佐野 桃子 Momoko Sano
メールアドレス dhe51760@kwansei.ac.jp
電話番号 09081289249
経歴
2000年6月 兵庫県神戸市生まれ
2019年3月 兵庫県立長田高等学校 卒業
2019年4月 関西学院大学 総合政策学部 入学
2021年4月 同学部 都市政策学科 八木康夫研究室 所属
好きなもの 本・数字・タイピング・歌
AutoCAD
Illustrator
Photoshop
Rhinoceros
InDesign
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1 2 3 4 5 (鋭意勉強中)
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オフィスビル+飲み屋
御堂筋(交通量が多い)
曾根崎通(交通量が多い)
出典:Google Earth(https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)
対象敷地は大阪梅田駅を御堂筋沿いに南へ下ったところに位置する角地だ。
付近にはJR大阪駅、駅前ダイヤモンド地区、西梅田地区などのデパート、商業ビル、オフィス、ホ テルなど多様な建物が集積しており、お初天神(露天神社)に隣接する。
例えば伊勢神宮は、その広大さこそが神社の荘厳さを演出していると思う。
広い境内の中、人間よりもはるかに大きな木々の間を歩きながら、我々は神社という存在 を不可侵たるものだと感じ取る。
お初天神で見られる、折れ曲がった道、空へとぬける穴、境内のタイルが外にまで拡張さ れていること、露店が立ち並ぶようなアプローチ空間などは全て、狭い敷地ながらも広大 さを獲得すべく工夫されたものだと感じる。
周囲の建物に領域を干渉されるその姿は、よくわからない場所だという印象を抱かせる。
ここは本当に神社なのだろうか。神社という言葉をあてがっただけではないのか。
本殿が、ただそこにあるだけのハリボテに見える。お初天神には実体がないのではないか。 特殊な敷地状況に混乱していた。
何度も敷地に足を運ぶうちに、このごちゃごちゃ感がこの場所の魅力でもあると気づく。
お初天神の魅力は、周囲の環境に干渉されていることによって生まれている。
周囲の変化を受け入れながらも、その輪郭を更新していく。
お初天神につながる脇道の様子。
狭い道に建物がギュッと建ち並ぶ。少し汚いが情報量の多さが歩く楽しさを誘発する。
このごちゃごちゃとした雰囲気をそのまま引き継ぎたい。
やわらかく包みたい。
学びの場をつくる
最も気になったのは隣接する飲み屋街の酒臭さと、そこからお初天神にやってくる酔っ払いの姿だ。
彼らも普段は社会の一員として生活している。他にも、路上生活者や、水商売のお姉さん、夜中に一 人でご飯を食べているお年寄りの姿。
お初天神は都市に所属をもたない人々の拠り所だ。
酒臭いからと排除するのではなく、様々な人が集まることをプラスと捉え、それぞれの人の経験が、
ひいては都市の発展につながるように。
ただ会社や学校に行くだけでは得ることのできない豊かな経験を積むための場となるように。
都市と神社とが拮抗するさまを受けて、波がせめぎあうイメージを抱いた。
白いひだを、通り道になるスロープとして、
そして全体をやわらかく覆うものとして機能させる。
建物の間のスロープをいかに 通すか考える。
構造的なことも考えると、スロープの存在が大きくなってしまうことに気がついた。
どっしりとかまえたものは建てたくない。
不定形で、可変性のあるものを建てたかった。
膜を使うことはできないだろうか。
不定形で可変性のある膜で、やわらかく包む。
然るべき膜の在り方を探る。
膜とは何であるのか。
不定形なものを用いて形をつくることの難しさに直面する。
だんだん自分が何をしているのかが分からなくなっていく。
膜が架かる部分の境界の在り方について一生懸命考えていた。
もしかしたら膜ではなかったのかもしれない。
境界の在り方を再検討する。外壁を建て、それをいかに穿つかを考える。
断面の現われ方を考える。
やはり膜であるという結論に至る。
場を包む役割を果たす膜と共に、境界を曖昧にするカーテンを用いることにする。
スロープを通したところにカーテンを通し、
そこを訪れる人々の輪郭が更新されることを考えた。
人々がカーテンに包まれて、個別の意味を失えば良いと思った。社会的な属性など関係ない。
ここに集う者の立場などは全て曖昧になり、皆が等しく学ぶ。
1st floor plan Scale=1:300
誰もが自由に行き来できる、
そして自由に行き来したくなる境界を作り出す。
ゆるやかにお初天神の境内を拡張する。
建物の中で行われていた行為が、 膜・カーテン・スロープがある外側へと 投げ出されていく。
ごちゃ混ぜな、お初天神の良さを建築化する。
この場所の、「明るい破壊」を目指して。
2nd floor plan Scale=1:400
3rd floor plan Scale=1:400
4th floor plan Scale=1:400
5th floor plan Scale=1:400
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02 つなぐ音、転調する日常
震災の記憶が残る公園に大小のコンサートホールを計画する
