Ecolo Magazine: Life with workshop

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LIFE with “WOR KSHOP” アルゼンチンの DIY スピリット

写真:石塚元太郎 文:numa 構成:石田エリ コーディネイト:Mejunje(Buenos Aires)、 Monica Kogiso(Parana)協力:カタール航空

私 たちの暮らしている高度な産業 社 会 で は、 経 済 と は 〝 体 に と っ

ての血液のような存在〟とみなしてい る。 個 人 的 な 幸 せ に つ い て も、 財 政 再 建 や震災復興という喫緊の課題を前にして も、「 経 済 を 抜 き に は 考 え ら れ な い 」 と 結論づけられることがほとんどだ。 い ま、 力 強 い 血 液 の 流 れ が ス ト ッ プ し てしまわないかと、 世界中がやきもきし ている。 ヨーロッパを中心に悲観的な事 態は進行していて、 日本が次の順番かも しれないそうだ。 社会の安定のため一定 の 犠 牲 を 払 う こ と に 異 論 は な い け れ ど、

かりをこの先も繰り返すのは正しいのだ

「 成 長 」 や「 発 展 」 を 前 提 と し た 議 論 ば

ろうか? 年にデフォルト(債務不履行) を 引 き 起 こ し、 国 家 と し て 無 一 文 の 再 出 発を強いられたアルゼンチンは、 崩壊の 意味を逞しく解釈した人間がひしめいて い る。 活 発 な ゲ リ ラ 部 隊 の よ う に 市 民 は 各 地 で 実 用 的 な ワ ー ク シ ョ ッ プ を 展 開、 生活を建て直すセーフティネットを張り 巡 ら せ た。 現 在 の ブ エ ノ ス ア イ レ ス に は、 日常生活を自分の手で再構築するた めの手段で溢れ返っているという。 嫉妬 す る ほ ど 自 由 な 発 想 と、 ポ ッ プ な ア ウ ト プ ッ ト の 数 々。 そ の 中 に は、 こ れ ま で 私 たちが捨てられなかった経済観念を解き ほどくヒントがあるかもしれない。

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2 0 0 1


1

2

3

日常的な廃材をもキュートに アレンジするアーティスト

Mejunje

メフンヘ

メフンヘはフリアン(右)とメルセデス(左) というアーティストによるユニット。牛乳 パックや缶など、日常的に身近にあるものを 使ったオブジェを制作する。「きっかけは、 二人が恋に落ちたことかな」。メフンヘのモ ノづくりはリサーチ、学習、インタビューが 1. 2010 年にメフンヘは子供たちを集めて、ティーピー(北米先住民の移動式テント)作り、実際に泊まるというワー クショップを行った。2. ブエノスアイレス市内の本屋さんで行ったインスタレーション。主な素材は路上に捨てられて いた家具や絵画。3.「Masa de Trabajo」はテーブルや料理器具から作りはじめる、野心的な食のワークショップだった。

ウエイトを占める。「作り方を知るうちにク リエーターを尊敬できるし、作品に対する愛 おしさも生まれる」。ふたりにとってデザイ ンはさほど重要でない。「生活する力を取り 戻すこと。コントロールから自由になるこ と。それがいちばん大切だと思う。手作業に こだわっている理由はそこにあるんだ」

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本好きに愛される アナーキーなブックショップ

Mario Bocchicchio, Sergio Brauer & Sergio Subero マリオ・ボッチッチオ、セルヒオ・ブラウア&セルヒオ・スベロ

ちょうどこの日は本作りのワークショップ中。アートに文 学、料理、写真などの本を貸出、または販売する。ブック フェアやインターネットを利用し、ブエノスアイレスでは 貴重な書籍や自費出版を多数取り扱う。コンセプトは「自 分な好きな本を」で、リクエストに応じて欲しい本を探し てくれる。貸本と販売本の品揃えは異なるが、販売用の本 でもお金がなければ借りられる。店舗の外壁を利用して上 映も行っている。「映画も面白いけれど、家で眠ったまま の古いフィルムを鑑賞できる機会になったらいいなと思っ て。家族の記録のような個人的なものも多いよ」

