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救いの計画と 14万4千人

第2章 「14万4千人 と律法の戦い」


第2章 14万4千人と律法の戦い ―獣とその偶像に勝利した人々― 「またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。 そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字と にうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。」 ―黙示録15:2 「なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っ ていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小 羊の名とその父の名とが書かれていた。またわたしは、大水のと どろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞い た。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のよう でもあった。彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前 で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四 千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。」―黙示録14:1 ~3 上記の「獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々」であ るとのみ言葉は黙示録13章の預言を思い起こさせる。13章に は獣とその像に礼拝しない者たちを皆殺せという命令、獣の印を 額か右手に受けさせ、またこの印を受けない者は売り買いできな いようにするという、人類の歴史上で最も大きな善悪の戦いが起 きることが記録されている。しかしヨハネはこの大争闘で14万 4千人が勝利者となることを記録している。黙示録7章にはこの 人々は、 「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、 ・・・」 (黙示録7:14)と記録されている。では14万4千人はどのよう な戦いから勝利した者たちなのだろう。どんな患難を通った者た ちなのであろう。これが今日再臨信徒たちの学ばなければならな

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い真理である。 最初の律法に対する戦い 初めの戦いは天で始まったことが聖書に記録されている。「さ て、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦 ったのである。龍もその使たちも応戦したが、・・・」(黙示録 12:7)ミカエルであるキリストと龍に象徴されているサタンとの 戦いが最初のものであった。創造主であるキリストと被造物であ るサタンとの間でどのような戦いが可能なのだろうか。なぜなら キリストはただそのみ言葉だけでサタンの存在を無にすること が可能だからである。この答えはサタンが天で戦いを起こした目 的を知ることによって理解できる。「黎明の子、明けの明星よ、 あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あ なたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに 言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上 におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、い と高き者のようになろう』」(イザヤ14:12~14)。 サタンが戦いを起こした目的は神と同等になるためであった。 しかし、サタンの目的は根本的には不可能なことが容易に理解で きる。サタンでさえ、被造物が創造者と本質的に同等になれない のをよく知っていたのである。ではサタンが神と等しくなるため にはどんな方法があったのであろうか?どのようにしてサタン は自分の座を神のみ座に置くことを可能にしようとしたのであ ろうか。 律法に対するサタンの挑戦 サタンはどのようにして神と同等になろうとしたのだろう

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か? 「大争闘は、最初から神の律法に関して戦われたのである。サ タンは、神は不正で、神の律法は不完全であるから、宇宙の幸福 のためにそれを変更することが必要であることを証明しようと してきた。彼は、律法を攻撃してその創始者の権威をくつがえそ うとしていた。この争闘において、神の律法が不完全なもので、 変更が必要であるか、それとも、完全で不変のものであるかが示 されるのであった。」―人類のあけぼの上巻62ページ 「法王制は、神の律法を変更することによってのみ、自らを神 よりも高くすることができたのである。だれであっても、こうし て変更された律法を、それと知りつつ守るならば、律法を変更し た権力に最高の栄誉を帰していることになる。」―各時代の大争 闘下巻166ページ 神の律法を変更させることができれば、サタンは神と同等にな ることが可能であると考えた。サタンが神の律法に対して異議を 唱えた。サタンの主張するように神の律法には誤りがあり、律法 の変更が必要であったのなら、本質的には神と同等になるのは不 可能でも、サタンの知恵が神よりも優れていることになる。であ るから、サタンは神の造られた律法を変更することによって、神 と同等になることが正当であると考えた。サタンは自分の目的を 成就するために、神の律法に対する戦いを始めた。もし律法に誤 りがあるということを証明できれば、サタンは勝利することがで きたのである。 サタンの主張―天には律法が必要か 「天の住民を支配している律法によって不必要な束縛が加えら れているとほのめかしながら、律法に対する不満の念を引き起こ そうと努力した。天使たちの性質は聖なのだから、彼らは自分自

