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imagine 震災と復興から考える都市と平等性 違いますよね。でも、大学の制度で

するためにさ。それに毎日おわれ

いろんなひとを公平平等に扱わな

て、みんななんとなくそれに…「な

きゃいけないというので、 たとえば

んかちがうんだよな」っていう思い

だけど、みんな番号をつけられて

を抱きながら、近代以降に作り上げ

に、被災地における物品などの復興

さ…たとえば、ほんと言うと、ひと

られたその大学っていう制度・仕組

支援の差があるという。平等な復興

それぞれの個性とか、持ち味とか、

みの中で、平等のように扱われる

は果たして可能なのでしょうか?

興味の対象とか好きな異性のタイプ

と。」

Question1 「復興の平等性とは何か」 ̶報道によると、被害の差のほか

とか、あるわけじゃないですか。そ 中井「あなた方の聞きたい平等性

ういうものまったく関係なく先生が

まちの個性と制度

とずれるかもしれないけれど…いい

前に立って、顔はみてるけど名前は

「たとえば僕は大槌という町の復

ですか?逆に僕は平等性とか公平性

知らなくて、学生に向かって教科書

興委員会のメンバーでやってきて、大

とかっていう、今の社会制度やふわ

や共通の試験で理解度を計量するわ

槌の町の復興をどうやろうかと考え

ふわした概念的につくりあげられた

けでしょ?これ公平ですよね、ある

るとき、同じような被害をうけたと

ものは叩きつぶすべきだと思ってい

いは平等ですよね。でも、本当にそ

ころで陸前高田っていうところがあ

る。

れでいいのかって話もあるわけで

るけど、陸前高田はね、見るからに

しょ。本当にそれによって、あなた

明るいんですよ。もう地勢からして。

か?人それぞれ、当たり前だけど容

方ひとりひとりが自分の良さをすく

非常に海が開けていて、非常につく

姿に差があって、生まれた地域も

いあげてもらってるだろうかと。あ

しいところで、後背地もなだらか

違って、お母さんお父さんの仲の良

るいは自分はもっとこんなことがし

で、ある人に言わせれば、 三陸地方

さ度も違って、場合によっては両親が

たいのに、何でこんなことをしない

の湘南 だって。一方で大槌はね、な

離婚するひともいて…ひとりひとり

といけないんだと。単位とって卒業

んかね、どよーんと暗いんですよ。地

lorem ipsum dolor met set たとえば、あなた方は平等です quam nunc parum

2009


勢があんまり良くないのかもわか

いう所を治めないと行けない、非常

違う、財力も違う。たとえば女川な

らない。そういうところで、ひとの

に厄介な所なんですよ。とにかくほ

んかは、財源の何割か半分くらいは

育ってる気質も違うし、文化も違う

とんどが山で。『そういうような場

原発の固定資産税とか、原発をおく

う。歴史的に言うと、陸前高田は伊

所は本当に平等なのか?違うんじゃ

こ と に よ る 交 付 金 で ま か な って い

達のほうで、大槌のほうは南部なん

な い の ? 』 って い う と こ ろ か ら 入

る。そういう町は今回の脱原発の流

で すよ 。 で、 伊 達 は と も か く 、 南

る。実に不平等なんじゃないのって

れのなかでどうするのかと。そう言

部って虐げられてきた藩だからね。

ところから入らなきゃ行けないん

う町と、原発のない町と同じように

近代になって、西の方の人たちが、

じゃないかって思うんですよ。実に

語れるのかと。あるいは今回福島原

新しい政府を開くときに、東北のほ

不平等だからこそ、何かしてあげな

発 が こ ん な 風 に な って、 帰 れ な く

うは再び反乱を起こさないように、

きゃ行けないんじゃないかってこう

なった町って、実に不平等じゃない

非常に統治しにくい大きさ、あるい

おもうわけですよ。平等だったら、

ですか。僕は、基本的にはそこにた

は、南部と伊達を一緒にしてしまう

一律の制度、一律の財源、一律のシ

つべきではないかと。この問いの立

とか、されているわけですよね。そ

ステムみたいのを出して、後は競争

てかた自体が違うのではないか

れは明治塀府の国土計画として。実

しなさいって、これで平等なやりか

と。」

際岩手は北海道除くと県で一番面積

た で すよ ね 、 一 見 。 で も 、 さ っ き

大きいんじゃないかな。そして、内

言ったように、陸前高田と、大槌

陸の盛岡から、大槌地区に向かっ

と、大船渡と、釜石と、宮古と気仙

て、100何十キロに渡って、あい

沼と多賀城と岩沼とって、全然違う

だに遠野ひとつしか町がない。そう

わけですよね、歴史も違う、文化も


Question2 「誰のためのまちづくりか」 ̶今後、まちづくりのビジョンをど こに、あるいは誰に定めるべきで しょうか?

