サステナ第47号

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司会 時間となりましたので、一般社 団法人サステイナビリティ・サイエン ス・コンソーシアム(SSC)が主催 する研究集会「気候変動、持続可能な 消費と生産、自然資本と生態系サービ ス」を開催いたします。この研究集会 は、公益財団法人地球環境戦略研究機 関(IGES)と東京大学国際高等研 ■開会挨拶

うめだ やすし

梅田 靖

究所サステイナビリティ学連携研究機 構(IR3S)に共催をいただいてい ます。 それでは最初に、SSCの研究開発 部会長で、今日のテーマ2「持続可能 な消費と生産」のコーディネーターを していただきます梅田靖教授からご挨 拶をいただきます。

もいただきまして、ありがとうござい ます。 SSCの研究開発部会のメインの活 動の一つがこの研究集会です。本日は これから半日の間じっくりとディスカ

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)研究開発 部会長 東京大学大学院工学研究科教授

皆さんこんにちは。本日は台風が接 近して大変ひどい天気のなかお集まり いただきまして、まことにありがとう ございます。IGESの皆さんには場 所をご提供いただき、たくさんご出席

ッションをしていただきたいと思いま す。このような天候ですから、もう外 には逃げられませんので、ある意味、 集中できるのではないかと思っていま す。 どうぞよろしくお願いいたします。

司会 ありがとうございました。 次に、今日の研究集会と明日の公開 シンポジウムの両方で総合司会をして いただく福士謙介教授からこれからの 進行についてのご説明をいただきます。

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研究集会報告 平成30年度

サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム研究集会

気候変動、 持続可能な消費と生産、 自然資本と生態系サービス

サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)のメンバーが長 年取り組んできたテーマである気候変動,持続可能な消費と生産,自然資本 と生態系サービスは持続可能な開発目標(SDGs)でも主要なゴールとして 捉えられ,全世界がその達成に向けて努力をしています。今回の研究集会は それぞれのテーマの第一人者による講演と討議を企画しました。 3 つのテーマの最新の研究に関する深い論議をし,そして,それらがどのよ うな影響を他の分野に与え,社会を巻き込んでイノベーションを起こすかを 検討しました。 ●主催:一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC) ●共催:公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES) 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) ●日時:2018 年 6 月 11 日(月)13:30~17:00 ●会場:公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)第一会議室 2


テーマ1

気候変動

福士 それでは、早速最初のテーマに 移らせていただきます。 「気候変動」で す。藤野先生にコーディネーターをお 願いいたします。藤野先生は東京大学 電気工学科をご卒業され、その後、国 立環境研究所で研究を続けられ、さら ■コーディネーター

ふじの じゅんいち

藤野純一

に一昨年からIGESも兼務となって おられます。アジアにおける気候変動 の緩和のシナリオの研究で有名で、ア ジアに行くと知らない人はいないぐら いです。それでは藤野先生、よろしく お願いいたします。

今回、福士先生からこの研究集会の お話をいただいたときに、やるからに は私が話を聞きたい人にぜひお願いし たいと思い、 フロントラインにいる人、

公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)都市タクスフォースプログラムディ レクター 国立環境研究所社会環境システム研究センター環境社会イノベーション研究室主任研 究員

皆さんこんにちは。ようこそIGE Sにお越しいただきました。このセッ ションでは3人のスピーカーから15 分ずつご発表をいただきます。

またはフロントラインにいる人にいろ いろ助言できる人ということで、自分 なりにセレクトさせていただきました。 まず1人ずつお話していただいて、簡 単な質疑をした後で、3人の方にここ に並んでいただいて皆さんとディスカ ッションをしたいと思っています。 それではまずIGESにも所属して いる松尾さんからご発表をいただけれ ばと思います。今日は剛速球を投げて くださいとお願いしていますので、ぜ ひどうぞよろしく。

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■進行説明

ふくし けんすけ

福士謙介

究に取り組んでこられた藤野先生にコ ーディネーターをお務めいただきます。 2つ目のテーマは「持続可能な消費と 生産」です。これに関しては大阪大学 の時代からずっとこのテーマに取り組 んでおられます梅田先生にコーディネ ーターをお努めいただきます。そして 3つ目のテーマは「自然資本と生態系 サービス」です。SSCの場ではこれ がデビューとなるかと思われるのです が、橋本先生にコーディネーターをお 務めいただきます。各テーマごとに話 題提供とディスカッションの場を設け ます。最後に25分間ほど、この3つ

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)理事 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)教授

今日の研究集会では3つのテーマを 挙げています。この3つは、実はこの 場所を提供していただいております地 球環境戦略研究機関(IGES)が研 究テーマとしているものでもあります。 SSCのメンバー機関がかなり中心的 に取り組んできたテーマでもあるとい うことから、私ども研究開発部会で今 回のテーマとして選定させていただき ました。さらに、これらは持続可能な 開発目標(SDGs)でも大変重要な ゴールとして認識されてもいます。 最初のテーマは「気候変動」です。 気候変動のおもに緩和の分野で長く研

のテーマのクロスカッティングという のでしょうか、全体で連携をとるよう なディスカッションができればと思っ ています。 サステイナビリティ学のもともとの 定義はいろいろありますが、さまざま な分野の間の連携をどのようにとるの か、その連携が適正であることをとく に重要視するというのが、10年以上 前に議論した際のサステイナビリティ 学のコンセプトでした。今回は3つの テーマの間でこれからどのように連携 してのいくかということも相談できれ ばと思っています。

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のなかで考えてみてください。 次に、もう一つ問いかけをさせてい ただきます。あなたのやろうとしてい ることはどちらなのでしょうか。一方 は、自分の専門分野で優れた学術論文 を書くことなのか、もう一方は、たと えば気候変動問題の緩和に自分の専門 性を使って寄与することなのか。この 二つは結構違います。両方ですとおっ しゃるかもしれませんが、どちらかを 選ぶとしたらどちらなのかと考えてみ てください。 私は温暖化問題に25年以上取り組 んでいる古い人間です。かつて森田恒 幸さんがおっしゃっていたことをいま でもはっきりと記憶しています。「社会 問題を研究対象にする人は、象牙の塔 に入っていてはいけない」という意味 のことをおっしゃっていました。私に はまさにそういう感覚があるものです から、いまのような問いかけをさせて いただきました。

2015年にパリ協定が採択されま した。パリ協定が何かということは皆 さんご存知だと思います。パリ協定は やはりいろいろな意味で影響力が大き いでしょう。そのパリ協定がいまどう なっているのかというと、詳細ルール を策定しているところで、予定では今 年(2018年)末にルールブックが できることになっています。京都議定 書のときには最初に予定されていたの よりも1年遅れましたから、若干遅れ るかもしれません。 国際的ないろいろな制度で、ルール は非常に重要です。それに基づいて各 国はアクションをとります。パリ協定 に関して、その大切なルールがいま策 定されようとしているときに、われわ れ温暖化を研究している人間がそれに 全然関わらなくていいのでしょうか? ということが、ある意味で今日言いた いことのひとつです。 もちろん、自分はルール作りをする

人間ではないのだから、それは誰かほ かの適格な人がやればいいという考え 方もあるとは思います。確かにそれを 否定するものではないのですが、でも 何か寄与できないかなと考えてみまし たかと、尋ねてみたい気持ちがありま す。何らかのかたちで自分の専門性、 専門知識をこのルールづくりのなかに 生かすことができるのかもしれないと、 考えてみたでしょうか? 専門性があ る程度違うと、寄与するものはないか もしれません。そのときには、諦めて 何もしないのか、いや、それでも何か しようするのか、いくつか考え方があ るかと思います。 では、「そういうことを言っているお まえはどうなんだ?」と問われるので はないかと思います。私は、もともと は理論物理学の研究をしていました。 アインシュタインの一般相対性理論や、 宇宙の始まりがどうしたこうしたとい う世界でPhDを取りました。ですか

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■研究報告1

気候変動問題国際制度設計にむけて われわれ研究者は何をすべきか? 問題設定と専門性の活かし方の一事例

まつお なおき

松尾直樹

それでは最初に、あなたはどちらで すかという問いかけをさせていただき

2つの問いかけ

あると理解しています。専門は気候変 動ではない方もおられると思いますが、 いまここの場では気候変動であると思 って話を聞いていただければと思いま す。

公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)上席研究員

私はIGESができた最初のころに ここに入りまして、しばらくしてIG ESを去り、去年の7月ぐらいにまた ここに戻ってまいりました。 今日は「気候変動の国際制度設計に 向けてわれわれ研究者は何をすべき か?」というテーマを掲げました。こ こにどういう方々が集まっておられる のか、実ははっきり知っているわけで はないのですが、要は研究者の方々で

ます。みなさんの研究テーマは気候変 動だと仮定した上で、一方は、気候変 動問題をターゲットとする研究者なの か、もう一方は、ある分野、たとえば モデルであったり、国際関係であった りを専門とする研究者ではあるけれど、 そのなかで気候変動を対象に研究をし ている研究者なのか、そのどちらなの でしょうか。手を挙げていただいても いいのですが、とりあえずは自分の頭

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号方法論承認を獲得するなどの、それ なりの成果を出すことができました。 ただ、コンサルというのはあくまでも 人のお手伝いで、自分でやりたいと思 うことができるわけではありません。 私がやりたいのは何だというと、エネ ルギーアクセス問題に関心があって、 たとえば未電化地域に電気を届けると いうことをしたいと思っていました。 それでコンサル以外に、そのことを自 分の事業として始めました。それはい までも続いています。

パリ協定を 実効性のあるものにするには その後、温暖化の世界では、国際制 度としてはパリ協定ができるまでに動 いてきました。パリ協定ができても、 詳細なルールをうまく作らなければ実 効性のある制度にはなりません。みな さんはパリ協定をお読みになったとき

にどう思われましたか? 実効性のネ ックがどこにあると思われましたか? 私の場合には、かなりはっきりした考 え方があって、それに関して政策提言 をしていかなければならないと思いま した。それをどこで行うか、どこかの 場を使った方がよいかということで、 私が住んでいるのが葉山だということ もあるのですが、IGESが一番だろ うということで、ここにもどってきま した。実際にIGESはいろいろな政 策提言に関して、私がここにいた時代 も含めてだいぶ進展してきていますか ら、IGESのこれまでの蓄積をかな り利用させていただくということで、 いまルールブックに関係する仕事に取 り組んでいます。 ご存じのように、パリ協定のエッセ ン ス は N D C ( Nationally )です。つ Determined Contribution まり、各国が自分で削減目標を作成し て、その目標を達成するための対策を

とる義務を負うということです。削減 目標は5年ごとに見直して、気温の上 昇を2〜1・5℃以内に抑えられる範 囲におさまっているかをチェックしま す。NDCは基本的にボランタリーで す。目標のレベルを決めるのも、それ をどのような政策で達成していくのか というのもボランタリーです。ボラン タリーではあるけれども、5年ごとに 将来の方向性を確認することで、世界 全体として温暖化をちゃんと抑制でき るように一種のプレッシャーをかけよ うとしているのです。プレッシャーは うまくかかるのでしょうか? それが できなかったらパリ協定は意味が全く なくなってしまいます。5年、10年 経って、パリ協定は全然リアリティが なくなってしまうという可能性だって 十分あるのです。

NDCとは Nationally Determined で、英語としての意味は Contribution 分かりにくいわけではありませんが、

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ら、いわゆるアカデミックなといいま すか、知的好奇心に導かれて研究をす るというサイエンスの側にいましたの で、理学的なものと工学的なものとの 違いがよく分かっているつもりです。 温暖化問題のような社会的な問題に関 して何かをやろうというときには、知 的好奇心だけでは不十分です。 温暖化は環境問題かというとそうで はありません。環境問題の本質は、実 はたいていの場合「環境問題の外」に あります。それはどういうことかとい うと、たとえば温暖化問題の中心にあ るものはエネルギーなのです(さらに は文明論でもありますね) 。 だから私は 温暖化問題に取り組もうとしたときに、 環境研ではなく日本エネルギー経済研 究所に入りました。西岡秀三さんにそ ういうサジェストをしていただいたと いうこともあるのですが、時期的には ちょうど気候変動枠組条約ができる時 期に、日本エネルギー経済研究所に入 ることを選びました。そしてエネルギ ーの視点から温暖化問題に取り組みま した。 日本のシンクタンクと呼ばれるとこ ろは、極端なことを言えば、政策提言 ができません。なぜできないかという と、一番大きなクライアントである政 府がそれを望まないからです。おまえ たちは調査をやっておれ、政策を作る のは俺たちだというのが日本政府の姿 勢です。日本のシンクタンクは一般的 に政策提言能力がないと思っていいの です。わたしにはそれがフラストレー ションでした。ちょうどそのころに、 政策提言を行う研究機関というかたち で、ここ地球環境戦略研究所(IGE S)ができることになりました。そこ で私はこちらに移ることにして、実際 いろいろな政策提言を行いました。当 時、京都議定書ができたのはいいけれ ど、排出権取引とかクリーン開発メカ ニズム(CDM)とか、新しい仕組み

が導入され、それをどう運用・利用し たらいいのか、 誰も知りませんでした。 IGESの萌芽期には、それらをどう すればいいのかといろいろ考えまして、 外部の人を交えて朝まで議論するよう なこともありました。 そうこうしているうちに、京都議定 書の運用ルールブック、マラケシュ・ アコードが2001年末に一応できあ がりました。そこで考えたのは、私は 研究者だから次の研究をするというア プローチではなくて、できたルールに 基づき社会が何を求めているのか、こ の方向に取り組んでいくべきではない かということでした。社会はアクショ ンをする人を求めていました。 それで、 アクションする人をサポートする人が 必要だろう、もう研究者をしている時 代ではないということで、独立してコ ンサルタントになりました。 コンサルタントとしては、(IGES 時代の研究を活かして)CDMの第1

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いてこないといけないのです。付いて こられるような(緩いという意味では なく、促進型の)仕組みはどうしたら いいのだろうかということをいろいろ に考えなければいけないのです。です から、皆さんの経験や専門性を、何と かしてそういうルールに生かせるよう なことができるとうれしいと思ってい ます。ルールには生かせなくても、皆 さんの経験を他のところで使っていた だければそれでもいいのです。

低炭素? 脱炭素? 最後にクエスチョンを出します。最 近、 「脱」炭素ということがよく言われ ています。少し前までは「低」炭素で した。低炭素よりも脱炭素はよりすご いというイメージがあると思うのです が、どうなのでしょうか? 私は脱炭素という言葉が好きではあ りません。なぜかというと、脱炭素と

いうと、二酸化炭素の排出をゼロにす るということになります。 そうすると、 供給側の技術とか供給側に対する政策 措置とか、どうしてもそちらの方に話 がいってしまいます。ならば再生可能 エネルギーを100パーセントすれば いいということになります。それはそ うなればいいし、それも重要ではある のですけれど、いまやるべきことは、 それだけではないと思います。生活の スタイルを変えるとか、経済の効率を 上げていくとか、いろいろなことがあ るでしょう。供給側だけに話をもって いっては駄目で、むしろ需要側をどう するのかというところが、実は温暖化 問題の本質だと私は思っています。そ ういう意味では、脱炭素というのはか なりミスリーディングなところがある のではないかと、考えていただければ と思います。また、言葉だけ先行(実 効性が伴わない)して、それで「進展 した気になる」傾向も感じるところが

あります。

藤野 ありがとうございました。自分 も以前は低炭素と言っていた割に、い までは脱炭素という言葉をさかんに使 っているくちです。いまの松尾さんの ご指摘を頭に入れておきたいと思いま す。 それではいまのお話で何か確認した いところとかありますでしょうか? よろしいでしょうか。何かありました ら、このセッションのディスカッショ ンのときにお願いします。 それでは、続きまして、高瀬さんに お願いします。高瀬さんはいまCDP とJSTの低炭素社会戦略センターと、 あと自分で会社もやっているというこ とです。今日はお忙しいなかを、学生 のときからのよしみということで、無 理やりきていただきました。それでは よろしくお願いします。

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その本当のところは分かりにくいです ね。 (貢献)というより、 Contribution (抱負)と言った方 むしろ Ambition がいいかのかもしれません。自分でこ れをすると宣言できるかわりに、必ず 達成しなければならない、厳しく取り 組むことが求められているのだと思い ます。一種の社会的コミットメントで 責任を伴いますが、一方で法的な達成 義務のあるターゲットとは少し違うと ころがあります。努力目標のような性 格があります。言い換えると、アンビ シャスな目標値設定だけではダメで、 実績が伴っていかないことには話にな りません。実績をどうやって伴わせる のかというのが、パリ協定が成功する かどうかの一番のキーポイントです。 それでは、実績を伴わせるための道 具立てとして、パリ協定にはどういう ものが入っているかというと、それが 2年ごとに行ういわゆるトランスペア レンシーフレームワーク(透明性枠組

み)です。2年ごとにNDC達成に向 けての各国の進捗状況の報告とチェッ クを行います。いまの気候変動枠組条 約のなかでも似たようなプロセスはあ り、 私も20年以上関与していますが、 実効性に乏しく、もっと強めていかな いといけません。そのためにどういう 制度を作っていけばよいか、これが課 題です。 そこをうまくデザインすることがで きれば、パリ協定はそれなりに実効性 のあるものできるでしょう。逆に言う と、そこがいい加減なものになってし まうと、ボランタリーな目標を達成で きない国がたくさん出てきて、そのう ちにパリ協定の実効性がなくなってし まいます。それならまた新しい条約を 作るしかないみたいなことになって、 その交渉プロセスにまた10年ぐらい 掛けて……のようなことになったら、 一体何をやっているのかということに なってしまいます。ですから、いま重

要なのは、NDCのトランスペアレン シーフレームワーク関係をいかにうま く実効性のある制度としてデザインで きるかということであると私は思って います。 皆さんも現実世界で経験されている と思いますが、理想と現実のギャップ が大きかったり、経済合理性にはほど 遠い意思決定が行われていたり、いろ いろなことがあります。 政策担当者が、 自分の国の排出量が過去から将来に掛 けてどうなっているのかということさ え、なかなか理解していなかったりと か、計画や政策のパフォーマンスが上 がらなかったりとか、気候変動問題自 体の認識が薄かったりとか、経験や教 訓がシェアできていなかったりとか、 そういったことがたくさんあります。 そうした現実の状況を踏まえた上で、 パリ協定はすべての国がある意味で同 じ土俵に立ってやっていくプロセスに なったので、すべての国がきちんと付

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図①

最適な投資をするという前提でモデル ができています。投資というのは、と くに年金基金などはそうなのですが、 お金が一番儲かるところに投資をする わけではなくて、世の中をよくしてく れるようなところのなかで優良な企業 に投資をしてきたということがありま した(図②) 。最近ではESG投資(環

) 、社会( social ) 、企 境( environment )に配慮している 業統治( governance 企業に投資する)というのがよくいわ れますけれど、それと似たようなこと はずっと前からあって、キリスト教倫 理の観点から武器、ギャンブル、タバ コ、アルコールなどに関わる企業には 投資をしないという方針で投資先を決 めるようなこともありました(図③) 。 投資先を選ぶというのが時代の流れ で、 2006年に国連責任投資原則 (P RI) というのが出されました (図④) 。 ESG課題に取り組んでいるところに 投資をしましょうということで、たく

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図②


■研究報告2

ESG投資の潮流と 気候変動における企業の行動促進について 高瀬香絵 たかせ かえ

一般社団法人

n a p a J e d i w d l r o W P D C

か、負担をどれだけ軽くするか、どれ だけ受容されるのか、将来のメリット と比べて負担の大きさはどうなのかと いったことが議論されていました。つ まり、トレードオフの関係がどうだろ うかというところでの議論でした。個 人的には脱炭素・低炭素はもう少しう まくいくのではないかという思いがあ って、たとえば太陽光発電は10年で 元が取れるようになっていましたので、 省エネ・再生可能エネルギーを入れた

シニアマネージャー

まず自己紹介から。私はいま科学技 術振興機構低炭素社会戦略センターの 研究員も兼ねているのですが、エネル ギー経済研究所に所属していたころか らモデルの研究をしてきました (図①) 。 エネルギーモデルで、経済モデル、一 般均衡モデルといったものの分析をし てきました。ドクター論文を書いたこ ろ、日本では、脱炭素・低炭素にする とコストが上がるので、その上がるコ ストをどれだけみんなで負担をするの

ときに、コストをかけるのではないや り方があるのではないか、それをモデ ルで表現できないだろうかというので 取り組んだのがドクター論文でした。

投資先を選ぶ時代の流れ

それから科学技術振興機構 (JST) に勤めまして、そのころ気になり始め たのが投資の話でした。実はモデルに は投資部門は入っていなくて、誰かが

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図⑤

図⑥

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図⑦


図③

図④

さんの投資家がこのPRIに署名して います(図⑤) 。署名機関の数はどんど ん増えていて、この図には2016年 までしか示されていませんが、いまは もっともっと増えています。

環境情報を開示する

投資をする人は、お金のプロではあ っても環境問題や気候変動のプロでは ありません。ESGのEの環境を意識 して投資をしたいけれど、どこに投資 をしたらいいのかなかなかわからない ということがあります。そうした投資 家からの要請を受けて、企業や都市の 環境情報を集めて広く開示するという こと始めたのがCDPです(図⑥) 。企 業が作る環境報告書はいわばお手盛り といった感じのところもあって、いろ いろな企業の環境報告書を比較するの は簡単ではありません。それで、きち んと比較できるものが欲しいというこ

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図⑩

図⑪

きだということになってきていますの で、企業が物資を買っているサプライ ヤーがきちんと環境に配慮しているの か気になります。それで、サプライヤ ーの取り組みを把握したいという要請 がCDPにくるようになりました(図 ⑨) 。 それでCDPはサプライヤーにも 質問書を送るようになり、かなりの数 の企業が回答をしてくださっています (図⑩) 。 どれくらいの企業の環境情報が開示 されたのか、2017年のデータをお 示しします(図⑪) 。投資家からの要請 で質問書を送付して回答を得たのは気 候変動に関連して2400社あり、サ プライチェーンプログラムでは気候変 動に関連して4800社です。質問書 はかなりのボリュームのあるものなの ですが、これだけたくさんの企業から 回答を得ています。サプライチェーン プログラにはアメリカの政府の調達部 門である連邦調達局にも加盟していた

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図⑧

図⑨

とで、同じアンケートに回答してもら ったらよいのではないかということで スタートしたのがCDPの始まりです (図⑦) 。 CDPはイギリスに本部があ るNGOで、私は2015年からパー トで勤め始めましたが、2003年に 企業・都市の環境情報の開示をスター トさせて、いまではロンドンのバンク というメトロの駅の近くの大きなビル に部屋を借りて、オフィスには150 人ぐらいの人がいるような組織になり ました。 どのような枠組でアンケートを取っ ているかといいますと、年金基金など の機関投資家からの要請を受けて、世 界中の企業に質問書を送付しています (図⑧) 。 ノルウェーやカリフォルニア の年金基金がすごく熱心です。どのよ うな質問書を作るのかというところが われわれの専門性の出しどころです。 また、いまはバリューチェーン全体 を通した排出量に企業は責任を持つべ

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図⑭

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図⑮


図⑫

だいて、すごく力を入れてくださって います。トランプ大統領は気候変動対 策には熱心ではありませんけれど、現 場では着実に取り組みが進んでいます。 こうして得られたCDPのデータは、 クイック、ブルームバーグ、グーグル といったところで活用していただいて います(図⑫) 。日本の環境省でも使っ ていただいています(図⑬) 。 最初は回答をいただいていただけな のですが、そのうち回答を評価するよ うになりました。評価はA、B、C、 Dまであって、Eはなくて、Fは情報 を開示しなかった企業です(図⑭) 。プ ロの目利きの人が選んだところに投資 をするというインデックス投資という のがあって、CDPのAの評価を取る とインデックス投資でお金が集まるよ うになるという流れが作られつつあり ます。日本の企業もいくつかAリスト に入っています(図⑮) 。 CDPは、それ以外にも都市への質 図⑬

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図⑱

示するということを決めた方がいいと いうことで、気候関連財務情報開示タ スクフォース(TCFD)というのが 発足し、マイケル・ブルームバーグさ んがその会長になりました(図⑰) 。T CFDの目的とアプローチは図⑱に示 す通りで、2017年6月に提言が出 されました(図⑲) 。こうしたプロセス には情報開示のパイオニアとしてCD Pもかなり関わっています。 フランスでは、企業が有価証券報告 書に気候関連の財務情報を開示すると いうことを法律で義務化すべきだとい うことになってきています(図⑳) 。

パリ協定と企業の取り組み

パリ協定について少し触れます。C OP(気候変動枠組条約締約国会議) は政府の集まりではありますが、実際 に二酸化炭素の排出を削減するのは政 府ではなく、企業や国民です。削減の

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図⑲


図⑯

図⑰

問を送ったり、いろいろな活動をして います(図⑯) 。

気候変動のリスク

1997年のアジア通貨危機の後に 金融安定化フォーラムができました (図⑰) 。 それでも2008年にリーマ ンショックが起こってしまったので、 フォーラムというようなフワッとした ものではなくて、きちんとした理事会 にしようということで、2009年か らG20のもとに金融安定理事会がで きました。そこにおいて、気候変動に 対していいことをしましょうとかいう 話ではもはやなくて、気候変動は本当 のリスクとなっていて、それに対して 企業がどれぐらい備えているかを見な いと、金融側は不安で投資をしていら れないということが言われ始めました。 そして、パリ協定の時期と同じく20 15年に、企業はこのような情報は開

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図㉒

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図㉓


図⑳

主体は非政府であるということで、金 融も含めて非政府主体で盛り上げてい こうということが2014年から始ま り、それがパリ協定の成功に寄与しま した(図㉑) 。そういった活動が着々と 進んでいるなかでNAZCAプラット フォームが作られました(図㉒) 。いろ いろな非政府主体の取り組みがここに 集約されます。その下に企業の取り組

みをまとめたのが We Mean Business 連合で、行動リスト、イニシアティブ のまとめサイトがあります(図㉓) 。こ うしてみんなで協力していこうという 動きがパリ協定の前後からかなり盛ん になっています。 企業版2℃目標というのがあります (図㉔) 。 パリ協定で地球の気温の上昇 を2℃以下に抑えるという目標を立て ました。2100年にはゼロ排出、ま たはマイナスにするということで、か なりすごいことです。経済活動を保ち ながらそれを実現していこうという志

図㉑

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のある企業を投資家が応援していこう という動きができてきています。企業 が2℃目標を宣言し、それを認定する ということが行われていて、数多くの 企業が参加し、日本が世界で2番目に 認定数、コミット数が多い国となって います(図㉕) 。日本の認定企業は図㉖ に示したのからさらに2社増えて16 社になっています。 再生可能エネルギー100パーセン ト宣言イニシアティブというのがあり ます(図㉗) 。いずれかの時期に、操業 にかかる電力の100パーセントを再 生可能エネルギーで調達すると企業が 宣言します。いずれかの時期というの は、一番遅いと2050年で、すでに 達成した企業もたくさんあります。日 本では必要とする再生可能エネルギー を買えるのかというところで問題があ ります。研究者としては、こういった 目標設定と実際の制度との整合性のよ うなところを調べていこうとしていま

図㉖

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図㉔

図㉕

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図㉙ す(図㉘) 。 今日の話のまとめとしましては、環 境と経済のトレードオフということが いわれていた時代から、お金をどう集 めるかというところで、環境に取り組 むことで企業の収益が変わってくるよ うな時代になってきました(図㉙) 。E SG投資がその事例として挙げられ、 現在かなり盛り上がっています。私と しては研究の傍らCDPにも加わった のですが、そちらでやることが多くて かなりの時間を取られています。金融 も入れたモデル分析を自分でもやりた いと思っているのですが、時間がなく て、ぜひIGESの皆さんにも取り組 んでいただければと思っています。

藤野 高瀬さん、どうもありがとうご ざいました。何か確認したいことなど ありましたら。 なければこのセッションの3人目、

田中さんにお願いします。田中さんは 自治体の視点でのスペシャリストです。

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図㉗

図㉘ 26


図①

図②

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■研究報告3

再生可能エネルギーと地域ルール 長野県の事例

たなか しんいちろう

田中信一郎

施設がこられては困るというようなと ころで、どのようにしてルールを作る のかということを今日はお話をさせて いただきます。 私は現在は、一般社団法人の代表理 事をしているのと、千葉商科大学の特 別客員准教授でもあります(図①) 。千 葉商科大学には学長の原科幸彦先生か ら、自然エネルギー100パーセント の大学づくりを手伝うようにというこ とで呼ばれました。もともとは政治学

一般社団法人地域政策デザインオフィス代表理事

私は「再生可能エネルギーと地域ル ール」を報告させていただきます。再 生可能エネルギーを導入しようという ときに、いま多くの地域ではそれをど う生かすかというよりも、どうトラブ ルに対処するかということが主要なテ ーマになっています。固定価格買取制 度(FIT)が導入された直後のよう な、再生可能エネルギーをこれから地 域で生かしていこうという熱気は薄れ ています。どう誘致するか、逆に迷惑

のドクターを持っていて、国会につい ての研究者です。公共政策の決定過程 というところではその研究とも重なる ところがありますが、いまはエネルギ ーと自治体に関するところで仕事をし ています。

再生可能エネルギーを巡るトラブル

長野県内には再生可能エネルギーを 巡るトラブルがいくつかあり、全国的

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図③

るかです。市長会からは、全部を県で アセスの対象にしてほしいという意見 がありました。しかし、それですと市 町村の独自のまちづくりを阻害する恐 れがあります。たとえば、長野市の工 業団地や住宅地を基準に規制をつくる と、軽井沢のような静謐な街を保つた めにかなり厳しいまちづくりのガイド ラインがあるような地域では、規制緩 和になってしまいます。逆に、軽井沢 を基準にすると、他の地域では過剰な 規制になりかねません。県全域だと、 地域によって状況が大きく異なるため、 線引きが非常に難しいわけです。 そこで、県は、市町村のまちづくり との兼ね合いを重視して、一定規模以 上の事業を県で対応するという方針を 立てました(図③) 。自然公園について は小規模な開発も含めてすべてを県で チェックします。森林の開発について は1ヘクタールを超えるものは森林法 の林地開発許可が必要になるので、そ

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に見てもトラブルのホットスポットの ようになっています(図②) 。2007 年に、南アルプスの入笠山の尾根に風 力発電60基を設置する事業が民間企 業によって構想されました。それに対 して反対運動があり、県も難色を示し てアセス条例の対象に風力発電を加え て影響評価マップを作ったり、住民参 加のガイドラインを作成したりして、 両面から押さえ込むようなことをしま した。実際のところそこが風力発電の 本当に適地だったのかというのも微妙 なところで、南アルプスの尾根に60 基も風力発電設備を並べると、景観的 にも相当問題になるようなものでした。 それから少し時が経って固定価格買 取制度(FIT)が施行され、201 2年に伊那市で地元の建設会社による メガソーラー計画がトラブルとなりま した。これはFIT施行後初めての県 内トラブルで、全国的にも珍しいので すが、企業側が住民を訴えて結構話題 になり、法律家の間では結構知られて いる事案です。結果は住民側が勝って います。 2013年に上田市で県外事業者が メガソーラー計画を立て、山肌を大き く削るということがあり、地元が反対 して、地元選出の全県会議員が県に反 対の陳情をしました。地元選出の県会 議員は4人で、自民党から共産党まで 全員が反対していて、地元の総意とし て反対しています。 2014年に諏訪市や富士見町など 数十メガワット規模のソーラー計画に 対して住民が反対し、 県議会、 市長会、 町村会、住民、メディア、県内あちこ ちから懸念の声が経済界も含めて出て きました。

アセス条例の改正 2015年2月の県議会で知事がア セス条例の改正をするという答弁をし、

半年で条例改正案を一気に作り、3カ 月の周知期間を経て2016年1月か ら施行して、諏訪市の事業はアセスの 対象となりました。もともと長野県の アセス条例は、別荘開発やスキー場開 発などの特定の事業に対して、土地改 変が一定面積以上のときにアセスが必 要だということにしたもので、土地面 積の改変規模が大きくて、特定の事業 でなければ、アセスの対象にはなって いませんでした。2015年の改正で はそうした事業要件を全部外して、一 定規模以上の面積改変は全部が対象と なるようにしたので、改正は再生可能 エネルギーを狙い撃ちしたものではあ りません。 このとき難しいいくつかの問題があ りました。一つは、国がアセス法をも っていて、それとは別に県がアセス条 例によって国の法律では対象にならな いものに対してアセスをかけるわけで すが、問題は市町村との関係をどうす

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図⑤

のが基本方針です。 第二に、県の規則、手続規定の改正 です(図⑤) 。県にはいろいろな許認可 の手続きがあります。景観や森林開発 についてさまざまな規定を整備したり 補ったりしました。たとえば、計画的 に景観を整備する地区では届け出を義 務化し、林地開発許可に関しては必要 に応じて調査を実施できるようにし、 降雨対策などの防災対策も強化しまし た。 第三に、市町村の対応支援です(図 ⑥) 。 アセスの対象にはならない一定規 模以下ならトラブルは起きないのかと いうとそうではありません。先ほど最 初に問題になった伊那市の事例はあま り大規模なものではなく、1メガ程度 でした。別荘地では小規模なものでト ラブルになったりします。庭に設置す るくらいのものでも、そんなものを見 て暮らしたくないと、近くの住民が反 対することがあります。単純に規模で

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図④

れで対応します。宅地、農地、工場は 50ヘクタール以上を県の対象とし、 それ以下は市町村で対応します。 一方、 市町村に丸投げするのではなくて、技 術的なサポートなどは県がするように しています。

再生可能エネルギー開発への対応

県の再生可能エネルギーの開発に対 する対応は大きく5つに分けられます。 第一に、アセス条例の改正で、約6 カ月間で全面的な改正をしました(図 ④) 。 太陽光発電と住宅団地を分割して 「それぞれ別の敷地ですよ」というか たちでアセス逃れをする可能性があり ますので、森林の開発は20ヘクター ル以上をアセスの対象にしています。 アセス条例の改正は、繰り返しになり ますが、メガソーラーだけを狙い撃ち にするものではなく、むしろアセス条 例の不備をこの機会に解消するという

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図⑦

る行政指導ではなくて、法令・条例で 対処してくださいというようにしてあ ります。固定価格買取制度は、法改正 によって、条例を含む法令に違反した 場合は認定を取り消すことになってい ます。これを活用すれば、一定の強制 力を持つことができるので、条例でも ってできるだけ対処するように市町村 には助言をしていて、そのためのモデ ルとなる条例の案も県から示していま す(図⑨) 。 県からこのような条例を作ってはど うですかと市町村にお勧めしているの は大きく6つの内容からなっています。 1つ目が地域とエネルギーの関係や政 策の基本方針を明記することです。2 つ目が住民参加や届け出、公表や合意 形成手続の規定です。3つ目は外部の 事業者であっても、地域と合意形成し ながら丁寧にやりたいという方たちも いますので、そうした企業の場合は協 議会を作って、合意形成をしっかりで

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図⑥

割り切れないところがありますので、 県としては市町村が細かく対応してい くためのサポートをするということで、 「太陽光発電を適正に推進するための 市町村対応マニュアル」を作っていま す (図⑦) 。 市町村の小さなところでは、 災害のことも温暖化のことも環境のこ ともよく分からないという職員がほと んどで、そういう人が太陽光発電の担 当になることも珍しくありません。そ うした職員でも何か問題が起きそうに なったらきちんとした対処が取れるよ うなマニュアルを県で整備しました。 事業計画が出されたときにどのように 対応していったらいいのかという対応 フローチャートを作り、いまはどのよ うな段階で、何の法令をチェックしな ければいけないのかといったことが全 部分かるようになっています(図⑧) 。 また、国の法令や県の条例で確認すべ き事項を整理し、市町村でも、できれ ばガイドラインとか要項によるいわゆ

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図⑨

きるような規程を設けていきます。4 つ目は地域の人たちが自らやりたいと いう場合は、特別の支援措置を市町村 長が与えられるようにする規程です。 5つ目はゾーニングする場合の根拠規 程、6つ目は悪質な事業者に対抗して いくための規程です。実はこれにもと づく条例を長野県木曽町と岩手県雫石 町が作っています。 さらに、自治会などと事業者が協定 を結ぶ際の雛形もかなり詳細なものを 提示しています。県には10の地域振 興局があるのですが、振興局の単位で 県と市町村担当者による連絡会議を常 設で設けています。 また、事業者に対しては適切な対応 をするよう喚起しています(図⑩) 。事 業者に役立つようなマニュアルを作り、 地元にはこういう法令・条例がありま すので、できるだけ配慮しながら取り 組んでくださいということをお伝えし ています。

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図⑧ 36


図⑪

図⑫ 39


県の対応の第四は、もう少し根本的 な部分で、地域主導型の自然エネルギ ー事業を促進していこうということで す(図⑪) 。県の方針として、地域の人 たちが自らやる事業、あるいは外から

くる企業でも地域と連携・協働してや っていこうとするものを応援しよう、 促進しようということを明確に掲げて いて、市町村にもそういった県の考え 方を繰り返し伝えています。その具体

的な支援の一つとして、収益納付型補 助金があります(図⑫) 。これは例えば 2億円の小水力発電事業を行おうとし た場合に、住民たちには手持ち資金が 1000万円しかなかったとします。 さすがに残り1億9000万円を金融 機関は貸せません。もしも県が900 0万円を補助金で出して、1億円の現 金が手元にあるならば、当然残り1億 円は借りやすくなります。こうした補 助金を出して、地域の人たちの事業を 応援するのです。飯田市もこういうこ とを進めています。このようなことに よって、県内各地で地域主導型の自然 エネルギー事業が盛んに行われるよう になってきました(図⑬) 。 第五は、エネルギーと地域経済の関 係についての理解を、県や市町村、関 係者で共有することを進めています (図⑭) 。 多くの地域が域外から化石燃 料を買い、それに対するお金を外に払 っています。長野県では大都市の企業 図⑩

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図⑮

に払っています。それに対して、省エ ネの設備投資をすれば、将来出ていく はずだったエネルギー代金を節約でき ますし、省エネにかけたお金は地元の 工務店に回り、その工務店の職人たち が地元で買い物をしてというように、 地域経済が回っていきます。熱を化石 燃料から地元のバイオマスに変えれば、 山にお金がいきます。長野で作った電 気を東京とかに売ったりすれば、逆に 外からお金が入ってきます。実際に世 田谷区の保育園に売っている事例もあ ります。 エネルギーと地域経済の関係を重視 するということが長野県の方針で、知 事も含めて皆がそのような理解をして いろいろな取り組みをしています。 以上お話したようなことを最近本に まとめましたので、詳しく知りたい方 はご覧になってください(図⑮) 。知事 のインタビューや、行政や工務店や市 民やいろいろな人の声も載っています。

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図⑬

図⑬

図⑭ 40


うのを出して、濃いグリーンから薄い グリーンまで、投資先を選定するよう なことでリードしつつあります。そう ことが進んでいるなかで、日本はどの ように活動をしていこうとしているの か、そのあたりの動向をお聞かせいた だければと思います。 ――田中さんに質問です。住民との関 係は難しい問題があると思うのですが、 とくに県行政というのは市町村を間に 挟むということもあって、トラブルが おきたときに県がどのようなスタンス を取るのかというのは難しいところも あるかと思います。そのようなことに 関連して、何か具体的な事例をご紹介 いただけると勉強になるのでお願いい たします。 ――政府がパリ協定のルールを作り、 実際に排出削減に取り組むのは民間、 非政府アクターなのですが、そのとき

に森林の問題もあると思います。サプ ライチェーンから森林減少をどのよう に防いでいくのかというのは、今後の テーマとして大切かなと思っていて、 ヨーロッパでは官民連携で取り組みが 進んでいる印象をもっているのですが、 日本における政府、企業、消費者、そ して市場の役割、課題についてもしご 存じでしたらお話をいただければと思 います。

藤野 では残りの時間が5分ほどな ので、質問に手短かに答えていただい て、最後にもう一言ずつ言ってもらい たいと思っています。 松尾 脱炭素という「言葉」がどうい う印象を与えるのかということについ て、少し注意がいるかなということで お話しただけで、実際の使われ方とし ては供給側にこだわったようなかたち ではないと、私も当然そうであること

を願っています。もともとパリ協定そ の他のなかで、気温の上昇を2℃以下 に抑えるには本当に排出量をゼロにし なければいけないところから脱炭素と いうことになったのは確かです。 皆さんは宮崎駿は知っていますよね。 宮崎駿が最初に監督をしたのはNHK のテレビで放送された「未来少年コナ ン」でした。あれは実はものすごく重 い話で、太陽エネルギーで人類が滅ん だ……というところから始まっていま す。要はエネルギー源の種別よりも、 その使い方の問題なのです。どのよう なオリジンのものであろうとも、すご く大量のエネルギーが手に入ってしま うと、人間は使い方を誤り得るという 文明論的メッセージがそこにあるので す。そういうこともあるので、いわゆ る供給側だけにこだわっていると認識 されかねない用語を掲げることは、私 はあまり好きではないということです。

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パネル討論 藤野 どうもありがとうございまし た。 では、ここからはパネルに移りたい と思います。発表された方は前に出て きていただいて、最初にフロアからご 質問やご感想をいただいて、次にパネ ルということで進めていきたいと思い ます。 ――松尾さんが脱炭素、低炭素という 言葉の使い方について言われたことに ついてお聞きします。私が知る限りで は、脱炭素という言葉を使うと供給部 門の話にばかりなってしまうという議 論はあまり聞きません。脱炭素という のは、まずは需要側を減らして、それ から供給をどう脱炭素化するかという ような発想に立っているのかなと考え ていました。低炭素も脱炭素も供給か 需要かのどちら側かによりフォーカス

しているということはないように思っ ていました。脱炭素という言葉だけを みると、たとえば素材産業系の方にと ってみたらカーボンを使ってはいけな いというのはそもそもナンセンスにな ってしまうので、カーボンニュートラ ルという言葉を使いたがるように聞い ています。言葉のイメージについて気 になりましたので、その辺でもしコメ ントをいただければと思います。

藤野 まずひととおり皆さんからの ご質問をいただいて、その後で答えに 移っていきたいと思います。

――高瀬さんに質問します。環境金融 の分野やESG投資が進んでいるなか で、グリーンボンドの規格化をどのよ うに進めるのかの争いのようなことが いま起きていて、中国が結構台頭して きています。その一方で、ノルウェー の研究所がグリーンインデックスとい

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田中さんから一言ずつもらって終わり にしたいと思います。

自治体へのアプローチの仕方 田中 私は自治体についての専門な ので自治体にどうアプローチしたらい いのかということを言いますと、正し いことでも正しく言うと拒否されるこ とがかなりあります。いいアプローチ は、地域経済の振興と人口減少対策で す。この観点からどう持続可能な地域 を作っていくのかということでアプロ ーチしていくといいと思います。環境 とか温暖化とかからアプローチしたの では、首長1人とか担当者1人を動か すことはできても、経済界とか議会を 含めて地域全体を動かしていくのは非 常に困難です。アプローチのしかたを 常に考えていただきたいと思います。 もう1つ、 技術ではなくて政策です。 技術からアプローチすると失敗します。

技術から入ると、自治体は技術の問題 だと捉え、ルールとか社会の問題だと は捉えません。アプローチの仕方をぜ ひ考えていただけると、非常に皆さん の知見が役に立つと思います。

藤野 一緒にやりたいことは? 田中 ぜひ一緒に社会を変えていき ましょうということです。 正論を言う 高瀬 CDPの活動ですごく面白い と思っているのは、お金の力を背後に 付けて正論を言うということです。企 業のコンサルのようなことするのです が、企業の方に会ったときにも、私は 正論しか言いません。でも、後ろに年 金基金とかのお金が見えているので、 皆さんお話をすごくよく聞いてくださ います。もちろん正論なので、正しい

ことを聞こうということはあると思い ます。 研究者についていうと、研究者は理 路整然と考えることができて、文献が 読めて、人にきちんと話すことができ て、そういった基本的なスキルを持っ ておられるので、頑張るとものすごい パワーになると思います。海外の研究 者はもっと社会と近いところにいて、 CDPにも研究者だった人が何人もい ます。 私自身についていうと、私の時間の 使い方を自分で観察していると、カー ボンプライシングが効いているのだな と思います。お金をもらえるところに 行くのではなくて、削減になるような ところに行くということをしています。 研究者は世の中を変える力を持ってい ますので、せひ一緒にやっていければ なと思います。

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高瀬 グリーンボンドの規格化の話 は私はあまりフォローできていないの ですが、ESG投資全般という意味で は、2015年にGPIF(日本最大 というか世界最大の年金基金)が責任 投資原則(PRI)に署名をしたこと を大きなきっかけとして、日本でも大 手の銀行などがESG投資に取り組ま なければならないということが始まり、 今年ぐらいからかなり活発に動いてい ます。ただ、自発的ではないようなと ころもあるので、そこは課題だと思っ ています。 森林については、私も実はいま森林 に注目して、 猛勉強を始めたところで、 ぜひいろいろ教えていただきたいと思 います。サプライチェーンを通じてと いうところに関しては、CDPにもサ プライチェーンプログラムというがあ ります。PRIも2017年に森林の 破壊・減少に関するウォッチを始めて いて、エンゲージメントというのです が、企業に直してくれということを始 めています。

田中 県と市町村の関係は難しい問 題です。住民からすると市町村なのか 県なのかということはあまり関係なく て、地方ですと県知事がメディアに露 出することが意外と多くて、知事がテ レビで何かいうと住民からすぐに県に 意見がくるようなことになります。県 としては、市町村と必ず情報を共有す るようにしています。また、県と市町 村の間で担当者の意思疎通が非常に重 要で、恐らくほかの県ではあまりやっ ていないと思うのですが、地域振興局 単位で県の職員が常設で連絡会議をも っていて市町村の担当者と定期的に会 って情報交換をしています。それと、 イリーガルな事業があったりすると、 市町村の担当者の悩みが非常に深くな ったりしますので、県では年に4回個 別の相談会を行っています。県の担当

者と市町村の担当者とあと2人の専門 家に入ってもらって、市町村の担当者 の悩みにみっちり答えるということを しています。いずれにしても、市町村 と県の意思疎通をすることがきわめて 重要だと考えています。

藤野 今日のお話を聞いていると、や はりアクションをおこしていくことが 大切な段階であると感じました。それ ぞれの現場で闇雲にアクションをして もしかたがないので、ルールを作った り、システムを作ったり、皆さんが付 いていきやすいようなガイドラインを 作ったりしながら、いかにアクション を大きくしていくのかというのを、ま さに現場で研究のバックグラウンドを お持ちの皆さんがやられているわけで す。今日は研究を生業としている方が 多いなかで、研究者はあまり役に立た ないのか、 それとも何かやりたいこと、 一緒にやっていけることがあるのか、

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テーマ2

年に東京大学に戻られて、精密工学科 で教鞭を執っておられます。IR3S 設立当時からの同志の1人であります。 今回どうしてもということで、このテ ーマのコーディネーターをお願いして います。どうぞよろしくお願いいたし ます。

介 持続可能な消費と 生産

福士 次のテーマは明日のシンポジ ウムのメインテーマでもあります「持 続可能な消費と生産」です。コーディ ネーターの梅田靖先生です。梅田先生 は東京大学工学部のご出身で、工学部 の助手・講師、都立大学の助教授、そ れから平成17年より大阪大学の方で 機械工学科の教授をされて、平成26 ■コーディネーター

うめだ やすし

梅田靖

いただきましたように、研究としては 生産の方しかやってきていません。消 費と生産を合わせるとどうなのかとい

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)研究開発 部会長 東京大学大学院工学研究科教授

このセッションのテーマは「持続可 能な消費と生産」です。これは結構難 しいテーマです。私自身は、いまご紹

うことは、実はあまりまだ研究してい る人は多くありません。藤野先生のセ ッションはかなりバラエティがありま したが、私のセッションは割と身内で 小こぢんまりとした感じになります。 それでは、まずIGESの粟生木さ んからお話をいただきたいと思います。

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専門の外に出る 松尾 グリーン投資に関する話を1 つしますと、私は実は途上国の未電化 地域にソーラーホームシステムを届け るためのクラウドファンディングをし ています。セキュリテというところで 行っています。 研究者の方々には、ぜひ自分の専門 の外に出ていただきたいと思っていま す。たとえば、昔ある大学の工学部の 先生が、ほかの研究者がいろいろな経 済モデルで2100年ぐらいまでいろ いろな計算しているのを見て、その先 生はよく理解できませんでした。それ で、簡単にその意味を理解する方法は ないかということで、考え出したのが 有名な「茅恒等式」です。モデルの専 門家でしたら、そのようなことはやら なかったと思います。茅陽一先生はあ る意味で分からなかったから、もっと 簡単に分かる=本質を掴むためにはど

うすればいいのだろうと考えて、茅恒 等式[二酸化炭素の排出量 (=二酸化 炭素の排出量/エネルギー)×(エネ ルギー/GDP)×(GDP/人口) ×人口]の要因分析手法を考えられま した。 このように異なった分野に出ていく と、別の視点から意味のある、より本 質を突くものを作れるのではないかと 思います。私が物理学者だったのにこ の(物理の専門性があまり使えない) 世界でなぜやれているかというと、他 の人と違う見方が若干できているから だろうと思っています。少し違った見 方でいろいろなことを見ていくと、ま た新しいことがいろいろできると思い ます。

藤野 どうもありがとうございまし た。やはり自分がお話を聞きたい人を お呼びしてこういうことをするのは最 高ですね。たいへん贅沢をさせていた

だきました。皆さん、ぜひ最後に拍手 をいただければと思います。どうもあ りがとうございました。

福士 皆さんどうもありがとうござ いました。

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図①

図② 49


■研究報告1

循環経済政策関連動向 SCPの視点から―欧州を中心に

粟生木千佳 あおき ちか

今日の話題の背景として、資源価格 の変動が大きく、全体として上昇傾向 にあるということがあります(図①) 。 世界人口の増加や途上国と先進国の資 源消費の差を考えると、資源は今後世 界の大きな課題として、世界の不安定 化要因になるのではないかとよく指摘 されています。また、資源消費活動に

循環経済とは

公益財団法人地球環境戦略機構(IGES)持続可能な消費と生産領域プログラムマ ネージャー・主任研究員

研究テーマとして、循環経済政策の 議論が最近花盛りで、EUを中心に動 きが非常に活発化しています。今日は 循環経済や資源効率性のお話、とくに 今年になってさまざまな動きを見せる プラスチック系のことも含めて、いま 国際社会がどのような動きかという点 について発表させていただければと思 います。

よってプラネタリーバウンダリーを超 えるという指摘もあります。 そのような背景から、G7やG20 などでも資源についてさまざまな議論 がされていて(図②) 、資源課題に取り 組むことが、今後の正しい方向だとい う規範が形成されつつあるように思い ます。この右上にあるのが国際資源パ ネルといって、気候変動でいうとIP CCに相当するもので、2007年に

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ということです。それを実現する方法 の1つとされるのが循環経済です ( (図 ④) 。掘って、作って、使って、捨てる という線形の経済から、なるべくルー

プの閉じた循環経済に移行していきま す。製品と資源の価値を可能な限り長 く保持して、廃棄物の発生を最小限に する経済です。 もちろん、 資源の採掘、 インプットも小さくします。

EUのサーキュラーエコノミー

とくにEUが資源効率関連の戦略を 加速させており、資源の効率化やサー キュラーエコノミー政策に取り組むこ とによって、EUの経済の優位性や競 争力を強化することを目指しています (図⑤) 。加えて、これを通じて、資源 供給の安定化をはかり、気候変動問題 も解決していきたいと考えているよう です。 こうしたEUの動きに追随するよう にして、 いろいろな国でも循環型社会、 循環経済、資源効率といったことに対 する政策を持つようになってきました (図⑥) 。 赤い字で示したのがそうした

政策が打ち出された年で、2015年 以降各国の取り組みが非常に盛んにな っていることがわかるかと思います。 たとえば産業界では、世界経済フォー ラム、いわゆるダボス会議でも循環経

済のイニシアティブ、PACE( Plat -form for Accelerating the Circular )が立ち上がっています。W Economy BCSD ( World Business Council for 、持続可能 Sustainable Development な開発のための世界経済人会議)でも

ファクター10( Factor10 )といって、 資源効率を10倍にする、つまり1の インプットで10のアウトプットをだ す方向性を掲げて、取り組みを進めて います。 欧州議会のホームページには、法案 の審議状況を示すサイトがありますが、 サーキュラーエコノミー政策は、環境 と健康というカテゴリーが存在するに もかかわらず、雇用・成長・投資のた めの新しい起爆剤というカテゴリーに

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図⑤


EUが支援して立ち上げられた専門家 パネルです。資源効率や物質資源を扱 っていて、UNEAやG7、G20で

もさまざまなインプットをしています。 その国際資源パネルが掲げているテ ーマがデカップリングの促進です(図

図③

③) 。 資源消費とそれに伴う環境影響を、 経済成長や人間の幸せ(ヒューマンウ ェルビーイング)から切り離していく

図④

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位置付けられた政策になっています。 ということは、サーキュラーエコノミ ー政策を通じて環境問題を解決すると いうよりは、新しいビジネスの機会を 生み出して経済優位性を高めていくと か、生産と消費のより効率的で革新的 な方法をとって競争力を高めていくこ とを目指しているという意思がはっき りと見て取れると思います。 図⑦はEUのサーキュラーエコノミ ーの行動計画です。政策パッケージと しては、この行動計画と、後でご説明 する新しくリサイクリング目標を設け る廃棄物関連の改正指令の2つがあり ます。行動計画では、資源採掘から廃 棄物管理まで全ライフサイクルの各段 階で明確に取り組みが定められている のが特徴的です。日本のいわゆる循環 型社会政策では、これまでは、ライフ サイクルの上流へもアプローチすると は書いてありますが、ライフサイクル の比較的後半に視点がありました。E

Uの行動計画では、設計段階に明確に エコデザイン指令に対する取り組みが 反映されていて、修理可能性、アップ グレード可能性、耐久性、リサイクル 可能性、スペア部品情報、入手可能性 に取り組むとなっています。こういっ たことから製品デザインや生産プロセ スが変化しうる可能性がありますし、 スペア部品情報の入手可能性というと ころでは消費者に修理等の取組を促し ていくようになるのだろうと思います。 サーキュラーエコノミーは比較的生 産側の議論なのですが、消費について も保証期間や計画的陳腐化の見直しや 課題の検証、 エコラベル、 エコラベル、 GPP(グリーン公共調達、 Green )に取り組むと書 Public Procurement いてあります。なお、計画的陳腐化と いうのは、製品の寿命や魅力を、何ら かの対応で、意図的に短縮して旧製品 を早くに陳腐化させることだというこ とです。

さまざまな取り組み

消費や生産を新しい形態にするとい う動きがあります。たとえば製品のサ ービス化があります(図⑧) 。フィリッ プス社は照明器具を販売するのではな く、照明というサービスを販売するビ ジネスであると、ミシュラン社はタイ ヤを販売するのではなく走行というサ ービスを販売するビジネスであると、 ビジネスモデルを転換させています。 別の事例として、フィンランドの化学 産業団体のページあったデュポン社の 事例をあげます。パルプ製紙産業の副 産物からキシリトールを製造すると、 中国においてトウモロコシからキシリ トールを生産する場合よりも非常にカ ーボンフットプリントが低いというこ とが示されていました。循環経済と気 候変動対応との両立を図った事例かと 思います。このように循環経済という

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図⑥

図⑦ 52


定が出ました。 もう一つ、プラスチック戦略が現在 世の中に大きなインパクトを与えてい

ます(図⑩) 。プラスチックリサイクル のさらなる促進、プラスチックのルー プを閉じること、プラスチックの削減 を通じた化石燃料への依存減などが狙 いです。2030年までに全プラスチ ック容器包装材が再使用可能、もしく は費用対効果が高いリサイクルを可能 にするという非常に野心的な目標が掲 げられています。その実現のために、 EPR(拡大生産者責任)の強化や、 企業の再生プラスチックの使用に関す る自主誓約を促すキャンペーンの展開 などさまざまな取り組みがなされてい ます。 こういった政策意思がきっかけにな ったのではないかと思うのですが、世 界経済フォーラムで、ユニリーバ、コ カコーラ、ウォルマート、ペプシコ、 ロレアル等の企業が共同で2025年 までにプラスチックパッケージを10 0パーセン再使用・リサイクル・コン ポスト化を可能なものとしますという 図⑩

宣言を発表しています。また、欧州の プラスチック関連6業界団体が、20 40年までにプラスチック廃棄物の5 0パーセントをリサイクルする宣言を しています。右下が欧州のプラスチッ ク製造企業の業界団体のコミットメン トで、2040年までにプラスチック パッケージについては100パーセン ト再使用・リサイクル・リカバリーす るとしています。 エレン・マッカーサー財団という欧 州の有名なサーキュラーエコノミーの ロビーイング団体があるのですが、そ の財団によってCEに関する企業連携 や取組推進のために立ち上げているC E100というイニシアティブがあり ます。このイニシアティブへの参加企 業の中には、 ダノンやH&M、 ナイキ、 ルノー、ユニリーバといった製造業の ほかに、GoogleとかMicro softとかITの企業が存在してい ることが興味深い状況かと考えていま

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視点から製品や消費を見直す動きが出 てきています。 次に、廃棄物関連の改正指令です。

廃棄物の法令改正では非常に厳しい目 標が出されています(図⑨) 。野心的な 都市廃棄物リサイクル率や埋め立ての

図⑧

制限、EPR(拡大生産者責任、特に 容器包装のリサイクル)の強化を含む 指令となります。今年の5月に最終決

図⑨

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■研究報告2

持続可能な消費と生産に向けた 利害関係者間の合意形成 シナリオ生成と市民討議会によるアプローチ

なかたに じゅん

中谷 隼

にフォーカスしたようなテーマの方が いいよねということを言われました。 ただ、消費者にフォーカスして、たと えばアンケートを採って、消費者の環 境意識を調べましたといったようなこ とをお話してもあまり面白くないかな と思いまして、 「持続可能な消費と生 産」という題で一番のキーとなってく るところで意外と手が付いていないの は、この「と(アンド) 」というところ

東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻講師

私は平尾雅彦先生が代表で進められ ている環境省の推進費によるS16と いう研究プロジェクトのなかで「持続 可能な消費と生産」に関して、梅田先 生ともご一緒に参加させていただいて います。今日ここで何をお話しようか ということで、私自身はどちらかとい うとLCA(ライフ・サイクル・アセ スメント)が研究の中心なのですが、 梅田先生からは、そちらよりは消費者

で、この2つをどうつなぐかというこ とではないかと考えていて、そのあた りについて何かしらお話できたらと思 っています。 今日お話するのは、S16の「持続 可能な消費と生産」の研究プロジェク トで行ったものではなくて、別の水に 関する研究で行ったもので、もしかす ると今日のこのテーマとはずれて聞こ えるかもしれません。それでも、消費

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す。先ほどEUのサーキュラーエコノ ミー政策の製品デザインや消費に関連 する対応で、製品のスペア部品情報と いうのがありましたが、そういった情 報を流通させるにはIT関連の企業が キーになります。ちなみに、CE10

現在の国際動向としてはいまご説明 したように、とくに欧米にとって新た な共通理解だとか規範が形成されつつ あります。つまり、資源効率性や循環 経済という正しいことに取り組まねば ならないという認識ができつつあって、 意識の方向が一つになって、取り組み が盛んになっています。こういう新た な国際的な共通理解に対して、日本企 業や日本政府がどのように対応・適応 していくかという点がこれからの課題 になっていくのではないかと考えます。 サーキュラーエコノミー・循環経済 に移行していくことで、社会や経済構 造が変化していくと思うのですが、本 当にそれがウェルビーイングをよりよ くしていくことに効果的になるか、途

今後の方向性

0に加盟している日本企業はブリヂス トンのみです。

図⑪

上国にとってリープフロッギング(発 展段階を飛び越えて先端技術を使うこ と)を実現するために循環経済が効果 的かといったところはまだ研究的には 明確になっていないという認識です。 循環経済への移行により本当に環境影 響が削減するのか、CO2便益・社会 経済便益がどの程度得られるか等、と いった点が今後の研究テーマになって いくのではないかと思っています。

梅田 ありがとうございました。短い 確認のご質問があれば伺いますが……。 とくになければ、藤野さんと同じよう な進め方でやりたいと思います。粟生 木さん、ありがとうございました。 では、次は東京大学の中谷先生お願 いします。

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期的な水利用システムのデザインです が、図の下の方から説明します。シナ リオ生成支援ソフトウェアでシナリオ を作ります。ここに、○○市水道局の

者の科学的な知見、将来の地下水の利 用可能量はどのぐらいかとか、気候変 動が起こると河川の利用可能量はどの ぐらいになるかといったことも入れま す。そうした知見をシナリオ生成支援 ソフトウェアに入れてシナリオを作り ます。 さらに住民アンケートを採って、 住民がどのようなシステムを望んでい るのかといった選好の動向を調べて、 多様な選好に対応したシナリオを作り ます。こうして作られたシナリオを市 民討議会の場にもっていくわけですが、 具体的には10個ほどのシナリオを作 ってもっていって、議論をしてもらっ て理解を深めていただきました。そし て最終的には、今回はさいたま市で行 ったので、さいたま市の行政の人に見 てもらって、政策決定に反映してくれ たらいいというあたりまでを研究とし て進めました。 シナリオ生成はどのような考え方で 行ったというと、図③は研究を始める 図③

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ような水道事業体からの情報、たとえ ば現状はどのようなシステムがあると か、いまのところどのような技術が利 用可能であるとかを入れ、また、研究 図②


と生産をつなぐという意味で、持続可 能な消費と生産の議論にもフィードバ ックができる内容ではないかと思って います。

どういう研究プロジェクトで行った のかというと、戦略的創造研究推進事 業(CREST)のなかで、 「気候変動 に適応した調和型都市圏水利用システ ムの開発」という研究テーマがあり、 要は都市の水利用システムをどのよう に構築していくかという研究プロジェ クトでした(図①) 。この研究プロジェ クトのなかには、地下水の動向を調べ ている人たちもいれば、水処理の技術 を研究している人たちもいたのですが、 私自身は、都市の水利用システムをど のようにして住民と合意しつつ作って いくかということを行いました。 この研究でのアプローチは、まずシ ナリオを作るところから始まりました。 特定地域の水利用システムにどのよう な形態があるのかというのを数値計算 的に導き出しました。費用を最小化す るとこのようになるとか、環境負荷を

合意形成のためのシナリオ生成

図①

削減しようとするとこのようになると いったシナリオを数値的に導出するの です。その次に、地域住民が参加する 市民討議会の場で、そのシナリオに基 づいた議論をし、最終的にはその地域 の将来の水利用システムのあり方を議 論して、できたら合意形成にまでもっ ていこうとしました。実際には合意形 成にまで至るのは難しかったのですが、 市民討議会にフィードバックするとこ ろまでを研究プロジェクトで行いまし た。 この話は、生産側で可能なありうる シナリオとして作ったものと、 住民側、 消費側がどのように選考するのかとい ったことをうまく組み合わせて、最終 的に一つの解にもっていくというアプ ローチです。これは広い意味では、持 続可能な消費と生産においても使える アプローチかなと思っています。 この研究の枠組をお示しします(図 ②) 。 最終的なゴールは一番の上の中長

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図④

いということになりやすいのです。も う1つの問題点が、この段階で住民の 選好を生かそうとしても、どうしても 選好の平均値しか反映することができ なくて、なかなか多様な意見をうまく 反映することができません。 それに対してこの研究では、意思決 定の初期段階で、シナリオを作る人が 住民にはいろいろな意見があり、いろ いろな選好があることを前提にしてシ ナリオを作って、それらのシナリオを 住民の議論の場にもっていくという流 れになっていて、われわれのコントリ ビューションする段階が違うのです。 かなり初期の段階で住民の選好を考慮 することによって、多様な意見を反映 するようにしたいというのがこの目的 でした。 いまお話したような内容をソフトウ ェアとして実装することによって、わ れわれの手を離れても自治体の方に使 っていただけるようなものにしようと

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一番初期の段階で、このような方針で 自分はシナリオを作りますと研究プロ ジェクトのなかで宣言したものです。 まず大前提としてあるのは、多様な利 害関係者は多様な価値観をもっている ということです。利害関係者というの は住民や水道事業体などで、水道の場 合には上流側と下流側で意見が違うこ ともあります。とにかく費用が安けれ ばいいという人もいれば、おいしい水 が飲みたいという人もいますし、河川 の水質が非常に大事だという人もいる でしょう。とにかく多様な価値観をみ んながもっているということを大前提 としてシナリオ生成を始めようという のが第一歩です。 多様な価値観があることを前提にす ると、 どのような価値観を重視するか、 どのような指標を重視するかで当然違 ったシナリオができてきます。そのと きに、ある一定の人たちの選好を中心 にするとか、平均的な選好を対象にす るとかではなくて、さまざまな選好に 対応したさまざまなシナリオを作るこ とにしました。 そうすることによって、 市民討議会という場で、とにかくバリ エーション豊かなシナリオを議論の机 の上に載せられるようにするというの が、このシナリオ生成の段階でのポイ ントです。 少し言い方を変えますと、一番下に 小さい字で書いてあるのですが、この 段階でそもそも議論に値しないような シナリオは排除することも大事なポイ ントです。どの観点から見ても、費用 で見ても環境負荷で見ても水のおいし さで見ても、他のシナリオよりは悪く なってしまうような、議論に値しない ようなものを排除しておくことによっ て、市民討議会の場での議論をより効 率的に進めていくことができるように なります。 最終的なゴールは利害関係者間で理 想像を共有することで、そのためにま

ずはとにかくどのようなシナリオがあ りうるかをいろいろと生成します。 これまで消費者側の意識を調査する 研究を私自身も行ってきたのですが、 それがどのように合意形成や意思決定 にコントリビューションするのかとい うと、図④の右側に示したようなイメ ージになります。それに対して今回の 研究で行ったコントリビューションの 仕方は図の左の側に示したイメージで す。 従来の選好評価は、LCAのなかで やることもあるのですが、最後の段階 で代替案を評価します。つまり、複数 の代替案があったときに、そのどれを 一番住民が望んでいるかを決めるため に住民の選好を聞くという流れです。 そのときの問題点の1つが、代替案を 作る段階がどうしてもブラックボック スになりがちで、そもそもそこには住 民の意見が反映されていない、かなり 生産側に偏ったシナリオしか出てこな

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図⑦

情報を入力すると、その前提条件に合 わせたシナリオを作ってくれます。そ うすると、 2030年目標であっても、 2050年目標であっても、さまざま な目標の年次に合わせてシナリオを作 ることができます(図⑦) 。 もう一つの特徴は重み付け係数にあ って、たとえばコストだけを重視する ならコストに100パーセント重みを 振ったシナリオを作るとか、環境を重 視するのなら環境負荷により重みを振 るとか、さまざまな属性に対して重み 付けをしたパターンを入力することに よって、それぞれに対応したシナリオ を作ることができます。その結果は図 ⑦の右側にあるように、水利用システ ム全体での水利用の割合や取水源の割 合、処理施設の処理方法の割合などが 出てきます。それを地図上に表示する ことも自動的にできるようになってい ます。 地域全体での水利用の割合であると

