


#001 春日鹿曼荼羅幅 ¥1,000,000~ 付時代箱(桐 貼札) 紙本 金軸端 36×87 表具49×168 大ヤケ オレ キレ 白鹿は体を右方に向け、首を斜にして左方を見据える。背の鞍 には榊の枝が伸び、上方に赤い鏡面を懸け、五尊からなる春日明 神の御神体を描く。背後に月下に鎮まる神体山の御蓋山と春日 山を据える。
本図は、神鹿に伴われ、常陸国鹿島から大和の地への春日明神 の影向を描くもので、春日明神の本地佛である釈迦如来(一宮)・ 薬師如来(二宮)・地蔵菩薩(三宮)・十一面観音(四宮)・文殊菩薩 (若宮)の五尊を描く。






#002 藤原定家 小倉色紙幅 ¥1,500,000~
付三重箱(内時代貼札識桐 中時代貼札識桐 外溜塗) 冷泉為綱折紙 紙本 牙軸端 155×20 表具38×152 ヤケ シミ スレ 虫穴 『集古十種』登載 内箱:小堀和泉守政恒金字書付(古筆了仲極札貼付) 中箱:堀江知彦箱識、松筠軒貼札 政治家であり美術史家でもあった松平定信(宝暦八・1758~文政十二・1829)が、今日における 国宝図鑑とも云える『集古十種』を刊行したのは寛政十二年(1800)である。数々の名器が紹介され たが、その中に定家筆と伝える「小倉色紙」の一群も含まれている。
茶人による小倉色紙の称揚は、千利休の師であった武野紹鷗(文亀二・1502~弘治元・1555)に 起点をもち、以来、茶会では寂に雅を加味して掛物の主役を務めてきた。
掲出は、大商家にして茶人であった鴻池善右衛門家蔵として登載をみる。鴻池家は代々が善右衛 門を襲名し、代々が茶趣味をもち、表千家に師事、その保護に努めた。なお、小倉色紙の極めは冷泉 家が専らにしたが、文化史での評価や興味はともかくとして、近年の書誌学においては、当色紙の定 家筆に疑義を呈している。


#003 梨子地五七桐紋蒔絵二帯笙 ¥6,500,000~ 付時代箱(桒 貼札) 錦笙袋(象牙留具) 総長51 ヒビ 『集古十種』所載
頭は金砂子地とし五七桐紋を三所に配す。17の竹管の内16管に「大和内山永久寺 管絃講方笙」の銘文が彫られ、最も長い 管には、「建保四年丙子八月上旬造おく 智円 大和内山永久寺管弦講方笙」と彫る。この銘文により、二重金物帯をして「二 帯」と称された掲出の年紀(1216年)、所在(内山永久寺管弦方)、作者(智円)が明らかに される。
掲出は、前掲『集古十種』に登載され、さらに楽器の名品を集めた安倍季尚編纂『楽 家録』(元禄三・1630)にも登載をみるもので、二重金物の所載は「二帯」のほかに ない。
掲出が『集古十種』に所載された寛政十二年(1800)における所蔵は尾張徳川家で ある。が、幕末の公武騒乱のなかで、名笙「二帯」は、尾張徳川家から近衛家に献上 された。そして昭和四十年代、唐突に巷間に名器が登場した。
近衛家への名笙献上には、尾張徳川家の生き残りを賭けた思惑を望遠するほかな いが、薩長の討幕軍が、尾張藩を無視するかのように江戸へ進軍した事実の中に、 「二帯献上」にみられる尾張の両天秤のしたたかさを評価してもよいだろう。








#004 尭恕法親王 大乗妙典法華経折本 八 ¥2,000,000~ 付時代黒塗識箱(桐 貼札) 紙本 8×22 カビ 虫穴
表具虫穴 「天和二壬戌(1682)夏 供養 日巖院大僧正尭憲」金字書付 尭恕法親王(寛永十七・1640~元禄八・1695)は江戸前期の公家・僧。後水尾天皇の第十皇子。幼名は照宮。諱は完敏。字は体素。号は 逸堂。天台宗延暦寺別院妙法院門跡。



#005 年中行事絵巻屏風 小形 六曲 一双 ¥3,000,000.~ 紙本 250×85 屏風262×105 大ヤケ スレ
掲出は「鶏合」(左隻)と「安楽花」(右隻)の小形の二曲一双からなる。
掲出は、大部でなる「年中行事絵巻」の二場面を選んで屏風に仕立てたもの。
「年中行事絵」は、後白河法皇(1127-1192)の勅命により、藤原光長が当時の宮廷の行事と巷間の風俗を描画させたもので、1165年(永 万元)頃、全60巻として完成したとされ、蓮華王院の宝蔵に納められた。が、1313年(正和2)には蓮華王院から宮中に奉献され、管理が宮 中に移行した。宮中では、「年中行事絵巻」は天覧に供すことを目的に描出されているとして、内裏の奥深くに秘蔵され門外不出の宝物 であった。が、度重なる御所の罹災もあり、60巻を誇った絵巻も焼失と散逸によって、江戸前期には現在の16巻に減少を余儀なくした とされる。
「年中行事絵巻」にとって極めて異例の事件は、1431年(永享3)に起きた、古画に深い趣味を持たれた後花園天皇の父君・後崇高院に よって、特例として伏見の邸に持ち出され、模写がなされ、翌1432年(永享4)には内裏に返還されたという事件である。
1165年に絵巻が完成してから1431年までの267年を隔てた異常事態であったが、この事件こそが、絵巻が完成して以来、最初で最後 の原本の模写となったのである。


以後の原本の動向は、1549年(天文18)の山科言継卿の日記、1603年(慶長8)の『光豊日記』に伝存を確かめ得るが、1662年(寛文2)、後 水尾法皇から、すでに16巻に減じた絵巻の模写が、土佐廣通・廣澄の父子に勅許され、翌年には模写が完成し、住吉と姓を改めた廣通 に、法皇から如慶の名と(廣澄には具慶)、父子が模写した16巻が下賜された。今日、田中親美家に伝蔵される「住吉本」である。但し、住 吉本が精巧な敷き写しであるにも関わらず、画稿特有の証拠を指摘しうること、16巻のうち着彩は7巻であり、残り9巻が白描であるこ となど、違和感を覚えざるを得ない。つまり、御所に在ったとされる16巻は、原本(後白河法皇本)を模写したものではなく、早い時期か ら原本の周囲に残されていた下絵(画稿)の巻物ではなかったか。となると、原本は何時の時代まで伝存していたかという疑問が浮上す る。未整理の私論ではあるが、『光豊公記』の1613年(慶長8)の「内裏の年中行事の絵」を伝存の下限に設定したい。
この仮説は、巷間に残る15本の「年中行事絵巻」が全て、下絵(画稿)を書写した絵巻と結論することになる。
この段階では、行事絵が本来、内裏では巻物でなく屏風絵であったこと、これを援用すると、後崇高院の模写が、屏風仕立であった可 能性があること、掲出の絵画としての完成度の高さを挙げて、後崇高院の屏風の可能性があり、百歩ゆずれば、その摸本の摸本ではない かと考えたい。なかでも、屏風絵にするために松絵などが書き足されているが、これが、宮中画師の「室町絵画」か否かの専門家の率直 な検証を期待したい。


#006 伝信實 柿本人麻呂画幅 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 絹本 牙・骨軸端(不揃) 41×72 表具55×155 ヤケ シミ スレ オレ 表具アレ
飛鳥時代の歌人である柿本人麻呂は、『万葉集』第一の歌人と称えられ、中世には 忌日とされる4月20日に、各所で歌の上達を願って「人麻呂忌」が営まれた。
掲出の人麻呂は、牡丹模様の頭巾を被り、濃緑の八藤文の萎装束を纏い、虎皮に座 し、右手に筆を握り、頬杖をつき、脇息に身をゆだねる。床には古式の硯箱と色紙類 が添えられる。
白衣を纏った一般的な図様に肖像が定型化する以前の人麻呂像を想起させる。
箱書によって、鎌倉前期から中期に活躍した伝説の「似絵の名人」である藤原信實 筆に擬せられたことを知る。
人麻呂の視線は、白梅の枝に投げられており、「梅の花それとも見えず久方の天霧 る雪のなべてふれれば」の詠歌を暗示させる。



#007
方祝印 三十六歌仙屏風 本間 二曲 一隻 ¥50,000,000~ 付時代箱(杉) 紙本 174×1645 屏風178×1685 ヤケ スレ 尾形光琳(万治元・1658~正徳 六・1716)は画家、工芸家。琳派の 大成者。名惟富、別号積翠、惟亮、伊 亮、青々、澗声、方祝、寂明ほか。
※次頁に続く
方祝印屏風伊亮印屏風




掲出を「方祝印」と断ったのは、世によく似た「伊亮印」を捺した三十六歌仙二曲屏風が存在するためである。二点の屏風は、八重洲 画廊の真部俊生が、1950年(昭和25)に團伊能から買受け、以来、所蔵を続けてきた作品である。真部は、伊亮印屏風を「陽」、方祝印を 「陰」に位置付けたごとく38年間に及ぶ所蔵を続け、1987年(昭和62)に「陽」の「伊亮印屏風」をメナード美術館に売却し、二点一組の伝 蔵を自ら放棄した。そして1992年(平成4)に「方祝印屏風」を番頭であった新井亥吉に移譲した。
なお、二点一組での所蔵は、真部に始まるものではない。遡れば、1917年(大正6)の「佐竹侯爵家御蔵品入札」で「伊亮印屏風」を売却 した佐竹家に起点を確かめ、益田鈍翁、團琢磨、そして團伊能と所蔵を移し、真部に到達するのである。二点一組での伝蔵がなされた背 景や理由にも仮説を持つが、詳述は煩雑を理由に別にしたい。
真部が所蔵していた時代の「伊亮印屏風」は、「光琳展」では、「この図は時代不同の三十六歌仙を1図の中に描きこんだところが奇抜 である。光琳独特の巧みな構成を示し、画中人物はたがい談笑しているらしく、各人の顔の描写に個性があり、表情も面白い。光琳の洒 脱な特色が、巧みに描きだされている」(『琳派』東博/昭和47)のように解説され、永く真筆が疑われることなく展観に花を添えてきた。 が、1982年(昭和57)、これを賞揚していた山根有三が、自身の光琳の研究を完成させた『光琳研究』の論考のなかで、「伊亮印屏風」につ いて下記のごとく「赤点」を点け、常識化されていた現場の空気を一変させた。
《山根有三の「赤点」の採点》
光琳との署名がなく、「伊亮」印のみある屏風としては、早くより有名な「三十六歌仙図屏風」がある。これは光琳の後継者たちに大 きな影響を与えた作品であり、大和絵系と漢画系の違いこそあれ、対象の諧謔的な扱い方において「蹴鞠布袋図」(出光美術館)にも通ず る。ただ、描線・象形・賦彩・構図および表現において、私にはなお理解できない点があるので、画風展開への一里塚を建てる目的のこ こでは取り上げにくい。
次に掲げる山根有三の「覚書」は、「方祝印屏風」を初見した直後の山根の感想である。が、「覚書」には山根の混乱と錯誤が混在して おり通訳が必要で、これの解説も用意しているが転記を先送りしたい。
「覚書」は山根が「伊亮印屏風」に「赤点」を点けた、同年の一か月後の10月17日に書かれたものである。「覚書」の題は、筆者が便宜 的に付した。
方祝印屏風伊亮印屏風




この場面を設営したのは、先に触れたが、「伊亮印」と「方祝印」の二点を一人で所蔵していた真部俊生である。
真部が、秘匿を続けてきた「方祝印屏風」を積極的に山根に実見させた背景には、当時の真部は、皮膚感覚的に身辺に迫り来る「絵画 Bubble」の崩壊を予知しており、売るならどちらが先かを、山根に確認する意志を腹蔵するものだった。
《覚書》
この写真の作品は、旧重要美術品として認定されたものである紙本着彩三十六歌仙図尾形光琳筆二曲一隻とあるが旧蔵者が同一人で あった為であろう。
昭和九年七月三十一日認定された三十六歌仙図(写真)を現任重文としての申請が出されれば百人が百人推薦するであろうが私惑とし ては未認定の三十六歌仙図の方が筆勢彩色により魅力をもつものである。 昭和五十四年十月十七日
「覚書」の冒頭の「この写真の作品」は、「伊亮印屏風」(現メナード美術館蔵)であり、最後の「私惑としては未認定の三十六歌仙図の 方が筆勢彩色により魅力をもつものである」が掲出(「方祝印屏風」)に対する山根の見解である。
まずは、「赤点」を点けられた「伊亮印屏風」と掲出の比較対象から「方祝印屏風」を真筆とする要点を簡単に図示し、加え、山根有三 の弟子である仲町啓子の『光琳論』を援用して、「方祝印屏風」は、印章と画調が齟齬しない。少なくとも、「伊亮印屏風」は、光琳の第5 期(52歳から59歳)の画作に合致する作品ではないと報告しておきたい。
蛇足ながら、この期の作品群に対する画調を仲町は、「画風大成期」と概説し、①宗達の水墨画に対する理解の深化、②雪舟・雪村風 の発見、③江戸狩野派への接近、④意匠的な造形への関心、をあげるが、掲出は、色彩に明徴を強くし④の特徴を色濃くもつと評価され よう。
なお、二点一組の光琳の三十六歌仙屏風の周辺には、抱一が所蔵した「画稿屏風」、抱一が紹介した『光琳百図』、「可 筆屏風」、抱一 による「模写屏風二点」などが連なっている。これらの煩雑な関係も凝視し整理を進めたが、説明は他の機会に譲りたい。
いずれにせよ、二点一組の問題を解く鍵は、すべて後出(新出)した「方祝印屏風」にある。「方祝印屏風」の新出によって、「伊亮印屏 風」が抱える問題の謎解きが可能になったことを報告しておきたい。


#008 刺繍三十六歌仙屏風 中形 六曲 一双 ¥1,000,000~ 絹本 24×32 屏風280×137 三十六歌仙図は、言うまでもなく、多くの画家が描き続けてきた画題である。本来、公家文化の核心に位置するものだが、光悦そして 光琳の参加によって、この文化の受容層が飛躍的に拡大された。
ここでは、琳派の美意識の参入による、刺激的かつ記念碑的な作品として刺繍屏風を紹介したい。
刺繍屏風の周辺にあって、決定的な近接関係を指摘させるものに、『光悦三十六歌仙合本』(以下、『光悦合本』)と題した版本がある。 なお、版本の原本が光悦自筆かについては専門家によって疑義が呈されている。が、光悦風を看手するには充分である。
現段階では、この問題の究明でなく、掲出の魅力を決定している部分、詠歌の表現に見いだされる色糸による色替を直視してみたい。 このような色の変化の妙は絵具では表現できない。すなわち、染色文化に通暁した人物の関与が想定される場面である。
屏風の全体写真を縮小し、右一番の人麻呂、左二番の伊勢を大きく扱い、色替の妙味の呈示を優先した。
ここまで記すと、気のある人は、細見美術館が所蔵する鎌倉時代の刺繍法華経断簡が眼底に顕れていよう。
刺繍法華経裂は漢字、歌仙屏風は漢字まじりの平仮名という書体の違いこそあるが、二つは、共通する美意識によって表現されてい る。
ここで問題なのは、刺繍経裂の作期であるが、この問題は、刺繍経の作期を江戸前から中期に変更すれば簡単に解決する。鎌倉説は、 おそらく繍佛が盛行したのが鎌倉時代、さらに刺繍経が鎌倉時代の版本の経文を手本としており書風が鎌倉時代である。このあたりが 根拠であろう。


扨て、掲出と『光悦合本』との比較だが、各所に微妙な相違を確認する。少なくとも相互に直模の関係ではないが、偶然とは考え難い、 親しい関係にあるとしたい。
ここでは、その問題を先送りにして、掲出(刺繍本)の和歌の色替え部分と「刺繍法華経裂」の色替えに、同質の美意識を指摘したい。
勿論、掲出の出現がなければこのような仮説が生まれる余地はない。が、多様な色糸使いの妙に、共通する美意識を指摘せざるを得ない のである。少なくとも配色の妙に視点すれば、二点の近似関係は揺るがない。
以上の情報を踏まえ、深堀を強要するのは、信仰である。経裂が『法華経』であること、光悦が経営した光悦村が法華信者の芸術村で あったこと。
光悦が熱心な法華信者であった事実こそが、刺繍法華経詠歌裂と三十六歌仙刺繍屏風とをつなぐ接点である。
百歩譲れば、光悦が鎌倉時代の刺繍経を実見し、それを三十六歌仙の詠歌の表現に採用した可能性も考えられなくもない。また、『歌 仙絵合本』は、光悦時代ではないとしても、光悦風の書体が盛行していた時代の産物には違いない。
この屏風と向き合って40年がすぎた。小生の蓋棺の日も遠くはない。必要な情報の霧散を惜しみ、次代に向けて、某氏との約束を反 故にさせてもらうことを決断した。
「この屏風は、新門前の野村商店の店頭で番頭をしていた、野村正次郎の遺愛品」。(M)



#009 物語絵屏風 中形 六曲 一双 ¥2,000,000~ 付時代箱(杉 貼札) 紙本 264×105 屏風278×121 ヤケ シミ スレ 剥離
金雲に仕切られた画面に異時同図法を確認することから表題を「物語絵」としたが、具体的にどの物語に取材したかは判然としない。 高所からの意見を待つばかりである。






#010 稲荷大社神輿 ¥1,500,000~ 付黒塗神輿置台 被衣棒2(総長165) 棒(大総長228)2 小4 神輿56×56×80 破風の銘文「稲荷大明神」はともかく、稲荷社の神輿に限 られる千木が天を衝く。金工、漆工、木工とも上々の作。稲 荷社の祭例では五基の神輿が出御する。掲出は、近世近代の 作であり、四人で担ぐ神輿で、『年中行事』にみられる四人 担ぎの神輿を彷彿させ、その作調が、稲荷社の神威を眼前さ せるものである。




#011 内親王殿下キャリーバスケットセット ¥1,000,000~ バスケット(50×80×25)、掛布団(105×135)、敷布団、掛白布、枕2 敬宮愛子様用に調進された杉山繊維工業製のキャリーバスケットと寝具一式の控。 使用された絹糸は「小石丸」である。
小石丸は日本古来の蚕の品種であり、現在でも皇居内にある紅葉山御養蚕所で歴代 皇后によって飼育される。飼育が難しく、その糸の長さは一般の蚕種と比べると三分の 一と短い。そして使用に関しても生産量の低さから限定され、皇室への納品や正倉院宝 物の復元など、まさに「ロイヤルシルク」といえる。この「ロイヤルシルク」で織り出さ れた寝具とバスケット、我々はその寝心地を想像することしかできない。







#012 大聖武六行断簡幅 ¥4,800,000~ 付二重箱(内識桐 外黒塗)
所載コピー 紙本 牙軸端 153×273 表具39×139 表具ヤケ 小堀宗慶箱書 『過眼墨宝撰集3』(旺文社/1988)所載
掲出は唐代に行われた『賢愚経』十六巻本のうち、巻第十一の断簡に該当する。大き な字粒と堂々たる書風を以て一行に十二字を詰めており、聖武天皇筆の伝称をもつ所 謂「大聖武」と知れる。掲出は六行、実に七十二字を数える。
大聖武に使用された写経紙は、抹香を細かく砕いて漉き込み、更に上から胡粉を刷 いており、紙面に浮かぶ香の粉末を舎利と信じて「荼毘紙」の称を生んだ。この体裁は 同時代の写経に一切の他例をみない。
掲出は本紙に黒い粒子を視認できることから荼毘紙であることは明白であるが、表 面に胡粉を刷かない。ながら、本紙の縦巾が一連の大聖武と完全に同一であることや 書風を勘案して、掲出が大聖武であることに疑いを持つものではない。先掲『過眼墨宝 撰集』では、十六巻に及ぶ賢愚経の写経のために大量の紙を必要とするため、体裁の統 一を欠いた可能性を指摘している。


