荷重と変形角(最大耐力とエネルギー消費能力の指標) ところで、格子ブロック耐震壁を最適化する際に、それぞれのブロックが自由 な部材配置を持つと、それらを組み合わせて生成される耐震壁は、規則性のない 形状になる。したがって、図 4 のような格子パターンを組み合わせて1つの構面 の耐震壁を最適化することにする。また、ブロック間と、ブロックと骨組の間は、 接着剤で固定する。ブロックの材料は FRP であり、梁と柱の材料はコンクリート である。したがって、接着部分での引張剛性は、ブロックの剛性と比べて小さく、 ブロックと梁・柱の圧着によって層せん断力を伝達するような部材配置が望まし い。 ブロックのユニットを選択する最適化問題は、離散的な変数を有する組合せ最 適化問題であるため、関数の微分係数を必要としない発見的手法の一つである疑 似焼きなまし法を用いる。疑似焼きなまし法は、一つの解を改良する局所探索法 に基づく手法であり、大域最適解が得られる保証はないが、計算量は少なく、必 ず改善解が得られるという長所がある。 最適化例を図 5, 6 に示す。それぞれ、部材配置と軸力の絶対値の分布を示して いる。軸力分布より、斜め方向に力が伝達するパターンが得られていることが分 かる。また、開口部も多く、意匠的あるいは環境的にも優れた形状が得られてい ると考えられる。

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<参考文献> 1. 坪井義昭 他,広さ・長さ・高さの構造デザイン,建築技術 , 2007. 2. 栗田康平,表佑太郎,江戸宏彰,古屋則之,小柳光生,増田安彦:小型プレキャストブ ロックを用いた増設耐震壁工法の開発,日本建築学会大会学術講演梗概集,C-2,pp.139-140, 1998. 3. 今川聖英 他,ガラスと鋼製格子と非線形素材によるハイブリッド耐震システム (ISGW) の研 究,日本建築学会大会建築デザイン発表梗概集,pp.1007-1008,2008. 4. 「浜松サーラ」の耐震設計,スパイラル・ブレースド・ベルト補強: http://www.kanebako-se.co.jp/works/renovation/SALA/index.html 5 奥村誠一 他 , 都市環境の形成に関する意匠性を向上した外部からの耐震補強技術の開発 , 日 本建築学会技術報告集 , Vol. 20(44), pp. 241-245, 2014. 6. ウェブ・ウォール構造:http://www.takenaka.co.jp/news/2015/10/03/index.html 7. クロスウォール・メタル: http://www.taisin-net.com/library/taisei_tech/cross_M/index.html 8. ストランドによる補強:http://www.komatsuseiren.co.jp/cabkoma/ 9. 福島功太郎,大崎純 , 見上知広,宮津裕次,さまざまなユニットで構成された耐震補強ブロッ ク壁の組合せ最適化,日本建築学会構造系論文集 , Vol. 81, No. 728, pp. 1657-1664, 2016. 10. 見上知広,大崎純 , 福島功太郎,建築骨組の耐震補強格子ブロックの形状最適化,日本建 築学会構造系論文集 , Vol. 80, No. 715, pp. 1427-1434, 2015.

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Wall –From a viewpoint of architectural environmental engineering, especially heat and moisture control-

ESSAY

Daisuke OGURA

壁 -建築環境工学、特に熱湿気の視点から- 小椋 大輔

Wall –From a viewpoint of architectural environmental engineering, especially heat and moisture control-

― 建築環境と壁 ―主に熱湿気環境―

室内の物理環境を調整するといった建築環境工学分野の視点から、壁を考える と主に壁は、物理量を通し易くするのか、通しにくくするのかが興味の対象になる。 また、私の研究領域に入ってくるが、材料が蓄えることができる熱や湿気を室 内に供給あるいは吸収するといった機能をどう持たせるのかも気になる所である。 音環境分野では遮断性に加え、音エネルギーを吸収しやすくするか、反射しや すくするかといった機能も関係するし、光環境も吸収性、反射性は重要な要素で ある。 環境系では壁というのを、壁体と総称することで、壁だけでなく、天井、床といっ たものも含めて表現することが多い。これら壁体の材料構成が室内環境調整特に 温熱環境調整にどう効くのかといったことである。 室内温熱環境調整を目的とした場合、最も必要な壁の機能は断熱性である。こ れは建築に関わる方々なら誰でも知っている非常にシンプルな機能であるが、こ れが建築空間に求められる人の健康で快適な環境をつくる上で、非常に重要な機 能を果たしている。 この機能を有する材料は、室内熱環境を一定温度に保ち、エネルギー消費をで きるだけ抑えるためには、一般的には、ある程度厚みが必要である。そのことが

図1 一般的な断熱材における熱伝導率における各要素の寄与2)

壁体の厚みを増大させ、室内空間を狭めてしまうため、建築空間をつくる上では 大きな制約になってくる。

これは図1から説明される。グラスウールなど一般的な材料の熱伝導率は、材 料のみかけの密度に依存しているが、固体や気体部分の熱伝導、材料内部での放 射 (radiation) といった各要素の内、気体の熱伝導性が最も大きな割合を占めてい

― 断熱の機能を高める ―真空断熱材―

る。つまり、気体が材料の熱伝導率に寄与する量を小さくする、つまり気体を限 りなく減らしていくことで、熱伝導性が下げられるのである。 このことを実現するため、真空断熱材は、図2に示すように熱伝導性の低い芯

最近は、室内熱環境維持と省エネルギーを前提としながら、いかに空間の大き

材 (Core material) を、空気を遮断できるような気体透過性の非常に小さい被覆材

さを確保できるのかという課題に対して、壁の厚みを小さくても機能が発揮でき

(Envelope) で覆い封をすることで、材料を構成している。芯材は、グラスウール

る材料として、真空断熱材(Vacuum Insulation Panel)が注目されつつある。

やヒュームドシリカといった材料が用いられる。

最近の冷蔵庫は、見た目は従来と変わらず、容量が大きくなったものが増えて

これらの材料の内部気体の圧力と熱伝導率の関係は図3に示す通りである。例

きているが、これは真空断熱材の使用の効果が大きい。

えばグラスウールの芯材では 0.01mbar=1Pa で約 0.004W/mK 以下の熱伝導率で

写真 1 の左がよく使われる断熱材の一つであるグラスウール、右が真空断熱材

あり、一般的なグラスウールの熱伝導率 0.04W/mK の 1/10 の熱伝導性、つまり

であり、両者の断熱性は等しい。

熱伝導抵抗としては 10 倍、つまり断熱性は 10 倍あることが分かる。ただし、内

さて真空断熱材とはどういった材料なのかというと、読んで字の如く材料内部

部の圧力が上昇してくると熱伝導率は増加する。10mbar(=1000Pa) になると、先

を真空に保つことで断熱性を維持する材料である。

ほどのグラスウールは約 0.02W/mK となり、断熱性のメリットは失われる。ヒュー

従来、断熱材は、材料の熱伝導性を抑えるため、その内部に多くの空隙をつくり、

ムドシリカは、100mbar(=10000Pa) で約 0.01W/mK と圧力上昇による熱伝導率

空気の断熱性 (0.024W/mK) をうまく利用した材料である。空気の断熱性を利用

写真1

する材料の空気を抜くとなぜさらに断熱性向上が図れるのか。

グラスウールと真空断熱材1)

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図2 真空断熱材の構成

の上昇が小さい材料である。芯材のヒュームドシリカは非常に高価な材料である が、特にヨーロッパを中心に使用されており、日本はグラスウールを芯材として

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Wall –From a viewpoint of architectural environmental engineering, especially heat and moisture control-

ESSAY

Daisuke OGURA

なポイントである。 現在、真空断熱材の長期耐用性などに関する国際規格 ISO, 国内規格 JIS の策定 が急がれており、上記を考慮した長期性能の予測検証が国内外で進められている。

― 室内の湿度を調整する壁 ―調湿建材―

室温の維持という機能に加え、近年は湿度に対する要求も高まってきている。 冬季は、低湿化抑制についてインフルエンザウィルスの生存率が高まる点に加え、 乾燥感、静電気防止などの点から、夏季は、高湿化抑制について、カビなど微生 物の繁殖によるアレルゲン物質の発生抑制に加え、衣類等の汚損を抑制の点から 考えられている。また、未だになくならない冬季の結露問題についても、この材 料を用いた湿度安定性の機能が期待されている。 表面結露は目視が可能であり、人々に最も身近な結露現象である。この結露は 建材の腐朽、カビ、汚れ、内装の剥離といった被害の原因となる。これを抑える 図 3 異なる芯材における内圧と熱伝導率の関係2)

いる会社が多い。 この様に、真空度を保つことの重要性から真空断熱材内部の空気の侵入を遮断 することが大変重要であり、最も性能のよい被覆材は、アルミフィルムである。 空気遮断性のいいアルミは、一方で非常に熱伝導性の高い材料であるため、芯

ための一般的な対策としては、壁の断熱性の向上が考えられるが、例えば窓面の 結露のような断熱性が弱くなる部位での結露発生を完全に防ぐことは困難である。 調湿材を用いることで表面結露を防ぐ事が可能であれば、非常に有効と考えられ る。ここでは調湿材が表面結露防止に対して有効に働くのかどうかについて、調 湿材の持つ、室内湿度安定化の能力とその持続時間を簡単な例題を挙げて考えて みる。

材そのものの断熱性はよいが、アルミ被覆材の表面を熱が伝わりやすい(この熱 を伝えやすい部位を熱橋という)ため、断熱性が阻害される。大きいサイズにな るほど、見付面積あたりに、表から裏に伝わる長さが短くなるので、その影響は 小さくなるが、小さいサイズだと、熱橋の影響が大きくなる。熱伝導性を小さく するということを担保するために、熱伝導性のよい材料で覆ってしまうという矛 盾をこの材料は特性として持っている。 被覆材の空気の透過性を確保しつつ熱伝導性を下げる目的で、アルミ蒸着フィ ルムもよく用いられる。ただし、この蒸着フィルムはアルミフィルムより気体透 過性がよくなる。

表13)

芯材がグラスウールの場合、透過した気体が材料の熱伝導性に与える影響が大 きいため、透過した気体が材料の空隙中に残ることを避ける目的で、水蒸気の吸 着剤としてデシカント (desiccant) が、そのほかの気体成分の吸着剤としてゲッター 剤 (getter) が用いられる。 建築は、冷蔵庫など家電と比べると遙かに長い使用期間が必要となる。そのため、 そこで用いられる材料は、この長期的な性能がいかに担保されるのかが大変重要

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室内空気の相対湿度の安定化について調湿材がどう働き、どの程度持続性があ るのか、簡単な計算結果を用いて説明する。床面積 13㎡、天井高 3m の室を考え、 表1の様な使用条件を考える。図4、5にそれぞれ 1 日目と 30 日目の室内相対 湿度変動を示している。1 日目の結果から、調湿がある場合の相対湿度が、60%

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Wall –From a viewpoint of architectural environmental engineering, especially heat and moisture control-

ESSAY

Daisuke OGURA

以内に抑えられているのに対して、調湿がない場合は、86%に達しており、調湿 材の持つ効果は明らかである。また調湿ありで換気がない場合は 24 時に 2%程度、

― 壁 ―物理環境調整機能の活用―

換気がある場合と差が生じる程度である。一方、30 日目の結果から、調湿があり、 換気がある場合は、相対湿度は 70%以内であるが、換気がない場合は、相対湿度

室内の物理環境を調整するという目的は、シェルター性能としての建築を考え

が 90%近傍を変動しており、水分発生がない時間帯では、調湿がない方の相対湿

れば、非常に古くから建築に求められているものである。一方で、ここで説明し

度が低い。換気がない場合、調湿材に水分が蓄積してしまい室内相対湿度を高湿

た例から分かるように、より高機能、高性能な壁に用いられる材料が開発され、

化させている。この結果から、調湿材が室の相対湿度の適当な値で安定化に持続

利用されつつある。熱環境的には、これら以外にも開口部の利用が考えられる透

的に働くようにするためには、換気あるいは除湿を行う事で、材料からの放湿を

明断熱材、室温の安定化を高める潜熱蓄熱剤を用いた壁など、紙面の都合上紹介

行う事とセットで利用を考えることが重要である事が分かる。

できなかった多くの面白い材料が開発されてきている。 なお、ここでは説明を省いたが、これら壁の機能をしっかり働かせるためには 建物の気密性が非常に重要な鍵を持つことを付け加えておく。 これらを使った壁を適切に用いて室内環境調整能力と省エネルギー性がより高 い建築や住まいが益々増えることを祈念して、このコラムを終えたい。

図4 室内の相対湿度変動(1日目)4)

図5 室内の相対湿度変動(30日目)4)

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<参考文献> 1).IEA Energy Conservation in Buildings & Community Systems, Annex 39 High Performance Thermal Insulation Systems, URL: http://www.ecbcs.org/annexes/annex39.htm 2).IEA/ECBCS Annex39,『Study on VIP-components and Panels for Service Life Prediction of VIP in Building Applications 』,Subtask A, 2005, p.3. 3). 同上 pp.6 4). 小椋大輔 , 鉾井修一 ,『調湿材で表面結露は防げるか』, 建築技術 No.660,2005,p.154-156.

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House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes

ESSAY

Shuji FUNO

壁のない住居-タイ系諸族の伝統的住居 House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes

― 東南アジアの住居―その起源・伝播・類型・変容

布野 修司

ログ構造の分布域 軸組構造の分布域

東南アジアを歩き出しておよそ 40 年、その最初の成果である学位請求論文『イ

図 2 煉瓦造りと木造の分布図

図 3 木造軸組の文化圏

ンドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究-ハウジング計 画論に関する方法論的考察』(東京大学、1987 年)︲ そのエッセンスをまとめた

隅には蜘蛛の巣がはり、床は鶏の糞やビンロウの実のカスで覆われ、アリやゴキ

のが『カンポンの世界』(パルコ出版、1991 年)である ︲ を書いてからも既に 30

ブリやムカデやサソリが這いまわっており、床下には豚や鶏が飼われていて平気

年になる。東南アジアの民家(ヴァナキュラー建築)については、『地域の生態系

で残り物が捨てられ、不潔だ……云々は、さもありなんであるが、興味深いのは、

に基づく住居システムに関する研究』 (主査 布野修司) (Ⅰ:1981 年 , Ⅱ:1991 年 ,

住居そのものが死んだようにみえた、ことである。

住宅総合研究財団)以降、 『アジア都市建築史』 (布野修司編 , アジア都市建築研究会 ,

タニンバルの住居の「足の上に屋根がかぶさるというというその形態」 (Drabbe

昭和堂 ,2003 年:『亜州城市建築史』胡恵琴・沈謡訳,中国建築工業出版社 ,2009

(1940))が「死んでる」ように思えたというのであるが、建物が「足」を持って

年)、『世界住居誌』(布野修司編 , 昭和堂 ,2005 年:『世界住居』胡恵琴訳 , 中国建

いること、すなわち高床であることに違和感があった。そして、足すなわち高床

築工業出版社 ,2010 年)などによって概観はしてきたけれど、ようやく独自に、 『東

の杭(基礎)柱であるが、それ以外は頭(屋根)だけで、顔と胴体すなわち壁がない、

南アジアの住居 その起源・伝播・類型・変容』(布野修司+田中麻里+ナウィット・

眼(窓)がない、というのが気持ち悪いのである(図1)。

オンサワンチャイ+チャンタニー・チランタナット,京都大学学術出版会,2017

「彼らの住居は、床と屋根以外なにもないが、とても巧妙な構造をしている……

年)をまとめることができた。「壁」を念頭に、そのエッセンスを紹介しよう。

ほとんどすべてのものが、素晴らしい趣味と驚くべき技術でつくりあげられる彫 刻によっていかに精巧に覆われているかをみたあと、……彼らが野蛮人であるの か。……野蛮人とは何か」 (Forbes(1885) )という極めて高い評価もあるけれど、

