Issuu on Google+

沖縄戦将兵のこころ       

⽣⾝の捕虜調査 

保坂廣志       

紫峰出版 


表紙写真 投降する日本軍兵士をぼうぜんと見つめる住民 6 月 20 日 出典 沖縄県公文書館 OPA 20–20

裏表紙写真 日本敗戦の前日、那覇港付近を飛び交う軍用ハト 1945 年 8 月 14 日  OPA 80GK–6347(K–6347)


写真 1  呆然自失の日本兵 OPA20-20

写真 2  戦死した仲間の埋葬を命じられ手作業で準備をする日本兵 捕虜になった日本兵は、周囲に散乱している日本兵の死体の埋葬にあ たらされた。6 月 20 日前後の南部戦線。OPA 米海兵隊写真 13-10-1


写真 3  集団投降する沖縄海軍部隊 6 月 9 日 OPA 20–16

写真 4  全滅寸前に投降した日本兵 6 月 21 日 OPA 13-03-3


写真 5  不安を抱えた投降直後の日本兵 6 月 20 日 OPA 13-09-3

写真 6  投降直後の日本兵 日系二世兵士の尋問を待っている。6 月 20 日 OPA 98-28-4


写真 7  尋問の様子 米軍の治療を受けたあと直ちに尋問が始まる。6 月 25 日 OPA 128191

写真 8  投降直後の日本兵 月日不明 OPA 映像記録 U20-18


写真 9  捕虜の監視 捕虜を裸にし、収容所移送まで米海兵隊員が監視を続ける。 6 月 13 日 OPA 98-30-2 (669-125351)

写真 10 戦場から収容所に移送されたばかりの日本兵 次に何が起こるか不安でいっぱいである。6 月 22 日頃 OPA U22-13


写真 11  捕虜であふれかえる屋嘉捕虜収容所 笑顔はないが、心の余裕が感じられる。6 月 22 日頃 OPA U22-13

写真 12  太平洋戦争終結後、最初に投降した日本兵 (米軍写真説明) 尊大ぶった態度をとるが、民間人に偽装した戦場生活が歴然とする。 8 月 21 日 OPA 米海兵隊写真資料 51


i

はじめに 本書第 1 章は、沖縄戦が事実上終結した 1945 年 6 月、捕虜になったば なま み

かりの「生身の捕虜 (fresh POWs)」358 人に対する米軍の意識調査をも とに、日本軍捕虜の「生の声」を分析しようとするものである。本調査は 回答のみが記録に残り、肝心の日本兵の意識解明や内容分析にいたらな かった。本書では、通常の意識調査報告書同様の手法を用い、フルレポ− トにまとめた。 第 2 章は、沖縄戦の「日本兵に対する聴き取り調査」の結果をまとめた ものである。45 年 4 月 29 日、(昭和) 天皇誕生日と軌を一にして米心理作 戦班は日本軍向けの新たな心理作戦 (『琉球週報』撒布) を実施した。従 来のプロパガンダ効果も含め米軍は、5 月半ば、主として日本軍心理を解 明するため素性の確かな比較的高学歴な日本軍兵士 8 人を集め、聴き取 り調査を行った。熾烈な戦場から生還できた兵士らは、自由闊達に戦争 観や天皇制等について意見を述べている。おそらく兵士らの答えは、軍 人精神を表すものだけでなく、国民一般の戦争観を表したものだろう。

2 つの調査は、沖縄戦の中期と後期の日本軍意識を代表するものだが、 「生身の捕虜」調査は生死すら覚束ない状況下で実施されただけに、より 一層兵士の心中が理解されるものである。調査を受けた兵士らは、それ が何の目的で行われるのか全く知らなかったであろう。兵士らは戦場地 から直ちに捕虜収容所に移送され、戦塵を振り払う間もなく調査表を渡 された。 全問に答え、それを収容所立会いの米軍将校に渡し、いよいよ生死を 分かつ収容所に閉じこめられることになったのである。これを境に兵士 らは戦場地からの「生還」者となり、生存者になったわけである。意識調 査に答える捕虜の映像が米軍記録に残っているが、収容所到着間もない 騒然とした状況から一転し、調査空間は清純そのものである。戦場記憶 を放出するほんの一瞬、兵士たちは確かに自身の戦争を、戦場を素直に


