JAFスポーツ[モータースポーツ情報] JAF MOTOR SPORTS 第54巻 第1号 2020年2月1日発行(年4回、2、5、8、11月の1日発行) 2020 WINTER JAF MOTOR SPORTS 明日への挑戦 三つの国際大会に見えた未来を拓くヒントと課題 2019年JAFモータースポーツ表彰式 Victory Road ~栄光への花道 2019年チャンピオン獲得への道筋 特集
Headl 各国で行われたFIA公認モー タースポーツの成績優秀者 の栄誉を称える式典「FIA Pr ize Giving(FIA表彰式)」が、 2019年はフランス・パリのルーブル美術 館の近傍で開催された。 会場には、FIAフォーミュラ1(F1)世界 選手権で3年連続6回目のタイトルを獲得 したルイス・ハミルトン選手を始め、各世 界選手権のチャンピオンらが一堂に会した。 日本からもFIA世界ラリー選手権 (WRC)でドライバータイトルを獲得した TOYOTA GAZOO Racingのオット・タ ナック/マルティン・ヤルベオヤ組や、 FIA世界耐久選手権(WEC)でチームタイ トルを獲得したTOYOTA GAZOO Raci ng、ドライバータイトルを戴冠したフェ ルナンド・アロンソ選手やセバスチャン・ ブエミ選手、そして中嶋一貴選手らが招待 されており、年に一度、しかも世界的に名 誉のある場で、2019年シーズンの栄誉を 称えられることになった。 また、今回はFIAやJAFが推進するデジ タルモータースポーツに関する表彰も行わ れ、FIA認定のグランツーリスモ選手権の ネイションズカップで優勝したミカイル・ ヒザル選手のほか、マニュファクチャラー シリーズを制したイゴール・フラガ/ライ アン・デルッシュ/山中智瑛選手らTOYO TA GAZOO Racingチームのメンバーに も、栄えあるFIAの賞典が手渡されていた。 この表彰式が行われるウィークには、 FIAによる様々な催しが行われているが、 そのうちモータースポーツの重要な決定が なされる場として知られているのが「世界 モータースポーツ評議会(WMSC)」だ。 WMSCは毎年4回行われ、2019年最後 となった今回も、ジャン・トッド会長以下、 評議委員や各委員会委員長が出席した。 本会議の内容は、FIAの定款の変更や、 F1のコストキャップに対する法的整備、 国際モータースポーツ競技規則の変更など の審議がなされたが、中でも大きな変革と 言えるのが、FIA定款・第2条の変更だ。 FIAの定款(Statutes)には、38条に渡っ て各種活動の定義や行動規範などが記され ているが、その第2条は「FIAの目的」とい う項目。第2条1には、自動車のモビリテ ィとツーリズム、そしてモータースポーツ に関する国際的な問題において、メンバー の権益を守る世界的な組織を維持すること が明記され、第2条3には、モータースポ ーツの発展を促し、安全性を向上させ、組 織及びモータースポーツの公正で公平な運 ルーブル美術館でFIA表彰式開催! WMSCでは定款の改定も決議 2020年のカレンダー及び競技規則が概ね確定。来季はデジタルモータースポーツの波が来る! Headline モータースポーツ話題のニュース速攻Check! フォト/FIA、Gregory Lenormand/DPPI、吉見幸夫、遠藤樹弥、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部 4
パリ・ルーブル美術館の近 傍で行われた2019年FIA表 彰式。WEC 2018-2019シー ズンでタイトルを獲得した 中嶋一貴選手や小林可夢偉 選手らも表彰対象者として 招待された。
グランツーリスモSPORTを使用したデジ タルモータースポーツイベント「スーパー フォーミュラ・ヴァーチャルシリーズ」が、全 日本スーパーフォーミュラ選手権で使用され るSF19の実装を契機に「JAF認定」シリーズ として2019年6月からスタートした。 この大会はいわゆるオフラインのeスポー ツ大会で、イオンモールの協力により各店舗 内に舞台を設営し、6月9日の神奈川大会を 皮切りに、8月11日の西東京大会、10月6日の三重大会が開催され、各大
会ではそれぞれ上位2名、合計6名の選手が選出された。
そして、10月27日の全日本スーパーフォーミュラ選手権最終戦・JAF鈴 鹿グランプリでは日本一決定戦「鈴鹿グランド大会」が行われ、高校生の「ri onel」こと尾形莉音選手が優勝。初代王者の座を獲得した。鈴鹿サーキッ トのポディウムでは、JAF鈴鹿グランプリ開催中に表彰式が行われ、JAF 坂口正芳副会長や久米正一専務理事、JAFレース部会の鈴木亜久里部会 長やイオンモールの千葉清一副社長から賞典や副賞が贈呈された。
れる予定のため、日程が再調整されること になりそうだ。 また、2019年は鈴鹿東コースで開催さ れたFIA世界ツーリングカーカップ 2019年のFIA承認グランツーリスモ選手権の成績優秀者に はFIA表彰式で賞典が授与された。写真右からネイションズ カップ優勝者のミカイル・ヒザル選手、マニュファクチャ ラーシリーズを制したTOYOTA GAZOO Racingチームに所 属するイゴール・フラガ選手とライアン・デルッシュ選手、 そして山中智瑛選手。
ンの整備やライセンス制度の構築などが、 今後加速していくことと思われる。
2020年から全日本フォーミュラ3選手権は「全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手 権(SFL)」へと生まれ変わることになり、別のシリーズ「フォーミュラ・リージョナル・ ジャパニーズ・チャンピオンシップ」が新たにスタートすることになったのは既報の通り だ。先日のWMSCでは、両シリーズがスーパーライセンス獲得対象となることも承認さ れ、気になる配点は、SFLが最大15点、F3リージョナルは「Japanese Formula Region al」と名称することを条件として、最大18点が与えられることも明らかになった。
日本においても、JAF認定「スーパーフ ォーミュラ・ヴァーチャルシリーズ」初開 催をきっかけに、デジタルモータースポー ツへの注目度は向上してきている。ヴァー チャルからリアルへのラダー整備も含めて、 今後の期待が持てる動きと言えよう。
WMSCでは、2020年のFIAスポーツ委 員会構成メンバーの審議も行われ、JAFか らは11委員会への委員候補者を申請して いるが、全員の選考が承認されている。
そしてFIA公認競技の2020年カレンダ ーの承認もなされ、各種日程が発表された。
JAF認定「スーパーフォーミュラ・ ヴァーチャルシリーズ」 鈴鹿グランド大会で初代王者が決定 5
Headl e
motor sport(仮想/電子モータースポー ツ)行為及び競技に渡る規律の開発や規制、 管理、実施及び、仮想/電子モータースポ
るデジタルモータースポーツの整備が本格 化する証として捉えることができる。 すなわち、デジタルモータースポーツイ ベントのFIA認定が拡大するだけはなく、 より細密なスポーティングレギュレーショ
営に適用される共通規則を制定、解釈、施 行する、といった定義がなされている。 そしてこの度、ついにデジタルモーター スポーツに関する記述が定款に加わった。 追加された条文は、第2条4として「あら ゆる形式そしてすべてのvirtual/electric
ーツにおける選手権の組織」という内容。 これらの条文が、FIA定款の中でもかな り上位の位置に加わったことは、FIAによ
リリースによれば、2020年のF1日本ラ ウンドは10月11日に鈴鹿サーキットで 行われ、2020年WECは10月6日に富士 スピードウェイでの開催が発表された。し かし、WECについては、後日プロモータ ーが日本ラウンドの11月1日開催を表明。 その日は全日本スーパーフォーミュラ選手 権最終戦・JAF鈴鹿グランプリが開催さ (WTCR)だが、2020年は韓国が新たな開 催地に加わり日本開催はスケジュールされ なかった。 そして、10年ぶりに復活するWRC日本 ラウンドについては、今回のWMSCにお いても全14戦のうち最終戦に当たる11 月19~22日に開催されることが改めて 発表された。 しかし、テストイベントである「セント ラルラリー愛知・岐阜2019」の実施を受 けて、大会開催までにASNの確認が必要 という条件が加えられることになった。 今後は、開催実現に向けて第三者を交え た関係者らによるミーティングが実施され、 公平かつ安全なラリー運営の早期確立のた め、態勢を仕切り直すことになる模様だ。
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2020 冬 CONTENTS HEADLINE 4 ルーブル美術館でFIA表彰式開催! WMSCでは定款の改正も決議 SPECIAL ISSUE 8 巻頭特集 栄光を手に 2019年JAFモータースポーツ表彰式 14 特集 Victory Road~栄光への花道 全日本選手権/FIA国際シリーズ 2019年チャンピオン獲得の道筋 38 特集 明日への挑戦 三つの国際大会に見えた未来を拓くヒントと課題 50 特集 栄冠への道程 2019年全日本選手権“初”チャンピオンインタビュー 全日本ラリー編/全日本スピード競技編 TOPICS 30 オートテスト倶楽部 「女性も出やすく」「リピーターも満足」 意欲的な“試み”満載な2大会を徹底分析! 66 “GRヤリス”緊急試乗! 急ピッチで熟成が進む稀代のスポーツモデル降臨 INFORMATION 34 2020年全日本選手権/FIA選手権ほか 主要モータースポーツカレンダー 36 INFORMATION from JAF 2019年モータースポーツ公示(WEB)一覧 JAF MOTORSPORTS JAFスポーツ[モータースポーツ情報] 監修/一般社団法人 日本自動車連盟 〒105-0012 東京都港区芝大門1-1-30 ☎0570-00-2811(ナビダイヤル) 発行所/(株)JAFメディアワークス 〒105-0012 東京都港区芝大門1-1-9野村不動産芝大門ビル10F ☎03-5470-1711 発行人/西岡敏明 振替(東京)00100-88320 印刷所/凸版印刷株式会社 媒体責任者/田代康 編集長/佐藤均 清水健史 大槻聡 デザイン/鎌田僚デザイン室 編集/(株)JAFメディアワークスJAFスポーツ編集部 ☎03-5470-1712 COVER/2019年JAF全日本スーパーフォーミュラ選手権第7戦JAF鈴鹿グランプリ PHOTO/遠藤樹弥 全日本スーパーフォーミュラ選手権 ニック・キャシディ選手 全日本フォーミュラ3選手権 サッシャ・フェネストラズ選手 FIAインターナショナルシリーズ スーパーGT GT500 大嶋和也/山下健太組 GT300 高木真一/福住仁嶺組 全日本カート選手権 OK部門 佐々木大樹選手 FS-125部門 野村勇斗選手 FP-3部門 山本祐輝選手
栄冠を手に 国内の FIA 国際格式シリーズや JAF 全日本選手権を始めとした 四輪モータースポーツの成績上位選手などの栄誉を称える式典 「2019 年 JAF モータースポーツ表彰式」が東京都内で開催。 今回も 250 名を超える個人や団体が表彰対象として招待され 厳粛な雰囲気の表彰式、そしてリラックスムードの懇親会に参加。 カテゴリーを超えた交流を図りながら、来季への鋭気を養った。 総勢257名11団体に2019年四輪モータースポーツの栄誉を称う JAF MOTOR SPORTS AWARD 2019 フォト/宇留野潤、関根健司、友田宏之、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部 8
2019 年 JAF モータースポーツ表彰式 開催日:2019年11月29日(金) 開催地:セルリアンタワー東急ホテル(東京都渋谷区) 9
ソーラーカーレース鈴鹿の表彰は、ドリー ム優勝のOSU大阪産業大学とオリンピア 優勝のTEAM RED ZONE、4時間耐久総 合優勝のJAGつくばが対象に。 チャンピオンには「V」を象ったオリジナル 認定トロフィー、2~3位の選手にはオリ ジナル表彰状、4~6位の選手には表彰状、 それぞれに副賞が贈られた。 FIAアジア・パシフィックラリー 選手権アジアラリーカップのコ・ ドライバーチャンピオンは全日本 JN3でも入賞した竹原静香選手。 第二部は立食パーティ形式の懇親会。表 彰対象者が一堂に会する年に一度の貴重 な機会ということで、会場の至る所でカテ ゴリーを超えた交流が図られていた。 FIA-F4地方選手権の表彰も行われ、怒涛の連勝を記 録して他を圧倒した佐藤蓮選手がタイトルを獲得。 チーム部門は所属選手がシーズンを席巻したHonda フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトが戴冠。 第一部の表彰式は、まず先に6位から2位 までの入賞者がステージに登壇。その後は チャンピオンが花道から登場し、ターンし て出席者に挨拶をするスタイル。 表彰式の進行役は、レースアナウンサーと しておなじみのピエール北川氏。そして、レ ース会場で通訳として活躍する伊藤ソニ ア氏が昨年から担当している。 式典の模様は昨年同様にライブ中継で配 信。全日本選手権のスピード競技の場内ア ナウンスでおなじみの阿久津栄一氏と、ジ ャーナリストの秦直之氏が担当した。 各カテゴリーから選出された現役ドライバーたちを抑えて、昨年に続いて宮 田莉朋選手が優勝。エクストラマッチでは福住仁嶺選手がリアルドライバー の意地を見せて優勝! スーパーフォーミュラ・ヴァー チャルシリーズ鈴鹿グランド 大会の「りおねる」選手と「ZEN OM」選手が登場。 異種格闘技戦が恒例に!? 今年も開催! JAFデジタル モータースポーツカップ!! 第二部では、昨年に引き続き「JAFデジタルモー タースポーツカップ」が行われ、「GT.SPORT」 を使った、レースやカート、ラリー、ジムカーナ、 ダートトライアルの現役選手、そしてJAFウィメ ン・イン・モータースポーツ作業部会推薦のい とうりな選手を加えたeスポーツバトルを展開。 この異種格闘技戦は宮田莉朋選手が勝ち抜き、 eスポーツの現役プレイヤーと戦うエクストラ マッチでは福住仁嶺選手が優勝。両選手には藤 井一裕会長から特製トロフィーが贈られた。 JAFモータースポーツ名誉委員称号の贈呈 モータースポーツの発展に貢献の著しい個人に贈られる「JAF モータースポーツ名誉委員」の称号は、1988年から長きに渡り、主 にメディカル委員会を 中心にJAFモータース ポーツ委員会の職務を 務めた上田守三氏と、 1976年から旧ラリー小 委員会や旧スピード行 事部会を経てレース部 会長も務めた成島弘氏 の2名に贈呈された。 JAFモータースポーツ特別賞の贈呈 2018-2019年FIA世界耐久選手権LMPドライバー部門の優勝と 第8戦ル・マン24時間レース総合優勝を称えて、日本人ドライ バーの中嶋一貴選手に 特別賞が贈られた。ま た、FIA世界耐久選手権 LMP1優勝とル・マン 24時間レースの総合優 勝を果たしたTOYOTA. GAZOO.Racingにも特 別賞が贈られ、高橋敬三 氏が登壇した。 10
スーパーフォーミュラ ドライバー ニック キャシディ選手 GT300 クラス ・ドライバー 高木真一選手 スーパーフォーミュラ メカニック賞 VANTELIN TEAM TOM'S GT300 クラス ・ チーム ARTA GT500 クラス ドライバー 山下健太選手 FS-125 部門 野村勇斗選手 フォーミュラ3・ チーム B-Max Racing with motopark スーパーフォーミュラ チーム DOCOMO TEAM DANDELION RACING GT300 クラス ・ドライバー 福住仁嶺選手 GT500 クラス ドライバー 大嶋和也選手 OK 部門 佐々木大樹選手 フォーミュラ3・ドライバー サッシャ・ フェネストラズ選手 GT500 クラス チーム LEXUS TEAM KeePer TOMʼS FP-3 部門 山本祐輝選手 フォーミュラ3・ エンジンチューナー Seigfried Spiess Motorenbau GmbH 第二部のプロモータ ー表彰。日本フォーミ ュラスリー協会によ り、サッシャ・フェネス トラズ選手や宮田莉 朋選手らに賞典が贈 られた。 第二部のプロモーター表彰。GTア ソシエイションからGT500チャン ピオン大嶋和也選手と山下健太選 手、そしてGT300チャンピオンの 高木真一選手と福住仁嶺選手らに トロフィーが贈呈された。 全日本スーパーフォーミュラ選手権/ FIA インターナショナルシリーズ スーパー GT /全日本フォーミュラ 3 選手権 全日本カート選手権 11
PN1 小俣洋平選手 4年連続4回目 SA3 西森顕選手 2012年以来2回目 PN3 西野洋平選手 2011年以来2回目 SC 西原正樹選手 3年連続10回目 SA1 一色健太郎選手 初タイトル PN2 山野哲也選手 3年連続19回目 SA4 菱井将文選手 2016年以来14回目 PN4 茅野成樹選手 3年連続11回目 JAFカップオールジャパンジムカーナ優勝者の皆さん。PN1斉藤邦夫選手、PN2工藤典史選 手、PN3若林隼人選手、PN4奥井優介選手、PNウィメン渡邉千尋選手、SA1小武拓矢選手、 SA2若林拳人選手、SA3渡辺公選手、SA4岡部隆市選手、SC佐藤英樹選手。 SA2 高江淳選手 2年連続2回目 全日本ジムカーナ選手権 全日本ラリー選手権 12
JN6ドライバー 大倉聡選手 初タイトル JN6 ナビゲーター 豊田耕司選手 初タイトル JN4ドライバー 関根正人選手 2年連続2回目 JN4 ナビゲーター 草加浩平選手 2年連続4回目 JN2ドライバー 眞貝知志選手 2012年以来2回目 JN2 ナビゲーター 安藤裕一選手 初タイトル JN5ドライバー 天野智之選手 6年連続11回目 JN5 ナビゲーター 井上裕紀子選手 10年連続12回目 JN3ドライバー 山本悠太選手 全日本ラリーでは初 JN3 ナビゲーター 山本磨美選手 初タイトル JN1ドライバー 新井敏弘選手 2年連続5回目 JN1 ナビゲーター 田中直哉選手 2年連続3回目 PN1 上野倫広選手 初タイトル SA2 北村和浩選手(欠席) 2017年以来16回目 PN3 竹本幸広選手 初タイトル SC2 梶岡悟選手 2017年以来8回目 D 炭山裕矢選手 2013年以来4回目 N2 北條倫史選手 2年連続4回目 PN2 宝田ケンシロー選手 2017年以来3回目 SC1 坂田一也選手 初タイトル N1 古沢和夫選手 初タイトル JAFカップオールジャパンダートトライアル優勝者の皆さん。 PN1内藤修一選手、PN2宝田ケンシロー選手、PN3和泉泰至 選手、N1海野正樹選手、N2北條倫史選手、SA1山田将祟選 手、SA2黒木陽介選手、SC竹村由彦選手、D鎌田卓麻選手。 SA1 浦上真選手 初タイトル 全日本ダートトライアル選手権 13
僕 を信じて、ミディアムタイヤでスタートさ せてくれ。絶対にポジションを守って帰っ てくるから」。 2018年の全日本スーパーフォーミュラ選手権最終 戦、ランキングトップで迎えたKONDO RACINGの ニック・キャシディ選手は、その言葉通り予選4番手か らミディアムタイヤでスタートすると、大きくポジショ ンを落とすことなく周回。そのままレース中盤までソフ トタイヤ勢と遜色ないラップタイムで走行を続けた。 そしてピットに入った後は、ほぼ新品に近いソフトタ イヤのパフォーマンスを活かし、PPからトップを守って いた山本尚貴選手に迫る。最終ラップで、その差は1 秒を切っていた。だが逆転することは叶わず山本選手 が優勝、キャシディ選手は2位に終わった。最終戦で は優勝者にボーナスポイントが与えられる。その結果、 山本選手はキャシディ選手を逆転してチャンピオンを 獲得。わずか1ポイント差で涙を飲んだ。 そのキャシディ選手は2019年、参戦3年目にしてチ ームを移籍。全日本フォーミュラ3選手権、またスーパ ーGTのGT500クラスで タイトルを獲得したトムス に加入した。そして、念願 のスーパーフォーミュラ・ タイトルをモノにする。た だし、ここまでの道のりは 決して平坦なものではなか った。 遡ること10数年、南半 球・ニュージーランドで、 キャシディ選手はカートレ ースを戦っていた。彼が子 供の頃のカート界は盛況 で、多くの少年たちがレースに参加。キャシディ選手は 会社員の父が趣味でレースをしており、物心ついた時 ビクトリー・ロード 全日本選手権/FIA国際シリーズ 2019年チャンピオン獲得の道筋 2019 年のレースカテゴリーは さまざまなドラマが生まれ、 そして我々を魅了した。 誰もがトップを欲して切磋琢磨している中、 さまざまな困難を乗り越えられた者だけが、 唯一手にすることができる栄冠……。 チャンピオンたちはこれまで何を想い 何に苦悩してきたのだろうか? タイトル獲得に至るまでの 道のりに迫ってみた。 フォト/石原康、遠藤樹弥、野澤廣幸、吉見幸夫、JAFスポーツ編集部 レポート/貝島由美子、JAFスポーツ編集部 全日本スーパーフォーミュラ選手権 ニック・キャシディ選手 VictoryRoad 栄光への花道 「 14
った。だが、資金のないキャシディ選手は、いくら速く てもシートを得ることができない。オーディションで出 会ったチームがマネージャーを紹介してくれても、数 戦でマネージャーの資金が枯渇し、長続きしなかった。 中でも、キャシディ選手の心が折れそうになったの は2013年。シートが決まってGP3のテストに参加し た後、開幕直前になってチームのスポンサーが突然撤 退した時だ。イギリスの大叔母の家を間借りしていた キャシディ選手は、トレーニング以外、GP3のチャンス がなくなったことで、ほぼ何もすることがないまま日々 を過ごしていた。夏場になって1戦、また秋になって1 戦、それぞれ違うチームから連絡をもらってF3にスポ
には自宅のガレージにレーシングカーがある環境で育っ た。その影響もあったのか、幼少の頃から真夜中のF1 グランプリ中継に釘付けになり、自宅近くのカート場に もすぐに興味を持ったという。 実際、キャシディ選手がカートレースを始めると、 父は自分の競技車両を売却。家族で息子のカート活動 を支えた。その後、今では廃刊となってしまった雑誌 『スピードスポーツ』のスカラシップを得て、フォーミュ ラ・ファーストという入門フォーミュラの4輪レースに ステップアップする。その雑誌が定期的に記事を載せ たり、スポンサーへの企画書制作を手伝ってくれたこ とで、キャシディ選手はニュージーランドでは最高峰と なるトヨタ・レーシングシリーズまで辿り着く。カート 時代のライバル達の中には、ここまで到達できない者 も多かった。能力ではなく、経済的な問題からだ。 一方で、北半球の冬の間に行われるということで、 このカテゴリーにはヨーロッパから多くの有望な若手ド ライバーが遠征。それに伴い、エンジニアもヨーロッ パから派遣され、キャシディ選手も知己を得た。また、 その環境の中でキャシディ選手は参戦初年度にシリー ズ2位、2年目と3年目にはチャンピオンを獲得し、ヨー ロッパでも戦っていけるという手応えを掴んでいる。 トヨタ・レーシングシリーズの好成績を出したこと で、フォーミュラ・ルノー2.0のルーキーテストに参加 しただけでなく、フェラーリ・アカデミーのテストにも 参加。いずれも抜群の速さを示した。それも自信とな
「人生 で 成 し 遂 げた 中 で 、一番大 きなもの 」 Road 15
ット出場したが、それは他のドライバーの代役。年間 を通して出場できたのは、その2回だけだった。翌年も シートを得られる可能性は限りなく低い。
スタッフに対しても印象的な速さを見せたキャシディ 選手は、キャリアの中でもほぼ初めてとなるフル参戦を 果たし、参戦初年度の全日本フォーミュラ3選手権で チャンピオンを獲得する。翌年は、スーパーGTの500 クラスに参戦すると同時に、ヨーロッパのF3にプレマ パワーからオファーを受けてフル参戦。 「別にヨーロッパでステップアップしようと思っていた わけじゃない。向こうでF2に上がったからといって、 プロにはなれないからね。みんな2~3年、F2をやった 後に「で、これからどうすればいいんだ?」って気付くん だよ。僕にはそれがもう分かっていた。ただ、今まで向 こうで一度もフル参戦というのをできたことがなかった から、それを成し遂げるために行ったんだ」。同時に、 キャシディ選手は、チームメイトだったランス・ストロ 「毎回進歩して、常に良くなって、最後はとても強くなった」
