ぼ ん く ら
だ よ り 凡苦楽
花と会話 【 フリージア 】
朝のお茶を保温カップに入れ、裏庭に行くの が私の日課。引退生活だからできることだ が、これが私の至極時。
花と話す時間は、気持ちを落ち着かせ、今日 の1日のプランを立てる時でもある。
ほとんど黙しての会話だが、時には「やあ、 よく咲いてるネ」とか「ずいぶん元気イイ じゃん」などと口から出ることもある。こと に雨あがりのロスの陽が眩しく当たり、露が 花にも葉っぱにも乗っている姿は魅力的だ。
柔らかい薄い花弁だが、チョッとうなだれな がらも懸命に生きようとしている。この姿に 私はいつも感動する。「強いねえ。立派!」
と時には声に出して話しかける。そうする と、なんだか花も頑張ってくれるような気が するからだ。ところが、この露は雨上がりの ロスの強い陽射しと乾燥した気候で、アッと 言う間に消え、花は凛として前向きに私を見 る。「今日1日元気に咲けよ。いい匂いを嗅 がしてね。私は…これから、朝ごはん!」そ う言って部屋に戻る。
今日1日だけ咲いて、
明日は萎んで死んで行く命。
甘い匂いと、春の雨と、朝の光。
静かな裏庭での私の充足した時間が流れる。
石口 玲
石口 玲(いしぐち れい) 東京都出身。「浪漫川柳」代 表。写真家。東京写真短期大学 (現・東京工芸大学)卒。1978 年渡米。現在カリフォルニア州 ロサンゼルス在。著書に「女70 歳のアメリカ一人旅」新葉館出 版がある。
あなたの血液は何型?
A型:紀元前2万5000年から1万5000年ごろの農耕 や牧畜が始まった時期に誕生。先祖が農耕民族なので肉類 を消化することが苦手。また、毎日のやるべき作業が決まって おり、その影響できっちりとした性格の人が多いと言われている。
B型:紀元前1万5000年ごろにヒマラヤで遊牧民が現れた時期に 誕生。B型は好奇心が旺盛と言われるが、裏を返せば本能に正直で 個性的な人が多い。遊牧民を祖先にもつため、新しい領土を広げ る開拓者の素質を持ち、自由でのびのびと暮らす特徴がある。
O型:4つの血液型の中で最古の歴史をもつ。紀元前4万年頃に 誕生したアフリカの狩猟民族のクロマニョン人はすべてO型。狩猟 民族を祖先にもつため、肉や魚の消化に優れ、逆に穀物や乳製品は 苦手とする特徴がある。O型の人は、おおらかで大雑把と言われる ことが多いが、グループで活動するときは強烈な存在感を発揮する ことが多い。
AB型:AB型は世界で最も少ない血液型。4つの血液型の中で 一番新しく、1000~2000年ほどの歴史しかない。AB型はA型とB型両 方の特徴を持っており、二面性をもつ人が多いと言われている。ま た先読み思考が優れており、1つの問題に対して10の理解を導き出 すと言われている。
皆様からのお便りをお待ちしてます。「温故知 新」の感想もお寄せください。●おすすめレシ ピ●おすすめ映画●感動したことなどを御紹 介していきたいと思います。 但し、文章を編集 させていただく場合もございますので、ご了承 願います。
お笑いを一席
昭和の爆笑王こと、先 代林家三平師匠。死の 床にあった病院で「も しもし! 聞こえます
か? お名前を言って下さい!」と 意識の確認をされた三平師匠。もう ろうとしながら、こう口にしたそう です。
「か、か……加山、雄三です」
立川談笑、らくご「虎の穴」より マグナス健康ニュースより
リンゴの皮クイズ
リンゴの皮を上から下まで切らずにむきまし た。そして、むいた皮ををテーブルの上に置 きました。皮はどのようになっているでしょ う?❶、❷、❸ の中から選んでください。
正解はP.25にあります。
我が家のアゲハ蝶
若尾龍彦
我が家の柚子の鉢にアゲハが卵を産み付 けました。妻がどうしてもと言って鉢を 室内に移し、段ボール箱で囲って育てました。5月11日に青虫が育ち、 次々に箱から外へ這い出て蛹になる場所を探します。5月23日、カーテ ンとガラス窓の間にアゲハ蝶がい ました。羽化したのです。過去の 経験から、蛹になって10日か11 日くらいで羽化します。壁の上、 キャスターの車輪、室内ドアの後 ろ、ゴミ箱の後ろ、カーテンの上 部、等々。これから、順に羽化し ていくでしょう。
栄養素 って なに?
