卒業論文（石庭）1

ひとつの選択肢としての“学校外”の可能性を探る オルタナティブ教育としてのフリースクールの実践例から

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第１章

問題意識

“不登校”という言葉は、登校という語に「不」という否定を表す接頭語がつく形で構 成されている。「学校へ行く」ということが人々に共通の大前提としてあり、「学校へ行か ない」ということを普通のこととして考えることのできない現在の日本において“不登校” は問題視される。学校へ行っていないだけで「変わっている」 「病気なのではないか」と異 常なものを見る目で批判されるのである。 しかし、本当に不登校は問題なのだろうか。 “みんなちがう”ということは誰もが周知の 事実であるが、そのことを本当に理解している人は少ないように思う。みんなちがうのな ら、学校が好きな人もいれば嫌いな人もいていいはずであり、むしろそれが自然である。 みかんが好きな人もいればりんごが好きな人もいるように、学校へ行く・行かないという ことは本来そういうものではないだろうか。もちろん、学校が嫌いで学校へ行かないから と言って何もしないで暮らしていていいと言っているわけではない。将来自分自身の力で 生きていくために、できることをしなければいけないと考えている。それを養う場が必ず しも学校である必要はないと言いたいのである。 そこで本論文では、上記のような問題意識を出発点として、 「フリースクール」の中でも “オルタナティブ教育”に焦点をあて、ひとつの選択肢としての学校外教育の可能性を探 っていきたいと考える。本論文の構成は、以下の通りである。 まず第２章では、“「オルタナティブ教育」とは何か”というタイトルに沿って、外国と 日本それぞれにおけるフリースクール位置付けを確認していきたい。そして、本論文の目 的を明らかにする。次ぐ第３章では、亀岡市「アウラ学びの森 知誠館」における事例研究 をもとに考察する。フリースクールの概要とそこでの活動の実際とその意味について、自 己省察も交えながら述べていきたい。最終章となる第４章では、本論文全体にわたる筆者 の考察を述べまとめとする。 第２章

「オルタナティブ教育」とは何か

第１節

外国におけるフリースクールの位置づけから考えるオルタナティブ教育 (1)

外国におけるフリースクールの概念は実に多岐にわたる。授業料無償の学校から、世界 最古のフリースクールと呼ばれ各地のフリースクールのモデルとなった イギリスのサマ ーヒル・スクール，サドベリー・スクール（デモクラティック・スクール），またイギリ スやアメリカにあるオープン・エデュケーションを行っている学校まで、極めて多義的に とらえられている。本節では、多岐にわたる概念の中から“オルタナティブ教育の理念に 基づく学校（オルタナティブ・スクール）”という概念に着目し、「オルタナティブ教育と は何か」について述べていきたい。 「オルタナティブ教育」や「フリースクール」に関する概念規定は非常に複雑で、参照 する文献によって主張している論に微妙に異なりがある。一概にどの論が正しいというこ とを述べるのは難しいが、様々な文献から筆者が導いたオルタナティブ教育の概念規定に ついて、まずは記しておきたい。 2

通常の伝統的ないわゆる“学校”とは別に、独自の教育観やプログラムを基盤として存 在する「学校」がある。それには、世界最古のフリースクールと言われるサマーヒル・ス クール，サドベリー・スクール（デモクラティック・スクール），近年アメリカで急増し ているチャータースクールなど、様々な呼び名の学校が含まれている。まずはこれらのオ ルタナティブ・スクールの概要や教育内容について、簡単に説明をしておきたい。なお、 以下に説明するオルタナティブ・スクールはあくまでいくつかの例に過ぎず、この他にも 様々なオルタナティブ・スクールが世界には存在するということをあらかじめことわって おく。 ひとつは「サマーヒル・スクール」である。これはどちらかと言えば概念ではなく固有 名詞として扱われることが多く、A・S・ニールによって創立された世界最古のフリースク ールの名称である。世界各地に存在するフリースクールのモデルになった学校であると言 われており、現在もイングランドのサフォーク州のレイストンに場所を移し、寄宿学校， 及び全日制の学校として初等・中等教育を民主的なスタイルで提供している。「子どもた ちは強制よりも自由を与えることで最もよく学ぶ」という哲学を教育観としており、運営 上の大原則として「民主主義」「社会的平等」の２つが挙げられている。 次に「サドベリー・スクール」である。これは別名「デモクラティック・スクール」と 呼ばれており、1968 年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州で始まった私立学校「サドベ リー・バレー・スクール」の教育理念と実践をモデルにした学校の総称である。アメリカ 合衆国，カナダ，デンマーク，イスラエル，日本，オランダ，オーストラリア，ベルギー， ドイツなど日本やその他の諸外国に約 40 校存在しており、そのうち日本には５校ある。 学校は、その名の通り「自由な学びと自治（民主主義）」という理念のもとで運営されて おり、“自分を尊重する”“他者を尊重する，環境を理解する”という精神が重要視されて いる。 最後に取り上げる「チャータースクール」だが、これは主としてアメリカ合衆国に多く 存在するオルタナティブ・スクールである。チャーターとは「認可」という意味で、親や 教員，地域団体などが、州や学区の認可（チャーター）を受けて設ける初等・中等学校が 「チャータースクール」に該当する。認可を受けているため、公費によって運営されてい る。州や学区の法令・規則の適用が免除されるため、独自の理念・方針に基づく教育を提 供することができるのが特徴である。その実態としては、2000 年５月現在でアメリカ合衆 国に 1,689 校の設置が確認されている。これは、全米の公立学校の約２％にあたる数字で ある。在籍者数は約 43 万名で、これは全米の公立学校在学者数の１％未満である。 上記に例として列挙したいくつかのオルタナティブ・スクールであるが、そのどれもが “オルタナティブ＝もうひとつの”という要素をもつということにおいて共通していると 言うことができる。先に列挙した学校について、もっと細かく概念を分類して考える論も 存在するが、本論文においては、そのすべてを“オルタナティブ・スクール”というひと つの概念として考えていきたい。ただし、本節の冒頭において述べた「授業料が無償の学 校」については、 “フリー”のとらえかたが自由ではなく無償であり、その他のものと少し 3

性質的に違っているので、ここでは省いておく。 それでは、このオルタナティブ教育の概念はいつ頃からどのような背景のもとに登場し、 現在に至るまでどのような変化を遂げ発展してきたのだろうか。 教育の標準化が起こり、初等・中等教育が義務となったのは 19 世紀のことである。 “オ ルタナティブ教育”とは、先述した内容から考えればわかるように“代替・選択教育”と いう意味であり、そう呼ぶからにはオルタナティブ教育の提唱者が反対している何らかの 一般的な概念が存在しているということになる。つまり、“オルタナティブ教育”とは教 育の標準化が進んだ 19 世紀の間に登場した概念であると考えることができる。 世界的な視野で見たときに、オルタナティブ教育が大きく動いた節目のひとつが「第２ 次世界大戦」 （1939 年～1945 年）である。第２次世界大戦後の各国の教育は様々であった が、ふたつの共通する要素が挙げられると考えられる。ひとつの要素は「平和に関する教 育」である。先の大戦において教育の影響が大きかったことを踏まえ、平和に関する教育 では各国で様々な注意が払われた。中でも特に、敗戦国であったドイツや日本では、平和 に関する教育を行うにあたって大きな注意が払われることとなった。一方で、大戦終了と 同時に顕著化した冷戦の時代に、両陣営においてその国際的主導権を握るための科学教育 や技術教育に力が入れられたと言われている。もうひとつの要素は「戦後の復興を支える ための国際的人材の育成を目的とした教育」である。特に、日本などの場合は、戦前の富 国強兵政策に代わり、戦後の復興を担う企業人たる人材の育成に国家教育の主たる目的が 置かれることとなる。 上記のように、「第２次世界大戦」を契機として世界各国で様々な教育が実施され、“教 育そのもの”が大きく動いたと言える。このような中で、戦後の反省に基づいた「戦前ま での国家教育からの脱却」という観点などから“オルタナティブ教育”も大きな変革を遂 げたと考えられている。 また、第２次世界大戦以後にも注目すべき節目がある。それは 1990 年代以降である。 日本を例とするならば、不登校現象がそれを示唆する大きなひとつとして挙げられるのだ が、「国家レベルの教育システムが疲弊してきた」という事実である。不登校が増加し始 めたのが 1990 年代であり、政府はそれ以降様々な手を打って不登校現象の克服につとめ てきた（ここでの“克服”が示す意味としては、不登校の数が減ることである。）。しかし、 はっきりとした大きな効果が得られたものはひとつとしてなく、現在も不登校現象は克服 されていないというのが現状である。ここで、その原因のひとつとして考えられるのが「国 家レベルの教育システムを通した国民統合が従来ほどうまく機能しなくなってきている」 という背景である。日本は明治時代以来、国家レベルで様々な近代的システムを構築し、 国民統合を推し進めてきた。教育もその一例として考えられる。しかし 1990 年代、「不登 校現象」という問題が浮上し、様々な手を打つも克服はされなかった。このことは、公教 育を通した国家による国民統合というメカニズムが従来ほどうまく機能しなくなってい るということを示唆していると考えられないだろうか。不登校のような学校忌避の現象は 日本社会のみならず、高度情報化および国際化の過程で市民が多様な価値観をもつように 4

