2015年第1期教課 オンライン

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安息日学校教課

安 息 日 学 校 教 課 2 0 1 5 年

2015 年第 1 期(1~3 月)

Receiving The Holy Spirit Part. 1

IMS SDA Church Japan

聖霊を受ける

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2015 年第 1 期


SABBATH SCHOOL LESSONS For the First Half Quarter 2015

RECEIVING THE HOLY SPIRIT Part 1

Published by the General Conference International Missionary Society Seventh-day Adventist Church Reform Movement 625 West Avenue Cedartown, GA 30125 Telephone 770-748-0077 Fax 770-748-0095 Email: info@sda1844.org Internet: www.sda1844.org 聖霊を受ける

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Author: Anonymous Review and editing of content by the General Conference Ministerial Department Translation, editing, and design by IMS Japan Church Publishing Department 4

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※この教課は聖書と E.G.ホワイトのコメントによって編集されています。 (例外的に歴史的事実等 を説明するために SDA のパイオニアたちの著作を引用することがあります。)

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聖霊を受ける まえがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・08 1 課 1/03 聖霊の約束 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 2 課 1/10 聖なる助け主を受け入れる・・・・・・・・・・・・16 3 課 1/17 真理の御霊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 4 課 1/24 罪と義を認める ・・・・・・・・・・・・・・・・27 5 課 1/31 聖霊が注がれる時・・・・・・・・・・・・・・・・31 6 課 2/07 品性の改変・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38 7 課 2/14 聖霊の再創造の影響・・・・・・・・・・・・・・・44 8 課 2/21 聖霊の宮である私達の体 ・・・・・・・・・・・・49 9 課 2/28 御霊の実パート 1 ・・・・・・・・・・・・・・・・54 マルタからの伝道報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60 10 課 3/07

御霊の実パート 2 ・・・・・・・・・・・・・・・・63

11 課 3/14

聖霊を悲しませる・・・・・・・・・・・・・・・・69

12 課 3/21

聖霊に抵抗する ・・・・・・・・・・・・・・・・74

13 課 3/28

聖霊に対する罪・・・・・・・・・・・・・・・・・81

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序文

ける者全て、老若男女、富んだ者も貧しい者も、天からの恩恵を 受ける者たちです。私たちは生まれた時から、毎日、主から祝福 と賜物を受けてきました。聖書には次のように書いてあります。 「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。 これは朝ごとに新しく、…」(哀歌 3:22,23) 。私たちが受けるのは命の賜 物だけでなく、そのお方の恵みと、食物、支えと導きをも受けます。真に 私たちは絶えず「いつくしみの豊かなのを」 (詩篇 106:7)受ける者たちで あります。 過去には人類に対する愛と神の約束を証した父祖と指導者、祭司と預言 者がいました。時間が満ちた時、神は「そのひとり子を」人の救いのため に与えられました。それは天が与えることのできる最も偉大な賜物であり ました。 「天の王子がご自身の民のうちにおられた。神の最も大いなる賜物 が世に与えられた。 」―各時代の希望 p.277(英文) しかしこれが全てではありません。主は導きと指導、改心と聖化の過程 において、イエスの働きを存続させるために、もう一つの大いなる賜物で ある聖霊を与えられるのです。イエスは「しかし、助け主、すなわち、父 がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを 教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろ う」と言われます。聖霊はしばらくの間だけおられるのではなく、 「いつま でも・・・あなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからであ る。 」 (ヨハネ 14:26,16-17) 。 証の書にも同じ真理が述べられています。 「キリストは、聖霊の賜物を、 彼の教会に約束された。そして、この約束は主の弟子たちに与えられたの と同じく、今日の私たちにも属するものである。…この約束された祝福は、 信仰によって要求するなら、一切の他の祝福もこれに添えて、続々と与え られるのである。これは、キリストの恩恵の富に従って与えられるのであ る。そしてキリストは、私たちのこれを受け得る容量に応じて、与えよう と準備しておられるのである。 聖霊の賦与は、キリストの生命の賦与である。このように神によって教 えられた者だけが、また聖霊の内なる働きを所有し、その生活にキリスト の生活を表す者のみが、救い主の真の代表者として立つ事が出来るのであ る。 」―福音宣伝者 p.284,285 「偉大なる教師キリストは、限りなく多くの種類の主題を持っておられ たが、最も多く語られたのは聖霊の賜物についてであった。この賜物によ って、彼は何というすばらしいことを教会のために預言されたことであろ 8

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う。それなのに、今一番考えられていない問題は何であろうか。どんな約 束が一番成就されていないであろうか。聖霊について、たまにしか語られ ていない。いつも後回しになっている。 」―セレクテッド・メッセージ 1 巻 156,157 いつもおべえているべきことは、 「現在私たちが生きている時代に、神か ら分け与えられるものに、聖霊があります。神の祝福を祈り求めましょう。 今はもっと熱心に献身すべき時です。われわれには骨の折れる働きかもし れませんが、幸福な栄光に満ちた働きである、暗黒の中にいる人々に、キ リストを示す働きがゆだねられています。我々はこの時代のために特別な 真理を宣べ伝えています。そのために、聖霊が注がれることが必要です。 そのために祈らなければなりません。主は我々が求めるのを待っておられ ます。我々はこの働きに全身全霊を注いでこなかったのです。」―Ye Shall Receive Power, p. 304. 主はこの賜物を、父がその子供にパンを与えること以上に、喜んで、そ して豊かに与えようとしておられます。そのお方が私たちに要求される唯 一のものは、この賜物を得るために開かれた心、すなわち、その心には悔 い改めと献身、そして神の清めの働きを成し遂げてもらいたいという願い が含まれています。 「その時にはあなたの自己を十字架につけても意味がない。これは魂の 運命が決定される前にされなければならない。自己を十字架につけるべき 時―成すべき働きがある時、委託された能力を用いて果たすべき働きがあ る時は、今である。私たちが汚れた器を空にして、完全にきれいにすべき 時は今である。私たちが神によって聖なるものと造られるべき時は今であ る。これは、今、この瞬間、私たちのなすべき働きである。あなたは何か すばらしい働きを遂行するための特別な時を待つべきではない。それは今 日である。私は今日、自分自身を神に捧げる。 ・・・」―上を見あげて p.283. 「全地を神の栄光で照らす神のみたまの大いなる降下は、神との共労者 になることがどんなことであるかを経験を通して知る、啓発された民をわ れわれが持たないかぎり、やってこないであろう。われわれがキリストの 奉仕に完全に、心から献身する時、神はみたまをあふれるばかりに注いで くださり、その事実を認めてくださる。しかし、教会の大部分が神の共労 者になっていなければ、これは認められない。 」―(Review and Herald, July 21, 1896) Christian Service, p. 253. 時は素早く過ぎ去っており、世の状態は最後の事件が私たちの前に置か れていることを示しています。 今期の主題は特別に今、私たちに必要とされている重要なものです。今 回の教課ではいくつかの聖句や証が繰り返されています。これには少なく とも二つの目的があります。一つは安息日学校の生徒たちが各自の心に最 聖霊を受ける

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も必要な概念を保つことを助け、もう一つは偉大な力をもってご自身の真 実な子供たちに、喜んで授けようとしておられる神のみ心を示すためです。 すべての生徒たちは聖霊で満たされ、この世の最後の神の御働きを成し遂 げるために、主の御手の中の器とさせていただきましょう。 ―世界総会の兄弟より

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第1課

聖霊の約束

2015.01.03 ※特別安息日学校献金はシエラレオネのために捧げられます。

「聖霊の約束は一時代や一民族に限られたものではない。キリストは、み 霊の聖なる感化は世の終わりにいたるまで、キリストに従う者の上にあると 宣言なさった。ペンテコステの日から現代にいたるまで主とそのみわざに自 分のすべてをささげてきた人々に、助け主が送られてきた。キリストを個人 的な救い主として受け入れたすべての者に、聖霊は助言者、聖別する者、導 き手、証人としてのぞんだ。信ずる者たちは、神に密接につながって生活す ればするほど、あがない主の愛と救いの恵みについて一層はっきりと力強く あかしした。」―患難から栄光へ上巻 p.45.

預言者たちの話 1. 西暦紀元の数世紀前に、どんな偉大な約束が神の民に与えられていましたか? エゼキエル 39:29「わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時、重ねてわ が顔を彼らに隠さないと、主なる神は言われる。 」 イザヤ 44:3「わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそ そぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるか らである。 」 「生れかわりのわざについてイスラエルが盲目であることには言い訳の 余地がなかった。…またエゼキエルを通して、『わたしは新しい心をあなた がたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の 心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置 いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる』との約束が 与えられていた(エゼキエル 36:26,27)。 」―各時代の希望上巻 p.205. 2. この大いなる祝福の降下について預言は何と言っていますか? ヨエル 2:28,29「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなた がたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがた の若者たちは幻を見る。その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注 ぐ。 」

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イザヤ 44:4「こうして、彼らは水の中の草のように、流れのほとりの柳の ように、生え育つ。」 「このヨエルの預言が使徒たちの時代に部分的に成就したなら、わたした ちはそれが神の民にさらにもっと明らかにあらわされるべき時代に住んで いる。そのお方は御自分の民が道徳的暗闇の中において光となり、大いなる 光が世界の全地に光り輝くようになるために神の御霊を注がれるであろう。 おお、私たちの信仰が成長するために、主がご自分の民に力強く働かれるに ちがいない。」―(原稿 49, 1908) Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol. 4, p. 1175. イエスによって約束が繰り返される 3. イエスを信じる全ての人々に関して、イエスは何と宣言されましたか?こ の弟子たちへの素晴らしい賜物の約束を、イエスはどのように強化されまし たか? ヨハネ 7:38,39; 14:16,17 「『わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、 その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう』。これは、イエスを信 じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、 イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかっ たのである。…わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を 送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理 の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、そ れを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、そ れはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」 「弟子たちにみ霊を約束された時、キリストはこの地上でのみわざの終わ りに近づいておられた。罪を負う者としてご自身にのしかかる罪の重荷を十 分に認識されて、十字架の影にお立ちになっていた。キリストは、犠牲とし てご自身をおささげになる前に、弟子たちに与えようとしておられた絶対に 必要で完全な賜物、限りない主の恵みの富を、彼らのもとに届けてくれる賜 物についてお教えになった。『わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父 は別に助け主を送って、…』(ヨハネ 14:16)。救い主は聖霊が主の代表者 として、やがて大きな働きをする時があることをご指摘になった。聖霊の神 聖な力は、幾世紀ものあいだ積み上げられてきた悪と戦わなければならなか った。」―患難から栄光へ上巻 p.43.

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4. イエスは十字架のすぐ後、最初に現われて何を彼らに与えられましたか?聖霊を 彼らに与えられる前、どんな任務を彼らに託されましたか? ヨハネ 20:21-23「イエスはまた彼らに言われた、 『安かれ。父がわたしをお つかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす』。そう言っ て、彼らに息を吹きかけて仰せになった、『聖霊を受けよ。あなたがたがゆ るす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、その まま残るであろう』。 」 「キリストが心に宿られることができ、聖霊をあなたに吹き込むことがで きる場所に立つことを、神は望まれる。そのお方はあなたが保有してきた闘 争、紛争、不和、つぶやき等、それがいかなるものであろうとも、この集会 が始まる前にそれらを下すことを望まれる。私たちにはより多くのキリスト と自己否定が必要である。救い主は『わたしから離れては、あなたがたは何 一つできないからである』と言われる。」―セレクテッド・メッセージ 3 巻 p.337. 祈りと一致を通して準備する 5. 弟子たちは、御父の御約束を経験するために、どんな指示を受け入れましたか? 彼らはこの指示をどのように実行しましたか? ルカ 24:49「見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。 だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさ い。 」 使徒行伝 1:4,14「そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、 『エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っ ているがよい。』…彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、および イエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」 「キリストは、弟子たちを去るに臨んで、『彼らに息を吹きかけて仰せに なった、「聖霊を受けよ」』 (ヨハネ 20:12)。また、 『見よ、わたしの父が約束 されたものを、あなたがたに贈る』と言われた。しかしキリストの昇天後に おいて始めて、賜物は、満ちあふれるばかりに注がれたのである。信仰と祈 祷によって、弟子たちが神の働きのために全く自分たちを服従させた時に、 始めて、神の霊が豊かに彼らの上に降り注いだのである。こうして、特別の 意味において、天の財産が、キリストに従う者らにゆだねられたのである。 『彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け 与えた』 。 『キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたひとりびと 聖霊を受ける

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りに、恵みがあたえられている』(エペソ 4:8,7)。 『御霊は思いのままに、そ れらを各自に分け与えられたのである』(Ⅰコリント 12:11)。賜物は、すで に、キリストにあってわたしたちのものであるが、それを実際に受けること は、神の霊をわたしたちが受けるか否かにかかっている。」―キリストの実 物教訓 p.301,302. 聖霊のご臨在と使命の力 6.聖霊が彼らに臨んだ時、弟子たちは何を受けましたか?聖霊のご臨在は彼 らの説教にどんな影響を及ぼしましたか? 使徒行伝 1:8「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受 けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたし の証人となるであろう。 」 「キリストの目に見える姿は弟子たちから消え去ろうとしていたが、新し い力が彼らにさずけられるはずであった。聖霊が十分に彼らにさずけられて、 彼らの任務が保証されなければならなかった。『見よ、わたしの父が約束さ れたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あ なたがたは都にとどまっていなさい』と救い主は言われた(ルカ 24:49)。 『す なわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊に よって、バプテスマを授けられるであろう』。 『ただ、聖霊があなたがたにく だる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、 さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう』 (使徒行伝 1:5-8) 。」― 患難から栄光へ上巻 p.25. 7. いつ、どのように素晴らしい聖霊の御約束が成就しましたか?彼らが使命 を宣布した時に弟子たちはこの力を経験しましたか? 使徒行伝 2:1-4,43(後句); 4:33「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集 まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、 一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、 炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖 霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。 …多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。…使徒た ちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめ ぐみが、彼ら一同に注がれた。」 「ペンテコステの当日、聖霊が注がれたその結果はどうであったろうか。 復活された救い主についての喜ばしい知らせは、人の住むところにはどこに

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でも伝えられた。弟子たちがあがないの恵みについての使命を伝えると、 人々の心はこの使命の力に従った。教会は四方から集まってくる改心者を見 守った。信仰を棄てた人々ももう一度悔い改めた。罪人たちは、高価な真珠 を求めて信者たちに加わった。福音に最も激しく反対していた人々もその擁 護者になった。『彼らの中の弱い者も・・・・ダビデのようになる。またダビデ の家は・・・・主の使のようになる』という預言が成就した(ゼカリヤ 12:8)。 どのクリスチャンもみな、お互いのうちに神の愛と慈善心があらわれている のを見た。ただ一つの関心が支配し、一つの対象を求める熱意が他のすべて をのみこんだ。信徒の望みはキリストのご品性に似たものとなることであり、 神の国を発展させるために働くことであった。… 彼らの働きによってすぐれた人々が教会に加えられた。これらの人々は真 理のことばを受け入れて、自分たちの心に喜びと平安を満たしてくれた望み を、他人に分け与える働きに生涯をささげた。彼らはどんな脅迫によっても、 拘束されたり脅かされたりすることはなかった。主は彼らによってお語りに なり、彼らの行く先々で、貧しい者たちは福音が自分たちに語られるのを聞 いた。そして、神の恵みの奇跡が起こった。 」―患難から栄光へ上巻 p.44. 個人的研究のために 「みたまは、へりくだった心で神に仕え、そのみちびきと恵みを待ち望む 者にだけ与えられる。神の力は彼らが求め、受けるのを待っている。この約 束された祝福を信仰によって求める時に、ほかのすべての祝福は次々と与え られる。 」―今日の私の生涯 p.47.

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第2課

聖なる助け主を受け入れる

2015. 01.10

「どんな時にも、どんな場所でも、どんな悲しみにも、どんな苦しみにも、 前途が暗く将来が困難に見えて無力と孤独を感じる時にも、信仰の祈りに答 えて、助け主が送られる。」―各時代の希望下巻 p.154.

