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With You 55

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南部アフリカのザンビアは、独立以来大きな内戦もなく、平和で政治的にも安定した 国で、長年アンゴラやコンゴ民主共和国など近隣国から多くの難民を受け入れてき ました。ザンビアは国を挙げて難民支援に取り組み、元難民の居住を認めて土地を 提供し、難民を国の教育や医療に組み入れて地域への統合をはかっています。 その先進的な取り組みと、ザンビアに根ざして生きる人々の物語をお伝えします。

難民と避難を強いられている人:約

ザンビア基本情報

● 面積:約753 千 km 2 (日本の約 2 倍)

● 人口:2131万人( 2024 年:世界銀行)

● 首都:ルサカ

● 民族:73 部族

(トンガ系、ニャンジャ系など)

● 言語:英語(公用語) ベンバ語、ニャンジャ語、トンガ語

● 宗教:8 割近くはキリスト教 その他イスラム教、ヒンドゥー教など

アフリカ最古の難民居住地

メヘバ難民居住地

ザンビアのメヘバ難民居住地は1971年に設立され、アフリカ で最古の難民居住地の一つです。シンガポールと同規模の広 大な敷地で、アンゴラ、ルワンダ、コンゴ民主共和国等の紛争 から逃れてきた人々を、何世代にもわたり受け入れてきました。

カオンデ族のムメナ首長は、長年難民の権利と尊厳を擁護し、 特にメヘバで精力的に取り組んできました。彼は難民の地域 への統合を進め、平和を推進する上で重要な役割を果たし、 難民を「部外者」ではなく「隣人」として受け入れるよう呼びか けてきました。彼は、メヘバの歴史をこう語ります。「この地域 に初めてきた難民は、コンゴ民主共和国からの人々です。当時 の首長だった私の祖父は彼らを受け入れ、現在メヘバと呼ば

れる地域へ住まわせました。私たちはここで米は育てられな いと思っていましたが、ルワンダ難民から稲作を学びました。 また、アンゴラ難民は様々な野菜を育てました。私たちはここ に来てくれた“兄弟たち”のおかげで、ここでは何でも可能だと 学んだのです」。

「私は人間性を信じています」

紛争はどこでも起こりえます。それを思えば、 私たちもみな難民になる可能性があります。

私たちは、私たちの土地に誰かが逃れて来たら、 世話をする必要があります

誰に分かるでしょう、次に逃げなければいけな いのは、私たちかもしれないのです。

私たちの先祖は、人間性を信じていました。

私もまた、人間性を信じています。

ームメナ首長,

ザンビアの難民支援にまつわるキーワード

「ザンビア・イニシアティブ」

2000 年代初頭の、メヘバなど難民居住地のプロジェクト。 難民と地域住民の双方に対して、インフラ整備(道路、診 療所、学校)や、農業支援、技術研修などを実施。

難民の「現地統合」の推進

難民の保護で終わらず、難民がザンビア社会にとけ込み、 自立して生活できるようにする支援。2012 年には元アン ゴラ難民のザンビア定住を認め、2017 年に「難民法」を制 定し、難民が自立するための環境を整備。

国家難民政策

UNHCR の支援を受け、2024 年に初の「国家難民政策」を策 定。難民をザンビアの国家システム(医療、教育、銀行、農業な ど)に組み込むことを明記。移動の制限などは引き続き課題。

緊急時に命を救う「人道支援」と、途上国の成長を支援する「開 発援助」を切り離さず統合し、UNHCR や開発機関等と連携し て危機の根本的な解決と自立をはかる包括的アプローチ。

