Film Experience as a turn to/from the death

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〈死〉への/からの転回としての映画 ――アンドレイ・タルコフスキーの後期作品を中心に――

亀井克朗

Katsuro Kamei



全体序

本書は、筆者がこれまで様々な形で発表してきた論文を、加筆訂正した上で まとめたものである。全体を二部構成とし、第一部は、アンドレイ・タルコフ スキーの映画作品に関する論文、第二部にタルコフスキー以外の監督の諸作品 に関する論考を集成した。 第一部は、タルコフスキー論を集めた。筆者が最初にタルコフスキーを自ら の論文の主題としたのは、 『ノスタルジア』を論じた卒業特別研究論文にまで遡 る。その成果を踏まえ、修士論文では遺作の『サクリファイス』を扱った。そ れ以降も、タルコフスキーについての研究を続け、いくつかの学会で発表し、 論文を発表してきた。本書第一部を成すのは、それらの論考である。書かれた 時期には差があるが、昔書いたものも、全体のバランスを考え、大幅な加筆修 正の上、組み入れることにした。第一部の各章の元となっている論文の主な初 出を以下に挙げる。 第1章

信仰・死・共同体:「信仰・死・共同体―アンドレイ・タルコフスキー

の映画『ストーカー』についての分析」 (広島芸術学会編『藝術研究』第 14 号、2001)に加筆 第2章

外部者としてのユロージヴィ: 「映画における外部の開示と受容―『ノ

スタルジア』のドメニコについての考察」 ( 『臨床哲学研究』第 2 号、2001) に加筆。 第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき:卒業特別研究論文、及び「アンド

レイ・タルコフスキー研究―『ノスタルジア』について」 (日韓学生美学研 究会編『第 3 回 日韓学生美学研究会 報告書』1995)を大幅に加筆修正 第4章

〈今ここ〉の他界:修士論文、及び「アンドレイ・タルコフスキーの

『サクリファイス』についての受容美学的考察」 (日本美学会編『美学』第 198 号、1999)第 2 章に加筆。 第5章 他界との接触としての犠牲: 「アンドレイ・タルコフスキーの作品と思 想―「東洋」的要素からのアプローチ―」 ( 『興國管理学院 2007 日本研究跨 學際學術研討會』 、及び、上掲「アンドレイ・タルコフスキーの『サクリフ

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ァイス』についての受容美学的考察」第 1 章に加筆 第6章 共苦の共同体: 「映画『サクリファイス』について―クライマックスの 場面の考察を中心に―」 ( 『比較文化研究』第 20 号、1998) 、及び、上掲「ア ンドレイ・タルコフスキーの『サクリファイス』についての受容美学的考 察」第 3 章に加筆 ロシア時代最後の『ストーカー』を含めて、タルコフスキーの後期の代表作 を中心に詳細に作品分析を行い、タルコフスキーの思想を探究した。研究の足 取りは、 『ノスタルジア』 (1983) 、 『サクリファイス』 (1986) 、 『ストーカー』 (1979) の順に進んだが、映画の発表年の順に配し、第1章を『ストーカー』論、第 2 章及び第 3 章を『ノスタルジア』論、第 4~6 章を『サクリファイス』論とする。 本書をまとめる作業と並行して、次の論文を発表した。 「日本/東洋の受容のかたち―アンドレイ・タルコフスキーの作品と思想への 一アプローチ」 、 『台灣日語教育學報』第 15 号、2010 年 そこには、これまでの成果が生かされていると同時に、逆に、同論文をまと める過程で生まれた成果の一部を本書に活用した。 第二部には、タルコフスキー以外の監督の諸作品についての論考を集成した。 初出を挙げる。 第1章

権力の視線と天使のまなざし:未発表(英語論文を『臨床哲学研究』 第 4 号 2003 に発表)

第2章

死のメディアとしての映画:「死のメディアとしての映画――『回路』 (黒沢清)について」 ( 『臨床哲学研究』第 3 号、2003)に加筆

第3章

侯孝賢の映画を観ることの意味: 「映画における「再現」の多層性と動 性――侯孝賢 『好男好女』 の構造分析」 ( 『比較文化研究』 第 25 号 2002)、 及び、日本映像学会第 36 回大会(2006)発表原稿に加筆

意図したわけではないが、結果として、様々な国の監督が集められることに なった。第一部で取り上げるタルコフスキーはロシア(旧ソ連)の映画監督だ が、独自のコスモロジーに根差しコスモポリタンな無国籍的志向を有していた。

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第7章で取り上げる『エンド・オブ・バイオレンス』の監督ヴィム・ヴェンダー スも、本国はドイツだが、世界中を舞台として映画を製作している。『エンド・ オブ・バイオレンス』はアメリカで制作されている。 第 8 章の黒沢清は、日本の映画監督である。日本を出て生活し、日本語を教 えていると、日本に関心が向かう。タルコフスキーについて「東洋」からアプ ローチした動機も同様である。ただし、いずれの場合も、日本のアイデンティ ティを探求したかったのではなく、 「日本」や「東洋」といった既成の枠組みを 超える動向に関心の方向は向いている。現代の日本映画の動向を紹介したいと いう思いもある。 第 9 章は、不十分ながら、特別な思いをもって掲載した。侯孝賢に興味を持 ち、研究に着手したのは、台湾に赴任する以前のことである。台湾に赴任する とき、この論文を台湾に渡る自らのパスポートのようなものだと思っていた。 台湾に来て、資料を漁り、日本にいたときには知らなかった多くのことを知っ た。自分の論文の不十分さを感じ、その成果を学会で発表した。今回掲載する に当たって、さらに修正を試みた。本書の最後尾に配したのは、今後の展開を 期す思いからである。 以下の二点は、事情により収録できなかったが、自分の中ではモチーフがつ ながった一連の論文を成すものであり、ここに挙げておく。 「現代日本映画に見られる即興と共感の技法:諏訪敦彦監督作品『2/デュオ』 について」 、 『興國管理学院應用日語學報 2 日本・現代性與異文化理解』2007 年 「映画の虚構性と現実性―『心中天網島』における黒子の表象についての分析」 ( 『興國管理學院』應用日語學系學報,2010 年) テーマ、題材は拡散する一方だが、自分の関心と研究は一貫した方向性をも っている。自分が見て感動し、研究の触手が動き始める映画というのは、第一 に、その感動の質が決定的であること、人生を揺り動かすほどの力があること、 そして第二に、その感動の理由が直ちに明らかではないこと、謎めいたところ を含んでいること、この二つである。まず感動が決定的でなければならない。 中途半端な評価は研究の意義をそぐ。第二に謎めいたところがない作品は、考 えなくてもよいわけだから、考える必要がない。したがって研究の対象になら

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ない。 焦点は作品経験に向かう。ここに取り上げた映画作品の経験は、世界観・人 生観を一変させるような質を有する。本論考は第一に、そうした映画の根本経 験に迫ることを目的とする。 その方法として本研究のベースにあるのは、現象学とそこから派生した受容 美学である。 現象学は、周知のように、フッサールを祖とする。フッサールは「事象その ものへ」 (Zu den Sahen selbst!)を旗印とした。本研究の場合、 「事象」は「作 品」である。 「事象そのものへ」至る現象学の方法は、第一には記述である。本 研究も、 「作品」を記述することを徹底した。その過程で得られるものは多かっ た。記述することは、発見し、作品経験の本質を浮かび上がらせる優れた方法 である。 また、一方で、受容美学の思想と方法にも多くを負っている。受容美学は、 現象学の流れを汲み、W・イーザーと H・R・ヤウスを代表的論客とする。受容 美学は、作品の受容の局面に焦点を当てる。 「作家」研究から始まった研究史は、 ニュークリティシズムで「作品」そのものへの研究に向かい、さらに受容や「読 者」 (観衆)の研究に向かうという大きな流れを描く。本研究において、受容美 学に注目するようになった理由は、作品分析が観客の問題を切り離しては不可 能であることに気づいたからである。観客は作品に組み込まれている。作品に 組み込まれたものとして観客を外しては、作品分析は不可能である。この受容 美学の着眼が、本研究に寄与するところは大きい。 また、映画固有の問題として、作品の動性や身体性への着眼も、現象学や受 容美学に負うところが大きい。身体性への考察では、メルロ・ポンティに多く を負っている。 現象学に発した問題意識と方法論は、受容美学以外にも、文芸学、芸術学の 領域に多大な影響を及ぼしている。美学ではミケル・デュフレンヌ、解釈学の G・ ガダマー、図像解釈学のゴットフリート・ベーム、日本では金田晋( 『絵画美の 構造』『芸術作品の現象学』)がおり、多くの教えを得た。映画学、映画美学の 領域での発展は未だ途上だが、メルロ=ポンティに触発されたソブチャックの 論考が与えた影響が大きい。 自らの感動の謎を解きたいというひとりよがりな動機に支えられながら、現 代の最先鋭の作品群を相手に奮闘してきた。ここに集められた論考が対象とす

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る映画作品は、どれも映画芸術の表現をぎりぎりまで追求した作品であり、そ の検討は、映画芸術の可能性を明らかにする意義を有する。その作品を分析す ることによって取り出される思想性は、現代の思想的動向に迫る重要な意義を 有している。拙論の出来不出来は別として、そのことへの確信だけは揺るぎな いものとしてある。その確信をどの程度まで伝えられているかについては、読 者の判断を仰ぎ、ご叱責を乞う次第である。

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付記 文献の表記は、各国式を併記することはせず、ロシア語の文献も欧米式に統 一した。中国語の文献も括弧等の表記は日本語式にした。また、出典情報は基 本的に著者年方式を採る。ただし、タルコフスキーを著者とする文献は多数に 及ぶため、しばしば言及する以下の資料については、例外的に文献名を略式で 記し、著者・出版年は省略する。詳細については、本文で改めて説明するが、 便宜を図りここにまとめて記しておく。 (出版情報の詳細は、参考文献一覧を参 照されたい。 ) “Opfer” : “Opfer – filmbilder und Dialoge”, in Tarkovskij (1987d) Opfer “Сталкер” : “Сталкер: литературная запись кинофильма” (1993) in: Стругацкие, Собрание сочинений: 1-й дополнительный том Мартиролог:Тарковский (2008) Мартиролог(邦訳、タルコフスキー(1991) 『タ ルコフスキー日記』 、同(1993) 『タルコフスキー日記 II』はそれぞれ『日記』 、 『日記 II』と略す。 ) Запечатленное время:Тарковский (2008-a) “Запечатленное время”(邦訳、タルコ フスキー(1988a)『映像のポエジア』)(当資料はインターネット上に公開 されているものであり、厳密には著書ではないが、著書として執筆された ものであり、出版を予定していること、また同名の論文[Тарковский, 1967a 及び, 同, 1967b]がありそれと区別する必要があることなどから、イタリッ クで表記する。 ) “Жертвоприношение”: Тарковский (1986a) “Жертвоприношение”, Континент(邦 訳タルコフスキー(1987b) 『サクリファイス』 ) “«Ж»: запись”: Тарковский (2008-c) “«Жертвоприношение»: монтажная запись фильма” “Offret” : “Offret Dialog”, in Tarkovskij (2010) Offret

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目次 全体序---------------------------------------------------------------i

第一部 第一部

タルコフスキー論

序論--------------------------------------------------------3

(1)作品 (2)協力関係 (3)他の映画作家の作品への協力 (4)他の監督によるドキュメンタリー (5)作品の構想 (6)出版 アンドレイ・タルコフスキー年譜---------------------------------------31

第1章 信仰・死・共同体―『ストーカー』の分析-------------------------37 第一節 ストーカーについて----------------------------------------40 第1項 「呪われた=聖なる」人間 第2項 人生の理想としての柔弱さ 第二節 ゾーンについて:部屋の敷居の場面を中心に-------------------46 第 1 項 ヤマアラシの物語についての作家の解釈 第2項

信仰と苦:部屋の要求

第三節 帰還後の展開について--------------------------------------52 第1項 帰還後の変化 第2項 妻の変化の本質:苦の受容 第3項 死の共同性 第4項 舞台の〈外〉 第5項 ストーカーの最後の言葉の解釈

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第2章 外部との境界存在者としてのユロージヴィ ―『ノスタルジア』のドメニコの検討------------------------------------65 第一節 ユロージヴィについて--------------------------------------67 第 1 項 ユロージヴィの伝統 第 2 項 タルコフスキーのユロージヴィへの関心 第 3 項 見世物、あるいは社会的プロテストとしてのユロージヴィ 第二節 ユロージヴィとしてのドメニコ------------------------------71 第1項 ドメニコの登場する場面と設定 第2項 ドメニコの言動とゴルチャコフの反応 第3項

聖カタリナの聞いた言葉と世界の終わり

第三節 ドメニコの犠牲的行動--------------------------------------78 第1項 ドメニコの演説の状況 第2項 ドメニコの演説の検討 第3項 演説後の行動~音楽の故障と再起動という演出の意味

第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

―『ノスタルジア』のゴルチャコフについての検討―----------------------91 第一節 主人公が取り付かれている「ノスタルジア」の位置づけ----------93 第1項 無意志的記憶の「回想」 第2項 タイトル・バックの情景―他界への郷愁 第3項 回想された他界の同時進行性と呼応性 第二節 今ここの〈他界〉-------------------------------------------102 第1項 主人公の〈病〉―宇宙的孤独 第2項 気づき 第3項 自然的事象 第4項

内面への旅

第5項 真理の現われとしての美

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第6項 箱庭的光景 第三節 ゴルチャコフの行動---------------------------------------115 第1項 犠牲と信仰 第2項 ゴルチャコフの行動 第3項 ラスト・ショット~他界への帰還

第4章 〈今ここ〉を貫く他界―『サクリファイス』論(一)-----------------123 第一節 他界観の提示---------------------------------------------124 第1項

永遠回帰をめぐる対話

第2項

地図についての会話

第3項

収集家

第二節 他界の出現、あるいは露呈としての戦争----------------------136 第1項

戦争勃発の描写・演出

第 2 項 戦争の描写補論:ヴェルテップについて

第5章 自己無化と他界との接触としての犠牲 ―『サクリファイス』論(二)------------------------------------------147 第一節 犠牲という主題-------------------------------------------147 第1項 タイトルについての検討 第2項 タイトル・バックについての検討 第3項 第二節 第1項

映画を解く鍵としての《マギの礼拝》 燃える家の場面の演出-------------------------------------159 解釈の分岐と登場人物の認識の差異による区分

第2項 アレクサンデルの犠牲の意味 第三節 イコンとしての映画---------------------------------------165 第1項 タルコフスキーのイコンへの関心 ix


第2項

第6章

俳優についての対話

共苦の共同体―『サクリファイス』論(三)---------------------171

第一節 共苦-----------------------------------------------------171 第1項

ツァラトゥストラ=アレクサンデルの気絶

第2項 アレクサンデルの祈り 第3項 他者への共苦に発する祈り 第二節

魔女-----------------------------------------------------180

第1項

魔女について

第2項

魔女との一夜

第三節 共苦の共同体---------------------------------------------190 第 1 項 彼方へ去るマリア 第2項

子供との絆―枯れ木に咲く〈花〉の受容

第二部

その他の監督作品論

第 7 章 権力の視線と天使のまなざし ―『エンド・オブ・バイオレンス』にみる映画の脱権力性-------------------201 第一節

権力の監視する視線---------------------------------------203

第二節

権力の本質と暴力の連鎖-----------------------------------205

第 1 項 暴力装置としての視覚 第 2 項 暴力を生み出すもの 第 3 項 抵抗の拠点――権力を無化する倫理 第三節

守護するまなざし――天〔使〕のまなざし---------------------210

結び-------------------------------------------------------------212 x


第8章 死のメディアとしての映画――『回路』 (黒沢清)を中心に-------213 はじめに 第一節 死のイニシエーションとしての恐怖-------------------------214 第二節 死の伝播-------------------------------------------------217 第三節 孤独から生と死の連続性へ---------------------------------219 第四節 死者が支える生-------------------------------------------222 第五節 世界の終りの光景-----------------------------------------224

第9章 侯孝賢の映画を観ることの意味 ―『好男好女』 (1995)のショット分析を手がかりとして------------------227 はじめに 第一節 『好男好女』の構造~再現の多層性と動性---------------------229 第二節

交わるはずのないものの交わり~梁静と蒋碧玉の同化---------233

第1項

梁静と蒋碧玉の交わり

第2項

女性同士の友情の主題

第3項 真実と虚偽/歴史的過去と個人的過去の融合 第三節 伝達の直接性と異空間の開示-------------------------------238 第1項 伝達の直接性 第2項 死の空間の開示 第3項

移動する開かれた共同性~ラストショットの検討

結び~生死を超える絆---------------------------------------------243

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参考文献-----------------------------------------------------------245 人名一覧-----------------------------------------------------------266

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第一部 タルコフスキー論



第一部

序論

本研究の目的は、ロシア(旧ソ連)の映画監督であるアンドレイ・タルコフ スキーの作品を具体的に検討し、その作品を貫いている根本思想を明らかにす ることにある。 具体的作品の検討に先立ち、タルコフスキーの映画化された作品、映画化さ れなかった作品の構想、著作、それぞれについて、必要な確認を行う。

(1)作品 タルコフスキーの監督した主な映画作品は、以下の八本である。すべて劇場 公開され、DVD 化もされている。 『ローラーとバイオリン』

Каток и Скрипка

1961

『僕の村は戦場だった』

Иваново Детство

1962

『アンドレイ・ルブリョフ』

Андрей Рублёв

1966

『惑星ソラリス』

Солярис

1972

『鏡』

Зеркало

1975

『ストーカー』

Сталкер

1979

『ノスタルジア』

ostalghia

1983

『サクリファイス』

Offret/Sacrificatio

1986

劇場公開映画作品の内、 『ストーカー』までが、ロシア(旧ソ連)国内で製作 されたものである。残りの二本の内、『ノスタルジア』はイタリアで、『サクリ ファイス』はスウェーデンでそれぞれ撮影・制作されている。タルコフスキー はイタリアで『ノスタルジア』をした後、イタリアに留まり、1984 年に事実上 の亡命宣言となる記者会見を行う。そして、スウェーデンで『サクリファイス』 を制作。癌を発病し、療養中のパリで逝去する。 この他に、劇場公開されていない作品として、まず、映画学校の学生時代に 製作した以下の映画がある。 3


第一部

タルコフスキー論

『殺人者』

序論

Убийцы

1958

(原作;ヘミングウェイ, E. Hemingway、The Killers) 『今日は解雇なし』

Сегодня увольнения не будет

1959

『殺人者』1は、日本でもNHKでテレビ放映された。学生時代には他に『濃 (Антарктида, далёкая страна)など 縮物』 (Концентрат)2や『南極、遠い国』 のシナリオを執筆しているが、映画化はされていない。 また、ドキュメンタリー作品として、 『旅の時』 (Tempo di Viaggio, 1982)3があ る。これは、 『ノスタルジア』製作準備のためのイタリア旅行の過程を捉えたド キュメンタリーである。 『ノスタルジア』で脚本を担当したイタリアの詩人トニ ーノ・グエッラとの共同作品である。 映画作品以外では、タルコフスキーは、ラジオドラマの制作や舞台の演出を 手がけた。 ラジオドラマ 『急旋回』

Полный поворот кругом

1965

(原作;W・フォークナー、Turn About) 舞台演出 『ハムレット』

Гамлет(Hamlet)

1977

Boris Godunov

1983

(モスクワ、コムソモール劇場) 『ボリス・ゴドノフ』

(ロンドン、ロイヤルオペラ劇場コベント・ガーデン) 『ハムレッ ラジオドラマ『急旋回』は、かなり本格的なものであった4。また、 ト』は、1975 年から準備を始め、1977 年初頭の上演に至るまで、一年以上に及 ぶ長い時間を費やしている。タルコフスキーは、その後、 『ハムレット』の映画 1

馬場朝子(1997:80-113) Тарковский (1994:27-31) 3 イギリスで発売されているタルコフスキーにまつわるドキュメンタリーを収めた DVD、 The Andrei Tarkovsky Companion(Artificial Eye, 2007)に収録されているほか、イタリアで発 売されている『ノスタルジア』の DVD(01 Distribution, 2006)に付録として収められて いる。 4 このラジオドラマについては、馬場朝子(1997:146-164)および、シェレリ, アレクサ ンドル「フォークナーの短編によるラジオドラマ」 (サンドレル, 1995, 357-87)を参照。 このラジオドラマは、Медиа-архив «Андрей Тарковский» (2008-)で聞くことができる。 2

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化も構想しているが、実現には至らなかった。

(2)協力関係 タルコフスキーの作品には、強い作家性が感じられる。様々な作品の中に一 貫した個性と思想が保たれている。そのことは、作品の制作が様々な他者との 共同作業であったことと相容れないのではない。映画制作の特徴として、脚本 家、撮影監督や美術監督をはじめとするスタッフ、音楽家、俳優などとの協力 なしには制作は不可能である。タルコフスキーの作品の個性は、そうした他者 との共同作業の中で生まれ、磨かれ、作品として結晶化した。すべてに言及す る余裕はないが、劇場公開作品に限り、主な協力関係を整理しておく。 a.脚本 脚本について。タルコフスキーが単独でシナリオを書いたのは遺作の『サク リファイス』とサビトフ監督に提供した『気をつけろ! 蛇だ!』 (後述)ぐら いであり、後はすべて何らかの形での他者との共同執筆である。 最初の三作、 『ローラーとバイオリン』 、 『僕の村は戦場だった』 、 『アンドレイ・ ルブリョフ』は、アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキーと共同で執筆 している。 『僕の村は戦場だった』は、ウラジーミル・ボゴモーロフによる小説 『イワン』 (Иван, 1957)5の映画化である。 『惑星ソラリス』は、ポーランドの著名な SF 小説家スタニスラフ・レム原作 6

である。脚本は、ウクライナ(キエフ)生まれのユダヤ人作家、フリードリヒ・

ゴレンシュテインが共同で担当している。ゴレンシュテインは、映画化されな かった『アリエル』 (後述)の脚本も共同で執筆している。ゴレンシュテインは、 その後、1979 年に西ドイツに移住している。 『鏡』のシナリオは、その元になった『白い日』を含め、アレクサンドル・ ミシャリンが共同で執筆している。後述のシナリオ『サルドール』もミシャリ ンとの共同執筆である。 『ストーカー』は、ストルガツキー兄弟の SF 小説『路傍のピクニック』 (Пикник

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邦訳、ボゴモロフ(1967) 邦訳、レム(1977)。レム(2004)はポーランド語からの翻訳。 5


第一部

タルコフスキー論

序論

на обочине, 1972)7を原作とし、脚本も、ストルガツキー兄弟が共同で担当した。 ス ト ル ガ ツ キ ー 兄 弟 に よ る シ ナ リ オ の ヴ ァ リ ア ン ト (『 願 望 機 』 Машина 。 желаний)8も発表されている(詳細は後述) 『ノスタルジア』では、イタリアの詩人で、M・アントニオーニ(『情事』 (L'avventura, 1960), 『太陽はひとりぼっち』(L'eclisse, 1962), 『赤い砂漠』(Il deserto rosso,1964), 『欲望』(Blow-up, 1966), 『砂丘』(Zabriskie point, 1970), 『ある女 の存在証明』(Identificazione di una donna, 1982)) 、F・フェリーニ( 『アマルコル ド』(Amarcord, 1973))、フランチェスコ・ロージ(『ローマに散る』(Cadaveri eccellenti, 1976))等、多くの映画の脚本に携わってきたトニーノ・グエッラが共 同で脚本を執筆している。 b.撮影監督 初期の映画の撮影監督を務めていたのはワジム・ユーソフである。 『ローラー とバイオリン』から『惑星ソラリス』までの四本の作品の撮影を担当している。 ロシア時代の残りの二本の内、 『鏡』では、ユーソフが撮影開始直前に降りたた め、急遽、コンチャロフスキーの映画などで撮影をしてきたゲオルギー・レー ルベルグが担当した。 『ストーカー』では、最初の撮影(1977 年)では、 『鏡』 から引き続きレールベルグが担当していたが、撮影とフィルムの処理に失敗し、 翌年にすべて撮り直すことになる。取り直しの際には、レールベルグに代わっ てアレクサンドル・クニャジンスキーが撮影を担当した。 『ノスタルジア』では、マルコ・ベロッキオ監督の『虚空への跳躍』 (Salto nel vuoto, 1980)9で撮影を担当したジュゼッペ・ランチが担当した。 スウェーデンで制作された『サクリファイス』では、『処女の泉』(1959)か ら『ファニーとアレクサンデル』 (1982)まで一貫してイングマル・ベルイマン 作品の撮影を担当してきたスヴェン・ニクヴィストが担当した。 その他、音楽では、 『惑星ソラリス』 、 『鏡』 、 『ストーカー』の三作品で、エド ゥアルド・アルテミエフが担当し、独特な電子音楽と音響でタルコフスキーの

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Стругацкие (1993a), 邦訳、ストルガツキー(1983) Стругацкие (1981), 邦訳、ストルガツキイ(1989) 9 1980/5/31 の日記に、 この映画を観、カメラマンを検討する旨の記載がある。Мартиролог (284, 『日記』:425). 8

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世界を演出している。

(3)他の映画作家の作品への協力 自身の映画制作における他者との共同作業だけでなく、タルコフスキーは、 他の映画監督の映画製作にも様々な形で関わっている。年代順に列挙する。 『私は 20 歳』 (Мне двадцать лет、マルレン・フツィエフ監督、1965 年)に 端役で出演。原題は『イリイチの哨所』 (Застава Ильича)だが、検閲により上 映を禁じられ、修正した上、題を変えて 1965 年に上映された。オリジナルの形 での上映は、ペレストロイカ後の 1988 年にようやくなされた10。 『最初の教師』 (Первый учитель、A・コンチャロフスキー監督作品、1965 年) 11

のシナリオを共同で担当。原作は、キルギスの作家チンギス・アイトマートフ

の小説である。 『セルゲイ・ラゾ』 (Сергей Лазо、アレクサンドル・ゴードン監督、1967 年) 作品に出演。編集も担当する。ゴードンは映画大学時代の友人であり、妹の夫 でもある。 『千に一つのチャンス』 (Один шанс из тысячи、レオン・コチャリャン監督(グ ルジア・トビリシ出身)、1968 年、戦争映画)のシナリオを共同担当。この作品 には、タルコフスキーの映画にも多く出演しているソロニーツィン12が主演して いる。 『酸っぱいワイン』 (Терпкий виноград、バグラート・オガネシャン監督、1973 年、アルメニア映画)13の制作に協力。 ウズベキスタンのアリ・ハムラーエフのために、脚本『サルドール』 (Сардор)

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この映画については、ゾールカヤ(2001:341-6)、山田和夫(1997:183-5)を参照。 この映画については、ゾールカヤ(2001:365-71)、山田和夫(1997:197-8)を参照。 映画にはタルコフスキーの名はクレジットされていないが、脚本を共同で執筆している。 Tarkovskij, Andrej (2009:367). 12 『ルブリョフ』で主演、『ソラリス』でサルトリウスの役、『ストーカー』で「作家」 の役で出演しているほか、 『鏡』にも端役で出演している。舞台『ハムレット』でも主演 を務めた。『ノスタルジア』のゴルチャコフ役、『サクリファイス』のアレクサンデル役 での出演も予定されていた(Тарковский (1987a), 邦訳『映像のポエジア』327)が早逝に より果たせなかった。 13 1972/7/22, 12/23 の『日記』に記載がある。映画の題名は Давильней(邦訳『ぶどう圧 搾所』)と記されている。この映画には、 『ルブリョフ』でキリスト、 『惑星ソラリス』で ギバリャンを演じたアルメニア人の俳優ソス・サルキシャンが出演している。 11

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第一部

タルコフスキー論

序論

をアレクサンドル・ミシャリンと共同で執筆(1978 年)14。ただし、映画化はさ れなかった。 『気をつけろ!蛇だ!』 (Берегись! Змеи!、ザギト・サビトフ監督作品、1979 年、ウズベキスタン映画)のシナリオを担当。 アルメニア、グルジア、キルギス、ウズベキスタンなど、様々な地で共同作 業を行っていることが注目される15。上記の他にも、セルゲイ・パラジャーノフ との友誼がよく知られている。パラジャーノフはグルジア出身だが、出自はア ルメニア人であり、 『サヤトノヴァ』 (Саят-Нова, 1967-8)と『ざくろの色』 (Цвет граната, 1969)はアルメニアで制作している。タルコフスキーは、パラジャー ノフが 1974 年に投獄された際、共産党中央委員会第一書記に、パラジャーノフ の作品の素晴らしさ、芸術家としての比類なさを綴った手紙を V・シクロフス キーと連名で送っている16。1974 年 12 月 25 日の日記には、パラジャーノフから の手紙が挿まれている17。1981 年から 82 年にかけての年末年始には、トビリシ にいるパラジャーノフを、妻と子を連れ一家で訪問している18。 タルコフスキーが、同時代の旧ソ連の映画監督で高く評価し、著書の中でた びたび言及しているオタル・イオセリアーニも、グルジアのトビリシ出身であ る。 レニングラードの監督たちでは、アレクサンドル・ソクーロフ、ロプシャン スキーらとの交流が知られているが、他に、アレクセイ・ゲルマン19の『戦争の 14

Tarkovsky (1999)に英訳、Tarkovski (2001)に仏訳を収める。上の執筆年も、同二書の解 説による。脚本執筆の依頼を受けたのは、1973 年であり、『日記』に記載が見られる (Мартиролог :99, 『日記』:49, 150)。原案は、「らい病」Проказа という題名で、『映画 研究手帖』誌 Киноведческие записки1991 年第 11 号に掲載された。Тарковский (1991a). 15 これらの諸地域の映画の状況については、山田和夫(1997:194-)の「民族共和国の映 画的自己主張」を参照。 16 Мартиролог (115, 『日記』:174-6)。手紙の日付は 1974 年 4 月 21 日。 17 Мартиролог (128, 『日記』:186-7) 18 Мартиролог (378-83, 『日記』:486-7, 『日記 II』:39-44) 19 ゲルマンは、タルコフスキーと交流のあったコジンツェフ(Тарковский [1987c])の下 で学んでいる。ゲルマンが単独では初めて監督した『道中の点検』 (Проверка на дорогах, 1971)は、検閲により 15 年間もの間、公開を禁止されたままとなり、グラスノチに至っ てようやく公開された(ゾールカヤ, 2001, 427)。タルコフスキーが賛辞を送った『戦争 のない二十日間』は、それに続く作品であり、原作はコンスタンチン・シモノフによる。 ゲルマンの作品は、近年、日本でも、1998 年第 11 回「東京国際映画祭」で特集上映され (同上書「日本公開ソヴェート映画一覧」を参照)、 『フルスタリョフ、車を!』 (Хрусталёв, машину!, 1998)がパンドラにより配給上映され話題となっている。 『ロシアでいま、映画 はどうなっているのか』(2000)に監督のインタビューが収められている。 8


ない二十日間』 (Двадцать дней без войны, 1976)に対して、 『講義』 (1977 年頃 と推定される。詳しくは後述)の中で、その才能への驚嘆の念を表明している ことが注目される20。一方、ゲルマンと妻のスヴェトラーナからは、『ストーカ ー』公開に際して賛辞の電報が届いており( 『日記』1979/11/1)21、相互の交流を 伺わせる。 以上のような交流が相互にどのように影響し、作品にどう反映しているかを 検討することも今後の研究の課題となる。関与の形は様々だが、単独で執筆し たオリジナルのシナリオなど、タルコフスキーの作品世界の一部をなすといっ てさしつかえないものもある。将来、作品集を編む機会があれば、こうした作 品の収録も一考されるべきである。

(4)他の監督によるドキュメンタリー タルコフスキーに関わる映画作品の締めくくりとして、他の監督が制作した ドキュメンタリーをまとめておく。 A.『三人のアンドレイ』 (Три Андрея, 1966) 、監督:ジーナ・ムサトヴァ、記録 映画中央スタジオ製作 B.『タルコフスキー・ファイル・イン・ノスタルジア』(Andrei Tarkovsky in ostalghia, 1984) 、監督・構成・編集:ドナテッラ・バリーヴォ C.『モスクワ・エレジー』 (Московская элегия, 1987)22、監督:アレクサンデル・ ソクーロフ D.『タルコフスキー・ファイル・イン・サクリファイス』 (Regi Andrej Tarkovskij, 1988) 、監督・原案・構成:ミハウ・レシチロフスキー E.『アンドレイ・アルセーニヴィッチの人生における一日』 (One Day in the Life of Andrei Arsenevitch, 1999) 、監督:クリス・マルケル23 20

Тарковский (1989a:60, 『映画術』:97). Мартиролог (232, 『日記』:312) 22 『協会季報』第 12 号に、N というイニシャルで、本作についての時評がある。 23 『日記』に、クリス・マルケルについての記載がある。1985/7/28, 1986/1/19, 2/7, 3/3, 3/5, 11/30. この内、1986/2/7 の書き込みでは、マルケルがフィルムを持参し、それを見た感想 をつづり、 「おそらくは私の生涯のうちで最も重大なこの瞬間をこうしてフィルムに収め てくれたクリスに感謝する。」と記している(『日記 II』:260)。ロシア語版では、同日付 の記載は縮められており、上に引用した部分は見られない(Мартиролог :574)。 21

9


第一部

タルコフスキー論

序論

A は、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』とコンチャロフスキー の『愛していたが結婚しなかったアーシャ・クリャーチナの物語』 (История Аси Клячиной, которая любила, да не вышла замуж, 1966)24の制作の模様を収めたド キュメンタリーである。 「三人のアンドレイ」とは、すなわち、アンドレイ・タ ルコフスキー、アンドレイ・ルブリョフ(ソロニーツィン演ずる) 、そして、ア ンドレイ・コンチャロフスキーを指している25。 B と D の二作は、邦題が示すとおり、晩年の二作品『ノスタルジア』および 『サクリファイス』の撮影風景やタルコフスキーやスタッフへのインタビュー などから構成されたドキュメンタリー作品である26。日本でもケーブルホーグに より配給・公開され、高価だがビデオも発売されていたと記憶する。DVD は、 日本では未発売だが、D は、『サクリファイス』のスウェーデンで発売された DVD27に収録されている。 C と E は、先述の『旅の時』とともに収録した DVD28がイギリスで発売され ている。日本では、E が、2010 年発売の『サクリファイス』の DVD(紀伊国屋) に付録として収録された。

(5)作品の構想 『日記』から、タルコフスキーが計画していた映画化の計画を読み取ること ができる。映画化が実現した作品と実現しなかった作品がある。以下、 『日記』 から、構想から契約に関するメモまで、映画化に関するものをすべて抜き出す。 日付は、記載された『日記』の日付である。日本語版にあるが、ロシア語版に 記載がないものが多いため、ここでは日本語版を定本とする。 『日記 II』に記載 があるものは(II)と記す。また、『日記』と『日記 II』両方に記載のある場合 は、 (+II)と記す。日本語版に記載があるが、ロシア語版に記載がないものは(×) 24 この映画も『ルブリョフ』と同様、当局に上映を止められ、題名を『アーシャの恋人』 に変えさせられた上で、限定配給を受けた。ゾールカヤ(2001:371-4) 25 この映画についてはゾールカヤ(2001:364)を参照。 26 上映パンフレット『タルコフスキー・ファイル』(1989)。シナリオ採録「覚醒された 夢 ふたつのドキュメンタリーからの採録・抜粋」(1989)。また、A.のバリーヴォによ るインタビューは、Тарковский (1984a)にも掲載された。 27 Svenska FilmInstitutet, 2004 28 The Andrei Tarkovsky Companion, op.cit.

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を記す。 ( 『日記』の出版事情の詳細については後述する。 ) (a)映画化が実現した作品 『白い日』と『魔女』は、それぞれ『鏡』と『サクリファイス』で映画化が 実現している。 『白い日』Белы день:1970/4/30, 6/15, 7/11, 8/15, 9/7, 9/14, 9/18, 9/20, 1971/7/12, 8/20, 9/6, 10/23, 12/4, 12/30, 1972/1/23, 2/9, 2/14, 2/16, 4/2, 5/8, 6/9, 7/22, 8/19, 8/23, 9/17, 12/23( 『狂った小川』Безумный ручеек に改題) 、1973/1/26, 1/29, 2/4 本作は、 『映画芸術』誌 1970 年 6 月号にシナリオが掲載され29、1974 年より『鏡』 として撮影が開始される。 『魔女』ведьма:1981/5/8, 9/5(この日付は、ロシア語版に書かれている日付 である。邦訳は日付を記していない。), 1982/3/26(II,×), 4/2, 1983/3/2(II,×), 3/8(II, ×), 5/7(II,×), 5/22(+II), 5/25, 7/28(II,×, 「 『サクリファイス』の筋書きができ た。二つの腹案(『魔女』と『サクリファイス』)を結びつけ両方からよいとこ ろをとってくるのがよいかもしれない。 」 ), 8/11(II,×,『魔女』と『サクリファ イス』両題併記), 8/14(II, ×, 両題併記), 8/17(II, ×), 11/20(II, ×, タイトル を『サクリファイス』に統一), 11/22(II,×), 11/23(II), 11/24(II), 1984/1/7(II,×), 1/26 ) (+II, 小説『サクリファイス』執筆30。 また、『ふたりが狐を見た』(原語 Двое видели лису: 1970/9/7, 1978/4/14, 1983/2/28(II,×), 10/17(II,×))という題の構想が並行してあり、その内、1983/10/17 の『日記』にはこう書かれている。 「シナリオ『二人が狐を見た』腹案/1

散歩、2

宣戦布告、3

祈り。

31

誓い、4 再び平和へ(奇蹟) 」

この記載は、ロシア語版では、同じ日付の箇所にはなく、1982/9/5 にこれに類 似する次のような記載があり、こちらは日本語訳版にはない。 「シナリオ『二人が狐を見た』腹案/I. 散歩、II. 宣戦布告、III. 祈り。誓い。 神との対話(モノローグ) 、IV. 再び平和、V. 火事(彼は家を焼き払う) 、VI. 病 29 30 31

Тарковский (1970b) Тарковский (1986a) “Жертвоприношение”, 邦訳タルコフスキー(1987b). 『日記 II』(121) 11


第一部

タルコフスキー論

序論

院で(私は気が狂ったのか、それともそうではないのか?

宣戦布告は本当に

32

あったのか?) 」

『サクリファイス』と同一の構成であることが、一見して明らかである。 『二 人が狐を見た』は、 『魔女』と並んで『サクリファイス』の原型であったと考え られる。 『サクリファイス』という題が『日記』に見られるのは、1983/7/28 に書 かれた『魔女』と『サクリファイス』を結びつける旨の記載が最初であり、そ れ以前にはない。 『二人が狐を見た』が『サクリファイス』の原題であったので はないか。だとすると、 『サクリファイス』の構想は、少なくとも 1970 年にま で遡ることになる。 (b)映画化が実現しなかった作品 映画化が実現に至らなかった作品も少なくない。『ホフマニアーナ』は、『白 い日』と同様、シナリオを公表し、晩年に至るまで映画化を構想しながら実現 には至らなかった。他にも、映画化に関する書き込みが『日記』に多数見られ る。1970/9/7、1978/4/14、12/23、1979/12/3、1985/8/3(II)にまとまった映画化の構 想のリストがある。そのリストを軸として、それ以外の箇所からも拾い出し、 初出順に挙げる。 『群衆』 :1970/9/7, 1978/4/14, 12/23, 1983/2/28(II,×), 7/2(II,×)。原語では”Кагaл”。 1970/9/7 と 1983/2/28 の『日記』の記載に 「ボルマンの裁判について(о суде над Борманом)」というメモが付されており、1983 年の記載には、 「マルティン」と いうファーストネームも書かれている。マルティン・ボルマンとは、ヒトラー の側近をつとめた人物である。その「裁判」とは、本人が行方知れずとなり不 在のまま死刑判決が下されたニュルンベルク裁判のことか、もしくは、ナチス 台頭以前にボルマンが関与し有罪判決が下された教師殺害事件の裁判である可 「群衆」の他に、 「16-19 世紀 能性もあるが、詳細は不明。尚、”Кагaл”の語には、 ポーランドのユダヤ人共同体」を指す意味もある。 『ヨーゼフとその兄弟』 :1970/9/7, 9/18, 10/8, 11/15, 1971/1/1, 1978/4/14) 。トー マス・マン著の全四巻からなる大河小説 Joseph und seine Brüder。1933-1943 年。 『ジャンヌ・ダルク 1970 年』 :1970/9/7, 1975/6/3(オペラ台本), 1978/4/14 ( 『新ジャンヌダルク』 )

32

12

Мартиролог (453)


『ペスト』 :1970/9/7, 9/18。A・カミュ著、La Peste、1947 年。 『アリエル』Ариэль(邦訳『日記』は『アリエーリ』と表記) :1970/9/7( 「ベ リャーエフによる空飛ぶ人間についての話」 ), 1970/9/18, 9/30, 10/24, 1971/2/11, 2/18, 3/12, 8/10, 8/20, 10/23, 1972/2/16( 『高い所を風が吹く』выйсокий ветер に改 題), 4/2( 『断念』Oтречение に改題), 5/8, 6/9, 1973/12/5, 1978/4/14, 1983/2/28(II, ×,「晴れやかな風」)。原語は Aриэль。アレクサンドル・ベリャーエフ著の SF 小説(1941 年)を原作とする。シナリオは、ゴレンシュテインと共同で執筆さ れた。このシナリオは、タルコフスキーの死後、 『映画シナリオ』誌 Киносценарии, 1995 年第 5 号に“Светлый ветер”という題で掲載された33。上の「晴れやかな風」 は、これを訳したものだろう。 『白痴』 :1971/9/19, 1973/2/1, 2/2, 2/4, 2/15, 2/18, 12/29, 12/31, 1974/1/27, 2/3, 2/23, 4/13, 4/21, 12/25, 1975/2/25, 3/2, 4/11, 4/30, 7/2, 7/21, 9/14, 9/21, 1976/7/24, 8/11, 9/7, 10/20, 1979/4/16, 12/3, 1980/1/8, 1/26, 7/25, 1981/3/17。ドストエフスキー著、Идиот、 1868 年。この映画化の構想は『アリエル』と並び長きにわたり、1973 年 2 月に 映画制作のための申請書を提出している。映画化の構想を記した申請書が死後、 『白痴』 『映画研究手帖』Киноведческие записки 誌 1991 年 11 号に掲載された34。 の映画化は果たされなかったが、 『サクリファイス』の主人公の設定においてム イシュキン公爵が生かされることになる。 『ファウストゥス博士』 :1972/6/14, 7/11, 11/26, 12/2, 12/5, 12/29, 1974/2/3, 2/23, 9/?, 1975/5/6, 1978/4/14, 1979/2/10。トーマス・マン著、Doktor Faustus、1947 年。 『ペール・ギュント』 :1974/9/18, 1976/8/5。ヘンリック・イプセンによる戯曲 (劇詩) 、Peer Gynt、1867 年。 『イワン・イリイチの死』 :1974/12/25, 1975/1/6, 11/20, 1979/12/3。Смерть Ивана Ильича、レフ・トルストイ著の短編小説、1886 年。 『ホフマニアーナ』 :1975/2/25, 1975/7/2, 7/21, 9/21, 10/10, 10/14, 10/16, 10/24, , 1978/4/14,

1983/5/25(II),

1984/4/9(II),

11/8(II),

1985/1/11(II),

1986/1/3(II) 。

33

Тарковский (1995). 英訳が、Tarkovsky (1999:187-247, translated by Natashe Synessios, ‘Light Wind’)、仏訳が、Tarkovski (2001:9-78, traduit par Arnaud Le Glanic et Irina Vinogradova, ‘Vent Clair’)に収められている。ベリャーエフの小説は『ドウエル教授の首』 (別邦題「生 きている首」)、 『両棲人間』 (別邦題「イルカに乗った少年」)などが袋一平、深見弾らに より訳され、日本でも人気が高いが、本作品は未訳である。尚、『両棲人間』は 1961 年 に、 『ドウエル教授』は 1984 年に、いずれもレン・フィルムで映画化されている。 (前者 は、G・カザンスキー、V・チェボタリョフ監督、後者は、レオニード・メナケル監督。) 34 Тарковский (1991b).日記にも記載がある。Мартиролог:93, 『日記』142-3. 13


第一部

タルコフスキー論

序論

Гофманиана、E・T・A・ホフマンの作品に基づくシナリオ。1976 年にシナリ オを『映画芸術』に掲載35 『家出』 :1975/11/20。Уход。1979/12/3 に『逃亡』Бегство という題で、 「トル ストイの晩年について」という説明が付してある。 『家出』の方にはそうした記 載はないが、トルストイ記念日の文脈で『イワン・イリイチの死』と並んで記 載されたものであり、同一のテーマ(トルストイの晩年)36のものを指している と考えられる。 『 巨 匠 と マ ル ガ リ ー タ 』: 1978/4/13, 4/14, 12/23, 1979/12/3 。 Мастер и Маргарита、ミハイル・ブルガーコフ著、1929-40 年に執筆、1966 年に出版。1971 年にアンジェイ・ワイダが映画化( 『ピラトと他の人たち』Pilat i inni 日本未公 開)しているが、タルコフスキーはそれには言及していない。後に、2005 年に ウラジーミル・ボルトコがテレビ・ドラマ化した。 『荒野の狼』 :1978/4/14, 1982/2/10(II), 1985/8/3(II)。ヘルマン・ヘッセ著、Der Steppenwolf 、 1927 年 。 タ ル コ フ ス キ ー は ヘ ッ セ の 『 ガ ラ ス 玉 遊 戯 』( Das Glasperlenspiel, 1943)にも心酔していた。日記や著作に言及がある他、映画『ス トーカー』でストーカーのモノローグに『ガラス玉遊戯』の一節が使用されて いる。 『 ハ ム レ ッ ト 』: 1978/4/14, 1983/3/8(II), 3/16(II), 5/23(II), 8/14(II), 9/3(II), 11/20(II), 11/22(II), 11/23(II), 1984/11/8(II), 1986/1/31(II), 9/7(II), 9/?(II, 日付なし) 。 シェイクスピア著、Hamlet、1600 年頃。タルコフスキーは 1977 年に舞台を演出 した後、映画化も計画していた。上では、映画化に関する記載のみを取り出し た。 『聖アントニウス』 :1981/11/3(II), 11/12(II), 1982/2/28(II), 3/29(II), 1985/8/3(II), 11/10(II), 1986/1/27(II), 1/31(II), 2/4(II), 3/3(II), 3/26(II), 9/7(II), 9/?(II, 日付なし)。 聖アントニウスは、アレクサンドリアのアタナシオスによる「聖アントニウス 伝」によって知られる。『日記』の記載も多くは『聖人伝』からの抜粋である。 聖アントニウスを題材としたものに、ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリュ ーゲル(父)による絵画作品、フローベールによる小説『聖アントニウスの誘

35 Тарковский (1976). 『協会季報』第 8 号に全訳掲載。論考に、馬場広信(1990)、鴻英 良(1989)がある。 36 トルストイの最晩年を主題とした著作に、ブーニン(1986)がある。タルコフスキー は、日記や著書の中で、同著についてではないが、ブーニンにたびたび言及している。

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惑』 (La Tentation de Saint Antoine, 1874)がある。1986 年の 3/3 と 3/26 の書き込 みは、このフローベールの小説への言及である。 (邦訳では 3/3 の方は「アナト ール・フランス」になっているが、ロシア語版ではフローベールになっている。 アナトール・フランスに同名の著書はなく、翻訳上のいずれかの段階での誤り だと思われる。 ) 『さまよえるオランダ人』 :1985/2/27(+II), 3/9(+II), 8/3(II), 11/10(II), 12/10(II), 1986/1/3(II)。R・ワーグナーのオペラ、Der fliegende Holländer、1843 年初演。 記載から、舞台演出の依頼らしく、 『ゴドゥノフ』と同じ、コベント・ガーデン での上演が予定されていたようである。実現直前になって、1985 年後半の発病 のため、取り止めとなった。 ), 1/28(II, 『シ 『福音』 :1985/8/3(II), 1986/1/27(II, 『シュタイナーの福音』 ュタイナーの福音』 (ゴルゴダ) ), 1/31(II), 10/26(II, 『ゴルゴダ』 ).。Евангелие、 R・シュタイナー著の映画化。1984/11/8 には「ルドルフ・シュタイナーをテー マにした短編映画」について記載がある。1971/3/17 にも『ゴルゴダ』というタ イトルの記載があるが、シュタイナー関連の記載が見られ始めるのは 1978 年以 降であり、この記載は別の映画である可能性が強い。 以上に挙げたのは、 『日記』の中に二回以上繰り返し記載のあるものに限られ る。『日記』に一度ずつしか記載のないものには、以下のものがある。『セルゲ イ神父』(1973/2/2)、『T・マン』(1973/6/22)、『罪と罰』(1978/4/14)、『ドン・ ファンの教え』(1979/4/16)、『分身』(1979/12/3、ドストエフスキーについての 映画) 、 『哀れなヨハンナ』あるいは『異端審問官』(1985/8/3(II))、 『パトモスの ヨハネ』 (1985/8/3(II)) 。 こうして見ると、多くの計画が並行して進められる中で、条件の揃った作品 だけが作品として結実していったことがわかる。実現に至らなかった構想の多 いことも印象的である。こうした映画化されなかった映画もまた、タルコフス キーの世界の地平をなす。構想には、単なるメモで終わったものも、 『アリエル』 などのように、すでに具体化し、シナリオの形になっていたものもある。先の、 他の監督に提供したシナリオと並んで、タルコフスキーの作品世界の一部を成 し、その豊かさを知らしめるものであり、今後も関連する資料が公けにされる ことが企てられる必要がある。 作品化が実現しなかったのは、様々な障害があったためだが、実現した作品 についても事情は同様である。 『アンドレイ・ルブリョフ』は 1966 年に完成し 15


第一部

タルコフスキー論

序論

たが、当局により問題となり上映禁止になり37、その後、1969 年のカンヌ映画祭 での受賞などを経て、完成から 5 年後の 1971 年にようやくソ連国内で上映され ている38。『日記』には、映画制作をめぐる障害との衝突が綴られている。とり わけ、ロシア時代の『惑星ソラリス』、『鏡』、『ストーカー』の制作をめぐって は、申請の受理や完成後の検閲と修正要求をめぐる苦労が克明に綴られている。 国外へ出て制作するようになって以降も制作をめぐる苦労は耐えない。それら のエピソードは、そうした障害を乗り越えてなお貫かれたタルコフスキーの思 想の求心性をより強く印象付けるものでもある。

(6)出版 a.

著書①『映像のポエジア』

タルコフスキーが映画についての考えをまとめた主著である。 『映像のポエジ ア』は、邦訳に際してつけられた題であり、原題は『刻印された時間』 (Запечатлённое время)である。同書は、発表してきた論文を元に、タルコフ スキーが加筆し、まとめたものである。全体の構成とともに、同書邦訳者あと がきに基づき、初出を記す。 第 1 章「はじまり」 :論集『映画が終わるとき』 (1964 年刊)所収論文39 第 2 章「芸術―理想への郷愁」 第 3 章「刻印された時間」 : 『映画芸術の諸問題』 (1967 年)掲載の同名論文40 第 4 章「使命と宿命」 第 5 章「映像について」 :前半は、 『映画芸術』 (1979 年 3 月号)掲載の同名論文 37 『ルブリョフ』と先述のコンチャロフスキーの『アーシャ・クリャーチナ』の上映禁 止をめぐる顛末については、ゾールカヤ(2001:373-5)。 38 『ルブリョフ』はタルコフスキーの死後、ペレストロイカの時代にオリジナルプリン ト(当局により再編集を強いられる以前のバージョン)が見つかり、1988 年に公開され た。これについては、ネホローシェフが詳しく論じている。とりわけ、再編集により失 うところと同時に得るところもあったこと、改作後のバージョンでもタルコフスキーの 芸術的構成と意図は正確に発揮されているとする指摘は適切である。(ネホローシェフ, レオニード「『アンドレイ・ルブリョフ』―魂の救済」、サンドレル(1995)所収) 39 Тарковский (1964a) 40 Тарковский (1967a). この論文は、同年に若干修正され(短縮され)、『映画芸術』に掲 載される(1967b)。ただし、著書をまとめるにあたって参照されたのは、 『映画芸術の諸 問題』掲載のオリジナル版であることが、テキスト上の違いからわかる。

16


(スールコワによるインタビュー)41 第 6 章「作家は観客を探求する」 : 第 7 章「芸術家の責任」 :後半の『ストーカー』についての部分は、 『映画芸術』 (1977 年 7 月号)掲載の「新しい課題を前に」 (スールコワによるインタビ ュー)42 第 8 章「 『ノスタルジア』のあとで」 第 9 章「 『サクリファイス』 」 : 『ロシア思想』誌(1987 年 1 月 16 日号)掲載43 終章 各国語による翻訳が先に出版された。生前に出版されたドイツ語版と英語版 は、タルコフスキーの死後、死の直前に書かれ、死後に発表された第 9 章を加 えて再版された。主なものを初版の出版順に列挙する。 ドイツ語訳:Die versiegelte Zeit, 1985, 1986, 1988

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英語訳:Sculpting in Time : Reflections on the Cinema , 1986, 1987

45

日本語訳: 『映像のポエジア』1988 イタリア語訳:Scolpire il tempo, 1988 フランス語訳:Le temps scellé, 1989

46

原語のロシア語版は出版されておらず(2011 年 2 月現在) 、インターネット上 に公開されている47。Мартиролог のタルコフスキーの子息アンドレイによる「前 書き」に、出版が予告されている。 同書の出版計画は、1970 年に遡る。元々の題は、 『比較』 (Сопоставление; 対 比、対照)であり、1970/9/1、9/7、1979/4/16、4/17、4/27、12/11、1980/2/6、1983/6/15(II)48 の日記に記載が見られる。 『刻印された時間』Запечатлённое время という題での

41

Тарковский (1979b) Тарковский (1977b) 43 Тарковский (1987a) 44 Tarkovskij (2009) 45 Tarkovsky (1996) 46 Tarkovski (1989g) 47 Медиа-архив «Андрей Тарковский». 但し、同サイト上の注意書きによれば、第 9 章は、 英語版と仏語版からの翻訳である。 『ロシア思想』誌に発表された第 9 章がなぜ翻訳に頼 るのは、著作権法上の問題などによるものと推測される。 48 この 1983/6/15 の書き込みは、邦訳では「『刻印された時間』(『映像のポエジア』)」と 書かれている(『日記 II』:92)が、ロシア語版では«Сопоставление»と記されている (Мартиролог:496)。 42

17


第一部

タルコフスキー論

序論

記載は 1984/9/3(II)49にある。先に挙げた初出の内、本の柱となる映画理論を展開 した論文(インタビュー形式のものも含む)は 1964 年、1967 年、1979 年(3 月) に発表されている。それらの論文を柱として出版の計画が進められていたと見 られる。1979 年 3 月の「映像について」 (インタビュー形式のテキスト)の発表 の際には、注に、同テキストの説明として、「O(オリガ)・スールコワによる 記録とコメントと共に芸術出版社で出版が準備されている書籍『比較』より」50 と書かれている。この時点で、同テキストを含む形で出版がかなりの程度具体 化していたことわかる。しかし、その出版は、その後、思うように進まない。 1980/2/6 の『日記』に出版社とのやり取りを示す書き込みと手紙の写しがある。 その記載を見ると、本の内容をめぐって著者と出版社との間で合意が得られず、 編集部が出版を渋っていることが伺われる51。出版は結局、亡命以降に、海外の 出版社との間で話が進み、実現することになる。

b.

著書②『講義』

『映像のポエジア』とは別に、映画についての講義をまとめた書物がある。 タルコフスキーの死後に出版された、タルコフスキーの思想を示す貴重な資料 である。ただし、その成立をめぐって、いくつか不明な点がある。資料として の価値に関わる問題であり、検討を要する。 (α)異なる版の構成の違い まず、いくつかの版があり、構成に異同があることが指摘される。 ① 1989 年 、 レ ン フ ィ ル ム 刊 、『 映 画 制 作 を め ぐ る 講 義 』 Лекции по ( 「I.芸術としての映画」 、 「II.映画イメージ」 、 「III.シナリオ」 、 кинорежиссуре52。 「IV.構想とその実現」 、 「V.モンタージュ」 ) ② 1990 年、 『映画芸術』誌 7 月~10 月号に“Лекции по кинорежиссуре”として ( 「シナリオ」 、 「構想とその実現」 、 「構想とその実現」 四回にわたって掲載53。 49 50 51 52 53

18

Мартиролог:534, 『日記 II』170. Тарковский (1979a)。 Мартиролог (259, 『日記』:391) Тарковский (1989a) Тарковский (1990b)


(2) 、 「モンタージュ」 ) ③ 1993 年、モスクワ、全ロシア映画労働技術訓練育成大学(ВИППК)刊、 『監 「1、はじめに」 、「2、映画芸術につ 督のレッスン』Уроки режиссуры54。( いて―インタビュー」 (1)私にとって何よりも不思議なのは…、 (2)新し い課題を前に、 (3)最後のインタビュー、 「3、講義」 (1)シナリオ、 (2) 構想とその実現、 (3)モンタージュ、 「4、映画『アンドレイ・ルブリョフ』 のカンヌとパリの秘密」 (チェネイシュヴィリ) 、 「5、フィルモグラフィー」 ) ④ 1994 年、全ロシア国立映画大学刊、 『アンドレイ・タルコフスキー 始まり 、 「構想とその実現」 、 「モンタージュ」 ) …そして人生』所収版( 「シナリオ」 55

③および④の講義の部分は、②を再掲載したものであり、同様の構成である。 「シナリオ」、「構想とその実現」、「モンタージュ」の三つの部分は4つの版す べてに共通するが、①の 1989 年版に含まれる「I. 芸術としての映画」と「II. 映 画イメージ」の部分は、②~④には欠けている。どの版にもこの構成の違いに ついての明確な説明は見られない。③の 1993 年版の前書きも、ロプシャンスキ ーの紹介と同講義録の成り立ちを 1990 年の『映画芸術』誌への掲載を含め簡単 に説明しているだけで、1989 年の版には言及していない。 日本では、①のレンフィルム版に基づいた訳本が『アンドレイ・タルコフス キイ映画術』と題して出版されている56。以下では、構成の異同が問題にならな い限りにおいて、この版を代表させ、 『講義』と表記する。同邦訳書は『映画術』 と略記する。 (β)論文からの抜粋の問題 構成の問題と絡んで、論文からの抜粋の問題がある。 ①の 1989 年版は、編者である映画監督のロプシャンスキー57の前書きを載せ ているが、ロプシャンスキーは「タルコフスキーの同意を得て、以前公表され (後 た以下の論文からの抜粋が含まれている」58とし、以下の論文を挙げている。 54 55 56 57 58

Тарковский (1993) Тарковский (1994) タルコフスキイ(2008) 『協会報』第 12 号に、ロプシャンスキーについての紹介がある。西周成(1993)。 Тарковский (1989a:5, 『映画術』「編者の言葉」:7-8)。 19


第一部

タルコフスキー論

序論

の論述の便宜のため、a~f の記号を付す。 ) a.「刻印された時間」 ( 『映画芸術の諸問題』1967)59 b.「映像について」 ( 『映画芸術』第 3 号、1979)60 c.「新しい課題を前にして」 ( 『映画芸術』第 7 号、1977)61 d. 「何よりも同志」 ( 『ソヴェートの演劇および映画芸術家』 、1977)62 e. 映画労働者全連邦評議会での発言( 『スクリーンと現代』 、1980)63 f. A・A・タルコフスキーのインタビュー、N・M・ゾールカヤ録(論集『キノ パノラマ』1977)64 一方、1993 年版の編集部による前書きは、 「講義録がロプシャンスキーによっ て出版のために準備され、1981 年にタルコフスキーによって承認を得た」65と述 べているだけで、論文からの抜粋を含むことには触れていない。 抜粋は具体的にどのような形で見られるのか。どこからどこまでが抜粋なの か。訳者が異なる訳文では必ずしも明瞭でないが、ロシア語の原文を見れば、 一言一句変わらないことから、抜粋部分は一見して明らかである。比較により 確認し得た限りで、以下に論文からの抜粋部分を示す。ここで「抜粋」と呼ぶ のは、テキストが完全に一致する部分を指し、内容上重なるだけでテキストに 差異が見られるものは含めない。 『講義』の頁数は日本語訳『映画術』の頁数を 『映像のポエ 示す。出典の記号は、先述の a~f の記号を用いる。また、a~c は、 ジア』にも組み込まれている。該当する箇所がある場合は邦訳書の頁数を記す。 『講義』の論文からの抜粋部分 『講義』の章

『講義』の論文からの抜粋部分

出典

『映像の

(頁は日本語訳『映画術』の頁を記す。)

論文

ポエジア』

第1章

p.13 から p.29 の 2 行目まで

a.

pp.88-103

「芸術としての映

p.29 の第 2、第 3 段落

c.

p.287,p.292

59

Тарковский (1967a) 邦訳、タルコフスキー(1987a) Тарковский (1979a) . 邦訳『映画術』では、この項の訳に間違いがある。 61 Тарковский (1977a) 62 Тарковский (1977b) 63 Тарковский А. (1980) 64 Зоркая (1977). ゾールカヤが「タルコフスキーについての覚書」の中で、1972 年に自 ら行ったインタビューの記録を一部引用している。同インタビューの記録は Тарковский (1990c)及び Тарковский (1993)に収録された。邦訳はタルコフスキー(1995:427-32)。 65 Тарковский (1993:3) 60

20


画」

p.29 第 4 段落から p.30 第 1 段落

b.

p.170

pp.13-58

p.30 第 2 段落から p.31 の1行目

c.

p.287

p.31 第 2 段落

b.

p.171

p.31 第 3 段落から p.32 の 2 段落

c.

pp.281-4

p.32 第 3 段落から p.34 の 2 段落。 (数箇所削

f.

該当なし

b.

pp.158-72

a.

pp.107-9

除。) 第2章

pp.61 から 74 の第 2 段落まで(p.71 の 2 行

「映像について」

目から p.72 の1行目までを除く。)。数箇所

pp.61-77

削除。

第3章

p.84 の最後の段落から p.85 の 7 行目まで、

「シナリオ」

p.85 の最後 3 行から p.86 の 7 行。

pp.81-99

p.89 の 6 行目から始まる一段落

a.

p.108

p.92 後半 6 行

e.

該当なし

p.93 の前半 10 行

e.

該当なし

第4章

p.103 から p.104 の 3 段落

a.

p.87,p.110

「構想とその実現」

p.136 の最終段落から p.137 全体

a.

pp.104-6

pp.103-157

p.139 の 4 行目から p.140 の 1 行目

b.

p.165

p.140 の 7 行目から p.141 の 5 行目

b.

p.166

p.142 最終段落から p.143 の 3 段落

d.

該当なし

p.144 最終行から p.146 の 2 段落

d.

該当なし

第5章

冒頭から p.171 の後ろから 2 行目

b.

pp.173-84

「モンタージュ」

p.177 の 4 行目から p.178 の 3 行目

b.

pp.184-5

pp.161-190

p.188 の 2 行目から同ページの後から 3 行目

b.

p.186

p.189 の 1 行目から、p.190 の最初の 4 行

e.

該当なし

このように、全体にわたって、多くの部分が既出論文からの抜粋によって構 成されている。 『講義』の内、抜粋であることが確認されないのは、第 1 章の p.34 の最終段落以降、第 2 章では p.74 の最終段落以降の 2 頁弱だけであり、第 5 章 では pp.171-7、pp.178-87 の二箇所と数行を除く部分は、b.と e.からの抜粋である。 1989 年の版以降、第 1 章と第 2 章が削除された理由も、このようなテキストの (例えば、1993 年刊の③は、講 状態が関係しているのではないかと推測される。 義のほかに c.と f.も収録している。仮に第 1 章が収録されていれば、テキストの

21


第一部

タルコフスキー論

序論

重複は一目瞭然となっていただろう。 ) 本書では、このようなテキストの状態に鑑み、講義のテキストを扱う際は、 それが論文からの抜粋でないかどうかを確認した上で行っている。 (γ)論文と講義と著書の関係 上に抜粋とした部分では、テキストは一言一句変わらない。したがって、タ ルコフスキーが講義の際に自身の著作を利用したという理由付けは成り立たな い。編者が認めているように、講義のテキストが以後に抜粋によって大幅に構 成し直されたことは明らかである。しかし、編者は、抜粋を含むことを記すだ けで、どの部分が抜粋であるかを明確にしていない。 構成と抜粋の問題は、編者の前書きの曖昧さと相まって様々な疑問を呼ぶ。 扇千恵は「訳書あとがき」で次のように述べている。扇は、元々の講義は、各 版に共通する第 3 章以降の三つの部分であり、残りの第1章と第2章の部分は 著書『刻印された時間』が書かれた後(1984 年以降)に手を加えられたのでは ないかとする。抜粋元となった既出論文の発表年は 1967 年から 1980 年にわた る。そのため、テキストが編集されたのは 1980 年以降であることになる。その 時期に『刻印された時間』の原型はすでに作られている。したがって、扇の説 は時期的には可能であるが、しかし、以下のような問題点が指摘される。 第一に、論文からの抜粋が見られるのは、第 1 章、第 2 章だけでなく、全体 について言えることである。したがって、第 1 章、第 2 章だけを後で書かれた とする根拠にはならない。 次に、執筆を『刻印された時間』以後とする見解も以下の理由で成り立たな い。 『講義』の第 1 章、第 2 章における『刻印された時間』と重なる部分は、既 出論文とも一致する部分であり、 『刻印された時間』を元にしたことを示すもの ではない。次に示すように、『講義』の抜粋は、『刻印された時間』ではなく、 編者の前書きが記す通り、各既出論文を元にしている。 既出の二論文「刻印された時間」及び「映像について」と、それらを組み込 んで作られた著書『刻印された時間』の第 3 章及び第 5 章との間には差異があ る。これらの差異は、 『刻印された時間』をまとめる際に、タルコフスキー自身 が加筆した部分である。以下に、その部分を具体的に記す。 ()内は日本語訳『映 像のポエジア』の頁数である。 まず論文「刻印された時間」が著書の第 3 章に組み込まれる際に書き足され 22


た部分には以下のものがある。冒頭の時間論、オフチンニコフとプルーストへ の言及(82-86)、ヴァレリーの引用(88)、文学と映画との違いについての一節 (88, 95)、ゴダールの『勝手にしやがれ』の例示(110)、最後近くの「わたし は映画が大好きだ…」で始まる一段落。逆に、組み込まれる際に削除された部 分もある。生命を持たない対象の時間についての記述に付されていたポーラン ドの撮影監督イェジー・ヴォイツィクの言葉を記した注、及び、ルブリョフに ついての言及の始まる直前(112)のソ連の映画事情についての段落である。 論文「映像について」が第 5 章に組み込まれる際には、以下の部分が書き足 されている。冒頭の一段落、イメージ論とそれに続くヴャチェスラフ・イワー ノフの象徴についての引用(159)、黒澤明の『マクベス』についての論述とそ れに続く『鏡』についての一段落(166-167) 、プーシキンの引用を含む部分(173) である。また、論文ではインタビュアーのスールコワの発言になっているオー ビエの映画についての詳しい説明は、『刻印された時間』では本文(172)にな ) っている。 (その部分は、 『講義』の抜粋では削除されている66。 一方、これらの『刻印された時間』の編纂時に発生した違いは、 『講義』のテ キストには反映していない。したがって、『講義』が元にしたテキストが、『刻 印された時間』ではなく、a.~f.の既出論文であることは疑いない。 同じくテキストの比較から、逆の、 『講義』のテキストが『刻印された時間』 に影響した可能性も否定される。 『講義』に見られるパッチワーク的な変更は『刻 印された時間』に全く反映していないからである。章ごとの構成について言え ば、 『講義』よりも『刻印された時間』の方が、既出論文に対してより忠実であ る。『刻印された時間』は、『講義』のテキストではなく、既出論文を直接元に している。 つまり、既出論文を共通の源泉として、著書と講義という、似通った部分を 持ちながら相互に関わりを持たない二つのテキストが生じていることになる。 このような奇妙な事態がなぜ生じたのか。著書の出版は著者の生前になされて おり、その経緯に怪しむべきところはない。問題は、講義のテキストの発生の 側にある。扇は、講義のテキストの編集が著者によるものであることを疑って いないが、問題はそこにまで及ぶ。講義録自体の価値を疑問視するのではない。 テキストが貴重な資料を含むからこそ、その価値を貶めかねない要素は選り分

66

Тарковский (1989a:45, 『映画術』:74) 23


第一部

タルコフスキー論

序論

けておく必要があると考える。それには、講義録の成り立ちの問題を取りあげ なければならないが、その前に講義のおおよその時期を確定しておく。 (δ)講義の時期 実際の講義自体はいつ行われたのか。扇千恵は、1972 年の高等監督クラスで 『講義』第 4 章、第 5 章に 1975 年制作 の講義としている67が、これは早すぎる。 の『鏡』への言及が多数見られるし、第 1 章でもイオセリアーニの『田園詩』 (Пастораль, 1975)への言及がある。また、先に(3)で触れたように、1976 年のアレクセイ・ゲルマンの『戦争のない二十日間』への言及も見られるから、 1976 年以降であることも間違いない。では次に、遅い方に見積もる可能性はど こまで伸ばせるか。 『日記』 を見ると、 1981 年 1 月 21 日に 「高等シナリオ・監督クラス」 (курс лекций Высших сцен. и режис. курсах)で講義を始めた旨の記載があり、3/25、3/27、4/9 とつづき、9/3 にも言及がある。ロプシャンスキーの前書きは、タルコフスキー に 1981 年に承認を得たと記していたが、1981 年の 12 月にタルコフスキーはレ 「承 ニングラードで講演をし、そこで編者ロプシャンスキーに会っている68から、 認」はそのときに交わされた可能性が高い。したがって、1981 年の 12 月以前に 行われた講義が関与している可能性は残る。 しかし、講義には、1979 年に完成している『ストーカー』への言及が全く見 られない。ただ、第 3 章「シナリオ」に、 「ストルガツキーとの協力は実り多い ものだった。」69という一文があるだけである。ストルガツキーとの共同作業が 始まるのは 1974 年末頃であり、 『ストーカー』の撮影は 1977 年から 1978 年に かけてトラブルを挟んで二回にわたって行われている。講義は、ストルガツキ ーとの共同作業が一通り終わったが、映画はまだ完成していない頃に行われた ものではないか。 以上のように、講義録の元になる講義は、おおよそ 1976 年から 1979 年まで の間に行われたものと推定される。 『WAVE 26』に訳出された「映画学校でのタ ルコフスキーの講義記録断片」70は、出典を記しておらず、「映画学校」が何を

67 68 69 70

24

『映画術』「訳者あとがき」 1981/12/16 の日記。Мартиролог (377, 『日記 II』:34). Тарковский (1989a:60, 『映画術』:88). タルコフスキー(1990)


指すのかも不明であるが、日付を 1977 年 4 月 27 日と明記している。現在検討 している『講義』と内容上重なるところも多く、成立の近さを予想させる。 講義の時期については、さしあたりはこれ以上の詮索は無用とする。その講 義録が、既出論文による抜粋を含む形で編集された。問題は、その編集が、誰 の手によって、いつ行われたのかである。 (ε)編集の主体と時期 ロプシャンスキーの前書きの「講義録がロプシャンスキーによって出版のた めに準備され、1981 年にタルコフスキーによって承認を得た」という文言は、 編集がタルコフスキー自身の手によるものであることを保証するものではない。 前書きは、論文からの抜粋を含む理由として「映画芸術に対する作家の考え方 をできる限り完全なかたちで示すため」とも述べている。これらの書き方は、 編集が著者ではなく編者によるものであることを示唆するものとしても解せる。 先に確認したように、抜粋の異常に多いこと、そして、 『刻印された時間』に見 られるような書き換えや書き足しではない全くの「パッチワーク」であること も、タルコフスキーではない他の人の手によるものという印象を強めている。 編集と出版を 1981 年にタルコフスキーが承認したことまでを疑うのではない。 しかし、その承認が、完成したテキストを前にしてなされたことを示すものは ない。そもそも、1981 年の時点ですでにテキストが完成していたのであれば、 出版がなぜかくも遅くなった(承認の 8 年後、著者の死後 3 年後)のか。実際 の「承認」は将来の編集と出版に対するものであり、編集は承認の後、しかも おそらくはタルコフスキーの死後に編集者の手で行われたのではないか。 編集が誰の手によるのかという問題についてはここではこれ以上問わないと して、完成したテキストはタルコフスキーが承認した時点で思い描き望んだと おりのものであったのか。前に述べたように、『刻印された時間』(当時は『比 較』と題されていた)の出版は 1981 年の時点で、すでに少なくともある程度は 具体化していた。 『講義』の多くの部分を、同じ素材を使ってしかもそれを切り 刻んで構成し直す理由がタルコフスキーにあったとは思われない。タルコフス キーが『講義』の出版を承諾したとき思い描いていたのは、文字通りの意味で の「講義録」ではなかったか。少なくとも、すでに『刻印された時間』を得て いる現在、期待されるのはそれである。過度に抜粋により再構成された現在の テキストの形は、その期待に必ずしも沿うものではない。 25


第一部

タルコフスキー論

序論

論文からの抜粋で構成した背景には、 『刻印された時間』が当時、まだロシア で出版されていなかったという事情が関係したかもしれない。(『刻印された時 間』のロシア語テキストを掲載するホームページが開設されたのは 2008 年であ り、出版も未だにされていない。 )しかし、講義録が不完全だったとしても、講 義と論文を別にし、出典を明記して、論文集あるいは論文からの抜粋集の形( 『タ ルコフスキー好きッ!』所収の語録「タルコフスキーによるタルコフスキー」 のように)で補う道もあっただろう。 現時点で、タルコフスキー自身が構成したことを保証するものがなく、論文 から抜粋して構成した部分が明らかである以上、抜粋は抜粋として、元の出典 に帰して論文として読むべきである。論文には未邦訳のものもあり、それはそ れで十分に貴重な記録である。一方、講義の記録として信用に足るのは、さし あたり抜粋でないことがわかっているところ(先に挙げた抜粋と確認された以 外の部分)だけである。実際、先述の『WAVE 26』所収の「映画講義断片」と 内容的に重なるのもそれらの部分であり、そのことは、その部分が真正の講義 録であることを裏付けている。抜粋部分を差し引くとき、講義の姿が浮かび上 がる。その部分は、 「映画講義断片」と並び、またその不足を補う、タルコフス キーの肉声を刻んだ貴重な講義の記録である。

c.

