アクティベート ・ リーフ No.705
心に喜びがないとき・・・
コップ には 何 が入ってますか? 築紫 裕子
い
つも喜んでいられる人などいません。それな
分の良い行いや努力の結果として聖霊が心に満ちる
あります。 「そんなの無理でしょ!」と言いたくな
りますよね。私も最初にその言葉を読んだ時には、
ところが、聖書の勉強会の時のことです。ある牧 師がこう説明していました。「多くの人が、心のコッ
のに、聖書には「いつも喜んでいなさい」と
「そんな不可能なことを要求するから、聖書はちょっ と・・・」と感じたり、逆に「そんなこと自分にはで
きないから、私はクリスチャンにはなれない」と思っ たりしたものです。
でも、後になって聖書を勉強するにつれ、聖書に ある「喜び」とは、私たちが思うような、何かいい
ことがあったから嬉しい、という感情的なものでは ないことが分かりました。
それは、状況や、成功や、達成などによるもので
はなく、心に天からの愛と喜びと力が溢れている状 態を指しているのです。環境によるものでもなけれ ば、自分の努力や修行によって到達する心境でもあ りません。聖書が語る「喜び」は、神様からの聖霊 に満たされた結果、心に宿るものなのです。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、 善意、忠実、柔和、自制であって・・・」 -- 聖書 ガラテヤ書 5 章 22-23 節
神の御霊、すなわち聖霊は、恵みによって与えら れるので、誰でも求めるなら受け取れると約束され
ています。そのことを頭では知っていても、つい自
んだと思ってしまいがちです。
プがどのくらい聖霊で満ちているかを考える時に、 空っぽのコップに聖霊が入っているところをイメー
ジして、半分ぐらいだとか、三分の一ぐらいかな・・・ などと言います。でも、聖霊は、そんなふうに心に入っ てくるのではありません。神様はいつも溢れるまで に聖霊を送ってくれるけれど、心を明け渡した分だ けしか入ってこないのです。」
これを聞いて私はハッとさせられました。そして、 急に一つの映像が頭に浮かんできたのです。カフェ
のテーブルに蓋つきの大きな紙コップが置いてあり、 中には冷たい飲み物が入っています。喉が渇いてい て心ゆくまで飲みたいと思っても、ストローで飲み 始めるとあっという間に飲み干してしまい、蓋を開
けると氷ばかりがいっぱい残っています。 「なーんだ、 3 分の 2 が氷じゃないか。今度からは、氷なしで注 文しようかな・・・」と思っている自分がいます。
すると今度は、コップの中の氷が砂利に変わった
のです。そして、思いました。もし、私たちの心の 中が砂利で一杯だったら、心のコップに聖霊が少し しか入らなくても当たり前だなぁ・・・と。
人の心には、怒り、妬み、恨みなど、マイナスの
思いが沢山沈んでいます。砂利のように重たくて、