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HAO P R E S S Heart Art Okayama Press

2010 年

07

上半期活

動報告


特集1

ことごとく皆宜し

ふれるほどの情報に囲まれて生きている私たちは、その状況 に慣れることと引き換えに、感じる時間や自分自身の感覚に

「人間とは何かというのが分からなくなっているのが現在です。人間 とは、生命とは、人間性とは何かを考えないといけない時代です。

基づいて考えることを失いつつあるのではないだろうか?「人は何

気づきを与えるというのがアートの役割。想像力を働かせ、自分が

かを考えようとするとき、同時に別の何かについて考えないように

欠落していることは何なのか、生きること本来について考える必要

している」(佐伯胖講演より:HAO プレス Vol.6)ともすると薄れ

性がある。同じ時代を生きているその中で、こだわりのあるいろん

ている人と人との関係性や、自分の五感を通して感じる「生きている」

な表現を通してその手がかりを与えてくれている人がいる。違いを

という時間。利便性を求めて発展させてきた現代社会の暮らし良さ

認め、違いを考えることから関係性が生まれてくるんですね。それ

の中で、ぽっかりと空いた空洞。White hole in time

に皆が気づき始めた。芸術文化で生命のいちばん深いところに到達


する。関係性の哲学に皆気づき始めたんですね。」(財団法人たんぽ

繋がりのキーワードから、人と人、人と地域、人と自然が交歓し、

ぽの家:播磨靖夫さん、高松アートリンク・プロジェクト 2010 トー

あらゆる側面のつながりを恢復させることを活動のテーマとして。

クより)

そしてこれを、社会の発展とともに、様々な進化を遂げてきた瀬戸 内の潮流に重なるところが大きいと捉え、古代吉備王国のあった総

2010 年の夏、高松で行ったアートリンク・プロジェクトや、笠岡

社や瀬戸内海の笠岡諸島で展開してきました。幕末の混乱期に、文

諸島での島の文化祭。アートという文脈で、身体によって感受され

学や政治等の分野を超えた人の繋がりから、地域振興を図った池上

る現実 ( アクチュアリティ ) のある人と人との繋がりや関係性を地域

秦川が学んだ咸宜園「ことごとく皆宜し」の考えの元、多くの人が

社会へ問いかけてきました。

主体的に関われるよう場を開いてきた report です。


秦川

池上秦川邸

白石島

池上秦川の気配を語る 江 戸末期に大分県日田の広瀬淡窓がひらいた咸宜園で学び、帰郷後浅尾藩の薪田大名(旗本)の蔵元に就き藩校集義館の 文学教授となり、文学と経済学の視点から地域振興を行った池上秦川。明治政府では大蔵省で租税史編纂にも携わった。

