JAFスポーツ 2019年 冬号(第53巻 第1号 2019年2月1日発行)

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栄光に、向かって

~2018全日本選手権チャンピオンインタビュー~

ニッポン勢の、正念場

~2018FIA Intercontinental Drifting Cupレビュー~

2018JAFモータースポーツ表彰式

JAFスポーツ[モータースポーツ情報] JAF MOTOR SPORTS 第53巻 第1号 2019年2月1日発行(年4回、2、5、8、11月の1日発行) 1967年3月20日 第3種郵便物認可 2019 WINTER
JAF MOTOR SPORTS
特集

多様化するオートテスト。2019年もさらなる普及は確実だ

全国各地で開催の動きが加速。オートテスト経由のBライセンス取得者も増加中!

015年に新たに始まったオ ートテストは、2018年も 全国各地で開催され、年を 追うごとに盛況を呈してい るといっていい状況だ。

例えば2017年の開催状況を見ると、 JAFに届け出のあった競技会は61件。参 加台数は1700台で参加人数は2,421人に 上った。参加台数については、主催者によ っては数台のレンタル車両で走行してもら うといったケースもあるので、参加人数に 比例した数には必ずしもならないが、参加 人数で見ると平均して1件当たり、約40 名がオートテストを楽しんだ計算になって

いる。参加人数が50台を超えた競技会も 19件あった。

地区別の開催状況を見ると、 北海道地 区8件、東北地区9件、関東地区8件、中 部地区12件、近畿地区7件、中国地区3 件、四国地区1件、九州地区13件と全国 各地で隈なく行われたことが分かる。

2018年も同様の傾向を見せており、最 終的な集計はこれからになるが、JAFに届 け出のあったオートテストは、8月終了時 で比較しても前年から3件増の41件が開 催されている。

2017年は1件だった氷雪路でのオート テストは、2〜3月に北海道、関東で3件、

行われた。5月には女性対象のワンメイク レース、L-1レースが行われた富士スピー ドウェイの会場でもオートテストが行われ たほか、6月には沖縄でも、オートテスト が単独のイベントとして開催されている。 また北海道、東北、中部、近畿、九州等 ではオートテストのシリーズ戦が行われ、 人気を集めており、各主催者は毎回、趣向 を凝らしたコース設定を行って、参加者の 期待に応えている。イオンモール/イオン タウンでのオートテストも、9月までに全 国12会場で行われた。2018年は本誌夏号 でも紹介したように、TOYOTA GAZOO Racing PARKとのコラボレーションなど

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Headline モータースポーツ話題のニュース深掘りCheck!
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フォト&レポート/JAFスポーツ編集部

スラローマーによる、“お楽しみオートテスト”も開催

12月に広島のスポーツランドTAMADAで開催されたJMRC中国フェスティバルでは、競技経験者も一般参加者とともに、オートテス トを楽しんだ。午前中の一般の人々を対象としたオートテストからやや難度を上げた設定だったが、参加者はまたジムカーナとは違っ たモータースポーツの楽しさを感じ取っていた。

の新たなスタイルを取るイベントもあり、 巨大ショッピングセンターという立地の良 さもあって、イベントによっては100名 近い参加者を集め、オートテストの普及に 貢献している。

地方自治体等が開催するフェスティバル の中でオートテストを行う動きも増えてお り、前述した関東の氷雪路オートテストは、 嬬恋・浅間高原ウィンターフェスティバル で行われたほか、11月、沖縄で開催された コザ・モータースポーツフェスティバルで も当日の来場者を対象としたオートテスト が前年に続いて行われた。

フェスティバル関連では、9月にはJMRC

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北海道そして12月にはJMRC中国のモー タースポーツフェスティバルにおいて、オ ートテストが開催された。JMRC関連のフ ェスティバルではこれまでも、例えば西日 本フェスティバル等では、各地区の部会長 が参加するオートテストが余興的に行われ ているが、上記のような競技参加者を対象 としたオートテストも増えつつある。

例えば12月に開催された中国フェスティ バルでは一般の参加者を対象としたオート テストが開催された同じ場所で午後、フェ スティバルに参加した競技経験者が参加す るオートテストが行われた。公認競技会の 見学を兼ねてオートテストを楽しむイベン

グラベル・オートテストで モータースポーツをPR!

四国では徳島初のオートテストが12月下旬に行わ れた。会場となったのは敷地内にダートコースを持 つ徳島工業短期大学。当日は地元のラリードライ バーによるデモラン&同乗走行も行われた。オート テストを通じてグラベルモータースポーツの魅力 にも触れられるこうした試みもダートトライアルの 普及策のひとつとして今後、注目を集めそうだ。

トはこれまでも行われてい るが、競技参加者も肩の力 を抜いて楽しめるフェステ ィバルで、経験者/未経験 者がともにオートテストを 楽しみ、交流を図るといっ たスタイルは、Bライモータ ースポーツをPRしていく ためのひとつの契機として、 今後、注目を集めそうだ。

2017年、このオートテストの参加を機 に新たにJAFのモータースポーツライセ ンスを申請した人は253名に達しており、 2018年も、同様な形でオートテストの参 加者の中の少なからぬ人々がライセンスを 申請した。ライセンスを取得後、リピータ ーとしてオートテストに参加を続ける人も 相応の数に達していると思われる。またか つてライセンスを所持していた人が、復帰 する準備のリハビリとしてオートテストを 楽しむというケースも出てきている。

オートテストの定着がもたらす、モータ ースポーツ活性化への可能性に、今年も期 待していきたい。

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2019年全日本選手権/FIA選手権

JAFがこれまでに公示した情報を中心に構成しています。変更、追加される場合がありますので、

WEBや、主催者 HP等でご確認ください。

JAF2019

月 日 全日本レース選手権 主な国際&国内格式シリーズ 全日本選手権 スーパー フォーミュラ F3 スーパーGT S耐 TCR Formula 1 ラリー ジムカーナ ダート トライアル 2 3 ①群馬 S 10 17 24 3 3 ①筑波 1000 (茨城) 10 17 ①オーストラリア ②愛知 T ①丸和オートラン ド那須(栃木) 24 鈴鹿 31 ②バーレーン ②もてぎ南(栃木) 4 7 ②恋の浦(福岡) 14 ①岡山国際 ③中国 ③佐賀 T 21 ①鈴鹿 鈴鹿 ③エビス西(福島) 28 SUGO ④アゼルバイジャン 5 5 ② 5/4富士 ④愛媛 G ③コスモスパーク (京都) 12 ⑤スペイン ④ TAMADA(広島) 19 ②オートポリス オートポリス ①オートポリス 26 ③鈴鹿 ⑥モナコ ④ ASLスナガワ (北海道) 6 2 富士 ⑤名阪 C (奈良) 9 岡山国際 ⑦カナダ ⑤群馬・長野 G 16 ⑤門前 MS公園 (石川) 23 ③ SUGO SUGO ② SUGO ⑧フランス ⑥ ASLスナガワ (北海道) 30 ④タイ ⑨オーストリア 7 7 ⑥北海道 G ⑥モーターランド 野沢(長野) 14 ④富士 富士 ③富士 ⑩イギリス ⑦みかわ(愛媛) 21 オートポリス 28 SUGO ⑪ドイツ ⑦秋田 G ⑦丸和オートラン ド那須(栃木) 8 4 ⑤富士 ⑫ハンガリー ⑧ SUGO(宮城) 11 18 ⑤もてぎ もてぎ 25 鈴鹿 ⑧切谷内(青森) 9 1 ⑬ベルギー 8 ⑥オートポリス ⑭イタリア ⑨恋の浦(福岡) 15 もてぎ ⑨オートパーク今庄 (福井) 22 ⑦ SUGO ⑮シンガポール ⑧北海道 G 29 ⑥岡山国際 岡山国際 ④岡山国際 ⑯ロシア 10 6 ⑩鈴鹿南(三重) ⑩テクニック ステージタカタ (広島) 13 ⑰日本 ⑨岐阜 T 20 27 ⑦鈴鹿 ⑤ 10/26鈴鹿 ⑱メキシコ ⑩福島 G JAFカップ ASLスナ ガワ(北海道) 11 3 ⑧もてぎ ⑲アメリカ 10 岡山国際 JAFカップ 筑波1000 (茨城) 17 ⑳ブラジル 24 12 1 ㉑アブダビ 8 14 S:ノーアイス T:ターマック G:グラベル 全7大会 全8大会 全8大会 全21戦 全10戦 全10戦+1 全10戦+1 ※ 2018年 12月 27日現在、
最新の情報は
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ほか主要モータースポーツカレンダー

全日本カート選手権 ジュニアカート選手権 WEC WRC WTCR APRC 月 日 OK FS-125/ FP-3 東 FS-125/ FP-3 西 FP-Jr/ Fp-Jr cadets 東 FP-Jr/ Fp-Jr cadets 西 2018-19カレンダー ① 1/27 モンテカルロ 2 3 10 ②スウェーデン 17 24 3 3 ③メキシコ 10 ⑥セブリング 17 24 ①琵琶湖 ①琵琶湖 ④フランス 31 ①モロッコ 4 7 ①もてぎ ①もてぎ ①ニュージーランド 14 21 ①②鈴鹿南 ②鈴鹿南 ②鈴鹿南 ⑤アルゼンチン ②ハンガリー 28 ⑦スパ ②ニュージーランド 5 5 ⑥チリ ③スロバキア 12 ④オランダ 19 ③中山 ③中山 26 ③④本庄 ②本庄 ②本庄 ⑦ポルトガル 6 2 9 ⑧ル・マン ⑧イタリア 16 ⑤ 6/22ドイツ 23 30 ⑤⑥茂原 ③茂原 ③茂原 ⑥ポルトガル ③インドネシア 7 7 14 21 ④神戸 ④神戸 28 ⑨フィンランド ④マレーシア 8 4 11 18 ④最上川 ④最上川 2019-20カレンダー ⑩ドイツ 25 ①英国 9 1 8 ⑤中山 ⑤中山 ⑪トルコ ⑦中国 15 ⑤日本 22 29 ⑦⑧ SUGO ⑤ SUGO ⑤ SUGO ②日本 ⑫英国 10 6 13 20 ⑬スペイン ⑧日本 ⑥中国 27 11 3 ③中国 10 ⑨⑩もてぎ 東西統一競技会 もてぎ 東西統一競技会 もてぎ ⑭オーストラリア ⑨マカオ 17 24 ⑦インド 12 1 8 ④バーレーン 14 2020年 4戦開催 をもって終了 ⑩マレーシア 後日発表 全10戦 各5戦+1 各5戦+1 7
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2019 冬 CONTENTS

HEADLINE

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多様化するオートテスト。2019年もさらなる普及は確実だ

全国各地で開催の動きが加速。オートテスト経由のBライセンス取得者も増加中

SPECIAL ISSUE

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JAFモータースポーツ表彰式

歴史に名を刻んだ覇者たち

18 2018APRC

チャンピオンインタビュー

22

栄光に、向かって。

2018年JAF全日本選手権チャンピオンインタビュー

42 ニッポン勢の正念場

FIA Intercontinental Drifting Cup 2018に見えた

国際標準化を目指す“人間審査”と“機械審査”のカベ

女性限定ジムカーナ練習会・車楽祭「華祭り」に潜入♪

53

トップを狙え!

最終戦・鈴鹿にかける全日本カート選手権OK部門5選手の思惑

TOPICS

58 若いラリーストが育つ環境を作りたい

3年目を迎えたヌタハララリースクールの成果とこれから

SERIES

40 FIA便り

60 オフィシャルさん、お疲れさん!

64 オートテスト倶楽部

INFORMATION

6 2019年モータースポーツカレンダー

41 INFORMATION from JAF

JAF MOTORSPORTS JAFスポーツ[モータースポーツ情報]

監修/一般社団法人 日本自動車連盟

〒105-0012 東京都港区芝大門1-1-30 ☎0570-00-2811(ナビダイヤル) 発行所/㈱JAFメディアワークス 〒105-0012東京都港区芝大門1-9-9

野村不動産芝大門ビル10F ☎03-5470-1711

発行人/山口真人 振替(東京)00100-1-88320 印刷所/凸版印刷株式会社

編集長/田代康 副編集長/佐藤均 清水健史 デザイン/鎌田僚デザイン室

編集/㈱JAFメディアワークス JAFスポーツ編集部 ☎03-5470-1712

COVER/2018年JAF全日本スーパーフォーミュラ選手権第7戦 PHOTO/吉見幸夫

48 ココなら、打ち込める!
次号発行のお知らせ JAFスポーツ2019春号は2019年4月にお届けします!(JAF Mate誌2019年5月号と同時発送)

JAF MOTOR SPORTS AWARD 2018

歴史に名を刻んだ覇者たち

2018 年 JAF モータースポーツ表彰式

開催日:11月30日 開催地:セルリアンタワー東急ホテルボールルーム フォト/宇留野潤、関根健司、友田宏之、JAFスポーツ編集部 レポート/貝島由美子、JAFスポーツ編集部

際格式および全日本選手権にお いて、好成績を修めた選手を表 彰する「JAFモータースポーツ表 彰式」。2018年度は11月30日、都内のホ テルにて執り行われた。

第一部ではFIA Electric & New Energy Championship、FIA-F4、JAFカップオー ルジャパンジムカーナ、JAFカップオール ジャパンダートトライアル、全日本ジム

カーナ選手権、全日本ダートトライアル選 手権、FIA APRC2 Championship、全日

本ラリー選手権、全日本カート選手権、全 日本フォーミュラ3選手権、スーパーGT、

全日本スーパーフォーミュラ選手権と、各 カテゴリの年間上位入賞選手を称え、シ リーズ成績の認定ならびに各種賞典が授与 された。

また、モータースポーツの発展に寄与し た「名誉委員称号」や国内外で目覚ましい活 躍をした「特別賞」に該当する人物や団体へ の賞典の進呈も行われた。

年に一度の晴れ舞台ということで、サー キットや競技会場とは違った、ドレッシー な装いに包まれた会場が印象的で、表彰さ れた選手は皆、晴れ晴れとした表情で式典 に臨んでいた。

中締め挨拶はJAF杉山雅洋副会長。

会場には選手やチーム関係者といった 多くの人が集まり盛り上がった。

司会進行はお馴染みピエール北川さん と、ゲストMCの伊藤ソニアさんが担当。

異なるカテゴリーのドライバー同士が 一堂に会して立食を楽しんだ。

JAF矢代隆義会長の主催者代表挨拶で第一部の表彰式が 始まった。また第二部の懇親会では乾杯の音頭を取った。
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第二部後半にはJAF E-Motorsports Cupが余興として 催され、各カテゴリを代表する選手8名がドライビング シミュレータを使ったグランツーリスモSPORTに挑戦。 並みいるトップドライバーを抑えた宮田莉朋選手が見 事優勝し、JAF矢代会長よりトロフィーが贈られた。

JAF モータースポーツ名誉委員の 称号は前田外喜男氏

に贈呈

モータースポーツの発展に貢献が著しい個 人に贈られるのがJAFモータースポーツ名誉 委員の称号。1977年からJAFモータース ポーツ委員会の職務を務め、またJAFのモー タースポーツ専門部会の中のメディカル部会 の道筋をつくり、モータースポーツにおける 医療レベルの向上に尽力した前田外喜男氏 が選ばれた。

JAF モータースポーツ特別賞は

今年を象徴する2 名と1チームに  国内外のモータースポーツで素晴らしい成 績を修めた人物や団体に贈られるJAFモー タースポーツ特別賞。ル・マン24時間レー スで総合優勝に輝いた中嶋一貴選手、全日本 ジムカーナ選手権で100勝を達成した山野 哲也選手、WRCマニファクチャラーズタイト ルを獲得したTOYOTA GAZOO Racingにそ れぞれ賞が授与された。

JAF電気ソーラーカー部会の生方聡部会長より、ソーラーカ ーレース覇者チームに写真パネルが進呈された。

FIA APRC2 Championshipチャンピオンの表彰。ドライバ ーの高橋冬彦選手とコドライバーの中田昌美選手。

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3 選手権 FIA インターナショナルシリーズスーパー GT / FIA-F4

山本尚貴選手

全日本スーパーフォーミュラ選手権ドライバーチャンピオン/ FIA インター

ナショナルシリーズスーパー GT GT500 クラスドライバーチャンピオン

2 カテゴリでチャンピオン獲得の偉業を達成

ーパーGTではJB(ジェンソン・ バトン選手)とタイトルを獲るこ とができて、非常にいいシーズ

ンでした。また個人的にはスーパーフォー ミュラでもタイトルを獲ることができ、最 高の1年でしたね。

このJAFモータースポーツ表彰式は久々 に来たんですが、ここはいい成績を残さな いと来られない場所。そういう意味では、 JBと一緒に来ることができたということは 非常に嬉しいです。

JBはF1の元ワールドチャンピオンとい うことで、今シーズンは注目もされ ていましたし、彼が求められている ものというのはかなり高いところに あったと思うので、大きなプレッ シャーがかかる中でのシーズンだっ たと思います。でも、このように素 晴らしい走りと結果を出しました し、プレッシャーと上手く戦う姿は すごく参考になりました。あとは、 クルマから降りている時の姿が印象 的でした。走りだけでなく、たくさ んのファンを魅了する姿や対応も含 めて素晴らしいなと思いました。

スーパーフォーミュラに関しては、1回 目のチャンピオンは2013年でしたが、あ の時も最終戦で勝たないとチャンピオンに なれない状況でした。ただ、タイトル争い をするライバルであるロイック・デュバル 選手とアンドレ・ロッテラー選手が最終戦 を欠場した中で獲得したチャンピオンだっ たというのが、2018年との大きな違いだっ たと思っています。あの時は見ているファ ンの皆さんもそうだったでしょうが、自分 としても真のチャンピオンではないなとい う思いがずっとありました。そういう意味 では、第2戦のオートポリスが中止になり、 全戦で戦ったわけではないですが、しっか りライバルと1年間戦った中でチャンピオ ンを獲得できたので、1回目のチャンピオ

全日本スーパーフォーミュラ選手権/全日本フォーミュラ
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スーパーフォーミュラ ドライバー 山本尚貴選手

スーパーフォーミュラ チーム KONDO RACING

スーパーフォーミュラ メカニック賞 MUGEN

フォーミュラ3ドライバー 坪井翔選手

フォーミュラ3 チーム カローラ中京 kuo TEAM TOM'S

フォーミュラ3 エンジンチューナー

FIA-F4ドライバー 角田裕毅選手

GT500 クラスドライバー Jenson Button 選手

GT500 クラスチーム TEAM KUNIMITSU

FIA-F4 チーム Honda フォーミュラ・ ドリーム・プロジェクト

ンよりも重みと実感があるなというのが正 直なところです。

タイトルを獲る上でラクなシーズンでは なかったですね。辛かったといえば辛かっ た。ただ、得意な鈴鹿の開幕戦でまず勝っ て、そのあとのSUGOも戦略が上手くハ マり、レース展開にも恵まれて2勝目を挙 げることができました。それによって、 チャンピオンをどこかで意識し始めていま した。自分でも分かってはいましたが、鈴 鹿以外のサーキットで結果を残せていない 過去があったので、何とか最終戦の鈴鹿ま で上手くポイントを重ねて戦えたら…とい う気持ちが出てきて、それが失敗だったか なと思います。

全日本フォーミュラ3選手権シリーズ を統括する日本フォーミュラスリー協 会による表彰式。坪井選手、宮田選 手、笹原選手、そしてF3-Nクラスの J.パーソンズ選手に賞が贈られた。

GTアソシエイションによるGT500 クラスの表彰式。RAYBRIG NSX-GT の山本尚貴/ジェンソン・バトン 組、そしてTEAM KUNIMITSUの高 橋国光総監督が表彰された。

最終戦の時は、自分の気持ちが80~ 90%くらいのところで行けたらいいなとい う思いで臨みました。100%と思うと行き 過ぎてしまうタイプだと分かっているので。 でも金曜日の会見でライバルたちが「やれ ることをやるだけ」みたいなことを言ってい て、それでスイッチが入りました。「絶対に 勝ってやる」という風に。そんなモードは初 めてでした。その最終戦ではKONDO RACINGの2台、特にニック・キャシディ 選手が強敵でした。最後はコンマ6秒差で 決着が着きましたが、良きライバルがいた からこそ盛り上がったレースでしたよね。

自分としても志を高く持って「どのドライ バーにも負けないように頑張らないと」とい う思いが今回の結果に少しでもつながった のかなと思いますし、ライバルにも感謝し たいです。本当にいいシーズンを過ごすこ

とができました。

そのスーパーフォーミュラ最終戦から スーパーGT最終戦までは、非常にストレ スのかかる1ヵ月でした。もちろん期待さ れていたことも分かっていましたし、2つ のカテゴリでチャンピオンを獲れば、歴史 にまた1つ名前を刻めるということで、

GTアソシエイションによるGT300ク ラスの表彰式。LEON CVSTOS AMG の黒澤治樹/蒲生尚弥組、そしてK2 R&D LEON RACINGの溝田唯司監 督が大きなトロフィーを手にした。

スーパーGT最終戦は非常に緊張した週末 ではありました。でも、JBであったり、周 りの人たちがたくさん協力してくれて、サ ポートしてくれたおかげもあって、自分の 力を100%発揮することができたと思いま すし、そのことが一番良かったなと思って います。

今後、ドライバーとして、勝ち星だった りとか、成績をもっと残していくというの はもちろんですが、小さいお子さんだった り、たくさんの方が見ているカテゴリなの で、そうしたファンの方々を魅了できるよ うなレース、戦いを見せたいなと思ってい ます。

GT500 クラスドライバー 山本尚貴選手 GT300 クラスドライバー 蒲生尚弥選手 GT300 クラスドライバー 黒澤治樹選手 株式会社トムス GT300 クラスチーム K2 R&D LEON RACING
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Jenson Button 選手

FIA インターナショナルシリーズスーパー GT

GT500 クラスドライバーチャンピオン

フル参戦 1 年目で手にした GT500 クラスの栄冠

ャンピオンシップを獲るというの は、いつだってファンタスティッ クだよね。だからこそ今日、この 表彰式にいるわけだけど、ここに来るため に戦っているし、年間8レースを通じてベ ストでいようと努めてきた。その結果、最 終戦もてぎの最終ラップ、あの1分30秒間 でチャンピオンを獲得することができて、 とても感動したし、グレートな気分だった。

表彰式に来て、他のカテゴリの勝者たち

とステージをともにするというのも、とて も気持ちがいいし、好ましい雰囲気だよね。

黒澤治樹選手/蒲生尚弥選手

FIA インターナショナルシリーズスーパー GT

GT300 クラスドライバーチャンピオン

チーム

澤治樹選手:皆さんに表彰してい ただいて、その度に嬉しさが出て くるんですけど、JAFモータース ポーツ表彰式の今日も改めて出てきました。

去年は2位で表彰を受けていますが、 チャンピオンっていうのは撮影があったり 取材があったり色々なことがあって、「全然 違うな。やっぱり1位と2位ではこんなに差 があるんだ」っていうことを感じています。

今年、タイトルを決定づけた最終戦での 優勝は、まずブリヂストンさんがいいタイ

坪井翔選手

全日本フォーミュラ 3 選手権ドライバーチャンピオン

圧倒的

改めて表彰されるのは素直に嬉しい ですね。表彰されればされるほ ど、「ああ、チャンピオンを獲っ たんだな」という実感が湧いてきます。

今年はフォーミュラ3で3年目だったの で、獲って当たり前かなという感じでした。

去年は2位だったんですけど、タイトルを 争える位置にいましたし、取りこぼしがな ければ十分にチャンピオンを狙えるスピー ドはあると思っていました。「獲るしかな

ヤを用意してくれたこと。次にチームが頑 張っていい作戦を考えてくれたこと。そし て蒲生選手が頑張ってくれて、いい位置を い」という気持ちで臨んでいたので、実際に 獲ることができてホッとしています。

今シーズンの各レースでは、結果を出さ なければならないというプレッシャーはあ りましたし、自分にプレッシャーをかけて いた部分もあります。1~2年目は、それ ぞれに良い所と悪い所があって、両極端な シーズンを送っていたので、それをまとめ さえすればチャンピオンが見えてくると 思っていました。

誰もが成し遂げたいと思っている「勝利」の 感動を分かち合うことができるんだから。 すべての競技者にとって、勝利というのは とても意味のあること。そして、その感動 的な瞬間や思い出を僕も心の中にとどめて いる。だけど、すでにこの勝利、チャンピ オンシップを再び手にしたいと思っている

守ってくれた。という3つが決め手だった と思います。

今までは僕がドライバーとして"引っ張 らなきゃ"とか意識していましたが、ここ1 ~2年、蒲生選手がすごく速くなってきた ので、蒲生選手を気持ち良く走らせるには どうしたらいいのかということに重きを置 いて、タイヤの作り方やクルマの作り方を ポイントも"1点"というのがすごく大事 なんだということを去年、身に染みて感じ ていたので、レースをする上で「とにかく1 点でも多く獲る」ということを意識していま したね。優勝は当然ですけど、PPだったり

