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■開会挨拶1

たけうち かずひこ

武内和彦

協定が発効しました。これによって世 界のエネルギー社会がどのように変わ っていくのだろうか。国の政策のみな らず、それぞれの地域の政策がどのよ うに変わっていくのだろうか――その ようなことについて、議論を深めたい というのがこのシンポジウムの狙いで す。 そのために今日は、 基調講演として、 この分野、とくに気候変動に関する国 際協定についていろいろと発言されて いる名古屋大学の高村ゆかりさんにお 越しいただきました。最近はアメリカ のトランプ政権の出現で国際的な枠組

東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長・教授

本日は天候の悪いなか、多数の皆さ まにお集まりをいただきましてありが とうございます。 私どもIR3Sは、もう一〇年以上 になりますが、昭和シェル石油株式会 社と一緒にエネルギー社会の未来につ いて考える「エネルギー持続性フォー ラム」を運営してきました。その一環 として三菱地所株式会社のご協力を得 て、毎年この丸ビルホールでシンポジ ウムを開催しています。 今年のシンポジウムのテーマは「パ リ協定」です。二〇一六年一一月に気 候変動対策の国際的枠組みとなるパリ

みがどうなるのだろうかということも 皆さんご関心があると思いますが、そ のようなこともお話をいただけると伺 っています。 つぎにご登壇いただくのが環境省前 事務次官の関荘一郎さんです。現在で は私どもIR3Sで特任研究員になっ ておられますが、国際交渉もさること ながら、国内における温暖化対策につ いても最前線で指揮を執っておられま した。そうした経験から、パリ協定を 踏まえて今後の温暖化対策をどう展開 していくのか、そして、二〇五〇年ま でには日本の二酸化炭素の排出量を八 割削減するという非常に野心的な目標 に向かって社会をどう変えていくのか、 お話いただきたいと思います。 三人目が国連環境計画・金融イニシ アチブ特別顧問の末吉竹二郎さんです。 金融分野でも気候変動対策についてさ まざまな取り組みが世界各地で進んで います。そのような動きもきちんと理

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エネルギー持続性フォーラム 第 12 回公開シンポジウム

気候変動「パリ協定」と エネルギー社会の未来 2015 年 12 月にパリで開催された気候変動枠組条約第 21 回締約国会議 (COP21)において,2020 年以降の気候変動対策の国際的枠組となる「パリ 協定」が合意され,その後,1 年を待たずして,2016 年 11 月 4 日に発効しま した。 「パリ協定」では,地球の平均気温上昇を産業革命前と比べて 2℃未満 に十分に抑え,1.5℃まで抑える努力をすることなどの長期目標が合意されま した。先進国・新興国・途上国を含むすべての排出国が,長期的に大幅な温 室効果ガス排出削減に向けて,エネルギー効率を高めるとともに,再生可能 エネルギー利用をいっそう推進していくことになります。 再生可能エネルギーは,太陽光,風力,地熱,バイオマスなど,もともと地 域の自然資源のポテンシャルを活かしてその複合利用を推進することが求め られていることから,都市部や地方においてそれぞれの地域特性を活かした 取り組みが進められており,気候変動緩和策としての効果だけでなく,地方 創生による地域活性化や人々の福利の向上にも寄与することが期待されてい ます。 本シンポジウムでは, 「パリ協定」の意義について考えるとともに,これから のエネルギー社会のあるべき姿について,有識者や専門家による講演とパネ ルディスカッションを通じて提言しました。 なお,本シンポジウム後の 6 月 1 日にアメリカのトランプ大統領はパリ協定 からの離脱を表明しました。アメリカの政権交代の影響は本シンポジウムで も議論され,世界の進むべき道筋が大きくゆらぐことはないとの認識を得て います。 ●主催:東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) ●共催:昭和シェル石油株式会社 ●協力:三菱地所株式会社 ●日時:2017 年 2 月 9 日(水)13:00~17:30 ●会場:丸ビルホール 2


してきました。ビルが建ち、そこで経 済が動いていけば、もちろんエネルギ ーを使います。大きなビルが増えれば エネルギーのボリュームが増えます。 そのときに、いかに効率性を高め、い かに単位あたりのエネルギー消費を抑 えるかということについて、以前から 検討・研究を行ってまいりました。 大きなビルが一〇〇棟ぐらいあるこ こ大手町・丸の内・有楽町エリアでは、 一般社団法人「大手町・丸の内・有楽 町地区まちづくりの協議会」を作り、 まちづくりについて話し合うだけでは なく、環境についてもいろいろな検討 を行ってきています。そこでの経験を 踏まえて二〇〇七年に環境に関する一 般社団法人「エコッツェリア協会」を 立ち上げ、環境に関するどのような新 しい技術があるのか、それを経済ベー スでどのように使えるのかなどいろい ろと検討を進めています。昨年、大手 町のお濠沿いに新しく大手門タワー・ JXビルができたのを機に、その1階

」 に新たな交流施設「 ×3 3 Lab Future (サンサンラボフューチャー)をつく りました。3かける3というのは、3 が三つ組み合わさっているということ で、最初の3はサステイナビリティの 三つの要素、経済・環境・社会です。 新しい技術が環境によいだけではなく、 経済的にきちんと活用できるのか、社 会としてそれを応援できるような仕組 みになるのか、この三つをつねに合わ せて考えていこうということです。も う一つの3は「サードプレイス」とい うことです。職場でもなく、自宅でも ない、第三の場所だということです。 第三の場所に、このエリアで働いてい る方々だけではなく、いろいろな専門 の方々、実際にビルを作ったり開発し たりする方々に集まっていただいて、 いろいろと議論していく拠点になって、 さまざまなことを発信していければと 考えています。そして、さらにもう一

つの3は三つの機能ということで、交 流・啓発機能、ラボラトリー機能、シ ョーケース機能を備えて、大手町・丸 の内・有楽町のもつ資源を活かして、 創造性の高いコミュニティを形成し、 未来につなぐビジネスを創発していこ うとしています。 このビルの地下に、皇居のお濠の水 の浄化装置を作りました。お濠の水が なかなかきれいにならないということ ですので、その一助となればと、お濠 の水を引き込んできれいにしてもどす ことを始めています。すでに設置され ている環境省の浄化施設と相乗効果が 出ることを期待しています。 このビルの隣に来週の月曜日に竣工 式を迎えるビルができるのですが、そ のビルとの間に、生物多様性に配慮し た二八〇〇平方メートルの緑を植えた 広場が作られることになっています。 お濠の緑と協調して、見ても楽しく、 その下で過ごしても楽しくなるような

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解していなければならないと私も言わ れていますので、今日は、どのように 低炭素社会に向けて動いているのか、 世界の動きと日本の動き、それと金融 の仕組みとの関連についてお話が伺え るのを期待しています。 さらに、パネルディスカッションで は、横浜市でのご勤務経験が長い信時 正人さんと、私とはいろいろな場でご 一緒させていただいているジャーナリ ストの崎田裕子さんに加わっていただ いて、地域づくりの観点も含めて議論

を広げたいと思います。 ■開会挨拶2

いのうえ としゆき

井上俊幸 三菱地所株式会社開発推進部長

本日は第一二回目となります「エネ ルギー持続性フォーラム」をこの丸ビ ルホールで行っていただけること、大

これから少し長い時間になりますが、 最新の情報と、さまざまな議論の展開 についてお聞きいただければと思いま す。 どうぞよろしくお願いいたします。

変光栄に存じております。 私どもは、ここ丸の内を中心に、大 きなビルを建てるということを仕事と

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■基調講演1

温暖化対策の国際交渉については皆 さまもよくご存じだと思いますので、

パリ協定で決まったこと

初めにパリ協定を中心にお話します。 パリ協定がなぜできたのか、パリ協定 ができて何がおこっているのかという ことを考えると、やはり私たちのエネ ルギーの作り方、使い方と切り離せな いということを痛感しますので、次に そのことをお話します。そして、最後 に私が考えていることを申し上げたい と思っています。

パリ協定の意義と今後の展望 たかむら ゆかり

高村ゆかり 名古屋大学大学院環境学研究科教授

私の本来の専門は、京都議定書やパ リ協定といった国際条約、とくに環境 に関する国際条約について法的な検討 を行うということなのですが、ここ数 年は再生可能エネルギー関係のお仕事 が大変増えまして、両者の折り合いを どう付けたらいいのかと思っていたと ころ、二〇一五年のパリ協定のあたり から、温暖化と再生可能エネルギーが 奇しくもその歩調が合うようになり、 両方に関わっていることにあまり違和 感がなくなってまいりました。今日は そのような観点からお話を申し上げて いきたいと思います。

ポイントだけ申し上げます(図①) 。二 〇一五年の気候変動枠組条約の締約国 会議COP21でパリ協定が採択をさ れました。パリ協定に先立つ二つの国 際条約があります。一九九二年にリオ デジャネイロで開かれた地球サミット で採択された気候変動枠組条約と、そ のもとで一九九七年のCOP3で作ら れた京都議定書です。パリ協定は二〇 一五年一二月一二日に採択され、一年 足らずで発効しました。発効は二〇一 六年一一月四日で、日本はそれから四 日ほど遅れて一〇三番目の締約国にな りました。パリ協定が発効した直後に

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広場になればと思っています。 もう一つだけ申し上げますと、ここ 丸ビルの隣にあります新丸ビルでは、 再生可能エネルギーを電力として使っ ています。 以上のように、私どもとしてもいろ いろな取り組みをしているところです。 世界規模でみたら、どれだけの影響を 与えるかというと、もちろん小さなも のでしかないのですが、丸の内が、東 京が、さらに日本がいろいろなことを しているのだというところはアピール

していきたいと思っています。弊社だ けのことではなくて、日本がリーダー シップを取れるようなことに貢献でき ればという思いから、今後ともいろい ろと考えて努めていこうとしています。 今日のシンポジウムでいろいろな議 論を伺って、私どもとしても少しでも 活用していくことができたらと思って います。

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てすぐのCOPで決めることになって いたのですが、あまりに早くパリ協定 が発効したために、COP22では、 二〇一八年一二月に行われる予定のC OP24で実施ルールを正式に採択を するということが決められました。し たがって、 パリ協定は発効しましたが、 図②

それを実際に動かしていくためのいろ いろなルール、たとえば各国の目標が どれだけ進んだかをどのように確認を するのか、あるいはパリ協定の目的を 実現する方向に全体が進んでいるかど うかをどのように確認するのかといっ たことについてはこれから決めるとい 図③

うことです。 パリ協定の特徴について、法律家と しては三時間か四時間ぐらいは話した い気分ではありますが、ここではパリ 協定が採択をされたことで社会的に大 きなインパクトを与えている点にしぼ ってお話します。図②の上から二つ目 の長期目標と、三つ目の五年のサイク ルで各国が目標を引き上げていくメカ ニズムを取り上げます。 パリ協定の一番大きな意義であり中 心的な成果は、温暖化問題に対して国 際社会がどのような方向で長期的に歩 んでいくのか、目標とビジョンを明確 に定めたことであろうと思います(図 ③) 。パリ協定の目標は、産業革命前と 比べて世界の平均気温の上昇を二℃を 十分に下回る水準に抑制し、一・五℃ に抑制するよう努力をすると定めてい ます。パリ協定の第二条です。 その目標を達成するために、今世紀 後半に温室効果ガスの人為的排出と人

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図①

モロッコのマラケシュでCOP22が 開かれました。 混乱を避けるために、COP、CO P/MOP、CMAといった略称につ いて説明しておきます。気候変動枠組 条約や生物多様性条約のような国際的 な環境条約に参加しているすべての国 が集まっていろいろな意思決定をする 会議が締約国会議で、その略称がCO Pです。気候変動に関しては気候変動 枠組条約が親条約で、二〇一六年のマ ラケシュの会議まででCOPが22回 開かれています。気候変動枠組条約の 下に京都議定書とパリ協定がそれぞれ 独立して存在していて、京都議定書に 関して審議する会議がCOP/MOP で、パリ協定に関して審議する会議が CMAです。 パリ協定を本格的に動かしていくた めには、いろいろなルールを決めてい かなければなりません。実施のための ルールは、本来ならパリ協定が発効し

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〇一四年の第五次評価報告書で、最も 経済効率的に二℃の目標を達成するに は、二一〇〇年にはゼロエミッション

とするのがよいとの結果を示していま す(図④) 。パリ協定は「誰も置いてい かない」という国際社会の高い価値規 範を表明するとともに、最新の科学的 知見を踏まえた目標でもあるのです。 パリ協定は国際社会がどういう方向 を目指すかというビジョンを示し、各 国の対策の指針となるのはもちろんの こと、企業活動・投資活動、そして技 術と社会のイノベーションへの重要な シグナルとして広く受け止められてい ることが重要であると思います。 図⑤を見ていただきます。これはい わゆる「座礁資産」という考えを表し たものです。座礁資産とは、市場環境 や社会環境が大きく変わることにより、 価値が大きく損なわれる資産=投資回 収が難しくなる資産です。二酸化炭素 の排出量削減をするために、化石燃料 がエネルギー源として活用できなくな れば、その資産価値は大きく下がりま す。 図⑤ 座礁資産(stranded assets).

図⑤で、丸に一・五とか二・五とか 書いてあるのは、この水準で気温上昇 を抑えようとしたときに、あとどれだ け排出することができるかという炭素 の量を示しています。この図は、カー ボン・トラッカーという金融系のシン クタンクとロンドン大学のグランサム 研究所が二〇一一年に最初に発表して、 一三年にアップデートした図です。カ ーボン・トラッカーの代表者は私の友 人なものですから、いろいろと背景を 聞いたりもしていますが、民間企業が 投資したり保有したりしている化石燃 料資産を細かくリストアップし、これ からどれだけ掘れるか積算して、それ を燃やすと二酸化炭素が何トン出るか という計算をしたといいます。それが 七六二という数字です。一五四一とい う数字は、まだ投資はされていないけ れども、潜在的な採掘の可能性がある ものとして見込まれているものをリス トアップしたものです。

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為的吸収を均衡させるよう急速に排出 を削減すると定めています。パリ協定 の第四条一項です。これは排出を実質 ゼロにすることであると理解され、欧 米のメディアも日本のメディアもパリ 協定について「排出実質ゼロに合意」 と報道しました。 「ガーディアン紙」に

至っては「化石燃料時代の終焉」と銘 打って報道しました。 いままでよく「低炭素」といってき ましたが、もはやその水準ではなく、 脱炭素に向かうとの目標を設定したの です。しばしば「そんなことできる の?」という声も聞かれます。私自身

も決して簡単にできる目標だとは思っ ていません。しかし、パリ協定の目標 には国際社会が追求していくべき価値 観とビジョンが入っているのです。 奇しくも同じ二〇一五年に国連の持

続可能な開発目標( SDGs )が採択さ れました。その背景にある原則が「誰

も置いていかない ( No one left be) 」という原則です。とくに温暖 hind 化については、大きくその影響が出て しまう島嶼国や後発途上国の国々や 人々に被害が出ないようにするという ことを目標として設定しています。そ うした価値観から平均気温の上昇を 二℃に抑えるという目標が出てきてい るのです。 皆さまご存じかもしれませんが、 二℃という目標は二〇一〇年の締約国 会議で各国がすでに政治的に合意をし ています。それにしたがってIPCC (気候変動に関する政府間パネル)は 二℃を意識したシナリオを検討し、二

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図④


目標を二〇二〇年までに見直して、現 在の目標を少しでも上回る次の目標を 提出することが求められています。 新たな目標を提出する二年前に、世

界全体の進捗状況をチェックする場が 設けられます(図⑧) 。二〇一五年に提 出された目標について、一八年に全体 がどう進捗しているかをチェックし、 そして二〇年までに各国が目標を引き 上げる方向で検討して次の目標を提出 します。二三年に同じように全体の進 捗をチェックし、二〇二五年にまた次

図⑧

図⑨

の目標を出します。これを永続的に行 って、二℃以内という長期目標に近付 くよう各国の目標が順次引き上げられ るのです。これを引き上げメカニズム

)と呼んでい ( ratchet-up mechanism ます。 今回のパリ協定に、 アメリカ、 中国、 インドが参加したのは、各国が目標を 作って、それを五年に一回引き上げて いくというやり方であったからです。 いまの状況では、これがすべての国が 参加できる唯一のオプションであった と思います。各国に目標の決め方を委 ねていますので、 目標を出さないとか、 目標は出したけれども実施しないとか、 とりわけ大きな排出国でそのようなこ とになると、この仕組みの正当性・実 効性が問われることになります (図⑨) 。 二〇一八年までに作っていくルールで は、長期の目標に近付いていることを 検証していく仕組みをきちんと組み入 れることが大きな課題となっています。

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見ていただくとわかりますが、いま すでに投資をしている化石燃料資産を 燃やすと、三℃を優に超えてしまう気 温上昇を引きおこす排出量になります。 この計算については科学的により検討 する必要があると思いますが、二℃、

一・五℃、あるいはゼロエミッション という長期の目標を定めた途端に、い ま私たちが行っているビジネス、ある いは投資活動がどのようなことになる のかが見えてきます。長期目標の設定 が非常に重要であることを示している

図⑥

と思います。 パリ協定は長期の目標、野心的なビ ジョンを示しましたが、各国が二〇二 五年あるいは二〇三〇年を目標として 出したものを積み上げても、二℃を十 分に下回る水準には手が届きません。 そのことはパリ協定の交渉前からわか っていました。それをどのようにして 克服して長期目標に達するかというこ とを念頭に、パリ協定は次のような仕 組みを入れています (図⑥) 。 すなわち、 各国は五年に一回必ず目標を出すこと になっていて、次に出す目標は現在出 している目標を超えるものでなければ ならないという条件が付いています。 パリ協定の第四条三項です。 たとえば、日本は二〇一五年に二〇 三〇年目標として、二〇〇五年比で二 五・四%、二〇一三年比で二六%削減 するとの目標を国際的に提出していて、 それがパリ協定に参加する段階で正式 な国際目標になりました(図⑦) 。この

図⑦

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いて、ドイツは二〇五〇年にゼロエミ ッションを打ち出しています。 二〇五〇年の中長期目標をめざす道 筋に早期に移行していくためのプラッ

ト フ ォ ー ム ( 2050 pathways )が設立されましたが、注目 platform されるのは、各国政府に加えて、都市・ 地方・事業者で参加をするところが出 てきている点です(図⑫) 。たとえば、 今日この後で登壇される横浜市はこの プラットフォームに参加しています。 その一方で、企業も各社が連携して いろいろな取り組みをすることを約束 しています(図⑬) 。たとえば、社内で の炭素価格付けをする、自社利用の電 力を再生可能エネルギー一〇〇%にす る、科学的な知見に基づく排出削減目 標を設定するなどです。 二℃未満という目標に向けて、各企 業が科学的な知見と整合する目標を設 定することを推奨する取り組み )があります ( Science based targets (図⑭) 。 そのような削減目標を持って いる企業を、 WRI (世界資源研究所) 、 WWF(世界自然保護基金)といった シンクタンクやNGO、CDP(投資

家の団体)が認定します。日本からは ソニーと第一三共の二社が認定を受け ています(注:二〇一七年六月三○日 現在、川崎汽船、キリン、コマツ、コ ニカミノルタが加わり六社が認定を受 けています) 。 欧米企業、 グローバル企業を中心に、 再生可能エネルギー一〇〇%という取

り組み( RE100 )が広がっています(図 ⑮) 。 いろいろな会社が入っているので ぜひホームページを見ていただきたい のですが、注目されるのは、二〇一六 年にアメリカのGMが入っていること です。GMの世界のすべての事業所で 二〇五〇年までに再生可能エネルギー 一〇〇%にするという目標を立ててい ます。自動車会社はそのほかタタモー ター、BMWも入っています。その他

、 Apple 、ユ に、IKEA、 Microsoft ニリーバなども入っています。ブルー ムバーグ・ニューエネジー・ファイナ ンスの報告書によると、二〇一六年に

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図⑫


パリ協定採択後の動き 先ほども申し上げましたように、C OP22では今後の交渉のスケジュー ルや交渉の仕方について主に議論し、 二〇一八年一二月のCOP24までに

図⑩ ルールを決めるということになりまし た(図⑩) 。COPに参加し、政府間の 公式の交渉を見るというのが私の研究 活動の一端なのですが、今回COP2 2では、政府間の公式の交渉の外で大 変興味深い大きな変化がおきていると

図⑪

感じました。 ルールを作っていく上では政府間の 交渉は非常に重要です。その一方で、 ビジネス・自治体・NGOなどのパー トナーシップの強化が明確に打ち出さ れるようになりました。今までもいろ いろな形で協力関係はあったのですが、 パートナーシップをどういう方針で強 化するのか、どういう具体的なことを 行うのかというのを決めるマラケシュ パートナーシップが立ち上がっていま す(図⑪) 。 このことは、二〇二〇年までに各国 に提出が要請されている二〇五〇年に 向けての中長期の低炭素発展戦略とも 関連してきます。日本では、低炭素発 展戦略について経済産業省と環境省が 別々に議論しているところですが、ア メリカ、カナダ、メキシコ、ドイツ、 フランスなどはすでに低炭素発展戦略 を提出しています。先進国の多くは二 〇五〇年でほぼ八〇%削減するとして

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後に横浜市の信時さんからお話がある と思いますので省略しますが、二℃未 満に抑えるという目標に整合的な目標 を設定するもう一つの取り組みとして、 があります(図⑯) 。こ Under 2 MOU れには日本から岐阜県が参加していま す。 図⑮

図⑯


図⑬

この取り組みによって再生可能エネル ギーが一四ギガワット購入されていて、 大変大きな規模になってきています。 自治体の取り組みについては、この

図⑭

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権交代の影響については後ほど述べた いと思います。 COP21に至るまでのアメリカの オバマ政権のリーダーシップも大変す ばらしいものがあり、フランスはホス

ト国としてCOP21の場でのテキス トづくりが大変上手でした。こうした 理由に加えて、私はパリ協定ができた 本当の理由は、むしろその背景にある 経済的・社会的条件の変化ではないか と思っています。 ひとつは二大排出国の個別の事情で す。アメリカではシェールガスの利用 が進み、 それによって二〇〇五年以降、 排出量が着実に減りました。中国では 大気汚染問題が国内の政治を揺るがす ほどの大きな問題となり、温暖化対策 としてではなくても、石炭火力を減ら していかなければならないという状況 があります。 もうひとつは、二〇一〇年あたりか ら、再生可能エネルギーのコストが大 幅に下がってきました。それは、中国 が石炭火力を閉鎖した後どのようなエ ネルギー源でそれをまかなうかという 意思決定に大きな影響を与えています。 図⑲の黄色い点が二〇一〇年と一四年 図⑱-2

の太陽光発電のコストです。約五割下 がっています。バイオマス、地熱、陸 上風力、水力に関しては、二〇一〇年 の時点ですでに火力発電所のコストと 競争できる関係になっていました。い までは太陽光も火力発電所と競争でき る範囲にまで価格が低下しました。右 側の図の横の帯はいわゆる大気汚染対 策コスト、温暖化対策コストを入れた ときの火力発電のコストで、大気汚染 や温暖化の対策コストを考えると、再 生可能エネルギーがコスト競争力をさ らにもつようになることがわかります (図⑳) 。 それでも、再生可能エネルギーは高 いのではないかという質問をよくいた だきます。いま申し上げたのは世界全 体のコストで、国ごとにかなり大きな 差があります。再生可能エネルギーの コストが一番低いのが中国とドイツで、 それと比べると日本は太陽光のコスト は約三倍です(図㉑) 。再生可能エネル

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パリ協定をもたらしたものと パリ協定がもたらすもの パリ協定は異例の速さで発効しまし た(図⑰) 。多数国間条約で採択から一

年で発効する例というのはまずありま せん。パリ協定の発効が速かったのに はいろいろな理由があります(図⑱) 。 一つは、もちろん気候変動に対する危 機感です。もう一つはアメリカの大統

図⑰

領選挙です。二〇一六年のアメリカの 大統領選挙中に大きな国際的な合意を するというのはなかなか難しく、二〇 一五年のうちに決めておきたいという 共通認識がありました。アメリカの政

18 図⑱-1


引き起こしています(図㉓) 。これは国 際エネルギー機関(IEA)が二〇一 六年に出したもので、これまでは経済

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世界のエネルギー起源の二酸化炭素の 排出量が落ちたとき、または足踏みを したときというのは、第二次オイルシ

図㉒-1

が成長すると二酸化炭素・温室効果ガ スの排出が増えるというのが一般的で したが、 現実は少し違ってきています。 図㉑


ギーのコストの低下の一因は、発電設 備の導入が拡大することによりコスト が下がる規模の経済の効果です。設備

の容量が増えたことに伴って投資も増 えています(図㉒) 。これは少し古い資 料で、 二〇一五年はさらに伸びていて、

図⑲

世界の再生可能エネルギーの投資は史 上最高の水準になっています。 こうした動向が大変興味深い事態を

図⑳

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図㉔

経済成長があったにもかかわらず排出 量は伸びていないのです。どうしてか というと、一つはエネルギー効率の向 上、省エネの前進です。そしてもう一 つは、再生可能エネルギーの導入拡大 です。新規に導入をされた発電設備容 量は、二〇一五年では、化石燃料・原 子力を足した分よりも再生可能エネル ギーの方が多くなっています。着実に 再生可能エネルギーの発電量が増えて きているのです。それが排出量の足踏 み状態を作っていて、一種の「デカッ プリング」といわれている現象がみら れ る よ う に な って きて い る ので す (注:二〇一六年も、経済が成長した にもかかわらず世界のエネルギー起源 の二酸化炭素排出量は横ばいで、この 傾向は続いています) 。 日本でも同じような傾向が出てきて いて、二〇一三年をピークに一四年、 一五年とそれぞれ約三%弱の排出減と なっています(図㉔) 。その理由は省エ

