2018年キャンパス公開展示『移動する社会と都市―20万年の歴史と未来』

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日本近現代の移動と都市

I

担当:林研究室

第1部では近現代社会の移動(生活拠点の移動を伴う人 の移動)を取り上げる。 ここではまず、近現代の移動の傾向 を概括的にまとめておきたい。大きく3つの特徴がある。第 一に、農村圏から都市圏への移動。第二に、数年から数十年 に一度の移動。第三に、拠点を一つに限った移動である。

林憲吾

農村漁村 地方 都市

大都市

都市圏

農村圏 図 1) 近現代の主な移動の流れ

(千人)

40,000

1. 農村圏から都市圏へ

35,000

工業化の進展によって都市圏での経済活動が強化され、 農村圏でも農業生産の効率化や資本化が進んだ。そのた め農村圏の余剰労働力が都市圏に向かった(図1)。その結 果、近現代を通じて、農村圏では人口増加は緩慢だったの に対して都市圏では急激な人口増加が見られた(図2) 。

30,000 25,000 20,000

東京圏

15,000

九州 近畿 東北 中国 北関東 甲信東海 北海道 北陸越後 中部 四国 福岡圏 沖縄 仙台

大阪圏

10,000

2. 数年から数十年に一度の移動

5,000

愛知

0

生涯で移動の頻度が高まる時期は10代後半から30代前 半である (図3)。進学・就職・結婚・住宅事情などを主な移動 の動機とし (注1)、数年単位の移動も稀ではない。だが、年 齢を重ねると移動頻度は減り、数十年に一度くらいの移動 頻度が主流となる。 日常的あるいは年単位での移動ともな れば、かなり限定的である。 また、1960年代より移動の頻度 は一貫して減少傾向にあり (図4)、移動の少ない社会にな ってきたともいえる。

1888

1908

1928

1948

1968

1988

2008

図 2) 日本16地区の人口推移

第 7 回 調査(2011 年)

50

第 8 回 調査(2016 年) (参考)国勢調査(2015 年)

40 30 20 10

(5年前居住地が明らかでない人は除く。 第8回は都道府県別に設定したウエイト付きの集計結果で熊本県、 大分県由布市を除く。 第 7回は岩手県、 宮城県、 福島県を除く。 ) 出典:国立社会保障・人口問題研究所 『2016年社会保障・人口問題基本調査第8回人口移動調査報告書』 (国立社会保障・人口問題 研究所、 2018年)

( 千回 )

(%)

8.0

2 0 1 8 年 度 東 京 大 学 生 産 技 術 研 究 所

転居率

7,000

転居数

7.0

6,000

6.0

5,000

5.0

4,000

4.0

3,000

3.0

2,000

2.0

1,000

1.0

0 参考文献:1) 国立社会保障・人口問題研究所 『2016 年社会保障・人口問題基本調査第 8 回人口移動調査報告書』 (国立社会保障・人口問題研究所、 2018 年) 、 2) 国土交通省国土政策局地方振興課 『平成24年度社会情勢の変化 に応じた二地域居住推進施策に関する検討調査』 (国土交通省、 2013 年)

85歳以上

調査時点の年齢 図 3) 年齢別、 5年前居住地が現住地と異なる人の割合 (%)

8,000

以上のような特徴をもった近現代の日本の人口移動が、 都市圏や地方でどのように生じたのか。続くパネルで提示 する。

80〜84歳

70〜74歳

75〜79歳

60〜64歳

65〜69歳

50〜54歳

55〜59歳

40〜44歳

45〜49歳

35〜39歳

30〜34歳

20〜24歳

25〜29歳

15〜19歳

0 10〜14歳

私たちの生活では、一般的に住まいは1つに限定される。 もちろん、別荘を持ち、週末や長期休暇をそちらで暮らすと いう生活も見られる。近年では二地域居住に注目が集まり、 2007年には国全体の2%だった実践者も2012年には3.8% まで上昇したといわれる (注2)。だがそれでもなお、複数の 生活拠点を行き来するライフスタイルは稀だといえよう。

60

5〜9歳

3. 拠点を一つに限った移動

5 年前居住地が現住地と異なる人の割合(%)

(16地区については次のパネルを参照。 1888年および1903年では、 仙台市、 京都市・神戸市、 福岡市・北九州市の人口は、 それぞれ東 北、 近畿、 九州の人口に加算されている。 また1965年以前の北九州市の人口は福岡圏ではなく九州に加算されている。 ) 出典:1888年、 1903年は 「乙種現住人口」 (内閣統計局) 、 1920年以降は 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

1955

1965

1975

1985

1995

2005

2015

0.0

図 4) 年間の総転居数と転居率 (総転居数/総人口) 出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

村 松 / 林 研 究 室

生 研 公 開 展 示

B 棟 1 階 ロ ビ ー


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

主要な都市圏を区別して日本全国を16地区に分割。各地区間の人口移動を可 視化した。それぞれのパネルは地区間の1年間の純移動数(転入・転出超過量) を示し、1955年から2015年まで10年おきに作成した。戦後日本における都市圏 への人口移動の概要をつかむことができる。各パネルの冒頭には、各年の人口 移動に関する解説を付した。

地区の色は人口に対する純移動数 (転入/転出超過数) の割合を示す。 正の場合、 転入が超過し、 負の場合、 転出が超過していることを意味する。

線の太さは地区間の純移動数 (転入/ 転出超過数) を示す。 どちらの方向に人 口が流出しているかは下の図2を参照。

沖縄 (人口: 1,042,572人)

北海道 (人口:4,773,087人) 16地区の名称およびそこに含まれる都道 府県および市を示す。 人口は各地区におけ る標題年の常住人口を表す。 "No Data"と 付記している地区は、 その年の移動統計 が存在しないことを意味する。

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:8,958,598人)

仙台市

北陸越後 越後(福井 福井 井・富 富山・石川・新潟)

(人口:375,844人)

(人口:5,214,855人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:6,010,133人)

(人口:5,225,166人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:6,801,697人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:6,992,008人)

(人口:15,424,264人)

福岡圏

甲信・東海(山梨・長野・静岡)

(福岡市・北九州市)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

(人口:5,478,771人)

(人口:544,312人)

0.75% ~

愛知

0.5 ~ 0.75%

(人口:3,769,209人)

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

0.25 ~ 0.5%

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,069,187人)

-0.25 ~ 0%

(人口:4,245,243人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:12,393,155人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/1955年

九州

福岡圏

沖縄

九州

福岡圏

沖縄

四国

線の太さは、 各地区の常住人口を 示す。太さと人口の関係は下記 キャプションを参照。

四国

中国

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

中部

甲信東海

北関東

東京圏

仙台市

東北

北海道

転入地

中国

線の太さは、 転出地から転入地への純移動数 (転 出から転入を差し引いた転出超過数) を示す。 上 の地区から下の地区へ人口が吸収されているこ とを意味する。

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

中部

甲信東海

北関東

東京圏

仙台市

東北

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/1955年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

3大都市圏へ 東京圏・愛知・大阪圏の3大都市圏への転出が顕著であ る。東日本では東京圏への転出、西日本では大阪圏への 転出が目立ち、比較的近い都市圏へ転出する傾向があ る。都市圏以外の移動では四国が特徴的で、全地区に対 して転出超過であり、人口流出の傾向が強い。 (総人口:90,076,594人)

沖縄(NO O DA ATA) TA (人口:80 01,065 5人)

北海道 (人口:4,773,087人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:8,958,598人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台 台市(NO DATA)

(人口:5,214,855人)

(人口:375,844人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:6,010,133人)

(人口:5,225,166人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:6,801,697人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:6,992,008人)

(人口:15,424,264人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡)

福岡圏 圏(NO DA ATA)

(人口:5,478,771人)

(福岡市・北九州市 州市)

(人 人口:544,312人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:3,769,209人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,069,187人)

-0.25 ~ 0%

(人口:4,245,243人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:12,393,155人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/1955年

九州

福岡圏圏圏

沖縄縄縄縄縄 縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

仙台市

甲信東海

仙台市市市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/1955年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