「 そこにすんでいる人たちにとっ て、それぞれ(まちへの)思いがあ るわけですよね。家族をなくしたひ と、かろうじて生き残った人、ある いは『この町にはもう住んでいられ ない』って思って街に対する愛情を 残したまま出て行ってしまって帰る にかえれなくなったひと。そういう ひとたちが不平等にならないような 復興のやりかた、ありかたっていう 方がこの平等性の意味だと思うんだ けど、なかなか難しいね。僕が思う のはですね、これは自分の経験に元 づく話だけど、今まで実際の町づく り の 仕 事 に 関 わ って き て、 住 民 と ワークショップをしたりして、議論 して、デザインの案とか、公共空間の 案とかに関して、いろんなひとがい ますよね。じぶんの家の前さえ良く な れ ば い い って 思 って る 人 も い れ ば、このままじゃ街全体だめだろっ て思ってるひともいれば、すごくい いこと言ってるんだけどやってるこ とがずれてるなって思うひととか。 そ の ひ と り ひ と り が イーブ ン に な る、イーブンに言うことを聞いても らえる、あるいはそれぞれの人たち の希望が等しく一定程度みたされ るっていうことをめざすのは僕は間 違いだと思う。それはあり得ない し、すべてのひとの言っていること がすべて街のためになるわけでもな いから。だから、平等性って言った ときに、その復興が何を目指したと きに、ある意味での…ちょっと言い 方変えようか。」  

議論から共有価値を抽出する   「そのまちづくりの話に戻して、

僕がいつも思っているのは、どこに 参加しているひと、あるいはすんでい るひとの「こんなのが欲しいわ」っ ていうののね、目先の希望を等しく かなえようとするのは絶対にしない ようにしています。それは出口がない し、必ずしもそれが皆にとって等し い幸せがかえっていくわけではない ので。ただ、できるだけ、多くのひ とが共感・共有できる価値っていう のを議論のなかで探りだしていくこ とがまず重要。   『誰のため』のまちづくりか、っ て言ったときに「この通りに住んで るこの居酒屋店主のため」って言っ たらみんな反発しますよね。あるい は「このエリアに住んでるこのひと たちのためにやろう」って言ったら ほかのエリアに住んでるひとたちは 「じゃあ我々はなんなんだ」ってな りますよね。   でもたとえば、卑近な例だが、 「子供たちのため」、この街をこれ からつくりあげていくのは子供たち でしょう。子供たちがどれだけのび のびとして、お互い傷つけあいなが らも助け合って、いろんなことを想 いながら戻ってくる街にしたいねっ ていえば、これはかなり共有でき る。特に、親がこどもを想う気持 ちっていうのは、まああなた方も親 になれば分かると思うけど(笑)、普遍 ですよね。全世界古今東西普遍な、 人間の共有できる気持ちだと思う。 それは今もう全世界までひろげたけ ど、それをぐぐっとこう、縮めてき て、たとえば、日本でとか、この土 地でとか、あるいはこの土地の中で のこの街とかエリアとか、その一つ 一つの中で少しでも皆が共有できる 価値というものを、住民と議論しな がら住民の間から、そうやってひき だしていく。で、それを実際の空間 の デ ザイ ン に 落 と し 込 んで 提 示 す る。当然それは最初かみ合わないか ら、また意見をもらって、直してい く。このやりかたをずっと繰り返す

ことによってかなり共有できるもの に な ってく る わ け で す ね 。 だ か ら そっちが大事じゃないかと思う。   住民がいろいろいる、そのひとた ちの希望が平等にみたされるように 作り上げていく、ではなくて、それ はちょっとおいとこうと。それは かっこに入れておいて、まずは皆が 共有できるものがなにかってかんが えませんか、ということだと思 う。」

すべての喪失からの出発   「ただ、−僕は同じやり方で今回 の復興にしてもやるべきだと思って いるんですけど、−ただいっつも日 常てきにやってきた公共空間のデザ インの街づくりと、今回が決定的に 違うのは、街が全部なくなっている からね。このまちが全部なくなっ ちゃったというときに、じゃあ何が 共有できるの?というのは、ちょっ と見出せない。どういう風にそれを 形にしていけばいいのかがよくわか ら な い 。 って い う の が 、 悩 み で す ね。それがないまま進めていくと 「いや、防潮堤の高さが20mくら いあってもなんとしても守ってほし い」っていう声がおおきければそっ ちになっちゃう。あるいは、やっぱ り「もとはおれの土地なんだから、 住みたい」って声がつよければ、そ のままなしくずし的に、今回ひどい 被災をうけたところにもまたどんど ん住むようになって、これから少子 高齢化・人口減少がすすむエリアだ から、かなり広いエリアに、割と密 度薄く、バラバラに高齢者が住むっ ていう非常に危険極まりない状況の 街が20年後に出来かねない。それを 防ぐためには、僕がこれまでやって きた方法論ではね、共有できる価 値ってものをなんとかっていうこと を 言 って い る んで す け ど … ま あ ちょっと試行錯誤、模索の段階か な?ちょっとみつからない。」


