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ピカソ美術館9月に再開? 2009 年から改装工事が続いていたピカソ美術

ッチ文化相は、監視員 40 人の採用が遅

館理事会(3 人のうち 1 人はアンヌ・サンクレー

れているので、再開は 9 月中旬か下旬と、

ル・ストロース=カーン前夫人)も存続しておらず、

5 月 9 日に発表した。6 月から 9 月まで

運営の舵(かじ)取り不在の状態にあること。責任

の観光シーズンをフイにするとは ! と

は誰に? とメディアも騒いでいるなか、文化庁総

クロード氏は激怒し、館長・文化相・関

監は 3 月の調査で「バルダサリ館長の美術の科学

係者の関係が日に日に悪化していった。

的知識は優秀だが管理業務とかみ合わず、館内の

BNP パリバ銀行が 100 億ドルの罰金 を米司法省から要求されていることが話 題になっている(P3 参照)。米国では経 済制裁の対象国と取引すれば罰則の対象

雰囲気が極度に悪化している」と報告している。

1月頃から不満の声がくすぶっていた。

5 月 10 日、半数の職員 20 人余が「館長の専制的

2012 年にイランやリビアと取引した英

修復工事担当の建築家ボダン氏によれ

態度や独りよがり、運営能力の欠如」を指摘し、

国などの銀行も 6 億ドルの罰金を払わさ

ば、工事は 4 月末に完了しているので 6

彼女の辞任を要求した。四方八方からの批判を浴

月の開館は可能だったはずと表明。修

び四面楚歌のバルダサリ館長の契約は来年 7 月ま

復・再開に関っている職員らによれば、

でだが、ここで首をすげ代えなければと文化相は

同館長の「独善的、専制的態度」が人間

5 月 13 日に彼女を解任した。6 月 3 日、文化相は

関係と館内の空気を悪化させていたという。

新館長にメス・ポンピドゥ・センターのロラン・

バルダサリ館長は 1986 年以来、ポンピドゥ・

ルボン館長を任命した。造形美術専門のルボン氏

センターの保存・管理部を経て 1992 年、ピカソ

は、数年前ヴェルサイユ宮殿での企画展、ジェ

美術館の資料部長に着任し 2005 年、館長に就任。

フ・クーンや村上隆のポップアート展で話題を呼

ピカソ関係の写真や資料を専門とし巨匠の遺族と

んだ。内部分裂の後遺症を残すピカソ美術館の新

待していたピカソの息子、クロード氏はフィガロ

も信頼関係を深めていた。2009 年から 5 年間の休

館長としてルボン館長の統制力に期待したい。

紙(5/2)のインタビュー記事で「フランスは父

館中、大規模なピカソ展(グランパレでの〈ピカ

ピカソ美術館の所蔵作品 5 千点(うち絵画 300

や私を全くバカにしている ! 」と怒りを爆発させ

ソと巨匠たち〉など)を企画し立派なカタログも

点、彫刻 300 点)は 1973 年、1979 年、1990 年と

た。憤慨するのは彼だけでなく、美術館の周りに

作成した。そして休館中、数カ国に数百点の作品

ピカソの遺族の相続税代わりに代物弁済されたも

あるブティックなども観光客が訪れず、果たして

を貸し出し、計 3100 万ユーロの収入を得ており、

の。展示スペースも 1985 年開館時の 1600m 2 から

美術館の再オープンまで持ちこたえられるかの瀕

修復・工事代総額 5200 万ユーロのうち 60 %を補

3800m 2 に拡張されている。世界からの観光客に

死状態にある。6 月の再開が無理なら 7 月に、と

ったことになる。残りは国家が負担する。

人気のあるピカソ美術館は、マレ地区の名所とし

F

BNP パリバ罰金問題の背景

ピカソ美術館再開の問題は、実は今年

館の再オープンが遅れに遅れ、それでも 6 月を期

アンヌ・バルダサリ館長が提案すれば、フィリペ

économie

問題になっているのは、昨年 10 月以来、美術

て将来を背負っているのである。(君)

