サステナ第34号

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司会 ただいまよりエネルギー持続 性フォーラム、第九回公開シンポジウ ム「再生可能エネルギー導入が農村地 域をどう変えるか?」を開会いたしま ■開会挨拶1

たけうち かずひこ

武内和彦

す。初めに、主催者を代表して東京大 学国際高等研究所サステイナビリティ 学連携研究機構機構長の武内和彦より 開会のご挨拶を申し上げます。

開催にあたっては、三菱地所株式会社 様に大きなご支援をいただいておりま す。改めて感謝申し上げます。 九回目になる今回のテーマは、農村 あるいは農業とエネルギーです。 東日本大震災以降、再生可能エネル ギーへの期待が非常に高まっています。 再生可能エネルギーにはいろいろな意 味での可能性とともにいろいろな問題 点もあります。問題の一例を挙げます と、太陽光発電は太陽が照っていると

東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長

東京大学の国際高等研究所サステイ ナビリティ学連携研究機構というとて も長くて難しい名前の組織の機構長を 務めております。私どもは二〇〇七年 から昭和シェル株式会社と共同事業に 取り組んでいます。共同事業の名称は 「エネルギー持続性フォーラム」 です。 その活動の一環として、二〇〇八年以 来、丸ビルのこのホールをお借りして エネルギーに関連したテーマでシンポ ジウムを開催してきました。ここでの

きにしか発電できませんから、いかに して安定した電源にするかということ が問題点としてあります。 その一方で、 化石燃料や原子力と違って、再生可能 エネルギーの多くはそれぞれの地域の 自然を活かした生産の仕方で生み出さ れます。エネルギーの地産地消が可能 なのが再生可能エネルギーの一つの大 きな特徴です。 地域に賦存するさまざまな資源を活 用した営みであるという点で、再生可 能エネルギーの活用と農林水産業には 共通性があります。再生可能エネルギ ーと農林水産業の二つをうまく組み合 わせていくことによって、農村地域の 活性化につながる可能性があるのでは ないかと私どもは考えています。その 考えに基づいていろいろなところで実 証的な取り組みを行いつつあります。 最近、私は「コハーベスティング」 ということを提唱しています。農業で

収穫を得るのがハーベスト( Harvest )

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エネルギー持続性フォーラム 第 9 回公開シンポジウム

再生可能エネルギー導入が 農村地域をどう変えるか? 地球温暖化対策の議論において,低炭素社会の実現に向けた化石エネルギー に代わるカーボンニュートラルなエネルギーの活用が注目を集めていました が,2011 年 3 月 11 日の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を契 機として,再生可能エネルギー源の早期導入・普及に対する期待が一層の高 まりをみせています。 農山漁村は,水,熱,バイオマス,土地が豊富であることから,再生可能 エネルギーの供給拠点として有望であるといわれています。また,再生可能 エネルギー資源は地域に広く薄く賦存するものであり,その利用は小規模分 散型で行うのが合理的であるため,農山漁村への導入が適していると考えら れています。 一方,闇雲な再生可能エネルギーの導入は,われわれに食料を安定的に供 給するという農山漁村の重要な役割に影響を与えることも懸念されます。ま た,再生可能エネルギーを導入するにあたり,農林漁業など地域の産業や暮 らしとの調和をどう確保するのか,地域活性化にどう繋げるのか,といった 課題もみえてきています。 本シンポジウムでは,これらの課題を克服しながら再生可能エネルギーの 導入に先駆的に取り組んでいる農業関係者,国および地方の行政責任者,専 門家による講演とパネルディスカッションを通じて,課題解決へ向けた提言 を試みました。 ●主催:東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) ●共催:昭和シェル石油株式会社 ●協力:三菱地所株式会社 ●日時:2014 年 3 月 14 日(金)13:00~17:30 ●会場:丸ビルホール 2


ことでありますが、この会もこうして 継続してきていることに大きな意義が あると思います。 今回もまたここを会場としてご利用 いただきましてありがとうございます。 私どもが事業のフィールドとしており ます都市と、今日のテーマとなってい ます農村とは深い関係にあります。い うまでもなく都市の活動はいろいろな 面で地方に支えられています。エネル ギーについても都市と農村はより密接 に連携を図るべきであろうと思ってい

ます。そのようなテーマがこの会場で 議論されることを嬉しく思います。 これから基調講演をいただきます蒲 島知事の熊本県とは私どもは深いつな がりがあります。私どもが運営してい るエコッツェリアでパートナーシップ をとらせていただいていますし、ある いは新丸ビルの七階で深夜まで営業し ている丸の内ハウスという飲食施設で は熊本県のいろいろな食材を提携して 使わせていただいています。また、丸 の内朝大学では、熊本の非常に美しく 楽しい温泉の施設などを都市の人間が どうやって活用・利用していくのかと いった連携も進めています。知事のお 話を大変楽しみにしております。 皆さま方の活発なご議論で、今日の フォーラムが実り多いものになります ことを祈念いたしまして、私のご挨拶 とさせていただきます。ありがとうご ざいます。

司会 合場様、どうもありがとうござ いました。 それでは早速講演の部に移らせてい ただきます。まず最初は、熊本県知事 蒲島郁夫様より、「再生可能エネルギー は第二のくまモン」と題して基調講演 をいただきます。それでは蒲島様、よ ろしくお願いいたします。

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です。再生可能エネルギーを得ること もハーベストという言い方がされます。 二つのハーベストをうまく組み合わせ ていこうというのが「コハーベスティ ング」です。私はこれを考えていくこ とが重要だと思っています。 農林水産省も最近は再生可能エネル ギーの取り組みに前向きになってきて います。今日は農業と再生可能エネル ギーの共存のあり方について、皆さん と一緒に考えていきたいと考えていま す。

今日は熊本県の蒲島知事にもお越し いただきました。蒲島知事は若いとき は農業青年で、その後、アメリカで勉 強を積まれ、東京大学教授などを経て 熊本県知事に就任されました。この分 野に深い思い入れのある方です。私が お呼びしたらきてくださるとおっしゃ っていたのですが、本当にきていただ いて大変うれしく思っております。 また、日頃より私どもの取り組みに ご協力いただいている方々にも今日は ご参加をいただいております。ぜひ実 ■開会挨拶2

あいば なおと

合場直人 三菱地所株式会社代表取締役専務執行役員

エネルギー持続性フォーラム、公開 シンポジウムが今回で第九回を数えて このようにして行われますこと、お喜

り多い議論ができればと思っています。 ご来場の皆さまには、長時間になり ますけれども、最後までお話を聞いて いただけるとありがたいです。今日は どうぞよろしくお願いいたします。

司会 続きまして、本シンポジウム開 催にご協力をいただいております三菱 地所株式会社様を代表して、代表取締 役専務執行役員、合場直人様にご挨拶 をいただきます。合場様、よろしくお 願いいたします。

びを申し上げます。ここまで運ばれて こられた関係者の皆様の熱意に深く敬 意を表します。 「持続性」が大切という

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勉強はしませんでしたが、私には大 きな夢がありました。一つは阿蘇の麓 で牧場を開きたいという夢です。それ と、勉強はしなかったけれども本はよ く読む少年でしたので、小説家になり

たいという夢がありました。そしても う一つ、あのころの少年はみんなそう だったと思いますが、立派な政治家に なりたいという夢です。 二一歳のとき、一九六八年に、私に 図①

は牧場を開きたいという夢がありまし たから、アメリカに農業研修生として 渡りました。 アメリカに行ってみたら、 いま中国からの研修生が直面している ように、安い労働者でしかありません でした。農業研修生のプログラムで良 かったのは三カ月間だけネブラスカ大 学での研修があったことです。大学で 私が感じたのは、奴隷みたいな農場の 仕事と比べると、何と学問は楽だろう ということでした。そのとき初めて学 問に目覚めて、二四歳のときにネブラ スカ大学の農学部に入りました。 農学部に入って私が専攻したのは繁 殖生理学で、とくに豚の精子の保存方 法を研究しました。二八歳で卒業する ときに、指導教授が、研究室に残らな いかといってくれました。研究室に残 るということは一生勉強するというこ とです。一生勉強するのなら一番やり たいことを勉強したいと思いました。 一番やりたいのは何だろうと考えたら、

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■基調講演1

私は一九四七年に生まれて、いま六 七歳です(図①) 。両親は旧満州国から 無一文で引き揚げてきました。私は九 人兄弟の七番目で、日本で最初に生ま れた子どもでした。とにかく食べ物が

自己紹介にかえて

のくまモン」というお話をします。そ の前に自己紹介を兼ねて、私がどうし て農業問題にこれほど関心があるのか ということから始めたいと思います。

再生可能エネルギーは第二のくまモン

かばしま いくお

蒲島郁夫 熊本県知事

くまモンについてはほとんどの方が ご存じだと思います。もう知事を超え てくまモンの方がすっかり有名になっ てしまいました。 時々記者から聞かれるのは、「知事よ りもくまモンが有名になって寂しくあ りませんか」と。私は大学の教師をし ておりましたので、生徒が先生を超え ることが教師の一番の喜びであります から、くまモンが私を超えたことに大 変喜びを覚えています。 今日は、「再生可能エネルギーは第二

なくて、高校三年生まで米のご飯をま ともに食べたことがありませんでした。 そういう家庭の子は一生懸命に勉強し て、成績がいい子に育つものなのです が、私はそうではなくて、高校を卒業 したときには何と二二〇人中の二〇〇 番ぐらいでした。大学に行くという選 択肢はなかったので、自動車の販売会 社に勤めました。それを一週間で辞め て地元の農協に勤めました。それが農 業との関わりの始めでありました。

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あるいは管理、継続性、画一性が尊ば れるものであったと思います(図②) 。 私が熊本県知事になったとき、ほとん どの職員がそのような考えをもってい るということに直面しました。 私が考える県政は、県民の幸福量の

最大化です。従来の行政の尊ぶものは あくまで手段でしかありません。県政 の目標を県民の幸福量の最大化である とすることは、行政におけるパラダイ ムシフトであると私は考えています。 県民の幸福量を最大化するためにど 図④

のようなことを考えなければいけない のかというのが図③の数式です。yが 県民の幸福量の最大化。幸福の要因は たくさんありますが、四つが大事だと 私は考えています。 第一にエコノミー、 経済的な豊かさです。 第二にプライド、 誇りです。第三にセキュリティ、安心・ 安全です。そして第四がホープ、夢で す。客観的なエコノミーのインデック スだけではなくて、主観的なプライド だとか、安心・安全、夢も大事なので す。そのようなyを最大化するのが蒲 島県政であると思って仕事を進めてい ます。 政策を考えるとき、その政策がこれ ら四つの要因にどれくらいの影響を与 えるのかということがとても大事です。 くまモンを例に取って説明します。く まモンのKを付け加えたのが図④の数 式です。これを全微分していくと意味 がよくわかります。 はyがどのよう に変化していくかということです。y

dy

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昔の夢が盛り上がってきて政治だとい うことになりました。それで、政治学 を勉強しようと、二八歳のときにハー バード大学の博士課程に入学しました。 それまで一度も政治学を勉強したこと がありませんでした。すでに子どもが

図② 二人いて、四人家族を支えるだけの奨 学金をくれて、ハーバード大学はよく ぞ入学を許可してくれたといまも感謝 しています。 三二歳のときにハーバード大学を卒 業して、最初に就職したのが筑波大学

図③

でした。 筑波大学で一七年間研究して、 五〇歳のときに東京大学に呼ばれて法 学部の教授になりました。東大法学部 で一一年間勤めて、六一歳のときに熊 本県知事に就任しました。それでよう やく私の政治学の理論が実際に役に立 つことになりました。政治学の理論だ けでなく、若いころに勤めた農協の経 験、アメリカの農場の経験、農学部で の経験なども全部活きてくるのが熊本 県知事の仕事ではないかと思っていま す。いま二期目で、六年間知事を務め てきた経験から今日のお話をしたいと 思います。

蒲島県政が目指すもの

私は長い間政治学を勉強してきまし たし、農業も勉強してきました。知事 としてはやはり人と違うことをやらな ければいけないと思っています。 従来の行政は、指導とか規制とか、

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銀の調査によると、くまモンが熊本県 にもたらした経済波及効果は二年間で 一二四四億円です(図⑥) 。熊本県が先 月出した結果によると、昨年一年間で くまモン関連の売上げが約四五〇億円 ありました。くまモンは経済的豊かさ

図⑧

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くありませんが、 『ウォール・ストリー ト・ジャーナル』の一面に出たのは熊 本県民の誇りになっています。 安全・安心はどうでしょうか。 「おし ゃべりくまモン」というのがあって、 高齢者の施設などで配っています(図 図⑦

に大きく貢献しています。 熊本県の誇りはどうでしょうか。く まモンはアメリカの新聞『ウォール・ ストリート・ジャーナル』の一面で紹 介されました(図⑦) 。日本中の新聞に くまモンが登場するのはそれほど珍し 図⑥


が変化するためには、経済的な豊かさ がどのぐらい影響しているか、プライ ドがどのぐらい影響しているか、安 全・安心がどのぐらい影響しているか といったことを示すのが下の図の中央 の式です。熊本県の職員は大変です。

知事がこういう数式で説明するのを理 解しなければならないからです。 ここで大事なのは、くまモンがどれ ぐらい幸せ度に影響しているかを計る ということです。そのために、 を で割ります。 それが三番目の数式です。 熊本県民の幸福度をくまモンがどのぐ らい大きく変えているかというのを示 した数式です。つまり、経済的な豊か さにどれぐらいくまモンが影響してい るのか、熊本県のプライドにくまモン がどのぐらい影響しているのか、そし て熊本県の安心・安全にどのぐらいく まモンが影響しているのか、熊本県の 夢にどのぐらいくまモンが影響してい るのか、さらにくまモン自体がどのぐ らい熊本県民の幸福量に影響している のかを示したのがこの式です。 いまはくまモンを例に取りましたが、 他の政策でも同じです。今日は再生可 能エネルギーも同じような考え方で、 第二のくまモンというかたちでお話す

図⑤

dy

dK

るわけです。

県民の総幸福量とくまモン

くまモンは二〇一一年に生まれた熊 本県のPRキャラクターです(図⑤) 。 まだ誕生して四年という新しいもので す。くまモンという名前の由来は「熊 本の者」ということです。熊本県の営 業部長であり、しあわせ部長でもあり ます。部長というのは、実は熊本県で はかなり偉いのです。 一番上が知事で、 二番目が副知事で、 三番目が部長です。 だから二つの部長を兼ねているくまモ ンはすごく偉いのです。くまモンの知 名度はといいますと、何と九六・九パ ーセントの日本人が知っているという ことです。それぐらいの知名度があり ます。 では、経済的な豊かさ、誇り、安心・ 安全、ホープにくまモンがどのぐらい 影響を与えたのかみていきますと、日

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を県がつくることが多いのですが、そ れでは駄目だ、県の方が先にやろうと 私は考えました。 東日本大震災をみて、 これからはもう新しい原発はできてこ ないだろう、長い時間をかけてでも、 脱原発の方向にいかなければいけない

図⑬

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〇万キロリットルを新エネルギーと省 エネルギーでまかなうのです。 新し い象徴的な取り組みとして、熊本県は 三菱商事と三菱総研と連携して、メガ ソーラーを熊本空港に設置しました (図⑬) 。 県内の太陽光発電関連企業の 図⑫

と考え、平成二四(二〇一二)年一〇月 に熊本県総合エネルギー計画を策定し ました (図⑫) 。 これは大胆な政策です。 新エネルギーと省エネルギー推進で、 県内の家庭電力消費相当量をまかなお うとするものです。原油換算で約一〇 図⑪


⑧) 。くまモンは英語もしゃべれて、福 祉分野でも活躍していて、安心・安全 に貢献しています。 くまモンは何よりも夢の実現に影響 を与えています(図⑨) 。テディベアの 会社のシュタイフ社がありますが、そ

ことのコラボでくまモンは「テディベ ア・くまモン」として一体三万円で売 り出されました。一五〇〇体作って限 定販売したところ、わずか五秒で売り 切れました。それからNHKの紅白歌 合戦にも出場しました。夢の実現にく

図⑨

熊本県では国に先駆けてエネルギー 政策をつくりました。国が最初に政策 を示して、その後でそれに合った政策

熊本県のエネルギー政策

まモンはとても大きく影響しています。 このように、くまモンは、E、P、 S、Hのそれぞれに間接的な影響を与 えるととともに、くまモンの存在その ものが県民の幸福量に大きく貢献して いるのです(図⑩) 。 くまモンはあくまでも総幸福量最大 化のための政策手段の一つです。職員 には第二のくまモンを探せと指示して います(図⑪) 。くまモンを二つつくる わけではなくて、くまモンに相当する ような幸福量を上げる政策を打ち出し てくださいと職員にお願いしています。 これからお話する再生可能エネルギ ーは第二のくまモンに成長する可能性 があると私は考えています。

図⑩

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をなくしたというのをテレビで皆さん も見られたと思いますが、熊本の赤い 農林水産物があまりにもおいしいので、 くまモンもほっぺを落としたというの が、PRの一つのコンセプトでありま

す。 また、熊本県の阿蘇が世界農業遺産 に認定されました(図⑰) 。これには武 内先生のご尽力もありました。 このように、 熊本県には豊富な土地、

図⑰

水、太陽光、草原、森林、バイオマス が存在し、それが豊かな農林水産業を 支えているのですが、それらを再生可 能エネルギーに使えないだろうかとい うのが今日の発表であります(図⑱) 。

図⑱

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図⑯


製品を使った地産地消モデルの事業で す。メガソーラーは四八カ所で立地が 決定し、二九カ所で稼働中です。 メガソーラーの設置者には県外資本 が多くて、このままですと、熊本県の

図⑭ 人々は高い電力料金を払って、その儲 けは県外にもっていかれてしまうとい うことになってしまいます(図⑭) 。そ れではまずいので、県民や県内企業が 事業や資金面で参画して、利益を地元

農山漁村での再生可能エネルギーの 取り組みが、熊本県のエネルギー政策 のなかにどう位置付けられているのか、 これをお話したいと思います。 熊本県は日本有数の食料供給基地で す。図⑯は熊本の農林水産物を赤で表 現した写真です。 トマトは日本一です。 スイカも日本一です。イチゴは全国三 位です。熊本県の生産農業所得は全国 で四位、九州で一位です。実は鹿児島 が黒でPRをしていて、熊本は赤でP Rしています。くまモンが赤いほっぺ

農山漁村での 再生可能エネルギーの取り組み

に還元する取り組みである「くまもと 県民発電所」 の構想を進めています (図 ⑮) 。つまり、 「県民による県民のため の発電所」ということです。一例とし て、最終処分場の屋根を使って太陽光 発電をする事業があります。

図⑮

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のような木材の使われ方があったとい うのがヒントになって、ハウスで木を 燃やしてはどうだろうかと考えて、こ のバイオマス燃料が政策として上がっ てきました。

林地残材などをペレット工場に運ん でペレットにしてから、加温機のある ハウスにもっていきます(図㉑) 。ペレ ットを燃やすと最後に燃焼灰が残りま すが、その灰を堆肥等に有効利用でき 図㉑

れば全部が使えます。この木質バイオ マス加温機を活用した熊本型地域循環 システムをいま構築中です。そのため に、県では補助金を使って木質バイオ マス加温機の導入を支援しています。 次に、 林地残材等の有効活用として、 木質バイオマス発電もあります (図㉒) 。 石油・石炭ではなくて間伐材などで発 電する施設で、県内で二件の建設が進 められています。発電によって、林業 家の収入増につながっていくことを目 指していますが、それには大きな課題 があります。まず、発電所の建設には 膨大な資金が必要になること、 そして、 莫大な燃料用の木材が必要なことです。 採算性、資金調達、燃料の安定的な調 達などの課題をクリアする必要があり ます。利用されない間伐材が多すぎる ことに熊本県は困っています。だから 間伐材を発電所に使いたいのです。林 道をつくり、高性能林業機械を導入し て、供給体制の整備を行っているとこ

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再生可能エネルギーに利活用すること によって農林水産業がより経済的に豊 かになって、中山間地の振興につなげ ることができないかと考えて、今、取 り組みを進めています。

熊本県はとても森林が多いところで す。それを活かし、豊富な森林資源を 使った木質バイオマス加温機の活用、 木質バイオマスを使った発電、農村地 域にある農業用水を活用した小水力発

図⑲

電、 そして太陽光発電の四つが、 現在、 本県で取り組まれている農山漁村への 再生可能エネルギーの取り組みです (図⑲) 。 まず、一つには林業と農業のマッチ ングが重要です(図⑳) 。熊本県は全国 でも有数の林業県です。使っていない 木質バイオマスが約一三五万立方メー トルあります。そのうち利用可能なの が四〇万立方メートルです。農業のほ うでは、園芸用のハウス面積が全国一 で、加温面積も全国一です。冬の間に ハウスでトマトなどをつくって大消費 地に供給しています。そこで、使われ ていない間伐材や、あるいは製材した 後に残ったいらないものを使って園芸 用のハウスを加温するというのが林業 と農業のマッチングの取り組みです。 昔、アメリカの映画をみたときに、 ブドウ畑が霜でやられそうになって、 村人がみんなで一生懸命に火を燃やす シーンがありました。昔から農業でそ

図⑳

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フトがまだできていないということで す。今日は農林水産省からも参加され ていますから、パラダイムシフトを皆 さんにも考えていただきたいと思って います。それによって、小水力発電所 もきっと成功するのではないかなと思 っています。 四番目が太陽光発電です(図㉔) 。耕 作放棄地の有効利用によって、太陽光 発電の導入を拡大させたいと考えてい ます。ここでも農林水産省のパラダイ ムシフトが必要です。農地を他の用途 に使ってはいけないという絶対的な考 え方が農林水産省にはあります。耕作 放棄地がもうこれからは耕作されない のなら、熊本県ではそれは農地以外の 用途で有効活用しようとしています。 太陽光発電施設の農地転用実績は、平 成二五(二〇一三)年五月末で二七ヘク タール、平成二六(一〇一四)年二月末 までには八九ヘクタールの転用を許可 しました。転用許可件数は一二三件か 図㉔

ら三七四件と増えています。農家の人 はただ農地を耕作放棄地のままとする より、太陽光発電を導入することで収 入が増えます。耕作放棄地の有効利用 はとても大事ではないかと思っていま す。 耕作放棄地が再生可能エネルギーを 生産する場所になると、農業がそれだ け衰退するのではないかとの懸念があ ります。実はそうではありません。農 業の振興と再生可能エネルギーは調和 できると私どもは考えています。 熊本県では農地集積を早くから進め ています。農家は、日頃付き合いがな い人には農地を貸したくないという思 いがとても強いです。熊本県だけでは なくてたぶんどこでもそうだと思いま す。そうであるのなら、知事に貸して ください、私に貸していただければ有 効利用しますといいますと、ものすご く多くの人が農地を貸してくださいま す。担い手へ農地を集積して水田をフ

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ろです。 次に、熊本県は水が豊富です。ダム を設けて大きな水力発電所をつくるこ とも可能ですが、それよりは小水力の 発電所をつくろうとしています (図㉓) 。

農村地域には農業用水が豊富に流れて います。農業用水で発電できれば、農 家の収入になります。これまでに、県 内三カ所でモデルを設置しています。 これが成功すれば、熊本県の農業用水

図㉒

が有効利用されることになります。そ れには農林水産省の絶大な支援が必要 です。 実は私が知事になって思うのは、霞 ヶ関は最初に申し上げたパラダイムシ

図㉓ 18


これは行政的にはすごく面白いことで す。役所は、農林水産部とか商工部と かだいたいが縦割りなのですが、くま モンが登場することで、みんながくま モンを中心に政策を考えるようになり

ための農家のさまざまな活動を支援し ようというものです。そのなかで、地 域の資源を活用した内発的産業の創造 として再生可能エネルギーの取り組み を支援しています。また、来年度(平 成二六)から、中山間地における再生 可能エネルギー活用推進事業も展開し ていきます。 「里モンプロジェクト」に よって、農家が化石燃料を使わないよ うな農業をやろうという試みに対して も、支援をしていきます。 農林水産業でどのぐらいの再生エネ ルギーをつくろうとしているのか、現 在の計画では、原油換算で三万一〇〇 〇キロリットル分を考えています(図 ㉘) 。 熊本県総合エネルギー計画の新エ ネルギー導入目標の約四割に当たりま す。新エネルギーの四割を農林水産業 でまかなうのです。木質バイオマス発 電が一万一〇〇〇キロリットル、農地 転用許可による太陽光発電が一万八〇 〇〇キロリットル、農業用水を活用し 図㉘