向都離村の全盛期 東京圏・愛知・大阪圏への転入量が増大する。 とりわ け東北・九州からの転出が大きい。東北・北関東・甲 信東海からの転出は東京圏に集中しているが、中国・ 四国・九州は大阪圏に限らず、東京圏へも転出してい る。九州からの転出は、都市圏以外に甲信東海・中部 にまでおよぶ。

(総人口:99,209,137人)

沖縄(NO DA ATA A) (人口: 934,176人)

北海道 (人口:5,171,800人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:8,626,602人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台 台市(NO DATA)

(人口:5,155,452人)

(人口:480,925人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:6,537,404人)

(人口:5,183,394人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:9,238,862人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:6,871,327人)

(人口:21,016,740 人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡) 福岡圏(福岡市・北九州市)

(人口:5,633,722人)

(人口:1,792,196人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:4,798,653人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,214,832 人)

-0.25 ~ 0%

(人口:3,975,058人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:10,577,994人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/1965年

九州

福岡圏

沖縄縄縄縄縄 縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

仙台市

甲信東海

仙台市市市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/1965年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

スプロールのはじまり 転出超過数は全体的に減少。大阪圏・愛知への転出 が弱まり、東京圏への一極集中の傾向が現れている。 他方で、東京圏から北関東、大阪圏から近畿、愛知か ら中部へと、都市圏の外への転出が顕著となり、都市 圏周辺でスプロールが進んだ。また、少数ではある が、東北・九州・沖縄への転出も見られる。

(総人口:111,939,643人)

沖縄 (人口: 1,042,572人)

北海道 (人口:5,338,206人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:8,617,402人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台 台市(NO DATA)

(人口:5,306,200 人)

(人口:615,473人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:7,730,562人)

(人口:5,796,681人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:11,100,589人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:7,366,044人)

(人口:27,041,789 人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡) 福岡圏(福岡市・北九州市)

(人口:6,109,413人)

(人口:2,060,259人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:5,923,569人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,493,980人)

-0.25 ~ 0%

(人口:4,040,070人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:10,356,834人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/1975年

九州

福岡圏

沖縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

甲信東海

仙台市市市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/1975年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

東京一極集中 東京圏への一極集中と北関東への人口拡大が引き 続き顕著である。北関東では、東京からの転入が続 いているのみならず、全ての地区からの転入超過が 見られる。 日本列島全体では、東京圏から近畿あたり の中央部で転入が超過し、その周辺では転出が超過 する傾向にある。

(総人口:121,048,923人)

沖縄 (人口: 1,179,097人)

北海道 (人口:5,679,439人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:9,030,098人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台 台市(NO DATA)

(人口:5,566,797人)

(人口:700,254人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:8,522,488人)

(人口:6,512,330人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:11,558,147人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:7,748,386人)

(人口:30,273,178人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡) 福岡圏(福岡市・北九州市)

(人口:6,544,451人)

(人口:2,216,842人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:6,455,172人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,775,847 人)

-0.25 ~ 0%

(人口:4,227,225人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:11,059,172人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/1985年

九州

福岡圏

沖縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

甲信東海

仙台市市市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/1985年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

地方回帰の時代 都市圏から地方へ人口が転出。地方回帰が生じた。東 京圏でも転出が転入を上回り、北海道・北陸越後・中 国・四国・九州といったこれまで転出超過の著しかっ た地区に転出している。ただし、それぞれの転出超過 数は小さく、人口の再配置はあまり生じなかったとい える。一方、大阪圏から東京圏への人口移動が継続し

(総人口:125,570,246人)

ており、東京圏に対する大阪圏の弱体化が進んだ。 沖縄 (人口:1,273,440人)

北海道 (人口:5,692,321人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:8,862,827人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台市

(人口: 5,618,553人)

(人口:971,297人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:8,942,157人)

(人口:6,943,460人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:11,684,882人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:7,774,411人)

(人口:32,576,598人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡) 福岡圏(福岡市・北九州市)

(人口:6,813,669人)

(人口:2,304,393人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:6,868,336人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,941,673人)

-0.25 ~ 0%

人口:(4,182,837人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:11,119,392人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/1995年

九州

福岡圏

沖縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

仙台市

甲信東海

仙台市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/1995年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

再び都市圏へ 東京圏への一極集中が再び顕著になる。 これまで東 京圏からの転入が顕著であった北関東も東京圏への 転出超過に転じた。東京圏以外で転入が超過した地 区は、沖縄を除けば、仙台市・愛知・福岡圏といずれも 都市圏である。1995年とは対照的に、都市圏への回 帰が生じている。

(総人口:127,767,994人)

沖縄 (人口:1,361,594人)

北海道 (人口:5,627,737人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:8,609,819人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台市

(人口:5,538,806人)

(人口:1,025,098人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:9,075,697人)

(人口:7,015,933人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:11,817,370人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:7,675,747人)

(人口:34,478,903人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡) 福岡圏(福岡市・北九州市)

(人口:6,873,006人)

(人口:2,394,804人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:7,254,704人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,974,189人)

-0.25 ~ 0%

(人口:4,086,457人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:10,958,130人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/2005年

九州

福岡圏

沖縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

仙台市

甲信東海

仙台市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/2005年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


日本16地区人口移動 担当:林研究室

西島健斗

林憲吾

石橋尭之

55年への小さな回帰 2005年同様、都市圏に向かう動きが顕著である。 2005年同様、都市圏に向かう動きが顕著である。す べての地区で東京圏に転出超過である。ただし、西日 本から東京圏に流れていた動きがやや大阪圏に向 かいつつある。 また、西日本から東北に向かう人口移 (総人口:127,094,745人)

動も見られる。移動の絶対数は小さいものの、 これら の特徴は1955年の状況に似る。 沖縄 (人口: 1,433,566人)

北海道 (人口:5,381,733人)

東北(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島) (人口:7,900,648人)

北陸越後(福井・富山・石川・新潟)

仙台市

(人口:5,311,340人)

(人口:1,082,159人)

近畿(兵庫・京都・滋賀・和歌山・奈良)

北関東(群馬・茨城・栃木)

(人口:8,873,509人)

(人口:6,864,346人)

大阪圏(大阪府・神戸市・京都市) (人口:11,851,924人)

中国(岡山・広島・鳥取・島根)

東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)

(人口:7,438,037人)

(人口:36,130,685人)

甲信・東海(山梨・長野・静岡) 福岡圏(福岡市・北九州市)

(人口:6,634,039人)

(人口:2,499,967人)

転入超過率(転入超過数/地区内人口)

愛知

0.75% ~

(人口:7,483,128人)

0.5 ~ 0.75% 0.25 ~ 0.5%

四国(香川・愛媛・高知・徳島)

中部(岐阜・三重)

0 ~ 0.25%

(人口:3,847,768人)

-0.25 ~ 0%

(人口:3,845,534人)

-0.5% ~ -0.25% -0.75% ~ -0.5%

九州(福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・熊本・鹿児島)

~ -0.75%

(人口:10,516,362 人) 図1) 地区間純移動数および転入超過率/16地区別/2015年

九州

福岡圏

沖縄

四国

九州

福岡圏

沖縄

中国

四国

中国

近畿

大阪圏

近畿

大阪圏

北陸越後

愛知

北陸越後

愛知

北関東

中部

北関東

東京圏

中部

東京圏

仙台市

甲信東海

仙台市

東北

甲信東海

東北

北海道

転入地

北海道

転出地

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成

図2)転出超過数および常住人口/16地区別/2015年

常住人口

:50万人

転出超過数

:1万人

出典: 「住民基本台帳人口移動報告」 (総務省統計局) および 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


4大都市圏人口密度分布 担当:林研究室

石橋尭之

内山愉太

林憲吾

西島健斗

東京圏、大阪圏、名古屋圏、福岡圏の4大都市圏の人口密度分布の 推移を示している。東京23区、大阪市、名古屋市、福岡市付近を中 心に150km四方を範囲とし、約1㎞のメッシュ単位で人口を算出し ている。