小学校を軸に生活文化をプラン ニングする   「もちろん子どもたちのためだけ ではなくて大人のまちでもあるし、 高齢者のまちでもあるし、さらに次 の世代、さらにまたその次の世代の まちでもあるわけですよね。ただ、 街がそうやってなくなっちゃった状 態 の 中 で、 ま ず な に を 突 破 口 に し て、とか何をきっかけにして皆が街 づくりに向けて、復興に向けて価値 を共有しやすいかと考えたときに、 やはり、子供たちの為に何が出来る かっていうところから組み立ててい くのがあるんじゃないだろうと僕は 思っている。   実際に大土の場合はそれぞれの集 落というか浜ごとに小学校があるん だけど、それを統合して、中学校と も合体させて、小中一環の教育をし たいという意志を実は被災前から 持っている。中高一貫は東京だと当 たり前だけど、小中一環はまだあま りないので。ぼくはそれは非常にい いことだと思っていて、つまり復興 計画の基本はやはり教育だとおもう んですよね。   大槌の場合は、大槌に限らないん だけど、大槌は人口が1万6千で、 被災前が、一番多かった時が昭和5 0年代で2万人でどんどん減ってき ていて…、津波で1600人一割が 亡くなって、20年後に9000ま で減る。一番多かった時が2万人だか ら、2万人に合わせて街の空間的な 規格ができている。それが9000 人しかいなくなっちゃう。その状態 の街をどうやって、街として生きて いくか。   それを主体となって考えていくの は、おそらく今の小学生とか中学生 になるわけでしょう。そういう小学 生とか中学生にこそ、大槌という街 の自然とか、歴史とか、生業をふく めた生活文化とか、あるいは津波に

関する正確な知識とか、津波を受け て来て、その度に死んでいって、ま た復興してきて、というその復興の 歴史だとか、をきちんと教えるとい うことが、一番の復興計画の道だと 思う。   ここまでは理念的な話で、じゃあ それを具体的にしていこうってとき に、じゃあ小中一貫の学校をどこに おきましょうってなってくる。当た り前だけども、小学校・中学校一緒 になったときのグランドは、当たり 前だけど、今回規模の津波が来ても 持っていかれないところに作らない といけない。かつ、これからできて 行くであろうそれぞれの住宅地、高 台移転するにしても、あるいはもと のところに作るにしても、人々が住 んでるところからあんまりかけ離れ ちゃまずいわけでしょ。しかも街が 昔から歴史的に持ってきた、維持し てきた街の中心市街地ともあんまり 離れたくない。   小さな街だから、さっき言ったみ たいに、あんまり分散させたくない わけですよ。限界集落の種をまきち らさないために。できるだけ集落を コンパクトに集約していきたいとお もっていくと、学校をどこに持って いけるかっていう…これはプランニ ングの話だけど、かなり限定されてく るわけですよ。

とか郵便局だとか、危急のときに出 ないといけない消防署だとか、ある いはお祭りをするときの神社だと か、そういうものも同じように考え ていかないといけない。当然そこが 津波のときの避難場所にもなる、 じゃあその避難場所に向けて効率よ く 道 路 を もう 少 し こ う して い き ま しょうとか、どんどんフィジカルプ ランニングに落ちて行く。   だから、僕が子供のための街づく りっていう言い方をしたのは、こど も の た め って い う 、 大 人 は 関 係 な いっていう話ではなくて、まずはそ こから始めて行くことが、スムーズ な復興計画につながっていくんじゃ ないかなってそういう意味なんです。   実務を経験しているわけで���なけ れば当然そういう質問になるのは当 たり前なんだけれど、『誰のための まち』って言った時に、皆の要望要 求が、きちんとひとしくみたされる 街がいいんじゃないかなって、たぶ んそういうニュアンスが含まれてい るんじゃないかな。」

0   そうやって、みんなが共有できる 価値を一つ真ん中に、軸に据え て … 、 と に か く 何 に も な く な っ1970 ちゃったからなんでもありっていう 1980 んじゃなくて、考えるべきことを限 1990 定していかないといけないんですよ。 2000 計画っていうのは。そうじゃないと 2010 いろんなひとがいろんなこと言い始 2011 めてあれもこれもってなっちゃうの で。   それはとりあずおいといて、まず は学校から行きましょうと。学校を つくるということになると、役場だ

