キリスト教世界を悩ませた悪、すなわち迷信、背信、無知、根拠なき憶測、そして腐敗の型という、人間の心に自然と宿るこれらすべての果実は、歴史において新しいものではなく、しばしば国家の歴史の中で表象されてきた。特に東洋では、様々な宗教が繁栄を誇るも、悪により弱体化し、その攻撃に苦しみ、屈し、堕落の果てに二度と再起することはなかった。キリスト教も同じ運命をたどるだろうか。活況を呈したこれら古代宗教のように破壊されてしまうだろうか。彼らに死をもたらした打撃は、キリスト教の命を奪うにも十分な力であろうか。キリスト教を救えるものは何もないのであろうか。いまやキリスト教を抑圧し、他の多くの宗教を破壊してきた敵対勢力は、抵抗なきままに席巻してしまうだろうか。教会と世界のこの復活はどのようにして成し遂げられたのか。当時の立会人はいつの時代にも神が世界を統治する二つの法則作用を目撃したかもしれない。まず、神は時間をかけて行動を起こす故、達成を企図する出来事の遥か以前に、ゆっくりとその準備を始める。そしてその時が訪れた時、神は最小の手段で最大の結果を生み出す。