ワークショップ用のスペースを

川のほとりに

木の素晴らしさを子どもたちに

自作したジュエラリー

秘密のガレージを持つ船大工

伝えるカーペンター

Rita B Hampton & Jimena Ríos

Guillermo del Papa

Gonzalo Arbutti

リ タ・B・ハンプトン&ジメ ナ ・ リ オ ス

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ギ レ ル モ・デル・パパ

ゴンサロ・アルブッティ

ラプラタ川に面したブエノスアイレス郊外の

昔は食料品店だった店を改築して、ふたりの

「ジュエリー作りは孤独な作業だから、ふた

ティグレという保養地は、DIY 精神をはぐ

編集者と一緒に OTERO というスペースを運

りの方が楽しいと思って」と語るリタとジメ

くむための場所。川の入り組むデルタは利便

営するゴンサロ。オーダー家具作りで生計を

ナは、2010 年に「Taller Eloi」という名で共

性が低く、農作業も大工仕事も自分でこなす

立てつつ、木のパズルや玩具を制作する。も

同作業を始めると、まずは街に出て捨てられ

のが当たり前。中でも船大工のギレルモはエ

ともと子どものためにはじめたという家具作

た棚やランプを拾い集め、作業机も自ら作っ

キセントリックだ。一世紀前のガレージを彷

りのワークショップは、昨年から大人向けの

た。展示会も販売も行えるようにし、週に一

彿とさせる広い仕事場で、クラシックカーや

クラスがスタート。「自分でも驚いたのだけ

度開くワークショップ用のスペースも手作り

古いタンゴのレコードと蓄音機に囲まれ仕事

ど、ウェイティングリストには名前がびっし

で仕上げてしまった「もしもアトリエへ来る

をしている。驚くことに彼は屋号も住所も持

り。多くの人が DIY を必要としている。モ

なら、事前に予約したほうがいいわ。慌てて

たない。「自作のカヤックを漕ぐ。すると新

ノがどのようにできるのか見たことがないか

掃除する時間が必要だから」

たな注文が来る。宣伝費はかからないよ(笑) 」

ら、みんな知りたいと思っているんだ」

Taller Eloi タジェール・エロイ

ティグレへのアクセス

Otero オテロ

☎ 11.2050.1631

レティーロ駅からミトレ線で、ティグレ駅下車(約

Otero 299, Villa Crespo, Buenos Aires

Londress 4293, Agronomía, Buenos Aires

50分)。駅からすぐに遊覧船乗り場があり、クルー

☎なし http://www.facebook.com/otero299

http://www.tallereloi.blogspot.com/

ズツアーでティグレの家並みが一望できる。

Cobra Libros コブラ・リブロズ Aranguren 150, Caballito, Buenos Aires ☎なし http://www.cobralibros.com.ar/

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ダンボールをペイントして

販売よりも修理に命を懸ける

本を作るパブリッシャー

アナーキーな自転車ショップ

Miriam Merlo & Ricardo Piña

Santiago Oliver

ミリアム・メルロ&リカルド・ピニャ

「ダンボールを再利用した事業は、世界各地 で流行している。南米には出版業が多く、近 隣国とは流通関係にあるんだ」。その多くが 貧困層だったという 10 人で運営されている 出版社「Eloisa Cartonera」は今年で 10 周年。 市場価格の 6 倍でダンボール収集人から買い 取り、印刷以外はすべて手作りにて製本。毎 月 200 タイトルを発刊し、その中には人気作 家の同意のもと発売される新作もあるとい う。次なる目標は、作家たちが創作活動に没 頭できるレジデンス作り。すでに土地購入済 みというから本気のようだ。その理由を尋ね ると「出版業界の未来を考えての決断だよ!」

サンチアゴ・オリべル

建物の中庭に面したショップは、外から伺い 知ることができない。基本的に新品は置か ず、足りないパーツはインターネットを駆使 して地球上のどこかから取り寄せる。顧客と の話し合いで作られる年間約 200 台の自転車 は、すべて違うものに仕上がるという。しか し、サンチアゴが熱を入れるのは販売以上に 修理だ。「約 2 0 年前だったけど、僕はアルゼ ンチンで最初のバイクメッセンジャーだっ た。それからずっと生き甲斐。僕の自転車を 欲しがる人が後を絶たないけど、こう言うん だ。『絶対に売らない。ただし、君の自転車 を同じくらいカッコよくリペアできるけ ど?』」 Born In Garage ボーン・イン・ガラージ