町の人口

5,500 11,000 16,50022,000


国境を越えて 「『誰のための街づくり』という ことについて、もっと大風呂敷を広 げて言うと、世界で苦しんでいるひ とのためっていう気持ちもある。つ まり…今回これだけ情報社会にあっ て、ああいう津波の映像とか、苦し んでる被災者の映像とか、ばーっと 世界に散らばるわけじゃないです か。そこから日本が再びどのような 街を作り出すかによって、世界でい ろいろ苦しんでいるひとたちに勇気 を与えられるかなっていう気はする よね。衝撃だと思いますよ。僕ら日 本人なのでさっき自身があっても、 「ああ、またきたか」っていう感じ でしょ?今回の津波はちょっと…度 が外れた映像でしたが、洪水であれ ばしょっちゅう来てるよね。濁流 が、堤防からあふれんばかりに わーっと来て…浸水した家の人はな んか「こんなとこまで水がきた」と かって笑ってるじゃないですか。だ から、日本人は、ある時自然が、自 分が住んでいるenvironmentを非常 に乱暴な形で関与してくるっていう ことに、ある意味慣れているところ があるけれども、海外の人はたぶん そうではないよね。だからそういう 人がああいう映像をみると、「なん て 悲 惨 な 目 に あ って い る ん だ ろ う」って思う。けど、そこから日本 の人たちが立ち上がって前に進むっ ていうのは、̶今この瞬間にも餓死 してる子供っていっぱいいるんで しょ?きっと。そういう国とか地 域ってたくさんあるわけで、そうい う人たちに、メッセージを与える一 つのやり方かもしれないとも思 う。」 ̶メディアの偶然性や間接性につ いてはどうお考えですか。経験を シェアすることに、どこまで現実的 意義を見いだせるのでしょうか。  「たとえば…すごい卑近な例でい

うと、戦争はなくならないとか、民 族紛争はなくならないとか、宗教間 のいがみ合いとか闘争もなくならな いと。もっと卑近な例でいえば、こ んだけたくさん経験積み重ねてき て、全然夫婦げんかはなくならない とか、あるじゃないですか。人間社 会って、そういうものなのかなって 思うんですよ。インドネシアで非常 に悲惨な目にあったからじゃあ日本 はがんばろうって我々は本当にでき るのか。  それに関連して言えば、関東大震 災だって、阪神淡路だって、中越 だって、奥尻島の津波だって、ある でしょう。でもこれだけまたやられ てるわけだよね。残念ながらなのか わからないけど、人間社会っていう のかこういうものなのかなって思う こともありますね。 でもその時に、決定的に違うの は、よく今回の津波に関して引き合 いにだされる貞観の津波の時代なん ていうのは、当たり前だけど車もな いし、鉄道もないし、当然自衛隊も いなけりゃ…基本的な社会的なイン フラは格段に違うわけですよ。だか らおそらく貞観のときの津波の被害 の様相と、あるいは人々の苦しみや 不幸の様相と、今の様相っていうの は、もちろん共通している部分もあ るだろうけど、ちょっと違ってる部 分もあると思うんですよ。本当は、 そういう部分をきちんと考えないと いけないと思うんだよね。つまり歴 史的に…自然と我々がどういう風に 付き合ってきたかっていうのをきち んと検証する。さらにいうと、今は 非常にグローバルな情報技術という のもが発達していて、この発達の仕 方っていうのはどんどんスピードは 変わらずにのびていくんでしょう、 きっと。この発達し続ける情報技術 が、またいずれやってくるおなじ様 な災害̶それはまた日本で地震や津 波があるってことかもしれないし、 どこか途上国で紛争がおこるかも知 れないし、あるいはもっと別の戦争

がおこるかもしれないし、それが何 かはわからないけれど、その時にそ の非常に発達した情報技術っていう のがどう作動するのか、っていうこ とを想像するしかないんじゃないか な。」

教訓̶社会が抱える矛盾点 ̶情報技術以外で、東日本大震災が 今後どのような教訓となりうるで しょうか。  「こういう非常に深刻な被害が起 きるときというのはだいたい、自然 の力が、その社会が抱えている矛盾 点を的確についてくるっていうイ メージがありますね。  例えば、関東大震災、あのときは どうだったかなと考えてみると、復 興計画の中核にいた太田圓三さん は、内務省の土木部長だったんだけ ど、これだけたくさんの人が死ん で、これだけ被害が大きくなったの は、自然の力だけじゃない、人間社 会が招いた部分が大きい、とはっき り言っている。  関東大震災が起こったときの東京 は、基本的な都市形態・社会基盤・ インフラは江戸時代のまま、どんど ん西洋から近代的な文物が入ってき て、生活のスタイルだけはどんどん 近代化していく。でもその生活を根 本 か ら 支 える イ ン フ ラス ト ラ ク チャーは、相変わらず江戸時代に毛 が生 えたようなもの。こういう矛盾 点を一気につかれた、というのが太 田圓三さんの説。  つまり、江戸っていうのは、あく までも封建体制における一大名の城 下町であったわけで、特に日本は農 業国。それに対して、その基盤その ままに、帝国主義・資本主義時代に おける中央集権国家の首都っていう 機能を盛り込もうとしたわけですよ ね。その矛盾がいろんなところで出 たのだろうと思う。