栄養素のバランスが崩れるとカラダは代謝が正常に行われな くなり、生活習慣病の症状が現れてきます。つまり、栄養素 の摂取が乱れる(食生活が乱れる)ということは、カラダの バランスを崩し不調になるということです。ですから、健康 を維持する上でバランスの良い食事はとても大切なのです。
栄養素はその働きによって、大きく3つにわけられます
タンパク質は身体のすべての部 分をつくることに関係しています。 食事から摂ったタンパク質はアミ ノ酸に分解されて、筋肉、皮膚、 毛髪、臓器、神経などの成分や、 酵素、ホルモンなどの材料となり、 その働きに必要なタンパク質に再 合成されます。自然界には多くの アミノ酸が存在していますが、体 の材料となるアミノ酸は20種類。 この20種類のアミノ酸がそれぞ れの目的にあわせて数十~数百 個以上結合し、約10万種類のタ ンパク質に形を変えます。筋肉や 肌、髪が同じタンパク質からでき ているのに形が異なるのは、アミ ノ酸の組み合わせが異なるから です。
食物繊維
エネルギーになる
糖質:食事から摂取するエネル ギーの約60%が糖質(炭水化 物)だといわれています。但し、 過剰に摂ると使われない分は脂 肪に変わり、肝臓や脂肪細胞に 蓄えられますから、摂り過ぎは禁 物です。糖質の中でもブドウ糖 は代表的な脳のエネルギー源で す。
脂質:脂質は、少量でも効率の よいエネルギー源です。細胞膜 などの原料も脂質です。しかし、 摂り過ぎてしまった脂質は中性 脂肪として脂肪細胞に貯蔵され ます。
【注】糖質や脂質の摂り過ぎに よって肥満や糖尿病などのリス クが高まりますから、適度な運動 でカロリーを消費しましょう。
食物繊維は第六の栄養素とも呼ばれるほど、注目される ようになりました。おなかの善玉菌を増やし腸内細菌のバ ランスを整えるなど身体に有益な成分です。大腸がんの発生率を低下させ るほか、肥満予防、血圧の低下にも有効です。近年の食生活で不足しがち であることが指摘されていますから、積極的に摂りましょう。
ビタミン:糖質、脂質、たんぱ く質の代謝を助け、生命を維持 するための生理作用に不可欠な 栄養素です。ビタミンには脂溶 性ビタミンと水溶性ビタミンの2 種類があり、脂溶性ビタミンは脂 質と一緒に体内に貯蔵すること ができますが、水溶性ビタミンは 体内に貯蔵できる日数が少な いため、こまめに摂取することが 必要です。
特に、ビタミンB群、 C、Eは不足しがちなので、積極 的に補いましょう。
ミネラル
: 体温調節や体内 で必要な物質をつくったり、神 経の働きに関わるなど、身体 の状態を一定に保つためには 大事な栄養素です。また、骨や 歯の材料にもなります。体内で つくることができない物質なの で、食事からとり入れなければ なりません。
【 ケロッコ栽培 】 2020年11月、NHK 番組のプロフェッショナ ルの撮影部隊が群馬県伊勢崎市に撮影にきたのをきっ かけに「ケロッコ」栽培が始まりました。番組では営 農型ソーラーパネルの下で無農薬栽培の明日葉を生産 する農家への取材でしたが、撮影後に小堀夏佳さん (自称、愛の野菜伝道師)と雑談していた時に、小堀 さんより「ケロッコ」という新しい野菜を栽培してみ ませんか?と言われたことがきっかけです。“「ケ ロッコ」は、ケールとブロッコリーを掛け合わせた新 しい野菜で、栄養価も高くケールの苦味がなく、ブ ロッコリーよりも収穫量が多いため、農家さんも収入 が増えるので、是非普及させてください”と熱心に説 明され、私は本当に美味しければ 栽培してもいいですよと軽い気持 ちでお答えし、試しに1000粒 を播種して栽培してみました。先 ず感じたのは、無農薬で簡単に栽 培ができる作物だということで す。
左の写真の野菜はケールとブロッコリーを掛け合 わせてできた「ケロッコ」という品種です。 花蕾と 若い葉を食べる新しい野菜で、ケールとブロッコ リーの美味しいとこどりをしました。ケールとブ ロッコリーの掛け合わせた品種には「アレッタ (2011年に品種登録」と呼ばれるものと「ケロッコ (住化農業資材が開発) 」と呼ばれるものがありま す。アレッタとケロッコとでは掛けあわせの元とな るケールとブロッコリーの品種が違い、見かけは似 ていても、同じものではありません。
も美味しいです。
【 ケロッコの青汁 】 ケロッコが成長していくと、 ケールのような大きな葉が株 元につき、2週間位で枯れて いくのですが、その枯れてい く葉が大量にあるため、廃棄 するには勿体無いという思い から、数百キロを試験的に乾 燥してみました。枯れる前に 刈り入れて洗浄し細切にしま す。それを低温乾燥して乾燥 チップを仕上げました。色合 いはとても綺麗なグリーン で、食べてみると甘くて美味 しい。これは新しい青汁の原料として供給できると 確信しました。今後、安全性を数値化してケロッコ の青汁の普及生産に尽力していこうと思います。
有限会社自然植物研究所 村岡畿士郎