なり、伝統的な社会規範が変容しつつある諸外国の社会においても散見することができる。 国家レベルの教育システムが疲弊すると同時に注目を浴び始めたのが、既存の制度の内 外における新しい学習形態や学びの場である。これは、オルタナティブ教育の考え方に基 づくものと言っていいだろう。特に 1990 年代以降、このような場は各国において隆盛し ている。以下に、いくつかの例を挙げる。 1991 年にミネソタ州で全米初のチャータースクール法の成立をみて以来、アメリカ合衆 国ではチャータースクールが急増し、その数は 2004 年 1 月現在で 3,000 校近くになろう としている。学校に通わずに家庭で教育を受ける「ホームスクーラー」は 85 万人にも上 り、学齢期（５～17 歳児）の 1.7％を占めている。 また、スウェーデンでは、1990 年代初めの教育改革により「自由学校」が増え続け、1991 年に 26 校であったオルタナティブな学校の数は 10 年間で 250 校を超え、政府の支援を受 けながら独自の教育を展開している。 150 年以上にわたるオルタナティブ教育運動が成熟期を迎えるデンマークでも、市民の イニシアティブによる学校づくりとして知られる「フリースコーレ」の数が徐々に増え続 け、初等・中等教育段階の学校数の 2 割強，生徒数の 13％強を占めるようになった。 さらにニュージーランドにおいても、1980 年代後半からの教育改革の流れの中で「統合 学校」または「特性学校」と称されるオルタナティブな学校群が公認され、生徒数を増や している。また、ホームスクーラーも急激な増加を見せ、1993 年から 2000 年までの間に その数は 2 倍となり、2003 年７月現在で 6,437 人（3,627 家族）の子どもたちがホームス クーラーとして登録されている。 また、少ない数に留まってはいるが、西欧諸外国以外においてもオルタナティブな教育 が台頭し、一部では公認される動きもみられる。韓国では、1998 年に不登校の子どもや中 退の青少年などのための「特性化学校」が初等・中等学校教育法施行令で認められた。2004 年３月現在、18 校の学校と６校の中学校が認可校として政府からの支援を受ける形で運営 されており、その数は増える傾向にある。また、台湾においても「理念学校」と呼ばれる オルタナティブ・スクールが 20 校ほど集まり、ネットワークを形成し、精力的に活動し ている。タイでも、1999 年に発布した国家教育法において学校づくりの多様な主体が認め られ、オルタナティブ教育関連の法整備が進められている。 いずれの場合も、メインストリームの公立学校の数からすればさしたる割合ではないが、 かつてのように伝統的な学校が必ずしも絶対視されなくなってきているということの現 れであり、その社会的意味は重要であると言えよう。 以上のようにオルタナティブ教育は、教育の標準化・国家化とともに生まれ、以来様々 な形で発展を遂げてきた。1990 年代から現在においても改めて注目を集めており、国会内 でも「義務教育の段階に相当する普通教育の多様な機会の確保に関する法律案」をめぐっ ての検討がなされるなど、国内外を問わずその存在はますます大きなものとなっている。 このような現状を踏まえ、今研究することに大きな意義のあるテーマのひとつであると筆 者は考えている。 5

第２節

日本におけるフリースクールの位置づけと本論文の目的

さて前節においては、オルタナティブ教育の概念や諸外国におけるフリースクールの動 向について述べてきたが、本節では日本におけるフリースクールの位置づけとその問題点 について確認し、本論文の研究の主題や論点について明らかにしていきたい。 （１）日本におけるフリースクール(2) 日本における「フリースクール」の概念内容は非常に狭い。それは、日本における「フ リースクール」の語られ方に大きく影響を受けていると考えられる。つまり日本において は、フリースクールが「不登校の子どもたちが通う心の居場所のような存在」として語ら れることが多いのである。しかし前節でも述べたように、諸外国でのフリースクールの捉 えられ方は実に多義的であり、フリースクールという概念を不登校とセットにして考える のは、ある意味で日本人に特有の思考であると考えることもできる。それでは、なぜ日本 はフリースクールに関して、このような独特の捉え方がなされるのだろうか。日本におけ るフリースクールの起源をふり返りながら考えたい。 日本におけるフリースクールの先駆けとなる存在は、1985 年に奥地圭子が東京は北区東 十条の狭い雑居ビルの一室でスタートさせた「東京シューレ」である。奥地圭子は、自分 の子どもが不登校になったという経験から親同士の学び合い・支え合いの必要性を感じた ことをきっかけとして、1984 年に「登校拒否を考える会」を開設した。これが「東京シュ ーレ」の始まりである。親が不登校を理解するにつれて、子どもたちは落ち着きと元気を 取り戻し「友だちが欲しい」「色んな経験をしてみたい」「もっと勉強したい」という声が 増え始める。こうした成長への願いに応える形で生み出されたのが「東京シューレ」であ ったのだ。つまり、日本におけるフリースクールは、その創設の時点で不登校と深い関係 があったのである。 また、文部科学省が実施した「学校基本調査」 「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問 題に関する調査」から「不登校の子どもの数推移」というグラフデータ（図１）及び筆者 が作成した表１によれば、東京シューレの動向と不登校の子どもの数は関係があるように とらえることができる。

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図１

不登校の子どもの数推移

出典：文部科学省ホームページ （http://freeschoolnetwork.jp/wptest/wp-content/uploads/2014/06/kihonchosa.pdf） 表１

東京シューレの沿革

・1985 年、東京シューレ創設。 ・1991 年、現在の東京シューレ王子へ移転する。 ・1999 年、東京都より NPO 法人の認証を受ける。 ・2001 年、NPO 法人フリースクール全国ネットワークが発足する。 （※不登校 の子どもの数ピーク時） ・2007 年、教育特区による「東京シューレ葛飾中学校」が開校する。 ・2014 年、安倍首相が東京シューレを訪問。

以上に述べたように、日本のフリースクールの先駆け的存在である東京シューレは不登 校と深い関係を持ちながら今日まで歩んできたのである。これは、同時に現在の日本のフ リースクールの捉えられ方にもつながっていると言うことができる。本節（１）の冒頭で 述べたように、日本人は不登校とフリースクールをセットにして考えるという特有の傾向 を持つが、これは上述したような背景がもたらした現状ではないだろうか。

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（２）本論文における追究点 本論文において、筆者が考察したいことのひとつが「みんなちがって、みんないい」と いうことである。 「教育という場は、そのどれもが“普通”ではなく、またそのどれもが“異 常”ではない」ということについて、考えてみたいのである。 フリースクールについて、日本人は不登校という概念とセットにして考える特徴がある ということは先に述べた通りである。その特有の思考によって、日本におけるフリースク ールの概念は非常に狭いものとなっている。本来、フリースクールとはもっと広義にとら えられることが望ましいと筆者は考えており、狭義にとらえることによって普通と異常の 境界線を自ら形成しているような感覚を覚えるのである。つまり、より直接的に分かりや すく言うならば「学校に行っている大多数が“普通”で、フリースクールに行っている不 登校の少数は“異常”である」と、自ら境界線を引いているように思えるのだ。そして、 その境界線がもたらす弊害は大きいように感じる。 “異常である”という、人々によって形成されたレッテルを貼られた少数派の人々は、 そのレッテルによって様々な被害を受けることとなる。筆者自身も高校２年生の１年間、 保健室登校に近い状態だったことがあるが、そのときの精神的苦痛はひどいものであった。 “教室に行くことができない”という少数派に立っただけで“あの人は異常だ”というレ ッテルを貼られる。そしてやっかいなことに、そのレッテルは中々剥がすことができない。 そもそも「少数派が悪い」という根拠はどこにもないのに、少数派が異常になり問題にな るということ自体が最も大きな問題である。このように、少数派がその境界線によって受 ける被害を考えたときにも、日本におけるフリースクールの狭過ぎる捉えられ方は考える べき課題である。 フリースクールに関するこの現状を問題点として捉え、ここから思考を出発させる。 「み んなちがって、みんないい」ということについて考察し「教育という場において、そのど れもが“普通”ではなく、またそのどれもが“異常”ではない」という筆者の主張につい て本論文を通して明らかにしていきたい。そして、学校も学校外もあくまで“ひとつの選 択肢”に過ぎないということを認識した上で、 “学校外”に存在する可能性を探っていきた い。 そこで、本論文では事例研究として京都府は亀岡市にあるフリースクール「アウラ学び の森