神の子らのための助け主 1. 古代においてどんな預言が神の民に与えられていましたか?どんな素晴らしい名 で将来のメシヤが呼ばれていますか? イザヤ 40:1; 51:12; 7:14「あなたがたの神は言われる、『慰めよ、わが民を慰 めよ、』…わたしこそあなたを慰める者だ。あなたは何者なれば、死ぬべき 人を恐れ、草のようになるべき人の子を恐れるのか。…それゆえ、主はみず から一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男 の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」 「『インマヌエル、神われらと共にいます。』これはわたしたちにとってす べてを意味している。それはわたしたちの信仰にとって、何と広い基礎を置 いていることであろうか。それは信じる魂の前に、何という大きな不死の望 みを置いていることであろうか。天への旅路の一歩一歩において、キリス ト・イエスの内に神がわたしたちと共に歩まれるのである。わたしたちの悲 しみを和らげ、誘惑においてわたしたちを守るために、わたしたちが当惑す る時の慰め主、案内者として、聖霊がわたしたちと共におられるのである。」 ―神の驚くべき恵みp.207. 2. 世のいたるところにいる神の子らの特権は何ですか? 使徒行伝 9:31「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわ たって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、 次第に信徒の数を増して行った。」 第二テサロニケ 2:16,17 「どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身 と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわ たしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、 すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。」

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「弟子たちに語られたことばは、同時にわれわれにも語られている。助け 主は彼らのものであるばかりでなく、われわれのものである。どんな緊急の 際でも、この世の憎しみのまっただ中にあっても、み霊は、もがき、格闘し ている魂をささえる力をさずけられる。また彼らの失敗や誤りに気づかせて くださる。悲しみや苦しみの中で、見通しは暗く、未来は難問題ばかりのよ うに見える時、また、どうしようもない孤独感におそわれている時、こうし た時こそ、聖霊は信仰の祈りに答えて、心を慰めてくださるのである。」― 患難から栄光へ上巻 p.47. 患難の中で 3. 苦悩の中、どこに助けと慰めを見出しますか? 詩篇 121:1,2「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来 るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」 イザヤ 41:10「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはな らない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助 け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」 「キリストのように優しく真実な助け主はいない。このお方はわたしたち の弱さをご存じであられる。このお方の御霊は心に語りかけられる。状況が わたしたちを友人から離すかもしれない。広く、ゆれ動く海がわたしたちと 彼らの間に押し寄せるかもしれない。彼らの真実な友情は存在するかもしれ ないが、彼らはそれを示すことができないかもしれない。……しかし、どの ような状況も、どのような距離もわたしたちを天の助け主から引き離すこと はできない。わたしたちがどこにいようと、わたしたちがどこに行こうと、 キリストの代わりに与えられ、キリストの代わりに行動されるこのお方はい つもそこにおられるのである。このお方はわたしたちの右におられ、慰めの 優しい言葉を語られ、わたしたちを支え守り、支持し励まされる。聖霊の感 化は、魂の内にあるキリストのご生涯である。この御霊は、キリストを受け 入れる一人一人の内に働かれ、彼らを通して働かれる。この御霊の内住を知 る者はその実、すなわち愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実を示すの である。 」―神の驚くべき恵み p.195. 4. なぜイエス・キリストは特別な方法で、苦悩と弱さの中にいる全ての人を助けること ができますか? ヘブル 2:18; 4:15「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中 にある者たちを助けることができるのである。…この大祭司は、わたしたち 聖霊を受ける

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の弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかった が、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのであ る。 」 「今イエスは、神のみもとにのぼって、神と共に宇宙の王座についておら れるが、その慈悲深いご性質をすこしも失ってはおられない。今日も同じよ うに、やさしい同情に満ちたイエスの心は、人類のすべての苦悩に向かって 開かれている。… われわれには、どんな試練の時にも、決してわれわれを裏切られることの ない助け主がある。主は、われわれが誘惑に抵抗し、悪と戦い、ついには重 荷と悲しみにおしつぶされてしまうがままに、放っておかれない。いまは、 イエスは人間の目からかくされているが、信仰の耳は、イエスのみ声が、 『恐 れるには及ばない、わたしがあなたといっしょにいるのだ』と言われるのを 聞くことができる。『(わたしは)また、生きている者である。わたしは死ん だことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である』(黙示録 1:18 )。 わたしは、あなたの悲しみに耐え、あなたの戦いを経験し、あなたの誘惑に 会った。わたしはあなたの涙を知っている。わたしもまた泣いたのである。 人間の耳に聞かせられないほどの深い悲しみをわたしは知っている。あなた は、自分がうち捨てられた孤独な人間だと思ってはならない。この地上には あなたの苦しみを心の琴線に感じてくれる人がなくても、わたしを見、そし て生きなさい。『山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移 ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない』とあなたをあわれま れる主は言われる」(イザヤ 54:10)。』」―各時代の希望中巻 p.280. 休息、慰め、変化 5. わたしたちが人々によって失望させられたり、誤解されたりした後、慰めをえるため にキリストに向かう時、どんな経験をしますか? マタイ 11:28「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきな さい。あなたがたを休ませてあげよう。」 詩篇 94:19「わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが 魂を喜ばせます。 」 「イエスは、一人一 人の魂の事情をご存じである。自分は罪深い者だ、 とても罪深い者だとあなたは言うだろう。あるいはそうかも知れない。しか しあなたが悪ければ悪いほど、イエスが必要なのである。主は泣いて悔い改 める者を決してしりぞけられない。主は明らかに示すことがおできになるこ とを全部だれにでもお告げになるとは限らない。主は、ふるえている魂に勇

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気を出しなさいと命じられる。主はゆるしと回復とを求めてみもとに来るす べての者を心よくゆるしてくださる。」―各時代の希望中巻 p.396,397. 6. わたしたちがイエスの中に助けを見出すことを学び、聖霊がそのみ働きをなすこと を許す時にどんな結果が起きますか? ヘブル 12:2「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見 つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥 をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」 テトス 3:5「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあ われみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたち は救われたのである。」 「信仰の目をもってイエスをたえずながめることによって、われわれは強 められる。神は、飢えかわいているご自分の民に最もとうとい啓示をお与え になる。彼らはキリストが自分自身の救い主であることを発見する。キリス トのみことばを食べる時に、彼らは、それが霊でありいのちであることを知 る。みことばは、生れながらの世俗的な性質を滅ぼし、イエス・キリストの うちにある新しいいのちを与える。聖霊は、助け主として魂にくだる。人を 生れ変らせる神の恵みの力によって、神のみかたちが、弟子のうちに再現さ れ、彼は新しい人間となる。愛が憎しみに入れ代り、心は神のみかたちにか たどられる。『神の口から出る一つ一つの言で生きる』というのは、このこ とである(マタイ 4:4)。これが天らくだるパンを食べることである。」―各時 代の希望中巻 p.141. 「イエスが世に送ろうと言われたもの、わたしたちの品性をキリストの形 に変えるもの、それは聖霊、慰め主である。またそれが成し遂げられると、 わたしたちは鏡のように、主の栄光を反映する。」―神の驚くべき恵み p.253. 7. 聖霊のご臨在は私たちの中に何を生じさせますか?どんな大きな変化が起きるの かを述べなさい。 第二コリント 3:17,18「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自 由がある。わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように 見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主 の働きによるのである。」 「キリストを眺めるということの意味は、み言葉の内にこのお方の生涯を 研究するということである。わたしたちは真理を隠された宝のように掘り下 聖霊を受ける

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げるべきである。目をキリストに留めなければならない。このお方を自分の 個人的救い主とする時、そのことがわたしたちを恵みの御座に大胆に行かせ るのである。眺めることによってわたしたちは変えられ、品性において完全 であられるお方に道徳的に同化するようになる。このお方が与えられる義を 受け入れることにより、聖霊の改変させる力を通して、わたしたちはキリス トのようになる。キリストのみ形を思い続ける時、それはわたしたちのすべ てを魅了するのである。… イエスが世に送ろうと言われたもの、わたしたちの品性をキリストの形に 変えるもの、それは聖霊、慰め主である。またそれが成し遂げられると、わ たしたちは鏡のように、主の栄光を反映する。」―神の驚くべき恵み p.253. . 個人的研究のために 詩篇 94:17; 119:76「もしも主がわたしを助けられなかったならば、わが魂 はとくに音なき所に住んだであろう。…あなたがしもべに告げられた約束に したがって、あなたのいつくしみをわが慰めとしてください。」 第二コリント 1:3-5「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの 父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。神は、いかなる患難の中に いる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰め ていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることが できるようにして下さるのである。それは、キリストの苦難がわたしたちに 満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによっ て満ちあふれているからである。」 「われわれには、どんな試練の時にも、決してわれわれを裏切られること のない助け主がある。主は、われわれが誘惑に抵抗し、悪と戦い、ついには 重荷と悲しみにおしつぶされてしまうがままに、放っておかれない。いまは、 イエスは人間の目からかくされているが、信仰の耳は、イエスのみ声が、 『恐 れるには及ばない、わたしがあなたといっしょにいるのだ』と言われるのを 聞くことができる。『(わたしは)また、生きている者である。わたしは死ん だことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である』(黙示録 1:18)。 わたしは、あなたの悲しみに耐え、あなたの戦いを経験し、あなたの誘惑に 会った。わたしはあなたの涙を知っている。わたしもまた泣いたのである。 人間の耳に聞かせられないほどの深い悲しみをわたしは知っている。あなた は、自分がうち捨てられた孤独な人間だと思ってはならない。この地上には あなたの苦しみを心の琴線に感じてくれる人がなくても、わたしを見、そし て生きなさい。 」―各時代の希望中巻 p.280.

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第3課

真理の御霊

2015.01.17

「神の御言葉には、神の聖なる教育を与える霊が宿っている。新しい貴重 な光が各ページから輝き出る。聖書を開くと、真理が表されて、文章や言葉 は神が読む人に語りかける希望に満ちたすばらしい環境を作り出す。… 私たちは聖霊を、私たちを啓蒙してくださる方として認める必要がある。」 ―親、教師、生徒への勧告 p.171,172; 今日の私の生涯 p.44.

聖霊の教育 1. 慰め主には他のどんな名が与えられていますか?彼の他の働きは何です か? ヨハネ 15:26「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている 助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたし についてあかしをするであろう。」 第一ヨハネ 5:6「このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたか たである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そ のあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。」 「みたまによって、わたしはあなたがたにわたし自身をあらわすであろう と、主は言われた (ヨハネ 14:21 参照)。 『助け主、すなわち、父がわたしの 名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え』る(ヨ ハネ 14:26)。もうあなたがたは、理解できないと言わないだろう。もうあ なたがたは鏡にうつして見るようにおぼろげに見ることはないであろう。あ なたがたは、『すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解す ることができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知』ることができ るであろう (エペソ 3:18,19)。 聖霊は救い主をあがめ、救い主に誉れを帰します。またキリストとその純 潔な義をさし示し、キリストによって私どもに与えられる大いなる救いを示 すのがその役目であります。イエスは『わたしのものを受けて、それをあな たがたに知らせるからである』(ヨハネ 16:14)と仰せたまいました。真理の 霊のみが、神の真理を本当に教えることのできる力ある教師であります。神 が人類のためにそのひとり子を与えて死なしめ、また、聖霊を賜うて人の教 師となし、絶えざる案内者となしたもうことから見て、どんなに人類を価値 あるものとみなしたもうかがわかるのであります。」―クリスチャン教育 聖霊を受ける

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p.59. 2. なぜイエスの弟子たちに聖霊を送ることがイエスにとって、とても重要なことでした か? ヨハネ 14:26; 16:12-15「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によ ってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが 話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。…わたしには、あ なたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えら れない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導 いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語 り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊はわたしに栄光を 得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるか らである。父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊 はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言 ったのは、そのためである。」 「イエスは弟子たちの前に広大な真理の道をお示しになった。しかし彼ら はキリストの教えを律法学者やパリサイ人の言い伝えや格言と区別するこ とは非常に困難であった。… 世俗的な考えやこの世の事物がいまだに彼らの思いの中に大きな場所を 占めていた。キリストはご自分のみ国の霊的な性質についてたびたび彼らに 説明されたが、彼らはそれを理解しなかった。彼らの頭は混乱していた。彼 らはキリストが示された聖句の価値を理解しなかった。キリストの教えの多 くは彼らにほとんど益を与えていないように思われた。イエスは、彼らがイ エスのことばの真の意味をとらえていないことをお知りになった。主は、聖 霊がそうしたことばを彼らの心に思い出させてくださるということを、あわ れみ深くも約束された。また主は、弟子たちが理解できない多くのことをこ れまで言わないでおかれた。そうしたこともみたまによって彼らに教えられ るのであった。みたまは彼らが天の事物を理解するように彼らのさとりを開 いてくださるのであった。『真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆ る真理に導いてくれるであろう』(ヨハネ 16:13)。」―各時代の希望下巻 p.155. 心に真理を刻む聖霊 3. 真理と偽りを見分けることができるために、真理の御霊が人の心を照らす時、誠実 な心に何が起きますか? 詩篇 51:6; 40:8; 143:10「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。そ

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れゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。…『わが神よ、わた しはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうち にあります』と。…あなたのみむねを行うことを教えてください。あなた はわが神です。恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いて ください。 」 「助け主は『真理の御霊』と呼ばれている。助け主の働きは真理を明ら かにし、これを守ることである。助け主はまず真理のみたまとして心に住 み、こうして助け主となられる。真理には慰めと平安があるが、虚偽には 真の平安も慰めもない。サタンが人の心を支配する力を手に入れるのは偽 りの説や言い伝えを通してである。サタンは人々を偽りの標準へ向けるこ とによって、まちがった品性を形成する。聖霊は、聖書を通して心に語り、 真理を心に印象づける。こうしてみたまは誤りをばくろし、それを魂から 追い出される。キリストが選民をご自身に心服させられるのは、真理のみ たまが神のみことばを通して働くことによってである。」―各時代の希望下 巻 p.156. 「神の聖霊がないならば、どんなにみ言葉の知識があっても役に立たな い。聖霊を伴わない真理の理論は、魂を生かすことも、心を清めることも できない。聖書の戒めや約束をどんなによく知っていても、神の霊がその 真理を心に深く刻みこませなければ、品性は変えられない。聖霊によって、 目が開かれるのでないならば、人は真理と誤りとを見分けることができず、 サタンの巧妙な誘惑におちいってしまう。」―キリストの実物教訓 p.387. 4. 神の御霊は、その人の理解においてどんな影響を生じますか?どんな真理が、聖 霊によって確かめられますか? ダニエル 5:11,14「あなたの国には、聖なる神の霊のやどっているひとりの 人がおります。あなたの父の代に、彼は、明知、分別および神のような知恵 のあることをあらわしました。あなたの父ネブカデネザル王は、彼を立てて、 博士、法術士、カルデヤびと、占い師らの長とされました。…聞くところに よると、あなたのうちには、聖なる神の霊がやどっていて、明知、分別およ び非凡な知恵があるそうだ。」 「聖霊は、聖書の学びをするときの助けとして、私たちに与えられました。 イエス様は次のように約束しました。『しかし、助け主、すなわち、父がわ たしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、 またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう』(ヨ ハネ 14:26) 。聖霊の導きを熱心に懇願して真理を通して心が完全に清められ ることを求めながら聖書を研究書物として使うとき、キリストが約束したす 聖霊を受ける

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べてのことが成就されます。そのような聖書研究の結果、均衡の取れた精神 が与えられます。すばやく理解することができるようになり、豊かな感受性 が呼び起こされます。良心が敏感になり、同情心や感情が清められます。道 徳的に良い雰囲気が創造されて、誘惑に抵抗する新しい力が与えられます。 教師たちや学生たちは、神様の働きに熱心で活動的になります。」―親、教 師、生徒への勧告 p.357. 聖霊が真理へと導く 5. 益をえるためにどのように聖書から真理を学ぶべきですか?わたしたちは神のみ言 葉を学ぶときに、主に何をたずねるべきですか? 詩篇 25:4,5; 139:23,24; 51:10,12「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あ なたの道をわたしに教えてください。あなたのまことをもって、わたしを導 き、わたしを教えてください。あなたはわが救の神です。わたしはひねもす あなたを待ち望みます。…神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、 わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道 のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。…神よ、 わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えて ください。…あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたし をささえてください。」 「神の全き武具をまとって、一日のうちのいくらかの時を瞑想と祈りと聖 書研究のためにささげる者は、天と結び合わされ、彼らの回りにいる人々に、 救いと改変の力をおよぼす。」―教会への証 5 巻 p.112(1882 年) 「聖書は祈りなしに研究すべきではない。聖霊だけが、理解しやすい事柄 の重要性を感じさせ、あるいは理解の困難なものを曲解しないように守る。 われわれがみ言葉の美しさに心をひかれ、その警告に戒められ、み約束によ って活気づけられ、力づけられるように、心を備えさせて神のみ言葉を理解 させるのが、天使たちの働きである。…試みがしばしば抵抗できないものの ように見えるのは、祈りと聖書研究を怠っているために、試みられている者 が神のみ約束をすぐに思いだすことができず、聖書という武器をもってサタ ンに対抗することができないからである。しかし天使たちは、神の事柄を喜 んで学ぼうとする人々のまわりにいて、緊急の場合には必要な真理を思い起 こさせる。…しかし、危機の時に、神のみ霊がわれわれにキリストの教えを 思い起こさせてくださるためには、それをあらかじめ心の中にたくわえてお かねばならない。ダビデは『わたしはあなたにむかって罪を犯すことのない ように、心のうちにみ言葉をたくわえました』と言った(詩篇 119:11)。 」― 各時代の大争闘下巻 p.367.

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6. 神の御言葉についての単純な知識は、その人の生命の益のために十分ですか? 真理の御霊、慰め主を受け入れるために何が必要ですか? ヨハネ 14:15-17「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいま しめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に 助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。そ れは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしない ので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜ なら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからであ る。 」 「神のみことばを単に知的に理解しているだけでは、生活の習慣に影響を 及ぼすに十分ではありません。というのは、生活は心の状態によって調節さ れるからです。もし安息日学校の教師が、教課の表面的な啓示についてだけ 教えたとすれば、その働きはまだ始められたばかりにすぎません。生徒が天 の教えについて、ただ頭で受け入れるばかりでなく、心にしるすまで働きつ づけなければなりません。」―(Testimonies on Sabbath School Work, pp. 57, 58) Counsels on Sabbath School Work, p. 37.

「しかし、神が御言葉を通してみこころを人間に啓示されたからといって、 聖霊の絶えざる臨在と導きが不要になったわけではない。それどころか、聖 霊は、御言葉を神の僕たちに開き、その教えを解明して実行に移させるため に、救い主によって約束されたのである。しかも、聖書に霊感を与えたのは 聖霊だったのであるから、聖霊の教えが御言葉の教えと相反するという事は あり得ないのである。 聖霊は、聖書にとって代わるために与えられたのではないし、また、その ようなものとして与えられるはずもないのである。なぜなら、神のみ言葉は、 すべての教えとすべての経験を吟味する標準であると、はっきり聖書に述べ られているからである。」―The Great Controversy, p. vii. 7. イエスによって弟子たちに与えられたどんな約束が、主のみ言葉の真理をそ の心に開き、彼らの心に灯火をもやしましたか? マタイ 28:20(後句)「…わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にい るのである。」 ヨハネ 14:16; 17:19,20「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に 助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。… また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別い たします。わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたし 聖霊を受ける

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を信じている人々のためにも、お願いいたします。」 「イエスは弟子たちに、次のように約束された。『助け主、すなわち、父 が私の名によって使わされる聖霊は、あなたがたにすべての事を教え、また 私が話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。』 『真理の御 霊が来るときには、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。そ れは…・きたるべきことをあなたがたに知らせるであろう。』とお約束にな った(ヨハネ 14:26;16:3) 。これらの約束は、使徒時代に限られているので はなく、各時代のキリスト教会にまで及ぶものであることを、聖書ははっき り教えている。救い主は、ご自分に従う者たちに、『私は世の終りまで、い つもあなたがたと共にいるのである』と保証しておられる(マタイ 28:20)。 パウロもまた、聖霊の賜物とその力の現れが教会に与えられたのは、『聖徒 たちをととのえて奉仕の業をさせ、キリストの体を建てさせ、私たちすべて の者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き 人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至』らせるために、 みたまの賜物と啓示が教会内に与えられたと宣言している(エペソ 4:12,13)。 」―The Great Controversy,pp.viii,ix. 個人的研究のために 「みたまは、へりくだった心で神に仕え、そのみちびきと恵みを待ち望む 者にだけ与えられる。神の力は彼らが求め、受けるのを待っている。この約 束された祝福を信仰によって求める時に、ほかのすべての祝福は次々と与え られる。それはキリストの恵みの富にしたがって与えられるのであって、主 はどの魂にもその受け入れる能力にしたがっていつでも与えてくださる。」 ―各時代の希望下巻 p.158. 「神は御自身のみこころを知っている者たちに御自身のみ言葉を行うも のとなるよう召しておられる。弱さと半信半疑と優柔不断はサタンの攻撃を 引き起こす。それだからこのような特性が育つよう許す者たちは誘惑の波に 無力に倒れてしまうであろう。キリストの御名を信じると公言するすべての 人はクリスチャンの生ける頭であられるキリストの満ちみちた徳の高さに まで至ることを要求されている。」―教会への証 5 巻 p.263,264.