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ます。 「くまもと里モンプロジェクト」は 農林水産部が考えた政策で、もともと の発想は、美しい景観や農村の文化・ コミュニティーの維持、保全、創造の 図㉗


ル活用することで農業と再生可能エネ ルギーが調和できると考えています (図㉕) 。 調和した姿を画いたのが図㉖です。 今後耕作の見込みがない荒廃農地が、

図㉕ 再生可能エネルギーの導入によって有 効活用されます。耕作放棄地でも、農 地集積によって農地に囲い込まれたも のは優良農地に再生してフル活用され ます。飼料用米でもあるいは米粉用米

でも必ず何か植えて、自給率の向上を 図っていくということが、農地のフル 活用の推進になります。そして、土地 改良区で使われる用水で小水力の発電 を行います。このようなイメージで調 和をしていくのです。 農業関連施設の上に太陽光発電のパ ネルを載せて、農業と発電を同時に行 って、そのことによって農家の収入が 増えていくというモデルも考えていま す。 再生可能エネルギーの導入と農地の 有効活用はゼロサムの関係ではなくて、 ウィンウィンの関係にあります。農家 は農業をすると同時に発電所の社長で もあるのです。何と誇らしいことでし ょう。そのようなストーリー性のある 農業をしていきたいと私どもは思って います。 その一つとして、「くまもと里モンプ ロジェクト」があります(図㉗) 。熊本 県ではどの部もくまモンを使います。

図㉖

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可能エネルギーも稼ぎのなかに入りま す。第二に、農村の誇り、夢です。農 村の魅力づくりです。この二つを車の 両輪として進めていくのが蒲島農政の 中心部分であります。 図㉚

今日はこの後で大津さんが阿蘇での 経験を紹介されます。大津さんの場合 はまさにこの二つがきれいに一つの農 家のなかで結び合っています。阿蘇に はすばらしい景観がありすばらしい農 村があります。それが阿蘇が世界農業 遺産になった一つの要因だと思います。 美しいプライドのある、そして経済 的に余裕のある農業を熊本県でやって いきたいと思っています。そのために 大事なのは、都市と農村の交流です。 都市の方々が農村を支えてくれるため には、化石燃料を使わないような農業 を支えたいという気持ちがあってこそ だと思っています。 今日は本当はくまモンを連れてくる はずだったのですが、くまモンを連れ てくると、私の方を誰も注目しなくな ってしまいます。今日はくまモンを連 れてきませんでしたが、くまモンも皆 さんにありがとうということで、この ようなかたちで最後に登場させていた

だきます。これで私の発表を終わらせ ていただきます。ご静聴ありがとうご ざいました。

司会 蒲島様、どうもありがとうござ いました。次のご講演者は、農林水産 省食料産業局再生可能グループ長の信 夫隆生様です。それでは信夫様、よろ しくお願いいたします。

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図㉙

た小水力発電が二一キロリットル、木 質バイオマス加温機による熱利用が大 体二〇〇〇キロリットルです。 最後にまとめです。 第二のくまモンを探せといいました。 第二のくまモンは、経済的な豊かさ、 プライド、安心・安全、夢に貢献する ものです。その条件を再生可能エネル ギーは満たしているかどうか(図㉙) 。 この条件を満たしていることが熊本県 で予算を付けるときの評価基準です。 再生可能エネルギーを検証しますと、 経済的な豊かさでは、新たな収入源や 雇用の創出、それにコストの削減に結 び付いています。誇りはどうかという と、エネルギーを地産地消、少なくと も熊本県で使われるエネルギーの七〇 パーセントは新エネルギーと省エネル ギーでやろうというのですから、それ を支える農林水産業者にとって大変な 誇りとなります。安心・安全について

は、再生可能エネルギーは、原油高騰 などの外部要因に左右されませんから、 安心・安全に結び付きます。 熊本県が出荷する野菜は、化石燃料 を使わない、バイオマスや小水力でつ くられたものであるというのは何とス トーリー性があることでしょうか。熊 本の農産物にそのような意味を認めて 買っていただきたいと思っています。 これが安心・安全にも夢にも関わって、 未来型エネルギーのトップランナーと して、 農村の元気づくりに役立ちます。 このようにみてきますと、再生可能エ ネルギー政策は第二のくまモンとして ○だということになりますので、いま 熊本県で進めているところです。 私の目指す農村のかたちは図㉚のよ うなものです。持続可能な農村と元気 な農村の実現です。農村の人たちの豊 かさやプライドにつながる政策を進め ます。そのためには第一に経済的なも のが必要です。稼げる農業です。再生

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おり、 再生可能エネルギーには太陽光、 水力、地熱、バイオマス、小水力など があります(図①) 。農林漁業の産出額 は約一〇兆円と申し上げました。わが 国の電力市場は約一六兆円です。もし このうちの一〇パーセントを農山漁村 図①

が発電事業者になって占めるようにな れば、農山漁村の産出額は一・六兆円 増えます。一・六兆円がどれぐらいの 規模かといいますと、わが国のお米の 生産額は一・八兆円で、漁業全体の生 産額も一・五兆円です。国民の皆様の 食生活を支えるお米、あるいは漁業と ほぼ同じ生産額が、発電事業の一〇パ ーセントを農山漁村で行うことで得ら れるのです。この点を活用した農山漁 村の活性化を考えていくべきだろうと 思います。 このことに関して、農山漁村の内在 的な要請もあります。これまでは農山 漁村で新たな雇用を生もうと考えます と、都市部から工場を誘致したりして いました。いま工場は農山漁村にはな かなかきてくれません。農山漁村にい くより先に海外に出ていってしまいま す。グローバル化の流れのなかでそう なっているのです。 農山漁村に工場はきてくれなくても、

農山漁村には資源があります。農山漁 村の振興を図っていくには、これまで の企業誘致ではなく、これからは「起 業立地」です。業を起こして地域を自 立させていくという考え方で農山漁村 の振興策を進めていくのです。地域の 資源を活用した再生可能エネルギーは その重要な柱になりうると考えていま す。 二〇一一年三月一一日の東日本大震 災がおきた後に、当時の大臣は、毎週 末に被災地に入って、被災地の現状を みてきました。その結果、私ども農林 水産省の職員に対して、再生可能エネ ルギーの導入を農林漁業の再生と合わ せてぜひやるようにとの指示がありま した。 以上のような背景があって、農林水 産省はこれまでとは多少考え方を変え て再生可能エネルギーに取り組んでい るところです。なお私この仕事に二〇 一一年七月から携わっています。

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■基調講演2

農山漁村における再生可能エネルギー発電を めぐる情勢 しのぶ たかお

信夫隆生

もあって、農山漁村の活力が低下して います。 ただ、農山漁村といわれる場所は、 農業者・林業者・漁業者の方々だけが 住んでいるエリアではなく、他の産業 に携わっている方々もいます。農林漁 業の低迷に加え、他産業の低迷も相ま って農山漁村の活力低下が引き起こさ れています。 農林水産省の任務として、農林漁業 の発展というのが厳然としてあります。 農山漁村の振興、あるいは中山間地域

農林水産省食料産業局再生可能エネルギーグループ長

今日は、なぜ農林水産省が再生可能 エネルギーに乗り出しているのかとい うことから、 お話させていただきます。 現在、農山漁村の現状には大変厳し いものがあります。基幹産業である農 林漁業は、一九九〇(平成二)年には一 五兆円の産出額がありましたが、一〇 年後の二〇〇〇( 平成一二)年には一 一・五兆円に減り、さらに一〇年後の 二〇一二(平成二二)年には一〇兆円に なっています。残念ながら右肩下がり です。基幹産業である農林漁業の低迷

等の振興も農林水産省の任務です。い ままでは農林漁業の振興を中心に農山 漁村の振興を考えてきたせいもあって、 農山漁村に対する施策がやや遅れてき た面は否めないと思います。 このようなところで出てきたのが再 生可能エネルギーです。

再生可能エネルギーの現状

ここにお集まりの方々はご存じのと

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図④

図②は現在の発電電力量に占める再 生可能エネルギーの割合です。二〇一 一年でわずかに一・四パーセントです。 まだまだ伸ばす余地は大変に大きいわ けです。 なぜ伸びてこなかったのかといいま すと、明らかにコストが高かったから です。図③は震災後に行われたコスト 等検証委員会で出された数字です。こ の委員会は、政治的なところから離れ て、学者の方々が集まって次のエネル ギー政策を考える委員会で、私も毎回 参加していました。一番コストが高い のは、いま最も導入が進んでいるメガ ソーラーです。これは普通に考えると おかしなことですが、固定価格買取制 度(フィードインタリフ)がコストの 壁を乗り越えて、再生可能エネルギー を伸ばす一つの大きな契機になってい るために、このようなことになってい ます。この制度がなければ、農山漁村 に再生可能エネルギーをもってこよう

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図②

図③ 26


図⑤

図⑥ 29


という機運も高まらないのではないか と思っています。 大変重要な制度です。 固定価格買取制度は図④の青い囲み に書いてありますように、再生可能エ ネルギーを用いて発電された電気を、 一定の価格・期間で電気事業者が買い 取ることを義務付ける制度です。発電 にかかるコストは分解すると資本費と 運転維持費です。資本費はシステムを つくる費用です。それに動かし続ける コストを加えて基礎にして、その上に 一定の利潤を積み上げて買い取ること を電気事業者に義務付けています。つ まり、効率的に発電事業をやれば採算 性が合うということです。 買取価格は代表的なものだけ載せて いますが、非常に高い価格になってい ます。これを国民の電力料負担で支え るという法律が二〇一一年八月に成立 して、翌年七月から制度が実際に発足 しています。

農山漁村の再生可能エネルギー 導入拡大に向けた課題 固定価格買取制度は、農山漁村で再 生可能エネルギーを導入していく大変 大きな契機になっています。しかし、 再生可能エネルギーが現時点ではまだ 一・四パーセントにとどまっているの は、 いろいろな課題があるからです (図 ⑤) 。 わが国の国土構成は、森林が六六・ 三パーセント、農地が一二・一パーセ ント、二つを合わせると約八割です。 また、わが国には約四〇万キロメート ルに及ぶ農業用水路があります。農山 漁村にある資源を活用して、木質バイ オマス発電、地熱発電、小水力発電、 太陽光発電、風力発電等々を固定価格 買取制度のもとで行っていくのが大変 重要な課題であっても、更地なら話は 全く簡単なのですが、森林であれ農地 であれ水路であれ宅地であれそれぞれ

に用途があります。 図⑤の左下に書いてありますように、 わが国の食料自給率は、最盛期には七 五~七六%ありましたが、現在は三九 パーセントにまで落ちています。その 一方で農業上の利用ができないといわ れる耕作放棄地が増加しています。最 盛期に六〇七万ヘクタールあった農地 が、いまはその四分の三程度になって います。 太陽光発電は、地域振興の観点から みますと、残念ながら地域にそれほど 雇用を生みません。とくに域外から資 本が入ってきた場合には、売電収益も 外に出ていきますから、地域の振興に は必ずしもつながりません。地域の基 幹産業である農林漁業をきちんと振興 させつつ、それと共存するかたちで再 生可能エネルギー事業を進めていかな ければ、農山漁村全体の活性化にはつ ながっていきません(図⑥) 。 昨年一〇月末時点での固定価格買取

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図⑦

ようです。しかし、そこは食料供給に とって非常に大事なところとして税金 で整備してところなのです。農山漁村 にはほかにも土地はあるのですから、 そちらで発電をやっていただくのがよ いと私どもは考えています。そのよう な土地の利用調整が大きな課題になっ てきています。 土地の利用調整を困難にさせている 要因に賃借料があります。図⑦の左側 に約一五万円と書いてありますのは、 二〇〇〇キロワットの太陽光発電を置 いた場合の一〇アール当たりの年間の 賃借料です。この数字は太陽光発電協 会の会員企業のヒヤリングから出てき たものです。二〇〇〇キロワットの発 電設備を置くのに必要になる土地は三 ヘクタールです。つまり、二〇〇〇キ ロワットのメガソーラー事業者に三ヘ クタールの土地を貸すと四五〇万円の 年間収入になります。他方、水田で一 〇アールあたりの収入がいくら上がる

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制度での認定状況が図⑥の中央に示さ れています。全体の九三・六パーセン トが太陽光発電です。半分以上がメガ ソーラーです。実際に運開されている のは、私どもが承知している範囲で八 パーセント程度です。事業の枠取りだ けしてまだ始めていない方もいるかも しれないと、経済産業省ではヒヤリン グなどをしています。太陽光発電をど のような事業者が申請しているかにつ いての正式な統計はありません。各地 でメガソーラーを置くという計画があ ると、大体地方紙に取り上げられます から、それを私どもが丹念に拾ってみ たのが図⑥の左下の数字です。把握し ている範囲で、メガソーラー事業の事 業者の六割近くが東京・大阪の企業で、 一割ぐらいが県庁所在地の企業です。 地元の事業者と思われるのは三割程度 です。県外資本が悪いということでは ありませんが、地域振興という観点か らすると、できるだけ地域の方々にや っていただきたいと思います。 固定価格買取制度は、高い電気料金 を支払う国民の負担によって成り立つ 制度です。電気を使わない生活をして いる人はごくごく少ないわけで、ほと んどの方が電気料金は必ず払っていま す。固定価格買取制度はほぼ税金を取 るに近い制度だといっていいと思いま す。そのお金をどのように使うのか、 もっと厳しくみていったほうががいい と思います。いくらかでも地域振興に 回せないかということが、私どもから みた一つの課題です。 もう一つの課題は、再生可能エネル ギー事業を導入しようとすると、地域 の住民から反対の声が上がるケースが 結構あります。図⑥の右下に書いてあ るのはいずれも風力発電の例です。風 力発電の適地がどこであるか調査する という話が出ただけで地域で反対運動 がおこります。 あるいは、 都市部では、 ある日突然空地でメガソーラーの工事

が始まって、地域住民が何も聞いてい なかったと、反対運動がおこって事業 が遅れるということもあります。本来 再生可能エネルギー事業は大きな意義 があるものなのですが、地域の合意形 成がうまくいかないために進まないと いうケースがあるのです。こういった 課題に対してどう対処するのか考えな ければいけません。 各地でメガソーラーなどを導入しよ うという動きが加速して、遊休地、県 や市町村がもっている未分譲の工業団 地などにどんどん入ってきています。 その動きがひとめぐりして、入れると ころにだいたい入ってしまいますと、 次にどこが候補地になるかというと、 やはり農地です(図⑦) 。私どものとこ ろにも案件が持ち込まれますが、国民 の皆様の税金を使って行われた土地改 良事業によってきれいに整地された農 地が、発電事業をする側には、メガソ ーラーを置くのに非常にいいとみえる

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図⑨

対応をしているのかということに話を 進めてまいります。政策というものは きちんと長期的な視点に立って進めて いかなければなりません。そのために は法律が必要です。人が変われば事業 の中身も変わるというようなことでは 長期的な政策はできません。 私どもは先の臨時国会に、「農林漁業 の健全な発展と調和のとれた再生可能 エネルギー電気の発電の促進に関する 法律案」を提出し、二〇一三年一一月 一五日に成立し、一一月二二日に公布 されました。公布の日から起算して六 カ月以内に施行することになっていま す(図⑨) 。この法律はまさにその名前 の通り、農林漁業の健全な発展と調和 のとれたかたちで再生可能エネルギー を進めるために、先ほど申し上げた三 つの課題に対応できる枠組みをつくる ものです。 この法律の基本理念が書いてありま す。あえて読み上げます。 「農山漁村に

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図⑧

かというと、やはり一五万円です。非 常に苦労してお米をつくっても、メガ ソーラー事業者に土地を貸しても同じ だということです。 また、土地を貸すという観点からみ ますと、農地の賃借料は田んぼで一〇 アール当たり約一万二〇〇〇円、普通 畑で九八〇〇円です。非常に低い金額 です。農地ですと固定資産税が安くな りますから、メガソーラー事業者に貸 す一五万円と、田んぼとして貸す一万 二〇〇〇円の差ほどよりは手元に残る お金の差はいくらか縮まります。それ にしても非常に大きな開きがあります。 実際に私どものところにも、あるい は県の農地転用を司っている担当部局 にも、農地転用をさせてくれという話 がどんどんきています。農業と再生可 能エネルギーを両立させる上で大変大 きな課題になっています。 ここまでの話をまとめますと、課題 は三つあります(図⑧) 。地域の合意形

成、地域への利益還元、そして、土地 などの利用調整です。 わが国は森林と農地で八割といいま した。太陽光発電がどんどん進んでい るドイツでは、国土の五〇パーセント が農地で、 森林は三〇パーセントです。 合わせて八割でも中身が違います。広 い農地のあるドイツがかつてそうであ ったように、わが国でも再生エネルギ ーのために農地をつぶしていったので は、食料の生産に大きな影響が出るの は明らかです。このことは一つはっき りと申し上げておきたいと思います。 要は私どもの問題意識としては、農 林漁業の健全な発展と調和のとれたか たちで再生可能エネルギーの導入を促 進する必要があるということです。

農山漁村の再生可能エネルギー導入 を促進するための措置

それでは、農林水産省がどのような

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てたのでは、実際に関係者の納得が得 られるものになるかどうかわかりませ ん。そこで、この法律では、関係者に よる協議会を立てられるよう仕組んで います。 協議会には、 図⑨にありますように、 市町村、再生可能エネルギー発電設備 の整備を行う事業者、農林漁業者やそ の団体(農協、森林組合、漁協、土地 改良区など)の方々に入っていただき ます。風力発電設備などを設ける場合 に地域住民の生活環境に影響がないか どうか問題になりますから、きちんと 説明して納得していただいて、そして 合意を得るために、協議会には地域住 民の方にも入っていただきます。 また、 熱心な首長さんの下に再生可能エネル ギーに詳しい担当者がいれば一番いい のですが、そうでなくて地域に専門家 がいないということであれば、大都市 圏で活躍している研究者や、再生可能 エネルギーの各種団体の方々からアド

バイスを受けられるような仕組みにし てあります。こういった方々で協議会 を構成して、基本計画に定める事項を 議論していただいて、そして地域の合 意を得て基本計画を定めていただくと いうことを考えています。 発電設備を整備される方は、基本計 画に即して設備整備計画を定め、市町 村に提出して認定を受けます。設備整 備計画のなかには、整備する設備の内 容、農林漁業の健全な発展に資する取 り組み、口約束にならないよう必要な 資金の額、その調達方法もきちんと書 いていただきます。 認定を受けたときの法律効果として 特例措置が二点あります (図⑨の右下) 。 農地法、酪肉振興法、森林法、漁港漁 場整備法など合計七つの法律の一三の 許可または届出の手続きがあって、本 来は大臣や都道府県知事に書類を出さ なければいけないのですが、それらを 市町村に出せばすむようになります。

申請を受けた市町村が、国や都道府県 に対して、こういう申請が出されてい るから審査してくださいということで 資料を提出し、問題がないものであれ ば、国や都道府県から市町村に対する 同意ということで下ろされて、その上 で認定を行うことになります。要は、 発電事業者は、国の機関や都道府県の 出先機関にいちいちいかなくてすみ、 書類を作成するにあたっては、市町村 の職員からアドバイスが受けられます。 時間がかかると評判のよろしくない農 地転用手続きですが、実はその理由の 一つに、書類の不備があります。不備 を補正するのに相当の時間がかります。 不備のない書類を出していただけると、 標準処理期間が決まっていて、六週間 で許可をする・しないの判断を行わな ければなりません。書類作成のアドバ イスを市町村から受けられれば時間の 短縮につながるはずです。それが特例 措置の一つです。

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おける再生可能エネルギー電気の発電 の促進は、地域の関係者の相互の密接 な連携の下に、地域の活力向上及び持 続的発展を図ることを旨として行われ なければならない」 。これが、地域の合 意形成や、地域の利益還元の考え方を 示しています。そして、発電事業を促 進するにあたっては、「地域の農林漁業 の健全な発展に必要な農林地並びに漁 港及びその周辺の水域の確保を図るた め、これらの農林漁業上の利用と再生 可能エネルギー電気の発電のための利 用との調整が適正に行われなければな らない」とあります。 この法律の一番中心的な措置は、図 ⑨の下半分に書いてある計画制度です。 基本計画を市町村がつくります。なぜ 市町村なのかといいますと、市町村で なければ土地や資源の賦存状況が正確 にはわからないからです。再生可能エ ネルギーを導入するにあたって、市町 村が非常に大きな役割を果たすと考え

られ、市町村を中心とした制度をつく りました。 市町村が定める基本計画のなかで、 農林漁業と調和した再生可能エネルギ ー発電による農山漁村の活性化に関す る方針を立てます。再生可能エネルギ ーに使えるいろいろな資源のあるとこ ろなら、基本計画にたくさんの種類に ついて書いていただいて結構ですし、 とくに小水力を重点的にやるというと ころなら、基本計画に小水力のことを 書いていただければいいと思います。 そして、再生可能エネルギー発電設 備があちこちで無計画に整備されるこ とがないように、きちんと発電に適し たところで、しかも農林漁業の生産に 影響のないところに整備できるように、 再生可能エネルギー発電設備の整備を 促進する区域を計画のなかで定めてい ただきます。 地域への利益還元については、発電 事業の整備、発電設備の整備と合わせ

て、その地域で行う農林漁業の健全な 発展に資する取り組みを書いていただ きます。つまり、売電収入の一部を活 用していろいろな取り組みをしていた だきます。たとえば、耕作放棄地がた くさんあって、しかし新規就農をした い人がいるようなところでは、売電収 入の一部を活用して、耕作放棄地に生 えている木の抜根をしたり、あるいは 草を刈ったり、簡単なほ場整備などを します。あるいは、風車を立てると、 面白い景観が生まれて、観光名所にな るケースもありますから、その近くに 地場の特産の農産物を売る直売所を農 協と一緒に建て、その費用の一部を売 電収入でまかないます。そのような取 り組みを想定しています。 市町村に再生可能エネルギーに詳し い人がいつもいるわけではありません。 市町村には農林漁業の担当者がいても、 実際に農業をやっているわけでもあり ません。市町村が勝手に基本計画を立

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あまり大きくありません。一種農地で かつ現在耕作されているところであっ ても、これからは転用が可能であるよ う運用を見直すことで検討を進めてい います。法律の施行と合わせて、農地 法の省令を改正して対応することにし ています。 農地の区分には、優良農地中の優良 農地である農振農業地区域内農地とい うものがあります。ここはしっかりと 農業で食べていく場所として市町村長 が認めているところです。約四〇〇万 ヘクタールあります。この区域に指定 されているところでは発電設備の設置 は認められませんので、優良農地はき ちんと守られます。一方で、先ほど申 し上げたとおり、かつては優良農地で あっても、現在も使われていなくて、 将来的にも使われないであろう土地は、 再生可能エネルギーに提供していきま す。 発電設備を整備される方は、地域の

人でも外の人でも誰でも結構です。わ が国は自由経済の国ですから、東京の 事業者が熊本で発電事業をやってはい けないということはありませんし、規 制することもできません。しかし、一 方で、売電収益を地域にきちんと帰属 させていくという観点からすれば、そ の地域の事業者に発電事業をやってい ただくのが一番いいのです。私どもは 農林水産省でありますから、農林漁業 者が中心になって発電事業を行う場合 には、認定を受けるまでの事業構想、 導入可能性調査、発電メーカーとの調 整、金融期間からお金を調達する算段 といったことについていろいろな支援 していきます。今年(平成二五年度)か らその事業が始まっています。 三〇地区を採択する予定でしたが今 年度は二七件です。来年度(平成二六年 度)も予算があるので、新規に三〇件 採択したいと考えています。もしこの 会場に農林漁業者の方と一緒に再生可

