Page 1

 旅と人生を彩る音楽

 音楽の歳時記            岩重 十四三


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記       岩重 十四三

 みみずく会 電子書籍プロジェクト

 「脇道、寄り道、回り道」     第一号の発行を記念して

                  

十四三  

岩重

    平成二十四年五月吉日        

2


Mimizuku eBook 2012 Summer

プロローグ

我々はどこから来たのか、 何物か、 どこへ行くのか

ポール・ゴーギャンがタヒチで描い

た傑作の題名である。ゴーギャンはこ

の作品にさまざまな意味を持たせた。

まず、右の三人の人物は人生の始ま

りを、中央の人物は成年期を、左の人

物は死期を意味しているといわれる。

私 も 六 〇 才、 還 暦 を 迎 え る 頃、 「自

分の先祖はどこから来たのだろう、自

分は何者だろう、そしてどういう死に

方をするのだろう」としきりに考える

ようになった。

「私は何者か」

スーパーコンピューターの発達で人

間が持っている三十億個ともいわれる

細 胞 核 が す べ て 解 読 さ れ た と の こ と。

いわゆるヒトゲノムというあれであ る。

われわれの身体をつくる細胞に書か

れている設計図が解ってくれば、ゴー

ギャンの問いかけにもひとつの答えが

出てくるだろう。

3


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記   放し、勇気と感動を与えてくれたもの

です。

の提案はなかなか面白い企画と思うの

    岩重 十四三

私という人間のDNAが解析でき だ。

計 図 に は、 ど こ か ら 来 た の か 、 何 者

年が経つごとに曖昧になっていく記

次から次へと懐かしく思いだされる。

ひとつの曲を聴くと、過ぎし日々が

自分の作った料理を持ち寄って集ま

る よ う に な れ ば、 き っ と、 そ の 設 か?  旅や音楽好きも、テゲテゲな 性格も・・・、これから先、はたして

憶と、ふと思いついた時に書き残した

るポットラック・パーティーと言うの

一方で、これをいったい誰が読むの

どんな病気が待ち受けているのか、何

メモを頼りに、旅につながる出逢いと

があります。

be)でも貼り付けて、 3D風(読む、

いいパーティーだったよ!

たよ。また来るよ!

感動し

 

ドが飛び出してくるやも知れません。

ら、 案外、 面白い言葉や時代のキーワー

みんなが書いたものを持ち寄った

との疑問も残ります。

か、 どのような端末で読むのだろうか、

歳まで生きられるのか等々が書き込ま

別離、思い出す季節の風景などを、名 てみた。

曲の調べに乗せて思い出すままに書い

れている筈だ。 ここにピックアップした音楽と旅の エピソードは、夢中で歩いてきた私な りの寄り道、わき道、回り道のほんの

電子書籍として載せるには拙い文

知らず知らず歩いてきた道も、もと

見る、聴く)電子書籍にしていただい

ひとコマにすぎな い 。

もと私のDNAの設計図に描かれてい

たらカムフラージュできるのにと思っ

も、写真や音楽(できればYouTu

た道だったかもしれないし、その道が

ているところです。 昭和三十三年三月、 「はろばろと~」

「私は何者かを」暗示しているのかも しれない。

と歌って鶴丸高校を後にしたみみずく

昭和と言う時代に生まれ、生きてき

い て 来 た「 自 分 の 昭 和 時 代 」 を 持 ち

五十年の歳月を経て、それぞれが歩

がら。

かったよと、主催者のs君に感謝しな

お お い に 盛 り 上 が り、 料 理 も 美 味 し

みみずく電子書籍でのパーテイーが

た私の人生を振り返ってみた時、かた

寄って電子書籍を作りたいとの、S君

諸氏。

We'll be back!

わらにいつも音楽があり、気持ちを開

人生を彩る音楽

We're impressed.