日記

タルコフスキーの死後、妻ラリーサが保管していた『日記』が妻の手により 整理され、出版された。 『映像のポエジア』同様、各国語版が先立った。ドイツ 語訳、日本語訳は、二巻本に分冊されて出版された。日本語訳の第一巻は、ド イツ語訳とロシア語の直筆原稿の両方を参照しているが、第二巻はドイツ語訳 からの重訳である。英語訳版は、第一巻に当たる部分しか出版されていない。 フランス語訳は、少し遅れて一巻にまとめて出版された。ロシア語原語版の出 版は 2008 年にようやく実現した。 ドイツ語訳;Martyrolog, Bd.1,1989, Bd.2,1999 日本語訳; 『タルコフスキー日記』 (1991), 『タルコフスキー日記 II』 (1993)

26


英語訳;Time within Time; Diaries 1970-86, 1994 フランス語訳;Journal 1970-1986, 2002

71

72

イタリア語訳:Diari. Martirologio 1970–1986, 2002 ロシア語;Мартиролог. Дневники. 1970-1986, 2008 『日記』がロシア語の原語で一般に公開された意義は大きい。また、従来の 訳本とロシア語原語版を比べてみるとき、内容に異同があることが注目される。 まず、従来の版には欠けている、ロシア語版にしかない部分が多くある。そ れは、ドイツ語版、日本語版、フランス語版、英語版いずれにもない、これま で記録が存在するかどうかも不明であった部分である。その部分は、1973 年か ら散発的に見られ始め、特に 1980 年から 1983 年にかけて多く見られる。例え 従来の版では次は 1983 年 2 月 5 日から始まっており、 ば、 1982 年 5 月 4 日の後、 その間は空白になっていた。それらの空白だったところが、ロシア語版の出版 によって埋められることになった。 逆に、日本語版にしかない部分もある。1982 年頃から散見され始め、特に 1983 年と晩年の 1986 年に集中して見られる。邦訳『日記』第一巻の邦訳者(鴻英良) は、邦訳に際し、ロシア語の手書き原稿に直接当たり、ドイツ語版にはない部 分も補ったと「あとがき」で述べている73。ロシア語版の出版が遅かったことも あり、日本語版にしかない部分も資料価値が劣るわけではなく、むしろロシア 語版の欠落を埋める価値をもつ可能性がある。今後、各国の編集者、翻訳者が 協力することで、より完全な資料が得られることが期待される。

d.

その他

著作に収められていない論文、インタビューについては、巻末の参考文献を 参照されたい。 日本では、有志により結成された「日本アンドレイ・タルコフスキイ協会」 (第 10 号か による資料の収集と『日本アンドレイ・タルコフスキイ協会季報』 らは『日本アンドレイ・タルコフスキイ協会報』 )の発行(1988 年から 93 年に 71 72 73

Tarkovsky (1994b) Tarkovski (2002b) 鴻英良「訳者あとがき」(『日記』564-5) 27


第一部

タルコフスキー論

序論

かけて、第 12 号までを刊行)が果たした役割が大きい。 (第 9 号までを『協会 季報』 、第 10 号以下を『協会報』と略記する。 ) e. 作品集と研究のための資料 英語とフランス語で作品集が刊行されている。 (出版社等は参考文献を参照。 )

Tarkovsky, Andrei (1999), Collected Screenplays. Tarkovski, Andreï (2001), Œuvres cinématographiques complètes I. Tarkovski, Andreï (2001), Œuvres cinématographiques complètes II. 英語版と仏語版の構成上の違いは、英語版が『アンドレイ・ルブリョフ』を 欠いている点であるが、これは『アンドレイ・ルブリョフ』だけは先に同出版 社(Faber & Faber, 1992)より出版されていたためであり、その他の構成と出典 は同一である。 映画化された作品については、以下のものを掲載している。 『ローラーとバイ オリン』、『僕の村は戦場だった』、『惑星ソラリス』の三作品は、映画のモンタ ージュ・リストを掲載している。モンタージュ・リストとは、映画製作前に原 案として書かれるいわゆる「シナリオ」ではなく、映画完成後に、主として字 幕製作を目的として映画のスクリプトを記録した「採録シナリオ」である。 『ア ンドレイ・ルブリョフ』(仏語)は、『映画芸術』誌掲載のシナリオ74。『鏡』に ついては、映画完成後、シナリオと映画を元に書き直した小説『白い、白い日』 『ストーカー』は、シナリオを掲載 (1968 年執筆、1984 年書き直し)75を掲載。 しているが、後述する『願望機』とは異なっている。執筆年は、仏語版は記し ていないが英語版が 1978 年と記している。内容を見ると、完成した映画の構成 とほぼ同じであり、細かい点だけが違っている。執筆年と内容から見て、一度 目の撮影・現像の失敗後に書き直された、二度目の撮影時のシナリオであると 考えられる。 『ノスタルジア』は、映画のために書かれた小説形式の原案(1978 ‐82 執筆) 。 『サクリファイス』は、映画に先立って執筆(1984 年)し、映画完

74 75

28

Тарковский (1964b) Тарковский (2008-b)


成後、『コンチネント』誌に発表した小説76を掲載している。その他、映画化さ れなかった『ホフマニアーナ』、『アリエル』、『サルドール』のシナリオを収め ている。 『ホフマニアーナ』は、生前 1976 年に『映画芸術』誌に発表されてい る77が、後の二つは、著者の死後に公表されたものである。 日本では、 『鏡』についてのみ、写真、採録シナリオ( 「 『鏡』シナリオ」[1994]) 、 原作小説などからなる大部の『『鏡』の本』(1994)が出版されている。同書の 出版は、上述の日本アンドレイ・タルコフスキイ協会の活動による。 これらの書物の原語でのまとまった出版はまだなされていない。上記の訳本 は、制作過程における変遷を記す貴重な資料を含め、タルコフスキーの世界へ のアプローチの可能性を大いに開くものである。ただし、翻訳者の解釈を含む 翻訳である以上、タルコフスキーの作品と思想に迫る上での第一次資料として の価値を持つものでは必ずしもない。タルコフスキーの思考を跡付ける上では ロシア語の資料が欠かせず、今後の出版が待たれる。また、晩年の二作品につ いては、国境と言語を超えて行われた共同作業の結晶として作品がある。した がって、それぞれの作品の完成した言語での資料が必要である。 その意味での原語で、採録シナリオ(モンタージュ・リスト)が十全な形で 出版・公表されているのは、 『ストーカー』と『サクリファイス』の二つである。 前者は、 『ストルガツキー著作集』に所収されており78、第 1 章の検討ではこ れを用いる。邦訳の採録シナリオ79も併せて参照した。 後者は、スウェーデンで出版された書籍に収録されている80。採録シナリオの ドイツ語訳も出版されている81ほか、ロシア語の採録シナリオもインターネット 上に公開されている82。また、先に触れたように、1984 年に執筆された映画の原 型となる小説が 1986 年に亡命ロシア人雑誌『コンチネント』に発表され83、同

76

Тарковский (1986a) Тарковский (1976) 78 “Сталкер:литературная запись кинофильма” (1993). 尚、 (2)の a.で触れたように、 『ス トーカー』には、原作小説(ストルガツキー, 1983)と、別ヴァリアントのシナリオ(同, 1989)があるが、本書は映画作品の検討を第一とする。シナリオのヴァリアントについ ては、第 1 章冒頭で詳述する。 79 「シナリオ・タルコフスキー'79・『ストーカー』」(1982) 80 “Offret” , in Tarkovskij (2010) Offret. 81 Tarkovskij (1987d) Opfer 82 Тарковский (2008-c) “«Жертвоприношение»: монтажная запись фильма” 83 Тарковский (1986a) “Жертвоприношение” 77

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第一部

タルコフスキー論

序論

小説の日本語訳も出版されている84。 DVD に付いている字幕も利用できる。ロシア時代に製作・公開された作品は、 すべて、IVC より DVD が発売されている。特に、 『僕の村は戦場だった』 、 『ア ンドレイ・ルブリョフ』、『惑星ソラリス』、『鏡』、『ストーカー』の五作品につ いてはロシア語字幕が付いている。また、 『ノスタルジア』については、イタリ アで発売されている DVD(01 Dsitribution) 、 『サクリファイス』はスウェーデン で発売されている DVD(Svenska Institutet)が、それぞれ、イタリア語、スウェ ーデン語の字幕を付しており、検討に利用した。ただし、こうした字幕は主と して聴覚障害者のために付されたものであり、字幕特有の字数の制約もあり、 (特 会話の必ずしもすべてを拾うものではなく、次善の策以上のものではない。 に『ノスタルジア』の方の字幕は脱落が多い。 )会話のすべてを拾うモンタージ ュ・リストが、すべての作品についてそれぞれの原語で出版・公表されること が望まれる。 『ノスタルジア』については、 『Cine Vivant No4 ノスタルジア』 (1984)収録 の邦訳「採録シナリオ」があり、参照した。 すべての作品に対して、 日本語版 DVD の日本語字幕を参考にした。 もとより、 最初の鑑賞体験は、字幕によるところが大きい。ただし、公開時の字幕と DVD 所収の字幕は異なる場合がある。特に、 『ノスタルジア』は、公開時の字幕は優 れたものであったのに対し、現在発売されている DVD(パイオニア発売)に付 された字幕は誤りが多く参考にならない。 以前、研究を始めたばかりのころ、DVD がまだないビデオだった時代に、映 画のスクリプト(モンタージュ・リスト)を閲覧できないかと思い、配給会社 に問い合わせたことがある。 『ノスタルジア』と『サクリファイス』の当時の配 給会社にはあっさり断られたが、ロシア時代のタルコフスキー作品を配給する 旧日本海映画社(現ロシア映画社)の担当の服部為典氏は、一学生の無理なお 願いに耳を傾け、懇切丁寧に応対してくださった。研究の紆余曲折のため感謝 の意を表す機を失ってきた。かくも長き歳月が経ってしまったが、この場を借 りて改めて謝意を記したい。

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タルコフスキー(1987c)『サクリファイス』


〈アンドレイ・タルコフスキー年譜〉 『映像のポエジア』(鴻英良)および『映画術』(扇千恵)付録の年表などを 元に作成。1970 年以前の初期の活動については馬場朝子(1997) 、1970 年以前 の動向はゾールカヤ(2001) 、1970 年 4 月 30 日以降は『日記』に基づき加筆し た。 1932 年 ヴォルガ流域のイワノヴォ州ザブラジェ村で生まれる 父は詩人アルセーニー・タルコフスキー、母マリヤ・イワノヴナ 1934 年 妹マリーナ生まれる。 1935 年 モスクワ川流域イグナーチェヴォ村へ 1937 年 父が家を出る。 1939 年 音楽学校に入学。 1941 年 ユーリエヴェツに疎開する。父が前線で負傷し、帰還。 1943 年 モスクワに戻る。 1947 年 美術学校に入学。結核を患う。 1951 年 東洋言語単科大学アラブ語科入学。 1953年

大学を中退。 モスクワ科学探鉱研究所、地質調査隊に参加し、シベリアへ。

1954 年 全ソ国立映画大学(ВГИК)入学。ミハイル・ロンムの下で学ぶ。 1956 年 フルシチョフによるスターリン批判。 「雪解け」の時代始まる。 『殺人者』 (原作;ヘミングウェイ)を共同制作。 1957 年 イルマ・ラウシュと結婚。 1958 年 シナリオ『濃縮物』執筆 1959 年 A・ゴールドンと『今日は解雇なし』を共同制作。 A・コンチャロフスキーと『南極大陸は遠い国』のシナリオに取組む。 1960 年 『ローラーとバイオリン』制作(コンチャロフスキーと共同) 1961 年 『ローラーとバイオリン』ニューヨーク国際学生映画コンクール一位 大学卒業。 『僕の村は戦場だった』にとりかかる。 1962 年 『僕の村は戦場だった』完成。ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞。 マルレン・フツィエフ監督の映画『イリイチの哨所』 (Застава Ильича, 『私は 20 歳』 (Мне двадцать лет))に出演。 息子アルセーニイ誕生。 『アンドレイ・ルブリョフ』のシナリオ執筆開始。 1963 年 ソ連邦映画人同盟に入会。 1964 年 『アンドレイ・ルブリョフ』シナリオ『映画芸術』誌に掲載(4,5 月) 31


アンドレイ・タルコフスキー年譜

全ソビエト・ラジオスタジオで仕事。 ラジオドラマ「急旋回」 (原作:フォークナー)制作(~65 年) フルシチョフが失脚。ブレジネフが登場し「停滞の時代」始まる。 1965 年 『アンドレイ・ルブリョフ』の製作開始。 キルギスの作家アイトマートフの小説『最初の教師』 (Первый учитель) のシナリオを共同で担当(A・コンチャロフスキー監督作品) 1966 年 『アンドレイ・ルブリョフ』完成 1967年

『アンドレイ・ルブリョフ』が当局により問題となり上映禁止となる A・ミシャリンと『告白』 (後、 『鏡』 )の執筆開始。 「刻印された時間」を『映画芸術』に発表。 (4 月) A・ゴードン監督作品『セルゲイ・ラゾ』 (Сергей Лазо)に出演。

1968 年 『白い日』 (後、 『鏡』 )のシナリオ完成。 『惑星ソラリス』のシナリオに取り掛かる。 『千に一つのチャンス』 (Один шанс из тысячи、レオン・コチャリャ ン監督、ソロニーツィン主演)のシナリオ共同担当 1969 年 『アンドレイ・ルブリョフ』がカンヌ国際映画批評家賞受賞 1970 年 『惑星ソラリス』撮影開始。 ミヤスノエ村に家を買う 日記『殉教録』執筆開始(4 月 30 日~) イルマと離婚(6 月) 。夏にラリーサと結婚。 『白い日』を『映画芸術』6月号に掲載。 アンドレイ(アンドリューシカ)誕生(8 月 7 日) オフチンニコフの『桜の一枝』を読む。 (8 月) ヘッセ『ガラス玉遊戯』読了(9 月) 1971 年 『惑星ソラリス』の撮影のため日本へ。 (9 月 24 日~10 月 10 日) ミハイル・ロンム逝去(11 月) 『アンドレイ・ルブリョフ』がソ連国内で上映される(12 月) 1972 年 『惑星ソラリス』について政府から修正要求 『惑星ソラリス』完成(3 月) アルメニア映画『酸っぱいワイン』 (Терпкий виноград、バグラート・ オガネシャン監督)の制作に協力(5~12 月) 『白い日』と『断念』 ( 『アリエル』 )のシナリオを清書。 カンヌ映画祭に出席、 『惑星ソラリス』上映、審査員特別賞受賞(5 月) スイス『ロカルノ映画祭』で審査員長を務める(8 月) イタリア、フランス、ベルギー、ルクセンブルクへ行く。 (9~12 月)

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1973 年 ストルガツキー『路傍のピクニック』を読む(1 月) 『惑星ソラリス』モスクワで劇場公開(2 月) ユーゴスラヴィア国際映画祭で『ルブリョフ』グランプリ受賞(2 月) 『白痴』の映画化を検討。 ドストエフスキーについての映画制作に関する申請(2 月) 東ドイツへ(3 月) コジンツェフ逝去 トーマス・マン『ファウストゥス博士』映画化計画(7 月~) 『白痴』の映画化構想(12 月) 黒澤明にモスクワで会う(12 月 30 日) 1974 年 『白痴』の映画化の申請書を提出(2 月) 『鏡』撮影・制作(3 月頃~) パラジャーノフが逮捕され釈放の嘆願書を連名で提出。 (4 月) 獄中のパラジャーノフからの手紙(12 月) ストルガツキー『路傍のピクニック』の映画化構想(12 月) 1975 年 『ハムレット』の上演を検討(2 月~) 『ホフマニアーナ』構想開始 『鏡』上映 『路傍のピクニック』の映画化でストルガツキーと合意(6 月) 『ハムレット』舞台準備(6 月頃~) 1976 年 『ハムレット』稽古開始(1月~) シナリオ『ホフマン物語』を『映画芸術』誌3月号に掲載 トニーノ・グエッラとの共同作業、 『イタリア旅行』の構想始まる 『ハムレット』リハーサル(モスクワ、コムソモール劇場) 1977 年 『ハムレット』上演開始(1 月~) 映画学校での講義(4 月) 『ストーカー』撮影開始。 5 月~8 月まで撮影のためエストニアのタリンへ。 『ストーカー』ネガ処理の失敗によりやり直し。 シナリオも書き換え(8 月) 1978 年 『ハムレット』打切り(4 月以前) 『ストーカー』撮影再開(5 月頃~)撮影のため再びタリンへ(6 月) A・ミシャリンとシナリオ『サルドール』を執筆。 1979 年 ウズベキスタン映画『気をつけろ!蛇だ!』(Берегись! Змеи!;Z・サ ビトフ監督作品)のシナリオを担当。

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アンドレイ・タルコフスキー年譜

『ストーカー』完成(1 月頃。4 月受理) イタリアへ。トニーノ・グエッラと共同作業(2 月 12 日~4 月) 「映像について」 『映画芸術』誌 3 月号掲載 著書『比較(対比) 』 (後の『映像のポエジア』 )の出版計画 イタリア旅行(7 月 17 日~9 月 17 日) 、 『旅の時』撮影 『スペシャル』 (?)の編集 母逝去(10 月 5 日) 1980 年 ロシア・ソヴェート社会主義連邦共和国国民芸術家称号を与えられる。 イタリアへ(4 月 11 日~8 月 3 日) 、 『旅の時』編集(4 月) 『スペシャル』Special のリーレコ カンヌ映画祭で『ストーカー』が特別上映。反響を呼ぶ(5 月) 『ストーカー』モスクワでも公開される。 (5 月) RAIで『旅の時』の最終版を上映(6 月) 『ノスタルジア』シナリオ完成(グエッラと共同) 1981 年 高等シナリオ・監督クラスで講義(3 月) スウェーデンへ(4 月 11 日~21 日) 『魔女』 (後の『サクリファイス』 )の構想開始(5 月~) ヤロスラヴリで「私にとっての映画」という講演を行う(10 月) レニングラードで講演を行う(12 月) トビリシでパラジャーノフと会う(12 月末~翌年) 1982 年 『ボリス・ゴドノフ』演出の話(2 月) イタリアへ移動(3 月 8 日) 。以降、海外にとどまる。 『旅の時』完成 『ノスタルジア』撮影。 1983 年 『ノスタルジア』完成 カンヌ映画祭にラリーサと出席。 『ノスタルジア』上映、 創造大賞、国際批評家賞、エキュメニック賞受賞。 (5 月 10 日~20 日) アンナ=レーナ・ヴィボムと『魔女』 ( 『サクリファイス』 )の契約結ぶ。 モス・フィルムを除名(5 月) サン・グレゴリオに引越す(6 月) 『刻印された時間』ドイツでの出版の話 『魔女』 『サクリファイス』の筋書きを練る 『ボリス・ゴドノフ』準備のためロンドンへ(7 月 12 日~17 日) アメリカ合衆国、ニューヨークへ(8 月) 亡命についての父への手紙(9 月 16 日)

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『ボリス・ゴドノフ』演出のためロンドンへ(10 月頃) 『ボリス・ゴドノフ』上演(11 月)ロンドン、コベント・ガーデン イタリアに戻る(11 月 20 日) 小説『白い、白い日…』を執筆。 1984 年 『サクリファイス』のシナリオ(小説)を執筆 ミラノで事実上の亡命宣言となる記者会見を行う(7 月 11 日) 家族(息子と義母)を出国させるようソ連政府に働きかけをはじめる ロンドン、セント・ジェイムス・フェスティバル「映画回顧展」参加 黙示録についての講演(7 月 18 日頃) スウェーデン、ストックホルムへ(9 月 1 日~) スヴェン・ニクヴィストとゴトランド島へロケ・ハン(9 月 17 日) 俳優の選定のため、一時ロンドンへ(10 月 13 日~26 日) ストックホルムへ戻り、イタリアへ(11 月~) フィレンツェのウフィツィ美術館で『三博士の礼拝』を見る パリへ 1985 年 ドイツ学術交流会の招きでベルリンへ(1 月~2 月) 『刻印された時間』独語版出版 スウェーデンへ(3 月~) 『サクリファイス』撮影。 撮影のためゴットランド島へ(5 月 6 日~7 月) 『サクリファイス』編集(8 月) イタリアのパスポートを取得(9 月) フィレンツェで 1 ヶ月過ごす。 (9 月~10 月) 発病(11 月)癌の診断を受ける。 イタリア、フィレンツェへ(12 月 23 日~) 1986 年 パリの病院(1 月~) マリナ・ヴラディ宅へ(1 月 12 日~) 息子アンドレイと義母アンナ・セミョーノヴナがパリ着(1 月 19 日) 『サクリファイス』の編集(1 月 24 日) 『サクリファイス』最終プリント、音響修正(4 月 5 日) 『聖アントニウス』構想 『サクリファイス』完成 ストックホルムで初公開(5 月) カンヌ映画祭で『サクリファイス』上映(5 月) 審査員特別大賞受賞、国際映画批評家賞、エキュメニック賞、 芸術特別貢献賞を受賞。息子アンドレイが授賞式に出席。 『映像のポエジア』の校正。 (6 月)

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アンドレイ・タルコフスキー年譜

ドイツの人智学療養所で入院治療(7 月) イタリアへ(8 月) 列車でパリへ(10 月) 小説「サクリファイス」を『コンチネント』誌に発表 パリ郊外、アルトマン診療所に入院。 (12 月) 『映像のポエジア』最終章執筆 12 月 28 日、パリで逝去 54 才 1987 年 1 月 5 日、パリ、アレクサンドル・ネフスキー寺院で葬儀、 ロシア人墓地に埋葬

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第1章

信仰・死・共同体―『ストーカー』の分析

本章では『ストーカー』(1979)を取り上げる。『ストーカー』は、タルコフ スキーがロシアで撮った最後の映画である。原作はSF小説家として著名なス トルガツキー兄弟による小説(原題『路傍のピクニック』Пикник на обочине, 1971 年執筆)1であり、彼らが映画の脚本も担当している。共同作業の中で、シナリ オはいくたびも書き直された。ストルガツキーは「少なくとも 6 つのヴァリア ントが存在する」2と述べている。その内のいくつかは発表・出版され、日本で も、その内の一つが訳され出版されている( 「願望機」 ) 。それはロシアで出版さ れている「ストルガツキー著作集」に収められているものとは異なる。以下、 想定される執筆年の順に列挙する。 ① “Машина желаний”( 『ストルガツキー著作集 別巻 1』 (Стругацкие (1993), Собрание сочинений, 1-й дополнительный том)所収)3 ② “Машина желаний”( 『НФ』 (SFアンソロジー)1981 年第 25 号掲載。邦 訳「願望機」はこの版の翻訳。 )4 ③ «Сталкер» — вариант киносценария (執筆 1977 年。 『スプーン 5 杯の霊薬 (シナリオ選集) 』Пять ложек Эликсира: Избранные сценарии [1990, Наука] 所収。 )5 ④ «Сталкер» (“Stalker”)(執筆 1978 年。タルコフスキーの『作品集』英語 Collected Screenplays / 仏語 Œuvres cinématographiques complètes II)所収。 )6 ⑤映画の文献記録(«Сталкер» литературная запись кинофильма)7(前掲『ス トルガツキー著作集 別巻 1』所収) ①は、登場人物の固有名が残るなど、原作に近い。②は、①よりは映画の構 成に近く、③との類似点も多い。③についてはストルガツキーが序文で「現存

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Стругацкие, Аркадий и Борис (1993a), 邦訳、ストルガツキー(1983)。 Стругацкие, Аркадий и Борис (2008-) Стругацкие, Аркадий и Борис (1993b:109-149) Стругацкие, Аркадий и Борис (1981), 邦訳、ストルガツキイ(1989:7-104)深見弾訳。 インターネット上に公開。Стругацкие, Аркадий и Борис (2008-) Tarkovsky (1999:373-416)、及び、Tarkovski (2001b:219-266) “Сталкер: литературная запись кинофильма” (1993), in Стругацкие (1993b:343-381) 37


第1章

信仰・死・共同体

する最後のヴァリアントであり、これに基づいて、最終的な映画のシナリオが 作られた」と述べている(序文の署名は 1984 年) 。映画前に書かれたシナリオ の中では④が最も映画に近く、例えば、映画のラストの子どもによる詩の朗読 があるのはこのバージョンだけである。第一部序(6)e.でも述べたように、執 筆年と内容から、第一回目の撮影のトラブル(後述)の後、撮影し直す段階で 書かれたものであると考えられる。 最後の⑤「映画の文献記録」は、いわゆるシナリオではなく、映画完成後に 作られた「記録」であり、映画中の台詞や描写を映画に忠実に記録したもので ある。既訳の日本語字幕8は、字数の制限をはじめとする字幕に固有の形式的な 制約もあり、問題なしとしない。検討に際しては、DVD(IVC 発売)に併せ、 当文献を使用し、訳出する。 (以下、当文献からの引用の際は“Сталкер”と表記す る。 ) 映画の制作の過程でトラブルがあったことが知られている9 。撮影は、まず 1977 年 5 月からエストニアのタリンで行われる。撮影監督は、前作『鏡』 (1975) と同じ、レールベルクだった。しかし、トラブルにより、撮影はすべてやり直 される10。撮影監督はクニャジンスキーに代わり、1978 年 6 月にふたたびタリン へ移動し再撮影が行われ、映画は完成する。二度の撮影の合間の日記を見ると、 最初の撮影が失敗した後、シナリオも書き改められ、ストーカー像も変化した ことが記されている11。トラブルは、結果として、作品の完成度を高め、タルコ フスキーの意向をより強く反映するものとなる。タルコフスキーは作品の出来 に対する満足を日記に記している12。 『ストーカー』の後、彼は『ノスタルジア』(1983)をイタリアで、『サクリ ファイス』(1986)をスウェーデンで制作する。タルコフスキーの個性は、『ス トーカー』以前の『惑星ソラリス』 (1972) 、 『鏡』においてもすでに遺憾なく発 8

岡枝慎二監修。石川整による採録、 「シナリオ・タルコフスキー'79・ 『ストーカー』 」 (1982) を参照 9 このトラブルについては、扇(1993:94-5)が詳しい。 10 1977/8/26. Мартиролог (176-7, 『日記』:248-9) 11 「こんなことなら全部最初からやり直しだ。カメラも、美術も、シナリオも。 (今、あ らたなストーカー像を作るために、アルカージーとボリース(ストルガツキー)が全面 的な書き換えをやっているところだ。ストーカーは、麻薬の売人や密猟者のようであっ てはならない。ゾーンの信奉者、献身的な信徒でなければならない。」Мартиролог (177, 『日記』:249) 扇千恵(1993:91-5)に、原作、シナリオ、映画の比較考察がある 12 1979/2/10. Мартиролог (197, 『日記』:284), 及び 1979/4/16, Мартиролог (204, 『日 記』:297). 38


揮されている。タルコフスキーの思想が明確な形で見られるのは晩年の二作品 においてであるが、それと全く同型の思想が『ストーカー』においてすでに完 全な形で見られることを作品に内在する論理をたどり、明らかにする。 『ストーカー』の物語の設定は以下のように再構成される。 ある時、突如として、ある地域に「驚くべき現象〔чудо из чдес=奇蹟の中の 奇蹟〕 」が起き、その地帯がゾーン(Зона)と呼ばれるようになる。軍隊を派遣 したら戻って来なかった。それ以来、警察の警備線でゾーンを取り囲んでいる (以上、映画冒頭の字幕13)。それを受けて、ゾーン到着直後の教授の台詞が次 のように説明する。はじめ隕石かと思われたが、違うらしいということになる。 人が消え、入っていった人が帰ってこなくなる。物好きな人が危険を犯さない ように、鉄条網が張られた。するとそこへ、ゾーンの中のどこかに望みが叶う 場所があるという噂が生まれた。すると、ゾーンは、掌中の珠のように大事に され始める14。 ストーカーは、ある特殊な能力によって、危険な未知のゾーンを案内するこ とができる人間である。映画では一人のストーカーが、作家、教授と呼ばれる 二人を、望みが叶う場所(部屋 Комната と呼ばれる)に案内する。 本作品の中心に位置するのは、未知の法則が支配するゾーンを行く、この三 人の行程である。ゾーンという場所と、ゾーンと通じ合うストーカーという人 物が、この作品を際立ったものとしている。しかし、ストーカー、ゾーンとい った謎めいた設定が持つ意味を明らかにするためには、ゾーンの行程の前後に 配された、ゾーンに出発する前と、ゾーンから帰還した後のシークエンスの検 討が不可欠である。そこで描き出されるストーカーの家族の描写は、決して副 次的なものではなく、映画全体を解く上で重要な鍵をなしている。 こうした作品全体の構成を視野に収め、本章は以下の手順を踏む。第一節に おいて、ストーカーという人物の基本的な性格について、確認する。第二節で は、ゾーンについて、望みを叶える部屋に焦点を合わせ、信仰という主題との 関わりから考察する。そして第三節で、帰還後の展開について考察する。信仰、 死、共同体という作品の検討から取り出されるテーマは、相互に緊密に関わり 13

в нашей маленькой стране возникло чудо из чудес - ЗОНА. Мы сразу же послали туда войска. Они не вернулись. Тогда мы окружили ЗОНУ полицейскими кордонами... (“Сталкер”347) 14 Вот тут-то и поползли слухи, что где-то в Зоне есть место, где исполняются желания. Ну, естественно... Зону стали охранять как зеницу ока.(“Сталкер”356) 39


第1章

信仰・死・共同体

あっている。それらがどのように現れるかについては、論述の中で明らかにす る。

第一節

ストーカーについて

第1項 「呪われた=聖なる」人間 ゾーンの周りには鉄条網が張られ、監視所が設置され、武装した警備隊がゾ ーンに入ろうとする者を阻んでいる。ストーカーは、法を犯して、そのような 禁じられた場所であるゾーンに人を案内することを自己に与えられた使命 (призвание)15としている。禁じられた仕事を生業とするストーカーは、何度 も投獄されている。出発前、それを言う妻に、ストーカーは「おれには至ると 。ストーカーは社会の中に居場所をもたない。 ころが監獄だ。 」16と返す(図 1) ゾーンは、彼が唯一息をつける場所である17。 ゾーンに通じたストーカーが社会に占める位置を、ストーカーがゾーンから 帰還した後の妻の台詞が明らかにしている。妻は、ストーカーと一緒になるこ とを母親に反対された次第をこう語る。 「分かるでしょう。母はとても反対したんです。多分あなたがたにはもうお分かりで しょうが、彼はまったくおめでたい人〔блаженный=白痴の聖者〕です。周囲の笑い 者です。あのように、のろまで可哀相な人です。母は言いました。 『彼はストーカーだ。 死びと(смертник)だ。永遠の囚人だ。子供のことだって。思い出してご覧なさい。 ストーカーの家に生まれた子供がどんなだったか。』私は言い返すこともできませんで した。」18 15

教授の台詞による。Сталкер - в каком-то смысле призвание.(“Сталкер”355) мне везде тюрьма (“Сталкер”348) 17 ゾーンに到着した時、ストーカーは「家に着きました。」 (вот... мы и дома.:”Сталкер”355) と言う。そしてその後、一人になって、ゾーンの草むらに横たわり、深く息をつく場面 がある。 18 Вы знаете, мама была очень против. Вы ведь, наверное, уже поняли, он же блаженный. Над ним вся округа смеялась. А он растяпа был, жалкий такой... А мама говорила: он же сталкер, ом же с-смертник, он же вечный арестант! И дети. Вспомни, какие дети бывают у сталкеров... А я...Я даже... Я даже и не спорила... (“Сталкер”380) 日本語字幕では「変った 人」と訳している "блаженный"という語は、語源的には"благо"「幸福」に由来し、そこ から派生して、形容詞として、 「少々抜けたところのある、おめでたい、いささか奇人的 な」、また名詞として、 「間抜け、変人、白痴」という意味をもつ。 『研究社露和辞典』 (1988) によれば、それらの用法は、形容詞、名詞のいずれにおいても、「もとは юродивый〔ユ ロージヴィ〕の同意語で、遁世・神聖さのシンボルとされた」ものであり、 「聖人への尊 16

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ストーカーは「はみ出し者」であり、社会的に蔑視され、忌み嫌われ、笑い 者とされている。「死びと」「永遠の囚人」という表現は、彼の「呪われた」性 格を表している。教授も、作家に、ストーカーの境遇を次のように説明してい る。「彼〔ストーカー〕には恐ろしい(пострашней:苦しみを負った)経歴があ ります。何度も刑務所に投獄されて、ここ〔ゾーン〕で不具になった。彼の娘 もミュータントで、いわゆるゾーンの犠牲(жертова Зоны)です。彼女には足が ないかのようなのです。」19教授の台詞は、ストーカーと子供が不具であること とゾーンの間の因果関係を示している。また、出発前に映し出される、ストー カーの家のベッドの傍に置かれ、妻が携行する注射器は、妻の病を暗示してい る20。ストーカーが、ゾーンに通じるとともに背負う「苦しみ」は、ストーカー の家族をも巻き込んでいる。 呪われた性格は、ゾーンとの関わりに発し、家族との関係や社会的布置に触 れる際に生じる。次に見るように、呪われた性格と表裏の関係にある聖なる性 格21についても同様のことが言える。 望みが叶う部屋を前にした、敷居(порог:ストーカーはその場所をこう呼ぶ。 称、聖人、佯狂的行者(юродивый)」という意味・用法もある。 19 У него биография пострашней. Несколько раз в тюрьме сидел, здесь калечился. И дочка у него мутант, жертва Зоны, как говорится. Без ног она будто бы. (“Сталкер”355) ここでス トーカーが「不具」とされていることは、ストーカーとユロージヴィの関係を考える上 で重要である。ユロージヴィ юродивый の語源は、 「醜いこと」を意味する урод であり、 そこから派生する動詞の уродовать は「不具にする」 「損なう」 「醜悪にする」等を意味す るからである。またこの台詞の中では、ミュータント мутант (mutant)が mute(無言、沈 黙)に由来することにも注意すべきであろう。子供と沈黙は、 『サクリファイス』におい ても重要なテーマとなる。亀井(1997)の第二章を参照。 20 妻はストーカーが家を出たあと、発作を起こす。この発作については、第三節で考察 する。妻の病が具体的に何であるかを映画は描かない。ゾーンとの因果関係も子供ほど 明らかではないが、ストーカーが家を出て行く場面で妻が、子供のことを言った後、 「私 もあんたのせいで」(И меня из-за тебя: “Сталкер”348)と言う。そこに暗示を読み取るこ ともできる。 21 作家はストーカーのことを「想像していたのと違った」と言い、 「皮タイツとか、チン ギス・ハーンとか、大きな蛇のような…」(Кожаные Чулки там, Чингачгуки, Большие Змеи..: “Сталкер”355)を想像していたと言い、その後も、時折、ストーカーを「大きな 蛇 Змей」と呼んでいる。字幕では「大将」と意訳したり、訳していない場合もある。 「蛇」 は通常、誘惑する邪悪なイメージだが、ルルカーは、 『民数記』のエピソード(21 章)を 解釈し、こう述べている。 「神の呪いによって最低のところにまで貶められたその同じ動 物が、神の言葉によって人類に救済をもたらすものとなる」(ルルカー1988: 332)。「蛇」 という呼び名は、ストーカーの体現する、呪いと聖性という二重性をよく表している。 「蛇は相反する意味を含む――叡知の象徴としての、また〈生命の樹〉に架 クーパーも、 けられた犠牲としてのキリストをあらわすと同時に、悪魔サタン〔=誘惑者〕の地下に 属する相をあらわす」としている(クーパー, 1992:241)。 41


第1章

信仰・死・共同体

この場面については次節で詳述する。 )の場面。そこに着くまでに危険と恐怖を 味わわされてきた作家は、ストーカーに怒りを向け、「(ゾーンで)秘密の権力 を堪能している」22という非難を浴びせる。それに対して、ストーカーは涙に咽 びながら次のように言う(図 2) 。 「私はたしかに汚らわしい奴です。この世界では何もできませんでしたし、ここでも 何もできません。妻にも何もしてやれない!

友達も私にはいませんし、これからも

できないでしょう。 (中略)私の全てはここにある。分かって下さい! ンにあるんです!

ここに、ゾー

私の幸福、私の自由、尊厳、すべてはここにあるんです!

私は

ここに…私のように不幸な、苦しめられた人たちをここに連れてきます。彼らはもは や何にも希望を持てません。しかし私にはできる。分かって下さい。私は彼らを救う ことができるんです。誰も彼らを救うことができない。しかし私…私は汚らわしい奴 ですが、その私にはできる! が出ます。それがすべてです!

彼らを救うことができるということに、私は幸せで涙 それ以上は何も要りません。」23

理解を阻んでいるのは、 「ゾーンとは何か」という問いである。その問いを括 弧に入れるとき、大事なことが鮮明になる。上の台詞で重要なのは、「不幸な、 苦しめられた人たち」を救うためであれば惨めな境遇も喜んで甘受する、そう ストーカーが言っていることである。そこにあるのは、他の者を救うことを自 己の幸福とし、自分にはそれ以上の何も望まない、他人の幸福のために自らを 顧みない献身する者の姿である。だから作家は、その姿を前にして、暴力を振 るった(作家は爆弾を教授から奪おうとするストーカーを投げ飛ばしている。 )

22

Ты же деньги зарабатываешь на нашей... тоске! Да не в деньгах даже дело. Ты же здесь наслаждаешься, ты же здесь царь и Бог, ты, лицемерная гнида, решаешь, кому жить, а кому умереть. Он еще выбирает, решает! Я понимаю, почему ваш брат сталкер сам никогда в Комнату не входит. А зачем? Вы же здесь властью упиваетесь, тайной, авторитетом! Какие уж тут еще могут быть желания!(“Сталкер”376)」「お前は俺たちの憂いで金を稼いでるん だ。金のことだけじゃない。お前はここで楽しんでる。お前はここでは皇帝で、神だか らな。この偽善者め、誰が生きて誰が死ぬかをお前が決める。さらに神が選んで決める。 わかってるぞ、お前たちストーカーがなぜ部屋に入らないか。なぜだ。お前たちはここ で権力を堪能してるんだ。秘密の権力を、威光を。それ以上にどんな望みがあるものか。」 23 Да, вы правы, я - гнида, я ничего не сделал в этом мире и ничего не могу здесь сделать... Я и жене не смог ничего дать! И друзей у меня нет и быть не может, но моего вы у меня не отнимайте! У меня и так уж все отняли - там, за колючей проволокой. Все мое - здесь. Понимаете! Здесь! В Зоне! Счастье мое, свобода моя, достоинство - все здесь! Я ведь привожу сюда таких же, как я, несчастных, замученных. Им... Им не на что больше надеяться! А я могу! Понимаете, я могу им помочь! Никто им помочь не может, а я - гнида (кричит), я, гнида, - могу! Я от счастья плакать готов, что могу им помочь. Вот и все! И ничего не хочу больше.(“Сталкер”376-7) 42


ことを詫び、許しを請い、「そうだ、おまえは全くユロージヴィだ!」24と言う のである(図 3) 。作家の言葉は、自己卑下し、自己を無化し、自己を捨て、他 者の幸福のために献身するストーカーの姿に、中世ロシア以来の聖なる愚者の 姿が観取されていることを示している。

図 1

図 2

図 3

第2項 人生の理想としての柔弱さ 『老子』からの引用を含む、ストーカーのモノローグは、ストーカーの人物 像をタルコフスキーがどのように造形しようとしていたか、そこにどのような 思想が託されているかを知るうえで重要である。そのモノローグは、三人がゾ ーンに入り、いくつかの危機を乗り越えた後、 「乾いたトンネル сухой тоннель」 と呼ばれる場所にたどり着く少し前の場面でストーカーの姿を追う画面、井戸 の底の水面の映像にかぶさる形で、オフボイスで語られる。 「彼らが思いついたことが実現されるように。彼らが信じるようになるように。そし て、自分の情熱(恐怖)を笑うようになるように。なぜなら、a. 彼らが情熱と呼ぶも のは、実際は、心的エネルギーではなく、心と外界の軋轢にすぎないからだ。重要な のは、自分自身のことを信じるように、子供のように無力になるように。なぜなら b. 弱 さは偉大であり、力は取るに足らないからである。c. 人間は生れるとき、弱くて柔ら かい。死ぬとき、人間は固くこわばる。木が育つとき、弱々しく柔らかい。木が乾き 固くなるとき、木は枯れる。こわばりと力は、死の伴侶である。柔らかさと弱さは、 存在の生気を表している。それゆえ、凝固したものは勝たない。」25

24

Да ты просто юродивый! (“Сталкер”377) 字幕はこの一文を「(君の話は)つじつまが合 わないよ」と意訳している。ユロージヴィについては中村喜和(1990)付論第二章「瘋 癲行者覚書」のは、タルコフスキーにおけるユロージヴィについては本書第2章も参照。 25 Пусть исполнится то, что задумано. Пусть они поверят. И пусть посмеются над своими 43


第1章

信仰・死・共同体

下線部 a. のところは、ヘッセの『ガラス玉遊戲』Das Glasperlenspiel からの引 『道徳経』の第 76 章の前 用である26。そして、下線部 c. が、老子(B.C.5C 頃) 半部分である27。下線部 b.は老子の原文にはないが、タルコフスキーが『老子』 をそこから引用したニコライ・レスコフの『旅芸人パンファロン』(Скоморох Памфалон, 1887)28のエピグラムでは冒頭に含まれており、タルコフスキーは b. の部分を含めて『老子』のテキストとして理解していたと考えられる29。 ヘッセと老子のテキストをはめ込んで新たに形成されたテクスト全体を見渡 すとき注目されるのは、都合4回繰り返される пусть である。пусть は、一人称 または三人称と共に用いて命令法の形式をとり、指示・当為、許容・許可・同 意・放任・警告、希望・願望等の意味を持つ語である30。「彼ら」という代名詞

страстями; ведь то, что они называют страстью, на самом деле не душевная энергия, а лишь трение между душой и внешним миром. А главное, пусть поверят в себя и станут беспомощными, как дети, потому что слабость велика, а сила ничтожна... Когда человек родится, он слаб и гибок, когда умирает, он крепок и черств. Когда дерево растет, оно нежно и гибко, а когда оно сухо и жестко, оно умирает. Черствость и сила спутники смерти, гибкость и слабость выражают свежесть бытия. Поэтому что отвердело, то не победит.(“Сталкер”361) 26 タルコフスキーは『ガラス玉遊戯』を 1970 年に読み、強い感銘を受けている。 (1970/9/14 (Мартиролог:38-40, 『日記』:59)、9/20(Мартиролог:41-2, 日記』:64)、9/26(Мартиролог:44, 『日記』67)。また、日本語版『日記』では、『ノスタルジア』完成後、ローマ滞在中の 1983 年 2 月 6 日から 3 月 16 日にかけての日記にも、『ガラス玉遊戯』が数節抜粋されて いる。『日記 II』71-6(ロシア語版には記載なし)。邦訳では、ヘッセ(1955:90). 27 老子の原文及び読み下し文を記す。 「人之生也柔弱、其死也堅強、草木之生也柔弱、其 死也枯槁、故堅強者、死之徒、柔弱者、生之徒、是以兵強則不勝、 〈木強則折、強大処下、 柔弱処上〉」(人の生ずるや柔弱にして、其の死するや堅強なり。草木の生ずるや柔脆に して、其の死するや枯槁なり。故に堅強なる者は死の徒にして、柔弱なる者は生の徒な り。是を以て兵は強ければ則ち勝たず。 〈木は強ければ則折る。強大なるは下に処り、柔 弱なるは上に処る。〉) 『老子』 (1973:136-7)。最後の〈 〉の部分はレスコフの引用及び映 画では省かれている。また、ロシア語訳では「生之徒」の「生」が “свежесть бытия”(存 在の生気)と訳されている。 28 レスコフは、この小説を最初、『魅せられた旅人』Боголюбезный скоморох(邦訳、レ スコーフ, 1960)という題で書いたが、検閲を通らず、改題して発表した。同書の出版を めぐる顛末については、岩浅(1982)を参照。 『魅せられた旅人』には、老子の引用のエ ピグラムは付されていない。 29 タルコフスキーが、レスコフの小説のエピグラムから『老子』のテキストを借りたこ とは、タルコフスキーの 1977 年 12 月 28 日の日記に当該箇所の写しがあり、老子の名の 後に「レスコフ『旅芸人パンファロン』のエピグラフから」と括弧書きしていることか ら判る。Мартиролог (177, 『日記』:250)。レスコフのエピグラムでも、 『老子』のテキス トの後半は省かれており、ロシア語訳も一致する。上の『日記』の日付は、 『ストーカー』 の製作がトラブルに見舞われて、構想を練り直し撮影再開の準備をしている時期の日記 であり、『老子』の引用は、製作し直す段階で加えられたものと思われる。 30 『研究社露和辞典』(1988) 44


は「作家」 「教授」の二人を指す。ストーカーのせりふは、ストーカーが二人を ゾーンの中を導くにあたって必要なことを表しているとまずは考えられる。 老子の文章は、まず生と死それぞれに、柔弱さと強硬さという具体的で対照 的なイメージを与えている。そしてそこから見方を翻して、生と死が持つ正負 の価値を梃子として、柔弱さの優位が語られる。 そのような柔弱な態度を身に着けることは、さしあたりはゾーンを行くため の方法乃至手段である。しかし、老子の引用はゾーンを行く心構えを説明する ための借り物にすぎないのではない。老子のテクストは、単なる実践的・具体 的な兵法や処世訓にとどまるものではなく、人為を退け無為自然を説く老子の 根本思想につながっている。ストーカーのせりふも、それに応じて、ゾーンと いう虚構上の設定にとどまらず、人生一般の理想への志向性を持つ。老子のテ クストを軸として、目的と手段の関係は反転し、柔弱な態度を身につけること こそが目的であり、ゾーンを行くことはそのための手段であるとする解釈が開 かれる。柔弱であらなければならないのは、ゾーンを行くためというだけでな く、それが人生の理想だからである。 老子のテクストに先立ち、呼応する「子供のように、無力になることだ。な ぜなら、弱さは偉大だからであり、力はとるに足らないものだからという一節 は、また、「神の国は子供のような人たちのものだ」という聖書の一節31を想起 させる。そこには、ユロージヴィに代表されるロシアの霊性史における自己無 化 kenoticism の伝統32が連なっている。 救済という他者に向かうベクトルと、信仰という超越的存在へと向かうベク トルが、柔弱さ、あるいは自己無化を理想とするストーカーの生き方において 結びついている。 但し、この場合、信仰は、ゾーンという特殊な場所に結びついており、救済 も、ゾーンに案内すること以外によるのではない。したがって、ストーカーに ついての考察は、ゾーンについての考察へと必然的に導かれる。次節では、ゾ ーンの中の部屋に焦点を合わせ、信仰という主題にアプローチする。もうひと つのベクトルである他者の問題は、第三節の考察の中で、再び取り上げる。

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「マルコ福音書」10 章 13-16 節、他。 Fedotov (1946: 94-131) 45


第1章

第二節

信仰・死・共同体

ゾーンについて:部屋の敷居の場面を中心に

まず、ストーカーがゾーンについて語る一節を呈示し、ゾーンの基本的な性 格を確認しておこう。 「ゾーンは非常に複雑なシステム、罠です。その罠はどれも死に関わります смертельны。 人が不在の時ここで何が起こっているかは知りませんが、人が姿を現わすや否や、こ こにあるあらゆるものが活動を始めます。以前の罠が消えて、新しい罠が生まれます。 安全だった場所が、通行不能になる。道はあるものは簡単で軽いものになり、あるも のは極度に複雑になる。これがゾーンです。」33

その罠が死に関わるものであること、変幻自在に刻一刻変貌するものである こと、そしてその変化の法則が予測不可能であることなどが指摘される。また ゾーンの罠が、人の出現とともに活動を始めるとされるのは、ゾーンが、客観 的に何であるかを規定できるような、自体的に存在するものでないことを示し ている。ここに指摘される諸性格は、実際のゾーンの描写に合致するものであ る34。 ゾーンの複雑な罠に翻弄され、死に見舞われる三人の行程については、具体 的な分析が必要であるが、ここでは、さしあたり上の確認で十分とし、次に、 行程の目的地である、望みを叶える部屋に目を向ける。ストーカーはゾーンの 案内人であるが、その案内の目的は部屋に導くことにある。そのことは、ゾー ンと部屋の間の密接な関係を示唆するとともに、ゾーンを解く最後の鍵が部屋 にあることを示している。だがこの部屋の存在は、ゾーンを考える上で躓きの 石とも言うべきものである。以下に見るように、部屋の敷居の場面で展開され る部屋をめぐるやり取りは錯綜しており、何が真実かを容易には明かさないか らである。 部屋をめぐるやり取りにおいて重要な役割を果たすのが、ヤマアラシ (Дикобраз)の物語である。ヤマアラシとは、三人のゾーン内の行程と平行し

33

Зона - это... очень сложная система... ловушек, что ли, и все они смертельны. Не знаю, что здесь происходит в отсутствие человека, но стоит тут появиться людям, как все здесь приходит в движение. Бывшие ловушки исчезают, появляются новые. Безопасные места становятся непроходимыми, и путь делается то простым и легким, то запутывается до невозможности. Это - Зона.(“Сталкер”360) 34 前田英樹(1996: 168-176)にゾーンの性格・描写への哲学的アプローチがある。また、 扇(1993:96)が、ゾーンの描写とロシアの他界観(坂内, 1991)との類似を指摘している。 46


て、その合間合間に語られる「言葉の中だけに存在する人物」35であり、次のよ うな過程を経て語られる。まず、ゾーンに到着してまもなく、ヤマアラシがス トーカーの先生であること、ヤマアラシがある時「罰を受けた наказан」36こと がストーカーによって語られる。次に教授が、ヤマアラシがゾーンから戻り、 金持ちになり、その数日後に首を吊ったことを作家に話す37。そして、「肉挽器 мясорубка」と呼ばれる場所(図 4)を潜り抜けた所で、ストーカーが、ヤマア ラシが弟をその「肉挽器」で喪ったことを話す38。以下、この物語が果たしてい る機能に着目しながら部屋をめぐるやり取りを追い、そこから照らし出される 部屋の意味を考察する。 第1項 ヤマアラシの物語についての作家の解釈 前節で引用した台詞にあるように、ストーカーは、 「不幸な、苦しめられた人 たち」をゾーンの中の望みが叶う部屋に連れてきて救うことを自己の使命とし ている。ストーカーは、 「死に関わる」ゾーンの罠を潜りぬけ、部屋の敷居の所 までたどり着いた他の二人が、部屋に入ることを期待する。しかし二人は、そ れぞれの理由から部屋に入らない。まず教授は、自分が、部屋に入り望みを叶 えるために来たのではないことを打ち明ける。物理学の教授である彼は、手製 の爆弾をリュックから取り出し、自分は部屋が悪人に利用されないために部屋 を爆破しに来たのだと告げる(図 5) 。一方、作家は、爆弾を奪い取ろうとする ストーカーとのもみ合いの後、ヤマアラシの物語を根拠に部屋に入ることを拒 む。作家は、その物語を次のように解釈する。 ストーカーが、ヤマアラシが弟を亡くした理由についてゾーンに利得を目的 にして入ったからだと述べるのに対して、作家は、ヤマアラシが首を吊った理 35

Turovskaya (1989:113) Хотя, по-моему, он просто был наказан.(“Сталкер”355) 37 В один прекрасный день Дикобраз вернулся отсюда и неожиданно разбогател. Немыслимо разбогател. ... А через неделю повесился. (“Сталкер”356)「ある晴れた日に、ヤ マアラシはそこから戻り、突然金持ちになりました。考えられないほどの金持ちに。数 日後、彼は首を吊ったのです。」教授自身はその話をストーカーから聞いて知っている。 38 У нас его называют "мясорубкой", но это хуже любой мясорубки! Сколько людей здесь погибло! И Дикобраз брата тут... подложил. (“Сталкер”370)「私たちはそれを『肉挽器』と 呼んでいますが、これはどんな肉挽器よりもたちが悪い。何人もの人がここで死にまし た。ヤマアラシの弟もそのうちの一人になりました。 」尚、"мясорубкой"には、 「大殺戮、 修羅の巷」という意味もある。 36

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第1章

信仰・死・共同体

由をストーカーに問う。作家は、部屋で叶うのは、単なる望みではなく「秘め られた望み сокровенные желания」であり、 「自分の本性、本質に相応しいもの」 39

なのだと言う。ヤマアラシが理解したのはそのことだった。 「ヤマアラシは貪欲に打ち勝たなかった。この水たまり(=部屋)に膝までつかって、 弟(が戻ること)を祈った。だが受け取ったのは金の山だった。他の何も手に入れる ことができなかった。」40

ヤマアラシが首を吊ったのは、自分の本性がそのようなものであることを知 ったからだ、それをストーカーは理解していない、と作家は言う。作家は、そ のように述べて、自分の本性を暴かれるのは嫌だと言い、部屋に入ることを拒 む。さらに作家は、部屋に入って幸福になった者に会ったことがあるのか、そ もそもそのような奇蹟は存在するのかと、懐疑を投げつける41。 こうしたやりとりを聞いていた教授は、部屋を爆破する理由を失い、爆弾を 解体し、捨てる。ヤマアラシの解釈にせよ、根本的懐疑にせよ、作家の言うこ とが正しいとすれば、部屋が、悪人が利用できるようなものでないことになる。 ヤマアラシの物語は、作家が部屋に入るのを拒む理由となるとともに、教授が 爆弾を捨てる理由となる。部屋が破壊されることは避けられるが、部屋で人を 幸せにするというストーカーのもくろみは挫折し、三人は、皆それぞれに、部 屋の前まで来たことの意味を見失うことになる(図 6)42。 誰も部屋に入らない以上、部屋の奇蹟の証明はもとより、ヤマアラシの話の 真偽も、それに対する作家の解釈の正誤も示されない。作家が最後に投げつけ 39

Да здесь он понял, что не просто желания, а сокровенные желания исполняются! А что ты там в голос кричишь!.. Да здесь то сбудется, что натуре своей соответствует, сути! О которой ты понятия не имеешь, а она в тебе сидит и всю жизнь тобой управляет! (“Сталкер”377)「ヤマアラシはここで、単なる望みではなく、秘められた望みが実現する ことを理解したんだ。それなのにお前はあそこで大声で泣いて。そうだ、ここで実現す るのは、自分の本性、本質に相応しいものなんだ。自分の本質について、お前は何もわ からないが、その本質は自分の中にあって、全人生をコントロールしている。」 40 Дикобраза не алчность одолела. Да он по этой луже на коленях ползал, брата вымаливал. А получил кучу денег, и ничего иного получить не мог. Потому что Дикобразу дикобразово!(“Сталкер”377)“Дикобраз”は、原義は「野生の дикий=姿 образ」で「人間嫌 い」という意味がある。ヤマアラシがお金しか手にすることができなかった理由を示す 最後の一文「ヤマアラシ Дикобразу は人間嫌い дикобразово だったんだ。」は語呂合わせ になっている。 41 А откуда ты взял, что это чудо существует на самом деле? Кто вам сказал, что здесь действительно желания исполняются? Вы видели хоть одного человека, который здесь был бы осчастливлен? (“Сталкер”378) 42 この、脱力し、光に包まれる三人の姿を、第三節で論じる「無為の共同性」の観点か ら、三人の共同性の成立として考えることもできる。 48


る懐疑もそこに発し、そのことを表している。その懐疑は否定されない。しか し、ヤマアラシの物語についての作家の解釈が意味をなさないわけではない。 作家自身、懐疑に徹せず部屋に入ろうとしないのは、それに先立って展開した 自分の解釈を否定しきれないからである。 作家の解釈は何を意味していたのか。要点は、部屋で叶うのが「秘められた 望み」であるという点にある。それは、部屋で叶う望みが、本人が自覚しない 深みにあることを意味している。部屋では「自己の本性に相応しいもの」が実 現するのだと言う場合も、「自己の本性」は、自己にとって未知の、「他なる」 自己であることが重要である。作家の解釈は、部屋に入ることが〈他なるもの〉 との出会いであること、一種の賭けであることを示す。そしてそれが賭けであ る所以は、自己の外にある相対的な外部にではなく、自己の内に根拠をもつも のとなる。 〈他なるもの〉は、把握し得ないばかりでなく、対象化し得ない、自 己をも飲み込む絶対的な外部となる。作家は、 〈他なるもの〉が自己の内に巣食 うことに気づいている。そしてそれと出会うことを怖れて、部屋に入ることを 拒むのである。

図 4 第2項

図 5

図 6

信仰と苦:部屋の要求

ヤマアラシの物語をめぐる議論では、作家による解釈に焦点が当てられてお り、それによって、作家がストーカーを言い負かしているような印象を与えて いる(この印象の延長上に、部屋に対する懐疑とストーカーの挫折が位置付け られる)。しかしそれは、ストーカーの考えそのものを否定するものではない。 そもそも、次に見るように、ストーカーは、部屋で叶うのが「秘められた望み」 であることを知らないわけではない。議論という見かけに反して、作家の解釈 とストーカーの考えの間に根本的な対立はない。ストーカーと作家との間の違

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第1章

信仰・死・共同体

いは、 「見解」とは別のところにある。 前項で見た三人のやり取りに先立って、部屋の敷居に到着したところで、部 屋に入る際の心構えについて、ストーカーはこう言っている。 「私たちは敷居にいます。これはあなたがたの人生において、最も重大な瞬間です。 知らなくてはなりません。ここであなたの最も密かな самое заветное 望みが叶うので す。最も切実な、最大の苦しみの末に得られた самое выстраданное 望みが。何も話し てはいけません。必要なのはただ、心を集中して、あなたの全人生を思い出そうとつ とめることです。過ぎ去ったものを思う時、ひとはより善良になります。でも肝心な のは、信じることです!」43

作家の言を待つまでもなく、ストーカーも、単純素朴に部屋が何でも思った ことが叶う場所であるとは考えていない。ストーカーは「肝心なのは信じるこ と」だと語っている。さしあたりその「信じる」対象は、部屋の奇蹟であると 解される。ストーカーはその奇蹟を確信している。その観点から見れば、他の 二人が部屋に入らないのは、ストーカーの信仰を二人が共有しなかったことを 意味している44。しかし、部屋が素朴に「望みを叶える場所」でないのに応じて、 「肝心なのは信じること」だという言葉にも、素朴に「部屋の奇蹟を信じる」 というのとは別の含意が聞き取られる。ストーカーは、上の台詞において、部 屋に入る者に「何か」を要求し、そして作家は、その「何か」を拒否している。 その「何か」を解く鍵を、ゾーンから帰還後の、ストーカーの台詞の中に見 出すことができる。ストーカーは妻に次のように不満を訴える。 「彼ら(作家と教授)はまったく何も信じない。信じる器官が萎縮しているんだ。 (中 略)あの二人はつねに自分を安く売らないように気を回して、自分を高く売ることを 考えている。精神的な活動のすべてに支払いを期待しているんだ。彼らは『自分が無 43

Вот мы с вами... стоим на пороге... Это самый важный момент... в вашей жизни, вы должны знать, что... здесь исполнится ваше самое заветное желание. Самое искреннее! Самое выстраданное! Говорить ничего не надо. Нужно только... сосредоточиться и постараться вспомнить всю свою жизнь. Когда человек думает о прошлом, он становится добрее. А главное... Главное... верить! (“Сталкер”375) 44 信仰の共有を妨げる要因には、ヤマアラシの物語だけではなく、部屋に入って幸せに なった人をストーカーを含め誰も見たことがないという事実が関わっている。その理由 は、こう説明される。ゾーンの中で休憩する場面において、ストーカーは、作家との会 話の中で、作家と同様、自分も「幸せな人間を見たことがない」と言い、 「彼ら(部屋に 入った人たち)が部屋から戻り、彼らを連れて帰った後、私は、もう彼らには二度と会 いません。望みは直ちには叶いません。」 (Они возвращаются из Комнаты, я веду их назад, и больше мы никогда не встречаемся. Ведь желания исполняются не мгновенно.: “Сталкер”365)と言う。 50


駄に生まれてきたのでない』ことを知っている。自分が『選ばれて生まれた призваны』 のだということを。実に人生は『一度しかない』!

そんな人間が何かを信じること

45

が出来るだろうか。」

ストーカーは、原文が括弧で強調している部分そのもの(例えば人生が「一 度しかない」ということ)を否定するのではない。問題は、そこに自己意識( 「彼 らは~を知っている」)が介在し、「自分を高く売る」つまり自分を大事にする ことを考えるようになるとき、より大事なこと(ここでは「信じること」 )が失 われるという点にある46。 自分を大事にすることが「何かを信じること」を妨げるということは、 「信じ る」ための要件のひとつに、自分を大事にしない、つまり「自己を捨てる」と いうことが含まれることを意味する。部屋に入ることは、一種の賭けであった。 部屋に入ることは、「命がけの飛躍」を必要とするのである。部屋で叶うのが、 自己にとって未知の本性に関わるという命題も、「他なる」自己との出会いが、 自己の同一性の崩壊あるいは危機を内包するという観点から理解されるのでは ないか。ヤマアラシの物語の「首を吊る」という結末は、その先に、不幸、苦 悩、死が待ち構えている可能性を示している47。先に引用したストーカーの台詞 でも、部屋で叶うのは「最大の苦しみの末に得られた Самое выстраданное 望み」 であると言われていた。苦しみ(страда=受難、犠牲)は、通過しなければなら ない試金石であり、信じることは、苦しみを引き受けることと表裏の関係をな している48。作家が部屋に入ることを拒否することは、苦を拒絶することとして 45

Они же не верят ни во чтоб. У них же... орган этот, которым верят, атрофировался!...Они ведь каждую минуту думают о том, чтобы не продешевить, чтобы продать себя подороже! Чтоб им все оплатили, каждое душевное движение! Они знают, что "не зря родились"! Что они "призваны"! Они ведь живут "только раз"! Разве такие могут во что-нибудь верить? (“Сталкер”379-80) 46 タルコフスキーは自著の『ストーカー』について述べた章で、 「信仰」についてこう述 べている。 「もっとも重要なものが、自分のなかにあるという感覚。そしてこのもっとも 重要なものは、ひとりひとりの人間のなかに息づいている。」(веру! Ощущение в себе самого главного. Это главное живет в каждом человеке. Запечатленное время, 『映像のポ エジア』292.) 47 「首を吊る повеситься」は、広く、「掛(架)ける」「吊るす」を意味する。ここから は、キリストの十字架への暗示を読み取ることも可能である。 48 タルコフスキーは『映像のポエジア』で「精神的危機」«духовный кризис» についてこ う述べている。 「私にとって、この精神的危機を通過することでつねに健全な状態が生ま れてくるのだ。精神的危機――これは自らを発見し、新しい信仰を獲得しようとする試 みである。」(Для меня через «духовный кризис» всегда проступает здоровье. Духовный кризис — это попытка найти себя, обрести новую веру. Запечатленное время, 『映像のポエ 51


第1章

信仰・死・共同体

理解される。そのような苦を、逆に自ら進んで引き受け、自己を捨てるという 態度・生き方を誰よりもよく示すのは、ストーカーである。作家とストーカー を分けるのは、こうした態度・生き方の違いである。 三人の行程を思い起こしてみるとき、詳しい分析を待たなくとも、以上に明 らかにした部屋の性格(異他性、自己の未知なる本性との連繋、自己放棄・苦 の要求)がゾーン全体についても言い得ることが理解される。ゾーンを行く者 は、その異他性に翻弄され、死に直面し、社会の中でもつ様々な帰属(「作家」 「教授」 )を剥奪されて、自己自身に向き合うことを強いられる。ゾーンと部屋 は、合わせ鏡のように互いの性格を映し合う関係にある。 部屋の内外を分ける境界が全く意味を失うのではない。部屋に誰も入らない ことによって部屋の奇蹟は、是非いずれに対しても証明されない。ストーカー の営みは未遂に終わる。ストーカーの他者を救う営為が部屋の奇蹟を手段とす る限り、その奇蹟の是非はストーカーの生き方の根本に関わっている。上に見 てきたように苦が問題の中心にあるとしても、苦を引き受け自己を捨てる生き 方が、ストーカーが考えるように、幸福や希望に通じているか否かは示されて いない。 このように最終的な解答を空白のままに留保する49ことにより帰還後の展開 が開かれる。次節ではその展開に目を向け、そこに開かれる新たな次元と布置 について考察する。

第三節

帰還後の展開について

第1項 帰還後の変化 帰還後の展開はゾーン内の描写に劣らず謎めいている。そこにおいて注目さ れるのは、出発前との対照性、とりわけ妻とストーカーの関係の変化である。 ゾーンから帰還した三人をストーカーの家族(ストーカーの妻と子供)が迎 ジア』286.) 49 部屋の敷居に座り込んだ三人を向こう側に置き、部屋に降る雨が部屋の中に張られた 水面を波立たせ、天井から降り注ぐ光を反射して、部屋一面が輝き渡るショットは、ひ とつのクライマックスをなしており、その後の「魚」と「油」のイメージと共に、ある 部屋の奇蹟を暗示している。だが、それはあくまで暗示であり、最終的な解答ではない。 この場面の光のもつ意味については、本稿第三節で扱う共同性の観点からも解釈が可能 である。 52


える。ストーカーは作家と教授と別れて家へ戻る道を、足の不自由な( 「足がな いかのような」 )子供(娘)を肩車して歩む(図 7) 。こうした帰還後に描かれる ストーカーの家族の親密な情景は、出発前には見られなかった生活の側面を映 し出す50。その描写は、出発前の描写とは対照的である。出発前、妻とストーカ ーの関係は険悪であった。止めようとする妻を突き放し、ゾーンに出かけてい くストーカーの後ろ姿に、妻はこう言い放っている。 「あんたと出会った日なん か呪われるがいい。神様だってあんたを呪ってあんな子供をつかわしたんだ!」 51

激した妻の台詞は、ストーカーとの出会いを呪い、ストーカーとの間に生まれ

た子供を呪われたものとしている。このとき、ゾーンは災厄の源泉とみなされ ている。だが帰還後の描写では、その呪詛が消える。それを表すのが、黒い犬52 である。ゾーン内の描写において随所に姿を見せていた黒い犬が、ゾーンから ついてきて、ストーカーの家に自然に迎え入れられることは、ゾーンが災厄を もたらすものとみなされていないことを明らかにしている。 これと連動して、妻とストーカーの関係も変化を示す。その変化について見 る前に、ここまでのストーカーと家族との関わりを振り返っておきたい。 第一節で引用した台詞を思い起こそう。ストーカーは不幸な人をゾーンに導 き、救い、幸せにすることを自己の幸せとしていた。その営為は、自己の利害 にではなく、他者の苦しみを我が事として苦しむ、共苦53に基づいている。その ストーカーにとって、愛する家族を幸せに出来ず、かえって犠牲にしているこ とは、耐えがたい苦しみであったはずである。ストーカーは同じ台詞の中で「妻 にも何もしてやれない」と語っていたが、部屋の敷居の場面でも、誰も部屋に 入らないことが確実になった後、うなだれてこう言っている。 「すべてを捨てて、 妻とおサルさん〔=娘〕を連れて、ここに移ってくるのはどうだろう。ここな 50

帰還後はじめて映し出されるものの中に、ストーカーの家の巨大な本棚と蔵書がある。 それは、ストーカーの隠れた知性を暗示している。これについては、ユロージヴィにお ける知性を論じる研究があることを指摘しておきたい。パンチェンコ(1989:152)を参照。 51 Будь проклят день, когда я тебя встретила, подонок! Сам Бог тебя таким ребенком проклял!(“Сталкер”348) 52 犬は、他界との境界存在として、 『ノスタルジア』においても重要な役割を果たしてい る。本書第2章を参照。 53 共苦については、谷寿美(1990:p.118-9)を参照。敷居のところに着く直前の場面で、 「無意識の共苦 неосознанное сострадание はまだ実現できる状態にない。 (Неосознанное 」 сострадание еще не в состоянии реализоваться.: “Сталкер”373-374)と作家が言うのに対し、 ストーカーが、「はたして他人の不幸の上に幸福があり得るでしょうか。」(Разве может быть счастье за счет несчастья других?: “Сталкер”374)と言う場面がある。 53


第1章

信仰・死・共同体

ら誰も彼女たちを侮辱しないだろう。 」54そこには、家族への愛情・配慮とともに、 愛する家族が自分の所為で侮辱されていることへの苦悩が言い表されている。 ストーカーは、自己に与えられた使命と、それが家族に犠牲を強いていること との間で引き裂かれている。家族を幸せにしてやれないストーカーに残された 幸福は、不幸な人をゾーンで幸せにすることであった。だが、その幸福も、破 れ、見失われてしまう。ゾーンから帰還したストーカーが、 「誰も信じない。あ の二人だけじゃない。誰も信じない。一体俺は誰を連れてけばいいんだ?