1970 TOKYO

東京23区

1985

242人/ha

1975年から85年にか けて東京23区の西側 で都市の拡大が進ん だ。比較的高密度な 郊外が一様に広がる のが東京圏の特徴で ある。

川崎市

207人/ha

横浜市

京都市 205人/ha

OSAKA

神戸市 大阪、京都、神戸の3 都市は一貫して都心 の 人 口 密 度 が 高く、 多極的な都市構造を 大阪市 維持し続けている。

204人/ha

堺市

206人/ha

NAGOYA

名古屋市 一宮市

207人/ha

1975年時点で名古 屋、岐 阜、豊 橋、浜 松 に比較的高密度の人 口集積が見られる。そ のような多極的な都 市構造は75年以降崩 れていく。 185人/ha

FUKUOKA 1975年時点では福岡 市に比べて北九州市 に多くの人口が集積 し て い た 。し か し 、 1985年以降、両者の 関係は逆転する。

北九州市

194人/ha

福岡市

出典: 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


2000 TOKYO

東京23区

2015

206人/ha

1985年以降、群馬方 面にまで人口が拡散 する。ただし、2000年 から2015年にかけて は、高崎・前橋付近で 人口密度の低下が見 られる。

川崎市

197人/ha

横浜市

京都市 195人/ha

OSAKA

神戸市 1975年から2000年 にかけて神戸より西 側の瀬戸内海沿いで 人口集積が進んだ。 大阪市 ま た 、2 0 0 0 年 か ら 2015年にかけては大 津での人口集積が顕 著である。

NAGOYA

堺市 204人/ha

名古屋市 一宮市

101人/ha

167人/ha

1985年から2015年に かけて都心の人口密 度が減少する。名古屋 から豊橋、浜松一帯が 一続きになっていく様 子が見てとれる。都心 の低密化と郊外への 人口拡散が名古屋圏 の特徴である。

FUKUOKA 1985年以降、継続的 に北九州市から福岡 市に人口集積の中心 が移っていく。他の都 市圏に比べると郊外 への人口拡散があま りみられないのが福 岡圏の特徴である。

北九州市 133人/ha 184人/ha

福岡市

出典: 「国勢調査」 (総務省統計局) をもとに作成


II-1

出アフリカ -人類はなぜ移動するか担当:村松研究室

穴水宏明

図4) ホモ・サピエンスの拡散

図 5-1) アフリカの採集民族

図 5-2) カナダ北部のイヌイット

図 5-3) 旧約聖書における出エジプト

図 5-4) シルクロードを旅する隊商

図 5-5) メッカ巡礼

図 5-6) コロンブスの新大陸発見

図1) ホモ・サピエンスの生活の復元

図2) ボノボの群

図 3) 人類と類人猿の歩行様式の違い

は違った食様式を選択せざるを得なくなった。 そこで人

した、 という見解を出している。 この弱さが人類がアフリカか

類の祖先は類人猿とは異なり二足歩行で食料を求める

ら出た後にも移動を続けた理由の1つと考えられる。 他に

万年前のアフリカで誕生したというアフリカ単一起源説が

ようになる (図3) 。 そして遠くまで餌を求めて歩ける様に

も、 移動の動機に好奇心や、 新たな資源を求める必要性が

科学的に判明した。 そして人類の祖先に当たるホモ・サピ

体が進化した。 このように長距離移動が可能になり樹木

考えられている。 そして移動を可能にするには道具の開発

エンスは 20 万年前に出アフリカを果たしたと考えられて

のない草原で生息するようになった (図 1)。

が不可欠で、 中でも糸と針は新たな道具を作るのに活躍し

いる。 それではなぜ人類は何故長い年月暮らしてきたアフ

(2) サバンナ

た。

1. 人類の故郷アフリカ 近年の遺伝子研究によって人類の祖先は 1000 万 -600

リカを出ることになったのか。 出アフリカは人類史の中でも

次の課題はサバンナでの生存であった。 1つの問題は 3、 これから人類はどこに向かうのか?

記録的な唯一の移動である。

肉食獣に子供が狙われることだった。 そこで人類の祖先

2. アフリカ大陸から世界中への移動

うになったため食物採集を男女で分業し始めた (山際

会からの逃避、 好奇心などを理由に多様な移動を展開して

2008) 。 また出産の周期を短くして多産多死に対応した。

人類は進化してきた (図5)。

は子供の面どうを見る育児と、 両手が使えて物を運べるよ

アフリカの気候区分は熱帯林 (湿潤熱帯) ・サバンナ (半 乾燥熱帯) ・砂漠 (乾燥亜熱帯) に大きく分かれる。最初に

他にも熱帯林の時よりも人口密度が低くなったため疫病

こうして出アフリカを皮切りにし、気候変動、 食料不足、社

現在は、 科学技術の向上に伴った人口増加・大量生産な

人類が生まれた地域は明確にはなっていないが、移動の経

の感染リスクの低下し死亡率が下がり、 より群の規模が大

どが、 地球環境に影響を及ぼし問題を起こし、 人新世 (アント

緯は大まかに、 熱帯林→サバンナ→出アフリカと推測され

きくなったとの見解がある (脇村 2012) 。 こうした様々な条

ロポセン) に入ったと言われている。 そんな現代にも人類史

ている。出アフリカに至るまでの段階における移動の動機、

件が揃い、 群を統率するための知能が向上した人類の祖

における大きな移動の出来事が起きようとしている。 地球外

移動を可能にした条件を順に追う。

先は高度な社会的集団を形成し、 出アフリカを果たした。

の星に移住を行う、 いわば 「出地球」 である。 第2の地球候

(1) 熱帯林

(3) 出アフリカ後

人類が最初に直面した問題は気候変動による寒冷乾燥

補には 50 を超える星が見つかっている。 近年は人新世のよ

アフリカを出た後は様々なルートを通り人類は世界中

うな議論も起こり、 出地球は人類の存続には起こり得る未来

地化である。森林が縮小し食料が不足した。 そして熱帯林

に拡散した (図4) 。 人類がアフリカから世界中に拡散し

かもしれない。 しかし今一度、 出アフリカや人類が行ってき

には初期人類以外にもゴリラ、 チンパンジー、 オランウータ

た旅路であるグレートジャーニーを実際に辿った関野吉

た様々な移動に目を向け、 地球に対してどのような環境や

ン (図2) といった類人猿も生息していたため、類人猿より

晴は、 アフリカから最も遠いラテンアメリカの最南端の先

経済的意味があったのかを考え直すことも、 出地球を行う

も体格的に弱い人類の祖先は、 生き延びるために類人猿と

住民の生活を見て、 ほかを追い出されて弱い人達が移動

前に我々人類の地球の存続のためには必要であろう。

参考文献: 1) 印東道子編 『人類の移動誌』 (臨川書店、 2014)2) 杉原薫、 脇村孝平、 藤田幸一、田辺明生編 『歴史の中の熱帯生存圏ー温帯パラダイムを超えて』 (京都大学出版、 2012) 3)印東道子編 『人類大移動̶アフリカからイースター島へ』 (朝日新聞社、2011) 4) 「特集=宇宙のフロンティア」 『現 代思想』2017 年 7 月号、 (青土社、2017) 図版出典: 図1)http://www.ahobproject.org/AHOBIII/Happisburgh.html 図2、 3、 4) クリス・ストリンガー , ピーター・アンドリュース 『人類進化大全―進化の実像と発掘・分析のすべて』馬場悠男 , 道方しのぶ訳(悠書館、 2012) 図5-1、 2) ヨラン・ブレンフルト編 『先住民の現在〈上〉( 図説 人類の 歴史 )』 大貫良夫訳(朝倉書店、2007) 図5-3、4、 5) ラッセル・キング編『図説 人類の起源と移住の歴史 旧石器時代から現代まで』 蔵持不三也監訳、 リリー・セルデン訳 (柊風舎、 2008) 図5-6) ヨラン・ブレンフルト編『新世界の文明―南北アメリカ・太平洋・日本 〈上〉( 図説 人類の歴史 )』 大貫良夫訳(朝倉書店、2007)