4


Mimizuku eBook 2012 Summer

サウンド・オブ・ミュージック ジュリー・アンドリュース

オ ス カ ー・ ハ ー マ ー シ ュ タ イ ン の ミュージカル映画を初めて見に行った のは、たしか 一九六六年(昭和四一   年)頃だったと思う。

森永乳業という会社に入って最初の

赴任先が名古屋工場だった。

食事の洋風化の波に乗って牛乳は作

れば売れる時代で、特に夏場は最需要

5


Mimizuku eBook 2012 Summer

    岩重 十四三

春の日々が懐かしく思いおこされ、不

音楽の歳時記   期を迎えており、三交代制、二四時間 覚にもウルウルッときたものだ。

村の背後の牧草地には野の花が咲き

乱れており、その丘の上から、この美

6

「群青色の二つの嶺の間から、 遠く、

ザンクト・ヴォルフガング

「エーデルワイス」を唄う場面になる

には、村の暮らしを見守るように教会

ている。青い湖を挟んで、こちらの岸

入社員時代のほろ苦い思い出が一瞬に

夏暑く、冬は寒い名古屋で過ごした新

あれから二〇年がたっていた。

感慨に浸っていた。

とうとうここまでやってきたという

地であった。

が、当時、日本人はめったに来ない土

グからバスで、そう遠くないところだ

ンクト・ヴォルフガングはザルツブル

オーストリア隋一の景勝地で、ここザ

湖沼地帯は世界遺産にも登録された

ザルツカン・マーグートといわれる

旅の終わりにこの地を選んだ。

この文と画に魅せられ、ヨーロッパの

一九八六年(昭和六一年 の ) 夏、東 山魁夷画伯の「オーストリア紀行」の

し  い  ヴ  ォ  ル  フ  ガ  ン  グ  湖  の  夕  暮  れ  を  眺  め         ている・・・・・」

フル操業しても追いつかないくらい だった。 昼も夜もなく工場長を先頭に事務屋 も技術屋もなく皆で頑張ったものだ。 休みの日の楽し み は と い え ば 、 唯一、 映画館へ出かけるか、飲み屋街をはし ごするくらいだっ た 。 シネマスコープの画面に突然、チロ ル地方の美しい山と湖の風景が広が り、ジュリー・アンドリュースがオー プニングの曲を牧草地の上で手を広げ て、伸び伸びとした声で唄い上げる。 「 ド レ ミ の 歌 」 や「 エ ー デ ル ワ イ ス 」 の名曲が次々に流れ、画面の中へと引 き込まれていく。 そして、トラップ大佐と子供たちとの 合唱が奏でる美しいハーモニーに酔い

と、大学卒業以来、久しく音楽とは無

の白い鐘楼が聳え立っている。

薔薇色の夕映に染まった雪の山が覗い

縁の世界に身をおいてきただけに、青

しれた。

東山魁夷 画


Mimizuku eBook 2012 Summer

あの時、観た「サウンド・オブ・ミュー

が心地よく、いくら眺めていても飽き

テラスに出ると湖面を渡ってくる風

して蘇ってくる。 ジック」の映画のロケ地が、まさに、こ

古い建物を長く大事に使い、そこで

年以上から住んでいるピーター 250 家の所有になったとのことである。

録 に 残 っ て い る そ う で あ る。 そ の 後、

ホテルの名は一五世紀に、すでに記

ということだ。

という主題歌が流行して人気を集めた

 おはよう!  お入りなさい  そ して、あなたの悩みを忘れなさい」

ている。

ス・レッスル その戸口に幸せが待っ

「ウオルフガング湖畔のヴァイセ

だ。

リンで初演され大いに当たったそう

なっていて、一九世紀終わり頃、ベル

このホテルはオペレッタの舞台にも

なかった。

今宵の宿はちょっと贅沢をして、東

のヴォルフガング湖を中心としたザルツ カン・マーグートだったことを、この地 を訪れて初めて知 っ た 。 トラップ一家が、ナチスに追われオー ストリアから、家族みんなで山を越えて スイスに逃れていくところで映画は終わ る。この映画を作ったロバート・ワイズ 監督はザルツブルグに撮影に来た時、そ の美しい風景を見て、この作品に対する 勇気が湧いたと語 っ て い る 。

ヴォルフガングという言葉はどこか郷 愁を覚える。

そうだ! 湖畔のザンクト・ギルゲン 山 魁 夷 画 伯 お 気 に 入 り の、 「白馬亭」 という小さな町でモーツアルトの母親が ホテル・ヴァイセス・レッスルにした。 生まれており、ヴォルフガング・アマデ 部屋に案内されると明るく広々した部 山を望むことができた。