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図⑤

図⑥

作ったのがW4Sという水利用システ ムシナリオ生成支援システムです(図 ⑤) 。 研究プロジェクトの名前で検索し ていただくとこのソフトウェアがダウ ンロードできます。使いこなすのはな かなか難しいかもしれませんが、もし 興味があれば見ていただいて何かご意 見をいただければと思っています。

シナリオ生成支援ソフトウェアの開発

シナリオの対象範囲は、表流水や地 下水をもってきて浄水処理をするとこ ろから、最後は下水処理をするところ までで、一部には再生水としてもう1 回利用するところまでを含んでいます (図⑥) 。 W4Sの一つの特徴としては、 ソフトウェアの中身自体は混合整数線 形計画という比較的単純な最適化の手 法を使っているのですが、前提条件の ところで、たとえば将来の水需要量と か将来の水資源の利用可能量といった

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図⑨

図⑩ 65


図⑧ 64


図⑬

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図⑭


か処理方式の割合とかが、現状と比べ てどのように変るのかということが図 ⑧の円グラフのように示されて、シナ リオごとに現状と比べてどこが良くて、 どこが悪くなっているのかの評価結果

を比較的わかりやすい形で表示するこ ともできます(図⑨) 。そして、地図上 のここにこのような施設がありますと か、この範囲に水を配りますとかいっ たようなことをわかりやすく示すこと

図⑪

実際にこのようにして作ったシナリ オを市民討議会にもっていって議論し ていただきました(図⑪) 。さいたま市 の地域住民25人とさいたま市の水道 局から2人、研究サイドから5人程度 が参加しました。討議のテーマはさい たま市の2050年の水利用システム です。かなり先の話なのですが、20 50年にはこのような利用システムに なっていたらいいよねということを議 論しました。当日の進行は、初めに情 報提供をして、1回アンケートを採っ てから、午前中の議論をしていただき ました(図⑫) 。午後に、もう1回情報 提供をして、そこでもう1回アンケー トを採り、そしてもう1回討論をして いただいて、最後にもう1度アンケー トを採りました。全部で3回アンケー

市民討論会の開催

もできるようになっています(図⑩) 。

図⑫

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図⑯

してこのようなことが考えられるので はないかと描いた図があります (図⑯) 。 要は住民側と行政、今日のテーマに即 していえば、消費側と生産側の間に立 って、われわれ研究者がどのように潤 滑油となることができるかということ が1つのポイントとしてあるかと思い ます。

梅田 ありがとうございました。何か クエスチョンはないですか。よろしい ですか。 それでは、最後は私から発表させて いただきます。

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トを採って、実際に住民たちの選好が どのように変わっていったかを観察し ました。

地域住民の方にシナリオをどのよう に提示するのかというところでは、先 ほどの円グラフのような形では、やは りまだまだ専門的過ぎるだろうという ことで、それぞれのシナリオの特徴を 表す1行程度の記述と、費用はどうな のか、環境負荷はどうなのかといった 属性が一目でわかるようにマークで示 して、それぞれのシナリオの特徴を理 解していただくようにしました (図⑬) 。 さいたま市から情報提供をした後の 市民による討議では、25人を5人ず つに分けて、その5グループのなかで 水利用システムにどのようなことを望 んでいるのか、どのようなことが気に なるかといったこと出して、付箋紙に 記入して、ワークシートに載せ、最終 的に班ごとに成果発表をしていただき ました。 その討議の前後にアンケートで、水 利用システムのどのような属性を重視 しますかとか、どのようなシナリオが 図⑮

いいと思いますかといったようなこと を答えていただきました(図⑭) 。その 結果を見ますと(図⑮) 、なかなか明確 な傾向を読みづらいところもあるので すが、討議の前と後では、水質保全と いうところの選好度が少し高まってい たり、おいしさの選好度が少し低くな ったりしています。それぞれのシナリ オのなかでも、河川の水質汚濁を重視 するようなシナリオをいいとする人が 少し増えたりといったように、討議の 前後でいくつか差が見えました。情報 提供をした後と、また討議した後では 違うということもあって、そこが市民 討議会をやったことの1つのメリット かなと思います。

合意形成へのアプローチ

今日のこの話をこれからどのように 使ったらいいのかということでは、利 害関係者の合意形成へのアプローチと

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本生産性本部の喜多川和典さんからお 借りした絵で、価値観が変わってきて いるということが示されています。従 来の製品価値や所有価値から、喜多川

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ので、本当にこのようなことが起きて いるのかどうか定かではないところも ありますが、このことを前提とすると いろいろな説明ができるようになりま

図②

さんの用語でいうところの機能価値、 利便価値、サービス価値へとユーザー の重視するところが変わってきていま す。価値観の測り方はよくわからない 図①


■研究報告3

持続可能な消費と生産に向けた 連携の姿について r e c u d o r P r e m o t s u C

うめだ やすし

梅田靖

消費者が主体的に頑張るとか、政策 として消費者を啓発するとか、生産側 を規制するとか、いろいろとすでに行 われています(図①) 。それらによって SCPの状態になるかというと、なか なか無理なのではないかと思います。 むしろ消費者が持続可能な消費行動を 自然と取るような仕組みのようなもの が必要ではないかと思います。それは

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)研究開発 部会長 東京大学大学院工学研究科教授

持続可能な消費と生産(SCP)と いうタイトルのもとで、私からは、消 費者(C)と生産者(P)の連携、C P連携の姿についてお話をしたいと思 います。持続可能な消費と生産を実現 するための鍵は、私の主観的な考えで しかないのですが、消費者と生産側の 連携の仕方にあるのではないかと考え ています。

どういうものかという答えは出ていな いのですが、消費者にとっては価値が 高かったり便利だったりするものであ り、生産者にとっては儲かるものでな ければいけません。そういうことが本 当に可能なのかということに関する話 題提供をしたいと思います。

価値観の変化と情報化の変化

図②は、循環経済(サーキュラーエ コノミー)の議論をいつもしている日

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世界と全く同じようなモデルを情報世 界に作って、その上ですべてのことを シミュレーションして、プロアクティ

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ということがおきているわけです。そ うすると、これを単純に外挿すると、 これからはあらゆる情報が見えるよう

図⑤

ブに対応しようということです。 要するに現実世界からサイバー世界 に行く情報の量が圧倒的に大きくなる 図④


図③

す。たとえば粟生木さんからご説明が あったサーキュラーエコノミーの多様 な循環のような話もリアリティをもっ てくると思います。 もう一つの兆候として、IoT化、 AI化、情報のネットワーク化という 話があります(図③)私はどちらかと いうとこのあたりが研究のバックグラ ウンドなのですが、たとえばドイツ発 のインダストリー4・0があります。 これは、将来は工場の中、工場の外、 そしてサプライチェーンも全部情報で つないでしまって、機械同士がネゴシ エーションしてものを作るというイメ ージです。国内でも同様のことがソサ エティ5・0(超スマート社会)とか、 コネクテッドインダストリーズといっ た言い方をして進められています。ア メリカでもやはり非常な勢いで進めら れています。鍵は、サイバー・フィジ カル・システムとか、ディジタル・ツ インとかいう言い方をしますが、現実

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図⑥

は割と先進国的な発想でものを考えて いて、片やこのプロジェクトではアジ ア地域について考えています。 図⑦は阪大の小林英樹先生が作った 絵です。生活の質と1人当たりの資源 消費量の関係を見たときに、先進国で は、図の右側にあるように、生活の質 は維持して、資源消費量を抑えて、あ る種のサステイナブルな状況にするこ とが鍵となっています。一方で、途上 国はこれから先進国並みに生活の質を 高めていかなければならないので、違 うスタート・ポイントから始めて同じ ようなところを目指さなければなりま せん。それをどのようにしたらいいの かというのが悩ましいところです。 途上国が先進国の後を追って、追い つくいわゆる「雁行形態論」のような 話にはたぶんならないでしょう。新し い技術やビジネスモデルの普及が、途 上国で先進国よりも早く進むことが実 際にあります。たとえばスマホも電子

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になってきて、個々の製品のすべてが 追跡可能、トレーサブルになってくる ということがイメージされます (図④) 。 たとえば、 JR東日本の線路の検査は、 ドクターカーというのが走って、たと えば数カ月に1回検査していました。 それが新しい線路設備モニタリング装 置では、普通に走っている電車の下に 測定装置を付けて、電車が往復する間 に1日数回測ることができます。リア ルタイムで変化が分かり、あとどのぐ らいもつかということが即座に分かっ てくるわけです。そのように情報が桁 違いにたくさん集まってくるようにな り、あらゆることがそれこそ秒単位で 把握できるような世の中に向かうので はないかと思うわけです。

これからのものづくり 以上のような価値観の変化と情報化 の変化を合わせて、そこに環境の話も

もってくると、ものづくりの今後の姿 が大きく変わってくると考えることが できます(図⑤) 。われわれはそれをラ イフサイクル価値創造と呼んでいます。 まず、サステイナビリティをきちんと 真ん中に置かなければ、ものづくりは 世界的には受け入れてくれないような 世の中になると思います。日本は欧米 と比べるとそこのところがとても弱い のです。資源やエネルギーや人的資源 などの生産性が1桁ぐらい上がるよう な高生産性の超サステイナブル生産に なるでしょう。そして、所有にみんな がこだわらなくなれば、ものはシェア リングされて、何時誰がそれを使うか 日々刻々変わるようになって、所有と 使用が分離されるでしょう。使用され ているものはいまどのように使われて いて、どのぐらい劣化して、あとどの ぐらい使えるのか、再利用するために はいつ交換すればいいのかといったこ とが完全にトレースされて見えるよう

になるでしょう。そうすると、生産す るということは、 「もの」に加えて「こ と」も生み出すことが中心になってい きます。ものを売るということ自体が それほど価値をもたなくなり、むしろ アフターマーケットなどいろいろな形 で製品に対してプラスアルファのサー ビスを提供するというのが、ライフサ イクル価値創造ビジネスの主戦場にな ってくると思います。

アジアの変化

今日の話のもう1つの背景として、 平尾先生が代表になって進めている環

境省の総合推進費S 1 −6というもの があります(図⑥) 。 「アジア地域にお ける持続可能な消費・生産パターン定 着のための政策デザインと評価」とい う非常に難しいタイトルですが、アジ ア地域でSCPを考えるというのがミ ッションになっています。先ほどの話

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図⑧

るのではないかと思っています。

CP連携のイメージ

この4つのキーフレーズは、われわ れが何回かブレーンストーミング(図 ⑨)を行ってようやくここに落ち着い たといいますか、これ以上の知恵がな かったというようなものです。 そして、 これら4つのキーフレーズを満たすよ うな社会の将来のイメージ、CP連携 のイメージを描いてみました(図⑩) 。 1つの鍵は、基本的な要求、たとえば 自動車だったらまずは移動するという ニーズを満たした上で、どのようにし て、プラスアルファの価値、あるいは 個別の欲求を満たすのか、その両者を どのようにして同時に満たすのかとい うことです。いままでではモノを大量 に与えることによって個別の選択も可 能にしていました。モノではないとこ ろでどう実現するかというのが1つの

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図⑨


4つのキーフレーズ

決済もそうです。逆に日本はレガシー がものすごく大きくて、身動きが取れ なくなっている面もあります。 一方で、 途上国は基本的なインフラ、水とか電 気とか最低限の生活の質(QOL)が 整っていない状況もあります。先進国 と同じような形で価値観の転換をした り、サーキュラーエコノミーに進んで 行ったりできない状況があります。そ のあたりをどう重ねて考えたらいいの か、 まだ答えを持ち合わせていません。

シェアリングとかPSS( product )とか、価値販売とか、 service system サービスサイジングとか所有によらな いモノの使い方です。4つ目が、情報 の可視化とかデジタル化とかエコポイ ントなど、消費者がたくさんの情報に アクセスできるようになると、消費者 行動の転換が起こるということで。こ れらの4つの組み合わせの先に、ある べきCP連携みたいなものが見えてく

ぶん大量生産・大量消費を回避する最 大のドライビングフォースになるので はないかと思っていて、キーフレーズ を4つ設定しています(図⑧) 。1つ目 が、充足生産と適量生産です。たとえ ばビッグデータのようなものがあった ときに、オンデマンド生産とか需要予 測によって、生産の時点で無駄を極限 まで減らすことができます。 2つ目が、 サーキュラーエコノミーでいうところ の循環生産の局面を進めます。3つ目 が、消費の価値観の変化に合わせて、

われわれはS 1 −6のなかでいろい ろな議論をしていて、そこから皆さん に問い掛けて、何か突拍子もないこと をしているといわれてしまうのか、ど のような反応があるのかを見るのも今 日のプレゼンの趣旨の一つでもありま す。価値観の変化のようなものが起き ていて、これを加速していくことがた

図⑦

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たとえばカーシェアリング専用車の設 計みたいなものはいまはあまりやられ ていませんが、所有をして長く使うと いうことは前提にしないで、いろいろ な人が違うように使うことを前提とし た設計が必要になります。非常に効率 良く作って基本的なニーズを満たしつ つ、差別化のところをミニマムな資源 で実現するような設計をすべきです。 このあたりのことをするのはメーカ ーではなく、むしろライフサイクル価 値のプロバイダみたいなのがいて、そ ういう人たちが消費者とコミュニケー ションをしながら、個人の幸せを追求 しつつ、サステイナビリティを実現す るようなかたちになっていくのではな いかなと思います。そういう業種がメ ーカーから出てくるのか、それともリ サイクラーからなのか、もしくはサー ビス企業からなのか、どういう展開が あるのでしょうか。

パネル討論

梅田 それでは講演者に前に出てき ていただいて、皆さんからコメントと かご質問がありましたら、ぜひお願い します。

プラスチックの行方

高瀬 個人的にプラスチックに興味が あって昔調べたことがありますが、そ のころから状況が変わっているのかな と思ってお尋ねいたします。家庭で出 るプラスチック製容器包装のリサイク ル率がどの程度なのでしょうか。マテ リアルリサイクルというか、ペット・ トゥ・ペットみたいなものがなされて いるのでしょうか。その割合はどのぐ らいなのでしょうか。あと、諸外国と 比べて日本はどういうポジションにあ るのかを教えてください。

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鍵となるでしょう。それで、1つのシ ナリオでは、基本的なニーズはシェア

リングで満たして、それ以外のプラス アルファのところは、かなりフレキシ

図⑩

ブルに個人向けに生産ができるような ところで満たすようにします。また、 別のシナリオでは、基本的ニーズはか なり規格・量産化された製品でほぼ満 たしておいて、あとの個別欲求は、V RやARなど、モノではないところで 満たすようにします。人間から見ると それぞれ個性的な製品を使っているよ うに思わせるようにできるのではない かということです。 そして、自分の主体的な価値観を満 たそうとすると、自然とSCPになる ような仕組み、もしくはビジネスモデ ルみたいなものをうまく作るような手 段があればいいわけです。それを裏で 支える大きなものとしてライフサイク ル・マネジメントのような仕組みがあ って、その上にサーキュラーエコノミ ーみたいなものが載ってくるのでしょ う。 生産系についていうと、製品の設計 のしかたも全然違ってくるでしょう。

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定をするのでしょうか。

粟生木 サーキュラーエコノミーと ウェルビーイングの関係ということで すが、サーキュラーエコノミーという よりも、その一段前の資源消費とウェ ルビーイングの関係が課題であると思 っています。資源消費というのは特に 一次資源、いわゆるバージン資源のこ となのですが、一次資源の消費を過剰 にせずにウェルビーイング・われわれ の満足度幸福度を上げることが今後カ ギになってくると思っています。それ は修理というサービスなのか、再製造 というサービスなのか、はたまたリサ イクルし二次資源を新製品に活用する ことによって一次資源の消費を大きく せずに生活の質を下げないのか。そう いったところを今後どう議論していく のか。梅田先生がおっしゃっていた充 足による幸福にもつながっていくと思 います。

何によって意見を変えるのか? ――2つ目の質問は中谷さんに。利害 関係者の意見を聞いて、ディスカッシ ョンしてどういうふうに意見が変化し たかを測られていますが、さきほどの 話は本当の意味での利害関係者ではな いのではないでしょうか。利害関係が ないから話を聞いて意見を変えるので あって、本当に金銭的な面で利害関係 にある人は、議論を聞いたところで簡 単には意見を変えないと思います。そ の点についてどうでしょうか。

中谷 的確なご指摘ありがとうござ います。利害関係者という言い方はよ くなかったのかもしれません。今回私 が提案している方法は、たとえばダム 建設のような厳しい利害関係があると ころには適用できないだろうと思って います。 ダム建設に反対していた人が、

下流側からの補助金が回って小学校が 建設されるということになって意見を 変えるとか、 まさに金銭がからんだり、 自分の生活そのものが関係したりする ような利害関係というよりは、もう少 しゆるい関係にあるところで使えるも のかなと思っています。水利用を通し て気候変動に影響するとか、金銭がか らむとしても水道料金が5パーセント くらい上がるといった程度で、生死に 関わるとか、自分の生活すべてが懸か

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粟生木 プラスチックについては、容 器包装プラスチック法があるので、容 器包装プラスチック法の枠組みの中で 回収されたものについてのリサイクル 率は高く、7~8割ではないかと思い ます。ただ、その枠組み以外で発生し ている廃プラスチックが存在していま す。それらを考慮して、プラスチック 消費量からマテリアル・ケミカルリサ イクルされた量を見た場合のリサイク ル率は、その数値がいま手元にないの ですが、 非常に低いといわれています。 リサイクル率全般については、国際比

較において、ヨーロッパの方が全般的 にリサイクル率が高いといわれること が多いのですが、定義や計算方法が異 なるので、一概に日本のリサイクル率 が低いとはいえないところもあります。 国際的にどういう基準でリサイクル率 の比較を行うかというところは今後の 国際的な議論の重要なポイントになる のではと思います。

中谷 補足しますと、生産側からみる と年間400万トンのプラスチックが 使われていますが、容器包装リサイク ル法で回収されているのは60万トン プラスペットボトルが60万トンで、 合わせても120万トン、つまり3割 ぐらいです。残りの7割がどこに行っ たかというのはすごく難しくて、事業 所から出たものは容器包装リサイクル 法の対象にならないのと、ビジネス・ トゥ・ビジネスで、企業から企業への 運搬に使われていたりすると、どこで

発生しているかという全体像が掴めて いなかったりします。投入側と排出側 の間がかなりブラックボックスになっ ていて、若干宣伝ですが、今年からの 研究費でそのあたりを明らかにするこ とに取り組んでいます。3年後にいい 報告ができればと思います。

梅田 プラスチックは中国に結構流 れていました。それがもう輸入禁止に なったので、今度は国内で処理しなけ ればいけないとなると、かなりプラス チックのリサイクルの仕組みは変わっ ていく可能性が高いです。

豊かさとのつながり

――それぞれの方に伺います。最初は 粟生木さんに。サーキュラーエコノミ ーとウェルビーイングの関係について いわれましたが、私はあまり関係ない と思うのですが、なぜそういう問題設

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世界に広がる多様性 ――一つは梅田先生に、先ほどの質問 にも関連するのですが、環境問題の議 論は雁行型発展理論といいますか、欧 米が先に進んで、みんなでそれに向か ってついていくみたいな議論についつ いなると思うのですが、ゲーム理論的 に、ここの部門については欧米が進ん でいるから、日本は他のポジショニン グを取らないと生き残っていけないの ではないかみたいな打ち出し方はない のかというのが一つの質問です。経済 でなぜ雁行理論が駄目になったかとい うと、たとえばインドネシア、マレー シアは経済成長を目指していたのだけ れど、中国で製造業が伸びてきたため に、別のポジショニングを取らざるを 得なくてなって、もう1回第一次産業 が増えています。日本も環境政策でそ のようなポジショニングを取らざるを 得ないのではないかなと思っているの

ですが、どうでしょうか。

梅田 雁行的発展理論のような話で は駄目だというのは間違いないと思い ます。今後、あらゆる意味で多様性が 世界的に広がっていくでしょう。その 中で日本の環境技術のポジショニング はよく分からないですが、それぞれの 特徴を生かしたようなSCPを作りた いというのがここでやりたいことです。 そのときにゲーム理論は発想としてい いと思います。欧米とは違う日本の環 境政策というのは、ここIGESが考 えるのではないでしょうか。 さいたま市の事情 ――もう一つは中谷さんに伺います。 私はさいたま市出身で、さいたま市は 日本で有数の水道料金が高い市です。 先ほどはダムほどの利害関係はないと おっしゃっていましたが、埼玉県は何

千人もの群馬県の人に立ち退いてもら ってダムを造って水を買っているので 高いのです。これから森林環境税とか も入ってくるので、それをさいたま市 もどのように分配していくか、群馬県 にどうお金を払っていくか、先ほどの 研究などが関係していくのかなと思い ました。

中谷 大変貴重なご質問ありがとう ございます。ご指摘の観点は認識をし ていて、非常に重要な観点だとは思う のですが、今回の市民討議会ではそう いった情報は提示していません。あな たが生活者として、こういったシステ ムだとあなたの負担は何割増えますよ ということは言いましたが、増える理 由はなぜかというところまでの説明は しっかりしていませんでした。 それは、 もしかすると合意形成の場という意味 では足りないところがあったかもしれ ません。

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ってしまうような場面ではなくて、も う少し関係の薄いところに適用するこ とをイメージして作っています。 恐らく、持続可能な消費と生産とな ると、そちらの方に近いのではないか と思います。そのことによって自分の 生活が成り立たなくなることはないの だけれども、やはり社会的責任として こういったことも少し考えなければい けないよねといったような問題設定の ときには、こういった議論をすること によって、その問題に対する理解が深 まったり、場合によっては意見を変え たりということもありうると思います。 利害関係者という言葉の使い方も含め て再検討してみたいと思います。あり がとうございます。

アジア的視点とは? ――三つ目の質問は、梅田先生に。ア ジアでということで研究されています

が、アジア的なコンセプトというと、 ブータンのハピネスとか思い浮かべま す。 そういうのと議論が関係するのか、 アジア的な観点をどう整理されていこ うとしているのか、教えてください。

梅田 アジア的視点というご指摘で すが、それは入れようとしています。 主として東南アジアを対象としている のですが、家庭訪問をして、たとえば 家電製品をどのように使っているのか というのを、年に数回ぐらい現地調査 をして、そこからそれぞれの地域に合 った製品設計はどうなのだろうかと検 討するということが1つあります。も う1つ、CとPの連携のあるべき姿を 示す4つのキーフレーズに対して、ア ジアの人たちはどういうふうな反応を するのか見ようと思っていて、ワーク ショップをマレーシアで行い、これか らも何回かやろうとしています。そう すると、キーフレーズの捉え方が日本

と同じであったり異なっていたりしま す。 「もったいない」に似たようなフレ ーズがマレーシアにもあるのですが、 参加者に聞くと1人ひとりその言葉の 意味が違っていたりします。アジア全 体というと、あまりにも多様すぎてど うやって捉えてここに入れ込めばいい のかというので、あまり数式では表せ ない難しさを感じているのが現状です。

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テーマ3

SSCでは自然資本と生態系サービ スはまだ新しいテーマで、今回はせっ かくの機会ですので、いまわれわれが 実施しているプロジェクトから、とく に若手の研究者にきていただいて、研

大学特別研究員、MIT特別研究員、 国立環境研究所別研究員、京都大学大 学院農学研究科准教授、京都大学大学 院地球環境学堂准教授)を経て201 5年から東京大学大学農学生命科学研 究科准教授をお務めされています。そ れでは橋本先生、お願いいたします。

自然資本と生態系サービス

福士 時間がまいりましたので、よろ しいでしょうか、第三テーマの研究集 会を開始します。テーマ3のコーディ ネーターは橋本先生です。橋本先生は 山口大学理学部数学科をご卒業され、 東京大学大学院農学生命科学研究科で 修士号、博士号を取得したのち、東京 ■コーディネーター

橋本 禅 はしもと しずか

東京大学大学農学生命科学研究科准教授

お集まりいただきありがとうござい ます。テーマ3「自然資本と生態系サ ービス」のコーディネーターをさせて いただきます。自己紹介から始めさせ ていただきます。

究紹介をしていただくということでプ ログラムを構成しました。 皆さんは生態系サービスという言葉 はよくご存じだと思ってよろしいでし ょうか。平たくいうと「自然の恵み」 です。生態系から人類に直接・間接に もたらされている財とかサービスを総 称したものです(図①) 。特定の分野で は、農業あるいは森林の多面的機能・

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日本独自の環境政策

梅田 時間を過ぎておりますので、こ

境政策はIGESが作るのではないか ということについてですが。リサイク ルというのは非常に国内的な観点があ って、その意味では日本独自のカラー を出すのは可能だろうと思います。か たやサーキュラーエコノミーとなると、 グローバルなレベルでさまざまな資源 や製品が動いていくといったところま で考える必要があります。日本には比 較的多国籍企業が多いので、あまり日 本の独自の動きをしますとグローバル な企業活動の障害にならないとも限り ません。そういうことを考慮すると、 国際協調のためのさまざまな配慮が必 要でしょう。先ほど梅田先生は日本は レガシーが多すぎて動けなくなってい るとおっしゃっていましたが、逆に日 本特有のレガシーをどう解消していく かを考えないといけないのではないか と思っています。

すごく具体的な話になって恐縮なの ですが、今回はさいたま市の人にきて いただきました。埼玉県には埼玉県営 水道というのがあって、そこから各市 町村が買う形になっています。さいた ま市としては、自前で地下水を汲み上 げて水を得るのか、それとも県営水道 から買うのかという選択をします。県 営水道は遡ると群馬の水を取ってきて いるのですが、そこまでは話を遡らず に、市としての意思決定として、県営 水道に頼るのか自前で作るのかといっ たところに問題を限定しました。それ でダムの話とは直接つながっていない のです。本来であれば水の話はダムと も切っても切り離せないので、もう少 しきちんとやればよかったかなと思い ます。

粟生木 梅田先生から日本独自の環

こでパネルは終わりにしたいと思いま す。どうもありがとうございました。

福士 ここで10分ちょっと休憩を 取らせていただいて、16時にお集ま りください。お茶とコーヒーを用意し ていますのでご歓談をお願いします。

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図②

図③ 87


図①

公益的機能という言葉もあります。い ろいろな生態系サービスの恩恵にわれ われはあずかっていて、それが人間の 福利(ヒューマンウェルビーイング) を支えているということが広く知られ ています。 生態系サービスはSDGs(持続可 能な開発目標)の達成においても非常 に重要な要素だといわれています。図 ②は生物多様性条約の事務局が整理し たもので、SDGsと生物多様性・生 態系サービスがどのように関連してい るのかを、関連の直接性・間接性とい う観点で整理しています。やはり海・ 陸のゴールとの関連性が非常に強くな っています。それ以外にも、都市での 生活、持続可能な生産・消費にも関係 していますし、飢餓の撲滅、水、経済 成長にも広く関係しています。そうい う意味では、単なる生き物の保全だと かを超えて、社会の持続可能性の実現 において非常に重要な役割をもってい

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■研究報告1

登りに行き、写真が撮れてうれしいな と思って帰ってくるということで、こ の花は私の精神的な充足感を満たして くれたわけです。この生き物と私の幸 せの間にリンクがあるというのは、私 個人としては自明なのですが、日本全 体として見た際にこの生き物にどれく らいの価値があるのかということにな ると、 急に難しい問題になってきます。

文化的生態系サービス供給メカニズムの 解明にむけて 饗庭正寛 あいば まさひろ

東北大学大学院生命科学研究科助教

私からは生態系サービスのなかでも、 非物質的な生態系サービスである文化 的生態系サービスにについて、その供 給メカニズムの解明に向けて、とくに 生物学的な側面との関係についての研 究例をご紹介したいと思います。 この写真(次ページ)は、佐渡の金 北山に登ったときに、オオミスミソウ の花を見つけて撮影したものです。実 はこの花が見たくて金北山に行きまし た。この生き物がいるから私はここに

生態系サービスと生物多様性

先ほどもご紹介がありましたように、 生態系サービスにはいくつかの種類が あります(図①) 。山菜とか魚とか木材 とか、物質的なものが供給される供給 サービスがあります。生き物や生態系 が周囲の環境を介して人間のメリット になるようなこと、 たとえば気候制御、 海岸保護、蜂が花粉を運ぶことによっ てリンゴや蕎麦が取れたりする送粉な

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るということがいえます。 一昨年度から環境省の環境総合推進 費をいただいて、われわれは武内和彦 東京大学特任教授のもとで「社会・生

図④

態システムの統合化による自然資本・ 生態系サービスの予測評価」 (S15) に取り組んでいます(図③) 。生物多様 性条約(CBD)のCOP10が20 10年に名古屋で開かれましたが、そ の前後ぐらいから、生態系サービス、 あるいは生物多様性の定量評価が活発 に行われるようになりました。201 2年には生物多様性版IPCCといわ れるIPBES(生物多様性及び生態 系サービスに関する政府間科学 政-策 プラットフォーム)という組織が立ち 上がって、その研究の蓄積が求められ てきています。そのような社会動向の 中でこの研究プロジェクトがスタート しました。 4つのサブテーマがあります。全体 を統合するテーマ、陸域・海域のそれ ぞれの生態系サービス、自然資本を評 価するテーマ、そして、評価された生 物多様性あるいは生態系サービスにつ いて社会・経済的な価値を評価しガバ

ナンスのあり方を検討するテーマです。 今日のスピーカーはそれぞれこのプ ロジェクトのなか最前線で活躍してい る若手研究者の皆さんです(図④) 。最 初が東北大学の饗庭先生で、文化的サ ービスについて発表してくださいます。 2人目が東京大学の蒲谷先生で、こち らは佐渡における参加型シナリオ分析、 これは生態系サービスの評価に関連し たシナリオ分析になりますが、その紹 介をしてもらいます。そして最後がI GESの高橋康夫さんです。とくに生 物多様性分野の科学・政策インターフ ェイスの役割、あるいはその機能の改 善に向けた提言を目指して、いま調査 研究をしていますので、そちらの発表 をしていただきます。 それでは饗庭先生、よろしくお願い いたします。

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せません。とくに生物の研究者にとっ ては、個別の生物、あるいはその多様 性とさまざまなサービスの供給がどう 関係しているのかが大きなトピックで、 図②

すでにかなりたくさんの研究がされて います。 物質的なサービスである供給サービ スと生物多様性の間にどのような関係 があるかを検証した研究の一例として は、アフリカ各国の淡水魚の漁獲量の 年変動と、国ごとの淡水魚の種多様性 との関係を調べたところ、種多様性が 高いほど、漁獲高のばらつきが小さく なる傾向があり、淡水魚の種多様性が 漁獲の安定性に貢献していることがわ かったというものがあります。 調整サービスに関してもかなりたく さん研究があり、その一例として、ヨ ーロッパアルプスのあるスキー場の表 面土壌の流出量と、そこに生えている 植物の種多様性の関係を調べたところ、 スキー場の斜面にいろいろな種類の植 物が生えているほど流出量が少なく、 土壌が安定しているということがわか ったというものがあります。 このようなことから、少なくとも供

給サービスや調整サービスに関しては、 生物多様性がその供給・安定性に重要 な役割を持っていることが広く知られ ています。

文化サービスへのアプローチ

しかし、文化サービスに関する研究 はほとんどありません。それはいくつ か理由が推測されていて(図②) 、文化 サービスは非物質的で主観的、学際的 で、生態系の構造や生態学的プロセス からどのように生まれてくるのかが明 瞭でないために、とくに生物寄りの研 究者からすると、データの取得や生物 の関与の検証に慣れ親しんだ手法が使 えないことが研究の遅れの一因である といわれています。ただし、どちらか というと生物学寄りではなくて、人文 寄りの研究者がいろいろな工夫をして いて、旅行者数とか施設数などの代替 指標を使って評価するとか、あるいは

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どの調整サービスがあります。 そして、 この公園でとくに注目する非物質的な サービス、あるいは精神的なサービス である文化サービスがあります。その

主なものの例としては、旅行、レクリ エーション、教育の場の提供、美的価 値、精神的・宗教的な価値などが挙げ られます。

こういったさまざまなサービスを持 続的に利用していくにあたっては、自 然からどのようにサービスが供給され るのか、そのメカニズムの理解が欠か

図①

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図④

図⑤

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市民や専門家にアンケートを採ってど ういうところに価値を感じているかと いったことを調べるとか、あるいは、 最近やられているのはSNSなどイン ターネット上に蓄積されたからデータ を活用して調査するといったことが行 われています。ただこのようなアプロ ーチで文化サービスらしきものが一応 は評価できるのですが、それに果たし て生態系や生物がどのように関与して いるかがよく分からなくて、そこが曖 昧になっていると批判する論文が出た りしています。 それでも上手にやると、 このような手法で取ってきたデータと 生物との関連が見いだせるのではない かというのが今日のお話になります。

いくつか例をお話します。ヤマレコ という登山愛好家に向けた専門SNS があります(図③) 。同様のものが国内

登山記録数を指標にする

図③

だけでもいくつかあるのですが、ヤマ レコが一番昔からあって、10年以上 の歴史がある大きなサービスで、現在 までに全国3万以上の山に800万回 以上行ったというデータが蓄積されて います。そのデータを1辺10キロ格 子ぐらいでマッピングすると図④のよ うになります。これは実際にそこで山 登りを楽しんだ人がいたという記録で すので、サービスのフローのマップで あると考えられるのですが、こういう ものの空間分布、空間的異質性がどう 生じてくるかを解析します。 空間異質性がどうやって生まれてく るのかというと、それに影響する要因 としていろいろ考えられるものがあり ます(図⑤) 。とくに今回注目したのは 植生の影響です。植被率、植被に占め る自然林率、植被に占める原生林率の 3つの要素を考えます。それから物理 環境です。海面率、最高・最低標高、 起伏度、気温、降水量、日照時間など

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図⑥

図⑦ 95


です。そして、実際の消費に関するこ となので社会やインフラの部分も結構 重要で、人口密度、道路密度、農地率、 市街地率といったものがあります。あ と気候条件と緯度・経度以外のパラメ ータについては、 10キロ、 20キロ、 50キロ、100キロという複数の空 間スケールを考慮して説明変数として います。これら全部で変数が70とか になると思いますが、それだけ多数の 変数があると一昔前ならなかなか解析 がしにくかったのですが、最近は機械 学習の手法などが簡単に使えるように なったので、今日詳しくは説明しませ んが、機械学習のなかでもとくに人気 のあるアルゴリズムを使って解析して います。 機械学習は効率的ではあるのですが、 解釈がなかなか難しい面があります。 今日は各パラメータを現実的な範囲で、 たとえば20パーセントぐらい減少さ せたときに、登山活動がどのぐらい影 響を受けるかという感度分析的な手法 での解析を示します。ここでは登山記 録数を文化サービスの指標として考え ているわけですが、以下の図では、何 かを20パーセント減らすと登山活動 にどう影響するかを示していて、赤は 登山記録数が5パーセント以上減ると 予測されるところで、逆にいうと、登 山記録数に正の影響を与えているとこ ろです。青が負の影響を与えていると ころです。

登山活動と植生 具体的に、図⑥は年間合計の登山記 録数に関して、20パーセントの植被 率の減少がどの程度影響を与えるかと いうのを示した図です。植被率に関し てはほぼ全国的に正の影響を与えてい て、とくに都市近郊を中心に赤で示し たように登山客数が5パーセント以上 減少します。多いところでは26パー

セントも影響すると予測される地点も あります。 植被率は植生の量的側面でしたので、 次に質的側面の影響を見ていきます。 まず自然植生率で、これはどれくらい 人工林が少ないかという指標だと考え てください(図⑦) 。自然植生率を20 パーセント減少させるということは、 実験的にモデル上でその分だけ人工林 に転換すると考えればいいわけです。 年間合計の登山記録数は、地点によっ て正の影響もあれば負の影響もありま す。瀬戸内や日本海側は自然林が非常 に好まれていて、逆に北東北とか北関 東、中国山地などではむしろ人工林が 好まれるということが予測されていま す。つまり、自然林が好まれるかどう かというのは、結構場所というコンテ クストに依存するということです。 次が自然植生のなかの原生植生率、 過去に人間の攪乱をあまり受けていな いような植生の割合がどういう影響を

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図⑨

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図⑩


図⑧

示すかというものです(図⑧) 。これは あまり影響は大きくないのですが、中 部山岳を中心に原生植生が好まれる傾 向を検出することができました。 1つ面白いのは、季節変化が明瞭に 見られることです。自然植生率につい て、月ごとの登山記録数に対する影響 を解析すると、先ほど年間では、瀬戸 内とか日本海側で正の影響を、北関 東・北東北で負の影響があるというパ ターンがあったのですが、2月の登山 記録数にはほとんど自然植生率は影響 していません(図⑨) 。冬で山のほとん どが雪に覆われているところは植生が 影響しないのは当たり前かとは思いま す。雪が溶けて5月になると一気に自 然植生の影響が強くなります(図⑩) 。 年間を通して見ると効果がなかったよ うなところ、あるいはマイナスになっ ているようなところでも、5月には自 然植生があればあるほど好まれるパタ ーンが見て取れます。8月になるとま

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図⑬

たパターンが違って、南北できれいに 分かれます(図⑪) 。北日本では自然植 生が好まれる一方で、南日本ではなぜ か人工林が好まれるというパターンが 見えてきます。9月になると、南の方 は結構負の影響が残っていますが、か なり全国的に自然植生が好まれるよう になり(図⑫) 、12月になると植生の 質の影響はほとんど見えなくなります (図⑬) 。 このように季節というコンテ クストに対する強い依存性が見えます。 季節変動というのは、かなり大きな 部分が気候に依存していると考えます と、このような季節依存性があって、 しかもそのパターンが場所ごとに違う ということは、気候変動と土地利用と サービスの関係が実はかなり複雑にな ることを示していると考えられます。

花、オートキャンプ場、野外学習

植生の質についてざっくり見てきた

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図⑪

図⑫ 98


図⑮

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図⑯


のですが、日本の2000峰ぐらいの 主要な山に絞るともっと詳しい解析が できます。一般に知名度が高くて、登 山者に好まれるであろう花の存在が登 山客数にどう影響しているかを見まし た(図⑭) 。影響度を縦軸に取り、月ご との影響を示しています。 多くの種で、 その種がいるかいないかというのが登 山客数にどう影響するかというピーク は花期と一致しています。たとえばミ ツバツツジは、花の時期以外には登山 客数に全然影響しないけれど、花の時 期だけはミツバツツジがあると登山客 数が増えるという影響が見えます。花 期に特異的に増大していることから、 これらの植物が存在することがサービ スにとって重要なのだという因果関係 があることが強く示されていると考え られます。 他の例についてもざっと紹介してお くと、図⑮はオートキャンプ場につい ての解析です。オートキャンプ場はほ 図⑭

とんどデータベース化されているので、 その全国的な分布を入力して、同じよ うに機械学習でモデリングしてやると、 自然環境の効果、地形の効果、社会環 境の効果を見ていくことができます (図⑯) 。どういう自然環境、どういう 森林があるかといったことが、キャン プ場の分布に大きく影響していること が示せます。 もう1つ別の事例で、全国の331 6校の中学校にアンケートを送りまし た(図⑰) 。全国すべての中学校ではな くて、カバー率は5割くらいです。宿 泊を伴うような野外学習を行っていま すかということを聞き、行っている場 合は場所とか内容を教えてくださいと いうアンケートを行いました。166 7校から回答があって、839校が実 施しているという結果でした。行き先 を聞いていますので、その旅費を大体 概算で出すことができます(図⑱) 。そ して、旅費を決定している要因を見る

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図⑲

と、 自然林率が高いところに行くほど、 高いお金を払って出掛けていくという ことがあります(図⑲) 。面白いのは、 赤の線は学校の所在地の環境で、自然 な植生がないところほどお金を高く払 うというパターンが見えたりします。

最後にまとめになりますが(図⑳) 、 文化サービスの供給に対する植生や特 定の生物種の存在の影響はこれまでほ とんど実証されていなかったのですが、 複数の文化サービスを対象に直接影響 している可能性が高いということを示 すことができました。植生の文化サー ビスに対する影響は、立地や季節とい ったコンテクストに依存して変化して いて、正の影響なのか、負の影響なの かというのがコンテクスト依存的であ ることが分かりました。今後の展開と しては、文化サービスが生物に依存す ることが分かってきたので、すでにそ ういうことが証明されている供給サー

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図⑰

図⑱ 102


■研究報告2

佐渡における参加型シナリオ分析 自然資本・生態系サービスの予測評価

蒲谷 景 かばや けい

先ほど中谷先生の発表のなかでもシ ナリオという言葉がありましたが、い ろいろな研究者がいろいろな文脈でシ ナリオという言葉を使っています。私 たちの研究では、 「シナリオ」とはさま ざまな不確実性を考慮した将来の複数 の社会像として定義しています。天気 予報とか景気予測のように1つの未来 を考えるのではなくて、複数の未来を

シナリオ分析とは

東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構特任研究員

私は、東京大学IR3Sに行かせて いただく前にはIGESで6年半働か せていただきましたので、今日は古巣 に帰ってきたような感じで懐かしく感 じております。私はまだ研究蓄積が少 なくて、いままでの発表のような大き なお話ができませんので、今回は、橋 本先生、武内先生と一緒にやらせてい ただいている佐渡における参加型シナ リオ分析という1つの研究について発 表させていただきたいと思います。

考えることをここではシナリオと呼ん でいます。 ここに示した図(図①)は、200 5年に実施された国連ミレニアム生態 系評価を受けて、2010年に日本で 実施された里山・里海アセスメントで 作ったシナリオです。縦軸、横軸の2 つの軸があります。縦軸は、グローバ ル化が進展するか、ローカル化が進展 するかで、横軸は、適応・自然共生志 向が進むか、それとも技術活用・自然

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図⑳

ビスや調整サービスを含めた生態系サ ービスの多様性に生物多様性がどう影 響しているかを解析していきたいと思 っています。

橋本 饗庭先生、どうもありがとうご ざいました。何か確認したいことなど わりましたら。 では、次の発表は東京大学の蒲谷先 生です。よろしくお願いします。

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加型シナリオの構築と定量モデル分析 を並行して進めました(図③) 。参加型 図②

シナリオ構築のほうは、佐渡市とかな り密接に協力をして、準備段階から一

緒に議論をして進めました。まず参加 者の選定です。いろいろなステークホ ルダーがいるなかで、今回は生態系サ ービスということで、それと関係しそ うな人たちを、佐渡市に選定していた だきました。その方々にインタビュー をして、2017年4月と12月に2 回ワークショップを行い、将来のシナ リオについて考えてもらいました。さ すがにシナリオをすべて考えていただ くのは困難なので、参加者には基本的 にはアイディア出しをしていただいて、 私たちのほうで形態分析という方法を 用いてシナリオを作りました。 定量モデル分析では、基本的には土 地利用モデルを作って、それに基づい て生態系サービスを評価するようなモ デルを作っています。シナリオのスト ーリーに沿ってパラメータを設定し、 モデルの分析を行うという方法を採っ ています。 図③

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改造志向が進むかで方向が示されてい ます。この2つの軸で分けられた4つ のシナリオを描きました。日本での生 態系サービスのシナリオ分析はこれが たぶん初めてだったと思います。 ただここには大きな課題が2つある ということを武内先生はおっしゃって

います。まず、これは基本的には研究 者が作ったものなので、一般のステー クホルダーの意見が入っていないとい う大きな問題があります。もう1つ、 定量的な分析まではできていません。 その2つの課題を克服しようと、 今回、 参加型シナリオ分析、定量分析を実施 しました。 シナリオ分析は、一般的に専門家が 勝手に作ってしまうために、ステーク ホルダーとの連携不足があったり、シ ナリオに信頼感がなかったりします。 それを参加型にすることで、地元の意 見を取り入れて精緻なシナリオができ たり、地元の人たちに当事者意識が醸 成されて地元の人との協力関係ができ あがったりするということが期待され ます(図②) 。

参加型シナリオと定量モデル分析 今回の佐渡のシナリオ分析では、参

106 図①


そこで牡蠣の養殖をしています。4枚 目の写真は左端に佐渡市長が写ってい ます。5月に私たちのプロジェクトの 全体会合を佐渡市でやらせていただい て、そのときに佐渡市長にきていただ いてご挨拶をいただきました。という ところからも、このプロジェクトが佐 渡市と結構密接に進めているというこ とがおわかりいただけるかと思います。 参加型シナリオワークショップでは、 人口を基軸として、2050年頃を想 定して社会・経済がどうなるかという ことを考えていただきました(図⑤) 。 2050年頃の人口についてはすでに 予測値があるので、想像しやすいかな というところで考えていただきました。 人口の変化に3つのパターンを設定し ました。現在の人口規模、概ね4~5 万人で維持するパターン、現在のペー スで人口減少が進んで2050年頃に 3万人から4万人になるパターン、そ れ以上に減って2万人から3万人にな 図⑤

るパターンの3パターンです。それで 考えていただいたのですが、結構皆さ ん苦労されていました。2~3万人と 3~4万人ではあまり区別が付きにく いということもありました。それでも 一生懸命に皆さん苦労をしながら考え て、考えたことをポストイットに書い てペタペタ貼っていただきました。最 後に、どのグループの考えが面白いか を投票していただきました。 皆さんが書かれたポストイットを回 収して、似たようなものをまとめてグ ループ化して、4つのパターンにわけ ました(図⑥) 。詳細は割愛しますが、 たとえば経済について見ていただくと、 1つのパターンはトキ認証米がもっと 進むというもの。もう1つのパターン は農地の大規模経営がもっと進み機械 により依存するというもの。3つ目の パターンは農業というよりはどちらか というと佐渡金山を前面に押し出して、 リゾートホテル建設をするというもの。

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図④

佐渡でのシナリオ作成

佐渡の概要をみておきますと (図④) 、 佐渡は日本海に位置し、沖縄を除いて 日本で最大の離島といわれています。 島の真ん中に平野があり、その両脇を 山が囲んでいます。基本的に人は真ん 中の平野に住むか、もしくは縁に住ん でいます。今回、新潟県知事選に当選 された花角英世さんは佐渡市出身だそ うで、今後いい方向に流れていけばと 期待しています。 佐渡の人口は他の自治体と同じで減 少しています。1970年から201 5年までずっと減少していて、現在は 約5万5000人です。GDPも減少 傾向にあって、 いま約1800億円で、 その70~80パーセントが第三次産 業です。 佐渡といえばトキです。この写真は 私が撮りました。そして佐渡金山。あ とは加茂湖という大きな湖が有名で、

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4つ目が観光はするけれども、大規模 なものよりは、どちらかというと古民 家とかで小規模・高品質なサービスを 提供するというもの。もちろんこれら 4つのパターンはお互いに背反ではな くて、実際に2050年を迎えたら、 これらが同居するようになると思いま すが、ここではあくまでもイメージと してそれぞれ前面に出るようなものを 考えてパターンをわけました。 この表で横1列を取って1つのシナ リオにするというのではなくて、今回 のシナリオ形態分析では、縦の列から 1つずつ取り出してシナリオを組むと いう方法をとりました。そうすると、 3×4×4×4通りの組み合わせが できるのですが、今回は先ほど申し上 げた投票を使って、得票率が高かった ものに近いシナリオを作りました(図 ⑦) 。 それぞれのシナリオに名前を付け ました。 たとえば一番上のシナリオは、 伝統的なライフサイクルを重視して、 農業分野において異業種連携が進展す るようなことを考えています。伝統的 な考え方というと、日本語の「古き良 きもの」というのが思い出され、一方 で、異業種連携があるので、それなら 「新しき良きもの」であるだろうとい

うことで、両者を英語で「 Good Old, 」として、このシナリオの Good New 名前をGGにしました。なぜ日本語に しないのかというと、 「古き良き・新し き良き」は日本語では「温故知新」に なります。シナリオの名前が「温故知 新」ではあまりにもいきりたおしてい る感じがしましたので、今回は基本的 に英語で表記するようにしました。そ れぞれのシナリオの名前は図を見てい ただくことにして、LAは「 Live with 」です。日本語にすると機械 Android 共生です。こういう言葉を使うのは何 か恥ずかしい感じもするので、いいア イディアがありましたら教えてくださ い。

6つのシナリオをグルーピングする と、横方向には人口に応じて3つに分 けられ、また、縦方向には2つに分け られ、左側はどちらかというと農業を 重視するもの、右側は観光を始めとす る商業を重視するものとなっています。

定量モデル分析による佐渡の将来

次に定量モデル分析についてお話し ます(図⑧) 。まず土地利用のモデルを 作りました。どういったモデルである かというと、それぞれの土地が市街地 であるのか、農地であるのか、森林で あるのか、どの確率が一番高いのかと いうことを、人口、地価、地形などか ら推測するモデルです。この土地利用 モデルを用いて、 食料生産、 炭素固定、 栄養塩除去、生息地提供という4つの 生態系サービスについて分析しました。 それぞれ使ったモデルも別々で、使っ た変数も別々で、栄養塩除去について

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図⑥

図⑦

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は数十の変数があります。基本的にシ ナリオ分析に反応するのは図⑨に示し た12の変数です。オレンジが土地利 用に関連するもの、黄色が食料生産に 関連するものです。森林管理では炭素 を、気候変動ではいろいろ関連するも のを取っていて、一番下のNoxが栄 養塩除去に関連するものです。 基本的には先ほどから申し上げてい るように、土地利用がすべての生態系 サービスに影響するので、オレンジで 示した6つの変数がいろいろな生態系 サービスの評価に関連してきます。こ の表では、矢印で、大きく増加から大 きく減少まで5段階で示していますが、 もともとはここに数字が入ります。 分析の結果です(図⑩) 。あまり変化 がない部分は除いて、赤枠で囲まれた ところと青枠で囲まれたところの結果 だけを表示しています。土地利用が色 で分けられていて、赤が市街地、緑が 森林、黄色が農地、水色が水域です。

一番左側のリファレンスが2020年 の土地利用で、右側の6つがシナリオ の結果です。市街地が最も大きくなる のはERで、先ほどのシナリオの図を 見ていただくと、ERは一番右上にあ って、人口は現状を維持し、かつ商業 が重視されるシナリオです。農地が最 も大きくなるのがLAで、森林が最も 大きくなるのがTIで、LAもTIも どちらも人口が減って、LAは農業が 重視され、 TIは観光が重視されます。 基本的に直観に近い結果が出ています。 これらの土地利用に基づいて生態系 サービスを評価して、全島で合計した 結果が図⑪です。点線で囲まれたとこ ろが2020年のリファレンスで、黒 線がそれぞれのシナリオの2050年 の計算結果です。 ごらんをいただくと、 これも直観通りで、食料生産は農業を 重視するGG、OK、LAというシナ リオで2020年より大きくなってい ます。一方で、それらのシナリオでは

炭素固定は少なくなっていて、ER、 SS、TIのシナリオでは基本的に森 林が増えていくので炭素固定が大きく なっています。 当たり前のことですが、 トレードオフの関係となっていて、地 図でそれを示すことができたというこ とです。 一方で、食料生産と栄養塩除去、生 息地の提供は、基本的にはシナジーが 生まれるような感じになっています。 ここまで生態系サービスについて食 料生産、炭素固定、栄養塩除去、生息 地提供の4つで示してきましたが、そ れらを1つに統合する指標を作りまし た。図⑫の上にある数式で示したもの です。これは佐渡の人たちに佐渡市が アンケートを採った結果を利用してい て、佐渡の人たちが重視するものほど 高い重みが与えられています。佐渡の 人たちは食料を最も重視しているので、 それが高い重みを得ています。このよ うな重み付けで指数を計算した結果が

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図⑧

図⑨

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図⑫

図⑫に示されていて、緑が濃いほど値 が高くなっています。違いが少しわか りづらいとは思うのですが、最も値が 高くなったのはGGのシナリオです。 基本的には人が多い方が農地も大きく、 食料生産も大きくなり、シナジーとし て栄養塩の除去や、生息地の提供も大 きくなるので、全体としての値が大き くなるということです。 先ほどの土地利用の図と比べてわか るのは、基本的に、農地周辺の森林で 高いサービス指数が得られるようにな っています。ということは、土地利用 のモザイクが重要ということで、里山 の重要性を伝える結果となっています。 もう一つ、土地ごとにサービスの指 数を最も高めるシナリオは異なってい て、すべての土地に最適な一つのシナ リオというのは今回の結果からは得ら れませんでした。実際に現実的にどれ かのシナリオが完全にすべてにおいて よいというのは恐らくありえないとも

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図⑩

図⑪

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■研究報告3

自然資本・生態系サービスに関する 地域政策に係る科学 政策インターフェイス -

生物多様性地域戦略全国アンケート調査からの示唆

高橋康夫 たかはし やすお

科学‐政策インターフェイス(SP I)については、ヨーロッパで多くの 研究があり、 「科学者、政策決定者やそ の他関係者の知識交流を通して政策や 研究をよりよいものにするための仕組

科学‐ 政策インターフェイスとは?

の目的と方法、そして暫定的な結果を ご紹介します。

公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)研究員

今日の最後の発表です。テーマは科 学‐政策インターフェイスで、今日の 3つのテーマの基底にある共通するテ ーマかなとも思いますので、そういう 観点から見ていただけるとありがたい です。 科学‐政策インターフェイスとは何 か、生物多様性地域戦略とは何か、と いう基本的な説明をまずさせていただ いてから、われわれの行っている研究

み」というように定義されています。 生物多様性に関する科学‐政策イン ターフェイスはグローバルからローカ ルまでかなり普遍的にみられます。例 を挙げると、国際的なものには、IP CC(国連気候変動に関する政府間パ ネル)の生物多様性版として2012 年に設置されたIPBES(生物多様 性及び生態系サービスに関する政府間 科学政策プラットフォーム)があり、 以前にはミレニアム生態評価(MA)

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思うので、この結果はなかなかおもし ろいものとなっています。

最後にまとめです(図⑬) 。いままで の申し上げたことは割愛して、今回ち ょっと失敗したなと思ったことを言い ますと、シナリオとモデルを並行させ たために、 モデル内のいくつかの変数、 とくに地価についての議論が不十分で した。事前にモデルをしっかり検討し てから、ワークショップの議題を絞る べきだったと思います。これは他の研 究でもいわれていることで、改めて理 解したということです。もう一つ、モ デル作りを完全に研究者サイドで実施 したことです。確かにモデルを作るの はかなり難しくて、一般のステークホ ルダーにはなかなかできないことなの かもしれないのですが、シナリオの変 数の設定で、地価が何パーセント上が るとかいったものについてはもしかし たらステークホルダーに決めていただ

図⑬

いても面白かったのかもしれないと思 っています。今後そういったことがで きないかなと考えています。 今後の研究の方向性としては、金銭 価値評価がまだできていないので、そ ういったものをどうするのかとか、特 定の政策を実施した場合にどういう影 響が出るのかをシナリオごとに評価す るとか、そういったことが考えられま す。それと直近の私の課題としては、 この結果を7月に佐渡の住民に伝える ことになっているのですが、どうやっ たら面白おかしく伝えられるのだろう かということをいま考えています。何 かいいアドバイスがありましたらお願 いします。

橋本 どうもありがとうございまし た。何か確認がありましたら。 それでは最後の発表はIGESの高 橋さんにお願いいたします。

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佐渡市の生物多様性地域戦略の例

図②

ベルを対象とする概念整理が多く、実 在する科学‐政策インターフェイス (SPI)を実証的に分析した研究は あまりありません。そこで、環境省の S15「社会・生態システムの統合化 による自然資本・生態系サービスの予 測評価」では日本の現場に実在する生 物多様性地域戦略に注目して分析して います。

生物多様性地域戦略とは?

生物多様性地域戦略とは、生物多様 性基本法の下、都道府県、市区町村の 努力義務とされている生物多様性の保 全と持続可能な利用に関する計画です。 2016年12月時点では39都道府 県で策定されていますが、市区町村で は71にとどまっています。 先ほど蒲谷さんからお話のあった佐 渡市の例では、生物多様性地域戦略は 市の環境基本計画の下位計画として位

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図①

や T E E B ( The economics of )といっ ecosystems and biodiversity たものがありました。他には、政策寄 りのもので生物多様性条約の科学技術 助言補助機関(SBSTTA) 、科学寄 りのものには、コデザイン、コプロダ クションを目指すフューチャーアース )も挙げられます。国 ( Future Erath 内では、例えば生物多様性国家戦略の 策定に中央環境審議会が関与し、その 自治体版の生物多様性地域戦略の策定 にはそれぞれ委員会が設置されていま す。 ヨーロッパでのこれまでの研究では 科学‐政策インターフェイスのさまざ まな捉え方が提案されていますが、今 回われわれが参照したのは、ヤングら の提案する、目的、体制、プロセス、 アウトプット、アウトカムという5つ の要素で捉える見方です(図①) 。イン ターフェイスの目的、 体制、 プロセス、 アウトプットの中で信頼性、関連性、

正当性の3要件が満たされることで、 効果的にアウトカムが得られるとされ ています。3要件を解説すると、信頼 性とはおもに科学的な妥当性、関連性 とは政策決定者のニーズにいかに応え ているか、正当性とはさまざまな利害 関係者のもつ異なる意見や考え方を偏 りなく代表しているのかということで す。 また、科学から政策への知識の伝達 方法については2通りがあるといわれ ています。ひとつは一方向モデル、す なわち科学者が真実を政策決定者に提 供するというもの。もうひとつは連携 モデルといい、科学者と政策決定者が 相互に情報交換しながら高め合う関係 を築いていくものです。また、科学と

政 策 が 共 有 す る 目 標 ( boundary )をもつことも重要であるとい object われています。 以上のような研究がヨーロッパでは あるわけですが、おおむね国際や国レ

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図③

いう結果が出ています。 図④がその内訳です。具体的にどの 取り組みがどの種類の知識の活用に貢 献しているのか、相関をとったもので す。白いマスは有意な相関がなく、着 色したマスは有意な相関があり、色が 濃くなるほど相関が高いことを示して います。ここから一ついえるのは、S PIの要素に該当する取り組みの積み 重ねで、知識・情報の活用が進むこと です。

結論と考察

SPIの要素である目的、体制、プ ロセスに関して、それがどうアウトカ ムに効いてくるのかを見ると、有意な 相関があります。 そういったことから、 合理的な計画を立てて意思決定するこ とや、より多くの関係者の理解や参加 を得ることが重要であるという結論が 得られるのではないかと思います。し

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置づけられ、また市の総合計画との関 係が明確に示されています(図②) 。こ の中身を見ますと、生物多様性が市民 生活にどう関わっているのかを重点的 に記述しているほか、生物多様性の危 機についても説明されています。さら に多数の文献データをもとに地域の現 状と課題、を整理して、佐渡島を4つ の区域に分けて、区域ごとの施策や行 動計画を示しています。 生物多様性地域戦略の策定の過程で 専門委員会やワーキングチーム、研修 会の開催、市民意識調査やパブリック コメントといった手続きが踏まれ、こ のうち専門委員会の役割にわれわれは 注目しました。専門委員会には大学に 所属する専門家、県や市の行政担当者 なども入っていて、まさに科学と政策 が連携するインターフェイスとしての 機能を果たしているからです。

研究の目的と方法 この研究の目的は、生物多様性地域 戦略を題材に、SPIの構成要素を充 実されることがアウトカムの改善につ ながるのかを実証することです。 図①の枠組みをもとに、生物多様性 地域戦略の過程で実際に自治体が行っ た活動をSPI構成要素(目標、組織 体制、プロセス、アウトプット)に対 応づけて整理し、それがアウトカムに どう影響するのかを分析しています。 データ収集のため、全国の市区町村を 対象にアンケート調査をしました。6 7自治体にアンケートを配布し、66 自治体、その職員や策定委員会委員を 含む387名からの有効回答がありま した。

暫定的な結果 まだ解析が終了していないので今日

は暫定的な結果をご覧いただきます (図③) 。このグラフは、SPIの要素 の充実度が、知識・情報の形成や地域 戦略の活用にどう影響しているかを示 しています。左側のグラフでは、水平 軸はSPIの要素の充実度、縦軸は生 物多様性地域戦略に必要な知識・情報 の認知度を示しています。青い点と赤 い点がありますが、青の点が自治体の 職員で、赤の点が策定委員会の科学者 です。職員と比べて委員のほうが関連 情報の認知度が高い傾向がありますが、 総体として、SPIが充実するに従っ て、情報の認知度も上がっていき、そ のなかで委員と職員との差が狭まる傾 向がみられます。 右側のグラフでは横軸は同じ、縦軸 は知識・情報が地域戦略にどの程度活 用されているのかを示しています。左 のグラフほどではないのですが、職員 と委員との若干の違いがあり、SPI が充実することによって活用が進むと

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橋本 ありがとうございました。科学 ‐政策インターフェイスの機能の部分 に着目して発表していただきました。 一つ補足しておきますと、S15で は、日本全体の自然資本と生態系サー ビスの評価と合わせて、事例サイトご との詳細な分析をしています。今日紹 介していただいた佐渡は、事例サイト の1つになっていて、東京大学のIR 3Sと佐渡市との間で協定を結んで研 究を進めているところです。 パネル討論 橋本 それでは発表者の皆様、前の方 にきていただけないでしょうか。時間 は限られているのですが、フロアから これまでの発表について質問をお受け したいと思います。

実際の効果を評価する

田中 高橋さんに質問です。行政計画 にはただ文書として書いてあるだけで、 現実には影響を与えないアリバイ計画 というものもあります。いまの分析で は、いろいろな専門家が入ることで生 態系サービスの保全に効果があると評 価しているように理解したのですが、 分析に当たっては、行政計画を作って 政策を規定して実際に予算がついたと か、条例策定の根拠になったとか、そ ういった実際の政策的な効果も見てい るのでしょうか。何をもって効果があ ると評価するのか教えていただければ 幸いです。

高橋 非常に重要な点をご指摘いた だきありがとうございます。この研究 では、アンケートの回答をもとに地域 戦略策定の過程がその内容にどう影響 するのかを中心に分析していて、予算

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図④

かし、まだ分析は中途で、分析方法を 改善して最終的な結論を得る予定です。 もうひとつ、多くの自治体から広く浅 く情報をご提供頂くアンケート調査に は限界があり、自治体特有の組織の構 成であるとか、SPIの動的な側面を 捉え切れていません。S15の事例サ イトには佐渡以外にも北海道や沖縄の 自治体もありますので、こうした現場 の調査を今後重点的に展開していきた いと考えています。

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蒲谷 貴重な質問ありがとうござい ます。正直まだどのように発表するの かきちんと考えていないのですが、食 料生産は利害関係が大きく影響すると 考えています。観光については、観光 客数がどうなるかということは今回の 研究では出てきていませんので、利害 関係者の関心事項のど真ん中には入ら ないのかもしれません。生態系サービ スには、先ほど饗庭先生がお話しされ たように、レクリエーションも関係す るのですが、佐渡の人たちは自然から レクリエーションというサービスが得 られるということはそれほど認識して いなくて、今回研究の中で評価はして いません。 今回は100メートルメッシュなの で、自分の土地がどうなるかというと ころはぼんやりと見えるようにはなっ ています。自分の土地がどうなるのか というのが見えた方が、もしかしたら 市民の方の心に刺さって面白いのかも しれないと思ったりもしています。ま た、生態系サービスの評価をしている だけで、佐渡のGDPがどうなるか、 雇用がどうなるかということはあまり 評価していませんので、佐渡のすべて の人たちの関心事にはならないかもし れないと思っています。利害関係者に 実際に食い込むようなところまで行っ た方が、現実の将来ビジョンの策定と かにも使っていただけるようになると いうこともあるかと思ったりもしてい ます。

地域の関心にどうこたえるのか ――蒲谷さんと中谷さんへの質問です。 シナリオ研究は洗練されていてすばら しいと思って聞いていたのですが、一 方で、シナリオがどのように実社会の 持続可能性につながっていくのか、私 にはイマイチ理解できていないのでお 伺いします。そもそもの研究の目的自

体がその地域の持続可能性を追求する ものではないといってしまったらそれ までなのですが、佐渡にはいま4万人 の人たちが住まれていて、この社会を どうやって持続可能なかたちにしてい くのかということが、住民や行政の 方々の主要関心事だと思います。です から、住民の皆さんへのフィードバッ クに関して、どのように住民の方とこ れからのコミュニケーションされてい くのか、そういう見取り図のようなも のを、お2人にお伺いしたいと思いま す。

蒲谷 シナリオ分析にはいくつかの パターンがあると思うのですが、今回 の場合は探査的シナリオといって、将 来このようなことになったら社会はど うなるのだろうということを見せるも ので、そうすることで、住民の方々の 意識啓発につながればいいかと考えて います。

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や条例への波及までは十分に捉えきれ ていません。今回の調査ではこの点で 限界があると認識しています。

田中 ありがとうございます。自治体 の経験者から一点だけコメントすると、 計画を書いただけではなくて実際に行 動が起こしているということでは、市 民団体とかに補助金を出して行動して もらうとか、そういうことをするため の枠組を作るというのが行政的には一 番楽なことです。実際に行動があって も、それは行政計画がなくてもできた ことなのか、それとも行政計画があっ たからこそできたプラスの追加性があ ったのか、それはきちんと見ていく必 要があると思います。何となくうまく 行っているように見えてはいても、行 政内部では実はこれは意味がないよね という計画も実際にはあります。そこ は研究者なり外部の人がきちんと指摘 していかないと、市民も含めてわから

ないと思います。

高橋 佐渡の場合には、たとえば、生 き物を育む農法というので認証を出し ていて、実際にこの農法をやることに 対して補助金を出していて、かなりの 予算も付いています。そういったこと も含めて実際の行動がとられています。 ご意見を受けて、今後研究を継続する 中でインパクトをどう見ていけるのか、 検討していきたいと思います。 橋本 ありがとうございます。他にい かがですか。 情報提供の仕方 中谷 蒲谷先生に質問させていただ きます。先ほど私がお話したテーマを 非常に洗練したかたちでまとめられて いるなと思って、素直にすごいなと思 って聞いていました。質問は、住民の

皆さんへのフィードバックを今度行う とおっしゃっていましたが、 重商主義、 重農主義というようなワードが出てい るのをみると、佐渡の市民の間でも農 業に従事されている方、商業に従事さ れている方にとってかなり利害関係に 関わってくるようなところがあるので はないか思います。私が研究をしてい て、たとえばGISでメッシュの細か いところまで分析していくと、住民の 方にとっては自分の家がどこにあるの か分かってしまって、自分の土地がど うなっているのかということが見えて しまう、そうなると、急にガードが堅 くなるのではないかということをいわ れました。それで、私たちの研究では あえて曖昧にしているところもありま す。 利害関係との関わりがあるなかで、 どのように情報提供をするのがよいの か、お考えのことがもしあれば伺いた いと思います。