あ主よ…。いちばん苦しいことは、誰もそれを必要としないことだ。誰もあの 『部屋』を必要としない。俺の全ての努力は無駄なんだ。」55と言うとき、そこ には、ストーカーの絶望が言い表されている。 疲弊し、絶望したストーカーに対し、帰還後、妻は、癒す主体として現れる。 妻は興奮するストーカーを宥め、寝つかせるとともに、 「もう誰ともあそこ〔ゾ ーン〕へは行かない」と言うストーカーに対し、「私が一緒に行く」56と提案す る。そしてさらに、 「私には(部屋に入って)頼むことは何もない」57と重ねる。 (それに対するストーカーの返答については本節第4項参照。)前者の台詞は、 希望を失ったストーカーを癒し救うものであり、後者の台詞には、現在の生活 の充足が語られている。ストーカーの「妻にも何もしてやれない」 、 「私の幸福、 私の自由、尊厳、すべてはここ〔ゾーン〕にある」という台詞は、出発前の妻 との関係を参照するとき納得の出来るものであった。だが、帰還後の妻の振る 舞いは、出発前とは異なり、ストーカーの言葉を裏切るものである。妻が、ス トーカーを絶望から救い、現在の生活の充足を語るとき、ストーカーの「私の 幸福、私の自由、尊厳、すべてはここにある」という台詞は、〈今ここ〉(=ス トーカーの家)で発せられてよいものとなる。 54 А что, бросить все, взять жену, Мартышку и перебраться сюда. Никто их не обидит. (“Сталкер”378) ストーカーが娘を指して言う Мартышка は、あだ名と解し、 「猿、えてこ う」という原義を汲み「おサルさん」と訳した。Мартышка には、「醜い人間」を指す用 法もある。深見弾は、シナリオ「願望機」(1989)では「マルトゥーシュカ」、小説『ス トーカー』(1983)では「モンキー」と訳している。 55 И никто не верит. Не только эти двое. Никто! Кого же мне водить туда? О, Господи... А самое страшное... что не нужно это никому. И никому не нужна эта Комната. И все мои усилия ни к чему!(“Сталкер”380) 56 Ну хочешь, я пойду с тобой? Туда? Хочешь?(“Сталкер”380) 57 мне не о чем будет попросить(“Сталкер”380) ストーカーにもこれに呼応する台詞があ る。ゾーンの行程中の休憩する場面で、作家に「部屋で(何か望みを)叶えようと欲し たことはないのか」と尋ねられ、ストーカーは「私はこのままでいいです。」(мне и так хорошо : “Сталкер”365)と答えている。

54


妻とストーカーの関係の変化は、単に二人の人間の関係の変化というにとど まらない。その変化は、ゾーンの位置付けの変容を含み、それと連動している。 ゾーンは災いをもたらす呪いの対象であることをやめ、幸福の源泉として〈今 ここ〉に迎え入れられる。 第2項 妻の変化の本質:苦の受容 ストーカーが担っていた他者を癒し救う役割を、帰還後は、妻が担っている。 この妻への視点の移動は、帰還後の展開の中心に妻が立っていることを示して いる。妻の振る舞いが出発前と対照的であることは、妻の身にある変化が起き たことを意味する。その変化の動因については次項で扱うことにし、ここでは その変化の本質がどこにあるのかを、次に取り上げる妻の語りの中に探る。 ストーカーを寝つかせた後、妻はストーカーとの関係を次のように語る(図 8:以下は、第1節第1項で引用した部分に続く箇所である。 ) 。 「私は彼と一緒に私がよくなると確信していました。私は知っていました。悲しみが 多くなるだろうことも。でも灰色の憂鬱な生活よりは、悲しい幸福のほうがよいと思 ったのです。…でも多分こうしたことはあとから考えたのです。そのときはただ彼が 私のところにやって来て、『一緒に行こう』と言い、そして私はその通りにしました。 それから後悔したことは一度もありません。一度も。悲しみは増えました。恐ろしく もありました。恥ずかしくもありました。でも私は決して一度も後悔はしませんでし た。誰かをうらやましいと思ったことも一度もありません。ただそのような運命なの であり、そのような人生なのであり、そのような私たちなのです。」58

先に取り上げた出発前の台詞と比べてみるとき、その対照は明らかである。 出発前に呪っていたストーカーとの出会いの日が、ここでは、 「運命的な」出会 いの日として肯定されている。 「後悔したことはない」という繰り返しも、出発 前との対照を際立たせている。しかし、ストーカーとの生活の実質的内容が変 化したわけではない。悲しみ、恐怖、恥辱。それが、ストーカーと一緒になる 58

Я уверена была, что с ним мне будет хорошо. Я знала, что и горя будет много, но только уж лучше горькое счастье, чем... серая унылая жизнь. (Всхлипывает, улыбается.) А может быть, я все это потом придумала. А тогда он просто подошел ко мне и сказал: "Пойдем со мной", и я пошла. - И никогда потом не жалела. Никогда. И горя было много, и страшно было, и стыдно было. Но я никогда не жалела и никогда никому не завидовала. Просто такая судьба, такая жизнь, такие мы.(“Сталкер”380) 55


第1章

信仰・死・共同体

ことによって味わわなければならなかった運命であった。変化したのはそうし た運命への態度である。出発前に呪っていたのと同じ運命を、帰還後の妻は受 容し、肯定する。ストーカーとの生活は、この態度の変更によって、呪いの対 象から祝福の対象へと変わる。 子供もまた、これに応じて、幸福と希望へと転じる。右の妻の語りは、こう 続いている。 「私たちの生活にもし悲しみがなかったら、よりよくはならず、よ り悪くなっていたでしょう。なぜならそのとき、幸福もなかったでしょうし、 希望もなかったでしょうから。 」59この妻の語りが「ほら Вот」という語で締め くくられ、子供がチュッチェフの詩を朗読する場面へと引き継がれる60とき、妻 の台詞にある「悲しみ горе」という語は、とくに子供を指しているように感じ られる。 「ゾーンの犠牲」と呼ばれていた足の不自由な子供は、夫妻にとって「悲 しみ」であった。だがその「悲しみ」が、幸福と希望になる。 妻の、苦を引き受け肯定する態度への変容において、苦から幸福と希望への 道筋が示される。これにより、第2節の最後に呈示されていた、苦が希望と幸 福に通じるか否かという問いに肯定的解答が与えられることになる。それは部 屋の奇蹟そのものの証明ではない。むしろ部屋の奇蹟が証明されないことによ って帰還後の展開があるのであり、部屋の奇蹟とはさしあたり無縁の妻の身に おいてその道筋が示されることにより、それは解答たり得る。 見逃してはならないのは、こうした態度変更の持つ意味の大きさである。ス トーカーと人生を共にするということは、第1節で見た、ストーカーが置かれ た社会的境遇を含め、彼の運命を共にするということにほかならない。それに 伴う苦しみや悲しみを引き受け、それを喜びとさえするその生き方は、他者の 苦を我が事とし他者を苦から救うことを幸福とするストーカーの生き方と、同 形のものである。ここで妻は、もうひとりのユロージヴィであり、その姿を正 面から捉えた画像はもうひとつのイコン(聖画像)だとも言えよう。

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А если б не было в нашей жизни горя, то лучше б не было, хуже было бы. Потому что тогда и... счастья бы тоже не было, и не было бы надежды. Вот...(“Сталкер”380) 60 子どもによる詩の朗読から、机の上のコップの移動、機関車の音にベートーヴェンの 「歓喜」かぶさる演出については、機会をあらためて論じる。 56


図 7

図 8

図 9

第3項 死の共同性 帰還後の妻は出発前とは「別人」のように見える。その第一の理由は、出発 前との対照である。妻は、自らの態度変更の理由を語らないばかりでなく変化 に対する意識を示しすらしない。 「後悔したことはない」という台詞は、そうし た「無自覚」が可能にするものであると同時に、それを表現する。その変化は、 反省に基づく連続的なものではなく、飛躍を含む。その飛躍は、変化の動因へ の問いを誘発する。ゾーンの行程には妻の姿はなく、妻の変化を説明するもの はない。その事実に立ち、出発前の場面に遡るとき、妻の変化を説明するもの を見出すことができる。 妻の出発前の最後の姿に目を向けよう。ストーカーがゾーンに出かける際、 本節の冒頭に引用した呪いの言葉をストーカーに投げつけた後、妻は、泣き、 呻き、床に崩れ、癲癇の発作のようなものを起こす(図 9) 。それは、妻の病に 基づくのだろうが、しかし、ストーカーとの別離が重要な契機になっているこ とを思い起こす必要がある。それは単なる別れではない。死の罠に満ちたゾー ンにストーカーは赴くのであり、生きて帰る保証はない。生きて帰ったとして も監獄の中かもしれない。ゾーンに行くストーカーは、ほとんど死にゆくので あり、その別れは、死別に近いものとなる。妻がストーカーの後姿に投げつけ る呪いの言葉も、元はと言えば、ストーカーとの別離が与える悲嘆と苦痛が言 わせたものにちがいない。 ここで死は、さしあたり、二人を引き離すものとしてある。妻が発作を起こ し、苦痛に激しく身をよじるとき、その脱自的な発作は、死の離隔がもたらす 苦が、ほとんど死に至るほどのものとして、彼女の身体を貫いていることを表 している。ストーカーが死にゆくとき、妻もまた死にゆく。ストーカーは、修

57


第1章

信仰・死・共同体

道士のように、生きながらの「死びと」であった。妻は、ストーカーと共に死 にゆくことによって、帰還後にもうひとりのユロージヴィとして立ち現れる。 妻が帰還後「別人」のように立ち現れるとき、その背後には、死の断層がある。 「共に生きる」の「共に」を打ち砕く死が、 「共に死にゆく」ことにおいて「共 に」を可能にするものとなる。後者の「共に」は、前者とは水準の異なる、死 の共同的次元、 「この世界での共存性の崩落として開かれる逆説的共同性」であ る61。J=L・ナンシーは、死が開示する、死と不可分の共同体について「死す べき者たちの真の共同体、あるいは共同体としての死は、その者たちの不可能 な合一である。」62と述べている。妻の「死びと」への変容は、そのような「死 の共同体」を開示するものであったのではないか。 二人が共に死にゆき、またそのような者として出会うとき、その再会は、死 にゆく者たちの奇蹟のような出会いとなる。帰還したストーカーを迎える妻の 「戻ったのね」63という言葉の裏には、戻らなかったかもしれない可能性が含ま れている。妻は先の引用においてストーカーとの運命的な出会いを語っていた が、それは単に過去のものとしてではなく、現在のものとして考える必要があ ろう。 「死びと」へと転じた妻の、苦を「共にする」ことの受容と肯定が、苦か ら希望と幸福への道筋を示す。死の開示する共同体の実現は、その道筋の呈示 と別のものではない。この世界からの脱落の共有が、希望と幸福への道筋を開 くのである。 次の画像は、帰還後に描かれる共同性を象徴的に表現するものとして理解さ れる。部屋の敷居に着く少し前の場面で、奥まった場所に、抱き合った二体の 骸骨とその間から生えている樹が映し出される。その前には黒い犬が座ってい 「骸骨」が端的に表す死は、ここでは、新たな生命を可能にす る(図 10, 11)64。 るものとしてある。 「樹」は死を通じて再生する生命を象徴する。希望(誕生) 61

氣多雅子(1992:221-230)、及び古東哲明(1996)を参照。ここで論じている共同体の 問題は、本書第6章で論じる『サクリファイス』における共同体の問題とも通底してい る。 62 Jean-Luc Nancy(1999: 39-43、邦訳:43-48) 63 Вернулся(“Сталкер”378) 64 この画像には、C・D・フリードリヒの『鍾乳洞の骸骨』(図 12)との類似を指摘出 来る。そこでも骸骨は二体である。ロバート・ローゼンブラム(1988:151-2)。フリード リヒの絵画とタルコフスキーの映画の親近性については、滝本誠が「〈カスパー・ダヴィ ッド・フリードリヒ〉の転生」 (1990)で論じている。滝本が主に取り上げているのは『ノ スタルジア』であるが、フリードリヒの絵画の洞窟、廃墟といったイメージ、霊的な自 然の描写は、『ストーカー』のゾーンの描写にも通じている。 58


に通じる「死者」は、ここでは一体ではない。二体の骸骨を妻とストーカー、 その間から生えた小さな樹を妻とストーカーの子供と位置付ければ、その前に 黒い犬が座ったこの図は、そのまま帰還後のストーカーの家(家族)を表して いる。

図 10

図 11

図 12

第4項 舞台の〈外〉 ストーカーが眠りについた後、妻は、カメラに向かって正面を向いてこう語 る。 「分かるでしょう。母はとても反対したんです。多分あなたがたにはもうお 分かりでしょうが、彼はまったくおめでたい人です。周囲の笑い者です。あの ように、のろまで可哀相な人です。 」その語りは、ここまで映画を見てきた観客 を聞き手とする65。 観る者を戸惑わせるこの演出を整理するため、二つの演技の位相を区別して おく。社会の中で役割を演じる演技 I と、役者が映画の中で人物を演じる演技 II である66。「妻」という映画の虚構の役を実在の役者(アリーサ・フレインドリ フ)が演じる演技 II の位相がある。演技 II は、映画の装置を通して、映画の観 客に向けられている。一方、演技 I は、社会内の他者との関係において作用する。 この場合、演技 II は停止していない。生身の役者は表に出ることなく、妻を 演じ、妻として語る。したがって、妻の語りはナレーションではない。また、 観客を明確な聞き手とするがゆえに、モノローグともならない67。しかし、その 聞き手は、観客という虚構世界の外の存在である。そのことは語る妻のありよ

65

妻の語りは②以降のシナリオに見られるが、妻はこのセリフを作家と教授に向かって 語る形式になっており、最終段階のシナリオ(④)でも同様である。したがって、妻が 観客に向かって語るという演出は、取り直し後に採用されたものと考えられる。 66 二つの演技の位相の区別については、亀井(2007)も参照。 67 佐々木健一(1994:52-54)のモノローグの定義を参照。 59


第1章

信仰・死・共同体

うに変容を起こさずにはいない。 妻が観客に向かって語るという演出は、ドキュメンタリーのような印象を与 える。しかし、実際にはそれはそう見えるにすぎない。先に確認したように、 演技 II は停止していない。したがって、観客が受ける、目の前で語る人間が演 技を止めた生身の、現実に生活をしている人間であるかのような印象は、錯覚 にすぎない。しかし、にもかかわらず、そのような効果が確かに生じるのは、 妻の立つ位相が虚構世界の〈外〉に移行しているからにほかならない。 虚構世界内の人物にとって、観客は、世界の〈外〉の出会うはずのない〈他 者〉である。妻は、その〈外なる他者〉に向かって語ることによって、自らも 映画の展開の〈外〉、メタ的視点に立つ。妻は、妻でありながら、妻ではない。 妻であることを止めないまま、妻であることを止め、妻の〈死〉を生きる。演 技 I は停止し、妻は世界という「舞台」のを降りて、 〈外〉に立つ。停止するの は、演技 I である。妻のいる世界が、ドキュメンタリーのように、 「舞台」であ ることを露わにし、上演を終えた後の「素」の舞台として映るのは、そのため である。そのような演出は、妻の語りをリアルに見せると同時に、妻が「別人」 として現れるその表現を可能にしている。 第5項 ストーカーの最後の言葉の解釈 最後に、ストーカーの最後の言葉について検討する。妻が「私が行こう」と 提案したとき、ストーカーは「だめだ」と答え、最後に“а вдруг у тебя тоже ничего не выйдет.”68と言い残して眠りに落ちる。字幕はこの部分を「もしお前にもしも 68

“Сталкер”380. ストーカーの最後のセリフを本章冒頭にしたがって、シナリオごとの変 遷を記す。②と③の「願望機」では、 「ほら、これがおれの友達だ。それ以上のことは俺 たちには何も起こらなかった。«Это вот мои друзья. А больше у нас пока ничего не получилось».」となっている。(②の深見弾訳は、これを「ほら、彼らはおれの友人だ。 …さしあたっては、これだけだ。おれが手に入れたものは…」と若干意訳している。)④ 映画撮影開始前のシナリオでは、 「これはおれの友達だ。要するに、もうおれはもう二度 とあそこへは行かない。 」(To be brief about it, I'm never going there again.[Tarkovsky, 1999, 415] / Ce sont mes amis… Bref, je n'irai plus jamais là-bas.[Tarkovski, 2001b, 266])となってい る。②③の「何も起こらなかった」という言明は、形を変えて、完成した映画に残って いる。④の「おれはもう二度とあそこへは行かない」の一文は、妻に言うセリフとして 映画でも残されているが意味合いは違っている。映画でのそれは、主体の妻への移行に 応じ、絶望したストーカーが妻に漏らす「泣き言」としての意義しか持たないのに対し、 ④でのそれは、ストーカーが主体的に発する希望を感じさせる宣言である。②③の「何 60


のことがあったら」と訳している。その訳であれば、妻の身を案じるストーカ ーのせりふとして、既に論じてきたことに取り立てて付け加えるべき問題はな い。しかし、この一文は言葉どおりに訳せば、「もしかしたら、お前にも、何 も起こらないかもしれない」となる。字幕が無難な解釈に封じ込めた謎めいた 一文から拡がる解釈の可能性を探究する。 曖昧な一文は多様な読みが可能である。解釈の分岐は、(A)「も」тоже と いう助詞によって「お前」に並列されている人物、(B)想定されている場所、 (C)「起こらない」とされる出来事の三点において生じる。 (1)解釈 I:「ゾーンに行っても何も起こらない」 (B)の分岐を先に取り上げる。ストーカーは、「どこ」に行っても「何も 起こらない」と言っているのか。想定されている場所を、ゾーンとするか(I)、 部屋とするか(II)によって、解釈はわかれる。 ゾーンとした場合、「何も起こらない」という言葉は、「危険なことは何も 起こらない」という意味が確定する(Cの分岐はない)。次に、「お前」(= 妻)に「も」という助詞で並列しているのは誰かという問題がある(Aの分岐)。 ひとつの道は、ゾーンから無事に帰還した作家たちと並列しているとする解釈 (I-i)、もう一つの道は、発話主体のストーカー自身が並列されているとする 解釈(I-ii)である。いずれの場合も、無事に帰還できた理由、ゾーンがどのよ うな人間を通すのかが問題となる。 草原で、ストーカーが作家たちにゾーンについて説明する場面では、作家の 「善人を通して悪人を殺すのか」という問いに、ストーカーは「わかりません が、ゾーンはもはや希望が少しもなくなった人間を通すように思えます。善人 か悪人かではなく。善悪に関係なく、不幸な人を。」69と答えている。この言葉 を参照する場合、ストーカーは、妻を、希望を失った不幸な人間と認識してい ることになる。これは、出発前の場面には相応しいが、帰還後の展開とは合わ ない。また、作家が「肉挽き機」を無事通り抜けた場面では、ストーカーは作

も起こらなかった」および、④の「おれは二度とあそこへは行かない」は、これまでの 展開を覆す意味を持ち、本項で検討する映画の最後の言葉につながる原型を見ることが できる。 69 Нет, не знаю. Не уверен. Мне-то кажется, что пропускает она тех, у кого… надежд больше никаких не осталось. Не плохих или хороших, а… несчастных(“Сталкер”360) 61


第1章

信仰・死・共同体

家に「あなたは素晴らしい人なんですね」70と言っており、素晴らしい人だから 通り抜けられたとも解釈できなくはないが、その解釈は平板たることを免れな い。 次に、(A)の分岐で、ストーカー自身が並列されているとする道をとる場合 (I-ii)、ストーカーの言葉は、妻も「俺と同じだ」という意味になる。ゾーン を行くという文脈に即して言えば、ゾーンに通じたストーカーと現在の妻は同 じ境地に達しているから「何も起こらない(=大丈夫だ)」という意味で理解 される。その言葉は、妻の境地を表す言葉として理解される。この解釈は、先 に検討してきた、続く妻の描写に合っている。 (2)解釈 II:「部屋に入っても何も起こらない」 (B)の分岐において想定される場所を「部屋」と解釈する場合(II)、「部 屋に入っても何も起こらない」という意味になる。「部屋に入った(α)が、何 も起こらない(β)」というこの言葉は、帰還後の妻の変容と同様、ここまでの 筋の展開を覆す面を持つ。関連する場面を三つ挙げる。 a.

ストーカーは、休憩をとる場面で、「幸せになった人間を見たことがない」 という作家に対して、「私もです。ゾーンから帰った後、その人には二度と 会いません。それに、願いはすぐには叶いません。」と言っている71。

b.

同じ場面で作家に「君自身はこの部屋を利用して得しようと思ったことは一 度もないのか?」72と聞かれ、「私はこのままでいいです」73と答えている。

c.

敷居の場面では、作家に「お前たちストーカーが部屋に入らないのは、秘密 の権力を堪能しているからだ」と言われ、それを否定して、「ストーカーは 部屋に入ってはいけないんです。ストーカーはそもそも利益を目的にしてゾ ーンに入ってはいけないんです。」74と答えている。(ヤマアラシが弟を失 い、その後首を吊ったのも、利益を目的に入ったことに対し罰を受けたのだ とするのがストーカーの理解である75。)

70

Вы, наверное, прекрасный человек! (“Сталкер”375) “Сталкер”365 72 А сами вы никогда не хотели этой комнаткой, э...попользоваться? (“Сталкер”365) 73 а мне и так хорошо.(“Сталкер”365) 74 Сталкеру нельзя входить в Комнату! Сталкеру... вообще нельзя входить в Зону с корыстной целью!(“Сталкер”376) 75 Он в Зону пришел с корыстной целью и брата своего загубил в "мясорубке", из-за денег...(“Сталкер”377) 71

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作家たちは部屋に入っていないので、II の場合、(A)の分岐の可能性は、ス トーカー自身(II-i)か、映画には出てこない部屋に入った第三者(II-ii)になる。 後者は a.と(β)の目撃の有無の点で矛盾する。前者の場合、b.および c.と、(α) の点で矛盾することになる。ストーカーが部屋に入ったことがないことは、部 屋の奇蹟の真偽を留保し、作家が示す懐疑に一定の説得力を持たせるために必 要な前提であった。(α)は、そうした前提を覆す。また、(β)は、部屋の奇 蹟の存在の否定になる。 こうしたこれまでの理解と合わない面が、この言葉が観客を戸惑わせる一因 になっている。しかし、帰還後の妻の変容を考えれば、それまでの展開を転変 させる展開にも可能性はある。問題は、それぞれの解釈の持つ射程である。そ の点において、解釈 II の妥当性は十分にある。 厳密に言えば、解釈 II において「何も起こらない」という言葉の意味は、(C) の分岐によって再び二通りに考えられる。一つは、部屋に入っても望みが叶う という奇蹟は起こらない、という意味(II-a)であり、もう一つは、部屋に入っ ても(ヤマアラシの事例が暗示するような)危険なことは起こらない(II-b)、 という意味である。但し、この分岐は、部屋が叶える「望み」が単なる望みで はなく「秘められた望み」「苦しみの末に得られた望み」であるとするとき、 一つに収斂する。そして、その収斂する中心点において、解釈 II の開く地平も 理解される。 ゾーンに、そして部屋に入ることは、自己を死することである。自己を死す るとき何が起こるのか。映画の中では誰も部屋に入らない。それを示すのは、 ゾーンや部屋とは直接は関わりのないところで起きる妻の変容である。妻の変 容を鏡のようにして、ストーカーおよびゾーンと部屋の働きと本質を理解する ことができる。妻はもうひとりのストーカーであった。ストーカーの場合、妻 と同じ変容が、ゾーンあるいは部屋との関わりにおいて実現したのだと想定さ れる。すでに自己無化を果たしたストーカーは、もはや部屋に入る必要はない し、入ったとしても何も起こらない。死を潜り抜け変容を遂げた妻もまた同様 である。解釈 II において、ストーカーの言葉はそのことを表していると理解さ れる。 結論として、 本書が可能性として残す解釈は、 妻の境地を表すとする解釈 I-ii、 および、ストーカーとゾーンのありようを映す解釈 II-i の二つである。二つは、

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第1章

信仰・死・共同体

(A)の分岐で、「も」という助詞が並列するのがストーカーであるとする点で 共通する。二つは、(B)の分岐の、場所をゾーンとするか部屋とするかの点で 分かれる。それぞれの解釈が照らし出す面は異なる。しかし、二つの道は、そ の後に描かれる妻の境地を介して合流し、その先に、自己無化という根本思想 を指し示している。

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第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ ―『ノスタルジア』のドメニコの検討―

『ノスタルジア』 ( ostalghia, 1983)の制作はイタリアで行われた。脚本は、 詩人であり、フェリーニの映画の脚本も担当しているトニーノ・グエッラがタ ルコフスキーと共同で執筆する。グエッラとの共同作業は、『鏡』完成(1975)後 の 1976 年に、 『ハムレット』の上演準備と並行して、すでに始まっている1。そ の後、『ハムレット』(1977)の上演と『ストーカー』(1979)の制作後、『ノス タルジア』の準備のため、タルコフスキーは、1979 年に2回(2 月~4 月2と 7 、1980 年に1回(4 月~8 月4) 、イタリアへ赴いている。 (その旅の過 月~9 月3) 程は、グエッラと共同制作のドキュメンタリー『旅の時』に収められる。 )そし て、1982 年 3 月 7 日に、 『ノスタルジア』制作のため、イタリアへ移動5し、完 成(1983)後もイタリアにとどまり、1984 年に事実上亡命宣言となる記者会見 を行う6。 映画の物語の概要を確認する。主人公のロシア人アンドレイ・ゴルチャコフ は、イタリア人の通訳エウジェニアとイタリアを旅し、ピエロ・デッラ・フラ ンチェスカの《出産の聖母》 (Madonna del Parto)がある礼拝堂を訪れる。しか し、ゴルチャコフは行くのを拒み、エウジェニアは、一人で入っていく。エウ ジェニアは、礼拝堂の寺男(sagrestano)と言葉を交わした後、 《出産の聖母》の 前で、御輿に載せて運ばれてきた聖母像に女たちが祈り、聖母像の腹の中から

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1976/8/5(Мартиролог:160, 『 日 記 』 :221), 8/22(Мартиролог:161, 『 日 記 』 :224), 8/29(Мартиролог:162, 『日記』:226), 10/20(Мартиролог:164, 『日記』:231), 11/13(『日記』 232, Мартиролог には記載がない。) 2 1979/2/12~4/10 (Мартиролог:197-203, 『日記』:286-294) 3 1979/7/16~9/17 (Мартиролог:211-229, 『日記』:342-376) このときの日記は「イタリア 旅行」と題して別になっている。 『旅の時』に収められたのはこの時の旅であると思われ る。 4 1980/4/11~8/3 (Мартиролог:268-303, 『日記』:401-441, 日本語版『日記』には 7 月 25 日までの記載しかない。)この旅では、『旅の時』の編集に携わっている。 5 1982/3/8 (Мартиролог:392, 『日記』:496,『日記 II』:46) 6 1984/8/8 (Мартиролог:532, 『日記』:536, 『日記 II』:166)『日記』では「7 月 11 日(記 者会見直後)」となっているが、7 月 11 日は記者会見の日付であり、記載したのは『日記 II』とロシア語版が記すとおり 8 月だろう。 65


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

無数の鳥が羽ばたき出るのを目撃する。 ゴルチャコフは「ロシアの詩人」であり、18 世紀にイタリアで活躍したサス ノフスキーという作曲家7の伝記を書くために、その足跡を追っている。ゴルチ ャコフは、シエナの聖カタリナ8縁の温泉 Bagno Vignoni で、ドメニコという狂人 扱いされている男に出会う。ドメニコは七年間世界の終りを信じて家族を家に 閉じこめたという過去を持つ。ゴルチャコフは、ドメニコに関心を抱き、エウ ジェニアに頼み、ドメニコの家に会いに行く。ドメニコはゴルチャコフに「家 族だけではなく、世界を救うべきだった」と言い、自分の代わりに「ろうそく を持って温泉を渡ってほしい」と頼む。そして「自分もローマでもっと大きな 事をするつもりだ」と語る。 「ノスタルジア」と「犠牲的行動」という二つの柱が確認される。映画の前 半では、主人公ゴルチャコフの「ノスタルジア」が中心になる。 「ノスタルジア」 は、エウジェニアが、ゴルチャコフのことを理解できず、二人の仲が決裂に至 る原因である。また、ゴルチャコフがドメニコに関心を抱く背景にも、この「ノ スタルジア」がある。もう一つの柱は、映画後半に描かれるゴルチャコフとド メニコの「犠牲的行動」である。ゴルチャコフの行動も、ドメニコに頼まれて のものである。したがって、ドメニコが、 「犠牲的行動」の鍵を握っている。本 章では、ドメニコという人物を取り上げる。 映画の中でのドメニコの重要性は、以下の三点にまとめられる。 第一に、物語の展開の上での重要性である。ゴルチャコフとドメニコとの出 会いは、ゴルチャコフとエウジェニアの決裂を引き起こす一因であり、また、 ゴルチャコフがロシアへ帰ることを延ばし、イタリアの聖カタリナの温泉に死 に場所を定めることになる重要な契機である。 第二に、ドメニコは、観客の受容と映画の理解の面でも重要である。ゴルチ ャコフがドメニコのことを知ったときの反応、そして、ドメニコに会うことを 切望し、会いに行く場面の描写は、多くを語らないゴルチャコフの内面を理解 する鍵である。 第三は、作者タルコフスキーの思想の理解の上での重要性である。ドメニコ 7

サスノフスキーという架空の人物は、マクシム・ベレゾフスキーという実在の作曲家が モデルとなっている。 8 聖カタリナについては、同時代の深い交流のあったライモンド・ダ・カプアによる著 (1991)及び、池田敏雄(1980)を参照。今は保養地となっているこの温泉は聖カタリ ナの苦行の場であった。 66


という人物には、タルコフスキーの思想が託されていると考えられる。中でも、 映画後半のドメニコの演説と焼身の場面の表現は、タルコフスキーの表現力が 凝縮されており、いくつかの謎とともに、その場面の重要性、つまりはドメニ コという人物の重要性を語っている。 ドメニコはイタリア人だが、その描写の原型は、ロシアの宗教的伝統である 「ユロージヴィ」について 「ユロージヴィ」 (юродивый)にある9。第一節では、 概説する。第二節では、映画全体におけるドメニコという人物の位置付けを概 観する。第三節では、ドメニコの登場する温泉の場面でのドメニコの振る舞い と、ドメニコの家の場面を考察する。第4節では、映画後半のドメニコの演説 と焼身の場面について検討する。 検討には、日本で発売されている DVD(パイオニア) 、劇場公開用パンフレッ ト『Cine Vivant No.4 ノスタルジア』所収の採録シナリオのほか、イタリア語で 交わされる会話の検討には、イタリアで発売されている DVD(01 Distribution) が表示するイタリア語字幕を用いる。この字幕は聴覚障害者のために付けられ たものであり、実際の会話のすべてを記すものではなく、問題も多いが、暫定 的資料として使用する。

第一節

ユロージヴィについて

第1項 ユロージヴィの伝統 「ユロージヴィ」とは、中世のロシアに活動していた「聖なる愚者」、「宗教 狂人」である。 「ユロージヴィ」はドストエフスキーの小説にも多く登場するこ とでも知られる10。「ユロージヴィ」とは、「キリストを愛するあまり」、自らも キリストたらんとし、キリストと同じ苦悩を背負おうとする「自発的受難」者 である11。ユロージヴィは、異端ではなく、列聖されている者も少なくない。そ の伝統は、ロシアの最初の列聖者であるボリスとグレープにまで遡る。二人の 死は、いわゆる「殉教」ではないにもかかわらず、受動的に苦を背負ったその

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Тарковский (1985e) “1+1=1―Надцись на стене у юродивого Доменико” 江川(1994)、および、井桁(1989:206 以下)を参照。 11 ユロージヴィの正当性は、『聖書』の次のような箇所を根拠とする。「人もしわれに従 い来たらんと思わば、おのれを捨てよ」 (『マタイ伝』14、24-25。 『マルコ伝』8、34)、 「わ れらはキリストのために愚かなる者となり」(『コリント前書』4、10)。 10

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第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

ことによって列聖された12。そのことは、正教を伝えた総本山である当時のギリ シア教会にとって驚きに値した。二人に始まる「自己無化」の伝統は、聖フェ オドシーらを経て、ユロージヴィへと連なり、ロシア正教の独自性を象る13。中 村喜和は「ロシアのキリスト教信仰の歴史の中には、正常の理性を失った者を 神に近いものとして尊崇する伝統があった。」14と述べる。中村喜和はユロージ ヴィに「瘋癲行者」の訳語を当て、次のように論文を結んでいる。 愛と痴愚、神聖と狂気がロシアにおけるほど密接に結びついていたところ はない。瘋癲行者のなかにもっともロシア的な愛の英雄の姿が具現されて いたのだった。…本来的な意味での瘋癲行者とは、キリストを愛するあま り、世俗の常識からみて痴愚、あるいは狂気にいたった者である。語源的 には「不具者」に由来する「ユロージヴィ」は、いわば精神の不具者であ る。 「健全な」精神と「正常な」理性をもつ普通人には到達できない真理を、 かえって不具者が体得実践すること、あるいは愛の純潔を守るためには狂 気の面をかぶらざるをえないことは、人間社会における痛烈なアイロニー というほかない。15 第2項 タルコフスキーのユロージヴィへの関心 タルコフスキーの映画に登場する主要な人物は、しばしばユロージヴィを原 型とする。 『ストーカー』 (1979)におけるストーカーとその妻、 『サクリファイ ス』 (1986)におけるアレクサンデルとマリアなどもその典型的事例である。 『サ クリファイス』の登場人物たちについて、タルコフスキーは、晩年にまとめた 著書の中で次のように書いている。 オットーにとっても、アレクサンデルの小さな息子にとっても、彼の召し 使いマリヤにとっても、この世界ははかりしれない神秘(奇蹟)にみたさ れている наполнен непостижимыми чудесами。彼らは現実の世界ではなく、 12 “Although they were not martyrs for the faith, but victims in a political quarrel, they were both canonized, being given the special title of ‘Passion Bearers’: it was felt that by their innocent and voluntary suffering they had shared in the Passion of Christ. Russians have always laid great emphasis on the place of suffering in the Christian life.” (Ware, 1993:79). また、Fedotov(1960) も参照。ボリスとグレープの物語は、邦訳では、『ロシア原初年代記』(1984)第八章。 13 トルストイの晩年のいわゆる無抵抗主義も、この伝統の後裔に位置づけられる。 14 中村喜和(1990:240) 15 中村喜和(1990:272)

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想像の世界にいるのだ。…彼らのするすべてのことが、本質的に〈通常〉 «нормальных»の振る舞いと異なっている。彼らは古いルーシの人々が聖者 блаженных やユロージヴィ юродивых の中に認めていた、あの才能 даром をもっている。16 「世界がはかりしれない神秘(奇蹟)に満たされていること」、「するすべて のことが本質的に〈通常〉の振る舞いと異なっていること」 、そして、特殊な「才 能 the gift」を与えられていること。この三点は相互に不可分の関係にある。狂 気にいたることは、負ではなく正の価値を持つ。 〈通常〉の振る舞いと異なるこ とと引き換えに与えられた才能は、「「健全な」精神と「正常な」理性をもつ普 通人には到達できない真理」を見る力として、肯定的に評価される。 「ユロージヴィ」は「神がかり行者」とも訳される。その伝統には、次のプ ラトンの神がかりの狂気についての叙述の反響を聞くことができる。 ――狂気という。しかり、人がこの世の美を見て、真実の美を想起し、翼 を生じ、翔け上がろうと欲して羽ばたきするけれども、それができずに、 鳥のように上の方を眺めやって、下界のことをなおざりにするとき、狂気 であるとの非難を受けるのだから。…この狂気こそは、すべての神がかり の状態のなかで、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかる 者にとっても、もっとも善きものであり、またもっとも善きものから由来 するものである。17 この世の規範は、二分法を原理とし、逸脱=狂気を排除することによって成 立する。規範の〈外〉にある聖なるもの、天上の美に触れ、上界に向かう者は、 この世の規範を外れ、逸脱する者は、「狂気であるとの非難を受ける」。聖なる ことは、〈外〉に触れることであり、狂気と別ではない。「狂」は「聖」を証す るものとして、否定的評価から肯定的評価へ、しかも善のイデアにあずかるも のとして最大級の肯定へと転じる。 聖性を映画において探求するタルコフスキーが、自己の伝統に目を向けユロ ージヴィに関心を注ぐのも、そこに狂気の価値と可能性を見たからにちがいな 「神なき時代」の今日にあって、世俗化した制度的 い。ユロージヴィの伝統は、

16 『映像のポエジア』337(英訳 Tarkovsky, 1996:227)。ロシア語は初出掲載の Тарковский (1987a)を参照。 (インターネットに公開されているロシア語版(Запечатленное время)は、 本第 9 章は、英訳版からの翻訳である。) 17 プラトン『パイドロス』(249D-E)

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第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

宗教以外のところで真に豊かな精神性を可能にする。 第3項

見世物、あるいは社会的プロテストとしてのユロージヴィ

パンチェンコは、ユロージヴィの行いは「超法規的」な功業であるとする。 「瘋 癲の行とは自発的に行なわれるキリスト教的功業であり、修道院規則に規定さ れない、いわゆる「超法規的」な功業(opera supererogatoria)のひとつなのであ る。 」その「超法規的」な功業は、民衆とのダイナミズムの中で、教会の儀礼の 中で次第に色褪せてゆく「 『永遠の真理』を更新し、情熱をよみがえらせるよう な働きをするのである。 」18 パンチェンコはユロージヴィの社会的機能について「見世物」と「社会的プ ロテスト」に二つの観点から光を当てている。 瘋癲の行の能動的な側面は、「俗生を罵る」という責務にある。すなわち、 俗世にあって人びととまじわって暮らしながら、強者と弱者の悪徳や罪を 暴き立て、社会的な礼儀作法に意を払わないことである。これにとどまら ず、社会的な体面に対する軽視は瘋癲の行の一種の特権、必要条件ともな る。瘋癲行者は時と場所をわきまえず、神の教会で勤行の最中にすら「俗 世を罵る」のである。「天の恵みは最悪の者の上にある」、これが瘋巓行者 のモットーである。19 ユロージヴィは、世俗から離脱する。しかし、俗世との関係を完全に切るの ではない。ユロージヴィは、人々から笑われる位置に立つ。そして、そのこと によって、笑われながら、逆に、俗世を笑い飛ばし、俗世を罵り、俗世を告発 する力を得る。ユロージヴィの立つ〈外〉は笑われる場所であると同時に笑う 場所でもある。ユロージヴィが体現する聖と狂の一体的二面性は、こうした民 衆との動的関係という面も持っている。 「犬」というシンボルによって、ユロージヴィは、 価値の転覆、自然への帰依、 キュニコスの姿に近づく。山川偉也(2008)は、 「世界市民」という観念を中心 に、ソクラテスからキュニコスを経てマルクス・アウレーリウスへと続く流れ を描出しているが、ユロージヴィの伝統に掉さしながら、もう一方でマルクス・ アウレーリウスの思想を継ぐドメニコという人物にもその流れを指摘できる。 18 19

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パンチェンコ(1989:161) パンチェンコ(1989:151)


第二節

ユロージヴィとしてのドメニコ

第1項 ドメニコの登場する場面と設定 ドメニコの登場する場面は、A1 :聖カタリナ縁の温泉(図1) 、A2 :ドメニコ の家(図2~3) 、A3 :ローマの広場での演説の三つである。 登場場面のほか、ドメニコに関わる設定として、以下の三つが重要である。 B1 :犬(ゾーイという名で呼ばれる)をいつも連れていること、B2 :家(A2 の舞 台)が教会の近くにあること、B3:世界の終わりが来るという理由で、家族(妻 と子供)を7年間、家に監禁した過去があること。 B1 はすべての場面で見られる。犬は、第一に、ユロージヴィの象徴である。 パンチェンコは、 「中世ロシアの正教文化において犬は瘋癲行者の象徴だった」 20

と述べている。また、犬は、ドメニコの、孤独、狂気といった側面を表す働き

を持つ。最初の登場場面(A1)で、ドメニコは、次のように犬に向かって話し かけながら現れる。 「どんなことが起こっても関わりを持ってはならない。聞いたか、彼らの話を、彼ら の関心を。お前は、別の生き方をしなければならない。…なぜ彼らが湯に浸かってい 21

るか知っているか。彼らは永遠に生きたいんだ。」

このつぶやきには、ユロージヴィの、俗世から離脱するとともに俗世を笑う 両義性を聞き取ることができる。また、俗世に距離を置き、染まることを拒絶 し、理想を保とうとする身のあり方に、映画後半の演説に見られるマルクス・ アウレーリウスの思想との共鳴を聞きとることもできる。 ドメニコの連れている犬は、ゴルチャコフのロシアの故郷の犬とよく似てお り、二人を結びつける役も負っている(夢の場面に登場する犬については次章 第二節第 4 項参照) 。 B2 の教会の傍に住んでいるという設定も、ユロージヴィの姿と一致する。パ ンチェンコは次のように述べている。 「瘋巓行者は乞食と同じように、ふだんは 教会の入り口のあたりに住んでいる…教会の入り口は俗世間と教会世界とをへ 20

パンチェンコ, 1989:236).また、 『世界シンボル辞典』にも、 「犬は現世と来世の境界の 見張り人、通路の守護者、冥界の守護者、死者の付き人、魂の導者」 (クーパー, 1992:78) と書かれている。 21 Qualsiasi cosa succeda, non immischiarti. Hai sentito i loro discorsi, i loro interessi? Tu nella vita devi essere diverso…. Sai perché stanno in acqua ? Vogliono vivere eternamente. 71


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

だてる境界線であり、ゼロ度の空間である。 」22。 B3 はドメニコが狂気のレッテルを貼られる主要因であると同時に、信仰の問 題とも深く関わっている。B3 は、A1 の登場人物の会話の中で語られる。 女:なぜ彼が笑われているの? 将軍:世界の終わりを待ちながら、家族と家の中に閉じこもった。 女:宗教的な発作だったって聞いたわ。 男 1:くだらない。妻への嫉妬さ。女房は彼を残して子供とジェノバへ逃げた。 将軍:とんでもない。彼は気が狂った。それだけのことさ。 男 2:いや、ただ怖かっただけさ。 女:何が怖かったの? 男 2:すべてさ 女:あなたたちは間違っているわ。彼は大いなる信仰の人よ。 将軍:大した信仰だよ。家族を 7 年も閉じ込めるなんて。 男:家のドアが破られたとき、子供が逃げ出して、あの男が追いかけたんだ。子供を 殺すんじゃないかと思ったよ。23

温泉の人々の会話は、ドメニコの過去を説明しながら、多様な複数の解釈(宗 教的な発作、妻への嫉妬、狂気、恐怖、信仰)を織り交ぜている。 (こうした多 様な反応は、後述するドメニコが聖カタリナへの言葉を披露した時の反応にも 現れる。ドメニコの言動に対し、嘲笑、喝采といった反応の中で、一人の女性 は「彼を馬鹿にするのはやめなさい。彼は馬鹿ではないわ。彼は博士号も持っ )こうした複数の評価は、それ自体、ドメニコの多義的 ているのよ。 」と言う24。 な社会的位置づけを示している。

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パンチェンコ (1989:237) Perché lo deridono ?/ Si chiuse in casa con la famiglia aspettando la fine del mondo./ Dicono che sia stata una crisi religiosa./Balle, è per gelosia verso la moglie./ Lo ha lasciato ed è scappata con i figli a Genova./ Macché, quello è matto e basta./ No, è soltanto paura./ Di cosa aveva paura? / Di tutto./ Vi sbagliate, è solo un uomo di grande fede./ Troppa fede, tenere chiusa la famiglia per 7 anni! / Ho visto quando hanno buttato giù la porta délla casa,/ il figlio scappava e lui lo rincorreva,/ temevamo volesse ucciderlo ! 24 こうした知性の暗示も、ユロージヴィと一致する点の一つである。 23

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図 1 第2項

図 2

図 3

ドメニコの言動とゴルチャコフの反応

A1 の前項の会話の後、ドメニコは、エウジェニアとの間に次のような会話を 展開する(図 1) 。 ドメニコ:彼の彼女への言葉を忘れるな エウジェニア:彼って誰? ドメニコ:(天を指す) エウジェニア:じゃあ、彼女は? ドメニコ:(呆れ気味に)聖カタリナだよ。 エウジェニア:主は聖カタリナに何と言ったの? ドメニコ:汝は、在らぬものであるが、我は在るものである。25

ドメニコは、最後の一文において、キリストの言葉を、間接話法ではなく直 接話法で語る。直後に聴衆の一人が発する、 「このドメニコが聖カタリナと話し たのか」26という言葉は、第一義的には揶揄してのものだが、その言葉はドメニ コの振る舞いを言い当てている。ドメニコは、目の前に聖カタリナがいるが如 く語る。その姿は、キリストを演じ、キリストと聖カタリナの対話を再現する。 その振る舞いは、特定の誰かではなく、不特定の人々の耳目を集め、その場 に居合わせる人々を聴衆として巻き込むパフォーマンス的性格を持つ。ドメニ コの言動に対して、人々は、喝采( 「ブラヴォー、ドメニコ!」 ) 、嘲笑、賞賛と いった多様な反応を示す。そこには、パンチェンコが述べるユロージヴィの見 世物的性格との類同性を見ることができる。 ドメニコの言動とそれに対する人々の反応を見た後、ゴルチャコフはイタリ 25

Non dimentichi quello che lui ha detto a lei./ Chi è lui? /E lei? /Santa Caterina! / Cosa ha detto Dio a Santa Caterina? / “Tu sei quella che non è. Io, invece, colui che sono.” 26 Questo Domenico parla con Santa Caterina ? 73


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

ア語で次のように言う。 ゴルチャコフ:なぜ彼を気違い pazzo だと言うんだ。彼は気違いなんかではない。信 仰 fede の人だ。 エウジェニア:イタリアにはこうした気違いが多いのよ。精神病院は開いているけど、 親族はそこに近づかない。多くの人は閉じ込もらなければならない。 ゴルチャコフ:狂気 follia とは何だろう。彼らは人々を狼狽させ、人々から厄介者扱い される。誰も理解しようとしない。彼らはひどく孤独だ。しかし、確かに、彼らは より真理に近い Ma di sicuro, sono più vicino a verita。27

その後、エウジェニアに「ドメニコが温泉をろうそくを持って渡ろうとして 人々に止められている」という話を聞いて、すぐにドメニコに会って話したい と言い始める。 中村喜和は、先の引用で「 『健全な』精神と『正常な』理性をもつ普通人には 到達できない真理を、かえって不具者が体得実践すること、あるいは愛の純潔 を守るためには狂気の面をかぶらざるをえないことは、人間社会における痛烈 なアイロニーというほかない。 」と述べていた。ゴルチャコフの言葉は、映画に おけるドメニコのユロージヴィとしての位置を明確に表わしている。 ゴルチャコフがドメニコを「信仰」の人として、会いたがる。そこには、ゴ ルチャコフが自らの抱える問題(「ノスタルジア」)の性質が反映している(次 。 章で詳述) 狂気の肯定的評価への転化についてはすでに述べた。ここでは、それと相関 する「真理」概念について敷衍する。 ゴルチャコフ=中村は、 「狂人」は真理に近いと言う。中村に従えば、 「狂人」 が真理に近いのは、真理が「 『健全な』精神と『正常な』理性を持つ普通人には 到達し得ない」からである。そのようなものとしての「真理」とは、日常的生 と両立し補完しあう近代的科学的真理ではない。狂気のみが近づける真理とは、 それを見ることが「健全な」精神と「正常な」理性の破壊と引き換えであるよ うな真理である。 「健全な」精神や「正常な」理性に守られた日常的生は、その ような真理を隠蔽し排除することで成り立っている。ユロージヴィたるドメニ コは、日常的生を滅するほどに真理を見てしまった者、真理に貫かれた結果と 27 Perché dicono che è pazzo ? Lui ha fede./ In Italia ce ne sono molti di questi pazzi. Hanno aperto i manicomi, ma i parenti non li vogliono, i diversi devono rinchiudersi../ Non si sa cosè la follia./ folli ci disturbano, sono scomodi./ Noi non vogliamo capire, loro sono molto soli, ma di sicuro, più vicini alla verità.

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して日常的生を逸脱した者として位置付けられる。 そのように理解するとき、狂気と引き換えに得られた真理と、世界の終わり を信じ七年間家族を閉じ込めたこととの間に相関性が浮かび上がる。 第3項 聖カタリナの聞いた言葉と世界の終わり ドメニコは世界の終末が来るといい、七年間家族を閉じこめたという過去を 持つ。A1 では温泉の人々の口で語られ、ドメニコの家の場面(A2)では、ドメ ニコの回想の形で、閉じ込めていた家が開かれたときの様子がモノクロームで 描かれる。 「 『正常』で『健全』な理性」は、聖カタリナが聞いた言葉はありがたい言葉 として受け止める一方で、世界を終わりを信じて七年間家族を閉じ込めたとい う振る舞いは、理解し得えず認めがたい、負の意味での狂気の言動だと考える かもしれない。しかし、ドメニコの中で、この二つは、結びついており、二つ のことではない。そして、今、迫りたいのは、そのドメニコの認識である。 聖カタリナが聞いた言葉についての検討から始める。ドメニコが披露する主 の聖カタリナへの言葉とは、 「汝は、在らぬところの者、我は在るところの者で 『出エジプト記』第 3 章 14 節におけ ある。 」というものである28。この言葉は、 る神がモーゼに語った言葉に遡る29。 『出エジプト記』の同箇所のヘブライ語の原語は、’ehyeh ’asher ’ehyeh であ る。’ehyeh は、 「ハーヤー」という動詞の一人称単数未完了形である。有賀鐵太 郎によれば、 「ハーヤー」は、いわゆる存在ではなく、 「 『成る』 『生起する』 『は たらく』などの意を含む『ある』」30である。神は創造する働きそれ自体のうち 「私はある者である Ἐγώ εἰμι ὁ ὤν」と訳した「七十人訳聖書」 にある31。有賀は、 Septuaginta との間には決定的断絶があると見る。 ウルガータ訳 は“ego sum qui sum”と訳す。ウルガータ訳にあたって、ヒエロ

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ライモンド・ダ・カプア(1991:80)第一部第十章。Jorgensen (1920:68). 「神はモーセに言われた、 「わたしは、有って有る者」。また言われた、 「イスラエルの 人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところ へつかわされました』と。」 30 有賀鐵太郎(1969:206) 31 有賀(1969)第一部第五章及び第六章を参照。有賀のハヤトロギアへの注目は、宮本 久雄の展開による。宮本久雄「アブラハムの受難と他者の地平」(宮本他, 2006 所収)。 29

75


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

ニムスは、ヘブライ語のテキストに基づいたとされる。ヘブライの原義すべて を組み尽くすものではないが、七十人訳に比べれば、幾分かは原義に近い32。イ タリア語訳 Io sono colui che sono は、ウルガータ訳 ego sum qui sum に基づく。 聖カタリナの伝承は、その流れを汲みながら、そこに、自らは「在らぬもの である」とする一文が付け加え、神と人の違いを「在るもの」と「在らぬもの」 の対比として提示する。 池田は、この言葉を、ヨルゲンセンを引きながら、聖カタリナの霊的生活の 根底にある「虚無についての深い認識」と関連付けている33。自らを「在らぬも の」とする規定には、自らの存在が虚無と背中合わせ、虚無と引き換えである ことの自覚を含む34。それは、通俗的プラトン主義的二元論のように、この世の 非実在に対して、この世とは全く別のところに天上の真実在を対置するのでは ない。この場合、 「在らぬもの」と「在るもの」の対比は両者の関係を含む。そ の関係は、もとより二つの存在者の関係ではない。 「在らぬもの」と「在るもの」 の関係を信仰という主題から考えるとき、その関係は、人間の側から言えば、 自らの存在を神に負うとする認識である。その際、ヘブライ語の原テキストの 「在らしめる」 生成という原義が重要になる。真の意味で「在る」と言えるのは、 はたらきだけである。「在らぬもの」が含む否定性は、「在る」に「在らしめら れて」いることにある。ドメニコが再現する聖カタリナが聞いた言葉、ドメニ コの呼びかけも、そのように理解される。 生きとし生けるものの全存在が、神によって在らしめられているとする考え は、特別なものでなく、キリスト教一般に認められるものである。分水嶺は、 神による創造の理解の仕方にある。神による創造を過去の一度きりのものとし て理解するとき、近代化の道が開かれる。神の創造の理解の通俗化、信仰の形 骸化の由来もそこにある。 「忘れるな」という呼びかけ、そして、直接話法で語り、再現するドメニコ の言動が想起させるのは、現に今ここにおいて、神が「在る者」であり、人間 が「在らぬ者」であることである。神の在らしめるはたらきは、今尚生起しつ 32

有賀は「ラテン(ウルガタ)訳を見ると Ego sum qui sum とあって、これは原語によほ ど近い意味に解されうるのであるが、それに続く文章では qui est に変わっている。」と述 べている。(1969:183) 33 池田(1980:26)、Joergensen (1920:70) 34 ライモンドは次のように説明している。 「実際、被造物はあらゆる面で『無』によって 限られている。被造物は『無』から出て『無』に向かっている。」(1991:84) 76


つあることして理解される。 世界創造は現在の一瞬一瞬の生起である。その生起は一瞬ごとの終末と引き 換えである。ドメニコが見た終末は、私たちを在らしめているもの、つまり生 の根源にある《われわれの生をたった今の一瞬ごとに在らしめる創造作用》35だ ったのではないか。そう理解するとき、タルコフスキーがユロージヴィをモデ ルとした人物について述べた、 「世界ははかり知れない神秘(奇蹟)にみたされ ている」 (本章第一節第 2 項)という言葉にも近づくことができる。世界は一瞬 ごとに在らしめられている、それ自体が奇蹟となるからである。 ドメニコが世界の終末を見、家族を閉じ込めたということ、 「忘れるな」と呼 びかける聖カタリナの聞いた言葉、それは別のことではない。ゴルチャコフ= 中村が言う狂気のみが近づける「真理」もまた同様である。 A2 では、ドメニコの苦悩する姿も描かれる(図 4) 。ドメニコの「回想」の中 で、閉じこめられた家族が外へ出たとき、ドメニコの子供が走りだし(図 5) 、 「パパ、これが世界の終りな 父に無垢な瞳で真直ぐに見つめながらこう尋ねる。 の?」 (図 6) 。少年の疑問は、ドメニコを苦しめる。それは、一つの分岐点であ る。一つの道は、世界の終わりを信じた認識を誤りとし、それを信じて閉じ込 めた行動を狂気と位置づける見方へと通じている。しかし、ドメニコは、別の 道を歩む。ドメニコは「家族だけを救おうとした自分はエゴイスティックだっ た」と言い、 「世界を救わなければならない」と語る。ドメニコが家族を閉じ込 めたのは、家族を誰よりも愛していたためである。しかし、 「家族だけを救おう とした」結果、家族を犠牲に巻き込んでしまった。ドメニコの苦悩と反省は、 世界の終わりについての認識ではなく、救う対象と方法へ向かう。家族と一緒 に閉じこもることは解決にならない。ドメニコが、道を正し「世界を救うため に」次に採る方法、その犠牲的行動について、次に検討する。

35

武藤剛史(1994) 77


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

図 4

第三節 第1項

図 5

図 6

ドメニコの犠牲的行動 ドメニコの演説の状況

ドメニコはローマの広場で、マルクス・アウレーリウスの騎馬像の馬の背に 乗り、演説をする(図 9) 。演説の内容について論じるに先だち、全体の状況に 目を向ける。 演説が進むにつれ画面に移る広場に掲げられた垂れ幕に、 「私たちは狂っては いない。私たちは本気だ。NON SIAMO MATTI, SIAMO SERI」と書かれている。 垂れ幕のメッセージの前半部分は、 「お前たちは狂人だ」というテーゼに対する アンチテーゼの形式をとっている。集会は、一般に狂人とみなされている人々 を主体とし、狂人と断定する一般者をアピールの対象としていると理解される。 後に見るように、ドメニコの演説も、主として、垂れ幕のメッセージが向けら れている宛先、すなわち「お前たちは狂人だ」というテーゼを発する一般者に 向けられる。しかし、その一般者はどこにいるのか。 場面は、シンプルな動き(垂直、水平のカメラの単調な移動)を伴った、息 の長いショットから構成されている。最初のショットでは、演説がオフで聞こ える中、カメラがゆっくりと水平に移動し、集会に参加している風変わりな格 好や姿勢の人々を捉える(図 7) 。 (ここではまだドメニコの姿は映らない。この )こ 第一のショットでは演説をしているドメニコの姿を見ないまま演説を聞く。 のショット前半に映し出される、奇妙な身なりの人々は、集会の主体の側、狂 気の側に立たされている人々だと理解される。 (演説を聞く人々に、明確な、一 定の方向付けを持った表情や感情を読み取ることはできない。ショットの前半 では、人々の身体の向きもバラバラで、集会の参加者や聴衆が普通ならもつは ずの一定の方向性が感じられない。 ) ショット後半が映し出す、階段のところに並んでいる人(図 8)が一般の聴衆 78


であると理解することが可能だが、階段に立つ人々は、静止したままであり、 ドメニコの演説に対し、全く反応を見せない。 (ドメニコが演説を終え、体に火 をつける段になって、ようやく、駆けつけたエウジェニアと、エウジェニアの 背後にパトカーから降りてきた警察官たちとその周りに数人の通行人が短いシ ョットで映しだされるだけである。 ) 聴衆が明確な反応を見せていた温泉の場面(A1)のパフォーマンスとは対照 的に、ドメニコの演説に対して、賛同するにせよ反対するにせよ、明確な反応 を見せる者は画面に映し出されない。 (後述するドメニコの焼身に際しても、基 本的にこのことは変わらない。例外として、ドメニコの身振りを模倣する一人 の狂人とドメニコが自らの身体に火を放とうとするとき立ち上がり吠え(鳴き) ) 始める犬のゾーイ36がいるが、演説の反応者ではない。 画面内の人物たちが反応を潜めることで、ドメニコの演説の成果は保留され る。と同時に、間接的な観衆である映画の観客の受容にも影響を及ぼす。観客 は、画面内に反応がないことで、ドメニコの演説に対して、先入見を抱く余地 なく、直に向き合うことを強いられる。 観客は、ドメニコの演説に対し、その場の空間の共有も生身の身体的交わり もなく、知覚を限定されている。しかしその裏面において、観客は、映画の観 客であればこそ可能な独自の仕方での参加を与えられる。映画の観客には、ド メニコの表情、足元の覚束ない状況などが、クローズアップやカメラの移動な どの技法と編集を通して効果的に提示される37。

36

主人の身に起ろうとしていることを察してそうするのだと理解できるが、犬が他界の 番人であるとする理解からは、別の解釈も生じる。つまりこのゾーイの振る舞いは、ド メニコの焼身が他界(外部)の現出であるという解釈を裏付けるものとして理解できる。 37 これらの技法は、近接するジャンルである演劇にはない映画独自の技法として、初期 の映画理論・実践が追求・探求してきたものである。ベンヤミンは、それらの理論及び 実践をふまえ、映画をはじめとする複製技術を「本質」とする「芸術作品」における革 命性を論じている(Benjamin, 1990)。提示の面に目を向ければ、それは、佐々木健一の 言う「芸術的コミュニケーション」の位相にあたる(1994:25-8)。佐々木の論は演劇に関 するものであるが、映画に対しても応用可能な面がある。映画における俳優に関しては、 ベンヤミンがピランデロを援用して語る、疎外状況があり、またアウラの消滅がある。 しかし、ベンヤミンは、 「映画の役者は装置の前に立って(演技をして)いる間、彼が最 終的に公衆と関わりあうことになることを知っている」 (Benjamin, 1990:492)とも述べて いる。 79


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

図 7 第2項

図 8

図 9

ドメニコの演説の検討

周囲の冷ややかさ無関心さが〈地〉となり、対照的に、ドメニコの演説の躍 動感が浮かび上がる。第二のショットで観客の視野に入る演説するドメニコの 表情は晴れやかで、それまでの場面では見せたことのない、生き生きとした姿 を見せる。ドメニコの家の場面(A2)で見せていた苦悩・苦悶する様子は微塵 もない。ドメニコは時に激しく、神がかったように、時にやさしく、歌うよう に語りかける。ドメニコのこの騎馬像の上での演説は魅力的なものであり、美 しく、詩的である。その演説は、ドメニコの人格的、思想的豊かさを物語って いる。 演説の全文を掲載する。後の検討の便宜上、番号を振り、区切りを示す。 ①いかなる祖先の声か。この私の声は同じ時には生きられない、頭と肉体の声だ。私 はもはやひとりの人間ではない。自分がいくつもの無限定の事物として感じられる。38 ②我々の時代の不幸は大いなる存在がいないことだ。我々の心の道は影に覆われてい る。声は聞くべきではないか。無用と思われる声でも。脳がいかに下水道や学校の壁 やアスファルトや福祉事業で詰まっていようとも、虫の羽音も入れるべきではないか。 我々の目に耳におおらかな夢の一端が見えて聞こえてよいではないか。ピラミッドを 造ると誰かが叫ぶべきなのだ。実現するしないは大事ではない。大事なのは夢を育み、 我々の魂をあらゆる所で果てしなく広がるシーツのようにのばしてやることだ。39

38

Quale antenato parla in me ? Non posso vivere contemporaneamente nella mia testa e nel mio corpo, per questo non riesco a essere una sola persona. Mi sento molte cose contemporaneamente. 39 Il male vero del nostro tempo è che mancano i grandi maestri, la strada del nostro cuore è coperta d'ombra. Bisogna ascoltare le voci che sembrano inutili, bisogna che nei cervelli occupati dalle lunghe tubature delle fogne e dall'asfalto entri il ronzio degli insetti. Bisogna riempire Ie orecchie e gli occhi di cose che siano all'inizio di un grande sogno. Qualcuno deve gridare che costruiremo le piramidi, non importa se non le costruiremo. Bisogna alimentare il desiderio, tirare l'anima da tutte le parti, come un lenzuolo dilatabile all'infinito. 80


(ここでドメニコの顔が映る。) ③世界が前を向くことを望むなら、手に手を取って一つになろう。いわゆる「健全な 人」も、いわゆる「病める人」も。健全な人よ、何があなたの健全さなのだ?人類は 今崖っぷちを見つめている。転落寸前の崖っぷちを。自由に何の意味があろう。あな たが我々を正視する心を持たず、我々と共に食べ、共に飲み、共に眠る心を持たない ならば。健全な人々がこの世を動かし、そして今破局の淵にきたのだ。40 ④人よ聞いてくれ!君の中の水よ!火よ!灰よ!灰の中の骨よ!骨よ!灰よ!41 (ゴルチャコフのシーンの挿入) ⑤どこに生きる?現実にも生きず、想像にも生きぬのなら。42 ⑥世界との新しい契約だ。夜に太陽が輝き、八月に雪が降る。大なるものは滅び去り、 小さきものが存続する。43 ⑦社会は再び一体となるべきだ。ばらばらになりすぎた。自然を見れば分かることだ。 生命は単純なのだ。原初に戻ろう。道を間違ったところにまで戻ろう。生命の始まり に!

水を汚さぬ所まで。44

⑧何という世界なのだ、狂人 pazzo に恥を知れと言われねばならぬとは!45 (下にいる者に「音楽を」と言い、ドメニコにガソリンが手渡される。「言い忘れた。」 と独り言をつぶやいて、紙に書かれた次の言葉を読む。) ⑨母よ、母よ、空気はこんなにも軽く顔にそよいでいる。微笑めばいっそう澄んでいる。 46

全体のトーンとして第一に指摘されるのは、現代社会への批判である。 「恥を 知れ」という言葉は、この世界が恥ずべきだという認識とそれに対する告発を 含む。以下、その批判について、 (1)効率主義への批判、 (2)自然への回帰、 40

Se volete che il mondo vada avanti, dobbiamo tenerci per mano, i cosiddetti sani e i cosiddetti malati devono mescolarsi. Ehi voi, sani! Cosa significa la vostra salute? Gli occhi dell'umanità guardano il burrone, dove precipitiamo. La libertà non ci serve, se non avete il coraggio di guardarci in faccia, di mangiare, di bere, di dormire con noi. Sono i cosiddetti sani che hanno portato il mondo sull'orlo della catastrofe. 41 Uomo, ascolta. In te acqua, fuoco e poi la cenere e le ossa dentro la cenere. Le ossa e la cenere. 42 Dove sono quando non sono nella realtà e neanche nella mia immaginazione ? 43 Faccio un nuovo patto col mondo, che ci sia il sole di notte e nevichi d'agosto. Le cose grandi finiscono, quelle piccole durano. 44 La società deve tornare unita non così frammentata. Basta osservare la natura per capire che la vita è semplice, e che bisogna tornare al punto di prima, dove avete sbagliato strada. Bisogna tornare alle basi della vita senza sporcare l'acqua. 45 Che mondo è questo se è un pazzo a dirvi che dovete vergognarvi! 46 O Madre ! L'aria è quella cosa leggera che ti gira intorno alla testa e diventa più chiara quando ridi. 81


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

(3)狂気の排除の問題の三つの観点から検討する。 (1)効率主義批判とかけがえのない現在 ②「声は聞くべきではないか。無用と思われる声でも。 」という一節から、 「下 水道」 「学校の壁」 「アスファルト」 「福祉事業」と「虫の羽音」の対比に至る展 開は、現代社会の効率主義への批判として理解される。現代の生は、脳が「下 水道や学校の壁やアスファルトや福祉事業で詰まっている」状態として規定さ れる。それは、有用なものを優先し、無用なものを価値のないものとして切り 捨てる。 「虫の羽音」は何の役にも立たないものの代表である。効率を重視する 生は、役に立たないものとして切り捨て、 「虫の羽音」が喚起する豊かなイメー ジを失う。 「虫の羽音」以外にも「ピラミッド」 「夢」 「魂」 「自然」 「生命」とい った言葉は、そうした有用性に対する対抗原理の記号である。 効率的生を止め、虫の羽音に耳を傾けるとき、前駆的に未来に向かって奉仕 する役割に従属させられていた現在が、本来の豊かさを取り戻す。 効率主義への批判は、生のあり方に基づき、生きられた現在を根拠とする。 ⑤「どこに生きる?現実にも生きず、想像にも生きぬのなら。 」という言葉が表 わしているのは、現代人が真の意味で生きていないということである。人は、 現実から逃亡し、想像へと逃げ、想像もまた、十全ではなく、現実への逃げ道 を残す。限りない逃亡の結果、 〈今ここ〉 、 〈現在〉を見失う。 マルクス・アウレーリウスの像の上に立つドメニコの言葉が、マルクス・ア ウレーリウスの言葉と共鳴するのは、この点においてである。 今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをお こない、話し、考えること。しかし人類の中から去っていくことは、もし 神々が存在するならば、少しも恐ろしいことではない47 記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬にすぎない現在のみを生きるのだ ということを。48 君がこの世から去ったら送ろうと思うような生活をこの地上ですでに送 ることができる。49 47 48 49

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マルクス・アウレーリウス(1956:24) マルクス・アウレーリウス(1956:37) マルクス・アウレーリウス(1956:76)


ドメニコは、マルクス・アウレーリウス像の一歩間違えば転落する場所に立 って演説している。東方正教の柱頭行者を思わせる、転落の危険と紙一重のそ の姿は〈かけがえのない現在〉を生きることを身を以て示している。 (2)自然への回帰 〈かけがえのない現在〉を生きるとは、この瞬間を生きるということにほか ならない。ドメニコが、 《われわれの生を今一瞬ごとに在らしめている創造作用》 に貫かれた人間だったということは、この観点から解釈し直される。 「自然」、「原初」、「生命の始まり」とは、客観的に見られた自然ではなく、 私たちの生を貫いているところの本来的自然である。私たちの生は、独立して 充足してあるのではなく、様々な結びつきの内にあって、生かされている。様々 な結びつきとは社会関係や人間関係だけを言うのではない。 「万物は互いにから み合い、その結びつきは神聖である。ほとんど一つとして互いに無関係なもの はない」50。 近代はその結びつきをばらばらにしてきた。しかし一個の生命は、 瞬間に生起し続ける宇宙全体と関連しあっているのであり、人間はそうしたこ とを忘れているに過ぎない。 〈かけがえのない現在〉を生きるとは、そうしたこ とを受けとめつつ生きることにほかならない。 そこでは、日常的な自己は分解し、もうひとつの自己、真の自己として、真 理の大海と融合する。演説の冒頭①の「私はもはやひとりの人間ではない。自 分がいくつもの無限定の事物として感じられる。 」という言葉はドメニコがそう した関連を生きていることを表わしている。ドメニコは宇宙全体の連関が〈今 ここ〉を貫いているということを、人々に想起させる。 ④「人よ聞いてくれ!君の中の水よ!火よ!灰よ!灰の中の骨よ!骨よ!灰 よ!」という呼び掛けは、人々の中にも〈根源的な自然〉 、つまり〈他界〉が貫 いていること、 「灰の中の骨」という言葉が喚起するイメージは私たちの死後の 姿である。その死後の姿は未来にあるのではなく、今ここに私たちの生の中に 内在している。そして、その作用なくしては一時も生きていけないことを示し ている。 最後に付け加える「母」への呼び掛け「母よ。母よ。空気はこんなにも軽く

50

マルクス・アウレーリウス(1956:103) 83


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

顔にそよいでいる。微笑めばいっそう澄んでいる。 」という言葉が喚起するのも 同様のイメージである。風が頬をそよぐ、その心地よさは、生み育てた母の微 笑みと重なることで、生きてあることの喜びの象徴となる。激しい口調から打 って変わったこの母への呼び掛けは、ドメニコがこれから行う行為が、少しも 生を軽視してのことではなく、かえってその生の有り難さを誰よりも知ってい ること、にもかかわらずドメニコが旅立つのは、その生よりもさらに重要なこ と、その生を在らしめているもののためであることを表わしている。 (3)狂気の排除構造への批判 批判は、批判する対象の外部に立つことによって可能となる。ドメニコの発 言は社会の外部に立つものの言葉として考えられる。 ③健全な人よ、何があなたの健全さなのだ?

人類は今崖っぷちを見つめている。転

落寸前の崖っぷちを。自由に何の意味があろう。あなたが我々を正視する心を持たず、 我々と共に食べ、共に飲み、共に眠る心を持たないならば。健全な人々がこの世を動 かし、そして今破局の淵にきたのだ。

健全な人が支配する世の中を批判するとき、ドメニコは自らを健全な人の外 に置いている。⑧において、そのことは明瞭である。 ⑧何という世界なのだ、狂人 pazzo に恥を知れと言われねばならぬとは!

演説のこうした箇所でドメニコは、自らを狂人 pazzo の側に位置付ける。それ は、垂れ幕のフレーズ( 「私たちは狂っていない」 )と矛盾するように見えるが、 それは、表面的なことにすぎない。 垂れ幕に書かれたメッセージの第一文は「私たちは狂っていない。 」であるが、 第二文は「私たちは正気だ。」ではない。「私たちは狂っていない。私たちは正 気だ」であれば、正気‐狂気の二元論の構図に乗ることになる。 「私たちは狂っ ていない。私たちは本気だ。NON SIAMO MATTI, SIAMO SERI」としたのは、 そうした二元論の構図に舞い戻り、寄与することになることを避けるためだっ たと理解される。 一方、自らを狂人 pazzo の側に位置付けることは、排除・選別構造が排除して きたものの側に立つことである。そして、それもまた同様に、排除選別構造を 批判するためである。 ③に明らかなように、世界への批判は、狂人排除の構造へと及ぶ。演説の中 84


でドメニコが自らを狂人の側に位置付けるのは、社会批判の視座を得るととも に、排除の構造を問うためである。合理性、有用性を原理とする現代の社会は、 狂気、非合理を排除することによって成り立つ。ドメニコは、その社会の成り 立ちを問う。 ドメニコは、狂人を軽蔑する相手側の主張を取り込み、それを利用する形で、 世界を批判する。批判は、①「狂人 pazzo といって軽蔑している」その当の者か ら②「あなた方の世界は恥ずべきものだ」と言われているのだというように折 り返され、二重化する。相手の主張を取り込むことは、戦略的に選択されてい る。 ドメニコの演説には対話的構造がある。批判が批判たりうる(つまり観客の 胸に突き刺さる)のは、観客に思い当たる節があるからである。現代の社会が 正常であると自信を持って疑わないひとは、どれだけいるだろうか。仮にいた として、その人は正常だと言えるだろうか?

