深見 陶治 FUKAMI Sueharu
1947年、京都の窯元の家に生まれる。初期は伝統的な焼きものを制作していたが、イタリア人陶芸家カルロ・ザウリの作品と 出会い、自身の作風を転換。独自の「泥漿圧力鋳込み」による青白磁・立体作品を制作するようになる。1985年の「イタリア・ フィエンツア国際陶芸展」グランプリをはじめとして受賞歴多数。その作風は国内外で高く評価されている。
鋳込み技法は量産的手法として従来捉えられていたが、深見はその仕上がりの確実性を自身の表現に応用し、シャープで揺らぎ のない造形を生み出した。鋭い稜線やなめらかな器肌からは手仕事の痕跡が徹底的に削ぎ落され、ただ純粋な想念のみが形を とって現れている。こうした表現は、従来の焼きものよりはむしろ彫刻的ともいえる。しかしその一方で、これらの作品が青白 磁の焼きものであるからこそ、その深い色合いによって、鋭く切り取られた空間にさらなる奥行きが与えられている。すなわち、 深見陶治の手によって、陶磁器と彫刻のはざまに新たな境地が切り拓かれたといえるだろう。
18
深見 陶治
翔
H32×W110×26.8(台座含む)cm 底部に掻き銘「S. Fukami」、ed.「6/8」 共箱 木製台座付 来歴:Christie's New York、2012年9月11日
¥ 1,300,000~1,800,000
19
深見 陶治 空に
H18.1×W91.6×11.7(台座含む)cm 底部に掻き銘「S. Fukami」 共箱 木製台座付 来歴:Christie's New York、2012年9月11日 ¥ 1,000,000~1,500,000
20
深見 陶治 作品
H22.3×W124.3×14(台座含む)cm 側部に掻き銘「S. Fukami」、ed.「2/8」 箱無 木製台座付 ¥ 700,000~1,200,000
21
北大路 魯山人
紅椿絵鉢
H10.5×W22.2cm 高台脇に描き銘「ロ」 共箱 「東美鑑定評価機構鑑定委員会」鑑定証書 ¥ 7,000,000~10,000,000
椿鉢は魯山人の代表作として名高く、繊細でありながらも大らかさを感じさせる独自の作 風で多くの芸術愛好家を魅了してやまない。楽焼の手法を用い、粘土の質感と白化粧が生 み出す優しく温かみのある風合いを生かしながら、鉢の内外に手馴れた軽やかな筆致で感 興の赴くままに椿を描いている。ぽってりとした厚みを感じさせる花びらの赤と艷やかな 葉の緑、雄しべと葉にほのかに差す黄が、素朴でありながらも上品な雰囲気を生み出して おり、のびのびとしていて、作意を超越した自然な表現がなされている。鉢を少し上から 眺めると、奥行きのある美しい光景が広がり、さらに回して眺めると、鉢の内外を彩る椿 の様子とともに変化を楽しむことができる。絵付けは器の衣装として一体化しており、「食 器は料理の着物」と語りつづけた魯山人のもてなしの精神や遊び心までもが存分に感じら れる。「独歩」の精神で自由な表現を切り拓き、「雅美」を標榜した魯山人の到達点を示す、 真心あふれる逸品である。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
見込
底部
22
北大路 魯山人 五彩楓葉平向付 五
H3.5~4.5×W15.7~16.2×18.7cm
各底部に描き銘「魯」 共箱
「東美鑑定評価機構鑑定委員会」鑑定証書
¥ 2,000,000~3,000,000
紅葉をかたどった薄造の平向付で、紅葉に流水文を組み合わせて紅葉の名所「竜田川」を表現している。「竜田川」の意匠は、魯山人が敬愛し た京焼の名工、尾形乾山の向付や反鉢にも見出せることから、それらの作品に範を求めて制作されたと考えられるが、切り込みを鋭くした大胆 な形状や大ぶりなサイズに、本歌とは一線を画する魯山人独自の美意識が感じられる。また、葉の色を一枚ずつ色変わりで制作した類作が知ら れるが、本作のように絵変わりの作品は非常に珍しい。金彩で丁寧に描かれた秋の虫たちが竜田川の情景に空間的な広がりと奥行きを生み、新 たな魅力で見る者の心を惹きつける。「美の源泉は自然であり、美味の源泉もまた自然にある」と語った魯山人。自然に対する魯山人の細やか な眼差しを雄弁に物語る本作は、古い伝統を尊び、学ぶと同時に、新しい創作を目指した魯山人を象徴する優品と言うことができる。
23
北大路 魯山人
おりへ足つき鉢
H7.5×W28×28.1cm
共箱(友斎箱)
¥ 700,000~1,000,000
24
北大路 魯山人
おりへツボ花入
H26×W21.4cm
側部、底部に掻き銘「ロ」 共箱
¥ 3,000,000~5,000,000
25
北大路 魯山人
備前灰被きぬた花入
H22×W14.6cm
底部に掻き銘「ロ」
共箱
¥ 700,000~1,000,000
26
北大路 魯山人
染付大吉羊文花入
H25.5×W10cm
底部に描き銘「魯山人」
令和甲辰黒田陶々菴箱
¥ 700,000~1,000,000
27
北大路 魯山人
へむこ花入
H20.1×W20.8×9.8cm
底部に描き銘「魯山人」
共箱
¥ 1,600,000~2,200,000
別角度
表に「秌(秋)風吹渭水」と書き、裏に木の葉を描いた磁州窯風の扁 壷である。全く扁平になった扁壷は元代に流行したもののようで、磁 州窯のほかに景徳鎮窯や龍泉窯でも見られる。よく似た形の磁州窯の 扁壷が東京国立博物館の蔵品にもあり、その肩には大抵紐状の耳が付 けられているが、本作では貼花としている。
記された言葉は中唐の詩人・賈島の五言律詩「憶江上呉処士」が出典 で、「落葉満長安」と続く。賈島は「推敲」の故事の通り苦吟を以っ て知られる詩人だが、この二句も後半の「落葉満長安」に対して「秋 風吹渭水」の文句を得るのに苦心したという逸話がある。また、魯山 人が「天真爛漫でしかも見識ある書」と称えた慶長期の大徳寺の高僧・ 春屋宗園の手になるこの二句を記した一行書があり、魯山人はそれを 茶事でも掛けたという。
賈島惨憺の「秋
風吹渭水」は文句を書き、後半の「落葉満長安」は木 の葉の絵としているところに禅的な妙味が表れていて趣深い。顔真卿 の筆法を踏まえた変化ある書が文意と見事に響き合っており、書家・ 魯山人の面目を施している。木の葉一片が落葉降り敷く長安へと意識 を誘う抒情味豊かな逸品である。
28
富本 憲吉◎
白磁壷
H21.9×W25.6cm
底部に描き銘「富」 共箱
¥ 1,200,000~1,700,000
29
近藤 悠三◎
山噴煙染附金彩花瓶
H31.8×W28cm
底部に描き銘「悠」 共箱
¥ 1,000,000~1,500,000
30
初代 徳田 八十吉
古九谷欽慕卓形香爐
H20.4×W9.2×9.2cm
九谷村原石にて作之
底部に描き銘「九谷八十吉」 共箱
¥ 800,000~1,200,000
古九谷・吉田屋の再現に生涯を賭け、九谷焼の最高峰 の作家として昭和28年に国の無形文化財に認定され た初代徳田八十吉。生涯にわたり数多の優れた作品を 生み出してきた八十吉であるが、本作「古九谷欽慕卓 形香爐」はその中でも「九谷村原石」を使用した非常 に貴重な作品であり、「初代徳田八十吉翁作品集」 や 「特別展 歿後50年 初代徳田八十吉 古九谷・吉田屋の 再現にかけた生涯」などの文献に掲載されている同手 の作品と比べても遜色のない優品である。
31
河井 寛次郎(鐘渓窯)
青瓷繡花瓶
H24.1×W12.7cm
高台内に印銘「鐘谿窯」 河井つね箱
¥ 600,000~900,000
32
河井 寛次郎 三色扁壷
H21×W26.7×14cm 河井敏孝箱
¥ 1,000,000~1,500,000
33
河井 寛次郎
呉須泥刷毛目手壷
H27.5×W21×13.7cm 河井敏孝箱
¥ 1,300,000~1,800,000
1961(昭和36)年頃から、寛次郎は新しい形の手壷(把手 付きの壷)に取り組む。本作はその新型の手壷に泥刷毛目に よる装飾を施した晩年の作品である。
泥刷毛目は、あるとき意に沿わない筒描をやり直そうと布で 拭った際に表れた文様に面白さを感じて生み出された寛次郎 独自の技法である。柳宗悦は寛次郎を評して「河井は何事で も涙が出るほどに強く受取るのである。」「河井には不断に新 しく受取るものがあるので、その受取ったものを製作に活か さずには居れない。」と述べたが、この評は最晩年を代表す るこの技法においても見事に当てはまっている。土を掻きま わすダイナミックな力が作品にそのまま定着し、その上に施 された呉須による釉薬は、その厚薄により鈍く黒みがかった 深い青から白にまで転じて見せて、大海原の波濤のような存 在感溢れる作品を現出してみせている。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
32(別角度)
河井 寛次郎 花扁壷
H29×W21.5×13.6cm 共箱
¥ 3,000,000~4,000,000
別角度
両面に上にあるいは下に向く花を表す。抽象化されているが、片 側は右手で花を摘まむ。いま一方も花を摘まむ様であろう、こち らは花がより大きく描かれる。これらは寛次郎を代表する文様の 一つである。
のびやかで大胆かつ勢いのある筆致の筒描に艶やかな黒と緑と赤 を差す。粗土からなる器胎は素朴で力強く、緑色を帯びた流れを 伴う失透性の黄釉がその粗土を強く印象付けている。生き生きと した文様と相俟って全体に生命の息吹が感じられる作品である。
寛次郎の作品は1950年頃から手をモチーフとしたものが多くな る。寛次郎は元々手仕事からなる民藝を高く評価したが、ものを 生み出す点で機械と手は同じだと捉えるようになり、創造の源と しての「手」への信仰に近い想いが基となり、こうした作品が生 まれた。
なお、本作は筒描による白泥の凸線で文様を区切り、色釉が混じ るのを防いでいる。こうした技法はLOT137のような「法花」と 呼ばれる明代の中国陶磁にも確認できる。
本作は、世界中の陶磁器を研究し、また「手」への強い関心を抱 いていた、実に寛次郎らしい作品といえよう。
35
板谷 波山 彩磁草花文花瓶 1947(昭和22)年 H27.3×W21cm 底部に描き銘「波山」 板谷佐久良箱 「東美鑑定評価機構鑑定委員会」鑑定証書 ¥ 10,000,000~15,000,000
28 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
動画で作品をご覧いただけます。
彩磁草花文花瓶
H26.4×W13.5cm
高台内に描き銘「波山」 共箱
「東美鑑定評価機構鑑定委員会」鑑定証書 ¥ 25,000,000~35,000,000 動画で作品をご覧いただけます。
近代日本の陶芸を芸術の極みへと昇華させた板谷波山(1872~ 1963)は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さないとい う強い信念を持ち、端正で格調高い作品を制作した。洋の東西を問わ ず意匠研究と技法研究に打ち込み、それらを複雑に解釈、発展させた 独創的な作品は、日本の陶芸界が進む新しい道を切り開いたとして、 近代陶芸史のなかで最も高く評価されているものの一つである。
本作は、アール・ヌーヴォーの有機的な植物意匠に傾倒した明治大正 期を経て、波山が昭和初期頃から本格的に取り組んだ中国陶磁器の古 典学習の成果を示す典型作である。丸く膨らんだ胴部にすらりと伸び る細い頸部が口に向かってラッパ状に開く器形は、中国の宋代から元 代に盛んに作られた「玉 ぎょっこしゅんへい 壷春瓶」を祖型としたもので、波山はこの洗 練された優美なフォルムに特別な愛着を示した。胴部の二面に窓枠を 設け、その中に薄肉彫りで異なる種類の草花を立体的に表し、波山の 代表的な技法である「釉下彩」で彩色を施している。作品の肌は、薄 い絹地を被せたような潤いのあるマット調の釉薬で覆われており、淡 いベールの下から浮かび上がる微妙な色彩のグラデーションが、生命 感あふれる瑞々しい印象を与える。アール・ヌーヴォーの非対称的な 造形による耽美的な美を離れ、破綻なく描かれた左右対称の文様と微 塵のすきもない完璧なまでの器形を見事に融和させることで、波山は 極楽のイメージにも通ずる、日常を超越した理想美を表現したのだ。
また、波山は自らの理想を損なう作品を惜しげもなく割って破棄し、 納得のいく作品だけに共箱を付したという。そうした厳しい精神から 生み出された崇高な作品は、皇族や財界人に愛され、近代日本のロイ ヤル・テイストとして受容された。出光美術館の創設者、出光佐三も 波山の作品に魅了されたひとりで、その収集品の中に、本作と器形や 文様の近似した同題名の花瓶(1949年、「第五回日展」出品作)があ ることから、本作も同時期に制作されたと考えられる。完成された様 式美で現代の私たちにも深い感動を与えつづける本作は、当代随一の 名工と呼ばれた波山の真髄を物語る名品のひとつであると言えよう。
別角度
37
千 利休 書翰
紙に墨 落款有 軸装 27.5×42.7(紙)cm 全体/107.9×56.1cm 箱付 古筆了任極板 堀江知彦外箱
