情報通信革命と日本企業

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7.4. インターネットの思想

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の根型ネットワークの代表として有名な WELL は 1985 年に対抗文化のバイ ブルとして知られる「ホール・アース・カタログ」の作者スチュワート・ブ ラントやグレイトフル・デッドの作詞家としても知られるジョン・P・バロウ などによって設立されたものであり,スティーヴ・ウォズニャクやロータス

1-2-3 を作ったミッチ・ケイパーなどが集まっていた. インターネットは,こうした BBS とは別に大学や研究機関の専門家用の WAN(広域通信網)として出発したもので,その母体はアメリカ国防総省の 研究施設である ARPA によって 1969 年から運用が始まった ARPANET であ る.その基本的な構造は,核戦争によって通信網が寸断された場合にも残っ た部分だけで軍事的な命令や情報の伝達が可能な分散型のネットワークとし て,ランド研究所のポール・バランによって 1960 年代初期に提案されたもの である [122].ARPANET は,当時さまざまな LAN が互換性を欠いたままば らばらに運用されていた状況を改善し,機種に依存しないオープンな手順に よって LAN を相互接続する手段(バックボーン)として多くの大学や研究 機関によって利用されるようになり,後に全米科学財団の財政的な支援も得 て,国際的な科学技術用の情報交換システムとして成長した. 「インターネッ ト」という名前は,その基本的な考え方である相互接続 (internetworking) の 略称である. そのプロトコル(通信の手続き)である TCP/IP の特徴は,OS から独立 の非常に単純な構造を持ち,どのような機種のコンピュータを使っていても この仕様に従う限り互いに相互接続できるように設計された点にあった.そ れまではサイト間の通信はホスト機と端末の接続の延長上にあり,内部の機 械語で交信するものだったから,ある機種の信号を別の機種の信号に翻訳す ることは非常にむずかしく,また機種の組み合わせの数だけ翻訳プログラム を書かなければならないため,膨大な作業が必要となった(AT&T が 1980 年代に商業化しようとした NET1000 などの汎用 VAN が失敗した原因の一 つは,この相互接続システムの複雑性にあった).これに対してインターネッ トでは,すべての機種の言語を TCP/IP という普遍言語にいったん翻訳し, 個々のコンピュータの仕様の違いをカプセル化して隠すことに成功した.同 様の標準化作業は ISO(国際標準機関)でも行われているが,各国の利害が 一致せず,10 年以上たった今も結論が出ていない.インターネットですみやか に標準化が行われたのは,それが国家や企業の既得権益とは無縁な学術用の ネットワークだったためである. ただ ARPANET の普及とほぼ同じ時期にアメリカでは LAN のシステムと して UNIX が普及し,バークレイ版では TCP/IP がそのカーネルに組み込ま れ,ユーザーは LAN とインターネットの境界をほとんど意識しないで使え るように設計されたため,インターネットは UNIX と深い関係を持って発達 し,UNIX におけるクライアントとサーバの関係を相似形に拡大したような 「ネットワークのネットワーク」として構築された.その名称は何かインター


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