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ョックであったり、ソビエト連邦の崩 壊であったり、リーマンショックであ ったり、世界経済が停滞し、足踏みし

たときと一致しています。ところが、 二〇一四年、一五年と二年続けて排出 量がフラットないし微減となっている

図㉒-2

のは、 それまでとは要因が異なります。 一四年、一五年は世界の経済はプラス 三%以上の経済成長を記録しています。

図㉓

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い限りは脱退できません (図㉗) 。 ただ、 オバマ政権が大統領令でパリ協定を締 結したのに対抗して、国内的なアピー ルをするため、それを取り消す大統領 令を出すのではないかといった憶測も あります。また、パリ協定は四年間は

脱退できないことになっているのです が、一つだけ抜け穴があります。気候 変動枠組条約の締約国でなくなった国 はパリ協定の締約国ではなくなると見 なすという規定がパリ協定第二八条三 項にあります。気候変動枠組条約は一 年前に通告すると脱退ができるので、 最短で一年でパリ協定から脱退できま す。しかし、気候変動枠組条約はお父 さんの方のブッシュ大統領のときに、 共和党優位の上院の承認を得て締結し た条約なので、それを大統領令で脱退 するというのはなかなか難しいのでは ないかとも思います。国務長官に指名 されたティラーソン氏は、指名の公聴 会で、気候変動のような問題は出てい くよりは参加した方がいいと発言して います。トランプ大統領自身もトーン が少し変わってきています。パリ協定 はすべての国が対策を進めていこうと いうものですから、アメリカが外交上 の摩擦をあえて引き起こして脱退する 図㉗

可能性はむしろ小さいと私は見ていま す。 ただし、資金の引き上げは現実的に 危惧されます。先ほどの図㉖にもあり ますように、温暖化対策が悪いから資 金を引き上げるといっているわけでは ありません。パレスチナを国として認 めている国連の機関に関してはお金を 出さないといっているのです。アメリ カの一九九四年の法律にそのように定 めています。二〇一五年にパレスチナ が気候変動枠組条約を締結しています が、オバマ政権は、気候変動枠組条約 は条約であって国際機関ではないとい う解釈をして、今までお金を出してき ていました。この法令の解釈を変える 可能性があって、資金の引き上げはか なりの確度でありそうだと私は見てい ます。 アメリカの国内対策はどうなるのか という点では、連邦レベルからは、温 暖化対策あるいは環境対策の新しい施

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ネの前進と再生可能エネルギーの増加 です。 主要国は二〇三〇年に向けてさらに 再生可能エネルギーの目標を引き上げ

いる国が多くあります(図㉕) 。その点 で日本の目標はやや低いと言わざるを 得ません。

パリ協定の今後に大きな影響を与え ると思われているのがアメリカの政権 交代です。共和党が大統領選挙中に出 したプラットフォーム(公約)をみる と、京都議定書もパリ協定も議論の対 象としないと書いてあります(図㉖) 。 そして、気候変動枠組条約にはもうお 金を出さない、緑の気候基金という途 上国の温暖化対策・適応策を支援する 基金にもお金を出さないとも書いてあ ります。 アメリカがパリ協定から脱退するか どうかということでは、パリ協定はア メリカが国として正式に手続きをして、 協定が発効しているので、政権が変わ ろうがパリ協定に従った手続きをしな

図㉖

今後の見通しと課題

ようとしています。欧米では発電量ベ ースで四〇%から四五%、一次エネル ギーベースで約三〇%を再生可能エネ ルギーにするということを目標にして

図㉕

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図㉚

シェールガスの規制もやはり緩めると いっていますので、コスト差はそれほ ど変わらないだろうと思います。図㉙ の黄色の棒グラフは補助金が付いた太 陽光のコストです。半数の州で天然ガ スより補助金付き太陽光の方が安く、 ほとんどの州で石炭より安くなってい ます。補助金のついた太陽光はすでに 競争力をもっています。この補助金は 二〇一五年に連邦議会で二〇二二年ま での延長が決まっています。したがっ て、大統領がすぐ右から左に変えられ るものではなくて、議会の新たな承認 が必要です。この補助金は、投資と雇 用創出のための投資減税になっていて、 新しい政権の下でもこの補助金を撤廃 する積極的な理由はないのではないか と思います。また、アメリカの多くの 州が再生可能エネルギーに積極的に取 り組んでいます(図㉚) 。約三〇の州が 再生可能エネルギーの独自の目標をも っています。そのため、アメリカの新

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策は出てこなくなるのではないかと危 惧されます(図㉘) 。それでも、アメリ カ国内のエネルギーのコスト構造から、 二酸化炭素の排出は削減されるという 現象がおきると思います。アメリカで は、シェールガスの影響で、天然ガス が石炭よりも安くなっています。 今回、 石炭の規制を緩めるといっていますが、

図㉘

図㉙

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(FSB)が企業の気候変動関連リス クの開示について、原則と勧告を昨年 末に公表しています(図㉜) 。気候変動 の規制が厳しくなったとき、あるいは 気候変動の影響が深刻になったときに、 企業の資産やビジネスにどういう影響 があるかということを、企業がきちん とリスク評価をした上でその情報を開 示し、それを踏まえて投資家が投資判 断をするという流れが強く出てきてい ます。 フランスはすでに先行していて、 パリ協定の前に、気候変動リスクを評 価し考慮して投資をしたことを投資家 が開示することを義務付けるようにな っています。こうした動きが、ビジネ ス全体がゼロエミッションに向けた取 り組みを加速する大きなドライバーに なっていくと思います。

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補足 二〇一七年六月一日(日本時 間六月二日未明) 、 トランプ大統領がパ リ協定からの脱退を表明しました。そ

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加速するゼロエミッションの動き 先ほどいいましたエネルギーの転換、 とくにエネルギーを使う側が確実にゼ ロエミッションに向かっている動きは、

パリ協定を今後実施していく大きな後 押しになると思います(図㉛) 。たとえ ば自動車産業では、トヨタも日産も二 〇五〇年にゼロエミッションを目指し て目標を立てています。トヨタは、二 〇五〇年といった期限はついていませ んが、サプライチェーンからの排出を ゼロにするという目標も持っています。 BMWもGMも再生可能エネルギー一 〇〇%に参加しています。ドイツの議 会では、二〇三〇年にはEUのなかで はゼロエミッション車だけが走れるよ うにする法令を作るべきだという提案 を決議しています。自動車はかなりの 速度でゼロエミッションに向かってい ます。また、建築物・住宅のゼロエミ ッション化の取り組みが日本でも大き く進んでいます。 こうした動きを加速していると思わ れる理由の一つが投資家の目です。こ れについては末吉さんからより詳細な 話があると思います。金融安定理事会 図㉜


政権からは積極的な対策は出てこなく ても、エネルギーコストの構造から排 出量は減っていくことになると思われ ます。ちなみに、二〇〇五年比で、ア メリカの温室効果ガスの排出量は約一 〇%減っています。年に一%ぐらいの 速度で減っていて、今後もそれが続く のではないかと思います。 おそらく一番大きな影響は、国際交 渉への影響ではないかと思います。交 渉を進めようとしても事務局が仕事を するためのお金がなくなる、兵糧攻め をされることではなかろうかと思いま す。アメリカは二〇一六年に気候変動 枠組条約のいわゆるコアの活動の予算 の二一%を出しています。アメリカが 資金を引き上げれば、五分の一は確実 に減ってしまう可能性があるので、こ の後二年間で実施交渉を加速しなけれ ばいけないときに、大きな痛手となる ことが懸念されます。

図㉛

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■基調講演2

パリ協定を踏まえた日本の地球温暖化対策 せき そういちろう

関 荘一郎

京都議定書が採択されたときには、 担当者の一人としてよくまとまったな という感動と感慨がありました。ただ し京都議定書にはいろいろな課題があ りました。とくに先進国だけに義務を 課すものであったことから、その後、 先進国と途上国の間で責任論が延々と 議論されました。すべての国に適用さ れるパリ協定によって、従来のその種 の議論に一つの回答を得たということ になります。パリ協定は温暖化の緩和 だけではなく、適応、資金等々すべて

境省顧問(前環境事務次官) 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)特任研究員

パリ協定 パリ協定について、高村先生がお話 されたことと重なるところもあります が、環境省が作成したポイントを見て いただきます(図①) 。環境省にとって 温暖化対策は最重要事項です。私個人 は、京都議定書のときに環境庁の調整 官として参画し、その後、地球環境局 長、地球環境審議官として温暖化問題 を担当し、パリ協定のときには事務次 官でした。

のことについて触れている包括的な協 定となっています(図②) 。そして、長 期にわたって、将来的にもこれをプラ ットフォームとして発展していけるよ うな制度設計になっています。国際協 定ができるときには、NGOの方々か ら批判されることが多いのですが、パ リ協定についてはすばらしいものがで きたという声が圧倒的に多く聞かれま した。

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れに伴い、米国の削減目標の実施と、 途上国の温暖化対策、適応策を支援す る緑の気候基金への支払い停止も表明 しました。 脱退は表明されましたが、パリ協定 の規定に従うこととなり、脱退の通告 ができるのは二〇一九年一一月四日以 降、現実に「脱退」できるのは最短で も二〇二〇年一一月四日となります。 演説で示された脱退の理由は、大き く二つ、米国の目標が高すぎ、資金の 負担が大きく、他国と比べて不平等で あることと、エネルギー利用が制約さ れ、米国の経済、雇用に悪影響を及ぼ すことです。 しかし、これらは、脱退の理由とし ては説得力を欠きます。パリ協定は、 すべての国が、自国の削減目標を提出 し、実施することを義務づけています が、目標の水準は各国が決めます。目 標の引き上げが期待されていますが、 法的義務ではありません。前政権が提

出した目標が高すぎるのならば、目標 を見直せばよく、脱退する理由には乏 しいです。資金の支払いについても同 様です。 米国の経済、雇用に悪影響を及ぼす と言いますが、この間、石炭産業での 雇用は減っていますが、ガス、再生可 能エネルギーへの転換に伴ってそれ以 上の雇用を創出しています。国際再生 可能エネルギー機関の報告書によれば、 二〇一六年には、太陽光分野だけで石 炭産業での雇用の二倍の雇用を創出し ています。 脱退表明後に起きたことで最も興味 深いのは米国経済界の動きです。テス ラ、ウォルト・ディズニーのCEOは 大統領の経済顧問の職を辞任しました。 ジェネラル・エレクトリック(GE) 、 ゴールドマン・サックス、グーグル、 アップルなど、米国を代表する有数の 企業がパリ協定支持を表明しています。 政権の支持母体であるエクソン・モー

ビルなど石油・石炭業界の有力企業も、 米国抜きでの国際ルールの策定は、海 外での事業展開に影響があると懸念し て、パリ協定残留を支持しています。 こうした経済界の対応は、二〇〇一 年の京都議定書からの離脱のときと全 く異なります。温暖化対策が経済に悪 影響を与えるという単純なロジックは もはやそこにはありません。むしろパ リ協定がめざす経済・社会の脱炭素化 が大きなビジネスと投資の機会を生み 出すとの見込みがあります。世界銀行 グループは二〇三〇年までにその規模 を二三兆米ドルと推計します。脱退表 明は、むしろ世界の潮流の変化と米国 企業の利益に沿わない政策を打ち出し た現米政権の失策と孤立を際立たせた 結果となっています。

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が学生だったころには、そのような雨 は滅多にないので、治水対策の基本と して五〇ミリ程度の雨に対応するとい うのが普通でした。いまではそれでは 通用しません。下水道の雨水管のマン ホールから噴水のように雨水が吹き出 すという光景が夏場になると最近はあ ちこちで見られます。昔はこんなこと はおこりませんでした。大都市の雨水 管は一時間に五〇ミリの雨が降っても 排除できるように設計されています。 しかし、五〇ミリ以上の雨が継続的に 降ると、排水機能を超えるため冠水す るか、下水道に流れ込んだ雨水が噴き 上げるということがおこってしまうの です。 もう一つの例はイランで経験した乾 燥です。IPCC(気候変動に関する 政府間パネル)の報告書には、温暖化 の進行により降雨の濃淡が拡大すると あります。つまり、降るところには集 中して降り、降らないところでは乾燥 化が進みます。一昨年になりますが、 日本とイランの環境協力で一〇日間ほ どイランに滞在しました。湿地を保護 するラムサール条約というのがありま すが、ラムサールというのはイランの カスピ海沿岸の都市の名前です。イラ ンには湿地が多数あり、湿地を目指し て渡り鳥がたくさん飛来します。 イラン中部にイスファハンという、 日本でいうと京都のような古都があり ます。イラン側からそこの湿地をぜひ 見てほしいといわれて行きました。二 〇世紀末には横浜市ぐらいの面積があ る大変美しい湿地で、たくさんの渡り 鳥が飛来してきていましたが、いまで は干上がってしまい、鳥の姿もほとん どありませんでした。イスファハン州 知事の話では、二〇世紀末頃まではこ の地域は年間降雨量が二五〇ミリぐら いあり、川が流れていて、その水を農 業用水、生活用水、製鉄所での工業用 水にも使い、残った水が日本でいう環

境水として湿地に流れ込んでいたそう です。ところが降雨量は減少し、最近 では二〇〇ミリ以下になり、 農業用水、 生活用水、 工業用水で奪い合いとなり、 気が付けば川に水がなくなり湿地が干 上がってしまったのです。この地域で の降雨の減少と温暖化が一対一の対応 にあるかについては議論の余地がある とは思いますが、降雨と乾燥が両極端 化するという温暖化による気候の変動 は、世界各地で見られています。イラ ンの干上がった湿地を目の当たりにし て、温暖化問題の深刻さを肌で感じま した。

温室効果ガスの排出状況

パリ協定の目標は世界の平均気温の 上昇を産業革命時から二℃以内に収め ようということですが、いますでに 一℃ぐらい上昇していますので、残り はあと一℃です。これまでに二酸化炭

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温暖化の影響 温暖化の影響はかなり明らかになっ ています。降雨の変化について、二つ

だけ例として紹介します。日本でも夏 場に強烈な雨が多くなったということ は多くの人が実感していると思います。 一時間の降雨量が五〇ミリを超えて、

図①

一〇〇ミリ近いような、傘をさしても 意味がないような雨が降ります。一時 間に五〇ミリの雨というのは二階から バケツで水をまいたような感じで、私

図②

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図④

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図⑤


図③

素換算で二兆トンぐらいの温室効果ガ スが排出されています。気温上昇を 二℃で収めるには、排出できる二酸化 炭素の残された枠は一兆トンぐらいし かありません。いまの排出の状況が続 けばあと三〇年ぐらいで満たされてし まいます。このような状況に世界が置 かれているということを踏まえて、パ リ協定では、今世紀末にはゼロエミッ ションにする――むしろ二酸化炭素を 吸収してマイナスにしなければならな いということが出てきているのです。 日本の現在の温室効果ガスの排出が どのようになっているのかというと、 国を挙げた取り組みが奏功し、若干で すが減少しています。 (図③) 。電力の 消費量は漸減で、発電量も減っていま す(図④) 。二〇一五年には九〇〇〇億 キロワットアワーを下回って八七三九 億キロワットアワーになっています。 部門別の排出量では、一九九〇年か ら産業分野はだいたい減ってきていま

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節電、省エネをする努力は重要です。 国民一人ひとりがまだまだ頑張る余地 もありますが、それに加えてどういう 電気を使用するかということが極めて 重要です。

その意味で、先ほどの図の表現は誤 解を与えているので、実際に二酸化炭 素を出しているところを外側に示した 方がいいと主張していましたが、そう するのをいやがる人もいて、いまの表 現が続いています。

日本の温室効果ガス排出削減目標 日本の温暖化対策は、目標をどう決 めるかということと表裏一体の関係に なっています。日本が世界に誇れると 思うことのひとつは、国際的に約束し たことは何としてでも守る国だという ことです。 京都議定書で六%削減を国として約 束しました。これを決めるときは本当 に大変でした。しかし、国際的に公約 した限りは絶対に守るのだと、官民挙 げて、きちんと取り組んできました。 だから逆にいうと、目標を決めるとき には、皆さんがそれぞれの分野で本当

に守れるかどうか心配するので、延々 といろいろな議論をします。そして、 目標が決まったときには、対策の方向 性もほとんど決まっているということ になります。 気候変動に関する日本の目標は三つ あります(図⑦) 。まず二〇二〇年度目 標で、二〇〇五年度比で排出量を三・ 八%減らします。それから二〇三〇年 度目標で、これはパリ協定に対応して いて、二〇一三年度比で二六%減、二 〇〇五年度比二五・四%減です。どう して二つの表現とするのか、わかりに くいかもしれませんが、後者が環境省 の主張で、前者がエネルギー担当省の 主張です。基準年を、国際的に広く採 用されている二〇〇五年とするのか、 あるいは東日本大震災・原発事故後の 二〇一三年とするかの違いです。二〇 一三年を基準年として二〇三〇年の削 減率を比較すると、当然ですが、二〇 〇五年と二〇一三年の間に削減が進ん

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図⑦


す。一方で、民生や家庭部門が増えて います(図⑤) 。二〇一五年度の排出量 の内訳は、産業、業務、家庭で図⑥の ようになっています。実は、このグラ フは、内訳の表現の仕方で政府内で議 論がありました。環境省は電気の使用

に伴う排出を使用部門の排出として表 現するのは、実際の排出源をあいまい にすることになるのではとの懸念を持 っていました。家庭部門は全体の一 五%を排出していますが、そのうち一 一%分は電気の使用に伴う排出です。

図⑥

業務部門は全体の二〇%で、一四%が 電気起因です。産業部門では電気の割 合は少し少なくなります。 家庭で電気を使ったからといって、 家庭から実際に二酸化炭素が排出され ているわけではなく発電所からです。 日本の二酸化炭素の四割弱は火力発電 所から排出されています。このため電 気の性状、つまり電気の二酸化炭素原 単位は温暖化対策の上で極めて重要に なります。 たとえば、隣り合う二軒の家で、全 く同じ電気機器を同じように使ってい るとします。いまは電力自由化ですか ら、電気の購入先を選択できるので、 片方の家はガスで発電した電気を買い、 片方の家は石炭で発電した電気を買っ ているとします。石炭火力で発電した 電気の方が若干安いけれども、二酸化 炭素の排出量はガス火力の二倍以上に なります。再エネの電気の場合は排出 量はさらに少なくなります。個々人が

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図⑧

出するという国際的な合意に基づき、 二〇一五年七月に決めました(図⑧) 。 削減目標はエネルギー政策と表裏一体 で、エネルギー基本法に基づくエネル ギーミックスを作って、それを裏返す と削減目標になります。エネルギー起 源の二酸化炭素を二一・九%減らし、 セメントや廃棄物などの非エネルギー で一・五%減らして、吸収源で二・六% 減らすと、全体で二六%になります。 具体的にどの分野でどれだけ頑張れる かということを細かく積み上げてこの 数字になっています。 大きなところだけを見ておきますと、 一つは電気です(図⑨) 。二〇三〇年に おける原発の稼働をどう見込むのかと いうのは、温暖化だけではなくて、国 を挙げての議論となるところで、最終 的に二〇三〇年度総発電電力量の二二 から二〇%を原子力が占めるというこ とになりました。再生可能エネルギー は二二から二四%です。環境省として

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だ国の目標は、小さくなります。たと えば、アメリカはシェールガスへの転 換で、二一世紀に入って年に一%ぐら い排出量が減少しています。逆に日本 は、原発事故の影響もあり、この間に 排出量は増加しています。 三つ目は二〇五〇年度目標で、八 〇%減です。これについては後ほどお 話しします。 これ以外にも目標がありました。民 主党政権のときに二〇二〇年で二五% 削減という目標を立てました。このと きの目標では、原発が電気の六割強を 占めるということを前提としていまし た。ところが東日本大震災と福島の原 子力発電所の事故によりその目標は意 味がなくなったということを踏まえて、 最終的に二〇〇五年度比三・八%減と いう目標に変更しました。これは私が 地球環境局長のときに決まったもので す。この見直しのとき、目標を取りや めるべきとの強硬な主張が政府の中に

ありました。環境省は、もちろん数値 は変えても目標は堅持すべきとの立場 でした。日本では目標と対策は一体の ものです。仮に、目標がなくなれば、 温暖化対策は一気に緩んでもとに戻ら ない、とにかく目標は残すべきという 議論をして、このような数値になりま した。環境省としてはもっと高い目標 にしたかったのですが、三・八%でも 達成不可能だと声も多くありました。 ところが、この目標は二〇一五年に五 年前倒しですでに達成しています。二 〇一五年に二〇一三年度比で六%減、 二〇〇五年度比で五・二%減です。い ま思うと、あれだけ議論したのは何だ ったのだろうかということであります。 やはり、国際的に約束した目標は大事 にする国なので、達成できるかどうか を心配して、低め低めの目標にしよう とするのです。環境省としては環境の ために将来をにらんで高めの目標とし たいということなので、ギャップがす

ごくあるのです。 先ほど高村先生のお話のなかでもあ りましたように、経済界でもそれぞれ の業種でリーディングカンパニーが志 高く目標に掲げて、ビジネスに生かそ うとしている事例がたくさんあります。 しかし、残念なことに、経済界全体と しての意見は、そうではないところに 集約されるのが日本の特徴のようです。 それは経済界だけではなく、集団にな ると平均よりも少し下のところに意見 が集約されるという傾向が日本にはあ るのでしょうか。平均よりも高いとこ ろで意思決定をするのは難しいのが現 実です。これを乗り越えるのは、昔も 今も「黒船」の出現です。国際的に取 り残される、同等の国に比べて見劣り がするというのは、世論は受け入れま せんので、政治的にも行政的にも切り 札になります。 二六%減という二〇三〇年度目標は、 COP21よりも前に各国が目標を提

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三〇%はできると主張したのですが、 いろいろな議論があってこの数字にな りました。私の感想として、過剰達成 できるのではないかと思っています。 このような目標は、一役所の判断だけ では決まらなくて、環境大臣がこうだ と思っても、経産大臣がこうだと思っ ても決まらないのです。LNG火力が 二七%、石炭火力が二六%です。ここ でも、LNGよりも石炭が多かったら 国民には受け入れられない、中国と同 じだと見なされますよと、環境省は主 張しました。最終的には総理のもとで 政府として決定しました。温暖化の目 標というのは、今後の日本社会のあり 方のあらゆるところに関係があるので、 それだけ重いものになっているという ことです。 部門別では、業務部門で四割、家庭 部門で四割削減するとなっています。 二〇三〇年まであと一三年しかありま せんが、それだけの削減をするという

目標です。 省エネについても、具体的にどうい う分野でどの程度省エネをするという ことが全部決まっています(図⑩) 。た とえば、ハイブリッド自動車は二〇一 二年には自動車全体の三%だったのを 二〇三〇年には二九%にする、家庭用 燃料電池は五・五万台だったのを五三 〇万台にする、ヒートポンプは四〇〇 万台だったのを一四〇〇万台にする、 照明はほぼ一〇〇%をLEDに替える となっています(図⑪) 。自動車や住宅 は国土交通省が中心になって対策を立 案し、目標を決定しています。このよ うに個別の対策は、担当する省庁で原 案を作成し、政府内で緻密に検討した うえで決定しています。 目標を達成するには、国民の皆さま に意識をもっていただいて、賢い選択 をしていただくのも極めて大事です。 それをクールチョイスと呼んでいます。 最も成功したのがクールビズで、過剰

な冷房を抑えることができました。二 匹目のドジョウということでいろいろ と考えているのですが、なかなかあれ ほどヒットするものが生まれていませ ん。 再生可能エネルギーについては具体 的に図⑫のように決まっています。

日本の地球温暖化への取り組み

パリ協定を踏まえたわが国の温暖化 対策は、パリ協定が発効する前からす でにセットされていて、地球温暖化対 策推進法に基づいて地球温暖化対策計 画を昨年の五月一三日に政府が閣議決 定しました (図⑬) 。 結構大部なもので、 本文が七一ページで、対策ごとに現状 と将来をとりまとめた表が一〇八ペー ジあります(図⑭) 。日本の温暖化対策 が二〇三〇年までに何をしようとして いるのか、どのように進むのかは、こ の地球温暖化対策計画をごらんいただ

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図⑨

図⑩ 40


図⑫

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くのが最も良いと思いますので、興味 のある方は環境省のホームページから 簡単にアクセスできますのでご覧にな ってください。進捗状況を定期的にレ ビューして、予定通りに進んでいるの かどうかを検証する仕組みになってい