ザンビアの地で共に生きる

未来へ続く物語

アンゴラやコンゴ民主共和国、ブルンジなど、様々な国から逃れてきた人々とその家族が暮らしているザンビア。

支援を力にして自立を果たし、地域社会の一員として力を発揮している人々のストーリーを紹介します。

「弟たちが僕よりも良い人生を送れるように。それが僕の喜び」

ムフウィンダさんは、メヘバで暮らす元アンゴラ難民で す。両親の死後、彼は家族の世話を引き受け学費を払い、

食料や衣服を調達し、弟妹たちが学校に通い続けられ るよう支えてきました。「両親がやり残したことを引き継 ぎました。それは重荷ではなく誇りです。両親は僕を育 ててくれました。今度は僕が弟たちの面倒を見る番です。 弟たちが僕よりも良い人生を送れるようにすることは 僕の喜びです」。

2024 年の干ばつで作物の多くが失われた時、彼はキャ ンプの若者たちと小川で水を汲み、UNHCR のパート ナー団体から提供された小型ポンプで畑に水をやり作 物を育てて乗り切りました。彼は言います。「援助を受け るだけでなく、僕たち自身も活動に取り組む必要があり ます。ただ受け身で待つだけでは、コミュニティは怠惰 になってしまいます」。彼は農業を拡大し、車を購入して 小規模な運送業を始め、弟妹たちが大学を修了できる ようにしたいと願っています。

畑で収穫したばかりの野菜を両手に持つムフウィンダさん

「ザンビアは私の故郷です」

ウィリアムさんの家族は、1966 年にマユクワユクワ難民居 住区に最初に到着した一人です。彼がまだ 7 歳の時でした。

現在 60 代の彼は、人生の大部分をここで過ごしてきました。 「到着した当初はとても戸惑い、自分が外国人だと理解して いませんでした。私たちはザンビアの子どもたちと遊び、一 緒に教会へ行き、同じ学校に通いました。ザンビア人との違 いを感じたことはありません」。父親はこの居住地で亡くな り、彼自身もこの地で家庭を築きました。

ウィリアムさんは安定した生活のため懸命に働きました。 外務省に就職し、後に農業やビジネスに転じ家族を支えま した。「子どもたちを大学まで通わせ、彼らの全てのニーズを 満たすことができました。未来を与えたかったのです」。しか し今でも、元難民である彼は問題を抱えています。移動の制 限により、商品の仕入れのたびに移動許可が必要で、事業の 維持に支障をきたしています。それでも彼は言います。「私 はここに住んで 60 年になります。ザンビアは私の故郷です」。

「女性には、家族の未来を変えられる存在だと気づいてほしい」

ベアトリスさんは、コンゴ民主共和国での暴力のため、家族 と 2016 年にザンビアへ逃れました。夫は亡くなり、厳しい難 民キャンプで家族を養う道を見つけなければなりませんで した。子どもたちのために未来を切り拓くと決意した彼女は、 仕立ての技術を学びました。仕立ての仕事を見つけ、顧客を 得るまでの苦労を思い出すと、彼女は思いがこみ上げます。 「あの頃の苦労を覚えています。大変でしたが、世の中の女性 たちには、自分こそ家族の未来を変えられる存在だと気づい てほしい。勇気を出して、何か行動を起こしてほしいです。 息子たちには、常に冷静さを保ち、いつも全てを得られるわけ ではないと知ってほしい。でも、決意さえすれば、彼らは自分 たちの未来を切り拓くことができるのです」。

支援に希望と力を得て。前へと進み続ける人々

UNHCR はザンビアで、難民の保護活動やインフラ整備を行うと 同時に、難民への農業訓練などの自立支援に力を入れてきました。 そして今、多くの難民が農業を拡大し、地域に欠かせない存在と なっています。

片手でも畑は耕せます

ロザリーナさん

家族を養い、地域にも 貢献しています

コンゴ民主共和国からの難民、ポールさん。「避難の決断 は簡単ではありませんでした。でも暴力が激化し、近隣の 村の人々も殺されていました。私たちの避難後、家は焼か れました」。ポールさんは、UNHCR の現金給付支援を受 け子豚を購入して養豚を始め、ビジネスを広げています。