【 道の駅で大好評 】 収穫後、近くの道の駅で販売した のですが、これが大好評で平日で も午前中で完売となり、土日祝日 は、朝の出荷だけではなく、追加 で午後も出荷しなければならない 程でした。幸い、開発メーカーさ んからの協力もあり、ケロッコの キャラクターシールと食べ方の小 冊子を支給して頂き売り場でも目立つ存在でした。味 は思った以上に甘く、スムージーやサラダとしても美 味しく食べられ、ベーコンと炒めたり、天ぷらにして
村岡さんのご協力のもと、ケロッコの乾燥パウ ダーに乳酸菌を加えた美味しい青汁が出来まし た。ウェルネス ハウスのオリジナル青汁パウ ダーです。名前は『フレッシュ・グリーン』。 1包づつにパックしてありますので、どこでも気 軽に召し上がれます。この『フレッシュ・グリー ン』を「温故知新」発刊記念として読者の皆様に プレゼントします。詳細はP.25をご覧ください。
間 、 認 知 症 の 奥 方 の ケ ア を
生 は 七 五 歳 で 引 退 し て か ら 料 理 を 習 い 、 九 三 歳 で 天 命 を 全 う す る ま で の 十 八
入江健二 (いりえ けんじ)
1940年、東京生まれ。
60年、東京大学入学。
国立がんセンター、都 立大久保病院を経て、
71年渡米。UCLAで癌を 研究。73年、日系一世
対象の「健康相談室」開設。 年、リト ル東京で診療所を開業。
ク で 柔 道 が 競 技 の つ に な っ た こ と も あ っ て 欧 州 で も 柔 道 が 若 者 た ち の 憧 れ に な っ て い た 。 現 在 の ア ニ メ ブ ー ム と 同 じ で あ る 。 黒 帯 を 目 に し た 二 人 の 若 者 の 態 度 が 急 変 し た 。 大 学 で 柔 道 部 の 主 将 を 務 め て い た 田 野 瀬 は バ ッ ク パ ッ ク に 柔 道 着 を 詰 め 込 み 、 訪 れ た 国 々 で 地 元 の 柔 道 場 で 道 場 破 り し た り 指 導 し た り し た 。 当 時 は 欧 州 で は 白 、 赤 、 黄 、 茶 色 が 殆 ど で 黒 帯 は 憧 れ と 敬 意 の 対 象 だ っ た 。 日 本 の お 家 芸 で あ る 柔 道 の お 陰 で 命 を 救 わ れ た 。 二 人 の ド イ ツ 人 の 若 者 は 黒 帯 を 見 る と 、 「 申 し 訳 な か っ た 」 と 平 謝 り に 謝 り 、 去 っ て い っ た 。 そ れ 以 外 に も ゲ イ の 男 性 に 襲 わ れ た り 、 イ ラ ン の 首 都 テ ヘ ラ ン
目 だ っ た 。 世 界 中 の 人 々 が 日 本 に 関 心 を 持 ち 、 注 目 し て い た 。 日
治 家 に な る 夢 だ っ た 。 そ し て 、 彼 は 「 鳥 の 目 ・ 虫 の 目 」 を 持 っ た 市 会 議 員 、 県 会 議 員 、 国 会 議 員 と し て 夢 を 実 現 し て 行 っ た 。 【 参 考 文 献 】 「 田 舎 に 帰 っ た 青 年 が 三 バ ン ( 地 盤 ・ 看 板 ・ 鞄 ) も な く 国 会 議 員 に な っ た 話 」 主 婦 の 友 社 。 「 な ぜ 田 舎 の 無 名 高 校 が 東 大 、 京 大 合 格 ト ッ プ 進 学 校 に な れ た の か ‐西 大 和 学 園 の 躍 進 ‐」 主 婦 の 友 社 。
本 を も っ と 良 い 国 に す る よ う な 仕 事 を し た い 。 ど ん な 仕 事 が 良 い だ ろ う 」 と 痛 烈 に 思 っ た 。 そ の 答 え と し て 生 ま れ た の
い 点 が あ る 。
あるバックパッカーの夢
「田野瀬 良太郎」
鶴亀 彰
「 鳥 の 目 ・ 虫 の 目 」 と い う 言 葉 が あ る 。 「 鳥 の 目 」 は 対 象 か ら 少 し 離 れ て 俯 瞰 的 に 全 体 像 を 見 、 「 虫 の 目 」 は 対 象 の 中 に 入 り 込 み 、 詳 細 に 分 析 的 に 見 る こ と を 意 味 す る 。 2 4 歳 の 田 野 瀬 良 太 郎 が 1 9 6 8 年 6 月 、 横 浜 港 か ら 世 界 周 の 貧 乏 旅 行 に 一 歩 踏 み 出 し た 時 、 彼 は そ の 旅 が 母 国 日 本 を 俯 瞰 的 に 見 て 将 来 の 自 分 の 夢 を は っ き
9 6 4 年 の 東 京 オ リ ン ピ ッ ク で あ る 。 こ の 年 に 海 外 渡 航 の 自 由 化 も 始 ま り 、 般 の 日 本 人 で も 海 外 を 訪 れ る こ と が 可 能 に な っ た 。 そ れ ま で は 貴 重 な 外 貨 は 産 業 発 展 に 必 要 な 石 油 購 入 代 金 の 支 払 い 等 に 使 わ れ 、 国 外 へ の 旅 行 は 政 治 家 か 官 僚 、 そ し て 商 用 か 留 学 に の み に 外 貨 使 用 が 許 可 さ れ た 。 個 人 の 趣 味 や 楽 し み の た め の 観 光 旅 行 に は 回 さ れ な か っ た 。 小 田 実 ( お だ ・ ま こ と 1 9 3 2 年 ~ 2 0 0 7 年 ) や 小 澤 征 爾 ( お ざ わ ・ せ い じ 1 9 3 5 年 ~ 2 0 2 4 年 ) な ど の 留 学 生 は