― 顔のない家

ヨーロッパ人には、東南アジアの住居には壁がなく、従って窓もないことは、実 に奇妙に思えたのである。

R. ウォータソンは、その名著『生きている住まい ︲ 東南アジア建築人類学』

― オーストロネシア世界

(Waterson, Roxana(1990), 布野修司監訳(1997))で 1 章を割いて、ヨーロッ パ人が、東南アジアの住居を見て如何に嫌悪感に近い違和感を抱いたかについて 書いている1)。住居は暗くて、煙たく、混雑しすぎで、天井や壁はすすで汚れ、

図 1 タニンバルの住居

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註 1 『 世 界 ヴ ァ ナ キ ュ ラ ー 建 築 百 科 辞 典 EVAW』 全 3 巻( E V A W(P. Oliver(ed.) (1997))) は、 地 球 全 体 を ま ず 大 き く 7 つ に分け、さらに 66 の地域を下位区分してい る。下敷きにされているのは、スペンサー Spencer とジョンソン Johnson の『文化人類 学 ア ト ラ ス Anthropological Atlas』、 ラ ッ セ ル Russell と ナ イ フ ェ ン Kniffen の『 文 化 世 界 Culture World』 、G.P. マードック Murdock の『民族誌アトラス Ethnographical Atlas』、 そして D.H. プライス Price の『世界文化アト ラ ス Atlas of World Culture』 で あ る。 加 え て、ヴァナキュラー建築の共通特性を考慮す べく、地政学的区分と気候区分を重視してい る。そして、北から南へ、東から西へ、旧世 界から新世界へ、というのが配列方針である。 概念的には、文化の拡散、人口移動、世界の 拡張を意識している。地中海・南西アジア(Ⅳ) を中核域と考え、いわゆるヨーロッパ(Ⅲ)、 そしてアジア大陸部(Ⅰ)、島嶼部・オセア ニア(Ⅱ)を区別した上で、ラテンアメリカ (Ⅴ)、北アメリカ(Ⅵ) 、サハラ以南アフリ カ(Ⅶ)を区別する構成である。

われわれが人類の地球規模の居住の歴史と世界中のヴァナキュラー建築を総 覧することができるのは、P. オリヴァーの『世界ヴァナキュラー建築百科事典 EVAW』全 3 巻(P. Oliver(ed.) (1997))を手にしているからである。一線の研究者・ 建築家による A4 版で全 2384 頁にも及ぶこの百科事典は、今のところ世界中の住 居についての最も網羅的な資料である註1 。 煉瓦造と木造(図2)の分布図をみれば、壁の文化圏は一目瞭然である。大き くみれば、東南アジアは木造の軸組(柱梁)構造の文化圏に属する。そして、高 床式住居が一般的である(図3)。高床式住居は、さらに、西はマダガスカルから 東はイースター島まで、東南アジア諸島全体、ミクロネシア、ポリネシア、そし てマレー半島の一部、南ヴェトナム、台湾、加えてニューギニアの海岸部にまで 分布する。この広大な海域に居住する民族はプロト・オ-ストロネシア語と呼ば れる言語を起源としており、その語彙の復元によって、住居は高床式であり、床 レヴェルには梯子を用いて登ること、屋根は切妻型であり、逆ア-チ状に反り返っ

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House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes

ESSAY

Shuji FUNO

図 4 ドンソン銅鼓

註2 本書を「東南アジアの住居」と冠する ことにしたのは、この間一貫してお世話に なってきた京都大学学術出版会の鈴木哲也さ んの、個別専門分野でのみ通用する議論では なく、骨太の議論が欲しいという示唆が大き い。また、東南アジアの住居集落に関する著 作として今のところ最も優れたと思われる上 述の R. ウォータソンの『生きている住まい ―東南アジア建築人類学―』が大陸部につい ての記述が薄いというのも大きい。

図 5 貯貝器 石寨山出土

た屋根をしており、ヤシの葉で葺かれていたこと、炉はたき木をその上に乗せる 棚と共に床の上につくられていたことなどが明らかになっている。

フに描かれた家屋図像によって窺うことができる。さらに、中国雲南の石寨山な

「東南アジアの住居」というタイトルを冠しているけれど、特に焦点を当ててい るのは、タイ系諸族の住居であり、都市住居としてのショップハウス註2である 。 タイ系諸族の起源については諸説あるが、最も有力なのは長江の南部から雲南 にかけての地域を起源とする中国南部起源説である。タイ系諸族はもともと長江 南部地域において稲作を生業基盤としていた。中国の史書に「百越」「越人」と記

東南アジアの住居の起源については、ドンソン銅鼓(図4)と呼ばれる青銅鼓 の表面に描かれた家屋紋やアンコール・ワットやボロブドゥールの壁体のレリー

― タイ系諸族の住居

される民族がその先人と考えられている。前漢時代に、福建に「閩越」国、広東、

図6 家屋文鏡(左図から時計回りに A,B,C,D)

広西、ヴェトナム北部に「南越」国を建てたのが「百越」「越人」である。中国で

どから発掘された家屋模型や貯貝器(図5)がある。日本にも家屋文鏡(図6

タイ系諸族が集中的に居住しているのは雲南である。

ABCD:A は、いわゆる竪穴式住居であるが、屋根だけで壁はない)、家屋模型が

タイ系諸族は、やがてインドシナ半島へ下り、稲作技術を東南アジアに伝える。

出土している。

このタイ系諸族の移動には、安南山脈の東側を下る流れと、メコン河の渓谷と盆 地およびさらに西のサルウィン川に沿って下る流れの二つの大きな流れがあるが (図9)、稲作が可能な低地を居住地としてきたことから、タイ系諸族は「渓谷移 動民」と呼ばれる(Heine-Geldern, Robert(1923))。13 世紀までに、タイ系諸族

― 原始入母屋造

は、西はインドのアッサムにまで居住域を拡げている註3 。 言語のみならず他にも「タイ文化」と呼びうる同じ文化を共有してきた。タイ 研究者の所説を合わせると、伝統的なタイ系諸族は、①タイ語を話し、②仏教を

東南アジアの伝統的住居は、以上のような図像に描かれた住居とよく似ている。 図 9 東南アジアの大河川

木材を用いて空間を組立てる方法は無限にあるわけではない。荷重に耐え、風圧

統治形態をもつ人々の集団といった共通の特性をもつ。①~⑤以外にも、⑥伝統

に抗するためには、柱や梁の太さや長さに自ずと制限があり、架構方法や組立方 法にも制約がある。歴史的な試行錯誤の結果、いくつかの構造方式が選択されて きた。興味深いのは G.ドメニクの構造発達論 2)である。G.ドメニクによれば、

図 7 原始入母屋造と東南アジアの架構形式

実に多様に見える東南アジアの住居の架構形式を、日本の古代建築の架構形式も 含めて、統一的に理解できるのである(図7)。 G.ドメニクは、東南アジアと古代日本の建築に共通な特性は「転び破風」屋根(棟

註 3 現 在 は、 主 に ブ ラ フ マ プ ト ラ Brahmaputra 流 域 ( イ ン ド )、 サ ル ウ ィ ン Salween 流域 ( ミャンマー )、メコン流域 ( 中 国・タイ王国・ラオス )、紅河流域 ( ヴェト ナム )、チャオプラヤ Chao Phraya 流域 ( タ イ王国 ) の 5 つの流域に居住している。 註4 しかし、以上は必ずしも全てのタイ系 諸族にあてはまるわけではない。姓(③)に 関しては、1930 年代までのタイ系諸族に関 しては妥当であるが、今日、タイ王国やラオ ス国に住むタイ系諸族は姓を用いている。統 治形態(⑤)についても、タイ、ラオスのよ うな国家形態をとるタイ系諸族に対してはも はや当てはまらない。仏教(②)についても、 タイ系諸族の中には非仏教徒が多数存在す る。ラオスの北部山地、ヴェトナム山脈以東 ないしは以北に住むタイ諸族(黒タイー、白 タイー、トー、ヌンなど)および中国南部の タイ系諸族のほとんどは仏教徒ではない。南 タイのタイ人の多くはムスリムである。

は軒より長く、破風が外側に転んでいる切妻屋根)であるという。そして、この 「転び破風」屋根は、切妻屋根から発達したのではなく、円錐形小屋から派生した 地面に直接伏せ架けた原始入母屋住居とともに発生したとする。この原始入母屋 造によれば基本的に(構造)壁は要らない。東南アジアのような熱帯・亜熱帯の 気候であれば、断熱のために密封する必要はないのである。北スマトラに居住す るバタック諸族の住居の壁は垂木と床の側板で挟んだ板パネル(カーテン・ウォー ル)にすぎないのである(図8)。

図 8 バタック・トバの住居の軒先断面

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信仰し、③一般に姓をもたない、④低地渓谷移動の稲作農耕民で、⑤「封建的」 的には高床式住居に住むこと、⑦親族名称について祖父母名称が 4 つあること、 両親の兄弟について 5 つの名称があることなどもタイ系諸族の特色として挙げら れる註4。 このタイ系諸族がそれぞれ居住する住居は同じではない。その起源地における 形態と移住していった各地域の形態はそれぞれ異なっている。その環境適応の諸 形態、その諸要因についての解明が『東南アジの住居』の主要なテーマのひとつ である。

― 西双版納(シプソンパンナー)の住居

タイ系諸族の原型と一般的に考えられるのは、その起源地と考えられている西 双版納のタイ・ルー族の住居である。それは入母屋屋根の高床式住居で、一棟で 構成され(「版納型」)、屋根がある半開放的なヴェランダ(前廊)、炉が置かれる 居間(堂屋)、寝室(臥室)、そして高床下の 4 つの空間から構成される(図 10)。 そして、この 4 つの空間は、明快な連結関係をもっており、入母屋屋根の 1 棟を

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House without Walls – Traditional Houses of Thai Tribes

ESSAY

Shuji FUNO

図 10 シーサンパンナの版納型住居

図 11 「版納型」住居のバリエーション

図 12 シャン族の住居

図 13 シアム族の住居

構成している。桁行方向と梁間方向のスパン数によってヴァリエーション(図1

という 4 つの空間から構成される(図 13)。

11)があるが、ひとつの型として成立している。しかも、1 棟からなる原型に加えて、

多くの事例を省略したのでいささか舌足らずであるが、第一に指摘できるのは、

複数の棟で構成される住居形式(「孟連型」 )も西双版納で見られる。住居単位と

炉を居室に置く「原型」に近い住居形式が山間部、5 つの大河川の上流部のみに

その組合せのシステムが成立している。

見られることである。また、西双版納においては、現在も炉を置く居室が維持さ

この空間構成システムはタイ系諸族の中でも極めて高度であり、タイ系諸族が、

れていることである。そして、丘陵部からデルタ部にかけては、寝室棟と厨房棟

これを原型として、南下していったとは考えられない。「原型 Architype」として

を分離する住居形式がみられることである。すなわち、ヴェランダ、テラスが増え、

考えられるのは、もう少しプリミティブな、もともと「竹楼」と呼ばれた簡素な

住居がより開放的になることである。言うまでもなく、この変容は寒冷な気候か

つくりの、炉のある一室空間であった。「原型」に近いのは、ミャンマーのシャン

ら蒸し暑い気候に対応するためである。第二に指摘できるのは、山間部に比べて、

族の住居(図 12)である。「原型 Architype」が 1 棟の住居のかたちで具体化した

下流部では建築材料として小径木の樹木しか利用できないことである。それ故、1

住居形式、「基本型 Prototype」のひとつが「版納型」そして「孟連型」である。

棟の空間単位が小規模で、「基本型」のような住居形式を 1 棟では実現し得ず、1 棟の空間を連結させたり、複合化したりする方法が採られるようになるのである。 タイ系諸族の住居形式の原型、伝播、変容(地域適応)、地域類型の成立の過程

― シアム族の住居

はおよそ以上のようであるが、「壁」のウエイトは総じて軽い。バンブーマットが しばしば用いられることがそれを示している。ポーラスで大きな気積の住居が成 立したのは熱帯・亜熱帯の環境が大きい。精緻な開口部のディテールを発達させ

炉のある 1 棟 1 室の「原型」が、寝室が分化することで一定の形式「基本型」

る必要はなかったのである。

が成立すると、様々な「変異型 Variant」が派生する。 「基本型」からさらに炉のある居間から厨房が分化していくことになる。一般に 見られるのは「基本型」の増築というかたちで厨房部分を分離していくパターン である(V1)。そして、やがて厨房棟として独立することになる。すなわち、厨 房棟を別に設けて 2 棟(母屋棟と厨房棟)からなる住居形式が成立する(V2)。 この 2 棟からなる分棟型は、東北タイのタイ系諸族に見られる。また、寝室の拡 張や付加も「基本型」を増築すること一般的に行われる(V3)。そして、さらに 多くの住棟で住居を構成するパターンが成立する(V4)。その代表がシアム族の 住居形式である。一定の住居類型というのではなく、地域によって様々な住居類 型を生み出す一次元上の空間構成システムがシアム族の住居形式である。 シアム族の住居では、高床上の大きなテラスを中心に生活が展開される。基本 的に、①ルアン・ノーン Ruean Non(住棟、寝室棟)、②ラビァーン Rabeang(ヴェ ランダ)、③チャーン Chan(テラス)、④ルアン・クルア Ruean Krua(厨房棟)、

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<参考文献> 1.「2 建築形式の知覚:土着とコロニアル」( 布野修司監訳:生きている住まい-東南アジ ア建築人類学 ( ロクサ-ナ · ウオ-タソン著 , アジア都市建築研究会 ,The Living House: An Anthropology of Architecture in South - East Asia, 学芸出版社 ,1997 年 ). 2.「G.ドメニク:構造発達論よりみた転び破風屋根-入母屋造の伏屋と高倉を中心に-」(杉 本尚次編(1984) ).