ール選手のパフォーマンスに対して、お墨付きを与え 奇しくも山本選手とのタイトル争いとな った2019年の最終戦。2位でチェッカ ーを受けてチャンピオンが確定した直 後、感極まって涙を流していたという。 16
そこでニュージーランドに戻ったキャシディ選手はカ ートチームを立ち上げる。自身のキャリアには終止符を 打つつもりだった。だが、そこから運命の歯車は動き始 める。春先、トヨタ・レーシングシリーズでともに戦 い、イギリス時代もトレーニングに励んだ親友であるダ ニール・クビアト選手のF1デビュー戦のため、キャシ ディ選手はクビアト選手とオーストラリアGPに赴く。 その時、クビアト選手に「今年は何に乗るんだい?」 と聞かれた。その問いに「何も……、僕はもうレースを 止めるんだ」とキャシディ選手は答えた。「何言ってるん だ、乗らなきゃダメだよ。僕に君を手助けさせてくれ ないか?」と、クビアト選手は以前自らが所属していた チームにその場で連絡を取った。キャシディ選手はこ の1本の電話を機にヨーロッパに戻り、フォーミュラ・ ルノー2.0に5大会出場。同時期にルノーの新しいF3 エンジン開発の仕事が舞い込んだだけでなく、Tスポー ツからF3へのスポット参戦のオファーも受けた。 さらに、彼のキャリアを大きく変えることになったの は、その年のマカオGP。同じくTスポーツから参戦し た初めてのマカオで、キャシディ選手は最初のプラク ティスからトップタイムをマークし、決勝レースでも3 位表彰台に上がった。この時の活躍をきっかけに、日 本の名門・トムスからオーディションの誘いを受ける。 12月下旬の富士スピードウェイで、キャシディ選手は 好走し、クリスマスにはシート決定の報を受けた。 そして2015年に初来日。オフのテストからトムスの るという役割も担っていた。 こうして1年、ヨーロッパのF3を走り終えると、キ ャシディ選手は日本のレースに集中。トムスから引き続 きスーパーGTのGT500クラスに参戦すると同時に、 KONDO RACINGからスーパーフォーミュラにもス テップアップを果たす。 ルーキーイヤーとなる2017年は、時折速さも見せる ものの、決勝ではバトルの中でミスを犯すなど、なか なか成績を上げることができなかった。だが2年目に入 ると、キャシディ選手は格段に力強さを増す。オフの 間に父からアドバイスを受けていた。「お前の速さに問 題はない。ただ、ミスしないことを心がけなさい。GP2 でのピエール・ガスリーも1年目はミスしていたけど、2 年目はミスしなかったからタイトルを獲れたんだぞ」と。
その言葉に従って、キャシディ選手は次第に安定し た成績を出していく。クルマに関しても、決勝の作戦 にも、自らリクエストを出すことが増えて行った。それ に対してシーズン序盤、参戦2年目の若手ドライバー の意見をなかなか100%受け入れられない部分もあっ た。だが、キャシディ選手が有言実行するたびに、彼 を信用するようになっていく。その結果が最終戦のミデ ィアムタイヤスタートだ。チームがひとつにまとまった ことで、KONDO RACINGは設立から19年目にして チームタイトルを獲得するまでになった。 それを置き土産に、キャシディ選手は2019年にトム スに移籍。だが、いくらF3やGT500でタイトルを獲っ たチームとはいえ、スーパーフォーミュラではまた環境 も違う。キャシディ選手も開幕当初は「新しいチームに入 ったという感じだよ」と言っていた。KONDO RACING の最初と同じように、トムスでもチームから信頼を得る には、それだけの仕事をしなければならない。
その後のレースでもとにかく決勝で力強さを見せる。 ホンダエンジン勢が好調だった2019年だけに、予選 では苦しむことも多かったが、そこから必ず巻き返して きた。そしてランキング2番手で迎えた最終戦、キャシ ディ選手は山本選手の前、2位表彰台を獲得したことで、 国内トップフォーミュラの王座に輝く。レース後、ウィ ニングランに入ると涙が溢れて仕方がなかったという。 「今季はチャンピオンシップを戦うために、大きな挑 戦が必要だったけど、それをやり遂げた。僕は自分の チームに、ものすごく大きな誇りを感じるし、明らかに
開幕戦の鈴鹿、予選でQ2敗退を喫したキャシディ
敢行して優勝しているが、これも自分から言い出したこ と。4回も導入されたセーフティカーに燃費の部分で助 けられたということはあるが、この勝利から少しずつチ ームとのコミュニケーションもより良くなっていった。 「僕のレースを見たら、僕が“諦めない”って分かるよ うに、チームと仕事をしている時も、僕は同じように諦 めない。一緒にもっと良くなっていくために。それを理 解してくれる人たちと仕事をできて幸運だと思うし、僕 を信じてその方向について来てくれる。誰か新しい人 と仕事をする時に、そういう状況はすぐには生まれな い。作り上げるのには時間がかかるんだ。お互いを信 頼し合えるようになるにはね」というキャシディ選手は、
このタイトルは僕だけのものじゃない。エンジニア、メ カニック、チームスタッフ、みんなが同じ感動、勝ち 取った喜びを分かち合っている」という彼は、日本で3 冠を達成。2020年も主戦場は日本だが、将来的には ル・マン24時間レースでの優勝を目標にしている。 VictoryRoad 栄光への花道 2019 Driver Ranking 1位 ニック・キャシディ選手 2位 山本尚貴選手 3位 アレックス・パロウ選手 4位 野尻智紀選手 5位 山下健太選手 6位 小林可夢偉選手 2019 Team Ranking 1位 DOCOMO.TEAM.DANDELION.RACING 2位 VANTELIN.TEAM.TOM'S 3位 TCS.NAKAJIMA.RACING 4位 ITOCHU.ENEX.TEAM.IMPUL 5位 TEAM.MUGEN 6位 KONDO.RACING 全7戦中、7人のウィナーが誕生した2019年のスーパー フォーミュラ。ドライバーの実力が拮抗した、まさに紙一 重のシーズンだったと言えよう。 チームを移籍して臨んだ第1戦、2018年の最終戦で山本選手に敗れた借りを鈴鹿 でしっかり返したキャシディ選手。トムスの舘信秀監督と表彰台の頂点に立った。 17
選手は、スタートから6周目という早目のピットインを
019年は、全日本フォーミュラ3選手権にとっ て40周年という節目の年だった。しかも、こ れが最後のシーズン。2020年からシリーズは “スーパーフォーミュラ・ライツ”と名称変更すること が決まっている。つまり2019年の勝者は、40年の歴史 を締めくくる最後の王者ということだ。 そのチャンピオンに輝いたのは、フランス人のサッ シャ・フェネストラズ選手。2018年にヨーロッパF3で デビューし、1年の経験を積んで全日本選手権に参戦。 参戦3年目となる本命・宮田莉朋選手を下してのタイト ル獲得だった。
生後6ヶ月で、両親の仕事の都合からアルゼンチン に渡ったフェネストラズ選手は、まだライセンスを手に できない3歳半の頃からレーシングカートに乗り始め る。5歳の時には同国の史上最年少でカートライセンス を手にし、7歳になるとレースにも出場し始めた。 12歳の頃には単身渡仏。プレオマルティンという片
田舎の町に住むカートチームのオーナーの家に同居し て活動を続けた。学校には行かず、家庭学習という形 で勉強していたため、近くに同じ年頃の友人はいない。 アルゼンチンの友達ともなかなか会えなかった。 「少し自分の殻に閉じこもってしまった」というフェネス トラズ選手は、この時期が「人生の中でも大変な2年間 だった」と言う。日本でいえばまだ中学校1年生。だが 親元を離れたことで、身の回りの世話をしてくれる人も なく、自分のことは全て自分でやっていたのだという。 そのフェネストラズ選手が4輪レースにステップアッ プしたのは2015年。最初はF4に参戦した。いい条件 でカートを続けるよりも、F4の方が予算がかからなかっ たためだ。そこでランキング2位となり、翌年にはフォ ーミュラ・ルノー2.0にステップアップ。その2年目に は、シリーズタイトルを獲得しただけでなく、ルノー・ スポール・アカデミーの一員となった。もし続くF3で 好成績を出せば、その時にはF2、そしてF1という道筋 も見える場所に辿り着いたのだ。
そして臨んだマカオでは、3位表彰台を獲得。ルノー がもう1年、スカラシップ生としてキープしてくれるん じゃないかという淡い期待を抱いていた。だが、最終 戦・アブダビでアカデミーからの脱落を告げられる。 もちろん受け入れ難い宣告だった。
その後、フェネストラズ選手は来日することになる。 同郷の先輩であり、姉の友人でもあるロイック・デュ バル選手、そしてブノワ・トレルイエ選手らから「一度 日本で走ってみたらどうだ」というアドバイスを受けて いた。だが、母国から遠く離れた国。アジアといえば、 マカオのイメージしかない。
最初は気が進まなかった。ところが実際に来てみる と、フェネストラズ選手はほんの数日で日本を好きにな る。「ここで長いキャリアを積むだけじゃなく、ずっと 住みたいと思った」と。そしてモトパークとのコラボレ ーションチームを作り上げたB-Max Racingに加入。 テストから速さを見せると、大方の予想を覆して開幕 大会の第1レースで優勝を果たす。PPを獲得した宮田 選手に対し、スタートで前に立つことに成功した。
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だが2018年、フェネストラズ選手は苦戦を強いられ る。シーズン序盤に初優勝し、滑り出しは上々。だが、 次第に強力なライバルチームたちが本領を発揮し始め る。最近多くのヨーロッパ人ドライバーたちが言うよう に、プレマパワーかモトパークか、とにかくチームに力 がないと、彼の地では成績が出せない。 ルノーからは“シリーズ3位以内に入ること”という のが、スカラシップ継続の条件だったが、フェネスト ラズ選手の成績は伸び悩む。自らのミスもあったが、 チームがミスすることもあった。今ではそのことを理解 しているというが、当時のフェネストラズ選手は「いつ も悪いのは僕だと思っていたし、すべての自信を失っ てしまった。フォーミュラ・ルノーまでは良かったの に、F3では奈落の底に突き落とされたような感じだっ た。だから、マカオGPの前には、もうモータースポー ツは止めようって思っていたんだ」と言う。
全日本フォーミュラ3 選手権 サッシャ・フェネストラズ 選手 「失っていた 18
続くオートポリスでの第2大会では、雨絡みとなった
レースウィークで圧倒的な強さを見せ、3連勝を飾る。 宮田選手が同大会で振るわなかったこともあり、ここか らはフェネストラズ選手がシーズンをリードすることと なった。 シーズン中盤に入ると、宮田選手とフェネストラズ 選手の戦いは激化。終盤戦では、今度は宮田選手が強 さを見せた。だが、シーズン中盤までに稼いだマージ ンを生かし、フェネストラズ選手は最終大会を迎える 前、もてぎの第3レースでタイトルを確定。最終大会 の岡山では宮田選手の2連勝を許したが、1年を通じて 20ポイントの差をつけてチャンピオンに輝いた。 「すごくハッピーだよ。ここまで来るのは長かったし、 シーズンの初めにはこの結果は全く予期していなかっ た。チームを、そして自分自身を誇りに思う。トムスは シーズンを通してものすごく強かった。日本で豊富な 経験があるし、タイヤのこともコースのことも全て知っ ている。モトパークがどれだけヨーロッパで強いチーム かっていうことは分かっていたけど、シーズンの早い段 階からここまでの強さを発揮できるとは思っていなかっ た。彼らは最初から、ヨーロッパとは全く違うタイヤや 日本のコースに対する理解を深めるために、必死で仕 事をしてくれた。トムスはとても強いチームだし、宮田 選手はとても速い。彼と戦えて良かったよ。彼の存在 が僕の人生をよりハードなものにしてくれた(笑)。で も、常にクリーンでいいバトルができたと思う」。 こうして最後の全日本F3チャンピオンとなったフェ ネストラズ選手は、このシーズンオフのドライバー市 場において、目玉とも言える存在になった。もしチャン っていた自信を、日本で取り戻せた」 B-Max Racingとモトパークのコラボレーションによる相乗 効果もあって、ドライバー&チームが一丸となりチャンピオ ンを獲得。ティモ・ルンプカイ代表と組田龍司代表ととも に表彰台に立った。 誰もが実力を計り知れなかった鈴鹿での 開幕戦、宮田選手を抑えて鮮烈なデビュ ーウィンを飾ったフェネストラズ選手。 VictoryRoad 栄光への花道 19
リーに参戦できるとしたら、できるだけ早くタイトルを 獲りたい。一体どうなるか見てみないと分からないけど ね。でも、まずは全てを学ばないと。スーパーフォーミ ュラもスーパーGTも、僕にとっては初めてのことばか りだからね。だから、何事も一歩一歩なんだけど、僕 のゴールはその両方のカテゴリーで、何回もチャンピ オンを獲ることだよ」。 この冬号が出る頃には、すでにスーパーGTの GT500クラスのセパンテストも始まっている。また、1 月中旬のオートサロンでは、早目に体制発表をするメ ーカーやチームもあると見られているが、フェネストラ ズ選手の名前はどのメーカー、どのチームから出てくる のか。クリスマスから新年にかけての短い休暇をアル ゼンチンで過ごしているフェネストラズ選手は、きっと 2020シーズンも日本のファンを楽しませてくれること だろう。 「日本で長くキャリアを築きたいと思うようになった」 2019 Driver Ranking 1位 サッシャ・フェネストラズ選手 2位 宮田莉朋選手 3位 エナム・アーメド選手 4位 大湯都史樹選手 5位 小高一斗選手 6位 大津弘樹選手 2019 Team Ranking 1位 B-Max.Racing.with.motopark 2位 カローラ中京Kuo.TEAM.TOM'S 3位 TODA.RACING 4位 OIRC.team.YTB 5位 THREEBOND.RACING 6位 RS.FINE VictoryRoad 栄光への花道 良きライバルにも出会え て充実したシーズンを過 ごしたフェネストラズ選 手。今後の日本での活躍 にも注目していきたい。 20
スがあればF1に乗りたいという夢は捨ててはいないが、 一方、日本で長いキャリアを築きたいという目標もあ る。2020年、フェネストラズ選手は何を目指している のか。 「僕にとって2020年の目標はスーパーGTのGT500 クラスのドライバーになることだし、スーパーフォーミ ュラも加えて、2つの選手権に参戦することだよ。現時 点では何も確定していることがない。もちろん僕がトム スに入るとか、KONDO RACINGに入るとか、色々 な噂があるけど、公式なものは何もないし、現段階で 言えることも何もないんだよね。もし僕が両方のカテゴ
今季のGT500クラスも群雄割拠で、2018年と同様に 勝者が分散。第4戦タイと第5戦富士で連勝した6号車 大嶋和也/山下健太組が最終戦もてぎを首位で迎え、7 点差の2番手には平川/キャシディ組がつけた。 もてぎの決勝では平川/キャシディ組が優勝したも のの、大嶋/山下組が2位に入ったことで6号車がタイ トル確定。大嶋選手、山下選手それぞれにとって初め てのスーパーGTタイトル獲得となった。
第5戦富士ではセーフティカーが出る直前にピットに 入り、そして最終戦もてぎでは、36号車関口雄飛選手と 手に汗握るドッグファイトを演じた山下選手。富士の 絶妙なピットインについてこう振り返った。 「電光掲示板のSCボードが出てましたが、メインポス トではまだグリーンフラッグだったのでピットに入りま した。正直、あの時点ではトップに追い付きかけてい たので、別にSCが出なくても2番以上は確定してたか
なと思ってます。運は良かったですけど、これが原因 で勝てたというわけではなかったと思います」。
大嶋選手も「あの周にピットに入ろうとしていたので、 SCボードが出ていなければ入る、というそれだけのこ とでしたからね」と同様の見解を語る。
最終戦もてぎの接戦についても、大嶋選手は「トムス は毎年強くて、特に最終戦は2台ともポテンシャルが高 かった。僕らとしては非常にやっかいな存在でしたね。 自分はスタート直後に少しミスをしたので、かなり厳し い展開でしたが、山下も負けたくないという気持ちが強 かったので、助かりました」と振り返る。 そして山下選手は「抜くか抜かないかでチャンピオン が変わる場面だったので、絶対にどこかでチャンスが あれば抜くということは決めてました。抜けないような 状況でも、ちょっと無理してでも、どこかで抜くことを 考えていたので、行くしかないなという気持ちでした ね」と関口選手とのバトルを振り返ってくれた。 「これまで10年間も厳しいシーズンを送ってきたので、 タイトル獲得はとにかく嬉しかったです。山下には本 当に感謝してますよ。すごくいいパフォーマンスを出し てくれたと思いますし、一緒に戦えて良かったですね」
FIAインターナショナルシリーズ スーパー GT GT500クラス 大嶋和也/山下健太 選手 JAFモータースポ ーツ表彰式の第二 部で、GTアソシエ イションからプロ モーター賞典を授 与されたGT500ク ラス大嶋和也選手 と山下健太選手。 「少しでも気の迷いがあったら、絶対に抜けなかった」 山 本尚貴/ジェンソン・バトン組と平川亮/ ニック・キャシディ組が、最終戦もてぎで チャンピオン争いを展開した2018年の GT500クラス。3位の山本/バトン組がGT500タイト ルを獲得し、山本選手は全日本スーパーフォーミュラ 選手権とのダブルチャンピオンということで、F1への道 が期待される年末となった。
とは大嶋選手。山下選手は「大嶋選手と組ませてもらっ て勉強になったし、今シーズンはチームにもボクが乗 りやすい環境を作ってもらっていたので、本当に感謝 です」と互いにリスペクトし合っていた。 GT300クラスでは、2018年もタイトル争いを演じた 55号車が参戦車両をNSX GT3に変更。ベテラン高木 真一選手に対して、ルーキーの福住仁嶺選手を相棒に 擁して、心機一転でタイトル奪還の年になった。 「初めての車両だったので、最初は手探り状態でした。 タイヤサイズもフロントが少し小さくなって、一瀬(俊 浩)エンジニアと共に、ボクや仁嶺のフィーリングを合 わせて、少しずつセットアップしていきました。開幕戦 からスタートダッシュを切れましたが、ホント少しず つ、NSX GT3のポテンシャルを引き出していったよう な感じでした。最終的にはどこのサーキットでもポイン トを獲れたので、オールマイティなクルマだったんじゃ ないかと思ってます」と、高木選手は新車投入の苦労を 振り返る。対する福住選手はスーパーGTだけでなく、
ハコ車のレースもルーキーだった。 「まずは、ハコ車を実戦で慣れていくことに集中しまし た。クルマを作ることが未知だったので、うまくできな かったというのが正直なところです。チームの皆さんが いいクルマに仕上げてくれて、高木さんのコメントと か、エンジニアの一瀬さんからのフィードバックもあっ て、その後は少しずつ自分の思う方向に持って行けた と思います。高木さんと一緒に走れたことでクルマの 2019 Driver Ranking GT500 1位 大嶋和也/山下健太組 2位 平川亮/ニック・キャシディ組 3位 松田次生/ロニー・クインタレッリ組 2019 Driver Ranking GT300 1位 高木真一/福住仁嶺組 2位 新田守男/阪口晴南組 3位 平中克幸/安田裕信組 2019 Team Ranking GT500 1位 LEXUS.TEAM.KeePer.TOM'S 2位 LEXUS.TEAM.LEMANS.WAKO'S 3位 NISMO 2019 Team Ranking GT300 1位 ARTA 2位 K-tunes.Racing 3位 GOODSMILE.RACING.&.TeamUKYO 作り方も勉強できたので、本当にいろんなことを学べ たシーズンだったと思います」とは福住選手。 高木選手は「17年ぶりということで、これだけ長くレ ースをさせてもらえたのも、色々な方々のおかげです し、ファンの声援あってのチャンピオンでした」と語り、 福住選手は「四輪に上がってからは初めてのチャンピオ ンなので、応援して下さった皆さんには感謝の思いで いっぱいです」と締めくくった。 FIAインターナショナルシリーズ スーパー GT GT300クラス 高木真一/福住仁嶺選手 「本当に手探りの状態で開幕を迎えたんです」 GT300ドライバータイトルは高木真一選手が17年ぶり、福住仁嶺選手は 初戴冠。チームタイトルは鈴木亜久里氏率いるARTAが2002年以来の 獲得となった。 VictoryRoad 栄光への花道 22
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もっともっとカートの 自分ひとりでチャンピオンを獲りたいと思 っていても、その想いは弱くて、誰かのた めにって気持ちがあるからこそ頑張れるし、 周りも僕のために頑張ってくれる。周囲の 協力があったからこそ、獲りたいというより 絶対獲らなきゃいけないという使命感があ りました」。 実は佐々木選手は過去の全日本において、 他を圧倒する勝ち星を挙げながらチャンピ オンになれなかった年が結構多い。その悔 しさも、モチベーションのひとつになって いたという。 「シリーズ2位に終わった2010年も9戦5 勝だったし、正直これまで5回や6回はチャ ンピオンを獲っていてもおかしくなかった と思うんです。でも、出られないレースが あったり、詰めが甘くて落としてしまった レースがあったりして、もったいなかった です、本当に。それもあって全戦出られる ことになった2019年は、とにかくチャンピ オンを獲ることに徹しました。優先順位は、 優勝よりチャンピオンの方がぜんぜん上で は1年前にも増してタイトル獲得への意欲 が溢れるようになり、その情熱は明らかに ライバルたちを圧倒していた。佐々木選手 をそこまで強烈に突き動かした原動力とは、 一体何だったのか。 「自分は(開発ドライバーとして)ブリヂス トンさんと若い頃から契約していて、でも7 年間チャンピオンを獲れていなかった。だ から、ブリヂストンさんと一緒にチャンピ オンを獲りたい気持ちが強かったですね。 それと、TONYKART RACING TEAM JAPANの松浦(佑亮)監督に声をかけてもら ってチームに入り、そこから優勝はしてい たけれどチャンピオンは獲得できていなか ったので、チームに恩返しをしたかった。 全日本カート選手権 OK 部門 佐々木大樹選手 PROFILE /ささきだいき 1991 年生まれ、28 歳、埼玉県出身。職業・レーシングドライバー。 趣味は映画鑑賞、ゴルフ。1998 年にカートレースデビュー。2004 年ジュニアカート選手権チャンピ オン。2007 年(FA 部門)/ 2008 年(KF1 部門)全日本カート選手権チャンピオン。2008 年に自 動車レースデビュー、2019 年は SUPER GT の GT500 クラスに参戦。 完 全復活。2019年のOK部門を制 して2008年以来3度目の全日 本チャンピオンに輝いた佐々木 大樹選手の戦いぶりは、まさにそんな印象 だった。28歳になった今、10代の頃の速さ と攻撃性を失うことなく、巧さや自己抑制 能力を上乗せし、圧巻の強さ見せつけた 佐々木選手。そんな彼に、2019年のレース で目を引いた3つのポイントをキーワード に、質問をぶつけてみた。 ひとつめは『パッション』。佐々木選手は 2018年もチャンピオンを狙うと公言しなが ら、4輪レースとの日程が重なった大会を欠 場したことも祟って、シリーズ2位に留まっ た。そして2019年、佐々木選手の発言に 24