図⑬


図⑪ 42


ます。 地球温暖化対策計画が何を目指して いるのか、図⑮に示してあります。も う一つ重要なのは長期的な目標で、二 〇五〇年までに八〇%の削減を目指す と書いてあります。これは第四次環境 基本計画のなかにも書いてありました。 そもそも振り返れば、第一次安倍政権 で「クールアース50」を提唱して、 二〇〇九年のラクイラサミットで先進 国は八〇%削減しようとコミュニケで 採択をしています。第四次環境基本計 画を作ったのは二〇一二年で、そのと きは民主党政権でしたので、民主党政 権での計画だから意味がないという意 見が他の役所にありました。それで、 昨年の地球温暖化対策計画で改め八 〇%削減をきちんと書いて、現政権の 閣議でも認められたものだということ にしました。八〇%削減をどのように 達成するか、パリ協定で求められてい る将来のビジョンの策定も考慮し、中 央環境審議会で議論されています。 パリ協定の採択を受けての日本の温 暖化対策は図⑯から図㉘に示されてい る通りで、エネルギーの供給側で低炭 素化するのと、エネルギーの使用側で 効率化するというのが二つの大きな柱 になっています。これを実現するため にそれぞれの主体の自主的な取り組み に任せるというのが一つの考えとして あります。温暖化対策を進めた方が利 益になるのなら、企業はそれをどんど ん進めていくでしょう。もう一つの考 えとして、何らかの制度を作って、温 暖化対策を取る側にインセンティブが 働くようにするというのがあります。 わかりやすいのは、規制的な方法で外 部不経済を内部化することです。いま の日本ではいろいろなことをミックス して進めていこうとしていて、産業界 は低炭素社会実行計画を作って取り組 むという、どちらかというと自主的に 進めていこうとしています。実際に、

京都議定書以降、自主的取り組みはう まく行われていて、 成果が出ています。 自主的取り組みがうまくいくのであれ ば何も規制するような法律などは作ら なくて、自由度が高いなかでそれぞれ の企業に進めていただくのがたぶんい いのだろうと思います。 しかし、 二六% 削減はそれで達成できるとしても、将 来の八〇%削減が実現できるかどうか は疑問があります。やはりインセンテ ィブが働くような仕組みを用意しない となかなか前に進まないのではないか と思います。 電気事業の地球温暖化対策として石 炭火力をどうするのかということにつ いてひとこと補足しておきます。環境 アセスメント法による環境大臣意見と して、石炭火力の新設はずっと止めて きました。しかし、私が事務次官のと きに、残念ながらそうも行かなくて妥 協しました。二〇三〇年のエネルギー ミックスで石炭火力は二六%となって

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図⑭

図⑮ 44


図⑱

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図⑲


図⑯

図⑰ 46


図㉒

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図㉓


図⑳

48 図㉑


図㉖

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図㉗


図㉔

50 図㉕


間違いなく終わっていると思います。 一般の人々が温暖化ついてもっともっ と危機感を強く抱く時代になっている と思います。そういうときに石炭を燃 やして電力を作るビジネスが成り立っ ているとは考えにくいのです。将来を 見据えて、企業や投資家は賢明な判断 する必要があるのではないかと思いま す。

われわれの賢さが問われている 最後にトランプ大統領のことを申し 上げます。オバマ大統領が今年の一月 一〇日に大統領としての最後の演説を しました。温暖化対策への思い入れが 大変強く、気候変動について三つのパ ラグラフで述べています(図㉙) 。一つ 目のパラグラフで、大統領であった八 年間で再生可能エネルギーを二倍にし、 外国からの化石燃料の依存を半分にし たと述べています。二つ目のパラグラ

フで、将来の世代への責任が自分たち にあると述べ、 手をこまねいていたら、 将来の世代は大変ひどいことになって、 環境の大災害がおこると警告していま す。経済も混乱するだろうし、気候変 動による難民が救いを求めてやってく るといっています。そして三つ目のパ ラグラフで、これはトランプさんを牽 制しているのでしょうけれど、この問 題を否定すると将来の世代を裏切るだ けでなくて、アメリカはフロンティア に挑戦してできた国なのだから、建国 者以来のアメリカ精神を否定すること になるといっています。温暖化に挑む のはフロンティアへの挑戦でもあるの です。 私は行政官として温暖化問題に長く 関わってきました。突き詰めると人間 はどこまで賢いのかということが問わ れているのではないかと思います。私 も含めて、 ここにいらっしゃる方々は、 気候変動でひどいことになる前にたぶ

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図㉙


図㉘

いますが、いまはそれをオーバーして います。石炭火力発電所のような大型 装置は稼働年数が四〇年から五〇年で、 いま新設したものは二〇五〇年よりも 先まで稼働すると採算が取れるような コスト構造になっています。それで、 ある電力会社の首脳に 「二〇五〇年に、 石炭火力を許容する経済環境、社会環 境、政治環境になっているのかよく考 えた方がいいのではないですか。四〇 年も五〇年も使い続ける自信があるの ですか。不良資産を作ってしまって、 あのときの経営判断がわが社の傾く原 因になったと批判されかねないですよ。 パリ協定が結ばれた時代に決定的な誤 りをしたというようなことで社史に名 前が残るかもしれませんよ。別の道を 選んだ方がいいのではないでしょう か」といったことがあります。 四〇年、五〇年後のことは私にもわ かりません。それでも、不都合な真実 から目を背けることが許される時代は、

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■基調講演3

パリ協定と脱炭素経済 すえよし たけじろう

末吉竹二郎 国連環境計画金融イニシアティブ特別顧問

パリ協定の核心 最初に、今日私が申し上げたい一つ のメッセージを簡単に申し上げます。 パリ協定はビジネスの話です。すで にビジネスを変え始めていて、これか らのビジネスを動かします。マーケッ トの言葉でいうと、マーケットのドラ イビングフォースにパリ協定がなって きているということです。パリ協定は 明らかにビジネスのあり方を変えます。 もう変え始めています。そして、それ が突き進んでいくと、いまわれわれが

手にしている経済モデルを変えること になります。経済のあり方自体が大き く転換をしていくのです。そのなかで ビジネスがどう対応するのかというこ とを考えなければなりません。 ビジネスの方々にもう少し警告的に 申し上げれば、皆さんの企業を取り巻 く外堀がどんどん埋まり始めています。 それに気が付かない企業は先々大変な ことになります。経営に失敗したとき に、どこかの経済団体のいうことを聞 いていたらこうなってしまったと釈明 するのは、何とも情けない話ではない

でしょうか。 今日は、お金を数えることしかした ことがない元銀行員が、パリ協定のよ うな世界の動きをどのように見ている か、ご参考までにお話をさせていただ きます。パリ協定についてすでにお二 人からお話がありました。パリ協定で 一番重要なのは、一言でいえば、排出 ゼロを世界が掲げたということです。 二〇五〇年以降の遠い先の話ではなく て、 目の前に排出ゼロが現れたのです。

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んこの世からいなくなっているでしょ う。だからといって将来にツケを回す という選択をしていいのでしょうか。 振り返れば、 一九八〇年代の後半に、 持続可能な開発が提唱されて、世界的 に合意されました。持続可能な開発と は、今の世代のニーズを満たすために 将来世代のニーズを妨げてはいけない ということです。そういう道を探るパ ラダイムシフトが二〇世紀の後半にあ って、世界のどこでも受け入れられて いるのです。しかし、具体的な話にな ると、将来のことまで考えるのは面倒 だ、いろいろな制約があるとして、持 続可能な開発はなかなか実現していま せん。温暖化対策はまさしく持続可能 な開発の問題です。高い志を持ってい ないと道を誤るかもしれないのです。 われわれの賢さが問われているのです。

[

]

補足 オバマ大統領の牽制やG七サ ミットでの米国以外の首脳の説得にも

かかわらず、今年六月一日にトランプ 大統領は、米国はパリ協定から離脱す ることを表明した。京都議定書を主導 した米国が、これを批准しなかったこ とと同じ道をたどるのか世界中が懸念 している。幸いなことは、大統領の離 脱表明以降、 米国の多くの州や自治体、 主要企業が温暖化対策を進めていくと 相次いで表明したことだ。 パリ協定では、発効後三年間は離脱 できず、離脱通告の一年後に離脱する ことができる規定となっているので、 米国がパリ協定を離脱するのは、早く ても二〇二〇年一一月となる。 明日の利益のために、将来の大きな 利益を失うような決定を翻意すること を世界は期待していると思う。

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海外の人の議論を聞いていると、心 構えといいますか、哲学の転換が始ま っていると感じます(図⑤) 。これまで の低炭素化の時代は、二酸化炭素を減 らすために何かできないだろうか、い まはこれならできるので、これをやれ ばいいではないかという話でした。こ れからは、排出ゼロにしていかなけれ ばならなくなったのです。やれること をやればいいというのと、やらなけれ ばならないのをやるというのはずいぶ んと違います。 企業経営者がこれまで通りにできる ことをやっていけばいいという姿勢で いると、その企業はマーケットからし めだされるようなことになりかねませ ん。マーケットに居続けるために、や らなければいけないことをやるのがC EOの決断と実行です。皆さんの日常 生活でもそうで、 国全体、 社会全体で、 排出ゼロを達成するためにやらなけれ ばならないことをやらねばならなくな

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かれるようになったのです。出さない 方向に行くのがいいことなのだから、 消費者にも、 ビジネスパートナーにも、 政府にも歓迎されます。そういう時代 が始まったということです。出さない ようにしていく仕組みを作って、企業 の行動を変え、社会全体がその方向に 動こうとしているのです。 図⑤

酸化炭素の排出をやめようとみんなで いうのは、悪いことだからやめようと いうことです。 出すのが悪いことなら、 当然、出さないのはいいことです。で すから、 これからものを考えるときに、 あえていえばいろいろな意思決定をす るときの座標軸の原点に、二酸化炭素 を出すことは悪いことだというのが置 図④


このことが一番のインパクトではない かと私は思っています。 このグラフをご覧いただくと、すぐ にその意味がわかると思います (図①) 。 パリ協定が掲げた排出ゼロ (図②) は、 明らかに英語でいうゲームチェンジャ

ー( a game changer )です(図③) 。 ゲームを行うルールが変わったのです。 これまでは低炭素化でした。それが脱 炭素化、ゼロエミッションに変わった のです。 ひょっとすると皆さんは、「低」 と「脱」でそんなに違うのか、何が違 うのかとお考えになるかもしれません。 大きく様変わりしたということを、こ

図①

図③

れからおいおいお話します。 私が一番強く思うのは、明らかに価 値観が変わりました。世の中のことを 考えていく一番のベースになる価値観 が変わったのです。二酸化炭素を出す のは悪いことになりました(図④) 。悪 いことがないのに排出をゼロにしよう ということにはなりません。世界が二

図②

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能エネルギー一〇〇%を達成している といいます(図⑦) 。アメリカ国内で達 成しているだけでなく、中国でもオー ストラリアでも、世界の二三カ国で達 成しています。日本はそのなかには入 はやろうとして っていません。 Apple も日本ではできないのです。そういう 国に日本は成り下がっているのです。 はこれからは iPhone を提供し Apple てくれるサプライヤーなども一緒にな って、サプライヤーベースでもエネル ギーを再生可能エネルギーでまかなっ ていこうとしています。 私が Apple を訪ねて聞いた話では、 二〇二〇年までに再生可能エネルギー を世界で四ギガワット作るそうです。 これ原発四基分です。このうちの半分 の二ギガワットは中国で作るというの で、私が本当にがっくりきたのは日本 ではないことです。これは何を意味す が世界中で るかというと、もし Apple 再生可能エネルギーを完全に一〇〇%

にすると決めたら、日本でのビジネス はやりたくないということになるでし ょう。サプライチェーンで再生可能エ ネルギーを一〇〇%に近付けられない サプライヤーがいるとしたら、 Apple が世界に訴える再生可能エネルギー一 〇〇%が達成できなくなります。そう だとすると、日本のサプライヤーが に部品や機材を納入するビジネ Apple スチャンスがこれからも果たして続く のCEOだ のでしょうか。私が Apple ったら、もう日本から買うのはやめよ う、中国にしようと考えるでしょう。 つまりこれは、二酸化炭素を減らすた めに再生可能エネルギーがいいねとい うだけの話ではなくて、二酸化炭素を 減らすことがビジネスができるかでき ないかの条件になり始めているという ことなのです。 や Apple がなぜこのような Google ことをするのかというと、地球環境の ためにという理念だけではなくて、経

済的なメリットが非常に大きいからで す。化石燃料に依存する電気代を、向 こう一〇年間長期契約で固定価格にで きる電力会社があるのでしょうか。自 然エネルギーの会社はむしろ長期の売 電契約を結んで自分たちのビジネスを 確保しようとしています。安価で長期 に安定的な電力購入の契約ができるの は企業にとって大きなメリットです。 毎月油代が上がったり下がったりする ことで価格が変動する電気よりずっと いいのです。つまり自然エネルギーは 非常に経済性に裏付けられた話になり 始めているのです。そういうことに関 心のないCEOは、二一世紀のこれか らの時代のCEOとして資質に欠ける といわざるをえないのではないでしょ うか。 COP22で非常に興味深い動きが あったのは、再生可能エネルギー一〇 〇%を企業レベルだけではなく、国レ ベルでもやると旗を揚げるところが出

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った時代が始まったのです。別な言い 方をすれば、緩やかに前進していくの でいいというところから、大きく転換 していくイノベーションが必要になっ てきたのです。技術においても、ある いは金融においても、従来の延長線上 でものを考えては駄目なのです。別世 界が始まっているのだということを強

図⑥

うエネルギーは再生可能エネルギー一 〇〇%にすると言い始めています。五 〇%でも八〇%でもなくて一〇〇%で す。低炭素化時代であれば、再生可能 エネルギーで三〇%を目指します、五 〇%を目指しますといったら、みんな が「おっ、すごいね」といってくれま した。いまは一〇〇%なのです。 非常に早くからこの取り組みをして

市民権を得た 再生可能エネルギー一〇〇%

と争っていている Apple は、 Google シ すでに二〇一六年の初めに、 Apple ョップやデータセンターやオフィスな ど自社内で使う電気は基本的に再生可

がそのために手に入れる自然 Google エネルギーの大きさは二・六ギガワッ トで、原発二・六基分に相当します。 一企業で原発二・六基分に相当する自 然エネルギーを手に入れようとしてい るのです。

いる Google は自社のなかで使う電気 は二〇一七年中にすべて再生可能エネ ルギーにすると宣言しています (図⑥) 。

別世界が実際に始まっている例を少 しずつ挙げていきます。世界の多くの 企業が、少なくともわが社が業務に使

く認識する必要があります。

図⑦

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事を読んだことがあります。この数字 と見ると、日本の原発や石炭火力はま ったく計算に合いません。 同じくブルームバーグ・ニュー・エ ナジー・ファイナンスによると、これ から先、再生可能エネルギーのなかで 太陽光がどんどん安価になっていくと 予測しています(図⑪) 。たとえば、U AEでは一キロワットアワー三セント です。日本では夢みたいな価格ではな いでしょうか。こんなコストで電気が 手に入るとしたら、家庭でもビジネス でも本当に嬉しいのでしょう。こうい う変化がエネルギー市場でおきている のです。 これまで、私たちは、化石燃料の需 要はどんどん増え、エネルギーの使用 量がどんどん増え、生活レベルがどん どん上がり、人口も増えていく、だか ら化石燃料への需要はとどまることな く上昇するだろうと考えていました。 半年ほど前に非常に驚いたのは、一〇

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エナジー・ファイナンスはいっていま す。途上国だからとあなどるような見 方をしているうちに、日本よりもはる かに安く大量に太陽光発電を建設でき るようになったのです。二〇一六年に インドで六〇万キロワットぐらいの大 きさの太陽光プロジェクトが半年足ら ずで約五〇〇億円で完成したという記 図⑪

風力が一番安いだろうと思っていたの ですが、中国やインドやブラジルなど のどちらかというと途上国における平 均の建設コストとして、太陽光が風力 よりも安くなったそうです。途上国が 先進国の技術革新をうまく取り入れて、 カエル跳びでぴょんと先進国を追い越 したのだとブルームバーグ・ニュー・ 図⑩


てきたことです。モロッコなど四八カ 国 が そ う し た 枠 組 み ( Climate )に参加してい variables framework ます(図⑧) 。国としてはどれも弱小国 ということになるでしょうが、国の大 きさではなくて四八という数字に注目 したいと思います。パリ協定に賛成し た国は一九五です。一九五分の四八と

図⑧ いうのはかなり大きな割合ではないで しょうか。日本は国連の常任理事国に なりたがっています。四八カ国の票が なくてなれるのでしょうか。世界のこ ういう流れにそぐわないようなエネル ギー政策を持つ国になって、日本の外 交はどのように展開していけるのでし ょうか。

図⑨

始まったエネルギー市場の転換

最近の海外のニュースで明らかなの は、自然エネルギーが圧倒的に主役に なり始めたということです。エネルギ ー市場の大きな転換が現実のものにな りつつあるのです。国際エネルギー機 関(IEA)のレポートによると、二 〇一五年ですでに設備容量で、これま でずっと主役だった石炭を自然エネル ギーが上回りました (図⑨) 。 IEAは、 世界の発電市場で自然エネルギーが主 導となる転換が始まったといっていま す。どこかの国では石炭がまだ一番だ と思っているようですが、世界の現実 はそうではないのです。 ブルームバーグ・ニュー・エナジー・

フ ァ イ ナ ン ス ( Bloomberg New )が二〇一六年一二月 Energy Finance に、新電力のなかで太陽光の建設コス トが最も安くなったというニュースを 流しました(図⑩) 。私はそれまで洋上

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思います。

地平線上の悲劇 皆さんお聞きになっていると思いま すが「地平線上の悲劇」 ( the Tragedy )という言葉がありま of the Horizon す。ぜひ皆さんにお気付きをいただき たいのは、こういった問題に対して、 イギリスの中央銀行の総裁が金融リス クの視点からものを言い始めていると いうことです(図⑭) 。某国の中央銀行 総裁はもっぱら二%の物価上昇ばかり いっています。日本を含む世界の金融 システムのリスクが顕在化し始めてい るのに、中央銀行はそのことについて 何もいわなくていいのでしょうか。私 はそれが不思議でなりません。イギリ スの中央銀行総裁と某国の中央銀行総 裁は一緒に議論する場をたくさん持っ ているはずなのに、なぜか日本の金融 当局は何もいわないのです。

イギリスのカーニー中央銀行総裁は、 気候変動は三つのリスクを含んでいる といっています。一つは物理的リスク です。自然災害による被害が出ます。 もう一つは賠償責任リスクです。こ れは日本の損保会社なども非常に心配 しています。二〇一一年のバンコク郊 外の洪水で、正確な数字ではありませ んが、 日本企業四五〇社が被害に遭い、 それに払った日本の損保会社の保険金 は一兆円程度と聞いたことがあります。 日本にいるとピンとこないかもしれま せんが、被害を受けたところが、あの 会社が二酸化炭素をたくさん出したか ら温暖化が進んで結果として洪水が起 きてうちが損害を被った、だから損害 賠償しろという裁判がおこりうるので す。そうした訴訟リスクがあります。 三つ目は移行リスクです。気候変動 対策で新しい規制やルールができるな どの変化によって、いまは価値がある と思われている金融資産が、明日は価

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といっています。たとえば、サウジア ラビアがアラムコの株式を初めて海外 に放出しました。それはどういうこと を意味するのでしょうか。 私の解釈は、 石油依存のアラムコの企業価値はいず れ下がっていくので、いまが売り時だ ということではないでしょうか。それ が正しいかどうか、これからわかると 図⑭


年足らずのうちに、少なくとも発電用 の化石燃料の需要はピークアウトする という予想が出たのです(図⑫) 。電力 を作るための極めて重要なエネルギー ソースであるという立場を化石燃料は 失い始めているのです。これまでの常 識を打ち砕きつつある現実が始まって いるのです。

図⑫ 先ほど関さんがいわれましたように、 日本のエネルギーミックスで自然エネ ルギーは二二から二四%になっていま す。そのことが示された会議で、私は 「二二から二四%という数字の前に 『少なくとも』という言葉を入れてほ しい」といいました。 「現実がはるかに この目標を追い越していくはずです。

図⑬

いまは、二二から二四という数字はこ れから伸ばしていく目標ではあるけれ ども、数年たつとそれ以上は伸ばさな いという天井の役割を果たすようにな ってしまうかもしれない。だから二二 から二四を下限の目標にしてほしい」 と申し上げました。しかし、それは無 視されてしまいました。でも、五年か ら一〇年のうちに私のいったことが正 しかったということになると思ってい ます。現実がどんどん進んでいるので す。現実が進もうとしているのを抑え てしまうのは政策ではありません。政 策はこれから行かなければいけないと ころに持っていくものです。 いろいろな見方が世界にあふれてい ます。日経新聞に出ていた記事では、 投資のアドバイザーが、石油関連株の 下落に注意しろと投資家に呼び掛けて いました(図⑬) 。再生可能エネルギー のコストがどんどん下がっていく状況 を投資家はきちんとウォッチすべきだ

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と投資し続けてくれる株主はいい株主 なのです。目先の利益だけを見て、朝 買って夕方売るような短期投資家は企 業にとってあまりいい投資家だとはい えないのではないでしょうか。 図⑯

化石燃料への投資から撤退しようと 訴える 350.org という運動の推進者の 資料によると、去年七六カ国の約七〇 〇に上る金融機関が、石炭関連企業な どから投資を引き揚げるということを 約束しています(図⑯) 。彼らの運用資 産は五兆ドルだそうです。かなり大き な金額です。

進化する経営思想 地球温暖化問題のベースにあるのは 科学です。データに基づいて科学的に 物事を考え、目標を決めていかなけれ ば、 私は意味がないものだと思います。 よくいわれる通り、科学者が問題提起 をし、政治家あるいは企業人にボール を渡しています。ボールを受け取った 政治やビジネスの側も、やはり科学で あるということを大事にしたアプロー チをすべきです。各企業が掲げる二酸 化炭素の排出削減も、何となく数字が

大きくなるようにしておきましょうと いうようなものではなくて、世界の気 温上昇を二℃以下に抑えるという科学 に沿ってそれぞれの企業が目標を立て るということが大切であると思います。 世界の投資家は企業に対してそのよ うなことをどんどん求め始めています。 二〇一三年比にした方が見かけの数字 が大きくなっていいなどというおよそ 非科学的な選択はありえません。二〇 三〇年に二〇一三年比で二六%下げま すというと、大きく下がるように見え ますが、排出削減を始めた一九九〇年 から見たら一八%しか下がらないので す。四〇年間で一八%しか下げないと いうのは驚くべき小さな数字です。 ある機関投資家が、例えば一〇〇億 円の投資をどこのどういう企業にして いるのかをみるときに、一般論として は、投資先企業の財務状況がよければ その投資は成功している、いい投資だ という判断になります。私もよく知っ

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値を失うということがありえます。た とえば一兆円の価値があるような石炭 関連の金融資産が、石炭を持っていて も価値がないということになる可能性 があります。カーボンバブルがおこり うるのです。そのようなことを移行リ スクと呼んでいます。

図⑮ イギリスの中央銀行に関わっている 人によると、いま世界が持っている化 石燃料の確認埋蔵量の資産価値は二八 兆ドルです。しかし、地球の平均気温 が二℃以上に上がらないということを 守るために燃やしてもいいのは六兆ド ル分だけです。残りの二二兆ドル分は 地下に眠ったままになります。つまり 二二兆ドルの資産価値が消えてしまう のです。話半分にしても一〇兆ドルは 消えます。これは大変なことです。 パリ協定がこういったリスクを掘り 出し始めているということをわれわれ はもっと議論をすべきではないでしょ うか。日本国内で二酸化炭素の排出量 を二六%削減するのに、どこが分担す るのか、どこに押し付けたら数字が上 がるのが、どうしたら数字の見かけが よくなるのか、そんな議論をするより も、ぜひこういったことを議論すべき です。日本がものすごく大きなインパ クトを受ける話なのです。

日本企業にぜひ気を付けていただき たいのは、長期で投資案件を考えてい る世界の投資家は、カーボンバブルを 含む気候変動リスクを織り込み始めて いるということです。一番穏やかなの は、危ないところには新しく投資をし ないということで、最もインパクトが あるのは、いま投資をしているものを 引き揚げるということです。実際にそ ういうことが始まりつつあります(図 ⑮) 。 気が付いたら優良投資家からの投 資がなくなっていたということになり かねません。 気候変動の問題を重視する投資家は 悪い株主なのでしょうか。長期にもの を考えて、 気候変動対策を採るべきだ、 そうしないと自分たちも困るし世界が 困る、だから投資判断にそのことを組 み込んでいこうと考える投資家は悪い 投資家なのでしょうか。私はいい投資 家だと思います。気候変動対策もきち んとするのがいい企業だとして、ずっ

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ンマークのノボノルディスクという企 業のCEOです。私もノボノルディス クを訪ねたことがあります。 一年前の二〇一四年のトップだった

さんがなぜ一位になったかというと、 ハーバード・ビジネス・スクールがC EOのパフォーマンスの基準を変えた からです。それまでは、会社の時価総 額をどれほど上げたのかというお金の 面しか見ていませんでした。新たにい わゆるESG(環境や社会的責任、ガ バナンス)の要素を入れたことで順位 が激変したのです。これは面白い話だ と思いませんか。どういうCEOがい いのかという世界の価値基準が変わり 始めたということです。お金だけでは ないということをはっきりと象徴して います。日本の企業もこういったこと をもっともっと考えなければいけませ ん。日本からは幸いにもキャノンの御 手洗富士夫さんがランキングに入って いらしたのでよかったです。

広がるグリーン金融 投資についてここのところ大きな流

れを作っているのがESG投資です。 そのきっかけとなったのが、国連環境 計画金融イニシアティブが主導権を取 って作った国連の責任投資原則(PR I)です(図⑲) 。私はその原則ができ るときから関わっていて、日本でもそ れが広まるよう努力してきました。二 〇〇六年にその原則が始まったときに、 日本のメディアの方々に集まっていた だいて宣伝しようとしたら三人しかこ られなくてがっくりしました。それで も私は「PRIはやがて投資家にとっ てのバイブルになる」と言い続けてき ました。 皆さんはあまりお気付きにならない と思うのですが、グローバルに活動し ている金融機関はある規制のものに置 かれています。バーゼルⅢといわれる ものです(図⑳) 。バーゼルはスイスの 都市で、そこにある国際決済銀行に事 務局を置くバーゼル銀行監督委員会が 世界の金融システムを守るためにかけ