ii

語ったのである。 「生身の捕虜調査」は、戦場地での日本軍精神を実直に伝える戦争遺産 だと考えられる。それは単に、戦場の針穴から

い出した将兵の心理が

描かれているからだけではない。それよりは、回復困難なある時代の精 神が、確固とした記録として丸ごと残されたからである。反面この精神 遺産は、調査主体である米軍当局も含めて誰にも伝わらなかったもので ある。気持ちのままに記入した調査票は、回収不能な受取人不明のまま 戦場地に取り残された郵便物のようなものである。兵士一人一人の主張 は、封書に入っているのは確かだが受取人が見つからないのである。そ こで、戦場には立ち会わなかったが、激戦地沖縄を集合的記憶の源泉と して記憶しようとする者なら誰でも調査票の受取人になってよいだろう。 報告書の必然性から、兵士の言葉は数字に転化するが、それは叫びやつ ぶやきの類とでも思えばよいだろう。数字は、兵士多数の吐息のような もので、五感を働かせれば感受出来るものであろう。また、あの凄惨極ま る沖縄戦をコンパッション(共感・共苦)する一助として、関連記録映像 をカット・イン (複写・挿入) した。ビジュアルな記録は、生身の捕虜に 寄り添うもう一つの実話である。目を凝らし、兵士のつぶやきや心中を 感じ取りたいと思っている。

2016 年 6 月 22 日  保 坂 廣 志   


iii

もくじ

はじめに

i

第 1 章 生身の日本兵捕虜の意識

1 1

1.1

1.2

1.3

沖縄戦将兵の意識調査 . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

1.1.1 1.1.2

調査目的 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

1.1.3 1.1.4 1.1.5

調査方法 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

調査対象者 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

7 8

調査票の構成 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

8 9 9

1.1.6 その他特記事項 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . フェース・シート (基本的属性) . . . . . . . . . . . . . .

9 10

F1  調査対象者 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . F2  年齢 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . F3  未婚者・既婚者 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

10 13 16

F4  教育歴 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . F5  出征前の職業 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

18 19

F6  所 属 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . F7  徴集状況 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . F8  軍役期間 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

23 24 25

F9  本土を離れ軍務についた期間 . . . . . . . . . . . . . 調査結果 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

28 31

Q1  日本が戦争を始めた動機 . . . . . . . . . . . . . . . Q2  どこが勝利をおさめるか . . . . . . . . . . . . . . . Q3  日本がアジアで戦う理由 . . . . . . . . . . . . . . .

31 33 34

Q4  日本は米国との戦争を望んだか . . . . . . . . . . .

36

調査期間 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .


iv

1.4

1.5

Q5  日本国民を誤った方向に導いたのは誰か . . . . . .

38

Q6  日本政府の情報について . . . . . . . . . . . . . . . Q7  陸・海軍の協力について . . . . . . . . . . . . . . .

40 43

Q8  米軍の捕虜取扱いに関して投降前の考え . . . . . . Q9  米軍の日本統治に対する日本兵の態度 . . . . . . . Q10  日本政府がすべきこと . . . . . . . . . . . . . . .

45 56 58

Q11  米国は公正で人道的な平和を保障するか . . . . . . Q12  天皇の権能について . . . . . . . . . . . . . . . . .

60 63

Q13  戦場の話題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . Q14  米軍宣伝ビラを見たことがあるか . . . . . . . . . Q15  日本軍の恥意識 (甲乙対比法) . . . . . . . . . . . .

65 69 73

考察 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

78 78

1.4.1

大東亜戦争「聖戦」論 . . . . . . . . . . . . . . .

1.4.2 1.4.3 1.4.4

米軍の捕虜の処遇について . . . . . . . . . . . . .

1.4.5 1.4.6

沖縄戦下の私的情報回路と流言蜚語 . . . . . . . .

天皇の戦争責任について . . . . . . . . . . . . . . 沖縄戦下の公的情報回路 . . . . . . . . . . . . . . 沖縄戦参戦兵士の日本の将来像 . . . . . . . . . .