した1年だったのだ。佐々木選手はそれを、 いかにして成し遂げたのか。 「無理しないってことですよね。若い子に 負けたくない気持ちはあったけれど、接触 するリスクがあるなら勝負に出ませんでし た。その時の自分の能力とブレーキングで 確実にイケると思ったところでしか行かな かった。そこに関しては徹底的にマネージ メントしていました。かといって、弱気で いたら順位が下がっちゃうばかりなので、 そこはメリハリですよね。長年レースをし ていて、何年経ってもそこが一番難しいと ころなんです。攻めどころと引き際のバラ ンスを、すごく上手く戦えた1年間だった のかなと思います。23~24歳の頃は負ける ことが許せなかった。でも今は、自分に速 さがない時は、その中でベストを尽くすん だと割り切れるようになりました。そこが効 いていたんだと思います」。
の面で周りより技術的に上回っているもの があったと思っています。ブレーキングや 駆け引きでみんながリスクを負うところを、 僕は余裕を持ってできていた。速くなくて も勝てたレースがあったことや、常にトップ 争いができていた理由は、技術力なのかな って思いますね」。
2019年の佐々木選手のレースで特筆す べきは、全20ヒートでリタイアがゼロだと いうこと。これは、チーム力の高さの証し でもある。ただ、佐々木選手は2019年の戦 いを迎えるにあたって、マシンの準備の仕 方を特に変えたり改めたりしてはいなかっ たという。
「僕は絶対にミスをしないと心に誓って戦 っていて、チームも僕のその意識を感じて くれたから絶対にミスをしなかった、とい うことでしょうか。『大樹が辛いときでも最 大限頑張って、毎回ポイントを稼いでくれ
「 腕 を 磨 いて 3 を す ビクトリー・ロード 全日本カート選手権OK/FS-125/FP-3部門 2019年チャンピオン獲得の道筋 国内カート最高峰のシリーズ戦となる全日本カート選手権。 2019 年は FP-3 部門が地方選手権から全日本選手権となり、 また若手選手の台頭や、女性カーターの活躍など、話題に尽きない 1 年だったと言えよう。 そんな各部門で、激戦を制したチャンピオンたちをクローズアップしてみた。 フォト/小竹充、友田宏之、森山良雄、JAFスポーツ編集部 テキスト/水谷一夫、JAFスポーツ編集部 VictoryRoad 栄光への花道 した。いくら僕がGTに乗っていて、(経験 豊富な)ベテランだからといっても、タイヤ
と決勝を合わせた全20ヒートのうち19ヒ ートでポイントを獲得してみせた。今季は 驚異的な安定性を、実に高いレベルで実現
もエンジンもチーム同士もすごい戦いをし ているOK部門では、そんな簡単には勝て ないですよ。むしろ僕は28歳で勝つ方が難 しいと思っているんです。やっぱり若い子 の方が勢いがあるし、カートだけをやって いる子たちに対して、GTと並行してやって いる僕には、本当に努力しないと獲れない ものでした」。 ふたつめは『安定性』。2019年の佐々木選 手は、全10戦のシリーズで誰より多い3勝 を挙げ、表彰台登壇率は7割に到達。予選
タイトル争いをした渡会選手を 始め、後進が伸びてきているOK 部門。佐々木選手は大きな壁と して存在感を示した。 「無理しない」とはいって も、それは極めて高いレ ベルでの話だ。苦境の中 でも最大限の結果を確実 に持ち帰ろうとする佐々 木選手の走りは、“攻撃的 な守り”とでも言うべきア グレッシブなものだった。 「“無理”って人によって 上限が違って、自分はそ 2019 Driver Ranking 1位 佐々木大樹 TONYKART RACING TEAM JAPAN 2位 渡会太一 Drago Corse 3位 山田杯利 Team EMATY 4位 皆木駿輔 Croc Promotion 5位 高橋悠之 TONYKART RACING TEAM JAPAN 6位 朝日ターボ MASUDA RACING PROJECT 25
ているから、チームも精一杯サポートしよ うじゃないか』っていう相乗効果が、うまく 作れたんじゃないかと思います。2019年は ノーリタイア・ノートラブル・ノークラッ シュ。そういう面では僕もチームも完璧に こなせました」。
そんな佐々木選手の2019年を象徴する のが、第5/6戦茂原大会だろう。この2日 間、茂原は止まない雨と異常な寒さに見舞 われた。このコンディションにブリヂスト ンが用意したタイヤはマッチせず、ブリヂ ストン・ユーザーは軒並み中団以下の位置 を走ることに。だが、佐々木選手は不屈の 走りでポジションを上げ、4つのヒートのう ち3ヒートでポイント獲得を果たしてみせ た。結果的にこの2戦のポイントは有効得 点からは除外されたのだが、それはタイト ル争いをするライバルたちに静かなプレッ シャーをかける重みを持っていた。 「2018年もSUGOで似たような状況があ って、そこでポイントを取れていればチャ ンピオンになれていたかもしれないので、 あの日はチームとも1ポイントでも多く獲ろ うと話し合い、粘り強く戦おうと思ってい ました。セッティングとかに頼るんじゃな く、自分の力で何とかしようということで。 後方からのスタートだったので、まずはぶ つからないこと。スタートでジャンプアッ プするとかの欲をかかず、レース後半に雨 の量が変わって状況が良くなるかもしれな いので、絶対に諦めずに自分のベストを尽 くす、ということだけでした。あの大会で ポイントを獲れた意味は、ものすごくデカ かったと思います。最終戦で万が一ひとつ のレースがダメだった時でも、あのポイン トが生きてくるし、それは周りへのプレッ シャーになったと思います。僕も、リタイ アしたら終わりという状況で最終戦を戦う
のと、茂原のポイントよりちょっと積み重 ねられればいいという状況では、精神面の 負担がずいぶん違いました」。
かからないし、マシンの負担を減らすこと にも繋がりますから。あとはカートに無理 をさせず、綺麗に動かすこと。そうすれば 体力の消耗も少ないし、タイヤにもエンジ ンにも優しいし、パワーロスも少ない。体 に優しいけれど速いっていうのは、大事な ことなんですよ。クルマを綺麗に転がすこ とは、体力にしても何にしても、全部にプ ラスですよね」。 実は2019年の佐々木選手は、予選、決 勝ともにポールポジションがなかった。“最 強”ではあっても“最速”の存在ではなかっ たのだ。対して佐々木選手を速さで上回っ たOK部門1年目、2年目の若手ドライバー たちは、佐々木選手との戦いの中で戦略や タイヤマネジメントを学び取り、実力で勝 利を掴むまでに成長した。さらに厳しさを 増すであろう2020年の戦いに、佐々木選 手はまたも熱い意欲をたぎらせている。 「2020年は(全日本カート参戦が)どうなる のかまだ決まっていないけれど、モーター スポーツをやる上でカートはプラスになる ことしかないので、どんどんやっていきた いし、まだまだ磨ける部分はあると思って います。僕は全日本で2連覇はしたことが あるので、3連覇を目指したいな、と。若い 子たちは僕がいることで『タイヤマネジメン トを勉強しなきゃ』ってなるだろうし、そう やってOK部門がどんどんハイレベルにな っていくのはいいことですよね。若い子た ちと切磋琢磨しながら、将来F1とかを目指 す子供たちに、カートは面白くてカッコい いなって思われるレースをしていかなけれ ば、と思っています」。 チームの最大限のサポート体制に対し、期待に応えてしっかり成績を残す……この相乗効果がハマった2019シーズン。 26
3つ目は『フィジカル』。全日本OK部門 のマシンは125ccのハイパワーエンジンと、 1大会のみに照準を絞ったスペシャルタイ ヤで武装し、最低重量の軽さとも相まって 驚異的なコーナリング能力を発揮する。そ の強烈な横Gに、ヘルメットを脱ぐや苦悶 の表情を浮かべるドライバーも少なくない。 そんな中、28歳のベテランである佐々木選 手はいつも、誰より涼しい顔でマシンから 降りてくる。この驚くべきタフさには、どん な秘密があるのか。 「昔はカートに乗っている量が多かったの で、何もしなくても疲れなかったんですけ ど、今はカートに乗るためのトレーニング をするようになりました。それと、体のセン ターがブレると腕にも首にも負担がくるの で、自分は体をセンターに保つことを意識 して走っています。そうすれば体に横Gが シリーズチャンピオンが確定し、TONYKART RACING TEAM JAPANとブリヂストンのスタッフとともに喜びを爆発させた。
全日本カート選手権 FS-125 部門 野村勇斗選手 PROFILE /のむらゆうと 2005 年生まれ、14 歳、愛知県出身、中学 2 年生。趣味は動画サイト 等でのモータースポーツ鑑賞。2011 年に 5 歳でカート活動開始。2016 年ジュニアカート選手権 FP-Jr Cadets 部門チャンピオン。2017 年ジュニアカート選手権 FP-Jr 部門チャンピオン。2018 年は ダンロップネクストカップでチャンピオンを獲得し、そのサポートドライバーとなった。
門と併催の大会が多い)東地域を選びまし た。初めてのコースを走るのはとても楽しみ でしたし、コースの特性もいろいろあって面 白かったですね。全日本は 雰囲気がピリピリしている というか、緊張感がどのレ ースよりすごいと思いまし た。そういうレースは好き な方です。(メカニックが父 親ではない)新しいチーム は、めっちゃやりやすかっ たです(笑)」。 大きな注目を浴びた全日本 デビュー戦は、28台中まさか の25位。ここから野村選手 の巻き返しが始まった。 「開幕戦ではコースに慣れて いなかったこともあったし、 周りが初めて一緒に走るメン バーばかりだったので、相手 の性格がよく分からなくて、 焦って苦戦しちゃいました。 でも、第2戦からは徐々に慣 れて調子が上がってきて、第 れのセバスチャン ・ ベッテル が 目標」 4戦で優勝することもできました」。 チャンピオン最有力候補として臨んだ東 西統一競技会では本来の切れ味を欠き、8位 フィニッシュに留まった。シリーズ2位とは 2.5点差、薄氷の戴冠劇だった。 「あの時は緊張で調子が上がりませんでし た。ちょっとヤバいなと思いながら車検場に 戻ったんですが、そこでチャンピオンだっ て言われて、めっちゃ嬉しかったです。2019 年に点数を付けるとしたら、80点くらいじゃ 2019 Driver Ranking 1位 野村勇斗選手 EXGEL.with.MRP 2位 星涼樹選手 Drago.Corse 3位 荒尾創大選手 チームKBF 4位 居附明利選手 Formula.Blue.Ash 5位 嶋田隼人選手 Formula.Blue.ぴぃたぁぱん 6位 奥田もも選手 HRS.JAPAN 3歳の時、家族と一緒に立ち寄 ったカートショップでのキッズ カートとの出会いがきっかけ。 勝 者は1位のみ、2位以下は負け。 そんな意気込みでレースに取 り組んできた野村勇斗選手は、 2016~2017年にジュニアカート選手権の FP-Jr Cadets部門とFP-Jr部門を連覇して、 将来を嘱望される存在となった。そして 2019年、満を持して全日本FS-125部門に デビュー。このシリーズには、野村選手に とってふたつの“初めて”が待っていた。 ひとつは、愛知県出身の野村選手にとっ VictoryRoad 栄光への花道 27
てアウェーになる東地域への参戦。もうひ とつは、デビューの時から続けてきた親子 ペアでのレース活動を脱し、新たなチーム に加入して他人に囲まれながらのシリーズ を過ごしたことだ。 「新しいことに挑戦してみたかったし、将 来のOK部門参戦のことも考えて、(OK部
だったようだ。 「正直ほっとした部分もあったけれど、あ の位置を走っていて、どうしても優勝した い気持ちはありましたね。後で考えてみた ら、タイミングを見て仕掛けてもよかった のかなって思います。それでも、全日本で あろうと何のレースであろうと、シリーズ を獲れたことは非常に嬉しいです。それに、 (全日本FP-3の)初代チャンピオンという名 誉はずっと残ると思うので、そこが一番嬉
「初代 が 獲 れて 嬉 しい 」 世界カート選手権への参戦で、世界のレベルを肌で感 じられたのも野村選手にとって大きな経験となった。 2019 Driver Ranking 1位 山本祐輝選手 Formula.Blue.TKC 2位 佐々木大河選手 TEAM.WOLF 3位 坂裕之選手 Super.Winforce.RT 4位 川福健太選手 FLAX.motor.sports@NSP 5位 藤井亮輔選手 Formula.Blue.ぶる〜と 6位 岡本旬司選手 mecaniko.FeG.POWER VictoryRoad 栄光への花道 F P-3部門2019シリーズの最終戦と なる東西統一競技会。シリーズポ イントに圧倒的なリードを持って この一戦に臨んだ山本祐輝選手は、3台一丸 の先頭集団に加わると、勝利を競い合う2 台の真後ろを淡々と走って3位でフィニッ シュ、手堅くチャンピオン獲得を果たした。 レース後の山本選手は目標達成に安堵の表 情を浮かべていたが、その胸中はやや複雑
レースデビューは7歳。やがて関東のロ ーカルレースでトップコンテンダーのひと りとなった山本選手。2018年、ローカルレ ースの全国チャンピオン大会で優勝。その 活躍が認められて、同レース指定エンジン のメーカーであるヤマハのドライバーサポ ートプログラム『Formula Blue』の支援を受 け、同じエンジンを使用する全日本FP-3部 門に参戦することとなった。 「ローカルレースだと自分のお金でやって いるので、もし結果が出なくても次また頑 全日本カート選手権 FP-3 部門 山本祐輝選手 PROFILE /やまもとゆうき 1998 年生まれ、21 歳、千葉県出身、大学 4 年生。趣味はカー ト。5 歳で初めてカートに乗り、7 歳でカートレースデビュー。地元近辺のサーキットのローカ ルレースで複数のチャンピオンを獲得し、2018 年は SL 全国チャンピオン大会で YAMAHA SS クラス(FP-3 部門とほぼ同規格の車両を使用)のチャンピオンに輝く。 28
ないでしょうか。くだらないことで順位を落 としたり接触したりもあったので、そこが減 点です。結果的に安定してポイントを獲れ たことがチャンピオンに繋がったのかな、と 思います。予選では誰よりもポイントが獲 れていると思うんですが、そのことは自分で も意識しながらレースをしていました」。 海外デビューとなる世界カート選手権へ の初参戦も果たし、未来への階段を着々と 登りつつある野村選手。静かな語り口の中 に熱い情熱を込めて、2020年に向けての意 欲と、将来の目標を語ってくれた。 「2020年のことはまだ決まっていないけれ ど、もし出られるならOK部門でレースがし たいです。自信はあります。(3つのタイヤ メーカーが参入する中で)自分のタイヤの調 子が悪い時でも、しっかり結果を残せるドラ イバーになりたいです。将来の目標は、F1ド ライバーになって活躍すること。F1を観始め た頃にめちゃめちゃ速かったセバスチャン・ ベッテルが憧れのドライバーです。やっぱ り、速くて強いドライバーが好きです」。
しいですね」。
張ればいいや、と思うこともできるけれど、 サポートしてもらっている立場になると、ど うしても結果を残さなきゃいけない、という 気持ちがありました。その一方で、(サポー トを受ける立場は)常に応援してくれている 人がいるんだって実感があって、とても励 みになりました」。
2019年に地方選手権から全日本選手権 へと変わったことで、FP-3部門の出場台数 は大幅増、レースのレベルもグンと上がっ た。そんな“全日本FP-3”初年度のひとつの ハイライトとなったのが、長年のローカル レース活動でこの規定のマシンを熟知した 山本選手と、2010年代前半に全日本の最高 峰たるスーパーKF/KF1/KF部門で活 躍した佐々木大河選手との、3度に渡る見応 えある優勝争いだった。 「全日本はローカルレースより周回数が長 くて、その中での作戦の立て方も違ってき ます。そこが難しいところですし、その戦 い方を考えるのが楽しいっていう気持ちも ありました。佐々木選手は元KFドライバー なので、最初はやっぱり優勝するのは難し いのかなって思いました。自分はFP-3部門 のマシンには慣れているけれど、佐々木選 手はKF部門で周回数の長いレースを経験 しているので、タイヤの使い方や作戦の立 て方は向こうの方が上。向こうにも自分に も不利な部分がある中で、優勝のチャンス があるのかもって感じでした」。
第3戦からは破竹の3戦連続ポール・ト ゥ・ウィン。それでも山本選手は奢ること なく、常に開幕戦と同じ気持ちでレースに 臨んでいたという。 「自分は優勝しても変に自信を持ったり図 に乗ったりすることなく、常に一戦一戦を 大事にして優勝を目指そうという考えでや ってきたので、(3連勝で)何かが変わるとい うことはなかったです。2、3年前、高校時 代まで乗ってきたシャシーを別のメーカー に乗り替えたら、それまでの走り方とかが 全然通用しなくて、『一度考え方を見直して みよう』と思うことがありました。その時か ら、こういう気持ちのあり方になったんだと 思います」。 パドックではいつも柔和な表情の山本選 手だが、その自己評価には、戦う者として の顔を垣間見ることができた。 「マシンに乗る前はそんなに気持ちが昂ら ないタイプだけれど、周りには『乗ると自己 主張が激しい人になる、人が変わる』と言わ
れます。そういう点では、冷静に考えなが らも強い気持ちを持ってレースができてい るかな、と思います。(ファイタータイプの 戦いを見せた)佐々木選手は、バトルしてい て面白かったけれど、自分と同じタイプな んで、正直面倒くさいなと思ったりもしま した(笑)」。
大学を卒業して社会人1年生となる2020 年、山本選手は活動の場をローカルレース に戻すのだという。
ら来る人に負けないよう頑張りたいです」。 趣味をたずねると「カート」と即答するほ どのレース好き。きっと山本選手のカート ライフは、この先も長く続いていくのだろ う。そんな彼の今後の目標は、いかにも“ア マチュアカーターの星”らしいものだ。 「ローカルレースには、将来4輪レースで 活躍する金の卵のような子供たちも参加し てくるでしょうから、自分も負けないよう に、そういう子供たちの高い壁になりたい と思います。自分が子供の頃も、同じクラ スに壁になる人たちがいて、その人たちを どうしても倒したいと思って頑張ってきまし た。そういう目標があるレースって、やり 甲斐があるじゃないですか」。
「レースは趣味の領域でやっていることなの で、たぶん全日本にはしばらく出ないと思い ます。2020年は地元のもてぎでローカルレ ースの全国大会が開催されるので、今度は そのチャンピオンが目標です。(各地のサー キットを転戦する)FP-3 部門では、それぞれの地 域の速い人たちが出てき てくれたので、地元の人 たちを倒せたら面白いと 思って、自分のモチベー ションも上がりました。 今度は自分が地元で迎え 撃つ立場として、他所か サポートしてくれたヤマハのFormula Blueに感謝しつつ、“全日本FP-3”初代王者に輝いた山本選手。 東地域ではポール・トゥ・ ウィンで3勝を挙げるパー フェクトなレースを展開。来 季はローカルレースに挑戦 してチャンピオンを目指す。 29
れるのが、事前に「女性の参加優先枠があ る」ことや「参加者全員の中から女性選手の 特別表彰がある」ことを告知したこと。それ により、18台もの女性参加があった。 「女性も出やすく」「リピーターも満足」 意欲的な“試み”満載な2大会を徹底分析!! 奈良県を舞台に毎年開催されている「オートテストIN奈良」では、 今回はJAFウィメンインモータースポーツ作業部会がコラボレーション! そして、第2回目の開催となった長野県の車山高原では、 何と練習会と宿泊プランが付いたオートテストが開催されることに!? ここではそんな新しい試みが詰まった注目のオートテストをご紹介。 フォト/山口貴利、JAFスポーツ編集部 レポート/山口貴利、JAFスポーツ編集部 イラスト/高梨真樹 オート テスト 倶楽部 AUTO TEST CLUB 奈 良県大和郡山市の商業施設「ア ピタ大和郡山店」の駐車場で、 奈良の老舗クラブが主催する 「オートテストIN奈良」が開催された。今回 は飯田裕子座長率いるJAFウィメンイン モータースポーツ作業部会が協力し、大会 名も「オートテストIN奈良2019・JAFウィ メンインモータースポーツオートテスト」と 題することになった。 主催のRC NARAは、JAF奈良支部など の協力により、モータースポーツ初心者を 対象としたサーキット走行イベント「モー タースポーツIN奈良」や、市街地でモー タースポーツに触れられる「オートテスト IN奈良」を毎年開催してきている。 今大会は、午前と午後で1本ずつ走行し、 昼食時間を長めに確保したゆったりスケ ジュール。近畿地区を中心に約50台が参 加したが、今回の大きな特徴として挙げら 車山高原で行われたオートテストは、リゾート地のペンション街にある広大な駐車場を貸り切って開催された。 30
当日は秋晴れに恵まれ、季節外れの汗ば む陽気となった。会場には協賛企業ブース が出店。特別講師には全日本ジムカーナの 川脇一晃氏や久保真吾選手らが実際の競技 車両で来場し、大会の実況MCを務めると ともに、参加者と密なコミュニケーション を図ってくれることになった。 女性選手のための優先席 そして、会場の一角にはJAFウィメンイ ンモータースポーツのブースも設置され、 会場を訪れた女性限定のテーブル&椅子付 きの休憩&観戦スペースが用意された。
今回は主催者や関係者を始め、飯田座長 らJAFウィメンインモータースポーツ作業 部会メンバーらが検討を重ねた、女性が参 加しやすい環境作りがなされていた。 「全国の主催クラブ、そしてJAFの各支部 の方々にご理解をいただき、JAFウィメン インモータースポーツの協力という形でコ ラボさせて頂いて、継続的にイベントを展 開していければと考えております。 今回のような試みは、女性の参加比率が 高まるきっかけになると思います。主催関 係者の皆様にご理解頂き、女性が多く集ま る状況が当たり前になって、男女が一緒に 楽しめるイベントができるといいですね」。 今大会では、孤独になりがちな女性参加 者に寄り集まれる場所が提供されたことで、 それぞれの不安が払拭できるきっかけと なっていた様子。そして、普段はストイッ クに自分との戦いに浸ってきた男性参加者 にとっても、思わぬ黄色い声援で気合が入 りつつも、それが逆に空回りに繋がってし まうような、微笑ましい場面も見られた。 クルマの運転が好きな思いを共通項に、 女性参加者が自由に使えるホスピタリ ティブースを設置。観戦時には良かった 走りに大きな拍手が沸いていた。 JAFウィメンインモータースポーツ作業部会の 飯田裕子座長と福島佳苗委員が会場を訪れ、 女性参加者たちとの積極的な交流を図った。 ヤスダトモコ選手は昔から憧れのハリアーを 購入して、自分のスキルを試すために初めて 参加した。車両感覚の勉強になったそうだ。 勇気を振り絞って一人で参加してみたものの、 いざ会場に来たらやっぱり心細い……。そんな 女性を支援する様々な試みが行われていた。 ビトウヨシコ選手はVWゴルフヴァリアント で参戦。「脳トレのために参戦した」と語るも のの、女性の中で2位を獲得したスゴ腕さん。 ナカニシユキコ選手は『消防車色』にオール ペンしたパジェロioで参戦。「恐る恐る出て みたら意外と初心者が多くて安心でした」と。 31
ここでは飯田裕子座長や 福島佳苗委員を始め、女性 参加者たちが気軽に寄り 合ってクルマ談義に華を咲 かせていた。また、コース の目前にスペースが配置さ れたこともあり、他の参加 者たちの良かった走りには 拍手喝采。華やかで明るい 雰囲気に包まれたまま大会 は終了した。 組織委員長として関わっ た飯田座長は、大会終了後 に以下のように総括した。 「多くの方々と話をさせて もらったり、終わって帰る ときに見せてくださった皆 様の笑顔から判断すると、 今回はやって良かったなと感じております。 自分のスキルを上げるために参加された方 や、勇気を出して一人で参加された方でも、 その初体験をみんなで盛り上げてくれてい ました。今回は色々な女性が来てくださっ たので、オートテストってホントにいいイ ベントだなと感じました」。
のアクセスで、近隣には白樺湖や霧ヶ峰 ヴィーナスラインを擁する景勝地でもある。 これらの立地も含めて、2日間楽しんで もらおうというのが企画趣旨だ。そのため、 車山高原の複数のペンションの協力により、 宿泊が利用できるプランとなっていた。 もちろん、練習会はあくまで任意なので、 練習会をセットにすると割引が適用される が、決勝だけ参戦しても、練習会だけの参 加もアリという、選べるプランを用意。こ れを利用して、土曜は練習会に出て、日曜 は別のオートテストに参加した選手もいた