#013 大聖武二行断簡幅 ¥2,000,000~ 付二重箱(内桐 外黒塗) 紙本 牙軸端 95×27 表具37×135 表具シミ


#014 紫紙金字華厳経三行断簡幅 ¥3,000,000~ 付二重箱(内桐 外黒塗) 紙本 牙軸端 10×23 表具37×134 表具オレ 奈良時代に多数写経された金字経は、無論一概には言えない が、『光明最勝王経』をはじめ、紫紙を採用することが多かった ようである。平安時代に入ると、紫紙と金字の組合せは殆ど制作 されなくなったようで、「紫紙金字経」は奈良時代に特徴的と云 えよう。
掲出は紫紙に細い銀界を引き、金字で『大方廣佛華厳経 巻第 六十八』を書写した断簡で、一行十七字詰であって三行を数える。







#015 光明皇后願経断簡幅 ¥1,000,000~ 付識箱(桐) 太巻 紙本 黒塗軸端 45×26 表具56×84 表具穴
「天平十二年(740)五月一日」 福田行雄箱識 重要美術品断簡 大和絵・古筆研究家で大東文化大学書道研究所客員研究員の福田行雄(1947~)により、「重要美術品断簡 光明皇后願経 五 月一日経切」と桐箱に極められる。五月一日経(或いは光明皇后願経)は、光明皇后(大宝元・701~天平宝宇四・760)が父母の 菩提供養の為に発願した一切経で、その名は願文の日付「天平十二年五月一日」に由来する。写経は天平八年(736)より開始され、 中断を挟んで天平勝宝八年(756)まで実に二十年間、総巻数にして七千巻に及ぶ作善となったことが知られる。このうち、約二 百巻が巷間へ流出した。
箱の書付に視線を戻すと、掲出は重要美術品の断簡であると記される。重要美術品とは、我が国の美術品が海外へ流出すること を防ぐ目的で認定されたもので、昭和八年(1933)制定の「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」の下、文化財保護法が施行される までの約十八年間に、おおよそ8,200件が認定された。その中で、掲出に該当するものは、昭和十四年(1939)二月二十二日に認定 された「紙本墨書文殊師利所説不思議佛境経巻下 一巻」と推定される。認定時点では「一巻」とされているので、後年、裁断し軸 装され、今の体裁となったと知る。
『重要美術品等認定物件目録』によると、認定時点の所蔵者は鈴木信太郎と記されている。鈴木信太郎(明治二十八・1895~平 成元・1989)は東京生まれの洋画家で、先掲一巻のほか、現在奈良国立博物館に所蔵される「阿毘達摩品類足論 巻第八 一巻」 も鈴木旧蔵として重要美術品に認定されている。


#016
法隆寺金堂天蓋飛天光背 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 総高413
本項および次項掲載の二作品 は、2022年9月の当社Auctionに て「旧守屋孝蔵Collection」とし て出品したうちの一であり、こ の度再会の機を得た。
守屋は京都を拠点に活躍した 著名な弁護士であり、生涯にわ たる古美術品の蒐集家として知 られる。守屋の古物蒐集は古写 経を中核にしたが、宸翰、古文書、 室町時代の水墨画、宋元の古画、 六朝の石佛、考古資料にまで及 んだ。また、歿後には重文・重美 を含む古写経268点、宸翰8点が 京都国立博物館へ寄贈され、学 会のみならず、社会への多大な 貢献がなされた。詳しくは『守屋 孝蔵氏蒐集古経図録』(京博 /1964)に譲りたい。
掲出に視線を戻したい。表題 の通り、法隆寺金堂の天蓋に付 される飛天の透彫の光背(天衣) には、蓮華の位置の違いにより 二種の形式が知られる。ながら、 掲出は蓮華部分を欠失しており 特定に至らない。






#017 法隆寺百万塔 ¥2,000,000~
付識箱(杉) 陀羅尼 塔高約213 相輪接合補修 宝亀元年(770)、称徳天皇(718-770)は 『無垢浄光大陀羅尼経』が説く鎮護国家と 滅罪の深秘の功徳を信じ、大事業を発願 し、陀羅尼を納入した百万基の三重小塔 (百萬塔)を、十大寺(大安.元興.興福.薬師 東大.西大.法隆.弘福.四天王.崇福)に納め た。また、同時に、三重小塔(塔高.七寸五 分.227㎝)の一万基ごとに七重節塔(一尺 五寸.45㎝)、さらに十万基ごとに十三重塔 (二尺二寸五分.68㎝)が造立された。そし て同年、女帝はこの大事業を見届けたか のように身罷った。
以来、1200年余が過ぎ、現在に残るのは、 法隆寺の45755基と、法隆寺から出蔵し、 巷間に伝わる幾何かである。
掲出は、通例の白色に彩色された三重 小塔とは趣を異にしている。三層の内、一 層と三層に赤、緑、青の着彩を加えている。 このような彩色の例を他に見ることはな く、これを巷間で伝えた周辺には、「彩色 のそれは、称徳天皇が自ら十基のみ彩色 したもので、十万基を納めた十大寺ごと に一基を納めた、(掲出は)その内の一」 と言う口碑だけが残された。その事実関 係を立証することは不可能だが、先の節 塔の存在からも、口碑の可能性を簡単に は否定できず、まずは口碑を記しておき たい。破損が激しい相輪陀羅尼が塔内に 納入される。

#018 弘仁九年最澄奏状幅 ¥1,000,000.~
付時代箱(桐 貼札) 紙本 金軸端 435×26 表具44×98 シミ 虫穴 表具スレ、シミ 「弘仁九(818)」書中 「沙門最澄言」の書出しで、「諸為除災脩福事……夜兼持念大佛頂真 言」と記す。小欄の時限もあり、この言を『伝教大師全集』に見出すこ とはできなかったが、続文を斜読すると、延暦廿四年(805)九月十六 日に「賜向唐求法最澄伝法公験一首」が給付された際の言であるとして いる。この公験は、唐から帰国した最澄に対し、請来した天台宗の正統 性などを認める公文書である。この書は「天裁謹(言)」の言葉で締めら れており、天皇あるいは朝廷への奏状であると知れる。末文は「弘仁九 年(818)九月九日全入唐受法沙門□」とする。文字が掠れており、紙面 下部一文字分が見えない状態ではあるが、おそらく最澄の名が記され ていよう。


#019 紺紙金銀交書断簡幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内桐 外溜塗) 太巻 紙本 金軸端 49×24 表具64×116 所謂「中尊寺経」と称される写経の断簡。奥州平泉の藤原清衡(1056-1128)が発 願し、永久五年(1117)から天治三年(1126)にかけて書写したもので、金銀交書と いう書写形式は、広島浄土寺の「紺紙金銀交書法華経巻第7」などに散見されるが、 大部でなる一切経の例は外になく、奥州藤原氏の金色堂の建立につらなる結構と いうほかにない。掲出は『妙法蓮華経 巻第五』の写経断簡であり、銀界を引いた 紺紙に一行十七字を詰め、二十六行を数える。

#020 大方広惣持宝光明経 一巻 ¥3,500,000~ 付合箱(桐) 紙本 唐木軸端 839×27 表具862×27 シミ 虫穴
表題は巻止の題箋に依った。巻首には「高山寺」朱印を捺し、明恵上人の頃に纏められた高山寺一切経の一となろう。
冒頭は「大宋新訳三蔵聖教序」。中国北宋時代の初期、当時の皇帝によって佛典の再訳(新訳)が命じられ、その巻頭には御製の序文を 添えた。掲出のような北宋経は平安時代に本邦に齎され、諸寺に収蔵された。高山寺印を捺した類品は、京都国立博物館に確認できる。










#021 観普賢菩薩行法経 一巻 ¥2,000,000.~ 付木箱(桐 貼札) 所載コピー 紙本 水晶軸端
732×19 表具756×25 ヤケ シミ 虫穴 表具キレ、ウキ 『古美術へのさそい』(工藤吉郎/2014)所載 十二世紀の平安時代末期、法華経八巻を二十八品に分け、これに開経・結経を加えた三十を結縁者三十名が各人一巻写経する作善が 流行をみせる。遺例としては静岡鉄舟寺に伝わる通称「久能寺経」が殊に知られており、その料紙には金銀切箔を散らすなど、華美な装 飾が特徴的である。
掲出は「久能寺経」に連なるもので、法華経の結経に位置づけられる「観普賢経」一巻の写経にはなるが、天地に銀砂子を撒いて金泥 界線とするのみで、比較的簡素な体裁である。作期は稍下がって鎌倉時代が想定されよう。


#022 銅造薬師如来坐像 ¥5,000,000~ 像高255 総高50
異様に伸びた蓮台が、佛性の蓮華生を推量させる。薬師如来と蓮台を一 鋳し、茎と台部の二部で構成する。異様なまでに蓮の茎が伸びた遺品の例 には、石山寺蔵(奈良時代 図1)、後冷泉天皇の妃・寛子が宇治白川に造営 した金色院遺物とされる釈迦三尊像(地蔵院蔵、天平時代、観音欠損 図2)、 そして釈迦坐像(平安初期 図3)の三体が知られ、掲出は四躰目にあたる。
上記の3点はいずれも、宇治川の上流(石山寺)から中流(宇治白川)に集中 して所在しており、宇治川水系が育んだ蓮華生佛と呼ぶような、極めて特 異な佛教信仰の所産すら予感させる。
掲出は、様式的には、地蔵院の釈迦坐像との近似を実感させるが、1991年 (平成3)に阿閦如来(白鳳)とともに盗難に遭い、今も解決されず、実見するこ とができない。
地蔵院蔵の金銅佛は、いずれも作期に白鳳(阿閦如来立像)・天平(阿弥陀 三尊・観音欠)・平安初期(釈迦坐像)が想定されており、これらの作佛は、 飛鳥奈良時代の金銅佛の盛行に淵源をみるもので、平安時代の木彫佛の盛 行に先行する金銅佛の系譜に位置する。写真によるが、掲出と盗難の坐像 を比較すると、寸法の差異も含め、作調において、掲出が傑出しており、盗 難に遭った釈迦坐像の前代作、奈良時代作を確信させる。









#023 銅鍍金如来坐像 ¥1,000,000~ 総高65 白鳳様式
鍍金は厚く、顎を突き出し、一文字に結んだ唇が古製をみせ、単弁の蓮台が清しい。光背にあって、本尊の強い意思の発揚を助けたの であろう。作期には平安時代が想定される。



#024 伝木芯乾漆菩薩立像 ¥1,000,000~ 像高83
本朝の乾漆技法は、唐初の造佛法に倣ったものだが、平安初 期には途絶した。掲出は、その重量から木芯を伴う乾漆像とみ られ、大形で力強い「髻」や、その締まった表情が白鳳期の大形 の金銅菩薩像や平安初期の弘仁式木彫との近似を指摘させよう。




#025 木彫不動明王立像
¥1,000,000~ 像高99 総高111 虫喰 平安時代
平安初期の肉付きのよい木彫の佛像群は、 唐末の佛像に倣った様式ながら、木彫佛の 刺激は、本朝の神木信仰と合流し、木彫の 神像彫像の形成をも促した。掲出の結髪や 両眼の刮目、そして額の円鏡形に、密教儀 軌に従う彫像が盛行するまで、即ち、その 前代に在った、この島嶼の住人が保持した 神木信仰と本地佛との合従による、「神像 系不動明王」の形成を促したと想像させる。







#026 興福寺千体佛 ¥8,000,000.~
付識箱(桐) 像高36 総高47 橋本凝胤箱識 千体佛は、正式には賢劫千佛と呼び、既に現世に顕 れた4佛と弥勒菩薩以下996体の諸菩薩群からなる。
興福寺の千体佛は、藤原時代に藤原氏によって興福 寺の南円堂に施入されたもので、損傷の激しいものか ら随時、巷間に流失した。その多くは破損し、修復を 必要にしたが、極く稀に損傷の軽微な菩薩像をみるこ とが出来る。
掲出は、持物を欠失するものの、金箔をはじめ当初 の姿を奇跡的に保って、藤原佛の優美を眼前させもの である。






#027 滑石経 ¥1,000,000~ 付識箱(桐) 17×25×2『妙法蓮華経 法師功徳品』巻第十九
巻題に続き、一行あたり十五字から十九字を詰め、巻頭から表裏九行に経文を彫る。誤字脱字や書足しを見るが、篤い信仰を疑わせる ものではない。書風は藤原時代の優美を伝える。
経塚遺宝における滑石経の遺例には、若菜八幡宮境内出土(福岡県筑後)の湾曲に形成して法華経を刻字した一例が知られる。掲出も 埋経の趣旨からみて法華経全巻の刻出を意図した作善と考えるが、本式の滑石経の報告は掲出をして初例である。



#028 子守明神毛彫鏡像 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 213×195
金峯山経塚出土
掲出は平安時代の金峯山経塚出土との口伝を残す鏡像で、鍍銀を施した鏡板 の背面に、子守明神が華標を背に毛彫される。子守明神は、主に奈良県で信仰を 集める子授けの女神で、吉野水分神社の「みくまり」の訓読が「みこもり」に訛 り、「御子守り」として尊崇を集めたことに由来すると云う。
江戸時代中期、ある夫婦からの子授けの祈誓を受け、男子を誕生させた。父は、 男子が13歳になったら共にお礼参りに向かうと女神に誓うが、男子11歳のとき 亡くなってしまう。母から経緯を聞いていた男子は、13歳になると子守明神に 参詣し、以後も機をみて参詣を続けた。「水分神社の申し子」を自称したこの男 子は、知の巨人と謳われる本居宣長である。



#029 白描十六大護画幅 ¥1,500,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 43×18 表具53×95 ヤケ シミ 虫穴 添幅:十六大護修法儀軌幅 付木箱(桐) 紙本 唐木軸端 81×31 表具98×126 ヤケ シミ 「十六大護」は、『大般若経』を守護する十六尊の天竺由来の夜叉神。同じく、『大般若経』の護法神 である「十六善神」とは表裏一体の関係にあり、「十六善神」の「陽(表)」の働きに対して「十六大護」 は「陰(裏)」、即ち秘密の働きを強くするようである。
「十六大護」の図像は、一枚物であり、大正蔵経の図像部には、高山寺蔵本の二紙、東京個人蔵の一 紙を紹介している。掲出は個人蔵の一紙だが、大蔵経は4頁を使い紹介している。作期には鎌倉時代が 想定される。





#030 木彫蓮華文華鬘 ¥1,200,000~ 付識箱(桐) 47×55
稀に見る大形が、特定は適わぬが、大寺の佛殿での荘厳を示している。彫蓮 華の妙技も加え、作期には鎌倉時代が想定されよう。




#031 水晶五輪塔 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 総高57

#032 石造六角燈籠 ¥2,000,000~ 82×70×222 六部式 南北朝時代
※下見会へは持参しません。ご落札後の搬出 も琵琶湖HOUSEからとなります。詳細お問い合 わせください。TEL:075-254-8851


#033 石造四方梵字十三重塔 ¥5,000,000~ 84×84×440 相輪ワレ接合補修 十六部式 鎌倉時代
軸部に金剛界四佛(阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如 来)の種字を大胆に薬研に彫る。上辺の数枚に入れ替わりの可能性の 指摘もあるが、経年を考慮すれば問題はないだろう。基壇の下に、泥除 けの一段を寄せれば、さらに豪壮を増すことだろう。
※下見会へは持参しません。ご落札後の搬出も琵琶湖HOUSEからと なります。詳細お問い合わせください。TEL:075-254-8851


#034 石造宝塔 ¥1,000,000~ 相輪(後補):総高63 笠:67×67×36 基礎石:75×77×34
幢身(後補):56×56×60 全体:75×77×203 カケ 相輪ワレ接合補修 四部式 ※下見会へは持参しません。ご落札後の搬出も琵琶湖HOUSEからとなります。詳細お問い合わせくだ さい。TEL:075-254-8851



#035 当麻曼荼羅大幅 ¥1,500,000~ 付識箱(桐) 絹本 金軸端 118×121 表具134×181




#036 黙庵霊淵 留守文殊画賛幅 ¥2,000,000~
付二重箱(内識桐 外溜塗) 天倫宗忽極札 狩野寿石、田山方南添状 無学宗衍極巻物 絹本 牙軸端 37×97 表具52×186 大ヤケ スレ オレ
表具ヤケ、シミ 南江宗沅賛
黙庵(生歿年未詳、鎌倉~南北朝期)は禅僧、絵佛師。諱はじめ是一、のち霊淵。
嘉暦年間に元に渡り、はじめ浄慈寺に、のち六通寺に住す。本覚寺の古林清茂を訪 ねたが既に示寂しており、その高弟の了庵清欲に師事。本朝の初期水墨画に与えた 影響は大きく、「牧谿の再来」と謳われる。
賛:南江宗沅(嘉慶元・1387~寛正四・1463)は僧、五山文学者。美濃の人。号 漁庵、蘆花道人ほか。大徳寺の一休宗純に傾倒し、一休と共に泉南河内を訪れ、在俗 の僧として活躍。
黙庵と南江はその活動時期、地域を異にしており、掲出は南江の後賛となろう。



用 不 浄 者 也 以 佛 法
家 男 女 心 好 名 利 招 学 者 於 室 中 道 悟 玄 旨 使 参 者 相 似 模 為 様 閑 言 語 使 教 者 片 情 也 這 般 輩 非 人 也 寔 日
日 用 不 浄 所 謂 日 用 清 浄 者 分 明 則 因 縁 至 無 理 会 田 地 昼 夜 工 夫 不 怠 時 々 截 断 払 源 佛 魔 難 窺 処 人 明 坐 断 往 々 埋 名 蔵 迹 山 林 樹 下 挙 揚 一 則 因 縁 時 無 難 純 一 矣 謂 之 日 用 清 浄 人 也 然 而 称 吾 善 知 識 擎 杖 払 集 衆 説 法 魔 魅 人
凡 参 禅 学 道 之 輩 須 日 用 清 浄 不 可

#037 一休宗純 徹翁法語幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内時代黒塗杉)
大倉好斎、真珠庵宗玄極札 松月軒折紙 紙本 牙軸端 73×41 表具81×119 ヤケ スレ 穴
徹翁義亨(永仁三・1295~応安二・1369)は南北朝時代の臨済宗僧。出雲国出身で、宗峰妙超の法を嗣いだ。延元三年(1338)に大徳 寺二世となり、徳禅寺を創建するとともに、大徳寺七箇条制法などを定めて寺院制度を整備し、大燈門派発展の礎を築いた。後円融上皇 や足利義詮の帰依を受け、また書を能くした。著に『徹翁和尚語録』など。諡号天応大現国師。
一休宗純(明徳五・1394~文明十三・1481)は室町中期の禅僧。京都生まれ。別号狂雲子ほか。文明六年(1474)大徳寺四十七世とな るもすぐに退寺。歿後大徳寺に真珠庵が建てられた。