一丸となってチャンピオンへと躍進
14
な速さで 16 勝を挙げて文句なしの王座

よ(笑)。いつまでも喜んでばかりはいられ ないけど、今日は喜びを味わうようにして いる。

日本での仕事は言葉の問題があるから、 常に多少の難しさはあるよね。山本選手や 伊予木エンジニアは英語が喋れるけど、そ れでも違う言語の中では、幾つかの単語は 使い方が違っている。だけど、一緒に過ご す中でお互いに理解が深まった。山本選手 がチームと仕事を進める上での十分な経験 を持っていて、クルマのセットアップや開発 に関しても懸命に仕事をしてくれた。それが 今シーズン、僕の大きな助けになったよ。

スーパーGTは、ニューカマーにとって 多くのエリアに難しさがあるカテゴリ。タ イヤのピックアップ、コールドタイヤ(タイ ヤウォーマーをかけていない冷えたタイ

進めてきました。そして今までとは逆に、 自分がそれに合わせていくというかサポー ト役に回りました。

速いドライバーを速く行かせて、自分が 何とかそれに追いついて走るというか。そ

ういう風に変えてから、グリッドもいい位 置を取ってきてくれますし、去年と違った のは取りこぼしだと思いますね。去年は取 りこぼしがあってチャンピオンを取れな かったんですけど、その部分をなくし、ミ スなく行こうというのが、タイトルにつな がった要因だったと思います。

チームの中の各部署でみんながしっかり 仕事をしてきてくれて、問題があった時は、 その問題を共有できるような組織づくりを やってきましたが、それが取りこぼしのな い強みになったかなと思っていますし、今 後、綻びが出てもみんなで補修していける

ヤ)。僕にとっては、クルマの重量や着座 位置など色々あった。経験を積んでいく中 でそういうことには慣れていったよ。ただ、 そういうことに慣れた後でも、タフなシ リーズであることに変わりはないね。

GT500には戦闘力が高いクルマが15台 いて、抜いていかなければならない GT300のトラフィックがある分、どの周を とっても他と同じラップというのは全くな いんだ。常に、経験ではなく、その場の出 来事に合わせて運転しなければならない。 毎回、周りで起こっていることが違うから。

それに、スーパーGTには技術が高い多 くの日本人、そして外国人ドライバーがい る。これは僕にとっては最大の驚きだった。 こんなに多くの才能あるドライバーが、こ こにいるっていうことを知らなかったんだ。 と思いますね。

蒲生尚弥選手:昨年は2位で同じ場 で表彰を受けましたが、今年は チャンピオンとしてこの場に帰っ て来られて良かったです。重みを感じると いうよりは、僕としてはチャンピオンを獲 れてホッとしている方が大きいですね。

タイトル獲得となった最終戦の優勝に関 しては、みんながミスなくやってくれたこ とやタイヤを含めて良かったというのもあ りますが、もうひとつかなり大きかったの は"運が良かった"ということ。結構、僕ら に運が来ているようなレース展開というの もありました。その辺の全てが噛み合った 結果かなと思います。

レースをするには、環境とかそういうこ ともすごく大切ですが、黒澤選手がチーム 代表として、そういう環境を一生懸命作っ

だけど、それぞれ違う背景を持つ多くの才 能あるドライバーたちがいるというのが、 スーパーGTというカテゴリの素晴らしい 一部分でもあると思っているよ。

ファステストラップだったり、そういうポ イントにもすごくこだわりました。結構、 毎回プレッシャーはありましたよ。

結果だけ見ると楽勝だったように見えて いると思うんですけど、開幕戦の最初の予 選でいきなり宮田選手にPPを獲られてし まって、流れとして危ない状況でした。流 れが大事だと思っていた矢先にいきなりで したから。ただ、その決勝で勝てたという ことが、自分に流れを引き寄せたのかなと も思いますし、あの開幕戦の第1戦が今年 を決めたんじゃないかと思っています。

レースの戦い方や精神面で強くなった部 分はあると思いますが、メンタルでも技術 面でも色々な面で足りない部分はあると思 うので、さらに成長していきたいですね。

全日本カート選手権

てくださっている。なので僕が意識してい るのは、とにかく走ること。集中して一生 懸命最後まで諦めずに走ることを意識して います。

チームのみんなの目標が同じ方向に向 かっていて、無理せずに意識の統一ができ ていると思いますし、それがチームの強さ だと思いますし、来年も連続チャンピオン を獲得できるように、頑張りたいですね。

FS-125 部門 髙口大将選手
OK 部門 佐藤蓮選手
15

全日本ラリー選手権

JN1ドライバー 古川寛選手 初タイトル

JN2ドライバー 長﨑雅志選手 初タイトル

JN3ドライバー 天野智之選手 5年連続10回め

JN4ドライバー 関根正人選手 初タイトル

JN5ドライバー 小濱勇希選手 2年連続2回め

JN6ドライバー 新井敏弘選手 3年ぶり4回め

JN1 ナビゲーター 廣田幸子選手 初タイトル

JN2 ナビゲーター 秋田典昭選手 初タイトル

JN3 ナビゲーター 井上裕紀子選手 9年連続11回め

全日本ダートトライアル選手権

JN4 ナビゲーター 草加浩平選手 27年ぶり3回め

JN5 ナビゲーター 馬場雄一選手 3年連続3回め

JN6 ナビゲーター 田中直哉選手 3年ぶり2回め

SA2 高江淳選手 初タイトル

JAFカップオールジャパンジムカーナ優勝者の皆さん。PN1福田大輔選手、PN2工藤典史選 手、PN3大坪伸貴選手、PN4金子博選手、PN Women東方紀美恵選手、SA1阿戸幸成選 手、SA2前田忍選手、SA3金子進選手、SA4村上公一選手、SC町田和雄選手。(左から)

SA2

鎌田卓麻選手 3年ぶり3回め

JAFカップオールジャパンダートトライアル優勝者の皆さん。PN1工藤清美選手、PN2河石潤 選手、PN Women人見雅子選手(欠席)、N1濱口雅昭選手、N2岸山信之選手、SA1小山健一 選手、SA2黒木陽介選手、SC1山崎迅人選手、SC2橋本和信選手、D河内渉選手。(左から)

PN1 斉藤邦夫選手 2年連続11回め PN1 山崎利博選手 6年ぶり3回め SA3 小俣洋平選手 3年連続3回め SC1 山崎迅人選手 2年連続2回め PN3 ユウ選手 2年連続2回め N1 岡翔太選手 2年ぶり2回め SC 西原正樹選手 2年連続9回め D 谷田川敏幸選手 6年連続15回め SA1 若林拳人選手 2年連続2回め SA1 小山健一選手 初タイトル PN2 山野哲也選手 2年連続18回め PN2 細木智矢選手 2年連続2回め SA4 津川信次選手 5年連続8回め SC2 田口勝彦選手 2年ぶり3回め PN4 茅野成樹選手 2年連続10回め
4年ぶり3回め
N2 北條倫史選手
全日本
17
ジムカーナ選手権

内モータースポーツファクトリ ーの名門、キャロッセは2018 年、兼ねてからアジア地区を中 心に参戦を続けてきたAPRC(FIAアジア パシフィックラリー選手権)へフル参戦する ことを決定、シュコダファビアR5を駆っ

た炭山裕矢/保井隆宏組が最終戦を待たず にチャンピオンを獲得した。日本人クルー が2人揃ってAPRCの王座に就くのは史 上初の快挙となった。

フル参戦の話を最初に聞いた時は率直 にどう思いましたか?

イトルを獲れば当然、対外的 にもアピールできるので、タ イトルを狙うというのも当然、 あったと思いますね。

APRCのアジアカップ は何度も獲得している炭山選 手ですが南半球のラリーはほ ぼ未体験です。ニュージーラ ンド(NZ)、オーストラリアと 続いた序盤はどうでした?

炭山 NZは2008年に1回走 っただけだったので、レッキの 段階でまずノートをどう作る か、悩みました。NZは道は広 いけど、ラインは1本しかな い。一発やったら終わりってい う道ばかりなんですが、そこをどれくらい の速度で入ったらいいかが、なかなか掴め ないんです。最後はそれなりのリズムで走 れたけど、クルマについてもまだ6~7割 程度掴めたという感じでした。

オーストラリアはこれまで走ったこと が一度もなかったんですけど、レッキの 印象よりも走ってみると難しい道なんで す。日本は景色からその先の道の感じが 分かったりするけど、海外はそれが通用 しない。ジャンクションも複雑なのでノ

今まで果たせなかったアジ・パシを

プレッシャーはアジア・カップ以上

炭山裕矢

炭山 キャロッセのAPRC活動の中心は、 自社製作したヴィッツ4WDをAPRCの実 戦を通して開発していく、という所にあるん ですが、そのベンチマークとして同じチーム で違うクルマを走らせようじゃないかとい うことで2017年の途中からシュコダR5を 導入したんです。自分はヴィッツ4WDの開 発に当初から関わっているので、逆にシュコ ダに乗ることでヴィッツへのフィードバッ クを期待されているのだと思いました。

ただR5はそれまで日本人は誰も乗ってな かったので、そのクルマで日本のチームがタ

ートの表記なども考えないといけないので、 ひたすら難しかったですね。ただ2戦続け て結果が残せたので、チームとしては、獲 れるものは獲るしかないという雰囲気にな ったと思います。ただしアジアカップの時 とはプレッシャーがやっぱり違いましたね」 続くマレーシアでは危機一髪のアクシ デントがあったと聞きましたが。

炭山 レッキの時にスコールで何も見えな かった所でコースオフしたんです。もう終わ ったと思いました(笑)。クルマにダメージが なかったのが幸いで、何とか復帰できて3連 勝できました。

2017年のこのラリーからシュコダを 運転したわけですがR5は難しいですか?

2018FIAアジア・パシフィックラリー選手権ドライバーチャンピオン
18

タイトルのためにはリタイヤは厳禁だった。「僕とコ・ドラの保井の役割は、どのラ リーもまずしっかりと走り切って結果を残すことにあるといつも肝に銘じました」

炭山 良くも悪くもクルマが軽いので、飛び 込む速度が適性じゃないとコーナーできれ いに姿勢を維持できないんです。中途半端に 遅いとクルマがフラフラするし、速すぎると 行き過ぎちゃう。軽い分、ブレーキで勝負で きるので、高速からタイトコーナーに入って いくような所は速いです。基本、レーシング カーなので乗ってると凄く楽しいんですが、 その先に難しさが出てくる感じです。クルマ

瞬間はどうでしたか? 炭山 もちろん嬉しさ はありましたが、それよ り自分の任務をひとつ 果たせてホッとしまし た。チームに関わるメ ンバーがある程度のと ころで揃わないと獲れ ないタイトルだと思っ ているので、それがうま く行ったのが勝因です

よね。自分一人で獲れ たとは一切思ってない です。

長らくキャロッセ の社員ドライバーだっ た炭山選手ですが、夏 に家業(全日本ダート

トライアルドライバーである父親の炭山義 昭氏が営むモータースポーツショップ、 ZEAL by TS-SUMIYAMA)を継ぐた め、退社されましたよね。社員ドライバーと して最後の年に、大きなタイトルを獲得で きたということに関してはどんな気持です か?

炭山 キャロッセという会社は、亡くなられ た創業者である加勢さんがやっていたラリ ーというものがやはり根底にある会社だと思 います。僕はダートラやってた時に、「今度、柳 澤というのが社員で入るんだけど、お前とは 正反対の運転をする奴なんで、お互いいい所 を認め合って切磋琢磨すれば、2人ともいい ドライバーになれると思うんだけどな」と加 勢さんに初めて声をかけてもらったのがきっ かけで、入社させてもらったんです。

12月初旬、ロシア・サンクトペテルスブルクで行われたFIA モータースポーツ表彰式では、コ・ドライバーの保井隆宏と ともにチャンピオンカップを授かった。

-今後は一人のモータースポーツドライ バーとして再出発する形になりますが、抱 負を聞かせて下さい

炭山 もちろん関わらせてもらえるなら、今 後もまずはお世話になったキャロッセの仕 事を最優先して考えていきたいと思ってい ます。ゆくゆくは親父がやってきたことを続 けてやっていく形になると思うので、ダート ラにも復帰したい。モータースポーツのキャ リアは、一旦途切れると復帰は難しいと思っ ているので、いずれにせよ、来年も何らかの 形でモータースポーツには関わっていきた いと思っています。

の脱出速度が速い分、次のコーナーがすぐ来 るので、ノートが追いつけなくなって、情報 を逆に省かなきゃいけないといった難しさ もありました。

名門キャロッセのラリー活動の 歴史に金字塔を打ち立てられた

ラリー北海道もライバルが早々に脱落 して楽な展開になりましたが。

炭山 勝負がついた後に集中力を維持する というのは案外、難しいんですよ。中途半端 なペースで走るのが一番危ないので、イケる 所と抑える所のメリハリをはっきりさせな がら何とか走り切った感じでした。

その北海道でチャンピオンが決まった

多分、柳澤さんも僕も、一人だけじゃ、 ここまでやれなかったと思うので、桜井さ んや大嶋さんが受け継いだキャロッセのラ リーの伝統を2人で繋ぐことができて、僕 自身、最後こういう結果が残せたことは良 かったと思っています。ラリーや仕事を通 じて色んな世界を見させてくれたキャロッ セには本当に感謝しかないですね。

プロフィール

父親は全日本ダートトライアル選手権の 改造車のトップドライバーとして知られる 炭山義昭。1999年には弱冠22歳で父親と ともに全日本ダートトライアル選手権の チャンピオンに輝く。その後、キャロッセに 入社し、ラリーに転向、全日本選手権から APRCにステップアップし、これまで3度、 アジアカップ王者に輝いている。

フォト/谷内寿隆、小竹充、キャロッセ インタビュー/JAFスポーツ編集部(P.18〜P.20) パシを獲
以上だった
るという

保井選手は2011から2年間、同じク スコラリーチームで番場彬選手のコ・ドライ バーとしてAPRCフル参戦は体験済みで す。当時の経験は役立てられましたか?

保井 NZは知っている道はありましたが、 豪州は前回とはエリアが全然、違ったので正 直、過去のデータはほとんど生かせなかった ですね。

シュコダR5は昨年のマレーシアから 乗ってますね。

保井 NZのような高速ラリーも昨年、マレ ーシアの後のラリー北海道で一度経験して ますが、トラブルであまり高速ステージを走 れなかったのでNZはちょっと難しかった ですね。やはり日本にはない道の形状があっ

たりするので、どう表現するかというボキャ ブラリーについてはスタート前に裕矢さん とディスカッションしました。

-前半の南半球の連戦がやはり重要だと思

ってましたか?

保井 僕自身はそんなにチャンピオンとい うことは意識していなくて、むしろ1回でも 壊したら、シリーズがそこで終了になる可能

性もあったので、まずは走り切ることを一番 に心がけました。ラリーが終わったら次の開 催地に向けてすぐコンテナに積まないとい けなかったので、仮にクラッシュすると、直

せるのは次の開催地の現地で、しかもラリー 直前になってしまうので、それだけは避けた かったんです。

-マレーシア、北海道と比較的、勝手知った るラリーはどうでしたか?

保井 NZ、オーストラリアでは慎重すぎる のでは、と感じた裕矢さんも、マレーシアで は今年一番の走りかできたんじゃないかと 思います。僕も裕矢さんも経験を積んだこと で、マレーシアは路面の色を見ればグリップ が判断できるくらいにはなってましたから、 裕矢さんもリズムが摑めたんだと思います。

まぁコースアウトは一旦、完全に道の上から いなくなってしまったことを思えば戻れた

のはラッキーでしたけど(笑)、レッキでスコ ールに見舞われたとはいえ、ノートの精度を もっと上げられたと反省しています。

国内ラリーと比較した場合のAPRC の難しさはどういう部分ですか? 保井 やはり日程や距離が長い分、APRC は相応な準備が必要になります。ラリー中も 距離が長いですから、例えば途中でパンクし たような場合、全日本だったら普通走り切り ますよね。でも距離が長い海外では、そのま ま走り切るか、タイヤを交換するか、どちら がロスが少なくてすむかと言ったことも瞬 時に計算できなければいけないので、僕はフ ロント、リアそれぞれがパンクした場合のロ スタイムをキロ単位で予め計算してラリー に臨んでいました。

もうキャロッセチームの一員として国 内外問わず、欠かせない存在の保井選手で すが。

海道の時も割と静かにフィニッシュしたと 思います。ただ今回、FIAの表彰式に出て欧 州のコ・ドライバーと話をしたら、FIAのリ ージョナル選手権(FIAが統括する地域選 手権。APRCもそのひとつ)のチャンピオン という肩書があるだけで、欧州では一流の コ・ドライバーとして認められるんだと言わ れました。持ってるか、持ってないかで全然 違ってくるのだ、と。

-じゃあ、それを使わない手はないですね。 保井 去年、フランスへラリーを見に行った んですが、やはりさっき言ったボキャブラリ ーの少なさを痛感しました。そういう時の対 応力というか引き出しの多さが課題だと思 っています。ただ現地のラリーに実際に出て みないと、やはりそういうのは分からないと 思うんですよ。自分の視野を広げるために も、海外のラリーにも積極的に参戦していき たいですね。

“有効活用”していきたい

2018FIAアジア・パシフィックラリー選手権コ・ドライバーチャンピオン

保井 毎年、声をかけてもらうのは 有難いことだと思っています。多 分、自分に声がかかるのは整備の 経験もあるので、クルマをある程度 知っているということが評価され ていると思っています。例えば、ラ リーカーに乗っている間は異音や 振動を常に気にして、早く異常を検 知できるようにしています。そうす ればサービスも準備できるし、迅速 な作業が可能になると思うんです よ。ただ今年乗ったR5は、もうその 段階でお手上げというクルマでし たけどね(笑)。大きなトラブルが起 こらなくて良かったです。

日本人として初めてAPRC のコ・ドライバーチャンピオンを 獲得しましたが、どんな感想です

か?

保井 僕も裕矢さんもどっちかと いう、映画のOVER DRIVEみた いに、やったぜって拳を振り上げる

タイプではないので(笑)、ラリー北

プロフィール  2008年、28歳の若さで勝田範彦 のコ・ドライバーを務める。通算12 勝をあげながらも全日本は未冠だ。

保井隆宏
これから
APRC チャンピオンの肩書を、
保井のコ・ドライバーとしての力量には炭山も絶対の信頼を置く。 チェンジオブペースのあ・うんの呼吸がタイトルを導いた。
21

年 J A F

JAF全日本ラリー選手権JN6ドライバー新井敏弘選手/JN6ナビゲーター田中 直哉選手/JN4ドライバー関根正人選手/JN2ドライバー長﨑雅志選手/ JN2ナビゲーター秋田典昭選手/JN1ドライバー古川寛選手/JN1ナビゲー ター廣田幸子選手、JAF全日本ジムカーナ選手権PN2山野哲也選手/SA1高 江淳選手、JAF全日本ダートトライアル選手権SA1小山健一選手、JAF全日本カー ト選手権OK部門佐藤蓮選手/FS-125部門髙口大将選手

Toward

全日本同一カテゴリー通算100勝獲得 JAF全日本ジムカーナ選手権PN2チャンピオン

【やまのてつや】1965年東京 都生まれ。学生時代にジム カーナ競技に触れ、全日本選 手権へステップアップする傍 らでレース活動も開始。2004 年から3年連続で全日本GT 選手権GT第2部門及びスー パーGT300クラスタイトル を獲得。全日本ジムカーナで は18回のタイトルを獲得し ており、2018年第3戦では全 日本ジムカーナ通算100勝を マークする偉業を達成した。

島県のエビスサーキット西コースで4月21 ~22日に開催されたJAF全日本ジムカー ナ選手権第3戦で、全日本ジムカーナ通算 100勝目を挙げた山野哲也選手。今季はPN2で7勝を 挙げて、第7戦スポーツランドSUGO西コースで、 2018年の全日本タイトル確定一番乗りを果たした。

そして11月30日に行われたJAFモータースポーツ 表彰式では、全日本同一カテゴリーにおける初の100 勝達成者として、ル・マン24時間耐久レース優勝の中 嶋一貴選手らと並んで、特別賞が授与されている。

フォト/堤晋一、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部

山野選手と言えば、多くの人は1999年から15年間 参戦した、JAF全日本GT選手権及びスーパーGTシリ ーズ300クラスの選手、つまりレーシングドライバーと しての顔を、まず先に思い浮かべるだろう。

全日本GT選手権最終イヤーの2004年にはGT第2 部門で初タイトルを獲得、スーパーGTシリーズへと 生まれ変わった2005年から2年連続で300タイトルを 獲得した華々しい経歴は、まだ記憶に新しい。 そんな山野選手は、学生時代に出会ったジムカーナ 競技に惚れ込み、1980年代から現在まで参戦を続けて

全日本ジムカーナPN2 山野哲也選手 全日本ラリーJN6ドライバー 新井敏弘選手
全日本ラリーJN6ナビゲーター 田中直哉選手
山野哲也
選手
100
22
﹁ジムカーナをやめない﹂理由とは勝しても生涯現役!

the Glory

いる。全日本ジムカーナ選手権を主戦場としてからも、 レーシングドライバーと掛け持ちする忙しい毎日を送り つつ、ジムカーナ参戦は欠かさず続けてきた。

そして、全日本100勝を挙げた第3戦エビス西の表 彰式では「生涯ジムカーナを続けていく」と発言。実は このセリフ、何十年も前から、ことあるごとに口にして きた、山野選手の「主義」として知られている。

これだけの経歴を持つ人物なら、レース業界でも引 く手あまた。違う道を歩むことも可能なはずだ。

それでも、「ジムカーナをやることで、今でも自分の 技量が上がっている」、「ジムカーナで運転がうまくな る」、そして「ジムカーナは生涯やめない」と公言してい る山野選手。ここでは、その真意を直撃した。

ジムカーナはすべて自分の責任

「自分の原点は、100%ジムカーナにあるのは確か。知 ったきっかけは10代の頃にたくさん読んだクルマの本。 『ジムカーナは一人で手軽にできる。スピンターンなど を駆使してタイムを削る……』なんてことが書いてあっ て、それなら自分でもできそうだ、ってね」。

ジムカーナの競技会デビューは、雑誌の企画。大学 生の頃に借り物のアルトワークスで初参戦となった。

「実は、デビュー戦で転倒しちゃったんだ(笑)。でも、 転倒するまでの30秒間で、『これは自分との戦いなん だ。ライバルは他人じゃない』ってことに気付いた。ジ ムカーナは全車が走り終わってから順位が分かるから、 それまでは他人とかを気にしても仕方ないんだよね。

自分のベストを尽くすだけ。すごくシンプルという か、誰の責任でもなく、他人のせいにしなくていい。そ れで面白いな、と思ったのがハマった理由かな。

転倒でリザルトは残らないし、クルマを貸してくれ た人々や雑誌の編集部の人にも、めちゃくちゃ叱られ たけど、自分としては、自分の技量が不足していること が理解できたので、この経験のおかげで、『運転がうま

くなりたい』っていう思い が強くなったんだよね。

大学4年の頃は、地区 戦やフレッシュマン戦を 始め、雑誌やショップ、 大学主催の草ジムカーナ

まで、年間50戦ぐらい

出てたんだ。目的はハッ キリ決まってて、勝ちに 行く大会……つまり、自 分の勝ちパターンを知る

11月に行われた2018年JAFモータースポーツ表彰 式では、全日本ジムカーナ第3戦で全日本同一カテ ゴリー通算100勝を達成した山野選手に対し「JAF モータースポーツ特別賞」が授与された。

ために出る大会と、負けに行く大会を分けていた。

これは、負けるために出るんじゃなくて、勝てないと 分かっていても、チャレンジすることによって、自分の 持っていない技量を身に付けるという考え方。もっとう まい人たちの間に入って、自分が揉まれる環境に足を 突っ込むという挑戦を、ずっとやっていたんだ」。

テクニックを培ったのは

「もともと『レーシングドライバーになりたい』と思って 走っていたわけじゃないので、レースをやらせてもらえ たおかげで、『自分の得意分野がレースにもあった』と いうことが、分かった感じだったよね。

でも、そのレーシングテクニックをどこで培ったのか を考えると、もちろんレース参戦でも技量は上がったけ ど、スーパーGTでは初年度から表彰台に上がれたの で、『スーパーGTで培った』とは言えないかな。

やっぱり、培ったのはジムカーナ。もしくは、ジムカ ーナの後でシビックレースとか、N1耐久をやったこと でテクニックを培ったということかな。

自己分析すると、自分は環境変化に強い。例えば、 雨が降ったりとか、クルマが壊れたとか、ギヤが入ら ないとか、エンジンが不調とか、ブレーキが効かない とか、デフが壊れたとか。極端に言えばタイヤがパン