121 143

まとめ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

157

第 2 章 日本兵に対する聴き取り調査

2.1 2.2 2.3

86 99 112

はじめに . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 聴き取り調査対象者

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 聴き取り調査結果 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

161 161 162 163

2.3.1 2.3.2

捕虜になっての反応 . . . . . . . . . . . . . . . .

2.3.3 2.3.4 2.3.5

戦争の勝利国 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

2.3.6 2.3.7

本土に住む民間人の不便さ . . . . . . . . . . . . . 兵士の不満 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

175 177

2.3.8

投降に対する兵士の考え方 . . . . . . . . . . . . .

181

戦争の原因について . . . . . . . . . . . . . . . . 天皇に対する姿勢 . . . . . . . . . . . . . . . . . . 政治指導者について . . . . . . . . . . . . . . . .

163 167 168 172 174


v

特攻機に対する評価 . . . . . . . . . . . . . . . .

181

2.3.10 沖縄戦の現状に対する兵士の認識 . . . . . . . . . 2.3.11 米軍プロパガンダの成果 . . . . . . . . . . . . . .

184 185

聴き取り調査のまとめ . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

189

2.3.9

2.4 付録

資料 1  生身の捕虜調査結果

. . . . . . . . . . . . . . . . . . 資料 2  声の投降呼びかけ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 脚注 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

195 195 207 210

おわりに

223

写真・図表の一覧

225

索引

229

事項. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 人名. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

229 232


 


1

第1章

1.1

生身の日本兵捕虜の意識

沖縄戦将兵の意識調査

米第 10 軍情報部心理作戦班は、米軍が琉球作戦終了を宣言した 1945

(昭和 20) 年 6 月 22 日から同月末の 1 週間、 「心理戦捕虜意識調査」(1) を 実施した。本調査は、戦場から捕虜収容所に移送されたばかりの生身の日 本軍捕虜の意識を明らかにするべき実施された。しかし、デ−タを集計 したものの、分析が試みられることはなく報告書が提出されないまま記 録が眠ってしまった。報告書の鏡文には、本調査は、捕虜直後に捕虜収容 所に送られたばかりの「生身の捕虜」(fresh POWs)、すなわち今まで戦 場にいたばかりの将兵らの意識を立証するもので、 捕虜の精神状態は戦

写真 1.1  「生身の捕虜」調査 – 1945 年 6 月 26 日 屋嘉捕虜収容所に移送された一部兵士は、直ちに調査票を渡され、無 記名回答した。OPA = 沖縄県公文書館映像記録 U22-33


2

第 1 章 生身の日本兵捕虜の意識

場とほぼ同じものであるに違いない、と記してある。 心理作戦に当たる将校たちは、本調査を通じ戦場地における日本兵が 何を考え、意識はどうなっているかを解明するとともに、今後の本土進 攻作戦に調査結果を利用しようと計った。本調査は、日本軍全般に関わ る太平洋戦争下初の大規模意識調査であり、沖縄戦参戦兵士の戦場体験、 むき出しの感情を吐露した画期的な調査であった。 そもそも米軍にとり、日本兵は未知の存在であった。一糸乱れぬ集団 ぎょくさいがぜん

行動をとるかと思えば、狂信的な自殺行為を行い玉砕瓦全が交錯する不 可解な集団であった。これを示すかの如く、沖縄戦末期、本島最南端に閉 じこめられた日本兵は、狭隘な地下にもぐり、逃走や自死 (自決)、投降 等を図るなど軍律なき集団と化した。そこは、生と死とが幾重にも交錯 するこの世の地獄でさえあった。 九死に一生を得て戦場の針穴から生還した兵士達は、現地で武装解除、 身体検査を受け、(捕虜) 尋問もほどほどに本島中部を中心とした捕虜収 容所に移送されることになる。自主投降者はともかく、捕虜直後の多く の兵士は、恥辱や恥意識に晒され彼らなりの抵抗を示した。それは、偽名 であり偽りの情報提供等であった。 米軍は、ル−チン化された手続きに

