J. Mendhamは第2ニケア会議第7総公会議の序論頁iii‐v において次のように述べている。“像の礼拝…は教会に人目を 盗んで、ほとんど気づかれずに忍びこんできた、キリスト教の 腐敗の一つである。この腐敗は、ちょうど他の異端のように、 それ自身が一夜に出現したのではない。そうだったら、これは 決然とした非難と譴責に出会ったことであろう。
「像は最初、礼拝されるためではなしに教会に導入された。読 むことの出来ない人々への教えのために本の代用として、また は他の人々の心を献身を鼓舞するために。…しかし、教会に持 ちこまれた像は、無知なる者の心を明るくするどころか、かえっ て暗くし、礼拝者の献身を高めないで、むしろ堕落させたこと が判った。”