Eloisa Cartonera エロイザ・カルトネラ

※住所不掲載 ☎ 15.3640.0958

Aristóbulo del Valle 666, La Boca, Buenos Aires

http://www.borningarage.blogspot.com

☎ 15.5586.7084 http://www.eloisacartonera.com.ar

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計ロープには松ぼっくりを吊るして。

リスマス休暇を過ごしていた頃にさかのぼ

チン人が歴史上もっとも惨めなク

た。 輸出産業が息を吹き返したブラジル経

た分だけアルゼンチン製品が割高になっ

を行ったブラジル製品の価格が割安になっ

張れるはずだった。 けれども通貨切り下げ

傷 で、 ペ ソ は 危 機 に 強 い 通 貨 で あ る と 胸 を

ありとあらゆるワークショップが

気がつけば街には

かない』となったんだ」

な 状 況 が あ っ て『も う、 自 分 た ち で や る し

経 済 自 由 化 を 推 進 し た ア ル ゼ ン チ ン は、 米

り一足先に規制を撤廃し、 市場原理による

カンスを楽しんだ。 小泉政権時代の日本よ

し、 物価の高いヨーロッパやアメリカでバ

あ っ た。 街 に 溢 れ る あ ら ゆ る モ ノ を 消 費

政府は国家の破産を宣言。 固定相場制の放

化。 債務が返済不可能となりアルゼンチン

緊急融資を断られ、 金融危機が一気に表面

みの綱である

の対外債務は

億 ド ル に の ぼ り、 頼

て、 市 民 か ら さ ら な る 反 感 を 買 っ た。 国 家

が 銀 行 か ら 引 き 出 せ る 月 額 の 上 限 を 250 米 ドルに制限するという預金封鎖に打って出

い ほ ど の 資 金 難 に 陥 っ て い た 政 府 は、 国 民

押 し 寄 せ る。 す で に 公 務 員 給 与 が 支 払 え な

預貯金を引き出そうと津波のように銀行へ

プが人気を博し、 誰もが先生を名乗ってい

大工から料理まで、 あらゆるワークショッ

シェアして協同する動きが生まれた。 日曜

の 持 つ 情 報 を 積 極 的 に 共 有 し、 ア イ デ ア を

つけ、 生活を立て直す必要がある……自分

て し ま っ た か ら な の だ。 そ れ ら を 再 び 結 び

進歩と引き換えにコミュニティが分断され

スを放棄してしまった結果なのだ。 技術の

人 び と は 気 づ く。 現 代 が〝実 感 の 無 い 時 代〟と 言 わ れ る の は、 手 や 体 を 使 う プ ロ セ

い る の か を み ん な 忘 れ て し ま っ て い た」

繰り返すうちに、 何がどのように作られて

作 る か 再 利 用 す る し か な い。 け れ ど 消 費 を

ス を 代 表 す る お し ゃ れ な エ リ ア、 パ レ ル モ

「ガ ラ ク タ」 ス ペ イ ン 語 で「 ご ち ゃ ま ぜ」 を意味するメフンヘの家はブエノスアイレ

え て い れ ば、 新 し い こ と が 発 見 で き る」

よ。 自分の隣にあるものにいつも驚きを覚

ら人の周りにはいつも知識が転がっている

「 結 局、 人 間 は 常 に 何 か を し て い る。 だ か

じみ出た時、 同時に深い愛情も生まれる。

自 然 の 関 係 性、 宗 教 観、 生 活 感 が コ ッ プ に

伝統技術が詰まっていると知る。 作り手と

サーチするうち、 そこにさまざまな知識や