写真 1.2  「生身の捕虜」調査 – 1945 年 6 月 26 日 調査は人数や集団を分散させ数日にわたり実施された。OPA U22-33


1.1. 沖縄戦将兵の意識調査

3

もとづき、食料や治療を施しいわゆる「手厚い処遇」を計ることとなる。 これを契機に、ほとんどの日本兵はそれまでの態度を改め、従順にして 温和な態度を取り始めるという。 こうした日本兵の一連の急激な変化に対し、1945 年 12 月 29 日、米暫 定国際情報部 (旧戦時情報部) が出した「日本軍戦争捕虜の態度」報告書 には以下のように記してある。 日本兵の頭にあったのは、捕まれば残酷な仕打ちが待ってい るということだ。ところが捕虜たちは、連合国兵士らの扱い に対し、驚くとともに感謝さえしている。捕虜たちは、明確 な感謝を態度で示し、驚くことに協力までしてくれる。彼ら は尋問の際、米軍にとり有用な情報を進んで吐き出してくれ る。さらに他の日本兵の投降を手助けし、その他の心理戦の 援助やその上さらに日本軍陣地の暴露まで行ってくれる。(2) これは、捕虜になった日本軍兵士の変節に対し、米軍が分析したもので ある。 反面米軍にとり、戦闘後の日本兵の意識の急速な変化が厄介な問題を 醸し出すこととなる。それは、どれが本当の日本兵の姿であり、意識かと いうことである。沖縄戦終了後、いよいよ米軍は日本本土に向け一大進 攻作戦を開始することになるが、そのためにも実際の戦場下での日本軍 なま

将兵の生の精神を明らかにしておく必要が出てきたわけである。 すなわち日本軍の戦略・戦術情報提供者として、日本軍捕虜はうってつ けであるが、心理作戦担当者からすれば、次なる心理作戦に参考となる情 報を日本兵から首尾良く聞き出せるか否かが肝心であった。捕虜になっ た日本兵は米軍の処遇に満足して尋問官に歩調をあわせてしまい、将来 の心理戦に向けてほとんど参考にならないからである。 もう 1 つ、日本軍捕虜の考え方の支柱をなす「恥」意識も、米心理戦部 隊に大きな興味・関心を与えた。その例として、南西太平洋地域司令部 情報部が出した 1944 年 1 月 20 日付けの報告者には以下の通り記してあ る。それは、1943 年 1 月 5 日、ガダルカナル島で捕虜となった 1 人の日 本軍兵士の話である。


4

第 1 章 生身の日本兵捕虜の意識

士気とプロパガンダ 捕虜の意見によれば、自分が捕虜になり、優れた治療や手当て を受ける���で、米軍がプロパガンダにより日本軍に影響を与 えようとした試み、特に日本軍を投降へと追いやるようなプ ロパガンダには何ら影響を受けなかったという。彼は捕虜と なり、もはや自決する意志は持っておらず、その考えも変わっ てしまったと述べている。また彼は、米軍が日本軍を投降さ せる有効な方法について、特段大きな希望を抱いていないと いう。捕虜は、戦争が終わっても日本に帰る意志はないと述 べている。ただし心中には特別な思いがあるようで、それは 多分中国に戻りたいということが本当のところだろう。(3)

写真 1.3  捕虜収容所に向かう前の日本兵 6 月 20 日米第 6 海兵師団は、306 人の日本兵を捕虜にした。捕虜収容 所に向かう前、日本兵は、身体検査を受け、所持品を没収され、一時待 機を命じられた。どの兵士にも捕虜後の不安な表情が窺われるが、そ れは未だ生存への確証がないためであろう。6 月 20 日 OPA-12-52-5


1.1. 沖縄戦将兵の意識調査

5

捕虜の意見・態度は、日本兵一般の捕虜観・恥意識と共通している。そ れは、元々は投降意志がなかったものの、負傷時や前後不覚のところを 襲撃され捕まってしまったということである。しかし、米軍の処遇や手 厚い看護を受け、やがて米軍の求めるまま情報提供を始めることである。 ただし、精神的には恥や面子があり、日本には戻れないと考え、日本以外 の地に戦後はひっそりと暮らしたいという思いが強いとも指摘している。