Notes 1.岩手の津波の歴史 貞観の津波(869年) 推定マグニチュード8.3以上。死者 推定1000人以上。仙台平野を水浸 しにする。

※歴史書『日本三代実録』より(現 代語に意訳) 5月26日、陸奥国で大地震が起き た。(空を)流れる光が(夜を) 昼のように照らし、人々は叫び声 を挙げて身を伏せ、立っているこ とができなかった。ある者は(倒 壊)家屋の下敷きとなって圧死 し、ある者は地割れに呑み込まれ た。驚いた牛や馬は奔走したり互 いに踏みつけ合ったりなどし、城 や数知れないほどの倉庫などが崩 れ落ちた。雷鳴のような海鳴りが 聞こえて潮が湧き上がり、川が逆 流し、海嘯が長く連なって押し寄 せ、たちまち城下に達した。内陸 部まで果ても知れないほど水浸し となり、野原も道も大海原となっ た。船で逃げたり山に避難したり することができずに千人ほどが れ死に、後には田畑も人々の財産 も、ほとんど何も残らなかった。

三陸沖地震津波(1896) マグニチュード7.6、死者1万 8,158人、流出倒壊家屋6,882戸な どの大被害。吉浜(大船渡市三陸 町)では最大波高24.4メートルを 記録 チリ津波(1960) 地球の裏側から23時間程かけて太 平洋を横断した津波が来襲。岩手 の一部の湾では6m以上に達した。 死者55人、流出家屋472戸。

  ひとはわーっとこうきれいに着 飾って、オペラとか見に行って、帰っ てくるとなんかボロボロの石で押さ えて る よ う な バ ラ ッ ク に 住 ん ど る と、おかしいんじゃないのっていう のが太田圓三さんの書いていること で、その矛盾が、東京の下町がほと んど丸焼けになるっていう状況を生 んだんだと思いますね。   それから阪神大震災の場合は、こ れは構造物被害だったんですね、基 本的に。その構造物も、高度経済成 長からバブルにかけて、とにかく日 本がどんどん成長していくなかで大量 に規格して作っていたものがドーンと やられた。   ちょうど1993年頃、ちょうどバブ ルがほとんど終わりかけてたときだ よね。非常にヴァーチャルな価値̶ 具体的に言うと土地のうえにある空 間なんだけど、これにものすごい値 段がついて、それを取引してどんどん 膨れ上がっていって、実態がないま ま 、 そ れ に 浮 か れて い た 時 代 で し た。   そのときに、基本的にはものづく りをベースにおいてやってきた高度経 済成長時代の構造物がメタメタにや られたっていうのはある意味象徴的

でした。だから、実体をもとにし た、実体に価値を置く、それをより どころとしていた時代の終焉みたい なものであって。   今回の特に津波に関しては、そこ をまた突かれたというかんじはあ る。つまり、さっき大槌の場合でい うと、昭和50年代の高度経済成長の ときに(人口が)2万になった、で もいま実体は、外見は2万のまま、 街の広さもあるいは道のめぐり方も どんどん海に向かって埋め立てしてい る。そこにじゃあ実体はあるかって いうと、中心市街地の、もう完全に シ ャ ッ タ ー 街 と な って い る と こ ろ に 、 若 い 人 は ほ と ん ど 住 んで い な い。ほとんど空虚になったっていう ところにどーんと津波が来て、その 分だけ、被害が大きくなっていると いう風に読めなくもないなあと思 う。常に災害みたいなものは、その 社会がもっている矛盾とか、文明が もっているアンバランスさを、突いて くるという意識は必要ではないかと 思います。」 ̶その意識をもっていれば、今後起 こりうる災害にも予測可能というこ とですか。