国
米 国 に 渡 っ た 。 1 9 5 9 年 、 2 3 歳 の 小 澤 征 爾 は 貨 物 船 に ス ク ー タ ー を 積 み 込 み 欧 州 に 向 か っ た 。 小 田 は 米 国 で の 留 学 を 終 え た 後 、 欧 州 ・ ア ジ ア 経 由 の 日 本 帰
学 生 と し
日 銀 申 請 に よ る 外 貨 取 得 が 許 さ れ 、 海 を 渡 っ た 。 1 9 5 8 年 、 2 6 歳 の 小 田 実 は フ ル ブ ラ イ ト
航 空 券 枚 と わ ず か 2 0 0 ド ル の 現 金 を 持 ち 、 2 2 ヶ 国 の 貧 乏 旅 行 に 旅 立 っ た 。 そ の 体 験 を 綴 っ た 「 何 で も み て や ろ う 」 と い う 河 出 書 房 新 社 か ら 1 9 6 1 年 に 発 刊 さ れ た 本 が 日 本 の 若 者 の 海 外 旅 行 熱 に 火 を 点 け た 。 ま た 小 澤 は フ ラ ン ス の ブ ザ ン ソ ン 国 際 指 揮 者 コ ン ク ー ル で 優 勝 し 、 カ ラ ヤ ン や バ ー ン ス タ イ ン の 目 に 留 ま り 、 世 界 的 な 指 揮 者 に 育 っ て い っ た 。 こ れ ら の 先 輩 た ち の 活 躍 を 見 て 、 そ れ に 続 く 若 者 た ち が 続 出 し た 。 田 野 瀬 良 太 郎 も そ の 人 だ っ た 。
www.doctor-senryu.com/10_ryutube/ryutube.htm
RYUTUBEというシリーズでは尾藤川柳先生が「川柳」を判 りやすく基本からお伝えしているだけでなく、川柳をより 深く知るために江戸文化を学ぶこともでき、大変勉強にな ります。歌い手、MC、バイク乗りの池の本和美さんがご 案内役です。とても楽しく川柳を学ぶことができますの で、ぜひ一度ご覧ください。
パソコンで観る場合は と入力して ください。
か ら 蛍 雪 の 灯 か り で 孔 子 や
せ ま し
。 す る と 、 母 が 「 き っ と あ ん た 何 時 か 後 悔 す る わ よ 。 孝 行 を し た い 時 分 に 親 は な し … て い う で し ょ 」 と 、 捨
そ ぶ り を
尾 藤 川 柳
尾藤川柳(びとうせんりゅう) 16代目桜木庵尾藤川柳 女子美術大学特別招聘教授、 早稲田大学エクステンション センター川柳講座講師、川柳 学会専務理事、「川柳はいふ う」主宰。 編著書に『川柳総 合大事典』『目で識る川柳250 年』『川柳のたのしみ』『鶴 彬の川柳と叫び』他、テキス トに『川柳染筆講座』『川柳 篆刻講座』『川柳入門』『短 冊の書き方と鑑賞』他。
中学生の皆さん❕
宮沢賢治の『雨にも負けず」を読んで、感想文を送っ てください。その中から10名様を山梨県北杜市の「ウェルネスハウ ス・マグナス」の「青少年交流会2025」にご招待いたします。詳 細は「温故知新1号」に掲載いたします。
■宮沢賢治(みやざわけんじ)は 1896年(明治29年)8月27日、稗貫 郡花巻川口町(現花巻市豊沢町) にて質・古着商を営む宮沢政次郎 とイチの長男として生まれまし た。 詩人、童話作家、教師、科学 者、宗教家など多彩な顔を持つ一 方、1926年(大正15年)には農民 の生活向上を目指して農業指導を 実践するために羅須地人協会を設 立。多方面で活動を行いますが、無理がたたり病に倒 れ、1933年(昭和8年)9月21日、37歳の若さでこの世を 去りました。生涯で多くの短歌や詩、童話などの作品を 遺しており、現在では国内、国外を問わず親しまれてい ますが、生前に刊行された著書は『春と修羅』と『注文 の多い料理店』の2冊だけでした。
■『雨ニモマケズ』(あめニモマケズ)は、宮沢 賢治の没後に発見された遺作のメモです。一般には 詩として広く知られており、賢治の代表作のひとつ ともされています。原文は「雨ニモマケズ/風ニモ マケズ」より始まり、 「サウイフモノニ/ワ タシハナリタイ」で終 わる漢字交じりのカタ カナ書きです。対句の ような表現が全編にわ たって用いられ、最後 の文になるまで主語 (私)が明かされていません。
■宮沢賢治の代表作:『銀河鉄道の夜』『風の又 三郎』『ポラーノの広場』『注文の多い料理店』 『どんぐりと山猫』『よだかの星』『雪渡り』『や まなし』『セロひきのゴーシュ』他多数。
参考文献:宮沢賢治『ウィキペディア(Wikipedia)』
花巻市のホームページ:https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/about_kenji/index.html
は 、 と ん で も な い 発 想 か ら 生 ま れ る も の だ 。 人 と 議 論 を 交 わ せ ば 、 従 来 に は 思 い つ か な か っ た 発 想 が 生 ま れ る 。 問 題 を 多 角 的 に 考
若 尾 龍 彦
う な も
!