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身の意志の命令に従うべきであると彼は説いた。」―各時代の大 争闘下巻232ページ 「彼は、天使たちを支配していた律法に対する疑惑をほのめか し始めた。そして彼は、諸世界の住民にとって、律法は必要であ ろうが、天使たちは、彼らよりもすぐれたものであり、自分自身 の知恵が十分な道しるべとなるから、こうした制限は不必要であ ると言った。彼らは、神のみ名を汚し得るものではない、その思 想もすべて清いのである、神ご自身があやまりを犯すことがあり えないと同様に、彼らもあやまちを犯すことはありえないと言う のであった。」―人類のあけぼの上巻7ページ サタンの主張の目的は、神の律法を無効にすることによって神 の国を征服することであった。神の国にも律法が支配していたか らである。 「愛の律法が神の統治の基礎であるから、すべての知的存在者 の幸福は、その偉大な義の原則に彼らが完全に一致することにか かっている。」―人類のあけぼの上巻3ページ 律法に欠点がある? 「大争闘は、最初から神の律法に関して戦われたのである。サ タンは、神は不正で、神の律法は不完全であるから、宇宙の幸福 のためにそれを変更することが必要であることを証明しようと してきた。彼は、律法を攻撃してその創始者の権威をくつがえそ うとしていた。この争闘において、神の律法が不完全なもので、 変更が必要であるか、それとも、完全で不変のものであるかが示 されるのであった。」―人類のあけぼの上巻62ページ 「自分は、神に完全な忠誠を尽くしていると言いながら、神の 政府の安定のために、天の秩序と律法の変更が必要であると、彼 は力説した。」―人類のあけぼの上巻8ページ

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神の律法は神の御品性である。であるから上記のようなサタン の主張は、神の御品性には欠点があるということになる。もしこ れが事実ならば、神は欠点のある方で、サタンのほうが神よりも 知恵があるということになる。これがどれほど恐ろしい欺瞞なの であろうか? 「神の律法は、神ご自身と同様に、神聖なものである。それは、 神の意志の啓示であり、神の品性の写し、神の愛と知恵の表現で ある。」―人類のあけぼの上巻38ページ 「神の律法は、神ご自身と同様に神聖であるから、・・・」― 人類のあけぼの上巻53ページ 「律法は神の思想のあらわれである。キリストのうちにあって 受け入れられる時、それはわれわれの思想となる。」―人類のあ けぼの上巻13ページ 律法は服従することができない? 「大争闘の始めに、サタンは、神の律法は従うことのできない ものである、義と憐れみは両立しない、もし律法を破ったら罪人 がゆるされることは不可能だと宣言した。」―各時代の希望下巻 287ページ 「サタンは、人間が神の戒めに従うことは不可能であると主張 した。事実、自分の力では、わたしたちは戒めに従うことは不可 能である。しかし、キリストは人間の形をとってこられて、人性 に神性が結合する時、人は神の戒めのあらゆる点に従いうること を、その完全な従順によって立証なさった。」―キリストの実物 教訓294ページ このサタンの主張がどれほど神を冒涜したものであろうか? 神は愛である。守ることができない律法を守りなさいと命令する のなら、どのようにして神が愛でありえるのであろうか?律法を

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守ることができる力も与えずに、私達に守りなさいと命じたので あろうか。もしそうなら、サタンの方が神よりも愛に満ち、義で あるから、神として認められ、栄光を受ける資格があることにな る。・・・しかし、これは欺瞞である。 「神は、だれかが従うことのできないような戒めをお与えにな ってはいない。」―各時代の希望上巻248ページ クリスチャンと公言する人々から、神の律法は守ることができ ないという話が聞かれる。第三天使の使命を信じるという人々か らでさえこのような話が聞こえる。なんと深い暗闇が存在するこ とだろう。あなたは今どちらの側に立っているのであろうか。 「神の戒めに従わず、人々にもそうするように教える者は、キ リストから罪を宣告される。救い主は律法に服従した一生によっ て、律法の要求を支持された。それは人性のうちにあっても律法 を守ることができることを証明し、律法に従うことによって養わ れる品性のすばらしさを示した。キリストのように律法に従う者 はみな同じように、律法が「聖であって、正しく、かつ善なるも のである」ことを宣言しているのである(ローマ7:12)。一方、神 の戒めを破る者はみな、律法が不正であって従うことのできない ものであるというサタンの主張を支持しているのである。こうし て彼らは大敵サタンの欺瞞の後おしをし、神をはずかしめる。彼 らは神の律法に最初に反抗した悪者サタンの子らである。」―各 時代の希望下巻287ページ サタンの証明 サタンは神の律法には誤りがあると主張する。もしそうなら、 その誤りを彼はどのように証明できるのであろうか。もしそれが できないとしたら、彼の主張は誤りである。サタンは、「神の律 法は不完全であるから、宇宙の幸福のためにそれを変更すること