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第4課

罪と義を認める

2015.01.24

「サタンの支配を抑制し、服従させるのは、聖霊の力強い働きを通してで ある。罪を明らかにし、人間の同意によって、魂から罪を追い出すのは聖霊 である。…キリストの功績によって、人は彼の存在の高潔な力を働かせ、彼 の魂から罪を追い出すことができる。 」―今日の私の生涯p.43.

代表者を罪に定める 1. イエスの御約束によると、真理の御霊が来る時、民はどんな有罪宣告を受けます か? ヨハネ 16:8-11「それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を 開くであろう。罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからであ る。義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、 もはやわたしを見なくなるからである。さばきについてと言ったのは、この 世の君がさばかれるからである。」 「聖霊の働きはキリストのみことばに明細に記されている。『それがきた ら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう』 (ヨハネ 16:8) 。 罪を自覚させるものは聖霊である。もし罪人がみ霊の生きかえらせる感化力 に反応するならば、彼は改心へと導かれて、神の要求に従うことの重大さに 目覚めるであろう。」―患難から栄光へ上巻 p.48. 「聖霊は、人が勝利できるように力を与えてくださる。サタンの政府が征 服されるのは、御霊という代表者を通してである。罪を悟らせるも、また人 間の同意があれば、心から罪を追い出すのも聖霊の働きである。そのとき、 思いは新しい律法―王家の自由の律法の下におかれるのである。」―私たち の高い召し p.152. 2. どんな素晴らしい働きを通して、人の理解の目は開かれますか? エペソ 1:17,18「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父 が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの 心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されてい だいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに 栄光に富んだものであるか、」 聖霊を受ける

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「みたまは人を生れかわらせる働きをするものとして与えられるのであっ て、これがなければ、キリストの犠牲は何の役にもたたなかったであろう。 悪の力は幾世紀にわたって強められ、人々がこのサタンのとりことして屈服 していることは驚くばかりであった。罪に抵抗してこれに打ち勝つ唯一の道 は、制限された力ではなく天来の満ち足りた力をもってこられる第三位の神、 聖霊の偉大な働きを通してである。世のあがない主によって達成されたこと に効果を与えるのはみたまである。心が清くされるのはみたまによってであ る。みたまによって、信者は神の性質にあずかる者となる。すべての先天的 後天的な悪の傾向に打ち勝つ天来の力として、またご自身の品性を教会に印 象づける天来の力として、キリストはみたまをお与えになった。」―各時代 の希望下巻 p.156. 悔い改め 3. 聖霊の御働きによって最初に生み出される結果は何ですか? ゼカリヤ 12:10(前句)「わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、 恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆 くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく 悲しむ。…」 「罪の悔い改めは、生涯における聖霊の働きの最初の実である。贖われた 者たちにキリストの清い御姿を反射させることが最初の過程である。キリス トの中では、すべてが満たされる。キリストと調和しない科学には価値がな い。私たちの主、イエス・キリストの知識の卓越さのゆえに全てのことを損 失であるとみなすように、キリストはわたしたちに教えておられる。この知 識はどんな人間も到達する事の出来ない最高の科学である。」―(原稿 28, 1905)Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol.6,p.1068. 「神は御自分の愛を明示されることによって、また、彼の御霊によって、 人が悔い改めるようにと懇願なさる。悔い改めは神の賜物であり、神がお許 しになる者をまず悔い改める者にして下さる。人間が神の律法を犯したこと に対して真の悔い改めをし、キリストを罪人の贖い主、仲保者として信じる 事を通して、最も甘美な喜びが人に訪れるのである。」―セレクテッド・メ ッセージ 1 巻 p.324. 4.人を悔い改めに導くために主は絶えず何をなさっていますか? ホセア 11:4(第一句)「わたしはあわれみの綱、すなわち愛のひもで彼らを 導いた。 」

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ヨハネ 12:32「そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人 をわたしのところに引きよせるであろう。 」 「罪人が真に悔い改めるようになるのは、キリストから出る力によるので ある。…。私たちはキリストなくしてはゆるしが与えられないのと同じよう に、キリストの霊が良心を呼びさまさなければ悔い改めることができないの である。 」―キリストへの道 p.27,28.

「この招待に応える人は、すべて罪より離れる。キリストは、彼に来る者 を全くお救いになることができる。イエスに来る者は、地から天に続く梯子 に足をかけたのである…。キリストを信じる人は、滅びることも、キリスト の手からもぎ取られることもない。」―セレクテッド・メッセージ 1 巻 p.181,182. 5.真理の御霊に導かれている全ての人々を、神はどのように考えておられます か? ローマ 8:13-16「なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死 ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あな たがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、 神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのでは なく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたした ちは『アバ、父よ』と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、 わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。」 ガラテヤ 4:6「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたした ちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」 「義の太陽の輝きを暗い心の中に照らし、心から永遠の真理を認め、覚醒 し、正義の大標準を示し、悪が何であるかを悟らせ、罪から人を救い得るキ リストに対する信仰を喚起させ、雲のようなこの世の事物に対する愛着を変 え、永遠の嗣業を慕うようにさせるのは、等しく聖霊の働きである。聖霊は、 人を造り変え、琢磨し、かつ潔めて、天の王の子とし、その家族の一員にふ さわしい者とする。」―福音宣伝者音 p.286,287. 「聖霊の働きは罪と義と裁きを世に悟らせることである。真理を信じる者 が真理を通して聖化され、高く聖なる原則に基づいて行動し、高く、向上さ れた判断力を示すことと、神の戒めを守る者とそれを足で踏みつける者の間 にある境界線を見せることによってのみ、世は警告されることができる。」 ―Seventh-day Adventist Bible Commentary,vol.7,p.980. 聖霊を受ける

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改心 6. 人が許された時、聖霊は他のどんな大いなる働きを人間の心になしますか? 聖霊によるどんな再創造の実例が聖書のみ言葉に与えられていますか? ヨハネ 3:5,6「イエスは答えられた、 『よくよくあなたに言っておく。だれで も、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生 れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。』」 テトス 3:5 「わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわ れみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは 救われたのである。」 「サウロは聖霊の罪を認めさせる力に全く屈服した時、自分の人生の過ち を知り、神の律法の広範囲に及ぶ要求を認めた。自分の良い働きによって義 とされると確信していた高慢なパリサイ人であった彼は、いま謙遜に幼な子 のように単純な気持ちで神のみ前にぬかずき、自己の無価値さを告白し、十 字架にかけられ、よみがえられた救い主の功績を、自分のために懇願した。 サウロはみ父やみ子との完全な一致と霊的な交わりに入りたいと思い、自分 がゆるされて、受け入れられるようにと切に願って、恵みの座に熱心な祈り をささげた。このパリサイ人の後悔の祈りはむだにはならなかった。彼の心 に奥深くあった思想と感情は、神の恵みによって変えられた。彼のより高貴 な才能は神の永遠の目的に調和していった。キリストとその義は、サウロに とって全世界よりも価値のあるものとなった。サウロの改宗は、罪人たちに 罪を悟らせる、聖霊の不思議な力を示す著しい証拠である」―患難から栄光 へ上巻 p.124,125. 7. 人が聖霊の力によって変わるとき、魂の敵はどのように反応しますか?この霊的な 戦いはどのように見なされるべきですか? 第一ペテロ 5:8‐10「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵で ある悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回 っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなた がたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じ ような苦しみの数々に会っているのである。あなたがたをキリストにある永 遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、 あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」 ピリピ 1:6「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キ リスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信して

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いる。」 「神に受け入れられる献身の性質をあらわしてくださるのは、聖霊の働き である。聖霊の働きを通して魂は理解を与えられ、品性は新たにされ、清め られ、向上するのである。 」―セレクテッド・メッセージ1巻 p.134. 「サタンが私たちを滅亡しようと努力すればするほど、それに打ち勝った 時に私たちが得る勝利は大きくなるのである。世の贖い主は、戦いの計画と それに伴う困難を示されて、私たちにその値を数えてみるようにと命じられ る。神は彼に従う者たちが、サタンに欺きに無知であることを望まれない。 彼等は彼らが遭遇しなければならない事を知り、サタンの欺きに対抗するた めに準備していなければならない。そのお方は御自身とご自分に従う者たち に向かって配置されている広大な悪の連合体を示される。しかし神は、この 戦いにおいて聖霊の助けが彼らに与えられるであろうことを明白にされる。 肉の目では見ることはできない神の天使たちが、彼らの列に加わるであろう。 イエスの兵卒として、彼らは武具を身に着けなければならない。なぜなら彼 らの『戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、や みの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである』からである。 キリストが戦いを指揮されないなら、私たちはあのような恐ろしい敵に対し て何もすることができない。」―サインズ・オブ・ザ・タイムズ 1891 年 12 月 21 日 個人的研究のために 「みことばを説くことは、聖霊のたえまない臨在と助けがなければ何の効 果もない。これが天来の真理の唯一の効果的な教師である。真理が聖霊に伴 われて心に入る時にのみ、それは良心をめざめさせ、あるいは生活を一変さ せる。人は神のみことばの字句を示すことができ、そのすべての命令と約束 とをよく知っているかもしれない。しかし聖霊によって真理がはっきり頭に 入らないならば、魂は岩なるキリストの上に落ちてくだけないのである。ど んなに教育があっても、どんなに大きな特典をもっていても、神のみたまの 協力がなければ、人は光のうつわとなることができない。種子が、天の露に よって芽を出すのでなければ、福音の種子をまくことには効果がない。新約 聖書の一巻が書かれる前に、キリストの昇天後一つの福音の説教がなされる 前に、聖霊が祈っている使徒たちの上にのぞんだのであった。その時彼らの 反対者たちのあかしは、『エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせ ている』というのであった(使徒行伝 5:28)。 」―各時代の希望下巻 p.157.

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第5課

聖霊が注がれる時

2015.01.31

「キリストの昇天は、主に従う者たちが約束の祝福を受けることのしるし であった。彼らは、仕事にとりかかる前にこれを待たなければならなかった。 キリストは天の門の中に入って行かれて、天使たちのさんびのうちに王座に つかれた。この儀式が終わるとすぐ、聖霊は豊かな流れとなって弟子たちの 上にくだり、キリストは永遠の昔から父と共に持っておられた栄光をお受け になった。ペンテコステの聖霊降下は、あがない主の就任式が完了したこと を知らせる天からの通報であった。主は、その約束に従って、ご自分が祭司、 また王として、天と地のすべての権威を引き継ぎ、神の民の上に立つ油そそ がれた者となられたしるしとして、弟子たちに天から聖霊を送られたのであ った。」―患難から栄光へ上巻 p.32,33.

贖いの計画 1. サタンはアダムとエバを罪に導いた後、どんな戦術と議論を用いましたか?サタン は罪人と共にどんな場所を占有しようとしますか? ヨハネ 8:44「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であ って、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しで あって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が 偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であ り、偽りの父であるからだ。」 ゼカリヤ 3:1 「時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがそ の右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。」 「大争闘の始めに、サタンは、神の律法は従うことのできないものである、 義と憐れみは両立しない、もし律法を破ったら罪人がゆるされることは不可 能だと宣言した。すべての罪は罰を受けねばならない、もし神が罪の罰を免 除されるなら、神は真実と義の神ではないと、サタンは主張した。人類が神 の律法を破り、神のみこころに反抗した時、サタンは狂喜した。律法は従う ことのできないものだということがわかった、人類はゆるしを得ることはで きないのだと、サタンは断言した。サタンは、自分が反逆したあと、天から 追放されたので、人類も永久に神の恩恵からしめ出されるべきであると要求 した。神は義であるなら、罪人にあわれみを示すことはできないはずだと、 彼は言い張った。 」―各時代の希望下巻 p.287.

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2. サタンがアダムとエバを罪に導くことができたのを喜んでいる間に、御父とイエスは すでに何をなさっておられましたか? 創世記 3:15「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのす えと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを 砕くであろう。 」 第一ヨハネ 3:8 「罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから 罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてし まうためである。 」 「人間の堕落は、全天を悲しみで満たした。神に造られた世界は、罪のの ろいでそこなわれ、不幸と死に運命づけられたものの住むところとなった。 律法を犯したものには、のがれの道がないように思われた。… 救いの計画は、地球が創造される前にたてられていた。キリストは『世の はじめからほふられた小羊』(黙示録 13:8・詳訳聖書)であった。しかし、宇 宙の王であられる神にとっても、み子を、罪を犯した人類のために死にわた すことは苦闘であった。ところが『神はそのひとり子を賜わったほどに、こ の世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠 の命を得るためである』(ヨハネ 3:16)。ああ、贖罪はなんと神秘なものであ ろうか。神を愛さなかった世界を、神はどんなに愛されたことであろう。 『人 知をはるかに越えた』その愛の深さをだれが知ることができるだろうか。永 遠の命を与えられた人々は、このはかり知れない愛の奥義を、永遠にわたっ てさぐり求めて、驚き賛美するのである。」―人類のあけぼの上巻 p.53,54. 3. イエスは贖いの計画を成し遂げ、サタンの告発に論駁するために、地上でど のように生活されましたか? ヨハネ 15:10; 4:34; 6:38「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがた はわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめ を守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。…イエスは彼らに言わ れた、『わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを 行い、そのみわざをなし遂げることである。』…わたしが天から下ってきた のは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかた のみこころを行うためである。」 「神の愛は、憐れみのうちにばかりでなく義のうちにもあらわされた。義 は神のみ座の基礎であり、神の愛の実である。憐れみを真実と義から引き離 そうとするのがサタンの意図であった。彼は神の律法の義が平和の敵である ことを証明しようと努力した。しかしキリストは、神のご計画のうちにあっ 聖霊を受ける

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てこの両者は離すことができないほど密接に結合しており、一方がなければ 他方は存在し得ないことを示しておられる。『いつくしみと、まこととは共 に会い、義と平和とは互に口づけ』する(詩篇 85:10)。キリストは、ご自分 の一生と死によって、神の義はその憐れみを滅ぼすものではなく、罪がゆる され、律法が正しく完全に従うことのできるものであることを証明された。 サタンの非難の誤りは明らかにされた。神はご自分の愛についてまちがうこ とのない証拠を人類にお与えになった。」―各時代の希望下巻 p.289. 「罪人を救うために、父とみ子が限りない愛に迫られて払われた犠牲―こ の贖いの計画以外に方法はなかった―は、公義と憐れみが神の律法と統治の 基礎であることを全宇宙の前に証明している。」―各時代の大争闘下巻 p.241. 告発者の運命 4. 弟子たちが主の復活と同様に死と苦しみを前もって知ることによって、イエスは彼ら に何を約束することができましたか? ヨハネ 14:30; 16:8 (下句),11; 12:31「わたしはもはや、あなたがたに、多くを 語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なん の力もない。…世の人の目を開くであろう。…さばきについてと言ったのは、 この世の君がさばかれるからである。…今はこの世がさばかれる時である。 今こそこの世の君は追い出されるであろう。」 「キリストの屈辱の最後の歩みが踏み出されようとしていた時に、最も深 い悲しみが主の魂をとりかこもうとしていた時に、主は弟子たちに『この世 の君が来る・・・・だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。』 『この世の君 がさばかれる。 』 『今こそこの世の君は追い出されるであろう』と言われた(ヨ ハネ 14:30,16:11,12:31)。預言の目をもって、キリストはご自分の最後の大 争闘に起こる場面をたどられた。キリストは、ご自分が『すべてが終った』 と叫ばれる時に、全天が勝利することを知っておられた(ヨハネ 19:30)。主 の耳は、天の宮廷における遠くの音楽と勝利の叫びをとらえた。その時サタ ンの王国では葬式の鐘が鳴らされ、一方キリストのみ名は宇宙の世界から世 界へと告げ知らされることを、主はご存じであった。…キリストは、真理が、 聖霊の全知全能によって武装されて悪との戦いに勝利し、キリストに従う者 たちの上に血に染まった旗が高らかにひるがえることを知っておられた。… キリストは頭をたれてなくなられたが、信仰と神への服従を固く保たれた。 『その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの 神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴 える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された」』(黙

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示録 12:10)。」―各時代の希望下巻 169,286. 提供される義 5. イエスは罪を許すイエスの血を受け入れる罪人のために何をなさいました か? エレミヤ 23:6「その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は 『主はわれわれの正義』ととなえられる。」 第一コリント 1:30「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるの である。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあ がないとになられたのである。」 「神は反逆の原則に嫌悪を示しておられた。全天は、サタンが罪に定めら れたことにも、人類が贖われたことにも、神の公義があらわされたのを見た。 ルシファーは、神の律法が不変なものであり、その刑罰は免れることができ ないものであるならば、これを犯す者はみな永久に創造主の恩恵から除外さ れると言明していた。彼は、罪深い人類は贖われる見込みがなく、したがっ て彼の当然のえじきであると言っていた。ところがキリストの死は、人類の ための覆すことのできない証拠であった。律法の刑罰は、神と等しいお方で あられるキリストに負わされた。そして人は、自由にキリストの義を受け入 れることができ、謙遜と悔い改めの生活を送ることによって、神のみ子が勝 利されたように、サタンの力に勝利することができるのであった。このよう に、神は正しいお方であって、しかも、イエスを信じるすべての者を義とさ れるお方なのである。」―各時代の大争闘下巻 p.240,241. 聖霊が注がれる時 6. イエスが勝利をえられるやいなや、何が起きましたか? 黙示録12:9-11「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、 全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろとも に投げ落された。その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、 『今 や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われら の兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落 された。兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち 勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。』 」 ローマ 8:33,34「だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義 聖霊を受ける

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とされるのである。だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエ スは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのため にとりなして下さるのである。」 「カルバリーの十字架は、律法が不変なものであることを宣言していると ともに、罪の価は死であることを宇宙に宣言している。 『すべてが終わった』 との救い主の臨終の叫びによって、サタンに対するとむらいの鐘が鳴らされ た。長い間継続されてきた大争闘はここに決定し、悪の最終的な根絶が確実 となった。神のみ子は、『死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死に よって滅ぼ』すため、自ら墓の門をくぐられた(ヘブル 2:14) 。… 審判が最終的に執行される時、罪の理由は存在しないことが明らかになる。 全地の審判者が、サタンに向かって『あなたはなぜわたしにそむき、わたし の国の民を奪ったのか』と聞きただされる時、悪の創始者であるサタンはな んの言いわけもできない。どの口も閉じられ、反逆者の全軍は言葉もないの である。 」―各時代の大争闘下巻 p.242,241. 「サタンと、サタンに加わった者たちはみな断たれるのである。罪と罪人 は、根も枝も滅びる(マラキ 4:1 参照)。サタンは根であり、サタンに従う者 たちは枝である。 」―各時代の希望下巻 290,291. 7. イエスのみ言葉によると、初代教会に聖霊の降下がありましたか? ヨハネ 7:38,39; 16:7「『私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹 から生ける水が川となって流れ出るであろう』。これは、イエスを信じる人々 が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスは まだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのであ る。…しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去 って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、 あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなた がたにつかわそう。」 「弟子たちにみ霊を約束された時、キリストはこの地上でのみわざの終わ りに近づいておられた。罪を負う者としてご自身にのしかかる罪の重荷を十 分に認識されて、十字架の影にお立ちになっていた。キリストは、犠牲とし てご自身をおささげになる前に、弟子たちに与えようとしておられた絶対に 必要で完全な賜物、限りない主の恵みの富を、彼らのもとに届けてくれる賜 物についてお教えになった。『わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父 は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろ う。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうとも しないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。

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なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるから である』 (ヨハネ 14:16,17) 。救い主は聖霊が主の代表者として、やがて大き な働きをする時があることをご指摘になった。聖霊の神聖な力は、幾世紀も のあいだ積み上げられてきた悪と戦わなければならなかった。」―患難から 栄光へ上巻 p.43,44. 「天の宮廷に上げられたキリストは、約束をかたく守って、地上の信者た ちに、ご自身の満ち足れる徳をわけ与えられた。弟子たちの上に聖霊がそそ がれたことによって、キリストが神の右にみ座を占められたことが確認され た。 」―教育 p.99. 個人的研究のために 「ところがキリストの昇天後、キリストが仲保者としての職につかれたこ とが、聖霊の降下によって示された。ペンテコステの日に、聖霊が与えられ た。キリストの証人たちは、復活の救い主の能力を宣言した。天の光は、キ リストの敵にあざむかれた人々の暗い心を照らした。今や、彼らはイエスが 『イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、・・・・導き 手とし救主として』上げられたのを知った(使徒行伝 5:31)。彼らは、イエス が無限の宝を手にして、立ち帰るすべての反逆者たちに与えようとして、天 の栄光に包まれておられるのを見た。使徒たちが父のひとり子の栄光につい て語った時、三千人が悔い改めた。彼らは、自分たちが、なんと罪深く汚れ ているかに気づき、キリストを彼らのよき友、あがない主として見ることが できるようになった。キリストは、人々の上に注がれた聖霊の力によって高 められ、あがめられた。信者たちは、自分たちが滅びないで永遠の命を得る ために、屈辱と苦難と死にあわれたのは、この方であることを、信仰によっ て悟った。聖霊によって与えられたキリストの啓示は、彼らをキリストの力 と威光とに触れさせた。彼らは、信仰の手を伸ばして、 『わたしは信じます』 と言ったのである。」―キリストの実物教訓 p.96.