38 千 宗旦 蓮の文
紙に墨 落款有 軸装 22.8×33.1(紙)cm 全体/104×49cm 箱付 鵬雲斎外箱
¥ 500,000~800,000
¥ 600,000~800,000
39
千 宗旦 消息
紙に墨 落款有 軸装
22.5×35.7(紙)cm 全体/101.5×41.8cm 六閑斎箱 鵬雲斎外箱 大倉好斎極札
文献:「茶道誌淡交 第51巻第6号」 (淡交社刊 1997年) P.13に掲載 同文献付 ¥ 1,200,000~1,700,000
元伯宗旦(1578-1658)筆。昨日会えたこ との喜びと再会したい旨を書いている。署名 に「不審」「今日庵」と記され、宗旦晩年の 消息ということがわかる。
(前掲の参考文献より引用)
41
建盞天目・青貝七宝黒天目臺(淡々斎好書付) [2点セット] 建盞天目/H6.6×W12.2cm 淡々斎箱
青貝七宝黒天目臺/H7.5×W16.3cm 淡々斎好箱(羽根裏に在判) 参考文献: 「裏千家淡々斎遺芳集 第一巻 器物・茶室編」(淡交新社刊 1965年) No.75に同型作品掲載(青貝七宝黒天目臺) ¥ 500,000~800,000
黒塗の天目台ですが、よく見ますとほほずきの上部 に内側への折目があります。これを中心に青貝の陰 七宝三個その中間を大小の丸、縁の方は二個並びの 陽七宝三ヵ所、その間をやはり大小の丸でつないだ 清楚な天目台です。好と花押は朱うるしで裏面にか かれています。(前掲の参考文献より引用)
42
仁阿弥 道八(二代 道八) 黒不二茶盌
H7.6×W11.9cm
高台脇に掻き銘「道八」 共箱 九代識外箱 ¥ 600,000~800,000
40
紹鷗小棗
H7.4×W7.3cm
如心斎箱(蓋裏に在判) 吸江斎外箱 即中斎外々箱 仕覆2点付 ¥ 500,000~700,000
43
十五代 楽 直入
赤茶碗 銘 彩鳳
H8.7×W11.7cm 高台内に印銘「楽」 共箱 而妙斎書付 ¥ 600,000~800,000
44
九代 楽 了入
窯変赤茶碗
H8.2×W12.9cm 側部に印銘「楽」 直入箱 ¥ 800,000~1,200,000
45
九代 楽 了入
黒茶盌
H8×W12cm 高台脇に印銘「楽」 共箱 直入外箱
¥ 1,300,000~1,800,000
46
八代 楽 得入
黒茶盌 銘 看雲
H8.5×W11cm 了入箱 圓能斎書付 覚入外箱 鵬雲斎書付
¥ 1,300,000~1,800,000
47
四代 楽 一入
黒茶碗 銘 萬歳楽
H8.5×W12cm 慶入箱(箱側部に直入極) 惺斎箱
¥ 1,200,000~1,700,000
48
三代 楽 道入(ノンカウ)
黒茶碗 銘 鉢タヽキ
H10.3×W10.5cm 高台内に印銘「楽」 啐啄斎箱
¥ 600,000~800,000
49
初代 楽 長次郎 黒茶碗 銘 東方朔
H9×W11.5cm 高台脇に隋流斎在判 了々斎箱(箱底に了入極板のはめ込み 箱は駒沢利斎) 圓能斎極板付 「勢洲桑名船津屋岩間氏所藏品入札」(名古屋美術倶楽部 1925年)目録No.170に掲載 「南區中村氏中區小池氏並某舊家所藏品賣立」(名古屋美術倶楽部 1934年)目録P.38に掲載 ※詳細についてはお問い合せください。
¥ 2,000,000~3,000,000
50
野々村 仁清
三玄院天目茶盌 銘 清祥
H6.4×W13.1cm
底部に印銘「仁清」、墨書「三玄」
高田明甫箱(二重箱)
¥ 700,000~1,000,000
50(銘)
50(墨書)
51
瀬戸黒茶垸
H7.5×W13.6cm
荒川豊蔵箱
¥ 500,000~800,000
52
古薩摩茶碗 銘 からくれな井 H7.2×W13.7cm
箱付(箱蓋表の字は茶屋宗古 箱蓋裏に古筆了信極札) 内本浩亮旧蔵
¥ 1,200,000~1,700,000
「古薩摩」として古来茶方に求められたものがある。筒形の遺例が多 いが、本作は腰からゆるやかに立ち上がる碗形。ねっとりと潤味のあ る土に濃厚な柿色の釉を被せ、さらに重ね掛けした釉薬が浅黄色、白、 紫紅、蛇褐色など多彩に窯変し、美しい色の絢をなしている。見込に も胴と同様の流れ釉がめぐる。施釉は高台の中まで及び、畳付だけが 露胎して土はほんのりと赤い。同作中でも殊に作行の優れた碗である。 箱蓋甲に、徳川幕府御用達の呉服商にして当代一等の茶人であった茶 屋宗古の墨書。蓋裏に古筆の極札。福岡を代表する文化人・経済人で あり、松永耳庵の遠戚でもあった内本浩亮の旧蔵品で、内箱の曲げ わっぱに雅号「観魚荘」の貼紙が付されている。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
53
李朝粉引平茶碗
H6.2×W16.9cm 箱付
¥ 800,000~1,300,000
鉄分の多い鼠色の土に白泥をかけ、その上から釉薬をほどこしたもの。釉調が柔らかく、粉を刷いたような 風情から俗に粉引と呼ぶ。徳利、祭器など形態は多様だが、名品として世にやかましいのはいずれも茶碗で、 遺例は本作と同形の平が多い。高麗茶碗のうちでも特に瀟洒な趣があり、古来茶人の珍重するものである。 李朝初期、全羅南道の所産。
54
井戸脇茶碗 H8×W18.5cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
瀬戸茶入 銘 桒山/追銘 小倉山
H11.1×W8cm
箱付 近藤其日庵外々箱 小堀宗慶外々々箱 仕覆2点、挽家付
近藤廉平旧蔵
¥ 3,000,000~5,000,000
56
片手茶碗 銘 撫子
H6.2×W18.3cm 小堀権十郎箱 小堀宗明外箱 展覧会歴:「宋・高麗・桃山期 陶磁百選展」(東京美術倶楽部 1960年) 図録No.51に文字情報掲載
¥ 5,000,000~8,000,000
かすかなふくらみを胴にもち、口端に向かって開いた茶碗。外側に釉膚は青白く堅く焼き締まり、 見込には釉なだれが色味を強めて流れかかる。この青は碗の内外にほのかに色づく淡紅色を引き 立てて、銘の「撫子」もむべなるかな、その景や楚々として、実に優美である。外側にめぐる轆 轤目は釉の肥痩で趣を変じ、高台とその脇に残された指痕や釉の縮れは作行きに凛とした調子を 加える。見込の茶溜まりのなかに目跡が7つ残る。
茶の湯の茶碗は産地により唐物茶碗、高麗茶碗、和物茶碗などと呼び分けられている。そのうち、 高麗茶碗とは朝鮮半島で焼かれた碗のなかから茶の湯のために見立てられた茶碗で、時代が下り、 日本から注文を受けて作られたものも含む総称である。茶会の日時や内容を記したものを茶会記 と呼び、古くは室町時代末期より残されているが、16世紀前半に記された茶会記に高麗茶碗が 初出する。茶風の侘びへの傾きと軌を一にする形で16世紀中ごろから高麗茶碗の記載例が増え、 桃山時代、天正9(1581)年以降、茶会記記載の茶碗のほぼ半数が高麗茶碗となり、その流行ぶ りが窺える。当時高麗茶碗の分類と確認できるものは大別して三島・井戸・狂言袴の三種であっ たが、江戸時代を通じてその分類呼称が細分整理されていく。
堅手は磁器質の茶碗であり、素地や釉が堅いためにつけられた名称で、釉調は、白く焼き上がっ たもの、灰青色を帯びたもの、淡黄褐色のものなど、釉薬の変化によって様々で、形にも一定の 様式はない。
本碗は内箱表に金粉字形にて「片手 撫子」と小堀権十郎筆と伝わる書付を備え、外箱には遠州 流11世小堀宗明により、蓋表に「かた手 撫子」、蓋裏に内箱の極を記す。江戸時代の豪商にして 歴代当主が茶の湯を愛好、庇護した鴻池家、さらに茶道具の逸品で知られるサンリツ服部美術館 の服部家へと伝わり、昭和35(1960)年に東京美術倶楽部にて行われた「宋・高麗・桃山期 陶 磁百選展」にも出品されている。この展覧会は日本人の好みに適った東洋陶磁の名品が一堂に会 したもので、重要文化財も多数含む。展覧会に合わせて作られた冊子には本碗の項に『遠州蔵帳』 とある。遠州蔵帳とは、流祖遠州からの小堀家三代に渡る茶道具の来歴をまとめたもので、遠州 の自作の他、所有した道具、好んだ道具を含む。冊子に従えば、遠州蔵帳内の「一 かた手茶碗」 とあるものかと思われる。
本碗は、寂びたうちにも奇麗で気品があり、小堀遠州の美意識によく適う品位と茶味を備えた名 碗である。
57
堆朱鶴寿丸香合
H2.6×W7.2cm 淡々斎箱
¥ 500,000~800,000
58
志野鉄絵桧垣文入隅四方盃
H6.7×W7.1×7cm 箱付
¥ 700,000~1,000,000
59
越前片口小壷
H12.9×W11.6cm 箱付
展覧会歴:「古代・中世の陶器-阿形コレクション-」
(五島美術館 1978年)
図録No.53に掲載
¥ 500,000~800,000
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
60
古瀬戸灰釉印花菊巴文瓶子 H26.3×W17.2cm 箱付
文献:端山孝著
「古陶磁ものしり読本」(マスプロ美術館刊 2002年) P.53に掲載 同文献付
¥ 1,000,000~1,500,000
全面に薄くかけられた釉は艶やかで、淡緑色から淡褐色 まで豊かな変化を見せる。肩は強く張り出して、胴でわ ずかに丸く、底部に向けて直線的にすぼまる。左右対称 で均整の取れた宋元の梅瓶と呼ばれる瓶子の形に範を取 るが、轆轤成形の宋元に対し、紐輪積成形の古瀬戸は厚 手で量感が備わり、素朴で力強い印象を受ける。この器 体に、釉のなだれと巴文と菊文の印花、ここに溜まった 釉薬が絶妙な景色をなす鎌倉後期の優品である。
61
三島唐津象嵌鶴文大皿
H9.2×W36cm 箱付 満岡忠成鑑定書
¥ 600,000~800,000
江戸後期の尾張藩士。通称を清九朗。武人ながら天性風流を解し、老年 「九朗」と号して茶事を娯とする。製陶にも通じ、作域は多彩で妙味が あり、世に「九朗焼」と称される。本品は古作の織部陶に倣うもので、 典型的な手鉢形を呈し、底部に自身銘として「く」の字が刻されている。
瑕疵のない完存品。
併伝する扇絵は美濃焼の大家・荒川豊蔵氏の染筆による。
62
平澤 九朗 織部手付鉢 附)荒川豊蔵 平澤九朗翁作織部色鉢の図
平澤九朗「織部手付鉢」/ H15.6×W21.8×18.6cm
底部に掻き銘「く」 共箱
荒川豊蔵「平澤九朗翁作織部色鉢の図」/ 1966(昭和丙午)年
紙に墨、彩色 落款と印有 軸装 23×41.5(扇面)cm 全体:131.4×65cm 共箱 ¥ 250,000~350,000
63
織部陰刻花蝶文輪花手鉢
H15.8×W26.3cm 箱付
展覧会歴:「秘蔵の華 桃山陶展」
(岐阜県陶磁資料館 2008年)
図録No.56に掲載 ¥ 2,000,000~3,000,000
64
藍九谷雪持柴垣文皿
H3.1×W21.5cm 高台内に描き銘 箱付
文献:小木一良著 「新集成 伊万里-伊万里やき創成から幕末まで-」
(里文出版刊 1993年) No.146に掲載 ¥ 200,000~300,000
柴垣に雪が積もり、寒気は冷え冷えと辺りを包み込む。夜が 明けるのかそれとも暮れゆくのか、薄明のうちに吐息はほの 白く消えてゆく。青の変化だけで広がりを見せる表現に改め て驚かされる。17世紀後半の瀟洒な一皿。
65
藍九谷牡丹に双鳥文大皿
H9.2×W41.2cm 箱付
展覧会歴:「伊万里・古九谷名品展」(石川県立美術館他巡回 1987年) 図録No.28に掲載 同図録付 ¥ 300,000~500,000
重みでたわむかのような大輪の牡丹。それを見つめる二羽の鳥。見込周囲には 画面外を回り込む大きな牡丹唐草を配する。見込と内側面をゆるやかに関係さ せる意匠の妙。大きく取られた余白は手慣れた筆致と相俟って総体におおらか な印象である。40cm超の本作は藍九谷では稀少。17世紀半ばの作。
66
藍九谷山水楼閣文大皿
H9.8×W48.7cm
文献:小木一良著
「初期伊万里から古九谷様式-伊万里前期の変遷をみる」
(創樹社美術出版刊 1990年) No.224に掲載
「骨董のたのしみ[伊万里]3-伊万里探究」
(学習研究社刊 1990年) 表紙、P.36に掲載 同文献付 展覧会歴:「伊万里・古九谷名品展」
(石川県立美術館他巡回 1987年) 図録No.27に掲載
「世界・焱の博覧会プレイベント「世界の染付」展」
(佐賀県立九州陶磁文化館 1993年) 図録No.75に掲載 同図録付 ¥ 400,000~600,000
広く取られた余白は深山幽谷に漂う雲や霞となり、仙境を 表果的に表す。内側面三方の窓には竹を描くが、近寄りす ぎて部分的にしか見えず、大半は画面外に飛び出している。
見込は彼方に霞み、側面の窓には至近を描く。見込と窓で 図柄は関連させつつも構図は対比、合間を埋める四方襷文 が全体を引き締めて、本作に広がりと奥行きをもたらして いる。40cmを越える大皿は藍九谷には少ないが、本作に 至っては50cmに近く極めて珍しい。鎹でニュウを止めた 痕があり、江戸期の所有者がいかに大切に扱っていたかが よく分かる。17世紀中葉の優品である。