ウス・モーツアルトの名前の由来もこの 屋で、湖の対岸には暮れなずむ双子の 湖の名に由来するのではないかと。

7

白馬亭ホテル


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記  

もあり、深く心を打たれた。

チロル地方の短い夏も終り、私の旅

この地方の、 素朴で謙虚な人たちが、

う」と心に誓いながら、ホテルわきの

「また、いつかこの町へ戻って来よ

も終わりに近ずいた。

郷土を愛し、自然を大事にして暮らし

船着場から遊覧船に乗った。

しい生き方のように思われ、羨ましく

こそが情緒と潤いを大切にする人間ら

ている姿を目の当たりにすると、これ

く折り合いをつけて暮らしている。

を設けて、少々不便ではあるが、うま

に共存させ、自然保護にも厳しい基準

    岩重 十四三

働く人たちのもてなしの心にも温もり が感じられ、居心地のいいロマンチッ クなホテルだった 。 オーストリアやドイツを旅して思う ことは、古いものと新しいものを巧み

8


Mimizuku eBook 2012 Summer

平均律クラビア曲集 プレリュード バッハ

ピアノ練習曲で知られるバッハの平 均 律 ク ラ ビ ア 曲 集 は ド イ ツ・ ラ イ プ ツィッヒの聖トーマス教会で作曲され た。グノーのアヴェマリアはこの曲の 前奏曲に旋律を付けた事で知られる名 曲である。 こ の バ ッ ハ の 曲 が 流 れ て く る と、 一九七〇年(昭和五五年)頃、乳業会

社の社長秘書を務めていた頃のほろ苦

い 思 い 出 が 一 瞬 に 蘇 っ て く る。 ま だ

四〇才位の頃だ。

 築地、赤坂、聞こえは良いが、 知っているのは女将の顔と  

 電話番号と行く道順よ 

 ほんに秘書とはつらいもの  

と、秘書エレジーに歌われているよう

9

ライプチッヒの聖トーマス教会


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記       岩重 十四三

気持ちと体力を察して、社内外からく

秘書は少なくとも三年は風邪をひい

る。 と こ ろ が な っ て み る と、 最 初 は、

調和できる人物が秘書としてプロであ

かばん持ちとブレーンとの二面性を

そうと思ったら、時間は掛かるし、と

こんな仕事だから、百点満点でこな

な、そんな秘書像 を 描 い て い た 。

るスケジュールを、程よく組むと喜ば

て は な ら な い。 自 分 の 健 康 管 理 す ら

カバン持ちをやることに非常な抵抗を

ても疲れる。とにかく六十点くらい取

かばん持ち兼ブレーン

で き な い 人 間 が ボ ス の 健 康 管 理 な ぞ、

感じたものだ。だが大事なことは、人

れればいいやという構えでないと長く

れた。

もっての他だと先輩にいわれてきた。

前で社長に服を着せること、靴ひもを

秘書就任の日、社長に、こう言われ

はもたない仕事であった。

を持つことだと悟った。

常時 「公」 を優先させる仕事ではあっ

結ぶことを光栄に思うくらいの心構え

た。 「秘書は、難しい仕事を上手くやり

たが、唯一の「私」の楽しみは、家で 秘書は社長に代わっていろいろな文

文章の代筆屋

面倒なことがおきたって、誰も助けて

章 を 書 か ね ば な ら な い。 祝 詞 や 弔 辞、

いらいらがつのる時、バッハの平均

遂げたって、誰からも感謝されないし、 はくれないよ!ただし、君が八方ふさ

論文から随筆までなにが飛び出してく

律を聞いていると不思議と心拍を整え

くつろぐ時、バッハやモーツアルトを

がりになっても、僕だけは君の味方だ

るかわからない。なによりも自分のボ

という紀行文とめぐり合った。書かれ

そ ん な と き 安 岡 正 篤 著「 世 界 の 旅 」

とだった。

学や人間学に関する古今の書を読むこ

また通勤電車の中の楽しみは、帝王

LP盤レコードで聴くことだった。

と言うことを覚え て お い て く れ 」

てくれ、精神安定剤がわりになった。

を作ることに苦心したものだ。老人の

ンスをうまくとったリズミカルな日程

ボスの日程作成は、閑と忙とのバラ

老人学

事である。

スの立場に立って物を考えることが大 この殺し文句には、度肝を抜かれた。 いっぺんにこの鹿児島出身の社長・門 前貢の人柄に惚れ た 。 二年間の秘書時代を通じて学んだこ とを二~三紹介し て 見 る 。

