ダニエル書預言研究第8課

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第8課 ―世界の歴史と救いの計画―

※ダニエル書8章をお読みください。

主題:ダニエル書8章はダニエルが二番目に見た幻について記録 しています。特に7章に書いてあった小さな角の秘密を8章では その罪悪の真相をより具体的に説明しています。神はこのような サタンの「不法の秘密」を無視されず、踏み付けられた御自分の 律法と聖徒のために2300の夕と朝の期間を定められ、救いの 計画を示してくださいました。ダニエル書2章ではネブカデネザ ル王の夢、すなわち「像」を通して単純な世界歴史が示されまし た。そして7章ではダニエルに直接啓示され、獣として象徴され た大帝国とサタンの不法の秘密、すなわち小さい角の秘密を暴露 され、世界歴史と宗教史が結び付けられていることを知るように なりました。そしてこれからは世界歴史の中に開かれる神の救い の計画を研究していきます。世界史に出てくる大帝国もこれから は獣ではなく、聖書に書いてある清い獣として象徴され、彼らが 神の救いの働きにおいてどのような役割を果たすのかを示してい ます。 研究主題1:神の二番目の幻に現われた獣 聖句参照: 「われダニエルは先に幻を見たが、後またベルシャザル 王の治世の第三年に、一つの幻がわたしに示された。その幻を見 たのは、エラム州の首都スサにいた時であって、ウライ川のほと 1


りにおいてであった。わたしが 目をあげて見ると、川の岸に一 匹の雄羊が立っていた。これに 二つの角があって、その角は共 に長かったが、一つの角は他の 角よりも長かった。その長いの は後に伸びたのである。わたし が見ていると、その雄羊は、西、 北、南にむかって突撃したが、 これに当ることのできる獣は 一匹もなく、またその手から救い出すことのできるものもなかっ た。これはその心のままにふるまい、みずから高ぶっていた。わ たしがこれを考え、見ていると、一匹の雄やぎが、全地のおもて を飛びわたって西からきたが、その足は土を踏まなかった。この やぎには、目の間に著しい一つの角があった。この者は、さきに わたしが川の岸に立っているのを見た、あの二つの角のある雄羊 にむかってきて、激しく怒ってこれに走り寄った。わたしが見て いると、それが雄羊に近寄るや、これにむかって怒りを発し、雄 羊を撃って、その二つの角を砕いた。雄羊には、これに当る力が なかったので、やぎは雄羊を地に打ち倒して踏みつけた。また、 その雄羊を、やぎの力から救いうる者がなかった。こうして、そ の雄やぎは、はなはだしく高ぶったが、その盛んになった時、あ の大きな角が折れて、その代りに四つの著しい角が生じ、天の四 方に向かった。 」ダニエル書8:1~8 A.二番目の幻でダニエルが見た最初の獣を描写してください(ダ ニエル8:3,4) 解説:ダニエルが二番目の幻を受けたのはバビロンが滅亡する少 2


し前だと考えられます。バビロンの最後の王ベルシャザルの三年 にダニエルがこの啓示を見たと記録されているからです。 最初の獣は二つの角を持った雄羊です。この雄羊には二つの角 がありましたが一つの角は他より長いものでした。そしてこの雄 羊が西と北と南に向かって突撃したと描写されています。二つの 角を持ったこの雄羊は8章20節でガブリエルがすでに解釈した 「メデアとペルシャの王」です。二つの角のうち一つがもっと長 かったということは、メデアとペルシャは同じ部族で親類関係に あり、同盟国であったということと、初めにはメデアが強かった のですが、後にはペルシャが強くなったということを意味してい ます。ですから二つの角は両方長かったのですが、後に出た角(ペ ルシャ)がもっと強くなったのでした。 この雄羊が「西、北、南にむかって突撃した」というのはこの 国が西の小アジアとリディア、そして北のバビロン、南のエジプ トやアフリカなどに侵略することを示しました。またそれだけで はなく多くの国々を侵略したので、 「これはその心のままにふるま い、みずから高ぶっていた」という預言が成就したことがわかり ます。ペルシャのクロス王が生まれる約1世紀半前に預言者イザ ヤは次のように預言していました。 「わたしはわが受膏者クロスの 右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王 の腰を解き、…」 (イザヤ45:1) 。この預言が成就されたのでした。 ダニエルの二番目の幻でバビロンが除外されたのは、バビロンは すでに国力が衰えていて滅亡が遠くなかったためであると考えら れます。 B.二番目の獣の姿と真相を描写してください。 (ダニエル8:5-8) 解説:西から出た雄やぎの特徴は二つの目の間に大きい角(著しい 角)があって、この角が二つの角を持った雄羊(メド・ペルシャ)に 3


