1. 均等な厚さにのばした白銅板を薄くはぎとってできた明るい銀色の 表面を指でなぞっている豆錫匠キム・クックチョン 2. 蝙蝠模様の装錫。蝙蝠の羽に鮒の模様を付け加え装錫の華やかさを 極大化した。(写真;ソ・ホンカン)
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金克千さんの祖父、金春国氏は豆錫の技術に長けて全国的に「春国 の装錫」といって、良く知られていたという。金克千さんの父の金徳
工程を正確にきちんと作るようにという言葉は今でも耳の奥に残って おるんじゃよ」
龍氏もまた銀色に輝く統営の白銅装錫の堅固でありながら華やかな 模様を生かし卓越した装錫製作で装錫名家の名声をさらに高めたとい う。そしてその素晴らしい技能が認められ1980年に国の重要無形文 化財豆錫匠の技能保持者になった。 「父の装錫を求めに来た女性たちはコムシンをずいぶん履きつぶし
合金も匠の仕事 白銅は朱錫とニッケルを7対3の比率で配合して作る。最近は質 の良い合金が工場で作られているが昔は匠が直接合金の作業までして いた。
たでしょうよ。ひとつの三層箪笥には装錫が少なくても300個、多い
「白銅を作る時に朱錫が少しでも多いと後で装錫の色が変色してし
ときには350個も使われておりますんじゃ。装錫は材料を取り揃えて
まい、ニッケルが多すぎると壊れやすくなってしまうので、7対3の
作り上げるまでに少なくても6カ月から1年はかかり、その間待たな
割合をきちんと守らなければならんのじゃよ。朱錫とニッケルを混合
くてはならんのでのう。そこで金持ちの家の奥方たちがコムシン(履
した金渋を溶かす作業は一時も気を抜けないほど重要な仕事じゃけ、
物)を6足はダメにするくらい長い間、行ったり来たりしないと注文
70~80年代の父が生存中には匠が集まり祭祀まで行って始めたと言
した装錫を手に入れることができなかったということじゃな」
いとりました。熱い金渋を扱う仕事なんで、晩秋や冬に合金作業をし
鉄を餅を捏ねるように扱うという表現がオーバーでなかった金徳
ておったんじゃよ」
龍匠の見事な腕を伝え聞き、直接訪れて注文する夫人たちが多く、そ のおかげで統営地域の大部分の家具製作所も注文が途切れることがな
金克千さんは今も特別注文に対しては自ら合金を行うと
かったという。金克千さんは軍隊を除隊後、25歳から本格的に父の仕
いう。
事を手伝い装錫の仕事を身に着け始めた。当時彼の父は20人余りの
「摂氏1300度に溶けたものを枠に流し込めば白銅の塊になるんじゃ
弟子を率いる工房の代表だったが、注文が殺到し徹夜仕事をすること
が、それが一つ一つ出来上がるたびに収穫する農夫のような気分にな
はあっても、作業の工程一つ一つに手を抜くことは絶対になかったと
るんじゃよ。蔵の米を取り出し飯を炊いたり、餅にしたりするように
いう。
家具に従い適当な量の白銅の塊を取り出して再び溶かして、適当な厚
「父は本当に楽天的で、誰に対しても文句一つ言わないような人
さの形に叩いて伸ばしていきますのじゃ」
やったのう。私をはじめとした工房の職人たちに常に『急いでやろう
用途と模様に従い厚さを測り、白銅の板を作るまで再び1300度の
とするな、一つひとつゆっくりとおおらかな気持ちでするように』と
熱で20~50回熱し、数千回も叩いて伸ばす工程を経る。40年近くし
言っとりました。おおらかにするというのは、何度も手を入れないよ
てきた作業だが、金さんは白銅を叩いて伸ばすたびに雑念がなくなり
うにするという意味で、何度も手を入れるというのは、腕が未熟なた
新しく作る装錫に対する期待でわくわくしてくるという。使い道に従
め何度も直してしまうということなんじゃ。それでは装錫の美しさと
いだいたい0.5~1mmの厚さに均等にのばした白銅板の表面を薄く
機能性が落ちてしまうんじゃ。小さな装錫一つを作るのにもすべての
はぎとり白銅特有の明るい銀色を得る。その裏面に型を当てて押し切
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韓国の文化と芸術