68
柿右衛門色絵桐鳳凰文蓋付壷 H28.6×W18.4cm 箱付
¥ 500,000~800,000
67
古九谷五彩手鴛鴦文皿 W21.8cm 箱付
¥ 300,000~500,000
崖上に一羽の鳥。ゆるやかな流れに身を浮かべる三羽 に加わろうとするものか、向き合うように配されてい る。様々な景を巧みな色遣いで表わし、大きく取られ た白によく映える。縁には補色の赤と緑をそれぞれ基 調とした文様帯を二重に廻らせて、構図全体を引き締 める。
古九谷において五色を巧みに用いるものを五彩手とい う。器の中央に主題を絵画的に描く熟練された絵付け が特徴にして見どころである。五彩手は、中国の明末 清初にかけての色絵磁器に倣うもので、中国風の画題 を見事に描写した名品が数多く残されており、本作も その一つに数えられる。17世紀中葉の秀抜な作。
色鍋島花籠文七寸皿
H5.3×W20.4cm 箱付
展覧会歴:「神尾勇治コレクション 仙厓と鍋島-美と向き合う、美を愉しむ-」(細見美術館 2014年) 図録No.3に掲載 同図録付
¥ 3,000,000~5,000,000
別角度
長い手のついた籐の籠に二つの壷を収め、それに椿と水仙、菫をあ しらっている。目に鮮やかな椿には暈かしが施されて階調を伴いな がらやわらかに花弁を広げ、赤で縁取られた水仙はその白さが引き 立てられてかすかに温もりを備える。ゆれながら先を伸ばす葉は濃 淡を交えた緑を基調とし、椿の葉先には黄をさして色彩で動きを与 えている。菫の花と一部の葉は深みのある紺であらわされ、薄藍の 椿の幹と共に画面に奥行きをもたらす。自然物の不規則な動きと、 籐の花籠とその中の壷二つという人工物の規則的な静の形姿は互い によく調和している。よく見れば花は壷に活けられてはいない。籐 の籠は中心をずらして左に配し、広い余白の生じる右側に赤い椿、 反対に白い水仙を置く。中央下の壷の前に椿があることで重心を下 に集めて画面上方を軽くしている。皿の深さは図を物理的にも抱え 込み、更なる奥行きを与え、縁周りに破綻なく廻らされた如意頭繋 文はこの絵に奉仕する額となっている。裏文様は三方に七宝結び文、 高台には櫛目文をいずれも精緻にあしらっている。すべてが調和し 完璧とさえいえる美しさを誇る。これが将軍家に献上され、食器と して宴席に供されたとはにわかに信じがたいほどである。17世紀 後半、鍋島盛期の優品である。東京国立博物館やサントリー美術館 など名だたる博物館に同手を収める。
70
色鍋島柴垣椿文七寸皿 H5.5×W20.6cm 箱付
参考文献:「鍋島展-技と雅の極み-」(有田ヴイ・オー・シー刊 1995年) 図録No.59に同手作品掲載
「柿右衛門と鍋島」(出光美術館刊 2008年) No.139に同手作品掲載
¥ 4,000,000~6,000,000
柴垣の間に椿がその幹と枝を伸ばす。その先で朱色の花と一部黄を交えた緑の葉が縦に横に現れる。花は赤 に濃淡を施して、柴垣は染付による線描で細かに描き込み、上からダミ染めをする。巧みな描写と色遣いに より、ここの上下左右は元より、器の奥に向けても世界を広げている。赤の濃淡により生まれた花卉の立体 感が画面に一層の奥行きを与えている。一見不規則に並ぶ葉と花も、縦横の方向を意識しており、画面に規 律を生んでいる。柴垣に花や木を配する文様は鍋島に多いが、本作は特にメリハリが利いて印象的である。 柴垣は中世においては結界や神の依代とされ、椿も神聖な樹とされていた。そうした認識が江戸期にはどれ ほど残っていたか不明ではあるが、常とは異なるものとの印象は残っていたのであろう、一種の緊張感があ り、実に見映えのする構成となっている。外側面には三方に七宝繋文を配し、高台には櫛目を廻らせる。江 戸時代中期、色鍋島七寸皿の優品である。
別角度
71(銘)
73
薩摩金襴手人物風俗文環状瓶 H9.8×W8.1×1.9cm 側部に描き銘「精巧山」
¥ 700,000~1,000,000
54 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
73(銘) 73(別角度) 動画で作品をご覧いただけます。
蒔絵楼閣御所車文文庫・硯箱(2点1組)
文庫/H17×W37.3×43.7cm
硯箱/H5.9×W25.7×28.3cm 硯、水滴、墨挟、小刀、千枚通付 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
文庫 内部
硯箱 内部
75
(伝)赤塚 自得
塩山蒔絵文庫・硯箱(2点1組)
文庫/H18×W33.5×42.6cm
硯箱/H4.5×W22.9×25.9cm 硯、水滴、墨挟、小刀、千枚通付 箱付 米田邦造鑑定書
¥ 2,000,000~3,000,000
方形、被蓋造りで、身と蓋に銀覆輪を施し、几帳面を取る。硯箱の見込には、中央硯台上部に平瓶形の水滴を、下部に長方硯を嵌め、 硯台の左右に桟を付して筆架としている。うねるような波、洲浜に松、点在する奇岩に群れ飛ぶ千鳥をあらわし、鏡のような満月がそ れを照らしている。古典に因んだ歌絵の一種で、古今和歌集巻第七「賀歌」のうち しほの山 さしでのいそに すむ千鳥 きみがみよをば やちよとぞなく
の歌意を意匠化したもの。歌枕の「しほの山」から塩山蒔絵と俗称される。
本品には古美術商・米田邦造の書状が添い、中で作者を赤塚自得と鑑じている。無銘ながら、自得の作を首肯せしめるに足る、優れた 作行を示している。
56 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
水滴、墨挟、小刀、千枚通
硯箱 内部
文庫 内部
根来三方衝重
H13.8×W30.3×30.3cm 箱付 藤田美術館旧蔵 展覧会歴:「朱漆「根来」-中世に咲いた華」(MIHO MUSEUM 2013年) 図録No.33に掲載 「うましうるはし日本の食事」(MIHO MUSEUM 2024年) 図録No.40に掲載
¥ 1,000,000~1,500,000
衝重とは器の下に敷き込む折敷形の盤に方形角切で格狭間を透かした台枠を 取り付けたものである。台脚の形状は本作のような形状から基壇状に加飾な されているものまである。中世の絵画には酒宴の場面で、また接客用の膳具 として描かれており、よく利用されていたことが知られるも、桃山以前の根 来の遺例は極めて少ない。
衝重の基準作例に、紀年銘をもつ春日大社の「散米盆」が挙げられるが、こ れは食物の一部を精霊・餓鬼・鳥獣に施すために供える「散米」のために使 われるものである。儀式で使われていたものが、時代を経るにつれて民間で も特別な場で使われるように変わっていったものと考えられる。室町から桃 山にかけての希少な作。経年が味わい深く表れており、箱書の書体から藤田 美術館の旧蔵であることが伺える。
58 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
天面
根来脚付盆 H15×W30.7cm 底部に描き銘 箱付 展覧会歴:「朱漆「根来」-中世に咲いた華」(MIHO MUSEUM 2013年) 図録No.204に掲載
¥ 2,500,000~3,500,000
根来とは、木質で頑丈な素地をつくり、これに錆漆や地漆による下塗を施し、 黒漆の中塗りを経て朱漆の上塗を全面あるいは一部に施したものをいう。堅 牢で用に耐えることのできる重厚な素地の造形と、頑丈なるが故に使い込ま れ、これにより塗り肌に醸し出される独特の風合いとの織り成す美が古くか ら数寄者に愛でられてきた。
猫脚付の鉢である本作を見るに、脚は頑丈な造りながらやや長く作られてお り、安定感を具えつつ総体にバランスがよく、脚の先端と縁に現れた黒と、 全体の朱との対比が美しい。
16~17世紀にかけての制作と見られる。
底部
78
蒔絵梨子地葵桐唐草文脇息 H23×W63.7×19.2cm 箱付
「尾州徳川家御蔵品入札」(東京美術倶楽部 1921年) 目録No.276に掲載
¥ 600,000~900,000
梨子地に桐唐草文を蒔絵で加飾し、葵紋を散らす。上品にまとめ上げつつ、布団を置く 天面など、使用に際しては実際に見えないところにもしっかりと紋を入れるなど細やか な配慮がなされている。御三家筆頭、尾張徳川家の旧蔵。
79
石黒 光南
銀製風炉
H23×W35cm 総重量約3700g 底部に刻印「純銀」「尚工會製」「光南」 共箱 五徳(総重量約983.7g 底部に刻印「銀製」「尚工會製」)付 ¥ 900,000~1,400,000
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
78(家紋)
80
平田 重光
純銀菊花文蝶耳花瓶 H34.5×W33.4cm 総重量約5300g 底部に刻印「純銀」「重光(花押)」 箱付 ¥ 1,800,000~2,300,000
平田家は明珍などと並び鍛金技術の伝承者として江 戸時代から続く家系。4代で甲冑武具を作り、江戸 後期に徳川家に金銀神器を納め、以降幕府御用とな り、門人を多数輩出。6代重之のときに明治にあた り、7代重光、8代重光と続く。本作は銀製の花瓶 であるが、肩に止まる蝶は実に精巧。花を活けたと きに完成する意匠であろう。菊御紋のついた典型的 な宮内省型となっており、本作が納められている箱 には表に「銀製御花瓶 壹個」、裏には「御下賜 明 治二十九年二月」と貼紙がされている。貼紙を踏ま えると7代の作であるとみられる。
81
水野 源六
加賀象嵌花鳥文鳳凰耳花瓶 H27.3×W18.5cm
底部に刻銘「加賀国水野源六」 箱付 ¥ 700,000~1,200,000
水野家は加賀藩金工家の家系。代々源次と源六を名乗る家系 がある。源六の家系は8代の時に明治を迎え、政府の殖産、 輸出奨励策により金沢に創設された銅器会社に参画、のちに 魁春堂を設立して藩政期の職工を多数雇い入れる。宮内省か らは常にご用命を受け、また9代の作品も三の丸尚蔵館に収 蔵されており、水野源六家が政府から高く評価されていたこ とが伺える。本作は、真鍮、金、銀、四分一、赤銅、素銅な ど多くの色金を駆使して細緻な彫刻、様々な象嵌を施して立 体的で豪華に仕上げている。その技術の高さ、東洋的な意匠 の秀抜さは一頭地を抜いている。源六の作品は海外でも高く 評価されたというがそのことをよく表している。
80(部分)
81(銘)
82 七宝花鳥文象耳大香炉
H32.3×W19.3×19.3cm 箱付 ¥ 400,000~600,000
83 林谷 五郎 七宝花鳥蝶文脚付蓋物
H25.9×W24.5cm 共箱 ¥ 350,000~450,000
濃紺の色釉を背景に、桜樹の枝間を千鳥が 舞い、樹下に千紫万紅咲き乱れて景を添え る。量感のある蓋物で、蓋と身の縁に覆輪 が施されている。蓋中央に据えた摘みは擬 宝珠形。脚部は三足に分かれ、菊唐草の文 様が添う。一見して優れた作行を呈してお り、入念作であることがうかがえる。
作者の林谷五郎は七宝町遠島の人。瀟洒な 作風で知られる、大正昭和期に活躍した尾 張七宝の名工である。
透胎七宝花文六角面取鉢
H8.6×W20.3cm ケース付
¥ 2,200,000~3,000,000
動画で作品をご覧いただけます。
金属の胎を透かし彫りとし、中空部分に透明な七宝釉を焼付ける。別 名「切り透かし七宝」とも呼ばれるこの技法は安藤重兵衛の考案とさ れる。堅牢性の確保が難しいため制作は容易でなく、本作のように作 行の優れた遺例と限れば尚希少である。六角の鉢形。広い高台、口縁 は外反し、胴は面取。各面花唐草の文様を透胎であらわし、硝子を通 過する光は賦色され、輝彩ひときわ鮮やかである。無銘ながら意匠精 妙にして、工人の至った芸境の高さが首肯される。明治期の作。
85
林 小伝治 七宝花鳥文花瓶
H24.4×W9.3cm
高台内に刻印 ケース付
¥ 2,800,000~3,500,000
天保2年、尾張国海東郡遠島村(現七宝町)に生まれ、林庄五郎・塚本貝介らに就いて技術を学ぶ。商才にも優れ、夙に国外へ 着眼。製品を肩に横浜港の軍艦へ忍び込み、初めて外国人に七宝焼を販売したという逸話を残す。明治35年、緑綬褒章を賜る。 名実ともに明治期の尾張七宝を代表する工人として知られている。
本作は小伝治の手による小瓶。紺地に花鳥をあらわす。金銀の植線は精緻で、典型の意匠が故に卓越した技巧が際立つ。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
底部
86
並河 靖之
七宝花文小壷
H9.2×W5.9cm
高台内に刻銘「京都並河」
箱付
¥ 400,000~600,000
86(底部)
87
並河 靖之
七宝菊唐草文花瓶
H13.4×W5.8cm
高台内に刻銘「京都並河」 箱付(布タトウ)
¥ 500,000~800,000
87(底部)
88(底部)
89 並河 靖之 七宝竹文筒小瓶 H9.6×W2.9cm 高台内に刻銘「京都並河」 箱付(布タトウ)
¥ 1,000,000~1,500,000
89(底部)
90