知誠館」を取り上げる。数あるフリースクールの中で、「アウラ学びの森

知誠館」

を選んだのには理由がある。それについて述べていきたい。 「アウラ学びの森

知誠館」は、北村真也氏が代表をつとめる京都府教育委員会認定フ

リースクールである。筆者がこのフリースクールを本論文における事例研究の題材として 選んだ最も大きな理由は、このフリースクールがもつ“ビジョン”にある。知誠館は、フ リースクールを“不登校の子どもたちの居場所”とは捉えておらず、あくまで“キャリア への道”であると捉えている。 「せっかく不登校になったのだから」という視点で、そこか ら始まる物語を作っていく場である。挫折経験を経て自己の変容を促し、そこから様々な 未知の可能性との出会いを自ら構築する。このことこそが、知誠館のビジョンなのである 8

(3)

。筆者は、このビジョンに共感するとともに、自身が追究したい論文のテーマとも共通

性を見出したことから、 「アウラ学びの森

知誠館」を事例研究の題材として取り上げるこ

とにした。 第３章

亀岡市「アウラ学びの森

第１節

フリースクールの概要

知誠館」における事例研究

本節では、事例研究として取り上げる「アウラ学びの森

知誠館」（以下、「知誠館」と

表記する。）の概要について述べていきたい。ボランティアとして参加する中で考えたり感 じたりした研究の本質的な部分については第２節で述べる。 知誠館は、京都府亀岡市にある京都府教育委員会認定のフリースクールである。学校へ 通っていない若者たちの再教育や心理支援をおこなう「京都府教育委員会認定フリースク ール」、そして高校の転入や高卒資格取得を希望する若者たちのための「通信制高校サポー ト校」や「高認予備校」として、2005 年に誕生した(4)。朝・昼はフリースクールとして開 かれているが、夜には私塾が経営されており、小学生から高校生までが参加している。 （１）児童・生徒数及びスタッフの状況とプロフィール 筆者がボランティアとして参加している 2015 年 10 月現在で、児童・生徒数は 11 名。小 学生から高校既卒者まで、児童・生徒の年齢層には幅がある。 スタッフは６名で、教科担当制をとる。すべてのスタッフが常勤というわけではないた め、毎日必ず６名が揃う状態ではない。 また、児童・生徒やスタッフの状況についてもう少し詳細に把握するために、インタビ ュー調査を実施した。インタビューは 2015 年 11 月 16 日（月）に行い、スタッフ２人に対 して 30 分程度、以下に示す項目について尋ねた。児童・生徒の状況については、知誠館の 代表を務める北村真也氏に同じく 30 分程度、話を聞いた。なお、スタッフへのインタビュ ー項目は以下に示す通りである。 ●スタッフへのインタビュー項目 ①フリースクールのスタッフをしようと考えたきっかけは何か。また、なぜ知 誠館を選んだのか。 ②仕事内容について。 ③日々働く中で、どのようなことを感じているか。

以下、筆者の観察やインタビューに基づき、a）児童・生徒の背景や現在の状況，及び b） スタッフの状況について記述する。 a）児童・生徒の背景や現在の状況 9

全児童・生徒 11 名のうち、ここでは北村真也氏による話を聞くことのできた６名の状況 について見ていく。 ①生徒 A（小６） 父の仕事の関係で、小学校１年～４年まで京都府外の小学校に通っていた。小学校５年 生で京都府に引っ越してきて京都府の小学校に通い始めるも、いじめが原因で学校に行か なくなる。 ②生徒 B（中２） 中学校での「別室登校」から知誠館を訪れた。周囲の視線が気になり、家では庭に出て 洗濯物を干すこともままならない。 ③生徒 C 周囲との了解がほとんどとれないままに物事を進めるため、結果として周囲が振り回さ れてしまう。情報（とりわけよくない情報ばかり）を集めては不安になる傾向があり、そ の点では生徒 B と似ている。 ④生徒 D（高３） 頭がいいが故に学校の納得いかないシステムに不満が募り、その一方で学校に在籍して いる以上はそれに従うしかないという現実にストレスが蓄積し、我慢の限界を迎えた高校 ２年生で学校に行かなくなる。 ⑤生徒 E（高３） 通っていた小学校は、小規模校であった。元々口が立つ性格のため人間関係がうまくい かなくなり、少人数の集団であるが故に一度破綻した人間関係の修復は不可能だった。中 学校は、小学校に比べると大規模なところに進み“小学校の失敗を繰り返さないために” と優柔不断な性格を演じるようになる。しかし、その優柔不断さを教師から指摘され、ど うすればよいのかわからなくなったことで学校に行かなくなる。高校は通信制に進学する も、スクーリングが週に３日あり再び通わなくなった。 ⑥生徒 F（高３） 無気力状態で、知誠館を訪れたときは「親に無理矢理連れてこられた」というような状 況だった。 b）スタッフの状況 ①スタッフ A（男性，勤務５年目） 以前は公務員をしていたが、 「公務員だけで終わりたくない」という気持ちがあり、自分 10

に向いている仕事を考えたときに勉強を教える仕事をしてみたいと思った。さらに、上昇 志向の塾よりかは壁にぶち当たっている子を教えてみたいと考えた。 基本的に「要領のいい人間（もの）が嫌いで不器用な人間（もの）が好き」という自分 自身の性格も、フリースクールを選んだことにつながると思う。 また、給料がもらえるフリースクールが中々ないということも知誠館を選んだ理由のひ とつ。フリースクールだけの経営でスタッフに給料を支払うというのはなかなか難しい。 その点知誠館は、昼間はフリースクールで夜は塾という２本の柱で経営されており、塾が あるからこそ給料が出る。 実際にどのような経緯で働くことになったのかというと、ホームページで知誠館の存在 を知り塾長に電話をした。といっても、ホームページで知誠館の存在を知ってから塾長に 電話をするまでの間、２～３年の期間があいている。 「公務員だけで終わりたくない」とい う気持ちを具体的に実行するのに 10 年計画くらいのスパンで考えていたから。電話をして から、スタッフとして働き出すまでも様々な過程を経ている。まずは、本当に勉強を教え る仕事に向いているか・本当に自分がしたいのはこういうことなのかを確かめるために、 半年間ほど塾で週１回ボランティアをした。その後、２年半は公務員の仕事に戻った。そ の３年後、知誠館でスタッフとして働き始め今に至る。 仕事内容としては勉強を教えることはもちろんだが、それ以外に自分が担当しているこ とには、時間割（勉強の枠組み）づくり，在籍校への出席報告づくり，補助金関係，流れ をコントロールすること（たとえば調子の悪い生徒がいた場合に、どのスタッフがその生 徒と話をし、そのスタッフが担当していた勉強のフォローにどのスタッフが入るかなど） などがある。 日々の中で、所詮ひとりでできることはしれており、だからこそチームでやることの大 切さというものを感じている。元々、自分がやりたかったこととそれほどずれてはいない。 また、すごく思うのが“誰かのためにやってあげている”という意識は絶対にもってはな らないということ。“自分にとっておもしろいからやっているのだ”と思う。 ②スタッフ B（男性，20 歳代，勤務１年目） 大学受験に失敗し、 “小学校の先生になる”という夢が絶たれた。心理学部に入ったので、 何か“教育”という根幹を変えずにできる仕事はないかと考えた。その中で様々なことが ありながら、大学の指導教員の紹介で知誠館に出会う。 知誠館に来て生徒と話してみると、自分が持っていたイメージ（勉強する気力やエネル ギーがない，暗い，あまり話さないなど）とまるで違い、よく話す子どもたちだった。少 し戸惑っていたところ、 「なぜ学校に通っていたのか」という問いを投げかけられた。その 問いに「楽しかったから…」くらいの回答しかできず、これではいけないと気が付いた。 それから、色んなことを考え「なぜ学校に通っていたのか」という問いに対して、 “家族” という回答に行き着いた。自分にとって家族は、両親の不仲，不良になった兄姉，父親か らの冷遇などと複雑なもので、“学校”が逃げ場だったのではないか。「長男が大事にされ 11

る」という風潮の家系で、どんなによい成績をとっても父親からは興味・関心を持っても らえなかったが、学校は何かを覚えてテストでよい点数をとってよい成績をとれば先生に 認めてもらえる。学校のそのシステムに居心地のよさを感じていた。 でも、知誠館の子どもたちを見て、これはつまらないと思った。もっと豊かに生きるこ とができたかも知れないと思った。学校は覚えてテストでそれを書けばよかったが、知誠 館で出会う子どもたちは“自分で答えをつくっていく”。社会での答えは自分で作っていく ものではないのか。それでは、結局学校へ行くことが正しいと言えるのか，行かないこと が悪いと言えるのか。 そこから、修士論文を書いた。その中で、知誠館の子どもたちの現状や自分自身につい て言語化し、それによって新しい自分が構築されていく（変容）のがおもしろかった。 そのような流れで、知誠館で働くことになり今に至っている。 担当している仕事としては、知誠館の活動の発信・広報（ブログ，動画サイト等）。ただ、 それは誰でもできるように思うので、自分にしかできない何かを考えたときに“在籍する スタッフの中で最も生徒と年齢が近い”ということを考えた。それを生かして、生徒と共 に悩み苦しむ中で、「お互いの言葉の証人になる」ということを目指している。 知誠館での毎日は、不思議に思うこと（変容）がたくさんあって、それがおもしろいし たのしい。“仕事”という感覚はなく“勉強”という感覚でいる。「わけがわからない！」 ということの連続ですごくおもしろい。 以上がインタビューから見えた児童・生徒やスタッフの状況や様子である。筆者自身が ボランティアに行く中で見たり聞いたり感じたりしたことについては、本章の第２節でよ り詳細に記していく。 （２）授業・プログラム(5) 「アウラ学びの森