「突かれるというか、もうちょっ と正確にいうと、それが被害を大き くするっていう可能性があるという 意識をもっておく必要があると思い ます。例えば、明治、それから昭和 と二回津波を受けて、その後しばら くなくて、1960年代、チリ津波でま たやられますけど、とにかく高度成 長期にあのエリアもどんどんどんど ん埋め立てをしていったわけですよ ね。   そこもね、特にまた大槌の話に なって恐縮だけど、要するに津波の 通り道を埋め立ててるんですよ。昔 そ ん な と こ ろ は 土 地 利 用 さ れて な かったわけ。で、そこにどんどん埋 めたしていって、そこに働いている波 力たるや、一見してすさまじいこと が分かる。コンクリートの建物はボ ロボロ倒れているし、横転している し、あるいは形をとどめないように ぐちゃぐちゃにつぶれているし、鉄 道の高架橋はポキポキ根元から折れ ているし、あるいは鉄道のケタなん ていうのは何百メートルもながされ ている。あるいは、新地とか、なん とかっていう、「新」っていう名前 がつく地名は、三陸に限らずだいた いいろんなところでも注意して見た けど、だいたい壊滅ですよね。   おそらく、とにかく近代っていう のはあらゆるものをどんどん拡張す るっていうのかな、拡張して生産性 を高めて̶言ってみれば経済的刺激 を与え続けることによって、また膨 張の力を促して、また膨張してってい う、こういう力学だったんですね、 近代は。それで、世界はある意味こ こ ま で 便 利 に な って い る わ け だ け ど、そろそろそれは終わりなんじゃ ないの?っていうふうに、言われて る感じはしますね。   それは日本が少子高齢化、人口減 少で限界に入ったからっていうのが 大きい。でも日本だけじゃないんで しょ?世界的に先進国はそうなるん でしょ?」

ポスト近代の力学  「都市計画の手法で、土地をたとえ ば自然に戻すとか、あるいは減らし ていくっていう、そういう方向に向 けられる哲学・手法が全くないって ことに気がついたんですよ。全ては 拡張していくための制度であり方法 論であり、手法でありっていうふう にできているんだね。これはなかな かしんどいなって。   関東大震災のときは、あれは地震 がくる前から後藤新平っていう人が 東京市長で、もともと都市の再生計 画みたいなものを練っていたんです よ。それがベースにあったので、復 興計画が非常にスムーズに行った。   だけど今回は誰もそんなことを全 くやってないんですよ。三陸の街がも しつ ぶ れ た ら ど う い う ふう に 救 お う、なんて何もないところに震災が 来ちゃったんで、まあ右往左往して いると、いう状況じゃないかな。   もしその少子高齢化・人口減少、 20年後の9000人という縮小に向け て、たとえばね、そういう具体計画 の検討をたとえば3年前から本気で着 手していれば、全然違ったと思う。 そういう準備が全く欠けたまま、や られたんだね。それが一番の教訓か な。」

— 中井先生が今後取り組もうとして いる課題について、復興についての 課題だと思うことをお聞かせ下さ い。 「難しい…これ一番難しかったんだ よね(笑)。今後の復興について課題だ と思うことはむちゃむちゃたくさん あるからね、細かいレベルから。   まとめるとすれば、『まちとは何 か』っていうことかな。『なぜ人間 は都市っていうものを作らずにはい られないか』とか。すごく大きくく くると、そこに僕の場合は帰着して いる気がする。

まち、或いは都市とは何か   例えばですね、復興計画を具体的 に立てて行く場合に、まあ復興はも との中心的な商店街を作りましょう というふうに計画を立てたとします よね、でも、もともとさっき言った ようにこの商店街は津波が来る前に もう空洞化していて、実際の住民の人 たちの生活っていうのはちょっと外 れ に あ る シ ョ ッ ピ ングセ ンタ ー と か 、 隣 街 に あ る シ ョ ッ ピ ングセ ��� ターとかの方が便利なわけだよね。 身の回りのもの一通り手に入るわけ だし、場合によっては銭湯みたいな もの入れるし、なんて言っても車で

Notes               2. 太田圓三 1881−1926。明治・大正期の土木技術者・鉄道技師。詩人・木下杢太郎の実兄。1904年 東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。逓信省鉄道作業局に入省。1910年から2年 間、欧米に留学。1923年の関東大震災後、帝都復興員土木局長に抜

され、隅田川六

大橋をはじめとする「震災復興棟梁」の建設を主導。    太田は、技術者でも文官でも実力のある者が政策をリードすればよい、問題の根本 は専門性が未だ確立されていない土木技術のあり方にあると述べ、技術者が本来の仕 事の領域を省みることなく、政治にばかり関心を向ける事態を憂慮した。太田の考え るエキスパートとは、個々の専門技術の熟練者ではなく、調査計画から施工までの総 合的知識をもとに、科学的方法を用いて建設を完遂できる技術者を指す。そのように して土木技術を専門化し、「社会が技術者の技術を必要とするように」努力しなけれ ばならない、と説いた。