2 0 1 8 年 度 東 京 大 学 生 産 技 術 研 究 所

村 松 / 林 研 究 室

生 研 公 開 展 示

B 棟 1 階 ロ ビ ー


遊牧社会と動く家-環境に適応した住みこなし-

II-2

担当:村松研究室

図1)遊牧民の生活の様子。ラクダを家畜として放牧させながら、季節に合わせて移動しながら生活する。家畜の乳や肉は食糧、 毛は衣服や住居の覆い布となる。畜産物を携えてオアシスや農耕地域へ出向き、農作物や生活必需品を得る。 ヒマール(himal) 「岩と雪の山」 (羊飼いたちはゆかない) ジッディー(siddhi) 「高いところにある森林」 (6月下旬から8月中旬)

ジョルン (jyorung) 「高いところにある集落」 (8月中旬から10月中旬)

ウンボウリ (ubhauri) 「上へゆく」 (2月下旬から5月上旬)

図2)降水量と家畜の種類と乳文化を示した、アジア・アフリカ地域の地図。乾燥の度合いや 地形によって適応可能な家畜の種類は異なり、乳加工品の文化にも差がある。

家の骨格が簡素

ジョルニ(jyorung) 「高いところにある森林」 (5月中旬から6月下旬)

ウンドウリ (udhauri) 「下へゆく」 (10月中旬から12月上旬)

コシ・ガッディル(khosi gatil) 「大きな川のそばにある熱くて乾いた平地」 (羊飼いたちは通過するだけ)

コージ(khoj) 「暑い所、 じめじめした所。 特に魔ハーバー荒砥山脈の傾斜面をさす」 (12月上旬から2月下旬) マデス(mades) 「タライのこと。平らな場所」 (羊飼いたちはゆかない)

図3)羊飼いの季節ごとの滞在地

図4)オアシスで交易をする遊牧民。ラクダを連れ交渉している。

米倉春采

覆 い 布 が 家 畜 由 来

ペルシャの黒テント 布:ラクダ・ヤギの毛織物 構造:引張+柱 出典:*1

覆 い 布 が 植 物 由 来

パキスタンのテント 布:ヤシの葉の織物 構造:2本の柱と棟 出典:*2

家の骨格が複雑 コタの仕組み

アラビアの黒テント 布:ラクダ・ヤギの毛織物 構造:引張+柱梁 出典:*1

チベットのテント 布:ヤクの毛織物 構造:柱+引張 出典:*1

シベリアのラップ人の遊牧用コタ アメリカインディアンのティピ 布:トナカイの毛織物 構造:フォーク型支柱 出典:*1

モンゴルのカルムク型ユルタ 布:ヤギの毛織物 構造:柱+壁+屋根 出典:*1

ユルタの仕組み

ネパールのゴート 布:葉の織物 構造:2本の柱と棟 出典:*3

シベリアのラップ人の定住用コタ 布:芝土 構造:フォーク型支柱 出典:*1

キルギスのトルコ型ユルタ 布:葦の菰、ヤギの毛織物 構造:柱+壁+屋根 出典:*1

表1) 遊牧民の住居の分類。降水量の少ない地域ほど、簡素な骨格の住居が用いられる。

移動が可能になった。 搾乳の発明と乳の利用により、 ヒ

牧民の存在によって点在する大小のオアシスや農耕地域

トは家畜に生活の多くを依存するようになり、 牧畜という

が結び付けられ、 相互に孤立することを免れた。 ( 注3)

である。 家畜群を管理し飼育しながら、 草を追って 1 年を移

一つの生業形態が成立した。 遊牧民は、 食糧の多くを自ら

(2) 生態的な適応と低環境負荷

動の中で過ごす。 移動する場所は、 地形と気候により様々な

が生産する乳や肉などの畜産物に依存して生業を送って

1. はじめに:家畜を連れた季節性の遊動 遊牧は遊動と牧畜が合わさった言葉で、 遊動的牧畜の事

遊牧民は、 夏季には家族ごとの小単位でひろびろとした

ヴァリエーションがあるが、 集団ごとに一定の範囲内を規則

いる。 乳は栄養学的に見れば、 完全食に近い食品であり、

山の斜面や平原に散らばって草を食ませる。冬季には、 寒

的に巡回している。 遊牧民は季節を契機に移動し、 季節ごと

乳と乳製品に依存して生活することが可能である。 ( 注 2)

さや積雪を凌げる山の南麓や谷あいで集団生活を営んで

の滞在地はきっちり決まっている (図 3) 。 季節を契機にする

②移動可能な住居 (表 1)

越冬する。 都市部では、人間が一か所に定着するために

のは、 過ごしやすい居住環境を得るため、 放牧地を得るた

遊牧は牧畜の一形態であるが、 住居ごと移動する牧畜

は周辺の環境を人間のために適応させる他なく環境負荷

め、 季節に合わせた農産物や畜産物の交易のためである。

であることにポイントがある。 この住居が使われるのは

が大きい。 しかし、遊牧は環境に人間が合わせて移動する

2. 移動の概要

夏営地であり、 遊牧民は生活のほとんどを戸外で過ごす

ため、適応可能な住環境を得るための環境負荷が小さい。

(1) 移動の動機:厳しい気候

ため、 住居は日射を遮ることを主な目的とする簡素な造

(3) ストレスの発散

アジア・アフリカ地域はその多くが砂漠気候に属し (図

りである。 これらの簡易な住居は、 ①軽いこと、 ②小さくた

冬季の村での定着生活は、閉鎖的な大人数の集団で営

2)、 オアシスを除くと、 人間は 1 か所に定住した形での農耕

たむめることで移動を可能にしている。 住居は骨格と覆

まれる。 それに比べ、夏季の牧野での生活は親しく気心の

を基本とした生活を営むのは難しかった。 そのため、今から

い布で構成され、 骨格は主に木、 覆い布は植物の葉や木

知れた少人数での開放的なものになる。 この夏と冬で正反

約 1 万年から 4 千年前、 一部の人類は農耕から分離し、 家

の繊維、 家畜の皮膜や毛織布、 不織布などでできており、

対の生活が、 互いにもう一方を活性化させる。 ( 注4) 4. 現代的意義

畜を飼い、放牧地を求めて移動しながら生活することを選

民族や地域によって、 その材料や複雑さに差が見られる。

んだ。( 注 1)

3. 移動のメリット

(2) 移動が可能となる条件:家畜と軽い住居

遊牧民が移動する長所は、 以下の 4 つが挙げられる。

散や生態的な適応、 それに伴って生活の環境負荷の減少が

(1) 経済活動の中継 (図 4)

期待できることはもちろん、 道中の定住地での物の売買や

遊牧民の移動を可能にした条件は、主に 2 つである。 ①家畜の登場 農耕や狩猟以外の手段として家畜を飼育しながら移動を することで、 家畜由来の動物性食品の摂取により、 長距離の