知誠館」においては、４つのコース（①学校連携中学入試サポート

コース，②学校連携高校入試サポートコース，③高卒資格取得大学入試サポートコース， ④高認受験大学入試サポートコース）が用意されており、学習者によって選択が可能とな っている。 「学校連携中学入試サポートコース」と「学校連携高校入試サポートコース」は、小中 学校に通わない子どもたちへ向けて開かれているコースである。小中学校の年齢にある子 どもたちは、義務教育により学習が保障されている。さらに、京都府教育委員会の認定フ リースクールであることから、知誠館への出席は在籍校の出席として認定される。また、 交通機関を利用して通学している児童の場合、在籍校より通学証明が出され、通学定期を 購入できるようになっている。定期テストに関しては、児童・生徒の在籍校とテスト範囲 などの情報を交換しながらテスト対策の学習を通常の時間割の中で行っている。また、す べてがそうではないが、定期テストを在籍校で受験することが難しい生徒は、知誠館での 受験が可能となる場合がある。 12

「高卒資格取得大学入試サポートコース」と「高認受験大学入試サポートコース」につ いては、前者は高校へ入学したものの通えなくなってしまった人や高校をやめてしまった 人，社会人などを対象として開かれており、後者は高校へ通っていない人を対象として開 かれている。 前者は、知誠館との連携校である通信制高校に在籍しながら学ぶ仕組みになっており、 知誠館に通いながら通信制高校のレポートを作成し、単位認定試験を受けることで高卒資 格を得ることができる。また、同時に高校と情報交換をしながら大学・短大・専門学校と いった進路への準備も進めることのできるコースである。 後者は、文部科学省が年に２回実施している高認試験（高等学校卒業程度認定試験）に 合格し、大学・短大・専門学校の受験資格を得るという方法である。特に高校を１年以上 修了している場合、試験免除となる科目があり、不足している科目の試験に合格するだけ でよいため、短期間で高認に合格できるというメリットがある。この利点を上手く活用し、 高認に合格した後の残りの時間を大学受験の準備にじっくりと充てることも可能となるの がこのコース最大の特長である。 他にも、 「ホームスクール」という週１回のペースで開かれるスクーリングのコースもあ る。他の生徒との関わりや人間関係に不安を抱いている人を対象に新設されたコースで、 他の生徒がやって来ない毎週水曜日にスクーリングを受け、１週間の学習内容を提出し次 の１週間の課題を受け取る。心理的なケアや学習相談，進路相談も個別に受けることが可 能である。また、出席認定については、通学は週に１回だがメールや FAX 等で学習の進捗 状況を知誠館と交わすことによって出席認定が得られる場合もある。 授業や活動としては、他のフリースクールでよく見かける“体験プログラムがメイン” というよりは日々「学習」が行われている。時間割が存在し、それは児童・生徒一人ひと りによって異なる固有のものである。１日３コマの授業で構成されており、１コマにおけ る時間が１時間 20 分である。授業の様子としては、基本的には私たちが一般的にイメージ するいわゆる“学校の授業”とは違い、個別塾のような進め方である。児童・生徒が問題 集などをひとりで解き、スタッフが丸付けやわからない点の解説などをしていく。 （１）で も述べたが、スタッフは教科担当制をとっており、コマによって担当するスタッフが違う。 しかし、時間割やスタッフの担当教科はどちらも非常に流動的なものであり、一応定めら れてはいるもののその日によって違うことのほうが多い。 また、基本的には個別の学習であると述べたが、筆者がボランティアとして参加してい る月曜日には少し違った活動が行われている。 「読書ゼミ」という活動である。ある作品に ついて、児童・生徒またスタッフも参加しながら解釈したり議論したりして作品に対する 考えを深めていく。また、児童・生徒が自ら設定したテーマに関する発表をすることもあ る。この活動については、本章第２節において詳しく述べる。 （３）その他の活動やプログラム(6) 知誠館における普段の学習以外にも、教室を超えた枠組みで様々な活動が実施されてい 13

る。例えば、「語りの活動」と「体験活動」である。 前者は、その名の通り「コトバを手に入れる語り合いの機会」である。コトバは非常に 重要なもので、不登校やひきこもりの経験をもつ子どもたちの変容にあたって大きな意義 をもつと考えられる。知誠館では、 「語り」を通した様々な活動が実施されており、子ども たちは好きな場を選んで参加することができるようになっている。 「語りの活動」には大きく３つあり、１つは「森の語り場」という活動である。これは、 子どもたちが自分自身のライフストーリーを語るという活動内容となっており、 「語り」を 通して過去の経験の対象化と再構築を行うという目的のもと実施されている。この活動は、 筆者自身がボランティアとして知誠館に参加しながら取り組んでいたことにも共通する部 分があるように思うが、 “自己を省察する”という観点から見ても意義のある活動であると 考えられる。自己を対象化しながら自分自身について“コトバ”という媒体を通してふり 返ることにより、冷静に過去の自分を認め受け入れることができるとともに未来の自分を 再構築していくことにもつながるのではないだろうか。さらに、 “人の前で”話すというこ とによって、自分の過去が周囲から認められたという確認も行うことができる。これは、 自分を対象化するにあたってもよい環境なのではないかと考える。 また１つは、 「森の出会い場」という活動である。政治家，パン職人，NPO 代表，美容師 など様々な仕事へのこだわりを持った大人たちの世界に出会うという活動内容である。何 の仕事をしている大人に会いたいかということについては、あらかじめ子どもたちからリ クエストを聞くという形がとられている。筆者は１度この活動に参加したことがあるが、 そのときは僧侶との出会い場であった。子どもたちは自分自身の考えや感想もしっかりと 言葉にして伝えることができており、“大人”や“仕事”に対する強い興味がうかがえた。 自分の将来を見つめ直すにあたってこうした大人たちの世界に触れてみるということの果 たす役割は大きいように思う。 最後に１つは、 「ラウンドテーブル」という活動である。これは、不登校・ひきこもりの 支援者たちの学びの場として始まったディスカッションテーブルである。 “当たり前の支援” について問い直すということをテーマとし、参加者は皆肩書をはずしてあくまで個人とし てこの場に参加している。参加者は、行政や教育・福祉といった領域の支援者，フリース クールに通う若者やひきこもりの経験者といった被支援者，さらにはその親までと様々で ある。また、年に１回公開ラウンドテーブルが開催されている。 以上の３つのような活動が「語りの活動」として展開されている。 また、後者の「体験活動」とは、端的に述べるならば“教室の枠を飛び出した活動”で ある。フリースクールには様々な子どもたちや若者が通っており、ひとつのコミュニティ が形成されているが、その中で“自分がその輪にどのように参加していくのか”というこ とも、子どもたちや若者にとって自己を変容させるにあたって重要な要素のひとつとなっ てくる。そこで、 「アウラ学びの森」においては、教室を飛び出した体験活動を企画・実行 しながらコミュニティへのきっかけ作りをしている。これまでに実施された体験活動とし ては、 「日吉の森へ行こう！」 「家島プロジェクト」 「もくもくファームでソーセージを作る 14

