現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展図録

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現代京都藝苑 2021

Kyoto Contemporary Art Network Exhibition 2021

悲とアニマⅡ ~ いのちの帰趨 ~ Grief and Anima II: The Edge of Life

建仁寺塔頭・両足院


出品作家

池坊

由紀

入江

早耶

大西

宏志

大舩

真言

岡田

修二

勝又公仁彦 鎌田 小清水

東二 漸

近藤

高弘

関根

伸夫

成田

克彦

松井

紫朗

吉田

克朗


現代京都藝苑 2021

Kyoto Contemporary Art Network Exhibition 2021

悲とアニマⅡ ~いのちの帰趨~ Grief and Anima II : The Edge of Life

▪企画趣旨 2015 年 3 月に北野天満宮で開催した現代京都藝苑 2015「悲とアニマ」展は、日本の伝 統的感受性とは何かを理論と実践の両面から考察する日本学術振興会科学研究費助成事業 「モノ学・感覚価値研究会」の活動の一環であった。当時、2011 年 3 月 11 日に発生した 東日本大震災の記憶が徐々に薄れつつある中で、改めてそれがもたらした衝撃と向き合い、 そこから名もない全ての生の悲しみに心を寄せつつ、現代美術を通じて社会の安寧と賦活 の方向性を模索する試みであった。 2020 年、私達は新たに新型コロナウィルス禍に見舞われた。これまで盤石と思われて いた近代文明が想像以上に脆弱であり、誰もが底知れぬ不安に包まれる中で、今改めて本 当に大切なものとは一体何かが問われている。古今東西の叡智が教えるように、生の充実 は死と向き合う中にあり、そこにこそ日本の伝統的感受性も自ずから現代的なかたちで立 ち現れるのではないだろうか? この観点から、 東日本大震災から 10 年目の 2021 年に「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」 展 は 開 催 さ れ る。 第 1 会 場 の 建 仁 寺 塔 頭・ 両 足 院 で は「 彼 岸 」 を、 第 2 会 場 の The Terminal KYOTO では「此岸」を象徴する展示を行う。

▪会

(文:秋丸知貴)

期:2021 年 11 月 19 日(金) ~ 11 月 28 日(日)

▪第 1 会場:両足院(京都府京都市東山区小松町 591) 監 修:鎌田東二 企画協力:山本豊津 企 画:秋丸知貴

▪第 2 会場:The 監 企

Terminal KYOTO(京都府京都市下京区岩戸山町 424)

修:山本豊津 画:秋丸知貴

▪インストーラー:成田貴亨・小林賢一 ▪主 催:現代京都藝苑実行委員会 ▪後 援:両足院・The Terminal KYOTO・上智大学グリーフケア研究所

▪協

賛:株式会社サンレー・一般社団法人日本宗教信仰復興会議・ 京都伝統文化の森推進協議会 ▪協 力:村井修 写真アーカイヴス (村井久美) ・京都大学こころの未来研究センター・ 豊和堂株式会社 ▪図録デザイン:KOTO DESIGN Inc. 山本剛史 ▪裏表紙写真提供:The Terminal KYOTO 特に断りのない場合、第 1 会場(両足院)の写真は田邊真理が、 第 2 会場(The Terminal KYOTO)の写真は成田貴亨が撮影した。

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「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展の「悲」と「アニマ」 鎌田東二(本展監修者・宗教哲学者)

悲のみやこ おきてやぶりの 雷光と ともに翔けゆけ アニマの鳥よ

今、世界は「悲」の洪水である。ウクライナ問題は言うまでもなく、コロナ下でのさまざま な制限と葛藤、激甚化する自然災害。世界は、その外界も内界も「悲」にまみれて溺れかけて いる。溺死寸前の状況にある。絶体絶命の事態にある。 そのような中、2021年11月に、15 人のアーティストたちとともに「悲とアニマⅡ~いのち の帰趨~」と題する展覧会を開催した。その伏線をなす最初の「悲とアニマ」展は、2015 年 3 月 7 日から 14 日まで北野天満宮を会場にして行なった。神楽殿及び社務所では、大西宏志、 岡田修二、勝又公仁彦、狩野智宏、鎌田東二、上林壮一郎、スティーヴン・ギル、坪文子、松 生歩、丸谷和史、三宅一樹、渡邊淳司による展示。茶室梅交軒では、近藤高弘と大舩真言によ る鎮魂茶会。境内駐車場では、やなぎみわの移動舞台車で、淡路人形座による「戎舞」、くー だら劇団による電気紙芝居、鎌田東二と河村博重による鎮魂能舞。実に多彩で多様な曼荼羅的 展示とパフォーマンスであった。その時の「悲とアニマ」のトリガーとなっていたのは、言う までもなく東日本大震災と福島原発の炉心溶融である。 それから 6 年半が経ち、 「悲とアニマⅡ」展を「いのちの帰趨」と副題を付して開催した。 「アニマ(anima) 」とはいのちやたましいを表わすラテン語で、ギリシャ語の「プシュケー (Ψυχή) 」に由来する。 「悲(grief) 」とは、いのちやたましいが圧死するまでに追い込まれて いる事態を指している。いのちがいのちとして発動できない事態。さまざまなレベルで抑圧と 弾圧と殺戮と破壊が拡大している。とどまることを知らない、増殖し続ける暴力の連鎖。 そのような事態の中で、 「悲」を嘆くばかりでなく、「アニマ」、すなわち、いのちやたまし いをどのような開放の回路に差し向けることができるか?