現代の社会が問題を抱えている

こと、しかもその病が、根本的なところに病根を抱えていることを自覚するの は、むしろ健全である。ドメニコの言葉は、観客の地平を想定して、先取りす る形でそこに向けて語りかける。 自らを狂気に位置づけながら語るドメニコの言葉、表情、姿には、いささか の曇りもない。観客-聴衆はその言葉を明瞭に理解するばかりでなく、その魅 力・価値を認めざるを得ない。 ドメニコは、狂人とも健全とも分類できない、パラドキシカルな位置、もは や二分法が通用しない所、そのような意味での〈外〉に立つ。 〈外〉から到来す る言葉が観客の胸の内に食い込むとき、観客は、批判が向けられている対象( 「世 界」)の内部に属すると同時に、〈外〉へ引きずり出される。ドメニコの両義的 スタンスは、演説を通じてそれを聞く者を、同様にパラドキシカルな所に連れ 出す。 〈外〉の言葉が聞く者を〈外〉に立たせる。 第3項 演説後の行動~音楽の故障と再起動という演出の意味 ドメニコの演説後の行動とそこで起こる出来事の描写について考察する。こ こで重要なのは、映画の受容とその受容を規定するものとしての演出の水準で ある。 まず流れを見ておこう。ここでは演説の場面の構成とは異なり、タルコフス 85


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

キーの映画としては珍しく、短いショットで細かく構成されている。 男が「音楽が故障した。助けてくれ」と言いながら階段を駆け下りてくる/ ライターに火をつける構えをする「模倣する狂人」51のクローズアップ/ゾーイ が立ち上がり吠える/ドメニコの背中のクローズアップ。右手にライター。火 がつき、その手が胴体に近づき、焔が画面を覆う(音楽の開始) (図 10)/吠え るゾーイ/騎馬像全景。焔に包まれたドメニコ(図 11)/歩み寄るエウジェニ ア。後ろにパトカーと駆け寄る警察官。さらにその後ろには車の流れがある/ 吠えるゾーイ/音楽(歓喜の合唱)。ドメニコが騎馬像から落下する。「模倣す る狂人」が七転八倒し、硬直する。ドメニコが炎に包まれて像の背後から這い 出してくる(図 12) 。音楽が途絶え、断末魔の叫びが合間を縫って響く。静寂。 ドメニコの動きの静止。 まずここで注目されるのは、音楽の再生装置の故障という出来事である。自 らの体に火を放つ、その際に音楽を響かせること。それはドメニコ自身が企図 したものであり、故障の後、音楽が復旧することによって、ドメニコの意図は ほぼ実現することになる。とすれば、故障の意味は何処にあるのだろうか。 ここには、 〈予想外〉の出来事が、少なくとも三つ起こっている。音楽を再生 する装置の故障、復旧、再故障の三つである。〈予想外〉とは、言いかえれば、 偶然、偶発的なものを含むということである。しかし観客は、そこに偶然とは 思わせない何か、偶然以上の何かを感じている。それは、以下に見るように、 演出によって、観客の受容において、出来事の意味が変容していることと関係 している。演出、そして受容に注目するとき、 〈予想外〉と括っておいた三つの 偶然の出来事の間の差異が浮かび上がる。その差異を明らかにするために、こ こに関わっている複製装置の二つの水準を区別しておこう。第一の複製装置は、 作品世界の内に属する、音楽を再生するレコード・プレーヤー(装置 I)である。 音楽が鳴り始めるとき、また鳴り止むときに起こる歪んだ音響は、技術的複製 であることによって可能になったものである。それに対し、音響的要素だけで

51

演説のはじめから騎馬像の下でドメニコと同じ服装で、ドメニコのしぐさを模倣する 男がいる。だがこの模倣は単なる模倣ではない。ドメニコが焔に包まれるとき、彼もま たもだえ苦しみ硬直するに至るからである。その姿は近代的理性の目には異様に映る。 彼は単に外面的な模倣をしているのではない。ドメニコを包む焔は、彼をも包んでいる。 この場合の模倣は、脱魔術化以前の、主体と客体が未分化な段階での、 「未知のものを未 知のものとして経験し表現する能力」である。細見和之による整理を参照(1996:158-63)。 この人物が受容において果たしている役割についても、別に論じなければならない。 86


はなく視覚的映像を中心として、作品世界を再現する映画の装置(装置 II)があ る52。 故障-復旧-再故障という経過をたどるのは、装置 I であり、その故障は作品 世界内の出来事として位置付けられる。だが、観客の意識、あるいは知覚にお いては、この経過の三段階はそれとは異なるレベルで生じている。 まず、音楽を再生する装置が故障したことを、ある一人の男がドメニコに知 らせる。その故障という出来事が意味するものは、定かではないが、当初の計 画が頓挫しかけていることだけを観客は理解する。観客の注意は、音楽の故障 そのものよりも、その故障に対して、ドメニコが次にどのような行動をとるか に向かう。音楽の故障という出来事は、ドメニコと観客とでは、違ったかたち で受容されている。ドメニコにとってそれは重要な自己の企図の挫折を意味す る。また、にもかかわらず、ドメニコが、それに構わず次の行動を起こそうと するとき、それは試練としての意味をもつ。それに対し観客は、作品理解の一 環として、そのようなドメニコの出来事の受容を理解するが、同時に、音楽が 故障するという事態が作り出す空白は、そこに作者の何らかの意図を読もうと しそこに偶然以上の意味を見いだそうとする観客によって、それを埋め合わせ る次の出来事、つまり何らかのかたちでの復旧を期待し予想させる。 続くドメニコの背中のクローズアップは、画面が伝達する内容を最小限にと どめている。背中はドメニコの感情を伝えない。右手がライターに点火し、そ の手が体に隠れ、焔が画面下方から上がり、画面全体を覆う。クローズアップ が、一瞬の焔のスクリーン全体への拡がりをとらえ、観客の眼差を引き裂く。 焔がドメニコの体を包む瞬間、歪んだ音から、音楽が立ち上がる(装置が復 旧する) 。焔の画面全体への拡がりと歪んだ音楽の開始という二つの出来事が同 時に起こることは、作品から離れれば、単なる偶然にすぎない。だが、作品を 受容する意識において、二つの出来事の同時の生起は、同時性を有意味なもの にする。意味を負った同時性は、焔と音楽のそれぞれの出現の間に内的な連関 を生み出す53。このとき、音楽を再生する場所は、装置 I から装置 II へシフトし 52

完成した作品において、二つが明瞭に区別されない場合もあろう。だがここではこの 二つの装置の位相差は大事である。いずれにせよ、二つの位相差が峻別されるのは、あ くまで作品を経験する観客の知覚(意識)のレベルにおいてであることは指摘しておく 必要がある。 53 表現と意味、形式面と内容面の不可分離性とその相互浸透について、以下を参考にし ている。赤羽研三(1998)第 2 章を参照。 87


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

ている54。観客の耳には、音楽が鳴り響く場所は、再現された世界の内に定位さ れない。再び装置が故障し、音楽が鳴り止もうとするとき、鳴り響いていた音 楽が、装置 I に発していた事実に改めて気づかされ、意外に思うのはそのためで ある。そこに異化作用が生じるのである。だがこのとき〈予想外〉なのは、音 楽を再生していた装置が再び故障することよりも、それによって、途絶えよう とする音楽の合間を縫うようにして響き渡るドメニコの死の叫びの方であろう。 それは、今まさに死にゆこうとしている人間の最後の痕跡であり、一人の男が 死にゆくという出来事そのものの表現である。その叫びが、音楽の再故障と「同 時に起こる」ということが、再び、二つの出来事の意味を変えている。音楽の 始まりにおける同時性によって生じたのは、音楽と炎との内的な結びつきであ った。その連関は、さらに、叫びへと引き継がれる。人間の比類なさを刻印し た声-叫びは、音楽を通じて、焔と連関する。こうして、音楽を再生する装置 が故障するという技巧は、ドメニコの当初の意図を離れたところで、音楽-焔 -叫びという連関を創出する55。 焔は、ドメニコの生を死に至らしめるものとして、その外部にある。ドメニ コは焔ではないし、焔はドメニコではない。だが、ここに生ずる音楽-焔-叫 びという連関は、焔、そして音楽と、ドメニコの生との内的な連関を指し示し ている。 「火に身を捧げることは火になることではないだろうか。さもなければ、 火に身を捧げることは《無》になることに成功することではないだろうか。 」56ド メニコの死は、バシュラールが言う「 《無》になること」である。ドメニコを包 む焔は、その《無》の現れである。焔、音楽、叫びは、連関を通じて、ドメニ コの生と死を表現する。その表現は、文字通り死と引き替えにこの世にもたら される〈外〉の現出であり、異次元の開示である57。 54

前述したように装置 2 には故障も、したがって復旧もありえない。そのことが音楽の 鳴り響きに必然性を与えている。 55 映画において映像と音響との間にはもともと必然的連関はない。例えば話している男 の映像と台詞が結びつくのは、イリュージョンとして、そのように構成されるからであ る。ここでの音楽や叫びと焔の連関もまた、構成されたものであるが、ここではむしろ イリュージョンが破壊されることにおいて連関が創出されていることに注意したい。観 客はここで、焔を見ることにおいて音楽を聴き、音楽を聴くことにおいて焔を見る。こ こに生起するのは、そのような共感覚のトポスの現出であり、創出である。 56 G・バシュラール(1990:214)。また、火は、神の顕現を表す。ルルカー(1988:307- 10)。ストアの「原初の火」の思想との連関も重要であるが、ここでは論じない。 57 音楽の始まりと終わりに起こる歪みは、音楽の外部性を、形とし、可聴化(感覚可能) するものとして位置付けられるだろう。その歪みは、観客の耳には、装置 2 において起 88


ドメニコの死を、その描写・演出から切り離して考察することは無意味であ る。演出から切り離されたところに作品世界は存在しないからである。出来事 に際して音楽を鳴らすことを意図したのはドメニコであるが、その背後には「作 品を内在的に超越する」58作者の意図(存在)の、不在の現前がある。故障は、 そこに起こる出来事を、ドメニコの意図を越えたところに運び去る。それによ ってドメニコの死の意味は、ユロージヴィたるドメニコにより相応しいものに なる。演出が、そこで起こる出来事を〈外〉の開示とするのである。 ドメニコの演説は、観客-聴衆の狂気と理性の二分法を転覆し、観客を外部 に引きずり出す。そしてそれに続く死の描写は、ある特異な演出を通じて、外 部の表現として、観客に対して、〈外〉を開示する。その開示の瞬間、観客は、 映画を知的に理解するという割り当てられた場所から引き剥がされて、外部に 晒される。そのように外部に晒されるということが、この場合、映画を理解す るということである。 〈外〉への誘惑が、自己の破壊を意味するとすれば、それ に抗う動向も観客の内には生じていよう。だがその葛藤の中で、観客はすでに その誘惑に幾分かは応じている。そのとき観客は、ドメニコが「狂気であると の非難を受け」ていたのと同じ場所、つまり〈外〉に立っている。

図 10

図 11

図 12

結び 外部とは語り得ないものである。ドメニコが狂と聖という両義性をもつユロ ージヴィであることは、彼が語り得ない出来事に晒されているということであ る。ドメニコを捉えていた「世界の終わり」という観念も、そのように出来事 に晒されることを意味している。ゴルチャコフの「狂人は真理に近い」という 言葉も、それを見るものを崩壊させる「志向の死」59としての真理である。 こっている。 58 作品と作品から帰納される作者の関係については、佐々木健一(1985)を参照。 59 ベンヤミン(1975:16-7) 89


第2章

外部との境界存在者としてのユロージヴィ

ゴルチャコフはドメニコを信仰の人だという。その際の信仰とは、キリスト 教の信仰を指している。だが、ドメニコの存在は、既成の制度宗教の場所から は遠い。ドメニコという人物には(そしてタルコフスキーの思想には) 、ロシア の伝統である「ユロージヴィ」に、さらに、世界を永遠に回帰(反復)する「原 初の火」と見るストアの思想が託されている。ドメニコの思想は、マルクス・ アウレーリウスの思想とも深いところでつながっている。 そのように設定された人物を描くことを通じて、作品全体が、語り得ないも のを表現する企図となる。タルコフスキーの作品を語ろうとする際に実感され る困難さ(それは作品を見ることの困難さとは異なる)は、そこに由来するし、 また逆にその困難さは、そこに語り得ないものが表現されていることを証言す るものである。語り得ぬものはその前に立つ者を沈黙させる。だが同時に、そ の者は、それを語る困難さを引き受けることから逃れられない場所にいる。

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第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき ―『ノスタルジア』のゴルチャコフについての検討―

前章冒頭で確認したように、映画には「ノスタルジア」と「犠牲的行動」の 二つの柱がある。本章では、主人公ゴルチャコフを取り上げ、二つの柱のそれ ぞれとその交差について論じる。 「ノスタルジア」は、映画の中では、第一に、主人公ゴルチャコフの「ノス タルジア」として描かれる。ゴルチャコフは、ロシアの詩人であり、イタリア 人通訳のエウジェニアとともに、18 世紀のロシアの作曲家の足跡を辿り、旅を している。 「ノスタルジア」にとりつかれた主人公は、内面へと沈潜する。ゴル チャコフの「ノスタルジア」は、それを理解し得ないエウジェニアとの決裂の 契機となる。また、ドメニコに止みがたい関心を抱く背後にも、 「ノスタルジア」 があると考えられる。相互理解と信仰と犠牲といった複数の主題の線が、 「ノス タルジア」の上に交差している。 「ノスタルジア」という主題は、様々な形で繰り返される。ゴルチャコフの 「ノスタルジア」の主題化と関連する場面を拾い出す。 ①映画冒頭の聖堂のシークエンスの後、ホテルの場面で、 「ミラノでお屋敷勤め の女が、主の家に火を放ち、 「故郷にいる家族へのノスタルジアから、彼女の 帰郷を阻むものを燃やした」というエピソードをエウジェニアが語る1。 ②サスノフスキーが再び奴隷となると分かっていながらロシアへ帰った理由に ついて問われ、ゴルチャコフは手紙を渡し、これを読めばわかる、と言う。 (こ の手紙は⑤になってはじめて読まれるため、答えはさしあたり空白のままに 置かれるが、①などがその答えを暗示する。 )続けて、サスノフスキーがロシ アに帰った後どうなったかを聞かれ、酒に溺れ、自殺したことを話す2。 ③二人を恋人だと思ったホテルの女主人が「あの人が哀しげなのは恋をしてい 1

Una donna di servizio bruciava la casa dei padroni./ Quale casa ? / Quella dei padroni./Perché? / Per nostalgia, per tornare dai suoi. Ha bruciato la casa che glielo impediva. 2 Quando Sasnovskij è tornado in Russia ha avuto successo? Era felice? / Si è messo a bere molto e dopo... / Si è suicidato ?/ Sì.

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第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

るからですよ」と言うのに対し、エウジェニアは、 「ほかのことで頭がいっぱ いなのよ」3と答える。④のそれに続いて展開するロシアの「回想」シーンが エウジェニアの言う「ほかのこと」が何を指すのかを示唆する。 ④ゴルチャコフの「回想」シーン。 ⑤②で渡された手紙がエウジェニアがゴルチャコフと喧嘩した後、エウジェニ アによって読まれ、オフで語られる。とりわけ「ロシアに帰れないのは死ぬ よりつらいことです。生まれた国、あの樺の林、幼年時代の空気に…。 」4の一 節がノスタルジアの主題を端的に表わしている。 ⑥エウジェニアとの電話での会話で、ゴルチャコフは家(故郷)に帰りたいと 繰り返す。 ゴルチャコフがイタリアに来た主目的である 18 世紀ロシアの詩人サスノフス キーは、ゴルチャコフの「ノスタルジア」を鏡のように反射し、提示する役目 を果たす5。映画前半、ホテルのロビーの場面で語られるサスノフスキーの末路 に、ゴルチャコフがロシアに帰った自分の破局的な姿を夢の中で見るシーンが 加わることによって、ゴルチャコフもまた、ロシアに帰っても悲劇が待ち受け ているかもしれないことを暗示する。それに気づいていながら、サスノフスキ ーもゴルチャコフもロシアに帰りたいと願わざるを得ないことに、死ぬよりも つらい「ノスタルジア」の深さが表わされている。 ノスタルジアは、ロシアの固有性も強調される。その一方で、①に見られる ように普遍性も示される。サスノフスキーの手紙の文言は、 「ノスタルジア」の 表明だが、そのように「死ぬよりつらい」ノスタルジアとは何かについてその 内実を明らかにするものではない。それを理解するためには、④の主人公の見 る「回想」場面を検討しなければならない。

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È triste perché è innamorato / Pensa ad altro. Potrei tentare di non tornare in Russia, ma il pensiero mi uccide, perché è assurdo non poter più vedere il mio Paese, le betulle, l'aria dell'infanzia. 5 タルコフスキーの2度目のイタリア旅行中の日記(1980/5/27)に、サスノフスキーの モデルとなったベレゾフスキーについての収集したデータが書き記されている。 (Мартиролог:281, 『日記』:422-3)) 。ベレゾフスキーが農奴出身であることが記されて いるが、映画では、ベレゾフスキーがロシアへ帰ったら奴隷になると言われる。また、 映画では、ベレゾフスキーが農奴の娘に恋をするとしているが、上記資料では、恋の相 手が女優であると書かれている。 4

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第一節

主人公が取り付かれている「ノスタルジア」の位置づけ

緑色のモノクロームで映し出されるロシアの情景は、ゴルチャコフのノスタ ルジアの対象として位置づけられる。そのため、さしあたりは、ゴルチャコフ の過去の情景の記憶の「回想」と理解される。 (ただし、この位置づけは、危う さを含んでもいる。)ロシアの場面は、映画の中に五つを数えることができる。 ①冒頭タイトルバック、家の外に出て、柱の周りに佇む家族 ②ゴルチャコフの姿、鳥の羽ばたく音と落ちる羽、遠くの家の傍を歩く天使 ③グラスを持つ妻の後姿 ④笑う妻、走る子供たちと犬 ⑤目覚める妻、家の外に出て、佇み、周りを見渡す家族、家の屋根に上る月 ①の冒頭のタイトルバックも重要だが、①は特別な位置にあるため、その検 討は後に回す。ゴルチャコフが見ている「回想」の光景という位置づけを得る のは②からである。 ②はロシアの家の前に立つゴルチャコフの姿から始まる(図1) 。上を見上げ ていたゴルチャコフが、上から落ちてきた白い鳥の羽を拾い上げ(図2) 、家の ほうを見ると、白い天使の姿が見える。鈴の音のようなものが聞こえる(図3) 。 ゴルチャコフの姿が中に映しこまれていることによって、ゴルチャコフがそ れを見ている主体であり、その光景がゴルチャコフの過去の光景・体験である ことを示唆している。 ③は一瞬である。犬の鳴き声とともに、グラスに息を吹き掛けるゴルチャコ フの妻のマリヤの後姿が一瞬かいま見える(図4) 。そしてすぐさまエウジェニ アが髪を上げる姿に切り替わる。続くシークエンスで犬を連れた婦人が登場し、 ③が「犬の鳴声」が呼び起こしたものであることが判明する。 ④は一瞬で終わる③の続きである。その契機となるのは、 「ロシアの家の鍵の 音」である。④は、先程と同じ構図の中で、マリヤがこちらを向いて笑いかけ ているところから始まる(図5)。笑いかける対象はゴルチャコフにであろう。 カメラは横に移動し、向こう側の家の方から走ってくる犬と少女と小さな子供 の姿を捉える。少女が棒切れを投げ、犬がそれを追って水溜まりに入る。犬が 水をわけるバシャッという音とともに終わる(図6) 。 93


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

図 1

図 2

図 3

図 4

図 5

図 6

第1項 無意志的記憶の「回想」 ②、③、④は、ゴルチャコフが見ている光景という位置づけを得る。光景の 特徴として、いつのものと知れない不定時性、断片性などが指摘される。注目 されるのは、むしろ、主人公がこれらの場面を見るその見方である。これらの 光景は主人公が意識的に見るのではなく、光景の方が主人公を否応なくとらえ ると言った方が当たっている。主人公は「幻視」するように「回想」を見る。 それは、自らの意志によって想起される過去ではなく、無意志的記憶の表象で あり、意志の及ぶ範囲の外側に広がる領域に属する。「犬の声」「ロシアの家の 鍵」は、その領域が意識の殻を破って侵入するその契機である。 ここには、個人の意志の外に過去一切がそれ自体において保存されるという プルースト6‐ベルクソン的な考え方があると想定される。ここでは、ベルクソ ンに拠る。 過去は自動的に保ってゆくものである。過去はおそらくその全体があらゆ 6

Запечатленное время(『映像のポエジア』)の中に度々、プルーストへの言及がある。 例えば、タルコフスキーは、オフチンニコフの『一枝の桜』 (2009)の「さび=時間の痕 跡」の件の引用に続けて、こう述べている「 『回想の巨大な建物を蘇らせる』――このこ とばもまたプルーストのものである。そして映画は、まさにこの蘇らせることというプ ロセスにおいてみずからの役割を演じるよう使命づけられているのだと私は思う。」 (『映 像のポエジア』1988a:86)また、プルーストの美の信仰との関わりについて後述する。 94


る瞬間に私たちの後についてきている。ごく幼い頃から私たちの感じ、考 え、望んできたことがそこにはたむろしていて、やがてその仲間に加わる 現在の上にのしかかり、自分たちを入れたがらない意識の門めがけてひし めいている。脳の仕掛はきちんとできていて、そうした過去のほぼ全部を 無意識のなかに押し返し、ただいまの状況を照らしたり、準備中の行動を 助けたりできる、つまり有効な仕事を生めるたちのものだけしか意識に通 すまいとする。7 主人公のこのときの状態は、 「意識の門」がゆるみ、無意識の中の領域が個人 の意志によるコントロールを超えて姿を現している状態である。回想を上述の ような形で見ざるを得ないということ自体が主人公の精神的状態を表す。 ④は、映像の「回想の情景」に、音声で現実のホテルでのエウジェニアと女 主人との会話が被せられている。演出は、映像と音声に異なる役割を与えてい る。耳に聞こえる会話は、ゴルチャコフが現実(現在)に身を置きながら、眼 前に展開する非現実(過去)の光景を目にし、その光景に心を奪われているこ とを表す。映像と音声は、ゴルチャコフが二つの世界に引き裂かれていること を表している。 (観客は、会話を聞きながら、回想の情景を見る。このとき、観 客は、ゴルチャコフもまた同じように、会話を聞きながら回想を見ているもの として理解する。そのようにして、ゴルチャコフの状態を直接的に理解する。 ) ゴルチャコフが引き裂かれているのは、過去と現実だけではない。イタリア とロシアだけでもない。次に明らかにするように、ゴルチャコフが見る光景は 他界の光景でもある。そのように考える場合、ゴルチャコフの引き裂かれは、 現実と他界の二つへの引き裂かれであることになる。 第2項

タイトル・バックの情景―他界への郷愁

「回想」②に「白い鳥の羽」と「天使の白い影」が映る。この天使の姿は、 ゴッホの絵画( 《糸杉と二人の女性》1889, Cypresses with two female figures) (図 7)を想起させる。その絵の元になるデッサン(図 8)では、二人の背中に翼が 描かれ、二人が天使であること(天使として描かれていること)が明瞭に分か る(図 9:図 8 の拡大図)8。完成した油絵では翼は描かれていないが、天使の佇 7 8

ベルクソン(1979:25) 台湾台北国立歴史博物館で 2010 年に開かれたゴッホ展での展示による。図版も、同展 95


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

まいをそのままに残している。タルコフスキーがゴッホの絵を参照したとする 確証は今のところないが、二つの画像には確かに共通する面がある。その要素 は、二つの画像に共通して、この世ならぬ「他界性」を醸し出すことに与って いる。 タイトル・バックの冒頭の情景も主人公の「ロシアの情景」である。そこに は主人公の「ノスタルジア」を理解するための重要な鍵が含まれている。冒頭 の情景は深い、豊かな自然の情景である。森と湖が広場を囲んでおり、霧が左 から右へ流れている。人々(ロシアの家族)がゆっくりと手前から広場へ下り てゆく。それにつれて、微妙にカメラは前進し、広場にたたずむ人々をとらえ、 画面は静止する。最初画面に含まれていた曇り空は、ほとんど見えなくなり、 カメラは柱を画面中央にとらえる(図 10) 。 画面中央に立つ柱は、 〈宇宙軸〉あるいは〈生命樹〉としての性格をあらわに する。カメラによる演出がそのような意味作用を生み出す。 生命樹とは、久野昭によれば、 「その垂直性によって天と地とをつなぐ軸であ り、それゆえにまた、大地の中心である。それは宇宙の生命を象徴する。 」9「ロ シアの情景」に、 〈生命樹〉があるということは、その地が天と地の交流のさな かにあることを示す。天と地が交流するということは、 〈他界〉がそこに現出し ているということを表している。〈生命樹〉だけではない。「緑は青と黄すなわ ち天と地が混ざってできる色として、神秘の色である」という言葉も、そのこ とを裏付けている。また、緑色は「生と死を同時に意味する」が、 「沈んだ緑」 は「死」を表す10、とある。馬もまた「生命と死、太陽と月といった対立する二 者のどちらをも象徴する」11が、ここでは、エネルギーを感じさせるはずの馬が、 身動きしないでたたずんでいることによって、ここでは「死」のような静けさ を漂わせている。実際、画面に漂うのは「生命」よりは「死」であって、ここ には何かしら「彼岸的色彩」が漂っている。 『世界シンボル辞典』の〈楽園〉の 項には次のように書かれている。 〈楽園〉は、原初の完全さと〈黄金時代〉の象徴であり、〈宇宙の中心〉、 太古の無垢、至福、神と人間とすべての生きものの完全な交わり、をあら

覧会のカタログによる。『燃燒的靈魂・梵谷 導覽手冊』(2009:72) 9 久野昭(1987:138)キリストの十字架もまた一種の生命樹であるとみなされる。 10 クーパー(1992:60) 11 クーパー(1992:132) 96


わす。 〈楽園〉はまた、不滅性の在り処としての魂の内奥、時間が静止する 場所、始原の時ないし〈偉大なる時〉 [訳注・生命が再生し実在性を獲得す る聖なる時間]への参入、さらに、天と地が近づいて、樹や蔓植物や山な ど(宇宙軸を象徴するもの)に登ればすぐ天に届く状態、を象徴する。/ 〈楽園〉は常に、閉ざされた空間、あるいは海で囲まれ天に向かってのみ 開かれた空間である。12 この情景は、〈この世〉と〈あの世〉が未分化の〈楽園〉の情景であり、〈こ の世〉に〈あの世〉が現出している。 「天と地とをつなぐ軸」となっている生命 樹のまわりにたたずむ家族の姿は、キリストの十字架を慕う姿のようにも見え る。その姿は、〈大地=他界〉につながれて、〈他界との接触〉のさなかにある ことを示す。 音響では、まずオリガ・セルゲエヴァによるロシア民謡(Ой, кумушки, кумитеся)が流れる13。そしてそれに接続し入れ替わるように、ヴェルディの《レ 12

クーパー,(1992: 203-4) セルゲエヴァは、ロシア西端のプスコフ州の農民出身の歌い手であり、曲は、プスコ フ州南端、ウスヴャンスキー地方の民謡である。この曲を含む CD が Бомба-Питер より 発売されている(Полевые записи, 2007.)。この歌については、Русская Народная Песня: Ой вы, кумушки....(2007) を参照。歌の歌詞にはいくつかのバージョンがあるが、映画で使わ れているのは次のバージョンである(上記 CD も同じ)。“Ой, кумушки, кумитися. Кумитися, любитися. Кумитися, любитися. Любите мене. Вы пойдити в зялёный сад. Возьмите мене. Вы будети цветы рвать. Сорвите вы мне. Вы будети вяночки вить. Ох звейте вы мне. Вы пойдити к Дунай-реке, Возьмите мене. Вы будети в воду й венки кидать. Укиньте вы мне. Ваши вянки по верьху плыли, А мой на дно й пошёл. Ваши ружки з войны пришли, А мой не пришёл. Он сам ня йдёт, письма й не шлёт. Забыл про мене...” 「標準ロ シア語」とは異なる方言であり不明な点もあるが、内容はおおよそ以下のようなもので ある。 「ああ、洗礼女よ。洗礼し、愛するなら、私に洗礼をし、愛しておくれ。緑の庭へ 行くなら、私を連れて行っておくれ。そこで花を摘むなら、私に摘んでおくれ。花輪を 編むなら、私に編んでおくれ。ドナウ川へ行くなら、私を連れて行っておくれ。花輪を 河に投げ入れるなら、私の花輪を放っておくれ。お前の花輪は水面に浮かんだが、私の は底に沈んでしまった。お前の友は戦争から戻ったが、私の友は戻らなかった。彼も来 ないし、手紙も来ない。私のことは忘れてしまったのだ。」。кумушкa は кумa の愛称で「洗 礼女、教母、名付け親」などの意味がある。セリバーノフで紹介されているバージョン では、戦争のモチーフが無く、恋愛歌になっている(セリバーノフ, 1998, 189)。同書訳 注によれば、花輪を川に投ずるのは、占いの意があるという。これに類似する占いを伴 う儀礼の紹介がクラフツォフ(1979:76-7)にある。クラフツォフは、「白樺編み」の儀 礼と「名づけ契り」の儀礼の関連を論じている。そこで編まれ、川に投げ込まれるのは 花輪ではなく白樺の枝で編まれた輪であり、 「遠く流れて岸にとまるか、沈んでしまうか によって運命(婚期がいつくるか、許婚者が死ぬかどうかなど)を占った」とされる。 トロイツァ=セミークの祭りについては、佐野洋子(2008)も参照。 「ノスタルジア」と の関連では、 「戦争」のモチーフによって強まる「喪失」の主題が重要なはずだが、この モチーフと主題と儀礼との関連については、さらなる検討が必要である。 13

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第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

クイエム》 (Messa da Requiem)の冒頭部14が流れる。この《レクイエム》もまた、 「ロシアという他界」に生きる家族のための〈死者のための祈り〉にほかなら なかったのではないか。 主人公の苦悩も、 〈他界〉から切り離された苦しみ以外ではない。主人公の苦 悩の核は、 〈他界との接触〉の喪失にある。主人公はその〈失われた楽園〉を日 常的意識の外に透かし見る。垣間見られた「この世ならぬ光景」は、まぎれも なく「ロシアの情景」に違いない。だからこそ主人公は「ロシアに帰りたい」 と言い続ける。しかし、 「ロシアの情景」は、 〈他界〉の現出した場所であり、 「ノ スタルジア」は〈他界への郷愁〉とも言うべきものである。主人公が垣間見、 求め続けるのは〈他界〉以外ではない。

図 7 第3項

図 8

図9

回想された他界の同時進行性と呼応性

ゴルチャコフは「ロシアの情景」を、映画中盤のエウジェニアとの喧嘩の後、 再び見る(⑤) 。 「何とでも言え」と言ってはみたものの、決定的な一語、 「偽善 者」(Ipocrita!)と言われたゴルチャコフは、エウジェニアのお尻を思わずひっ ぱたく。そしてその瞬間、その罰を受けたかのように鼻血を出し、ホテルの廊 下のベンチに横たわったゴルチャコフのショットに続いてその回想は始まる。 14

ヴェルディの『レクイエム』は、死者のためのレクイエムである。映画に使用される 冒頭部の歌詞は次のようなものである。 「主よ、永遠の安息をかれらに与え、絶えざる光 をかれらのうえに照らしたまえ。ふさわしきかな、シオンにて神をたたえエルサレムに て誓いを果たすこと。わが祈りを聴き入れたまえ。すべての肉は主のもとに至らん。」 『音 楽大辞典』「レクイエム」(1983, 2778-2779) 98


「マリア」というオフで入る呼び掛けと共に、ロシアの家のベッドの上のマ リアが目をさまし、振り向き、起き上がる(図 11) 。マリアが開けた扉と共に、 家族がゆっくりと上着を羽織ながら外へ出てくる。この情景は冒頭のタイトル バックの情景と重なるものであり、家の方から、家の前の広場を見下ろすアン グルで撮られている(図 12) 。柱と白い馬と駆け回る犬をとらえたショットの後、 奇妙な流行歌が流れ、ロシアのゴルチャコフの家族がそれに耳を傾け、どこか ら流れてくるのかといった風情で立ち尽くすショットが始まる。このショット は先程のショットとは逆の方向から、すなわち、家を背景にしてその前に立つ 家族たちが撮られている(図 12-13) 。やがて、家の上に月が昇り、皆がそれに 気付き、振り返る(図 14) 。やがてゴルチャコフのショットに切り替わり、マリ アの声で「アンドレイ」という呼ぶ声がオフで入る。 鼻血を出した主人公の意識の門が開き、完全に支配される。もはや、このシ ークエンスは、 「回想」という位置づけをはみ出している。これまでは、ノスタ ルジアという主題からゴルチャコフが「過去の」ロシアの情景を「回想」して いるのだと位置づけてきたが、その解釈は修正を迫られる。 そう感じさせる第一の理由は、断片的にしかすぎなかった光景がここで固有 の物語を語り始めることである。 マリアが目覚めるシーンから始まり、家の外に立ち尽くし周りを見回す人々 は、ある異なる出来事を訝しがっている様子を示す。その原因としてどこから ともなく流れる流行歌がある。そして、月が主要因であったかのように家の屋 根から昇り、人々はそちらを見る。 奇妙な月に魅せられる情景について、最初に指摘されることは、ロバート・ ローゼンブラムによるサミュエル・パーマーの絵画( 《月明かりの風景》1929-30、 図 15)などについての記述15に重なることである。映画のシークエンスと重なる 部分を下線で示す。 パーマーの絵では、確固とした信念を持つ田舎の信徒たちが、いつの時 代のものとも知れぬ長衣を身にまとい、村の教会から出てくるのが認めら れる。…十九世紀初頭の都市や産業の変化によってもたらされた過酷な現 実からも汚されることなく敬虔な信仰を保持している一群の人たちの、今 や消えつつある幻影である。/パーマーはフリードリヒと同様に、キリス

15

ローゼンブラム(1988:83-85) 99


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

ト教の儀式と特別に関連させることもなしに、宗教的儀式を連想させるこ とができた。…そこでは男女の二人の人物が、左のはるかかなたの村落の ゆるやかな丘の上に月が昇る光景に、催眠術にかけられたかのように魅せ られて立ちつくしている。…月の出や日の入りを眺めやるフリードリヒの 人物のように、パーマーの人物もわれわれから顔をそむけて立っており、 その存在のすべてが、自然におけるある神秘的な啓示のように見えるもの とのぎりぎりの縁で釣合いを保っている。つまりそうした啓示の手段とし てしばしば天体が用いられるのである…(中略)月と太陽を区別するのは しばしば困難である。われわれがむしろ感じるものは、何かしら天上の主 宰者としてのほとんど異教的な神格であり、天文学的には何かとは明らか にされないこの象徴的天体は、さながら大地に魔法をかけて呪縛する源の ように見える。 映画では、月を見るのはシークエンスの最後に至ってであるが、彼女らを見 舞っている不思議な出来事の中心に月があることは間違いない。ただし、催眠 術のように呪縛しているもう一つの原因として、絵画にはない流行歌の導入が ある。そして、流行歌や月に対して、人々は信仰の対象として崇めているわけ でも祈っているわけでもない。 この光景を、ゴルチャコフが過去の光景を回想しているとする解釈は成り立 ちにくい。何処から流れてくるのか知れない「流行歌」は、あたかもその「ロ シアの情景」が別の世界に通じてしまったかのように見せる。 「マリア」という 呼び掛けから始まり、「アンドレイ」という応答で終わるこのシークエンスは、 ロシアとイタリアという距離を越えての、ゴルチャコフとその家族の呼びかけ 合い、通じ合いを描いていると理解するのが妥当な解釈ではないか。 その解釈は、ロシアの情景を回想ではなく、現実の実在のロシアの光景とす る。その解釈を、時制の一致が支えている。実は時制の一致は、冒頭の②から 始まっている。朝ホテルのロビーで見る光景(②~④)はロシアの家の「朝の 情景」であり、ここで夜見る光景(⑤)は、ロシアの家の「夜の情景」である。 こうした時制の符合は、現実と同じ時分の光景を回想しているのだとも解釈で きるが、イタリアと同時進行のロシアの現在だという解釈にも可能性を開いて いる。尤も、ゴルチャコフを中に写した②を現実の現在のロシアと解釈するこ とは難しい。②から始まる光景を回想と解釈してきたことにも一定の理由があ ったのであった。結局、ロシアの情景は、一義的には決められないと考えるし 100


かない。 「ロシア」の光景は多義的である。 ①かつて自分がそこにあった過去の情景の無意志的記憶の「回想」 ②実在する家族のいる故郷ロシアの光景 これらの多義性を含み支える第三の次元として、前項で見た「他界性」が加 わる(③)。それは、天使のいる場所であり、現実と異質な次元の光景である。 主人公の「ノスタルジア」は魂の故郷への郷愁であることになる。 主人公は二つの異なる世界の境界上に立ち、二つの世界に引き裂かれている。 見ることは、ここでは断絶を意味する。呼応も断絶を癒すものではなく、かえ って郷愁を募らせるものとしてある。その光景を見るのは、それが失われてい るからであるとも言える。喪失が幻視を呼ぶ。 ゴルチャコフの「ノスタルジア」は、 「故郷」を志向する。それは、ゴルチャ コフにとって、かつて自分がそこにあった「ロシア」にほかならない。ゴルチ ャコフは、ロシアに帰りたいと繰り返す。そこに帰りたいのは、そこにしかな いものがそこにあるからである。他界性、楽園性はそのことの一つの表現とし て理解される。 映画はまた、現実にロシアへ帰ったところで、破局が待ち受けているかもし れないことを、サスノフスキーの自殺や、ゴルチャコフが後に見る夢によって 暗示する。それは、郷愁が志向するロシアが、他界としてのロシアであり、現 実のロシアを必ずしも意味するものでないことを示している。

図 10

図 11

図 12

図 13

図 14

図 15

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第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

第二節 第1項

今ここの〈他界〉 主人公の〈病〉―宇宙的孤独

主人公の苦悩は、主人公を取り巻く空間の光景と照応する。主人公の苦悩は、 主人公のまわりに広大な宇宙空間を現出させる。そうした宇宙的光景を通じて、 主人公の宇宙的な孤独、惑星的郷愁が表現される。 例えば、ホテルのロビーのシーンでは、ほとんど暗やみのなかで撮影され、 主人公たちの姿もシルエットでしかうかがわれない。暗やみのなかに浮かび上 がる微妙な光と影は、宇宙空間に浮かんでいるかのようにも見える。観客がそ こがホテルのロビーだと分かるためには、しばらく経なければならない。さら にはチェーホフの作品から抜け出したかのような「子犬を連れた夫人」が暗や みから登場したりもする(図 16)。ホテルのゴルチャコフの部屋の場面もまた 奇妙である。幾何学的な洗面所の円い鏡(図 17)や、長方形の窓がまず目を引 く。窓の外には、隣の煤けた壁しか見えないが、その壁は暗闇の中でそこだけ 切り離されたかのように浮かんで見えるとき、霧に霞んだ緑の風景のようにも 見える。ゴルチャコフが付けようとした部屋の明かりは、青い光を発しながら 「カラン、カラン」という妙な音をたてて用をなさない(図 18) 。洗面所の水道 の流れる水の音も拡大され、妙な音をたてる。 こうした一切は、事物や空間が、主人公の苦悩にともなって、宇宙の一端と しての性格をあらわにしたものだと言える。私たちの生きている地球も宇宙空 間のひとつの惑星である。日常的な生はそうした「宇宙性」を知識として知る のみであり、十全な意味において意識することはない。日常的生は、そうした 宇宙性を隠蔽することで成り立つ。ここでは主人公の苦悩と日常的生の停滞が、 まわりを取り巻く空間の日常性を剥脱し、宇宙的光景を現出させ、主人公の宇 宙的孤独、惑星的郷愁を表現している。 こうした宇宙的光景を現出させる主人公の苦悩の核とは何か。ゴルチャコフ の「ノスタルジア」が〈他界への郷愁〉とも言うべきものであることを前節に おいて見た。その〈他界〉は、 〈この世〉のどこか別の場所に実在するのではな い。サスノフスキーが自殺したことやゴルチャコフの夢が暗示するように、ロ シアへ帰ってもそこに〈他界〉はなく、破局が待ち構えていることが暗示され る。 ところで、 〈他界〉が失われているということは死ぬことができないというこ 102


とである。だとすれば、 〈他界への郷愁〉を死ぬことで癒す可能性が考えられて よい。その際、検討しなければならないのは、ゴルチャコフの身体的な病の問 題である。 ゴルチャコフは心臓を病んでいることが、映画後半、ほとんど終わり近くに なって、エウジェニアとの電話での会話によって明らかにされる。ホテルの部 屋で薬を飲む姿、エウジェニアと喧嘩になったとき流す鼻血などは、事後的に 関連付けられる。映画終わり近くになって明らかにされるのは、ゴルチャコフ が心臓を病んでいることを知った観客がゴルチャコフの苦悩をすべて心臓病に 帰し、彼の苦悩を死病と死への恐怖に由来するものと理解することを避けるた めだと考えられる。苦悩はさしあたり、ロシアの大地への「ノスタルジア」と して理解されなければならない。そうでなければゴルチャコフが最後まで言い 続ける「ロシアに帰りたい」という言葉も理解されなくなる。 ロシアの地は他界であり、ゴルチャコフが彼方に見る光景は、ロシアの大地 (他界)との接触を失ったゴルチャコフの〈他界への郷愁〉である。 〈他界〉と ゴルチャコフの間には越えられない壁があり、深淵によって隔てられている。 「垣間見」は、接触ではなく、かえってその喪失、乃至は断絶を突き付ける。 心臓病を患い「死の足音」を聞き、 〈他界への郷愁〉にとらわれるゴルチャコ フは、日常的生に充足することも許されていない。ゴルチャコフの日常的生の 停滞は、自らのまわりに広大な宇宙空間を現出させる。ゴルチャコフは、日常 的生の底に深淵を見る。 「ロシアへ帰りたい」という言葉は、その深淵を越えた いという思いの表出にほかならない。 〈他界〉との接触の喪失は、死ぬことが出 来ないということである。しかし、心臓病は、 〈他界〉への帰還への切望を切迫 したものにしこそすれ、帰還を可能にする希望ではなかった。

図 16

図 17

図 18

第2項 気づき

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第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

ゴルチャコフは、 〈他界〉へと戻りたいという思いを募らせる。しかし、 〈神〉 も〈他界〉も、どこか別のところにあるのではなく、どこにでも、今ここにこ そあるものなのではないか。 〈他界〉を失ったゴルチャコフは、現実のロシアに それを求める。しかしゴルチャコフは本当は〈他界〉を今ここにすでに生きて いるのではないか。 この〈今ここの他界〉ということが、水に浸かった廃院の場面で、明瞭に表 現される。エウジェニアとの喧嘩の後、ゴルチャコフは、酒に酔い、コートを 着たまま水に浸かり、アルセーニ・タルコフスキー(アンドレイ・タルコフス キーの父)の詩16を口ずさみ、奇妙な洞窟のような場所へと入ってゆく。アンジ ェラという少女と出会った後、ゴルチャコフは、焚火の傍で眠り、夢を見る。 その夢のシークエンスの中に、次のようなシーンが挿入される。 ゴルチャコフが巨大な聖堂の廃墟のなかに立っている。その上に男性と女性 二者の声が響く。 (図 19-20) 「ご覧ください。いかに求めているか。」 「我が声を聞かせたとして何になろうか。」 「汝の存在を感じさせてください。」 「感じさせている。彼が気づかないのだ。」17

二者の声はそれぞれドメニコとエウジェニアの声にも聞こえるが、会話の内 容から、主(キリスト)と、キリストと会話したという聖カタリナの声である と理解される。神はここで声を聞く対象としてよりも、存在を感じるというあ り方で考えられている。それは、神との関わりの全人的あり方と非対象性(ま た、非対照性)を表すものとして理解される。 二人の会話の中に出てくる三人称の「彼」は、画面上のゴルチャコフを指す。 画面に映るゴルチャコフに対話を聞く様子は全くない。上の対話は「接触」が 今も現にあることを、にもかかわらず彼が気づいていないにすぎないことを語 るとともに、ゴルチャコフの姿をそのようなものとして位置づける18。 主の存在とは、神の〈在る〉であり、それを感じるということは、生を在ら 16

父親の詩をタルコフスキーは『ストーカー』や『鏡』でも使用している。 Vedi come chiede? /Cosa succederebbe se sentisse la mia voce? /Fai sentire la tua presenza./ Io la faccio sentire, è lui che non se ne accorge. 18 悟りはすでに得られているのに、気づていないだけだとする考え方は、仏教とキリス ト教、東と西の違いを超えて、『十牛図』(上田他, 1992)のそれを想起させる(「従来失 せず、何ぞ追尋を用いん」36)。また、柳田は同書で、『十牛図』の第十図「入鄽垂手」 を「痴聖の遊化」と見ているが、それは「ユロージヴィ」のありように通じている(263)。 17

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しめている〈在る〉に触れることにほかならない。この会話によって、ゴルチ ャコフの苦悩の核が、そのような存在との「接触」の喪失(その接触に気づか ないこと)にあることが明るみになる。 鳥の羽撃きが目に映ることなく、よぎる19。その羽撃きは日常的生の空間を貫 く〈他界〉を明らかにしている。その演出は、リルケの詩の一節を想起させる。 「あらゆる存在をつらぬいて一つの空間がゆきわたる、 世界内面空間だ。鳥たちは静かに われわれの内部を飛び過ぎてゆく。わたしが育とうと思えば 外へ目を向ける。するとわたしの内部に樹木が育つ。 」 ( 「後期の詩集」20) 見えない鳥の飛ぶ〈空間〉は、日常的生を垂直に貫いている21。ゴルチャコフ の横たわる廃院の水面に螺旋を描きながら落ちる一枚の白い鳥の羽は、見えな い鳥が今ここに羽ばたいた証である。ホテルで見る最初の「回想」 (I)で、ゴル チャコフはこの鳥の姿を見、白い鳥の羽に気づき、拾い、彼方に見える家の前 に降り立った天使の姿を見ていた(図 2-3) 。ゴルチャコフがそれを見ていたこ とは、そこが〈他界〉の現出する地であったことを意味する。イタリアでも、 エウジェニアが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの聖母のある寺院で、聖母像 から羽ばたく無数の鳥、そして蝋燭の上に舞う鳥の羽を目撃する。しかし、寺 院に入ることを拒んだゴルチャコフはそれを目撃していない。そして、今も、 哀しげに上方を見るまなざしは、舞い降りる鳥の羽に気づかない(図 21) 。

図 19

図 20

図 21

第3項 自然的事象

19

こうした見えない鳥の羽ばたきの表現はタルコフスキーが好んで行う表現であり、 『ス トーカー』(ゾーンの中の描写)や『サクリファイス』(子どもが消える場面、本書第 6 章第一節参照)でも見られる。 20 『リルケ詩集』(1993:149) 21 『十牛図』の上田(1992)による解釈に、このリルケの詩の解釈の展開がある。 105


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

タルコフスキーの映画では、水、火、風、木といった自然的事象が多用され る。 『ノスタルジア』でも雨が唐突に降り始め、情景は霧に包まれ、主人公は水 に浸かる。ドメニコを包む炎、ゴルチャコフのともす蝋燭の炎、最後に降る雪 といったものも自然的事象に属している。タルコフスキーはこれについて次の ように述べている。 わたしの映画の中には象徴もメタファーもないとわたしが主張すると、観 客は決まって不信感を表明するということにわたしは気づいた。たとえば 私の映画のなかで雨が何を意味するのかということを、わたしは幾度も幾 度も執拗に聞かれた。なぜ雨がどの映画にもでてくるのか、なぜ風や水や 火のイメージが繰り返されるのか、というぐあいに。私はこうした質問に 会うと、当惑するのである。/いわば雨は私が育ったあの自然の特徴なの だ。ロシアでは、長い長い愁いに満ちた雨がしばしば降る。言ってみれば 私は自然を愛しているのだ。私は大都会が好きではない。現代文明の新し さから遠く離れたとき、私は最高の気分に浸れるのである。…雨、火、水、 雪、露、地吹雪、これらは私が住んでいるあの物質的環境の一部であり、 言ってみれば、人生の真実である。…私は、たとえば雨を利用しながら、 ある意味で映画の行動がそのなかに浸っている美的な環境を作ろうとして いるのである。22 繰り返されてきた議論の根底には、タルコフスキーの世界観の独自性がある。 タルコフスキーの映画の象徴性は、その世界観・宇宙観に基づいている。タル コフスキーの映画を見、理解するということの内には、そうした世界観・宇宙 観の分有が含まれる。 例えば、 『ノスタルジア』の中で唐突に降り始める雨の演出(ホテルのゴルチ 22

За последнее время мне приходилось много выступать перед зрителями, и я заметил, что когда я утверждаю, что в моих фильмах нет символов и метафор, то аудитория всякий раз выражает свое недоверие. Меня снова и снова с пристрастием выспрашивают о том, что означает в моих фильмах дождь, например? Почему он переходит из фильма в фильм, почему повторяется образ ветра, огня, воды? Я прихожу в замешательство от таких вопросов... /Можно сказать, что дожди ? это особенность той природы, в которой я вырос: в России бывают долгие, тоскливые, затяжные дожди. Можно сказать, что я люблю природу ? я не люблю больших городов и чувствую себя превосходно вдали от новшеств современной цивилизации (...) Дождь, огонь, вода, снег, роса, поземка ? часть той материальной среды, в которой мы обитаем, правда жизни, если хотите. (...) я создаю, скажем, используя дождь, определенным образом эстетизированную среду, в которую погружается действие фильма. (Тарковский (2008-c) Глава восьмая, 『映像のポエジ ア』:311-2)

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ャコフの部屋、ドメニコの家、アンジェラに出会う廃院)は、世界観を反映し た作品のスタイルとして、作者の存在への志向性を含む。しかし、観客の受容 は作者に向くのではない。観客の受容は、雨、火、水などの非対象的なマチエ ールとの接触を第一義とする。 自然的事象の描写は、しばしば、超自然的な存在への暗示を含む。例えば、 ゴルチャコフが本を投げ捨てるときに降りだす雨は、そうした行為に対して、 あるいは苦悩に対して、何者かが涙を流すように見える。あるいは映画中盤で 登場する水に浸かった廃院の場面ではアンジェラ(Angela:この名には「天使」 が含意されている。 )という少女が、ゴルチャコフの前に登場すると共に雨が降 りはじめる(図 22) 。アンジェラは、水の精であるかのような、 「霊的な世界」 に通じた存在として映る。タルコフスキーにとって、自然的事象とはそれ自体 「霊的なもの」23だったのであり、この世とは別の秩序の世界、つまり〈他界〉 に属するものだった。

図 22

図 23

図 24

第4項 内面への旅 タルコフスキーはそうした〈他界〉の実在を、あらわにし、現出させる。ア ンジェラを前にしてゴルチャコフは「ここはロシアみたいだ、何故だか分から 。ゴルチャコフにとって「ロシア」とは何よりも〈他 ないが」24と言う(図 23) 界〉の現出した地であった。ゴルチャコフはそのことに気づかず、ただつぶや くだけであるが、 〈他界〉を現出させるという作者の意図は明瞭である。 野外の情景においてしばしば霧や温泉の湯気が立ち篭め視界を閉ざす。映画

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ローゼンブラムは、 「フリードリヒにとって、自然的なものと超自然的なものとの間に 何の境界もなかった」 (1988:38)と述べているが、タルコフスキーについても同様のこと が言える。 24 Qui è come in Russia, non so perché. 107


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

冒頭で、エウジェニアとゴルチャコフが乗った車が到着し、エウジェニアが一 人聖堂へと向かうシーンで、霧に包まれた情景をエウジェニアは美しいと言い、 。 「この光はモスクワの秋の公園を思い出させる」25と言う(図 24) 映画は、イタリアを舞台とし、イタリアで撮影されているにもかかわらず、 明確にイタリアと分かる風景は、映画後半に見られるロング・ショットによる ローマの眺望やマルクス・アウレーリウス像でのドメニコの演説シーン以外に はほとんど存在しない。主人公たちは旅をしているにもかかわらず移動の描写 は存在せず、イタリアのどこをどう旅しているかということはほとんど描かれ ない。焦点は、主人公たちのいる「今ここ」にあてられる。そしてその「今こ こ」に様々な次元の光景も現出する。 例えば、主人公がホテルの部屋のベッドで眠りにつき、夢を見る一連のシー クエンスは、その豊かな表現として位置付けられる。その夢のシークエンスは、 ホテルの主人公の部屋の光景から始まる。部屋の中央にはベッドがある。ゴル チャコフがそのベッドに座るところまでは見えるが、主人公が横たわると共に そこも暗やみに沈み、ゴルチャコフの姿は見えなくなり、どうしているのか分 からなくなる。洗面所入り口から射していた光が消え、犬が洗面所から部屋に 入ってきて、ベッドの傍に横たわるのが辛うじて見える(図 25) 。犬の横には窓 から雨が入り、水がたまっている。カメラは非常にゆっくりした速度で前進す る。一連の出来事は、ワン・ショットで捉えられる。やがてベッドをアップで 捉えたとき、光が射し、主人公の苦しそうな寝顔が浮かび上がる(図 26) 。主人 公が眠りに落ちていたことがここでようやく明らかになる。 ゆっくりとカメラが寄っていき、光が消え、犬が登場することが、主人公の 意識が薄れ、主人公が眠りに落ち、夢の世界へと入ることを表現する。外界の 光景によって、主人公の意識の状態が表現される。外界の光景は、主人公の内 面の光景へと変貌する。内面と外界は相互に反転する。そこに開かれるのは、 外界でもなく内面でもない、外界であると同時に内面でもある、両義的な〈外 部〉の光景である。洗面所から登場する犬は〈他界〉から登場した使者である。 26

25

Questa luce mi fa pensare a certi pomeriggi d'autunno a Mosca. 「犬は現世と来世の境界の見張り人、通路の守護者、冥界の守護者、死者の付き人、 魂の導者」クーパー(1992:78)犬は、前章で検討した「ユロージヴィ」の象徴という以 外にも重要な役割を果たしている。ゴルチャコフの夢のなかに現れた犬は、ゴルチャコ フの故郷の「回想」に登場する犬とも考えられるし、ドメニコの連れている犬とも考え

26

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主人公の寝顔に続いて展開する、エウジェニアに妻のマリアが何かを囁き、 エウジェニアの泣いている姿、エウジェニアがゴルチャコフの上に覆いかぶさ っている情景などは、夢の中の情景として理解される。最後にベッドに横たわ った妊娠したマリヤの姿が横からとらえられる。その横に立っていたゴルチャ コフがやがて画面から去る。マリヤがこちらを振り向き「アンドレイ」と呼び 掛ける。この夢の情景から現実の光景への「戻り」も、ワン・ショットで切れ 目なく行われる。左上に窓とそこから見える光景が暗闇から姿を現し、洗面所 に射していた光が戻ると同時に、マリアの姿は暗闇に沈み、もとの寝入る前の 光景に戻る(図 27) 。寝入るときには確かに開いていたはずの窓は閉まっている。 エウジェニアの「アンドレイ」と呼ぶ声が聞こえる。現実のエウジェニアの声 が、別の世界ではマリアの声となって現われていたのだと分かる。 現出していた〈他界〉が大急ぎで姿を消し、もとの現実の光景に戻る。寝入 ったときに開いていた窓が起きたとき閉まっているのも、 〈他界〉の現実世界へ の忘れものとして見ることが出来る。この忘れ物は確かにここに現実世界とは 別の世界が姿を現していたことを証明している。現実から離れ、真の姿を見せ たその夢の世界は、直線的な時間で計られることはない「無時間的領域」であ る。エウジェニアに起こされた後、ゴルチャコフは聖カタリナの温泉を見るた めに外へ出る。そこで、 「もう朝の7時だ」と言われ、驚く。主人公は主人公が 日常的時間感覚を失っていることを説得力をもって受けとめることができるこ とは、観客もまた「無時間的領域」へと足を踏み入れていたことを証している。 夢は、単なる日常的意識に従属する付随的なだけのものではない。夢こそか えって、日常的生が阻む本来的生の現れやすい領域であるとするタルコフスキ ーの理念をここに見ることができる。こうした豊かな夢の表現を言いあててい るのは、次のアルベール・ベガンの文章である。 夢から目覚めるとき、われわれが知っているのは、ただ、自分がずっと遠 いところから戻ってきたということだけである。しかし、内面の旅を少し でも信用する傾向のある人はそれ以上は求めないのだ。彼はこうした夢の おかげで、別の国々にわれわれが近づきえたこと、現にときどき近づきえ

られる。二人の犬は外見上、区別がつかない程よく似ているため判断がつかない。ゴル チャコフのドメニコとの最初の出会いの場面では、ドメニコの犬は、ゴルチャコフにな つく素振りを見せる。犬は〈他界〉に属する存在として、この二人を結びつける役割を 果たしている。 109


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

ていること、またいつかは近づくことができることを知っているのだ。27 エウジェニアに叩き起こされ、現実に引き戻され、すべてを無意識へと追い やらざるをえないゴルチャコフには、自分が「遠いところから戻ってきたとい うこと」 、念願の〈他界〉に「近づきえたこと、現にときどき近づきえているこ と、またいつかは近づくことができること」などは知る由もないが、そうした 登場人物の意識と作者の意図との差をここでも見失うべきではない。

図 25

図 26

図 27

第5項 真理の現われとしての美 タルコフスキーにとって、美もまた真理と別のものではないことを例えば次 のような文章は明らかにしている。 美は、真理を探求しない者、真理を禁忌としている者の目には隠されてい る。…芸術家は真理の呼びかけに対して聾者でいることはできない。真理 だけが唯一芸術家の創造への意志を決定し、組織するのだ。ただその場合 においてだけ、芸術家は自分の信仰を他者に伝えることができる。信仰を 持たない芸術家は、盲人として生まれた画家に似ている。28 芸術は、一般的にいって、実用的かつ実証的な実践のなかには現れてこな い、絶対的な精神的真理にかかわる普遍的な象徴であるということができ る。29

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ベガン(1972:209) Прекрасное скрыто от глаз тех, кто не взыскует истины, кому она противопоказана. (...) художник не может быть глух к зову истины, которая единственно и определяет его творящую волю, организует ее. Только в этом случае он способен передать свою веру другому. Художник, не имеющий веры, подобен слепорожденному живописцу.( Тарковский А. (2008-c), Глава вторая, 『映像のポエジア』:65, 第二章) 29 Можно сказать, что искусство является вообще символом, будучи связанным с той абсолютной духовной истиной, которая скрывает нас в позитивистской, прагматической практике. ( Тарковский А. (2008-c), Глава вторая, 『映像のポエジア』:58, 第二章) 28

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タルコフスキーはここで、芸術や美を、真理の側にはっきり位置付ける。こ うした言葉の背後には、 〈他界体験〉がある。そうした〈他界体験〉こそが「芸 術家の創造への意志を決定し、組織する」のであり、そのとき「芸術家は自分 の信仰を他者に伝えることができる」 。こうした「真理」に属する「美」につい て考えるとき、参考になるのは武藤剛史の取り出したプルーストの「美への信 仰」である。武藤は、プルーストの画家論を検討し、次のように言う。 画家論を通じてプルーストが言わんとしているのは、美とは主体と客体を 等しく在らしめる創造作用としての「本質」の現われ以外の何ものでもな いということである。この美すなわち「本質」は、日常的世界には、また 日常的意識のなかには、けっして現れることはない。また美すなわち「本 質」は、知性や意志によっては、言い換えれば、われわれが主体対客体と いう二元論に立つ限りは、決して捉えることはできない、というより、知 性や意志は、それみずからの働きによって、美すなわち「本質」を無意識 の領域に追いやってしまうのである。それゆえに、美すなわち「本質」を 実現すべき芸術創造という営為は、知性や意志、知識や計算といったもの とは本質的に相容れないのだ。30 武藤は、この「主体と客体を等しく在らしめる創造作用」、《われわれの生を たった今の一瞬ごとに在らしめる創造作用》31を「生の本質」と見る。その一瞬 ごとに在らしめられる現実とは、「超時間的な現実」、すなわち「時間を超え、 しかも時間をそっくり包み込む《永遠の今》としての現在それ自体」32である。 そして日常的自己の基底にある「真の自己」は「もともと、かの永遠の世界の 広がりにぴたりと重なっているのである。」33にもかかわらず、私たちの自己が それに気づけないのは、日常的生が、こうした一瞬ごとの創造作用を隠蔽する ことによって成り立っているからである。 「本質」の現われとしての「美」を「知 性や意志」によって支えられた日常的な自己がとらえることができないのは、 一瞬ごとの創造作用に日常的自己が耐え得ないからである。 〈美的体験〉のさな かにあるとき、日常的自己は解体する。そうした日常的自己の解体と、それに よる「真の自己」の実現をこそ〈美的体験〉と呼ぶ。

30 31 32 33

武藤剛史(1994:87) 武藤(1994:25) 武藤(1994:42-3) 武藤(1994:45) 111


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

こうした〈美的体験〉は、ドストエフスキーの描いた〈他界との接触〉ある いは〈永遠の今〉と重なるものでもある。そして、タルコフスキーの「創造へ の意志を決定し、組織」していたのも、こうした〈美的体験〉、〈他界体験〉だ ったのではないか34。 「真理の現れとしての美」という概念は、この映画の中でも貫かれている。 例えば、ゴルチャコフはドメニコに会った後、ホテルの廊下で、 「止まって。光 の中で見る君は美しい」35と言ってエウジェニアを喜ばせた後、「分かり始めた ような気がする。」と言って期待を持たせ、「ドメニコがなぜ家族を家に閉じこ めようと考えたのか(分かり始めたような気がする) 。 」36と続け、エウジェニア を失望させる(図 28) 。結果として、からかうような形となるが、ゴルチャコフ にその意図はない。エウジェニアの姿を見てドメニコのことを分かり始めるの は単なる偶然ではない。ゴルチャコフは一瞬光が生み出した「美」に目を開か れる。だからこそ、 「真理=美」に貫かれたドメニコのことを分かり始める。 映画冒頭でゴルチャコフは「自分一人のための美などもういらない。もうた くさんだ。」37と言って聖堂のなかに入ることを拒む。ここで想定されるのは、 ゴルチャコフがそこに至るまでの旅で「観光旅行的な美」にうんざりしていた ということである。 「観光旅行的な美」は、真理の現れとしての美ではない。真 理の現れとしての美とは、それに触れることによって、日常的自己が壊れ、真 の自己実現に至るような美である。そこではもはや「自分一人のための」とい う観念は成り立たない。 ゴルチャコフは「回想」に捉われる。こうした「回想」は、無意識的回想と いう形をとった、真理の現われの「垣間見」である。ホフマンの『黄金の壷』38 34

タルコフスキー自身の〈内的体験〉について書かれた文章を日記の中に見出だすこと ができる。 「魂を揺さぶり轟きわたる幸福の感覚が、私を貫くときがある。そのような調 和に満ちた瞬間には、私を取り巻く世界が本当の顔――整然とした、合目的的な顔を見 せる。そのとき、内的な魂の形態/構造は外的構造、環境、宇宙と完全に照応するし、 またその逆の照応も成立するのだ。/そのようなときには、私には不可能はないと思え る。私の愛があればどんな献身的行為だって可能だ、どんなことも克服できる、悲しみ や不幸はなくなり、苦悩は夢や希望の勝利に変容する、そう思えるのだ。/いまがまさ にそのような瞬間なのだ。」 (1982/4/16, イタリアにて) (Мартиролог:410, 『日記』:514) 35 Fermati… Sei così bella con questa luce. この場面はゲーテの『ファウスト』が意識され ている。 36 Comincio a capire… Perché pensi che ha rinchiuso la famiglia per sette anni ? 37 Io a Mosca ho fatto incontri con uomini straordinari. Si può sapere cosa volete da me? Queste? Tu no. Perché sei una specie di santo. Ti interessi di Madonne. 38 ホフマン(1974). タルコフスキーはホフマンの作品世界の映画化を企図し、 『ホフマ 112


で、ゼルペンティーナに恋をしたアンゼルムスのように、ゴルチャコフもまた 「永遠の美」に捉われる。その「永遠の現実」からゴルチャコフは切り離され ている。そうした「彼岸の美」にとりつかれたゴルチャコフは、 「現世的な恋」 を求めるエウジェニアとは決裂に至る。エウジェニアはゴルチャコフとの喧嘩 の中で、片胸を開き、こう言う。 「わたしがモスクワで会ったすばらしい男たち はわたしに何を求めてたの?

これ?

あなたは違う。あなたは一種の聖人。

39

関心があるのは聖母。 」 (図 29)エウジェニアは片胸をセクシャルな対象とし て示しているが、片胸を出した女性の図像は絵画の伝統において「聖母」を表 す。ゴルチャコフはたしかにそれをエウジェニアに求め、見ていたのかもしれ ない。そのことを理解できないエウジェニアは、ゴルチャコフと別れ、ローマ へ帰る。 (去る間際になって、エウジェニアは、冒頭のホテルの場面で手渡され たサスノフスキーの手紙がポケットに入れたままになっていたのに気づき、読 む(本章冒頭参照)。その内容は、「死ぬより辛い」ノスタルジアを綴ったもので ある。ここに至ってその手紙が読まれることにより、ゴルチャコフの物思いが ノスタルジアにあることが改めて示されるとともに、エウジェニアがそれまで その手紙を読んでいなかったこと、エウジェニアがゴルチャコフのノスタルジ アを理解していなかったこと、仲違いの原因もおそらくはそこにあることなど が表現される。 )

図 28

図 29

図 30

第6項 箱庭的光景 次に取り上げる「箱庭」は、奇妙さも持ち合わせながら、東洋の伝統を参照

ニアーナ』というシナリオを 1976 年に発表している。このシナリオは映画化には至らな かった。 39 Io a Mosca ho fatto incontri con uomini straordinari, Si puo sapere cosa volete dame? Queste? Tu no, perche sei una specie di santo. Ti interessi de Madonna. 113


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

しそこに根ざすことで、精神性への傾きを強くしている。 ゴルチャコフはドメニコの家で、部屋の中に作られた「箱庭」40のようなもの を目にする(図 31-32) 。画面は箱庭の盆景を収め、ゆっくりと移動し、そのま ま現実の窓の外の風景を映す。想起されるのは、外の風景を取り込んで造園を する中国や日本の庭園における「借景」41である。カメラの動きは、箱庭の借景 の造形を動的に提示する。 「箱庭」自体は東洋の、道教の伝統に属するが、その象徴性は、ユングなど による受容をはじめとして、西洋にも伝わっている42。タルコフスキーの映画に は、 『惑星ソラリス』のラストシーンや『サクリファイス』の子供の作ったミニ チュアの家などのように、箱庭的光景がしばしば登場する。本作『ノスタルジ ア』の巨大な廃墟の中に設えられた小さな家のラストシーンも箱庭的光景の一 つと見られる。タルコフスキーが箱庭の象徴性を知っていたことはほぼ間違い ない。 この場面で箱庭が表わすと考えられるものは三点にわたる。 第一に、箱庭は、ドメニコの高い精神性を表していると考えられる。箱庭は、 作った人の精神性の高さを表わすと言われるからである。 箱庭の第二の意味は、楽園性、彼岸性である。その場合、 「借景」の形である ことが重要な意味を持つ。借景は、箱庭の楽園の〈彼岸〉の光景を、現実の世 界と連続した、現実の風景と地続きのものとして演出する。 箱庭の作者の精神性は、箱庭が楽園の光景であることと相関している。さら に借景として彼岸と此岸を連続させて造形していることによって、そこに読み 取られる精神性も一層深まっている。 第三に、モノクロームで映し出される箱庭の風景は、ゴルチャコフが「回想」 に見る、 「ノスタルジア」の対象である「ロシア」の光景と重なっている。借景 はしたがって、ロシアとイタリアの連続性の演出となる。さらに、詳しくは次 章で論じるが、ノスタルジアの対象は第二点目の「楽園」を志向している。し たがって、借景による楽園と現実の連続性は、ノスタルジアを無化し、病を癒 す方向性を暗示してもいる。 40

箱庭乃至盆景については、スタン(1985)、及び、三浦(1995)を参照。『サクリファ イス』でも子供の作った小さな家が登場する。本稿第4章第2節を参照。 41 田中正大「借景」『世界大百科事典』(1998-2001) 42 もとより「庭」の象徴性は東洋に固有のものではない。西洋における庭園と楽園の関 わりについては、安西(2000)を参照、 114


先立つショットのカメラの動き(演出)は、箱庭と外の風景の連続的造形を 強調している。したがって、ゴルチャコフの表情が含む驚きの中心も、その連 続性を対象とすると理解される。その連続性は、以上の多層的意味と相関して 多重であり、それを見るゴルチャコフ(図 33)の表情の意味も多重に読み取ら れる。 箱庭と外界の連続は、他界と現実の連続となる。 「ノスタルジア」の対象であ るロシア=他界が、現実=イタリアと接続する。他界=ロシアは、彼方にある のではなく、〈今ここ〉に接続してある。「ノスタルジア」にとらわれ見失って いる他界(ロシア)との接触を取り戻す鍵がここにある。それは、他界が貫く ドメニコの思想(前章)を端的に表すと同時に、ゴルチャコフが自らの病を癒 す道を表している。ゴルチャコフがドメニコを「信仰の人だ」と言い、惹かれ、 会うことを切望する理由もここにある。それは、ドメニコとゴルチャコフを結 ぶ接点に位置している。

図 31

第三節

図 32

図 33

ゴルチャコフの行動

第1項 犠牲と信仰 ドメニコとゴルチャコフの「行動」に至るまでの態度は、一見対照的である。 ドメニコの「行動」が、まぎれもなく確かな「信仰」に支えられていたのに対 して、ゴルチャコフはドメニコの頼みを最初、信じていないかのように見える からである。ドメニコの家では、ドメニコに託された蝋燭を置いて帰ろうとす るし、ロシアへ帰る寸前になってエウジェニアとの電話でドメニコの演説を知 らされるまで、ドメニコとの約束は忘れていたかのようにさえ見える。 しかしその「行動」そのものを見るとき、二人の「行動」は、まぎれもなく 「犠牲」という点において結びついている。ドメニコの行動が「犠牲的行動」 であるのは間違いない。そしてゴルチャコフの「行動」も、そこに至るまでは 115


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

信じきれていなくとも、やはりドメニコとの約束を果たすために、ロシアへの 帰還を送らせ、心臓がいつまでもつか分からない体を引きずって、その「行動」 へ向かうとき、そしてその「行動」を果たすとき、やはりそれは「犠牲的行動」 だったと言うことができる。 「犠牲」と「信仰」の結びつきについて示唆を与えてくれるのが、映画冒頭の 墓地礼拝堂の場面である。ピエロ・デッラ・フランチェスカの《出産の聖母》 のある墓地礼拝堂に一人で入っていったエウジェニアは、跪きなさいと言われ、 できない。礼拝堂の「門番」に「なぜ女性の方が男性より信心深いのか」43と尋 ねる(図 34) 。それに対して「門番」は、 「わたしが思うに、女は子供を産み、 そして育てて生きる。忍耐と犠牲を以て」44と答えるのである。この後、女たち の聖母像への祈りが始まる。その祈りは次のようなものである。 「苦悩の、歓喜 の、高潔なる聖母。情愛の、光輝の聖母。屈辱の、聖なる母。苦しみの、誇り 高き聖母。母なる苦悩を知るすべての母の母。母たるものの喜びを知る聖母。 子を持つ喜びの聖母。子を持てぬ苦しみの聖母。すべての母たる聖母よ、汝の 娘を母となしたまえ。」45そして祈っていた女性が、聖母像の腹部を手でわける とその中から鳥たちが羽撃き出す(図 35) 。ピエロ・デッラ・フランチェスカの 《出産の聖母》にカメラがクローズ・アップしてゆくにつれて、その顔が明る みに出されてゆく(図 36) 。クローズ・アップされたその顔は、優しそうな穏や かな顔ではなく、顔をゆがめ、涙を流し、自らの犠牲に耐え忍ぶ顔である。 ここでは「聖母」は、何よりもまず、キリストを孕み、産み、育てたという 「母なる苦悩を知るすべ 「犠牲」者としてある。だからこそ、この「聖母」は、 ての母の母」として、根強い信仰の対象にもなってきた。こうした「聖母への 信仰」を支えているのは、映画にも現われているように、女性たちの犠牲的な 生である。自らが犠牲的生の中にあるとき、自分よりも大きな犠牲を払ったも のとしての聖母の存在は、自分の犠牲を理解し、昇華させてくれるものとして、 その信仰の対象たり得てきた。ここで「犠牲」を、自らを滅すること、あるい は自らの生が滅せられることだとすれば、そのとき自らが在らしめられている

43

Perché solo le donne si raccomandano tanto ? Secondo me una donna serve per fare figli, crescerli con pazienza e sacrificio. 45 Madre addolorata Madre gioiosa, Madre generosa.. Madre mortificata, Madre santificata Madre dolorosa, Madre orgogliosa, Madre di tutte le madri che conosce il dolore di essere madre, Madre di tutte le madri che ne conosce la gioia, Madre di tutti i figli che conosce la gioia di un figlio e il dolore di non avere tuo figlio, Madre aiuta tua figlia a diventare madre.' 44

116


ということを知り、自らを在らしめている大きな存在を感じるということは不 思議ではない。門番の言う「子供を産み、そして」も、その「犠牲」によって、 自らを在らしめている存在とつながることによってだったのではないか。そし て女性たちの祈りと信仰が「奇跡」を呼び出すのも、その姿が、大いなる存在 に自らを明け渡すことによって、この在らしめているものを〈この世〉に現出 させるからではないか。 ゴルチャコフとドメニコの行動をもうひとつ結びつけているのが、彼らが「行 動」の最中に生きているのが〈かけがえのない現在〉であるということも、 「犠 牲」と無縁ではない。 〈かけがえのない現在〉を生きるとは、瞬間を生きること にほかならず、そのとき日常的生は解体している。彼らは、全身全霊を以って、 自らの行動を遂行し、瞬間を生きる。その遂行に、日常的行動にあるような実 利的観点はない。 「のため」に行なわれる行動ではなく、それ自体において、暗 やみを飛躍するようなかたちで行われる行動こそは真の「犠牲」であり、だか らこそ真理はそこに顕現する。 ゴルチャコフが「犠牲的行動」を生きるとき、そこにこそ「信仰」は芽生え 立ち上がる。ゴルチャコフはドメニコの頼みを最初、信じていないかのように 見える。しかしそもそも彼の病とは「郷愁」にとらわれ、 〈今ここの他界〉に気 づくことができないことであった。ゴルチャコフは、ドメニコにひかれつつも 究極的には信じることができない。信じるため、信仰を取り戻すためには、自 らの「行動」の中でつかみとる以外にない。信仰を取り戻すことが、この場合、 病を癒すことでもある。ゴルチャコフのドメニコの約束に対する態度の曖昧さ と最後との行動とのつながりはこのように位置づけることができる。

図 34

図 35

図 36

第2項 ゴルチャコフの行動 ドメニコの演説のことをエウジェニアから電話で聞いたゴルチャコフは、 「聖 117


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

カタリナの温泉を蝋燭に火を灯して渡る」というドメニコとの約束をはたすた めに、ロシアへの帰還を延期して、再度聖カタリナの温泉を訪れる。温泉は水 を抜かれている。錆付いた自転車の車輪、人形、コインといった廃物を、人々 が過ぎ行くものを慈しむように掃除している。ドメニコの行動の激しさ、瞬時 性に対してゴルチャコフの行動は対照的である。ゴルチャコフの行動は持続的 な苦行ともいうべきものであり、迫りくる死との戦いでもある。観光地となり、 人びとの保養の場と化していた聖カタリナの温泉は、再び神に犠牲を捧げる苦 行の場となり、聖カタリナの苦行を甦らせる。一つの岸からもうひとつの岸へ 硫黄の温泉を渡るという行為それ自体は、さまざまな解釈を呼び寄せる。しか しここで何よりも重要なのは、その移行の瞬間瞬間を、観客もゴルチャコフと ともに、その緊張とともに歩まねばならないということである。 ゴルチャコフの行動を記述するしかたは、単純で簡潔なものである。ゴルチ ャコフを、カメラはひたすら平行移動して、ワン・ショットで、真横から追っ ている。一度目の失敗の後、ゴルチャコフが進むにつれて徐々にカメラはクロ ーズ・アップしてゆく。全身を写していた画面は、次第にゴルチャコフの上半 身にクローズ・アップしてゆく。二度目の失敗の後、ゴルチャコフが戻るとき、 また再び全身ショットに戻り、そこから、ゴルチャコフが進むにつれて、また 再びクローズ・アップしてゆく(図 37) 。ワン・ショットで撮られることによっ て、抽象的な時間を差し挟むことなく、観客を映画の中の現実に没入させるこ とを可能にしている。しかし問題はこのクローズ・アップである。例えばベラ・ バラージュはクローズ・アップについて次のように述べている。 クローズ・アップによってその目をのぞきこむとき、われわれはもはや、 その顔をとりまく、広い空間をまったく念頭にうかべないだろう。という のは、顔の表現とその表現のもつ意味は、何らの空間的な関係も、空間と の何らの結びつきももたないからである。孤立した顔と向き合うとき、わ れわれは空間の中にいるとは感じない。われわれの空間感覚は失われてし まい、異質な次元、すなわち相貌が開けてくる。 (傍点-著者)46 実際、このワン・ショットの中で、ゴルチャコフが進むにつれてカメラがク ローズ・アップしてゆくとき、ゴルチャコフをとりまいていた空間は徐々に取 りのぞかれ、私たちの「空間感覚は失われて」しまう。ここでクローズ・アッ

46

ベラ・バラージュ(1992:79)

118


プによって拡大されていくのは、蝋燭を持ったゴルチャコフの上半身の姿であ る。ゴルチャコフは、蝋燭の炎を消すまいと必死である。風は、思わぬ所から 吹き付けるため、ちょっとでも気を抜くと蝋燭は消えてしまう。蝋燭を消すま いとするため足元を見ることもなかなかできない。心臓が痛むのか、しだいに 表情は苦しげになりはじめる。そうした姿から、クローズ・アップによって開 けてゆくのは、ゴルチャコフの蝋燭の炎を消すまいとする想い、集中、緊張、 苦しみといった「相貌」である。そうした画面だけではなく、そこに加えられ る覚束ない足取りを表現する不均等な足音や水の跳ねる音や、しだいに乱れ始 める息遣いも、ゴルチャコフの緊張、苦しみといった「相貌」を表現するもの として、 「異質な次元」をともに開き始める。そしてゴルチャコフの姿を横から とらえたカメラの動きも、画面がゴルチャコフにクローズ・アップしてゆくに つれて、ゴルチャコフの足取りが不均等になるのと呼応し始め、不均等な動き になる。そしてその画面に「相貌」が開けてゆくとき、その動きもまた、移動 を表現するのではなく、ゴルチャコフの精神的な状態を表現している。 温泉の岸に近づくに至って、さらに画面はスローモーションに移行する。着 くと同時に、鈍い鐘のような音とともにヴェルディの《レクイエム》が再び流 れ始め、画面はさらにゴルチャコフの手と蝋燭にクローズ・アップしてゆく。 蝋燭が無事温泉の岸に置かれた後、うめき声と同時にその手が画面の外に消え ることで彼の死が表現される。後には揺らめく蝋燭が残される。 (図 38)こうし てゴルチャコフの文字通り全身全霊の託された蝋燭の炎は様々なことを喚起さ せる。しかし何よりゴルチャコフの緊張をともにしてきた私たちは、この蝋燭 の炎があることの稀有さをまずは感じるのではないか。蝋燭の炎は揺らめき、 いつ消えるとしてもおかしくはない。しかし、今この瞬間、確かに蝋燭の炎は 燃えているのであり、そのことはまぎれもない。ゴルチャコフの苦行も、岸を こちら側からあちら側まで渡るというよりは、その移行の一瞬一瞬に炎を消す まいとする、一瞬ごとの苦行に違いなかった。一瞬ごとに燃え立つその炎は、 この世界全体があることの稀有さを表している。その炎は、生を《今一瞬ごと に在らしめている創造作用》の現われにほかならない。その炎は、はかなく、 ささやかさであればこそ、真理の現われとなる。 ゴルチャコフの苦悩とは、 〈他界〉との接触を失ったために生きながら死ねな いということにあった。しかし、ゴルチャコフが自らの行動に全身全霊を傾け るとき、その苦悩は姿を消す。そしてその行動の果てに見たこの蝋燭の光こそ 119


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

は、ゴルチャコフの信仰の証として、そしてゴルチャコフがあれほどに望んだ 〈他界〉との接触、そして〈他界〉への移行を許すものとしてあったのではな いか。

図 37

図 38

図 39

第3項 ラスト・ショット~他界への帰還 駆け寄る運転手、見る人々、鳴く声、ロシアに残してきた子供のイマージュ の一瞬の挿入に続いてラスト・ショットが始まる。水溜まりの前に坐ったゴル チャコフと犬、その向こうにかれのロシアの家が見える。ゆっくりとカメラが 引くにつれ、それを更に囲む巨大な聖堂の廃墟が現出する(図 39)47。音響は、 冒頭のタイトルバックとは逆に、ヴェルディのレクイエムからセルゲイエヴァ の歌へと引き継がれる。 ゴルチャコフは死してようやく念願のロシアへと至ったということだろうか。 それなら、それを囲むイタリアの聖堂の巨大な廃墟は、その至りついたロシア が本当のロシアではなく、模型に過ぎず、ゴルチャコフは結局はイタリアを出 ることができなかったということをアイロニックに言っているにすぎないのか。 しかしロシアの地は〈他界〉として映画の中で位置付けられている。犬は「冥 界の保護者、死者の付き人、魂の導者」であり、目の前の水溜まりは「生命の 泉」であろう。ゴルチャコフは死して〈他界=ロシア〉へと至ったとも言える。 しかし、すでに生きていたにもかかわらず、気づくことのできなかった〈他界〉 がここに現出していると言うべきではないか。ゴルチャコフは、 〈他界〉へ降り 立ち、その存在を証明する。ロシアの家はその証として、また、帰るべき魂の 住まいとしてある。しかし、それではそれをはるかに囲む廃墟は何か。 この廃墟は、ゴルチャコフの夢の中でのみ登場する。廃墟はイタリアという 47

家を巨大な廃墟が取り囲む構図について、第一に指摘されるのは、フリードリヒの《エ ルデナの廃墟》Ruine Eldena mit Begrabnis との類似である。滝本誠(1989)及び、同(1990)。 120


地理的位置付けを映画中に持たない。家の回りを取り囲む廃墟は、イタリアの 廃墟といった規定を越えて、正面の幾何学的なフォルムとその荘厳さによって 巨大な「宇宙的生命」 、あるいは「回想」の中の月が表していた「異教的神格」 とでもいったものを感じさせる。あるいは、鈴木志郎康にならって、個人の記 憶の外に広がる大きな記憶、宇宙的記憶48と言ってもよい。廃墟とは、壮大な持 続の痕跡の集積であり、死んだもの、時間の停止したものではなく、逆に〈こ の世〉の生を失うことによって、それを越えた壮大な生命を宿しているものだ と言えるからである。そしてその荘厳さと小さな家、小さな人間の間を埋め合 わせるかのように降りはじめる雪は、その時、その荘厳な存在が与える恩寵と いったものを感じさせる。 このショットについて、タルコフスキーは次のように記している。 「これはい わば主人公の内的状態の模型であり、彼に以前のように暮らすことを許さない、 彼の意識の分裂の模型である。あるいはおそらく逆に、彼の意識の新しい統一 体なのだ。」49これは先程の「ロシアの中のイタリア」というアイロニカルな結 末を意図したということを示しているようにも取れる。しかし、 「内的状態の模 型」、「意識の分裂の模型」、「意識の新しい統一体」という言葉には別の含みも 読み取れる。タルコフスキーは、この光景が主人公の「内面の光景」なのだと いうことを言おうとしているのではないか。 「内面空間」は「他界」と別のもの ではない。リルケの詩に次のような一節がある。 現代には神殿はもはやない、このような惜しみない心情の浪費を われわれは、今よりひそやかに内に貯える。そう、それらの一つ――かつ て祈願や奉献や拝跪の対象だったもの――がまだ建ちつづけているばあい にも、/それは、その姿のままで、すでに「眼に見えない世界」へ移りつ つあるのだ。/多数のものの眼にはもはやそういうものはうつらない。し かもかれらはおのが内部に、/柱や彫像もろともにより大きくそれを築く 力をもたないのだ。

「ドゥイノの悲歌 第7歌」50

聖堂の廃墟がゴルチャコフの夢の中に登場するとき、その聖堂は「眼に見え ない世界」へ移行しつつあり、ゴルチャコフは主と聖カタリナの会話を聞くこ 48

鈴木志郎康著「神秘の映画的実現に迫る」、『タルコフスキー、好きッ!』(1987:165) Это как бы смоделированное внутреннее состояние героя, его раздвоенность, не позволяющая ему жить, как прежде. Или, если угодно, напротив — его новая целостность (Запечатленное время, 『映像のポエジア』314, 第八章) 50 手塚富雄訳『リルケ』(1971:132) 49

121


第3章

他界への郷愁と犠牲による気づき

とも、その存在を感じることもできなかった。今、その聖堂が新たな姿をここ で現わすとき、それは「眼に見えない世界」へ移行しつつあった「神殿」をゴ ルチャコフが「おのが内部に」築きえたことをそれは示している。あるいは、 キリストが聖カタリナに語ったように、ゴルチャコフは「神とだけ語ることの できる聖堂を心の中に築き」51得たとも言える。天にそびえる「聖堂」は、ゴル チャコフの「犠牲」の象徴としてある。天がそれに応えるように雪が降り始め るとき、雪は、祝福あるいは恩寵として、この新たに築かれた「聖堂」が、天 に届き、 「天と地をつなぐ軸」となり得ていることを告げ知らせているかのよう に映る。 最後に、 「母の思い出に捧げる」という作者自身の献辞がこの映像に加えられ る。タルコフスキーの母は、この映画の制作準備中、1979 年の 10 月に亡くなっ ている。この言葉には、犠牲となって産み育ててきてくれた者への様々な思い がこめられている。ただし、思い出はどこか別のところにあるのではなく、今 ここにある。したがってその思いは、単なる過ぎ去ったものの回顧ではなく、 今ここにおいて自らを在らしめているものへの思いにほかならない。母の思い 出に捧げられたこの映画を貫いていたのも、在らしめているものの存在への確 信とそれに触れる「犠牲」への希望にほかならない。

51

池田(1980:14)

122


第4章

〈今ここ〉を貫く他界―『サクリファイス』論(一)

タルコフスキーは、イタリアで『ノスタルジア』を 1982 から 83 年にかけて 制作し完成させた後、84 年に事実上の亡命宣言をする。その後、85 年に『サク リファイス』(Offret/Sacrificatio)をスウェーデンのゴトランド島1で撮影し、86 年に完成。同年に公開される。その同じ年、86 年の 12 月に、タルコフスキーは 他界する。 本章及び続く二章において、『サクリファイス』について論じる。検討には、 日本で発売されている DVD(Imagica/紀伊国屋、清水俊二監修による日本語字幕) 、 スウェーデンで制作・発売されている DVD(Svenska Filminstitutet, スウェーデ ン語字幕付)のほか、以下の四つの文献を使用する。 ① “Offret Dialog”, in Tarkovskij (2010) Offret(“Offret”と表記。 ) ② Тарковский (2008-c) “«Жертвоприношение»: монтажная запись фильма”(モ ンタージュ記録。④と区別するため、“«Ж»: запись”と記す。 ) ③ “Opfer – filmbilder und Dialoge”, in Tarkovskij (1987d) Opfer(“Opfer”と表記) ④ Тарковский (1986a) “Жертвоприношение”, Континент(邦訳タルコフスキ ー(1987b)『サクリファイス』)(原文献は“Жертвоприношение”、邦訳は 「小説『サクリファイス』 」と記す。 ) ①は、スウェーデン語の採録シナリオ(モンタージュ・リスト)である。② は、インターネット上に公開されているロシア語の採録シナリオであり、同サ イトによれば 1988 年にレクラムフィルム出版から出版されている。③は、採録 シナリオのドイツ語訳であり、スチール写真も多数収める。④は、1984 年に執 筆し、86 年に亡命ロシア人雑誌「コンチネント」に発表した、映画の原型とな る小説である。細部は異なるが、構成はほぼ同じであり、タルコフスキーの理

1

H・R・エリス・デイヴィッドソンによれば、ゴトランド島は、「宗教的な象徴の宝 庫」であり、五世紀からヴァイキング時代の終焉に至るまでの、異教の記念的な石群が 豊富に残されていた」島であるという(1992:24)。北欧神話をはじめとする北欧文化に 対して、タルコフスキーは当然意識していたとも考えられる。また、ゴトランド島は、 対岸にロシアの大地を見ることが出来るところに位置しており、映画でも冒頭の場面で、 地平線の彼方にかすかにそれらしきものを見ることが出来る。そのことも、タルコフス キーがこの地にロケ地を定めた理由のひとつとして考えられる。 123


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

念を探るのに有益である。映画完成後に、ロシア語で小説を公けに発表したの は、タルコフスキー自身が、翻訳では伝わらない自身の理念を示したかったも のと推測される。小説と映画を比較検討することは、理念を明らかにし、映画 を解く上で重要な鍵となる。本稿は、焦点は映画に絞るが、必要に応じて小説 との比較も行う。 引用にあたっては、①のスウェーデン語、②のロシア語を併記する。また必 要に応じて、③と④に言及する。

第一節

他界観の提示

第1項 永遠回帰をめぐる対話 映画冒頭、浜辺で、アレクサンデルとオットーとの間で次のような対話がな される。対話はワン・ショットのうちに収められており、画面は、遠景からミ ドル・ショットへと、徐々にズーミングによって移行する(図1) 。移行につれ て観客の意識は風景から二人の対話へと向かう。問題となる対話の全体を提示 する。 オットー「(アレクサンデルに届いた手紙の文面を受けて)“神が幸運を賜りますよう に…”あなたは、実際に神と何か関わりをお持ちですか?」 アレクサンデル「別に、何も。どういうことかね?」 オットー「いえ、いえ、これはまったく、大したことではありません。あなたは有名 なジャーナリストです。演劇や、文学の評論を書いている。そして大学の若者のた めに美学を講義している。」 アレクサンデル「(子供に向かって)おまえの縄だ。行って、取っておいで。」 オットー「そしてエッセイも書いている!