ぞ！」「卒業記念、ボーリング大会」などが挙げられる。 第２節

フリースクールの活動の実際とその意味

本節は、本論文において核となる節と位置付ける。ここでは、筆者が実際に「アウラ学 びの森

知誠館」にボランティアとして参加しながら感じたことや考えたことについて、

具体的に述べていく。また、研究対象であるフリースクールのことのみならず、自己省察 という観点から筆者自身についてもふり返ることで考えをより深化させていきたい。 知誠館での一瞬一瞬はまさに生きており、どの場面をどのように切り取っても私の考え る本論文のテーマと本質的につながっている部分が多かったように思う。また、それは同 時に筆者が筆者自身について振り返り、思考する機会でもあった。本論文第２節（２）に おいても触れたが、筆者は高校２年生の１年間“保健室登校”と呼べるか呼べないかとい ったラインの学校生活を送っており、保健室に入り浸るようになってから約１年間はほと んど１度も教室でお弁当を食べたことがなく休み時間は必ず保健室にいた。あの１年間は、 今この論文を卒業論文として執筆している筆者にどんな意味をもたらしているのだろうか。 筆者が教室へ行かずに保健室へ行っていたことは“間違っていた”のだろうか。また、な ぜ筆者は教室へ戻ったのだろうか。そして、その選択は“正しかった”のだろうか。 知誠館という場について、そこに通う子どもたちについて、筆者について、本節では（１） 「みんなちがって、みんないい」ということ， （２）変容についての２つの観点から考察を 加えてみたい。 （１）「みんなちがって、みんないい」ということ 知誠館を特徴づける要素のひとつが「みんなちがって、みんないい」というキーワード であると筆者は考えている。また第２章第２節でも述べたように、同時にこれは本論文の 追究点でもある。以下に、このキーワードに関連して３つのエピソードを観点として取り 上げた。 a）生徒 B との会話から ある日の知誠館での昼休み、スタッフと筆者が卒業論文について話をしていたところ… 筆者：たまたま先に“学校”というものがあって、 “登校”というのはそれに付随する 形で出てきた言葉。それに対して“不登校”という言葉が出てきて、学校に行かない人々 を批判的に見るようになった。でも、それはおかしくないか？そもそも、 “学校へ行く・ 行かない”なんて“みかんが好きな人・りんごが好きな人”くらいの違いではないか。 スタッフ：B さん、ちょっと聞いてみて。 B さん：私も、それ考えていた。しんどいときは“私は正しい。”と思うようにしてい る。個性だと思う。金子みすずの“みんなちがって、みんないい”みたいに。

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日常の何気ない会話の中で、知誠館に通う生徒の口から「みんなちがって、みんないい」 という金子みすずの詩のフレーズが登場した。そして、ボランティアを続けるうちに、こ の言葉は実は知誠館をオルタナティブ教育の実践の場として見たときに、知誠館を構成す る非常に重要な要素のひとつになるのではないかと思い始めたのである。 b）「同じベクトルで進む」ということ スタッフとの会話の中で、「同じベクトルで進む」という言葉が登場した。 今までの既存の学校と知誠館のような場を比較した場合、その大きな相違点のひとつが “ベクトルの示す方向”である。以下の図（筆者が作成）は、既存の学校と知誠館それぞ れにおけるベクトルを示したものである。

〈既存の学校〉

〈知誠館〉

教師

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この図を見れば、既存の学校はベクトルの示す方向が一方向であり、且つベクトルの発 信者はひとり（この場合はその多くが教師）であることがわかる。一方で知誠館は、生徒 もスタッフも関係なく全員が同じ方向に進もうとしていることがわかる。知誠館にも“全 体のコーディネーター”は存在するが、その役割は生徒もスタッフも関係なく誰でも務め ることが可能である。 このことは学校に通っていた者なら、自身の学校生活を振り返ってみることでよく理解 できるであろう。既存の学校の場合、その多くは教師が前に立ち授業を行うというスタイ ルをもっている。筆者の通っていた学校も、まさにそのスタイルであった。教師が教壇に 立ち、話す。そのときに生じるベクトルは一方向であり、教師に指名されたものが問いに 答えるというようなやり取りを除けば、双方向の対等なやり取りはほとんど存在しない。 これが悪いと言っているのではない。教育が一般化される以前からの歴史をさかのぼって みても、学校というものが誕生したその当時から既に“教師”と“生徒”の間の明確な境 界線は存在しており、そのシステムを大前提として今日まで進められてきたのが“学校” である。実際に、学校が果たした成果も多くあると言えるだろう。 一方で、知誠館におけるベクトルはこれまで述べてきた既存の学校におけるそれと少し 違っている。知誠館においては、スタッフと生徒という境界線は存在するもののスタッフ が教壇に立ち授業を行うということがほとんどない。それどころか、そもそも知誠館には 教壇も黒板も“あらかじめあるもの”としては設置されていない。生徒は、みんなそれぞ れのスタイルでそれぞれの教科を自分で勉強している。担当のスタッフはいるが、いつも その生徒に張り付いて指導を行うわけではなく、生徒にとって必要なタイミングで声かけ や問題の丸付け，助言をする。また、知誠館には独自の授業スタイルをもつ“ゼミ”と呼 ばれる時間があり、そのときはスタッフも生徒も関係なくあるテーマを設定し、それの提 案者が前に立ち発表を行い、そのテーマや発表に関連してスタッフも生徒も交えた全員で 議論をする。つまり、スタッフ・生徒という区別は存在するが、 “全体のコーディネーター” は必ずしもスタッフであるとは限らない。学校の場合、前に立ち授業を行ったりあるテー マを発信したりとその場の“全体のコーディネート”を行うのはほとんど確実に教師であ るが、知誠館では生徒・スタッフを問わずに誰でもその立場を務めることが可能であると いうことである。 ここで「みんなちがって、みんないい」というキーワードに立ち返ってこの“ベクトル” について考えてみたい。 「みんなちがって、みんないい」という言葉を具体的に示す状態は、 “境界線が存在しない状態”であると筆者は考えている。それぞれに異なる価値観や嗜好， 性格をもった人々がいて、それらすべての人々が共存している中で意識上の境界線が引か れておらず「全員ちがうけど、全員いい」という状態。それがまさしく「みんなちがって、 みんないい」を具現化した状態と言える。そのようにこの「みんなちがって、みんないい」 というキーワードを定義したときに、 “全員が同じベクトルをもって進む”という知誠館の スタイルは、このキーワードに通ずるものがあるのではないだろうか。

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c）読書ゼミ 「同じベクトルで進むということ」においても説明をしたが、知誠館には“ゼミ”と呼 ばれる時間があり、生徒やスタッフ問わずテーマに関連して議論が行われている。前述し たように生徒がテーマを設定するときもあるが、それ以外のときは“読書ゼミ”という名 前で、国語科担当のスタッフが生徒の要望に沿って選んだある作品について何名かで“読 み込む”という活動が行われている。筆者が参加した中では、夏目漱石の『第十夜』や西 島伝法の『皆勤の徒』森鴎外の『高瀬舟』などが題材として取り上げられていた。この読 書ゼミは、作品の解釈を限定しておらず全員が非常に自由に議論をしているという点に特 徴があり、 “議論を尽くす”ということに重きを置いているような印象を受けた。学校では、 教科書や指導要領があるため、それに沿った解釈を“正解”と定め、正解によせていくよ うな指導が行われる傾向がある。しかし、知誠館の“読書ゼミ”では、何を正解とも定め ずひたすらに議論を尽くすというスタイルで授業が展開されていた。 具体的な例を通して説明したい。森鷗外の『高瀬舟』という作品が取り上げられた読書 ゼミを例として挙げる。 『高瀬舟』は森鷗外の名作であり、中学校の授業でも取り上げられ ることが多い。弟殺しをした罪人・喜助が高瀬舟に乗せられたところ、喜助の晴れやかな 表情を不審に思った護送役の庄兵衛が喜助にその訳を尋ねるというところから物語は展開 する。喜助が語る“弟殺し”の内容がキーワードとなる作品で、授業などでは“安楽死” について作品を通して考えるというまとめ方をされるケースが非常に多い。しかし、読書 ゼミでの議論を通して作品の持つもうひとつの恐ろしい解釈が見えてきたのである。 この作品は、喜助の語る弟殺しの真相が医者である鷗外独自の視点から非常に生々しい 表現で描かれている点が何よりも印象的で、余韻が強烈に残る。だからこそ、注目されに くいのが物語の前半部分である。弟殺しの真相を喜助が語りだす前にも喜助と庄兵衛のや り取りはあり、そこから喜助の罪人になる前の著しく困窮した生活の様子や借金に苦しむ 様子が読み取れる。病気の弟を抱えていたことにより困窮がますます加速していたとした ら、また、弟の病気の治療にかかるお金を工面するための借金だとしたら、この物語はど う読み取れるだろうか。それだけではない。喜助が弟殺しの真相を語る場面にこんな表現 がある。 “わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、まっすぐに抜こうというだけの用心はい たしましたが、どうも抜いた時の手ごたえは、今まで切れていなかった所を切ったよう に思われました。”（森鷗外『高瀬舟』より抜粋） このとき、喜助は本当に用心していたのだろうか。ただでさえ困窮状態の中で病気の弟 を抱えていたことは、弟を殺すに相当する理由に充分なりうる。もし、それを意識してい なかったとしても、そこに未必の故意が働いていた可能性はないだろうか。 このように考えると、この物語のもうひとつの面が見えてくる。これは、安楽死がテー マのようで、実は喜助による弟殺しの物語なのではないか。悲劇の兄のように見える喜助 18