その希求とビジョンを個々のアー

ティストの想像力に託したのが本展「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展であった。 その際、本展のもう一人の監修者である山本豊津の発案により、会場を 2 つの「岸」ないし 「エッジ」 (際・縁)に見立てた。山本は現代芸術に「エッジ」が立っていないことにいら立っ ていた。この時代状況の中で「エッジ」に立ってダイビングする。その先が、宇宙でも、地中 でも、大洋でもよい。こころやたましいの深淵であってもよい。エッジに立って飛び込め! 山本は檄を飛ばした。そして、2 つの会場の 1 つを「彼岸」 (建仁寺塔頭両足院)に、もう 1 つは「此岸」 (The Terminal KYOTO)に見立てた。 この見立ては、実際には賀茂川を挟んで空間デザインされた。賀茂川の向こう側、東山山系 の麓のお寺に「彼岸」がある。そして、賀茂川のこちら側、京都市内の繁華街の町家に「此岸」 がある。アーティストも観賞者も、その両岸、here と there の edge を往き来した。彼岸に渡り、 此岸に戻る。あるいは、此岸に渡り、彼岸に戻る。彼此を自由に往来する。その中で「アニマ」 の開かれと発動を企図した。その企図が成功しているかどうか、それぞれがそれぞれの感覚価 値で判断していただきたい。 あの世とは この世の極み 無尽崎 はて

見果てぬ夢の その果ての涯

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関連イベント ▪シンポジウム①「もの派の帰趨──小清水漸の芸術を中心に」 日時:2021 年 11 月 7 日(日)午後 1 時~ 5 時

会場:京都市立芸術大学ギャラリー @KCUA 挨拶: 赤松玉女(京都市立芸術大学学長)

小清水漸(彫刻家・京都市立芸術大学名誉教授) 吉岡 洋(京都大学こころの未来研究センター教授) 稲賀繁美(京都精華大学教授・国際日本文化研究センター名誉教授) 松井紫朗(彫刻家・京都市立芸術大学教授) 近藤高弘(陶芸・美術作家) 山本豊津(東京画廊代表取締役社長) 司会: 秋丸知貴(上智大学グリーフケア研究所特別研究員) 主催: 現代京都藝苑実行委員会 共催:京都市立芸術大学

▪献華式(非公開)

献華式(撮影:田邊真理)

日時:2021 年 11 月 18 日(木)午後 2 時~ 2 時 30 分

会場:両足院 本堂

池坊由紀

▪アーティスト・トーク「悲とアートと宗教」 日時:2021 年 11 月 18 日(木)午後 2 時 30 分~ 4 時 30 分

会場:両足院 挨拶:伊藤東凌(両足院副住職) 趣旨説明:鎌田東二(上智大学大学院実践宗教学研究科特任教授・京都大学名誉教授) 展示紹介:山本豊津(東京画廊代表取締役社長) 企画説明:秋丸知貴(上智大学グリーフケア研究所特別研究員) 作品解説:出品作家

▪「手に取る宇宙」茶会(非公開)

日時: 2021 年 11 月 19 日(金)午前 10 時~ 12 時 会場: 両足院 茶室(水月亭) 松井紫朗

▪「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」茶会(非公開)

「手に取る宇宙」茶会(撮影:秋丸知貴)

日時: 2021 年 11 月 21 日(日)午前 10 時~ 12 時 会場: 両足院 茶室(臨池亭) 近藤高弘

▪シンポジウム②「宗教信仰復興と現代社会」 日時: 2021 年 11 月 21 日(日)午後 1 時~ 5 時

会場: 両足院 本堂

水谷 周(一般社団法人日本宗教信仰復興会議代表理事・日本ムスリム協会理事) 島薗 進(上智大学グリーフケア研究所所長・東京大学名誉教授) 鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授) 加藤眞三(慶應義塾大学名誉教授・内科医) 弓山達也(東京工業大学教授) コメンテーター:伊藤東凌(両足院副住職) 司会: 島薗進

▪「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」鎮魂能舞舞踏 日時: 2021 年 11 月 21 日(日)午後 5 時 15 分~ 6 時 会場: 両足院 本堂

鎌田東二(フリーランス神主・神道ソングライター) 河村博重(観世流能楽師・京都芸術大学非常勤講師) 由良部正美(舞踏家・スペース ALS - D 主宰)

「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」茶会 (撮影:勝又公仁彦)

▪シンポジウム③「日本人と死生観」

日時: 2021 年 11 月 23 日(火・祝)午後 1 時~ 5 時 会場: 京都大学稲盛財団記念館 3 階大会議室

やまだようこ(京都大学名誉教授・立命館大学上席研究員) 鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授) 広井良典(京都大学こころの未来研究センター教授) 一条真也(上智大学グリーフケア研究所客員教授・作家) 司会: 秋丸知貴(上智大学グリーフケア研究所特別研究員)

▪シンポジウム④「グリーフケアと芸術」 日時: 2022 年 1 月 9 日(日)午後 1 時~ 5 時 会場: ZOOM

鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授) 秋丸知貴(上智大学グリーフケア研究所特別研究員) 松田真理子(京都文教大学教授) 木村はるみ(山梨大学准教授) 大西宏志(京都芸術大学教授) 勝又公仁彦(京都芸術大学准教授) コメンテーター:奥井遼(同志社大学准教授) 司会: 鎌田東二

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鎮魂能舞舞踏(撮影:秋丸知貴)


大舩真言

Makoto Ofune 1977- 画家・美術家

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左上

両足院

唐門前庭

左下 《WAVE #128》2021 年 右上 《VOID δ》2012 年 右下 《Reflection field ── Kannonji, Omi》2021 年

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鎌田東二《合一(石巻市雄勝町石神社)》2014 年(短歌 2021 年)

いのち立つ おのれ知りたる 山神の いわ

いしぶみ

巖に書きたる 愛の碑文

鎌田東二

Toji Kamata 1951-

詩人・京都大学名誉教授

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奥 《再び森が薫る》1991-1993 年頃(2021年修復) 手前 《eternal commons》1996-2021 年

《eternal commons》1996-2021 年

勝又公仁彦 7

Kunihiko Katsumata 1967-

現代美術家・京都芸術大学准教授


《水辺 76》2016 年

岡田修二

Shuji Okada 1959 -

画家・成安造形大学教授

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《巡り──いのちが去り》2021 年

池坊由紀 9

Yuki Ikenobo 1965 - 華道家


(左下撮影:秋丸知貴)