最後に ザンビアの取り組みが教えてくれること ザンビアは、難民を単なる援助の受け手としてでなく、地域の一員としてとらえ地域の開発に組み込むことで、難民と地域 住民が 共存し、地域ぐるみで発展することを目指してきました。この先進的な取り組みは、「人道支援」から「持続可能な開発」そして「平和で 安全な社会の実現」までの一続きのアプローチとして、国際社会から高く評価され、UNHCRもサポートを続けてきました。難民を負 担としてではなく、地域にとって有益な存在として共に成長をはかるー。ザンビアの姿勢は、私たちに多くのことを教えてくれます。 アンゴラから避難してきたロザリーナさん。病気により 2009 年、片腕を切断するという試練に襲われます。「私は精 神的にも大きな影響を受け、すべてを考えすぎて高血圧にも なってしまいました」。ロザリーナさんは困難の中でも最善を 尽くすと決め、UNHCR の生計支援を通して農業の新しい技 術や知識を身に着けました。今、彼女は片手で農作物を育て、 自立した生活を送っています。(マユクワユクワ難民居住地)

野菜の栽培、家族と地域のための種子バンクも運営する 彼は言います。「私は自分の技術を用いて家族を養ってい ます。ただ支援を求めてここにいるわけではありません。 自分の知識を提供し、地域に貢献しています」。

全面侵攻から4年 ―

ウクライナは、今

2026 年1月、ザポリージャ州で空爆を受けた住居や車両

2022 年に始まったウクライナへの全面侵攻。2025 年は攻撃が激化し、250 万戸の住居が破壊され、少なくとも1万 4,383 人の民間人が死亡したと報告されています。世界各地に約 592 万人が逃れ、国内では約 370 万人が避難生活を 送っています。2026 年は1,080 万人が人道支援を必要とする見込みで、UNHCR は政府やパートナー団体と連携し支 援に全力を挙げています。

2025 年 ウクライナにおけるUNHCR の主な援助活動

保護の提供 594 , 000人 援助物資の配布 98 , 500人 現金給付支援 333, 400人 緊急シェルターなど

住居支援 203, 300人

集合シェルターに おける防寒支援など 25, 000人

ザポリージャ(左)、首都キーウ(右上)、チェルニヒウ(右下)での空爆後の支援

最前線に支援を届けるために ウクライナの NGO との連携

UNHCR は政府やウクライナの NGOと連携し最前線に支援を届けており、NGO「プロリ スカ」もその一つです。戦闘地域からの住民の避難を助け、水や医療、心理社会的支援、 生活必需品など不可欠な支援を行っています。

「 極めて困難で危険な状況で活動するプロリスカの勇気と献身は、数え切れないほどの 命を救い、最も切迫した状況にある人々を助けてきました。その活動は、壊滅的な戦争の 中でも人道精神を守り抜くという象徴です 」。

( UNHCRウクライナ代表 ベルナデット・カステル=ホリングスワース)

ウクライナ 私たちと同じ時代を生きる人々の声

ゾイアさんと猫のトーシャ

「 願いはただ一つ。

「

今度は私が恩返しをする番です

ゾイアさん(ミコライウ州)

南部ミコライウ州のゾイアさん( 64 歳)は、元金融・物流の専門家です。2 つの学位、長 いキャリア、十分な年金、自分の家があり、平穏な暮らしでした。「まさか、自分が難民 になるなんて夢にも思いませんでした。侵攻が始まったある日、職場で同僚が『何回か 爆発した』と言うので、私は『冗談はやめて』と返しましたが、本当だったのです。恐怖に 襲われました。近隣がミサイル攻撃を受け、私は13 歳の猫・トーシャを連れてイタリア へ避難しました。トーシャを置いていくなんて考えたこともありません。家族の一員な のですから」。彼女は食料やシェルター、医療等 の支援を受けた後、ウクライナへの思いを断ち がたく、帰還を決めました。今は UNHCR のパー トナー団体のスタッフとして、高齢者や障がい 者など弱い立場にある人々の支援にあたって います。「ただ座っているなんてできません。 誰でも一夜にしてすべてを失うのです。私がそ うでした。今度は私が恩返しをする番です」。