走り寄ってその雄羊を踏みつけた というものでした。そしてこの雄山 羊が盛んになった時に大きい角が 折れ、その代わりに大きな角が四つ 生じたという掲示でした。この獣に 対する解釈も21,22節に書いて あります。この雄やぎは西のマケド ニアで起こったギリシャを示して います。二つの目の間に出た著しい角はギリシャの最初の王アレ キサンダー大王を指し示しています。その角(著しい角)が折れて そこに四つの角が生じたということはアレキサンダー大王が若年 で死に、彼の部下の将軍四人がギリシャの領土を四等分して統治 することを示しています。しかしその勢力はアレキサンダー大王 の時よりも劣ることが聖書に書かれています。 西から来た雄やぎの足が土を踏まないような速度で雄羊(メド・ ペルシャ)に走り寄り、怒って雄羊を撃ち、その二つの角を折ると いう姿は、ギリシャとメド・ペルシャ間の情勢、つまり両国間の戦 争がどれほど激しかったかをよく示しています。 歴史的考察:紀元前334年にアレキサンダーは騎兵4万3千人 を率いて、ヘレポントス海峡(現在のダーダネルス海峡)を超え て小アジアに渡りました。彼は足が地に触れないような速度でペ ルシャ征服に突入していきました。世界史で有名なペルシャ戦争 (紀元前492-449)は世界を征服しようとするペルシャとマケド ニアの西から明星のように浮上したギリシャとの戦争でした。そ の時世界の超大国であったペルシャはギリシャの勢力を砕くため に先制攻撃をしかけました。そしてその戦争で生き残るためのギ リシャの反抗は激烈なものでした。特に紀元前490年ペルシャ のダリヨス1世の時のマラトン戦争は今日の陸上競技マラソンの 4


由来をとなった有名な戦争でした。生死をかけた数回の戦争で二 国間の敵対感情は極みに達していました。 この時に血気旺盛な20代のアレキサンダー王が復讐心に燃え てペルシャ征服の戦いに出て行きました。聖書に雄やぎが激しく 怒って雄羊(メド・ペルシャ)を踏み付けたという描写はなんと 適切なものなのでしょう。結局紀元前331年アルベラ・ガウガ メラの戦いでペルシャを破り、ギリシャは歴史の章に際立つ存在 となり、ペルシャは歴史の舞台から去るようになりました。しか しアレキサンダー王は世界を征服しても自分自身を征服すること をできず、酒色に陥って33歳という若さで死にました。彼は後 継ぎを残すことができず、著しい角が折れて四つの角が四方に向 かったように、部下の将軍四人によって、国が四つに分けられる ことになりました。 *東-セレウコス、西-カッサンドロス、南-プトレマイオス、 北-リュシマコス 研究主題 2:小さい角の真相と歴史 聖句参照:「その角の一つから、一つの小さい角が出て、南に向か い、東に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、 天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に 投げ下して、これを踏みつけ、またみずから高ぶって、その衆群 の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。 そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわた された。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるま って、みずから栄えた。」ダニエル書8:9~12 A.小さい角の出現を描写してください。(ダニエル8:9)