は、本当は自らの意思で弟を殺した犯罪者なのではないか。さらには、 “死ぬこと”と“殺 すこと”の境界線は何なのか。安楽死を選ぶことは、本当に殺人ではないのか。 読書ゼミで、このような議論が『高瀬舟』をめぐって交わされた。解釈を限定しなかっ たからこそ、できた議論であると思う。もし、解釈を“安楽死”に限定しそれについての み考えることになれば、人間の思考はそこで停止してしまう。何を正解とも定めず自由さ を持ちながら議論するからこそ、その解釈はより豊かになるのではないだろうか。 ここで、 「みんなちがって、みんないい」というキーワードに立ち返って、読書ゼミにつ いて考えてみたい。読書ゼミでは、前述したように何を正解とも不正解とも定めない独自 のスタイルを持っている。だからこそ、生徒同士で様々な違った意見が交わされ思考が刺 激され、その結果として物語の解釈が豊かになる。この“何を正解とも不正解とも定めな い”という姿勢は、そのまま「みんなちがって、みんないい」に通ずるものがあるのでは ないだろうか。 また、それによって物語の解釈が豊かになるという点にも着目したい。 「みんなちがって、 みんないい」という状態は、相互の理解をあきらめている状態ではないということである。 A という人がいて B という人がいて C という人がいる。当たり前のことだが、それぞれに違 う人である。ゆえに、何もかも違っている。しかし、 “ちがう”ということは拒絶にはつな がらない。“ちがう”からあきらめるのではない。むしろ、“ちがう”からこそ自分自身の 枠が広がるのではないだろうか。 “ちがう”解釈を知ることで作品に対する自分の解釈が豊 かになる。それはさらに意味を拡張してとらえると、 “ちがう”人を知ることで、自分や自 分の人生が豊かになるということではないだろうか。 “わたしは学校へ行っていない、でも あの人は学校に行っている” “ぼくは学校に行っている、でもあの子は学校へ行っていない” そして、わたしもあの人もぼくもあの子も「みんないい」のである。そのことを知ってい るのといないのでは、自分自身の豊かさがずいぶんと違ってくるように思う。 「みんないい」 というのはそのことを示しているのだと筆者は解釈している。 （２）変容について 知誠館において、重要なキーワードとなることのもうひとつが「変容」という言葉であ る。知誠館という場にあるひとりの人間が関われば、その間には必ず変容が起きる。知誠 館ではその変容を非常に大切にしている印象を受けた。以下に、 「変容」という言葉に関連 していくつかの観点から考えてみたい。 a）「不可欠に関わる」ということ “変容”とは何だろうか。このことを理解するにあたって「不可欠に関わる」という言 葉の意味について考える必要がある。 知誠館という場に筆者はボランティアとして“参加”している。あるひとりの人間が場 に“関わる”ことによって、その場や人は絶えず揺らぎ変容する。この場合の“関わる” が示す内容としては、何らかの能動的な意味を構築するために自らその場に対して働きか 19

けを行うことであると筆者は解釈している。つまり知誠館という場は、それを特徴付ける 要素のひとつとして“絶対的でない”ということが挙げられるのである。 「誰かがいてその 場がある」という互いにとって不可欠な相対性の中で知誠館という場は存在しているのだ。 一方で、既存の学校はどうだろうか。いい意味でも悪い意味でもなく事実として、学校 には“学習指導要領”や“生徒指導提要”などといった法における絶対的な価値観が存在 する。また、 “義務教育”が国民の三大義務のひとつに定められており、親は子に小中学校 の間教育を受けさせなければならないということが法律で義務付けられている。そのため、 ほとんどの子どもたちが法律の定める一条校に小中学校の間は通うということになってい るのである。もちろん、学校も流動的な部分は非常に多く、人によって構成される場であ るがゆえに人が変わればその場も変わっていく。しかし、その中でも法によって定められ た一定の価値観は法改正がなされない限り変わらない。さらに、義務教育によってもたら された“学校は通わなければいけないところだ”という人々の意識も払拭することが難し い。その意味で、学校は“絶対的である”ととらえることのできる側面も持ち合わせてい ると考えることができる。 知誠館においては、知誠館という場に参加者 A が参加することによって両者の間に“揺 らぎ”が発生する。場そのものも変化し、参加者である A 自身も変化をする。そして、そ の“変化をしている”という状態そのものが、双方にとって「互いに不可欠に関わってい る」ということの証明になりうるのである。 b）いちごの理論 ここで「不可欠に関わる」というキーワードに関連して、考えておきたいことがある。 「不可欠に関わる」とは、不可欠に“なる（ために自分自身が変わる）”ことなのか不可欠 で“ある”ことなのかということである。この論点について考えるにあたって、適当な話 がある。以前に筆者の友人が語っていた「いちごの理論」である。この理論の内容を大ま かに述べるとすれば以下のようになる。 “すっぱいいちごがひとつあったとする。そのいちごはもっとたくさんの人に好かれ たいと願い、甘くなる。確かに、甘い味が好きな人はそのいちごのことを好きになるだ ろう。しかし、すっぱいままの方がよかったのに…と感じる人も必ずいる。結果、全体 としてそのいちごを好きな人の数は変わらない。それなら、無理に変わる必要はないの ではないか。” 「不可欠に関わる」というキーワードについて考えたとき、筆者はまずこの話を思い出 したのである。いちごの理論から先の論点について考えるとするならば、 「不可欠に関わる」 とは、甘くなる必要があるのか，すっぱいままでいいのかということになる。 ここでキーワードとなるのが“揺らぎ”という言葉である。ある場とそこへの参加者 A がいたとして、その両者の関係の中で“揺らぎ”が生じているということは、言葉の通り 20

その関係性は一定に留まらないということである。つまり「今日はこうだった、でも明日 はこうかも知れない」というように関係性は非常に流動的であり、その方がむしろ望まし いとされるのである。流動的で一定に定まらないその関係性こそが“両者が互いにとって 不可欠に関わり合っている”ということの何よりの証明になりうるのだ。 いちごの理論に話を戻せば“すっぱい”にも“甘い”にも留まらず、その間を常にゆら ゆらと揺らいでいる状態が「不可欠に関わる」状態であるということができる。 c）デザインされた環境 知誠館では、月に１回「学び場」という場が設けられている。これは、フリースクール の活動として行われているものではなく、参加者も大学教授から大学生，知誠館のスタッ フなど多種多様である。筆者は、2015 年 11 月４日に開催された学び場に参加し、そこで 「変容」に関わる重要なキーワードと出会った。それが「環境」である。ここではそれに ついての筆者の考察をめぐって、アフォーダンス理論と場の思想という２つの観点から述 べていきたいと考える。 11 月の学び場のテーマは「若者支援をめぐる社会包摂と学び直し」と設定されており、 “これまでの若者支援の現状は「社会包摂」と「社会統合」が混同されているのではない か？” “協働的な「社会包摂」を成立させるためには、マイノリティの側もマジョリティの 側も共に更新性を前提とした自律的学習者としての姿勢が必要ではないか？” “したがって 「社会包摂」に向かう支援は、必然的に学びへと向かうのではないか？”という３つの論 点について議論を交わした。その中で、筆者にとって引っかかったある言葉がある。 「自然 と変容を促す」という言葉である。これは、一見するとすんなりと納得できるように見え るが実は大きな矛盾をはらんだ言葉である。 “促す”という動詞がある時点でそこに何者か の意図が働いているということは明白であるにも関わらず、文章全体が“自然と”という 言葉で修飾されている点である。何と矛盾に満ちた言葉であろうか。しかし、この言葉は 知誠館を構成する要素のひとつとして非常に重要なキーワードとなると筆者は考えるので ある。 たとえば、何気ない知誠館の日常の中で、特に何の気もなしにある者が発した言葉が誰 かに痛切に突き刺さることがある。悪い意味ではなくいい意味で、誰かの変容の契機とな る可能性を持った言葉が意図せずに発せられるのである。これはどういうことなのだろう か。 その言葉を発した者自身はもちろん何の意図も持っていない。しかし、言葉はぴたりと 誰かに刺さり、それが変容の契機となる。知誠館の毎日はそんなことの連続である。 「 環境」 という観点からこの事象について考察した場合、ある仮説が浮かび上がる。 “知誠館”とい う場を構成する一つひとつの環境があらかじめ何者かの意図を持って綿密に計画されたも のだとしたら…。このように考えればその言葉の持つ矛盾も納得できる。知誠館というあ らかじめデザインされた環境に身を置くことで、そこにいる者が発する言葉にも隠れた意 図が間接的に働いているということである。何の意図もない環境と比較すれば、必然的に 21