全日本ダートラSA1 小山健一選手 全日本ラリーJN1ドライバー 古川寛選手 全日本ラリーJN2ドライバー 長崎雅志選手 全日本ラリーJN2ナビゲーター 秋田典昭選手 全日本ラリーJN1ナビゲーター 廣田幸子選手 全日本カートOK部門 佐藤蓮選手 全日本カートFS-125部門 髙口大将選手 全日本ジムカーナSA1 高江淳選手 全日本ラリーJN4ドライバー 関根正人選手
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クしてるとか(笑)。そういう状況でも、そのときにでき る、精一杯のいいリザルトを残せる自信がある。

その自信の裏付けは、ジムカーナから来てる。

自分はジムカーナをやると技量が上がるって言って るけど、それはジムカーナという競技が『同じコースを もう一度走れるのは、一生に一回だけ』だから。

つまり、これから攻めるコースに対して、体を慣らす 時間がないんだ。雨だろうが風だろうが、暑かろうが 寒かろうが、ジムカーナは、クルマが動き出したコン マ2秒後には計測が開始されてしまう。これほどウォー ミングアップがないスポーツって、あんまりないよ」。

“ピーク”付近のやり取り

「ジムカーナは、いきなり最大のパフォーマンスを引き 出さないといけなくて、引き出し足りなかったらタイム が出ない。そして、引き出しすぎてもダメなんだ。

“ピーク”があったら、ピークの手前もダメだし、ピ ークを過ぎちゃっても遅くなる。そのピークは、アンダ ーステアとオーバーステアの間だったりするんだけど、 アンダーでもオーバーでも、全部タイムが遅くなる。

そのピークをスタートのコンマ2秒後に引き出して、 それをゴールまで維持し続けないといけない。しかも、 それを、知らないコースでやらなきゃいけない(笑)。

スタート直後に雨が降っても、ベストタイムを出しに いかないと負けてしまう。そういう環境でも、ピークに 持っていくために挑戦して、行きすぎないように抑え、 でもチャレンジしないとピークには届かない……。

ジムカーナでは、そういうピーク付近のやり取りを、 恐らく1000分の何秒単位でやってると思うんだ。

反応時間は速くなければいけなくて、反応時間とは、 タイヤが路面に対してピークグリップを引き出している

表彰式では2018年全日本ジムカーナPN2チャンピオンとしてもス テージに登壇した山野選手。松本敏選手や河本晃一選手らPN2で 激戦を共にしたライバルたちも笑顔で山野選手の偉業を祝福。

かどうかを、汲み取って、もしくはタイヤからの伝達情 報に対して、すぐさま操作を返してやる時間。

ジムカーナは、それができるかできないかの勝負な んだよね。ピークを引き出し、修正し、チャレンジす る、みたいなことを短時間でやるから、自分としてはそ こが一番勉強になっている。こういう難しい挑戦を続 けてきたことで、自分とクルマのパフォーマンスを瞬時 に引き出す技量や、環境変化への対応力が培われてき て、それが『自分の技量を上げている』、『運転がうまく なる』と言っている理由なんだ。『ジムカーナが自分を育 ててくれた』と感じるところも、そこにあるんだよね」。 2分に満たない限られた時間の中で、最大限のパフ ォーマンスを発揮し続けなければいけない。そんな性 格を持つジムカーナに真剣に取り組む環境に、自分の 身を置き続けて切磋琢磨することが、現在に至っても、 自分の進化に繋がっている、ということなのだ。

できない環境も自分の責任

「スタートからゴールまでの間以外でも、例えば、『あ のタイヤを持ってきて良かった』なんて事態も含めてだ ね。『雨が降るなら山のあるタイヤを持っ てくればよかった』とか、未だにあるから (笑)。例えば別スペックのダンパーとか、 スプリングやタイヤ、スペアパーツがあ るかないかとか。

モータースポーツはスタートからゴー ルまでを短い時間で走って最高のリザル トを得ることが最終目標、というか基本 だけど、それにしっかり集中できない環 境になってしまうのも自分の責任。そう いう意味でも、準備から片付けから、次

2017年からカウントダウンステッカーを表示してい た山野選手。「NOW 99 WINS」で挑んだ第3戦エビ ス西大会。後に三桁の数字を掲げてコンプリート。

2018 年 J A F
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2018年JAF全日本ジムカーナ選手権第7戦 8月4~5日/スポーツランドSUGO西コース

こちらも晴天に恵まれたSUGO西大会。路面状況は苦しかったものの、山野選手は第1ヒート で後続を約コンマ8秒引き離す暫定ベストを叩き出す。第2ヒートはタイムダウンに終わった が、万難を排して挑んだ第1ヒートのタイムで「V18」を確定させた。

2018年JAF全日本ジムカーナ選手権第3戦 4月21~22日/エビスサーキット西コース

晴天に恵まれたエビス西大会。車両トラブルに見舞われた山野選手は第1ヒートは2 番手。しかし、第2ヒートでは自己タイムを更新してベストタイムをマーク。後続で最 終走者の河本晃一選手は届かず2番手。この結果、山野選手の100勝目が決まった。

への展望まで、ジムカーナはいろんな事を教えてくれ ているんだ」。

レースのように大きなチーム体制を組まなくても、真 剣に取り組めば、最小限の単位で本格的な “レーシン グ”ができる。あらゆるレーシングな要素が凝縮されて いるのがジムカーナ、というわけだ。

「何かしら、やり切れなかったときの悔しさみたいなも のが残ったりすることがあるじゃない。でも、それは目 一杯やってないからなんだよね。ジムカーナは、2分足 らずに凝縮されている。それだけに、『ここまでやって 勝てなかったら、全然悔しくない。今日はもう完敗、む しろ清々しい!』みたいに思えることもある。

これは日常のすべて、仕事などにも繋がってる。クル マの運転の仕事だけじゃなくて、短い時間で仕上げる、 効率みたいなところも含めたすべてにね。準備や確認 が大事だったり、自分の生活から人生のプランニング など、すべてが繋がってるな、という感じがするね。

よく言うじゃない。一芸に秀でて一つを極めるほど、 他にも転用できるって。自分はそれがジムカーナで、 レースやラリー、パイクスピーク・ヒルクライムなど、 他のカテゴリーにも転用できたんだ。さらには、直接 関係がない仕事や生活にも応用できたってワケ。

これはすべて、最初にジムカーナをやったおかげな んだけど、実は、『ジムカーナ選手』って言われるのは 好きじゃない(笑)。否定するわけじゃないけど、ジムカ ーナのすべてが、何が何でもいいとは思ってない。

なぜなら、自分は自動車のすべてに対してプロフェ ッショナルで、『マルチドライバー』だから。そう言える ようになったのはジムカーナのおかげだけどね」。

“ジムカーナ”と呼ばれる“あらゆる要素が凝縮され たスポーツ”に身を置いたことで、人生にも影響する術 を得られたと考えている山野選手。逆に、レースの経 験からジムカーナに生きた要素もあったという。

攻めることと『守る』こと

「レースに出たことで『身を守る』ことを強く感じた。レ ースは同じ時間帯に同じコースをライバルが走ってい て、その全員が一番最初にゴールしたいわけだよね。 だから、守らないとチャンピオンが獲れないんだよね。

例えば、ライバルと並んだときに、自分がコースオ フして接触を逃れるのか、それともコース上にいること で身を守るのか。もしくは、鬼のようなブロックをした ほうがいいのか、抜かせた方がいいのか。

この『守る』技術はレースで学んだ。『ここは焦るとこ ろではない、後でも挽回できる』みたいにね。そしてこ れは、今シーズンのタイトルが決まる、第7戦SUGO 西ラウンドのときに、一番強く感じたことなんだ。

SUGO西では、この大一番で焦ったら……曲がらな いとか止まらないとか思ったら、負けるなと思った。路 面温度が高い状況での戦い方は、自分を守ることを考 えておかないといけないんだ。攻めたら終わり。確実に 走り切ること。特にコース後半のセクションに関して は、確実さを目指さないといけなかった。この『守る』と いう考え方が一番効いた大会だったと思うな」。

山野選手にとってジムカーナとは?

「クルマとは思えないような動きを見せられる、魔術の ような運転……“ドライビングマジック”。というのが カッコつけた答え(笑)。カッコつけなければ……『コン ソメ』みたいなところ。本当に必要な要素がすべて凝 縮・濃縮されている。何にでも使えるし、濃縮されて るから還元できるわけだしね。

自分の運転の幅が広がったのは、すべてジムカーナ のおかげだと思ってる。ウソ偽りなく、自分の運転の技 量はジムカーナが上げてくれている。それは、自分が 発展途上だったときだけじゃなくて、現在も進行形。 だからジムカーナは、やめないんだ」。

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ようになったら、ラリーはやめるよ(笑)

2018年の全日本ラリー選手権JN6クラスの 序盤戦は波乱含みの展開となった。まず雪 の開幕戦嬬恋は悲願のチャンピオンを狙う

鎌田卓麻が幸先の良い勝利を上げるが、勝田範彦が常 勝を誇っていた第2戦唐津は、雪も舞う悪天候を味方

につけた奴田原文雄が勝田の無敗記録を遂に止めた。

そして勝田は第3戦丹後半島でリベンジ、と日替わりで ウィナーが誕生する混戦となった。チャンピオン候補 の中で唯一、勝利を上げられなかったのが新井敏弘。

前年同様、不完全燃焼で中盤戦に臨むことになった。

「舗装2戦はタイヤが大きく影響するのである程度の 不利は予想していたけど、開幕戦のマシントラブルは 痛かった。ただ振り返れば、あれがあったのでクルマ をちゃんとしないといけないと気を引き締められた気は する。第4戦久万高原からのグラベル5連戦は、もう取 りこぼしはできないとプレッシャーがかかったのは事実

だね。グラベルは基本的には負けるとは思ってないん だけど、パンクするとかクルマが壊れるとか不確定要 素が出てくるので、それがいつ誰に振れるかという分 からなさはある。結果はそれ次第というところはあるけ どね」

しかし悪路が待ち受けた久万高原は序盤から首位に 立つ快走で今季初優勝。地元群馬のモントレーでは鎌 田が食らいついたがDAY2で引き離して2連勝。そし て続く7月のラリーカムイでも首位で折り返した鎌田を LEG2で逆転して3勝めを獲得。序盤戦の劣勢を五分 に立て直した。

「負けていても勝負所がどこかを見ているので、そこで キロ0.2秒詰めれば10kmだったら2、3秒は詰まる。5, 6秒の差だったらそこの2本を死ぬ気で走れば何とかな

【あらいとしひろ】インプレッサWRXを駆って2005年、2007年と2度にわたってPCWRC(プロダクショ ンカー世界ラリー選手権)チャンピオンに輝いた日本を代表するラリードライバー。2014年に全日本ラリー 選手権に復帰し、翌年、チャンピオンを獲得。今年はグラベル4勝を含む6勝をあげて復帰以来、2度め のチャンピオンに輝いた。群馬スペシャリストの正統を継ぐ上州人。しぶかわ観光大使も務めている。

2018 年 J A F
新井敏弘選手
JAF全日本ラリー選手権JN6クラス ドライバー部門チャンピオン
ボーっとしてんじゃねぇよ、って言われる

極限の走りを見せたラリー北 海道の高速ステージ。LEG1後 半、痛恨のパンクを喫するも、 その後もベストを連発し、徐々 に首位の勝田を追い詰めた。

るというのはいつもあるんだ。皆がパンクしたり、落ち る所で俺が落ちないのは、そうしたちょっとした余裕の 差だと思う。カムイでも、皆が落ちた所に実際行って みると俺はもうそこで向きを変え終えてるから、落ちな い。そこでハンドルを切り始めるから落ちちゃうんだよ ね。もちろん俺も落ちる時は落ちちゃうけどね(笑)」 モントレーでも、カムイでも今回のラリーで初めて使 用したSSでの速さが今年は際立った。それが勝因にも 繋がった形だ。

「皆が知らない道だったら全然、怖くない。よほどのこ とがない限り、負けないと思ってる。ただ2回め、3回め となれば皆ノートも作ってくるから差は縮まらなくな る。だから最初にベスト獲るのが重要なんだ」

あきらめない気持が、忘れていた WRC時代の限界の走りを甦らせた

第7戦福島もフルポイントで快勝。完全にタイトルレ ースの主役に踊り出る。グラベル全勝を狙った続くラ リー北海道も序盤からトップに立つが、LEG1の後半で パンク。勝田に首位を譲り渡した。

「抑えたらパンクしちゃったんで後悔した。後で考え たら抑えなくてもいい道だったから。でも逆転できると 思ってたんだ。だからLEG2もあきらめなかった」

このLEG2の勝田vs新井のバトルが、2018年のJN6 クラスのハイライトだったかもしれない。新井はここで 久しく忘れていたWRカー時代の走りを取り戻せたと いう。

「RN車両はクルマも重いし、レスポンスも悪いので国 内ではやらなかったんだけど、そんなこと言ってられな かったんで、最後の2本でやってみたんだ。遅くて120 ~130km/h、速い所なら170~180km/hで入るコー ナーを通常より1~2割、進入速度を上げて、かつ同様 に1~2割、手前から向きを変えて入る。向きを変えた ら何をしてもクルマの向きも車速も変わらないという感 じ。RN車はそこからアクセル踏んでもパワーがないか ら横に逃げる力をタテ方向になかなか変えられないん だけど、その走りをやるとある所からフワーと前に出だ すので、それを見越して入っていく。リスクは高いか ら、そんなに頻繁にはできないんだけど、北海道の時

はなぜかリスクは感じなかった。それだけ切迫してた んだと思う」

いつもは2秒以上は引き離せないそのSSで新井は4 秒のリードを築いた。しかし勝田には僅かに届かなか った。

「負けたけど楽しかった。走った感じがあった。“新し い運転”も覚えたしね。あれがなかったら物足りなかっ たかもしれない」

続く第9戦岐阜を勝田が欠場したため、このラリー 北海道が結果的に天王山となった。振り返ると、勝田 の速さが印象に残った一年だったという。

「ノリ(勝田)のあのしつこさは凄い。よくずっと2番で いられるよなって思うもの(笑)。でも常にその位置にい るというのは、何かあったらトップに上れるってことで しょ。だから凄いんだよね」

2018年は、鎌田のように速さを見せたドライバーも いたが、やはりこのトップ2の「強さ」が際立った形だ。 だが二人はすでにその息子達が脚光を浴びる、それな りの齢に達してもいる。歳を取っても強さを維持できる 秘密はどこにあるのだろう。

「経験値とよく言うけど、俺は集中力だと思う。体力と かなくなってきて、うんと疲れてラリー中にボーッとす るようになったら終わりだと思ってるから、今でも弛ん ではいられないという気持は常にあるんだ。だから走っ たりトレーニングしてる。

あれだけ暑かった今年の福島でも、ヘロヘロだった けど最後まで集中力は切れなかったからね。WRカー乗 った年は毎日12km走ってたし、PWRCでチャンプ獲 った時もリタイヤはしていない。普段から集中力を切ら さない努力をしてるとあまりネガティブなことは起こら ないんだ。結局ラリーにどう取り組みか、ってことだと 思うけどね」

2019年も当然、連覇を狙う。

「シリーズポイントはあまり考えないで走りたいね。SSを 何本取るか、何回勝つかが俺らにとっては一番重要なの で、その結果としてチャンピオンを獲れればいいと思っ てるんだ。ポイント考えて抑えて走ってチャンピオンじ ゃ、後味がいいもんじゃない。勝ち切って獲りますよ」

まずは雪の開幕戦に注目していきたい。

ドライビングはもちろん、英国在住時代にスバルのWRCチームの ファクトリーに通い詰めた経験から、クルマのメカニズムにも精通す る。セッティング能力にも優れたトップラリーストだ。

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フォト/滝井宏之、JAFスポーツ編集部 レポート/鈴木和夫(P.26~P.28)

新井敏弘のコ・ドライバーとして、3年ぶりに新 井とともにチャンピオンに返り咲いた田中直 哉。2018年のハイライトは、やはりラリー北

海道での異次元のサイドシート体験だったという。

「えっ、新井さん、こんなスピードで入るんですかって いう、完全に物理の法則を無視した走りでした。でも、 コーナー抜けてみると、あぁ曲れるんだね、って(笑)。

あまりに車速が違うのでノートも修正しないといけなか ったので大変でしたけど、興奮しました」

ライバルの勝田がこの一戦で激走を見せ優勝をさら ったことで、残りの舗装2連戦は逆に追い込まれたと田 中は振り返る。

に有利だったなと思えるのは、 新井さんが得意な初見の道が比 較的多かったことですね。知ら ない道を攻略するのはラリーの 一番楽しい所なので、僕もレッ キの時からドキドキしますよ」 新井と組んだ初年度は、とも かく足を引っ張らないように目 の前のことに集中することで精 一杯だったと田中は振り返る。

「海外走ってた頃に組んでいたコ・ドライバーと遜色の ないレベルになってると思う。準備も任せられるので ラリー始まるまでの疲れ方が全然違う」とドライバーの 新井もその成長を評価している。

しかし2度めの今回は、チームの一員として戦力になれ た思いはあるという。

新井さんにだいぶ鍛えられたおかげで

「勝田選手が連勝しても我々は2位に入れば良かった わけですが、序盤の舗装の成績を見る限り、それは優 勝するより難しいんじゃね、と僕は思ってました(笑)。

新しいタイヤのポテンシャルもこの時点では分からな かったですから」

に行っても戸惑わなくなりました

しかし第9戦岐阜は勝田が不出場。新井組はしっか り走り切ってタイトルを決めた。

「新井さんは難しかったと思いますよ。絶対勝負する というテンションでもないけど、ちゃんと走らないとタ イヤの比較もできないので抑えるわけにもいかない。特 にSS1はそう感じました」

最悪に近い序盤戦から、一気に“まくって”のタイト ル。コ・ドライバーの立場からはこの一年はどう見えた のだろうか。

「新井さんが日本に戻ってきてから、トップのレベルが ワンランク上がったと皆さん言うけど、それを実感した 一年でしたね。以前は最初のSSを2本くらい取れば、 後はそのマージンをどうキープするかという戦い方がで きたんですけど、最近は常に全開で走らないと勝てな い。僕の仕事で言うと、2017年くらいから1本め走って チェック入れた場所を、2本めに再走する際に以前より手 前で言うようにしてます。新井さんは結構、自分の記憶 とノートで覚えているので、手 前で言えばその分、早めにライ ン取りなどをイメージしてると思 うんですよ。そのくらいシビアに なってますね。ただ今年、うち

JAF全日本ラリー選手権JN6クラス ナビゲーター部門チャンピオン

田中直哉選手

【たなかなおや】12002年、全日本ラリー選 手権2輪駆動部門第2戦で全日本デ ビュー。その後も、地元関東のドライバー を中心に全日本に参戦を続け、眞貝知志と 組んだ2010年の開幕戦で初優勝を果た す。その後は舗装で圧倒的なスピードを 見せた眞貝を支えながら勝ち星を重ねた が、2015年から新井敏弘のコ・ドライバー に抜擢され、プロ宣言を行う。長野県松本 の出身だが、現在は伊那谷の住人だ。

「当初は新井さんの要求が厳しすぎると感じたこともあ りましたが、要は時間をギリギリまで有効に使うという ことなんです。例えばTCに入る直前のタイミングでエ アを測れと言われる。こちらとしては時間もないので早 くSSに集中したいんですけど、そこで調整したエア圧 がタイムに直結するわけです。レキでも近道見つけて 早く帰ってこれればその分、準備に時間を使える。最

近はトップの人達はレッキから競争です(笑)。そういう ことにある程度慣れたからなのか、最近は“田中の方が 俺より余裕あるな”って言われることもあります。コ・ ドラが慌てていたら、ドライバーは走ることに集中でき ないですよね」 オフの田中は饒舌な男だが、ラリー中は笑顔を見せ ないのはもちろん、ひたすら寡黙に自らの仕事をこなし 続ける。その姿にはプロフェッショナルの矜持が漂う。

「この前、WRCオーストラリアに出たら、レキの時か ら、ワークスのコ・ドラが次に何をやろうとしているの かが手に取るように全部分かったんです。ある程度、 成長できてるのかなという思いはあります。プロのドラ イバーがいて、プロのメカニックがいるならプロのコ・ ドラがいて当然。コ・ドラを目指す若い子のためにも、 しっかりとプロとして続けていきたいと思います」

W R C
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JAF全日本ダートトライアル選手権SA1チャンピオン

小山健一選手

【こやまけんいち】1964年東京都生まれ。二輪で"やんちゃ"していた青年 期。四輪に転向して林道の楽しさを知り、より安全なダートラの存在を知っ てこの世界に入った小山選手。以前の勤務先「カーショップ・コンペ」時代 には韮澤直也選手と全日本ダートラを追っていたが、2002年に独立して自 身のお店「ボディファクトリー・アクション」を開業。しばらく全日本選手権 からは距離を置いていたが、EK9シビックで復活して、2017年には全日本 ダートラSA1へフル参戦。2年目となる今季、初タイトルを獲得した。

稲葉幸嗣選手のDC5インテグラや崎山晶選手のマツダスピードアクセラな ど、ハイパワーマシンが台頭するSA1に伝統の名機・EK9シビックで挑ん だ小山選手。今季4勝でタイトルを確定させた。 2

018年に全日本ダートラSA1で自身初の全 日本タイトルを獲得した小山健一選手は、 一度全日本を活動停止して、2017年からフ ル参戦を再開した、復活組の選手だ。

「こないだ全日本チャンピオンを獲った後に、ええ、 “初”なんですか!? ってよく言われた。小山さん、い ったい何年やってるんですか!? ってね(笑)」。

小山選手は、東京・八王子のカーショップコンペに 勤務していた当時、伝統のコンペカラーを纏って全日 本ダートラにフル参戦していた。1999年に1勝して、 2001年を最後に活動を休止。2002年には独立して「ボ ディファクトリー・アクション」を開業。競技ショップ のオヤジとして新たな人生をスタートさせた。

「全日本ダートラに復活した理由は、お客さんの志村 光則選手がシリーズを追いかけることになったから。自 分のお店を始めてからは、お客さんと一緒に現場に出 向いて、走ったり楽しんだり、ワイワイやるのをモット ーにやってきた。2014年に全日本SA1でタイトルを獲 った佐藤孝選手のように、上を目指したいという選手 には、自分が走らずサポートに回ったりしたけど、志村 選手は一緒に走った方がうまくいきそうだったので、一 緒に参戦することにしたんだ。

それで2017年を走って、そのときは『勝とう』とか思 ってなかったんだけど、シリーズ3位に入ったし、自分 の走りに納得いかなかったんで、もう少しやりたくなっ た(笑)。2年目は、自分のやりたさで出てたね」。

16年ぶりの全日本フル参戦

2010年からJAFカップダートラや地元関東ラウンド の全日本戦にスポット参戦していた小山選手。2015年 の開幕戦丸和では14年ぶりとなる全日本2勝目を挙げ、 2016年の開幕戦丸和も優勝、フル参戦した2017年は 最終戦タカタで優勝。2018年は丸和と恋の浦で開幕2 連勝を挙げ、第6戦野沢と第7戦コスモスを連勝して、 自身初の全日本タイトルを確定させている。

「2017年、久々に復活したときは緊張したね(笑)。昔 の全日本のイメージっていうのは、雑誌で見るようなす ごい人たちがいっぱい歩いてて、オレが居ていいのか なって雰囲気。その印象があったから、久々に出たら、 ガチガチに緊張して、成績が出なかった(笑)。

でも、今シーズンは全日本の雰囲気にも慣れてきて、 自分のやりたいようにできるようになった。オレって肝 っ玉が小さいから。緊張しちゃうとダメなのよ。

自分は『全日本に出るぞ!』ってなると、構えちゃって 『タイヤも新品! 体調万全!』ってノリになっちゃう。 昔はそういう教育を受けてたからね。だから、序盤は 結構、真面目にやったんだけど、そうすると、オレは成 績が出ないみたいなのよ(笑)。

前の晩にみんなで騒いで『もうダメだぁ~』くらいで 行ったほうが、何か調子いいんだよね(笑)。考えすぎ ちゃうとダメみたいで。何も考えないで、本能で走った ほうが、いい走りができるみたい」。

フォト/滝井宏之、山口貴利、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部
“ショップのオヤジ”と“ドライバー”
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17年ぶりに回収できた「忘れモノ」

アクセルを長く踏めるライン取り

「よく言われる“自分の走り”っていうのは、自分の場

合は『アクセルをできるだけ長く踏んでいたい』っていう スタイル。ライン取りを考えるときも、アクセルを長く 踏めることを優先して組み立ててる。

クルマの作りもそうしてて、簡単に言うと、フロント

ダンパーの伸びの減衰を硬くして、コーナーの手前か らアクセルを踏んでも、伸び上がらないようにしてる。

ハンドルを切れば前が沈むくらい縮みは軟らかい。

それだとオーバーなクルマになるから、リアはよく動

くようにしてる。大きく向き変えても、アクセルをいっ ぱい踏めれば四輪ドリフトみたいになるから、そこでリ アが沈んで収まるようなセッティングだね。

向きが変わってからアクセルを踏んでも間に合わな

いから、向きが変わるのを予想しながら、できるだけ早 くアクセルを踏み始める。ライン取りもなるべくアウト の方から、姿勢を作ったらインに向かってアクセルを 踏んでいけるようなアプローチだね。