能エネルギーをやりたいと思っていら っしゃる方があれば、ぜひご活用いた だければと思います。新規分の募集は 四月以降で、当方のホームページをご 覧になってください。 このほかいくつもの支援措置があり ます(図⑩) 。時間の制約もありますか ら全部の説明はできませんが、たとえ ば、農業用水の上で小水力発電を進め るための概略設計を支援する予算を確 保して執行しています。また、バイオ マスを利用した再生可能エネルギーの 熱や電気の供給を中心にして、村づく り・まちづくりを行う取り組みも、 「バ イオマス産業都市」として指定して、 推進するための予算も取ってあります。 木質バイオマス発電を推進するため の予算もあります。木質バイオマスで 五〇〇〇キロワット級の発電設備を整 備しようとすると約二〇億円かかりま す。普通の人は調達できません。そこ で林野庁が設備整備のための補助金を

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もう一つは、農林地所有権移転等促 進事業です。ややわかりにくい名前が ついていますが、これは、たとえば太 陽光発電をするときに、一つの土地に 地権者が一人ならその人と交渉して契 約を結んで借りればすみますが、地権 者が複数で、権利関係が入り組んでい たりすると、賃借権を設定するために は、複数の地権者と一本一本契約を結 ばなければならなくて、非常に手間が かかります。そういったことを少しで も軽減できるよう、間に市町村に入っ て権利の調整を行います。その結果と して、ここの土地は一平米あたりいく らの賃借料で貸しますと貸す側の名前 や賃借料単価を全部書き、それがどこ の土地であるかを全部書き、貸し先の 発電事業者の名前も書いて、それをま とめて市町村が公告します。公告した 瞬間に権利移転が発生するというのが 農林地所有権移転等促進事業の仕組み です。早くに権利関係が安定し、後に なって抜けにくいという発電事業者に とってのメリットもあります。また、 嘱託登記という制度を入れており、こ れにより、当事者の求めがあれば、市 町村が当事者に代わって登記所にいっ て登記の手続きも行えるようになりま す。 もう一点、この法律の施行に合わせ て、農地法の運用も変えたいと考えて います。法律の説明で、基本計画のな かで再生可能エネルギー発電設備の整 備を促進する区域を定めると申し上げ ました。その区域のなかに、これまで 転用が認められてこなかったいわゆる 一種農地があって、農地として再利用 が困難だと判定されるぐらいに荒れた ものであるのならば、計画のなかにい れていただいて、転用するのを認める ようにしたいと考えています。一種農 地とはいわゆる優良農地といわれると ころです。 現在の農地は、耕地が約四五六万ヘ

クタール、荒廃農地が約二八万ヘクタ ールあります。荒廃農地のうち再生利 用が可能なのが約一五万ヘクタールで、 残りの一三万ヘクタールは再生利用が 困難です。後者のようなところは、太 陽光発電やその他の発電に使っていた だいてよくて、むしろそちらに誘導す るほうがいいこともあります。 農業生産をしている農地で、二種農 地、三種農地と呼ばれるものがありま す。二種農地、三種農地ならいまは生 産をしていても、発電事業に転用でき ます。これは許可をすることになって います。一種農地でも使われていない のであれば、法律の枠組みに乗って、 市町村にきちんと指定していただいて、 再生可能エネルギー発電設備を置いて いただけるようになります。 風力発電は少し例外扱いをしていて、 耕地に置いていただいてもいいように なります。風力発電の場合には、足場 が確保できればいいので、転用面積は

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図⑫

県を通じてお支払いします。固定価格 買取制度でコストはまかなわれますか ら、 後で返していただくということで、 要するに無利子で融資をするのと同じ です。 再生可能エネルギーによって出てき たエネルギーを園芸施設などに使って、 その農業を進めていくような取り組み も進めることにしています(図⑪) 。 環境省と私どもで協力しながらやっ ている事業として、将来的には売電だ けではなくて、地域でつくったエネル ギーを使って、本当の意味での地産地 消型の再生可能エネルギーによってま ちづくりを進めていくモデル的な設備 をつくるための予算も確保しています (図⑫) 。 その他に、規制・制度の見直しにつ いても、私どもはいろいろな対応して います(図⑬) 。たとえば、農地の上、 二メートルないし三メートルぐらいの ところに太陽光パネルを置いて、上で

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図⑩

図⑪ 38


図⑭

発電しながら下で農業をやろうとする と、支柱の下の部分に関しては転用許 可がいります。これは農業への影響が 極めて少ないということで、優良農地 でも転用できるという取り扱いにしま す。ただし、農業と両立するというこ とが前提としてありますので、そのこ とをきちんとチェックするために、毎 年毎年、農業生産が以前と遜色なくで きているという報告をしていただきま す。三年たってそれが確認できたら許 可を更新し、二〇年続くと固定価格買 取制度のもとで収益が確保されます。 昨年の三月三一日にこういう取り扱 いにすると通知を出して、県のご協力 も得て調べたところ、全国で二一県で 四八の取り組みがすでに出ています。 農業との共存する取り組みがどんどん 広がっていくと思っています。 私どもは霞ヶ関にいて机の上だけで こういった取り組み、制度、支援策を 考えているわけではありません。各地

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図⑬ 40


地域のなかの人々がこの地域を大事に しようとする認識を生み出して、また 全国どの地域も大事にしていこうとい う考え方へとつながっていくのではな いかと私は思っています。 再生可能エネルギーと農林漁業の両 者が調和した取り組みが、そのような ことの起爆剤となるよう願って、私ど もは農山漁村における再生可能エネル ギーによる発電を推進していく考えで す。この会場にお集まりになっている 皆様のご協力と、ご助言を今後も賜り ながら、皆様とともに進めさせていた だければと思っています。

司会 信夫様、どうもありがとうござ いました。 次に、東京大学国際高等研究所サス テイナビリティ学連携研究機構教授の 福士謙介より、「自然資本の利活用シス テム設計」と題して講演させていただ きます。よろしくお願いいたします。

■基調講演3

自然資本の利活用システム設計

ふくし けんすけ

福士謙介

は、その概要説明を通して、地域のサ ステイナビリティに関する取り組みに ついてエネルギーと農業を中心に考え るということです。 COISTREAM事業は、企業と 大学が連携してイノベーションを創出 する拠点を日本中につくっていくプロ ジェクトで、二〇一三(平成二五)年に 公募が行われ、総申請数一九〇件のな かから二六拠点がトライアル拠点とし て採択されました(図①) 。私たちのス マートエコアイランド研究拠点がその

東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)教授

今日は、再生可能エネルギーの利活 用、もしくはそれを超えた自然資本の 利活用を通して、これからの地域のあ り方に関してのご提案をさせていただ きます。 文部科学省の事業として、センタ ー・オブ・イノベーション(COIS TREAM)という大きなプロジェク トがあります。そのなかに、東京大学 と昭和シェル石油との共同プロジェク トとして「スマートエコアイランド研 究拠点」があります。本日の発表内容

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で実際に行われていることをみつつ、 いろいろと考えています。一例だけご 紹介させていただきます。 高知県の檮原町では、一九九九年一 二月に風車を建てました(図⑭) 。町は この売電収益を環境基金として積み立 てました。私も檮原町に行ってみてき ました。ここは林野率が九一パーセン トで、森で食べているような町です。 売電収益を活用して、ともすれば滞り がちな森林の間伐の交付金に充てまし た。それが一段落した後は、ペレット 用に搬出する費用に充てられています。 再生可能エネルギーによって出てくる お金で、町の資源を活かしている取り 組みです。いわば、風で森づくりを行 っているのです。

多様性を確保するために 最後に簡単にまとめさせていただき ます。

世の中はグローバル化が進んでいま す。 TPPがこれからどうなろうとも、 グローバル化の動きは進行していくで しょう。そのようななかで農山漁村の あり方がいま問われています。 グローバル化は、経済の観点からす ると、ある場所で生産された一つの商 品が全世界で勝ってしまうような怖さ があります。あるいは世界の経済のル ールがある国のルールによって席巻さ れてしまうような面もあります。その 一方で、技術、金融、情報などが国境 を越えて広がっていくことは、民主化 という言葉を使って言い表してもいい と思える面があります。政治の面での グローバル化は、民主制が世界各国で 受け入れられていく動きであるともい えるでしょう。民主制を成り立たせる 極めて重要な要素は、多様性をいかに 確保するかということです。 多様性ということで申し上げると、 どの地域のどの農山漁村も多様です。

なぜかといいますと、その地域にしか ない資源があって、その地域にしかい ない人がいるからです。多様性の確保 とは、その価値を認めること、認めさ せることです。ここにしかない価値、 オンリーワンの価値を作り出すことが、 グローバルな世界で生きていく上で非 常に大事です。それと、自分のところ の価値も大事にしてほしいし、他所の ところの価値も大事にしたいというの が多様性の確保で非常に大事ではない かと思います。 農林漁業と再生可能エネルギーの組 み合わせはまさに多種多様で、組み合 わせの数は無限にあります。地域にお いてこのような組み合わせを、まさに グローバル化の一つの側面であるいろ いろな技術を使って、あるいは情報を 得て、そして金融のさまざまな手法も 活用して進めていくことで、農山漁村 に他にない唯一無二の価値を生み出し ていくことができます。そのことが、

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性は、私たちが体験した福島の事故で 明らになりました。また、化石燃料に 依存することには地球環境の観点から 問題があります。第二に食料です。わ が国にとって大変深刻な問題です。先 ほどの発表にありましたように、日本

は輸入に依存して自給率が低下してい ます。一次産業である農林水産業の基 盤が必ずしも強くないという問題も顕 在化しています。第三に人材です。都 市部への人材の流出はいまに始まった わけでありませんが、都市に人口が集 中し、人材が偏在してきています。少 子高齢化による人口全体の減少もすで に明らかになっている状況です。 社会のサステイナビリティを考える ときに一つ大切なポイントとして、そ の社会のもつ資本があります。社会の 資本とは何でしょうか。最近発表され た包括的富という指標を使って説明し ます(図⑤) 。包括的富は、私たちIR 3Sのアドバイザーになっていただい ているダスグプタ教授によって提案さ れました。 社会の資本には、自然資本、生産・ 人工資本、 人的資本の三つがあります。 これらを合わせたのが包括的富です。 サステイナブルな社会を構成するには、 図⑤

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サステイナビリティの課題と島嶼 日本のサステイナビリティを脅かす 課題がいくつかあります(図④) 。 第一にエネルギーです。エネルギー を大きく原子力に依存することの脆弱 図④


図①

一つで、 図②がそのホームページです。 スマートエコアイランド研究拠点の 活動は、昨年一一月に読売新聞の新潟 県版で取り上げられました (図③) 。「佐 渡『エコな島』研究」という見出しで

図②

紹介していただき、現地で大きな反響 がありました。いいプロジェクトにし なければならないと、身が引き締まる 思いでいるところです。

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図③


オマス熱の合計値が、地域のエネルギ ー需要を超えているところを選んで、 上位一〇位までを抜き書きしました。 長野県、大分県など各県にあって、こ れら全てが人口のそれほど多くない地 域です。このようなところにエネルギ 図⑦

図⑧

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包括的富の維持、もしくは向上が必要 です。わが国は、生産・人工資本に関 しては高度経済成長のなかで積み上げ てきたものがあります。他方、自然資 本、人的資本については、適切ではな い管理によって衰えてきているところ

図⑥ がありますし、人口は減少しつつあり ます。自然資本と人的資本を向上させ ることが、サステイナビリティにつな がっていくと考えます。自然資本と人 的資本の向上は、とりもなおさず自然 共生社会を実現することで具現化でき ます。そして、自然共生社会を実現す るには、自然資本の利活用システムの 開発が必要だと考えられています。 ここで日本の島嶼に目を向けてみま す。 衰退していない島嶼もありますが、 多くの島嶼が衰退という問題を抱えて います(図⑥) 。島嶼はエネルギーと食 料を外部からの調達に依存しています。 日本全体も同じです。島嶼では、人材 の流出に歯止めが利かない状況になっ ています。すでに問題が明らかになっ ている資源枯渇、農林水産業の衰退、 人口減少・超高齢化などと相まって島 嶼の衰退が進んでいます。 そのような現状に対して、資源を究 極的に効率利用することによって、島

嶼のサステイナビリティを達成するこ とにチャレンジしたいと私たちは考え ています。

島嶼のもつポテンシャルを 活かすには

島嶼のおかれた非常に難しい状況を クローズアップして述べました。しか し、日本の島嶼はそれほど捨てたもの ではなくて、エネルギー・食料・人材 は、実はある程度のところはあるとい うのが私たちの考えです。ポテンシャ ルはあるのです (図⑦) 。 それを磨いて、 活かす仕組みをつくって、社会に実装 する社会イノベーションへともってい きたいと考えています。 たとえば、実際にエネルギーを自給 できている農村があります(図⑧) 。こ れは「永続地帯二〇一三年度報告書」 からの引用で、太陽光、太陽熱、風力、 地熱、小水力、バイオマス発電、バイ

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課題があります(図⑪) 。エネルギー・ 食料・人材に関して、そのポテンシャ ルを磨いて、活かすシステムの再構築 が第一の課題です。実は住民がそのポ テンシャルに気付いていないという問 題もあります。本当は自分たちが豊か 図⑪

な社会に生きているのだということに 住民が気付いていないのです。ポテン シャルの見える化が第二の課題です。 それにはいろいろなものを数値化した り画像にしたりして、住民にわかるよ うにする工夫が必要です。逆に、深刻

な状況にあるということにも住民が気 付いていない場合もあります。問題や ポテンシャルをみえるようにしてコミ ュニケーションを取っていくことが大 切です。 課題の解決に向けた道筋を考えます

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図⑫


ー生産のポテンシャルがあるというこ とです。 食料に関してもポテンシャルがあり ます。図⑨は石川県のある地区での調

査です。米や野菜、肉類などをどれぐ らい自家生産しているのか、もしくは 近所内で融通し合っているのか、そし て購入しているのか、それらの割合が どれくらいであるのかを農家を中心に ヒヤリングしました。野菜や米、漬け

図⑨

物などは半分以上自家ないしはいただ きものです。一方で、肉類はほぼ一〇 〇パーセント、卵・乳製品も一〇〇パ ーセントが購入品です。食料も、地域 のなかでかなりのところまでは自活で きる可能性があると考えられます。 大事なのは、ポテンシャルをどのよ うにして引き出していくかです。地域 にあるエネルギーも食料も、小規模・ 分散・多種目で、非効率で市場経済に 乗らないという実態があります (図⑩) 。 それをどのようにして効率よく循環さ せるシステムを実装させるかがキーで す。また人材に関しては、若年層を中 心とした人口の定着・移入がないとい う問題があります。若年層の定着・移 入を推進することは当然ではあります けれど、第一に考えるべきは、いまい る住民を活用して、健康で楽しく暮ら せる社会を提供していくことであると 思います。 ポテンシャルを引き出す上で二つの

図⑩

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のように使っていくのか、循環させて いくのかを考えます(図⑭) 。電気に関 して、本州との連携はなく、独立のグ リッドになっています。つまり、この 島だけで完結するという厳しい状況で、 現在はディーゼル発電機で発電してい て、大変コストが高くなっています。 再生可能エネルギーは、現在は若干の 水力がある程度で、化石エネルギーが ほぼ一〇〇パーセントです。これから は、自然エネルギーを徹底活用し、省 エネルギーを推進することで、最終的 にはエネルギーの自立を目指していき たいと考えています。 自然エネルギーとしては、太陽光、 風力、波力、バイオマスなどさまざま ありますが、佐渡島では、風力はトキ との関係で使いにくいので、私たちは 太陽光を中心に自然エネルギーの利活 用を進めていきたいと考えています。 太陽光のあらゆるポテンシャルを検 討し、とくに農業との連携による相乗 図⑭

効果を期待しています。佐渡は非常に 農業人口が多く、四五パーセントが農 業に関わっていて、そのほとんどが兼 業農家です。農家の方々にエネルギー の生産者になっていただくことで、エ ネルギーの持続性もさることながら、 農家の生活基盤の安定も目指したいと 考えています。巨大なメガソーラーを 設置するというよりは、小さなものを 分散型で付けて、そのエネルギーを地 域で有効利活用していくかたちを最終 的には目指したいと思っています。オ フグリッドでどのように自然エネルギ ーを活用していくのかというのが一つ の課題です。生産された電気は、自然 と共生する農業や環境浄化などさまざ まなものに利用されていくことが期待 されています。 また、省エネルギーを推進します。 佐渡は古い家屋も多く、産業もある程 度古いものが多いので、スマートメー ターによる見える化などを導入するこ

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(図⑫) 。エネルギー・食料・人材のポ テンシャルを磨き活かすシステムを再 構築するには、ICT( Information )を and Communication Technology 活用した地域資源の効率的循環システ ムをつくることを考えています。ポテ

具体的に佐渡島に目を向けていきま す(図⑬) 。 佐渡島は昔は都の文化人・政治家の 流刑地とされ、そうした人たちがくる

佐渡島のエネルギー事情

ンシャルの見える化には、ツーリズム と健康を指標として、どれほどいいも のがあるのかということを示していき ます。外の人間との交流を通して、自 分たちがどれぐらい健康的な生活をし ているかをみせることで、自分たちの 暮らしの豊かさが再認識できると思い ます。 エネルギー・食料・人材の地域循環 システムの効率を究極まで高めること によって、非常に堅固な生活基盤をつ くり、そのシステムを支援するツーリ ズム、もしくは健康増進プログラムな どを活用して、最終的にスマートエコ アイランドが実現されます。

図⑬

ことで、この島に文化が定着した歴史 があります。代表的な人として世阿弥 がいました。世阿弥が島にきたことか ら、江戸時代には二〇〇もの能舞台が 存在し、現在も最も多くの能舞台をも つ自治体となっています。 佐渡には佐渡金山がありました。江 戸時代は佐渡は幕府直轄の地とされ、 当時の世界最大級の金山でした。金山 自体はだいぶ前に閉山されましたが、 現在も観光地として大変有名です。 また、日本ジオパークに認定され、 さらに世界農業遺産(GIAHS)の 日本における認定第一号です。世界遺 産の登録も目指しています。 佐渡島は沖縄に次ぐ大きい島嶼で、 人口は六万人です。毎年一〇〇〇人ず つ減少していて、一〇年後には五万人 になります。単純計算では五〇年後に ほとんどいなくなるという大変な深刻 な状況にあります。 このような佐渡島でエネルギーをど

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林の下に生えて日陰に育ちます。日陰 を好む農作物はなかなか捨てたもので はなく、ジャガイモの単価と比べると 大変高いものがたくさんあります。 では、佐渡における太陽エネルギー のポテンシャルはどれくらいあるかと

もあります。コハーベストによる土地 の仮想的二重使用を進めていくことで、 太陽光エネルギーは大変にいいかたち で自然と調和するエネルギー源として 活用できるのではないかと思っていま す。 昭和シェル石油で生産している太陽 光パネルは黒くて、それを棚田に置い てみたのが図⑰のイメージ写真です。 私はこれをネオ里山景観と呼んでいま す。これが景観としていいのか悪いの か私は判断いたしません。自然と調和 したエネルギー生産が行われているこ のような景観、新しいものと古いもの が融合した景観は、新たなツーリズム の対象になるのではないかと思ってい ます。

佐渡島の食糧事情

次に佐渡の食料生産の現状です(図 ⑱) 。

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図⑱

いいますと、日射量は東京都と宮崎の 中間ぐらいです(図⑰) 。佐渡は海の影 響で新潟よりも冬期は温暖で、夏期は 気温が低く、割と多くの日射量があり ます。農地・山間地・民間住宅・公共 住宅など太陽光パネルを置けるところ 図⑰


とで、大きな省エネ効果が期待され、 電力使用量を半分ぐらいにまで落とし ていけると考えています。鍵となるの は、産業や民生の間で電気を融通し、 あるいはICTを活用してダイナミッ クに連携していくことだと考えていま

す。 一例として、先ほど武内先生から説 明があったコハーベストがあります (図⑮) 。 架台の上に置いた太陽光パネ ルの下にいろいろなものを植えます。 植えないという選択肢もあります。耕

図⑮

作放棄地に太陽光パネルを設置すると、 その下に草が生えにくくなるので、耕 作放棄地の管理コストが節約できると いうこともあります。耕作放棄地では 一平米あたり一〇〇円前後の草刈りの コストがかかっています。そのコスト がなくなるのは、農家にとって、とく にお年寄りの農家にとってはありがた いことです。 太陽光パネルを置いて売電し、もし くはオフグリッドで利用し、そのパネ ルの下で育てた作物を販売するのがコ ハーベストです。発電による収入、も しくは発電することで自分たちが買う エネルギーを節電できるという効果に、 作物による収入をプラスすることで、 農家の安定経営と持続性が担保できる というシナリオを考えています。日陰 で育つ作物にどのようなものがあるか 調べてみますと、割と価格の高いもの が多いので私は驚きました(図⑯) 。ベ リー類が多いです。ベリーはもともと

図⑯

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ようなシステムは温室での生産ではポ ピュラーになってきていますが、佐渡 は温室は多くなく、露地栽培がほとん どなので、露地栽培を中心としたIC Tはわが国では珍しいものになるとい えます。 ICTによる流れの一例を示します (図⑳) 。農家には、今日できたものだ けでなく、 今後数日以内にできるもの、 もしくは来週ぐらいにできるものの情 報を入れていただきます。反対に、消 費する側には、今日食べたいもの、こ れから必要になるものの情報を入れて もらいます。それによって品物の流れ ができてきます。 居酒屋、 レストラン、 料亭などから注文を出してもらうこと で、 農家がそれに応じて生産しますし、 お店ではその時その場でしか食べられ ない料理を提供できるようになります。 東京では味わうことができない、旬の そのときにこの地域に行かなければ味 わうことができない料理が食べられる 図㉑

ということになれば、ツーリズムにも 大いに貢献していくと思います。 この図にカニの写真が出ています。 市場では引き受けてもらえない大変小 型のカニです。あるおばちゃんがこの カニをとって、普通なら捨ててしまっ たりするところを、おばちゃんがたま たま島にあるフレンチレストランのシ ェフと知り合いだったことから、その レストランに引き取られて、立派な料 理として提供されました。このような 出会いを偶然ではなしにICTでつく って、資源が活用されるチャンスを広 げていきたいと思っています。 このシステムには、将来的には安全 性の情報や生産者の情報などを付加し て提供していきます。このシステムは 佐渡にいなくても遠くからでもみるこ とができます。ICTが活用されてい る実態を知ることで、佐渡にいって農 業をやってみようかという気になる人 も出てくるのではないかと期待してい

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皆さまは佐渡のお米を食べたことが あるでしょうか。価格帯としては魚沼 産コシヒカリの次のランクに位置され ている特A米の大変おいしいお米です。 そのお米をつくっている農家がほぼ九 割で、その他の農家はわずかです。青

図⑲ 果市場での野菜の流通をみますと、佐 渡産のものはそれほど流通していませ ん。米作農家が中心で、野菜の流通が みえないというのが佐渡の農業の特徴 です。実際には野菜は自家消費が多く あって、各農家で野菜を融通し合って

いるのかもしれません。あるいは青果 市場を通さずに口コミもしくは電話な どをベースに流通しているのかもしれ ません。あるいは破棄されているもの も多いと聞いています。 各農家で少量多品目で生産している ものの情報と、それらの移動をICT でコントロールしてやることで、この 地域における農作物の流れを効率化し て無駄を少なくできると考えています (図⑲) 。 佐渡は生産地域が小さく、一つのも のを大量に生産するのはどちらかとい うと苦手です。市場に出したり、スー パーに販売したりするには、ロットと いってある程度のまとまった量が必要 です。最近では道の駅やJAの販売所 などでは少量でも受け入れていますが、 ICTを活用することで、生産者だけ ではなくて消費者もシステムの上に乗 って、効率的に回してやることができ るのではないかと考えています。この