しかしいつも憂欝だ!」

アレクサンデル「“憂欝”とは、どういうことだい?」 オットー「つまり、あなたはそんなに嘆いているべきではないということです。何か を切望すべきではありません。何も待つべきではありません。これは重要なことで す。人は何も待つべきではないのです。」 アレクサンデル「“何も待たない”とはどういうことだい?

私が何かを待っているな

どと誰が言ったんだい?」 オットー「しかしながら、私たちは皆何かを待っています。たとえば私を見なさい。 私はいつも長い間、何かを待っていました。いつも停留場に立っているかのような 124


感情を抱いていました。そしていつも今までの人生が、本当の人生ではなくて、人 生を待つこと、本当の何かを待つことであるかのように思われたのです。重要な何 かを。先生はそうではなかったのですか?」 アレクサンデル「そうだよ。そういうことならその通りだ。ただ、君が、つまりそん な問題に関心があるとは思わなかったので…。 」 オットー「いえいえ、あるんですよ。誠に残念なことにそうなんですよ。時々、奇 妙な事が、頭をよぎるんです。そうなんです。たとえばあの小びとです。あの評判の よくない小びとです。」 アレクサンデル「どの小びとだい?

君はまったく私を混乱させる。」

オットー「ご存じでしょう。あの背中にこぶのある。ニーチェに出てくる、ツァラト ゥストラを気絶させる」 アレクサンデル「気絶?

何を言っているんだい?

君はニーチェを知ってるのか?」

オットー「個人的には知りません。厳密に研究したわけでもありません。だけど、興 味をひかれるんです。そのことは否定できません。」 アレクサンデル「それで?」 オットー「ええ、時々、そんな事が頭に浮かびます。そんな風に。例えばあのばかげ た“永遠回帰”といったようなことが。ご存じでしょう。私たちはここで生きてい ます。ここで関心を抱いてます。望みを抱きます。私たちは望みを抱き、その望み を失い、だんだん死に近づいていきます。そしてついには死にます。そして再び生 まれます。再び、それが始まります。すべてが最初から!

全く文字通り同じやり

方ではありません。ほんの少しわずかに異なっていますが…。しかし同じように希 望はありません。そしてなぜなのか知りません。いえ、他の点ではまったく同じや り方なのです。文字通り正確に。いわば次の舞台のように。私にまかされたとして もそうしてしまうでしょう。ちょっと愉快なことじゃないですか?

そう思いませ

んか?」 アレクサンデル「だけどそれは誰かが言っているのを聞いたことがある。新しいこと ではない。君が考えだしたなどと思ってはいないだろうね?

それに君は人間が、

そんなふうに、ある構築物を展開させることができると本当に思っているのかね? ある宇宙的な構築物を。つまり、あるモデルを、絶対的な法則や、絶対的な真理の モデルを創ることができるなどと。それはつまり、新しい宇宙を創るということ、 世界製作者になるということだ!

君は本当に君のその小びとを信じているのかい。

君のその馬鹿げた“循環”を?」 125


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

オットー「ええ、時には信じます。分かるでしょ。それに本当に信じれば、そうなる んです。“人それぞれ、信じるところによりて”。」2

対話は、話題の奇妙さとは対照的に、全体としてリラックスした雰囲気で行 われる。対話において話題を提示し、対話の主導権を握るのはオットーである3。 以下、 「永遠回帰」 「世界製作者」 「待つこと」の 3 点について考察する。 (a)永遠回帰4

2

“Offret”:91-5, “«Ж»: запись”:2-я часть. オットーの最後のフレーズは「マタイ福音書」8 章-13。 3 小説では「ただの郵便配達夫ではない。」とアレクサンデルが言っている。 “Жертвоприношение”(33, 邦訳:21)。郵便配達夫はギリシア語では ἄγγελος(天使 angel) である。オットーは戦争に際して使者の役割を果たす。 4 タルコフスキーの日記を見るとき、「永遠回帰」という理念がセネカの名とも結びつい ていることが分かる。タルコフスキーは、セネカの『道徳書簡集』の手紙三十六を日記 に引用している。セネカの文章を前後の部分も合わせて提示する。タルコフスキーが日 記に引き写している部分を下線で示す。「死そのものは何の災いでもありません。死を 災いにする何かがあるに違いありません。ところで、もし君が長生きをしたいという強 い欲求に囚われるならば、こう考えなさい――a. われわれの眼界から去る事物は何一つ 滅ぼされることはなく、自然、すなわち、それらの事物がそこから生じ来った、またや がてそこから現われ出るところであろう源へ戻し帰されるのだ――と。それらのものは ある行路を終るだけで、滅びるのではありません。そして死は、われわれが恐れ戦き拒 否しようとするものであるが、生命を止めるだけであって、それを奪い取るものではあ りません。われわれを光のなかに返す日は再び来るでしょうが、多くの者たちは、過去 を忘れない限り、その日を拒否したでしょう。/しかし、いつかまた、もっと念入りに お教えしたいと思いますが、滅すると思われるあらゆる事物は、実は変化を受けるだけ です。ですから平静な気持ちをもって元に帰るために立ち去ることが大切です。自然の 大道はそれ自らの中を繰り返し円転していると見なさい。お分かりになると思いますが、 この宇宙では何ものも消滅するものはなく、交互に浮沈を繰り返しているのです。夏は 去ったが、次の年が再びそれを連れてくるでしょう。冬は衰えたが、その暦月がそれを 運んで帰るでしょう。太陽は夜を隠したが、しかし夜もすぐに日の追い立てを食うこと になります。星々のあの運行は、前に通過したところを必ず反復します。天空の一部分 は不断に浮びつつあり、また一部分は不断に沈みつつあるのです。最後に次の一言を書 き添えて終りにしたいと思います。b. 幼児も少年も精神薄弱者も死を恐れませんが、こ の者たちがその無知のゆえに起こされる無頓着さを、われわれにはそれを理性が与えな いならば、それこそ本当の恥と言うべきです。」(セネカ, 1992:124-5)タルコフスキー が引用しているのは、1981 年と 1983 年の二度である。1981 年 9 月の日記には、a. と b. の両方が写され、a. の引用の後に「またもや〈永遠回帰〉だ!」、b. の後に「『魔女』 (『サクリファイス』の元の原題)に使える。」という書込がなされている (Мартиролог:357, 『日記』:482-3)。また、1983 年 3 月 2 日の日記には、「『魔女』に ついて」と題して a. を再び書き写し、「使えるかもしれない」と付け加えている(『日 記Ⅱ』:73-4. Мартиролог には該当なし)。ストアの思想にタルコフスキーはひかれてい た。前作『ノスタルジア』において、マルクス・アウレーリウス像を登場させ、その像 の上でドメニコに、マルクス・アウレーリウスの思想と呼応し合う演説を繰り広げさせ 126


まず対話後半に現れる「永遠回帰」 (eviga kretsloppet/ Вечного возвращения) の話題について考察する。鴻英良は、この対話について次のように述べている。 この映画のなかでは、西欧的な反キリスト主義者としてのニーチェの「永 劫回帰」を問題にし、ニーチェをも否定しているように感じられる。アレ クサンデルはニーチェの超人とは違って、ムイシキンの、そしてストーカ ーの系譜にある弱き者のひとりなのだ。5 アレクサンデルがムイシュキンとして描かれていることは確かである6。しか し、「「永遠回帰」を問題とし、ニーチェをも否定している」とする点には問題 がある。ニーチェに対する否定的要素は、アレクサンデル=ムイシュキンの否 定以前に、オットーの「ツァラトゥストラを気絶させた」 (Han som fick Zarathustra att svimma/ от которого Заратустра в обморок завалился)「小びと」(dvärgen/ Карлика)という表現がすでに内包している。ニーチェにおいて「小びと」は超 克されるべきキリスト者を指し、 「評判の悪い」 (ökända / пресловутого)という 表現は、ニーチェを含め、キリスト教思想に対する批判一般を指す。 「小びとが 頭をよぎる」ということはキリスト者の側に立つタルコフスキーの理念を代弁 していると考えられる。そのように「小びと」に注目するのは、アレクサンデ ルではなく、オットーの方である。したがって、〈「永遠回帰」を持ち出すニー チェ主義者オットー〉に対する〈キリスト者アレクサンデル〉の反駁という構 図は成り立たない。 ニーチェの取り上げ方は、一貫しておらず、矛盾を含む。オットーは、ニー

ている。『サクリファイス』のなかでは、「死は存在しない。あるのは死の恐怖だけだ。 それが人の行動をおかしくする。死の恐怖を除けたら、すべては変わるだろう。」とい うストア的な思想を、アレクサンデルが子供に語る場面がある(映画のこの部分の検討 については第 6 章第一節第 3 項で論及する。)。小説では、同場面で、以下の形で b. の 部分が使われている。「セネカが言ったように、子供も狂人も死を恐れない。折よく、 彼はこの考えをうまくこう結論付けている。『理性がそのような平穏を与えない人は恥 ずべきである。』子供のような平穏、彼はそう言いたいんだ。」 (Хотя ни дети, ни повредившиеся в уме смерти не боятся, как сказал Сенека. Кстати, мысль эту он неплохо закончил: «И позор тем, кому разум не дает такой же безмятежности…» То есть как у детей, он имел в виду. (“Жертвоприношение” :27, 邦訳:11) 5 “Жертвоприношение”, 邦訳「訳者あとがき」:122 6 冒頭、オットーがアレクサンデルに届ける昔の仲間からの誕生日の祝電で、アレクサン デルは「ムイシュキン」と呼ばれる。アレクサンデルは、元役者であり、『リチャード 三世』Richard III や『白痴』Идиот の舞台で主役をつとめた経験を持つという設定であ る。 127


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

チェについて「ちゃんと研究したわけではない」が「興味をひかれる」と言っ ているが、その言は、タルコフスキー自身の理解の不十分さの弁明ともとれる。 しかし、重要なのは、矛盾を指摘することではなく、テキストに耳を傾けるこ とであろう。 映画製作に先立って執筆された小説『サクリファイス』では、該当する会話 の箇所に、ドストエフスキーの『罪と罰』の一登場人物であるスヴィドリガイ ロフの名前が見い出される。永遠回帰をめぐる会話の終わりの部分は、小説で は次のようになっている。 「まさに文字通り、全く同じように、いわば、次の舞台が始まる!」郵便配達夫の オットーは激昂してきた。 「仮に私にすべてまかされたとしても、私もこのようにして しまうでしょう!

これはちょっと愉快なことじゃありませんか。どうです?」

「でもそれは新しい考えではありませんね!

ちっとも新しくありませんよ!

ヴィドリガイロフも言っています……自分で考えだしたなんて思わないでほしいです ね?」アレクサンデルは息子のことが心配になってきた。 「人間がその、例えば、普遍 的な構造物を創り出せる、いわば、絶対的な〈法則〉、〈絶対的な真理〉のモデルを創 造することができると、あなたは本当に考えているのですか!?

それは新しい宇宙を

創造すること、デーミウルゴスになることと同じではありませんか!」 「でもどうです、もうそれに近いじゃありませんか?」オットーが反駁した。 「いま なにか不可能なものがありますか?」 「なんですって?

なにに近いですって!?」アレクサンデルは身を乗りだした。 「本

当に、その小びとを信じているのですか!?

その馬鹿げた永劫回帰を!?」7

映画の対話におけるアレクサンデルの「だけどそれは誰かが言っているのを 聞いたことがある」 (men det där har man ja hört förut / я все это уже слышал)とい う発話の「誰か」とは、スヴィドリガイロフであった。映画化に際して削除さ れた理由は定かでないが、スヴィドリガイロフの名前は、小説が起稿された段 階でのタルコフスキーの理念を示す。スヴィドリガイロフの名が示すのは、 『罪 と罰』の次の箇所であろう。 《亡霊は-いわば他の世界の小さな断片、他の世界の要素である。健康な人には、む ろん、それが見える理由がない。なぜなら健康な人は完全な地上の人間である。した がって、充実のために、さらに秩序のために、この地上の生活だけをしなければなら

7

“Жертвоприношение”(32-3). 邦訳(19-20)

128


ない。ところがちょっとでも病気になると、つまりオルガニズムの中でノーマルな地 上の秩序がちょっとでも破壊されると、ただちに他の世界の可能性があらわれはじめ る。そして病気が重くなるにつれて、他の世界との接触が大きくなり、このようにし て、人間が完全に死ぬと、そのまますぐに他の世界へ移る》/わたしはこのことをも うまえまえから考えていましてな。もし来世の生活を信じていれば、この考察も信じ られるわけです。

8

スヴィドリガイロフの名を手がかりとして、永遠回帰の観念と他界の観念の 連関が浮かび上がる。永遠回帰が問題とされるのは、ニーチェ批判のためでは なく、他界観の提示のためだったと想定される。次に行う、続く対話の検討も、 この解釈を裏づけている。 (b)世界製作者9 「永遠回帰」を持ち出すオットーに対し、アレクサンデルは、それは「世界 製作者になることだ(att bli demiurg/ стать Демиургом) 」と言う。アレクサンデ ル自身はそう言って反駁しようとする。しかし、アレクサンデルの言葉は話題 がずれているだけで、反駁になっていないことがまず指摘される。 「永遠回帰」と「世界製作者」という二つの話題の間には飛躍がある。ただ、 その間のつながりが、日本語字幕(及びドイツ語訳のテキスト)で一層わかり にくいのは、次の一文がないためである。スウェーデン語、ロシア語、及び小 説を見ると、この飛躍の間に、オットーが発する「仮に私にすべてまかされた としても、私もこのようにしてしまうでしょう!」så där hade jag kunnat ordna det själv, om det hade berott på mig/ Я бы именно так и сделал, если бы от меня 「永遠回帰」の主題 зависело! 10という一文があり、架橋していることがわかる。 は、この一文を通して、「世界製作者」へとつながっている。「世界製作者にな 8

スヴィドリガイロフの言葉。ドストエフスキー(1987a:21) ロシア語では、Демиург(小説でも同様。“Жертвоприношение”:32)、スウェーデン語 では demiurg、ドイツ語訳では、Weltschöpfer となっている(Opfer:54)。デーミウルゴス δημιουργός は、δημος+ἔργον で、本来、人々のために働く者、「公共の奉仕者」を意味 する。オットーが対話の冒頭で、アレクサンデルのことを「有名なジャーナリストで、 演劇や、文学の評論を書き、大学の若者のために美学を講義し、エッセイも書いてい る」と言う部分に、当てはめて解釈することも出来る。つまり、アレクサンデルは、す でに「公共の奉仕者」に近いではないか、と。 10 小説では、“Жертвоприношение”:32, 邦訳, タルコフスキー(1987c:19)。 9

129


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

ること」だというアレクサンデルの言葉は、見かけに反して反駁ではなく、オ ットーの言葉を引き継ぎ、補完する役割を担っている。実際、オットーは、小 説では、アレクサンデルの言葉に対して、 「もうそれに近いじゃないですか」と 答えている。 勿論、オットーの論にアレクサンデルは同意するわけではない。アレクサン デルはオットーの論に驚き、反駁しようとする。しかし反駁という見かけに引 きずられて、ニーチェ主義者オットーに対するキリスト者の立場からの否定(反 駁)と解釈するとき、ニーチェ対キリスト者という先入見が生み出す誤謬に陥 る。 二人の発話は対立しているのではなく、同じ方向を向き、同じ理念を伝えよ うとしている。 「仮に」で始まるオットーの言葉は、永遠回帰=他界の側に立つ こと、この世を在らしめるものの側に立つこととして理解される。永遠回帰を 他界と解釈するならば、世界製作者への話題転換は、他界との接触の可能性を 表すものとして理解される。他界との接触は、この世を在らしめているものと ひとつになることである。あるいはすでにそうであることに気づくことである。 正教の「神化」の伝統11、また後にアレクサンデルが神のロゴスを受肉したキリ ストとして描かれることなどを考え合わせれば、こうした解釈は決して突飛で はない。 「世界製作者」をめぐる対話は、人間は世界製作者になれないという凡 庸な否定的見解を示すためではなく、むしろ、世界製作者への変貌の可能性を 肯定的に暗示する目的をもって置かれていたと考えられる。 (c)愉快-憂欝-待つこと12 11

神化(theosis)の教義は、聖アタナシオスの「神が人になったのは私たちが神となり 得るためである。」という言葉に集約される。ティモシー・ウェアは「神化」について、 この聖アタナシオスの言葉を掲げた後、次のように説明している。「神であると同時に 人である受肉のキリストによって、ある橋が、神と人間との間に形成される。主は約束 された。「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、お前たちは見る ことになる。」(ヨハネ福音書 1 章 51 節)その階段(梯子)を使うのは天使たちだけで はない。人間もまたそれを使うのである。」(Ware, 1993:21)「神化」の伝統について は、落合(1995)及び、ロースキィ(1986)も参照。 12 待つことの主題はまた、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』En attendant Godot(ベケット, 1990)を下敷きにしていると想定される。『ゴドーを待ちながら』と この映画のこの場面は、一本の樹が立った田舎道で対話が行われるという状況上の類似 も含んでいる。ベケットの「ゴドーGodot」の解釈は容易ではないが、神を暗示するとす るのが、ひとつの解釈である。ベケットの作品では、「ゴドー」はいつまで待っても訪 れない。この映画における「待つこと」の主題化は、このベケットの作品の読み替えと 130


オットーは永遠回帰の話題の締めくくりに、「ちょっと愉快じゃないです か?」 (Lite komiskt/ этом что-то весёленькое)と付け加えている。この「愉快な」 という言葉は、話題の始まりの部分の「憂欝」 (dyster/ невесёлы)と対応してい ることがロシア語では明らかである13。「憂欝」と「愉快」の対比を考察する鍵 は「待つこと」の主題化の中にある。該当部分を再度引用する。 「何も待つべきではありません。…しかしながら、私たちは皆何かを待っています。 例えば私を見なさい。私はいつも長い間、何かを待っていました。いつも停留場に立 っているかのような感情を抱いていました。そしていつも、今までの人生が、本当の 人生ではなくて、人生を待つこと、本当の何かを待つことであるかのように思われた のです。重要な何かを。」

「待つこと」は日常的なレベルでの個々の場面における待つことではなく、 生全体が「待つこと」としてとらえられている。 「待つこと」としての生は未完 成であり、 「本当の生」ではない。その非充足性が「憂鬱」という言葉に結びつ く。「待つこと」としての生が完成・完結するとすれば、それは、「待たれてい るもの」が到来するときである。生全体が「待つこと」である以上、 「待たれて いる」志向対象は、生の〈外〉である。生きている限り、生は限界を持ち、限 界の〈外〉は消去されず、残る14。 「何も待つべきではない」 (Man ska inte vänta sig nåt/ не ждете.)という言葉の 意味は、 〈外〉を忘却し享楽的に生きることでも、諦めることでもない。それは 真の解決ではない。 「待つこと」の唯一可能な解消方法は、待たれている対象(こ の世の外=完成)を、未来に設定せず、 〈今ここ〉において生きること以外にな い。 〈今ここ〉において他界を生きよというメッセージをその言葉は示している。 そのとき、「待つこと」として捉えられた生の非充足性(「憂鬱」)は解消され、 充足した生( 「愉快」 )が生きられる。 しても解釈できる。すなわち、オットーの「待つべきではない」という言葉には、ゴド ー(神)は、いまここに既にあるにもかかわらず気づいていないだけだ、という含意を 読み取ることができる。樹が芽吹くというモチーフにおいても両者は共通する。タルコ フスキーがベケットに興味を抱いていたことは、日記にその名が書き込まれていること からも明らかである。例えば、「ストルガツキー兄弟(『ストーカー』の脚本を書いた 小説家)のために『モロイ』を手に入れること」というメモが見られる。(『日記』188) 13 “Жертвоприношение”(30-2) 「憂鬱」と「愉快」の対応は、スウェーデン語では“dysterkomiskt ”、ドイツ語では“düster-komisch”である(Opfer:52-3)。 14 この件は山田晶(1985)を参考にしている。 131


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

「愉快」という言葉は、永遠回帰と結びついている。 「愉快」という言葉が指 すのは、この世を貫く永遠回帰=他界との接触の可能性である。 「他界との接触」 と気づきによって、「憂欝」(生の不十全さ)は「愉快」(十全な生)へ転じる。 戦争が勃発する場面で、待つことは形を変えて再び主題化される。アレクサ ンデルが、首相の緊急放送によって、核戦争の勃発を知るとき、アレクサンデ ルは「私はこれをずっと待っていたんだ。私の全人生は、この時のこれを待 つということだったんだ。I hela mitt liv har jag väntat på det här. Hela mitt liv har varit en enda väntan på det här./ Я всю свою жизнь ждал это. Вся моя жизнь была ожиданием вот этого самого.」15とつぶやく。アレクサンデルの言う「これ」と いう言葉は、「戦争」「この世の終わり」など様々な含意を含むが、第一義的に は「死」を指すと理解される。生全体を「待つこと」として、そこで「待たれ ている」対象は、「死」であり、生の終わりであり、生の外部との接触である。 生は、生の外部との接触・融合により、完成に至る。 「待たれている」対象が今ここに現出するとき、もはや待つことはない。ア レクサンデルは、オットーの「待つべきではない」という言のとおり、待つこ とのない生、今ここにおいて死を生きる生を生き始める。アレクサンデルの犠 牲の意味が、ここには暗示されている。

図 1

図 2

図 3

第2項 地図についての会話 オットーは、浜辺でアレクサンデルと別れた後、アレクサンデルへの誕生日 の贈り物(贈り物と犠牲の関わりについては後述する。 )をもって、再びアレク サンデルの家を訪れる。その贈り物とは、17 世紀の末のヨーロッパのオリジナ ルの地図である(図 2) 。次に検討したいのは、その地図をめぐって交わされる 15

“Offret”:131, “«Ж»: запись”: 7-я часть

132


次のような対話である。 アレクサンデル「世界がここに描かれているようだと人が信じていたとしたら、なん てすばらしいことだろう。このヨーロッパは火星のようだ。つまり、真実とは何の 関係もない。」 オットー「ええ、しかし人は暮らしていました。そしてそれはさほど悪くはなかった のです。ところで、今日のデータは?…1392。」 アレクサンデル「地図を片付けよう。オットー、一緒に手伝ってくれ。私は、現代の 地図も真実と何の関わりもないという奇妙な感情にとらわれてきた。 」 オットー「どの真実とですか? ビクトル「真実?

あなたはいつも真実にこだわるんだから。」

真実とはなんだ?」

オットー「真実なんてものはありません。私たちは目を向けていても、何も見えてな いんです。ここにゴキブリがいるとします。 アデライーダ「ゴキブリ?」 オットー「例えば、ですよ、奥さん。すみません。ここにゴキブリがいて、ずっと皿 のまわりを回っています。そしてまっすぐ進んでると思いこんでいます。しかも一 生懸命に。」 ビクトル「皿の中を回っているゴキブリの考えてる事が、どうして分かるのかね?

キブリにとっては一種の儀式なのかもしれないだろう。」 オットー「ええ、確かに。」 ビクトル「つまり、ゴキブリの儀式だ。」 オットー「ええ、ありえます。どんな事だってありえます。ありえます。そうでなけ れば“真実”に振り回されるだけです。真実に。」16

現在の地図とは異なる 17 世紀の地図を契機として、地図と「真実」との対応 が話題となる。17 世紀の地図を誤りとするとき、現在の地図が正確なものであ ることが前提としてある。しかし、そもそも地図とは、ある約束事の上に成り 立つものであり、その時代の価値観や世界観を反映している17。17 世紀の地図も 固有の妥当性を有している。にもかかわらず、現代の地図の方が正しいという 感覚が抜きがたいのは、 (またそもそもどちらが正しいか(正確か)という命題

16

“Offret”:116-8, “«Ж»: запись”: 5-я часть. 若林幹夫(1995)が詳しく論じている。「地図という表現は、それが作られた社会に おける『真実』や『事実』を、その社会における他の言説や情報との相互関係の中で生 み出すのだ…」(16)

17

133


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

が成り立つのは)客観的な対象として現実が把捉(計測)可能であり、明確な 手続きによってそれを写し取ることができるということを前提としているから である。近代の思考はまさにこの正確さを求めてきた。 アレクサンデルが 17 世紀の地図の前に座り、 「現代の地図も真実と何の関わ りもないという奇妙な感情にとらわれてきた。 」 (Så härligt det måste ha varit när man trodde att världen var sån som den är avbildad här / У меня странное чувство, что наши современные карты тоже никакого отношения к истине не имеют.)と言うこ とは、こうした前提の揺らぎを表している。 「真実なんてない」 (Inte finns det nån sanning / Истины вообще не существует.) 、 「どんなことだってありえる」 (Allt kan hända./ Все может быть)というオットーの言葉は、計測可能な外的-客観的真 実などはないということを意味する。 しかし、オットーは、単なる「相対主義」をとなえているわけでもない。 「 (わ れわれは)目を向けていても、少しも見えていない」 (Vi tittar, men vi ser inget / Мы смотрим и не видим ни черта.)18という言葉には、客観的真実とは別の真理が暗 示されている19。 そのことはゴキブリのエピソードにも示されている。真っすぐ進んでいると 思い込んでいるゴキブリのように、人々は何かを思い込んでおり、それが思い 込みであることに気づかない。それが思い込みにすぎないことは、上から見れ ば一目瞭然であるが、そのような視点を思い込んでいる者は得ることができな い。しかし、ここには、そのことに気づくこと、そのような思い込みから脱す ることの可能性も示されている。それは、真っすぐに進んでいると思い込んで いるゴキブリを「上から見るまなざし」20である。そのような「上から見るまな ざし」を、外部乃至は他界からの視点と言い換えることができる。 「事実はどの ようにでもありえる」という相対主義は、他界を視点とし、そして、他界から 18

小説でも同様。“Жертвоприношение”(47) . 「真実なんてない」というときと、魔女のことをアレクサンデルに告げるときに「そ れは聖なる真理なのだ」と言うときとでは、スウェーデン語では sanning、ドイツ語では Wahrheit と、どちらにも同じ言葉を使い区別がないが、ロシア語では、それぞれ истина と правда を使い分け、明瞭に区別されている。 20 この言葉は、タルコフスキー自身の言葉に負う。タルコフスキーは、『鏡』で使用し たレオナルド・ダ・ヴィンチの《ジネヴラ・デ・ベンチ》Ginevra de' Benci について、そ の魅力の一つは、「対象を外部から、外側から、傍らから熟視するときの、芸術家の驚 くべき能力である、これは例えばバッハやトルストイのような芸術家に固有な、世界を 上から見るまなざし надмирностью взгляда である」と論じている。(Запечатленное время, Глава пятая "Образ в кино", 『映像のポエジア』162-3) 19

134


の視点へ導くものとしてある。 第3項 収集家 上の対話につづいて、アレクサンデルが子供の姿が見えないと子供を探しに 外に出掛けた後、残った人々にオットーは、自分は郵便配達をしながら、 「説明 できないが本当のことだと考えられるような出来事」を集めている「収集家」 なのだと言う。そしてその一例として次のような話をはじめる。 〈話〉戦争中、召集された息子が、戦争へ行く前に母親と写真を撮る。その 息子は戦死する。その母親が、戦後、友人に送るために写真を撮ったとき、自 分だけではなく、死んだ息子が、召集されたときの若さのままで、一緒に写っ ていた…。 話は静寂の中、細部にわたって展開される。オットーは「私たちは、まっ たく盲目なんです。何も見えてないんです。Vi är helt enkelt blinda. Vi ser ingenting / Просто мы слепые, ничего не видим」21と話を締め括った後、突如引 っ繰り返り、気を失う(図 3)。驚き、駆け寄る人々に、目覚めて、 「いえ、大 丈夫です。悪い天使が翼で私に触れたんです Det var bara en ond angel som rörde vid mig / Это просто злой ангел меня своим крылом задел.。」と答える22。このオ ットーの〈話〉とその後の気絶が暗示しているのは、この世とは別の領域すな わち他界である。そしてまた、その他界が、この世とは別のところにあるので はなく、この世を在らしめるという仕方で、この世を貫いていることである。 以上のように、オットーという人物を中心として展開される映画前半の対話 と筋の展開は様々な形を取るが、一貫してこの世を貫く他界を指し示している。 こうした他界観は、オットーという一人物の奇妙な思想にとどまらない。むし ろそれは、タルコフスキーの根本理念を成すものであり、タルコフスキーは、 オットーという人物を登場させることで自らの他界観を提示しようとしたのだ と考えられる。 その提示は、登場人物に対してというよりむしろ、観客に対しての提示であ

21

ロシア語は小説も同様“Жертвоприношение”(49). ‘не видим’という言葉がここでも繰 り返される。ドイツ語訳は Wir sind ganz einfach blind. (Opfer:84) 22 “Offret”:123-4, “«Ж»: запись”: 5-я часть, 6-я часть.「悪い天使」は、小説では「よくない 天使」‘нехолоший ангел’. “Жертвоприношение”(49) 鴻訳では「邪悪な天使」(55)。 135


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

る。ここで提示される他界観は、第一に、映画全体の理解に関わる。観客の興 味をそがない仕方で巧妙に幾分謎めいた仕方でなされるその提示は、この後起 こる出来事や登場人物の行動を理解する鍵を観客に与えている。第二に、他界 観は、映画の理解の内に完結するのではなく、タルコフスキーの根本理念を成 していたと想定される。他界の問題は、次章の犠牲の検討においても重要にな る。 第二節 他界の出現、あるいは露呈としての戦争 第1項

戦争勃発の描写・演出

本節ではこの映画における戦争について検討する。戦争の性格については、 首相の放送やアレクサンデルの祈りも重要である。ここでは、戦争勃発の描写 演出について検討する。 〈戦争勃発の場面〉 オットーの気絶の場面の後、遠景でとらえられたマリアのショット(図 4)に つづいて、ジュリアの持ったグラスが揺れ音を奏で始める。轟音が部屋のなか に鳴り響き、ジュリアとマルタが慌てて駆け出す姿をカメラが左右に追う(図 5) (アデライーダは耳を塞ぎ、オットーは椅子に座って背中を向けている:次項 参照) 。部屋の中央の奥の棚にむかってクローズ・アップすると、牛乳を入れた ガラスの器が振動で床に落ちて砕け、牛乳が床に流れだす(図 6) 。その瞬間、 、画面はアレクサンデル アレクサンデルの後頭部のアップに切り替わり(図 7) の動きにつれて、下降すし、足元に小さな家(図 8)が映り、アレクサンデルが その小さな家を覗き込んでいたことが明らかになる。 アレクサンデルはこの後、マリアに出会い(図 9) 、そして家に戻り、そこで 首相の緊急放送を聞いて、戦争が起こったことを知る。それ以降、アレクサン デルを含めて、登場人物たちは戦争をあくまで戦争として理解するし、またそ のようなものとして観客は登場人物の状況を理解する。しかし、例えばここで 奇妙なのは、轟音が鳴り響いているにもかかわらず、アレクサンデルがそれに 気づいていないことである。 (アレクサンデルは、この後、家の二階でオットー とダヴィンチの絵画について会話を交わし、その後、階下に降りてテレビ放送 を聴き、はじめて戦争の勃発を知る。 )このような奇妙さは、アレクサンデルと 他の人とのずれを表すとともに、轟音や戦争に託された別の位相を明らかにし 136


ている。以下、4点に分けて考察する。

図 4

図 5

図 6

図 7

図 8

図 9

(a)身体の揺らぎ 画面は牛乳のショットにつづいて、アレクサンデルの後頭部のクローズ・ア ップに切り替わり、背後の現実の家、そして足元の小さな家を順に映す。アレ クサンデルの身体のうち映し出されるのは頭部と辛うじて肩の部分だけであり、 その頭部がゆっくりと傾いていくとき、極めて不自然な印象を与えている。そ の映像は、アレクサンデルの日常の安定性の揺らぎ、あるいは身体の中枢性の 狂いを表現している。 画面はアレクサンデルの身体をクローズ・アップで捉える。そして画面の下 降と共に、その身体は傾いていく。ベラ・バラージュは、身体のクローズ・ア ップについて、次のように述べている。 「われわれはクローズ・アップによって のみ見ることのできる手が、ある人間に所属していることを、寸時たりとも忘 れない。手のすべての動きに意味を賦与するのは、まさにこの所属性である。 」 23

このショットでクローズ・アップされるのは、 「手」ではなく上半身であるが、

バラージュの考察はここでも重要である。クローズ・アップされた身体の部分 の動きが、ある行為や感情の表現として意味を持つのは、それがある人間に属 23

we do not for an instant forget that the hand, say, which is shown by the close-up, belongs to some human being. It is precisely this connection which lends meaning to its every movement. (Béla Balázs, 1972:60-61) 邦訳、ベラ・バラージュ(1992:78) 137


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

し、その身体全体の活動の内に位置づけられることによってである。この場面 でも、クローズ・アップされた身体が、ある一人の人間(アレクサンデル)に 属していることを観客は寸時たりとも忘れない。そしてそれが、能動的に働く 身体に所属することによって、傾いていく身体は、小さな家を見る姿となる。 しかし観客に与えられるのが、背後から捉えられた上半身だけであることも また事実である。クローズ・アップはそれを支えているはずの下半身を画面の 外へと追い出している。身体が、全体としてどのような構えをとっているのか、 観客には分からない。奇妙にねじれて傾くその上半身だけを見るとき、それは 気を失い倒れる姿のようにも見えてくる24。その印象は、このショットがスロー モーションであることによって強められる。スローモーションは、 「対象の間を 藻のように漂い、自ら動かない」25身体を呈示するからである。観客は、クロー ズ・アップされた身体が、ある人間に属することを疑わない。しかしその身体 は、同時にその中枢性を失っているように見える。 ショットの切り換わりによって、突如映し出されるアレクサンデルの後ろ向 きの姿が、小さな家を見るものであると知るには、ショットの最後に小さな家 が映るのを待たなければならない。それに先立って、身体的なレベルでの交感 が、観客の身体との間に生起する。メルロー=ポンティは、論文「幼児の対人 関係」26において、古典的心理学の〈心理作用や心的なものとは、当人のみに与 えられているものだ〉とする考えを根本的偏見として退け27、他者の知覚におい て、身体的な志向的交差が働くことを主張する。 私の志向が他人の身体に移され、他人の志向も私の身体に移されるとい うこと、また他人が私によって疎外され、私もまた他人によって疎外され るというそのことこそが、他人知覚というものを可能にするのです。28 メルロー=ポンティは、この志向の交差を、マックス・シェーラーの言葉を借

24

映画前半の、これに先立つ場面において、やはりアレクサンデルが奇妙な仕方で気絶 する場面がある。これについては、第 6 章で論じる。 25 …le ralenti donne un corps flottant entre les objets comme une algue, et qui ne se meut pas. (Maurice Merleau-Ponty, 1964:78、 邦訳(1966:293)。前田英樹(1993:18 以下)も参照。 26 Maurice Merleau-Ponty(1975、邦訳、メルロー=ポンティ「幼児の対人関係」(メルロ ー=ポンティ 1966 所収)。 27 Merleau-Ponty(1975:25-30、邦訳:129-31) 28 C’est ce transfert de mes intentions dans le corps d’autrui, et des intentions d’autrui dans mon propre corps, cette aliénation d’autrui par moi et de moi par autrui qui rend possible la perception d’autrui. Merleau-Ponty(1975:32、邦訳:136) 138


り、 「前交通 précommunication」29と呼ぶ。この「間身体性」のテーゼは、映画映 像における人物の身体と、それを受容する観客の身体との間にも妥当する。同 論文によれば、像を単なる「 〈私とは何の関わりもない視覚的世界〉の中にある 〈見かけ〉 」であると考えるのは、 「分析的・反省的な考え方」である30。そのよ うな反省に先立って、 「像は、成人においてさえ、決して実物の単なる反映では なく、むしろ実物の「準現前」でもある」31。例えば、映画の鑑賞においてしば しば観客は、画面に中心となる人物の姿を探し、そこに視点を置こうとする。 そのような志向の働くことは、映画においても観客の身体的な志向が、画像上 の他者の身体に向けて発動していることを裏付けている。 この画像上の身体との志向的交差を考慮するとき、問題とするショットの受 容を理解する道が立てられる。クローズ・アップされ、傾いていく身体が能動 的に働く身体に属することを観客が忘れないのは、それを他者として知覚して いるからである。そして、その奇妙にねじれて傾く身体に不安定さを感じ取る とき、観客の身体と画像上の身体との間に身体的な「前交通」が生じている。 身体の軸が歪む時、その身体は、〈身体図式〉32を狂わせ、またそれと相関する 世界の体制を狂わせているものと映る。カメラが軸を傾けるわけでも、観客の 身体が傾くわけでもない。にもかかわらず、画像上に知覚する他者に異常なる 事態が起こっていることを察知するのは、観客がそこに、自らの身体の志向を 交わらせているからである。 (b)小さな家 アレクサンデルの身体の揺らぎの元は、小さな家である。アレクサンデルが 見る小さな家は、周りに岩や水を配し、「箱庭的光景」33を作り出している。そ の小さな家のミニチュアは、アレクサンデルの誕生日のプレゼントに、子供が

29

Merleau-Ponty(1975:33、邦訳:137) Merleau-Ponty(1975:50、邦訳:157) 31 même chez l’adulte, l’image n’est jamais simple reflet du modèle, elle est sa “quasi-présence” Merleau-Ponty(1975:51、邦訳:158) 32 Merleau-Ponty (1975:30-31、邦訳:134-5) 33 ミルチャ・エリアーデ(1969:145-7)。『ノスタルジア』においても、同様の「箱庭的 表現」が、ゴルチャコフがドメニコの住まいを訪れる場面に見られる。第3章第二節第 6項参照。ここでアレクサンデルを貫く感情を「戦慄 tremendum」であると考えれば、そ れは、ルドルフ・オットーが、ヌミノーゼ(聖なるもの)の不可欠な要素として論じた ものである。R・オットー(1968)第 4 章を参照。 30

139


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

オットーに手伝ってもらい作ったのだと、続く場面でマリアが言う。しかし、 アレクサンデルの様子は、その言葉を聞いた後も、子供のプレゼントを目にす る父親の姿には見えない。実際、続くショットにおいて、元役者であるアレク サンデルは、小さな家を見ながら、シェイクスピアの『マクベス』Macbeth でマ クベスが幽霊を見たときのせりふを英語で口にする。 「だれがやったんだ、これ は。神々か? Which of you have done this? The Lords?」アレクサンデルの驚きは、 この世のものではないもの、幽霊=他界の断片を見た者の驚きである。 アレクサンデルは小さな家を、核戦争の勃発と同じ瞬間に見る。そのことは 戦争が、アレクサンデルを襲うこの世ならぬものの生起であることを示してい る34。 ここでこの家の模型はまた、先の「あるモデルを創るなんて…世界製作者に なることじゃないか!」というアレクサンデルの言葉と、対応しているとも考 えられる。アレクサンデルの驚きは、世界製作者にしか為しえないはずの絶対 的なモデル、宇宙の創造を、目のあたりにしたものの驚きであったとも言える。 マリアの口から、子供が、アレクサンデルのために、オットーに手伝ってもら いながらその家を作ったということを聞かされても、アレクサンデルに、驚き を解かれ安心する様子は見られない。むしろさらに驚きをもってマリアの言葉 はアレクサンデルに迎えられる。アレクサンデルにとって、それは単なる誕生 日の贈り物ではなく、他界の断片あるいは小宇宙として受けとめられているか らであり、それを子供が作ったということは、子供が世界製作者になることを 表している35。 アレクサンデルが小さな家を見る瞬間は、アレクサンデルのこの世からの離 脱の瞬間として位置付けることができる。それが戦争の勃発の瞬間と重なって いることは、戦争の勃発を、他界の現出あるいは、アレクサンデルの他界への 34

戦争と聖性の関わりについては、ロジェ・カイヨワ(1994)を参照。 この直前に、アレクサンデルが子供に、自分が今住んでいる家を発見する件を「奇跡」 として語る場面がある。アレクサンデルがここでまなざしているのも、もうひとつの奇 跡(驚異)だったのではないか。小説では、この家は、“замка”(замок の単数生格)と も表現されている(“Жертвоприношение”:51)。замок は、アクセントの位置によって、 「城 замок」とも「鍵 замок」とも訳せる言葉である。クーパー(1992)によれば、「城 castle」は、「囲われた場所や、壁で防備された都市と同じ象徴的意味をもち、得難いも の、霊的な試練をあらわす。」(44) また「鍵 key」は「開け閉めする力、結びほどく 力のすべてを含む軸象徴である。鍵はまた、解放、知識、密儀、イニシエーションをあ らわす。」(144) 鴻は「城」と訳している(57)が、以上のような含意も замок には 含まれていると考えられる。 35

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参入として位置付けることを可能にしている。 (c)牛乳 白夜 核戦争勃発と同時に白夜へと移行するということも、そのような解釈を裏付 けている。牛乳の白は、ここでは白夜の白と重ねられている。牛乳は霊的な物 質であり、また白夜も、ドストエフスキーの小説では霊的な世界として描かれ ている。牛乳と白夜の結びつきは、両者の霊的性格をあらわにすると同時に、 戦争を白夜へと結びつけ、戦争を他界と位置付ける解釈を支えている36。 実際の家の中の床を流れる牛乳は、白夜となってアレクサンデルを包みこむ と同時に、アレクサンデルは、小さな家を包みこむほどの大きさとなる。クロ ーズ・アップされたアレクサンデルとその足元の小さな家という対比は、その ような相互の入れ子構造を表している。 また、牛乳の流れだすのと、白夜の中で、アレクサンデルが小さな家を覗き 込むことが同時に起こることに注目するならば、その瞬間は、 『白痴』に語られ る『…あの癲癇もちのマホメットがひっくりかえした水がめから、まだ水の流 れださぬさきに、アラーの住居をくまなく見つくしたという一瞬』37を想起させ るものとしても考えられる。それは、ムイシュキン公爵の発作の直前の至高の 調和の瞬間の説明として持ち出されるものであり、通常の時を逸脱する瞬間で 「この世の関節が外れてしまった The ある38。それは、他界へ参入する時であり、 time is out of joint」 ( 『ハムレット』 )39時である。

36

「乳(と蜜)の流れる地(「出エジプト記」)(=約束の地=神の国)」の出現とい う位置づけも可能だろう。「神の国は見分けがつくありさまでは来ない。『それ、ここ にある』とか、『あそこにある』とか言えるものでもない。実に、神の国はあなたたち の間にあるのだ。」(ルカ福音書 17 章 20-21)アレクサンデルの犠牲はこの〈間〉にあ る神の国に落ち込むことあるいは、それに気づく過程だったと言える。あるいは、戦争 の勃発は、からし種あるいはパン種(ルカ福音書 13 章 18-20)が、一挙に成長し膨れる 過程だったと見ることもできる。 37 ドストエフスキー(1970:421) 38 小説では「空を飛んでいるような как от полёта めまいを感じた」と表現されている。 “Жертвоприношение”:50.(邦訳:56)また、魔女との一夜の後、再び「空を飛んでいる夢」 という表現が使われている。“Жертвоприношение”:71(邦訳:99) 39 シェイクスピア(1967:47)。アレクサンデルが、森の中で、現代文明について語りな がら、「『言葉、言葉、言葉。』ハムレットの言いたいことがようやく分かった。」と 言う場面がある。( “Words, words, words.” Ja, först nu harjag förstått vad Hamlet menade./ «Слова, слова...» Наконец-то я понял, что имел в виду Гамлет. ) 141


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

(d)轟音 轟音が、部屋の中に鳴り響くとき、戦争の始まりを告げるものとして理解さ れる。その轟音が、続く白夜の中で小さな家を見るアレクサンデルの姿のショ ットにまたがって鳴り響くとき、轟音は二つのショットの同時性を表す役目を 果たしている。しかし、もう一方で、アレクサンデルがその轟音を耳にしてい ないことにも注意しなければならない。そのことは、アレクサンデルの異次元 への参入・脱落とともに、轟音そのものが別の意味を負うことを表している。 (轟 音が鳴り響くにもかかわらず、登場人物が耳にしていない場面はもう一つ、マ リアの家の場面に見られる。 ) 轟音もまた、別の位相を開示するものとして解釈できる40。戦争勃発を首相の 緊急放送で知った人々、死に向き合うことを強いられ、日常の被膜を剥がされ たアデライーダは、恐慌に陥り、何かにとりつかれたかのように、英語で、断 片的な、支離滅裂な言葉をしゃべりはじめる。これを、聖書の聖霊降臨におけ る異言41と理解するならば、家の中に響く轟音は、聖霊降臨の「激しい風が吹い てくるような音」として解釈できる42。 40

轟音とともに、戦争という位置付けをもたらす首相の緊急放送自体もその描写は奇妙 なものである。暗やみのなかに浮かぶ青白い光の中で、壊れたラジオをドラム缶のなか に入れたような音が響きわたるからである。またそこでも、核戦争に至った現実-政治 的な位置づけなどは語られず、そのことも、戦争に、他界という位相が託されていると いう解釈を支えている。 41 波多野精一によれば、「異言」とは「舌にて語る」を意味し、「うれしさのあまり自 ら己れに非ざるかの如く感じ、明らかなる意識を失い、恍惚として明らかなる言語を借 るの遑なく、ただ譫言めいた声によって熱情を洩す状態」(波多野:1979)だという。こ こでアデライーダは、別段、「うれしさのあまり」、恍惚となっているのではないが、 その描写はたしかに何かにとりつかれたものの様を表している。 42 「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響 いた。そして火のような舌が分かれて現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一 同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(「使 徒の宣教」第 2 章 2-4 節)鴻英良は、戦争・白夜への移行を、シュタイナーの『第五福音 書』(タルコフスキーはシュタイナーの『福音書』の映画化を構想していた。)におけ る日蝕(「地球の暗黒化」)と結びつけて考察し、やはり「霊的なものの出現」と位置 付けている。(“Жертвоприношение”, 邦訳「訳者あとがき」123-4)シュタイナーの『第 五福音書』には、聖霊降臨の解釈もあり、そこと結びつけて考察することもできる。シ ュタイナーによれば、聖霊降臨は、使徒たちにとって、「一種の目覚め」であり、また 「根源的な愛の力」が降ってくることとして経験されたと言う(1986:31-2)。実際、恐 慌に陥り、ビクトルに鎮静剤を打たれて一眠りした後、アデライーダは落ち着きを取り 戻し、次のようにつぶやく。「私は今、何かの夢から覚めたような気持ちよ。もう一つ の人生から。私はいつも抵抗してた。いつも何かと、闘っていた。自分を守っていた。 私の中にいる私でないだれかが、言うの。“負けてはいけない”“従ってはいけない”“従っ 142


以上のように、戦争の勃発の表現には、様々な形で、他界という位相が託さ れている。戦争は、アレクサンデルの祈りの中で、 「最後の戦争」と表現されて いる。 「この戦争は最後の、恐ろしい戦争です。勝者も敗者も残りません。市も 町も、草も木もなく、井戸に水がなく、空に鳥が飛びません。 」戦争は、世の終 わり(終末)として、設定されているのであり、タルコフスキーは、黙示録43 を 意識していたと考えられる。小説では、オットーが、 「静かだ」と言った後で次 のように『黙示録』の一節をつぶやく。 「…天は半時間ほど沈黙に包まれた。 」44 聖書の注釈によればここで「沈黙」は「神の現存を示すしるし」である。 他界とは、一瞬ごとにこの世を在らしめている作用であり、したがって一瞬 ごとが、世界の始まりであり、終わりである45 。前節で確認した他界観の提示 に続き、世の終わり、黙示録としての戦争も、他界として位置付けられる。

てると、死んでしまう”私たちなんて愚かなのかしら。」また、この後いつもの調子に戻 って、ジュリアに子供を起こすよう命令してしまうのだが、ジュリアが子供を恐がらせ てはいけないと泣きながらその命令に抵抗するとき、すぐにアデライーダはジュリアを 抱き、許しを乞うのである。こういった描写には、確かに「仮死」と、そこからの「覚 醒」、あるいは、また「和解」が描かれている。また、聖霊降臨を教会の誕生を告げる ものとして考えるならば、聖霊降臨に見舞われたこれらの人たちはキリスト(アレクサ ンデル)の使徒たちという位置付けになる。もちろん、仮死や覚醒、和解が描かれてい るとしても、登場人物たちは自覚的ではなく、神に向き合うのは、アレクサンデルただ 一人である。しかし、死の雰囲気の中で食事をはじめる彼らの姿は明らかに最後の晩餐 を思わせる。使徒と位置付けたところからは、燃える家の場面では、ビクトルたちはキ リストを忘却した使徒たちの姿として浮かび上がる。 43 タルコフスキーは映画を撮る前、1984 年にロンドンで、黙示録についての講演をして いる。「黙示録についての言葉」(Тарковский (1989b), 邦訳『WAVE 26』所収)。また、 インタビュー(Тарковский (1986c), 邦訳タルコフスキー(1987b)「『サクリファイス』の かなたへ」)の中でも、黙示録に触れている部分がある。例えば、そこで、タルコフス キーは次のように述べている。「黙示録というのは、やがて起こるであろうことではあ りません。それはとうの昔に始まったことなのです。問題にできるのはその終わりだけ なのです。私はただわれわれがどこまで来たかを見ているだけです……」(邦訳 184) 44 「ヨハネ黙示録」第 8 章 1 節。“Жертвоприношение”:26(邦訳:10)聖書からの引用は、 『新共同訳聖書』(1993)に従う。また、聖書の注釈に関しては、『新約聖書 共同訳・ 全注』(1981)を参照した。 45 高橋保行によれば、ギリシア正教には、「天地創造が、過去のある時点に一回限り行 なわれたという考えはない。神にとっては一回限りであっても、作られる側にすれば刻 一刻が創られている時である。」(1980:247)正教の特色は、このような人間も含めたこ の世と神とのダイナミックな交わりにある。ロシアにおける黙示録の重要性については、 井筒俊彦(1988)、及びベルジャーエフ(1974)の第九章「ロシヤ思想の終末論的要素」 を参照。キリスト教における終末論については、シュミットハルス(1990)も参照。 143


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

第2項

戦争の描写補論:ヴェルテップについて

オットーは轟音が響く場面でも、人々が行き交うのに対して、オットーは 一人椅子に座って、背中を向けている(図 5)。戦争勃発に際して、オットー だけは他の人とは異なるずれた位相に立つのは、他界を唱道するオットーと 他界の出現である戦争勃発が衝突するのを回避する演出上の工夫である。核 戦争勃発の時、首相の緊急放送を一階で皆が見聞きする場面で、緊急放送も 奇妙な音を立てて途切れてしまい、不可避なる死の現前の前に立たされ、文 字通り、死んだように動かなくなった人々が白夜の光の中に浮かび上がる(図 10)。そのとき、オットーが順番に人々に触れると、人々は動き出す。オット ーは、舞台を進行させる狂言回し、あるいは人形使いのような役割であり、 人々は、人形使いに動かされる人形のように映る。 こうした場面で想起されるのは、ヴェルテップ(Вертеп)である。ヴェル テップとは、ロシア(ウクライナ)の伝統的な人形劇である(図 12)。二階建 ての家の模型を舞台として、二階ではキリストの降誕劇、一階ではヘロデ王 などの陰惨な劇が同時に繰り広げられるという46。ドストエフスキーの小説に 通暁し、その小説の映画化を企図していたタルコフスキーが、ドストエフス キーも創作に活用していたヴェルテップの存在を知っていたことは十分に考 えられる。 ヴェルテップの家の模型と映画のアレクサンデルの家のバルコニーの作り などには類似性が指摘される。前項で検討した家の模型(図 8)には、ヴェル テップの家の模型(舞台)との類比を見ることもできる。 ヴェルテップと同様、この映画における家の一階と二階の描写についても、 劇の展開と演出において位相に差異があることを指摘できる。二階で主に映 46

ヴェルテップについては、O・M・フレイデンベルグ「ヴェルテプ劇の箱の意味論」 (イヴァノフ、ロトマン他, 1984)、ヴェルテップとドストエフスキーの小説の関係につ いては、江川卓(1984:60-4)を参照。フレイデンベルグは、ヴェルテップの家の模型を 「ミニチュアの劇場兼神殿」として位置付けている。この映画の家についても「家-舞 台-神殿」という連関が考えられる。また、江川卓が引用している「詩と散文からなる ペテルブルグの夢」の中で、ドストエフスキーは、次のようにも書いている。 「そのうち に、弱者をも強者をも含めて、そこに住むあらゆる人々を、その人たちの住居、貧しい 人たちの避難所をも金殿玉楼をもすべてひっくるめたこの世界全体が、このたそがれど きになると幻想的な魔法のまぼろし、それはまたそれでたちまちのうちに消え失せ、暗 青色の空に雲散霧消してしまうことになる、一場の夢に似ているように思われるのであ った。」(『ドストエフスキー全集 20-A 評論集 』: 208)

144


し出されるのは子供の部屋とアレクサンデルの部屋であり、アレクサンデル の部屋には、幼子イエスの公現を描いたダ・ヴィンチの《マギの礼拝》が掛 けられている。アレクサンデルが祈りを捧げ、オットーが魔女のことを告げ るのも二階のアレクサンデルの部屋である。一方、一階では、アレクサンデ ルとアデライーダの喧嘩、 「悪い」天使によるオットーの気絶、核戦争の勃発 において轟音が鳴り響く場面や首相の緊急放送などが描かれる。一階と二階 は、家の内外に設えられた螺旋階段と、オットーが二階のバルコニーにかけ た梯子によってつながっている。その梯子を使って、オットーとアレクサン デルは 2 階と地上を行き来する(図 11)。イコンにおいても、梯子は象徴性を 有するものとして多く描かれる。映画でも、これらの梯子や階段は、異なる 二つの領域をつなぐ特別な意義を有している。 タルコフスキーの属する正教には、神化(θέωσις)の教義がある。その教 義は、聖アタナシオスの「神が人になったのは私たちが神となり得るためで ある。」という言葉に集約される。ティモシー・ウェアは「神化」について、 この聖アタナシオスの言葉を掲げた後、次のように説明している。 神であると同時に人である受肉のキリストによって、ある橋が、神と人 間との間に形成される。主は約束された。 「天が開け、神の天使たちが人 (「ヨハネ福 の子の上に昇り降りするのを、お前たちは見ることになる。」 音書」1 章 51 節)その階段(梯子)を使うのは天使たちだけではない。 人間もまたそれを使うのである。47 タルコフスキーは文化としてはキリスト教に属し、作品もその精神性を色 濃く反映している。しかし、そのキリスト教は正教会のそれであった。正教 の独自性は、聖と俗の相互補完性にあると言われる48。また、異教との弁別も、 西欧ほど厳格ではない。タルコフスキーの理念を理解する際には、こうした

47

Ware, 1993:21.「神化」については、落合(1995)及び、ロースキィ(1986)も参照。 「聖と俗との相互補完性こそ正教会とカトリック世界とを分けへだてる決定的な差 異であった。正教のビザンツやロシアでは、無原則ともみえるほどに聖と俗との混同 があった。」(米田治泰、森安達也, 1969:60) 「聖と俗は対立関係ではなく、聖により回復されるべき俗、聖を回復すべき俗という調 和の関係にあり、最終的には一元に復帰するものである。/このような理由から、俗な るこの世と聖なるあの世の関係も、東のキリスト教は、はっきりと区別しつつも、キリ ストによって隔たりがとられたとする。つまり、すでにこの世に、あの世の力が及んで いると考えるのである。この世は悪とか俗とか否定されるものではなく、あの世へ橋渡 しするものとなる。 」(高橋保行, 1980:80) 48

145


第4章

〈今ここ〉を貫く他界

点も考慮されるべきであると考える。

図 10

図 11

図 12

146


第5章

第一節

自己無化と他界との接触としての犠牲 ―『サクリファイス』論(二)

犠牲という主題

第1項 タイトルについての検討 本章では、タイトルにもなっている、映画の中心主題である「犠牲」を検討 する。主人公アレクサンデルの犠牲の在り方の検討は次節で行う。本項では、 タイトルについて主要な事項の確認を行う。 映画のタイトルは、Offret/Sacrificatio である1。Offret はスウェーデン語で「犠 牲」や「捧げること」を意味する offer の定冠詞形であり、Sacrificatio はラテン 語である。『プログレッシブ英和中辞典』(1987)によれば、英語やフランス語 の sacrifice は、ラテン語の sacrificium に由来し、 「sacer 神聖な+facere なす+ium 名詞語尾」 、つまり「聖なるものにすること」である。副題をラテン語にしたこ とは、こうした語源への参照を促すためであったと考えられる。 一方、スウェーデン語の offer の語源は二通りに考えられる。ひとつは、英語 の offer に由来するものとする捉え方であり、もうひとつはドイツ語の Opfer に 由来するものとして捉える捉え方である。英語の offer は、ラテン語の offerre に 由来し、 「ob そばへ+ferre 持ち来る」ことである。一方、ドイツ語の Opfer は、 ラテン語の仕事を意味する operari に由来し、Opus 作品、Operation 手術などと 語源的な連関を持つ語である2。 ロシア語の小説につけられたタイトルは、жертвоприношение であり、研究社 の『露和辞典』(1988)には、「1、いけにえをささげる儀式。2、いけにえ、犠 牲。 」という意味が挙げられている。また、жертва にも、 「1、犠牲、自己犠牲、 献身。2、犠牲者、被害者;餌食。3、神へのささげもの、いけにえ、供物、 (旧) 1

タイトルは、英語では The Sacrifice フランス語では Le Sacrifice、日本語でも『サクリ ファイス』である。ドイツ語では Opfer となっている。 2 『独和大辞典』(1990)を参照。犠牲 Opfer と作品 Opus、犠牲 Opfer と手術 Operation という結びつきは興味深い連関を表している。この映画は、その作品それ自体が捧げも のとしてあると考えられるし、また、この映画の中で、子供の手術はやはり犠牲と結び つけることが出来るように思われるからである。 147


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

献物。4、いけにえをささげる儀式。5、 (旧)寄進、おくりもの」といった意味 が挙げられている。一方、приношение は「贈物、進物」という意味であり、し たがって жертво-приношение とは「犠牲 жертво の贈物 приношение」という意 味になる。また、приношение は主に「もたらす」を意味する動詞 принести か ら派生したと考えられ、さらにその原義は「при 身につけて нести 運ぶこと」で ある。また、жертво-приношение は、 「принести жертву, ~のために犠牲を払う こと」 、 「принести в жертву, ~を犠牲にすること」といった熟語から派生したと も考えられる。いずれにせよ、ロシア語のタイトルは、犠牲をもたらすこと、 捧げること、贈物とすることとして理解され、したがって英語の offer の意味も 含むと考えられる。 以上より、タイトルの意味するところは「犠牲を捧げ、聖化すること」とし て理解される。 犠牲の主題が、贈り物 приношение とも結びついていることもあらためて指摘 しておく。映画中においても、アレクサンデルの誕生日の贈り物として地図を 持ってきたオットーが、 「犠牲 uppoffring がなければ贈り物ではない」と言う場 面がある3。この犠牲と贈り物の結びつきは、タイトル・バックの検討において、 重要な意味を持つ。 「犠牲」とは、前章のテーマ、つまり他界の問題と結びつけて考えられる。 前章で引用したスヴィドリガイロフの言葉を用いれば、犠牲とは、他界との接 触を阻んでいる地上の生活の秩序を、自発的に破壊することによって、他界と の接触を成し遂げることとして、解釈できる。他界とは、聖なる領域にほかな らず、犠牲を通じての他界との接触は、先に確認した聖化という意味とも重な る。 この映画における犠牲についての具体的な検討の中心となるアレクサンデル の犠牲は、燃える家の場面に凝縮されている。その場面の検討は、次節で行う。 それに先立ち、次項では、映画の冒頭を飾るタイトル・バックを検討する。タ イトル・バックとは、タイトルやスタッフ、役者などの名前が提示される本で 言えば奥付に当たる部分であるが、 『ノスタルジア』においてと同様、この映画 においても主題提示部とも言うべき役割を果たしている。タイトル・バックに 3

“uppoffring”のところはドイツ語訳では“Opfer”になっている(Opfer:76). ロシア語では 「жалко(かわいそうだ、気の毒だ、惜しい、心が痛む、残念だ、悔やまれる)」が使わ れている。小説でも同様(“Жертвоприношение”:45)。 148


はバッハの《マタイ受難曲》のアリアと、レオナルド・ダ・ヴィンチの《マギ の礼拝》の部分が使用されている。とりわけこの《マギの礼拝》は、映画中に おいてもアレクサンデルの家の二階に掛けられ、要所に登場する。その絵画は、 映画を解く上で重要な鍵を提出している。その検討は第3項において行う。 第2項 タイトル・バックについての検討 (a)マギの礼拝 《マギの礼拝》Adorazione dei Magi(図 1)について検討する。周知のように、 この絵画は、聖書のマタイ福音書の部分をもとにしている4。イエスの誕生に際 して、東方から、マギ Magi5が星に導かれて、マリアと共にいる幼子イエスを訪 れ、贈り物を捧げる場面である。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は、マリア とマリアに抱かれた幼子イエスを中心に配し、マギの一人(老マグス)が贈り 物を捧げる場面(瞬間)を描いている。 ここでは絵画は、一部を切り取られ、クローズ・アップされている(図 2) 。 クローズ・アップとは、一部の拡大であると同時に、他の部分の画面からの排 除である。 一幅の絵画は全体を持つ。全体の中の個々の要素は、全体の中に位置を占め イエススは、ヘロデス王の時代にユダヤのベトレヘムで生まれた。そのころ、占星術 の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。 「このたびお生れになったユダヤ人 の王さまは、どこにおられますか。わたしたちは東方でそのかたの星を見たので、拝み にやって来たのです」。これを聞いて、ヘロデス王はうろたえた。エルサレムの人々も皆、 同様であった。王はイスラエルの祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこ に生まれることになっているのかと尋ねた。そこで、彼らは答えた。 「ユダヤのベトレヘ ムです。預言者がこう書いています。/『ユダのベトレヘム、/お前はユダにあるおも な町々の中で/けっしていちばん小さいものではない。/お前から指導者が現われ、/ わたしの民イスラエルを導くからである』。/そこで、ヘロデスは学者たちをひそかに呼 び寄せ、星の現われた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、 見つかったら知らせてくれ。わたしも拝みに行きたいから」と言って、学者たちをベト レヘムへ送り出した。学者たちが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立っ て進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て大いに喜んだ。 そして、家に入ってみると、幼子は母マリアとともにいた。学者たちはひれ伏して幼子 を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。ところが、 「ヘロ デスのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分の国へ帰って いった。(マタイ福音書第 2 章 1-12 節) 5 ラテン語、マグス Magus の複数形。ギリシア語ではマゴイ Magoi。上の引用では「占 星術の学者たち」と訳されている。「東方の三賢人」「三博士」「三王」とも言われる。 さしあたりは訳さずにカタカナで表記し、詳しくは次節で考察する。 4

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第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

ることにより、全体によって既定されると同時に、その全体を形成することに 奉仕する。全体は、固有の構造を内に宿し、個々の要素が有機的に結びつくこ とによって成り立っている。 レオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》では、画面の中心にはマリアと イエスが描かれ、贈り物を捧げるマグスはその中心に向かって配置されている。 映画のタイトル・バックでは、絵画の一部が切り出される。その知覚は、元 の絵画の一部であるが、同時に、新たな全体を形成し、画面の布置を変えてい る6。 新たに形成された全体の中心に置かれるのは、マグスによってイエスへ掲げ られた贈り物(捧げもの)である。ロバート・ペインによれば、それは三つの 贈り物のうちの、 「没薬」である7。贈り物を中心として、その右下には贈り物を 捧げる老マグスの、幼子イエスの方を見上げる顔、その肩と背中が描かれてい る。贈り物の左側には、幼子イエスの体の一部と、幼子イエスを載せているマ リアの脚部が見える。イエスやマリアの顔は画面の外にある。画面上方からは、 中央の贈り物に伸ばされた、イエスの小さな手が見える。マグスのまなざしは 画面上方にあるはずの幼子イエスの方へと真っすぐに向けられている。 画面上でまず注意を引くのは、中心にある贈り物とそれを捧げるマギの姿で ある。イエスとマリアは、画面上に身体の一部を残してはいるが、顔などの、 はっきりとイエスやマリアだと分かる部分は映されていない。画面外のイエス への志向はマギの視線を経由する。 画面中心にあるのはマグスのイエスへの贈り物である。ここに犠牲はすでに 主題化されている。先にも述べたように映画の中で、贈り物は、犠牲と結び付 けられている。贈り物を掲げるマグスは、背を屈め、ひたすら自己を低くし、 上方のイエスを見上げている。それは、イエスの前に自己を卑下し、自己を無 化するものの姿である。マグスの自己は無化され、贈り物にすべてが込められ ているかのようである。その姿こそは、キリストの前に、自己のすべてを犠牲 にし、捧げるものの姿だと言える。 マンフレート・ルルカーによれば、マギがイエスに捧げる三つの贈り物、 「黄 金」「乳香」「没薬」は、「それぞれ、信仰(別の解釈では王権)、崇拝、受難の 6

この後のカメラの上昇から明らかになるように、この画面が、いわゆる「静止画面」で はないことにも注意すべきだろう。 7 ロバート・ペイン(1982:48)にしたがって、「没薬」と仮定して考察を進める。 150


象徴とされる。すなわち、キリストがこの世でその身に受ける体験、地上で辿 る道の預言的暗示である。 」8つまり、画面中央の没薬は、キリストの地上で辿る 「受難」の象徴、その預言的暗示であることになる。 幼子に贈られる贈り物が、 「受難」を象徴する没薬であることは、皮肉という べきであろうか。しかし、受難を象徴する贈り物が幼子イエスに捧げられてい ることは、その生涯が辿る運命の苛酷さを予感させると同時に、それが、神の 子であることを思うとき、人間のために、独り子を使わし、その罪を贖われた 神のめぐみを感じさせる。捧げる贈り物が、受難を象徴する没薬であればこそ、 その画像はまた、信仰の表現ともなり得る。 キリストの受難は、わたしたちを在らしめるものとしてある。それは自らの 犠牲によって、他の人たちを在らしめるものである。マグスの姿は、自分をそ のように在らしめている存在に対して、また自分がそのように在らしめられて いることに対して、自己を低くするものの姿であると言える。 したがってここでは、犠牲の主題は二重化されている。マグスの贈り物は、 マグスの姿に体現されたマグスの犠牲であると同時に、それがキリストの受難 を象徴する没薬であることによって、その贈り物を捧げる先が、キリストの犠 牲であることを表している。つまり贈り物を捧げるマグスの姿は、犠牲(キリ スト、在らしめるもの)に対して、犠牲(贈り物)を捧げ、自らも犠牲を捧げ るものたろうとする姿である。 タイトル・ロールが終わり、バッハのアリアがフェイド・アウトし、鳥の声 が聞こえ始めると、画面はそのまま上昇する。幼子イエスの顔などが映り、や がて樹をとらえ、そしてその樹の幹にそって上昇し、青々と繁った葉を映し出 される(図 3) 。ショットが切り替わると、アレクサンデルが子供と一緒に、浜 辺で枯れ木を植えている場面につながっていく9。 若桑みどりによれば、この、未完の絵の中で「異様な完成度をみせている」 樹は、オリーヴとシュロであり、 「オリーヴはキリストが地上にもたらす「平和」 の、シュロは「勝利」のシンボルである。」10さらにここで重要なのはカメラの 上昇が、その樹(オリーヴ)が贈り物の真上に位置していることを明らかにし ていることである。贈り物は犠牲を象徴する。樹はその犠牲を養分として、葉 8

ルルカー(1988:363) 樹の幹にそってのカメラの上昇は、映画のラストにおいて再び繰り返される。 10 若桑みどり(1993:53) 9

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第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

を繁らせている。青々と繁る葉は、生命を象徴してもいる。犠牲によって、平 和、あるいは生命は在らしめられている。あるいはその死によって生は在らし められている。そのことをカメラの上昇は発見し、明らかにする。

図 2

図 1 図 3 (b)ペテロの否認 以上のような、レオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》の部分を映し出 す画面にかぶさるのは、J・S・バッハの《マタイ受難曲 Matthäus Passion》 BWV244 の第 39 曲の Aria、有名な「ペテロの否認」の部分である11。 バッハの受難曲では、 「人間の弱さ、罪深さ」を語るこの場面を音楽化したレ チタティーヴォに続いて、 「罪を悔い神に憐れみを祈る、アルトのアリアが置か

11

「ペトロスは外で中庭に座っていた。すると、一人の女中が近寄って来て、「お前さ んもガリラヤのイエスといっしょでしたね」と言った。ペトロスは皆の前でそれを打ち 消して、「なんのことを言っているのか、わたしにはわからない」と答えた。ペトロス が門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、そこにいる人々に、「この人はナザレ トのイエスといっしょだった」と言った。そこでペトロスはあらためて、「そんな人は 知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来て言った。 「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉使いでそれがわかる」。そのとき、ペトロス はのろいの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、 鶏が鳴いた。ペトロスは、「鶏が鳴く前に、お前は三度わたしを知らないと言うだろう」 と言ったイエススの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(マタイ福 音書 26 章 69-75)シュタイナーは「ペテロの否認」について、『第五福音書』の中で、 次のように述べている。「福音書の中でペテロによるイエス否認として叙述されてゐる 事件があった瞬間、ペテロの地上的な通常の意識が切り裂かれました。」(1986:33) 152


れている。」12レチタティーヴォからアリアへの流れを礒山は次のように説明し ている。 まず聖書の場面では、ペテロの否認の物語が、いわば第三者の世界の出来 事として、客観的に報告される。次にくるアルト(シオンの娘)のアリア は、ペテロの犯した罪をこの「私」の罪であると捉え、神に憐れみを祈る。 すなわちこれは、信徒個人の立場から、出来事に対する主観的な反応や感 情をあらわすものである13。 さらにこの後には、合唱コラールが続き、「「われわれ」の世界へと受け取ら れ、罪に勝る神の恵みと愛、という共同体的な認識へと結集する」 (同上)のだ が、ここで必要なのは、アリアの検討である。そのアリアの歌詞は次のような ものである。 Erbarme dich, Mein Gott,

憐れみたまえ、わが神よ、

um meiner Zähren willen.