松井紫朗

《大黒》2021 年

Shiro Matsui 1960 - 彫刻家・京都市立芸術大学教授

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《ENTERING KINGYO-TABLE-STATION》2015 年

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《青面金剛困籠奈ダスト》2020 年

入江早耶

Saya Irie

1983 -

現代美術家

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床の間 《瓦礫または停止した時計》2011 年 手前 《TSUNAMI 2021》2012-2021 年

大西宏志 13

Hiroshi Onishi

1965 -

映像作家・京都芸術大学教授


《雪のひま》2010 年

小清水

Susumu Koshimizu

1944-

彫刻家・京都市立芸術大学名誉教授

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《位相》1968 年

関根伸夫 右

成田克彦

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Katsuhiko Narita 1944-1992

現代美術家

Nobuo Sekine

1942-2019

現代美術家

村井修撮影《関根伸夫「位相 - 大地」1968 年》2016 年(撮影:成田貴亨)

《SUMI》1968 年

吉田克朗

Katsuro Yoshida 1943-1999

現代美術家

《触》1996 年


近藤高弘

Takahiro Kondo 1958 -

陶芸家・現代美術家

上左 《Reduction》2014 年

上右 《Reduction》2014 年

下左 《真なる金》2021 年

下右 《鎮獣十二支》2021 年

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「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展 作品解説

日本の伝統的感受性は、現代美術に何をもたらせる

秋丸知貴(本展企画者・美術評論家)

な虹彩は、庭先に広がる鉱物や植物の鮮明な白色・青色・

同時代のアートシーンにおいて、君臨する西洋と

緑色の微粒子と呼応すると共に、銀河にも清流にも感じ

台頭する中国の狭間に埋没しつつある日本は、何を独自

られて、天(彼岸)と地(此岸)を繋ぐ象徴となる。緩や

なものとして世界に貢献できるか?

かに湾曲しつつ内発光するかのようなこの自立絵画作品

か?

近年、未曽有の天

災・人災が頻発する中で現代美術には一体何が可能なの

は、異界に踏み込んだことを包み込むように感受させ、

か?

場を聖なる超常空間へと転換させる「現代の金屏風」で

現代京都藝苑 2021 は、芸術と学術の総合イベントで

シフト

ある。

ある。日本の伝統的感受性の今日的意義を追求し、現代

枯山水庭園である方丈前庭を抜けると、京都府指定名

美術の展覧会「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展を主

勝庭園である池泉廻遊式の書院前庭が現れる。池を挟ん

イベントとし、献華式、二つの茶会、能舞舞踏、そして

だ両岸に、二体の人物像が座禅を組んで向き合っている。

四つの学術シンポジウム等を開催した。

共に、近藤高弘の《Reduction》(2014 年)である。両者と

「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展は、第一会場を

も顔が中空で、外宇宙を内宇宙に反転させている。禅の

両足院、第二会場を The Terminal KYOTO で行った。展

一つ境地が己を空しくして世界に溶け込む無心にあると

示テーマとして、鳥辺野に近い前者を「彼岸」 、市街地

するならば、この両者の間には超精神的な木霊が共鳴し

にある後者を「此岸」とするのは、両者の間を流れる賀

ている。西洋の立像が持つ動的活動性に対し、東洋の座

茂川を生死の境界と見なす京都古来のサイト・スペシフ

像が持つ静的観照性を指摘した山折哲雄の『 「坐」の文

ィック性を踏まえると共に、霊魂の顕幽循環を信じる日

化論』(1981年)を援用すれば、ここには最も純化された

本の伝統的な死生観を醸し出す意図もあった。

現代の東洋的な瞑想感覚が息衝いている。 書院前庭の最奥には、六帖席の茶室臨池亭がある。そ

両足院 第一会場の両足院は、建仁寺の塔頭である。建仁寺は、

きに円陣を組んで展示した。この作品は、古代中国で墳 墓の守護のために置かれる副葬品の鎮墓獣を現代的に解

禅宗と喫茶を中国から導入した栄西が創建した仏教寺院

釈した、十二支を象る十二体の陶製像である。床の間に

である。禅寺としては京都最古であり、京都五山の第三

は、 「金」文字で「真」を描き「鎮」を意味する近藤自

位の名刹である。古来、 「建仁寺の学問面」と言われる

筆の掛軸《真なる金》(2021 年)も掛けられた。

ほど学問研究が盛んであり、その中核を担う両足院は室

近藤は、会期中の 11 月 21 日にこの臨池亭で茶会「悲

町時代中期まで「五山文学」の最高峰とされていた。ま

とアニマⅡ~いのちの帰趨~」を催した。用いた茶碗は、

た、今日では現代美術の展覧会が積極的に開かれること

器自体が流動し結露しているかのような自作の銀滴碗

でも有名である。 「美と知」を追求する現代京都藝苑

《波》(2015年) である。来客は十二体の鎮獣から自らの

2021 の舞台として、正に適した会場である。現代京都

干支像だけ取り出して床板に飾り、聖なる円陣が幻出す

藝苑 2015 の第一回「悲とアニマ」展が神社の北野天満

る異次元の磁場の中に座り、一服の後瞑目しつつ近年の

宮を会場としていたので、 「悲とアニマⅡ」展は仏教寺

頻発する災厄の鎮静を祈念した。なお、この茶会は、水

院で開催することで、日本の伝統的な宗教文化の特徴で

を貯える「器」という意味で茶碗と人体が相似形であり、

ある「神仏習合」を示唆する意味合いもあった。

それがまた屋外で向き合う顔面中空座禅像二体とも呼応

両足院の入口である唐門を潜ると、前庭には白砂と青

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の畳の上に、近藤高弘は《鎮獣十二支》(2021 年)を外向