現代に目を向けると、 遊動は、遊動する側のストレスの発

遊牧民は、 都市や集落を必要とする。 畜産物と交換に

情報の交換を通して、 例えば都市と農村など、 異なる生活様

農業生産物や日用の生活必需品を得たり、最近では街へ

式を持つ地域のつながりを保ち、 それぞれの孤立を防ぐ効

出て短期の仕事をする者もいたりする。集落の側も、遊

果があるのではないだろうか。

図版出典: 図1) https://www.shutterstock.com/ja/image-photo/kalmyk-encampment-old-illustration-russia-created-93899602?src=95gZ9pfXrApk-G2HtX̲c1w-1-17 図2) 松井健 『遊牧という文化』 (吉川弘文館、 2001 年) 、 平田昌弘 『ユーラシア乳文化論』 (岩波書店、 2013 年) 、 Precipitation Data (CRUTS 2.0)/National Aero渡辺和之『羊飼いの民族誌』(明石書店、2009 年) 図 4)https://www.gettyimages.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F/tent-draw 図5) *1: 梅棹忠夫 『天幕 遊牧民と狩猟民の住まい』 (SPS 出版、 1985)*2: 松井健 『遊 nautics and Space Administration Goddard Institute for Space Studies) を参考に作成 図3) 牧という文化』 ( 吉川弘文館、 2001) *3: 渡辺和之 『羊飼いの民族誌』 (明石書店、 2009) 杉山正明 『遊牧民から見た世界史』 ( 日本経済新聞社、 1997) 、 注2) 平田昌弘 『ユーラシア乳文化論』 (岩波書店、 2013) 、 注3) 堀田あゆみ 『交渉の民族誌 : モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 ( 』勉誠出版、 2018) 、 帯の画像:和田佐規子 『チーズと文明』 (築地書館、 2013)、 注4) 松井健 『遊牧という文化:移 参考文献: 注1) 動の戦略史』 ( 吉川弘文館、 2001)、 他) 『 シベリアとアフリカの遊牧民 : 極北と砂漠で家畜とともに暮らす』 ( 東北大学出版会、2011) 渡辺和之 『羊飼いの民族誌 : ネパール移牧社会の資源利用と社会関係 ( 』明石書店、 2009) 片倉もとこ 『イスラームの世界観「移動文化」 : を考える』 (岩波書店、 2008)杉山正明 『遊牧民から見た世界史』 ( 日本経済新聞社、 1997)

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村 松 / 林 研 究 室

生 研 公 開 展 示

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II-3

首都移転と歴代遷宮

-移動する首都がもたらす可能性-

山路を登りながら 山路を登りながら

担当:村松研究室

図3)ベルリン連邦議会議事堂

図1)遷都鳳輩品川通御之図

東京遷都における天皇行幸の様子

大池倫正

1991年にボンから首都移転

図2)古代の天皇宮 難波宮後とその周辺 図4)ブラジリア 1960年にリオデジャネイロから首都移転

山路を登りながら 山路を 山 山路を登 山路 路を登 路を りな 路 りながら り な ら ながら 山路を登りながら

図5)7世紀の日本の首都移転 図 ) 世紀 世紀 日 日本 本 首都 首 首都移転 都移転 転 歴代遷宮 歴代遷宮 遷宮 宮

表1)7世紀の日本の首都移転

歴代遷宮の記録

図7)首都機能移転先候補地

図6)一極集中都市 東京

1.都市と人の移動

都市の過密問題や首都とそれ以外の地域の経済格差等

れ、 政府関係者を中心に法律家・教師・学生・職人など

(1) 首都移転

の問題、 あるいは立地が国防上の問題を抱えていると

多様な知的・専門的人材が集まり、 政府の活動と全国的な

国には必ず首都がある。 首都とはその国の政治中心地で

いった政治的課題を、 首都を移転することで解決を図る。

組織によって内外の情報が集中する。 これによって経済的

あり、国民と政治にとっての重要な拠点である。 首都移転と

もう一つは、 新たな国家建設のために、歴史的な契機

にも活性化が起こり、 首都と周辺地域が発展する。 未開発地

は、国の首都が他の都市・地域に移転して、 移転先が新た

として首都移転を行うというものである。国家の象徴でも

域に首都移転することで、 国土開発が促されることになる。

な首都になることである。 首都はあまり移動しないような印

ある首都を移転することで新たな国家統合のシンボルを

象があるが、 近年でも、1960 年にブラジルがリオデジャネ

形成し、 旧来の伝統を一新することを目指す。

イロからブラジリアへ、 1991 年にドイツがボンからベルリ

歴代遷宮においても例外ではなく、天皇の死による穢

ンへ首都を移転した ( 図 3,4)。

れや建物の老朽化といった問題を解消し、 新たな大王の

(2) 歴代遷宮

下で政治機能の再編を行い国家の再統合を図った。

日本では明治維新の際に京都から東京へ首都移転が行 われた ( 図 1) 事はよく知られているが、 かつて古代日本で

首都がその場に留まり続けることで生じる問題もある。 人口が集中しやすい首都は過密問題を生じさせやすく、交 通渋滞や住宅不足、環境汚染が深刻化しやすい。疫病が爆 発的に広がるといったリスクも存在する。

4. 現代的意義

(2) 移動を実現させたもの 首都移転は国家の中心を移動させる大事業であり、 本

人口増加の続く地球全体で、 都市の人口過密は避けられな

は頻繁に行われており、 7 世紀には実に 15 回もの首都移

来、 大きな契機と高い必要に駆られるだけでなく、十分

い課題である。 その中でも地震や台風といった災害が多い日

転がなされていた。 歴代遷宮と呼ばれるこの移転は、 国家

な計画と調査が必要である。

本においては、 政治と経済を東京に一転集中するのはリスク

の象徴である天皇宮およびその周辺施設を移転させるも ので、 主に天皇の死などを契機に行われていた ( 図 5、 表 1)。

2. 首都移転の意図

にもかかわらず古代日本で頻繁に行われていた背景

が高く、 また地方との経済格差も大きいことが現在大きな問題

には、政治機能を各地の豪族が分担しており、国家の象

となっており、 何度も首都移転や国会機能の東京脱出が議論

徴である天皇宮周辺に集約していなかったことが挙げら

されているものの、 大きな進展は得られていない ( 図 6, 7)。 移

れる ( 図 2)。

動する首都がもたらす可能性について、 歴史から学ぶ意義は

(1) 移動の動機

大きい。

首都移転が行われる理由は大きく二つ存在する。 一つは、 旧首都が抱える問題を解消するためである。 大

3. 移動するメリットと移動しないデメリット 首都には都市の整備や交通網に重点的な投資がなさ

参考文献: 仁藤敦史 『都はなぜ移るのか 遷都の古代史』 吉川弘文館、 2011 年 古内絵里子 『古代都城の形態と支配構造』 同成社、 2017 年 山口広文 『世界の首都移転 遷都で読み解く国家戦略』 社会評論社、 2008 年 千田稔 『平城京遷都 女帝・皇后と 「ヤマトの時代」 』 中公新書、 2008 年 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ベルリン #/media/ ファイル %3AReichstag̲building̲Berlin̲view̲from̲west̲be図版出典: 図 1)www.city.shinagawa.tokyo.jp/PC/sangyo/sangyo-bunkazai/sangyo-bunkazai-rekisisanpo/sangyo-bunkazai-rekisisanpo-meiziishingo/hpg000006599.html 図 2) 日中古代都城図録 図 3) fore̲sunset.jpg 図 4)http://pixabay.com/ja/ 広場 - ブラジリア - ブラジル - ストリート -1576683 図 6):www.timeout.jp/tokyo/ja/nightlife/one-night-in-tokyo 図 7):www.kisc.meiji.ac.jp/ 〜 ichsemir/research/up05.html

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II-4

遍歴する芸能民:姿を消すという価値 担当:村松研究室

図 1) 四条河原の歌舞伎

図 2) 平安時代の猿楽

横山由佳

図6 ) 日本初のサーカス団

図 3) 河原者

1. はじめに

図 4) 放下

図 5) 四条河原における芝居小屋

図7) 昭和の見世物小屋

可能になる。慶長(1596-1615)初年頃に始まったとされ

民たちは一度姿を消し、観客の期待を高めたのち、 また現 れることによって観客の心をつかみ、飽きさせまいとする。

中世から近世にかけて、芸能を生業とする人々は、遍歴

る、出雲のお国によるかぶき踊りは、加茂の河原から北

の民であったといえる。彼らは興行が行われる場所を転々

野、桑名の船場町で興行したのち、江戸に入ったと推測

と移動し、特定の土地に結びついて生きることをしなかっ

される。 また、からくり人形の芝居を行っていた川棚芝居

た。芸能民の特徴は、時代や場所ごとに異なるが、 ここでは

(若嶋座)については、瀬戸内海の港町を巡業していたと

さらに、人気興行の評判が伝わるようになると、 自分の土 地でもそれを見たいという欲望を庶民たちに抱かせた。 そ の期待に応えるように、巡業が存在した。

いくつかの事例をあげながら、 その性格を考察する。

いう記録が残っている。

移動することは、文化の醸成の点でも重要である。様々

2. 移動の概要

(2)移動が可能となる条件

な階級の人と関わる芸能民たちは、寺社や貴族文化と庶民

(1)移動の動機:なぜ移動したのか?