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総合討論 福士 総合討論という役を事務局長 から仰せつかっておりまして、ここか らは総合討論の時間なのですが、総合 討論といいましても、今日は3つのテ ーマでの発表でありましたので、総合 するのはなかなか難しいところがあり ます。

サステイナビリティ・サイエンス・ コンソーシアム(SSC)には、研究 者だけではなく、自治体の方、民間企 業の方、政府の方などにも入っていた だいていて、マルチステークホルダー の団体です。SSCの役割として、ロ ーカルな問題を取り扱いたいという思 いがあります。今回の研究集会のテー マとなりました気候変動、持続な生産 と消費、生態系サービスの3つの分野 はバラバラのように見えますけれども、 ある場所で、たとえば佐渡島でこの3 つを一緒に考えていくということは重 要です。そのような意味で総合討論は 可能ではないかと思います。そして、 佐渡島からもう少しグローバルなとこ ろへと連携していくということも考え られると思います。 本日の進行で非常にご負担をおかけ

しているコーディネーターの方々にさ らにというのも申し訳ないのですが、 今日の3つのテーマの間でどのような 連携がありうるのか、個人的な感想で も結構なので、3人のコーディネータ ーにお伺したいと思います。テーマ3 の橋本先生からいかがでしょうか。

3つのテーマの連携

橋本 テーマ3に進むまでの間にい ろいろ発表を伺って、異なるトピック を扱っていても、結構つながるところ があるのかなと思いました。たとえば 気候変動ですと、パリ協定では2℃目 標を達成することを最重要視している わけですが、気候変動が実際に生物多 様性、あるいは生態系サービスにどの ぐらいのインパクトがあるのかをきち

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佐渡の人々の本当に関心事に応える ものになっているのかというと、いわ ゆるGDPとか本当に生活に関連する ところも見せつつ、それに対しての生 態系サービスの貢献度がどれぐらいな のかということを示した方がより伝わ るのだろうと思います。ただ、実際に 2050年の佐渡の経済がどのような かたちになるのかというのは、1年後 の経済もわからない状況では予測する のは非常に難しいです。 今度の7月に行うフィードバックの ときには、佐渡の人々にこれではあま り響かないとか、今回の分析で佐渡の 人々にとっては何が面白いのか、何が 足りないのかを確認してみたいと思っ ています。実をいうと、今回は最初か ら生態系サービスについて分析すると いってしまっているので、佐渡の皆さ んの関心事がそもそもどこにあるのか の最初の聞き取りをしていませんので、 今後はもう少しそういったところもブ ラッシュアップしていければいいのか なと、いまの質問を受けて思ったとこ ろです。

中谷 直接的なお答えになっていな いかもしれませんが、自分があの研究 で考えていたシナリオ分析は、いま探 索的とおっしゃったことにすごく近い 発想があります。気候変動のような単 一の問題に対しては、将来のシナリオ を1つに決めて、そこからバックキャ スティング的に現在にもどってくると いうことができると思うのですが、持 続可能性というのは全然単一の問題で はありませんので、何かあらかじめ決 めて、バックキャスティング的に行く というアプローチは取れないと思いま す。 なので、 私の研究テーマでいうと、 あの対象地域の水利用システムにとっ て何が持続可能かというところから含 めて住民と一緒に考えたいというのが 発想としてありました。誰かがこれが

持続な水利用だといって、強いリーダ ーシップでそっちの方に引っ張ってい くというよりは、地域住民の人たちみ んなで議論してこっちの方向に行くと 決めて、将来もしかしたらあのときの 意思決定は間違っていたとなっても仕 方がないぐらいの、極端にいえばそれ ぐらいの感じで、地域住民の考えるこ とが大事という考え方を私は取ってい ます。

橋本 時間がかなり押していますの で、このセッションはこれぐらいで閉 じたいと思います。活発なご質問・応 答大変ありがとうございました。3名 の登壇者の皆さんに拍手をお願いしま す。

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う概念を提案しました。その提案の狙 いは、まさに3つの議論の統合です。 環境行政では、地球環境政策、資源循 環政策、自然環境政策はバラバラな面 がありましたので、それをどう克服す るかにつなげられたらいいのではない かと思っています。 地域循環共生圏というと、そこには 脱炭素が入っていないと思われる方も

おられるかもしれません。実は今回の 環境基本計画を検討してきた過程で再 発見したのですが、第一次の環境基本 計画では、循環の概念には資源の循環 だけではなくて、炭素の循環も含まれ ていました。循環という言葉は、本来 広い意味をもっていたのです。ですか ら当時は、環境基本計画には4つの柱 があるといっていて、その4つとは、 循環、共生、参加、国際的取り組みで した。その当時すでに低炭素の話はあ って、それは「循環」のなかに入って いたのです。その原点にもう1度戻る べきではないのかという私の思いがあ り、低炭素・資源循環・自然共生をひ っくるめて「地域循環共生圏」とした のです。 これまでの議論では、低炭素と資源 循環の関係については、資源循環でリ サイクルを進めるとその過程で二酸化 炭素を出し過ぎてしまうこともあると いった議論に終始し、両者の関係を真

正面から議論していくことが重要であ ると考えています。IGESもその方 向に向かうかどうかわかりませんが、 ぜひ皆さんにはそういう考え方を基礎 に議論を発展させていただけると大変 ありがたいと思っています。

共通キーワードはアクション

福士 ありがとうございました。今日 の議論をとりまとめのようなことをお っしゃっていただいたのですが、次に 梅田先生にどういう連携がありうるの かお考えがありましたらお願いします。

梅田 2点申し上げます。1つはいま の武内先生のお話で、炭素の循環も含 めて、循環を考えなさいということが ありましたが、循環基本計画の委員会 などで低炭素について議論するのは産 業界が嫌うのでなかなか難しいという ことを聞きます。低炭素と資源循環の

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んと計算していこうということが最近 議論されおり、研究論文も出てきてい ます。気候変動と生物多様性あるいは 生態系サービスのシナジーないしトレ ードオフをもう少し定量的に解明する 必要があるというのが、今日のテーマ 1とテーマ3の連携ではまず考えられ ることです。 2つ目のテーマの持続な生産と消費

という問題も、生物多様性分野では非 常に重要な領域だといわれています。 たとえば、食料生産と消費者をどのよ うにつないでいくのか、そこにおける 企業の役割は何なのかということは長 く議論されているトピックです。グロ ーバルなスケールでサステイナビリテ ィを考えるときにも、消費行動をチェ ンジするということはよくいわれてい ます。人口が増加していくことと、物 質的な負荷が増大していくこととを分 離できないのか、それにはどういう消 費志向の変化がありうるのか、それを サポートする制度のあり方は何なのか ということが議論されています。 そのように考えてみると、今日の3 つのテーマは独立しているように見え て、実はさまざまな接点があります。 それが明示的にデザインされていない だけで、連携の可能性は十分にあると 私は感じています。

地域循環共生圏

福士 今日の3つのテーマはここI GESが取り組んでいるテーマでもあ りますので、当然テーマ間の連携をI GESの理事長はデザインしていると 思っているのですが。ここで何かご発 言をいただけますでしょうか。

武内和彦 IGES内における連携 は私がここにくる前からデザインされ ていました。IGESに限らず、いま の議論に関連して1つ申し上げますと、 今年の4月に環境基本計画が閣議決定 されました。その大きな目玉として、 環境、経済、社会の統合的な向上を図 る、そのためにSDGs(持続可能な 開発目標)を使おうと提案しました。 そしてもう1つの目玉が、地域社会の なかで、脱炭素型で、資源循環型で、 自然共生型の地域社会づくりをしよう ということで、 「地域循環共生圏」とい

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もSSCも旗を振って進めていこうと しています。そういったアクターが集 まって、今日のように議論する場があ ることが非常に大切ではないかと思い ます。

福士 どうもありがとうございます。 やはり地域は、今日の三つのテーマ に限らずすべてのことを考えないと成 り立ちません。古い言い方ですが、産 官学が連携しながらローカルなところ で問題に取り組まないとなりません。 ローカルといったときに、地方も都市 も両方とも入ります。そしてローカル は、そこで閉じているわけではなく、 国内だけでもなく海外とのつながりも あります。 SSCは通常の学会とは違う強みを 発揮して、今後とも活動を続けていき たいと思っております。では総合討論 のセッションとしてはこれで終わりで す。どうもありがとうございました。

司会 福士先生、一日総合司会をあり がとうございました。では終わりに当 たりまして、SSCの理事長である仲 上から閉会のご挨拶をさせていただき ます。

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連携はこれまでのレガシーが邪魔をし ているところがあるような気がしてい ます。 もう1つは、今日のお話を伺ってい て橋本先生のグループとは見方が近い なと感じましたし、橋本先生のグルー プの話が一番地域に密着して関係して いるとも思いました。3つのテーマの 共通キーワードは、いまさらながらで すが、アクションだと思います。市民 の活動にどうつなげていくかというこ

とです。消費行動にどうフィードバッ クしていくのかというとことにはまだ まだ距離があります。そうしたことが 今後の課題となってくると思っていま す。

議論をする 福士 最後に藤野先生、いかがでしょ うか。 藤野 橋本先生、梅田先生がおっしゃ ったように、それぞれのテーマが異な るように見えて、大きなビジョンはだ いぶ共有されつつあると思います。 やはり危機というものが背景にあり ます。グローバルにはプラネタリーバ ウンダリーを超えてしまうのではない かというのがありますし、ローカルに は地域それぞれの危機があり、地域の 危機を見えるようにする道具も揃って きています。ではどうしたらいいのか

というところで、全体を結ぼうという 意思も働いてきています。 全体をどう統合していくのか。 まず、 哲学的な思想といいますか、次を見据 えた考え方をもって、研究者が提言し ていくことではないか思います。その 1つが武内先生がいまおっしゃった地 域循環共生圏で、ミクロからマクロま でいろいろなスケールでの循環がある と思います。田中さんは現場でいろい ろなことをされていますし、IGES

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うことをおっしゃいました。2017 年には四つのシナリオを提示して、そ れをベースに2050年に生態系サー ビスがどのようになるのかというのを 描きました。コミュニティ型の自然に 適応した社会になるシナリオですと、 生態系サービスは20パーセントプラ スになります。逆に、いまのような経 済中心の社会ではマイナス20パーセ ントになるという方向性が示されまし た。そして、武内先生が提唱されてい る里山・里海を大切にするということ が、新しい生態系サービスを生み出し ているのではないかということが出さ れました。 そのようなことを踏まえて、 SSCでは社会的実装ということを志 して、理論的にも計画的にも研究活動 を進めていきたいと思っています。 最後に、私は水道工学の出身で、専 門は水資源環境政策ですが、水道の方 でも、 新水道ビジョンとして50年後、 100年後を見据えた水道の理想像を、

「 」

「 」

安全 強靱 持続 の3つの観点で示 しています。水道事業においてもサス テイナビリティが最大の課題になって います。ビジョン形成に大きな影響を 与えることも、このSSCの一つの大 きな方向だと考えています。 今日は本当に貴重な研究集会にご参 加をいただきましてどうもありがとう ございました。

司会 これにて、地球環境戦略政策研 究機関と東京大学のサステイナビリテ ィ学連携研究機構にご協力をいただき まして、つつがなく研究集会を終える ことができました。まことにありがと うございました。

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■閉会挨拶

仲上健一 なかがみ けんいち

SSCは2010年にIR3Sの一 つの組織として作られました。毎年、 研究集会、そして公開シンポジウムを 行ってきています。研究集会では、サ ステイナビリティ・サイエンスに関わ る最新の研究成果を深く議論すること を目指しており、今日もまた非常に意 義のある議論ができたと思います。今 回研究集会のテーマは非常に幅広く、 かつ深いテーマです。キーワードとし ては、デザイン、シナリオ、ステーク ホルダー、そしてとくに生態系サービ スがありました。最先端の研究成果を 紹介してくださって、私も非常に勉強

一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC)理事長

本日の研究集会を開催する機会を与 えてくださいましたIGESの武内理 事長様、 森所長様、 大村事務局長様に、 まずお礼申し上げます。また、本日の 研究プログラムを考えていただいた武 内先生、福士先生、ありがとうござい ました。さらにコーディネーターを務 めていただいた藤野先生、梅田先生、 橋本先生、ありがとうございました。 発表時間が非常に短かったと思います が、議論の素材を提供してくださった 各パネリストの先生方、ありがとうご ざいました。皆さまにお礼申し上げま す。

になりました。 生態系サービスについては1997 年にロバート・コスタンザさんがこの 地球の生態系サービスは1年当たり3 3兆ドルであるという論文を『ネイチ ャー』に発表して、世界的に生態系サ ービスの研究が促進されました。その ときにコスタンザさんは「私は生態系 サービスの値段を言いたいのではなく て、これをベースに議論をおこして、 将来のシナリオを描きたいのだ」とい

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て治療的効果があったのかをみるのですが、 AAAでは障害のある人でも健常者と同じよ うに乗馬を楽しむということが基本です。 どちらにしても、動物が私たちにとって大 切なパートナーであるということを意味して います。あえてアニマルセラピーを持ち出す までもなく、動物を飼っている人にとって、 彼らはかけがえのない存在です。 人は動物からさまざまな恩恵を受けていま す。それに対して、人の側ももっと動物を尊 重しようではないか、もっと動物に対して配 慮しようではないかということから、動物は 単なるモノではないという考え方が生まれて きました。スイスやドイツなどいくつかの国 で、民法に動物はモノではないということが 入れられるようになりました。法律は人かモ ノかの二分法で構成されていて、会社は法の 上では人と同じように扱われ、 「法人」とされ ています。 人とモノはどう違うのかというと、 人は法的な責任をとらなければなりません。 動物はモノである限りは、法的な責任を負う ことはなく、刑法などの処罰の対象にはなり ません。民法で動物はモノではないとされて

どうなるのかというと、ドイツなどでは付帯 事項として、当分の間は現行法通りに扱うと 記されています。 動物の権利をもっと強く主張する議論もあ ります。欧米では動物を食用にしてきた長い 歴史があることから、人間が勝手に動物を搾 取したり残虐に扱ったりしていいのかという ことが真剣に検討され、動物にもそれぞれの 本性に従って生きる権利があるのではないか という考えが出てきました。 日本では、動物を食べるということは一部 の例外を除けばあまり行われず、古くは徳川 綱吉の生類憐みの令があったりもしましたが、 動物の本性を配慮するということでは欧米に 遅れをとりました。日本での典型的な動物と の付き合い方として、ネコは家の中で、イヌ は家の外で飼うというのがごく一般的でした。 一部の上流階級の人たちがチンを部屋で飼う ようなことはありましたけれど、ほとんどの イヌはかなり最近まで家の外の犬小屋で飼わ れていました。ここ20年ないし30年で急 激な変化がおこり、いまでは70パーセント くらいのイヌが室内で飼われています。イヌ

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論議し続けること

私たちは今さまざまな不安に囲まれていま す。家族のあり方、社会のあり方、国内情勢、 国際情勢、地球環境……、どれもが急速に大 きく変わりつつあり、先行きの見えない変化 が私たちを不安にさせています。そうした不 安を少しでもやわらげようというようなこと からなのでしょう、身近なところに動物や植 物を置いて心を癒そうという人が増えてきて いるように思います。動物や植物と触れあう ことによって、とくに心の健康が回復するセ ラピー効果があるということはいろいろな場 面で見られ、アニマルセラピー、あるいは植 物も含めたバイオセラピーに対する関心が高 まっています。 アニマルセラピーは私の専門分野であるの ですが、実は日本での造語です。もともとは ) 動物介在療法( Animal Assisted Therapy ) と動物介在活動( Animal Assisted Activity というのがあり、その両者を合わせたものを

日本ではアニマルセラピーと呼んでいます。 動物介在療法(AAT)は治療手段の一つ として用いられます。たとえば、脳性マヒに よって足を広げることのできない状態の子が、 馬に乗ると足がよく開くようになったりしま す。人間が相手だと緊張して体が固まってし まうのが、馬が相手だと体の自然な動きが可 能になったりするのです。 動物介在活動(AAA)は治療よりは生活 の質(QOL)の向上を目的としています。 動物と触れることで、心がなごんだり、情緒 が安定したり、生きがいが生じたりして生活 の質が高まります。 治療と生活の質の向上は密接に関係してい るので、両者を厳密にわける必要はないので すが、AATは医療的行為であるので専門家 の関与が必要であるのに対して、AAAには そうした制限はありません。AATではたと えば馬に乗ることで障害がどの程度克服でき

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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ということから遥かに離れた状態に置かれて いるのです。 野生動物との付き合い方にもいくつかの問 題があります。人には珍しいものを飼ってみ たい、 自慢したいという欲求があるようです。 江戸時代にも、唐犬といって長崎経由で外国 から入ってきたイヌがいて、江戸の大名屋敷 などでマスティフのような大型犬が飼われて いたりしました。イヌを飼育する専門の担当 者がいて、町でイヌを散歩させ、人々に見せ びらかして大名の権威を誇示しました。現在 は変った動物、いわゆるエキゾチックアニマ ルを手に入れたいと思う人がいて、ときには 希少種として保護の対象になっているような 動物が捕まえられてしまうということがあり ます。 日本ではシカやイノシシがものすごい勢い で増えています。環境省の調査によると、2 016年末の本州以南のニホンジカの推定個 体数は272万頭、 イノシシは89万頭です。 北海道についてはニホンジカが約47~55 万頭と推定されています。つい40、50年 前にはニホンジカの数が減ってしまって、雌

ジカを捕獲禁止にして保護していたのですか ら、すっかり様変わりで、いまでは増えすぎ て困っています。シカが増えすぎていちばん 問題なのは森林生態系を破壊してしまうこと です。下草をきれいに全部食べてしまい、チ ョウが生息できる環境がなくなってしまうな ど森林生態系そのものがすっかり壊されてし まうのです。農業にも大きな被害を及ぼして います。それで環境省では2023年までに ニホンジカを半減させようとしています。し かし、それは難しいと思われます。狩猟者が 高齢化しているからです。狩猟免許を新しく 取る人は増えていて、女性もかなり参入して きているのですが、免許は取るけれども実際 には狩猟はしないという人が多いのです。 イノシシも深刻な農業被害をもたらしてい ます。かつてイノシシは積雪が50センチ以 上の地域には分布しないといわれていました。 私は40年ほど前にイノシシで学位をとりま したけれど、そのころはわたしの故郷の富山 県でイノシシの頭骸骨を集めることなどまっ たくできないと思っていました。いまでは積 雪50センチ以上のところでもイノシシが増

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は群れで暮らす習性をもっていて、本当は集 団で暮らしたいのです。庭の犬小屋で孤独の 生活をするのは、イヌからしたらかなりかわ いそうな状態で、かつての日本人はイヌの本 当の気持ちはわかっていなかったのです。欧 米ではイヌは人と一緒に暮らしてきたので、 そのほうが本来の習性に合った飼い方なので す。一方、ネコは昼間は家の中にいても、夜 は自由に外に遊びに出るというのが本来の習 性に合っています。いまはとりわけ集合住宅 で飼われているネコはなかなか外に出しても らえないので、ネコとしては不満があるのか もしれません。 このような飼い方も含めて、日本人の動物 との付き合い方は急激に変化しつつあります。 一般社団法人ペットフード協会の2018年 全国犬猫飼育実態調査によると、推計飼育頭 数はイヌが890万3000頭、ネコが96 4万9000頭です。ネコはほぼ横ばいです が、イヌはピーク時には1300万頭くらい 飼われていたのでかなりの減少です。 ここのところ問題になってきているのは、 飼い主が高齢になって自分で飼えなくなった

ときのペットの扱いです。欧米では殺処分が ごく普通に行われていて、そこまでするのが 飼い主の責任であると考えられています。日 本では、獣医師に頼むにしても、殺処分する という決定を自分で下すのを嫌います。それ によって日本が諸外国からよく非難されるの は、ペットを捨てるという行為です。動物と 一緒に暮らすことで私たちの生活の質が上が るという恩恵を受けているのですから、一緒 に暮らしている動物の生活の質も上げていく ことも考えるべきで、自分が飼えなくなった 後のことも視野に入れておく必要があるでし ょう。自分で手を下すのは忍びないからとい って捨ててしまうのでは悲惨な末路となって しまいます。 動物との関係で、日本でもっと大きな問題 なのは家畜の扱いです。とくに肉用に供され るニワトリやブタの飼い方です。狭いところ で飼ってあまり動かさずに短時間で太らせ、 ブタでさえ4カ月ないし5カ月くらいしか生 かさずに食用にしてしまいます。ふだん私た ちから見えていないので、あまり関心がもた れていませんが、動物の本性に従って生きる

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まず銛を撃ち込み、それで即死すればいいの ですけれど、銛でクジラを引きつけて死んで いないときには電気で殺していました。私が 調査したときは、最初の銛が入ってから電殺 によって心臓が止まるまで平均で15分かか っていました。意識はもっと早くになくなっ ているとは思いますが、脳波を測らないとそ れはわからないので、心臓が止まったかどう かで調べました。国際的に電殺は非難され、 ライフルに変えたところ、心臓が止まるまで の時間が3分ほどにまで縮まりました。電殺 よりライフルの方が有効なのですが、日本の 銃規制は厳しく、南氷洋でクジラに対して用 いるのでも警察からなかなか認められなかっ た経緯があります。 捕殺のあり方が改善されても、捕鯨に反対 する人たちはそれで納得してくれたわけでは ありません。商業捕鯨はずっと停止したまま で再開の見通しがなく、日本は今年の1月に IWCからの脱退を通告しました。私はそれ は間違った選択だと思っています。IWCか らの脱退には二つの面でのデメリットがあり ます。一つ目のデメリットは、これからは日

本の排他的経済水域で商業捕鯨することにな って、南氷洋での捕鯨ができなくなります。 日本には本当に鯨肉が好きな人がいます。南 氷洋のクジラが獲れなくなると、そういう人 たちの要望に十分に応えられなくなってしま う恐れがあります。トータルでの鯨肉の生産 量は減らさざるを得ないでしょう。さらに、 南氷洋で捕鯨をするのはクジラを獲ることが 主目的ではなく、科学的な調査をするためで もあると日本は主張し続けていました。南氷 洋での捕鯨を止めるとクジラの生息状況を調 べるモニタリングができなくなり、南氷洋は ブラックボックスになってしまいます。それ は科学的に大きなマイナスです。 もう一つのデメリットは、日本の近海でホ エールウオッチングを楽しみたいという人が 年々増えてきていて、それと捕鯨との間で軋 轢が生じることが危惧されます。ホエールウ オッチングを楽しむ人たちは、どちらかとい うと捕鯨に反対する価値観に近いものを持つ 可能性が高く、ホエールウオッチングをして いる同じ海で捕鯨をすることを歓迎しないで しょう。捕鯨を優先してホエールウオッチン

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えていて、富山県にもたくさんいます。太平 洋側では岩手県から青森まで分布域が迫って います。 昆虫との付き合い方も変わってきました。 昨年の夏に、国立科学博物館としては初めて の昆虫展を行いました。 「ノムラホイホイ」と いう昆虫を大量に捕まえる装置も展示しまし た。これは科博の野村周平さんが考案した昆 虫採集のためにトラップなのですが、昆虫採 集そのものを敵視するような考え方も世の中 にはあるので、クレームがあるかもしれない と懸念していたのですが、とくにそのような ことはありませんでした。それよりも、昆虫 採集が問題になる以前に、子どもたちが昆虫 のいる野原や林や水辺に行くようなことがな くなったのが問題です。人と自然の関係を考 えるには、やはり自然に触れることが必要で す。だからこそ昆虫展をやるべきだと思った のです。 外来種がどんどん入ってきているという問 題もあります。外来種が入ってくると生態系 が乱されてしまうのですが、一時期ひんしゅ くをかったのは、子どもたちに生物多様性を

勉強させるような観察会などの場で、指導を する人が外来種を見つけると目の敵にして、 「こうやつがいるからいけないのだ」と地面 にたたきつけるような極端な行為をしたこと でした。外来種といえども命を粗末にしてよ いのかというクレームがつきました。外来種 は困りものではあっても、もっと適切なやり 方があるはずです。 いま世界中にいる哺乳動物全部をはかりに かけると、90パーセント以上が人間か家畜 であるといわれています。1頭だけならゾウ は重くても数が圧倒的に少なく、家畜は何億 頭も飼われています。世界全体を見渡して、 人間と家畜でその重量のほとんどを占めてし まうのは異常なことです。 地球で最大の生きものはクジラです。私は 国際捕鯨委員会(IWC)の委員をずいぶん 長い間務めましたが、最初に委員になったと きに問題になっていたのは、クジラをどれだ け人道的に捕殺しているかということでした。 日本の捕鯨は非人道的だという批判があり、 私はIWCからの要請で獣医師としてクジラ の捕殺のあり方を調査しました。あのころは

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事態をより深刻なものにしてしまう恐れがあ ります。一方で、二つ目の方向性をとるとし ても、問題が非常に複雑であるために、具体 的にわれわれは何をしたらよいのかというこ とがわかりにくく、 やはり対策は遅れがちで、 事態を深刻化させつつあります。そこで、国 連では持続可能な開発目標(SDGs)を定 め、世界全体で取り組んでいこうとしていま す。SDGsは非常によく考えられ、わかり やすく作られています。SDGsが一定の効 果を示すことを期待したいわけですけれども、 楽観はできません。 何をどうしたらよいのか、誰もが納得する ような正解が簡単に出るものではありません。 科学をベースに置いて論議することが理想型 ですが、人間は科学だけでは動きません。考 え方の根底にある文化によって人は大きく規 定され、科学が導き出した「正解」であって も、受け入れることができないということも あります。 文化も時代とともに変わります。 極端な話、 人が人を食べるという文化がいつまでも続く ことはありませんでした。それはどうみても

おかしいと外からいわれて変えるのではなく て、自ら気づいて変えるのが望ましのでしょ う。外からそれはおかしいと押し付けるよう なことをすると、反発してかえっておかしな ことになってしまいます。文化も多様性が大 切で、画一的な押し付けは避けるべきです。 だからといって、文化の多様性を重要視する あまり、それぞれ勝手にしていればよいとい うものでもありません。 最初に述べたように、私たちは急激な変化 の中にいます。急を要する問題がたくさんあ ります。それでも、急ぎ過ぎることなく、ど れほど面倒であっても論議し続けることが大 切だと思います。

連載 エッセイ

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グを制限するということもできないでしょう から、将来的にはデメリットが大きくなる恐 れがあります。 捕鯨に反対する国と議論を続けるのは面倒 だから、自分たちは自分たちの流儀でやりた いようにするということでIWCから脱退し てしまうのは、日本にとってプラスにならな いと思います。私も捕鯨に反対する人たちを 相手に、どうしてこんな議論をしなくてはな らないのかと何度も思いました。それでも論 議は続けていかなければならないと考えてい ました。国際捕鯨委員会は捕鯨のための委員 会です。そこから捕鯨している国が抜けて、 反捕鯨の国だけが残って何をするのでしょう か。考え方の違いがあって、100年かかっ ても決着しないかもしれないけれど、日本も きちんと参加して論議を続けるべきなのです。 日本が国際連盟から脱退したときのような短 気をおこしてはいけないのです。 自分は自分、他人にとやかくいわれずに自 分たちのやりたいことする、いわゆる「〇〇 ファースト」がさまざまな場で見られます。 地球温暖化を防ごうとするパリ協定からの脱

退をアメリカが決めたのがその典型例です。 地球環境と人類の持続可能性を巡って、世界 には二つの方向性があるように思います。一 つは、自分たちがいま幸せでありさえすれば よいとする方向性、 「〇〇ファースト」です。 もう一つは、いま自分たちが幸せに暮らす ということはもちろん大切ではあるけれども、 われわれがそうするために、化石燃料を使い 果たしてしまうなど次の世代に対して無責任 であってはならないとする方向性です。かな り多くの人が、自分のことだけでなく、自分 の子供、孫、その次に続いていく世代につい ても考えようとしています。その上さらに、 地球上には人類のほかにも動物や植物が生き ているわけですから、人類だけがよければそ れでいいというのではなくて、ほかの生物を も思いやるべきではないかという考えを持つ 人も、 すでに述べたように増えてきています。 地球温暖化が人類にとってもほかの生物に とっても持続可能性への大きな脅威になって いるという認識はかなり広まってきています。 いま自分たちがよければそれでよいとする一 つ目の方向性は、温暖化への対応を遅らせ、

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い。しかし殆どうつらうつらという状態

階の病室の窓から外を見たことである。

到着までにかなりの時間がかかり、 結局、

これからその手術に臨もうとする患者

暮れなずむ空を見ながら、今年も愈々暮

で、明確な記憶がない。確かな記憶とし

に話す話か、と思ったが、考えれば「あ

れるか、という感慨に耽ったがそれはま

到着時には心肺停止状態。手を尽くした

なたの場合は大丈夫」という意味であっ

た、まだ生きられる、来年があるという

て思い出せるのは、大みそかの夕方、7

た様である。外科医にはこうした医師が

意味でもあった。

がダメだったという話も聞いた。

多いように思われる。現在は、患者に対 する説明責任があり、求められれば手術 中の経過状況も写真を基に説明してくれ る。昔から、外科医は乱暴とよく言われ たが、今の外科医は誠に丁寧。丁寧では あるが所どころに昔の痕跡があって、こ うした少し変わった話も聞けた。 手術が年末の27日。この日から2、

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3日の記憶はかなり曖昧である。家人に 聞くと受け答えはきちんとしていたらし

連載 エッセイ


入院の記

康診断で動脈瘤が見つかり、これがかな

て正月明けに退院した。ことの発端は健

の切除手術をうけた。手術は無事終了し

う、という。今回の執刀医がいうには、

瘤が破裂するまで分からなかったであろ

られたが、そうでなければおそらく動脈

全く無く、私の場合は健康診断で見つけ

になった。ところが今回は、自覚症状が

り大きかったことで診断医が驚き、あれ

動脈瘤の破裂は30分以内に手術すれば

昨年の暮れに緊急入院して、大動脈瘤

をあれよと云ううちに事が運ばれて、命

時その人の条件はあるから、10人が1

助かる可能性があると。もちろん、その

この際の執刀医は、畏友がいろいろ心

0人ともという訳ではない。つい最近の

拾いをしたわけである。

配してくれて、分に過ぎる名医を配して

ことですが、 と云って話してくれたのは、

瘤破裂の患者を搬送したいが受け入れて

くれたので、まったく安心して手術をう

考えてみれば、48年ほど前に胆石を

くれるかという問い合わせがあり、30

東京近郊のある市の救急本部から、動脈

病み手術をうけた。この時は激しい腹痛

分以内ならばということで返事をしたが、

けた。

があり、これで病院に行き病状が明らか

山田利明

やまだ としあき

東洋大学教授

(専門は中国哲学)

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変えると、〝画一的に〟制限を設けることに は、不安を覚えます。 一人一人に、〝一律に〟ある種、制限を加 えることは、例えば、 「他の人を傷つけたり、 他の人の財産を勝手に奪ったりしないこと」 など、円滑な社会を運営するのに必要な最低 限のルールを課すことは必要と思われますが、 そうした制約は、 なるべく最小限のものとし、 最大限の思想の自由や行動の自由を許すこと が、それぞれの個人が「社会欲求」や「承認 欲求」を越えた「自己実現欲求」という高度 な欲求を満たし、人間らしく生きていくのに 必要と感じています。 現代の民主主義的な自由社会の、「自身の思 想と行動の自由の確保は、他の人の思想と行 動の自由への不干渉による」という行動原理 は、倫理的なルールとして多くの人の共通認 識になっており、このルールの範囲で思想の 自由や行動の自由の基盤になっていると思い ます。その背景には、社会的な制約(資源の 自由な利用)が少ないことがあるように思え ます。上記原理は、 「他の人の思想と行動の自 由を承認することが、自身の思想と行動の自

由の確保につながる」ということであり、こ の命題の対偶は、「自身の思想と行動の自由へ の干渉を許すことは、人の思想と行動の自由 に干渉すること」も意味すると思われます。 自分と他の人との関係で、自由を尊重するこ とと、自由に干渉することは、同一の行動原 理であり、社会がどちらの命題を強く意識す るかは、その時々の社会と個人の比重の置き 方に依存し、社会的制約が強くなると個人の 比重が軽くなるように思われます。資源的な 制約が強く働き、 社会的な制約が強くなると、 自由な思想と行動原理の対偶命題が力を発揮 し、個人の比重が軽くなり、人の思想や行動 に干渉し、自身の思想や行動への干渉を許す 行動原理の方向に働くように思われます。自 由の許容は、社会的な制約の下、容易に自由 への干渉に変化する恐れを感じます。 現代の民主主義的な自由社会の同様な原理 として、 「自身にして欲しくないことは、人に しない」ということがあります。この命題の 対偶は、 「人にすること(すべきこと)は、自 身にして欲しいこと」になります。中世の宗 教的時代、資源的に大きな制約もあり、まず

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じます。 持続可能な社会は、節度ある資源の利用を 社会全体として保証する社会です。ただ、社 会と個人の関係は、社会を人口で割り算する と個人になるというような単純なものではあ りません。あるべき社会の平均的な個人は定 義できるかもしれませんが、実際の個人は、 個性や能力に応じて、さまざまに変化する存 在であり、同じようにものを考え、行動する わけではありません。あるべき社会への期待 が、個人に還元されるときに、さまざまに変 化する個人が忘れられ、画一的な個人が想定 されてしまう怖れを持ちます。資源利用とい う点で、制約のある社会や集団への社会的な 期待が行き過ぎると、全体だけでなく個人の 思想や行動の自由も制限する硬い社会になっ てしまわないかという恐れを持ちます。 社会全体では、節度ある資源利用の範囲で 持続可能な社会への移行を、少しずつ実現す るものであることは当然ですが、社会を構成 する一人一人に対しても〝一律に〟、言葉を

サステナブル社会という全体主義へ の怯え 持続可能社会、 すなわちサステブル社会は、 今を生きている人ばかりではなく、将来生ま れてくる人々も、 今生きている人々と同じく、 豊かに幸せに暮らすことのできる生産や生活 のシステムを備えた社会であり、人類という 種が消滅するような破滅的な未来の可能性を できる限り、最小化する社会と了解されてい ます。今現在は、そのような持続可能な社会 ではありませんが、そうした理想的な社会へ の移行を目標とし、日々努力を重ねる社会と 考えられています。 人類が人類自身の責により、何世代、ある いは何十世代先に、 絶滅へ道を辿る可能性を、 今を生きる我々自身が招いているということ は、あまりに悲しく、そのような危機を回避 する努力を重ねることに、異論を唱える人は 少ないと思われます。しかし、持続可能な社 会への移行を目指す、現在の社会の風潮に関 して、私自身はサステナブル社会の旗振り役 を務めるオピニオンリーダーの人々に、 時々、 無邪気な行き過ぎを感じ、ある種の恐れを感

加藤信介

かとう しんすけ

東京大学名誉教授(生産技術研究所)

(専門は都市・建築環境調整工学)

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える時代でした。 子供のころ、父母や親戚の人の戦争体験を 聞き、その恐ろしさを幾度となく、自身の夢 で実体験しました。父は、学徒動員でにわか 消防隊員として空襲時の消火活動に動員され、 本職の消防隊員に逃げろと言われて、辛くも 焼死を免れた経験を話し、母は学校帰りの田 圃路で、戦闘機に襲われ、用水路の中で伏せ て助かった経験を話しました。私自身、そう した命の危険を今まで経験したことは全くあ りませんが、一世代前の多くの人々が、自分 の実父母でさえ、理不尽な命の危機を日常的 に経験しています。 当然、少年となり、自身と社会のかかわり を自覚するようになると、こうした課題に対 してさまざまな言論チャンネルでなされてい る議論に興味を持ち、不十分ながら自身でも さまざまに考えた記憶があります。 戦後の民主教育の影響もあったかもしれま せんが、そうした10代後半から20代前半 に考え、感じたなかで、今でも一番記憶に残 っているのが、 「全体主義」 、 「全体主義は、思 想の自由を奪い、表現の自由を奪い、合理的

判断思考を遮断する」というドグマです。戦 争という非常時ですから、国のあらゆる資源 は、戦争遂行のため優先的に使用され、民生 で使用できる資源は限られます。戦争に突入 し、 勝つか負けるかしか選択肢がなかったら、 勝つためには、国として、社会として、個人 にある程度、強い制約を掛けざるを得ないと 思われます。国の存亡(社会の存亡、あるい は社会を構成する個人の生死)がかかるなか で、表現の自由を謳い、敗戦必至として戦争 遂行に個人の財産や生命までも賭している兵 士や国民の士気を削ぐことを、社会として容 易く許すことができるとは、なかなかに思え ません。そうした表現の自由や、思想の自由 は、戦争突入前に、与えられるべきで、戦争 回避の方策や、やむを得ず戦争になってしま った場合の戦争終結のための方策など、あら ゆる可能性に関して、合理的な判断が可能と なるよう、自由で制約のない議論が必要であ ろうと思われます。「全体主義」 、「全体主義は、 思想の自由を奪い、表現の自由を奪い、合理 的判断思考を遮断する」 、の欠陥は、特にこの 戦争突入前に、顕著に現れます。

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は、 「人にすべきことは、自身にして欲しいこ と」であったのが、資源的制約が緩やかにな り、宗教的な束縛が弱まった近世では、 「自身 にして欲しくないことは、人にはしない」と いうように移行したように思えます。 自由な思想と行動は、社会と個人のバラン スにおいて、個人の比重が高い、すなわち科 学技術の飛躍的な展開に助けを受け、目の前 に無限とも思われる資源が広がり、資源利用 に関する制約が少なかった時代に、思想や行 動の自由には社会的な制約が掛かるという行 動原理から、その対偶命題であった個人の思 想や行動の自由という行動原理に、移行して 得られたとも解釈できる気がします。持続可 能社会は、社会全体としては、資源的な制約 から、 自由な経済活動や自由な生活を許さず、 制約を設けることから、「人の思想と行動に干 渉し、自身の思想と行動の自由に干渉される ことを許容する」社会に移行し、同じく「人 にすべきことは、自身にして欲しいこと」が 望まれる社会になる怖れを感じます。 いわば、 社会的な制約が、そのまま社会を構成する 個々人に、押し付けられ、個人の自由な思想

や行動に制約を加える全体主義的社会に移行 してしまう可能性が連想されます。 その意味、 持続可能な社会あるいは、 それに至る社会は、 徐々に窮屈な社会になっていく懸念を持ちま す。 私は、戦後生まれ(すでに死語になってい ると思いますが、第二次世界大戦後の生まれ で、戦争を実体験していない)ですが、少年 になり、少し社会とのかかわりを考えるよう になると、当時の普遍的な課題、すなわち、 どうして負け戦と分かっている戦争を始めた のか、国民の4%以上、310万人余りが戦 死もしくは戦災死し、ほとんどの大都市が灰 燼に帰すまで、どうして負け戦を続けなけれ ばならなかったのか、いつも日常的に問われ ていた気がします。島国の日本の4%の戦死 者などまだよい方で、世界全体での戦災死者 は8000万人にも及び、ヨーロッパなどで は、戦死者が国民の数十%に及んだ国もあり ます。いつもその数字の莫大さに圧倒されま す。どうして、そのような世界大戦が回避で きなかったのか、また犠牲者がまだ少ないう ちに終結できなかったのか、多少なりとも考

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させるようなことはありません。しかし、例 えば、エネルギー使用を「見える化」して、 個人や法人が自身の努力として節約を心掛け るにとどまらず、エネルギー使用を統計値と 比べ、統計値から定められた基準値以上のエ ネルギー使用に制約を掛けることは、何の疑 問もなく始まっています。建物が、基準値以 上のエネルギーを使用することが予測される 場合は、 建物の建設が認められません。 私は、 エネルギー使用を「見える化」することは重 要と思いますが、統計的に見て、過度のエネ ルギー使用であると社会的に判断して、それ を許さない姿勢には、ある種、 「ぜいたくは敵 だ」 、 「欲しがりません、勝つまでは」的な全 体主義な匂いを感じます。 民主主義、自由主義には、 「愚行する権利」 があると考えられます。社会的に多くの人々 が、合理的ではない、あるいは倫理的に好ま しくないと思われる行為であっても、愚行す る人が、その行為による社会的なコストを負 担し、「他の人の思想と行動の自由を承認する ことが、自身の思想と行動の自由の確保につ ながる」 原理、「自身にして欲しくないことは、

人にしない」原理を、大きく侵さないのであ れば、許されるべきと考えます。科学史、文 化史をたどれば、当時の社会で「愚行」と思 われていたことを追及して新しい科学的知識、 文化が生まれてきていると思えます。個人の 「愚行」を許すことが、科学や文化の発展に 寄与しているのです。尤も当時の多くの「愚 行」は社会的に許されておらず、ペナルティ を支払ってまで行われた「愚行」が新しい発 見、新しい思想を導いたとも言えます。資源 利用の観点から 「愚行」 と思われることでも、 その「愚行」に相応の社会的なコストが支払 われ、社会全体として、資源利用の制約が満 たされれば、個人の「愚行」する権利まで、 奪う姿勢には、いつか見た「全体主義」の亡 霊をそこに感じます。 社会的コスト支払い、社会全体としての資 源利用管理が守られれば、 「愚行」を許容する のが、全体主義を排し、自由で民主的な社会 を維持する基本と考えている私からは、 「愚 行」を許容しない社会システムの構築は、潜 在的な全体主義へ移行する恐れを感じさせま す。

連載 エッセイ

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一旦、戦争が始まってしまい、局地戦で済 まなくなり、全面戦争になってしまえば、国 の資源は、 国としての勝利を得るため、 当然、 集中的に戦争遂行に割り当てられます。民生 部門では、当然、国の資源配分の制約から、 限られた資源を無駄に使用しないため、さま ざまなスローガンが立案され、実行されてい ます。 「ぜいたくは敵だ」 、 「欲しがりません、 勝つまでは」になります。個性の発露をぜい たくとして自重させ、男は国民服、女はモン ペ姿を強制する社会的圧力を象徴させます。 限られた資源の中で、同胞が生命を賭して、 国のため社会のため戦っているのですから、 ある意味、仕方のないことと思われます。し かし、当面の戦争遂行のため、全体主義的に 個人に強い制約を掛けることは、敗戦が必至 な状況で戦争終結を急ぎ、戦争被害の拡大を 防ぎ、戦後復興を目指す、大きな妨げになり ます。 国土がすべて占領されるまで戦い、全ての 戦争指揮系統が破壊されて敗戦を期したドイ ツと、戦争指揮系統にまだ合理的思考ができ る最高責任者を有して、辛くも完全破壊前に

敗戦を受け入れた日本では、戦災死数の割合 は倍以上違います。ドイツの戦争指揮グルー プは、敗戦時、最後の最後まで生粋の全体主 義であったのに対し、日本の戦争指揮グルー プは、神話的、土着的全体主義であったのか もしれません。 全体主義は、思想や表現の自由を制限する ため、容易に戦争を決意する好戦的な国家に なる可能性が高いように思われます。民主主 義、自由主義が、好戦的な国家を他国の脅威 とはならない平和国家へ転換を図る上で重要 とも考えられます。戦後、連合軍(米軍)は、 日本を全体主義的国家から、個人の思想や行 動の自由を基調とする民主主義国家に変革さ せることに努力しました。この努力は、ある 程度成功したものと思われますが、これが日 本に定着した背景には、飛躍的な経済発展が 世界のあらゆる資源にアクセス可能となり、 資源利用の制約を免れたことがあると思いま す。 資源利用に大きな制約がない現在は、「ぜい たくは敵だ」 、 「欲しがりません、勝つまでは」 といった、個性の発露をぜいたくとして自重

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エネルギーと考えると、太陽エネルギーが 風水土 の循環系を動かしていることになります。 風水 は 太陽エネルギーで動的になり循環します。 風水 に 生物が作用して、地殻から「土 ができてきました。 したがって、 風水 に比べると時間がかかりますが 「土 も太陽エネルギーが作り出したことになりま 」

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す。現代的用語でいうと、 風水 はフロー( Flow ) )です。「土」は太 で、「土」はストック( Stock 陽エネルギーのストック機能があります(有機物の 蓄積とか)。 風水 のフローと「土」のストックの 狭間で、動的平衡(フォン・ベルタラフィーのいう 意味で)を保っているのが「生きもの」です。「土」 は「生きもの」との共同作業をしますので、「生き もの」と「それ以外の自然」を繋ぐのは、実は「土」 なのです。「生きもの」と「土」との関係は、ここ では広い意味で「共生系 といえます。 」

てなりません。その範囲で元素的な思考(哲学)も 本当は成り立っていた、つまり元素的に考えたとし ても多元素論のような気がします。すくなくとも、 西欧の二元論的世界観は持っていなかったはずです。 神々も多彩で、一神論とはほど遠い。どちらかとい うと、アニミズム的です。 太陽があまり恵みを与えない砂漠・乾燥地帯では、 循環系」と 動的平衡系」と 共生系 の思想は生ま れようがありません。「風」は文字どおり 風 です の流動が起き、土 が、水 はないので代わりに 砂」 は「砂」でやはり流動するので、この三要素で思想 を記述すると、 風砂砂」観思想が出来るはずです。 風 を大気の粒子の動態、「砂」を大地の粒子の動 態とすると、抽象的な観念としては「風風風」観思 想といっても良いかもしれません。そうすると、世 界の構成要素の全ては動的です。「風風風」観思想 の大地では、現実的に少ない資源をなるべく均等に 配分し、足りない分を交易により補うとすると、高 度な倫理が要求されます。人倫といっても良いでし ょう。それを破ると信用度が落ち、社会が成立でき なくなる。「風風風」観思想とは一種の清貧の思想 のはずです。「風風風」観思想の大地に長く留まり 「

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古代ギリシャ哲学での「火」「地」「風」「水」 による「四元素論」は、太陽エネルギーによる「循 環系」と 動的平衡系」と 共生系 を直感的に捉えて いた世界観を持っていたような気がします。 どうも、 日本の 風土 的な自然観を持っていたという気がし 「

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風水土の旅5 『 ドンコロ見聞録』

この「風水土の旅」もそろそろ終わりに近づいた ようです。「風水」は中国の 気 の概念で、 風土 は日本の人‐自然の「共」の概念のようです。ちな みに中国で使われている 風土 の意味をネットで検 索すると、日本で使っている 風土 とはまるで違っ た意味の 風土 がたくさんでてきますので、 風土 概念は、『風土記』以来、日本が創り出した 感念」 で 感性」です(あえて、「観念」と 理性 に対応さ せると)。さらにちなみに、日本の 風土 に相当す る言葉、つまりそれに相当する概念すら西洋にはな いということを、フランスの地理学者のオギュスタ ン・ベルクが教えてくれました。しかし、ベルクは、 和辻哲郎(『風土―人間学的考察』岩波書店)に触 発されて、『風土の日本―自然と文化の通態』(ち くま書房)など多数の本を書いていますが、最終的 には、和辻哲郎より、デカルトの方が優れていると いう分けのわからないことを述べています。結局、 ベルクは日本のそして和辻の 風土 を理解できなか

った。ベルクは西洋の基本概念である、 景観 をむ りやり 風土 に当てはめて理解しようとしたようで すが、そもそも、神が人間に与えてくれた自然を人 間が自由気ままに作り変えたのが西洋一般の 景観

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( Landscape )で、実は 景観 は 風土 と対極の概 念なのです。 里山」は 景観 でなく、 風土 です。

の発祥地はオランダで、本来の意味は ( Landscape 風土 に近かったことは、後ほど述べます)。 風土 では、 風 は水を運びますので、循環系の ひとつの象徴で、そして「土 は生命をはぐくむ重要 な培地です。それで 風」「土 を結び付けるのは、 実は 水 なので、このエッセイでは 風水土 として みました。 風水土 を別の現代概念で言うと、 循環 系」です。この 循環系」を動かしているエネルギー は太陽です。古代ギリシャの哲学では、この世界の 物質は、「火」「地」「風」「水」の成分から構成 されるという「四元素論」の立場を取っています。 ここで、「火」はエネルギーでそのおおもとは太陽

大崎 満

北海道大学大学院名誉教授

おおさき みつる

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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、会 、が西欧のグリーンマン一族の虐 リック・ユダヤ商 殺・殲滅を一斉に開始したのは、10世紀に入って からです。教会の様式でいうと、ロマネス教会が南 フランスで狼煙をあげ、ゴチック教会が燎原の火の 如く舐め尽くす。 この「風水土の旅」は、これまでからもおわかり のように、ブナ科樹木を訪ね歩く旅でもあります。 つまり、ドングリを訪ねる旅です。それで、いっそ うドングリになった気分で、ころころと地べたをこ ろがり、川にながされ、低湿地でぷかぷかうかび、 たまには海にも出て、ドングリの見聞録仕立てにし てみました。ドングリがころころと地表面をころが ってドングリマナコで見た、「地べた歴史」、「地 べた哲学」、「地べた文化」の見聞録です。とくに 西欧の「上から目線の歴史、哲学、文化」に対して、 ささやかな「地べた目線の歴史、哲学、文化」とで もいいましょうか。〝ドングリがころころ〟ところ がり歩いた、通称ドンコロおじさんやドンコロ探偵 団の『ドンコロ見聞録』です。ころがりながら見る ので、すべてサブリミ映像の合成です。こう見えた

というだけですので、 いってみれば芥川龍之介の 『羅 生門』にちなみ、「ドンコロ羅生門記」とでもいい ましょうか。したがって、『ドンコロ見聞録』のサ ブリミ映像には、多様な解釈ができるはずです。

なお、ブナは Fagus crenata Blume 、ミズナラは 、ちなみにヨーロッパのオ Quercus crispula/Blume で、これらはブナ科 ーク( )は Q. robur Blume oak )に属します。ブナ科樹木はドングリを ( Fagaceae つけます。

第1章 ドンコロおじさんの旅

故郷千歳の広大な低湿地帯には、かつてミズナラ の純林が茂っていて、春先の新緑、夏の深緑、秋の 紅葉、冬の褐葉と、まるで別世界の風景が展開して いました。また、ミズナラの純林帯にはきまってサ ケが遡上してきた。古都奈良の低湿地にも(ミズ)

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つづけている、イスラム教(徒)は、一神教により 「風風風」 観思想を守りつづけているのは明らかで、 これは、井筒俊彦『イスラーム文化―その根柢にあ るもの』(岩波文庫)や中沢新一『緑の資本論』(ち くま学芸文庫)からも推察されます。現在、欧米の 喧噪プロパガンダのように、イスラム教が邪悪な悪 魔のような宗教というのは、まったくの言いがかり です。イスラム教(徒)は、むしろ 清貧の思想 に 近いです。 本来「風風風」観思想をもつユダヤ教とキリスト 教が、古代ギリシャ・ローマに浸透しつつ、その過 程で著しく変質し続け、欲望の宗教へと変貌してい きます。「風風風」観思想と「風水土」観思想の両 思想は、生存環境は両極端ですが、清貧観と自然内 存在観を守り、自然とは共生的道(大規模破壊を避 ける)を歩みます。ユダヤ教とローマカトリック教 は、これらを著しく逸脱していく。最終的には、ユ ダヤ教とローマカトリック教は、人倫すら逸脱して いくので、むしろ宗教のいう魂(精神)というより は、「商魂」の悪魔的魂が異常肥大していったと考 えた方がよいでしょう。このことから、本来の信仰・

、会 、(あるいは商 、会 、) 宗教とは切り離して、ユダヤ協 、会 、(あるいは商 、会 、)と呼んだ やローマカトリック協 方が良いかも知れません。いずれにしても、ユダヤ

、会 、やローマカトリック協 、会 、が植民地システムや資 協 本主義を生み出すのは必然的流れでした。

、会 、やローマカトリック協 、会 、が、 やがて、ユダヤ協 風水土 を基盤とする頑強な西欧ケルト・ゲルマン 「

、会 、が、目を付 文化圏を侵略しはじめます。この両協 けたのがブナ科樹木の豊富で、湿潤な(水が豊富で 水運が可能な)西欧の大地です。ブナ科樹木資源が たっぷりトッピングされた、美味しい大地が手つか ずに残っていた。これをいかに切り取るか。奸計を 巡らし、舌なめずりして、欲望のスロットを全開に していった。

美味しいブナ科樹林の大地に住んでいた住人は、 ケルト・ゲルマン文化の石器時代人です。このケル ト・ゲルマン石器時代人を象徴しているのは、ゴシ ック建築の尖塔に首を晒されているグリーンマン (オークの葉の髭を付けた塑像)です。ローマカト

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わか演奏会で、こういう歓待には心にしみ入るもの 3 ボルガ川沿いのサラトフ市のミズナラ林 があります。 翌日、標高2700メートルの孤峰哀牢 (アイラオ) これまで、ドンコロおじさんが見た、もっとも印 山保全地区の四双版納熱帯植物哀牢山森林生態系統 象深いブナ科純林は、ロシアのボルガ川沿いのサラ 安定研究所を訪れます。ここは高地のため冷涼で年 トフ市にある、ミズナラ純林の公園です。サラトフ 平均気温が11度、降雨量1931ミリ、相対湿度 市には、ソ連時代、各種の秘密研究所があり、立ち 83%です。植物種は1482種にのぼり、多様性 入ることができませんでした。この秘密研究所のひ が極めて高いです。亜熱帯種から温帯種まで含み、 とつに、土壌微生物研究所があり、世界最大の土壌 温暖化による植生変化のセンサーとなりうる、極め 微生物コレクションがあり(たぶん今でも)、微生 て興味深い生態系を含む孤峰です。 物による環境浄化技術では抜きん出たものがありま 頂上付近にはブナの純林があり、淡い光の中にブ した(たぶん今でも)。ソ連崩壊で資金難に陥り、 ナ林の葉全体が一つになって浮いている感じで、実 共同研究を強く希望してきて、訪問した次第です。 に美しかったです。 「ロシアとの共同研究?」と白い目で見られるだけ 最近この山全体が保護区に指定されたため野生の で、まったく研究費のめどが立ちませんで、立ち消 動植物を取ることが禁じられて、ここに住むイ族は えになりましたが。 招待してくれたアンナ夫妻が、6月の小春日和、 全く惨めな生活に転落してしまっているといいます。 今日はロシア最高のもてなしをしてあげるというの 自然保護で突然生活基盤を失う。自然との共生系を で、ここボルガ川ではキャビアが有名なので、当然 自らの知恵で守ってきても、近代制度はそういった 高級レストでキャビアをふるまってもらえるものと ものを全否定し、 犯罪者を生み出し、 貧困を強いる。 わくわくしていました。 ところが、 雑貨屋に行って、

地元ウォッカとカラスミ(なんの魚か聞くと Bora ( бора )といっていたので、たぶんボラのカラスミ。

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ナラの純林が茂っていた。これらは、開発の手が入 りほとんど消滅してしまいました。 ブナ科樹木のドンコロ一族はなぜか、世界的にも 殲滅の憂き目に遭っているようです。『ドンコロ見 聞録』は巡礼記で、弔いの旅でもあります。

1 白神山地のブナ原生林 まだ行ったことはないのですが、白神山地は世界 最大級のブナの原生林があり、世界遺産(自然遺産) に登録されています。学生時代に、白神山地に連な る、弘前側から田代岳に登り、山頂の祠に一泊した ことがあります。日本の山々は信仰が篤いですが、 東北の山々は、岩木山にしろ、羽黒三山にしろ、早 池峰山しろ、独特の信仰が染み入っている感じがし ます。田代岳の頂上付近は高層湿原で、ここの魅力 が低湿地研究に導いてくれたのかも知れないと思う ほどです。田代岳に至る林道は、いたるところで伐 採がすすみ、尾根の裾はスカートが剥ぎ取られたよ うでした。しかし、尾根筋にはまだ、ミズナラやブ ナの純林が残っていました。

2 哀牢 (アイラオ) 山のブナ林

昆明から、雲南農業大学の張先生らと、大学の車 で南方方面の調査に出かけました。景東 (チントン) にある、哀牢 (アイラオ)山生態研究所で、所長らが 歓待してくれます。この地帯は亜熱帯気候区に属し ます。景東はイ族の自治区にあり、この研究所の所 員は全員イ族で、晩餐はイ族料理。蜂の子、竹に住 む幼虫、山岳部に住む鹿の一種のスープと干物、地 鶏、野菜(山菜)とキノコ。鹿の一種の干物は薫製 風(1週間塩に漬けて、灰にくるんでいぶす)で滋 味があって旨かったです。蜂の子、竹に住む幼虫も カリカリして旨い。雲南の少数民族は虫や木の葉を よく食べます。タイやベトナムの山岳地帯でも同様 です。巨大鍋に地鶏と薬膳をベースに、野菜、キノ コ、餅、ヌードル、湯葉をどんどん入れていく。こ の鍋にトウフヨウ(発酵させた豆腐)がよく合うの

を知りました。イ族の所員は全員酒が強く、 Lan という地元白酒をぐびぐび飲む。イ族は Kan River 音楽が好きなのか、宴会の席に楽器を持ってきてに

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行』(菊地一徳訳、八坂書房)の世界各地の探索紀 行は、世界各地に夢を馳せさせました。 ちなみに、メンデル遺伝を否定するルイセンコに よるヴァヴィロフの学説の排撃で失脚し、1943 年にサラトフ監獄で栄養失調のため死去しました。 ヴァヴィロフがサラトフで研究し、終焉の地であ ったことは全く知りませんでしたので、ヴァヴィロ フの碑に出逢い、 学生時代にフラッシュバックです。 もう一つ、サラトフはガガーリンの生誕地で、 地球 は青かった という名台詞、これは 水の惑星」とい う意味なので、 風水土 巡礼の旅としては思わぬ僥 倖でした。 」

ドンコロおじさんは、ロシアにはブナ科樹木の、 ひいては木の文化があると感じました。サラトフの ロシア正教教会を訪れると、内装は木で、オルガン の音が木々に吸い込まれていくようで、思わず、芭 蕉の 静かさや岩に染み入る蝉の声 の境地を感じたのです。音が木に染み込んでいく空

間の不思議な静寂と落ち着きを感じました。 ドイツやフランスのローマカトリック教会の聖堂 は、音を石で響かせ、天に届くような、あるいは神 が天界からかたりかけるような、人を幻惑・陶酔さ せるような構造です。キンキンと音を研ぎ澄まし、 頭蓋に切り込んでくる感じで、それは神の啓示が精 神には入りやすくするためかもしれません。神のエ キス(精神)の注入(灌頂)の補助として音楽が使 われ、それをキンキンにするために石の教会、大聖 堂がつくられた。そんな感じです。耳で聞くという よりは、体を振動させるような音です。それに比べ ると、ここのロシア正教教会は、音を吸い取り、音 で静寂を造りだしている感じすらします。まさに、 芭蕉の境地です。 ローマカトリック教会の聖堂に比べると、ロシア 正教教会ではうすのろの神がいるみたいですが、大 地に根付いている感じで、ローマカトリック教会と は、教義というよりも、体質的に合わない感じがし ます。

モスクワの赤の広場にある、18年前当時の「聖 ワシリー大聖堂」の内部は地下迷路のようで、そう

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ボラは海水魚なのでボルガ川からでなく、多分どこ もう少し下ると、ドニエプル川と運河で繋がり、黒 か海辺から輸入してきた)を新聞紙一杯に包み、な 海に通じています。 んと、ミズナラ純林の公園のベンチで、酒盛りとい ミズナラ純林の公園近くに、ヴァヴィロフの碑が うのです。これが、「ロシア最高のもてなし」なの あり、1917~1920年にサラトフ大学農学部 です。しかも、アンナ夫妻は酒が飲めない(旦那は 教授で、 この地で研究をしていたことを知りました。 療養中)ので、口が回りそうにしょっぱいカラスミ を肴にウォッカを1本飲めというのですよ。 しかし、 ヴァヴィロフの碑は、地球に小麦をあしらったもの です。そこにロシア語で3文字が刻まれていて、た 仰ぎ見る新緑のミズナラの純林は格別です。ロシア しか、食糧、平和で、もう一つは忘れました(もら では、自然が、ミズナラが、酒の肴になるのです。 ったロシアのファイルを開けたら、パソコンがフリ 酔う程に、母なるボルガの岸辺の丘で、母なる大地 ーズしてハードが壊れ、メモが消えたため)。 に包まれている感じがしてきて、大地に抱きついて ニコライ・イヴァノヴィッチ・ヴァヴィロフは、 しまいました(酔って倒れただけ)。涙が出るほど 「遺伝的多様性が高い地域(遺伝子中心)がその作 の最高のもてなしでした。ミズナラ純林のもっとも 物の発祥地であると考え、栽培植物の起原について 懐かしい思い出です。 の理論を発展させた」ことで、有名です。遺伝子中 ここサラトフ市は、かつてドイツの植民都市(ド 心説は、一部当てはまらない作物(イネ等)もあり イツボルガ)でもあり、美しいドイツ風の街並みを ますが、おおむね合っていて、栽培植物の起原を復 残しています。ここボルガ川一帯は、東の丘までモ 元するにはいまだに、重要な理論で作物学や栽培学 ンゴルが攻めてきて、ロシアの軛とはこの地帯を指 や農学では必ず教科書にはいっていました。また、 しています。ナポレオンにも蹂躙されているし、ヒ 学生のころ読んだ、ニコライ・イワノヴィッチ・ヴ ットラーにも下流の方で蹂躙されています。サラト ァヴィロフの『栽培植物発祥地の研究』(中村英司 フ市はヨーロッパ最長のボルガ川の下流域に位置し、 訳、八坂書房)、『ヴァヴィロフの資源植物探索紀

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4 シュバルツバルト( 黒い森) のオーク森 ドンコロおじさんは、ものの本からケルト民族が オークを崇拝しているらしいと知りました。ヨーロ ッパの大陸ではドナウ川とライン川にそって、ケル ト民族が流入してきたようで、また、南ドイツのシ ュバルツバルト(黒い森)にはかつてブナ科樹木の (純)森林があり、したがって、ケルト文化もしく はゲルマン文化が、シュバルツバルト地方の古層に あると思われました。グリム童話の世界でもありま す。そこで、シュバルツバルト地方に出かけてみた のです。 ( 1) フライブルグ フライブルグには、壮麗な尖塔をもつゴシック様 式のミュンスター大聖堂があります。その内部は深 い森の世界を模し、左右に立ち並ぶ巨大な石柱はオ ークの幹を、石柱の頂から天井にかけて放射状に伸 びるアーチはオークの枝を、石柱の頂には刻まれた フォルムは葉を形象化し、さらに、大聖堂の尖塔に

は、グリーンマンが刻まれているというのです。グ リーンマンとは、オークの葉の髯 (ひげ)をはやした 人面像のことで、ケルトやゲルマンの樹木信仰に由 来し、もっとも立派なグリーンマンがここの尖塔に 刻まれているといいます(W・アンダーソン『グリ ーンマン』河出書房新社)。 たしかに、 教会の内部は深いオークの森を象徴し、 尖塔は八角錐でそのそれぞれの付け根に立派なグリ ーンマンが刻まれており、深い森の信仰をうかがわ せました。しかし、解せなかったのは、大聖堂の外 側のガーゴイル(雨水の排水口)には多数のモンス ター(化け物)たちの彫刻が施され、不気味な顔や 姿態で威嚇していることです。大聖堂がオークの森 への深い憧憬を象徴しているとすると、この不釣り 合いな様態が奇妙です。終日 (ひねもす)、この奇妙 な大聖堂のモンスター達を、屋外レストランから、 ビールを飲みながら眺めていました。夕立が来て、 ガーゴイルのモンスターたちの口から雨水が白く噴 き出してきます。厳 (いか)ついはずのモンスターた ちがなんとも哀れに見えきて、ふと、このモンスタ ーたちは森の精霊(妖精)ではないかとの想いがよ ぎります。ガーゴイルがないと、雨は漆喰に浸み込

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すると外観は地下に通ずる茸をデザインしたのかと 思わせます。 この赤の広場にあるロシア国立歴史博物館は、木 の製品が多く展示され、私のもっとも好きな博物館 の一つでもあります。 「赤の広場(クラスナヤ広場)」と名付けられた のは17世紀後半で、「クラスナヤ」は、ロシア語 で「赤い」を意味し、古代スラヴ語では「美しい」 を意味する事から、「赤の広場」は「美しい広場」 が原義に近いそうです。壁には赤煉瓦が多用されて いて、そうすると、赤土の赤が文化に塗り込まれて いる。 ロシアは、土と木の文化の国です。母はなるボル ガ川を入れると、「水土木の文化」です。東京・渋 谷の Bunkamura ざ・ミュージアムで開催された、 19世紀後半から20世紀初頭に描かれたロシアの 油彩画による「ロマンティック・ロシア」展では、 樹木が生き生きと描かれています。背景としての樹 木でなく、主役としての樹木。イワン・シーシキン の『雨の樫林』はとくにすばらしいですが、宮川匤 司は「雨の続く森の情景を描く。霧雨に煙る森、ぬ

かるむ小道。その中を傘を差す男女が行く。水たま りの反射や遠くの木々がかすむ湿潤な大気の描写は、 スーパーリアリズムの趣がある」(日本経済新聞の 文化欄、 2019年1月16日) と記述しています。 シュールリアリズム(こねくり回す)でなくスーパ ーリアリズム (人‐自然ともに繋がっている超自然) がロシアの自然観です。 セルゲーイ・ボンダルチューク監督・脚本・主演 映画『戦争と平和』でも、明らかにオーク(枝ぶり はブナ科樹木)と分かる樹林が、まるでイワン・シ ーシキンの『雨の樫林』のようにでてきたのを思い 出しました。そう、ロシアには、ブナ科樹木のドン コロ一族が大地に根付いている、一大ドンコロ文化 圏なのです。 ロシア沿海州ウスリー河流域タイガ(シベリア地 方の針葉樹林帯)は野生動植物の宝庫で、まさにド ングリの雨がふるほど、自然は豊かです(M・ディ メノーク『どんぐりの雨―ウスリータイガの自然を 守る』 (橋本ゆう子・菊間満訳、北海道大学出版会)。 少なくとも、ボルガ川以東からシベリアタイガにか けて、延々とドングリの海が広がっているはずであ る。この紅葉はいかばかりの美しさでしょうか。

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ているため、木目に沿って割り裂くと、まっすぐな きれいな割材が取れ、丈夫で曲げやすく、強くて重 すぎず、水も通しにくいことから、船の骨組に欠か すことができなかったといいます(W・B・ローガ ン『ドングリと文明』日経BP社)。小山修三は、 オランダの海外進出を支えたのは、シュバルツバル トの堅牢なオークがライン川を下って河口のオラン ダの都市に運ばれて船を建造することができたため で、 ここの木材資源が枯渇して、 船が造れなくなり、 イギリスとの覇権争いに敗れていったと述べていま す(「森と生きる」山川出版)。 ここフライブルグは、魔女狩りが峻烈を極めた地 で、世界で唯一の魔女博物館が大聖堂の近くにあり ました。また、ゴシック様式のミュンスター大聖堂 があり、その尖塔にはおびただしい数のオークマン の頭蓋が置かれていました。また、石柱がミュンス ター大聖堂を囲み、その上にもオークマンの頭蓋が 置かれていました。ところが魔女博物館は閉館し、 いまはその痕跡すらありません。ミュンスター大聖 堂も大改修で、オークマンの頭蓋はすっかり見えな くなりました(どこかにひっそり配置しているかも 知れませんが)。

現在、フライブルグは、原発建設を撤回し、先進 的な環境政策の街として、環境関係者の間ではつと に有名です。路面電車、路線バスを拡張して中心部 には基本パーク&ライド方式で自家用車が入れない ようにし、ファウ・バン団地では太陽パネル・風力 発電や生ゴミから発生するメタンガスでコジェネレ ーション発電し、徹底的なエコの街として世界的に 有名になりつつあります。この環境都市にして、魔 女博物館やオークマンの首を晒すのはさすがに気が 引けるのでしょうか。でもこのように、フライブル グは、過去の隠蔽が行われている、先進的環境都市 です。また、先進的環境都市と宣伝していますが、 ここの先進的モデルは、実はブラジルのクリチバ市 です。初期の頃には、クリチバモデルにも触れてい ましたが、最近では全く独自に構想した世界に先が けたオリジナルのフライブルグモデルということに なってしまっています。 フライブルグはドイツの体質そのものではないで しょうか。というか、西欧のどす黒い陰謀が、シュ バルツバルトの「黒い森」から、発祥してきたとも いえます。実は、ミュンスター大聖堂は、シュバル

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み、石組がくずれてきます。つまり、神の座を守る ための下僕として、森から引きずり出され、使役に つかされているのではなかろうか? W・アンダーソンは、グリーンマンは北方と南方 の境界地域の都市に多く見られ、これらの都市では 魔女狩りがもっとも激しかったところとほぼ一致し、 共通の地下水脈が存在すると推定しています。フラ イブルグも、魔女狩りが峻烈を極めた都市で、かつ て訪れた20年前には、 魔女博物館がありましたが、 ほとんど地下にあり、薄暗く、身の毛もよだつよう な展示がされていました(しかし、環境都市のイメ ージを損なうせいか、最近、閉じられてしまいまし たが)。もともとブナ科樹木の森に住む魔女をそれ ほど峻烈かつ執拗に狩っていることを考えると、ケ ルトやゲルマンの樹木信仰に由来するアニミズムの 痕跡をとどめるグリーンマンを、なぜ教会の尖塔に 刻んだかが解せなくなります。詳細に調べている W・アンダーソンの本を見ても、ゴシック様式建築 以前には、グリーンマンそのものを認めることがで きませんし、どうも、グリーンマンはゴシック様式 の建築とともに創られたようなのです。 そこで、ドンコロ探偵団は、このように考えまし

た。モンスターたちやグリーンマンは「森の精霊や 妖精」であり、それらを森から引きずり出して、白 日のもとに晒した。そう考えると、ゴシック教会と は、古きゲルマンの郷愁と森林信仰のために聖堂の 中に森林の意匠を取り込んだというより、むしろ、 ブナ科樹木の森林を裏返しにして、森林信仰の内部 を外に曝し、その内部にキリスト教信仰を据えたと いう理解が成り立ちます。つまり、キリスト教が森 林信仰を壊滅させ、自然支配、自然征服を確立した シンボルとしてゴシック大聖堂が建てられたと考え た方が自然です。ガーゴイルのモンスターたちは、 さしずめ「森の精霊の干物」というところでしょう か。 ブナ科樹木森林の破壊・略奪とグリーンマン(ド ンコロ探偵団は、グリーンだと環境保全という印象 与えるので、正のイメージを持たないようにオーク マンと呼ぶ方が良いと考えていますので、混用しま す)の虐殺・追放はセットで起きた歴史的陰謀とい ってよいでしょう。オークの木炭は、熱含有率が高 く、燃焼が安定していたことから、鉄鉱石を精錬す る溶鉱炉の燃料として用いられました。また、オー クは年輪に対して直角に細胞が並ぶ放射組織を持っ

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エヴァンゲーリッシュ僧院から石階段をおり、ネ ッカー川の河畔の脇道に至りますが、夕暮れもあり ヘルダーリンの幽閉されていた塔が見当たりません。 脇道は行き止まりで、レストランの横の道が白い工 事用の天幕で遮断されていました。しょうがないの で、ここのイタリアレストランで、夕食にしました が、ネッカー川が火影を流れ、中世にはシュバルツ バルトのオークが筏を組んで絶えることなく流され ていった歴史の面影が偲ばれます。翌日、改めてヘ ルダーリンの幽閉塔を探査すると、なんと、このレ ストランの真横でした。幽閉塔が改装工事中で、工 事用天幕で道が遮断されていたのです。 ヘルダーリンは、36年間この塔に幽閉されて、 ここで亡くなりました。最後の詩に、白鳥を詠った 詩がありますが、ネッカー川にはいまでも優雅に白 鳥が浮かび、ヘルダーリンはこの塔から白鳥を眺め ていたにちがいありません。 このネッカー川の河畔の脇道をヘーゲルやシェリ ングが歩いたかは知りませんが、ヘルダーリン塔に 至る道でもあり、密かに「ネッカー川沿いの哲学の 道」 と名付けて、 何度か通ってみました。 京都にも 哲 学の道 がありますが、ここは、ドイツ観念論の「哲

学の道」ですから、筋金入りですよ。歩いていると、 なにか肩が厳ついてくるような気もします。 ネッカー川は標高706メートルのフィリンゲン =シュヴェニンゲンの近くにあるシュヴェニンゲ ン・ムース(泥炭地)に発し、標高95メートルの マンハイムでライン川に合流します(ウィキペディ ア)。

シュバルツバルトのオークは、フライブルグ方面 のライン川ではなく、このネッカー川をくだってチ ュービンゲン方面に運ばれましたが、ここは通過す るだけで、特に、ドンコロ一族の弾圧を行っていた わけでもなく、したがってこれといった有名なゴシ ック建築もありません。 ゲオルク・ヘーゲル(18世紀後半~19世紀前 半)の時代には、オークの切り出しも終わり、ドイ ツトウヒが切り出されていたはずです。ドンコロ一 族の大虐殺もすでに遠い昔のことです。しかし、シ ュバルツバルトで何が起きたか、ヘーゲルは知って いたはずです。ドイツの基層の伝統の精神文化が完 全に破壊されたことも。そして、誰が破壊したのか も。ドイツ観念論が、シュバルツバルトの麓から滲

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ツバルトのドンコロ一族の虐殺と殲滅の記念碑です。 (アウグスチヌス派の修道院であったエヴァンゲー リッシュ僧院)で学んだ人々に、ヨハネス・ケプラ このようなゴシック大聖堂は、ライン川沿いに点々 と建築され、いずれも魔女狩りと魔男(オークマン) ー(16世紀後半~17世紀前半)、フリードリヒ・ シェリング(18世紀後半~19世紀前半)、ゲオ 狩りが峻烈を極めました。 ドンコロおじさんにとって、ゴシック教会・聖堂 ルク・ヘーゲル(18世紀後半~19世紀前半)、 であるゴシック建築は西欧ドンコロ一族の墓碑銘で、 フリードリヒ・ヘルダーリン(18世紀後半~19 世界虐殺遺産に指定すべき遺物です。 世紀前半)、カール・バルト(20世紀最大の神学 者といわれている)、グドルン・エンスリン(20 ( 2) チュービンゲン 世紀を生き、ドイツ赤軍の創設者)がいます。 チュービンゲンは、ネッカー川の河畔の古い中世 このチュービンゲンに日曜日に行くと、旧市街地 の街で、現在、8万7000人の街にチュービンゲ は人の波、また波で身動きが取れないほどです。満 ン大学(キャンパスをもたず、町の各所に大学の施 員電車の中を歩かされている感じでしょうか。狭い 設が点在)をはじめとする学生2万3000人がい 道の両脇には屋台やら露店が並び、まるで大腸の中 る学生の街です。チュービンゲンは、町全体がどれ で消化されている気分です。この大腸蠕動の流れに もこれも見応えのある堂々たる木組みの建物ばかり 身を任せると、ヘルマン・ヘッセが働いていたヘッ です。石の建物に比べると暖かみがあっていい。週 ケンハウアー書店も、ヘーゲルらが学んだエヴァン 末になると、多くのドイツ人観光客でにぎわうほど ゲーリッシュ僧院も、誰も気づかずにただただ押し 出されるだけです。ドイツの魂の故郷では、ヨハネ の人気で、 “The little big town” とも呼ばれ、ドイツ の魂の故郷ともいわれています。チュービンゲン大 ス・ケプラーも、フリードリヒ・シェリングも、ゲ オルク・ヘーゲルも、まるで気にとめる風もなく、 学、正式には Eberhard Karls Universität 蠕動運動にただ身をまかせる、これが正しい「ドイ といい、設立は1477年で、ドイツで Tübingen 最も古い大学の一つです。このチュービンゲン大学 ツの魂の故郷」の味わいかたなのでしょうか?