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が必要であることを証明しようとしてきた」(人類のあけぼの上 巻62ページ)。 天で神の律法の誤りを証明することができなかったサタンは、 この地上において、たやすくそれを証明することができた。それ はアダムの罪によってであった。 「サタンは、神の律法が不公正で従うことのできないものであ るという証拠として、アダムの罪を指摘していた。キリストは、 われわれの人性をもって、アダムの失敗をあがなわれるのであっ た。」―各時代の希望上巻124ページ サタンは神の律法は、正義と憐れみが調和していないと主張し た。 「大争闘の始めに、サタンは、神の律法は従うことのできない ものである、義と憐れみは両立しない、もし律法を破ったら罪人 がゆるされることは不可能だと宣言した。」―各時代の希望下巻 287ページ 律法の正義とは何か。「罪を犯した魂は必ず死ぬ」ということ である。「食べるときっと死ぬであろう」(創世記2:17)という み言葉は、罪を犯したアダムが死ぬことによって成就される全く 変更できない律法の正義である。アダムの死においてだけ律法の 正義が成就されるのなら、憐れみはどのようになるのであろうか。 憐れみが変更されたり、破棄されなければならないのであろうか。 「主は彼の前を過ぎて宣べられた。『主、主、あわれみあり、 恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる 神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす 者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、 子の子に報いて、三、四代におよぼす者。』」―出エジプト記34: 6,7 神の正義と憐れみは共存する。アダムの罪によって神の律法と 品性がテストされた。天の基礎になる律法を立てるため、父なる

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神とみ子との間で会議が開かれた。「平和の一致」(ゼカリヤ6: 13)である。「あわれみと正義」、どちらも汚されることなく、 アダムの罪は処理され、同時に罪人に救いの道が開かれなければ ならなかった。 隠された奥義 「平和の一致」の結果、「わたしは恨みをおく、おまえと女と のあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのか しらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」(創世記3:15) という宣言がなされた。 罪を犯した人類のかわりに、女の子孫すなわち創造主であり律 法の創設者であられる神のみ子が死ぬことによって、人類に救い が与えられるという福音が宣言された。 「人類の救いが達成される唯一の計画は、その無限の犠牲に全 天を包んだものであった。キリストが、贖罪の計画を示されたと き、天使たちは、喜ぶことができなかった。というのは、人間の 救いのために、彼らの愛する司令官が言葉に表わせない苦悩をな めなければならないことを知ったからである。キリストが、天の 純潔と平和、歓喜と栄光、そして、永遠の命を去って地に下り、 堕落した人々と接し、悲しみと恥と死を経験しなければならない ことを語られたとき、天使たちは、悲しみと驚きをもって彼の言 葉に耳を傾けた。キリストは、罪人の仲保者として、罪の罰をお 受けになるのであった。」―人類のあけぼの上巻54ページ 律法の施与者なる神の御子の死によって、律法の正義は満足さ れ、罪人にはもう一度、救いの機会が備えられた。十字架におい て正義と憐れみが出会った。神の御子が反逆した罪人のために死 ぬということは、サタンだけでなく他世界の人々と天使たちにさ え理解できない愛であった。これは隠された奥義であったが、福

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音として宣布されたのである。 「キリストの目的は正義と憐れみ、それぞれの性質を和解させ、 それぞれの尊厳を守り、しかも両者を一つにすることであった。 彼の憐れみは弱いものではなく、罪を罪であるがゆえに罰するお そるべき力があった。しかしそれは、人の愛を引き付ける力があ った。キリストを通して、正義は高貴な神聖さを少しも損なわず にゆるすことができた。 正義と憐れみはそれぞれ分離し、対立し、大きな淵によって隔 てられていた。我々の救い主、主は、神性に人性をまとわれ、人 として人のために、しみも傷もない品性を形成された。彼は彼の 十字架を天と地の真ん中に立てられ、人々の注目の的とされた。 そして義と憐れみの双方に手をさしのべて淵を越えられるよう に引き寄せた。正義はその高い御座から動き出し、天の全軍を率 いて十字架に近づいた。そこで正義はあらゆる不義と罪を負い、 刑罰を受けておられる神と等しいお方を見た。正義は十字架で完 全に満足し、うやうやしく頭を垂れて、それで十分であると言う のであった。」―原稿94,1899年 人類はサタンの共労者 禁断の実を食べたその結果についてアダムは良く知らされて いた。食べると必ず死ぬという神の警告を思い出した時、 「彼は、 彼女と運命を共にする決心をした。彼女が死ななければならない ならば、彼もいっしょに死のうと思った」(人類のあけぼの上巻4 5ページ)。 彼は自分が禁断の実を食べるのなら必ず死ぬということを知 っていた。自分の罪の報酬として自分の死をもって支払おうと思 ったのである。であるから、彼は罪を犯した後、罪を自覚しなか った。今日の人々もアダムのような考えを持っている。人々は自