図⑳

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図㉔

業が農業です。露地栽培だけですと冬 期はやることがなくなってしまいます が、 施設園芸などを補うことで一年中、 就労の機会を生み出すことが可能です。 島内の人々や外部の人々の交流をエ コツーリズムの実施によって促します (図㉓) 。島にきていただいて、島で暮 らす人々の生活や豊かさを実感しても らいます。住民には交流を通して、島 内の高品質な暮らしを再認識してもら います。島の暮らしのもつポテンシャ ルの見える化です。島民が気付くこと で、さらに高品質な暮らしを追究する 意欲が生じます。そして、最終的には 外部の人々が内部の人々に変わってい きます。地域産業の疑似体験から始ま って本格的な担い手になっていくので す。ICT化された見える化は、遠く にいてもみることができますから、島 内に人々を呼び込むきっかけづくりに 大きな役割を果たすでしょう。 健康は人々の暮らしの基本です(図

㉔) 。 高齢者はとくに健康へのデマンド が高いものです。ここでご紹介したよ うな私たちが考えているシステムを支 障なく運営していくには、健康のマネ ジメントが不可欠です。農業の従事者 は多様な労働形態が可能で生涯働くこ とができます。農業をすれば必ずはコ ミュニティと関わりますから、精神的 健康も含めて健康の増進効果が高い産 業ではないかと思います。人が体をど のように動かしているのか、健康の状 態を日々モニターして、見える化する ようなICT健康マネジメントシステ ムを入れていきたいと考えています。 腕時計のようなウェラブルセンサーを 活用し、あるいは、低コストの健康診 断で健康データを解析します。佐渡の 行政がもっている健康指導なども組み 合わせて、ICTシステムを通じて、 生活習慣病等の改善が見込まれるとい うことも考えられます。 高齢者ばかりでなくて、生活習慣病

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ます。農業ベンチャーの新規参入を促 すプラットフォームを提供できる可能 性があるということです。 このようなシステムは私たちがゼロ から考えたのではなく、佐渡の甲斐市 長がすでにやっておられたものがあり

図㉒ ます(図㉑) 。四種目、一四戸による庭 先集荷事業です。卸している先は給食 センター・保育所・ホテルなどです。 このようなことを、より多品目、より 広域的で進めていきます。島全体でと いうことになりますと、輸送の問題が

最後は人材とツーリズムです。 食料やエネルギーのシステムを支え るにはマンパワー、ヒューマンリソー スが必要です。佐渡は高齢者が多く、 高齢化率は三五パーセントです。高齢 者も大切な人的資源です。ただ、若年 者と同じように働けるわけではないの で、高齢者の人的資源を効率的に循環 させることを考えなければなりません。 ICTで管理して、一日に必要な労働 力、一週間に必要な労働力、もしくは 一時間だけ必要な労働力がどのように 提供されるかといったことを管理しま す (図㉒) 。 農業には定年がありません。 農業には非常に簡単な労働から重労働 までいろいろな労働があります。多様 な人々を受け入れる懐が非常に深い産

佐渡島の人材事情

新たに出てくるので、最適な地域を定 めてつくっていきたいと思っています。

図㉓

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ば、ビジネスチャンスはより推進され といっておられます。 データを見える化し、情報を付加す ることによってチャンスが次々と生み 出されていきます。佐渡島には独特の 景観がもともともっているポテンシャ ルがあって、科学的な安全の観点から もより付加価値を生み出していける可 能性があります。農業ベンチャーが 次々に生み出されていくとも期待され ます。ここで農業ベンチャーといって いるのは、何億円も稼ぐようなメージ ではありません。いろいろなアイディ アが小規模で実現して、家族ぐらいを 十分に食べさせることができるといっ たようなイメージです。堅固なマネジ メントシステムによって、次々と農業 ベンチャーが起こっていって成功して いくことで、 次には漁業ベンチャーが、 もしくは六次産業のベンチャーが続い て、さまざまなベンチャーが生み出さ れると思います。そうした上向きのス

パイラルが生み出される状況になるこ とで、スマートエコアイランドが実現 して、最終的にはこの地域がサステイ ナブルになります。 今日は佐渡島のプロジェクトについ てお話しましたが、これは何も佐渡だ けのためのプロジェクトではありませ ん。このモデルはいろいろなところに 適用が可能です。島嶼にはいろいろな ところがあります。必ずしもすべての 島に適応できるわけではないと思って います。このシステムはたぶん八丈島 では実現ができないのかもしれません。 佐渡島を選んだ理由は、本土と状況 があまり変わらない、島民もある程度 多くいて、経済状況も特殊な状況には なっていない、非常に一般的なところ だからです。島嶼であることによって 島と本土の間の輸送費は一キロ五〇円 ぐらいかかります。島嶼とって輸送コ ストは厳しい条件です。それを克服し て佐渡モデルをここで実現できれば、

日本のやはり特殊ではない地方に拡張 することができるのではないかと考え ています。

司会 福士教授、ありがとうございま した。それではここで休憩を取らせて いただきます。次のパネルディスカッ ションは三時四五分から開始させてい ただきます。お時間までにお席にお戻 りくださいますようお願いいたします。 アンケートのご協力をお願いいたし ます。お手元のファイルにアンケート 用紙がございますので、どうぞご協力 のほど、 よろしくお願い申し上げます。

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や精神疾患などさまざまな健康上の問 題を抱えている人はたくさんいます。 今日は丸の内にきていますが、丸の内 のオフィス街で、健康上の理由でなか なかガンガン働けなくてつらい思いを している人もいると思います。そうし た人たちも含めた多様な人たちを受け 入れられる産業というのは実はそんな にはありません。農業には可能性があ ります。内部の資源を徹底的に循環さ せることで、生活費は低く抑えられる と予測していますから、健康状態に合 わせて好きなだけ働くようなこともで きます。 自分たちの健康が守られているとい うことから、このような地域、もしく はこのようなシステムに参加する意欲 がかき立てられるということもあると 思います。つまり、多様な人々を受け 入れる優しいエコアイランドを私たち は推進しようと思っているのです。 図㉕

ベンチャーが 上向きのスパイラルを生み出す

最後にまとめです(図㉕) 。 自然資本の利活用システムを島嶼で 実現します。繰り返し申してきました ように、エネルギー・食料・人材の高 効率循環システム・利用システムをI CTによって具現化して、安価で安定 した上質な生活基盤を提供します。東 京の生活は安定して上質かもしれませ んが、安価ではありません。満員電車 を考えると上質というのも疑問です。 さまざまな流通データの見える化によ ってビジネスチャンスを提供します。 島は鎖された世界ではありません。島 で生涯を送りたいという思いのある都 会の人、もしくはさまざまな事情で島 に住みたいような人たちを受け入れら れるようなビジネスチャンスが島にあ るべきです。小宮山宏先生は、法人税 を一〇年無税にするような基盤があれ

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亀田郷土地改良区の実践 高橋 新潟県の亀田郷土地改良区と いう農業団体の事務局長をしています。 私どもでは昨年から太陽光発電の建設 にとりかかり、来週の三月一八日に竣 工式を迎えることになっています。こ の間IR3Sの皆さん方からいろいろ とご指導をいただきました。この場を 借りて御礼を申し上げます。 土地改良区というのは、東京ではあ まりなじみのない言葉かと思いますの で、 少し説明をさせていただきます (図 ①) 。 土地改良法に基づいて農家がつく っている団体が土地改良区です。簡単 にいうとお米をつくる田んぼを整備し て、河川から水を取水する揚水機、水 を田んぼに送る水路、そして田んぼで 使われた水を排水する施設の管理など を行っています。土地改良事業は公共 事業で行うことも多く、土地改良区は 非常に公共性の高い団体です。その経

費は、組合員が割り勘で負担すること になっていて、賦課金の徴収権限につ いて税金を集めるのと同じぐらいの強 制力をもっています。 亀田郷には昭和五〇年代に司馬遼太 郎さんが『街道をゆく』というシリー

図①

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[

]

[

] よしてる)

■パネルディスカッション モデレーター

武内和彦 パネリスト

信夫隆生 に加えて

高橋善輝 (たかはし やすひろ)

亀田郷土地改良区事務局長

大野泰裕 (おおの えり)

農業生産法人株式会社大野ファーム代表取締役

大津愛梨 (おおつ かつみ)

NPO法人九州バイオマスフォーラム 副理事長

櫛屋勝巳 (くしや

昭和シェル石油株式会社エネルギーソリューショ ン事業本部担当副部長/ソーラーフロンティア 株式会社執行役員/東京大学国際高等研究所 サステイナビリティ学連携研究機構客員教授

司会 それではお時間となりました ので、パネルディスカッションを始め させていただきます。なおまことに恐 縮ではございますが、時間の制約がご ざいますため、会場の皆様からご質問 を頂戴することがかないません。ご了 承のほどお願い申し上げます。 ここからはパネルディスカッション のモデレーターを務めます武内和彦機 構長に進行をお任せします。武内機構 長、よろしくお願いします。

武内 それではパネルディスカッシ ョンを始めさせていただきます。先ほ どご報告いただいた信夫さんのほかに 四名のパネリストの方がここにおられ ます。最初に、高橋さん、大野さん、 そして大津さんに順次プレゼンをして いただいてから、全体の討論に移って いきたいと思います。では、高橋さん からよろしくお願いいたします。

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います。 少し前の話になりますが、平成の初 めごろ、まだ再生可能エネルギーとい う言葉のなかったころに、亀田郷土地 改良区は減反反対を訴え、減反した農 地を有効に使えないかということを考

えていました(図④) 。米の多収穫米と か砂糖蜀黍を生産し、それをアルコー ルに転換し、エネルギーを生み出すこ とで減反が解消できるのではないかと 国に提案をしたことがあります。その 後も農村から出る稲わらやごみのリサ

イクルもいろいろと研究して提案しま した。最終的には、稲わらなどを大量 に運ぶと経済コスト的にペイしないと いったことがあり、またエネルギー的 にも得るために使ってしまう分も相当 に多いということで断念した経緯があ ります。 二〇一〇年一一月に、東京大学の皆 さんから、新潟の農村地帯で持続可能 社会を構築できないかというお話があ りました(図⑤) 。私どもの管内には相 当な用水路・排水路がありまして、大 小合わせて延長にすると一三〇〇キロ になります。 その法面を活用できないかと考えま した。法面にはかつては雑草対策とし て除草剤を散布したりしていましたが、 二〇〇六年からは草刈りを行っていて、 手間と経費が結構かかっていました。 法面が有効活用できるのなら一石二鳥 にも三鳥にもなるということで、一緒 に研究していきましょうということに 図④

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ズの取材でこられました。そのときに 古い映画をみていただき、「食を得ると いうただ一つの目的のためにこれほど 激しく肉体をいじめる作業というのは、 さらにそれを生涯くりかえすという生 産は、 世界でも類がないのではないか」

図② と表現されました(図②) 。土地改良事 業が入る前は、腰とか胸にまで水に浸 かって田んぼをつくっていました。 昭和三〇年代半ばに土地改良事業が 一応完了していまのかたちになり、生 産性が非常に上がって、収量は二倍に

なったといわれています。労働時間は 六分の一とか七分の一になりました。 亀田郷は、西側は信濃川、東側は阿 賀野川に囲まれています(図③) 。新潟 駅の南側約一万一〇〇〇ヘクタールが 私どもの地区です。当初は八〇〇〇ヘ クタールほど農地がありました。昭和 四〇年代の高度成長期から転用され、 半分ぐらいが宅地になって、現在の農 地は四三〇〇ヘクタールほどです。そ のほとんどが田んぼです。都市化が進 んでおり、 組合員は四七〇〇名ですが、 実際に田んぼをつくっているのは一五 〇〇名ほどです。三二〇〇名ほどは土 地持ち非農家といわれる方々です。 地域の三分の二が海抜〇メートル以 下で、地図上の赤い線が用水路、赤い 丸が揚水機場、 青い丸が排水機場です。 河川から取水するにも、その水を排水 するのにもポンプを使うということで、 非常に経費がかかる地域です。お米は 大変おいしいコシヒカリが生産されて

図③

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なりました。 図⑥は二〇一一年八月に稼働した実 験施設です。大きな排水路の南向きの 法面を活用して太陽光パネルを置きま した。規模は四キロワット程度で、雑 草対策も一緒に考えて、パネルの高さ

テナンスの手間が全くかからなくて、 多少鳥の糞が付いても雨で流されて、 パネルを拭くことはなくてすみました。 事故は一年間全くありませんでした。 それで本格的に検討を進めましょうと いうことになりました。 図⑦はまだ実験施設ですが、亀田郷 発電事業の目的の一つは、地球温暖化 防止と持続可能な社会構築です。土地 改良区にはあまり関係ないのではない かということもいわれましたが、土地 改良区は非常に公共性が強い団体で、 事業を進めるにあたって補助金として 税金も使わせていただいていますから、 当然何らかの社会的な貢献をしていか なければならないということがありま す。それと、新潟市の農山漁村活性化 計画というのがあって、農山漁村活性 化プロジェクト交付金による事業の趣 旨が、交流人口を増やして農村を活性 化することも目的の一つです。もう一 つ、発電した電力を売電して、維持管 図⑧

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を変えたり、またダミーのパネルを置 いて実験したりしました。発電量は関 東と比べると少し落ちますが、期待さ れた量は確保できることや、パネルを 少し高くして角度をつけることで雪が 滑り落ちることもわかりました。メン 図⑦


図⑤

図⑥ 64


の細長いところに設置するのには非常 にコストがかかり、電力を送電するに も効率が悪いのです。当初は高圧出力 区分で送電するつもりだったのですが、 一カ所五〇キロワット以下の低圧区分 にして、七カ所から出すことで建設コ

ストを抑え、電気的な効率も上げてい こうとしています。それとここは排水 路ですから、大雨のときには結構水位 が上がります。そのときも水没しない ようにということで、国土交通省から のデータなどをいただいて、太陽光パ

ネルの下端の高さを決めました。 松山地区では土地が六〇〇〇平米ほ どあります(図⑪) 。そのなかの五二〇 〇平方メートルを使います。ここで特 徴的なのはパネルの角度を一五度にし たことです。一般的には三〇度が効率 的に一番いいといわれています。実証 試験の結果、冬場は夏場に比べて日照 時間が五分の一ぐらいしかありません から、冬場の太陽の角度が低いときに はある程度あきらめて、敷地にできる だけたくさんのパネルを敷き詰めるこ とを考えると、角度が一五度ならパネ ルとパネルの間の通路的なものが幅約 二メートルぐらいです。三〇度にする と五メートルぐらい必要です。 最後に、まとめして事業効果と課題 です(図⑫) 。 私ども土地改良区では電気料金が六 〇〇〇万から七〇〇〇万円ほどかかっ ています。昨年の九月から電気料金の 値上げがあって、一五〇〇万円ほど増 図⑪

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理費に充当できるのも非常に大きいで す。 先ほどから述べておりますように、 パネルを貼ることで、排水路の法面の 維持管理の軽減等もあります。 私どもの主要な機場で使っている電 力量の推移をみますと(図⑧) 、機場の

図⑨ 数はあまり変わっていないのに、電気 使用量が目立って上がっています。モ ーターの出力が上がってきていて、便 利さを追究して電気をたくさん使うよ うになってきたということです。 太陽光パネルを設置する場所は図⑨

に赤で示してあります。上の方の小松 堀排水路では排水路の法面を使います。 それともう一つ松山地区では資材置き 場にしていた土地に設置します。 小松堀(図⑩)では、実験のときは あまりわからなかったのですが、水路

図⑩

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います。 大野キャトルサービスは、大野ファ ームに素牛を販売する会社です (図②) 。 素牛というのは、肉牛として肥育する 前の子牛です。大野キャトルサービス は、生まれて二週間ぐらいの子牛を酪

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は、畑作経営としては、小麦、大豆、 小豆、飼料作物をつくっています(図 ①) 。 それと、 肉牛の肥育をしています。 さらに昨年から始めました発電事業と、 六次化事業ということで食品加工、簡 単なカフェとレストランの経営もして

図②

大野ファームが目指す 農場のブランド化 大野 私は北海道は十勝地方、帯広市 の隣町、芽室町からきました。今日は 私どもが普段からやっていることと、 昨年から始めた太陽光発電、再生エネ ルギー、そしてこれからの取り組みに ついて簡単ではありますがお話させて いただきます。 私は株式会社大野ファームと株式会 社大野キャトルサービスという二つの 会社を経営しています。大野ファーム

図①


えそうです。そういう経費をいくらか でも太陽光パネルによって補いたいと いうことがあります。それと、土地改 良区としての社会的役割を果たしたい ということがあります。単に農業だけ の土地改良区ではなくて、やはり社会

図⑫ 的な役割を果たしていくことや地域の 皆さんと一緒にこのような取り組みを していく仕組みをつくりたいと思って います。 課題を二点挙げました。固定買取価 格、電気料金などの動向がどのように なっていくのを見極めながらエネルギ ー政策に対応していく必要があります。 それと、今後の普及です。われわれの 土地改良施設のもつ機能、たとえば自 然環境の保全とか治水における役割と いったものの位置付けを明確して、施 設の活用の仕方を考えていただけると より普及が進んでいくのではないかと 思っています。

武内 どうもありがとうございまし た。 亀田郷は、土地改良区としては全国 的にその名が知られています。いまお 話がありましたように、排水のための 努力をずっと続けてこられてきました

が、その排水路の法面にソーラーパネ ルを貼ることで、高額な維持管理費を 補えるということが出てきたわけです。 それが再生可能エネルギー導入の一つ の大きなポイントだったと思います。 それでは引き続きまして、北海道か らこられた大野さんにお話を伺いたい と思います。

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〇年、一五年とたちますと、非常に健 康な土になって、堆肥と若干のカルシ ウム、微量なミネラルを入れると健康 な作物ができる状況になりました。本 当に健康な土は、余計な化学肥料を入 れなくても十分に作物が育つのです。 図⑤

健康な牛づくりでは、基本的に飼料 は草や麦わらで、輸入物は使わずに、 全て地域内で用意しています(図⑥) 。 四〇〇〇頭の牛の飼料を用意するのは 大変なことですが、私の考えに賛同し てくださっている地元の二〇軒の農家

に堆肥をもっていってもらって、その 農家から麦わらを買っています。約三 〇〇ヘクタールで麦わらを育てていま す。堆肥は約六〇〇ヘクタールほどの 農地に還元して、地域全体で私が目指 している循環型農業を実践していると ころです。 飼料は基本的に十勝産でということ で、穀物もかなり使っていて、麦や大 豆のクズ、ビートパルプ等も利用させ てもらっていますし、米ぬかも餌に使 っています。ただそれだけではどうし ても足りないものについては、飼料メ ーカーと契約して非遺伝子組換え飼料 を用意してもらっています。非遺伝子 組換え飼料がいいか悪いかは意見がい ろいろあるかとは思いますが、うちは 畑作経営もしていて、つくっている大 豆は全部非遺伝子組換えですとうたっ て販売しています。飼料であっても遺 伝子組換え大豆を購入するわけにはき ませんので、配合飼料の購入も非遺伝 図⑥

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農家から買ってきて、それにミルクを 与えて保育をして、七カ月ぐらいまで 育ててから、大野ファームに売り渡し ています。大野ファームと大野キャト ルサービスで約四〇〇〇頭の牛を飼っ ています。

図③ 大野ファームには三つの生産理念が あります(図③) 。健康な人づくり、健 康な土づくり、健康な牛づくりです。 健康な土をつくって、その健康な土か らとれた健康な作物を牛に与えます。 健康な餌を食べた牛を生産することで

健康な食品をつくり、それが健康な人 づくりにつながり、ひいては環境に優 しい地域づくりに貢献していくという 経営をしております。皆さんからする と、農業として当たり前のことをして いると思われるかもしれませんが、四 〇〇〇頭の牛を飼っている牧場を続け るのは、北海道でも大変に難しいこと になっています。 大野ファームでは循環型農業を実践 しています(図④) 。牛から出てきた堆 肥を畑に還元し、その畑でとれる作物 を牛に与えて、その牛から出てくる堆 肥を畑に還元しています。 健康な土づくりのために土壌分析を し、科学に基づいた土づくりをしてい

ます(図⑤) 。SRU( Soil Research )というグループで実践してい Union る土づくりの考え方で、約二十数年前 から土づくりをしてきました。最初の 五年、一〇年は、土を改良するために いろいろな資材を必要としました。一

図④

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「未来めむろうし」というのが、十 何年前から始めた肉牛のブランドです。 芽室町全体でブランドに取り組んでい て、九州、四国、広島、大阪、名古屋 などの量販店で販売してもらっていま す。味がいいということで評判を得て

いるのですが、先方に卸して販売して もらっていますと、販売先の都合によ っては販売が終わるなどの問題もおき ます。 六次化の認定を受け、自分のところ で食品加工もしようということで、ハ

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ンバーグとカレーの加工を外部委託で 始めました。その後、将来的なことを 考えて、自社で加工施設をもったほう いいということになって、 昨年七月に、 農水省の支援を受けて食品加工をする

を立ち上げ、そし COWCOW Village てカフェレストラン COWCOW をプレオープンしまし Kitchen&Cafe た(図⑨) 。この加工施設は初めはプロ を雇ってプロに運営してもらおうと思 っていました。ところが、中小企業の 経営の勉強会に参加したときに、中小 企業が新たな事業を始めるときには、 必ず社長もしくは経営者が出ていって、 きちんと事業化してから社員に渡しな さいという指導を受けました。 それで、 加工施設はプロではなくて、私と妻が やるということで、少しずつではあり ますが運営を始めました。大野キャト ルサービスを六年前に設立したときに は保育育成経営をするプロを雇ったの ですが、社内がごたごたして結局私が 図⑨


子組換えに限っています。 うちの牛づくりの方針として、牛の 免疫機能を上げて抗生物質の使用を最 小限に抑えようというのがあります。 一般的には飼料のなかにモネンシンと いう成長を促進させる抗生物質を使っ

図⑦ ている農家が多いのですが、うちは一 切使っていません。お客様に抗生物質 に対して不安に感じる方がいらっしゃ るので使わないようにしています。 ここまではこれまでうちがしてきた こととその考え方です。これからどの

図⑧

ようなことをやっていくかということ では、安全で安心な農畜産物を本気で つくって、 「おいしい」とお客様に喜ん いただくという私どもの経営方針に基 づいて、ブランド化を進めていこうと しています(図⑦) 。ファームのブラン ド化ということです。もともと十何年 前から肉牛のブランド化をして、いろ いろな量販店に販売してもらってはい ましたが、それだけではどうしても難 しいところがあって、ファーム全体を ブランド化しようという取り組みを始 めました。 そのなかの一つが六次産業化の取り 組みです(図⑧) 。農水省は農業の六次 産業化をうたっていて、農家が生産だ けでなく流通・加工・販売もすること を推奨しています。大野ファームは二 〇一一年七月に六次産業化の認定を受 けました。それを受けることで、国の 支援をいただきながら六次産業化を進 めていけるようになりました。

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した。 写真からおわかりになるように、 牛舎と牛舎の間にソーラーパネルを建 てました。一般に建てるのよりも架台 を高くし、光がよく当たるように設計 したためにコストが高くなりました。 五〇〇キロの発電をするには億のお金 図⑫

が掛かるということで、うちではちょ っとできないかとかなり悩んでいたと ころ、たまたま農水省からモデル事業 の話がありまして、それに応募してみ たところうちが選ばれて、約五〇〇キ ロの太陽光発電事業を行うことができ ました。 去年の四月から運営して、予定の量 を上回る発電をしてくれています。実 はこの発電事業でうちは非常に助かっ ています。先ほどの六次化事業で、一 般的な起業ですと投資したものを二年 か三年で回収するということになると 思うのですのでが、私と妻がメインで やっていて、いかんせん全くの素人で すから、経済的に成り立つには何年も 時間がかかりそうです。そのような経 営を、このソーラー発電が助けてくれ ているという状況になっています。こ れがないとゆっくりした取り組みはで きなくて大変感謝しているところです。 は食品加工をす COWCOW Village

るだけではなくて、農場のポテンシャ ルを見える化するということでつくり ました(図⑫) 。地域の人たちに料理教 室やサークル活動の場所として開放し ています。うちの農場は道東道芽室イ ンターチェンジから三分のところにあ りますので、十勝の人たちや、農業視 察等の開催場所として利用しやすいと 思います。地域全体で利用してもらえ る、地域の人に喜んでもらえる施設に なればと思っています。 最後に、発電事業の実績を報告しま す。 去年の四月から発電を始めまして、 四月、五月、六月は計画通りよりもや や若干低いぐらいの発電で、ちょっと 不安を感じました。その後も七月、八 月、九月はかなり悪かったです。十勝 の天気が悪かったということもあって、 とくに八月は非常によくなくて不安で した。一〇月、一一月、一二月は天気 はよくなりましたが、日照時間が少な くて、 ほぼ予定通りという状況でした。