10


Mimizuku eBook 2012 Summer

ている文章もさりながら、その高尚な 中身に驚いた。 訪れた土地がどんな風土で、どうい う生活習慣を持ち、さらにどんな人物 を生んだか、その克明な、しかも大胆 な紀行文に居ても立っても居られない 衝動に駆られた。 安岡の歩いた世界を自分も生涯かけ て歩いてみようと決意したのだった。

ワイマール あれから二十年の月日がたってい

ツのアテネといわれるワイマールは

一九九九年(平成十一年)秋、ドイ

満室で取れなかったが、先生が清遊さ

いうホテル・エレファントはあいにく

六十年前、安岡先生が泊まられたと

「ひとかどの人物という言葉があ

た。

ゲーテ生誕二百五十年祭を祝うヨー

れたゲーテハウスを訪れ、ゲーテ、シ

る。偉いといっても大抵はまさにひと

先生は著書の中で、ゲーテのことを

ロッパのドイツ・イヤーということで、

ラーの墓参ができたことはありがた

かど(一曲)の人物である。

次のように評しておられる。

ヨーロッパ中の観光客がどっと押し寄

かった。

11

せて来ていた。

ゲーテとシラー像


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記       岩重 十四三

人を見るのに、少しもその人間の本 質とは関係なく、あれは何省の高官で あるとか、前の大臣であるとか、何会 社の重役であるとか・・・・。何とか 彼とか要するに条 件 物 で あ る 。 そんなものを籠蓋した、ある渾然た るものがなければならない。これを天 成とか造化とか、 自 然 と か 言 う 。 ゲーテはひとかどの士というより も、更に進んで至誠尽性の趣のある天 成の人物であった 」 「彼のこういう天稟と修養とは彼の 文にも表れていて、ワイマールのよう な猫の額くらいの天地に居ながら、田 舎くさい、こせついたところがひとつ もない」 まさにゲーテは西郷やダヌンツォの ような大きな至誠の人だったのだろう と思いながらワイマールを後にした。