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分の死によって自分が犯した罪を解決できると思う。だから罪を 犯すことにたいして大胆になっている。しかし、明確に理解しな ければならないことは、死そのものによって、罪は解決されない ということである。このように考えるということは、サタンから 騙されているという証拠であり、アダムも騙されたのである。 アダムが罪を犯した後、神はアダムのところに来られた。「主 なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』 (創世記3:9)。アダムは答えた。『・・・・わたしは裸だったの で、恐れて身を隠したのです。』また神が質問された。『あなた が裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておい た木から、あなたは取って食べたのか。』『わたしと一緒にして くださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べた のです。』アダムとエバの答えを見ると、彼らは完全にサタンの 共労者になったということがわかる。サタンは神の律法には欠点 があると主張した。アダムとエバの精神はサタンと一致したので ある。アダムは自分の罪の責任をエバに、エバはへびに転嫁した。 へびはだれが造られたのか。へびは神が造られたのである。だか ら罪の責任はへびを創造された神が負わなければならないとい うのが彼等の主張である。このようにしてアダムとエバはサタン の証人となったのである。 「アダムは、自分の罪を否定し、言いわけをすることもできな かった。彼は、悔い改めの精神をあらわす代わりに、・・・・彼 が、罪を犯した今は、罪の責任を妻ばかりでなく、創造主ご自身 にまで負わせようとした。罪の力は、これほどに恐ろしいのであ る。・・・『どうしてあなたは、へびをお造りになったのですか。 へびがエデンに入るのをどうしてお許しになったのですか』とい う質問が彼女の言いわけの真意であった。このようにして、彼女 もアダムと同じく、彼らの堕落の責任を神のせいにした。」―人 類のあけぼの上巻45,46ページ

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贖罪の計画 アダムは罪によって死ぬことを覚悟していたので、自分は神の み前で罪人であるということを認めなかった。罪の責任は自分が とろうと思ったのである。神の憐れみは自分の罪を認めず、ただ 言い訳だけするアダムに、救いの計画がどんなものかを教えてく ださった。 「神のみ子が、彼らの罪を贖うために、ご自身のいのちを提供 されたのである。」―人類のあけぼの上巻58ページ アダムは自分ひとり死ねばそれで済むかもしれないが、サタン は神の律法に欠点があるということを、アダムが罪を犯したこと を証拠として使い続けるようになる。アダムの子孫である私達は どうか。私達は死んで終わるかもしれないが、私達が犯した罪は サタンの食物となって永遠に利用されるのである。アダムは自分 の罪が自分の死によって終わるのではないということがわかり、 自分の犯した罪がどれほど大きなものか、またその結果神の御子 が死ななければならないということを理解して恐れた。自分の罪 が、創造主を死なせるのであるから、その罪がどれほど大きなも のであるか理解するようになった。自分が許されない凶悪な犯罪 者であるということを理解した。 「アダムとエバの罪が要求した犠牲は、神の律法の神聖な性質 を、彼らに明らかに示した。そして、彼らは、これまで感じたこ ともないほどに、罪のとがと罪の悲惨な結果とを知った。彼らは、 後悔と苦悶のうちに、その刑罰が、彼の上に負わせられないよう に嘆願した。彼の愛こそ彼らのすべての喜びの源であった。むし ろ、その罰が彼らと彼らの子孫の上にくだることを願った。」― 人類のあけぼの上巻58ページ アダムはキリストの愛がすべての喜びの源であったので、彼が 死ぬことよりも、その罰がアダムの子孫たちにくだることを願っ