となることが法律で規定されており、

れた。今回問題になったのは、BNP が 関わったスーダンやイランの石油会社と の取り引きとみられる。商取引の際、売 買両当事者の金融機関の支払いと受け取 りを保証する清算機関を通すことになっ ているが、問題の取引は BNP のパリと ジュネーブの支店の案件ながら、ドル取 引のため、BNP の米子会社である清算 機関を通して行われたために、米証券取 引委員会が監督するところとなった。そ れで 100 億ドルの罰金となったわけだ が、この額は BNP の 1 年間の利益に相 当し、BNP が係争のための準備金とし て用意している 11 億ドルも遠く及ばな い。しかも、罰金だけでなく BNP の米 清算機関業務、つまり、ドル建て取引決 済の一時禁止措置も検討されている。こ の部門は BNP にとって重要な収益源で あるばかりか、顧客を失う恐れもあるた め、戦々恐々としているのだ。(し)

ait divers

魚を食べなくなったフランス人。 国連食糧農業機関(FAO)の 2009 年の統計に

ているのが現状だ。消費を促進しようと「魚を食

魚介類消費量は、ここ 30 年の間に 5 倍も増え

べると頭が良くなる」という歌がスーパーの鮮魚

ている。そして、中国で何より好まれるのが

売り場で流されているのはよく知られた話だ。

脂の多い魚だ。極端な言い方をすれば、世界

しかし、5 月 31 日にフランス農水省の関連組織

の人口の 5 分の 1 が突如としてマグロやサケ

〈FranceAgriMer〉が公表した統計によると、日本

を求めるようになった。当然、供給が追いつ

人よりも魚を食べないフランス人の「魚離れ」は

かず、結果として値段は高騰し、フランスで

さらに深刻なようだ。2013 年 3 月から 14 年 3 月

の消費者離れが進んだという訳だ。同じ現象

にかけて、魚介類の購入量は 5%も減少したが、

はエビや貝類でもみられ、前年比でムール貝

魚介類の購入金額は 3%増加したという。量は減

は 5% 、ホタテは 4%、エビ類にいたっては

る一方で価格が上がった。つまり魚の値上がりが

16%も消費が落ち込んだ。

進んだというのだ。その原因となったのが、鮮魚

高級魚になってしまったサケに代わって食

購買の 2 割を占めていたサケの輸入量が 25%も激

卓に上るようになったのが白身魚だという。

減したことにある。サケはどこでも手に入り、ム

とくに冷凍タラの輸入量は前年から 50%、購

ニエルにしたりして簡単に調理できる身近な魚だ

買量は 13%も増えている。

ったが、昨年は世界の市場で値段が 3 割も急騰し、

こうした傾向が続けば、フランスの魚食文

よると、世界で年間に最も多くの魚介類を消費し

2014 年の 1 月から 4 月にかけては 5 割以上も値上

ている国は、インド洋の島国モルジブらしい。国

がりした。この背景には「国際的な需要の増加」 「もうフランスではマグロやサケを食べられな

民1人あたり年間で 139 キロも消費しているとい

があるという。いわずもがな、高度経済成長とと

う。日本は 56.6 キロで第 6 位。フランスは 33.7

もに国民の食生活が変わってきている中国の影響

キロで 12 位だった。一見、日本は魚食大国のよ

を指している。

うにも思えるが、国民の「魚離れ」が問題になっ

15 juin 2014 OVNI 766

FAO の資料によると、中国の国民1人あたりの

化自体が変わってしまうかもしれない。ふと くなるのではないか」という不安にかられて、 近所の食べ放題のスシ屋に走った。これまでは 「またか…」と舌打ちして食べていたサケの握 りが、異様に輝いているように見えた。(康)

1944 年 6 月 6 日から 7 月 19 日にかけての 連合軍の爆撃後のカーン市。

第二次世界大戦中の 1944 年 6 月 6 日、 連合軍がノルマンディーに上陸。その 70 周年記念式典で、フランソワ・オランド は、フランスの大統領としては初めて、 ノルマンディー作戦終了の 8 月 22 日まで に犠牲者となった市民約 2 万人へ追悼と 賛辞の弁。「至る所で、年令や貧富を問わ ず、男性たちや女性たちが、負傷者を助 け、瓦礫(がれき)を除去し、住居を失っ た人たちを受け入れるために、死の危険 もかえりみなかった」。連合軍による、ド イツ軍を拡散、降伏させるための激しい 爆撃で、カーン、リジュー、ヴィール、 ルアーヴルなど各市は、ほぼ全壊した。 カーン市での犠牲者は、3 千人から 1 万 人以上とされる。この作戦に参加した米 軍のローカー大佐は、「住民から解放者と して歓迎されなかったのはショックだっ た。私たちは彼らにとって破壊と悲痛を もたらす者だった」と日記に書いている。


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