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解説:ダニエル書2章と7章ではギリシャ、次にローマが出てき ます。ところがダニエル8章では雄やぎ(ギリシャ)の著しい角 (アレキサンダー)が折れた後に生じた四つの角の中から一つの 小さい角が出てくることを記録しています。ダニエル7章では小 さい角の正体は法王ローマ(カトリック教会)であることを研究 しました。しかし8章に出てくるこの小さい角の正体とどのよう な関係があるのでしょうか? 歴史的考察:ローマの歴史は多神教(太陽神)を拝む異教ローマと 神を拝む法王ローマに区別されます。異教ローマはゲルマン民族 の移動とともに徐々に分裂し、同時にA.D.330年には首都をイ タリアのローマから東のコンスタンティノープルに移しました。 そして首都があったローマで教会が政治的勢力として育っていっ たとき、それが法王圏すなわち法王ローマとなったのです。異教 ローマが分裂し衰える一方、比較的に法王の勢力は強くなってい きました。しかしこの二つの勢力は難局に会う度に互いに助け合 いながら共存していきました。しかしA.D.476年には帝国ロー マである異教ローマは自然に消え、代わりに法王ローマが宗教、 政治、すべての勢力を持つようになったのです。このような歴史 はとても漸進的に成り立っていったので区別しにくいものである といえます。というのは実際的にはローマ帝国が消えてしまった のではなく、秘かに法王ローマに変わったに過ぎないということ ができます。ですからダニエル書8章では異教ローマと法王ロー マを区別して示しているのではなく、小さい角すなわち法王ロー マとして統一して示しているのです。そしてこの二つのローマは 神に敵対する勢力であったということを学ぶことができます。 「小 さい角」は神に敵対する勢力の代名詞として使われていることを 注視してください。

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B.小さい角を追跡(ダニエル書8:10,11) 解説:「一つの小さい角が出て、南に向かい、東に向かい、麗しい 地に向かって、 」はなはだしく大きくなりました。それが天の衆群 に及ぶまでに大きくなって星を落とし「衆群の主」に敵して聖所 と燔祭を取り除いたのでした。これはまだ法王ローマが起こる前 の異教ローマの歴史を示しています。小さい角(ローマ)が南、東、 麗しいに向かって育ったということは南のエジプトと東のシリア、 麗しい地であるエルサレムをローマが征服したことを象徴してい ます。 「天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個 を地に投げ下し」たということは神の民(天の衆郡)と指導者(星) を迫害し、殺すことを預言したものであり、 「衆群の主に敵し、」 「燔 祭と聖所」を倒したというみ言葉は、衆郡の主であられるイエス・ キリストを十字架に釘付けて、エルサレムの神殿を倒すサタンの 先導者の役目をしたローマ帝国 (異教ローマ)の歴史を預言した ものであります。 C.真理を地に投げうち、ほしいままにふるまった小さい角。(ダ ニエル書8:12) 解説:異教ローマによってイエスが十字架で殺され、エルサレム の神殿は燃やされました。そして法王ローマによって真理は地に 投げうたれ、神の律法は踏みにじられました。この二つの勢力(小 さい角)は神に敵対するサタンの勢力であります。 「常供の燔祭と 真理を地に投げうち、ほしいままにふるまった」と言うことはロ ーマカトリック教会がキリストの仲保を拒否し、人間の祭司を立 ててキリストの仲保に代わる司祭制度とミサ、そして神の律法を 勝手に変えたことを指しています。カトリック教会の司祭制度と ミサは聖書の真理を完全に曲げたものです。人と神の間の仲保者 7


はイエス・キリストしかいません。どんな人間であっても私たち の仲保者になることはできないのです。しかしカトリック教会の 司祭制度は神父たちが仲保者の役目をします。信者たちが毎日神 にささげる祈り(燔祭)を神父に告解(赦しの秘蹟)つまり神の 代わり神父たちが罪を許す権威を持っていることを意味する儀式 に変えています。そして人間にすぎないイエスの母マリアを仲保 者として崇め、彼女の像を作って神の禁じておられる偶像崇拝制 度を行います。このようなカトリック教会の教えは「常供の燔祭 と共に、これにわたされた」と言う預言の成就です。これは人類 の大贖罪の主であられる唯一の仲保者イエス・キリストを拒否す ることであり、真理を地に投げうつ行為であります。さらに神の 戒めの第四条を勝手に変更したことは彼が「ほしいままにふるま って、みずから栄えた」というみ言葉の成就なのです。 研究主題3:天の聖所と2300の夕と朝 参照聖句:「それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞 いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかっ て言った、 『常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群 がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあら われたことは、いつまでだろうか』と。彼は言った、 『二千三百の 夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復 する。』」ダニエル8:13,14 A.二人の天使の会話の中に出てくる内容を要約してください。 (ダニエル書8:13) 解説:二人の聖者(天使)の会話をダニエルは幻の中で聞いてい ました。その内容を要約すると次のとおりです。 8


