貴月イチカ 前・後編

Page 1

貴月イチカ編 94

そうだ、このメガネの少年の名前は霧島海人クンだった。夕べ宇宙船の中で盗み見た生徒手 帳の文字が頭に浮かぶ。  だから、咄嗟に私はこう答えたのだ。 ﹁いいわよ﹂   ﹁え?﹂

﹁私でよかったら、協力するわ﹂    慌てている霧島海人クンをよそに、私はニッコリと微笑んだ。私の予想外の反応に、大きな メガネがズレそうなほど驚いている。

その時の私はまだ、この少年の経過を近くで見守りたい、という軽い気持ちしか持っていな かったように思う。  でも、そこには運命があったのだ。  この時はまだ誰も気付いていなかったけれど。  私たちのドラマは既に動き出していた。  カメラは、ゆっくりと回り始め。  忘れられない夏が、始まる︱︱。


93 貴月イチカ編

あぶないあぶない。檸檬ったら、見た目は小さくてもの凄く可愛いらしいけど、もしかした ら結構鋭いのかもしれない。気を付けなきゃ。

﹁こんにちは﹂    声がした方を見ると、背の高いすらりとした少年と、彼に肩に手を回された大きなメガネの 少年が二人でこっちへやって来るところだった。 ﹁あー!﹂    私はメガネの少年を見て思わず立ち上がってしまう。昨日のあの子だ! ﹁えっ?﹂   ﹁あ、ううん、なんでもないの⋮⋮な、なにかご用、かしら?﹂    慌てて腰を下ろし、平静を装う。またまた危ない。  でも、昨日の少年、顔色もいいし元気そうだ。良かった⋮⋮。  少しホッとしていると、隣にいる背の高い男の子が話し掛けてくる。

ませんか?﹂

﹁転入生の貴月イチカ先輩ですよね? 俺は1年の石垣哲朗、こっちは霧島海人です。実は   俺たち、仲間で映画撮ろうとしてて⋮⋮先輩、よかったら、俺らの作る映画に出演してもらえ

、隣にいるメガネの少年が私以上にポカンとしている。  石垣クンという少年の申し出に ﹁は? お前、いきなりなにを⋮⋮﹂


貴月イチカ編 92

いうものに履き替え、一目散に職員室を目指す。

﹁遅れてすみません! 今日からこの学校に転入することになった、貴月イチカです!﹂    職員室中の先生の視線が集中する中、私はニッコリと微笑んだ。  今日から私は、この学校の三年生。大丈夫、私はきっとやっていける。

その日のお昼休み、早速出来た友達︵檸檬ちゃんというらしい︶に案内してもらい、中庭で お弁当を食べることに。

初めて、学食というところでパンを買った私は、少しドキドキしている。

﹁ミルク、コーヒー味⋮⋮たしか液体の⋮⋮﹂    パンの包装紙に書かれた文字を見て、少し混乱を覚える。ミルクとコーヒーは、それぞれ飲 み物だったはず。なのにパンって⋮⋮? ﹁パンがそんなにめずらしい?﹂   ﹁ううん、別に⋮⋮﹂   ﹁⋮⋮あなた、変わってるわ﹂    檸檬に指摘されて、ギクリとする。 ﹁えっ  ど、どこが? どんな風に?﹂   ﹁そういうところが﹂   !?


91 貴月イチカ編

てとしか言えないけど、頑張ってほしい⋮⋮﹂

﹁そっ、そういうことだったんだね⋮⋮。僕も昔、学生の時に長野に転入してきてね。初日   はとても緊張したことを覚えているよ。君もきっと慣れない土地で、 大変なんだろうね。頑張っ

なんだか感情移入されてる? 駅員さん、やっぱりいい人! 私は駅員さんの手を握り、 ﹁はい! 頑張ります! ありがとうございます﹂    と、もう一度頭を下げた。 ﹁行ってらっしゃい、いい一日を﹂    二人の間に芽生える連帯感。この星、素敵!