川邸を改装していく計画は、2009 年 11 月から始まっていた。

眞平さん、親戚の人をはじめ、総社の話を聞きたい人や、教育・アートに

青森の空間実験室の日沼智之さんの提案や現場での指導のもと、こ

関心がある人など。誼郎さん(秦川さんの曾孫にあたる)が調べて来られ

れまでハート・アート・おかやまに関わってきたアーティストたちも作業

た、秦川を巡る話から始まった。江戸末期の混乱期にあっても、人は生き

に加わる。 「この家が建てられたときの形に戻す」という目標が決まった

るために学び、他者に伝え、家族や家督を守り、歴史を繋いできた人間の

のちは、昭和の時代に改装された合板べニアをはがす、作業で出てきた壁

力強い生き方を感じることができた。

土を使って壁の補修をする、漆喰を塗る、土間にコンクリートで叩きをつ

眞平さんが「家族だけでは、秦川さんを振り返るとは無かった」 「時代の

くるという「現場作業」に取り組んだ。

変わり目には教育が必要」 「しなやかな強さを持つこと」と話した。日沼

2010 年 3 月、京都在住のアーティスト岡田毅志さんが「秦川の近くに

さんが「時代背景、社会背景は変化しても、教養や感受性、人間性の必要

焼火神社がある」という情報を持ってやってきた。焼火神社は隠岐の西ノ

性」を総社と弘前藩とを比較しながら話した。 「家」というものの存在から、

島にあり、江戸時代には北前船の入港によって、海上交通の神と崇められ

自分と他者、個人と社会との関係性を話した。

日本各地 40 数カ所に焼火権現の末社が

池上家の人の歴史を聞きながら、我々はそれぞれ自分の歴史を辿っていた

点在している。果たして、それを秦川邸

のである。

の裏の陣屋跡に見つけることができた。

ここには場の力があるのだろうか?座敷に座ると皆が饒舌になっていく。

6 月 26 日、梅雨の季節、秦川邸の空

総社の初夏の風が、家の中に入ってきた。床の間には秦川さんと、誼郎さ

間に人が集まってきた。池上誼郎さん、

んのお爺さん勢平さんの掛け軸が下げられ、我々の話を見守っていた。


白石

白石島、10日間の夏合宿 笠岡諸島: 瀬 戸内海のほぼ中央部に位置する笠岡諸島は、笠岡沖から四国多度津方面に連なる 7 つの有人島からなる。約 2000 人の人口、高齢化 率は 59%と少子高齢化が深刻だ。しかし、どの島にも、小学校中学校を存続させるべく、島づくりの NPO や公民館活動がコミュニティ を支えている。島の道には名前があり、家々には古くから屋号があり、島の人たちは互いを子どものころからの呼び名で呼び合う。

「つ

くりてと出会う夏〜 Artlink ことごとく皆宜し〜 そうだ!

はと岩パングラタン(パンの中にグラタンが入っている!)をつくる。

行こう合宿!白石島をあそぶ!」は 8 月 10 日から 18 日

重要無形文化財白石踊りを習う。伊丹さんと David さんの漫画教室を

まで 10 日間続いた。島の人が「今年も何かするんかな?」と声を掛け

島で行った。

てくれる。 9 月の島の文化祭、今年は島の人が主役なのだ。その準備

干拓地で植えられていた元禄綿の織りの体験。島の岩を巡るトレッキン

のための夏の合宿。半端なく暑い!

グ。中西屋御主人の船頭での島めぐり。白石島のマップを作製していく。

桑茶作りの作業を手伝った。島食の体験として、エビや小魚ですりみを

島の中、島の外の繋がりを見つけていく。白石踊りで知り合った中塚さ

つくる。流しそうめん(somen slider) 、 白石島にある岩に似ているパン、

ん天野与三郎さんの瑞枝姉さんたちの島話を聞くという毎日だった。


特集2

白石島文化祭 まなざしが交差する循環型社会白石島で今年の夏、 「島の文化祭」を行った。 会期:2010 年 9 月 24 日(金)、25 日(土)、26 日(日)