したたり落ちるわが涙のゆえに。

Schaue hier,

照覧あれ、心も目も、

Herz und Auge weint vor dir

御前に激しく泣く。

Bitterlich. Erbarme dich.

憐れみたまえ! 憐れみたまえ! (礒山雅訳)14

ペテロの罪とは、人間の弱さに帰着するものだと言えるだろう。そのような 弱さとは、誰もが有する本源的なものであり、そのような弱さを持たない者は 神以外にない。ペテロの罪の自覚とは、そうした根本的な弱さの自覚であり、 完全なる神と、弱さを抱えた不完全なる人との無限の距離が主題化されている。 バッハのアリアが描くのは、そうした弱さ、罪を激しく自覚し、神に対する罪 として、神に憐れみを乞う者の姿である。 その姿は、神の前に自己を無化するものの姿として浮かび上がる。神の前に 自己の罪を激しく自覚し、泣く姿は、神なしではありえないことを自覚するも のの姿である。その姿は神の前に自己を捧げ、信仰するものの姿である。

12

礒山雅(1989:143) 礒山雅(1989:145) 14 礒山雅(1989:144)この歌詞は、詩人ピカンダー(本名クリスティアン・フリードリ ヒ・ヘンリーツィ)の自由詩によるものとされる。礒山によれば、本文の引用中にある 「シオンの娘 Tochter Zion」とはピカンダーによって創作された「寓意的人物」であり、 「聖なる地にあって主に忠実である者の、詩的形象」である。礒山雅(1994:83-85)を参 照。 13

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第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

一方で、上の歌詞は、語られるのではなく、美しく、悲しい音楽にのせて、 朗々と歌われることにも注意しなければならない。その音楽の、容易に言い難 い〈印象〉を、礒山雅の次の言葉は、うまく言い表している。 バッハにおいては罪のリアルな描写がすでに癒しのはじまりなのである。 例えば罪を悔いて、嘆き訴える〈憐れみたまえ〉のアリアを聴くとき、わ れわれはその感情のさ中にありながらも、そこから音楽を通じて、やさし く癒され、解放されるような思いを味わう。それはあたかも、このアリア という「場」において、人の罪と神の赦しが出会っているかのごとくであ る。ここからこの傑作の慈愛ふくいくと沸き起こるような印象が生まれて くる。15 そこに開かれるのはアリアという「場」であり、 〈憐れみたまえ〉という嘆き 訴えは、聴く者を「その感情のさ中に」置く。と同時に、その感情は、 〈音楽の 力〉によって昇華され、 「慈愛ふくいくと沸き起こるような印象」に聴く者は包 みこまれるのである。 アリアが持つこの慈愛の印象は、罪を自覚し、激しく嘆き訴え、自己を無化 するものの前に、神の恩寵のように現れるかのようである。ところで、その神 の恩寵あるいは癒しとは、自己が在らしめられていることを自覚し、自己を在 らしめているものへと自らを委ねるところから来るのではないか。自己の罪(在 らしめられていること)の自覚-自己無化-神の赦し(在らしめているものへ と身を委ねること)という連関をそこに読み取ることが出来る。実際「アリア という「場」において、人の罪と神の赦しが出会っているかのごとく」と礒山 が言うように、そこには、在らしめられているものと在らしめているものとの 出会いがある。だとすれば、そのようにして癒されるとき、憐れみたまえとい う嘆き訴えは、また同時に喜びの声としても聞くことができるのではないか。 (c)画像と音楽との出会い レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画(の一部)とバッハのアリアは、相互に働 きあい、一つとなってこのタイトル・バックを形成している。視覚と聴覚はこ こでは、緊張をはらみながら、調和し、一つの揺るぎない世界を生み出してい る16。 15 16

礒山雅(1990:128) このタイトル・バックについて、布施英利は、「純粋な「視覚」と聴覚の対立」とし

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マグスの姿は、アリアの激しく嘆き訴える者の姿と、一つに重なりあう。神 の前に跪き、贈り物を捧げるマグスの姿に、アリアの嘆き訴える者の姿が重な り、 〈憐れみたまえ〉というアリアは、自己を無化するマグスの嘆き訴えとなり、 犠牲を捧げるマグスの姿は、罪を自覚し激しく泣くものの姿とも映る。また逆 に、激しく泣くアリアの嘆き訴える行為は、神に対して犠牲を捧げる行為とな る。 アリアが慈愛の印象で包み込み、人の罪と神の赦しの出会いの場を開くとき、 その出会い、慈愛の印象は、画面中央のキリストの受難を象徴する贈り物から、 沸き上がるかのように感じられる。その贈り物は、マグスの犠牲として、人間 の側からの神への嘆き訴えであると同時に、神の側からの癒しの場としてもあ り、人の罪と神の赦しの出会いの場となる。タイトル・バックにおける画像と 音楽との出会いは、画面上の犠牲という主題をさらに押し開き、罪の自覚、激 しい嘆き訴えとして位置付けると共に、それを、癒しを導くものとして、人の 罪と神の赦しの出会いの場として、現われせしめている。 犠牲とは、それを捧げることによって聖化すること、あるいはまた、接触を 阻んでいる地上の秩序を破壊することによって、他界との接触を果たすことで ある。画面上のマグスの姿とアリアの激しく泣くものの姿とは、犠牲という点 において交差し、自己を無化し、地上の生活を捨てることによって、他界との 接触、神の赦し、癒しを得た者の姿として映る。 第3項

映画を解く鍵としての《マギの礼拝》

レオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》において、その中心に主題化さ れていたのは、イエスの誕生と、それに対する贈り物(犠牲)であった。とり わけ、タイトル・バックでは、マグスの贈り物に焦点が当てられることによっ て、犠牲の主題がクローズ・アップされていた。 その犠牲(贈り物)を軸として浮かび上がるマグス、イエス、そしてマリア という三者の姿は、映画の中でも、さまざまなヴァリエーションで以てとらえ ることができる。言わば、この三者に、登場人物たちが見立てられることによ って、映画の立体的な構造が成立し、また、そのことによって、観客に映画を てとらえ、「『視覚』は時間が止まったかのように『永遠の現在』を、『聴覚』は『時 間の流れ』を奏でている。」と述べている。(布施英利, 1988) 155


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

解く鍵を与えている。ここでは、そのことについて検討したい。 まず、訳さずにおいたマギの存在について検討する。ヴォラギネの『黄金伝 説1』には、マギについて、三通りの解釈が提示されている。すなわち、 「欺瞞 者、魔術師および賢者」という三つの意味であり、さらにそれぞれの意味につ いて、「欺瞞者」は、ヘロデ王を欺いたという理由から、「魔術師」は文字通り 魔術を使うものであったから(その後回心し、幼子イエスの誕生に導かれる。 ) 、 「賢者」は、 「マグスは、もとペルシア語であって、ヘブル語の書く者、ギリシ ア語の哲学者、ラテン語の賢人にあたるからである。だから、彼らは、マグス つまり博士とよばれたのであり、したがって、博士とは『知恵において偉大な 人』というほどの意味である」と説明している17。 久保尋二は、さらにペルシア語の来歴を明らかにしている。久保によればこ の語は、紀元前八世紀頃イラン北西部に定住した、祭司階級に属するメディア 人の一部族マゴイに由来し、また古代ペルシア語で magu は祭司を意味する、と いう。このマギの宗派、マギ教はゾロアスター教の教理と大差なく、あるいは むしろ「大差ないどころかゾロアスター教自体、ペルシア帝国時代でもすでに 「ゾロアスター教は、西方側か マギの宗教として知られていた。 」18したがって、 らは、当然のことながらマギ教と同一視された。」19という。ゾロアスター教と マギ教の関係について、久保はまた、次のように述べている。 今日きわめて表面的に、ゾロアスター教は一方で拝火教とも呼ばれるよう に火を神聖視したのに対し、マギ教は天空の星辰を神聖視し、それゆえマ ギ教の祭司は占星術や幻視術に精通していなければならなかった、という 対照的な捉え方にしても、必ずしも妥当な区別とはなしがたいであろう。 なぜならば、ゾロアスター教の創唱者ゾロアスター(ザラスシュトラ)自 身、西方においてはカルデアの占星術と結びついて有名になっているから である20 《マギの礼拝》の図像についての概観は以上で十分とする。レオナルド・ダ・ ヴィンチの《マギの礼拝》の検討も別に譲る。ここでの課題は、タルコフスキ ーがマギについてどのような理解を持っていたのかを知ることである。 17

ヤコブス・デ・ヴォラギネ(1979:204-5) 久保尋二(1990:32) 19 久保尋二(1990:32) 20 久保尋二(1990:33)。東方三賢人のマギとゾロアスターの関連については、前田耕作 (2003:27-31)も参照。 18

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小説『サクリファイス』では、《マギの礼拝》は ПОКЛОНЕНИЕ ВОЛХВОВ と大文字で書かれている21。поклонение は礼拝(あるいは讃美)の意であり、 волхвов は волхв の複数形生格であるが、研究社の『露和辞典』には、волхв は、 「古代スラヴの魔法使い」という意味が書かれている。ロシア語の聖書でもマ ギは волхвы とされている22。聖書の慣用にしたがったものとも理解できるが、 「古代スラヴの魔法使い」という意味を、タルコフスキーが意識していたこと は当然考えられる。マギが英語の magic の語源になっていることも、語から明 らかである。映画の中でも魔女が登場し重要な役を果たすことなどからも、マ グスへのクローズ・アップに際して、タルコフスキー念頭に「魔術師の礼拝」 という理解があったことは間違いない。 また、マギがゾロアスター教と結びつくものとしてあることも、タルコフス キーは意識していたのではないか。というのもこの映画の中で、ニーチェのツ ァラトゥストラ23が話題とされ、以下に見るように、アレクサンデルはマグスと 共に、ツァラトゥストラに見立てられているからである。 第一に、魔術師マグスの姿には、タルコフスキー自身の姿が重ねられている と考えられる。この映画は、映画の終わりに掲げられる献辞によって、息子に 捧げられているからである。息子の姿は幼子イエスの姿に重なるものである。 マグスであるタルコフスキーが、映画という贈り物を子供に捧げるという構図 がそこに出来上がる。映画の内容からすれば、タルコフスキーがこの映画を捧 げるのは、神に対してであるとも考えられる。 第二に、マグスの姿は、主人公アレクサンデルの姿に重なるものでもある。 映画が、アレクサンデルの犠牲を中心に描くものである以上、タイトル・バッ クの中心の贈り物は、アレクサンデルの犠牲(捧げもの)としてみなすことが “Жертвоприношение”:65. Библия, Объединенные Библейские Общества. 注に Мудрецы(賢人、賢者)とも書かれ ている。 23 ニーチェのツァラトゥストラは、ゾロアスター(ザラスシュトラ)から取られている。 岡田明憲(1988:176-8)及び、前田耕作(2003:218-25)を参照。岡田は、ゾロアスター教 と黙示録との関係について、前田耕作は、ニーチェの「永遠回帰」の思想(「終わりが 『大いなる始まり』となるという考え方、破局によって新たな再生が始まるという思想」) とゾロアスターとの関連に言及している。村井則夫(2008: 80-91)では、ニーチェの関心 が、ゾロアスターの歴史的事実よりも神話的次元にあったと論じられている。また、シ ュタイナーの『第五福音書』では、ゾロアスターのイエスへの受肉が語られている。タ ルコフスキーはシュタイナーの『第五福音書』の映画化を考えていた。タルコフスキー のニーチェの関心が、神智学や人智学への関心を経由している可能性も考えられる。 21 22

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第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

できるからである。その贈り物を捧げる先にいる幼子イエスは、まず、神とし て考えられる。アレクサンデルの燃える家は、神への捧げものとして理解され るからである。もう一方で、それはアレクサンデルの息子の姿としても考えら れる。アレクサンデルの気絶の場面の考察からも、子供は、キリストになぞら えられている24。 レオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》は、タイトル・バックにおいて 一部分をクローズ・アップされることで、映画全体の構図を、提示し理解の鍵 を与えている。この絵はアレクサンデルの二階に掛けられ、映画の随所に登場 する。映画中にこの絵画が登場するのは次の場面である。 (a)核戦争勃発直後、アレクサンデルの犠牲の始まり (b)オットーがマリアのことを告げにきた後 (c)アレクサンデルとマリアの一夜 (a)核戦争勃発直後、アレクサンデルとオットーが、二階のアレクサンデル の部屋で、そこに掛けられているレオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》 をめぐって、言葉を交わす場面がある。タイトル・バックを除けば、映画中で、 《マギの礼拝》が登場する最初の場面であり、アレクサンデルの部屋にその絵 があることを印象付けると同時に、その絵がアレクサンデルの姿に重なること は、アレクサンデルの犠牲の始まりを告げるものとして考えられる。 (b)次に絵がクローズアップされるのは、オットーが魔女マリアのことを告 げにきた後である。オットーは(a)の場面で言った「恐い」という言葉に続 けるように、 「ピエロ・デッラ・フランチェスカの方が好きだ」と言って去って いく。ここで、マリアは聖母マリアと重ねられている。 (c)最後に、 《マギの礼拝》がクローズ・アップされるのは、アレクサンデル とマリアの一夜の場面に続くショットにおいてである。この場面についての詳 24

子供は、喉の手術をしたばかりでしゃべれないという設定であるが、手術 операция, Operation を犠牲と結びつけて解釈することも、語源的連関から可能である。実際、アレ クサンデルの犠牲は、家を燃やすだけでなく、言葉を捨てることでもあった。そこから、 子供が手術のために言葉がしゃべれないことも、犠牲として考えられる。子供の犠牲 (手術、沈黙)は、アレクサンデルの犠牲(家と言葉を捨てること)に取って代わられ ることによって、キリストと犠牲者の役割が反転する。アレクサンデルが沈黙し、子供 は言葉をしゃべり始める。子供に犠牲する者の姿を見るまなざしは、タルコフスキーの この時置かれていた状況にも関係があると考えられる。

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しい考察は後に譲るが、ここでは登場人物のマリアとアレクサンデルが、聖母 マリアと幼子イエスに、それぞれ重ねられているはずである。この瞬間は、ア レクサンデルがイエスとして誕生したこと、キリストとして生まれ変わったこ とを表している。 このように、アレクサンデルのたどる過程の要所に《マギの礼拝》は登場す る。その道程は、マグスとしてのアレクサンデルが、絵画の中の内的構造を旅 するかのようにして、神へ向き直り、犠牲を果たし、自らイエス・キリストと して、再生していく過程である。

第二節

燃える家の場面の演出

戦争勃発後、アレクサンデルは祈りを捧げ、オットーの訪問を受ける。そこ で、マリアが魔女であり、彼女と一夜を共にすれば、すべては解決すると告げ られる。迷いながらも、アレクサンデルはマリアの家へ出かけ、ある迂回の末 に、望みを果たす。朝、アレクサンデルは自分の家のソファーで目覚める。ア レクサンデルはソファーで目覚めた後、知り合いの編集者に電話し、戦争がな かったかのように人々が生活していることを知る。アレクサンデルは、置き手 紙を残し、人々を散歩に出させる。アレクサンデルは、行為を起こすにあたっ て、背中にタオマーク25がある黒い着物を着る。人々が散歩に出たことを確認し、 アレクサンデルは、椅子を重ねてシーツを被せ、火を放つ。その様はまるで祭 壇のように映る(図 4) 。アレクサンデルは火を放った後、二階で「日本の音楽」 26

をかけ、梯子を伝って、降りる(図 5) 。 燃える家のショット、燃え始めた家の前に、アレクサンデルが座り込んだと

ころから始まる(図 6) 。延々とワン・ショットで切れることなく撮られており、 いわゆるワン・ショット・ワン・シーンである。画面は、背景に燃える家を時 折とらえ、画面の中心に人々の行動を置くようにして、遠景で、カメラを移動 太極図は、周敦頤が体系化したものであり、元は、 『易』 「繋辞伝」の「易に太極あり、 これ両儀を生じ、両儀、四象を生じ、四象、八卦を生ず」とあるに拠る。 『中国思想文化 事典』 (2001)は、 「太極図は、これまで道教の練丹術のなかから生じたとされてきたが、 最近では周敦頤の創案だとする説が有力である」(6)としている。 26 現代邦楽、海童道宗祖の法竹音楽(「大菩薩」)。激しい尺八の響きは、黙示録のラ ッパとも、モーセのシナイ山での角笛(出エジプト記 19 章 16-19)ともとれる。聖書の 注釈によれば、ラッパ(角笛)は、「神の出現や現世から次の世への移行の描写によく 言及されるもの」である。 25

159


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

しながら撮影されている。 画面は、燃え始めた家の前にしゃがみ込んだアレクサンデルを捉える。家の火 を見て駆け戻ってきたビクトルに対して、アレクサンデルは「わたしがやった、 聞いてくれ、ビクトル、大事なことを言いたいんだ…」 (Det är jag som har gjort det. Hör nu på här, Victor... Jag tänker säga dig nåt viktigt.../ Это я сделал. Не беспокойся, Виктор. Слушай, я должен сказать тебе что-то очень важн...)と言い掛けるが、祈 りにおける「言葉を捨てる」という約束を思い出し、 「いや沈黙だ」 (Nej. Tiga./ Нет! Молчать!)と口をつぐむ。ビクトルは「何も言うな、何も聞かない」 (Säg ingenting. Fråga ingenting. / Ничего не говори! Ничего не спрашивай!)と応じる(図 7)27。アレクサンデルは、燃える家の中で鳴りだす電話の音とともに立ち上が り、家の方へと歩きだし、画面左から現れたマリアに跪き、その手を取り、顔 をその手に埋める(図 8) 。ビクトルとアデライーダはアレクサンデルを捕らえ てマリアからひきはがし、家の前を画面右方向へと連れていく。炎に包まれた 車の爆発とともに、アレクサンデルは二人を振りほどき、マリアのもとに駆け 付けるが、再び、二人はアレクサンデルをひきはがし、右の方へ連れていく。 右に移動するに連れて、画面右側から救急車と白衣を着た二人の看護夫が姿を 現す(図 9) 。アレクサンデルは自分が狂人として連れ去られようとしているこ とに気づき、逃げ出す。そして逃げ出したアレクサンデルと、救急車に乗せ、 連れ去ろうとする人々との追い駆けっこが始まる。

図 4

27

図 5

“Offret”:175, “«Ж»: запись”: 16-я часть.

160

図 6


図 7

図 8

図 9

第1項 解釈の分岐と登場人物の認識の差異による区分 映画の展開は、 〈核戦争の勃発〉 〈アレクサンデルの祈り〉 〈オットーがマリア が魔女でありマリアと寝れば世界は元に戻ると告げる〉 〈マリアの家へ行き一夜 を共にする〉 〈アレクサンデルは自室で元に戻った世界に目覚める〉という展開 を辿る。さしあたり解釈の焦点となるのは、核戦争が現実にあったのか、それ ともアレクサンデルが見た夢にすぎないのかという点である。便宜上、核戦争 を現実と考える解釈の立場を(A)とし、現実ではないとする解釈の立場を(B) とする。解釈の分岐は、登場人物たちの認識の差異と結びつき、さらに複雑な 様相を呈する。登場人物は、認識の差異に応じ、三つのグループに分けられる。 (α)第一のグループはアレクサンデルだけが属する。アレクサンデルにとっ て、核戦争は実際に起き、神の奇跡により消滅したと認識されている。 (β)第二のグループに属するのは、ビクトル、アデライーダ、マルタ、ジュ リアの四人である。このグループには、世界の大多数の人間たちも含まれ、四 人はそれを代表する。この者たちにとって核戦争は勃発していない。 αは(A)と認識において一致するが、アレクサンデル一人の思い込みである とする(B)の可能性にも余地を残す。一方、βは、核戦争を非現実とみなす 点において(B)と一致する28が、(A)とも排他的関係にない。核戦争の消滅 に人々の記憶の消去(忘却)も組み込まれていたと理解することができるから である。(実際、αはβをそのようにみなしていたと考えられる。)結局、αと βを見る限りでは(A)か(B)かは決まらない。それを決める資格を持つの は次の第三のグループである。 (γ)第三のグループには、オットーとマリアが属する。二人はそれぞれ核戦 28

ただし、完全に一致するわけではない。ビクトルたちは、アレクサンデルが体験した こと(それが夢であるかどうかを問わず)を全く知らないが、観客は知っている。 161


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

争勃発から世界が元に戻るまでにアレクサンデルが辿る過程のなかで重要な役 を占めている。(オットーは、マリアと寝れば世界は救われると告げる使者29の 役を果たす。マリアは核戦争勃発を知らず、アレクサンデルが自分の家に来た 本当の理由を知らないが、アレクサンデルの願いを聞き入れ、「よい魔女」30と して世界の救済に重要な役割を果たしている。 )一人のうちいずれかがアレクサ ンデルの行動に関わっていた痕跡を示せば、アレクサンデルの体験が夢でなく 現実であったことが証明される。逆に二人が何も知らなければ展開はアレクサ ンデルだけが見た夢だったことになる。二人はアレクサンデルの行動の証言者 としての資格をもつが、映画は二人の言動の描写をさしあたり両義的なものに とどめる31。観客の期待は宙吊りにされ、(A)か(B)かは未決定のままにな る。 第2項 アレクサンデルの犠牲の意味 アレクサンデルの犠牲の解釈には複数の可能性がある。ここではそれを三通 りに分け見ていく。Johnson and Petrie は「解釈はもはや、AかBのどちらかとい う問題ではなく、AでもありまたBでもある」32と述べているが、either A or B から both A and B への転回が該当するのはこの内、第一の解釈である。 (1)代償としての犠牲 アレクサンデルの犠牲は、第一に、神との契約において核戦争から回復した 見返りとして支払う代償、すなわち家に火を放ち言葉を捨てたことを指すと見 ることができる(犠牲Ⅰ) 。この場合、その行動の是非は(A)か(B)かによ り左右される。 (A)の場合、アレクサンデルは世界を救った救済者(聖人)と なり、その犠牲は有意味になるが、 (B)の場合、アレクサンデルの行動は無意 味になる。 (A)の場合は、ビクトルたちはそれと気づかずに救済者を狂人とし 郵便配達夫であるオットーは ἄγγελος(天使 angel)=使者である。 オットーはマリアをよい意味で「魔女」なのだとアレクサンデルに告げる。 「魔女」は ロシア語で ведьма、すなわち「見る видеть」あるいは「直感する ведать」者である。 次章第 2 節。 31 アレクサンデルが救急車に乗せられた後、マリアが自転車に乗ってそれを追う行動は、 受容の深層においてその期待に応えるものである。そこに開かれる共苦の共同体は、 『ス トーカー』に見られる共同体思想と通底する。第 1 章第三節、及び、次章第三節を参照。 32 Johnson and Petrie(1994:178) 29 30

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て救急車に乗せたことになるが、 (B)の場合、その行為は合理的である。 (A) or(B)が決定されず(A)and(B)になるとき、アレクサンデルは聖人と狂 人の二重性を帯び33、その姿は迫害されたキリストの原像に近づく。 (2)自己無化としての犠牲 アレクサンデルの行動の中心にあるのは「捨てる」という行為である。同じ 捨てるという行為が、(A)の場合は世界を救うという意味を帯び、(B)の場 合は狂気とみなされる。それに対し、目的を外部に措かず、捨てるという行為 自体に目的が内在すると見るとき、犠牲の第二の意味、 「自己無化」としての犠 牲(犠牲Ⅱ)という解釈が生じる。核戦争の勃発に際して捧げられる神への祈 りの中の「私は、私を生につなぎとめるものすべてを捨てます jag avstår från allt som binder mig till livet/ откажусь от всего, что связывает меня с жизнью」34という 一節は、アレクサンデルの犠牲が死に身となることであったことを表す。この 自己無化としての犠牲を象徴的に表すのがマリアに跪く姿である。その姿は、 「世界を救う」という言葉から連想する英雄的聖人像とは一線を画している。 (3)他界への参入とそこからの帰還としての犠牲 アレクサンデルがマリアに跪く姿は、核戦争の勃発時に、マリアの家でピス トルをこめかみに当てて世界を救うことを懇願した姿の再演であり、アレクサ ンデルの核戦争勃発時からの一貫性を印象づけ、観客をそこに引き戻す。アレ クサンデルがマリアに跪くのは、マリアが世界を救ってくれたものの象徴だか らであり、その行為は、前夜の懇願から転じ、世界を救ってくれたことに対す る感謝を表す。その姿が含意することは、アレクサンデルにとって世界が救わ れたものとしてあることである。それを視点とするとき、αとβの差異は、核

33

亀井(1999)第一章で、この二重性の生成を受容という観点から分析している。 ド イ ツ 語 で は “ich will verzichten, auf alles verzichten, was mich an das Leben bindet”(Opfer:110).小説版は”Жертвоприношение”(60, 邦訳:75)を参照。祈りについては、 第 6 章第一節第 2 項で検討する。また、この解釈から見るとき、アレクサンデルの着る 黒い着物が修道士のそれであるとする解釈が可能である。「修道士は、つねに墓を背負 って歩いて、みずからをこの世に対して死んだものとしなければならない…。この世に 向かって死んだ者であると同時に、キリストに向かって生きる者であるのが、修道士で ある。同様のことは、聖職者の着用している衣についてもいえる。黒い衣は、この世に 対して日々死につつ、キリストの中に日々よみがえりつつあるという確信の表明であ る。」高橋保行(1980:28)

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第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

戦争に対する認識の差異から世界の認識の差異へとシフトする。すなわち、世 界があることを奇跡として生きる者と、その存在を疑わず自明のものとして生 きる者との差異である。 したがって奇跡の意味も変転する。 (A)か(B)かでは、神による奇跡の有 無が問題になっていた。しかし、ここでは、世界があることが奇跡として認識 される。 終末と創造は、単なる過ぎ去った過去の出来事としてあるのではなく、今こ こにおいて身をもって生きられている。アレクサンデルにとっては、そのよう な絶え間ない破壊と創造こそが真実在であり、存在を疑われない自明のものと しての現実は仮象35にすぎない。 そのような生の変容に、犠牲Ⅱ(自己無化)も寄与していよう。ただし、犠 牲Ⅱがアレクサンデル個人の自発的意志に基づくのに対し、個人の意志を超え た出来事の生起という側面があり、その意味での犠牲の始まりは、祈りからさ らに核戦争の勃発にまで遡る(犠牲Ⅲ)。戦争勃発は他界への参入である36。世 界が元に戻るとき、アレクサンデルは他界(=世界を在らしめる作用)37を身に 刻印してこの世に帰還し、他界をこの世に映す鏡となる。 燃える炎の意味も変転する。家を破壊する炎(B)は、神に捧げられた犠牲 (A)であるが、犠牲Ⅲの解釈では、生成消滅する炎は世界の創造と消滅を凝 縮して表す象徴となる。家に火を放つという行動は、世界を在らしめる作用を 今ここに現出させるという意味をもつに至る。 犠牲Ⅰでは(A)or(B)がまなざしの転換において作用し、 (A)and(B) へと結晶する。それに対し、犠牲Ⅱの解釈では、重要なのは捨てること自体で 35

映画冒頭のオットーの会話の中の、人生は「舞台」のようだとするいわゆる「世界劇 場」論はこの点に接続する。ドストエフスキーの『おかしな男の夢』という短編が導く のも、同様の認識である。「これらいっさいのことがほんとうにあったのだという点を、 どうして信ぜずにいられよう? あるいは、おれがいま話しているより、千層倍も美し く、喜ばしく、光明にみちていたかもしれないのだ。たといこれが夢であるにもせよ、 すべて事実なくてはならないことなのだ。なんなら、諸君にひとつ秘密を教えてあげよ うか、これは始めから終わりまで、決して夢ではないかもしれないのだ!」(ドストエ フスキー, 1987b:225)「夢だって? 夢とはそもそもなんであるか? わが人生ははたし て夢ではないのか?」(同:234) 36 前章第二節参照。 37 「世界の一瞬ごとの創造と消滅」について、武藤剛史(1994)及び古東哲明(1992) を参照。 164


あり、行動が有意味であるかどうかは重要ではなくなるため、 (A)or(B)と いう問いは失効する。犠牲Ⅲの場合は、 (A)or(B) (現実か否か)という問い 自体が成り立たない。核戦争の勃発と消滅が根源的次元の開示となって問いの 存立基盤である「現実」の自明性を崩壊させるからである。 (A)or(B)が触 媒となるが、そこに留まらず、二分法を超える地平へと至る。そのとき、虚構 上の問題は姿を消す。また、信仰の問題も新たな相貌を帯びる。 タオマークについて言えば、犠牲Ⅰの解釈の、現実と非現実(聖人と狂人) の一体性を表すと見ることもできなくはない。しかし、犠牲Ⅲの生成と消滅を 表すと見る方がこの図の原義38にも近く、妥当であろう。アレクサンデルがその 印を刻んだ着物を身に着けることは、アレクサンデルが絶え間ない生成と消滅 を今ここにおいて生きつつあることを表しているのではないか。

第三節

イコンとしての映画

第1項 タルコフスキーのイコンへの関心 タルコフスキーの属するロシアは東方正教に属する。タルコフスキーの生活 には当たり前のようにイコン39があったに違いない。そうした環境は、タルコフ スキーの創作にも影響を与えずにはいない。 タルコフスキーのイコンへの関心は、中世ロシアのイコン画家『アンドレイ・ ルブリョフ』 (1967)の制作にすでに明確に伺える。 タルコフスキーはフロレンスキーに強い関心を寄せて、 『映像のポエジア』で 38

太極図の一般的説明としては、秋山さと子が「円」のシンボリズムについて説明する 中で、二匹の蛇が尻尾をかみ合う「ウロボロス」に関連させて、次のように述べている。 「ウロボロスには明暗二色に塗り分けられているものもあり,これは中国の周敦頤の考 えた陰陽の二極が無限の動きを作りだす太極図に近いもので,それぞれの瞬間における 対立するものの統合と調和を意味している。太極は目に見えない宇宙の根源的実在だが, そこから陰陽の二気が生じ,さらにその二気が動くことから,水火木金土の五行が成立 し,太極の動きと二気,そして五行の働きによって,男女が生まれ万物が生成するとい う原理を説明するために考えられた図形である。」秋山さと子「円」(1998-2001)。ま た三浦(1995:257 以下)も参照。 39 イコンについては、簡便な概説書として、鐸木道剛・定村忠士(1993)、またイコン の技法についての記号論的分析として、B・A・ウスペンスキー(1983)を参照。タル コフスキーの映画とイコンとの関わりを論じたものとして、以下がある。鴻英良(1988)。 Barthélemy Amengual, “Andreï Tarkovsky Après Sept Films” , Michel Estève(1986).(邦訳、エ ステーヴ, 1991)Angela Dalle Vacche(1996)Chapter 5; “Andrei Tarkovsky's Andrei Rublev; Cinema as the Restoration of Icon Painting”. 165


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

次のように述べている。 …ここで、パーベル・フロレンスキー神父が、 『イコノスタシス』のなかで 述べている興味深い考えに触れることにしよう。この論文のなかで、フロ レンスキーは、逆遠近法について書いている。彼は、中世ロシアの絵画の なかの逆遠近法の存在は、イタリアでアルベルチが体系化し、イタリア・ ルネサンスが把握していた光学的法則を、ロシアのイコン画家が、知らな かったようだということを意味するわけではないと考えている。フロレン スキーは、自然を観察すれば遠近法を発見しないわけにはいかないし、そ れに気づかなかったりすることは不可能なことだと、納得のいくかたちで 主張している。実際、遠近法はあるときまで必要とされなかったのかもし れない。つまりそれは無視されていたのかもしれないのである。それゆえ、 中世ロシアの絵画の逆遠近法は、ルネサンスの遠近法とは違い、イタリア のクワトクロチェントの画家、中世ロシアの画家がかかえていた特別の精 神的問題を、特別な形で照射する必要性を表現しているのである。40 『サクリファイス』では、ビクトルのアレクサンデルへのプレゼントとして 「イコン画集」が登場し、画面に映し出される(次章図 12) 。そのイコンを見な がら、アレクサンデルは、 「素晴らしい。何と洗練されていることだろう。何と いう知性と精神性だ。そして純粋な子どものような無垢さ。深いと同時に無垢 だ。信じられない。祈りのようだ。こうしたすべてが失われてしまった。私た ちはもう祈ることができない。 」41と述べる。 タルコフスキー映画における独自の光の表現は、東方キリスト教の宗教的視 覚的文化であるイコン(聖画像)と通底するものである。その検討は、次章に おいて行うことにし、次節では、イコンの問題と関わると思われる、俳優につ いての対話を検討する。

40

『映像のポエジア』第四章(124)。病床で書かれた晩年の日記にも言及がある。1986/4/11 には「パーヴェル・フロレンスキーを心楽しく読む。」 (Мартиролог:581,『日記 II』283)。 また、1985/3/10 (Мартиролог:550, 『日記 II』195)、および 1986/4/23(Мартиролог:583, 『日記 II』291)にフロレンスキーの『イコノスタシス』からの抜書きがある。1979/12/11 (242, 『日記』330 にも記載があるが、映画の観客からの質問の抜書きである。尚、フ ロレンスキーについては、邦訳に、フロレンスキー(1998)がある。 41 “Offret”:103, “«Ж»: запись”:4-я часть. 166


第2項 俳優についての対話 アレクサンデルは元役者、しかもかなりの名優であったという設定である。 役者をなぜやめたのかと詰問するアデライーダに対して、アレクサンデルは、 「ひとりの役者である自己が、その演じる役の中に溶けていくような気がした。 自分をそのように溶解させてしまいたくなかった。そうすることの中には何か 罪深いものがあった。そのように溶解していくことには女性的な何か、意志の 欠如が感じられたんだ。 」 (Vad jag menar är att en skådespelares jag löses upp i hans rollgestalter. Jag ville väl inte lösas upp. Jag tyckte att det fanns nåt syndigt i den där upplösningen nåt feminint, viljelöst. /Я хочу сказать, что «я» актера растворяется в его персонажах. А мне не хотелось, наверное... растворяться. Во всем этом было что-то греховное. В этом растворении, что-то женственное, безвольное.)42と言う。 「女性」と「罪深さ」を結びつけられたことに怒ったアデライーダと諍いとな り、議論はその場面ではそれ以上発展しない。しかし、戦争勃発後、議論の続 きが展開する。祈りとオットーの告知の後、アレクサンデルが二階でマリアの ところに行くべきか否か迷う場面で、アレクサンデルが二階にいると、外で、 食事をする人々の中から、ビクトルの声がオフで聞こえてくる。それは、今述 べた議論の続きであり、アレクサンデルを擁護するものである。 「アレクサンデルはこう言いたいんだ。あるひとりの人間が、奇妙なことに、彼自身 自発的に、ある芸術作品へと変化するかのようだということなんだ。ふつう、詩的な 努力が生み出すものは、作者をはるかに越えてしまう。だから、すぐれた作品は時に は、人間の手によるものとは思えないことがある。だが俳優の場合に言えるのは、そ れがまったく逆だということだ。俳優の場合、作者(俳優)自身が本来の芸術なのだ。」 43

俳優論が芸術作品論を参照する形で論じられている。言われていることは、 第一に、詩的な芸術作品は、時に作者を越えてしまうことがあるということで ある。 「すぐれた作品は、時には、人間の手によるものとは思えないことがある」 (att man ibland inte tror att mästarprovet är ett hantverk./ трудно поверить, что это создание человека.)という部分は、ロシア語の小説では、иногда не верится, что 42

“Offret”:108, “«Ж»: запись”:4-я часть. この俳優論は、バーナード・ショーに依拠してい ることが、『日記』への抜書きからわかる。Мартиролог:96, 『日記』149. 43 “Offret”:150, “«Ж»: запись”:4-я часть. 167


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

шедевр-рукотворен と表現されている44。文字通り、 「すぐれた作品 шедевр は、 人の手で руко 創られた творен と、時には思えない иногда не верится」という ことである。рукотворен に、否定の接頭辞のついた形、「人の手によらない нерукотворный」という語は、イコンとの関連においてよく語られる語である45。 ビクトルによれば、俳優の場合、俳優自身が芸術作品となる。 「詩的な努力が 生み出すものは、作者をはるかに越えてしまう」 (ligger resultatet av all poetisk möda så långt från upphovsmannen/результат поэтических усилий так далек от автора)ということは、俳優の場合、 「作品となった俳優」が、 「作者である俳優」 を越えてしまうということである。すぐれた作品の場合には、 「作品となった俳 優」自身が、 「人の手による」ものと思われなくなる。 ビクトルの言葉は、アレクサンデルがオットーの告知を聞いた後、マリアの 家に向かって出掛ける直前に置かれている。アレクサンデルが、犠牲の階梯を また一歩決断し、踏みだそうとする場面である。このビクトルの言葉は、アレ クサンデルのその後の歩みが、アレクサンデル自身がアレクサンデル自身を越 えた作品、人の手を越えた存在へと変化していく過程だったということを示す ものではないか。 前節に検討した燃える家の場面に戻って考察する。観客の眼前に展開するの は、(「映画内の」ではあれ)現実の光景である。しかし、その現実を相対化す る視点、すなわち他界からの視点を観客が共有するように人々の行動の描写は 目論まれている。他界からの視点とは、登場人物の行動する現実を、一つの舞 台としてまなざす視線である。 アレクサンデルが元役者であるという設定は、この燃える家の場面において、 別の意味合いを以て浮かび上がる。映画冒頭で、アレクサンデルは郵便配達夫 のオットーを通じて、昔の演劇仲間から電報を受け取る。その文面は次のよう 44

“Жертвоприношение”:43 『露和辞典』には、нерукотворный の意味としては、「人間の手では創れない、人間 業とは思えぬような、神の御業の、自印の」、例文としては、「нерукотворное волшество природы 神の御業としか思えぬような自然界の驚異」「нерукотворная икона エデッサ よりのキリストの自印聖像」「нерукотворный образ 自印聖像」などが挙げられている。 ギリシア語でいう「アケイロポイエートス(人の手によらない)」(鐸木道剛、定村忠 士 1993)の訳語である。また、家の模型や世界製作者のモチーフと「人の手によらない」 創造の関わりについても考察することができる。マリアの家でアレクサンデルが語る 「母の庭」のエピソードは、自然に出来上がった美しい母の庭に、手を入れてしまい、 台無しにしてしまうこととして、こうした「人の手によらない」創造の逆の例として挙 げられている。 45

168


なものである。「親愛なる友よ、誕生日おめでとう。偉大なるリチャード46、善 良なるムイシュキンを抱擁します。神が幸運、健康、安寧を賜りますように。 永遠の忠実と愛を込めて。汝のリチャード党員及び白痴党員より。」47昔、一緒 にシェイクスピアやドストエフスキーを演じた仲間からのこの電報は、アレク サンデルがかつて、 「リチャード三世」や「ムイシュキン公爵」を演じたことを 明らかにしている。かつて舞台の上で、リチャード三世を演じ、また見事にム イシュキン公爵を演じたアレクサンデルは、今実人生の上でリチャード三世及 びムイシュキン公爵を生き、演じる。そのことを表すために、冒頭の電報は置 かれていたのではないか。実際、アレクサンデルの着た着物はムイシュキンの マントのようにも映り、また、役者アレクサンデルの舞台衣装のようにも見え る。また、アレクサンデルは、ソファーで目覚めた後、机に脚をぶつけ、それ 以来びっこを引いているのだが、びっこを引くその様は、リチャード三世を意 識していたように見える48。 そもそも奇妙な着物を着て、びっこを引きながら、背を丸め、駆け回るその 姿は、悲劇的であると同時にまた、道化じみても映る。中世ロシアのユロージ ヴィが見世物的要素を持っていたことも、ここで考え合わせることができる49。 アレクサンデルは、燃える家の場面で、舞台の上に俳優として立つのではな い。アレクサンデルは、アレクサンデルという人物の一回限りの人生を生きる。 その姿は、同時に、その人生を一つの舞台として生きるものの姿である。 以上のように、様々な含意が、アレクサンデルの姿からは読み取れる。アレ クサンデル自身にその意識があるのではない。そのような姿を浮かび上がらせ るのは、演出によって、映画の観客のまなざしに対してである。観客の前に、 アレクサンデルは、自らの意識を超えた、 「人の手によらない」作品としてある。 演出により、観客のまなざしは、世界を舞台として見る視座へと導かれる。元 46

シェイクスピアには『リチャード二世』もあるが、後の登場人物たちの会話から、こ こではタルコフスキーは『リチャード三世』を意識していたことが分かる。 47 “Offret”:91, “«Ж»: запись”:2-я часть. 48 「歪んでいる、びっこだ、そばを通れば、犬も吠える。」シェイクスピア(1974:12) 49 ユロージヴィは、「一種の「見世物」の機能を果たしていた」(江川卓, 1984: 112)。 また、パンチェンコ(1989)を参照。また、ユロージヴィは語源的には、「不具者、醜 い人、変り者、でき損ない」を意味する「ウロード урод」に由来するということも、こ の場面を考えるとき重要であろう。江川卓によれば、例えば、コリント書 14 章 10 節の 「われらはキリストのために愚かな者となった。」の「愚かな者」は、古代ロシア語訳 では「ウロード」が使われていると言う。実際ここで、アレクサンデルは、キリストの ために урод になったのだと見ることができる。 169


第5章

自己無化と他界との接触としての犠牲

役者という設定や俳優論の展開は、燃える家の場面に結実するものとして、観 客に世界を劇場としてまなざす視点、他界からの視点へと導くものとして考え ることができる。

170


第6章

第一節

共苦の共同体―『サクリファイス』論(三)

共苦

本章においては、 『サクリファイス』における、人と人とのつながり、共同性 の問題を検討する。そのことを考える上で鍵となるのは、共苦あるいは同苦1と いう概念である。共苦とは、キリスト者の徳のひとつである同情、憐れみであ るが、独自のニュアンスを持つものとして捉える。 共苦は、この世とは別の次元でのつながり(共同体)に基づく。また、逆に、 別の次元のつながりを明らかにする(露わにする)契機として、共苦は捉えら れる。「別の次元」とは、第4章で考察した「他界」、あるいは聖なる領域であ る。共苦とは、聖なる領域に由来し、また、聖なる領域を明かす契機となる。 共苦の問題は、他界の問題、さらには犠牲の問題と密接に関連する。逆に、 共苦の問題の考察は、他界や犠牲の問題に、人とのつながりという側面から光 を当てる重要な視点である。 まず、アレクサンデルの共苦する魂について、アレクサンデルの気絶の場面 の考察から取り掛かる。 第1項

ツァラトゥストラ=アレクサンデルの気絶

第4章で検討したオットーとアレクサンデルの会話の中で、 「永遠回帰」の話 題の直前の部分は次のようになっていた。 オットー「時々、奇妙な事が、頭をよぎるんです。そうなんです。たとえばあの小び とです。あの評判のよくない小びとです。」 アレクサンデル「どの小びとだい?

君はまったく私を混乱させる。」

1

共苦あるいは同苦とは、ロシア語で сострадание であり、文字通り、「苦しみ(受難、 犠牲)」страдание を「共にする」со ということである。他国語では Mitleid, compassion, sympathy などに当たる。「同情」と訳すこともできるが、原語のもっている独自のニュ アンス、及びこの映画での位置付けを考慮した上で、谷寿美(1990:118~121)にしたがっ て、「共苦」あるいは「同苦」と訳す。亀山(2009)は、「共苦」という観点からドス トエフスキー作品を論じている。 171


第6章

共苦の共同体

オットー「ご存じでしょう。あの背中にこぶのある。ニーチェに出てくる、ツァラト ゥストラを気絶させる」 アレクサンデル「気絶?

何を言っているんだい?

君はニーチェを知ってるのか?」

オットー「個人的には知りません。厳密に研究したわけでもありません。だけど、興 味をひかれるんです。そのことは否定できません。」2

「小びと」 (dvärgen/ Карлика)はニーチェにおいてキリスト者を指す3。 「評判 のよくない」 (ökända/ пресловутого)とは、ニーチェをはじめとするキリスト教 思想に対する批判全般を指しており、それが「頭をよぎる」というオットーは、 「神を無みするもの」に対して、尚もキリスト者の側に立とうとする立場を表 している。それでは、 「ツァラトゥストラを気絶させる」 (Han som fick Zarathustra att svimma/ от которого Заратустра в обморок завалился)とは何か。オットーは、 「小びと」と言っているが、ニーチェの『ツ 「ツァラトゥストラを気絶させる」 ァラトゥストラ』に二つのモチーフが結びつく場面はない。 「ツァラトゥストラ の気絶」に該当するのは、次の箇所である。 ツァラトゥストラがこれらの言葉を聞き終わったとき、いったいきみたち は、彼の魂にたまたまどういうことが起こったと思うか?

同情 Das

Mitleiden が彼を襲ったのだ。そして彼は突然ばったりと倒れたが、そのさ まは長い間多くの木こりたちに抵抗してきた一本のカシの木が、-重々し く不意に倒れて、それを切り倒そうとした者たちをさえ、驚愕させるのに 2

“Offret”:93, “«Ж»: запись”:2-я часть. ニーチェは自伝的著作『この人を見よ』のなかで、『悲劇の誕生』の中の「奸悪な侏儒 ども」という表現について、「キリスト教は最も深い意味においてニヒリズム的である。 ところがかのディオニュソス的象徴の中では肯定の極限が成就されているのである。一 ヶ所だけ、キリスト教の僧侶たちを「陰険な侏儒」の一種、陰険な「地下的なもの」の 一種という言い方で当てこすった所がある。」(ニーチェ, 1994:96)と説明する。『ツァ ラトゥストラ』では、「モグラにして小びと」なるものが登場し、「重力の精」とも呼 ばれる。例えば、第三部「幻影と謎について」では、上方へと向かうツァラトゥストラ を下方に引っ張るものとして描かれる。「上方へ、―わたしの足を下方へ引き、深淵へ 引く精、わたしの悪魔にして最大の敵たる、重力の精に反抗して。/上方へ、―半ば小 びとにして、半ばモグラ、その足は麻痺しており、また人の足を麻痺させる、この精が、 わたしの耳の穴へは鉛を、わたしの脳のなかへは鉛のしずくのような思想をしたたらせ ながら、わたしに乗っかっていたにもかかわらず。」(ニーチェ, 1993:22-3)映画では、 アレクサンデルが子供を肩車し「重くなったな。人類が最初に知った感覚だ。」と語る 場面があるが、その場面も「重力の精」を意識しているともとれる。また、「背中にこ ぶのある」とオットーは言っているが、『ツァラトゥストラ』には「エビ足の」小びと という表現はあるが「背中にこぶのある小びと」という表現は存在しない。「背中にこ ぶを持つ者」が登場するのは、第二部「救済について」である。 3

172


似ていた。4 ここでツァラトゥストラを倒すのは「最も醜い人間」であり、小びとではな い。しかし、タルコフスキーが「ツァラトゥストラを気絶させる小びと」と考 えたとき、想定されていたのはこの場面だと思われる。 「小びと」-「背中にこ ぶのある」 (puckelryggen/ горбатого)-「最も醜い」という連想が、 「最も醜い 「ツァラトゥストラの 人間」と「小びと」を混同させたのではないか5。そして、 気絶」で主題化したかったのは「同情」 (同苦)だったのではないか。 「ツァラトゥストラの気絶」という表現は、会話の後展開されるアレクサン デルの気絶の場面につながっていく。会話の後、次のように筋は展開する。 オットーと別れた後、アレクサンデルは森の脇の道で友人のヴィクトルと妻 のアデライーダと出会う。そこで言葉を交わした後、二人と別れて、森の中で 木の下に座り、アレクサンデルは子供に話を始める(図 1) 。子供は喉の手術を したばかりでしゃべれないので、話は次第にアレクサンデルのモノローグと化 していき、子供はひとりで遊び始める。ふと気づくと、いつのまにか子供が視 界から消え、風が吹き始めていることに気づく(図 2) 。 「坊や!」と呼びかける が姿は見えない。見えない鳥のはばたきが聞こえる。突如、足音とともに背後 から子供が現われ、アレクサンデルの背中に飛び付く(図 3) 。驚いたアレクサ ンデルはとっさに子供を跳ねとばしてしまう。目の前に、鼻血を流し、座り込 んだ子供の姿(図 4)を見て、アレクサンデルは「神よ、わたしはどうしたので す?」 (Herregud, vad är det med mig/ Боже праведный! Что со мной!)と呻き、倒 れる(図 5) 。黙示録的情景が眼前を流れる(図 6) 。6 子供の、父を驚かすためのいたずらだったと理解されるが、子供の贈物を見 るアレクサンデルの描写が奇妙だったのと同様、ここでもその描写は奇妙であ る。子供が木の後ろかどこかに隠れていた、というようには描かれない。アレ クサンデルは子供を単に見失うのではない。子供は「見えない世界」へ移行し、 そこから現われるというように演出はなされている。子供が消えると同時に、 風が吹きはじめ、奇妙な音楽が流れ、見えない鳥のはばたき7が聞こえる。それ 4

強調は著者。(ニーチェ, 1993:227) 「醜い」という言葉は、ロシア語では「ユロージヴィ」の語源である言葉であり(本書 第 5 章注 44)、その点にタルコフスキーは連関を見いだしていたとも考えられる。 6 “Offret”:102, “«Ж»: запись”:3-я часть. 7 『ノスタルジア』における「見えない鳥の羽ばたき」について、第 3 章第二節第 2 項を 参照。 5

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第6章

共苦の共同体

は、その見えない世界(他界)がこの世に浮上する様子を表している。子供は、 その他界の中に消え、再び現れる。子供は、他界とこの世を自由に行き来する 存在として描かれている。 アレクサンデルの気絶は、一方において、ムイシュキン公爵の癲癇の発作を 思わせる。その後の黙示録的情景、さらにその画面が次の場面のイコンへと重 なっていくとき、その解釈は強まる。 しかし、タルコフスキーがここで想定し ていたのはムイシュキンの発作だけではない。アレクサンデルが癲癇を持つこ とはどこにも語られていないし、発作というよりは、アレクサンデルは、まる で心臓が止まり硬直したかのようにただ倒れると言ったほうがよい。だとすれ ば、まずはそこに描かれているとおり、気絶(気を失うこと)ととらえ、会話 に登場する「ツァラトゥストラの気絶」のモチーフがここにつながっていると 考えるべきだろう。実際、アレクサンデルの気を失い倒れる様は、カシの木が 倒れる様に似ている。 つまり、 〈ツァラトゥストラ=アレクサンデル〉を気絶させる〈小びと=子供〉 という構図がここで考えられるということである。その解釈の可能性について 以下に敷衍する。 前章第一節第 2 項で検討したように、タイトル・バックにおいて、アレクサ ンデルは贈物(犠牲)を捧げるマギになぞらえられている。マギは、ツァラト ゥストラの元になっているゾロアスター教につながる。また、第4章で検討し た会話の冒頭で、オットーに問われて、アレクサンデルが「 (神とは)何の関係 も持たない」と言う場面があるが、その発言を、ここに関係づけるならば、神 を無みするもの=アレクサンデルという位置付けも可能である8。 タイトル・バックにおいて、アレクサンデルがマギだとすれば、子供はイエ スである。子供は、この映画の中では名前を持たず、 「子供」 (あるいは「坊や」 ) と呼ばれているが、 「子供」は、ロシア語では Малыш であり、 「小さい」に由来 するこの語は、 「小人、小男」という意味も持つ。一方、オットーの会話に出て くる「小びと」はロシア語では карлик であるが、この語も、 「ごく小さい」とい う意味で使われる。例えば деревья карлики は「ごく小さな木々」を意味し、ま た、その形容詞形 карликовый の用法としては、карликовый сад で「箱庭」、 8

「坊や」と呼び掛けるときは息子 сын の指小・愛称の сынок である。また、オットー も 、 小 説 で は маленький человечек 「 小 さ な 人 」 と 表 現 さ れ て い る 。 “Жертвоприношение” :25. 174


карликовые растение で「低く小さい木、盆栽」を意味する用法がある9。戦争勃 発時にアレクサンデルが見る「箱庭」を子供がオットーと一緒に作った(第 4 章第二節第 1 項)ことを考えれば、こうした連関をタルコフスキーは当然意識 していたと考えられる。 これらの連関は、 〈ツァラトゥストラ=アレクサンデル〉を気絶させる〈小び と=子供〉という位置づけを支えている。 「ツァラトゥストラの気絶」というモ チーフは「アレクサンデルの気絶」の場面につながっている。小びと(最も醜 い人間)がツァラトゥストラを倒すのが「同情」であったと同様に、アレクサ ンデルの気絶もまた血を流した子供を目にしての同情(同苦)だったのではな いか。 また、この場面が森の道に迷うところから始まるという設定も、ダンテの『神 曲』La Divina Commedia を意識してのこととして、この点に結びつけて考えるこ とができる。すなわちその設定は、 『神曲』地獄篇の冒頭「われ正路を失ひ、人 生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき」10を意識していたと考えら れる。そして、 『神曲』地獄篇の第五曲には、ツァラトゥストラの気絶と似た様 な場面を見ることができる。 一の魂かくかたるうち、一はいたく泣きたれば、我はあわれみのあまり、 死に臨めるごとく喪し/死體の倒るゝごとくたふれき11 ここでダンテは、 「魂かくかたるうち」とあるように、フランチェスカの物語 を聞いて、泣き、あわれみのあまり失神する。すべてが一致するわけではない が、「あわれみのあまり、死に臨めるごとく」気を失い、倒れるという表現は、 アレクサンデルの気絶に当てはまる。主人公の気絶や眠りの間に場面が転換し、 筋が展開していく12点も、ダンテの『神曲』と同じくする点であり、そのことか 9

ドイツ語の Zwerg に語源的連関を持つ英語の dwarf にも、「小人」の他、「小さい」と いう形容詞や「小さくする」という動詞的用法がある。例えば a dwarfed tree は盆栽の意 である。スウェーデン語では、dvärgen。 10 ダンテ(1952:13)。この言葉をタルコフスキーは『鏡』(1975)の中で登場人物に言 わせている。 11 ダンテ(1952:41)。ニーチェのツァラトゥストラの気絶の場面もここから取られたも のだろう。 12 気絶後、黙示録的光景につづいて、イコンのショットに切り替わる。ここですでにア レクサンデルは家の中におり、アレクサンデルはビクトルから誕生日の贈り物としても らったイコン画集を開いているという設定である。その間の説明は一切ない。また、マ リアとの一夜の場面の後も、アレクサンデルが家の自室のソファーで目覚めるところか ら始まる。 175


第6章

共苦の共同体

らもダンテの上の場面を意識していたと考えられる13。 以上のことから、アレクサンデルの気絶は、ツァラトゥストラの気絶という モチーフと結び付けることのできるものであり、アレクサンデルの気絶は同情 (同苦)に由来するものであるということが明らかになる。そしてそのような 形でアレクサンデルの気絶を設定したのは同情(同苦)というモチーフを浮き 彫りにするためだったと考えられる。 アレクサンデルの気絶がそのような同情に基づくものであることはアレクサ ンデルの気絶の奇妙な描写からは、容易にはうかがえないこともまた確かであ る。実際、本稿も考察の末に、同情(同苦)というモチーフに行き着いたので あった。しかし、そのことが示すのは、アレクサンデルを「死に臨めるがごと く」気絶するに至らしめる同情(同苦)が、単なる同情とは次元を異にしてい るということではないか。実際、アレクサンデルの「神よ、わたしはどうした のです」という呻きは、 「地の底から沸き起ってくる」かのように響く。その言 葉は、アレクサンデル自身が自分の身に何が起こったのか分からないような出 来事であったことを表している。描写の奇妙さは、その同情(同苦)の特殊性 を表すものとして理解される。 アレクサンデルの気絶は、後にアレクサンデルの祈りにおいて発揮されるよ うな同苦する魂の存在を明らかにする。一方で、同苦する魂の主題化は、この 世とは別のレベルの人のつながりを暗示している。地の底でつながっているよ うな人と人とのつながりが、人の苦を前にして、アレクサンデルを「死に臨め るがごとく」気絶させる。そのような、この世とは別の次元のつながりに基づ く、この世を越えた同情(同苦)という主題を様々なモチーフの連関から読み 取ることができる。

13

黙示録にも似たような表現が見いだせる。「わたしは、その方を見ると、その足もと に倒れて、死んだようになった。」(「ヨハネの黙示録」1 章 17 節)ここで「その方」 とは人の子、キリストである。この場合、「同情」のモチーフは見られないが、子供が キリストに見立てられていることを考えれば、ここに結びつけることもできる。

176


図 1

図 2

図 3

図 4

図 5

図 6

第2項

アレクサンデルの祈り

アレクサンデルは、戦争が勃発し、人々がパニックに陥るのを目にした後、 二階の自室で、ひとり神に祈る(図 7) 。アレクサンデルの戦争回復後の行動は、 この祈り(神との約束)に規定されており、アレクサンデルの犠牲を理解する 上でもその検討は重要な意味を持つ。アレクサンデルの祈りとは次のようなも のである。 「我らの父よ。天にまします父よ。御名の尊まれんことを。御国の来たりて、御心の とげられ、我らに日々の糧を賜り、邪悪より守りたまえ。あなたが天国で、力で、栄 光なればなり。①神よ、この恐ろしき世の我らを救いたまえ。私の子供たちを、私の 友達を、私の妻を、ビクトルを。あなたを愛し、あなたを信じる者を。盲目にてあな たを信じない者を。また真の不幸を知らず、あなたをかつて心に浮かべたことのない 者を。今この時に希望と未来と生命を失い、御心を知る機会のなかった者を。心に恐 怖が満ち、世の終わりの近きを悟り、愛する者のために恐れる者を。あなたのほかだ れも救うことのできぬ者を。この戦争は最後の戦争で、恐ろしいことです。勝者も敗 者も残らないのです。市も町も、草も木もなく、井戸に水がなく、空に鳥が飛びませ ん。②私は持ってるものすべてを捧げます。愛する家族をあきらめます。私の家を壊 し、子供をあきらめます。口を閉ざし、だれとも何も話しません。生命に結びつくす べてのものを捨てます。(Jag skänker Dig allt jag har. Jag överger min familj som 177


第6章

共苦の共同体

jag älskar, förstör mitt hem, avstår från Gossen. Jag blir stum, jag kommer aldrig mer att tala med någon, jag avstår från allt som binder mig till livet... / Я отдам Тебе все, что у меня есть, брошу свою семью, которую люблю, уничтожу свой дом, откажусь от малыша, стану немым, не буду разговаривать больше ни с кем и никогда, откажусь от всего, что связывает меня с жизнью... )あなたがす べてを、けさや昨日のように復活させてくださるなら。この恐ろしい、忌まわしい動 物的恐怖を除いてください。すべてを捧げます。主よ救ってください。約束したこと のすべてを果たします。」14

祈りは、定形の祈りから始まり、真の祈り、神への呼び掛けへと移る。下線 部①は、人々の救いへの願いである。ここでアレクサンデルは、信仰を持てる 者も持てない者も、共に救ってくれるように願っている。下線部②で、アレク サンデルは自分の「生命に結びつくすべてのものを捧げる」誓いをする。 この祈りにおいて明らかなのは、アレクサンデルが決して、自分のために、 自分の救いのために祈っているのではないということである。むしろアレクサ ンデルは、自分はどうなってもいいから、信仰のない者も含む他のすべての人 を救ってくれと願う。「生命と結びつくすべてのものを捨てる」とは、実質上、 死ぬことと違わない。アレクサンデルは自分の生命を捧げる覚悟を以て、祈り を捧げる。 そのように、自己のすべてを捧げる覚悟をなした者の姿に、前節で見た自己 を無化し、贈物を捧げるマギの姿を重ねることもできる。実際アレクサンデル はマギと同じように跪き、背を屈め、上方を見上げて祈る。祈りを「捧げる」 と表現するように、ここでのアレクサンデルの祈りそのものが、神への捧げも のだったとも言い得よう。アレクサンデルの自己無化としての犠牲はここに始 まる。しかし、それは、神への約束や誓いというにとどまらない。祈りを捧げ ること自体がすでに犠牲であった。 第 3 項 他者への共苦に発する祈り アレクサンデルはなぜ祈りを捧げるのか。アレクサンデルの祈りの質をより 明らかにするために、その祈りの契機に関して考察する。

14

“Offret”:140-1, “«Ж»: запись”:9-я часть.

178


たとえば、核戦争が始まる前に、アレクサンデルが子供に次のように語る場 面がある。 「怖がらなくていい。死なんか存在しない。あるのは死の恐怖だけだ。 それが人の行動をおかしくする。死の恐怖を除けたら、すべては変わるだろう。 」 15

この後、実際に登場人物たちは、核戦争に際して、死の恐怖に見舞われるこ

とになる。そして、アレクサンデルは「この忌まわしい動物的恐怖を取り除い てください」16と祈る。 死は存在しないと語ったアレクサンデルが、死を前にして祈る。 「死は存在し ない」と言い、考えることと、実際に死を前にするときに見舞われる恐怖との 差をそこに指摘することも可能である。 「この忌まわしい動物的恐怖」というと き、確かにアレクサンデル自身もその恐怖の内にあるかのようである。しかし、 アレクサンデルは、自己の生命を捨てる約束をするのであった。 「死は存在しな い」と語る人物が核戦争に際して神に祈りを捧げることが矛盾でないのは、核 戦争に際して死に見舞われるのが、その人ひとりではないからである。アレク サンデルの恐怖は、周りの人との関係において生じたものだったと考えられる。 アレクサンデルの祈りは、他の人々に対する同苦に基づき、導かれ、同苦の精 神に貫かれている17。その祈りには、次のような言葉の反響を聞くことができる。 「だれもが救われますように。地上のすべての者が救われますように。 」18 この言葉は、19 世紀のロシアのユロージヴィ、イヴァン・ヤコーヴレヴィッ チが、自身の死に際して、神と喧嘩して、叫んだといわれるものである。谷寿 美は、この言葉に、単なる「表面的な同情心や憐憫」ではない、 「もっと奥深く、 地の底から沸き起ってくるような一つの共感する魂」を見て取る19。 15

Du ska inte vara rädd, pojken min. Det finns ingen död. Visst finns skräcken för döden, och är en riktigt otäck skräck och ofta får den många människor att göra sånt som de inte borde. Men hur annorlunda skulle det inte bli om vi slutade upp med att vara rädda för döden. (“Offret”:100) / Да, не бойся! Не бойся, малыш, нет никакой смерти. Есть, правда, страх смерти и очень он мерзкий, страх этот, и очень многих заставляет он частенько делать то, что люди делать были бы не должны. Как бы все изменилось, перестань мы бояться смерти! (“«Ж»: запись”:3-я часть.) 16 slipper denna dödsbringande, kväljande, djuriska skräck./ этого тошнотворного животного страха. (“Offret”:141, “«Ж»: запись”:9-я часть.) 17 ニュッサのグレゴリオスはモーゼのシナイ山への登攀について、「はじめモーセを包 み込んだ恐怖は彼自身の固有の情念(πάθος)であったのではなくて、むしろ、恐怖に 戦いている人々との同苦(συμπάθεια)にもとづいて蒙ったものなのである。」(ニュ ッサのグレゴリオス, 1992:27)と解釈している。アレクサンデルの祈りと犠牲への登攀に ついても同じ事が言える。 18 オリヴィエ・クレマン(1977:164) 19 谷寿美(1990:119) 179


第6章

共苦の共同体

アレクサンデルの祈りに貫かれていたのは、そのような意味での「共感する 魂」である。そしてそのようなアレクサンデルの内にある共感する魂を、それ に先立つアレクサンデルの気絶の場面は示している。気絶に際してのアレクサ ンデルの呻きは、地の底から発せられたかのように響く。アレクサンデルを気 絶させたのは、アレクサンデルの、単なる「表面的な同情心や憐憫」ではない 「もっと奥深く、地の底から沸き起ってくるような一つの共感する魂」である。 そのような共感する魂の存在が明らかにしているのは、血を流した子供と気絶 するアレクサンデルとの間にある、 「目に見えない」ところにあるつながりであ る。 アレクサンデルの気絶及びアレクサンデルの祈りは、アレクサンデルの共感 する魂と、その魂が感じる人とのつながりを示している。そしてその祈りに始 まるアレクサンデルの犠牲的行動は、その魂に突き動かされてのものであるこ とを、アレクサンデルの祈りは表している。アレクサンデルの犠牲的行動は、 このような人とのつながりに端を発している。アレクサンデルの悲劇は、人と のつながりのために、人とのつながりを失わなくてはならないという逆説にあ る。

図 7

第二節

図 8

図 9

魔女

本節では、アレクサンデルの孤独な犠牲的行動に対置される共同体の問題に ついて考える。ここで、中心となるのは、マリアや子供とアレクサンデルとの 関係である。ここでもまた、犠牲するものに対する共苦が鍵となる。最初にま ず、マリアについて考察する。 第1項 魔女について

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アレクサンデルが祈りを捧げたあと、ソファーで眠りに落ち、重苦しい夢を 見、そこから起きたとき、オットーが訪ねてくる。オットーは、教会の隣に住 むマリアの家に行くようにアレクサンデルに言う(図 8) 。降ってわいたような 話にアレクサンデルは最初、何のことか分からず、話がかみ合わない。以下に 示すのは対話の後半部分である。 オットー「とにかくマリアの所に行かなければなりません。」 アレクサンデル「いったい、なぜ?」 オットー「こうしたすべてが終わる(slut/ кончилось)ことを望んでいないのですか?」 アレクサンデル「何が終わることを?

どういうことだ?」

オットー「すべてです。まさしくすべて、すべてが終わることをです。」 アレクサンデル「頼むよ、オットー!」 オットー「見てなさい。これは終わります。」 アレクサンデル「オットー!」 オットー「ええ、あなたはマリアのところへ行って、彼女と寝なければなりません。」 アレクサンデル「何だって?」 オットー「だから、行って、マリアと寝なければならないんです。」 アレクサンデル「どういうことだ。「マリアと寝る」?」 オットー「簡単なことです。彼女は独りで住んでいます。そして、今この瞬間に、こ うしたすべてが終わることを望みなさい。そうすれば、すべてが終わります。それ 以上のことは何も起こりません。」 アレクサンデル「しかしそれは正気じゃないよ。オットー、頼むよ。」 オットー「あなたは何も分かってない。これは本当のことです。これは聖なる真理(en helig sanning/ Святая правда)です。彼女はつまりまったく特別な性質を持っている んです。私は証拠を集めたんです。彼女は魔女(häxa/ ведьма)なんです。」 アレクサンデル「どういう意味だい?」 オットー「いい意味で、です(I den goda betydelsen/ В хорошем смысле)。」 アレクサンデル「私を笑い者にするつもりかい? オットー「他に道がありますか?

またニーチェ風の冗談なのかい?」

選択肢はないんです。一つも。 」

アレクサンデル「何の選択肢だ、オットー?

何の選択肢だ?