に、 モノに対する知識と尊敬が深まるとい

ない方が自由な発想が次々と湧いてくる上

ト を 始 め た 頃 に 気 づ い た の は、 お 金 を 使 わ

般 的 な 肉 料 理)を 作 り、 最 後 に み ん な で 食

で も 自 作 し、 友 達 を 誘 っ て パ リ ー ジ ャ (一

ブ ル と チ ェ ア、 次 に 鍋 や ガ ス 台、 焼 き 網 ま

ショップ「 Mesa de Trabajo 」は〝何でも作 れ る〟が テ ー マ だ っ た。 参 加 者 は ま ず テ ー

メフンヘが去年開いたというワーク

る。 市民は混乱の中に放り込まれ、 社会秩

済はすぐに立ち直ったが、 固定相場制が足

ドルと自国通貨の為替相場を固定すること

たほどだった。必要なのはコーポレート(大

年代前半のアルゼンチンは、 彼らにし て「 バ ブ ル 景 気!」と 言 わ せ る ほ ど 勢 い が

らニュースを見ていたよ」と苦笑する。

ゼンチン人として恥ずかしい思いをしなが

で、 海外からの巨額の投資を輸血用血液の 棄とペソの大暴落、 資本の海外流失、 ハイ

組織)ではなく、 インディペンデント(独立

屋 の あ ち こ ち に 置 か れ て い た。 や が て 話 は

り、 いろいろな場所で拾い集めた小物が部

台が移る。 この時点ではアルゼンチンは無

へ と 飛 び 火 し、 や が て 隣 国 ブ ラ ジ ル へ と 舞

年に 発 生 し た ア ジ ア 通 貨 危 機 は、 悪質なインフルエンザのようにロシア

にうまく乗車できたのだ。

景 な の だ ろ う。 ダ ン ボ ー ル を 利 用 し た お 店

て は 初 期 設 定 の よ う な、 ご く 当 た り 前 の 光

んでいる。 ブエノスアイレスの住人にとっ

キ容器を再利用した鉢植えが家の軒先に並

メフンヘの家にも、 サンチアゴのショッ プにも置いてあった、 プラスチックのペン

居られなくなる性分なのだ

ボロの自転車を見かけると居ても立っても

殺 行 為 な の だ が、 彼 は 意 に 介 さ な い。 ボ ロ

た。 それも無料で。 みすみす顧客を失う自

ワークショップを開催していることだっ

が誰も大統領職を引き受けたがらない奇妙

「リ ー ダ ー シ ッ プ を 発 揮 す べ き 政 治 家 た ち

ンヘのフリアンはさらに回想する。

小 し、 危 機 は さ ら に 深 刻 さ を 増 し た。 メ フ

崩れかけた家屋を覆うように絵の具やペイ

さ ら に「奇 妙 な 出 版 業 者 が い る か ら 覗 い てみよう」と、ボカ地区へ立ち寄ることに。

じように考えていると気づいたのだ。

した方が有益だと、 他店も顧客もみんな同

け合えるし、 貴重な本は多くの人が目を通

た。 競合するよりも共存した方が幸福を分

彼は理想的なシェアについて模索してい

あ れ ば、 販 売 用 あ っ て も 貸 し 出 し て い る。

の 上、 取 り 揃 え ら れ た 書 籍 は リ ク エ ス ト が

て 無 料 で 調 達 し あ う 仕 組 み を 構 築 し た。 そ

ネ ッ ト ワ ー ク を 作 り、 絶 版 本 を 必 要 に 応 じ

た。 不足を補うために彼は本屋さん同士の

戻す決意をした。

チ ン 人 は、 自 ら の 手 で、 失 っ た も の を 取 り

心)。 輸 入 品 に 囲 ま れ た 消 費 生 活 か ら 一 転

づ い た の は、 し ば ら く 経 っ て か ら だ っ た 」

「こ れ が 政 治 的 な 行 為 で あ る と み ん な が 気