することを示す趣向であった。これらは、「茶禅一味」

松と緑苔に囲まれた踏石が長く続いている。最初に玄関

の本家本元である建仁寺の塔頭境内という場所の固有性

で迎えるのは、大舩真言の《WAVE #128》(2021年)で

を尊重すると共に、芸術における宗教的・実用的要素を

ある。この作品の群青の岩絵具が生み出す光り輝く微細

重視する点でやはり日本の伝統的感受性を生かすもので


あったといえる。

つまり、この作品は、黒く染めたシダレグワを∪型に設

両足院の屋内に入ると、応接室の床の間には、鎌田東

え、ツルウメモドキの無数の赤い実をあしらい、前に常

二の写真《合一(石巻市雄勝町石神社) 》(2014年) が掛

緑の若松を立てたものである。展示構成上、これは第二

けられている。脇には、同じく鎌田の短歌「いのち立つ

会場の The Terminal KYOTO の床の間で、白く脱色した

おのれ知りたる

いわ

山神の/巌に書きたる

いし ぶみ

愛の碑文」

シダレグワを∩型に垂らし、グロリオサの赤い花弁を一

が添えられている。朝靄の中で巨石の磐座に絡み付く人

つ挿し、アンスリウムの茶色の枯葉で飾った《巡り──

体のように艶めかしい巨大な神木は、大自然の凝縮とし

いのちが生まれる》(2021 年)と呼応している。この一

て強い神性を感じさせると共に、生命の飽くなき逞しさ

対で黒白や実花や若老を対比する円環構造について、池

も感受させる。なお、宮城県にある雄勝町は「日本一美

坊自身は「彼岸の作品は『命がもどっていくさま』、此

しい漁村」と呼ばれていたが、東日本大震災後に巨大な

岸の作品は『命が産み落とされるさま』 を表現している」

防潮堤が建設されて往年の面影が失われたことも付記し

と説明している 1。その意味で、これらはただ単に情緒

ておこう。

的に美しいだけではなく、日本の伝統的死生観を表現す

この応接室の床の間で、鎌田の作品と共に設えられて いるのが、勝又公仁彦の《eternal commons》(1996 -2021年)