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を作ったベゾスさんで のは Amazon したが、ベゾスさんは八七位に転落し ました。 ベゾスさんが急落してゾーレンセン 図⑲


ているパリのNGOは、あなたの投資 先の企業は温暖化対策をいろいろして いるのでしょうけれども、それは地球 全体で二℃以下にするという科学に合 った削減目標を採っていますか、ひょ っとすると四℃上がってもかまわない という企業ではないですか、といった 問い掛けを始めています(図⑰) 。これ

図⑰ までの投資ファンドの成績は、一年間 で財務リターンがどれぐらいもたらさ れたのか、一〇〇億円が一一〇億円に なったのか一二〇億円になったのかと いうことで評価されていました。そう ではなくて、一〇〇億円の投資先企業 が温度が何℃上がるような対応を取っ ているかということで評価しようとパ

図⑱

リのNGOはいっているのです。最初 に聞いたときには何だか現実的でない ように思ったのですが、よくよく考え てみると極めて科学的なのです。 世界では、企業や投資家をこのよう にして見直そうとしています。日本も こういったセンスを持っていかないと いけないのではないでしょうか。削減 目標を立てるのは厳しいとか、家庭部 門の方でもっと減らすようにして数字 を合わせるといった議論ではなくて、 二℃あるいは一・五℃に気温上昇を抑 え、将来的には排出ゼロにすることに 科学的にアプローチしていかないと、 世界と議論ができなくなってしまいま す。 ハーバード・ビジネス・スクール・ レビューは世界で最もパフォーマンス のよかったCEOのランキングを出し ています(図⑱) 。二〇一五年に突然ゾ ーレンセンさんという人が選ばれまし た。この人は糖尿病の薬で知られるデ

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その結果、ビジネスが二酸化炭素を減 らす方向にどんどんお金が流れるよう になる――そういったことを狙った新 しい情報開示のあり方が進みつつあり ます(図㉑) 。世界の金融機関や企業が そのようなことをやり始めると、金融 機関の行動が変化して二酸化炭素をた くさん出すところには金を貸さないと

いうことになって行くのです。 アメリカの会計原則にサステイナビ リティを持ち込もうという動きが出始 めて一〇年目になります(図㉒) 。これ が完成して正式な会計基準に取り入れ られると、アメリカの上場企業では財 務だけではなくてサステイナビリティ を入れた企業会計原則が動き始めるこ

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とになります。いままでは売上が伸び て利益が上がってさえいれば立派な会 社だったのが、その利益のもとが実は 環境を無視しているからだということ であれば、一挙に化けの皮がはがされ てしまいます。大きな様変わりです。 サステイナビリティを考えに入れない 企業の外堀はこのように埋まり始めて

図㉓


ている規制がバーゼルⅢです。その規 制の一番中心にあるのが、不良資産の レベル、逆にいうと健全資産のレベル に応じて必要な自己資本を積み立てる という自己資本規制です。自己資本比 率を上げたり下げたりすることで、銀 行行動をコントロールできるのですが、 その計算式のなかに気候変動リスクは

図⑳

入っていません。健全な資産か不良資 産かの計算は財務データだけで行われ ているのです。今日ここまでお話をし てきて、それはおかしいと、皆さんは 思いませんか。財務だけがすべてでは ないのです。ESGもありますし、先 ほどの移行リスクを考えたら気候変動 リスクは資産を考慮しなければならな

図㉑

いはずです。私はそのことをずっと主 張していて、いまでは変りつつありま す。 いまは企業と金融機関は財務情報だ けでやりとりをしています。それでは 二酸化炭素を減らすプレッシャーがか かりません。金融機関と企業が気候変 動リスクの情報をベースに対話をして、

図㉒

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図㉕

戦後最大の年から未来へ 二〇一五年は「戦後最大の年」と呼 ばれています。理由は、 SDGs とパリ 協定が生まれたのが二〇一五年だから です。二一世紀のこれからをコントロ ールし、マネージし、リードし、ガイ ドしていくのがパリ協定と SDGs です。 この両方に反するようなビジネスをし たら、企業は長持ちしません。市場か らの退場を要求されます。 最後に申し上げるのは、もとはネイ ティブアメリカンの言葉ですけれども、 世界のあちこちでいわれるようになっ た言葉です(図㉕) 。 「地球を大切に扱いなさい。この地球 は親から遺産相続でもらったものでは ないのです。皆さんの子どもから預か っているものなのです」 。 親から遺産でもらえば、もらった人 がどうしようと勝手なのかもしれませ ん。でも、子どもからの預かりもので

あればきれいに扱おうとするのではな いでしょうか。会場の皆さんは、借り たときに以上にきれいにして次に返し ていこうと、そのように思われるので はないでしょうか。

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いるのです。

国家戦略として取り組む 世界各国は国家戦略としてこのよう な動きに取り組もうとしています。法 律を作って国を変えていくという意気 込みで動いているのです(図㉓) 。日本

もそのようにすることを私は強く求め ています。日本も将来的に二酸化炭素 の排出量を八〇%削減するといっては いますが、時の政権が変わるとグルグ ル変わってしまいかねない決め方をし ています。ある目標に向かってみんな が集中して取り組まなければいけない ような課題に対しては、基本的な法律

図㉔

を作って、政策がきちんとした方向性 をもって進んで行くようにする必要が あります。ぜひ日本も世界に負けない 法律を作っていただきたいと思います。 とくに申し上げておきたいのは、表 に出てきている政策では、中国が世界 のトップレベルにあるということです (図㉔) 。 中国は何もしていないではな いかという旧来の目で見ていると、あ っという間に日本は置いけ堀を食って しまいます。私が関係するグリーン金 融でも、中国はグリーン金融システム を構築するということを非常に大きな 柱として打ち出しています。中国の経 済構造の是正と転換にとってグリーン が本当に重要だという位置付けをして いるのです。日本とは政策上の位置付 けが大きく違っています。日本はこの ように変りつつある中国と競争してい かなければいけないという意味をよく 考える必要があります。

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花木 いまからパネルディスカッシ ョンを始めさせていただきます。題に 「日本における」 と書いてありますが、 先ほどの前半の講演で世界の情勢につ いてのお話がありましたので、世界の 状況を踏まえて、翻って日本ではどう なのか、どうすべきなのかということ について議論していただきたいと思っ ています。 パネルディスカッションの進め方と しては、最初に信時様、崎田様のお二 人に一五分ずつお話をいただいて、そ の後で討議の形で進めさせていただき たいと思います。また、会場の皆さま からは非常に多様な多岐にわたる質問 をいただいています。できるかぎりそ れらについて触れていきたいと思って いますが、すべてにお答えをすること はできないのではないかと危惧してお ります。せっかく質問をいただきなが ら触れられないということがあるかも しれないということをあらかじめご容 赦いただきたいと思います。 それでは信時様からプレゼンテーシ

ョンをお願いいたします。

横浜市におけるスマートシティー 実現に向けた取り組み

信時 今日は、横浜市の取り組みにつ いてご紹介させていただきます。自治 体単独ではなく、企業や市民の方々と ご一緒にこれまで何を考え何をしてき たのかという話になります。先ほどの お三方の世界的な視野でのご講演から すると現場感覚にあふれる話になりま す。聞いていただいて、現場はまだそ んなものなのかと思われるのか、ある いはそんななかでも頑張っているなと 思っていただけるか、どちらになるか わかりませんが、説明をさせていただ きます。 横浜市は二〇〇八年に内閣府から環 境モデル都市に選ばれています (図①) 。 二〇一一年にはこれも内閣府から環境 未来都市として指定されています。環

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■パネルディスカッション

[

] けいすけ)

日本におけるこれからのエネルギー社会 モデレーター

花木啓祐 (はなき 東京大学大学院工学系研究科教授

パネリスト

[

]

高村ゆかり (たかむら ゆかり) 関 荘一郎 (せき そういちろう) 末吉竹二郎 (すえよし たけじろう) 信時正人 (のぶとき まさと) 横浜市温暖化対策統括本部環境未来都市推進担当参与、株式会社エックス都市研究

ゆうこ)

所理事、東京大学大学院都市再生持続学コース非常勤講師

崎田裕子 (さきた

ジャーナリスト、環境カウンセラー

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田市長の意向を反映して温暖化対策の 事業本部を上にしたのです。その後い まの林市長に替わりましたが、より力 を込めて「統括」という言葉が入りま した。 私は本部制になるときに、 都市整備、 建築、港湾、道路などのハード面の部 局も、教育委員会、市民局などのソフ ト部局も全部が温暖化に向き合わない と二酸化炭素の排出削減はできないと いう論陣を張りました。温暖化対策の 本部長は副市長の下に置かれて権勢順 では一番になりましたが、各部局がそ れですぐに言うことを聞いてくるわけ ではありません。われわれは汗をかい て、まとめていく努力を非常にした結 果、各部局も動いてくれるようになり ました。 横浜市の環境未来都市には五本の柱 があります(図③) 。低炭素・省エネル ギー、水・自然環境、超高齢化対応、 クリエイティビティ、 チャレンジです。

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ています。そのなかに SDGs の研究会 が設けられ、北九州市と横浜市が幹事 を務めています。民間企業も SDGs に トライするところが多くなってきてい

るところです。 横浜市がこれだけの評価を受け、あ るいは頑張れといわれているのにはい ろいろな理由があると思うのですが、 一つは私がいま所属している温暖化対 策統括本部の存在があろうかと思いま す。かつて温暖化対策は環境創造局の 地球温暖化対策課という非常にローカ ルなところで取り組んでいて、太陽光 パネルに補助金を出すとか、地球温暖 化に対する啓発活動をするとかが活動 の中心でした。ローカルなところでや っていたのでは大きな効果を生まない、 市の政策全体にわたって取り組むべき だということで、二〇〇八年に温暖化 対策は事業本部として全市的に取り組 むこととなりました。本部長というの は局長クラスなのですが、建制順とし て副市長のすぐ下に位置しています。 権制順というのは、局長クラスとして は政策・財政・総務あたりがふつうは 副市長の下にくるのですが、当時の中 図②


図①

境モデル都市は全国に二三都市あり、 そのなかから環境未来都市は一一都市 選ばれました。環境未来都市は二〇一 一年一二月に選ばれ、東日本大震災か らの復興を促したいということで、岩 手・宮城・福島の三県から六都市が選 ばれ、 被災地以外では、 北海道下川町、 千葉県柏市、横浜市、富山市、北九州 市の五都市が選ばれました。環境モデ ル都市は低炭素と地域活性化に取り組 むということでしたが、環境未来都市 はさらに少子高齢化、経済成長、国際 展開にも取り組むようになっています。

先ほどから SDGs (持続可能な開発 目標)という言葉が出ていますが、環

境未来都市の次のキーワードは SDGs だということが国の方ですでに決めら れています。図②の下の方に「環境未 来都市」構想推進協議会というものが ありますが、ここには環境未来都市だ けではなく他にも何十もの都市が入っ ていて、民間企業も一〇〇社以上入っ

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エネルギーをマネジメントするプロジ ェクトとして、横浜市と北九州市、豊 田市、関西の京阪奈の四地域が二〇一 〇年四月に選ばれています。横浜市は 住宅だけではない複合的なプロジェク トで、系統電力といわれる東京電力と も連携して取り組んできました。北九 州市も複合的ですが、新日鐵のエリア で新日鐵の電線等を使って実証実験を されてきました。横浜市は、こういう 言い方を許していただければ、東京電 力とがっぷり四つに組んで取り組んで きました。 これは希少価値と思います。 横浜市、東京工業大学、それと三四の 企業とで一五のプロジェクトを進めて きました。実証実験の規模としては、 HEMS(ホームエネルギーマネジメ ント)が四二〇〇世帯、三六メガワッ トの太陽光パネル、二三〇〇台の電気 自動車です。数字的な規模の目標値を すべて上回ることができました。 電気自動車に関しては、横浜市に日

産のグローバル本社がありますので、 電気自動車には力を入れました。結果 二〇〇〇台以上の導入ができました。 HEMSの目標値である四〇〇〇世帯 という数字は不可能だろうといわれて いたのですが、なんとかクリアしまし た(図⑤) 。HEMSをつないでCEM S(地域内エネルギー管理システム) をつくるという実証実験をして、四二 〇〇世帯のうち三五〇〇世帯にCEM Sと継続接続することをOKしていた だいて、いわゆるデマンドレスポンス の実証を行いました。最大で一五~一 六%の二酸化炭素の削減ができました。 また、BEMS(ビル内エネルギー管 理システム)で、二九の事業所を結ん で、電気を二三%前後削減する実績を 上げることができました(図⑥) 。電気 の削減には、電気を使うパターンの違 うところが組むのがよく、住宅、事業 所、工場、横浜市の浄水場と下水処理 場が加わりました。公共施設まで入れ

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で水・自然環境を一つの柱としていま す。 環境未来都市は今年で五年目です。 とくに力を入れてきた事業の一つがス マートシティプロジェクトです (図④) 。 図⑤


都市開発のなかで水や大気や土は忘れ られがちでしたが、最近の自然災害を 見ると、もう一度基本の自然から都市 を考え直すべきではないかということ

図③

図④

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者とスマートビジネス協議会を作って、 実証実験をベースに各種のビジネスを 追求していく体制を整えています。そ の一つの事例が、移転した南区の総合

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で全部使い、電気を区役所等へ出すと いうシステムです(図⑨) 。システムと しては単純なものですが、実際に作る のは大変で、市立大学、病院、政策局、

図⑨

庁舎と横浜市立大学センター病院、さ らに土木事業所を結んで、病院に特別 高圧を引いてコージェネレーション (熱電併給)の設備を置き、熱は病院 図⑧


てBEMSの実証実験をしたのはたぶ ん横浜市だけで、世界的にも最大の参 加者の実証実験だったと思います。 横浜市の再生可能エネルギーによる

発電量は年間約三・九億キロワットア ワーです(図⑦) 。これをベースにして 横浜独自の電力会社を作っていくこと も今後考えていきたいと思っています。

図⑥

横浜スマートシティプロジェクトは、 実証から実装へというフェーズに入っ てきています(図⑧) 。企業の入れ替わ りがありましたが、いまは一五の事業

図⑦

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つうだったら東京電力に売っていたも のを、 区役所に供給するということで、 説得も必要でした。また横浜市の新交 通システムである横浜シーサイドライ

ンにも冬期に供給します。シーサイド ラインでは、冬に雪が降ると電熱器で 雪を溶かすので、そのときに電気の使 用量が一挙に何百キロワットアワーも

上がるのですが、そのピークをカット するためにこの電気を使うことにしま した。このシステムもシーサイドライ ンにはご納得いただきました。 最近のトピックとしては、バーチャ ル・パワー・プラント(仮想発電所、 VPP)があります(図⑪) 。都市全体 を一つの発電所に見立てて電力の需給 を管理するということを、東京電力、 東芝、横浜市が組んで行っています。 横浜市には一八の区があり、一八区全 部で小中学校一校ずつに蓄電池を置い て実証実験をいま進めています。 水素の利用については、燃料電池自 動車を普及させるために水素ステーシ ョンを置くことを進めています (図⑫) 。 いま六カ所ありますが、目標は一〇カ 所で、いま置けるところを一生懸命探 しています。水素は怖いというイメー ジがあって、市民の方に理解していた だくのに苦労しています。港湾で水素 の発電機を使った実証実験も行ってい 図⑫

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建築局、道路局、土木事務所、区役所 の市民局とかいろいろなところを全部 説得して回らなければなりませんでし た。予算を取るための庁内交渉や議会

調整等、現場ではそういうところがな かなか大変なのです。 もう一つの事例は自己託送です(図 ⑩) 。 金沢区にある資源循環局のごみ焼

図⑩

却の余熱で発電した電気の一部を、自 己託送制度を活用して区役所で使うよ うにしました。資源循環局の清掃セン ターと呼ぶごみ焼却場で発電して、ふ

図⑪

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図⑮

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図⑯


ます(図⑬) 。さらに、風力発電で水を 分解して水素を作り、その水素を使う という二酸化炭素フリーの水素の実証 を始めています(図⑭) 。横浜の風力発

図⑬ 電はハマウィングといい、実は横浜市 は風力発電が簡単に成り立つ風境では ないのですが、一つの温暖化対策への 行動へのシンボルということで中田市

長の時代に設置しました。建設費のう ち半額を市民債で集めたところ、わず か三日間で目標額に達しました。いま この風力発電の電気で水素を作って、 トヨタ自動車のフォークリフトがユー ザーになるというかたちで、環境省の 事業として進めています。 横浜市の顔というとみなとみらいで す。ここでも横浜市と事業者が組んで エネルギーマネジメントを進めていこ うとしています(図⑮) 。みなとみらい には日本最大の地域冷暖房会社があり ます。最近の開発案件でディベロッパ ーはBLCPへの取組の意味もあって コジェネレーションを置こうとされる 傾向があり、コジェネと地域冷暖房の 調整もこれからの大きな課題だと考え ます。 郊外型の事業として、東急、相鉄、 UR等と組んで街のリノベーションを どのように進めるかということを行っ ています。 再生可能エネルギーの活用、 図⑭

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が高まると大人たちの意識も高まりま すので、地味ではありますけれど、高 度な技術の実装との車の両輪として発 展させていこうと考えています。 アジアスマートシティ会議を毎年開

して交流を深めています。 最後に写真を見ていただきます(図 ⑲) 。 これは東急と一緒に行っているた まプラーザでの市民の集まりです。こ こでは老若男女、幅広い世代の方が集 まり、質問も活発だったりして非常に 発想力と行動力のある市民同士の交流 も活発に話し合いを続けています。こ のように市民が積極的に参加してくだ さることがわれわれの施策の展開を可 能にしてくれるのです。今後ともこれ まで以上に力を入れて進めていきたい と考えています。

花木 ありがとうございました。では、 続けて崎田さんにお願いします。

脱炭素で地域を強くする

崎田 脱温暖化対策をすることで地 域が元気になっていく、ということを 明確にビジョンとして持っていくこと

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図⑲

いています(図⑱) 。今年も一〇月に開 きます。アジアの二十数カ所の都市の 首長クラスが集まってやりとりをして います。横浜市の経験を伝えたり、職 員同士の情報交換をするようなことを 図⑱


コジェネレーションの設置、エネルギ ーマネジメント会社へのトライ、 等や、 タブレットを使ったエネルギーの見え る化と生活情報と一体となった市民サ ービスの高度化の試みもあります。 そういったハイテクの地域への実装

を志向する一方で、市民の意識をどの ように高めていくのかということも重 要な課題としてあります。横浜市には 意識も高い方も多いですが、そういう 方々にはさらに高いレベルの知識と行 動をお願いし、関心のない方には少し

でもきっかけをということで、ヨコハ マ・エコ・スクール(YES)を開い てきました(図⑯) 。NPO、大学、企 業、個人も含めて協働パートナーが一 四四団体あって、年間約三万六〇〇〇 人の参加者が実績としてあります。Y ESを開くのは学校であったりパシフ ィコであったりお寺であったり、いろ いろな場所やタイプがあります。NP O同士の交流の場としてYESを使っ ていただいてもいます。 地元の横浜市資源リサイクル事業協 同組合では、二〇〇〇年から「環境絵 日記」というのを実施しています(図 ⑰) 。 われわれも数年前から共催として 参画しここ数年は「あなたの考える環 境未来都市は」ということで、年間二 万から三万の子どもたちに絵を描いて もらっています。今年度から我々の姉 妹都市でもあるアメリカのサンディエ ゴからも積極的に参画してもらうべく 働きかけています。子どもたちの意識

図⑰

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増えているかもしれませんが、日本の エネルギーの自給率は六%と小さい数 字です。自給率を高めるには多様なエ ネルギーが必要です。 図①

図②

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が大事なのではないかと私は考えてい まして、今日はそのことをお話させて いただこうと準備をしてまいりました。 私が何をしているかといいますと、 暮らしや地域の視点で環境・エネルギ ーに関するまちづくりに取り組むとと もに、リスクコミュニケーションの場 づくりにも関わっています。ジャーナ リスト、環境カウンセラーとして収入

源を確保しつつ、二つのNPO活動を しています。 一つはNPO法人持続可能な社会を つくる元気ネットです。環境まちづく りの団体を全国的につなぐネットワー ク組織とお考えいただければいいと思 います。ここ数年ヨーロッパの環境対 策の変化をいろいろ取材するなかで、 二〇一二年のロンドンオリンピックで の持続可能性対策に非常に感銘を受け ました。二〇二〇年の東京オリンピッ クも持続可能なオリンピックにしよう ということを、組織委員会、環境省、 東京都などで提案をさせていただいて います。使用済み機器のリユース市場 創出や都市鉱山メダルプロジェクト、 食品ロス削減などを具体的に進めなが ら、3Rと適正処理でごみゼロのオリ ンピックを作っていこうとしています。 もう一つがNPO法人新宿環境活動 ネットです。名前の通り、東京新宿の 地域活動団体です。地域の事業者、行

政、市民団体が連携しながら、環境学 習の仕組みをつくってきました。二〇 〇四年からは新宿区立環境学習情報セ ンターの指定管理者を務めており、新 宿区におけるエコライフの普及啓発と して市民・事業者参加型運営に取り組 んでいます。今日は新宿区のことにつ いてはお話しませんので、私どものホ ームページなどを見ていただければと 思います。いま職員募集もしています ので、関心をもっていただける人がい らしたらうれしいです。 地球温暖化と私たちの暮らし・地域 の関係を考えますと、もはや遠い問題 ではなくて、自分たちがどのように行 動するかというところが大事になって きています(図①) 。 日本のエネルギーのあり方が大きな 問題だということで、私はいつもこの 図を見ていただいています(図②) 。こ このところ再生可能エネルギーが少し ずつ増えてきますので、数字が微妙に

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図③

エネルギーをどう使うのかということ だけではなく、どのように作るのかと いうことにもきちんと取り組んでいく ことが大事です。環境省は、二〇五〇 年に二酸化炭素の排出量を八〇%削減 するという目標に向けて、長期低炭素 ビジョン小委員会というのを二〇一六 年七月に立ち上げ、私はその委員とし て、地域がこれから本格的に再生可能 エネルギーに取り組んだときに地域の 経済にどれほどの活力が生まれるのか、 しっかりとした数字で示してほしいと いう発言をさせていただきました。そ の後で、経済的な視点からのデータが 委員会の資料で増えるようになりまし た。 地域の方たちが外からエネルギーを 買って使うと、エネルギー代を地域の 外に支払わなければなりません (図④) 。 地域のなかでその地にあるもので再生 可能エネルギーを作るようになれば、 エネルギー代が外に出ていかなくてす

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一九七三年にオイルショックがあり ました。このとき、私は母親がトイレ ットペーパーを探しに走り回るのを見 て、原油の値段が上がるとどうしてト イレットペーパーがなくなるのだろう かと不思議に思いました。エネルギー 源が一極に集中していて、そこで何か があると、みんなを不安にさせるとい うことを社会全体で体験したのです。 そのことからオイルショック以降は、 日本はエネルギーの分散化を図ってき ました。 天然ガス、原子力、石炭火力、そし てまだ少ないけれども再生可能エネル ギーがあるということで、それなりの 分散化が図れたと社会が思っていたと きに、二〇一一年に東日本大震災と原 子力発電所の事故があって、原子力発 電所が全部止まりました。いまは安全 対策をより厳しくチェックしながら少 しずつ原子力発電所を再稼働しつある という状況にありますが、原子力発電 が止まったことでエネルギーのほとん どを化石燃料に頼るということになっ て、私たちはもう一回エネルギー源を しっかりと考えなければいけないとい うところに立たされたのです。 そのようななかで、私も経済産業省 の資源エネルギー庁の原発事故後のエ ネルギーの将来計画を話し合う委員会 にずっと出ていたのですが、最終的に は図③の上にありますように、二〇三 〇年の電源構成は、再生可能エネルギ ーが二二~二四%。原子力が二〇~二 二%、そして石油、石炭、天然ガスあ るというかたちで、できるだけ再生可 能エネルギーを増やしつつ、原子力は 今までよりは少なくなるけれどもベー スとして活用していこうということに なりました。 再生可能エネルギーは図③の左下に あるように、年平均二九%増というこ とで急激に伸びています。大規模な太 陽光発電施設で環境アセスメントが必

要となるほどの問題をおこしたり、い ろいろありながらも、再生可能エネル ギーは広まり、私たちが払っている固 定価格買取制度 (FIT) の付加金は、 右下のように二〇一二年に月六六円だ ったのが毎年倍々ぐらいに増え、今は 月六七五円になっています。私たち多 くの市民は、支払う額が高くなってき たので反対するということではなく、 しっかりと再生可能エネルギーを支え ようということで受け入れています。 ただし、年々高くなっている現実をき ちんと見据えて、できるだけコストが 高くならないよう工夫をしていかなけ ればなりません。私たち市民も、系統 連携とかバックアップ電源の確保とか、 社会的なコストをどのようにするのか ということも考えて、これからの時代 を生きていくということが大事になっ てきていると思います。 再生可能エネルギーを増やしていく には、 私たち市民も社会の一員として、