一日になりそう。

駅員さんに手を振りながら、私は学園の方へと歩き出した。こういうことがあると、なんだ かみんないい人に見えてくる。不安もいっぱいだけど、今は希望の方が勝ってる。今日はいい

しかし周囲を見回すと、さっきまで駅の周辺に沢山いた学生さん達の群れが、綺麗に居なく なっていることに気が付いた。振り返って駅の時計を見上げると、ヤバい、遅刻の時間だ!  転入初日から遅刻なんて、そんなの絶対にダメ!  きっと絶対に怒られる。これも銀河共通のはずだ。

息を切らしながら小諸学園の校門をくぐり、ナビゲーションに従いながら昇降口で上履きと


貴月イチカ編 90

ちょっと半泣きになりながら助けを求めると、制服の男性は親切に窓口へと誘導してくれる。 これはきっと駅員さんっていう職業の人だ。駅員さんって、優しい⋮⋮。 ﹁切符を無くされたんですね。どこの駅から乗りました?﹂

﹁えっ⋮⋮﹂    予想外のことを訊かれて思わず言葉に詰まる。目的地の小諸駅は事前に調べておいたけど、 乗った駅の名前までは把握してなかった。どうしよう⋮⋮。

﹁⋮⋮⋮⋮﹂    私が答えられないでいると、駅員さんが怪訝な目でこちらを見てくる。違うの、決して怪し い者ではないの。昨日、シップでこの星に不時着して、その時に少年を巻き込んでしまって、

助けたけれど心配で、少年が通っている学園に不正アクセスして転入手続きして、今日がその

初日なの⋮⋮。と、今の自分の状況の大変さを訴えたくなるが、ダメだ。怪し過ぎる!

﹁あの⋮⋮実は私、転入生で。今日から小諸学園に行くことになったんですが、緊張してて、   どこから乗ったか分からなくなっちゃったんです。焦って切符まで無くしちゃうし⋮⋮あの、 本当に、ごめんなさい!﹂

私は思い切り頭を下げる。本当にドジな私。もう謝るしかない。⋮⋮が、しばらく待っても 反応がない。怒らせちゃったかな? おそるおそる顔を上げてみると⋮⋮目の前にいる駅員さ んが、肩を震わせているところだった。


89 貴月イチカ編

も自然が自然のままで残っている。初めて来た場所なのに、なんだか懐かしい感じがするのは そのせいだろうか。

﹁次は小諸∼、小諸∼﹂    車内アナウンスにハッとなり、ドアが開くのと同時にホームへと下り立つ。ここが、小諸駅 ⋮⋮。

もう一度深呼吸をして気合いを入れ直し、改札に向かう。そしてポケットから切符を取り出 す︱︱が、ない!

スカートのポケットの中⋮⋮ブラウスの胸ポケット⋮⋮学生カバンの中⋮⋮。どこを探して もない。次第に顔が青ざめてくるの感じる。本当に、私ったら昔からこう。何かに焦ると、無

い性格。さっき、男の子たちにナンパされたことで、焦って切符をどこかにやってしまったの

意識に物をどこかに置いたり、落としたりしちゃうのだ。同時に二つのことを並行してできな かもしれない。

改札前で必死にカバンを漁っていると、私の後ろには徐々に人の列が。どうしよう⋮⋮こん な時の対処法、マニュアルには書いてないっ!

暮れかけた時、帽子を被った制服の男性がやって来て、優しく声を掛けてきた。  途方に ﹁どうかされましたか?﹂   ﹁あの、あの⋮⋮切符が⋮⋮﹂


貴月イチカ編 88

﹁悪いですけど、急いでいるので﹂    くるりと背を向け立ち去ろうとすると、 ﹁くぅ∼っ、その冷たいカンジ、たまらないね﹂   ﹁ツンしたよ、ツン! 後はデレるだけですな!﹂    更に火に油を注いでしまったみたいだ。 ﹁お願いだから、名前だけでも教えてよ∼﹂   ﹁ってか、これからどっか遊びに行く?﹂    もう、しつこい!  そこに、小諸行きの電車が滑り込んでくる。

私はダッシュして男の子たちを撒き、開いたドアから電車に乗り込んだ。  電車に乗り込んでホッとしたのもつかの間、今度は乗客の視線がいっせいにこちらに向くの が分かった。視線が刺さるとはこのことだ。なんだか私、目立ってる ﹁なにか、間違えてるのかしら⋮⋮﹂    少し不安になりながら、入り口のドア付近に立つ。

背中にまで人々の視線を感じる。私は気持ちを整えるように、車窓から外を見つめた。 私の星では文  そして行き過ぎる田舎の風景を見ていると、とても不思議な思いに囚われる。 明が進み過ぎたせいで、自然は全て管理され、整備されていた。でもこの地球では、こんなに

!?


87 貴月イチカ編

お婆ちゃんが再び農作業に戻るのを見届けると、バレないようにふうっと安堵のため息をつ く。まずは第一関門クリア。  でもあのお婆ちゃん、どうして私がガイジンだなんて思ったのかしら?