コンセプチュアル・アート

る熟考された観 念 芸 術でもある。 ここで興味深い点は、この池坊の《巡り──いのちが

である。三宝に敷かれた米粒の上の枯枝と蝉の骸や、水

去り》は他者との協同作業により完成する美術作品だっ

晶、貴石、岩石、化石、貝殻、珊瑚、枝葉等からなるこ

たことである。つまり、この作品は、最後に池坊から委

の作品は、生命の循環を暗示すると共に大自然への畏敬

ねられた若松を鎌田東二が挿して完成した。これは、近

の念も表している。また、 《eternal commons》は別室に

代西洋美術が個人の制作による作品完結を基本原則とす

も続き、自然風景等を映した写真や動画が加わると共に、

るのに対し、連歌的協働を本質的要素とする点で日本の

勝又が 2021年に修復した巨大な絵画や写真の複合作品

伝統的感受性に基づくものであったといえる。さらに、

《再び森が薫る》(1991-1993年頃)とも組み合わされている。

鎌田は会期中の 11 月 21 日にこの《巡り──いのちが去

その濃密に描写された森林風景の中で一際目を引く黄色

り》の前で、本尊に鎮魂能舞舞踏「悲とアニマⅡ~いの

アニマ

い裸体像は、外なる自然と内なる自然の魂の照応を象徴

ちの帰趨~」を奉納した(演者:鎌田東二・河村博重・

している。このインスタレーションは、作家の急逝した

由良部正美) 。これもまた、芸術における宗教的要素を

亡妹へ捧げられたオマージュでもある。

重視する点でやはり日本の伝統的感受性を生かしたもの

本堂に入ると、何よりもまず岡田修二の巨大平面作品

だったといえる。

《水辺 76》 (2016 年)が目を惹く。一瞬写真かと錯覚す

この池坊の作品の右隣りには、松井紫朗の《ENTERING

るが、スーパー・リアリズムの手法で描かれた紛れもな

KINGYO-TABLE-STATION》(2015 年)が展示されている。

い油彩画である。この連作で描かれているのは滋賀県の

これは、机状の本体の天面に外部に張り出た回遊水路を

琵琶湖周辺の水辺であり、その豊富な水量が長大な琵琶

持つ鉢が合体し、その水の中を生きた金魚が泳いでいる

湖疎水を通じて、飲料、用水、防火、発電等で隣接する

彫刻作品である。この脚付台状の形体は、近代西洋彫刻

京都の日々の暮らしを支えている背景がある。水面に浮

が人間の精神的産物を自然から分離するために要請する

かぶ枯枝や果実は、生命の帰趨とその絶え間なき循環を

「台座」を「脱構築」(J・デリダ)する 2 、師匠筋に当た

描示している。この作品は、年来岡田が提唱する近代西

る小清水漸の「作業台」シリーズの問題意識を継承する

洋の支配収奪型とは異なる普遍伝統的な共生循環型の自

ものである 3 。また、生物を作品の本質的要素とする点

然観を模索する「自然学」の一つの絵画的実践である。

で、近代西洋美術が作品を「死んだ自然」(=静物)によ

その岡田の作品の右隣りの本堂中央では、内陣の前に

り構成するのとは別の表現論理を実践するものである

ナチュール・モルト

池坊由紀の《巡り──いのちが去り》(2021年)が展示さ

(その点で、この「生魚」による美術作品は隣り合う池坊の「生花」

れている。これは、池坊が会期前日の 11 月 18 日に行っ

による美術作品と同じ問題構造を持っている) 。また、この松

た献華式で、本尊の阿弥陀如来立像に捧げた美術作品で

井の作品の鉢を泳ぐ金魚は、屋外の庭園の池を泳ぐ鯉と

ある。この作品で、池坊は華道本流の次期家元として、

呼応している。さらに、方丈前庭に面して縁側脇の犬走

いけばなが仏への供花に由来するという文化的伝統に則

(2021 年)は、 に設置された天面に水を湛える松井の《大黒》

ファイン・アーティスト

コンセプト

りつつ、一人の 美 術 家 として観 念を重視している。

同じ縁側脇の犬走に元から設置されている大型の手水鉢

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と応答している。その点で、これらの作品には外界から

の南三陸町で拾い、それを載せている薄い正方形の硯石

の遮断的自律を基調とする近代西洋美術とは別の展示論

を雄勝町で収拾した。つまり、この両者はどちらも前年

理が働いている。

の大地震と大津波を経験した遺物である。また、畳の上

そして、松井は会期中の 11 月 19 日に、書院前庭のも

に設置された《TSUNAMI 2021》(2012-21年) は、 「悲と

う一つの茶室である如庵写しの水月亭で茶会「手に取る

アニマ」初回展で北野天満宮の神楽殿に展示された同名

宇宙」を催している。この時、道具拝見で用いられたの

作品の最新版であり、意図せずして松井作品の金魚と連

は宇宙空間で密封されたガラスボトルである。これは、

歌的に呼応し、ディスプレイに映し出された金魚が何度

松井が 2010 年から 13 年にかけて、国際宇宙ステーショ

も何度も津波に押し流されては再び蘇る場面を再生する

ン「きぼう」で NASA や JAXA と行ったプロジェクト「手

映像作品である。

に取る宇宙」で、実際に宇宙飛行士が船外で「宇宙」を

続く書院の奥の和室の床の間では、村井修により撮影

詰めて持ち帰ったものである。この時、欧米から提案さ

された、もの派の出発点とされる関根伸夫の《位相 - 大

れた他のプロジェクトが全て実用志向だったのに対し、

地》(1968年)の写真パネルが飾られている。また、その

この松井のプロジェクトだけ大自然(=大宇宙) に対す

左横の違い棚には、それより前に描かれた同じ 1968 年

る美的情緒の追求だった点も日本の伝統的感受性の現代

の関根の絵画「位相」が展示されている。当時、元々関

的発露として極めて興味深い。

根はこの素描が示すように位相幾何学の流体感覚を表現

(2012 年) 本堂の床の間には、 大舩真言の掛軸《VOID δ》

が掛けられている。その濃紺の墨や岩絵具で描かれた画

同形状に盛り固めた巨大立体作品《位相 - 大地》の制作

面中央が仄明く内奥に引き込まれそうなイメージは、日

により、表現の力点における視覚的観念性から触覚的実

本の伝統的感受性である久松真一の「東洋的無」や河合

在性への移行に開眼する。つまり、この二点は 1970 年

隼雄の 「中空均衡構造」を想起させずにはおかない。また、

前後に生じた日本概念派からもの派への主流転換を濃縮

その手前には細い竹を交差させた結界が置かれ、その奥

的に例示している。さらに、ここでは、その抽象的概念

(R・ に広がる異界の深淵を覗き込むような「魅惑的畏怖」

性から具体的即物性への志向こそが、高橋由一から岸田

オットー)を覚えさせる展示構成になっている。言わば、

劉生を経て具体美術協会やもの派へと伏流する日本の伝

これはデカルトのいう近代西洋の「延長」的均質空間で

統的な造形的感受性の反映であることが具示されている。

はなく、鎌田東二のいう普遍伝統的な聖地の偏在として

この文脈において、 《位相 - 大地》の制作を直接手伝

の多層多孔空間の象徴であり 4 、その意味で、その互い

った小清水漸は、1968 年以後日本の土 着的な造形的必

の 明 滅 す る 濃 紺 の 境 界 面 を 通 じ て、 玄 関 の《WAVE

然性を探る中で、彫刻作品を机状にして日常的自然に開

#128》や、屋外の手水鉢の中で密かに佇みながら庭園、

き、近代西洋彫刻のようには時間的あるいは空間的に完

大 自 然、 大 宇 宙 と 呼 応 し て い る《Reflection field ──

結しない「作業台」シリーズを展開した。その一つの頂

Kannonji, Omi》(2021年)と超常的に通交している。

(2010 点が、書院の奥の和室全体に配置された《雪のひま》

ヴァナキュラー

本堂から書院へ移る渡り廊下には、入江早耶の《青面

年)である。つまり、この作品群では、本体が脚付台の

金剛困籠奈ダスト》(2020年)が展示されている。入江の

形状であることで「台座」が脱構築され作品の内外の空

作風は、消しゴムで文字や画像を擦り取りそのダストを

間的境界が曖昧になると共に、天板の銀箔が酸化するこ

立体形成するもので、この作品では薬箱の印刷の消しカ

とで時間的完成も延長され続ける。さらに、天板の窪み

スから青面金剛が再構成されている。青面金剛は、日本

に緩やかに嵌る様々な自然石を雪解け風景と見なすこと

の民間信仰である庚申待の本尊であり、元々疫病をもた

で、「見立て」という日本の伝統的芸術効果が発揮され、

らす魔であったがそれを鎮めるために明王として祀られ

しかもその「ひま」という概念が空間的間隔(隙)と時

たという由来を持つ。この作品では、憤怒の形相で邪鬼

間的間隔(暇)の西洋的一義性ではない東洋的両義性を

を踏み付ける三眼六臂の青面金剛は新型コロナ対策とし

提示する構造になっている。

てマスクや消毒液を手にしている。

19

しようとしていたが、地面を円筒状に掘りその土を傍に

また、同じく《位相 - 大地》の制作を直接手伝った吉

書院の手前の和室の床の間には、大西宏志の《瓦礫ま

田克朗は、同様の文脈で 1968 年以降、本来視覚的であ

たは停止した時計》(2011年)が崩れたように置かれてい

る絵画平面における立体的触覚性の批判的探求に乗り出

る。大西は 2012 年にこの壊れて破損した時計を宮城県

す。その一例が、東洋的指頭画の現代的翻案ともいえる、


木炭を指等で紙に擦り付け具象的かつ即物的な形態を描 出する、付書院に飾られた《触》(1996 年)である。 そして、関根、小清水、吉田と親しかった成田克彦も、

続く展示室では、岡田修二の新連作《自然学概論 4》 (2021 年) 、《自然学概論 3》(2021 年)、《立花 47》(2021 年)