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出ていって立ち上げたということがあ りました。 昨年七月にプレオープンということ で始めて、去年の暮れに若い社員を二 人採用しました。現在はハンバーグと ソーセージ、パンとケーキ等をつくっ

図⑩ て、このカフェレストランで試食して もらっています。評判のいいものにつ いてはダイレクトマーケティングとい いますか、直接お客様に売る準備をし ています。 肉牛の肥育をして、年間二〇〇〇頭

昨年四月から COWCOW ソーラー 発電所を運営しています(図⑪) 。三年 前の東日本大震災の後に、牛肉のセシ ウム汚染の問題がおきました。北海道 にも被害が及んで販売に苦戦しました。 それで何とか原発の依存度を下げるこ とがうちでもできないかと考えていま した。発電した電気を買取制度によっ てある程度の価格で買ってくれるとい う話を聞きまして、ソーラー発電を企 画しました。 北電にお伺いしたところ、 約五〇〇キロワットのソーラー発電所 であればできますという回答を受けま

以上の牛を出荷していますと、どうし ても規格から外れる牛が出てきます。 飼い方が同じで肉質も同じであっても、 体重が少ないというだけで価格が半値 以下になることがあります。そのよう な牛をうまく利用して付加価値を付け て販売できればという考えもあって、 加工施設を始めたというのがあります (図⑩) 。

図⑪

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コしていた蒲島知事のいる熊本県、そ して県民が誇りに思っている阿蘇とい う場所で農業をしています。 私は着物が大好きで、このように着 物を着ていて、 「ERIです」って名乗 るものですから、そちらの筋の女性で はないかと思われることが多いようで

す。よくよく考えてみますと、うちは 米農家でして、水田と書きます通り、 れっきとした水商売をやっております。 普段は農作業をしていますので、あ まり人前でしゃべるのは好きではない のですが、今日は、皆さんにお届けし たいホットなニュースがあります。農 村に再生可能なエネルギーを広めるに あたって、本当に大きな出来事が今週 は二つありました。 それがいいたくて、 マイクを握りしめてしゃべりすぎない ようにしなければと思っています。 自己紹介から始めます。 O2Farm と いう屋号で農業をしています(図①) 。 知事のお話から始まって、大きな規模 のお話が続いたところに、何か私一人 だけいる次元が違っていて、超ローカ ルでものすごく小さな話をします。 は法人化もしていない家族 O2Farm 経営の農家です。阿蘇の麓に田んぼが 五ヘクタールあります。五ヘクタール といいますと、中規模のサッカースタ

ジアム一個が一ヘクタールですから、 何となく想像がつくのではないかと思 います。先ほどの北海道の農場は畑が 六五ヘクタールということでしたから、 ずいぶんと違います。ただ、水田の場 合は、日本の平均が一・三ヘクタール ですから、 小規模とまではいかないで、 中規模ぐらいといえるところです。 農業後継者として農業を始めました。 両親からではなく、叔父からの引き継 ぎです。継承すると親子でもなかなか 難しいことがあります。お父さんが息 子に口を出すと、息子が、 「何を!」っ てなったりします。叔父は私たちに気 をつかって、別のことをしています。 叔父はもともとは田んぼと赤牛の飼育 の両方をしていたのですが、一人では 手が回らなくて、赤牛は一回やめてい ました。私たちが就農したことで、水 商売の方は私たちに譲り、叔父は赤牛 の繁殖を再開しています。 お米と赤牛はすごくバランスがよい

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図①


年が明けて、一月、二月になって発電 が右肩上がりになって、とくに二月は 予定の何割増しで発電しています。北 海道十勝は、冬は寒くても雪が降り続 くことがなく、国内でも日照時間が長 い地域です。冬にこれだけ発電するこ とに驚いています。三月も非常に順調 に発電をしてくれていて、一年を通す と全体で予定を上回る発電をしてくれ る見込みです。 次年度以降については、 パネルの劣化等の心配は若干あります が、天気がよくて今年以上に発電する ことを期待しているところです。

武内 ありがとうございました。 もともとからある循環型農業への取 り組み、具体的にいいますと、家畜の 屎尿を有機肥料として農地に還元し、 その農地から生産される麦わら等を家 畜に食べさせることによって、健康な 牛を生産していくという取り組みに合 わせて、農業の六次産業化、つまり加

工・流通といったところで付加価値を 付けていくということをして、さらに その流れの延長線上にソーラーパネル を設置して、エネルギーもクリーンな ものにしていくという事例を紹介して くださいました。その太陽光発電が、 六次産業化の経営を安定化させること に役立っているというお話でした。私 も実際に現場でみさせていただき、大 変面白い取り組みをされていて感銘を 受けました。 それでは引き続きまして、大津さん の方からプレゼンテーションをお願い いたします。

農家がつくる 食べ物、景観、エネルギー

大津 NPO法人九州バイオマスフ ォーラムの副理事長という立場でここ に立っていますが、本業は農業です。 先ほど、くまモンに抜かれてもニコニ

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たらどうなるでしょうか。 私たちはドイツの大学に留学までし て何で農業をするのかとよく聞かれま す。農家がいなかったら景観は守れな いというのを私たちは勉強しましたの で、 私たちに迷いはありませんでした。 後継者という立場であるのなら、いつ

ストレスが少ない。左下の写真は昼間 からビール飲んでいるところです。朝 は早くから仕事をして、昼間の一番暑 いときは仕事にならないので、ちょっ とイタリアなみにシエスタをします。 残業はありません。暗くなったら終わ りです。そして変化に富んでいます。 言葉にすると薄っぺらい感じですが、 豊かだなと思いながら暮らしています。 景観を守っていくということが私た ちのライフワークですけれども、こん な中規模程度の一農家が、阿蘇の雄大 な景観を守るというのはとてもできる ことではありません。阿蘇といえども 農家の高齢化は進んでいまして、身の まわりの三〇世帯の集落をみて、後継 者がいるのはうちだけです。ちなみに ERIと名乗っているのは、三〇世帯 の半分ぐらいが同じ名字だからです。 ファーストネーム文化なのです。 景観は自分たちだけでは守れない、 農家だけでも守っていけないっていう 図⑤

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か農業をやるというのではなくて、早 いうちからにしようということで就農 したのが一一年前です。 百姓生活一二年目にして農業ってい いと思うのは、まず、職場が近いんで すね(図⑤) 。通勤電車はもちろんあり ません。水や空気やご飯がおいしい。 図④


のです(図②) 。先ほどの大野さんのお 話と同じで、藁を牛が食べ、牛が出し た糞尿を堆肥にして田んぼに戻すとい う、循環型農業になります。できたお 米は「おあしす米」というブランドで 全国のご家庭に直接お届けしています。 赤牛については、繁殖農家ということ

図② で、生まれて一〇カ月の子牛を出荷し ています。写真に出ているのは生まれ て三カ月ぐらいです。この倍以上ぐら い大きくなったときに出荷しています。 いまヘルシービーフということで、赤 身のお肉も人気が出ています。これか らの夢としては赤牛のお肉も産直で売

図③

れるようになったらと思っています。 簡単にプロフィールをお話します (図③) 。 左に写っているのが私の主人 です。九州男児でなかなかいい男であ ります。同じ大学で、私が釣り上げま した。私はドイツで生まれで、ただ生 まれただけなのでほとんど覚えていま せん。育ったのは東京で、慶應大学に 進学しました。夫は熊本から慶應大学 にきて、私が垂らしておいた釣り糸に かかってしまいました。卒業した後は 結婚してからミュンヘン工科大学に夫 婦二人で留学しました。そこでランド スケープ、景観の勉強をしました。 農村の風景って本当に美しいです。 阿蘇に限らず、日本の農村はとてもと ても美しいと思います。蒲島知事も景 観のお話をされていましたが、皆さん が農村にきて、 「ああいいな、気持ちが いいな」って思う景観って、八割九割 が農業をしていることで維持されてい るものです(図④) 。農家がいなくなっ

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維持するだけではなくて、さらに価値 を上げて次の世代に渡していくにはど うすればいいのかということが問われ ています。世界農業遺産に認定されて いるのは、先進国では日本だけです。 他の場所は、フィリピン、中国、南米 の国々などで、国が守らなければ本当

る棚田の風景です。ここで、人間が生 きていくためにどうしても必要な食べ 物と、そしてエネルギーも生み出すこ とができます。 私は就農と同時に、農家がエネルギ ーをつくる時代がやってくるという思 いで、 NPO法人を立ち上げました (図 ⑨) 。 当時はバイオマスということがま だ全然知られていませんでしたので、 まずは知っていただくことから始めま した。家畜の糞尿、草、木のチップ、 そして穀物のサイレージ、休ませる農 地でエネルギー用の作物を作ります。 それに薪。これら全部が資源ですよと いう広報・啓発をしました。 お祭りで、 天ぷら油からつくったバイオディーゼ ルで発電してみたり、いろいろなこと をしました。農村にはエネルギー資源 がいっぱいあるのです。 私はドイツの話をあまりしないよう にしています。 ドイツの話をしますと、 環境先進国だからできるのでしょうと 図⑨

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に守れないような棚田であったり、何 千メートルの高地で行われている農業 であったりします。日本の場合は成熟 社会ですので、 国が守るというよりは、 どうやって社会が守っていけるのかが 問われています。 図⑧は日本のいろいろなところにあ 図⑧


危機感、不安がすごくあるなかで、農 業を始めて一〇年目に出会ったのが、 今日何回か話題に出ている世界農業遺 産(GIAHS)でした(図⑥) 。これ を日本にご紹介してくださったのが武 内先生です。 「農村は社会の宝である」 「日本は農業大国ではないが農業文化

図⑥ 大国である」というのが武内先生のお 言葉です。そうだと思います。景観も 含めて、藁を使いこなす文化、農耕祭 事、本当に豊かな文化を農業が生んだ のです。それを社会の宝ととらえ、農 業は社会的に守っていくべきものだと いうのが世界農業遺産の考えです。

たちが、 「 Oh 」みたいな顔をしてみて くださいます。知事と私と、それから 熊本ではイタリア料理のシェフが日本 の阿蘇の食文化の豊かさをアピールし て、そしてみごとに認定していただき ました。 これは何を意味するかといいますと、 伝統的な小規模農家が豊かな景観や生 態系を維持しているということが社会 的に認められたということです (図⑦) 。 規模の大きな農業も当然必要です。で も経済の規模だけで測ってしまっては 失ってしまうものもあるということを、 このことは投げ掛けていると思います。 遺産と呼んでいるものは、大体は過 去にできたものですが、世界農業遺産 は未来志向です。いまあるこの価値を

」み こんな格好をして、 「 I’m a farmer たいに英語で話すと、国連のおじさん

この写真は、国際会議のプレゼンタ ーとしてローマと能登にいったときの ものです。私は語学が得意ですので、

図⑦

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使っています。冬場に合わせて給湯す ると、夏はたくさんの熱が余ってしま いますから、基本的に夏の需要に合わ せて管で村中にお湯を届けます。図で は、行き70℃と書いてありますが、 間違いで正しくは90℃です。冬は気 温がマイナス二〇度ぐらいになり、足

りない熱を木のチップを燃やして補い ます(図⑫) 。チップを燃やしてボイラ ーでお湯をつくり足して、同じパイプ で送るのです。 デンマークのサムソ島というところ では、島一個全部が再生可能エネルギ ーで自給できているだけでなく、コペ ンハーゲンに売っています。一二〇パ ーセントの電気をつくっています。島 なので主な資源は風力です。それと熱 源としてススキが使われています(図 ⑬) 。 ススキといえば、阿蘇にはススキが あります。阿蘇は、日本一の面積の草 原をもっていることが理由で世界農業 遺産に登録され(図⑭) 、そして国立公 園になっています。この阿蘇の草原の 面積がすごく減ってきています (図⑮) 。 どうして減ってきているのかといいま すと、有畜農家が減っていることと、 野焼きがなかなかできなくなっている からです。阿蘇の草原は、野焼きとい 図⑬

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るのがみえます。電気をつくるとき、 発電機を冷やすために冷却水を使いま す。冷却水は瞬時に八〇度、九〇度に なります。その熱を逃してしまうと地 球温暖化に荷担してしまうので、熱を どれだけ使いこなせるかが鍵です。集 落のなかに配管を埋め込んで給湯用に 図⑫


思われがちだからです。今日は、どの ようなゴールをみているのかという意 味で、ドイツの話を少しします。ドイ ツにはエネルギーを自給している集落 があります(図⑩) 。人口が八〇〇人弱 の集落で、必要な電気と熱は、その地 でとれる農産物、木、有機資源で全て

まかなわれています。どうやってまか なっているかといいますと、中心はバ イオガス施設です。 バイオガスというのは、家畜糞尿で も草でも生ごみでも何でもいいのです が、中に空気が入らないようにしてや ると、嫌気性発酵がおきて、メタンガ

図⑩

スが出てきます。沼でぷくぷく泡が出 てガスが出てくることがありますが、 それと同じです。空気にあてるとふつ うの発酵がおきて堆肥になります。メ タンガスは可燃性が高いので、燃やし て発電できます(図⑪) 。写真でのぞき 窓からみていますが、ぷくぷくしてい

図⑪

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で進めていこうという取り組みです。 九州バイオマスフォーラムが事務局と なって立ち上げました。写真であいさ つしてくださっているのは県の副知事 さんです。協議会には若手農家、観光 業者、福祉業者などが入っています。 自治体がつくる協議会といいますと、 図⑯

議員さんとかJAの組合長さんとか森 林組合長さんとかいった方々が入って いることが多いのですが、エネルギー は長期にわたるものなので、若い人に もできるだけ入っていただいています。 協議会という場ですと、県の方がオ ブザーバーとして並んでいたりして、

なかなか意見がいいずらいこともあり ます。夜に公民館に集まって軽食を取 りながら話し合うようなことも、二年 目から一カ月に一回のペースでやって います。どのようなことをしているの かといいますと、賛同者が多くないと 事業として進まないので、少しでも賛 同者を増やそうということで、村の秋 祭りとか文化祭などで、こういうのも 資源ですよという写真を置いてみまし た。あまり説明はしないで、まずは知 っていただくことで、きれいな写真だ けを並べました。バイオマスといいま すと、生ごみとか家畜糞尿のイメージ で、何か重いとか臭いとかいう感じが あるので、それを変えていきたいと思 っています。図⑰の右下にあるのは発 電鍋です。枝とか葉っぱを入れて燃や してやるとお湯が沸くのですが、鍋底 にちょっとした仕掛けがあって、温度 差で発電してくれます。自分が入れた ものでお湯が沸いて電気ができるとい 図⑰

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う火入れ作業で維持されていて、高齢 者が増えるなかでその作業ができにく くなってきています。阿蘇から草原が なくなってしまうと国立公園である理 由がなくなってしまいますし、世界農 業遺産である理由もなくなってしまう かもしれません。

草原をどうやって維持するのかとい うと、資源として使えばいいのです。 どれだけ草資源を使えるのか、未来に つなげていく私たちの課題です。 太陽光発電や風力発電は、立地場所 がみつかって初期投資が集まれば設置 して、そのあとはずっと発電してくれ

図⑭

ます。それはそれで簡単なことではな いのですが、バイオマスの場合には、 これにさらに、原料をずっと投入し続 けなければいけないということが付け 加わります。つまりランニングコスト がかかるということで、採算を取るの が難しい事業です。ただし、逆にいう と、太陽光発電は太陽の光を受けてい るときにしか発電できない、風力発電 は風があるときしか発電できないのに 対して、バイオマス発電は原料を投入 する限り安定した電力をつくることが できます。ドイツの人は、バイオマス は太陽のエネルギーをため込んでいる といいます。 阿蘇では南阿蘇バイオマスエネルギ ー協議会をつくりました(図⑯) 。昨年 度の環境省のソフト事業に応募したと ころ採択されました。身のまわりにど のような資源があって、どれだけの量 を使えるのか、どのような技術がいま あるのかといったことをボトムアップ

図⑮

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すのを目的とするのではなく、アクシ ョンに移ろうということで、 名前も 「ワ クワクネットワーク」というのを外し て、 「田舎のヒロインズ」と改名する予 定でいま申請しています。農家が食べ 物もエネルギーもつくる時代に私たち がしていこうということを総会で決定

しました。「田舎の明るい!にはワケが ある」 というポスターをつくりました。 記者会見をしましたら、メディアの方 が一七社もきてくださいました。私た ち女性農家もエネルギーもつくる時代 を目指して第一歩を踏み出したばかり です。 図⑲

最後に私の息子たちです(図⑳) 。こ の写真は結構気に入っていて、世界農 業遺産のプレゼンテーションでも最後 に使いました。この子たちが飛び込め る場所があるというのは、土もきれい でなければいけませんし、水もきれい でなければいけません。農地が使われ

図⑳

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うことを身近に感じていただける仕組 みです。このような広報啓発活動を通 じて、南阿蘇村では村民の間にバイオ マスに関する認識は随分と広まってき ていると思っています。 このようなローカルな取り組みを、 私が就農してから一〇年、環境省のソ

フト事業を受けてからでも二年間続け てきて、まだまだハードルが前に三つ も四つもある状況です。今週の三月一 一日、震災から丸三年の日に、全国ご 当地エネルギーネットワーク協会とい うものが立ち上がりました(図⑱) 。こ れは環境省の事業として、地域住民主 導型で再生可能なエネルギーを導入し ようとするものです。小水力でも風力 でも太陽光でもバイオマスでも、自治 体とか企業がやるだけではなくて、知 事がいっていた県民発電と同じ発想で、 地元の人たちが必要とする電力とか熱 をつくって地元にお金を落とそうとす る考え方です。福島で会議をして、そ れぞれ皆さんがどういう仕組みで運営 をしていくのか、株式会社がいいのか 法人がいいのか生産法人がいいのか組 合がいいのか、それからどういう融資 を受ければいいのか、同じような課題 を抱えているということを情報交換し ました。そして、いろいろ助け合って

図⑱

いこうではないかとネットワークをつ くることになりました。それで、三月 一一日に衆議院議員会館で全国ご当地 エネルギーネットワーク協会が発足し ました。皆で壇上に上がったら、軽く 一〇〇人超えました。九電力会社に合 わせて、九地区に分かれてそれぞれに 幹事がいます。地区ごとにご当地エネ ルギーをつくるということで、これか ら加速度的に増えていくのではないか と期待しています。これがお伝えした かった一つ目のニュースです。 その翌日に、農家女性の全国ネット ワークが再スタートを切りました(図 ⑲) 。 NPO法人田舎のヒロインワクワ クネットワークという組織があって、 二〇年も前から農家の女性たちがネッ トワークを組んでいました。それを完 全にリニューアルし、役員が全員入れ 替わりました。私が理事長で、八人の 理事がいます。全員が二〇代、三〇代 です。全国にネットワークを張り巡ら

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ないかと思っています。 再生可能エネルギーは、とくに太陽 光がそうなのですが、大規模から小規 模までいろいろな範囲でつくることが できます。そこから出てくる電気を、 基本的には自分で責任をもって管理し ます。いわゆるお仕着せで、よそから きたエネルギーを使うのではなくて、 自分でつくって、自分でどう使うかと いうところに意識を変えていくことが 非常に重要なポイントです。 自分のもっているシステムを自分で 管理していくという意識をもつことに

よって、新しいビジネスも生まれてい くと思います。逆にいえば、新しい意 識、考え方で再生可能エネルギーをみ ていかないと、これからの発展には難 しいものがあるのではないかと思って います。 災害などがあったとき、太陽光パネ ルは太陽が当たっていれば発電してく れますから、自分でつくって自分で使 える電気があるのは安心だということ になります。その一方で、太陽光パネ ルが発電していて、それが送電線につ ながっていない状態ですと、感電する ような危険もあります。自分のもつシ ステムについてのきちんとした知識が 必要です。太陽光発電の仕組みの基礎 的な部分は理解していなければなりま せん。いまは小学校の四年生で、光電 池を教えていますから、年配の人たち よりも小学生のほうが、太陽光発電の 原理、あるいはリスクについて理解し ているのかもしれません。

自分で管理する小さなシステムでも、 ある程度面的に展開していって、いま までは導入できなかったようなところ にもいろいろなかたちで入っていくこ とで、大規模につくっていたエネルギ ーの使用量を減らしていくことにつな がっていくでしょう。安定電源という ことでは、北から南まで日本のように 長いところでは、さまざまな場所でさ まざまな発電がなされて、システム全 体として最適化するということが、今 後の研究テーマであろうと考えていま す。 いろいろな意味でわれわれの意識を 変えながら、本当に全てのエネルギー をうまく使いこなしていくという時代 を、われわれはこれから迎えるのでは ないかと思っています。 武内 ありがとうございました。 エネルギーはどこかからまとまって やってくるという時代から、自分たち でエネルギーをつくり出す時代に転換

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ていないとこのような状態になりませ ん。意外とどこででもできるというこ とではないのです。そう考えると、未 来の子どもたちが遊んだり学んだり、 そして健康に育つ場を提供して、それ を維持していくのは農村の役割だと思 います。再生可能エネルギーを導入す ることで、農村は変わります。農村に は資源がたくさんあります。太陽光・ 風量・水力、そしてバイオマス、農村 のポテンシャルを生かすのは本当にい まだと思っています。

武内 ありがとうございました。 日本の農政の将来を考えるときに、 大規模化がキーワードになることがよ くあります。いまのお話は、小規模で あってもいろいろなものを組み合わせ ることで、農業の未来が開けるという ことでした。しかも、そこには豊かな 暮らしがあるのです。 私も世界農業遺産に関わってきまし

た。最初は農水省も「何それ?」とい うような反応でしたが、最近は変わっ てきまして、新しい食料・農業・農村 基本計画のなかにも入れていただける のではないかと期待しているところで す。世界農業遺産の一つの大きなポイ ントが未来志向だということです。多 様な自然を使った再生可能エネルギー が農業の未来を支えるというのが、い まのプレゼンのメッセージだったと思 います。

意識を変える 武内 さて、私の隣の櫛屋さんは、い ま私どもと一緒に研究をしていますが、 もとともと昭和シェルでソーラーパネ ルの開発に携わってこられた方です。 太陽光の利用に関して、農村では都市 とはまた違ったいろいろな意味で考え なければいけないことがあります。た とえば土地改良区が事業としてどのよ

うに取り組めるのか、水路の法面にソ ーラーパネルを置いてもし水没したら どうなのか、また一般的に、自然災害 がこれから激化する恐れがあるなかで 再生可能エネルギーは本当に大丈夫な のか、あるいは、ソーラーは安定電源 ではないのでベース電源をどうするの かなどいくつかの問題があります。農 村では、場所によっては、送電線との 距離がかなりあるといった条件をどう 克服するのかということも問題になり ます。ここで、櫛屋さんから太陽光発 電についてコメントをいただければと 思います。 櫛屋 太陽光発電ではメガソーラー のような大規模なものが注目されてい ますが、個人で面倒をみるような、い わば「ドゥ・イット・ユアセルフ」的 な小規模なものもあります。自分で設 置した太陽光のシステムを、自分で責 任をもって管理するという意識をもつ ことが非常に大事になってくるのでは