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エネルギーが豊かなところはこのよう なことに早くから気付いていて、電力 の地産地消を進めています(図⑤) 。地 元の市民が金融機関とも連携して風力、 水力、太陽光の市民発電所を作るよう

なところが増えてきているのです。 今日の横浜市のお話にもありました ように、最近では、地域の開発をする 基本計画を立てる最初の段階でエネル ギーをきちんと考えるようになってき

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ています。下水道や廃棄物処理施設な どとも最初から一緒になって進めてい くことが、今後の社会イノベーション の一つとして大切ではないかと思いま す。

図⑥


図④

み、地域のなかでお金が循環して地域 の経済が潤うことになります。図④で はエネルギー収支が赤字のところは赤 やオレンジで、黒字のところは青で示 されていますが、今後のこの色分けが 徐々に変化していくと思います。自然

図⑤

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たないところが増えてきています。そ れに対して、地域で再生可能エネルギ ーで自給自足型のエネルギーを作って、 地域の活性化のために使っていこうと する動きが各地で出てきています(図

⑦) 。 そういう事例をきちんと共有して いくことも大事だと思っています。 科学技術振興機構(JST)に、産 学民の連携で進めている地域に根差す 脱温暖化プロジェクトがあります。そ

図⑧

の一つとして桐生市で進めているプロ ジェクトがあって、私は民間側のアド バイスをしてきましたが、地域の人た ちを巻き込みながら取り組むことが研 究を定着させる上で大事だということ を申し上げています。 地域の活性化の事例としてもう一つ 印象深いのは、新潟県上越市の中ノ俣 の棚田米プロジェクトです(図⑧) 。日 本海から一七キロ内側に入った山あい に三〇戸ぐらいの集落があって、ほと んどが高齢者という状況でした。近隣 の若者たちが危機感を持ってNPOを 立ち上げて、森林を守ろうということ で、杉間伐材で高付加価値のものづく りに取り組みました。しかし、それだ けでは森林を守る地域の暮らしは守れ ないと気づき、地域の高齢の人たちに いまどのようなことができますかとい うアンケートを取ったところ、棚田米 を作ることなら教えられると書いてく ださった人たちがいましたので、その

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図⑦

スウェーデンのストックホルム近郊 のハンマービーという街で大規模再開 発が行われたときに、そのようなこと が非常に大切にされました(図⑥) 。こ こでは、生ごみや下水道の汚泥からバ イオガスを作ってタクシーや住宅に供 給したり、最終的に廃棄物焼却発電を しています。都市の基盤をつくる段階 から徹底していろいろなことを考えて いるのです。実際に街ができて効果が 出るまでには時間がかかりますので、 できるだけ早くに取り組むことが大事 です。私はいろいろな地域がこのよう な事例を参考にしてほしいと思います。 私たち日本の社会は、環境やエネル ギーばかりでなく、少子高齢化や地域 過疎化も大きな問題になっています。 地域社会の構成員のほとんどが高齢の 方だけになっているようなところもあ ります。経済、社会、そして文化的な 視点までも含めて同時に考えて持続可 能な地域開発をしなければ、地域がも

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た方々、研究者、企業、金融機関、行 政といった方々と連携して、一緒に学 び合いながら、総合力で進めていくこ とが大事です(図⑨) 。

二〇一五年に新しく見直した国土交 通省の国土形成計画には、イノベーシ ョンを生み出す環境パートナーシップ を作って地域性豊かな環境まちづくり

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をしていくことが大切であると書いて あります。このようなイノベーション のきっかけは実は私たちの身近にいろ いろあるのです。身近な地域資源をし

図⑩


図⑨

方たちにNPOの理事に入っていただ いて、都会からきた人に棚田米作りを 教えるということを始めました。地域 の人と都会の人が一緒になって田植え をし、草取りをし、収穫をして、でき たお米を都会の人に買っていただきな がら棚田を守っています。地域の人と 都会の人が互いに信頼関係をつくって、 震災などがあったときにはこちらにき て暮らしていただくというような縁に もなっていくということで 「有縁の米」 事業を展開しています。 このような新しい視点からの交流で 地域づくりをすることで、都市と自然 豊かなところがつながって、新しいラ イフスタイルを定着させることになっ ていくのではないかと考えています。 さまざまな地域でこのようなプロジ ェクトを始める、大きくいえば社会イ ノベーションを起こしていくときに、 地域の人たちの思いだけではなかなか 実現できません。専門的な知識を持っ

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話をされました。しかしながら、それ ぞれの方が経験されたり見聞きされた りしたなかでは、 いろいろな人から 「で きない」 「やらない」という言葉をさま ざまな場面で聞かれたのではないかと 思います。 「できない」 「やらない」と いう言葉はあまり聞きたくはないので すが、 「これはできない」 「そこまでは やれない」というお考えを持っている 方もたくさんおられるのが現実です。 「できない」 「やらない」という難しさ をどのようにして克服してきたのか、 克服していくのかということで、いく つかのポイントについてお伺いしたい と思います。 まず、国内の課題を考える前に国際 的な動向を見ておきたいと思います。 パリ協定は五年ごとに目標を見直して いく仕組みになっていますが、それに みんなが付いていけるのでしょうか。 付いていけないと何がおきるのでしょ うか。各国は五年ごとに目標は出すけ

れど、一向によくならないとか、目標 と実態が乖離するといったようなこと で、五年ごとに見直すという仕組みが なかなか動かないということになると、 二酸化炭素の排出をゼロにするという 道筋に持っていけなくなりますが、そ のあたりについてどのような議論がさ れているのでしょうか。高村さん、い かがでしょうか。

高村 パリ協定は、ゼロエミッション という長期目標を定め、各国の目標を 五年のサイクルで引き上げてそれを達 成しようという仕組です。 したがって、 五年のサイクルが実際に回っていくの かどうか大きな課題です。これから二 年間かけてそのためのルールを作って いこうとしています。場合によっては ルール自体を進化させていくメカニズ ムも必要ではないかと思います。 次の目標を出すときにはいまよりも 高い目標にするのですが、目標が高め

られたということはどのようにしたら 確認できるのでしょうか。目標を出さ ないのは義務違反です。違反をした国 に対してどう対応するのでしょうか。 目標は出したけれども、それをきちん と実行するでしょうか。遵守の問題が あり、進捗状況をどのように確認する のかという問題もあります。現在の二 〇二〇年目標と同じように、二年に一 回各国が進捗状況を提出して、専門家 がレビューして、相互にチェックをす るという国際的な検証の仕組みをベー スにすることになっていますが、実際 に進捗状況を確認するのは容易ではあ りません。 情報の出し方についても課題があり ます。先進国はそれなりのデータが出 せるとしても、途上国は二年に一回デ ータを出すという仕組をスタートさせ たばかりです。各国の目標はさまざま で、炭素税を入れるとか、森林の保全 策を導入するなど、政策措置を約束し

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っかり活用して、大幅な脱炭素化と地 方創生を実現し、持続可能な社会づく りに取り組むことが大事です。 オリンピックの持続可能性に関して 取り組んでいるとお話しました。オリ

の目標とターゲットを見て、世 SDGs

には一七の目標があり、そのな SDGs かに一六九のターゲットがあります。 地域にはいろいろな課題があり、地域 ごとに個性や特徴を活かして解決して いこうとしています。そのときに、

最後に、 SDGs (持続可能な開発) について触れておきます(図⑪)。

ンピックはここでの話題である脱温暖 化、地域の活性化とも親和性の高いイ ベントであると思っています。東京オ リンピック・パラリンピック大会組織 委員会の 「街づくり持続可能性委員会」 委員として、いろいろな提案をしてい ます(図⑩) 。たとえば、都市鉱山メダ ルや水素エネルギーの活用です。オリ ンピックは二〇二〇年のメガイベント ですが、オリンピックが成功したらそ れで終わりというのではなくて、水素 にしてもリサイクルにしてもレガシー として社会に定着していくことが大事 です。

図⑪

界はこのような目標を持っていると知 ったり、自分たちの地域の課題が実は 世界のターゲットと共有するものだと 認識したりすることで、自分たちの取 り組みの方向性が見えてくるというこ とがあると思います。たとえば目標の には「つくる責任、つかう責任」が あり、そのなかに食品ロスを削減する というターゲットがあります。これは これから地域で課題に取り組んでいく ときの大事な指針になると思います。 日本は外圧で動くというような話もあ

花木 ありがとうございました。今日 は五名の方のお話をお聞きました。い ずれの方も非常に前向きで積極的なお

目標を達成するためには

がソフトの面での 「黒 りました。 SDGs 船」というようなことで活用されてい くことがあっていいのではないかと思 っています。

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スにもつながるということで、日本は JCMを積極的に押し進めています。 このような排出削減の直接的な支援は 幅広く行われていますし、キャパシテ ィビルディングに関する支援も行われ ています。また緑の気候基金(GCF) は、日本は世界で二番目の拠出国とし て多くの支援を行っています。 国際貢献をすることには政府のなか でほとんど異論がないので、今後も行 っていくことになると思います。

この動きは変わらない 花木 国際的な金融の場では、二酸化 炭素をゼロにする、あるいはサステイ ナビリティが非常に重要なポイントと なって、速い動きがあるということを 末吉さんはお話されましたが、ここで あえて伺うのですが、金融の世界とい うのは、ある日全然別の価値観でころ っと変わるということがあるような気

がするのですが、実際はどうなのでし ょうか。投資の判断をするに当たって 二酸化炭素の排出が重要な要素になっ てきているのですが、ある日まったく 別の要素で判断されるようになるとい ったことがおこったりはしないのでし ょうか。

末吉 今日私がここで申し上げた動 きは、ある日急に変わるようなことな くて、今後ステディな動きになってい くと思っています。 ゼロエミッションへとわれわれを動 かしていこうとしているおおもとに何 があるのかというと、気候変動そのも のです。気候変動による自然災害がす でに日常的におきています。五年ごと に目標を高めていくのは、気候変動に よってどんどん劣化していくことへの 最低限の対応だろうと思います。目標 の達成をどうやって検証するのかとい った技術的な問題以前に、なぜ目標を

高めなければならないのかということ をきちんと見ておかなければいけない と思います。 金融には直接金融と間接金融があり ます。日本は間接金融の強い国で、直 接金融がリードしている世界のグリー ン金融にやや立ち遅れています。直接 金融は、ある個別のプロジェクトに直 接投資するものなので、そのプロジェ クトがグリーンであるかどうか、グリ ーンなら投資するという判断がしやす いのです。間接金融はある株式会社A にお金を貸すというもので、株式会社 Aがあるプロジェクトで環境によくな いことをしていても、それを理由に株 式会社Aに金を貸すのをストップする というのはやりづらいところがありま す。日本は直接投資と間接投資の違い から遅れているところがあるのを乗り 越えていかなければなりません。 世界の取り組みの仕組みは二重構造 になっています。パリ協定のような国

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ている国もあれば、一経済活動あたり の排出量を減らすのを目標としている 中国やインドのような国もあります。 中国・インドは電気やエネルギーを低 炭素化する数値目標ももっています。 そういうさまざまな目標を検証するた めには、日本のように二酸化炭素の排 出量を何年比で何%減らしますという 目標をチェックするのとはまた違う仕 組み、 データが必要になると思います。 現実にはそうしたデータが取れない、 データを取ったことがない途上国もあ りますから、統計をきちんと取れるよ うにしていく支援も考えないといけな いでしょう。さまざまな課題、難しさ があると思います。

日本の国際支援 花木 いまの関連で関さんにお伺い しますが、途上国への支援というとき に、もちろんお金による支援もあるか

もしれませんし、キャパシティビルデ ィングのような支援もあると思います。 日本として、自国の目標達成も危うい かもしれないという状況のなか、途上 国が目標を上げていくことへの支援と いうのはありうるのでしょうか。

関 日本国内では、途上国を支援する ことの方が、日本の目標達成よりも議 論がしやすい面があると感じています。 国民の税金をどれだけつぎ込むのかと いうことについて、財政当局から制約 がかけられるとしても、日本として国 際貢献をするということ関しては政府 のなかで反対はあまりないのです。 たとえばJCM(二国間クレジット 制度)があります。日本の技術を途上 国に提供して削減が進んだ場合に、削 減に日本も貢献したということで削減 分を折半しようという仕組みです。パ リ協定でもJCMは認められています。 日本の技術が世界に普及して、ビジネ

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きたけれども、国内の状況が何か急に 変わったということになってはいませ ん。再生可能エネルギーのビジネスを している人のなかには、コストが掛か ってビジネスとして利益が出ないとい う声もあります。市民のなかでいろい ろな動きがあるけれども、いま一つ盛 り上がらない、広がっていかないとい うこともあります。 「黒船」という言い 方が出ていましたが、パリ協定をきっ かけとして国内のさまざまな動きを活 性化させるにはどうすればいいのかと いうことについてあとのお二人にお伺 いしたいと思います。

信時 普通の市民の方々はまだパリ 協定まではなかなか理解できていない と思います。われわれはここ数年、ラ ジオとかテレビを駆使してPRしてき ましたが、市民の意識はすぐには変わ りません。しかし、変えていかなけれ ばいけないと思ってわれわれは取り組

んでいます。 一昨年、当時のアメリカ政権のケリ ーさんが主催する地球温暖化対策の会 議に横浜市の市長が呼ばれ、私もワシ ントンに同行しました。 バンクーバー、 ラゴスなど世界各国から十数都市の先 進的な都市の市長が集まり、日本から は唯一横浜市が参加しました。その会 議の熱気たるやすごいものがあって、 うちの市長もこれはやれなければいけ ないという気持ちに改めてなってくれ たと思います。どこの自治体もなかな かできるわけではありませんが、外の 風に触れるのは非常に重要だと思いま す。 横浜市の二酸化炭素の排出目標は、 環境省と同じような数値を置いていま す。横浜市にとってこれは甘くない数 字で、実現するための試算をしたとこ ろ、数兆円の投資が必要ではないかと いうことになりました。 太陽光については、先ほど見ていた

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家間の仕組みがあって、その下にビジ ネスのルールで動く仕組みがあります。 実際に世の中をより大きく動かしてい るのはビジネスの方です。国家間の約 束事がなかなか変わらないから、われ われは助かっているともしもビジネス に携わる人が思ったらおしまいです。 ビジネスの世界においていま大きな変 化が始まっているのです。世界のトレ ンドを作っているのは、最も勢いのあ る新しい産業で、そこがどんどん大き く変わってきているのです。そしてそ の連中が国境を越えて日本のビジネス に対して変化を要求してきます。経産 省が何もしないでいるからいいなどと 思っていたら、世界のビジネスの世界 ではねられてしまうだけです。新しい ビジネスルールでアメリカやヨーロッ パの市場ばかりでなく、アジアの市場 も変わってきています。国境を越えて 日本に入ってこようとしている新しい ビジネスルールに日本の産業が対応で きるのかどうか、非常に大きなリスク 要因になっていると思います。そこを 先取りして対応できる企業が世界で伸 びていくのです。

花木 従来は、たとえば環境の分野で ヨーロッパの規制に日本のメーカーも 対応して製品を輸出するということを してきたわけですが、それと今回の変 化は違うのでしょうか。自分の会社が 何を作っているかにかかわらず、全て の業種に関わるということでしょうか。 特定のものについてなら世界の動向を 常に見て対応もできるでしょうけれど、 全部が対象になるということですと、 どの企業も準備ができていないという ところがあるのかもしれません。とく に小さい企業はなかなか対応しきれな いということがあると思うのですが。 末吉 ある特定のものを作っていて、 そこでの変化は承知しているから、パ

リ協定などは特に関係しないと考えた ら、基本的にだめだろうと思います。 特定の部品しか作っていなくても、世 界の大きなサプライチェーンに必ず組 み込まれているので、関係ないという ことはないのです。 世界には頭のいい人がいて、本丸を 攻めるにはどこから攻めたらいいのか ということを一生懸命に考えています。 たとえばある自動車メーカーを攻めた ければ、 そのメーカーのサプライヤー、 ネジを作っているようなところに環境 上の要求をすればいいのです。そうす れば本丸の方に必ず響きます。日本で ビジネスをしているから、グローバル な変化は関係ありませんというのも、 基本的にないと思った方がいいと思い ます。

国内の動きを活性化させるには

花木 いまのところは、パリ協定はで

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るではないか」といいました。会場は 大喝采で、気の毒にその銀行の方は悪 者になってしまったのですが、たぶん いままでの投資や融資の基準が時代に 合わなくなっているのではないでしょ うか。日本でも新しい機運が出て来つ つあるので、何かの拍子に大きく変わ って、地方のベンチャー企業などに上 手くお金が回るようになっていく気も しています。

具体的に動かすやり方を工夫する 崎田 地域の温暖化対策でいろいろ な企画をしていますが、すぐ盛り上が るのは緑のカーテンです。夏場にゴー ヤで緑のカーテンを育てると、冷房が 節約できて電気代が安くなるだけでな く、ゴーヤの実も成るということで、 楽しく市民に受け入れられて、どこの 自治体でもやるくらいまで広がってい ます。また、大規模な企業は意識が高

く、環境に関わる活動をどんどん進め ています。難しいのが地域の事業者や 地域密着型の商店街です。初期投資が 負担になって、なかなか広がって行き ません。そこで、こちらから事業者を 選ばせていただいて、省エネチェック の補助制度などを利用してアドバイス をし、改善にも公的な補助金を紹介し ようと動いているのですが、なかなか 容易ではありません。 現場にいて大事だと思うのは、まち づくりの基本計画や、長期的な地域開 発のプランにエネルギー政策、環境政 策をどれだけしっかりと入れ込むかと いうことです。きちんとした目標があ ると、将来的に大きく影響します。計 画を進めていくためには、普及啓発と か、 経済政策とか、 規制的な政策とか、 いろいろなやり方がありますが、いま は規制的な政策というのはあまり受け ない状況で、パリ協定でも各国の自主 的な取り組みを積み上げでいくという

ことになっています。国だけでなく、 自治体もそれぞれに目標を持って、五 年ごとにアップするような仕組みがあ ってもいいのではないかと思います。 国の規制に従って進めなければならな いというよりは、それぞれが目標を決 めて進めていくように、社会のあり方 が変わっていくことも大事なのではな いかと感じています。 そのときに費用はどうするのかとい うことでは、国からの補助金を得ると いうようなことだけでは難しいと思い ます。先日、東京都の環境局に伺った 際に、昨年の暮れにいわゆるクラウド ファンディングのようなかたちで、環 境への投資を都民から募集をしたとこ ろ、一週間ぐらいで一〇〇億円ぐらい 集まったと聞きました。今年は二〇〇 億を目標にするそうです。みんなが力 を合わせるようなやり方を工夫するこ とがとても大事なのだと思います。 もう一つ東京都で面白いと思ったこ

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だきましたように、下水道部局が下水 処理場の上に太陽光パネル置くような ことにも努力をしてくれています。市 内のすべての小中学校の屋根にも太陽 光パネルを置けるといいのですが、現 状は約五一〇校のうち二二〇校ぐらい 置いたところで止まっています。さら に積極的に進めていきたいところです。 下水のコンポストで発電する実証実 験を始めています。下水の熱を使うと いうこともありますし、下水から出て くる水素を使おうともしています。小 水力の可能性もあります。横浜市には 道志村から約四二キロメートルのパイ プで水を引っ張ってきていますので、 その間に五つか六つの発電所が置ける 可能性があります。横浜は港湾都市で すから海水熱も使えます。八景島シー パラダイスでは実際に海水熱を使って います。そうしたことを全部実施して いくには相当な資金力も必要になって きます。

これは当然横浜市の予算だけではと でもできません。横浜市はいま人口は 増えていますが、税収は伸びていませ ん。国からの補助金に大きく期待はで きないです。ではどうするのかという と、私が期待しているのは新しいファ ンドのあり方です。風力発電の事業を 実施したときに、市民ファンドを募っ たところ三日で二億数千万円集まった ということがありました。世の中でい まお金を一番持っているのは民間企業 だと思います。民間企業のお金をいか にしてそうした事業に回していけるか、 知恵を絞る必要があります。民間企業 がお金を出せば、市民も出そうという ことになってくるのではないでしょう か。

花木 民間企業がお金を出すには、出 すための理由がなければなりません。 再生可能エネルギーの拡大に貢献して いるとか、温室効果ガスの排出削減に

貢献しているとか、企業にとってそれ がプラスになるのなら、経営戦略とし てあり得るとは思うのですが、その点 はどうなのでしょうか。

信時 去年の秋にある地方都市でい ろいろ去年の秋にある地方都市で企業 やNPO、自治体などが集まって、温 暖化対策だけでなく、地方をどう活性 化していくかという会議をしました。 その際に、やはり事業にお金が回わら ないというような話になりました。あ る大銀行の人がきていたので、司会者 がその方に 「なぜお金が回らないのか」 と質問しました。 銀行の方がいうには、 「われわれもいろいろないい投資をし たいけれど、 いいプレイヤーがいない、 投資をする相手がいないのです」とい う答えだったので、ある大学の先生が 「プレイヤーがいないとおっしゃるけ れど、あなた方に見えていないだけな のではないか。この会場にたくさんい

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を作らなければなりません。誰がそれ をするのかといったら、一番大きな役 割は中央政府にあります。政府がどう いう政策・方針を持つのかということ は大きいのですが、政府は再生可能エ ネルギーが大事だといいながら、再生 可能エネルギーでできた電気を多くの 電力会社は買えませんといっている現 実があります。それで再生可能エネル ギーにお金がまわらないようなことに もなってしまいます。政府の政策が矛 盾しているからこのようなことがおこ るのです。政府の役割と責任は何だと いうことをもっと問い詰めていく必要 があります。もちろん政府ばかりでな く、社会のステークホルダーに対して それぞれが担うべき役割と責任をもっ と明確にしていかなければなりません。 むやみに一挙にやろうとしても進み ません。これから五年かけてどこをど う動かすのか、一〇年かけてどこをど う動かすのか、進む段取りを整理しな ければいけません。個々別々に進めて いくのではなくて、トータルでものを 考えて、ロジカルにアプローチを決め ていかないと、海外から攻めてこられ て日本のビジネスは木端微塵にやられ てしまいかねません。

日本全体での意思決定は 容易ではない 花木 今日のメンバーで政府の仕組 みに一番詳しいのは関さんなので、政 府の役割についてコメントがありまし たらお願いします。 「しっかりしろ」 関 環境省にいると、 「だらしないぞ」と国民からよくいわ れます。そのように見えるのかもしれ ません。突き詰めていうと、やり方が わからないからできていないというわ けではなく、やるかやらないかの問題 であると思います。

志高く温暖化を迎え撃つということ で世の中がうまく回るようにするには どうしたらいいのか。仕組みがあれば 需要が生まれるのだから、仕組みを作 ればいいということで、たとえば二酸 化炭素に価格を付けようという議論が あります。二酸化炭素を大気中に出す からいろいろな不都合が起きるので、 二酸化炭素を出すことをただにすべき ではなくて、応分の負担をするように すればそれに対応するための研究開発 にもお金が回るし、ビジネスが生まれ るというわけで、 経済学者でなくても、 誰もがそのように考えることができま す。しかし、二酸化炭素に価格を付け れば、やはり不都合がどこかに生じま す。痛みが生じる人は嫌だ、待ってく れといいます。残念ながら、待ってく れという声の方が大きいのがいまの状 況です。 環境省は排出権取引を導入したいと 考えていました。導入することで排出

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とがあります。先ほど関さんから、ク ールビズの続くものがなかなかないと いう話がありました。あのときにクー ルビズを仕掛けた環境大臣がいま東京 都の知事になり、使い終わった白熱球 を二つ持ってきたらLED一つと替え るということを始めています。一つは 替えてもらえるけれど、もう一つは自 分で買うというのが暗黙のメッセージ であろうかと思いますが、具体的に動 かしていくやり方を考えることは大事 であると思います。

各プレイヤーの役割 花木 末吉さんから関連した何かコ メントがありますか。 末吉 私は基本的に二つのことが大 事だと思っています。一つは、政府も 含めて社会の各プレイヤーにはそれぞ れの役割があるということです。もう

一つは、あるゴールに向かって行くと きにどういう順番でものごとをやって いくかです。 私はこの丸の内で実際に銀行員をし ていましたので、銀行の役割について 申しますと、いまの銀行は少しだらし ないと思っています。商業銀行全体の 預金残高はいま七五〇~七六〇兆円ぐ らいあります。そのうち銀行が貸し出 しに使っているお金は四七〇~四八〇 兆円ぐらいです。三〇〇兆円近いお金 が預金過多になっています。皆さんが 銀行にお金を預けて、それが社会のた めに回っているかと思いきや、実は三 〇〇兆円近くは貸し出されていないの です。どこに行っているかというと基 本的には国債です。 三〇〇兆円の預金過多をどうするの か、銀行が責任を持って考える必要が あります。リスクを銀行だけに取らせ てどんどん貸せというわけにはいきま せん。貸し出す先がちゃんとある状況

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ワーあたり三セント、ドバイでも三セ ント、チリでは三セントを切っていま す。この価格でも十分事業ができます と入札に手を挙げた事業者がいたとい うことです。 では日本ではなぜコストが高いのか。 これが一つの課題です。経済産業省が 開催した太陽光の競争力強化研究会と 風力の競争力強化研究会での専門家の 議論でも、固定価格買取制度(FIT) の運用を、コストを下げる努力を促す 方向でやらなければいけないと議論さ れました。再生可能エネルギーは高く てもやればいいという話ではありませ ん。系統にアクセスするのに高いお金 がかかったり、発電が始まるまでに一 〇年もかかるようだったりすると、全 体としてのプロジェクトのコストが上 がって、結果的に高く買取をすること にしかなりません。コスト低減を促し ていくFIT制度の運用とともに、そ ういったFIT制度以外の制度の整 備・運用をきちんと国が主導していか ないとコストは下がっていきません。 国の関与はここでもやはりとても大事 です。

