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When the Foundations of Life Are Shaken

人生の基盤が 揺るがされる時

HOPE


東日本大震災

神田英輔 著

大地震・大津波発生  一九九五年一月十七日、兵庫県南部地方を襲い、 六千四百名以上の犠牲者を出したマグニチュード ﹁七・二﹂の大地震に続き、二〇一一年三月十一日、 マグニチュード﹁九・〇﹂という歴史上かつてない 大地震が東北・関東地方を襲いました。犠牲者は前 者の四倍以上になると見られています。今回は大地 震によって引き起こされた高さ十メートルを超す大 津波が、事態をより悪くしました。迫り来る津波の 映像に向かって﹁早く逃げて!﹂と叫んだのは、私 ばかりではないと思います。この大震災によって命 を落とされた方々のこと、また、愛する者を失った 方々のことを思うとき、私の心も張り裂けるような 思いで一杯です。  犠牲者の方々に心からの哀悼の意を表します。と 同時に、残されたご遺族・友人の方々の上に慰めと 励ましとが豊かにあるように祈りながら、日々を過 ごさせていただいています。  阪神・淡路大地震の際には、当時所属していた民 間援助団体︵NGO︶・日本国際飢餓対策機構の緊 急/復興援助プログラム実行委員長という立場で、


地震直後から緊急援助活動を開始し、日本政府や自 治体の救援が手薄な地域、手の届かない人々に主な 対象を絞っての働きに従事させていただきました。 今回も、所属する団体は違いますが、自ら被災者で ありながら地域内の被災者の方々のために活動を始 めておられるキリスト教会などの働きを、側面から 支援するという形で関わりを持たせていただいてい ます。  このような活動を通して、被災なさった方々と話 をする機会が多く与えられました。この方々との語 り合いを通して感じさせられたことは、今回の大震 災は、単に多くの家屋が大津波で流されただけでは なく、私たちの﹁人生の基盤﹂をも、揺るがし押し 流してしまうようなものであった、また、私たちが 従来持っていた﹁日本的﹂な価値観や世界観に大き な挑戦を与えるものとなった、ということです。  地震大国の日本に住む限り、このようなことは、 誰にとっても他人事ではありません。次の犠牲者は 自分かもしれないという不安があります。それに加 えて、今回は福島第一原子力発電所の六つの原子炉 の損傷による放射能漏れが、私たちの心の中に言い 知れない恐怖を広げています。  このような危機に直面している今こそ、多くの電 化製品を持つことや、二十四時間電気が点いている のが﹁当たり前﹂と思って過ごしてきた私たちが、 自分の﹁生き方﹂そのものを真剣に問い直す貴重な 時となっています。


う。 ﹁こうら﹂で守られている限り、亀は安心です。しかし、

ざという時のための財産なども﹁こうら﹂だったのでしょ

でした。一生懸命に働いていれば良いという真面目さ、い

私の安全を配慮して守ってくれる﹁こうら﹂のようなもの

自分です。日本社会のシステムは、私が何も言わなくても

と待っていた自分、硬い﹁こうら﹂によって守られてきた

て自分を外界から遮断し、その危機が通り過ぎるのをじっ

えさせられています。危機を察知したらすぐに首をすくめ

自分が﹁亀﹂のような生き方をしてきたのではないかと考

 これまでの自分の生き方を振り返るとき、私はしばしば

とりにとって、大変に切実な課題であることはもちろんで

 これらの問いかけは、被災された当事者のおひとりおひ

とができるのか、という問いかけです。

が全てを失ったら果たして生きる﹁希望﹂を持ち続けるこ

生きる元気も萎えた方々が大勢おられた状況の中で、自分

を大津波で失うという事態に遭遇し、自分の価値を見失い、

 そして第三に、財産のみならず家族も含めて全てのもの

て意味のあるものだったのか、という問いかけです。

目の前で失われていく姿を見たとき、自分の労苦は果たし

 第二に、懸命に働いてやっとの思いで手に入れたものが

いかけです。

ものにこれからも頼り続けてもいいものなのか、という問

 ﹁亀﹂と﹁こうら﹂

﹁こうら﹂にひびが入ったり、割れたりしたら安全ではな

いく中で、私にとっては、日頃親しんでいる﹁聖書﹂に記

す。しかし、これらは、被災者に留まらず、日本に生きる

されている言葉が大きな励ましとなり、慰めとなりました。

くなります。支援活動に取り組む中で、今回の大震災はあ

ありますが、その中から特に三つの点を取り上げて﹁人生

そのようなわけで、最後の部分では、 ﹁聖書﹂を通して﹁天

私たち全てにとっても、共通の課題として考えていかなけ

の基盤が揺るがされる時﹂というテーマでまとめさせてい

地万物を創造なさったお方︵創り主なる神︶﹂がお語りに

る意味で私たちの﹁こうら﹂が割れるような経験だったと

ただきました。皆様もこの機会にご一緒に考えていただけ

なることに耳を傾けながら、私たちの生き方を見直す機会

ればならないものです。この三つのことを考えさせられて

れば幸いです。

となればと願っています。

言えるのではないかと思わされています。

 第一に考えたいことは、これまで﹁安全﹂と信じて疑わ

 今回の大震災が私たちに問いかけていることはたくさん

なかったものが崩れ去っていくという冷酷な現実に接した とき、それら日本の社会において﹁安全﹂と言われてきた

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虐待された人々はみな、 主のもとに来ます。 主は苦しんでいる人々の 隠れ家です。 主よ、 主のあわれみを知る者はみな、 お助けを期待しているのです。 主はいまだかつて、 頼って来る者を お見捨てになったことが ないからです。 詩篇 9:9-10

※ 「主」 (しゅ) とは、 古代の人々が万物の創造者である神を敬って用いた敬称を、 現代の日本語に訳したもの。 When the Foundations of Life Are Shaken

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ああ主よ、あわれんでください。 か弱い者です。 いやしてください。私は病気なのです。 狼狽し、頭が混乱しています。 心は不安に駆り立てられ、 気分がすっかりめいっています。 ああ、早く元どおりにしてください。 痛みのため、私はやせ細りました。 夜ごと涙で枕をぬらします。 私の泣き声は天に届き、訴えも取り上げられた。 主は私の祈りにすべて答えてくださいます。 詩篇 6:2-4, 6, 8b-9

ここでご紹介している言葉は、聖書の「詩篇」という書物からの言葉です。 「詩篇」とは、昔の人々の歌や祈りを集めたものです。これは、大きな悲 劇に遭遇したり、親しい人を失いながらも、自分たちを創造してくださっ た方の変わることのない愛にいやしと希望を見出した人々の、心からの叫 びを表現したものです。ここにご紹介する言葉の数々を、どうぞ、あなた の心の叫びとなさってください。あなたの言葉が、皆さんの置かれている 困難な状況の隅々にまで、慰めと力をもたらすものとなりますように。