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していくか、そして取り組みが途切れ ないようにしていくということが非常 に大事です。 次の基本計画では、実際にいま実行 段階にあるということを踏まえて、具 体的な施策を考えていく必要があると 思っています。 バイオマスニッポン日本がいまくい かなかったというご指摘がありました。 まさにその通りです。震災前の二〇一 一年二月に総務省の行政評価・政策評 価で、非常に厳しいご指摘をいただき ました。 いろいろな問題がありますが、 バイオマスの技術はたくさんあって千 差万別です。技術開発・研究段階のも のから、実証段階のもの、フィージビ リティスタディ段階のもの、実用化段 階のものまでいろいろあります。それ らが十分に整理されないで、実証段階 のものであるのに普及段階に至ったと きの補助金を付けてしまうようなミス マッチが生じていました。その反省に 立って、一昨年の夏に「バイオマス事 業化戦略」を作り、それぞれの技術が どの段階にあるのかをマップ化して、 技術の発展段階に応じた施策を打つよ う改めました。今後はミスマッチがな くなって、事業効果が相当程度出てく ると期待しています。そうならなけれ ばいけないとの決意をもってバイオマ スの事業を進めているところです。 武内 いまの話に関連してもう一つ 伺います。木質バイオマスは随分と期 待されていますが、うまくいっている 例は多くない状況にあると思います。 これについては、そもそもエネルギー だけで考えるのには無理があって、基 本的には木材としてのマテリアルユー スがあって、その上で端材のようなも のをチップにして木質バイオマスとし て利用することで、全体として成り立 つ仕組みをつくっていくべきだと、多 くの人がいっています。そのあたりの 将来像について、どのように考えてお

られるのでしょうか。 信夫 バイオマスの難しいところは、 カスケード利用が大前提だというとこ ろにあります。木質バイオマスの例を 出していただきましたが、主伐材を切 って、たとえば家の柱にするために整 形しますと当然余りが出ます。その余 りが出たものをまとめて木材として使 えるのならば使って、さらに出てきた 残り(林地残材)をバイオマス発電に 使い、その後に残った灰を肥料にする といったような、いろいろな使い方が あるわけです。しかし、ここでそもそ も建築材としての需要がなければ、そ こから先の利用は出てこないことにな ってしまいます。 全体のシステムを考えるべきだとい うのは全くその通りです。そのために は、木の利用価値をもっともっと訴え ていかなければなりません。現時点で どうするのか、いろいろな施策を合わ せて打っているところです。

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しつつあるという意識をもつことが、 再生可能エネルギーに関してとりわけ 重要な視点であると私も考えています。 おそらくそこにはさまざまな障害があ るのでしょう。それをどうやって克服 していくかが、再生可能エネルギー導 入の大きな課題です。 農村の場合には、農村のスケールに 合った取り組みを進めていくことで、 意識の改革と同時に、問題も障害も 個々具体のケースを通して解決の道を 見いだしていくことができるのではな いかと思います。従来ですと日本全体 で一律にこうすればいいという話であ ったのに対し、場所によって答えが違 うということも一つ大きな前提として 考えておくべきだと思います。

バイオマス再考 武内 それでは、信夫さんにまたお話 を伺いたいのですが、私も食料・農業・

農村政策審議会の会長代理をいまやら せていただいていて、そのなかで企画 部会が食料・農業・農村基本計画の見 直しを進めています。私が思い出しま すのは、かつて「バイオマスニッポン」 というのがあって、バイオマスがこれ からの日本の農村・農業を救うと考え て農水省も事業展開をしました。しか し、コストの問題、技術の問題等々で なかなか定着しませんでした。この間 の再生可能エネルギーに関する状況の 変化を踏まえると、そのころとはだい ぶ違うとは思うのですが、過去の例も 踏まえて、これからの農業の基本計画 のなかで、再生可能エネルギーの捉え 方がどのようになってくのか、いまの 時点で考えておられることがあればお 伺いしたいと思っています。 信夫 食料・農業・農村基本計画の現 行計画は二〇一〇年にできています。 それまでの二回の基本計画に比べて、 再生可能エネルギーに相当ページを割

いています。いまは新しい計画に向け てまさに武内先生がご指摘されたよう な議論をしているところです。 二〇一〇年といいますと震災前です。 私がここでお話したことのもとになる ことがすでに書いてありました。それ がつくられたとき、私は農水省ではな くて他の組織にいたものですからあま り読んでいませんでした。恥ずかしい 話、いまになってきちんと基本計画を 読んでみますと、自分がいまやってい る仕事のほとんどがそこに書いてあり ます。ですから、意識はそのころから あったのです。ただし、震災前に具体 的にどこまで政策が講じられていたか という点では、やや不安があります。 今後の課題は、まずは基本計画にす でに書いてあることをしっかり実行し ていくことです。私の左側に座ってお られるお三方が具体的に現場で取り組 んでおられることをいかに伸ばしてい くのか、それをどうやって全国に展開

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リーの技術は小規模のものから大規模 のものまでいろいろと揃ってきていま す。ただし、バッテリーは基本的に高 いものなので、余剰電力をバッテリー に蓄えるよりは、買取制度のもとで売 ってしまった方が経済的にはいいので す。それと、太陽光発電で温室を温め るということは、発電した電気を熱に するわけです。電気を熱にするのはエ ネルギー的にものすごく不経済です。 バイオマスを燃やした熱で温室を温め て、太陽光発電でつくった電気でファ ンを回すようなことをして、いい組み 合わせするのが経済的には合理的かと 思います。

日本の農業の目指す方向 武内 では、大野さんにお伺いします。 今日のお話で、食の安全性や食の文化 にかなり重点を置かれていたように思 うのですが、日本の農業の目指す方向

は、量ではなく質での勝負だというこ とになるのでしょうか。最近は農水省 も、和食がユネスコの無形文化遺産に 指定されたことを非常に強調していま す。食文化という観点からみたこれか らの農業生産のあり方と、そこに再生 可能エネルギーがどのように入ってい くのかということについて、お考えが ありましたらお聞かせください。 大野 これからの農業の進むべき道 で、私が考えていることを申し上げま す。先ほどTPPの話がありましたよ うに、グローバル化は避けて通れませ ん。そのなかで、どのようなかたちで 農業生産を続けていったらいいのか考 えますと、やはり、お客様のことを考 えた農業であると思っています。農業 者はどちらかというと、生産に特化し て、売るよりはつくるのを得意とする 人が多いのですが、そうではなくて、 食べてもらう人、お客様のことを考え てものづくりをしていくべきではない

かと思っています。そうすることによ って、お客様の支持が得られ、ものを 販売していくことができます。そのよ うな農業を目指しています。いってみ れば当たり前のことかもしれませんが、 それを目指さなければ、グローバル化 のなかで私たちがつくったものをお客 様に選択していただけるようにはなら ないと思います。 日本はエネルギーの少ない国です。 自分たちでつくれる再生可能なエネル ギーをなるべく使うようにしたいと考 えています。餌についても、現状では 大量に穀物を輸入して畜産が行われて いますが、飼料米をつくるなどして、 なるべく日本でつくった穀物を利用し て畜産ができるようになりますと、な おいっそう日本のお客様に支持してい ただける経営ができるのではないかと 思っています。 和食の文化は世界で高く評価される ようになってきました。私どもでは、

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しかし、毎年二〇〇〇万立米発生す るといわれている未利用間伐材につい ては、なかなか活用の方法がありませ ん。道路網の整備が進んでいるところ はまだいいのですが、進んでいないと ころではほぼ活用されていません。電 力の固定価格買取制度で、未利用間伐 材を使った場合の買取価格が設定され ました。使われずに山に残されている 資源を活用してお金を得て、それで林 業を下支えしつつ、木のいろいろな使 い道、需要を広げていくシステムをつ くっていくプロセスが必要ではないか と考えています。 武内 全体として利用するシステム をつくらないといけないのだけれども、 それがなかなか難しいというご指摘で あったと思います。

ほしいときに日が照っていない 武内 次に高橋さんにお伺いします。

土地改良区にある非常に長大な農業用 水路にソーラーパネルを貼ると、土地 改良区の管理費負担を軽減することに 貢献して、いわゆるウィン・ウィンの 状態になるというお話がありました。 場合によっては、個々の農家のお宅に 再生可能エネルギー、特にソーラーな どを導入することも可能だと思います が、 土地改良区の個々の組合員さんは、 これからの再生可能エネルギーをどの ように考えているのでしょうか。 高橋 私どもの土地改良区の最高議 決機関として総代会があります。発電 事業を議決案件として総代会に出しま して、賛成は得られたのですが、土地 改良区にはふさわしくないのではない かというご意見もいただきました。私 どもとしては、土地改良事業の定款に ある維持管理事業に付帯する事業とい うことで発電事業を位置付けています。 経費の節減であるとか、あるいは土地 改良区の公的な役割を果たすとかいっ

たことで理解を得て進めてきています。 個々の農家でということでいいます と、新潟では気候条件から一般家庭で の太陽光発電の普及率は太平洋側に比 較して相当低いと思います。方向とし て再生可能エネルギーが大事であるこ とに反対する人はいないと思うのです が、日照条件などが影響して実際の利 用にはむずかしいところがあります。 たとえば温室ハウスの熱源として太陽 光発電を利用しようとしても、一番温 めたい気温が低い時期には太陽が照っ ていないのです。逆に、太陽が照って いるときには結構温度が上がっていま す。 武内 ハウス園芸で、電気が本当にほ しいときに日が照っていないという状 況をどう克服するのか、そこには蓄電 の技術が関わってくると思うのですが、 そのあたりについて櫛屋さんはいかが でしょうか。 櫛屋 電気を蓄えることでは、バッテ

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うことをしていかなければいけないと 思っています。

赤牛をみなおす 武内 いまの話に関連して、消費者の 側も嗜好も見直すことで、国内の飼料 の自給を高めていくというようなこと もあるかと思います。大津さんはさき ほど赤牛の話をしていました。赤牛は 黒毛和牛よりも安い価格で取引される という残念な事実があります。赤牛の 価値について、何か取り組みがありま したらお聞かせください。 大津 赤牛については、蒲島知事が本 当に肩入れをしてくださっています。 知事の夢は阿蘇で赤牛を飼いたかった ということで、 「僕は赤牛派ですから」 と公言されていて、阿蘇には黒牛もい るのですが、赤牛の政策しかしておら れません。赤牛は草原のイメージに合 って、景観としていいというのももち

ろんあります。 赤牛のお肉は、私はおいしいと思い ます。さっぱりしていて、とても食べ やすいです。 ただ、 家庭で焼くときに、 火入れの仕方が難しいです。普通に焼 いたら固くなります。 外を歩き回って育った赤牛は筋肉質 で、当然肉は固くなります。それで、 赤牛といえどもいまではサシが入って いる状況でつくられています。若いと きはちゃんと運動させても、一〇カ月 以降はサシが入るように、舎飼いとい いますが、牛舎の狭いところで濃厚飼 料を食べさせて仕上げます。サシが入 っていないと売れない市場だからです。 いま、蒲島知事の県政もあって、赤 牛のよいところをもっと押し出してい こうとしています。お肉を食べる側に 向けて、食べ方を紹介しなければいけ ないというのがあります。草原を使う という意味でも、赤牛を最後まで草原 で育てていきたいのです。だんだんと

動ける面積を減らしていくようにする と、サシが入るまでにはならないけれ ど、ガチガチに固くもないお肉ができ るのではないかと、大学や九州沖縄農 業センターで研究が進められています。 武内 私は熊本の道の駅で、ものすご くサシの入った赤牛をみてちょっと驚 いたことがあります。やはり消費者の 嗜好に合わせてそのような肉がつくら れているのだろうと思います。 大津 去年になって赤牛のための基 準ができました。黒毛と同じ基準で測 ると、赤牛はどうしてもBクラスにし かなりません。赤牛だと安く取引され るというのでは農家は困ってしまうの で、赤牛のための評価基準がつくられ たのです。これからは皆さんも多様性 がいい、選択肢が多い方がいいという ことで、いっぱいサシの入った神戸牛 もいいし、さっぱりした阿蘇の赤牛も いいということで選んでいただけたら と思います。赤牛は赤牛としての価値

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牛肉の輸出も若干やっていて、東南ア ジア等に出しています。しかし、食肉 だけで輸出するのはなかなか難しい状 況です。和食とともに牛肉も輸出して いくようにできれば、競争力が付くの ではないかと思っています。

飼料米を巡って 武内 信夫さんにお伺いします。いま 飼料米の話が出ました。飼料米は、い わゆる減反制度の見直しと連動して、 農水省の新しい施策の一つ目玉になっ ていますが、現場ではかなり懐疑的な 声も聞かれます。実際に飼料米が畜産 に使われていくようになれば、海外か ら輸入する飼料作物が減って、自給率 の向上につながります。それがうまく いくのかお考えをお聞かせください。 信夫 このような場に座りますと、立 場上、農政のことは全部聞かれること になってつらいものがあります。私は

飼料米の担当ではないので、答えづら いのですが、飼料米には、それを使う 側からしてもいろいろな課題があるの は間違いありません。飼料米を生産し ても、それほどたくさんの量を家畜に 与えられるわけではありません。畜産 農家としては、素性のわかる餌を、い かに安定的に手に入れるかということ が非常に大事です。以前からもいわれ ている耕畜連携を進めて、飼料米を生 産する農家とそれを使う畜産農家が連 携して、 今年はこれぐらいつくります、 使いますということをきっちり決めて、 計画的に進めていくことが大事ではな いかと思います。 飼料米の生産に向く「べこあおば」 の種籾がどこにどれだけあるのかとい うのも含めて、課題が多いのは間違い ありません。それでも、水田をきちん と維持して将来世代に渡していくには、 水田でお米をつくるのが一番いいので す。それと自給率です。飼料の自給率

が低いこともあって、畜産の自給率は たいへん低い数字になっています。こ れを上げるのに、飼料米は大きな存在 となってきています。 武内 飼料米を与えたときに肉質や 味が変わってくることはありますか。 サシ(霜降り)を入れるためにトウモ ロコシを食べさせないといけないとい うようなことから、飼料米を使うのを 敬遠する向きもあるかと思います。 大野 実際に去年おととしと飼料米 を使ってみました。全体の飼料のなか に約二パーセント混ぜて使ったところ、 肉質が変わったとか、味が変わったと かいうことは全くありませんでした。 一〇パーセントとか一五パーセントに なったらどうなるかというのは、正直 いってわかりません。それによって味 が変わったりサシが変わったりという のはもしかするとあるのかもしれませ んが、飼料米を利用することで日本の 自給率が上がるのであれば、真剣に使

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だきたいと思います。 バイオガス発電は、太陽光発電など と比べて着手してから発電が始まるま でのリードタイムが長くて、二年か三 年ぐらいはどうしてもかかってしまい ます。 それでも、 北海道を中心として、 認定件数は着実に増えてきています。 北海道では、酪農家で一戸当たりの家 畜の排泄物が多いのが大きな問題とな っています。バイオガスは臭気対策に もなります。また、北海道は畑作中心 の農地が多いので、バイオガスを出し た後の液肥をまきやすいという利点も あります。本州以南ですと、液肥を水 田にまいてもいいのですが、化学肥料 とどれぐらい置き換えればいいのか、 どういうタイミングでまいたらいいの かという研究はまだあまり進んでいま せん。バイオガスの利用がさかんにな れば、必ずそういった研究も進んで、 バイオガスはもっと伸びていくと確信 しています。

初期投資がかかることについては、 農水省には二つの施策があります。銀 行からお金を貸してもらうにしても、 最初の元手が必要です。それには六次 産業化の取り組みに対して出資する新 しいファンド(農林漁業成長産業化フ ァンド)をつくりました。去年の二月 に、このファンドの業務を担う株式会 社農林漁業成長産業化支援機構が発足 しており、A‐FIVEと呼んでいま す。家畜排泄物から出るバイオガスに よる発電は、六次産業化の取り組みそ のものです。もう一つは、バイオガス 発電を臭気対策、環境対策の取り組み としてとらえ、農業関係の長期無利 子・低利子の資金を融通する制度があ ります。そのような制度を活用してい ただきたいと思います。私どもの反省 として、制度がきちんと知られていな いということがありますので、施策の 紹介はもっとしていかなければいけな いと思っています。

武内 残念ながら時間がまいりまし た。パネルディスカッションはこれに て終了したいと思います。 最後にお話がありましたように、再 生可能エネルギーを農業の六次産業化 の延長線上に位置付けて、日本の農業 を元気にしていくということが、再生 可能エネルギー導入の一番大きな意義 ではないかと、このパネルディスカッ ションを通じて私も強く思いました。 討論に参加されたみなさま、今日は どうもありがとうございました。

司会 武内機構長、パネリストの皆様、 どうもありがとうございました。 それでは最後に、本シンポジウムの 共催者であります昭和シェル石油株式 会社を代表し、代表取締役グループC OOの新井純より閉会のご挨拶を申し 上げます。

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を認められて、そして食べ方とともに 広まっていったらいいと願っています。

バイオガスと六次産業化 武内 もう一つ大津さんにお聞きし ます。 先ほどバイオガスの説明で、ドイツ やオーストリアではカスケード利用が できているということでした。日本の 畜産でも家畜の糞や尿の処理には困っ ているにもかかわらず、あまりバイオ ガスに利用するということは普及して いません。どうしてなのでしょうか。 どうすれば普及するのでしょうか。 大津 ドイツ、オーストリアであれだ け普及しているのには、まず、固定価 格買取制度が日本よりずっと早くから 整備されたということがあります。畜 産農家は、一時期BSEとか口蹄疫で 農産物の販売がものすごく落ちて大変 厳しいときがありました。また、牛乳

にはつくっていい量に制限があって、 そのなかで乳価製品の値段が下がった ために、有畜農家は本当に苦しい状況 になりました。そのときに有畜農家の 生計を支えたのが売電でした。穀物や 畜産物の値段は変動が大きいのに対し て、電気の買取料金は二〇年間一定で すから、彼らが生き残るための本当に 安定した副収入になったのです。 ドイツでは地下水を飲み水にしてい るので、家畜の糞尿をそのまま置いて はいけない、処理しなければいけない ということになっています。バイオガ ス施設はその点ですごく現実的な手段 でした。 日本でも普及してほしいと心底思っ ています。初期投資が高いのが一つ問 題です。変えなければいけないことが あります。糞尿の集め方です。消化し 終わった後に残ったものはガスの発生 量が少ないので、穀物とか草を混ぜる ことでガスの発生量を増やします。そ

ういうテクニカルなことをして、どれ だけのガスが発生させられて、採算が 取れるのかということを考えていかな ければならないので、風力・太陽光よ りも敷居が高いということがあります。 買取価格もバイオガスは低いので、そ こは何とか見直していただきたいと思 っています。 武内 信夫さんからコメントがある でしょうか。 信夫 まず買取価格についてひとこ と。私は調達価格等算定委員会に一回 目からずっと出ていますが、メタンガ ス発酵は一キロワットあたり四〇円九 五銭で買い取っています。太陽光や風 力よりも高い価格です。買取価格はか かるコストに適正な利潤を上乗せして 算定していますので、太陽光が高いと か、バイオガスが安いとかいう比較は 実はあまり意味がありません。それぞ れの電源に対してきちんとコストを積 み上げているということをご理解いた

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をされておられます。そのことが何よ りも重要です。日本という国で再生可 能エネルギーはこうあるべきだといっ たところで、最終的には仕事をしてい る人々、生活をしている人々が、そこ でのライフラインの一部として取り組 んでいくことなしには定着いたしませ ん。 先ほど大津さんは、ドイツの話をあ まりしないとおっしゃっていましたが、 やはりドイツは再生可能エネルギーの 先進国です。制度が早く始まったとい うこともありますが、いろいろなとこ ろでいろいろな知恵を出して、その場 に合った再生可能エネルギーが導入さ れてきたからこそあれだけ普及してい るのだと思います。 それを前提として、 今後どうするのかという話がなされて います。こういった点で、日本はまだ まだそこまで至っておりません。 今日ここで聞いていただきましたよ うな各地のチャレンジがいい例となっ

て、 別の地域の方がそれをみて、「よし、 私もやってみよう」ということになっ て世の中に広がっていくというのが、 たぶん再生可能エネルギーの導入の経 路だろうと思います。政府のほうで導 入していただいた買取制度は、そうい ったことを後押しするいい制度です。 それがあってこそ、こういう話し合い がなされて、世の中に広がっていくよ うになるのだろうと思います。 私ども昭和シェル石油は石油会社で はありますが、石油燃料の安定供給を 本業としつつも、太陽光パネルの技術 開発を一生懸命にやっています。もっ と多くの電気の出るパネルをつくると か、コストを下げるとか、いろいろな 技術開発をしています。それによって いいものができましても、最終的には 皆様方に使っていただかなければ、価 値あるもとになっていきません。各地 での皆様方のチャレンジ、ご健闘があ って、本当の意味で日本がエネルギー

自給率の高い国になって、地産地消が 進んでいくのだろうと思っています。 本日は東京大学と一緒にやらせてい ただいているIR3Sの活動の一環と してのシンポジウムでございました。 大学、企業、そして政府・ポリシーメ ーカーの方々、それに実際にエネルギ ーを使っていただいている方々ととも に、こういった討論をしてコミュニケ ーションをしていくことは、今後とも ますます重要性が増していきます。こ の取り組みが今後も続きますように、 私どもとしても全力を尽くしてまいり たいと思っています。本日は一日あり がとうございました。

司会 以上をもちまして本日のプロ グラムは全て終了いたしました。本日 は長時間にわたりご参加いただきまし て、 まことにありがとうございました。

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■閉会挨拶

新井 純 あらい じゅん

:

昭和シェル石油株式会社代表取締役グ ループCOO(現 昭和四日市石油株 式会社代表取締役社長)

皆様、お疲れさまでございました。 午後一時から始まって四時間半の長い 時間のシンポジウムにご参加いただき まして、本当にありがとうございまし た。共催者でございます昭和シェル石 油を代表して、一言閉会のご挨拶をさ せていただきます。 このフォーラムは今回で九回目です。 東京大学の武内先生、三菱地所株式会 社の合場様、パネルにお出になる皆さ ま方に支えられてここまでやってまい りました。本日も各方面からお越しい ただいて、大変いい話し合いをしてい

ただいたと思っています。 いまのパネルディスカッションにも ありましたが、日本のエネルギーは震 災を機にいろいろなことを学びました。 現在、エネルギー基本計画が政府案と して出されています。原発の問題もあ りますし、エネルギーをめぐる世論の 高まりもあります。再生可能エネルギ ーは、将来の重要なエネルギーの一つ として、世の中でさかんに議論される ようになりました。震災以前とは大き な違いがあります。その議論をさらに

深めて、日本としても最もよいかたち で再生可能エネルギーを導入すべきだ ろうと思います。 先ほどの話でも、日本はそもそもエ ネルギー資源のあまりない国だという ことが出ていました。エネルギーの地 産地消もいわれています。そういった ことに立脚して、日本のエネルギーは どうなっていくべきかということを、 われわれが考えなければいけないと思 っています。 今日のお話を聞いて大変うれしく思 ったのは、北海道の牧場、亀田郷の土 地改良区、阿蘇の山麓の各地域におい て、どのような再生可能エネルギーが 一番適しているのか、どのようにした ら地産地消が可能なのか、どのように してリサイクルが可能なのかを考えて、 取り組んでおられることです。皆様の お仕事、そして生活に再生可能エネル ギーをどのように組み込んでいくのが いいのかを考えて、大変なチャレンジ

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の係員が付きりで質問に答えてくれる。ここ を出るときには、私は既に地熱発電の基本的 知識を身につけ、さらにその将来性を考える 識者になっていた。いまは袋だたきになって いるが、東京電力はすごいと思った。 ところで八丈島には、もう一つの地熱利用 がある。温泉である。これも古い火山の側に 点在していて、銭湯代わりに島の人々が入り にくる。泉質はいずれもナトリウム質であろ う、ほとんど塩水である。ただ夏の温泉とい うのは、後の汗がなかなか引かず少し往生す る。 この東側の旧火山の周囲は温泉だけではな く、その地中から太平洋史といっても過言で はない歴史上の遺跡が出てきた。 『八丈島誌』 という八丈島の歴史と民俗を記した書籍があ る(一九七三年初版) 。これによれば、一九六 二年頃のこと、一人の中学生が温泉ホテルの 工事現場から磨製石器を発見したのがきっか けとなり、一九六四年に本格的な発掘調査が 行われ、それによって太平洋諸島の石器文化 よりも古い石器文化の存在が明らかになった。