男女が同じフィールドで切磋琢磨する。こ ういったグラスルーツモータースポーツで こそ、女性の参加が「当たり前」になって欲 しい……。飯田座長率いるJAFウィメンイ ンモータースポーツ作業部会の新たな試 み。今後の展開に期待したい。 車山高原の大会が再び開催 2019年3月に長野県の車山高原スキー 場の駐車場で「雪上オートテスト」を開催し てから半年後。10月27日に車山高原で2 回目となるオートテストが開催された。 主催は大阪に籍を置く「バトレックス・ レーシングクラブ」。第1回は雪不足のため
同クラブに所属し、現在は車山高原でペン ションを営む中橋孝之氏の尽力があった。 大会の正式名称は「車山高原オートテス ト2019 2nd Stage」。開催するからには 選手が楽める環境を提供したいとのことで、 土曜の午後には練習会を設けて、日曜に 泊料金で泊まれるように なっていた。 名乗りを挙げたのは「プ チペンション・パオパオ」 の横田貴範氏と「リゾート イン・ジェントル」の長谷 信博氏、そして「プチペン ション・グリーンスポット」 オートテストの決勝を行うという、2日間 に渡るスケジュールが告知された。 車山高原は首都圏や関西圏から半日程度
ようだが、結局、練習会には27台が参加 して、決勝には41台が参戦していた。 走って楽しく泊まって楽しい 練習会は走行が3本。3本目の前には、 今回の競技長である元全日本ジムカーナ チャンピオン川脇一晃氏による、コース攻 略のアドバイスを受けながら慣熟歩行がで きるようになっており、熱心に質問する選 手の姿も見られた。また、練習会の走行動 画を主催者が夕方に動画サイトへアップし て、参加者らが見られるようにしていた。 気になる宿泊は、車山観光協会の協力も あり、中橋氏と縁の深いペンションオー ナーたちが協力。嬉しいことに、同一の宿 オートテストIN奈良の講師陣は元全日本ジム カーナチャンピオンの川脇一晃氏と、全日本 SA3を戦う久保真吾選手という豪華な布陣。 10月20日の「オートテストIN奈良」は大和郡山市にある 商業施設「アピタ大和郡山店」のF駐車場で開催。 10月27日「車山高原オートテスト」の会場は車山高原SK YPARK RESORT駐車場。場内を一望できる好立地。 慣熟歩行の前には模範走行が行われ、コース 制作者が理想的な走らせ方を披露。初心者に とってイメージしやすく、ありがたい配慮だ。 JAFウィメンインモータースポーツとコラボ! 「オートテストIN奈良2019・JAFウィメンインモータースポーツオートテスト」 開催日:10月20日(日) 主催:RC NARA 開催地:アピタ大和郡山店特設会場(奈良県大和郡山市) 32
会場変更を余儀なくされたが、その時から 選手から継続開催の要望があったそうで、 主催者も継続の意向があったという。 競技運営はバトレックス・レーシングク ラブで会場は車山高原。大会の実現には、
車山高原でのオートテス ト開催には、スキー場を管 理する車山高原SKYPARK RESORTの全面バック アップがあったという。 総支配人の佐藤利幸氏に の早川宏氏。彼らはコースやパドックのオ フィシャルとしても大会に協力していた。 もちろん中橋氏が営む「リゾートイン・ス クアミッシュ」も含まれるが、今回はパオパ オに軽自動車クラスの6名が、他クラスの 7名がジェントルに宿泊していた。 また、兵庫から参加した北井博章選手 は、練習会には参加せず、宿泊して決勝に 臨むという利用をしていた。「土曜はスポン サー(家族)のために時間を使いました(笑)。 霧ヶ峰に行きたいとの要望で、家族サービ スを優先させましたよ」ということで、他の 参加者とは宿泊地で夕食から合流。食事の 後は、そのまま食堂で動画サイトの走りを 見ながら大きく盛り上がっていた。 また、大阪から参加した磯川敏弘選手と 千徳選手親子は、オートテスト初参加だっ たが「皆さんから明日の攻略法やアドバイス をいただき、そういったコミュニケーショ ンが取れて良かったです」と語った。 部屋割りはペンションにお任せのため、 一人での申込みだと相部屋の場合がある。 埼玉の久保田浩之選手と岩手の村上清賢選 手は相部屋で意気投合。「普段の遠征なら ホテルで寂しくしているけど、今回はクル マ談義に花が咲き、気付けば夜遅くなって ました(笑)」と、実際にペンションを利用し た参加者には好評だったようだ。 リゾート地のシリーズ戦 この取材を通じて、車山高原のようなリ ゾート地でのオートテスト開催は、競技の 性格からみても親和性が高いと感じた。実 際に中橋氏は、スキー場の閑散期における よれば「“車”山という名前でもあるので、 クルマに関するイベントをもっと盛り上げ たい思いがありますね」とのこと。オフシー ズンの集客に頭を悩ませるスキー場も多い だろう。同じ思いを持つエリアが共鳴すれ ば、全国のリゾート地を走るツアーシリー ズを組むことも夢ではない。 開催数も上昇の一途をたどり、オートテ ストだけを追いかけるリピーターも増えて いる昨今。今回も全国各地から仲間であり 良きライバルを求めて大会に参加した選手 も見られた。競技長である川脇氏は「ここ では自分が走って楽しいと思えるコースや オートテストの仕組みを考えて実践してま すね」と語る。このポリシーと中橋氏の情熱 や関係者の協力がある限り、車山高原の オートテストは継続されていくだろう。 いつも軽トラで参加している北井博章選手。 今回は家族サービスを土曜に行い、前泊でペ ンションを利用して日曜の本番に挑んだ。 大阪から親子で参加した礒川敏弘選手と千 徳選手は、宿泊時に練習会の動画を見て本番 へのアドバイスをもらえたことを高評価する。 埼玉の久保田浩之選手と岩手の村上清賢選 手はペンションの相部屋で意気投合。「深夜 までクルマ談義に華が咲いた」と再会を誓う。 主催クラブ所属の中橋孝之氏を始め、車山高 原SKYPARK RESORTの皆さんの協力で開 催が実現した今大会。今後の継続にも期待! コースの各セクションには「WINMAXコー ナー」や「ダンロップガレージ」など協賛スポ ンサーのネーミングライツが実施された。 車山高原の大会が再来!一泊二日プランも選べる!! 「車山高原オートテスト2019 2nd Stage」 開催日:10月26日(土)~27日(日) 主催:BATTLEX 開催地:車山高原SKYPARKスキー場 第2駐車場(長野県茅野市) 33
シリーズ戦開催も検討して いるようだ。
2020年全日本選手権/FIA選手権 月 日 全日本レース選手権 FIA選手権 その他レースカレンダー 全日本ラリー&スピード競技選手権 スーパー フォーミュラ スーパー フォーミュラ・ ライツ スーパーGT S耐 (暫定) TCR Japan (暫定) F1世界選手権 ラリー ジムカーナ ダート トライアル 2 2 9 ①群馬 S (中止) 16 23 3 1 8 15 オーストラリア ②愛知 T ①コスモスパーク 22 ①鈴鹿 バーレーン 29 ①もてぎ南 4 5 ①鈴鹿 ①鈴鹿 ベトナム ②恋の浦 12 ①岡山国際 ③佐賀 T 19 ②富士 ②富士 ①富士 中国 ②名阪 C 26 ②SUGO ③丸和オートラン ド那須 5 3 (5/3-4)②富士 オランダ ④愛媛 T 10 スペイン (5/2-4) ③タカタサーキット 17 ③オートポリス ③オートポリス ②オートポリス 24 モナコ ⑤京都 T ④ ASLスナガワ 31 ③鈴鹿 ④エビス 6 7 ③富士 アゼルバイジャン 14 カナダ ⑥群馬 T 21 ④SUGO ④SUGO ⑤ ASLスナガワ ⑤門前 MS公園 28 フランス 7 5 オーストリア ⑦北海道 G 12 19 イギリス ⑥切谷内 26 ③SUGO (7/24-25) ⑥みかわ 8 2 ④オートポリス ハンガリー 9 16 23 ⑧秋田 G 30 ⑤もてぎ ⑤もてぎ ④もてぎ ベルギー 9 6 イタリア ⑦オートパーク今 庄 13 ⑥ SUGO ⑦恋の浦 20 ⑤もてぎ シンガポール 27 ⑥岡山国際 ⑥岡山国際 ⑤岡山国際 ロシア ⑨北海道 G 10 4 (変更の予定) ⑧テクニックス テージタカタ 11 日本 ⑧イオックス 18 ⑩岐阜 T 25 ⑦オートポリス アメリカ 11 1 ⑦鈴鹿 メキシコ JAFカップ モーター ランド野沢 8 ⑧もてぎ JAFカップ 鈴鹿国 際南 15 ⑥岡山国際 ⑥鈴鹿 ブラジル 22 29 アブダビ 12 6 13 20 スーパーGT 第4戦、第5戦は 海外戦です。 S:スノーアイス T:ターマック G:グラベル 全7大会 全6大会 6大会 (日本開催のみ) 6大会 6大会 全22戦 全10戦 全8戦+1 全8戦+1 ※ 11月 30日現在。一部、プロモーターからの発表を含みます。日程は追加・変更される場合があります。 最新のカレンダーはJAFモータースポーツ Webページまたは主催者 Web等でご確認ください。 © JAF2020 34
ほか主要モータースポーツカレンダー 全日本カート選手権 ジュニアカート選手権 WEC WRC WTCR APRC 月 日 OK FS-125/ FP-3 東 FS-125/ FP-3 西 FP-Jr/ Fp-Jr cadets 東 FP-Jr/ Fp-Jr cadets 西 2019-2020
①モンテカルロ 2 2 9 ②スウェーデン 16 ⑤アメリカ
3 1 8 ①鈴鹿南 ①鈴鹿南 ③メキシコ
⑥アメリカ インド A 22 29 ①モロッコ ニュージーランド P
5 12 ①②もてぎ ①もてぎ ①もてぎ ④チリ
②琵琶湖 ②琵琶湖 ⑦ベルギー ②ハンガリー
P
②本庄 ②本庄 ⑥ポルトガル
⑦イタリア
③神戸 ③神戸 ⑧フランス
(ル・マン
時間)
③④御殿場 ④御殿場 ④御殿場 12 ⑧ケニア
③最上川 ③最上川 インドネシア A
2020-2021カレン ダーは未発表
⑨フィンランド
⑤中山 ⑤中山 ⑩ニュージーランド ⑦中国 9
13 ⑤⑥茂原 ④茂原 ④茂原 20 ⑪トルコ 日本 A/P 27 日本(変更の 可能性あり) (変更の予定) 10 4 11 ⑦⑧SUGO ⑤SUGO ⑤SUGO ⑫ドイツ ⑧韓国 中国 A 18 25 ⑬英国 11 1 8 ⑨⑩鈴鹿南 東西統一競技会 鈴鹿南 東西統一競技会 鈴鹿南 15 ⑭日本 ⑨マカオ 22 オーストラリア P/F 29 12 6 ⑩マレーシア 13 20 A=Asia Cup P=Paci c Cup F=Fnal 全10戦 全5戦+1 全5戦+1 全14戦 全10戦 全8戦 35
カレンダー 1/26
23
15
4
19
26 ⑤アルゼンチン 5 3 ニュージーランド
10 17
③ドイツ 24 31
④スロバキア 6 7
14
24
⑤ポルトガル オーストラリア P 21 28 ⑥スペイン 7 5
19
26
8 2
9 16 23 30
6
36 INFORMATION fromJAF 自動車技術会が主催するシンポジウム 「モータースポーツ技術と文化」のお知らせ 2019年モータースポーツ公示(WEB)一覧(10月〜12月25日) 公示(四輪) 公示(カート) 日付 公示No. タイトル
2020年FIA
Championship/2020年JAF全日本ラリー選手権第1戦/
2019年12月25日 [2019-WEB053] 2020年JAF国内競技車両規則の改正および追加について
[2019-WEB054] 2020年全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権統一規則の制定について 2019年12月25日 [2019-WEB055] 2020年全日本スーパーフォーミュラ選手権統一規則の制定について 2019年12月25日 [2019-WEB056] 2020年全日本ラリー選手権統一規則の制定について 2019年12月25日 [2019-WEB057] 2020年全日本ジムカーナ/ダートトライアル選手権統一規則の制定について 2019年12月25日 [2019-WEB058] スピード競技開催規定の改正および追加について 日付 公示No. タイトル 2019年10月31日 [2019-WEBK13] 2020年日本選手権カレンダー一覧(カート) 2019年12月04日 [2019-WEBK14] 2020 CIK-FIA Karting Academy TrophyへのJAF推薦参加者の募集について 2019年12月25日 [2019-WEBK15] 2021年日本カート選手権規定の制定 2019年12月25日 [2019-WEBK16] 2020年全日本/ジュニアカート選手権統一規則の制定について 2019年12月25日 [2019-WEBK17] 2020年国内カート競技車両規則の制定 ※上記公示(WEB)一覧の詳細は、JAF MOTOR SPORTSホームページ(http://jaf-sports.jp)内の「公示・お知らせ」で閲覧することができます。 開催情報 日時:2020年3月5日(木) 10:00〜16:45 会場:東京工業大学 デジタル多目的ホール メディアホール (東京都目黒区大岡山2-12-1) 問い合わせ 公益社団法人 自動車技術会 シンポジウム事務局 TEL045-228-7696 http://www.jsae.or.jp/sympo/ ※参加申込、参加費等詳細は公式ホームページを参照 安全や環境問題といった社会的課題に取り組み、その研究成果を社会へ 還元している自動車技術会。そのモータースポーツ部門委員会が、来る3月 5日、日本を代表する自動車関連メーカーのエンジニアたちを講師として迎 え、「モータースポーツ技術と文化」についてのシンポジウムを開催する。 講演一覧 ●モトクロス世界選手権 MXGP 2019 タイトル獲得へ向けての開発の軌跡 ……森田匡人氏 本田技研工業(株) ●EVにおける減速機の有効活用と課題 ……繁原秀和氏/繁原秀孝氏 (株)繁原製作所 ●Formula Eレースの技術とレース戦略 ……西村大志氏 日産自動車(株) ●ランドスピードレコード用パワーユニットの製作 ……工藤洋嗣氏 (株)本田技術研究所 ●北米マツダ、モータースポーツ活動の紹介 〜Mazda Road To 24〜 ……上村昭一氏 マツダ(株) ●ニュルブルクリンク24時間レース用タイヤの開発 ……三好明宏氏 住友ゴム工業(株) ●ルマン24時間レースLMP1車両の空力開発総括 ……北條哲平氏 トヨタ自動車(株) 公示(カート)
2019年10月09日 [2019-WEB042] 2020年JAF全日本ダートトライアル選手権開催日程の変更について 2019年10月16日 [2019-WEB043] 2019年JAF全日本ラリー選手権第10戦開催中止について 2019年10月17日 [2019-WEB044] 2019年JAF地方選手権表彰式 開催一覧表(開催日順) 2019年10月17日 [2019-WEB045] 2019年JAFモータースポーツ表彰式のご案内 2019年10月18日 [2019-WEB046] 車両公認申請一覧/登録車両申請一覧/既登録車両に対する車名(類別) 2019年11月01日 [2019-WEB047] 四輪の国際A、B、Cライセンスのライセンスカードへの表記につきまして 2019年11月01日 [2019-WEB048] 車両公認申請一覧表 2019年11月06日 [2019-WEB049] 2020年日本選手権カレンダー一覧(四輪) 2019年11月18日 [2019-WEB050]
Asia Pacific Rally
2020年JAF東日本ラリー選手権第3戦の開催中止について 2019年11月18日 [2019-WEB051] 2020年JAF全日本ラリー選手権第1戦の開催中止に伴う同選手権カレンダーへの追加申請の募集について 2019年12月12日 [2019-WEB052] 登録車両申請一覧表/ロールケージ公認申請一覧表
2019年12月25日
ニッポンのモータースポーツは JAF 動画サイトでチェックしよう! NEWS! スーパーフォーミュラからレーシングカートまで、国 内で開催されるJAF全日本選手権のイマを伝え る、インターネット配信を利用した 国内モータースポーツニュース情報番 組を配信中です。番組のナビゲーター は、日本を代表するレースアナウンサ ー、ピエール北川さん。毎月15日頃& 30日頃、月2回の配信です。 JAFモータースポーツホー ムページの特設バナーから ご覧になれますが、YouT ubeのJAF公式アカウン ト「jafchannel」からも 無料で視聴が可能です。 全日本選手権のイマを伝えるモータースポーツ・ニュース情報番組 「JAF モータースポーツニュースダイジェスト」好評配信中! JAF モータースポーツホームページ http://jaf-sports.jp JAF MOTOR SPORTS ホームページの“取扱説明書”です WEB誌面、動画、カレンダー、講習会日程、オートテスト… などなど、役立つ情報が盛りだくさん! JAF スポーツ誌は2018年にリニュ ーアルし、年4回の季刊発行と なりました。本誌内容の充実化のため、また情 報の速報性を図るため、いくつかのコンテンツ がJAFモータースポーツホームページに移行し たしました。 そこで今回はパソコンやスマホでいつでも気 軽にアクセスできるホームページの活用方法を、 主だったバナーを中心に紹介していきます。 常に最新の情報を掲載している「公示・お知ら せ」「モータースポーツカレンダー」は競技関係者 なら要チェック。またWEBならではの動画配 信コンテンツ「NEWS DIGEST」や、競技会等 の速報「ニュース&トピックス」も必見です。そ の他、競技結果や獲得ポイントのデータベース もありますので、上手に活用して、さまざまな シーンでお役立て下さい。 JAFモータースポーツ ホームページへアクセス http://jaf-sports.jp 1 公示・お知らせ モータースポーツの規則や規定の改 正、登録車両や車両公認の申請一覧、 競技会の日程の変更や取消等、ライ センス所持者向けの情報を掲載。 2 JAFスポーツWEB 過去に行われた競技会のレポートは こちら。JAFスポーツ誌そのままに、 読み応えのあるWEB誌面として展 開しているコーナー。 3 NEWS DIGEST 直近で開催された競技を月2回公開! モータースポーツのHOTなニュースを お伝えする動画番組。過去放送のバッ クナンバーも充実。 4 競技会カレンダー 主要モータースポーツを始め、全日本 選手権や国内競技会を「ラリー」「ジ ムカーナ」「ダートトライアル」「レーシ ングカート」のカテゴリーで紹介。 5 ライセンス講習会日程 全国で開催されているライセンス取得 のための講習会を開催日順にご案内。 A/Bライセンス以外に、公認審判員 やカートライセンスも検索が可能。 6 AUTO TEST モータースポーツの入門競技・オート テストのルール説明から、直近開催予 定の情報までを網羅。オートテストの 雰囲気がわかる動画も必見! 2 3 4 5 6 1
明日 セントラルラリーに現れた“革命的”な道 関係各所の努力で県道と林道を繋ぐロングステージが実現! フォト/小竹充、JAFスポーツ編集部 レポート/山中知之、JAFスポーツ編集部 9 月27日、FIA世界モータースポー ツ評議会(WMSC)において、世 界ラリー選手権(WRC)の日本ラ ウンドが10年ぶりにカレンダー入りするこ とが承認され、発表された。 その内容は、2010年まで北海道で開催さ れていたWRC「ラリージャパン」とは大き く異なり、開催地が北海道から東海地方へ と移る。そして主催者が変わり、路面もグ ラベルからターマックと一変する。そうい う意味では、2020年開催のWRC日本ラウ ンド“第二章”は、イチからのスタートとい っても過言ではないだろう。 そしてWRC開催を踏まえた「Central Rally Aichi/Gifu 2019」が、11月7~10日に愛 知と岐阜をまたぐエリアで開催された。 この大会には、国際格式にはWRカーや FIA-R5車両が参戦。国内格式には著名な 全日本ラリーストが出場。2日間で約4万人 が集まる華やかな大会となった。 この集客は、TOYOTA GAZOO Racing ラリーチャレンジプログラムの育成ドライ バーである勝田貴元選手がヤリスWRCで 凱旋し、見慣れたステージを“フルアタッ ク”したことも大きく影響している。 F1日本グランプリのFP1を担当した山本 尚貴選手に贈られた大歓声の例を出すまで もなく、日本人にとっては、日本のマニュ ファクチャラーと日本人ドライバーという 組み合わせのインパクトは大きい。 2020年のWRCワークス参戦が有望視 されている勝田選手の地元が愛知というこ とも相まって、WRC日本開催を心待ちにす るファンや関係者のあらゆる期待の高さが 裏付けられたと言っていいだろう。 林道と生活道路を繋いだ 国内では稀有なロングステージ そして、参加者を含めた関係者にとって、 最もインパクトがあったのがスペシャルス テージ(SS)の設定だった。 2日間のアイテナリーにはセンターライ ンがある県道や市町村道、そして林道をつ なぎ合わせた、かなり長いステージが用意 されており、その一部は民家の軒先をかす めながら生活道路を全開で走る設定。従来 の国内ラリーでは考えられない事態だった。 レッキを終えた選手たちからも「民家の間 を縫うように走ったり、広い道も走れるな んて、日本のラリーが進化する予感がし た」、「国内ラリーの歴史においても初めて Central Rally Aichi/Gifu 2019 2019年11月7〜10日/愛知県・岐阜県内 主催:TMSC、(株)サンズ、MSCC、MOSCO 11.07-11.10 International Rally 38
あっても一本の林道でこの距離をまかなう ことは難しく、峠を超えて複数の集落をま たぐ形で構成されていることが多い。そう いった意味でも、今回のラリーフォーマット は欧州スタイルのWRCに伍したと言える。 セントラルラリーにおけるステージ構成 は「地元の自治体から『使ってほしいステー ジ』の要望があった」と競技関係者が話して いたが、今大会には、地元自治体の協力が 様々な領域においてあったようだ。
集落の生活道路にステージが設定された 住民に対して、ラリー当日の午前午後とも に3時間程度、道路使用ができない由の回 覧があったそうだが、住民によれば、大き な反対や不満はなかったと話していた。 ラリー本番でも住民たちは自宅や道路脇 から“観戦“しており、「最初はちょっと怖 かったけど、迫力が凄いね」と声を弾ませる 家族連れや「2020年もやるんでしょ? 長 生きしなくちゃね(笑)」、「ウチの前も走っ てほしいな」などと笑顔で話してくれた高齢 者の方もいたくらいだ。
SS1で使用された額田エリアの住民から は、日頃から大型トラックの往来が頻繁に あることから、騒音や振動にはあまり大き な抵抗はないという話も耳にした。限られ た方々への取材ではあったが、今大会に対 しては概ね歓迎ムードにあったと言えよう。
愛知や岐阜という開催地は、名古屋を始 めとした大都市を背景に持つことや、もと もと地場産業として自動車関連会社や工場 を多く抱える地域でもある。そのため、自 動車については好意的で、モータースポー ツに対する評価も、他の地域に比べると寛 容である雰囲気を感じることができた。 開催時期は2020年晩秋 WRCの”常識”への対応は セントラルラリーで見えたある種の感動や 驚きとは別に、改善すべき点も見えてきた。 今大会は2日間、SS総距離は約130km だったが、WRC本番では最低でも日数が1 日増え、3倍程度のステージ距離の確保が要 求されるだろう。そうなると、開催地域も 広がり、ラリー開催で日常生活に影響を受 ける住民がさらに増えることになる。 WRCともなれば、WRカーやFIA-R5、R3 やR2といった海外ではおなじみの改造車両 がやって来る。それと同時にWRCや海外 ラリーの“常識”もやって来ることになる。 WRCにおいては、ステージ手前でタイ ヤやブレーキのウォームアップ行為(ウェー ビングやハードブレーキング)を行うことは ルーティンワークだ。しかも、ステージを 安全に走り切るという意味でも、参加者に とって欠かせない行為とも言える。