ゾイアさんの避難の旅。行く先もわからず切 符もないまま、数か国を転々としイタリアへ たどり着いた

子どもたちが生きて戻ってくること 」

マリアさん(ハルキウ州)

ロシア軍の占領が始まった時、私たちは熟睡していて、爆発音で目が覚 めました。 窓の外には、100 ~200 台のロシア軍の車両の列が見えました。村は7 か月間占 領され、すべての店や公共施設が閉まり、私たちは常に恐怖に怯えていました。

2 人の息子を匿っていて、毎日が命がけでした。2022 年 9 月に村はウクライナに 奪還されましたが、息子2 人は戦地に向かいました。1人は負傷して長く入院し、 2024 年に突然亡くなってしまいました。自分の子を亡くすのは、信じられないほ ど辛いことです。1年前、家が砲撃されて私たちは地下室に隠れました。地下室の ドアが吹き飛ばされ電気が消え、私は腕が痛くなるほど夫を強く抱きしめまし た。隣人たちが駆けつけ、私たちが生きているか尋ねました。外へ出ると飼い犬は亡くなって いて、屋根は吹き飛び、庭は全てひっくり返っていました。夫が「妻があんなふうに抱きしめて くれたのは 50 年ぶりだ。また砲撃があっても耐えられるよ」と言うので、みな笑い出しました。 私たちウクライナ人はそう 死の淵に立っても、すぐに冗談を言う。それほど私たちはたく ましいのです。私たちの息子や孫、甥たちが前線で戦っています。願いはただ一つ、戦争が終 わり、子どもたちが全員生きて私たちの元へ戻ってくること。そして私たちが村に帰れること。 その日まで生きられると信じたいです。

ウクライナを

3人の息子の絵を持つマリアさんと夫のアナトリイさん マリアさん夫妻はハルキウ州クプヤンシク 地区からハルキウ市へ避難している

「 忘れられた危機 」にしないために

長期化した人道危機が次第に国際社会から忘れられ、さらに窮地に陥る事例を UNHCR は多く見てきました。

2026 年、中東 など各地で紛争が続きウクライナに関する報道が減る一方で、ウクライナの人道状況は悪化の一途をたどっています。

UNHCR は 2026 年、ウクライナで 95 万5000 人を保護し、65 万2000 人に現金給付支援を、32 万5000 人に住居支援の提供 を目指しています。私たちと同じ時代を生きる人々が、戦争の犠牲となり苦しみを強いられています。これからもウクライナ の人々へ関心をお寄せいただき、どうぞお力をお貸しください。

今号の表紙

元アンゴラ難民で、今もザンビ アで暮らすウィリアムさんと家 族。元難民の中には、彼のよう に母国へ戻らずザンビアに定 住し、農業や起業を通じ地域に 貢献する人々も多くいます。

「 世界難民の日 」

オンライン上映会を開催!

6月20日は「世界難民の日」。

当協会主催でオンライン上 映会( 6/9 ~)を開催します。

詳細やその他の関連イベン トについては、ぜひ特設サ イトからご覧ください。

With You

国連UNHCR協会ニュースレター

[ウィズ・ユー]

第55号|2026年6月

発行

特定非営利活動法人 国連UNHCR協会

[国連難民高等弁務官事務所・日本委員会] 〒107-0062

東京都港区南青山6-10-11

ウェスレーセンター3F Tel.0120-540-732 Fax.03-3499-2273 www.japanforunhcr.org

編集 国連UNHCR協会

デザイン NDCグラフィックス

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株式会社セッション ©Japan for UNHCR

本誌掲載記事の無断転載を禁じます。

私 は元々 JICA(国際協力機構)出身で、 2013 年から3 年間、UNHCR のジュネー ブ本部へ出向していました。当時の 難民支援は「キャンプ収容型」が中心で、難民 キャンプの外に住む難民や 受け入れ地域の人々を含め た支援は広がっていません でした。UNHCR は人道支援 が得意で、開発支援は手薄 な分野です。私の専門は「人 道支援と開発の連携」で、 UNHCR 本部で上級開発担 当官として、難民支援を単な る緊急人道支援にとどめず、 地域の発展に結びつけて問 題解決をはかるアプローチ の推進に取り組みました。