若尾龍彦(わかお たつひこ) 松山商科大学卒。
1981年、渡米。
1991年、Wakao & Associates, Inc. を設立。海外有権 者ネットワーク事 務局長を歴任し、 在外投票制度を実現。南加日系 商工会議所の会頭をはじめ諸団 体の役員を務めた後、2009年に 帰国。現在、「海外有権者ネッ トワーク・日本」代表として、 在外投票を促進する議員連盟」 との窓口を務めている。
で す 。
の
て 継 続 」 す る の が 簡 単 で は な く 、 時 に 言 い 争 い や 、 分 断 や 紛 争 を 起 こ し 、 「 幸 せ 」 を 感 じ に く い と 感 じ 続 け て き た の で は 。
し
し
術 に
き
続 け て 、 現 代 に 至 っ た の か も し れ ま せ ん 。 こ こ か ら 得 ら れ る “ 気 づ き ” は 、 人 は 「 自 分 た ち こ そ 正 し い 」 と い う 偏 見 に い か に 囚 わ れ 、 自 己 中 心 に な り が ち な 生 き 物 で あ る か 、 と い う こ と で す 。 「 今 の 自 分 た ち の 方 が 、 よ り 正 し い 答 え が 見 つ け ら れ る 」 と 自 己 中 心 的 に 囚 わ れ た か ら こ そ 、 過 去 の 人 た ち の 教 え を 信 じ ず に 、 新 た な 答 え を さ が し 続 け て し ま っ て い た 。 答 え は 、 ど れ も 同 じ よ う な も の だ っ た に も 関 わ ら ず 。 し か も 、 そ の “ 答 え ” の 内 容 は 「 自 分 ば か り に 囚 わ れ ず 」 と い う 主 旨 だ っ た に も 関 わ ら ず 。 次 世 代 へ 紡 ぐ 本 の 糸 こ の 気 づ き を 通 し て 、 我 々 は 改 め て 、 今 の 自 分 た ち の 立 場 に 奢 り 囚 わ れ 自 己 中 心 に な っ て い な い か と 自 分 を 顧 み て 、 謙 虚 さ を
置 き が ち の 現 代 だ か ら こ そ 、 故 き 知 恵 に 敬 意 を は ら い 、 現 代 に も 活 か せ る 有 り 難 き 知 恵 が 埋 も れ て い る の で は と 温 ( た ず ) ね て み る べ き で は な い で し ょ う か 。 そ し て 、 す ぐ に ま た 自 己 中 心 に 囚 わ れ が ち だ か ら こ そ 、 そ う な ら ぬ 努 力 を 「 人 生 を と お し て 継 続 す る 」 こ と が 大 切 な の で は な い で し ょ う か 。 そ う す る こ と で 、 我 々 は 過 去 か ら の 発 展 の 積 み 重 ね の 頂 点 に 立 つ よ う な 特 別 な 存 在 な ど で は な く 、 故 き 先 達 の 存 在 と 運 命 共 同 体 の よ う に 繋 が っ た 、 一 本 の “ 糸 ” の 一 部 と い う 、 と て も 儚 い 存 在 だ と い う 視 点 を 取 り 戻 せ る の で は 、 と 思 っ て い ま す 。 せ っ か く 数 十 億 年 も の 故 き か ら 、 今 あ る 我 々 を 生 み 出 し て く れ た あ ら ゆ る 生 き 物 へ 敬 意 を 保 ち 、 我 々 が 暮 ら す 環 境 が 今 後 も “ ま ほ ろ ば ( す
ろ ば 小 野 龍 光
「 ま ほ ろ ば 」 と い う 言 葉 を 調 べ る と 、 “ す み よ い 場 所 ” と い う 「 古 事 記 」 時 代 か ら あ る 言 葉 と の こ と で し た 。 古 事 記 と い う と 、 約 1 3 0 0 年 前 。 も う す ぐ 地 球 外 に 住 処 を 広 げ よ う と す る ま で に 文 明 の 発 展 を 続 け て い る 現 代 の 我 々 か ら み る と 、 1 3 0 0 年 前 と い う の は 、 ま だ 未 開 な 状 態 の 、 遅 れ た 時 代 に 感 じ る で し ょ う か 。 ち な み に 、 人 類 の “ 歴 史 に 残 っ て い る 範 囲 の ” 初 飛 行 は 、 た っ た 1 2 1 年 前 ( 1 9 0 3 年 ) だ っ た そ う で 、 確 か に こ こ 最 近 の 我 々 人 類 は “ 目 覚 ま し い 発 展 ” を 遂 げ て い る と 言 え る か も し れ ま せ ん 。 ゼ ロ か ら 生 ま れ た も の は な い で も 、 ど れ だ け 発 達 し た 技 術 や 、 卓 越 し た 知 見 で も 、 突 然 ゼ ロ か ら 生 ま れ た も の で は な く 、 過 去 の 様 々 な 人 た ち の 努 力 と 発 見 に よ る 、 地 道 な 発 展 の “ 紡 が れ ” の 結 果 と し て 生 ま れ た の で は な い で し ょ う か さ。 