並河 靖之 七宝花鳥文長頸瓶 H18×W8.4cm
高台内に刻銘「京都並河」、
刻印「E. JUBIOT」「1849-1899」 箱付
¥ 4,500,000~6,500,000
武蔵国川越藩高岡九郎右衛門の三男として生 まれ、のち青蓮院宮近侍をつとめる並河家の 養子となる。明治の初め頃より京都で七宝制 作に携わり、後年卓抜の技巧が認められ帝室 技芸員に選出。国内外の博覧会で得た賞牌は 枚挙に暇なく、常に東京・涛川惣助と並び称 され、東西一双、七宝の名家として知られる。 斯業発展に力を傾注し、種々新鋭の技法を発 案。本作の地に用いられる黒色透明の釉料は その代表的なもので、並河七宝を特徴づける 意匠として声価が高い。深い漆黒の地景が、
別角度
底部
92
吉田 道楽
白檀蓮花象牙不動尊御像
H9.1×W7.1×7.6(全体)cm 底部に刻銘「道楽」 共箱 ¥ 600,000~900,000
91(底部)
91
杣田細工菊花文矢立 L11.4cm 底部に在銘 箱付 ¥ 200,000~300,000
92(閉じた状態)
92(底部)
精緻な彫りの未開敷蓮華。開くと一方に不動明王。いま一方には矜羯羅童子と制多迦童子。不動明王の「慈悲」と「忿怒」を見事に 像容に表す。象牙と白檀の併用がもたらす質感の違いが作品世界に一層の深みを与えている。
作者は吉田道楽。明治から昭和初期まで活躍した根付師。1890(明治23)年、第三回内国勧業博覧会で第二等妙技賞を受賞。同回 同賞受賞者に石川光明。道楽はこのとき無名であった。図案よく窮屈なところなく、品高く趣があり、技術が高いという点で評価さ れたが、まさに本作にも当てはまる。
68 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
93
安藤 緑山
象牙バナヽ 壱
H8.3×W17.3×8.2cm 側部に刻銘「萬象」 桜井宗斎箱 ¥ 3,000,000~5,000,000
銘
重要刀剣 太刀 銘 守弘
刀身/刃長72.4cm 反り2.1cm 元幅3.0cm 先幅1.9cm 銘「守弘」
日本美術刀剣保存協会第22回重要刀剣指定書(昭和49年)
銃砲刀剣類登録証 白鞘入 本間薫山先生御鞘書
文献:
本間順治著 「鑑刀日々抄 続」(大塚巧藝社刊 1979年)
P.127に掲載
飯村嘉章著 「有銘古刀大鑑」(刀剣美術工芸刊 1982年)
P.609に掲載
¥ 3,500,000~5,500,000
守弘は越前千代鶴派の刀工。二代以降の作と目される。
身幅・切先尋常、重ね厚く三つ棟。腰反り高く、ふんばりつく。 鍛板目、流れ柾交じり、地景すこし入り、地沸細かによくつき、 かな色が黒い。刃文は互の目調の小乱。足よく入り、島刃・ほ つれ目立ち、匂が深いが沈み、沸づいて砂流しかかる。帽子は 浅くのたれて焼きつめ、よく沸づいて掃掛かる。表裏に角止め の棒樋を彫る。茎はほとんど生ぶで、棟に肉づいて丸みがあり、 鑢目が浅い勝手下り、棟寄のもとの孔より上に、中振行書体の 二字銘がある。
重要刀剣 太刀 銘 備前国長船景政 刀身/刃長70.0cm 反り2.3cm 元幅2.7cm 先幅1.7cm 銘「備前国長船景政」
日本美術刀剣保存協会第68回重要刀剣指定書(令和4年)
銃砲刀剣類登録証 白鞘入
¥ 5,000,000~8,000,000
景政は進士三郎と称する長船派の名工。現存する在銘品は希少 で、その系譜は未だ不明なところも多いが、上杉謙信の差料「謙 信景光」で著名な長船景光との合作の太刀(国宝指定)が遺さ れていることから、景光と極めて近い関係にあった刀工と目さ れている。様式的にもよく似た作行を示して上手である。
本作は、やや細身で元先の幅差が開き、磨上ながらも未だに腰 反りが高く、先にも反りが加わるなど、鎌倉時代後期の細身の 太刀姿がよく保持された一口である。鍛えは小板目がややつん で地沸が微塵につき、乱れ映りが立ち、刃文は片落ち互の目乱 れを主調とするも角互の目・小互の目・尖り刃・小丁子風や小 のたれごころなど多種の刃を交えた匂口の明るい作柄となるな ど、景光によく近似した一口である。中でも、景光以上に種々 の刃を交えているところや乱れの変化がやや強い点などに景政 の見どころが表出している。在銘品の少ない同工の作風を知る 上でも大変に貴重な太刀である。
特別重要刀剣 太刀 銘 長則
刀身/刃長74.4cm 反り3.2cm 元幅3.1cm 先幅2.0cm
銘「長則」 片刃切れ
日本美術刀剣保存協会第6回特別重要刀剣指定書(昭和53年) 銃砲刀剣類登録証 白鞘入 本間薫山先生御鞘書 小野光敬研磨 上杉家伝来
文献:飯村嘉章著
「有銘古刀大鑑」(刀剣美術工芸刊 1982年) P.421に掲載 同文献付 ¥ 12,000,000~20,000,000
長則という名の工人は福岡左兵衛尉長則の他、長船にも見られるが、一説には同人とされ、二代から吉井へ移っている。
この太刀の互の目の連れた刃文は古吉井の作風をよく示している。
鎬造、庵棟、腰反り高く踏張りあり、中鋒詰まる。
鑢目筋違、先栗尻、表裏棒樋掻流す。
地鉄小板目、地沸付、乱映立つ。
生ぶ茎長寸で堂々としており、地刃の出来が良い。
片刃切れのある点が惜しまれるが、それを補ってあまりある一振り。
上杉家の伝来品で、資料的にも大変貴重である。
97 上杉 謙信 書状
紙に墨 落款有 軸装
30.5×31.5(紙)cm 全体/105.4×49.5cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
越後の戦国大名、上杉謙信の書状。文武両道の天分に恵まれた傑士であり、書を能くし、 その気宇を示すように筆致は悠揚迫らぬものがある。
本状宛名の寺崎民部左衛門とは上杉方の武将である寺崎盛永を指す。大要は越・賀・能の 三州からなる連合軍で加賀の争乱を鎮める思惑を示し、協力を促すもの。正月二十八日付。 永禄末年に始まる越中侵攻と文中「来月に出兵」の文言から元亀二年の書状と推測される。
この年の2月、謙信は2万8千の大軍を興して富山城他幾城を攻陥し、後につづく越中平定 の端緒を開いている。
なお、前年から法号「不識庵謙信」を称し、本状にもその名が落款として揮毫されている。
74 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
武田氏朱印状
武田信玄安堵状
98
武田氏朱印状・武田信玄安堵状(各巻物) [2点セット] 武田氏朱印状/紙に墨 印有 33.7×48(紙)cm 全体:40.6×86.5cm 武田信玄安堵状/紙に墨 落款有 30.9×44(紙)cm 全体:37.7×82.5cm 2点とも箱付 東京帝国大学からの本状借用書、感謝状付 文献:東京大学史料編纂所編 「大日本史料 第10編之4」(東京大学刊 1934年) P.3に釈文掲載 ¥ 2,000,000~3,000,000
本状は「杉山高次郎氏所蔵文書」の名で、『大日本史料 第10編之 4』に元亀元(1570)年2月の項の本文「武田信玄、駿河(中略) 高根社ニ同社領ヲ(中略)安堵セシム」を証する史料として記さ れている。本状が出された永禄13(=元亀元(1570))年は信 玄晩年の駿河侵攻(1568~1571)の只中。略したそばから駿 河国内の高根神社への所領安堵を行い、従前通りの祭祀と武運長 久の祈祷を行うことを命じている。神仏への信仰篤いことで知ら
れる信玄をまさに示すもので、また他の文書と併せることで駿河 侵攻の経路が分かる重要な文書である。2月9日付には「龍朱印」 と呼ばれる武田家の印が捺され、4月12日付には信玄の花押が記 されている。
本状には杉山高次郎宛の東京帝国大学から出された書類が添い、 本状が『大日本史料』に用いられる経緯を記した新聞記事が残さ れている。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
織田 信長
黒印状
紙に墨 印有 軸装 25.6×43.7(紙)cm 全体/106×60.3cm 箱付
¥ 3,000,000~5,000,000
織田信長による黒印状。楕円双郭印「天下布武」を捺す。信長は天正以降ほとん ど花押を使用せず、もっぱら印判を用いたとされる。四月二十二日付。
首二討取の句から始まる本状は戦の功を讃える内容となっており、奥野高広「織 田信長文書の研究」(吉川弘文館)では、天正四年、石山合戦に於いての褒状と 推測されている。宛先の蒲生忠三郎は、後の会津若松城主・蒲生氏郷。永禄十一 年、観音寺城攻めののち信長に臣従。各地を転戦して数々の武功を挙げた勇将で、 他方茶事にも通じ、利休七哲に数えられる教養人であったことでも知られている。
76 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
萬代もすむへき洞の 池そとハ ミとりかめも なれてしるら し
100
重要美術品 仁孝天皇宸翰御切紙(萬代も)(天保八年二月廿五日髙田専修寺緑毛亀内献之節御製) 紙に墨 軸装 18×10(紙)cm 全体/141.2×47.8cm 箱付 重要美術品認定通知書 文献:「重要美術品等認定物件目録」(思文閣刊 1972年) 二部P.102に文字情報掲載 ¥ 2,500,000~3,500,000
箱書によれば1837(天保8)年2月25日に下野国高田の専修寺が 緑毛亀を内々に献上した際の仁孝天皇の御詠という。「緑毛亀」 とは甲羅に緑の毛を負う亀のことで蓑亀ともいう。吉兆の証とし て古来より珍重され、文学絵画の題材としてもよく知られる。
仁孝天皇(1800~1846)は江戸後期第120代天皇。学問を好 んだことで知られる。薄い墨で書かれた字は流麗であり、自然な
墨継ぎによる濃淡と合わさって美しい。
重要美術品認定時の所有者は京都の実業家で貴族院議員も務めた 大橋理祐。藤原定家自筆とされる『源氏物語』の注釈書『奥入』、 『日本書紀』神代巻上下(吉田本)(いずれも国宝)など、古美術 の一大蒐集家として知られる。
重要美術品 紙本墨書和漢朗詠集巻下斷簡(戊辰切)(觀身岸額)
料紙に墨 軸装
28.6×27.5(紙)cm 全体/115.7×43.3cm
古筆了信箱 重要美術品認定通知書
「伯爵徳川家御蔵品入札」(東京美術倶楽部 1928年)目録No.66に掲載
文献:「重要美術品等認定物件目録」(思文閣刊 1972年) 一部P.384に文字情報掲載 ¥ 5,500,000~6,500,000
「戊辰切」は藤原公任の撰となる『和漢朗詠集』の断簡。もと上下2巻の巻子本。上下で筆者が異なり、 伝承筆者として、上巻が当代随一の能書で知られた世尊寺家6代当主藤原伊行、下巻がその父でやはり 能書にして世尊寺家5代当主の藤原定信にそれぞれあてられる。元は一橋徳川家に完本が伝来しており、 1928(昭和3)年10月22日に行われた一橋徳川家蔵品の売立に際し、二巻が3690円で落札された。こ
の直後にこの二巻は分割されるが、この昭和3年が戊辰の年であることに因み、「戊辰切」と名付けら れた。雲母引きをした楮紙に、天地に各一条の界線、金銀の砂子や切箔を霞型に蒔いている。なお、一
橋徳川家の売立目録(「伯爵徳川家御蔵品入札目録」)に「戊辰切」切断前の姿が部分的に載せられてい る。本葉は『和漢朗詠集』下巻の「無常」の項の大部にあたるが、この項が好まれるためであろう、本 葉の当該部分がここに確認できる。切断後は京都の荒川益次郎のもとに入り、1938(昭和13)年5月 10日に重要美術品の認定を受けている。
本葉は上述の通り下巻の一部のため、伝承筆者を藤原定信とする。特に漢字に顕著だが、強く右肩が上 がり、これに伴い、字が右に傾斜する傾向がある。軽快な調子で書かれたいかにも定信様の書が、霞状 に蒔かれた金銀の装飾とよく調和している。
また、本葉の「世中はゆめかうつゝかうつゝともゆめともしらすありてなけれは」は『古今和歌集』巻 第十八に「読み人知らず」として所収の歌であるが、写本の系統によって『和漢朗詠集』内にこの歌を 載せるものと載せないものとあり、「戊辰切」は前者。本葉は美術品としての価値に加え、資料的価値 も高い。平安末期の優品である。
よのなかをなにゝたとへんあさほらけこきゆく舟のあとのしらなみ 世中はゆめかうつゝかうつゝとも すゑのつゆもとのしつくやよのなかのゆめともしらすありてなけれは おくれさきたつためしなるらん
雖観秋月波中影未遁春花夢裏名
朝有紅顔誇世路暮為白骨朽郊原
蝸牛角上争何事石化光中寄此身年々歳々花相似歳々年々人不同観身岸額離根草論命江頭不繋舟
生者必滅釋尊未免栴檀之煙楽盡哀来天人 猶逢五衰之日
義孝少将
102
大燈国師 無字法語
紙に墨 落款有 軸装 26.4×42.6(紙)cm 全体/110.8×62.1cm
生是一條銕它無語一條銕山僧云作麼了禅人下語云萬里 禅人求書宗峯叟就