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いわれていますが、ゴシック建築としては全く簡素 で、内部の柱から出る枝が天井に広がり、これがオ ークの木をシンボリックに表していますので、これ をゴシック様式建築と呼んでよいのでしょう。ライ ン川沿いのゴシック建築とドナウ川沿いのゴシック 、式 、建築では、装いもその機能(原住民の抹殺記念) 様 もまるで異なるのです。 なお、ミュシャが手がけたスラヴ色の豊かなステ ンドグラスがこの大聖堂にあり、「10世紀ボヘミ アの王でチェコの守護聖人である聖ヴァツラフとそ の祖母聖リュドミラを中心に置き、そのまわりには スラヴ世界にキリスト教をもたらしスラヴ言語での 布教につとめた聖ツィリルと聖メトディウス兄弟の 生涯と事蹟」を描いています。ミュシャが手がけた からでしょうか、宗教的秘蹟画というよりは、スラ ヴ的な暖かな淡い光がさしている感じです。 これは、 ドンコロおじさんの記憶ではブナ科純林の葉を透か した淡い光です。 ( 2) スロバキアのブラチスラヴァ チェコからスロバキアへ。この沿線は、土壌が黒

く、肥沃な感じですが、山間部が多いです。ブナ科 樹木が頻出します。ブナ科樹木が残る文化圏は、風 景自体が温和な感じがします。

聖マルティン大聖堂へ。ミサ中で入れてもらえま せんでしたが、ガラス越しに覗くと、実にシンプル で、外観とも合わせて、まるでプロテスタントの教 会のようでした。「もともとはロマネスク様式の教 会で、それから後期ゴシックの天井やバロックの礼 拝堂等が加えられ19世紀にはネオ・ゴシックスタ イルに改築され、現在の姿になった」と説明にあり ましたが、「どこがゴシックなのか?」と見わけが つかないほどです。少なくとも、森林破壊の象徴と しての教会でないのだけは確かです。 この教会はプラチスラヴァ最古の由緒ある教会で、 1563年から1830年まで歴代ハンガリー王の 戴冠式が行われたところとして知られています。1 741年にはマリア・テレジアもこの教会で戴冠し ました。また、教会の尖塔には金色のハンガリー王 冠のレプリカが飾られていて、グリーンマンなぞ微 塵もありません。 聖マルティン大聖堂を横に眺めながら、ブラチス

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みでてきたのも、ここの 風水土」を読み解くと分か るような気がしてきます。

5 ドナウ川沿いのオークとゴシック教会 ドナウ川もライン川同様に、シュバルツバルトに 分水嶺があり、ここを源泉とします。ドイツ、オー ストリア、スロバキア、ハンガリー、やがてセルビ アとルーマニアの国境でドナウ川がカルパティア山 脈を越え、ブルガリアとルーマニアの国境を流れ、 ドナウ・デルタを形成して黒海に注ぎます。 ドナウ川をくだると、ライン川とはまるで違う景 観に出逢います。 ブナ科樹木が比較的残されており、 特に、ゴシック建築の装いがまるで異なるのです。 ドナウ川沿いの都市にもゴシック建築がありますが、 ライン川沿いの威嚇的でとげとげしいゴシック建築 にくらべて、穏和で丸みを帯びたゴシック建築で、 おなじゴシック建築とはとても思えないほどです。 このドナウ川沿いの都市は東方的な香りが入って きている感じで、東方教会(ギリシア正教)やイス ラム教も浸透してきています。ローマカトリック教

、会 、)がある程度勢力をもっていたら、排他的 会(協 教義により、魔女・魔男狩りがおこなわれていたで しょうが、ライン川沿いに比べると、あまり極端な 排他主義は採れなかったのかもしれません。結果か らすると、ここのブナ科樹木主体の森林地帯を、根 こそぎ破壊して略奪することは困難だったようです。 つまり、ドンコロ一族の大虐殺はドナウ川沿いの地 域ではあまり起きなかったと推察されます。したが って、ゴシック建築も虐殺記念とする必要もなかっ た。ライン川沿いのように、ケルト・ゲルマン古層

、 の異教徒(オークマン)とローマカトリック教会(協

、)との、ブナ科樹木森林をめぐる全面戦争も起き 会 なかった。もっというと、ドナウ川沿いでは、ロー

、会 、)の寡占を抑制する歴史的 マカトリック教会(協 地理的メカニズムが機能していたはずです。 ( 1) チェコのプラハ

聖ヴィート大聖堂( Katedrála svatého Víta )は プラハ城の第三の中庭に峻立する大聖堂で、現在プ ラハ大司教の司教座聖堂となっており、国教の地位 にあります。この大聖堂はゴシック建築の代表例と

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期、ロココ期、そして19世紀から20世紀への絵 画の変遷がよく見て取れるように配置されているの もよいです。印象派に移る前に、どうも、オランダ 絵画、バルビゾン派の絵画の影響が強くあったので はないかとも思わせます。そこに、日本の浮世絵の インパクトがあり、いっきに印象派的絵画の世界が 開けた。中世、ルネッサンス、ゴシック、バロック 期、ロココ期の絵画を見ても、印象派的絵画世界に 直接繋がるものはありませんので。 パリ・ルーヴルみたいに芸術の権化みたいに装う 必要もなく、ハンガリー美術は素直で、しかも自国 の絵画で埋められるぐらいの実力があり、ヨーロッ パ絵画の流れを理解するにはうってつけです。 ( c) ブタペスト歴史博物館:ブタペスト歴史博物館へい くと、ハンガリーはドナウ川に開けた平野部で、ド ナウ川沿いに東からいろいろな民族が侵入してきた、 その歴史がよく分かります。石器、新石器、銅器、 青銅器がドナウ川とその支流で到る処でみられ、そ の後ケルト、ゲルマン民族が侵入してきて、鉄器が みられます。いずれの文化とも出土品が多く、その 意匠や造形が優れています。土器も良い物がある。 この地のドナウ川は、ライン川の各地の文化に比べ ると圧倒的です。

ケルト文化は、ハルシュタット( Hallstatt )で発 掘されて明らかになってきた文化です。ハルシュタ ットは、オーストリア中部オーバー・エースターラ イヒ州に属する小規模な 基礎自治体(ゲマインデ) にあります。ザルツブルク市にほど近く、オースト リア・アルプスの麓の湖水地帯ザルツカンマーグー ト地域の最奥に位置する景勝地です。ケルト文化は ドナウ川流域に展開して、開花したのは間違いない でしょう。ライン川流域で各地の博物館に行きまし たが、ケルト文化も貧相というか、あったかどうか も疑わしい限りでした。 そして、この文化的レベルは中世直前まで続き、 西欧は東欧に比べるとまるで原始時代だったとさえ いえます。少なくとも、ドンコロおじさんが地方を ころがり歩いた印象では。

( d) マーチャーシュ( ゴシック) 教会:マーチャーシュも

マーチャーシュ聖堂( Mátyás-templom )も、正式 名称は「聖母マリア聖堂」で、教会の伝承によると、 1015年に建造されたとあり、13世紀半ばにべ ーラ4世によってゴシック様式の教会として建てら れました。マーチャーシュ1世が1479年に南の

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ラヴァ城への石畳みの道を登ります。この丘は、小 カルパティア山脈の孤立した岩丘で、古くはブナ科 樹木の森で知られていたところです。しかし、残念 ながらこの辺りに、もうオークはほとんど見かけま せん。 ブラチスラヴァ城からドナウ川が一望でき、左に 工業地帯 (化石燃料地帯で黒々噴煙を上げている) 、 中が共産主義時代の箱形アパート、そして右が森林 と風力発電タワーが立ち並ぶ再生エネルギー地帯で す。ドナウ川の対岸は急ごしらえの資本主義植民地 のパノラマ公園のごとくで、中世の古都との対比が 見事に見られます。そう、ここブラチスラヴァ全体 が、歴史の動態博物館なのです。

):ブダ王宮は、1 Budavári Palota

( 3) ハンガリーのブダペスト ブダペストは、西岸のブダとオーブダと、東岸の ペストが合併してできた街で、ヨーロッパでも最も 美しい街の一つともいわれています。 カルスト台地に王宮の丘があり、文化的な施設が 集中してあります。どこの国よりもドナウ川が美し くみえ、悠久の時が流れ続けている感じです。 ( a) ブダ王宮(

241年、モンゴル軍の攻撃を受け、木造城壁だっ たブダ城が破壊され、石造で再建されたそうです。 14世紀にはラヨシュ1世によってゴチック様式の 王宮に改造されましたが、17世紀にオスマン帝国 軍の攻撃で再び破壊され、18世紀にハプスブルク 家の支配下で再建され、バロック様式へ改造されま した。城壁跡の王宮地下迷路を通り、中にゴチック 様式の小教会がありましたが、まるで質素で、オー クの柱・枝様式のみがそれと認められます。 どうも、 魔女弾圧のあった、ドイツやフランスのゴチック様 式とは根本的に違うような気が深まります。

(b)王 宮 中 央 のハンガ リ ー 国 立 美 術 館( Magyar ) :ハンガリー国立美術館は中世、 Nemzeti Galéria ルネッサンス、ゴシック、バロック期のハンガリー 美術の作品を収蔵していて、さらに19世紀から2 0世紀にかけてパリ等の西欧で活躍したハンガリー 美術家の作品も多く含まれています。ほとんどハン ガリー美術で占められていて、あたり前のようです が、ヨーロッパにおいて、自国の美術品による美術 館というのにはほとんど巡りあえませんので、素朴 な感動を引き起こします。 また、中世、ルネッサンス、ゴシック、バロック

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が、一気に現代オーストリア芸術へと昇華したので す。 グスタフ・クリムト( Gustav Klimt ) グスタフ・ クリムトがクリムトになった最初の絵は「 Friend ( Sisters )」(1907)で、多分、浮世絵のイン パクトによります。浮世絵が完全に新しい構図と色 彩と描写を与えました。実際、クリムトは、同時代 の多くの芸術家同様、日本や東アジアの文化の影響 を強く受けたといい、人より、むしろ、自然の描写 が素晴らしいです。 クリムトの日本文化への深い傾倒は、甲冑や能面 などの美術工芸品を含むプライベートコレクション からも明らかで、1900年分離派会館で開かれた ジャポニスム展は、分離派とジャポニスムの接近を 象徴するイベントであり、特に浮世絵や琳派の影響 は、クリムトの諸作品の基調あるいは細部の随所に 顕著に見て取れます(一部、ウィキペディア参照)。 クリムトはジャポニスムを率直に受け入れました、 これはまるでゴッホのようです。 おびただしい数の西欧印象派画家がジャポニスム の影響をうけましたが、それは影響を受けたという よりは、剽窃したといった方がよいほどです。上野

の国立西洋美術館にて開催された「北斎とジャポニ スム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」は、そ のおびただしい西洋画の数からして、ドンコロおじ さんにも衝撃でした。印象派画家は日本画、特に北 斎をすっかり剽窃して、すごいのはまるで自分で見 出した意匠のごとく、これぞ新しい芸術とふんぞり 返っていることが、詳細に見てとれることです。こ れぞ、ジャポニスムの換骨奪胎です。換骨奪胎とは 「他人の構想・着想・形式をまねながら、自分の作 として独自の価値があるものに作ること」 ですので、 まだ良い意味が含まれていますが、西欧で起きたジ ャポニスムは泥棒です。そうすると、西欧人にとっ て、ジャポニスムとは、「盗まれて、むしろ喜んで いるあほな民族」ということになってきます。 印象派画家のほとんどが剽窃で、西洋の文化の体 質を垣間見せられて、ジャポニスムという用語自体 に嫌気が指していましたが、ドンコロおじさん、グ スタフ・クリムトを体系的にみて、少しは気が晴れ ました。グスタフ・クリムトにも、ゴッホともども、 西洋にも一部良心があることを知り、少しは溜飲が 下がりました。西欧がリードした芸術世界からする と、両者とも辺境の画家です。文化帝国主義の中枢

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塔の建造を含む増築を命じたのにちなんで、マーチ ャーシュ聖堂とも呼ばれています。 1800年代後半に建築家のフリジェシュ・シュ レクによって、ゴシック様式の要素を残しつつ色と りどりのダイヤモンド模様の屋根瓦とガーゴイルを 加えて、 現在のバロック様式に改修されたそうです。 シュレクはハンガリーの代表的な窯元の一つである ジョルナイ製のダイヤモンド模様の瓦屋根や、ガー ゴイルの樋嘴を乗せた尖塔など、新たに彼独自の要 素を加えました。マーチャーシュ聖堂が、ゴシック 様式建築とすると、もっとも美しいゴシック聖堂と いえます。 ( 4) オーストリアのウィーン ブダペストからウィーンへ。車窓は、肥沃な黒土 が続きます。ハンガリー国境の町、 Hegyeshallow を過ぎた当たりで、両脇に何百という風力発電の塔 が立ち並び、未来都市というよりは、なぜか、20 世紀文明、現代資本主義文明の墓標のようでもあり ます。 ウィーンはカフェ文化の街です。スープといい、 カフェといい、ウィーンは、まず水が美味いです。

水が美味いと、食文化が深く根ざす。どうも三大食 文化といっている、フランス、中華、トルコでは、 概して水が不味い地域のようです。だから、やたら と技巧を凝らして味をごまかすしかない。滋味(水) の貧しさが、食技巧文化を育てるという皮肉に、ふ と気づく。「食技巧文化」とは、自然の地味を引き 出す「食地味文化」とは対極の文化です。

、略 ( a) ミュージアムクォーター( Museumsquartier 称MQ):ここは、美術館、博物館の複合施設。

レオポルド美術館( Leopold Museum ) レオポ 、代 、美 、術 、館 、ということで、まったく期 ルド美術館は現 待はせずに入りましたが、すばらしかったです。こ この収蔵品の中心をなしているのは、20世紀前半 のオーストリアの美術作品で、この中にはエゴン・ シーレやグスタフ・クリムトの主要な絵画やデッサ ンが含まれ、オーストリアのウィーン分離派、アー ルヌーボ、ユーゲントスティル運動から表現主義へ の流れを見ることもできました。オーストリア芸術 は、フランスと比べても、独自の流れがあることが 分かります。どうも、原点はオランダの絵画のよう な気もします。それに、日本の浮世絵のインパクト

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れている。作品制作スタイルについては、ワーク・ 間階(1階)に絵画が展示され、0・5階では古代 イン・プログレスと呼ばれるプロジェクトを組み、 エジプト・古代ギリシャ・古代ローマの彫刻等が展 現地で制作されることが特徴。国内でのワーク・イ 示され、2階では貨幣コレクションが展示され、美 ン・プログレス例としてはコールマイン田川(福岡 術館と博物館の側面を持ち合わせている。3階、4 県田川市)、ワーク・イン・プログレス豊田(愛知 階もあるがほとんど事務所。 つまり、美術館としては1階のみの淋しい構成で 県豊田市美術館)、直島スタンダード2や越後妻有 した。しかし、この美術史美術館は美術品の収集に トリエンナーレ等がある。東京藝術大学教授などを 経て、現在、フランス国立高等美術学校教授」だそ おいて、世界で最も豊かで優れている Museum の 一つと評価されています。その中でもデューラー、 うです。 レオポルド美術館は、現代美術館ということで、 ルーベンス、ティティアーノの作品や、世界で最大 また西欧の現代美術と称する酷悪を見せられるかと、 のブリューゲルの作品群が中核をなしています。そ 期待はせずに入りましたが、グスタフ・クリムトと の他、ハプスブルク歴代皇帝が収集した財宝・珍品 エゴン・シーレの(再)発見で、大満足です。オラ コレクション、また古典古代・エジプト・オリエン ンダのゴッホと日本のジャポニスムの大河が、ウィ ト部門の多彩なコレクション等、です。 この美術史美術館は、西欧の著名な美術・博物館 ーンのドナウ川に流れ込んだ感じです。風水土でい である、パリのルーヴル美術館、ロンドンの大英博 うと、どうも、水が合うとでもいいましょうか、そ 物館やベルリンのペルガモン博物館とくらべると、 んな美、芸術がウィーンにはあります。 おおきな違いがあります。この美術史美術館の絵画 コレクションの核は、オーストリア、ドイツ、スペ イン、イタリア、ベルギー、オランダの各地ハプス ブルク家の領土において生み出された作品であるこ とです。先の西欧三派美術館・博物館である、ルー

): ( b) 美術史美術館( Kunsthistorisches Museum 美術史美術館はヨーロッパの三大美術館のひとつと いわれています(以下、美術館のパンフレット等か ら)。美術史美術館の様式はネオ・ルネッサンス様 式で、壮麗。建物は主に3フロアから構成され、中

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(フランス)からこのような画家は生まれようもあ りません。 エゴン・シーレ( Egon Schiele ) エゴン・シー レはこれまで、たぶん見たことがなかった(あるい は見逃していた)です。エゴン・シーレ(1890 ~1918年)は、「当時盛んであったグスタフ・ クリムトらのウィーン分離派を初めとして象徴派、 表現主義に影響を受けつつも、独自の絵画を追求し た。強烈な個性を持つ画風に加え、意図的に捻じ曲 げられたポーズの人物画を多数製作し、見る者に直 感的な衝撃を与えるという作風から表現主義の分野 に於いて論じられる場合が多い」 (ウィキペディア) といいます。「意図的に捻じ曲げられたポーズの人 物画」はポラックやフランシス・ベーコンの捻れた 断片化された肉体描写のような感じもしますが、じ つは、浮世絵の服を剥がして肉付けするとこんな感 じになるのではないかという気もします。 エゴン・シーレは人物画だけでなく、風景画にも 優れ、「 setting sun 」などは、まるで日本画です。 ジャポニスム展の刺激で創作意欲に駆られたシー レは精力的に試作を繰り返し、アカデミーの制約を 離れた自由な創作を繰り広げました。人体に関する

研究も単に人体構造を作品に反映させるだけでは飽 き足らず、性の部分などタブー視されていた部分も 作品に取り込もうとしたようです。死や性行為など 倫理的に避けられるテーマをむしろ強調するような 作品を制作していきました。画風ではゴッホに代表 される表現主義の躍動感ある描き方を好み、 特に 「向 日葵」を賞賛しています。自らもゴッホへの賛辞と して同じ構図の向日葵を作品として遺しているほど です。また自らの生年がゴッホの死没年であること に「運命を感じていた」とまで述べています。 シーレは画家としての大きな一歩を踏み出したや さき、スペイン風邪に倒れ、28歳の若さで亡くな ります。シーレの影響を受けた芸術家として、何人 かの作品がここに展示されていましたが、その中の

の名があり、作品が二 1人に Tadashi Kawamata つありました。北海道の三笠市出身で、どう影響を 受けたかは作品からは読み取れませんでしたが、レ オポルド美術館のシーレ展示で同郷人に巡り会えて、 驚きでした。 ウィキペディアによると、「川俣正(1953年 7月24日~)は、北海道三笠市出身の芸術家、造 形作家。作品は日本のみならず、世界各国で展開さ

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芸術の森美術館で「ブリューゲル展 画家一族 15 0年の系譜」を見ましたが、これはブユーゲル一族 のおよそ150年にわたる展覧会でした。同じ絵が ここにもあるので、急いで札幌から運ばれてきた絵 に、また再会したことになります。 ピーテル・ブリューゲルは、ヒエロニムス・ボス ( Hieronymus Bosch 、1450年頃~1516年) に強く影響をうけたといいます。ボスは、ルネッサ ンス期のネーデルランド (フランドール) の画家で、 初期フランドール派に分類されます。ボスはシュル リアリズムを思わせるような幻想的で怪異な作風が 特徴ですが、なぜこのような、西洋画を著しく逸脱 した絵が描かれたかは不明です。スペインのフェリ ペ2世はボスの絵画の熱烈な愛好者であり、マドリ ードに傑作の多くがあるのもそのためです(現在1 0点がプラド美術館蔵:これらは大変素晴らしい作 品でした。これに比べると20世紀のシュルリアリ ズムなぞは珍奇で想像力の貧困すら感じさせます) 。 しかし、ほとんどの作品が16世紀の宗教改革運動 での偶像破壊のあおりを受けて紛失し、現在はわず か30点ほどの作品が残されているのみだそうです。 ヒエロニムス・ボスは悪魔的絵画を描いたその代表

です。 ここオーストリアにおけるハプスブルク家の絵 画・芸術はネーデルランド(フランドール)と強く リンクし、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレを 産み、彼らはゴッホやジャポニスムの影響を率直に 受け入れました。西欧三派美術館・博物館以外のそ の周辺の美術館である、スペインのプラド美術館、 オランダのゴッホ美術館、 オーストリアの美術館で、 非西欧美術・芸術に触れることができました。美術・ 芸術は結局、魂の描写、魂の表出なので、これら非 西欧美術・芸術は、「西欧(西欧三派)とは何か」 を問うときの鍵になるはずである。

6 カルパティア山脈のブナ原生林

ブコビナはカルパティア山脈とドニエストル川に 挟まれた地帯一帯を指す地理名称で、「ブナの国」 の意味で、 北部がウクライナのチェルニウツィー州、 南部がルーマニアのスチャヴァ県及びボトシャニ県 にあたります(ウィキペディア)。2007年、こ の東カルパティア山脈に残るヨーロッパブナの原生

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ヴル美術館、大英博物館、ペルガモン博物館では、 展示品を見ていて気が重くなるのは、植民地帝国主 義の誇示宣伝のために創られているためでしょうか。 これらの西欧三派美術館・博物館の力の誇示、こけ おどし展示、歴史捏造的(ギリシャ一系的)展示、 自国文化の隠蔽 (というか無いからしょうがないか) に比べると、まるでおおらかです。しかも膨大な所 蔵品にしても、ほとんど眠らせている。基本的に地 産(ハプスブルク家)芸術が基盤です。それらは、 プラド美術館、フィレンツェのウフィツィ美術館と 並んで、落ち着きのある美術館にしているのではな いでしょうか。西欧三派美術館・博物館のような、 変な思想とそれによる刺々しさがない。 この美術史美術館の玄関から入ってすぐの大ホー ルに、柱間とアーケード間にクリムトが13枚の壁 画を描いています。美術史美術館は紛れもなく、ハ プスブルクとウィーンの文化を基盤にした美術館で す。 美術史美術館には、次のような名作も多く、展示 規模は小さいですが質が高いことを示しています。 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジ ョ( Michelangelo Merisi da Caravaggio )『ゴ

リアテの首をもつダビデ』

ヨハネス・フェルメール( Johannes Vermeer ) 『絵画芸術』 ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラ

ス ケ ス ( Diego Rodríguez de Silva y )『青いドレスのマルガリータ王女』 Velázquez ジ ュ ゼ ッ ペ ・ ア ル チ ン ボ ル ド ( Giuseppe )『大地』『水』『火』『大気』 Arcimboldo アルチンボルドは、果物や野菜を貼り付けたような 奇怪な人文物画を画いていますが、ここでの所蔵が 多いです。アルチンボルドは、1562年ウィーン にてフェルディナント1世の宮廷画家のとなり、後 にその息子のマクシミリアン2世や孫にあたるルド ルフ2世にも仕えたといいます。 また、この美術史美術館は、ピーテル・ブリュー

ゲル( Pieter Bruegel ( Brueghel ) de Oude 、15 25 (あるいは3)~1569年)の所蔵では世界一だ そうで、さらに、本日から「ブリューゲル展」が開 催されていて、それもあり長蛇の列でした。「ブリ ューゲル展」は中に入ってからさらに2時間待ち。 ピーテル・ブリューゲルは細密画をよく描いていて、 また、戯画も多い。ヨーロッパに来る直前に、札幌

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ナ を意味する語に由来していて、ツェラーンは 人々と書物が生きていた土地 と呼んでいました (平野嘉彦 『ツェラーン もしくは狂気のフローラ』 「

っとも強い影響を与えた詩人ですが、マンデリシュ タームの評論 言葉と文化 には、詩とは時間の深層、 時間の黒土が表面に露わになるように時間を掘り返 す犂 (すき)のことである と書かれています(関口 裕昭『パウル・ツェランとユダヤの傷』(慶應義塾 大学出版会))。ツェラーンもエッセイで「詩は― マンデリシュタームはあるエッセイでそれを犂と呼 んでいます―時間の一番下の層を掘り起こし、『時 間の黒土』 が地表に現れるのです」 と書いています。 パウル・ツェラーンの故郷ブコヴィーナは、ブナの 林とともに肥沃な黒土層が広がっている地域です。 そこは、 桃源郷 に匹敵する理想郷のモデルとなり 得るところで、さしずめ、「ブナ源郷」といってよ いでしょうか。 ツェラーンは、精神を病み、1970年パリのセ ーヌ川で入水自殺をします。 ツェラーンの足跡には、 いたるところで出逢いました。 この 「風水土の旅 で、 ハイデッガーのトートナウベルクの山荘(シュバル ツバルトの中枢といってもよい地点)、フライブル グ大学(フッサールとハイデッガーが在籍)、チュ ービンゲンのフリードリヒ・ヘルダーリン(塔)、 ケルン大聖堂、オランダ東フリースラントの低湿 」

(未来社))。書物( Buch )の語源は、 「ブナ( Buche )」 で、「ブナ」の木版に文字を書いたことに起因する といいます。つまり、「人(々)」と「文字を書い た木版(文化)」と「ブナ(自然)」が、一体とな って生きていた地域で、 美しいブナ林につつまれて、 木の文化をもった心豊かな社会がささやかながら成 立していたでしょう。まるで「ブナ源郷」といって もよいのではないでしょうか。しかし、ツェラーン の「ブナ源郷」は、ずたずたにされ、人も文化も文 字通り切り刻まれていきます。

暗闇となって現れ出て、もう一度、 お前の言葉が 橅 (ぶな)の木の 影を伸ばす葉―芽吹きに向かう。 (暗闇となって現れ出て)「雪の声部」『パ ウル・ツェラン全詩集Ⅱ』(青土社)より ロシア人のマンデリシュタームはツェラーンにも

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林が、ヨーロッパに残る同種の森林の中でも樹齢、 種類の多様さ、木々の大きさ、範囲の広さなどの点 で突出した価値を持つとして、世界遺産(自然遺産) に登録されました(「カルパティア山脈のブナ原生 林」)。スロバキアの4カ所は、ポロニニ国立公園 国立自然保護区)、 とその緩衝地域の保護区( Rook 自然保護区と Vihorlat 景観保護区で、 及び Havešovà ウクライナの5カ所は、カルパティア生物圏保護区 の4カ所とウズハンスキ国立公園です。ところが、 2011年にはドイツ中部・北西部にある15カ所 のブナ林が追加され「カルパティア山脈のブナ原生 林とドイツの古代ブナ林」となり、さらに2017 年に9カ国が追加されて「カルパティア山脈とヨー ロッパ各地の古代及び原生ブナ林」となりました。 世界遺産がどんどん水増しされていきます。ドイ ツの低地にブナは確かに残ってはいますが、ほとん ど混交林で純林はほとんどないです。ドンコロおじ さん的には、登録に値するブナ純原生林は、ロシア を除くと「カルパティア山脈のブナ原生林」くらい しかないでしょう。 ドンコロ一族のホロコースト (特 にシュバルツバルトで)をおこなったドイツが、ど の面下げて「ドイツの古代ブナ林」などと世界遺産

に登録するのですか! これは、歴史の偽装工作と いってもよい!

とはいえ、ドンコロおじさんまだ「カルパティア 山脈のブナ原生林」には行ったことがないのです。 カルパティア山脈はスロバキアでその縁を列車で通 りすぎただけですが、ブナ科樹木を多く見ました。 この「風水土の旅」でカルパティア山脈はぜひ訪れ たかったのですが、果たせませんでした。写真で眺 めるまだ幻の「カルパティア山脈のブナ原生林」で すが、写真で見ただけでも素晴らしい。ま、ドンコ ロおじさんにもまだ夢が残っているということです か。 ドナウ川がシュバルツバルト山地の古代ブナ原生 林からカルパティア山地ブナ原生林地帯を縫うよう に流れていますので、「ドナウ川オークベルト」と 呼んでもよいでしょう。 パウル・ツェラーンの故郷である、ブコヴィーナ

( Bukowina )は、カルパティア山脈とドニエスト ル川に挟まれた地域で、現在のルーマニア北東部か らウクライナ西部とルーマニア北部にかけて広がっ ていました。ブコヴィーナは、スラヴ系の言語で ブ

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男性のレセプション係は、責任をまかされているよ うで、思案していましたが、ホテルに一応メモは残 っているようだし、テラスならこれから席を作れる が、そこで良いかと妥協案を出してきました。一流 レストランとは、そういったトラブル(行き違い) をどう処理するかも、一流レストランの一流たるゆ えんのような気がします。 ワインは迷わずバスク地方の白をお願いして、K 5というワインを選んでくれました。酸味が強くが っしりしたワインで、 料理が泡のように繊細なので、 ペアリング(マリアージュ)は抜群でした。ちなみ に、肉料理の時は、バスク地方の赤ワイン(リオハ )を奨めてくれて、これもがっしりしてい 産, Rioja て、こういうのが好きです。フランスみたいにあま り差がないのをごちゃごちゃ議論して、ごちゃごち ゃ料理にどのごちゃごちゃワインが合うかなど、ド ンコロおじさんには無縁です。(それにしても、高 級フランス料理ほど、記憶に残らん料理もめずらし い。 食べているときには美味いとは思うのですが。 ) 。 このレストランは間違いなくバスク料理レストラ ンです。 ウニ/アスパラガス/白身の鮭(半)/フィレ

肉(半)/デザート盛り合わせ/アップルパイ /コーヒー/ レセプションのウエーターが、帰りに、「サン・ セバスチャンの他のレストランの予約を問い合わせ たら、ここの店の姉妹店に予約が入っているのが分 かった」と告げてくれました。どう行き違いになっ たかを確認しておくというのは、さすがです。おか げで、我々は幸運にありつけましたと、礼をいう。 食事とは、もてなしの一部だということがしみじみ と知りました。

サン・セバスチャンからバスでゲルニカまで行き ました。 バスだと、 田舎の途中風景が見られるので、 初めての国だと良いのですが、乗り方や路線を選ぶ のに苦労します。特に、時刻表がいい加減な場合が 多い。 ゲルニカからタクシーで、旧石器時代の洞窟壁画

のある Santimanie へ。近くのアルタミアの洞窟は 遠く閉鎖されており、こちらにしたのですが、やは り中は見られません(映像で見られましたが)。鍾 乳洞の穴の暮らしと、その環境の感じは分かりまし た。南アフリカでみた旧石器時代の石灰岩質の洞窟

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地・泥炭、アウシュビッツ、入水したセーヌ川等で す。なぜか、ツェラーンが漂流し浮遊し逍遙した地 域は、湿地環境が多いのです。そして、そこはかつ てブナ科樹木の生息地でした。ドンコロおじさんの ころがった軌跡がツェラーンと重なってくるのはこ のせいでしょう。

7 バスク地方のオーク文化 マドリッドからサン・セバスチャンに列車で向か います。乾燥した大地が続く。風力発電が多い。バ スク地方に近づくにつれて、山がちになり、緑が多 くなります。緑が文化圏の線引きをしているのが実 感として感じられます。生態区分図と行政境界図を 重ねてみると、スペインは面白いことが分かりそう です。それこそ、風水土論が地理学的にも成り立っ ているかも知れません。 サン・セバスチャン( san sebastian )はミュッシ ュランの星が、人口当たりで最も多い街として知ら れ、 とりあえず三つ星のレストランが三つあるので、

ここに居る間にそのうち一つでも予約が取れないか、

ホテルに頼みました。 Amara Plaza はよいホテルで すが、コンシェルジュがいるわけでもなく、ほとん ど期待はしてはいなかったです。でも、部屋に電話

で、本日20時30分から、 Martin Berasategui ( Lasarte-Oria 村)の予約が取れたと、連絡が入り ました。半信半疑で、ホテルカウンターで、レスト ランの名前を再確認。予約を取ってくれた女性の方 はいなかったのですが、メモを確認してくれて、間 違いなしというので、タクシーで隣村のレストラン へ。

途中の Araia あたりは石灰の山で、その裾にオー クの黒い森がひろがっています。ここは、オークの ドングリで良い生ハムができるに違いないですが、

土地は極めて貧弱です。 Lasarte-Oria 村の雰囲気も 良く、レストランの外観も瀟洒で、素晴らしい。

ところが、 Martin Berasategui のレセプションに 行くと、予約が無いという。おおー、なんというこ とだ。ホテルに電話を掛けてくれて、確認するが、 一応メモではそうなっているようなことをいってい るようでした。女性のレセプション係は、今日頼ん で席が取れるなどあり得ないと憮然としています。

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オハ( Rioja )とナバーラ( Navarra )が有名で、世 界的評価も高いです。バスク地方はハモン・デ・ベ ジョータとワインのペアリング(マリアージュ)を 徹底的に追求してきたのではないか、そんな、筋肉 質の食の堅牢な文化を味わうことができます。ここ には、風水土に沿った、真のテロワール(地味)が 存在する。 帰国後、港千尋『ヴォイドへの旅 空虚の創造力に ついて』(青土社)を読んでいると、サン・セバス チャン生まれのバスク人で、彫刻家エドゥアルド・ 、 チリーダ・ファンテギ ( Eduardo Chillida Juantegui 、1924~2 または Eduardo Txillida Juantegi 002年)の話が出てきました。チリーダはジャコ メッティやブランクーシらと並ぶ近代彫刻の巨匠と いわれています。港千尋は、あらゆる場所にヴォイ ド=空虚がぽっかりと存在するとし、「なにもない 空間」を求める旅の一つとして、チリーダをとりあ げ、サン・セバスチャン近郊の海岸の絶壁にあるオ ブジェにヴォイド=空虚をみます。また、サン・セ バスチャンの近郊のエルナニにチリーダ=レク美術 館があり、12ヘクタールの敷地に400点の彫刻

と300点以上のエッチングなどが展示されている といいます。 ここは見逃してしまって残念でしたが、 また、 ドンコロがころがっていく口実でもあります。 でも、バスクを体験したので、港千尋の「ヴォイド =空虚」論が、深く染み込んできたのです。 ちなみに、港千尋の「ヴォイド=空虚」論をドン コロ塾で復習してみましょう。「心」をめぐる慣用 的な表現は、「気持ち」に置き換えることができ、 「心」は身体の他の部分と同じように容器のような ものといいます。たとえば「うつろ」という語では、 器が精神的な働きを表現する際の前提になっており、 「目が虚ろ」は、目が意識の状態を表します。ある いは「心を入れ替える」「心が折れそうになる」「心 が凹む」などは、「心」がその中に何かを入れたり 出したりできる容器のようなものであることを示唆 するといいます。また、「心」(「気持ち」)を「胸」 や 腹」に置き換えて表現することも多く、 胸」は いっぱいになり、 腹」は 腹に据えかね 、 腹に収 つまり、 内蔵を含む表現には、 め 、腹を割り ます。 総じて心が容器として働くことが暗黙の了解となっ ていると指摘します。学術的にも、心をメタファー によって表現する「容器モデル」 (M・ジョンソン、 「

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「 」

「 「 」


環境とも似ていて、興味深かったです。この海岸沿 いのバスク地方には旧石器人が住んでいた洞窟跡が 多く、海の幸、山の幸となにより水に恵まれていた のではないでしょうか。スペインとはいえ、西海岸 沿いのバスク地方は、雨量も多く、湿潤で、したが って森林がよく発達していた。この森林はオークを にもオーク 主体としていたはずです。 Santimanie の木が多く生えていました。 ゲルニカ( Gernika )では、市庁舎のオークを見 にいきました。 バスク議事堂の横にあるオークの 「ゲ ルニカの樹」です。この「ゲルニカの樹」は、古く から(初代は14世紀~1742年)ビスカヤ地方 の自治の象徴で、今ではバスク地方全体の自治の象 徴ともなっています。現在見ることができるのは4 代目(1986年~)のゲルニカの樹です。 中世には、ビスカヤ地方の村々の代表者が地元に あるオークの大木の下で集会を行い、ビスカヤ領主 はこの木の下でビスカヤの特権の尊重を誓い、18 39年までは、この誓いなしには領主として認めら れなかったといいます。1930年代後半のスペイ ン内戦では、ゲルニカはフランコ将軍の援助を受け たドイツ軍により空爆され、町は瓦礫の山と化しま

したが、バスク議事堂の建物とゲルニカの樹(3代 目で1858年~2004年)のみは無事だったと いいます。2代目の「ゲルニカの樹」(1742年 ~1892年)は、バスク議事堂の敷地にある金色 の聖堂に囲われて保存されています。 オークの樹は、ケルト文化の象徴ですので、バス ク民族はケルトとの繋がりが深いのでしょうか。

帰りにサン・セバスチャンのスパーでスイカやジ

ュースを買い、イベリコ豚( Cerdo Ibérico )のデ・ ベジョータハモンを売っていたので、思わずこれも 買ってしまいました。イベリコ豚は黒い脚と爪をも

つ傾向があり、「黒い脚( pata negra )」ともいわ ) れています。ハモン・イベリコ( Jamón Ibérico はイベリコ豚の生ハム。白豚から作られるのはハモ ン・セラーノ。 ハモン・デ・ベジョータを買うと、なんとおまけ

に NAVARRA 地方のローゼ ARAIZ が1本サービ スに付きました。安ワインかと思いきや、

地方の有名なローゼでした。ローゼで NAVARRA すが、やはり酸味がいきとどいて腰がしっかりして います。ちなみに、バスク地方のワイン産地で、リ

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なっています。ケルトといえばオーク信仰で、した がって豊かなオーク森林が広がっている、といった 三段論法的連想が湧きます。 まず下調べで、アイルランド国立美術館へ。貧弱 な美術館で、 ヨーロッパの絵画が多少有ある程度で、 西欧三派の美術館と同じペースで廻ると、30分も かからずに見終わってしまいます。アイルランド人 の絵画が見たいのですが、ほとんど無し。アイルラ ンドでは、美術は全くダメらしいです。文学では抜 きん出ているので、ちょっと不思議な気がします。 1650年のオリバー・クロムウェルのアイルラ ンド征服後、アイルランドはイギリス王国の支配を 強く受け文学も衰退しますが、19世紀に入るとケ ルト文学の復興が行われ、ケルト色の強い詩人や小 説家が多く登場しました。この時代の代表人物は、 ノーベル文学賞作家ジョージ・バーナード・ショー やウィリアム・バトラー・イェイツです。この時代 に、アイルランドの古い伝承や民話集を編纂する作 業も行われ多くの本が出版されています。ケルトが 多少復活したのは、たかだか19世紀に入ってから で、異教ケルトはキリスト教に完全制圧され、その ケルト文化の実体もほとんど消滅してしまったとい

って良いでしょう。少なくとも部外者がケルト形 象・心象として感じられるモノは全くありません。

早めの晩餐を1873年創業アデェビー・バーン

で。ケルト文化は、「ピンチョス ズ Davy Byrne's に宿るという」バスク地方の教訓により、J・ジョ イスもよく通っていたという老舗のバー(パブ)に 行きます。パンケーキのボクスティに肉を挟んだ料 理がうまいです。ここはギネスビールで。料理より もビールを飲む人たちでたまわっており、会話が弾 んでいる。J・ジョイスの小説は、居酒屋で生まれ たのではないかと思わせるようなゴシップで溢れて いますが、どうもこの「居酒屋 文化がケルトスピリ ッツかとも思えるほどです。バスク地方の「ピンチ ョス」文化とアイルランドの「バー」文化に、ケル トの残り香を聞きます。 」

IPS(国際泥炭地学会)の会議に出るため、

Dublinか ら Tulareへ 。 晩 餐 会 は 街 の 郊 外 の で。 ゴシック様式といいますが、 Charleville Castle 入口にその様式らしき小さな古びた尖塔(どこがゴ シック様式か分からぬ) が2基おかれているだけで、

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」 「

J・レイコフ)、 包含関係図式」 (ビオン)があり、 認知や精神分析でも、 物理的な形をもたない 心の働 き」が、人間の精神では空間化されていることが示 唆されます。港千尋はこの物理的に何もない 心 の 空間(容器)をヴォイド=空虚(「なにもない空間」) と考え、現代芸術のヴォイドへの旅にでます。後に 出てくる、魔薬文化としての「スピードボール」系 の現代芸術とは、対極の現代芸術が 心 の空間(容 器)をもったヴォイド=空虚性の芸術と思います。 「スピードボール」系現代芸術のような、分解的バ ラバラ芸術ではなく、ヴォイド=空虚性芸術では、 全体が 心 の空間(容器)をなぞっているような心 のバランス芸術とでもいいましょうか。 」 「

」 「

翌日、旧市街のピンチョス店 Gambara のカウン ターで立ち飲み食い。すごい熱気。 チャングロー蟹のタルト/鱈の子タルト/黒 イカスミ/キノコ炒め盛り合わせ/キュウリ のピクルス/イベリコ豚ハムのサンドイッチ /マグロのセビーチェにバスクのワインで乾 杯。でも、なぜかビールも美味い。 大声で、陽気でよい。この辺りは比較的狭い店が多

く、この微妙な親近感を持つ距離が、バスクでは重 要なのか。 旧市街では、多くのレストラン、ピンチョス店で 人が溢れ、なんとも陽気で愉快です。スペイン語で 気楽に話しかけてくるのも良い。このピンチョス通 りは狭く、店も広くないので、ほとんど通りがまさ に、「ピンチョス居酒屋」と化しています。 すでに冷気が支配し始めていますが、街角はただ ならぬピンチョス文化の熱気に包まれています。

で魔女を飾っているところもあり、バスクとい Bar うか、ケルトというか、古層文化がところどころ垣 間見られます。ここが、つい最近まで、爆弾闘争を 繰り広げていた地域とはとても思えません。バスク 人は、身を挺して文化を守ろうとしたのでしょう。 バスク地方にはフランコによるゲルニカの悲劇もあ った。ドンコロ的には、オークの文化を身を挺して 守ってきた地域ということになります。

8 ダブリンのテンプル酒場

アイルランドといえば、ケルトの地ということに

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翌日、朝6時におきて、少し遠いですが散歩がて ら昨晩の King Oak を見に行きます。朝日を幹に浴 びて、美しい。その容姿は岡本太郎の造形に似てい るので、 オーク界の岡本太郎と呼ぶことにしました。 つまり、「オーク太郎」(写真)。 「オーク太郎」を起点として、両脇が牧草地で中 心に保全森林があります。この保全森林には、オー クの大木が多く、オークが森を支配しています。オ ークの純林ではないですがオークの森といって良い です。ここがヨーロッパで、初めて出遭ったオーク の森です。7年前です。 このオークの森に踏み入ると、森の中は真っ暗で す。熱帯のジャングルでもこんなに暗くない。オー クの横に張った枝葉が光りを遮っているのです。こ れは、ヘンデルとグレーテルの森ではないですか。 暗闇に、オークの巨木がコケなぞもむして、ボーッ と立っていて、まるで老いた巨人のような身振りで す。 翌々日、再度、朝6時におきて、散歩がてらオー ク太郎 King Oak を見にいきました。幹に手のひら をあてて、少しパワーをわけもらいます。

I PS の 会 議を 終 え て 、 列 車で から Tulare へ。 車窓をボーッとうつらうつらと眺めるが、 Dublin ほとんど泥炭地で、ほんとに貧相な植生で、貧しさ が滲みだしているような風景です。

夜8時頃レポートを仕上げ、ホテルから歩いて、

街に向かいます。途中、 The Tree of Gol Temple Bar ( Crann an Óir )( Éamonn O'Doherty 作、199 1年)が広場のシンボルとしてあり、EUの一員に なったのを記念してつくられたとプレートにありま す。この黄金の葉で被われた地球の造形は、興味ぶ かいものです。木の葉がオークではないのは残念で すが、樹木が融和・統合のシンボルとして使われて いるのです。西欧ではこういった造形からも、樹木 モチーフは排除されてきていたので、ドンコロおじ さんにとっては新鮮な驚きでした。

以前、アイルランドの西海岸のゴールウェイを訪 ねたことがあります。物の本によると、ケルト文化 が色濃く残り、また、牡蠣でも有名とあります。な にせ、世界中の牡蠣の早剥き職人が大集合した「ゴ ールウェイ国際オイスターフェスティバル」が開催

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後は近代的城の作りです。しかし、 Charleville は自然保全地域になっていて、その入口に大 Castle きなオークの木があるのをバスから見つけました。 晩餐会で、音楽を聴いて、ビールとワインを飲ん で、ピートを焚いた暖炉でくつろいで、眠くなって きたし、談笑に加わるのもおっくうで、密かに抜け だし、巨大オークを見に行きました。大木ですが横 に枝を張った、独特のオークの容姿です。樹の向こ うは放牧地で、牛が草をはんでいて、夜9時近い白 夜の夕暮れ時でした。

ネット情報によると、 Tulare ではこのオークの樹 とよばれ、2013年の the は、 the King Oak tree に選ばれているそうで European Tree of the Year が出してい す。この地域の Offaly Country Council るガイドブックによると、この樹は Quercus robur で、樹齢400~900年で、幹まわりが7・9メ ートル、枝の広がりが23メートル(歩幅で測った ところ37メートル)で、アイルランドで最大の樹 とのことです。1963年5月に落雷があり、恐ら くこのために上に伸びずに横に枝が伸びて、不思議 な樹形となったのでしょう。ちなみにここはやや乾 いた泥炭地です。

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と "natural Oysters with red and bread crumb" onion & fresh horseradish vinaigrette and をそれぞれ半ダース頼む。美味 McCloskey's bread" い。ちなみに、牡蠣にはアイリッシュウイスキーが よく合う。 まわりは談笑の渦で、これがアイルランドのバッ クミュージック(フロントミュージックか)です。 おお、これこれ、これがJ・ジョイスの世界(本人 は静寂を好んだといいますが) か、 ケルトの世界か。 妖精達が喋りまくる、踊りまくる(妖精は踵をすり 減らす程におどる)、そんな雰囲気。 夜10時にIPSの仲間夫婦と、 Temple Bar で 落ち合う。ここは、この界隈では一番人気で、めち ゃくちゃ混んでいて、1人では怖じ気づいてしまう ほどです。 Temple Bar といっても酒場通りのこと で、サン・セバスチャンのピンチョス居酒屋通りみ たいなもの。 というか、 全く同じ感覚で、 Temple Bar 通り全体がバーと化している。バグパイプは妖精の 踊り用なのでは。ギターとバンジョウのアイルラン ドのカントリーソングが騒音を更に高める。ああ、 ここはブルーグラスの本場なんだ。酔う程に、妖精 の国に紛れ込んだ感じがしてくる。

通りに溢れる。 Temple Bar

ケルトなんて、 こころの中にあるだけだ。 だから、 美術は必要ない(あってもよいが)。静的な干物と 化した絵画は嘘くさい。こころは小説で描くだけ。 それは、酔っ払いの小説にしかすぎない(失礼)が、 だから奥が深い(ノーベル文学賞までとったものも いる)。こころは生きている、それだけだ、と酔っ 払い 「哲学」 者の群れが

( 1) ゴシック建築 ( a) ダブリン聖パトリック大聖堂:アイルランド国教会 で1191年完成のゴシック建築。大聖堂であるに もかかわらず主教座がこの教会には存在せず、ダブ リン大主教の主教座はクライストチャーチ大聖堂に あります。 古い教会のはずですが、 石組みも新しく、 ゴシック建築ではあるのでしょうが、ドングリマナ コには、ゴシック様式のかけらも認められません。 キリストの偶像もなく、なんとなくスウェーデンの 教会と似ている感じです。 ( b) クライストチャーチ大聖堂:ダブリンのクライス 10 トチャーチ大聖堂 は聖三位一体大聖堂といい、 38年完成のゴシック建築です。聖パトリック大聖

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される地なのです。牡蠣三昧と意気込んで行ったも のの、まず牡蠣専門のレストランがありません。ド ンコロおじさん、怒り心頭で観光案内所にいき、ど うしてくれると息巻きますが、ゴールウェイの牡蠣 は世界中に輸出され、ここにはあっても良い物はな いと一蹴されました。たしかに、東京の牡蠣バーで ゴールウェイの牡蠣が食べられるよな。うーん、便 利だけれど空しい。ゴールウェイの牡蠣は、すくな くともゴールウェイでも啜れるようでないといけな い。急に、東京の高級牡蠣バーで産地表示保証金権 資本主義御用達超新鮮的愛蘭島西端牡蠣を食わされ ている感じがしてきた(椎名誠調ですいません)。 これからは、せめて日本産だけにしよう。 ゴ ー ル ウ ェ イ 湾 か ら 、 ア ラ ン 諸 島 ( Oileáin )に渡ることができます。岩盤でできたこの Árann 島では、土が風で飛ばされないように畑を石垣で囲 み、岩盤を槌で砕き海藻と粘土を敷き詰めて土をつ くってまで農業を行っています。いわば有機農業に より、土壌を作っている珍しいところで、実際に見 てみたかったのですが時間がなく断念。アイラ島は ウィスキーも有名で、ちょっと磯の香りします。バ レイショと羊毛の島。手編みのアランセーター(フ

ィッシャーマンセーター)が有名ですが、岩垣を模 したというアラン模様で、特にケルト文化とは関係 ないようです。 ケルトの痕跡を求めて、ゴールウェイ市の博物館 に行ってみましたが、 小さく、 展示もほとんどなく、 訳の分からん展示法で、失望。古代の石器、土器は 少々あるにはありますが、次いでケルト人文化の頃 には土器にまじって、ごく少数の金属製品が出てく るだけでが、その後は、一気に中世にジャンプし、 さらに、現代にジャンプするといった具合です。文 化が、ホップ、ステップ、ジャンプといった感じで, 連続性が全く感じられない(これは、ダブリンの博 物館でも美術館でも全く同じ) 。 アイルランドでは、 世間でいうケルト人文化って、本当に存在したので しょうか。 それで前振りが長くなりましたけど、せめてダブ リンでオイスターをと決心していたのです。ネット

でオイスターが食べられる、バーを探すと The ( 16-18 Parliament Porterhouse Temple Bar 街の外れで Street Dublin)2があり、 Temple Bar すが、混んでいました。大きな Carlingford Oysters の "Oysters baked with smoked Salmon butter

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があるはずもない。 (b)

( ロ ッ ホ ク ルー 墳 丘 墓 ) :

b m o T w e r c h g u o L

は、新石器時代(3500~33 Loughcrew Tomb 00BC)では、ヨーロッパ最大規模の墳丘墓で、 横穴式石室に似た墓道付き石室を大量の積石でおお っています。吉野ヶ里遺跡の環状濠に似た二重の濠 があり、墳墓は石を盛ったお椀状で、弥生文化圏か しらと錯覚させられます。 吉野ヶ里遺跡のイメージはススキヶ原で、ロッホ クルーはエリカヶ原です。ロッホクルーでは周りに ブナ科樹木が茂っており、生産性の極めて低い泥炭 地でも、秋にはドングリの恵みがあったでしょう。 また、草地は動物にとって炭水化物供給源で動物蛋 白質の生産地でもあります。ケルトの丘と弥生(む しろ縄文)の丘は、食糧生産生態としては似ていた はずです。こういう人の関与した食糧生産生態系で は、自然と人の微妙なバランスの維持が重要であっ たはずです。自然のシグナルが精霊から発せられ、 それを感じ取ったその感性がアニミズムとして自然 崇拝へと昇華してきたのでしょう。それは感じるも ので、描くものではない。こういう生態系で一神教 を奉じていたら、瞬く間に自然は壊れ、社会は瓦解

するはずです。微妙な調整がきかない。

とすると、一神教は、人 自-然バランスがすでに壊 れているところにしかなりたたない。 さらに言うと、

一神教には、人 自-然バランスを壊したくなる衝動が 潜んでいる。「神」が「人」に「自然」を与えたと いうのは、後付の論理です。

第2章 ドンコロ探偵団の西欧中世コードの 解読

西欧中世は、暗黒時代であったとも、次期世紀の 躍進を準備したとも、一見矛盾する評価で入り乱れ ています。こんな西欧中世をドンコロおじさんが理 解できるはずがありませんが、でも西欧を転がって いると、地面からうめきが伝わってくるのです。西 欧のドンコロ一族にとっては、まさに暗黒時代だっ たようです。ドンコロおじさんからみると、西洋中

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堂と同様、真新しい感じで、とてもゴシック建築と は思えません。 (2)アイルランド国立考古学・歴史博物館( The National Museum of Ireland, Kildare Street ( Archaeology )) この博物館は小さく、展示のコンセプトが理解で きず、順路もいい加減で、何度も行ったり来たりし なければならずでよく分からない。 ケルトの展示もありますが、縄文だとか、マヤだ とか、アフリカだとかの古代の躍動するような造形 物はケルト文化では見当たりません。土器も、木の 彫刻もまるで単純で、ケルト文化は妖精の飛び回る 想像力豊かな文化と想像していましたが、表象され た物は、 単純で淡泊で、 見るべきものはありません。 ケルト文化と称した、渦巻きとかの表象はあります が、これは世界中の古代に何処でも見られるので、 とりたてて取り上げるほどのこともないです。 ( 3) ケルト遺跡巡り a r a T f o l i H

( Teamhair na 、 ( a) Ríタラの丘):タ ラの丘は、アイルランドにおける伝説上の王たちの

国が存在した地として知られています。伝説ではケ ルト族よりも前にアイルランドに住んで いた

がタラの丘を住居としていた Tuatha Dé Danann とされ、最近の研究から遺跡の一部が5000年ほ ど前の新石器時代のものであることが分かってきて います。丘の頂には、周囲長が1000メートルほ

) 」 ) どある鉄器時代の要塞跡 ( 「王の砦 ( Ráith na Rig が残されています。円形要塞の北には「捕虜の墓

( Dumha na nGiall )」と呼ばれる新石器時代の古 墳があり、ここの通路には毎年11月8日と2月4 日に日光が差し込むよう設計されており、これはケ ルトの祭日と一致するそうです。19世紀にはダニ エル・オコンネルがタラの丘でアイルランド自治を 訴える演説会を開き、この集会には100万人もの アイルランド人が集まったと記録されています。な お、映画『風と共に去りぬ』で主人公のスカーレッ ト・オハラの住む「タラ」の名はこの丘に由来する といいます(ウィキペディアを一部参考)。 タラの丘はケルトというよりは、新石器時代の丘 で、ここは丘でも泥炭地なのでエリカの花が咲き乱 れて美しいだけです。辺境のケルト族は、ぎりぎり 生きぬくの精一杯で、現代人が期待するような文化

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て今日ロマネスクの名で呼ばれる素朴な教会堂が南 フランス地域を中心とする地域に一斉に出現したと いいます。また、ロマネスク寺院は、(1)木造天 井に替えて石造天井を架し、(2)浮彫りが復活し て、壁面や柱頭が浮彫の彫刻で飾られた特徴がある といいます。つまり、キリスト教美術から彫刻は排 除されていたのが、ロマネスク寺院に彫刻が突然出 現したというのです。 田中仁彦は、キリスト教美術から彫刻が消滅して しまったのは、モーセの十戒にその起源をもつと推 察します。 唯一にして絶対的なユダヤ・キリスト教の超 越的な神は、人間や動物の姿をとって現れるそ れまでの多神教の神々とはまったくその本性 を異にしていた。「あなたはわたしの顔を見る ことはできない。人はわたしを見て、なお生き てることはできないからである」(『出エジプ ト記』三三・二〇)と言うこの神は、人間の想 像力が作り出すいかなる神の似姿をも、彼の尊 厳に対する重大な冒涜とみなすのだ。なぜなら、 なんであれ人間が作った像を崇拝するものは、 人間の見ることのできないこの神以外のもの

に仕えていることになるのであり、「あなたは わたしをおいてほかに神があってはならない」 (同二〇・三)という「十戒」の第一の掟に背 いているのだからである。それ故にこそ、この 神は「いかなるものの形も造ってはならない」 (同二〇・Ⅳ)と強くモーセに命じたのだ。 ユダヤ教やイスラム教ではこの教えを厳格に守っ ていますが、キリスト教では、「神の立体的な像」 にかぎってのみ偶像を厳禁したと理解し、絵画や刻 像や鋳像で神を描いても、それは神への冒涜とは考 えないようにしたようです。また、立体的な像は、 古代魔術で使用され、怪力乱神の悪しき霊の棲家と 考えられていました。 そうすると、ロマネスク寺院が建造され始めた十 世紀末に作られた黒マリア像の立体的彫刻は異教中 の異教の像ということになるでしょう。 ロマネスクの浮彫芸術が出現する以前のキ リスト教美術が、マールがシリヤ的と呼ぶ抽象 的装飾的芸術によって支配されていたことは まぎれもない事実である。南フランスに残る数 少ないロマネスク以前の教会堂においてもそ れは同じであり、 (中略)浅く彫られた植物文

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世は、土着の多神教的神々とローマカトリック教会 との血みどろの抗争が繰り広げられた、暗黒と血の 織りなすターペストリーです。 ドンコロ探偵団が、そのターペストリーに織り込 まれた、西欧中世のコード(暗号)の上をころがり ました。

1 黒マリアのコード ドンコロ探偵団の調査によりますと、血塗られた 中世のターペストリー(歴史)は、ロマネスク様式 から始まりました。まず、その無気味な前兆は、ガ リア(現在のフランスとその周辺地域の古名でケル ト人)の地域にだけかぎって存在する、黒い聖母子 象である黒マリア像の出現から始まります。田中仁 彦『黒マリアの謎』(岩波書店)によると、黒マリ ア像とは、黒という異様な色をまとった高さ50セ ンチから80センチほどの小さな木彫り像です。黒 マリア像の分布は、ピレネー山脈東部、中央山塊(マ シフ・サントラル)のオーヴェルニュ州、プロバン ス地方の山間部の3カ所に集中しており、黒マリア