いったい何について

話しているんだ?」20

20

“Offret”:146-9, “«Ж»: запись”:10-я часть. 181


第6章

共苦の共同体

この場面は、夢のシークエンスを介して、アレクサンデルの祈りに続く場面 である。観客は、祈りに対する神からの応答として位置付け、オットーが神の 使者(神の言葉の告知者)の役割を託されていることを筋の展開から推測する。 しかし、それは劇の外にいる観客だからこそ生じる理解であって、劇の内にい るアレクサンデルにとって、オットーは、対象化し、筋の展開に照らして理解 できるような登場人物ではなく、少し変わったところはあるとはいえ、同じ世 界に住む郵便配達夫をしている友人以外ではない。観客は、そのようなアレク サンデルの立場も理解できる。 そもそも、召使のマリアと一夜を共にするだけで、核戦争が終わるというこ と自体、信じがたいことであろう。それが確かに万能の神の告知であるとすれ ば、それも可能であろう。しかし、オットーがそのような神の使者であること の証拠はない。そもそも、魔女と寝るということは何を意味するのか。それが 本当に神の告知なのかどうか。オットーを光の中に立たせる演出など、オット ーが神の使者であることを暗示する(図 9)要素もあるが、それは暗示にとどま る。 オットーは、マリアは魔女であり、彼女と寝れば、すべてが終わると言う。 「す べてが終わる」 (sant/ правда)という表現は、文脈から、 「核戦争」が終わるこ とであると理解されるが、 「終わる」という表現には、また別の含意も読み取れ る。結果的に、戦争はなくなり、オットーの言葉どおりになる。オットーの言 うとおり、マリアは魔女であったことになる。問題は、マリアが魔女であるこ との意味である。マリアが、 「聖なる真理」において「いい意味で」魔女なのだ とはどういう意味か。 魔女はロシア語では、ведьма である21 。ведьма は語源的には「知る、直感す る」を意味する ведать に由来する22。通訳として本作の製作に携わったレイラ・ アレクサンデルは、 「アンドレイ・タルコフスキー タルコフスキーの隠れた手 法」23の中で、タルコフスキーが、ведьма が ведать から来ていることを話して いたことを報告し、タルコフスキーは魔女の語源について意識していたことを 証言している。

21

“Жертвоприношение”:65. 研究社『露和辞典』には、「1、知る、知っている 2、感ずる、直感する、経験する 3、つかさどる、管理する」などの意味が挙げられている。 23 『WAVE 26』(1990:20) 22

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ведьма や ведать は、вид という語根を通じて、 「見る видеть」と結びつく 。 ロシア語には一般に「知る」を意味する単語に знать がある。знать は「知識と して知る」という意味が強いのに対し、ведать の方は、 「直感する」という意味 があることからも、 「見ることによって直観的に知る」といった意味合いが強い。 映画の中で、オットーは「 (私たちは)何も見えてないんです не видим。 」と いう言葉を繰り返す24。видим は、見る видеть の一人称複数の現在形であるが、 〈m〉という音が入ることによって、音の上からも ведьма との結びつきを強く している。また「魔女 ведьма」という言葉を語るのが、 「не видим」を繰り返す オットーであることもこうした位置付けを支えていよう。 オットーは、他界の在処を語る存在である。上の「何も見えていない не видим」 という言葉も他界をさしていた。マリア(魔女)は、 〈他界〉を「見る видеть」 者、あるいはこの世が〈他界〉に在らしめられているということを「見る(知 る) 」者として位置づけられている。 映画では魔女はスウェーデン語の häxa であり、ドイツ語の Hexe と同系統の 語である。上山安敏は、ドイツ語の Hexe の語源について、北欧語の系統に属す る hagazussa(hag は「垣根」 、zussa は女性の意)に由来するとし、次のように述 べている。 中世の魔女は垣根を飛び出したもの、垣根の外の存在である。魔女 (hagazussa)とは「垣根(hag, Hecke, Zaun) 」の上に座った女」の謂である。 柵や垣根は、村共同体と野生の境界をなしている。魔女はもともと、村と 野生の双方に身をおく者であり、半デーモン的な存在なのである。25 「野生」とは、共同体の外なる世界であり、村共同体にとっての〈異界〉で ある。映画の中で、マリアはたしかに、他界とこの世の境界上の存在として描 かれている。 例えば、マリアが初めて画面上に登場する、アレクサンデルの家でアレクサ ンデルとアデライーダが喧嘩をする場面を見てみよう。その喧嘩に対してもう 一人の召使のジュリアがまた始まったという様子で、 「彼女は彼を死に至るまで

24

ドイツ語の「知る」Wissen が「見る」vid に由来する語であることもここで考え合わ せることもできる。また、英語の「魔女 witch」も、元々は、wit、wise と共にラテン語の vid に由来する語である。 25 上山(1993:71)ドイツ語の Hag には、森、木立の意味もある。この映画の中でも、マ リアとアレクサンデルが森の中で会話を交わす場面がある。 183


第6章

共苦の共同体

苦しめそう。」26とつぶやき、去ろうとする。ジュリアが移動するにつれてカメ ラが移動すると背後の扉の所にマリアが立っており、マリアが画面に映る瞬間、 後の扉が激しく閉まる(図 10) 。穏やかな風の吹く天候に、このように扉が急激 に閉まる不自然な様子は、マリアに備わる超自然的な力を暗示している。 また、マリアはしばしば地平線を行く姿で描かれる(第 4 章図 4) 。その姿は マリアが境界上の存在であることを表していると考えられる27。前章で検討した 燃える家の場面では、延々と続くワン・ショット・ワン・シーンの数秒間、第 5 章の図 8 のような画面を入り込ませている。この画面は、C.D.フリードリ ヒの《海辺の僧侶》Mönch am Meer(図 11)から引用されたものである28。映画 では、フリードリヒの絵画とは違い、 「画面の六分の五あまりの広さを占める」 29

空の存在はカットされ、フリードリヒの絵が持つ茫漠とした雰囲気はない。し

かし、海と空が溶け合った灰色の無限定な領域に「水平方向と垂直に交わる唯 一の存在」30として接しているマリアの姿は、有限の垣根(境界)上の存在とし て、その垣根を越えて無限に接するものとして確かに表現されている。ゲルト ルート・フィーゲは、僧侶の姿を「人間一般の孤独の象徴」31として捉えている。 Mönch は、μόνος(一人)を語源とするギリシア語の μονᾰχός に由来し、 「孤独 なる者」の意である。マリアは「僧侶」に見立てられている。それは、 「共同体 から閉め出された、異界の住人」32としての「魔女」の姿でもある。 マリアは、フリードリヒの絵画の僧侶と同じように、メランコリーの姿勢を とる。このことは、外界に対して身を閉ざし、内面に沈潜し、観照的生を生き、 この世とは別の世界、「内面の宇宙」を見るものの姿を表している33。マリアの 26 Hon kommer att pina ihjäl honom/ Она его погубит. “Offret”:109, “«Ж»: запись”:4-я часть. (Sie wird ihn zu Tode quälen. Opfer, 73). 日本語字幕は「また始まった」と訳している。 27 フリードリヒの《昼》の引用も見られる。ただし、フリードリヒの絵は《昼》である のに対し、映画のこの場面は、白夜に向かう直前であるという違いがある。 28 フリードリヒとタルコフスキーの関係については、滝本誠(1989)を参照。また、こ の映画の広大な大地に水の広がった光景も、フリードリヒの絵画からインスパイアされ ていると考えられる。 29 ゲルトルート・フィーゲ(1994:142) 30 ゲルトルート・フィーゲ(1994:142) 31 ゲルトルート・フィーゲ(1994:142) 32 上山(1993:98)。上山は、「地中海沿岸の魔女は、結社をなした集団であるのに対し て、北方の魔女はもともと個人的な存在」であり、「北欧のサガやエッダについて見て も、魔女は一人ぼっちであり、人びとが生活する共同体から離れた森や荒地に棲む。魔 女は共同体から閉め出された、異界の住人である。」と述べている。 33 上山(1993:325-9)

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閉じた姿勢は、アレクサンデルの沈黙と照応する。一見閉じているように見え るマリアの姿勢は、目に見えない広大な領域を「見る者」の姿を表している。 マリアが「いい意味で」魔女なのだという言葉の中には、以上のような含意 が含まれている。魔女をそのように扱うことに、魔女狩りの歴史とその上に築 かれた近代に対する批判を考えることもできる。上山によれば、魔女狩りが最 も激しかったのは、16、7 世紀であり、近代の「脱魔術化」の過程と即している と言う34。魔女が悪い意味を一面的に割り当てられ、排除されるようになったの は、おおよそ近代以降のことである。近代以前、あるいは魔女狩り以前には、 「聖 女と魔女は、ほんとうに紙一重であった」35。魔女が「マリア」という名である ことはこの点において、象徴的である。マリアという名は、聖母に結びつき、 聖なる=母なる大地36への連想を誘う。実際、アレクサンデルがビクトルにもら ったイコン画集の聖母マリア(図 12)と、召使のマリアは「頭巾」37によって重 ねられている(第 4 章図 9) 。マリアが教会のとなりに住んでいること38、マリア の家には、十字架があることなども、マリアの信仰の深さと同時にマリアの聖 性を表している。オットーが、マリアが魔女であることを告げて去った後、ア レクサンデルの家の二階にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》が クローズ・アップされる。この時、この絵は、マリアが魔女であるだけでなく、 聖母であることを暗示している。 「魔女」には、以上のような多層的意味が読み取られる。尤も、魔女が聖女 と紙一重の存在だとしても、 「聖女」ではなく「魔女」としたことの意義を見失 「魔女」という言葉 うべきではない。魔女は、さしあたり異教的な存在である。 には、近代とともに廃棄せられた魔術全体が象徴させられていると考えること もできる。 「魔女」が「いい意味で」扱われ、それが聖母ともなり、そして、ツ ァラトゥストラであると同時にキリスト者であるアレクサンデルとコミュニオ

34

上山(1993:325-329, 359) 池上(1992:78). 36 ロシアにおける聖なる大地への信仰については、高橋保行(1989)及び、白石治朗 (1997:183-)を参照。 37 「頭巾」について前掲『世界シンボル辞典』では、「不可視」、「死、隠遁」、「思 考、霊」をあらわすとされている。クーパー(1992:130) 38 前作『ノスタルジア』において、ユロージヴィをモデルに造形されたドメニコが、や はり教会の裏に住んでいた。マリアは言わば、女性版ユロージヴィなのだと言える。ア レクサンデルがマリアを訪れる場面は、ドストエフスキーの『罪と罰』で、ラスコーリ ニコフがソーニャを訪れる場面を思わせる。 35

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第6章

共苦の共同体

ンを結ぶ。そこにキリスト教と異教との和解39の主題を読み取ることもできる。 以上のような「魔女」に託された意味と映画の中でのマリアの描写は、 「魔女」 という言葉がから通常連想するイメージとは異なっている。また、アレクサン デルがその魔女=マリアに対して世界を救ってほしいと願うとき、そのアレク サンデルの姿は、魔女よりは聖女に対しているように映る。そのような観客の まなざしの内での魔女と聖女のイメージの錯綜もまた、作者の意図するところ であったに違いない。

図 10

図 11

図 12

第2項 魔女との一夜 魔女マリアに以上のような意味が託されているとすれば、アレクサンデルの 魔女との一夜はどのような意味を持つのか。次に、マリアの家での、アレクサ ンデルとマリアが結ばれるまでの過程を検討したい。 オットーに「マリアは魔女であり、マリアと一夜を共にすれば、すべては解 決する。他に方法はない」と言われたアレクサンデルは、迷いながらも、意を 決してマリアの家を訪れる。アレクサンデルは途中自転車で転び、水溜まりに 落ち、帰りかけるが、思いなおして、再びマリアの家へ向かう。マリアの家の 前でアレクサンデルはひざまずく姿でとらえられる(図 13) 。家の前を羊の群れ が通り過ぎる。 マリアの家で、アレクサンデルはまず、マリアが戦争のことを知らないこと を知る。核戦争のことを知らないマリアと、世界を救うという使命を背負った アレクサンデルは、結びつくに至るまでにある過程を経る。 まず、 「自転車で転んだんだ」というアレクサンデルの手を、マリアが水と石 39

ノヴァーリス(1939:243)

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鹸で洗う(図 14) 。そこにあったオルガンで何気なくアレクサンデルが、 「母が 。そこからの 好きだった」というバッハのプレリュード40を弾き始める(図 15) 連想で、アレクサンデルが、昔、母を喜ばせようとして母の好きだった庭を綺 麗にしようとして手を入れ、かえって台無しにしてしまい取り返しのつかない ことをしてしまったという話を苦しげに物語る。その話を聞きながら、マリア は共苦し、涙を流す(図 16) 。時計が時を告げ、アレクサンデルは時間がないこ とに気づき、 「私を愛してくれ。救ってくれ! 我々皆を救ってくれ! 私はお 前が何かを知ってる。彼が教えてくれた。愛してくれ。我々を救ってくれ。頼 む。 」と愛されることを願う。そのアレクサンデルを、最初マリアは相手にせず、 母親のように毅然とした態度で、「帰りなさい。」と言う。しかし、こめかみに ピストルをあて、 「我々を殺さないで。救ってくれ、マリア。Döda oss inte. Rädda oss, Maria/ не убивай нас. Спаси нас, Мария.」と言う。そのアレクサンデルを見 て、アレクサンデルの絶望の深さを知ったマリアは愛することを了承する(図 17) 。41 背後にあるコンテクストの差が二人を迂回させる。二人を最終的に結びつけ るのはピストルをこめかみに当てた姿に象徴されるアレクサンデルの苦悩し自 己を無化しようとする姿と、それに対するマリアの共苦である。マリアがその ような共苦する魂を持つことを、アレクサンデルが苦しげに語る母の庭の話に、 共苦し涙を流す姿が表している。 手を洗い、音楽を弾き、告白するという過程は、 〈洗礼-音楽-告白〉という 教会の過程を表す。ここに成立するのは、アレクサンデルの犠牲とそれに対す るマリアの共苦によって築かれたマリアとアレクサンデルの教会=共同体であ る。この後シーツに包まれた二人のからだが宙に浮く42(図 18)ことは、マリア がオットーの言うように確かに魔女であったことを表すとともに、二人のつな がりがこの世とは別のつながりであることを表している。 魔女との一夜は、世界を救うという使命を担ったアレクサンデルにとっては、 また別のことも意味していると考えられる。次に、二人の浮遊シーンに続くシ ークエンスを合わせて検討し、そのことを考えてみたい。

40

《プレリュードとフーガ ニ短調》BVW539 のプレリュード。バッハのこの曲につい ては詳細が知られていない。 41 “Offret”:154-9, “«Ж»: запись”:13-я часть. 42 タルコフスキーの映画における空中浮遊についての論考に菅原裕子(2007)がある。 187


第6章

共苦の共同体

まずアレクサンデルの気絶の時に展開したのと同じような、黙示録的光景が 展開する。ただし、今度は、そこに群衆が付け加わっている(図 19) 。次のショ ットでは、野外で、アレクサンデルが横たわっており、足もとにアデライーダ の服を着ている女性が振り返ると、顔はマリアに変わっている(図 20) 。続いて、 レオナルド・ダ・ヴィンチの《マギの礼拝》がクローズ・アップされ、聖母マ リアとマリアに抱かれたイエスの姿が浮かび上がる。家の二階の廊下に裸のマ ルタが鶏を追う姿、コップのようなものを持って部屋の前に立ったアデライー ダ、アレクサンデルの部屋でアレクサンデルがソファーで目覚める姿などが、 ワン・ショットで展開する(図 21) 。 ほとんど解釈を許さないような、謎めいた情景の連続である。最後のショッ トは、夢と現実が連続していることも表していると考えられる。ここでは、鍵 となるいくつかの点を指摘し、考察するにとどめる。 まず、 《マギの礼拝》は、マリアとアレクサンデルのショットに引き続き、聖 母マリアと幼子イエスの描かれた部分にクローズ・アップすることで、マリア とアレクサンデルが、聖母マリアとイエスにそれぞれ重なっていることを明ら かにしている。アレクサンデルはここで、 《マギの礼拝》の子供イエスに見立て られている。この瞬間は、アレクサンデルのキリストとしての再生を表してい る。アレクサンデルの誕生日という設定も、ここでは別の意味を明らかにして いる。実際、ソファーでアレクサンデルは目覚めるとき、 「ママ!」と口に出す。 また小説では、アレクサンデルが目覚めた後の場面で、タルコフスキーはビク トルに、 「アレクサンデルは子供 Малыш なんだ」と言わせている。 「すべてが終わる」というオットーの言葉は、一方で、核戦争の終わること を示しながら、もう一方では、この瞬間を表すために置かれている。聖書では、 終わるという言葉は、完成を表している43。オットーの言葉は、その瞬間が、ア レクサンデルのキリストとしての救いの業の完成と、同時に、アレクサンデル のキリストとしての完成を表すものとして考えられる。 また、ロシア語で「終わる」を意味する кончиться は、 「死ぬ」を意味する。 実際、アレクサンデルの「幼子」としての再生には、死が必要なはずである。 レイラ・アレクサンデルは、タルコフスキーがこの場面を作るにあたって自分 43

例えば、「行って、あの狐(ヘロデ王)に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気 をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。」(ルカ 13 章 32 節)ここで「すべてを終える」とは、キリストの救いの業の完成を表すと考えられる。

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が見た夢をそのまま利用しているが、その夢は次のようなものであった。 夢の中で彼(タルコフスキー)は自分が死んで長椅子に横たわっているの を見た。部屋の中に人々が入ってきてひざまづいた。彼は自分の母親が 天 使のように白い衣装をまとっているのを鏡の中に見た。それからすぐに 彼はフロイト主義のシーンを見た。それは裸の少女が雌鶏を追いかけてい る場面だった。すべてはゆっくりと動く「映画の中の出来事」のようだっ た。さらに彼は自分の足もとに座っている女性を見た。彼は妻だと思った。 しかし、彼女が振り返ったとき、彼女の顔は別人のものだった。44 映画では、裸の少女が雌鶏を追いかけている場面、自分の足もとに座ってい る女性が振り返ると、妻とは別の女性だったという二つのショットが、この夢 から作られていることが分かる。重要なのは、それが「死んだ」夢であり、つ まり、その夢がここで使用されていることは、それがアレクサンデルの死と規 定されているということである。 マリアは聖母マリアであるだけでなく、魔女であり、また、母なる大地に連 なるものでもある。アレクサンデルが、魔女という境界上の存在に抱かれるこ とは、アレクサンデルの〈他界との接触〉を表していたのではないか。あるい はまた、アレクサンデルの、母なる大地との接触、あるいは大地への回帰だっ たのではないか。 他界との接触とは死すことである。母なる大地への回帰もまた、自分がそこ から来たったところへの回帰であり、死を表す。アレクサンデルは、魔女であ り母なる大地であるマリアに抱かれることによって、聖母マリアに抱かれるイ エスとして生まれ変わる。そのようにアレクサンデルがマリアに抱かれる瞬間 を理解することが出来る。 魔女との一夜は、アレクサンデルの〈他界との接触〉である。その接触は、 アレクサンデルのキリストとしての完成でもあり、またさらに、マリアとの共 苦の共同体の成就でもある。アレクサンデルは、他界と接触し、この世を在ら しめているものとひとつの者として再び地上に降り立つ。アレクサンデルの家 の燃える場面において、アレクサンデルがたしかにそのような姿をあらわして 44

レイラ・アレクサンデル(1990:30)。この夢の内、自分が死んで長椅子に横たわって いる部屋の中に人々が入ってきてひざまづく場面は、実際には使用されなかったが、そ の場面を撮影する情景がドキュメンタリー『タルコフスキー・ファイル in サクリファイ ス』に収められている。人々は黒い服を着ており、葬式のシーンとして構想されていた と考えられる。 189


第6章

共苦の共同体

いたことは、前章で確認した。次にその燃える家の場面に続く場面を見ていき たい。

図 13

図 14

図 15

図 16

図 17

図 18

図 19

図 20

図 21

第三節

共苦の共同体

第1項 彼方へ去るマリア 前章において、アレクサンデルの犠牲とは、楽園を実現することとしてとら えられた。しかし、そのことは人とのつながりという観点からは、何を意味す るのだろうか。アレクサンデルは家に火を放ち、狂人として連れ去られる。つ まり、ビクトルやアデライーダにとって、アレクサンデルの振る舞いは狂人の 振る舞いでしかなかった。家と言葉を捨てたアレクサンデルは孤独の闇に、一 生涯落ちる。 アレクサンデルの犠牲は、人々に対する同苦に端を発している。他者とのつ ながりを失う結果になったのは、他者を愛するあまりのことであった。アレク 190


サンデルの愛するがゆえに為したその行為は、孤独の闇に落ちるという結末を もたらす。その孤独と沈黙に対して、前項で見たマリアとのつながりはどう対 置されるのか。 これは、前章の燃える家の場面の検討の際、残していた問題でもある。そこ ではマリアとオットーの行動は、その微妙な関わりを反映して、控えめなまま にとどまっていた。そのことは、アレクサンデルの夢にすぎなかったという(つ まりアレクサンデルが単なる狂人にすぎないという)解釈を残すのに寄与して いる。その解釈が残ることによって、アレクサンデルの行動を証言するはずの マリアとオットーの立場の重要性と、その行動への観客の期待は増す。アレク サンデルのありようを浮かび上がらせる役を果たしていたマリアとオットーは、 今度は、アレクサンデルの辿った過程を証しする役として注目される。 オットーは、救急車の走りだす直前に、 「また近いうちに」 (Vi ses / До скорой встречи)と声をかけるにとどまる。救急車は家の前を通り、再びメランコリー の姿勢を取っているマリアの前で、U ターンする。画面はそれまで救急車を追 っているが、マリアを中央に捉えたところで止まり、マリアを中央に捉え、救 急車は画面の右側へ去っていく。救急車と入れ代わりに画面中央に捉えられた マリアがメランコリーの姿勢を解いて走りだす。画面も、背後に燃える家をと らえながら、それを追う。マリアは、オットーの乗ってきた自転車を拾い、そ れに乗って、走りだす(図 22) 。画面は、彼方に去る救急車などを捉えながら、 それをさらに追うが、途中で止まり、マリアは画面右側へと消える。画面は左 へ、元来た道を戻り、残された人々と、燃える家を映し出す。 それまでずっと画面の中心を占めていたアレクサンデルが救急車に乗せられ た後、救急車の迂回によって、画面の中心はマリアに移る。前項で確認したよ うに、このときのメランコリーの姿勢は、魔女マリアの、この世とは別の領域 を見る者の姿であった。マリアが何を考えているのか、遠景で捉えられたその 閉じた姿からは直接うかがうことが出来ないが、観客の期待に応えるかのよう に、マリアはたしかに行動を起こす。 自転車にのったマリアは、子供が父と共に植えた枯れ木に水をやろうと運ん でいる浜辺にやってくる。マリアは、近道をして、救急車に乗せられたアレク サンデルを追ってきたのだと推測される。アレクサンデルを乗せた救急車と、 枯れ木の側に立った子供と、自転車に乗ったマリアとが交差する(図 23) 。 (こ の瞬間、空が晴れて、光が草の上に注ぐ。 )救急車は画面右手前方へと去ってい 191


第6章

共苦の共同体

く。子供が水をやるショットに続いて、何かを見届けようとするマリアの姿が、 遠景で捉えられる(図 24) 。 (ここでマタイ受難曲のアリアが再び鳴り始める。 マタイ受難曲のアリアは、子供が水をやると同時に鳴り始まる。それはあたか も、水をしみこむことで、甦った〈大地〉から鳴り響くかのように始まる。 )マ リアは、そこから再び自転車に乗って、画面奥、地平線に向かって、 〈彼方へ〉 と去っていく。 ここで、彼女が何を思い、どこへ行くのか、遠景でとらえられたその画面か らは定かではない。しかし、力強く自転車を漕ぎ、ここまでアレクサンデルを 追ってきたということ、そしてさらに力強く、〈彼方へ〉と去りゆくその姿は、 まぎれもなくマリアとアレクサンデルとが、この世と別のところで確かに結び ついていることを、観客に確信させるためにあったのではないだろうか。他者 のために為した犠牲は、一度は裏切られ、アレクサンデルは孤独の闇に落ちる。 しかし、その闇は、再び、彼方に去るマリアの姿によって光を灯される。マリ アの姿が、確信させるのは、一夜において、現出した聖なる共同体が、決して 夢ではなく、今もここにあることである。その確信は、アレクサンデルのたど った過程と犠牲が、まぎれもなく真正のものであることもまた物語っている。

図 22

図 23

図 24

第2項 子供との絆―枯れ木に咲く〈花〉の受容 次に、アレクサンデルの犠牲後の、アレクサンデルと子供との関係について 検討したい。前章において見たように、アレクサンデルはツァラトゥストラに、 子供はイエス・キリストに見立てられており、そのことが、アレクサンデルと 子供の関係を奇妙なものにも見せている。しかし、アレクサンデルの子供に対 する愛情は随所に語られており、そのことは、その子供すらもあきらめると約 束したアレクサンデルの犠牲の重さを同時に表している。 その犠牲は、子供との関係に、どのような影響を及ぼすか。犠牲の後、子供 192


との関係がどのように描かれるのかを見ていきたい。 前節の最後に検討した場面で、子供は、浜辺に植えられた木に水をやろうと している(図 25) 。その木は、映画冒頭で父と共に植えた木である。その時、父 は、ある正教の修道士の伝説を子供に語る。 「ずっと昔のある時、年とった修道僧が、正教の僧院に住んでいた。パムベ(Pamve/ Памве)と言った。ある時枯れかかった木を山に植えた。こんな木だ。そして若い門弟 に言った。イオアン・コロフ(Ioann Kolov/ Иоанну Колову)という修道僧だ。 “木が生 き返るまで、毎日必ず水をやりなさい。 ” (子供に:石をおいとくれ。)毎朝早くヨアン は、おけに水を満たして出かけた。木を植えた山に登り、枯れかかった木に水をやっ て、通りが暗くなった夕暮れ、僧院に戻ってきた。これを3年続けた。そしてある晴 れた日、彼が山に登って行くと、木がすっかり花でおおわれていた。…一つの目的を 持った行為は、いつか効果を生む。時々、自分に言い聞かせる。毎日欠かさずに、正 確に同じ時刻に、同じ一つのことを、儀式のように、きちんと同じ順序で行なってい れば、世界はいつか変わる。必ず変わる。変わらぬわけにはいかぬ。人間は朝になる と目を覚ます。7時にベッドを離れ、浴室に行き、蛇口から水をコップに注ぎ、トイ レに流す。(オットーが彼方からやってくる。)見事だろう、日本の生け花のようだ。」 45

タルコフスキーは、元になる『聖人伝』を日記に書き写している46。テキスト の一致から、タルコフスキーがイグナーチイ・ブリャンチャニーノフ主教 (1807-67)による『聖人伝』Отечник に依拠していることがわかる。元の伝説 でも『日記』の抜き書きでも、木は実(「修行の果実」)をつけることになって いるのに対して、映画では「花が咲く」に変更されている。老僧の名前は、映 画でも小説でも Pamve/ Памве になっている(日本語字幕でも「パムベ」 )が、 元の『聖人伝』のテキストでは該当箇所は по имени Памве となっている。前置 詞 по により与格に変化してその綴りになっているのであり、老僧の名は、正し 45

“Offret”:88-9, “«Ж»: запись”:2-я часть. 1982 年 3 月 5 日の日記に当伝説の「聖人伝」からの抜き書きがある。人名・地名の表 記に問題があるが、その指摘の意味もあり、まず邦訳をそのまま記す。「ある時、フィ ヴァイダのパーヴェという老師が一本の枯れた木を取ってそれを山に突き刺し、それか らイオアン・コログに、この枯れ木が実をつけるまで、毎日バケツ一杯の水をやりなさ い、と命じた。水場は遠かった。夕方、水をやるには、朝、水を汲みにいかなければな らなかった。三年たって、木は芽を出し、実をつけた。老師はその実を摘んで、教会の 修道士たちのもとに持っていき、こう言った。『ここにきて、修業の果実を味わうがよ い。』」(『日記』:495) 46

193


第6章

共苦の共同体

くは、Памво(Pamvo) 、パンボである47。パンボ(-390 頃)は、4 世紀エジプト の、聖アントニウスの弟子にあたる砂漠の修行僧であり、 「聖アントニウス伝」 を著すアタナシオスを指導したという48。当該の伝説は、『砂漠の師父の言葉』 Apophtegmata Patrum として伝承される書物に含まれており49、ロシアの『聖人 伝』へもそうした伝承から収められたものと考えられる。修行僧の方の名は、 『砂 漠の師父の言葉』の邦訳に従えば、ヨハネ・コロボス(339?-409)である50。ヨ ハネス・コロボス(イオアン・コロフ)は、正教では、11 月 9 日(ユリウス暦) の聖人である。コロボスは、ギリシア語で、 「切り詰められた」を原義とし、 「小 人」を意味するという51。タルコフスキーがそこまで理解していたかは定かでは ないが、本映画の「小さい人の系譜」(本章第一節第 1 項参照)、とりわけ、子供 (小さい人)が水を運ぶ修道僧に見立てられている点は見事に合致している。 子供は、 「木が生き返るまで、毎日必ず水をやりなさい」という伝説の中の言 葉を、そのまま受け取り、伝説の通りに、水をやろうと、小さな体に不釣り合 いな、水の入った大きなバケツを二つも持って道を歩いている。子供が父の教 えを守ることにより、子供:修道僧、父:老僧という見立てが成立する。子供 47

『日記』に『聖人伝』を写した時点では、正しく по имени Памве と記されている (Мартиролог:391)が、小説では同箇所が звали его Памве(彼の名前はパンヴェといっ た)となっており(“Жертвоприношение”:28, 邦訳:13)、その時点で著者自身が勘違いし ていたことがわかる。 48 『砂漠の師父の言葉』(2004:394) 49 『砂漠の師父の言葉』(2004:125)。同書では、老僧の名前は記されておらず、「テ ーベ出身のスケティスの長老」とだけ記されている。老僧は、タルコフスキーが参照し たイグナーチイ主教の『聖人伝』ではパムボに帰せられているが、ディミトリー・ロス トフスキー主教(1651-1709)の『聖人伝』Жития святых ではポイメン(-450, ロシア語 では Пимен)に帰せられている(“Жития святых в изложении святителя Димитрия митрополита Ростовского” (2004))。生没年から見れば、パムボに帰する方が自然である。 『砂漠の師父の言葉』が収める「砂漠の師父・略伝」は、「聖性の誉れ高く、ポイメン (牧者の意)の名に帰せられる逸話は多い。それゆえ、複数の牧者が想定されよう」 (394) と述べている。同様の事情が、ディミトリーの『聖人伝』に影響したことが考えられる。 パムボ(パンボ)の伝承は、『砂漠の師父の言葉』282-6 頁、ポイメンの伝承は同書 233 頁以下にある。また、老僧の出身地が、邦訳『日記』では「フィバイダ」となっている が、これはロシア語の Фиваида を音訳したもので、ギリシア語では Θηβαΐδα(あるいは Θηβαΐς)であり、(ギリシアのテーベではなく同名の)上エジプトのテーベ(テーバイ) である。テーベには、パコミウス(292-346)によって共住修道制が 320 年頃から組織さ れていた(『砂漠の師父の言葉』解説参照)。 50 ロシア語では Иоанн Колов, ギリシア語では Ιωάννης Κολοβός で、邦訳『日記』 (495) が「コログ」としているのは誤りである。 51 イタリア語版からの須賀敦子訳では「矮人(こびと)のジョバンニ上人」と訳されて いる。ヴァンヌッチ編「荒野の師父らの言葉」(2007:310-1)。 194


の水をやるという行為によって、木は、伝承とともに、子供と父とを結ぶ絆と して浮かび上がる。 父アレクサンデルは、その姿を、どのような思いで、救急車から眺めたのだ ろうか。子供は、その救急車を見送った後、水をやる。父が連れ去られても、 なおも水をやるその姿は、子供が父の言葉をいまなお信じていることを表して いる。子供は何かを念じるように頭を木につける。この時、木は新たに、父の 残した形見としての意味を持ちはじめている。 マリアが彼方に去るショットに続いて、後に残された子供が、枯れ木の根元 に寝そべる姿で捉えられる(図 26) 。子供は次のような言葉をつぶやく。 「はじ めにことばありき。なぜなの、パパ。I begynnelsen var Ordet. Varför det, pappa? / ‘Вначале было Слово.’ А почему, папа?」52ここで、子供は冒頭で父が、喉の手術 をしたばかりで言葉をしゃべれない自分に対して語った「はじめにことばあり き、なのにおまえは口を利けない。魚のようだ。 “i begynnelsen var Ordet.” Men du är stum du, stum som en fisk. / ‘В начале было Слово.’ А ты у меня немой, совсем как рыба.」53という言葉を反復したものである。つまり、子供の沈黙に対して父 が投げ掛けたのと同じ言葉を、今度は、子供が、父の沈黙に対して投げ掛けて いるのである。 やがて画面は、そのまま木の幹にそって上昇する。その背後に、太陽の光を 反射して輝く海の水面を映し出す(図 27) 。水面に反射して輝く光は一時もとど まる事無く、生成と消滅を繰り返す。その光は、アレクサンデルの放った家を 包んだ炎の光が観客のまなざしを貫いていたのと同じように、ここでも、前景 にある黒い影と化した木とともに、観客のまなざしを射し貫く。 その輝きは、父が受肉し、その犠牲がこの世に現出させたのと同じ他界、こ の世を在らしめているロゴスにほかならない。 「はじめにことばありき」という 言葉は、父の沈黙に対する問い掛けであると同時に、そのことを表すために置 52

“Offret”:179, “«Ж»: запись”:17-я часть. “Offret”:95, “«Ж»: запись”:2-я часть.「魚」はキリストの象徴であり、子供がキリストに 見立てられている。鴻は意訳し「貝」と訳している。ロシア語の小説では「魚 рыба」の 後に、Маленькая плотва((アカハラ・ウグイに似た欧州産の)コイ科の淡水魚)と付け加 えられている。スウェーデン語では En liten mört(小さな鯉)、ドイツ語訳では Ein kleine Plötze(ドウショクウグイ、アカハラ)(Opfer:55)、小説では、сёмга(ショームガ、鮭 の一種)である(“Жертвоприношение”:33)。また、後に Запечатленное время(『映像 のポエジア』)第 9 章となる Тарковский (1987a)では、該当箇所が「物言わぬ鮭(鱒)немая лососина」となっている。これらにどのような具体的イメージが伴うのかは未詳である。 53

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第6章

共苦の共同体

かれたものとして考えられる。 また、アレクサンデルが映画冒頭でこの木を植えるとき、何気なく発する、 「見 事だろう、日本の生け花のようだ」という言葉も、この木が「松」であること を考えるとき、また、タルコフスキーの日本文化に対する造詣54を考慮に入れる とき、この場面のために言われていたことのように考えられる。すなわち生け 花において、松とは「神の示現を待つ(松)」55木であり、ここに至ってその木 は、実際に神の示現を現しはじめるからである。 その輝きは、前景にあって風にかすかに揺れる黒い枯れ木の輪郭を溶かし、 枯れ木は伝説の通り、蘇り、あたかも花咲いたかのように見えはじめる。その 伝説から考えれば、その木に花咲かせたのは、子供の、水をやるという犠牲だ ったと考えられる。タイトル・バックでも、カメラの上昇は犠牲(贈り物)と 木の生命の関係を明らかにしている。 しかし子供にとって、その木はアレクサンデルの形見としてもある。また、 常緑樹である松は、不死と永遠の生命の象徴であり56、常緑樹の松が、枯れ木(死 の象徴)として植えられ、再び犠牲によって蘇ることを考えるならば、その木 は、世界を在らしめ、蘇らせる生命樹、キリストの十字架としてあったとも考 えられる。だとすれば、その開花は、アレクサンデルの犠牲によるものとも考 えられる。 また、その開花へと至る演出を考えるとき、さらに別の解釈も成り立つ。父 の犠牲は子供に犠牲を強いる。 「なぜなの、パパ」という問いには、父と訳もわ からないまま切り離されたつらさが物語られている。また、父の子供に対する 身を切るような思いも、直接には描かれなくとも、想像するに余りある。子供 の問い掛けに続いてなされるカメラの上昇が、その輝きを、その問い掛けに答 えるもののように見せるとき、そのロゴスは、ロゴスを受肉した父の応答とし てあったと考えられる。その問いと応答とが響き合うとき、その犠牲が咲かせ た花は、犠牲を介して結ばれた絆、共苦の共同体の象徴として、父親と息子と 54

ラリッサ・タルコフスカヤ夫人はインタビューの中で、生け花や石庭についてタルコ フスキーが知っていたことを証言している(『協会季報』第二号, p.7)。タルコフスキー における日本/東洋の受容については亀井(2010)を参照。 55 高取正男(1988)を参照。また、若桑みどりによれば、いけばなは、もともとは「僧 侶が〈立てて〉いた」という(1993:342.)。タルコフスキーがそこまで意識していたか どうか定かではないが、確かにアレクサンデルはここで僧侶に見立てられており、僧侶 たるアレクサンデルがいけばな(松)を〈立てて〉いる。 56 若桑(1993:47) 196


がこの世とは別のところで確実につながっていることを観客に物語っている。 その画面に、最後にタルコフスキーの献辞が重ねられる。その献辞とは、 「こ の映画を息子アンドリューシャに捧げる。希望と確信とともに」というもので ある。 「希望と確信」という言葉には様々な含意が考えられる。またそこに託さ れた息子への思いについてもまた、然りである。タルコフスキーはこのとき、 亡命以来、ロシアに残された息子と切り離されてある。父と切り離されたとき のつらさを知っているタルコフスキーにとって、この献辞に託された思いとは、 息子と切り離されるというつらさとともに、息子に犠牲を強いているというつ らさであったと考えられる57。 自らの犠牲によって子供と切り離されるアレクサンデルの姿に、タルコフス キーは自らを重ねていたに違いない。そして、 「なぜなの」という一語を子供に 語らせたとき、そこには、子供に犠牲を強いているという申し訳ないという思 いが込められていたにちがいない。だとすれば、その献辞がこの画面に重なる とき、そこには何よりもまず、その息子に対するメッセージとして、二人は切 り離されていても、まぎれもなく共にあるのだという希望と確信とが物語られ ていたのではないか。 観客の対象を捉えようとするまなざしは、画面の中心にあって〈図〉をなし ている枯れ木に向かう。それは画像上にあって、さしあたり唯一の、分節化し 得る形である。しかし同時に、ここには、そのような明確な形を越えて圧倒す るものがある。ここで観客のまなざしを引きつけるのは、前景にある枯れ木を 越えて、観客に向かって押し寄せる光である。 一般に光は、物を目に見えるものとするものであるが、光そのものは目に見 えるものではない。光は、自らを隠し、透明化することによって事物を目に見 えるものとする。しかしこの映像においては、 〈図〉を成す枯れ木が自らを溶か し、 「犠牲」にすることによって、 〈花〉という形で光が可視化される。そして、 枯れ木に咲く奇跡としての〈花〉という意味が、逆に、その光を「聖なるもの」 と位置づける。 その〈花〉は光の明滅、瞬間ごとに生起する光として、観客に向かって現わ れ出ると同時に、それを捉えようとする観客の働きを逃れ去る。形を見、意味 57

1985 年 12 月 10 日(映画完成直前と思われる)の日記に、次のようなメモがある。「献 辞:「かくも幼き身にして無辜の苦しみを強いられた息子アンドリューシャに捧ぐ。」 (Мартиролог:560, 『日記 II』:226) 197


第6章

共苦の共同体

を読み取ろうとする観客の能動的な知覚作用を越えて、ここに深い次元が開示 される。光は対象化し、把握しようとする身体の知覚のはたらきを越えて、直 接観客の身体を満たしていく。そのように対象化し得ない深い次元において、 この木をめぐる様々な思いをコンテクストとして、光に託された意味は、観客 の身体を貫いて直接語り出す。 観客の身体と光とは一つに溶け合い、光に宿る聖性が観客の身体を聖化する。 聖なる次元をその実現の場とする共同体に、観客もまた座を占める。映画は、 聖なる出来事と聖人の軌跡を描き、観客を聖なる光で包むイコンとなる58。

図 25

58

図 26

図 27

エゴン・センドラーはイコンの光について次のように述べている。「イコンは実在の イリュージョン、光と影の対立によって生み出される「イリュージョニズム」を与えよ うとはしない。そこにあるのは「一つ」の光源ではない。イメージと光とは分離されて いない。光はイメージに内在しており、直接観る者に向かって放たれる。…イコンにお いて、イメージは観る者に向かって輝きを放つ。観る者にできることは、ただその別の 世界からの光に自らを開くことだけである。icons do not attempt to give the illusion of reality, an "illusionism" engendered by the opposition of light and shadow. There is not "one" source of light; the image and the light are not separated. The light is immanent within the image and it radiates out directly toward the spectator. (…) In an icon, (…) the image shines out toward the spectator who can only open himself to its light from another world. (Sendler, 1988:173.)

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第二部 その他の監督作品論



第7章

権力の視線と天使のまなざし ―『エンド・オブ・バイオレンス』にみる映画の脱権力性

視覚は、純粋な物理的乃至生理的現象ではなく、文化や時代に規定されてお り、その意味で歴史性・政治性を帯びている1。中でも「視覚の時代」と称され る近代において、視覚は、他の時代にはない問題性を孕んでいる。近代の視覚 は、すべてを見渡す視覚、すべてを自らの権力の下に置こうとすることを本質 とする。例えば、高山宏は、近代の視覚の問題を多角的に論じた著作『目の中 の劇場』の扉に、フランス革命時代のフランスの建築家、クロード=ニコラ・ ルドゥーのデッサン『瞳孔にとらえられたブザンソン劇場』 (図 1)を掲げ、 「世 界をミニチュア化して、額縁の中の絵としてこれを掌握したいという、まちが いなく近代の問題的人間に通有の目の病を表象して遺憾ないもの」であると述 「知」と「権力」の共犯性3に、さらに「視」が絡むのである。 べている2。 規律・訓練の行使は、視線の作用によって強制を加える仕組を前提とし ている。 (…)古典主義時代が進むにつれ、次第に、人間の多様性にたいす る監視施設が建設されるようになる。学問の歴史はその施設にたいして僅 かな讃辞しか寄せてこなかったが、望遠鏡やレンズや光線束にかんする大 いなる技術論が新しい物理学ならびに宇宙論の創立と一体をなしてきた事 態のかたわらには、見られることなく見なければならない視線という、多 様で交錯した監視に関するささやかな技術が存在した。光および見えるも のについての隠れた技術が、秘密裏に、人間を従属させるための技術なら びに人間を有効活用するための諸手段をとおして、人間についての新しい 知を準備した。4 日本におけるこうした議論の嚆矢として、以下の二著を挙げておく。中村雄二郎(1979)、 多木浩二(1982)。 2 高山宏(1995:34) 3 Michel Foucault(1975:32、邦訳、フーコー, 1977:31-2)を参照。フーコーにおける 「視」の問題については、マーティン・ジェイ(1990)も参照のこと。 4 Foucault(1975:173, 邦訳:175-6) 。視線と権力の関わりについては、多木浩二(1985) が、犯罪写真(司法写真)へ着目し、ベンヤミン、フーコー、ソンタグに拠りながら、 近代の政治的視線を説得的に描出している。「監視施設」の原語が observatoires である ことに着目すれば、近年のJ・クレーリー『観察者の系譜』 (1997)に通じていることも 1

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第7章

権力の視線と天使のまなざし

フーコーは、近代における規律、すなわち近代社会に主体的に奉仕する、効 率のよい労働力として「人間」が形成されていくその背後に「監視に関するさ さやかな技術」が働いていたとする。近代にその所産として誕生した光学装置 のひとつである映画もまた、こうした視覚(視線に関する技術)の位置づけに 「文化資本」と結びついて権力に加担する 大きく関わっている5。しかし映画は、 だけのものではない6。映画が近代のベクトルに逆行する脱近代性(脱権力性) を持つことを「映画史」の記憶は教えている。 本考察は、題材として、ヴィム・ヴェンダースの監督作品、 『エンド・オブ・ バイオレンス』 (The End of Violence, 1997)を取り上げる。この作品で、ヴェ ンダースは、丁度十年前に制作した『ベルリン・天使の詩』 (1987) (図 2 は天 使のまなざしを表す冒頭のワンカット)7の主題をさらに発展させる。ヴェンダ ースは、まなざしの問題にしばしば意識的に取り組んでいるが、この作品でも、 刑事ドック(ブロック・ローレン・ディーン)に次のように語らせている。 「原 子物理学では、ただ何かを見るだけで、それが何であるかが変わります。時に はそれを破壊しさえする。 」 「見ること」 (=変わること)は、主体と対象のあり 方と切り離されない。まなざしが対象を「破壊」する場合もある。しかし、ま なざしには、ネガティブな意味しかないのではない。 「天使のまなざし」8が、権 自明である。高山宏は、フーコーを敷衍して、遠近法、劇場、庭園等、近代的視覚に関 わる装置の権力性について次のように述べている。 「目と遠近法、牢獄とパノラマのパラ ダイムを『権力意志のスタイル』が貫いている。視のパノプティシズム。あるいは近代 的視というパノプティシズム。元々モノキュラーな遠近法という視そのものが、何らか の絶対主義イデオロギーと結びついた支配の具であったことを思い出すべきだろう。」 (高山, 1995:152)。 5 映画装置のイデオロギー性を批判的に論じる映画理論の動向の概略については『 「新」 映画理論集成』シリーズ(1999)を参照。 6 岡真理も、 『記憶/物語』(2000)において、S・スピルバーグの映画における「リア ルな表現」が孕むイデオロギー性を論じる一方で、語り得ない、再現し得ない〈出来事〉 を証言を通じて分有する可能性について論じている。 7 リルケ、ベンヤミンらにインスパイアされたこの作品は、話題を呼び、日本でも大ヒ ットを記録した。ヴェンダースについては著作、公開パンフレットをはじめ多数の資料 があるが、まずは『天使のまなざし』(1988)を挙げておく。青木(1998)にも西村雅 樹による紹介が所収されている。古東哲明「他界のちかさ」 (1994)には、より踏み込ん だ分析がある。今、その検討はできないが、デーブリーンの小説『ベルリン・アレクサ ンダー広場』Berlin Alexanderplatz との関連も考えなければならない。 8 天使という存在についての歴史的概観について、フィリップ・フォール『天使とは何 か』(1995)及びP・L・ウィルソン『天使』(1995)を参照。また本稿は、「視線」と 「まなざし」という語を使い分けることにする。前者は権力、後者は天使との関わりに おいて使用する。 「まなざし」という概念を用いるに際して、ジャック・ラカン(J=A・ 202


力の監視する視線と交差する位置におかれるとき、そこには権力を無化する力 が託されている。以下、そのことを映画に即して明らかにする。

図 2

図 1

第一節

権力の監視する視線

映画は、単線的でない複雑なプロットを持つ。映画の柱をなすものとして、 国家が主導する巨大な監視システムのプロジェクトと、主人公の一人、ハリウ ッドの映画プロデューサーであるマイク・マックス(ビル・プルマン)の誘拐・ 殺害未遂事件のふたつが着目される。二者は、映画前半では一見無関係のもの として描かれるが、映画が展開するにつれて、その間の相互の密接な関連が明 らかになる。まず監視システムについて取り上げる。 映画の重要なモチーフとなっているのが、NASAの天文台を隠れ蓑にして 秘密裏に開発を進めている巨大な「新しい監視システム」9である。ハイ・テク ノロジーを駆使して、町中を隈なく視野に収めようとするそのシステムは、フ ーコーが論じる「パノプティコン」10を想起させる。その仕組みの要は、見る= 見られるという相互性を断ち切るところにある。 「一望監視装置は、見る=見ら れるという一対の事態を切り離す機械仕掛であって、その円周状の建物の内部 では人は完全に見られるが、けっして見るわけにはいかず、中央部の塔のなか

ミレール編『精神分析の四基本概念』2000)が念頭にある。ラカンにおいて「まなざし regard」は、眼の力を解除し、近代的視覚(vision)を解体するものである。ミシェル・ デヴォー『不実なる鏡』(1999)第一章を参照。 9 デイヴィッド・ライアン(2002)は、アメリカ合衆国の現実についてレポートする中 で、この映画にも言及している。 10 字義は、 「pan+optik=汎光学、遍在する視線」。考案はジェレミー・ベンサムによる。 その抄訳が、以下に収められている。永井義雄(1982)。 203


第7章

権力の視線と天使のまなざし

からは人はいっさいを見るが、けっして見られはしないのである。 」11 フーコーの議論の要は、それが単によくできた監獄のシステムであるにとど まらず、近代社会全体が監視体制下にあるとするところにある12。『エンド・オ ブ・バイオレンス』に登場する監視システムは、この監視体制をハイ・テクノ ロジー(コンピュータによって管理され、衛星とも連結された超高感度ビデオ システム)によって実現しようとするものである。主要な登場人物の一人であ るレイ・ベーリング(ガブリエル・バーン)は、FBIに依頼され、その開発 の任に就いている(図 3) 。 レイの操作によって映し出される映像は、監視の擬似的行使となる。しかし、 レイは犯行現場を映していたカメラを移動し、偶然捉えた、窓際で泣く女の姿 等に見入り始める。そのように、監視から逸脱するとき、ベーリング“Berling” という名に隠された“Berlin”の文字が、大きな意味を持つ。“Ray”というフ ァーストネームは「光線」を意味し、ベーリングと合わせて『ベルリン・天使 の詩』を想起させるからである。実際、コンピュータ画像を通じて、街と人を 捉えるレイのまなざしは、ベルリンの街と人々を捉えた天使のまなざしと同じ ものである。 監視する視線から天使のまなざしへの移行が可能であるのは、両者の間に類 似があるからであろう。実際、天使のまなざしも、見られることなく見るとい う点において、双方向性は(子供などの例外を除き)断ち切られ、まなざしは 一方向に限定される。だが映画は、むしろその対照をこそ主題とする。そのこ とを明らかにするために、次に、もうひとつのモチーフであるマックスの誘拐 及び殺害未遂事件に目を向ける。そこに浮かび上がる権力と暴力という主題は、 監視システムの本性に関わっている。

Foucault(1975:203, 邦訳:204)。ここから窃視症 voyeurism までは一歩である。実 際、女性を見る男性の一方的なまなざしを批判するフェミニズム批評全般は、こうした 流れの内にある。そうした見方自体の硬直性を批判的に乗り越えようとする動向もある。 例えば、スティーヴン・カーン(2000)を参照。 12 「現代社会は見世物の社会ではなく監視の社会である。 (…)われわれは、円形劇場の 階段座席でも舞台の上でもなく、一望監視の仕掛のなかにいる。」 (Foucault(1975:218-9, 邦訳:217) 11

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図 4

図 3

第二節 第1項

権力の本質と暴力の連鎖 暴力装置としての視覚

映画の中心的出来事のひとつとして、主人公マックスの誘拐・殺害未遂事件 がある。ハリウッドの映画プロデューサーであるマイク・マックスは二人組の 殺し屋に誘拐され、高速インター下の人気のない場所で殺されそうになる(図 4) 。 犯罪現場のショットは、レイの監視所の映像につながれ、FBI長官が割って 入り、レイの目を塞ぐところで途切れる。このとき、観客の内に形成される問 いは、次の四つに分節される。①何が起こったのか、 ②誰が、③何を目的に、 ④どのような手段で起こしたのか。警察による現場検証の場面で概要が明かさ れ、そして自宅の庭師に救われたマックスのモノローグが「目の前で二人の頭 がオモチャの的のように吹き飛んだ」と語る。しかし、それらは①の答を朧げ に示すものでしかなく、また、①以外の謎は未だ暗中におかれる。以降、映画 は、マックス、レイ、ドックの三人が、各々事件の真相を追うというかたちを とる13。映画後半、レイは、衛星画像のストックを探り出し、事件を目撃する(図 5)。その映像は、観客にとっては、先立って人物の台詞の中で描写や推理され ていた事柄を裏付けるものになる。その映像は、 「二人の頭がオモチャの的のよ うに」(マックスのモノローグによる証言)、「ビデオゲーム」(刑事ドックと警

その過程の詳細については、ここでは触れないでおく。但し、三人の内、レイについ ては、一点だけ留意しておきたい。レイが、事件についての新聞報道を熱心に読み、そ の後も本来の仕事を忘れて事件の真相を追うことに没頭するのは、単に偶然目撃した事 件が途中で途絶えたというだけではない。(被害者が著名人だったからでもない。)展開 の過程で、レイとマックスが技術フェアで知り合った仲であり、そして監視システムに 関するFBIの機密ファイルをマックスに送ったのがレイであることが判明する。レイ にとって事件の真相は、「他人事」ではないのである。 13

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第7章

権力の視線と天使のまなざし

官との会話における推理)のように吹き飛ばされる様を映すからである。ここ で明らかになるのは①だけではない。衛星の画像は、 「ビデオゲームのように」 人間の頭を撃ち抜いたのが、画像を記録するテクノロジー自体であることを示 しているからである(④) 。監視という視覚に関するテクノロジーは、武器とし ての側面を併せ持っている。それはヴィリリオが描き出す兵器と視覚装置が融 合する事態である。 いまや砲弾は死の眠りから目覚め、無数の眼を開いている(…) 。今、開か れた眼は自動追尾弾頭や赤外線・レーザー誘導装置、コンピュータ制御用 コンソールの前に座るパイロットや地上管制官に画像を送るヴィデオ・カ メラ内蔵核弾頭である。兵器と眼の機能は融合し、完璧に混同され、両者 を識別することはもはやできなくなった。射出兵器のイメージとイメージ の放射線が混成化しているのだ。14 監視システムが、命を掌握するものとしての正体を明かす。事件の映像を見 た後のレイを包む不気味な気配は、監視されているというだけでなく、生命を 脅かすものに対する不安である。実際レイは、この後殺害される。場面は明け 方、周囲は霧に包まれており、視界は閉ざされている。刑事として事件の真相 を追うドックがレイとコンタクトを取ろうとした瞬間、レイは何処からとも知 れぬ銃撃に遭う(図 6) 。ここで、観客の内にマックスの事件のときのような問 いが生じないのは、ひとつにはそれが「ビデオゲーム」のような映像で映され ていた事態のリアルなかたちでの再現だからである。さらにここでは、銃撃の タイミングが、レイとドックのコンタクトの瞬間であることによって、②と③ についても判明となる。システムを主導する国家(②)が、秘密裏に進めてい た計画が暴露することを阻止するために(③)レイを殺害したことは説明を待 たない。真相を闇に葬ろうとする国家(権力)は、隠そうとするその行為によ って、姿を晒すのである。 監視システムの目的について、FBI長官は映画中盤でレイに次のように語 っていた。 「これが完成すれば、犯罪への対応時間は三倍早くなる。正確さ、目 」長官は続けて「地上 撃証拠。これは知る限り、暴力の終焉を意味するだろう。 から天を見るのは簡単だ。天から地上を見る、それが救世主(メシア)になる。 」 とも言う。ここには天使のまなざしという含意も考えられる(第三節参照)が、

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ポール・ヴィリリオ(1999:262)

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元の文脈においてFBI長官が言いたいのは、このシステムが暴力犯罪の解決 に寄与するということである。 「暴力の壊滅」という国家警察権力の野望を実現 するためのシステム。しかし、映画終盤に事件の真相と共に明らかになるのは、 「暴力の終焉」をうたう監視システムがもうひとつの暴力にすぎないというこ とである。それは、権力の暴力的本性の露呈であるとともに、暴力への対応が 別の暴力を生むというアポリアを浮かび上がらせる。そのアポリアに対し映画 はいかなる解答を提示しているだろうか。

図 5

図 6

第2項 暴力を生み出すもの レイの殺害の描写を特徴づけているのは、いつどこから来るか分からない「突 然の攻撃」である。霧の中で、姿の見えない敵に、どこから見られ、狙われて いるのか分からないまま襲われる。映画冒頭やインターネットカフェの場面で のマックスのモノローグ( 「突然の攻撃はどこから襲ってくるか分からない。そ れも大抵は予期しない場所からだ。すべてを予期しようとするとき、それが人 をパラノイアにする。」)は、まさしくそのような「突然の攻撃」に対する恐怖 「突然の攻撃」 「恐 について語っていた。これらのマックスのモノローグからは、 怖」 「パラノイア」という三項の連関が読み取られる。映画の最後のモノローグ では、「突然の攻撃を待っていた頃は、僕が敵になっていた」とも語る。「突然 の攻撃」に対する「恐怖」に怯え、それに「パラノイアック」に備えようとす るとき、自らも「敵」 、すなわち暴力を行使する主体となる。すなわち、上記の (実際、本映画に登 三項の連関こそは、暴力の元凶15を指し示すのではないか。 場する監視システムは、すべてを視野に収め、予期し、支配下に収めようとす 「暴力の元凶(The seeds of violence)」とは、マックスがプロデュースする映画のタ イトルである。映画は、その映画のスタントを務めるキャット(トレーシー・リンド) が、撮影中、事故に遭い怪我をする場面から始まる。

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第7章

権力の視線と天使のまなざし

る点で、パラノイア的なものを含んでいる。ドックは現場検証の場面で「犯人 は非常なパラノイアだ」と推理するが、それは、事件の真犯人である監視シス テムの本性を言い当てている。 ) 何処とも知れぬ〈外〉からくる突然の攻撃に脅え、それに備え武装すること が新たな暴力を生む。その機構に真に対抗するのは、武装を解除することであ る。自己保存から、自己を滅ぼすものに身を開くという宗教的な回心(メタノ イア)にも似た根本的な態度変更。そのとき、パラノイアは癒され、権力(暴 力)の根は絶たれる16。映画最後のシークエンスでのマチルダ(マリソル・パデ ィア・サンチェス)の言葉と行動から読み取られるのは、まさしくそのような 死を賭した自己変容である。 第3項

抵抗の拠点――権力を無化する倫理

FBIによって(表向きは掃除係、実際はレイの監視役として)派遣された サルヴァドール人のマチルダは、レイの死後、海辺の桟橋の場面で、レイの行 いとレイに対するFBIの仕打ちをめぐってFBI長官と対立する(図 7) 。 「議 論しているだけではだめだ。物事を変えるには勇気(ガッツ)がいる」と言う 長官に対し、マチルダは、 「自分を変える Change yourself。それには勇気がい る」と言う。それは、 「人殺しが世界を変えようとしている」という続く言葉が 表しているように、暴力を以って暴力を抑えようとすることに対するアンチテ ーゼである。 「物事を変える」と「自分を変える」との間には、単に変化の対象 が違うというだけでなく、 「変える」という意味の根本的差異がある。物事を変 えるというとき、変えようとする主体は、その根底を問われない。それに対し、 「自分を変える」場合、そこには自己の死が含まれていなければならない。そ のように理解するとき、その後に続くマチルダの行動が、その言葉を身を以っ このような提起が非現実的であるとする予想される反論に対して、大澤真幸による極 めて現実的な提起を実例として提示しておく。「9・11」とその後の情勢について、大澤 は、イスラム原理主義のテロに対する然るべき対応は、タリバンに対する無条件の援助 であるとする。そのとき要される「赦しえないものに対する赦し」 (デリダ)は、赦す側 の主体の同一性の変容を伴う。 「…われわれが、赦しえないこと、とうてい赦すことが不 可能なことを赦すことをするならば、 『われわれ』は必然的に変容する。このような赦し は、アイデンティティの根本的な変容を伴わないわけにはいかない。赦すことが不可能 なことを赦すということは、われわれが、自分自身のアイデンティティを定義している 最小限の規範すらも、放棄するということだからである。」(大澤真幸, 2002:226) 16

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て示すものであることが分かる。FBIに命を救われ、その代償として生をF BIに委ねていたマチルダにとって、組織から離脱することは、命がけの勇気 を要する。それは、己の生を、身を捨てることによって奪回する「賭け」であ る。マチルダの言葉と行動は、権力(そして暴力)を挫折させるものが何であ るのか、権力への抵抗の拠点が何処にあるのかをよく示している。 マチルダの行動は、組織への裏切りによって命を失ったレイの行動と呼応す る。またその自己変容は、マックスの場合にも顕著である。マックスの身に降 りかかった事件は、マックスにとって転機(チャンス)であった。映画冒頭で 苦虫を噛み潰したような表情で訴訟に勝利することに没頭しているマックスは、 事件以降、庭師たちに同化し、一変して解放された表情に変わる。マックスは モノローグで、 「二人組の殺し屋が自分を変えた」と言い、また映画最後のモノ ローグでは、 「予期していた敵が現れたとき、敵が僕を解放した」と言う。敵の 出現は、闘争の開始ではなく、敵に備えることがもはや無意味になることであ る。敵の出現が自らの命を滅ぼすこともあろう。しかし自己の死は、むしろ自 己変容の必須の契機である。リルケの詩において天使が「身を滅ぼす」 「恐ろし い」存在とされていることもここで想起しよう17。パラノイアックな恐怖から解 放されるのは、そのような天使との出会いを果たし、死にゆく者(天使)の立 場に立つときではないか18。 天使となることは、権力の及ばない〈外〉へ出ることである。マックスが、 ヒスパニックの庭師たちの協力を得て、事件の真相を辿るためにインターネッ トカフェでメールを読む場面で、マックスと庭師たちは、アクセスを逆探知し て駆けつけたFBIの網を、あっさりと掻い潜ってしまう19。この場面が印象づ 17 「だれが、たとえ私が叫んだとて、並み居る天使らの中よりだれが私の声を聞いてく れよう。たとえ その序列に連なる一人が突如 私をその胸に抱き寄せることのあろう とも、私はその厳しき存在に打たれ身を滅ぼすことであろう。なぜなら 美とは私たち のなおかろうじて堪える あの恐ろしきものの始めにほかならないのだから。そして私 たちが美に賛嘆の声をあげるのも、それが私たちの破滅にかかずらうことを 冷ややか に退けているからだ。いずれの天使も恐ろしい。」(『ドゥイノの悲歌』「第一悲歌」、『リ ルケ全集 第四巻』1991) 18 マックスが天使となったという解釈を支えるものとして、さらに例を挙げる。庭師た ちの車で移動中のマックスは、隣を走る車が映画音楽を担当するシックスのオープンカ ーであると気づき、「知らない友人」だと名乗って匿名のいたずら電話をかけ、「暴力の 時代は終わった。もうギャングラップの時代じゃない」と言うのだが、後に、シックス は、この電話を「天からの声」(また後には「地獄からの声」)だと語っている。マック スの脱落したありようは、映画の撮影を陰から眺める場面等にも見て取ることができる。 19 登場人物たち(レイ、マックス、マチルダ、マチルダの娘、ドック、キャット)のつ

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第7章

権力の視線と天使のまなざし

けているのは、庭師たちとそこに紛れたマックスが、権力の監視の外にいるこ とである。映画の最後でも、マックスと庭師たちは、FBIのすぐ手の届くは ずのところに登場するが、FBIは気づかない。傍にいるにもかかわらず、視 野の届かないところにいるというその佇まいは、 『ベルリン・天使の詩』の天使 の居住まいを想起させる。 〈外〉からの敵に脅え備えることをやめ、自ら〈外〉 へ出て「異なる者 the stranger」になる20。そのとき、映画冒頭のモノローグの 言う「本当は敵も異なる者もいない」という境地が開かれる。権力の視線は、 この自己の根本からの変化に応じて、天使のまなざしに変わる。次に、マチル ダの娘をメインとするシークエンスに目を転じて、そのまなざしの変転を主題 とする。

図 7

第三節

図 8

守護するまなざし――天〔使〕のまなざし

マックスとマチルダの娘が言葉を交わす(図 8) 。スペイン語を教えてくれと いうマックスに娘は応じ、まず「海」を、次に「街」を指さす。マックスはそ れに応じて、 “Mar”, “Los angeles”(ここにも「天使」が含意されている) と答える。最後に、少女の指は上空を指す。“Sky”に相当するスペイン語の分 からないマックスに、娘は“Cielo”と答えを教える。「“Cielo”は“Heaven” だと思っていた」というマックスに、娘は“Cielo”は“Heaven”と“Sky”の 両方を意味するのだと言い、 「彼らが私たちを見ている They' re watching us.」 と付け加え、マックスとともに上空を眺める。 ながりも、権力の網を逃れるところに築かれる。マックスはキャットに、レイの連絡先 を記したマッチを渡すときに「信頼」という言葉を使うが、それは契約上の信用とは異 なるものであろう。 20 「まず、難民になること」という、岡真理のラディカルな提起を思い起こそう。 「難民」 とは、〈出来事〉をナショナルな歴史/物語として領有しない者たちの謂いである。(岡, 2000:112) 210


「空」と「天」の両方が、スペイン語では“Cielo”の一語で表される(この “Cielo”の二義性は、“Himmel”の二義性とも重なっている)。この単純な事 実によって示されるのは、 「天」がどこか遠くにあるのではなく、いつでも我々 の頭上にある「空」がそのまま「天」であることである。 「空」の意味が変容す る(空は単なる空でなく天ともなる)と同時に、 「天」の意味が変容する(天は いつも頭上にあるものとなる) 。 最後の「彼らが私たちを見ている」という一文を理解するには、場面を遡る 必要がある。映画中盤の天文台の場面で、レイがマチルダの娘に、NASAの 巨大な望遠鏡で星座を見せる場面がある。このとき、レイの働く施設は、国家 主導の監視システムであることをやめ、天文台としての元来の機能を取り戻す。 しかし少女が次のように言うとき、そのシークエンスの含意はそれにとどまら ない。 「私のお父さんがあそこにいる。お父さんが見えたらいいのに。でも望むこと がいつでもすべてできるわけではないのよね。 」 娘のまなざし(台詞)を通じて、天(星座)は、死んだ父親の住む場所とな る。「天」の意味が変容するとき、「天から地上を見ること」は、監視ではなく なる。少女が「彼らが私たちを見ている」と言うとき、 「彼ら」とは監視の主体 を指すのではない。少女にとって「空=天」は死者の住む場所であり、主語「彼 ら」とは死者たちである。しかもその死者たちは、生きている者を脅かす存在 ではなく、やさしく見守る、近しい存在である。そのまなざしは人を不安に陥 れない。むしろ、そのまなざしがあることによって、生きている者は見守られ ている存在となる。 (マチルダが望遠鏡を使って娘の姿を気づかうまなざしも同 じまなざしである。 ) 「お父さんが見えたらいいのに」という言葉には、地上からは天の存在を見 ることはできないという含意がある。しかし、少女とマックスが上空を、天上 で見守る存在に思いを馳せながら見上げるとき、そこには異なる領域間のまな ざしの交わりがある21。少女のささやかな言葉とまなざしが、監視する視線を無 にする。それが、前節で見た倫理的課題と別でないことを、 「望むことがすべて

21 ベンヤミンは、 「アウラ」の消滅を、視線の双方向性の喪失として論じている(「ボー ドレールにおけるいくつかのモティーフについて」『ベンヤミン・コレクション1』 1995:470-)。天(使)とのまなざしの交わりを取り戻すことは、 「再アウラ化」と解すこ ともできる。

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第7章

権力の視線と天使のまなざし

いつでもできるわけではない」という言葉は示唆している。

結び 映画を広く光学装置と捉えるとき、本考察から以下の命題が帰結される。 (i) 映画(光学装置)は権力と手を結び合う。権力(暴力)の道具となるだけでな く、その行使自体となる。(ii)映画は、そうした権力装置のありようを映し出 し、暴きだす機巧にもなる。そして、権力の及ばない場所(アジール)を映し 出し、権力を無化するまなざしを描くこともできる。 (iii)映画は、観客に天使 のまなざしを刻印し、観客席をアジールと化す。映画体験とは、そのような脱 権力の体験ではないか。

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第8章

死のメディアとしての映画 ―『回路』(黒沢清)を中心に

はじめに 本稿は、黒沢清の『回路』 (2000)という映画についての考察を柱とする。そ の目的は、映画芸術の可能性を展望することにある。この映画に現代の(日本) 映画の趨勢を代表させたいのではない。むしろこの映画は、他のどの映画とも 決定的に違っている。この映画を観たときに受けた衝撃は、 「このようなこと」 が映画に可能であったことに対する驚きであるとともに、誰もこのような映画 をかつて見たことがないに違いないと感じさせるものだった。その驚きは、二 〇世紀初頭の前衛芸術が、当時の人々に与えた衝撃に近い。実際、『回路』は、 おそらく一般の人が映画と聞いて思い浮かべるものとは根本より異なるもので ある。この映画が観客にもたらす圧倒的な経験は、他の一般的な映画をはるか に凌駕している。本稿は、その具体的経験についての思索である。 このような映画を「芸術」と呼び括ってしまうことに対するためらいには根 拠がある。例えば、黒沢清は、ジョン・カサヴェテスを「娯楽でも芸術でもな い映画を撮り続けた男」と評し、 「そこには野蛮で純粋な映画そのものがある」 と書いている1。何気なく発せられたレトリックともとれるこの言葉には、しか し彼がどのような映画を目指しているかが語られているのではないか。それは つまりこの言葉が、彼自身の映画を形容するものとして理解されるということ である。 実際、黒沢清の映画も含め、同じように呼ぶしかない映画がある。例えば、 ロバート・オルドリッチの『何がジェーンに起こったか』 (What Ever Happened to Baby Jane?, 1962)もそのような映画の一つである。お互いに対しコンプレ ックスを抱えた元女優の姉妹を描くこの映画では、姉が下半身不随となったあ る事件から、二人の人生の歯車が狂い始め、精神的に乱調となった妹が、下半 身不随の姉を監禁拘束し、死に至らしめる。最後の浜辺の場面では、どこにで もある普通の海水浴場の光景が、一線を超えた姉妹の存在によって、観客の眼

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黒沢清(2001:110) 213


第8章

死のメディアとしての映画

に異様に映る。姉が、自らの罪を告白するとき、妹に姉を恨む様子はなく、む しろ憑き物が落ちたようにその顔は晴れ晴れとしている。浜辺を、不審に見つ める人々の中を、幼少時に戻ったかのように、両手にアイスクリームを持って 踊る彼女の姿は、人々の目には狂気にしか映らないであろうが、その姿は、天 使のような美しさを湛えてもいる。 こうした映画は、明らかに、いわゆる「ハリウッド映画」とは異なっている。 ハリウッド映画は、「夢の工場」として、「夢=非現実」を売ってきたが、その 空想は、実際には、日常の延長に展開し、現実という名の幻想システムを補完・ 補強する役割を果たしている。そこには現実の被覆を剥がし、剥き出しにする ような現実に対する批判力は見られない。ベンヤミンは、複製技術の到来につ いて、既成の「芸術」概念を覆す「破壊力」をそこに見たが、今日では、ベン ヤミンが取り出した映画の諸特性は、革新性を失い、ハリウッド映画に典型的 な常套句を為している。映画は、そうした展開の一方で、現実に対する批判力 を今なお失っていない。以下に分析を試みるのは、そのような映画の一例であ る。

第一節

死のイニシエーションとしての恐怖

ネットワーク上に設えられた「幽霊サイト」と赤いテープで密閉された「あ かずの間」に出没する亡霊に接触した人間が、次々と自殺する。疫病のように 伝播する死に対して、人類は為す術なく、街から人が消え、ストーリーは〈世 界の終わり〉へと進展する。 (このストーリーの方向が顕在化するのは、主人公 ミチ(麻生久美子)がコンビニエンス・ストアで買出しをしようとして、そこ が無人化していることに気づく場面である。その店の無人化は、単に一店舗だ )最後 けの問題ではなく、経済的システム全体の機能停止・崩壊を表している。 の場面(第四節で詳述)では、生き残ったミチが、他の生き残った人達と合流 し、船で、南米に希望を求めて向かうところを描いて幕を閉じる。 『回路』は、このようなスケールの大きな筋立てを持っているが、ジャンル としては、 「ホラー」に分類される映画である2。この映画が通常娯楽として捉え 2 黒沢清は、ホラーだけをとる監督ではない。同様のホラーに属する映画として『CURE』 (1997)があるが、前作『カリスマ』 (2000)では、観念劇を撮っている。 『ニンゲン合 格』 (1999)は、交通事故で思春期を昏睡状態で過ごした青年が目覚めてからを描く「家

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られるホラー映画であることは、商業映画として売り出すための方便という副 次的な意味しかもたないのではない。とりわけ映画の前半部が観る者にもたら す言いし得ぬ恐怖は、この映画を語る上で無視できない。その一方で、この映 画の恐怖には、他のホラー映画とは異なる質がある。この映画には、恐ろしい モンスターやエイリアンが出てくるわけでも、内臓が飛び散るわけでも、超常 現象が起こるわけでもない。では、この映画における恐怖、畏怖の特質とは何 か。ストーリーや主題を検討するに先立って、幾つか際立った場面を例に取り、 検討する。 第一例(図1)として、人物が黒いビニール袋を頭にかぶって登場する場面 を挙げよう。ビニールを被った人物は、それ自体、人質や死刑囚を連想させる 不気味さをもっている。頭部という生命体にとって致命的な箇所を、黒い袋と いう死を連想させるもので覆われた人物は、生命を掌握されている状態を表し ている。しかしこの場合、この人物の生命を掌握し、死刑囚として連行する権 力は不在である。そのことは、人物が自ら覆いを取ろうとするときに際立つ。 覆いを取ることは、ここでは隷属からの解放を意味しない。頭部を覆うこと、 存在を〈無〉に没し、自己同一性(生)を消去することは、他者によって強制 されているのではない。存在の消去を自らなすことによって、主体の消滅はよ り決定的なものとなる。 隠されているもの、覆いを取られるとき出てくるものは、一見、何の変哲も ない人間の顔でしかない。畏怖は、覆いを取るという行為の知覚に関わってい る。黒いビニールは、取られようとするとき、微かな抵抗を見せ、ビニールが 伸び、張り詰めた形象が生じる。観客の恐怖がピークに達するのは、その瞬間 である。観客は、その瞬間、一瞬先の未知にふれる。この時の恐怖をよく説明 するのは、クレマン・ロセの分析である。ロセによれば、恐怖を生じさせるも のは「近接性」である。 「現実が恐怖の対象となるのは、現実が目の前に現れる からではなく、現れようとするからなのだ。 」3恐怖が対象にするのは、不在であ り、空白である。その「恐怖を惹起する事物はつねに突如、なんらかの理由で 確固とした、既知のアイデンティティを失った『なにか』 、あるいは『だれか』 族」を主題にした映画である。また、黒沢清は『勝手にしやがれ』シリーズでは、コミ カルなたちで、ヤクザの世界を描いている。『復讐 消えない傷痕』(1997)は、シリア スなタッチで社会の闇を描く、彼の転機となる作品である。右は、黒沢清の全作を網羅 するものではない。詳しくは、黒沢清(2001)を参照されたい。 3 クレマン・ロセ(1989:62) 「現実の近接性」、今村仁司監修『恐怖』リブロポート 215


第8章

死のメディアとしての映画

なのであり、だからこそ、どんな事物も恐怖発生の要因となりうるのである。 」 4

観る者は、黒いビニールが剥がされる一瞬、どこにも定位されない「無」を垣

間見る。中から出てきた顔が、一見何の変哲もない顔であっても、そこには穏 やかならぬものが知覚される。恐怖を予感しながら、それが観る者の知覚を引 き付けて放さないのは、そしてそれが与える恐怖が、知性によってコントロー ルし得ないのは、そこにあるのが、一瞬のみ垣間見られる〈無〉であるが故に である。 上の事例を、人物が生きながらにして亡霊化することを表すものとしよう。 これに対し、映画の中には様々な形で、本来の亡霊が出現する。亡霊たちは、 画面上をほとんど支配している黒味と交じり合い、溶け合おうとする。映画は、 ミチの同僚である田口の自殺から始まるが、田口が首をつった部屋の壁には黒 い染みが残っている。死んだ田口の部屋に資料を探しに行った会社の同僚の矢 部は、その黒い染みに田口の亡霊を見る(図2) 。死はここでは黒い染みとして 表象されているのである5。壁の単なる黒い染みが、ここでは異界への出入り口 として、分厚い意味の厚みを負っている。観客は、そこに目を凝らすが、黒い 染みは、焦点を合わすことを許さない6。黒い染みは、そこに目を凝らす観客を、 否応なく飲み込み、死の世界へと導く闇である。図3は、主人公ミチが道を歩 く、それ自体は特別の意味を持たないショットだが、背後の壁の黒い染みが観 る者をぞっとさせるのは、すでに闇の力に支配されているからであろう。 この映画の与える恐怖の由来について幾つかの例を見てきたが、無論、すべ てを検討し尽くしたわけではない。特に、この映画の恐怖を語るためには、効 果的な音響(音響は、この映画では、観客の注意を呼び覚まし知覚を研ぎ澄ま )や、さらに、観客席を包む闇に言 させ、不意打ちにする役割を果たしている。 及する必要があろう。 恐怖は、計算された、巧みな演出によってつくられている。それに応じて、 観客の側にも、つくられたもの(虚構)であるという意識が併存する。観客は、 主人公たちが圧倒する闇の中でかすかな光にすがり生き続けるのと類比的に、 虚構であるという意識を完全には失わない。しかし同時に、そのような知的意 ロセ(1989:62) この映画では、「赤」は、あかずの間のテープや人物の服などに効果的に使われている が、死を表すものとしては使われない。人物は死ぬとき血を流さない。そこに残るのは、 黒い染みや黒い液体である。 6 画面上の黒についての考察として、大澤真幸のカサヴェテス論(1993)を参考にした。 4 5

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識が、畏怖に対し、限りなく無力であることも映画の体験が教える所である。 それは、演出の工夫が、明確な形をもった恐怖の対象を作り出すことにでなく、 観客をして「形象以前」にふれさせることに向けられていることと関わる。第 一例の畏怖は、黒いビニールの作り出す時間的な他性に重きを成し、第二例の 闇は、空間的な他性の表現である7。パスカル・ボニゼールの言葉で言えば「盲 目の視野 champ aveugle」である8。 以上のような、この映画を特徴付ける恐怖は、映画の理解の基底を成してい る。人物たちの陥る恐怖を観客は人物とは別の所で、演出によって、感じるこ とにより、作品の内へ内包される。次に、その作品世界の構成を検討する。

図 1

第二節

図 2

図 3

死の伝播

田口という人物の自殺から、映画の物語は始まる。それを初めとして、次々 に、人物は死に見舞われていく。街からは人気が失せ、代わりに、黒い亡霊が 跋扈する。映画冒頭で田口の自殺に対し、会社の同僚である矢部は「何か起こ ってんのかな、変なこと」と呟く。 「変なこと」というそれ自体明確な意味内容 を持たない言葉が、ここでは重要なメッセージを担っている。漠然とした不安 を含んだ疑問形の矢部の台詞は、単なる個人的な苦悩に還元できない、人間の 知と意志のコントロールの及ばない出来事が起こりつつあることを伝えるので ある。 (矢部が「あかずの間」に入ってしまい連絡が絶えた時、順子という人物 が、再び「起こってないよね、変なこと」と言う。この場合は、すでに「変な

この映画の与える恐怖の質を、他のメディアが実現する可能性は考えにくい。そのこ とは、映画というメディアの特質が、これらの他性と関ることを教えている。ここで論 じている対象の不在、非‐対象性は、ベンヤミンが複製技術により消滅すると論じた「ア ウラ」という概念を思い起こさせる。アウラの復活・再生を安易に論ずべきでないが、 消滅を経由した上での、何らかのアウラの出現を考える余地があろう。尚、この件につ いては、課題としたい。 8 Bonitzer(1982) 7

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第8章

死のメディアとしての映画

こと」が起こってしまっていることが明白である故に、否定的疑問は無力に響 く。 ) 人物が「変なこと」と呼ぶ、この映画で起こる出来事を、春江の大学院の先 輩である吉崎(武田真治)が、次のように説明する。人類の歴史上、死者の総 体は累積し莫大な数に上った。魂を受容するエリアは実は無限大ではなく、死 者たちは飽和し、行き場を失ってしまった。ある些細なきっかけ(これがタイ トルの「回路」が意味するところである。)によって、死者がこの世に逆流し、 侵出してきた、と。他界の飽和とは、他界とこの世界の境界が溶解し無意味化 することであろう。 「死が噴出してしまった世界、全面的に他者化されてしまっ た世界とは、逆説的に聞こえるかもしれないが、 『他界』を喪失した世界である。 」 9渡辺哲夫の『知覚の呪縛』を評した市村弘正のこの言葉は、この映画の出来事

の理解の一助となろう。他界が飽和して、この世にあふれ出した亡霊たちは、 本来の死者となることが出来ずにこの世を彷徨うものとして理解される。 無論、観客は、吉崎の説明をそのまま受け取るのではないだろう。そもそも この説明を吉崎がどのようにして得たのかは知らない。彼は自分でこれを「あ くまで仮定の話だ」と言う。しかし「仮定の話」だとすることは、事の真相を、 本来の場所である、生者の手の届かない死の世界へと送り返すことである。観 客は、それによってその話を疑う余地を与えられるよりもむしろ、説明の真偽 を吟味することを禁じられるのである。「真偽を比較する意識の停止」10は、こ こでは、芸術一般について言われるイリュージョンの他に、死の世界について の仮定という具合に、多層に渉っている。 そして「飽和した他界」というイメージは、その出来事の進展が、 「もう後戻 りは出来ない」(すでに始まってしまった以上、止めようがない)ということ、 そしてその出来事の勃発には何の意味も意図も目的もないということを語って いる。 (コンピュータ・ネットワークは、その、いつかは起こる、起こるべくし て起こった出来事のきっかけの一部をなしているに過ぎない。)「仮定の話」で あることは、吉崎の説明が、受容においてポジティブな機能をもつことと矛盾 しない。ここから帰結するのは、その理由なき出来事の生起に対して、人物た ちが完全に無力であることである。この点に、この映画の、他の、世界の終わ りを描いた映画との根本的な差異がある。他の映画では通常、世界の終わりを 9 10

市村弘正(1996) コウルリッジ(1965:153)

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食い止めようとするところに人為と生者のドラマの余地が残されている。しか しこの映画の場合、人間は進行する出来事に対し限りなく無力である。それは、 人類を滅ぼす敵が強大だからでも、人類を見舞う危機が深刻だからでもない。 ここで起こっている出来事の本質は、死と虚無が、各自の生の意味を奪い、何 かを為すことの意味を根本から奪い去ることにある。そのことをよく表すのが、 人物の死が自殺であることである。亡霊たちは、 『ゾンビ』とは異なり、それと 出会う人間を直接殺すのではない。死にゆく者たちは、幾つかの曖昧な例外11を 除いて、いずれも自殺という方法をとる。春江(小雪)の台詞は言う。 「幽霊た ちはひとを殺さない。人間たちを生きたまま、永遠の孤独に閉じ込める。 」この 台詞は、人物たちの自殺に至る苦悩の根の部分に孤独という主題があることを 示している。

第三節

孤独から生と死の連続性へ

亡霊と出会った人物は、生の意味を失い、虚無の果てに自殺する。そして死 は、周りの人を消滅させ、さらに生を虚無化する。孤独と死は相互に密接な関 わりをもっていると考えられる。しかし孤独が最初に主題化されるのは、まず は亡霊の出現や死という出来事とは無縁の所においてである。川島(加藤晴彦) は、春江(小雪)と知り合って間もないころ、春江にこう言われる。 「何でインターネットはじめたの?…他人とどっかでつながっていたいから?