ゲーテの思索小屋

12


Mimizuku eBook 2012 Summer

Too Young

Nat King Cole         クラインガルテンのラウベ

信州・四賀村

静かな夜更け、ナットキン・コールの

ベルベットのような肌ざわりの歌声を

聞 く と、 と て も 温 か い 気 持 ち に な る。

この曲は若かった頃を回想させ、どこ

か郷愁をかきたてる。

「自分ではまだ若いと思っているだ

ろうが、もう若くないんだよ。

わかっているね」と諭してくれている

ようだ。

四賀村のクラインガルテンでは、遅

い夕食の時にはきまってこの曲を流し

た。一日の農作業を終え、温泉に浸か

り、ラウベ 小 (屋 に ) 帰ってくるとも う午後九時を回っていた。この曲を聴

きながら飲む酒が五臓六腑に染み渡っ た。

一 九 九 九 年(  平 成 十 一 年 ) 、還暦 を迎えた頃、趣味の合唱コンサートで

13


Mimizuku eBook 2012 Summer

    岩重 十四三

から、村が経営するラウベ(小屋)付

知り合いになった四賀村の中島学村長

西に北アルプスを望み村を見下ろす高

て善光寺街道の宿場町だった。農園は

安曇野の南に位置する四賀村はかつ

音楽の歳時記  

きの滞在型市民農園(クラインガルテ

耕作してみると、いろいろな問題がで

てきた。

つの深さまでしか土に入っていか

一つの問題は、耕してみるとスコッ プ

ないし、その下は固い粘土だった。こ

坪のラ

をはじめ、 関東地区からも通ってきて、

入園者は五十四世帯で、遠くは関西

法で作物を栽培しなければならないこ

里」に指定されており、有機無農薬農

二つ目は、村全体が国から「有機の

れでは根菜類は栽培できない。

春から秋にかけ、それぞれが

とだった。

たが、第二の人生を田舎で過ごしたい

ぜい週末しか利用できない状況であっ

私はまだ仕事も持っているし、せい

て、十一月にはもう冬支度である。す

く快適なのだが、すぐに秋がやって来

標高が700mもあるので夏は涼し

て、桜が咲く四月末まで六ヶ月間は休

眠状態で、全く農作業ができない土地 れた。まだ体力も、気力も残っている

先に入園している先輩たちから収穫

これには参った。

だった。 六十才くらいから始めても充分クラブ

つに甘く、美味しいのだ。

イモをいただいて食べたら、これがじ

した野菜や、大根、たまねぎ、ジャガ わずか百坪ばかりの農園であったが

ライフを楽しめますよ」 と励まされた。

入園の日、村長から「いい時に来ら

高速走行をいとわなかった。

ぐに零下十五度と言う厳冬がやってき

た。

ウベに長期滞在し農作業を楽しんでい

風が吹き抜けていた。

台に作られていて、乾燥した信州の涼

えていたところだったので、二つ返事 で入居することに な っ た 。

1

と思っていたので、片道250kmの

12

定年後は田舎暮らしをしてみたいと考

ン)へ誘われた。

冬の信州四賀村

14


Mimizuku eBook 2012 Summer

秋の収穫が終わると、石のように固 い粘土を深く掘り起こし、天地返しを しておくと、長い冬の間に凍結、解凍 を 繰 り 返 し、 春 に は サ ラ サ ラ の 土 に

を沢山食べると疲労回復が早い。

庭は、特にストレスを受けた都会人

にとっては生存問題だと思った。

ここに来ると居ながらにして森林浴

のに何分とかからない。肉体的にも精

ができるためか、ストレスを解消する

こんな力仕事を繰り返しながら、元

神的にも確実に元気になってきてい

なっていた。 気な土作りのコツ、輪作の仕方、自然

る。

おかげで野菜も花も元気に育ってく

議な力があるのかもしれない」

「クラインガルテンにはなにか不思

農薬の利用法、循環型農業の大切さな どを学んだ。 厳 し く 長 い 信 州 の 冬 で は あ っ た が、 夏の農作業で疲れた身体をメンテナン スしながら、あとは自然の力で土壌を 改良してくれるのを楽しみに待つ貴重

三年目に入った頃からだ。それは元気

な休養の時でもあった。

聞 い て 見 る と、 最 初 は 土 作 り に 精 出 し、 頭 を 使 い、 工 夫 し、 忍 耐 の 毎

な土を作ることが一番大事なことだと

しかし本当に面白くなってきたのは

日だったとのことだ。

流した。

実感したからである。これまで以上に

夏 の 間 は、 ひ っ き り な し に 生 え る 雑 草 を 抜 き 取 り、 落 ち 葉 や 収 穫 し た

れるようになった。自分の身体も筋肉

土つくりに精を出すようになり、汗を

野菜の茎やつると一緒にコンポスト に 積 み 上 げ、 米 ぬ か や 鶏 糞 を 混 ぜ 堆

質になってきた。取れたての有機野菜

15

肥を作る。

ポタージェ(菜園)


Mimizuku eBook 2012 Summer

東京の小学生がお母さんにつれら

えられてきたのも事実である。これか

化し、それによって明日への活力を与

に落ちる夕日を眺めながら一献傾ける

ンに親しい友人を呼んで、北アルプス

い楽しみが沢山ある。クラインガルテ

    岩重 十四三

れ、私のラウベで夏休みを過ごしたこ

ら先のレジャーはどんなものになって

音楽の歳時記  

と が あ っ た。 数 年 後、 そ の 子 は 見 事、

のもいいし、里山を歩きで森林浴をす

予感がする。

そんなレジャーが主流になるような

のもいい。

るのも、蕎麦打ちや炭焼きを体験する

いくのだろう。

さんは子供に、入学祝にどこか旅行に 連れて行きたいが、どこがいいか尋ね てみた。 その子の答えは「四賀村のクライン ガルテン」だった。農園での土いじり や夜、ラウベのデッキから見た星の美 しさは子供にとって忘れられない思い 出となった。 「花がすくすく育つところに子供た ちもすくすく育つ。花と子供がすくす く育つところに、文化も、われわれ全 員がとても幸せになれる余暇も良く育 つ 」 と、 ク ラ イ ン ガ ル テ ン 発 祥 の 地、 ドイツのアデナウワー元首相は言って いる。 戦後六十年、日本人のレジャーは映 画、テレビ、ディズニーランドへと変