中世の河原を拠点としていた人々は、差別されていな

文化を混合していく。芸能民たちが生んだ能や作庭は、移

中世から近世にかけて、寺社は社殿の新築や修理の費

がらも、貴族・寺社の保護を得て、巡業をしていた。近世

用を募る目的で、 「勧進興行」 と呼ばれる興行を河原などで

になると、藩主に興行税を払うことで、他国者も巡業する

開催した。 (図5)中世の河原は、領主の支配が及ばない境

ことができた。 (図1) さらに、港町の発達など、流通のシス

りながら、最高権力者に謁見でき、保護された。ピラミッド

界的な場である。 そこには皮革業や染色、遺体処理などに

テムが拡大するにつれ、庶民を対象にした芸能が商品化

型階層社会が一時的にフラットになる。

従事しながら、大道芸などを披露して身銭を稼ぐ芸能漂泊

し、芸団の巡業の体制が整えられていった。 それぞれの

4. 現代的意義:待つことが芸能の本質である

民が存在した。彼らはそれらの勧進興行に出るために移動

藩に興行日程や芸人の管理などを行う興行主(侠客)が

芸に立ち会う瞬間の濃密さと、その消失の鮮やかさをも

した。 (図2、3)

存在し、 アウトローな存在として遊女の融通や裏の治安

って、芸能の効果は最大限に発揮されるといえる。 そしてそ

維持なども行っていた。

の巡業の形式は、他者が欲望するものを見ようとする心情

3. 移動のメリット

と、再び戻ってくるという期待の上で成立する。 この円環の

また、観客に飽きられないために、 あるいは新たな客を 獲得するために各地を巡業することは古くからあった。中

動によって各地に伝播していった。 例えば能楽師など、人気を博した芸能民は被差別民であ

世の「放下」 と呼ばれた芸能民は、凪部落を拠点にしながら

芸能民たちは移動することで、 「消える」 という価値を生

周辺の村々で芸を披露し、 それが一巡すると次の凪部落へ

み出すことができると考えられる。興行の記録が観客の日

移動した。 (図4)賎民として居場所を追われることも移動の

記に多く示されているように、芸能を見ることは非日常的

原因になった。近世になると、江戸・京都・大阪の三大都市

な興奮を呼び起こすものであった。季節の風物詩や祭り

いときにどれだけ人々の心を引き付けられるかにあるとい

と地方都市のネットワークが発達し、 さらに大きな移動が

の一環として、中世以来芸能は心待ちにされていた。芸能

える。

構造は、昭和の見世物小屋などの回遊形式にも見て取るこ とができるのではないか。 (図6、7) 芸能の特質は、現れているときだけでなく、存在していな

参考文献: 谷川健一・大和岩雄編 『民衆史の遺産 第四巻芸能漂泊民』 大和書房、 2013 年 . 盛田嘉徳 『中世賤民と雑芸能の研究』 雄山閣、 2004 年 . 守屋毅 『近世芸能興行史の研究』 弘文堂、 1985 年 . 神田由築 『近世の芸能興行と地域社会』 東京大学出版会、 1999 年 . 服部幸雄・末吉厚・藤波隆之 『体系日本史叢書 芸能 史』 山川出版社、 1998 年 . 阿久根巌 『サーカスの歴史 見世物小屋から近代サーカスへ』 西田書店、 1977 年 . 鵜飼正樹・北村皆雄・上島敏昭編 『見世物小屋の文化誌』 新宿書房、 1999 年. 図版出典: 1) 「四条河原遊楽図屏風」 江戸時代 2) 「信西古楽図」 平安初期成立 3) 町田家本洛中洛外図 江戸初期 4) 盛田嘉徳 『中世賤民と雑芸能の研究』 雄山閣、 2004 年 207 頁. 5) 『扁額軌範』 文政 4 年 6) 『観物画譜』 四 江戸時代 東洋文庫蔵 7) 鵜飼正樹・北村皆雄・上島敏昭編 『見世物小屋の文化誌』 新宿書房、 1999 年、 276 頁

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II-5

Muramatsu Lab. Dmitry Kuznetsov

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外観

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II-6

伊勢参りーお互い様精神に支えられた江戸の庶民旅行

担当:村松研究室 シリクルラタナ ポーンパット

図 2) 伊勢宮巡り道中双六、 江戸時代末頃 図 3) 伊勢の引札、 明治34年 図 4-5) 豊饒御蔭参之図より 図 6) 歌川広重、 伊勢参宮宮川渡しの図より 図 7-8) 御陰参宮文政神異記より

図 1) 伊勢参宮略図

図 4)空から降る伊勢神宮のお札と乱舞する民衆

図 5)踊る女性・柄杓もつ少年

1. 伊勢参りとは (背景・概要) 天皇家の祖先神といわれる天照大神を祀る神社である 伊勢神宮への参詣は、 もともと 「私幣禁断」 と呼ばれてい た。つまり、天皇以外は伊勢に参詣して神々に祈ることは許

図 6)おかげ参りの様子

図 7) 外宮北御門杓積たる図

図 8) 大湊・河崎へ米を運ぶ船団

図 9) 伊勢暦、 安永5年から明治5年まで

3. 移動を可能にする条件

4. メリット

(1) 安全な交通網と流通組織の形成

(1) 共通意識の形成・教養旅行としての伊勢参り

古代ローマの9万キロの道路網が古代ローマの旅行

上流階層だけではなく、 一般庶民の移動をも可能にした

を活発にさせたように、 江戸の交通網の発達は大衆的な

伊勢参りは、 社会全体の「共通意識」形成の手助けとなり、

されなかった。 これがのちの 「御師」 の檀那回りの背景であ

伊勢参りを可能にしたのはいうまでもない。江戸のきち

明治維新があっさりと成し遂げられた要因の一つといわれ

るともいわれる。 「御師」 は直接幣物を奉じて祈ることがで

んとした武士と農民の区別は庶民の安全を約束し、海路

る。 一生村にいるかもしれない人たちが遠く離れた人たち

きない 「檀那」の代わりに祈りを捧げ、代わりに、 大麻と呼ば

輸送の発達によって、 短時間かつ大量に全国へ食料など

と知り合え、 交流し、 また遠く離れた場所の風景や文化に触

れるお祓いの神札や、伊勢暦などを配布して、 信仰を広め

を輸送できる仕組みが 「お蔭参り」 と呼ばれる、約 60 年

れ合える絶好の機会であった伊勢参りは「世間を知る最良

ていった。 交通や情報網の発達、 経済的余裕などと相まって

に一度の周期で起こった 500 万人規模の大移動を可能

の手段」 といわれていた。

にしたのである。

(2) 農業技術の伝播

「一生に一度は」 お伊勢参りをするものだという通念が生 み出された。1584 年 「聖地旅行案内」 をはじめ、 伊勢参りに 付随した旅行案内の出版も盛んになり、大衆化していった。 2. 人類移動史的位置づけ