が展示されている。岡田の巨大油彩画の画題は長らく 「枯

彼等の影響を受け、1968 年から素材に人為的技巧を施

木」のパブリック・イメージが強かったが、近年世界で

すのではなく素材自体や炭化作用に内在する自然の成形

頻発する様々な災禍を経て色鮮やかな花卉が画面に登場

的表現性をそのまま生かす彫刻作品を発表した。その実

してきたことは、岡田が時代の雰囲気に鋭敏な電通のア

例が、同じく付書院に展示された《SUMI》(1968 年) で

ートディレクターの出身である点でも注目に値する。特

ある。

に、従来追求してきた「自然学」を冠する「自然学概論」 と共に、新テーマとして日本の伝統的な文化や美意識を 表す「生花」が選ばれていることは、時代がより前向き

The Terminal KYOTO

で地に足の着いた癒しを希求していることを反映してい

第二会場の The Terminal KYOTO は、戦前の 1932(昭 和 7) 年に建てられた総二階の京町家である。間口約 9

るだろう。 その右隣りに隣接する坪庭には、近藤高弘の《白磁大

メートル、奥行約 50 メートルの典型的な「鰻の寝床」

壺──カタチサキ》(2019 年)が展示されている。近年近

であり、地下には二つの防空壕も有している。元々は呉

藤は美術作品としての白磁壺の制作に取り組んでおり、

服商の店舗兼住居であったが、現在は改装されてギャラ

特にこのひび割れた壺の様態には実用品(=工芸) から

リーになっている。所在する岩戸山町は、京都市の中心

オブジェ(=美術) への転換が含意されている。その焼

部に位置し、市内最大の繁華街である四条通にほど近く、

成過程で偶然に生じた歪みと割目は、近代西洋美術の原

祇園祭の際には前の通りに山鉾の岩戸山が建つ。ここで

則が人為による自然の一方的整形であるのに対し、それ

は、本来祇園祭が八坂神社の祭礼であり、疫病の流行を

とは異なり人為と自然を一期一会的に協奏させるもので

鎮めるために始まった御霊会を起源とすることと、岩戸

あり、その意味で人間と自然を同類同等と見なす日本の

山町が天照大御神の岩戸隠れの伝説に由来する山鉾町で

伝統的自然観の表象が意図されている 5。

あることを付言しておこう。

続く喫茶用の手前の和室では、入江早耶の作品として、

街路から玄関を抜けて土間に入ると、勝又公仁彦の現

机に《薬魔地蔵ダスト》(2021 年)、三方の壁に《超家内

代 的 な 都 市 生 活 を 表 象 す る 写 真 連 作 が 出 迎 え る。

(2021 安全》 (2021 年)、 《超疫病退散 青面金剛困籠奈 ver.》

「Skyline」は、望遠的に俯瞰された都市景観であり、画

年) 、《超疫病退散 赤面金剛困籠奈 ver.》(2021 年)が展示

面一杯に広がる天空の下に僅かに高層建築群の稜線が示

されている。これらはいずれも日用品を模したある種の

されている。画面を圧倒的に占める大空は、人間の営み

ポップ・アートであり、民間レベルでの厄除信仰を通じ

の健気な小ささを表すと共に東洋水墨画の大自然表象と

たアートによる「世界の再聖化」(M・バーマン) の一例

しての余白に通じている。 「CITIES ON THE MOVE」は、

である。

高速移動中の車窓風景を長時間露光したもので、セザン

続く喫茶用の奥の和室では、地板に成田克彦の《SUMI》

ヌやドガやフォーヴィズムを想起させる。 「Panning of

(1968 年)が飾られている。この木炭は、人間の生存に欠

Days ── Syncretism / Palimpseste」は都市風景と夜桜を

かせない火を含意すると共に、 近代技術の特徴である「有

多重露光したもので、西洋的な三連祭壇画と共に日本的

(W・ゾンバルト)をもたらす 機的自然の限界からの解放」

な三枚続きの大判浮世絵を連想させる。

蒸気機関も暗示している。その延長上に、火力、電力、

上り口の右壁面には、鎌田東二の写真《大島のオーソ

原子力に支えられた現代の便利で脆弱な都市生活がある。

(2014 年)が掛けられている。 レミヨ(気仙沼市大島亀山) 》

その同じ地板の右隣りには、関根伸夫の《空相──思

また、脇には鎌田の短歌「天割れて と

橋掛かり/永遠に忘れじ

たま

地もまた割れて

おと づれ

霊の音信」も添えられている。

ふツボ》(1973 年)が展示されている。これは、壺という コンセプチュアル・アート

工芸形式を模した観 念 芸 術であり、日本の伝統的な両

この作品の舞台となった宮城県の大島も東日本大震災の

義性尊重の心性の下に、もの派が触覚的実在性一辺倒で

激甚災害地の一つであり、霧霞む亀山の山頂で背後の成

はなく視覚的観念性も時に混在させていたことを示す作

木と重ね合わされた無残な裂木の幹枝は、救済を翼求す

品である。実際に、彫文の「コレは又何かと見れば思ふ

るようにも生命を讃歌するようにも見える。

ツボ」には五・七・五調の日本の伝統的な詩歌形式が採

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用されている。 その右隣りの床の間には、池坊由紀の《巡り──いの