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Barriers to entry from overseas and to expand overseas in Jaapanese construction industry

ESSAY

Shuzo FURUSAKA

日本の建設活動の参入障壁と進出障壁 Barriers to entry from overseas and to expand overseas in Japanese construction industry

古阪 秀三 A 表 主要国の建設投資と建設業(1993 年) (出典:建設省建設経済局;建設産業政策大綱、大成出版社、1995)

この標題は何となく理解されるが、よく考えると誰にとっての参入障壁なのか、 また進出障壁なのか判然としない。拙稿で言いたいことは、1980 年代から 90 年 代半ばまで急激に日本の建設投資が伸びた時期に米国を筆頭に日本の建設市場へ の参入を試みた多くの外国企業が感じた「参入障壁」言い換えるならば「日本の 建設産業を守った建築生産システム」が、その後急速に市場が縮小して海外市場 に進出せざるを得ない現在、その進出がままならない日本の建設企業の混迷を生 み、まるで自らが生ぜしめたがごとくの「進出障壁」となってそびえ立っている ように見える。このことについて、少々検討してみようとするものである。

― 1.主要国建設市場の 20 年間の変化

1980 年代に始まった日米経済摩擦には 2 つの型があるという1)。「アメリカの 産業について国際競争力の弱いものと強いもの、といった 2 つの型である。摩擦 の焦点となっている典型的な例を挙げれば、前者は半導体産業であり、後者は建

1)草野研究会3班:日米経済摩擦は沈静化 したのか? http://web.sfc.keio.ac.jp/~bobby/klab/97/ houkoku/houkoku3.html

B 表 主要国の建設投資と建設業(1998 年) (出典:建設業ハンドブック 2000 年、日本建設業連合会、2000)

設業である」さらに、「日米経済摩擦の本質は『経済摩擦』ではなく、『政治摩擦』 であった」とも書いている。筆者に言わせれば、現在の状況もそれに近いものが ある。 では、その後者である「日米建設摩擦」にはどのようなことがあったのか。筆 者の記憶にある限りでは、関西新空港ターミナルビル建設工事(南工区)において、 日本の建設市場開放の1つとして国際入札を求めたことに始まる。結果としては、 建設共同企業体の一員として米国企業 1 社が加わることになった。この背景には、 後述する日本の建設市場の急激な拡大、閉鎖的な取引慣行、一方で、多国籍化し つつあった米国の設計・コンサルタント、建設企業等国際競争力の強い産業があっ た。 ここに主要国の建設活動比較表が 3 つある。1つは 1995 年の「建設産業政策 大綱」に掲載された 1993 年の諸表(以後、A 表)、2 つは日本建設業連合会(当 時、日本建設業団体連合会)の 2000 年の建設業ハンドブックに掲載された 1998 年の諸表(以後、B 表)、3つは同ハンドブックの最新 2017 年版に掲載された

C 表 主要国の建設投資と建設業(2015 年) (出典:建設業ハンドブック 2017 年、日本建設業連合会、2017)

2015 年の諸表(以後、C 表)である。3 つはほぼ同じ項目のそれぞれの年次のデー タをまとめたものであり、様々なことが確認できるが、それは読者諸氏にお任せ して、ここでは標題のテーマに強くかかわるもの、①名目 GDP(兆円)、②建設投 資額(兆円)、③対 GDP 比(%)に限定し、かつ主要国のうち比較対象国として 日本、米国、英国、韓国を取り上げることにする。それぞれの比較表の脚注にあ る通り、厳密には同じ年度の集計値ではないもの、為替レートの変動/差異等は あるが、この際傾向を掴むということで誤差を許容することにする。そして、以 下に 3 つの建設活動比較表における4か国の建設市場の変化を検討する。

80

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Barriers to entry from overseas and to expand overseas in Jaapanese construction industry

ESSAY

Shuzo FURUSAKA

①名目 GDP(兆円)

以上、要するに 1980 年代後半から 1990 年代に掛けて急速に拡大した日本の

名目 GDP を、日本を基準に見ると、A 表では米国は日本の 1.50 倍、英国のそ

建設市場とその市場に強い関心を持った海外建設企業・コンサルタント、同時に

れは 0.22 倍、韓国のそれは 0.07 倍、B 表では米国は日本の 2.25 倍、英国のそれ

対 GDP 比で開発途上国並みのインフラ整備、住宅投資等があり、それを担った国

は 0.37 倍、韓国のそれは 0.09 倍、C 表では米国は日本の 4.10 倍、英国のそれは

内建設業者の隆盛は相当なものであった。一方で、1990 年代後半からの建設投資

0.65 倍、韓国のそれは 0.28 倍となっている。

激減の中で、インフラ改修、建築/住宅維持修繕、海外市場への進出が日本の建

端的にいえば、1990 年代後半は米国が日本の 2 倍程度、英国のそれは 1/3 程度、

設業の大きな課題となってきたところである。

韓国のそれは 1 割程度であったものが、2015 年には米国が 4 倍、英国は 2/3 程度、

こうした変化の中で筆者は過去 20 年程度の間、日本学術振興会(JSPS)の科

韓国が 3 割程度となっており、日本の名目 GDP の成長のみが鈍化していることが

学研究費助成を受けながら一貫して「各国の建設産業における法制度と品質確保

分かる。もちろん、急激な円高による為替レートの変動の影響が大きいことは言

のしくみに関する比較」、「建設プロジェクトの発注・契約方式と品質確保のしく

うまでもないが、それにしても日本の変化が激しいことが確認できる。

みに関する国際比較」などの調査/研究に取り組んできた。対象国は日本、中国、

②建設投資額(兆円)

韓国、台湾、シンガポール、UAE、英国、米国などである。研究チームには各国

建設投資額を、日本を基準に見ると、A 表では米国は日本の 0.77 倍、英国のそ

の研究者、実務者も参加しているため、建設現場及びその建設チームがいずれの

れは 0.08 倍、韓国のそれも 0.08 倍、B 表では米国は日本の 1.24 倍、英国のそれ

国のものでもかなり自由に訪問することができ、面白い実態を見聞することがで

は 0.11 倍、韓国のそれは 0.14 倍、C 表では米国は日本の 3.43 倍、英国のそれは

きた。そして、その中で感じ、考えた日本の参入障壁、あるいは海外市場への進

0.63 倍、韓国のそれは 0.43 倍となっている。建設投資額に関しても、4 か国比較

出障壁について論じてみたい。ただし、ここに書き留める内容はそれらの中での

では名目 GDP と似た傾向を示すが、ここで特筆すべきことは、A 表、B 表を含む

経験談や訪問議事録に依存しており、見聞録の域を出ないことを断っておく。よ

1980 年代後半から 1990 年代に掛けて世界の建設市場の 1/4 は米国の市場が占め、

り厳密な検証は、本年 5 月に立ち上げた「建築社会システム研究所」の「異業種

日本の市場も 1/4 を占め、残余の国で 1/2 の市場を占める時期があったというこ

連携研究会」にて継続してやっていきたい。

とである。C 表の 2015 年における日米の市場占有率は残念ながら手元にないため、 概数ですら論ずることはできないが、筆者の推定では中国をはじめとする東アジ

― 2.1980 年代後半から 1990 年代に掛けて外国企業が

ア諸国の発展等を考えると、日本の建設市場は世界のそれの 1/10 を相当程度下

感じた日本の建設市場の参入障壁とは何であったか

回っており、今後もその傾向は継続すると考えられる。この辺りの変動と背景に 関しては別の機会に論じたい。いずれにせよ、日本の建設投資の減少とそれに伴 う世界市場での占有率の低下が顕著である。

前述の通り、日本の建設市場の急激な拡大を契機に、諸外国の建設企業・コン

③対 GDP 比(%)

サルタントが日本市場への参入を意図したことは、日米建設摩擦を挙げるまでも

対 GDP 比を各国別にみると、A 表で日本は 20.3%、米国 10.4%、英国 7.6%、韓

なく周知の事実である。しかし、実際には日本の法制度、商慣習、取引慣行等を

国 23.5%、B 表で日本は 14.0%、米国 7.7%、英国 4.3%、韓国 22.1%、C 表では日

理解することもなく、また、日本側においても、十分な説明をすることもなく、

本 9.5%、米国 8.0%、英国 9.2%、韓国 14.6% となっている。

さほどの参入がないまま現在に至っている。 筆者がここ 20 年余りの間に感じた日本の建築生産システムの特徴を端的に示せ

一般には、各国の建設投資の対 GDP 比は、インフラ整備等の投資が必要な開発 途上国(Developing Country)で高く、20%を越えるところが多い。その一方で、 先進国(Developed Country)ではインフラ整備等が進んでいるため対 GDP 比は

2)古阪秀三:海建協セミナー「PPP/PFI – 国内と海外の違い」基調講演資料,2017.1

ば図1のとおりである2)。その特徴を以下に摘記する。 ①相互信頼に基づく簡略化された商慣習

相対的に低い。ここで取り上げた比較対象国では米国、英国が後者に該当し、韓

1) 口頭ベースでの契約、黙約……書面による契約に変わりつつはある。

国は新興工業国(Newly Industrializing Country)の位置づけにあり、前者の位置

2) 文書化されない契約条項の存在……工事契約のほぼすべてが一式請負契約。

からインフラ整備等が相当程度進んできた状況が読み取れる。特異なのは日本で、

しかも、一式請負を前提とした法制度(建築基準法、建築士法、建設業法、労働

後者に該当しながらも高い対 GDP 比を維持してきた。この要因には日本の住宅建

安全衛生法等)となっており、多様な入札契約方式に整合していない。

設市場の活況が多分に影響しているが、「政府投資」並びに「民間住宅投資」の減

②元請・下請に共通する要求水準の理解

少が長期化するに伴って、他の先進国と同様に維持修繕工事への移行、並びに海

1) 工期を守る……多少の変更工事があったとしても工期の変更を要求しない。

外市場への展開が必然のこととなりつつある。

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Barriers to entry from overseas and to expand overseas in Jaapanese construction industry

ESSAY

Shuzo FURUSAKA

② FIDIC(国際コンサルティング ・ エンジニア連盟)に関して、一方的変更、片務 的条項の追加等が多く、その問題は the engineer とかコンサルタントの存在に起 因することが読み取れる。はたしてこの約款は公正な約款といえるか

③関係者間に相互の信頼はない。信頼は契約により担保されることを自覚すべき

図1 日本の建築生産システムの特徴

である

2) 美しく仕上げる……本来、個々の契約において決めるべき内容も暗黙の前提

④日本は本格的進出というより、スポット工事的であり、戦略的に活動している

条件になっているが、発注者がそこまで要求していない可能性が高まっている。

ように思えない

3) 必要ならば残業する……元請・下請間においてもすべてが一式請負契約の下

⑤技能労働者調達(技能者制度はほとんどの地域で存在しないが)は下請企業任せ

にある。

が中心である。しかし、現場での技能労働者の確保は品質的にも利益確保の面で

③各種技能工のプロ意識

も重要である

1)OJT での職業訓練……技能工に関しては 「職業能力開発促進法」 に規程がある。

⑥日本の建設企業の能力と知名度は世界的に高いと聞くが、地域差が大きく、中

2) 安くとも最大限の努力を払う/払ってしまう……相互依存/相互信頼/継続

東以西ではむしろ無名ではないか

取引慣行の側面がある。 さらに、2004 年に発表された論文「海外現場経験からみた日本の建設業と建築 生産システム」

3)

(著者は京大工博の元留学生)によれば、日本への参入障壁と

もとれるいくつかの日本の建設業の特殊性を指摘している。

3)紀乃元:海外現場経験からみた日本の建 設業と建築生産システム,日本建築学会 第 20 回建築生産シンポジウム(京都)論文集, pp.17-24,2004.7

①建設費が海外より高い

⑦英国の PM 企業はかなり安定した中東感を持ち、自らが得意とするマネジメン トビジネスでは契約行為の内容、取りうる選択に精通しており、戦略を持って取 り組んでいることが推察できる ⑧それらの PM 企業も FIDIC に関して、一方的変更、片務的条項の追加等が多い 認識は持っているが、一方で、それに対抗する方法も用意している

②契約書の認識が低い、契約書の確認に関心がない

⑨ PM が発注者に提供すべき業務、PM として注意すべき要点等が市場の理解と

③設計変更が異常に多い

ともに明快にあると推察される

④赤字工事を発生させない

⑩信頼と契約とビジネス、これらの考え方を当該 PM 企業の行動規範として有し

⑤どんな価格でも同じ高品質の建物

ている印象を得た

⑥品質第一、コスト第二

以上は、日本の建設企業と英国の PM の経験談であり、中東への進出の難しさ(進

⑦込み込み(筆者注:予算が図面上のどこまでを含んでいるかの発注者側の回答例)

出障壁)を表している。

さて、これらのことを当時の海外の建設関係者がどう理解したであろうか。いや、 現在もどのように理解しているであろうか。

― 4.まとめ ― 3.日本企業の海外建設市場への進出障壁は何か4)5)

日本の建設関連企業の海外進出は、第二次大戦の戦後賠償として多くのイ ン フ ラ 整 備 に 関 わ っ て き た こ と に 始 ま る。 ま た、ODA(Official Development Assistance:政府開発援助)による開発援助もアジアを中心に行われてきた。特に 後者は歴史的、地理的、経済的な理由で、アジアを中心に援助対象国を選定して きた。しかし、近年の海外進出は 1 章で述べたように、国内の建設投資の減少の 補完的な意味合いが強く、特に中東への進出がその筆頭である。そこでの進出企 業(大手建設企業5社)等のヒアリング結果があるので、ここに摘記する。 ①中東諸国では外国人労働者が圧倒的に多い

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4)古阪秀三:特集 1 中東の建設事情に関 する調査,中東で考える日本のものづくり, 建築コスト研究,建築コスト管理システム研 究所,No.90,pp.35-44,2015.7 5) 古阪秀三:特集 東南アジアの建設事情 に関する調査,東南アジアで考える日本のも のづくり,建築コスト研究,建築コスト管理 システム研究所,No.94,pp.44-52,2016.7

2 章、3 章で摘記した日本の建設市場での参入障壁と日本企業の海外市場への進 出障壁は、裏腹の関係にあるとみることができる。すなわち、外国企業が感じた「日 本の参入障壁」は、日本古来の「日本的システム」であり、言い換えるならば「日 本の建設産業を守った建築生産システム」ということができ、国内市場が大きく、 また、海外進出が要請されない状況下ではきわめて有効なシステムである。しかし、 国内市場の縮小傾向が継続し、海外進出が必然となるならば、3 章で記述したよ うな実情/課題を十分に認識する必要がある。それは取りも直さず、日本市場の しくみの国際化を意味するものである。 その処方箋を書くほどの能力と見聞はないが、仮説的に言えば以下の4つくら いに取り組むことが望まれる。

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Tsunami Gated Community

ESSAY

Norio MAKI

津波ゲーティッド・コミュニティー 牧 紀男

Tsunami Gated Community

①日本の建築工事は一式請負だけでずっと頑張ってきた。それもいいものをつくるこ

― 東日本大震災の復興と防潮堤

とを最優先に。そこでは基本的な価値と付加価値両方をつけた一体のものでの競争を 一式請負でやってきた。しかし、国際的に言うと、付加価値をどうつけるのかという のは契約上の問題であって、そこの部分をしっかりと見直すことが喫緊の課題である。