①常供の燔祭と(注) ②荒すことをなす罪 ③聖所が足の下に踏みつけられ ④衆群が足の下に踏みつけられることはいつまでだろうか? この質問に対して天使の答は「2300の夕と朝」までそのこ とが続くというものでした。2300の夕と朝はとても長い期間 であります。朝と夕は一日を示しています。すでに前課で研究し たように聖書での預言的一日は一年です。(エゼキエル4:6;民数 紀14:34)ですから2300の夕と朝は2300年となります。 上記の天使の会話をよく考えてみましょう。①②はすでに研究 したようにカトリック教会が聖書の真理を捨ててサタンの地獄の 火から点けた誤りを示しています(司祭制度、マリア仲保説、ミ サなど)。しかし聖所と聖徒が踏みつけられることがこのように長 い間続くというのは何の意味なのでしょうか? B.地上の聖所と天の聖所を説明してみてください。 聖句参照:「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わ たしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の 型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければ ならない。」出エジプト記25:8,9 「以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちの ためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、人間によら ず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、と いうことである。・・・彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕 えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てよ うとしたとき、御告げを受け、 『山で示された型どおりに、注意し 9


てそのいっさいを作りなさい』と言わ れたのである。」ヘブル8:1,2,5。 解説:聖所にはモーセが建てた天のひ な型と天にある実体があります。モー セが聖所を建てるとき天にある物を 見てその型にしたがって建てたと聖 書に記録されています(ヘブル8:5)。 「これらは、きたるべきものの影」で した(コロサイ2:17)。天の聖所の 模型であり影であった地上の聖所の働きはキリストの死によって 終わりました。いまや模型は実体に変えられなければならなかっ たのでした。それだから聖所の働きはこの地から天に移されたの です。捧げ物は羊の血ではなくイエス・キリストの血で流され、 罪人のための仲保の働きは欠陥が多い人間の祭司ではなく、イエ ス・キリスト自らが大祭司になられてこの地にある御自分の民を 仲保されるのです(ヘブル7:22と8:6をお読みください)。 しかし、小さい角である法王ローマはこの聖所を踏みつけるの です。どのようにそれが可能なのでしょうか!天にある聖所を地 上の法王権が踏みつけるという意味は何なのでしょうか? C.天の聖所が踏みつけられるということを説明してみてくださ い。 聖句参照:「それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞 いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかっ て言った、 『常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群 がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあら われたことは、いつまでだろうか』と。彼は言った、 『二千三百の 10


夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復 する。』」ダニエル書8:13,14 解説:まず聖所の構造を調べてみましょう。聖所には庭があり、 また二つの部屋がありますが、最初の部屋を聖所と呼び、二番目 の部屋は至聖所と呼びます(聖所平面図参照) 。聖所制度と構造は 罪人に救いの真理を教えるために考案された制度であります。こ の制度はだれでもイエス・キリストを信じるならば救いを得るこ とができるという真理を教えています。どんな邪悪な罪人でも犠 牲の小羊を連れて庭に入り、祭壇の上で殺すのならその罪は許さ れ救いを得るのです。もちろん祭司は罪人が殺した羊の血を携え て聖所に入って贖罪をします。そうすることによって罪人は救い を得るようになるのであります。これは「…それは御子を信じる 者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」 (ヨハネ3: 16)と言う真理であります。 地上の聖所が建てられた目的はこの真理を人々に悟らせるため でした。サタンはこの真理が人々に伝えられることを望みません。 これこそがサタンがこの地上の聖所を憎み、燃やした理由でした。 しかしいまや小羊の実体であられるイエスが十字架で血を流され、 自らの血を持って天の聖所に入られたのです(ヘブル9:11,1 2; 7:25をお読みくださ い。)今は真理の光が地上聖 所ではなく、天の聖所から照 らされているのです。 天の聖所が踏みつけられ たということは、この真理が 法王ローマすなわちカトリ ック教会によって踏みつけ られてしまったことを意味 11