写真 1.4  捕虜直後の日本兵 眉間、額に深い皺が刻まれ、内心の不安が顔一面に現れている。6 月 20 日 OPA U22-03

心理作戦本来の任務は、米軍の投降呼びかけに応じさせ、今まで日本軍 が抱いていた狂信的な戦争イデオロギーを改変させることにあるのは言 を俟たない。これは、説得的コミュニケ−ションと呼ばれるもので、米 軍の意図する方向に日本兵を説得し領導しょうとする意味が込められて いる。 しかし、必ずしもそれら目標が上手く運ばないことに米軍は早くから 気づいていた。太平洋地域で戦闘プロパガンダ (戦場プロパガンダ) の経 験を積み重ね、やがて米心理作戦部隊は投降勧告文の見直しや宣伝開始


161

第2章

2.1

日本兵に対する聴き取り調査

はじめに

1945 年 4 月、沖縄本島に上陸した米心理作戦班 (Psychological Warfare Section) は、米軍上陸から 1 ヶ月半ほどが経過した 5 月中旬に日本兵 8 人 に対する聴き取り調査を実施した。それには、これに先立つ 4 月 25 日、 米第 24 軍団ジョン・R・ホッジ少将が、日本軍向けに新たな心理作戦 (宣 伝ビラ撒布) 開始を命令したからである。 同命令は、昭和天皇誕生日に当 たる 4 月 29 日を期して、 『琉球週報』と題する「情報宣伝ビラ」第 1 号撒 布を指示するものだった。それまでの宣伝ビラは、米戦時情報局 (OWI) が作成したものか、米太平洋地域司令部 (CINCPAC) が敵の投降や呼び かけや用に作成した宣伝ビラが主なものだった。そこで米第 24 軍団は、 太平洋地域や中国等で実施した地域限定型情報新聞の撒布を新たに打ち 出したわけである。 ホッジ少将は、 「戦時プロパガンダ (combat propaganda)」の内容変更 を命令したが、それまでの米心理作戦の成果については未知数だった。そ こで米心理作戦班は、無作為 (アトランダム) に日本兵を選び、日本軍将 兵心理の把握に努めようと図った。聴き取り調査に選ばれた将兵らは、当 時としては高学歴で、自分の意見をそれなりに主張できる立場にいたも のばかりであった。その意味で、必ずしも沖縄戦に動員された将兵の意 見を代表するとは見なしがたいのも事実である。反面、沖縄戦の渦中に あり、聴き取り調査に応じた将兵らは、それまでの大義名分や虚栄心を捨 て、正直に意見を述べていることは特筆されてよいだろう。なお聴き取り 調査の資料は、NARA RG 338 U.S. Army 10th Army File MISC POW

Report Box 51 を使用した。


第 2 章 日本兵に対する聴き取り調査

162

写真 2.1  『琉球週報』第 1 号 1945 年 4 月 29 日撒布

2.2

聴き取り調査対象者

45 年 5 月中旬、米第 10 軍情報部心理作戦班は、第 24 軍団 (陸軍) 管 轄の捕虜収容所にいる 8 人の日本軍将兵を無作為に抽出し、日本軍兵士 の心理や戦争観等について聴き取り調査を実施した。対象となった者は、 以下の 8 人である。


2.3. 聴き取り調査結果

163

報告書では、意見聴取された捕虜の短いコメントを項目別に記し、最後 に心理戦班独自の「要約と類推」を述べている。聴き取り調査対象者の基 本的属性は、平均年齢が 25.5 歳、教育歴平均年数は約 12 年、階級は中尉 から上等兵までとなっており、下級将校から中堅下士官・兵までである。 特に高学歴であることが特徴的である。本聴き取り調査の記録以外に 本人の捕虜尋問調書が残っているものは、6 人 (聴き取り番号 2、3、5、6、

7、8) である。尋問調書と照合しながら、8 人の兵士に対する聴き取り調 査を検討することにする。

番号

氏名

年齢

出身地

階級

教育歴

捕虜日

1

H.T

26歳

三重

軍曹

8年

4月14日

負傷

備考

2

O.M

25歳

滋賀

上等兵

8年

4月17日

3

S.M

32歳

大阪

少尉

17年

3月30日

*自主投降

4

S(名不明)

22歳

東京

少尉(海軍)