東日本大震災の復興では、被災した地域を津波に対して安全に再建するため、

②さらに、その一式請負の体制を前提にした基準法、士法、業法、安衛法という日本

防潮堤、堤防として機能する盛土上の道路、高台の住宅地、盛土の上のまちが建

の法制度の枠組みでは、分離発注等多様な設計と工事の発注契約のしくみはなかなか

設されている。震災から 6 年が経過し 10 mを超えるような防潮堤・盛土の上の

出てこない。専門工事業者が別途に外部で仕事をするということも非常に難しい。し

まちが姿を現しつつある。5 年で応急仮設住宅が解消された阪神・淡路大震災と

かし、世界の流れで言うと様々な契約のやり方が建設市場の中で工夫されつつある。

比べると復興事業の完了に時間がかかっているが、ようやく再建されたまちの姿

この認識が肝要である。

が見えてきた。その一方で再建された新しいまちに人が戻ってこないという問題

③そういうものの中で一番欠けていると考えられるのは、コントラクトマネジャー。

も発生している。

コンストラクションマネジャーではなくて、コントラクトをマネジメントするという

災害復興の基本は「二度と同じ被害を繰り返さない」ということにある。日本

役割が、日本の場合、欠けている。現場に経理担当はいるが、契約書類と設計図書を

の災害対策の基本方針を示す「災害対策基本法」に「この法律は、国土並びに国

理解し、必要に応じて発注者や設計者と交渉をする、そんな担当者が日本の現場には

民の生命、身体及び財産を災害から保護するため ( 第一条 )」とあり、被害とは

いない。海外でも日本企業の現場にはいない。外国企業にはコントラクトマネジャー

「国土、生命・身体、財産」に対するものであると規定される。復興に際しても、

というものが現場に配置されたり、本社からコントロールしたりする。つまりは、か

命は当然のこととして、財産である建物も同じ被害を受けないようにすることが

つての信頼関係で任せたではなく、発注者と施工者とか設計者の関係がずいぶん変

基本条件となる。関東大震災 (1923)、宮城県沖地震 (1978)、阪神・淡路大震災

わってきていることを認識し、その土俵に関わっていく必要がある。

(1995)と地震災害の復興では、災害の教訓を踏まえ構造物の耐震性能の向上が

④日本の場合は失敗談が同じ企業内でもなかなか共有できていない。筆者らも中東で

はかられてきた。阪神・淡路大震災では 1981 年以前に建設された建物の倒壊に

様々な悩み節は聞いたけれども、それを共有/展開してはいなかった。そこには、個々

より多くの人命が失われたことから、その反省を踏まえ古い耐震基準で建設され

の会社としての問題と、業界団体や国の関係機関としての問題があり、失敗談をいか

た建物の更新・補強が促進され、さらに 2000 年の建築基準法の改正では検査制

に次の成功にという高い授業料を払っているのではなく単にプレゼントしているだけ

度の改善・木造建築物の耐震基準の強化が行われた。また、第二次世界大戦で空

の話が山積している。

襲を受けずに残った密集市街地では延焼火災による被害も発生し、被害を受けた

総括的に言えば、日本の建設企業は、日本国内で優秀な技術と品質確保のしくみを

地域の復興では土地区画整理事業が行われ、再度、延焼火災が発生しないように

持っている。さらに、それらを使いこなす経験と情報を持っている。その結果として、

道路の拡幅・公園の整備が行われた。

安全で、品質の良い建築物を一定の利益とともに獲得している。一方、海外市場にお

しかし、東日本大震災の場合、東北太平洋沖地震(M9)と同じ規模の津波に襲

いても、それらを同様の方法で活用し、利益を獲得しようとしているが、そこには、

われると、復興事業が完了したとしても財産に対する被害は発生する。命・財産

日本のやり方ではない「しくみ」が多様に存在し、品質・価格・工期等の厳しい競争

も含めて「二度と同じ被害を繰り返さない」ということは東日本大震災の復興で

がそれらの「しくみ」間で展開されている。これらは冒頭に述べた参入障壁となり、

は実現されていない。L1 クラスと呼ばれる発生頻度の高い津波に対しては「人命・

また、進出障壁となる。誰にとっての参入障壁なのか、また進出障壁なのかを考えつ

財産を守る」というこれまでの方針が踏襲されているが、東日本大震災を引き起

つ、日本のしくみを改善するとともに世界の潮流に乗る必要がある。

こしたような L2 と呼ばれる想定される最大クラスの津波について、人命は守る

謝辞:調査に際しては国内外の多くの建設企業、コンサルタントの方々のご協力を

が業務施設が被害を受けることはやむを得ないという考え方での復興が行われた。

いただいた。記して謝意を表したい。

日本では、洪水・高潮・津波といった水災害から「堤防」でまちを守るのが基本 となっている。東北太平洋沖地震(M9)クラスの津波を防ぐためには、非常に高

<参考文献> 1.国土交通省:建設産業政策 2007、建設産業政策研究会最終報告書、2007 2.国土交通省:建設産業の再生と発展のための方策 2011、建設産業戦略会議最終報告書、 2011 3.国土交通省:建設産業政策 2017+10、建設産業政策会議最終報告書、2017 4.馬場敬三:建設分野における国際摩擦の背景と解決の方向について、土木学会論文集第 415 号 p119-126、1990.3 5.古阪秀三:シンガポール・建設産業界との交流,traverse 15,TRAVERSE 編集委員会(京都 大学建築学教室),pp.84-89,2014.10

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い防潮堤が必要となり「二度と同じ被害を繰り返さない」高さの防潮堤ではなく、 東日本大震災の復興では、東日本大震災以前の津波高を基準とした「低い防潮堤」 でまちを守ることとなった(写真1, 2)。こういった方針転換に対して「もっと 高い防潮堤を」という意見があっても良さそうであるが、それとは反対に「防潮 堤が高すぎる」「堤防で海が見えなくなる」という意見が時に宮城県では大きい。

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Tsunami Gated Community

ESSAY

Norio MAKI

図 1 田老町の復興計画(内務大臣官房都市計画課、1934)

財産を守る方法として防潮堤だけでなく高台に移転・盛土という方法もあるの に対して、防潮堤建設を前提として対策が検討されるという目的と手段が逆転し た検討のプロセスにも高い防潮堤が必要ないと考える原因の一端はある。何を守 写真 3 岩手県宮古市田老地区の被害

るのか、という根源的な問題もあり、米国には高潮で被害を受けるにもかかわら ず景色を守るために防潮堤を建設しない註 1 という考えかたも存在する。東日本大 震災の復興で問題となった津波からまちを守る「壁」である防潮堤の意味につい て数十年に一回という割合で頻繁に津波に襲われてきた東北の経験から考えてみ たい。

す三日月形の高さ 10m 以上・全長 1,350m 防潮堤(図 1)が計画される。防潮堤

註1 防災対策には被害が発生しないよう に防潮堤をつくって被害を抑止 ( 被害抑止、 mitigation) するという対策と、被災しても例 えば保険で再建費用をカバーし被害を軽減す る(被害軽減、preparedness)という 2 つの 方法が存在する。

の建設は 1 年後の 1934 年から開始されるが、戦争により中断があり、津波から 25 年後の 1958 年にようやく完成する2)。1960 年のチリ地震では、津波の規模 も小さく、防潮堤が建設されたこともあり田老では大きな被害が発生しなかった。 チリ地震後、防潮堤の外側にさらに堤防が建設され、昭和の防潮堤の外側にも市 街地が拡大する。田老町は昭和三陸地震の 70 周年を記念し「津波防災のまち」宣 言を行い防災先進地域として有名であったが、東日本大震災では壊滅的な被害を

― 津波と共に生きる

受けた(写真3)。 一方、漁村集落では高台移転が行われ、過去の津波より高い位置に新たに集落 東北地方三陸沿岸は、明治三陸津波災害(1896)、昭和三陸津波災害(1933)、

が建設された。集落建設にあたっては復興計画で、役場・学校・警察・社寺等公

チリ地震津波災害(1960)とほぼ 30 ~ 50 年に一度の割合で津波に襲われてい

共施設は移転地の中の最も高い場所に建設する、移転地の中心には広場を設置し

る。東日本大震災で被災した人の中にはチリ地震津波を、数は少ないが昭和三陸

そのまわりに集会所・共同浴場、全戸移転しない集落については、将来的に移転

津波も経験した人も存在する。津波の被害を受けた集落では、これまでも災害の

しない世帯も収容できる規模で高台の移転地を計画する、海に近い場所は非住家

たびに高台への集落移転が行われてきた。昭和三陸津波では死者 4,007 人(宮城

建築ならびに網干場等として利用する、といった方針3)が示される。岩手県大槌

県 471 人・岩手県 3,536 人)、流出倒壊:宮城県 4,453 棟、岩手県 4,932 戸とい

町吉里吉里地区では、高台に広場を中心とし、共同浴場・診療所・消防屯所・託

う大きな被害が発生し、宮城県 15 町村・60 集落、岩手県 20 町村・42 集落で復

兒所・青年道場を設ける「理想村」の建設が行われた4)。吉里吉里の移転地は東

興事業が実施された1)。東日本大震災の復興と同様、都市部と漁業集落で復興対

日本大震災で壊滅的な被害を受けたが、昭和三陸地震の復興で建設された高台の

策が異なり、都市部では防潮堤の建設・遠浅海岸の埋め立て・市街地のかさ上げ

移転地の多くは東日本大震災で被害を受けなかった5)。

等の対策を講じた上で現地での再建、漁業集落では高台移転が行われた。

昭和三陸津波後の高台移転地には、現在も「集団地」(宮城県石巻市北上町相川

防潮堤を建設し、現地で再建した地域としては田老町(現宮古市田老)がある。

地区)、「復興地」(岩手県大船渡市綾里地区)といった高台移転したことを示す地

昭和三陸津波の復興事業では当初高台移転も検討されたが、まちの規模が大きかっ

名が残されている。高台移転地と低地の境に桜を植え昭和三陸津波の記憶を継承

たため移転先を見つけることが難しく、防潮堤を建設し現地で再建されることと なった。関東大震災の復興事業に関わった技術者も招聘し、津波の波力を受け流

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している地域も存在する(岩手県釜石市唐丹本郷(写真4))。東日本大震災の復 写真4 唐丹本郷の桜並木

興では事業完了までに 7 年以上かかっているが、昭和三陸津波の復興事業の完了

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Tsunami Gated Community

ESSAY

Norio MAKI

写真6、7 津波ゲーティッド・コミュニティー(岩手県宮古市堀内地区)

のであり、東日本大震災では譜代村の被害を防ぐこととなる。また釜石市には、 最大水深 63m の海底に湾口防波堤が建設され 2010 年には「世界最大水深の防波 堤」としてギネスブックに掲載される。この防波堤は釜石市への津波の到達時間 を遅らせ、被害の軽減に貢献した。 写真5 譜代村水門

津波からまちを守るため各地に津波防災施設が建設されていった結果、三陸沿

は早く、移転地の造成は 1 年で完了している。しかし、戦後、外地からの引き揚

岸では河口部に水門、市街地には高い防潮堤、国道には過去の津波浸水地域示す

げ者等により人口が増加し、多くの集落で海岸に近い低地へと集落が拡大する。

警告板をといった津波防災景観とでも呼ぶべき風景が形成されることとなった。

1960 年に発生したチリ地震津波では岩手県を中心に死者・行方不明 62 名、家

その中でも特に興味深いのは岩手県宮古市重茂半島の宮古湾に面した地域である。

屋流出 2,171 戸という大きな被害が発生する。チリ地震津波で最も大きな被害を

集落が立地する谷筋の出口毎に防潮堤が建設され、防潮堤の外側に道路が設置さ

受けたのは岩手県の大船渡市である。一方、昭和の復興で防波施設の作られた田

れていることから谷筋を防潮堤で蓋をしたような景観となっている。

老町等は被害も少なかった

6)

ことから、チリ復興事業として防潮堤の建設が行わ

れることとなる。

宮古市の堀内地区は、漁業を営むことから集落は海に面した谷筋に形成されて おり、防潮堤は谷筋への津波の遡上を封鎖するダムのように海と集落の間に建設 されている。平常時は、集落に車両が出入りできる必要があることから防潮堤に はゲート(写真6,7)が設けられ、津波来襲時にはゲートに設置された鉄扉が閉

― 津波ゲーティッド・コミュニティー

鎖される。また鉄扉が閉鎖されても防潮堤の中に逃げ込むことができるように防 潮堤を乗り越えるための階段、鉄扉には防火扉と同じように中に入るための小さ な非常用の扉が設けられている。谷筋を流れる河口部には水門も設置され、道路

「過去の津波の経験によって防波施設の作られた、田老町等には浸水高も低く、

が防潮堤の外を通ることからバスの停留所は防潮堤の外側にある。この地区にお

被害も少なかったが、被害の大半が防護処置のほとんどなかった大きい湾の奥部

いて防潮堤等の津波防災施設が完成したのは 1996 年のことであるが、東日本大

に集中したため、経済的な損失は過去の津波に匹敵するものであった」

7)

という

震災の津波はこの防潮堤を乗り越えて集落を襲い、東日本大震災の復興では再度、

ことがチリ地震津波の教訓となり、防潮堤の重要性が認識されるようになった。

防潮施設が整備されることとなる。

岩手県発行の『チリ地震津波災害復興誌』に書かれる復興事業のほとんどは堤防

海外では犯罪者の浸入を防止するため住宅地の周りを塀で囲み、入口には警備

建設事業であり、チリ地震津波の復興事業=堤防の建設となった。日本の経済成

員を配したゲーティッド・コミュニティーと呼ばれる住宅地が存在する。この集

長・土木技術の発展により高い堤防を建設することが可能となり、チリ地震津波

落は、津波の浸入を防ぐため集落を防潮堤で囲み、防潮堤に穿たれた鉄扉付き穴

の復興事業では岩手県で 7 年をかけて総延長 52km に及ぶ堤防建設が行われた。

だけが海側から集落に入る唯一のゲートとなっており、まさに津波ゲーティッド・

最も被害が大きかった大船渡市では湾口の海面下に湾口防波堤が建設される。同

コミュニティーとなっている。

報告書の最後には「津波があったら「高所へ避難する」ことが何よりも肝心である」

ゲ ー テ ィ ッ ド・ コ ミ ュ ニ テ ィ ー と い う と 思 い 出 さ れ る の が CPTED(Crime

とした上で、チリ地震津波の復興事業は完了したが、明治・昭和のような津波に

Prevention through Environment Design)である。「防犯のための環境設計」と訳

対する防浪施設の建設の必要性が述べられ、チリ地震津波の復興事業の完了後も、

され被害対象の強化・回避、接近の制御、監視性の確保、領域性の強化という 4

三陸地域では防潮堤の建設が進められていく。

つの手法により犯罪による被害を防ぐという考え方である。CPTED の考え方で津

岩手県譜代村には、田老町の防潮堤よりもさらに高い 15.5m の水門がある(写

波ゲーティッド・コミュニティーは案外、上手く説明できる。「被害対象の強化・

真5)。建設当時は、高すぎるという批判もあったが明治三陸津波の 15 mの津波

回避」とは、住宅・建物を鉄筋コンクリート等、津波の浸入を食い止める強い構

を防ぎたいという当時の村長の思いもあり、そのままの高さで建設され 1984 年

造にすることである。「接近の制御」のために建設されるのが防潮堤であり、集落

に完成する。この水門は津波が川を遡上して市街地に被害を与えることを防ぐも

に津波が浸入しないようにしている。一方、「監視性の確保」という観点から見る

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Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

Beam-pillar and blockhouse wooden construction systems in the world: the areas of domination and mixing zones Galyna SHEVTSOVA

と防潮堤には問題があり、海が見えないため避難が遅れるという負の効果が指摘 される。これは防犯でも同様で、壁で囲まれた家は、外から犯罪行為が見えない ため、むしろ危険だと言われている。「領域性の強化」はまさにコミュニティーで 津波に備えるということになる。 津波ゲーティッド・コミュニティーはチリ地震津波後、実施されてきた堤防に よる三陸地域における津波防災対策の一つの到達点である。しかし、東日本大震 災の復興において防潮堤は、生活が変わる・景観を破壊する等、一般的にはあま り良いイメージが持たれていないようである。岩手県では先述のようにチリ地震 津波以降、防潮堤の整備が進められ、津波から地域を守る施設として、地域の要 望で順次整備されていった経緯もあり東日本大震災の復興事業においても、それ ほど大きな反対は見られない。反対意見が多いのは宮城県であり、本来は長い時 間をかけて議論を行った上で決定する必要がある防潮堤の整備が、復興対策とし て突然示され、十分な時間をかけて議論ができなかったことが問題の背景にある と考えられる。 防潮堤が不人気なもう一つの理由は、防災施設を設けたら被害が発生しないこ とを当然とする防災対策に対する日本人の誤った理解とも関係する。譜代村の成 功事例もあるが、東日本大震災では防潮堤があっても被害が発生したため、防潮 堤では津波は防ぐことはできない=防潮堤は必要ないという極端な方向に議論が 振れている可能性がある。防潮堤だけでまちを守ることはできないが、防潮堤は、 同じ場所に留まりながらも財産も守るということを考えると唯一の選択肢となる。 絶対に安全ということは無いが、津波ゲーティッド・コミュニティーも津波と共 に生きていく地域における一つのあり方であると考える。自分で考えない・多様 な選択肢を認めない・絶対的な安全性を求めるということが防災対策を行う上で 最も良くないことあり、本稿では、今頃一方的に悪者扱いされているまちを守る 「壁」としての防潮堤の意味について考えてみた。

<参考文献> 1. 内務大臣官房都市計画課 , 三陸津波に因る被害都町村の復興計画報告書 , 内務大臣官房都市計 画課 ,1934. 2. 高山文彦 ,『大津波を生きる―巨大防潮堤と田老百年のいとなみ』, 新潮社 ,2012. 3. 内務大臣官房都市計画課 ,1934. 4. 岡村健太郎 ,「三陸津波」と集落再編 , 鹿島出版会 ,2017. 5. 牧紀男 , 明治・昭和三陸津波後の高台移転集落における東日本大震災の被害 , 地域安全学会梗 概集 ,pp.109-112,No.30,2012. 6. 岩手県 , チリ地震津波災害復興誌 ,1969. 7. 岩手県 ,1969.