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安全 崩れ去った﹁安全﹂    連 連日 日テ テレ レビ ビで で放 放映 映さ され れる る映 映像 像は は、 、見 見る る者 者全 全て てに に大 大き きな なシ ショ ョッ ック クを を与 与え える るも もの ので でし した た。 。あ あ の の迫 迫り りく くる る大 大津 津波 波、 、建 建物 物の の屋 屋上 上に に残 残さ され れた た大 大き きな な船 船   ー ー   生 生き きて てい いる る限 限り り決 決し して て忘 忘れ れる るこ こ とは はな ない いで でし しょ ょう う。 。わ わず ずか かの の間 間に に起 起こ こっ った た地 地震 震と と津 津波 波で で、 、私 私た たち ちが がこ これ れま まで で﹁ ﹁安 安全 全﹂ ﹂で であ あ と ると と信 信じ じて て疑 疑わ わな なか かっ った たも もの のが が崩 崩れ れ去 去っ った たの ので です す。 。 ﹁安 安全 全は は全 全て てに に優 優先 先す する る﹂ ﹂と とい いう う標 標語 語 る ﹁ が掲 掲げ げら られ れ、 、 ﹁安 安全 全﹂ ﹂を を強 強調 調し して てき きた た日 日本 本は は、 、世 世界 界の のど どこ こと と比 比べ べて ても も、 、 ﹁安 安全 全﹂ ﹂面 面で では は世 世界 界 が ﹁ ﹁ 一の の国 国で でし した た。 。三 三十 十年 年近 近く く、 、 ルワ ワン ンダ ダ難 難民 民の の救 救援 援活 活動 動な など ど途 途上 上国 国支 支援 援に に携 携わ わっ って てき きた た私 私に に、 、 一 ル これ れま まで で繰 繰り り返 返し し浴 浴び びせ せら られ れて てき きた た質 質問 問は は、 、 ﹁そ そん んな な場 場所 所は は危 危険 険で では はな ない いで です すか か? ?﹂ ﹂と とい い こ ﹁ うも もの ので でし した た。 。日 日本 本人 人の の私 私た たち ちに にと とっ って て、 、 ﹁安 安全 全﹂ ﹂は は、 、何 何に にも もま まし して て重 重要 要な なも もの のと とし して て強 強 う ﹁ 調さ され れて てき きた たか から らで でし しょ ょう う。 。 調

﹁安全﹂は与えられるもの  諸 諸外 外国 国で では は、 、自 自分 分の の身 身は は自 自分 分で で守 守る ると とい いう うの のが が常 常識 識で です すが が、 、日 日本 本の の社 社会 会で では は、 、 ﹁安 安全 全﹂ ﹂   ﹁ は誰 誰か かが が与 与え えて てく くれ れる るも もの の、 、 ﹁お お上 上︵ ︵か かみ み︶ ︶ ﹂が が守 守っ って てく くれ れる ると とい いう う意 意識 識が が強 強い いよ よう うで です す。 。 は ﹁ ﹂ 日本 本の の国 国は はこ これ れま まで で、 、国 国民 民に に﹁ ﹁安 安全 全﹂ ﹂を を約 約束 束し して てく くれ れる る﹁ ﹁神 神﹂ ﹂の のよ よう うな な役 役割 割を を果 果た たし して てき き 日 たよ よう うに に見 見え えま ます す。 。日 日本 本人 人に には は伝 伝統 統的 的に に﹁ ﹁個 個人 人﹂ ﹂の の宗 宗教 教と とい いう うも もの のが がな なく く、 、宗 宗教 教と とい いう うと と た 日本 本と とい いう う国 国は は数 数多 多く くの の規 規制 制を を作 作り り、 、シ シス ステ テム ム整 整備 備を をし して て、 、ど どん んな な危 危険 険か から らも も国 国民 民を を守 守る る 日

﹁家 家﹂ ﹂や や﹁ ﹁国 国﹂ ﹂の のも もの ので であ ある ると とい いう うこ こと とも も、 、 この のあ あた たり りに にそ その の理 理由 由が があ ある るの のか かも もし しれ れま ませ せん ん。 。 ﹁ こ こと とを を保 保証 証し して てく くれ れて てい いる る非 非常 常に に素 素晴 晴ら らし しい い国 国家 家で であ ある るか かの のよ よう うに に見 見え えま ます す。 。 こ

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を愛する人たちを、幸福にひたらせてください。神様

は信心深い者を祝福なさいます。ああ主よ、あなたは

詩篇 5:1, 11-12

  

らがいつまでも喜びの声を張り上げますように。神様

﹁安全﹂の代価

ください。神様がかばってくださることを知って、彼

 このことを逆の面からみると、国民は幼児扱いされ、自分で自分

しかし、すべて神様を信頼する者には、喜びをお与え

の身を守ることをあまり考えず、 ﹁お上﹂の言うことを全面的に信じ、

私の嘆きに耳を傾けてください。

従うことに慣らされてきたかのようです。厳格に規律に従うことだ

愛の盾で囲んでくださいます。

けが要求され、ひとりひとりが自分で自律的にものを考え、決断す ることのできにくい社会ができあがったのです。日本人の特徴とし

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てよく言われる﹁受身的な生き方﹂や﹁幼児性﹂の原因も、このあ たりに源を探ることができるのかもしれません。皆が同じ考えを持 ち、同じように生きてくれるなら、為政者にとっては非常に都合の 良い社会になります。異質なものを社会から排除するために、﹁和﹂ を強調し、お互いがお互いを監視し合うシステムが効果的であるこ とを発見したのは、徳川幕府でした。幕藩体制が崩壊した後も、不 幸にして、このような﹁他人の目を気にする﹂生き方は日本人の私 たちの中に根強く残ってしまいました。

幻想だった﹁安全﹂

 ﹁日本ほど安全な社会はない﹂、﹁日本の原子力発電所は絶対に安全 である﹂、﹁日本の建造物は耐震規準をクリアしているから大丈夫﹂、 ﹁日本の新幹線ほど安全な列車はない﹂、などなど、繰り返し語られ るにつけて、多くの日本人は、﹁お上の言うことだから絶対に間違い などあるはずがない﹂と盲信してきたところがあるようです。  便利さと快適さとを求め、私たちは次々に原子力発電所を建設し、 新幹線を作り、耐震建造物を建ててきました。技術の進歩は、﹁フェー ルセーフ﹂︵ひとつのシステムが作動しなくなっても、バックアップ

ああ主よ、この祈りを聞いてください。王である神様、


経済発展を優先させてきた日本社会は、原発の﹁安全性﹂を声高く

﹁危険﹂もまた増大するという事実です。﹁地震大国﹂でありながら

ました。しかし忘れてならないのは、技術が高度になればなるだけ、

のシステムが作動し安全を確保するというもの︶を可能にしてくれ

切ってきた﹁安全﹂は幻想に過ぎなかったと

それで安全が保証されるのでしょうか。信じ

全﹂を求め続けることでしょうが、果たして

震基準・原発建設基準﹂などを引き上げ、﹁安

いうことが実証されたのです。

﹁安全志向﹂の裏にあるもの ー 不安・恐れ

* 注2 RICH NATION, STRONG ARMY からの引用として Newsweek, July 11,1994

叫びながらその増設を続け、今や全電力需要の三〇%を原子力発電 に頼るまでになってきました。今回の大震災は、大自然の前に人間 がいかにもろい存在であるかを、私たちにはっきりと自覚させてく れました。またそれは、科学技術の進歩を追い求め、人間の知恵を