箱蓋表に近衛家熙による墨書の貼付 澤庵宗彭極札(箱蓋裏に貼付) 田山方南書付板付 大心義統、江西宗寛、大龍宗丈、三級宗玄、大倉好斎極状 古筆了仲極札 文献:「墨美 第165号」(墨美社刊 1967年) No.16に掲載 「陶説 第167号」(日本陶磁協会刊 1967年) P.41に掲載 「書道藝術 第十七巻」(中央公論社刊 1971年) P.169に掲載 展覧会歴:「茶の美 茶掛展」(BSN新潟美術館 1981年) 図録No.25に掲載 同図録付 「大徳寺歴代名僧墨蹟展」(BSN新潟美術館) 図録に掲載 ¥ 2,000,000~3,000,000
筆を立て、あるいは倒し、筆力は充実、運筆に弛むところが無い。さ らりと書いているようで一筆も忽せにせず、全てが自在にして必然。
総体に毅然とした骨気があり、豪放にして雄勁ながら、気負うところ はまるで無く、あくまで自然。まさに気宇壮大なる書である。
墨蹟はとかく精神性の高さが取り上げられることが多いが、よく言わ れるように、宗峰妙超(大燈国師)の書は純粋に書としてみても優れ ている。
大燈国師として知られる宗峰超妙(1282~1337)は播磨の人。11 歳で出家し、天台宗を学ぶも後に禅に転じる。高峰顕日、次いで、宋 より帰国した南浦紹明(大応国師)に師事して法を嗣ぐ。1326(嘉 暦元)年大徳寺の開山となる。花園上皇と後醍醐天皇はその禅風を好 み、花園上皇は興禅大燈国師の号を特賜し、大燈遷化後に後醍醐天皇 も高照正燈国師の号を加諡した。1325(正中2)年には顕密諸宗が禅 宗を排斥する意図の下、宮中に宗論を行うも、大燈は顕密側を屈服さ せた。このとき比叡山の玄慧は大燈を尊信し、自らの邸宅を大徳寺に
寄進した。また、遺偈は「仏祖を截断し、吹毛常に磨す、機輪転ずる 処、虚空牙を咬む。」。いずれも大燈の禅風をよく表している。
当時の大徳寺の在り方を厳しく批判した風狂の僧・一休が尊崇し、千 利休が大徳寺で禅を学び、千家の茶匠の「宗」の字は宗峰妙超の「宗」 に始まるとされるのも、ひとえに大燈禅の在り方に拠る。書家・井上 有一は最晩年に「一点でいいから王羲之、顔真卿、空海、大燈に匹敵 する字を残したい」と言うほどにその書に焦がれたが、大燈の存在の 大きさが今なお伝わることを物語っている。
本幅には澤庵宗彭、大心義統、大龍宗丈などによる極と、署名は無い が立花大亀によるとする解説文が添う。田山方南は識板を記し、『墨美』 誌上で本幅を取り上げた。大燈40歳ごろの書で大燈らしさがよく表 れていると述べ、田山自ら行った大燈忌の茶会にも本幅を床に掛けて いる。また、新潟放送が創立30周年に際して開いた「茶の美・茶掛展」 は、再度見ることのできないものとして重要美術品を含めた名品を多 数揃えた展示であったが、本幅はその表紙を飾っている。
「茶の美 茶掛展」図録
大心義統極状
江西宗寛極状
大龍宗丈極状
103
鈴木 其一 紙雛・犬筥に桃・行器に桜図三幅 各絹本・彩色、落款と印有、軸装 100.5×31.6(各絹本)cm 全体/185.6×48.7(各)cm 箱付 栗山善四郎極札 文献:村重寧編 「琳派 第四巻 人物」(紫紅社刊 1991年) No.344に掲載 同文献付 ¥ 2,000,000~3,000,000
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
104
藤原 俊成
歌切
紙に墨 軸装
24.4×15.1(紙)cm 全体/134.5×43cm
狩野素川台紙 箱付 橘千蔭旧蔵 「某大家蔵品入札」(東京美術倶楽部 1939年)目録No.9に掲載 同目録付
¥ 600,000~900,000
箱付 九鬼紋七旧蔵 村瀬玉田書簡添 「四日市々九鬼翠濤園主所蔵品」(名古屋美術倶楽部 1928年)目録に掲載 ¥ 800,000~1,300,000 『古今和歌集』巻十五より3首。本葉は俊成50代頃の筆とさ れる「御家切」と見られる。御家切の名は古筆鑑定の手引書 『新撰古筆名葉集』に見え、名物切として賞翫される。名の 由来は一説に、「御家」と呼ばれる冷泉家(家祖を俊成と子 の定家とする)に伝来したことによるという。穏やかで線に まるみがあり、澱みなく縦に流れるが、俊成晩年の特徴ある 書きぶりとの共通点も見られる。
本葉は表具を仕立てた狩野素川により橘千蔭の旧蔵とある。
素川は江戸中後期、江戸画壇の諸潮流を江戸狩野派のうちに 取り込み、当時高い人気を誇った。橘(加藤)千蔭は江戸中 後期の歌人・国学者。賀茂真淵に学び、晩年に著した万葉集 の注釈書は大いに普及するも、歌は万葉調に馴染まず古今調 に近い温雅優麗、江戸の一大勢力をなした。能書で知られ、 千蔭流の祖となる。
なお、冒頭の「兼輔延喜廿一年任参議」は『公卿補任』にあ る内容。また上部の書き入れは古今和歌集でこの3首の一つ 前に載せられる藤原仲平の歌の注。この注は古今和歌集の写 本の一系統、清輔本に記された内容。
105
藤原 定家
歌切 あやめさく
紙に墨 軸装
14.1×11.7(紙)cm 全体/112.7×37cm
源俊頼は「奥州に菖蒲が無い」とするが、金葉和歌集所収の 歌から安積の沼(福島県郡山市)に菖蒲が自生していること がわかるとする内容。本葉と同内容の文が『日本歌学大系』 第4巻所収の「定家物語」冒頭に見える。定家に仮託した偽 作の多い中この定家物語は少なからず信憑性があるとされ る。定家の書は武野紹鴎により墨蹟に代わる掛物として床間 に掛けられて以降、歌掛物の第一等とされる。定家自ら「甚 だ見苦し」と記すほどその書は特徴的だが、そこに表れてい るある種の雅味や、婉麗に向かわない墨蹟にも通じる書風を 茶人は珍重した。
本葉は戦国期の九鬼水軍に連なる九鬼家の旧蔵。九鬼家8代 目当主・九鬼紋七宛の四条派の画家・村瀬玉田の書簡、玉田 宛の御歌所寄人・千葉胤明の書簡が添う。
106
二月堂焼経
紺紙・銀泥 軸装 24.1×14.7(紙)cm 全体/108.6×44.3cm 上司海雲箱 稲垣晋清極状 ¥ 1,500,000~2,500,000
紺紙に銀字で書写された華厳経の一部。名は東大寺二月堂の 火災に因む。
1667(寛文7)年、東大寺の修二会(「お水取り」)にて、大 炬火の失火により二月堂が全焼、焼け跡から一部焼損した紺 紙銀字華厳経六十巻が発見された。焼け残った経巻は、華厳 経のご利益と信じられ、また焦げと紺紙と銀字との組み合わ せに美が見出され、時に分割されて珍重されることとなった。
紺紙銀字経は、極楽浄土を荘厳する七宝のうち瑠璃と銀に擬 えて、紺紙と銀字で経典を装飾したもの。この紺紙銀字経の 奈良時代唯一の遺例が二月堂焼経である。銀泥は墨よりも運 筆が難しくなるが、この二月堂焼経は謹厳にして雄勁、その 書風は写経の最盛期・天平期の写経体の典型で、殊の外優れ た写経生の手になったことがよく分かる。
1~2行と短く切られたものも多い中、本断簡は8行を残す。 また、上下が焼失して1行を残さないもの、水浸しとなり銀 の散ったもの、色の変じたものなどあるが、当断簡はいずれ も元の姿を残しており稀少。奈良時代の装飾経を代表する名 品である。
本幅には稲垣晋清による極状が添い、上司海雲により箱書が なされている。
上司海雲は、東大寺図書館長、華厳宗管長、東大寺別当。志 賀直哉・会津八一・須田剋太ら文化人・芸術家と交流があり、 幅広い見識を備えた名僧。古美術、特に壷の一大蒐集家であ り、志賀から贈られた李朝の白磁丸壷の旧蔵者として著名。
稲垣晋清は海雲の師で、大仏殿の修理や二月堂の基礎確立に 大きな功績を残す。海雲によれば学者や古美術商が教えを請 うほど知識該博にして造詣深く、高い鑑識眼を具えており、 第一級の古美術品の蒐集家であった。
107
清水切
紙に墨 軸装 26.7×5.5(紙)cm 全体/139.9×36.3cm 箱付
¥ 900,000~1,400,000
穂先を利かせた鋭く勁い細線、こぶ状の転折、端正な字形と料紙装飾の組み合わせが印象的である。銀 界線を引いた料紙には、一行を仏身に見立てたものであろう、一行ごとに上下に銀泥で天蓋と蓮華座を 施している。清水切は、古筆鑑定の手引書である『増補古筆名葉集』にその名が見える。ここに切名を 記す古筆切は名物切として賞玩されるが、この清水切は伝承筆者を後鳥羽院とする項の筆頭に掲げてお り、特別愛好されてきたことが分かる。鎌倉初期、芯の強さと気高さを備えた一葉である。
108
不動利益縁起残欠
紙本・彩色 軸装 27.3×42.5(紙)cm 全体/106×58.8cm 箱付
¥ 1,500,000~2,500,000
あるとき三井寺の高僧が死に至る病に罹り、弟子の証空が身代わりとして病を引き受けた。証空がその 病に苦しむ中で不動明王に来世の加護を願ったところ、これを哀れんだ不動明王が死を引き取り、証空 の代わりに冥途へ向かう。後ろ手に縛られて引き立てられてきた不動明王を目にして驚いた閻魔大王は、 裁きの庭へと自ら降りて拝し、不動明王を送り返す。証空は師共々命を永らえたという。
本図はこの霊験譚を描いた絵巻物の一部。冥官は諸手を差し出して跪き、閻魔大王は腰を屈めて拱手礼 拝する。切断された部分には縛られた不動明王が描かれていたとみられる。同様の構図が東京国立博物 館の蔵品にある。本図は同系統の写本の一つであろう。背景は簡略化されており、人物もさらりとした 筆致のようでいて、表情、衣文表現共に情感豊かに描き出している。本幅を収める箱には久原家旧蔵と 墨書した紙が貼付されている。15~16世紀頃の作とみられる。
109
110
十三仏
109
大徳寺 澤庵 宗彭 踊布袋図画賛
紙に墨 落款と印有 軸装 106.7×29.9(紙)cm 全体/189.8×36.5cm 箱付 大倉了恵極札 展覧会歴:「開館十五周年記念展」(出光美術館 1981年) 図録No.34に掲載 同図録付 ¥ 700,000~1,000,000
大きな袋を左肩に負い、後ろを振り返る飄飄 とした布袋を描く。実にやわらかな筆致であ り、さらりと描いているようで、袋の縫目や 髪が風にそよぐ様子など細部に気が配られて いる。一方で加えられた賛は筆を吊って書か れており、頓着しないような書きぶりである。
画も賛も澤庵宗彭による。表現の振れ幅の広 さはそのまま人物の懐の深さを思わせるよう である。
澤庵(1573~1645)は浄土宗から臨済宗 に転じ、25歳で薫甫宗忠につき、大徳寺三 玄院にて宗忠の師・春屋宗園に師事する。
32歳で印可を得て37歳で大徳寺第153世に 迎えられるもわずか三日で辞した。様々な権 力者からの招きを断り、大和や但馬に庵を結 んで屏居した。高徳の僧にのみ許される紫衣 の勅許は朝廷の権限であったが、後水尾天皇 の与えた紫衣を幕府が剝奪、これに抗議した 澤庵は出羽に流される。赦免後、朝廷にも幕 府にも召されて説禅し、柳生宗矩には剣禅一 如の境地を教えた。権力者に愛されつつも生 涯にわたり隠棲を志向した。
開館15周年に際し、出光美術館が選り抜き のコレクションを公開した記念展にて出品さ れた一幅である。
絹本・彩色 軸装 91×35(絹本)cm 全体/179.2×58.2cm 箱付 ¥ 1,500,000~2,500,000
仏教では故人の冥福を祈り、初七日から三十三回忌まで13の法要を行う。その法要毎に 13の諸尊を配したものを十三仏という。ルーツは晩唐期に中国で生まれた十王信仰にあ る。冥界で死者を裁く十人の王のことを十王といい、初七日から七七日、百箇日、一周忌、 三回忌をそれぞれ担当する。この十王信仰は平安時代末に日本で普及し始め、やがて十王 の本地仏として十仏が組み合わされて十王十仏となった。鎌倉から室町期にかけて、ここ に七回忌、十三回忌、三十三回忌を担当する三王と三仏が加わった。十三仏の図像は数種 類に分けられるが、本作は珍しく来迎形式をとる。中品上生の印相をとる阿弥陀仏が大き く描かれており、阿弥陀信仰との関わりが伺えて興味深い。14~15世紀の作とみられ、 優れた絵仏師により丁寧な描写、賦彩がなされている。
86 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
110
111
元信筆渡唐天神図 絹本・彩色 印有 軸装
97.2×42.3(絹本)cm 全体/184.9×59.2cm 箱付 「大谷家(本派本願寺)舊御蔵品入札第貳回」
(本派本願寺御殿 1913年)
目録No.604に掲載
展覧会歴:「日本美術シリーズ第44回 渡唐天神画像展」
(新宿伊勢丹 1964年) 図録に掲載 同図録付
¥ 1,800,000~2,300,000
菅原道真が梅の花と共に中国に渡り、名僧・無準師範に 禅を学び帰朝したという説話が室町時代の禅僧の間で広 まった。これに基づき描かれたのが渡唐天神図で、天神 信仰の画像の一つとして知られる。文章博士の家に生ま れ、幼少時から学問、文学に精通した天才で、梅を愛し たことがこの信仰を生んだと見られるが、禅の日本的受 容の流れにおいて重要な意味を持つ。当初禅画僧の画題 であったが、やがて狩野派をはじめとした専門画師も描 くようになり、民間における信仰の熱烈な広まりが背景 にあったことが知れる。本幅は狩野派の大成者、狩野元 信の筆とされる。上部を金泥による梅や松などの下絵料 紙風に描き、道真の歌を三首記す。右は「谷ふかみ春の 光のをそければ雪につゝめるうくひすの聲」を漢字万葉 仮名交じり、中央「あまの原あかねさしいつるひかりに はいつれのぬまかさえのこるへき」、左「海ならすたゝ へる水のそこまてにきよきこゝろは神そてらさむ」と書 する。身体をやや左に振る道真の仙冠道服の美しい彩色 が目を引く。