生する桑を摘み、漁業の海苔の洗浄機で洗う。

妙見信仰が残る皇国岩の雑木を切り、島の中央にある

かつて御影石の産地として栄えたころの砕石

畑に運び、湯を焚き「足湯」にした。

工場の跡を茶葉の乾燥に使う。取り壊される家から出

「無花果が沢山なっとるけど、食べるのも面倒な。」そ

た古民具や写真などを「島を伝えていくもの」として

こで Bar しらいしをオープンし、小エビやピーナッ

収集している白石島の公民館長天野さんたちは、和綿

ツとともに島のメニューにした。「餅つき歌」を歌う

の織り機なども復元し、島の人や外から来た人の交流

ために餅つき大会。「ちょっと前の白石島」40 年前

の場としている。

の新造船の進水式の 8 ミリ映像や、昭和初期の写真

無いものや閉塞している状況を決して嘆かず、あるも

を見る。上映会場に来た人たちは、語る、語る・・・。

のの利用を楽しんで行う島の人たち。そこには高齢者も、

一方、子どもたちは、滞在するアーティストらとオ

障害のある人も、島の人も外の人も入り混じって関わ

リジナルの影絵の上演。島論会「シマポジウム」は、

れる。天野さんは、アートは専門の人のものだと思っ

子どもからお年寄りまでが参加し、島の人、島の外か

ていたという。昨年この島で私たちが展示をするまで

ら来た人が島の魅力を自分の言葉で語った。

は。しかし、今は「島の人の日常の中にアートの目線

ここに生きている人たちは、豊かな文化と自然に囲ま

が加わると、島の暮らしが生き生きとしたものに変わ

れ生き生きと暮らしている。

る。アートで変わることを実感した」と。

私たちは、ただアートの文脈を注いだだけだ。もとも とある場所が新たな価値を創出する場所になるには

島の人が言う「ちょっと前の時代」の島にこだわりな

他者の視点、他者との関係性こそが必要になる。島の

がら、文化祭は進められた。戦後の食糧難のころは、

文化祭は、まさにそうだった。

島の土地すべてが畑で木々は薪として使われ、島の

海からやってきた多様な価値や文化を柔軟に受け入

御影石が白く光って美しく見えていたと、出会う人

れ、原風景を後世に伝えようと活き活きと暮らす人の

が皆言うので、「どの岩がよく見えると嬉しい?」が

中にこそ新しい価値がある。ここで覚醒し、成熟して

らエビの皮をむきながら、お婆ちゃんと決めたのが

いく。本当に大切なものを考えさせてくれる時間が、

「木を切る話し」だ。

確かに存在していた。


天 ( 野 正、田野 智子、湯月 洋志、丹正 和臣

﹁昔の白石島は、白い岩が見えて、

言が、私たちを突き動かした。

協で、雑魚 小 ( さい魚 を ) ミンチに加 工しようと集まって来たお婆さんの一

二〇一〇年夏。朝もやの立ち込める漁

明剣神社に降りてきた。ここは妙見信

う。﹁歩いたところが道になる。﹂

ない荒れた森のよう。天野正さんは言

岩からの帰り道、正確に言うと道など

らを向いてそびえている。

を 偲 ば せ る よ う に、 堤 防 に 向 か っ て

していただいた。三日目にして目の前

が背中を押して、妙見さまの木を切ら

またしても、やられた。そんな気持ち

)