per》(2001 年) が展示されている。純和風の室内と、電

ちが生まれる》が、近藤高弘のひび割れた《白磁壺──

話を象徴する伝声管、合成着色された窓、シリコンラバ

カタチサキ》(2021 年)を花器に用いて飾られている。こ

ーのスリッパは、和風と洋風、前近代と近代が混在する

れもまた、個人完結よりも連歌的協働を貴ぶ日本の伝統

現代日本の日常生活をユーモラスに象徴している。

的感受性の一つの現代美術的実例である。また、この割

その右隣りの和室の床の間には、小清水漸が 1988 年

れた花器に生けられた枯葉は、川端康成が『美しい日本

に自身の出身地が発行する『えひめ雑誌』の創刊号と第

の私』(1969 年)で引用した『池坊専応口伝』の一節「破

二号のために描いた表紙原画が飾られている。当時小清

甕に古枝を拾ひ立て」を想起させる。ここで表象されて

水が寄せた解説文章から、ここで切り抜かれ相互に入れ

いるのは、河合隼雄に倣えば、人為を尊ぶ西洋的な「完

替えられている模様には、個体を超えて継承される

成美」ではなく大自然に習う日本的な「完全美」であろ

DNA の含意があることが分かる。また、小清水の《表

う。なお、この池坊のいけばなと近藤の割れた白磁壺の

面から表面へ──オイルパステル 2021》(2021年)は、オ

組み合わせは、既出の岡田の大型油彩画《立花 47》と

イルパステルを一本ずつ一枚ごとに様々な形に塗り潰し

隣接する近藤の割れた《白磁大壺──カタチサキ》の組

たもので、1971 年から開始された他の「表面から表面へ」

み合わせとも反復的に呼応している。

連作と同様に、人為を超えて自然が一定不変であること

その右隣りの縁側から奥庭にかけて、大舩真言の

を表現している。

《UTSUSHI》 (2021年)と《Reflection field ── Ibuki yama》

その隣接する吹き抜けで、約 5 メートルの高さの天井

(2021 年)が展示されている。前者の作品は、大舩が大麻

か ら 吊 り 下 げ ら れ て い る の が、 小 清 水 漸 の《 垂 線 》

の茎の繊維を自らの手で一本一本細かく裂き軒下に吊る

(1969/2012 年) である。小清水は、関根の《位相 - 大地》

したもので、穢れを祓う御幣のように風にそよいで揺ら

の制作協力時に彫刻科出身として盛り固める巨大な土塊

いでいる。この作品は、 『古事記』において、天岩戸に

を垂直に保つことを担当した。その時の身体的記憶が、

隠れた太陽女神の天照大御神を呼び戻すために、麻布が

《位相 - 大地》後の小清水の最初の取り組みであり、重力

八咫鏡と八尺瓊勾玉と共に木枝に懸けて捧げられたとい

による垂直線という観念の実在化であるこの作品に反映

う伝説に因んでいる。また、後者の作品は、大舩が伊吹

していよう。この作品は、《位相 - 大地》と並ぶもの派

山で採取した自然石に白い岩絵具を塗布して霊妙に荘厳

のもう一つの原点である 6 。

したもので、前者の「幣帛」が呼び込んだ一筋の太陽光

その吹き抜けに隣接する廊下には、関根伸夫のリトグ

線を受けて照り輝いているようにも見える。この無垢な

ラフ《石をつる》(1975 年)が飾られている。この作品は、

純白のインスタレーションには、混迷の時代を切り拓く

釘に掛けた紐で石を吊るという普通は行わないトリッキ

黎明と再生のメッセージが込められている。

ーな行為により、石という素材の触感や重量感を自ずと

二階では、 坪庭に面した廊下に大舩真言の《上・空・下》

21

(2021年)が飾られ、 green》 躙り口から畳にかけては《Slip-

内面で感得させる作品である。

(2021 年)が展示されている。これは、大舩が苧麻の茎の

この関根の版画作品に対面して、廊下の反対側の壁に

繊維を自らの手で縒り合わせた一本の糸を天井から地面

は吉田克朗の絵画《不明》(1977 年) が展示されている。

まで垂らした作品であり、天地に無限に績み伸びうる観

この肉筆作品は、上着の腕部分を木炭とアクリルを用い

念を含意している。また、その糸の中央から下には繊細

て擦り出したもので、やはり絵画平面における立体的触

に光り輝く白銀色の岩絵具が塗布され、所々小さく水滴

覚性を追求している。この作品は奥庭に面した二階廊下

状に付着しているように見える。糸を水溜りに垂らすと、

に掛けられており、まるでこの建物で生活を営む人物が

重力に逆らい繊維の中を液体が吸い上げられていく様子

その眼下を眺め降ろしているように錯覚されるように意

を思い出して欲しい。この何気ない場所にさり気なく溶

図して展示されている。

フロッタージュ

け込んでいる小品は、実際には私達が日々の雑事の中で

大西宏志の《Mumyou》(2021 年) は、明かりの無い地

つい見落としがちなそうした大宇宙の物理的摂理とダイ

下防空壕の中で規則的な振動音が繰り返されるサウン

ナミズムを静謐に表象している。

ド・インスタレーションである。暗闇に階段で降りていく

その右隣りの和室の床の間には、松井紫朗の《Long

防空壕を子宮に見立てて胎内の脈打つ鼓動を想起させる

(2018年) (2021年) Transmission》 《 、Window-yellow》 《Window、

と共に、その太平洋戦争中に空襲防災用に作られたとい


カタストロフ

う由来が大地震や大事故等の破局を連想させずにはおか

共存共栄を重視してきた日本の伝統的自然観はその一つ

ない。なお、仏教用語における「無明」とは真理に冥く

の中和剤としての価値がある。また、そうした日本の伝

エゴや煩悩に囚われている有様の謂である。

統的自然観に基づく様々な感受性も、改めて広い視野か

近藤高弘の《HOTARU》(2011 年)もまた、もう一つの

ら公平に再評価される意義がある。その観点から、現代

地下防空壕の中でウランガラスとクラッシュガラスを後

日本美術に今日もなお継承されている従来軽視されてき

背照射して緑色発光させたインスタレーションである。

た作品内外の渾融的性格を示す、鼓常良のいう「無框性

そばだ

その幻想的で人の心を妖しく欹てる蛍光色は、天然の蛍

(無限界性)」や大西克礼のいう「パントノミー」は、普

が生息する清水への郷愁と共に、私達の電化製品による

遍的な多元的価値観の尊重という意味でも改めて肯定的

日常生活が原子力発電による薄氷の上に成立しているこ

に評価すべきである。

とを暗示しているようにも見える。そして、併せてやは

いずれにしても、本展は、もの派には様々な日本の伝

りこの防空壕が空襲防災用に設置されたという由来と、

統的感受性が反映しており、その美意識や問題意識は当