日
罷 上 候 間 以 面 万 々 可 申 述 候 随 而 手 前 数 寄 屋 作 事 漸 出 来 申 候 間 来 廿 日 比 御 茶 申 度 候 内 々 其 御 心 得 に て 可 給 候 委 細 者 重 而 可 得 芳 意 候 間 不 能 詳 候 尚 下 少 輔 可 申 候 恐 々 謹 言 本 門 十 月 朔 日 光 昭 花 押 古 織 部 殿

#038 准如 消息幅 ¥1,900,000~ 付木箱(桐) 紙本 黒塗軸端 68×19 表具71×102 ヤケ スレ 虫穴 古田織部宛 准如(天正五・1577~寛永七・1630)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての浄土真宗本願寺派の僧であり、顕如の子として 生まれた。幼名を光寿丸といい、兄に教如がいる。天正十九年(1591)、豊臣秀吉の意向も背景として本願寺第十二世宗主に就任し、京 都七条堀川の地に寺基を定めた。慶長七年(1602)には、徳川家康の支持を受けた教如が東本願寺を創設したため、本願寺教団は西本願 寺と東本願寺の両派に分立することとなった。
准如は、西本願寺の基盤整備と教団運営に尽力し、寺領の安定化や堂舎の整備、末寺統制の強化を進めた。また、朝廷や幕府との関係 を維持しつつ、近世初頭における本願寺教団の体制確立に大きな役割を果たした。元和元年(1615)には長男良如に法統を譲り、隠居後 も教団の後見的立場にあった。近世西本願寺教団の基礎を築いた宗主として評価されている。
宛:古田織部(天文十三・1544~慶長二十・1615)は美濃国生まれ、利休七哲の一人。はじめ中川秀成に仕えた後御伽衆として豊臣 秀吉に仕え、九州の役、小田原の役に従軍した。秀吉歿後は隠居し、伏見邸の茶室「望覚庵」で茶の湯三昧の生活を送る。徳川秀忠の茶 道師範をつとめたが、大阪夏の陣の際、大坂方内通の疑を受け自刃した。書院台子の茶の湯、大名茶の湯の大成、沓形茶碗やキリシタン 文様を取り入れるなど、器物の意匠を凝らし織部流を創始し、後の茶道に大きな影響を与えた。




#039 良寛 短歌「おのづから」扇面幅 ¥1,800,000~ 付木箱(桐) 所載コピー 紙本 牙軸端 45×16 表具53×70
『良寛墨蹟大観 第四巻 和歌篇(ニ)』(中央公論美術出版/1994)、
『良寛の書-安田靫彦の愛蔵品による-』(中央公論美術出版/1985)所載 十九間の扇面は雲母引きとし、画面右下から大きく伸びる葉の下絵を描き、中央八間に短歌をしたためる。下絵に重なった文字は判 読できず、前掲二書では、葉に隠れた二文字の存在を指摘するにとどめている。前掲『良寛の書』時点では屏風(貼交のうちの一紙であ ろう)とされており、以降に軸装されたようである。良寛の歌集には採録されていない。
良寛(宝暦八・1758~天保二・1831)は歌人で曹洞宗の禅僧。越後出雲崎の人。安永四年(1775)頃出家、大愚とも号した。諸国を行 脚した後に帰郷、脱俗生活を送る。書、漢詩、和歌は天衣無縫で高く評価された。
安田靫彦(明治十七・1884~昭和五十三・1978)は、日本画家。東京生まれ。本名新三郎。明治三十一年(1898)小堀鞆音に入門。大 正七年(1918)頃から良寛の研究に着手する。財団法人日本美術院理事長。文化勲章受章。





#040 円空佛 ¥1,500,000~ 付木箱(桐) 像高19
長く伸びた頭部と衣で印相を隠す特徴的な円空佛。円空佛のなかでも 時折見かけるこの彫像は観音菩薩である。背面にある梵字は、一番上か ら「最勝の」を意味する(ウ)、次に尊名にあたる「観音菩薩」(サ)、その 下左右に展開する脇侍「不動明王」(カーンマン)と「毘沙門天」(ベイ シラマンダヤ)、一番下は「吉祥天」(シリー)。
生涯十二万体彫られたと伝わる円空佛。そのうちの大半は民衆の救済 を本願とした観音菩薩であろう。掲出の円空佛は市井に散る観音像とし て大きさもあり、背面の梵字が視認できる点で申し分がない。


#041 青面金剛画幅 二
¥1,000,000~
①付識箱(杉) 絹本 黒塗軸端 50×100
表具60×163 ヤケ スレ オレ 表具アレ 羽二重組織 髑髏で威儀を整える青面金剛は、道教の三 尸信仰に、本朝の土俗信仰が混交し、独自の 展開を遂げた信仰の本尊である。各地にみら れる庚申塔や庚申堂が江戸時代の庶民の絶大 な支持を教える。
本朝へは雑密の請来に従い、奈良時代の木 彫像を残し、のち、平安貴族の間に信仰を広 げた。掲出は、一面三目、四臂の憤怒像で、怒 天を象徴する頭髪と胸前を髑髏で荘厳し、四 体の鬼と両脇に供香に勤める従者を配し、画 質は貴顕の信仰に耐える結構を示し、後代の 民間信仰の所産との隔絶を明らかにして、南 都佛画師の作であることを示唆する。作期に は、室町時代以前が想定されよう。なお、箱書 には「五大明王像」、巻止には「金剛夜叉明王」 の書付をみる。


②付木箱(桐) 絹本 金軸端 33×525 表具45×131 ヤケ シミ 青身に三眼四臂とし、双鬼を足下に して、右足を上げ、四方に四鬼を配す。 左に比べ、より密教尊への近接を濃厚 にする。室町後期の所産であろうか。




#042 紋柄威腹巻 付大袖 ¥2,800,000~
腹巻は前後立挙各二段、長側四段の構成。各立挙は黒漆塗の練韋本小札、長側は鉄の本伊予札を用い、紺絲地に香色絲二行を斜交させ た紋柄威としている。紋柄部分にかかる伊予札は銀塗として色を合わせている。三板は藻獅子韋を貼って金銅小桜鋲で留めており、色 糸の伏縫はあるものの小縁韋は褪色激しい。覆輪は鍍金魚子地に唐草毛彫。化粧板は菖蒲韋包とし、紅白水引を置いて菊葉透の入八双 金物で抑え留める。押付板に接続された肩上は練韋製で、藻獅子韋包に伏縫を施す。臆病板(背板)は基本的に仕立を通底するが、長側 部分の伊予札も練韋とする差をみる。隅入方形の総角付鐶の座金は、立挙一段目と化粧板を跨いで置かれる。草摺は七間(臆病板を合わ せると八間)五段威下げ、練韋本小札を毛引に威す。耳絲は矢筈打、畦目は啄木打とし、紅絲の菱縫二段を飾る。なお胴裏は各段を布包 とし、鞐は精緻な金銅製とする。
付属する六段大袖は本小札を重ねた上から黒漆塗し、紺絲で素掛に威している。冠板は黒漆素文で鍍金素文の覆輪を廻らし、化粧板 は腹巻に共通する。三段目に菊透の笄金物を据え、菊鋲頭の水呑鐶を打つ。裾には二段菱縫の痕跡のみを残す。



#043 白絲威腹巻 ¥4,500,000~


胴は練韋本小札を黒漆塗し、白絲で毛引に威した腹巻で、前後立挙を二段、長側四段とした通例に違わぬ構成としており、胸幅・腰幅 は凡そ同寸である。三板は黒皺韋を貼って金銅小桜鋲で打ち留めて鍍金素文の覆輪を廻らし、金銅枝菊透の入八双金物を充てて奈良菊 鋲で留める。各押付板は練韋肩上を丸鋲で接続し、また、其々の八双座に打つ八双鋲の一つを鐶として、後述の臆病板を使用せずとも袖 を具備できる。草摺は臆病板を除いて七間、内に撓んだ練韋五段を威下げ、裾は啄木畦目に紅絲菱縫二段を飾る。臆病板は二段目に菊花 透入隅座金の総角付鐶を打つ。また、草摺部分二段目のみ練韋でなく鉄小札である。胴裏は各段毎に茶革で包む。
袖は練韋本小札五段で折冠式。冠板は胴三板に通じ、化粧板は菖蒲韋包として紅白水引を置き、八双座三点で抑える。三段目隅に裏菊 座金の水呑鐶のみを打つ。
喉輪は鉄本小札二段で、藻獅子韋に小縁を伏縫して蝙蝠付する。杏葉一対は藻獅子韋に五星韋を伏縫して鍍金覆輪を廻らし、「隅切角 に三文字紋」の据金物を打つ。同紋は籠手の手甲、櫃にもみる。三具も附属し、鉄黒漆塗皺瓢籠手、練韋伊予佩楯、鉄錆地五本筒臑当が 添う。他に襟のみ亀甲金包とした満智羅も具わる。以上は総て、箔押韋の家紋を据えた一荷櫃に収まる。


#044 織田信長 天下布武黒印状幅
¥2,000,000.~ 付木箱(桐) 紙本 金軸端 455×28 表具595×119 ヤケ シミ スレ 織田信長(天文三・1534~天 正十・1582)は武将、尾張の人。 幼名吉法師。家督争いを制して 勢力を拡大、足利義昭を奉じ上 洛し、中央政権を樹立。明智光 秀の謀反により自害。



#045 豊臣秀吉 天正九年控幅 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 紙本 金軸端 405×29 表具54×122 ヤケ シミ スレ 豊臣秀吉(天文五・1536~慶長三・1598)は武 将。尾張中村で生まれ、幼名を日吉丸、籐吉郎と し、若くして織田信長に仕えて数々の戦いで功績 を挙げた。また信長が本能寺の変で明智光秀に討 たれると、山崎の戦いでその仇を討ち、天下統一 をなした後は関白、太政大臣に就いた。秀次に関 白を譲ったあと太閤と称した。

掟 一 陣 と り 并 路 次 中 亂 妨 狼 藉 地 下 人 ニ た い し 不 謂 族 申 懸 儀 一 銭 き り た る へ き 事 一 味 方 地 之 内 お し 買 放 火 等 堅 令 停 止 事 一 ぬ か 薪 さ う し 以 下 ハ て い し ゆ ニ あ ひ こ と ハ り も ら ふ へ き 事







#046 鉄黒漆塗二方白兜付紺絲威胴丸 ¥4,000,000~

兜 鍛え良い鉄板二十八枚を矧合わせ、都合二十二間とする。前後には黄銅板をおいて二方白とし、腰巻際には金銅魚子地唐草毛彫 の入八双金物を据える。魚子地の篠垂は前三行後二行とし、小刻座金に五点の小鋲で留める。二方白の隣左右各五行に星鋲を一行九点、 各筋際に打つ。鉢左右は黒漆素文とし、黄銅板を置いた痕跡もない。天辺の八幡座は金銅菊葉透の丸座を底として裏菊、小刻、玉縁を重 ねる。響孔は低い位置に穿ち、笠印付鐶は素文の鋲頭とする。眉庇は菖蒲韋小縁を伏縫した絵韋貼で、小桜鋲で留め、唐草毛彫の鍍金覆 輪を廻らす。絵韋は藻獅子に思われるが、劣化進んでおり判然としない。中央には黒漆祓立台を置き、金銅唐草透の鍬形台を被せ据える。
鍬形台には七宝唐花紋を対称に散らす。鍬形は黄銅製。吹返は二段仕立とし、一段目は眉庇と同工として「丸に三ツ松皮菱紋」の据金物 を打つ。二段目は啄木畦目に紅絲菱縫二段を飾り、これは肩摺板に通ずる。 は両面黒漆の鉄切付札四段を萌葱絲で毛引に威す。耳絲は 亀甲打。
面具 鉄錆地烈勢頬。頬皺、頬骨を打出す。精悍な顔つき、大きく開いた口、耳輪・耳垂が外に反るなど特徴的な表情をしており、モ デルの存在を想像させる。髭はその痕跡のみを残し、歯金具をもたない。鼻金具は鋲留され着脱を否定する。垂は三段、 と同工として 蝙蝠付とする。仕付部分は啄木絲で菱綴して金銅菊透の入八双金物三で抑え、左右を菊鋲、中央は眉庇据紋と同紋を鋲頭に据えた鐶を 打つ。裏は白檀塗。
胴 鉄韋交の本小札を紺絲で毛引に威し、前立挙二段、後三段、長側四段に構成し、右の引合せとした胴丸とする。胴裏は各段を茶革 で包む。金具廻りは眉庇に通底し、立挙には面具垂と同工の入八双金物を用いて菊鋲で抑え留める。肩上も同様の絵韋貼とし、同据紋の 杏葉を紐付けする。背は金銅菊透の座金とした総角付鐶を打つ。合当理の枕を具え、木胎錆塗の丸受筒が附属するが、本具ではないだろ う。草摺は練韋八間五段威下げ、胴と同じく亀甲打の耳絲とし、啄木畦目に菱縫二段を飾る。
袖 練韋七段の大袖。冠板は正平韋貼して鍍金覆輪を廻す。化粧板は爪菖蒲韋に紅白水引として金銅唐草毛彫の入八双金物三で抑え、 菊鋲各二で留める。笄金物は唐草毛彫し、素文鋲頭の水呑鐶を打つ。仕立は総じて他部位と異なり、寄せの可能性を否定し得ない。
三具 細く撓んだ鉄錆地五本篠の籠手で、上膊は平四ツ目の切鉄を散らして防禦とし、親指金物にも同紋を飾る。手甲は切鉄梅花を 大きく据え打ち、掌部の家裏に銘見孔を設ける。銘は左右に「長曽祢」「興寛工」と鐫る。長曽根興寛は江戸初期の甲冑師で、武蔵国に住 したことが知られる。佩楯も籠手と仕立や鉄味を同じくし、臂金を据え、剣唐花菱を散らした鎖を家地に綴付ける。菖蒲韋と正平韋を同 幅に蛇腹伏した力韋、一文字を付す。踏込はない。共立挙の三本筒臑当は後補の可能性を指摘させる。 付属 毛沓が添う。大振りの素木具足櫃には、片喰紋を毛彫した素銅の隅金物を打つ。



#047 無銘「伝(西蓮)」 刀 付白鞘 ¥1,500,000~ 付紫刀袋 特別保存刀剣鑑定書(日刀保) 長さ二尺六寸 反り八分
目くぎ穴二 差表鎬地総体肌アレ 差裏鎺元付近平地肌アレ 香川ろ第2840号 西蓮は鎌倉時代に活躍した筑前の刀工。名国吉、剃髪して西蓮を称す。蒙古襲来の前後にあって、鎮西談義所に身をおき作刀したとさ れる。




#048 出羽大掾国路 刀 付白鞘 ¥1,500,000~ 付木箱(桐) 紫地丸紋刀袋 特別保存刀剣鑑定書(日刀保) 長さ8165
反り145 目くぎ穴3 裏銘:出羽大掾藤原国路 福岡県第45852号


#049 無銘「南紀重国」 刀 付白鞘 ¥1,400,000~ 付亀甲文刀袋 保存刀剣鑑定書(日刀保) 長さ751 反り18
目くぎ穴2 差表中程平地鍛キズ 栃木県第53538号


出羽大掾国路(天正年間~歿年未詳)は刀工。三品派に学び、堀川派の祖・堀川国広の門人となる。国広の歿年(慶長十九・1614)前 後に出羽大掾を受領。はじめ国道と鐫り、慶長十四年(1609)頃から国路を名乗る。



南紀重國は大和国出身の刀工、或いはその一派。初代重國は名を九郎三郎と云い、大和手掻派の末葉と伝える。徳川家康に招聘され駿 府に渡り、のち紀州徳川家祖・頼宣に従い紀州に移った。大和伝、相州伝を能くし名工と謳われた。以降数代に亘り紀州お抱え刀工を務 めた。







#050 伯耆國吉幸 刀 付白鞘 ¥1,000,000~ 付縞刀袋 甲種特別貴重刀剣認定書(日刀保) 長さ723 反り15 目くぎ穴2 棟鎺元付近サビ 差裏中程平地小サビ 白鞘ヨゴレ 表銘:伯耆国藤原吉幸 裏銘:明治二年(1869)正月日 島根県第16927号 得能一男鞘識 吉幸(文化十一・1814~明治十九・1886)は出雲国の刀工。本名藤四郎。山崎平右衛門吉広の子で、清水圓造正吉の養子となる。天保 十五年(1844)に刀鍛冶として独立開業したようだが、その師系統は不明。所謂「勤王刀」と呼称される、幕末における身幅重ねの厚い 刀を能くした。
鞘書:得能一男(昭和八年・1933~平成十四・2002)は刀剣研究家。富山県に生まれる。近藤鶴堂、村上孝介に学ぶ。昭和四十七年 (1972)刀剣研究連合会を創設、機関誌『刀連』刊行。このほか伝統刀装工芸会代表、文化庁登録審査委員などを歴任。


#051 無銘「波平」 脇差 付白鞘
¥1,000,000~ 付紫刀袋 保存刀剣鑑定書(日刀保) 長さ364 反り08 目くぎ穴2 差裏物打ち刃中小鍛キズ、中程刃境鍛キズ 東京都第216071号




#052 三十二間総覆輪兜付金札紅絲威二枚胴具足 ¥2,500,000~

付日本甲冑武具研究保存会認定書 「家次作」兜銘 兜 鉄板三十二枚矧合わせで、四段の張留鋲で留める。各筋間は打ち膨らませ、鉢総体を黒漆塗とし、 腰巻を含め各筋に覆輪し、猪目を透かした桧垣を置く。姿形は底面卵形で阿古陀的な膨らみを残す。八 幡座は六段、梨子地唐草毛彫の丸座を底として素銅菊透、裏菊、小刻、抱花に玉縁を重ねる。鋲飾は笠印 付鐶を稍高く打つのみとする。鉢裏、後正中に「家次作」の鐫銘をみる。

眉庇は絵韋貼で唐草毛彫の鍍金覆輪を廻らす。中央に枝菊透の鍬形台を置き、後方に反った鍬形を挿し、抜立台には木胎箔押で玉眼 の龍前立(折損)を迎える。
は両面箔押とした切付盛上の板札五段を紅絲で毛引に威す。耳絲は啄木打とするが、肩摺板には畦目菱縫 を付さず、枝菊透の風留金物五を打つ。吹返は二段で、一段目は絵韋貼(菖蒲韋小縁を蛇腹伏)として小桜鋲で留めて素文覆輪を廻らし、 二段目は啄木畦目と紅絲菱縫二段を飾る。漆の剥離など損傷を見受ける。
面具 鉄錆地烈勢頬。金銅歯を鋲留し、口髭に白毛を植える。耳に古風な六曜を透かし、鼻孔を猪目とし、顎先の丸汗抜孔は二点、先 端側には二段座金に玉縁を重ねる。頬に折釘、顎に緒便管を立てる。裏面を箔押とするが漆剥離をみる。垂は両面箔押の二段、一段目を 盛上板札、二段目を本小札とし、吹返と同仕立の絵韋で蝙蝠付する。各段両端には風留金物を打つ。垂裏は大きく剥離する。 胴 鉄盛上板札を紅絲毛引威し、前立挙三段、後四段、長側五段の二枚胴に構成する。胴裏は一面箔押革張。金具廻りは正平韋貼で金 泥覆輪とし、背板には吹返にみる枝菊据金物三を打つ。肩上は絵韋包、其々に裏菊座金の鐶を打つ。襟廻りは亀甲金を小桜韋で包み別種 の小桜韋で覆輪する仕立とし、家地には紺地藻亀文錦を採用する。菊座金の両乳鐶、枝菊透木瓜形座金の総角付鐶を打つ。練韋本小札三 段の栴檀、鉄一枚板に吹返と同仕立の鳩尾板を具備し、両板裏は勝虫文韋を貼る。草摺は練韋七間五段威下げ、各間裾板に風留金物を打 つ。
袖 両面箔押の練韋盛上札を紅絲毛引威とした七段大袖。耳絲と畦目の啄木打、風留は ・吹返に従う。冠板は吹返と同じくし、化粧 板は菖蒲韋包に紅白水引を置き、枝菊透の入八双金物三で抑え奈良菊鋲各二で留める。冠・化粧の二板は栴檀鳩尾に同じく勝虫韋を貼 る。四段目に枝菊透の笄金物に水呑鐶を打つ。裏は六段目まで矢摺韋を充てる。
三具 襟廻りを含め家地の仕立は一致を見ないものの、箔押の仕立など凡その方向性を揃える。鉄箔押の平瓢籠手は紺地花文家地に 藍韋覆輪、練韋伊予佩楯は踏込を付さず、於女里付の絵韋一文字と力韋は蛇腹伏を他と異にする。家地は紺地唐草錦として小桜韋覆輪。
臑当は鉄白檀塗の七本篠、家地を浅黄地金襴とし、立挙は亀甲金を紺羅紗で包む。 付属 日月軍扇が添い、黒漆塗唐櫃に収まる。