 では、日本社会はなぜ、このように﹁安全﹂

る﹁無縁社会﹂が日本に生み出されたのです。

るからです。そして今や、人との絆が失われ

必然的に、自分が傷つくということを意味す

人を愛したり、信頼したりするということは、

ことを苦手にしてしまったのです。なぜなら、

剣に人を﹁愛する﹂とか﹁信じる﹂とかいう

とのつき合いを表面的なものに留まらせ、真

す。自分の身の安全を重んじる生き方は、人

私たちをがんじがらめに縛りつけてきたので

る危険から自分を遠ざける臆病な生き方に、

恐れ﹂が、﹁たたり﹂を恐れる生き方、あらゆ

 日本人の私たちの内に巣食うこの﹁不安・

います。︵*注2︶

︶が日本社 ﹁﹃不安・恐れの心理﹄︵ INSECURITY 会を動かす基本的な力である﹂と結論づけて

 日本研究の大家リチャード・サムエルスは、

ということにこだわってきたのでしょうか。

詩篇 16:7-9,11

積み上げてきた私たちの傲慢さが、あたかも﹁バベルの塔﹂︵*注1︶

神様は生きる喜びを教え、永遠に伴っ てくださることによって、無上の楽 しみを経験させてくださいます。

のように崩壊した一瞬でもありました。愚かな私たちは、また﹁耐

助 言 者で あ る 主 を ほ め た た え ま す。 夜になると、主は知恵を授けてくだ さいます。どうしたらよいかを教え てくださいます。私は、いつも主の ことを思っています。主がすぐそば にいてくださるので、つまずいたり、 倒れたりする心配もありません。

* 注 1  聖書に出てくる逸話の一つ。人々が傲慢になり、神の高さに至ろうと共同で高い 塔を建てようとしたが、神によって崩され、人々は世界中に散らされてしまった。


主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。主は私を 牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに連れて行かれます。傷ついた この身を立ち直らせ、私が最高に主の栄光を現わす仕事ができるよう、手を 貸してくださいます。たとい、死の暗い谷間を通ることがあっても、こわがっ たりしません。主がすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるからです。 主は敵の面前で、私のためにおいしいごちそうを備えてくださいます。たい せつな客としてもてなしてくださったのです。まるで、あふれんばかりの祝 福です。生きている限り、主の恵みといつくしみが、私についてきます。や がて、私は主の家に着き、いつまでもおそばで暮らすことでしょう。

新たな生き方への飛躍

 災害時における行政の対応を見ていて毎回思わされることは、住民を

守るはずのシステムが、実はそこに住む弱い人を全く大切にしてくれな

いものであるという事実です。避難命令が出されて避難所に行ったら水・

食料がない、ストーブの油がない、お上が何かをやってくれるだろうと

信じ、頼り続けていたら大変なことになるという現実に多くの人々が直

ていけない事実に多くの人々が気づき始めたのです。そして、事実、多

面し、愕然とさせられたのです。これまでの﹁受身の生き方﹂では生き

くの人々が自分たちで物事を判断して、自分がなすべきと信じたことは

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ではないかと考えさせられています。

傷つくかもしれない道を、自分が決断してあえて選び取っていくこと﹂

た自由にします。私は﹁愛とは、自分から進んで安全を放棄すること、

とを意味しているのではないでしょうか。﹁愛﹂は人々を大胆にし、ま

安・恐れ﹂を乗り越えるだけの﹁愛﹂が、人々の心に生まれたというこ

じがらめに縛りつけていたものが崩れ始めたと感じさせられました。 ﹁不

自分で判断して人々が動き始めたのです。私は、これまで日本人をがん

ティアも駆けつけてくださいました。誰から言われたわけでもないのに、

他の被災者の救援にあたってくださいましたし、全国から多くのボラン

ア元年﹂と名づけました。多くの被災者の方々が、自分の危険も顧みず、

 日本のマスコミは、阪神大震災の起こった一九九五年を﹁ボランティ

安全志向を超えるもの・愛

  

の日本の伝統的な生き方から見れば大きな飛躍です。

積極的に行動していく﹁能動的な生き方﹂を始めたのです。これは従来

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23:1-6 詩


神様、あなただけが頼りなのです。どうか敵の 横暴から私を守ってください。いつも正しいこ とをなさる神様、どうか助け出してください。 神様の恵み深さを知って、私の顔は喜びに輝き ます。神様は私の苦悩を知り、たましいにしの びよる危機を察してくださいました。 ああ神様、苦しみもだえるこの身をあわれんで ください。さんざん泣いて、目も真っ赤です。嘆 き疲れた体は、もうずたずたです。悲しみのた めにやつれ果て、私の歳月は縮まり、力尽きて しまいました。 しかし神様、私はあなたへの信頼を失わずに、 こう申し上げました。「神様はあなたお一人だけ です。私の時は神様の手中にあります。……  恵みの光で、もう一度このしもべを照らしてく ださい。限りなく恵み深いお方よ、どうかお救 いください。」 神様の助けを信じて公言する者を、神様はなん と大きな恵みで包んでくださることでしょう。 信頼と敬愛を失わない者のために、神様はすば らしい祝福をたくわえてくださっています。 神様の助けを信じて公言する者を、神様はなん と大きな恵みで包んでくださることでしょう。 信頼と敬愛を失わない者のために、神様はすば らしい祝福をたくわえてくださっています。 「神様に見捨てられた」と口走った私でしたが、 やはり早合点でした。確かに神様は、私の願い を聞き入れてくださったのですから。 さあ、元気を出しなさい。もし、神様に信頼し ているなら、雄々しく立ち上がりなさい。 詩篇 31:1-2,7,9-10,14-15a,16,19,22,24

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私は神様のもとに避難いたします。そこ

では勝利の歌が響き、苦しみに巻き込ま

れることがないからです。神様はこう言

われます。「私はあなたを教え、最善の

人生航路へと導いてあげよう。助言を与

えて、一歩一歩を見守ってあげよう。」

詩篇 32:7-8

私たちの労苦  被災された方々の姿は、ルワンダ難民の姿と重な り合って見えました。飲む水がない、食糧がない、 着るものがない、住む家がない、まさに難民キャン プにいるかのような錯覚さえ覚えたものです。自分

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が精魂込めて建て上げてきた工場が津波に流され、 途方に暮れておられた方、マイホームを夢見て懸命 に働き、頭金を貯め、ローンを組んで念願の家を手 に入れた矢先、マイホームが目の前で一瞬のうちに 津波に流された方々 ー もう一度ローンを組むだけ の余裕は残されていません。借金を抱えてマイナス から出直すしかないのです。このような現実に触れ たとき、私の心に浮かんできた問いかけは、﹁自分 が一生懸命働いてきた労苦は無駄ではなかったの か?﹂と、自分の労苦の﹁意味﹂を問うものでした。 これまでの労苦が一瞬のうちに水泡に帰してしまう 事態に直面した時に、当然、心に浮かぶ問いです。

﹁意味﹂を問わせない日本社会  しかし、私たちの住む日本社会は、労苦の﹁意味﹂ を問うことをさせないできた社会ではないでしょう か。皆と同じことをすることが美徳とされる、﹁和﹂ を強調する日本社会においては、﹁他の人もやって

この人生にどんな嵐が吹き寄せようと、


すると、神様はその願いを受け入れてくださいます。

重荷は神様におゆだねしなさい。神様が背負ってくださいます。

信じて従って来る者が足をすべらせたり、倒れたりするのを、

いるから﹂、﹁他の人も一生懸命働いているから﹂と

朝、昼、晩と、私は神様に祈り、大声で嘆願します。

いう理由だけで、自分のやるべき仕事がなくても、

しかし私は、神様にお願いすれば、救っていただけるのです。

自分も同僚と一緒に残業することが当然とされてし まうのです。仕事に意味を発見して取り組むという よりも、むしろ他人の目が、自分の行動を決定する 大切な要素になってしまう危険があるのです。