日本はこれでいいのか 花木 まだまだいろいろな議論があ ろうかと思うのですが、時間の制約も ありますので、どのようにしてこれか ら脱炭素社会を作っていくのか、可能 も含めたご意見を、お一人 なら SDGs ずついただきたいと思っています。末 吉さんから順にお願いします。 に 末吉 今年の一月三〇日に SDGs 関連して、国連環境計画(UNEP) の金融イニシアティブが新しい原則を 作りました。ソーシャルインパクトの 投資に関する原則ということで、第一 を実践するためのファイ 条に、 SDGs ナンスをソーシャル・インパクト・イ

ンベストと呼ぶと書いてあります。

を本当にやろうとすれば、毎年 SDGs 五兆ドルから七兆ドルのお金が一五年 間にわたって必要になります。新しい 原則はそのお金をどのように調達する のか、どう投資するのかというところ から出てきたものです。世界ではこう いう大きな長期のお金の必要性を認識 して、どうやって進め行こうかという 議論を始めています。そのようなとき に、日本が足踏みをしているのは許さ れないと思います。 先般日本にきたある外国の方が明快 にこういわれました。「いずれは死ぬ技 術を日本はどうして一生懸命磨こうと しているのですか? これから世界が 必要とする技術を一生懸命に磨いて、 それを世界に輸出するのが日本ではな いのですか?」 去年の一一月と今年の一月と、二つ の国会で総理の施政方針演説がありま した。詳しくは新聞などに出ていまし

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削減が最も合理的に進むからです。経 済界の代表的な意見は、世界で同時に 導入するのならいいけれども、日本だ けが導入したら企業は海外に工場を移 すだろうから、賛成できないというこ とでした。世界がみんなでやるといっ たら日本も手を挙げるが、日本が先に 手を挙げたら損をするといった類似の 議論が、排出権取引だけでなくあらゆ るところでおこります。 大きなことを決めるのは国の政治で す。日本は一度決めてしまうと、世界 でも誇れるぐらいきちんと実行します。 だからとくにそうなのでしょうが、決 めるときには慎重になって、みんなが いろいろに意見を出して、日本全体の 意思決定をするのはなかなか容易では ないという現実があります。

ゼロエミッションに向けて 高村 ゼロエミッションなどできる

のかという質問をいただいたり、再生 可能エネルギーで本当にまかなえるか と質問をいただいたりもします。エネ ルギーの利用をゼロにすることはおそ らくできないでしょうが、理論的には 二酸化炭素の排出をゼロにすることは 可能です。それぞれのセクターでどれ だけ削減するのかを考えるときの前提 として、どのようにしたら長期的にゼ ロエミッションにしていけるのかとい うことを基本に置いて議論を立てるよ うにしてみたらどうかと私は思ってい ます。 再生エネルギーはよくあてにならな いといわれます。確かに自然は時々 刻々変動するのでそれを扱うのは大変 です。しかし、電力会社も近年は再生 エネルギーをどうやって系統に入れて いくのかという努力をしていらして、 実績を積んできています。九州電力は 昨年の五月四日に、つまりゴールデン ウィークで電気の需要が小さい時期な

のですが、一日の電力の三八%を再生 可能エネルギーが占めていたと発表し ています。一三時、再生可能エネルギ ーが最も多くなるときには、太陽光と 風力だけで六六%。水力・バイオマス も入れると七八%まで再生可能エネル ギーでまかなっていました。いろいろ 工夫されて、系統運用をうまくやると このようなことができるわけです。こ ういう経験が積み重なっていけば、再 生可能エネルギーがあてにならない電 源といった認識はなくなっていくのだ と思います。実際ヨーロッパではそう なってきています。日本でも、再生可 能エネルギーを系統に入れていく工 夫・運用が進み、よい方向に変わって いくことを期待しています。 再生可能エネルギーは高いとよくい われます。世界的には、末吉さんの報 告にもありましたように、大きくコス トが下がっています。たとえば昨年は モロッコの風力発電で一キロワットア

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科学的根拠をもって進める が掲げる目標に横浜市の 信時 SDGs 施策を当てはめていくと、一七の目標 全部に当てはまります。こじつけも一 部ありますがすべてに当てはまるので す。主だった都市、例えば北九州市な んかもたぶんみんな当てはまると思い

の第七番の目標に SDGs

の何番に ます。民間企業ですと SDGs 当たる事業をうちではやっていますと いったプレゼンテーションをされるこ とが多いのですが、自治体の場合には 一つや二つ当てはまるものがあるとい うくらいではだめだろうと思います。 だからといって、当てはまるものがあ ったらそれでいいというものでもあり ません。 これからどういう都市にすればいい のかという哲学がまず必要だと思って います。たとえば、横浜市でいまエネ ルギーについて頑張っていこうとして いて、それが

当てはまるのなら、それから始まって ほかの目標項目へとつなげていって、 われわれの都市をこのように作ってい くというストーリーを描くことが大切 ではないかと思います。一七の目標を つなぎ合わせたストーリーは各都市で 異なるオリジナルなものになるでしょ う。そのようなストーリーが描けなけ ればたぶん市民の方々は納得しないと 思います。昭和四〇年代には各自治体 が都市マスタープランを作った時代が ありましたが、いままた新しい時代に 合わせた都市をどのように作ってして いくのかを考える時代に入ったのだろ うと思います。 横浜市ではみなとみらいが三〇年前 にできて、当時はすばらしいといわれ ました。 しかし、 いまになってみると、 まちづくり協定のなかにはエネルギー とかBLCP(業務・生活維持計画) とかは入っていませんので、われわれ としては協定を作り直したいと考えて

います。しかし、まだ市の内部で全部 局がそれを理解しているとはいえませ

がこう ん。そこを動かすには、 SDGs だからわれわれもそれに準拠してとい

に対する う理解の求め方も今後 SDGs 理解が進んでいった際にはあるのでは ないかと思っています。 それともう一つ、都市計画と環境や エネルギーの分野の分断、という問題 も大きいと思います。また、環境問題 に対して科学的根拠を基にして規則や 条例を決めていくという方向性も今は ないと思います。住宅専用地域などと いう名前ではなくて低炭素地域にする というようなことをしたらという提案 も聞いたことがあります。いい考えだ と思います。その地域におけるデータ をしっかりと把握して、今はやりのビ ッグデータ処理をしながら施策を決め ていくという方策が求められるのでは ないかと思います。 よくある高さ規制などで、その高さ

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たのでご覧になるといいと思うのです が、私は地球温暖化や持続可能性に総 理がどのように言及するのか興味があ って読みました。しかし、去年一一月 のパリ協定を批准した国会においてす ら、全体で七二〇〇文字ある演説のな かで触れていたのはたったの五文字で した。 「テロ、難民、地球温暖化などの 地球規模の問題に対処します」という その文章だけです。そのセッションの 題が「地球儀を俯瞰する政策を行う」 とうたっていながらです。 今年の一月の演説は約一万六〇〇〇 字ですが、そのなかで出てきたのは水 素社会を作るという話だけです。世界 を両輪に はパリ協定、あるいは SDGs して二一世紀の社会を作っていこうと しているときに日本はこのようなこと いいのでしょうかということを、今日 の最後に申し上げておきたいと思いま す。

ビジョン・ 情報・ 連携 崎田 私は「脱温暖化で地域を強く」 というのが一番大事なキーワードだと 考えています。そのことがまずしっか りあって、明確なビジョンを持ち、情 報を共有し、そして連携で実現すると いう、ビジョン・情報・連携で次のス テップへと進んで行くことが重要であ ると思っています。最近いろいろな話 し合いをするなかで、必ずといってい いほどこのビジョン・情報・連携とい うことがいわれています 先ほど、新潟の棚田のある地域で、 都会から人にきてもらってお米を一緒 に育てて交流をしているという事例を お話しました。たとえばそのような場 を運営する人たちが、自分たちの地域 にはどういう課題がありどう克服する を活用す のかと考えるときに、 SDGs る意義がきっとあるはずです。 SDGs には一七の目標があって、その第七番

には「エネルギーをみんなに、そして クリーンに」とあります。第八番は「働 きがいも経済成長も」 、第一一番は「住 み続けられるまちづくりを」 、 第一二番 は「つくる責任、つかう責任」 、第一三 番は「気候変動に具体的な対策を」 、第 一五番は「陸の豊かさを守ろう」 、第一 七番は「パートナーシップ目標を達成

しよう」等々となっています。 SDGs のこれらの項目を大事にしてこれから まちづくりをしていこうと考えて、そ の視点から定期的にみんなで話し合っ て、PDCAサイクルを回していくと いうようなやり方もあると思うのです。

都市でも企業でも SDGs を活用する ことで、自分たちの課題や目標が、世 界が共有する課題や目標とどういう関 係にあるのかということがよく見える ようになるのではないでしょうか。そ のことから、それぞれの行動の発信力 も広がっていくこともあるのではない かと考えています。

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ずありましたので、私どもは各メディ アの人になぜなくなったのか、ぜひま た入れてほしいというのですが、国民 の関心がよりありそうなところから選 択肢を並べているので、環境は入って こないという答えが返ってきます。こ れが端的にいまの状況を表しているの ではないかと思います。 日本人は熱しやすく冷めやすいので しょうか。気候変動条約のCOP3が 京都で開かれた一九九七年には、どの 新聞を開いても一面に温暖化とかCO Pとか、うんざりするくらいに載って いました。世界から、メディアがこれ ほどまでにこの問題を扱っている日本 はすごい国だと思われたくらいです。 それが、気が付けばパタッと減ってし まいました。それでもアメリカのメデ ィアと比べるとまだ載ってはいます。 メディアの扱いはやはり政治情勢に大 きく影響します。 将来、脱炭素社会をつくるには、日

本の仕組みを変えるような大きな政策 転換が必要です。現在の延長線上では 絶対に無理です。二〇三〇年に二六% 減というのは、今の政策ツールでもた ぶん達成できるでしょう。しかし、二 〇五〇年に八〇%削減するには、社会 のイノベーションが必要で、そのため にはルールも変えていかなければなり ません。そのときに、日本は他の先進 国がやった後にまねして付いていくと いういつものパターンになるのでしょ うか。遅れて最後になったときには、 経済的にも国際的な信頼の面でも失う ものがすごく多く、後でしまったと反 省しても取り戻せないかもしれません。 日本人が環境に対する関心をなくし てしまったのかというと、決してそう ではありません。 『毎日新聞』は年末に 将来に対する不安について世論調査を していて、不安に思っている項目を二 〇ぐらい並べています。第一番になっ たのは年金問題です。二番目が気候変

動です。将来いろいろなことがおきて くるのではないかと国民の方々は心配 されていて、潜在的な関心の度合いは 高いのです。しかし残念ながら表立っ てはブームがひっくり返ったように沈 んでしまい、いまは目立たない状況に あります。何とか多くの政治家に熱心 になってもらって、「良薬口に苦し」 で、 今は痛みを伴うけれども、将来にはい いことなのだということを国民に訴え て、潜在的な懸念を表に出して将来ビ ジョンへと持っていくようにしていた だきたいと思っています。環境省では 大臣がこのようなことをさかんにいい、 広報もしているのですが、なかなか関 心を高めることができずにいます。も う一度気候変動に対処して社会を変え ていこうとする機運を高められるかど うか、いま日本は岐路に立っていると 思っています。

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は如何にして決めていかれるのか、そ の規制と経済性の相克はないのか、今 後はそういった包括的なことも考えて いかないといけないですね。 SDGs の 世の中になるとなおさらです。かつて の環境アセスメントのない時代に建て られたランドマークタワーは二二七メ ートルありますが、では、そのランド マークタワーは環境に悪いビルなので しょうか。アセスメントの基準はどう いう理由で決めたのでしょうか。横浜 にある海洋研究開発機構(JAMST EC)の3Dの気流モデルで調べて、 しっかりと風の道の確保等を検討した 結果なのかどうかですね。要するに科 学的根拠で何かをしていくというとこ ろが、これまでのまちづくりでは決定 的に不足しているのではないかと認識 しています。 また、環境機器や環境の制度と都市 計画の間の整合性の課題も大きいかと 思います。たとえば太陽光パネルと日

照権の関係などです。FITの制度と 実際に日陰になった際の金銭的な問題 などもあります。 さらに、今後重要なのは都市のマネ ジメントです。都市とは総合的なもの なのに縦割りの弊害が出ている面がい ろいろとあります。いかに発想を豊か にし行動力を伴って横連携の施策をス トーリー化し実施していくかがマネジ メントであり非常に重要です。これが 時代における自治体のやる 私は SDGs べきことと考えています。縦割りにな ったAとBとCがあって、さらに新た にDを加えるのではなくて、AとBと Cを横につなぎ合わせることで新しい 世界が広がっていくと思うのです。さ らに横につなぐことで、予算の有効利 用も必ず生まれてくると思います。

もう一度機運を高める 関 末吉さんから総理の過去二回の

所信表明演説についてのコメントがあ りました。事実その通りで、地球温暖 化は所信表明演説にほとんど入ってい ませんでした。いまは所信表明演説を 官邸で書いていて、政権の関心事項が 端的に現れるようになっています。か つては各省からそれぞれ案を出して、 つなぎ合わせて整合性を取るというこ とをしていましたので、環境省も一生 懸命に原案を書いていたのですが、い まはそうではありません。 ぜひ皆さんに知っていただきたいの は、東日本大震災以前と以降で変わっ たことはいろいろありますが、その一 つに環境の位置づけの変化があります。 いろいろなメディアが、どういう政策 を望んでいますかという世論調査をし ています。だいたい一〇個ぐらいの選 択肢があって関心の高いものを選ぶよ うになっているのですが、東日本大震 災以降は選択肢から環境政策がなくな っています。以前は環境や温暖化が必

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感で、それを踏まえてビジネスを作っ ていらっしゃいました。そういう行動 様式で、常に社会の変化に対応する経 験も積んでいらっしゃると思います。 今日のこの会の主催がシェルさんだか らいうのではありませんが、シェルさ んは、欧州でガソリンスタンドに急速 充電ステーションを併設していくとい うことを昨年の九月に発表しています。 世の中のトレンドを見て、ビジネスを 組み換えていこうとしているのです。 そうした変化の事例はたくさんありま す。 もちろん変わるには経済的な負担が 必要になることもあるでしょう。しか し、そこからチャンスも生まれるので す。脱炭素、パリ協定はチャンスを生 み出すものです。そういう意味で、私 は日本のビジネスに期待をしておりま す。

花木 今日はパリ協定を出発点とし

も含めて皆さんに議論してい て SDGs ただきました。二〇一五年は、パリ協 定、 SDGs 、それともう一つ加えるな ら、仙台での第三回国連防災世界会議 で採択された仙台防災枠組もあって、 どうやって持続可能な社会を作ってい くかということに向けて非常に重要な ことが出された年でした。それらを私 どもが消化して、実際の行動に移して いくには若干の時間、あるいは試行が 必要であろうかと思います。 二酸化炭素を減らすということには、 日常のわれわれの活動が色濃く結果に 出てくるもので、私たちの生活に近い ところにあります。しかしいまパリ協 定はかなり遠いところにあります。そ の間をうまくつなげていくことができ れば、一気通貫で進むということがあ るのだろうと、将来の世代のためにも 期待をして、ちょうど時間がまいりま したので、本日はこれで終わらせてい ただきたいと思います。どうもありが

とうございました。

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世界共通のビジョンを持つ 高村 今日ここまでのお話をうかが って二つのことを思いました。 一つは、二一〇〇年、今世紀中にゼ ロエミッションにするという目標がや はり非常に大切だということです。現 時点から積み上げて作る二〇三〇年の 目標とはかなり違った考え方や作業を していかなければならないだろうと思 います。企業では、わが社は何年ごろ にこういうビジネスをしている、こう いうビジネスを目指すといった計画は 立てておられると思います。現在のビ ジネスのあり方の延長で考えられるよ うなタイプの目標と、社会・経済、ビ ジネスの環境の変化の中でいまとは大 きく異なることをめざさなければなら ないタイプの目標があると思います。 二〇五〇年八〇%削減とか、二一〇〇 年ゼロエミッションといった目標はお そらく後者のタイプの目標で、そこに

至るためにどういうことができるか、 国際社会がみんなで知恵を出して工夫 して課題に取り組んでいく、そのため の目標だろうと思います。 二〇三〇年目標といった意味での 「目標」というよりは「ビジョン」と 呼んだ方がよいかもしれません。国際 社会はいまのままではダメだ、いまの ままでは問題解決はできない、だから 社会を変えたいと考えている。SDG sもやはり社会の現状を変えたいとい うところから出てきているのだと思い ます。変えるためには国際社会がみん なで協力しないとなりません。協力を 促進するためには共通のビジョンであ りゴールが必要です。それが二一〇〇 年ゼロエミッションというゴールです。 その意味でパリ協定はすごく大事だと 思います。 もう一つは、アメリカの政権交代の 影響についてです。たくさんご質問を いただきました。私の報告のなかでも

少しお答えましたが、京都議定書から アメリカが離脱をしたときと今回とで は決定的に違う点があります。それは エネルギー転換が起こっているのは、 政策を投入して無理に転換を起こして いるのではなくて、経済合理性から、 市場の選択により起きているというこ とです。安いから市場で選ばれるとい うことでエネルギーシフトがおこって いるのです。そして、それを支えてい るビジネスが圧倒的に育っている点も 違っています。 京都議定書から二〇年がたって世界 は決して同じ状況ではありません。ア メリカのブッシュ政権が京都議定書か らの離脱を表明したときよりも、今回 のアメリカの政権交代のショックは少 なくてすむと私は受け止めています。 アメリカの国内事情を見ると、政権が どうなろうが確実に削減は進むと思え ます。 ビジネスの皆さまは社会の変化に敏

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献したいと考えております。当社も石 油ビジネスのみならず、太陽光発電、 バイオマス発電といったエネルギーの グリーン化にもずいぶん注力している ところです。さらにその周りのエネル ギーソリューションについてもこれか らどんどん取り組んでいきたいと考え ております。今日のようなお話を聞き ますと、ますますその重要性、その加 速の必要性に心が向かいますし、さら

にいろいろな価値観の変化に対して目 を向けることの重要さを教えていただ くこともできました。 私どもは、皆さまとともに、われわ れ社会の将来について考えていきたい との思いでこのような公開シンポジウ ムを一〇年間続けてまいりました。こ れからもこれまでの勢いを失うことな く続けてまいりたいと思っています。 エネルギー持続性フォーラム公開シン

ポジウムをこれからもどうぞよろしく お願いいたします。本日はどうもあり がとうございました。

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■閉会挨拶

はまもと みさお

濱元 節

〇〇七年の二月に発足をして、それか ら一〇年が経ち、公開シンポジウムは 一二回を数えました。これは多くの皆 さんのいろいろな形でのご支援、そし てここに来ていただいている皆さんの 意識の高さによるものだと思います。 感謝申し上げます。 本日はパリ協定を中心にして、産学 官民、さまざま視点から多角的な議論 をしていただきました。カバーされた テーマを見ましても、いろいろなキー ワードを聞きましても、政策、科学、 金融、ビジネス、社会実装、地域連携 と非常に幅広く、課題の裾野の広さ、

昭和シェル石油株式会社執行役員エネルギーソリューション事業COO

ご来場の皆さま、本日は長時間にわ たりこのシンポジウムにご参加いただ きまして大変ありがとうございます。 本シンポジウムを共催させていただい ております昭和シェルを代表いたしま して、ひとこと閉会のご挨拶を申し上 げたいと思います。 本日、ご講演並びにパネルディスカ ッションにご参加いただきました先生 方、すばらしい会場を提供いただきま した三菱地所の皆さま、そして東京大 学の皆さま本当にありがとうございま した。 本エネルギー持続性フォーラムは二

そして重層化された課題の深さを感じ る機会になりました。私自身たいへん 勉強になりました。 ここで少し昭和シェルのことを話さ せていただきます。私どもは一一〇年 間にわたって社会のなかでエネルギー の供給に携わらせていただいておりま す。エネルギーサプライヤーとして何 が一番大事かといいますと、エネルギ ーを必要としている方のところに安全 で安定的にエネルギーを届けるという ことです。 私どもの社としての矜持も、 それをしているというところにありま す。 ただ、いまのエネルギーの構造自体 が、気候変動や、社会の持続性に対し ていろいろな課題をもたらすものを内 在しているということも事実ですので、 エネルギーサプライヤーとして、もち ろん微力ではありますが、そういった ことに対して新しいビジネスの形やソ リューションの創出というところで貢

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人もいるが、逃げることができる人は、家族の 命を守るため、逃げなくてはならない。言い過 ぎかもしれないが、今、命を繫ぐ人々のご先祖 は、逃げないで勝ち残った人も少しはいるであ ろうが、逃げて生き残った人も多いのではなか ろうか。逃げることのできる人にとっての問題 は、逃げる時期である。危機は、突然、来るわ けではない。特に近代以降であれば、情報の発 達もあり、国内外の政治情勢や社会情勢を、あ る程度、知りえる筈である。現に、危機を早め に察知して逃げた人々も少数ながらいる。周り で犠牲になる人々を間近に見て、命からがら逃 げる人々もいる。逃げる機会を逸して、ひたす ら厄難が通り過ぎるのを待ち、幸運にも命を繫 ぐ人々もいる。逃げたほうが良いし、逃げられ るなら、早めの避難に越したことはない。 しかし、今、自分が、この過去の出来事を知 っていても、あの時代、あの境遇にあった時、 将来の危機を確かに想像して、早めに逃げるこ とができたであろうかと考えると、全く自信が ない。我が家族には申し訳ないが、父の判断が 悪く、逃げ出すのが遅れて家族に致命的な犠牲 を強いた気がする。

津波などの自然災害が迫ってきたとき、避難 が遅れて犠牲になる人々がいる。逃げるのが遅 れた理由には、いろいろ有ろうが、一つには、 自分はそうした犠牲にならないという安全バイ アスが働くと言われている。これから生じる厄 難を想像することができず、自分が犠牲になる ことはないという、根拠のない自信が、逃げる という行動を妨げたということであろう。大規 模な自然災害の発生した際は正しく未来の危機 を想像し、迫りくる厄難から避難することが求 められる。そのため、繰り返し、避難行動力を 高める教育や情報提供が行われている。 先週、電車に乗ろうとしたら、人身事故が発 生し、暫く、電車の運転を停止するというアナ ウンスが流れていた。振替輸送の提供も放送さ れていた。さて、ここでどう行動するのか、迷 った。運転が再開されるまで待つか、振替輸送 を利用するか、 あるいはタクシーを利用するか。 結局、運転再開を待ち、会議に遅刻した。同じ 会議に出席する研究室の学生は、振替輸送を利 用し、会議に間に合った。戦争の危機が迫った 時、 私の家族は、 父の判断の悪さで犠牲になり、 研究室の学生の家族は、生き残るに違いない。

連載 エッセイ

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逃げる判断 中東では、今もって戦乱の惨禍に苦しむ国々 がある。市民を巻き込む悲惨な紛争の結果、大 量の難民が生じ、中東からの距離も近く、過去 の宗主国の責任もあってか、ヨーロッパの国々 に様々な波紋がもたらされている。日本も、過 去の宗主国的振る舞いから隣国との関係がしば しばぎくしゃくしている。きりがない、未来志 向に反する、という声もあるが、原因を作った からには、ある意味仕方がない。 現時点でのこうした混乱や過去の日本が関係 した話題は、自身の情感に訴えるところが大き く、ニュースのみならず映画などフィクション であっても、身構えてしまい、本能的にこれを 考えることを避けてしまう。これに比べて、遠 い昔、遠い場所の戦時下における民族抹殺など 耐え難い受難などは、自身との関係性が希薄な ためか、身構えることなく、考え、感慨にふけ ることができる。 個人的な感慨すぎて社会性がないと非難され そうであるが、その昔は、人の英知で解決でき

そうな気もする戦争であっても、大規模な自然 災害や疫病による大量死と「同じで」 、個人の意 思によって助かることのできない、同じ災害で あった気がする。戦争も、自然災害も、疫病も、 いつか自然科学、社会科学の発展により、不幸 な死の多くは、 「同じよう」に避けられる日が来 るようにも思われる。昔の人々にとって、疫病 に侵されて死ぬのも、日常の事故で死ぬのも、 戦争で死ぬのも、生きたいという人の本能を、 自分の意思と関わらず絶たれるという意味で、 同じであったかもしれない、などと思う。むし ろ、戦争などの紛争による生命の危険は、突然 の自然災害や疫病による死に比べて、年単位に 及ぶ社会情勢の変化の結果、 やってくるもので、 予兆を感じる期間も長く、その不幸から逃げ出 す時間的余裕も、突然の自然災害や疫病による 不幸に比べて、長くありそうだという気がして くる。 いつも感じることがある。逃げることが社会 的な制約や義務からできず、勝ち残るしかない

加藤信介

かとう しんすけ

東京大学生産技術研究所教授

(専門は都市・建築環境調整工学)