本幅は西本願寺門主の大谷家の旧蔵。大谷家は浄土真宗 開祖親鸞の血脈を引く家系で、その歴史の中で多くの文 化財を収蔵してきた。明治後期、西本願寺門主の大谷光 瑞は中国西域の仏教遺跡探索を行う。いわゆる大谷探検 隊の派遣であるが、これをはじめ多大な出費が重なり、 負債返却の一環として、1913(大正2)年に4度にわた り売立を行った。
本幅はこのときの売立に出されたものであり、この4回 の中には尾形光琳「燕子花図屏風」も含まれている。こ のときの売立に出されたものは、後の大正・昭和前期の 売立において度々入札に付されて、大きな話題を占めた ものも多くあり、また現在美術館の所蔵となり、公開さ れているものも多数ある。
木彫如来立像
H81.5×W38×27.9(台座含む)cm 木製台座付
¥ 1,000,000~1,500,000
完全無比なる物を愛するのと同じよう に、あるいはそれ以上に我々は朽ちゆ く物になぜか心を惹かれて止まない。
それはその物がかつての姿を想起さ せ、見る者を時間軸上の思考へと誘う ことで、我々を一種の物語の創造者へ と変異せしめる力を宿しているからだ ろう。本作を前にするとそのような感 慨が浮かんでくる。
体は干割れと虫食いに侵され、顔には 木目が浮き上がり、さらには手先と下 半部を失ったこの如来像は、その朽損 を恥じることなく、逆に時の重みを内 包し聖性さを増している。頭頂から下 端にかけて一材で彫り出す一木造りで 内刳りは施されておらず、別材の手先 を取り付けていた枘穴が残る。丸く高 く盛り上がる肉髻にはわずかに黒の彩 色が残り、顔貌は摩耗しながらも理知 で柔和な表情をうっすらと湛えてい る。また偏袒右肩の大衣の線ははっき りと彫られ、ほどよい肉付きを示す体 躯と奥行きのある頭部の四角みは、木 彫らしいあたたかさを備えている。全 体的におおらかな作風は土着性を帯 び、中央よりも地方の仏師の気風を窺 わせる。平安期の荘重な優品である。
113
金銅尊勝仏母坐像
H38.5×W32.2×18.8cm
展覧会歴:「歓喜仏と密教秘宝」(白浜美術館 1975年) 図録No.68に掲載
¥ 800,000~1,300,000
各面三眼の、三面八臂の柔和相をとる坐像。尊勝仏母は仏 頂尊勝母、尊勝仏頂仏母ともいう。仏頂とは仏の頭頂、肉 髻のことで、仏の頭頂の功徳である仏智を指す。尊勝仏母 はそれを仏格化した仏である。罪障消滅と延命長寿が祈願 される。なよやかに流れる八臂と少し傾げた体がよく調和 して美しい。16世紀の造像と見られる。
113(別角度)
114
ウマ女神トルソー
113(別角度)
H35.2×W13.2×9.6(台座含む)cm
作品は台座に固定されている GRUSENMEYER鑑定書 台座付 文献:岡野博一著
「NOKAH collection」(創栄出版刊 2016年) P.59に掲載 同文献付
¥ 500,000~800,000
女性彫像の美しさが生命感に拠って立つのは、洋の東西を 問わず普遍である。その点において本像が具備する柔らか い曲線と豊かな量感は、生命の迫真性をきわめて単純に、 効果的にあらわしており、優れた意匠である。クメール王 朝時代、11世紀頃の作。
上半身は肉体をあらわにし、腰にサムロイ(腰衣)を巻き、 腰ひもに花葉形の垂飾をつけるのは同時代の遺例が共有す る特徴である。モチーフのウマはシヴァの神妃で、別名 パールヴァティー。慈愛深く、純潔と官能美を兼ね備えた 存在とされており、調和的で均整のとれた本像の造形にも その特性がよくあらわされている。 113
115
ガンダーラ ストッコ初転法輪像
H54.5×W37×18.1(台座含む)cm
栗田功鑑定書 台座付 ¥ 1,300,000~1,800,000
悟りを開き、法を説く決意をした釈尊は、鹿野苑に て5人の比丘を前に初めて説法を行う。ここに仏法 僧の三宝が成立する。即ち、悟りを開いた聖者・釈 尊、教えとしての法、それを伝える僧である。釈尊 の初説法を「初転法輪」と呼ぶ。本像は台座に法輪 と鹿を施す。法輪は法、鹿は鹿野苑を表わす。丁寧 に施された化粧土がきめ細やかで美しい。4~6世 紀のストッコの優品。ガンダーラ美術の研究者とし て名高い栗田功の鑑定書が備わる。
116
ガンダーラ 男女交歓図レリーフ
H56.5×W33.5×17(台座含む)cm
栗田功鑑定書 台座付 ¥ 1,000,000~1,500,000
窓際に佇む男女。男性は女性の顔にそっと手を差し 出し、女性は俯き加減に男性を見つめている。男女 交歓の図は、一説にイラン系の思想の下に考えられ た涅槃、極楽の象徴としての図像とされる。仏教の 性質上、ガンダーラ美術ではこのような愛を紡ぐよ うな作例は極めて珍しい。3~4世紀の稀少で彫刻 の細やかな作。栗田功の鑑定書が添う。
117
文献:栗田功著
「愛しき仏像 ガンダーラ美術の名品」
(二玄社刊 2008年)
No.64に掲載 同文献付 ¥ 700,000~1,000,000
腰に手を遣り、右を向く女神。実に深 く彫り込まれており、女神の顔を正面 から見つめると、本像の豊かで細やか な顔貌表現に驚かされる。ヤクシニー はインドで古くから民衆に愛された女 神。元は森や樹木に棲む精霊で、生命 の根源と関わるとされていた。樹下に 豊満な姿で表わされ、天からの恵が樹 を通じてその身に宿っていることを意 味している。2~3世紀の優品。
117
ガンダーラ 弥勒菩薩立像
H61.2×W23.2×19(台座含む)cm 台座付 ¥ 1,000,000~1,500,000
118 118(別角度)
ガンダーラ 弥勒菩薩坐像 H63.8×W47×18.2(台座含む)cm 台座付
¥ 2,000,000~3,000,000
強く波打つ髪を頭頂部で大きく束髪に結い、残りは肩に垂らす。すっと通った鼻は目 元に翳を落とし、両の眼は半ば閉じられてもの想いに耽る。陰翳は表情に奥行きを加 えて、凛とした落ち着きを見せている。左肩から左腕、そして右腕に懸けられた条帛 は厚みをもって垂れており、巻き込むようにその身に纏い、蓮華座の上に結跏趺坐し ている。左手第一指と第二指の間には水瓶を挟む。内面を深く見つめる姿が印象的な 弥勒菩薩の坐像である。3世紀の優品。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
ガンダーラ 仏陀立像
H64.2×W24.5×15.7(台座含む)cm 台座付
¥ 1,500,000~2,500,000
高い鼻梁と続く眉弓に囲まれて、翳りが眼窩 で階調をなし、半眼に開かれた眼には一層深 い翳が生まれている。頬から顎へとゆるやか な曲線を描き、口元は軽く結ばれて笑みを浮 かべる。通肩にまとうやや厚い衣の下に肢体 のやわらかな起伏がみてとれる。見つめた先 を慈しむような優しさを湛えた仏陀の立像で ある。台座は三方に彫りが施され、単独像で あることがよく分かる。
対してLOT122は表情が引き締まり、静謐の 中に厳かな様子を漂わせている。差し込み式 の蓮華座が当時のまま遺されている稀少な作 例。なお、LOT122にはガンダーラ美術研究 家の栗田功と国内有数のガンダーラ美術専門 の古美術商・清水美貴雄の鑑定書が付属する。
LOT120~122はいずれも3~4世紀頃の作。
部分
121
122
ガンダーラ 仏陀坐像
H48.3×W25.5×25cm
栗田功鑑定書 古美術清水鑑定書 台座付
¥ 1,800,000~2,800,000
121
ガンダーラ 仏陀立像
H64×W20.8×10.5(台座含む)cm 台座付
¥ 1,300,000~1,800,000
123
エジプト方形彫像
H18.4×W9.9×12.6cm 箱付 木製台座付
¥ 700,000~1,000,000
頭を少しもたげ、両腕の上部、両足の先が彫り出されている。 右手に筆記具を持つことから、書記かと推測される。本像の形 式は方形彫像(ブロック・スタチュー)と呼ばれる。紀元前 2000年のエジプト中王国時代に現れ、その後末期王朝にかけ ても制作され続けた。その目的・起源に関しては様々な説があ るが、オシリス信仰の中心地で多く発見されることから、オシ リスの司る再生と復活に密接に関わるものと考えられている。
124
ブロンズ エロース像
H15.8×W19.1×12.8(台座含む)cm 木製台座付
¥ 1,000,000~1,500,000
片膝をつき、やや首を傾けて、右肩越しに 遠くを見遣る有翼の少年の像。原初の神と もヴィーナスの子ともされるエロースは、 古くは有翼もしくは無翼の青年の姿であ り、それが有翼の少年、やがて有翼の童子 形をとるようになる。わずかに口を開くそ の表情はどこか愁いを帯びており、文学や 美術で格好のモチーフとされた悪戯好きの 童子とは異なる、複雑な心象がうかがえる。
調度品の装飾の一部であったものであろう か、細部まで緻密に作られている。紀元後 2世紀のローマ期の作と見られる。
バローチスターン動植物文大壷
H74.8×W58.5cm
オックスフォード古美術TL法鑑定会鑑定書 台座付
¥ 3,000,000~5,000,000
BC2600~BC1900年頃に栄えたインダス文明。産業革命以前の文明を 構成する要素の殆どはインダス文明に見られると言われる程に高度な文 明であり、世界四大文明の一つに数えられる。
このインダス文明に先行する形で、インダス平原西部・バローチスター ン高原に社会・文化が存在していた。この地域はイラン地方とインダス 平原を結ぶ東西交通の要衝であり、世界最古の文明・メソポタミア文明 をはじめとする西の文化が流入して独特の社会を形成した。
本作はそのバローチスターン地方で作られた大壷である。高さ70cm超。 張りのある曲線を描き、やわらかな赤い膚の上にイトスギとバナナ、ア イベックスと鳥を黒で規則的に配す。極めて高い技術によるものだと一 見して分かり、その偉容にはただただ圧倒される。
放射性炭素測定法によりBC3100~BC1300年のものと証されている。 この大きさで本作ほど状態の良い物は類例が無い。
126
銀製打出狩猟文壷 H24.5×W29cm 約2133.3g 来歴:Sotheby's New York、1990年3月21~22日 ¥ 500,000~800,000 ターバンを巻いた戦士たちが馬を乗り 回して猟犬と共に猪を追い詰め、他方 では哀れに鳴き叫ぶ獣に弓矢でとどめ が刺されようとしており、また別の場 所では駱駝騎兵と戦象隊が仲間を喰 らった虎と最後の戦いに挑まんとして いる。型に乗せた銀板を叩いて文様を 押し出す「打ち出し」の技法があしら われた本作は、その類まれなる立体造 形によって狩猟場面の臨場感が生み出 され、同時に動物や人間に施された緻 密な文様は各々の生命の躍動を訴えか けてくる。19世紀初頭、インドにお いて制作されたとみられる本作は、鑑 賞する者に遠い異国の地への憧憬を抱 かせて止まない。
127 鈞窯盃
H4.3×W7.9cm 箱付
来歴:北山美術店 平野古陶軒
¥ 1,500,000~2,500,000
128 定窯白磁盃
H3.3×W6.6cm 箱付
来歴:平野古陶軒
¥ 1,500,000~2,500,000
129
唐三彩龍耳瓶
H33×W18.7cm
来歴:Christie's Hong Kong、2024年6月4日
¥ 1,000,000~1,500,000
彩釉がよくかかり、倒卵形の胴を伝い高台まで垂れ ている。口づくりは盤口。肩から伸びる把手の先が 龍頭を模しており、左右から縁を咬むように接続し、 背には鋲が付されている。「龍耳瓶」と呼ばれるこ の意匠は西方起源の金属器の影響が見られるもの で、古来唐の三彩器中の優品として声価が高い。同 形の遺例は隋代より見られるが、本作は唐時代の所 産である。
130
唐三彩壷
H15.5×W16.7cm 小山冨士夫箱 展覧会歴:「大唐展」(繭山龍泉堂 2017年) 図録No.68に掲載 同図録付
¥ 600,000~800,000
131
磁州窯騎馬人物花文陶枕 H14.9×W42.3×16.4cm
背部に描き銘「滏源王家造」「鴻川枕用功」 箱付 来歴:Christie's Hong Kong、2023年6月6日
¥ 1,000,000~1,500,000
胎は灰茶色で、総体に白化粧を施し、透明釉を掛けている。陶枕は磁州窯に於いて主要な製品のひとつで、多くは実用と考えられている。 元時代の所産で、天面に鉄絵で風景や物語の一場面を描くのは同時代の典型的な意匠。本作は殊に作行の優れたもので、正面・両側面に窓 を設けて花文を配し、背面も同様に窓絵を描き、その両側に「滏源王家造」「鴻川枕用功」の款記が添えられている。
背部
建窯天目茶碗
H7.2×W12.5cm 箱付
来歴:平野古陶軒 Sotheby's New York、2021年3月17日
¥ 5,000,000~8,000,000
動画で作品をご覧いただけます。