ただし、炭素測定ではほぼ六〇〇〇年前とい うことになり、本土ではすでに縄文前期に入 っていた。この遺跡は湯浜遺跡と名づけられ たが、湯浜人がどこから来たのかは明らかに できなかった。 この湯浜遺跡とは別に、一九七七年に今度 は縄文土器を含む倉輪遺跡が発見され、その 土器の形状に北陸・関西系のものがあったり 岩手県久慈系のヒスイが出たこともあって、 この縄文人は本土からの渡来人とされる。 八丈島が流罪の地に選ばれたのは、この島 が黒潮の奔流の向こう側にあるからである。 手こぎの舟でこの黒潮の流れを横切ろうとし ても、よほどの幸運か経験がない限り不可能 とされる。 つまり島抜けの防止である。 実際、 禁を犯して闇夜ひそかに舟を出したが、夜が 明けてもまだ島の周囲をうろうろしていたた めに捕まったものもいる。 いまは羽田から四〇分程で行けるが、石器 人や縄文人はどのようにして、ここに来たの だろう。

連載 エッセイ

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八丈島 この八月に八丈島に行った。地熱発電所を 見るためである。昨年、わが研究ユニットの メンバーは、カリフォルニアの地熱発電所を 見てきた。写真を見せてもらうと、水蒸気が 勢いよく出ていたりパイプが通っていたりし て、 大がかりなもののようであった。 そこで、 では日本ではどうなのかということで、八丈 島に行くことになった。それまであまり意識 していなかったのだが、改めてこの島が火山 島であることを認識した。小学生のとき、担 任の先生は学芸大を出たばかりの若い先生で あったが、太平洋プレートという言葉を使っ たかどうか憶えていないものの、とにかく太 平洋の海底地盤は東から西に動いている、と いうことを知らされた。だから、と話は続い た。 「ここにあるのが、ハワイ。ハワイは火山 の島。こちら側にあるのは伊豆七島。大島に は三原山があってときどき噴火する。八丈島 から横一直線に大島までみんな火山島。つま りこれは何億年も前のハワイなんだ」 。 確かそ

んなことを言われた。その時うけた驚きはか なりものだった。ハワイ=伊豆七島説はさて 措いて、八丈島は富士火山帯に属す二つの火 山からなる島である。東側にあるのを三原山 (伊豆大島の三原山ではない) 、 西側にあるの を八丈富士という。いずれも活動を休止して いるが、火山としては東側の方が古い。最後 の噴火が六〇〇〇年ほど前という。これに対 して西側の八丈富士は、ほぼ四〇〇年前の一 六〇四年(慶長一〇年)を最後にそれ以来噴 火していない。 地熱発電所は、 西側の古い火山の方にあり、 全島需要の四分の一の電力を供給している。 人口が八〇〇〇人程の島であるから、大量の 電力を必要とするわけでもないが、見たとこ ろ、かなりコンパクトな施設であった。隣接 して地熱館という地熱発電のしくみを解説す る建物があり、そこでは実に懇切な説明と展 示がある。夏休み中とはいうものの、見学者 はわれわれ四人を含めて他に二、三人。一人

山田利明

やまだ としあき

東洋大学教授

(専門は中国哲学)

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らなければ連絡できず、相手の都合を考えな ければならないが、電子メールであれば、相 手の都合など関係なく、書きたいことだけ書 いて送ることができる。これで当面の自分サ イドの仕事は終了し、気も晴れる。仕事の能 率も上がった気がする。そのくせ、相手の返 信が遅いと、イライラは募り、はては自分の 身勝手さを忘れて、 相手の人格さえ疑いだす。 大げさは分かっているが、自身の業務時間 のザッと半分は電子メールを介した情報処理 に関わっている気がしている。常に電子メー ルをチェックしなければ気が済まなくなり、 もはや電子メールの脅迫性障害状態になって しまった。学生との楽しい交流時間を差し引 いて、ゆったりと論文を読み、専門書を読ん で勉強する時間、 考えをまとめてメモを取り、 文章化するする時間、本来のあるべき自分の 研究時間が全く取れていない気がする。なん だか毎日、毎日、自分が持っていた情報を切 り売りするだけで、情報を取得し、熟成、加 工して、新たに付加価値をつけては発信する 余裕など、なくなってしまった気がする。日 常の電子メール処理に追われ、新しく発信で

きる情報は枯渇し、もう干乾びてしまいそう だ。 ところで大学は、今、科研費の助成申請書 作成の時期である。申請書の作成に掛ける努 力が全く報われない人には申し訳ないが、こ の助成申請に費やす時間はそれなりに楽しい。 多少、 自虐的な香りがするかもしれないが…。 研究助成を獲得できれば、それに越したこと はないが、申請書作成自身にある種、面白さ がある。申請書の作成は、新たな研究を夢想 し、自由にこれを空想できる最大の機会とな る。研究室に毎年、使途を限らず配分される 研究費の数倍、数十倍の研究費を使用して、 自身の興味ある研究を組みたてることができ る。よき友ではあるがライバルでもある世界 の研究者を出し抜いて、成果を出し(夢想に よる研究遂行なので成果は必ず得られるの だ) 、新たな知識を獲得する。何と楽しいこと であろうか。子供のころ、運動ができなくと も、夢の中でその運動が苦もなくできるよう になる自分を見出した喜びに通じている。電 子メール処理をしばし忘れ、夢想の世界に身 を任せて申請書を書く。

連載 エッセイ

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電子メール脅迫性障害 大学に所属する研究者はいつもどのように 時間を過ごしているのであろうか? 学生が どのように時間を過ごしているかに関しては、 毎年のように詳しい調査を行われ、その結果 が公表されている。しかし教職員が、それぞ れどのような時間を過ごして業務を遂行して いるのか、職種別に詳しい調査があったとは 聞いていない。学問の自由を標榜する大学で あるから、管理につながる可能性のありそう な、そうした調査など、できないのであろう か。 私も、同僚達がどのように自分の研究時間 を過ごしているか、詳しくは知らない。教育 に関わる授業や学生への研究指導は後ろ指を 差されないよう、皆、時間を取ってこれをこ なしているのが見えるが、自身の研究時間を どのように過ごしているか、見えないし、見 ることも憚られる。何せ、個々の学問の自由 の時間であるから。 どの世界でも同じだと思うのだが、多くの

人はロールモデルを探し、気に入ったモデル の立ち振る舞いに自分を近づけたいと思って いる。素晴らしい研究成果を挙げている先生 方が、自身の研究に関して、どのように時間 を使い、過ごしているのか、とても興味がわ く。できそうなら、是非、参考にしたいので、 顕彰されるような模範的研究者の時間の使い 方は、 大学で調査し、 公表して欲しいものだ。 こんなことを思うのは、自身の時間の過ご し方にとても不満だからだ。情報社会が進展 し、もう数十年経つ。自分で実際手を動かし て実験することもなくなり、学生と直接、関 わらない時間は、すべてPC画面が自分の仕 事場になっている。私を通り抜ける情報のほ とんどは、PC画面を介している。紙に書か れる情報などはすべて電子データに落とされ、 電子メールなどでやってくる。どうでもよい ことだが、最近、ついぞ机の上の電話に触れ たことがない。自らかけることはないが、か かって来ることもない。電話は、相手に繋が

加藤信介

かとう しんすけ

(専門は都市・建築環境調整工学)

東京大学生産技術研究所教授

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でした。科学博物館の一年間の来館者数は、 昨年度初めて二〇〇万人を超えましたが、そ れよりも多くの人が一九日にきたのです。 二一六万人という数字は桜の見物客だけで はなくて、上野公園内に散在するさまざまな 文化施設の訪問者も含まれています。上野公 園には美術館、博物館を主体として数々の施 設が集まっています。これだけ凝縮している のは世界でも例をみません。東照宮、上野大 仏、弁財天など古い日本の文化を伝えるとこ ろもあり、 上野の森は文化の森でもあります。 この森をこれからどう持続させ発展させて いくのかということで大きな課題になってい るのが、二〇二〇年の東京オリンピックの年 に外国からも大勢の方にきていただいて、訪 問客を年間三〇〇〇万人にしようという目標 です。現状は、文化施設全部の利用者が約一 三〇〇万人で、そのほか施設に入らない人も 入れて全体でおよそ二〇〇〇万人弱とみられ ています。それを一・五倍にしようというこ とです。公園のキャパシティとしてはすでに ややきつい状況です。科学博物館でも特別展

などで一時間程度の入場制限をかけることが あります。より大勢の人々を受け入れるため に自然を損なうことがないよう、どうすれば いいのかいま真剣に検討しています。 上野公園は少しずつ姿を変えきています。 科学博物館の近くでもコーヒーショップがで きるなどしました。昔を知る人は、木々がも っとこんもり繁っていたといわれるかもしれ ません。上野公園ではかなりの強剪定をして います。とくに人の背の高さくらいまでの枝 は全部落として遠くまで見渡せるようにして います。またクスノキなど大きくなりすぎた 木を伐採しました。全体として以前よりもず っと明るくなっています。明るくするのは防 犯的な意味でも重要です。 上野公園は日本庭園でもなければ西洋式庭 園でもありません。場所によって日本的であ ったり西洋的であったりします。自然も施設 もさまざまな要素が混在しているところが上 野の公園の魅力なのかもしれません。大勢の 方により楽しんでいただけるよう工夫を重ね ていきたいと思っています。

連載 エッセイ

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上野公園の魅力 私が勤務している国立科学博物館は上野恩 賜公園のなかにあります。すぐ近くの林に上 野公園の生みの親といわれるボードワン博士 の胸像があります。ボードワン博士はオラン ダの軍医で、一八六二(文久二)年に江戸幕府 の招きで初めて来日して以来、西洋医学を日 本に導入することに尽力し、大学東校(東京 大学医学部の前身)で教鞭をとるなどしまし た。上野の山が大学東校と病院の移転先とし て挙げられて、博士は視察に訪れました。戊 辰戦争の際に上野の山の寛永寺に彰義隊が籠 って激しい戦闘が行われたために、当時はか なり荒れた状態になっていました。博士には 先見の明があったのでしょう、ここは公園に すべきだと政府に進言し、一八七三(明治六) 年に、芝、浅草、深川、飛鳥山とともに日本 で最初の公園に指定されました。 博士のお蔭で上野の山の自然が残されまし た。いまの秋の季節ですと、上野駅の公園口 を出てすぐ目の前にある東京文化会館の右脇

から始まる銀杏並木がみごとに黄葉します。 春ならやはり桜です。桜は種類が豊富で、二 月初旬に咲き出す寒桜から四月中旬の八重桜 まで、二カ月間にわたって咲き続けます。 上野の桜を守るボランティア活動をしてい る「上野桜守の会」があります。科学博物館 の館長はこの会に参加することになっていて、 私も勉強会などに楽しみながら加わっていま す。お花見の時期には、商店街の方々が吊る すぼんぼりとともに、 私たちは木の根元に 「上 野桜守の会」と記した灯りを置きます。ソメ イヨシノの寿命は人間と同じくらいで、上野 の公園の桜はもう老木といっていい状態です。 「上野桜守の会」の年配の方々は、自分の年 齢と比べて数十年で木を切るのは忍び難いと 感じるのでしょう、植え替えをせずに長く生 かそうと努めています。 桜の季節にどれくらいの人が上野公園を訪 れるのか、今年の三月下旬から四月上旬の一 九日間にとった統計があります。二一六万人

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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「 」

「 」

「 」

農業に関わりをもつものとしては気にかかって、 はいっぱいになり、 腹」は 腹に据えかね 、 腹 に収め 、 腹を割り ます。つまり、内蔵を含む表 何度か読むのですが良く理解できません。でも、 現には、総じて心が容器として働くことが暗黙の 港千尋のいうヴォイドをヒントに考えると、ヴォ 了解となっていると指摘します。学術的にも、心 イドは、 身体感覚」を持ち、その根が大地に張っ ているとすると、根が感じるのは 大地感覚 とい をメタファーによって表現する「容器モデル」( (ビ うことになるはずです。ハイデガーは、 世界 は ジョンソン・ レイコフ) 、 包含関係図式」 オン)があり、認知や精神分析でも、物理的な形 「大地」 と対立しているといいます。 そうすると、 世界 は観念的で虚存(身体性がない)で、 「大地」 をもたない 心の働き」が、人間の精神では空間化 されていることが示唆されます。港千尋はこの物 は感覚的で実存(身体性がある)ということには 理的に何もない 心 の空間(容器)をヴォイド= ならないでしょうか。つまり、 世界 を認識する 「大地」を感じるのは「感性 とい 空虚( 「なにもない空間」 )と考え、現代芸術のヴ のは 理性 で、 うことになります。 私はこの 観念的理性」( 世界 ォイドへの旅にでます。 港千尋はさらに、 このヴォイドの根 (根源) を大 観)を外観的認識、 「感覚的感性 ( 「身体」感、 大 地」においているように思われます。それは、ハ 地 感)を内観的認識と、さらに単純化して考えて います。 イデガーが『芸術作品の根源』で表したような意 内観的感性 により感じることのできる 心 の 味での 大地 といっています。それは「ハイデガ ーにとって 大地」は抽象概念ではなく、彫刻家や 空間を「ヴォイド=空虚」とすると、 外観的理性」 (言葉や 建築家がそこから石を採りだすような物質であり、 により理解できる 精神 の空間を「世界」 方程式やさらには神といった抽象的観念的な外部 規範により定義された世界)とよべるような、認 識や表象の違いは、確かに存在するように思えま す。つまり、 外観的理性」による科学的認識(頭 M.

」 「

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」 「

それと同時に 世界 と対立する大地 存-在である」 ような、大地です。ハイデガーの『芸術作品の根 源』には、 大地」がキー概念としてでてきて、ほ とんど唯一の「大地」の哲学には違いないので、

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J.

」 「


ヴォイドへ の旅

ささの葉さらさら 軒端に揺れる お星さまきらきら 空からみてる この歌は、権藤花代・林柳波作詞、下総皖一作 曲の童謡『七夕さま』で、誰でも知っている歌の 一節です。重松宗育はこれこそは、禅の視点だと いいます。 「誰でも知っている七夕の歌ですけど、 やさしいコトバなのに、これはドキッとするよう なすごい歌なんです。なにしろ軒端から見つめる 眼と星(空)から見つめる眼。軒端と星のあいだ を自由に移動する視点があります。わたしが『ゼ ン・ユニバーサリティ』と『ゼン・インディヴィ ジュアリティ』 と呼んでいるものの見方です」( 「Z ENマインドはアメリカ文学にあり 重松宗育氏

インタビュー」(雑誌「 Apectator 禅」 2014 special ) ) 。このような視点は、日本の詩歌、 issue vol 31 絵画に多く見られますので、この視点が禅的とす ると、日本の文化の基盤に禅があるといえます。

港千尋は、 「心」をめぐる慣用的な表現は、 「気 持ち」に置き換えることができ、 「心」は身体の他 の部分と同じように容器のようなものといいます ( 『ヴォイドへの旅 空虚の創造力について』青土 社) 。たとえば「うつろ」という語では、器が精神 的な働きを表現する際の前提になっており、「目が 虚ろ」は、目が意識の状態を表します。あるいは 「心を入れ替える」 「心が折れそうになる」 「心が 凹む」などは、 「心」がその中に何かを入れたり出 したりできる容器のようなものであることを示唆 するといいます。また、 「心」 ( 「気持ち」 )を「胸」 や 腹」に置き換えて表現することも多く、 胸」

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)

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緑の回廊で縁取られています。まるで、日本列島 を圧縮して貼り付けたような感じです。緑の回廊 を東に超えると乾燥したスペインが広がり、別世 界 と な りま す 。 こ の 緑 の 回廊 に あ る ゲ ルニ カ )近郊のサンティマミーニェ ( Gernika )洞窟に、後期旧石器時代(一万五 ( Santimanie 五〇〇~一万三〇〇〇年前のマドレーヌ文化前期 または中期)の洞窟壁画があります。これは、同 じ海岸線沿いにあるサンタンデールのアルタミラ の洞窟壁画と同系と考えられています。出土品が 示すように、様々な生物が豊かであった海岸や河 口付近での狩猟や漁、採集がおこなわれていまし た。オークとクリの木が茂り、まるで縄文時代の ような環境です。サンティマミーニェ )洞窟は、ほんの入口しか入れず、 ( Santimanie 洞窟壁画は見られませんが、記録映像でみると、 すばらしい彩色画や線刻画でバイソン、 馬、 原牛、 ヤギ、クマ、オジカ、ウシなどが描かれています。 海の幸、山の幸、狩猟で、豊かな食資源のもとに、 洞窟壁画文化や縄文文化が育つようです。 ヨーロッパの古層にはケルト文化があるといわ れています。デンマークの離島で生まれ育った、

さんと話していると、そこはケルト文化の Volker ような世界で、自然崇拝の多神教(アニミズム) が生きていて、彼はバスク地方にもしばらく住ん だことがあり、世界観が似ていると言っていまし た。ドルイドは、ケルト人社会における祭司のこ とで、 オークの賢者」という意味があり、ドルイ ドはヤドリギの巻きついたオークの木の下で儀式 を執り行っていたといいます。 バスク文化の中心、 ゲルニカのバスク議事堂の横にオークの「ゲルニ カの樹」 (一七四二~一八九二年、二代目)が保存 されています。 「ゲルニカの樹」は、古くから(初 代は一四世紀~一七四二年)ビスカヤ地方の自治 の象徴で、今ではバスク地方全体の自治の象徴と もなっています。現在見ることができるのは四代 目(一九八六年から)のゲルニカの樹です(先代 の実から育てた) 。中世には、ビスカヤ地方の村々 の代表者が地元にあるオークの大木の下で集会を 行い、ビスカヤ領主はこの木の下でビスカヤの特 権の尊重を誓い、一八三九年までは、この誓いな しには領主として認められなかったといいます。 ゲルニカは、一九三〇年代後半のスペイン内戦で は、フランコ将軍の援助を受けたドイツ軍により

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脳での思考処理)に対して、港千尋のいうヴォイ ド=空虚は、身体性をもち、大地に根を張ってい ますが、物理的な形をもたない 心の働き」で、し かしその 心の働き」は空間化されているという、 まるで禅問答のごとくなります。 「心」を空虚な容 器とすると、東洋の思想、特に老荘思想や禅が理 解しやすいように思われます。禅問答などは、こ の空虚な容器を理解するというよりは、感じるた めのような訓練ではないでしょうか。 禅はさらに、 瞑想や身体機能の鍛錬で、空虚な容器である 心 を出し入れする術を体得するようです。重松宗育 がいう禅の視点とは、 心 が自由に移動してみる (感じる)世界ですので。 「

」 「

」 「

ヴォイドの空間化された 心の働き」を、直接と らえることは困難ですが、 その表象されたモノ (あ るいは芸術)を通して、感じることはできるはず です。それは、見るのではなく、禅的視点で感じ ることが肝要です。港千尋のヴォイドの旅は、大 変スリリングです。 港千尋はヴォイドの旅でスペイン系バスク人の エドゥアルド・チリダ・ファンテギの彫刻作品、

『風の櫛』を訪れます。これは、捻じ曲げられた 巨大な鉄骨が、錨のようになって海に向かって突 き出していて、大西洋からの強風を通す「櫛」の ようなもので、 異様な印象をあたえるといいます。 この『風の櫛』は、サン・セバスチャンからビル

)に至る岩肌の続くバス バオ(実際には Lekeitio ク地方の海岸に置かれ、それは「チリダにとって 空間は、何もない 空」ではない。それは何かが通 り、何かが生成しながら、わたしたちの知覚を目 覚めさせる場所である。風はそのような何かのひ とつ」で、むしろ風の彫刻なのです。心が風とな って 心 の空間(ヴォイド)を感じます。 チリダはサン・セバスチャン生まれで、一時フ ランスにも住みますが、サン・セバスティアンの 近くに戻って居を構え、自作を展示するための場 を、バスクの郊外に設け、そこは今、チリダ・レ ク美術館になっています。チリダの作品は、多く は異様な形ですが、自然の中に置かれて、 心 の 空間(ヴォイド)を自然の中に浮かび上がらせる ような感じがします。 」 「

」 「

バスク地方を含むこの大西洋岸沿一帯は、長い

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ん。バルには魔女を飾っているところもあり、バ スクというか、ケルトというか、古層文化にしだ いに酔いしれます。 バスクの食文化に比べると、フランス料理は、 食材の本来の味をいかに加工して(技術を駆使し て)作り変えるかという、まるで化学反応の粋を 争っているようなもので、言ってみれば頭で料理 する観念的 理性 の食文化といっても良いかと思 います。フランス料理と切り離せないワインのほ とんどは、本当に化学反応で酵母や雑菌を殺しま す。それは、複雑な味を引き出すために徹底的に 絞り出すので多くの雑菌が混ざるのと、味や香り のインパクトのためにかなり特殊な人工酵母を使 うためです。挙げ句の果てが、ミュッシュランの 星が示すように、味という味覚の「感性 を、マニ ュアル化した基準で、つまり観念的 理性 で絶対 評価しようとします。ミッシュランの基準に、た った一項、化学物質(薬品)の無添加と付け加え た瞬間にフランス料理の体系が崩壊する、その程 度のものですが。 「

雑誌『 』 森羅《シンラ》万象)が復刊 SINRA ( 、責任編集者の玉村豊男は、 され 二(〇一四年九月)

「文化とは、かたい食べものをやわらかくするこ とである。また、自然の力を人間が制御できるよ うに撓(たわ)めることである。そして文明とは、 文化から土地の刻印を剥 (は)ぎ取って、ある文 化から生まれた様式を他の文化をもつ人々に強制

するシステムのことである」と SINRA 復刊宣言 を巻頭に書いています。この定義は素晴らしいも のです。ミュッシュランの星とは、マニュアル化 した基準で、世界標準をつくりあげようとするも ので、玉村豊男のいう、食の文明化を狙ったもの で、いってみれば、食の帝国主義といってもいい でしょう。フランスのミュッシュランの星が司令 部とすると、アメリカのMも、Kも、Sも歩兵師 団といったところでしょうか。食の帝国主義に対 するゲリラが、スローフードで、日本ではB級グ ルメで、なんとも竹槍で突っ込んでいくようなも のです。バスク地方には、食帝国がゲルニカのよ うに絨毯爆撃をしようとも、生き残る強靱なヴォ イド的食文化が地下水脈に流れているのを知り、 心強く思います。

生物情報を研究している清水博は、 生命的な

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空爆され、町は瓦礫の山と化しましたが、バスク 議事堂の建物とゲルニカの樹(三代目で一八五八 年~二〇〇四年)のみは無事だったといいます。 また、オークの樹は、バスク自治州の紋章、ビス カヤ県の紋章、ゲルニカ市の紋章にも、またバス ク議事堂のステンドグラス風の天井にも描かれて います。これほどまでに、オークの樹にこだわっ ている地域は世界でも大変珍しいです。ケルト文 化が残っているのかどうかは、定かでありません が、バスク地方にはオーク信仰が残っているのは 確かのようです。つまり、自然崇拝的な文化が強 く残っている感じがします。 バスク地方は食の豊かなところです。海の幸、 山の幸にめぐまれています。オークの実(ドング

ウニ/アスパラガス/白身の鮭/フィレ肉/デザ ート盛り合わせ/アップルパイは、泡のソースや クリームなどで食材にそっと味を添える感じで、 食材の味を引き出すような料理です。バスク地方 の力強いK5白ワインやリオハ産赤ワインが、バ

スクの食材によくあいます。 Martin Berasategui の料理はバスクの地味をひきだした味わいで、そ れはヴォイドを表象した食文化といってもよいで しょう。 サン・セバスチャンの旧市街に、ピンチョス店 が軒を連ねています。ピンチョス店とは、立ち席 でカウンターに並べられたつまみを頼み、わいわ いがやがや、大声で、陽気で、酒を楽しむバル

)といってもよいです。ただ、カウンター ( Bar は狭く、客は道に溢れ、道全体が、旧市街全体が、

巨大バルと化したようになります。 Gambara リ)で育てた豚、デ・ベジョータ (De Bellota 、ド ピ ンチョス店で、チャングロー蟹のタルト/鱈の子 ングリ の意味 のハム、バスク地方リオハ産 ) タルト/黒イカスミ/キノコ炒め盛り合わせ/キ )の赤ワイン、いずれも力強い味香で、絶 ( Rioja 品です。食こそは味覚をとおした「感性 の文化の ュウリのピクルス/イベリコ豚ハムのサンドイッ 重要な構成要素に違いありません。サン・セバス チ/マグロのセビーチェにビールで乾杯。つまみ チャンの近郊の Lasarte-Oria 村にある、 Martin といっても、すべて、食材の味をひきだすような 料理で、高級店にも大衆酒場にも断絶がありませ レストランは、すべて地元の食材で Berasategui