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第6課

品性の改変

2015.02.07

「神の霊は信じる者の魂に働き、イエス・キリストの中で、恵みからの恵 みへ、力からもっと強い力に到達させ、一つの従順から他の従順へと前進す ることを可能にする。 」―セレクテッド・メッセージ 1 巻 p.375.

悔い改め 1. 人の心が変化するためにはどんな知識が必須ですか? 詩篇19:12; 40:12; 139:24「自分のあやまちを知ることができましようか。ど うか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。…数えがたい災がわた しを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、物見ることができないまで になりました。それはわたしの頭の毛よりも多く、わたしの心は消えうせる ばかりになりました。…わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしを とこしえの道に導いてください。」 詩篇19:12(アメリカンスタンダードバージョン)「誰が自分のあやまちをはっき りと認めることができるでしょうか。わたしの隠れたあやまちを許してくだ さい。」 詩篇19:12(ニューインターナショナルバージョン) 「しかし、誰が、彼ら自身 の過ちをはっきりと認めることができるでしょうか。わたしの隠れたあやま ちを許してください。 」 ローマ3:20「なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前 に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみであ る。 」 「けれども人の心が神の聖霊の感化に服従するならば、良心は呼びさまさ れ、罪人は神の聖なるおきてのいかに深くまた聖なるものであるかを悟り、 これこそ天地を治めておいでになる神の政治の基礎であることを知るよう になるのであります。 『すべての人を照すまことの光があって、世にきた』(ヨ ハネ1:9)とあるその光に心の奥底を照され、また暗きにかくれた事柄を照し 出されて、心も魂も自分は罪あるものであるという思いでいっぱいになりま す。そして正しく、また人の心を探りたもうエホバの神の前に、罪と汚れの まま立つことを恐れます。こうして神の愛、聖潔の美、純潔の喜びを認め、

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自分も清められて神との交わりに立ち帰りたいと切望するようになるので あります。 」―キリストへの道p.24. 「キリストを見る者たちはみな、このようになる。イエスに近づけば近づ くほど、そして、キリストのご品性の純潔さが更にはっきり認められるよう になるほど、ますます罪のひどい罪深さを明らかに見るようになり、われわ れ自身を高める気持ちはますます消えていく。魂は神を求めて絶えず手を伸 ばし、罪の悲痛な告白を絶えず、まじめにささげて、神のみ前に心を謙虚に する。クリスチャン経験において一歩進むごとに、われわれの悔い改めは深 まる。」―患難から栄光へ下巻p.264. 2. 彼が罪人として彼の状態を理解したとき、ダビデ王はどのように反応しましたか? 詩篇 51:1-4, 9-12「神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、 あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去って ください。わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清 めてください。わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわ たしの前にあります。わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あ なたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになると きは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。…み顔をわ たしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。神よ、 わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えて ください。わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわた しから取らないでください。あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊を もって、わたしをささえてください。」 「神の御霊は全ての悔い改める心の叫びに答えられるであろう。なぜなら 悔い改めは神の賜物であり、キリストがその魂を御自身へ導いておられる証 拠であるからである。私たちはキリストなしには許されることができないば かりでなく、キリストなしには悔い改めることもできない。… 悔い改めは罪人がキリストに行くことができるようになるために自分で しなければならない働きであると考えられている。彼らは神の恵みの祝福を 得るために、罪人自らがふさわしくならなければならないと考える。もちろ ん悔い改めが許しに先立つのは事実であるが、神に受け入れられるのは、く だかれ、悔いた心だけであって、罪人は自分で悔い改めることもできず、キ リストに行くために自分自身を準備させることもできない。罪人が悔い改め ないなら、許されることはできないが、決定されるべき問題は、悔い改めは、 罪人の働きか、キリストの賜物かということである。罪人はキリストに行く ことができる前に、罪に対する呵責で心が満たされるまで待たなければなら ないのであろうか?キリストへの最初の段階は神の霊に導かれることであ 聖霊を受ける

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る。人がこの導きに応じる時、彼は悔い改めるためにキリストの御前に進ん でくるのである」―セレクテッド・メッセージ 1 巻 p.381,390. 神のみ心を行う 3. 許しと義認が与えられた後、魂は何を追い求めますか? 詩篇 119:33-37「主よ、あなたの定めの道をわたしに教えてください。わた しは終りまでこれを守ります。わたしに知恵を与えてください。わたしはあ なたのおきてを守り、心をつくしてこれに従います。わたしをあなたの戒め の道に導いてください。わたしはそれを喜ぶからです。わたしの心をあなた のあかしに傾けさせ、不正な利得に傾けさせないでください。わたしの目を ほかにむけて、むなしいものを見させず、あなたの道をもって、わたしを生 かしてください。 」 第一ヨハネ 2:15-17「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世 を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すな わち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出 たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永 遠にながらえる。 」 「自然界にも働いているこの同じ神のみ心は、人の心に呼びかけ、人が持 ち合わせていない何ものかに対する表現しがたい渇望を起させるのであり ます。この世のものではどうしても彼らの渇望を満たすことはできません。 神のみたまは心に真の平安を与えうる唯一のものであるキリストの恵みと、 清めの喜びを求めるように訴えています。私どもの救い主は、絶えず見える 見えないにかかわらず、さまざまの力を用いて、満足のない罪の快楽を離れ キリストによって与えられる限りない祝福を求めるよう、私どもの心に働い ておいでになります。」―キリストへの道 p.29,30. 4. 聖霊を受ける心の中にどんな変化が起きますか? 第二ペテロ1:3,4「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの 神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と 徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。また、 それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられてい る。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性 質にあずかる者となるためである。 」 「心を清くするのは、聖霊の働きによってである。御霊によって、信者は

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神性にあずかるものとなる。キリストは、すべての遺伝的そして悪への傾向 を培うことを克服し、また彼の教会にご自身の品性を印象付けるために、聖 霊を天来の力としてお与えになられた。… 神の御霊が心を占める時、それは生活を変える。罪深い思いは捨て去られ、 悪の行いは絶たれる。愛、謙遜、そして平安が憤り、慎み、そして争いの場 所を占める。喜びが悲しみの場所を占め、そして顔は天の喜びを反射する。 だれも重荷を持ち上げ、天の宮廷から光が降るのを見ない。魂自身が信仰に よって神に屈伏するとき、祝福がくる。その時、どんな人の目にも見えない その力が、神の御姿のうちに、新しく造られた者とする。」―今日のわたし の生涯 p.46. イエスを瞑想し、彼につらなる 5. 人はどのように神の御姿に変えられることができますか? 第二コリント 3:18「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映 すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは 霊なる主の働きによるのである。」 「聖霊は、魂の中の霊的生命の呼吸である。御霊の分与はキリストの命の 分与である。それは受けるものにキリストの属性を吹き込む。… 神から来る宗教は、神に導く唯一の宗教である。神に正しく仕えるために、 神の御霊によって生まれなければならない。これは心を清め、思いを新たに し、神を愛し、知るために、わたしたちに新しい能力を与える。それは彼の 全ての要求に対する、自発的な服従を与える。これこそ真の礼拝である。そ れは聖霊の働きの実である。御霊によってすべての誠実な祈りは書きとめら れ、そしてそのような祈りは神に受け入れられる。どこでも魂は神に手をの ばすことができ、そこで御霊の働きは明らかにされ、神は彼ご自身をその魂 に現される。このような礼拝者を神は探しておられる。神は彼らを受け入れ、 彼らを神の息子娘にしたいと望んでおられる。」―今日のわたしの生涯p.46. 6. 生活と品性を変えて改革の働きをするためには、常に誰とつながる必要を悟らされ ますか? ヨハネ 15:5 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人が わたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人 は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つで きないからである。」 ローマ 8:26,27 「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。 聖霊を受ける

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なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、 言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして 下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところが なんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御 旨にかなうとりなしをして下さるからである。」 「神は、われわれの前にある働きを、われわれ自身の力でするようには求 めておられない。神は、われわれの人間的な能力には耐えられないようなす べての非常事態に備えて、天来の助けを用意されたのである。神は、あらゆ る困難に際して助け、われわれの希望や確信を強め、知性に光を与え、心を 清めるために、聖霊をお与えになる。」―教会への証 8 巻 p.19. 「ああ、キリストなしに彼らは何もできないという事を全ての人が悟るよ うに!そのお方に集まらない者はあちこちに散らばるのである。彼らの思考 と行動は正しい品性をもたらさず、彼らの感化力は善を破壊するであろう。 私たちの行動には二重の影響がある。なぜならそれは私たち自身だけでなく 他の者にも影響を及ぼすからである。これは私たちと交わる者にとって祝福 になることも、のろいになることもできる。私たちはこのことを何と認識し ていないのだろうか。行動は習慣を作り、習慣は品性を作る。もし私たちが 自分の習慣に警戒しなければ、私たちは救いの働きにおいて天の使者たちと 一致する資格が与えられず、イエスが備えるために昇天された天の住居に入 るよう準備させられることもできない。なぜなら自分の意志と方法を放棄し て神のみ心と方法に屈服した者以外、誰もそこに行くことができないからで ある。祝福された者とキリストが宣言される人々に加わる者は、試みのテス トで固く立ち、品性が証され、神性にあずかった者である。」―クリスチャ ン教育の基礎 p.194. 7. 聖霊によって導かれる魂は何を達成しますか? 第一テサロニケ 4:3 「神のみこころは、あなたがたが清くなることである。 すなわち、不品行を慎み、」 第二テサロニケ 2:13,14「しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたした ちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神 があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰と によって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあな たがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下 さるからである。 」 「イエスは願いもとめる者に聖霊を授けられる。なぜなら全ての信じる者

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は、律法の宣告とのろいと同様に、堕落から救われなければならないからで ある。聖霊の働きである真理の聖化を通して、信じる者たちは天の法廷に相 応しくなる。それはキリストが彼らの内で働かれ、そのお方の義が私たちの 上にあるからである。このことなしに、どんな魂も天に入る資格を得ること はできない。もし私たちが、聖霊の感化とキリストの義の、聖なる雰囲気に 相応しくならないならば、私たちは天を楽しむことはできない。」―セレク テッド・メッセージ 1 巻 p.394. 個人的研究のため 詩篇 130:3「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、 主よ、だれが立つことができましょうか。」 箴言 28:13「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表わしてこれを離れ る者は、あわれみをうける。」 「神の家族となった人々は、聖霊によって変えられた人々である。自己放 縦と自己に対する最高の愛は、自己否定と神への最高の愛と交換される。人 は誰も生まれつきの権利として神性を受け継ぐことはできず、人が考案する いかなる方法を通しても、神に忠誠を尽くすことはできない。キリストは、 『わたしから離れてはあなたがたは何一つできない』と言われる(ヨハネ 15:5)。人間の義は『汚れた衣』である。しかし神と共に、全ての事が可能 である。贖い主の力によって、弱く、間違いを犯しやすい人間が、自分を囲 んでいる悪の征服者以上の者となることができる。」―セレクテッド・メッ セージ 1 巻 p.310.

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第7課

聖霊の再創造の影響

2015.02.14

「聖霊は各自の魂の中に宿ることを求めておられる。もし聖霊が栄誉ある 客として歓迎されるならば、聖霊を受ける者たちは、キリストの中で完全に されるであろう。始められた良き働きは完成するであろう。聖なる思い、天 来の愛情、そしてキリストのような行動が、不純な思いと邪悪な感情、そし て反逆的な行動に取って代わるであろう。」―(Counsels on Health,p.561 [1896]) Latter Day Events,p.187.

神のみ心に従う 1. 聖霊が人の心と精神において働くことができるためには、何がきわめて必要です か? ヘブル12:9「その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をう やまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に 生きるべきではないか。」 「キリストのようになる、すなわち、律法のあらゆる原則に従うというす ばらしい可能性が、信者の前に提供されている。しかし、人は自分でこの状 態に到達することは全くできない。人は救われる前にきよくならねばならな いと神のみことばは言明しているが、このきよさは、彼が真理のみ霊の訓練 や抑制する感化力に身を低くして従う時に、神の恵みが働いて生じるもので ある。… もしわれわれがキリストにおり、神の愛が心に宿っているならば、われわ れの感情、思想、行動は神のみこころに一致し、きよめられた心は、神の律 法の教えに調和する。…主はご自分のむすこ、娘たちのすべてを幸福で、平 和にみち、従順なものにさせて下さる。信者は信仰を働かせることによって、 これらの祝福を受けるようになる。信仰によって、品性の欠陥がすべて補わ れるのであり、すべての不潔なものがきよめられ、欠点がなおされ、長所が のばされるのである。」―患難から栄光へ下巻 p.232,267. 2. どのように神のみ霊によって人の心が形作られるかについて、聖書でどんな例が示 されていますか? エレミヤ18:6「主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたよう に、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師

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の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。」 「聖霊はキリストの代表者で、キリストは聖霊を通して働かれる。キリス トは聖霊を通して人の魂に霊的生命を吹きこみ、善のために霊的能力を活発 にし、道徳的な汚れをきよめ、神の国にふさわしいものとされる。イエスは 豊かな祝福をあたえ、とうとい賜物を人々にお授けになる。イエスは無限の 知恵と能力をもった偉大な助言者であられる。もしわたしたちが主の御霊の 能力をみとめ、聖霊によってかたちづくられるがままにされるとき、私たち はキリストにあって完全な者として立ち得る。なんというすばらしいことで あろう。『キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちを とって宿っており、そしてあなたがたは、キリストにあってそれに満たされ ているのである』 (コロサイ 2:9) 。神の霊によってかたちづくられるがまま に心を服従させるときに、はじめて幸福がある。聖霊は新たにされた魂を、 型なるイエス・キリストに一致させられる。聖霊の感化によって、神に対す る敵意は信仰と愛に変り、高慢な心はけんそんな心に変わる。魂は真理の美 しさをみとめ、美しい完全な品性の中にキリストがあがめられる。こうした 変化がなしとげられるとき、天使たちは歓喜の歌を高らかにひびかせ、神と キリストは、神のみ像(かたち)にかたどられた魂をお喜びになる。」―神 の驚くべき恵み p.196. 3. 聖霊に屈伏する時、生涯にどんな変化が起きますか? 第二コリント 5:17「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造ら れた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのであ る。 」 「私どもは自分の心を変えたり、また自分で愛情を神に捧げることはでき ない。けれども神に仕えようと選ぶことはできる。意志は神に捧げることが できる。そうすれば、神は私たちの中に働かれ、神が喜ばれるように望み、 また行うようにして下さるのである。こうして性質は全くキリストのみたま に支配されるようになり、キリストが愛情の中心となり、思想もまた彼と一 致するようになる。… 意志を正しく働かせるならば生活は全く変ってしまう。意志をキリストに 全く服従させることによって、どんな主義よりも力よりも、はるかにまさっ た力に自分を結びつけることになるのである。そして天よりの力を得てしっ かりと立つことができ、絶えず神に服従することによって新しい生涯、すな わち信仰の生涯を送ることができるようになるのである。」―キリストへの 道 p.47,48.