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術の導入は意外と進まなくて、現在は台湾の 博物館に追い抜かれるような状況になってい ます。今年の初めに台湾でデジタルコンテン ツマネジメントに関するワークショップがあ り、科学博物館の職員も参加して、台湾の博 物館では、タブレットを持って展示物の前に 立つと、展示物の説明が詳しく見られるだけ でなく、後で見直せる教材をその場で家のパ ソコンに送れるようになっているということ を聞いてきました。いままでならカタログを 買って帰るというようなことであったのが、 デジタルコンテンツ化することでより多くの 情報を利用できるようになります。科学博物 館もそうした新しいことを取り入れ、博物館 をより有効に利用していただけるようにした いと考えています。 その一方で、やはりホンモノはこれからも 大切にしなければなりません。東京大学の創 立一二〇周年記念展では、東京大学の黎明期 の教育研究活動を示す標本、 教材、 実験器具、 試作機器など約二五〇〇点を安田講堂に並べ て展示したところ、連日たくさんの人が見に きてくださいました。やはり歴史を経たホン

モノには感動を与える力があるということを 改めて認識しました。 東京駅のすぐ隣にある丸の内JPタワーに は日本郵便と東京大学総合研究博物館が協働 で運営する博物館「インターメディアテク」 があって、東京大学が所蔵する学術標本や研 究資料などが常時展示されています。そこに はいろいろなモノがいかにも雑然と置かれ、 一体これは何なのだろうと感じられるかもし れません。それでも何か不思議な感覚にとら われるのではないでしょうか。東京駅ではひ っきりなしに電車が発着し、時間に追われる ようにしてたくさんの人が行き来しています。 「インターメディアテク」にはまるで違う流 れの時間があるかのようで、それは長い時を 経たモノがあるからこそなのでしょう。 科学博物館には約四四五万点の標本があり、 約一万二〇〇〇点を展示しています。忠犬ハ チ公の剥製もあれば『南極物語』のカラフト 犬ジロの剥製もあります。どの標本にもそれ ぞれの物語があります。いくらレプリカやデ ジタル化の技術が進んでも、ホンモノにはか なわないものがあるのだと思います。

連載 エッセイ

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ホンモノの力 現在では3Dプリンターなどの技術が進ん でホンモノと見間違えるようなレプリカが作 れるようになり、場合によっては、ホンモノ では見ることのできない世界を見せてくれる こともあります。たとえば国立科学博物館が 冬に開催した特別展「世界遺産ラスコー展― クロマニョン人が残した洞窟壁画」では、一 ミリ以下の精度で再現した実物大の壁画を展 示することで、研究者さえなかなか入れない ラスコーの洞窟を多くの人が体験し、しかも 実際の洞窟よりもいい条件で壁画を見ること が可能になりました( 「ラスコー展」は九州国 立博物館でも開かれます(七月一一日~九月 三日) ) 。 その一方で、ホンモノにはホンモノにしか ない力があります。阪神淡路大震災や東日本 大震災の体験を語り継いでいこうとしている 人たちの活動を伝えるニュース番組で、ただ 話をするだけでなく、がれきの一つでもいい から何か実際のモノがあると、受け止め方が

違ってくるということがいわれていました。 震災をくぐってきたというストーリーを具え たホンモノには何か人にインパクトを与える ものがあるのでしょう。 いまから二〇年前に、東京大学は創立一二 〇周年事業として「東京大学展―学問の過 去・現在・未来」という記念展を行いました。 その一年前に、総合研究資料館が総合研究博 物館に改組されて私が初代館長となり、当時 の吉川弘之総長から、創立一二〇周年事業に 博物館も協力するよう言われ、記念展を実施 する委員会の座長になりました。記念展では 坂村健氏が中心になって企画したデジタルミ ュージアム(電視博物館)の試みがありまし た。デジタル化した画像や映像と新たなメデ ィアを組合せて東京大学の現在から未来を見 の先駆 せようとしたもので、いまでいう IoT けとなるような技術もいろいろに盛り込んだ 画期的なものでした。 ところが、その後は博物館へのデジタル技

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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針盤である「風」 「水」 「土」について理解して (普 おく必要があります。白川静『新訂 字統』 及版、平凡社)によると、 「風」は鳳形の鳥の形 [風はその神鳥の羽ばたきによって起こると考 えられていた] 、 「水」は水の流れる形、 「土」は 地中よりものを生み出す形です。 語源において、 「土」は「地中よりものを生み出す形」ですの で、 「土」の横の二本線は土層(たぶんA層)を 示し、 「土」の縦の線は植物が発芽した状態を示 していることになります。さらに、 「生」は草の 生え出る形で『説文』に「進むなり。艸木 (そう (白川静) もく)の生じて土上に出づるに象る」 といいます。つまり、 「土」の植物の芽(中軸) に葉が展開したのが「生」です。 「生」の形は古 くはノの字を裏返した(対称にした)形で右に も付いていました。つまり「生」の字は、最初 は左右にノの字の付いた双子葉植物を示してい ましたが、のちに右のノの字がとれて単子葉植 物(イネ科植物)を示すようになります。つま り「土」は栄養の豊富なA層とそれに生えた植 物との一体的な状態をさしています。 ところが学術的には、古来より使用されてい

る「土」は土壌と定義されなおされ、土は「土 壌」を構成する成分(素材)の意味に限定され て使用されるようになりました。それは生命を 含まない素材(岩石)科学の世界で、火星にあ るのが学術的には土です。学術的には土は死の

を「土」 世界を指します。それは、明治期に Soil の翻訳者 でなく土壌と誤訳したためです。 Soil が、「土」 には文化まで染みこんでいると感じて、 文化を切り離して自然科学にするために、 「土」 を単なる素材の位置におとしめたのが真相のよ うな気がします。いずれにしても、これは、実 に由々しき問題を孕んでいますし、学問が生活 基盤や文化から分離した典型のようなものかも しれません。この「風水土の旅」では、土を古 来よりの土として扱います(単に土や「土」と

表現) 。なお、古来よりの「土」は英語の Soil より広く深い意味を含蓄していて、植物が生育 する層と植物とが一体になった状態をさしてい て、実は今、原義の「土」の学問( 「土」学)が 必要なのではないかと強く感じています。この 「風水土の旅」では、 「土」や「土圏」では植物 も含む地表の意味に使います。つまり、 「土」を

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風水土の旅1 旅のはじめ 学生の頃は山を歩いていましたし、大学に残 ってからは調査でフィールドをずいぶんと歩き ました。今一度それらをなぞった旅に出ようと 思いますが、それらフィールドワークにちなん で「風水土の旅」としました。 「風」 「水」 「土」の自然因子は、東洋では、 古来より、世界観や人の生業 (なりわい)に大き な影響をおよぼし、 そこから文化や思想 哲学が 生まれてきました。ここに西洋の宗教 哲学 思 想と決定的な違いがあります。 現代の環境 生態 学においても、 「風」を「気圏」 (気体なので気 圏と呼ぶことにするが大気圏の意) 、 「水」を「水 圏」 、 「土」を「土圏」 (土壌圏もしくは陸域圏の 意)とすると、それぞれにおいて実に巨大な研 究分野が構築されています。しかし、この重要 な「気圏」 、 「水圏」 、 「土圏」というのは未だに 統合された学問になっていません。大気は気体 で、水は液体で、土は固体ですからモデルを構

築しようにも、物質やエネルギーの挙動の差が 大きすぎて、 地球規模でのリアルタイム解析 (モ デル構築) がほとんど不可能なためです。 一方、 こういった動的なフローの記述ではなくて、効 果が蓄積した結果の記載はある程度可能です。 たとえば、生態系の分類で、水(降水量)‐気 温による二限象分類です。雨量が多く気温が高 ければ、熱帯多雨林が成立するといった具合で す。これに、土(壌)を加えて、大気‐水‐土 の三限象分類にすると、 環境 生態を規定する大 気‐水関係に栄養の関係を持ち込むことが出来、 例えば、マングローブだとか、熱帯泥炭だとか の記載と生成要因の解析が容易になります。し かし、この三限象分類とか、三限象の相互作用 とかは、解析が困難なためか、あまり研究・解 析が進んでいません。 ここに、文化的には「風」 「水」 「土」の旅を、 学術的には「気圏」 、 「水圏」 、 「土圏」の旅を企 てようと思っています。旅の前に、この旅の羅

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院名誉教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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・ ・


ら成ると考えてきた。そもそも「宇宙」とい う大きな入れ物自体も気が充満する空間にほ かならない。そして、そうしたモノや空間だ けでなく、雨や風といったもろもろの自然現 象もまた気なのである。つとに戦国時代の思 「天下を通じてただ一気があるの 想家 荘子が み」と喝破し、気一元論を提唱している。 気一元論とは何かというと、我々の日常か ら遠くかけ離れた哲学的命題のような印象を 与えるかもしれないが、気は要するに空気な のであって、ただ中国人はこの空気をあらゆ る存在の原基と考え、さまざまな意味づけを 行ったにすぎない。 この気の思想をギリシャ=ヨーロッパの原 子(アトム)論と比べてみると、中国的思考 のありようが際立ってくる。気はガス状に連 続していて分割できず、 絶えず運動している。 また、気は物質だが、その純度に応じて「精」 」という三段階に分けられ、 「気」 「神 (しん) 「神」 のレベルに至ると精神作用も行いうる。 したがって気は、単純に物質とも言えず、む しろ精神と物質との双方を包摂した概念なの

である。ちなみに言っておくと、そもそも「精 神」という語は、右記の「精」と「神」とを 組み合わせた古い漢語(中国語)であり、元 来は元気やエネルギーという意味であった。 これが今日のような「物質」の対義語として 使われるようになるのは、明治の先覚者がド

などの翻訳語として イツ語の Geist (ガイスト) この語を選んで以降のことである。すでに明 治一七年版の学術ターム訳語辞典 『哲学字彙』

には登場しているが( Geist =精神、霊魂) 、 編者の井上哲次郎たちはこの漢語の 「神」 に、 カミのほかにそういう精神のはたらきという 意が含まれていることを知っていたのだろう。

また、 中国では、 宇宙とか天空とか大地とか、 人間のせまい知覚の範囲を超えたものを捉えた いとき、人間または人体をモデルや媒介にして アプローチするのが典型的方法で、こういう思 考法は道教や風水に顕著にみられるといいます (三浦國雄) 。 風水の擬似身体的大地観を図式的 に纏めると、 【大宇宙(龍穴‐龍脈) {風‐気 水‐血} (経絡‐経穴)小宇宙(人体) 】で、

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中心とした生態の意味です。 古来より、 「風水土」は、 「風水」や「風土」 のごとく二文字熟語として使われ、哲学的思想 的文化的な思考が錬られてきました。一方、 「水 土」は思考というよりは、実用技術として土木 的な色彩の強い使われかたをしてきました。そ うすると、どうも「風」は観念的色彩が強く、 「土」は現実的・実用的色彩が強い感じがしま す。事実、 「風」 、 「水」 、 「土」の順で動きが速く、 「風」のように動きの速いほど観念形成を促進 し、動きの速いほどフローとして人間活動(経 済等)の評価基準(効率化)ともなって来ます。 「土」はフローよりもストックとしての機能が 強く、その固層で植物を嬢し、直接人間の「食 糧」や「住居(木) 」 、動物の「餌」に係わって きます。 そこで、「風水土の旅」 に出かける前に、 東洋の思想基盤となった「風水」 「風土」 「水土」 の二文字熟語のおさらいをしておきます。

「 風水」 三浦國雄によると、風水は、 「 「地理」 「地学」

「陰陽」 「堪輿 (かんよ) 」 「山」など多彩な別称 をもっている。このうち「地理」というのが比 較的フォーマルな呼称であり、風水書ではこの 語を冠するものが多い。 『地理全書』や『地理人 子須知』などというのは地理学の専門書ではな く風水書である。 「地理」は「天文」に対する語 であることをまず押さえておこう。おいおい述 べてゆくように、地理=風水は意外なことに天 空や天文学を強く意識するからである。 「天文」 は文字通り天のあやで、日月星辰といった天空 の事象を文様と捉えた発想である。それに対し て「地理」は、山や川などの大地の理~節目を 意味する。言葉の典拠は、儒教の経典であり占 いのテキストでもある『易経』で、そこに「空 を仰いでは天文を観測し、下に俯いては地理を 観察する」 ( 『風水講義』文春新書)とあります。 風水はいわば自然の理解の仕方にかかわりま す。風水の自然は動的で、その流れが「気」と 理解されます。三浦國雄の説明を続けます。

古代から中国人は、生命体だけでなく無生 物も──つまりは宇宙の森羅万象すべて気か

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を運び、水を運びます(風水機能) 。 「水」は黄 河と揚子江がその土砂を運び氾濫原とそのデル タで肥沃な土を形成します(水土機能) 。また、 黄河と揚子江はヒマラヤ チベット山系から豊 かな水が供給され、 時には洪水 氾濫を起こしま す(風水機能) 。風水とは、もともとはそのよう な地勢の知覚であります。 また、 『地理人子須知』は、朱子の第二の故郷 というべき福建省建陽の風水も載せています。 この地はまた、中国近世において出版業が栄え た、出版文化の一大中心地でもありました。 『地 理人子須知』 によれば、「建陽の出版社の立地は、 四方を奇峰に囲まれ、雲にまでとどくほどの秀 でた峰にもめぐまれている。しかし、入穴のと ころに至ると、粗悪な形状の山が迫り、前方の 砂はというと、すべて無情で、穴に背いて逃げ て行くような姿をしている。これでは秀気は外 に漏れ出て、内には卑しく汚い気しか溜まらな い。建陽は多くの貴顕を生み出したものの、こ の地の風俗は礼義を尊ばない。だが、ここから 書物が天下に伝播していった。これは、内の風 水はよくないが、外に秀峰が多いことの応験に

ほかならない」 (三浦國雄)とあります。 朱熹(朱子は尊称)は朱子学を打ち立て、 「理」 と「気」の哲学を確立し、その影響は西洋哲学 にまでおよんでいますが、その思考の核心は風 水といってもよいものです。 朱熹は一一三〇年、 南剣州尤渓 (ゆうけい)県(現在の福建省三明市 尤渓県)に生まれ、一二〇〇年、建陽(現在の 福建省)の考停にて没しました。福建省は大変 貧しい県で、赤貧の村々が多く、 「内の風水はよ くない」という『地理人子須知』の記載のとお りです。外に秀峰が多くても、大河が無く、粘 土鉱物の供給が少ない地形(地勢)で亜熱帯性 の気候で多雨のため養分が溶脱した赤黄色土 (酸性の貧栄養土)が主体となっています。福 建省の風水で「気」が弱いのは、 「土」の「気」 (栄養) が弱いためです。 ここは山間部が多く、 雲霧などで比較的多湿ですので、酸性の貧栄養 土でもよく生育する茶や竹などの特産品で経済 が成り立ってきた地域です。したがって、土地 の生産力が低く人口を支えられないために、広 東省に次いで多くの華僑を送り出して、福建省 は僑郷(華僑のふるさと)と呼ばれています。

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アナロジーとして龍脈=経絡、龍穴=経穴、風 =気、 水=血の関係が成り立つと想定されます。 つまり、風水は人体にあっては気血です。風水 は狭くは占星術のごとく考えられますが、その 根源は総合的に自然と人を理解しようとする思 考法なのです。人間の知覚(感性)を主体に人 間側(人間中心)から組み立てられた思考体系 です。 『地理人子須知』 (明の時代に編まれた風水の テキスト)の「中国の山を総論す」という一文 は、 「朱子いわく」として次のように述べていま す(三浦國雄) 。 『河図 (かと) 』という書物に、崑崙は大地 の中心である、と書かれている。中国から于 (現在の新疆ウイグル自治区和田 闐 (うてん) 一帯)まで二万里である。于闐からきた使者 が、西へ四三〇〇余里行くと、そこが崑崙だ と言っている。 いま中国は崑崙の東南にあり、 天下の山は崑崙を祖として、そこから三つの 幹に分かれて中国に入ってくる。夷国(外国) の山については考察のしようがないし、その

値打ちもない。

冀州 (きしゅう) (伝説上の帝都)は、天地の どまん中に立地しためでたき風水のところで、 その山の脈は雲中(山西省大同あたりから) から発して来ている。雲中はちょうどその高 い尾根のところに当たっていて、尾根より西 側の水は西流して龍門(洛陽近郊)付近の黄 河に注ぎ、尾根より東側の水は東流して海に 入っている。冀の都の前方には一筋の黄河が 巡るようにして流れ、右には華山(陜西省) がそびえ立って白虎をなし、華山からの山脈 (河南省)となり、 が中ほどで嵩山 (すうざん) それが前の案山の役割をつとめて、そのまま 進んで泰山(山東省)となり、左にそびえて 立って青龍となる。淮南 (わいなん)の山々は 第二の案山であり、江南の山々は第三、第四 『朱子語類』巻二) の案山をなしている。 (

現代の地理学を梃子に読み解くと、 「風」がゴ ビ砂漠の砂(粘土)を運び黄土高原を形成しま す(風土機能) 。 「風」はまた、冷寒気や暖熱気

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竹紙は、中国で唐時代(七世紀)から作られ、 宋時代(一〇世紀以降)には竹が紙の主原料と なりました。福建省には四〇〇年の歴史を持つ 「連史紙」 (もしくは「蓮泗紙」 )の原産地で、 これは「千年経っても色褪せない」と讃えられ るほどの高品質な画仙紙の一つです ( http://japanese.china.org.cn/travel/ txt/2015 ) 。 「連史紙」は、 -08/19/content_36348411.htm 原料の若竹の繊維をアルカリ法で蒸煮しパルプ 化し、漂白した紙料液を竹簀の漉桁を使って手 作業で抄紙します。七二種類あるとされる技法 はいずれも精細です。数百年前、連城産の画仙 紙は、遠くは日本や東南アジア諸国にも知れ渡 るほど名品とされていたそうです。 木版印刷と良質の紙で、福建省には出版文化 が栄え、人材を輩出し、朱熹は情報戦略を制し ました。これは、貧しい「風水」の気( 「土」の 悪さ)をむしろ逆手にとって特色の有る「風土」 を構築した例でしょう。文化による地域活性化 の例です。 建陽にある朱熹が創建した考亭書院跡を訪ね

たことがあります。(旅の支度中にいきなり現場 に出かけてしまい申し訳ありません) 。考亭は、 朱熹の没した地でもあります。この辺一帯は茶 畑(土は酸性の貧栄養)が延々と続きます。考 亭書院跡は文字通り跡で、最近再建された牌坊 (門)をくぐり、長い階段を登ると、大きな看 板が有りその裏には、破壊された考亭書院の跡 が無残に残っています。二〇年前ぐらいに壊れ たといっていますが、これは破壊された跡で、 恐らく、文化大革命の時に、破壊されたのでし ょう。入口の牌坊(門)も、最近川から見つか ったとして、ここに新たに設置し直したもので す。文化大革命時に、恐らく、この門も破壊さ れかかったのでしょう、朱子(朱熹の尊称)を 尊敬する村人達が、分割して川に密かに沈めて おいたに違いありません。 階段の上の大看板は、 考亭書院の一大再建計画で、まるで観光開発の ネタに朱子が担ぎ出された感じです。共産党政 権もようやく孔子廟の復活を認めるようになっ て来ましたので、朱子学も容認されるようにな ってきたのでしょうか。 考亭書院跡の近くの川沿いの村に、樹齢約一

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朱熹は建陽で、風水の「気」の弱さが身にしみ ていたはずです。それが、朱子学といういわば 観念論的な儒学を打ち立てる原動力になったと すら思えます。

に有利に作用したといいます( 『朱子学と陽明 学』ちくま学芸文庫) 。

世界ではじめて自覚的に出版を武器にした 思想家といってもよい。なにしろ、マルチン ルターとその一党がさまざまなパンフレット の類でカトリックを攻撃する、三五〇年も前 の話である。福建北部には安価な印刷物を発 行する工房が集中していた。朱熹自身の勉学 にとっても、この環境は有利にはたらいたと 思われるが、朱子学が全国に広まっていくう えで、このニューメディアを制覇したことは 重要である。自身の経説の宣伝のみならず、 たとえば二程(大崎注:道学者)の語録を編纂 出版することで、自分にとって都合のいい二 程イメージを世の中に広め、自身がその後継 者であることを納得させるにあたって、絶大 な効果を発揮した。王安石が朝廷権力に依拠 して自説の浸透を図ったのとは対照的に、朱 熹はいわば言論界を支配下におくことで論敵 たちとの長期戦に勝ち抜く基盤を固めたので あった。

「風水」は「風土」と強い関わりがあります。 外に秀峰が多いと、穀物生産はだめでも、工夫 によっては特産品を産みだし、内なる「風水」 の悪さを補うことが出来ます。創意工夫は人材 を生みます。 朱熹は福建北部の山間地帯の建州で勉学に励 み、わずか一九歳で科挙試験に合格、進士とな りました。ただ、合格順位が思わしくなく、五 年後にようやく泉州の同安県に地方官のポスト を得て赴任し、三年の任期満了後は次の職務も 与えられぬまま、建州に帰って儒学の研鑽に励 みました。また、建州は宋代には多くの進士を 輩出した土地でもあります。 小島毅は、「朱熹の学風はいろいろな特徴を持 っているが、長期的な歴史の流れを通して見た ときの最大の特徴は、印刷出版技術をうまく利 用したことである」と建州の風土が朱熹の学風

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ところが、そうした意味の理という字の用 法は、 『論語』や『孟子』には見えない。 朱熹は、儒学の「風水」的流動的世界観に「理 という固いすじめ」を導入したと考えても良い でしょう。つまり、朱子学とは「風水玉」の思 想です。 「風水土」ではなく「風水玉」による観 念論の構築で、 「玉」のもっている筋目を「理」 と呼称したと理解して良いでしょう。これは観 念論といっても絶対者を想定した観念論では無 く、物質、ひいては世界が内包している「理」 (すじめ)です。ある意味では、知覚(感性) の純化です。さらに、小島毅によります。 当時日常生活で使用されていたであろう 〈理〉 という語に、世界の原理・真理の意味を担わ せることで、 朱子学の哲学大系は構築された。 これを自覚的に最初に宣言したのは程顥(てい こう)で、彼は「自分の学問は先人から学んだ 所が多いけれども、ただ〈天理〉の二文字に ついては、自分自身で体得した」と述べてい る。そして、その弟程頣 (ていい)にいたって

「性即理」の説が定立された。 性は理である。いわゆる〈理性〉のことで ある。この世の中の理は、由来をたずねて みれば善でないものはない。喜怒哀楽(と いった感情)も、 〈未発〉の段階ではすべて 善である。それらが外にあらわれても節度 にかなっておれば、ことごとく善でないも のはない。 ( 『河南程氏遺書』巻二二上)

ここで〈理性〉とは、リーズン( reason ) の翻訳語として現在普通に用いられている 「りせい」の意味ではない。明治初期の啓蒙 がその翻訳語として採 思想家西周(にしあまね) 用する以前からのもとの意味、仏教で〈事相 〉の対概念として使われていた、も (じしょう) のの本性を指す用語である。 仏教用語なので、 日本語での一般的な読み分けにしたがい、呉 音読みして「りしょう」と読んでおこう。 程頣が「いわゆる(所謂) 」と言っているこ とからわかるように、 〈理性〉という語は当時 すでに一般的だった。そもそも、仏教の僧侶 たちが説教を説明するためにこの語を用いて いたということは、 〈理〉と〈性〉という二つ

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〇〇〇年の樟樹の大木があり、朱熹が死去した とき木の穴に朱子像を奉納したのが、成長で穴 が狭まり、一〇センチメートル程の穴から朱子 像をおがむことができます。朱熹はこの風水の 極めて弱い(悪い)寒村でこそ、朱子学を構想 し構築し得たのかも知れません。 儒教は孔子(紀元前五五二または五五一〜四 七九年)を開祖とし以降二〇〇〇年間、中華帝 国の体制の支えとなりましたが、十一〜十二世 紀に新しく生まれた思潮の朱子学と陽明学が、 儒教に大きな変化をもたらしました(小島毅) 。 【朱子学】南宋の朱熹が、北宋以来の理気世 界観に基づいて大成した儒学の大系。 宇宙を、 存在としての気と、 存在根拠 法則としての理 と、二元論的にとらえ、人間においては前者 が気質の性、後者が本然の性となり、本然の 性に理がそなわるとして性即理の命題をうち 立て、この理の自己実現を課題とした。方法 として、格物致知・居敬窮理・主敬静座など。 【陽明学】明の王陽明が唱えた儒学。初め朱

子学の性即理説に対して心即理説、後に致良 知説、晩年には無善無悪説を唱えた。朱子学 が明代には形骸化したのを批判しつつ、明代 の社会的現実に即応する理をうち立てようと して興り、やがて、経典の権威の相対化、欲 望肯定的な理の索定などの新思潮が生れた。 さらに、小島毅によります。

朱子学と陽明学との違いをひとことで説明 しようとするときに、しばしば「性即理と心 即理」 ということが言われる。 前者が朱子学、 後者が陽明学の特徴だというわけである。 (中 略)だが、これは厳密に言うと、正しくない。 理という字のもともとの意味は、「玉のすじ め」である。玉 (ぎょく)は理 珍・珠などとい った漢字の部首として使われるように、宝石 を代表するものとして、古来中国において珍 重されてきた。玉がそなえている文様として すじめは、もともとそこにそうあるものであ るため、転じてものごと一般について「そう あるべきすじめ」を〈理〉と呼ぶようになる。