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ガウディは生命の原理を知りたいと思ったのは確 かと思いますが、それを抽象化して観念化し、外 部標準化することはありませんでした。現にサグ ラダ・ファミリアには設計図が存在しません。ス ケッチと粘土の模型が断片的に残るだけです。つ まり、サグラダ・ファミリアとは、ガウディの 心 の空間=ヴォイドそのものです。そうすると、サ グラダ・ファミリアは見るのではなく、感じる必 要があります。木々として、森として、虫として 見、風として通り抜け、天井を仰ぐよりも星とし て眺める、そんな「禅的視点」が必要です。 」 「

アントニ・ガウディ設計のグエル公園( Parc )は、小高い丘の上にあり、サグラダ・フ Güell ァミリアを遠望できます。モザイク模様の長椅子 と回廊が特徴的です。 斜面をくり抜いた回廊には、 石で積んだような柱が林のように林立し、天井と 地面を繋いでいます。天井の上は緩い斜面になっ ていて普通に植物が生えています。土の中に造ら れたエコハウスの柱だけを見ていると思っていた だければよいです。回廊みたいなものは、全体と して眺めると柱は、根の抽象物のように見え、地 下世界を抽象化しよとした感じがします。グエル

公園の入口の右側の守衛の住居であった建物は、 ドーム形状のアマニタ・ムスカリア(でっかい赤 いカサに白い斑点のあるキノコで和名ベニテング タケ)を抽象化したもので、大地からにょっきり 生えています。サグラダ・ファミリアは森を、グ エル公園は大地に大地そのものを刻みつけた巨大 建造物といってもよいかと思います。

さて、ゴシック様式建築で、その内部に森を抽 象化したというと、ドイツのフライブルグにある ミュンスター大聖堂を思い出します。その内部は 深い森の世界を模し、左右に立ち並ぶ巨大な石柱 はオークの幹を、石柱の頂から天井にかけて放射 状に伸びるアーチはオークの枝を、石柱の頂には 刻まれたフォルムは葉を形象化し、さらに、大聖 堂の尖塔には、グリーンマンが刻まれています。 グリーンマンとは、オークの葉の髯 (ひげ)をは やした人面像のことで、ケルトやゲルマンの樹木 信仰に由来するといわれています。しかし、これ を森の信仰、自然との調和と考えるのはまるで的 外れです。ミュンスター大聖堂の建設時には、魔 女狩りが峻烈を極めており、フライブルグがその

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型」というものに興味を持ち、そこからその型を 実現している人工物として、バルセロナにあるガ ウディの建築に惹かれたといいます ( 『生命知とし 、 中公 ての場の論理 柳生新影流に見る共創の理』 新書) 。ガウディの建築は 型があって、型にはま らない」という禅問答のようなもので、生命の特 徴は普遍的な型(前者の型)は持っているが、個 別的な型(後者の型)には縛られていないことだ といいます。いってみれば、 型があって、型には まらない」ガウディの建築は、物理的な形をもた ない 心の働き」で抽象化した、ヴォイドであると いってもよいような気がします。 ガウディのサグラダ・ファミリアは、基本的に はゴチック建築ですが、ゴチック建築を超えた超 ゴチック建築、いわばヴォイド・ゴチック建築の ように感じられます。正面の愛徳の門の上の小尖 塔にイトスギを模した「生命の樹」が配置されて いて、そのイトスギの緑の枝葉には二一羽の鳩が とまり、幹があり、その下には地上の生活圏が有 り、地下部には一部根が露呈しています。通常は 「生命の樹」のモチーフは地上の「生命の樹」だ けですが、ガウディの「生命の樹」は、大地に根

付き生活園まで内包する「生命の樹」です。また、 「愛徳の門」の戸は、木 (こ)の葉を敷き詰めた デザインで、多数の昆虫が配置されています。こ れは、森に分け入る象徴的な戸口です。内部は、 柱の基にはカポック(中央アメリカ)やセコヤデ ンドロン(カリフォルニア)の構造を取り入れ、 柱には葉序(茎における葉の配置) (特にアベリア 植物)のアクセントを付け、幹を模した柱の先は エノキの枝が分かれ、パラボリックな(放物線状 の)構造(これも維管束の束をひねった構造とい ってもよいかもしれません)のアーチを支えてい ます。ガウディのサグラダ・ファミリアは、抽象 的森で、森を支える柱の一部はカポックで、それ はガテマラのマヤ文明では宇宙樹でした。 ガウディは生物の構造を研究して、建築の装飾 だけでなく、基礎構造・骨格として使っており、 柱の内部構造にしても、夾竹桃の枝の断面を模し たのがあります。あるいは、巻貝の殻の双曲線を 取り入れます。それは今流行のバイオミミックス

(生物を模倣する技術の総称)もしく biomimics と呼ばれる学問 はバイオミミクリー Biomimicry 分野そのもので、 この分野の先見者ともいえます。

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サを執り行い、聖水を注いで、サグラダ・ファミ リアはようやくバシリカとなりました。自然と対 峙してきた教会が、なぜ、サグラダファミリーを 教会と認めたのか不思議でなりません。また、サ グラダファミリーは現在も建設が続いています。 しかし、 ガウディは仔細な設計図を残しておらず、 大型模型やスケッチのみが残されていたのですが、 それもスペイン内戦で破片となり、ガウディの構 想に基づき弟子たちが作成した資料などは大部分 が消失しています。それなのに、建設が続いてい るというのも奇妙なことです。この先はガウディ の 心 の空間=ヴォイドが、壊されていくのでは ないかと危惧されます。 」 「

後半生に描かれました。晩年には、黒色の墨色の )を多く描きます。聴覚を失 ような絵( 黒い絵」 い(音の闇) 、心の目も闇に向かいはじめたようで す。 黒い絵」のなかでも、人物が空中に浮いた構 「

」 、 「 Fight with 図の絵、 「 The Witches' Sabbath 」 、 「 Atropos or The Fates 」などが描か Cudgels れます。これは、冒頭で述べた重松宗育のいう禅 の視点、つまり 心 が自由に移動してみる(感じ る)視点です。 飯島耕一は「ゴヤのファースト・ネームは」の 断章で( 『ゴヤのファースト・ネームは』青土社) で、ゴヤの闇を自分に重ねてみつめます。

きみは自らの内部からくる 生存の信号を知覚する。 ゴヤの信号は耳鳴りだった。 ゴヤは耳の底の測候所からの 発信を受けながら 銅板を刻んでいた。 ゴヤは見ることを止めなかった きみは見ることを 拒否する病い

」 「

フランシスコ・デ・ゴヤは、スペイン北東部サ ラゴサ近郊に生まれ、イタリアのローマで、フレ スコ画の技法を学び、スペインにもどった後、宮 廷画家として最高地位を得ます。しかし、四〇歳 代前半に、不治の病に侵され聴力を失います。ゴ ヤの代表作である『カルロス四世の家族』 、 『着衣 のマハ』 、 『裸のマハ』 、 『マドリード、一八〇八年 五月三日』 、 『巨人』などは、聴力を失って以後の

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中心でした。そこは、ケルト文化が最も根強くあ った地域でもあり、シュバルツバルト(黒い森) という、豊かなオーク原生林がありました。つま り、オークの森に、オーク信仰のケルト人、つま り魔女が住んでいました。このようなオークの森 を教会の内部に取り込んだというのは、いかなる 意味があるのでしょうか。大聖堂の外側のガーゴ イル(雨水の排水口)には多数のモンスター(化 け物)たちの彫刻が施され、不気味な顔や姿態で 威嚇しています。高い尖塔は八角錐で、そのそれ ぞれの付け根には、立派なグリーンマンが多数刻 まれています。そこで、グリーンマンはさらし首 で神への生け贄で、モンスターたちは森の妖精で その干物をさらしたと考えるのが妥当のように思 われます。そうすると、ミュンスター大聖堂のゴ シック建築とは、森を支配した象徴として建てら れたものということになります。ドイツやフラン スで、立派なゴシック様式教会がある地域では、 ケルト文化が濃厚であり、魔女狩りがもっとも激 しかったところとほぼ一致している(W・アンダ ーソン『グリーンマン』河出書房新社)こととも 符合します。

ゴシック建築の多くは、森林を抽象化して取り 込んだのは確かです。しかしそれは、森の支配を 象徴化するためです。 神への捧げ物です。 しかし、 ガウディの場合には、同じようなゴチック建築で も、 内観的感性 (身)でとらえた 心 の空間= ヴォイドの表象に他なりません。北ヨーロッパゴ シック教会では、キリストは、祭壇に祀られてい て、未開の森林(つまり自然)の支配を確立した 象徴として、森林そのものが捧げられました。ガ ウディのサグラダファミリー教会では、キリスト は浮遊しています。宙を舞っています。また、ガ ウディの十字架は、イトスギ( 「生命の樹」 )の実 の形を模した「五本腕の十字架」で、磔などとは 関係がありません。このように、ガウディのキリ スト(神)は、自然の支配者でなく、自然の一部 なのです。さらにいうと、ほとんどアニミズムの 世界です。 ローマカソリックにとって、ガウディのサグラ ダファミリー(教会)は、異端中の異端のはずで す。実際、一八八二年の着工以来、一〇〇年以上 にわたってキリスト教教会とは認めてこなかった 施設です。それが、二〇一〇年に教皇が訪れてミ

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」 「


一七九七年の 「フランシスコ・デ・ゴヤが描き刻んだ 普遍的言語」と題されたエッチングは、 別名 理性の眠りは怪物を生む」 という。

ただ自らの内部を 目を閉じて のぞきこんでいる。

何にも興味をもたなかったきみが ある日 ゴヤのファースト・ネームが知りたくて 隣の部屋まで駈けていた。

」 「

」 「

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スペインでの私のヴォイドの旅は、その源泉で あるゴヤまでたどり着きました。スペインは実に ヴォイド力が強い土地です。最後に飯島耕一の詩 片でヴォイドの旅をしめます。飯島耕一が病んだ 「心」で空虚な容器( 心 )をじっとのぞいてい る、そんな詩片です( 「ゴヤのファースト・ネーム は」の断章より) 。まったくの空の 心 の空間に、 ゴヤのファースト・ネームがきっかけとなって、 ゴヤのヴォイドが飯島耕一の空虚な容器に満ちて きて、 「心」の輪郭を感じることができるようにな った。それは飯島耕一にとっての童謡なのです。 私の、ゴヤの「黒い絵」への「禅的視点」は、闇 となりてともに漂うことでしょうか。 何にもつよい興味をもたないことは 不幸なことだ

連載 エッセイ


のうちにあったから シスコ・デ・ゴヤが素描し刻んだ普遍的言語』と 見るとは何なのかが いま いうタイトルと「作者は夢見ている。彼の唯一の 手にとるようにわかる。 目的は、卑俗なる因習を放逐し、カプリーチョス 生存はつづく。 (気まぐれ)によるこの作品によって真理の確た この生存を誰かが る証を永遠化することである」というメモが付け ことばで られていたそうです。それは、 「理性の眠りは妖怪 愛するのでなければ・・・・・・ を生む。/理性に見捨てられた想像力は、不可能 この生存を誰かが な妖怪を生む。それが合体すればこそ、芸術の母 銅版で、 となり、その奇跡の源泉ともなるのである。 」 (堀 愛するのでなければ・・・・・・ 集 英 社 文 庫 ) 田 善 衞 『 ゴ ヤ 〈 4 〉 運 命 ・ 黒 い 絵 』 というような意味です。この意味をさらに、 「 「理 生存はつづく 性」が働かないと、 感性 (理性に見捨てられた この生存の感覚に 想像力)は 心の内部」に妖怪といった物理的形を 誰かが 正確に もたない空間を形成し、それが表象されると芸術 線を引く となる」と読むと、 「黒い絵」はまさにヴォイド= のでなければ・・・・・・ 空虚の表象です。ゴヤは聴覚を失って、 「理性」と 信じていたものが崩れ、そして不気味な 感性 の 力に身をゆだねていった。飯島耕一は「ゴヤのフ 『ロス・カプリチョス(気まぐれ) 』は、一七九 ァースト・ネームは」 (断章)で、次のように、そ 九年に出版されたゴヤ最初の連作銅版画集ですが、 れを詩に読み込みます。 飯島耕一も心の病の中で、 その中の『理性の眠りは怪物を生む』は連作全体 じっと理性を眠らせてきたに違いありません。 の象徴です。これは、デッサン段階では『フラン

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の価値観や家庭の文化を持ち寄って、 新たなものを共同で作り上げていくと いう点では、程度の差はあれ同じこと だろうと思う。しかし異なる点がある とすれば、日本人とインドネシア人と

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訪れた村の人々の多くもイスラム教を 信仰している。イスラム教徒の女性は 異教徒との結婚が認められていない。 そのため、妻との結婚には自分がイス ラム教へ改宗することが条件であった。

図 2 友人達と参加したアジア森林パートナーシップの国際会議(バリ).

の結婚は、宗教と向き合うことから始 まるということであろう。インドネシ アは世界で最多のイスラム教徒を抱え る国であり、妻とその親族、留学先の 友人や指導教員、フィールドワークで

図1 ストリートチルドレン保護施設(ジャカルタ).


忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク⑭

二つの紅白の旗のもとで揺らめくアイデンティティ: 結婚と母国、家族、宗教、文化 ふじわら たかひろ

藤原敬大

する度にインドネシアが大好きになり、 多くの友人もできた。その一方で、環 境や貧困といったインドネシアの抱え る問題を目の当たりにして、それらの 問題を解決するために「将来は研究者 として友人達と一緒に働きたい」と思

九州大学持続可能な社会のための決断科学センター (専門は森林政策学)

中学生の頃、インドネシアの熱帯林 が切り開かれ、多くの動植物が絶滅の 危機に瀕していることを知り、「将来は 熱帯林保護の仕事に携わりたい」と思 った。大学一年生の春休みに初めてイ ンドネシアを訪れ、人々の温かさに接

うようになった(図1) 。現在、熱帯林 の持続的利用(生産・保護・生計)を 実現するための森林政策のあり方につ いて、友人達と力を合わせて研究に取 り組んでいる(図2) 。 博士課程に入り、ガジャマダ大学森 林学部への交換留学を契機に念願だっ たインドネシアでのフィールドワーク を本格的に開始した。そして、ある国 際研究機関のセミナーで一人のインド ネシア人の女性に出会った。国際セミ ナーの運営事務をてきぱきとこなし、 独学で学んだという日本語を流暢に話 す彼女を見て、当初は恋愛感情という より尊敬の念を抱いていたが、お互い に惹かれるものもあり、自然に付き合 い始めた。その後、大変な時期を支え てもらう中で、彼女との結婚を決め、 二〇一四年三月一五日、西ジャワ州の ボゴールで結婚式を挙げた(図3) 。 日本人同士の結婚も、日本人とイン ドネシア人の国際結婚も、異なる個人

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ら、友人達と一緒にモスクでの「ジュ ンアッタン」 (金曜日の集団礼拝)に参 加したり(図4) 、 「ラマダン」 (断食月) 中にフィールドワークをした際には、 村のホームステイ先の家族と一緒に午 前三時に起きて「サフール」 (夜明け前

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てくれる指導教員のアワン先生からも イスラム教の教えを聞くことがあった し(図6) 、留学先の多くの友人達もイ スラム教徒で、学部のモスクでは、学 部長をはじめ、教員、学生が一緒にな って礼拝する姿も見ていた(図7) 。こ

図 7 森林学部の友人達.

の食事)を食べたり「ブカ・プアサ」 (日没後の食事)をしたり、また「イ ドゥル・アドハ」 (犠牲祭)の際には、 妻の家族と一緒に「サテカンビン」 (山 羊の串焼き)作りをしたこともあった (図5) 。 自分を息子の一人として接し

図 6 インドネシアの父であるアワン先生.


図 4 金曜日 の集団礼拝 へ参加.

後になって妻から聞いた話だが、交際 を始めた際、妻の家族は「自分がイス ラム教に改宗する気があるのか」を真 っ先に心配したようである。 図3 結婚式で の祈り.

インドネシア滞在中は、現地の人々 と同じ生活を送ることによって文化や 風習を知り、そして何よりも仲良くな りたいと思っている。そのため以前か

図 5 犠牲祭 でのサテカ ンビン作り.

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て、出来ることから一つ一つやってい けばいいんだよ」という言葉をよく思 い出す。 結婚を通してインドネシアは、同じ 紅白の旗を有するもう一つの母国とな った。初めて出会った時、まだ赤ん坊 だった甥は小学生になり、小学生だっ た姪は間もなく高校生になる(図 ) 。 また留学時に独身だった多くの友人達 10 図 9 シャハーダの儀式の後.

やフィールドワーク中にお世話になっ た家族の長男は親になった。 「オム・タ カ」 (タカおじさん)として子供達の成 長を見ながら、家族ぐるみの付き合い も始まっている。結婚後、自分のアイ デンティティが、インドネシア人でも なく、また単なる日本人でもない不思 議なものとして揺らめいている。その 揺らめきの中で大きく変化したのは、 これまでのように「相手のことを深く 理解しようという姿勢」 だけではなく、 「自らの宗教や文化の価値観の殻に閉

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じこもらずに、それらの価値観を外部 に向かって積極的に発信していく姿 勢」を持つことも相互理解の促進のた めには重要であり、その重要性をイン ドネシアの人々に対してもっと伝えて いく必要があると強く思うようになっ たことである。これからも日本とイン ドネシアの二つの紅白の旗のもとで揺 らめくアイデンティティの中で、相互 理解の促進につながる新たな価値観を 探しながら、両国の人々に対して積極 的に発信していきたいと思っている。

図10 「オム・タカ」になる時.


のようにインドネシア滞在中、多くの 人々の生活の一部になっているイスラ ム教に触れ、親しみを感じていたこと もあって、妻との結婚を機にイスラム 教へ改宗することに大きな抵抗を感じ たことはなかった。 二〇一四年二月七日の金曜日、それ まで調査でも度々訪れていた林業省の モスクで、妻や親友、アワン先生、一 〇〇名近い職員に見守られながら、「信

仰告白」 (シャハーダ)を行い、イスラ ム教徒となった。 アワン先生からは 「モ ハマッド」というイスラム名を与えて 頂き、 「入信証明書」 (ムスリム証明書) を林業省で発行して頂いた(図8) 。儀 式の後、それまで「フォレスター」と しての仲間意識を共有していた林業省 職員の方々が、同じ「ムスリム」とし て次々と祝福の握手をしてくれ、何と も言い難い不思議な気分であったのを

図 8 林業省発行の入信証明書.

覚えている(図9) 。 イスラム教徒となるにあたり、男性 には割礼が義務づけられており、アワ ン先生や多くの友人達も心配していた が、割礼に対しても特に不安や抵抗感 を感じたことはなかった。しかし一方 で、イスラム教が多くの人々の生活の 一部として溶け込んでいるインドネシ アとは異なり、食事や埋葬法などイス ラム教の教えに従って日本で生活する ことの難しさを強く認識しており、そ のことが原因で時に妻と激しい議論に なることもあった。家族は、日本とイ ンドネシアの両方におり、考え方が正 反対であることもある。インドネシア では自分が妻の家族の息子として、日 本では妻が自分の家族の娘として、異 なる互いの価値観や家庭の文化に向き 合いながら、新たなものを作り上げる 作業が続いている。そんな時、インド ネシアの友人の「何が出来ないのかで はなく、まずは何が出来るのかを考え

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に ま な ぶ

0 歳 か ら の

と 、 実 際 が わ か っ た リ し ま す 。

( こ ど も サ ス テ ナ

ば 、 遠 く の も の は 小 さ く 見 え る は ず だ 、 な ど 。

)

2014 秋の号

判 断 の 元 に な っ て い る 周 り の 状 況 を 取 り 除 く

(

こ ど も サ ス テ ナ

し 、 効 率 化 し て 判 断 す る こ と も 多 い で す 。 例 え

ム は 無 意 識 の う ち に 経 験 に 基 づ い て 情 報 を 補 完

錯 覚 の 原 因 は 種 類 ご と に 様 々 で す 。 視 覚 シ ス テ

エ . A と B は ど ち ら が 明 る い ?

ウ . 真 ん 中 の 円 の 大 き さ を 比 べ る と ?

イ . ど ち ら が 長 く 見 え る ?

ア . 2 つ の ケ ー キ の 大 き さ は ?

下 の 絵 を 例 に 錯 覚 を ご 紹 介 し ま し ょ う ☆

文 ・ 構 成 平 松 あ い )

出典:NTT グループ「イリュージョンフォーラム」

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/index.html


も 、 物 に 当 た っ た 光 が 目 に 入 ら な け れ ば 、

る 。 た と え 昼 間 大 き く 目 を 見 開 い て い て

る 」 こ と に は 「 光 」 が 大 き く 関 係 し て い

暗 闇 の 中 で は 物 が 見 え な い よ う に 、 「 見 え

あ な た は ど れ く ら い 信 じ ら れ る だ ろ う か ?

つ け る 時 が あ る か も し れ な い 。 今 、 あ な た の 認 識 を

分 に 、 光 が 当 た る よ う に な っ た 時 、 新 し い 真 実 を 見

う こ と は な い だ ろ う か 。 ま だ 光 の 当 た っ て い な い 部

分 勝 手 に 、 あ る い は 騙 さ れ て ) 錯 視 し て い る 」 と い

い 」 「 部 分 的 に し か わ か っ て い な い 」 、 あ る い は 、 「 ( 自

ー ブ ー 言 う 子 ど も た ち 。 私 達 は 光 が 物 に 当 た り 、 そ の

だ 。 「 ず る ー い 、 後 ろ に あ っ た ら 見 え な い よ ! 」 と ブ

か っ て い る 」 こ と は 、 実 は 「 一 部 分 し か 見 え て い な

私 た ち が ふ だ ん 様 々 な 事 象 に つ い て 「 見 え る 」 「 わ

( 当 然 な が ら ) そ れ に 気 づ い た 子 は い な か っ た か ら

ら あ る 。 積 と み こ 上 ろ が が っ 一 た 人 本 も の 全 後 問 ろ 正 に 解 置 で 時 き 計 な が か 隠 っ れ た て 。 お な り ぜ 、 な

に 、 テ ー ブ ル の 上 に あ る も の を 全 部 挙 げ さ せ た こ と が

見 え る 仕 組 み に つ い て 教 え る た め に 、 子 ど も た ち

に な る ほ ど 実 に 不 思 議 で 複 雑 で 多 様 で あ る 。

っ て 認 識 ・ 知 覚 さ れ る こ と ) 」

だ 。 そ し て こ の 際 、 時 々 起 こ る の が 、 「 認 識 の 違 い 」 、

体 そ の も の で な く 、 脳 で 像 を 作 り あ げ て 判 断 す る の

・・・

『 存 在 す る の に 全 く 見 え な い 』 と い う こ

反 射 光 が 目 に 入 る こ と に よ っ て 、 物 を 認 識 し て い る 。

で あ る 。 こ れ も 研 究

「 錯 覚 ( 人 が 見 た り 聞 い た り し た 情 報 が 実 際 と は 違

る 。 が 、 こ れ は と て も 神 秘 的 で 奥 深 い 。

い 、 目 に 見 え る も の を 大 い に 頼 り に し て 判 断 し て い

私 た ち は 、 見 え る こ と を ご く 当 た り 前 の よ う に 思

ら を 組 み 立 て て 意 味 づ け を し 、 認 識 す る 。 つ ま り 実

っ た も の を 、 形 、 色 、 動 き な ど の 情 報 に 分 け 、 そ れ

て お り 、 こ れ を 視 覚 シ ス テ ム と 呼 ぶ 。 脳 は 、 目 に 映

み え る と い う こ と

ま た 、 見 る と い う 行 為 は 、 目 と 脳 が 協 力 し て 働 い

と が 起 こ る の を 実 感 し て も ら っ た 。


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