像は山間僻隅の地と深いつながりを示しています。 このことから、黒マリア像は、森林との結びつき が強いと思われます。また、ガリア人とは、ローマ 人のいうガリア人、つまり現在のフランスとその周 辺地域に住んでいたケルト人のことです。黒マリア 像とはケルト人の多神教的信仰のシンボル的存在で ある可能性が高いわけです。つまり、西欧ドンコロ 一族と関係が深いのではなかろうかと思われます。 土着信仰の強い森林地域から黒マリア像が突然出て きて、ロマネスク様式の教会堂が一斉に建てられた ということは、森林の大伐採による、地域の伝統的 文化(ケルト文化)、その住民の生活を一斉に破壊 したことを示しています。これは、海洋覇権のため に、木造船の建設とリンクした話で、極々初期の略 奪型資本主義の芽生えを暗示します。ローマカトリ ック教会が「自然」とケルト的文化の破壊システム を構築した証が、黒マリア像の出現とドンコロ探偵 団は考えます。

田中仁彦によると、10世紀末のガリアは、ノル マン海賊やライン川を越えて侵入してくる草原の騎 馬民族の波がピタリと止まり、静けさが訪れ、そし

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す。ユダヤ・キリスト教では偶像崇拝はタブー中の タブーですので、異教の 黒マリア」を 白い黒マリ ア」にして晒したのです。これは、 グリーンマン と同じ機構です。「キリストの聖母マリア」なら、 この寒々としたシャルトルのノートル・ダム寺院の 外に晒すなどありえません。 そして、おそらく、シャルトルのノートル・ダム 「

寺院の異教弾圧機能が失われた 完(遂された)とき、 「タンパンの異教の聖母」を「キリストの聖母」に、 話を作り変えたのでしょう。 黒マリアの起源を田中仁彦は、古代地中海世界を 席巻していたイシスに求めます。 プルタルコスが 『イ シスとオシリス』を書き、アプレイウスが『黄金の 、ば 、』を書いたエジプト王朝時代最後のプトレマイ ろ オス朝には、イシスがキュベレを凌ぐ普遍的大地母 神にまで成長していたことを示すものだからと述べ ます。 イシスもしばしば黒い色をもって表象され るし、息子ホルスを膝の中央に抱き威儀を正し て台座に座しているその姿は、頭上の日輪と三

日月の表彰を取り去るならば、黒マリアとほと んど見わけがつかなくなるのである。それに、 「神の母」、「われらが女主人(ノートル・ダ ム)」、「汚れなき乙女」、「明けの明星」、 「海の星」といった呼称も、また、月、星、穂 麦、蛇といった聖母をとりまく象徴も、みなイ シスにも共通して用いられたものであり、もし かしたら民衆の聖母崇拝はこれをイシス信仰 から引き継いだものではないかとさえ疑わせ るのだ。

南フランスのロマネスク様式の教会は、おそらく この南フランス地帯の森林の消滅と共に、北フラン スの森林地帯のゴシック様式の教会へとその勢力を 移します(以下、田中仁彦によります)。 果てしなくひろがるボース平野の中心にた だひとつ聳え立つシャルトルの丘は、かつてド ルイド教の重要な聖地だった所であり、そこに は満月の晩に四方から集ってきたドルイドた ちが集会を開いた「強き者の泉」とよばれる聖 なる泉があって、その傍に、「生み出す処女

)」という文字が台座に刻ま ( Virgo paritura

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様や組紐文様ぐらいしか見られないのが普通 だったのである。旧約や新約の説話を視覚化し たロマネスクの浮彫芸術は、このような状況の 中に突然出現したのだ。それはマールの言うよ うにまさしく「歴史の中でも最も謎にみちた事 件の一つ」と言うほかはないのである。 黒マリアの実体はおそらく異教の母子像で ある。 (中略)教会の壁面にはじめて独立した 聖母子の姿が現れたのは、ロマネスクからゴシ ックへの移行期にあたる一一五〇年頃、シャル トルのノートル・ダム寺院西正面「王の門」の タンパンにおいてであって、それ以前のロマネ スク時代には、正統的な教会の図像としては独 立した聖母子が描かれることは決してなかっ たのである。(中略) 「母なるもの」の姿を求める民衆の願望は、 ついに、それまで三位一体の蔭にひっそりと隠 れていた聖母をタンパンの高みにまで押し上 げてしまったのだ。それはロマネスク・キリス ト教がその宗教感情の深部において大きな地 殻変動を起こしはじめたことを示すものに他 ならない。

「宗教感情の深部において大きな地殻変動を起こし はじめた」とありますが、それはなにかというと、 状況から推して 森林の大伐採」と ケルト・ゲルマ ンの神々の粛清」です。それは、また長く異教徒の 地に沈潜していた黒マリア像を白日の下に晒すこと になり、地母神信仰が止めどもなく溢れだし、偶像 崇拝の禁令をも破っていくほどのインパクトを与え たということでしょう。 ロマネスク・キリスト教会側からすると、いまま の全面解禁 で押さえられていた 自然に対する欲望」 です。 それによって、 膨大な富が転がり込んできた。 「

、会 、に変 ローマカトリック教会がローマカトリック協 貌した瞬間です。

シャルトルのノートル・ダム寺院は、ゴチック建 築です。グリーンマンの首が置かれている寺院です (外観からは既に見えない)。黒マリアは異教の聖 母で、しかも立体像は、モーセの十戒に触れる、タ ブー中のタブーです。ドンコロ探偵団は、「タンパ ンの白い聖母」は異教の「聖母」と理解します。つ まり、「タンパンの白い聖母」は 白い黒マリア」で

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(奴隷)供給、といった一連の流れを、ドンコロ探 ンス‐(ノートル・ダム・ド・レピーヌ)‐(パリ) 偵団は、「初期資本主義の胎動」と見破りました。 ‐(エタンブル)をつなぐと表れます。ノートル・ ダム・ド・レピーヌ(トゲの聖母)は乙女座の主星 スピーカの位置に対応しますが、ランスのノート ル・ダム大寺院から約10キロほどの小さな村にノ 2 テンプル騎士団のコード ートル・ダム・ド・レピーヌ(トゲの聖母)と呼ば 田中仁彦は北フランスの大都市の中心に次つぎに れる教会があり、この寒村にはおよそふさわしくな ゴシック大寺院が建っていったことの背景は謎に包 いような立派な教会が建っているといいます。この まれているといいます。 乙女座形領内は、森林資源を囲い込んだ領地みたい まず第一に、これらの大寺院はほとんど一斉 なものと、ドンコロ探偵団は考えますが、この乙女 に建築がはじめられているということである。 座形領地を支配していたのは、 さらに謎を深める 「神 殿(テンプル)騎士団」です。 (中略) ほとんど一斉に工事が始まっているという さらに、中世の謎中の謎、テンプル騎士団につい ことは、その裏になんらかの計画が存在したこ て、佐藤賢一の『テンプル騎士団』(集英社新書) とを想像させずにはおかない。この想像を裏付 によって、ドンコロ塾で勉強しましょう[ ]内はド ンコロコメントです。 けるように思えるのは、これらの寺院の中のノ ートル・ダムを名乗る大寺院をつないでみると、 (1)テンプル街道 聖母の星座である乙女座とまったく同じ形に テンプル騎士団の支部をつなぐネットワー なるという奇妙な事実である。 この厖大な資金を提供したのは何者か? 「乙女 クは、単に地域を押さえただけではなかった。 座とまったく同じ形」とは、シャルトル‐エヴルー 通じて、まずは水運を押さえた。例えば、東方 ‐バイユー‐(ルアーン)‐アミン‐(ラン)‐ラ 行きの船が出るので、テンプル騎士団にとって

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れた黒い母神像が祀られていたことが知られ ている。 (中略)はっきりしていることは、や がてキリスト教時代が訪れた時、ドルイド教に 対するキリスト教の勝利を誇示するかのよう にこのドルイド教の聖なる泉の上に建てられ たシャルトルの大聖堂は、この泉を「殉教者の 泉」と名前を変えてその地下に温存するととも に、この母神像を黒マリアとして地下祭室に祀 ったということである。(中略) ドルイドたちが祭儀を行ったのはこうした 聖 な る 場 所 に お い て で あ っ た 。 聖 な る 場所 ( nemeton )とは語源的には天の光のさし込む 森の中の空地を意味するものであったらしい が、中でもとりわけ、その中央に孤立した樫の 木が聳えているような所は特別に重要な聖地 であったようであり、プリニウスはその『博物 誌』の第十四部九五章で、「彼らはこの樫の木 の葉陰においてしか供犠を行わなかった」と彼 の見聞を語っている。大地に深く根を張り天に 向かってまっすぐに伸びる樫の木は、まさしく 天と地を結びつけるものと考えられていたの だろう。

北フランスのシャルトルの大聖堂は、黒い母神像 (地母神)の、そしてドルイド教(たぶん、地母神 系とは別)の制圧の象徴として建てられたと推察さ れます。 (田中仁彦は、ゴシックの聖母崇敬時代に、 黒マリア信仰とゴシック信仰との忘れられた深い関 係のよりを戻したと述べていますが、ゴシック信仰 はむしろ徹底的な土着信仰の弾圧を進めたと、ドン コロ探偵団は考えます)。 10世紀のロマネスクが農村に基盤を置いていた のに対し、ゴシック文化の主たる担い手は、12世 紀の中頃から急速に発展をはじめた都市の住民だっ たということですが、ゴシック文化ではローマカト リック教会支配の都市が、周辺の森林を支配下にお いて、大破壊を進めたという、まさに初期資本主義 の胎動を示しています。 つまり、(1)ローマカトリック教会による、古 代ケルト・ゲルマンの森林の民の異教化・悪魔化、 (2)異教徒の制圧のシンボルとしてのロマネスク 教会やゴチック教会の建築、(3)キリスト教会の

、会 、への変質、(4)資本主義への駆動力 キリスト協

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形をしていることから、現在ブルーバナナ( Blue 、「青いバナナ」で「青」は伝統的にヨー Banana ロッパを示す色)と呼ばれています。このブルーバ ナナ地帯は、古代には深い森があり、16世紀に急 激に伐採がすすんだ共通の地域でもあります。つま り、ブルーバナナベルトは、ギリシャ・ローマの神々 がローマを追われ、 北イタリアからアルプスを越え、 シュバルツバルトを経て、ライン河口にまで追われ て泥炭・低湿地に潜みつつ、さらにイギリスの泥炭・ 低湿地にまで逃れてきルートに重なります。

ブルーバナナと呼ばれている地域があります。こ れは、グーテンベルクの活版印刷技術が、ライン川 沿いに広がり、アルプスを越えて北イタリア、さら に海を越えてイギリス(北西イングランド)にも到 達し、この活版印刷技術の拡散ルートは、バナナの

ドンコロ探偵団としては、十字軍の終焉もさるこ 払い戻し、さらに送金、貸し金、両替と行うよ とながら、テンプル騎士団の乙女座形領地からの森 うになっていった。ふと気づけば、まるで銀行 林資源の供給が底を突いたためと推察します。 だ。 農地経営の中心であり、銀行業の支店窓口で あるところの支部は、同時に城塞であることで、 点と線の支配、ネットワークの支配を達成して 3 シュバルツバルト( 黒い森) のコード いた。諸国に広がる、いうなれば国際的な権力 であるくせに、どの国にでもしっかり存在感が ある。フランス王のように面の支配にはならな いが、税金を取る必要がないために、それを行 う必要もない。

しかし、十字軍が終焉に近づいていた1307年 10月13日の金曜日に、栄華を誇ったテンプル騎 士団はあっけなく崩壊します。「フランス王フイリ ップ四世は、フランス各地の一斉検挙をもって、テ ンプル騎士たちの身柄を拘束した。牢獄のなかで拷 問にかけ、無理にも異端の罪を自白させたという件 は、以前にも触れた通りである。それと同時に進め たのが、テンプル騎士団が有した財産の差し押さえ だった」とあります。

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マルセイユはじめプロヴァンス地方の諸港は 特別に重要だった。ここにいたる水運、とりわ けローヌ河の水運は是が非でも確保しておか なければならない。(中略) いや、ローヌ河流域だけではない。さらに先 を丁寧に辿ると、この支部ネットワークが北に 延びていることがわかる。終局的には陸路で地 中海と北海をつなぐ道筋、テンプル街道ともい われるべき道筋が現れる。それも二ルートでだ。 (2)ヨーロッパ初の常備軍 テンプル騎士団は常備軍だった。封建軍 [平 時は存在しない]が主体の時代にあって、ほぼ同 時期に設立された聖ヨハネ騎士団と並びなが ら、ヨーロッパ初の常備軍だったといってよい。 一定以上の兵数を誇り、また遠征を行い、作戦 行動を取れる十全な兵力としての常備軍が登 場するのは、他では十四、十五世紀のことであ る。(中略)十二、十三世紀の段階で常備軍とな っていたテンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団が、 どれだけ先進的な組織だったかが窺える。[な るほど、強いはずである]

(3)物を運べ

そもそも西方の支部や、それを集めた管区と いうのは、東方における戦いを支援するために 作られた組織である。イスラム教徒と戦うため に聖地で暮らす者たちを、長期継続的に養って いくための機構なのである。西方で完結するわ けにはいかない。東方で必要とされるものを、 送り出さなければならない。その輸送のために、 テンプル騎士団は支部のネットワークを通じ て、テンプル街道を機能させなければならなか った。(中略) 実際のところ、それは生半可な量ではなかっ た。騎士、従軍従士、トルコ式兵のような戦闘 員に、司祭や労役従士などの非戦闘員も加わっ て、東方で活動するテンプル騎士団の人数は少 ないときで六万、多いときで十万に達した。そ の給養は場当たり的な作業で果たせる域には ない。組織的、計画的、系統的な作業を通じて しか行いえない。(中略) (4)中世ヨーロッパの銀行 なんと便利な輩がいてくれたことか。十字軍 という不便きわまりない営みの必要から、テン プル騎士団は金を預かり、また運び、あるいは

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[シュバルツバルトメカニズム]が資本主義、そ して帝国主義の骨格となり、なんともやりきれない 、会 、三派が、ケルト・ゲルマンの異 のは、西欧宗教協 教徒原住民をいとも簡単に「悪魔」と定義して、悪 、会 、三派内で異端審 魔化を進め、さらに、西欧宗教協 問を先鋭化し、人的動力機関(奴隷)の大量生産シ ステムを発明したことです。この際の大発明が、イ ンデオやアフリカ黒人を 人 でない 動物 とみなす 」 「

、会 、三派だ 奴隷主義 にまで進化発展します。宗教協 けでなく、多くの哲学までも、[シュバルツバルト メカニズム]を 自由」や 理性 を生む源泉としたこ とは、ドンコロ的には悲痛ですらありあます。[シ ュバルツバルトメカニズム]の下に生まれた、ライ ン川沿い哲学を我々は厳しく、論断していく必要が あります。 いずれにしても、シュバルツバルトのオークが、 ライン川でオランダと結び付いて、貿易が盛んにな り、海外に向かわせる原動力となりました。17世 紀のアムステルダムには、東インド会社の本拠地が 置かれ、世界貿易の中心として黄金期を迎えるわけ です。オランダは、東インド会社で植民地の富をむ

さぼります。インドネシアはその餌食になった。プ ランテーションは拡大し、熱帯雨林は破壊される。 シュバルツバルトの破壊が、なんと熱帯雨林の破壊 へと連なっていったのです。資本主義の牙が、アム ステルダムで磨かれ、イギリスロンドンにその牙城 を構え、アフリカ、新大陸、アジアに襲いかかりま す。

ドンコロおじさんは、転がりすぎて(地面から歴 史を見すぎて)、クラクラと目眩がしてきました。

一方、[シュバルツバルトメカニズム]のおかげ で、オランダに商業が勃興し、その商業をスムーズ にするための社会装置として、「独立自尊の精神」 「合理主義思想」、それをささえる 自由」「理性」 が育ちます。[シュバルツバルトメカニズム]は、

、会 、三派による徹底的な自然資本 宗教協 (資材と人間) の略奪システムを指しますが、同時にこれらのライ ン川流域ではぐくまれた思想群も含みます。 この「風水土」の旅の初回でみたように、朱熹(朱 子は尊称)は朱子学を打ち立て、「理」と「気」の

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ブルーバナナベルトの中枢は、実はシュバルツバ ルトの「黒い森」です。シュバルツバルトの裾にあ る、フライブルグは、魔女狩りが最も苛酷で、オー クのひげをはやしたグリーンマン(オークマン)の 首が大聖堂に晒されていました。ローマカトリック

「 」

、会 、が参入して、宗教協 、会 、三派により、徹底的な自 協 然資本(木材と人間)の略奪システムが確立されま した。 中世以前にも、 自然を利用するという意味で、 何らかの利用・収奪は行って来たはずですが、この 新規の革新的・革命的な自然資本略奪システムは、 その自然の資材と原住民(動力源)をセットで略奪 するという、長い人類の歴史でも例を見ない、革新 的・革命的システムで、これを現在、資本主義と呼 んでいます。ドンコロ探偵団は、この革新的な根こ そぎの自然資本略奪システムを[シュバルツバルト メカニズム]と呼ぶことにします。

、会 、、ユダヤ 思われますが、さらにプロテスタント協

、会 、が主体だったと す。当初は、ローマカトリック協

、会 、で て祝っていることから、ローマカトソリック協

ルターが中心となり、 悪魔 の一層の強化が図られ ました。つまり 悪魔 は、資本主義を動かす動力源 として必要不可欠のものでした。 現代の地上げ屋に例えるなら、土地をただでとり あげるだけでなく、何と原住民まで奴隷として売り 払ってしまうという、外道の下のおこないです。そ れを最初に仕掛けたのは、ゴシック大聖堂まで建て 「

、会 、は、 協 このシュバルツバルト全域を悪魔の領域 (悪 魔界)と認定したのです。それで、ブナ科樹木の大々 的伐採と住民の大量排除(多くは人的資源、つまり 奴隷として売りさばいたか、都市への逃避を余儀な くされた準奴隷の生産)が起きました。木材は下流 のオランダで加工され建造船となり、あわせて奴 隷・準奴隷を人的動力機関源として酷使した。異教 徒のオークの森を完全支配した記念に、ゴシック大 聖堂がブルーバナナベルトの中核機能を担ったライ ン川流域沿いの都市に建築されました。下流のオラ ンダでは、棚ぼた資源(木材と人)を自由に取引き できる、自由な都市制度が確立します。 オランダで確立された、革新的な自然資本略奪シ ステムに基づく思想・哲学が発展し、今度は逆にラ イン川を遡り、シュバルツバルトのチューリンゲン に達し、 やがて流域一帯でプロテスタントが誕生し、

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4 ハンザ同盟のサブ・ コード 斯波照雄・玉木俊明編の『北海・バルト海の商業 世界』(悠書館)は、地中海ではなく、北海・バル ト海から資本主義は生まれたと述べています (以下、 この本の要約です)。でも、ドンコロ探偵団による と、それはいわゆる[シュバルツバルトメカニズム] の補強にすぎないものです。 これまでのドンコロ探偵団報告によりますと、「船 を作る森林資源、木材から考えると、ブナ科木材の 略奪地域が、まず南フランス、(南)スペインで起 き、これらは黒マリアモード(あるいはロマネスク モード)で、さらに北部フランスのテンプル騎士団 モード、ドイツ‐オランダの[シュバルツバルトメ カニズム]に発展し、さらにはイギリスへと変遷し て 資本主義」へと完成して行き」ました。北海・バ ルト海の森林、特に針葉樹が、イギリスやオランダ へと供給されますから、たしかに、資本主義を支え たのは間違いありませんが、どうも北海・バルト海 域は補完的ではないでしょうか。北海・バルト海を 支配していたのがハンザ同盟ですが、支配というよ りはどうも緩い連繋体のようです。

ユトランド半島の付け根の部分で、リューベック とハンブルグの間の60キロほどの内陸路が盛んに 利用され、ここが北海とバルト海を結びつける役割 を担っていました。しかし、リューベックとハンブ ルグ間の内陸路を利用すると、商品の積換えが必要 です。 オランダがバルト海で調達しようとしたのは、 都市化が進む低地地方や西欧で不足がちな食糧(穀 物)や建築・造船資材としての木材です。こうした 重くてかさばる商品は、大型船で目的地まで積換え なしで輸送するのが合理的です。かくして、ダンツ ィヒをはじめとするバルト海南岸の穀物や木材は、 積換えを要するハンブルグ・リューベック間の内陸 路ではなく、その必要のないエーアソン海峡を経由 する海路で、オランダ船により輸送されることにな ります。かくして、16世紀には北海・バルト海商 業の主役は、ハンザからオランダへと引き継がれて いき、ハンザ同盟は12世紀から17世紀のまでの およそ500年間にわたって機能しましたが、「毛 皮と蜜蝋」から「穀物や木材」にかわるにつれて、 衰退していきました。

ハンザ同盟には二つの顔があります。

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哲学を確立し、その影響は西洋哲学にまでおよんで いきますが、その思考の核心は風水といってもよい ものでした。井川義次によると、16世紀から18 世紀にかけてのイエズス会士による中国哲学情報が、 ヨーロッパに影響を与え、ヨーロッパにおける理性 の思想形成において中国思想の関与がきわめて大き な役割をはたし、ヴォルフは、「理」なり「性」の 訳語としての「理性」という語を用いることを通じ て、自立した「理性」が成り立つにおいては、従来 のヨーロッパとは別様な可能性が存在すると宣明し ました。特にライプニッツは朱子学の「理」に大き な影響を受けていました。通俗的にいえば、朱子の 「理」と「気」の翻訳として「理性」となり、まず ライン川の低地・低湿地のライプニッツ(ライプツ ィヒ出身)に、ついでスピノザ(アムステルダム出 身)注入されていきます。「理性」は西洋近世の哲 学の駆動力でもありますので、もともと西洋思想の 根幹として在ったように錯覚していますが、それは 中国から注入された朱子「風水」の観念思想の変形 版です。そしてこのライプニッツとスピノザの理性 を基盤とした17世紀近世合理主義哲学が、ライン 川を遡り、シュバルツバルト周辺のチュービンゲン

のチュービンゲン大学のフリードリヒ・シェリング、 ゲオルク・ヘーゲル、フリードリヒ・ヘルダーリン に注入され、フライブルグのフライブルグ大学のフ ッサールやハイデッガーに注入されていきます。 少なくとも、 シュバルツバルトの周辺の哲学者は、

、会 、三派がシュバルツバルトのブナ科樹木と住 宗教協 民(ケルト・ゲルマン)を完全に破壊したことは理 解していたはずです。これは、古代ケルト・ゲルマ ンの住民の 存在 と 伝統 の完全破壊です。ここか ら、人間存在の問いが出てこない方が不思議ですよ ね。 「

「 」

、会 、三派によるシュバルツバルトの完全破壊 宗教協 にたいして、 人間存在」が深刻な哲学的思想的主題 になるにはあまりにも遅きに失したというほかあり 「

、会 、三派が創造した[シュバルツバ ませんが、宗教協 ルトメカニズム]はあまりにも強力で西欧を幻惑さ せたのでしょう。

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動かし、石炭による製鉄で木材の代替し、本格的な 「産業革命」を誘導しました。 この産業革命で[シュバルツバルトメカニズム] の中心は、新大陸に移りますが、一方では人的動力 資源の必要性から、アフリカの奴隷により、[シュ バルツバルトメカニズム]はますます強化されてい きます。

5 西欧の自然資本略奪コード 造船のための森林資源(ブナ科樹木)の略奪がお こり、そのたびにその地域で、ケルト・ゲルマンの 異教信仰が炙り出され、異端審問が熾烈を極め、悪 魔が創造されたり、とにかくあの手この手で、西欧 ドンコロ一族の虐殺や殲滅が起きました。ドンコロ 探偵団によると、下記の順にドンコロ一族の虐殺・ 殲滅が起き、森林資源の枯渇とともに、その地域の 衰退や覇権の終焉を向えたようです。 黒マリアモード(南フランス・スペイン) テンプル騎士団モード(北フランス) シュバルツバルトメカニズム(ドイツ・オラン

ダ) ブルーバナナモード(イタリア・ドイツ・オラ ンダ・イギリス) ハンザ同盟モード(北海・バルト海)

最後に覇権を握るのはイギリスですが、ブルーバ ナナライン(北イタリア、ライン川流域、オランダ、 イギリス)とハンザ同盟モードを巧みに取り込んだ ためと、ドンコロ探偵団は考えています。イギリス では、自国の樹木が当初は重要でしたが、すぐ丸裸 になり、それでよそから獲ってくるシステムをうま く構築したのでしょう。 この時代、動力源は 人 でしたから、イギリスが 大量の動力源(奴隷)を確保できたのでしょうが、 歴史の裏側に埋もれてほとんど見えてきません。 異端審問で、どれほどの動力源(ほぼ奴隷に近い) が生み出されたのかの資料もほとんどないようです。 スペインで異端審問の犠牲となった者の数は、下記 のようです (渡邊昌美 『異端審問』 講談社現代新書) 。 正確な統計が得られないのは分かり切ったこ とだが、ある程度の推察ができないわけではな い。全国で十四ヵ所に設置された異端審問のう

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」 「


に、 陸のドイツ」はロンドンに肩入れし、結果的に 「 海のドイツ」 :「海のドイツ」では、低地地方 ブルーバナナラインの強化に貢献しました。イニシ に位置するオランダが、商業活動を通じてリュ アチブを取ることはなかったようです。 ーベックをはじめとするドイツの沿岸地域に なお、16世紀のイギリスは、「初期産業革命」 大きな影響を及ぼした。 陸のドイツ」 :内陸都市とはいえ、北海・バル と呼ばれることのあるほど、その経済が活性化しま ト海へのアクセスが比較的容易なケルンはハ した。しかし、当時は、主要産業が毛織物工業で、 ンザ都市でもあった。リューベックよりも早く 国内生産の羊毛を原料としたうえ、人や物の移動や ロンドンに進出していたことから、ケルン商人 動力に用いられた馬の需要も激増して、飼料用牧草 の商館はハンザのロンドン商館の母体となっ が不足しました。このため、いわゆる囲い込みが進 た。リューベックの建設期(12世紀)にここ 行しましたが、他方では、人口も激しく増加したた に移住してきた商人のなかでは、ケルンを中心 め、食糧生産と羊や馬の飼料の生産とが競合した。 とするラインラント、ヴェストファーレン地方 鉄も多用されはじめますが、当時の鉄は木炭を燃料 の出身者が大きな比率を占めていた。かくして、 としてつくられたため、燃料としての木材と造船・ ケルンの北海、バルト海方面との結びつきはハ 建築用のそれも競合しました。こうして食糧をはじ ンザの加盟につながった。 めとする「生態資源」は、いずれも劇的な価格騰貴 に見舞われ、「初期産業革命」は頓挫しました。そ の結果、イギリス経済は、歴史学上「17世紀の危 機」 とよばれる深刻な低成長時代に突入しました (北 川稔 『工業化の歴史的前提─帝国とジェントルマン』 岩波書店)。 なお、この危機が、石炭エネルギーで蒸気機関を

このような 陸のドイツ」のハンザ同盟は、明らか に[シュバルツバルトメカニズム]の補完的コード で、 サブ・コードにしか過ぎなかったと思われます。 結局、資本主義の源となる船の用材の供給源にすぎ ず、また、ハンザ同盟の「海のドイツ」はオランダ

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までどの社会も抑制してきた、「人倫」を公然と、 (でも秘密裏に)打ち壊したのです。これが、10 世紀まで、「無」(ドンコロ年代記では石器時代) であった地域の、フランス、ドイツ、イギリスが突 然、ロマネスク教会やゴシック教会を大量に建築で きた理由です。それまで、原住民以外にはほとんど 無価値だった シュバルツバルト」(木材と原住民) が、突然価値を持ち、結果的には世界制覇のメカニ ズムとして機能しだしたのです。これが、ドンコロ 探偵団の辿りついた結論です。この資本を突如生み 出したメカニズムを [シュバルツバルトメカニズム] と再度呼びます。くどいようですが、自然資本の完 全略奪メカニズムです。 「

現在、自然資本の評価と自然再生エネルギーの評 価・利用が議論されていますが、その最先端の実証 が、500年以上前から シュバルツバルト」でなさ れてきたのです。この中心都市であるフライブルグ が環境都市ということで、 名乗りを上げていますが、 歴史の皮肉を感じます。

第3章 ドンコロ探偵団が[ 魔薬] 文明に驚愕

直接民主制が確立されたのは、長い人類の歴史の 中でも古代ギリシャ以外になく、それは未だに歴史 の謎であるとされています。少なくとも、民主制が 維持されるためには、食糧とエネルギーの生産基盤 が充ち足りていなければ不可能であることは、論を 待つまでもありません。でも、歴史学では、この点 をあまり明らかにしていません。船を造るには、木 材が必要であることすら、最近までほとんど議論さ れてきませんでした。ましてや、船を動かすのに必 要な動力源については、ほとんど無視されてきてい ます。でも、船は念力では動きません。 古代の動力源は、市民の代わりに労働する奴隷で す。その奴隷も食糧が必要です。古代ギリシャで、 なぜ直接民主制が確立されたかと問うよりも、 なぜ、 多量の食糧と奴隷を確保できたのかと問う方が、本 質的でしょう。 ギリシャ前古典期に、いわゆるポリス(都市国家)

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ち、トレド管区について前引J・P・ドゥディ らの研究がある。一四八五年は特に審問が活発 化した年だが、この一年だけで審理総数およそ 七百五十件、次の最大の活動期たる一五五五年 前後には毎年千百件程度、第三の活発期一六五 〇年前後で年平均二百五十件(後略)。 また初期にあっては火刑の判決が大部分を 占めたが、その割合は次第に減少する傾向にあ ったらしい。当然、ガレー船での漕役、投獄、 鞭打ちなどの割合が増える。火刑とある場合に も生身の人間を焼き殺したとは限らない。逃亡 者の画像を焼くのも火刑だった。 この記述から、異端審問が奴隷売買に変化したこ とが見てとれます。でも、数はわずかのようにもみ えます。一方、後に詳細に見ますが、ヴェルナー・ ゾンバルトは『ユダヤ人と経済生活』 (金森誠也訳、 講談社学術文庫)で、スペインの異端審問で、スペ イン領内のユダヤ人が数十万のオーダーで、外国へ の移動を余儀なくされたと、述べています。 異端審問は、1人が火刑に処せられると、一族郎 党その地域から排除されたはずで、実際には膨大な 数に上ったはずです。ユダヤ人の例からそう推察さ れます。

[シュバルツバルトメカニズム]は、自然資本の 壊滅的略奪で、自然資本には森林木材のみならずそ の住民もふくまれ、超効率的、超合理的なシステム です。太陽エネルギーで水が海から雲となってシュ バルツバルトまで循環し、ブナ科樹木が良く育ち、 それを切り出して、ライン川の流れ(自然エネルギ ー)を利用して運搬し、河口で加工して、帆船で風 と奴隷動力で船を動かし、交易や略奪を進める。現 代の概念でいうと、 (1)自然再生エネルギー(風、 水流、人力)と(2)自然資本(ブナ科樹木と悪魔 化した原住民)を使い、一層の自然資本の略奪を促 進する、メカニズムです。これが、[シュバルツバ ルトメカニズム]です。 この[シュバルツバルトメカニズム]により生み 出されたのが資本主義という、いわば怪物です。そ れは、神が人に与えた自然を資本化するという、神 学や西欧思想から生み出された怪物です。それで、 西欧ドンコロ一族郎党、悪魔にされました。自然を 資本化する際に、人間も含めてそれを自然再生エネ ルギー利用のシステムとして、完全効率化し、これ

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っていますので、少し長くなりますが、へたな要約 をするより、ヒルマンの主張をドンコロ塾で読んで みましょう。 古代に生きた人々にとって麻薬は、医者の薬 箱の中にあるほんのひとつの薬品というより、 それ以上に大きな意味をもっていた。われわれ が「麻薬」( drug )と訳している言葉はギリシ ア語では「ファルマルコン」という。これは「薬 学」 ( pharmacy )や「薬理学」 ( pharmacology ) の語源となった言葉で、かつては薬や毒、芳香、 軟膏、そしてその他、人体に適用できる調合薬 を表す総合的な意味をもっていた。つまり、フ ァルマコンは人体にとって有用にもなれば、有 害にもなりうるものだった。ギリシア人は死を もたらす物質と死をもたらさない物質の区別 をつけたがらない。というのも、有益な麻薬は そのままきわめて有害でもありうるからだ。 (中 略)

ローマ人は「麻薬」をひとつの言葉で表すこ とが出来なかったようだ。ラテン語では「メデ ィカメンタ」が「癒す麻薬」を表し、それより いくらか不気味な単語「ウェネナ(ウェネヌ

ム)」が「有毒な麻薬」を意味した。しかし、 彼らは「医者のなりわい」と「麻薬の投与」と の間に何ひとつ区別をつけていなかった。つま

)をなりわいとする」と「麻 り、「医( medicina )を投与する」は、ラテン語 薬( medicamenta を話す社会ではまったく同議の表現だった。こ のふたつの表現を表す動詞は、ともに同じ単語

( medeor 癒す)から派生している。(中略) 『アエネイス』の作者ウェルギリウス(紀元

前七〇 一-九)は、田園生活を描いた『農耕詩』 の中で、薬用の植物について実用的なアドバイ スを与えている。その一節で彼は読者に、いつ も作っている穀物とならべて、強い麻薬を生み 出す植物を栽培するようにとすすめる。 昼間の時間と睡眠の時間がひとしくバラン スが取れたとき、そして世界がふたつに分か れたとき、つまり半分は光の中に、残りの半 分が影の中に入るとき、そのときにはねえき みたち、雄牛を働かせて、畑に大麦の種をま きなさい。冬の雨がやってくる直前までには 仕事を終わらせなくてはいけません。そのと きはまた、 亜麻の収穫をしたものやケレス (豊

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が形成されてゆき、そのポリスを中心にして、地中 古代ギリシャにおける文学の出発点はホメロスの 海や黒海へ植民を行っていたことは歴史的に明らか 叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』で、そ で、この植民地支配が、ギリシャの食糧と奴隷の確 れらが精神の覚醒をもたらし、ヘーシオドス、ピタ 保の基盤であろうと推測されます。もちろん、植民 ゴラス、さらにアイスキュロス、ソポクレース、エ 地支配のためには、武力支配のための武器製造能や ウリピデスなどの三大悲劇詩人、哲学の分野ではソ 金属資源探査能も重要です。おそらく、古代ギリシ クラテス、弟子のプラトン、孫弟子のアリストテレ ャは、植民地主義の原型である食糧と奴隷の確保を スも輩出しました。植民地主義が強化され、食糧と いち早く構築できたのでしょう。しかし、これ(食 奴隷で豊かになると、人は自ずから民主制や豊かな 糧と奴隷)は、直接民主制の必要条件ですが、十分 文芸や哲学や芸術を生みだしうるものなのでしょう 条件とはいいにくいです。食糧と奴隷は確保できた か。 忽然と豊かな精神世界が出現し、また、古代ギリ としても、自動的に民主主義に移行するわけはない シャの崩壊とともに、豊かだったはずの精神世界も からです。十分条件とはなにか? それは、当然、 精神や文化の基盤に係わることに違いないはずです。 また忽然と消滅してしまうものなのなのでしょうか。 これは、世界史の大きな謎ともいわれています。こ のなぞが、D・C・A・ヒルマンの『麻薬の文化史 女神の贈り物』(森夏樹訳、青土社)を読むと、ド 1 古代ギリシャ・ ローマの[ 魔薬] 文明 ンコロ的には氷解しました。この本は、ヒルマンが 学位論文の一章として書いたものですが、学位審査 で余りにも世界の常識的見解から外れているために、 主査・副査からこの章を削除するよう求められたと いういわくつきの章をもとに書かれたものです。ヒ ルマンは薬理とギリシャ語に通じ、それで学位も取 古典期に、アテネが民主制の基盤を整え、アケメ ネス朝ペルシアの戦争に勝利して、200のポリス が参加したデロス同盟の盟主となり、エーゲ海をア テナイ軍船で支配してさらに民主化が進んでいった といいます。

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線はドンコロおじさん)

ムーサ(ミューズ。詩歌女神)は詩的なイン スピレーション(霊感)をもたらすギリシアの 女神である。女神の数は九人。彼女たちが神で あることは疑いようがない。オリュンポスの主 神ゼウスと、記憶の女神ムネモシュネとの間に できた娘たちだからだ。紀元前七〇〇年頃に生 きたギリシア初期の詩人ヘシオドスは、ムーサ たち(ムーサイ)がこの世に登場したことによ って、ありがたいことに苦痛の忘却と悲しみの 休息がもたらされたという。ムーサたちは神々 の流儀をほめたたえ、楽人や詩人をインスピレ ーションで満たしたと彼は書いている。数知れ ぬほどの芸術家たちがムーサを憧れの的とし て支持し、自分たちの作品の冒頭に詩的霊感の 女神たちへ捧げる献辞を掲げた。ムーサの助け を直接引き合いに出すことによって、古代の作 者たちは、詩や音楽や絵画に及ぼした女神たち の一見超自然的とも見えるその効果を認めた。 (中略)

ムーサたちが誘導したのは一種の創造性で ある。これは夢や忘我(エクスタシー)、ある

いは陶酔感によく似ていた。それは神のインス ピレーションのようなものだったかもしれな い。まさしくこれこそ古典作家を導いて、われ われが現在古典と呼びならわしている傑作を 創作させたものだった。(中略) 英気回復用の麻薬は古代ではムーサを呼び だすもうひとつの手段だった。司祭はこの麻薬 を神殿で行なわれる儀式で使い、魔法使いは自 然を操作するために、そして巫女は未来を予言 するために使った。さらに一般の人々も神秘な 教団に入る際に、その入団式で使用した。それ ぞれの場合に使用者たちは、向精神性の薬物を 用いることによって、人間の想像力の限界を破 り、神の宇宙(コスモス)の霊的な世界を経験 することができた。このような理由から、麻薬 や麻薬の経験に関する言及が古代の文学に数 多く現れていても、それはべつだん奇妙なもの ではなかった。古典期の作者は同時代人の人々 と同じように、精神を変容させる麻薬を、神の インスピレーションのもうひとつの源泉とみ なしていたのである。──「麻薬というムーサ (詩女神)」。

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作の女神)のケシ(アヘンケシ)を地中に隠 す時期です(ウェルギリウス『農耕詩』)。 古典学者たちは、この偉大な詩人に対して麻薬 の売人というラベルを貼ることに躊躇してい る。そして、ウェルギリウスの忠告は、アヘン というよりむしろケシの種子の使用に関する ものだと想定した。つまり当時はケシの種子を 使った菓子が大人気だったというのだ。いうま でもないことだが、この菓子にはまったく害が ない。しかしながら、ウェルギリウスは示して いるのは、そして彼が個人的にケシを価値ある ものと見ているのは、ケシがもつ精神に変革を 与える麻薬としての性質である。これはまちが いのないところだ。「亜麻の収穫は大地を乾き 切らせる。カラスムギも大地を干上がらせる。 そしてレテのまどろみにひたっているケシも」 (『農耕詩』)。レテはギリシア神話に出てく る忘却の川(ハデスにある)。そこでは死者の 魂が生前の記憶から解放されるという。この 「レテのまどろみ」というフレーズはまぎれも なく、人体に及ぼしたアヘンの効果をみごとに 表現している。このような語句が示しているの

は、古典世界の作者たちが、植物のもつ強い薬 物の性質を真に評価していたということだ。そ して、積極的に彼らがそのような植物の栽培を 奨励していたという事実である。 ギリシア人やローマ人はこの植物性薬物が もつ劇的な効果に魅了された。そして向精神性 の物質に関する知識をのちのち世代のために も残しておこうと努力した。たとえば、ピュタ ゴラスやデモクリスト(紀元前四六〇?‐三七 〇?)は、エジプトやエチオピア、アラビア、 ペルシャなどへ旅をして、「マギ」と呼ばれる 麻薬を使う賢者たちの集団を訪ねた。このマギ

はマタイ福音書(二 一-)に出てきた東方の三博 士(キリスト降誕の際に礼拝にきた)と同じ宗 教のグループに属する。ピュタゴラスとデモク リトスは、彼らが経験した強力な向精神性の物 質について大いに書いた。プリニウスは、この ような精神を変容させる刺激性の強い麻薬や、 それが使用されたさまざまな理由について、い きいきと描写をしながら楽しんで書いている。 マギはそれ(アグラオフォティス)を使う彼 らが神を呼び出したいと思ったときに。(傍

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義により物質的基盤を形成し、麻薬で精神的自由を 獲得して、民主主義の精神的基盤を形成した特異的 社会だったのです。

[

2 魔薬] 文明の歴史 次に、ヒルマンの傍証として、佐藤哲彦・清野栄 一・吉永嘉明『麻薬とはなにか 「禁断の果実」五 千年史』(新潮社)を、また、ドンコロ塾で読んで みましょう。 (さてその)『イーリアス』だが、これには ケシ(英名 Poppy 、学名 Papaver somniferum ) L.に言及した描写が登場する。おそらく現存 する物語に登場するものとしては、最古のケシ の姿であろう。 こういうなり、もう一本、矢を弓弦から、ヘ クトールを目がけて、まっしぐらに射て放っ た、彼は撃とうと心ははやって。それで、彼 に当てそこなったが、人柄すぐれたゴルギュ ティオーンという、プリアモスの勇ましい息 子の胸へ、 矢をうち当てた。 この子はつまり、

アイシューメーから嫁いで来たその母親、あ の容姿も女神そっくりな、美しいカスティア ネイラが生んだものだが、打たれて頭を、さ ながら罌粟 (けし)の実のように、片っぽうに かしげてうなだれた、それは花園にあって、 種子をいっぱいにかかえたのが、春の雨に濡 れひじて重くなったものである。 そのように、 片いっぽうへ、兜の重みに引かされて、ゴル ギュティオーンは頭を垂れた。(『ホメーロ ス』所収) さらに、もうひとつのトロイヤ戦争譚である 『オデッセイア』では、ある薬のことが描かれ ている。『オデッセイア』第四巻二百二十行目 以降の描写である。 するとゼウスの姫ヘレネーは別のことを考 えつき、すぐに飲んでいる酒の中に苦しみと 憤りと、すべての悲しみを忘れさせる薬を投 じた。混酒器で混ぜられた後で、それを飲み 下した者は、たとえ父母が死に、見ている目 の前で兄弟や愛する子供が刀で殺されても、 その日一日は頬から涙を落とさない。それほ ど効き目のある薬をゼウスの姫はもっていた。

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プラトンは陶酔のもつ力と変容された意識 の状態について、十分な知識をもっていた。対 話篇のひとつ『パイドロス』の中で彼は狂気に ついて述べている。狂気は人間にとって偉大な 賜物だという。そして彼はその狂気を神々の活 動に結びつけている。「事実、最大にありがた いものは、狂気(マニア)を通してわれわれの もとへとやってくる。とりわけそれが神々の贈 り物として送られてくるときには」。対話を続 けながら、彼はこの狂気の形をいくつか取りあ げて吟味する。その中のひとつを、彼はムーサ の贈り物だと説明している。 そして三番目にあげることができるのが、ム ーサたちからくる神がかりと狂気だ。これは 汚れのないやさしい魂にとりつく。そして魂 を呼びさますと、それに歌や詩を吹き込む。 そして、古代の人々の数え切れないほどの偉 業で光彩を添えながら、後生の世代を育成す る。しかし、自分は技量にすぐれた詩人だと 自負して、神の狂気を身に帯びることなくム ーサの戸口にやってくる者には、とても成功 はおぼつかない。だいたい、正気の人の書い

た詩は、 狂気を帯びた人の書いた詩の前では、 無にひとしいほどに消え入ってしまう(プラ トン『パイドロス』)。 プラトンは、狂気や神のインスピレーションに 関する古代ギリシア人の考えを引き合いに出 して、詩人の仕事には何か現世を超越したもの があるという結論に達している。換言すると、 偉大な芸術家は外部の源(それはおそらく美そ のもの、あるいは神のようなものだろう)から やってくるインスピレーションに満たされて いるということだ。古典期では、陶酔、インス ピレーション、狂気、それに神がかりなどはた がいに密接に結びついていた。そのために、ほ とんどそれらはひとつの概念となっている。そ れこそ、プラトンが定義を試み、全能の神々か ら地位の低い人間たちに授けられた贈り物だ と説明していた考え方だった。

ヒルマンにより、古典ギリシャ・ローマの精神生 活が麻薬に極度に依存していることを、ドンコロ探 偵団は知りました。 これはまさに、 禁断の知識です。 古典ギリシャとは、食糧と奴隷を確保した植民地主

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に派遣した遠征軍だが、十一世紀末から十三世 紀後半にかけて数回にわたって行われた。この とき、結果的に生じたのは一種の文化交流であ り、知識や技術の伝播である。 五世紀末の西ローマ帝国滅亡後、十字軍遠征 までの中世初期においては、医学の発展はヨー ロッパではほとんどみられない。その間、ケシ やアヘンに関する知識を受け継いだのは、主と してアラブ人たちであった。アラブが征服した 地域はアレクサンドリアを代表とした古代文 明の地域であり、そこに集積され残されていた 科学や医学など実践的な知識と技術は、アラブ 人に受け継がれたのである。 十字軍後の中世中期さらには中世後期にヨ ーロッパに再登場した「薬としてのケシあるい はアヘン」を象徴するのは、パラケルススで(中 あろう。彼は十五世紀末にスイスで生まれ、 略) イタリアの大学で医学を修めた。その後バーゼ ル大学で医学を研究し、教授としても教えもし た。さらには錬金術をも学び、それを医学と接 続させた。そのため、彼のアヘンを用いた処方 はある意味で非常に奇妙なものとなっている。

(中略)そして彼はみずから調剤し製造したア

ヘンの丸薬に「ロードナム( laudanum )」と いう名をつけた。(中略)そして多くの弟子を 経由して、各地でアヘンの処方が広まっていっ たとされる。彼の言葉と相まって、「ロードナ ム」の万能性が伝説的に流布されていったから である。 やがて、十七世紀後半になるとイギリス人医

師トーマス・シドナム( Thomas Sydenham ) がアヘンをワインなどのアルコールと混合し、 アヘン調剤を作り出すことになる。トーマス・ シドナムは、啓蒙思想家として知られるジョ

)の臨床医学上の師で ン・ロック( John Locke ある。シドナムは『医術について(略)』や『解 剖術(略)』を著したことで知られているが、 当時の医師が行っていた、古典的な自然観や医 術にのっとって体調を元通りにする処置では なく、患者の経過を観察するという一種の実験 的な治療を行った。これには、人間には自然を 理解し尽くす能力は与えられておらず、したが ってその真偽が不明な古典的な自然観に依拠 して治療をすすめるのではなく、具体的な対象

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これを与えたのはトーンの妻のエジプトのポ リュダムナで、この国の豊かな実りの地は、 いろいろに混合すれば役に立つ、また毒にな る薬草に富んでいる。この地の人は一人一人 すべての人間にまさる薬師で、まことに医の 神(パイエーオン)の族 (やから)である。そ こへヘレネーは薬を投じ、酒を注ぐように命 じてから、ふたたび答えて言った。 ここにみられる薬──苦しみと憤りと、すべて の悲しみを忘れさせる薬──、これはアヘンと 考えられている。つまりこれは、アヘンがすで にこの時期、薬として知られていたということ を意味している。 さらに、佐藤哲彦らによります。 実際、ローマでは多くの医師がアヘンを盛ん に用いた形跡がある。アヘンの効能に関する知 識をもち、ローマ五賢人の一人でありその著 『自省録』で広く知られる皇帝マルクス・アウ レリウス・アントニヌスにアヘンの使用を薦め )もその一人で たとされるガレノス( Galenos ある。

ガレノスは古代ローマ医学の巨匠ともいわ れ、実験医学を進めた医師である。彼はそれま で血管には生気が流れていると考えられてい たのに対して、血液が流れているとしたり、心 臓の筋肉が不随意筋であることを突き止める などの業績で広く知られている。そのガレノス は、アヘンを多用したようである。そのため、 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、い までいうアヘン嗜癖であったとさえ言われて いる。

ディオスコリデスやガレノスの医学は、ギリシャ 医学を基礎としつつもそれを越える実験的精神に溢 れており、 ヨーロッパ医学の基礎となるものでした。 しかしそれは同時に、ディオスコリデスやガレノス のアヘンに関する知識が、中世から近代にいたるま でのヨーロッパにアヘンを持ちこむ手助けをしたこ とをも示唆します。 中世におけるアヘン利用の低迷に変化が生 じるのは、おそらくは十字軍以降である。十字 軍は西ヨーロッパのカトリック諸国が聖地エ ルサレムをイスラム教諸国から奪還するため

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本を読んでみましょう。 英国ロマン派の散文家ド・クインシーが『阿 片常用者の告白』を『ロンドン・マガジン』に 二回にわたり記載したのは、一八二一年九~十 月のことだった。自らのアヘン体験を記したこ の作品は、ボードレールを始め多くの作家たち に影響を与えたといわれる。実際、ボードレー ルは一八六〇年、雑誌に「ある阿片吸引者の歓 喜と責苦」と題した散文を発表したが、その前 半は、ド・クインシーの著作の解説と注釈にあ てられている。(中略) 文学に話を戻すと、他にも、『クブラカン』 で知られる英国ロマン派の詩人コールリッジ、 『アッシャー家の崩壊』のエドガー・アラン・ ポー、『阿片』のジャン・コクトー(ちなみに 画家としても知られるコクトーのドローイン グ作品に、顔から体じゅうからアヘン吸引パイ プが突き出ているというものがある)、『ドリ アン・グレイの肖像』のオスカー・ワイルド、 近代では「ヘロインとはひとつの生き方だ」と 言いはなった『裸のランチ』のウィリアム・バ ロウズなどが、アヘン系のダウナードラッグに

魅せられた文学者たちである。 (中略)コカインが発見されるのは、一八六 〇年のことである。精神分析学の祖、ジクムン ト・フロイトは、さっそくこれに目をつけて一 八八四年の手紙に、「ひとつの治療上の計画と 希望」として、コカインを研究していく意志を 表明している。 実際、フロイトはコカインを入手し、それを 研究した成果を、やはり一八八四年に、「コカ

について( Ueber Coca )」という論文で発表し ている。この論文の中でフロイトは、コカイン は優れた刺激剤であり、胃腸障害、チフス熱、 肺結核、喘息にも有効であると、その万能薬ぶ りを絶唱している。さらに、「コカインを摂取 すると数分後に突然うきうきし、快活な感じが する。そのとき口唇と口蓋に薄皮が貼ったよう な感じがし、その後同一の個所に暖かい感じが する。そのとき冷水を飲むと、口唇は温かく感 じ、喉は冷たく感じる。他のときには、口と喉 の冷たさが顕著である」(「コカについて」ジ

』一九九〇年七 クムント・フロイト/『 imago 月号)と書いている。(中略)

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に対する経験や観察などを重視すべきである とする、シドナム独自の思想がもとになってい る。そもそもこの思想は、敬虔なピューリタン としてのイギリス王立協会にも属さず、またそ のために貴族お抱えの医師にもならず、庶民を 治療することが中心であった彼独自の立場か ら生まれたともいえる。彼の時代はピューリタ ン革命の時代であったからである。しかしその ために彼は近代臨床医学の創始者ともいわれ、 その経験主義的思考はロックに受け継がれ、近 代的思考の重要な一部を形成していくことに なる。このように、イギリス経験論の母胎とも いえる発想を生みだし実践したシドナムであ るが、彼はワインにアヘンを混ぜたアヘン調剤 を発明し、それをロードナムと名付けた。パラ ケルススの丸薬の名前を借りたのである。そし て観察可能なその効果を重視し、ロードナムを 多用したという。 これ以降、多くの医師によってさまざまな調 合のアヘン調剤が作り出されることになり、や がてそれは製薬会社によって大規模に生産さ れることになる。そしてそれはいずれもロード

ナム、すなわちアヘンチンキと呼ばれるように なる。アヘンチンキはこれまでで最も広く普及 したアヘン含有薬となり、ヨーロッパのみなら ずアメリカ合衆国などにおいても多くの人び とに愛用されることになるのである。

十字軍後の中世中期さらには中世後期にヨーロッ パにアヘンが再度もたらせられますが、ああ、これ はまさにルネッサンスに火を付けたのです。アヘン がルネッサンスの幻覚的精神を突き動かすエネルギ ーだったのです。

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3 近・ 現代の 魔薬] 文明

19世紀、この世紀には、化学の発展に伴い、麻 薬の歴史においても特筆すべき事象がおきました (佐藤哲彦ら)。コカインとヘロインの発見・発明 です。 覚せい剤と並びアッパー系の王様たるコカインと、 ダウナー系の王様たるヘロインの双璧が誕生したの です。さらに続けて、ドンコロ塾で、佐藤哲彦らの

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(中略)コカインは体の中ですみやかに分解さ れるので、その作用のピークは十五〜三〇分く らいである。コカインの服用はまず強烈な「ハ イ」(精神興奮、爽快感、身体興奮)の状態と なり、ついで深いうつ状態におちいり、この時、 さらにコカインを欲するようになるために依 存症が生じやすいという。コカインには覚せい 剤と同じような昂揚作用があるが、コカインは 多幸感をともなったより強力な作用を示すと いう。そのかわり、その反動として、薬物が切 れると、重い抑うつ、無力状態、俗にいう「ツ ブレ」がおこる。

佐藤哲彦らは、「ヘロインは、摂取するとまず嘔 吐する。これは避けられないことで、一種の通過儀 礼なのだ。やがて体がヘロインに慣れていくに従っ て、嘔吐する苦痛が消え去り、うちふるえるような 快楽が訪れる。 その酩酊感は極めつけのダウナーで、 体全体から力というか力みが抜け、ふわふわと浮遊 しているような、重力のない感覚に包まれる。身体 的欲求はほとんど消え去り、ただじっとしたまま心 で「彼女の手に触れた」と思えばそんな感触を手先

が実感する、といった具合。麻薬と言えばセックス に効く、と巷では思われがちだが、ヘロインに関し ては、その方面でまったく機能しない。というか、 心で思っただけで身体までもが完全に満たされてい くので、体を使う必要がまったくないのである」と いう。

つまり、 ダウナー系でダウンするのは身体機能で、 身体から切り離された魂(心、精神、等々の表現) が浮遊し、「うちふるえるような快楽」が訪れるの だそうです。この「うちふるえるような快楽」が神 から注入される 神のエキス(精神)」の正体と思わ れます。こうして、西洋の哲学も芸術も、神から与 えられる「うちふるえるような快楽」のもとである 神のエキス (精神) 」 の探求に費やされてきました。 佐藤哲彦らによると、「コカインないしは覚せい 剤とヘロインとを一緒に摂取する通称「スピードボ ール」で、アップとダウンの刺激が一緒に訪れる様 が誘う地点は、まさにこの世の果てである」といい ます。「温かくて冷たい。速くてゆっくり。全態感 に満ち満ちていながら、おだやかな至福の境地にい る。矛盾しているようだが、このような状態こそが

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フロイトの論文に先んじること二十年あま り、一八六三年には、コルシカ島のフランス人 薬剤師アンジェロ・マリアーニが、コカ抽出物 にワインを加えた「マリアーニ・ワイン」を売 り出し、人気を集めるようになっていた。この ワインの愛飲者として有名なのは、大英帝国の 栄華を極めたビクトリア女王、アメリカのウィ リアム・マッキンレー大統領、発明家のトーマ ス・エジソン、作家のアレクサンドル・デュマ (小デュマ)等、枚挙にいとまがない。 英国の小説家R・L・スティーヴンソンには、 コカインの力を借りて三日三晩で『ジーキル博 士とハイド氏』を書き上げたというまことしや かな噂があるし、ジャン・ポール・サルトル、 フランソワーズ・サガンなども愛用者であった と言われている。 以下は、舟山信次の麻薬分類によります(『〈麻 薬〉のすべて』(講談社現代新書)。 興奮剤:覚せい剤、コカイン、カフェイン、ニ コチン 抑制剤:阿片、モルヒネ、ヘロイン、アルコー

ル、有機溶剤、抗不安剤、催眠薬 幻覚剤:LSD(麦各アルカロイドから調整)、 THC(大麻の成分)、メスカリン(サボテン 科ペヨーテのアルカロイド)、サイロシビン(マ ジックマッシュルームのアルカロイド)

[魔薬]はその機能から、ダウナー系とアッパー 系に分けられます。 ダウナー系:阿片は典型的なダウナー系のド ラッグである。ダウナーとは、ひたすら脱力と 安心を促すもので、恍惚として、しかも無為に 時を過ごす世界といえる。アルコールもダウナ ー系であるが、酒は主に気を緩ませる効き方を するのに対し、阿片は思考停止であり、意識そ のものが無化する傾向になるという。 アッパー系:コカインは副交感神経の遮断薬 である。副交感神経は交感神経とは逆の働きを 持ち、いわば休息をつかさどる神経である。こ のような神経を遮断するということは、マイナ スにマイナスをかけた形となるからプラスと なり、すなわち、交感神経を興奮させる覚せい 剤と同じように、昂揚作用を示すことになる。

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第4章 ドンコロ探偵団の悪魔学 西洋は[ダウナー系文化]と分かりましたが、そ の真髄にもう一つ重要な精神構造が組み込まれてい ます。それは、西欧ドンコロ一族を壊滅(虐殺)し たメカニズムで、[悪魔]の構造化です。ここで出 てくる、デモノロジーは「悪魔学」とも「悪霊学」 とも「デーモン学」とも訳されます。[ダウナー系 文化]と同様、[悪魔]は馴染みの薄い西洋の精神 構造ですので、またまたドンコロ塾で、高橋義人の 本を読んでみましょう ( 『悪魔の神話学』 岩波書店) 。

1『 ナグ・ ハマディ文書』 1945年12月、エジプトのナグ・ハマディ(ル クソールに比較的近いナイル河畔の中程)にある洞 窟(王室官吏たちの墓所として使用されていた)の 前の地中から、赤い素焼きの壺に入った『ナグ・ハ マディ文書』が出てきました。このなかで、「トマ

ス福音書」中のイエスの言葉は正典の四福音書(マ ルコ福音書」、「マタイ福音書」、「ルカ福音書」、 「ヨハネ福音書)と重なる部分が多いですが信憑性 が高いと考えられています。正典の四福音書と「ト マス福音書」の悪魔の取り扱いに絞って、以下に読 んでみます。 「マルコ福音書」、「マタイ福音書」、「ル カ福音書」には、悪魔が荒野でイエスを誘惑す る場面が差し挟まれている。この話を最初に創 ったマルコ(正しくはマルコの名前をかたった 者)は、イエスが神的であることを証明すべく、 神の敵である悪魔がイエスに対決を挑む場所 を挿入した。(中略) 悪魔の三つの誘惑はいずれも物質世界に関 わっている。つまり、悪魔は──後述するグノ ーシス主義と同じくキリスト教においても─ ─物質世界を統べる存在なのだ。(中略) 四福音書のなかで共通するところの多い「マ ルコ福音書」、「マタイ福音書」、「ルカ福音 書」の三つは「共観福音書」と呼ばれ、共観福 音書の成立の関しては「二資料仮説」が唱えら れている。イエスの物語を最初に書いたのはマ

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脳に対する究極の快なる刺激となるのである」だそ うです。 19世紀の欧米は、アヘンチンキとアヘン喫煙に より初めて本格的な麻薬のアディクションを知り、 コカインとヘロインという両極の最強スタッフを発 明した時代です。 20世紀の欧米は、「コカインないしは覚せい剤 とヘロインとを一緒に摂取する通称「スピードボー ル」の時代です。さらに、LSDが加わります。 音を強烈に感じるために、LSDはロック・ミ ュージックと深い関わりをもつドラッグにな った(佐藤哲彦ら)。LSDがなければ、六〇 年代以降のロックは生まれなかったという人 もいる。LSDがもたらす独特の色彩感覚や、 曼荼羅のような有機的デザインが「サイケ」と 呼ばれるようになるのはもっと後の時代にな ってからで、次第に「サイケ」といえば視覚的 なことを指すのが一般的になっていく。

でも、どう転んでも、西洋(西欧)は[ダウナー 系文化]でできているというのが、結論です。歴史 的に、少なくとも、アルコール(ブドウ酒)の大量 摂取だけでも、[ダウナー系文化]であることは確 実です。 ダウナー系でダウンするのは身体機能で、身体か ら切り離された魂(心、精神、等々の表現)が浮遊 し、「うちふるえるような快楽」が訪れるそうです ので、[ダウナー系文化]では、まず、もっとも基 盤となる思考や思想は、 心身分離の二元論です。心 は浮遊し、快楽(パラダイス)が訪れる。なぜ西洋 では、アプリオリーに心身分離の二元論になるのか 理解できませんでしたが、その根は[ダウナー系文 化]とすると、ドンコロのドングリ頭でもよく理解 できます。とはいえ、[ダウナー系文化]ではまず 抑制が働きますので、抑制的倫理も働き、マックス・ を最高原理に据えるとい ウェーバーのように 人倫」 うことも起きるようです。 「

」 「

ドンコロおじさん、西洋の歴史を転がり、地理を ころがり、ますます目眩を感じます。

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義が四世紀に誕生した。今日知られているキリ ることを、神の国はるか未来にではなく今こ スト教のイメージは、その多くを「ヨハネ福音 こにあることを理解している。これが、イエ 書」に負っている。 スが語った第三の言葉だった。そう解釈すべ ところが、「トマス福音書」は、「ヨハネ福 きであろう。 「ヨハネ福音書」が確立した「父にして子にして 音書」とはまったく異なるキリスト教をめざし 聖霊」という三位一体の教義はいわば、キリストを ていた。「トマス福音書」も「ヨハネ福音書」 超自然的オカルト宗教に仕立てた元凶で、「トマス と同じく、イエスには神が内在しているという 立場に立っている。ところがヨハネとは違い、 福音書」は、「イエスのみならず、われわれのなか にも神はいる、われわれもまた天の父の子である」 トマスは、イエスのみならず、われわれのなか と主張しており、むしろ、キリストの神格化はない にも神はいる、われわれもまた天の父の子であ のです。ドンコロのドングリ頭でも、「トマス福音 ると、主張しているのだ。 イエスがトマスに伝えた三つの言葉は記さ 書」は容易に理解できます。「神性が外にではなく れていず、この言葉はさまざまに解釈されてい 内に」あり、 「超越ではなく内在」だということは、 るが、「トマス福音書」が主張していることか ドンコロ哲学と全く同じなのですから!イエスは ら、それはおおよそ以下のように推測できよう。 「神の使徒」で神ではない。高橋義人は、「父にし て子にして聖霊」という三位一体の教義こそが、悪 (その一と二を中略) 魔の創造に繋がったと考えています。つまり、自称 正統派キリスト教では、三位一体の教義に反する、 「神性が外にではなく内に」あり、「超越ではなく 内在」するのは、悪魔の領域なのです。 三、トマスは神聖の渇き出ずる泉を自らの 力の源泉としていた。それはすなわち、神性 が外にではなく内にあるということ、超越で はなく内在だということだ。ペトロたちは神 を外部に求めているが、それは間違いだ、ト マスよ、お前だけが神は自分たちのなかにあ

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ルコで、マタイとルカは、イエスの物語を書く ときには「マルコの福音書」を、イエスの言葉 を記すときにQ文書を資料として用いたと言 う説である。悪魔によるイエスの誘惑の場面は、 明らかに「マルコ福音書」をもとにして「マタ イ福音書」と「ルカ福音書」の作者が創りあげ たものである。 他方、Q文書の「Q」はドイツ語の Quelle (源泉)に由来する。かつてイエスの語録集で あるQ文書が存在したと想定しなければ、文献 学的に辻褄が合わず、Q文書の存在は理論的に は疑いえないものとなっていた。一九四五年の 「トマス福音書」の発見はまさしくそうした時 期の出来事だった。これによりQ文書という 「失われた福音書」の存在はほぼ確証され、今 日では何人かの学者によってその復元が試み られてさえいる。 (つまり)「トマス福音書」の存在自体が四 福音書の嘘を示唆しているのであり、その事実 だけでも、四福音書を正典とするカトリックの が「トマス福音書」を棄却するには十分すぎる くらい十分なことだった。

そればかりではない。「トマス福音書」とカ トリックとでは、「神の子」の捉え方が決定的 に異なる。イエスを「神の子」と呼んでいる個 所は「マルコ福音書」に四カ所、「マタイ福音 書」に九カ所、「ルカ福音書」に六カ所ある。 しかしマルコの時代において「神の子」という 表現は、「神の祝福を受けた人の子」というく らいの意味だった。つまりイエスは「人の子」 として捉えられていたのである。ところが「ヨ ハネ福音書」の作者は、イエスは人間でなく、 「神の言葉」が人間の姿を取った者であると考 え、その意味で「神の子」の語を用いた。そし てその後、人々は「ヨハネ福音書」の観点から 「マルコ福音書」、「マタイ福音書」、「ルカ 福音書」を読むようになり、そこに出てくる「神 の子」は「神」とほぼ等しいものとして解され るにいたった。(中略) イエスは人の姿をとった(受肉した)神であ る。その後のキリスト教の根幹をなすこの見解 は、じつは「ヨハネ福音書」の発明である。そ してこの見解が時代とともにさらに発展し、 「父にして子にして聖霊」という三位一体の教

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「悪魔の手下」と見なしたヨーロッパ人もすぐ れてグノーシス的であった。そればかりではな い。理性こそ真理の柱だと唱えた啓蒙主義も、 「自由・平等・博愛」の社会を打ち建てなけれ ばならないと考えたフランス革命も、自分たち の信念を普遍的真理と見なすグノーシス主義 の陥穽にはまっていた。実際、フェーゲリンは、 人文主義、啓蒙主義、進歩主義、自由主義、実 証主義、マルクス主義、ナチズムといった近代 の代表的な思潮のほぼすべてを、それらが政治 運動化したイデオロギーと見なされるかぎり、 近代的グノーシス主義として告発する。グノー シス主義のこのようなやや荒っぽい拡大解釈 に対しては、むろん少なからぬ批判が起きたが、 しかしフェーゲリンの主張には決して無視し えないものが含まれている。 高橋義人は、次のように纏めます。 キリスト教の教説のうち最も危険なものは 彼らの一神教ではない。悪魔というものを持ち 出し、その存在を信じたため一神教から逸脱し てしまっていることこそ危険である。キリスト

教徒が冒した最大の愚かさは、唯一神の対立物 を仮構し、これを「悪魔」や「サタン」と呼ん でいる点にある。キリスト教徒たちは、自分た ちは唯一神を信じていると主張しているかた わら、神の国を二つに分け、神の国のなかに反 逆者がいると唱えている。それはまるで、神の 国のなかに党派があり、そのひとつが神に逆ら おうとしていると言っているかのようだ。キリ スト教は一元論を標榜しているが、実は二元論 にほかならない。そう言ってケルソス[ドンコ ロ注:2世紀のローマ人]はキリスト教を強く批 判する。キリスト教の本質は信仰よりもデモノ ロジーにあり、キリスト教に固有の終末論もそ こに由来する。このような教説はまことに危険 だ。そうケルソスは言っている。 スピノザと同じようにケルソスは、キリスト 教徒は神のみを実在と認め、悪魔に関する教説 を放棄すべきだ、と主張している。しかし歴史 上のキリスト教はそのような道を歩むにはい たらなかった。「グノーシス的な真理」に宗教 政治的に対抗すべく、キリスト教の指導者たち はユダヤ教のなかにあったサタンや「墜ちた天

