【最終版】山小川丸わかりブック20161217

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発行:認定 NPO 法人共存の森ネットワーク


よまま 。まし 山た 。 小山 川小 で川 おで 嫁育 にっ 行て 、 き私 まは しそ たの

昭 和 二 十 一 年 に 山 小 川 で 生 ま れ

ま十よ行 す三。っ 。歳嫁た か くい だら らの いは、 で昭山 し和小 た三川 ね十し 。年か 子の知 供暮ら はれな 二でい 人、で い二す

山 小 川 で 生 ま れ て す ぐ 隣 の 家 に お 嫁 に

清 水 町 まち 子こ さ ん

誕 生 日 は 昭 和 十 一 年 三 月 二 十 八 日 。

斉 藤 信 のぶ 子こ さ ん

た出嫁っ出 。身にて身 で来と は 、たこ 隣 八んろ町 幡でで会 のすすの 方よ。 上 に。昭 田 和 勤主 尾 三 め人 ては十( か い山二み ま小年た し川にび お) 学 卒 業 し て 東 京 に 勤 め て ま す 。

な 結 婚 し ま し て 。 孫 は 二 〇 一 五 年 に 大

う ) 出 身 で す 。 子 ど も は 三 人 で 、 み ん

の 隣 村 、 平 三 ( へ い さ ん ) 村 平 蔵 ( へ い ぞ

昭 和 十 一 年 九 月 十 七 日 生 ま れ で 、

誕 生 日 は 昭 和 七 年 九 月 五 日 で 山 小 川

鈴 木 好 よし 子こ さ ん

岡 田 文 ふみ 子こ さ ん

て 、 今 は 四 人 暮 ら し で す 。

っ て い た 主 人 と 若 い 者 が 同 居 し

業 に 携 わ っ て い ま す 。 公 務 員 を や

山 小 川 で 生 ま れ ま し て 、 ず っ と 農

私 は 昭 和 十 三 年 一 月 二 十 六 日 に

鈴 木 善 よし 子こ

仕 事 は 農 業 で す 。

は 常 治 で 、 高 滝 地 区 の 久 保 出 身 で す 。

て ず っ と 山 小 川 に い ま す 。 主 人 の 名 前

昭 和 八 年 三 月 七 日 に 山 小 川 で 生 ま れ

高 橋 や す え

さ ん

さ ん


善 子

嫁 ぐ 相 手

嫁 入 り 道 具

お 見 合 い


結 婚 式 の 苦 労

お 嫁 に 行 く と き の 身 支 度


職工組合

集会

家を建てるために関わる全ての職 人( 大 工 ・ 左 官 屋 ・ 建 具 ・ 板 金 ・ 畳 屋 な ど )の 集 ま り 。鶴 舞 で ひ と つ の 組合。

毎月 1 回の集落 のお金の管理を 行います。

太子講 く

1・ 5・ 9 月 ( 通 称 “正 ・ 五 ・ 九 ”( し ょ う ご っ く )) に 行 わ れ る 、 役 員 や 賃 金 を 話 し 合 う 会 。

おびしゃ 毎年 1 月 15 日に集落の全員 が集まって、1 年の行事や役 員を決めます。

青年団 学校を終えた結婚前の山 小 川 出 身 の 人 の 集 ま り 。夜 回りという火災予防の為 の仕事がありました。

豊作のお祈り 田植えの時期の4月に行います。高滝 神社でお米の豊作をお祈りします。

山 小 川 の あ つ ま り 熊野神社のお祭り 毎年 9 月 29 日に行います。昔は町会長さんの家に 神主さんを招いて拝んでもらっていました。

収穫祭

おこしんこう お姑になると入会します。内容は 子安講に似ていますが、場所は青 年館で、当番制ではなく、参加必 須ではありません。

毎年 10 月に行います。神様に その年収穫した新米を献上し 感謝します。

子安講 毎月 16 日に山小川に嫁いだ人が当番制で各自の 家に招待し皆でお話をします。昔は臨月を迎えた 人の安産祈願の場でもありました。

花嫁祭り その年に結婚したお嫁さんが、江戸褄を着て、畳の下駄を履き蛇の 目傘をさして、親と一緒に(現在では夫)歩いて高滝神社を目指し ました。高滝神社では神主に拝んでもらいお金を供えます。


か つ て の 子 安 講

今 の 子 安 講


山 山小川は5つの組に分かれ ています。 平成 21 年現在、1組 10 戸、2 組 10 戸、3組7戸、4組9戸、 5組 14 戸です。 そのうち稲作をしているの は1組 10 戸、2組7戸、3・ 4組5戸、5組3戸の計 28 戸 です。