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誠実 4. 聖霊の影響は、改心した魂の中にどのように働きますか? 詩篇 139:23,24「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを 試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるか ないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」 「キリストは全ての正しい動機の根源であって、彼のみが人の心のうちに 罪を憎む心を植えつけることができるのでる。真理や純潔をしたい、自分の 罪深さを認めることなどはみな、キリストの霊が私どもの心に働いている証 拠である。 」―キリストへの道 p.47,48. 「神と共に歩み語る者たちは、キリストの優しさを実行するのである。彼 らの生活において、忍耐、柔和、自制が聖なる熱心さと勤勉と結合する。彼 らが天に向かって進む時、鋭く粗い品性の角が削られ、信心が見られるよう になる。恵みと力に満ちた聖霊が、思いと心に働きかける。イエスが住まわ れる心は聖霊によって生き返らされ、清められ、導かれ、治められ、人は品 性を神と調和させるために精力的な努力をする。彼は明らかにされた神の御 心と思いに反することをすべて避けるようになる。」―神の驚くべき恵み p.206. 5. 漸進的に変化することを望む人にどんな希望が満たされますか? ピリピ 4:8「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこ と、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほ まれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それら のものを心にとめなさい。」 第一ペテロ 1:13-16 「それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・ キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでい なさい。従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あ なたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あら ゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、『わたしが聖なる者であ るから、あなたがたも聖なる者になるべきである』と書いてあるからである。」 「清くないものから清いものに変える働きは、継続的なものである。毎日、 神は人のきよめのために働いて下さる。だから人は、神に協力して、辛抱強 く、正しい習慣を養う努力をしなければならない。人は恵みに恵みを加えな ければならない。こうして寄せ算で働くとき、神は彼のために掛け算で働い

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て下さる。われわれの救い主は、悔いる心を持つ者の祈りを聞き、それに答 える準備がいつでもできておられる。そして恵みと平安が、忠実な者たちの 上に増し加えられるのである。主は、彼らを悩ます悪との戦いに必要な祝福 を、喜んで彼らに与えて下さる。」―患難から栄光へ下巻 p.232. 「神は私たちに代って志をたてたり、わざを行ったりしようとは仰せにな っていません。神の恩恵は、私たちが志をたて、わざを行うように私たちの 内に働くために与えられるのであって、努力の代用として与えられるのでは ありません。私たちの魂が目覚めて協力しなければなりません。聖霊は私た ちが自身の救いを全うするように私たちの内に働かれます。これは聖霊が私 たちに教えようと骨折っておられる実際的な教訓です。」―青年への使命 p.142 変えられた品性 6. 神と共に生きる人々はどんな偉大な特権を持ちますか?聖霊の改変する影響によ って心が変えられた、どんな実例が聖書の中に見いだされますか? 第一ヨハネ4:12; 3:24「神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わ たしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。…神の戒めを守 る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのう ちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。 」 「救い主のみかたちを一番よく反映したといわれる愛された使徒ヨハネ でさえ、生まれつき美しい性格の持ち主ではなかった。彼は差し出がましく 名誉心の強い人であった。そればかりでなく血気にはやって、なにか害でも 受けるとすぐ怒りちらすたちであった。けれども、聖なるキリストの性格を 見せられたとき、彼は自分の欠点を知り謙遜になった。神のみ子の日常生活 に接して、力強いうちにも忍耐深く、権威があるうちにも優しく犯しがたい 尊厳のうちにも謙遜なその姿をながめて、彼の魂は、賞賛と愛で満たされた。 日一日と、彼の心はキリストに引きつけられ、ついに主を愛するあまり、自 分を忘れてしまった。彼の怒りやすい野心満々たる気質も、キリストの感化 力に従い、聖霊の更生力が彼の心を新しくした。」―キリストへの道 p.92. 7. どのように品性は改変されることができますか?どのように使徒ヨハネは信徒たちを 励ましましたか? 第二コリント 3:18「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映 すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは 霊なる主の働きによるのである。」 聖霊を受ける

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第一ヨハネ 2:28,29「そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていな さい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに 恥じいることがないためである。彼の義なるかたであることがわかれば、義 を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。」 「『いったいどうすれば、キリストにおることができるのだろうか』と尋 ねる人がいるが、それは最初に主を受け入れたと同じようにしたらよいので ある。 『あなたがたは主キリスト・ イエスを受け入れたのだから、彼にあっ て歩きなさい』(コロサイ 2:6) また『わが義人は、信仰によって生きる』(ヘ ブル 10:38)とある。あなたは、自分を神にささげ、全く神のものとなり、神 に仕え、神に従い、キリストをあなたの救い主として受け入れたのである。 あなたは自分ではおのれの罪を贖うことも、心を変えることもできなかった。 しかし神におのれを捧げ、神がこれをすべてキリストのゆえになしたもうた と信じたのである。信仰によってキリストのものとなったのだから、また、 信仰によってキリストのうちに成長するのである。これは、こちらからも与 え、また、神からも受けることである。自分の心も意志も奉仕も全てを神に 捧げ、神のご要求にことごとく従わねばならない。」―キリストへの道 p.87. 個人的研究のために 「聖書の宗教の原則を生きる者は、道徳的力において弱ることがない。人 を高尚にする聖霊の感化のもとで、嗜好と傾向は清く聖なるものとなる。キ リストの宗教ほど強く愛情を捕らえ、行動の最も深い動機まで達し、生活に 強い影響を及ぼし、品性に大きな堅固さと安定を与えるものはない。それは それを持つ者を絶えず上に向かって導き、高尚な目的を持って彼を奮い起さ せ、礼儀正しい態度を教え、すべての行動にふさわしい尊厳を与えるのであ る。 」―神の驚くべき恵み p.206. 「信仰は愛によって働き、魂を清める。信仰を通して、聖霊は心の中に清 きを創造するために働かれる。しかし人間がキリストと共に働かないならば このことが成されることはできない。私たちは聖霊が心に働かれることを通 してのみ、天に相応しくなることができる。もし私たちが御父へ近づく方法 を見いだしたいのなら、キリストの義を私たちの信任状として持っていなけ ればならない。私たちがキリストの義を得るためには、毎日聖霊の感化によ って変えられ、神性にあずかる必要がある。人間の嗜好を高尚にし、心を聖 化させ、人を全く高潔にするのは聖霊の働きである。 」―セレクテッド・メ ッセージ 1 巻 p.374.

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第8課

聖霊の宮である私達の身体

2015.02.21

「人間は高く聖なる目的のために創造された神の作品であり、傑作である。 そして神は人間の幕屋の全ての部分に御自身の戒めが記されることを望ま れる。全ての神経組織と筋肉、すべての精神的、肉体的賜物は純潔に保たれ なければならない。神は体が聖霊の宮となるよう計画された。であるから、 すべての魂に負わされた責任は何と厳粛なことであろう。」―節制 p.142.

神のための住居 1. パウロはわたしたちの体について何と書いていますか? 第一コリント 6:15(第一句),19,20 「あなたがたは自分のからだがキリストの肢 体であることを、知らないのか。…あなたがたは知らないのか。自分のから だは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、 もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買い とられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしな さい。」 「我々の体はキリストがお買いになった彼の所有であるから、我々が好き 勝手に取り扱う自由はないのである。しかし人間はそのように行い、あたか も肉体の法則を犯しても罰せられないかのように自分の体を扱ってきた。誤 った食欲によって体の器官や能力は虚弱になり、病気になり、不具になって しまったのであるが、サタンは彼の偽装した誘惑によって生じさせたこれら の結果をもって神を侮辱するのである。キリストは、ご自身の所有としてお 買いになった人間の体を神の御前におささげになるのであるが、人間は創造 主の代表としては何と醜い姿であろう。人は自分の体に対して罪を犯し、そ の生活を堕落させたので、神は恥をこうむられる。」―食事と食物への勧告 p.18. 2. 使徒ヨハネは、わたしたちの体と思いにおいて神に栄光を帰すことについて、どん な勧告を書いていますか? 第一ヨハネ 2:15-17「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世 を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すな わち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出 たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永 聖霊を受ける

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遠にながらえる。 」 「男女が真に改心すると、神によって肉体に設置された生命の法則を良心 的に守ることによって、肉体、知的及び道徳的な虚弱さを避けるように努力 する。これらの法則に服従することは、個人的な義務とされなければならな い。法則を犯したことによる悪い結果に苦しまなければならないのは、我々 自身なのである。また我々は、自分の習慣や行動について、神に対し責任を 負わなければならないのであるから、我々の問題は「世間が何と言うか」では なく、『クリスチャンであると自称する私が、神から与えられたこの身体を いかに扱うか。聖霊の住まわれる宮として自分の身体を守ることにより、世 的にも霊的にも最高の利をもたらすために努力するか、あるいは自分を世俗 の人々の考えや習慣の犠牲にしてしまうか』ということである。」―食事と 食物への勧告 p.18,19. 3. 使徒パウロはローマ 12:1,2 において神の子達になにをするように嘆願して いますか? ローマ 12:1,2「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなた がたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え 物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすること によって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜 ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」 「神は、人間が死んだ犠牲や死にかけた犠牲として体をささげるのでなく、 生きた犠牲として神にささげるよう求めておられる。古代へブル人のささげ ものには傷があってはならなかったのに、疾病と腐敗で満ちた人間の体を、 神が喜んでお受けになるであろうか。神は我々の体が聖霊の宮であると仰せ になり、聖霊がお住みになるのに適した住居とするために、この宮を守るよ う求めておられるのである。使徒パウロは次のように忠告して、「あなたが たは自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いと られたのだ。それだから、自分の体をもって、神の栄光をあらわしなさい」 と言っている。すべての者が神に対し、完全な奉仕をすることができ、また 家庭においても社会においても、義務を果たすために身体を最上の健康状態 に保つよう非常な注意を払うべきである。」―食事と食物への勧告 p.21. 「魂の宮である肉体は、神のものです。筋肉、筋骨の一つ一つは神のもの です。どんな場合にも、一つの器官でも粗末にしたり悪用したりして、これ を弱くしてはなりません。肉体を最上の健康状態に保つことによって、これ を聖霊の宿る宮とすることに神と協力しなければなりません。その時初めて、

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聖霊は肉体と霊性のあらゆる能力を神のみこころにしたがって形づくられ ることができるのです。」―青年への使命 p.59. 私達の行為 4. わたしたちは食べるにも、飲むにも、何事をするにも目的は何であるべきですか? 第一コリント 10:31「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、す べて神の栄光のためにすべきである。」 コロサイ 3:17「そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによ るとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に 感謝しなさい。 」 「神が導いておられる人々は特殊であって、世俗の人々のようではない。 神の導きに従うならば、彼らは神の御目的を果たし、自らの意志を神の御旨 に服従させる。キリストは彼らの心の中にお住みになる。神の宮は清いので あって、使徒は、あなたがたの体が聖霊の宮であると述べている。 神は、ご自分の子らが体力を害するほどの自己否定をすることを要求なさ らない。神は、肉体の健康を維持するために自然の法則に従うことを要求な さるのである。自然の道が神の明示しておられる道であって、それはどんな クリスチャンにとっても十分に広いのである。神は我々の生命を維持し、楽 しみを与えるために、惜しげなく豊富に様々な恵みを備えて下さったが、健 康を保ち寿命を延ばす自然の食欲を我々が楽しむために、食欲を制限なさる のである。注意しなさい、不自然な食欲を制し、否定しなさいと神は仰せに なる。もし我々が誤った食欲を生み出すならば、我々の肉体の法則を犯し、 自分の体を乱用して自ら病気を招く責任を負うのである。」―食事と食物へ の勧告 p.72. 5. 多くの人々が彼らの選んだライフスタイルの否定的な結果を考慮しないことを、何 が証明しますか?聖霊の宮を尊重しない人々に何が起きますか? イザヤ 56:12; 22:13「彼らは互に言う、 『さあ、われわれは酒を手に入れ、 濃い酒をあびるほど飲もう。あすも、きょうのようであるだろう、すばらし い日だ』と。…見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉 を食い、酒を飲んで言う、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだ から』。 」 第一コリント 3:17(初句)「もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を 滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたが 聖霊を受ける

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たはその宮なのだからである。 」 「自然の法則を無視したことに対する身体的な罰は病、組織の破損、そし て死そのものという形として表れる。まもなく神との決算が行われるであろ う。神は善であれ悪であれ、全ての行いに対する勘定書きを保有しておられ るので、全ての人は審判の日、自分の行いにしたがって受けるであろう。全 ての身体活動の法則を犯すことは、神の律法に対する犯罪である。そして全 てのこのような違反は刑罰を受けなければならないし、刑罰が続くであろ う。」―節制 p.143. 6. 使徒パウロのどんな勧告が今日も適用されますか? 第一コリント 15:33,34「まちがってはいけない。『悪い交わりは、良いならわ しをそこなう』。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなた がたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめる ために、わたしはこう言うのだ。」 「人が不必要に自分の活力を消耗したり知力を鈍らせたりするどんな行 動を取っても神に対して罪を犯すことになり、神のものである彼らの肉体と 霊性によって神の栄光をあらわすことができないのである。しかし、人間が 神に与えた侮辱にもかかわらず、神の愛はなお人類に差しのべられており、 完全な生涯を送るためには自分の身体を支配する自然の法則に従わなけれ ばならないことを人間が見ることができるように、神は光を照らしていて下 さるのである。従って、人がこの光の中を歩み、心身の全力をあげて神の栄 光をあらわすということはどんなに重要なことであろう。」―食事と食物へ の勧告 p.118. 目に見える永遠の生命 7.人が聖霊の宮としての体を維持するのなら、この世の人生と永遠における両 方の結果はどうなりますか? コロサイ 3:23,24「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするよ うに、心から働きなさい。あなたがたが知っているとおり、あなたがたは 御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主 キリストに仕えているのである。」 ピリピ 3:20,21「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、 主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、 万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだ

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を、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」 「体という聖なる宮は純潔で汚れのない状態に保たれなければならない。 そこに神の聖霊が宿るためである。私達は主の財産を忠実に守る必要があ る。なぜなら、私達の力をどのような方法でも乱用するなら、私達の生命 が神の栄光のために用いることのできるはずの時間を縮めるからである。 私達たちは神にすべて、すなわち魂と体と霊を捧げなければならないこと を心にとめておきなさい。すべての物は神の買い取られた所有物であり、 私達が生命というタラントを保つことのできる最後まで、賢く用いねばな らない。最も有益に利用するなかで、私達の力を最高の範囲にまで適切に 用いることにより、またあらゆる器官を健康に保ち、すべての器官を良く 守っているために精神や腱、筋肉が調和して働くことにより、私達は神の ために最も尊い奉仕をすることができる。 私達が健康であるために、自分の分でできることをすべて果たす時、祝 福された結果が伴うことを期待することができ、健康を保つための自分の 努力を祝福してくださるよう、信仰をもって神に求めることができる。」― 今日のわたしの生涯 p.134. 個人的研究のために 「神の建物である人間の家は綿密で注意深い保護が要求される。…男女 を通して神の性質が十分にあらわされるように、身体的活力を注意深く教 育し、開発し、発達させなければならない。神は御自身に与えられた知性 を活用する事を期待される。彼らは良心を割り当てられた最高の位置に置 かなければならない。心身の能力は愛情と共に、最上の能率に到達する事 ができるようよく養われなければならない。 」―Review and Herald, November 6, 1900) Temperance, p. 143.

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第9課

御霊の実パート 1

2015.02.28

※マルタの伝道報告をお読みください。 「聖霊の感化によって魂の中にキリストの生命が宿る。私たちはキリスト を見ることも、そのお方に話すこともできないが、聖霊は私たちがどこにい ても私たちの近くにおられる。聖霊はキリストを受け入れる一人一人の中に 働かれ、また彼らを通して働かれる。聖霊の内住を知っている者は、聖霊の 実、すなわち愛、喜び、平和、寛容、柔和、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、 善意、忠実を明らかに示すであろう。」―(Manuscript 41, 1897) Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol. 6, p. 1112.

クリスチャンの木と実 1. 聖書ではクリスチャンは何に比較されていますか?わたしたちの世界に枝 を届かす生命の木は誰ですか? 詩篇 1:1-3「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざけ る者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろ こび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられ た木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは 皆栄える。 」 「神を愛する者は、昼も夜も神のおきてについて瞑想する。彼は時が良く ても悪くてもそうするのである。彼は、蔓に生命に満ちてつながっている枝 に実をつける。彼が機会を持つように、彼は善いことを行い、そしてどこで も、いつでも、すべての場所で、彼は神のために働く機会を見出すのである。 彼は主の、常緑樹の一つである。そして彼は、彼の行く所どこでも、彼と共 に香りを持って行くのである。彼の魂を、健全な雰囲気が囲む。彼のよく整 えられた生活の美しさと、神を敬う会話は、信仰と希望に力を与え、他の者 のうちに勇気を与える。これこそ実行におけるキリスト教である。常緑樹に なることを求める。神の御目に貴重な価値のある、柔和でしとやかな霊の飾 りを身に付ける。愛、喜び、平安、忍耐、寛容の恵みを抱く。これこそクリ スチャンの木の実である。流のほとりに植えられた木、それはいつも時が来 ると実を結ぶ。 信じる者すべてに、彼は神のパラダイスにおける生命の木のようになる。 彼の枝はこの世界に届き、その彼がわたしたちのために買った祝福は、わた したちの手の届くところにもたらされた。…彼は生命の木から貴重な実を、 わたしたちに与えられるであろう慰め主、聖霊をわたしたちに与えておられ る。この木からわたしたちは、取って食べ、そしてわたしたちは、他の人に

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もまた食べられるように、導くであろう。」―今日のわたしの生涯 p.50. 2. 御霊の実を挙げなさい? ガラテヤ 5:22,23「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善 意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」 「自己が全く空しくなり、一切の偽りの神が魂より取り除かれた時、その 空白にキリストの充ち溢れる霊によって満たされるのである。このような人 は、汚れから清める信仰を持っているのである。彼は、御霊に従い、御霊の 事を想うのである。彼は自己に頼らず、キリストを全ての全てとする。彼は、 また絶えず示される真理を素直に受け入れて、全ての栄光を神に帰し、『そ して、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。』 『ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊で ある。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。」 (1コリント 2:10,1 5)と言わねばならない。 御霊はまた、その人の心の中に結んだ義の実を表す。すなわち、キリスト は、彼の中にご臨在し、 『泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがる』 の である(ヨハネ 4:14)。また彼は真の葡萄の木の枝であり、豊かな実を結び、 神の栄光を表す。このようにして結んだ実はどのようなものであろうか?聖 霊の実は、憎しみではなく愛、つぶやきや不平ではなく喜び、そして苛立ち や不安、そして自らつくる試練ではなく、平和である。それは、寛容、慈愛、 善意、忠実、柔和、自制である。」―福音宣伝者 p.287. 豊かに実を結ぶ 3. 何が罪人に霊の実を結ばせることを可能にしますか? 詩篇 143:10「あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが 神です。恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いてください。」 エレミヤ 17:7,8「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいであ る。彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっ ても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、 絶えず実を結ぶ。 」 「堕落した人は、心を新たにすることによって造りかえられることができ る。それは彼が、『何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、 かつ全きことであるかをわきまえ知る』ようになるためである。彼はどのよ うにしてこれをわきまえ知るのだろうか。彼の思い、霊、心、そして品性を 聖霊を受ける