福建省建窯で焼成された、いわゆる建盞の中でも代表的なものである。釉薬中の遊離した鉄分 が器の表面に無数の細線をあらわし、日本ではこれを稲穂の先の毛に見立てて禾目天目と呼び、 中国では兎の毛並に見立てて兎毫盞と呼ぶ。古来茶方に珍重されたもので、本作は茶碗の口縁 の下をわずかに絞る鼈口として、典型的な作行を示している。
南宋の所産。厳しく整った姿はこの時代の器に特徴的なもので、得難い雅趣がある。
見込
133
康熙五彩波濤飛馬文共蓋壷 H43×W25.5cm
底部に描き銘「福」 箱付 木製台座付 ¥ 1,800,000~2,300,000
緑彩の渦紋を地文とし、花弁を散らし、 波濤押し寄せる中に馬が駆けている。
明末から清初にかけての時代感覚の結 節点にある本作の独特な図柄と細く強 い描線は味わい深い。欠損することの 多い蓋が本作には備わっている。壷中 居旧蔵、清代初期の作。
134
古赤絵牡丹唐草文徳利 H18.4×W10.1cm 箱付
文献:座右寶刊行會編 「世界陶磁全集 第11巻」(河出書房刊 1955年)
No.80右に掲載 同文献付
展覧会歴:「中国陶磁元明名品展」(日本橋高島屋 1956年) 図録No.100に掲載 同図録付 ¥ 1,000,000~1,500,000
乳白色の地肌に赤と緑の二色を賦して濃密な色彩感覚を 見せる。少ない色数を巧みに配して錦をあらわすところ に古赤絵の興趣がある。頸に瓔珞文、胴に牡丹唐草文、 裾に受蓮弁を描く。素地は上質で、釉調は柔らかい。 明時代中期の所産。
102
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
古染付寄向付(5点)
H3.8~4.5×W15.9~21.7×10~11.5cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
136
染付花蝶文獅子耳水指
H19.3×W20.5cm 箱付
¥ 800,000~1,300,000
137
法花蓮花文壷
H15.1×W15.7cm 箱付
¥ 2,300,000~2,800,000
濃紫の地に、翠青の茎と葉、白い花弁を揺らす蓮の花が浮かび上がる 様に生き生きと描き出されている。肩に廻らされた蓮弁文には胴の文 様には見られない緑を差して作品に奥行きを与えている。
本作は「法花」と呼ばれる手法の作品で、立体的に表した文様部分に 鮮やかな青や紫の釉を流し込み、掛け分けている。唐三彩以来の三彩 の系譜に属するが、翠青と濃紫の色釉は宋以前には見られず、イスラ
ム圏で行われた釉薬が元代に伝わったとものとされる。白泥の細線で 輪郭を盛り上げるのは色釉が混じるのを防ぐためと見られるが、艶や かな釉薬が入り交じり、図らずも幽遠なる趣を醸し出している。本作 はLOT34
河井寛次郎「花扁壷」に見られる白泥の描線と通じるもの があり、世界中の古陶磁を研究していた寛次郎はこの法花を意識した ものとも思われる。壷中居旧蔵、15~16世紀の作。
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
唐鍍金如来坐像 H12×W5×3.8(台座含む)cm 箱付 木製台座付
来歴:Sotheby's New York、2020年9月24日
¥ 2,000,000~3,000,000
胸を開けて衲衣をまとい、結跏趺坐する像で ある。高い須弥座上にあり、三尊仏の本尊と して制作されたものと推測される。面相に秀 でた丸みがあり、精緻な透かし彫りの頭光を 負っている。優れた作行を呈し、伝世の手を 経てなおこれほど鍍金をよく残す遺例は珍し い。唐代の作。
背部
龍泉窯青磁盞
H3.8×W12.2cm
箱付
来歴:繭山龍泉堂
臨宇山人旧蔵
Christie's New York、2019年9月13日
¥ 5,500,000~8,500,000
外に傾きながらまっすぐに伸びてゆき、口縁でわずかに外に折れる。畳付を除く全面に施釉さ れており、底部に褐色をわずかにのぞかせて、端正な器体にむらなく掛けられた淡く明るい粉 青色がよく映える。南宋の精品。高台内には「T. M. C. Collection」のシールが貼されており、 繭山龍泉堂の箱が添う。 底部
詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
龍泉窯青磁蓮弁文碗 H6×W9.1cm
箱付 覆輪は奥山峰石(箱蓋裏に署名と印)
来歴:Stephen Junkunc Ⅲ旧蔵 Christie's New York、2018年9月13~14日
¥ 5,500,000~8,500,000
側面に廻らされた蓮弁文は、稜の部分から刻み込まれた輪郭まで、白から深い青へと淡くゆる やかに転じている。姿、釉調共に破綻なく美しい。南宋の優品である。口に金の覆輪を嵌めて おり、覆輪の作者は重要無形文化財(人間国宝)「鍛金」保持者の奥山峰石。20世紀半ばに中 国古美術の一代コレクションを形成したStephen Junkunc IIIの旧蔵。
李朝染付桃梅盆栽文壷 H40×W31.5cm 箱付
¥ 5,000,000~8,000,000
肩が張り、垂直に立つ口を備える立壷は、李朝時代の典型だが、本作を特徴づける のは胴に描かれた文様である。日本では盆栽文様と呼ばれるこの意匠は古来声価が 高く、伝世の遺例も少ない、特別なものとして知られている。小さな植木鉢を端と して器面いっぱいに枝葉を広げる様は、小さな高台から肩に向かって大きく広がる 器形と呼応して一層活力を増すようである。
18世紀の作。類稀な名品である。
別角度
別角度
李朝白磁蓋付筆洗 H8×W16cm 箱付
来歴:Christie's New York、2004年9月22日、2023年3月21日
¥ 3,500,000~4,500,000
143
李朝白磁面取十角筆筒 H11×W15cm 箱付
来歴:繭山龍泉堂
Sotheby's New York、2013年3月19日
¥ 4,500,000~5,500,000
産地は金沙里。喇叭形の鉢を作り、器表を八角に削り落として面取り とする。そのため見込に筋はなく、内壁は滑沢としており、光を抱え 込むような得も言われぬ興趣がある。本作は文房の筆筒として伝わる が、資料により祭器とも。類例に乏しい、稀覯の作である。
144
李朝白磁環透筆筒 H13.2×W12.3cm 箱付
「府内古経堂所蔵品賣立」(京城美術倶楽部 1941年)目録No.181に掲載 同目録付 ¥ 6,000,000~9,000,000
輪文三段を連続させた透彫の筆筒。その下には直線的な幾何学文をやはり透彫で施したもの を廻らせている。直線から成る山型の文様は中程に削り込みを加えており、平板な印象にな るところを回避している。竹文様の筆筒は比較的多いが、本作のような形式の筆筒は数が少 ない。本作は1920年代に設立された韓国初の美術品を競売する会社・京城美術倶楽部にて 1941(昭和16)年に競売にかけられている。
李朝白磁牡丹文透筆筒 ¥ 2,000,000~3,000,000
146
李朝白磁草花文透筆筒 H11.3×W11.8cm 箱付 ¥ 2,500,000~3,500,000
¥ 3,500,000~5,500,000
148
李朝白磁辰砂透卍文水滴
H9.3×W10.8×10.5cm 箱付
¥ 1,000,000~1,500,000
149
李朝辰砂面取壷
H17.9×W18.5cm 箱付
¥ 500,000~800,000
別角度
150
高麗青磁象嵌菊唐草文陶枕 H9.4×W13×11.4cm 箱付
¥ 4,000,000~6,000,000
枕として頭が接する部分中央には、白黒象嵌の三重圏線の中に、菊文と蓮弁文を交互に 配する。陶枕は各面の盤をつくり継ぎ合わせて成形する。接合という手法は轆轤成形の 作品に比べて成功率が低くなる上に、本作は枕のゆえに中心部を低く造形しており、焼 成には一層の困難を伴う。本作は見事に成功した希少な遺例である。焼成時の問題か経 年によるものか、わずかに透明釉が黄色くなっている部分が見られるが、全体として青 緑の発色と、青緑と白黒の象嵌の取り合わせが美しい。13世紀の優品である。
151
高麗青磁陰刻蓮文瓶 H33.4×W17cm 箱付
展覧会歴:「第二回東洋古美術展」
(熊谷市立文化センター文化会館 2024年) 図録No.19に掲載 同図録付
¥ 3,000,000~5,000,000
胴がゆったりと膨らみ、首が細く長く口は端反に伸びる優美な器形 である。焼成は良好で形に歪みがなく、釉薬も艶やかで美しい。陰 刻により蓮が刻まれているが、蓮が蕾から花開き、やがて枯れると いう一連の流れを描く、珍しい文様である。12世紀の美品。
152
高麗青磁象嵌陰刻菊花蓮弁文盒子
H4.1×W9cm 箱付
¥ 3,000,000~5,000,000
153(右頁)
高麗青磁象嵌菊文盒子
H4.1×W8.8cm 箱付
¥ 5,000,000~8,000,000
154(右頁)
高麗青磁象嵌鳥文盒子
H3.6×W8.5cm 箱付
¥ 4,000,000~6,000,000
釉色美しい盒子3点。LOT152は円と円弧を組み合わせた精緻な幾何学文とその間に菊花を白黒象嵌で表している。側面に白象嵌 で雷文帯、身の底部周囲に陰刻で蓮弁文を配する。LOT153は天面は円と菊唐草を組み合わせ、傾斜面は蓮弁を、それぞれ白黒象 嵌で表す。側面には白象嵌で雷文帯。LOT154は鳳凰であろうか、天面に尾の長い鳥を廻らせており、極めて珍しい。中央には地 を埋めて文様を出す逆象嵌で蓮弁を表す。傾斜面と側面には白黒象嵌による幾何学文。
化粧品を入れるとされる盒子はその用途から掌中に収まる姿をとるが、技巧を凝らした緻密な文様と麗しい釉色がこの姿形に凝縮 されて、輝き、存在感を放つ。いずれも13世紀の作。
156
高麗青磁鉄絵牡丹唐草文水注 H24.4×W22.9cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
高麗青磁象嵌花文鉢 H5.9×W19.6cm 箱付
¥ 3,000,000~5,000,000
見込部分は中央二重圏線内に紫陽花、周囲に柘榴と思しき文様を据えており、地の緑を 見せるかのように余白を広くとっている。外側面は一転、文様で埋め尽くす。白黒象嵌 による菊、牡丹を等間隔に配し、牡丹文を取り囲む文様帯には余白を象嵌する逆象嵌に よる唐草文。極めて手が込んでいる上に、普通は見えない高台脇にまで文様が施されて おり、特別な品であったことが伺える。12世紀後半から13世紀にかけての名品である。
158
高麗青磁象嵌花文水注 H12.6×W18.7cm 箱付
¥ 6,000,000~9,000,000
つややかな釉薬に覆われて安定感のある豊かな丸い胴に、黒白で文様を施している。 円を基調とした幾何学文を配し、間を大きな四弁花や菊花で埋め、陰刻も施すなど、 複数の装飾技法を駆使して豪奢に仕上げている。胴の上部は曲面に一度段をつけて平 らにしているが、高台と同じ幅であり、真横から見た際には上下を同じ長さの平行線 で区切った形に見えるようにされている。また曲線で構成されている幾何学文が真上 から見たときには正方形に見えるなど、様々な仕掛けがなされており見飽きることが 無い。水注は酒器として用いられたと考えられており、12世紀初頭に高麗の国都・ 開城に国使として滞在した徐兢が「大抵の高麗人は酒を嗜む」と述べていることから、 これ即ち酒器も含めてこだわりの強かったであろうことは、本作からよくわかる。
13世紀、珍しい意匠の水注である。
別角度
高麗青磁象嵌窓絵蓮柳菊文花瓶
H25.2×W11.4cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
仏前に花を供える供養具で、梅瓶と共に高麗人が好んだ形とされる。首と胴と高台か ら成るが、接合部には擂座がめぐらされており、極めて稀である。胴には垂線を六本 入れて、各区画ごとに白黒象嵌で牡丹、菊、柳を順に施している。頸部にもやはり白 黒象嵌で細かく雲鶴文を加えており、釉調美しく、これら文様の取り合わせも珍しい。
13世紀にかけての稀少な作。
別角度
160
李朝彫三島草花文扁壷 H21×W16.8×15.3cm 箱付
来歴:京城文明商会
¥ 500,000~800,000
白泥を薄く引き、高台は掛け外す。上か らかけられた透明釉はわずかに青みがか り、全体に細かい貫入を生じて景が添う。 俗に「彫三島」と呼ばれる李朝磁で、器 態は轆轤で引き上げた球形の壷を横から つぶして成形したもの。胴の文様は強く 意匠化されており、直線と曲線が交わる 独特のリズムが興趣を産じている。 15~16世紀頃の作品。 紙蓋の裏に来歴が墨書されており、京城 文明商会店主・李禧燮氏から譲り受けた ものと伝えられる。
161
李朝粉青沙器掻落草花文瓶 H29.1×W16.8cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
162
李朝鉄砂龍鳳凰文壷
H30×W35cm 箱付