﹁意味付け﹂の試み

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詩篇 55:1-2, 4-6, 16-17, 22a

神様が黙って見ておられるはずがありません。

 とは言っても、人間は自分の労苦の﹁意味﹂を問 わないで生きていくことのできない存在です。  江戸や明治の時代には、将軍や天皇を﹁永遠の神﹂ と格付ける事によって、神のために労苦すること、 また、命を捨てることが栄誉なことであると人々を 教育してきました。世界を見せなくて済んだ閉鎖社 会では、幻想を信じ込ませることも可能だったので しょう。人間は﹁意味﹂のない労苦には耐えること ができないということをよく知っていた賢い人々 が、永遠でないものをあたかも永遠であるかのよう に祭り上げ、意味づける体制を築いたのでしょう。  それ以降も人々は、絶対の﹁永遠﹂なるものを求 め続けてきました。明らかに偽りに満ちたカルト宗 教にさえも多くの人々が魅了されていくのは、この ためかもしれません。    

ああ神様、この祈りをお聞きください。

この切なる願いに、お姿を隠さないでください。

主よ、私に目を留めてください!

重荷につぶされそうなこの身からは、うめきと涙しか出て来ません。

私は身もだえして苦しみ、恐怖の戦慄が全身を貫きます。

私は身ぶるいし、おののいています。

ああ、鳩のように翼があれば、遠くへ飛び去り、身を横たえることもできますのに。


幅ほどもありません。私の一生など、神様から見ればただの一瞬にすぎません。

人はなんとおごり高ぶることでしょう。人のいのちは息のようにはかないも

せん。他人にくれてやるために、富を築くようなものです。ですから、神様、

のです。しかも、どんなにあくせくしようと、何一つ残せるわけではありま

私は神様にだけ望みをかけているのです。

ああ神様、私の祈りを聞いてください。この涙ながらの訴えに耳を貸してく

詩篇 39:4-7,12

耐え難い労苦  人間が﹁意味のない労苦﹂に耐えられないということを象徴的 に教えてくれているものが、ギリシャ神話に出てくるシシュフォ スの物語です。シシュフォスに対してゼウスが課した刑罰は、大 きな重い岩を山の頂上まで押し上げ続けることでした。大変な労 苦の末、シシュフォスがやっと頂上まで押し上げると、一時的な

ださい。私の涙などそ知らぬ顔で、手をこまぬいていないでください。私は

神様に招かれた客ではありませんか。先祖同様、この地上を仮の宿とする旅

人なのです。

充実感を味わう間もなく、残酷にもまたゼウスが、この岩を下ま

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で転がし落としてしまうのです。シシュフォスはまたその岩を押 し上げなければならなかったのです。自分の﹁労苦﹂に意味を見 出せないようにするということが、シシュフォスに対するゼウス の刑罰だったのです。  

私自身の悩み  私自身、大学入試に失敗して浪人生活を送っていた頃、生きる ということを真面目に考えさせられました。勉強すること、働く ことの意味が分からなくなり、生きることを放棄しようかと真剣 に考えたのです。  どんなにがんばっても自分はいつか死ななければならないし、 人類もそのうちに確実に崩壊して消え失せるしかない、という事 実に直面させられたとき、私は自分が労苦することの意味を見失っ てしまったのです。﹁あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようでは ないか。﹂︵新約聖書 第一コリント一五章三二節︶という言葉は、 私にとっても必然の結論でした。  自分の労苦に﹁意味﹂を見出すことができずに苦しみながらも 忙しく労苦する自分の姿は、かごの中で回転車をぐるぐる走り続

主よ、地上で生きる期間などあっという間だ、とわからせてください。ここ

にいるのもあとほんの少しだ、と思い知らせてください。残りの生涯は手の


大ぜいの人が敬虔な心で神様を敬い、信頼するようになるでしょう。 いばったり偶像を拝んだりする者には頼らず、 神様だけを頼りとする人には、ふんだんに祝福が注がれます。 ああ神様、何度も何度も大きな奇蹟を見せてくださったあなたは、 いつも私たちのことを心に留めてくださっています。 ほかのだれに、こんなすばらしいまねができるでしょう。 だれも比べものにはなりません。神様のすばらしいみわざは、 どんなに時間をかけても語り尽くせないのです。 詩篇 40:1-5

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けるハツカネズミと何も変わるところはないと、なんとも虚しい

私が神様に、どれほどすばらしいことをしていただいたかを知って、

思いの日々を送っていたことを思い出します。自分の労苦に﹁一

神様は私の口に、新しい賛美の歌を授けてくださいました。

時的﹂な意味を見出すことはそれほど困難ではありませんでした。

踏み固めた道に下ろし、しっかり歩けるようにしてくださいました。

目先の目標を立ててそれを目指して頑張ることもできました。し

神様は絶望の穴から、どろどろのぬかるみから引き上げて、

かし、私の労苦が永遠に意味を持つものになるためには、﹁決して

すると、その願いは聞かれたのです。

滅びることのないもの﹂のために労苦する必要があると気づかさ

れていきました。私に問われていたことは、﹁決して滅びることの

ないもの﹂を自分は持っているのか、自分はそのために労苦して

いるのか、ということだったのです。

私はただひたすら神様のお助けを待ち望みました。


何が起ころうと、私は神様をほめたたえます。どんな時にも、神様の 栄光と恵みを人々に伝えます。

声の限りに私が呼び求めた時、神様はそれに答えて、いっさいの恐怖 を取り払ってくださいました。…… 大声で叫び求める哀れな者を、 神様は苦しみから助け出してくださいました。 神様は心の砕かれた人のそばにおられ、謙虚に罪を悔いる人を助け出 されます。正しい人だからといって、すべての苦難を免れるわけでは ありません。

詩篇 34:1,4,6,18-19

希望

 大震災の現場でもっとも悲しい思いをさせられたの

は、あるお年寄りとお話しさせていただいた時のことで

す。﹁私は全てを失った。私はもう若くない。やり直す

だけの元気もない。もうだめだ。これからどうしたらい

いのだろうか? 希望なんかどこにもない。﹂ そう語っ

てくださったこの方の言葉は、今も、私の胸に深く突き

刺さっています。阪神大震災後、多くの老人たちが自ら

命を絶たれました。希望を失い、生きることに絶望して

しまった方々がたくさんおられたからです。持っていた

もの全てを一瞬にして失ったショックが計り知れないも

のであろうことは、容易に共感できます。全てを失った

とき、﹁自分はもうだめだ﹂と生きる気力を失い、あた

かも自分に全く価値がなくなったかのように感じてしま

うこともあっても、不思議ではありません。  

メッキ社会﹁日本﹂

 経済発展を最優先させてきた日本社会は、利益を追求

する巨大な機械のようなものになってしまいました。こ

の巨大な機械を動かすためには、規格に合った多くの部

品が必要となります。そして﹁人間﹂が機械の部品にさ

れてしまってきたのです。部品としてのひとりひとりの

個人に要求されるものは、与えられた役割に徹すること、

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ああ神様、あなただけを頼りにしているこの私を、あわれんでください。 嵐が過ぎ去るまで、御翼の陰に潜ませてください。 私は、天におられる神様、奇蹟を行なってくださる神様に、大声でお願いします。 ああ神様、私の心は平安で、確信に満ちています。 神様をたたえる歌が、自然に口をついて出ます。