ナビゲーションを頼りに最寄駅まで辿り着くと、券売機で切符を購入。大丈夫、切符の買い 方、電車の乗り方も勉強してきた。

買った切符を改札の機械に通すと、ゲートが開き、少し先からまた切符が出てきてちょっと 驚いた。面白い。デジタルなのかアナログなのかよく分からない感じが⋮⋮素敵。  改札機から切符を取ると、小諸駅行きのホームに向かう。

﹁お姉さん、可愛いー! どこ行くの ﹂    大きな声に振り向くと、学ランを着た男の子たちの集団が私をグルっと取り囲んだ。昨日助 けた少年に比べ、みんな体つきがガッシリして見える。

ナンパという行為は銀河共通なのだ。  そして私は、こういう男の子たちが苦手です。

﹁スタイルいいねー! モデルさん? その制服って小諸学園だよね?﹂   ﹁俺ら、隣の高校のラグビー部。ねぇ、お姉さんの名前教えてよ﹂    この瞬間、私は一つの真理に到達した。

!?


貴月イチカ編 86

この地球は、きっと私に優しいはず。子供の時から夢見てきた惑星なんだから。  森を抜けると、広い道路にぶつかった。道路の両脇は畑になっていて、少し先には人の姿が 見える。 ﹁だ⋮⋮第一村人発見﹂

私は、日本のバラエティ番組を観て学習したセリフを呟く。  ドキドキしながら人影に近づいていく。それはどうやらお婆ちゃんで、しゃがみこんで農作 業をしているようだ。 ﹁おは⋮⋮おはよう、ございますっ﹂   ﹁あ? ああ、おはようございます﹂    お婆ちゃんはこちらにゆっくり顔を向けると、くしゃっと微笑んだ。 ﹁あんた、見かけない子だねぇ。外人さんかね?﹂

﹁え? ガイジン?﹂    頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。瞬時に眼鏡型情報表示システムが﹃滞在す る国の国籍がない者﹄と表示してくれる。なるほど。ある意味間違っていません。 ﹁は⋮⋮はい﹂    遠慮気味に頷くと、お婆ちゃんは感心したように笑った。 ﹁そうかい。気を付けての。はい、ではいってらっしゃい﹂


85 貴月イチカ編

﹁なっなな!﹂    りのんが私の周りをピョンピョン跳ね回る。お世辞でも嬉しいわ。  私は鏡の前で大きな深呼吸をひとつする。 ﹁⋮⋮じゃあ、行ってくるわね。りのん、お留守番よろしく頼みます﹂

﹁な!﹂    学校へはりのんを連れていけないから、装着した眼鏡型情報表示システムに頼り、自力で小 諸学園を目指すことになる。これまでの勉強の成果が試されるときだ。  人目がないことをモニターで確認してから、りのんに転移してもらう。

に踏み出す時の。

転移したとたん、明るい朝の日差しが体を包み、新鮮な空気が肺に入ってくる。まるで、イ ン・グローヴで読んだこの星の童話︱︱人魚姫の気分。美しい脚を手に入れて、初めて人間界

美しい脚の代わりに、私は真新しいローファーで地面を踏みしめ、森を抜ける。  地球も私の星も、住んでいる人間の姿カタチ自体はまったく変わらない。でも文化や習慣、 その他のたくさんのことは、実際に足を踏み出してみなければ分からない。

怖いかと言われれば、正直すごく怖い。さっきから心臓がドキドキして、口から出そうなほ どだ。私は、制服の上から胸に学生かばんを押し当て、鼓動を落ち着かせた。  大丈夫、私は大丈夫。


貴月イチカ編 84

とにかく、あの少年の無事を確認し、治療経過を観察しなければならない。もし今後、あの 子の体に何かの変調があったとしたら⋮⋮場所を探すどころではなくなってしまう。

まずはシステムを使って、少年が所属しているらしい小諸学園に潜り込む算段︵転入手続き と言うらしい︶を整えた。

転入の手続きを終えたら、りのんにお願いして、クアン・リンゲージで、指定されている学 園の制服を呼び出してもらう。

グレーのスカート。 私の転入する三年生のリボンは赤⋮⋮と。  ブラウスにベージュのブレザー。

校生気分も味わえる。

こうやって、この星の高校生になりすまして生活しながら、目的の﹃場所﹄を探す。こうす れば地球の人々に怪しまれることなく、目的を達成しやすくなる。ついでに言うと、地球の高  当初の予定とはちょっと違うけど、我ながらいいアイディアだ。