でも、この走りは当たり外れがあって、これだけじゃ ダメみたいね(笑)。タカタ辺りは路面がいいし、ライ ンも広いからこの走りでイケたんだけど、第8戦今庄で は、これをやっちゃって、ダメだったんだよね」。

1999年JAF全日本ダートトライアル選手権第3戦における小山選手の初優勝を報じるJAFスポー ツ。この会場となった「スポーツランド信州」とはその後も縁が深く、ショップを開業した際に「クル マを作って渡すだけじゃなく、オマエも一緒になって遊ばなきゃダメだ」と指摘してくれた故・町田 和夫オーナーの言葉は、現在でも守って、実践していると語る。

今シーズンの転機となったという第6戦モーターラン ド野沢。丸和オートランド那須に並ぶ関東勢の勝負ど ころで、並み居る地元勢を抑えて勝利した。

第6戦野沢で訪れた転機

「今シーズンは『何も考えないで』っていう走りが何回 かできたんだけど、考えすぎちゃって失敗したこともあ った。第3戦切谷内と第4戦スナガワ、第5戦の門前。 この悪い流れを切り替えられたのが第6戦の野沢だった んだ。野沢では、自分の走りをするアタマに切り替え られて、その結果、勝てたのよ。それができなかった ら、ダラダラと沈没していったような気がする。 野沢は地元だから『勝って当たり前』みたいなプレッ シャーがあった。そういう中でも、自分の走りができた ことが大きかったね。地元だと緊張して、いつもより踏 みすぎたりしちゃう。その辺をうまくコントロールでき て、勝ち負けを考えずに走れたんだ。 『アイツが2速で行ったから、オレも2速で行かなき ゃ』じゃなくて、『自分の走りが “1速落とす”なら、1速 落として走る!』ってね。スタート前までいろんな情報 を収集して、クルマに乗ってヘルメットを被ったら諦 める。そういうことに今さら気が付いてね(笑)。 でも、30年くらいやってると、やっぱり情報がないと 間違えちゃう。第8戦今庄がそれで、情報収集を間違 えたから、走り方を間違えちゃった。

今庄では、自分の走りができてたの。でも、成績が 出なかったのは、走らせ方が違ってた。今庄はアウト 側だけ水が撒いてあって、路面もパンパンだったから、 小さくクルンクルンと回るのが正解だったみたい。 それを知らなくて、アウトから進入してインに付けな かったりしてたんだ。でも、あれは失敗じゃなくて、自 分の走りをしようと思って、自分の走りができた結果。 やっぱり、情報を間違えちゃうとダメなんだなってこと を、今庄では学んだんだよね」。

メンタルや情報量でカバー

「昔から、そういうのはいろいろやるじゃない。情報収 拾をしすぎて行き詰まったり、リラックスできたとか緊 張したとか。『いい走りができた!』っていうのが年に数 回あるんだけど、そのときは、メンタルがすごくいい状 態になってる。緊張してはいるんだけど、体はリラック スしてよく動いて、集中できてて。そういう状態にスタ

2018 年 J A F
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第7戦京都コスモスパークでは第1ヒート から快走。後続を約2秒引き離すスー パーベストタイムをマークして優勝。自身 初タイトルを確定させた。

第6戦野沢の最終コーナー で見せた小山選手の“大外 狩り”。アウト側に溜まった 砂塵を巻き上げ、FF車両の セオリーとは違ったライン で突っ走り、“自分の走り” を貫いて優勝した。

ート前にいかに持っていくか、だよね。

ダートラは「クルマ」と「テクニック」と「精神面」の3つ

が揃わないと勝てない。そして、精神面の影響が大き い競技だよね。これはみんなもやってると思うけど、自 分もメンタルトレーニングをいろいろ実践して、最近 は成功率がだんだん上がってきてる。でも、100%では ないんだよね。メンタルのコントロールってのが、一 番難しいんじゃないかな。

若い子にもよくそんな話をするんだけどね。メンタル は教えようがないから、自分で磨いていかないといけな いんで、それに気付いてもらうまでが難しいね。

他人に教えてると、自分で気付くこともあるから、教 えながら、自分でも確認しつつ、少しでも上達できれ ばいいかなって考えてる。でも、テクニックとかはもう ダメ。オレ、54歳だしな。この歳になるとね、反射神経 も劣るし、動体視力も落ちる。肉体的な能力がどんど ん落ちてきてるから、それをメンタルや情報量でカバ ーするっていうのが今は精一杯かな」。

何のためにやってるんだろ

「コンペ時代は、全日本はあくまで『挑戦』だった。信 州で1回ペロンと勝っちゃったけど、オレ的には、勝つ とかいう技術レベルでもなかったし、勝とうとかチャン ピオンとかいう目標も持ってなかった。

見失ってたかな、昔は。今は楽しく走りたいっていう のがあるんだけど、昔は楽しくなかった。もう少し明確 な目標があって、それに向かっていければ、もうちょっ と続けていたかもしれない。けど、当時は辛いばっか で、なんで走っているのか、よく分かってなかった。何 のためにやってるんだろ、オレ、みたいな。

でも、『辛い』っていう要素も、メンタルで何とかなる と思うんだ。以前面倒を見てた佐藤孝選手も、その辺 りを頑張り過ぎた感じがあったね。

そう考えると、技術ばかり追いかけるのではなくて、 やっぱりメンタルも磨かないとダメ。オレの場合も、 技術ばかりを追うんじゃなくて、商売を考えて、お客さ んのことを考える。その辺のバランスをとっていかない と、やっていけないって考えてるんだよね。

でも、やっぱり勝負をしたいという思いは根底にあっ て、すぐに白黒ハッキリする方が楽しい。結果がはっき りしないと、ムラムラしちゃうじゃない(笑)。

自分からやるなら、やっぱりダートラが一番かな。ち ょっと得意で、みんなにドヤ顔できるし(笑)。一人で始 められるトライアル系は入門しやすいしね」。

小山選手が2002年に立ち上げた東京・八王子「ボディファクトリー・アクション」の構成メンバー。信頼 できる仲間が事業を支えてくれるから社長業にも専念できる。関東では少なくなりつつある、土系ドライ バーたちの駆け込み寺として16年が経過した。

やるならやっぱダートラだね ちょっと"得意"だから︵笑︶
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2018シリーズの開幕前、全日本カート選手権の 話題の中心は佐藤蓮だった。1年前にダンロッ プ・タイヤでチャンピオンを獲った最強の男

が、カートタイヤのメーカーとしては最後発で、まだド ライコンディションでの優勝がないヨコハマ陣営に移 籍。そのニュースはカート界に大きな衝撃をもたらした。 「シーズン前、最初にヨコハマで走った時の印象は、

今までのタイヤとまったく違って、自分の好みとも違っ ていました。自分はフロントに荷重をかけて、タイヤの 剛性を使って走りたいんですが、ヨコハマはそれが柔 らかくて潰れてしまうんです。でも、この難しい状況で チャンピオンを獲りたいって気持ちが強くなりました」

佐藤はヨコハマの技術スタッフにリクエストを出し て改良を促し、自身の走りもタイヤにフィットさせてい った。そうして迎えたもてぎでの開幕大会の第2戦で見

事ヨコハマにドライでの初優勝をもたらした。だが、 続く本庄大会と茂原大会で、ブリヂストン陣営に対し て苦しい戦いを強いられることとなった。

「今振り返ると、もてぎ大会のタイヤが今年一番いい

感触だったと思います。でも、次の本庄大会からタイ ヤが剛性の弱い方向へ行ってしまいました。茂原では 同じヨコハマを使うドライバーたちが次々パンクに見 舞われて、耐久性の面でかなり厳しい状況でした。こ

のタイヤを何とか最後まで転がそうと決意して、普通 ではまずあり得ないようなセッティングにしました。タ イヤに負荷をかけないようあらゆるところを変更して、

極力フレームを柔らかくして、速さは諦めて周りのタイ ムが落ちてくるのを待ったんです。ここまで“耐久向 け”のセッティングをしたのは初めてでした」

その努力は、第6戦での3位表彰台に結実。苦境の 中で最善の結果を掴み取る姿は、ドライバーもマシンも 速い状態で勝ちまくった前シーズンまでの佐藤からの 進化を感じさせた。ポイントリーダーとして迎えたシリ ーズ最後の鈴鹿大会。ここでも練習走行からブリヂス トン勢が速さを見せていたが、佐藤はレース本番前に

JAF全日本カート選手権OK部門チャンピオン

「チャンピオンは獲れると思う」と言い切った。 「鈴鹿ではヨコハマがいいタイヤを作ってくれて、それ までの問題点がなかり改善されていました。ウチ(ヨコ ハマ)はタイムの落ち幅が少ないので、ロングランの面 で考えれば(絶対的な速さに勝る)ブリヂストンの選手 たちに前に行かれても、いい位置でゴールできるだろ うと踏んでいたんです。それに、ブリヂストン勢の中で も多くの選手はすぐにタイムが落ちてくるだろうと。実

際その通りになりましたよね」

思惑はずばり的中し、この大会最後のヒートを待つ ことなく、彼の2年連続チャンピオン獲得が確定。同時 に、ヨコハマに初の栄冠をもたらした。しかし、新王

者のお披露目レースになるはずの第10戦決勝では、4番 手からトップに浮上しながら、最終ラップに逆転され、 佐々木大樹に優勝を奪われてしまった。それは彼にと って屈辱の記憶。

「あれは今でもかなり悔しいです。もてぎ(の第1戦)で やられたことを、同じ相手にまたやられてしまいまし た。ただ、自分が試行錯誤しながら一年間、開発に携 わってきたタイヤでチャンピオンになれたことは、非常 に嬉しいですね。2018年は自分だけで戦っているので はなく、みんなで戦っている感じでした」

過去にはJAF選手権で4度のチャンピオンを獲得。 その時の佐藤は誰の目にも突出した存在だった。一方、 2018年は常に最速の存在ではなかった。そんな状況で もチャンピオンを獲った。それは成長の証でもあるが、 彼自身は2018年を振り返って反省を口にした。

「年間に1回しか勝てなかったのは、自分に足りないと ころがあったから。思い返すと、勝てたはずのレース がまだありました。それができなかったのは自分の弱さ です。そこをまた改善して、もっと強いドライバーにな らなければいけないと思っています」

ただ、“追う立場”で戦った一年間は意義のある経験 になったとも言う。

「2018年は常に上位にいることを意識して走りました。

タイヤメーカーの威信を背負う立場として、それを達 成できたことはポジティブに捉えて います。走らせ方の難しさもあるタ イヤに対応していく中で、ドライビ ングの幅が広がったことは、大きな 収穫でした」

2018年は大きなチャレンジをし ている。世界カート選手権への参 戦だ。初めての海外レースで、参

【さとうれん】2001年8月5日 生まれの17歳。2012年は FP-Jr Cadets部門、2013 年はFP-Jr部門、2016年は FS-125部門、2017〜2018 年はOK部門と、各クラスで チャンピオンを獲得。最終戦 はヨコハマカラーのマシンで レースに臨んだ。

佐藤蓮選手
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見据える先は世界の頂点 全力でチャンピオンを獲る!

加102台中上位34台のファイナリストに残り、23位と いうリザルトを残した。この先世界へ羽ばたくのであ れば、ともに戦うことになるだろう海外のライバルたち とのレースで、確実な手応えを掴んできた。

「世界選手権はすごくいい経験になりました。世界の レベルを初めて自分の目で見て、自分に届かないもの じゃないということが分かって、自信になりました」

また、フォーミュラレースへのデビューも果たし、 FIA-F4にフル参戦。結果は4位が最上位で、最終ラン キングは7位。初年度とは言え、カートで一時代を築 いてきた佐藤にとっては納得できない成績だった。

「フォーミュラはカートとは全然違うので、乗り方を合

常に憧れの存在として走り続ける

髙口大将選手

鈴鹿でのシリーズ最終戦を3位で走り終えた瞬 間、髙口大将は力強いガッツポーズを披露 した。

「自分がチャンピオンだということは分かっていたの で、あの瞬間はすっごく嬉しかったです。ただ、派手 なガッツポーズのわりに心は落ち着いていました。年間 を通してどのコースでも無事にゴールまで帰ってくるこ

とができて、ほっとした気持ちが強かったですね」

2018年のFS-125部門参戦は、ロータックスMAX チャレンジで長く活躍してきた髙口にとって、初めて挑 むJAF選手権だった。しかも、愛知県在住でアウェイ の東地域への参戦だ。

「FS-125部門はMAXとエンジンもタイヤも違うので、 自信はなかったです。バトルの強さには自信があった けれど、最初の2戦(5位/8位)ではそれを活かしきれ なくて。第3戦から結果が出るようになったのは、新し いチームの雰囲気に慣れてきて、自分の気持ちをうまく 作れるようになったからだと思います。東地域は経験 のないコースが多かったけれど、新しいコースを攻略 するのは新鮮な気分で楽しかったです」

東地域への参戦に伴って、髙口はチームを移籍。そ こには佐藤蓮、三村壮太郎というOK部門のトップコ ンテンダーたちがいた。彼らと同じテントで過ごすレー スの時間は、彼の成長を促した。

「この一年でクルマの走らせ方の幅はすごく広がった と思います。今までと違うパッケージのクルマだという ことだけじゃなく、OK部門の人たちとの会話で違う視 点を持つことができたんです。三村先輩や佐藤先輩は、 コーナーを速く走るためにどうすればいいのか、という 考え方が自分と全然違っていました」

全6戦のシリーズで、最下位は8位。すべてのレース

わせなきゃいけないけれど、自分にはまだ足りない部分 が多い。カートとフォーミュラの二足の草鞋で、両方と も中途半端な形になってしまった、という気持ちもあり ます。2019年の活動についてはまだ何も決まっていない ですが、希望としてはFIA-F4をもう一年やりたい。や るならフォーミュラ一本でいきます。先を目指すには FIA-F4で停滞しているわけにはいかないので、全力で チャンピオンを獲りにいきます」

その目が見据える未来は、世界の頂点。

「最終的な目標はもちろんF1。『あの走りは信じられな い』と言われるようなドライバーになりたい。カートで は、それをやってきたと思っていますから」

で大きなポイントを獲得 し、3つの2位を含めて4 度の表彰台。ただ、優勝 だけがなかった。2018シ リーズに点数を付けると したら、70点だと言う。

「チャンピオンを獲れた ことはすごく大きかったんですが、勝てるチャンスで勝 てなかったことが悔しいです。でも、勝てないレースで も大きく順位を落とすことなく、2位とか3位とかでゴー ルに戻ってくることができました。満足はしていないけ れど、納得できるいいシーズンだったと思います」

2019年、髙口はカートを卒業して新たなチャレンジ を始める。

「チャンピオンを獲れて、僕が乗っているカートのス カラシップを受けられることになりました。2019年はそ のサポートで、スーパーFJの練習をすることになると 思います。OK部門に参戦も考えたけれど、自分は器用 ではないんで、カートはひと区切りをつけてそちらに専 念します。ステップアップじゃなくて、イチからのスタ ートです。僕は、カートとフォーミュラは別の分野だと 思っていますから。新しいチャレンジは楽しみですね。 大変なのは分かっているけれど、楽しい気持ちがない と乗り越えられないでしょうから」

目指すはプロのレーシングドライバー。その理想像 を、最後に聞いてみた。

「僕は“一流のレーシングドライバー”になりたいと思 っています。何が一流なのかは人によって違うだろうけ れど、コースの上だけじゃなく、それ以外の部分でも、 僕の姿を観てくれた人に『ああいうドライバーになりた い』と思ってもらえる存在になりたいです」

【たかぐちだいすけ】2002年7月 1日生まれの16歳。愛知県在住 ながら、FS-125部門の東地域へ 参戦。2018年はルーキーイヤー となるが堅実な走りで見事チャ ンピオンとなった。日頃、お世話 になっているトレンタクワトロ名 古屋の薄徹信氏と一緒に。

JAF全日本カート選手権FS-125部門チャンピオン
「ああいうドライバーになりたい」
フォト/滝井宏之 レポート/水谷一夫 33

チャンピオンインタビュー

P t.2

初栄冠への道のり

2018年の全日本選手権も多くの初チャンピオンが生まれた。若い頃からモータース ポーツに取り組み、一旦は競技から離れたものの、復帰後、全日本の頂点を極めたドライ バーもいれば、ふとしたきっかけで全日本へのルートが開かれ、それを一目散に駆け上 がったドライバーもいる。彼らの栄冠への軌跡を辿ってみた。

2018年JAFモータースポーツ表 彰式を2週間後に控えた11月の とある週末。高江は自宅のある沖 縄県うるま市の隣に位置する沖縄市で開か れたコザ・モータースポーツフェスティバ ルの会場にいた。

デモランを終えた高江は会場内の出展ブ ースが並ぶエリアの一角にDC2インテグ ラを止めると、エンジンルームを開け、イ ンテグラのノーズの前に、チャンピオンボ ードを掲げた。

通りすがりの駐留米軍の関係者とおぼし き白人男性が近寄り、小さな娘とともに写 真に納まってほしいと高江に頼む。沖縄が 生んだ4輪モータースポーツの全日本チャ ンピオンは引っ張りだこの忙しさだ。

こんな光景は、今までなかった。沖縄モ ータースポーツがその歴史に新たな1ペー ジをしっかりと刻んだことを象徴する出来 事だった。

2017シーズンが終わった後、高江はイン テグラをいつものように沖縄に持ち帰らな かった。これは全日本に挑戦を始めて初め てのことだった。

「2014年に初優勝できたんですけど、その 後の2年間は勝てなくて、2017年も途中ま ではチャンピオンの芽があったのに後半、 崩れてしまった。初めて挑んだSA車両の壁 というのもあったけど、ちょっとこの3年間 は中弛み感もあったんです。沖縄に持って 帰っても冬は冬でまた地元でジムカーナを 開催しているので忙しくて、なかなかイジ れないので、しっかりとメンテナンスして もらうことを優先したんです」

2月にオーバーホールを依頼した名チュ ーナー川村徹から帰ってきたDC2はガラッ と変わったクルマになっていたという。

「オーバーホールと言いつつ、川村さんは いつもちょっとずつダンパーの仕様を変え て課題をくれるんです。いつもそれを克服 できないままに一年が終わるんですけど、 今年は、こう走らせればいいんだなという

高江淳選手

美川での 3 勝目で、獲るなら今年 しかないと、自分に言い聞かせた

沖縄が返還された1972年、旧具志川市(現在のうるま市)に生まれる。地元の大学生だった19歳の時に当時の沖縄 のモータースポーツの聖地であった名護サーキットでジムカーナに出会う。その後JAF九州選手権を経て全日本ジム カーナ選手権にステップアップし、2014年に初優勝。インテグラは平成8年に新車で購入、今年で23年目を迎える。

のが開幕の前に何となく掴めた。イケるな と思いました」

開幕戦こそ1週間前にミッショントラブ ルが出た影響でセッティングを決めきれず、 勝ちを逃すが、第2戦広島でシーズン初優 勝。第4戦名阪も制してシリーズをリード

する。パイロンスペシャリストでありなが ら次々とコースジムカーナをものにしていく あたりに、いつもの年とは違う勢いを感じ させた。 「もちろん毎年、全勝を狙ってはいるんで すが、今年の前半はミスさえしなければど

フォト/加藤和由、谷内寿隆、滝井宏之、JAFスポーツ編集部 レポート/鈴木和夫(P.34〜P.39)

2018 全日本選手権
2018 年 JAF 全日本ジムカーナ選手権 SA2 クラスチャンピオン
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こでも勝てる、という手応えはありました。

でも6月のスナガワで澤平選手に結構なタ イム差つけられたので夏場は苦労するかも しれない、と思ったんですよ。そういうこと もあったので7月の美川で勝てたことは大 きかった。あれで、獲るなら今年しかない と思いました」

8月のSUGOは直前に雨が降るという不 運もあって勝ちを逃すが、続くイオックス は全日本初優勝を飾ったゲンのいいコース。

フルパイロンということもあって王手を懸

けに臨んだが、まさかの4位に終わる。

「いつもの終盤に崩れるパターンですよね。

でも負けてデフの効きが落ちてるのかもし れないと気が付いた。その後の恋の浦のテ

ストでそれが確信できたんで急遽、OHした んです。半地元ではあるけど、あれがなか ったら恋の浦は勝てなかったかもしれない」

最終戦決戦鈴鹿南は悪天候のために1ヒ ート限りの勝負に。

「チャンピオン決定の瞬間を見たいと6人 も知合いがサービスに来てくれたんですけ ど、彼らのアドバイスに敏感に反応しすぎ

て振り回されちゃって最後までグタグタで した(笑)」と散々な結果に終わる。だが築い たマージンを守ってタイトルをものにした。

沖縄に帰ってもジムカーナに

向き合った日々が栄冠を呼んだ

「終わってみるとやっぱり、努力したこと は結果に現われるんだ、練習はやっぱり裏 切らないってことを痛感した一年でしたね。

例えば今までは車載を撮っても、そのまま PCに落とさずに帰ったりしたんだけど、今 年は負けた時でも手間をかけてちゃんと落 として沖縄で見返すようにしたんです。

悪い走りを見るのは嫌なんですよ。クル マは本土にあるわけだから見ても何もでき

ないわけじゃないですか。 本当に意味があるのかと 思いながらも、嫌なこと もしっかりと目に焼き付 けようとした。

どうしても何かしない といられない時は、クル マで走る代わりにジョギ ングしてました。一種の 精神鍛錬というか、クル マ乗れない時は根性を叩 き直すというか。根が体 育会なんですよ」

高江は沖縄に帰れば、 冒頭に書いたように、地 元のジムカーナイベント であるエキサイティング ジムカーナの運営にも中 心になって関わる。告知 用のポスターも自ら作り、 WEBに載せるレポート原稿も、全日本の スポンサーへの報告書を書く作業と並行し て書いている。

11月に開催されたコザ・モータースポーツフェスティバルでは凱旋のデモ走 行を行った。沖縄ではジムカーナ人気が急上昇中だ。高江の全日本タイトル獲 得は、沖縄のスラローマー達にも刺激を与えている。

イベントでは自ら一参加者として競技を 走り、同乗走行等も行う。全日本のトップ ドライバーという肩書は、イベントの盛り 上げに大きく貢献する。全日本チャンピオ ン獲得後は、来場者、同乗希望者も増えた という。 「沖縄で走る時は、クルマもタイヤも違う ので、全日本の練習になるかというとちょっ と違うんですけど、でもそういう場所でも手 を抜かずに毎回、エアや減衰を変えて真剣 にタイム上げる努力をするようにした。沖縄 での課題を自分に与えて、それを解決する ために神経を研ぎ澄ます。それがまた全日 本を戦う時に役に立ってくれるんですよ」

沖縄から遠く離れた本土に通い続けて、

全日本の頂点に立つという桁違いのハンデ ィを克服する術を最後に聞いた。 「ハンディを言い訳にするんです。言い訳 しないと頑張れないし、続けられない。自 分がつらくなるだけなんで。

実力ないのに俺は速いって思ってる人っ て絶対やめないじゃないですか。自分もそ んな勘違いの気持があったからここまで追 えた気がするんです。ジムカーナってスト イックな競技だけど性格までストイックに しちゃうと、いつかやめちゃう。“今回はこ んなだから負けた。だったら次は勝てるよ ね”。それでいいんですよ」

いつも表彰式では人一倍、ひょうきん者 に徹する彼のバックボーンがちょっと垣間 見えた気がした。

沖縄魂、しっかりと見せてもらった一年 でした。

2019 年度 ワーク・モータースポーツ

ユーザーサポートシステムのご案内

株式会社ワークでは、モータースポーツ競技参加者の皆様に対して、対象イベントごとの成績 に応じて獲得したポイント数によってホイールを提供する、ユーザーサポートシステムを 2019 年度も実施いたします。

対象カテゴリーは、JAF モータースポーツカレンダー内で公示される日本選手権(JAF 全日本 選手権・JAF 地方選手権)のラリー、ダートトライアルでワークが供給可能な

競技及び TGR 86/BRZ レース、TGR ラリーチャレンジです。

サポートシステムへの登録申請締切は 4 月26 日(当日消印有効)となります。

登録条件、参加登録方法等の詳細は、下記ホームページでご確認下さい。

https://www.work-wheels.co.jp/topics/news/54/

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新城

りが最後の最後で報われました

関根正人選手

1999年、地元北海道のスノーラリーをCC4Aミラージュで制して全日本初優 勝。その後も地元北海道の全日本戦を中心に参戦し、2008年には近畿の強豪 ブーボーチームのワークスドライバーとしてブーンX4を駆り、2勝を上げる。 全日本通算14勝。札幌市内でラリーショップ「ガレージセキネン」を営む。