それは本当にきれいだった。﹂

仰の場所。振り向くと、バベの木に遮

アーティスト

﹁ も う 一 度、 白 い 岩 が た く さ ん 見 え る

られて見ることができないが、祠に向 か う と 背 後 に は 天 に 向 か っ て 皇国岩。

真ん中にあるふみねぇの畑が見えた。

が明るくなった。皇国岩から干拓地の 最 後 に、 な ん で 足 湯 に な っ た の か っ

その天空には北斗七星がある。

て? バ ベ の 木 で 昔 は ご 飯 や 風 呂 炊 き

ガラ海老のトラ箱をさっさと片付け

くれた。懐かしいという感傷をはるか

夕日が美しく見える。岩は干拓の歴史

いや、登ろうとしてみた。ここからは

か な。﹂ と い う。 試 し に 登 っ て み た。

即座に﹁子どものときに上った皇国岩

と尋ねてみた。

る人たちに、﹁どの岩を見てみたい?﹂

畑に立つ。桑の葉の取り入れをしてい

大玉岩、鎧岩を一望できるふみねぇの

白石島の風が吹き抜け、はと岩や

会う人たちを魅了する。

な、この島の人たちの息づかいが、出

は、当たり前に四〇年は遡れる。そん

になった。話の中に出る﹁ついこの前﹂

営みから、概ね自給自足の日常が普通

降、島では農業と漁業との

の桑からお茶を作る人。元禄の干拓以

畑の畝に砂浜のガラ藻を撒く人。実生

白石島は、今でも循環型の社会である。

桑の葉、海洋牧場・・・文化の息づく

太 子 道、 開 龍 寺、 白 石 踊 り、 元 禄 綿、

りましょう。

ちになりながら、のんびりと足湯に浸

が人を育てた。そんなおおげさな気持

守っている。島が瀬戸の海を育て、海

れ ど、 い つ で も 畑 作 業 の 人 た ち を 見

伸びてしまった木に覆われてきたけ

ここから見える島の石は、ほとんどが

ち葉を集め、生活していた人たち。

でていたと。白い石を撫でるように落

をしていたと聞きました。じゃこも茹

に超えた、正直でシンプルな味だった。

﹁御苦労さま﹂と氷砂糖を渡しに来て

て、 小 腹 が す い て き た 私 た ち に、

立っていた。正面には、はと岩がこち

白石島を見てみたい。﹂

H A O


白石島文化祭

白石島を 食す!唄う!話す! 「Bar しらいし」にて行われたシマポジウム後半の様子

白石島の記録と記憶 〜ひとむかし前の風景と今の私〜 島の人が大切にしている祈願寺の開龍寺で、上映会を行った。会場準備 の最中に、早くも楽しみにしていた人がやって来た。これまで、古い家 を壊すと聞くと公民館長の天野さんは駆けつけて、島の歴史を物語る写 真や映像を大事に保管していた。 「島の人たちのちょっと前」それはどう やら平均して約 40 年前。8 ミリ上映では木造船の進水式の模様が出て きた。その船の持ち主だったお婆さんが、その日のことを、つい昨日の ように話していた。石がむき出しの島の風景、白石踊りのタイ訪問、古 い小学校の写真など画像を映し出していく。クリックする度に、皆各自 の思い出を一気に紐解いたかのように、一斉に話が始まった。

Bar しらいし

地引網

床几台に集まり、島の夕暮れを楽しむ時間。白石島

「今年は暑すぎたから、獲れりゃあせんよ。」という漁業のアドバイスを肝に銘じなが

の食材、果実を使ってできたつまみで味わう時間。

らの地引網。参加者だけでは人手が足りない!島を歩く人に助っ人を要請!来た来た

残暑厳しい中にも秋の訪れを感じる時間。集まった

来た!!!旅館のおかみさんや子どもたち、配達中の凄腕からテントに居た外国人まで。

人たちは、自分のことや島のことを語り合った。

網は、黒鯛やコハダ、イカなど大漁だった。刺身にしたり、バーベキューにしたり、

今年のつまみの人気第 1 位は「島の無花果と隠岐の

夜には粗煮まで。食べ尽くした。

アワビのソテー」 、桑茶を加えたカクテルも好評だった。


餅つき 白石の餅つきは4丁杵でつく。唄を良く知 る鉄夫さんや与三郎さんの声を聞きたい。 「夏に餅をつくんか!?」と驚いていた人 たちも集まって来た。唄の内容はちょっと 文字には書けない!何故って?男女の話も 沢山あるからね〜。

シマポジウム 前半の若者トークでは、小学生からお年寄りまでが影絵の後の高揚した雰 囲気の中参加した。子どもたちの島のストーリーを作った経緯や感想を聞 く。それに呼応するようにお年寄りが語る。コミュニティーアート船橋か ら参加した下山浩一さんが「この年齢差で成立するシマポジウムは奇跡だ」 と言っていた。後半は夕焼けの空の下、Bar しらいしに合わせて行われ た。加藤種男さん(アサヒビール芸術文化財団事務局長)、天野正さん(白 石島公民館長)、野菜や桑茶を育成している山本栄則さん、京都から来た 岡田毅志さんらを中心に、今ある島の風景と新たに作っていこうとする島 桑茶のブランディングについて、文化的視点から話が進んだ。

影絵 「しらいし島影絵 〜船が織りなすものがたり〜」 アーティスト:ウロツテノヤ子バヤンガンズ(小谷野 哲郎、川村 亘平、山岸 天平、諏訪 裕美) 「ウロツテノヤ子バヤンガンズ」が、白石島に滞在し、島の子どもたち