します。カトリック教会によって「神はそのひとり子を賜わった ほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひと りも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16) と言う真理を踏みつけたのです。彼らはイエス・キリストを信じ ることによって救いを得るのではなく、修道、苦行つまり行いに よって救いを得ることができると教えるのです。 罪人のために仲保されるイエス・キリストの祭司の職はローマ カトリック教会の司祭制度とマリアの仲保説によって隠されまし た。神父たちが行うミサと告解の秘蹟を通して唯一の大贖罪の主、 仲保者であられるイエスの進む道を妨げてしまったのでした。 「神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」 (マル コ2:7) 「神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なる キリスト・イエスである。」(第一テモテ2:5) 聖所制度と全ての器具はこのような真理を示しているのです。 ですからこのような真理を地 に投げうつことによって天の 聖所は踏みつけられたのです。 ローマ帝国によって地上の聖 所が踏みつけられ、法王ローマ によって天の聖所が踏みつけ られたのです。ですからダニエ ル書8章ではこの二つのロー マを神に敵対する小さい角と して表しているのです。 D.2300の夕と朝と聖所 の清めについて説明してくだ さい(ダニエル8:14) 12


参照聖句: 「それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞 いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかっ て言った、 『常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群 がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあら われたことは、いつまでだろうか』と。彼は言った、 『二千三百の 夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復 する。』…言った、『見よ、わたしは憤りの終りの時に起るべきこ とを、あなたに知らせよう。それは定められた終りの時にかかわ るものであるから。…先に示された朝夕の幻は真実です。しかし、 あなたはその幻を秘密にしておかなければならない。これは多く の日の後にかかわる事だから。』」ダニエル8:13,14,19,2 6。 解説:二人の天使の質問と答えの中で、法王権の迫害と真理を踏 みつけ神に敵対することがいつまで続くのか?という質問に対し て一人の天使は2300の夕と朝までであり、その時には聖所が 清められると答えています。2300の夕と朝の起算点について は天使の会話の中に出てこなかったので、ダニエル書8章では2 300の夕と朝の初めと終わりを説明することができません。こ の説明はダニエル9章で研究します。 ところで聖所が清められるというのは何の意味でしょうか?昔 モーセが建てた聖所の制度で清めの働きが毎年一回行われました。 その理由は次の通りです。聖所の制度には二種類の祭司の奉仕が ありました。それは「日毎の奉仕」と「年毎の奉仕」です。日毎 の奉仕は朝夕にささげる燔祭と民の罪のための奉仕として維持さ れたものです。朝夕燔祭をささげるときに罪人の罪を贖うために は小羊が殺され、その血が聖所の中にある幕にかけられました。 ですから幕が血(罪)で汚れたため、この幕を清める必要があった のです。 13


年毎の奉仕ではこのように汚れた幕と聖所を清めるために大祭 司が聖所の二番目の部屋(至聖所)に入って奉仕しました。この日 は大贖罪の日と呼ばれ(レビ記16:30~34参照)、イスラエルの民 の審判の日でした。だれでもこの日に悔い改めずに罪を隠してお くならば民の中から断たれたのでした。このような儀式は天で行 われる大祭司であられるイエスの救いの働きを象徴した地上の聖 所で行われた儀式でした。このように地上の聖所で象徴的に行わ れた儀式が今、天の聖所でどのように行われているのかというこ とを知ることはとても重要なことです。イエスは地上聖所の象徴 的な捧げ物(羊)の実体として、十字架で血を流されることによっ て罪人のために自分の血を持って昇天され、天の聖所に入られた のでした。 「しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられた とき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全 な幕屋をとおり、かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血 によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがな いを全うされたのである。」-ヘブル9:11,12 「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、 手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたし たちのために神のみまえに出て下さったのである。」―ヘブル9: 24 以上のみ言葉から今イエスが天にある真の聖所すなわち人の手 によって建てられたのでない聖所で奉仕されておられるというの は確実な真理であります。A.D.96年ごろ使徒ヨハネはイエス が天の聖所で奉仕される姿を幻で見ました。 「七つの金の燭台が目 についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金 の帯をしめている人の子のような者がいた」 (黙示録1:12,13)。 (黙 示録4:3~8参照)この幻は天の聖所の最初の部屋で奉仕されてい るイエスの姿でした。 14