ほん

とはつながってないよ、人間なんて。コンピュータの点と同じ。ひとりひとりバラバ ラに生きている」

このような、孤独あるいは人との関係に対する諦念が、死と並んで、この映画 の基調低音を成している。 「あかずの間」で亡霊に会い、絶望した様子の矢部の ことを気にかけるミチに、ミチたちが働く会社の社長(菅田俊)は、唐突にこ う言い出す。 「ひとを助けようとして、よかれと思ってかけた言葉が相手を余計傷つけるよね。そ のことで自分もまた傷つく。コミュニケーションってそういうもの? うすればいい?

それじゃあど

わたしなら多分、何もしないな。そのことも、勇気のいる選択肢だ

と思うしね。」 11 順子、川島の二人の死は、CG によって、そのまま黒い染みへと変貌するという形で 表現されている。

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第8章

死のメディアとしての映画

社長が言うのは、他者の理解、他者との交わりの限界ないしは不可能性であ ろう。先の小雪の台詞と重ねてみれば、これらの台詞が言い表そうとする事態 がひとつのことであると分かる。以上の台詞においては、孤独、人との交わり の可能性という主題は、 「変なこと」の到来とは無縁のところにある。しかし孤 独という主題は、程なく、もうひとつの主題である死と結びついてくる。 一般に、死が孤独と結びつくのは、死が他者と共に在ることを不可能にする ものだからであろう。 「共に生きるということから引き出された共同性は、人が 共に生きる人々から離れてただ一人で死ななければならないということによっ て虚しくなる。 (…)人は代替不可能な仕方でただ一人死ぬのであり、自覚され ようとされまいと、すべての人がそのように死ぬのである。死は"共に生きる" ことの"共に"ということを打ち砕く。」12。生の共同性は、死を限界とする。場 面は少し先になるが、川島が、孤独と不安におびえる春江を連れて、電車に乗 る場面で、川島は春江を慰め力づけようと、今ここに二人が生きていることは 間違いない、と言う。しかし、その電車が駅のない場所に止まってしまうとき、 そこで暗示されているのは、生及び生に基づく共同性には、いつか必ず止まる 時(=死という限界)が来るということである。ミチのモノローグ「死はいつ か必ず訪れます」という言葉が意味を持つのはこうした場面においてである。 しかし、孤独と死の関わりは、右のような道筋を取るばかりでない。春江は 電車の場面に先立って、川島に次のように話している。 春江「わたしね、死んだらどうなるんだろうって、小さいころからいつも、考えてい たの。ずっと、ひとりだったし。」 川島「親とか兄弟は?」 春江「いるよ。でも、関係ない。死んじゃえばさ、あっちの世界で、みんなと楽しく 暮らせるんじゃないかなって。でも高校の時、はっと気がついたの。死んでも、ず っとひとりだったらどうする?

それってものすごくこわい。こわくてこわくてた

まらなくなったの。だって死んでも何も変わらなくて、今のままが永久に続くのよ。」

春江が言う「ひとり」とは、傍に一緒にいるひとがいないということを意味 しない。傍にひと( 「親とか兄弟」 )がいても、それとは「関係なく」 「ひとり」 である。 「死んだら、あっちの世界で、みんなと楽しく暮らせる」という希望は、 「あっちの世界」以外、つまりこっちの世界では「みんなと楽しく暮らせ」な 12 氣多雅子(1992:226) 。氣多の議論は、さらに「死の逆説的共同性」へと進む。それ は、本節第4項で論じるところである。}

220


いということを含意している。先に挙げた春江と社長の台詞の、人間が、本当 のところ、分かり合えず、理解し得ない、別々の生を生きる孤独な存在だとい う考えが、ここで生と死との関連で捉え直されることになる。問題は、単に表 面的な人間関係上の問題ではなく、より深い、生の基底に関わるところにある13。 「小さいころ」の春江は、そのような孤独からの解放として死を夢見ていた。 死=孤独という通常の図式14はここでは逆転している。孤独なのは死ではなく、 生であり、死はそこからの解放である(はずだった) 。しかし、春江は「高校の 時」 、死がそのような孤独からの解放であることを保証するものが何もないこと に気づく。 「死んでも、ずっとひとり」かもしれない。死んだ後も、ずっと孤独 かもしれない。「死んでも何も変わらなくて、今のままが永久に続く…」。それ が春江にとっての死の怖さであるとすれば、それは、もはや普通の意味での死 の恐怖ではない。ここで問題になっているのは、死が断絶(生や生を共にして いる者たちとの)を引き起こすことではなく、逆に、生と死の連続性だからで ある。将来死という暗い主題を避けようとし、将来「死なない薬」が開発され るかもしれないと春江を慰めようとする川島が理解し損ねているのは、死が意 味を変えてしまっていることである。生と死との境界は、孤独において、無化 され、死は、永続する孤独というかたちで生者を直撃する。春江は上の台詞を 次のように締めくくる。 「それ(=孤独が永久に続く状態)が幽霊になることな のかな…。結局、人間も幽霊も同じ。生きていようが、死んでいようが。 」生を 孤独にする限界としての死は、 「生きていようが、死んでいようが」つねに付き まとい続ける。デリダの「わたしという宣言にはわたしの死が構造的に含まれ ている」という言葉をここに重ねてみることも出来よう。死の臨在と、そして 孤独という主題が、絡み合いながら、川島の台詞を無効化し、その説得力を根 本から奪い取る。死と生の境界が曖昧となり、生の領域に死が否応なく侵入す る。図4のように、生者と幽霊とは形の上でほとんど区別がつかない。モニタ ーに映し出された「幽霊サイト」を指して、春江は「この人たち生きているっ ここで想起されるのは、例えば次のような、経験の共有不可能性についての議論であ る。 「わたしが死ぬとき、その死ぬという経験をほんとうはだれとも共有できないことは 疑いないが、わたしは生きているときも、その経験をほんとうはだれとも共有できない のではないだろうか。 」(鷲田清一(1996:163) 14 例えばジャンケレヴィッチはこう述べている。 「死んでゆく者は一人で死に、各人、自 分自身で死なねばならぬこの個人的死に一人で対決する。だれもわれわれのかわりにお こなうことはできず、各人、時が来たら、自分で単独に運ぶことになっている孤独の歩 みを一人でなしとげるのだ。」(ジャンケレヴィッチ(1978)28) 13

221


第8章

死のメディアとしての映画

て言えるの?」とヒステリックに叫ぶが、観客には、そのサイトの人物たちと、 幽霊の区別はすでにつかなくなっている。このように孤独という主題の扱われ 方が志向する所は、前節で検討した出来事の意味と重なっている。

第四節

死者が支える生

死と孤独というふたつの主題は、複雑に入れ子状に絡み合っている。春江は 「永遠の孤独」について語っていた。最後に川島が出会う亡霊も「死は永遠の 孤独だった」と言う。幽霊サイトの壁の殴り書きと電話から聞こえる「助けて」 という頻発する言葉は、そうした「永遠の孤独」からの救済を求めているもの と理解される。他界が飽和しているとすれば、死は救済にはならない。この難 問に対し、映画のラストは、死と孤独という絡み合った二つの主題に、同時に ある答えを出しているように見える。ここではその場面について、ひとつの解 釈を試みる。 最後の船室の場面で、彼女の最後の友人(川島)が残した船室の壁の黒いし みは、それまでとは異なり、傍らに座っているミチを恐怖させる対象ではなく なっている。そこまで徹底して描かれていた死と孤独がもたらす恐怖が姿を消 す。黒い染みとミチを捉えるショット(図5)に、ミチの次の台詞が重なる。 「今、最後の友達と居ます。私は幸せでした。」

台詞は二文から成る。 「私は幸せでした」という第二文は、単にこれまでの人 生を振り返ってそう言っているのではない。第一文の「最後」という語は、こ の台詞が、人生の終わりに際して発せられた、死にゆくものの言葉であること を告げている。実際、川島が死にゆくミチを看取る場面であったとすれば、台 詞として不思議なところのないミチの遺言として理解できた台詞である。しか しこの場合台詞は独立してあるのではなく、画面上には、生き残ったミチと、 死にゆき、黒い染みへと変化する川島が映し出されている。台詞は、この画像 と組み合わさることにより意味を変える。この時重要な役割を果たすのは、第 一文の「今~と居ます」という現在形である。この部分は、台詞の発話の主体 であるミチが、画面上のミチと一致しており、死んだミチが画面に展開する劇 世界から離れて(例えばナレーションのようにして)回想しているという解釈 222


が退けられる。そしてまた、 「最後の友達」が指すのが、ミチの傍らにある、死 に去り黒い染みと化した川島以外にないことになる。第一文は、ミチが死んだ 「最後の友達」である川島と、文字通り、今ここにおいて共に居ることを表し ている。 「死者」と共に居ることは、ここでは恐怖を引き起こさない。ミチは穏やか な佇まいで黒い染みを見つめ、それが最後の「友達」であることを表明する。 台詞は、落ち着いた調子で発せられており、 「幸せでした」という第二文の意味 内容は、その穏やかな姿と口調に合致している。先に確認したように、全体と して、ミチの台詞は死にゆくものの言葉である。しかし「今、居ます」という 現在形と、それと結びついた画像上のミチの姿は、黒い染みとは区別され、例 えば心中のようにして、二人が共に死んだという解釈を妨げている。一方は生 きており、一方は死んでいる。その間には超えがたい溝があるはずであった。 そしてその溝が、恐怖の源であった。ここでその恐怖がきえていることは、そ の溝を越える生者と死者との穏やかな交流があることを意味する。第一文の意 味するのも、そのことであろう。その交流は、ミチが、生きながら死にゆくと いう境位において、死を分有していることを表してもいるだろう。春江が恐怖 していた生の孤独は、死者と共にあることの確認によって、解かれている。そ の絆は死者との絆であるが故に、そこには生の共同性のような限界はない。 (ミ チと川島を乗せた船は、春江と川島の乗った電車とは異なって、止ることはな い。)この時、「幸せでした」という言明は、そのように死者と共に居ることが 許すものとして捉え直される。それは、死者が本来の死者となることであり、 「死 者に支えられた生」15の回復である。孤独と死という絡み合った二つの主題に対 する答えは、ここではひとつである。

図 4

15

図 5

図 6

渡辺哲夫(1991) 223


第8章

第五節

死のメディアとしての映画

世界の終りの光景

『回路』は、ネットワークや「世界の終わり」という現代的な主題をもちな がら、根底には、 「死」や「孤独」という普遍的な問題が見据えられている。こ こまでの考察は、その問題に対し、 「個」という観点から、この映画がどう問い、 どう答えているかを検討することに重きを置いた。ここではその一方にある、 「世界の終わり」について考え、本稿の締めくくりとする。 映画の終盤に映し出される、黒煙を上げて落下するジェット機や、車が炎上 する首都圏の街並の光景(図 6)は、映画の一つのクライマックスをなしている。 それらの光景が、例えば戦時下の情景とは違うのは、黒煙の下に起きている出 来事を映画がすでに描いてきており、その出来事を観客が想像するからである。 そこで起きている出来事とは、人びとの虚無化である。実際、それらの光景に 特徴的なのは、人気のなさである。しかし、それが終末の風景として総体とし て眺められるとき、そこにはまた別の新たな意味がある。文明の街並みは、過 去の営みの帰結として歴史性を担っている。その歴史性を改めて感じさせるの は、そこで今まさに起ころうとしているのが、単に人類の未来が途絶えるとい うだけでなく、人類の過去の営みの総体、歴史の意味すべてが無に帰す事態だ からであろう。その徹底した解体は、乾いた開放感をも伝えている。それは、 その破壊が、人間の営みに伴う苦しみをも浄化するからであろう。あらゆる感 情、努力、行為、想像、すべてが無に帰する。ここには、もはや、人類の死を 悼む感傷の余地はない。ルサンチマンに駆り立てられた破壊のカタルシスもな い。その出来事の発端が、例の「仮定の話」として語られる「他界の飽和」で あることは、そのような破壊そのものに意味がないことを伝えている。無意味 な出来事の生起が、すべての出来事の意味を無化する。そのような徹底した無 への還元を表現する光景はフィクションであるからこそ楽しめるのだが、単な るフィクションでは済まない意味を持つのは、そのような無の可能性が潜在的 に在るからではないか。その光景は見慣れた街並みの、普段とは異なる「別の 姿」であるが、どこかで見たことがあると感じさせるのは、それが潜在的な原 風景だからであろう。それは、「どこでもない場所」であるとともに、「どこで もある場所」である。 そうした舞台の上で営まれる最後のドラマとして、孤独が主題化されること にはどのような意図があったのだろうか。ひとつには、生の意味が、ひととの 224


結びつきの中でしか問い得ないということがあるだろう。しかしその際、この 映画で最後に問われる人の絆は、性愛に基づく対幻想の共同性でもなく、国家 や民族、家族といった共同幻想でもなく、信仰を共にする宗教的な共同性でも ない。その絆を言い表すのが「友達」という言葉であることは、モーリス・ブ ランショが「明かしえぬ共同体」「不在の共同体」を結ぶものとして「友愛 l'amitié」について語っていることを想起させている16。前節で解き明かしたよ うに、この映画でも、孤独を最終的に解決するのは、生者だけの世界に築かれ る間柄ではなく、「不在の共同体」「死すべき者たちの共同体」に他ならなかっ た。 この映画が観る者を連れ出すのは「どこでもない場所」である。しかしそれ は、ベンヤミンが批判したモダニズムの「美の王国」ではないし、ハリウッド 映画が見せる「夢の世界」 、現実を忘れさせる華やかな世界でもない。死の伝播 が観客席へも及び、終わりの光景が原風景を照らし出すとき、観客は、現実の 被覆を剥がされて、裸形の存在と化す。そのように、死へと至らしめるものと して映画があるとすれば、その孤独な体験の内には、死者との絆である「友愛」 も、芽生えていたに違いない。

16

モーリス・ブランショ(1997) 、及び、同(2001)を参照。 225


第8章

226

死のメディアとしての映画


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味 ―『好男好女』(1995)のショット分析を手がかりとして

はじめに 侯孝賢(Hou Hsiao-hsien)の映画は、台湾を代表する映画監督として、国際的 にも不動の地位を占めている。しかしまたその作品は、常に議論の対象となっ てきた。 侯孝賢が台湾映画界に与えた功績について、焦雄屏(Chiao Hsiung-ping)は、 台湾の観客にとって「単なる娯楽であり、鬱憤を晴らすための方途」に過ぎず、 商業的利潤と金稼ぎの道具に過ぎなかった映画を「芸術」に高めたとその功績 を評価している1。それはまた、「観客の鑑賞習慣に対する挑戦」でもあった。 侯孝賢の映画が台湾ニューシネマに大きな影響を与え、また観客にとって衝撃 だったのは、そのスタイルであった。焦雄屏は「侯孝賢のこのような語法は、 台湾映画の中に革命的な作用を引き起こした。その語法に不慣れな観客は、嘲 けり、罵倒した。」2と述べている。その記述は、侯の映画に対する観客の反応 の、否定することの出来ない一面を率直に表している3。 もう一方で、侯の映画は、台湾国内においては、政治情勢と絡んで、激しい 論議の対象となってきた。とりわけ、戒嚴令下においては禁忌であった「二・ 二八事件」を描いた『悲情城市』(1989)は、その歴史的事件の描き方をめぐ って、激しい論議の対象となった。 それは、保守反動の側からの攻撃ばかりではない。1991 年に出版された『新 電影之死』4という論集は、その名の通り、ラディカリズムの立場からの台湾ニ ューシネマに対する死亡宣告が企図されている。その副題は、「『一切は明日 のために』から『悲情城市』まで」となっている。「一切は明日のために」は、 1

焦雄屏「台灣新電影的代表人物—侯孝賢」(林文淇他編、2000 所収) 焦雄屏「台灣新電影的代表人物—侯孝賢」 3 焦の記述は過剰なようにも見えるが、誇張ではない。日本では、侯孝賢は、はじめから 高い評価をもって受け止められたが、台湾では、侯孝賢の評価は、熱狂的な肯定的支持 と嫌悪の入り混じった無理解とに極端に分かれる。こうした反応は、台湾固有の面もあ るが、しかし、芸術的映画の興行が著しく厳しい日本の(特に地方の)状況を鑑みれば、 大差があるわけではない。 4 迷走・梁新華編(1991) 2

227


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

侯孝賢が国防部の委託を受けて 1988 年に制作した PR フィルムである。この論 集は、そのイデオロギー性が明瞭な「一切は明日のために」と『悲情城市』を 連続しているものとみなし、その保守・反動性を批判・断罪するものである5。 そうした政治性をめぐる議論は、先述のスタイルの問題と無縁ではない。上 述の論集の立論によれば、侯孝賢のスタイルと美学は、歴史の現実から目を外 らすイデオロギー機能を果たしている。例えば、廖炳惠(Liao Ping-hui)は次の ように述べている。「最も注意を払うに価することは、政治的な問題がようや く出現しようとするたびごとに、ショットは総じてすぐに転移し、真正の政治 的迫害や暴力的事件を描かずに、山の風景や海、漁船などに転じて、山や川の 美しい風景や静止した風景を描こうとし、真正の問題に置き換えようとするの である。」6 廖は、侯孝賢のスタイルに対し、真正の政治的問題を隠蔽する点に おいて批判するのである。 国際的な高い評価、一般的な公衆の趣味との乖離、政治的反動性への批判な ど、こうした様々な力線の交差の中で、『新電影之死』が代表する議論に対し、 その挑戦に応えて、侯孝賢の映画の「別の」読みかたを提示する動きもある。 研究論集『戲戀人生』(林文淇 Lin Wen-chi 他編、2000)は、その成果のいくつ かを収めている。例えば、葉月瑜(Ye Yue-yu)は、『悲情城市』のサウンドト ラックと映像の非規範的な演出を詳細に分析し、オルタナティヴな政治映画と しての可能性を論じている7。 本章は、『好男好女』を題材として、葉月瑜とは別の角度から、侯孝賢の映 画の可能性を考える8。本稿が『好男好女』を考察の対象として取り上げる理由 は、この作品が侯孝賢の作品群の中でも独自の位置を占めているからである。 侯独自のスタイルについて、1983 年のオムニバス映画『坊やの人形』あるい は同年の『風櫃の少年』であるとする見方を一般的とする9。そのスタイルは、 5

葉月瑜は、この選集を「台湾映画評論に一つの新しい里程碑を樹立した」と総括し、そ の理由を次の三点にまとめている。1.新聞の副刊や娯樂版の映画評モデルに対するア ンチ、2.フーコー、フェミニズム批判理論、フランスの「カイエ・デュ・シネマ」 (Cahier du cinéma)のテキストなど、(ポスト)構造主義理論を援用したこと、3.前二項をも って、一つの新しい映画評論の典範を打ち立てることを企図したこと。葉月瑜「女人真 的無法進入歷史嗎?」(林文淇他編, 2000:182). 6 廖炳惠「旣聾又啞的攝影師」、林文淇他編(2000:130) 7 葉月瑜「女人真的無法進入歷史嗎?」、林文淇他編(2000) 8 原作は藍博洲(2004)『幌馬車之歌』(邦訳、藍博洲 2006)。藍博洲(Lan Po-chou, 1960-) は、抗日戦に参加する一員の役で映画に出演もしている。脚本は、朱天文(1995)。そ の他、映画の詳しいデータ・紹介は『電影透視鏡』(1995)を参照。 228


『恋恋風塵』(1987)と『悲情城市』において、すでに成熟の域に達している ように見られるが、その後、陸続と発表された『戯夢人生』(1993)、『好男 好女』(1995)、『憂鬱な楽園』(1996)において、侯は、自らの表現をさら に先鋭化していく。沈曉茵(Shen Hsiao-yin)は、「不断にそのスタイルを変え る」所に、侯の特質を指摘する10。「侯孝賢は、不断に違う題材を通して違う映 画言語を試みる。違う映画言語を通して、違う素材を現出させる。侯孝賢は、 映画の題材においてだけでなく、スタイルと美学においても、不断に自己と観 客に挑戦をしている。」11。 侯の「不断の自己と観客への挑戦」は、表現手段としての映画媒体の可能性 をぎりぎりまで追求していく歩みであるように見える。侯の評価は、映画とい うメディアそのものの評価にも関わっている。本稿は、『好男好女』について の考察を通じ、侯孝賢の映画の可能性と、ひいては映画芸術の可能性について 考えることを最終的な目標としている。 なお、検討においては、DVD12のほか、『電影透視鏡』(1995)と朱天文(Chu Tian-wen)編著(1995)『好男好女』を用い、カット番号の付記と台詞の検討13 を行う。

第一節

『好男好女』の構造~再現の多層性と動性

映画『好男好女』は、時制の上から三つのパートに分割される。映画『好男 好女』はこの三つのパートが交錯する複雑な構成を持つ。(以下は、便宜的な

9

侯が自らのスタイルを見出した過程において、文学作品(あるいは文学運動)が果たし た役割がしばしば指摘される。それは、朱天文が渡した『沈從文自傳』と黄春明をはじ めとする郷土文学運動である。『沈從文自傳』については孟洪峰「侯孝賢風格論」(林 文淇他編, 2000)、郷土文学運動と侯孝賢を初めとする台湾ニューシネマとの関連につい ては、イップ(Yip, 2004)を参照。ボードウェル(Bordwell, 2005)のように初期からの 連続性を見る見方もある。 10 「侯孝賢,不斷透過不同的題材嘗試不同的電影語言,透過不同的電影呈現不同的素材; 他不但在題材上,也在風格美學上,不斷地挑戰自己及觀影者.」沈曉茵「本來就應該多 看兩邊」、林文淇他編(2000:86) 11 沈曉茵「本來就應該多看兩邊」同上。 12 松竹発売。日本語字幕は小坂史子による。 13 映画では、中国語と台湾語が混在する。朱天文編著(1995)はすべて中国語で記して いる。台湾語と中国語のニュアンスなどの違いの検討は後日を期したい。尚、台湾のク レオール性については、丸川哲史(2000)などを参照。 229


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

ものであり、すべてのカットを網羅するものではない。二つのパートが重なる などして、明確に分類し切れないショットもある。) (1)まず主人公梁静(Liang-ching)の現在の物語がある。梁静は、後で挙げ る「映画中映画」の主人公蒋碧玉を演じる女優として活動している。このパー トには、盜まれた日記が FAX されてくる部屋の場面(カット 2, 12, 24)、パブ での食事と無言電話(30)、キャバレー(34-35)、バドミントン場での姉との いさかい(49)、無言電話に向かって話し始める場面(51)のほか、映画中映 画の撮影の状況や姉との関係についてのナレーションなどが含まれる。 (2)次に、梁静の近過去がある。恋人であったヤクザの阿威(A-wei)との 生活(カット 3, 13-16)、阿威と子供について会話する場面(カット 25)、梁静 がヤクに手を出し荒廃し阿威に介抱される場面(31-32)、キャバレーで踊る最 中に阿威が撃たれて殺される場面(カット 37)などが含まれる。 (3)最後に、実在の鍾浩東(Chung Hao-tung)と蒋碧玉(Chiang Pi-yu)を 題材として歴史的過去を描くパートがある。鍾浩東と蒋碧玉らは、日中戦争時 に大陸に渡って抗日戦線に参加する(カット 8-10, 18-23, 26-29, 39-41)。戦後は 教職につく傍ら社会主義運動に携わり(42)、その活動のために連行され(43-48)、 鍾浩東は再教育を拒んで獄死する(53-56)。後述するように、この部分は、梁 静が女優として制作に参加している「映画中映画」としての意味も持つ。この 「映画中映画」の題名も『好男好女』である。 ところで、この分類について、イップ(June Yip)は、リハーサルの場面を独 立したパートとして数え、全体を3つではなく、4つのパートから成るとして いる14。 これらの白黒の映像のほとんどは、蒋(碧玉)と鍾(浩東)についての映 画の、梁静と他の俳優のリハーサルをしている場面である。過去を描いた 白黒の映像が歴史的出来事の透明な描写として読まれうるのに対して、演 技をしている場面は、明らかに虚構的再現である。15

14 While it deliberately plays with notions of reality and illusion, so that it is not always easy to differentiate between the different layers of the films, the scenes may be broken down into four basic categories.(Yip, 2004:127) 15 Most of these (black and white images) depict Liang Ching and the other actors rehearsing scenes from the film about Chiang and Chung. While the black and white scenes of the past could conceivably be read as transparent depictions of historical events, the scenes of acting are clearly marked as fictive reenactments –present-day constructions of the past. (Yip, 2004:127-8))

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例えば、カット 6(図 3)は、スタッフの後姿や無造作に置かれた大道具を画 面中に含めることにより、リハーサルであることを明確に示している16。呉佳琪 (Wu Chia-chih)が「映画中の再現の「真実」が美学的選択、機械的操作の結果 であることを観る者に気づかせるものでもある」17と述べるのも、こうしたショ ットを指していたと考えれば肯ける。それに対して、白黒の映像で提示される カット 8(図 5)以降は、リハーサルをほのめかすものは存在しない。カット 6 とカット 8 の違いは明瞭であり、イップの指摘は重要である。しかし、カット 8 を単純にイップが言うように「透明な」歴史的出来事の描写であるとすること には異論がある。 カット 4, 5(図 1‐2)のスチール写真の撮影に始まって、リハーサルである ことが明らかなカット 6, 7(図 3‐4)を通じてカット 8(図 5)に至る、その漸 次的移行の過程を観客は受容する。それによって、歴史的過去の再現は「映画 中映画」としての面をもち、二重性を獲得する。カット 8 は、歴史的過去の再 現としても見られるが、カット 7 からの連続性によって、梁静の参加している 「映画中映画」としても見られるのである。 志向性は一つに収斂しない。「映画中映画」であることが透明となり、歴史 的過去の再現が直接観客に受容される面もあるし、「映画中映画」の制作過程 が不透明となり、観客の志向が「映画中映画」の制作過程に向かう面もある。 いずれの志向をも観客は持ち、二つの志向は、いずれかに収斂することなく、 不断に相互に転換し、交錯する。 重要なのは、幾つに分類するのが正しいかということではない。むしろ、そ うした静的な分類が取り逃がす曖昧性と動性にこそ目を向けるべきである。 同様の理由で、イップと筒井武文の次の見解は、動性を見逃し、多層性を一 面的に還元してしまう点で十分ではない。 これらの「映画中映画」の場面は、スタイル的にはドキュメンタリーで あるが、歴史的出来事を描いているのだが、それは、おそらくは梁静が二 人について読み、彼女が演じようとする役について準備するときに、梁静

16

『好男好女』の原作『幌馬車の歌』(藍博洲 2004)は、台北で舞台上演もされている。 映画中のリハーサルの光景は、そのときの様子ともとれる。藍博洲はまた、白色テロの 犠牲者へのインタビューを中心とした『我們為什麼不唱歌』(人間出版社)というドキュメ ンタリーも制作している。本作『好男好女』と対になるものだが、未見である。 17 呉佳琪「剥離的鏡子」林文淇他編(2000) 231


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

の想像の中でつくり出され、心の中で創造されたもののように描いている。 18

映画中映画として大過去と思われた映像は、梁静の想像する物語である19 ただし、複雑な志向の交差の中心に位置するのが蒋碧玉を演じる梁静である ことの指摘という点では、二者の指摘は重要である。そこには、阿威との過去 の追憶や内面、吐露するナレーションなど実人生が描かれるのが梁静だけであ ることが与っている。「映画中映画」の受容において、観客の意識は、蒋碧玉 を演じる梁静の姿に向かう。その意味では、映画の多層構造が梁静の意識に収 斂するとする両者の見解は妥当である。 一方、呉佳琪の「映画中の再現の「真実」が美学的選択、機械的操作の結果 であることを観る者に気づかせる」とする解釈は、「映画中映画」の制作過程 の不透明が顕著なカット 4~7 には当てはまるが、カット 8 以降の記述としては 正しくない。「映画中映画」の制作過程が透明性を帯び、二重性を獲得すると き、確かに、蒋碧玉を演じる梁静に向かう観客の志向性がある。しかし、観客 の志向は、蒋碧玉をいかに演じるかを工夫したり努力したりする姿として梁静 に注目するのではない。観客が意識を向けるのは、蒋碧玉を演じながら蒋碧玉 の人生に思いを馳せる梁静の姿である。 再現の透明化によって、歴史的再現を直接受容し理解する観客の局面も開か れる。歴史的再現の局面の展開に対し、梁静は、演技者であると同時に歴史的 出来事を目撃する証言者の側面を持つ。「演じる」ことは、ここでは、その場 に居合わせながら、一歩退いた位置から距離を置いて眺めることを可能にする ものとしてある。梁静は、歴史的出来事の中にあたかもタイムスリップしたか のように、あるいは、『ベルリン天使の詩』の「天使」のように佇む。歴史的

18 Although they are documentary in style, these “film within the film” scenes seem to portray the historical past as it is constructed in Liang Ching’s imagination—created in her mind, perhaps, as she reads about the couple and prepares for the role she is to play. (Yip, 2004:127) Yip の解釈 の根拠は、映画の最後に(梁静による)ナレーションで「撮影が始まった」と述べられ ていることである。しかし、停滞していた撮影が開始されたとも解釈される。 19 筒井武文はこう続けている。「映画中映画として大過去と思われた映像は、梁静の想 像する物語であることが判ってくる。そこを起点として映画全体を見直してみれば、こ れほど判りやすい映画もないのではないか。梁静の意識がふたつの過去を統合している のだ。『好男好女』という映画はヒロインが遠い大過去、つまり蒋碧玉の物語に近過去 の自分自身の物語の生々しさを触知する試みといえよう。」(筒井武文「『好男好女』 解読」、『好男好女』(劇場公開用パンフレット)1995)

232


再現の世界の内部に属すると同時に外部に超脱する。そのような超越的かつ内 在的なありようを「演じる」姿は表している。

図 1(カット 4)

図 2(カット 5)

図 3(カット 6)

図 4(カット 7)

図 5(カット 8)

図 6(カット 22)

第二節

交わるはずのないものの交わり~梁静と蒋碧玉の同化

この映画では、位相が異なる三つのパートが、入れ子のように複雑に相互に 嵌入する。観客が、移行の過程を受容することによって再現は重層化する20。そ の重層化は、三つのパートを統合するものとしての梁静の意識を視点とする。 梁静の意識を起点として、一見バラバラの断片が組み立てられ、歴史と現在が 繋がれていく21。 歴史と現在をつなぐ主題として、妊娠と子供との別離、同性同士の友情、恋 人との死別の三つの出来事がある。ここではそれぞれの主題をとりあげ、梁静 の意識を中心にして、どのように三つのパートの出来事がまとめられていくか (またそれにつれて、梁静の意識がどのように変化して行くか)を見る。 第1項 梁静と蒋碧玉の交わり

20

多層性については、李振亞「歴史空間/空間歴史」(林文淇他編, 2000)も参照。同論 文は『童年往時』の空間の多元性を豊かに論じている。 21 歴史は個人の視点から見られた「記憶」である。Yip(2004)を参照。 233


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

カット間の連関は、必ずしも明瞭ではなく、観客は、限られた手がかりから、 読み解くことを強いられる22。 カット 25(図 7)で阿威と梁静の妊娠の可能性についての会話の場面(梁静 の近過去)が描かれ、それに続いてカット 27-28(図 8-9)で歴史的過去の妊娠 した蒋碧玉の姿が描かれる。カット 29(図 10)では、時勢のため、生まれた子 を養子に出す場面が描かれる。 カット 25 から 27-28 への展開において、妊娠という共通項が主題として浮か び上がる。カット 25 で描かれた妊娠の可能性は、妊娠した蒋碧玉を演じる梁静 の意識へと観客の志向を向ける。 歴史的過去と近過去の結節点には、現在の梁静がいる。カット 25 と 31 の間 には、現在の時制に属するカット 30 があるが、パブで義兄たちと食事し、無言 電話を受けるその場面の描写は映画制作と関わりのあることは何も描かない。 カット 31(図 12)で近過去の時制が再び始まる。その場面は、ヤクに手を出 し荒廃する梁静の様子を描く。カット 25 とカット 31 の間に近過去の時制にお いて何があったのかを映画は描かない。妊娠はしていたのか、していなかった のか。流産したのか。そうした疑問に対する明確な答えはない。カット 31 の描 写において、カット 25 との落差が際立つ。カット 25 に描かれていた妊娠の可 能性は消失し、その喪失となり傷となって、荒廃にどこかで結びついているこ とを予想させる。 観客の意識は、一方で蒋碧玉を演じ、もう一方で阿威との近過去を回想する、 現在の梁静の意識に向かう。対照的で異質なものとして描かれていた現代の都 市生活と歴史的過去の世界とは、妊娠という主題と意識を地平として融合する。

図 7(カット 25)

22

図 8(カット 27)

図 9(カット 28)

孟洪峰は、侯孝賢のモンタージュの特徴を「情緒モンタージュ」と呼んでいる。「侯 孝賢風格論」、林文淇他編(2000:41,50-) 234


図 10(カット 29) 第2項

図 11(カット 31)

図 12(カット 32)

女性同士の友情の主題

次に、女性同士の友情の主題についてはどうか。阿威の死(近過去)、鍾浩 東たちの光明報の活動と逮捕の後などが描かれた後、カット 47(図 13)で、蒋 碧玉(梁静)が同室の同士と黙々と別れの握手を交わす場面が描かれ、留置所 の廊下を映すカット 48 を挾んで、梁静の現在に属するカット 49(図 14)では、 女たちの諍いが描かれる。言葉を不要とする絆を描く歴史的過去のシークエン スと、女たちの諍いを描くカット 49 は一見対照的である。 勢い込んで乗り込んできた姉と梁静は険悪な様子で取っ組み合う。姉の、気 持ちを抑えきれないという様子で発せられる「可愛がってきたのに」23という一 言が場面全体の位相を変化させる。姉の言葉に対し、梁静は、手を振りほどき、 ラケットを叩きつけながら、去って行く。その振る舞いは、表向きの反発する 態度と裏腹に、「可愛がってきた」という姉の言葉を梁静もまた否定できない ということを表している。姉の言葉は、二人の潜在的な絆を浮き彫りにする。 姉の言葉を境として場面全体の意味は、諍いから悲しみへと変容する。 続くカット 50(図 15)は天井から差すミラーボールの原色の光が次々に交差 する中を、三人の女性(梁静と姉、トントン)が仲睦まじく、輪をなして、踊 るというよりも戯れている姿を映す。三人の輪を成した構図は、先の取組み合 いと同形の構図でありながら、対照的に、三人が絆を確かめ、喜び合う姿を映 し出す。踊りが体を成さず、梁静が床に崩れて顔を覆うと、他の二人もそこに 身を寄せて肩を抱き合う。 カット 49 から 50 にかけての展開は、険悪‐仲睦まじさという面では対照的 であるが、醸し出される悲しみという面では連続している。カット 49 で潜在的 23

「我真是白疼你了啦!」朱天文編著(1995:120)。「疼」には「痛む」と「可愛がる」の 二義がある。ここでは後者の意味だが、痛いほど可愛がるというニュアンスが聞き取れ る。 235


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

局面に置かれていたものが、カット 50 では顕在化される。観客は、鏡の中の世 界に迷い込んだかのように、潜在的世界の中に連れ込まれる。 49 から 50 への展開は、直線的時間の展開に沿ったものではなく、また単なる 過去の回想乃至再現でもない。喧嘩していた二人が仲直りしたとする解釈も、 過去の仲のよかったときの失われた光景の再現乃至回想であるとする解釈も、 カット 50 が醸し出す、言いようのない悲しみを取り逃すものにしかならない。 カット 50 は、時間的先後関係を離れ、時間軸から外れ、どこにも位置づけられ ない非時の光景である。 このとき、これらの場面は「失われた」という形で悲しみとともにではある が、歴史的過去と通じる、女性たちの絆を確かに描いている。

図 13(カット 47) 第3項

図 14(カット 49)

図 15(カット 50)

真実と虚偽/歴史的過去と個人的過去の融合

異なる世界に属し、異なる生き方を歩んでいる二人が交わり始める。呉佳琪 は次のように述べている。 例えて言うならば、映画『好男好女』の中で繰り広げられる真実と虚偽の 対話は、双方向的なものである。一方の面から言えば、本文の第一部で述 べたように、映画『好男好女』は観客に不断に真実と再現の距離を目覚め させ、真実を擬する状況から観客を引き離す。(中略)しかし、もう一方 の面から言えば、『好男好女』は、真実と虚偽の境界を不断に曖昧糢糊に し、またそれによって、個人の記憶と民衆の記憶の境界線を除去(打破) する。24

24

「比方說,《好》片中所鋪陳出來的真實/虛擬的對話是雙方向的.從一方面來說,如 本文第一部分所述,《好》片不斷提醒觀者真實與再現的距離,將觀者從擬真的情境中抽 離出來...然而從另一方面,《好》又不斷模糊真偽的界定,也藉此打破私人回憶與人

236


引用の前半については、第一節で論じた。ここで取り上げたいのは、引用の 後半である。「真実と虚偽の境界を不断に曖昧糢糊にし、またそれによって、 個人の記憶と民衆の記憶の境界線を除去(打破)する」という言葉の意図は、 梁静の立場を基点として見ることによって理解される。すなわち、「真実」と は梁静の実人生、「虚偽」とは梁静が主役を演じている「映画中映画」の世界 を指す。個人の記憶とは、阿威との生活や死別に関する追憶であり、民衆の記 憶とは、人々に記憶される鍾浩東と蒋碧玉の歴史的過去の物語を指す。『好男 好女』では、この二組の二者が、境界を除去され融合する仕組みになっている。 カット 56 は、鍾浩東の遺体の傍で紙幣を燃やす蒋碧玉を捉える。その画面が 白黒の画面が同一のショットのままカラーに変わる。カラーであることは映画 の前半においては、透明な再現描写でなく虚構であることを示すものであった。 しかし、カラーになることは、ここでは、意味が違っている。「この一幕にお いて蒋碧玉が紙幣を焼くという儀式を遂行することを通して自分の傷口を洗い 清めるとき、それは同時にまた梁静が、同様に(紙幣を焼く蒋碧玉を演じるこ とによって)儀式を遂行する方式で痛苦に相対するのである。照明が藍に転じ ることは、元々は異化の手法であり、我々に、それが演技している梁静であり、 蒋碧玉ではないということに気づかせるものだが、しかし、このときの形式的 な自己の突出は、かえって、我々をさらに深い感情の揺れ動きの中に連れ去る のである。」25 普通なら異化の効果を生むその手法が、ここではより深い自己へ連れ去る機 制となる。そこには、ここまでの展開も関与している。 カット 51(図 16)で梁静の阿威に対する言葉・気持ちが描かれ、それに応え るようにカット 51 から 52 にかけて鐘浩東の蒋碧玉への遺言がオフで流れると き、その遺言は梁静にとって阿威からの応答として聞かれている。それは、梁 静が、遺言の本来の宛先である蒋碧玉の場所に身を置くことを意味している。 カット 56(図 17)で白黒がカラーになるとき、歴史的過去(映画中映画)は 現在へシフトする。それは、演じられている蒋碧玉から演じる梁静への位相転 換である。蒋碧玉の姿は、恋人の死を悼み弔う姿である。梁静は、蒋碧玉を演 じるとともに、蒋碧玉の場所に身を置いている。演じながら、梁静もまた、恋 民記憶的界限」吳佳琪「剝離的影子」(林文淇他編, 2000:311)。また、Yip(2004:127-130) も参照。 25 吳佳琪「剝離的影子」(林文淇他編, 2000) 237


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

人の死を悼み弔う。悼み弔うことは、死と向き合い、生き直し、乗り越えてい く過程である。

図 16(カット 51)

第三節

図 17(カット 56)

図 18(カット 57)

伝達の直接性と異空間の開示

梁静が蒋碧玉と融合することは、さしあたりは、映画の虚構の中の出来事で しかない。それが、梁静の女優としての成熟に結びつき「映画中映画」の完成 度を高めるとしても、「映画中映画」という映画が虚構の中のものであるかぎ り、その完成は、それだけでは、観客にとって何の関わりもない出来事でしか ない。映画が与えるものは、そのようなものではない。「真実と虚偽の境界を 不断に曖昧糢糊にし、またそれによって、個人の記憶と民衆の記憶の境界線を 除去(打破)する」と言う先の呉の言葉は、観客と映画のテクストを貫く垂直 次元においても考えられる必要がある。 第1項 伝達の直接性 イップは、侯孝賢が古典的ハリウッドの演出を意図的に抑制していると述べ ている26。イップによれば、それは、ハリウッドの演出形態では観客にわかりや すく伝達するために解体される「時空の統一体」をそのままに提示することを 可能にするものである。 それは、登場人物の感情の表現についても言える。孟洪峰(Meng Hung-feng) は次のように述べている。「情緒の物化は侯孝賢の映画の基本的技巧のひとつ である。情緒は人物の顔の表情や人物の会話を通してではなく、人と物と環境

26

238

Yip(2004)


は交互作用し、相近づき、相互に融合することを通して表現されるのである。」 27

孟洪峰の論点は、前節で検討したカット 49 の場面について確認できる。その 場面においても、人物の感情は顔の表情や会話から読み取られるのではなく、 場面全体から感じられているからである。 梁静の過去の回想が、前置きなしに唐突に始まることも、これに関連してい る。通常の演出では、観客にそれが回想であることを明確にし、理解を助ける 前置き(フェイドインなど)が置かれるのが普通である。唐突に回想が再現さ れることは、その回想が意志的な回想ではないこと、すなわち、梁静にとって、 阿威との過去が消したくても消せないものとしてあることを意味すると同時に、 観客を梁静の位置に立たせ、梁静の過去に媒介なしに直接向き合うことを強い る。「彼(侯孝賢)の映画は、しばしば、進むにつれてますます情緒化し、つ いには完全に、因果叙事の鎖を打破するに至る。情緒はあふれるままとなり、 「愕」然としないではいられない。」28古典的ハリウッドの一見わかりやすい演 出の抑制は、一方で、通常の登場人物への感情移入を阻むと同時に、もう一方 で、登場人物の感情をダイレクトに与える働きをしている。それは、単なる伝 え方の問題ではない。侯のスタイルが開く次元は、通常のハリウッド流のスタ イルが開くものとは異なっている。そのことをカット 51 の検討において明らか にする。 第2項

死の空間の開示

映画冒頭カット 3 でファックスを受信し、モノローグで日記の一部が読まれ る。そのファックスが、盗まれた日記の一部であることは、カット 24 でようや く明らかになる。それに加えて、カット 12 およびカット 30 で、無言電話がか かってくる。カット 51(図 16)で三度無言電話がかかってくるとき、梁静は頭 痛を訴えながら、無言電話に向かって語り始める。その語りが、ある瞬間から、 死んだ阿威への語りへと変化する。 「阿威、もう待たせないで。早く帰ってきて。毎年、お墓へ行っても、何の意味も ない。ねえ阿威、私が引っ越したから、あなたは探せないの? 27 28

もしあなたが死んで

孟洪峰「侯孝賢風格論」、林文淇他編(2000) 孟洪峰「侯孝賢風格論」、林文淇他編(2000) 239


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

なくて、生きて現れても、怒ったりしないから。阿威、好きよ。阿威、ねえ、阿威、 戻ってきて。一緒に遊びに行こう。阿威、私が歌ってあげる。私の歌を聞くの、好き だったでしょう。」

29

無言電話の主は、姿を現さず、声も出さない。電話口にいるはずのその主は、 不在において在る。(梁静が苛立って声を荒げるとき、その不在性が逆に強調 される。)その不在性は、語りの宛先の変化を引き起こす要因の一つである。 語りの宛先が、無言電話の主から死者である阿威に変わるとき、主を残して不 在性のみが自立して現前へと転じる。宛先は死者であるがゆえに限定されない。 死の空間はスクリーンを越えて、観客席をも包んでいる。梁静が、阿威がそこ にいるかのように語り、阿威に対する愛情と配慮に満ちた言葉が観客の情動を 搖さぶるとき、不在の阿威が不在のままに現前し、観客と梁静を包む。 続いて、鍾浩東の遺言がオフで発せられる。(図 17、カット 56) 「碧玉、どうか驚かないでくれ。嘆き悲しむこともない。僕らが今までどうだったか、 君こそわかっているだろうから、ここで多くを語るつもりはない。後のことは、金を かけずに、できるだけ簡素な方法で処理してほしい。君も知っての通り、これといっ たものはないが、多少の品を持ち帰って、形見にでもしてくれ。南部に住む母には、 別に手紙をしたためた。母へも極力、連絡をとってほしい。慰めになるだろうから。 トンの歯が悪いのは、君の血筋かもしれない。なるべく早めに治療したほうがいい。 ミンは可哀想だね。僕のことを知らないままだ。父母にもどうか悲しまないようにと。 弟妹たちには努力を続けてほしい。聡明な資質があるのだから、きっと成功するだろ う。永遠に君を愛し、敬い、君をなつかしみ、幸せを祈る。浩東より。一〇月二日深 夜」

29

30

「我跟你說,我頭好痛……我是拿了錢沒有錯,你在日期上面看到三百萬,都沒有了…… 人家都講,死就死了,錢最好……他死了,我是跟別的男人好,可是你要知道,要是是我 死了,他不會幫我守寡。我跟那麼多男人睡,你以為我很爽嗎……(a)阿威我跟你說你不要 去那麼久,你趕快回來啊。我每年都有去看你,可是有什麼用……阿威我跟你說,我搬家 了,你找不到我……你如果沒死,你出現我不會生氣的……阿威,我很想你。阿威,我跟 你說,阿威,你回來好不好? 我們去玩啊。阿威我唱歌給你聽哦……你以前最喜歡聽我唱 歌對不對……(b)別人的生命,是框金又包銀,我的生命不值錢,別人若開嘴,是金言玉語, 我若是多講話,馬上就出事情……」朱天文(1995:123) 梁静は(a)のところから阿威に 語り始める。(b)から始まる阿威が好きだったという歌は、蔡秋鳳が歌ってヒットした 「金包銀」(蔡振南作曲・作詞)である。 30 「碧玉,請不要驚駭,也不要悲傷……。關於我們的生平,汝知道很多,我不想在這裡 說些什麼……。關於後事,切不可耗費金錢,可用最簡單的方法了決一切。如知道,在這 裡我沒什麼東西,一些用品,我們領回去,一為紀念。南部母親我已另有信給他,我希望 240


鍾浩東の言葉は、梁静の電話が阿威に対してそうであったように、生きてい る者への配慮に満ちている。子どもたちのことについて語る部分は、生きてい る者同士が普通に会話しているようである。その言葉から感じられるのは、死 によっても揺るがない生者(蒋碧玉)との絆である。中でも「永遠に君をなつ かしむ」という言葉が目を引く。なつかしむという行為は、普通、生者が、死 者に対して、その生前を偲んで行うことであろう。ここではなつかしむと言う のは死者の方である。永遠になつかしむことは、死者であればこそ可能なので あろう。生者は死者になつかしまれることにより、その喪失を満たされる。な つかしむ行為は、空しい一方向のものにならずに、双方向の呼応となる。生者 は死者と同じ地に立って、永遠に死者をなつかしむことが出来る。オフで読ま れるそれは、遺言というよりも、死者が、生者に直接語りかけているかのよう な印象を与える。死者の語りは、梁静にとって、無言電話への語りの阿威の応 答となるとき、梁静もまた、阿威のことを永遠になつかしむことができる。 第3項

移動する開かれた共同性~ラストショットの検討

映画の最後のカット 57(図 18)は、映画冒頭のカット 1 と同じ映像である。 そこに描かれているのは、さしあたり、歴史的過去の、大陸に渡って抗日戦線 に参加する鍾浩東と蒋碧玉とその仲間たちの姿である。カット 1 ではモノクロ であったのが、カット 57 ではカラーで映し出される。それは、カット 56 にお ける白黒からカラーへの転換と同様、位相の転換を表している。 画面に、梁静の声で次のナレーション(あるいは、モノローグ)が被さる。 「一月一一日。映画『好男好女』のロケ隊は、広州へ出発し撮影を始めた。撮影は 三ヶ月かかる予定だ。羅湖(ローウー)駅を過ぎると、人、人、人の波。こんな人だか りを、今まで見たことがなかった。出発の前日、蒋碧玉は逝去。享年七四歳だった。 残念なことに、彼女はもう生前に見ることができなくなった、彼女に関するこの映画

汝多給他通訊,多給他安慰。東兒的牙齒不好,恐怕是汝們傳統的缺陷,須及早設法補救。 民兒太可憐了,恐怕他還不認識我。父親,母親,請都不必悲傷。請位弟妹努力求進,以 諸弟妹的聰明天資,必能有所成就。我將永遠敬愛汝,懷念汝,祝福汝。浩東手書。十月 初二深夜。」朱天文(1995:127-128)。この遺言は、実在するもので、田村志津枝(1992:195-6) に全文が訳されている。映画化に際して、若干削除などの編集が加えられているようだ が、大事なところはそのままである。 241


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

『好男好女』を…」31

ナレーションが含む『好男好女』とは、さしあたりは、架空の人物である梁 静が女優として撮影に加わっている「映画中映画」を指す。その意味での『好 男好女』は、題名は同じでも、伊能静が演じ、侯孝賢が監督を務めた観客が見 .. ている『好男好女』とは異なる。しかし、 「彼女(蒋碧玉)に関するこの映画」 が指す「映画」を単なる虚構とみなすことは、映画の実情に合わない。 第一に、蒋碧玉(の死)への言及には、架空の枠を超えた、現実の出来事へ の参照がある。 「映画中映画」が、 「映画」と一致する可能性を示唆する。実際、 「蒋碧玉が残念ながら見られなくなった」のは、観客が見ている映画『好男好 女』ではないか。 ナレーションは、実在の場所への言及(羅湖駅は香港の中国との国境に位置 する駅である。この映画が撮られたのは香港が中国に返還される前である。撮 影隊が国境を越えて行こうとしていることを暗示する。 )も含む。国境を越えて 抗日戦線に赴いた画面上の一行の姿に、架空の「映画中映画」のロケ隊だけで なく、伊能静を含む侯孝賢のロケ隊の姿も重ねられる。 しかし、映画のここまでの流れとのつながりが、虚構性を完全には失わせな い。実在性が暗示されても、伊能静が前面に出てくるわけではなく、ナレーシ ョンは、第一に梁静の声として聞き取られる。ロングショットで捉えられた小 さな人影の中に、それと見分けることは困難であっても、その存在を強く感じ るのは、前の場面で蒋碧玉の場所に身を置いた梁静である。 「映画中映画」の二重性は、梁静を、蒋碧玉を演じながら見る立場に置いて いた。それに対し、ナレーションで、蒋碧玉が「残念なことにもう見ることが できなくなった」と言うとき、蒋碧玉の方が見る側、梁静の方が見られる側に 立ち、関係が逆転している。 W・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』で、天使は死んで「元天使」 として現実に降り立つ。同様に、梁静は、蒋碧玉の場に身を置き、今まで天使 のように一歩退いて外から眺めていた世界を、今や自分のものとして生きる。 世界に対する距離は、もはやない。 31

「一月十一日,「好男好女」電影外景隊,出發到廣東出外景,預計要拍三個月。經過 羅湖車站,滿滿的都是人潮,從來沒有看過那麼多的人。出發前一天,蔣碧玉去世,享年 七十四歲。可惜他不能在生前看到這部關於她的電影,「好男好女」。」朱天文(1995:129) 日本語字幕は最後の部分を「私たちの映画『好男好女』」と訳しているが、原文に忠実 に訳せば、「彼女に関するこの映画『好男好女』」となる。 242


今、カラーで眼前に展開する光景は、今までの「映画中映画」 (虚構)とは異 なる。また、カット 4 や 5 に見られていたような、リハーサルであることを知 らせたり、映画の撮影であることを気づかせたりする装置はもはやない。それ は映画の撮影の現場(現実)とも見られるが、完成した映画(虚構)とも見ら れる。じかに向き合う観客は決定不能な状態に置かれる。梁静が蒋碧玉の立場 に身を置くとも言えるが、蒋碧玉が梁静に乗り移るとも言える。映画は、真実 と虚構の境界を何重にも破壊し、布置を逆転させる。 ... 蒋碧玉は「生前に見ることはできなくなった」が、死者の場所から映画を見 ている。梁静とともに観客は、蒋碧玉の場所、死者の場所に身を置く。眼前の 光景は、死者の場所から、見られ、生きられる。このとき、観客は、天使(死 者)の目を獲得して降り立つ「元天使」としてある。

結び~生死を超える絆 一行は、 「悲哀に満ちた昨日は過ぎ去ろうとしている。明るく笑う明日が私た ちに向かってもうそこまで来ている。だから人々は言う。私たちは泣いている べきではない。さあ歌を歌おう。」という歌詞の歌32を口ずさんでいる。悲しみ を含んだ短調のメロディ。歌を共に歌うことは、第一に悲しみを共にすること である。悲しみは、そのようにして歌に歌われ、共有されることにより、歩み を支える絆へと変容する。 歌を歌いながら歩む一行の姿は、軍隊の行軍とも異なり規律を少しも伺わせ ず、それが(映画の内容とも対応して)志を共にし、ある絆に結ばれた集団で あることを表現している。一行は、無論、目的地を目指しているのであろうが、 ここではキネーシスよりもエネルゲイアの側面が際立っている33。 映像には、場所を示す明確な指標がない。時代を明確に示すものもない。ロ ングショットで撮られているために、人物も特定できない。そのように匿名的 であることは、しかし、その映像が意味するところが乏しいことを意味しない。

32

「當悲哀的昨日將要死去,歡笑的明天已向我們走來,而人們說,我們不應該哭泣,我 們為什麼不歌唱。」抗日戦で歌われたこの歌の歌詞が、カット1では字幕表示される。 この詩は、力揚(1908-64)という抗日詩人の詩である。『力扬集』(2008:86)のテキス トには、映画の字幕と合わない箇所があるが、テキストの方の誤りだと思われる。 33 藤沢令夫(1980)第七章「現実活動態」を参照。 243


第9章

侯孝賢の映画を観ることの意味

かえって規定を逃れることによって、映像は豊饒さを獲得する。そこには、蓮 實重彦の言葉を借りれば「寡黙なイマージュの雄弁さ」34がある。 いつともどことも知れぬ時空を行く、歌い、歩み、移動することにおいて絆 を共にする匿名の一行は、鏡のように、様々なもの映し出す可能性を持つ。様々 な解釈を可能にするとともに、規定を逃れ、映像は、映画という虚構の枠を超 える。 映画の最後を飾るショットは、絆で結ばれた一行を描く。そこから振り返っ てみれば、この映画では、様々な絆が描かれていた。梁静と阿威の絆。阿威の 死によって途絶されていたその絆は、蒋碧玉を演じることを通じて再び取り戻 される。梁静は死んだ阿威に向かって語り、鐘洪東の遺言を死者からの応答と して受け止める。それが可能であったのは、鐘洪東と蒋碧玉の絆が生死を超え たものであったからである。 映画の最後を飾るショットが描く一行の姿が象徴するものは、この絆にほか ならない。「鍾浩東、蒋碧玉、及び、五〇年代の政治受難者」35に捧げられたこ の映画の政治的思想性は、この地平から読み取られなければならない。その絆 は、権力や軍政に対する抵抗の原像である。侯の映画は、その絆を観客にも開 く力を有している。

34 35

244

蓮実重彦(2006) 「謹以此片,獻給,鍾浩東,蔣碧玉,以及,五〇年代政治受難人」


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参考文献

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ふたつのドキュメンタリーからの採録・抜粋」(1989)、訳・

構成=坂村由紀子、鴻英良、樋口泰人、『タルコフスキー At ワーク』 pp.125-67 『タルコフスキー At ワーク』(1989)、責任編集樋口泰人、監修鴻英良、芳賀 書店 『タルコフスキー・ファイル』 (1989) (上映パンフレット) 、ケイブルホーグ 『WAVE 26

タルコフスキー』 (1990)東京:WAVE

「 『鏡』シナリオ」 (1994)宮澤淳一訳、馬場広信採録、 『 『鏡』の本』所収 『アンドレイ・タルコフスキイ『鏡』の本』 (1994)、馬場広信監修、宮澤淳一・ 馬場広信訳、リブロポート( 『 『鏡』の本』と略記) 塔可夫斯其 (2003)『雕刻时光』陈丽贵,李泳泉译,人民文学出版社(ドイツ 語版(Tarkovskij, 2009, 初版 1985)からの翻訳) 塔可夫斯其 (2007)『时光中的时光 塔可夫斯其日记 1970-1986』周成林译,广 西师范大学出版社(英語版(Tarkovsky, 1994b)からの翻訳。 ) 2、その他の参考文献 『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫 アウレーリウス, マルクス(1956) 青木孝夫編(1998) 『演劇と映画』晃洋書房 赤羽研三(1998) 『言葉と意味を考える[I] 』夏目書房 秋山さと子(1998-2001) 「円」 『世界大百科事典』平凡社 浅沼圭司(1982) 「映画の基本的意味構造」 、 『映画理論集成』フィルムアート社 有賀鉄太郎(1969) 『キリスト教思想における存在論の問題』創文社 アレクサンデル, レイラ(1990)「アンドレイ・タルコフスキーの隠れた手法」、 扇千恵訳、 『WAVE 26』所収 安西信一(2000) 『イギリス風景式庭園の美学』東京大学出版会 安西徹雄(1988) 『この世界という巨きな舞台』筑摩書房 安西徹雄(2004) 『彼方からの声――演劇・祭祀・宇宙』筑摩書房 イーザー, W(1998) 『行為としての読書』轡田収訳、岩波書店 イヴァノフ、ロトマン他(1984) 『ロシア・アヴァンギャルドを読む』桑野隆編 251


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人名一覧

人名一覧 アイトマートフ, チンギス(Чыңгыз Айтматов, 1928-2008) アウレーリウス, マルクス(Marcus Aurelius Antoninus, 121-180) アタナシオス(Athanasios, 295 頃-373) アントニウス(Antonios, 251 頃-356) アントニオーニ, ミケランジェロ(Michelangelo Antonioni(1912-2007) アルテミエフ, エドゥアルド(Эдуард Артемьев, 1937-) イオセリアーニ, オタル(Отар Иоселиани, 1934-) イプセン, ヘンリック(Henrik Ibsen, 1828-1906) イワーノフ, ヴャチェスラフ(Вячеслав Иванович Иванов, 1866-1949) イーザー, ヴォルフガング(Wolfgang Iser, 1926-2007) ヴァレリー, ポール(Paul Valery, 1871-1945) ウェア, ティモシー(Timothy Ware, 1934-) ヴェルディ, ジュゼッペ(Giuseppe Verdi, 1813-1901) ヴェンダース, ヴィム(Wim Wenders, 1945-) ヴィリリオ, ポール(Paul Virilio, 1932-) ヴォイツィク, イェジー(Jerzy Wojcik, 1916-2004) ヴォラギネ, ヤコブス・デ(Jacobus de Voragine, 1230-98) オービエ, パスカル(Pascal Aubier, 1943-) オフチンニコフ, フセヴォロド(Всеволод Овчинников, 1926-) オガネシャン, バグラート(Баграт Оганесян, 1929-1990) ロバート・オルドリッチ(Robert Aldrich, 1918-83) ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes, 1929-89) カミュ, アルベール(Albert Camus, 1913-60) ガダマー, ハンス=ゲオルグ(Hans-Georg Gadamer, 1900-2002) グエッラ, トニーノ(Tonino Guerra, 1920-) クニャジンスキー, アレクサンドル(Александр Княжинский, 1936-96) 黒澤明(1910-1998) 黒沢清(1955-) ゲルマン, アレクセイ ユリエヴィッチ(Алексей Юрьевич Герман, 1938-) ゴードン, アレクサンドル(Александр Гордон, 1931-) 266


コジンツェフ, グレゴリー(Григорий Козинцев, 1905-73) ゴダール, ジャン=リュック(Jean-Luc Godard, 1930-) コチャリャン, レオン(Леон Кочарян, 1930-1970) ゴッホ, ヴィンセント・ファン(Vincent Van Gogh, 1853-1890) ゴレンシュテイン, フリードリヒ(Фридрих Горенштейн, Friedrich Gorenstein, 1932-2002) コンチャロフスキー, アンドレイ(・ミハルコフ) (Андрeй Михалкoв Кончалoвский, 1937-) サビトフ, ザギト(Загид Сабитов, 1909-1982) シエナの聖カタリナ(Santa Caterina de Siena, 1347-80) シュタイナー, ルドルフ(Rudolf Steiner, 1861-1925) シェイクスピア, ウィリアム(William Shakespeare, 1564?-1616) シェーラー, マックス(Max Scheler, 1874-1928) シモノフ, コンスタンチン(Константина Симонов, 1915-79) 朱天文(1956-) スールコワ, オリガ(Ольга Суркова, 1961-) ストルガツキー兄弟(Брaтья Стругaцкие, Аркадий,1925-1991, Борис, 1933-) スピルバーグ, スティーヴン(Steven Spielberg, 1946-) セネカ(Seneca, B.C.1 頃-65 年) セルゲエヴァ, オリガ(Ольга Сергеева, 1922 - 2002) ソクーロフ, アレクサンデル(Александр Николаевич Сокуров, 1951-) ソロニーツィン, アナトリー(Анатолий Солоницын, 1934-82) ソンタグ, スーザン(Susan Sontag, 1933-2004) タルコフスキー, アルセーニ(Арсений Александрович Тарковский, 1907-1989) タルコフスキー, アンドレイ(Андрей Арсеньевич Тарковский, 1932-1986) ダ・ヴィンチ, レオナルド(Leonardo da Vinci, 1452-1519) ダンテ(Dante Alighieri, 1265-1321) チェーホフ, アントン(Антон Павлович Чехов, 1860-1904) チュッチェフ, ヒョードル(Фёдор Иванович Тютчев, 1803-1873) デーブリーン, アルフレート(Alfred Döblin, 1878-1957) デュフレンヌ, ミケル(Mikel Dufrenne, 1910-1945) ドストエフスキー, フォードル(Фёдор Михaйлович Достоeвский, 1821-1881) 267


人名一覧

トルストイ, レフ(Лев Николаевич Толстой, 1828-1910) ナンシー, ジャン=リュック(Jean=Luc Nancy, 1940-) ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900) ニクヴィスト, スヴェン(Sven Nykvist, 1922-2006) バッハ, ヨハン・セバスチャン(Johann Sebastian Bach, 1685-1750) ハムラーエフ, アリ(Али Хамраев, 1937-) バラージュ, ベラ(Balázs Béla, 1884–1949) パラジャーノフ, セルゲイ(Сергей Параджанов, 1924-1990) バリーヴォ, ドナテッラ(Donatella Baglivo, 1946-) パンチェンコ, A・M(Александр Михаилович Панченко, 1937-2002) バシュラール, ガストン(Gaston Bachelard, 1884-1962) パーマー, サミュエル・ (Samuel Palmer, 1805-1881) ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1415-1492) ヒエロニムス(390-420) ピカンダー(Picander、本名クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ Christian Friedrich Henrici (1700-64) フーコー, ミシェル(Michel Foucault, 1926-1984) フェリーニ, フェデリコ(Federico Fellini, 1920-93) フェドートフ, G(Georgy Fedotov, 1886-1951) プーシキン, アレクサンドル(Александр Сергеевич Пушкин, 1799-1837) フォークナー, ウィリアム(William Faulkner, 1897-1962) フッサール, エドムント(Edmund Husserl, 1859-1938) フツイエフ, マルレン(Марлен Хуциев, 1925-) プラトン(Platon, B.C.427-247) ブランショ, モーリス(Maurice Blanchot, 1907-2003) フリードリヒ, C.D(Casper David Friedrich) ブリューゲル(父), ピーテル(Pieter Bruegel de Oude, 1525?-1569) ブルガーコフ, ミハイル(Михаил Афанасьевич Булгаков, 1891-1940) プルースト, マルセル(Marcel Proust, 1871-1922) フローベール, ギュスターヴ(Gustave Flaubert, 1821-1880) フロレンスキー, パーヴェル(Пaвел Алексaндрович Флорeнский, 1882-1937) ペイン, ロバート(Robert Payne, ) 268


ベガン, アルベール(Albert Béguin, 1901-1957) ベケット, サミュエル(Samuel Beckett, 1906-1989) ベーム, ゴットフリート(Gottfried Böhm, 1942-) ヘッセ, ヘルマン(Hermann Hesse, 1877-1962) ベリャーエフ, アレクサンドル(Алексaндр Беляeв, 1884-1942) ベルイマン, イングマル(Ingmar Bergman, 1918-2007) ベルクソン, アンリ(Henri Bergson, 1859-1941) ベレゾフスキー, マクシム(Максим Созонтович Березовский, 1745-77) ベロッキオ, マルコ(Marco Bellocchio, 1939-) ベンサム, ジェレミー・ (Jeremy Bentham, 1748-1832) ベンヤミン, ワルター(Walter Benjamin, 1892-1940) 侯孝賢(1947-) ボゴモーロフ, ウラジーミル(Владимир Богомолов, 1926-) ボス, ヒエロニムス(Hieronymus Bosch, 1450 頃-1516) ホフマン, E・T・A(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776-1822) ボニゼール, パスカル(Pascal Bonitzer, 1946-) ボルマン, マルティン(Martin Bormann, 1900-45) マルケル, クリス(Chris Marker, 1921-) マン, トーマス(Thomas Mann, 1975-1955) ミシャリン, アレクサンドル(Александр Мишарин, 1939-2008) メルロ=ポンティ, モーリス(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961) ヤウス, ハンス・ロベルト(Hans Robert Jauß, 1921-1997) ユーソフ, ワジム(Вадим Юсов, 1929-) ヨルゲンセン, ヨハンネス(Johannes Joergensen, 1866-1956) ランチ, ジュゼッペ(Giuseppe Lanci, 1942-) リルケ, ライナー・マリア(Rainer Maria Rilke, 1875-1926) ルドゥー, クロード=ニコラ(Claude Nicolas Ledoux, 1736-1806) ルブリョフ, アンドレイ(Андрей Рублев, 1370(60?)-1430) ルルカー, マンフレート(Manfred Lurker, 1928-1990) レム, スタニスラフ(Stanisław Lem, 1921-2006) レシチロフスキー, ミハウ(Michal Leszczylowski, 1950-) レスコフ, ニコライ(Николай Семёнович Лесков, 1831-1895) 269


人名一覧

レールベルグ, ゲオルギー(Георгий Рерберг, 1937-99) ロセ, クレマン(Clément Rosset, 1939-) ロプシャンスキー, コンスタンチン(Константин Сергеевич Лопушанский, 1947-) ロージ, フランチェスコ(Francesco Rosi, 1922-) ローゼンブラム, ロバート(Robert Rosenblum, 1927-2006) ワイダ, アンジェイ(Andrzej Wajda, 1926-) ワーグナー, リヒャルト(Richard Wagner, 1813-83)

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著者略歴 1967 年生まれ。日本広島大学大学院修士課程修了、同博士後期課程単位取得後退学 現在、台湾台南市在住、興國管理學院應用日本語学科専任講師 主要論文「現代日本映画に見られる即興と共感の技法」(『日本・現代性與異文化理 解』)、 「『日本/東洋』の受容のかたち」 (『台灣日語教育學報』第 15 号)、共訳書『フ ィルム・スタディーズ事典』(フィルムアート社、杉野健太郎・中村裕英監修)

〈死〉への/からの転回としての映画 ―アンドレイ・タルコフスキーの後期作品を中心に― ISBN 978-957-786-599-1 ------------------------------------------------------------著 作 者 亀井克朗 Print in Taiwan, 2011 發 行 人 艾天喜 發 行 所 致良出版社有限公司 地 址 台 北 市 南 京 西 路 12 巷 9 號 5 樓 門 市 台 北 市 南 京 西 路 12 巷 19 號 1 樓 電 話 (02)25710558・ 25432682 傳 真 (02)25231891 E - m a i l jlbooks@jlbooks.com.tw 網 址 http://www.jlbooks.com.tw 郵撥帳號 1076715-5 戶名:致良出版社 (郵 政 劃 撥 單 次 未 滿 1000 元 者 請 加 處 理 費 80 元 ) 出版登記 局 版 台 業 第 3641 號 印 刷 所 上大聯合力可印印務中心 初版一刷 中 華 民 國 100 年 4 月 20 日 法律顧問 陳培豪律師 定 價 / 240 元 ------------------------------------------------------------・版權所有・翻印必究・



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