#053 相阿弥 鮎画幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内識桐) 展示用工芸幅(付杉箱) 所載目録 紙本 牙軸端 40×25 表具52×110 ヤケ シミ 『内田家某家所蔵品入札』(東京美術倶楽部/1932)所載 相阿弥(生年未詳~大永五・1525)は藝阿弥の子、能阿弥の孫。足利義 政の同朋衆。名は眞相、別に松雪斎、鑑岳と號す。父に画を習い、周文、 牧溪の画を慕った。また詩画や茶道にも造詣が深く、鑑識に精通してい た。阿弥派の集大成というべき『君台観左右帳記』『御飾記』を完成させ、 伝承作品は多いが実体は不明な点が少なくない。




#054 狩野山雪 朱衣達磨画幅 ¥1,500,000~ 付二重箱(内時代識桐 外黒塗) 所載コピー 紙本 牙軸端 51×116 表具66×205 スレ オレ キレ 『片岡家所蔵品入札』(東京美術倶楽部/1926)、『狩野山楽・山雪』(京都国立博物館/2013)所載 平成二十五年(2013)京博で開催された「特別展覧会 狩野山楽・山雪」は、その図録も含め、 充実した濃度の高い展観であった。掲出は、この展覧に供された山雪の一幅で、図録では「新発見 の注目作」として紹介される。「一見、簡単に描かれているようで、細部に注目すると、実にさま ざまな技巧を用いて」おり、「山雪の丁寧な仕事ぶりをよくしめす優品」との評にも首肯できよう。
掲出の達磨は朱衣を被着し、水平な岩座に端坐する。体は真正面を向けるが、首は稍右へ投げつ つ、視線は真正面に戻す。前掲図録では、繭形の膝や垂下する衣などの線対称的構図を含め、妙心 寺塔頭・天祥院伝来「白衣観音図」との類似性を指摘するが、掲出の旧蔵者・片岡直温が天祥院旧 蔵の山雪筆襖絵二点(「老梅図襖」・メトロポリタン美術館蔵、「群仙図襖」・ミネアポリス美術館 蔵)をも所蔵していた点に触れ、掲出「朱衣達磨図」が、「白衣観音図」や先掲襖二点と同じく、天 祥院に旧蔵されていた可能性を示している。本欄では深追いせず、今後の研究を俟つこととした い。






#055 円山応挙 郭子儀画三幅対 ¥1,000,000~
付三重箱(内金字識桑・応挙花押 中識桐 外溜塗杉) 32×97 表具48×188 ヤケ 「天明甲辰(1784)季夏」画中
東宮侍従長子爵入江為守中箱識 大岩を背に座す郭子儀を中心として、中幅ほか左右幅に配した子孫 がその長寿を祝す。応挙の描いた郭子儀は大乗寺襖絵や、三井記念美術 館蔵「郭子儀祝賀図(掛幅装)」を知るが、掲出は特に華やいだ雰囲気を 看取させる。
郭子儀(697~781)は中国唐代の武将で、安史の乱で武功を挙げて以 降、数代に亘って皇帝に仕えた。大変長寿であって子や子孫も多く、家 運隆盛・子孫繁栄の鑑として古来より好題とされる。
円山応挙(享保十八・1733~寛政七・1795)は諱は氐、のち応挙。号 は一嘯・夏雲・仙嶺・僊斎。通称主水、字仲選。京都に出、石田幽汀に つき狩野派を学ぶ。





#056 伊藤若冲 箕上親子鶏画幅 ¥2,000,000~ 付木箱(桐) 紙本 牙軸端 30×110 表具42×177 シミ 小穴 屑を残した箕の端に、鶏の母子が陣取っている。雌鶏は尻を正面に 向けて伏せつつ頸をもたげて画面右上を見遣り、母の陰に隠れた雛は、 おずおずと其方を窺う。箕の持ち主、母子の飼い主であろうか、右方か ら近づく人間の気配に気づいたかのように看取させるが、その空気感 は平穏無事そのもので、見る者の口元を緩ませる。
伊藤若冲(享保元・1716~寛政十二・1800)は画家、京都錦小路の 青物問屋枡屋に生れる。名汝鈞、字景和、別号斗米庵、米斗翁ほか。は じめ狩野派、のちに宋元明の中国画を学び、琳派の画風も取り入れ、 写実性に装飾性を加えた独自の作風を完成。生涯独身、晩年は山城深 草の石峰寺の傍らに閑居した。



#057 松村景文 秋草鶉画幅 ¥1,500,000~ 付三重箱(内識杉 中溜塗桐) 西村南岳折紙 絹本 唐木軸端 84×160 表具103×216 シミ ウキ オレ 虫穴 表具アレ 西村南岳箱識
松村景文(安永八・1779~天保十四・1843)は四条派の画家、京都の人。字士藻、号華渓、通称要人。呉 春の異母弟で、呉春に師事。写生画の花鳥をよくした。軽妙さが特色。兄とともに四条派の隆盛に尽力。

某大家蒐蔵
文人・増山雪斎とその周辺
#058から#073までの16点は、一人の蒐集子から出品を得たものである。このCollectionは、伊勢長島藩主であり、風流才子の人 であった増山雪斎と、その周辺に連なる南画家、文人たちの作品で構成される。特に雪斎の作品9点は、所謂「殿様芸」など遥かに 超越した画技を示して余りある優品揃いであり、他7点も非常に高い次元にある蒐集として注目されよう。#073は設定金額が下 限に満たないが、一連の蒐集品であることに鑑み本誌での紹介とした。
増山雪斎(宝暦四・1754~文政二・1819)は中国文化に傾倒し、多芸多趣味を極めた。また、書法・画法はそのほとんどを無師 独学で修めたと云うが、その墨画が来舶清人からも評価を得るなど、中国で生まれた「気韻生動」の精神を体現せんと努めた。詳 説は各図録に譲りたい。










#058 増山雪斎 花卉翡翠画幅 ¥1,500,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 所載コピー 絹本 雑木軸端 40×113 表具53×182 シミ 虫穴 表具虫穴 「乙卯(1795)夏日」画中
『お殿様の遊芸』展図録(板橋区立美術館/2006)、 『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、
『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 水辺に生える草花から蓮実の茎が細く伸び、翡翠がとまって水面を窺う。流水は明確にされず、ごく薄く墨を刷くのみとしているが、 却って画面の一瞬性を効果的に表現している。年紀から雪斎六十一歳の作と知れる。巣鴨に隠居し、遊芸三昧の日々を送った頃の作とな ろう。











#059 増山雪斎 花鳥画巻物 ¥1,000,000~ 付黒塗箱(杉) 所載コピー 紙本 唐木軸端 423×28 表具464×28 ヤケ 虫穴 『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、
『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 雪斎は鳥類の画譜作成にも熱心であったと指摘されるが、掲出もそのうちの一となろう。黄鳥(鶯)、燕、秦吉了(九官鳥)、鸚鵡、蝋嘴 鳥(シメ)、橿鳥(カケス)、鸚哥、翡翠、雀、鶉、白頭鳥(シロガシラ)、八哥鳥に種別不詳を加え、十三種二十四羽が描かれる。筆致は淡泊 ながら、どの鳥も生命感が横溢する。前掲『増山雪斎~大名の美意識』では、本図巻の作期を寛政年間かとし、「翡翠花卉図」(前頁#058) との関連を指摘する。その前後関係は定かでないにせよ、両者の密接な相関に疑う余地はない。前掲に倣って掲載した比較画像を参照さ れたい。




#060 増山雪斎 青緑山水画幅 ¥1,500,000~ 付時代箱(桐 貼札) 所載コピー 絹本 骨軸端 38×98 表具50×188 ヤケ 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載
享和元年(1801)、雪斎は長島藩主を退いて巣鴨に隠居した。致仕の理由は病であるとも、町年寄を罷免された木村蒹 葭堂を匿ったからとも云われるが、いずれにせよ、藩政から身を引いたことで、雪斎がより風雅に傾倒できるように なったことは想像に難くない。文化元年(1804)には「急度慎」という重罰の謹慎処分を受けてはいるが、病によって運 筆が覚束なくなる文化十四年(1817)頃までの間、雪斎は存分に風流に身を投じた。
年紀こそないが、掲出の「君選」白文印と「雪斎」朱文印は、「浅絳山水図(文化八年・1811 個人蔵)、「山水図」(文 化九年・1812 個人蔵)に確認できることから、掲出の作期もこの周辺、即ち、先述の雪斎円熟期における画作と云え よう。








#061 増山雪斎 歳寒三友白鷴画幅 ¥1,200,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 所載コピー 紙本 唐木軸端 93×176 表具111×211 シミ 『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 画面一杯に松樹一柱を描き、岩陰から竹と梅を松に添わせて「三友」とする。三友は梅 花のみを淡彩として清楚な画面構成とし、地面に番の白鷴(ハッカン)を描く。ハッカン は中国南部に生息する雉の仲間で、十五世紀中頃には日本に将来されたと考えられてい る。こうした珍鳥は、江戸時代には見世物としてお茶屋で飼育されたが、雪斎にもあるい は実見の機会があったやもしれない。文化年間後半頃の作が想定されよう。











#062 増山雪斎 富貴長生画幅 ¥1,200,000~ 付時代識箱(桐) 所載コピー 紙本 牙軸端 37×116 表具51×183
シミ オレ
『江戸の風流才子・増山雪斎』展図録(三重県立美術館/1993)、
『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、
『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 岩根から伸びる牡丹の花に揚羽蝶が飛来する。揚羽蝶は濃淡巧みに墨描きし、黄彩で斑点を施す。「括嚢小隠」の款記をもつ雪斎作品 で年紀を伴うものは未見であるとされるが、前掲『増山雪斎~大名の美意識』は、本図の作期を文化年間後半、雪斎晩年作と想定する。






風 雨 秋 山 晴 山 中 殊 寂 寥 時 任 牛 歩 却 得 近 家 橋

#063 増山雪斎 秋景山水画賛幅 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 所載コピー
紗綾地絵絹 唐木軸端 52×145 表具65×197 ヤケ シミ 「丙辰(1796)冬月」画中
『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 雪斎四十三歳の作で、その水墨技術の高さを存分に示す一幅である。画面手前に配した三本の 樹木の描き分けや、水辺の岩肌などにみる点苔など、南画特有の技法が効果的に用いられる。さ らに、仰角視・水平視・俯瞰視の「三遠」を交錯させる画面構成に纏められている。詳しくは前 掲図録に譲りたい。





#064 増山雪斎 水墨山水画賛幅 ¥1,000,000~ 付時代箱(杉 貼札) 所載コピー 紙本 唐木軸端 95×175 表具103×227 シミ オレ 「辛未(1811)仲冬下浣」画中 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載







#065 増山雪斎 水墨山水画幅 ¥1,000,000~ 付時代識箱(杉) 所載コピー 紙本 骨軸端 48×119 表具60×201 シミ オレ 表具虫穴 「壬申(1812)春日」画中 『お殿様の遊芸』展図録(板橋区立美術館/2006)、 『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)所載






#066 増山雪斎 水墨丈菊画幅 ¥1,000,000~ 付識箱(桐) 所載コピー 紙本 唐木軸端 45×144 表具62×203 スレ オレ 大雅堂定亮箱識 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 画面左下から中央に向けてやや斜行し、光屈性によって垂直に伸びた茎に、大輪の花が二つ、 表向きと裏向きで描かれる。「丈菊」とは、今や身近な存在である「向日葵」のこと。ながら、 江戸時代においては必ずしも好まれた植物とは云えない。
そもそも向日葵は北アメリカ原産であり、探検家・コロンブスによってヨーロッパに持ち帰 られ、寛文年間に中国経由で本邦に齎された、という経緯がある。従い、当然ながら、中国や 本邦の画題として確立されたものではなく、園芸という側面では、本草学者・貝原益軒をして 「花ヨカラス最下品ナリ」(『本草綱目』)とまで言わしめるほどであった。位置づけとしては 「珍花」とでもなろうか。現に、丈菊を好んで題材としたのは、酒井抱一をはじめとした琳派 くらいなものであろう。
雪斎が「丈菊」を描いたことについて、雪斎の代名詞とも云える「虫豸帖」を描いた際の逸 話に牽強付会してみたい。すなわち、「虫豸帖」のために採集した虫類を「是吾友也」とし、そ の遺骸を小箱に収め、雪斎歿後に遺志によって供養された、というものである。「是吾友也」 の言は、虫の遺骸を供養した寛永寺勧善院の「蟲塚」にある碑文に残されている。ともすれば 嫌悪の対象ともなる虫たちを友と呼んで大切にした雪斎ならば、丈菊に対しても同じ慈愛を 注いだのではなかったか。

『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載 春木南溟(寛政六・1794~明治十一・1878)は春木南湖の子で、江戸に生まれる。名秀煕、 字敬のち子輯、別号耕雲漁者。父・南湖は増山雪斎臣下で、その命を受けて長崎へ遊学し、張秋谷らに 代表される南蘋派の法を修めた画人であり、南溟はその父に師事。南溟は父の画法を受け継ぎながらも、 雪斎や父南湖がそうであったように、気鋭の画技を積極的に摂取した。それは宋元画の模写や、西洋画 への興味からも窺い知れる。結果、山水人物花鳥に長じ、またその穏和な性格も相まって、三条公、細 川侯らの寵愛を受けた。特に山内容堂は、自身の別邸の隣に家を建て、南溟を住まわせるほどであった。








#067 春木南溟 富士川暁渡画幅 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 所載コピー 絹本 唐木軸端 45×110 表具59×196
『江戸の風流才子・増山雪斎』展図録(三重県立美術館/1993)、
『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、







#068 春木南溟 梅渓高士画賛幅 ¥1,000,000~ 付時代箱(桐)
所載コピー 絹本 骨軸端 55×119 表具71×203 ヤケ シミ 「丁卯(1867)桂月上浣七十三叟」画中
『増山雪斎~大名の美意識~』(桑名市博物館/2007)、 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載
河沿いに咲き誇る梅と飛翔する鶴を描いており、中景に描かれる高士が林和靖であると 知れる。林和靖は北宋の隠士であり、文人に好んで描かれた。





#069 春木南溟 梅花寿帯鳥画幅 ¥1,000,000~
付二重箱(内識桐 外溜塗) 絹本 牙軸端 51×121 表具66×214 シミ 春木南江箱識
寿帯鳥はヒマラヤ地方などに生息する山鵲(サンジャク)をモデルとしており、番になる と一生を添い遂げることから、夫婦円満をあらわす吉祥画題とされる。掲出は、白梅の樹に 番の寿帯鳥が留まり、更に深紅の牡丹が画面右下から枝を伸ばす。






#070 春木南溟 秋鹿冬鷹画双幅 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 所載コピー 絹本 陶磁軸端 34×98 表具48×167 ヤケ シミ 『没後200年記念増山雪斎展』(三重県立美術館/2019)所載






#071 十時梅厓 山水画賛幅 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 所載本 紙本 唐木軸端 32×85 表具47×165 シミ 虫穴 表具ヤケ、スレ
『水墨美術大系/別巻第一 日本の南画』(吉澤忠/1976)所載
十時梅厓(寛延二・1749~文化元・1804)は大坂の人で、伊藤東所の下で儒教経典の解釈学(経学)を学んだ儒者であ る。若くして書法を趙陶齋に学んだが、陶斎は篆刻や絵にも長じ、梅厓もその影響を受けたとみられる。梅厓は書画に対 する熱を強め、長崎遊学で費晴湖ら来舶清人と交流した後、泉州の豪商・食野家が所蔵する優品の臨模に明け暮れた。
増山雪斎との交流は、雪斎が大坂城加番として赴任したことに始まる。この在坂中、雪斎は陶斎に会って書法を学んだ と、自著『松秀園書談』に記している。陶斎に付き従って大坂城に出入りした梅厓は、雪斎の知遇を得、長島藩の藩儒に任 用された。梅厓は藩校の整備に勤めつつも、雪斎と文雅に興じた。
掲出は、自詠七絶の下、水墨淡彩で山水を描く。秋の明け方、欄干によりかかって対岸を見遣る人物を近景に小さく、遠 景に朝陽を浴びた山々を置いており、幾分情緒的な七絶の情景を映し出す。詩・書・画すべてに秀でた者あるいは作品を して「三絶」と云うが、梅厓は正にこの境地に立っていよう。




#072 山本梅逸 幽谷花鳥画幅 ¥1,000,000~
付二重箱(内貼札識桐) 絹本 牙軸端 35×115 表具44×191 「辛丑(1841)春」画中
山本梅逸(天明三・1783~安政三・1856)は尾張名古屋藩の御用絵 師、名古屋の人。名親亮、字明卿、別号玉禅居士ほか。神谷天遊に師事。
師歿後上京、その後各地を遍歴。艶麗な花鳥画に特色がある。同門の中 林竹洞と親交、名声を競う。安政元年帰郷し藩の御用絵師格となった。





#073 谷文晁 寒山騎行画幅 ¥600,000~ 付二重箱(内識桐) 絹本 牙軸端 38×104 表具53×187 ヤケ 「辛酉(1801)十月」画中 谷文晁(宝暦十三・1763~天保十一・1841)は画家、 江戸の人。田安家の家臣で漢詩人の谷麓谷の子。名正 安、初号文朝、師陵、別号に写山楼、画学斎、無二、一 恕。法眼に叙された。加藤文麗、渡辺玄対、鈴木芙蓉に 画を学んだ。和漢の古典絵画や文人画、南蘋派、西洋 画などを学び写生的な風景画、また肖像画にも優れた 作品を残した。諸国巡歴し古文化財を調査し『集古十 種』編集に参加した。




#074 龍右衛門 女面 ¥2,500,000~ 付面箱(杉) 面袋 14×21「タツエモン」彫銘 面裏の彫銘の「タツエモン」の刻字を「龍右衛門」と読んだ。
「京都四条の人で、石川龍右衛門重政といい辰右衛門とも書く。もっとも若い男と女の面をよくした。
能面独特のあの一見無表情とも見られる静止的な美しい表現は、龍右衛門が工夫したものといわれる。
『仮面譜』によればこの人は弘安ころの人とあるが、福来と同じころに活躍したものとおもわれる」。
『能狂言面』金子良運編/至文堂.1975(昭和50)P75