「LEG2はSSが終るごとに修理してだまし だまし走りました。多分あれで帰ってこれ たのは自分がメカでもあったからだと思い ます」

全日本を浪人した2017年。関根は以前 も関わったことのある新井敏弘のチームで メカニックを勤めた。

「新井さんは例えば足回りのどこをどうす れば速くなるんだということを理詰めで説 明してくれるので勉強になりました。2018 年にチームに戻れたのも、辻井監督に、自 分のそういう部分を評価されたからだと思 ってるんですよ。実際2017年も小濱君にダ ートの運転を教えたりもしたし、逆に今年 は舗装の走らせ方やセッティングを彼に聞 いたりもした。その相乗効果が2クラスチ ャンピオンに繋がったと思います」

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018年の全日本ラリー選手権JN4 クラスのチャンピオン争いは最終 戦新城ラリーの最終SSまで持ち込 まれる緊迫したバトルとなった。この戦い を制したのはZC33Sスイフトターボを駆っ た北海道の関根正人。最終日LEG2で獲得 したデイポイント1点が効いて僅か0.7ポイ ント差で山本悠太を抑え、初のチャンピオ ンを獲得した。

「新城は最初から最後まで全開でした。最 終SSのひとつ前のロングの長篠設楽原で雨 がパラついて微妙なコンディションになっ たんですが、ワイパーが掻く雨の量を見て ドライと変わらずプッシュできると思ってア タックした。そこで山本選手に15秒差をつ けることができたことが効いたと思います」

2018年、関根が所属したMATEX-AQ TECラリーチームは、JN5クラスでもシト ロエンDS3 R3Tを駆る小濱勇希が2年連 続チャンピオンを決めた。チームが全日本 に初挑戦となった2016年にこのシトロエン を駆ったのが、関根だった。しかし初めて 乗る左ハンドルそして日本にはないレーシ ングな特性を持つ純ラリーマシンに手こず り、結果を残せないまま、一年を終えた。

出戻りとなった2018年はリベンジの年とな った。

「自分がFFの経験が少ないこともあるんで すが、スイフトも最初は乗りやすいクルマ ではなくてミニ・シトロエンと言う感じでし た。ただミニサーキットでもそこそこ速いと いう情報を聞いていたので最後の舗装2戦 も勝負できるとは思ってました」

新型モデルということもあり、2018年の 全日本への参戦は第4戦グラベルの久万高 原からとなったが、徐々に速さを見せ始め た関根のスイフトは第7戦福島で待望の初 優勝を飾る。

「今年はラリー前に必ずテストをして、そ れでも足りないと感じた所は自分が北海道 に持ち帰って煮詰めたので、毎回クルマが 良くなっていく手応えはありました。本当 は福島の前のラリーカムイで勝たなければ ならなかったんですが、自分以上に上原選 手のシビックが速くなった感があって勝て なかった。次のラリー北海道は獲らないと マズいと思ってました」

しかしその北海道は最大の試練が待ち受 けていた。LEG1ではダンパーが抜け、 LEG2ではリアのアームがちぎれた。

最終戦新城を攻める関根スイフト。、「皆さんはアイツは舗 装がダメだというけど、本人は実は不得意とは思ってない。 まあダメな時はダメですけど」とは本人の弁。

冒頭で触れた、今シーズン最大の勝負所 となった新城のLEG2。最終のサービスで 関根はタイムを詰める最後の手段として、 車高をギリギリまで下げることを提案した。 「そこまで下げたらクルマが壊れるかもし れないからと反対もされたんですけど最後 は押し通して下げてもらった。それが長篠 のタイムに繋がったんです。チーム一丸と なって取ったDAYポイントでした」

ドライバーとしてだけでなくセッティン グアドバイザーとしても一回り大きくなって チームに帰ってきた関根だが、まだしばら くはドライバーとして走りたいと言う。 「そこそこ厳しい勝負ができるところなら、 地元北海道の地区戦でもいい。若手に勝っ てまだまだお前は甘いぞと教えてやるのも、 自分の役どころだと思ってるんです。メカと してすこぶる凄いわけじゃないので、トータ ルバランスで色んな事が分かってるヤツだと 認めてもらえるような人間になりたいですね」 北の大地の助っ人ドライバーには、休息 の時間はまだやってきそうにないようだ。

2018 年 JAF 全日本ラリー選手権 JN4 クラス ドライバー部門チャンピオン
は最後まで全開。ギリギリの
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018年、全日本ラリー選手権JN1 クラスへフル参戦2年めの年を迎 えた古川寛はチャンピオン候補の 本命と目されていた。2017年にタイトル争 いを繰り広げたチームメイトの須藤浩志は チャンピオントロフィーを手土産に活動を 縮小するものと見られていたし、古川が得

意とするグラベルラリーがシリーズの半数 となる5戦も設定されたことも味方になると 思われた。

事実上の開幕戦となった舗装の第2戦唐 津で優勝と幸先の良いスタートを切ると、 第3戦舗装の丹後半島は側溝にはまりリタ イヤとなるもグラベル5連戦初戦の第4戦 久万高原で快勝。第5戦モントレーは復帰 してきた須藤の後塵を拝するも、続く第6 戦北海道ラリーカムイではフルポイントの 36ポイントを獲得する3勝めをマークする。 この時点で最大のライバルと目された小川

剛に24ポイントのリード。誰もがタイトル を射程距離に捉えたと思った。 「勝負所でリタイヤしてしまった2017年と 同じことがあってはいけないと自分に言い

聞かせたこともあって、前年に走ったラリ ーではそれがうまく行ってたんですが、た だ慣れてないラリーもあって、第7戦の福 島がまさにそのラリーだったんです」

LEG1の1ループめを首位で終えた古川 は、2ループめ、1本めはベストを奪ったス テージの再走となるSS7でコースオフ。リ タイヤを強いられ、シリーズポイントもこ のラリーを制した小川に1ポイントの先行 を許してしまう。一気に形勢は逆転した。 「(チーム監督の)平塚さんに、“いつもギリ ギリで行かなくていいのに、なんでギリギ リで走るんだ”と叱られたんですが、本人 は、乗れてるから2ループめはもっとイケる と思ってしまったんですね。要は自分の大

丈夫が大丈夫じゃなかっ たってことなんです。2ル ープめの1本めが、自分 は一番危ないんだと痛感 しました。

落ちた所は路面が変わ る所だったんですが、ノ ートに入れてないので気 づいた時に対応できるス ピードじゃないから落ち たわけです。ノートに書 いてないってことはレッ キの時に自分が言ってな いってことですから、要 はノートが甘かったんで すよね。そこで心を入れ 替えました」

第8戦ラリー北海道で は、路面が変化する所は すべてノートに書き込んだ。 「最初の2本でマージン を作れたので、後はその 貯金を切り崩しながら完 走を目指したんですけ ど、元々ペースを落とし 過ぎるとダメなタイプな ので、簡単なラリーでは なかったです。でも、ノ ートに本当に必要な情報 を入れ込むようにしたの が、その後も安定したペ ースで走れたことに繋が ったのはたしかですね」 このラリーでシーズン 5勝めをあげてシリーズ リーダーに返り咲く。ラス前の岐阜は3位 以上でタイトル確定と優位な条件で臨み、 その順位を守ってゴール。最終戦を待たず に初タイトルを決めた。

2018 年 JAF 全日本ラリー選手権 JN1 クラス

ドライバー部門チャンピオン

古川寛選手

20代の頃から地元九州で開催された全日本選手権にスポット参戦する も、2002年を以て一旦、ラリー活動を休止。11年のブランクを経て2014 年よりJAF中四国選手権、JAF九州選手権のグラベルラリーにDC2イン テグラで参戦を始める。1970年、熊本県生まれ。

えたのは2016年のJMRCオールスターラ リー。優勝で獲得した全日本選手権の半額 エントリー券がチャンピオンへの道筋を一 気に切り拓いた。

2016年のJMRCオールスターラリーを制したことが転機となった 古川。「半額券をもらう時期を間違えなかったことは大きかったと 思います。全日本で最初から結果を出したいのなら半額券を狙う タイミングも慎重に考えた方がいい」とアドバイスする。

「結果論かもしれないけど、福島で落 ちてなかったら、次のラリー北海道で 落ちたかもしれない。福島の後に抑え のラリーに切り替えたことがチャンピ オンを呼び込んだと思います」

全日本フル参戦2年めでの初タイト ルは十分に称賛に値するものだが、2 年前までJAF中四国ラリー選手権で彼 が見せたDC2インテグラの走りを知 る人々にとっては、当然の結果とも言 えなくはない。それだけ群を抜くスピ ードの持ち主ではあった。すべてを変

「正直、全日本に上がる前はドライバーが 速くてクルマをある程度ちゃんとすればチ ャンピオンも夢じゃないと思ってたんです けど、それだけじゃ無理で、体制、サービ ス、メンテナンスと色んな要素を揃えてド ライバーも色んなことを考えなきゃいけな い。ただその分、一年というスパンで見る と地区戦の時とは倍くらいステップアップ できた実感もあります。全日本ではまだま だ初心者ですが、2WD最速のドライバーは 目指したい。少なくとも舗装が遅いとはも う言われたくないです」

勝負所で痛い目に遭った前年の教訓 を生かせたことがタイトルに繋がった
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驚きの連続だった開幕戦。はやる心を 抑え込んで、最初の目標に立ち返った

2018 年 JAF 全日本ラリー選手権 JN2 クラス ドライバー部門チャンピオン

長﨑雅志選手

幼少時よりWRCやF1をTV観戦する根っからのモータース ポーツファンだったが、競技参加の経験はTGRラリーチャレ ンジまではゼロ。因みに当時の憧れのドライバーはコリン・ マクレー。1980年、愛知県生まれ。

ナビゲーター部門チャンピオン

秋田典昭選手

名古屋トヨペットがラリー参戦を始めた2014年からサイド シートを任されて来た、生え抜きのコ・ドライバー。普段も モータースポーツ車両を扱う部署に所属し、同社のラリー活 動を中心になって担う。1979年、愛知県生まれ。

TGRラリーチャレンジで常勝チ ームとして知られた名古屋トヨ ペットは、2018年から2台のト ヨタ86で全日本ラリーへの参戦を開始した。

TGRではカルディナを駆った中村英一 は1991~1992年にEP82スターレットで 全日本ダートトライアル選手権を連覇した グラベルのスペシャリストで2000年代には プライベーターとしてランサーを駆り、ラ

リージャパンに参戦した経験を持つ。2010 年代に入ると名古屋トヨペットのモーター スポーツ活動を担うFTD事業部に就き、 様々な活動を行ってきたが、その中村に見 いだされたのがもう一台の86を託された長 﨑雅志だった。

初めて参戦した2018年の第2戦唐津は季 節外れの雪も降りだすという大荒れの天気 となった。

「1DAYで終わるTGRとはまずスケール が全く違う。天候が特殊だったこともあっ て、全日本ってこんなにつらいもんか、と 驚きました」とはまず長﨑の率直な感想。

コ・ドライバーを務めた同じく社員ドラ イバーの秋田典昭は「コ・ドラがやること自 体は同じTCラリーのTGRと変わ らないんですけど、とんでもない量 のノートが必要で修正も10倍ぐら いかかるので大変でした。ロストも してしまったんで長﨑に助けられて 何とか乗り切れた感じでした」と全 日本初体験を振り返った。

「でも一番、驚いたのは明治(慎太

郎)さんのスピードです。同じJN2なのに JN6のクルマに割って入るタイムだった。 これは、人の成すことではないな、と(笑)。 ただ、じゃあ追いつかなきゃと思って走っ たらリスクがついてくるだけじゃないです か。シリーズ序盤はちゃんと完走して、ま ず全日本とは何ぞやというのを知ることが 目標だったので、すぐに気持を切り替えた。 結果的にそれがいい方向に行ったと思いま す」と長﨑は開幕戦で敢えて相手を本気で追 わなかったことがタイトルが獲れた勝因と 分析する。

台数が比較的少ないクラスということも あり、ライバルの脱落は即、好成績に繋が る。続く第3戦丹後で3位を獲得。グラベ ル初戦、明治始め有力ドライバーが次々と 戦列を離れるサバイバル戦となった第4戦 久万高原では早くも初優勝を果たした。 しかしその後のグラベル連戦で長﨑は久 万高原の勝利がフロックでなかったことを 証明する速さを発揮し始める。第6戦ラリ ーカムイでは明治を上回るタイムでラリー をリードし、逃げ切って2勝めを獲得。第7 戦福島でもトップ争いに絡み、2位でゴール。 ポイントを着々と積み上げた。 「社内のモータースポーツ同好会でドリフ トをやっていたのでクルマが横を向くこと は抵抗がないし、怖くもない。グラベルも 基本はグリップですが、加速したい時にア クセル踏み過ぎてリアが流れる分にはリカ バリーできる自信はあります」と長﨑。師匠 の中村は「きっちりブレーキ踏んでハンドル 切りながらアクセル踏んでいく今の若い人 の走りですよね。それがクルマにも合って るんだと思う」と分析する。

だが最も走り切らねばならないはずのラ リー北海道はトップを独走しながら、 LEG2、オーバースピードでコースアウト。 長距離ラリーの洗礼を受ける。コ・ドラの 秋田は「2位との差があったわけですから、 ちゃんとペースをコントロールしながら走 らせないといけなかった」と悔やんだが、結 果、最終戦新城を前にして合計得点では断 TGRラリーチャレンジからステップアップした年に全日本チャンピオンを 獲得した二人の活躍は、TGRの後輩達にもいい刺激となっている。

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トツの首位に立ちながら、有効得点の妙で タイトルは明治の順位次第という厳しいポ ジションで決戦を迎えることになった。

ラリーが始まると、明治と、その明治に 丹後で勝った鈴木尚の二人が抜け出してマ ッチレースを展開する。しかし明治は首位 を走りながら、LEG2、マシントラブルでリ タイヤ。長﨑は鈴木に続く2位に食い込ん で、タイトルを手に入れた。最後で舗装の 速さもしっかりと印象付けた一年となった。 「新城は前戦で尚さんから教えてもらった

ことをやってみたら速く走れたんです。全 日本って、ライバルだけど教えちゃうみた いな、皆で楽しくやろうよというのが根底 にあるのが、いいですよね。

かったです」と長﨑。

018年の全日本ラリー開幕戦唐津 で全日本デビューウィンを飾り、 あれよあれよという間にチャンピ オンまで獲得してしまった廣田は、全国的 には無名のコ・ドライバーだが、地元の中 四国ラリー界では有名人である。

それは元全日本ラリーチャンピオンで中 四国地区が誇るインターラリースト、田口 盛一郎のコ・ドライバーを務めてきた経歴 によるものだ。初めて体験したTCラリー

は1999年のWRCニュージーランド。2000 年代はAPRCやラリージャパンにも参戦し た。海外でTCラリーを覚えた“帰国ラリー 子女”である。

ただしそんな廣田が全日本を舐めてかか っていたかというと、そんなことはない。む しろ現実はその逆で、唐津の初優勝は苦闘 と苦悶の末にもぎ取った勝利だった。

「LEG1のSection1で古川さんが滅茶苦茶 速くて、これは勝てるなと思ったらSecti on2が同じ道走るのにタイムがガタ落ちし て3位まで落ちちゃったんです。Section1と 同じ走りをすればいいのにそうじゃない走 りを本人は無意識にしてたみたいで、この ままだとLEG2も同じ展開になるのは目に 見えていたので、どうやったらそれに気づ いてくれるかをずっと考えました。土曜の 夜はほとんど寝れませんでした」

果たせるかな、迎えたLEG2。古川はSec

学生時代から世話になっているチェリッシュの前で撮影。 活きのいい土系ドライバーが集結するクラブだ。

終わってみれば、ラリーは最後まで何が あるか分からないというのを地で行った感 じですが、シリーズ後半は経験を積んで、 自分が置かれてる状況から何をいますべき かを確認しながら戦えるようになった。リ タイヤしないとできない経験も味わいまし たから(笑)、ホントに一年間追いかけて良 れた1年間、コンビを組んでほしいというリ クエストを廣田は受け入れることになる。

「厳しいと思った通りに厳しい一年でした が、分からないことはコ・ドラの先輩達が 教えてくれた。長﨑が言うように厳しい中 にも優しさがあったと思える一年でした」と 秋田は振り返った。

86がひとつのクラスに統合される2019 年の活動は未定。86乗り日本一決定戦を決 める来季の戦いに臨むことになれば、二人 にはまた新たな挑戦の年となる。その活躍 に期待したい。

勝たせたいというより、勝たせなきゃという

気持が、自分の引き出しを総動員させてくれた

tion3で首位に返り咲く も、Section4でまた前日 と同様の傾向が出始め た。しかし廣田の説得 をようやく受け入れた 古川は最後の2本で本 来の走りを取り戻して ベストを奪取。グラベ ルを得意とする古川に とっては願ってもない 貴重な1勝を手に入れ た。そしてその1週間 後に古川の方から出さ

「多分、そこまで走りについて言ってくれ るコ・ドラと組んだことがなかったんだなと 思いました。唐津の次の丹後半島の前には、 早速、スローインファーストアウトを解説 してるHPのアドレスを送りました。頭叩き 込んでおいてって(笑)」

実は廣田は古川がラリーに復帰した2013 年に地区戦でコンビを組んでいる。

「田口と走りを比べてみたいと思った初め てのドライバーでした。それくらいよく踏め ていた。でもその頃がただ走ってただけと 思えるくらい、今年の古川さんは少しでも 前に出ようという姿勢があって、それで困 ったこともあったんですが(笑)、絶対獲る んだという強い意思を感じました。だから 勝たせなきゃと思ったし、言うべきことは 言わなきゃとも思った。でもそのためにはま ず彼がなぜそうしないといけないかを自分 が理解して説明できる状態に整理しないと

2018 年 JAF 全日本ラリー選手権 JN1 クラス ナビゲーター部門チャンピオン

岡山大学自動車部時代にモータースポーツの虜となり、ダート トライアルに熱中。卒業後、自動車部と付き合いがあったチェ リッシュモータースポーツのクラブ員となり、コ・ドライバー を始める。地元である倉敷市美観地区近くで撮影。

話せないじゃないですか。本当に今年はリ エゾンで滅茶苦茶、考えました。自分の引 き出しを見つけることもできたけど、シリー ズ追う難しさも知った一年でした」

憧れのドライバーは、ファブリッツァ・ ポンス。1980年代のWRCでアウディクワ トロを駆った女傑、ミシェル・ムートンの コ・ドライバーを務めたイタリア娘だ。 「もちろんムートンのようなドライバーが出 てきたら組んでみたいですよ」

次回は速くて手に負えない全日本ラリー を掻き回す女性クルーの一人として、ぜひ ご登場いただこうではないか。

廣田幸子選手
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FIA便り v .15

毎年年末に行われるFIA世界モータースポーツ評議会(WMSC)がロシアで開催され、 FIAフォーミュラ1世界選手権を始めとしたワールドシリーズのカレンダーが確定した。 そして、各専門委員会でも今後の方針が打ち出され、2019年を占う各種決定が明らかになった。

ロシアの WMSC で 2019 年世界選手権日程及び各種施策が承認

2018年12月5日に、今回はロシア・サ ンクトペテルブルグで行われたFIA世界 モータースポーツ評議会(WMSC)におい

て、各専門委員会による議決が行われ、 2019年のFIA世界選手権などのカレンダ ー及び選手権規定などの承認が行われた。

会期中には恒例のFIA表彰式も行われ、 FIAアジア・パシフィックラリー選手権 (APRC)で日本人クルーとしては初チャ ンピオンに輝いた炭山裕矢/保井隆宏組も 出席。地球儀を象ったFIAチャンピオン トロフィーを手にした姿が、SNSを通じ て世界配信されたのは記憶に新しい。

今回のWMSCでは、2019年FIAフォ ーミュラ1世界選手権(全21大会)を始め、 2019-2020シーズンのFIA世界耐久選手 権(WEC/全8大会)、FIA世界ツーリン グカーカップ(WTCR/全10大会)など、 日本ラウンド開催で馴染み深いシリーズの カレンダーが確定。12月15日に開幕して、 日産自動車がe.damsとコラボして注目を 浴びている2018-2019シーズンのFIAフ ォーミュラE選手権も、2019年5月まで

2019年FIAフォーミュラ1世界選手権 カレンダー(12/5現在)

Rd.1 3/17 オーストラリア/メルボルン

Rd.2 3/31 バーレーン/サフィール

Rd.3 4/14 中国/上海

Rd.4 4/28 アゼルバイジャン/バクー

Rd.5 5/12 スペイン/バルセロナ

Rd.6 5/26 モナコ/モナコ

Rd.7 6/9 カナダ/モントリオール

Rd.8 6/23 フランス/ル・キャステレ

Rd.9 6/30 オーストリア/シュピールベルグ

Rd.10 7/14 英国/シルバーストーン

Rd.11 7/28 ドイツ/ホッケンハイム

Rd.12 8/4 ハンガリー/ブタペスト

Rd.13 9/1 ベルギー/スパ

Rd.14 9/8 イタリア/モンツァ

Rd.15 9/22 シンガポール/シンガポール

Rd.16 9/29 ロシア/ソチ

Rd.17 10/13 日本/鈴鹿サーキット

Rd.18 10/27 メキシコ/メキシコシティ

Rd.19 11/3 米国/オースティン

Rd.20 11/17 ブラジル/サンパウロ

Rd.21 12/1 アブダビ/ヤス・マリーナ

行われる全9大会のカレンダー が確定している。

そして、FIA世界ラリー選手 権(WRC)のほか、FIAリージ ョナルラリー選手権のカレン ダーも明らかになり、2019年 APRCはニュージーランドや インドネシア、マレーシア、 日本、中国、インドの6地域で の開催が確定。フォーマット も変更され、最低3大会の開 催を予定している「アジアカッ プ」と「パシフィックカップ」のそれぞれに 「決勝の出場者決定戦」という役割が付加さ れることになった。これは、海を渡る参加 者のロジスティクスを考慮した変更だ。

また、11月に行われた第2回FIAイン ターコンチネンタル・ドリフティング・カ ップ(FIA IDC)の成功を受けて、FIAド リフト・ワーキング・グループ(DWG)で は、最新のドリフト競技会開催に関するガ イドラインを策定。WMSCの承認を経て、 2019年に組織予定の「FIAドリフト委員 会」にて運用開始予定となっている。

FIAウィメン・イン・モータースポーツ 委員会(WIMC)では、8歳から18歳の女 性を対象として、幅広い人材を育成する新 たな教育プログラム「FIAガールズ・オ ン・トラック~デア・トゥ・ビー・ディフ ァレント(D2BD)」を2019年からスター ト予定。WECやフォーミュラEでも女性 ドライバーの参加を促進する施策が打ち出

2019-2020年FIA世界耐久選手権(WEC) カレンダー(12/5現在)

Rd.1 9/1 英国/シルバーストーン4時間

Rd.2 10/6 日本/富士スピードウェイ6時間

Rd.3 11/10 中国/上海4時間

Rd.4 12/14 バーレーン8時間

Rd.5 2/1 ブラジル/サンパウロ6時間

Rd.6 3/TBC 米国/セブリング1000マイル

Rd.7 5/2 ベルギー/スパ6時間

Rd.8 6/13-14 フランス/ル・マン24時間

されており、すでに実行されている。 また、今シーズンはJAF全日本スーパ ーフォーミュラ選手権とFIAインターナ ショナルスーパーGTシリーズで山本尚 貴選手がダブルタイトルを獲得して話題と なったが、「スーパーライセンスポイント」 の割当が変更され、ドライバーが年間にポ イント累積できる選手権が、最大2つから 最大1つに修正されることになっている。

2019年FIA世界ツーリングカーカップ (WTCR)カレンダー(12/5現在)

Rd.1 4/7 モロッコ/マラケシュ

Rd.2 4/28 ハンガリー/ハンガロリンク

Rd.3 5/12 スロバキア/スロバキアリンク

Rd.4 5/19 オランダ/ザントフォールト※

Rd.5 6/22 ドイツ/ノルドシュライフェ

Rd.6 7/7 ポルトガル/ヴィラ・レアル

Rd.7 9/15 中国/ニンポー

Rd.8 10/27 日本/鈴鹿サーキット

Rd.9 11/17 マカオ/マカオ

Rd.10 TBA マレーシア/セパン ※プロモーター契約を条件とする。

2019年FIAアジア・パシフィックラリー選手 権(APRC)カレンダー(12/5現在)

Rd.1 4/12-14 ニュージーランド/ ラリー・オブ・オタゴ※

Rd.2 5/3-5 ニュージーランド/ ファンガレイラリー

Rd.3 7/6-7 インドネシア/メダンラリー※

Rd.4 8/3-4 マレーシア/ジョホールラリー※

Rd.5 9/20-22 日本/ラリー北海道

Rd.6 10/26-27 中国/チャイナラリー・ロンユー※

Rd.7 12/7-8 インド/インドラリー※ ※ASNの確認を条件とする。

FIA
2018-2019フォーミュラEには「日産e.dams」が参戦開始。

2018年モータースポーツ公示(WEB)一覧(10月~12月) 公示(四輪)

日付 ..公示No. タイトル

2018年10月01日 [公示No.2018-WEB032] 登録車両申請一覧

2018年10月01日 [公示No.2018-WEB033] ロールケージ公認申請一覧

2018年11月07日 [公示No.2018-WEB034] 車両公認申請一覧

2018年11月09日 [公示No.2018-WEB035]

2018年11月14日 [公示No.2018-WEB036]

2018年12月11日 [公示No.2018-WEB037]

2018年12月14日 [公示No.2018-WEB038]

公示(カート)

2019年日本選手権カレンダー一覧(四輪)

国際Aライセンス取得条件の変更について

2019年JAFプレスパスのご案内

2019年国際格式レースの日程変更について

日付 ..公示No. タイトル

2018年11月09日 [公示No.2018-WEBK07]

2018年11月12日 [公示No.2018-WEBK08]

2018年12月10日 [公示No.2018-WEBK09]

2019年日本選手権カレンダー一覧(カート)

2018年JAFジュニアカート選手権FP-JrCadets部門東地域第3戦(茂原大会)において発生した事案に ついて

2019.CIK-FIA.Karting.Academy.TrophyへのJAF推薦参加者の募集について

※上記公示(WEB)一覧の詳細は、JAF.MOTOR.SPORTSホームページ内の「公示・お知らせ」で閲覧することができます。

JAF MOTOR SPORTS ホームページの“取扱説明書”です

WEB誌面、動画、カレンダー、講習会日程、オートテスト… などなど、役立つ情報が盛りだくさん!