「意図せず言った言葉が誰かにささる」という事象が発生する確率も高くなる。 筆者のこの仮説を論証するにあたって、それを裏付ける２つの理論を取り上げたい。ア フォーダンス理論と場の思想である。以下に、その２つの理論それぞれに基づいた考察を 述べる。 ①アフォーダンス理論（ジェームズ・J・ギブソン） 「アフォーダンス理論」とは、アメリカ合衆国の心理学者であるギブソンが提唱した理 論で、動物と環境（もの）との間に起きる行為の関係性について述べられている。この理 論を端的に言えば、私たちは「見ている」 「聞いている」のではなくのではなく「見させら れている」「聞かされている」のだということについて言及した理論である。 あるモノがあったとしてそのモノに備わった“行為の可能性”がアフォーダンスである とギブソンは述べており、アフォーダンス理論によれば椅子には「座る」というアフォー ダンスがあり、大地は「歩く」というアフォーダンスを備えているということができる (7)。 この理論を知誠館に応用して考えてみたい。知誠館の環境を構成する要素は実にさまざ まである。少し変わった机の配置，流れている BGM，部屋の中心にある大きな木と丸いテ ーブル，庭にある大きな木と丸いテーブル，学習書から漫画まで様々な本が揃えられた本 棚…など、知誠館の環境を構成する要素を挙げだせばきりがない。その一つひとつが明確 な意図をもってあらかじめ計画されたものであるとしたら、 「自然と変容を促す」という言 葉の矛盾も納得できるように感じる。変容の契機となるタイミングが生じやすいように計 算して環境を構成する，いわば確率論であるということができよう。 実際に筆者がボランティアとしてこの場に参加する中で感じたことだが、知誠館の参加 者たちと環境は確かに共鳴し合っているように見える。みんな各々お気に入りの席に座り ながらも、読書ゼミや語り場などは中心にある大きなテーブルに集まって行っている。ま た、生徒たちは BGM にも敏感で、ある日 BGM がいつもと違うとそのことに反応し「こっち が好きだ。」 「僕も。」などと和やかに話している様子も見受けられた。直接的に何か変容の 契機となっている場面を目撃したわけではないが、確かに環境が参加者たちに何らかの影 響をもたらしているということはその様子からうかがえる。このような日々の中で参加者 たちは、意図された環境によって“自然と変容を促されている”のだと、アフォーダンス 理論や知誠館での実際の様子を通して感じた。これは、筆者の仮説を論証するひとつの根 拠になりうるであろう。 ②場の思想（清水博） 「場の思想」とは、日本の科学者であり東京大学名誉教授の清水博が提唱した思想であ り、彼の著作のタイトルにもなっている。ここでは「自然と変容を促す」というキーワー ドについて場の思想という観点から考察したい。以下に、清水博の著作である『新装版 場 の思想』より一部分を抜粋したものを示した。

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生命の基本的な性質として、生きものには局在的な活き「局在的生命」と遍在的な活き「遍 在的生命」という二種類の活きが同時的に存在していることがわかる。局在的生命は物質 に強い結びつきをもった生命であり、遍在的生命は逆に活きとしての生命相互の繋がりと 空間的な広がりを濃厚にもった生命である。私の考え方は生き物と生命の二重性をかつて の肉体と精神のように二項対立的にとり扱うのではなく、局在的生命の活きと遍在的生命 の活きの相互誘導合致という形式で論じることである。相互融合合致とは、局在的生命が 遍在的生命に包まれるようにお互いに相手を誘い合いながら、次第に結びつくという意味 である。そしてこの相互融合合致によって二種類の活きの間には相補的な関係性（相補的 二重性）が存在していることがわかってくる。この生命の相補的二重存在性こそ「生命的 存在の原理」なのである(8)。

創造とは過去からの軌跡の上を生きている局在的生命としての自己が限りなく遍在的な ―したがって自己の意識の限定能力を超越する―純粋生命の場に出会い、その場によって 相互誘導合致をうけることによって、自己の存在の根底に暗在的な状態として移された状 態から何ものかが自覚可能な表現の形で意識の上に現出することである。この現象を自己 の方から観れば、相互誘導合致によって場の活きを自己の方へ引き寄せるということであ り、双方からの誘導が合致した瞬間に創造的な飛躍が意識されるのである (9)。

筆者の解釈によれば「局在的生命」とは自己の肉体に宿る“内在的な生命”であり、一 方で「遍在的生命」とは自己の肉体を離れたところに存在する“外在的生命”であると言 うことができる。それぞれが互いに働きあう中で、両者間には相補的な関係性が存在して いる。また、p.31 からの抜粋部分に“相互誘導合致とは、局在的生命が遍在的生命に包み 込まれるようにお互いに相手を誘い合いながら、次第に結びつくという意味である。”とあ るが、これは自己の中に留まる「局在的生命」が環境や人といった外的要因との相対性の 中に存在する「遍在的生命」によって包み込まれることで“相互誘導合致”の状態になる ということを意味した文章であると考える。この“相互誘導合致”は、言い換えれば「不 可欠に関わる」ということでもあり、あるひとりの人間の中で２つの生命が密接かつ不可 欠に関わり合うことで自己が形成されているということができる。知誠館において人間（参 加者）と場は不可欠に関わり合っているが、人間の中にこのような生命の二重構造がある 以上、人間と場が不可欠に関わり合うこと自体もそもそもこの二重構造の上に成立するも のである。 ここで「自然と変容を促す」というキーワードに話を戻して考えてみたい。アフォーダ ンス理論では、環境に秘められた必然性，つまりデザインされた環境という環境自体がも つ要因に焦点を当てて考えてきた。場の思想にももちろんそのような面はあるのだが、こ こでは環境ではなく自己がもつ要因について考えていきたい。 「自然と変容を促す」というからには、当然“促す側”と“促される側”がいる。アフ 23

ォーダンス理論では、変容を促す側，つまり環境について述べた。 “促される側”とは、知 誠館においては参加者，つまりは人間である。デザインされた環境に身を置く我々自身に ついて考察してみたいのである。 先に述べた「場の思想」によれば、人間の生命は二重構造の上で成り立っている。ひと つが内在的な「局在的生命」もうひとつが外在的な「遍在的生命」である。ここで確認し ておきたいことが「自然と変容を促す」という状態が成立するためには“促される側”で ある人間にも促される準備やその前提条件が必要であるということである。 “促す”とは基 本的に“促す側”が主となる働きではあるが、 “促される側”にもある程度の前提が成立し ている必要がある。つまり、人間の生命を構成する２つの生命のうち環境などの外的要因 との相対性の中で存在する「遍在的生命」が「自然と変容を促す」という状態を構築する にあたって非常に大きな役割を果たしているということである。場の思想で述べられてい る人間の生命における二重構造は、 「自然と変容を促す」という言葉の矛盾を理解するにあ たって重要な根拠となるだろう。また、同時に筆者の仮説を根拠づけるものでもある。 （３）本節のまとめ 本節では、知誠館の活動の実際とその意味について「“みんなちがって、みんないい”と いうこと」 「変容について」という２つの観点から述べてきた。どちらも知誠館を特徴づけ る非常に重要な要素であり、また同時に知誠館の果たす役割が“不登校支援”ではなくあ くまで学校とはちがう“もうひとつの教育のあり方”であるということを根拠づける要素 であったと思う。 さらに、本節で取り上げた上記２点の観点は互いに密接に関連し合っていると筆者は考 えている。現代における学齢期の子どもたちを取り巻く環境は“多様性”というものが非 常に認められにくいという特殊な構造をもっており、その証拠となるのが“学校”に絶対 的な価値を置くという教育のシステムそのものである。そのような環境で「学校へ行かな い」子どもたちは負のレッテルを貼られ、それによって大変つらく苦しい思いをする。そ れが、知誠館に通う生徒たちであり高校２年生の筆者自身でもあるのだ。 しかし、知誠館に通う生徒たちは“知誠館”というデザインされた環境で過ごす中で次 第に「変容」していく。そして、少しずつ「みんなちがって、みんないい」ということに 気づいていくのである。 “わたしはわたしである”と過去の自分も今の自分も自分自身の中 で対象化し受け入れることができるようになる。そのようなプロセスを知誠館で歩むのだ。 知誠館の“語り場”という活動で生徒 B が語っていた言葉にこんな言葉がある。 “知誠館に通っていることを始めは「恥ずかしい」と思っていた。でも、今は「わた しはわたしだ」と思える。” この言葉は、筆者が述べた「みんなちがって、みんないい」と「変容」の２点の結びつ きをまさに生徒 B が知誠館で体験したことの証明になりうるのではないだろうか。生徒 B 24

が感じていた“恥ずかしい”という感情は、負のレッテルを貼られたことによる劣等感や 背徳感に起因するものであろう。始めは知誠館に通うことに対してそのような感情を持っ ていた生徒 B だが、次第に「わたしはわたしだ」と思うことができるようになる。この生 徒 B は「みんなちがって、みんないい」という言葉を筆者との会話の中で使った生徒と同 一人物であるが、この生徒は負のレッテルを貼られつらく苦しい思いをする中でおそらく “豊かに生きてくることができた”のであろうと推測することができる。 ここで、本論文の目的を改めて確認しておきたい。そもそも、本論文を書くにあたって の問題意識は“不登校は問題である”という現在の一般的な意識への違和感を出発点とし ている。日本には現在、 「教育を受けること」に関して“登校”か“不登校”という言葉し か存在しない。しかし、諸外国には“ホームスクーラー”などという言葉があり、その言 葉が象徴するように“学校”へ行っていなくても様々な教育の場が存在し、それが社会的 にも認められているという風潮がある。日本人にとっては、諸外国で言うところの“ホー ムスクーラー”でさえ「不登校」という一種のレッテルを貼られる存在なのである。その 現状に対して違和感を覚え、学校外をあくまで教育を受けるひとつの選択肢として考える ためにこのテーマを設定した。 知誠館は、その場を「不登校児童・生徒の居場所」とは考えていない点に筆者の主張と 大きく共通する部分がある。そして、それを特徴づける要素として「みんなちがって、み んないい」 「変容」という２つの観点があるということが本節を通して根拠づけることがで きた。また、２つの観点が相互に密接に関わり合っているということについても先に延べ た通りである。次章では、本論文全体を通じてのまとめと考察を述べる。 第４章