「ダンボール出版社」となった。

れ、 今やブエノスアイレスなら誰もが知る

ア ー ト ワ ー ク を 担 当 し て い る。 非 常 に ク リ

ともとダンボール収集人だったが、 現在は

くれた。 話を聞かせてくれたミリアムはも

入れ値ではなく、 あえて定価で買い取って

て彼らに原稿を手渡した。 市内の書店は仕

著 名 作 家 た ち が 現 れ、 著 作 権 を フ リ ー に し

め た と い う。 活 動 が 広 が る に つ れ 賛 同 す る

で書き手のチャンスを広げる橋渡しをはじ

貧困層を支援し、 出版の機会を広げること

そこでダンボールを高値で買い取ることで

てインスタレーションをするふたりだけあ

の は ず れ に あ っ た。 ベ ッ ド ル ー ム と

( 国 際 通 貨 基 金)か ら

メルセデスが最近プレゼントしたフリアン

の メ ニ ュ ー ボ ー ド も 見 か け る し、 雑 誌 の

ントカラーが派手に飛び散っていて、 積み

とメフンヘは言う。 国にお金がなくなり債

う 事 実 だ っ た。 た と え ば コ ッ プ に つ い て リ

よ う に 流 し 込 ん で い た。 冷 戦 後 に 勢 い を 増 パ ー イ ン フ レ。 お 金 と い う 血 液 の 循 環 が 停

の 自 転 車 の こ と に 移 っ た。 「そ の シ ョ ッ プ

ページを切って折り込みランプシェードの

重ねられたダンボールと、 古ぼけた印刷機

イレスのちょっとエキセントリックな 事 情 を 探 る こ と に し た。

は政 治 的 行 為 でもある

ということに気づいた 看板もない建物のベルを押すとロックが 解除された。 暗い廊下をしばらく歩くと地

静寂が嘘のように、 周囲には色とりどりの ると必ず有益な情報が返ってくる。

逆 に 作 り 方 が 知 り た け れ ば、 所 有 者 に 尋 ね

の置かれた部屋、 キッチンとバスルームと 小さな庭。 身の回りのものを何でも利用し

務 を 支 払 え な く な る「 デ フ ォ ル ト」は 集 団

エイティブな仕事として世間からも認知さ

トしたダンボールの切れ端をカバーにした

的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 瓦 解 を 意 味 す る。 預

中 と い う ブ ッ ク シ ョ ッ プ「 Cobra Libros 」 を 訪 れ た。 本 の 販 売、 貸 し 出 し の ほ か に 映

土 曜 日 の 夕 方、 ち ょ う ど ワ ー ク シ ョ ッ プ

る出版社だ。 経済崩壊以降、 作家たちは自

」 ( )は デ フ ォ ル 「 Eloisa Cartonera ト直後に誕生した、 ダンボールを再利用す

トロールから解き放たれ、 代わりに小さな

と 変 わ っ た。 人 び と は 結 果 的 に 大 き な コ ン

フトし、 生活は自分たちの手で作るものへ

事を判断するコンテクストは

金 封 鎖 が 解 か れ た と き、 銀 行 に 残 っ て い た

自信満々の表情で近寄ってきた。

イ ク ま で 扱 っ て い る。 ナ イ ー ブ 少 年 の 面 影

主出版を余儀なくされた。 中流から貧困層

て い た。 「世 界 が 崩 壊 し た か と 思 っ た よ」と

度シ

ゴンサロが自転車を修理していた。こち

円)にて購入した。

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当 時 を 知 る 人 は 肩 を す く め る。 け れ ど も 物