92

Annotation:

lighter beam-pillar system origins from South. But due to

At the early time in every world region the both blockhouse

the comparative study of some ancient clay models and

and beam-pillar systems of wooden architecture were used.

archeological vestiges of wooden architecture coming from

Further the advantage obtained this type that answered

different territories excavations we could find that there at

better to the local climate and seismic circumstances. There

early times the both blockhouse and beam-pillar systems

are the global world areas of blockhouse and beam-pillar

were used. Thus we could find some information of the

systems being spread according to climate and seismic-

both constructive systems existence at the early times of

wind vibration criteria: the beam-pillar system suits for

South-East and Central Asia, Caucasus, Mediterranean,

regions with hot climate and high vibrations, and the

Slavic regions, Northern Europe and so [2-14 and so]. So

blockhouse system is common for the regions with cold

it is possible to suppose that initially the both systems

climate and low vibrations. There exist also some zones

were developed almost everywhere in the world and finally

with mixed and hybridized constructions that appear in

in certain region the advantage obtained that type of the

the borders of global areas and also in the territories with

wooden construction that answered better to the local

abnormal climate-seismic factors local dissemination where

circumstances.

the criteria suitable for the blockhouse and beam-pillar

So, what type of local circumstances could influence in

systems came into contradiction. Here due to mixing and

certain region to the process of constructive system choice?

hybridization of wooden building systems the most original

It is obviously consists not only of the topic of existence or

wooden architecture usually appears.

absence of the wood. It seems naturally that blockhouse

Key words: wooden architecture, blockhouse, beam-pillar,

that needs a lot of wood could dominate at forest lands and

climate-seismic criteria, global areas of wooden systems

at the forest deficit lands it is better to use economic beam-

spreading, abnormal climatic dissemination territories,

pillar system. But there are a lot of examples of high forest

contradictive criteria, mixing and hybridizing of wooden

countries (such as Japan as well) nevertheless using mainly

building systems.

beam-pillar system. The logical analytic of this point leads us to the decision that the basic criteria of blockhouse or

The problem of the global developing processes of

beam-pillar system choice in certain geographic territory

blockhouse and beam-pillar constructive systems of wooden

mostly source from the character of local climate and

architecture is quite unstudied. For the first glance it seems

seismic-wind vibration circumstances than from the quantity

that at each geographic region of the word reigns either

of the forests. Simply speaking, each constructive system

blockhouse or beam-pillar system. Marking the territories

of wooden architecture has basic technical characteristics

of blockhouse and beam-pillar spreading on the Eurasian

suitable or unsuitable for certain climatic factors.

map we can notice that there exist the global areas of

Generally it is possible to point several objective criteria that

blockhouse and beam-pillar systems spreading [1]. It is also

leads to beam-pillar or blockhouse system domination at the

can be noticed that beam-pillar system is mostly common

certain rejoin.

for the south-east regions (such as South-East Asia and

Far East regions) and the blockhouse system is eventually

Beam-pillar domination criteria are:

common for north-west regions (such as Norse Europe,

Wet and warm climate that suits to such technical

(pic. 1). So it seems logic to suppose that cold-resistant

peculiarity of beam-pillar system as easiness of buildings

solid blockhouse system was shaped at the North and

inner space’s ventilation. From the other hand, in the warm

93


Beam-pillar and blockhouse construction Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the systems world: the in the world: the areas of domination and mixing zones areas of domination and mixing zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA SHEVTSOVA Galyna

Rural house of Polissya historical land.

Church from Novomoskovsk town. Church from Kisorychi village.

Church from Bronniki village. Pic. 1 World areas of blockhouse and beam-pillar constructive systems.

Church from Sinyavka village.

Chapel from Klesiv village

Pic. 2 Ukrainian entire blockhouse rural houses, chapels and churches (17-19th c.).

climate does not matter the beam-pillar system low cold-

climate with no earthquakes (exactly like Norse Europe). In

resistant ability;

the same time, we have to mean that in every case the final

also is fully or partly used for Ukrainian belfries [21; 22]

blockhouse system is not convenient for the creation of the

High seismic activity or strong winds as beam-pillar

choice of the constructive system was influenced not only

(pic. 3). All these cases can be explained by some special

buildings with spacious layout [24]. That fact maybe also

construction is quite strong to the vibrations and is able

by single certain reason but mostly by their complex. It is

function of mentioned buildings that for example not

limited its spreading in Japan at Asuka-Nara times. Of course

to shape enforced vibration-resistant variations (as for

also the fact that in most cases “failed” constructive system

need to be heated inside in winter like some types of rural

it is evident that limited with trunk length and unstable in

example the famous “nuki” system of Japanese historical

continued to be used in rudimental forms for some types

storehouses or requires special construction like belfries. In

lateral dimension blockhouse is not allow to create so usual

architecture). At the same time, in the case of destroying,

of wooden buildings having unique function or requiring

the case of belfries it is possible to assume that the choice

for Far East architecture buildings with spacious layout. So

the beam-pillar system provides minimum danger and is

special maintenance [1]. Let us analyze the details of such

of untypical for Ukraine beam-pillar system is connected

it is possible to suppose that partly borrowed from China

easy to repair.

proses on the examples of Ukraine and Japan.

here with the peculiarities of this building’s function. As a

and Korea, architectural taste of Japan finally leaded to

belfry is not supposed for the long people stay, the cold-

(2) beam-pillar domination of this area . But the same it can

Blockhouse domination criteria are: Dry and cold climate that suits to the high cold-resistant

Although initially in the territory of Ukraine were tried the

resistant ability is not needed here, so most economical

be supposed that much earlier, generally suitable for Far

peculiarity of the blockhouse construction. In the same time,

both blockhouse and beam-pillar systems [9-10], finally the

beam-pillar construction is preferable. In the same time the

East climate beam-pillar system dictated the initially shape

in cold climate does not matter its low ventilation ability;

blockhouse has dominated at the most part of Ukrainian

belfry is usually feeling quite strong vibration caused with

preference of Far East architecture(3). Nevertheless, as it was

Absence of seismic activity or strong winds that makes

territory

as it can be brightly seen at the examples of

bell oscillation as well as by swinging efforts of the ringer

mentioned before, in Japan also, the “failed” blockhouse

not important the low resistant ability to the vibrations of

Ukrainian entire blockhouse rural houses and fascinated

so in this case the preference of beam-pillar construction

system continued its rudimental existence in some types

blockhouse joints.

wooden churches (pic. 2) [15-17]. This domination is

becomes evident.

of additional buildings. The main medium of blockhouse in

So now we could clearly understand why in some

evidentially caused by quite cold Ukrainian climate with

In Japan we can observe reverse phenomena: there finally

Japan are storehouse buildings eventually having source

geographic regions finally came to domination one or

absence of strong winds and earthquakes. But in Ukrainian

beam-pillar system has dominated but the rudiments of

from Jomon and Yayoi époques takayuka type granaries

another wooden architecture constructive system: beam-

case this domination is quite resent and not absolute.

blockhouse system still can be seen in the household

and then transformed to a state treasury storehouses and

pillar or blockhouse. Precisely speaking, although beam-

A lot of archeological vestiges whiteness for about the

outbuildings and support structures. We also can find the

ceremonial regalia storages having their blossoming mostly

pillar system can be easily aerated and is strong to the

wide variation of beam-pillar constructions at territories

witness of wider blockhouse system spreading there in old

in 5th-6th cc. [24].

vibrations, it fits to the hot, seismic and windy regions

of Ukraine at the time of Bronze as well in the Ancient-

times, for example, in the takayuka type granaries of Sannay

Basing of the excavation materials from Sannay Maruyama

(exactly like South-East Asia and Far East regions). From

Russ period (9th-14th cc.) [11-13]. Nowadays we also can

Maruyama archeological cite excavations and so. But of

archeological sites it can be supposed that in late Jomon

the other hand, blockhouse is cold resistant but has bad

see some part of beam-pillar constructions among the

course in the wet and warm Japanese climate with often

period ‒ the time of takayuka granaries formation, they

aeration ability and is quite weak to the vibrations, so it

household outbuildings and support structures of Ukrainian

earthquakes and typhoons the blockhouse construction

could be beam-pillar or blockhouse system as well. But

is more suitable to the regions with cold but not windy

rural architecture [18-20] (pic. 3). The beam-pillar structure

is not suitable for the wide using. It is also true that

starting from Yayoi period these two systems became to

94

(1)

95


Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

Pic. 4-a Octagon-on-square space-construction shape, Drogobych town church

Pic. 4-b Zalom space-construction shape on a square cage base, Kisorychi village church.

Pic. 4-c Zalom space-construction shape on an octagonal cage base, Zarubintsy village church.

Pic. 4-d Zalom on a base of an octagon-on-square, Novgorod-Siverskii town church.

Pic. 4 The types of blockhouse tower space-constructive shape of Ukrainian churches (16-18th c.). Belfry from Kut-Tovste village.

Belfry from Yasynya village

Belfry from Krainikovo village. Pic. 3 Ukrainian beam-pillar and mixed constructions (17-19th c.).

complicated structures. The cage itself also can be not

can’t observe Japanese peculiarity of blockhouse’s seasonal

only square or rectangular in layout but also octagonal,

temperature work changing like it can be seen on the

hexagonal or trapeze shape. In the church architecture

example of Japanese sacral regalia storehouses.

Ukrainian blockhouse can create multiplied narrowed to

Beam-pillar systems of Japan and Ukraine also are really

the top high towers of complicated space-constructive

different and this difference clearly witnessing for about

mix and finally elaborated so called ita-azekura hybrid

temple storehouse building consists of one simple square-

shape that not need interior horizontal support (beams

much developed stage of beam-pillar in Japan where it is

system that gave a little more shaping freedom to the

planned blockhouse cage with slight enlargement to the

or so) and can show inner space opened and lightened

more elaborated, refined and decorated. Some peculiarities

builders and probably was stronger to the vibrations than

top that rises on the low pales and is covered with rafter

with windows from the top to the bottom of the building.

of the both systems also allow to suppose in what type of

blockhouse. Good examples of such granaries now can

pyramidal roof as we can see at preserved till nowadays

It became possible because of high blockhouse outwork

climate they were formed. In Japan we can see lightness of

be seen at Toro archeological site excavations. It is also

Todaiji and Toshodaiji temples’ azekura storehouses of Nara

systems creating such space-constructive shapes as so

the walls and their possibility to transformation witnessing

can be noticed some ita-azekura system influence to early

period. Inside of such storehouses it is indispensable to keep

called octagon-on-square and zalom. The octagon-on-

to the hot and need to ventilate climate. Also we can see

Shinto architecture, mainly in Ise-jingu construction [24]. At

suitable for the temple regalia temperature and humidity

square is a space-constructive shape of a church top created

there a lot of special anti-vibration constructions giving

Asuka and early Nara times due to political and economic

level during all the year. This problem was resolved due to

with the blockhouse octagonal-plan cage that is posted on

mobility to the most Japanese beam-pillar joints (so called

reasons the big state storehouse building type arose. In

the atypical triangle shape of timbers intersection with their

the blockhouse square cage base forming massive tower

nuki system). Also due to developed elbow-bracketing

seems that in 5th-6th cc. in Japan old fashioned ita-azekura

flat side turned inside the building. In lateral dimension

usually covered with pyramidal blockhouse top (pic. 4-a).

(so called kumimono) systems Japanese beam-pillar is

storehouses existed synchronically with modern beam-

the triangle-sectioned timbers are jointed together only

This outwork method can be observed mostly in Ukraine

usually works with the principle of only vertical loading

pillar constructions inspired by Korean carpenters [24]. But

with theirs tiny angle sides. In summer, when Japanese

and Russian wooden churches but obviously have some

transmission, as in Ukraine the beam-pillar has permanently

nevertheless blockhouse survived till nowadays mostly in

climate become extremely humid, the wooden timbers swell

genetic relations with Caucasus and Iranian architecture

stabled joints with a lot of diagonal supporting elements

temple storehouses for ceremonial regalia.

allowing the construction to clench together preventing

[26]. The zalom is a unique Ukrainian space-constructive

(so called pidkis) helping to the stability of beam-pillar and

In this point we have a good case to discuss the question

the humid to get inside the buildings. But in winter, when

shape of blockhouse church top where the cage is narrowed

transmitting the loading not only in vertical but also in

of climate influence to the peculiarities of constructive

humidity falls down, the triangle-sectioned timbers shrink

with pyramidal inclining covering that is catted in the half

diagonal dimensions [29]. The last phenomena of course

system. Roughly speaking due to local climate, an ordinary

creating the lateral slits between and thus allowing active

and then continued up without inclination (pic. 4-b, 4-c).

could not be possible to exist if Ukraine has earthquakes or

beam-pillar of blockhouse system can obtain some unique

aeration inside the building [25].

Zalom top structures can be multiplied in vertical dimension

another high vibration factors (pic. 5).

peculiarities required only for this place specialty. Exact

If we compare Japanese rudimental blockhouse system with

several times shaping high and slim, faulty similar with

example of this possibility is the original blockhouse

elaborated Ukrainian one, we can notice that in Ukrainian

the pagodas towers. This space-constructive shape can be

As it was already noticed in the beginning, judging from the

system of temple storehouses that was shaped in Japan

case the timber’s intersection has more diversity: it can

used in the top of the Ukrainian church substantively or

Eurasian map of wooden construction systems spreading

no later than in Nara times [24] when rudimental for Far

be round or semi-round (with flat side turned inside the

be placed on the octagon-on-square base (pic. 4-d, more

(see pic. 1), the beam-pillar and blockhouse areas generally

East blockhouse system was deeply modified and finally

building), square or rectangle and even in some cases

detailed explanation see in [15-16, 27-28]). All this is

answer to the following criteria: beam-pillar system is

becoming even better suitable for storehouse function

octagonal or triangle. Ukrainian blockhouse has really

witnessing for about more developed stage of blockhouse

mostly common for the south-east regions with warm and

that beam-pillar system. Usually the structure of Japanese

wide shape-formation potential jointing several cages in

in Ukraine than in Japan. But nevertheless, in Ukraine we

wet climate. The same is for the regions with high seismic

96

97


Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

Pic. 5-a Loading transmission way of Japanese beam-pillar constructions.

Pic. 6-a Ukrainian-Poland Lemko type blockhouse churches with beam-pillar narthex belfry. Poland, Mikulashova village (drawings by D. Buxton).

Pic. 5-b Loading transmission way of Ukrainian beam-pillar constructions.

Pic. 6-b Poland wooden churches of mixing construction. Komorowice village (drawings by D. Buxton), Debno village church, 15th c.

Pic. 6-b

Pic. 6 Lay-out form of beam-pillar and blockhouse systems mixing.

Pic. 7-a Ukrainian Boyko type blockhouse church with upper beam-pillar part of the narthex belfry. Sukhyi and Kryvka villages, 18th c.

Pic. 7-b Ukrainian Lemko type blockhouse church with upper beam-pillar part of the narthex belfry. Kanora village, 18th c.