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2 グノーシス主義 高橋義人は、「トマス福音書」にはもう一つの側 面があるといいます。それは、グノーシス主義に比 較的近い側面で、神のみならず、悪魔の存在を重視 する二元論的側面があるといいます。グノーシス主 義はキリスト教とほぼ同時期に誕生した宗教で、神 と悪魔、精神と物質を対立的に捉える二元論の立場 に立ち、そしてグノーシス主義者の一部はキリスト 教と同化し、キリスト教グノーシス派を形成しまし た。 キリスト教正統派は本来ならグノーシス主 義者たちの二元論に立ち向かい、一元論を確立 すべきであったろうが、ここでは何とエレイナ イオ[ドンコロ注:グノーシス主義の原資料をまと めた人]自身が「神と悪魔」という対立図式を 持ち出し、グノーシス主義者たちを悪魔の手下 と見なしている。彼の論旨は明らかに矛盾して いる。一方で彼は二元論的な言辞を弄し、他方 ではグノーシス主義者たちの否定する「ねたみ の神」(ヤハウェ)を救済神と同一視し、一元 論を守ろうとしている。大きな矛盾をはらんだ

キリスト教的形而上学はこうして誕生した。 エイレナイオスの悪魔は「正統派の敵」のや や誇張された表現にすぎなかったかもしれな い。しかしその後グノーシス的な「悪魔」の観 念はキリスト教のなかに入り込み、西欧世界で 今日にいたるまで増殖をつづけていった。近代 においてグノーシス的デモノロジーは革命の 観念と結びつき、宗教改革、ピューリタン革命、 フランス革命を生み出した。そればかりか、二 〇世紀では全体主義を出現させ、世界を震撼さ せることになった。そう主張しているのは、エ ルンスト・トーピッチュ(1919‐2003) とフェーゲリンの二人である。ヘーゲルがグノ ーシス的思想の持ち主であったことはよく知 られているが、それをもとにしてトーピッチュ は、ヘーゲル左派の潜んでいたグノーシス主義 がマルクス主義を生んだことを驚くほど綿密 に論証した。 彼(フェーゲリン)の説を敷衍して言えば、 宗教改革を捲き起こし、ローマ教皇を「悪魔」 と見なしたルター派の行動はまさしくグノー シス的であり、また植民地において原住民を

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そこ(グリム兄弟の編んだ『ドイツ伝説集』 (以下、『グリム伝説』))に描かれた悪魔は 途轍もない力を有しながらも、あきれるほど愚 かである。悪魔がこんな愚か者であるのなら、 悪魔を欺くことなど造作もないことで、伝説上 の悪魔とキリスト教の悪魔のあいだのあまり の懸隔に誰しも驚かされるであろう。そもそも そのはずである。ルッツ・レーリヒのすぐれた 研究によれば、ドイツに伝わる悪魔像はじつは ゲルマン神話の巨人像を受け継いでいる。その ため悪魔は巨人と同じように力持ちで間抜け なのである。 巨人が悪魔に取って代わられたということ は、ゲルマン圏にはもともと「悪魔」など存在 しなかったことを意味している。キリスト教と ともに「悪魔」なるものが伝わったとき、それ をどうイメージしてよいか分からなかった民 衆は、自分たちの知っている巨人をそれに当て はめた。こうして『グリム伝説』に出てくるよ うな悪魔像が誕生した。(中略) (だが、)デモノロジーが欧米人の心のなか に牢固として巣食っている以上、デモノロジー

を知らなければ欧米人の精神も欧米の歴史も 不可解なままである。十字軍、魔女狩り、中南 米の原住民の虐殺といったキリスト教史のな かの血なまぐさい出来事は、いずれもデモノロ ジーをもとに惹き起こされた。西欧の歴史は、 神や悪魔の名の下に無実の人々を数多く殺戮 してきた歴史でもある。十字軍においては、キ リスト教の神のためにイスラム教徒を、魔女狩 りにおいては「魔女と契約した」という理由で 無実の「魔女」たちを、そして十六世紀半ばに 南米のインカ帝国に攻め入ったスペイン人は、 原住民を悪魔と結託した人々として惨殺した。

私見では、西欧精神史には二つの系譜がある。 暴力と恐怖の系譜と普遍的な愛の系譜である。 前者はパウロとアウグスティヌスの原罪説に 始まり、トマス・アクィナスによる悪の実在論 化、サヴォナローラによるルネサンス美術の焼 却、マルティン・ルターの奴隷意志論、魔女狩 りを経て、アウシュビィッツとヒロシマへとい たる系譜、西欧の主流派となった系譜であり、 後者はイエスとペラギウスに始まり、トリスタ

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使」の物語をキリスト教の教義のなかに組み入 れていった。キリスト教徒にとって堕天使神話 は、グノーシス的二元論から距離を取る上でな くてはならない物語だった。神と悪魔が対峙し ているのがグノーシス的二元論であるとすれ ば、キリスト教は悪魔を堕天使、すなわちもと もとは神に仕えていた天使であるとすること によって、悪魔も神の掌中にいると言い張るこ とができたからである。堕天使神話はキリスト 教を、一元論にはできなくとも「半二元論」の うちにとどめておく上での重要な防波堤だっ たのである。

ていることに驚きを隠せません。 西洋の宗教、 文化、 文明、そしてその構成要素である「精神」や「心」 や 理性 や 人倫」、そして「二元論」等のもろもろ の基礎概念は、すべて[悪魔]なしには、神学的に も、哲学的にも成り立たない、ということだからで す。 「 」

ドンコロおじさんは、西欧の地べたをあまりにも 転がりすぎたせいか、[魔薬文明]につづき[悪魔 文明]に遭遇し 、大いなる目眩で、吐き気までしま す。悪寒も走る、虫唾 (むしず)も走る。

こうしてデモノロジーが誕生しました。デモノロ ジーが本格的に機能したのは、[シュバルツバルト メカニズム]です。 ドンコロおじさんは、[悪魔]が、古代ユダヤ教 の中にも、「ヨハネ福音書」「マルコ福音書」「マ タイ福音書」「ルカ福音書」(キリスト教正統派) の中にも、『ナグ・ハマディ文書』の「トマス福音 書」のなかにも、キリスト教正統派と鋭く対峙した グノーシス主義の中にも、重要な概念として鎮座し

」 「

西欧ドンコロ一族が、 神 の側から[悪魔]と名 指しされ、 シュバルツバルト で絶滅・殲滅の大虐 殺に巻き込まれてしまった歴史的メカニズムの一端 がようやく見えてきました。 」

3 悪魔の創造

さらに、高橋義人の引用を続けます。(ドンコロ 塾、厳しすぎる)。

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り締まるために行われた異端審問だった。カタ リ派の人々は、この世は悪魔ともいうべき創造 神デーミウルゴスによって支配されていると 信じ、そのため早くその力を逃れ、キリストの 支配する「純粋な(カタリ)」精神世界へ到達 しようとした。その主張は明らかにグノーシス 的であり、そのため一〇五六年、カタリ派はロ ーマ教皇庁によって異端と宣言された。しかし カタリ派の力は強まるばかりだったので、一二 二九年、異端審問制度が設けられ、カタリ派の 信者はことごとく捕らえられ、その多くは火刑 によって「粛清」された。

5 ルターの悪魔 ドンコロ塾の塾長、 塾生の悲鳴をよそに、 さらに、 高橋義人の本を読み進めます。 一六世紀半ばから一七世紀半ばにかけて魔 女狩りとデモノロジーの嵐が吹き荒れた社会 的原因は、宗教改革とともにヨーロッパ各地で 起きた宗教戦争によって国土が荒廃し、人々の

不安が掻き立てられていたことに求められる であろう。しかもこの不安と災厄のなかで、プ ロテスタントとカトリックはともに相手を悪 魔呼ばわりするとともに、魔女狩りにともに熱 心に励んだのだった。 そうした時代が始まる直前に、エラスムスは 六六年の生涯を閉じた。彼は悪魔の存在も魔女 の存在も信じてはいなかった。それどころか彼 は、悪魔のイエス誘惑やイエスによる奇蹟物語 等が出てくる聖書の記述も歴史的真実として はなくて、寓話的なものとして受け止めなけれ ばならないと考えていた。他方、聖書のアウグ スティヌス的解釈に忠実であろうとしたルタ ーは、悪魔や魔女の存在を固く信じて疑わなか った。そうしたルターに教化されたプロテスタ ント派の人々が、魔女狩りをやめるどころか、 逆にそれを加速させていったのは至極当然の ことだった。 ルターのなかに牢固として巣食っていたデ モノロジーについて、フリーデンタールは次の ように記している。 ルターが、悪魔、しかも、「まぎれもない悪

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ン物語、オッカムの唯名論、ルネッサンスの現 世肯定、エラスムスのフマニスムス(人文主義) を経て、ルソーやゲーテへといたる系譜、残念 ながら傍流に終わった系譜である。 前者はデモノロジーの系譜、後者はフマニス ムスの系譜である。

4 魔女狩り さらに続けて高橋義人の本を読みます。(もう気 分が悪くなってきたから勘弁して。でもドンコロ塾 の塾長は続けます。ここからが畢竟ですぞ、とか言 って)。 「悪魔」、「原罪」、「処女降誕」、「聖母 マリア」はキリスト教正統派がつくり出した嘘 だった。ではヨーロッパの二千年の歴史で、少 数の人を除いて誰もそのことに気づかなかっ たのだろうか。歴史的証言が残されていないた め、詳細は不明である。かりに「あれは嘘だ」 と口にしたら、異端の罪に問われ、社会的生命 を絶たれてしまうのが自明だった時代におい

て、人々は、語りたくても語ることができなか ったというのが正しいだろう。 (中略)十三世紀以降、「悪魔との契約」と いう観念は時代を動かす力を持つにいたり、そ の力はついに魔女狩りの嵐となって吹き荒れ るようになった。「魔女」とは明示的にせよ、 暗黙的にせよ、悪魔と契約した人々のことをい う。彼らの大半は女性だったので、ドイツ語で

という女性名詞になってい は「魔女」は Hexe るし、日本語では「魔男」ではなく、「魔女」 と言われる。なぜ女性が多かったのかについて はさまざまな説があるが、原因のひとつが(中 略)マリア信仰にあることは明らかだろう。あ る女性が「聖母マリア」として神に近い位置に まで持ち上げられれば、その反動として悪魔に 近い位置にまで引き下げられる女性たちが登 場するのは必至だからである。ミシャンブレッ ドの言うように、魔女は聖母マリアのアンチテ ーゼだったのである。 魔女狩りには前史がある。それは、十二〜十 三世紀に南フランスを中心にする地帯で盛ん になったカタリ派、ヴァルド派の異端運動を取

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です。自然の本来の姿は「漆黒の闇」に浮いている。 別名、これを、幽玄とも呼ぶ。 浜口陽三は、メゾチントと呼ばれる銅版画の技法 で「漆黒の闇」を描き出しました。銅板の表面に「ベ ルソー」という道具を用いて、一面に微細な点 線 を打ち、微妙な黒の濃淡を表現するものです。この 多彩な「漆黒の闇」に、ブドウ、サクランボ、クル ミ、果物、貝、蝶を浮かべていく。 浜口陽三の版画『蝶と葉』で、薄紅色の蝶は闇夜 に浮かぶ夢幻(まぼろし)のようで、また、薄紅色 の蝶は萩原朔太郎の「花瓦斯のような明るい月夜」 の紅月のように浮遊しています。 ) (

重たいおほきな羽をばたばたして ああ なんという弱々しい心臓の所有者だ。 花瓦斯のような明るい月夜に 白くながれゆく生物の群をみよ そのしづかな方角をみよ この生物のもつひとつのせつなる情緒をみよ あかるい花瓦斯のような月夜に ああ なんという悲しげな いじらしい蝶類 の騒擾だ。

『青猫 萩原朔太郎詩集』(集英社文庫)

萩原朔太郎でも、浜口陽三でも、港千尋でも、自然 の漆黒の闇、つまり、自然の奥行きの深さを凝視し ている。ピカソでも、サルトルでも、アンドレ・ブ ルトンでも、ブリキの表面をただ黒く塗った虚空を みているだけなのではないか。ギュンターグラスの 『ブリキの太鼓』の中世的世界観でしょうか。ある いは、天国と地獄、神と悪魔、善と悪、等の二光線 タペストリー文化。

「漆黒」は、鉄粉の一部が鉄イオンとなり、ウル シオールと錯体を形成することによってでき、この 「漆黒」は全ての可視光を吸収する深い 黒 で深い 闇」です。つまり、「漆黒」は 色彩 に対するアン チテーゼです。この漆をもちいて描かれるのが、漆 画です。漆画はこの「漆黒」のみならず、イコンの ような立体的なレリーフ感が出せますし、ひび割れ た感じや肌触り、光沢や渋みなど、油絵にない独特 の表現が出来ます。中国武漢での漆画展、ここには 中国はもとより、台湾の作品が陳列され、漆画の描 き方からして象形は、「写実」というよりは、脳内

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」 「


魔」をしばしば彼の身近に感じていたことは 事実である。[……]ルターは、悪魔がいた るところで彼につきまとい、特に夜に、彼の もとを訪れるのを感じとっていた。ルターに とって、悪魔は「憂愁の霊」であり、サウル 王が悩まされ、ダビデが竪琴を弾いてこれを 癒さなければならなかった、あの悪霊のよう なものであった。[……]ルターがすべての 論議を持ち出すと、彼の敵対者たる悪魔がそ れをくつがえす。 そして、 このことを通じて、 ルター自身は、さらに悩み苦しまなければな らないことになる。[……]彼が悪魔のなま なましい活動を想い起こしはじまたのは、だ いぶ後年のことである。その頃ルターは、肉 体的に病弱となり、急いで多量の飲食物をと っていたので、それがひどくなっていた。そ して、とにかく両親の家からもち出してきた 悪魔信仰(デモノロジーノーロジー)にます ます熱中していた。 高橋義人の本書(『悪魔の神話学』)は「堕天使 説」、「原罪説」、「魔女実在論」を含むキリスト

教デモノロジーの教説がことごとく虚偽であるとい う立場に立っております。

西欧の精神構造ターペストリが、[悪魔]と[魔 薬] の縦と横の糸で織りなされていることが分かり、 ドンコロおじさん的には、西欧の精神構造の謎が、 一気に解けた感じがします。しかし、数学の難問を 解いたようなすがすがしさは微塵も感じません。な んというか、西欧の精神というか魂というかは、底 の浅い闇に造花が浮いている感じがするだけです。 偽物糸と偽物糸によるターペストリ。絵画・芸術か ら、思想・哲学から、詩・文学から、滲み出す虚し さとでもいいましょうか。ピカソの絵から滲み出す 虚しさ、サルトルの実存から滲み出す虚しさ、アン ドレ・ブルトンのシュールレアリズムから滲み出す 虚しさ。虚無と言うより、たんなるむなしさ。 港千尋によると、虚空=ヴォイド空間は心の虚形 です。虚空=ヴォイド空間は、「漆黒の闇」です。 「漆黒の闇」とは、あらゆる色が塗り込められた、 曼荼羅の極限です。光の出てこないブラックホール とは逆で、あらゆる色の光り放つ空間が「漆黒の闇」

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ルバロッサ (中略)によって帝国直属の自由都 市に取り立てられました。 (中略)しかし、宗 教改革者ルターが考え方や心のあり方におい てはかなりの程度まで中世的な人間で、一生涯 悪魔と格闘したように、新教(プロテスタント) の町リューベックにおいても、さらには共和制 的都市としてビスマルク帝国の一員となった リューベックにおいてすら、ゴシック的中世の 雰囲気が濃厚でした──そして、この場合、私 が思い出すのは、市門や城壁を備えた尖塔が聳 える都市のたたずまい、聖母教会(マリーエン キルヒエ)にある死の舞踏の絵画から発する滑 稽で無気味な戦慄感、昔の手工業ギルドや鐘造 りや食肉業者などに因んだ名前をいまだに残 したものが多い、曲がりくねって魔法をかけら れているような感じのする路地、絵のように美 しい市民の家々などのことだけではありませ ん。いや、雰囲気そのものの中に、ある種の人 間の心情──そうです、いわば十五世紀末の数 十年間における人間の心情の状態、中世末期の ヒステリー、潜在的な伝染性精神病のいくらか が残っていたのです。合理的で冷静な近代的商

業都市についてこんなことを言うのはおかし なことですが、ここでは突発的に少年十字軍運 動や集団舞踏病や、その他民衆の神秘的な放浪 を伴う十字架奇蹟の興奮その他似たような事 象が起きるということが考えられたのです。─ ─要するに、古代的神経症(ノイローゼ)的な 下地が感じられました。 ゲーテの『ファウスト』は、中世と人文主義 の境界線上にある人間、不遜なる認識衝動から、 魔術に、悪魔に身を委ねる神的人間を主人公に しています。知性の高慢さが心情の古代的偏狭 さと合体する時、そこに悪魔が生まれます。そ して悪魔は、ルターの悪魔もファウストの悪魔 も、私にはきわめてドイツ的な形姿のように思 われて仕方がありません。悪魔と盟約を結ぶこ と、魂の救済を放棄してしばらくの間にこの世 のあらゆる富と権力を手に入れるために悪魔 に身を売り渡すことは、ドイツ的本質に何か独 特に近いものがあるように思われてなりませ ん。この世の快楽と世界支配への欲求から魂を 悪魔に売り渡す孤独な思想家、研究者、僧坊に 閉じこもる神学者、哲学者──ドイツが文字ど

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で良く練られた「抽象」に近いです。ここに欧米絵 画を認めることが出 画とはまったく異次元の 抽象」 来ます。そしてそれらは概して大変素晴らしい。 ベトナムのホーチミン市にホーチミン市美術博物 がありますが、ここにも素晴 館 らしい漆画がたくさんあります。すぐ隣の展示室に は、ベトナム人画家の油絵コーナーがありますが、 西欧のまねで痛々しくもあります。油絵による抽象 画は、ある程度の技術のあるものなら善し悪しは別 にして誰でも描けるような感じで、その酷悪さも簡 単に真似ができるのでしょう。 伝統的美感・観は伝統的技 (わざ)の中に潜んでい る。現代欧米の油絵のような観念画(本当は分裂画) が、西欧現代三派(フランス、ドイツ、オランダ) とアメリカ合衆国で大量生産される不思議 (コード) に、 ドンコロ探偵団は遭遇しました。悪魔 と 魔薬 の縦と横の糸で織りなす現代絵画には油絵技法が最 適なのでしょうか。とくに現代絵画には、「スピー ドボール」が要求されているようですから。脳内の 幻覚を一瞬で描きとめる必要があるため? 構想力 よりも瞬発力が今は求められているのかもしれませ ん。

6 トーマス・ マンとギュンターグラスの風水土

トーマス・マンとギュンターグラスの生誕地は、 ともにバルト海沿岸のそれぞれリューベックとダン ツィッヒです。この中世の街は、ともにハンザ都市 として重要な役割を果たしていましたが、資本主義 の発達とともに、衰退していきます。それは両都市 とも、木材資源の集配地でしたが、イギリスやオラ ンダの興隆とともに単なる通過点になってしまった からに他なりません。しかしながら、トーマス・マ ンとギュンターグラスを読むと、その中世の街の雰 囲気はまるで悪魔的です。それは、やはり森林資源 の略奪と関連しているのかもしれません。

( 1) トーマス・ マンの生誕地 トーマス・マンの生誕地はバルト海に近い、古い リューベックでした(トーマス・マン『講演集 ド 岩波文庫) 。 イツとドイツ人 他五篇』(青木順三訳、 かつてはハンザ同盟の本部所在地で、十二世 紀半ば以前にすでに建設され、十三世紀にはバ

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) m u e s u M s t r A e n i F (

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ヴィスワ川は、 ポーランドで最長の川で、 ったものにし、悪化させることになったのです。 あります。 全長は1047キロで、流域面積はポーランド国土 トーマス・マンは、かように「ルターの魂の古代 の60%以上におよび、 バルト海に注ぎます。 また、 性(悪魔の存在)」がドイツ・ロマン派を高揚させ グダニスク、トルン、ワルシャワ、カジミエジュ・ たことが、さらなる悲劇に繋がっていったと述べま ドルヌィ、サンドミエジュ、クラクフなど、 中世以 前の時代からの街の多くが、ヴィスワ川沿いに発展 した。 し、まさに、ヴィスワ川は、ポーランドの母なる川 ( 2) ギュンターグラスの生誕地 です。 ギュンターグラスは、1927年、バルト海の港 この川は『ブリキの太鼓』にも出てきますが、 「放 火犯の祖父のヨーゼフ・コリヤイチェクは逃亡し、 町ダンツィヒ( Danzig )に生まれました。現在のグ ダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)です。「グダニス 祖母のアンナ・ブロンスキーにかくまわれ、いかだ ク」という地名は、ここを流れるモトワヴァ川(ヴ 師の職にありつき」、「大きないかだを組んでキェ ィスワ川支流)の古名であるグダニャ川から来てい フからプリペート川をさかのぼり、運河を経由して るそうです。 ブク川をモドリンへ、さらにそこからヴィスワ川を ダンツィヒは、また自由都市(自由都市ダンツィ 下っていく」。このヴィスワ川は、キェフのドニエ ヒ)として有名で、(1)ポーランド(およびプロ プル川、そしてドニエプル川を介して黒海まで通じ イセン連合)時代(1569~1806)、(2) ているのです。ポーランドの森林はもとより、スラ ナポレオン時代(1807~1815年)、(3) ヴのウクライナ等の大森林地帯にまで通じています。 オランダの河口(泥炭・湿地)のフリース人がラ 両大戦間期(1920~1937年)の3度にわた イン川を通って、ネッカー川全流域の自由貿易に関 り自由都市が存在しました。 する取り決めをし、シュバルツバルトの木材がこの 川を通してオランダまで運ばれました。この木材が このダンツィヒはヴィスワ川( Wisła )が分岐し たモトワヴァ川の河口にあり、港湾で低湿地帯でも

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おり悪魔にさらわれている今日こそ、ドイツを このようなイメージにおいて眺めるのにまさ にふさわしい時機ではないでしょうか。 トーマス・マンは、ルターの宗教改革から、ドイ 、マ 、ン 、派の高揚を見て取ります。トーマス・マ ツ・ロ ンによると、「ルターがヒットラーを胎動」させま 、マ 、ン 、派の した。ルターの宗教改革から、ドイツ・ロ 高揚がみてとれ、それは、「地底の世界に通じるよ うな非合理的で悪霊(デモーニッシュ)的な生命力 に近いところ」にあり、これは、ルターがこだわっ て創りだしてしまった「悪魔」の世界です。 時折、とりわけドイツの歴史を考察していると、 この世界は神ひとりが創造したものではなく、 他の何者かとの共同の作品なのだという印象 を受けます。悪から善が生じうるという恩寵に 満ちた事実は、神様のおかげである、とよく言 われます。善からかくもしばしば悪が生じうる ということ、これは明らかに他の何者かの仕業 でありましょう。ドイツ人は、なぜ、ほかなら ぬ自分たちの場合に限って、あらゆる善が悪に

転化してしまうのか、なぜ自分たちの手にかか ると悪に変わってしまうのか、と問うかも知れ ません。彼らの根源的な普遍主義、世界主義、 彼らの内的な広大無辺性を考えてごらんなさ い。それは、ドイツ人の古い超民族国家である 「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」の精神的付属 物と看做されてよいものでしょう。それは極め て肯定的に評価されるべき資質でありますが、 しかし、一種の弁証法的転化によって悪に変わ ったのです。(中略) ドイツ人の内面性の偉大な歴史的事業は、ル ターの宗教改革であります──われわれはこ れをひとつの力強い解放の事業と呼びました。 つまりこれは、やはりよいことだったのです。 しかし、ここに悪魔の手が働いていたことは明 らかです。宗教改革は、西欧の宗教的分裂とい う紛れもない不幸をもたらしました。そしてド イツには三十年戦争をもたらし、これによって ドイツの人口は減少し、ドイツの文化は宿命的 な後退をやむなくされ、乱脈な生活や悪疫の流 行によって、ドイツ人の血を、それが中世にお いて持っていたかも知れないものとは多分違

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と呼ぶことにします。

」 「 」

」 「

アルフレッド・W・クロスビーは、ヨーロッパ帝 国主義の歴史的実体を、生態学的視点から記述し、 これはなかなか刺激的な試みです(『ヨーロッパの 帝国主義 生態学的視点から歴史を見る』(佐々木

1 生態学的帝国主義とは?

第5章 ドンコロおじさんの資本論

、会 、の犯罪は、地球史的規模の犯罪 西欧宗教三派協 となっていくわけです。

いとしても、 免罪符 になると、もう完全に 魂 の 商いですよね。というか、 免罪符 で 魂 は商いで きるという、大発見がその後の[シュバルツバルト メカニズム]を生み出し、植民地主義、資本主義、 帝国主義へとまっしぐらに進んだわけですね。

一神教は、異教徒に対して、絶対優位で、排他的、 寛容性がなく、攻撃的で、略奪的であると、考えて 、会 、の特徴です。 きましたが、それは西欧宗教三派協 イスラム教も東方教会 (ギリシャ正教やロシア正教) 、会 、がいうほど、悪魔的ではあり も、西欧宗教三派協 ません。なにしろ、『ナグ・ハマディ文書』の「ト マス福音書」には、「イエスのみならず、われわれ のなかにも神はいる、われわれもまた天の父の子で ある」と記述されており、これがイエスの本来の言 葉でしょう。高橋義人は、 三位一体 といった、オ カルト思想は、「マルコ福音書」「マタイ福音書」 「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」の四福音書が造り だした虚妄と推察しています(『悪魔の神話学』岩 波書店)。 ということは、「マルコ福音書」「マタイ福音書」 「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」をもとにした教会 、会 、化して、魂の商い(ビ は、初期からすでに一部協 ジネス)を展開していたということですかね。 教会税はある程度組織の維持のためにしょうがな

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大航海時代の雌雄を決していきます。ダンツィヒと ヴィスワ川は、ネザーランドとライン川・ネッカー 川と酷似しています。各国の利権争いの構造は違い ますが、自由都市的システムが生まれてくる必然性 がみてとれます。別に、自由を愛したからでなく、 利権の微妙なバランスとして、自由都市的システム が生まれてきたのです。そして、その鍵が森林資源 の収奪機構です。みんなでよってたかって森林から 美味しい汁をすう、 それが自由都市的システムです。 『ブリキの太鼓』で、ダンツィヒは、(1)ギュ ンターグラスの生誕地であるとともに、 (2)泥炭・ 湿地が多く、森林の大破壊を引き起こしたヴィスワ 川の河口(実際の河口はヴィスワ川支流のモトワヴ ァ川)で、(3)自由都市的システムをつくった、 という意味で重要地点です。『ブリキの太鼓』はド イツの精神基盤に悪魔性が眠ることを、メルヘンタ ッチで描いた恐るべき小説ですが、それはただ、中 世のダンツィヒの街の精神文化を発掘しただけかも しれません。 『ブリキの太鼓』はメルヘンなのですから、当然、 悪魔がでてきます。しかも2種類。1種類は、ダン

ツィヒの海事博物館にあった、海賊が拿捕した帆船 の船首像で、これは魔女です。もう一つの悪魔は、 オスカル自身で、聖心教会での洗礼で、「神」に耐 え忍んださまが描かれます。

ハンザ同盟自体は、資本主義の一つの駒にすぎな かったようですが、ただ、[シュバルツバルトメカ ニズム]と共通するところがあれば、それは内部に [悪魔]を擁していたことでしょうか。

、会 、の犯罪 7 西欧宗教三派協

ドンコロおじさんはこれまで、キリスト教をマイ ナスの宗教と見なしてきましたが、 それを限定して、 ローマカトリック教会に絞りました。しかし、どす 黒い陰謀を仕組んだのは、教会や信仰によるもので はなく、その商業システムであるとの結論に達し、 この商業システムを運営する組織を、ローマカトリ

、会 、、プロテスタント協 、会 、、ユダヤ協 、会 、と区別・ ック協

、会 、 定義し直して、これらを纏めて、西欧宗教三派協

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として、地理的、生態学的な幸運のおかげであ った。 ヨーロッパ以外の社会も、工業化のスター ト・ラインでは横一線に並んでいたが、生態環 境的な要因が作用して、押し戻されてしまった。 資本蓄積を推進する諸条件が整うと、人口増加 も促進されてしまい、投資率を上昇させるよう な剰余は発生しなかったのである。工業が発展 すると、建築資材や燃料としての森林がなぎ倒 されたし、増産を迫られた農民たちは、耕地の 地味を枯渇させてしまった。いずれの社会も、 自国内の生態資源だけでは「大躍進」を達成す るのに十分ではなかったのである。 ヨーロッパだけが「大躍進」を実現できたの は、棒高跳びの選手がポールを利用するように、 新世界を利用したからにほかならない。たとえ ば、イギリスは、工業化の初期局面では、その 木材と食糧の多くを新世界から獲得し、その輸 入量はますます増えていった。 クロスビーによると、「ヨーロッパ以外の社会も、 工業化のスタート・ラインでは横一線に並んでいた」

が、生態環境的な要因により、ヨーロッパだけが「大 躍進」できた、そうです。クロスビーは、「西ヨー ロッパがそれを成し遂げられたのは、その残忍さと 武力、および、さらに重要な要因として、地理的、 生態学的な幸運のおかげであった」と指摘し、「地 理的、生態学的な幸運」についてよく説明してくれ ています。残念なのは、「残忍さと武力」の生態学 的由来についてはほとんど触れていないことです。 ここに、ドンコロ探偵団が読み解いた、[シュバル ツバルトメカニズム]を補うと、「残忍さと武力」 の生態環境要因がいっそう明確になるはずです。シ ュバルツバルトにせよ、新世界にせよ、自然資本を 無差別に食い尽くす倫理(論理)を宗教の名を借り

、会 、のメカニズムこそが、西 て構築した、宗教三派協 ヨーロッパの「大躍進」の源泉です。そういう意味 で「ヨーロッパ以外の社会も、工業化のスタート・ ラインでは横一線に並んでいた」のですが、人倫に もとる活動をしなかったというだけです。クロスビ ーは、地球規模の生態環境要因に逃れて、西欧の宗

、会 、が造りだした[シュバルツバルトメカニ 教三派協 ズム]が 大躍進」の原点であることをまったく見逃

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昭夫訳、ちくま学芸文庫)。西欧歴史学的の創作的 歴史にうんざりさせられてきた、ドンコロおじさん には刺載的です。しかし、依然としてヨーロッパ植 民地主義や帝国主義の起源にせまっているとはいい がたいものです。 しかし、ヨーロッパ帝国主義の実体は、 欲望」と 「生態学的幸運」と「殺戮」の三位一体で、 理性」 とは真逆のメカニズムによることを解明し、神学的 創作歴史に対置していることは高く評価されます。 「

これは長大な内容ですので、川北稔の背表紙の解 説により、把握すると以下のごとくです。 南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーラ ンドといった温帯には、ヨーロッパに由来する 住民が多い。これらの地域へのヨーロッパ人の 進出──帝国主義は、なぜ成功したのか。その 謎は生物学的・生態学的考察を抜きにしては解 き明かせない。本書は、「雑草」「野生化した 家畜」「ヒトと結び付いた微生物」の三つが、 軍事力以上にヨーロッパ人の痤捲を後押しし たことを巧みな叙述で実証する。10世紀以降 の世界史を壮大な視野から描きなおした歴史

学者クロスビーの代表的名著。

この本の原題は、『 Ecologial Imperiaalism 』で、 「雑草」「野生化した家畜」「ヒトと結び付いた微 生物」 の三つが帝国主義を可能にしたという意味で、 ドンコロおじさん的には、新種の「生態学的三位一 体」説ですが、生態学も歴史の解釈・構築に貢献し うるという意味で、まさに新鮮な驚きでした。 クロスビーは第二版への序文で、次のように述べ ます。 工業化を達成するには、どの社会であれ、少 なくともその生産性を「劇的に向上」させる必 要があったはずである。「大躍進」後の今日の 世界は、様々な科学的、技術的革命や産業革命 のおかげで成り立っているが、「大躍進」は、

、提 、条 、件 、だっ そうした諸革命の結果ではなく、前 たのである。それは、この「大躍進」が実現し た地域以外の、すべての大陸の生態系と鉱物資 源と人的資源を犠牲にして、はじめて成就され たのである。 西ヨーロッパがそれを成し遂げられたのは、 その残忍さと武力、および、さらに重要な要因

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西欧の都市の不潔は、つとに有名ですが、NHK の「ブラタモリ パリ をみると、それを一層実感で きました。パリの路地道の中央に、溝が掘ってある 通りが現在も残っていて、これはなんと、路面での 下水(汚物の糞尿)の排水のための溝です。部屋に トイレがなく、上から放り投げていて、それを避け る庇まで構造化されていました。上から糞尿を落と 」

(水に気を付けて)という、か す際、 Gare à l‘eau! け声まであったとか。そういえば、建物の中庭は、 汚物溜めだったと聞いたことがあります。ロンドン も似たような状況。つまり、西欧の都市は、いずこ もにたりよったりで、バイ菌の培養窟であり、これ が、新大陸の征服の最大の武器となったというので すから、なにが功を奏すか歴史とは摩訶不思議なも のです。 西欧が得意の、合理的精神と理性をもってして新 大陸を征服し、それに基づき資本主義が発達したと いうなら、それは、糞尿まみれの「合理的精神と理 性」ということになります。なるほど、西欧 理性 は臭いはずです。 もう40年近く前にもなりますが、パリは不潔で

冷たい石の街で、まだ、極度に、フランス語を優位 とするフランス白人の差別文化が露骨に残っている 印象の街でした。普通のレストランの食はどれも不 味く、極度にサービスが悪い。ポンピドーセンター を見せられ頭が混乱し、華のパリは、ボードレール に因んで「悪の華」の都と体感しました。これが、 西欧における、ドンコロおじさんの原点なのです。 このころはまだ、路は犬の糞にまみれ、壁は小便く さく、 これを書きながらまざまざと思い出します (ベ ルサイユ宮殿に行く途中は未だにその面影が残って いますが)。忌まわしい。真夜から明け方にかけて 時差ボケでボーッとしていると、外がシャーシャー とうるさい、何かと見ると、路の全ての消火栓から 大量の水が噴出している。これは路の自動洗浄のよ うで、このシャーシャーまで思い出します。フラン スの文化なぞ、臭いとしか思わない(ドンコロおじ さん、おさえておさえて)。

2 資本主義の起源

帝国主義の屋台骨を支える、資本主義はいかよう

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」 「

しています。 無 からは何ごとも生まれない! クロスビーは、生態学的三位一体(「雑草」「野 生化した家畜」「ヒトと結び付いた微生物」)が、 ヨーロッパが新大陸で大躍進(大成功)した鍵とい っています。ドンコロおじさんは、これを大躍進(大 成功)とは考えていません。人倫にもとる[シュバ ルツバルトメカニズム]の拡大です。以下、クロス ビーによるその三つの構成要素です。(「雑草」が なぜそれほど重要なのかは、ドンコロおじさんには 理解できませんでしたが) 雑草:中東的農耕技術は大量の大麦と小麦を生 産するが、一年間に二度、播種前と収穫後に耕 地は何も生えていない状態となる。すべての種 子はいっせいに蒔かれ、いっせいに実りをむか えるからだ。いろいろな耕作のしかたの中でも 、草 、という栽培植物を不可 特にこのやり方は雑 避的に生み出す。雑草は作物としての植物と同 様に農夫が創り上げた。 家畜の飼育:狩猟民、採集民の飼育動物はただ

一種、すなわち犬だけだった。新世界の農夫と 牧夫はわずか三種か四種を飼育したに過ぎな い。ところが旧世界の文明化した民族は、牛、 羊、山羊、豚、馬、その他の群れを所有してい た。 (中略)ヒト、四足獣、鳥類、そしてそれ ぞれに寄生する生物といった異なる種の生物 が密着して生活していることの「共働効果(シ シェアジステイクエフェクト)は、多くの新種 の病気を生み出し、また古い病気の変種をうん だ。 天然痘、牛痘、ジステンバー、牛疫、はしか、 インフルエンザ等。

感染症:炎熱、多湿のアメリカが人種的混交の 地になることを決定した最も重要な因子は、病 気だった。インディアンは消え去り、ヨーロッ パ人移住者は苦心惨憺やっと生命を保ってい た。そこで大西洋を渡って通商に精を出す起業 家たちは、インディアンに代わり何百万ものア フリカ人を連れて来て、湿度の高いアメリカの 熱帯で働かせた。その結果が、今日のネオ・ア フリカであり、混合社会である。

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柱とした[人倫]で、したがって資本主義の創出の 原動力は[人倫]であるという、一種の単純な三段 論法です。 しかし、先の合理化と禁欲的精神の説明の文章を 読んでいて、カトリックとかカルヴィニズムとかル ッター派とかプロテスタンティズムにおける宗教的 な文面を、強欲金融資本主義者と読み換えると、現 代でもそのまま意味が通じます。強欲金融資本主義 者が正義面をして「われわれの行いは正しい、市場 を開放しろ、心配することはない」とかいうのを聞 くと、ヴェーバーは現在でも現場では活用されてい るようで、思わず吹き出してしまいます。 資本主義の表の顔は、マックス‐ヴェーバーのい うように人倫なのでしょうが、裏の顔は、強欲その ものです。つまり、マックス‐ヴェーバーの[人倫] 、査 、と倫理的意義の熟 、慮 、のもと合理 は、不断の自己審 化をおこなえば、なにをやってもよいという、強欲 金融資本主義の[人倫]なのです。マックス ヴ-ェー バーの経済学は現在ではまったく通用しませんが、 強欲金融資本主義の倫理(論理)(つまり[人倫]) を代弁しているようで、その意味では、現代の、特

にアメリカ合衆国の強欲金融資本主義を預言するよ うな、 預言の書とも言えます。 ドンコロおじさんは、 [人倫]を強欲金融資本主義の御用思想と理解して います。

( 2) ヴェルナー・ ゾンバルトのユダヤ人資本主義起源 説 ヴェルナー・ゾンバルトは『ユダヤ人と経済生活』 (金森誠也訳、講談社学術文庫)で、マックス‐ヴ ェーバーのピューリタニズムと資本主義との間の関 連についての研究に触発されて、「資本主義の精神 の形成にとって実際に意味があったように思われる ピューリタンの教義の構成要素のすべてが、ユダヤ 教のもろもろの理念からの借り物であった」ことか ら、資本主義の創設は、ピューリタニズムそのもの よりも、ユダヤ人に負うところが大きいと考えまし た。むしろ、ゾンバルトは「ピューリタニズムはユ ダヤ教である」とまで言い切っています。ユダヤ人 の合理主義は、「四つの基本的特性」:主知主義、 目的論、主意説(エネルギー尊重主義)、可動性に 柔軟に接近し、新たな社会システムである資本主義 を胎動させ、そして、実際ユダヤ人が資本主義の運

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に成立したのでしょうか。 -

( 1) マックス ヴェーバーの人倫 マックス‐ヴェーバーは、 プロテスタンティズム、 とりわけカルヴィニズムの 人倫 が資本主義を生み だす原動力となったと説きます(以下、マックス‐ ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主 義の精神』大塚久雄訳、岩波文庫より)。 十六、七世紀に資本主義の発達がもっとも高 度だった文明諸国、すなわちオランダ、イギリ ス、フランスで大規模な政治的・文化的な闘争 の争点となっていた、したがってわれわれが最 、ル 、ヴ 、ィ 、ニ 、ズ 、 初に立ち向かわなければ信仰は、カ 、だ。当時この信仰のもっとも特徴的な教義と ム され、また一般に、今日でもそう考えられてい 、恵 、に 、よ 、る 、選 、び 、の教説[予定説]である。 るのが恩 カルヴィニズムの神がその信徒に求めたも 、 のは、個々の「善き業 (わざ)」ではなくて、組 、 ) に まで高められた行為主義 織 ( System )だった。カトリック信徒た ( Werkheiligkeit

ちの罪、悔い改め、懺悔、赦免、そして新たな 罪、それらのあいだを往来するまことに人間的 な動揺や、また、地上の罰によって償い、聖礼 典[秘蹟]という教会の恩恵賦与の手段によっ て全生涯の帳尻が決済されるというようなこ とは、カルヴァン派信徒のばあいには全く問題 にならなかった。こうして、人々の日常的な倫 理的実践から無計画性と無組織性がとりのぞ

、 かれ、生活態度の全般にわたって、一貫した方 、が形づくられることになった。 法

マックス‐ヴェーバーの『プロテスタンティズム の倫理と資本主義の精神』を要約すると、「近代資 本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の

、職 、理 、念 、を土台 本質的構成要素の一つというべき、天 とした合理的生活態度は──この論稿はこのことを

、リ 、ス 、ト 、的 、禁 、欲 、の 証明しようとしてきたのだが──キ 精神から生まれ出たのだった」につきます。それを 一語でいうと[人倫]です。資本主義の萌芽は、プ ロテスタンティズムの影響力の強い地域でみられ、 プロテスタンティズムの基本精神は合理化と禁欲を

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きびしく実施された異端糾問によって、それに つづく世紀の間に、土地から追い出された。ス ペインとポルトガルのユダヤ人の大多数は、十 六世紀とくにこの世紀末期に、他の国々に移住 した。そしてこの時代にはまたスペイン ポ-ルト ガルの国民経済の成行きがおかしくなった。 オランダの国民経済の発展が、一六世紀末期、 突然の衝撃とともに(資本主義的意味におい て)向上したことはよく知られている。最初の ポルトガル系のマラノスは一五九三年にアム ステルダムに移住し、まもなく後続の移住者を 迎えた。 (中略)一八世紀のはじめ、アムステ ルダム在住のユダヤ人「世帯」だけで二千四百 と算定されている。彼らの精神的影響は、すで に一七世紀の中頃でも卓越していた。国家法の 学者や国家哲学者たちは、古代ヘブライ人の国 家こそオランダの憲法もそれに準拠して制定 すべきほどの模範的国家であったとのべた。ユ ダヤ人自身もその頃のアムステルダムを彼ら の新しい巨大なエルサレムであるといった。 ヴェルナー・ゾンバルトは新大陸でのユダヤ人の

華々しい活躍を述べます。むしろ、新大陸こそ、ユ ダヤ人の造った世界と言わんばかりです。ドンコロ おじさんは、[シュバルツバルトメカニズム]を強 力に動かすために人的動力源がいかに確保されたか が問題と考えています。ピューリタンの[人倫]で もユダヤ人的「主知主義、目的論、主意説、可動性」 も、実際に資本主義を駆動したどす黒い「悪魔の思 想」からすると、お上品で、ドンコロおじさんはつ いていけません。

ヴェルナー・ゾンバルトは新大陸へのユダヤ人の 〝貢献〟を次のように述べます。 さらにコロンブス遠征の物質的基礎はユダ ヤ人が提供した。ユダヤ人の金が、コロンブス の二つの最初の旅を可能にした。(中略) コロンブスの第二の遠征もまたユダヤ人の 資金によって準備されたが、今回はもちろん自 発的に寄付されたものではなかった。今回の遠 征は、追放されたユダヤ人の残留資金を一四九 三年に、アゴランのフェルディナンド王が国庫 に没収させた資金によってまかなわれたのだ。 しかしそればかりではない。コロンブスの船

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営に係わったといいます。この洞察にゾンバルトを 導いたのは、15世紀の末期から17世紀の末期ま での間にほぼ完成した、経済の重心の変動、すなわ ち、南ヨーロッパから北西ヨーロッパの諸国へと移 らせたヨーロッパの経済生活における重心の変動を 理解しようとした努力の結果であった、 といいます。 スペインの突然の没落、オランダの突然の興 隆、イタリアとドイツにおける多くの都市の衰 退、それに他の諸都市、たとえば、リヴォルノ、 リヨン(一時的)、アントウェルペン(一時的)、 ハンブルグ、フランクフルト・アム・マインの 繁栄は、わたしにこれまでの理由づけ(東イン ド諸島への航路の発見、国家間の力関係の推 移)だけではけっして十分に説明されていない と思われた。そのとき突然、わたしには、様々 な国家と都市の経済的運命と、その頃、自分た ちの地理上の居住地の、ほとんど完全な変動を またもや体験したユダヤ人の運命との間の、当 初は全く外面的な平行性が明らかになってき た。 そして、くわしく見ていくうちに、わたしに は疑う余地のないほどはっきりと、実際に移住

した土地に決定的に、経済的繁栄をもたらした のもユダヤ人であれば、退去した土地に、経済 的な衰退をもたらしたのもユダヤ人であった という認識が生まれた。 まず他の何ものにも先がけて思いをはせな くてはならない壮大な世界史的出来事は、ユダ ヤ人のスペインおよびポルトガルからの追放 であろう(一四九二年、一四九五年、それに一 四九七年)。コロンブスが、アメリカを発見す るために、パロスを出帆した日(一四九二年八 月三日)に、三十万人のユダヤ人が、スペイン からナヴァラ、フランスへ、そしてポルトガル へ、また東方へと移住させられたことをけっし て忘れてはならない。しかもヴァスコ・ダ・ガ マが、インド航路を発見した年にイベリア半島 の他の部分、つまりポルトガルがユダヤ人を追 放したのだ。 ユダヤ人のイベリア半島からの公式な追放 は、同地における彼らの歴史をただちに終わら せたわけではない。まずはじめは多くのユダヤ 人が仮装したキリスト教徒(マラノス)として 残留した。彼らは、フェリペ三世以来とりわけ

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言葉「人間が神となった西欧近代」はまるで詩のよ うに書かれています。 伝統社会の すべての価値体系を見直し、 それまで存在しなかった価値体系を 創出するために案出された 文明と文化の思想。 人類史上初めて紡がれた この思想から、 人間が神となった 西欧近代を問い直していく。 なんと素晴らしい17、8世紀の西欧近代の定義 でしょうか。西欧近代は、 神 に変わって、「人間 が神となった」というのです。 神 はどうなったの ですか? 神 は多分、悪魔 にされたのです。神 があたえたはずの「人倫」が、悪魔の倫理(魔倫) に変貌させられたのですから。

1 文明」 と「 文化」

松宮秀治は、「「文明」「文化」とは西欧の啓蒙 主義思想が案出した概念であり、地上における人間 の営みの総体を支配しているのは神のような絶対的 な超越者ではなく、人間自身が自らの全行為の主体 的決定者であるとするこの概念の成立によって、人 間の運命は超絶者の意志の支配から離れ、人間自身 が自らの歴史の支配者となり、世界が自己の意志に よって主導されるもの、つまり歴史とは人間の意志 によって変革可能なものとみなされるようになった ということである」といいます。それを、歴史に則 して具体的にいえば、啓蒙主義以後の西欧人の歴史 意識はキリスト教のいう神の意志と摂理による被造 物史観による「普遍史」から解放され、歴史とは人 類の自らの活動によって形成してきた「世界史」で あると認識されるものに転換したということです。 また、「文明」は進歩の観念と結合して人間が生 み出す技術的、 科学的成果という方向をとりながら、 人間社会の物質的豊かさを促進させる価値の総称と しての伝統社会の宗教的価値に代わる価値観念体系 となっていく(松宮秀治)。それに対して「文化」

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」 「

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には大勢のユダヤ人が乗りこみ、アメリカの土 地を最初に踏んだヨーロッパ人はユダヤ人の ルイス・デ・トロレであった。最近の「文書に よる」研究はそのように記している。 しかし、もっとすばらしいことがある。最近 コロンブス自身がユダヤ人だと宣伝されたの だ! ユダヤ人が中南米で獲得したこの堂々たる 地位は、なかんずく、一七世紀末から北アメリ カの英領植民地と、西インド諸島との間に出現 した密接な結びつきによって、重要性を増した。 この結びつきは、後述するように、ヨーロッパ 人支配の北アメリカを維持発展させたもので あり、本質的にやはりユダヤ商人によってつく られた。 ヴェルナー・ゾンバルトのユダヤ人資本主義起源 説はかなり具体的で説得力があります。中世のユダ ヤ人の移動は、[シュバルツバルトメカニズム]に も深くリンクしているでしょうし、「一六世紀末期 のオランダ国民経済の突然の衝撃的発展」へのユダ ヤ人の貢献が、[シュバルツバルトメカニズム]を

駆動したためと、ドンコロ探偵団は理解します。 したがって、 [シュバルツバルトメカニズム]が、 新大陸でも著しい成功を収めたのもユダヤ人の貢献 が大きいというのも、その通りかと思います。

しかし、この著しい成功の影にある、資本主義を 駆動させた動力機関としての人的労働機関がどう確 保されたか、むしろそのことを問うべきです。そこ が抜けてしまうと、資本主義の成立に関して、マッ クス‐ヴェーバーの[人倫]のような、間の抜けた 答えになります。それを解明すると、ヴェルナー・ ゾンバルトのように、資本主義の成立に関して、ユ ダヤ人を手放しで、誉め讃えることもできないはず です。

第6章 ドンコロおじさんの文化・ 文明論

松宮秀治『文明と文化の思想』(白水社)の帯の

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対する信頼の回復、探求と批判への積極的参 加、社会改革への関心、世俗主義の増大、あ えて危険に立ち向かおうとする意志の増大 を 特 徴 と す る 世 紀 で あ っ た 。 (中川久定ほか訳) 「神経の衰弱」という[ダウナー系文化]の衰退 を、17、8世紀の西欧の啓蒙主義が回復するとい っても、啓蒙主義自体が[ダウナー系文化]のなか に棲息しているのですから、これは、論理学的にい うと「自己撞着」以外の何物でもないでしょう。

3[ ダウナー系文化] の進歩主義 「文明」が啓蒙主義に、「文化」がロマン主義に 結びつけられてきたこと、またそうされつづけてい ることは内在的要因と歴史的要因の両面から理解さ れます(松宮秀治)。「文明」が進歩主義、科学、 技術主義、現実主義と結び付くのに対して、「文化」 が保守主義、芸術・内面主義、歴史主義に結び付く のは両概念の内包領域と観念体系(連合)の差異に

由来するものです。 西欧の「文明」「文化」を、[ダウナー系文化] として考えると、内に対してはたえず衰退と廃退を もたらし(悪魔の衝動)、外に対しては「進歩」と 称して打って出る理性や自由意志の吐露 (神の使命、 人倫)で、極端な二律背反的思想と行動をもたらす 文化(文明)のようです。

4「 ミュージアム」 という複合神殿装置

西欧近代は前近代の神に代わる新しい神々を創出 しました(松宮秀治)。 前近代の一神教が近代の多神教に変貌した だけで、近代社会も神々を必要としたのである。 西欧近代の神々のなかで最大級の権威をもっ たのが、「科学」「芸術」「歴史」という神々 であり、同じように神格的威力を発揮し、さら に神話的観念体系として近代人の価値観を支 配してきたのが、「進歩」「文明」「文化」と いう概念群である。いうなれば西欧近代の神学 は科学、芸術、歴史という神格を中心に教義が

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は人間の精神的、内面的な成果とより多く結びつく 方向で、人間の道徳的向上、人間性(フマニテート、 ヒューマニティ)の増進、情緒的豊かさ、知的向上、 教養の拡大を目指す人間的諸活動の成果全体を意味 する概念になっていく。 さらに、松宮秀治は、「別ないい方をすれば「文 明」とは、ヨーロッパ世界が非ヨーロッパ世界に対 する優越意識を明確に指標化するための観念体系を 支える基礎概念だ」というのです。そして「このヨ ーロッパ世界対非ヨーロッパ世界の対置の構造は、 ヨーロッパ内部での先進国と後進国の意識の相違の なかにもち込まれ、その概念使用に大きな差異を生 じさせる」といいます。

2[ ダウナー系文化] の克服 松宮秀治は、 世俗外禁欲であれ世俗内禁欲であれ、 本能の抑制、情念と感性の抑制を含む禁欲からの解 放こそが啓蒙の目標であったといいます。啓蒙の目 標とは、ドンコロ探偵団的には、[ダウナー系文化] の克服とみてよいでしょうか。

宗教的な禁欲は情念や感性の抑圧にとどま らず、人間性そのものの抑圧であるとするのが 啓蒙の根本思想である。それゆえ宗教的禁欲か ら人間を解放し、人間性を奪回することが啓蒙 の課題となる。人間性の奪回とは、人間を霊的 存在の範囲に押し込めるのではなく、人間を肉 体的存在者としても認めることである。 魂の神への回心、神との霊的な交感という高 次の霊的法悦ではなく、より低次の五感の物質 的快楽、食欲、性欲、物欲という人間の本姓的 な欲望をも人間性の基本的な構成要件として 認めること、これが啓蒙の宗教的禁欲を否定す る中核思想である。ピーター・ゲイのヨーロッ パ啓蒙主義の社会史を論ずる『自由の科学』は、 この禁欲主義と宗教的神秘主義からの解放を 「神経の回復」と名づけ、啓蒙主義の特徴を次 のように規定する。 一八世紀の経験──それに対して私は「神経 の回復」という名前を与えたのであるが──、 それはこの「神経の衰弱」という現象とはま さに対極をなすものであった。この世紀は、 神秘主義の衰弱、生への希望の増大、努力に

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1[ 文化帝国主義] ミュージアムとは 近代国家のミュージアムは、[文化帝国主義]の 誇示のためです。とはいえ、典型的な[文化帝国主 義]ミュージアムは、大英博物館(イギリス)、ル ーヴル美術館(フランス)、ペルガモン博物館(ド イツ)くらいです。この三派館は、植民地主義・帝 国主義丸出しで、自国の展示品は少なく、多くの略 奪品で飾られているのが特徴です。 しかも、 目玉は、 美術品というよりは、巨大建造物をこれでもかと誇 示する。略奪力の誇示で、これが文化・文明力をと 誇っている感じすらします。 つまり、 略奪力こそが、 生活を豊かにし、芸術を生み、文化をはぐくみ、文 明国としての資格をもつという、証明書なのです。 [文化帝国主義]ミュージアムとしては、展示数は 余り多くなくても、大英博物館がダントツで、つい で、ルーヴル美術館、ペルガモン博物館の順でしょ うか。ニューヨークのメトロポリタン美術館は世界 最大規模で世界三大美術館のひとつといわれていま すが、[文化帝国主義]ミュージアムとしては、三 流です。滓です。もう獲ってくる物がなかったから でしょうか。植民地がほとんどなかったからでしょ

うか。一方、アジアやアフリカの民族学的展示品は 膨大で、これは見応えがあります。

大英博物館:古今東西の美術品、書籍など約80 0万点を収蔵し、 約15万点を常設展示しています。 収蔵品には大英帝国時代の植民地から持ち込まれた (略奪した)ものも多く、一級の[文化帝国主義] ミュージアムで、文句なしの三つ星。

ルーヴル美術館:「ルーヴル ( louvre )」の語源 については複数の説がりますが、森の中に建てられ たこ とから 「オーク」を 意味する フラ ン ス語

「 rouvre 」からという説が、ドンコロおじさんには お気に入りですが、そうだとすると、オークの森を 破壊して建てたということになるので、後に見るよ うに西欧ドンコロ一族の虐殺の象徴的館であったこ とになります。 収蔵品38万点以上で、世界各国の先史時代から 19世紀までの様々な美術品が3万5000点近く 展示されていますが、威圧度は大英博物館に比べる と小さく、[文化帝国主義]ミュージアムとしては 二つ星。

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形成され、進歩、文明、文化の観念体系に沿っ た近代神学の教理問答(カテキズム)が展開さ れてきたのである。西洋近代は確かに合理主義 精神と分析知を推進させてきたが、一方では新 しい権威主義と新しい神秘主義をも同様に育 成させてきている。(中略) 「歴史」「芸術」「科学」が近代の新しい神々 の座にのぼらせられると、教会に代わる新しい 神殿が必要とされてくる。それが「ミュージア ム」という複合神殿装置であり制度である。

第7章 [ 文化帝国主義] ミュージアム探訪

松宮秀治によると、近代国家のミュージアム(制 度)は、複合神殿装置(制度)で、西欧近代が、「前 近代の神」に代わり創出した「新しい神々」の神殿 だといいます。そういえば、 大英博物館」 ルーヴ ル美術館」 ペルガモン美術館」とも、異教の神殿を そっくり盗んできて展示していることから、神殿を 造りたかったのだと、理解できます。でも、人さま の 神 を盗んでくるのは良くないゾ! これは、ひ ょっとすると、ゴシック教会聖堂に妖精や精霊やグ リーンマンを磔つけたのと同じ精神構造かも知れま せん。信仰の「神」の優位性を誇示するために、異 教の飾りが不可欠ということですか。 「

近代国家のミュージアム制度とは図書館にはじま り動植物学ミュージアム(動物園、植物園)、各種 歴史遺跡、歴史記念碑、国立公園、自然保護区から 世界遺産まで多種多様な内包領域をもつものですが、 つきつめていえばそれは国家の神殿、国家の聖遺物 と国家の聖地を創出し、整備し、国家が自らに捧げ る敬意を視覚化していく装置ということです。

」 「

そうすると、ミュージアムは権力と支配の象徴で すので、 中世のゴシック大聖堂と同じではないかと、 ドンコロおじさんは、はたと膝をうつのでした。

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真性悪魔の館なのです。 一方、11、12世紀に「黒い聖母」(黒マリア) が南フランスを中心に、グリーンマン流行と同時期 に起ったといいます(W・アンダーソン『グリーン マン』河出書房新社)。先に見たように田中仁彦に よるとは、この黒マリアは古代農耕民族が持ってい た地母神信仰に由来する聖母信仰で、シャルトル、 パリ、ランス、アミアンなど、新たに勃興した北フ ランスの諸都市の中心に同じくノートル・ダムを名 乗る大寺院が次々に建設され、聖母像が掲げられて いきます(ただし、黒マリアは地下に幽閉)。聖母 像の白マリアはタンパンに据えられましたが、立像 のかなり厳しい偶像崇拝の禁からすると、白い「黒 マリア」 を晒したと、 ドンコロ探偵団は推察します。 このルーヴルの丘は、ノートル・ダム聖堂とあわ せて、ケルト・ゲルマン信仰の大弾圧の丘といって も良いかもしれません。 ルーヴル丘の北部マレー (湿 地帯)地区には、テンプル騎士団の本部がありまし た。ルーヴルの丘が、象徴的にも実務的にも、少な くともフランス全土のケルト・ゲルマン(信仰)制 圧センターであった可能性が濃厚です。

( 2) エジプトのコード ルーヴル美術館に、 チュイルリー公園から行くと、 コンコルド広場に、古代エジプトのルクソール神殿 を守る2基のオベリスクのうち、略奪してきた1基 のオベリスクが峻立しているのに出くわします。花 崗岩の石柱で、先端部はピラミッド状の四角錐で、 金で装飾され光を反射しており、太陽神のシンボル といいます。ルクソール神殿は、カルナック神殿の 中心を形成するアメン大神殿の付属神殿で、アメン 神信仰の主要施設といいます。吉村作治によると、 アメン神というのはアニミズム (多神教) の象徴で、 新王国時代まで国家の守護神として神々の頂点とな っていた神で、後に太陽神ラーと組んで、アメン・ ラー神となったといいます(『ピラミッド文明・ナ イルの旅』NHK出版)。凱旋門などの歴史的建築 物や記念碑などが一直線上に並んでいて、この直線 をパリの歴史軸や凱旋軸と呼ばれていますが、ルー ヴル美術館入り口のカルーゼル凱旋門からみると、 この異教で多神教の太陽神信仰のシンボルオベリス クが、凱旋軸の真ん中に置かれていて、まるでルー ヴル美術館の守護として鎮座する格好になり、不思 議な光景です。

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ペルガモン博物館:ベルリンの博物館島にあり、 主に、ギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術 品、イスラム美術品を展示。巨大な遺跡である、ペ ルガモン((現トルコのベルガマ)の「ゼウスの大 祭壇」(紀元前180年~160年頃)とバビロニ アの「イシュタール門」(紀元前560年頃)を移 築し、ドンコロおじさんが訪れた2010年当時で は、まだ工事の途中で全貌はみられませんでした。 盗んできた巨大建造物を、堂々と展示しようと大改 修をしている最中でした。しかし、今なぜ文化帝国 主義を再興しようとするのか、この国の危うさを感 じます。遅れてきた[文化帝国主義]ミュージアム で、一つ星。

か、ルーヴルコード(暗号)を読み解いてみます。

( 1) グリーンマン( オークマン) のコード 正門よりはいると、その門の上と、北に面するリ シュリュー翼の屋根下飾りに、なんと、おびただし い数の グリーンマン(オークマン)」と グリーン ウーマン(オークウーマン)」の晒し首のレリーフ が目につきます。ローマカトリック教会による、異 教ケルトの樹木信仰の弾圧の象徴が、ゴシック聖堂 ではなく、博物館の門に晒しているのはルーヴル美 術館だけです。(パリのクリュニー中世博物館では、 展示台も説明もなく、床にうち捨てたようにごろり の首一体を見たことがあ と置かれた グリーンマン」 りますが。 この冷たい仕打ちこそが、グリーンマン」 の由来を暗黙に語っています。合掌!) 現在、多くのライン川系のゴチック大聖堂から密 かに オークマン」の首が消えつつありますが、この ルーヴルだけが、 なんとも堂々と首を晒しています。 このルーヴルの丘は、異教ケルトの虐殺が峻烈極め たことを暗示しています。西欧ドンコロ一族からす ると、美の御殿などというのは全くのカモフラージ ュで、じつは西欧ドンコロ一族を悪魔に仕立てた、 「

2 ルーヴル美術館探訪

ドンコロおじさんにとってルーヴル美術館(ルー ヴル宮殿)は、じつは恐怖の館です。ちょっと大げ さですが、ドンコロおじさん、決死のルーヴル美術 館潜入記です。ルーヴル美術館がなぜ恐怖の館なの

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うすると、中世の世は、悪魔に満ちていたのではな ルーヴルの中世は、 ルネッサンスによる中世です。 いですか。ルーヴルに悪魔の画がないというのは、 ルネッサンスとは何だったのか復習すると、十字軍 「悪魔化」といっても物証に欠ける戯言ではないの による東方の、特にギリシャ文化の再発見でした。 かと攻められそうです。ご安心下さい。中世は悪魔 つまり、[ダウナー系文化]の再発見と導入です。 の画にも満ちていました。 ウンベルト・エーコの『異世界の書―幻想領国地 さきの舟山信次によると、「ダウナー系」は全体的 誌集成』(三谷武司訳、東洋書林)でもその片鱗が に抑制的に働きますが、ある閾値を超えると、「ダ 見てとれます。異教の世界を描いたおびただしい数 ウナーとは、ひたすら脱力と安心を促すもので、恍 の絵画が背後にあるのを感じさせます。 惚として、しかも無為に時を過ごす世界といえる」 おびただしい数の悪魔画は、実はルーヴルでいく そうです。身体機能は性欲も含めてダウンするよう らでもみられます。ルーヴルの書籍販売の中世 ですが、妄想や欲望は暴走していくようです。ルネ ッサンス芸術とは、 妄想や欲望の解放だったのです。 コーナーにいくと無数の本に無数 Medieval period の悪魔達が描かれています。なんだ、ここにいたの つまり、[ダウナー系文化]の開花です。ルネッサ か君たち。これらの画は、異端審問の危険に晒され ンスこそが、これまでのキリスト教会が守ってきた ながらも秘匿されてきたものでしょうから、実際に 偶像崇拝や欲望を全面解除し、伝統的キリスト教会 、会 、に昇華した歴史的瞬間かも はおびただしい数の悪魔画が描かれていたはずです。 がローマカトリック協 この書籍コーナーの悪魔画をひとあたり見て、時間 知れません。 があればまた、ルネッサンスの展示に戻ってみると ドンコロおじさん、ルーヴルのルネッサンスコー よいです。なんという偽善とエロス。 ナで、なぜ、いきなりエンジェル(天使)やキュー ピットが裸で出てくるのか、ようやく理解できた感 じがします。でも、一方では、ローマカトリック教 ドンコロおじさん、転がらずとも、またまた目眩 がしてきます。エロスに?