小 川 の 「 組 」

まと り冠に す町 あ婚渡 ね会 る葬せ 。 の 程祭ば 組 付 度 な き 組んに 合 のか行 い 付はき が きや届 あ 合っく り いぱ。

と か 連 絡 方 法 は 組 長 さ ん

あ り ま す 。 例 え ば 回 覧 板

の に 組 に お 願 い す る こ と も

と 、 町 会 団 体 を ま と め る

をの 綯 な時 (の なは )、 っ当 て番 ま 制 す よで 墨 。 あ縄

九 月 の 熊 野 神 社 の お 祭 り

い ま す よ 。

番 な ら 一 番 で ず っ と 続 い て

組どい ら組ん たうす どてで 善 三がで 五のよ の、し 子 はね。 三 分た 。 、 番一す 番がね 時 番 よ 組出。 代家。 家 は番、 四 元 来そ かだ は そ が 々 だ に 多 こ にと組 減 移 んいか 分たで 分大に は っ な 動 ら 家。 四 の 五 そ ち か勢分 今 変 し 。 がし 家 番 ゃ 一は 増た番 れだ て が 組 っ わ た っ も た ん番五 えらて んか入 ま 一 け なか番 たまい でらっ で


く と 、 本 当 に 気 持 ち い い で す も ん ね 。

肥 を 使 う わ け 。

善 高 だ 子 橋 藁 を 春 堆 積 は 肥 ん 使 を で わ モ ね な ッ 。 い コ で で 、 秋 運 に ん 麦 で 蒔 ね く 。 前 に そ の 堆

善 あ 岡 子 り 田 ま 堆 し レ 肥 た ン 小 ね ゲ 屋 。 ソ に ウ 掃 を 除 田 を ん 兼 ぼ ね に な 入 が れ ら た 牛 こ が と 踏 も ん

に い れ て た の 。

斉 良 岡 藤 く 田 出 肥 来 稲 や る の し と 周 が 言 り 買 っ を え て ガ な ね チ い 。 ャ か ガ ら チ 牛 ャ の や 糞 る を と 田 、 ん 稲 ぼ が

い か ら 手 で か じ っ て 、 草 取 り す ん の 。

た も ん ね 。 田 ん ぼ 作 っ て て も 、 昔 は 薬 っ て な

斉 「 で 藤 う す が よ 耕 」 。 運 を 牛 機 つ の も け 背 終 て 中 わ ね に り 。 「 く の ら ほ 」 う を に つ な け っ て て 。 出 後 て ろ き に

岡 っ 一 田 た 町 ね 歩 機 え ( 械 。 ち が ょ な う い ぶ か ) ら 以 ね 上 、 や 牛 っ や て る 馬 で 人 耕 は し い な た か ん

く ら い で す よ 、 み ん な 。 い く ら も 変 わ ん な い 。

斉 藤 六 反 歩 ( 「 1 反 歩 ( た ん ぶ ) 」 が 三 百 坪

)

好 菜 善 子 の 子 成 い 長 好 い 過 き 空 程 な 気 を 仕 吸 見 事 い る は な の が は 苦 ら 楽 に 、 し な 遠 い ら く ! な い の の 方 よ 見 ね て 。 畑 野 行


ず ん 下 が っ て い く け ど 、 下 手 な 人 は 一 間 ( け

岡 れ 割 す 田 な 区 る い っ の 田 。 て 。 幅 大 ん を 勢 ぼ 決 で に め 植 入 て え る あ る で る か し か ら ょ ら 競 、 、 争 達 人 だ 者 の よ な 割 、 み 人 に ん は は な ず 入 。 ん

通 し て 、 そ の ご ざ を 背 負 っ て 、 こ ご ん で 田 植 え

斉 ら 岡 れ 斉 藤 。 田 る 藤 ん 蓑 蓑 だ 雨 は よ な が な 買 。 ん っ い か た と を ね で 弾 す 、 く ご よ わ ざ 、 け を 家 じ 二 じ ゃ つ ゃ な に 作 い 折 れ か っ な ら て い 、 、 か 濡 紐

物 置 と 軒 下 に 、 む し ろ を 重 ね て い た ん で す よ 。

や っ た か し ら 。 ど こ の 家 に 行 っ て も 、 み ん な

て 、 も み を や っ て 、 一 日 に 二 回 、 三 回 く ら い

藁 で 中 を 段 々 に 編 ん だ も の を 着 た の 。

な か っ た か ら 、 代 わ り に 蓑 ( み の ) っ て い う

た ら 大 変 で す よ 。 ビ ニ ー ル の 合 羽 っ て い う の が

岡 な 干 田 か し っ だ 藁 た っ を の た 乾 。 か か ら し 、 む て 、 し そ ろ の が 上 な に い む と し お ろ 米 を が や 干 っ せ