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リア等、中国哲学無神論説派の論考を用い、 彼等とはまったく正反対に、儒教は有神論説 的であるという解釈を導き出した。それのみ ならず、無神論説派から無神論の元凶とされ ていた宋学中の「理」 「太極」等の概念に対し てすら、 神の本質に類似したものを読み込み、 肯定的評価を下したのである。さらにライプ ニッツは中国哲学を、自己の形而上学を堅固 化する具体的証拠、実例とみて取っていた。 ライプニッツにとっては、すべての存在者 にはその存在理由があり、それぞれが各々の 立場で一定の表象を展開しつつ、全体宇宙を 形作っているものであった。それゆえ彼にと って中国哲学は、排除の対象ではなく、むし ろ自分の哲学を完成させるための不可欠のフ ァクターであった。またとりわけ中国哲学に は、たんなるファクターというにはとどまら ないライプニッツの哲学的視点を誘発するも のも存在していた。

容が盛り込まれているものということになる。

さらに井川義次によると、ライプニッツも朱 子学の「理」に大きな影響を受けていました。

風水は現在ではほとんど占星術のごとく、占 いの術として用いられています。しかし、古来

つまりもともと手持ちであった 、 natura 、 ratio が、むしろ中国の「理」 「性」 「徳」の virtus 内容を含み込んで解釈されるという事態が起 こることになる。諸々の概念は、そこに付与 された属性の内容や、強調点の相違、また背 景となる思想構造の違いに気づかれる場合も あれば、 無意識の裡に同化されることもある。 中国の概念がヨーロッパに輸入されることに よって、ヨーロッパにおいてはかつてとは異 なった思惟のあり方が獲得され、その思想を 意識的か無意識的か、組み替える事態も生じ ることになる。クプレ、ノエル、ヴォルフと いう中国哲学情報の遷転は、そういうことが 実際に生起していたことを示すものなのであ る。

ライプニッツは『中国自然神学論』 (一七一 六)において、ロンゴバルディ、サンタ・マ

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裏づけを前提とせず、 世界内的道徳的実践の、 無限に向上を目指すプロセスを通じて、人類 が幸福を得るゆえんであることを見出し、そ れを強調した。すなわち神の「要請」なしに 理性の自律的な純粋作用が存立しうることを、 中国哲学によって論証しようとしたのであっ た。ヴォルフは、 「理」なり「性」の訳語とし ての 「理性」 という語を用いることを通じて、 自立した「理性」が成り立つにおいては、従 来のヨーロッパとは別様な可能性が存在し、 またヨーロッパにおいてはそうした「理性」 が必要とされていることを宣明することにな るのである。こうした情報は実際、理性の時 代の知識人に感染しないではすまなかったの である。 哲学においてはひとたび概念が翻訳されれ ば、思索は翻訳された語によって行われるこ とになることが自然である。そして中国の

の字を結合させて、ものの本性について語る 思考が成立する基盤が、彼以前に存在してい たことを示している。程頣は、中国思想にお いて古くから課題となってきた〈性〉の説明 に、あらためて〈理〉という語を持ち出した のである。

井川義次によると、十六世紀から十八世紀に かけてのイエズス会士による中国哲学情報が、 ヨーロッパに影響を与え、ヨーロッパにおける 理性の思想形成において中国思想の関与がきわ めて大きな役割をはたしたそうです ( 『宋学の西 。 遷 近代啓蒙への道』人文書院)

「理」 「性」 「徳」等の概念は ratio (理性) 、 ( 自然 本性) 、 virtus (徳)などと訳 natura されたが、 それら訳されたところの諸概念は、 ヨーロッパにとっては前代と異なる斬新な内

「風水土の旅」の羅針盤としてまとめますと、 「 〈性〉は風水」で「 〈理〉は玉」を示し、朱子 学の〈理性〉は自然界の「風水玉」から導かれ たことになります。

ヴォルフは、 クプレやノエルの訳出した 「人 間本性」 、ないし「理性」の語を用いつつ、そ れがヨーロッパのような超越的啓示や神性の

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の存在の構造を時間性として把捉する試みは、 自分にとって非常に興味深いものであった。 しかし時間性がかく主体的存在構造として活 かされたときに、なぜ同時に空間性が、同じ く根源的な存在構造として、活かされて来な いのか、それが自分には問題であった。もち ろんハイデッガーにおいても空間性が全然顔 を出さないのではない。人の存在における具 体的な空間への注視からして、ドイツ浪漫派 の「生ける自然」が新しく蘇生させられるか に見えている。しかしそれは時間性の強い照 明のなかでほとんど影を失い去った。そこに 自分はハイデッガーの仕事の限界をみたので ある。空間性に即せざる時間性はいまだ真に 時間性ではない。

らである。彼は人間存在をただ人の存在とし て捉えた。 それは人間存在の個人的 社会的な る二重構造から見れば、単に抽象的なる一面 に過ぎぬ。そこで人間存在がその具体的なる 二重性において把捉せられるとき、時間性は 空間性と相即し来たるのである。ハイデッガ ーにおいて充分具体的に現われて来ない歴史 性も、かくして初めてその真相を呈露する。 とともに、その歴史性が風土性と相即せるも のであることも明らかとなるのである。

和辻の風土論は、現代の生態学視点からする と不備なところも目立つことから、否定的に扱 われることも多いです。しかし、和辻の風土論 で指摘した人間存在と自然との「時間性と空間 性」の問題は依然として未解決であり、実は地 球環境問題の視点で大きく欠損している問題を 照射していると考えます。

和辻の風土論は「空間性に即せざる時間性は いまだ真に時間性ではない」につきると思いま す。 ハイデッガーがそこに留まったのは彼の があくまでも個人に過ぎなかったか Dasein

オギュスタン ベルクは和辻の風土論に触発 (篠 されて、 『風土の日本 自然と文化の通態』 田勝英訳、ちくま学芸文)を書いています。和

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から「風水」は、 (1)実際の山や河の観察に基 づく実証的事実を重視し、 (2)超越的な神格を 設定しないで、「気」 から自然を把握するという、 「理」が導入 思考 哲学大系です。朱熹により、 され、西洋の観念論に大きな影響をおよぼしま した(といっても、観念論が新たな観念論に衣 替えしただけですが) 。 西洋の超越的な神格に基 づく観念論が、あらゆる自然破壊の原動力と私 は認識していますので、これに対抗する武器と して、東洋が鍛えてきた占いに窮しない「風水」 的思考と感性が地球科学( 「風水土学」 )には必 要です。 ・

「 風土」 以下は、和辻哲郎『風土 人間学的考察』 (岩 波文庫)の序言からです。 この書の目ざすところは人間存在の構造契 機としての風土性を明らかにすることである。 だからここでは自然環境がいかに人間生活を 規定するかということが問題なのではない。

通例自然環境と考えられているものは、人間 の風土性を具体的地盤として、そこから対象 的に解放され来たったものである。かかるも のと人間生活との関係を考えるという時には、 人間生活そのものもすでに対象化せられてい る。従ってそれは対象と対象との間の関係を 考察する立場であって、主体的な人間存在に かかわる立場ではない。我々の問題は後者に 存する。たといここで風土的形象が絶えず問 題とせられているとしても、それは主体的な 人間存在の表現としてであって、いわゆる自 然環境としてではない。この点の混同はあら かじめ拒んでおきたいと思う。

和辻は、 「人間存在の構造契機としての風土 性」を明らかにすると明言しています。それは たんに、 「自然環境」と「人間生活」との関係論 ではないとも言っています。

自分が風土性の問題を考えはじめたのは、一 九二七年の初夏、ベルリンにおいてハイデッ ガーの『存在と時間』を読んだ時である。人

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のに似ています。 ベルグは二律背反に陥らずに、 「風土 (ミリユ 風土 (ふうど)を理解するためには、 ー)という観念自体が前提とする統一的な論理 のなかに、求めるべきであろう」と述べていま すが、二元論の堂々巡りに陥っていきます。 あるいは「風土 (ふうど) 」 、この二つ Milieu の言葉はしばしば「自然環境」の意味で用い られるが、それにもかかわらず、そこには文 化的な意味合いが含まれている。この二面性 から明らかになるのは、具体的に与えられた の実際面においては、 ひとつの風土(ミリユー) 自然と社会が不可分だ、ということである。 けれども両者が不可分となるのは、この実際 面という範囲内においてのみであり、そして この範囲は、その風土 (ミリユー)のなかでし か十分に価値を持つことはない。したがって ありとあらゆるものが、自然と社会の集合体 という全体を定義し、またその全体(風土) が各々の要素に付与する意味を、定義するこ とになる。 この意味は主観的なものであるが、 主観的なだけではない。あるひとつの現実の

なかに客観的に基礎を置くのであり、そして 風土 (ミリユー)の構成要素すべてが、さまざ まな段階で、その現実の本性を分け持つので ある。

風土 (ミリユー)の本質がここにはっきり述べ られています。 「実際面においては、自然と社会 が不可分」で、 「両者が不可分となるのは、この 実際面という範囲内においてのみ」であるとい います。なにを言っているかよく分かりません が、 「実際面の自然」を「資源」と読み替えてみ ると、たちどころに理解が可能になります。ベ ルグの言っている風土 (ミリユー)は、資源管理 の結果についてです。ベルグは風土 (ミリユー) そして風土 (ふうど)の解析に、主観的/客観的 /記号圏/人工化/コード化/排除/省略など の西洋思想の武器を持ちだしますが、風土(ふう ど)に関しては腑分けし損なっている感じがぬ ぐえません。 日本の文化は伝統的に「自然と人が未分化」 で、当然のごとく人は自然の一部で一体化して いると考え(感じ)てきました。このあたり前

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辻の対象とした「風土」という概念は実は欧米 の概念にはなく、ベルクはあえてあてはめると 」という概念が相当するという 「風土 (ミリユー) ようなことを書いています。しかし、和辻の構 」 想した「風土」とベルクのいう「風土(ミリユー) は全く別で、 オギュスタン ベルクのこの書を読 んでいると、おおいなる錯綜に陥ります。和辻 の風土論が目指した「空間性に即せざる時間性 はいまだ真に時間性ではない」について、全く といっていいほど無理解です。和辻の問いは、 西洋の超越的な神格に基づく観念論による時間 性への根源的な問にたいしてです。今現にある 人間社会を含む自然を空間性とすると、絶対的 時間性を含む超越的な神格に基づく観念論では 理解できないと宣言していることに対してです。 ベルクは、結局、和辻の構想した現在進行形の 過去を背負った「今」時制の「風土」ではなく、 」へと退行 デカルトの観念論的「風土 (ミリユー) していきます。 『風土の日本 自然と文化の通態』は、原題 では『野生と人為』で、いってみれば自然を主 体と客体に分離してみる西洋の思考 (思想) で、

風土 (ふうど)を解明しようとしたものです。

ひとつの観点からすれば、日本の社会は自 然を顧みようとしない。つまりあるがままに 放置するか、あるいは荒廃させるかの二つに 一つである。しかし別の観点から見ると、同 じ社会が自然を最高の価値とし、その文化の 到達点にしてしまうところまで尊重している。 一方には野生の自然、そして他方には人工の 極地ともいえる構築された自然。これら両極 端とも見える二つのものが、同じ一つの風土 (ミリユー)の内部で、どのように結びついて いるのだろうか。

日本の風土 (ふうど)を風土 (ミリユー)の概念 で理解をこころみていて、理解不能です。そも そも「野生と人為」が一体化したものが日本の 自然感(観)で、これを分離して風土 (ミリユー) 概念で風土 (ふうど)を論述しても、風土 (ふうど) 自体の理解にはいたりません。それは心身二元 論では、部分的現象は理解できるとしても、そ もそも分離していない心身の理解には至らない

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(細辛) 、 (商陸) 、 (藁本) 、 (玄参) 、五味子、 黄岑、葛根、牡丹、 (藍漆) 、薇、藤、李、檜、 杉、赤桐、白桐、楠、椎、海榴、楊梅、松、 栢、蘗、槻。禽獣は、有鵰、晨風、山鶏、鳩、 鶉、鶬、鵄鴞、熊、狼、猪、鹿、兎、狐、飛 鼯、獼猴の族あり。 ( )内は『延喜式』において、出雲国から献 上される薬草の中にも記されている。 すべての「風土記」にまったく出てこない 植物がある。それは、意外に思われるかもし れないが、桜と梅である。また、季節歌の中 で好んで詠まれる鶯や鶴についても数例しか 出てこない。 つまり、 『万葉集』をはじめとする和歌文学 の世界で、日本的な美意識を代表する素材と して読み継がれている花鳥である桜 梅 鶯・ 鶴について、 「風土記」はまったくと言ってい いほど無関心なのである。 ・ ・

つまり、 「風土記」には実用と美意識の分離が 認められます。植物動物リストからすると、 「風

土記」は山野、つまり山と野原(草原)を詳細 に記載していることになります。樹木は山に繁 り、薬草類は草原か山の縁(日が当たるところ) に生育し、鳥や動物は山野(ただし、餌はほと んど草原)に棲息します。 「風土」の「土」を考えるとき、土と一体の 植物生態は森林、草原、田畑に分類されます。 そこで生産される主成分物質は、 森林:リグニン(+果実) 草原:セルロース 田畑:デンプン、油 です。森林は豊かな生態をはぐくむように思え ますが、リグニンは限られた動物以外食糧にな りません。草原の機能は現在あまり評価されま せんが、 古来ここはセルロース生産系で、 昆虫、 鳥、動物の餌となる重要な生態系で、いわばタ ンパク質の製造地帯でもあります。「風土」 とは、 森林、草原、田畑について、その地勢にあった 生態系をいかに生成し管理していくかという、 自然管理法に関わります。

橋本雅之は「 「風土記」では、神話の時代も天

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のことが、 西洋の思想 哲学では理解できないよ うなのです。 たんに未開社会と見なすしかない。 ベルグの持ち出した風土 (ミリユー)概念はむし ろ西洋の特殊な自然観を炙り出しているような 感じがします。

「 水土」 西川知見『日本水土考・水土解弁 増補華夷 通商考』 (飯島忠夫・西川忠幸校訂、岩波文庫) に「水土」考がありますが、この基本は風水的 思考で、国の守りの心得について書いたもので す。 天地の始終はひとしといえども、気運の盛 衰は、おのおの水土によりて遅速の不同有り といはば、その水土の気厚きは其の衰晩(おそ) く、水土の気うすきは其おとろへもはやき道 理なり。しかるに天地の中国と称して、其水 土の気厚き国は、すでに三千年以前より気運 おとろへ、今蒋 (はた)金石草木まで性よわく なれるに、かへつて気の偏薄なる外国は、気

運いまだ衰へず、水土の産物草木鳥獣まで、 中国よりは其性気盛んなる事もいぶかしき事 なり。

結局、日本は水土に恵まれ、 「太極は理なり。両 儀は気なり。理気本より先後なし」という、朱 子学的解釈が持ち込まれます。中国の「風水」 よりは、日本では「水土」を中心に「気」と「理」 を考察した方がよいということで、自然に即し て人間社会の気運の盛衰を理解しようとの試み です。したがって、 「風土記」は、漢字の用語か ら「風土記」になったと思いますが、日本では むしろ「水土記」と読み直してもよいかも知れ ません。

橋本雅之『風土記 日本人の感覚を読む』 (角 川選書)では、 『出雲国風土記』の植物動物リス トを載せています。

凡て、諸の山野にある所の草本は、 (麦門冬) 、 (独活) 、石斛、 (前胡) 、高粱薑、 (連翹) 、 (黄 精) 、 (百部根) 、貫衆、 (白朮) 、署預、 (苦参) 、

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存しているのである。 「風土記」には観念操作をしない、地域の自 然観が反映されています。 「古・昔」 (三人称過 去の観念論)対「今」 (一人称「今」の知覚(感 性) )という、現代思想の大きな対立点を先取り しているという意味でも、 「風土」的思考は重要 です。

「 風水土」

「風水土の旅」に出るに当たって、インドは、 特に仏教は、 「風水土の羅針盤」ではいかがなも のでしょうか。仏教は、ガンジス川のほとりで うまれ、現在も水田地域に広く分布しているこ とから、「水土」 の文化のように見受けられます。 「浄土」の概念も「水土」から導かれているか も知れません。

旧約聖書を読んでいると、 「風水土」からする と、まるで「風風記」を読んでいる感じがして きます。

さて、実際、世界はどうなっているのか、 「超 越的な神格に基づく観念」 の羅針盤を破棄して、 「風水土に基づく感性」の羅針盤で、 「風水土の 旅」に出てみましょう。

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中国では「風水」的思考が現在でも強く残っ ているでしょうし、世界に冠たる朱子学を生み 出しました。 日本では「風土」的思考で、自然と人の一体 化した、一人称「今」の文化が育ちました。日 本では「風土」は「水土」と言い換えても良い ようなもので、そうすると日本では「風水土」 の文化が形成されているといっても良いでしょ う。

連載 エッセイ


皇の時代も相対化された「過去」に横並びに置 かれているのであり、系譜的な時間軸で歴史を 捉える記紀との考え方とは大きく違っている。 (中略)このような「風土記」の時間認識は、 いったいどのように理解すればいいのだろうか。 この問題を解く鍵は、 「今」に対する関心の高さ をどのように考えるかというところにあると思 われる」と指摘します。 「風土記」を「地誌」= 生活の知恵の記載とすると、単なる実用書と言 うことになり、現在ではあたり前になっている 書式ともいえます。しかし、橋本雅之が言うよ うに、「記紀が時間軸に沿って神代から人代に至 る歴史を直感的に捉えるのに対して、 「風土記」 の時間と歴史は「今」を中心とした内円の外側 に、天皇と祖先の歴史および神の時代の歴史の 二重の円があり、その二重の円は「古・昔」と いう相対化された過去として認識されていたと 捉えることが妥当だと思う」とすると、風土記 は思想的に重要な位置を占めることになります。 「今」 の時制が、 自然や人間社会を考える際に、 そ 哲学的 思想的にも重要となって来ています。 れを意識して「風土記」が編まれた可能性が有

ります。纏めてみると、以下ようになります。

「古事記や日本書紀の記紀」 :風水を基盤とし た、三人称過去の時制で書かれ、時間(フロ ー) (歴史)が主体 「風土記」 :風土を基盤として、一人称「今」 の時制書かれ、空間(ストック) (今現在)が 主体

「風土記」には、よろずの神々が生きていま す(橋本雅之) 。

「風土記」は「高天原」のみならず「葦原中 国」に関しても無関心であり、それらを含ま ない神話を語っているのである。そのような 特色を持つ「風土記」の神話は、記紀の「国 家の神話」とは異なる「国土の神話」と呼ぶ のがふさわしいと思う。 「風土記」では、多くの神々が各地に降臨 しそれぞれの土地の歴史と深く結びついてい る。しかも、天と地は往来可能な世界として 描かれており、天上界と地上界はそもそも共

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したりすることもできるが、やはり現 地の人びととの間に距離ができてしま う。また、相手がこちらに対して警戒 心や悪い印象を抱かないような話題か

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な人間は、どうしたら無理なく世間話 ができるのだろうか。 ひとつの手は、現地の人びとの世間 話の輪の中に加わるというものだ。ス

図 2 子どもたちに連れられ,集落から離れた焼畑へ.

ら話を切り出すことも重要であろう。 不幸にして、私は日本にいても見知ら ぬ人びとに気軽に話しかけられるよう な性格ではない。それでは、そのよう

図1 焼畑での播種作業にて.老夫婦の拓く焼畑に子や孫たちが手伝いに くる.(左から 3 人目が筆者.2003 年)


忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク㉒

らその理由を伺うことはなかったが、 私は次のように理解している。 多くの場合、調査ではある目的や関 心にもとづいて仮説を立てる。 そして、 研究対象や分析手法を明確にした上で 調査計画を立て、現場ではそれにもと

フィールドで世間話ができるようになるまで ますだ かずや

増田和也 高知大学農林海洋科学部 (環境人類学)

「フィールドの人たちと世間話をし なさい」 修士課程の頃、インドネシアのスマ トラへ初めての長期調査に出かける私 に、ある先生がアドバイスをくださっ た。なぜ、世間話なのか。その先生か

づき調査を実施していく。しかし、気 をつけたいのは、調査者が当初設定し た枠組みにとらわれるあまり、計画書 の調査項目から外れたことに目が向か なくなる可能性がある、 ということだ。 とくに、異文化社会での人びとの暮ら しに目を向ける研究分野では、調査前 に思い描いた調査項目からこぼれてし まうような事がらにも関心を払うこと が大切で、それを見つけることがフィ ールドワークの意義である。だからこ そ、時には調査地の様子を広い視点で 見渡しながら、自分の分析枠組みを批 判的に振り返りなさい。そのためのヒ ントは、フィールドの人びととの世間 話にある、ということではないだろう か。 とはいえ、初めて訪れる地域、とり わけ海外で、現地の人びとと世間話を するのは、なかなか容易ではない。ま ず、言葉の問題がある。もちろん通訳 を介したり、その国の標準語で会話を

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図 4 調査村の 若者による共同 作業を手伝う. 新しい電線を掛 けるため,古い 電線と電柱を撤 去した.

ば「成り行きに任せる」ということだ が、同じ体験を重ねることで話題は増 えていったし、こうしたなかで、初め て知ることや初めて出かける場所も少 なくなかった。農耕や採集といった生 業活動に関わってきた人びとは、その 現場を前にすると、それに関連するこ とを活き活きと語ってくれることがあ る。居候先の「母」たちと畑の草抜き に出かける際、通りかかったアブラヤ シ園の一画を指差して、 彼女が幼い頃、 そこに両親の家があり暮らしていたこ とや当時の暮らしの様子を話してくれ た。こうした話は、集落ではなかなか 聞けなかったことであろう。 私のような人間には、何度も同じ現 場に通うことが大切なようだ。顔見知 りになることで、双方の緊張感がなく なるのであろうか。いつしか何気ない 会話ができるようになっているように 思う。また、ある程度の時間を挟んで の再訪では、前回とは異なる点がよく

見えてきて、それが新たな話題ともな る。そして、何より嬉しいのは、久方 振りの再会を相手が喜んでくれている のを見ることだ。初めての訪問から一 五年以上も経つスマトラの村に、今と なってはせいぜい年に一回、それも数 日間の滞在であるが、足を運ぶことに している。 そのたびに村びとたちは 「私 たちを忘れないでいるのだね」と笑顔 を向けてくれる。そうした一人ひとり の笑顔を思い浮かべながら、帰国後は 次の訪問を待ちわびる。 世間話で得られることは、小さな事 がらかもしれない。それでも、そこに 散りばめられた小さなネタがいくつも 結びついて、大きなストーリーが見え てくることがある。そして、そこに現 地で出会った人びとの表情が重なる。 そのような時に、フィールドワークの 醍醐味を感じる。

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図 3 アカシア人工造林地内の水路での釣りに同行する.

マトラの農村では、こちらがとくに努 力しなくても、人びとの会話の輪に加 わることは容易であった。 というのも、 村には菓子類や雑貨など置く売店がい くつかあり、その前では店主と数人の 村びとが座りながらおしゃべりをして いることが多い。私はその前を通りか かると、たいてい呼び止められ、その 輪のなかに引きずり込まれる。最初は 私にいろいろな質問が向けられるが、 しばらくすると彼らの会話に戻る。私 は彼らの会話にうなずき耳を傾けるな かで、村で起きた出来事や村びとの動 き、特定人物の噂話など、さまざまな 話を聞くことができた。 また、村びとからの誘いには、なる べく応じるようにした。たとえば、集 落近くのアブラヤシ大農園内の水路で の釣りであったり、畑での草抜きであ ったり、買い物への同行だったりと、 調査地での滞在が長くなるなかで、さ まざまな誘いを受けた。言葉悪くいえ

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トマト?

いえ、

ジャガイモの「実」 です! 私たちが ふだん食べている のは土の中の「茎」 にあたる部分。

【第 42 号】


ブルーベリ ー狩り(初体験!)。ブルーベリ

が常。息子くんも、一日に一回はフルーツを食べ

果物好きのわが家では、果物は切らさない…の

奮ぎみに摘みながら食べ歩いていると、カミキ

いうからこんな幸せなことはあるだろうか。興

も残念なところ。それが五〇〇円で食べ放題と

くだもの狩り

ないと気がすまないくらい無類の果物好き。そん

リムシに出くわした。 「わー大きい!」 「カミキ

ーはおいしいけれど少量でも高い…のがいつ

なわけで、農家さんの収穫体験のお誘いを受けた

「つかまえてもいいかな。」子どもは無邪気。

リムシもブルーベリーが好きなんだねえ?」

スイカ狩り。最近は扱いやすい小玉が人気だそ

度以上、つまりス イ

く熟したもの。育てられた分、大きくなりたい。

いたもの、小さいままのもの、つやつやで大き

て育ちに差はある。青くて落ちたもの、虫がつ

同じく水と肥料と手間をかけても、実によっ

の攻防戦も垣間見えるいい機会だ。

液を出させてくれる有難い存在でもある。自然

だが。逆に他の虫にとっては、木を傷つけて樹

幹に穴を空けて 枯れさせるいやーな害虫なの

ブルーベリーの木(と農家さん)にとっては、

れるくらい甘い!(糖度

早くゆでるのがポイント。もぎたては生で食べら

間からどんどん糖度が落ちていくため、なるべく

とうもろこし狩り。とうもろこしは、もいだ瞬

いのだそう。大玉びいきになりそうだ。

度(相当甘い!)。実は大玉の方が甘くておいし

の 場で 割 って 中 心 部 の 糖 度 を 測 って も ら う と

うだが、大玉にこだわって育てているという。そ

時は、二つ返事で出かけて行った。

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カより甘いということになる。まるでフルーツ。 )

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サステナ第42号  

特集:パリ協定

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