「O t e r o」に到着すると、カーペンターの

1 8 0

(約

金を使わなくても楽しみは転がっている。

にまで価値が下がっ

い。 パ ー ツ を 変 え て 新 品 以 上 に す る よ」

「古 い 自 転 車 が あ れ ば 新 品 を 買 う 必 要 は な

を 残 す 共 同 経 営 者 の マ リ オ は、 そ の ア ン

へ転落した層が極端に増え、 街を徘徊して

トップにはビール片手の仲間が集う。お

10

夕方、 「Born In The Garage」のルーフ

P 49

1 8 0

国民の資産は

お 店 が オ ー プ ン し て 年 半 ほ ど だ が、 サ ンチアゴは新品を販売するビジネスにあま

ニュイな外見とは正反対の大胆なプロジェ

れは、森に分け入って木材を集めるため。

ペソ

り興味を示さない。 それよりも、 埋もれて

ク ト を す で に 実 行 し て い た。 経 済 危 機 以

ガレージには完全に自作の作業車が。こ

き た「 エ ビ ー タ の 生 涯」と い う 本 を

いる中古車を新しく作りかえることに執着

船大工のギレルモは本当に何でも作る。

画 上 映、 路 上 ラ イ ブ、 さ ら に は レ ン タ ル バ

し て い る。 彼 と 話 し て い て 最 も 驚 い た の

生 活 力 を 取 り 戻 し は じ め た の だ っ た。

入ったリサイクル品。でも、あれば便利。

ダ ン ボ ー ル を 収 集 す る 人 の 数 が 激 増 し た。

私たちなら捨ててしまうくらい年季が

降、 アルゼンチンでは本の流通量が激減し

「Cobra Libros」のレンタルサイクルは、

は、 店 の 休 日 を 利 用 し て 自 転 車 リ ペ ア の

ペイン語ばかりが目につく中で唯一理解で

本が

タ イ ト ル く ら い 並 べ ら れ て い る。 ス

の世界に飛び込んだアルゼン

がものすごくアナーキーだから遊びに行っ

よ う な デ コ レ ー シ ョ ン を す る 店 も あ る。

が目に飛び込んだ。 気の向くままにペイン

自 転 車 が 並 ん で い た。 数 々 の 自 転 車 専 門 誌

スピリットの浸透ぶりは想像以上のようだ。

中 海 風 の 中 庭 に 出 る。 そ れ ま で の 怪 し げ な

で取り上げられている店主のサンチアゴが

P C らもフリースタイル。

D I Y

D I Y 50

D I Y

して

て み よ う」と い う こ と に な り、 ブ エ ノ ス ア

に は 知 識 の 交 換 が 欠 か せ な か ら、

20

ンチンのフリースタイルな精神。

止した巨大な国の経済活動はみるみると縮

%。 自国の先行きに不安を覚えた市民は

11

したアメリカ型のグローバルスタンダード

で も あ る ア ー テ ィ ス ト の メ フ ン ヘ は「ア ル

序 は 崩 壊、 暴 動 と 略 奪 が 横 行 し て い た。 生

ロの作品。スタイルに縛られないアルゼ

活必需品は消え、 お金は紙くず同然となっ

メフンヘと同じアトリエで絵を描くパブ

べ る。 食 と い う 楽 し い 行 為 を ゼ ロ か ら 作 る

折り紙の流行は地球の裏側にまで。

試みだった。 彼らが廃材を再利用したアー

のルーフトップには壁一面に折り鶴が。

ミだった。 何も売っていないから、 自分で

自転車ショップ「Born In The Garage」

「 デ フ ォ ル ト 後 に ま ず 注 目 さ れ た の は、 ゴ

のかに香る、甘くさわやかな風味。

%、失業率は

から摘んできてお茶を作るメフンヘ。ほ

かせとなったアルゼンチンは大不況へと突

セイヨウボダイジュの花が咲くと街路樹

入する。 経済成長マイナス

年。アルゼン

デコレーションのセンスはさすが。鳩時

た。 国家の醜態が世界中に配信される様子

との始まりは

メフンヘの自宅は質素なつくりだけれど、

を 鮮 明 に 覚 え て い る と い う、 今 回 の 案 内 役

こ 2 0 0 1 1

050 051

1 3 0 0 I M F

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1 9 9 8

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パラナ川に寄り添い、 繊細な旋律を紡ぎ出す音楽家

Carlos Aguirre

メ フンヘ

叙述的で繊細なメロディがコアなラテン音楽ファンの耳に留 まり、2010 年には初来日公演を果たしたカルロス・アギーレ。 哲学と美学、自然を愛する思想に基づいたサウンドプロダク ションは、従来のラテンミュージックの常識を覆す、多彩な 音世界に満ちている。旋律は瑞々しく透きとおり、そして時 に情熱的なグルーヴを打ちつける。ピアニスト、ギタリスト、 ヴォーカリスト、作曲家という類い稀なる才能を持つアルゼ

