情報通信革命と日本企業

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第 2 章 企業組織と所有権 不確実性がある時には,何をどう行うかを決める仕事は,それを実行 するよりも重要な仕事となり,生産グループの内的な組織は,もはやど うでもよいことや機械的なディテールの問題ではなくなる.この決定と 制御の機能を集中することが至上命令となり,有機的な生命の進化にお いて起きたような [神経系の] 頭部集中化の過程が不可避となるのである. ――フランク・ナイト1

語られることが多く,読まれることが少ないことを古典の定義とすれば,

1937 年に書かれたロナルド・コースの論文「企業の本質」[40] は,経済学の 古典中の古典といえよう.彼の提起した「企業はなぜ存在するのか?」とい う問題は,その重要性についてはほとんどの経済学者がリップ・サービスで は同意しながら,コース自身もなげくように,その後 40 年近く無視されたま まだったからである. 企業を設立することが利益をもたらす主な理由を「適切な価格を見出すこ と」と「市場において生じる交換の取引についてそれぞれ別々に交渉して契 約を結ぶ費用」などの市場費用(のちに取引費用と呼ばれるもの)に求める 彼の考え方は,今日読むとむしろ常識的なものであり,さほど驚くべき洞察 とも思えないが,実際には新古典派経済学の世界と接合するのはむずかしい. というのは,ワルラス的な完全競争市場においては「適切な価格」はつねに せり人によって提示されており,均衡価格が見出されるまでは人々が「別々 に交渉」することはありえず,コースののべたような費用は発生しないから である.事実,経済学の教科書で想定されている企業は,今日の経済システ ムの中核となっている大規模な会社 (corporation) ではなく,経済に影響を及 ぼさない個人商店のような小規模な商会 (firm) である. したがって取引費用を導入するには,実際には新古典派の公理系をほとん ど捨てなければならないから,そのコストは明らかだったが,その便益はそ れほどでもなかった.企業や政府などの組織の問題は伝統的な経済学の守備 範囲の外にあり,その内部構造は経営学や心理学の対象とされていたからで ある.事実,組織の理論を経済学に持ち込むことによってコースの洞察を具 体化しようとした初期の取引費用アプローチでは,分析枠組が明確でないま まにアド・ホックな複雑化が行われたために,取引費用はしばしば「ロビン ソン・クルーソーの経済では存在しえないすべての費用」としてきわめて広 義に想定され,それは「すべての組織費用は取引費用であり,その逆も成り 1 Risk,

Uncertainty, and Profit, University of Chicago Press, 1921, pp.268-9.


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