アクティベート ・ リーフ No.706
DON’T WORRY, BE HAPPY! 心配
! に ー ピ ッ を捨て、ハ
私には得意なことがいくつかあ ります。掃除をする、何かを企画 する、責任を人に任せる、そして 場を取り仕切る。また、給料をい ただけるほどの料理は作れるし、 文章もわりとうまく書けます。で も、まだどうやって売り込めばい いのかわからない技能が一つあり ます。ちゃんと売り込めば、お金 を稼げることはほぼ間違いないほ ど得意なことです。それが何かと いうと、かなりの腕前と独創性を 持って心配できることであり、そ れにはきっと何らかの価値がある に違いないと思うのです。 私は、企業についてであれ個人 についてであれ、起こりうる最悪 の事態や結末を見事に思い浮かべ ることができます。実際に起こり うることについてもそうですが、 素晴らしい映画の台本ができるほ どとっぴなことについても心配で
マラ・ホドラー
きるのです。この技能を何とか役 立てたいものですが、今のところ、 それはむしろ障害になっています。 平安と平穏を私から奪い、たくさ んの時間と精力を無駄にさせてい るからです。 神の言葉は、心配することにつ いて明確な姿勢を示しています。 「あすのことを思いわずらうな。あ すのことは、あす自身が思いわず 1 他にも、こんな言 らうであろう。 」 葉があります。 「何事も思い煩って 2 聖書がこれほど明 はならない。 」 確に、思い煩うな、心配するなと 言っているのに、私はどうしてこう もやすやすと心配してしまうので しょうか。 心配することで、人生から喜び をすべて奪われたことが幾度もあ ります。起きたこともない悲劇を 想像して実際に泣いたこともある し、生じてもいない困難について
腹を立てたり、現実化したことの ない問題にストレスを感じたこと だってあります。 泣き崩れ、心配し、思い悩みな がら眠れぬ夜を過ごしたというの に、朝になれば悲劇など何一つ起 きておらず、自分がバカに思える ことが時々あります。それを何度 も繰り返したので、いかに虚しく 無益なことをしているのかと、よ うやく気づき始めました。その癖 を断ち切れたとか、驚きの瞑想法 を使って心配を根絶できたとかい うわけではありません。ただ、心 配するのをやめるべきだと思い始 めたのです。スパッとやめるべき だと。 私がアメリカの作家であり講演 家であるデール・カーネギーから 学んだことをいくつか紹介したい と思います。