明日への挑戦 三つの国際大会に見えた未来を拓くヒントと課題 2019 年 11 月には、国内モータースポーツの将来を占う国際大会が立て続けに開催された。 11 月 7 ~ 10 日のセントラルラリー愛知・岐阜、22 ~ 24 日の SUPER GT×DTM 特別交流戦、 そして 11 月 29 日~ 12 月 1 日の FIA インターコンチネンタル・ドリフティング・カップ。 ここでは、それぞれが模索した新たな挑戦と、浮き彫りになった課題について検証する。 と言える試みで『革命的』な出来事と言って いい」などと驚きの声が挙がっていた。 これまでの国内ラリーでは、県市町村道 は移動に使われることはあっても、実際に 競技走行するステージは林道で、しかも民
家のない山奥の深い場所で行われてきた。 各国のWRCでは30kmを超えるステー ジはざらにあるが、ラリーの本場・欧州で
愛知県長久手市の愛・地球博記念公園を拠点に、愛知 県岡崎市、岐阜県恵那市にまたがり合計14ステージが 設定された。最終的には2本のSS(内1本は国内格式 のみ)がキャンセルされたが、最長14.95kmものター マックステージは国内ラリーでは前例がなかった。 39
ウンド開催の最大の課題は人員の確保であ るという話も聞こえた。今大会では、最長 15km程度のステージが用意されていたが、 SS1本に対して必要なオフシャルの人数は、 タイムコントロール(TC)とSSスタート& ストップ、トラッキングで約15名程度とし ており、他にギャラリーコントロールやス テージ封鎖などのために、その5倍程度に もなる人数のボランティアオフィシャルを 確保して対応する予定だったという。 県道レベルの一般道となると、例え枝道 でも交通量が多いことも予想される。道路 の占有許可は他の車両を完全に遮断するこ とが条件となるため、人数が多くなるのは 当然だ。今大会でも多くのボランティアオ フィシャルを募集していたが、ドタキャン や当日になって連絡が付かなくなる人も数
Central Rally Aichi/Gifu 2019 11.07-11.10 International Rally 明日への挑戦 今大会にWRカーで挑んだ勝田貴元選手 も「(SS1は)ステージ中盤で狭い林道を走り ますが、速度域が低くてタイヤに熱を入れ られませんでした。結局、約14kmのステ ージフィニッシュまで、タイヤが発動しな かったんですよね」と話していた。 WRC日本ラウンドの開催時期は、セン トラルラリーより2週間後であるため、気 温低下は避けられない。そして、一般道に おけるウォームアップ行為は日本において は暴走行為と捉えられかねない。それが何 度も繰り返されてしまえば……先の顛末は 想像に難くないだろう。 その対策としては、SSスタート直前に占 有区間を延ばしてウォームアップゾーンを 設定することが挙げられる。かつ、チーム や選手にタイヤのウォームアップ行為はこ の区間だけに限ることを徹底する必要があ
事前のコンセンサスは必要になり、こうし た要素も事前の準備に含まれると言える。
走行エリアはさらに拡大
関係者に取材を重ねる中で、WRC日本ラ
WRCになると各ステージの距離はもち ろん、レッキを含めた開催期間も延びる。 しかも開催地は大都市の生活圏内。海外を 含め、観客の数も飛躍的に増えるだろう。 興行としてイベントを安全に実施し、ラ リーを競技として安全かつ公平に成立させ るには……過去に例がない数のスタッフが 必要であることは想像に難くない。 また、スタッフの質についても考慮が必 要だ。日本初開催のラグビーワールドカッ プが凄まじい盛り上がりを見せた中で、数 多くの「にわかファン」が生まれたのは記憶 に新しいところ。もちろん、これには日本 代表の活躍が負うところは大きいが、多く の観客が各会場で楽しく観戦し、心地よく 新井大輝選手はセントラルラリーのためにプリペアしたシトロエンC3のFIA-R5車両で参戦。 大会前日に三河湖エリアでギャラリーステージの設営をし ていた豊田市職員の皆さん。地元の方々が観戦の邪魔に なる樹木を伐採してくれたという話を聞かせてくれた。 保護者同伴で岡崎ステージの観戦に訪れていた”クルマ 大好き少年”の加藤大翔くんと濃野佳祐くん。飲食ブー スも充実していた同会場には、家族連れの姿も多く見受 けられた。 岡崎中央総合公園では毎年恒例の「おかざきクルまつり」 が開催され、その一環として公園内に設定されたSSを走行 するという、ラリーとのコラボレーションが行われていた。 岡崎ステージでボランティアオフィシャルを担当してい た村松孝信さんと田中博基さん。新城ラリーの経験も豊 富なベテランだが、今回は人材不足により交代ナシでの 参加だった。 SS1額田エリアの住民である堀田さん。 過去に自動車メーカーでモータースポー ツに関わる仕事をしていた経験がある御 仁で、今回のラリー開催を楽しみにして いたお一人。当日の通行止め時刻や場所 が詳細に記された、額田の町内会で回覧 された書類を見せてくれた。 40
るだろう。このために各ワークスチームと
また、ウォームアップゾーンとSSスター ト周辺を観戦エリアにしてしまうアイデア があってもいいのではなかろうか。
オフィシャルの確保は急務
多く出てしまったようで、各ステージでス タッフのやりくりに悩まされたそうだ。
今大会では地域住民から否定的な反応も あり、一部で起きたトラブルは、関係者の 間では象徴的に語られている。しかし、そ れらの要因は、住民に対する事前アナウン スと、現場オフィシャルへの指示内容に違 いがあったことや、ドキュメントの不備に より起きてしまった事態のようだ。 こうした問題の解決は、公道を使うラリ ー競技では、国内のどのレベルにおいても
主催時の基本事項として捉えられている。 つまり、事前の準備や、情報を共有ながら 指揮系統をしっかり整理することで、未然 に防げる事態であると言えるだろう。 今大会には、大きく分けて3種類の運営 の立場が存在した。興行として成立させる 運営サイド、ラリーとして成立させる競技 主催者、そして開催地域を地元とするラリ ーオフィシャルたち。今大会には、それぞ れが重ねた経験を元に運営に挑んだが、初 開催から有機的に結び付くことができず、 組織として機能していなかったことが原因 の一つだと考えるのは穿ち過ぎだろうか。 ラリー開催までの準備期間が短かったこ とも一因だろうが、今大会で課題が見えて きたことは、むしろ好意的に考えるべき。 開催まで1年を切っているが、ここからの 巻き返しに大きな期待が寄せられる。
過去の「ラリージャパン」を成功に導いた 経験者らを含めて「ONE TEAM」として取 り組み、問題の洗い出しや善後策の構築を 重ねていけば、ラリージャパン“第二章”が より良い形で実現できるはずだ。
するワークショップなど多岐に渡る。 このような型通りではない研修を行う理 由は、例えボランティアでも、観客と直接 触れ合う人々の対応がしっかりしていない と、イベントの成功がおぼつかなくなるこ とを理解しているからだろう。 WRC開催でここまでの取り組みが必要 かどうかは議論の余地があるが、ボランテ ィアオフィシャルの養成と質の確保は、待 遇面も含めて、性急な検討課題だろう。
帰ることができた背景には、ボランティア スタッフの力があったと言われている。 何万人もの観客に対して、笑顔を絶やさ ずにハイタッチで会場から送り出し続けた 彼らの姿には、欠してスムーズではない混 雑した状況を強いられたとしても、違った 感動を覚えた人も多かったことだろう。 2020年に開催される東京オリンピック・ パラリンピックを例に挙げると、ボランテ ィアスタッフの研修が実施されており、内 容は大会概要やオリンピック・パラリンピ ックの歴史に始まり、ボランティアの役割 や意義の教育、ダイバーシティや障害に関
情報共有と指揮系統の整理 日本が「ONE TEAM」で挑む!
常識を覆すステージの登場に、参加選手一同、驚きの表情を見せていた。 明智町内の下りの林道と緩い上りの市道を組み合わせた明 智ステージ。全体で約4kmというショートステージながら、 市道部分の特別観戦エリアには多くの観客が詰めかけた。 今大会には翌年の開催を見据えてWRCドライバーがレッ キに訪れていた。WRC最終戦オーストラリアに合わせた来 日だったが、WRC最終戦は山林火災の影響で中止に……。 WRCではSS出走前にウォームアップ行為が行われてい る。これらWRCでは”常識”である行為が日本でどこまで 正しく受け入れられるかどうか。対策と周知活動に期待だ。 明智ステージは同日開催された「L1ラリー in 恵那 2019」 と観戦エリアを共用した。ギャラリーは自家用車を明智小 学校などに駐車し、そこからシャトルバスで移動していた。 ヘッドクオーター周辺では年内4回目と なる「JAFラリー競技における救急活動 訓練」を開催。今大会のレスキューマー シャルを対象に実車を使った緊急時の救 出訓練が行われた。FIA WRCメディカル デリゲート、アジア・オセアニア担当のエ リック・ハーゲン氏が講義を担当。 41
レース展開も”刺激的”だった夢の交流戦 バトルが各所で勃発!シンプルな駆け引きが観客を魅了した 富 士スピードウェイを舞台に、11 月22~24日、日本のスーパー GT500クラスとDTMマシンに よる特別交流戦が行われた。 ドイツのDTM側では残念ながらアストン マーチン勢が不参加となったが、アウディ から4台、BMWから3台、合わせて7台の DTM車両が参加。日本のスーパーGTを戦 うGT500車両の15台と合わせて22台によ るレースが行われている。 今大会の基本フォーマットは、スーパー GTではなくDTMを踏襲して実施。土曜、 日曜とも午前中に予選が行われ、午後から 55分+1周というスプリントの決勝レース が行われた。また、スーパーGTは装着タ イヤがマルチメイクだが、この交流戦では DTMで使用されているハンコックタイヤ
も、大きく違う性質を持つハンコックタイ ヤに合わせたセットアップを見付けること ができず、上位進出はならなかった。 また、DTM勢はシリーズ中の一戦という ことで、前車をオーバーテイクするための DRSやプッシュ・トゥ・パスと言ったシス テムを使用できたが、日本勢の車両にはも ともとそうしたシステムがない。そのため、 後方から迫るクルマに対しての防御も難し い状況だったと言っていいだろう。 そして、DTMが各車一人のドライバーで 戦っているのに対して、レクサスと日産が 二人のドライバーでシェアしていたことも、 各ドライバーの走行時間の欠如を招き、結 果を厳しいものにしたとも言える。 富士スピードウェイでは スーパーGT寄りのルールも ホッケンハイムでのレースを参考にして、 今回の交流戦では、両者の力をさらに拮抗 させる施策が採られていた。 まずレースウィークの木曜から、日本チ SUPER GT×DTM特 特別交流戦 11.22-11.24 International Race 明日への挑戦 42
を、全車が装着することになっていた。 DTMシーズン最終戦では 日本勢が苦労の連続 この交流戦に先立つこと1か月半。DTM シリーズ最終戦・ホッケンハイムには、日 本から3台のGT500車両が参加している。 スーパーGTがまだシリーズ中だったため、 ドイツに持ち込まれたのは、レクサスと日 産、ホンダそれぞれのテスト車両だった。 ドライバーはレクサスが平川亮選手とニ ック・キャシディ選手、日産がロニー・ク インタレッリ選手と松田次生選手、そして ジェンソン・バトン選手が参加している。 だが、このDTM最終戦の週末は、天候 が不安定だったこともあり日本勢は大苦戦 を強いられてしまう。ドライでもレインで
ームに対してはDTM勢の2倍となるテスト セッションを設定。タイヤのセット数も、 日本勢がほぼ2倍。ほとんどのドライバー が未経験だったハンコックタイヤに、日本 勢ができるだけ慣れることができるような 配慮がなされていた。
また、こちらは事前に決まっていたこと だが、富士の交流戦ではDRSとプッシュ・ トゥ・パスの使用が禁止されている。
ただし、もともとの車両規定が完全に一 致していないため、空力の開発にまだ自由
レース2で見せ付けられた 観客の心を揺さぶるレース
さて、こうした条件の元で行われた特別 交流戦だが、結果として観客席は大いに盛 り上がることとなった。 特に、レース2の最終ラップでBMWの マルコ・ウィットマン選手とアウディのデ ュバル選手が演じた"体当たりバトル"によ って、スタンドからも地鳴りのようなどよ めきが上がった。最終区間の2つのコーナ ーで、この2人は相手を飛ばすことなく、 お互いにサイドをぶつけながら抜きつ抜か れつを展開したのだ。
こうしたバトルは近年の国内の大きなレ ースシーンではあまり目にしないものでも ある。ドライバー間では同士討ちを避ける 要素もあり、余程のことがない限り、接触
ームに多大なコストがのし掛かるという懐 事情もある。 しかし、グランドスタンドの観客をあの ように激しくどよめかせた最終ラップのバ トルを見せつけられたことで、観客の心を 揺さぶるレースというのはまた別のものな のではないか、そんなことを考えさせられ
ト直後に、ポールポジションスタートだっ たアウディのロイック・デュバル選手が、 後続のホンダNSX-GT勢に次々とかわされ てしまっていたことを見ても明らかだ。
SUPER GT×DTM特 特別交流戦 2019年11月22 〜 24日/富士スピードウェイ 主催:(株)GTアソシエイション、 富士スピードウェイ(株)、FISCO-C 11.22-11.24 International Race フォト/石原康、DTM/ITR GmbH、JAFスポーツ編集部 レポート/貝島由美子、JAFスポーツ編集部 日本が先に採用しており、レクサスやホン ダはプレチャンバー(副燃焼室)を搭載した エンジンを使用している。それを持たない ドイツ勢のエンジンは、特にコーナー立ち 上がりで日本勢に及ばない印象だった。 これは日曜に行われたレース2のスター
度が残されている日本勢が、ダウンフォー スという意味では有利とも言えるだろう。
また、2リッター4気筒ターボエンジンも
るシーンだった。 これに対して、日本勢がバトルの際に弱 さを露呈した部分もある。来季からGT500 車両が新車となり、この交流戦が現行車両 最後のレースだった影響もあるかも知れな いが、日曜のレース2では計8台もの日本 車がバトル中の接触により姿を消した。も ちろん、レースアクシデントではあるのだ が、同じ集団の中で、DTM車両全7台がレ ースを走り切っていることを考えれば、運 だけの問題とは言えないように思える。 ドライバーは一人のためスーパーGT名物のドライバー交代はな く、給油作業もなし。タイヤ交換はDTM方式を採用した。 DTM最終戦でも、特別交流戦でも、日本勢にとって鍵となったの はDTMのコントロールタイヤであるハンコックタイヤ。 土曜のレース1はニック・キャシディ選手が優勝。2位は、3位の 山本尚貴選手とNSX同士の接近戦を披露した塚越広大選手。 日曜のレース2はナレイン・カーティケヤン選手が勝利。2位は マルコ・ヴィットマン選手、3位はロイック・デュバル選手。 報道陣も”DTM流”を味わえた特別交流戦。レース後には表彰台を獲得できな かった選手をも集めた「ミックスインタビュー」の時間が設けられた他、参戦チー ム代表を交えた会見が数多く設定され、オープンな質疑応答が行われていた。 してまでのポジション変化はあま り見られない。 前述のように、空力開発がまだ 行われている分、日本の車両は接 触して細かなパーツが失われる と、性能が低下するということも あるだろう。また、接触によって 大きなダメージを受けた場合、チ 43
ているが、もともとダウンフォースを削っ てきているため、少しでもダウンフォース を稼ごうという狙いがあるからだ。
そして、そのクルマを乗りこなせるかど うかはドライバーの腕にかかっている。 当然、バトルに関してもドライバー次第。 ピットからドライバーに無線で指示を与え ることが禁止されていたり、そもそもスタ ート時の最低内圧が決められているタイヤ に関して、レース中に上昇する内圧をコク ピットで確認できないこともあり、ドライ バーは自分の"嗅覚"を最大限に使ってレー スをしなければならないのだ。
レースのスタートやリスタート時に、全 車が前後左右の感覚をギリギリまで縮めて 一気に発進する“インディスタート”では、 ドライバーたちの技量が大きく試されると いう事実は、富士スピードウェイに来場し た観客も、肌で感じているはずだ。
インファクターであり、かなり固
それぞれのレース哲学 DTMはドライバーの腕頼み DTMにもいろいろな面があるだろう。 日本の立場で見れば、スーパーGTが採用 するタイヤのマルチメイクがレースを盛り 上げているという側面や、GT300の存在が レースを面白くしているという側面もある。 だが、DTM側にはDTM側で、メーカーの 思惑だけでなく、レースに対する独自の哲 学やドライバーに求めるものがある。 クルマやタイヤ以上に、それを操るドラ イバーの能力を競わせているというのが、 まずは大きな違いとして挙げられる。 クルマのパーツはほぼ共通化されており、 足回りのセットアップも大きく変更はでき ない。またワンメイクタイヤのハンコック に合わせて、全体的に柔らかなスプリング やダンパーが使われており、アシの動きを 活かすために車高も日本より高い。 特に、リアの車高が高くレーキ角が付い
スタート時はスーパーGTのローリングスタートが採用されたが、リス タート時には、DTM名物となりつつある、2列縦隊を保ちながら再スター トに備える「インディカー方式」と呼ばれる方法を採用。日本勢にとって 不慣れなこの方法も、リスタートの度に習熟が進んで隊列の間隔が詰ま り、観客にとっては手に汗握る瞬間が幾度も訪れることになった。 ホッケンハイムに続いて、富士スピードウェイでも特別交流戦が開催 されたことで、念願の相互交流が実現した。 いかにトラフィックの中でタイムロスしな いかという走りが、バトル以上に求められ る。もちろん、それはそれで容易ではなく、 職人芸のような走りと評することもできる。 もちろん、ピットタイミングやピット作 業も勝敗の鍵を握っているが、観客の目線 に立てば、現在起きていることに対して相 対的なデータや判断が必要となるため、分 かりにくいと感じる部分もあるはずだ。も ちろんそれは「セミ耐久」というスーパーGT シリーズの特徴の一つでもあるのだが。 今回の特別交流戦では、これまで長きに 渡って構築されてきたスーパーGTのイメ ージに風穴を開けるようなシーンが見られ た。スーパーGTが国内ハコ車レースの最 高峰であることには変わりはない。今後さ らにスーパーGTが面白くなるアイデアの 一端は、今回の特別交流戦に数多く含まれ ていたと言えるのではないか。 SUPER GT×DTM特特特特特 特別交流戦 11.22-11.24 International Race 明日への挑戦 44
そして、日本ではタイヤがメ
めた足回りに、どのタイヤを装 着するかで、各レースのパフォ ーマンスが決まってくる状況と も言える。 GT500車両は「まるでフォー ミュラカーのよう」とはよく言わ れること。そのクルマで、いか にタイヤをうまく保たせるか、
なるであろうという印象が拭えない。 そこで筑波競技経験者、つまりD1グラ ンプリを戦うドライバーに直撃してみた。
すよね。だから、僕らが気を抜くとヤバイ っていう思いはありますよ」と、優位性云々
“ドリフト世界一決定戦”が「筑波」に! 3 年目にして、有名シリーズの実力者たちがついに直接対決! FIA Intercontinental Drifting Cup 2019年11月29日〜12月1日/筑波サーキット 主催:FISCO-C、(株)サンプロス 11.29-12.01 International Drifting フォト/堤晋一、JAFスポーツ編集部 レポート/深澤誠人、JAFスポーツ編集部 世 界で唯一のFIA公認ドリフト競 技「FIAインターコンチネンタ ル・ドリフティング・カップ (FIA IDC)」は、3回目で転機を迎えた。 それは、過去2回で開催された東京・台 場から、茨城県の筑波サーキットコース 2000へ舞台を移したことで、今回は新た なフィールドでのチャレンジとなった。 各国のトップ選手が一堂に会する「ドリフ ト世界一決定戦」という枠組みは変わらない が、筑波サーキットに舞台を移したことで、 現地ではイベント自体の印象が大きく変化 したようにも感じた。FIA IDCが第3回目に して挑んだ新たな取り組みについて、まず は選手や関係者の意見をまとめてみた。 コース習熟が勝負を分ける!? ドライバーの本音は「NO」 サーキットのような常設コースとなると、 コースを経験している者にとっては、周囲 の景色を含めた「慣れ」が生じるため、コー ス未経験者に比べると、どうしても有利に
D1チャンピオン経験者で第1回FIA IDC ウィナーの川畑真人選手の言葉を借りれば 「それは多少なりともあるとは思いますが、 各国のトップ選手なら、3日間あればみんな 合わせて来ちゃいますよね」とのこと。 今季のD1グランプリで連覇を果たした 横井昌志選手は「うまい選手はすぐ慣れます し、今回もみんなは上手に走れてる印象で よりも各選手のスキルの方が重要である、 という認識を示してくれた。 一方、海外ドライバーもほぼ同様の見解 で「金曜からの練習走行で十分に対応でき る」という意見で占められていた。 そもそも各国のドリフトイベントは特設 コースが多いため、初見のレイアウトへの 対応力が常に要求されており、それは筑波 に集結した各国のトップドライバー達にと 第3回FIA IDCには17の国と地域から25名が参戦。当日は24名のドライバーが出走した。 45
っては当たり前のスキルであったという。 ただし、アジア勢のドライバーの数名が 指摘したのは「筑波の、特に1コーナーへ向 けた速度域については経験がない」という 点。そのため、自国で使うマシンではなく、 高い速度域に対応できるマシンを持ち込ん だ選手もいたが、「アジャストできるので問 題はない」という見解だった。 第3回のFIA IDCは、各国のシーズン終 了後に開催されたことから、過去2回は自 国のシーズン中のため参加できなかった、 各国のトップ選手が今回は参戦していた。 彼らの見解は、これらの証とも言えた。
め、観客席から競技区間全体を一望できる というメリットもある。デメリットは、コン パクトであるがゆえに速度が低いレイアウ トにならざるを得ない点だろうか。 サーキットに代表される常設コースのメ リットは、安全に対する設備が充実してい ることから、速度の高い迫力のドリフトを 可能にする。観客席も常設されているため、 安全で確実に観戦できる点も挙げられる。 反面、競技区間をすべて見渡すことが難 しいコースが多いだろう。仮設スタンドの 追加等で対応できれば良いが、それも不可 能なコースでは、どうしても肉眼による観 戦エリアの範囲は限られてしまう。
そうした観点から今回の会場である筑波 サーキットをチェックすると、競技区間に 観客席が少なかったことが挙げられる。 審査区間のフィニッシュは第1ヘアピン の立ち上がりに設定され、追走における「1 ヘア」のスタンドは大いに盛り上がった。一 方で、ハイスピードで進入してくる1コー ナーからS字までの区間の様子は、グラン
特設コースと常設コース サーキット開催の難しさ ドリフトは数あるモータースポーツの中 でも、エンターテインメント性が高く問わ れる競技で、観客の満足度を高めることも、 ドリフト競技を整備・拡大する過程におい て重要なポイントとして捉えられている。 特設コースと常設コース最大の差は、そ のコースのサイズだ。特設コースはそもそ も衆目を集めやすいエリアでの開催を前提 としているため、レイアウトを自由に設定 できるものの、敷地自体はコンパクトであ ることが多い。対して、コースを囲むよう な仮設スタンドを整備することも容易いた
ドスタンドからも1ヘアからも肉眼では見