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さらに、凱旋軸はルーヴル宮殿の中庭のガラスの ピラミッド(美術館入り口)に延び、東側の旧ルー ヴル宮殿の方形宮のシュリー翼で止まります。シュ リー翼のその中央部(中軸の突き当たり)に13号 室があり、ファラオ時代のエジプト美術が展示され ています。13号室だけ中二階のような奇妙な造り になっていて、そこだけ他の部屋から直接行けず、 わざわざ階段を上り下りしなければなりません。大 きな石棺がたくさんあったと記憶していますが、い ったいその中心に何の石棺が置かれていたのか忘れ ました。どうも気になるところです。ルーヴル美術 館自体がエジプトを基軸に貫かれているというのは 奇妙な感じがします。 地母神信仰の黒マリアの丘に、アメン神信仰のオ ベリスクを配し、ケルトのグリーンマン・グリーン ウーマンの晒し首を門に飾り、このルーヴル基軸の 奥の院にあたるエジプト館の要にミーラの石棺を配 しています。単なる悪趣味な異教の神々のコレクシ ョンなのか、はたまた、ルーブルコードを秘めた陰 謀なのか(『ダビンチコード』の読み過ぎですよ、 ドンコロおじさん)。

( 3) ルネッサンスコード: ルネッサンス期の絵画には、 天使、 キューピット、 聖母マリアがおびただしく描かれています。本来、 キリスト教も偶像崇拝には厳しいものがあったはず ですが、その禁欲的抑制(中世以前の宗教画)が一 気にはずれた感じがします。少なくとも、ルーヴル を転がってみると。

しかし、ドンコロおじさん的には、中世は悪魔化 が進んだ次期で、なぜ悪魔の画がルーヴルにはない のか、訝しい限りです。 さきにみた、岡田温司によりますと、エンジェル (天使)はユダヤ教やキリスト教における神の使者 で、キューピットは異教の愛の神で、古代ギリシャ でエロス、 ローマでクピドかアモルと呼ばれていて、 美の女神ウェヌス(アフロディーテ)の息子である とされたそうです ( 『天使とは何か キューピット、 キリスト、悪魔』中公新書)。さらに、岡田温司に よると、エンジェル(天使)はさらに堕天使として 悪魔に貶められていったとあります。キューピット はそもそも異教の神なので、当然悪魔化します。そ

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適です。といいますか、この本はルーヴル美術館の 展示意図にじつによく呼応していて、ルーヴル美術 館の最高の解説書といってもよいものです。その意 味で、28章の「終わりなき物語」は不要でした。 しかし、 この本片手に、 ルーヴル美術館を訪れると、 西洋(西欧)の本音や本質が見てとれます。

3「 スピードボール」 系美術館

ピードボール」かは別にして、クスリで脳内で何が 起きるかは理解することが出来るでしょうか。 「スピードボール」絵画・造形は、本人や美術館 や美術評論家が思っている程には芸術性は無いと思 います。それで、せめて、説明パネルに、どの配合 の「スピードボール」をもちいて制作されたものな のか記載すべきです。そうすると、欧米における、 古代ギリシャ・ローマからルネッサンスを経て、現 代にいたる、 芸術と哲学と文学について、ダウナー」 系から「スピードボール」系への文化や精神の進化 が解明できるはずです。 これは、 学術的に重要です。 (1)アメリカ

メトロポリタン美術館( Metropolitan Museum ) は、質は高いですが、金で買い集められた、まさに 金融資本主義の美術・博物館の殿堂です。でも西欧 三派国の美術博物には比べようもありません。メト ロポリタン美術館をみていると、西欧三派国の略奪 がいかに大規模で、根こそぎ獲ってくる、文明・文 化の破壊度のすさまじさをあらためて実感させられ ます。西欧三派国の美術博物館に比べるとメトロポ リタン美術館は商人の美術館といったところですか。

先の佐藤哲彦らによると、「二十世紀の欧米は、 「コカインないしは覚せい剤とヘロインとを一緒に 摂取する通称「スピードボール」の時代です。さら に、「LSDが加わる」といいます。LSDも加え た「スピードボール」とはまったくどういうものか 分かりませんが、「スピードボール」文化は、現代 美術館にいけば、見ることができます。もっとも、 「スピードボール」の魔薬の配合が展示画の解説に ありませんので、具体的な「スピードボール」症状 は分かりませんが。中には、例の西欧芸術の精神か らして、単にパクッただけの絵画・造形も紛れてい るかも知れません。どの絵画・造形がどの配合の「ス

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、会 、は、エンジェル(天使)やキューピットを、妄 協 想と淫乱を誘った咎(罪)で、脱天使化、つまり、 悪魔化を謀ります。 エンジェル(天使)やキューピットもちょっと無 防備過ぎたようです。エンジェル(天使)やキュー ピットの脱天使化や悪魔化は、ケルト・ゲルマンの 精霊・妖精にまで拡大され、それを信じる住民自体 におよびます。ルネッサンスの神々の裸には、実は とんでもない陰謀が秘められていたのです。 これが、 ルネッサンスコードです。 ( 4) エルンスト・ H・ ゴンブリッチの『 美術の物語』 コー ド エルンスト・H・ゴンブリッチの『美術の物語』 (ファイドン:ポケット版)は大変素晴らしい美術 の全体を論じた入門書ですが、この本の重大な欠点 は、西洋美術があたかも世界の美術の規準であるか のように書いていることです。しかし、西洋にかん しては、それぞれの時代の美の規範を明確に示し、 それにもとづいて美を解釈して見せ、美の発展を明 らかにしてくれます。西洋美術がそういった物理的

ともいえる法則に近いような美の法則に則とって進 んだのは確かでしょう。 しかし、 26章の 新しい基準を求めて 19世紀 末」と27章の「実験的な美術 20世紀前半」あ たりからは、美術の物理的美の法則が崩れ始め、右 往左往し始めるのが見てとれます。初版にはなかっ た28章の「終わりなき物語」を書き加えて、その うろたえは決定的です。まるで、西洋が始めて多様 な世界に先頭を切って辿りついたような書きぶりで すが。西洋美術史だけから解釈しようとすると、こ の多様な世界を理解できません。19世紀末から2 0世紀における、西洋美術の解体は、二つのインパ クトで起きたものです。それは、ジャポニスムと魔 薬(「ヨーロッパでは ダウナー 系が主役で、20 世紀後半にはアメリカUSAの「スピードボール」 系に取って替わられる)の要因でほとんどほとんど 説明がつきます。つまり、20世紀にはいって、西 洋の伝統的美術が新たに生み出した美術原理はなに もないということです。うろたえて書かれたゴンブ リッチの著書自体が証明しています。 したがって、ヨーロッパの美術原理(哲学)を学 ぶには、エルンスト・H・ゴンブリッチの著書は最

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系美術館として、文化帝国主義の頂点に立ちたいが ためでしょうか? まあ、西欧ドンコロ一族の抹殺の果てに辿りつい た、記念碑的美術館であるのは間違いありません。 アフリカ、中南米の略奪と虐殺を含めて。ま、いわ ば、現代ゴチック聖堂の内装とでも考えておきまし ょうか。そういうわけで、ドンコロおじさんの精神 的疲労が一気に鬱積し、最悪状態です。おりから、 ニューヨークは寒波で、風邪気味で、体調も最悪。 意気消沈しながら、でも翌日、いざ、ニューヨー ク「近代美術館」へ! ここの目標はただ一点、ピ カソの『アビヨンの娘たち』です。スペインのピカ ソ美術館には、 ピカソの絵の転機となった肝心の 『ア ビヨンの娘たち』がなく、ニューヨーク「近代美術 館」にくるはめとなったのです。 ピカソ美術館とニューヨーク「近代美術館」のピ カソ画を頭の中で繋げてみると、1907年、ピカ ソは『アビヨンの娘たち』でピカソになったことが よくわかりました。1906年までは、デフォルメ されつつあるが質感的で、1907年の『アビヨン の娘たち』から、「幾何学的」「極端なデフォルメ」

が突然立ち現れます。1908年以降には、ピカソ はすでにピカソブランドを確立したのが明確です。 そうすると、1907年にピカソに何が起きたので しょうか。『アビヨンの娘たち』は、ピカソがピカ ソになったというには、まだ、ためらいがちで、ち ょっと目覚めたというところでしょうか。『アビヨ ンの娘たち』の左三人は実像で、右二人は鏡像で鏡 の歪みではないかとも思えます。面をかぶっている ようでもあります。ドンコロ解釈では、ラリッタ時 にあらわれた妄想像を記憶して、それをモディファ イして描くには、せいぜい顔ぐらいが精一杯だった のでしょうか。あるいは、妄想にアフリカの面が浮 かんできて、アビヨンの娘たちに張り付いたのでし ょうか。 ピカソが 「ダウナー系」 の魔薬をやっていたのは、 公然たる事実なので、いまさら隠し立てすることも なかろうかと思います。そう、突然といっていいく らいに、ピカソがピカソに変身したのは、魔薬のお かげで、現代「ダウナー系」芸術の創始者というの は正しいでしょう。 ニューヨーク「近代美術館」では、ポラックやア ンデー・ホールの展示場は人だかりです。ポラック

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国家資本主義(権力による略奪)と金融資本主義(金 銭による一種の略奪)の差でしょうか。 しかし、メトロポリタン美術館は、西欧三派国美 術博物に比べると、小粒とはいえ、フェルメール、 ゴッホ等々ヨーロッパ中世から近代まで素晴らしい 物作品が無数にあります。ヨーロッパの貴族が没落 し、多量にアメリカに流れたのだろうかなどと、美 術品よりアメリカ金融資本主義の低力を味わってい る感じがしてきます。 悪口をいっているようですが、ほんとうは感心し ています。これが、アメリカンドリームなのだとも 実感できるし。 メトロポリタン美術館がえらいのは、 アフリカ・アジア・オセアニア・アメリカ大陸の民 芸品・発掘品を多量に展示していることです。欧米 人がどう感じているのか知りませんが、ドンコロク ロニクルによると西欧三派国は10世紀までの石器 時代文化だったということからすると、ここのアフ リカ・アジア・オセアニア・アメリカ大陸の展示は 素晴らしいです。西欧三派国の10世紀ごろの石器 時代(ドンコロ年代記ですみません)出土品をここ に並べてみてはどうでしょうか。質もそうですが、 量でも圧倒的な差を見ることができます。さらにこ

こに並べて縄文土器をいれようものなら、パニック が起きるに違いないほどです(メトロポリタン美術 館には、もちろん縄文も弥生もありましたが、その 規模感は分からない)。 そうすると次に、10世紀まで石器時代(あくま でもドンコロクロニクル)だった西欧三派国が、な ぜ突然大聖堂を建築でき、まぜ突然経済発展をはじ めたのか、疑問が湧くに違いありません。ドンコロ クロニクルの展示をするだけでよいので、ぜひどこ かの博物館で常設していただけないでしょうか。 メトロポリタン美術館がもう一つすごいと感心さ せられるのは、現代アメリカ合衆国アートの充実で す。つまり、 「スピードボール」系美術館としては、 世界最高峰です。多分。でも、ニューヨーク近代美 術館もあるので、両巨頭ということにしておきまし ょうか。 展示品へのコメントは差し控えます。ドンコロの 理解を超えているというか、理解する気もありませ んので。病理標本としての専門家向けの展示を間違 って一般公開してしまったのではとさえ思われます。 西欧三派国美術館に対抗すべく、新機軸としてうち だしたのでしょうが。つまり、「スピードボール」

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ドンコロおじさんが自分で作る、鮭の塩焼きや鮭の じゅじゅ焼のほうがよほどうまい。付け出しのパン に塩が添えられていたのにも仰天。グッゲンハイム 美術館の[スピードボール系]芸術にコメントする 気はないですが、こういう所では、料理まで「スピ ードボール」化するようです。 ちなみに、ニューヨークは滞在中、総べてのレス トランで、塩辛く、どうなってしまったのニューヨ ーク。昔は不味いがまだ食べられました。最近は高 級化しているが食べられない。なぜだろう? 最近 はグルメブームでシェフが自己主張を始めたせいで はなかろうか。そういえば、昔は、どれも味はほと んどなく、ソースなり、ケチャップなり、マスター ドなり、塩なりで、自分で味を調整していたよな。 そうか、アメリカ合衆国では、シェフが自分探しを 始めると、こうなるのか。(どうも文体まで乱れて きた。すいません)。

代・現代美術作品の充実で知られており、特にエド ワード・ホッパーを多数収蔵しているとのこと。そ もそも、 エドワード・ホッパー自体興味を引かない。 無謀な突入であった。 再度のアメリカ現代アートの洗礼。みるものなし で、全体を風景としてみても、悪趣味。

ホイットニー美術館から地下鉄で、「グランドゼ ロ」 へ。 二つの貿易センター跡地は巨大な池となり、 その中央が滝となって、水が地下に呑み込まれてい くような意匠です。[スピードボール化]文化の滝 か。虚無の空間の演出か。「グランドゼロ」に出現 したブラックホールか。強欲金融資本主義の毒蛇口 か。ダンテ『神曲』の地獄篇に出てくる、「地獄の 門」に「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」 の銘が記されていますが、「グランドゼロ」は、金 融資本主義、つまり[シュバルツバルトメカニズム] がたどりついた「地獄の門」(あるいは 悪魔の門 ) に違いありません。「一切の希望を捨てよ」!

ッド・キューブ( Red Cube )」(1968年作)

「グランドゼロ」の近くに、イサム・ノグチの「レ

妻はもう嫌だと言ってますが、こうなったら、 「毒 食えば皿まで」だ、次は、「毒」か「皿」か分から ぬが、ホイットニー美術館( Whiteny Musium )へ 突入。ホイットニー美術館はアメリカ合衆国の近

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の絵の前で、美術館員(キュレーター)による絵画 教室が開かれていました。こういう世界を解体した ような病的な絵を、小学生に教えてどうするのだ、 と日本語でつぶやきます。将来、ヤクをやって、こ のような絵の幻覚に陥っても、大丈夫、ほらポラッ クも描いていたじゃない、と安心させるためでしょ うか。戦場で恐怖のあまり、幻覚的な世界が押し寄 せても、ほらポラックも描いていたじゃない、と安 心させるためでしょうか。ポラックは極度のアルコ ール中毒に生涯苦しんだようですが、恐らく幻覚的 な世界がいつも出現していたのではないでしょうか。 でたらめのようで、妙にパターン化しており、似た ような幻覚を見続けていたと思われますので。 現代画はアメリカ文化の精神病理の顕現化で、そ の意味で、ニューヨーク「近代美術館」は精神病理 標本の御殿です。これは、現代のゴチック大聖堂と いってもよいです。 翌日、一転して雨模様。氷雨で、ニューヨークは ますます、 ドンコロいじめをエスカレートさせます。 でも意固地になって、グッゲンハイム美術館を訪問

します。フランク・ロイド・ライトによる螺旋状回 廊をもった美術館で、建物自体はすばらしいです。 でも、このグッゲンハイム美術館の美術の話は止め ましょう。素晴らしい現代アートに満ち溢れていま す。ということは、ドンコロおじさんはとても気持 ちが悪くなります。ちなみに、カンデンスキーの世 界的なコレクションがあるとガイドには書いてあり ますが、1点も展示が無い(2度確認した範囲で)。 所蔵しているがみせない? なにか、シュールな感 じです。こういう、展示しない展示もありなのか。 カンデンスキーの絵画を勝手に想像せよというので すから、これは究極の脳内幻想展示です。

ここには、なんと、ミシュランの星つきレストラ

ン Wright があります。フーム、現代美術に現代料 理(ミシュラン推薦だと技巧の限りをつくした芸術 料理)の取り合わせ。きっとシュールな料理が出る に違いないと期待しますが。ポテトスープがしょっ ぱく、英語の意味が分からずたいそうな料理のよう に書いてあるのですが、頼んで出てきたのが高級ホ ットドッグで、これも塩辛い。サーモンはまともで あったが、 しかし、 どこが有名シェスの料理なのだ!

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を結ぶ鉄道のターミナル駅だった建物を再建した美 術館で、 1996年に開館しました。 広大な駅跡に、 アンセルム・キーファー、ヨーゼフ・ボイス、マリ オ・メルツ、アンディ・ウォーホルら、現代美術を 代表するといわれているアーティストの作品が展示 され、 
 ドイツ屈指の現代美術館として知られてい ます。駅舎のフードのかかった乗り場が、美術展示 場になっていて、1キロ近くある広大な、倉庫とい った感じです。かねがね、現代美術には倉庫が似合 うと思っていましたが、ここがそれです。ガラクタ ですから倉庫ですよね。 ドイツには、なぜか現代美術館が多いです。ドン コロおじさんがころがり抜けただけでも、下記のよ うな現代美術館があります。

ケ ル ン の ル ー ト ヴ ィ ヒ 美 術 館 ( Museum ) Ludwig ボンの市立美術館( Kunstmuseum Bonn )

( 3) フランス フランスはもちろん、現代美術館であるポンピド

ゥー・センター ( Centre Pompidou )が有名です。 もう40年以上前になりますが、開館したてのころ に行ったときには、 異様さに度肝を抜かれましたが、 最近行くと、オーソドックスな現代美術館といった 印象で、もうすでに現代美術館の古典と化している 感じがします。 ( 4) オランダ

オランダのアムステルダム市立近代美術館 フランクフルトの現代美術館( Museum MMK ( Stedelijk Museum Amsterdam ) )には、「スピー fur Moderne Kunst ドボール」系の作品が多く展示されていて、アメリ デュッセルドルフのノルトライン・ヴェストフ ァ ー レ ン 州 立 美 術 館 ( Kunstsammlung カ合衆国の現代美術館と体を張れるほどです。 アムステルダム市立近代美術館は、一美術館です )(「K20」と「K2 Nordrhein-Westfalen 1」という対を成す二つの美術館よりなる) が、アメリカ合衆国、ドイツに引けを取りません。 ミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネ レンブラント、フェルメール、ゴッホの輝かしい 伝統をもちながら、なぜ、アムステルダム市立近代 ( Pinakothek der Moderne )

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ベルリン/ハンブルク駅現代美術館( Hambur )へ。 -ger Bahnhof-Museum für Gegenwart Berlin この現代美術館は、かつてベルリン~ハンブルク間

( 2) ドイツ

(1961~64年作)という円形庭園が、「レッ が、「ウォール・ストリート( Wall Street )」の2 ブ ロ ッ ク 北 に あ り 、 ト リ ニ テ ィ 教 会 ( Trinity ド・キューブ」近くのチェイスマンハッタン銀行プ ラザの地下1階にあります。これは京都の龍安寺に )やグラウンドゼロ9・11メモリアルの近 Church くです。鮮やかな赤と、不安定性で、「ウォール・ 見立てた石庭であり、花崗岩を敷いた床に、京都宇 治川から採集した浸食岩を点在させています。これ は水上庭園で、夏には噴水が噴出し床全体に水を巡 らせ、冬には水がなくなるため石庭の美しい砂紋を 楽しむ趣向です。 「サンクン・ガーデン」の「生」と「グランドゼ ロ」の「死」とがあまりにも対称的です。「グラン ドゼロ」は、現代のゴチック建造物なのです。無気 味なのは、空に聳えるのではなく、地下に削り込ま れた逆ゴチック大聖堂だということです。シュバル ツバルトの泥炭から流れ出た「黒い水」が、逆ゴチ ック大聖堂に流れ込んでいく。ドングリ頭に「スピ ードボール」的幻覚がうねりだす。まずい、敵の術 中だ。

)」にはまさにぴったりの ストリート( Wall Street オブジェです。真ん中の穴は、まるでビルに向けた 銃口のようでもあります。それにしても、ビルの背 景が「レッド・キューブ」を際立たせていて、人工 の世界では、超人工(シュール人工)が求められて いるのでしょうか。シュール人工は人工景観をより 自然にみせるための擬態効果を作り出すために必要 なのでしょうか。 イサム・ノグチの「レッド・キューブ」は、ビル 森林を際立たせ、ビル森林はじつは白骨の樹林であ ることを晒しています。「グランドゼロ」を際立た せる「レッド・キューブ」でもあります。もちろん、 イサム・ノグチはここに「グランドゼロ」が出現す るとは知るよしもありませんが、そもそも金融資本 主義の「グランドゼロ」を見据えたオブジェだった の感じもします。レッド・キューブ」は、港千尋の いう、ヴォイド=空虚を際立たせます。 さらに、イサム・ノグチの「サンクン・ガーデン」

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や博物館も心理は同じです。国家的国民的ファッシ ョンと思えばよいのです。哲学書や思想の書を読む より、美術館や博物館をみると、国家的国民的な欲 望や威圧や俗悪な精神構造がよく見えてきます、感 じることもできます。

ライプツィヒはバッハの他にも、メンデルスゾー ンやワグナーらのゆかりの地でドイツを代表する音 楽の街でもあります。これらの属するザクセン州は ドイツの 魂 の故郷といっても良いかも知れません。

トーマス・マンは音楽と反理性(悪魔)をさらに 演繹し、次のような恐るべき結論にいたります。 ドイツ的本質の巨大な化身、マルティン・ル

さて、トーマス・マンは、「音楽はマイナス符号 のついたキリスト教的芸術です」といい切っていま す(『講演集 ドイツとドイツ人 他五篇』青木順 三訳、岩波文庫)。「それは計算し尽くされた秩序 であると同時に混沌を内に孕んだ反理性であり、魔 術的呪術的身振りに富み、数の魔術であり、あらゆ る芸術の中で現実から最も遠い芸術であると同時に 最も情熱的な芸術でもあり、抽象的にして神秘的で あります」といいます。ライプツィヒのトーマス教 会でJ・S・バッハのバロック音楽をパイプオルガ ンで聴いていると、トーマス・マンのいう、「音楽 はマイナス符号のついたキリスト教的芸術です」と いうのが染み入ります。

」 「

蛇足になりますが、ヨーロッパでは、美術館や博 物館に加えて、教会を見ると、教義や神学が分から なくとも、 神に対する感覚を感じることができます。 教会は精神や信仰が表出した一種のファッションで す。歩き疲れたら、教会でボーッとするのがいいで す。ラッキーな時はパイプオルガンでバッハの演奏 を聴くことができます。ライプツィヒのトーマス教 会(バッハはこの教会でカントル:キリスト教音楽 の指導者になった)で聴いたバッハは最高でした。 ライプツィヒの北約60キロにヴィッテンベルクが あり、マルティン・ルターはここのヴィッテンベル ク大学の教授で、その大学内の聖堂の扉に『95か 条の論題』を打ち付け、ここから宗教改革の口火が 切られました。ゲーテはライプツィヒ大学の法学部 に入学し、後にライプツィヒから60キロ程離れた ヴァイマルで公国の宰相として滞在します。

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美術館のような美の廃墟のような館が必要なのでし ょうか。一方で、オランダでは、ヒエロニムス・ボ ス(15~16世紀)やピーテル・ブリューゲル(1 6世紀)がシュールな画を描いていることから、オ ランダにはもともと20世紀的芸術を先取りするよ うな伝統が既にあったのかも知れません。 ( 5) 「 スピードボール」 系美術館論考 現代美術とは、言葉上は現代に作成された全ての 美術・芸術です。でも、ドンコロ探偵団的には、現 代美術は「スピードボール」系美術の狭い意味に使 います。それ専用の美術館が、現代美術館です。 さて、 ドンコロおじさんは、 はたと気づきました。 [シュバルツバルトメカニズム]の発祥地であるド イツが、なぜか「スピードボール」系の作品(現代 芸術と称している)を多く制作し、また世界中から も蒐集展示しているのかです。 かつて、ゴシック聖堂には妖精や精霊を悪魔にし て晒していました。グリーンマン(オークマン)の 首も晒していました。つまり、ドイツのライン川沿 いは、ドンコロ一族を虐殺し、記念にゴシック聖堂 を建て、妖精や精霊を磔にし、オークマンの首を晒

した地域です。[シュバルツバルトメカニズム]を 強化し、純化したドイツやオランダに「スピードボ ール」系の[現代美術館]が充実しているのは、「現 代芸術」が依然として悪魔を追求している証ではな いかとさえ思えてきます。バラバラにして、悪魔の 正体を探る。 西欧の得意な微分的手法を用いてです。 そうすると、「スピードボール」系の[現代美術館] はじつは[現代版ゴシック聖堂]なのです。 その意味で、オランダが優れた「スピードボール」 系アムステルダム市立近代美術館を所有するのは、 [シュバルツバルトメカニズム]を駆動していた中 心地ですから、当然と言えば当然です。

アメリカ合衆国は、「スピードボール」が強力す ぎて、脳髄が冒されてしまっただけでしょう。ドイ ツやオランダのように、[悪魔]の怨念はない。[魔 薬]だけです。

美術館や博物館は、実はその国の内面を晒したも のです。基本は国家的国民的な顕示欲でしょうが、 顕示欲とは内面そのものです。ファッションは、個 人の顕示欲でしょう。自分をどうみせるか。美術館

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文化は当然ながら人が作るものです。 したがって、 基本的に 風水土 の影響を強く受けます。しかし、 奴隷とか、国が蹂躙され、その生活環境が著しく変 化したとき、何が起きるのか。これはクレオールと いう、「混血による新しい国家や文化の構築」とし て、随分と研究もされています。いずれにしても、 母集団の規模とどの文化かが重要です。 「

ブラジルでは、植民地政策で、黒人奴隷が多く、 インデオはほとんど絶滅しました。黒人文化である 音楽が独特の文化を生みました。が、絵画はヨーロ ッパの影響が強く、例えば、ブラジルサンパウロの サンパウロ美術館は、南半球屈指の美術館といわれ ており、アメリカ合衆国およびヨーロッパの美術館 以外で、これほど質の高い西洋美術のコレクション を持つ美術館は他にはないです。 収蔵作品は、 中世、 ルネッサンス、バロック、ロココ、印象派、そして 現代ヨーロッパ美術を網羅していて素晴らしいので すが、 ブラジル人の独自な美術があるのかというと、 ほとんど模倣で、深い失望に襲われます。結局、プ

ランテーションで儲けた白人の模倣美術館にしか過 ぎない。音楽は自分たちで楽しめば良いが、絵画は 売れなければ生きていけない。黒人も造形芸術のセ ンスはあるので、良く探せばすばらしいものもわず かながらでも在ると思うのですが、サンパウロ美術 館には見当たりませんでした。

メキシコでは、マヤ・アステカの素晴らしい造形 芸術があり、その文化基盤がメキシコを独自の芸術 大国にしています。メキシコ三大壁画家のシケイロ ス、ディエゴ・リベラ、オロスコや、フリーダ・カ ーロらは、西洋画の呪縛から逃れ、マヤ・アステカ 民族の魂に迫っていった。クレオールながら、古代 の民族の魂を守り抜いている。岡本太郎やイサム・ ノグチらが、多大な影響を受けています。

アジアでは、バリヒンドゥーの細密画が、自然を 抽象化しながら生命を画ききっています。これは、 インドの細密画の伝統でしょう。

アジアで特徴的なのは、日本、中国、ベトナム、

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ターは、並外れて音楽的でありました。私は彼 が好きではありません。これは率直に申しあげ ます。純粋培養されたドイツ性、分離主義的反 ローマ的なるもの、反ヨーロッパ的なるものに、 私は嫌悪感と不安を感じるのです。たとえそれ が新教(プロテスタント)的自由や宗教的解放 として現れているにしても、です。そしてとり わけルター的なもの、つまり怒りっぽくて粗野 なところ、罵詈雑言、唾棄、激昂、恐ろしく逞 しいところ、しかもそれが繊細な心情の深さや、 悪霊(デーモン)や悪魔や畸形児に対するはな はだしい迷信と結び付いたものに、私は本能的 嫌悪感を覚えるのです。 つまり、トーマス・マンによると、ドイツ音楽に は反理性(悪魔)が潜んでいるということになりま す 「スピードボール」系[現代美術館]では、映像 とともに、[現代音楽]が流されていることも多い です。絵画・塑像、建築、音楽のあらゆる芸術と称 する分野で、マンの言葉を借りるなら、「スピード ボール」系現代芸術は「マイナス符号のついたキリ スト教的芸術」と読み換えられそうです。「マイナ

ス符号のついたキリスト教的芸術」は[悪魔の芸術] ということです。したがって、「スピードボール」 系現代芸術館を[新ゴシック大聖堂]と呼んでもい いでしょう。 [旧ゴシック大聖堂]では、外装(外面・外観) に悪魔(精霊・天使やグリーンマン)を配置しまし たが、[新ゴシック大聖堂]では、内装(内面・内 観)に悪魔(幻想・幻覚)を配置する違いがありま す。

( 6) 非「 スピードボール」 系美術論考 もちろん、20世紀、21世紀の美術・芸術は「ス ピードボール」系美術・芸術だけではありません。 西欧三派国 フランス、ドイツ、イギリス、とアメー バーオランダ には、魔薬と悪魔で切り開いてきた [シュバルツバルトメカニズム]をバックボーンに 精神と社会が構造化されていますから、「スピード ボール」系文化が花開くのは当然です。しかし、そ れが世界標準みたいなことをいわれて、そうでない と、遅れた文化とみなされ、[シュバルツバルトメ カニズム]とか、「強欲金融ユートピア」とかで介 入されガタガタにされます。

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すぐ実体とかけ離れた思考 感文字 機能がないから、 にすっ飛んでしまうのではないでしょうか。 「スピードボール」系文化に対抗できる強固な基 盤は、世界中にはあります。それをどう認識するか です。その三カ箇条です。 一、まず、重要なのは文化帝国主義の挑発に乗 らない。つまり、真似して追いかけない。無視 する。 二、文化帝国主義の文化はすべて 外観 的 外 部に基準があり、理性等は外部から注入され る)なので、 内観 的深みがあるという、嘘に だまされない。欧米現代哲学が危ない(特にジ ル・ドゥルーズ)。無視する。 三、文化は多様性にする必要はない。多様性を 迫るのは文化帝国主義で、文化帝国主義への改 宗を迫っているだけ。無視する。

第8章 ドンコロおじさんの西欧通覧

ここで、西欧三派国とは、植民地主義を確立し、 帝国主義を押し進めた、イギリス、フランス、ドイ ツのことです。ブルーバナナの要としてオランダを 入れてもいいですが。というか、オランダがむしろ [シュバルツバルトメカニズム]構築の主役だった 気すらします。シュバルツバルトの木材と、シュバ ルツバルトやその他地域での異端審問・魔女裁判で 溢れた人的資源を上手く組み合わせて造船とその運 用を行っていたはずだからです。オランダはイギリ スとも繋がっていましたし、ハンザ同盟も動かして いました。オランダは、スペインと80年戦争を行 っており、 16世紀後半にスペインによる貿易制限、 船舶拿捕など、経済的に打撃を受けたと歴史書には 書いてあります。 しかし、 オランダの友人と話すと、 オランダは戦争に勝ったことがないことを自慢にし ていました。 すぐ負ける、 負けるが勝ちの思想です。 ドンコロおじさんの理解では、商売の国は、商売の システムを保てば良いので、国を守る必要がなく、 上手くシステムを状況に合わせて改変適応させるか、

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( 」


韓国の漢字文化圏で、独自の現代造形芸術を発展さ せています。どうも、漢字自体が一種の絵画をより 抽象かしたようなもので、独特の抽象化手法が文化 の基盤となっているかも知れないと、ドングリ頭で 考えてきました。が、次つぎに出てくる 表感文字 がその考えを展開するヒントになるかも知れません。 三浦雅士編『ポストモダンを越えて 21世紀の 芸術と社会を考える』 平凡社)の対談で、齋藤希史 が「漢字には 表感 という、感覚や感情を表す機能 があるのではないかと考えている」 と述べています。 表意文字」でも、「表音文字」でもない、 表感文 字 です。これは、ケイタイの絵文字で、英語ではピ 」といい クトグラムですが、英語でもすでに「 ます。絵を付けるとコミュニケーションが著しく進 むことが、ヒントのようです。あるいは、非常口の ピクトグラム 影が開いた四角いドアから出ていく) は、日本人のデザインですが、これはほぼ世界標準 化しております。世界共通の一種の絵文字を三浦雅 士は 表感文字 と定義しました。さらに齋藤は「マ ンガ・アニメ的、絵文字的な部分、それは、表意を さらい越えて、感覚の共有という「表感」の部分に 行くのではないかと思うわけです。表感において書

を代表する文字芸術の役割はかなり大きくなってゆ く」と考えています。また、「一時期の白川静ブー ムは、言ってみればこれは漢字の呪術性を強調した わけですから、それもまた表意性の先へ行こうとし た、つまり 表感 的なものへ向かう試みではあった ろうと思います」とも述べています。なぜ表感が大 事かというと、「意味の固定化と制度化を抜けるた めには、どこかで身体性を言わなければならないか らです。白川静の面白いところは、論理のなかにそ の身体性が強く入っていることだと思う」といいま す。表感の中には、身体性が強く入っているという ことですが、漢字の広がりからすると、自然も、魂 も、心も「表感」性をもっているはずです。その「表 感」性が 書 の芸術を展開するので、そうすると、 更に進めて「画」にも「表感」性があらわれていい わけです。 表感文字 思考が、 表意文字」や「表音 文字」を基盤とする静的固定的思考を乗り越えてい く、あるいは再び原初に回帰する力となるかも知れ ません。 日本の芸術の基盤は、どうも一つは漢字そのもの の 「表感文字 機能に依るところが大きいと思いまし た。「表音文字」文化が観念化しやすいのも、「表

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1 ドンコロクロニクル 西欧ドンコロ一族からみたドンコロクロニクルに よると、西欧はきれいに二年代記に分けられます。 ( 1) 文化の道具年代記 石器時代(10世紀まで):これら西欧地域が、 動き始めたのは、10世紀になってからです。それ までは、もうほとんど石器時代です。遺跡で確かに 鉄器も出土しますので、文化・文明的定義からする と、鉄器時代です。しかし、地方の博物館にいくと、 10世紀まで土器すらほとんどなく、石器もみすぼ らしく、鉄器があるのは稀です。古代ローマが支配 していたときは、多少出土品が豊かになりますが、 その後は、また、森林に飲み込まれたように、深い 沈黙に包まれます。西欧はドンコロ一族の天国だっ たはずです。ケルト人とか、ゲルマン人とか入り乱 れてはいたでしょうが。 それで、ドンコロクロニクルでは、西欧は10世 紀まで石器時代に分類されます。 したがって、料理は石焼きが基本です。オーブン

も石焼きの改良ですし。また、基本的には、地質的 に水が不味いので、煮炊きは向きません。土器の発 達も見られません。 鉄器時代(10世紀以降):地方の博物館でも、 まだ貧弱ですが、鉄製の武器が突然出だします。穏 和だった、ケルト・ゲルマン人が突然凶暴化した感 じがします。ローマカトリック教会が侵入し勢力を 拡げていた次期だからでしょうか。ローマカトリッ ク教会が原住民に武器を渡すはずがないので、やは り、原住民であるケルト・ゲルマン人の武装化でし ょうか。 地方の博物館では、その後も見るものがありませ んで、いつのまにかに展示品が消えてしまいます。 そして、20世紀に入って突然農機具だとか、車が 出てきて、ついには電化製品で溢れます。 地方の博物館は、偉大な20世紀展示館です。文 化鍋だとか、文化包丁だとか、 文化 を展示するた めに建てられているようです。 「

( 2) 文化の精神年代記 妖精・精霊の時代(10世紀まで):森林(主に ブナ科樹種)と共生的に生活していた、ケルト・ゲ

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システムを回避させるか、システムを移すか、柔軟 に対応すれば良いのです。オランダの商売システム はまるでアメーバーのような感じがします。[シュ バルツバルトメカニズム]をモデルに、国(土地) ベースでない、資本ベースのシステムがオランダに 始めて成立したのではなかろうかと推察します。と いうか、これはテンプル騎士団のモデルに似ていま 、会 、の直接支配から脱して すが、ローマカトリック協 いる(裏で繋がってはいるでしょうが)という意味 で、[シュバルツバルトメカニズム]モデルの試験 運転から、全面運用に至ったのは、実は巧妙に隠れ つづけたオランダということになります。 事実、覇権は最終的にはイギリスに移りますが、 [シュバルツバルトメカニズム] を動かした資本は、 オランダ東インド会社へ、そして新大陸に流れてい きます。先のヴェルナー・ゾンバルトのいうことが 事実なら、[シュバルツバルトメカニズム]はオラ ンダで構想され、スペインからのユダヤ人(と異端 審問による多量の異端宗派人)の大量流入で「一六 世紀末期のオランダ国民経済の突然の衝撃的発展」 が起こり、[シュバルツバルトメカニズム]が国際

展開し、これはユダヤ人の貢献ということのようで す。

さらに要約すると、[シュバルツバルトメカニズ ム]の西欧三派国で一番割を食ったのはドイツとロ

、会 、です。シュバルツバルトの木材 ーマカトリック協 と人の自然資本の供給源でしたが、基本的に資源の 略奪に加担し、国土を荒廃させていきました。プロ

、会 、のルター会派はここに深く関わり、 テスタント協 三十年戦争等で国土を疲弊させます。一方、プロテ

、会 、のカルビン会派やユダヤ協 、会 、は、下流 スタント協 のオランダで船の加工や運用に係わり、巨額の利益 を得ます。 西欧三派国とオランダの中から、イギリスが抜き んでた理由には、謎が多いです。結果からすると、 自然資本(木材と人)も略奪には直接関わらない(消 耗するだけなので)で、自然資本(木材と人)を上 手く加工・利用しただけと推察しておきます。船を 動かす動力源の大量確保に成功したため? なお、 工業化はその後の結果です。

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に変わるべく、新たな哲学が模索されました。 ( 4) ハンザ同盟ネットワークによるドンコロ一族の 抑圧(12~17世紀) 北海・バルト海の水運により、ロシア・北欧の木 材をオランダやイギリスに供給し、ブルーバナナラ インに接続しました。 、会 、三派によるによるドンコロ一族の[ ( 5) 協 悪魔] 化 (16~世紀) [悪魔]の創設による、世界的規模での奴隷の創 出産出の促進。アフリカや新大陸の原住民を人間と 見なさない(奴隷以下の扱い)思想の新たな構築。 ( 6) 文明・ 文化帝国主義による世界規模での自然生 態破壊(17世紀以降) [シュバルツバルトメカニズム] の全球的展開と、 カモフラージュとして文明・文化という「新たな神」 の創出。 もうお分かりでしょうね。西欧が、なぜ、いち早

く植民地主義が確立でき、帝国主義を押し進めるこ とができたかが。不潔にして、ばい菌戦争に勝った から。そう、それもありますが、一番の理由は、徹 底的な自然資本の略奪にあります。人まで、[悪魔] として、奴隷資源化した。

この一連の自然資本の利活用である、[シュバル ツバルトメカニズム]の産業構造を纏めます。 ―シュバルツバルトのブナ科森林の破壊によ る木材資源(自然資源)と人的資源(奴隷)の 供給 ―ライン川での木材資源の運搬(自然再生エネ ルギー利用) ―ライン川デルタでの造船 ―風と奴隷による帆船の駆動(自然再生エネル ギー、人的動力源活用)

この資本主義のシステムを生みだしたものは、人 倫でも、勤勉でも、理性でもありません。悪魔が、 悪知恵で、暴力をふるって、自然資本を略奪する、 その仕組みが資本主義のシステムです。それが、怖 いゆえんは、ローマカトリック教会、プロテスタン

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ルマン的古層文化が主体。 [悪魔]化時代(10世紀以降):この時代以降、 森林が破壊され、その木材で船が建造され、海洋覇 権が極めて重要になります。このため、西欧ドンコ ロ一族は、悪魔にされ、大虐殺にあい、多くは労働 力の確保として奴隷にされ、もしくは都市で半奴隷 のように酷使されたと推察されます。 [悪魔]化の時代が始まります。そしてこれが、 植民地主義精神の真の起源です。植民地主義とは自 然資本の大略奪システムのことです。狙われた自然 資本は、[ブナ科樹種]と[ケルト・ゲルマン的古 層文化を維持していたブナ科樹森林にすむ原住民] です。森林材のみならず、人的資本を[悪魔]化し て、奴隷化する植民地主義の原型が創造されたので す。そのおかげで、造船のみならず、その駆動を可 能にし、交易・通商が著しく発展しました。

2[ 悪魔] 化時代のクロニクル ( 1) 南フランスのドンコロ一族の黒マリア信仰弾圧 (10~12世紀):ロマネスク教会による、 南

フランス森林地帯における黒マリア信仰と地母神信 仰の破壊。弾圧のシンボルとしてのロマネスク教会 の建築。

( 2) 北フランスのドンコロ一族弾圧(12~14世 紀) テンプル騎士団による乙女座ゴシック教会連合の 構築。

( 3) シュバルツバルト( 黒い森) のドンコロ一族弾圧 (12~18世紀) シュバルツバルト(黒い森)のドンコロ一族のホ ロコーストにより、ライン川流域をブルーバナナラ インとして完全制圧。その象徴として、ゴシック教 会の大聖堂を建築。オークマン(グリーンマン)の

、会 、勢力による資源(木 首を尖塔に晒す。この、宗教協 材と人)略奪と、その有効利用としての船の建造と 動力源の確保を[シュバルツバルトメカニズム]と 呼びます。したがって資本主義はここの[シュバル ツバルトメカニズム]から生み出されました。同時

、会 、が破壊したケルト・ゲルマン精神基盤 に、宗教協

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)を刈り込んだ垣根が散 ッパブナ( Fagus sylvatica 見されます。 ベルサイユ宮殿の建つ丘の庭園は、あきらかに低

乗りが陸地を認識するために描かれた景観図 域に広がり、河川流域や、泥炭・湿地は蜂の巣を突 をランドスキップと呼んだ。さまざまな ラン っついたようになったのでしょう。西欧ドンコロ一 ドマーク」を印したスケッチが、ランドスキッ 族にとってランドスケープはそういう背景と関連の プとなったのである。ランドショップが陸地か 深い言葉です。 ら海へ向いて話された言葉とすれば、ランドス ドンコロおじさんが、ドイツ、フランス、オラン キップは反対に海から陸を向いて使われたの ダ、デンマーク、ポーランドの泥炭湿地を巡ってい だった。 なぜこのような意味論的反転が起きたかは ると、必ず目にするのが「[ヨーロッパブナの垣根] 別にして、 今日の landscape (英語) 、 Landschaft です。1~2メートル程度の低さで、方形に刈り込 んであるだけのものです。秋から冬にかけてこれら (ドイツ語)、 landschap (オランダ語)が表 す 風景 は、陸と海がぶつかる場所で生まれた の地域を巡ると、枯れた葉が枝に残った茶色の垣根 ことになる。 ですのですぐ分かります。 パリのベルサイユ宮殿は丘にあり、その丘を下り た北西方向は低湿地帯でたぶん昔は泥炭地であった と思われます。北西に十字を切るように強大な池が あり、その十字の横木に当たる北西の端に小トリア ノン宮殿がありますが、一帯は低湿地庭園といって もいいです。低湿地庭園は林を切り込んで道を付け て幾何学模様にしたのが基本です。ここにもヨーロ

ランドスケープは泥炭・湿地由来の言葉だったの です。風が強く、泥炭・湿地で水が多く、そして有 機物がたまった土地です、つまり「風水土」の極限 地で、また[シュバルツバルトメカニズム]下流デ ルタ域に属します。西欧では、泥炭・湿地にはブナ 科樹木が良く茂っていたようで、そこで、ドンコロ 一族がドングリで豚など飼いながら、厳しいながら ものんびり暮らしていました。ところが、[シュバ ルツバルトメカニズム]が発動され、それが西欧全

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ト教会、 ユダヤ教会の本来の宗教とは切り離された、 いわば闇のような組織によってなされたらしいこと です。そこで、ドンコロ探偵団が、これら教会とは 切り離して、これらの商売・略奪部門を、ローマカ 、会 、、プロテスタント協 、会 、、ユダヤ協 、会 、と トリック協 呼び、信仰とは切り離して考えます。 自然資本を収奪破壊しつくす資本主義の本当の怖 さは、地球の生きもの達がささやかにまもってきた でしょう、生命ルールを、高等生物としては、初め て完全に無視してしまったことではないでしょうか。 地球倫理をぶちこわした。 生命倫理をぶちこわした。

ドイツの海岸地帯で使われていたフリジア語

)にあるのでは のランドショップ( landschop ないかと考えている。スティルゴーは、フリジ ア人たちが、それを 掘り起こされた土地」と いう意味で使っていたと推測した。彼は ショ ップ」を、英語起源の スコップ や シャベル」 と同じような、土を掘り起こす道具だと考え、 そこから「シャベルで掘り起こし、それを北の 海へと放り投げる」という身ぶりを想像した。 見えてくるのは海に向かって陸地を拡大して ゆく人々の姿であり、その意味では 風景 をつ くる人の行いということになる。 北海を主な生活圏としたフリジアの人々の 話し言葉が、英語のワードとして書かれるよう になるのは十七世紀はじめである。フリジア語 から英語に移る際に微妙な音の変化がおきた 「

「 」

、 のだろうか。それはランドスキップ( landskip )となり、それがさらにランドスケー landskep プへと変化した。音や綴りだけでなく、同時に 意味も変化した。ランドスキップは土地を掘り 返すという当初の意味を失い、海からみた陸地 の形を意味するようになった。具体的には、船

3 ヨーロッパブナの垣根 港千尋はランドスケープの語源について分かり易 く纏めています(『風景論 変貌する地球と日本の 記憶』中央公論新社)。 この言葉[ドンコロ注:ランドスケープ]の成立を 詳細に調べた環境史家のジョン・スティルゴー は、そのオリジンが現在のオランダ北部から北

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第9章 [ シュバルツバルトメカニズム] のいき づまり [シュバルツバルトメカニズム]とは、自然資本 を略奪し効率よく使うシステムです。別名、発動側 は ユートピア」といい、発動された側は デストピ ア」といいます。 ユートピア」といえば、トマス・ モアの『ユートピア』(1516年)です。この「ユ ートピア」こそ[シュバルツバルトメカニズム]の 手本なのです。『ユートピア』は1516年に出版 されていますが、その翌年の1517年にマルティ ン・ルターが、かの有名な『95カ条の論題』をヴ ィッテンベルク大学の教会の門に打ち付け、宗教改 革が促進し、プロテスタントが誕生します。マルテ ィン・ルターがとった宗教改革の戦術・戦略はいろ いろありますが、もっとも効果的だったのは、悪魔 の創出(強化)です。 『95カ条の論題』の世俗版が『ユートピア』で あると、ドンコロ塾では教えています。では、『ユ ートピア』をドンコロ塾で復習してみましょう。 『ユ

ートピア』の提題(テーゼン)はなんでしょうか。 以下に、トマス・モアの『ユートピア』(平井正穂 訳、岩波文庫)をまとめてみます。

自然支配テーゼ:ユートピア島は幅二百マイ ルで、両端は五百マイルの巨大な新月のような 形である。ユートパス(王)は、千七百六十年 前にこの島を征服して、粗野な住民の教化に努 力し、その生活様式や文化や市民的教養を現在 殆ど世界に類を見ないくらい高度なものに引 き上げた人である。ユートパス(王)は、征服 後、大陸につながっていた地を、土木工事によ り開鑿し、約十五マイル離れた孤島としたが、 岩礁を複雑に残してあるので危険で水路を知 らない外部の者が入ってくることは出来ない。 河川も防御と水源確保のために徹底的に改変 しているし、不毛な土地を徹底的に改良して肥 沃な地にしている。また、材木が入手しやすい ように、一つの森を根こそぎ引抜き、海岸か河 か都市の近くに移している。これらのことから、 ユートピア国の特徴は、高度な土木工事により、 人間の都合の良いように徹底的に自然を改変

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湿地庭園とは作りが異なり、ベルサイユ宮殿にたつ と、低湿地文化と丘陵文化がきれいに分かれていた ことが実感できます。 テンプル騎士団所有地の「マレ地区」は、セーヌ 右岸の「沼地(マレ)」で、この辺りにも、断片的 に[ヨーロッパブナの垣根]を見かけます。 ポーランドのアウシュビッツ収容所跡は、明らか にもともと泥炭・湿地の地域に造られていたようで す。現在は排水でだいぶ乾燥化が進んでいますが、 ハンノキやヤナギやヨシ等の低湿地植物がいぜん多 く生育しています。ここに村がかつてあり、ナチス ドイツが強制収容して、更地にして収容所を建設し ました。この収容所の内にも外にも、[ヨーロッパ ブナの垣根]が点々と残っています。家々が破壊さ れても、[ヨーロッパブナの垣根]が残ったという ことで、これはまさに不思議な風景です。 どうも、[ヨーロッパブナの垣根]は泥炭・湿地 のシンボル的ランドスケープのようです。つまり、 西欧ドンコロ一族の墓碑銘でもあります。 アウシュビッツ収容所跡は人の大量抹殺をおこな ったということで、凄惨なのは言うまでもありませ

ん。収容所跡の建物の部屋には、大量の遺物:靴、 鞄、衣服、かつら、等々全て分別されて保管されて いて、説明によるとすべて再利用していたというの です。さらに、人体から脂を取って、石鹸を製造し たり、 まるで人を資源として利用しようとしていて、 これは現代用語でいうところの、 リデュース (抹殺) 、 リサイクル、リユースです。ドイツは、[シュバル ツバルトメカニズム]を確立して自然資本を略奪し つくすシステムを構築したのですが、この資本主義 が、とうとう人を労働機械(奴隷)として酷使する だけでなく、人体自体を資源と考えるところまで行 ってしまったということです。[シュバルツバルト メカニズム]を基盤に発生した「資本主義」が、と うとうそこまでいってしまった。

ドンコロおじさん吐き気がしました。

一旦、人倫を踏み外すと、人は欲望のためならそ こまでするのか、と……。

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また、アメリカ合衆国の初期植民者の「原始の森」 に対する破壊衝動は並々ならぬものがあったようで す。 19世紀フランスの政治思想家トクヴィルが、1 831年4月から1832年の2月まで、ジャクソ ン大統領下のアメリカ合州国諸地方を旅した記録と それに基づきアメリカ社会全般を分析し論じた有名 な本(『アメリカのデモクラシー(第1、2巻上下)』 松本礼二翻訳、岩波文庫)に、その自然森林の破壊

らである。 1 米帝国主義を切る 戦争テーゼ:彼らが戦争をおこす主な目的は アメリカ合衆国とは、何じゃ? 要求事項の貫徹であって、それさえ前もってえ 近現代的西欧の定義に基づき、表皮(外見)だけ られたらいたずらに戦争手段にまで訴えるこ からみると、アメリカ合衆国は、民主主義国家とい とはない。しかしそれが不可能な場合、彼らは うことになるのでしょうが、[シュバルツバルトメ 徹底的に当の責任者に対する残酷な報復を試 み、二度と同じことを繰返させないようにする。 カニズム]を指南に解剖すると、その筋肉、骨格、 内臓、脳髄そして骨の髄に至るまで、真っ黒な金融 また、戦争に際しては、贈り物や報酬金で謀略 資本主義国家で、史上最悪・最低・最下・最臭・最 の限りを尽くし、傭兵を高額で雇用して代理戦 毒・最負・最疑(後何がある?)の帝国主義国家と 争を基本とする。 いえます。 『ユートピア』に書かれているテーゼは、なんと、 植民地主義」 のためのテーゼで、 そういう意味では、 『ユートピア』はさらに進めて「資本主義」、さら に 帝国主義 のバイブルといってもよいものです。 [ユートピア]を作るためには[デストピア]が必 須で、[デストピア]を造るには、ルターの[悪魔] がこれまた必須のようです。その意味で、[ユート ピア]は[悪魔]を最大限に利用しまくっている米 帝国主義の預言の書ともいえます。 「

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するのを理念としている。 多様性否定テーゼ:ユートピア島には、五十 四の壮麗な都市(あるいは州都)があり、すべ て同じ国語を用い、生活様式も制度も法律も皆 同じで、都市はすべて同じように作られ、同じ 服装をしている。同じ服装をしているのは、金 銀が腐るほどあって、奴隷の足枷・手枷の鎖や 便器に使い、金銀を汚いものという観念を植え 付けるため、飾りにしないためらしい。これら のことから、ユートピア国の特徴は、標準化、 規格化、単純化が極めて進んでいる。 奴隷制テーゼ:ユートピア国の農業は、専業 農家の人数は極めて少ないようで、農家には、 基本的に都市から順番でやってくる四十名の 市民(徴農制?)と二名の奴隷があてがわれる。 これらは、聡明で思慮に富む農家の主人・主婦 の取り締まりを受けるとある。ユートピア国が、 奴隷にするのは彼ら自身の同胞が凶悪な犯罪 をおかしたため自由を剥奪された者か、他国の 都市で重い罪科の為に死刑の宣告を受けた者

かに限られているという。が、「外国で哀れな 労働者として酷烈な仕事をやらされていた者 で、自ら志願してユートピアの奴隷となった 者」もいて、これは現在では植民地からの移民 に等しい。

植民地テーゼ:ユートピア全島にわたって人 口過剰をきたすような場合には、各都市から一 定の市民を選んで、これを、人は住んでいるが 荒れ果てた土地の多い、近くの陸地に送り、自 分たちの法律の下に一つの新しい町を建設さ せる。もし土地の住民が彼らとともに住むこと を拒み、彼らの法律に従うことを拒むようなこ とがあれば、彼らはその土地を自らのものとし て定め、その領地からその住民をすべておいは らってしまう。もしそのとき、住民が反抗して 暴動を起こせば、彼らは直ちに住民に対して戦 いを開く。なぜなら、ある国の国民がその土地 をただ無意味に遊ばせているくせに、自然の法 則にしたがってその土地によって生活しよう とする他の国民にそれを拒むことは、これこそ 戦争のもっとも正当な理由と彼らは考えるか

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して森林破壊の最終兵器、枯れ葉剤の散布。この散 布図もベトナム全土におよびますが、特に海岸沿い が真っ黒で、マングローブの破壊に情熱を注いだこ とが分かります。この枯れ葉剤は毒性が強いことを 当然米軍は把握していることで、つまり、ベトナム の南北に係わらず、森林と人間を根こそぎ殲滅する [シュバルツバルトメカニズム]を発動させたこと が見てとれます。一時は殲滅第三弾として、原爆の 投入も検討されたことが、歴史資料から明らかにな っています。 西欧の[シュバルツバルトメカニズム]は経済的 利用の欲望が主動因でしたが、米国の[シュバルツ バルトメカニズム]には、ただ完全破壊の快楽だけ の欲望の吐露です。映画『地獄の黙示録』はそのあ たりを実に良く描写しています。キルゴア中佐がサ ーフィンをするためにベトコンの農村をナパーム弾 で焼き払ってゆく。ヘリコプター部隊の有名なシー ンで、ヘリコプターの爆音の中、リヒャルト・ワグ ナー作曲の 「ワルキューレの騎行」 を大音量で流し、 ナパーム弾で焼き払ってゆく。キルゴア中佐が「朝 のナパーム弾の臭いは格別だ」とうそぶく。ちなみ

に、ワルキューレとは、「戦死者を運ぶ者」と言う 意味を持つ北欧神話の半神です。トーマス・マンの いう、ドイツの音楽的魔性がフルスロットになって 高揚させる。 ベトナム戦争は、爆撃、枯れ葉剤といい、「ワル キューレの騎行」を大音量でフロントミュージック にしてナパーム騨で焼き払う、 破壊の衝動だけです。

今福龍太は、ヘンリー・ソローがちょうど「歩く、 あるいは野生」の草稿を書いていた時期である18 51年9月7日の日記に、つぎのような注目すべき 書きつけがあると、指摘します(『ヘンリー・ソロ ー 野生の学舎』みすず書房)。 自然のなかに感知されるすべての神聖なもの の顕れを待ちかまえ、それについて書き記すこ と。私の仕事は、自然のなかに神を見いだすた めにいつも注意深くあることだ。神の隠れ家を 知り、自然のオラトリオ劇やオペラに立ちあう ことである。 今福龍太は、「それはある意味で、キリスト教の 教会や教義の枠組みからまったく自由になった、あ らたな自然「巡礼」という行為」と言っていますが、

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衝動が書かれています。 アメリカ合衆国は入植時深い森に覆われていまし たが、東から西へ西部開拓が進み、トクヴィルはこ の森林開拓は、まるで衝動的に破壊することが目的 のようだと書いています。通常、開拓なら苦労して 開拓した土地にとどまり、そこを管理して収益を上 げることをするはずです。トクヴィルが驚くのは、 そのように苦労して開拓した土地をすぐ放棄して、 また西に向かうというのです。まるで、森林破壊が 使命のようだといったようなことを書いています。 これは、アングロサクソンにも[シュバルツバルト メカニズム]が深く刻まれていたことを示していま す。森林破壊そのものが生きがい・天命で、森林は 本能的(文化的に?)に敵なのです。ドイツの[シ ュバルツバルトメカニズム]で、オークの森林を破 壊したのは、船の用材としての木材と原住民の追い 出しと奴隷化で、ある意味では自然資本の徹底的な 収奪・利用でしたが、アメリカ合衆国の[シュバル ツバルトメカニズム]は、ほとんど森林を破壊する だけの情熱です。アングロサクソンの古来の魂がも っていた、森そのものに対する恐怖(例えば、シェ ークスピアの三大悲劇)とそのための森林破壊、こ

の本性がアメリカ合衆国で吐露してしまった。まる で、森は悪魔の棲み家だとでも感じているかのよう です。この、自然に対する恐怖が、アングロサクソ ンの北米での自然破壊の原動力になったようです。 事実、生態系というか、都市も含めて、その異教 徒の棲息域を消滅(焼滅)する情熱は、その後も異 常に続きます。インディアンの絶滅、東京大空襲、 広島・長崎への原爆投下、そして、朝鮮戦争、ベト ナム戦争。生態系破壊の情熱が燎原の如く、どんど ん西に広がって行きます。 いまや、 アフガンを経て、 一気に中東にまで行き、その欲望と情動は止まると ころを知らない。(この後どうする。ロシアの森林 を破壊する? カルパティア山脈のオークを破壊す る? 南に展開して熱帯林を壊滅する?)

ベトナム戦争の博物館がホーチミン市にあります。 この博物館にある、一枚のパネルに釘付けになりま した。ベトナム戦争で爆撃した地点を黒点で示した ものです。なんと、南北ベトナムがほぼ真っ黒なの です。新聞・テレビでは北爆とか報道されていまし たが、 それと同じ程度に南爆も行われていたのです。 しかも、ラオスとカンボジアの東半分も含めて。そ

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2 ドイツの現代版[ シュバルツバルトメカニズム] の 失敗 [シュバルツバルトメカニズム]とは徹底的な自 然資本の略奪メカニズムです。 ドイツは現代版の [シ ュバルツバルトメカニズム]として、自然再生エネ ルギー、温暖化ガス排出削減、外的労働資源の確保 (新奴隷制)を柱に掲げてきました。これらが、す べて破綻に追い込まれつつあり、今後ドイツ技術帝 国は何処に向けて暴走していくのでしょうか。EU を牽引してきたドイツ技術帝国の没落は、同時にE Uの没落を意味し、ドンコロ的には、慶賀のはずな のですが、20世紀のドイツの暴走が頭をよぎり、 21世紀のかなりの不安材料となりつつあります。 ( 1) 自然再生エネルギー ニューズウィーク日本版「ドイツで潰えたグリー ン電力の夢」(ダニエラ・チェスロー)(本誌20 18年10月23日号掲載)に、ドイツ国内の「南 北問題」がネックで、「気候変動対策で世界をリー ドする役目もある程度返上せざるを得なくなった」 という衝撃的ニュースがありました( https://www.

newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/post-111 より)。北の風力発電を南の工場地帯に送電 38.php するのは困難と判明したためです。 ドイツは2010年、今世紀半ばまでに電力 の80%を再生可能エネルギーで賄うという 野心的な目標を掲げた。さらに翌年には日本の 福島第一原子力発電所の事故を受け、22年ま でに「脱原発」を達成すると発表した。 ドイツはいち早く固定価格買い取り制度を 導入(17年に入札制度に移行)するなど、個 人や企業による太陽光と風力発電事業をテコ 入れしてきた。おかげで1990年には電力比 率の3・6%にすぎなかった再生可能エネルギ ー(風力、太陽、水力、バイオガス)が、発電 量の3割超を占めるようになった。 しかし高邁なビジョンは、厳しい現実に突き 当たった。 (中略)結局、政府はエネルギー政 策を見直して化石燃料への依存度を高め、気候 変動対策で世界をリードする役目もある程度 返上せざるを得なくなった。 問題は送電網にある。太陽光・風力発電を主 役にすると、従来よりも複雑でコストも高い送

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「 」 「

「 」

神 人間 自然 がきっちり区別されており、キリ スト教的自然観から抜けだしているかどうかは、ど うでもいいことです(むしろ強化されている)。 ヘンリー・ソローにとって「神聖なもの」とは、 いったいなんであったか、今福龍太はそれも見事に 教えてくれました。 『ウォールデン』の「より高次の法」の章の冒 頭にこんな挿話がある。湖で魚を釣っていたソ ローは、黄昏の森のなかを小屋にもどる途中で 一匹のウッドチャックが目の前を横切るのに 出くわす。そのときソローは不意にぞくっとす るほど「野生な」喜びにうたれ、その小動物を つかまえて生のままむさぼり食いたいという 強い衝動にかられる。ソローはこう書いている。 「私は別に空腹だったわけではないが、ウッド チャックが象徴する野性的なものに飢えてい たのだ」、と。 これはもう、「野生な喜び」は性欲と同じレベル としかいいようがありません。アレン・ギンズバー クの表現をかりると、 ウッドチャックにファック (同 化)したくなったような衝動です。

を引用して、ソローの野生をさらに明らかにしてく れます。 野性的なもののなかに世界は保存されている。 あらゆる樹木は野生を求めて細い根を伸ばす。 都市はどんな対価を払っても野生を取り込も うとする。人間は野生を求めて土地を耕し、航 海する。 「人間は野生を求めて土地を耕し、航海する。」 とは、西部開拓で「人間は野生を求めて森林を破壊 し、西に向かう」と書いたのとほとんど同じで、ソ ローの自然に対する 欲望 は、自分だけの自然とい う「異常愛倒錯」にしかすぎません。 この自然に対する「異常愛倒錯」こそが、西欧の [シュバルツバルトメカニズム]をとおして、米国 で純化したような気がします。破壊の悪魔的衝動で す。 ドンコロおじさんは、「ソローの野生」にこそ 神 のエキス」 (精神)で、べたついた悪臭を感じます。 「

続けて、今福龍太は、 『ウォーキング』( Walking )

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ニューズウィーク日本版「ドイツ連立与党、新た な移民法で合意 企業の人手不足解消狙う」(20 18年10月2日号掲載)にはこのようにあります ( https://www.newsweekjapan.jp/headlines/world ) /2018/10/221435.php ドイツ連立与党は2日、欧州連合(EU)域 外から高技能移民をさらに取り込むことを柱 とする新たな移民法について合意に達した。過 去最高水準の求人数など労働市場の逼迫に対 処し、公的年金制度を安定化する狙いがあるが、 世論が反発する可能性もある。 人口の高齢化や低い出生率を背景に、ドイツ の労働人口は今後数十年かけて減少すると見 られており、さらに多くの移民を取り込むこと が企業の人手不足解消に不可欠と考えられて いる。 移民により[シュバルツバルトメカニズム]をも う一度ということらしいですが、国内では右派の台 頭を許し、破堤したメカニズムです。欧米は、中東 やアフリカを正義の御旗で蹂躙し、難民で溢れさせ る[シュバルツバルトメカニズム]を発動し続けて

きましたが、やり過ぎで収拾がつかなくなってしま った。もういい加減[シュバルツバルトメカニズム] から脱却する道を探ってはいかがなものか。ひどい 目に遭ってきた、ドンコロ一族としては、つとに願 うばかりです。 ( 4) 技術的優位性の喪失

日本経済新聞が Financial Times を買収したおか げで、良質の記事が読めるようになり、ウォルフガ ング・ムンヒャウ(ヨーロッピアン・コメンテータ) によると、「ドイツはこれまで危機感に欠けていた が、まさにパニックに陥ろうとしている」といいま

)。 す(日経2019年3月7日 Opinion ドイツの自動車産業はあまりにもディーゼル技 術に依存してきたために、人工知能(AI)や電気 自動車(EV)向け電池といった分野への投資で後 れをとった」ために、いまや中国の方が優位になり つつあるといいます。さらに中国は、EV向けリチ ュウムイオン電池の製造に欠かせないコバルトの世 界的な供給源の大半をすでに押さえている(編集 注:コバルトの生産量世界一はコンゴ民主共和国だ が、その産出量の大部分は中国企業おさえていると

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電網が必要になる。ドイツが目標を達成するに は、「送電網の全面的な再整備が必要だ」と、 再生可能エネルギー推進政策に詳しいアナリ ストのアルネ・ユングヨハンは言う。(中略) 北部の風力発電所から南部の工業地帯に電 力を送るのは容易ではない。風が強い日には、 風力発電所は大量の発電が可能になるが、電力 はためておくことができない。供給過剰になれ ば送電線に過大な負荷がかかるため、電力系統 の運用者は需給バランスを維持しようと風力 発電所に送電線への接続を切断するよう要請 する。こうなるとツアー客が眺めた巨大なブレ ードも無用の長物と化す。 一方で、電力の安定供給のためには莫大なコ ストをかけてバックアップ電源を稼動させな ければならない。ドイツでは昨年、こうした「再 給電」コストが14億ユーロにも達した。 解決策は、北部の風力発電施設から南部の工 場にスムーズに電力を送れるよう送電網を拡 張すること。そのための工事は既に始まってい る。巨額の予算をかけて(事業費は電気料金に 上乗せされて、消費者が負担する)、総延長約

8000キロ近い送電線が新たに敷設される 予定だが、今のところ工事が完了したのは2割 足らずだ。

( 2) 温暖化ガス排出削減 ニューズウィーク日本版「ドイツ車の信頼が大き く地に落ちた理由」(バーナード・リーガー)(2 017年8月29日号掲載)には、ご存じ、「ドイ ツの大手自動車メーカー5社の不正となれ合いが発 覚。国家の誇りとも言える産業を傷つけている」と

いう記事がありました( https://www. Newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-831 )。ディーゼル排ガス規制のごまかしです 3_2.php が、単なるデータの操作でなく、基盤技術自体が存 在しないという、ドイツの技術が、神話であること を明らかにしました。世界的に技術が飽和に達して きていますが、そこから抜きん出ることはもはや叶 わぬ夢ということです。自動車という伝統的基幹産 業であるだけに、ドイツ技術帝国の死亡宣言に等し いものです。 ( 3) 外的労働資源

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にするために、西洋(西欧)に補助線を通してみま しょう。 (1)神経系補助線:ギリシア、ローマ、ルネッ サンス、啓蒙主義、植民地・帝国主義、現代美術を 繋ぐ線。そう、魔薬文化の線。 (2)動脈系補助線:西欧中世に始まるドンコロ 一族の領域・聖域の壊滅的破壊。そう、森林破壊と 水運・海運で、自然再生エネルギーによる生産で構 成される、自然資本の略奪の線。 (3)静脈系補助線:ギリシア・ローマに始まり、 中世でドンコロ一族をターゲットにし、アフリカ・ アメリカ大陸原住民・アジアで一大展開をみせたビ ジネスモデル。そう、人的資源と称する機械にかわ る労働機関の略奪で、奴隷制度という人的資本の略 奪の線。 もちろん、ここの補助線は、西欧における神学・ 哲学・思想・芸術・文化・文明の全てを貫いていま すが、見えない糸として隠蔽されていて、すくなく とも西欧近世では、絶対「理性」の錦の御糸に粉飾 されています。ドンコロおじさんは、別名、これを

「外観性」(内を隠して外面を整える)とも呼んで きました。 ドンコロおじさんの無事の帰還を記念して、 では、 「理性」と「外観性」に対する対概念の「感性」と 「内観性」を再度振り返ってみますよう。ドンコロ 塾での復習です。 「感性」と「内観性」、心身一体感覚と地べた目 線は、西欧では「理性」と「外観性」の概念(心身 分離感覚と上から目線)によって否定されますが、 日本では、まだ、深く息づいています。

1 ドンコロおじさんも唯脳論を考える

[「感性」と「内観性」の感覚]と[「理性」と 「外観性」の概念]の対立概要は、じつは養老孟司 の『唯脳論』(ちくま学芸文庫)に尽くされていま す。養老孟司は「唯脳論」の定義を、「ヒトの活動 を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全 般的に眺めようとする立場を、唯脳論と呼ぼう。ヒ トが人である所以は、大脳皮質が発達するからであ る。そこからヒトのシンボル機能が発生する」と述

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され、世界で採掘されるコバルトの8割は中国が精 錬しているという)。 欧米のこれまで圧倒的技術力と情報収集力(MI 6とCIA等 、こ ) れが世界制覇を可能にしてきたの ですが、ほぼ崩れ去りつつあります。ドイツは、そ してEUは恐怖と絶望のパニックに陥りつつある。 座して凋落を待つか、 はたまた天然資源争奪の新 [シ ュバルツバルトメカニズム] を仕掛けるか。新[シ ュバルツバルトメカニズム]を仕掛けるとすると、 今後は石油より、レアメタルなので、コンゴ民主共 )そして 和国( Democratic Republic of the Congo )をけしかけ コンゴ共和国( Republic of the Congo て敵対させる、伝統的なイギリスの国策による勢力 均衡と分割統治の手法が考えられます(でも、イギ リスも凋落が著しい)。コンゴ盆地には、広大な泥 炭・湿地があり、ここの大開発も中国資本(華僑系) が狙いをつけており、環境の大破壊が起きる可能性 もあります。豊富な自然資本の略奪として、新[シ ュバルツバルトメカニズム]をしかけるのか、 一体 一路メカニズム」で返り討ちにあうのか、ドンコロ 的にはハラハラドキドキです(いずれにしても、自 然は再び大破壊の危機に瀕しています)。

