それでは、教会に都合がよかったというだけの理由で正しいと見做された如何なる教義について、ローマ皇帝が暴力をもってして、人民に強制的に順守させる権利についてはどうなるであろうか。これもまた、打破、廃止され、抗議者のなかに静かに組み込まれていた行動原理をもってして、二つの暴政を打倒する。ローマ法王の権力と皇帝の暴力の効力は廃れ、道徳心が信仰に重要となる。ただし抗議者は道徳心を信仰原理に据えはしない。主である神への反乱とは、つまり無秩序を意味した。抗議では聖書が道徳原理であり、聖書の著者でありうるのは唯一神のみであると宣言する。そうして、一方には無秩序、もう一方には暴政の二つの相反な危険の路の間を進み、プロテスタンティズムは真の自由の旗印として広く人民のなかに表れていく。その旗の周りには自由になりうる誰もが集まるに違いない。