#075 出目是閑吉満 長霊癋見 ¥2,000,000~ 付面箱(桐) 面袋 15×205「天下一是閑」焼印 是閑吉満(生年未詳・大永七頃~元和二・1616)は三光 坊の弟子・幸賢に学んだ面打師。是閑の家系は越前出目家の 分家にあたり、福井大野に住んだことから「大野出目家」と 呼ぶ。是閑はその初代とされる。




#076 出目是閑吉満 三光尉 ¥2,000,000~ 付面箱(桐) 面袋 15×21「天下一是閑」焼印




#077 出目友閑満庸 曲見 ¥2,000,000~
付面箱(桐) 面袋 14.5×21.5 「天下一友閑」焼印 友閑満庸(生年未詳~承応元・1652)は面打師の家系・ 大野出目家の二代目。




#078 伝大宮大和 顰 ¥1,500,000~ 付面箱(桐) 面袋 165×21「大和打 九十九洋外史(山内容堂)」朱識
山内容堂(文政十・1827~明治五・1872)の朱識により、「大和」 により打たれたと極められる。「大和」を名乗る面打師に、春日神職 でもあった大宮大和真盛(生年未詳~寛文十二・1672)が知られる。 真盛は、井関家重(天正九・1581~明暦三・1657)随一の弟子であ り、天下一の称を許された。




#079 出目満永 痩男 ¥1,500,000~ 付面箱(桐) 時代面袋 15×20 「享保十四己酉(1729)五月調 痩男 古元休」朱識 出目満永(生年未詳~寛文十二・1672)は面打師。通称源助。越 前出目家三代・秀満の子で、四代目を継ぐ。のち江戸に移ったため、 江戸出目家初代に位置づけられる。号を古源休(或いは古元休)と する。なお掲出裏面の朱漆極書は、因州池田家の調書と云う。






#080 出目栄満 小飛出 ¥1,000,000~ 付面箱(桐) 面袋 145×21 ワレ接合補修 「出目栄満」焼印 「小飛出」朱識
出目栄満(生年未詳~宝永二・1705)は面打師。越前出目家四代・古源休満永の弟子で、のち養子となって 分家、「弟子出目家」を興した。古元利とも称す。




#081 出目友水 大癋見 ¥1,500,000~ 付面箱(桐) 面袋 16×21「出目友水」焼印 出目庸久(生年未詳~明和三・1766)は面打師。通称杢之助、友水と号す。大野出目家六代・甫閑満猶の子で、 七代目を継ぐ。同家四代・洞白満喬以来の名工との評もある。




#082 孫次郎 ¥1,500,000~ 付面箱(桐) 面袋 135×21 ヒビ シラセカンナ 花押彫 貼札



#083 万媚 ¥1,500,000.~ 付面箱(桐) 面袋 13.5×21



#084 若女 ¥1,000,000~ 付面箱(桐) 面袋 135×21



#085 増女 ¥1,500,000~ 付面箱(桐) 時代面袋 14×21




#086 深井 ¥1,000,000~ 付面箱(杉) 面袋 14×21「増」の朱書をみるが、毛描に従い深井とした。



#087 赤般若 ¥1,000,000~ 付面箱(桐) 面袋 17×24

昭和五十九年(1984)一月、金剛巌(金剛流宗家二十五代) 監修、北村哲郎(元文化庁監査官)指導のもと、河合太三(河 合美術織物会長)率いる職能集団により桃山期から江戸期 に亘る能装束の復元品が十領完成した。今回の出品はその 十領の控になる。
原糸・意匠・染・そして手織にこだわった装束裂は西陣 全盛期の最高技術の結晶であり、織物業界の象徴的事績で あろう。
豪華絢爛、綾羅錦繍の唐織十領を一つずつ紹介する。また、 全ての品に当時の目録が付属する。

#088 紅地桜に鳳凰波に鴛鴦文様唐織
¥1,500,000~ 付衣桁 畳紙 所載本 153×167×58 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 江戸中期作とされる縫箔の現品を、図柄と配色だけを模して 唐織で再現する。右肩から左裾にかけて背を斜に区切る構図の 大胆さに驚かされる。演目「斑女」「江口」で使用。


#089 青海波取り雪輪に菊花文様唐織
¥1,000,000~ 付衣桁 畳紙 所載本 155×165×55 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載
一面に半円の雪持菊花を重ねて「青海波取り」とする。青海 波文様の歴史は古く、五世紀頃の女子埴輪上衣にも確認出来 る。原品は江戸中期制作で、肥後細川家ゆかりの大名家に伝来 した。演目「姥捨」「関寺小町」で使用される。


#090 七宝綾杉牡丹菊花熨斗文様唐織
¥1,500,000~ 付衣桁 畳紙 所載本 154×160×55 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 紅・白・萌黄の三段替とし、七宝繋と綾杉の地文を交互に 置き、牡丹と菊の折枝を奉書で包んで水引を掛けた「花熨斗 文」をあしらう。演目「熊野」「船弁慶」で使用。


#091 金地撫子蝶文様唐織 ¥1,200,000~
付衣桁 畳紙 所載本 154×164×57 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載
金箔糸を密に織込むことによる「金地」に、撫子と蝶を織り 出す。本三番のシテなど、高貴さ、優美さを求められる役には、 胴箔など、掲出のような絢爛な唐織も用いられてきた。演目 「葵上」「紅葉狩」。


#092 段織薪に秋草文様唐織 ¥1,300,000~
付衣桁 畳紙 所載本 153×164×56 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載
紅・黒紅・水浅葱の三段に区切り、青海波と「薪に花」、「垣 に秋草」を配す。総じて、日本人に身近な秋の情景を意匠化す る。演目「野宮」「井筒」で使用される。なお原品は江戸後期の 作。


#093 白地紗綾形に亀甲花文様丸散唐織
¥1,000,000~ 付衣桁 畳紙 所載本 150×162×54 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 白地に紗綾形の地文を敷き、二種の丸文を散らす。一種は亀 甲繋、もう一種は花文で、籬菊や牡丹、水仙、撫子などを織り 出す。現品は江戸後期の縫箔であり、縫箔にしてはあまり類例 をみない意匠であるが、加賀前田家伝来品に掲出に酷似した 作が保存されていると云う。演目「大江山」「羽衣」「田村」で 使用される。


#094 花菱繋翔鳳菊牡丹桜文様唐織 ¥1,200,000~
付衣桁 畳紙 所載本 154×163×55 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 江戸中期作の縫箔を唐織で復元する。花菱繋の地文に種々 の草花、鳳凰を配す。演目「玉ノ井」「天鼓」「須磨源氏」で使 用される。


#095 紺茶地段菊撫子露芝文様唐織 ¥1,200,000~
付畳紙 所載本 156×167×57 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 紺・茶の二段とし、菊・露草・撫子を段に配した紅無である。 中年以上の女性役に採用されるもので、配色や草花文も相応し い。演目は「砧」「芭蕉」「柏崎」で使用。


#096 紅地唐草扇面散し文様唐織 ¥1,000,000~
付衣桁 畳紙 所載本 154×160×55 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 紅地に三様の扇を散らし、隙間に唐草を這わす。地紙部分に 織り出された花鳥を含め、長寿延命などを象徴する吉祥文様 で埋め尽くされる。演目は「猩々」「加茂」。


#097 紅地菊折枝桐亀甲文様唐織 ¥1,000,000~
付衣桁 畳紙 所載本 152×164×55 『能装束名品(復元)集』(河合美術織物/1984)所載 桃山時代の能装束の中には、豪華な打掛を仕立て直したと想 定される遺例を多見する。掲出の原品にもそうした伝承があり、 池田輝政(1564~1613)夫人・糸子所用の打掛を転用したとす る。原品は文様配色に桃山期の特徴を看取させるほか、当時の 打掛に特徴的な幅の狭い袖に別裂を縫い足して幅を広げるなど、 その伝承を首肯させる痕跡を残す。演目「当麻」「大原御幸」で 使用される。


#098 香木 ¥2,000,000~ 12×9×17 560g 不沈水

#099 香木 ¥1,500,000~ 17×7×55 166g 不沈水

#100 香木 ¥1,000,000~ 35×14×10 299g 不沈水





#101 伝春正 唐草蒔絵繭形香合 ¥1,000,000~ 付識箱(桐 貼札) 緞子仕覆 85×6×5
内梨子地 「若松」箱印 寛如庵珍蔵 外箱の蓋甲に「御香箱 若松印」、貼札には「時代研出唐草蒔絵香筥」。蓋裏には、長文の書付を消した痕跡。蓋表の「若松印」は、大正 天皇の第二皇子、秩父宮雍仁親王の御印である。
日本の工芸は、明治時代に「明治工藝」とも別称する超絶技巧の美術工芸品を生みだすが、貼札の書付によって、旧蔵者が、それらに 先行する前時代の作品を想定していたことを教える。
形姿は繭形とし、精密な蒔絵の超絶技巧を振るいながら、金銀の花唐草のなかに、赤漆の果実を混在せしめ、その重層によって、神秘 的で艶やかな表現を成功させ、御所に相応しい品格を保持している。まさに「蒔絵の宝石」と呼ぶに相応しい。
春正家は京都、のち名古屋を拠点とした漆匠の名家だが、代々が春正を襲名しており、特定には至らない。





#102 建盞天目茶碗・黒漆塗天目台 ¥1,500,000~ 付古筆了仲折紙
天目茶碗:付時代識箱(桐 貼札) 仕覆 12×12×6 銀覆輪 天目台:付時代識箱(桐・虫喰 貼札) 17×17×65 ウキ、塗補修



#103 千利休・宗旦 風炉切型双幅 ¥1,200,000~ 付時代箱(桐) 紙本 唐木・黒塗軸端 35×23 表具47×117ほか ヤケ
千利休(大永二・1522~天正十九・1591)は茶人、侘び茶の完成者。和 泉堺の魚問屋に生れる。幼名与四郎、法名宗易、別号抛筌斎。大徳寺の大 林宗套に法嗣を受け、武野紹鴎に茶の湯を学ぶ。織田信長・豊臣秀吉に 仕えた。秀吉の北野大茶会の茶頭として尽力。
元伯宗旦(天正六・1578~万治元・1658)は千家第三世。千利休の孫で 少庵(二世)の子。号を咄々斎、咄斎とし、茶禅同一味(禅と茶は一つ)を 説き侘茶に徹した茶人。





#104 津田宗及 信長茶会記幅 ¥3,800,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 古筆了延極札 紙本 潤塗軸端 36×22 表具38×96 ヤケ スレ オレ
掲出は天正二年(1574)五月二日付、御殿様(織田信長.1534-1582)茶会を記 録したもので、文面に登場しない津田宗及(生年未詳-1591)の筆と極められる。
竹本千鶴『織豊期の茶会と政治』(思文閣出版/2006)に言及がないため、信長の 茶会記として新出となろう。会が催された場所は定かでないが、当会前月の 信長は相国寺で茶会を開いており、当会三日後には賀茂競馬に出席している。
掲出は、「御床 晩鐘」(松永久秀旧蔵・玉澗筆「煙寺晩鐘」)をはじめとし た道具の取り合せと、会席の献立が記されている点が注目される。また、取り 合せは信長によるものではなく、信長の茶堂も務めた松井友閑の考案である ことも特筆されよう。


御 礼 忝 御 免 申 候 か し く 明 朝 為 御 礼 芳 墨 忝 存 候 ゆ る く と 御 出 待 申 候 奉 期 拝 面 之 節 候 恐 惶 十 八 日 重 然 花 押 古 織 部 浅 弾 正 様 御 報 重 然







#105 古田織部 竹茶杓 付消息幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内時代識杉) 覚々斎追筒 総長18
消息幅(43×32 表具45×109 紙本 黒塗軸端 ヤケ オレ 表具ヤケ、虫穴) 古筆了悦箱識 古田織部(天文十三・1544~慶長二十・1615)武将。山城西岡城主。従五位下織部正。徳川将軍家の茶道師範。はじめ中川秀成、のち 豊臣秀吉に仕え、九州の役、小田原の陣に従軍。利休七哲の一人。沓形茶碗の創始、キリシタン文様の採用など器物の意匠に工夫をこら し、後の茶道に大きな影響を与える。大坂夏の陣で大坂方に通じたことが発覚、伏見邸にて自刃する。
追筒:覚々斎宗左(延宝六・1678~享保十五・1730)は表千家六代。号は原叟、流芳軒。久田宗全の子で、五代随流斎の養子となって 六代を継承。紀州徳川家、頼方に仕えた。
箱識:古筆了悦(天保二・1831~明治二十七・1894)は古筆宗家第十二代。




#106 織田有楽斎 書状幅 ¥1,000,000~ 付二重箱(内時代貼札識桐) 古筆了意、了延極札
紙本 黒塗軸端 48×17 表具50×107 シミ オレ 表具シミ 井関妙持に宛てた茶事招待の消息と見受ける。妙持に加えて泰心・通心の両名の同伴を誘っており、その仔細は未 詳ながら、有楽と妙持に共通の茶友であったと推察される。
井関妙持(生歿年未詳)は西陣の織屋、旦那衆。元亀二年(1571)には大舎人座六人衆の一を務めるほどの町衆で、 千少庵(天文十五・1546~慶長十九・1614)との親密な交友が知られている。
なお、掲出は森川如春庵旧蔵の伝承をもつ。如春庵(明治二十・1887~昭和五十五・1980)は尾張の数寄者、本名勘 一郎。益田鈍翁に倣って農家を移築して茶室とし、3,000回を超える茶事を催したとされる。「佐竹本三十六歌仙絵巻」 裁断においては柿本人麻呂を引き当てた豪運でも知られる。
織田有楽(天文十六・1547~元和七・1621)は織田信長の弟で信長の覇業を助け、本能寺の後は秀吉の御咄衆とし て仕えた。利休七哲の一人。
来 五 日 之 昼 一 服 可 申 候 間 泰 心 通 心 両 人 御 同 心 候 而 待 申 候 返 事 ニ 可 承 候 恐 々 謹 言 十 月 二 日 有 楽 花 押 妙 持 老






#107 松平不昧 名所和歌巻物 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 紙本 牙軸端 238×33 表具270×33 シミ オレ 「安永五年申(1776)極月」巻末識 松平不昧(宝暦元・1751~文政元・1818)は出雲松江七代藩主。茶人大名として有名で、自ら不昧流を創った。また 美術品の収集や書道、和歌、俳句などの諸芸にも力を注いだ。

金泥を刷いた料紙を三枚継ぎ、一行一首として計九十六行書き連ねる。「名所和歌」の表題通り、古来からの名所に取材した和歌を撰 んでいるようで、摂津国生田の浦を詠んだ「幾度か いくたの浦に 立かへり 波に我身を 打ぬらすらむ」(『後撰和歌集』詠人不知) に始まり、「住よしの うらの玉もを むすひあけて なきさの松の かけをこそみめ」(清原元輔)で締めくくる。末文は「安永五年申 極月於燈下書之」とし、不昧二十六歳の作と知る。款記は「不昧」、「松山城主」白文印と「治郷」朱文印を捺す。なお、不昧の号について は、明和八年(1771)に臨済僧・大巓宗碩より授けられている。


#108 古芦屋真形釜 ¥1,500,000~ 付時代識箱(杉) 銅蓋 28×28×17
竹梅芦鷺地紋 大西孝信箱識 筑前国遠賀川の河口付近「芦屋津」で鋳造された茶湯釜を総称して「芦屋釜」という。当地は元々梵鐘や燈 籠を制作したらしく、鋳銅吊燈籠としては最古の紀年銘をもつ重要文化財(厳島神社蔵)などが知られる。茶 湯釜として文献に登場するのは嘉吉三年(1443)を端緒とし、当地を治めていた大内氏の庇護の下に芦屋釜 は隆盛した。その姿は真形が多く、特に桃山以前の作は「古芦屋」と呼んで珍重される。芦屋釜は同氏の滅亡 と京釜の興隆により斜陽に向かい、江戸前期には衰亡した。














#109 瀬戸茶入 ¥1,000,000~ 付三重箱(内識桐 中黒塗貼札識桐) 鉄刀木挽家 55×55×75 口辺共色補修 内箱歌銘 中箱霊水庵(益田紅艶)貼札 外箱小堀宗明箱書 銘「白山」 中箱:益田英作(慶応元・1865~大正十・1921)は益田鈍翁の弟。三井物産に入社し、江戸千家・ 川上宗順に師事して茶の湯を学ぶ。同社退職後には、古美術商・多聞店を開いた。号紅艶、霊水庵。
外箱:小堀宗明(明治二十一・1888~昭和三十七・1962)は遠州流茶道十一世。





#110 大西浄林 松鶴地文霰三重釜 ¥1,000,000~ 付時代溜塗識箱(杉) 銅蓋 「寛永年時代」大西浄長折紙 27×27×17
大西浄林(天正十八・1590~寛文三・1663)は、釜師大西家初代。山城の国・南山城広瀬村の出身。当時の草庵風の京作とは異なる 書院風の独自の作風を確立した。
折紙:大西浄長(慶応元・1865~昭和十八・1943)は十三代大西清右衛門。浄典の長男。幼名清三郎、諱孝信。十一代浄寿、玉村徳兵 衛に師事。惺斎宗左より浄長の号を受ける。山元春挙や橋本関雪の下絵を釜に鋳込み新しい京釜の展開を試みた。





#111 備前釣瓶形水指 ¥1,200,000~ 付二重箱(内識桐) 黒塗蓋(ソゲ) 19×19×175「上々」底彫銘 藪内休々斎箱書 箱書:藪内休々斎(天保十一・1840~大正六・1917)は藪内流十代竹翠紹智。もとは加賀大聖寺藩茶道頭兼典医の福田氏、藪内家に 迎えられる。明治十一年(1878)北野大茶湯を再興。




#112 宝城粉引平茶碗 ¥1,000,000~ 付黒塗識箱(桐) 片身替仕覆 16×155×45 銘「山法師」
李朝初期頃、全羅南道宝城郡で焼かれた粉引の碗を指して「宝城粉引」と云う。





#113 井戸茶碗 ¥2,500,000~ 付時代黒塗識箱(杉)
「伊予松山久松伯爵家伝来品」紙札 165×165×65 ヒビ 金、銀補修





#114 野々村仁清 掛分茶碗 ¥1,500,000~ 付時代黒塗箱(杉) 仕覆 12×12×8 口縁小ヒビ 底印
野々村仁清(慶長元・1596~万治三・1660)は陶工。丹波国桑田郡野々村出身。通称 清兵衛・清右衛門。色絵陶器の創始者。作風は清純優雅で蒔絵風のものがある。京焼の 巨匠である仁清だが、わずかに画作もある。








#115 野々村仁清 三玄院天目茶碗 ¥1,000,000~ 付時代箱(桐 貼札) 12×12×65
べた底の高台に「三玄」の墨書をみる。仁清も京焼諸窯に違わず、初期には瀬戸や唐物 の写しを焼いており、特に大徳寺塔頭・三玄院に納められた天目写の数茶碗は、「三玄院 手」「三玄院天目」などの言を伴って後世に伝わることとなった。
野々村仁清(慶長元・1596~万治三・1660)は陶工。丹波国桑田郡野々村出身。通称清 兵衛・清右衛門。色絵陶器の創始者。作風は清純優雅で蒔絵風のものがある。京焼の巨匠 である仁清だが、わずかに画作もある。