Pic. 7-c Romanian blockhouse church with upper beam-pillar part of the narthex belfry and rafter roof. Ukrainian Krainikove and Romanian Surdesti villages, 17-18th c.

activity or seacoast strong windy lends. For contraire,

territory can be estimated as a very temperature terminator

blockhouse is common for north-west motherland regions

of wooden constructive systems where coming from the

without accented seismic activity or strong winds. It also

South, suitable for beam-pillar climatic zone and coming

has to be noticed that in most cases the climate factors

from the North, suitable for blockhouse zone meet and

of beam-pillar and blockhouse systems mixing where

The third type is a hybridized form of beam-pillar and

(south-north vector) and the vibration factors (seismic

provoke creating the mixing of wooden building systems.

some lay-out parts of the building are beam-pillar and

blockhouse where the elements of the both systems are

activities and seacoast-motherland vectors) are not coming

Here also meet the borders of several countries such as

the other are blockhouse. For example, the narthexes

fully merged in creating curious beam-pillar-blockhouse

in contradiction. Easily speaking, in general seismic and

Ukraine, Poland, Romania, Hungary and Slovakia. Each

(western towers) of some Lemko types of Ukrainian wooden

structures. Such merging can be widely seen in some

wind activity is usual for hot regions of the world and in the

of these countries has its original and high developed

churches are beam-pillar, although the nave and altar parts

Carpathian rural storehouses where lateral blocks are

same time cold regions are usually not suffering from the

traditions of wooden architecture concerning not only rural

are blockhouse (see pic. 6-a) [22, 23]. The similar point we

inserted in the beam-pillar frame(6) [18-20] (pic. 8).

earthquakes, typhoons or hurricanes. But it is also possible

houses and additional household structures but the first

can observe also in almost all types of Carpathian wooden

The fourth type can be characterized as a mimicry

to determine some zones with mixed and hybrid blockhouse

of all ‒ the high developed wooden sacral architecture.

churches in Romania, Poland and so (pic. 6-b) where

adaptation form and represents the cases when one wooden

and beam-pillar constructions that appear at the borders

Wooden churches of these countries are divinely different

blockhouse body of the churches are jointed with beam-

building system is changed till strangely that finally obtained

of global areas of two systems spreading as well as at the

and mostly have their own genesis but at the point of

pillar narthexes [28].

some properties of another. In Carpathian Mountains it is

territories with abnormal local climatic circumstances

Carpathian Mountains all of them showing the tendency of

The second common type of Carpathian is a support form

possible to see two different examples of such phenomena.

where the criteria suitable for the blockhouse and beam-

beam-pillar and blockhouse mixing. For example generally

of beam-pillar and blockhouse mixing when the parts of the

One of them can be distinguished widely in many Ukrainian

pillar systems come into contradiction. Here usually we can

inclined to the blockhouse system Ukrainian wooden

building with different constructive system are placed on

and Romanian Bukovina province ly protruding from the

observe the most curious and sometimes unique wooden

churches of Carpathian region show there some features

each other. For Carpathian region there are usual the cases

building body to support the long eaves or pent roofs that

architecture examples that can be just transmission forms

of mixing with the beam-pillar as it can be seen at the

when beam-pillar top-part of the building is placed on the

prevent the church’s walls from so common for Carpathians

Pic. 7 Support form of beam-pillar and blockhouse systems mixing .

(4)

between blockhouse and beam-pillar systems as well as

Ukrainian churches of Boyko, Lemko and Transcarpathian

blockhouse base-part

such it can be seen at the examples

heavy rains. So, it can be concluded that in this case

creating separated building traditions.

types that has beam-pillar construction of western tower

of traditional Ukrainian Boyko, Lemko and Transcarpathian

modified according to the local circumstances blockhouse

(5)

It can be clearly seen from pic. 1 that an accented

[21-23, 27], (pic. 6, pic. 7).

type churches as well as at Romanian churches and so (pic.

parts have obtained some properties of elbow bracketed

geographic border of beam-pillar and blockhouse systems

Revising in general the cases of blockhouse and beam-pillar

7). It can be also seen at Carpathian household outbuildings

pillars becoming able to serve as pointed supports of the

spreading concentrating in a rich wooden architecture

mixing it is possible to determine four types of them.

and belfries where base levels are blockhouse and upper

eaves (pic. 9-a).

region lying around the Carpathian mountain ridge. So this

The first one is common in Carpathian region lay-out form

ones are beam-pillar [22, 23, 28].

The other example of mimicry adaptation is a modified

98

99


Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

Pic. 8 Hybridized form of beam-pillar and blockhouse system mixing. Rural houses and household outbuildings of Carpathian region (18-19th c.).

Pic. 10 Some examples of darbaza type Georgian rural dwellings (drawings by L. Sumbadze [6]).

Pic. 9-a Carpathian wooden churches (Rogatyn town, Beregomet village, 16-18th c., Ukraine).

an interesting type of mountain rural house that is partly

systems mixing regions and in some meaning connecting

deepened in the ground. The main room of darbaza has a

them. Then it can be supposed to probably prolongation

fireplace in the center surrounded by square-plan beam-

of this eventually mixing zone from Caucasus till Mongolia

(10)

serving as the base to so called gvirgvini.

where also exist some beam-pillar-blockhouse authentic

Gvirgvini is an opened to the interior blockhouse pyramidal

mixing traditions mostly seen at the examples of old

tower that usually is square or octagonal in layout and has

Mongolian beam-pillar and blockhouse octagonal dwellings

pillar framework

(pic. 10). Gvirgvini can

[4] that merging with Chinese influences finally conducted

be of several types determined by L. Sumbadze according to

the originality to regional Buddhist architecture [4]. Some

the timbers assembling geometry variations (pic. 10). So we

echoes of those mixing traditions can be also find in Central

can fix here a really curios fact of support form beam-pillar

and Middle Asia regions between Mongolia and Caucasus [6,

and blockhouse mixing existence where differently from

8] (see pic. 1).

an opening for the fume on its top

Carpathian example

Pic. 9-b Close to the timbers multiplied octagon-on-square structures of beam-pillar framing (Romania, summer altar at Barsana monastery). Pic. 9 Mimicry adaptation form of beam-pillar and blockhouse system mixing.

(11)

(12)

, the blockhouse system is placed on

To the South from described above mixing border of wooden

the top of beam-pillar frame.

architecture systems, now it can’t be seen many vestiges of

In some meaning it is also can be supposed that mentioned

wooden architecture but archeological materials witness

multiplied octagon-on-square geometric structures of beam-

architecture existing in the region of Caucasus [6, 7] that

above Carpathian and Caucasian borders of wooden systems’

[4-6] that in the past the traditions of wooden architecture

pillar framing system that can be widely observed in the

also can be considered like a beam-pillar and blockhouse

mixing are just two points of ancient general border that

continued from Caucasus through the Middle Asia and

additional structures of Rumanian Maramuresh province’

systems’ mixing geographical border that is nowadays not

trace nowadays is hard to determine due to just fragmental

Iranian lands till China and South-East Asia and also to India

s churches and monasteries. Mostly it concerns of the light

so brightly determined because of wooden architecture’s

preservation of wooden building traditions of these lands.

which elaborated temple architecture obviously had wooden

wooden pavilions covering the sources of sacral water or so

bad preservation of this area. But it is no doubt that there

Recently fulfilled by Turkish specialists investigations fixed

roots [3]. It is also curious that some examples of Indian

called summer altars (pic. 9-b). Here we can notice so close

the wooden architecture widely existed before probably

in the close to Black Sea lands of Turkey the tradition of

wooden temples are still preserved in Kashmir and Kerala

placement of lateral elements of the frame that their entire

giving the source to the some unique shapes of famous

mixed blockhouse-beam-pillar wooden mosques erecting

lands [30, 31] (pic. 11-a) and judging from the information

Armenia and Georgia stone orthodox churches . The

that sourced not later than Medieval times [8]. These

found at the materials of 19th centuries researches, before

the beam-pillar system .

center of mixed wooden system’s traditions at Caucasus

mosques are of very interesting type of wooden systems

they were much more numerous there [32] (pic. 11-b). At

As we could see on the upper examples all listed above

is a unique type of rural houses that was spread before at

mixing having timbers walls and frontons in jointing with

the same time, to the south from Carpathian it is also lying

blockhouse and beam-pillar mixing types are present in

Armenia, Georgia and Azerbaijan lands. Longinoz Sumbadze

interior beam-pillar system and framed verandas [8]. From

not brightly determined but quite noteworthy region of

Carpathian Mountains region.

‒ the main researcher of this question, has pointed them

pic. 1 it can be seen that Turkish territory reposes exactly

South European beam-pillar wooden architecture which

between mentioned above Carpathian and Caucasus wooden

traces can be found in framing constructions of Middle Ages

structure became rather close to blockhouse timbers than to (7)

We also can find the witnesses of mixed systems’ wooden

100

(8)

(9)

with their Georgian rural term darbaza [6-7] . Darbaza is

101


Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

Pic. 11-a. Ananthapura-lake-temple at Anthapuram, Kerala province.

Pic. 11-a Vadakkumnathan-temple at Thrissur, Kerala province.

Pic. 11-b. Disappeared wooden temple of Kashmir province (from James Fergusson’s materials [32]). Pic. 11 Indian beam-pillar temples.

Pic. 12-a. Framed church. Poland, Dabcze village, 17-18th c.

Pic. 13-a Rural dwelling from Onega lake.

Pic. 13-b Kondopoga town church, Karelia land.

Pic. 13-a fortress gate of Nikolo-Karelskiy monastery.

Pic. 13-b Pokrova church at Kizhi Pogost.

Pic. 12-b. Framed Medieval dwellings. Germany, Limburg town. Pic. 12 Western Europe frame constructions.

town dwelling’s architecture as well as in constructions of some framed wooden churches of the region

(13)

(pic. 12).

system. This phenomenon brings there to the life the formation of curious beam-pillar-blockhouse hybridized

To the North from pointed at pic. 1 wooden constructions’

form construction called stave. Briefly speaking, stave is an

mixing border the traditions of wooden architecture are

elaborated by folk genius shaky framework with inserted

much more visible. They continue directly as well preserved

inside of it vertical type blockhouse. All the system has

blockhouse buildings’ area of Slavic lands (see pic. 1) as it

additional mobility of the joints resisting to the wind

can be seen at the examples of the supported structures,

vibrations. Here the frame is a leading element, serving

rural houses and wooden churches of Central and Northern

like a bearing construction to confront the winds and

length there are placed wooden pillars covered with four

roof (see pic. 14-b). More elaborated and rare level of

Ukraine and then at Russia where to the mentioned above

blockhouse is just a filler structure to prevent the cold to get

horizontal upper logs (pic. 15-a). Thus we can observe the

stavkyrkje construction is so called double-nave churches

types of wooden buildings also adds civil and fortress

inside.

creating of initial cubic core-frame system usually covered

[14, 37] where the initial cubic beam-pillar core-frame was

Especially impressive are so called Stave Churches or

with triangle rafter roof sometimes with small decorative

surrounded by the belt of a little lover pillars jointed with

But it is difficult to argue the same for Scandinavia lands

stavkyrkje ‒ Norwegian Middle Age (11th-13th cc.)

tower on its top (pic. 15-a). Further this initial core-frame is

the top of the core-frame with inclined rafters and based

where it is possible to observe the most interesting case of

wooden churches of stave hybrid construction (pic. 14-

enforced with a big quantity of additional tiny joints such as

on the additional horizontal logs reposed on the gabs of the

beam-pillar and blockhouse wooden systems coexistence

b), but the same stave can be widely observed also in the

for example the belt of crossed elements among the pillars

horizontal logs of the core-frame base (see pic. 15-a, 15-b).

(see pic. 1). The reason of atypical mixing zone appearing

rural barns and dwellings of Norway (pic. 14-a) [37]. The

placed on the top level of the frame or semicircle wooden

This innovation not only evidently enforced the construction

there is that in Scandinavian seacoast the climatic criteria

hybrid construction of stavkyrkje is usually working on

elements among pillars and beams, beams and rafters (pic.

but also became an excellent method of interior space

suitable for the blockhouse and beam-pillar systems come

framework principle due to the big quantity of different

15-a). The space between the pillars of the stavkyrkje is

formation. Thus in this case the high pillars of the core-

blockhouse architecture

(14)

(pic. 13) [33, 34, 35].

Pic. 13 Russian entire blockhouse architecture (17-19th c.).

(15)

into contradiction. Good example is the ancient wooden

shaky joints [14]. The fundament of stavkyrkje is a posed on

usually filled with vertically placed logs or desks

(see

frame entered inside the church where organized something

architecture of seacoast Norway where the cold climate

a stone base square layout made from four huge horizontal

pic. 14). It is also a usual case when entire construction

in the first glance similar with three naves of Western

suitable for blockhouse system is paired with furious sea-

logs (that is exactly called stave) crossed with their ends.

of such church was prolonged with small altar part and

Europe masonry basilicas where two rows of the pillars

storm winds’ vibrations could bear only by beam-pillar

On the points of these logs’ crossing as well as on their

surrounded with additional gallery covered with pendant

dividing the interior in three naves and the central nave is

102

103


Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

Pic. 15-a Stavkyrkje construction schemes (according to T. Thiis-Evansen [38]).

Pic. 14-a Rural barn from Oslo open air popular museum.

Pic. 14-a Rural dwelling from Oslo open air popular museum.

Pic. 15-b Stavkyrkje construction model (Borgund church museum).

Pic. 15-c Greensted palicade church of 9-11th c. Essex, England.

Pic. 15 Stavkyrkje construction and its prototypes.

Pic. 16-a Tornio church (17th c., drawings by Akira Takeuchi [39]). Pic. 14-b Medieval church (stavkyrkje) from Urnes.

Pic. 16-b Block-pillar construction (by Akira Takeuchi [39]).

Pic. 14-b Medieval church (stavkyrkje)Borgund. Pic. 14 Norwegian wooden stav construction architecture.

Pic. 16-c Muhos church (17th c.).

Pic. 16 Finnish wooden churches with block-pillars construction.

remains quite doubtful(16) [14].

constructive method where wall horizontal timbers of the

wider and higher than the aisles. So it is not surprising that

stavkyrkje were not erected any more maybe because of

It is interesting that seemed to be similar with Norwegian,

blockhouse are allowed to prolong with the help of hollow

Norwegian specialist sometimes augmented the relativity

prayers quantity increasing initiating the bigger church need

neighbor Finish and Sweden wooden architecture are

joint of block-pillar which assemble the ends of horizontal

of Norwegian stavkyrkje with Middle Age Western Europe

that stavkyrkje's construction could not provide [14]. It is

nevertheless mostly based on blockhouse constructions

wall timbers inside of vertical blockhouse boxes (pic. 16-

masonry church architecture traditions [14]. But truly the

especially pity that the great deal of Middle Age stavkyrkje

[28, 39]. So it is possible to assume that situated in less

a, 16-b). This method allows jointing several horizontal

space construction of stavkyrkje is not lineal like basilica,

were lost quite recently, in the 19th ‒ the beginning of the

windy lands Finland and Sweden are coming out of wooden

logs to one wall and finally creates along the wall’s length

but has a centric exaltation formed with square or slightly

20th centuries [14]. But it is notably curious that during

building systems mixing anomaly zone and turning to the

several pillar-like timber elements

rectangular in the plan core-frame with higher pillars

the excavations under the bases of Middle Age stavkyrkje

traditional for the North territories pure blockhouse area.

parts of the block-pillars are jointed with transverse and

surrounded by fore-sided aisle parts of lower pillars. This

often can be found the rests of more ancient, so called pillar

But even at comparatively protected from the wind territory

longitude beams (pic. 16-b) that makes all block-pillar

shape is much closer to the Far East Buddhist temples space

wooden churches of slightly different construction that had

of Finland it can be observed some curious initial process

structure particularly sturdy and allows to incorporate

organization type than to the basilicas.

not a lateral log square frame base (stave) and where the

of blockhouse and beam-pillar systems hybridization that

the long walls with high risen vaults(18) (pic. 16-a, 16-c). A.

Nowadays there are only 27 authentic wooden Middle Age

vertical filling elements of the walls were inserted directly in

can be classified as a case of mimicry adaptation form. As

Takeuchi also emphasizing, that box-like pillar system of big

(12th-13th cc.) stavkyrkje and 2 a little younger wooden

the ground [14]. More ancient vestiges also witnessing for

it is possible to notice from the material of David Buxton

and high-roofed Finish wooden churches offers an excellent

churches (14th-15th cc.) has preserved in Norway [14].

the existence there of a “vertical blockhouse”, or so called

[28] and Takeuchi Akira [39] research of Finish wooden

stabilization of the construction in the event of strong wind

Archeologist also could find the rest of more than 2000

palisade churches erected with vertical pile-logs inserted in

churches, there was developed so called buttress-pier

[39] that can directly illustrate the thesis of blockhouse

wooden churches of approximately the same time. Later the

the ground tightly to each other, but their construction still

[28] or box-like pillar [39] system, a unique blockhouse

and beam-pillar systems initial mixing proses appearing

104

(17)

(pic. 16-a). The upper

105


Beam-pillar and blockhouse construction systems Beam-pillar and blockhouse woodenwooden construction systems in the world: the in the world: the areas of domination and and mixing areas of domination mixingzones zones

ESSAY

Galyna SHEVTSOVA

there due to the climate and vibration factors abnormal dissemination. At the resume it is possible to assume that the most notable principle of blockhouse and beam-pillar wooden building systems’ developing in the world is that at the initial stage in every region the both systems were experimentally used. Further the advantage obtained that type of the wooden construction that answered better to the local circumstances. But “failed” constructive system usually continued to be used at rudimental form for some types of wooden buildings having unique function or requiring special maintenance. Generally blockhouse or beam-pillar systems domination in a certain region is determined by following criteria: cold resistant but having bad aeration ability and quite weak to the vibrations blockhouse is suitable to the regions with cold and dry but not windy climate with no earthquakes; easily aerated and strong to the vibrations beam-pillar fits to the hot, wet, seismic and windy regions. It can be noticed that usually hot and wet climate territories of the world are grouped with strong vibration (earthquakes, typhoons, hurricanes and so) factors the same as cold and dry climate territories usually are not windy or seismic. That is why the spreading of beam-pillar and blockhouse wooden building systems at the territory of Eurasia shows clearly contoured geographical areas. At the borders of global climatic areas of beam-pillar and blockhouse systems spreading as well as at the geographic zones with abnormal climate-seismic factors local dissemination usually appear mixed and hybridized block-beam-pillar constructive traditions. According the information obtained till now, as territories of geographical beam-pillar-blockhouse mixing can be fixed the area from Carpathian till Caucasus Mountains (that probably can be supposed to prolong till Mongolia). As the atypical mixing territory of wooden systems’ mixing it is possible now to fix the seacoast Scandinavian lands but it is no doubt that further investigation of whole world wooden architecture is able to add a lot of new examples, aspects and details to this

106

problem.