白石島では、昔から芝居や映画を皆で見るのが大好きだったようで、上演

と一緒にワークショップ形式で、白石島オリジナルストーリーを作って

の時間のずいぶん前から真っ暗に遮光した公民館に、お客さんが続々と

いった。

入って来る。子どもたちは、その毎日の変化が楽しくてたまらないようだ。

彼らは滞在中に島の人たちに昔の話を聞いて回ったり、岩の上で構想を

白石島の現代と昔を行き来しながらの話には、船が流れついてきたり、

練ったり、風待ち潮待ちで文化が伝わってきた島の特徴を生かしていく。

相撲大会が始まったり、魚がたくさん獲れたり、古代史の人物が登場し

子どもたちも日ごろから見ている風景や、不思議な海の生き物、島の大

たり白石踊りも登場した。

人たちから聞いた話など描いたり話したりと積極的だ。3 人のアーティ

時間があっという間に過ぎて行った。講演後、拍手喝采のなか、子ども

ストが島の竹を切り出し楽器を作り、白石島ならではの音も出来ていく。

たちは達成感に溢れた笑顔に包まれていた。


特集3

高松アートリンク プロジェクト2010 高松アートリンク・プロジェクト2010は,「瀬戸内国際芸術祭2010」の連携イベントとして開催された, 「瀬戸内ハート・アートフェスティバル」の事業のうち,高松市が主催する事業の目玉の一つとして開催されました。 会期:2010 年 8 月 23 日(月)〜 29 日(日) 会場:サンポートホール高松 1F 展示場(760-0019 高松市サンポート 2 番 1 号)

大西秀人 高松市長 挨拶 アートリンクとは,障がいのある方とアーティストがペアになり,そ

の よ う な 中 で, 本

の関わりから生まれる新しい概念を,芸術作品にしていくプロジェク

イベントを開催で

トであり,本市では初めての開催でした。会期中は,1,900人を超

き ま し た こ と を,

える多くの方々に御来場いただき,誠に喜ばしく存じているところで

心より感謝申しあ

ございます。また,本市の姉妹都市である,アメリカ合衆国セント・ピー

げます。

ターズバーグ市に在住し,画家,コラムニストとして全米各地で活動

終 わ り に, 本 プ ロ

されているデビット ウィリアムズ様にも今回のプロジェクトに御参

ジェクトに多大な御尽力をいただいたNPO法人ハート・アートおか

加いただき,両市の更なる友好交流にもつながったものと存じます。

やまを始め,香川県立香川中部養護学校の皆様,また,アートリンク

本市では,「文化の風かおり 光かがやく 瀬戸の都・高松」を目指す

に参加いただいた御家族とアーティストの皆様方に心から感謝の意を

べき都市像として定め,「いきいきと共に暮らせる福祉環境づくり」を

表しますとともに,今後とも多くの方々が,障がいのある方への理解

政策目標の柱として各種事業を進めているところでございまして,こ

を深め,交流の輪がより一層広がっていくことを心より願っております。

参加アーティスト

石井 沙英 ( いしい さえ)+ David Williams(デビッド ウィリアムズ ) + 伊丹 宏太郎 ( いたみ こうたろう) 『Three Hands Becoming One』

岡 聖子(おか せいこ)+ 藤原 慎治(ふじわら しんじ) 『祈り』 あふれんばかりのメールの交換を行い、信頼関係が築かれていっ

3 年越しのペア活動を展開中の伊丹さんと David さんに高松の高校生沙英さんが

た二人。蝉しぐれの中、色つきボンドをシートの上に絞り出し

加わりました。3 人の個性が、掛け軸のなかで繋がれていく作品になりました。

ていきました。新しい時間の刻み方を知ったように感じました。


上原 舞(うえはら まい) +清水 直人(しみず なおと)

『ウサギ天使』ソフトスカルプチュア 上原さんが描くウサギ天使を見た瞬間に バルーン構想を思い付いた清水さん。彼 女のメッセージが高松の空から他者へと 伝わっていくことを願っているのです。

吉田 祥太朗(よしだ しょうたろう) +花田 洋通(はなだ ひろみち)

乃村 洋之(のむら ひろゆき)+長田 恵(ながた めぐみ)