地上に展示されている同じ近藤の白磁壺と大白磁壺が小

代最前線の現代日本美術にも通底的に共通していること

破大破していることにより、私達の現代的都会生活の利

を示すものである。それらはまた、同時代への共感の下

便性が脆弱さをも内包させていることを黙示しているよ

に意識的のみならず無意識的なものとして創造的に賦活

うに思われる。

されたときに、最も美的かつ自然に──あたかも伝統的 な歴史的・文化的遺産に溶け込むように──発揮される

近代西洋の自然支配型文明が、科学技術の暴走や自然 環境の破壊を巻き起こしている現在、大自然への畏敬と

ことを提示したところに本展の現代美術の展覧会として のアクチュアルな意義があると言えるだろう。

近藤高弘《銀滴碗「波」》2015 年(撮影:秋丸知貴)

1.『華道』日本華道社、2022 年 3 月号、5 頁。 2. 稲賀繁美「作業台に座る石たちは、なにを語るか──小清水漸と『作品』 」 『接触造形論』名古屋大学出版会、2016 年。 3. 秋丸知貴「現代日本彫刻における土着性──もの派・小清水漸の《a tetrahedron - 鋳鉄》 (1974 年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に」 『比較文明』第 36 号、 比較文明学会、2021 年、137-162 頁。 4. 鎌田東二『聖トポロジー』河出書房新社、1990 年。 5. 近藤高弘「モノと感覚価値──工芸と美術へのアプローチ」『モノ学・感覚価値研究』第 1 号、モノ学・感覚価値研究会、2006 年、48-49 頁 6. 秋丸知貴「現代日本美術における土着性──もの派・小清水漸の《垂線》 (1969 年)から《表面から表面へ──モニュメンタリティー》 (1974 年)への展開を中心に」 『比較文明』第 35 号、比較文明学会、2019 年、169-190 頁。

22


《CITIES ON THE MOVE “#20160502Ng-HoMTL MG6033-3”》2016 年 《CITIES ON THE MOVE “#20160502Ng-HoMTL MG5964-3”》2016 年 《CITIES ON THE MOVE “#20120511Nt-Md YKL IMG8811-4”》2012 年 《CITIES ON THE MOVE “#20120501 Sb-Hc YML IMG2296”》2012 年 《CITIES ON THE MOVE “#20160502Ng-HoMTL MG5963-2”》2016 年 《CITIES ON THE MOVE “#20120511Nt-Md YKL IMG8851-4”》2012 年 《Panning of Days -Syncretism/Palimpseste-3Days in 14years》2008-21 年

《Skyline “100150”》2002 年 《Skyline “100600”》2004 年 《Skyline “101010”》2004 年

勝又公仁彦 23


左 《自然学概論 4》2021 年 中 《自然学概論 3》2021 年 右 《立花 47》2021 年

岡田修二 24


《白磁大壺──カタチサキ》2019 年

《HOTARU》2021 年

25

近藤高弘


鎌田東二

《大島のオーソレミヨ(気仙沼市大島亀山)》2014 年(短歌 2021 年)

天割れて 地もまた割れて 橋掛かり と

たま

おとづれ

永遠に忘れじ 霊の音信

大西宏志

《Mumyou》2021 年

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関根伸夫

《石をつる》1975 年

吉田克朗

《不明》1977 年

27

《空相──思ふツボ》1973 年

成田克彦

《SUMI》1968 年


いけばな

池坊由紀《巡り──いのちが生まれる》2021 年

花器

近藤高弘《白磁壺──カタチサキ》2019 年

池坊由紀×近藤高弘 28


右上 《超疫病退散 青面金剛困籠奈 ver.》2021 年 左上 《超疫病退散 赤面金剛困籠奈 ver.》2021 年 右下 《超家内安全》2021 年

《薬魔地蔵ダスト》2021 年

入江早耶 29


上 《UTSUSHI》2021 年 中 《Reflection field ── Ibuki yama》2021 年 下・右下 《上・空・下》2021 年 (大舩作品撮影:田邊真理)

大舩真言 30


左奥 《Long Transmission》2018 年 中奥 《Window-yellow》2021 年 右奥 《Window-green》2021 年 手前 《Slip-per》2001 年

松井紫朗 31


《表面から表面へ──オイルパステル 2021》2021 年

今月号の表紙の絵と、先月号(創刊号)の表紙の絵と、 二つ並べて見て下さい。二つの絵の間に共通項が有るの が判りますか。 円形の部分を相互に入れ換えてあります。 複数の絵を同時に作って、それぞれの一部分を切り抜 いて、相互に入れ換えるという手法を、僕はしばしば用 います。そうすることでそれまで無関係に存在した複数 の絵の間に、重要な関係が生まれます。しかし同時に、 それぞれが独立した一枚ずつの絵であり続けることに、 変わりは無いのです。 僕は、自分の子供が生まれた時、不思議な気分の高揚 を感じました。一言でいうと、こんな感じです。僕が死 んでも、生まれて来た子が僕の生を引き継いで生きてい くのだという実感です。その時僕は、とても充足した気 分で、自分の死を肯定することが出来ました。 親子というものは、妙な関係です。同じ DNA に支配 されながら、別々の生を生きるのです。

無題《『えひめ雑誌』創刊号表紙原画》1988 年

無題《『えひめ雑誌』第 2 号表紙原画》1988 年

──小清水漸『えひめ雑誌』1988 年 10 月 10 日号

小清水

漸 32


《垂線》1969/2012 年

33


現代京都藝苑 2021

Kyoto Contemporary Art Network Exhibition 2021

悲とアニマⅡ ~ いのちの帰趨 ~ Grief and Anima II: The Edge of Life

The Terminal KYOTO

現代京都藝苑 2021

「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展図録 発行日:2022 年 6 月 1 日

発行:現代京都藝苑実行委員会

定価:1,000 円(税込)


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