#116 伊賀双耳水指 ¥1,500,000~ 付時代識箱(杉 貼札) 共蓋 20×17×17 ヒビ





#117 信楽蹲 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 12×12×12 口辺ソゲ 速水宗達箱書 「天濃梨壺」蓋甲書付
速水宗達は、又玄斎の膝下にあって、その博覧強記と人格を認められ、立流を許された茶人で ある。その特色は、茶道に公家文化の妙を積極的に取り入れたあたり。
掲出の蹲の銘は、「天濃梨」(てのり)。同席一同の頬を緩ませないではおかない。
速水宗達(元文四・1739~文化六・1809)は京都生まれの茶人。速水流開祖。幼名は亀治郎。
字は希棟。号は養寿院・滌源居。裏千家又玄斎にまなぶ。聖護院宮、岡山藩主などの茶道指南を つとめた。







#118 伊賀水指 ¥1,300,000~ 付識箱(桐) 伊木三猿斎作陶蓋(彫銘) 15×14×27 大ヒビ補修 改掛花 即中斎箱書 蓋:伊木忠澄(三猿斎、文政元・1818~明治十九・1886)は岡山で生まれ、伊木忠正の 養子として伊木家(岡山藩筆頭家老)を相続し、維新後は岡山県大参事となった。明治二 年(1869)に三猿斎と変名、はじめ茶の湯を速水流に、のち裏千家十一世玄々斎に入門し た。書画も能くした。備前焼の衰微を嘆き、自領の虫明に京より初代清風与平、真葛長造 を招き天保年間に開窯した。自身も作陶をたしなみ、三、三猿等の銘がある。
箱書:即中斎宗左(明治三十四・1901~昭和五十四・1979)は表千家十三代。十二代 惺斎の次男。昭和十二年(1937)襲名。幼名は覚二郎、号に無尽・清友軒。




#119 古染付重菊形四脚向付 五 ¥1,500,000~ 付二重箱(内段桐) 所載コピー 17×115×4 虫喰 窯キレ 『徳川家御所蔵品入札』(東京美術倶楽部/1923)所載





#120 祥瑞一葉形向付 六 ¥2,000,000~ 付時代識段箱(桐 貼札) 155×11×25 三種 「大明成化年製」銘








#121 織部菊桐絵誰ヶ袖向付 五 ¥1,800,000~ 付時代識段箱(桐 貼札) 所載コピー 115×135×4 『松滴軒所蔵品売立』(萬松館/1941)所載



#122 越州窯筒水指 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 黒塗蓋 12×12×205 磁貫
越州窯の不安定な緑に、珠光青磁に先行する、はるけく彼方なる 美の好みを望む。越州窯は浙江省で後漢に始発する東洋最古の青磁 窯。





#123 薬壺 ¥1,800,000~ 付識箱(桐 貼札) 24×24×20 口縁銀補修
須恵器は古墳時代に朝鮮半島から伝わり、それまでの土器にはみられない保水力で利器として歓 迎された。薬壺の呼称は、正倉院に伝来するこの形式の壺が、薬壺として伝蔵されていることに因 む。
蓋付を本来とするが、端正な形の鑑賞には、蓋は必ずしも必要ではない。掲出は口縁部の欠けに 銀補修を施すが、「天平薬壺」の箱書が示すように、正倉院遺物とほぼ同年代の優品であり、景色に おいて遜色を見るものではない。




#124 備前花入 ¥1,000,000~ 付時代識箱(杉 補材) 12×12×26 銘「鬼の腕」 「鬼の腕」の銘をみる。「鬼の腕」は「南蛮の鬼腕」が専門にする。掲出のお洒落な横縞や瓜形 のそれが「南蛮人」を連想させたのだろう。


#125 朝鮮唐津徳利・無地唐津盃 ¥1,200,000~ 徳利:付識箱(桐) 11×11×22 藤ノ川内窯 西岡小十箱識 盃:付木箱(柿) 仕覆 65×65×6 呼継 ヒビ 道納屋谷窯 徳利・盃とも釉薬・形姿に非の打ち所がない。徳利の地釉の褐釉にかかる白みの勝っ た海鼠釉の対比が良い。賑やかな朝鮮唐津の徳利に、どこまでも静かな無言の無地唐津の 「ぐい呑み」が添う。徳利の箱識は、唐津の桃山復興を成し遂げた西岡小十。
箱識:西岡小十(大正六・1917~平成十八・2006)は唐津市に生まれ、昭和二十八年 (1953)古唐津焼再現のために古窯跡の発掘を始めた。昭和四十六年(1971)割竹式登窯 小次郎窯を開窯、昭和五十六年(1981)絵斑唐津の復元を完成させた。同年荒川豊蔵命名 による登窯小十窯を開窯した。






展開図
#126 尾形乾山 白楓図大花筒 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐) 23×23×65 口辺、高台小ソゲ
「乾山作花瓶 湖南光浄院久成師□ 五松庵珍蔵」箱識
箱書によって、園城寺(三井寺)の中で最も格式のある光浄院に蔵されていた「乾山作大花筒」と知れる。
箱書を施した「五松庵」は、東京国立博物館の初代館長を務めた町田久成(1838-1897)。町田は、博物館館 長を辞してのち、光浄院の住職を務めた。
本図は、後に『光琳百図』に登載される光琳の「楓絵」を乾山が花筒に写した作品だが、作名は見られない。 作期は、光琳との合作に励んだ光琳の帰洛後の作品と考えられる。後裔である抱一が、自作では「赤楓」に 描いており、光琳の原作も「赤楓」とみられ、桜に見まがう「白楓」としたのは乾山の機知であろうか。光琳 の屏風は伝存をみない。
町田久成は、1865年(慶応元)、薩摩藩英国留学生18名を率いてイギリスに留学。
パリ万国博に参加し、のち帰国。1868年(明治元)に新政府の参与職につき、1870年(明治3)、「日本初の博 物館創設計画」を起案。1882年(明治15)「東京帝室博物館(現東京国立博物館)」初代館長に就任。1885年(明 治18)に元老院議官となり、岡倉天心、フェノロサ、ビゲローが町田宅で受戒を受けた。1889年(明治22)元老 院議官を辞職。1890年(明治23)「園城寺子院・光浄院住職」就任。1897年(明治30)、療養先の寛永寺明王院で 死去。1912年(明治45)、「東京国立博物館」庭園に顕彰碑建立。
尾形乾山(寛文三・1663~寛保三・1743)は江戸中期の陶工、画家。光琳の弟。軟質の雅味あふれる作風 で、阿蘭陀焼の影響が窺える。二代伊八、三代呉介といった風に代々乾山を名乗ったが、弟子師匠というよ り、私淑するような形が多かったようである。六代乾山たる三浦乾也は著名。





#127 秋草蒔絵錫縁香合 ¥2,500,000~ 付二重箱(内識桐) 仕覆 65×8×3 錫縁サビ
蓋甲には流水に浮かぶ土坡に笹を植え、さらに風になびく萩の一株と芒を蒔絵し、天空に五羽の小鳥が飛翔する。四側面は流水に土 坡を置き笹を植え、底は疎の梨子地。蓋裏と見込は、萩と龍胆を対角に配置する。
池田巌著『香合』(淡交社/1994)に類品を探せば、No5の鎌倉時代作「錫縁秋草蒔絵香合」に類似を確かめられる。掲出はNo5に比し て器胎がより扁平を呈し、錫縁が内側では底に接するかのように深く造作されるなど、より古様を窺わせる。掲出の作期には、藤原時代 の遺風を匂わせる鎌倉時代初期を想定したい。
池田の№5の解説は、「本作には平安的要素をのこしながら、鎌倉的表現も多くみられるので、両時代の過渡的な作例として間違いな い作品である」。掲出の解説に援用したい。
更に、掲出を手箱の内容品と仮定すれば、掲出に対応する本体には「秋野鹿蒔絵手箱」(国宝 鎌倉時代作 出雲大社)が頭に浮かぶ。
水の流れの右から左にも齟齬せず、なかでも国宝の懸子に見られる簡素な図様が、掲出の蓋裏の簡素に重なって、その近接関係をより 強く窺わせる。
蛇足ながら、掲出の仕立てにふれておきたい。外箱の蓋甲に「鎌倉 秋草」、裏に「松澤書庫」の蔵印を貼り付ける。内箱の蓋甲に「か まくら秋草」と墨書。香合を紅地の小柄の洋更紗の仕覆で包み、内箱には白地の小花文の洋更紗の四方包みを当て、旧蔵者の繊細な心配 りを横溢させている。






#128 二代飯塚桃葉 七宝繋梅花蒔絵抽斗付硯箱 ¥1,500,000~ 付時代箱(桐 貼札)
梅花刻文銀水滴 硯石 17×265×165 内叢梨子地 銀金具 「観松斎(花押)」蒔絵銘 総体を黒漆地とし、底面以外の直方体五面に七宝繋文と枝梅を配す。七宝繋文は途中で空隙を作る破れ七宝繋 ぎで、七宝部分を金蒔絵とし、各七宝の中に銀蒔絵で花菱を描く「破れ花菱七宝繋文」としている。空隙には金、 銀、朱の梅枝を蒔絵するが、蕊を金蒔絵とし、銀と朱の花弁には薄く金粉を蒔き、枝部分は金を基本として銀を織 り交ぜ変化をつけるなど、非常に丁寧な作域をみせる。内側は総じて濃淡メリハリのある叢梨子地で、濃い部分 は正円に近い。印籠蓋を開けた中に、梅花を刻文した銀水滴と、縁に金泥塗した硯石を具える。正面には大小二段 の抽斗を設け、其々に銀製の梅花を象った鈕を打つ。下段抽斗の左下隅に、「觀松斎(花押)」の蒔絵銘をみる。
二代飯塚桃葉(生歿年未詳)は江戸中期から後期頃の蒔絵師。徳島藩藩主・蜂須賀家の御抱蒔絵師・初代桃葉 の子。初代存命中は桃枝を名乗る。寛政二年(1790)家督を相続して印籠を献上、觀松斎知足の銘を許される。そ の約二カ月後より二代桃葉を名乗った。

#129 芝山象嵌蒔絵飾棚 ¥1,500,000~ 80×39×105 補修方々 二部式



#130 梨子地花喰鳥蒔絵飾棚 ¥1,000,000~ 104×47×102







#131 逸見東洲 堆朱菊桐鳳凰文文庫 ¥1,200,000~
付二重箱(内共桐 外黒塗) 懸子 24×29×95 内黒 漆藝家・逸見東洲について聊かの情報も得ないが、逸見東洋の作品に倣ったものが散見さ れることから、東洋の親族(一説に甥とされる)あるいは門人である可能性が高い。逸見東洋 (弘化三・1846~大正九・1920)は備前の人で、元々は京都で修業した刀工であり、独立して 郷里で作刀し、「明治正宗」の異名を得るほどの名手であったが、廃刀令を機に木彫や漆藝と いった美術彫刻へ転向、内国勧業博覧会で一等賞金牌を得るほどの成功を収めた。東洲は、こ の東洋に学んだと推察される。

#132 緒締コレクション 三十五
¥2,500,000~ 付蒔絵合箱 15×15×2ほか 首飾仕立 留具K18刻印
計三十五点の緒締と珊瑚玉を交互に紐通しして首飾 に仕立てるが、留具を真上とした際の対称性に配慮した 構成になっており、左右で対応する緒締はその素材、題 材を凡そ同じくする。木彫万年百事如意字と七宝二点を 除いて金工であって、以下に列記するものは在銘である。 銀地水仙文「勝(寿印)」銘、四分一地猪文「永斎」銘、鉄 地枝菊文「秀玉」銘、銀地梅樹文(在銘不読)、銅地分福 茶「洲谷」銘、四分一地錠前(歌銘)、金無垢草花浮文 「政美」銘、金無垢笹茸文「秀鏡刻」銘、銀地猿「一法」 銘、金工狸「春明」銘、銀地菊蟹文「一斎」銘。






#133 秀峰 銀地草花文香炉 ¥1,000,000~ 付合箱(桐) 105×105×11 在銘



#134 ロザリオ聖母像板踏絵 ¥1,500,000~ 付木箱(桐) 225×31×2
西洋の大航海時代は、東端の島国に、南蛮文化とキリシタン文化を運んできた。1581年(天正9)には宣教師 のヴァリニャーノが信長に拝謁し、1586年(天正14)には、イエズス会士と秀吉が会談、1591年(天正19)には ヴァリニャーノと秀吉が会談するなど友好的な関係が維持されたが、徳川幕府は、1637年(寛永14)の島原の 乱を鎮圧すると1639年(寛永16)には、鎖国令を発令し、キリスト教徒への弾圧を断行した。踏み絵は、隠れキ リシタンを炙りだすべく考案された。
掲出は、外周をロザリオで加飾した聖母像を原型にした木製の「踏み絵」で、表面の摩耗は、これを踏んだ 人々の足裏による。掲出は、福島県で代官職を代々にした名家に保管されていたという口伝を持つ。



#135 菅次細工水上盃洗 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 35×23×22
水鉢の中に水を噴き上げる装置を内蔵する「水上盃洗」は、粋 人の遊び心を誘う「江戸の科学」として注目される。掲出は足部 の上に球状の本体部を据え、金工の蔦を這わせて「蔦の細道」を 連想させるなど、より趣味心を深くしている。水の噴出孔を横 に伸ばすその特異な構造もさることながら、蔦葉や花を丁寧に 工作して鍍金を施すなど、その工藝的完成度にも注目したい。
作者とみられる奥村菅次は江戸後期に活躍した膳所藩のお抱 え細工師と目されており、空気銃の原理を応用して無尽燈を制 作するなどしたが、殊に水上盃洗では独擅場を誇った。現在「菅 次細工」と呼称される彼の作品は、銅に独自の地文を施して鍍 錫した地金を使用するという特徴をもつ。






#136 六鈴鏡 ¥1,000,000~ 付合識箱(桐) 113×85×03 ワレ接合補修 鈴一カケ 倭人の銅製音具との接触は、弥生時代の銅鐸にはじまり、古墳時代には銅鈴に移行する。
掲出は鏡の外周に鈴を接合し、神を映しだす鏡を胎とし、神を呼び覚ますため銅鈴を一体化し たもの。
銅鈴文化は朝鮮半島から馬具とともに移入された。鈴杏葉や三環鈴などである。銅鈴は、荒れ 馬を静める利器でもあったが、のち、馬具を離れて倭人の神器に昇華した。



#137 瑞花双鳳文五稜鏡 ¥1,000,000~ 付合識箱(桐) 103×103×03 穴 平安時代
本朝の鏡史は、古墳時代に大陸から移入された三角縁鏡に始発し、本格的な和鏡、 藤原鏡が創出されるまで永く大陸文化の影響下にあった。その変革は、遣唐使の廃止 による国風文化の醸成であり、その最末期の様相は、唐風を顕著にしながら、和風を 表徴にする一群からなる鏡が伝える。時代は平安初期、製作地は日本である。掲出は、 この期らしく鏡胎を薄くし、なかでも六稜が多い中で、五稜は珍しく、外周の優美な 唐草文が、唐風から倭風への過渡期の様相を顕著にして注目する。




#138 和漢織物裂鑑 ¥1,500,000~ 付時代識箱(桐) 125×157
表裏を南蛮縞裂で装丁し、「和漢織物切ノ鑑 全」の題箋を貼り、帖末に「押所之切九拾八品」とし、「明暦二年(1656)丙申三月日 御 袋師 袋古」と奥付する。また付せられる時代の桐箱の蓋には「茶入袋切入並縞手鑑」の墨書がなされ、蓋裏には天和三年(1683)の年紀、 松濤庵主の名をみる。
以上の情報によって大概を知るが、この裂帖の製作者である袋師で袋古を名乗る人物については、浅野織屋の古染織コレクションの なかに、江戸前期に活動した袋師の情報があったが、残念ながら、今は、詳しくしない。松濤庵主については情報を得ない。
ともあれ、明暦2年の段階では、1頁4点貼が22頁、2点貼が1頁で98片が添付されていたが、4片の欠失が認められ、さらに4片が不足し ている。1頁が何時のときか切り取られたのであろうか。現在は89片が残っている。
木 箱 上 書 茶 入 袋 切 入 并 縞 手 鑑
被 御 覧 分 候 ヘ ハ 其 格 式 に て 萬 端 相 究 候 名 物 ハ 各 別 其 外 上 代 中 古 和 漢 之 真 偽 ハ 通 リ 之 格 に て 能 々 御 覚 ヘ 被 成 候 得 者 段 々 存 知 候 只 々 金 蘭 ハ 金 蘭 純 子 ハ 純 子 之 一 通 を 能 々 御 覚 悟 尤 ニ 候 千 意 万 類 悉 鑑 に 不 汚 盡 者 也 明 暦 二 1 6 5 2 丙 申 御 袋 師 三 月 日 袋 古
色 合 模 様 ハ 難 定 候 一 通 之 手 筋 を 能 々

本帖の特徴を挙げれば、寡聞ながら、数多の「裂帖」の中で最古の年期を持つものであり、残片を適当に貼ったものでなく、袋師が 「茶入裂」と認めた「和漢」の裂を帖に仕立てたものである。なお、貼付後に細片を切り取った痕跡がすくなくない。この帖がいかに古 裂史に貢献したかを今更に知る。なお、最後の頁に貼られた茶地亀甲裂は、明暦2年以前の古裂ではなく、当然ながら袋古の選品ではな い。なお、布帛裂の呼称だが、明暦時代までは、歌切と同じ「切」としている。「裂」の始発を知りたい。