の が 嫌 で し た ね え 。 ト イ レ で も 行 き た く な っ

斉 藤 む し ろ に お 米 を 干 し て た の 。 昔 は 天 日

て も や っ て た よ ね 。 雨 降 り に な る と 合 羽 着 る

稲 刈 り 後

う ち に い る 人 な ん か い な い で す よ 。 雨 が 降 っ

岡 の 苗 田 。 を 藁 田 で 植 束 え ね て の お 時 は く み の ん を な 一 日 田 か ん け ぼ て 出 や ち っ ゃ て っ る て 、 な い の 。

け な い け ど 、 下 手 な 人 は ま っ す ぐ に 植 え ら ん

斉 藤 田 植 え の 前 の 日 に は 苗 取 り っ て い っ て 、

田 植 え

斉 ぐ ん 藤 わ ) か か ほ る 二 ん 。 間 遅 と く は ま な っ る す 。 だ ぐ か に ら 植 上 え な 手 か く 下 ち 手 ゃ か い す








山 小 川 で 「 働 く 」 と い う こ と


収現 入金 源

と勤 百め 姓人

こぼれ話

現 金 収 入 の変 遷

ムシロは朝から夕方まで編んで、一日のノルマが 10 枚だったそうです。10 枚編むことはとて も大変なことで、編み方は習うという感覚はなくて、全部見て覚えます。ちなみに、300 円と いう金額は、 さつまいもに換算すると 10 キロ分くらいだそうです。 ムシロ織り以外の収入源は、 米・さつまいも・小麦があったそうです。 また、昭和 40 年を過ぎると勤め先ができました。昭和 43 年に本木養鶏場、45 年に川崎製鉄、 昭和 46 年 10 月 10 日にはゴルフ場ができました。当時はバスに乗って勤めに行っていたそう で、養鶏場の日給は 500 円でした。


お 米

砂 糖


魚 と 「 す と っ こ 」

肉 ・ 鶏 肉

こぼれ話

食 べ 物 の あれこ れ

自分たちで食べる分だけの野菜(ニンジン・ゴボウ・サトイモ・大根)は作り、 保存食として沢庵やお漬物にして食べていました。保存食の為、とてもしょっぱ かったようです。 また、軒下に掘った穴を冷蔵庫代わりにし、塩は年間で一俵買っていました。大 豆も豆腐も味噌も納豆も自分たちで作っていて「トウゾ」がおいしいそうです。 お米が貴重だったこともあり、自家製のかんぴょう・卵が入った太巻き寿司は農 家にとってご馳走で、お祭りでは必ず作っていたそうです。


映 画 ・ 芝 居

昔 遊 び

お 祭 り 「 お し ゃ ら く 」



コラム

古関名人の思い

炭焼きってのは今になっては私にとって

スが増えて、需要が

は貴重な存在だな。というのはもう、山こぐ

なくなったの。お茶

ぁの古関んとこ行けばいつでも炭があると、 を 立 て る お湯 を 沸 いうイメージがこの辺一帯に広がっちゃっ

か す の に 炭が 必 要

たの。だからもうバーベキューをはりたいと

だ っ て い う人 に 送

かいえば、必ず「何俵くれよ」って。そうい

っ て や っ たこ と も

うのがうれしい。ただ焼くだけじゃぁね。そ

あったけども。炭で

れとね、炭窯で煙を出してっと、往路からよ

沸 か し た のが な ん

くみえっで、めずらしい人は、なんだか煙が

かいいらしいの。

でてるって、わざわざ来てくれるの。で、な んにもわかんねぇ人達がきてペチャクチャ

残念ながら息子達はやらない。もう農

おしゃべりして、そういう変わった人達と、 業もやってくれるかやってくれないか。 3 日も火燃やしてっと、いろんな人と会話で

みんなサラリーマンだから。私だって今

きる。よろこんでくれる人達もいるから、そ

は商売にはなんねぇからな。炭焼きは本

ういう楽しみもある。まぁ人が喜ぶことは、 当の趣味。毎年 1 回か 2 回しか焼かねく 私は自分が喜ぶのと一緒だから。だから自慢

なったから。いくら焼いたって、売れね

したくなる。うれしくなるの。

ぇ炭作っくったってつまらねぇし。PR し たいけどもね。やってくれる、脅威のあ

炭を多く作ってた時は、料理やさんとかに

る人がいねぇっちゃあ、やったって無駄

やってたんだけど、もう最近は炭を焼く数が

だし。若い人たちが覚えてやってみよう

炭焼きは私にとって生きがいでもあるし。も

って言う人がいればねぇ。寂しいよ。

う一回俺が丈夫なうちに釜を作り変えて残 したいなぁって、そういう気持ちもある。だ ってこの辺にないもん。すくなくなって…ガ

出典:第 5 回聞き書き甲子園作品集(2007 年)