神様の恵みと愛は、天そのもののように広大無辺です。 神様の真実は、空よりも高くそびえています。 詩篇 57:1-2, 7, 10

また、﹁滅私奉公﹂することだけです。

 日本の教育制度は、この巨大な機械の部品として規格

マーク人間を数多く生み出すことを、至上 JIS 命令にしてきたかのように見えます。規格に合わない人

に合う、

間は、﹁落ちこぼれ﹂として切り捨てられていくのです。

役に立つ者、強い者が優遇され、役に立たない者や弱い

者は切り捨てられるシステムだからです。

 このような社会で切り捨てられたくないと願う人々

手し、少しでも高い地位につくことによって、人生に﹁ハ

は、自分を他の人と比較して、少しでも多くの財産を入

ク﹂を付け、自分が人より価値があることを証明しよう

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否定することにつながるのです。

ということです。ですから、結果として、未来と希望を

無視し、結果として自分自身を大切にしないことになる

した途端、私たちは、自分に与えられた潜在的な能力を

ればならないことは、﹁仕方がない﹂と言う言葉を口に

込めてしまうのです。私たちがしっかりと心に留めなけ

言葉は、これを口にする人を﹁現状という牢獄﹂に閉じ

自分の無力さを確認する時に用いられてきました。この

というものがあります。この言葉は、権力や伝統の前に

 日本社会を特徴づける考え方の一つに﹁仕方がない﹂

﹁仕方がない﹂

  

としても不思議ではありません。

When the Foundations of Life Are Shaken


たとい地の果てからでも、私は大声で、お助けくださいと叫びます。失

望落胆して心がくずおれる時、堅固な大岩に避難させてください。神様

は私の隠れ家、敵を寄せつけない高い塔です。私はいつまでも神様の天

幕で暮らします。神様の翼の陰に身を潜めていれば、何も心配はありま

私にとって、神様の愛と恵みは、いのちよりも大切なのです。ああ、神

様はなんとすばらしいお方でしょう。生きている限り、私は神様をほめ

たたえ、両手を上げて祈ります。こうして、ついには身も心も満ち足り

るのです。私は喜びにあふれて賛美します。私は夜、横になったまま、

今までどれほど神様に助けていただいたかを思いめぐらします。そうし

て、御翼の下にいこいながら、夜通し喜びにひたるのです。神様のふと

ころに飛び込めば、右の手でしっかり抱きしめていただけます。

詩篇 63:3-8

アウシュビッツの教訓  第二次世界大戦でナチスドイツがアウシュビッツ強制収 容所を設置したことはよく知られています。しかしあまり 知られていないことは、あのアウシュビッツ強制収容所は、 人間から希望を奪い取ったら人間は生きていけるのかとい う、壮大な実験場だったということです。

詩篇 61:1-4

せん。

 ご存じのように、収容されたユダヤ人たちは、全財産を

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When the Foundations of Life Are Shaken

没収され、収容所の門をくぐると同時に名前の代わりに腕 に番号が入れ墨され、身に付けていた装飾品はもちろんの こと、メガネや入れ歯までも全て没収されました。髪の毛 も体毛も全て剃り落とされたと言われています。そしてこ れらのユダヤ人の多くは、あの悪名高いガス室に送り込ま れて殺されていったのです。  私が聞かされたひとつの統計をご紹介しましょう。収容 されたユダヤ人のうち、実に四三%にも上る人々が、ガス 室に送られる前に亡くなったという統計です。その中で最 ももろかったのが中流階級のユダヤ人だったというので す。自分が築いてきた財産、地位、肩書きなどあらゆるも のから、ある日突然、自分が切り離されたとき、多くのユ ダヤ人が生きる希望を失って死んでいったというのです。  大震災の被災者の方々だけでなく、私たちは誰しも、い つかはこの体験をすることになるのです。なぜなら、冷酷 な﹁死﹂という現実から逃れられる人はひとりもいないか らです。  

ああ神様、この声を聞き、この祈りに答えてください。どこからでも、


しかし、神様は身を乗り出すように

して、私の祈りを聞き届けてくださ

いました。祈りの声を無視せず、恵

みと愛をふんだんに注いでくださっ

た神様を、ほめたたえます。

詩篇 66:16-20

私たちへの問いかけ

ださらなかったに違いありません。

 すなわち、今回の大震災もアウシュビッツも、現代に生

なかったら、神様は祈りに答えてく

きる私たちに大切な問いかけをしています。﹁全てを失っ

間です。もし、私が罪を告白してい

たとき、あなたは希望を持って生き続けることができる

この舌で神様をほめたたえてきた人

か?﹂というものです。財産や地位で自分を飾っていられ

は、この口で助けてくださいと叫び、

る間は、私たちは比較的平安に暮らしています。しかし、

をいろいろとお話ししますから。私

ひとたび、これらのものが私たちから取り除かれたらどう

て聞きなさい。神様のなさったこと

でしょうか。もちろん、かなり動揺します。それまで輝い

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When the Foundations of Life Are Shaken

ていたように見える人であっても、メッキがはがされると き、裸の自分の姿のみじめさに愕然とさせられ、自分の﹁価 値﹂に失望し、生きる希望を失うことがあるのです。今、 私たちに問われていることは、全てのメッキがはがされて も、ありのままの裸の自分に、果たして﹁価値﹂を見出せ るかどうかということなのです。 さあ、神様を敬う人よ、こっちへ来


神様から祝福されて、この国には豊作が続きます。 詩篇 85:12

When the Foundations of Life Are Shaken

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ら、助けを求めて来る人にはだれにでも、あふれるほどにあわ

れみをかけてくださいます。ああ神様、もう限界です。この叫

びを聞いてください。苦しいことにぶつかるたびに、神様を呼

んでいます。すると、あなたは助けてくださるのです。

神様がお立てになった諸国家は、目の前でひれ伏し、聖なるお

名前をたたえるでしょう。神はあなたお一人であり、目をみは

るばかりの偉大な奇蹟を行なわれます。私がどちらへ行けば、

おこころにかなうのか教えてください。喜んで、そちらへ参り

ます。…… 神様はこんなにも愛してくださり、常に情けをか

聖書から教えられること

詩篇 86:5-7, 9-11a, 13a

 真面目な態度で聖書に向き合うなら、誰でも﹁自分に

けてくださるからです。

語りかけられる神﹂と出会うことができます。人間が勝

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When the Foundations of Life Are Shaken

手に考えて創り出した﹁神々﹂ではなく、天と地にある 万物、そして私たち人間を創造したお方との出会いです。 この創造主なる神は、罪と悲惨とに苦しむ私たちひとり ひとりを憐れみ、こよなく愛し、今から約二千年前に人 ださったお方です。イエス・キリストは、社会から見放

︵イエス・キリスト︶のかたちをとって地上においでく され相手にされない人々の隣人となる生涯を送り、最後 は十字架にかかって私たちの罪の身代わりになり、その 命を捨ててくださったお方です。このイエス・キリスト が永遠の神であることを示すために、神はイエスを死後 三日目に、死人の中から復活させられました。このお方 は、現在も、聖書が﹁聖霊﹂と呼ぶお姿で、私たちと親 しい愛の関係を築こうとしてくださっているのです。こ のお方の愛を信じ始めますと、私たちの生き方は確実に 変わります。これまで取り上げてきた事柄に関して、こ のお方との出会いが私たちにどのような生き方の転換を もたらすのかを見てみたいと思います。