ら に は 、 そ も そ も 我 々 “ ヒ ト ” と い う 存 在 自 体 す ら 、 突 然 ゼ ロ か ら 生 ま れ た も の で は な く 、 過 去 の 様 々 な 生 き 物 た ち の “ 進 化 ” と い う 地 道 な 発 展 の “ 紡 が れ ” の 結 果 と し て 生 ま れ た と 言 え る で し ょ う 。 そ う 考 え る と 、 現 代 の “ 目 覚 ま し い 発 展 ” も 、 決 し て 我 々 現 代 人 だ け の 功 績 で は な く 、 そ の 人 類 へ の 進 化 へ 紡 が れ て き た 、 全 て の 生 き 物 の お か げ で あ る と も 言 え る の で は な い で し ょ う か 。 に も 関 わ ら ず 、 こ こ 最 近 の 人 類 は 、 発 展 の 喜 び に 夢 中 に な り す ぎ て 、 数 十 億 年 に も 渡 り 紡 が れ て き た 様 々 な 生 き 物 た ち を 、 ど ん ど ん 絶 滅 に 追 い 込 み 続 け て い る の が 実 態 で す 。 し か も 、 そ の 我 々 の 行 為 が 、 我 々 の “ ま ほ ろ ば ” で あ る 地 球 の 自 然 を 破 壊 し 、 自 分 た ち の 立 場 を 危 う く し て い る か も し れ な い と い う の に 。 我 々 は 糸 の 「 最 先 端 に い る の だ 」 と 奢 り 、

幕末動乱の時代に生を受け、 「至誠」を貫き通し、勇敢に行 動した吉田松陰。没年:1859年 11月21日29歳
眺 め た も の だ 。 こ こ で み ん な が 勉 強 し た の か 。 ア メ リ カ へ 渡 り た か っ た 松 陰 彼 は ど う し て も ア メ リ カ に 行 っ て 学 び た か っ た 。 決 死 の 覚 悟 で 下 田 沖 に 停 泊 し て い た 黒 船 に 乗 り 込 も う と 企 て 、 捕 ま り 、 打 首 に な っ た 。 命 を 掛 け て
樋口ちづ子(ひぐち ちづこ 滞米46年、カリフォ ルニア州にて不動産 エージェント、公認 公証人、エッセイス ト。著書に「花だか ら咲く」幻冬舎があ る。早稲田大学卒。
チョッピリ思いやりの会
会員には誰でもいつでもなれます。貴方自身が決めれば、その瞬間、貴方は会員です。 入会手続きも要りません。もちろん、入会費や年会費もありません。入会・退会も自由 です。出たり入ったりもOKです。全て貴方が主役です。そして何よりも自由な心が大 切です。楽しむ心が重要です。会の組織や本部もありません。貴方の心自身が本部で す。全て貴方自身が中心であり、貴方自身が自由に好きなように実践する会です。
チョッピリ思いやりの会 代表:鶴亀彰 チョッピリ思いやりの実践報告、 並びにご質問などはEmailでお問い 合わせください。
microomoiyari@gmail.com
ス 前 に 届 き 、 母 親 も 感 謝 と 喜 び の ク リ ス マ ス を 過 ご す こ と が 出 来 ま し た 。 チ ョ ッ ピ リ 思 い や り は 知 ら な い 所 で 連 鎖 反 応 的 に 波 及 す る 面 が あ る よ う で す 。 こ の T さ ん の エ ピ ソ ー ド が 私 が
り 、 そ の
え ら
い
名 い
日 々 の 忙 し い 生 活 の 中 で 私 達 は フ ト 何 か に 気 付 く こ と が あ り ま す 。 そ れ は 室 内 の 植 木 鉢 の 花 が 少 し し ぼ ん で い る の が 眼 に 入 っ た り 、 ま た は 重 た い 荷 物 を 抱 え て 歩 い て い る 老 人 や 突 風 に 帽 子 を 吹 き 飛 ば さ れ た 婦 人 の 姿 だ っ た り 、 様 々 で す 。 そ ん な 時 に 私 達 は 一
の 方 々 が ま た 自 分 の 友 人 、 知 人 に も 広 め て 頂 い て い ま す の で 、 そ の 静 か に 、 し か し 、 着 実 に 増 て い る と 思 い ま す 。 あ る の 方 は 、 自 分 の 所 属 す る 3 0 0 人 余 り に も チ ョ ッ 思 い や り の 会 を お 勧 め 頂 そ う で す 。 ■ 間 違 っ て 届 い た 小 包 チ ョ ッ ピ リ 思 い や り の 会 始 ま っ た の は カ リ フ ォ ル 州 で 2 年 前 の ク リ ス マ ス で し た 。 T さ ん と い う 当 時 6 歳 の 日 本 人 の 男 性 の 家 違 っ た 小 包 が 届 き ま し た 。 の 番 号 は 同 じ で し た が 、 リ ー ト 名 が 違 い ま し た 。 人 の ミ ス で し た 。 普 通 は 会 社 に 電 話 し 、 翌 日 ピ ッ ア ッ プ し て 貰 い 、 配 達 会 社 そ の 荷 物 を 正 し い 住 所 に 再 達 し ま す 。 し か し 、 そ の プ セ ス に は 少 な く て も 二 、 三 鶴 亀 彰