第10章 ドンコロおじさん、日本に生還

ドンコロおじさん、上から目線の西洋(西欧)に 翻弄され続けましたが、いやぁ、何とか無事生還致 しました。ドンコロ一族には感性だけで、脳が無い ので観性もなく、それで洗脳されずにすんだためか と思います。ドンコロ一族にとって重要なのは、 「絶 対主」の声などではなく、地面の肌触り、外気の香 り、言霊の息遣い、です。感覚と感性の世界です。 「絶対主」 が人間に与えた絶対規準が 理性 なので、 それは絶対的真理と錯覚させます。西欧ドンコロ一 族は、その「理性」でもって虐待され、虐殺され、 ほぼ絶滅に瀕しています。それでドンコロ一族は絶 対 理性」の裏側(中身)は、絶対 魔性」であるこ とを、身をもって知りました。 魔性」の隠蔽こそが、絶対 理性」なのです。で は、「魔性」とはなにか。「魔性」の本質を串刺し

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性がなくてはならないとまで言う。こう書いて も、理系の人なら、それで「なぜいけないのだ」 と不審気な顔をするであろう。それが理科と文 科の喧嘩のもっとも深い原因だと私は思う。こ の本で私が述べようとするのは、文科系におけ る言葉万能および理科系における物的証拠万 能に頼るだけでなく、すべてを脳全体の機能へ あらためて戻そうとする試みである。 [唯脳論]:ヒトはなぜ社会を作るか。レヴィ =ストロースは「交換 のためだと言う。そう かもしれない。では、なぜヒトは交換をするの か。その基盤を成すものは脳である。脳は信号 を交換する器官である。それこそが、ヒトが交 換を行う理由である。ヒトが 無意識」に作り 出すものは、ヒトの身体の投影となる。そうエ ルンスト・カップは言った。もっと正確に言お う。 ヒトの作り出すものは、ヒトの脳の投影で ある」 と。社会もまた然りである。 [唯脳論]:かつてヒトは、実証され得ない観 念を振り廻し、他人に多大の迷惑をかけた。歴

史はそういう教訓に満ちている。(中略)「実 証されないものは語るに足らない」という実証 不能な観念を振り廻すほど、私は観念論者では ない。その意味では、私はあくまで実証主義者 である。しかし、私は、ヒトとは実証不能な観 念にすら頼りたくなるほどに、弱い者であるこ とはしっているつもりである。だから、ヒトか ら、シンボルの一つである宗教を切り離すこと はできない。 [非唯脳論]:「脳という物質から、心が出て くる。そんなバカな話はない。心というのは、 もっと霊妙不可思議なものだ」。 哲学で言う心身論とは、もっとも素朴な形で は、こうした疑問から発生したのではないか。 そこに、神学[キリスト教神学]上の見解が加 わる。神学では、心つまり精神とは、ヒトと神 だけの持ち物でなくてはならないのである。 [唯脳論]:脳と心の関係の問題、すなわち心 身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰 着する。 [唯脳論]:あらゆる存在は、外界にあるか、 あるいは脳内にあるとする。あるいは、多くの

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べています。 もっとわかりやすくいうと、言語、芸術、科学、 宗教、等々、これらはすべて、脳の機能であるとい うわけです。まったく、当たり前のように思われま すが、西欧では、シンボル機能の原型(プロトタイ プ)は、 神 (現代では神は死んだか、効力が失せ たので、「絶対主」という抽象的絶対概念)より与 えられるものです。驚くべきことに、脳にもともと 備わっているとは考えない。脳の機能は、天から、 上から灌頂される。たとえ 神 が死んでもこの絶対 構造は変わらない。 養老孟司は、「われわれはお金を使い、衣服や帽 子、アクセサリーを身につけ、車にお守りを吊し、 ゴルフ道具を担ぎ、碁やマージャンで暇を潰す。こ れらはすべて「具体化したシンボル」であるが、こ れもまた、すべて脳のシンボル機能に発する。」と いいます。 人の行為のすべては「脳のシンボル機能」に尽き るといいます。ドンコロおじさんには、ごくごく当 たり前のように思われ、きわめてすっきりと理解で きますが、こんな当たり前のことを養老孟司は「唯 脳論」などとおおげさな題名をつけて、なぜ出版す

る必要があったのでしょうか。 考えてみれば妙です。 そこで、また、ドンコロ塾で『唯脳論』を読んで みましょう。[唯脳論]は、[唯脳]を中心に考え ているのですが、三段論法や形而上学を使用しませ んので、 論 といっても、西欧哲学からすると散文 的記述しかできません。でも、これが『唯脳論』の 本質でもあります。そして、日本の哲学者や思想家 にはうけいれられない理由でもあります。西洋(西 欧)哲学・思想は垂直的論考でないと論考すらでき ない構造です。『唯脳論』は、いってみれば、平面 的放射状の論考で、 そもそも、 論考システムが違う。 『唯脳論』の否定の基盤(岩盤)に西洋(西欧)哲 学・思想が載っているとでもいえばよいでしょうか。 『唯脳論』を理解するには、それをそのまま拾っ ていくしかないでしょう。しょうがないので、『唯 脳論』から、[唯脳論]と[非唯脳論](ドンコロ おじさんが勝手に名付けた)を抜き書きして、西洋 (西欧)の「天(神・絶対者・主)に全ての原型が ある」とする、大言壮語(形而上学、上から目線) を炙り出してみましょう。文中[ ]はドンコロ注で す。 [唯脳論]:理系の人は、科学は有効性、実証

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」 「

」 「

」 「


それに応じて自分の体を適当に動かすものだ ったはずである。そこには、明らかに二つの知 識が含まれている。一つは外界つまり環境に関 するもの、もう一つは自分の体に関するもので ある。極端ないい方をすれば、両者それぞれが 唯物論と唯心論の起源と言ってもよい。自分の 体に関する知識は、たとえば身体地図の作成に 至って完成に近くなったが、同時に少なくとも ヒトの段階では、脳自身に関する知識を含むこ とになった。それが 意識」に他ならない。脳 もまた身体の一部だからである。 [唯脳論]:意識が脳から発生することを、強 いて不思議と思うなら、たしかに不思議と思わ ざるを得ない。しかし、率直に、それが 脳が 脳のことを知るあり方」だと思えば、さして不 思議はない。 (中略)それは一種の公理であっ て、とくに説明が必要なことではない。 [唯脳論と非唯脳論]:[「脳が脳を考え」て いる場合には、議論の余地なしに受け入れられ る叙述、つまり公理「脳が脳を知ることが意識 だ」を置かなければならない]。デカルトもこ んな風なことを考えていたらしい。かれは幻肢 」

について言う。 手の痛みは、それが手あるか ら心に知られるのではない。それが脳にあるか らだ」、と。 こうした議論の際には、「……が考える」と いう言い方に問題があるかもしれない(中略)。 脳の議論では「……」は脳で、 考える」のも 脳だけの機能である。だからただ「考える」と 表現した方が早い。(中略)しかし、 考える主 体 はまだ明確には言明されていない。という よりも、 考える」主体などというものは、言 語の形式上、ここに紛れ込んできたものであっ て、そんなものはもともと要らない。なぜなら、 考える」とは、自分の脳の状態だからである。 もちろん、「俺が考える」、 お前が考えろ」 と言う時は主体があるようだが、いまの文脈と は話が別である。これは主体というより、俺と かお前とかいう状況の区別である。そこのとこ ろで、デカルトの翻訳のように 我思う」と言 うと、ややこしい誤解が紛れ込んでしまう。当 然 我 とはなんだという疑問が生じるからで ある。それは脳か、自我か、意識か、はたまた 脳の一部か。

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」 「


場合には、その両者にある。 (中略)心は脳の 機能である。それなら、脳と心の関係とは、心 臓と循環、腎臓と排泄、肺と呼吸の関係と、つ まりは似たようなものである。いわゆる心身問 題は、それを率直に認めないところから生じる。 [非唯脳論] :心が脳の機能でないと思うのは、 心を特別扱いするからである。つまり、心とい うのは、なにか特殊なものである。そういう考 えがあるからである。たしかに、心には、ある 特殊性がある。それを、われわれは「意識」と 呼ぶ。意識には、「自分で自分のことを考える」 というおかしさがある。 (中略)この機能的特 性のために、ヒトは、意識つまり心をいつでも 特別扱いしてきたのである。デカルトの出発点 も、ここにある。 [非唯脳論と唯脳論]:脳と心について、因果 関係を追求しようとすると、「心は物質から生 じるか否か」といった、おかしな議論に巻き込 まれる。 (中略)これは結局は、機能が構造か ら生じるか、という問題に帰着する。唯脳論は、 これに対しては、それはわれわれの脳の構造か ら生じる見かけの問題だ、と答える。すなわち、

構造とは、脳なら脳を、より視覚系寄りに扱う やり方であり、機能とは、同じものを聴覚・運 動系寄りに扱うやり方だからです。 [唯脳論]:心身論には、また別の面もある。 それは、脳以外の身体と脳の関連である。この 意味では、脳と身体とは、明瞭に分離できない。 なぜなら、 (中略)身体のほぼいたるところに 末梢神経が張りめぐらされており、しかも脳と 神経とは、一連の連続する構造だからである。 肝臓や腎臓を取り出すように、神経系を取り出 すことは、もともと不可能であり、しかも、脳 は個体発生にともなって、刻々と変化している。 その変化は、生後のある時期では、末梢におけ る神経以外の構造に、大きく依存している。そ の意味では、 中枢は末梢の奴隷 なのである。 したがって、そうした面からすれば、唯脳論は、 じつは身体一元論と言ってもいい。 [唯脳論]:心身が二元に見えるのは、われわ れの脳が、構造と機能を分離する性質を持つか らである。 [非唯脳論(と唯脳論)]:進化の過程を考え てみよう。動物の脳は外界の刺激を取り入れ、

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脳のいちばん後から、いちばん前に移動しなく てはならないからである。構造主義なるものが、 「実践」とあまり縁がないのは、脳の地図から は当然のことである。両者はまさしく 対極 に ある。 [非唯脳論]:そうした思想は、すべてピント 外れであることが証明されてしまった。[そう 「

「 」

した思想とは「自然対人間」 個人対個人 資本家対 労働者」の二項対立]

[脳化=社会]:最終的に抑圧されるべきもの は、身体である。(略)脳は自己の身体性を嫌 う。それは支配と統御の彼方にあるからである。 自己言及性における、脳の本格的な矛盾は、論 理にではなく、その身体性にある。脳に関する 自己言及性の矛盾が、実際の論理的表現よりも 強く意識されるのは、背後に脳の身体性が隠れ ているからである。 [唯脳論] :この国は古来 唯脳論」 の国である。 [唯脳論]:ここまで来れば、われわれに復讐 すべき自然がじつはどこにあったかは、もはや 明瞭であろう。それは「外部の自然」ではなか った。ヒトの身体性であり、ゆえに脳の身体性

だったのである。自然はどこに隠れたわけでも なく、失われたわけでもない。われわれヒトの 背中に、始めから張りついていただけのことで ある。

以上のことから、ドンコロ的感想としてまとめて みると、[唯脳論]から考えると、哲学とは、「無 いものを証明しようする学問」で「代名詞を名詞化 した超代名詞の物語」ということになります。

2 ドンコロおじさんも「 は」 と「 が」 を考える

養老孟司は『神は詳細に宿る』 (青土社)で、 「は」 と「が」の違いに触れます。養老孟司にしたがって、 定冠詞、不定冠詞、助詞の関係を、ドンコロ的に纏 めてみました (ドングリ頭なので間違っているかも) 。

「は」:感覚で捉えられている実体(特定の the 同一物)で具体的

「 aが」:観念で捉えられている虚体(不特定 の類似物)で概念的

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ところで、デカルトはこのことに気づいてい たのではなかろうか。というのは、彼の言い方 は、ラテン語で cogito だからである。ここには 「我」という主格が独立の語としては現れてい ない。フランス語で言えば、そこには 我 に相 当する主語が必要だが、ラテン語なら不要であ る。だからデカルトは、これをラテン語で言明 したのではないか。脳の話に 我 が入るのは、 話をややこしくこそすれ、単純にはしない。他 人に対する我ならわかるが、もちろんデカルト はそんなことを言っているわけではない。 デカルトを我流に翻訳するなら、「私が考え 」 「

」 「

ている」と言語で表現される状態( cogito )が あって、それはつまり 私が存在する」と言語 「

で表現される状態( sum )なのである。それが つまり脳の機能であり、だからこういうこと全 体が言語で表現される。なぜなら言語こそ典型 的な脳の 意識的機能」、つまり「脳が脳を知 っている状態」だからなのだ、と。 [唯脳論]:この「唯脳論」では、情緒のこと はあまり触れていない。これは、私の脳が情緒 の分析を拒否するからであるが、それだけでは

ない。情緒は、同じ大脳皮質でも、大脳辺縁系 すなわち原始皮質、古皮質に関わり、さらによ り下位の中枢に関わる。その論理的分析が困難 なことは昔からよく知られた事実である。こう した分野は、古来文学が最も得意とするところ である。 唯脳論」が扱うのは、文学の形式で あって内容ではない。 [非唯脳論]:根拠のない推測をするのは脳の 癖である。しかし、脳がそういう癖をもつこと は、 客観的」 実証的 真理が 脳の外に」存在 するという、なんの証拠にもなっていない。間 違った推測をしたのも脳であるなら、それを訂 正したのも脳である。 [非唯脳論]:知覚系は本来認識に関わるもの である以上、語の本来の意味としての「認識論 とは、まさしく「知覚系の哲学 である。それ に対して、実践哲学やら倫理やらが発生してく るのは、運動系が関与するからである。好むと 好まざるとに関わらず、構造主義は視覚系とは 縁が切れない。構造主義者なら、 意志 につい てはほとんど語ろうとはしないであろう。こん なものを持ち出すと、構造主義者は「たちまち、

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ここで、「や」は別次元の事象の結合子で、「や」 は「人と自然」を、「人と人」を結び付ける機能が あるようです。 芭蕉の句を抽象と具象と入れ替えてあじわうこと もできます。もちろん、抽象 抽-象や具象 具-象の句 として詠むこともできますが、英語翻訳のようにつ まらぬ句になってしまいます。 長谷川櫂によると、この「古池や蛙飛こむ水のお と」は、心象と具象の「異質の共存」という全く新 たな精神世界を開いた句といっています(『『奥の 細道』をよむ』ちくま新書)。「古池や」の切れ字 の や が極めて重要な役割を果たしており、「や」 は、「古池」と「蛙飛こむ水のおと」の全く異なっ た次元を結びつけ、「蛙が水に飛びこむ音を聞いて、 心の中に古池の面影が広がった」という句であると 解釈して見せます。 や の一字が「異質の共存」を 可能にするというのです。「や」の一字が「内観的 世界」と「外観的世界」を結びつけてしまうのです。 日本語には、心象と具象の「異質の共存」を可能 とする、言語構造があるらしいことを、養老孟司と 長谷川櫂より学びました。これはなんということも ないようですが、自然とつきあうときの最も重要な

スタンスです。西洋(西欧)は、この文法、ひいて は「異質の共存」の哲学や思想を発展させることが できなかった。かわりに、神(絶対者、存在者)‐

人 自-然を分離させ、終いには、人は自然の一部であ るという感性すら否定するようになりました。

3 ドンコロおじさんのアニミズム

人は自然の一部であるという感覚はアニミズム的 ですが、西洋の粒子的に分解したようなアミニズム とは、日本のアミニズムはまるで異なります。金子 兜太のアニミズム感覚が、日本的アニミズムである と思います。以下、『私が俳句だ』(平凡社)の「土 を踏んでそこに立つ」の項より。 以前、鶴見和子さんが「踊りでも俳句でも短 歌でも、日本文化はすべていのちとつながって いる。つまりはそれがアニミズムだ」と言った とき、私は思わず膝を打った。 自然はもっともおおらかな生命体であり、そ れを母体に、日本文化は生まれてきた。だから 日本文化とアミニズムはつながっているんだ、

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」 「

」 「


「むかしむかし、あるところにおじいさんとお ばあさんがおりました。おじいさんは山へ芝刈 りに」 養老孟司のこの用例に定冠詞、不定冠詞、助詞の関 係を補ってみると、このようになります。 「[ : a不特定]おじいさんとおばあさんがお :特定]おじいさんは山へ芝刈 りました。[ the りに」 と書けます。 ところで、大野晋『日本語練習帳』(岩波新書) によりますと、 ハの使い方は、1)話の場の設定(答えが来る と予約)、2)対比、3)限度、4)再審です。 この四つにある共通点は、ハは、すぐ上にある ことを「他と区別して確定したこと(もの)と して問題とする」ということ。 ガの使い方は、1)名詞と名詞をくっつける(ハ は分離させておいて下と結ぶ。ガは、すぐ上と 下をくっつける。)、現象文をつくる。 で(傍線はドンコロ)、文法的にいうと、ハとガの 使い方はもっと広いうようですが、ドンコロ解釈で

もそれほど大きくは違ってはいないようです。大野 晋の用例を読むとその都度、納得するのですが、で も、 たった六つの定義でも、 すぐ忘れてしまいます。

] 、 ドンコロのドングリ頭では、 養老孟司の定冠詞 [ the 不定冠詞[ ] aと助詞(ハとガ)の対応程度で十分 なのですが。

と「は」、 と the a 「が」の対応があるので、西 洋でも日本でも同様の抽象と具象の明確な概念的区

別があるのがわかります。でも、 the と は a 単語を 修飾するだけですが、「は」と「が」は文章全体の 抽象と具象に係わります。 たとえば、芭蕉の句「古池や蛙飛こむ水のおと」

目の前にある wa

を the 、 と )、「が」( ) a 「は」( wa gaを補って 詠んでみます。 [ the ]古池 や

わたしの心に広がる ga

わたしの心に滲み wa

心に浮かぶ ga

[ ]a蛙飛こむ水のおと あるいは、 [ ]a悠久の古池 や

[ the ]蛙飛こむ水のおと 入る

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いく。 俳壇からは「金子兜太は変革を捨てた」とか 「後戻り」とか散々に言われたけれど、自分で は熊谷に居を定め、土を踏んで立っているとい う実感もあったから、自然な流れだと思いなが ら自分を見つめていました。 女房は先に逝きましたが、いまの自分がある のは、女房のおかげだな。 人間は本来、誰もがアミニストなんです。け れども、それに気づいていない。もっと生きも の感覚を磨くことだ。もっと自由に、勝手に、 平凡に生きればいい。アミニストとして、生き ものを大事にできる人間におのずからなって ほしい。そう思います。 「

金子兜太は、 風水土」の内に生な存在者としてい るという、その生きもの感覚がいい。 風水土」から 切り離し、高みの(上から目線の)観念論では、人 は干からびてしまう。 風水土」からいうと、観念論 は生きた実体をミィラー化する思想なのでは。 金子兜太に「日本文化はすべていのちとつながっ ている。つまりはそれがアニミズムだ」といった鶴

見和子は、インドでの実感から、それを曼荼羅とも 言っています(鶴見和子『遺言 斃れてのち元(はじ) まる』藤原書店)。 わたしはインドに行って驚いたんです。オーラ ンガバッドという所に洞窟がいっぱいあるん です。そのオーランガバットの洞窟というのは、 これは仏教の人が修業した洞窟、これはバラモ ン教の人が修業した洞窟、これは拝火教(ゾロ アスター教)の人が修業した洞窟というふうに、 いろんな宗教の修業者が、軒を並べてというと おかしいけれど、洞窟には軒がないけれど、穴 を並べていっしょに修行していた。こんなめず らしいところはインド以外にはないでしょう。 つまり、諸宗教の共生ということを昔から実践 していたのがインドなんです。曼荼羅思想とい うのは、古代インドに生まれて、そして密教と ともに日本に伝来したんです。 種智院大学の頼富本宏先生の本 によると、 「曼荼羅というものは、ひとつの空間に複数の ものが存在する、そのことを曼荼羅という。」 といいます。 鶴見和子が[風水土の歌]を詠んでいます(『歌

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と言っておられた。 アミニズムの話でいうとね、小林一茶は「六 十歳で俺は荒凡夫になりたい」と言っておるの です。「荒」とは、私の解釈では「自由」だ。 自由で平凡な男になりたい、とこう言っている わけです。 芭蕉なら「自分は翁だ」となるけれど、一茶 は「愚の塊の平凡な男だ」という。本能の自由 のままに生きていく男といのは、はたからみれ ば俗物です。それでも一茶は珠玉の句をつくる。 なぜなら、彼は生きもの感覚に優れているんで す。アニミズムに支えられているんだ。一茶は アミニストだったと思います。 一茶の残した句に、こういうのがあるんです よ。 蛍来よわがこしらえし白露に これは一茶が長女を亡くしたときに詠んだ 句でしてね。白露というのは儚くて、無常の塊 です。それをなめていたわってください、と蛍 に呼びかけている。生きものに対する素手のい

たわりと言うべきかな。これがアミニズムの根 本だと思うのです。 私自身もアミニストだと思っているけれど、 昔からそう気づいていたわけではないんです。 私のアミニズムへの関心は、女房と、この熊谷 の「地」に培われた。 女房とは、戦後、復員して日本銀行に勤め始 めてすぐ、一緒になりました。それからは転勤 が多くて、社宅暮らしやアパート住まいが長く 続いてね。 私が四十八歳のとき、女房が「地の上で暮ら していないと、あなたのような男は駄目にな る」と言って、いまの土地を探してきたんです。 ここで五十年以上、土を踏んで立つうちに、 「地」への関心も、それから一茶や山頭火への 関心も深まった。社会生活者としての人間とい うことから、生な存在者としての、人間の「あ りてい」に、関心が移るようになった。 土を踏んでいることに誇りをもたない人間 はおっちょこちょいだと思っています。存在者、 なまなまし人間には、土が欠かせない。土がな ければ海、水があればいい。土や水になじんで

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のを、偶然性と必然性と両方あるということを このメッチャクチャな図にしたんです。これを もって自分の学問の方法論とする。曼荼羅の手 法をもって研究すると研究が進むということ を言ったんです。これはイ、ロ、ハ、ニと書い てあるんですけれどもとてもよく分かりませ ん。(略)まん中に黒いところがあるんです。 それを粹点(すいてん)と言うんです。粹はあ つめるっていう字です。つまり、真言密教曼荼 羅図では大日如来にあたるところなんです。つ まり、さまざまな因果系列、必然と偶然の交わ りが一番多く通過する地点、それが一番黒くな る。それがまん中です。そこから調べていくと、 ものごとの筋道が分かりやすい。すべてのもの はすべてのものにつながっている。みんな関係 があるとするとすればどこからものごとの謎 解きを始めていいかわからない。この粹点を押 さえて、そこから始めるとよく分かるのである と言うのです。 因果律と因果を格闘させる、つまり南方は西 欧自然科学の方法と仏教の論理とを自己の中 で格闘させたんです。そのことによって必然性

と偶然性とを同時にとらまえる方法のモデル を編みだした。これが非常に独創的であると言 いますのは、当時は必然性の論理がパラダイム として君臨していた時代です。

粹点で[ Development 開発]を考えると、一点か ら展 (ひら)いていくという意味ですので、それは、 朱熹の 理 に通じます。それが、西欧に入り 理性 となりまた。 しかしそれですと、 粹点は合理的 理性 点ということにしかなりません。これでは、粹点は 西欧哲学の合理的 理性 そのものということになり ます。 」 「

「 「

」 」

それで、ドンコロおじさんは、[ Development 開発]の対概念(真逆事象)として[ Envelopment 包摂]を考えてみました。[ Development 開発]は 自然資本に限れば、それをいかに効率的に短時間で しゃぶり尽くすかという、思想です。西欧は、[シ

ュバルツバルトメカニズム] で[ 開発] Development 、会 、三派が 思想を確立しました。少なくとも、宗教協 仕組んだことですので、神学に基づく近・現代西欧 思想の骨格的思想で もあります。ドンコロの

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集 山姥』藤原書店)。 雨に濡れた土の香りのただよいくる清しき秋の さきぶれの風 この歌は、シュバルツバルトで詠んだ、パウルツ ランの詩にも通じるところがあり、湿りと、香りを 運ぶ風と、かそけき音と、清涼感と、薄日が、一気 に伝わってくる、自然の一服の味わいです。

4 粹点 「

鶴見和子は、欧米的 内的発展論」を展開していま したが、晩年は南方熊楠に傾倒し、 発展論」そのも のの限界を突き破っていきました(鶴見和子『南方 熊楠・粹点の思想 【未来のパラダイム転換に向け て】』松居竜吾編集協力、藤原書店)。 一九〇三年になって描いたのがこの図1なん です。図1が、南方曼荼羅。中村元先生がこれ が南方曼荼羅でございますねと、これをお目に かけたときおっしゃったので、私はこれを南方

曼荼羅と呼んでおります。ちょうどこれがこの 仏教の曼荼羅図に対応するんです。この曼荼羅 図は真言密教の場合はまん中に大日如来がい るんです。そして諸仏を配置したものです。曼 荼羅っていうのは、これが非排他的宗教のひと つの典型だと思うんですけれども。インドで仏 陀があらわれて仏教を創唱したとき、様々なイ ンドの土着宗教があったわけです。ちょうど日 本の石ころだとかいろんなものがあってそう いうものを信心するのと同じようにウジャウ ジャと神様がいたわけです。それからジャイナ 教もあったし、ヒンズー教、名もつかない様々 な神様がいたんですね。そういうものを排斥し ないでまず大日如来をまん中に置いて、そうい うものを全部配置してみたらどういうものが できるか。諸仏、諸菩薩の配置図なんです。曼 荼羅とは何かというと、自分の哲学、世界観に 従ってそれぞれの人が森羅万象の配置図をつ くったものが曼荼羅であるというのが一番一 般的な定義になっております。南方は真言密教 の曼荼羅を考えていますから、まん中に大日如 来がいるわけです。そして今度は因果というも

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給がないと、熱が蓄積し乾燥化し、砂漠化をもたら します。砂漠では夜の冷却はすさまじく、水が無い と保温効果すらないのです。 この地球系で考えると、水 植-物で制御できそうな のですが、なぜ、動物が必要なのでしょうか? よ く分かりません。可能性としては、炭素の蓄積系し かないと、空気中二酸化炭素が枯渇してしまうせい かもしれません(光合成が止まる)。そうだとして も、微生物が分解を担えば良いことです。地球シス テム安定は、水‐微生物‐植物の複合系で十分な気 がします。動物が植物を破壊する(食する)だけで、 地球システムに何の貢献もしなければ、直ちに、進 化の歴史で地球システムから排除されたはずです。 なぜ、地球システムの水‐微生物‐植物複合系に動 物が入りこむことができたのか、ドンコロのドング リ頭ではよくわかりません。でも、大事な気がしま す。 長期間、水 微-生物 植-物だけで地球系を廻すとな にが起きるかというと、多分、無機栄養の溶脱によ る、栄養失調です。このために、海から陸に無機栄 養をもどすために遠大な食物連鎖が必要となってき た。そのくらいしか思い浮かびません。

[ Envelopment 包摂]循環系と何かは、別途専門 的な議論が必要ですが、例えば、縄文的生産生態シ ステムで す。焼畑で 草原を 管理し、炭が黒土

( Andosol )形成し、肥沃な土壌で植物生産と蛋白 源が増加し、という人の入った循環系です。 あるいは、自然再生エネルギーはただ取ればいい というものではない。風力や太陽光発電は、生態系 にとって(エントロピー的にも)ネガテイブな側面 が多々あります。目先だけの効率を追うと、

包摂] 循環系をむしろ破壊する恐れ [ Envelopment すらあります。植物は、バイオマスを生産し、エネ ルギー(食糧やバイオマスエネルギー)を供給しま すが、空気の冷却、土壌保全、保水、生物多様性の 要として機能します。陸域生態管理は植物にお願い するしかない。コンクリート・鉄骨や精密機器の発

開発]にしかな 想ではどう転んでも[ Development りません。

原子力発電は、[ Envelopment 包摂]循環系原則 からすると最悪のエネルギーです。まだ、化石燃料 を使う方がましです。

都市は[ Envelopment 包摂]循環系原則からする と最悪のシステムです。他地域からエネルギー(食

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[ Envelopment 包摂]は、生命原理である動的平衡 (フォン・ベルタラフィの言う)と、地球生命系を 駆動している太陽エネルギーの分散と循環の二つの 要因による系の安定化を考えます。 歴史時間でみると、[ 開発]はエン Development 包摂]はエント トロピーを増大し、[ Envelopment ロピーを減少し(少なくとも低く安定化)ます。

するものとして、古来中国において珍重されて きた。玉がそなえている文様としてすじめは、 もともとそこにそうあるものであるため、転じ てものごと一般について「そうあるべきすじ め」を〈理〉と呼ぶようになる。 理」 はもともと内蔵しているものですので、 いわば、 静的な概念です。「玉のすじめ」の一点を突くと玉 はバラバラになります。これがここでいう[理点] です。

[ Envelopment 包摂]の原理原則は、動的平衡・ エネルギー分散循環ですので、これらの原則を包括 する原理原則を、ここでは[粹点]と再度定義しま す。

[ 開発]では[ 包摂] Development Envelopment の動的平衡・分散循環系を断ち切ってきました。 [シ

しゃぶり尽くす。そうすると、 [ Development 開発] は自然資本を使い尽くすその原理を、 理 ( 理性 )

[粹点]は[ Envelopment 包摂]の一点と考えま す。地球環境で、包摂の一点(粹点)とは何でしょ うか。多分、太陽(エネルギー)です。見かけ上で すがエントロピーが増大しないで、生命が何とか生 きていられているのは、太陽エネルギーのおかげで す。地球が灼熱地獄(あるいは氷結地獄)にならな いのは、多分、水が多く、水がエネルギーを分散・ 循環させて、それに生命が加わり、安定的なシステ ムを作ってきたためです。この地球系では、水の供

ュバルツバルトメカニズム] は[ Development 開発] の典型です。徹底的に自然資本に人的資本も含めて

に求めているわけですから、[ Development 開発] の重要な原理を、[理点]とよんで良いかと思いま す。少なくとも、南方熊楠が考えた 粹点 ではあり えず、それは 粹点 の真逆に相当するはずです。 小島毅によりますと、朱熹の「理」は、次のごと くです(『朱子学と陽明学』ちくま学芸文庫)。 理という字のもともとの意味は、 「玉のすじめ」 である。玉 (ぎょく)は理・珍・珠などといった 漢字の部首として使われるように、宝石を代表

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「 」 「


けるための方法のいくつかに気づかれる。これ までの学問には、小さな枠組がたくさんあって、 そんなのばかりの中にいるとなんでも当ては まってすぐ答えが出てくる。そういうやり方で やってきたのは、自分に何かを背負っていない からだとお考えになって、内発的発展というお 考えが出てきて、いまもずっと内面の構築がな されていると思うんですけれども、もうだいぶ、 お書きになっていらっしゃいますね。肉声でも 語っておられて……。 鶴見 内的発展論というのがどうして出てきた かというと、まったく言葉として出てきた。結 局、いまになってそれが言える。私の魂から内 発的に出てきたんじゃない。 述べる言葉」と して出てきた。(中略) パーソンズがいうには、近代化には二つあり ます。一つはアメリカとかイギリスとか、そう いう西欧の先進国。それは自前で、ほかの国が どこも近代化されていないとき、たとえば十七 世紀のイギリスの産業革命、これが近代化の発 祥です。どこにも近代社会というのがないとき に、自前で自分たちの近代の社会の形をつくっ

てきました、理論をつくってきました。これは 内的発展です。 (中略)イギリスが三百年かけ たところを日本は百年でやった。 (中略)だか らこれは内的発展ではなく外的発展です。(中 略)

日本に帰ってきて、日本は公害先進国、水俣 病が起きる。そして日本は公害先進国になった。 ちょっとおかしいんじゃないかという感じが してくるわけです。アメリカ流の近代化論をあ てはめると、公害問題が最初に近代化のはっき りしたアンチテーゼを示しているのに、水俣の ようになっていくのがいいことになるわけで すよ。水俣のようなところはどんどん捨てちゃ って、どんどん大工業化して、自然をどんどん 破壊していけばいいことになる。そしてどんど ん経済成長していく。じゃあ、人間はどこへ行 くんだろうって、わからなくなるわけよ。そこ で考えたのが、先進国は内発的、後発国は外発 的じゃなくて、後発国もまたすべて内発ではな く、内発と外初と、両方がある、ということで はないのか。 (中略)内発と外発と両方あると いうことが後発国の一番大きな問題で、自分た

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近代化論と内的発展論 石牟礼 (鶴見さんは)日本の学者やインテリ たちに伝えたいということと、それからもう一 つは民衆の暮らし方や知恵に学びたいと、 高 く翔んで深く沈む」というその二つの目標を最 初に掲げられたんだということ。しかしこの二 つは大変結びつきにくいという意味をお書き になっていらっしゃいますよね。それを結びつ

『ドンコロ見聞録』を終えるに当たって、鶴見和 子と石牟礼道子が遺した『対話まんだら 言葉果つ るところ 石牟礼道子の巻』(藤原書店)を引用し ます。ドンコロおじさんは、息巻いたり、尖ったり、 暴走したり、 暴言を吐いたりで、 さんざんでしたが、 ご両人が近代・現代の内的発展の問題点を、太古の (日本的)アニミズムや曼荼羅からまさに、[粹点] を押すがごとく、西欧理論武装の鎧をパラリと剥が しています。

糧も含めて)を収奪する以外にエネルギーを獲得す る方法がない。そうすると、地球規模で、都市のエ ネルギー輸入に対しては、高い、[ Envelopment 5 縄文心象 、循 、環 、税を課すべきです。その税により、 包摂]非 包摂] 的地球環境の修復と機能強化 [ Envelopment に当てる。 [ 開発]はえてして効率に重点を置 Development 包摂]の動的平衡・エネルギー き、[ Envelopment 包摂] 分散・循環系を壊していく。[ Envelopment 系を強化する方策は、必ずあるはずです。地球はこ れまで自ら太陽エネルギーを動力源として、エント ロピーを増大させないシステムを作り、安定的な系 を構築して来たのですから、その中で考えるべきで す。テクノロジイノベーションでは、地球の自然力 (生きる力)にかなうべくもない、些細些末なこと です。 [粹点]は[ Envelopment 包摂]の一点で、あら ゆる系が重なる一点で、動的です。[理点]は

[ Development 開発]の一点で、系を効率的に破壊 する一点で、静的です。

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そこらへんにころがっている岩でもちょっと 風格があれば拝むんですからね。神ともいえな い草の精だったり、そうそう地霊に帰依してい るんです。偶像じゃない。沖縄に行きますと、 皆さん拝んでいらっしゃいます。 鶴見 これこそ名もない木々、名もない石ころ よ。穴ぼこを拝んでいるのよね。 石牟礼 岩と岩の間を拝んだりとかね。沖縄に 行って、私思いましたのは、「イザイホウ」の 時ですけれども、その岩でも、石ころのような のを祀って拝まれる姿もさることながら、その 前の前の段階で、収穫を神に感謝する豊年祭の 前の夜、奉納の舞を稽古していらっしゃる場所 に、居させていただいたことがあったんです。 いまからお稽古がはじまろうというちょっと 前になると、お魚を漁りに行ったり、磯のもの を採りに行ったりしてた、おかみさんたちが手 を拭き拭き、集まってきますね。そして、さあ お稽古をはじめましょうというとき、がらりと 形相が変わるんですよ。それがじつに気高い敬 虔な顔になられるんです、器量ではなく、全身、 顔の表情も。憑依するんでしょうか。その憑依

する神々というのは私などにはわからない。だ から神というのは、沖縄、南島、八重山、あの 付近では、祈る人に神が直接降りてくるんです ね。ほんとうに美しい、気高い表情とたたずま いになって、もうそれはいわゆる目鼻立ちのよ しあしじゃないんです。陽に灼けて、器量はも ちろん千差万別なんですけれども。ただもう信 じて、祈る人たちは、ああいう美しいお顔にな るんじゃないかと身ぶるいが出ました。 鶴見 柳田は日本人の民衆の信仰として、死ん だ人の魂は生きて遺族の身近にとどまる、屋根 の上とか、家の後ろの森とか、そして呼べばい つでも答えて出てきて助けてくれる、それで交 通が途絶えないと、そういう考えだった。反対 に仏教は極楽浄土、どこだか知らない遠いとこ ろへ行くって。ここに矛盾があるということに なっている。だけど仏教は、サンスクリットで わからないから、お経なんか読んでもらってい るけれど、ああいうものじゃないと柳田はいっ ている。あなたがおっしゃたとおりなの。だん だんに日が経つにつれて、仏教では三十三年の 弔い上げというでしょう、三十三年と区切らな

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ちの地域の自然生態系に適合していて、それぞ れの地域の人々の必要に応じて、人間を幸福に していくような発展の仕方があるのではない のか、そういうことを考えはじめたのが内的発 展論のはじまり。 名もなき神々への信仰 石牟礼 アニミズムという言葉を自覚的に使っ たのは、気恥ずかしい感じで、それをアニミズ ムと書いた時ですね。『苦海浄土』を「熊本風 土記」に連載した時かしら。そういう意識があ ったとは思いますけれども、アミニズムという 言葉を使うのは気恥ずかしくて。 鶴見 あなたの言葉。 石牟礼道子語」でなんと いうか。 石牟礼 たとえば、陽 (ひ)いさまを拝む、岩を 拝む、山川を拝む、存在の母層を恭まう。それ で魂がゆき来する精霊信仰。たとえば官幣大社 というのがありますけれど、そういう格付けさ れた神様ではない、なんていうか、一番下の名 もない神々とのへだてなき交流……。どういう べきか、存在の原野に帰依してる、というか、

地霊たちとの交流です。というのも、わたした ちも地霊たちの子ですから。 鶴見 そうなのよ、それでよくわかった。道子 さんのアニミズムの定義と、タイラーの古典的 なアニミズムの定義を比べてみましょう。タイ ラーによれば、人間に魂または霊があると同じ ように、人間以外の動植物また抽象概念に至る まですべてのものに霊魂がやどるという信念 であると定義しました。タイラーはこの信念は 原始人の間にも見られるだけでなく、すべての 宗教の基底に、変容した形で存続すると説きま した。 道子さんの定義は、人間が魂に宿るとおなじ ように生きているものも生きていないものも すべてに魂が宿るという点ではおなじです。が 道子さんの場合は一番大事なことは「存在の母 層を恭い帰依する」ことに重点がおかれている ことだと思います。わたしのことばでいえば、 最も大いなる生命体としての自然と人間との 一体感が、個々の事物との魂の交流の基底にあ るということだと思います。(中略) 石牟礼 偶像崇拝ですかという人もいるんです。

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月明のひがん花森に似て地下 (ちか)の宴

天上へゆく草道や虫の声

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ひがん花 棚田の空の炎上す 石牟礼道子の句はみな好きですが、一句挙げると すると、この文章の最後に挙げる句でしょうか。 この句を「草道が天の川にまで伸び星に満ち 地 上は虫の声に満ちる」と味わうとすると、自然が心 に満ち溢れる感じがいたします。まるで、宮沢賢治 のようです。 早池峰山からみた銀河 (天 の 銀河鉄道」 の川)が地の果てで鉄道とつながり、銀河鉄道に繋 がっている天地の光景です。 石牟礼道子のこの句でも、「や」が抽象界と具象 界を見事につなぎます。 「天上へゆく草道」の具象 や 「虫の声」がしみ入る抽象 そう、これは、松尾芭蕉の境地でもあります。そし て、魂が 天 と 地 を駈けゆく、禅や能の時空間の 舞台でもあります。

連載 エッセイ

」 「 」 「


くてもいいけれどもね、だんだん遺族も知って いる人は死んでいく。だからだんだんに霊が山 を登っていくと柳田はいう。最後には紫雲たな びく高い峰ぐらいの遠いところへ行って、魂は 浄まわる、浄められる。そうして最後にどうな るかというと、山の上に行って、祖先の霊と一 体となって、一人一人の個人、○○さんの、× ×さんといってた、そういう一人一人の個人の 魂ではなく、祖先の魂と一体化して山に登って いく。そういう考え。だけど山に行くというの は、そういう形で山に行くのか、それとも普陀 落渡りみたいに、あるいはニライカナイみたい に海に行って、海の彼方にあの世をみるのか。 あなたはどっちですかってうかがいたい。

東洋的アニミズムでは、地上そのものが神の居場 所です。銀河や星にしても、宮沢賢治の銀河鉄道の 銀河のように手の届くほど近くにある生活圏の一部 です。 ユダヤ・キリスト教で、天国はなぜか天空に想定 されました。これは、ユダヤ教の発祥地の「風水土」 によると推定されます。 地 は乾燥と灼熱で、「魂」 が住みにくいですが、 天 の銀河や星は砂漠の闇で は手の届きそうなとても近くの目前にあり、夜は冷 涼でもあります。このような地では、天空に理想郷 が設定されるのは、自然の摂理です。そして、天空 から 神 に見張られて、砂漠では隠れ場がない。 」 」 「 「

闇の中のものら華やぐ萩の風

石牟礼道子『石牟礼道子全句集 泣きなが原』 (藤 原書店)のあとがきに、「九重高原、特に「泣きな が原」という薄 (すすき)原の幽邃 (ゆうすい)な美し さに魅入られたのが、 俳句を作るきっかけになった」 とあります。薄原の幽邃な美しさとは、縄文人の心 象です。縄文人の「風水土」の景観は、薄原で、草 原で、花は萩と彼岸花(照葉樹林文化の象徴)です。

」 「

この対談でも、アニミズムは、東洋では「自然の 一体感そのもの」で、西洋では「無数の粒子状の自 然」で、アニミズム自体が本質的に異なることを示 唆しています。 この対談を敷衍すると、神や魂の居場所が東洋的 アニミズムと一神教で決定的に違うことに気づきま す。

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図 1 盆綱(2015 年 8 月).

廻る。これでご先祖様の霊が盆綱に乗 ったことになる。これ以降は、大きな 声で冒頭に記した斉唱「ぼ〜んづ〜な ご〜ざった〜(盆綱が来ましたよ) 」を 繰り返しながら集落の全戸を訪れるの だ。 集落の人々は子供の声が近づいてく ると、玄関の戸を開けて盆綱が来るの を待つ。子供たちが家の前で「ぼ〜ん づ〜なご〜ざった〜」と斉唱しながら 盆綱を曳いて1回(新盆の家は3回) 廻る(図2) 。その間に祖霊は玄関から 家に入ってゆく。子供たちはその場で お駄賃としてお金(新盆のイエからは 500円、その他は300円)をもら い、次の家へと向かう。こうしてすべ ての家を回ったあと、子供たちは集ま ったお金を計算し平等に分ける。

このような伝承的な行事が集落の世

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私にとってのフィールドワーク

図 2 我が家の玄関前で 3 回廻る(2015 年 8 月).


学生のこどもたちの大きな声が聞こえ てくる。声が近づいてくると、 「そろそ ろ玄関の戸を開けようか……」と夫婦 で玄関先に出て「盆綱」(ぼんづな)の到 着を待つ。

忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク㉗

フィールドワークは続く いのうえ まこと

井上 真 早稲田大学人間科学学術院教授 (専門は環境社会学・東南アジア地域研究)

はじめに――旧盆の入り 「ぼ〜んづ〜なご〜ざった。ぼ〜ん づ〜なご〜ざった。…………」 毎年8月の盆入りの夕方になると小

精霊迎えの儀礼として全国で広く見 られるのは「迎え火」だが、我が家が あるつくば市南端の農村集落・上大井 では昔から「盆綱」が行われてきた。 前日の12日に、子供たちは集落の 全戸(およそ50戸)を回って稲藁を 集め、大人は細い縄を用意しておく。 当日13日の午前に、まず稲藁で直径 40センチメートルくらいの竜の顔を 作り、みんなで細い縄を撚って直径2 0センチメートル、長さ10メートル くらいの綱を作る。最後は竜の顔に目 (ナス)と口(赤いトウガラシ)をつ けて盆綱の準備は完了である(図1) 。 この作業を指導するのはこどものおじ いちゃんたちだ。 盆綱の本番は13日の夕方に始まる。 まずこどもたちは大きな声で「ほ〜と けさ〜まのおむかえだ〜(仏様のお迎 えだ) 」 と繰り返し斉唱しつつ集落から 共同墓地へと盆綱を曳いてゆく。そし て、墓地の真ん中で盆綱を曳いて3回

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の1人であり、彼のフィールドワーク に対して脱帽の思いを抱きつつ学位論 文のアドバイスをした(図4) 。教育者 としてこれほど嬉しいことはない。

外から様々なテーマ、対象地域、それ に志向性(政治的スタンスを含む)を 持つ多様な学生が集えるゼミである。 学生を指導教員の枠にはめることは絶 対にしないと決意し、学生の興味を伸 ばすアドバイスに徹した。それは、私 自身の能力を試すことでもあった。実 に厳しい試練が待ち受けていた。特定 の現場をよく知っている学生に対して どんなアドバイスをすれば効果的なの か……最初の頃はかなり苦しんだ。そ して、多様なテーマと対象地域に対し て適切なアドバイスができるよう、睡 眠時間を削って必死でコメントの準備 をした。 この目標・理想を実現するためには、 教員と学生の垣根をできるだけ低くし、 自由に議論できる雰囲気を維持するこ とが欠かせない。そのため、学生には 「井上先生」ではなく「井上さん」と 呼んでもらうことから始めた。 まさに、 名は体を表す。 「先生」と呼んでいるよ

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「 港」 としての井上ゼミ このような田中氏といわば二人三脚 で主に大学院学生たちのアドバイスを した場が、東京大学・大学院農学生命 科学研究科・農学国際専攻・国際森林 環境学研究室・井上ゼミであった。実 質的には「井上・田中ゼミ」と呼ぶの が正しいだろう。私は同研究科の森林 科学専攻で准教授をしていたが、次第 に「東大にフィールドワークの拠点と なるような場を作りたい」という気持 ちが募っていった。ちょうどそんな折 に農学国際専攻の教授ポストの公募が あったので応募し、幸運にも採用され た。 ゼミ運営の目標に掲げたのは、学内

図 4 田中求氏の学位審査祝賀会(2006 年 7 月,東京にて).


代を超えた共同作業の機会を与えてく れる。私自身は漫画「サザエさん」の 「マスオ」さんと同じ立場(婿入りせ ずに妻の実家に同居)である。今では 全ての集落行事を担う一員であり、集 落での行事を通していつも精神的な豊 かさと安心感を味わっている。 私はこのような小さな幸福感を今後 もずっと保ち続けたい。そのためには 世の中の平和を維持する必要がある。 普通の生活の中で感じる小さな幸せな ど、戦争や環境破壊などの反平和的行 為によって簡単に崩壊してしまう。だ からこそ、私たちは自分の生活に閉じ 籠もってはいけないのだ。 私自身がフィールドワークにかける 時間が圧倒的に短くなってしまったい までも、フィールドワークから離れた くない気持ちでおり、またフィールド ワークの重要性を若者たちに説き続け ているのは、このような問題意識に後 押しされているからである。そして、 図 3 ボルネオ先住民のロングハウスで子供たちとくつろぐ(1988 年,インド ネシア東カリマンタン州にて).

フィールドで新しいことを知る喜びや、 日常の生活で忘れられた当たり前を再 発見するような気づき、時にはその当 たり前を疑うことで新たな視角を得る 喜び、などがそのベースになっている ことも間違いない。 私は20歳代後半の3年間、インド ネシアのカリマンタン(ボルネオ島) でフィールドワークを実施し(図3) 、 帰国後に学位(博士号)を取得した。 先住民の生計(焼畑農業など)を環境 問題(熱帯林減少問題)との関連で検 討したフィールド研究は希少だったの で、わりと評価された。 しかし、その後私が大学教員になっ てからの学位(博士号)取得者は30 名を超え、かつて私がおこなったフィ ールドワークを質・量ともに凌駕する 者も多く現れた。このことを一番よく 知っているのは指導を担当した私自身 である。本連載「忘れられた当たり前 を探す」の企画者である田中求氏はそ

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図5 まこカフェ 2016(井上ゼミ第1回OB 会.2016 年10 月,東京大学にて).

運良く、早稲田大学・人間科学学術 院で環境社会学の教授の公募が出てい ることを知り、応募して採用された。 大学院学生の数は以前と比べるとかな り少なく、逆に学部学生数が多いとい う特徴がある。教育は数年単位で相手 が代わるフィールドワークであり、以 前と変わらず「楽しく、厳しく、温か く」のモットーで取り組んでいる(図 6) 。 早大に移ってから東大時代より進 歩したこともある。男女問わずすべて の学生を「さん」付けで呼ぶようにな ったことだ。今では学生と私はお互い に「さん」付けで呼びあっている。 一方、研究では、ボルネオ島中央高 地を対象とする先住民の生計と環境保 全に関するプロジェクトを再開した (図7) 。 フィールドには短期滞在しか できないが、やはり研究の現場に復帰 した喜びは強い。そして、私なりの成 果を出せる気配も感じている。 いまここで、私が記録として残して 図 6 ゼミ合宿での田植え作業(2018 年 5 月,茨城県つくばみらい市にて).

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うでは、批判も含む教員コメントをあ りがたく(あるはしぶしぶと)受け入 れる方向に流れてしまう。せっかくフ ィールドから戻ってきて意気揚々と発 表したのだから、的外れの批判やコメ ントなど元気よく跳ね返して欲しい。 逆に私自身は学生から論破されるのは 悔しい。有益なコメントができないよ うでは指導教員の存在意義はない……。 睡眠時間を削っての事前勉強はそのた めでもあった。私にとってゼミの場は いつも真剣勝負であり、教員としての 命をかけた闘いの場だった。一方で、 井上ゼミの学生が専攻の他教員から納 得できない批判を受けたときは、判定 会議の場などで私が捨て身の覚悟で擁 護した。 その成果は着実に現れた。 たとえば、 2010年4月に開催した農学国際専 攻・入試ガイダンスで使用した資料を 見ると、当時のゼミメンバーは助教で あった田中氏と私を含めて何と41名 に増えていた。 学部学生は1名のみで、 ほとんどは修士課程と博士課程の学生 だ。メンバーの主なフィールドは、日 本(6名) 、東カリマンタン(5名) 、 その他東南アジア(18名) 、南アジ ア・ソロモン諸島(3名) 、アフリカ(5 名) 、中南米(4名)である。 学生たちが世界中のフィールドに出 て行き、時々ゼミに戻ってきて骨休め をし、まずは癒される。そのうえで時 に激しく議論を戦わす……。熱い気持 ちをうまく表現・説明できず悔し涙を 流した学生もいた。ウェブサイトに掲 載していたモットーは、 「楽しく、厳し く、温かく」である。まさに、モット ーどおりで「港」のようなゼミが実現 したのだ。ゼミでは厳しい議論もする が、最後はやはり「駆け込み寺」のよ うに学生たちのすべてを受けとめてあ げたかった。それも大方は実現できた と思っている。 外国、特に東南アジア・南アジア諸

国とのネットワークもかなり充実し、 信頼関係に基づく教育・研究の体制を 構築することもできた。そして、30 名有余の学位取得者のうち日本人は、 いま全国の国公私立大学や研究所など で働いている。 このような農学国際専攻での井上ゼ ミは、2004年8月から2017年 3月まで約13年で終わりを迎えた (図5) 。その理由は、当初の夢を実現 できたことへの満足感と、このまま続 けるとマンネリ化してしまうという危 機感による。同時に、大学教員はプレ イングコーチ(選手兼任監督)でなけ ればいけないが、私自身の13年間は そうではなかったという忸怩たる思い もあった。私自身が企画したリレー連 載「越境と躍動のフィールドワーク」 の最終回⑭「過去から未来へ」 (201 0年1月)で「私自身のフィールドワ ーク第二章の始まりである」と書いた が、残念ながら実現しなかった。

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の竹筒の中には、 集落全戸の名前と 「六 道」をやった印を記してある紙が折り たたんで納められている。その紙を見 ながら今回の「六道」を誰に依頼する のかを決める。 「六道」を依頼された側 が仕事などでどうしても無理な場合 (これはあまり好ましくないと認識さ れているが……)は次回に先送りされ る。集落の中で負担が平等にシェアさ れていることがわかる。合理的で不平 が出ないような仕組みが整えられてき たのだ。 人生初の「六道」経験は衝撃的だっ た。葬儀の最中に斎場の別部屋でお酒 と食事をいただき、葬儀終了時にはか なり酔った状態で棺桶を担ぎ火葬場へ と移動した。ご遺族の皆さんは悲しみ の底なのに、私たち「六道」は酔って 様々な話に花が咲き、笑いさえも出た ほどだ。こんなことではご遺族に失礼 ではないのか……。ご遺族と「六道」 のギャップに大いなる違和感と自省の

念を抱いた。しかし、正当化も可能で ある。ご遺族が納得のいくような葬儀 をつつがなく済ませるよう、受付や準 備など「表」で手助けするのが葬式組 合のメンバーである。そして、それを 「裏」で支えるのが「六道」だ。あく までも「裏」の場で、葬式組合の「取 り持ち」が「六道」を接待してくれる のである。だから、棺桶担ぎなど「表」 で動く時に常識的な態度でいれば良い。 私自身はこのように理由づけて納得す ることにした。 その時(2004年)には、既に火 葬になっていたので、 「六道」の機能は ほとんど必要とされていなかったはず である。実質的な必要性の低下にとも ない、隣の集落では「六道」の人数を 4人から2人に減らした。その影響も あり、私の集落でも何回か「六道」廃 止の提案がなされた。当初は、集落の 習わしだからということで人数を減ら すことも一蹴されていた。しかし、つ

いに2016年2月20日の会議で 「六道」の廃止が決まった。その場に いた私は、安堵感と寂しさが入り交じ った不思議な心境だった。

祭礼の変化

上大井集落の氏神様は、600年以 上前に建立された香取神社で、我が家 は氏子(合計23戸)である。いつの 時代からか不明だが、氏子の戸数は不 変で、それ以降の分家は氏子になれな い。元々は正月と秋の2回行われてい た祭礼が、昭和初期頃から年一回、新 暦の10月15日と定められた。その ためサラリーマンは仕事を休んで祭礼 に参加していたが、2008年からは 10月の第2日曜日と改められて現在 に至っている。このような日程の変更 は合理化の一種として全国で見られた 現象である。 この祭礼は23戸が輪番で主催して

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おきたいのは、むしろ冒頭で述べた私 の集落のことである。 本稿の後半では、 生活実践における参与観察の中間報告 をしようと思う。

上大井集落では、葬儀の際に、別の 組合から4名の「六道」 (正式には「六 道人」 )が指名されていた。 「六道」は、 土葬をしていた時代の名残で、棺桶を 入れる穴を掘っておき、棺桶を担いで 穴に入れて埋葬するという重要な役割 を果たすものだった。葬儀を出す組合 から「取り持ち」と呼ばれる接待係が 選ばれ、 「六道」に食事やお酒をふるま う。埋葬終了後には喪主のお宅でお風 呂に入り、それからさらに料理とお酒 でお持てなしを受けたという。 そもそも、 「六道」は、インドで6つ の苦の世界(天道、人道、修羅道、畜 生道、餓鬼道、地獄道)を表していた。

「 六道」 の変化と廃止

図 7 ボルネオ島で先住民の村に向かう(2018 年 3 月,インドネシア・北カリマンタ ン州にて)).

日本では死後の世界を六道と言うので、 私の集落の「六道」は、死後の世界へ の旅立ちを準備する人という意味だと 私は解釈している。 私が最初に「六道」の役をやったの は2004年だが、その時は既に火葬 であった。土葬が最後に行われたのは 1991年とのことだ。2004年の 時の「六道」は作業用の服装で参加し た。黒の喪服に混じって「六道」だけ がくだけた服装なので違和感を抱いた。 ところが、私が2回目および3回目に 指名された際は、 「六道」も黒の喪服着 用へと変化していた。 では、どのようにして「六道」の担 当者を決めるのか。 それを知ったのは、 私が属す組合で葬儀を出したときだ。 葬儀を取り仕切る側が他の組合の中か ら「六道」担当者を選び、依頼に行く のである。まず、葬儀を出すことが決 まった時点で、前回葬儀を出した家で 保管している竹筒をもらって来る。そ

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落センターで食事とお酒の支度をして 待つ。私が義父に代わって祭礼に参加 し始めた頃は夕方まで酒宴が続いたが、 最近では2時間ほどでお開きとなる。 2017年の祭礼から当日の進め方 も変化した。それまでは、神主さんに 来ていただく前の11時に氏子全員が

りし、再び集落センターに戻って食事 会という流れに変わったのである。氏 神様をお祭りする行為自体は保持しつ つ、特定の人(当家、上戸、下戸)へ の負担を減らす合理化の現れであると 解釈できる。 ところで、 「当家」は、西日本に広く 見られる「宮座」と類似した点を有し ている。特に、村の全戸が祭礼を取り 仕切る「村座」ではなく、限定された 人々が取り仕切る 「株座」 に似ている。 一方で、氏子である23戸の全戸が祭 礼を執り行う集団であることや、当家 が神主の役割を果たさないことは、「宮 座」とは異なる点だ。私の知識ではこ の先へと解釈を進めることができない のは残念なことである。

氏子総代の役割

氏子総代は、年齢順に4名ずつ3年

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「当家」に集まり、氏子総会を開催し ていた。しかし、新方式では、当日の 9時に氏子全員が集落センターに集ま り、飾り付けや神社の掃除などをみん なでやることになった。その後、集落 センターで氏子総会をおこない、神主 さんが来たら一緒に神社に行ってお参

図 9 香取神社の本殿(2017 年 10 月).


きた。当番として主催するのが「当家」 であり、大変な準備を取り仕切らなけ ればならない。詳細は省略するが、あ らかじめ稲藁を保管しておいて鳥居に 掛ける標縄 (しめなわ)を撚ったり、竹 筒を作ったりと大変な作業だ。 「当家」 の大役が回ってくるのは23年に1回 である。一代で2回やれるかどうかは 微妙であり、また、とても「当家」だ けで大役を果たすことは困難である。 そこで、前年に「当家」だった人が「上 」 、次の年に「当家」をやる 戸 (うわど) 予定の人が「下戸 (したど)」として「当 家」と一緒に準備をする仕組みが重要 となる。いわば、アドバイザーと見習 いがつくのだ。私が「当家」を務めた のは2008年の祭礼だった。ちょう ど10月の第2日曜日という新方式に 変わった最初の年であったので仕事を 休まずに済んだ。 元来、祭礼の日には「鍋かけず」と いって氏子の家族全員が「当家」に集 図 8 香取神社の鳥居(2017 年 10 月).

まってご馳走になる風習があった。「当 家」の準備はかなり大変だったことが 想像できる。それが、昭和初期には「鍋 かけず」が廃止され、1戸から1名(世 帯主あるいはその代理人)が参加して 食事をするという形式に変わった。ま た、昭和30年頃からは個別の本膳を 出しての食事から普通のテーブルを並 べての食事へと簡素化した。さらに、 私が「当家」を務めた2年前からは、 食事の場所が「当家」の自宅から集落 センターへと変更された。これらの簡 素化・合理化も全国で見られた変化で ある。 さて、香取神社には神主がいないの で、近くの月讀神社の神主さんにお願 いして祭礼当日の昼前くらいに来ても らう。氏子の男性たちが神主さんと一 緒に「当家」の神棚の前で祈願をし、 それから香取神社にお参りに行く(図 8、図9) 。その間に、 「当家」と「上 戸」と「下戸」の3戸の女性たちが集

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それよりも行事を担うことの楽しさ、 満足感、安心感といったような感覚の 方が強いような気がする。何かの機会 に、生え抜きの男性たちにそのあたり のことを確かめてみたい。 私にとっては、これらが継続的に実 施されることで、普段の生活ではあま り繋がりのない集落の人々と付き合う ことができることに価値がある。集落 の人たちは、少し前までは農業を通し て日常的に繋がりがあった。しかし、 今はほとんどがサラリーマンである。 なので、たとえ形式的ではあっても行 事を続けることで繋がりを再認識し、 長い地域の歴史の中で生活している、 地に足をつけて生きている、という安 心感を得ることができるはずだ。 私は、内部に入っているが外部者の 感覚を保持していると言う意味で「よ そ者」である。そして、フィールドワ ークの対象である民俗に興味を持ち、 楽しみながら理解を深めているプロセ スにある。早大での教育(=フィール ドワークの一種)と熱帯でのフィール ド研究の他に、問題山積の日本の農村 や山村のフィールド研究もやりたいと 思っている。それらと並行して自分の 集落を対象としたアマチュア民俗学者 にもなりたい。あまりにも欲張りだろ うか。たとえそうだとしても、確実か つ着実に私のフィールドワークは続く ……。

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間の任期で選ばれる。私は2013年 から2015年の3年間、総代を務め た。その時の総代4名のうち私は最年 長だった。したがって、本来ならば祭 礼の進行や挨拶などやらなければなら ない。しかし、1年目の2013年は 義父の葬儀のあと四十九日の法要が済 んでいなかったため、喪中ということ で祭礼に参加することができなかった。 次の2014年は私自身の入院(脳外 科手術)によりやはり参加できなかっ た。 そんな私にも、総代としての役割を 果たすチャンスがやってきた。201 5年5月のことである。香取神社の土 地は参道両脇の農地も含めて氏子の共 有地だ。したがって、氏子が輪番で除 草作業をおこなっている。この氏子共 有地を貸して欲しいという近くの集落 の農業者と非公式な契約を結ぶことに なった。私が契約書の素案を作り、5 月25日に臨時総会を開いて検討した。 若干の修正事項があったが契約書を含 め土地を貸す議題は承認された。臨時 総会の司会は私より少し年少の農業専 業者(地元出身)が担当してくれた。 彼と私で、うまく役割分担し協力する ことができた。 さて、その臨時総会で面白い発言が あった。ある人が、 「いっそのこと、参 道の除草もその人に任せてしまおう」 と発言したのだが、それに対して、 「我々の神社なんだから、やはり自分 たちで参道と境内の除草をやるべき だ」という反対意見が出されたのであ る。その後数人から意見が出され、最 終的には自分たちで継続して参道の除 草をやることが決まった。やはり、コ モンズとしての神社用地に対しては自 分たちで汗を流して「かかわり続ける こと」が重要であるという感覚を共有 しているのだろう。

おわりに

盆綱は、小学生の男子の数が減った ため女子にも引いてもらうようにした ことで途切れずに現在まで続いている。 氏神様の祭礼は、開催日を変え、また 「当家」の負担を減らす工夫をするこ とでやはり継続している。このように 民俗が消えてなくなるのではなく、時 代に応じた簡素化・合理化などの変 化・工夫をすることで延命されてきた。 一方、葬儀時の「六道」は、火葬の導 入により機能的には不要になった後で も、服装を変えたり、お酒などのもて なしを止めたりして、どうにか反発を 抑えつつ継続していた……がついに消 滅した。 地域に受け継がれている様々な民俗 (当たり前)に対して人々はどんな感 情を抱いているのだろうか。もしかす ると、村で生まれ育った人たちは誇り を持っているのかも知れない。 しかし、

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に切った時にドの音が

完成♪ 「ちょうちょう」なんかも演奏できて

て い くと 、 あ ら 、 ホ ー ス の ド レ ミ 音 階 楽 器 が

出 る 。 こ う して 長 さ を 調 節 して ホ ー ス を 切 っ

だ。今回は最終回ということで名残惜しいが、

あ り 、 共 鳴 さ せ る も の が あ れ ば 通 じ合 え る の

空気なり水なり物質な り、音を介するものが

っ て 、 数 キ ロ先 の 仲 間 と も交 信 す ると い う !

ク ジラ は 水 の 中で 音 波 が 伝 播 す る こ と を 使

し ま う の だ 。 いわ ゆ る ハ ン ド ベ ル の 要 領 。 サ

同 調 し 共 鳴 し、 通 じ あ う 心 の つ な が り が 続 い

るが、ちょうど36

ラ ンラ ッ プ 芯 で も 作 れ る 。 長 さ さ え 正 確 に 合

↑ ⾳叉だけだと⽿のそばに近づけ ないと聞こえないが、共鳴箱につけ ると、⾳が響いてよく聞こえる。

文・構成 平松 あい)

おんさ

たらうれしいかぎりである。

(親子サステナ

⾳叉と共鳴箱

心や 体の 不 調 も周波 数 が関係して いると い う 話 も あっ た り 、 ヒ ー リ ン グや セ ラ ピ ー に も 用 い ら れ た り 、 音 は 奥 が深 そ う だ 。 サ ス テ イ ナ ブ ル なラ イ フ ス タ イ ル に し た く な る よ う な

【第 47 号】

周波数の音楽があったらいいのにな(笑) 。

ビニルホー ス楽器

わせれば、いくら音痴でも関係なし!

cm


ュキュとか、ボー、パッパパーとか、チャララ

の感動を伝えようと音を文字にすると、キュキ

かにするなぁとしみじみ感じるわけである。こ

ハーモニーは本当に美しい。芸術は人の心を豊

楽コンサート。様々な楽器で奏でられる音色の

ポ ロ ロ ロ ン …と ひ び く音 色 に 酔 い しれ る 音

スペクトルがきれいに分かれて出てくる。

いくつもの音源からの音が混ざっていても、

周波数で、多いほど高音、少ないほど低音。

間に波がいくつ繰り返されるかを表したのが

大きな振幅であるほど大きな音となる。1秒

分析すると 、 波形が 目 に見える 形で 現れる。

クで録音してFTTアナライザーなるもので

い。音は波として伝わっていくのだが、マイ

音をカガクする

ラン…とか、あのうっとりするような音色はど

お(んさ」)は

、レは294

だが、音階も周波数

音 程を 合 わ せ る の に 使 う 「音 叉

こへやら、幼児のおもちゃかと悲しくなる。か くして音そのものではなく、「肌をそっと撫で

ラの音で周波数440

で決まっていて、ドは262

Hz

といった具合。つまり、周波数を合わせた

Hz

る春風のような心地よい旋律で、初々しい若葉 の木立が風にそよぐ情景が浮かぶよう…」など と表現力で想像をかきたてるしかない。 と、いかにも感覚的、観念的な「音」である が、科学的な側面から見ると、法則に従って実 にきれいに分類し表すことができるので面白

切り口を手のひらで叩くと、ポン!と音がす

まうのだ! たとえば、ビニルホースを切って

らどんなものでも音階のある楽器が作れてし

Hz


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