#139 ゴブラン織タペストリー ¥1,000,000~ 166×226
木綿貼の箱甲に「毛綴錦 新緑文 旧ハンガリーモートン城装飾品 ブリュッセル製 エステル・ハーシィ王子注文(原文ママ)」と 書付けている。箱蓋裏には印字された英文の由来書が貼られており、その下部に直筆の書入れをみる。以下、印字部分を掲載する。
Thetapisery[sic]"Verdure"onthereversedsideisoneofthemostimportanttapisery[sic]ofthe17/18thcenturyItisauniqueexamplesof theperiodanditisbeautifullypreserved Itssizeis7feet6inches-to5,feet8 ItwasmanufacturedinBruxellesbytheorderofPrince Eszterhazy,oneof'theforemostMagnatesofHungaryTheoriginalEspisery[sic]wasformedofsixpanelsandadornedtheMusicroom ofthe CastleofKisMartononeofPrinceEszterhazysCastles[sic]inHungaryItwasgivenasapresentbyPrinceNicolasEszterhazytohisCourt MusicianandConductorJosephHayden,theworldfamouscomposerattheearlynineteencenturyWhenHaydenretiredandleftKisMarton, hetookoneofthepanelswithhim toViennaLaterHaydengavethistapisery[sic]tohislifelongfriend,copyistandMajordomo,Elsslerasa souvenirofthetimestheyhavespentinKisMartonattheCourtMusicorchestraElsslerwasthefatheroftheworldfamousdancerofthe nineteenthcenturyThetapisery[sic]laterwasinherhouseinViennaandshegaveittohersisterTheresauponhermarriagetoPrinceAdalbert ofPrussiaabout1850 Thetapseeyy[sic]waspurchasedatTheresaPrincessofPrussiasdeathbyCountFrazvonPulszkyLhbuboc[sic]Cselfalva,nationalheroofHungary,outstandingstatesmanandfounderoftheHungarianNationalMuseum.Thetpipesyry[sic]wasinCount PulszkysCastleinNagy-SzecsenyformanyyearsAtthedeathofCountPulszkyitwasgiventohisgranddaughter[sic]ROMOLA,FLAVIAvon Pulszky-LubocandCselfalvaWhointurngaveittoherhusbandVaslavNijinskytheworldfamousdancerItformedpartoftheNijinsky Collection,whichingreaterpartwasgivenonNijinskysdeathinmemoryofthegreatestdancerofalltimestotheFrenchStateandtheBritish Museum.ItisnowintheStateMuseum inParisandLondonThetapisery[sic]remainedinMadameNijinskybornCountessdePulszkyuntilthe presenttime 1957
由来書に曰く、「ヴェルデュール(新緑)」と題されたこのタペストリーは、17-18世紀を代表する作品の一つであり、保存状態も良好 であるとする。ハンガリーの有力者たるエステルハージ家の王子の注文により、ベルギーのブリュッセルで制作された。元々は六枚組 であり、エステルハージ家の城の一つであるキス・マートン城の「音楽の間」に飾られていた。掲出はエステルハージ侯爵を継いだニコ ラウス二世(1765-1833)からフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)へ贈られた。ハイドンは18世紀後半から19世紀初頭を代表する 世界的な音楽家で、交響曲の父とも謳われる。楽団再建を目指したニコラウス二世によってロンドンから呼び戻され、楽長に就任して いる。ハイドンが楽長を致仕しキス・マートン城を去る際、六枚組のうちの一つをウィーンに持ち帰った。その後ハイドンは、生涯の友 であり、写譜生であり、執事長でもあったエルスラーに、キス・マートン城楽団一員としての記念として本品を贈った。エルスラーは、 19世紀における世界的に有名なバレエダンサーである娘のファニー・エルスラー(1810-1884)に本品を贈った。その後はウィーンにあ るファニーの自宅にあったが、1850年頃、彼女がプロイセン王子アダルバートに嫁いだ際、妹のテレジアに譲った。テレジアの死の間 際、掲出はフェレンツ・プルスキー(1814-1897)が購入している。プルスキーはハンガリーの貴族で、ハンガリー国立博物館館長も務め た考古学者としても知られる。掲出は長い間、セーチェーニにあるプルスキーの城に保管されていた。プルスキーの死後、掲出は孫娘で あるバレエダンサーのロモラ・デ・プルスキー(1891-1978)が受け継いだ。その後、本品は彼女の夫ヴァツラフ・ニジンスキー(?-1950) に譲られ、彼の蒐集「ヴァツラフ・コレクション」に加わる。このコレクションは、彼の死後、その大部分がフランス政府および大英博 物館に寄贈されており、現在はパリおよびロンドンの国立博物館に収蔵されている。だが本品は寄贈されず、ニジンスキー夫人によっ て1957年現在まで手元に残された。直筆部分は一部不読ながら、1897年から今日に至るまで、このタペストリーは“RomolaNijinskyde Pulszky”すなわちニジンスキー夫人所有物だったと書いている。


#140 漢白玉半跏弥勒菩薩二供養者
¥2,500,000~ 付識箱(雑木) 主尊像高10 全体135×5×23 北斉
弥勒菩薩は天上に蓮弁を繋いだ光背を構え、天上には四体の 天女が華綱を奉持して弥勒菩薩を讃嘆する。
最下段には一対の獅子を配し、弥勒菩薩は、半跏して思惟に 耽る。左右には合掌と両手を衣下する供養者が控え、天上の華 綱がガンダーラ以来の供養の荘厳を思い出させ、旧蔵者は作期 を「北斎」、即ち6世紀とする。




#141 銅鍍金釈迦如来立像 ¥1,800,000~ 付合箱(杉) 像高53
釈迦は身部に鍍金を施して、「光り輝く人」の金色身の体をなし、正面を向いて右手を垂下し、左 手に鉢を持して立つ。その托鉢行に向かう静かな像姿が、釋迦の悟りの世界を確かにみせる。作期 には明代を確信する。



#142 西蔵銅鍍金触地印釈迦坐像 ¥3,200,000~
付銅造蓮台 像高47 総高51
釋迦の伝記を辿れば、悟りの直前に、釋迦は、これを妨げんと 現れた悪鬼を払うべく右手の指を地に着けたと云う。大地の善 神が釋迦の悟りを助けた。掲出の表情に、「まよい」はない。作 期には清代が設定されよう。






#143 銅造水月観音倚像 ¥1,000,000~ 付飾台 像高40 総高45
観音は三十三身に変化して衆生を救済すると云うが、水月観音もその一。水面に浮かぶ月を眺め、観音としての 菩薩業の悟りを得た。掲出の作期には明代を設定したい。




#144 金平脱狻猊文四花鏡 ¥4,000,000~ 135×135
縁を台形とし金板に狻猊を刳り抜いた平脱鏡。土錆により模様全体の把握は困難だが、外 側に斜陽・櫛歯文、八匹の狻猊を配し、鈕付近に細かく斜陽文を廻らせ、麒麟とおぼしき有 角獣を三頭置く。狻猊、麒麟ともに吉祥模様である。
中国唐時代、工芸技術は絶頂を極め、金・銀、螺鈿をちりばめた様々な超絶工芸品が制作 された。掲出の平脱鏡は盛唐の黄金期を彷彿とさせ、金板のみで構成された点でも稀有のも のである。




#145 青銅吊 ¥1,500,000~ 付二段式唐木台(28×16×41) 17×17×18
掲出は の後継になろうが、不言堂・坂本五郎著『中国青銅器清賞』に「 尊」として類型 の器をみる。「 」は鍋。「尊」は酒を容れる器。今でいう燗鍋に近いものと推測される。器体 は鋳造のあとに挽物成形され、永い年月が全面に緑錆を生じさせ、ヒビ割れの補修が確認さ れる。素文で金石文は無いが、当初からの蓋がついている点で価値は高い。把手を掛けて飾る 唐木製飾台が添う。



#146 銅地金銀象嵌天文儀 ¥1,350,000~
付木箱(桐) 亀16×15×4 台21×21×11




#147 唐三彩鎮墓獣 ¥1,000,000~ 総高59 補修
墓の被葬者を邪気から守る鎮墓獣。鎮墓獣は人面・獣面を一対にして戦国時代より始まり、漢・唐代という長い期 間様々に変容し続け制作された。
掲出は口を大きく開け、額より二本角を生やして頭頂中央より戟形の鶏冠を垂直に出し、胸を張りだして腕の付け 根から翼を出す。前足をしっかりと踏みしめて前方を厳しく睨む姿は辟邪の力をよく表している。三彩釉をよく残す 点も評価できよう。


#148 定窯広口壺 ¥1,000,000~ 付木箱(桐) 12×12×14
定窯は中国宋代における名窯。細緻な白土で以て器胎を薄く 作り、象牙色の釉薬による白磁を焼成する。焼成中に灰が釉薬に 溶けて黄味を呈した釉溜りを「涙痕」と呼ぶが、掲出にも確認で きる。箆彫りや型押しなどで優美な文様をあしらう遺品が多い 中、掲出は素文としており、落ち着いた雰囲気を纏う。




#149 龍泉窯青磁龍浮文大盤 ¥2,500,000~ 付時代識箱(杉) 34×34×75
龍泉窯は、浙江省の青磁の窯で、日本では「砧青磁」「天龍寺 青磁」「七官青磁」と呼び分けて、時代と青磁の色を賞味した。 本朝に最も大量にもたらされたのは、足利時代の「天龍寺船」が 活躍した日明交易による「天龍寺青磁」である。




#150 龍泉窯青磁刻蓮文大鉢 ¥1,800,000~
付大工箱 365×365×19 高台小窯キレ




#151 龍泉窯飛青磁片口 ¥1,000,000.~ 付時代溜塗箱(桐) 18.5×14.5×6




#152 康熙五彩草花鳳凰文壺
¥1,000,000~ 付識箱(桐) 24×24×31
口辺ヒビ、ソゲ 小山冨士夫箱識 箱識:小山冨士夫(明治三十三・1900~昭和五 十・1975)は岡山県生まれ、瀬戸や京都で作陶を 学んだのち大正十四年(1925)京都で独立。昭和 五年(1930)東洋陶磁研究所所員となり、中国古 窯趾調査など古陶磁の研究に専念。また昭和二十 二年(1947)東京国立博物館、文化財保護委員会 で技官の任に就いた。著書に『東洋古陶磁』など。



#153 染付花卉紋章文六角瓶 ¥1,000,000.~ 付時代識箱(杉 貼札) 唐木台 15×13×305 「大清康煕年製」銘


#154 磁製墨彩江南三大名樓文杯 三 ¥1,000,000~
付木箱(桐 貼札) 55×55×9「雍正御製」銘





#155 呉須赤絵売玩郎文大盤 ¥1,500,000~
付識箱(桐) 39×39×9 中心部に青釉で「花笠を差し、瓢箪を背中に負う売玩郎と鹿」 を描き、元時代風の蓮弁紋で「売玩郎と鹿」を囲む。
「売玩郎」とは、玩具や小鳥を売り歩く中国人の行商人であり 左手に小鳥を持つ。外周には、「佳器玉堂」の字句を四方に配し、 四方の窓には草花文を描き入れ、外周の空隙は、赤絵の各種の 地模様で埋め尽くし、華やかさを添える。青釉の一部に共色の 補彩。
現品所載:繭山龍泉洞『龍泉集宝』1976年(昭和51)





#156 呉須赤絵羅漢文大鉢 ¥1,000,000.~
付識箱(桐) 38×38×10
中心部に青釉で、虎を従える迦理迦尊者と龍を従える迦葉尊 者を描く。三重の輪線でこれを囲い、外周の四方には楼閣を配 し、空隙には草花文を配す。







#157 堆朱蓮池文波縁小盤 ¥4,500,000.~ 付時代黒塗箱(桐 貼札) 18×18×25 小ヒビ




#158 楊茂 堆黒倶利軸盆 ¥2,300,000~ 付二重箱(内時代黒塗桐・虫喰) 堆朱楊成折紙 13×36×35 ヒビ ワレ 針銘
楊茂(生歿年未詳)は元時代の彫漆家。浙江の人。室町幕府の同朋・能阿弥と相阿弥による『君台観左右帳記』において張成と共にそ の名が紹介されるなど、その作品は日本でも珍重された。当時将来された優品には、極書きの形で後から針銘をいれることもあったと 云う。





#159 堆朱柳下高士文八角盤 ¥1,200,000~ 付時代溜塗識箱(桐) 38×375×55 ヒビ 底ヒビ塗補修






#160 存星雲龍文合子 ¥1,200,000~ 付木箱(桐) 7×7×5 内黒 頂上塗補修



#161 馬遠 僊洞采芝画幅 ¥2,000,000~ 付時代識箱(桐 貼札) 所載コピー 絹本 唐木軸端 25×25 表具51×102 大ヤケ 『中国繪晝総合圖録 三編第五巻』(小川裕充・板倉聖哲/2019) 所載 村山龍平旧蔵
馬遠(生歿年未詳)は杭州銭塘県の人。画院画家一族の家に生ま れ、馬遠も南宋第四代皇帝・寧宗(1168~1224)の在位期を中心に 宮廷画家として活躍。南宋院体画を代表する画人であり、夏珪と双 璧を成した。李唐、劉松年を加え「南宋四大家」とされる。
旧蔵:村山龍平(嘉永三・1850~昭和八・1933)は実業家、政治 家。朝日新聞創刊に携わり、のち社主、社長を務める。明治二十四年 (1891)から衆議院議員を通算三期務め、大阪府会議員、貴族院勅 選議員などを歴任。勲一等瑞宝章、従四位追贈。近代数寄者、美術蒐 集家としても著名で、晩年は頻繁に茶事を催した。



#162 張月壺 水月観音画幅 ¥1,500,000~ 付時代識箱(杉) 狩野栄信折紙 絹本 唐木軸端 35×80 表具43×163 大ヤケ スレ オレ キレ 虫穴 風帯一欠 観音は、苔生す岩に座し、大きな満月を光背とし、水に浮かぶ 月を心に見る。本朝では臨済禅が水月観音を禅機図として賞揚 した。虚実、そして虚心に独覚を望遠する。




#163 文徴明 山水画賛団扇幅 ¥1,000,000~ 付識箱(杉) 絹本 唐木軸端 25×23 表具35×123 ヤケ スレ 文徴明(成化六・1470~嘉靖三八・1559)は明代中期の文人、書画家。南宗 画中興の祖。初名璧、字徴明のち徴仲、号衡山、停雲生など。江蘇省蘇州の人。 書は各体をよくし、一世を風靡。画は沈周の影響を受けた。作域は広いがなか でも山水画は評価が高い。後世沈周とともに「沈・文」と併称された。



#164 費而竒 山水画幅 ¥1,000,000~ 付木箱(桐 貼札) 絖本 唐木軸端 48×195 表具64×231 ヤケ シミ スレ 「丙辰」画中
費而奇(生歿年未詳)は清代の画人。字葛坡、号柳浦。杭州の 人。徐煕を範とし、細密な花鳥、山水に長じた。




#165 渡唐天神画賛幅 ¥1,500,000~ 付時代箱(杉 貼札) 絹本 唐木軸端 29×78 表具39×155 ヤケ キレ 穴 表具アレ 了庵桂梧賛 「大明正徳八年癸酉(1513)孟夏朔」画中
「渡唐天神」の信仰は、東福寺開山・聖一国師(円爾.1202-1280)の説話に初発する。 菅原道真の霊が唐土に渡って南宋の臨済僧に参禅し、一夜にして嗣法、袈裟を授かり 帰国したというものである。佛教説話としても荒唐無稽な内容ながら、十五世紀前半 頃には東福寺系禅僧によって壮に布教に用いられ、その図像も確立したとみられて いる。
掲出は萌葱の道服に仙冠を被着し、左肩から袈裟袋を掛けて右脇に梅枝を抱えた 「渡唐天神像」で、正面を向き、体躯の中央に持した両袖に両手を隠しつつ、右袖から 第二指を出して左袖を抑えるような所作をみせる。比較的丸顔であることや線対称 の立姿など、狩野元信(1477-1559)以前の様式を踏襲した古態を示す。
掲出の賛は了庵桂梧、文明十年(1478)より東福寺住持を務めた禅僧で、永正度遣明 船(1506)正使として入明、育王山101世住持も務めた。「大明正徳八年癸酉(1513)孟夏 朔……書于四明嘉賓堂」の款記をみることから、了庵が入明中、遣明使宿所である四 明嘉賓堂で着賛したと知る。なおこの年に了庵は帰国しており、翌年(1514)に入寂し ている。となると、掲出天神図がいつ、どこで描かれたかという問題が浮上する。永 正度遣明船に同乗した絵師が唐土で描いた可能性や、明の絵師によって描かれた可 能性もなくはない。永正度の次の遣明船が明応二年(1520)、つまり了庵入寂以後であ ることも踏まえ、小欄は、掲出は本邦で描かれ、永正度遣明船で了庵と同時に入明し、 七年間明で保管され、了庵が育王山参禅を終えると着賛され、帰国したという可能性 を提示したい。即ち、掲出が、先述の突拍子もない説話をなぞり、物理的に「渡唐」し た可能性である。




#166 尤求 高士清遊画幅 ¥1,500,000~ 付時代識箱(杉) 紙本 唐木軸端 33×119 表具45×190 ヤケ シミ スレ 「萬暦庚辰(1580)孟夏」画中
尤求(生歿年未詳)は明代中後期(嘉靖~萬暦年間)に活躍した画人で、長 洲(現・蘇州)の人。字子求、号鳳丘。明四大画家の一人・仇英(1494頃~ 1552)と同地・同時期に活躍した職業画人と知られるが、その画風は仇英よ り文人的である。







#167 宮蚕図巻物 ¥1,000,000~ 付時代識箱(桐 蓋補材) 絹本 牙軸端 490×21 表具520×22 ヤケ シミ スレ オレ キレ 穴




#168 医家曼荼羅大幅 ¥1,500,000~ 絹本 牙軸端 130×125 表具137×185 ヤケ シミ キレ オレ 表具ヤケ、大シミ、オレ 「天醫峰顧積庵家蔵」画中 曼荼羅と仮称したが、中国の古代に淵源する天醫峰の医家である顧積庵家に伝 蔵された明代作の画系図。顧積庵家の医術の発展と展開を解説する秘伝の画幅で はないかと想定しておきたい。







#169 張深 淡彩風景画帖 ¥1,000,000~ 紙本 20×15 帖27×21 シミ 帖シミ、キレ 八図 改画帳
張深(生歿年未詳)は嘉慶・道光年間に活躍した文人。字叔淵、号茶農。江蘇省鎮江の人。嘉慶十五年(1810)挙 人となり、各地要職を歴任。
掲出には「倣文嘉画法 茶農張深作」と款記された一枚があり、文徴明の二男・文嘉(1501~1583)の筆意を学 んだと看取させる。





#170 袁世凱 二行書幅 ¥1,000,000~
付識箱(桐 貼札) 紙本 P軸端 41×116 表具55×193 ヤケ シミ オレ 表具オレ 「壬子(1912)」書中 竹峰箱識
袁世凱(1859~1916)は軍人。字尉廷、号容庵。項城県の人。 科挙を諦め軍人を志し、朝鮮での武功により強権を得る。のち 日清戦争の大敗を経験し、軍の洋式化を推進。光緒新政におい ては政治家となり、清朝滅亡を機に中華民国臨時政府の臨時大 総統に就任。不安定な政局の中、立憲君主制の樹立に邁進した が、志半ばで病歿。




#171 金山寺形香炉 ¥15,000,000~ 付木箱(桐) 40×40×40
総体は火爐(胴部)と高脚部(器台部)からなり火爐(胴部)は、広縁と爐心部。高脚部は三段の受皿部と脚部。胴部と 高胴部とを別鋳して鋲留めで一体化。
加飾は、西蔵系と思しき五佛種子を金象嵌で顕し、その他の唐草文などの加飾はすべて銀象嵌とする。
火爐(胴部)の天部は、広縁とし端を玉縁に形成し、玉縁は唐草で飾り、平坦部に金象嵌で六佛の種字を配す。西 蔵系の種字を二重の円線の内に配すが、佛種の特定には至らない。空隙は蓮華唐草が覆う。
胴部の火爐の四方には、五佛曼荼羅と思しき種子を配置する。五佛の個々の種子は、二重円で荘厳され、さらに 五佛全体を月輪で囲み、空隙を二重蔓唐草で埋める。
五佛の配置が金剛界の原図曼荼羅的を想起させるが、平縁の六点の種子の解読不能と同じく佛種や眼目を理解 することが出来ない。月輪内の空隙は唐草が埋める。
火爐と三段の受台の間には、元朝の蓮弁を想起させる蓮弁文が施され、三段の受台では下段を除いて、波模様の ような唐草文が確認される。
脚部は、上段を反蓮華、中段から足元までは、天辺の種子の空隙を埋めたと同じ、蓮華唐草が覆う。金象嵌され た種子を、銀象嵌の唐草模様が徹底的に荘厳して、弥勒佛の蓮華生を願った加飾とみて大過ないだろう。なお、銀 象嵌が経年の硫化によって銀色の輝きを失っている。が、専門家による処理を施せば、往時の輝きの再現は難しく はないだろう。
本作の作期を窺うために他例を探したところ、掲出を含め、23例を確認できた。
その内、完工品は19例、不完全のうち、台脚部のみ2点、火爐部のみ2点が伝わる。さらに戦前の李王家博物館旧 蔵の完工品の「乾鳳寺銀象嵌香炉」「龍門寺銀象嵌香炉」「松廣寺銀象嵌香炉」「麻谷寺銀象嵌」、及び火爐のみ古作 の傳燈銀象嵌香炉の4点註1が所在不明であり、現在、所在が確認される完工遺品は掲出を含め15例を数えるに過 ぎない。
再び、掲出に戻り、掲出の特徴を述べれば、寸法は遺例作品の中で最大、種子の金象嵌による加飾、及び種子に よる四方五佛曼荼羅式の検出も、寡聞にして初例と報告したい。
作期を設定する必要から、年紀をもつ10例を基準作とし、高麗時代(約350年間)の様式変遷を大雑把に五期に分 け、掲出の作期を「第三期・高麗時代」に設定した。なお、第一期の完工品は現在のところ発見されていない。
第一期 火爐(胴部)と台脚部を連結しない二部式の時代 (始発期) 12世紀 第二期 二部式時代の痕跡を受皿部に残した時代。(初期一体化期) 13世紀前半 第三期 受皿形を無くし、火爐に蓮弁を直に象嵌した時代 13世紀後半 第四期 種字の荘厳が心葉に定形化した時代 14世紀 第五期 種子を喪失した時代 15世紀