行けて便利だし。

いうのはいろいろあると思うんです

にやったのが屋台をつくるっていう

つまり、今回まちを復興しよう

よ。そこを見極めるっていうのが課

の。街のがれきの真ん中に赤ちょう

題かな。

ちんで屋台をつくってやったわけだ

と、言葉ではいえるんですけど、復 興しようとしているまちの実態が一

例えば、さっきね、小中一貫の

けど、たぶんネットのニュースかな

体どういうものなのかっていうイ

学校の位置っていうのが重要だって

んかでやってるとおもうけど、居酒

メージが非常に難しい。それがいっ

いったときに、まちに近い方がいい

屋の屋台じゃなきゃ絶対いけなかっ

たいどういうまちなんだろう。

とおもうんですよ。でもね、なぜ小

たかっていうと、そうでもないか

これまでの様に個人商店主がば

学校とまちが近い方がいいかってい

なって気もするんだけど、直観的

あっと軒を連ねて、八百屋とか何と

うのはね、なかなか論理的に説明難

に、屋台で酒飲める場所がいいって

か屋とか、軒を連ねて人々がそこで

しいんだよね。その小学校とまちが

いう。」 

にぎやかに買い物をするっていうそ

近い方がいいって言った時に、その

ういうまちをイメージするのがほん

まちに対する具体的なイメージはな

とにリアルなのかと、でも逆に、そ

い。なんとなくばっとしたまちって

ういうのがなくて、ひとがちらほら

いう存在を前提として考えている。

住んでいるだけで、買い物は郊外の

じゃあまちの本質っていうのは

ショッピングセンターに車で行って

なんなんだろうなというのが今の

やってると、それってまちって言え

テーマですかね。あんまり今まで考

るのかねと。

えたことなかったんですよ、正面

じゃあまちってなんだろうと、

切ってはね。

そういうことを考える。たぶん、時

それで、東大の都市工の久保田

代を通して変わらないものと、どん

先生とか、川添先生とかとチームを

どん着替えていくことができるも

つくって、東大の復興支援プロジェ

の、つまり変わって行けるものって

クトっていうのを立ち上げて、最初

都市の普遍性 「後から考えてみると、イスラ ム圏の都市は行ったことないから分 からないんだけど、古今東西都市か らなくなったことがないものって、 居酒屋でしょ。ただ抽象的に都市っ て何かっていう問いを、ダイレクト でやるっていうよりは、「たしかに 都市って酒飲むとこだよな」とか ね、酒を飲むっていうことは、男だ けで酒飲んでてもつまらないから、


酒を飲ましてくれる女の子がいる店 み た い の が 必 ず あ って、 水 商 売 で やってる女性たちが身だしなみを整 える美容院なんてものも、絶対にな くならないものだと思うんですよ。   そうやって考えていくと、都市と は何かっていうのの、その本質的な ところにとどかないまでも、あんま り離れてないところに辿り着けるん じゃないかっていう気がしています。   学校っていうのも、たぶん、都市 にあるべきものなんじゃないかと思 うんだ。一度調べてみないといけな いんだけど、たとえば日本は、特に 江戸時代から世界的にみても非常に 教育大国で、多くの藩が藩校みたい なものとか、寺子屋みたいなものを 持っていて、とにかく一生懸命教育 をしていたわけですよね。世界的に 言うと異常な識字率を誇っていたわ けですけど、そういう藩校ってどこ にあったんだろうなっていうのは一 回調べてみようと思って。たぶんま ちなかにあったんだとおもうんだけ ど、有名な藩校は。   それから、近代ルネサンス以降の 西洋での大学も、最初の大学はまち と一体だから。だから、学校と街っ ていうのは、かなり都市というもの をかんがえる際に、一つの視点なん だろうなと思っています。

地域的不均衡の上の都市文明   だから、諸君にもぜひ一度考えて ほしいね。『まちって何のためにあ るの?』。まちがある意味、さっき 文明の矛盾っていったけど、それを 踏み出していて、それがやっぱり今 回突かれた典型は今回原発でしょ? 都会の夏の高々一週間か二週間の ピーク電力をまかなうために、地方 のダムだとか、あるいは原発ってい うものを、都市から外れたところに ぼんぼんぼんっておいて、で、交付 税とか、資産税とかって多くのもの を補償して、それでもう他に食ってく 手段がないっていうまちはそれにす

がるしかない。どう考えても歪んで るんじゃないかと僕は思う。   近代という膨張の時代は、それに も理解はできる一理はあると思わざ るをえない。僕はいやだけど。そう いう感情的な好き嫌いとは別に、こ の近代という膨張文明の文脈のなか においては、そういう極めて歪んだ 地域的な不均衡の上に成り立つ文明 生活というものは、歴史的必然かな と言い聞かせられるけど、もうそれ は転換したっていうことに、どれだ けの人が気づいているかっていうこ とだと思います。もう膨張文明では な い 、 む し ろ い か に 集 約 して い く か。そのときに、ああいう田舎に都 会の生活を補償するための非常に大 きなリスクを負わせるというこのや り方をあと50年とか100年とかって い う の は し ん ど い よ な って 思 う わ け。   僕が1958年生まれだから、高度成 長の割とピークに来たころに生まれ て、学生時代はバブルを…僕は謳歌 はしなかったけど(笑)、バブル時代に 学生を過ごして、やってきたわけだ から、僕の世代はまあ、しゃあねえ なあと思うわけですよ。ああいう原 発の事故みたいなもので放射線にあ る 程 度 脅 え な が ら って い う の は ま あ、自業自得だと。ただ、次の世代 にそれを残すわけにいかないから ね。本格的にそこらへんの近代文明 がもたらした恩恵の矛盾の部分だよ ね、矛盾の部分っていうのは洗い出 して考えていくことが役に立つと。 おっきな話になっちゃったけど。ま あいいよね、大学だから(笑)。現実の 大槌の復興計画でこんなこと言わな いよ(笑)」