による撮影映像で対応しており、常設コース の不利な部分をカバーしていたと言える。 また、トラブル時の対応についても、常 設コースならイベント開催に長けた百戦錬 磨のコースマーシャルを招聘することが容 易く、今回の筑波サーキットでもコースオ フする車両が続出したが、スムーズに車両 排除やコース清掃が行われていた印象だ。 主催者や運営側にとって常設コースでド リフト競技を開催するメリットや、第3回 の舞台として筑波を選んだ理由などを、 FISCOクラブと共催している株式会社サン プロスの齋田功代表に直撃してみた。 齋田氏曰く、もっとも大きな違いはコー ス設営、観客席の設営といった「特設」の手 間の一切がなくなることであるという。 中でも特設スタンドやコースサイドのコ ンクリートウオールの設置、各チームのピ 1コーナーや第1ヘアピンではアウト側へのコースアウト が続出。筑波の熟練マーシャルが迅速に対応した。 追走トーナメント前には参加車両をストレートに並べてグ リッドウォークを実施。ファンとの交流が図られた。 筑波サーキットのFIA IDC審査区間 最終コーナー中盤からスタートして、ストレートで2箇 所のシケインを経て1コーナーに進入。S字から第1ヘ アピンに入る筑波らしいセクションを通過して、ヘアピ ン立ち上がりでフィニッシュという設定。インクリップ は3箇所、アウトゾーンは6箇所に設けられた。 ピット上の観覧席にスポッター席を設置。大型モニターを 据えてコース全体を把握できるようになっていた。 決勝では大会名誉顧問の土屋圭市氏がそれぞれのバトル を講評。微妙な判定には的確な解釈をしてくれていた。 大会は2年連続でゲオルギィ・チフチャン選手が優勝。2 位は藤野秀之選手、3位はアンドリュー・グレイ選手。 FIA Intercontinental Drifting Cup 11.29-12.01 International Drifting 明日への挑戦 46
えない状況となっていた。 しかしこれについては、1ヘアのイン側に 大型モニタを設置したり、S字区間はドローン
ットや電源、トイレ、そして消防署の安全 確認や各種許認可などなど、特設コースで の開催は、コースの設営だけで膨大な手間 とコストが必要なのだという。
特に日本では、仮設施設への法規制がし っかりしているため、仮設スタンド先進国 の北米や欧州に比べると、コスト面では圧 倒的に不利になるという。ビジネス面にお いては、日本での仮設コース設営はかなり 厳しいというのが現状ということだ。 対する常設コースのメリットは、上記の 特設コースとの対義とも言える。JAF公認コ ースを使用する限り、コースのセーフティ 要素は実証済みという点。競技オフィシャ ルのうちコースマーシャルについても、筑 波には歴戦の優秀な人材が居るため、人数 や質の両面で問題がなかったという。
また「常設コースはドリフトの速度域が高 くなるため、観客にとって大きな魅力にな るはず」と齋田氏は強調。ドリフト競技の高 速化と常設コースでの開催は、そうした意 味でも相性は良いということだ。 筑波大会で垣間見えた ドリフト競技の可能性
さて、第3回FIA IDCはどのようなイベ ントだったのか。現場を訪れた観客という 目線を基本に検証してみよう。
入場券を手にして観客エリアに入ったギ ャラリー。モータースポーツ観戦の経験者 ならば驚いたことだろう。選手と競技車両、 観客の間には”壁”がなく、同じ平面を共有 していたからだ。1000馬力クラスのエンジ ンが始動し、ゆるゆると走り出すシーンを 間近で見られたわけだが、これは意図的な ファンサービスと捉えて良いだろう。
ドリフトの世界では、出走に必要な時間 以外は観客の前に出ずっぱりでファンサー ビスに務める選手が多い。世界的に人気の 高い「マッド・マイク」ことマイケル・ウィ デット選手も、写真撮影とサインのリクエ ストに終始応えていた。このようにファン が選手と触れ合えやすい環境は、新たなエ ンターテインメントとしては有益なものだ。 ドリフトを新しいモータースポーツのカ タチとして先行開発していくにしても、安 全が確保されていることが前提だ。しかし、 スタッフの配置で競技車両動線の安全を確
んです。FD3Sを選んだのは、これが僕のドリームカーだから。イニシャルDで“啓介”が乗ってるクルマで、 ずっと乗りたかった。それにここは『ツクバ』でしょ? イニシャルDにも出てくる地名のコースで走れるなん て光栄です。え、あの山が『ツクバサン』なの? そうなんですか!」(13位/決勝追走1回戦で敗退)
ツンクー・ジャン・レイ (テングー・ジャン)選手 E92 BMW M3 TEAM:Sailun Motorsports 「筑波は初めてです。他の大会よりアウトクリップが多くて難しかったです。普段はフットボールスタジアムの ような特設会場が多いですから。でも自分はGTカーやツーリングカーでレースもしていて、速度については慣 れてます。FIA IDCの参戦手続きはチーム(SAILUNタイヤ)が全てをやってくれました。今回はドライバーの顔 ぶれが凄いですね。決勝の1回戦はマッド・マイク選手と当たるんですよ。どうしろって言うんですか(笑)。タ イヤはドリフト用に開発されたもので、とても強いタイヤです。耐久性も良くて、筑波でも6ラップはいけます。 2020年にはきっとD1にも出てくると思いますよ」(7位/決勝トーナメント2回戦で敗退) マイケル・ウィデット (マッド・マイク)選手 FD3S RX-7 TEAM:Red Bull/Mazda/TOYO Tires 「一番好きなポイントは1コーナーの進入。予選では進入速度が高すぎてアンダーステア出しちゃったけど、あ そこは面白いね。トリッキーなのはアウトゾーン2~3、3~4の辺り。追走だと前走のスモークで視界がなく なるから余計に難しいね。ここは確かに速いコースだけど、ニュージーランドだと200km/hオーバーからの進 入があるんだ。『にひゃく』だよ。だから筑波の185km/hの進入は大して速くない(笑)。ドリフトが、FIAという 世界最高のモータースポーツ組織から信頼を得て、こんな大会が開催されること自体が素晴らしいと思う。こ れだけ凄いドライバーたちが世界中から集まったんだからね」(10位/決勝追走1回戦で敗退) ザニル・サタール選手 ER34スカイライン TEAM:ATCM-Mozambique 「自分はモザンビークと南アフリカ のチャンピオンですが、このような高いレベルの大会には初参加です。今回はこのスカイラインを積んだ船が 遅れて、金曜の練習走行は自分のクルマで走れず、土曜がぶっつけ本番になりました。本来の走りができず、 40%くらいの状態と言えるでしょう。アジャストしながらのドライビングなので、まだ流れるようなドライビン グになっていないんです。自分のクルマがどう動くか正確にわからないので、追走で他のクルマに合わせてい くのが本当に大変です……。敗者復活で破れたのは残念だけど、フェアでレベルの高い戦いに参加させてもら えて感謝してます。ありがとう」(18位/敗者復活追走2回戦で敗退) モザンビーク ニュージーランド シジュン・チャオ選手 FD3S RX-7 TEAM:T1 Racing with RYDA NZ TIRES 「このサイズのコースも速度域も初体験です。普段はもっと小さな、最高速140 ~ 150km/hくらい……『オダイ バ』みたいなコースを走ってます。今回のゾーン設定はトリッキーでしたが、このクルマはグリップが高いので
中国 マレーシア 47
保できるのであれば、ファンと選手や車両 が近接した状況は、今後の新たなあり方を 示すことになるのではないだろうか。
より難しくなってるかもしれません。FD3Sに2JZを載せてますが、自分の国だとロータリーのメンテが難しい
従来型のパスコントロールで『隔離』する のではなく、緩やかに共存する『低くやわら かな壁』の提案。そう好意的に解釈したくな るくらい、筑波サーキットのパドックには 観客たちの笑顔が充満していた。
全体を見渡せない状況こそ 審査結果の解説が活きる
競技の面ではどうだったのだろうか。審 査区間に設けられたアウトゾーンやインク リップについては、横井選手に言わせると 「筑波をカッコ良くドリフトさせると、必然 的にそこを走るライン」だったため、選手の 実力が本番で反映されていれば、単走では 自然と魅せる走りとなり、ジャッジの点数 も高いものとなっていた。 しかし、追走トーナメントが始まると様 相が一変した。観客席から視認しにくいポ イントで発生した、コースアウトやライン
追走の前には両車のウォームアップ走行 が行われるのだが、審査の待ち時間を経て、 結果が発表されて、次の対戦が1台ずつウ ォームアップを始めるという流れを堅持し たため、肝心の追走が始まるまでに、やや 間延びしてしまっていた。審査時間をウォ ームアップに充てて時間短縮を図るなど、 一考してほしい要素も散見されていた。
筑波サーキットは、コース幅が広く、競 技区間も長かったため、車両の動きや位置 関係を目視で確認することは難しかったと 思われる。そのため、審査はコース据え置 きの管制映像や、各所に配置したムービー カメラの映像頼りにならざるを得ない。
今回のスポッター席はピット上の観覧席 に設置されていたが、1コーナーの進入以降 を肉眼で視認することは困難だったため、 こちらもカメラ映像頼りとなっていた。こ れらの環境も、追走時の審査を難しくした 一因だったのではなかろうか。 そして、観戦する立場を想定した場合、
らこそ、トップ選手同士の微妙な対戦の審 査ができたわけで、その理由については、 彼らの深い知見と共に披露して欲しかった。 ドリフト競技は、選手と観客が分かりや すく一体になれるモータースポーツだ。見 ている側が競技の本質をその場で理解でき るようになると、目の肥えた観客も納得で きるし現場の一体感も増すものだ。そして、 それがドリフトの良さであり、世界的に注 目されている理由でもある。審査に関する 分かりやすいアナウンスがあれば、さらな る層の拡大にも繋がっていくはずだ。
筑波サーキットに場を移して開催された 第3回FIA IDCは、競技進行でいくつか課 題を残したものの、スポーツそしてエンタ ーテインメントの両面において、今後の可 能性を感じさせるものだった。残された課 題についても、ハードウェアや運営プロセ スの見直しで解決可能なものがほとんどだ。 世界で唯一の「ドリフト世界一決定戦」で あるFIA IDCは、3回目でサーキット開催を 経験したことで、今後は開催場所を選ばず 展開できる貴重な施行データを得たに違い
のミス、ゾーン通過、ドリフトの戻りなど が厳しく審査されるため、その度に競技進 行が止まってしまったのだ。 厳正かつ公平な審査がなされることは採 点競技では最重要課題であり、遵守される べき要素なのだが、競技が止まる=観客の 待ち時間が長くなることは、エンターテイ ンメントとしては厳しいものとなる。 今回、FIA IDCでは初めて敗者復活戦が 追走トーナメント形式で行われたが、審査 やコースアウト、車両トラブルが続発した ため、敗者復活戦が日没により中断。翌日 に繰り越す事態となった。また、翌、日曜 の決勝トーナメントでも似た状況となり、 長い待ち時間が生じてしまった。
強く残念に感じたことは、この審査に関す るアナウンスが少なかったことだ。 今回の審判員も各国シリーズで長い経験 を積んだトップクラスが担当していた。そ んな手練れた審判員が厳しい眼を注いだか
ない。FIA IDCはまだまだ試金石。ドリフト が世界に通用するモータースポーツとして 育っていく過程を、発祥国であるこの日本 で、引き続き見届けたいものだ。 FIA Intercontinental Drifting Cup 11.29-12.01 International Drifting 明日への挑戦 今回のFIA IDCのためにGRスープラにV8エンジンを換 装して挑んだ初代王者・川畑真人選手だったが、熟成が 間に合わす本領発揮とはならなかった。若手期待の小橋 正典選手も車両トラブルに見舞われながら敗者復活戦を 勝ち抜けたが決勝では1回戦敗退。日本人最上位は藤野 秀之選手だったが、最終局面でマシントラブル。出走半 ばでゴーチャ選手に勝利を譲ることになった。 FIA IDCを連覇した「ゴーチャ」ことゲオルギィ・チ フチャン選手。大応援団の声援と共に、ロシアンドリ フトシリーズ(RDS)勢の実力の高さを見せ付けた。 48
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C V T ラリーカーを 新設クラスで、開幕ターゲットに据えた 8 連勝。 C V T マイスターが、その実力を、 まざまざと見せつけた 全日本ラリー選手権JN6ドライバーチャンピオン大倉聡選手/JN6ナビゲーターチャンピオン豊田耕司選手/ 全日本ラリー選手権JN3ドライバーチャンピオン山本悠太選手/JN3ナビゲーターチャンピオン山本磨美選手/全日本ラリー選手権JN2ナビゲーターチャンピオン安藤裕一選手 が、ラリーの難しさをまた痛感しました」。 最後まで攻め続けたのには、もちろん理 由がある。チームが毎回、どこかしら進化 を遂げたマシンを投入してくれたからだ。 くサービスに帰ってこ れる時もあれば、そん なに攻めていないの に、いきなりクラッシ ュしてクルマをグシャ グシャにすることもあ る」のがラリーだ、と 大倉選手は言う。 「実際、今季の最終戦 はスピンして止まった んですけど、エンジン がかからなくて、どこ も壊れていないのに最 後はヒューズが飛んで リタイアしたんです。 全勝を目指していたチ ームには申し訳ないこ とをしてしまいました 開 幕から8連勝。 しかも、その 勝ちっぷりも、 LEG1のセクション1で ベストを連発してトップ に立つと、その後もハイ ペースを維持して大差で 逃げ切る横綱相撲を毎回、見せつけた大倉 選手。さぞや楽勝、と思いきや、「勝因は運 が良かったことです」と言う。 「どんなに危ない目に逢っても、傷一つな 全日本ラリー J N 6 ドライバー 聡 高山自動車短期大学時代に、授業の一環である W R C のサービスチームに参加し、ラリーの虜に。全日本ラリー でインプレッサ、スターレットターボ等を乗り継ぎ、 2015 年から T O Y O T A G A Z O O R a c i n g の ドライバーを務めた。 A P R C チャンピオン保井隆宏選 手は高短の同級生。 1981 年、神奈川県生まれ。 50
です。それが横手では 駆動系が進化したこと で、普通に上りを攻め ただけでポンとタイム
が出せたんです。MTと勝負できるレベルに なったと思いました」 ヴィッツCVT車はTOYOTA GAZOO Racing時代の2017年からドライブする。 2018年に新設されたチームアイシンAWで も引き続き、ヴィッツCVTを乗りこなし、 開発にも携わった。 「走り切らなければいけない、というプレ ッシャーは正直、きつかったです。絶対、 勝ってこいと言われる方がまだ楽でした (笑)。でもGAZOOさんにお世話になって から、自分のことより、チームにいい思い をさせてあげたいと自然に思えるようにな ったんです。チームのために走るモチベー ションは、個人のそれとは桁が違うくらい の達成感を与えてくれるんですよ。それは 今も変わりません」 2020年は地元で「ラリー・ジャパン」がある。 「ドライバーとして走りたい気持ちはあり ますが、開催をきっかけに業界が活気づい ていくと思うので、どんな形でもいいから そうした動きに関わりたい。これからは
徐々にバックアップする側に軸足を移すか もしれませんが、今まで通り、“ラリーのあ る生活”を続けていきたいと、思っていま す」。
技術者の意地を感じた 豊田耕司選手 7歳年下の大倉選手からは、“父(とう)ち ゃん”と慕われる豊田選手も、初タイトルに 輝いた。大倉選手と同じく、LUCKチーム の母体である愛知のモンテカルロオートス ポーツクラブ(MASC)に所属する。MASC に籍を置いてはいるが、十年以上も前から 出身地の北海道に住む。大倉選手とのコン ビは2015年から。それまでは3回しか全日 本は出ていない。フル参戦がいきなりワー クス体制という重責を担った。 「クラブでは僕の方が先輩ですけど、全日 本では彼の方が先輩でしたから、最初は 色々と教えてもらいました。当時のインカ ーを見るとリーディングとか下手くそなん ですけど、運よく2016年の2戦目で初優勝 できた。大きなチームだったので、一つ結 果を出せて良かったという安心感がありま したね」
2017年からはヴィッツCVTのサイドシ ートを得たが、戸惑いの連続だったという。 「MTの場合はノートを見たままでもシフト アップやダウンが音で分かるんですけど、 CVT車は音が一定なんで判断する感覚が違 う。最初は何度も顔を上げて確認しました」 しかし、そのCVTが逆にチームに溶け 込むきっかけを作ってくれた、という。 「私は技術者なんですけど、実は本業でや ってることと、CVTの技術がリンクすること が多かったんですね。開発に携わったわけ ではないですが、理解できることが多くて楽 しかったです。“技術者の意地”を分かち合え たことがモチベーションにもなりましたね」。 全日本の頂点への道のりは、怒涛の4年 間だったと最後に振り返った。 「遅く走っても意味がない、のがある意味、 ワークスチームですよね。変なミスはでき ない、というプレッシャーは常にありまし た。でも大倉君が本当にチャンピオンの名 に恥じない走りをしてくれたのが何より嬉 しい。完走を義務付けられる中で距離を走 り込んだことが速さをもたらしたと思いま す。このような機会を与えてくれたアイシ ンAW、LUCK、TOYOTA GAZOO Racingの各チームそして応援してくれた 人々、家族に感謝したいと思います」。
全日本ラリー選手権JN6ドライバーチャンピオン大倉聡選手/JN6ナビゲーターチャンピオン豊田耕司選手/ 全日本ラリー選手権JN3ドライバーチャンピオン山本悠太選手/JN3ナビゲーターチャンピオン山本磨美選手/全日本ラリー選手権JN2ナビゲーターチャンピオン安藤裕一選手 フォト/中島正義、谷内寿隆、加藤和由 レポート/JAFスポーツ編集部
「うちのチームのデータ分析力って凄いん ですよ。必ず次のラリーで、分析した結果 をフィードバックしてくる。だから、その改 良の成果をタイムという形で証明しなけれ ばならない。僕のドライビングも、いつも 丸裸にされるので、手を抜けないんです」。 チャンピオンを確定させた第7戦横手ラリ ーは特に印象に残るラリーになったという。 「CVTは長所もありますが、パワーも喰わ れて熱的にも厳しいし、重い。特に上りは 厳しいので下りはいつもギリギリ攻めてたん
全日本ラリー J N 6 ナビゲーター 豊田耕司 学生時代からドライバー、ナビゲーターとしてラリ ーに親しみ、就職後は、中部地区のラリーに参戦。 2013 年、ラリー北海道で全日本ラリー初参戦。 2015 年の第 8 戦より、クラブの後輩である大倉選 手とコンビを組む。出身地である北海道から全日本を追った。現在は温泉で知られる登別市在住。 「2019年は特にグラベルラリーでの速さが格段に上がった。 ラリー北海道の走りは本当に楽しかった」と豊田選手も評す る大倉選手の走り。CVTの可能性を垣間見せてくれた。 51
ダートラ出身ながら、前半戦の 最後まで手綱を緩めないターマックラリーで独走。 ともに初の栄冠を獲得スピードを見せて、 その唐津では、久しぶりに限界を超えた 走りをした、と振り返った。最終SS、突然 の降雨の中、総合5番手という驚異的なタ イムを叩き出して、ライバルを振り切った。 「絶対、勝ちたかったので、リスクより勝 ちたいという気持ちを優先させました。シ リーズ前半で勝ち星を稼いで、グラベルが 増える後半戦を楽に走りたかったんです。 ダートラをやっていた時に、勝ち続ける 内に何もしなくても勝てるリズムを作れた というのがあったんです。“マリオのスター ” みたいに(笑)、負ける気がしないというか。 早く勝ちグセをつけたかったんです」。 しかし続く久万高原ではクルマをヒット させてパンクしたことが響き、5位に終わる。 「流れが切れたかと思ったけど、久万高原 はセッティングを合わせきれなかったから、 ああなったんだと自分に言い訳ができたん です。気持ちをリセットして臨んだモント 2 013年、若干23歳の若さで全日本 ダートトライアル選手権のチャン ピオンに輝いた山本悠太選手は、 2019年、全日本ラリーのタイトルを初めて 獲得した。ラリーに転向して4年目での“ダ ブルチャンピオン”。2019年は8戦6勝と強 さを見せつけ、本格参戦3年目でタイトル を射止めた。20代ギリギリで間に合った通 算3度目の全日本タイトル獲得だ。 「今季はレグ別ポイントもほとんど獲れた
は第2戦からの参戦。因縁の新城がその舞 台だった。 「前年のトラウマが残ってなかったかと言 うと、微妙で。凄く中途半端な負け方をし たラリーだったので、ここで勝てたことで、 引きずっていたものを払拭できた感じはあ
全日本ラリー J N 3 ドライバー 山本悠太 全日本ラリー J N 3 ナビゲーター 山本磨美 10 代の頃より、ダートラを始め、 D C 2 インテグラ で 2013 、 2014 2 年連続で全日本ダート トライアル選手権チャンピオン。 2016 年より K ‐o n e R a c i n g T e a m のワークスドライバーと 2 戦目で 初優勝を飾った。 1990 年、愛知県生まれ。 大学在学中より、 J M R C 中部シリーズ、 J A F 中部近畿 ラリー選手権にナビゲーターとして参戦。 2015 M C S C ハイランドマスターズで全日本ラリー選手権デビ ューウィンを飾る。 2017 年から全日本ラリーに本格参 戦。全日本通算 9 勝と高い勝率を誇る。大阪府生まれ。 たのが大きかったと思います。新城で2位 だったら次の唐津も勝てなかったかもしれ ない」。 52
し、納得できる内容は残せました。でも、2 年続けてシリーズ2位を獲ってのチャンピ オンなので、もっと早く獲りたかった、とい うのが正直なところです」。 2018年は苦い思い出が刻まれる一年とな った。最終戦新城ラリーで最終SSの前まで チャンピオンを手中に収めながら、最後の 最後で関根正人選手に逆転を許し、0.7ポイ ント差でタイトルを逸したからだ。2019年
りました。色んな意味で今季は最初で勝て
レーも大変なラリーでしたが、何とか勝て た。流れを戻せたと思いました」。
そして、続くカムイ、横手とグラベルラ リーを連勝して、完全に独走態勢を築いた。
ダートラチャンピオンだから、グラベル はお手の物だろうと周囲は思いがちだが、 本人は、まだ林道には慣れないという。 「そもそもグラベルの質が違いますから、 ダートラの経験が生かせるとは思わなかっ たですね。ある程度のレベルに上がった時 に、限界域でのコントロール性でダートラ やってて良かったとは思いましたが、今で も毎戦、綱渡りのような感じで走ってます」。
ラリードライバーへ“脱皮”できたのは、 ペースノートの存在が大きかったという。
「最初は林道にどうやって自分の走りを合 わせるかを考えましたが、一時期タイムが 伸び悩んでしまって。それでノートの重要 性に気づいたんです。今はラインをイメー ジできるようなノート作りを心掛けてます が、それができると、怖い思いをしなくて 済むし、タイムも安定してくる。ノートの お陰で以前よりも楽にタイムを出せるよう になりました。
例えば舗装のSSで2回目にタイムが上が るということはあり得ないと思うんですよ。 ノートをちゃんと作れていれば1本目からそ のタイムが出せるはずで、タイム上がった ということはノートが作れてなかったわけで す。今季も何度かそういうことがあったの で、ノートはまだ詰めて行けると思います」。
山本悠太選手は今季は中身より勝利にこ だわった、という。王座というステップを踏 んだ今後は“中身”を詰めていきたいという。 「特にLEG1の遅さはチームの小菅監督に も度々指摘されたので改善したい。このまま 行くとスロースターターのレッテル貼られち ゃうんで(笑)。今季はたしかに抑え過ぎた 所がありました。これからはLEG1であろ うが、勝てる所はしっかり勝って、勝てない SSでも踏ん張る、というラリーの組み立て をやっていきたいと思います」。 ラリードライバーとしての第2章が、さら に輝いたものになることを期待してやまない。 トップの領域を見てみたい 山本磨美選手
2011年に開催された「ラリージャパン」に、 三重県に住む女子大生がボランティア・オフ ィシャルとして参加した。その目的は、キミ・ ライコネン選手をひと目見ることだった。