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聖霊が所有することによってである。彼はどのようにしてこれをわきまえ知 るのだろうか。彼の思い、霊、心、そして品性を聖霊が所有することによっ てである。それはどのように立証されるのだろうか。『こうしてわたしたち は、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。』人間の品性の上に、 聖霊の働きが現実になされ、その実が見られるのである。 良い木が良い実をむすぶのと全く同じに、主の園に実際に植えられた木は、 永遠の命に至る良い実を結ぶのである。悩まされていた罪に勝利し、悪い思 想は思いの中に入るのを許されなくなる。悪い習慣は魂の宮から追い払われ る。悪い方向へ偏っていた傾向は正しい方向に向きを変える。間違った気質 や感情は変えられて、行為の新しい原則が与えられ、そこには品性の新しい 標準が生じるようになる。今や、聖なる気性と清められた情緒という実がク リスチャンの木に実るようになる。全的改革が起こったのである。これがな されるべき働きである。 」―Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol. 6, p. 1080. 4. 御霊の実を結んで、神に栄光を帰すためには何が重要ですか? ヨハネ 15:5,7,8 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人 がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その 人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つ できないからである。…あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言 葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。 そうすれば、与えられるであろう。あなたがたが実を豊かに結び、そしてわ たしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる であろう。 」 「『わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつ ながっていよう』(ヨハネ 15:4)。キリストにつながっているということは、 そのみたまをたえず受けること、すなわちキリストの奉仕に無条件に服従す る生活である。人と神との間に伝達のチャンネルがたえず開かれていなけれ ばならない。ぶどうの枝が生きた木の幹からたえず樹液を吸うように、われ われもイエスにすがりつき、信仰によって主から力と主ご自身の完全な品性 を受けるのである。 根は枝を通して小枝の先端にまで栄養を送る。同様にキリストは、霊的な 力の流れを信者の一人一人に送られる。魂がキリストにつながっているかぎ り、しぼんだり枯れたりする危険はない。ぶどうの木の生命は枝になる香り 高い実にあらわれる。…信仰によって神のみ子を常食とする時、みたまの実 はわれわれの生活の中に見られ、一つとして失われることはない。」―各時 代の希望下巻 p.164. 「キリストとこの一致を持つ者たちは、霊と言葉と働きにおいてそれを宣

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言するであろう。言葉と行動に良い実があらわされないなら、公言は何の意 味もない。お互いと、キリストとの一致と協力、これが生けるブドウの木の 全ての枝に生じる実である。生まれ変わり、清められた魂は、明らかで、は っきりした証という実を生じるのである。」―上を見あげて p.295. 5. 人は豊かな実をどのように結ぶことができますか? コロサイ 1:10,11 「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あ らゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至 ることである。更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたが って賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」 「もし人々が神に屈服するならば、神は彼らをそのままに受け入れて、ご 自分の奉仕のために彼らを教育される。神のみたまが魂に受け入れられる時、 その魂のあらゆる才能が目覚めさせられる。あますところなく神にささげら れた心は、聖霊の導きのもとに、調和のとれた発達をとげ、神のご要求を理 解しこれを果すように力づけられる。動揺しがちな弱い性格は、力強い、し っかりした性格に変えられる。ふだんの献身によって、イエスと弟子との間 に密接な関係が結ばれ、そのクリスチャンは心と品性がキリストのようにな る。キリストとつながることによって、彼はもっとはっきりした、もっと広 い見解を持つようになる。彼の判断力はますます鋭くなり、その意見は一層 つりあいのとれたものとなる。キリストのために役立ちたいと熱望する者は、 義の太陽キリストのいのちを与える力によって活気づけられ、神の栄えのた めに豊かな実を結ぶことができる。」―各時代の希望上巻 p.312. 実と品性 6. 人の産する実によって何が表されますか? マタイ 7:16,17「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。 茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」 「キリストはそのぶどう園から、聖潔と無我という実を得たいと渇望して おられる。キリストは、愛と善意の原則を求めておられる。いかなる美術品 であっても、キリストの代表者である人々のうちに、現されるべき性質と品 性の美には匹敵できない。信ずる者を生命から生命に至る香りとし、そのわ ざに神の祝福をもたらすものは、彼の魂をつつむ恵みの雰囲気である。」― キリストの実物教訓 p.277.

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「キリストに従うすべての人々は、彼の栄光の実を結ぶ。神の霊が彼らの 内に働いて良い業を行わせ、彼らの生活の清さを証明し、彼らは聖なる実を 結ぶ。彼らは高められて純粋な生活をする。真に神に似たものとしての間違 うことのない実は正しい行動で、このような種類の実を結ばない人々は、神 に関する事柄を経験したことがないことを現している。彼らはぶどうの木に 連なっていない。」―青年への使命 p.377. 「私たちの実が義となり、また私たちの光が良き働きにおいて輝くことが できるように熱心に伝え、働きましょう。公言は何の意味もありません。敬 虔な生涯のみが神に是認されるでしょう。」―上を見あげて p.154. 7. どれくらいの期間クリスチャンの木は実を結びますか? 詩篇 92:12-15「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏 のように育ちます。彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しい ことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。」 「あなたの経験は、十年、二十年、三十年も昔のものではなく、日ごとの 生きた経験でなければならない。そうすれば人々に、時にかなった糧を与え ることができる。後を見ないで前を見なさい。過去の経験を語ろうとして、 一生懸命に思い出そうとしてはならない。それは今日、あなたにとっても他 の人にとってもどんな意味があるのであろうか。過去のよい経験を大事にす ると同時に、より輝いた新鮮な経験が欲しいと思わないだろうか。過去に行 ったことを誇るのでなく、今日できることを示しなさい。あなたの働きや言 葉で誇るのでなく、『彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えま す。彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正 しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません』 (詩編 92:13-15)という神の約束を証明しなさい。常に活動することによっ て、あなたの心と知力を若く保ちなさい。」―セレクテッド・メッセージ 2 巻 p.221,222. 個人的研究のために 「もしあなたがイエスに近く引かれ、あなたの告白を秩序立った生活と敬虔な会話 をもって飾ろうと努めるなら、あなたの足は禁じられた道に迷い出ることから守られ るであろう。あなたがひたすら警戒し、絶えず目をさまして祈るなら、またあなたが 神のすぐ御前にいるかのようにすべてを行うなら、あなたは誘惑に負けることから救 われ、最後まで清純でしみなく、けがされないで守られることを望むことができよう。 もしあなたが初めの確信を終わりまで固く保つなら、あなたの道は神のうちに立てら れるのである。そして恵みによって始められたことには、神のみ国において栄光が報

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いられる。『み霊の実は愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であ って、これらを否定する律法はない』。もしキリストがわたしたちのうちに内住した もうなら、わたしたちは情欲をもった肉を十字架につけるであろう。」―アドベンチ スト・ホーム p.380.

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2015 年 2 月 28 日にお読みください。 特別安息日学校献金は 3 月 7 日に集められます。

「わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれ る島であった。土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてく れた。すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一 同をねぎらってくれたのである。」―使徒行伝 28:1-2 マルタ共和国(旧名メリタ) 、通称マルタは、主な三つの群島で成り立 っている地中海に位置した島国です。マルタはシチリアから南に80k m、チュニジアから東に 284km、そしてリビアから北に 333km離れた 場所に位置しています。マルタの大きさは約316平方キロメートルで、 世界で最も面積の小さい国の一つであると同時に、45万人の人口を持 っていて、世界で最も人口密度の高い国の一つでもあります。首都はバ レッタで、その面積は 0.8 平方キロメートルと、欧州連合(EU)で最 も面積の小さい首都であります。 地図上の小さな点に過ぎない国ですが、マルタはそこで起きた船の難 破から 276 の人々と共に生き延びた使徒パウロの個人的な訪問という、 大きな特権を得ました。この難破は聖書に記録されており、2001年 の考古学者ロバート・コヌックによる探索によって、使徒パウロが乗っ ていた船が、嵐に耐えるために下した四つの錨が見つけられました。 (使 徒行伝27:29)このローマの錨のうち二つは現在マルタ海事博物館 で見ることができます。また、聖書で記述されている地理的場所は今日 でさえ二つの海流が出会うセントトーマス湾と一致しています。そして、 多数の難破の嘆かわしい歴史を地域に残しています。パウロの乗ってい た船が座礁した場所は、現在でも大きな岩礁があって、嵐のときには波 が砕け散ります。 (使徒行伝 27:41)聖書の記述は正確であり、完全に一 致しています。 この場所はマルタの海軍基地として、歴史を通して、戦略上重要視さ れました。フェニキア、ローマ人、ムーア人、ノルマン人、バルサ人、 ハプスブルク・スペイン、聖ヨハネ騎士団、フランス、英国などの権力 が継続的に島を支配しました。英国からの独立は1964年に獲得され、 1974年に共和国となりました。1964年に国連によって独立が認 められ、2004年には欧州連合(EU)に加盟しました。 60

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公用語にはマルタ語と英語の二つがありますが、島がイタリアの近く に位置しているために、人口の大多数がイタリア語を話します。マルタ 語はセム語の起源を持っており、絶滅したフェニキア(古代のカナン) の言葉であると考えられています。マルタ語はラテン文字で書かれた唯 一のセム語であります。パウロの訪問以前には、野蛮なマルタの人々は バアルを礼拝していたと考えられており、今日でさえもバアルという名 前は日常会話の中で使われています。 マルタは温暖な気候、数多くのレクリエーションエリア、歴史的建造 物、世界で最も古い自立構造物(エジプトのピラミッドよりも古い)の 一部があるため、人気のある観光地であります。 マルタには長期にわたるキリスト教の遺産があります。今日、人口の 98%以上がローマ・カトリックで、70%以上の人々が日曜日に教会に 出席しており、ヨーロッパで最も宗教的な国であると考えられています。 古代の首都であるメディナの正門には、使徒パウロが毒蛇にかまれた時 生き延びた姿がえがかれています。マルタの人々は、使徒パウロがそこ で3か月を過ごしたという昔からの言い伝えによる事実を、非常に誇り に思っています。 マルタの最初のアドベンチストは、オーストリアから来たチャール ズ・マリアと、その家族でありました。15年間、彼の家族だけで、ア ドベンチストの教理に対する忠誠を保ち続けました。5年前に正式に開 かれたセブンスデー・アドベンチスト教会には現在、30人のメンバー がいます。 マルタを訪れた最初の改革者はエレナ・タネバ姉妹であって、彼女は 改革運動の概念をそこで新しく組織されていたアドベンチスト教会に紹 介しました。信者は全員研究を行い、もっとこの真理を知りたいと願っ ています。彼らはみな平和主義の信念をもっており、ほとんどがベジタ リアンであります。昨年、数人のイタリアの IMS のメンバーがマルタを 訪れました。 カトリック教会に属さない人々は呪われているとほとんどの人々が信 じているような人々の中で働くことは非常に困難な事であります。しか し、野蛮な人々が使徒パウロの働きを通してキリスト教の精神を得たこ のヨーロッパにおいて、最も宗教的な国に住んでいる人々の目を、神が キリストの再臨の直前に確かに開けようとしておられます。 親愛なる兄弟姉妹がた!寛大な献金と、マルタの人々の間で改革運動 の働きが前進するようにお祈りをお願いいたします。私たちは礼拝する 場所を建て、イエスのヨハネ 4:35 のみ言葉と調和して働くことのでき る宣教師を派遣する必要があります。 「あなたがたは、刈入れ時が来るま でには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしは 聖霊を受ける

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あなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待 っている。 」献金は伝道や健康セミナー等を開催する費用にも使用されま す。 「そして弟子たちに言われた、 『収穫は多いが、働き人が少ない。だか ら、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにして もらいなさい』 。 」 (マタイ 9:37,38) 神は以前、全能なる方の知識をマルタにもたらすために嵐を使われま した。この同じ場所に、今日、真理の光を完全に照らすために、皆様の 寛大さを使おうとされています。この働きのために、皆様のご協力を宜 しくお願いいたします。

-エレナ・タネバ

聖トーマス湾

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第 10 課

御霊の実パート 2

2015.03.07

「もしわたしたちが、わたしたちの魂のうちに、キリストの愛を持ってい るならば、それは喜び、平安、忍耐、寛容、善意、信仰、柔和、自制、他の 全ての恵みをわたしたちが持つのは、当然の結果となるであろう。… 心のうちで、キリストの愛が大切にされる時…彼の存在を感じるであろ う。 」―今日のわたしの生涯 p.50.

愛の神聖な原則 1. 使徒パウロはどんな豊かな愛の描写を与えていますか?イエスはこの美徳に関 して全ての弟子たちに命令していますか? 第一コリント 13:4-7「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをし ない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、 いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 マタイ 22:37-40「イエスは言われた、 『心をつくし、精神をつくし、思いを つくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のい ましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣 り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かか っている。 」 「神に対する最高の愛、互いの無我の愛、これこそ、天父がさずけて下さ る最上の贈物である。この愛は衝動ではなく、きよい原則、永遠の力である。 献身していない心は愛を起こすことも、生じることもできない。イエスに支 配されている心にだけ愛は見いだされる。『わたしたちが愛し合うのは、神 がまずわたしたちを愛して下さったからである。』神の恵みによって新たに された心にとって、愛は行動の主原則である。」―患難から栄光へ下巻 p.254,255. 「私たちは互いを愛そうと試みることから始める必要はない。キリストの 愛が私たちの心の中に宿ることが必要である。自我がキリストの中に沈む時、 真の愛が自然に湧き出る。 」―福音宣伝者 p.497.

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喜びの美徳 2. イエスは子供たちにどんな条件の下、どんな賜物を与えられますか?試練はどのよ うに考慮されるべきですか? ヨハネ 15:9-11「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛 したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守る ならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわ たしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わ たしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿 るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」 ヤコブ 1:2 「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会っ た場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」 ピリピ 4:4-7「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言 うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近 い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願い とをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれ ば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心 と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」 「あなたは、自分自身を快活にし、あなたの周りにいる人をすべて幸福に することが最高の喜びとなるまで、あなたの感情の中に無我の精神を養い、 実践する義務がある。… 思慮のある快活さはクリスチャンの恵みの一つである。 日常生活の当惑や心配事に、あなたの思いを悩ませ、あなたの眉をくもら せることを許してはならない。もしもあなたがそれをするなら、あなたは常 に、何か当惑し、悩むことになる。」―今日のわたしの生涯 p.195. 「最も純粋な喜びは、最も深い謙遜から生じる。最も強く、最も高潔な品 性は、忍耐と愛と、神のみこころに対する服従という基礎の上に築かれるの である。 」―患難から栄光へ上巻 p.343. 平和の賜物 3. 人は主が約束された貴い賜物をどのように手に入れることができますか? 平和をつくりだす人は何をしますか? ヨハネ 14:27「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあ

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なたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。 あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」 第一ペテロ 3:10,11 「いのちを愛し、さいわいな日々を過ごそうと願う人は、 舌を制して悪を言わず、くちびるを閉じて偽りを語らず、悪を避けて善を行 い、平和を求めて、これを追え。」 ヤコブ 3:17,18 「しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、 温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の 実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。」 「だれでも罪と絶縁することに同意し、キリストの愛に心を開く者は、こ の天の平和を持つ者となる。これ以外に、平和の基はない。心に受け入れら れたキリストのめぐみは、敵意をしずめる。それは争いをしずめ、魂に愛を 満たす。神との平和また隣人との平和を保っている者は、決して不幸になる ことはない。彼の心には嫉妬はない。そこには、悪意の入る余地がない。憎 悪も存在しえない。神と調和している心は、天の平和の共有者である。そし て周囲のすべての者に、その祝福された感化を及ぼすのである。平和の精神 は、世の争いに疲れ、悩む人々の心に、露のようにとどまる。…『平和をつ くり出す人たちはさいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう』。平 和の精神は、彼らが天と結びついている証拠である。キリストの芳しい香り が彼らをとりまいている。その生活の香り、その品性の美しさは、彼らが神 の子らである事実を世に示している。人々は、彼らがイエスと共にいたこと を知るのである。 」―祝福の山 p34,35. 忍耐、柔和 4. 寛容であり柔和であることを何が証明しますか? ヤコブ 3:13「あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれ であるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活 によって示すがよい。」 エペソ 4:1-3 「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。 あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ 柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれ て、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」 「愛はキリストの王国の律法である。主はすべの者に高い標準に達するよ うに召しておられる。主の民の生活は、愛と柔和と寛容を表す。寛容は何か 聖霊を受ける

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を、しかり、言葉や行動で復讐しようとすることなく、実に多くのものを耐 え忍ぶ。『寛容』は、攻撃に対する忍耐である。すなわち、長く耐え忍ぶこ とである。もし、あなたが寛容であれば、あなたは、自分の兄弟にあると思 われている間違いや過ちを他人にもらしたりはしない。あなたは、彼を助け ようと努力する。なぜなら、彼は、キリストの血によって買い取られたもの だからである。『もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだ けの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことにな る。』『兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、 霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それ と同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しな さい。』寛容になるということは、陰気になったり、悲しんだり、不機嫌に なったり、心をかたくなにしたりすることではなく、そのちょうど反対にな る事である。」―今日のわたしの生涯 p.52. 「柔和は尊い恵みであって、静かに苦難を受け、喜んで試練に耐えようと するものである。柔和は忍耐であり、どのような環境の下でも幸せになろう と努める。柔和はつねに感謝し、自ら幸せの歌を作り、心の中で神へのメロ ディーをつくる。柔和は失望と誤りを絶やし、報復しない。柔和は不機嫌に ならない。気難しい性質は柔和の反対である。なぜならそれは他人を傷付け、 苦痛を与えるだけで、自分自身にも何の喜びも与えないからである。」―教 会への証 3 巻 p.335. 寛容、善意 5. どのように寛容と善意が表されますか? エペソ 5:8-11「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光 となっている。光の子らしく歩きなさい—光はあらゆる善意と正義と真実と の実を結ばせるものである—主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ 知りなさい。実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘 してやりなさい。 」 箴言 14:9「神は悪しき者をあざけられる、 正しい者は、 その恵みを受ける。」 「『キリストのような』という言葉の、最も崇高な意味で、クリスチャン であるということがあなたの義務である。あなたと接触する人々があなたに 惹きつけられるのは、目に見えない糸を通してである。もしあなたが神とた えず交わりをしているなら、あなたを命から命に至らせる香りとする印象を 残す。一方、あなたが利己的であったり、自分を高めたり、世的な思いを持 っているなら、あなたの地位や経験がどのようなものであっても、あなたが

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どれほどたくさん知っていても、あなたが唇にいつくしみという律法を持っ ていないなら、心から流れ出る愛のかぐわしい香りがないなら、あなたはな すべきことを何もすることができない。いつくしみと愛と礼儀はクリスチャ ンのしるしである。」―今日のわたしの生涯 p.178. 「イエスの宗教は、荒々しい頑固な性質を和らげ、激しい態度を穏やかな ものにする。また言葉を上品にし、人を引き付けるような態度にする。キリ ストから、どのようにして、純潔と正直と高い感覚と快活な気質とを、結び つけるかを学びとろう。親切な礼儀正しいクリスチャンは、キリスト教の力 強い主張者となるべきである。」―福音宣伝者 p.122. 忠実 6. 正直と忠実はどこですぐに見られることができますか? ルカ 16:10 「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不 忠実な人は大事にも不忠実である。」 「人生に成功する道は、世人がいわゆる小事と名づけていることに良心的 に注意を払うことです。小さな慈善行為、自己犠牲の小さな行動、人の助け となるちょっとした言葉を語ること、小さな罪に注意を怠らないこと―こう したことがキリスト教です。日々の祝福を感謝のうちに認めること、日々の 機会を賢明に活用すること、ゆだねられた才能を勤勉に養うこと―こうした ことが主の要求しておられるところです。」―青年への使命 p.137,138. 「偉大な真理は、小事のなかにもあらわされなければならない。日毎のど んなに卑しい務めも、宗教的態度で行うべきである。神の言葉に絶対的に従 うことが、いかなる人にも、最大の資格を与えるのである。… どんなに小さい義務の遂行にあたっても、生きた信仰が金の糸のようにそ の中に織り込まれていなければならない。そうすれば、日毎の仕事の全体が、 クリスチャンの成長を助け、イエスを絶えず仰ぎ見るようにする。わたした ちは、キリストを愛しているので、なすすべての事に力が入るのである。こ うして、わたしたちは、タラントを正しく活用することによって、わたした ちをより高い世界に、金の鎖で結びつけることができるのである。これが真 の清めである。というのは、清めとは神のみこころに完全に従いながら、日 毎の務めを快活に行うことであるからである。」―キリストの実物教訓 p.335,336.