対象敷地である三宮、神戸市役所南に隣接する東遊園地は開発の進んだ都市の中にぽっかりと浮いた 緑地である。「都市の中の緑地」とだけ聞くと少し寂しい印象を受けるが、三宮駅からもほど近く、 オフィス、商業エリアに囲まれた利便性の高い場所だ。
この公園は実に豊かな使われ方をしている。
特に芝生広場で皆が思い思いに過ごしているのが良い。
緑の中で人々が集い、憩う風景がここには確かにある。
東遊園地を南に下った先の、神戸港では阪神淡路大震災時の状況が一部そのまま保存されている。 自然に淘汰された、港の姿。
東遊園地で行われる神戸ルミナリエの様子
1.17希望の灯り 震災のモニュメント
東遊園地は震災と強い結びつきのある場所だ。
建築は、地震や津波を引き起こす自然には敵わない。
いつか壊れてしまうかもしれない建築の存在意義とは何なのだろうか。
壊れることで人の命を奪う建築が、本当に必要なのだろうか。
建築にできることは何か。
建築とは何なのか。
私は建築で何ができるのか。
東遊園地内には慰霊碑がある。その内部で阪神淡路大震災で亡くなられた方の名前を刻んだ銘板が掲示されている。
描き慣れていないスケッチたち。風景を描きたかった
去る東日本大震災では、津波により多くの犠牲者が出た。
海が、多くの人の命を、暮らしを、奪った。
だが人々は海を排除しなかった。その土地の風景を形成してきた海を。
自然は恐れるべきものかもしれないが、一方で場所の風景をつくるものではないか。自然は私たちの 生活と共にある。たとえ何が起ころうとも、私たちは自然と共に生きていく。互いに絡み合いながら。
いかにして自然を超越するものをつくるのか、ではなく、自然との共生を目指した建築をつくりたい。 風景を受け止める建築を。
東遊園地の木をプロットする。
風景から建築を考えるとはどういうことかを、考える。
風景≒自然+建築+人(行為)ではないだろうか。
建築は風景を具体化する。
建築の柱と、自然の木。全てを等価に扱い、それらの調和を目指した。
風景から建築を考えると言っても、それは自然を、建築より尊いものだと、大切に大切に扱うことで はないと私は思う。
我々のつくる 建築の力というものを信じる からこそ、そして 建築と自然とを等しく扱う ことでこそ、
我々は自然と共生することができるのではないか。
管理棟
人の流れを読み解く
グリッドによって密度を均質化する それを崩すことで不均一な空間を つくりだす
柱と木々とを等価に扱う
一人ひとりに寄り添う スケール
門の下をくぐるような スケール
一見仮設的にみえる軽さ 災害にあっても残り続ける躯体 相反するものの両立・調和
既存の都市軸になじむグリッド
架構の強調
それに伴うガラス面の導入
2mの柱と梁 静かな一人の場所
スケールのグラデーション
小ホールとカフェとを連続させる 単体でもその存在を示すように
建築の構造を支える部材が外 へと拡張されていく
木と柱との間が人々の居場所 となり歩く道となる
芝生広場
周囲のビルによってできた 日陰に人々が集まる
芝生広場
スケールの混在 都市との連続性、人々の所作
隙間に 居場所ができていく
芝生には特別な手を加えない
周囲になじむ大きな スケールの架構
慰霊碑につながる 道の確保
平面上で慰霊碑が 浮かび上がる
慰霊碑
自然に淘汰された人々の存在が、 人工的なグリッドによって浮かび上がる
屋根をつくりすぎない 木が屋根となるように 建物を変形する
穿つ 木が建物を支えるように
大ホール
巨大な大ホールは公園内の奥に配置 周囲のビル群との連続性を担保
構造をあらわす
建物を支えているものを顕在化する
芝生広場
どこまで建物を閉じるか いかにして閉じるか
常に自然と共にあることを 感じられるようなものをつくる
公演後の余韻を 風景に溶かしていくような
ギャラリー 慰霊碑
断面詳細 1:100
断面詳細 1:50
対象敷地である学園西公園は兵庫県三田市に位置する。周辺には関西学院大学三田キャンパスや道の 駅、住宅が建ち並びニュータウンとしての特徴を持つ。公園内は木々が生い茂り、中央には大きな溜 め池がある。近所の人が散歩に来ている様子をよく見かける。その広大さゆえか、はたまた住宅地に 隣接しているからか、ここのくうきは静かでひっそりとしている。
新宮晋氏の作品を初めてみたとき、とてもゆったりとした時間の流れを感じた。
その流れを感じたとき、私はとても嬉しくなった。
流れを構成するひとつのパーツとして自らの存在を確かめることができたから。
今この瞬間、ここに、私は確かに生きているのだと感じられたから。
自然というものにフォーカスする彼の作品は真っすぐで清らかな生の喜びに満ちている。
出典:新宮晋公式ウェブサイト(https://susumushingu.com/index.shtml)
床を積み重ねるという操作によって、今この瞬間、ここに自らが存在していることを各々に知らせた いと思った。「今」のかがやきを建築で助長したい。また、連続するその積み重ねは、これまでそし てこれからの時間の流れを表すことにならないだろうか。
一歩一歩を踏みしめながら作品を、その体験を楽しむ。
目の前には、これからの自分が築いていく時間が複数の選択肢をもって広がる。
時折振り返ると自分がこれまで歩んできた時間の積み重ねが見える。
そして今の自分が立つその場所はその過去と未来とのひと続きの大きな流れを構成している。
断面図 1:150