1 公示・お知らせ モータースポーツの規則や規定の改 正、登録車両や車両公認の申請一覧、 競技会の日程の変更や取消等、ライ センス所持者向けの情報を掲載。

JAF スポーツ誌は2018年4月 にリニューアルし、年4回 の季刊発行となりました。本誌内容の充実 化のため、また情報の速報性を図るため、 いくつかのコンテンツがJAF MOTOR SPORTSホームページに移行したことをあ らかじめご理解いただきたいと思います。

そこで今回はパソコンやスマホでいつで も気軽にアクセスできるホームページの活 用方法を、主だったバナーを中心に紹介し ていきます。

常に最新の情報を掲載している「公示・ お知らせ」「モータースポーツカレンダー」 は競技関係者なら要チェック。またWEB ならではの動画配信コンテンツ「NEWS DIGEST」や、競技会等の速報「ニュース& トピックス」も必見です。その他、競技結 果や獲得ポイントのデータベースもありま すので、上手に活用して、さまざまなシー ンでお役立て下さい。

4 競技会カレンダー

主要モータースポーツを始め、全日本 選手権や国内競技会を「ラリー」「ジ ムカーナ」「ダートトライアル」「レーシ ングカート」のカテゴリーで紹介。

2 JAFスポーツWEB

過去に行われた競技会のレポートは こちら。JAFスポーツ誌そのままに、 読み応えのあるWEB誌面として展 開しているコーナー。

3 NEWS DIGEST レース&カート編、ラリー&スピード編の 月2回公開! モータースポーツの HOTなニュースをお伝えする動画番 組。過去放送のバックナンバーも充実。

JAF MOTOR SPORTS ホームページへアクセス

5 ライセンス講習会日程

全国で開催されているライセンス取得 のための講習会を開催日順にご案内。 A/Bライセンス以外に、公認審判員 やカートライセンスも検索が可能。

6 AUTO TEST

モータースポーツの入門競技・オート テストのルール説明から、直近開催予 定の情報までを網羅。オートテストの 雰囲気がわかる動画も必見!

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INFORMATION
fromJAF
http://jaf-sports.jp
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ニッポン勢の

FIA Intercontinental Drifting Cup 2018に見えた

クルマの挙動の一つである「サイドウェイ」が、 「ドリフト」として認知されて約20年が経過した。 今やFIA公認競技にまで成長したドリフトだが、 発祥地であるニッポン勢の優位性が失われつつある。 2018年11月に開催された第2回FIA IDCの結果は、 その重たい現実を裏付ける展開となった……。

フォト/堤晋一、JAFスポーツ編集部 レポート/深澤誠人、JAFスポーツ編集部 イラスト/高梨真樹

世界各地のドリフトドライバーが東京・台場 で一堂に会するFIAインターコンチネンタ ル・ドリフティング・カップ(IDC)。2017

年に開催された第1回こそ、ニッポンを背負って挑ん

だ川畑真人選手が、栄えある初代王者の座を獲得した が、実は、後続のロシア勢に押された辛勝だった。

そして、2018年11月、同じ台場特設コースにて第2 回FIA IDCが開催された。今大会では第1回とは異な り、D1グランプリ(D1GP)最終戦と併催され、審査方 法も「DOSS」を使った「エレクトリック・スコアリング (機械審査)」から「ヒューマン・ジャッジ(人間審査)」主 体の方法が採用されるなど、大きな変更があった。

日本勢では、川畑選手を始め、前日のD1GP最終戦 で初タイトルを獲得した横井昌志選手や藤野秀之選手、 そして末永直登選手ら4名が参加した。しかし、その

全員が決勝トーナメントを前に敗退。最終的にはロシ アのG.チフチャン(通称・ゴーチャ)選手が優勝。2位に スイスのY.メイエー選手、3位にタイのC.ケードピアム 選手が入り、表彰台を海外勢が独占した。

ニッポン発祥のドリフト競技は、白熱した勝負を目 の当たりにできる分かりやすい性格と、集客しやすい 市街地での開催が可能な形態から、サーキットを持た ない新興国などでの開催も期待されている。

メディアと共に発展してきたドリフト競技は、走行 タイムや競り合いで決まる既存のモータースポーツと は異なり、人間の見た目の感覚も外せない要素だ。 日本で進化したドリフト競技と、海外で開催が拡大 するドリフト競技の間にある「乖離」。今回は、第2回 FIA IDCに参加した選手や関係者への取材を通じて、 岐路を迎えているドリフト競技の現在を追った。

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第2回FIA IDC[人間審査]

ニッポン勢の正念場

「機械審査」と「人間審査」

ドリフト競技は「採点競技」である。既存のモーター スポーツの勝敗を決める基準は「速度」や「タイム」。ド リフト競技で求められるのは、全く新しい価値観なの だ。そして、ドリフトが遊びからスポーツへと進化し た原始的なドリフト競技会は、クルマが単独で走り、 その走らせ方の「カッコ良さ」を評価するスタイルだっ

た。それが次第に「カッコ良さとは何であるか」を、分 析的に評価する形へと進化していった。

現在では要素が整理され、進入速度や角度(アング ル)、角度の安定性、走行ライン、そして、これらの要 素ではまとめ切れない、走行時の挙動やドライバーの 個性を「スタイル」といった形で評価している。

今回のFIA IDCでは、審査項目が「ライン」、「アン グル」、「スタイル」に「速度」を加えた4項目となってお り、参加選手の走りを、それぞれ30点、30点、30点、 10点と配分した合計100点として、各国シリーズで活 躍する3名の審判員が判定することになった……と、 ここまでが世界標準となりつつある審査方法の趨勢だ

第2回FIA IDCではスタート後のストレートが 長く取られ、速度が乗った状態で1コーナーに 進入するスリリングな設定となった。

ドリフト競技に付き物の車両トラブルやクラッ シュの対応は、経験豊富なコースマーシャルが 迅速な車両排除と現状復帰にあたる。

コースと観客との隔壁は厚さ30cmのコンク リート壁や新規採用されたGEOBLUGG社や、 NEXTELIA社製デブリフェンスに守られる。

観客も立ち入るパドック内では、安全のためエ ンジンを始動した走行は禁止。選手やメカニッ クが手押しで待機エリアまで移動させる。

IDC 2018 43
国際標準化を目指す“人間審査”と“機械審査”のカベ
D1GP最終戦[機械審査] FIA

第1回FIA IDCや過去のD1GPでは「DOSS」を使ったエレクトリック・スコアリング・ システムを採用しているが、第2回FIA IDCではこれらの機器を速度判定などで補助的に 使い、基本は人間の目視で審判するヒューマン・ジャッジを採用した。DOSSを使った機 械審査でも、設定区間の難易度に応じた傾斜配分などは人間が行ってきたため、実は人間 が介在する部分も多かった。ところが「全部機械が判定するんだろ」という風潮が先行し て、DOSS採用への抵抗感が生まれてしまった、という解釈もあることを付け加えておこう。

D1GP

単走では5つの区間に分けられたセクターで の評価が100.00満点で数値化され、追走で は、DOSSは先行車を評価し、そのレベルを DOSS採点に基づいて判定。後追い車の評価 は審判員が先行車との相対関係でレベル判定 を行っている。

FIA IDC 今回のSOLO RUNではライン30点、アング ル30点、スタイル30点、速度10点を合計し た100点満点評価となることが公式通知され た。BATTLE RUNでは3人の目視による判定 がスライドバーで左右移動するスタイルと なっていた。

FIA IDC D1GP

FIA IDC審判員メンバーは日本&カナダ&ロシア混合

ヒューマン・ジャッジが採用され た第2回FIA IDCでは、日本の D1GPを審査する神本寿氏を始 め、北米「フォーミュラ・ドリフト」 シリーズに関わるカナダのR.ラン ティーン氏、ロシアの「RDS」シリー ズを審査するD.ドブロヴォスキー 氏の3名が審判員を務めた。

D1GPで使われる「DOSS」。「ドリフトボックス」を改良 したGPSデータロガーで、ルーフアンテナとセットで競 技オフィシャルが指定の位置に装着する。

が、日本のD1GPではやや異なる進化を遂げてきた。 2012年から「単走」の審査に独自のエレクトリック・ スコアリング・システム「DOSS」を導入し、審査のほ ぼ完全な機械化に成功。感覚に頼ったヒューマン・ジ ャッジの不安定さ、主観的なブレ、あるいは恣意的な 不正行為のシャットアウトに成功しているのだ。 しかし、このDOSSによる機械審査は人間の感覚と 乖離するという問題も指摘されてきた。DOSSの特性を 理解した、高得点を狙える走行は「誰が一番カッコ良 く、迫力があるのか」というドリフトの原点からズレて いるのではないか、という疑問があったのだ。

機械が人間をアシストする

ドリフト競技の世界標準化の整備を担うFIAドリフ ト・ワーキング・グループ(DWG)では、現在はヒュー マン・ジャッジの採用を推し進めているという。 今回インターナショナル・スチュワードとして会場 を訪れたプラサアト・アピプンヤ氏は、DWGを束ね、 ドリフト競技の将来像をFIA側から描く立場にある。 「モータースポーツというのは、原点は人間。そして、 審査が第一であることをもう一度振り返って、機械が 優先ではなく、機械が人間をアシストする形を理想と してゆく」と明言する。そして機械は審判に必要な情報 収集の補助装置として、極めて限定的な使い方に留め る方向で調整が始まっている現状を説明してくれた。 FIAがヒューマン・ジャッジを推す理由はコストも挙 げられる。新たな市場と考えられる新興国では、DOSS システムの導入と運用はコスト的にも負担が大きく、

神本寿氏 R.ランティーン氏
D.ドブロヴォスキー氏
“ヒューマン・ジャッジ”と“エレクトリック・スコア”
ニッポン勢の正念場
IDC 2018
FIA

第2回FIA IDCウイナーはロシア勢 2位はスイス、3位はタイの選手に

第1回大会では同郷の A.ツァレグラツェフ選手 と超接近戦を披露して 存在感を示したゴーチャ 選手。今大会でも深いア ングルを維持した迫力 の走りを披露して、スイ スのY.メイエー選手との 決勝戦を制した。そし て、地元ロシアで開催さ れたFIA 表彰式への出 席も果たしている。

今後のドリフト競技開催拡大にとって障壁となる可能 性が高い、ともアピプンヤ氏は指摘する。

機械審査が経済的理由によって否定されるのであれ ば、ヒューマン・ジャッジは属人的エラーによって否 定されるという論理も成り立つだろう。各国の審判員 が見るポイントや審判技術のギャップについて疑問を ぶつけてみると、「その辺りを統一するのが今後の課 題」と、現状の問題点であることを認めていた。

ドリフト競技の審判員の育成とライセンス制度の整 備といった課題も挙げていたが、これらについては、 明確な方向性を引き出すことは叶わなかった。

ドライバー出身で、今回併催されたD1GPでも長く ジャッジを務めてきた神本寿氏。第2回FIA IDCでは、 カナダのR.ランティーン氏、ロシアのD.ドブロヴォス キー氏と並んで、日本代表の審判員を務めた。

神本氏は、DOSSが導入される以前の大会をドライ バーとして経験しており、「(審査員の)土屋(圭市)さん が、ここを通れって言ったら、そこを通らないと点数 が出なかった。だから、イケるかどうかなんて分から ないけど、行くしかなかった」と振り返った。

今回も大会名誉顧問を務めている土屋圭市氏。かつ ては審査の要として存在していたが、神本氏は要求さ

れた「アウトラインぎりぎりを狙う走り」、すなわち「高 い技術とクルマの完成度が要求される走り」に高い評価 が与えられてほしい、と考えていて、DOSSシステムが こうした「アウトライン」を捉えられない状況が、厳し い現状を生み出していると語ってくれた。

言い換えれば、リスクを回避した走りで点数が出て しまうため、機械審査が実施される単走では、ドリフ トの魅力が損なわれてしまうこと、そして、この環境 が続いてきたことで、日本勢と海外勢との「差」が付き 始めているのではないか、という指摘でもある。

今回採用されるヒューマン・ジャッジとハイリスク・ ハイリターンな評価に慣れている海外勢の優勢と、日 本勢の苦戦を、大会前日に予測していた神本氏。

人間の好き嫌いといった感情的な要素が入らない機 械審査と、アウトラインの評価といった部分を受け持 つ人間による審査を相互補完で運用するハイブリッド なジャッジ・システムの確立に、現在のところの理想 形があるのではないか、とも指摘した。リスキーで迫 力のある走りをするドライバーが、より高い点を得ら れる、加点できる。これこそが、ドライバーを育てる システムになるのではないか、という意見だ。

審査方法で議論が分かれるのも、ドリフトという競 技が世界的に見れば過渡期にあるという証左だろう。

興行としてのドリフト競技

FIA IDCに関しては、イベントそのものが「まだ生ま れ立てである」と語るのが、第1回FIA IDCからレース ディレクターを務めている飯田章氏の意見だ。

FIAドリフト・ワーキング・グループをまとめる プラサアト・アピプンヤ氏。今大会はFIAの競技 役員として名を連ねた。

第2回大会もレースディレクターを務めた飯田 章氏。レースウィークはあらゆるセクションを飛 び回って折衝を重ねていた。

イベント全体を統括する「レースディレクター」は、 競技参加者や競技運営サイド、そして興行としてのイ ベント運営サイドとの間をとりもち、イベントを円滑に 進めるための「すべて」を担当しているという。

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第2回FIA

土曜に開催されたD1GP最終戦で見事に初のシリー ズチャンピオンを決めた横井昌志選手。川畑真人選 手、末永直登選手と共に翌日のFIA IDCに挑戦する。

出走までの待機場所では、スマホでライブ中継映 像を確認する選手たち。ライバルはどんな走りを するのか。特に「追走」ではその分析がキモとなる。

ためにはどうしたら良いのか、と聞いてまとめること が自分の仕事」と飯田氏は明言したのだ。 つまり、映像メディアがより良い絵を撮ることで得 られる大きなメリットを理解しており、その実現性を 探っていくこともドリフト競技の発展には欠かせない、 と考えているということだ。「ドリフトはショー的な要 素もある」、「FIA IDCは生まれたばかり」。こういった フレーズが端々に登場した飯田氏の話。良くするため なら何でもする。こうしたレースディレクターの取り 組みが、例えば、審判員チーム内での激しい議論をも 支え、次に繋げる試金石となっている。

審査方法の違いは影響ない

横井選手はFIA IDCの練習走行で1コーナーで壁に 当たってクラッシュ。必至の修復でSOLO RUNには 出走できたが、再び1コーナーでクラッシュした。

D1GP最終戦でも車両トラブルが起きていたFIA IDC初代王者の川畑真人選手。Y.メイエー選手と のバトルでは再び車両トラブルでスローダウン。

では、肝心の選手たちはどう考えているのか。 川畑真人選手は、審査方法の違いは、自分の走りに 対して「あんまり関係ないです」と語る。D1GPでは「タ イヤの使用本数制限があるから、単走であまりタイヤ を使えない」、「(追走に向けて)単走は温存した走りに なっているんです」と、タイヤ使用本数制限による影響 の方が、遥かに大きいと指摘する。

これは第2回FIA IDC日本人最上位だった末永直登

選手を含む複数の選手からも聞かれたトピックだ。 そして、国内外を問わず、インタビューした全選手 が答えたのが「お客さんが喜ぶ走りをすれば、点数はつ いてくる」というコメント。これはエントリーするイベ ントがD1GP、FIA IDCを問わず、共通したものだっ た。審査方法の差異に対する有意なコメントは、ほぼ 得られなかったというのが正直なところだ。

末永選手と日本人バトルとなった藤野秀之選手。 車両の挙動を見ても本調子ではない様子が伝わっ てくる状況で、藤野選手は初戦敗退となった。

練習走行で右手を負傷しながら順々決勝まで進ん だ末永選手。ゴーチャ選手に破れ、C.ケードピア ム選手との3位決定戦でも破れて4位に終わった。

もちろん、メディア対応なども最終的にはレースデ ィレクターに話が上がってゆくことになるが、その話 になった瞬間に、飯田氏のスタンスが明らかになる。 「(ムービーカメラの位置とか)何が何でも安全上の問 題だからダメ、とするのではなくて、それをOKにする

末永直登選手は、海外と日本の大会の大きな違いと して車両レギュレーションを指摘していた。D1車両は 海外勢に比べ改造範囲が狭く、どうしても軽量化には 限界があるという。しかし、末永選手は「世界的なルー ルの統一っていうものは、理想としてはあると思うん です。それを受け入れた結果、これからもっと盛り上 がっていくといいですよね」とドリフトの国際化に対し てかなり前向きだった。そう、D1GPを戦うドライバー

IDCは13の国と地域から21名が集結! 日本人選手は4名が参加。その戦いぶりは……!?
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R-K.シャビール・カン選手[S14シルビア]

ATCM Team

モザンビーク出身で、主に南アフリカで開催される ドリフトシリーズにエントリーしているR-Kシャ ビール・カン選手。練習走行ではクルマのコント ロールに苦しんでいるように見えた。「実は、今回自 分のクルマを持ってくることができなくて、これは レンタル車両。だから自分にとってこれが事実上の シェイクダウンになる。最初はちょっと苦労したけ

ど、少しずつ良くなってきたところ。やっぱり自分の クルマで走りたいですね! 来日はもちろん初め てです。エンジョイしてますよ」と笑顔。

C.エン選手[RPS13 180SX]

SoGun Motorsports with TOYO TIRES

土曜のD1GPにも参戦して、GT-Rとの300馬力差 バトルに頭脳的な走りで追い詰めた香港のC.エン 選手。「そうそう、コースの後半ね。狙ってたよ」。普 段は日本のD1GPで戦っているエン選手にヒュー マン・ジャッジについて訊ねると「ボクはあんまり 考えない。自分の好きな走り方は、DOSSも人間の ジャッジも一緒。だからあまり考えてないよ。どっ

ちも全開、振り出しね!」と流暢な日本語で答えてく れた。その宣言通り、両大会とも、ほぼ同じスタイ ルで観客を沸かせていた。

M-Z.ハムダン選手[SXE10アルテッツァ] Bullzai Racing マレーシアのハムダン選手は実力派ドライバーで あり、時に審査員として競技会を支えるアジア有力 選手の一人。「実は、第1回FIA IDCに出たときは、 DOSSの特性が理解できなくて予選落ちしたんだ けど、今回はヒューマン・ジャッジなので、個人的 にはこちらの方がフェアではないかと思っていま す。もちろんヒューマンエラーはあるとは思うけど ね。今回のコースの印象はね、カベに真っ直ぐ行く と『ヤバイ』(ここは日本語で発音)レイアウトだか ら、特に気を付けないといけないよね(笑)」。

Y.メイエー選手[F22 BMW M2] Team Event Seelisberg

第2回FIA IDCでは2位入賞のメイエー 選手。土曜のD1GP単走では、観客席に 座って偵察していた。「ボクはパッと踏ん だらすぐトルクが出るエンジンが向いているタイプのドライバーなんです。なので自然吸気のV8エンジンを チョイスしました。誰よりもカベに寄ってるって? それはうれしいなぁ。D1GPの選手もみんな凄いですよね。 でも、観てて思うのは、リアからリバースで進入した彼が80点に達してなくて、半ばコースアウトした別の彼が 90点って……。機械審査ってどうなってるんですか? ってコト。日本ではこれが普通なんですか?」とも。

A.ツァレグラツェフ選手[ER34スカイライン] RUSSIAN DRIFT SERIES TEAM 第1回大会で大活躍して、「アルカーシャ」の愛称 で日本でも知られるロシアのシリーズチャンピオン 経験者。機械審査と人間審査については「速くて、 深いアングルで、スモークがどんどん出る『Goodド リフト』をキメれば、点数は出る。いろいろ細かいこ とは気にしないで、とにかく踏んでいくのがコツだ よ!」と笑顔。ただ、DOSSの採点では「今回の D1GPを観てたら、みんなカベに近寄りたがらない よね。だから、このレイアウトは1コーナーがチャレ ンジになるだろうね」と分析していた。

たちも、ドリフトの国際化や世界戦に対して、基本的 には賛成の立場をとる選手がほとんどだった。

走りに感じられた「違い」

3日(土)にD1GP最終戦が、翌日の4日(日)にはコ ースを逆走にして第2回FIA IDCが行われた。

コースレイアウトが 異なる上に、海外勢は 車両レギュレーション が比較的緩いため、直 接比較は難しい。しか

し、速度を維持して1 コーナーに飛び込んで、 アウトのカベにリアバ ンパーを長い時間こす

ー選手は、練習走行段階からアウトいっぱいのライン を走り続けていた。

この差をもたらすものが、車両レギュレーションの 違いなのか、身体と意識に染み付いた習慣なのかは、 現段階では明言は避けたいところだが、彼らの走りに は、大会前日から神本氏が指摘していたような「違い」 を、確かに感じ取ることができた。

近年では、北米やロシアの、興行的にも成功してい るドリフトシリーズの選手が台頭している。この現状 を踏まえると、発祥地であり先行者のニッポン勢であ っても、もはや有利ではないと看て良いだろう。

末永直登選手[S15シルビア] YUKE'S Team ORANGE 海外で一緒に走ったことがあり、性格をよく知る選手と再会して再び 走れることを「嬉しいですし光栄」と語る末永選手。ヒューマン・ ジャッジについては「機械審査が始まる前はずっと人間の審査でした からね。今回は昔を思い出しながら、という感じですね」。「海外のシ リーズにもよく行ってるので」ということで、実はヒューマン・ジャッジ については大きな違和感は感じてないそう。「ドリフトは日本の国技っ てよく言うんです。日本の意地を見せたいですね」と語っていた。

り付けるような走りを 披露したのは、やはり 海外組であった。

中でも、優勝したロ シアのゴーチャ選手や、 チェコのM.ザコリル選 手、スイスのY.メイエ

高い技術を持った選手が繰り出す、迫力のある走り を観て楽しむエンターテイメントであり、それを採点 評価するという、既存のモータースポーツとは一線を 画す「ドリフト競技」をどう育ててゆけばいいのか。審 査方法や車両レギュレーションの障壁は……。

D1GPでは審査項目へのライン指定の追加や、車両 の改造範囲拡大などがすでに検討されているという。

ニッポンのドリフト競技とドライバーを、再び世界 トップレベルに押し上げるためにできることは何か。 FIA IDCという黒船襲来が、ドリフト競技の新たな未 来像を描き出す端緒になることに期待したい。

FIA IDC 2018 47
ニッポン勢の正念場

ココなら

ぜか、女子が一つのことにハマ ると「○○ガール」やら「○○女

子」など、世間からもてはやされ てしまう昨今。モータースポーツにハマる 女子なら、「モタスポ女子」か「ドラガール」 といった感じか!?