「F1の頃からライコ ネンのファンだった ので、彼がWRCに 移ったので、私も WRCに“転向”し たんです。何とか会 場で会えないかなと 思って、ホームペー ジを見てみたら、オ フイシャルを募集し ていることを知った ので、こっちの方が 会える確率が高くなると思って(笑)、応募 したんです」。 彼女の念願は見事に叶う。札幌ドームで ギャラリーの誘導を担当したときに、オフ ィシャルによって一瞬、停止を命じられた シトロエンの小窓越しにライコネン選手を しっかりと見届けることができたのだ。彼 はその後、F1に戻ったが、彼女は戻らなか った。ラリーが面白かったからだ。そして その9年後、彼女、山本磨美選手は全日本 ラリーチャンピオンの座を得ることになる。 初ラリーは2012年の中部地区戦。車両 トラブルでリタイアに終わったが、それが かえってラリーにハマるきっかけになった。 「当時は、ラリーやってる選手というだけ で雲の上の人、っていうイメージだったん で、同じ選手という立場になれただけで嬉 しかったんですけど、リタイヤしたら、走 り切りたい気持ちが強くなって、俄然やる 気になってる自分に気付いたんです」 翌年からは地元の中部で開催されるラリ ーに精力的に参戦した彼女は、2015年のハ イランドマスターズで全日本に参戦を果た す。結果は優勝。最高のデビューを飾った。 「ドライバーが山口(清司)さんの横で、当 時はまだSタイヤということもあって、まず 感じたのは“速(はや)っ”ってこと(笑)。地 区戦とこんなにレベルが違うんだと驚きま した。目の前をこなすことで精一杯でした が、やっぱり滅茶苦茶、楽しかった」。 就職した2016年は一旦、活動を縮小す るが、2017年から山口選手のサイドシート に乗り、2019年は山口選手のライバルだっ た山本悠太選手のナビゲーターを務めた。 「ワークスチームですから、チャンピオン を獲らなきゃというプレッシャーはあったの で、シーズンの前にはジムにも通いました。 乗ってるだけでもラリー中に首や腰に負担 を感じていたので、体力がつけばその分、
集中力も上がると思ったんです」
第2戦新城、第3戦唐津と2連勝。最高 のスタートを切るが、第4戦久万高原では 橋の欄干にヒットして下位に沈んだ。 「自分の中ではターニングポイントになっ た一戦でした。やっぱりああいうミスで負 けると、チームや応援してくれる方の雰囲 気も変わるんですよね。こういう思いは二 度としたくないと思った。油断してたわけ じゃないけど、生半可な気持ちじゃダメだ と、改めて気を引き締めたんです。ただ、 勝てるドライバーだと最初から信頼感があ ったので、LEG1で負けても絶対、巻き返せ ると思ってました」。
その言葉通りに、山本コンビはその後、連 勝を重ね、最終戦を待たずに王座を掴んだ。 「シリーズの戦い方は、山口さんと組んだ2 年間で身につけられたと思いますが、今季 は新城で雪が降ったり、ラリー北海道も悪 天候で移動が大変だったりとハプニングが 多かった分、いざという時の動き方は鍛え られました。チームやドライバーに対して、 コ・ドライバーがどこまで言葉で伝えてい いのか、というのは難しい問題なんですが、 その線引きも何となく分かってきた感じが した一年でした」。
この秋、山本磨美選手は勤務先を辞めた。 ラリーを優先する生活を選んだためだ。 「ベテランの方々と話すと、まだ自分には 計り知れないほどの努力が必要と感じます が、トップの人達がやっている領域を見て みたいんです。ラリーをやってる人達と知 り合うと、人生が豊かになる気がするとい うのも、続けたい理由のひとつです。きっ かけが『ラリージャパン』だったので、最終 目標もWRCです」。 若いながらも、しっかり肝の座った彼女 の、ラリーストとしての今後を見守ってい きたい。
LEG1は首位で折り返せなくても、LEG2で早々に逆転して、そのまま逃げ切るという、 勝負強さが際立った一年となった。 53
効6戦そしてグラベルラリーには高い係数 がつくという規定が、眞貝組の先行逃げ切 りを易々とは許さなかったからだ。 シリーズを折り返す第6戦ラリーカムイ からは3戦連続で係数1.5のグラベルラリー が続いたが、ここでポイントを荒稼ぎした のはグラベルを得意とする上原淳/漆戸あ ゆみ組のシビック・タイプRユーロ。第6 戦、第7戦と連勝した上原組は、あっとい う間に眞貝組の背後に迫った。 「計算上はむしろ、上原さんの方が有利と いった状況でした。5勝して周囲も、もう決 まったね、という雰囲気の中で、僕自身は 落とすかもしれないというプレッシャーを 感じましたね」と安藤選手は振り返る。
さんと取り組んできた、クルマが道からこ ぼれないように走りながら、ペースを確実 に上げていくというラリーを実践できたこと だと思っているんです。そんなには勝ては しなかったけど、眞貝選手も明らかに速く なったし、すべて完走できたという事実が、 それを証明していると思います」。
ラリー北海道に続く第9戦は得意とする 舗装ラリーだったが、2位。しかし勝利を逃 したこのラリーが、今季のベストラリーだ ったと振り返る。
「2年間、開発してきたヴィッツが出さなき ゃいけないと思っていたタイムを、最後ま でずっとキープできたからです。道が悪く て、2WD車が全般にタイムを落としたSS でも、僕達はいいタイムを出せた。達成感 がありました」。 ラリーを始めたのは30歳を過ぎてから。 全日本のキャリアもそれほど多くはないが、 地元中部のラリー界ではよく知られたナビ ゲーターの一人だ。 「器用貧乏といわれるほど、昔から何をや
全日本ラリーのシリーズを追ったことは なかったが、2018年、眞貝選手の推薦を受 けて、TOYOTA GAZOO Racingの一員 となる。フル参戦1年めが、トヨタ直系の ワークスチームだった。 「僕らのチームは、色々なトライをしてク ルマを作り上げていく、スタッフを育てる、 というのが主旨のチームなので、勝ち負け はあくまで評価のひとつというスタンスな んです。だから勝たなければというプレッ シャーはそれほどなくて、1年目の2018年 は、できるだけ開発に繋がる様々な要素と かをチームにフィードバックすることに集 中しました。その結果、“こうしたらクルマ が速くなるんじゃないか”という仮説を立て る段階までは行けたと思ったんです。 今季の勝因はやっぱり僕らのそうした仮 説を早い段階でチームに実現して頂いたこ とが、5連勝そしてチャンピオンに繋がった と思います。眞貝さんも今季はクルマの速 さを証明したいという気持ちがあったでし ょうから、ホッとしていると思いますね。僕 自身も、常に頭に余裕を作りながらラリー を進める、というコ・ドライバーの理想的 な仕事が、2018年に比べると圧倒的にでき たとは思います」。 JMRC中部ラリー部会の委員も務める安 藤選手にとっては、「ラリー・ジャパン」が地 元で開催される2020年は忙しくなりそうだ。 「ラリーを裏側からも見ているので、この 業界がもっと良くなっていくためにはどうし たらいいかは、いつも考えていて、悩んで います。ただし、部会は若いスタッフも多 いので、これからが楽しみ。何とかラリー の魅力を発信し続けていきたいですね」。
全日本ラリー J N 2 ナビゲーター 安藤裕一 地元で開催された新城ラリーを観戦したことを契機 にラリーを始めることを思い立ち、中部地区開催のラリ ーに多数、参戦。全日本は 2015 年の新城ラリーで、 明治慎太郎選手のサイドシートでデビュー。 2 度目の参 戦となった 2016 年のツール・ド九州で、アバルト 500 を駆った眞貝知志選手のナビゲーターとして全 日本初優勝を飾った。 1978 年、愛知県生まれ。 です。それが悔しくて、何とかしようと思 っている内にハマってしまいました(笑)」
っても、ある程度まではやれたんですけど、 コ・ドライバーだけはうまくできなかったん 2019年の全日本ラリー選手権JN2ク ラスは、ヴィッツGRMNを駆った 眞貝知志/安藤裕一組が、開幕5連 勝というスタートダッシュが奏功してチャ ンピオンを獲得した。 結果から見れば、眞貝組が圧勝と言って いい勝ちっぷりを見せた形だが、シリーズ 中盤まではスリリングな展開を見せた。有
しかし、天王山と踏んだ第8戦ラリー北 海道で両者は明暗を分ける。マシントラブ ルでリタイヤを余儀なくされた上原組に対 して、眞貝組は、サバイバルラリーを走り 抜いて優勝。事実上、タイトルレースはこ こで決した。 「今季のグラベルラリーは、前年から眞貝 「昔、コ・ドラをやった山本悠太選手、ラリーを始 めた時期が一緒だった山本磨美選手と一緒にチ ャンピオンを獲れたことが嬉しいですね」と安藤 選手。2019年は中部勢の活躍が目立った。 実力を買われて、 いきなり ワークスチームに抜擢。 2 年越しで作り上げたマシンで 全日本の頂点を獲得
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2019
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栄冠への道程
年全日本選手権〝初〞チャンピオンインタビュー 全日本スピード競技編
達人達との最強のトライアングルがチャンピオンとは何かを知り尽くす 4 年目で栄冠獲得という 離れ業を、可能にした 全日本ジムカーナ選手権 S A 1 一色健太郎 19 歳の時に、父親の勤務先の、ラリーをやっていた同僚に紹 介された小清水昭一郎氏のレーシングサービス・コシミズを 訪れ、ジムカーナを始める。 2011 年より D C 2 インテグラ で全日本へスポット参戦を開始。 2016 年から E K 9 ックに乗り換え、 S A 1 クラスに移り、 2018 年、地元の美 川で待望の初優勝を飾った。 1987 年、愛媛県生まれ。 全日本ジムカーナ選手権SA1チャンピオン一色健太郎選手/ 全日本ダートトライアル選手権PN1チャンピオン上野倫広選手/ PN3チャンピオン竹本幸広選手/N1チャンピオン古沢和夫選手/ SA1チャンピオン浦上真選手/SC1チャンピオン坂田一也選手 フォト/関根健司、滝井宏之、谷内寿隆、 友田宏之、西野キヨシ、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部 飛 ぶ鳥を落とす勢い。 2019年の一色健太郎選手を 語るに、これほど適した言葉は ないかもしれない。 2018年に全日本初優勝を遂げたものの、 その1勝にとどまったドライバーが、翌年は 5連勝を含む7勝をあげて満点チャンピオン に輝いたからだ。序盤の2戦は躓いたもの の、第3戦からは一度しか負けなかったの だから、その勢いはまさに際限なく加速し ていった印象があった。 ただし、その予感がまったくなかったわ けではない。2017年は僅か1回だった表彰 台が翌年は7回に急増している。チャンピ オン若林拳人選手がV2を手土産にSA2ク 57
ラスに移った2019年はチャンピオン候補の 一人ではあった。 「2018年はシビックの足回りがいい方向に 動いてくれたので、クルマのいい状態が一 年間続いたのが成績が上がった理由です。 今季は拳人選手が移ったので可能性はある と思いましたけど、何かやらないと獲れな いと思ったので、オフも月2回は朝山(崇) さんと練習に通って、これはいいというセ ットを見つけて開幕戦に行ったんです」。 しかし、そのセッティングは裏目に出て しまい、順位は5位。第2戦は7位と、いき なり崖っぷちに立たされる。
「もう今季はもう終わりかな、と半分あき らめかけてたんですけど、第3戦エビスの 前に地元のみかわでやったテストで、小清 水(昭一郎)さんが凄くいいセッティングを 見つけてくれたんです。僕はそれで十分だ ったんですが、もっと何かないのかと聞か れたんで、こうなってほしいと話したら、 さらに1段上のセットが見つかった。エビ スはお陰でクルマが言うことを聞いてくれ たので、金曜から楽しく走れました」。
結果は2番手を0.8秒近くも引き離すタイ ムで圧勝。師匠である朝山選手とダブル優 勝をさらう。しかしこれはその後に続く快 進撃の序章に過ぎなかった。 「続くタマダでも最初はエビスのセットで 行ったんですが、それはダメで。でもみか わで試した、最初にできた方のセットにし たらタイムが出たんです。今季は基本的に はこの二つのセットの選択か、どう合わせ 込むかを考えれば、闘えるクルマになって くれました」。
朝山師匠によれば、「ドライバーも一気に 成長した」という。 「シビックに乗り換えた当初は、今だから 言いますが、ドライビングもひどいモンだ ったんですけど(笑)、2018年あたりから、 セッティングとドライビングがリンクしな がら速くなっていった。 元々、人の走りを見る目は凄くあって、 後は本人ができてないだけやん、って感じだ ったんですけど、それができるようになっ たということですよね」。 ドライビングに関して当の本人は「リスク
ギリで走ってましたね。ちょっとミスしただ けで置いてかれるクラスなんで、やらんか ったら負けるよね、っていう。優勝か、下位 かのどっちかでいい。攻める、というのは ずっと一年、意識してました」。 「ただ今季は特に気持ちの持って行き方が 凄く変わったのが大きいと思ってます。例 えば勝とうという考え方をやめたんです。 そう思ってもクルマは速くならない。勝とう じゃなくて、もっと速く走るためにはどうし たらいいかという考え方にしたんです。思 い返すと、小清水さんにも、朝山さんにも、 勝ってこいと言われたことは一度もないん ですよね。でも、もし僕が間違った考え方 をした時は、修正して導いてくれる人が二 人も身近にいるわけですから、これが僕の 一番の強みなんです」。
一色選手がジムカーナを始めた十代の頃 から見守ってきた小清水氏は、「クルマを変 えたら、あるレベルまで行くのに最低3年 は掛かるというのが僕の持論なんだけど、 健太郎は4年目でチャンピオ ンまで獲っちゃったわけだか ら、ホントに最短距離だっ たと思う。でも特に今季は 早朝から夜まで、昼飯も食
わずにテストに明け暮れたんだから、報わ れて良かったよね」と労いの言葉を掛けた。 2020年も再びSA1クラスでステアリン グを握る。 「正直、チャンビオンを獲ったという実感 がないんです。現在も、どうしたら翌年も っとやれるかということしか、考えてない。 今季はたしかに勢いで獲れたと思っている ので、2020年は、自分の走りができたとい う、自信に繋がる戦い方をしたい。それが できてないからチャンピオンの実感がない んだと思います」。
そのストイックな姿勢は若者だけに許さ れた特権かもしれないが、スラローマーと しての究極の夢は、実に壮大なものだった。 「どんなクラスでも、どんなクルマでもい いから、小清水さんといつか凄いクルマを 造りたいんです。誰が乗っても、凄いよ、っ て言ってくれるような」。
強面の顔が、その時だけは“普通の兄ち ゃん”の顔に戻っていた。
をかなり冒した」と言う。 「これだったらうまくタイムが出せる、と思 えるセットを選んでいたので、クルマの方 はリスクはなかったと思いますが、走りの 方は失敗したらタイムを落とすというギリ 最終戦を待たずに恋の浦でチャンピ オンを決め、チャンピオンキャップを受 け取る一色選手。師匠である朝山選手 とダブルチャンピオンを獲ることが 2020年の目標の一つ。「それを言葉と して言えるようになったことが嬉しい」 と後輩は胸を張った。 58
フル参戦1年めの年となった2004年、第 5戦で上野選手はデビュー通算9戦目で全日 本初優勝。翌第6戦でも2位をさらうと、 最終戦でも2勝目を獲得し、その速さをア ピールした。誰もが、翌年は上野選手の年 になるだろうと確信したが、海外赴任のた め、チャンピオン獲得の夢は頓挫。熱くも 短かった全日本参戦第一期はここで終了し てしまう。 「たしかに今でも、あの年のミラージュが 自分にとっては最高の一台ですね。本当に 自分の手足のようにミラージュを動かせた。 そして、その自分の走りを、同じ瞬間にも う一人の自分が俯瞰から見てるんです。あ んな体験をしたのは、あの年だけですね」。 一番、油が乗り切った時期にブランクを 強いられた上野選手が全日本に戻ってきた のは2006年の最終戦。翌年から再びフル 参戦を開始するが、手が届くほどに近づい た全日本タイトルを獲得するには十年を超 える月日を要した。初タイトルの感想は、 「ようやくここまで来れた」。率直な思い、 かもしれない。
王座が射程距離に入ってきたのは2017 年。優勝1回を含む6度の表彰台を奪い、 宝田ケンシロー選手に次ぐシリーズ2位に 食い込んだ。宝田選手がPN1クラスを卒業 した2018年は当然、大本命。しかしタイト ルはシリーズ4位だった山崎利博選手にさ らわれてしまう。 「2018年は振り返ると、色々考えすぎてま
した。ラス前の今庄で山崎さんに勝たれて 持って行かれたんですけど、自分はここで 勝って最終戦のタカタに持ち込もう、とい う気持ちが強かった。要は最終戦決戦だと。 目の前の大会じゃなくて、その次のことを 考えてたんです。だから今季は初心に戻っ
誰にも渡さずに勝ち切った。 「タイヤについても前年までは色んなこと を考えすぎてスタート直前まで決められな かったりしたんですが、今季は慣熟でコレ と決めたら変えずに、“このタイヤでこの路 面でどう走るか”というイメージを組み立て てスタートした。走り出して、あれっ、と 思っても自分が選んだタイヤなのだからと、 最後まで信じてアタックしました。 これまではイメージを作り切れないまま、 スタートしていたんですが、今季はイメー ジ通りに走れた時はタイムが出せました。 勝てた時でも、快心の走りは、あまりなく て、自分の気持ちと走りがリンクしなかっ たんですが、それがなかった。スイフトも、 もう長く乗っているので、クルマの動かし 方が体に染みついたのもあるんでしょうが、 その辺はやはり経験だと思いますね」。
前年、王座を取り逃がした今庄で2位獲 得。最終戦を待たずにリベンジを成就させた。 「最終戦のことは考えずに、絶対ここで決 めようと敢えて目一杯、勝つことを意識し ました。2位や3位でも可能性があるのは知 ってましたが、余計なことは考えないよう にしたんです」。 3つめの勝因は事前の準備をしっかりと行 ったことだ。競技会に臨む前に、そのコース を走った自分のインカー映像を10年分すべ て見返して、シミュレーションに励んだ。 「そうすると、一年ぶりなのに会場に着いた 瞬間に、もう何回か走ったような気分になれ たんです。気持ちの余裕が違いました」。
復活から13年という月日が、チャンピオン へのアプローチを導いたのかもしれない。近 畿の韋駄天の、次の挑戦に期待したい。
長年の経験を経て、いぶし銀かつての天才ドライバーが、の走りを見せる FF マイスター として、遂に大願成就 「“今日はしっかりブレーキのテストやろう”と思って練習 会に行っても、走り出すと“ダートラってなんて楽しいん だろう”ってのがいつも一番に来る(笑)。多分、ダートラ から気持ちが離れることは一生ないでしょうね」 全日本ダートトライアル選手権 P N 1 上野倫広 九州で送った学生時代はレーシングカート、ドリフト に明け暮れたが、今はなきモビリティおおむたで、たまた まダートコースを走ったことがダートラとの運命的な出 会いとなる。社会人 2 年目から本格的にダートラを始 め、近畿チャンピオンを経て全日本にステップアップし 1974 年、愛媛県生まれ。
ーに。2019年は、結局、その座を最後まで
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て、一戦一戦、ベストな状態で常に勝ちに 行く、というように意識を変えました」。 第2戦、第3戦と連勝し、ポイントリーダ
000年代前半の全日本ダートラを 知る人々にとって、『上野倫広』と いう名は、その切れ味鋭いアグレ ッシブな走りとともに、しっかりと記憶に刻 まれているはずだ。
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福島・エビスサーキットで磨いた 後輪駆動のダートラスキルは 最後の最後でさく裂した! 60
の一員を名乗ることにもなったため、シー ズンオフから自身のドライビング改革のト レーニングを重ねることになった。 その成果を発揮して、2019年は開幕戦か ら快進撃……とはいかないのが竹本選手ら しいところ。開幕戦丸和を制したのは、何 と竹本選手のサポート役として同じクラス に参戦した、熊久保信重選手だった。 その後の竹本選手は入賞は果たすものの 表彰台は外しまくり、熊久保選手には先に 2勝目を挙げられる始末。自身のPN3初優 勝は残り3戦となった第7戦丸和だった。 新設されたPN3は混戦模様で、最終戦ま でに6名のウィナーが誕生。竹本選手も第9 戦今庄で2勝目を挙げてタイトル争いに残 り、最終的にはそれぞれ2勝した竹本選手 と山崎利博選手の一騎打ち状態となった。 最終戦タカタの竹本選手は第1ヒート3 番手。勝負の第2ヒートは中間計時からブ ッちぎりのトップタイムで帰ってきた。 最終走者を待つ竹本選手はパルクフェル 悩み抜いた〝 86 使い〞への道
メでウロウロ、ソワソワ。ライバルの山崎 選手は4番手に留まったため、竹本選手の 初タイトルがようやくここで決まったのだ。 「タイトル獲得は、色々な要因がうまく結 びついて繋がったと考えています。要因の 一つは最終戦タカタで投入された195サイ ズのアドバンA036ですね。それまでの自 分はA053しか使えないドライバーで、 A031もA036もうまく使えなかったんです。 ただ、自分の中では『86とはそういうクル マなんだ』と思ってました。でも、実はそう じゃなくて、走らせ方を変えると各タイヤ を活かせるようになる、ということを分かっ てきたのが、今シーズンだったんです。シ ーズン前から雪上や氷上、二輪を使ったト レーニングを重ねて、走らせ方の改革をし てきたんですが、それらの過程で徐々に分 かってきたことなんですよね。
全日本ダートトライアル選手権 P N 3 竹本幸広 学生時代から後輩に〝憧れの存在〞と言われる活躍を 見せた竹本選手。しかし、以降の道程は厳しかった。ダ ートラ活動の拠点は地元の近畿から関東、東北へと移 り、新体制で挑んだ今季は悩みながらも開眼。新設 P N 3 クラスで初代王者、念願の初タイトルを獲得した。
エビスサーキットでの担当業務で一番多 いのはドリフトレッスンです。お客様の前 でインストラクターとして、安全マージン を確保したドリフト走行をするんですが、 これまでのダートラ走行を積算した距離に 近付いているので、リアを破綻させず安全 にドリフトさせ続けるような走りは、体が 勝手にできるようになってました。 それと、エビスにできたオーバルコース を二輪で走るようになったことも大きいで すね。二輪はフロントもリアも滑るので、 それを制御しながら前に進めることが、ダ ートでの後輪駆動の走りに繋がるんです。 ヨーを残しながらアクセルを踏むとリア がスパッと出るので、リアが出ないように 手前で姿勢をしっかり変えて、ドリフトさ 関 西の自動車部界隈では憧れの存 在として知られていた竹本幸広 選手。全日本ダートトライアル 選手権にステップアップして、2011年の開 幕戦ではいきなり4位に入賞。その年の第7 戦コスモスパークではシリーズ参戦初年度 で全日本初優勝をもぎ取った。 しかし、DC2インテグラで戦ったN1クラ ス時代は、勝利を重ねたものの無冠に終わ る。そして、オクヤマワークスのトヨタ86 でPN2クラスに挑戦してからは、観客を沸 かせる走りで入賞を重ねたものの、優勝は 2016年第4戦のみ。86に乗り換えてからも、 王座獲得の機会は得られず、後輪駆動のダ ートラ走りに悩み続ける日々が続いた。 そんな竹本選手は、2019年から元D1ド ライバーの熊久保信重選手率いるエビスサ ーキットの職員として働くことになり、2019 年から新設された後輪駆動専用のPN3クラ スで戦う環境を得ることができた。 同時にドリフトの名門「チームオレンジ」
せてカウンターで入っていく。でも立ち上 がりはリアを食わせてアンダーに変えて前 に進める……そんな走りを二輪でさんざん やったので、ダートでの失敗が分かりやす くなりました。四輪だと分かりにくいんです が、二輪でオーバルを走ると、ロスになる 走りや無駄なことがすぐ分かるんですよ。 ダートラは流しすぎるとタイムは落ちま すが、舵を切り込んだグリップ走行よりは、 ゼロカウンターぐらいで、ある程度流さな いと速くないと思うようになってきました。 そんな練習をしているうちに、自分の運 転の基本が舗装のタイムアタックの走りに なったんですよ。ドリフトさせたりダートラ っぽく走らせるのは進入だけ。ドリフトで はなく、タイムアタックの走りをベースに して、そこにドリフトや氷上の走りを織り 交ぜるような走らせ方に変わりました。 併せて、今までダートラでやってきた、