(2) お互いさま精神の様々な経済的仕組み

伊勢参りをした人々の 「手土産」 などによって、 植物作物の 「品

経済的な余裕によって旅行が一般化したというのもも ちろんあるが、 伊勢参りの最大の特徴の一つはお金がな

種の広がり」 が挙げられ、 現在の稲、 茶、 杉の分布などからも確認 できる。 品種の広がりが生態系に多様性をもたらし、 また、 稲の

ヨーロッパにおいて個人旅行が大衆的に行われ盛んに

いひとでも伊勢参りができるということである。 お金がな

品種交換による農業技術の発達、 農業技術の伝播もみられる。

なるのは 19 世紀はじめまで待たなければならなかった。

いひとでも 「伊勢講」 を通してみんなでお金を集め、 伊勢

(3) 息抜き・気晴らし効果ー社会のガス抜き役

古代ローマでは旅行できる人たちは上流社会層に限られ

参りに行く機会を分け合う仕組みがあり、 また、 道中の施

ていたことを考えれば、 人類の歴史から見ても、 江戸庶民

行、 接待などによって、 柄杓ひとつ持てば伊勢参りできる、 「ぬけ参り」 といい、 神札を持って帰れば、 それも許されてい

親や雇い主などの許可なしに伊勢参りに加わることを

のお伊勢参りは大衆旅行の先がけと考えられる。 建前と

とも言われる。 施行すれば自分に幸せがあると信じられ、

た。 道中での施行なども考えれば、一種の有給休暇の先駆

しての参詣、 本音としての旅行が広まり、 「伊勢参り」 という

沿道の住民に限らず、 遠く離れた人でも街道にやってき

けといえる。徹底された身分制度社会のいわば社会福祉制

名目のおかげで、 一般大衆の移動がまだまだ厳しく制限さ

て接待するのが習慣だったという。 またお金持ちのお参り

度である。 極端に偏った現代社会を平等にするのは難しい

れる封建体制の中ででも、庶民の個人旅行が可能になった

の際、 好んで行われた 「銭まき」 (図 4) も信仰に支えられ

が、 そのアンバランスな状態をバランスよく保つために、 江

のである。

たお互い様精神の経済的仕組みの一つであるといえる。

戸の移動の知恵から学べるものは多い。

参考文献: 宮本常一 (編) 、 伊勢参宮ー旅の民族と歴史、 八坂書房、 1987. ウィンフリート・レシュブルク 「旅行の進化論」 、 青弓社、 1999. 河合利光編著比較食文化論、 建白社、 2000. 鎌田道隆、 「お伊勢参りー江戸庶民の旅と信心」 中公新書、 2013. 宮本常一、 「旅と観光 : 移動する民衆 」 ( 宮本常一講演選集 ;5)、 固定社会にお ける人間の移動、 2014. フレッド・ピアス著、 「外来種は本当に悪者か?ー新しい野生ー THE NEW WILD」 草思社、 2016. 国立国会図書館デジタルコレクション 図 2-5、 7-9) 三重県総合博物館コレクション 図 6、 トップ) 神宮の博物館 図版出典: 図 1)

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仮想巡礼:体験をシェアするメディア

II-7

担当:村松研究室

図 1)エルサレムの聖墳墓

高原 柚

図 2)独・ゲルリッツの聖墳墓の模造

図 3)エチオピアのイスラム聖者廟

図 7) The New York Timesが作ったスマートフォンアプリ (NYT VR - New York Times) で見ることができるメッカ巡礼のVR映像。

エジプト

エ ル サレ ム

アレキサンドリア

図 4) 西国三十三所巡礼の代替である栄螺堂 (円通三匝堂)