復興の青写真 ̶復興を視覚的に実感して糧とする ためにも、できるだけ早くまちが復 興してほしいなという気持ちはやっ ぱりあります。

  「いわゆる僕らがまちと言ってい るような、当たり前に思っているよ うなまちを、早くつくらなきゃって 思 って も こ れ は 現 実 的 に 無 理 だ か ら、これは時間がかかりますよね。   で も ね 、 そ の 屋 台 を や ってみて 思ったんだけど̶その屋台っていう のは地元の製材所の人に津波を被っ た木材を無料でもらってね、もちろ ん津波で店とかわーっと流された居 酒屋のひとと出逢ったのがきっかけ なんだけど、『屋台作りますか』っ てなって、瓦礫のこう…夜真っ暗な わけよ、そこに赤ちょうちんがポッ とつくわけね、これなかなかこう… いいわけですよ。  僕はずっと風景を研究してるけど、 あの風景っていうのはなかなか論理 的に説明しがたい良さがあってね、 そ こ に 三 々 五 々 ひ と が 集 ま ってく る。避難所から毎日来てるっておっ さんもいるし、車で酒飲めないけ どって言って一時間くらいお茶と食い もんだけでまた帰っていくっていう 人もいるし、『明日から仮設住宅に 入るからまあお互い一杯飲むか』っ ていう何人組かがきたりとかね。そ のときに僕が思ったのは『ああ、こ の屋台のこの空間の中にまちがある な』ってことだった。   だから、早くまちをつくらないと とっていう思いは同じなんだけど、 早く復興のまちのあり方を示すって 言ったときに、なんか僕らが思い描 いているこういう街を見せるってい


うのも大事なんだけれど、そうでは

いうのがこれはね、なかなかいいも

じゃないんじゃないかなって思う。

なくて、人々が奥底のところで都市

んですよ。」

つまり、人間のつながりって家族の

に求めているものとか、都市から受

つながりとか恋人同士のつながりと

け取っているものっていうのを、凝縮

̶ むしろそういうものがまちかもし

かいろいろあるわけですよね。

した形で、それこそ屋台みたいなバ

れない…

 まちが与えてくれる一番大事なつ

ラックでも構わないので、場所をつ

ながり方って何かなっていう…そうい

くれれば、もしくはそういう時間を

 「じゃないかなって思う。だから

う問いに置き換えられるかな。」

提供できれば、それは少なくとも繋

何らかの意味での人と人とのつなが

ぎにはなっていくし、むしろね、そ

りっていうのが、まちのこの本質な

̶今日は長い間お話を聞かせていた

ういうところでの人間同士の交流って

んだろうと思うんだけど、それだけ

だき、ありがとうございました。

中井祐 准教授  東京大学助教授(工学系研究科社会基盤学専攻)。1968 年生まれ。  景観論、土木構造物・公共空間のデザイン、近代土木デザイン史を研究。  主な著書:   内藤廣監修"グラウンドスケープ宣言"(共著)丸善、2004   中井祐"近代日本の橋梁デザイン思想"東京大学出版会、2005   東京大学景観研究室編"GROUNDCSAPE∼篠原修の風景デザイン"(共著)鹿島出版会、2006  主なデザイン:   宿毛 河戸堰+松田川河川公園(河川構造物+河川空間)   岐阜 鵜飼大橋(橋梁)   松江 岸公園(臨水公園)   横須賀 長者ヶ崎の住宅(建築)

imagine

  加賀 片山津地区街路、公園(まちづくり) など

Think for Japan 東京大学 参考文献 「岩手を襲った津波の歴史」(http://www.bunka.pref.iwate.jp/shizen/umi/data/kiso03.html) http://ja.wikipedia.org/wiki/大

http://ja.wikipedia.org/wiki/貞観地震 http://ja.wikipedia.org/wiki/太田圓三 中井祐著、機関誌「建築業界 土木エンジニアたちの群像」 (http://www.nikkenren.com/archives/doboku/ce/kikanshi0103/cover.htm)


教授インタビュー①:「誰のためのまちづくりをするのか?」「復興における平等性とは?」工学部 中井祐教授