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節制 7. なぜ使徒ペテロは、クリスチャンの美徳としての節制をとても大切なものと して考えましたか? 第二ペテロ 1:5-7「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あな たがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐 に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。」 「すべてのことに、節制と規律を守ることには、ふしぎな力がある。優し い静かな性質は人生行路を平らかにするのに役立つが、これを助長するには、 節制や規律を守ることが環境や生まれつきの才能よりも力がある。同時に、 こうして身につけた自制の能力は、一人一人の人間を待ちうけているきびし い義務や現実と取り組んで、これに成功する上に最も価値のある資格の一つ であることがわかる。」―今日のわたしの生涯 p.82. 「自己を治めることは、この世で最大の統治である。柔和でしとやかな霊 という飾りを身につけることによって、生活を非常につらくさせる困難の 99%を無くすことができるであろう。……生まれながらの人は死ななければ ならない。そしてイエスの弟子が真実と真理によって『生きているのは、も はや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのであ る』 (ガラテヤ2:20)と言うことができるために、新しい人なるキリスト・イ エスが魂を満たさなければならない。」―神の驚くべき恵みp.39. 個人的研究のために 「キリストのみことばは霊であり生命である。みことばを受けることによ って、あなたはぶどうの木であられるキリストの生命を受けるのである。あ なたは、『神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ 4:4)。 あなたのうちにあるキリストの生命は、キリストのうちにあるのと同じ実を 生ずる。キリストのうちに生き、キリストに固着し、キリストにささえられ、 キリストから栄養分をとる時に、キリストと同じ実を結ぶのである。」―各 時代の希望下巻 p.166. 「私たちはキリストなしには何もできない。正義、美徳、善の純粋な原則 は全て神からの物である。あなたは神に属する者であり、キリストの尊い血 によって買われたので、義務を誠実に果たし、キリストの同情、魂に対する 愛とあなた自身の魂に対する愛は、あなたを神との共労者とし、あなたに雄 弁さと説得力を授けるであろう。」―クリスチャン教育の基礎 p.194.

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第 11 課

聖霊を悲しませる

2015.03.14

「だれもサタンの誘惑に屈服し、自分の良心を犯すことによって、聖霊を 悲しませる必要はない。神のみ言葉の中には、すべての人々が神の助けによ って勝利する事の出来るすべての準備がなされている。」―教会への証 5 巻 p.574.

疑いと不服従 1. 神がわたしたちの救いのための御心を明らかに表される時、もし、わたした ちが罪に妥協し、一つの罪にでさえ耽るのなら、何が起きますか? 申命記 30:15-18「見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災 をあなたの前に置いた。すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、 主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。 それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。ま たあなたの神、主はあなたが行って取る地であなたを祝福されるであろう。 しかし、もしあなたが心をそむけて聞き従わず、誘われて他の神々を拝み、 それに仕えるならば、わたしは、きょう、あなたがたに告げる。あなたがた は必ず滅びるであろう。あなたがたはヨルダンを渡り、はいって行って取る 地でながく命を保つことができないであろう。」 「人は神の霊を消す能力を持ち、選択の力が許されている。彼等には行動 の自由が許されている。彼等には贖い主の御名と恵みを通して服従すること も不服従することもできる。人は、神聖で永遠の真理を受けることか、ある いは拒むことに対して自らその責任を負わなければならない。神の御霊は、 間断なく我々の罪を示される。そして人は真理に従うか、背くか、決心しな ければならない。であるから、一生涯のすべての行動が後から悔いる必要が 無いものとする事は、実に大切ではないだろうか。特に、キリストを代表し、 その大使として活躍する者にとっては、なおさらである。」―福音宣伝者 p.174. 「神は人々が不信を捨てるように強制されない。彼らの前には光と闇、真 理と誤謬がある。どちらを受け入れるかを決定するのは彼ら自身である。人 間の心には善と悪とを区別する能力がさずけられている。神は、人々が衝動 的に決定しないで、聖句と聖句をくらべ、重要な証拠によって決定するよう に計画しておられる。」―各時代の希望中巻 p.243. 聖霊を受ける

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2. 人々が神のみ約束に信頼せず、彼の愛を疑う時、彼らは実際的に何をしてい ますか? ヨハネ 3:16,18,19 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下 さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るため である。…彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれ ている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきと いうのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よ りもやみの方を愛したことである。」 ローマ 8:32 「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者の ために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらない ことがあろうか。 」 「神の愛を疑い、神の御約束に信頼しないならば、神をはずかしめ、聖霊 を悲しませるのである。……天の御父も私たちに生命を与えるためにひとり 子を与えてくださったその愛を私たちが信じなかったならば、私たちを顧み られることができるであろうか。使徒は『ご自身のみ子をさえ惜しまないで、 わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、み子のみな らず万物をも賜わらないことがあろうか』 (ローマ 8:32)と言っている。け れども、口で言わなくても、その行いで、『神は私にこう言っておられるの ではない。多分、神はほかの人々を愛されたかもしれないが、私を愛されて いるのではない』と言っている人がたくさんいる。」―神の驚くべき恵み p.216. 恐れ、不平、主に仕えることにたいする拒絶 3.私達の恐れと不平によって、どのように聖霊を悲しませますか? 哀歌 3:37-40「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成っ たことがあるか。災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか。生 ける人はどうしてつぶやかねばならないのか、人は自分の罪の罰せられるの を、つぶやくことができようか。われわれは、自分の行いを調べ、かつ省み て、主に帰ろう。 」 出エジプト記 16:2,7「その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとア ロンにつぶやいた。…『また、朝には、あなたがたは主の栄光を見るであろ う。主はあなたがたが主にむかってつぶやくのを聞かれたからである。あな たがたは、いったいわれわれを何者として、われわれにむかってつぶやくの か。』 」

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第一ヨハネ:4:18「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れに は懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」 「イスラエル人の経験をふりかえってみて、彼らの不信とつぶやきに驚き、 自分たちであったら、あんなに忘恩的にはならなかっただろうと思う人たち が多い。しかし、彼らの信仰がちょっとした試みによってためされてさえ、 彼らは古代イスラエルと同じように信仰も忍耐も発揮しないのである。苦境 に陥ると、彼らは神が彼らを清めるために選ばれた道についてつぶやく。現 在の必要は満たされているのに、多くの者は将来のことを神に信頼しようと しないで、貧乏になりはしないか、子供たちが苦しみはしないかと絶えず心 配する。ある人たちは、いつも悪いことを予想したり、実際に困難なことが あると、それを大げさに考えたりするので、彼らの目は、感謝しなければな らない多くの恵みに対して盲目になっている。彼らは、困難に出会うときに、 唯一の力の源であられる神に助けを求めようとしないで、不安とつぶやきの 心を起こし、かえって神から離れてしまうのである。 われわれは、このように不信であってよいだろうか。どうして感謝しなか ったり、信頼しなかったりしてよいだろうか。イエスはわれわれの友である。 全天はわれわれの幸福に関心を持っている。われわれの心配と恐れは神の聖 霊を悲しませる。 」―人類のあけぼの上巻 p.338,339. 4. 富める青年はどのように聖霊を悲しませましたか?わたしたちは自分の十字架を負 い、イエスと共に歩くために、彼の話をどのように適用できますか? マタイ 19:20-22 「この青年はイエスに言った、 『それはみな守ってきました。 ほかに何が足りないのでしょう』 。イエスは彼に言われた、 『もしあなたが完 全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に 施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従 ってきなさい』。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たく さんの資産を持っていたからである。」 ルカ 9:23 「それから、みんなの者に言われた、 『だれでもわたしについてき たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従って きなさい。』 」 「聖霊を悲しませることは深刻な事である。聖霊は人間が自分自身で働き、 十字架が重すぎるから、また自己否定が大きすぎるからと言って、主の奉仕 に入ることを拒む時、悲しまれるのである。聖霊は一人一人の魂に内住する ことを求められる。もし聖霊が名誉ある客として歓迎されるなら、それを受 ける者はキリストにあって完全にされるであろう。」―神の驚くべき恵み p.216. 聖霊を受ける

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「聖霊は聖なる教師である。もし私たちがその教訓に耳を傾けるならば、 私たちは救い対して賢くなるであろう。しかし私たちは私たちの心をよく守 らなければならない。なぜなら私たちはあまりにもしばしば、私たちの受け た天来の教訓を忘れ、清められていない生まれつきの心の傾向を受け入れて、 行おうと求めるからである。各自は自己に対する自らの戦いを戦わなければ ならない。聖霊の教えに留意しなさい。これが行われるならば、彼らはその 印象がまるで、『ながく岩に刻みつけられるように』(ヨブ 19:24)なるま で、何度も何度も繰り返されるであろう。」―–Counsels on Health, p. 561. 5. どのようにしたら私達の行為が聖霊を悲しませますか? エペソ 4:29-32「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけな い。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いて いる者の益になるようにしなさい。神の聖霊を悲しませてはいけない。あな たがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。すべての 無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさ い。互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがた をゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」 「理解に苦しむ試練がやってきても、心の平和をかき乱してはならない。 どんな不正な取り扱いを受けても、腹を立ててはならない。わたしたちは、 復しゅう心をいだくことによって自分を傷つける。わたしたちは神に対する 自己の信頼を失い、聖霊を悲しませる。わたしたちの側には、証人、天から の使者が与えられていて、この証人が、わたしたちのために、敵に立ち向か ってくださる。彼は、わたしたちを義の太陽の光で包む。サタンは、これを 通りぬけられない。サタンは、この聖なる光の防壁を越えることができない。」 ―キリストの実物教訓 p.153. 悪影響と否定 6. 私達がイエスの召しを受けても、無関心で、怠慢で、無気力なままであるとき、聖 霊はどのように反応しますか? マタイ 28:19-20「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子 として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたが たに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の 終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」 「真理を知っている者は真理を知らない者に対して責任を負っている。私 たちは神の巨大な会社の一員として、利益を出するためにすべきことがある。

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私たちは義の器として、ご自身が私たちに提示された計画に従って、神の王 国を建設しなければならない。神と連なったすべての人々には御自身の霊が 吹き込まれるであろう。彼らは彼らに与えられた光を暗闇の中にいる者たち に伝えるであろう。彼らが魂をキリストに導くまでその努力は決して止まら ないであろう。これはイエスを信じるという全ての人々の前に置かれている 働きである。彼らはこのような働きにおいて彼ら自身の魂と体と心を神に捧 げるであろう。彼らは神への祈りの中で、神を知らない者たちが改心し、悟 ることができるよう、魂の重荷を負うであろう。この働きをなおざりにする 事はエホバを侮辱し、聖霊を悲しませ、キリストに対する不忠実を立証する 事である。」―レビュー・アンド・ヘラルド 1899 年 7 月 1 日 「私たちの前には働きがある。私たちはそれをしているであろうか。私た ちは速やかに働き、常に前進しなければならない。主の大いなる日の備えを しなければならない。一刻も失うことはできないし、利己的な目的のために 時を費やすことはできない。私たちはこの世界に警告を与えねばならないの である。個々人として私たちは、ほかの人々に光を与えるために何をしてい るのであろうか。神はすべての人にそれぞれの働きをお与えになった。すべ ての人になすべき分があり、これをおろそかにすれば私たちの魂も危険に陥 るのである。兄弟方、あなた方は聖霊を悲しませ、去らせるのであろうか。 救い主に臨在していただく準備ができていないために、救い主を閉め出すの であろうか。自分の安逸をむさぼり、イエスがあなたのために負われた重荷 を拒み、真理の知識がないために滅びる魂をそのままにしておくのであろう か。 」―セレクテット・メッセージ 1 巻 p.216. 7. 神のみ旨を知っても、生活のあらゆる面においてそれを尊ばずにいる時、 何が起きますか? 第一コリント 10:31「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、す べて神の栄光のためにすべきである。」 第一テモテ 2:9,10「また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身 を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着 たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を 言いあらわしている女に似つかわしい。」 ローマ 14:13 「それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめ よう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の 前に置かないことに、決めるがよい。」 「あなたをキリストの証人とされた聖霊を悲しませることは恐ろしい事 聖霊を受ける

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である。あなたが以前聖霊を悲しませたことをあなたは知らない。聖霊はあ なた自身をキリスト捧げることを強要したり、あなたの良心を強制的に屈服 するよう人の心に働かれたりすることはない。しかし聖霊は罪を譴責し、あ なたを義に呼び出す方法として心の部屋に光を照らされる。もしあなたが今 キリストを告白しないならば、あなたは偉大なものを失ったという感覚に圧 倒されて告白するようになる時が来るであろう。それなのになぜ、憐みの声 があなたを招いている今、キリストを告白しないのであろうか?」 ― (The Youth’s Instructor, August 1, 1895) Ye Shall Receive Power, p. 300.

「罪にいたらせ、キリストの栄えをけがす習慣や行為は、どんな犠牲を払 ってもとり除くがよい。神の栄えをけがすものは、魂を益することはできな い。天の祝福は、正義についての永遠の原則を犯している人に伴うことがで きない。心に宿っているたった1つの罪でも、それは品性を堕落させ、他人 を誤った方向へみちびくのに十分である。」―各時代の希望中巻 p.218. 瞑想のために 「まことの証人イエスは、『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいて いる』と言われる(黙示録 3:20 )。神のみことばや、神の使命者たちを通し て与えられる警告と譴責と懇願の一つ一つは、心の戸をたたく音である。 それは中にはいることを求めておられるイエスのみ声である。ノックを無 視するたびに、戸を開く気持がうすれる。聖霊の感動は、きょう無視され ると、明日は今日ほど強くなくなる。心はだんだん感じなくなり、人生の 短さについて、また未来の大いなる永遠について、危険な無感覚状態に陥 る。さばきの時にわれわれが罪に定められるとすれば、それは、われわれ が誤謬の中にいた結果ではなくて、何が真理であるかを学ぶ機会を天から 与えられていたにもかかわらず、これを無視した結果である。」―各時代の 希望中巻 p.291.

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第 12 課

聖霊に抵抗する

2015.03.21

「その顕示は彼らの思惑とは異なり、彼らの計画にそわないからといって、 人々が真理と恵みとみ霊に抵抗するのは危険なことである。主はご自身の方 法と、考案に従って働かれる。人々が自己を放棄して、天と調和するように 祈らせなさい。 『神よ、わたしの思いのままにではなく、御心のままになさ ってください』と祈らせなさい。」―(Review and Herald, May 5, 1896) Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol. 2, p. 1004.

心が堅くなる時 1. 過去のある人々はどんな深刻な状態でしたか?もし人が誠実な心で聖書を学び、 教訓を実行しないなら、どんな危険がありますか? 使徒行伝 7:51「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなた がたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じ である。 」 ヘブル 3:7,8「だから、聖霊が言っているように、『きょう、あなたがたが み声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あ なたがたの心を、かたくなにしてはいけない。』 」 「一人静かに神に祈ることと、み言葉を学ぶこととを怠っていないか否か に気をつけよう。これこそ、私たちが天国へ進むのを妨げようと努力してい る、サタンに対する武器である。祈りと聖書研究を一度怠れば、次に怠るこ とはいっそう容易になる。聖霊の訴えに一度さからえば、次にまた逆らう道 が開ける。こうして心はかたくなになり、良心は無感覚になる。」―青年へ の使命 p.88,89.

「真理を知ってこれに従いたいとの望みをもって聖書を祈りのうちに研 究する者はだれでも、神からの光を受ける。彼は聖書を理解する。『神のみ こころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教 が・・・・・・わかるであろう』 (ヨハネ 7:17)。 」―各時代の希望中巻 p.243. 2. ノアとイエスの時代に何が起きましたか?我々の時代、人が聖霊の懇願に抵抗す るとき、何が起きますか? 創世記 6:5,3 「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかること 聖霊を受ける

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が、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。…そこで主は言われた、『わ たしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、 彼の年は百二十年であろう』。」 ヨハネ 3:19,20 「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそ のおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っ ている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐 れて、光にこようとはしない。 」 「最初、多くの者は、警告を受け入れたように思われた。しかし、彼らは、 真に悔い改めて神に立ち帰ったのではなかった。彼らは、罪を捨てようとは しなかったのである。洪水が来るまで、しばらくの間、彼らの信仰は試みら れたが、彼らはその試練に耐えられなかった。彼らは、一般の不信仰に負け、 ついに、以前の仲間といっしょになって、厳粛な使命を退けた。あるものは、 深く感動して、警告の言葉に聞き従おうとした。しかし、あざけり笑うもの が多いために、ついに彼らと同調して、恵みの招待を拒み、やがてだれより も大胆不敵にちょう笑するものになった。というのは、一度光を与えられな がら、罪を示す神の霊に逆らったものほど、無謀で、罪の深みに沈むものは ないからである。 」―人類のあけぼの上巻 p.92. 3. 聖霊の御声を聞くことを拒み、自らをその影響から離れた所に置く者たちに何が起 きますか? 箴言1:24-28「わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べ たが、顧みる者はなく、かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨 て、わたしの戒めを受けなかったので、わたしもまた、あなたがたが災にあ う時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。これは恐慌 が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩み と悲しみとが、あなたがたに臨む時である。その時、彼らはわたしを呼ぶで あろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、 しかし、わたしに会えない。」 「神の怒りは、単に罪人の犯した罪のために彼らの上に下るのではなく、 罪を悔い改めるよう求められた時に、彼らがその呼びかけに抵抗しつづけ、 彼らに与えられた光を無視して、過去の罪を繰り返すことを選んだために下 るのである。もしユダヤの指導者たちが聖霊の説得力に服従していたならば、 彼らはゆるされていたはずである。だが、彼らは従うまいと決意していた。 同様に、罪びとは拒みつづけることによって、聖霊がもはや感化できないと ころにわが身を置くのである。」-患難から栄光へ上巻 p.60.