ここ信州四賀村にはお金では買えな

私立中学の入学試験に合格した。お母

ラベンダーの道

16


Mimizuku eBook 2012 Summer

川の流れのように 美空ひばり

和という時代と共にあり、この歌が彼

美空ひばりという偉大なる歌手は昭

女の最後のメッセージとなり、昭和時

♪  生きることは旅すること

しさを感じ、 美しくも見えるのだろう。

いのかもしれない。だから、余計、親

ものは別離がはっきりしているから良

まっていたいといつも思う。旅という

旅をしていると、もう少しここに留

ある。

旅と同じで、出逢いと別れが付き物で

この歌にあるように、まさに人生は

代も終わった。

 終わりのないこの道  でこぼこ道や  曲がりくねった道    地図さえないこの道  あゝ、川の流れのように   お だ や か に こ の 身 を 任 せ て い た い  ♪

17


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記       岩重 十四三

昔、この町は鹿児島の行き帰りに汽

えた同級生が「あと何回さくらを見ら

東日本大震災の年の暮れ、古希を迎

の塔」 と共に、 心のどこかに引っかかっ

けに、ここに登場する山口は「見残し

一度も訪れたことがなかった。それだ

車で通り過ぎることはあったが、まだ

れるかね?」と酒を酌み交わしている

たまま、時が過ぎていた。

周防・山口

時、しみじみとつ ぶ や く 。

二〇十二年(平成二十四年)の春。

「花に嵐のたとえもあるぞ、さよな らだけが人生だ」の言葉がふっと頭を

山 口 市 の 中 央 を 清 ら か な 水 が 走 り、

か ら 参 道 を 進 む と、 杉 木 立 の 向 こ う

いた。川の名は一ノ坂川といい、ここ

小川の両岸には満開の桜並木が続いて

よぎる。 「そうだ! 春は見残しの塔にしよ う」と二人の話し が 纏 ま っ た 。

にさび色を した五重塔 が見えてく

五層の桧皮

のびのびと

という。

が残った。塔の名を瑠璃光寺五重塔

「人は流転し、消えうせ、後に塔

る。 中 空 に

葺の屋根を 広げた姿は

還し、古色を加えたが、美形は変わ

歳月が塔の朱を洗い流し、素木に 息を呑むほ

らない・・

神 々 し く、 ど美しい。

18


Mimizuku eBook 2012 Summer

その姿を見た人間には「美残し」だ が、めぐり合えなかった者には、この 世に思いを残す「見残し」の塔だと考 えた」 小説 久木綾子著「見残しの塔」の 一節である。 久木氏が七十才の時に、創建六百年

この年令にして、凄まじいばかりの 見事な文章力に圧倒される。

壮にして学べば老いて衰えず、老に

今宵の宿は、名湯、湯田温泉の旅館

して学べば死して朽ちずだ!

だやかに流れる時を味わうとは予想し

に し た。 温 泉 は す こ し ぬ る め の 温 度

「最晩年に、これほど実りある、お ませんでした」と著者は言っている。

だったが、長湯には最適だった。

五 重 塔 を 建 て た 棟 梁 た ち も き っ と、

一日の終わりにはこの湯に長~く浸か

夕食の膳には、うれしいことに、ふ

り、疲れを癒したことだろう。

訪 れ た 際 に、「 こ の ふ で ぬ し 弐 七 」 と

ぐの刺身が出てきた。下関からそう遠

といわれる、国宝、瑠璃光寺五重塔を 棟梁が墨書した国宝の枡に出会い、左

くないこの町では、もてなし料理にふ

氏は取材に十四年、執筆に五年をか

な い が、 ず い ぶ ん、 寄 り 道、 わ き 道、

人 生、 「川の流れのように」の歌じゃ

うということになった。

同行二人は、やはり、ふぐ酒でいこ

ぐが振舞われるらしい。

右近という若者を心の中に誕生させ 自分も七十才を超えた。これまでの

け、八十九才で中世室町時代の日本人

回り道をしながらやってきたような気

た。

の精神構造を描き き っ た 。

ながら、遠い山口のこの地までたどり

宮崎県椎葉村から大工の修行を重ね そろそろ余生を楽しもうと思ってい

着き、五重塔の枡に「このふでぬし弐

がする。 たら、九十才超えてなお、凄い仕事を

七」と墨書した二十七歳の左右近とい

        (平成二十四年五月)

に酔いしれた。

う若者に想いを馳せながら、うまい酒

残している作家がいることを知った。 氏に比べれば、自分はまだ二十年は 残っている。

19


Mimizuku eBook 2012 Summer

音楽の歳時記       岩重 十四三 20

mimizuku eBook 5  

wakimichi yorimichi mawarimichi,No5.

Read more
Read more
Similar to
Popular now
Just for you