17年

3月31日

5

M.A

28歳

静岡

准尉

10年

4月30日

*前線逃亡

6

H.S

22歳

大阪

兵長

11年

4月8日

*憲兵

7

M.I

21歳

石川

曹長

13年

5月1日

*前線逃亡

8

K.N

28歳

京都

中尉

14年

4月28日

*前線逃亡

表 2.1  日本兵 8 人の聴き取り調査 1945 年 5 月 備考欄記載の*は、尋問調書が残っていることを示す

2.3 2.3.1

聴き取り調査結果 捕虜になっての反応

日本兵 8 人中、3 人は捕虜になった時、自決を考えたが自決する手段が なかったか、負傷のため前後不覚状態だったと答えている。おそらくこ の 3 人の捕虜とは、H.T 軍曹、O.M 上等兵、S 少尉と考えられる。ちなみ に S 少尉 (名前の記載なし) は、3 月 31 日に捕虜となっていることから、


164

第 2 章 日本兵に対する聴き取り調査

沖縄本島捕虜ではなく、慶良間諸島のいずれかの島にて捕虜となったと 考えられる。 さらに捕虜 8 人中 2 人は、米軍に投降すれば良い治療が受けられると 確信を持って投降したというが、米軍側では「これら捕虜たちは、日本が 勝利を収めるか、(戦況が) 膠着状態にある場合、(果たして) 投降したか どうかはっきりしない」と記している。捕虜分類上、3 人の兵士は「自主 投降」の部類に入るが、米軍情報部では、戦況如何で果たして投降した か否か疑問を抱いていたと考えられる。意見聴取を受けた中で捕虜尋問 調書から 3 人中 2 人は、O.M 上等兵と H.S 兵長と思われる。O.M 上等兵 は、宜野湾村伊集付近で 4 月 7 日に負傷し、同じく負傷した 3 人の仲間 と同地に取り残されてしまった。その後捕虜となる同月 17 日まで同地の 壕に留まり、その日米軍に捕まっている。 一方 H.S 兵長は、憲兵隊員で第 64 旅団付き情報収集の任を帯び、宜野 湾村長田の最前線で任務についていた。退避壕に潜伏中、壕内にガス弾 が打ち込まれ、しばし目が利かなくなり、ついに米軍に投降している。憲 兵隊員は、特殊情報収集の任を担っており、H 兵長は、特段米軍捕虜にな ることに疑問は差しはさまなかったと思われる。ところが彼は、米軍が 長年かけて追い求めてきた憲兵隊員であり、しかも自ら進んで情報を提 供するなど、これ以上ない捕虜となった。 さらに投降者のうち 3 人は、上官への反発から部隊逃亡を図ったと述 べている。報告書に氏名は記述されていないが、1 人は聴き取り調査で、 「自分がいた洞窟陣地には 15 人の負傷者がおり、無線で (救出を) 頼んだ が、治療を拒否されたので、軍を強く憎んでいる」と述べている。この回 答をしたのは、M.A 准尉である。彼は、4 月 29 日、独立混成第 44 旅団独 立第 3 大隊通信隊を脱走し、仲間と連れだって慶良間列島に向けサバニ

(クリ船) を繰り出し、5 月 1 日、海上にて米軍に捕まった者である。米軍 上陸前の一時期彼は、慶良間島に駐屯した経験があり、そこが比較的安全 だと考えて同島への逃亡を企てた者であり、 「逃げる兵」であった。ちな みに尋問調書によれば、 「米軍上陸時、第 32 軍司令部から直接電話通達を 受領したが、そこには捕虜になる恐れのある重傷者全員、生かしておいて 捕虜になるよりは処置すべし (be killed) とあった」と証言している。(1)


2.3. 聴き取り調査結果

165

M.A 准尉は、通信隊士官の任にあったため、第 32 軍指示を直接受領し たわけだが、 「重症患者の処置」命令は現実のものとなり、それに反発し 逃亡をはかったという。 一方、M.I 曹長も M 准尉と同一行動をとり、同じく慶良間諸島海域で 米軍捕虜となっている。M 曹長は、44 年 4 月 1 日、広島県宇品にあった 船舶工兵隊に徴兵され、主にガスエンジンの研究に従事していた。同年