神様は恵み深いお方で、赦すのをためらったりなさいませんか


神様は、…… やさしくいたわってくださいます。また、短気を起こさず、

恵みと愛に満ち、…… 罪の深さに比例して罰を下されるわけでもあり

ません。神様を恐れ、あがめる人には、無尽蔵のあわれみをかけてくだ

さいます。神様は私たちの罪を取り除き、はるか地平線のかなたに投げ

捨ててくださいました。神様は、恐れかしこむ者に対しては、父親のよ

うにやさしい思いやりを示してくださいます。というのも、私たちが土

私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。

﹁愛﹂を信じる

ません。神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。

﹁私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは

くれにすぎず、また草花のようにはかなく、風に吹き飛ばされて消える

存在であることを、知っておられるからです。しかし、神様は、ご自分

神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私

詩篇 103:1-3, 5, 8b, 10-18

は決して、揺るがされない。﹂︵旧約聖書 詩篇 六二篇一

を信じる人をいついつまでも恵み、神様との契約を忠実に守り従う人を、

子々孫々に至るまでお救いになります。

節∼二節︶

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When the Foundations of Life Are Shaken

 大震災の現場で、﹁安全﹂ということを思い巡らせてい たとき、私の胸に一つのことが浮んできました。それは自 分の子供たちのことでした。私には三人の子供と五人の孫 がいます。この子供たちがまだ小さかった頃、よく家族そ ろって近くの公園に出かけたものです。父親である私は、 彼らが少々危険なことをしてもそのままにしておくことが 多かったのですが、家内は子供たちには危険なことはさせ たくないという母性心理が働き、もっぱら彼らを引き留め る側に立っていました。子供たちが高いところに登った時 など、その心配そうな顔は大変なものでした。滑り台の高 いところに登った子供に向かって、﹁そこから飛びおりて ごらん。下でお父さんが受け止めてあげるから。﹂と私が 言った時など、血相を変えていたものでした。子供も最初 は恐いのでしょう、ためらいながらなかなか飛び降りよう としませんでした。しかし、私の励ます声で元気づいたの でしょうか、とうとう覚悟して飛び降りてきました。私は です。子供たちは先を争って上に登り、勢いまでつけて飛

﹁どん﹂と受け止めてやったのです。さあ、その後が大変

私は心から神様をたたえます。今までにいただいた祝福を、決して忘れ


び降りてくるのです。こちらが危うくなることもありまし

くれる﹂という信頼が生まれたのでしょう。何の恐れも不

たが、子供たちの心の中には﹁下でお父さんが受け止めて

自分たちに対する父親の﹁愛﹂への信頼だったのではない

安もなく、飛び降りてくる子供たちの﹁安心﹂の基盤は、

神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。

でしょうか。詩篇六二篇で﹁私のたましいは黙って、ただ

とダビデが歌った讃美は、自分を愛してやまない﹁創造主

わが救い。わがやぐら。私は決して、揺るがされない。﹂

て知っていた、ダビデ︵*注3︶の告白の歌なのです。

なる神﹂は信頼に値する、ということを自らの体験を通し

*注3 約 3,000 年前の古代イスラエルの王。 旧約聖書の「詩篇」に、人生の喜怒哀 楽に寄せた詩や歌を多く残している。

私は神様を愛しています。なぜなら、祈りを聞いてくださるからです。 死に見入られた私は、恐怖にかられ、悲しみのどん底に突き落とされました。 思わず、「神様、どうかお救いください」と叫んだのですが、神様は実にあわ れみ深く、恵みを注いでくださいました。子供のように素直な心根の者を、 お見捨てにはならないのです。私も、死の一歩手前で救われました。おかげ

で今、ゆったりくつろいでいます。神様がすばらしい奇蹟を行なってくださっ たからです。死の手から私を救い出して、つまずいたり、泣いたりしなくて もいいようにしてくださいました。私は生きることができるのです。神様の 前で、しかもこの地上で、大手を振って生きるのです。 詩篇 116:1, 3-9 When the Foundations of Life Are Shaken

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大胆な生き方への転換 ず、勇気を持って事に処する生き方を身につけたダビデの

 傷つく可能性があったとしても、あえて危険をもいとわ 人生の基盤には、神の腕の中に飛び込めば大丈夫だという ﹁創造主である神﹂への信頼があったのでしょう。たとえ 止めてくださる神の姿を見ていたのでしょう。絶対的に信

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When the Foundations of Life Are Shaken

自分が傷ついたとしても、そこに、しっかりと自分を受け

ことはなんと素晴らしいことでしょうか。天と地とを創造

頼できる﹁創造主である神﹂を信じて生きる幸いを味わう

を示し続けてこられた神、私をとことん愛してくださって

された神、人類の歴史を通してご自分が﹁愛﹂であること

じように、大胆な、また、自由な生き方に入れられるので

いる神、このお方を信頼するとき、私たちも、ダビデと同

お与えになったほどに、世︵あなた︶を愛された。それは

す。﹁神は、実に、そのひとり子︵イエス・キリスト︶を

となく、永遠のいのちを持つためである。﹂︵新約聖書 ヨ

御子︵キリスト︶を信じるものが、ひとりとして滅びるこ

 天と地とを創造したお方︵創造主である神︶は、私たち

ハネの福音書 三章十六節︶

し、私たちのために最善のことをしてくださるお方です。

を決して裏切ることのないお方であり、いつも私たちを愛

美の歌となるのです。その時、私たちは﹁不安や恐れ﹂と

このお方に信頼するとき、ダビデの讃美は私たち自身の讃

できるようになるのです。

いう呪縛から解放され、このお方の腕の中に安らぐことが

かろうじて生きているような私ですが、そう簡単に、   おきてを手放したりするものですか。

神様のおきては、いつまでも私の宝です。

一方、私はと言えば、神様の戒めを純金より慕っています。

神様の戒めは、苦しみ悩んでいる私を慰めてくれます。

悲しみの涙にくれる私を救い出してください。  私は、お言いつけを忠実に守っているからです。

このおきてを愛する人は、平安な心を与えられ、  過ちを犯すこともありません。

詩篇 119:34-37, 105, 109, 111, 127, 143, 153, 165


むだにならない労苦

れることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがた

       神様、実際にどうしたらいいかを教えてください。       そのとおりにしたいと思います。      いのちある限り、心を尽くしてお従いします。     私に正しい道を歩ませてください。    それがどれほど喜ばしいことか、よく存じていますから。   金もうけより、従順の道を選び取らせてください。  神様のご計画以外のものに目移りさせないでください。 私の心を奮い立たせ、ひたすら神様を慕わせてください。

﹁ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かさ

いるのですから。﹂ ︵新約聖書 第二コリント 十五章五九節︶

してくれる懐中電燈です。

は自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知って

 神様のおことばは、つまずかないように道を照ら

 聖書を通して神が教えてくださっていることは、イエス・ に勝利した永遠の神がおられるということなのです。この

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When the Foundations of Life Are Shaken

キリストは死人の中から復活したという事実です。﹁死﹂

の労苦が無駄にならないというのです。

永遠のお方にあって、このお方のわざに励む時に、私たち

七節∼二九節を開くと、この問いへの答えが出てきます。

 ﹁主のわざ﹂とは何でしょうか。ヨハネの福音書六章二

﹁なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠の いのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子 ︵*注4︶があなたがたに与えるものです。この人の子を に言った。﹃私たちは、神のわざを行うために、何をすべ