朝の光の中、大きく伸びをすると、着替え開始。 リボンを結ぶ。最後に指定のソックスまで履き終え  ブラウスを着てスカートをはき、赤色の ると、鏡に自分の姿を映してみる。

うん、なかなかイケてるじゃない。通っていたスクールの制服とはだいぶ違うけど、太もも までの短いスカートも、けっこう可愛いものだ。 ﹁りのん、どう? 似合ってる?﹂


83 貴月イチカ編

その自然状況は、私の探している場所に趣がとても似ている。偶然かもしれないし、運命か もしれない。

﹁ん⋮んん⋮⋮﹂    腕の中にいる少年が、かすかに反応を見せる。まずい。この子が目を覚ます前に家へ送り届 けなければ。 ﹁りのん!﹂   ﹁な!﹂    少年の体が転移し、シップから消える。  座標軸、間違えてないといいけど。  怪我が、治ってくれていれば︱︱。  次の日の早朝。

薄暗いシップの中で私は目覚めた。  デブリとのバンプにより、システムのほとんどに修復不可能な程のダメージを負ってしまっ たためだ︵緊急ランディングでダメージはさらに深刻に︶ 。

カプセルもロックがかかり、船の硬い床の上で寝たせいで、体中が痛い。  昨日は、少年を転移させた後も大変だった。


貴月イチカ編 82

りのんのバックアップがあればこそだ。本当に感謝。  しかも、りのんはご丁寧に、少年の私物も一緒に転移させてくれている。ますます感謝。

気を失い、ぐったりしている少年を見る。  その顔は少し微笑んでいるようにも見える。まだあどけなさの残る⋮⋮見たところ、年齢は 十代半ばというところか。

危ないところだった。あと一歩遅かったら、彼の命は消えていたかもしれない。でも、転移 直前に修復用ナノマシンを体内に送り込んだから、命には別状はないはず。

だけど、ナノマシンが地球の人にでも通用するのか、百パーセントの確信は持てない。まだ 予断を許さない状況だ。

彼の着ているパーカーのポケットにそっと手を差し入れる。中から出てきたのはお財布、手 帳、キーケース。持ち物はそれだけのようだ。

﹃生徒手帳﹄と書かれたそれ  私は少し後ろめたさを感じながら、手帳を確認させてもらう。

には﹃小諸学園1年B組 霧島海人﹄とある。 ﹁小諸学園⋮⋮確か、情報だとスクールだったような⋮⋮﹂    すぐさまシステムが反応し、日本国長野県小諸町という住所と共に、学園に関するデータが 一瞬にして呼び出される。  ここはどうやら、地球の中の日本という国であるらしい。


81 貴月イチカ編

惑星の大気圏に突入する。  空気圧縮による摩擦熱でシップが焼かれ、船体が激しく揺さぶられる。 ﹁りのん、ランディング・アプローチ!﹂

﹁な!﹂    メインモニターに緊急不時着時のシミュレート結果が表示される。これなら大丈夫。  しかしその時。  サブモニターに、生体反応を知らせる表示がポップアップされた。 ﹁生体反応  りのん!﹂    叫んだ時にはすでに遅かった。

掴んだ。りのん  直後、私の体が現実世界から消えた。

沈んでいく人影。  必死に追いかけ、手を伸ばす。

私の船は何かを巻き込んだまま、そのまま湖へと落下する。  大きな水しぶきが上がる中、私は﹃何か﹄を探して、湖の中へ飛び込んだ。

!?

助け出した少年と共に、シップの中へと転移する。

!!


貴月イチカ編 80

眼下に迫る青い地球が、びっしりと塵のようなもので覆われているのが見える。あれは確か、 授業で習ったスペース・デブリ⋮⋮つまり、宇宙ゴミだ。 ﹁デブリ帯にバンプって⋮⋮﹂    クリーニングされていない? そんなことが⋮⋮。  そう思ってから気づく。 ﹁そうか、辺境惑星だからクリーナーなんて⋮⋮﹂

﹁ななな!﹂    りのんが声を上げた次の瞬間、シップ全体に大きな衝撃が走った。どうやら警告むなしく、 再度デブリに衝突してしまったようだ。 ﹁りのん! 船体制御!﹂   ﹁な!﹂

りのんは素早く敬礼すると、コンソール画面を物凄いスピードで操作していく。 ﹁お願い﹂

私は祈るような気持ちで、モニターを見つめる。  次の瞬間、モニターの中に細長いカタチをした島が映し出された。そしてその島がモニター 画面に徐々にクローズアップされていく。どうやら、この島の上空を下降しているらしい。 ﹁あの場所まで私を連れてって!﹂