9 月、彼が所属する部隊 (部隊名不明) は那覇に到着し、11 月、部隊は首 里にて壕堀任務を割り当てられることになり、彼は現場監督に従事した。 捕虜尋問調書によれば、彼は上官である T 中尉から説得を受け、同中尉 と一緒に部隊を脱走し、慶良間に渡ることを決めたという。尋問調書に よれば、彼が部隊を脱走した最大の理由は、 「捕虜は、部隊用壕構築の責 任者に任じられていたが、彼の上官から干渉がましく言われたことに憤 慨していた。その後、数多くの米軍宣伝ビラを読み、逃亡を企て、米軍に 投降しょうと決意した」という。(2) おそらく M 曹長は、壕堀の監督に指名されたものの業績不振をなじら れ、上官からは反抗的・厭戦的な者と危険視されたのかもしれない。 一方、M 曹長の話に出てくる T 中尉とは、第 11 船舶団に所属し、航空 学と船舶工学を専門とする技術畑の将校であった。彼が M 曹長に持ちか けた逃亡理由は、 「船で慶良間に渡り、もし米軍が既に慶良間を占領して いればそこで投降することだった。また仮に米軍が、同諸島を占領して なければ、農民になろうと計画した」という。(3) 逃亡の話をもちかけた T 中尉と M 曹長の話に一部食い違いがあるが、 要は米軍に投降するか、もしくは民間人になりすまし「農業」をするよう に見せかけるかということだった。T 中尉の尋問調書は、全部で 15 頁に 及び、その中で首里から南部板良敷 (旧知念村) にかけての部隊配置の詳 細を述べている。おそらく米軍情報部では、同中尉は多くの日本軍情報 を提供できる立場にあり、日本軍への強い反発心もあることから、機密 情報を入手できると考えたのだろう。事実 T 中尉は、米軍作製の兵要地 図にオーバーレイをかけた地図を指し、逐一日本軍戦闘配備状況や壕構 造について答えている。それは時として図解入りであったり、詳細な陣 地壕の見取図であったりした。


195

付録

資料 1  生身の捕虜調査結果 1. フェイス・シ−ト F1  調査数

人数 (%)

下士卒 257 (71.8)

下士官 50 (14.0)

准士官 10 (2.8)

将校 41 (11.5)

合計 358 (100)

将校 0 (0.0) 5 (12.2) 18 (43.9) 7 (17.1) 9 (22.0) 2 (4.9) 0 (0.0) 41 (100)

合計 1 (0.3) 68 (19.0) 119 (33.2) 104 (29.1) 61 (17.0) 3 (0.8) 2 (0.6) 358 (100)

() 内は百分率、単一回答

F2  年齢

20歳以下 20~25歳 25~30歳 30~35歳 35~40歳 40歳以上 無回答 合計

下士卒 1 (0.4) 59 (23.0) 79 (30.7) 73 (28.4) 42 (16.3) 1 (0.4) 2 (0.8) 257 (100)

下士官 0 (0.0) 3 (6.0) 20 (40.0) 18 (36.0) 9 (18.0) 0 (0.0) 0 (0.0) 50 (100)

准士官 0 (0.0) 1 (10.0) 2 (20.0) 6 (60.0) 1 (10.0) 0 (0.0) 0 (0.0) 10 (100)

() 内は百分率、単一回答


付録

196

F3  未婚者・既婚者

既婚者 未婚者 無回答 合計

下士卒 132 (51.4) 112 (43.6) 13 (5.1) 257 (100)

下士官 30 (60.0) 19 (38.0) 1 (2.0) 50 (100)

准士官 8 (80.0) 2 (20.0) 0 (0.0) 10 (100)

将校 22 (53.7) 19 (46.3) 0 (0.0) 41 (100)

合計 192 (53.6) 152 (42.5) 14 (3.9) 358 (100)

将校 0 (0.0) 0 (0.0) 1 (2.4) 2 (4.9) 1 (2.4) 10 (24.4) 17 (41.5) 10 (24.4) 0 (0.0) 41 (100)

合計 2 (0.6) 3 (0.8) 49 (13.7) 174 (48.6) 52 (14.5) 30 (8.4) 29 (8.1) 14 (3.9) 5 (1.4) 358 (100)

() 内は百分率、単一回答

F4  教育歴

4年以下 4~6年 6~8年 8~10年 10~12年 12~14年 14~16年 16年以上 無回答 合計

下士卒 2 (0.8) 3 (1.2) 36 (14.0) 144 (56.0) 44 (17.1) 9 (3.5) 10 (3.9) 4 (1.6) 5 (1.9) 257 (100)