父すなわち神が認証されたからです。すると彼らはイエス

神が遣わした者を信じること、それが、神のわざです。﹄﹂

きでしょうか。﹄イエスは答えて言われた。 ﹃あなたがたが、

*注4 イエス・キリストが自分のことについて語る際に、「私」の意味で用いた自称


さあ、 創造主である神様の前に出て、 ひざまずきましょう。 私たちは神様の羊であり、 神様は羊飼いなのです。 きょう呼びかけられる声を聞いたなら、 神様のもとへ行きましょう。 詩篇 95:6-7

When the Foundations of Life Are Shaken

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私は、山に住むという神々に、助けを仰ぐべきな のでしょうか。いいえ、真の助けは、山々を造ら れた神様から来るのです。この神様は、天もお造 りになりました。このお方は、私が決してつまず いたり、足をすべらせたり、倒れたりしないよう に守ってくださいます。また、眠り込んだりもな さいません。

神様は自ら、あなたのために配慮してくださるの です。危険からも守ってくださいます。昼も夜も 注意深く、あらゆる害悪を寄せつけず、いのちを 守ってくださいます。 詩篇 121:1-3,5-7

  

マザーテレサの労苦

 ﹁神のわざ﹂というものに思いを巡らせるうちに、雑誌

のエドワード・デスモンド記者が、ノーベル平和賞 TIME を受賞したマザー・テレサにインタビューした時の記事を

答え ﹁祈りです。﹂

︶ 思い出しました。︵ TIME, DECEMBER 4, 1989 質問 ﹁今朝は何をなさいましたか?﹂

︶、イエスさまに対して︵ WITH JESUS

TO

答え ﹁私たちは何をする時でも、祈りながら、イエスさ

質問 ﹁お祈りの後は?﹂ まとともに︵

めた働きができるのです。死にゆく人々、身障者、精神障

︶奉仕させていただくようにと努めています。この JESUS ような気持ちで奉仕させていただく時に、私たちは心をこ

りは、イエスさまの化身なのです。﹂

害者、捨て子、愛されることのない子供、このひとりひと

いお方、﹁イエス・キリスト﹂に向けられたものだったの

 マザー・テレサの労苦は、永遠のお方、滅びることのな

ない労苦なのです。他人がどのような評価を下したとして

です。このような労苦こそが、決して無駄に終わることの

深い真理を体得したからこそ、マザー・テレサは死ぬまで

も、自分の心の中には湧きあがる感謝があるのです。この

しょう。 

あのカルカッタのスラムでの働きに励むことができたので

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When the Foundations of Life Are Shaken


永遠に意味のある労苦  ﹁天と地を創造された神﹂だけが﹁永遠﹂に変わらないお方です。 神﹂に向けられる労苦こそが、究極的に﹁意味﹂のある労苦となる

そしてこのお方だけが﹁死に勝利されたお方﹂です。この﹁永遠の

ものです。

のです。私たちの労苦は誰に向けられているのかを吟味してみたい

  

希望の神  ﹁どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと いますように。﹂︵新約聖書 ローマ 十五章十三節︶

平和を持って満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださ

 これはパウロという古代の優れた教師が、私たちひとりひとりの す﹂お方、﹁無から全てのものを創り出す﹂お方だと信じていました。

ために捧げた祈りです。パウロは、自分が信じた神は﹁死者を生か

に﹁希望のない﹂状況に直面しても、﹁希望﹂を与えることができ

パウロが﹁望みの神﹂と呼んだのは、このお方が、私たちがどんな

としても、無のような状態であったとしても、そこから﹁新しい創

るお方だからです。私たちが、たとえ、死んだような状態であった

じ、﹁仕方がない﹂という言葉を自分の口から追放し、目を上に向

造﹂のわざを始められるお方がいらっしゃるのです。このことを信

るのです。決して﹁あきらめない生き方﹂が始まるからです。

けて前進し始めるとき、確かに、私たちの周りの状態が変わり始め


私たちの真の姿をご覧になる神

 私たちは、人の外面を見て、その人の価値を判断しがちです。し

かし、私たちを創造なさった神は、人の内面をご覧になるお方です。

私たちが外面をどんなに美しく飾ろうとも、内面がどんなに汚れ、

弱さに悩んでいるかを、私たちが知る以上に、深みまでよく知って

おられるのがこのお方なのです。

愛されている私たち

 このお方が、汚れた、弱い存在でしかない私たちをご覧になって、

﹁わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛して

いる。﹂︵旧約聖書 イザヤ書 四十三章四節︶と語っておられると

いうことは、まさに驚きでしかありません。このお方は、私たちが

自分には価値があると信じて﹁希望﹂を持って生きるようにと願っ

ておられるのです。神のひとり子であるイエス・キリストが十字架

の上で、その肉を裂き、血を流されたのは、まさに、この驚くばか

りの神の愛の具体的な表現です。十字架につけられて神の裁きを受

けなければならないのは私自身であるということを、私はよく知っ

ています。しかし、私を愛するがあまり、このような私のために、

身代わりになってイエス・キリストが命をお捨てくださったという

のです。この信じがたい事実 ー これが聖書に記されている﹁福

音﹂なのです。

主よ、あなたは私の心の奥底まで探り、どんなささいなことも見のがされません。 私の立ち居振る舞いさえご存じです。遠くからでも、私の内面をすべて読み取 られます。 そして、口を開かない前から、私が何を言いたいかも見抜いておられます。先 になりあとになりして、祝福の御手を伸べてくださいます。しかし、このよう なことはあまりにももったいない話で、ほんとうだとは信じがたいほどです。 神様は、精巧に私の体の各器官を造り、母の胎内で組み立ててくださいました。 生まれる前から、まだ呼吸を始める前から、神様の目は私に注がれており、そ の生涯にわたるご計画も、練り上げられていたのです。主よ、あなたが私をか た時も忘れずにいてくださる事実は、かけがえのない支えです。あなたは一日に、 数えきれないほど何度も、私のことを思い起こしてくださるのです。朝、私が、 まどろみから覚めるころにも、まだ私に思いを馳せていてくださるのです。 ああ神様、私の心を探り、その内面を調べ上げてください。もし、あなたを悲 しませるようなものがあるなら、教えてください。そうして、永遠のいのちへ の道からそれないようにお導きください。

詩篇 139:1-2, 4-6, 13, 16-18, 23-24

When the Foundations of Life Are Shaken

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ああ、愛と恵みにあふれる神様、私をあわれんで、恐ろしい罪 の汚点をぬぐい去ってください。どうか私を洗い、この罪から きよめて、もう一度、潔白な身としてください。 私はあなたに、ただあなたに罪を犯し、この恐ろしいことをし でかしました。 ああ神様、どうか、きよい思いと正しい願いでいっぱいの、新 しいきれいな心にしてください。 神様は罪滅ぼしに何かをせよとはおっしゃいません。