そんな呼び方はどうでも良くて、「ただ クルマで走るのが好きなんです!」という女 性達が集まるジムカーナ練習会が初めて開 催されると聞いて、その会場となった茨城 県の茨城中央サーキットに向かった。

主催するのはモータリストクラブ車楽 祭。これまで初心者限定や玄人限定、平成 生まれの若手限定など、様々な限定練習会 を開催してきたクラブだが、その初期段階 から企画していたのが女性限定のジムカー ナ練習会「華祭り」。というわけで、満を持 して、めでたく初開催を迎えたのだ。 参加者を限定する意図は、その条件に見 合った設定を行うことで、自分のペースで 走りを満喫してもらいたい、ということな のだそう。男性ドライバーが圧倒的に多い モータースポーツの環境で、数少ない女性 が練習会や大会に参加すると「必要以上に チヤホヤされたり、女性のクセに、と思わ れたり……」と、どうしてもそういう雰囲気 になりがち。「ただクルマが好きで、走る のが好きなだけなのに……」という女性に とっては、居心地の面ではガマンを強いら れることも少なくないのだ。

特に、人生の中で出産、子育てなど生活 環境の変化が激しくなりやすい女性にとっ ては、ドライバーとしてのスキルや、モー タースポーツを楽しもうという熱量は幅広 くなりやすい。そんな背景も、女性同士な ら、互いに何となく察することができるの で、余計なことを気にせず、自分らしく走 りを楽しめるというわけだ。

今回の「華祭り」では、茨城中央サーキッ トの上段と下段で2種類のコースを設定し、 計測するのは上段のみ。しかも、パーキン グブレーキを使わなくても回せる設定だ。 その理由は、女性ドライバーは男性に比 べて握力や腕力が少ない人も多いため、レ バーを引く操作に苦戦することもある。そ して、小柄な人は、シート位置の兼ね合い から、車種によってはレバーが引きにくく なることなどへの配慮がある。

計測をしない下段では、まさに自分の課 題に専念して練習できる。一日走り放題 で、どちらでも好きなコースを時間が許す

”女子会”ノリで気楽に走れる、 至ってマジメな新企画 女性限定ジムカーナ練習会・
車楽祭「華祭り」に潜入♪
フォト/JAFスポーツ編集部 レポート/千葉小夜子、JAFスポーツ編集部 近年のモータースポーツでは、ありそうであまりなかった開催された「華祭り」に潜入! 参加者が抱えるさまざまな思いを聞いた。
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JAF公認準加盟クラブ「モーターリストクラブ車楽祭」

では、茨城中央サーキットを舞台に、これまで初級者限 定の「白祭り」や玄人限定の「黒祭り」、平成生まれの若 手限定の「平成祭り」など、参加者の条件を特定した 「祭り練」と題したジムカーナ練習会を企画・主催して きた。今回は、以前からアイデアを温めてきた女性限定 「華祭り」がついに初開催。クラブの安田慎代表以下、 運営メンバーの男性はインストラクターも兼務して、 “執事”よろしく、参加者の満足度向上に尽くした。

同乗走行で興味を 持って現在修業中

だけ走れる設定はうれしい限りだ。

午後には、最初の二本をタイム計測して、 競技会の雰囲気も味わえるように演出。さ らに、現場には男性オフィシャルが所々に 配備され、希望すればドライビングのアド バイスも受けられるようになっていた。

そんな、女性限定の練習会にやってきた 参加者は、どんな顔ぶれなのだろうか。

クルマを操ることが楽しい♪

ジムカーナドライバーとして長い経験を 持つ野島さんによると「予想していたより も、普段競技で見かける顔が少ないことに 驚いた」という。今回、計測には経験の度

車楽祭ジムカーナ練習会「華祭り」

目黒真梨さん[マツダ ロードスター]

以前は「友達を乗せて遊びに行きたい」と思いマ

ニュアルの軽4WDを愛用していたが、妹さん に譲り、前から欲しかったノーマルの中古車ロードス ターをゲットした「まりねえ」こと目黒さん。「だって、 カワイイですよね。この形のクルマにどうしても乗り たくなっちゃう」とベタ惚れだ。車楽祭のメンバーで もあるパートナーさんとの馴れ初めもロードスター。 ジムカーナで隣に乗せてもらってから興味を持ち、 半年前から自分でも始めたという。「私のロードスタ ーの隣に乗った時が、一番楽しかったそうですよ」と パートナーさんも得意げ。ちなみに普段はクルマに “ぐんまちゃん”のぬいぐるみをぶら下げているそう。 当面の目標は「このロードスターと一体となって思い 通りに操れるようになりたい!」とのこと。

合いによってハンディが与えられていたの だが、どちらかというとハンディを多くも らっているドライバーの方が多い印象だ。 「久しぶりに走りたいと思っていた時に、 ちょうどいい練習会を知った」とか「自分の 状況ではモータースポーツにあまり力を入 れられないが、参加できるイベントには参

母のお下がりで サーキットを爆走!

田中久美子さん

[トヨタ

スターレット]

「ラウズ」こと田中さん。20年落ちのEP91スターレットは何と「母親のお下がり」だとか。もともと買い物ク ルマで使っていたクルマを譲り受けて自分好みにカスタマイズ。エンジンも一度、オーバーホールしているとい う。実はMR2がメチャメチャ好きなんだそうだが「このクルマ、頑丈で壊れないもので(汗)」。モータースポー ツを始めたのは3年ほど前。サーキットに友達の走りを観に行ったのをきっかけに自分でもやりたくなり、サーキ ットを中心に走っているという。パーツの情報は、ネット経由で入手することも多く、装着も友人などの手を借り てできる限りのことは自分で行うという行動派だ。クルマで走ることの魅力は「操作することの楽しさ」だと語る 田中さん。「自分が思う通りに操作してみて、それがうまくハマった時が一番うれしいですね」とも。

「余計なコトは気にせず、自分らしく!」
女性限定の練習会があるとSNSで知り、会社の後輩を連れて本格的なスラローム練習会に初めて参加した
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FD3Sに乗りたくて まずはテク磨き

大高沙織さん

[マツダ ロードスター]

サーキットを走り始めて5~6年という「りこす

け」こと大高さん。サーキット走行を観に行って 「みんながとても楽しそうに走っているから、私もやり たいな~と思って」と、免許を取得したそうだ。当時 の彼氏が乗っていたFD3S RX-7が「カワイイ」と思 って自分も乗りたくなったが、ドライビングの方では なかなか苦戦。1年がかりで免許を取り、まずはロー ドスターで練習……と思いきや、ロードスターもカワ

イクなってしまい、ずっと乗り続けているそうだ。

サーキット走行も、教習所の延長のような気分だ が「挙動を覚えないと、ちょっとコワイ」となり、挙動 を覚えるためにジムカーナを始めたそう。しかし、コ ースを覚えるのが壁となり、今はひたすらサーキット などで走っているそうだ。今回は、1年ほど走ってい

なかったので、久しぶりに走りたいなと思い参加。 「走り終わってパドックに戻って、タイムが上がった ~って喜ぶ瞬間が一番好き」だそう。

オートテストで 走りに目覚めて…

須山由美子さん[トヨタ86]

オートテストに参加した際に、この練習会のチラ

シを手に取り、知り合いがやっていて、以前から 興味を持っていたジムカーナに挑戦したという「ハ チ」さんこと須山さん。「初心者でもいいなら、来てみ ようかな」と奮起したそう。これまでも日常生活でク ルマの運転をしてきたが「以前はMT車に乗ってい たんですが、家族が使えないのでしばらくAT車に乗

ってました。今回、自分だけのクルマを買えることに なり、86とBRZなら新車でMTを買えると知ったの で」と、半年前に初めてのスポーツカーとしてこの86 を購入したそうだ。

「オフィシャルの方に乗っていただいて、ノーマルの ままでもジムカーナの走りができるということが分か ったんです。86の良さを自分でも引き出せるように なるのが目標。クルマの楽しみが増えた感触があり ます。いつかはサイドターンができるようになりたい ♪」とのこと。

免許を取った頃から 走りたかった!

Bethさん[日産ティーダ]

の変化が激しかった時期には実現できなかったが、それが一段落して、たまたまJAFメイト誌で見つけた 講習会でいきなりBライセンスを取得。しかし「何に使えばいいんだろ?」と5年ほどは更新だけを続けてい た。そんな中、三年ほど前にドライビングパレット那須で開催されている「140AT」を、たまたまJAFメイト誌で 見かけて、お子さんと参加したそうだ。

当初は親子で参加していたが、その後は子供だけが参加できるようになったため、現在はオートテストなどで 楽しんでいる。「クルマにこれ以上の経費はかけられないので、今ある状況で、できる範囲で楽しんでいきます」 と語るものの、結構な頻度で“たまたま”イベントを見つけては、思い切り走りを楽しんでいらっしゃる。

加したい」とか「初心者歓迎のモードだった から」など、興味を持った理由は様々。

しかし、ほとんどの人が「クルマを操る ことが好きで、自分の思う通りにクルマを 操れるようになりたい」と語っており、皆さ んはクルマや走ることが大好きなのだ!  苦手な慣熟歩行でも必死でコースを覚えた り、自分のクルマをオフィシャルの男性に 乗ってもらってその技を盗んだり、とにか く「走っているだけで、楽しくてタマラナ イ!」という雰囲気が伝わってくる。

この点は、ベテランも初心者も、レベル の差はあれど、まさに老若男女問わず、共 通していることのようだ。

そして、今回の参加者を通じて女性のた

くましさを感じるのが、その行動力。メカ ニカルなことは苦手だけど、インターネッ トやSNSで情報収集したり、ドノーマルの クルマだけど、その範囲で楽しめることを 見つけたり、Bライセンスをどうやって使 うかイマイチ分からないけど、とにかく取 得してみる! という人もいるなど、自分 がやりたいことに積極的に向かっている。 このように、一度決めたら、流れに合わ せて自分ができることを嗅ぎ分けていくの は、女性の方がお得意なのかもしれない。

お互いへのリスペクト

一方で、女性限定練習会「華祭り」ならで はの雰囲気もあちこちに漂っていたりする。

みんな女子力高くて逆にビックリ(笑)

全日本ジムカーナドライバーをご主人に持つ「ゆみ」こと野島さんは、20年近いモーター

スポーツキャリアを持つ、言わば凄腕女子。練習会でもあらゆるワザを披露していたが 「実はコースを覚えるのが苦手」だそうで、この日も慣熟歩行は3回歩いたという。ちなみにモ ータースポーツを始めたのは、ご主人と出会う前のこと。職場と同じ建物の会社に務めていた 人に誘われて日光サーキットに行き始めたのがきっかけ。しかし、成り行きから、何も分から ない状態でジムカーナを始める羽目になり、初戦はダブルミスコースだったとか。  「トラック運転手をしていた父の関係で、トラックの隣に乗るのが大好きだった」という家族 環境から、ご自身も大型免許を取得してドライバーを務めていたほど守備範囲の広いクルマ 好き。「乗ってて一番楽しいのは2tトラックかな?」とも。これまで男社会で揉まれてきた経歴 から「今回の女子全開な雰囲気には圧倒されてます」と苦笑する。

野島美恵さん[日産シルビア]

2018年全日本ジムカーナ開幕戦筑波では 野島孝宏選手と夫婦で表彰台を獲得。

免許取得時からモータースポーツに興味を持っていたというBethさん。その思いも、女性ならではの人生
50

り、理解できなくてもいいから、

打ち込める!ココなら、

自分のクルマを「カワイイ」と撫 でていても、ぬいぐるみを抱っ こしながら慣熟歩行していても、 そこはただただ、温かい目で見 守ってくださいな(笑)。

ていたのを譲り受けたそうだが、ご主人とはオーナーズクラブで知り合った仲なんだそう。20年ほどジム カーナの経験があるご主人の影響もありモータースポーツに親しんでいたが、ある大会の表彰台で、女性ドラ イバーが「女性のドライバーを増やしたい」とコメントしたのを聞いて奮起。「ビ筑(ビギナーズジムカーナin筑 波)」で“はじめてクラス”が設定されたことを機会に、自分でも走り始めたそうだ。3年ほどジムカーナ練習会 や草レースを楽しんでいる。「こんなにハマるとは思わなかった♪」と楽しみを感じたのもつかの間、「いつの間 にかタイヤを換えられ、ハンドルも付け替えられ、お仲間の先輩方にも持ち上げられて……。もう逃げられない 感じです」と苦笑するが、本人もまんざらではなさそうだ。

自分のパドックを小物で彩ったり、主催ク ラブの女性が受付に飾っていた『ジェラ トーニ』のぬいぐるみを見付けるなり「かわ いい〜、一緒に慣熟歩行してもいいです か?」と抱き上げたり。男性だらけの練習 会では、なかなか見られない風景だ。

でも、女性だけならそんなことも自然に できるし、受け入れてもらえる。それが、 居心地の良さに繋がっているのだろう。

ここは男女の温度差が出てしまいがちだ が、「気分を上げるツボが人それぞれに違 うようなもの」と思ってもらえれば分かりや すいかも知れない。そして、完全に理解し なくても、お互いへのリスペクトを忘れな ければ、“限定解除”の練習会でも、雰囲気

が変わっていくのかもしれない。

それを感じたのは編集部の担当(男子)で 「クルマをカワイイと思うのは、どういう感 情なんでしょうね?」という疑問。参加者の みなさんが、愛車に向けて「カワイイ、カワ イイ、とにかくカワイイ、全部カワイイ」 と、あまりに仰るのが、どうにも理解でき なかったらしい……。

う〜ん、筆者(女性)としては、全く共感 できるとまで行かなくとも、違和感なく受 け入れてしまえる表現なので、言葉で説明 するのは、なかなか難しいんだけど(笑)。

ということで、変にカベを作って悩むよ

女性が思うまま、存分に走り を楽しむ。「華祭り」は言わば 「走りの女子会」のような雰囲 気。それぞれのアプローチで、 真剣に打ち込んだ女性限定練習 会は、イイ感じに盛り上がって 成功裏に幕を閉じた。

モータースポーツの世界で は、各地の主催者が、どうすれ ば集客できるのか、それぞれ頭

をひねり、努力を続けている。

参加者のニーズに合わせた大会を企画す ることは「門戸を広げる」というよりも「参加 者に合わせてハードルの高さを調整する」 という感覚が近い。どんな高さでもいいか ら、自分に合ったハードルから無理なく始 められれば、モータースポーツへの第一歩 も踏み出しやすくなりそうだ。

この好例を機会に、いろいろな形で、参 加者が居心地良く参加できるイベントが増 えていくと、女性の笑顔もモータースポー ツ界で増えていくのかもしれない。

工藤さん 松縄さん 梅田さん

の割にクルマがパシッとしているのは「クルマが好きだから〜」 とのこと。車種を見てお察しの通り、それ関係の開発の仕事をしている 仲間なんだそう。3人中、サーキット走行経験があるのは一人だけで、 二人はモータースポーツ走行も全く未経験。前から興味があって機会 があればと思っていたが、自分一人ではちょっと……というところに

「ちょうどいい練習会がある」情報を 聞いての参加だ。午後から訪れたの は「朝、起きられなかったから(笑)」

とのこと。仲間と一緒に自分たちの ペースで、自分らしく経験してみよ うという雰囲気だ。

今回の挑戦も「コースを覚えて、 パイロンを倒さず、事故らない程度に 楽しみます」とあくまでマイペース。 練習会でハマって、やる気になったら

「3人で1台買って走るのもイイよね」とか「好みが違うからクルマ選 びでケンカになるかも?」とか「じゃ、間を取って○○○かな!」と、ワイ ワイ楽しく女子会っぽい感じがした。しかし、実は普段からクルマ漬け

のようで、「通勤車だから、車高をどこまで下げられるかが問題だね」 とか「ドライブ行く時は5人で5台。でも、それってツーリングって言う んじゃね?」などなど、割と“漢”な根っからのクルマ女子だった。

午後の部からフラリとやってきた3人組は、練習会に初参加! そ
仲間3人それぞれクルマ好き! 未経験だって、マイペースで楽しむ♪
工藤さん [ホンダ インテグラ] 松縄ことみさん [ホンダ アコード] 梅田有紗さん [ホンダ S2000]
長谷裕子さん[ホンダ アスコット] ホンダ・アスコットというレアなクルマで、夫婦で参加した「ゆうちゃん」こと長谷さん。元々、父親が乗っ
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”ビ筑”の ”はじめてクラス”がキッカケで
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フォト/滝井宏之、小竹充、 J A F スポーツ編集部 レポート/水谷一夫 え! O K 部門。 第 8 その候補に残った 5 53

JAF全日本カート選手権OK部門の2018シリー ズを締め括る、鈴鹿での第9戦/第10戦。こ

こにチャンピオン獲得の権利を持って臨むの は、5名のドライバーだ。

ポイントリーダーは昨年のチャンピオン佐藤蓮。そ れを追うのは名取鉄平、三村壮太郎、高橋悠之、佐々 木大樹。1大会2レース制で予選にもポイントが付く OK部門では、この大会で4回の得点機会がある。タイ

TEPPEI NATORI

Driver/名取鉄平 Age/18歳

Entrant/Team Birel ART

REN SATO

Driver/佐藤蓮 Age/17歳 Entrant/DragoCORSE

トル争いは、まだ先の見えない状態だった。

彼らの戦いは同時に、タイヤメーカーの威信が懸か った戦いでもあった。佐藤と三村のタイヤはヨコハマ。 名取、高橋、佐々木はブリヂストン。全日本カート選 手権の最上級カテゴリにおいて、ヨコハマがチャンピ オンタイヤになれば初の、ブリヂストンがチャンピオ ンタイヤになれば6年ぶりの栄冠だ。

公式セッションを翌日に控えた金曜日。練習走行を 終えた5名のチャンピオン候補たちが語った言葉は、 それぞれの思惑の差異が透けて見える、とても興味深 いものだった。

ディフェンディングチャンピオンとしての自信をにじ ませたのが、ヨコハマ陣営への衝撃的な移籍で話題を 振りまいた佐藤だ。

「タイヤの面では少し苦しい部分もあるけれど、チャ ンピオンは獲れると思います。それを前提として、今 年は1回しか勝っていないので、ここで優勝したいで す。ただ、勝ちにこだわりすぎてもダメ。できれば第9 戦で(チャンピオン獲得を)決めてしまいたい」

平常心を強調したのが、FIA-F4でも大活躍を演じた 名取だ。

「タイヤは各社互角じゃないでしょうか。ただ、(ブリ ヂストンが)負けているわけではないので、心配しない でレースできると思います。チャンピオンのことはそ んなに考えず、いつも通りのレースを。予選も決勝も1 位を狙っていけばいいと考えています」

三村は8年間に渡って最後発のヨコハマの開発ドラ イバーを務め、長い苦労の時期を経て日の当たる場所 へとたどり着いた。そんな“ヨコハマの顔”の胸中には、 この一戦に懸ける強い思いがあった。

「SUGOでは運に恵まれて優勝できたけれど、今年は ブリヂストンにボコボコにされた印象なんです。だか

「今年は1回しか勝っていないので、 鈴鹿で有終の美を飾りたい」
「チャンピオンのことは考えず、 いつも通りのレースをするだけ」

ら今回はしっかりと勝ちたい。チャンピオンはその先 についてくるものでしょう。予選でも決勝でも大きな ポイントを取るためには、タイムトライアルでいい位 置にいることが大事。常にフロントロウからスタートす るようなレースをしたいです」

コンスタントにポイントを積み重ねてきた高橋は、 冷静かつ慎重な姿勢だ。

「自分の手応えはいい。レースは多分ブリヂストン同 士の戦いになると思うんです。今までポイントのこと を考えて走るといいことがなかったので、まずは勝つ ためのレースをしようと思います。ただ、最終戦はタ

イトル争いも絡んで接触が起こりがちなので、引く時 は引く姿勢が必要でしょうね」

佐々木はこの年、茂原大会がスーパーGTとのバッ ティングで欠場となったため、チャンピオン獲得には1 戦も落とせない状況だった。それが、雨のSUGO大会 で不振をかこって下位に低迷。絶体絶命の立場に追い 込まれた佐々木は、シンプルな姿勢を貫いた。 「全部1位を取らないとダメな状況だけれど、そもそ

もレースは速さを競うもの。速さがあれば(バトルの) リスクを取る必要もない。だから、他を圧倒する速さ を求めていきます」

そのチャンピオン争いは、この年最後のレースを待 たずして決着することとなった。

日曜日に行われた第9戦の決勝で、佐々木はまさし く有言実行の走りを演じてポールから独走優勝。同じ ブリヂストン勢の名取は6位、高橋は11位でこのレー スを終えた。

一方、タイヤの耐久性に自信を持つヨコハマ勢は、 レース中盤から目を見張る追い上げを演じて、三村が 15番グリッドから3位表彰台を獲得。スタート直後の アクシデントで16番手に後退した佐藤も4位まで挽回 してフィニッシュ。この結果、佐々木・名取・高橋の3 名はタイトル獲得の可能性が潰えた。

続く第10戦の予選では、佐藤が3位でチェッカーを

SOTARO MIMURA

Driver/三村壮太郎 Age/27歳 Entrant/Crocpromotion

受けたのに対して、タイムトライアル中のエンジント ラブルの影響で26番手スタートとなった三村は、全身 全霊の追い上げも10位が勢いっぱい。ここで佐藤の2 年連続チャンピオンが確定した。 「心残りもあるけれど、いい一年だったと思います。 何より(自身が駆る)ビレルの速さを証明できたことが 嬉しい」と名取。

「チームもブリヂストンも調子がよくて、やりがいのあ

Driver/高橋悠之 Age/21歳

Entrant/TONYKART RACING TEAM JAPAN

「今回はしっかりと勝ちたい。 チャンピオンはその先についてくる」
「自分自身の手応えはいい。
まずは勝つためのレースをしたい」
HARUYUKI TAKAHASHI

第10戦の予選で早々にチャンピオ ンが確定した佐藤選手だったが、決 勝では佐々木選手とのデッドヒー トを繰り広げ、悔しい2位を喫した。 一方、佐々木選手は鈴鹿で2戦連 続のポール・トゥ・ウィンを決め今 季4勝を挙げたが、チャンピオンの 座には届かなかった。

DAIKI SASAKI

Driver/佐々木大樹 Age/27歳

Entrant/TONYKART RACING TEAM JAPAN

手でレースを始め、またもレース中盤から順位を上げ ていく。そして26周レースの20周目、佐藤が佐々木 との最終コーナーの攻防を制してトップに立った。 着々と残りの周回をこなしていく佐藤に、タイヤが 苦しくなった佐々木は、ただ後をついていくだけ。勝 負あったか……。だが、この静かな追走の中で、佐々 木は最後のひと勝負の余力をタイヤに温存していた。 そして最終ラップ。佐々木はオーバーテイクの定番 ポイントである1コーナーを仕掛けるそぶりもなく回る と、すぐ先の2コーナー進入でズバリと佐藤のインを 刺す。僅かな心の隙を突かれた佐藤は、抵抗虚しく 佐々木の先行を許してしまった。

る一年でした」と高橋。

「このタイヤ(ヨコハマ)でトップ争いをしたいという念 願が叶いました。ただ、ブリヂストンにはまだ追いつ いていないし、ヨコハマでも速かったのは僕と(佐藤) 蓮だけでした。これからは誰が乗っても速いタイヤを 作らないと。きっと2019年もチャレンジャーなんでし ょうね」と三村。

こうしてチャンピオン争いは決したのだが、戦いの 火はまだ消えていなかった。勝利でチャンピオンに華 を添えたい佐藤と、それを2連勝で阻止したい佐々木 が、第10戦の決勝で緊迫の名勝負を繰り広げたのだ。

ポールから先頭を行く佐々木に対して、佐藤は4番

最後の勝負所となる最終コーナーにイン寄りから進 入した佐々木は、立ち上がりで佐藤が狙うであろうラ インを読み切り、佐藤の鼻先を巧みに押さえてフィニ ッシュラインへ。喜びを爆発させながらこの年4勝目 のチェッカーをくぐった佐々木に対して、佐藤は悔し さむき出しの表情でマシンを降りた。 「トップに立つまでは予定通りでした。まさか(佐々木 が)あの余力を残していたとは。勝って終わりたかった けれど、ヨコハマで開発に携わってチャンピオンを獲 れたことには意味があったと思います」と佐藤。 「茂原を欠場してもこの結果(最終ランキング2位と年 間最多勝)を取れたのはよかった。最後にチャンピオン をねじ伏せて勝って、ブリヂストンの優位性を示せた ことには、大きな意味がありました」と佐々木。 王座をめぐる戦いでもコース上での戦いでも、その レベルの高さを存分に知らしめて、OK部門の熱き 2018年は幕を閉じた。

「そもそもレースは速さを競うもの。 他を圧倒する速さを求めていく」
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でに20年近くに渡って全日本 ラリー選手権のトップドライ バーとして君臨してきた三菱の エース、奴田原文雄選手は、2年前から指 導者としての活動も続けている。彼の教え を請うたラリースト達は全国各地のラリー で活躍中だ。そして今年は、まだ10代と いう若手が彼の元を巣立っていくことに なった。“教育者”、奴田原文雄の目指す ものとは何なんだろうか。ちょっと話を聞 いてみた。

-「ヌタハララリースクール」は今年で3 年めを迎えました。そもそもはどのような きっかけで始めたんですか? 奴田原 以前からラリースクールはやりた かったんですよ。日本ではレーシングス クールはもう定着しているのに、なぜちゃ んとしたラリースクールがないのか、ずっ と疑問で。スクールを始めたいという僕の 希望をTRDさんが汲んでくれたことが直 接のきっかけです。ドライバー辞めてから

T ics

やればいいじゃないか、と言ってくれる人 もいたんですが、ラリーは楽しいから、勝て なくなるまでは辞めるつもりはないので (笑)、現役の内にスクールを始めたかった んです。

1泊2日、4組までというスタイル はどういう理由で決めたのですか? 奴田原 走行会みたいな形にはしたくな かったんです。同じ所を何度も走れば速く なるのは当たり前。でもそれではラリーで は成績は出ない。先が見えている所をただ 走るだけじゃ林道は走れないので、路面や ステージの状況でどうドライビングを組み 立てたらいいのか。当然そのためにはノー ト使ってうまく走れないとダメなので、 ノート作りからラリー全般のトレーニング を2日間で、ということを考えると教えられ るのは4組まで、ということになるんです。 2016年、2017年ともに年5回開 催して、これまで多くのラリースト達が奴 田原さんの指導を受けた形です。実際には マンツーマンに近い形で教えるという感じ になるんでしょうか?