¥ 10,000,000~15,000,000
白磁に鉄砂による絵付が盛んになされるようになったのは17世紀となっての ことである。灰色の潤いある膚におおらかな姿の龍が一巡りしている。鉄砂は 胎土に染み込みやすいために素早い筆遣いが要求されるというが、素早さとい うよりも、息が長く、ゆったりと力強さの感じられる堂々たる筆致である。ま た大胆な抽象化が進み、龍の姿から離れていくことで、新たな美的世界を切り 拓いている。なお、本作には龍と同時に鳳凰も描かれており、実に珍しい。
17~18世紀の完好の作。
別角度
128 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
163
李朝白磁壷
H32.5×W30cm 箱付
¥ 3,000,000~5,000,000
164
李朝白磁陽刻牡丹文瓶 H22.3×W14cm 箱付
¥ 600,000~900,000
肌は青白味を帯びて光沢を放ち、丸々 とゆたかに張り出した胴には浮き彫り で表した牡丹の折枝文を廻らせる。陽 刻によって生まれたわずかな陰翳が艶 やかな釉膚に溶けて全体に一層の深み を与えている。陽刻は19世紀に入る ものが多いが、本作はその形からして やや遡ると見られる。18世紀から19 世紀にかけての作。
165
李朝白磁陽刻梅花文戒盈杯 H4.4×W7.4cm 箱付
¥ 500,000~800,000
「戒盈杯」とはおよそ八分目を超えて 酒を注ぐと全て流れ出てしまう盃のこ とで、サイフォンの原理を用いたもの。 「何につけてもほどほどに」という教 訓の、文字通り「盈(満ちる)を戒め る」盃である。存在は知られているが、 実際の李朝期の戒盈杯の遺例としては 極めて珍しい。19世紀の作。
李朝染付雲龍文壷
H44.5×W34.3cm 林屋晴三箱
¥ 3,000,000~5,000,000
大きく豊かに張り出した肩は胴裾にかけてすぼまりながら 小さく接地する。胴に描かれた龍は大きく口を開け、雲間 をうねりながら悠然と漂う。のびやかに描かれた龍の体躯 は大きく、活力的でありながら破綻がない。選り抜きの磁 胎は白く、かすかに青みがかる肌は玲瓏である。極めて端 正な器で、比較的遺例の多い意匠故に、白眉の作行が際立 つ。李朝後期に制作された、龍壷中の傑作である。
李朝染付雲龍文瓶 H34×W20cm 箱付
¥ 1,200,000~1,800,000
李朝染付牡丹文壷 H38×W30cm 箱付
¥ 3,000,000~4,000,000
169
李朝染付窓絵山水文面取瓶
H29.8×W17cm 箱付
文献:
浅川伯教著 「陶器全集 第17巻 李朝 染付・鉄砂・白磁」(平凡社刊 1965年) No.20に掲載 同文献付 村山武著 「陶磁体系 第31巻 李朝の染付」(平凡社刊 1978年) No.64に掲載 同文献付 ¥ 4,000,000~6,000,000
木瓜形の窓に、月は沖天、雲は左右に流れ、遠景には高く聳える三山、中景に舟が見え、近景左下、 崖壁に人家、松であろうか樹木が遠く伸びている。やわらかに稜をなす面取により画面にはゆるや かに奥行きが生まれ、風景の悠揚たるに一層の風韻をもたらしている。山水画の代表的な画題であ る瀟湘八景に取材したかとも思われるが、浅川伯教は本作を取り上げて「北漢江と南漢江の合流す る所、分院の情景を髣髴させる。水面に向うと湖水の如く、目にさえぎるものがなく、舟が往来し、 水鳥が飛んで、この辺りの景を想わせるに十分である。」と述べている。朝鮮古陶磁研究の第一人 者である伯教の慧眼であり、画題の国風化を表れと見ることができる。18世紀、雅味ある作である。
別角度
170
李朝染付牡丹蝙蝠文六角面取瓶 H26.7×W17.6cm 箱付
¥ 9,000,000~14,000,000
171
170(別角度)
李朝染付蝶蜂牡丹文六角面取瓶 H25×W17cm 箱付
¥ 4,000,000~6,000,000
実に見事な大輪の花を咲かせる二つの牡丹文の面取瓶である。LOT170 は中心から左右に対称に枝を伸ばす。零れんばかり花弁を具えた牡丹に 対して、枝はいかにも繊細で、花の重みでたわむかのようである。背面 に一匹の蝙蝠が牡丹の中に溶け込むかのように飛んでいる。華やかで繊 細な牡丹は、澄んだ色調の染付とよく適い、白い膚の上で一層の輝きを 見せている。対してLOT171。同じ白い膚ながら染付は濃い。枝は鋭く 強く右へ右へと撓りながら伸ばしゆく。夥しい数の花弁からなる牡丹花 に、葉も繁くして、器面を覆い尽くさんとするばかりである。先端に三 分咲きほどの花。その先には蜂が飛び、蝶は花芯に口吻を伸ばそうと宙 で身を捩る。六本の稜線からなる面取瓶は天を衝く首と豊かに張り出す 肩を具え、二点共に造形は似たものながら、描かれた牡丹に対し一方は
上品に、今一方は厳しさを以って応えている。
中国でその美しさから「国色天香」「百花王」とも呼ばれる牡丹は富貴 を象徴するものであり、牡丹文は宋代以降隆盛を見せる。朝鮮半島では 宋代の文物が多く渡来した高麗時代に牡丹文が盛行し、やがて高麗独自 の牡丹文を完成させた。李朝に至り更に進めて大胆にデフォルメされる ようになる。人気のあるが故に李朝のやきもので牡丹を描くものは数多 い。だが本作のように匂うばかりに咲き誇る牡丹は格別に好まれ、また 数も少ない。
形と主題が同じながら方向性の異なる作品。李朝後期の優品である。
172
李朝染付富寿字文鉢 H15.7×W25.7cm 箱付 ¥ 1,500,000~2,500,000
172(見込)
173
李朝染付花文皿 H4.3×W18cm 箱付 ¥ 1,000,000~1,500,000
174
李朝瑠璃釉陰刻菊花竹笹文皿 H3.4×W15.8cm 高台内に掻き銘「元」 箱付 ¥ 800,000~1,300,000
そもそも遺例の少ない李朝磁の皿だが、本作は殊に優れた作行を示 している。厚造りで程よく量感があり、据わりが良い。高台は深く 内刳りとし、高台内に「元」の一字を刻む。見込中央に菊花の文様 を配し、地を菱形の連続文様で埋め、器裏に竹笹文を添える。これ らの文様は全て陰刻によりあらわされており、刻線に沿って釉薬が 溜まり、陰影をなして、瑠璃の効果を一 層たかめている。李朝後期の作。瑕疵の ない完存品。同作中の白眉である。
174(裏面)
175
李朝染付葡萄文水注 H18.3×W16.3cm 箱付
¥ 3,000,000~5,000,000
176
李朝白磁染付梅蜂文水注
H9.7×W13.3cm 箱付
¥ 30,000,000~50,000,000
口は低く口縁を短く外に巻き返す。肩は高く張り、重心は高めにとられ、 下方に向けて直線的に窄まり、胴裾でわずかに段をつける。胴には、う ねり絡み合いながら梅がその枝を伸ばして、画面に奥行きを生んでいる。 没骨法で描かれた枝は所々で濃淡を生み、梅の歳月を経た様がよく表れ ている。老いた梅の咲かせる花に蜂が遊び、蜜を探す。文人画で見られ る画題であり、当時稀少であったコバルトを用いて貴紳の文人趣味に応 えたものであろう。貴人の掌中に収まるに相応しい風格を備えている。 遺例が少なく極めて珍しい李朝初期の青花の水注である。
177
李朝染付宝尽文阿古陀形壷 H16.3×W18.5cm 箱付 ¥ 1,200,000~1,800,000
胴に縦に六つの鎬を入れ、六面の瓜形に仕立てた 壷である。肩には染付で如意頭文を回し、胴には 堂々とした筆致で吉祥文様を描いている。18世 紀、珍しい形式の壷である。地膚が実に白く、造 形と相俟って一たび置けばそこに在って極めて大 きな存在感を放つ。
178
李朝染付花唐草文壷
H18.5×W20.9cm 高台内に描き銘「雲峴」 箱付 ¥ 4,000,000~6,000,000
179
李朝染付菊蝶文瓶 H19.5×W13.7cm 箱付
¥ 900,000~1,400,000
179(別角度)
180
李朝染付富寿網文瓶 H24.4×W14cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
181
李朝染付鳳凰文瓶 H22.1×W14.8cm 箱付
¥ 1,800,000~2,300,000
瑞雲を分けて一羽の鳳凰が尾をなびかせて優雅 に羽を広げている。龍に比べて鳳凰が描かれる ことは稀であり、特に本作は描線が強く鋭く図 像に破綻なく、画工の技倆の高さがよく分かる。 19世紀の作。
182
李朝染付蜂に菊花文瓶 H24×W14.5cm 箱付
¥ 2,000,000~3,000,000
李朝染付十長生文瓶 H25.6×W14.7cm 箱付
¥ 1,300,000~1,800,000
鹿は長寿の表徴であり、十長生の一つ に数えられる。古来文人に好まれ、李 朝の品には種々を問わずあまねく描か れた縁起の画題として知られている。 殊にこの瓶に描かれた鹿は同作中の白 眉ともいうべき優れた意匠を示してお り、よどみなく流れる筆に運ばれるま ま体躯を目いっぱい伸ばして、生き生 きと、魅力的である。青花の発色にも 優れ、白地との調和が好ましい。李朝 後期所産の佳品である。
別角度
184
李朝染付十長生文瓶 H29.3×W18cm 箱付
¥ 7,000,000~12,000,000
鹿は跳ね、鶴は天地で向かい合い、亀は水の上で瑞気を吐き出している。空には太陽が輝き、 竹や奇石、霊芝なども描かれる中、松はひときわ大きく描かれて異彩を放っている。動きのあ るものは生き生きと楽しげに、対して松や岩などはしかと据えるように、それぞれ描き、画面 にメリハリを利かせている。
日、月、山、水、雲、石、松、竹、霊芝、鶴、亀、鹿、霊芝など、吉祥の象徴となるものを複 数描く文様を「十長生」と言い、李朝独自の文様である。元日に王がこの文様を描き、臣下に 賜ったという。動物が全てつがいであるのは吉祥文らしく調和の表われであろう。染付を濃く 淡く自在に使い分け、澄明な肌に不老長生の小世界を見事に描き出している。19世紀の優品 である。
別角度
185
李朝染付十長生文瓶 H30×W18.6cm 箱付
¥ 4,000,000~6,000,000
186
李朝石彫坐像
H50.8×W32×22cm 木製台座付
文献:尾久彰三著 「観じる民藝」(世界文化社刊 2010年) P.199に掲載 来歴:尾久彰三旧蔵
¥ 2,000,000~3,000,000
187
金銅観音菩薩立像
H17.3×W6.5×6.4(台座含む)cm 箱付 木製台座付 ¥ 600,000~900,000
188
金銅大日如来坐像
H11.2×W6.8×4.8(台座含む)cm 箱付 木製台座付 ¥ 1,200,000~1,800,000
統一新羅の時代には極めて少ない金銅仏の坐像だが、 高麗期には多くなる。坐像形式は高麗仏の特徴の一つ といえる。智拳印をとる大日如来の銅製の坐像。穏和 でふっくらとした丸顔が趣深い。部分的に鍍金が残さ れている。
189
金銅釈迦如来立像
H30×W11.4×11cm 箱付 木製台座付
¥ 6,000,000~8,000,000
190
李朝木雁
H16.2×W25×9.5cm ¥ 700,000~1,200,000
李朝期、婚姻に際して花婿が花嫁に木製の雁を一対持参する風習が あった。本作には『夫婦仲良く幸せに暮らす』意の吉語が記されて いる。造形といい墨描きの頭部や羽といい、実におおらかな印象で ある。尾の部分に彩色された跡が見えるが、退色していることで総 体に一層味わい深いものとなっている。
154 詳しいコンディションについてはお問い合わせください。 The condition report is available upon request.
別角度
別角度
191
李朝螺鈿鶴文鏡台 H14×W19.9×28.5cm 箱付 ¥ 300,000~500,000
折り畳み式につくる鏡台。上面に細い切 貝の雷文帯で枠を画し、中に双鶴をあら わす。側面は花菱亀甲文で埋める。各稜 部に金具が付き、実用と装飾を兼ねてよ く調和している。李朝後期に制作された 同形の遺例が知られており、本作も同時 代の所産と推測される。
191(展開時)
192
李朝螺鈿十長生文箱
H13.5×W47.6×12.6cm 箱付 ¥ 800,000~1,300,000
天面に双鶴と日月、一方の側面には鶏と梅竹、今一方には虎と松。両端に 壽と福をそれぞれ螺鈿で表わす。この吉祥文の取り合わせはあまり類例が 無い。19世紀、極めて珍しい作品。
193
李朝螺鈿双龍文八角文箱 H18.1×W41.4cm 箱付
¥ 5,000,000~8,000,000
八角の箱の天面を幾何学文で囲み、中央の火 焔宝珠に向けて、雲を突き抜け、かき分ける ように進む双龍を対峙させる。極めて珍しい 図様であり、おおらかな風合いが実に味わい 深い。各側面には屈折の連続からなる幾何学 文で四角に区切り、内部に亀甲文を整然と敷 き詰める。側部の幾何学文と主となる天面の 双龍文との間に対比が生まれ、同時に双龍文 が引き立てられている。傷みが生じやすい螺 鈿ではあるが、本作は極めて状態が良い。 19世紀の優品である。
天面