『FOOT STEP 良い思い出』

『HIROSVIDEO(ヒロズビデオ)』

やさしい家族と大きな犬。下校したら 友達と遊ぶ小学生。どこにでもある家

心をこめて人に伝えるために歌う乃村さんとアートリンク期間中は妊

族とアーティストの出会い。思い出の

婦だった長田さんのペア。何かをさせるのではなく、やっていること

時間は足跡として刻まれていきました。

を繋ぐビデオを完成させました。

対談:播磨靖夫 + 田野智子 2003 年春、セント・ピーターズバーグ市にてアートリンクを行っている

自宅で好きなキャラクターを描いているだけではアートにはならない。別

NPO クリエイティブクレイのメンバーが来日しました。その梯ともなった

の人の視線を入れて「面白いな」 「どう見せようかな」とするとアートに

播磨靖夫さんは、日本の中で、40 年近くの間、障がいのある人の表現活動

なる。ありがちなのは、周りが勘違いして「この子は好きで描いている」

と活動から生まれる新しい価値を地域社会に還元するということを牽引し

だけではアートは成立しないんですね。他者の鋭敏な目が入らないとアー

てこられました。40 年前は高松で新聞記者をしていた播磨さん。今回は、

トとして成立していかない。重要なことですね。一方で、 アーティスト側も、

その原動力について探っていきました。

障がいのある人の表現と関わると自分自身が揺らぐんですね。自分とは何 なのかとか、これまでプロとしてやってきたことが何だったのかとね。人

播磨:新しい社会が生まれ変わるときには、芸術運動が起こっているとい

間ですから感覚は一人ずつ違いますが、でも、感覚のずれを受けとめなが

う歴史がありました。ただ抽象的に新しい芸術運動とするのではなく、障

ら緩やかに関わっていくところが、アートリンクの面白さで、そこに「幸

がいのある人の表現は当時はアートとしてみられなく、福祉のフィルター

せな気づき」があるんですね。これまであまりなかった「happy な出会

を通してみられるため価値を低められていた。このエネルギーに満ちた表

い」です。これまで出会えなかった障

現を人間性を恢復する、つまり人間らしさを取り戻す運動につなげないか

がいのある人とアーティストが初めて

ということで「可能性の芸術運動」として提唱しました。 ・・・・

出会って、一緒にものをつくるという、 芸術の至福があると思うんです。互い

播磨:自己表現だけではアートではないんです。アートというのは見る

にそれを味わえるというのがアートリ

度合いと見せる度合いの交わるところに成立するというのが僕の持論です。

ンクの醍醐味ですね。

高松アートリンクの日程は、これまでになくタイトだった。5月に初めて出会ってか ら、8月には展示。限られた時間だったが、アーティストたちは、ペアの相手の日常 の表現に視線を向け、 「大好きなこと」 「繰り返し行うこと」 「他の誰かに伝えたいこと」 を追求した。その行為の積み上げの結果は、圧倒的な力となり、展示会場に作品とい うかたちを借りて現われてきた。 かけがえのない相手の存在、その二人の関係性から生まれた「新しい概念」。これを 地域コミュニティーに還元していくことで、それぞれの可能性が開花できると同時に、 アートのもつ深遠な魅力が日常生活に反映されていく。 プロジェクトに関わった日々は、高松の軽やかな海風に包まれたかのように心豊かに 感じられた。


ハート・アート・おかやまは、芸術文化を

学校にアーティストがやってきます!