79 貴月イチカ編

くれている。幼いときからずっと一緒にいる私の大切なパートナーに感謝。

本当は食べなくても、カプセルで生命維持は出来るのだけど、せっかく旅に出たんだし、旅 行を満喫したかったし、ね。

ほどなくしてシップはニュートリノ・リングへ接続、EWSSSへと放たれれば、到着まで 私のやるべきことはなくなる。  カプセルに入りながら、まだ見ぬ地球の風景に思いを馳せる。  あの星で、何かが。  私を待っていると信じて︱︱。  なんの前触れもなく意識が目覚め、カプセルの扉が解除されていく。

お馴染みの状況︱︱とは、ちょっと違う。  何か視界が赤いような⋮⋮というか、殆どのモニターが、緊急事態を知らせる赤色に点灯し ている!

﹁エ、エマージェンシー ﹂   ﹄の文字が。︱︱その表示を見てもまだピ  モニターの画面には﹃デブリ帯にバンプ︵衝突︶ ンとこない。  船外状況を確認して、ようやく私は事態を把握した。

!?


貴月イチカ編 78

0060100EWSSSと入力する。

カウントダウンと同時に、シップは音もなく進み出し、ハーバーから離れていく。  メインスクリーンに映し出される宇宙を私は眺める。  きっと殆どの地球人は知らないだろうけど、宇宙って本当に綺麗だ。  そして本当に本当に果てしない。

真っ暗な空間を、ちっぽけな私の船が進んでいく。  船の小さな窓から見える景色は、頭がおかしくなりそうなほど孤独で美しい。

宇宙的孤独。  これまで十七年間生きてきて、こんなにどうしようもなく独りぼっちだったことは初めての 経験だ。  だけど、私は信じている。  私の中にある風景︱︱それが、私を変えてくれると。  地球に行けばきっと、何かが私を待っていると。 ﹁りのん、ご飯にしよ﹂

﹁な!﹂    シップにはたっぷり三ヶ月分の食料が積まれている。さすがに自炊は出来ないけど、それな りにおいしいものが、システムによって呼び出された。もちろん、その操作もりのんがやって


77 貴月イチカ編

私も、十六歳になるとすぐに、訓練を受けて免許を取得した。  そして、待ちに待った十七歳のオフシーズン。

免許取得のお祝いにと、姉に貰った小型シップに乗り込み、星の海へと旅立つ時が来た。  行き先は最初から決めていた。私が目指す星はただ一つ、SEE宙域の辺境にある小さな太 陽系︱︱その三番目の星。

惑星登録番号、0060100EWSSS。  それだと味気ないので、その星に住む人たちと同じように﹃地球﹄と呼びたい。

その地球には、私の望むものがあるはずだ。  私の頭の中の風景がある場所︱︱イメージから推察される惑星レベルや生態系、樹木の種類 等を調べていく内に、どうやらそれが地球にありそうなことがわかった。

可能性は低いかもしれないが、だからといって諦める気持ちになれない。

なにかを待ち続けるより、私は自分の意思で﹃なにもない﹄ことを知りたかった。 通り頭の中に叩き込んだ。  この日に備え、地球の知識は、イン・クローヴを使って文字  とはいえ、辺境惑星の情報は意外に少なく、現地での生活に支障をきたさないか、多少心配 ではあるんだけど⋮⋮。

そして旅立ちの日。  シップに乗り込んだ私は、生体端末である﹃りのん﹄を介してナビゲーション・システムに、


貴月イチカ編 76

子供の頃から、私の頭の中にイメージがあった。  幾度となく見続けている夢の景色。  どこにでもありそうな風景。  木や池がある何の特徴もない場所。  ⋮⋮けれど、私はその場所に行ったことがない。

ずっと考えていた。  その場所に行けば、その風景を見れば、なにかが変わるような気がする、と。  だから、私は。  旅に出た︱︱。

十六歳の誕生日を迎えると、SEE宙域限定シップの免許資格が与えられる。

その船に乗って旅に出るのが、大人になるための通過儀礼。  仮想空間での体験より、現実にその身で味わうことがなによりも貴重で、そして贅沢なのだ という考えからだ。


貴月イチカ 編


Turn static files into dynamic content formats.

Create a flipbook
Issuu converts static files into: digital portfolios, online yearbooks, online catalogs, digital photo albums and more. Sign up and create your flipbook.