実は、舗装でタイムを削 ろうと思って走ったのは、
この西コースを走ったときが初めてだった んです(笑)。でも、そこで色々気付けたの は、やはり環境が変わって、色々なセンサ ーが磨かれたからでもあるんです。それま では、走りのバリエーションが一つしかな くて、調整幅も少なくて……ホント、全然 分かってなかったんですよ。
今思えば、西コースで走ったのが最終仕 上げでしたね。今までやってきたことを整 理して、ダートラに落とし込むための最終 調整。レーシングドライバーに乗ってもら ったことも大きくて、自分と相反する運転 でしたが、立ち上がりの運転がものすごく 丁寧で、ムダのない走りでしたから。
今後は自分の調整として、そしてゲン担 ぎのためにも(笑)、西コースを走ってから、 ダートラに参戦したいですね(笑)」。 「ダートラを始めて約10年、全日本では8 年経ちます。最初は杉尾泰之さんにインテ
グラで走らせてもらい、その後はオクヤマ さんに拾われて、今ではエビスサーキット でお世話になっています。これまでタイミ ング良く、誰よりも恵まれた環境で走らせ てもらえることができたと感じています。 今まで支えてくれた皆様に、ようやく感 謝の言葉を伝えることができます。長く掛 かってしまいましたが、今までご支援いた だき、ありがとうございました。 会社としてもモータースポーツを盛り上 げたい方針ですし、自分は今後もダートラ を続けていきたいので、大好きなダートラ を盛り上げる活動も頑張ります!」。 竹本選手は、最終戦タカタの第2ヒート で逆転優勝、激戦区PN3クラスで自身初の 全日本チャンピオン確定と、最後の最後で 美味しいところを全部持っていった。これ はチームオレンジが得意とする“魅せ方”の 一つでもある。竹本選手が魅せたタイトル 獲得劇は、きっとチームオレンジの一員と して認められる瞬間となったに違いない。
2019年からエビスサーキットの職員として心機一転となった竹本選手。今季はPN3に懸けられた「Motyʼs challenge」の企画担 当も果たしながら、自分のスキルアップに励み初代王者に輝いた。 最終戦テクニックステージタカタのパルクフェルメ。暫定トップで帰ってきた竹本選手は熊久保“社 長”と最終走者のゴールを待つ。その間には視点も定まらないまま敷地内を歩き回り、優勝そしてタイト ルが確定した瞬間、歓喜というより全身の力が抜けたような表情で、その場に崩れ落ちていた。 2019年から始まったPN3クラス。唯一シードゼッケンがないこのクラスは、 毎戦優勝者が入れ替わる大激戦で、竹本選手が辛くも初代王者を獲得した。 フロントの限界を使って4輪で走る ような走らせ方も、危ないところは リア荷重、勝負どころでは4輪を使 う、といった感じで使い分けができ るようになったんです。 こんな走りができるようになった のは、実はシーズンの後半、最後の 2戦あたりでした。それまでは自分の 中で、それぞれ別の運転だと分けて しまっていたんです。 キッカケは切谷内の前でした。最
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終戦までに切谷内や今庄など、舗装 っぽいコースが続くので、ホンの軽 い気持ちから、仕事の後にエビスの 西コースを練習がてら走ることにし たんです。そしたら意外と収穫が多 かった(笑)。色々気付けたんですよ。 それまでも舗装は走ってましたが、 舗装を速く走らせようとするんじゃ なくて、舗装でダートラっぽく走ろ うとしてました。
和オートランド那須で見た、田嶋伸博選手 と大井義浩選手らの走りに感動したという。 そして、いつしか「オレはいつか丸和で日本 一になる」という夢を掲げるようになり、大 学卒業と共に、丸和でダートラができる環 境を求めて生活の拠点を栃木県に移した。 当時はよく見ていたWRCの影響で三菱 ワークスのエース、トミ・マキネン選手に 傾倒。様々な車両を乗り継いでランサーで のダートラ活動を始め、地方選手権を経て 念願の全日本デビューを果たした。 夢半ばにして活動を中断した時期もあっ たが、所属クラブの拠り所に置かれていた CJ4Aミラージュに出会ったとき、かつての アツい思いが再燃。再び日本一を目指して ダートラ活動を再開することになった。 「当時の関東地区戦は、ストーリアX4が 一緒に走る“統合N1”みたいなクラスでし た。そこでチャンピオンを獲れたので『次は 全日本』という意識になりました。 その頃はDC2インテグラが全盛だったの で、CJ4Aでは辛かったんですよね。でも、 正直なところ、他に乗るクルマがなかった。 ダートラを続けるためには、CJ4Aしか選 択肢がなかったんです。これまで三菱車で やってきたコダワリもあるし、今後は4駆 ……ランサーに戻りたい思いもあります。
「ミラージュに乗り始めてから、DC2に対 して『速く走らせる』じゃなくて『自分のミス を減らす』ことで結果が残るという経験もし ていたんです。ダートラって、舗装の競技 と違って、少しラインを外した程度ならミ スを取り戻せることがありますからね。 残りは横浜ゴムさんやテインさんの力を 借りて、クルマの得意なところを伸ばせれ ば可能性はあると考えてました。ただ、直 線は明らかに遅かったので、今季はコーナ リング速度を上げることを考えてました。 一番大事だったのはアドバイザーの存在 でしたね。自分は“天然”なので、これまで は、偶然波長が合って成績を出せてました。 そして、ミラージュはワンミスが命取り。 それをなくすためにどうすればいいかを、 家根谷(幹克)選手と相談しながらやってき たんです。彼とはランサー時代から一緒に 戦ってきたので、自分の走りを良く知って ます。それを踏まえたセット出しの提案を くれるので、ピタッと合ったときには爆発 的なタイムが出るんですよ。意見が合わな
ダートラ活動のために栃木に移り丸和で日本一になりたい! 心機一転 C J 4 A ミラージュで かつてのアツき〝夢〞を実現した 現在は活動を休止している家根谷幹克選手は、関東ダ ートラのランサー使い。古沢選手とは旧知の仲だ。 全日本ダートトライアル選手権 N 1 古沢和夫 北海道から上京して大学でモータースポーツにハマった 古沢選手。丸和オートランド那須への思いが強く、ダー トラ活動のために栃木県へ拠点を移したツワモノだ。全日本に挑戦して、活動休止を挟んで 18 N 1 クラスの ラストイヤーに念願の〝日本一〞を獲得した。 いとタイムが出ない。それがうまくハマっ たのが今季の丸和と今庄でした。チャンピ オン獲得には心強いサポーターでした」。 丸和で日本一になりたいというかつての 夢は、全日本チャンピオン獲得で成し遂げ たと語る古沢選手。後進の育成を含め、ダ ートラへの新たな関わり方を模索している。 動を続けるにはCJ4Aが最適なんですよ」。
エ ンジニアを目指して北海道から上 京して、大学の自動車部で以前 から興味があったモータースポー ツと出会った古沢和夫選手。 近年は栃木県を拠点に全日本ダートトラ イアル選手権N1クラスにCJ4Aミラージュ で参戦し、2019年は同じ関東の北原栄一選
懐かしの“ワークスカラー”に彩ったCJ4Aミラージュで初タイ トルを獲得。 代前半の若さながら、次々と 抑え込んで初タイトル獲得ながら、並み居る強豪達をコースを攻略。本格参戦 62
手とタイトル争いを展開。最終戦タカタで 自身初の全日本チャンピオンを獲得した。 上京した頃は神奈川が拠点だった古沢選 手。当時から走る機会があった栃木県の丸
でも、しっかり生活しながらダートラ活
017年のシリーズ第7戦で全日本 ダートトライアル選手権にデビュ ーした浦上選手は、その後、最終 戦まで3戦連続で表彰台を獲得し、一躍、 注目を集めた。シリーズ参戦を開始した翌 2018年も第2戦、第3戦で3位を獲得。地 元の第5戦門前では早々と初優勝を飾る。 シリーズチャンピオンも射程距離に入れた 驚異の新人の快走に、いよいよ拍車がかか るかと思われたが、その後は失速。表彰台 すら奪えないまま、ランキング4位でシリ ーズを終えた。 「門前の後は、要らん気合いが入った感じ でした。空回りが続いて、調子も狂いっ放 しで悔しい一年で終わってしまった。でも あれで、“もう一年追おう”という気持になれ た。しっかり準備できることはやって2019 年に挑もうという気になったんです」。 2018年はSAクラスに転向したものの、 ほぼ2017年まで戦ったN車両のままだっ たインテグラを、オフの間に人並みのSA車 両に仕立て直した。2019年の開幕戦丸和で は、打倒すべき最大のライバル、小山健一 選手の前に3位に甘んじるが、小山選手が 欠場した第2戦恋の浦で優勝。2度目の直接 対決となった第3戦コスモスパークでは小 山選手を下して連勝を飾った。 「小山さんがいる時に勝たないと周りが褒 めてくれないんですよ(笑)。ずっと目標に していた小山選手に勝てたという意味でも、 快心の勝利でした」。 急遽、参戦を決めた第4戦スナガワも2 位。第5戦門前も、前年に続いて2連勝。
タイトルレースは完全に浦上選手の独走態 勢に入ったかに見えた。 「門前で勝って、たしかに楽になりました が、その後はちょっと微妙でした」と本人も 振り返るように、第6戦野沢はまさかの5 位。その後も勝利から見放され続け、あろ うことか絶対勝たねばならない地元の第9 戦今庄では小山選手に勝利をさらわれるこ とに。有効ポイント僅か1点差のリードで 最終戦タカタを迎えることになった。 「“やっぱ、小山さん来たか~”って感じで (笑)。前半稼いだ貯金もなくなったので、 かなりヤバイ状況に追い込ま れました」。
見ていて気の毒になるほ ど、表彰式でも落胆を隠さな かったが、どん底まで落ち込 んだ気分を振り払う手段はた だひとつ、走り込むことだっ た。翌週、最終戦の地、タカ タで開催された中国地区戦に
遠征した。
「小山さんのようなベテランに追い付くに は、走る数をこなすしかないんですよね。 でも経験の浅い自分は、いくら走っても、 まだまだ場数が足りない。地区戦に出たの は、おまじない、というか、“ここまでやっ たんだから俺は大丈夫だ”、と自分に安心感 を与えるために行ったんです」。
タカタ決戦では勝負の掛かった2本目、 前走車のトラブルで再出走を強いられた。
「うまく走れてたんで、何でだよと一瞬、 熱くなりかけたんだけど、逆に開き直った というか、落ち着けたんです。自分は、ス タートする時に熱くなってるとダメなんで す。それが分かっていたから、冷静になれ た。再走では、目一杯そこそこは走れたな という感じはあったので、ゴールした瞬間 は、イケた、と思いました」。 難攻不落のコースとして知られるタカタ で文句なしの4勝目をあげて、僅かフル参 戦2年目で初のタイトルをもぎ取った。 「やれることはやり切ったと言える一年でし た。今季は走らなかった週末が数えるくらい
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攻めつつも、致命的なミスを犯さ ずに走り切れるのが浦上選手の セールスポイント。タイトルのプ レッシャーから解放された2020 年の新天地での走りが楽しみだ。 全日本ダートトライアル選手権 S A 1 真 全日本ダートラに参戦した父、智明氏に連れられ、幼少 時より、全日本ダートラのパドックを遊び場として育った。 2017 J A F 中部ダートトライアル選手権チャンピ オンを獲得し、翌 2018 年から全日本選手権にステップ アップ。第 5 戦で初優勝を飾り、シリーズでも 4 位を獲得 した。 1996 年、富山県生まれ。 20 2 63
しかないほど、徹底して走り込みましたか ら。最終戦のように、本番での自分のモチベ ーションの持って行き方が分かるようになっ たというか、自然にできるようになったのが、 今季、一番成長できた点だと思います」。 そしてもうひとつ、勝因として挙げたの が地元中部の人々の熱いサポートだった。 北村和浩選手のパドックに入れてもらった ことも、その一つ。 「もちろん、北村さんには色々なことを教 わりましたし、本番で運転に集中できるよ
うな環境を作ってもらえたチームの皆さん にも、感謝しています。競技会の時以外で も、地元の方々に色々な形でサポートして もらいました。企業さんから頂くサポートも もちろん有難いんですけど、そうした身近 な人々からの応援は、やっぱり“染(し)み る”んですよね。そうした方々に成績で恩返 しするしかない、というプレッシャーを、う まく結果に繋げられたからこそのチャンピ オンだと思います」。 2020年はトヨタ86に乗り換え、PN3ク
ないとダメだと思います」。
まずは2020年開幕戦での、デビューを 楽しみに待ちたい。
が全日本に戻ってきたのは、翌年の5月、切 谷内で行われたシリーズ第3戦。まだカラー リングも覚束ないマシンが傍らにあった。 「実はミラージュの次のクルマについては、 2017年からちょっとずつ考えていたという か、妄想していて(笑)。現行のミラージュも 候補に挙がったんですが、登録車両になり そうにないということで、あきらめたんです。 そんな時にミラージュを作ってくれたグ ローバルモータースポーツの神田さんが、 デミオにマツダスピード・アクセラのパワ
ージュで戦うのは厳しくなっていたので、 あのクルマは2017年で終わりにするつもり だったんです。だからミラージュで最後ど うしても獲りたかった。門前のクラッシュ は、気合いが入りすぎました。後で動画見 たら、ジャンプしてる所でリミッター当た ってるんですよ(笑)。ともかく当時は、全 開しかなかったです」。 復帰そのものさえ周囲は危惧した坂田選手
ーユニットを積む、という案を出してくれ たんです。色々と模索したんですが、最後 は、そんな面倒なことをやるくらいなら最 初からアクセラで行けばいいじゃないか、 ということになったんです(笑)」。 しかし切谷内の直前に行ったシェイクダ ウンの印象は最悪だったという。 「この選択は失敗したかな、と最初は思い ました。動きは素直で、パワーも十分すぎ
僅か 2 年でチャンピオン戴冠 2 W D 全日本ダートトライアル選手権 S C 1 坂田一也 10 代からドリフトに親しむが、家の近くにあった、 1980 に全日本ラリー等で活躍した上野陽志夫氏のショップをたまたま訪ねたことがきっかけでダートトライアルを知る。 2008 C A 4 A ミラージュの改造車で全日本選手権にデビュー。一時期、 コルトで N 部門に 3 年間参戦したが、基本的には FF の改造車 を乗り続けて現在に至る。 1982 年、長野県生まれ。
ラスに殴り込む。 「RWDというクルマの動きも電子制御デ バイスの扱いも、いまは正直、まったく想 像できてないです。でもやっぱり新しいク ルマでやりたいんですよ。PN3では、もう一 つ上の領域の走りを身に着けて、北村さん のようなカッコいい走りをして勝ちたい。 一年目から勝ちに行くくらいの気持ちじゃ
マ ツダスピード・アクセラという、 これまで全日本ダートトライアル 選手権には無縁だったクルマを 2018年に持ち込んだ坂田一也選手は、僅か 2年でマシンに栄冠をもたらし、自身も初の チャンピオンを手に入れた。タイトルを決 めたのは、まだ2戦を残した第8戦切谷内。 第6戦から3連勝を飾って一気に決めた。 「もちろん嬉しかったですけど、えっ、ホン トに決まっちゃったの?って感じの方が最初 は強かったですね。ただ落ち着いたら、や っぱり、こみ上げてくるものがありました」。 坂田選手にとっては、2年越しのリベンジ 達成だった。2017年はシリーズ前半で2勝 し、ポイントリーダーで折り返したものの、 第7戦門前のジャンピングスポットで姿勢を 崩して転倒、チャンピオンマシンとなるはず だったミラージュを失ってしまう。 「パーツをはじめとして色々な面で、ミラ 64
るくらいあるんですけど、まず前に進まな いし、ブレーキも踏めばロックするという 感じでしたから」。
だが、そんな将来が危惧されたニューマ シンは、投入2戦めとなったスナガワであ っさりと優勝を飾ってしまう。 「高速ステージはいいんですよ。速過ぎる くらい速い。それとスナガワの前に、とり あえず軽くしようと100kgくらい軽くした ので、その効果もあったと思います。何と か2018年もチャンピオンを狙いたいという 思いで、切谷内に間に合わせたという感じ だったんですけど、たしかにスナガワで勝 ちはしましたが、この段階でも、もっと時 間がかかるかな、という印象は変わらなか ったですね」。
この年は結局、スナガワの1勝のみにと どまり、シリーズ3位。チャンピオン山崎迅 人選手の2連覇を許すことになる。だが、 迎えた2019年。神田氏がオフの間に造り込 んだマツダスピード・アクセラは、シリーズ インを前に劇的な進化を遂げていたという。 「丸和の、雨でグチャグチャの路面だった んですけど、それでも速かったんですよ。 動きも良くなって、アクセラというクルマ の印象が一気に変わるくらいでした」。 その好フィーリングをキープして臨んだ 開幕戦丸和は制したが、第2戦恋の浦、第 3戦コスモスパークはV3を狙う山崎選手が 連勝。しかし第4戦スナガワで2勝目を獲 得と、前半は山崎選手とイーブンな戦いを 展開した。 「スナガワはアクセラで2連勝なんですが、 2018年の勝利は実は山崎さんにエンジント ラブルがあって勝てたタナボタの優勝だっ たんです。それが今回は山崎さんもしっか り走り切ってくれて、それでも2秒も勝て
た。あそこで、やっぱり勝てるクルマに乗 ってるんだという確信が持てて、気持ちの 上で余裕ができたのは、やはり大きかった と思います」。
第6戦丸和ではヒート1、大きなミスで5 番手に沈むも、ヒート2で大逆転を果たし、 3勝目を獲得。これが後半3連勝の布石とな った。
「丸和でもストレートからのヘアピンへの 進入がミラージュに比べてアクセラは 20km/hくらい車速が上がってるんですけ ど、同じリズムで走れるんです。だからコ ーナリング速度もそれだけ上がってる。や はりマシンの進化が大きかったと思います。 チャンピオンについても、マシンに恵まれ たお陰で、自分は結果を出させてもらった という気持ちです。
ドライバーとして何かできたかといえば、
「ダートラって自分にとっては、スーパー スプリントですね。相手も見えないし、駆 け引きもできない。結果は、他のモーター スポーツ同様、ほんのちょっとでもライバ ルに勝てばいいわけですけど、そのほんの ちょっとのために、速さにあそこまでこだわ らなければならない、という意味では、や っぱりこのカテゴリーは突出した競技だと 思います。アクセラの究極の走りで来季は 圧倒したい。今から楽しみです」。
度胸満点の走りで知られた一人だが、ニューマシ ンの抜群の安定感もあって本来の走りはやや影 が薄れた。「もうちょっと元気のある走りができる はず」と本人も2020年の開幕を楽しみに待つ。 1本目のミスを引きずらないようにした、と いうか、ミスをムダにせず、2本目にどう生 かすかという組み立てが、今季はできるよ うになりました。それが2度目の丸和のよう
チャンピオンとして挑む2020年は自身の
な勝ち方ができた理由だと思います」。
ドライビングでもワンランク上の限界を引 き出す走りがしたいという。
2020 年度 ワーク・モータースポーツ ユーザーサポートシステムのご案内 株式会社ワークでは、モータースポーツ競技参加者の皆様に対して、対象イベントごとの成績に応じ て獲得したポイント数によってホイールを提供する、ユーザーサポートシステムを 2020 年度も実施い たします。 対象カテゴリーは、JAF モータースポーツカレンダー内で公示される日本選手権(JAF 全日本選手 権・JAF 地方選手権)のラリー、ダートトライアルでワークが供給可能な競技 及び TGR ラリーチャレンジです。 サポートシステムへの登録申請締切は 4 月26 日(当日消印有効)となります。 登録条件、参加登録方法等の詳細は、下記ホームページでご確認下さい。 https://www.work-wheels.co.jp/topics/news/54/ 広告
テンロク4駆ターボ復活! 急ピッチで熟成が進む稀代のコンパクト降臨
詳細スペックや発売時期、価格は 不明だが、1月の東京オートサロン でワールドプレミアされる予定。GR ヤリスに搭載される新開発の直列 3気筒ターボには期待大! ヴィッツのボディを使用したダート用の開発車両。競 技用パーツを装着してグラスルーツ競技での使用を想 定したテストも行われているという。「テンロク4WD ターボ」と言えばBFMRファミリアやC73/83Aラン サー&ミラージュ以来となる、久々の扱いやすいパッ ケージ。リーズナブルな価格での登場に期待したい。
トヨタ自動車GAZOO Racing Company GRプロジェ クト推進部の齋藤尚彦氏(上写真)と前田蔵人氏。
センターコンソールには、高応答カップリングのトルク 配分を変更できるダイヤルスイッチを装備していた。
み込まれ、前後60対40の「ノーマルモー ド」、30対70の「スポーツモード」、50対 50の「トラックモード」を、ダイヤルスイッ チで選択できるようになっていた。 今回、GRヤリスのプロトタイプを広い 舗装路とフラットダートで試乗できる機会 を得たが、3気筒ターボは予想を上回るパ ワーとトルク感があり、4WDシステムも それに応えるだけのコントロール性能を持 つことが確認できた。同社ではこのGRヤ リスを「WRCで得た技術をフィードバック した市販車」、「購入したユーザーがモー タースポーツで楽しめるポテンシャルを持 つこと」、「誰もが買えるスポーツカー」とい う3つのターゲットを設定して開発したと いうが、気になる価格はまだ未定ながら、 その目標は達成できると思われる。 開発を担当するトヨタ自動車GRプロ ジェクト推進部主査の齋藤尚彦氏は「ラ EJ20エンジン搭載のWRX STIも国内向け 生産が終了となり、和製4駆ターボは絶滅 の危機を迎えていた。そこに突如として現 れたテンロクターボ4WDのGRヤリスは、 国内外のモータースポーツシーンを盛り上 げる、立役者となってくれるに違いない。
フォト/佐藤靖彦、JAFスポーツ編集部 レポート/田畑修、JAFスポーツ編集部 “GRヤリス”緊急試乗! ※記事内の車両は発売前のプロトタイプのため、実際に発売される車両とは仕様や数値が異なる場合があります。 66
新
型ヤリスをベースにTOYOTA GAZOO Racing(TGR)が開発 している「GRヤリス」が国内投 入されることが明らかになった。 このGRヤリスは、2月に発売される国内 仕様のヤリスには設定がない3ドアボディ に、3気筒1.6Lターボと4WDシステムを 組み合わせた高性能パワートレインを搭載。 ドアやボンネット、バックドアにアルミ素 材、ルーフはカーボン素材を採用して軽量 化を図り、戦闘力を高めているという。 ターボエンジンは250PS以上と言われ る出力を誇り、4WDシステムは軽量化の ため高応答カップリングを採用している。 この4WDシステムには前後輪のトルク 配分を「アクティブ」に変更できる機構も組 リー、ダートトライアル、ジムカーナへの 参戦を想定した評価も進めていますが、よ り多くの人に高性能ロードゴーイングカー としてのパフォーマンスも楽しんでいただ きたいと考えています」と語ってくれた。 セリカGT-FOUR以来トヨタが20年ぶ りに本腰を入れて開発しているというス ポーツ4WDだけに、狙っている領域は高 次元にありそうだ。 ランサー・エボリューションXに続き、
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J A F M O T O
2020 WINTER 254 円+税
R S P O R T 第S 54巻 第 1 号 2020 年 2 月 1 日発行(年 4 2 、 5 、 8 、 11 1 日発行) 発行人 西岡敏明 03 ( 5470 ) 1711 (代) 一般社団法人 日本自動車連盟 東京都港区芝大門 1 1 番 30号 0570 ( 00) 2811 (総合案内サービスセンター) 発行所 東京都港区芝大門 1 9 番 9 号 ㈱ J A F メディアワークス