漫画教室その後

取り入れた豊かな生活が日常的にできるよ う、人と人とが出会い、繋がり、感性を交 換することで新しい概念が生まれるという アートの視点から、市民の日常に新たな芸

2007 年から始まった「子どもとアーティストの

8 月は David さんの来日に合わせて、白石島で漫

出会い」をトヨタ自動車株式会社助成、岡山備前

画教室を実施しました。現在、漫画用のインクを

県民局協働事業として続行しています。2010 年

使って本格的にキャラクターを描き始めています。

ハート・アート・おかやまの活動は、会員

度は、岡山市立中央中学校 + 森本アリ、和気町立

今後はストーリーを紡いでいきます。

の皆様からお預かりする会費と、各種事業

術文化の可能性を探っています。

に対する助成金により支えられています。

藤野小学校 + 湯月洋志、瀬戸内市立牛窓西小学校

事務局体制も充分とはいえませんが、今の

+ 甲斐賢治の 3 校です。12 月からいよいよ発表

時代に、希望や夢をもち、新しい社会のあ

が始まります。詳細な日程は Hp をご参照ください。

り方を提案していくことをここ岡山で行っ ていきたいと思っております。皆様方のご 理解とご支援をお願いします。また、この 活動に対してのご意見やご要望、ご提案な どお聞かせいただきたいと思っております。 正会員 入会金:2,000 円 年会費(個人):5,000 円

アートリンク・プロジェクト 和気町立藤野小学校 + 湯月洋志

2010 〜 2011

年会費(団体):10,000 円 賛助会員 年会費(1口):1,000 円(3口以上) 郵便振替 01330 -1 - 65152

第6期の参加アーティストたちが活動中です〜

ハート・アート・おかやま

小池祐弥 + 湯月洋志 嶋田美宏 + 丹正和臣 延谷大和 + 蛇谷りえ

岡山市立中央中学校 + 森本アリ

編集後記 「猛暑だった」という夏が遠く感じられます。岡山、

片山雄司 + 森本アリ

総社の秦川と白石島と高松とを行き来していました。

山本真子 + 松岡映里

総社を流れる高梁川の藍色、瀬戸内の海の輝き、島

展示は、白石島(12月)と岡山天神山文化プラザ

に浮かぶ白い雲という夏の風景が目に焼き付いてい

(3月)の予定です。

ます。 播磨:現在は本当に厳しい時代です、生命の危機の時 代ですね。でも忘れてはならないのは夢や希望です。

「電車カメラ」に乗りました!

今年もモモピクできました。

人間は一人ひとり、障害のあるなしに関わらず夢や 希望を持った存在です。ネットワークをつくって、 (活 動を)継続していくことで初めて夢は開花するんで

岡山国文祭の「文化がまちに出る!プロジェクト」の

瀬戸内の清水白桃ピクルスが今年もついに完成。

一環で、RayProject の三友周太さんと協働で行いま

限定 240 瓶!御希望の方はメールにてお申し込み

した。これまでは佐藤時啓さんと「バスカメラ」を全

ください。食から新たな価値創造を目指しています。

すね。時間をかけて夢を発酵させるのが大事ですね。 田野:リスペクト、他者を尊重するという、眼差し の交差の視点ですね。受動と能動の境界を超えなが ら関わっていくというのが、芸術文化では可能になる。

国で展開してきましたが、路面電車で行うのは初めて

播磨:芸術というのはそれぞれの個性の領域を広げ

です。2×7メートルの巨大なスクリーンを電車の中

ていくことですから。 「その人の能力は今あるものの 合計だけではなく、これから持つであろうものも含

に吊るして、遮光した電車が走ると、上下左右逆の街

めた総和である(サルトル) 」という。可能性の開花

の映像が流れていきます。不思議な体験でした。

させる環境をつくることですね。 四国生まれの田野にとって、今年の夏は「 (笠岡諸島 は)瀬戸内の海の首飾り」と元香川大学学長・岡市 友利先生のいう場で多くの人と出会えた熱き良き季 節でした。

HAO

Heart Art Okayama

NPO ハート・アート・おかやま TEL : 050-3103-4289 E-mail : info@heart-art-okayama.net

ハート・アート・おかやま ニュースレター「HAO PRESS」

700-0822 岡山市北区表町 2-7-23 2F

2010 年 11 月 19 日発行(第 7 号)発行部数:1500 部

アートリンクセンター内

編集:田野 智子 デザイン:丹正 和臣 発行: 「HAO PRESS」編集部 〒 700-0822 岡山市北区表町 2-7-23・2F アートリンクセンター内 NPO ハート・アート・おかやま

http://www.heart-art-okayama.net


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