『Rojo』Carlos Aguirre

ンチンを代表する鬼才は、南米各地で豪華ミュージシャンと

カ ル ロ ス・ ア ギ ー レ 2004 年 リ リ ー ス の 2nd ア

と も に 録 音 さ れ た、 実 に 4 年 ぶ り と い う ニ ュ ー ア ル バ ム

ルバム。一枚一枚手作りというジャケットの折り

「Orillania」が 2 月 19 日にリリースしたばかり。

重なったブックレットを開くと、月と太陽が水彩で 描かれ、ケースには植物の種があしらわれている。

5 月、来日公演が決定 カルロス・アギーレ&キケ・シネシ ジャパンツアー 2012 現代アルゼンチン音楽を代表するふたりの偉大なアーティスト の 共 演 が 実 現。5 月 10 日 よ り 19 日 ま で、7 都 市 8 公 演 を 開 催。 www.inpartmaint.com/carlos_quique2012 www.nrt.jp

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最 近は年に

回しか地元では演

奏しないという貴重なライブを堪

能した翌日、 街のはずれの川沿いでカルロ ス・アギーレを待った。寂れた倉庫が並び、

ア を 話 し 合 っ て い る 最 中 な の だ と い う。

さんとふたりで、 リノベーションのアイデ

本を常備している家は非常に多い

楽園のような空間。 どうして川のそばがよ

年前に滞在し

か っ た の か と 尋 ね る と「鳥 の よ う に 川 の 生 態系の一部になりたいと、 そうで、 アルゼンチンでは電気や水道くら

アルゼンチンを襲ったとしても

もしも再び、経済危機が が 得 意 な ん で す ね、 と あなたも 同 意 を 求 め る と、 彼 は は に か み な が ら

から」とカルロスは笑いながら付け加えた。

ビスを呼ぶより早いし、 手抜きも工事ない

い は 誰 で も 自 分 で 修 理 し て し ま う。 「サ ー

「音 楽 は 常 に 手 作 り で な く て は い け な い と

たペルーで強く感じたから」と答えた。

ラ タ 川 を 結 ぶ、 南 米 有 数 の 大 河 だ。 し ば ら 思うんだ」

いまでは他人に任せっきりなのだという。

パラソルが差された砂浜で日焼けを楽しむ

く す る と バ ン が 止 ま り、 山 か ら 降 り て き た カ ル ロ ス は 誠 実 に 語 り は じ め た。 演 奏 技 術 の 良 し 悪 し で は な く、 同 じ 人 生 哲 学 を 持