Endnotes 1. Excluding south and south-west part of Ukraine that comes to the beam-pillar and blockhouse mixing geographical area, see below. 2. Nevertheless we need to mind that in China, Korea and Indo-China region the beam-pillar system is usually used in symbiotic with the massive masonry and ground base that is coming from initial historical China building traditions [2] that is absolutely differs from Japanese case. 3. The same logic also could be applied for North and Eastern Europe wooden architecture formation process where climatic preference of blockhouse system leads to the formation of compact blockhouse cage combinatory architecture most brightly seen at the examples of wooden churches were blockhouse cages obtain vertical tops of multiplied types although vertical tendency of the exterior and inner space is immanent for Christian architecture in general. 4. Further there also will be shown the possibility of vice-versa support form placement where the blockhouse parts of the building are posed on beam-pillar base as it can be observed in the examples of Caucasus rural dwellings (see pic. 10). 5. Precisely speaking, the Ukrainian Transcarpathian type of wooden churches having historical source at Romanian Maramuresh province type of wooden churches so they can be examined like entire phenomena. 6. Here is maybe can be noticed some similarity with Japanese itaazekura system. 7. So it becomes possible to compare them with blockhouse octagon-onsquare outwork shapes of Ukrainian churches’ towers (see pic. 4-a). 8. The evidence of this fact was proved in the fundamental work of L. Sumbadze “Architecture of Georgian folk habitation Darbaza” [6]. 9. The similar is glhatun for Armenian and karadam for Azerbaijan. There are also witnesses of this type dwelling spreading at Middle and Central Asia regions [6]. 10. The walls of darbaza are mostly masonry, but also some examples of old houses with blockhouse walls exist [6]. 11. L. Sumbadze argues this shape relativity to the Arian Zoroaster temples traditions finally transmitted also to the Caucasus stone Orthodox churches’ shape having central octagonal opened into the interior tower supported by fore pillars of square layout [6]. It can be recognized that his ideas are quite credible. Further it is also possible to suggest the relativity of gvirgvini’s shape with mentioned above octagonon-square blockhouse tower space-constructive shape of Ukrainian wooden church [26, 36]. 12. Where beam-pillar is usually placed on the top of blockhouse. 13. It also can be mentioned here the credible possibility of wooden prototypes existing of masonry European Gothic and Mediterranean Classical Antiquity Order systems that also obviously were based on the beam-pillar principles. 14. It is also have to point that nevertheless of some initial relation between Ukrainian and Russian wooden churches, they are principally different not only with their design but also with their space-constructive shape. 15. As it was mentioned above, similar homogeny hybridized form of beam-pillar-blockhouse constructions can be sometimes seen in the wooden buildings all over the world without direct connection of climatic or seismic factors. But in Norway it was shaped a unique extremely strong for shaking hybridized variation of wooden building system where blockhouse filling elements are placed inside the beam-pillar frame in the

unusual vertical but not horizontal dimension. 16. Some information about so called palisade churches construction probably can provide the unique preserved example of stumpy Greensted palicade church of 9th-11th c., from Essex, England (pic. 15-c). 17. Directly speaking there we can observe the pillar like working elements created with blockhouse system methods. 18. Reposed to the block-pillars lengthwise beams create an additional basement to the roof-trusses allowing the erection of much higher vaults [39]. Bibliography: 1. Shevtsova G. Blockhouse and beam-pillar construction in wooden architecture: sources and mutual influence, competition for domination (on the examples of Japan and Ukraine). Modern problems of architecture and city planning. Kiev: Kiev National University of Construction and Architecture Publ., 2006, no 14, pp. 152-134. (in Ukrainian). (Шевцова Г.В. Зрубна та каркасна конструктивні системи в дерев’яній архітектурі: витоки та взаємовпливи, змагання за першість (на прикладі Японії і України) / Сучасні проблеми архітектури та містобудування. – К.: КНУБА. – 2006. - № 14. – С. 152-134.) 2. Qinghua Guo. Chinese architecture and planning: ideas, methods, techniques. Stuttgart/London: Edition Axel Menges, 2005. 3. Mortimer Wheeler. Civilization of the Indus valley and beyond. New York: McGraw Hill Book: 1966. 4. Maydar D. Mongolian architecture and city planning. Moskow: Stroiizdat Publ., 1971. (in Russian). (Майдар Д. Архитектура и градостроительство Монголии. – М.: Стройиздат, 1971. – 244 с.) 5. Jimbiev B. To the problem of Siberia and Far East peoples dwelling’s evolution. Architectural Heritage. Moskow, 1996. № 41. pp. 207-214. (in Russian). (Жимбиев Б. Ц. К проблеме эволюции жилища народов Сибири и дальнего Востока // Архитектурное Наследство. – М., 1996. - № 41. – С. 207-214.) 6. Sumbadze L. Architecture of Georgian folk habitation Darbaza. Tbilisi: Metsnierba Publ., 1984. (in Russian). (Сумбадзе Л.З. Архитектура грузинского народного жилища дарбази. – Тбилиси: Мецниерба, 1984. – 369 с.) 7. Sumbadze L. Colchis’s dwelling according to Vitruvius. Architectural Heritage. Moscow: Stroyizdat Publ., 1958, no 11, pp. 81-103. (in Russian). (Сумбадзе Л.З. Колхидское жилище по Витрувию // Архитектурное наследство. – М.: Госстройиздат, 1958. - № 11. – С. 81-103.) 8. E. Emine Naza-Dönmez. Wooden mosques of the Samsun Region, Turkey, from the past to the present. Oxford: BAR International series 1820, Hadrian books Ltd, 2008. 9. Videiko M. Cucuteni-Trypillian civilization. Kiev: Akademperiodika Publ., 2003. (in Ukrainian). (Відейко М. Ю. Трипільська цивілізація. – К.: Видавничий дім «Анадемперіодика» НАН України, 2003. – 184 с.) 10. Berezanskaya S. Pustinka: the settlement of the Bronze époque on the Dnieper River. ‒ Kiev: Naukova Dumka Publ., 1974. (in Russian). (Березанская С. С. Пустынка. Поселение эпохи Бронзы на Днепре – К.: Наукова думка, 1974. – 150 с.) 11. Mykhailyna L. The Slavic people of 8th-10th centuries between Dnipro river and Carpathian mountains. Kiev: Archeology Institute of Ukrainian National Academy of Science Publ., 2007. (in Ukrainian). (Михайлина Л. Слов’яни VIII-X ст. між Дніпром і Карпатами. – К.: Ін-т археології НАН України, 2007. – 300 с.) 12. Lisenko T. Rural house from Bessarabia to Galicia. Architectural

107


ESSAY Contributors

Contributors

大崎 純

Makoto Osaki

Makoto Ohsaki is a professor of Department of Architecture, Hiroshima University. He received undergraduate degree in 1983 and master 's degree in 1985 from Kyoto University both in the field of architectural engineering. He has been an associate professor of Department of Architecture and Architetural heritage. Moscow, 1996, no 41, pp. 182-195. (in Russian). (Лисенко Т.Л. Народное жилище от Бессарабии до Галиции // Архитектурное наследство. – М., 1996. - № 41. – С. 182-195.) 13. Lisenko T. Slavic and Ancient Russ dwelling of Carpathian Ukraine. Architectural heritage. Moscow, 1999, no 39. pp. 157-166. (in Russian). (Лисенко Т.Л. Славянское и древнерусское жилище Карпатской Украины // Архитектурное наследство. – М., 1999. - № 39. – С. 157-166.) 14. Jensenius Jørgen H. Research in Medieval Norwegian wooden Churches, relevance of Available Sources. Nordic Journal of Architectural Research, vol. 13, no. 4, 2000, pp. 7‒23. 15. シェフツォバ・ガリーナ、櫻井敏雄「ウクライナ木造教会堂の基礎 的研究」近畿大学理工学部研究報告 . 平成 16 年 , 第 40 号 , ページ 18 - 28. 16. シェフツォバ・ガリーナ、櫻井敏雄「ウクライナ木造教会堂の外観 と様式」近畿大学理工学部研究報告 . 平成 16 年 , 第 40 号 , ページ 9 - 18. 17. シェフツォバ・ガリーナ、櫻井敏雄、五島利兵衛。ウクライナにお ける校倉造木造教会堂の内部空間 大同大学紀要 . 2009, 第 45 巻 , ページ 65 - 71. 18. Danyluk A. Rural architecture of Boyko Ukrainian Land. Lviv: Ukrainian Technology Publ. 2004. (in Ukrainian). (Данилюк А. Народна архітектура Бойківщини. – Львів: НВФ «Українські технології», 2004. – 168 с.) 19. Danyluk A. The treasures of Hutsul Ukrainian land rural architecture. Lviv: Logos Publ., 2000. (in Ukrainian). (Данилюк А. Скарби народної архітектури Гуцульщини. – Львів: Логос, 2000. – 136 с.) 20. Danyluk A. The traditional architecture of the regions of Ukraine: Polissia. Lviv: Lviv National University Publ., 2001. (in Ukrainian). (Данилюк А. Г. Традиційна архітектура регіонів України: Полісся. – Львів: Видавничий центр ЛНУ ім. І. Франка, 2001. – 111 с.) 21. Logvyn G. Wooden architecture of Ukraine. Sketches of Ukrainian republic architecture history. Kiev: State Ukrainian publishing of construction and architecture literature, 1957, vol. 1, pp. 200-231. (in Ukrainian). (Логвин Г. Дерев’яна архітектура України // Нариси історії архітектури Української РСР. – T. 1. – К.: Держ. вид. літератури з будівництва і архітектури УРСР, 1957. – С. 200-231.) 22. Makushenko P. Rural wooden architecture of Transcarpathia (18th ‒ beginning of 20th c.) ‒ Moskow: Stroiizdat, 1976. (in Russian) (Макушенко П.И. Народное деревянное зодчество Закарпатья (XVIІІ – начала XХ в.). – М.: Стройиздат, 1976. – 160 с.) 23. Mogytych I. Defense buildings. Belfries. Rural architecture of Ukrainian Carpathians 15th-20th centuries. Kiev: Naukova Dumka Publ., 198. pp. 181-194. (in Ukrainian). (Могитич І.Р. Оборонні споруди. Дзвіниці // Народна архітектура українських Карпат XV-XX ст. – К.: Наукова думка, 1987. – С. 181-194.)

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(in Ukrainian). (Шевцова Г. В. Дерев’яні церкви України – К.: Грані-Т, 2007. – 376 с.) 28. Buxton D. The wooden churches of Eastern Europe. An introductory survey. London: Cambridge University Press Publ., 2008. 29. Lisenko T. Constructive peculiarities of Carpathian region’s wooden churches. Architectural Heritage, no. 34. Moskow: Stroyizdat Publ., 1986. pp. 142-151. (in Russian). (Лисенко Т. Л. Конструктивные особенности деревянных церквей Карпатского региона // Архитектурное наследство. – М.: Стройиздат, 1986. – Вып. 34. – С. 142-151.) 30. George Mishell. The Hindu temple. London: Paul Elek, 1977. 31. Encyclopedia of Indian temple architecture: South India. American Institute of Indian Studies University of Pennsylvania Press, 1983. 32. James Fergusson. History of Indian and Eastern architecture. Delhi: Munshiram Manoharlal oriental Publ., 1876. 33. Opolovnikov A. Russian wooden church architecture. Moscow: Iskusstvo Publ., 1986. (in Rurrian). (Ополовников А. В. Русское деревянное зодчество: Памятники шатрового типа. Памятники клетского типа и малые архитектурные формы. Памятники ярусного, кубоватого и многоглавого типа – М.: Искусство, 1986. – 312 с.) 34. Opolovnikov A. Russian wooden civil architecture. Moskow: Iskusstvo Publ., 1983. (in Russian). (Ополовников А. В. Русское деревянное зодчество: Гражданское зодчество – М.: Искусство, 1983. – 288 с.) 35. Kradin N. Russian wooden fortress architecture. Moscow: Iskusstvo Publ., 1988. (in Russian). (Крадин Н. П. Русское деревянное оборонное зодчество – М.: Искусство, 1988. – 192 с.) 36. Shevtsova G. Space-construction like one of the main markers of the genesis of the wooden temples. Questions of the History of World Architecture, no. 6. Moscow: Nestor-Istoria Publ., 2016, pp. 149‒168. (in Russian). (Шевцова Г.В. Пространственная конструкция, как один из ведущих показателей генезиса деревянных храмов // Вопросы всеобщей истории архитектуры. – Вып. 6. – М.; СПб.: Нестор-История, 2016. – C. 149–168.) 37. Bing B., Boe L.H., Christie I.L. and others. Norsk Folkemuseum: the Open-Air Museum. Oslo: the Department of Cultural History Publ., Norsk Folkemuseum, 1996, 156 p. 38. Eva Vallebrokk, Thomas Thiis-Evansen. Norway’s Stave Churches. Oslo. Boksenteret Publ., 1993. 39. Takeuchi Akira. The wooden churches of Finland. The construction and history of the block-pillar church in the 17th and 18th centuries. Tokyo: LITHON Publ., 2009. (in Japanese). ( 竹内晧.フィンランドの木 造教会 17,18 世紀における箱柱式教会の構法と歴史.東京:リトン, 2009.)

University of Iowa for a year from 1991. He received The Prize of Architectural Institute of Japan in 2008 , and his current interests include various fields of structural optimization, analysis and

小椋 大輔 Daisuke OGURA Daisuke Ogura, born in 1969 in Kobe, received his undergraduate, master and doctoral degree from Kobe University. He is a professor of department of architecture and architectural engineering at Kyoto University after working as an assistant professor at Kobe University, an assistant professor and an associate professor at Kyoto University. He was an invited researcher at Swiss Federal Laboratories for Materials Science and Technology and a visiting researcher at Tokyo National Research Institute of Cultural Properties. He is currently a visiting researcher at Nara National Research Institute for Cultural Properties. p.68-

Born in 1949, Dr. Shuji Funo graduated from the University of Tokyo in 1972 and became an Associate Professor at Kyoto University in 1991. He is currently a Project Professor at Nihon University. He has been deeply involved in urban and housing issues in South East Asia for the last forty years. He is well recognized in Japan as a specialist in the field of human settlement and sustainable urban development affairs in Asia. His Ph.D. dissertation, "Transitional process of kampungs and the evaluation of kampung improvement programs in Indonesia" won an award by the AIJ in 1991. He designed an experimental housing project named Surabaya Eco-House and in his research work, he has organized groups on urban issues all over the world and has published several volumes on the history of Asian Capitals and European colonial cities in Asia. Apart from his academic work, he is well known as a critic on architectural design and urban planning.