奴田原 スクールの参加者には事前に課題

「ジュニアプログラムに40名近い応募があったというの は嬉しい誤算。ラリーをやりたい若い人はたくさんいる んだと痛感した」と奴田原“校長”は希望を託している。

を書いてきてもらって、スクールを始める 前に面接してメニューを考えていくという 形を取ります。一番多かったのは、“練習 ではタイムが出せるのに本番でいいタイム が出せない”というものなんですが、ラ リーではよくある話ですよね。ラリーは同 じコースを何回も走るわけでもないし、外 から動画を撮るなんてこともそうそうでき ないので、自分でも何が悪いか分からない と思うんですよ。

ただ横に乗ると大体、本人の悪い所は分 かるんですね。後は本人がどうやってそれ

国内で唯一といってもいいラリースクールであるヌタハララリースクールは開講3年めを迎えた2018年、 ジュニアプログラムを推進するなど新たな試みに挑んだ。

スクールを主催する奴田原文雄選手に、これまでの歩みを振り返ってもらった。

フォト/加藤和由、斉藤武浩、山口貴利 インタビュー/JAFスポーツ編集部

ラリースクールでは受講者のレ ベルに応じたレッスンのメニュ ーが作られる。これまで県戦か ら全日本選手権まで、幅広い層 のラリースト達が参加した。拠 点となるのは北海道の陸別サ ーキットだが、本州でもスクー ルは開講される。ヴィッツ、アク ア、86とスクールカーも3台用 意されている。

~3年目を迎えたヌタハララリースクールの成果とこれから~ 若いラリーストが育つ環境を作りたい
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ジュニアプログラムで選ばれた大竹直生選手と大谷皇就選手(1. 右から)の二人は、と

もにダートトライアルドライバーの父を持つ2世ドライバー。昨夏、ひと足早く実戦デ ビューした大竹選手のサービスには全日本ドライバーである父、大竹公二選手が応援 に駆けつけた(3.)。11月に行われたJMRC西日本ダートフェスティバルではダブルで 優勝を飾るなど(4. 写真は大谷選手)、その速さには早くも注目が集まっている。

を直していくかを一緒に考える。でもス クールで学ぶことはあくまでヒント。自分 で練習して克服するしかないんです。それ と技術ももちろんだけど、一番、大事なの はどういう精神状態で走るかってこと。ど こに気をつけてどうメンタルをコントロー ルするか。そういうことも踏まえて、なる べくクルマを壊さずに成績を出していく方 法を学んでもらう、という感じですね。

- 2018年のヌタハララリースクール はジュニアセレクションを新たに始めて、 2人の合格者がすでに実戦デビューを果た しましたね。

奴田原 23歳以下でラリーに本気で取り 組みたいという人を対象に、1月のオート サロンで募集を開始したんですが、予想を 上回る40名近い応募がありました。最年少

は16歳のレーシングカートをやっている ドライバーでした。そこから書類選考で8 名に絞らせてもらいました。合格した二人 はまだ10代ですが、若い子はともかく吸収 が早い。陸別で教えるとすぐに真似できて 同じように走れるようになるんです。それ

ができるのはやっぱり 若さ。もう優勝も飾っ てますけど、僕は全然、 驚いてないです。ジュ ニアチームと名乗って はいますが、チームと してラリーに出るのは ちょっと厳しいので、

またスクールでトレーニングしてもらうと いった形でフォローしていければと思って います。

-ラリースクールの今後の方向性につ いては、どう考えていますか?

奴田原 2019年は例えばバリエーション を増やすという意味で、1日だけで、走行会 形式を取るけど、ドライバーとコ・ドライ バーがセットでノートの作り方から走らせ 方までを学べるというような形も考えてい ます。

その分、講師を増やしたり、受講者のレベ ルに応じたグループ分けなどもやってみた い。そこでもっと本格的に学びたいという人 はラリースクールに改めて来てもらう、とい

う形でもいいかな、と思ってるんです。

最終的な理想を言えば、グラベルを走っ たこともないような本当の初心者の人に、 ダート走行を経験してもらって、ラリーの 楽しさの一端でもいいから感じてもらえる ようなスクールをやりたいんです。もうア メリカにはそういうスクールがあるんです よ。それは自分の好きなコースをWEBか ら申し込める形になってるんです。

いずれにしても何十年もラリーをやらせ てもらってきた自分のような人間には、若 い人がもっとラリーをやりやすくするよう な環境を作っていくことが使命だと思って いるので、これからも考え続けて行きたい と思っています。

写真の86はヌタハララリースクールのスクールカーであるトヨタ 86。普段はスクールの拠点である陸別サーキットでメンテナンスさ れているが、スクールが開講していない時は写真のように一般の場 所で展示されることもある。(撮影協力:GR

Garage札幌厚別通)
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伝統のクラブマンレースを守って次世代へ

さまざまなレースが1日に凝縮され、開催される鈴鹿クラブマンレース。安全かつ公平にこのレースを運営するためには 経験に基づいたオフィシャルの存在が必要不可欠。競技役員を始めとしたオフィシャルさんの活躍ぶりに密着してみました。 フォト/小竹充、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部

68年の鈴鹿シルバーカップ から、フレッシュマントロ フィーを経て、数えること約 50年。今もなお、盛んに開催されているの が「鈴鹿クラブマンレース」だ。SUPER-FJ、 フォーミュラエンジョイ、FFチャレンジ、 FIT1.5チャレンジカップなど、バラエティ に富んだレースが年7回開催されている。

この伝統あるレースをどのように守り、そ して支えてきたのか、現場で活躍するオ フィシャルの皆さんに着目してみた。

「元々モータースポーツは好きなんですけ ど…、実は奥さんのお父さんがAASC (オートスポーツクラブアツタ)の会長なん

ですよ。それが契機でオフィシャルとして 携わるようになりました」と笑いながら語っ

オフィシャル さん お疲れさん vol.4

たのが、2018年の鈴鹿クラブマンレースの 最終戦で競技長を務めた小出正則氏だ。 JAF中部地域クラブ協議会のレース部会長 を務めている人物でもある。

毎回、レース開催前に準備委員会を開き、 より良い運営を行うためのミーティングを 行い、用意周到に開催へと漕ぎつけている。

時には熱くなって言い合いになることもし ばしば。だがこの意見のぶつかり合いは真 剣だからこそ生じるもので、互いの信頼関 係をより深める一端を担っている。

「シルバーカップからの先輩たち、そして AASCの会長が一生懸命に運営されて来た んですよ。僕は競技長として5年目になり ますが、それを潰さないように一生懸命に やるだけです」と言う小出氏も、競技長1年 目は相当苦労された様子。その苦労が自身

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の糧となり、今日のオフィシャル活動に反 映されているようだ。

55歳とまだまだ現役ながら、その目は 次世代の育成に向けられており、「嬉しい ことに後進が伸びてきているんですよ。実 はコース委員長を務めた西井が、いずれ鈴 鹿クラブマンレースで競技長をやる予定な んです。本人もやる気になっているし、も う任せてもいいかなと。若い子たちの後ろ からフォローしていくポジションに就いて、 もっと伸ばしてあげたい気持ちです」

その将来を担うリーダーとして名が挙 がったコース委員長の西井正樹氏は、「観 客の時は漠然と見るだけでしたが、フラッ グひとつにしてもただ振るだけではなく、 ドライバーのことを考えてフラッグを振っ

コース委員長 西井正樹さん

高校生の頃からF1の大ファンで、大 学2年の時に知人に誘われてオフィ シャルへ。37歳ながらオフィシャル キャリア15年めのベテラン。

今回の競技役員の皆さん

進行委員長 寺崎誠治さん

「好きでやっているから苦労はない」 と言い切る寺崎氏。もともとレースを やっていたそうだが、今はオフィシャ ル1本に専念とのこと。

競技長 小出正則さん

的確な判断を下してピシッと言い切る ことでレースをしっかりコントロール。

その責任感はモータースポーツに注 ぐ愛情の強さゆえだろう。

計時委員長 伊藤拓央さん 電気機器メーカーで知的財産に関す る仕事をする傍ら、自身のジムカーナ の練習をきっかけに10年前からオ フィシャルに携わっている。

技術委員長 堀家鉄也さん

8耐観戦といったレース好きが高じ て、雑誌で鈴鹿サーキットのオフィ シャル募集の記事を発見。オフィシャ

ル歴は今年で31年め。

ています」と、オフィシャルの立場になって 初めて気づかされたことがあると、昔を思 い出しながら語ってくれた。

「鈴鹿クラブマンレースに関しては年間を 通したシリーズ戦なので差はないんですが、 ワンメイクレース等の違うシリーズが入っ

てきた時に、レギュレーションや解釈が微 妙に違ったりするんです。事前に規則書に

救急委員長 広田雅美さん 過去にはシルバーカップに110サニー で出場経験もあり。モータースポーツ に関わりたいという熱い思いで、63歳 ながら元気に活動中。

すべて目を通して、それでも分からないこ とがあればサーキットや運営委員会の組織 に確認します」と、間違いがないよう慎重 に進めることの重要性を説いてくれた。

前職で電子機器やソフトウェアの設計の 仕事をやっていた経験を持つ伊藤拓央氏は、 レースリザルトの作成等の業務を行う計時 委員長を担当。鈴鹿クラブマンレースにつ いて「フォーミュラやハコなどいろいろなク ラスの競技車両が走るわけですが、1日で7 つも決勝もやってしまうので目まぐるしい 感じです」と言う。

鈴鹿クラブマンレースの最終戦は1日で7カテゴリのレースが行われる、濃密なタイムスケジュール。大会役 員ならびに競技役員が集まって委員会を開き、各セクションとの報告・連絡・相談を行う。

「予選が終わると決勝に向けてグリッド表 を発行するんです。このグリッド表って、 いろいろなセクションのオフィシャルが参 考にするので、配布できるタイミングに間 に合うように迅速に努力しています」とのこ

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と。ペナルティが発生するとこの処理がな かなか進められず、一方でその後のスケ ジュールは決まっているため、焦りを感じ つつも正確さが不可欠の業務だという。

タイムスケジュールの遅れを出さないこ とをモットーに、進行委員長を務めている のが寺崎誠治氏。過去にはコース委員長や 競技長の経験もあり、オフィシャル歴約35 年のキャリアは心強い。また、JAF中部地 域クラブ協議会ではレース部会の副部会長 で、競技長・小出氏を支えるポジションだ。

「まずは怪我がないように努めています。 またピット周りのトラブルは進行に影響が 出てしまいますので注意を払っています」と 常に気を遣っている。

「一番気を付けているのは安全面ですね」 と言うのは、技術委員長の堀家鉄也氏。安 全面を重要視する根底には、ドライバーに レースを楽しんで帰ってもらいたい、オ フィシャルが危険な目に遭わないようにし たい、との強い思いがあるからだ。

カテゴリによって車両の寸法や重量と いったレギュレーションの違いに困惑しつ つも、「カテゴリが多いのと、ドライバーの 技量の差が幅広いので、接触やクラッシュ の事例が多いんです。未然に防ぐためにも ドライバーの装備、例えばヘルメットや レーシングスーツ、マシンに対してもオイ ル漏れとか危険な部分がないようにしっか りチェックします」と抜かりはない。

常に準備体制を敷いているからこそ、コース上で起こ る如何なるトラブルにも即対応できるのが強みだ。

レース中に事故に遭ったドライバーの状 況を確認、ドクターや競技長への連絡や報 告を行う救急委員長の広田雅美氏は、若い 頃にはコース委員長や競技長も務めたこと のある、オフィシャル歴40年の大ベテラン。 「救急というセクション柄、なるべくなら 何も起こらない方がいいんです。ドライ バーには医務室に来て欲しくないですから …。万一クラッシュが起きてしまった場合 は、車両やドライバーの確認は慎重に行い ます。事故直後で身体が緊張しているため に痛みをあまり感じないことも多いので、 ドライバーの様子は要注意ですね」と万全 な救急体制の整備を心掛けていた。

各セクションの委員長たちはそれぞれに割り振られた重要な職務を全うしながら、担当するセクションの全員に 指示、統括しなければならない。円滑なレース運営にはコミュニケーションが欠かせない。

さまざまなセクションの声を拾い上げて いくと、皆さんが口に揃えて言ったキー ワードが「コミュニケーション」だった。普 段の仕事では出会えない人との交流、物事 の捉え方や考え方の違い等が自身の刺激と なり、それがオフィシャルのやり甲斐に寄 与している。好きこそものの上手なれとい う諺があるように、オフィシャルの仕事が 好きで誇りを持っているからこそ、レース を支える喜びがあり、また鈴鹿クラブマン も今日まで歴史を積み重ねることができた のだ、と言っても過言ではなさそうだ。

鈴鹿クラブマンレースに携わったオフィシャルのためのご苦労さんパーティが開催された

最終戦が行われた週末、鈴鹿サーキ ットホテルで「2018鈴鹿クラブマンレ ースオフィシャルご苦労さんパーテ ィ」が催され、皆、思い思いに飲んで食 べて、オフィシャル業務の労をねぎら った。会場には鈴鹿クラブマンレース に携わった者だけが共感できる達成 感が溢れていた。オフィシャルの皆さ んの団結力は、こういうところでより 深まっていくのかもしれない。

オフィシャルのウェア を着たぬいぐるみたち も、このご苦労さんパ ーティの会場で癒しを 振りまいた。細かいデ ィティールにもこだわ ったオリジナルの逸品 だ。制作者は現役オフ ィシャルとして頑張る 田代さん。

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ニッポンのモータースポーツは JAF 動画サイトで チェックしよう!

すべての全日本選手権をカバーするモータースポーツ番組 「JAF モータースポーツニュースダイジェスト」好評配信中!

スーパーフォーミュラからレーシングカートまで、国内で開 催されるJAF全日本選手権等のイマを伝える、インターネ ット配信を利用した国内モータースポーツニュース情報番組 をJAFでは配信中です。これは今年開催される全日本選手権の競技 結果等を、日本を代表するレースアナウンサー、ピエール北川さんが スタジオからレポートする新しいニュース番組で、毎月15日頃&25 日頃の月2回の配信を行っています。

JAFモータースポーツホームページの特設ページ、YouTubeの JAF公式アカウント「jafchannel」からも無料で視聴が可能です。ぜ ひ、ご覧下さい。

JAF モータースポーツホームページ

http://jaf-sports.jp

JAF モータースポーツホームページも日々更新中!

全日本選手権や地方選手権など、JAF公認のモータースポーツ活動を戦う上で必要な情報を満 載した『JAFモータースポーツホームページ』。

このインターネットサイトは、国内競技規則の制定や施行、改正、追補並びに廃止に関する公示 を行う媒体としてJAFが監修しているもので、これら公示情報の他、国内レースやラリー、ジム カーナ、ダートトライアル、レーシングカートの競技結果や獲得ポイントが検索できるようになっ ていて、国内競技のデータベースとしても活用できるサイトになっています。

他にも競技ライセンスや公認コース、登録クラブに関するページもあり、全日本選手権の競技 結果レポートを中心としたモータースポーツニュースも文字情報と映像番組で配信されています。

NEWS!
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月最初の日曜日、奈良県の ショッピングセンター「AP

ITA大和郡山店」の駐車場 でオートテストが行われた。主催は奈良県 のJAF加盟クラブであるラリークラブ奈 良(RC奈良)。オートテストが国内に導入 された2015年に全国に先駆けてオートテ ストを開催した、この入門カテゴリーを熟 知するクラブだ。

RC奈良は2016年に奈良県香芝市の葛 城自動車学校で、2017年には同県生駒郡 の法隆寺自動車教習所でそれぞれオートテ ストを開催してきた。商業施設の駐車場を 使用してのオートテストは今回が初めてだ。

当日、用意されたコースはゴール手前で

オート テスト 倶楽部

AUTO TEST CLUB Vol.4

まず前進でライン跨ぎをクリアした後、そ のままバックで90度の角度で下がる車高 入れをこなして、前進で180度右ターン でゴールという設定。特徴的なのは3本の パイロンで仕切られたスペースを島回りす るセクションが2つも用意されたこと。ス ラローマーでもちょっと頭を悩ますジム カーナばりのコース設定が待ち受けた。

オートテストとしては難易度の高い設定 に、さぞや参加者も苦心するのでは、と いったこちら側の気遣いは、しかしあっさ

国内のオートテストの先駆者とも言えるJAF加盟クラブ、 ラリークラブ奈良(RC奈良)のイベントに今回は取材を敢行。 巨大ショッピングセンターの駐車場という絶好の立地のもと、 ジムカーナ的要素の強いイベントにチャレンジした参加者達には 強力な応援団がバックアップを請け負ってくれた!

フォト/谷内寿隆 レポート/JAFスポーツ編集部

りと覆された。そんな参加者の不安を払拭 すべく、当日は豪華すぎるゲスト達が講師 役を務めてくれたからだ。関西在住の全日 本ジムカーナチャンピオン経験者である川 脇一晃、久保真吾の両名に加え、全日本ジ ムカーナに今年参戦した女性ドライバー、 村里早織選手も講師陣に加わった。そして 全日本ジムカーナ通算100勝の偉大な記 録を達成した山野哲也選手も、はるばる関 東から、この日のために駆けつけた。

ヒート1が終わった後の時間では、参加 者は希望する講師に助手席に 乗ってもらう、あるいは自分の クルマを運転してもらうといっ

最後の車庫入れまではジムカーナ的な性格が強い設定となった今回の コースレイアウト。ミスコースする参加者も少なくなかったが、ヒート2で はしっかりと完走を果たしていた。

た形でマンツーマンのアドバイ スを受けられる時間も設けられ た。その後、行われたトーク ショーでも、講師陣からタイム 短縮のためのワンポイントアド バイスが参加者に送られた。難

所の島回りセクションについては、 「夢中で走ると目の前のパイロンに早くつ きたいと思ってしまうけど、少し大回りで 入った方が次のライン取りで楽になること もある。最初の島回りの後のスラロームの 1本めのパイロンの入り方が今日は大事な ので、その先を見据えたライン取りを考え よう」(山野選手)

「人間、我慢が大事なように定常円も我慢 が大事(笑)。アクセルあおると外に出て遠 回りになるだけ。エンジン回転数上がると 速く走れてるように思うけど決してそう じゃないことを知ってほしい」(川脇氏) といった具体的なアドバイスの一方で、 久保選手は「最初が肝心。スタートが緩い となかなかペースが回復しないので元気よ く飛び出して、行ける所は限界まで挑戦し て」とメンタル面の重要性も説いた。

だが、よくよく考えると、今回はジムカ ーナではなく、あくまでオートテストのは

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走りへの熱い思いを再確認できる一日に!
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今回、オートテストが行われたのはAPITA大和郡山店 の県道に接する側の地上駐車場(写真奥)。来店者は 県道から入ってオートテスト会場を左手に眺めながら 奥の平面もしくは屋上の駐車場に進む形となる。

走りへの熱い思いを再確認できる一日に!

ず。なのに、ほとんどの参加者は講師陣が 繰り出す、走りの奥深き世界の話に聞き入 っているように見える。それはなぜか。

実はRC奈良は、JAF奈良支部とともに オートテストが始まる以前からドライビン グレッスンを名阪スポーツランドで毎年、 開催している。メイン講師を務める川脇氏 の気さくな人柄もあって、毎回多くの応募 者が出る人気のイベントだ。今回の参加者 の一人、高田節子さんは3年前、このドラ イビングレッスンに申し込んだが、応募者 が定員に達した後だったため断られた。 「“代わりと言っては何ですが、こういう のはどうですか?”と電話でJAF奈良支部 のお姉さんに勧められたのがこのオートテ ストだったんです。以来、RC奈良さんの オートテストはすべて出ています」と語る 高田さんのスイフトスポーツの足元には 真っ赤なマッドフラップが..。「ダートも ちょっと走ってみたくてつけてみたんです (笑)」とすっかりドライビングの楽しさに ハマった様子だ。RC奈良の関係者によれ ば、ドライビングレッスンと掛け持ちで参 加する人も相当数いる、とか。参加者の、 走りに賭ける熱気の理由が何となく理解で きた。

「こういう場所でやれば、参加した方はも ちろん、たまたま通りすがりに見たという 一般の方もモータースポーツの楽しさを感 じてもらえるはずと思うんです。これから もこの形は続けていきたい」とRC奈良の 小西俊嗣代表は語る。

30年ほど前、自転車で通りかかった自 宅近くの競馬場の駐車場で見たジムカーナ がきっかけでモータースポーツの世界に 入ったという山野選手は、「モータース ポーツはどんどん郊外に押しやられてい る」と嘆く。

「自分が若かった頃のようにジムカーナは 常時、人が集まる場所で行われるのがベス ト。海外のジムカーナなんかは街中でやっ ている。モータースポーツの敷居を低くす

るためにも自分が住んでる所にどれだけ近 い所でモータースポーツが行われているの かが大事なんです。オートテストを通して 全国でこういう事例をどんどん作っていく ことが大切だと思います」

ジムカーナコースを走るのはもうちょっ と実力を身につけてから、と考える人に とってはその分、オートテストも自分のド ライビングレベルを上げられる貴重な機会 のひとつでもあるはずだ。

「すぐ近くで腕を磨ける」。それが次の

モータースポーツに繋がる、オートテスト のひとつの可能性になってほしいと思う。

豪華な講師陣は同乗走行で助手席から、あるいは自らステアリングを握って気さくにマン ツーマンのレッスンに応じた(1. 〜 3.)。今回、ぶっちぎりのタイムで総合優勝を飾ったヤマ モトユキさんは1990年代にJMRC近畿シリーズへ参加した元スラローマー。ジムカーナに はない車庫入れも華麗にこなした(4.5.)。 見られる緊張感をいい意味でプレッシャーに!  本文でも紹介した高田節子 さんはRC奈良のオートテスト 皆勤賞の一人。「最初に出た時 にミスしたのが悔しかったの で、適切な技術を身につけて ミスなく走りたいと思って翌 年も出たんです。オートテスト は思い切り走れるので楽しいですね。上手い人の走りは実際に見ると やっぱり違います。イメージしたことができたかどうか分からないけ ど、どうしたら速く走れるかが、いつもより分かった気はしました」 将来のためにもベースの運転技術が肝心ですね  某アーティストと同姓同名 の藤井郁弥さんは5年ほど前 にBライセンスを取得したが、 まだジムカーナの実戦経験は ない。「日頃と違う運転が体験 できて、かつそのレベルを落と したくないのでオートテストは

もう4回くらい出ています。今日は山野さんに運転してもらってステ アリングの切り方などを教えてもらいました。基本的な操作を身につ けてからジムカーナデビューしたいので、あと1年はまだ練習します」 上手い人はどこが違うかは分かってきました  渡辺みさおさんはMT車の マーチNISMOで参加した。

「MTは嫌いやったんですけど 2年前に見たスーパーGTが カッコ良かったんでMTに乗 りたくなったんです(笑)。レッ

スンも参加してますが、いつも

同じ点を指摘されるので、今日は敢えて乗ってもらわずに自分で考え てやってみようと思いました。クラスで5番くらいまでに入れればジ ムカーナやろうと思ってます。いつかはステップアップしたいですね」

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J A F M O T O R S P O R T S 1967 年 3 月 20日 第 3 種郵便物認可(年 4 2 、 5 8 、 11 1 日発行)第 53巻 第 1号 2019 年 2月 1 日発行 発行人 山口真人 03 ( 5470 ) 1711 (代) 一般社団法人 日本自動車連盟 東京都港区芝大門 1 1 番 30号 0570 ( 00) 2811 (総合案内サービスセンター) 発行所 東京都港区芝大門 1 9 番 9 号 ㈱ J A F メディアワークス 2019 WINTER 254 円+税

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