ら手を大切にすることにしたんだ。 最近は

「 一 度、 指 を 深 く 切 っ て し ま っ て、 そ れ か

市街を貫くパラナ川はイグアスの滝とラプ

㎞ ほ ど 離 れ た 田 舎 町。

ばかりの瞑想者のような男が笑顔で駆け

ち、 ライフスタイルの近いレコーディング

アイレスから

寄 っ て き た。 車 の ナ ン バ ー プ レ ー ト に 目 を

メンバーと集い、 尊敬する仲間の意見に耳

」と 答 え た。 こ こ に 引 っ 越 す 前 は

に 積 極 的 に 取 り 組 ん で い た の が、

彼の徹底した芸術への哲学はアートワー クにも表れている。 やはりカルロスと近い

を 傾 け な が ら リ ハ ー サ ル を 繰 り 返 す。

ジャーをもって走り回っているよ」

腕 を 組 ん で 部 屋 を 見 つ め る 横 で、 妻 が メ

自 分 で デ ザ イ ン し た も の を、 大 工 を し て い

て組み立てると家のようになったり、 パラ

ケ ッ ト を 作 っ た。 以 降、 ジ ャ ケ ッ ト を 開 い

ゆっくりと理想に近づく暮らしぶりにとて

描 い た 人 生 が す ぐ に 手 に 入 る と 思 う 反 面、

階に大きなリハーサル室を作って音楽 の ス ペ ー ス と 生 活 空 間 を 切 り 離 せ ば、 思 い

る 妻 の 同 級 生 に 作 っ て も ら っ て い る。 僕 が

感覚を持つという女性デザイナーは、 すべ

ナ の 森 林 破 壊 を 憂 い、 伐 採 さ れ た 植 物 の 種 も満足している。 ひとつひとつ、 プロセス

ゼンチンの伝統音楽にジャズやボサノ ヴ ァ、 ク ラ シ ッ ク を 取 り 入 れ、 繊 細 で 美 し

て手描きでデビューアルバムの

極 端 な 少 な さ か も し れ な い し、 も し く は ブ

ケ ー ス に 入 れ た り、 そ の 音 楽 性 に

プレス数の

エノスアイレスと距離を置く生活スタイル を

並 び、 そ の ま わ り に 古 め か し い ス テ レ オ や

ダイニングにはピアノとシンプルな食卓が

う。 キッチンとリハーサルルームを兼ねた

のを連れて帰り手当をしている最中とい

小 鳥 が 床 を 歩 い て い た。 外 で 傷 つ い て い た

と、 彼の家に案内された。 足を引きずった

「 川 の そ ば で 暮 ら す の が 長 年 の 夢 だ っ た」

その確固たる信念は仕事以外の場所で も 変 わ ら な い と い う。 日 々 丁 寧 に 暮 ら す こ

に し た い か ら」

「僕 は 結 果 を 求 め る よ り も プ ロ セ ス を 大 切

た新しくプレスをすればいいと考えている。

スし て ジ ャ ケ ッ ト を 作 る 。 売 り 切 れ た ら ま

ルで販売する。まずは

る。 完成した新しいアルバムは自主レーベ

寄り添う興味深い仕掛けを毎回見せてくれ

よ。 でも何も手に入らない状況だからこそ

が起きるかもしれないとヒヤヒヤしてる

は、 辛酸をなめたアルゼンチン人と同様に

要国は中国だけ。 けれどカルロスの眼差し

これほどの高成長が

皮肉にもアルゼンチンは、 経済危機の翌 年 か ら か ら 字 型 の 回 復 を 見 せ、 年 連

を 重 ね て い る 実 感 を 味 わ え る か ら だ。

メイドにこだわるが故の

が影響しているのかもしれない。

コンガ、 そして植物が置かれている。 その

と で、 音 楽 表 現 は よ り 深 く な る と カ ル ロ ス

5

年以上続いている主

% 台 と い う 奇 跡 的 な 回 復 を 記 録 し た。

V

て 学 ん で い る。 そ の 時 が 来 た ら、 僕 は ま た

シ ニ カ ル だ。 「ま た 近 い う ち に デ フ ォ ル ト

5

8

枚だけプレ

ほ か に ベ ッ ド ル ー ム と、 も う ひ と つ の 仕 事

想像力が溢れ出すことを、 みんな体験とし

D I Y

部 屋。 彼 が 最 も 気 に 入 っ て い る 裏 庭 へ 出 は 確 信 し て い る の だ。

いている。 鳥の声が心地良く耳を刺激する

た。 大 き な 木 が 心 地 良 い 日 陰 を つ く り、 手

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入れされた芝生には大小さまざまな花が咲

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ゼロから、 プロセスを積み重ねていくよ」

ジャ

い音楽を生み出してはリスナーを驚かせて

」と書かれていた。

落とすと「

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き た。 彼 の 存 在 に 謎 を 感 じ る の は、 ハ ン ド

カルロス・アギーレはコアな音楽ファン が 心 酔 す る ミ ス テ リ ア ス な 音 楽 家 だ。 ア ル

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人の姿が見える。 ここパラナは、 ブエノス

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で家を建てる分厚いマニュアル 本 を 本 棚 か ら 取 り 出 し て 見 せ て く れ た。 奥

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日が西に傾く中、最もお気に入りの場所であるパラナ川のほ

カルロスの演奏を無料で好きなだけ聴ける特権を持つのは、

食卓とピアノが並ぶ、リハーサルルーム兼ダイニング。鳥と とりを案内してくれた。湾のように広い大河だった。

お隣さん。アルゼンチン人は近隣との関係を大切にする。

虫の声が聞こえる夕暮れ時、カルロスは静かに鍵盤を叩いた。

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