Norio MAKI

Born in Kyoto, Japan in 1968, Norio Maki is a professor of Disaster

эволюции // Деревянное зодчество: новые материалы и открытия. - Москва; Санкт-Петербург: Коло, 2015. - Вып. 4. - С. 25 - 42.)

disasters.

108

竹山 聖

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

Kiyoshi Sey Takeyama, born in 1954, received his undergraduate degree from Kyoto University and both his master’s and doctoral degree from the University of Tokyo. He was awarded the Andrea Palladio International Architecture Prize in 1991. He has been pursuing poetical imagination in architecture examining the themes of “Incomplete Object”, “Trans-territory”, “Discontinuous City” and “Counterpoint of Sky and Earth”. He is a Professor Takeyama & Associates, and Chairman of Architectural Design Association of Nippon. p.58-

古阪 秀三 Shuzou FURUSAKA Shuzo Furusaka was born in 1951 in Hyogo, Japan. He is a Professor of Architecture System and Management, Department of Architecture and Architectural Engineering of Kyoto University. He had worked in construction industry for two years as a site manager, before returning to the University. He has been working in academic field for about fourty years. His main research themes are “Integration of Design and Construction”, “Restructuring Construction Industry and Construction System in Japan”, and “Project Management”. He was a President of Construction Management Association of Japan and Chairman of Committee on Architecture System and Management of Architectural Institute of Japan. He is now a Representative of The International Study Ensuring System and Chairman of General Conditions of

24. Watanabe Yasutada. Shinto art: Ise and Izumo shrines. New-York: WEATHERHIL; Tokyo: HEIBONSHA Publ., 1964. 25. Yong D., Kimura M. Introduction to Japanese Architecture. Singapore: PERIPLUS Publ., 2004. 26. Shevtsova G. The spatial design of timber “octagon-on-square”: problems of non-converged evolution. Wooden architecture: new materials and discoveries. Vol. 4. Moscow; Sankt Petersburg: Kolo Publ., 2015, pp. 25 ‒ 42. (in Russian) (Шевцова Г.В. Пространственная конструкция срубного восьмерика на четверике: проблемы неконвергентной

27. Shevtsova G. Wooden churches of Ukraine. Kiev: Grani-T Publ., 2007.

p.64-

Group for Construction Project Delivery Methods and Quality

p.74-

Prevention Research Institute in Kyoto University. He studied post disaster housing, receiving his master's in 1993 and Ph.D. in 1997 from Kyoto University. During his time as a Senior Researcher at the Earthquake Disaster Mitigation Research Institute in Kobe between 1998 and 2004, he also spent a year at the University of California, Berkeley as a visiting scholar, to study disaster management. He mainly studies recovery planning from natural p.87-

seismicresponse analysis.

of Architecture at Kyoto University, Principal of AMORPHE

布野 修司 Shuji FUNO

牧 紀男

design of spatial structures, and high performance computing for

Construction Contract Committee. p.80-

山岸 常人

Tsuneto YAMAGISHI

Born in 1952, Dr. Tsuneto Yamagishi graduated from the University of Tokyo. His field of research is the history of Japanese religion and religious buildings. With the aim of conserving diverse Japanese historical heritage, he has been investigating nondesignated historic buildings in Hyogo and Shiga prefectures, amongst many other districts. p.91-


17

Back Number Issue

interview : project : essay :

2016.10

l

128p, 16p in color

インタビュー:野又 穫 松井るみ , 石澤 宰 , 柏木 由人 竹山研究室、平田研究室、神吉研究室 竹山聖「『無何有』をめぐる建築論的考察」

バックナンバーは以下の Web サイトにて公開しています。

平田晃久「『生きている建築』をめぐるノート」

https://www.traverse-architecture.com/

山岸常人「オーバーアマガウの受難」

その他、各種お問い合わせは下記メールアドレスにご連絡ください。

布野修司「アレクサンドロスの都市」

info@traverse-architecture.com

三浦研「コミュニケーションと環境」 牧紀男「建築の『がわ』と『み』」 古阪秀三「東南アジアで考える日本の建築ものづくり」 川上聡「メキシコと建築」

16

interview : project : essay :

12

interview : essay :

2015.10

l

96p, 16p in color

インタビュー:石山友美 中野達男 , 石山友美 ,TERRAIN architects 竹山研究室「コーラス」 竹山聖「コーラス / コーラ、あるいは形なき形をめぐって」

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interview : project : essay :

interview :

interview :

竹山研究室「ダイアグラムによる建築の構想」 竹山聖「形を決定する論理」

interview : project : essay :

l

120p

特集:アートと空間 松井冬子 , 井村優三 , 豊田郁美 , アタカケンタロウ 竹山研究室「個人美術館の構想」

古阪秀三「シンガポール・建設産業界との交流」

牧紀男「災害・すまい考」/ 上住彩華「フランス歴史建築考」

平野利樹「試論―タイムズ・スクエア、エロティシズム」

96p

インタビュー:深澤直人 深澤直人

11

interview :

布野修司「建築少年たちの夢:現代建築水滸伝」

project :

l

96p

座談会:大学教育の問題点 森田司郎名誉教授

l

128p

インタビュー:平野啓一郎 平野啓一郎 , 森田一弥 竹山研究室「ユートピア / ランドスケープ」 高濱史子「見るちから、伝えるちから」

竹山聖「柏の葉 147 コモン物語」

2007.10

2010.11

essay :

7

interview :

中井茂樹「ロベール・ブレッソン論-生きつづける関係-」

10

essay :

128p

インタビュー:名和晃平 名和晃平 , 高松伸 , 前田茂樹 石田泰一郎「都市の色彩分布の形成シミュレーションと視覚的印象評価」

2009.11

l

112p

インタビュー:川崎清

鈴木健一郎「歩きながら都市を考える」/ 伊勢史郎「音響樽の構想」 project:

9

interview :

川崎清名誉教授

interview :

discussion:

齊藤公男「構造設計者の夢と現実」

discussion :

essay :

l

竹山聖「『陰影礼賛』考-対比と階調」/ 布野修司「グリッド都市」

古阪秀三「躯体図考―躯体図から BIM へ」

l

interview :

2012.11

大崎純「建築デザインの数理的手法」

小室舞「現在進行形バーゼル建築奮闘記」

2011.11

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竹山聖「建築設計事務所という「場」をつくる」

大崎純「建築形態と構造形態」

松隈章「建築家・藤井厚二が求めた「日本の住宅」の美意識」

古阪秀三「タイの鉄骨ファブリケータとの共同研究」

2008.11

l

96p

座談会:これからの建築ジェネレーション 金多潔名誉教授 高松伸 / 布野修司 / 竹山聖 / 平田晃久 / 松岡聡 / 大西麻貴+百田有希 「これからの建築ジェネレーション」

対談:イワン・バーン×高濱史子

竹山聖「超領域 あるいは どこにも属さない場所」

布野修司「オンドルとマル、そして日式住宅」

渡辺菊眞「建築にさかのぼって」/ 伊勢史郎「知の場の原理」

伊勢史郎「身体のリアリティ」

伊勢史郎「自己ミーム」

大崎純「建築構造物の非線形解析と形態最適化」/ 布野修司「条理と水利」

布野修司「ハトとコラル―非グリッドの土地分割システム―」

石田泰一郎「照明新時代と光の色」

古阪秀三「建築コストと技能労働者の労働三保険について考える」

竹山聖「思考の可能性としての建築」

2006.09

l

96p

座談会:耐震偽装問題の背景と課題 西川幸治名誉教授

discussion : 「耐震偽装問題の背景と課題」

6

interview : essay :

2005.09

l

96p

インタビュー:伊東豊雄

essay :

5

田路貴浩「堀口捨己 自然と水平の超越」

2004.06

l

112p

座談会:快感進化論書評

伊東豊雄

interview :

石田泰一郎「環境への科学的アプローチ―光環境の心理評価」

discussion : 「快感進化論書評」

川上貢名誉教授

伊勢史郎「音と身体」/ 大崎純「重複座屈荷重の不整感度解析」

竹山聖「世界はエロスに満ちている」

大崎純「最適化のための反最適化」

竹山聖「建築的瞬間の訪れ」

大崎純「テンセグリティ入門」/ 吉田哲「建築学生考」

竹山聖「可能世界の構想」/ 金多隆「建築から産学官連携を考える」

竹山聖「フェニキアからギリシアへ」

布野修司「「インド・イスラーム」都市論ノート」

古谷誠章「建築家の国際相互認証と JABEE」

瀧澤重志「対話型進化計算法を用いた事例の探索と学習による設計支援」

布野修司「景観・風景・ランドスケープ 景観論ノート 01」

古阪秀三「得する建築をつくるために」

布野修司「ミャンマーの曼荼羅都市 インド的都城の展開」

甲津功夫「鉄骨造構造物の耐震性能と加工」

牧紀男「移動する人々―災害の住宅誌―」

青木義次「カラフル都市の4色問題」/ 大森博司「構造力学の眺望」

古阪秀三「プロジェクト発注方式の多様化」

古阪秀三「建設業における流通の多段階性」/ 大崎純「建築計算工学とは」

2003.06

l

112p

座談会:ゼネコンの経営者に聞く 森田司郎名誉教授

discussion : 「ゼネコンの経営者に聞く」 essay :

ホンマタカシ , 八島正年 + 八島夕子 , 高橋和志 , 鳥越けい子

2013.10

大崎純「建築形態と構造形態」

―プロジェクトマネジメントとそれに関連する諸問題―」

4

特集:建築を生成するイメージ

14

布野修司「『周礼』「考工記」匠人営国条考」

discussion : 「大学教育の問題点 essay :

112p, 16p in color

布野修司「殺風景の日本―東京風景戦争―」

上田信行「学びのメタデザイン」

8

l

布野修司「大興城(隋朝長安)の設計図―中国都城モデルA」

井関武彦「形態から状態へ―Parametric Datascape の実践」 project:

2014.10

加藤直樹「計算幾何学と建築」/ 大崎純「曲線の滑らかさと力学」

essay :

3

interview :

2002.10

l

112p

座談会:外部評価を終えて 巽和夫名誉教授

discussion : 「外部評価を終えて」 essay :

布野修司「発展途上地域の大都市における居住地モデルに関する研究」

2

interview :

2001.06

l

112p

座談会:大学論 松浦邦男名誉教授

discussion : 「大学論」 essay :

布野修司「タウンアーキテクトの役割と仕事」

essay :

1

interview :

布野修司「アジアにおける都市変化のディレクター」

2006.06

l

140p

座談会:大学論 横尾義貫名誉教授

discussion : 「大学論」 essay :

高橋康夫「室町幕府将軍御所の壇所―雑談の場として」

高橋大弍 / 高橋良介「周期的構造を持つ反射面による音揚と聴感上の影響」

平岡久司「植栽内熱・水分・二酸化炭素収支のモデル化に関する考察」

高田光雄「大阪における「裸貸し」の伝統と次世代住宅「ふれっくすコート吉田」」

山岸常人「神社建築史研究の課題」/ 大崎純「トラスの形状最適化」

石田泰一郎「都市景観の視覚的印象評価と色彩分布の特徴量」

大窪健之「地震火災から木造都市を守る環境防災水利整備に関する研究開発」

竹山聖「都市発生論」/ 山岸常人「杵築大社本殿十六帖説批判」

布野修司「植民都市の建設者 計画理念の移植者たち」

竹山聖「他者に対する抵抗の形式」/ 布野修司「オランダ植民都市研究」

伊勢史郎「ミームは快楽主義」/ 鈴木博之「建築における評価」

大崎純「建築構造物の座屈と最適化」

古阪秀三「京都駅」/ 竹山聖「不連続 都市空間論 2000」

古阪秀三「建築生産の現場でどんな現象で起こっているか」

西澤英和「知られざる名作―もう一つの閑室を巡って」

石田泰一郎「色による人と環境のインターフェイス」

鉾井修一 他「密集市街地におけるエネルギー消費および温熱環境の解析と

中嶋節子「1930 年代・大阪市建築課のモダニズム建築」

古阪秀三「日本における CM 方式の普及過程」

井上一郎 / 宇野暢芳「摩擦面の破壊機構と高摩擦鋼板の開発」

蓄熱水槽を利用した地域熱供給システムの提案」

三浦研「外山義-軌跡と建築-」

竹山聖「遊び / 建築というゲーム」

古阪秀三「シンガポールの建設事情」/ 伊勢史郎「大学論再考2」

石田泰一郎「色彩の心理効果の意味を考える」 他


編集委員

編集後記 『traverse——新建築学研究』にとって 18 年目となる今年度は変革の年となりました。様々

石田 秦一郎

布野 修司

伊勢 史郎

古阪 秀三

大崎 純

牧 紀男

本号では「壁」という統一テーマのもと、様々な分野の第一線で活躍する先生方にエッセイ

金多 隆

三浦 研

やインタビューをお願い致しました。

竹山 聖

山岸 常人

平田 晃久

な人へ発信できるよう、バックナンバーを電子書籍化し、それに伴い HP もリニューアル致し ました。

「壁」を起点とした本号の内容は多岐に渡り、様々な分野を深く掘り下げるものとなりました。 このような魅力的な誌面を実現することができたのは、編集委員の先生方、寄稿者の方々、 並びに並びに traverse18 のインタビューにご協力いただいた五十嵐様、奥田様、魚谷様、三谷 様の尽力によるものです。学生編集委員を代表して、心より感謝を申し上げます。 学生編集長 小林章太

学生編集委員

<『traverse――新建築学研究』創刊の辞>より

修士1回生

修士2回生

潮田 紘樹

王 隽斉

沖林 拓実

大須賀 嵩幸

小林 章太

加藤 慶

堺 雄亮

川本 稜

坂野 雅樹

田中 健一郎

高橋 一稀

田原迫 はるか

千田 記可

京都大学「建築系教室」を中心とするメンバーを母胎とし、その多彩な活動を支え、表現す るメディアとして『traverse——新建築学研究』を創刊します。『新建築学研究』を唱うのは、 言うまでもなく、かつての『建築学研究』の伝統を引き継ぎたいという思いを込めてのことです。 『建築学研究』は、1927(昭和 2)年 5 月に創刊され、形態を変えながらも 1944(昭和 19) 年の 129 号まで出されます。そして戦後 1946(昭和 21)年に復刊されて、1950(昭和 25) 年 156 号まで発行されます。数々の優れた論考が掲載され、京都大学建築学教室の草創期より、 その核として、極めて大きな役割を担ってきました。この新しいメディアも、21 世紀へ向けて、 京都大学「建築系教室」の活動の核となることが期待されます。予め限定された専門分野に囚 われず、自由で横断的な議論の場を目指したいと思います。「traverse」という命名にその素朴 な初心が示されています。

得能 孝生 原 泉 森本 将司 山口 大樹

2000 年 4 月 1 日 The Beginning of "traverse" as the Rebirth of "Kenchikugaku Kenkyu" Now, we, members of the School of Architecture at Kyoto University, start to publish the "traverse---Shin Kenchikugaku Kenkyu" magazine, which will support our activities and represent our research work. The name of "Shin Kenchikugaku Kenkyu", which means "New Architectural Studies", is derived from "Kenchikugaku Kenkyu", the former transactions of the School of Architecture at Kyoto University, that started in May 1927 and continued to be published until 1950 in spite of interruption during the wartime. "Kenchikugaku Kenkyu" had played important roles to develop the architectural knowledge in the early period of the School of Architecture at Kyoto University. We hope to take over the glorious tradition of it. This new magazine is expected to be a core of various activities towards the 21st century. To discuss freely beyond each discipline is our pure intention in the beginning, as is shown in the name of"traverse".

traverse 18 © 2017 Traverse Editional Committee 編集・発行 traverse 編集委員会 School of Architecture, Kyoto University, Kyoto, Japan 〒 615-8540 京都市西京区京都大学桂 京都大学建築系教室 www.traverse-architecture.com traverse 編集委員会 2017 年 10 月 3 日

1st of April, 2000


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