まとめと考察

「学校」という正しく見える囲いの中で、特に何にも考えずに何となく過ごすことは実 に簡単である。しかし、筆者は高校２年生の１年間を保健室で過ごしたという経験から「学 校」といういかにも正しそうな囲いに少しずつ疑問を抱くようになった。それでも、高校 ３年生の４月には教師や親による尽力で教室に戻ることになる。 卒業論文をこのテーマに設定したことで、筆者は再び自分の中の高校２年生という期間 と向き合うことになった。あの１年間がなければ、おそらく今このテーマで論文を書いて はいないだろう。現在の筆者に何らかの影響をもたらしていることは明白な事実である。 １年間はただつらかった記憶しかない。それは今でも変わらず、過去になったからとい って何となく必要以上に美化されてはいない。しかし、今になってひとつだけ思うことは 「私はあの１年間分おそらく豊かに生きてこられた」ということである。あのまま何も考 えずに高校を卒業することは簡単だっただろう。しかし、高校２年生で保健室に通うよう になってから“学校”というものについて嫌でも考えるようになった。 「なぜ、学校に行か なければいけないのか」について、学校に行きたくない，どうしても行くことができない 状況になったからこそ初めて考えることができたのである。 知誠館に通う生徒たちは、筆者の想像よりも“よく話す”子たちだった。普通に勉強を 25

して普通に友達とおしゃべりを楽しむ。もちろんそれぞれに困難さは抱えていたが、それ は何も知誠館に限ったことではない。学校に通う生徒たちもそれぞれに困難さを抱えてい る。したがって、正直な感想としては全く“問題である”とは感じなかったのである。日 本には“登校”か“不登校”という二項対立の概念しかないため、知誠館に通う子どもた ちは当然“不登校”の生徒たちである。 “不登校”は日本では非常に問題視されており、そ れだけで負のレッテルを貼られる。知誠館に通う生徒たちも一旦外に出ればそのようなレ ッテルを貼られて見られるということである。それにも関わらず、知誠館の生徒たちに対 して筆者は“何か問題である”とは感じなかった。 本論文において知誠館の活動の実際とその意味として述べてきたことのひとつに「みん なちがって、みんないい」というキーワードがある。これはまさに本論文のテーマそのも のではないだろうか。“教育”という人間同士のつながりの場において、「正解」「不正解」 は存在しないと筆者は思うのである。したがって、何一つとして間違いはない。極端な言 い方をすれば、教育という場においては、そのどれもが“普通”ではなく、またそのどれ もが“異常”ではないのだ。 ハワード S.ベッカーは、自身の著書『アウトサイダーズ ラベリング理論再考』の中で、 以下のように述べている。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 “社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ 、それを特定の人々に適 、、、、、、、、、、、 （10） 用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。 ” 彼の言葉を借りれば“不登校”という負のレッテル（ラベル）も、所詮人々が作り出し たものに他ならない。それでも、レッテルを貼られた者はもがき苦しむ。しかし、その中 でこそ見えてくるものが必ず存在する。その中でしか手に入れることのできない“豊かさ” が必ずあると筆者は考えるのである。 「みんなちがって、みんないい」とは、知誠館のある生徒が口にした金子みすずの詩の １フレーズである。社会で“不登校”というレッテルを貼られた末に知誠館の門を叩く生 徒たちは「みんなちがって、みんないい」ということを知ることができる。レッテルを貼 られて苦しい思いをする中で、レッテルが人々によって貼られたただの紙切れであったこ とに気づき自らそのレッテルをはがして次のステージへと進んでいくのである。そういう 意味で、知誠館の生徒たちは“豊かに生きている”。これは、筆者が保健室に通っていた１ 年間を振り返って感じた“豊かさ”と同じ豊かさである。「みんなちがって、みんないい」 ということを知って「わたしはわたし。あの子はあの子。」と思えることは、人間にとって 大きな豊かさである。 知誠館はまさに“もうひとつの教育の場”である。オルタナティブ教育は、 “普通の枠か ら排除された特別な教育”ではない。ただの“もうひとつの教育”なのである。オルタナ ティブが意味する“もうひとつの”という概念こそ「みんなちがって、みんないい」につ ながるものではないだろうか。 “普通”から逃れて特別な教育を目指したのではない。既存 26

の教育が“りんご”であったとするならば、オルタナティブ教育とは“みかん”である。 「みんなちがう」世界の中で、もうひとつの選択肢を提示した教育がオルタナティブ教育 ではないだろうかと筆者は解釈する。 知誠館は、もうひとつの教育のあり方をひとつの選択肢として提示し実践する場であっ たと思う。そして、そこで出会った生徒たちの目はオルタナティブ教育に秘められた無限 の可能性を物語っていた。 【注】 (1)本節は主として以下の文献及びホームページを参照した。 永田佳之『オルタナティブ教育‐国際比較に見る 21 世紀の学校づくり‐』、新評論、2005 年 柳下換「『教育』のオルタナティブとしての『学び』の可能性についての一考察」第２ 章、鎌倉・風の学園高等部ホームページ （http://www.kaze.gr.jp/weaving/essay/alternative-intro.htm） (2)本節（２）は主として以下のホームページを参照した。 東京シューレ総合ホームページ（http://www.tokyoshure.jp/） (3)京都府教育委員会認定フリースクール

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第１頁 (4) ア ウ ラ 学 び の 森 知 誠 館 ｜ 京 都 府 教 育 委 員 会 認 定 フ リ ー ス ク ー ル ホ ー ム ペ ー ジ （http://tiseikan.com/about/） (5)本節（２）は主として以下の資料を参照した。 京都府教育委員会認定フリースクール

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第４頁～第６頁 アウラ学びの森 知誠館の時間割表 (6)本節（３）は主として以下の資料を参照した。 京都府教育委員会認定フリースクール

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第８頁～第９頁 (7)川村久美子「アフォーダンス理論がもたらす革命」、武蔵工業大学環境情報学部情報メ ディアセンター『武蔵工業大学環境情報学部情報メディアセンタージャーナル(2)』、 2001 年 (8)清水博『新装版 場の思想』、東京大学出版会、2014 年、第 31 頁 (9)清水博『新装版 場の思想』、東京大学出版会、2014 年、第 120 頁 (10)ハワード S.ベッカー『完訳アウトサイダーズ ラベリング理論再考』、現代人文社、2011 年、第８頁 【引用・参考文献】 奥地圭子『東京シューレ物語～学校の外で生きる子どもたち～』、教育史料出版会、1991 27

年 奥地圭子『不登校という生き方～教育の多様化と子どもの権利～』、NHK 出版、2005 年 川村久美子「アフォーダンス理論がもたらす革命」、武蔵工業大学環境情報学部情報メディ アセンター『武蔵工業大学環境情報学部情報メディアセンタージャーナル（２）』、2001 年 きむらゆき『日本で、サドベリー～教育もステキに選びたい～』、青森コロニー印刷、2010 年 鯨岡峻『エピソード記述入門 実践と質的研究のために』、東京大学出版会、2005 年 清水博『新装版 場の思想』、東京大学出版会、2014 年 永田佳之『オルタナティブ教育‐国際比較に見る 21 世紀の学校づくり‐』、新評論、2005 年 日本子ども家庭総合研究所『日本子ども資料年鑑 2015』、中央出版、2015 年 ハワード S.ベッカー『完訳アウトサイダーズ ラベリング理論再考』、現代人文社、2011 年 広岡義之『教育の制度と歴史』、ミネルヴァ書房、2007 年 武藤啓司『フリースクールの授業～楠の木学園で学ぶ若者たち～』、社会評論社、2004 年 【参考資料】 アウラ学びの森 知誠館の時間割表 京都府教育委員会認定フリースクール

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【参考ホームページ】 東京シューレ総合ホームページ（http://www.tokyoshure.jp/） 文部科学省ホームページ （ http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tyousa/__icsFiles/afieldfile/2015/08/05/13 60614_01.pdf） 文部科学省ホームページ （ http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tyousa/__icsFiles/afieldfile/2015/08/05/13 60614_01.pdf） 文部科学省ホームページ （http://freeschoolnetwork.jp/wptest/wp-content/uploads/2014/06/kihonchosa.pdf） 文部科学省ホームページ （http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/107/giji_list/index.htm）

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