History of Medieval Russian Culture

Page 53

53

988

年、ウラジーミルはギリシャの

爵に「洗礼を受けてから、妹を送る」と返事した。し

都市ヘルソネスへ行軍し、ヘ

かし、ウラジーミルは「皇女を連れてくる司祭は我

ルソネス市民は城壁内に閉じこもった。ウラジーミ ルの軍隊は城壁まで矢が飛べる距離にある港で 泊まったが、ヘルソネス人は勇敢に戦っていた。そ してウラジーミルの軍は都市を包囲攻撃した。疲 れ果てた市民に、ウラジーミルは「砦を開け渡さな いと、我は三年でもここを離れない」と言った。しか し、市民は敗北を認めず、ウラジーミルの軍は城 壁の外側に土を積み始めた。ところが、ヘルシネス 市民は城壁の内側から穴を開けて、その土を掘り 出して街の中心部に運んでそこで積んだ。しかし ルーシの戦士はもっともっと土を積んで、ウラジーミ ルは諦めなかった。それでヘルソネス市民の一人、 アナスタスという男は矢に「東側にある井戸から地 下水道で流れる水を止めろ」と書いて、その矢を 射た。ウラジーミルはその知らせを受けて「成功した ら、絶対に洗礼を受ける」と決めて、地下水道を 掘り出して水を止めるように命じた。市民は水不 足に耐えず、門を開けた。ウラジーミルは街に入っ て、二皇帝ワシリイとコンスタンティーネスへ使者を 送って「ヘルソネスを支配した。そなたは美人の妹 がいると聞いたが、彼女を我の嫁によこせ。さもな いと、そちらの都も包囲攻撃する」と。 二皇帝は悲しみ、彼に返事を送った「我々キ リスト教徒は女性を異教徒の嫁に出せない。もし、 其方が洗礼を受けたとすれば、嫁を貰えるし永遠 の命も手にするし、我々のキリスト教徒同士にもな れる。さもなければ、娘を嫁に出せない」それにウラ ジーミルはギリシャの使者に「二皇帝に伝えろ。我 は洗礼を受けることにした。ギリシャの法のことを既 に使者から聞いて、その信仰も礼拝も好ましい」と 答えた。二皇帝は喜び、妹にその話を伝えて、公

の洗礼を施す」と答えた。二皇帝は言われた通り にして、ウラジーミルに皇女と高官と司祭を送った。 皇女は「人質になるより死んだ方が良い」と言っ て、ルーシへ行くのを嫌がった。二皇帝は「貴方 が行けば、神はルーシを道徳の道へ向けて、我が 国は恐ろしい戦争から救われるだろう。しかし行か なければ、この都も危ない」と言って、やっと彼女を 説得した。そして皇女は泣きながら家族とお別れ をして、船に乗って海を渡った。ヘルソネスに着くと、 市民は迎えに来て、市内に案内し館に泊らせた。 その時、神意のためか、ウラジーミルは失明して、 眼が何も見えなくなり、彼はどうすれば良いか悩 んでいた。皇女は彼に「病から癒されたいならば、 早く洗礼を受けなさい。そうしなければ、絶対に治 らない」と伝えに人を送った。ウラジーミルはそれを 聞いて「それが叶えば、キリストの神は実に万能 だ」と言って、早くも洗礼を施すように命じた。ヘル ソネス主教と皇女の司祭と共に洗礼の儀式を行 った。主教はウラジーミルの頭に手を置くと、直ぐに 公爵に視力が戻った。奇跡の快復を実感したウ ラジーミルは「今こそ我は真実の神を知った」と言 って神に祈った。多くの武士もそれを見て洗礼を 受けた。公爵が洗礼を受けた聖ワシリイ教会は 今もヘルソネス市場の近くにある。その教会の横に ウラジーミルの館があり、祭壇部の後に皇女の館 がある。洗礼の後、皇女が来て婚礼が行われた。 真実を知らない者は、ウラジーミルが洗礼をキ エフで受けたと言う者もいれば、ワシーレフで受けた という者も、他の場所を挙げる者もいる。


Issuu converts static files into: digital portfolios, online yearbooks, online catalogs, digital photo albums and more. Sign up and create your flipbook.