#172 高麗青貝唐草文箱 ¥1,000,000~ 28×37×15
青貝小剥離 アタリ スレ 内黒
青貝の妖しい輝きが黒漆地に満ち、優美な牡丹唐草が底部を 除いて、蓋甲をはじめ面取部と四面を覆って、李朝独自の繊細で 軽妙な美の世界を造形する。
素体は被蓋造の長方箱とし、内側を黒漆で塗り固め、蓋の四周 と四隅の角に面取りを施す。面取は、蓋部を巾広に、角を細巾と するなど軽妙な表現を尽くしている。
蓋甲をはじめ箱表の黒漆部は、穏やかな段文を見せ、確かな時 代の経過を主張する。
類品には夙に有名な東博所蔵の重文指定の二合が知られるが、 掲出を「同類」と評しても許されよう。
合口に経年変化による微妙な固さが認められ、底の黒漆部に は木地をみせる擦過痕、各所に軽度の当たり傷を確認するが、総 体を評価すれば、極めて良好な保存状態といえよう。
身内の黒漆には段文が視認できず、後代の塗り直しの可能性 を指摘しておきたい。掲出の作期には、李朝早期(16-17世紀)が設 定されよう。





#173 李朝華角貼箱 ¥10,000,000~ 付木箱(杉) 22×22×16 ヒビ 虫喰 内布貼 華角貼とは、子牛の角を薄く剥ぎ、裏に彩絵を施して器物に貼り つける工芸で、李朝後期に始発し、李朝工芸の「華」と呼ばれる。
面取りした蓋甲は、地色を赤に染め、鳳凰二羽と二羽の鶴を四分 割して交錯させ、雲中に遊ばせる。四方の側面には、「龍虎」、「双 雁」「亀と虎」「双鹿」を主題に、花卉草鳥文を充填させ、「十長生」 につらなる韓民の祈りを横溢させている。経年の損傷も見られるが、 貴重さと美しさを損なうものではない。



#174 李朝青貝箪笥 ¥1,000,000~ 付錠 鍵 84×47×164(台含む) スレ 剥離 扉裏シミ 二部式 一、二段目内錦貼(二段目唐子文)


#175 朝鮮三層石塔 ¥1,000,000~ 全体129×124×287 カケ 大ヒビ ※下見会には持参しません。ご落札後の搬出 も琵琶湖HOUSEからとなります。詳細お問い 合わせください。TEL:075-254-8851


#176 朝鮮石燈籠 ¥1,500,000~ 69×69×192(台除く) 台石補作 三部式 松鶴、竹虎、桃猿、牡丹鹿 ※下見会には持参しません。ご落札後の搬出も琵琶湖HOUSE からとなります。詳細お問い合わせください。TEL:075-254-8851



#177 李朝紙織書画 未装 十二 ¥1,500,000~ 48×105 全体60×154 ヤケ 大シミ




朝鮮半島とこの島嶼の民は、海を挟んで対峙し、「一衣滞水」と「水と油」、「近くて遠い関係」を続けてきた。
李朝時代の後期には、半島では、紙を細く切って、これを編んで画紙とし、「織物絵」に見える不思議な絵を産みだした。一方 の江戸中期の日本では、伊藤若冲(1716-1800)が、織物の画稿のようにも見えなくない「桝目書き」と呼ぶ不思議な絵を描いた。
そして、ともに近年に再発見された。二つの関係は「似て非なるもの」ながら、どこか不思議につながっていないだろうか。



#178 北大路魯山人 村上華岳画論書額 ¥1,000,000~ 付白崎秀雄鑑題シール 紙本 86×28 額109×49 極小シミ 額小スレ 傲慢でなる魯山人が、繊細に極めつきの村上華岳の画論を衒いなくなぞった。
村上華岳には、自らの画論と任じた著述が三冊ある。『村上華岳画論』『華岳作品襍』『画論村上華岳』である。それらには華岳の、荒 野に放たれた病める子羊の独白のような、悲痛な叫びを繰り返し、繰り返し述べられている。それは人の心を捉え離さない作品を産み 出すための、華岳自身の暗澹であり陰鬱だったのかも知れない。そして、一方に傍若無人に豪快を貫いた芸術家がいる。二人は、きっと 繊細を共有する人たちだったのだろう。
一人は病苦に苛まれ、一人はその悲惨な出生の闇に抗って、芸術を生み出した。

村上華岳(明治二十一・1888~・昭和十四・1939)は大阪市生まれ、京都市立絵画専門学校卒業、大正七年(1918)に土田麦僊、小野 竹喬らと国画創作協会を結成。のち京都を去り芦屋に転居し西洋絵画を取り入れた幽玄で宗教的な作品を描いた。
北大路魯山人(明治十六・1883~昭和三十四・1959)は陶芸家。本名房次郎。京都上賀茂の社家に生まれる。書画、篆刻、漆芸にもす ぐれた。大正十四年(1925)超高級料亭星岡茶寮顧問として料理・食器など指導。北鎌倉に星岡窯を築き、独特の雅陶を製作。陶技は志 野、織部、備前、信楽から染付、赤絵と多岐にわたった。北鎌倉で歿。



#179 北大路魯山人 古瀬戸風大壺 ¥2,300,000~ 付共箱(桐) 29×29×36
磁貫 富士松原文
北大路魯山人(明治十六・1883~昭和三十四・1959)は陶芸家。本名房次郎。京都上賀茂の社家 に生まれる。書画、篆刻、漆芸にもすぐれた。大正十四年(1925)超高級料亭星岡茶寮顧問として料 理・食器など指導。北鎌倉に星岡窯を築き、独特の雅陶を製作。陶技は志野、織部、備前、信楽から 染付、赤絵と多岐にわたった。北鎌倉で歿。








#180 御料局札幌支廰周辺資料 一口 ¥1,500,000~ 付時代識箱(杉 蓋ワレ) 紙本 51×37ほか シミ
「冩生圖函 一ノ八 林業課」と書付けられた杉箱に、画帳二冊と建物の平面図、細密な植物画一枚が収まっている。画帳其々に「御 料局札幌支廰圖書章」朱文印が捺されており、これに依って表題を決した。御料局は明治十八年(1885)発足した宮内省外局であり、主 として皇室財産たる御料林の管理運営を担った。その支部である札幌支庁は明治二十三年(1890)の設置で、明治四十一年(1908)には 帝室林野管理局に改称されていることを素直に勘案すれば、少なくとも画帳二冊は1890年から1908年までの間に制作され、保管された と考えられる。但し、箱の書付にみる「林業課」なる部署が札幌支廰に存在したか否かは確認が取れなかった。以下、内容物について触 れたい。

まず、冩生帳二冊については、先述の朱文印が捺されるほか、「明治廿三、四年頃御料局札幌支庁属寺澤正明並傭秋野直次両氏筆ト 認メラル」と記した紙片が添う。寺澤正明という名については、彰義隊の一員であり、北海道開拓使に出仕、内務省測量隊としても活 動した人物(弘化三・1846~歿年未詳)を知るが、本件と同一かは定かでない。秋野直次については仔細を得ない。なお、画帳紙面裏 には両氏の名と日付を記したものもある。
題箋に「樹木冩生圖」とある画帳はその名の通り細密な植物画で、一部には学名を書き添える。全43図。一方「華果冩生圖」とする帳 はリンゴの花実のみを描いており、其々に「壹號」「貳號」といった番号が書き添えられる。全35図。札幌では明治六年(1873)に開拓 使によってリンゴの苗が導入され、国内で初めてヨーロッパ種のリンゴの結実に成功。明治十七年(1884)頃には札幌一帯に多くの果 樹園が誕生した。この画帳には「明治二十五年(1892)観菊御宴御飾 米国産林檎」と裏書された一図を含んでおり、輸入品の調査も 行っていたことを窺い知る。
次に平面図だが、四枚が綴じられており、豊平館の平面図と大まかな敷地図、豊平館附属官舎・附属厩舎の平面図で構成される。豊 平館は開拓使によって明治十三年(1880)に建設された洋館のホテルで、現存する木造ホテルとしては国内最古。重要文化財に指定さ れている。豊平館は御料局札幌支廰が設置された1890年に御料局の管轄となってはいるが、なぜ先掲の画帳と同梱されていたかは不 明である。
最後に、細密な植物画について。真鍮色の錦の上に表装され、下部に「名称 やちだも」から始まる説明書きを貼り添えている。上部 には何かしら紙片が剥がれ落ちた痕跡をみる。本図は、開道五十年記念博覧会のために須崎忠助によって描かれた肉筆植物画のうち、 行方不明となっていた「図版番号85 やちだも」の可能性がある。本図は表装されてはいるものの、別紙に描いた葉などを丁寧に切り 取って貼りつけていることから、大正九年(1920)から昭和六年(1931)にかけて北海道庁から出版された『北海道主要樹木図譜』のた めに修正されたものと推察される。


#181 梅戸在勤 百鳥画幅 ¥1,200,000~ 付木箱(桐) 絹本 唐木軸端 87×139 表具103×204 シミ痕 「藤原在勤」白文印 「子生」朱文印 苔生した岩礁、汀を画面に配し、百鳥の王たる番の鳳凰を筆頭に、小禽、 渉禽、水禽など多種の鳥を描く。その数実に八十八羽。馴染みの深い野禽 のほか、孔雀や金鶏、白鷴といった目を惹く珍鳥もみえる。禽類の捕食者 たる鷹や鷲などは描かれておらず、猛禽類としては木菟が一羽いるのみ である。
梅戸在勤(天保十四・1843~大正八・1919)は京都の絵師・原派の流 れを汲む画家。原在中三男・在親が梅戸家養子となり、在勤はその二代目 となる。掲出は画面右下に落款二顆を捺すのみで款記を付さず、注文主の 宮家に遠慮したという言説にも首肯できる。





#182 大橋翠石 猛虎画双幅 ¥1,000,000~ 付共箱(桐) 絹本 牙軸端 56×123 表具71×222 シミ オレ 大橋翠石(慶応元・1865~昭和二十・1945)は岐阜県生。名は宇三郎、通称宇一郎。郷土の戸田葆 堂、京都の天野方壷、上京して渡辺小華に南画を学ぶ。のち独学して洋風を取り入れた写実的な作風 を描く。動物画、中でも虎を得意とした。



#183
芹沢銈介 型絵染釈迦十大弟子 十 ¥3,000,000.~ 紙本 49×105
芹沢銈介が1982年(昭和57年)、87歳の ときに完成させた晩年の代表作。釈迦の 10人の高弟(舎利弗、目犍連、大迦葉、須 菩提、富楼那、迦旃延、阿那律、優波離、 羅 羅、阿難陀)を表現した10幅(仮巻) からなる型絵染の大作。
芹沢銈介(明治二十八・1895~昭和五 十九・1984)は工芸作家。静岡市生まれ、 東京で歿。雑誌『工芸』の表紙装幀を契機 に民芸運動に参加。重要無形文化財「型絵 染」保持者。登呂遺跡のなかに静岡県立芹 沢銈介美術館がある。













#184 楊洲周延 「時代かがみ」揃帖 ¥1,000,000~ 付帙 紙本 24×36 シミ 小ヨゴレ
周延(天保九・1838~大正元・1912)は本名橋本直義。越後生まれ。歌川国芳や三代歌川豊国に学ぶが、師の歿後豊原国周に入門し 楊洲周延と号した。幕府側で彰義隊や榎本武揚らとともに戊辰戦争を戦い、降伏。のち、上洛し西南戦争の錦絵や風俗画、役者絵、美人 画などを描く。明治二十八年(1895)の「千代田大奥」連作は当時のベストセラーで、三十年(1897)日本絵画協会第一回絵画共進会で 三等褒状を受ける。




#185 吉原治良宛年賀状 一口 ¥1,000,000~ 付合箱(桐) 10×15ほか
吉原治良(明治三十八・1905~昭和四十七・1972)は洋画家、実業家。中学生の頃から独学で絵を描き、家業の為の中断を経て個展 を開催。作品を藤田嗣治に酷評された事を機に作風を転換、藤田と東郷青児を顧問に迎え九室会を結成し前衛芸術を発信するが、戦時 下にあって前衛的表現は風当り強く、六年ほどで活動停止。戦後はアンフォルメル的な画風へ変遷。1952年に現代美術懇談会、1954年 具体美術協会を結成。1962年には具体美術協会の本拠となる美術館「グタイピナコテカ」を開館。


掲出は、吉原を慕った芸術家たちからの書簡群で、1969年から1971年までの年賀状がその大半を占める。送り主は、吉原が立ち上げた 具体美術協会の創立メンバーである関根美夫(1922-1989)、岡田博(1923-2008)、山崎つる子(1925-2009)、辻村茂のほか、小野田寛(19372008)、鷲見康夫(1925-2015)、村上三郎(1925-1996)、今年五月に集大成に臨んだ三原泰治など、「具体」に糾合した芸術家たちの名を みる。吉原と共に現代美術懇談会を設立した須田剋太(1906-1990)の名もみえる。吉原が在籍した関西学院大学絵画部「弦月会」の後輩 芸術家たちや、また、「具体」と直接的な関わりこそ見出せないものの、芦屋にあった吉原の画塾に近しい差出元からのものも見受ける。 アメリカの抽象画家であるPaulJenkins,AliceBarber夫妻からの書簡も添う。




#186 平櫛田中 木彫彩色大黒 ¥1,500,000~ 付共箱(桐) 平櫛弘子鑑定書 像高19
平櫛田中(明治五・1872~昭和五十四・1979)は木彫家。岡山県西江原村に生まれ、東 京都小平市で歿。本名倬太郎、旧姓田中、後平櫛家の養子となる。大阪で中田省古、上京 して高村光雲に師事。明治四十年(1907)米原雲海らと日本彫刻会を結成。大正三年 (1914)再興日本美術院彫塑部主宰、同人。東京芸術大学教授、帝室技藝員を務める。生 地に井原市立田中美術館がある。また昭和四十六年(1971)白壽を記念し平櫛田中賞が設 けられた。




#187 河井寬次郎 彩碗 ¥1,000,000~ 付二重箱(内識桐 外溜塗) 仕覆 145×14×75 河井つね箱識 河井寬次郎(明治二十三・1890~昭和四十一・1966)は陶芸家。島根県安来生 まれ。東京高等工業学校窯業科卒業後、京都市立陶磁器試験所にて研究と制作に 従事。大正九年(1920)京都五条坂に鐘渓窯を開窯。大正末期より民芸運動に参 画。重厚な形態と釉法に、素朴な美しさの宿る作品をつくった。昭和四十八年 (1973)自宅に河井寬次郎記念館が開設された。

#188 高鶴元 青釉三角形扁壺 ¥1,000,000~ 付共箱(桐) 58×23×545 『トップスフィールドの風 高鶴元展』(福岡岩田屋/1994)ポスター掲載品 平成六年(1994)作 高鶴元は昭和十三年(1938)、四代前から続く上野焼窯元の家に生まれた。有田工業高校を卒 業後、家業は継がず独立。二十代から古陶の研究に勤め、伝統に立脚した作品を焼いた。昭和五 十六年(1981)、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン郊外のトップスフィールドに移住、フ ロンティア・スピリットの残る風土に身を置き、原色を多用した作品を発表。その多くは、日 本窯家として培った技術を基台にしつつ、アメリカの気宇壮大で鮮麗な風土に取材したもので、 国内外から高い評価を得ている。



#189 高鶴元 大壺 ¥1,000,000~ 40×40×52 手元の図録に登載はないが、曰く「ニューイングランドの紅葉」と云う。

第101回 201807


第102回 201809


第103回 201811


第104回 201901


第105回 201903

第106回 201905第107回 201907第108回 201909第108回酒器 201909第109回 201911





第110回 202001第111回 202003第112回 202005第113回 202007第114回 202009





第115回 202011第115回SAMURAI202011第116回 202101第116回清華譜 202101第117回 202103





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参考文献一覧
至文堂版「日本の美術」の表記は(日美)とした。
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茶道 『原色茶道大辞典』井口海仙ほか 淡交社 昭和51 『現代煎茶道辞典』主婦の友社 昭和56 『茶碗窯別銘款』黒田和哉 グラフィック社 平成10 『茶湯便利帳』宮帯出版〔改訂版〕 平成24
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諸家 『事物起源辞典』 朝倉治彦ほか 東京堂出版 昭和48 『唐船輸出入品数量一覧』 永積洋子 創文社 昭和62 『日本の意匠事典』 岩崎治子 岩崎美術社 1991 『西洋人名辞典』 岩波書店 昭和31 『守貞言謾稿図版集成』 高橋雅夫 雄山閣 2002 『工芸にみる古典文学意匠』 京都国立博物館 昭和55 新刊紹介(一割引きでお取り次ぎいたします) 閨秀書画家辞典 本体 2,300円

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保管期間中の事故を回避するために、養生箱(紙箱)を個別に作ります。木箱付の場合は不要。
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15,000円 1/2ページ
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7,500円 1/4ページ
5,000円 1/6ページ
3,500円 1/9ページ
3,000円 1/10ページ
2,500円 1/12ページ
1,500円 1/20ページ 一律 500円 写真なし
※不落札の場合は免除(無料)。
出品手数料
■鑑定費用
専門機関または専門家による鑑定を行います。
著名物故作家 3,000~5,000円/点
30,000~50,000円/点
宝石・貴金属類 3,000円/点 刀剣類
一作品につき、落札価格10万円未満は15%、10万円以上は10%(別途消費税)
■経費の負担例

■不落札品の管理
例)最低価格10万円/落札価格20万円
手数料 20,000円
消費税 2,000円
掲載料(1/6サイズ) 5000円
カット料(1カット) 1,000円
保険料 500円
保管資材料 1100円
出品者受取金額 170,400円
※不落札(仮定)の場合の経費負担 カット料(1カット) 1,000円
保険料 500円
保管資材料 1100円
出品精算日より無償保管期間30日を過ぎますと倉庫業者に管理を委託し、一作品300円/日の有償となります。保管中 のコンディションの変化や破損に伴う損害は補償外。保管料が発生した時点から二ヶ月が経過した場合は、保管作品 の処分が弊社に一任されます。
※再出品のための滞留は無償。