鶴亀 彰(つるかめ あきら) 1941年鹿児島県生まれ。
京都外国語大学を卒業。 1980年にロサンゼルスで カリフォルニア・コー ディネーターズ社を設 立。日本から北米とメキ シコに進出する企業、米 国から日本市場進出する企業に協力。著書に 「伊一六六潜水艦 鎮魂の絆」「日英蘭 奇跡 の出会いー海に眠る父を求めて」学習研究社 がある。
八ヶ岳牧場の牛
ヶ 岳 の 南 麓 、 白 樺 林 に 覆 わ れ た 高 原 の 玄 関 と な る 駅 が 山 梨 県 、 北 杜 市 の J R 小 海 線
。
天 率 が 高 い の が 特 徴 で 、 日 照 時 間 は 日 本 と い わ れ て い
少 な く
は 大 き く 二 つ の 目 的 が あ り ま す 。 つ 目 は 〝 健 康 〟 で す 。 今 の 、 日 本 は 本 当 に 恵 ま れ て い て 、 素 晴 ら し い 国 民 保 険 制 度 が あ り ま す 。 し か し 、 少 子 高 齢 化 で こ の 制 度 を こ の ま ま 持 続
号 に 至 っ て い ま す 。 そ こ で 、 今 度 は 故 国 日 本 で 「 社 会 で 何 か 役 立 つ こ と 」 が 出 来 れ ば と 思 い 、 自 然 に 囲 ま れ た 山 梨 県 の 北 杜 市 に 《 ウ ェ ル ネ ス ハ ウ ス ・ マ グ ナ ス 》 を 建 て 、 「 ま ほ ろ ば の 会 」 を 発 足 し ま し た 。 そ こ で は 、 次 の こ と を 実 践 し て い き た い と 思 っ て お り ま す 。 ❶ 自 分 の 健 康 は 自 分 で 管 理 す る 健 康 産 業 に 4 6 年 間 携 わ っ た 経 験 と 実 績 を 役 立 て る 。 ❷ チ ョ ッ ピ リ 思 い や り 運 動 個 人 主 義 が 定 着 し つ つ あ る 世 の 中 で 、 「 チ ョ ッ ピ り 思 い や り 」 の 実 践 を 広 め て い く 。 ❸ 未 来 を 築 く 子 供 達 の た め に 豊 か な 自 然 の 中 で 、 子 供 た ち に 自 然 や 人 と の 交 流 の 場 を 作 り 、 豊 か な 人 間 形 成 を 育 む 。 ❹ 人 に や さ し い
、 こ の 活 動 が す ぐ に 軌 道 に 乗 る と は 思 い ま せ ん が 、 人 で も 多 く の
「倫理資本主義の時代」 マルクス・ガブリエル / ハヤカワ新書
著者は1980年ドイツ生まれ。ボン大学の 哲学科正教授に史上最年少の29歳で就 任。NHKの「欲望の哲学の時代」などTV 番組にも多数出演。著書に「なぜ世界は 存在しないのか」、「私は“脳”ではな い」など他多数。
い た 諸 氏 に 心 か ら 感 謝 の 意 を 申 し 上 げ ま す 。
え て い き た い と 思 っ て い ま す 。 〝 賢 者 は 歴 史 か ら 学 ぶ 〟 と 言 わ れ て い ま す 。 進 歩 を 妨 害 す る の で な く 適 応 さ せ る 知 恵 を 探 し
現 在 の 科 学 の 進 歩 は 、 私 た ち が 想 像 し て い る 以 上 に 発 展 を 遂 げ て い ま す 。 そ の お 陰 で 、 私 た ち は 便 利 で 快 適 な 生 活 を お く る こ と が 出 来 て い ま す 。 し か し 、 そ の ま ま 鵜 呑 み に し て 良 い の か 考 え る 必 要 が あ り ま す 。 現 在 が あ る の は 、 過 去 の 変 遷 の 賜 物 で も あ る か ら で す 。 特 に 、 こ の 3
生 き の 時 代 に な っ た も の だ と 感 慨 深 い も の が あ り ま す 。 参 加 者 の な か で 私 が 番 遠 方 だ と い う こ と か ら ス ピ ー チ を す る 羽 目 に な り 、 こ の 季 刊 誌 「 温 故 知 新 」 を 8 8 歳 で 発 行 す る に 至 っ た 経 緯 と チ ョ ッ ピ リ 思 い や り 実 践 運 動 に つ い て 、 そ し て 最 後 に 2 年 後 「 卒 寿 ( 9 0 歳 ) を 祝 う 会 」 で の 再 会 を 願 っ て ス ピ ー チ を 終 え ま し た 。 参 加 者 の 反 応 は 定 か で は あ り ま せ で し た が 、 「 い い 歳 を し て … 」 と い う の が 皆 の 反 応 で は な か っ た か と 思 い ま す 。 ■ 渡 米 し て 6 0 年 1 9 6 3 年 、 私 は 企 業 の 派 遣 員 と し て 、 ト ラ ン ク ひ と つ で ア メ リ カ に 赴 任 し ま し た 。 東 京 オ リ ン ピ ッ ク の 年 前 、 ケ ネ デ ィ 大 統 領 が 暗 殺 さ れ た 年 で す 。 一 敗 戦 国 民 と し て 渡 っ た ア メ リ カ は 、 す べ て が 夢 の よ う な 素 晴 ら し い 国 で し た 。 あ れ か ら 6 0 年 、 皆 さ ん も ご 存 じ の よ う に ア メ リ カ は 変 わ り ま し た 。 以 前 、 石 原 慎 太 郎 元 東 京 都 知 事 が 、 「 ア メ リ カ は 好 き な 国 で も あ り 、 嫌 い な 国 で も あ る 」 と 言 わ れ た こ と が あ り ま し た 。 今 、 私 は 正 に そ う 思 っ て い ま す 。 そ れ は 、 現 在 の ア メ リ カ が 混 沌 と し て い て 、 こ れ か ら ど ん な 方 向 に 向
々 も 、 親 切 で 穏 や か な 感 じ を う け ま し た 。 豊 か な 国 、 ア メ リ カ は 、 今 や 貧 し い 人 ば か り で な く 、 中 流 層 ま で の 人 が ホ ー ム レ ス 化 し て い ま す 。 こ の 差 は 何 で し ょ う か ? ド イ ツ の 経 済 学 者 マ ル ク ス ・ ガ ブ リ エ ル が 著 書
鳥居欣一(とりいきんいち)
、
静岡県出身、1936年生まれ。早稲田大学 卒業。1963年ポーラの駐在員としてアメ リカへ赴任。ポーラUSAのの社長に就任 後、幾多の変遷を経て1978年独立。マグ ナス社を設立。日米を行き来しながら現在に至る。 著書に「アメリカで社長をやってみないか」ダイヤ モンド社がある。
「まほろば」の会
信 条
❶ 地球環境を大切にし、自然とふれ合い、自然に感謝する。
❷ 人、動物、植物、モノへの思いやりをチョッピリでも行動で示す。
❸ 食事、運動、睡眠に重きを置き、自分の健康は「自分で守る」を実践する。
❹ いつも、笑顔と思いやりで人に接し、穏やかに過ごす。
❻ 年齢に関係なく、希望と夢を持つ。
❼ 古(いにしえ)から学び、新しきことに役立てる。
出 典 : 『 論 語 ・ 為 政 』
さ わ し い 意 義 が 発 見 で き る よ う で あ れ ば 、 人 の 師 と な る こ と が で き る だ ろ う 。
=「まほろば」の会 =
心も身体も健康になる情報の発信、セミナーやイベント、子供達の未 来を考えた催事など、思いやりと笑顔を広めていく会です。会員の皆 様には季刊誌「温故知新」をお送りします。また、北杜市の「ウェル ネスハウス・マグナス」では、いつでもコーヒータイムをお楽しみ頂 けます。入会は上記のまほろばの会の信条に同意し、登録するだけで す。登録に必要な下記の内容①~⑤をEmail、または書面でマグナス インターナショナル迄お送りください。①氏名(フリガナもつけてく ださい。) ②住所 ③生年月日 ④電話 ⑤Email(ある方のみ) 【送り先】Email:oncochishin2024@gmail.com 郵送先:マグナスインターナショナル 〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2-7-5#211
故 ふ る き を 温 た ず ね て 新 あ た ら し き を 知 し る
■季刊誌「温故知新」0号 2024年8月1日発行 発行所:マグナス インターナショナル 発行人:鳥居欣一 www.OmoiyariWorld.com oncochishin2024@gmail.com ■ウェルネ スハウス・マグナス
山梨県北杜市大泉町西井出8240-2561
Tel : 0551.45.8851 Fax : 0554.45.8852
季刊誌 温故知新
0号
北杜市、西井出 の民家にひっそ りと咲いた菖蒲
P.3 「温故知新」発刊
P.5 山梨県北杜市
P.7 特集「チョッピリ思いやり運動」
P.10 吉田松陰
P.11 まほろば
P.13 子供たちに将来の夢に志を!
P.14 中学生の皆さん!
P.15 温故知新
P.17 あるバックパッカーの夢「田野瀬 良太郎」
P.19 うつ病お断り
P.21 この野菜知ってる?
P.22 栄養素ってなに?
P.23 珈琲タイム
P.25 自分の日常を総点検/発刊記念プレゼント/編集後記 P.26 凡苦楽だより
日本最古の歴史書と言われる古事記の中で、倭 建命(ヤマトタケルノミコト)が故郷を思って詠んだ と言われる和歌に「まほろば」ということばが使わ れています。
歌の意味は、「大和は国の中で最も よいところだ。幾重にも重なり合った青い垣根のよ うな山々にかこまれた大和はほんとうにうるわしい ところだ」と解釈されてます。
資料*『新編日本古典文学全集 古事記』小学館 1976