From the Field

難民支援の現場から

荒木 亜礼譜 あらき・あれふ

昨年、UNHCR と政府が共同で行った全国調査 では、難民、元難民、受け入れ地域の3つのグルー プがみな貧しく、地域全体が貧困状態にあると 分かりました。つまり、難民だけでなくその地域 に住む全員に対する開発支 援が必要で、これは緒方貞子 さん(第 8代国連難民高等弁 務官)も推奨したアプローチ です。UNHCR はザンビアで、 政府や開発系の援助機関と 連携し、緊急支援から教育 や医療、自立支援などを包 括的に切れ目なく行い、「難 民も含めた地域のみんなが 幸せになれるような支援」を 進めています。

その後 UNHCR に転職し、パ キスタン、イラク、モルドバを 経て、現在はザンビアで、地 域開発プログラムの統括や 難民の地域統合支援等に携わっています。

モルドバで在職中、キシナウ副市長との(ウク ライナからの)難民の社会経済統合に関する 会談(右側奥から2番目)

ザンビアは南部アフリカの内陸国で海がなく、 国土の多くは標高1000メートル以上で涼しく過 ごしやすいです。世界三大瀑布の一つ、ヴィクト リアの滝が有名で、ゾウやライオンなど野生動 物も多くいます。ザンビアは内戦もなく政治的に も安定しており、長年アンゴラなど近隣国から 難民を受け入れてきました。治安も人も良くて落 ち着いた、避難しやすい国だと思います。

そんなザンビアの難民政策の特徴は、難民を 守るだけでなく、地域で自立して生活できるよう 支援する点です。アンゴラ内戦が終結した後は、 アンゴラ難民の難民資格を停止し、定住を認めて 土地を提供し、ザンビア市民とほぼ同等の資格を 付与して地域統合を進めてきました。大変先進的 な難民政策で、元難民へ提供した土地において、 政府が農業支援や自立支援も行っています。

また、ザンビアは世界銀行から難民支援として 資金援助を受けており、私は政府と共に、その資 金を難民と地域へ活用するための計画立案にあ たっています。例えば、難民を多く受け入れてい る地域での学校や保健施設、道路など社会イン フラの整備、太陽光発電の導入、難民がサービス にアクセスするための法律改正、農業支援など につなげてきました。

私はモルドバでも、政府と共 に難民統合プログラムを策 定し、教育、雇用、社会サービ スに難民を組み入れる制度 作りに携わりましたが、今も 強く心に残っていることがあります。

ウクライナからの難民の多くは母親と子どもで、 父親はほとんどいません。母親たちは働いて生 計を立てる必要がありましたが、多くは幼い子ど もを抱え、就労できる環境を整える支援が必要 でした。そこで母親たちは自ら保育園を立ち上げ、 英語が得意な母親が子どもたちに英語を教えた り、障がい児には専用の部屋を作ってケアにあ たったのです。私は、「難民は弱い存在ではなく、 強いのだ」と感動を覚えました。そして、UNHCR は難民をただ守るだけでなく、より強くなるため の支援、避難先で貢献できる存在になるための 支援も必要だと実感しました。

日本もかつては開発途上国で、戦争で甚大な被 害を受けたにもかかわらず復興を遂げ、先進国 となった数少ない国の一つです。今、こうした日 本の経験と知見が難民問題に取り組む上で必要 とされています。ぜひ、日本が培ってきた経験や ノウハウを難民支援に活用してほしいと願って います。

プロフィール

新潟県出身。東京農業大学修士課程修了。JICA(国際 協力機構)に15 年勤務し、UNHCR 本部への出向を経 て 2018 年に UNHCR に入職。上級開発担当官として、 パキスタン、イラク、モルドバで活動に従事。2025 年よ りザンビアにて勤務。

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