これは地上聖所の「日毎の奉仕」にあてはまるものであります。 またイエスが天の聖所を清められる「年毎の奉仕」すなわち大贖 罪の日の奉仕の働きがあります。この日はこの地に住む聖徒にと って審判の日となるのです。なぜなら大贖罪の日には罪を隠した ままにしておくと民のうちから断たれたからでした。ですから彼 らはその日、太陽が暮れる前に全ての罪を悔い改めなければなり ませんでした。それでは天の聖所を清める大贖罪の日はいつから 始まるのでしょうか?その日にはこの地に住む聖徒は自分が犯し た罪を全て悔い改めて自らを清めなければならないのです。そう しなければ救いにあずかることができない(民のうちから断たれ る)のです。いつから天の聖所が清められるのでしょうか?ダニ エルは2300の夕と朝の起算点と終わりを知りませんでした。 (2300の夕と朝の解釈は次の課で勉強します。)2300の夕 と朝が終わるとイエスは天の聖所の最初の部屋での日毎の奉仕を 終えられ、二番目の部屋である至聖所に入られて(大贖罪の日) 聖所を清められるために奉仕を始められるのです。しかしダニエ ル書8章19,26節を見ると、これは世の終わりに起きる事件で あるということを知ることができます。 参照:「日ごとの務めのうちで最も重要な部分は、個人個人のため に行なわれた務めでした。悔い改めた罪人は供え物を幕屋(聖所) の戸口にたずさえ、このいけにえに手を置いて罪を告白しました。 こうして象徴的にその罪を彼自身から無垢の犠牲の上に移された のでした。それから動物は、彼の手で殺されました。祭司は、血 を聖所に運んで、この罪人の犯した律法を入れた箱の前方にたれ ているとばりの前に注ぎました。この儀式によって、罪は血によ って象徴的に聖所に移されたのです。・・・ こうしたつとめが、一年を通じて毎日行なわれていました。こ のようにイスラエルの罪が聖所に移されたので聖所は汚れ、 その 15


ため、罪を取り除く特別のつとめが必要となったのです。神は、 祭壇と同様に二つの聖所の部屋についてもあがないをなし、 『イス ラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければなら ない』とお命じになりました(レビ記16:19)。 年に一度、祭司は聖所のきよめのために至聖所にはいりました。 そこで果たされるつとめが、年ごとのつとめを完了したのでした。」 ―人類のあけぼの上巻p.418-419 E.ダニエルが幻を見た後に疲れはてた(気絶した)理由は何です か? 聖句参照:「われダニエルは疲れはてて、数日の間病みわずらった が、後起きて、王の事務を執った。しかし、わたしはこの幻の事 を思って驚いた。またこれを悟ることができなかった。 」―ダニ エル8:27 解説:ダニエルは小さい角(帝国ローマ、法王ローマ)によって メシアが殺され、神の聖徒らは血を流し、聖所が踏みつけられ、 神の律法が変更されて、これが自らを高めて神の聖所に座して神 に敵対するのを見たとき、また2300の夕と朝(年)の間に天 の聖所が踏みつけられるという天使ガブリエルの話を聞いて、ダ ニエルの心はどれほど痛く苦しかったことでしょうか?しかしダ ニエルは20節から25節の天使ガブリエルの解釈を通して、結 局神の民を悩ませ、神に敵対する勢力が滅ぼされるというみ言葉 を聞き、安心することができたのです。聖所の清めが2300の 夕と朝の終わりに成就されるという約束は受けたのですが、それ 以上のことは悟れないまま、 「幻は真実です。しかし、あなたはそ の幻を秘密にしておかなければならない」(ダニエル書8:26)と 言われ、彼はそれで満足しなければならなかったのでした。 16


(注)ダニエル8:11~13を英文改訳によれば、「常供の燔祭」(ディリー・サクリファイス) の代わりに「燔祭」としてある。これは原語にはないが、訳者が補い加えた言葉である。が、しか しこれは「常」英語のcontinual(絶えず連鎖しているの意)の意義をあまりにも制限しているよう に思われる。地上の聖所の奉仕には燔祭「これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に 絶やすことなく、ささぐべき燔祭である」(出エジプト記29:42)。香「これは主の前にあなたがた が代々に絶やすことなく、ささぐべき薫香である」(出エジプト記30:8)。供えのパン「また 絶やさず供えるパンを置き」 (民数記4:7)等のように用いられているが、原語にはここのContinual の次には何も書いてないのであるから、ここのContinualはただ燔祭や香や供えのパン等に制限すべ きものではなく天の聖所におけるキリストの絶えざる奉仕すなわちキリストの仲保を代表したもの である事が明白である。天の聖所の模型である地上の聖所においてなされた全ての絶やすべからざ る奉仕はキリストの仲保によってことごとく成就したのである。(編者)

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