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聖霊に抵抗する結果 4. もし引き続き聖霊に抵抗し続けるならどこに導かれますか? ヨハネ 3:17,18「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではな く、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばか れない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じる ことをしないからである。」 テトス 1:16 「彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否 定している。彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、いっさいの良 いわざに関しては、失格者である。」 第二テモテ 2:12「もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。も し彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。」 「世の贖い主は、ソドム、ゴモラを滅ぼした罪よりもっと大きな罪がある と言われた。罪人に悔い改めを促す福音の招待を聞きながら、それを心にと めないものは、シデムの谷間の住民以上に神の前に罪深いのである。そして、 神を知り、その律法を守っていると公言しながら、その品性や日常生活にお いて、キリストを拒む者の罪はさらに大きい。ソドムの運命は、公然と罪を 犯す人だけでなく、天からの光と特権を軽んじるすべての人々に対する厳粛 な訓戒であると救い主は警告された。 …神の恵みを長く軽んじた心は、罪になれて、もはや神の恵みの力に感じ なくなる。とりなされる救い主が、ついに、彼は『偶像に結びつらなった。 そのなすにまかせよ』と宣言される魂の運命は、まことに恐ろしい(ホセア 4:17)。審判の日には、キリストの愛を知りながら、罪の世の快楽を選んで 離れていった者よりは、平原の町々のほうが耐えやすいことであろう。」― 人類のあけぼの上巻 p.173. 5. 天に導く光を拒絶する人々にどんな危険がありますか? ヨブ 33:29,30; 36:9-12「見よ、神はこれらすべての事をふたたび、みたび人 に行い、その魂を墓から引き返し、彼に命の光を見させられる。…彼らの行 いと、とがと、その高ぶったふるまいを彼らに示し、彼らの耳を開いて、教 を聞かせ、悪を離れて帰ることを命じられる。もし彼らが聞いて彼に仕える ならば、彼らはその日を幸福に過ごし、その年を楽しく送るであろう。しか し彼らが聞かないならば、つるぎによって滅び、知識を得ないで死ぬであろ う。 」

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「罪がどんなものであろうと、もし魂が悔い改めて信ずるなら、その不義 はキリストの血によって洗われる。だが聖霊の働きをこばむ者は、悔い改め と信仰のとどかないところにわが身をおいているのである。神が心に働かれ るのは、みたまによってである。人が故意にみたまをこばみ、それをサタン から出たものであると断言するとき、彼らは神が彼らとまじわることのおで きになる道を自らとざすのである。みたまが最後までこばまれるとき、神は もうそれ以上魂のためにつくすことがおできにならない。…… 人々を盲目にし、心をかたくなにするのは神ではない。神は彼らのあやま ちを正し、彼らを安全な道にみちびくために光をお送りになる。目が見えな くなり、心がかたくなになるのは、この光をこばむからである。この過程は 徐々でほとんど気がつかない場合が多い。光は、神のみことばを通し、神の しもべたちを通し、あるいはみたまの直接の働きによって魂にのぞむ。だが 一すじの光が無視されると、霊的知覚力が部分的に麻痺し、次に光があらわ されたとき、それは前ほどはっきりみとめられなくなる。こうして暗さが増 し、ついには魂に夜がおとずれる。……」―神の驚くべき恵み p.215. 6. 偉大な光をもっていたが、神に対して背を向けた人々の終わりはどのように なりますか? ヘブル 6:4-6「いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずか る者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者た ちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけ て、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不 可能である。」 「私は全天が私たちの救いに関心を持っているのを見た。そうであるのに、 私たちは無関心でもよいだろうか?私たちが救い得るのか、失われるように なるのかという事が些細な事であるかのように、不注意でよいだろうか?私 たちのために払われた犠牲を軽く扱うのであろうか?ある人々はそのよう にした。彼らは与えられた憐れみをもてあそんできた。それだから神の御不 興が彼等の上にある。神の御霊をいつまでも悩ます事はできないであろう。 もし、もう少し長く悩ませるなら、そのお方は離れ去る。神が人々を救われ るためにできる全ての事をなされたにもかかわらず、人々が彼らの生涯を通 して、イエスが提供してくださった憐れみをなおざりにするならば、死が彼 らの受ける分であり、高価な代価が払われるであろう。それは恐ろしい死と なる。なぜなら、彼らは彼らが拒否した救いの値を支払うためにキリストが 十字架で感じられたその苦しみを感じなければならないからである。そのよ うにして、彼らは彼らが失ったものが永遠の命と不滅の遺産であることを悟 るようになるであろう。魂を救うために支払われた偉大なる犠牲は、私たち にその価値を示す。貴重な魂が一度失われるなら、永遠に失われる。」―教

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会への証 1 巻 p.124. サウル王の例 7. 聖書の中に聖霊に抵抗し、自分の好きなようにしたどんな人の例があります か?彼の結果はどのようになりましたか? サムエル記上 28:6,7「そこでサウルは主に伺いをたてたが、主は夢によっ ても、ウリムによっても、預言者によっても彼に答えられなかった。サウル はしもべたちに言った、『わたしのために、口寄せの女を捜し出しなさい。 わたしは行ってその女に尋ねよう』 。しもべたちは彼に言った、 『見よ、エン ドルにひとりの口寄せがいます』。 」 歴代志上 10:13,14「こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死ん だ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、主に問 うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダ ビデに与えられた。」 「神の霊の聖なる感化にそむいて、頑強に自分の望みどおりをしようとし た者の道ほど、人間の足にとって暗い道があろうか。自己という最悪の暴君 の支配に屈した者の束縛ほど恐ろしい束縛があろうか。サウルがイスラエル の王であり得る唯一の条件は、神を信頼し、神のみこころに服従することで あった。彼がその治世を通じて、この条件に応じていたならば彼の王国は安 泰を保ったことであろう。神が彼を指導し、全能者が彼の盾となられたこと であろう。神は、サウルを長く忍ばれた。そして彼は、反逆と頑強さによっ て彼の魂のうちの神の声をほとんど沈黙させてしまったとはいえ、まだ悔い 改める機会は残されていた。しかし彼が、この危機において神から離れ、サ タンの共謀者からの光を得ようとした時に、彼は、創造者との最後のきずな を切ってしまったのである。彼は、長年彼に働きかけ、ついに彼を破滅の淵 に陥れた悪霊の支配に、完全に屈服してしまった。」―人類のあけぼの下巻 p.360. 瞑想のために 「人々の心が聖霊の力によって和らげられ静められる時に、彼らは勧告に 心を向ける。しかし彼らが訓戒に背を向けて、ついに心がかたくなになって しまうならば、主は彼らが他の勢力に動かされるままになさる。彼らは真理 を拒否して虚偽を受け入れ、それが彼らを滅びに陥れるわなとなるのであ る。 」―国と指導者下巻 p.45.

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「どの時代にも、光と特権の日、すなわち神と和解する恩恵の時が人々に与 えられている。しかしこの恵みには限度がある。何年間人々に訴えても、恵み は軽んじられ、こばまれるかも知れない。しかし恵みが最後の訴えをする時が 来る。心はかたくなになって、神のみたまに答えなくなる。すると、人をひき つけるやさしいみ声はもはや罪人の心に訴えなくなり、譴責と警告はやむ。」 ―各時代の希望下巻 p.25.

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第 13 課

聖霊に対する罪

2015.03.28

「しかしわれわれは、キリストの支配に服していない時に、悪魔に支配さ れる。われわれはこの世の主権を争っている二大勢力のどちらかに必然的に 支配されるのである。暗黒の王国の支配に入るためには、わざわざその国の 奉仕をえらぶ必要はない。光の王国と同盟することをおこたりさえすればよ いのである。もしわれわれが天の勢力と協力しなければ、サタンは心を占領 してそこを永住の地とする。悪に対する唯一の防備は、キリストの義を信じ る信仰によって、心のうちにキリストに内住していただくことである。…キ リストを個人的に知り、たえずキリストとまじわっていなければ、敵の思う ままになり、ついには敵の命ずるとおりのことを行うようになる。」―各時 代の希望中巻 p.41,42.

許される罪 1. 神の罪の許しはどれほどまでに及ぶものですか?神を冒涜する罪さえそう ですか?旧約聖書からどんな例を示すことができますか? マルコ 3:28「よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての 罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。」 「へブル人たちは、この大いなる反逆において、最も卓越した人々に神の 怒りが下された場面を目撃して、反省する機会があった。最も責任のある 人々に対して神の怒りが発せられた時、この感謝する事の知らない民を完全 に滅絶させられなかったことを通して、神の善と憐れみが表された。自ら惑 わされることを許した会衆に、神は悔い改める余地を与えられた。主、すな わち彼らの目に見えない指導者が、この事においてこれほどの大きな忍耐と 憐れみを示してくださったという事実は、彼らが自分の罪を悟り、悔い改め と謙遜をもってそのお方に帰る時に、神は最も重い犯罪者までも、喜んで許 されるという証拠を明白に記録している。 」―教会への証 3 巻 p.355. 2. どんな罪でさえ許されますか?聖書の中にどんな例がありますか? マタイ 12:32(前句)「また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであ ろう。」 ルカ 23:34「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしくださ 聖霊を受ける

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い。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。人々はイエスの着 物をくじ引きで分け合った。」 第一テモテ 1:13「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な 者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知な ためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。」 「天は、犠牲者イエスが殺人的な暴徒たちの手に売り渡され、嘲笑と暴力 によって次々と裁判に追いたてられるのを見た。天は、迫害者たちが、イエ スのいやしい生れを冷笑するのを聞いた。…天は、サタンの狂気じみた働き と、彼が人々の心に及ぼす力を見た。ああ、何という恐るべき光景だろう。 救い主は真夜中にゲッセマネで捕えられ、邸から法廷へとあちらこちらへ引 っぱりまわされ、祭司たちの前で二度、サンヒドリンの前で二度、ピラトの 前で二度、ヘロデの前で一度訴えられ、あざけられ、むち打たれ、有罪を宣 告され、十字架につけられるために連れ出され、エルサレムの娘たちの嘆き とやじ馬連の冷笑の中で、十字架という重荷を負って運ばれた。…恐ろしい 苦難のさなかに、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているの か、わからずにいるのです』とのキリストの祈りがささげられた時、全天は 驚嘆の思いに満たされた(ルカ 23:34)。しかもそこには、神のみかたちにつ くられた人間たちが、神の一人子のいのちをうちくだくために加わっている のであった。天の宇宙にとって、それは何という光景だったことだろう。」 ―各時代の希望下巻 p.285. 許されない罪 3. 聖霊に逆らう罪についてイエスは何と言われましたか?この罪には何が含 まれますか? マタイ 12:31,32「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべ ての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるさ れることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。 しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆ るされることはない。」 マルコ 3:29「しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の 罪に定められる。 」 「それは故意に聖霊の御臨在をサタンに帰すことである。たとえば、ある 人が神の御霊の特別なご臨在を目撃したと考えてみよう。彼はそのことが聖 書に一致するという事と、聖霊が神に属したものであるということの確実な

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証拠を持つ。しかしながら、その後に彼は誘惑され、堕落する。高慢、自負 心、そのほかの悪い特質が彼を支配する。そしてその神性のすべての証拠を 拒否し、以前には聖霊の力として認めていたものを、サタンの力であると主 張する。神はそのお方の御霊の媒介を通して人間の心に臨在される。それだ から人が故意に聖霊を拒否し、それがサタンから来たものであると断言する とき、彼らは神との交わりの通路を断つのである。」 ―教会への証 5 巻 p. 634. 「誰も聖霊に対する罪を何か神秘的で、定義できないものとして見る必要 はない。聖霊に対する罪とは、悔い改めへの招きに応えるのを執拗に拒む罪 のことである。 」―Review and Herald, June 29, 1897. 旧新約聖書の実例 4. 旧約にはこの種のどんな例が示されていますか? 民数記 16:3,41「彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、 『あ なたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、 主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つ のですか』。…その翌日、イスラエルの人々の会衆は、みなモーセとアロン とにつぶやいて言った、『あなたがたは主の民を殺しました』 。」 「もし、コラが、イスラエルに伝えられたすべての譴責と指令が神から出 たものであることを知っていたならば、あのようなことはしなかったことで あろう。しかし、彼は、これを知ることができたのである。神は、ご自分が イスラエルの指導者であることの十分な証拠を、すでに与えておられた。し かし、コラと彼の仲間は、光を拒んだので目がくらみ、神の力のどんな著し い現われも、彼らを納得させることができなかった。彼らは、それらをすべ て人間的、またはサタンの力に帰していた。これと同じことを人々が行った。 彼らは、コラとその仲間が滅ぼされた翌日、モーセのところに来て『あなた がたは主の民を殺しました』と言った。彼らは、民を欺いた者の滅びを見て、 彼らの行為が神の不興を招いたという決定的証拠を示されたにもかかわら ず、神の刑罰をサタンのせいにし、モーセとアロンが、正しく清い人々を悪 魔の力によって死なせたと言ったのである。彼らの運命を決定したのは、こ の行為であった。彼らは聖霊に対する罪を犯した。人の心は、この罪によっ て堅く閉ざされて、神の恵みに浴することができなくなるのである。」―人 類のあけぼの上巻 p.489,490. 5. このことでどんな例が新約に示されていますか? マタイ 9:32-34; 12:22-24「彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしを 聖霊を受ける

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イエスのところに連れてきた。すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言 うようになった。群衆は驚いて、『このようなことがイスラエルの中で見ら れたことは、これまで一度もなかった』と言った。しかし、パリサイ人たち は言った、『彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているの だ』。…そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イ エスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。すると群衆 はみな驚いて言った、 『この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか』。し かし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、『この人が悪霊を追い出し ているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ』。 」 「イエスはこれよりすこし前二度目のいやしの奇跡を行って、悪鬼につか れた盲人とおしの男をいやされたので、パリサイ人たちは、『彼は、悪霊ど ものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ』との非難をくりかえし ていた(マタイ 9:34)。聖霊の働きをサタンのせいにすることによって、彼ら は自分自身を祝福の泉からたちきっているのだと、キリストは、彼らにはっ きり言われた。キリストの神性を知らないでイエスご自身のことを悪く言っ た者はゆるされるかも知れない。なぜなら、聖霊によって、彼らは自分のあ やまちをみとめて悔い改めにみちびかれるかもしれないからである。罪がど んなものであろうと、もし魂が悔い改めて信ずるなら、その不義はキリスト の血によって洗われる。だが聖霊の働きをこばむ者は、悔い改めと信仰のと どかないところにわが身をおいているのである。神が心に働かれるのは、み たまによってである。人が故意にみたまをこばみ、それをサタンから出たも のであると断言する時、彼らは神が彼らとまじわることのおできになる道を 自らとざすのである。みたまが最後までこばまれる時、神はもうそれ以上魂 のためにつくすことがおできにならない。」―各時代の希望中巻 p.38. 「キリストを拒否することでパリサイ人たちは彼ら自身を暗闇と迷信で 取り囲んだ。…彼らは彼らが到達することのできる何の力もない人間や神学 というところに、彼ら自身を置いた。彼らは聖霊に対して罪を犯し、神は彼 らに対処する力を保留しておられなかった。」―預言の霊 2 巻 p374. 6. 何が聖霊に対する罪の基礎を築きますか? ヨハネ 9:28-30「そこで彼らは彼をののしって言った、『おまえはあれの弟 子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。モーセに神が語られたということは 知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ』。そ こで彼が答えて言った、『わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがど こからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。』 」 ヘブル 12:25 「あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないよう

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に、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれ ることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、な おさらそうなるのではないか。」 「恵みの招待を軽んじ、恵みのみたまを侮辱した者ほどかたくなな者はい ない。聖霊に対する罪として最も一般的なものは、悔い改めをうながす天の 招きをどこまでもあなどることである。キリストをこばむ一歩一歩は、救い をこばみ、聖霊に対して罪を犯す一歩である。 キリストをこばんだことによって、ユダヤ民族はゆるされない罪を犯した。 われわれも、恵みの招きをこばむことによって、同じあやまちを犯すかも知 れない。…このようなことをしているかぎり、人は望みもゆるしもみいだす ことができず、ついには神とやわらぎたいとの願望をまったく失うのであ る。 」―各時代の希望中巻 p.42. 7. 聖霊に対する罪はどこに導きますか? 第一ヨハネ 5:16(後句) 「死に至る罪がある。これについては、願い求めよ、 とは言わない。 」 ヘブル 10:26 「もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、こ とさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。」 「罪からの清めは日々の働きである。神のご要求の一つを踏みにじってい ながら、神の許しと祝福が得られるという信念で、自分をごまかしてはなら ない。知っている罪を故意に犯すことによって、聖霊の証しの声は沈黙させ られ、魂は神から引き離される。どんなに信仰的感情の陶酔境にあろうとも、 神の律法を無視する人の心の内にイエスは住むことができない。神は神を崇 める人にだけ栄誉をお与えになる。 」―青年への使命 p.107,108. 瞑想のために 「このわれわれの時代に、人々は、悔い改めと告白の条件を全く満たすこ とができないところに自らを置いた。ゆえに彼らは、憐れみと赦しをみつけ ることができない。神のみ霊に対する冒涜の罪は、いかなる不注意な言葉、 または行為にもない。それは断固たる決意による、真理と証拠への抵抗であ る。 」―(Manuscript 30, 1890) Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol. 5, p. 1093.

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IMS・セブンスデー・アドベンチスト教会改革運動 〒 905-0412 沖縄県国頭郡今帰仁村字湧川 1300-1 Tel: 0980-56-3278 Email: sda1888@live.jp URL: http://www.sda1888.com/ ※わたし達の印刷物は皆様の献金によって支えられています。 より多くの人々に福音を伝える為に惜しみない献金を宜しくお願いたします。 【ゆうちょ銀行口座からお振込みの場合】 記号番号:10310-37040581 アイエムエス・エスディ―エー教会 【ゆうちょ銀行以外の金融機関口座からお振込みの場合】 ゆうちょ銀行:〇三八店 普通:37040581 アイエムエス・エスディ―エー教会

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安息日学校特別献金

シエラレオネ 1月3日

マルタ 3月7日 60 ページ

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