下士官 0 (0.0) 0 (0.0) 10 (20.0) 24 (48.0) 5 (10.0) 10 (20.0) 1 (2.0) 0 (0.0) 0 (0.0) 50 (100)

准士官 0 (0.0) 0 (0.0) 2 (20.0) 4 (40.0) 2 (20.0) 1 (10.0) 1 (10.0) 0 (0.0) 0 (0.0) 10 (100)

() 内は百分率、単一回答


214

脚注

で約 6%である。

(27) 沖縄県公文書館 The Corps Courier. 24th Corps Publication Vol. IX No.27 May 1, 1945 U900005878B (28) ドナルド・キ−ン編/松宮史朗訳『昨日の戦地から−米軍日本語将 校が見た終戦直後のアジア』中央公論社、2006 年、21 頁 (29) NARA RG 338 Records of GHQ, FEC, G-2 Diary File 6 May 1945 Box 449 (30) 茶本繁正『戦争とジャーナリズム』三一書房、1982 年、260 頁 (31) 中国側から見た南京事件については The Rape of Nanking by Iris Chang, Penguin Book, 1997 がつとに知られている。Ms. Chang の歴史 書の特色は、 「越境する知」の手法として歴史事象を他の言語にて記述す ることにあろう。米国で本書を上梓するに際し、 「第二次世界大戦下の忘 れられた大量虐殺 (ホロコ−スト)」と奥付されているが、当事者性から すれば、戦後の今に連なる先鋭的な出来事である。戦時下のある特異的 事象は、通歴史的性格を持ち、どの国からも、いつの時代からもそれを撃 つことが可能なわけである。

(32) NARA RG 112 HD730(NP) Japanese Morale General Information about the Reports of the Morale Analysis Division OWI Report #12 December 29, 1945 The Attitudes of Japanese Prisoners of War on Overall View p.20 Box 1308 (33) 米心理戦争班が実施したアンケ−ト調査映像は、沖縄県公文書館記 録映像 U20-2 に収められ、全体で 3 分間程度記録されている。

(34) NARA RG 407 G-2 Intelligence Monograph Part IV Psychological Warfare 23 Oct.1945 p.3 Box 2946 (35) カリフォルニア大学フーバー研究所収��� Recent Trends in Japanese Military Moral As Revealed in Interrogations of 251 Military Prisoners of War Captured in the Philippines, January 15 to March 15, 1945, p.11、Box 3 (36) NARA RG 112 HD 730 (NP) Japanese Morale General Information about the Reports of the Morale Analysis Division OWI Report #12 December 29, 1945 The Attitudes of Japanese Prisoners of War on


(著者紹介)    保 坂 廣 志(ほさか ひろし)     1949 年 北海道生まれ     1974 年 東洋大学社会学部応用社会学科卒業     1976 年 東洋大学大学院社会学修士課程修了    琉球大学法文学部講師、助教授、教授を歴任    現在、沖縄戦関係を中心とした翻訳業に従事    著書 戦争動員とジャ−ナリズム(1991 年、ひるぎ社)       争点・沖縄戦の記憶(2002 年、社会評論社、共著)       日本軍の暗号作戦 (2012 年、紫峰出版)       陸軍 暗号教範 (2013 年、紫峰出版、共編)       新教程 日本陸軍暗号(2013 年、紫峰出版、共訳)       沖縄戦下の日米インテリジェンス(2013 年、紫峰出版)       沖縄戦のトラウマ(2014 年、紫峰出版)       沖縄戦捕虜の証言(2015 年、紫峰出版)       沖縄戦と海のモルフェー(2016 年、紫峰出版)

 沖縄戦将兵のこころ -生身の捕虜調査-      

©

著者 保坂廣志 定価  2,500 円+消費税

H. Hosaka  

2016 年 6 月 22 日第 1 版第 1 刷発行

  2016

発行所 紫峰出版 ( しほうしゅっぱん) 〒 300-3253   茨城県つくば市大曽根 2743-3   電話 029-864-3493   メール info@shiho-shuppan.com    http://www.shiho-shuppan.com

ISBN 978-4-907625-32-0   


沖縄戦将兵のこころ-生身の捕虜調査-