「こがたな」小刀

「だっこくき」脱穀機


「とうし」

唐 篩

「ぼうばかり」棒秤


「わらつぶしき」藁潰し機

「なわないき」 縄 綯 い 機


聞き書き甲子園

o n d

( オ ン ド )

全国 100 人の高校生が森海川の「名人」

全国の集落(2016 年現在で、新潟・千葉・

(造林手や漁師、伝統工芸士など)を訪

愛知・滋賀・奈良・鳥取・徳島・岡山・福岡・

ね、一対一でその人の仕事や人となりを「聞

熊本の 10 地域)において、高校生から若手

き書き」し記録する取り組みです。

社会人が地域づくり・森づくりなどをする取り組

2002 年から毎年実施され、その成果は

みです。

『聞き書き作品集』として毎年冊子にまとめ

「聞き書き甲子園」卒業生を中心 2004 年に

られています。

「共存の森づくり」という名称で始まり、現在では 卒業生以外の若者も多く参加しています。

■活動に興味がある方へ 活動に参加したい、活動を応援したい方は、以下のメールアドレスへご連絡ください! メールアドレス:mori@kyouzon.org

■活動を詳しく知りたい方へ 聞き書き甲子園、共存の森づくりの詳細及びそれ以外の活動はホームページをご覧ください! ホームページ:http://www.kyouzon.org/


千 葉 県 市 原 市 で の 活 動 の あ ゆ み 聞き書き甲子園卒業生有志が「名人から話を聞いただけで終わりにしたくな い」との思いから任意団体「共存の森」を設立。2004 年1月に最初の活動フ ィールドとして市原市水沢の県有林「鶴舞創造の森」が選ばれ、活動が始まっ た。初年度には全国の聞き書き甲子園卒業生が集まって記念植樹を行なっ た。2005 年からは「人が集まる森づくり」というテーマを掲げ、上総掘りによる井 戸掘り体験や植生調査、遊歩道整備を開始、森の中に炭窯の跡を発見し た。その発見を受け、翌 2006 年には、鶴舞創造の森周辺で今でも炭焼きを している方を近隣町内会に問い合わせをし、古関幹雄さんを紹介して頂く。同 年 11 月にユートピア笠森(長南町)にて行なった関東セミナーでは炭焼きに ついて古関さんからお話を伺い、また山小川の方数人とも面識が得られたこと がきっかけで、翌 2007 年から山小川での活動が始まった。 2007 年は古関さんとともに炭焼き体験、2008 年には稲作体験と稲作に関 する聞き取り調査をさせて頂いた。鶴舞創造の森ではキノコの栽培にも挑戦し た。2009 年には竹カゴ職人、茅葺き職人、大工、昔の暮らしを知る女性の 計4グループの方々へ聞き書きをさせて頂き、「山小川の一員になりたい」とい う思いを抱いた。 前年までの活動から「聞くだけでなく、実際に歩くことで見える魅力や課題があ るのでは」と考えたことから、2010 年には山小川の方々の庭を見て歩く「庭先 地元学」を実施、畑の作物が産直に出品されている事実を知った。また、同年 から「ごみゼロ運動」などの地域行事にも参加させて頂くようになった。その結 果、「昔らしさを大切にしたい」という思いが芽生えた一方、山小川の方々から は「産直で配れる地域紹介パンフレットがあったらいい」という声を頂いた。それ を受け翌 2011 年には、これまでに学ばせて頂いたことを集約した山小川パン フレットを作製。同時に、2度目の炭焼き体験を実施。2007 年の炭焼き体 験とは異なり、材の伐り出しから窯出しまで、炭焼きの一連の工程を体験し た。2012 年は炭の新たな価値・活用方法を探るべく、山小川の女性の方々 に炭火を使う郷土料理を教えて頂いた。 2013 年4月には、市原鶴舞インターチェンジと市原鶴舞バスターミナルが開 設された。「山小川に大きな変化が訪れているのではないか…」そんな思いか ら、山小川の大切なものを山小川の方々と一緒に見つける為に、山小川の 「宝もの」探しを 2013~2014 年に実施した。その結果、山小川の暮らしは かざぐるま 風車のようにして成り立っていることに気付き、この風車をこれからも回し続けて 欲しいと考えた。「宝もの」探しで断片的に見えてきた山小川の暮らしを、より 具体的なエピソードとともに記録したいとの思いから、翌 2015 年度には山小 川の女性の方々に聞き書きを実施し、これまでに学ばせて頂いたことと合わせ て「山小川まるわかりブック」としてまとめた。



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