詩篇 51:1-2, 4a, 10, 16a

  私  たちの選択

 これまで書いてきたことを信じる、信じないは、他人が決め

ることではなく、自分で決めるしかありません。自分の人生は

自分が責任を持って生きていくしかないのです。

 何も信じないで生きている人はいません。人は、何かを信じ

て生きています。何を信じているかが大切なのです。

 人生の基盤が揺るがされるとき、私たちの目の前には、二つ

の選択があると言えます。一つの選択は、私たちを取り囲む﹁お

まえはもうだめだ﹂という声を信じることです。この道を選び

取るとき、結果として私たちを待ち受けているのは、﹁仕方がな

いさ﹂とあきらめる﹁絶望の人生﹂です。

 もう一つの選択は、﹁あなたは高価で尊い﹂と語られる神の言

葉を信じることです。この道を選びとるとき、結果としては、

ボロボロの自分の姿を見ながらも、なお裸の自分の中に価値を

見出し、 ﹁希望の人生﹂を生きることができるようになるのです。  

 どちらの声を選んで信じるかは、私たちひとりひとりに与え

られた自由意思によって、自らで決断しなければならない大切

な課題です。この小冊子をここまで読んでくださったあなたが、

ダビデとともに、あなたを非常に価値ある者として創造してく

ださったお方を信じ、﹁私は決して揺るがされることはない﹂と

確信をもって言えるようになってくださることを願ってやみま せん。

 天地万物を創造なさったお方に、私たちの心の隅々まで知っ

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When the Foundations of Life Are Shaken


「ここへ来て、わたしと話そう。」このお声を、私の心は聞きました。そして、 こう答えます。「主よ、参ります。」 ああ主よ、どうすべきか、はっきり教えてください。

主は、今度もきっと救い出してくださいます。人々が生きているこの地 上で、改めて主のあわれみを見ることができますように。

詩篇 27:8, 11a, 13

私は、訴えを取り上げてくださった神様をほめたたえます。神様は私の力、 あらゆる危険から身を守る盾です。私の信頼にこたえて、神様は助けて くださいました。心にわき上がる喜びは、賛美の歌となってあふれます。 詩篇 28:6-7

ておられるお方に、次のようにお祈りなさることをお勧めします。

様。イエス・キリスト様が十字架の上でご自分の命を犠牲にする

﹁天と地とその中の全てを造り、また私をも造ってくださった神

ほど私を愛し、私を価値のある者と見ていてくださることを感謝

いたします。私は今あなたの愛を信じ、あなたの腕の中に飛び込

みます。死んで復活されたイエス・キリスト様とこれから共に歩

く者とならせてください。私の人生をあなたが願っておられるよ

うなものに転換してください。アーメン。﹂

 あなたがこの祈りを心からなさるなら、神様は次のように約束 してくださっています。

﹁何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願い

を聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信

です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願っ

たその事は、すでにかなえられたと知るのです。﹂︵新約聖書 第 一ヨハネ 五章一四ー一五節︶

 あなたが一歩神様に近づくなら、神様は何歩もあなたに近づい

てくださいます。お近くの教会にお出かけくださり、この小冊子

を読んだことをどなたかにお話しください。きっとあなたの良い

友となれる仲間たちと出会うことができます。あなたの生涯が揺

るぎのないものになるようにとお祈りさせていただきます。

イエス・キリストの生涯と教えについてさらに詳しく知

をご覧ください。 りたい方は、 www.onehopejapan.net

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When the Foundations of Life Are Shaken


人の助けをあてにしてはいけません。どんなに偉大な指導者も、頼りにはならないのです。 人はみな死ぬ運命にあるからです。呼吸が止まり、いのちの火が消えた瞬間に、その人の 人生の計画は、すべて水泡に帰すのです。 あなたの神様は、永遠に支配なさる王なのです。ハレルヤ。神様をほめたたえましょう。 詩篇 146:3-4, 10

ハレルヤ。神様をほめたたえましょう。神様を賛美するのは、道理にかなった喜ばしいこ となのです。 神様は、傷心の人々をやさしくいたわり、傷口を包帯で手当てしてくださいます。 偉大な神様のお力は限りなく、その知恵は底なしです。

詩篇 147:1, 3, 5

神様のおきては完全無欠です。私たちを守り、賢くし、喜びと光を与えます。そのおきて は純粋で、正しく、すたれることがありません。また、金よりも慕わしく、蜜ばちの巣か らしたたる蜜よりも甘いのです。それは、危険に近づくなと警告し、従う者には祝福を約 束するからです。しかし、心にひそむ罪を、どうして知りえましょう。どうか、隠れた罪 からもきよめてください。故意に悪に走ることからも引き止め、守ってください。そうす れば、私は過ちを犯さず、大きな罪からも逃れることができます。私の口のことばと、秘 めた思いが、神様に喜ばれますように。ああ、私の岩、私の救い主、主よ。

詩篇 19:7-14

ああ神様、あなたに祈ります。主よ、信頼もうし上げている私に、恥をかかせないでください。 私を導き、教えてください。主は救いをお与えになる神だからです。主以外に望みはあり ません。 主よ、早くおいでになって、あわれみをお示しください。私はすっかり打ちひしがれ、手 も足も出ずに悩んでいます。かかえている問題は、だんだん手に負えなくなるのです。ああ、 すべての苦しみから引き離してください。 ああ、主に信頼したことがむだだったなどと、決して言わせないでください。 詩篇 25:1‒2a, 5, 16-17, 20b

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私のためのご計画は、次々に実現していきます。 神様の恵みは絶えることがないからです。 どうか、私を置き去りにしないでください。 私は神様の手で造られた者ですから。 詩篇 138:8

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私は安心しきって横になり、眠ります。 たとい一人ぼっちであっても、ああ主よ、 あなたはすべての危害から守ってくださるからです。 詩篇 4:8

著者紹介:神田英輔(かんだ・えいすけ) 1942 年 1 月生まれ、鹿児島育ち。 横浜国立大学経済学部を卒業後、聖書神学舎、Trinity Evangelical Divinity School( 米国イリノイ州 ) 卒業。1991 年には飢餓対策への貢献により、 Warner Southern 大学(米国フロリダ州)より名誉博士号を授与される。 1972 年より青少年育成団体日本キャンパス・クルセードで奉職、1984 年より 海外民間協力団体である日本国際飢餓対策機構・総主事として働きを開始。 以来 30 年近くにわたり、アジア、アフリカ、中南米など約 70 カ国で地震災害、 飢餓や貧困で苦しむ方々の自助努力を支援する活動に従事してきた。 また、日本国内においては自分の目で見てきた世界の飢餓の現状を報告し、 全国各地の講演会等で、世界的視野から日本人の生き方を問い直す啓発活動 を続けてきた。2010 年 3 月、日本国際飢餓対策機構を退職。 2010 年 8 月 30 日「声なき者の友の輪」(Friends with the Voiceless International (http://www.karashi.net/))を創立。21 世紀型の海外協力のあり 方を目指して、現在は代表として国内、海外で活躍している。 When the Foundations of Life Are Shaken

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『人生の基盤が揺るがされる時』  神田英輔、2011(書き下ろし)

聖書は『リビングバイブル』 日本語版 (Copyright ©Biblica®1978年) を使用。 すべての権利は世界各国においてBiblica®に属します。 デザイン:ジョイン企画 本文以外の聖書引用箇所とすべてのグラフィックデザ インの著作権©はOneHopeに属します。

When the Foundations of Life Are Shaken Copyright © 2011, Eisuke Kanda. Used by permission. Scriptures taken from the Japanese Living Bible, Copyright © 1978 by Biblica®. Used by permission. All rights reserved worldwide. Arrangement of the Scripture portion and all graphic design are Copyright © 2011 by OneHope. OneHope 600 SW 3rd Street Pompano, FL 33060

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New Life Ministries 170 Kumai, Hatoyama-machi, Hiki-gun, Saitama-ken, Japan 350-0303 Tel: 049-296-0727 e-mail: w-mission21@nlljapan.com


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Shaken  

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