図 5,6) 巡礼記には巡礼者や周辺地域が描かれていて旅の過程を想像できる。

1. はじめにー仮想巡礼で非日常を体験する

(2) どう仮想巡礼するのか

巡礼とは、 各宗教に固有の聖地を参拝し、 救済を得て信

図 8) スマートフォンでVR観光を楽しみ、 リハビリのモチベーションとする。

巡礼記に描かれたエルサレム地図で、真ん中にエルサレム

仮想巡礼はその方法で大きく3 種類に分けることが出

が、 その左右に巡礼路に沿って修道院が描かれている。 巡

仰心を深める儀礼で、 古来から様々な宗教で実践されてい

来る。 1 つめは、 同地域の宗教施設を聖地に見立てて巡

礼記や巡礼地図はこのように読者にその過程を想像させ

る。 イスラム教のメッカ巡礼やキリスト教のサンチャゴ・デ・

礼するもので、 キリスト教の聖地エルサレムにある聖墳

る仕掛けを施すものが多く、仮想巡礼を補助する。

コンポステラ巡礼、 四国八十八ヶ所遍路などが有名。 巡礼

墓教会 (図 1) の模造建築(図2)がヨーロッパ各地に見

では聖地での体験だけでなく、 苦難を伴う長い道中での体

られる。 イスラム教では、各地の聖者廟が迷信的にメッカ

験も重視され、 巡礼者は聖俗両方の 「非日常」 を体験する。

の代わりだと信じられ、巡礼者を集める (図 3)。 5 回巡礼

近代以前の巡礼は、巡礼者の金銭的・体力的負担が大き

3. 移動のメリットー非日常体験のシェア 仮想巡礼は、 移動する巡礼によって引き起こされる環境

すればメッカに 1 回巡礼したことになる、 などと具体的

負荷を低減させ、 また、 広い地域に住む様々な境遇の人々

く、 また、 残された家族も財産と労働力の減少に困窮した。

な数字が挙げられているケースもある。 日本には、 四国・

に巡礼で得られる宗教的充実感や好奇心の充足をもたら

それゆえ、多くの人にとって巡礼は一生に一度行けるか行

西国巡礼の 「移し」 として坂東巡礼や秩父巡礼が作られ、

す。非日常体験は個人の知識を増やして生活を豊かにし、

けないか分からないものであった。

関東・東北の巡礼者を集めた。

新たな活動を引き起こしうる。 仮想巡礼は、豊かな社会を

そこで、 聖地に行けない人も非日常を体験出来るように

2 つめは、道や教会堂内通路に絵画や像を設置して巡

編み出されたのが仮想巡礼だ。本パネルでは、 キリスト教、

礼路に見立て、 そこを歩くことで巡礼するものである。 イ

イスラム教、 日本の仏教信仰の仮想巡礼を紹介する。

エスの生涯を著した像を丘の登道に置くサクラモンテ や、 同じくイエスの生涯の絵を並べた教会堂などがある。

作る非日常体験を多くの人々に共有する装置といえる。

4. 現代的意義ー VR で社会の共有知を増やす 仮想巡礼には仮想移動の可能性を読み取ることが出来

2. 移動の概要ー様々な仮想巡礼

日本にも、 建物内通路に三十三観音像を配置し、 それを

る。 2016 年にメッカ巡礼の VR 映像がスマートフォンアプ

(1) なぜ仮想巡礼したのか/なぜ移動しなかったのか

辿ることで巡礼する栄螺堂という文化がある。各地にあ

リ提供されたが(図 7)、 仮想移動を気軽に実現させる代表

る栄螺堂の中でも二重螺旋構造の通路を持つ会津の栄

的な技術が VR だ。介護訓練を受けるお年寄りに VR で世

螺堂は (図 4) 、巡礼路を建築的に立ち上げている。

界各地を観光地を体験してもらい、 リハビリのモチベー

イスラム教やヨーロッパでは、金銭的・体力的に余裕が あり家族に迷惑をかけない状況にある人が巡礼を行って いた。 そのような状況にない人は自分に可能な範囲での巡

3 つめは、文章や絵、 巡礼経験者の語りを手がかりに

礼を志しただろう。 また、 巡礼が可能であっても、 苦難を引

心に巡礼の道のりを思い描いて巡礼するタイプである。

楽だけでなく、複合的な情報を簡単に伝えるメディアとし

き受けたくないために仮想巡礼をした人々もいただろう。

表題画像と図 5, 6 は、 15 世紀末の Erhard Reuwich の

て、 社会の共有知の増加に貢献することも可能である。

ションを上げる活動 (図 8)が行われているように、VR は娯

参考文献: ヤンビーバー (1996) 『迷宮 都市・巡礼・祝祭・洞窟』 , 工作舎 . ノルベルト・オーラー (2004) 『巡礼の文化史』 , 法政大学出版局 . 菅沼晃 , 田丸徳善 (1989) 『仏教文化事典』 , 佼成出版社 , p731-740. 星野英紀・浅川泰弘 (2011) 『四国遍路 さまざまな祈りの世界』 , 吉川弘文館 . 水谷周 (2010) 『イス ラーム巡礼のすべて』 , 国書刊行会 . 片倉もとこ (2008) 『イスラームの世界観 「移動文化」 を考える』 , 岩波書店 . 橋本泰元・宮本久義・山下博司 (2005) 『ヒンドゥー教の事典』 , 廣済堂 . マドゥ・バザーズ・ワング (2004) 『ヒンドゥー教 改訂新版 <シリーズ世界の宗教>』 , 青土社 . 「代替の巡礼と絵 画の機能」 前川久美子、 フランス文化研究 38 号、 p37 PRI's The World(2011) ”Alternative Pilgrimage Destination for Ethiopians,” <https://www.pri.org/stories/2011-11-10/alternative-pilgrimage-destination-ethiopians>. New York Times(2016)”Pilgrimage: A 21st-Century Journey to Mecca and Medina,” <https://www.nytimes.com/2016/07/22/world/middleeast/pilgrimage-virtual-reality-in-mecca-and-medina.html>. 久保田 瞬 (2016) 「お年寄りに元気になってもらうために。 福祉で VR をツールとして使う登嶋 健太氏インタビュー」 , <https://www.moguravr.com/kenta-toshima-interview/>. 図版出典: 図1)Gabriele Barbati(2013) “Who Guards The Most Sacred Site In Christendom? Two Muslims,” <http://www.ibtimes.com/who-guards-most-sacred-site-christendom-two-muslims-1161517>. 図2)GREGOR KOLLMORGEN(2008) “The Holy Sepulchre of Görlitz,” <http://www.newliturgicalmovement.org/2008/08/holy-sepulchre-of-grlitz.html#.Ww5wbC-KWqB>. 図3)PRI's The World(2011) ”Alternative Pilgrimage Destination for Ethiopians,” <https://www.pri.org/stories/2011-11-10/alternative-pilgrimage-destination-ethiopians>. 図4)Wikipedia 「栄螺堂」 , <https://ja.wikipedia.org/wiki/栄螺堂>. 口絵,図5,6)Wikipedia”Erhard Reuwich,” <https://en.wikipedia.org/wiki/Erhard̲Reuwich#cite̲note-2>. 図7)iOSアプリ”NYT VR - New York Times”より, “Pilgrimage A 21st century journey to Mecca and Medina.”よりスクリーンショット 図8)登嶋 健太(2018) 「 【第2弾】 その場にいるようなVR映像でお年寄りに海外旅行体験を」 , <https://readyfor.jp/projects/9837>. 全て2018/05/30アクセス.

2 0 1 8 年 度 東 京 大 学 生 産 技 術 研 究 所

村 松 / 林 研 究 室

生 研 公 開 展 示

B 棟 1 階 ロ ビ ー


ゆるい移住 -現代的出稼ぎ-

III

担当:村松研究室

図 3) 馬路村でのゆるい移住

図2) 出かせぎ数の時系列変化

図1) 賃労働型の出稼ぎの事例

岡村健太郎

図 4) 鯖江市におけるゆるい移住の取組

1. はじめに ここでは近現代における日本国内における移動に対象

行や継承の必要性が生起した段階で、出稼ぎ元に戻って

など、固定しがちな農村内の社会的地位を流動化させると

いくことになる。

いったメリットもあったとされる注3)。

(2) 賃労働型出稼ぎ

4. 現代的意義

を絞り、我々が提案する 「ゆるい移住」 (=移住の目的を予 め設定せず、 とりあえず一度住んでみる暫定的移住) を歴史 的に位置づけていくこととする。

近現代社会ではもっぱら農村から都市へと人は移動した

賃労働型出稼ぎとは、主に高度経済成長期にみられた

近代以降の日本は、マクロにみれば、 戦時期などの特殊

移動形態である (図 1)。 移動の動機は、当初は余剰労働

が、 近年、U ターンや I ターン、J ターンそして我々が提案す

な時期を除き、基本的には余剰労働力を抱える農村部から

力の活用であったのが経済的なものへとシフトしていっ

る 「ゆるい定住」 を含め、 様々な形で農村回帰の動きがみら

雇用力のある都市部への人口移動を基調とした社会であ

た。 基本的には農村部から都市部への U ターン型の移

れる。 そうした農村回帰の動きについては、都市から農村

る注1)。 それは、人口減少社会に突入した現在でも継続し

動で、 場合によっては恒常的なものとなるケースもあっ

への移動という点だけ取り上げれば本稿にて分析した出

ている。一方、 ミクロにみれば、 そうした農村から都市への

た。 出稼ぎ先となるのは、土木建設、機械・化学・金属な

稼ぎにおける復路と比較することも可能である。 例えば、都

一方通行の移動では語れない移動も存在する。 その一つ

どの製造業が中心であった。

が、U ターン型の移動形態となる 「出稼ぎ」 である。

市での経験を農村に持ち帰ることで、単に経済的メリット

そうした移動が可能となる条件としては、生活スタイル の変化や減反政策・農業の機械化等により必要とされ

2. 移動の概要

のみならず、 「伝統的出稼ぎ」 でみたような社会の流動性を もたらすといったことも考えられよう。 ただし、出稼ぎ元と出稼ぎ先がネットワーク化されてい

る労働力が減少したという農村側の条件と、 第二次産 業・第三次産業などが発展し特殊な技能を必要としな

た伝統的出稼ぎとは異なり、必ずしも元居住地に戻るわけ

い労働力を必要とするようになったという都市側の条件

ではない。 そのため、政策的に推進する場合においても、 移

れぞれ移動の動機および移動が可能となる条件について

が挙げられる。出稼ぎの総数自体はオイルショックの

動のフレームワークを固定化するのではなく、 ファジーな

整理する。

あった 1973 年以降単調に減少している (図 2)。

部分を残しておくことが重要であると考える。 それが我々の

3. 移動のメリット

るい移住」 とは、移住先での居住や勤務スタイル等に関す

出稼ぎは、 その社会的性格から 「伝統型出稼ぎ」 と 「賃労 働型出稼ぎ」の大きく二種類に分類できる注2) 。 以下、 そ

提案する 「ゆるい移住」の肝要の一つである。 つまり、 「ゆ

(1) 伝統型出稼ぎ 伝統型出稼ぎとは、主に戦前から高度成長期までにみら れた移動形態である。移動の動機は、 世帯主や跡継ぎの通

賃労働型出稼ぎについては、仕事そのものに対するや

る様々な制約を可能な限り排除し、 まずは実験的にその場

過儀礼や技能の習得などである。農村部から農村部もしく

りがいが感じられない点や、 村の空洞化が進行し集落の

所に住んでみたうえで、 その後の継続的な居住の可能性を

は農村部から都市部への U ターン型の移動で、 季節的もし

紐帯の弛緩をもたらすことなどから、 生態的・社会的メ

模索しようとする社会実験である。現在、高知県馬路村(図

くは期間限定的なものである。出稼ぎ先となるのは酒造や

リットは見出しにくい。

3) や福井県鯖江市 ( 図 4) などいくつかのサイトで実験を

寒天製造などの伝統的工業や行商などの商業、 農林水産

自ら進んで移動し 一方で、伝統型出稼ぎについては、

業、奉公などである。 そうした移動が可能となる条件は、 既

ていたことからも、出稼ぎ元・出稼ぎ先双方に経済的メ

に出稼ぎ元と出稼ぎ先がネットワーク化され、移動が慣行

リットがあったと考えられる。 また、出稼ぎ先で得た収入

として当該社会に組み込まれていることである。 家業の遂

や信頼・評価等により出稼ぎ元での地位を向上させる

参考文献: 1)本展示におけるデータパネル参照

2) 矢野晋呉 『村落社会と 「出稼ぎ」労働の社会学

図版出典: 図1) 公益財団法人新聞通信調査会 「写真展

行っている。

諏訪地域の生業セットとしての酒造労働と村落・家・個人』 (御茶ノ水書房、2004 年) 3) 矢野晋呉・同上

東京の半世紀」 (http://jpri.kyodo.co.jp/309/) 図2)農林省『農家就業動向調査報告書』 より矢野晋呉作成

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図3) 村松研究室撮影

村 松 / 林 研 究 室

図4) 鯖江市ホームページ (http://sabae-iju.jp/)

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