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た。しかし、罪を犯してしまった今となっては、キリストの死に よってのみ罪が解決されるということを理解した。 「しかし、贖罪の計画は、人類の救済より、もっと広く深い目 的をもっていた。キリストが地上に来られたのは、人間を救うた めだけではなかった。この小さな世界の住民が、神の律法に対し て当然払わなければならない尊敬を払うようになるためだけで はなかった。それは、宇宙の前で、神の性質を擁護するためであ った。」―人類のあけぼの上巻60ページ 「この世界の住民が律法を正しく認識するようにするだけでな く、神の律法が不変なものであることを、宇宙の全世界に対して 証明するためであった。律法の要求が廃止できるものであったら、 神のみ子は罪を贖うためにご自分の生命をささげられる必要は なかったのである。キリストの死は、律法が不変であることを証 明している。」―各時代の大争闘下巻241ページ 天で始まった律法の戦いはアダムが罪を犯す前に全宇宙にお いて関心をもたれていた。このような状況において犯された人類 の罪は、サタンの主張を擁護することになった。救済の計画は人 を救うこと以上にもっと深く広い目的がある。神の律法は完全で あり、全く欠点がないという証が要求される。神の律法の写しで ある律法の完全さを証できるのはだれであろうか。堕落した人類 の中には神の律法に服従できる人はいない。ただ神の御子だけが 人間になられて証するしかなかった。であるからキリストは人間 の救いのためだけに死なれたのではなく、人類の罪によって誤解 された神の律法を擁護するために十字架にかかられたのである。 着せられた皮の服 神の無限の憐れみは、アダムが受けなければならない苦しみと 死を神の御子が受けるようにした。そうしてアダムには神の憐れ

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みをうける道が開かれた。アダムは自分の罪に対してなんの言い 訳もすることができなかった。許されることのできない罪人に与 えられた神の憐れみに対して彼はただ感激するだけであった。救 済の計画がアダムに示された後、神はアダムに将来のことを見せ てくださった。子孫の堕落とノアの洪水、この地上に肉体と取っ てこられるキリストの初臨、アダムの罪の身代わりとなって死な れる神のみ子イエス・キリストの姿まで見せてくださった。アダ ムはただで与えられる救済の恵みを感謝して受け入れた。その後 に彼は一匹の羊を殺した。 「こうして、エデンで神の宣告が与えられたときから、洪水の ときまでと、そして、神のみ子の初臨までの歴史上の重大なでき ごとがアダムに示された。」―人類のあけぼの上巻59ページ 「アダムにとって、最初の犠牲を捧げることは、非常に心の痛 む儀式であった。彼は、神だけが与えることのできる生命を奪う ために、手を振り上げなければならなかった。彼が死を見たのは これが最初であった。もし彼が神に服従していたならば、人間も 獣も死ぬことはなかったことを悟った。彼が罪のない犠牲を殺し たとき、自分の罪のために、傷のない神の小羊の血を流さなけれ ばならないことを考えて、ふるえおののいた。神の愛するみ子の 死によらなければ、償うことのできない自分の罪の大きさを、こ の光景は、さらに深くなまなましく彼に示した。」―人類のあけ ぼの上巻60ページ アダムは血を流しながら苦しみ死んでいく小羊を見ながら、自 分の罪に対する言葉では表現できない後悔をもって神のみ前に 謙遜になった。神はアダムの罪によってほふられた羊の皮を彼に 着せてくださった。これが「信仰による義」である。アダムに何 か功績があったのだろうか?彼には何の功績もなかった。ただ自 分は許されることのできない罪人であるということと、自分の罪

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の許しのために神の御子が身代わりとなって死なれることを信 じた。だからアダムは罪のない小羊を殺した。これが「神はその ひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御 子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」 (ヨハネ3:16)という福音の宣言であった。神を愛さない人類に与 えられた神の愛は人間が理解できない神秘である。「主なる神は 人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた」(創 世記3:21)。 二回目の善悪の戦い 天であったキリストとサタンの律法の戦いは、キリストの勝利 で終わった。サタンは天における自分の場所を失い、地に落とさ れた。しかし、この地上でアダムを屈服させ、自分の場所を得た。 サタンは人間を代理者として神に敵対させ、この地上を永遠に自 分の王国にしようとした。「しかし、時の満ちるに及んで、神は 御子を女から生れさせ」、アダムが奪われた地上の支配権を回復 なさろうとした。アダムの罪によって汚された神の律法の名誉を 完全に回復するために、キリストが来られた。罪の中にいる人類 を救うためにキリストがおいでになった。キリストは神性の栄光 を捨てて、人性を取られた。サタンは神の御子が人性を取ってこ の地上に来られることを喜んだ。なぜなら、罪のない人性をもっ ていたアダムを簡単に屈服させることができたので、罪ある人性 を取ってこの世においでになるキリストをも簡単に屈服させる ことができるはずだと思った。 「イエスが力と栄光をすてて天を去られた時、サタンはこおど りして喜んだ。彼はその時、神のみ子が自分の勢力の下におかれ たと思った。彼はエデンの聖なる夫婦をたやすく誘惑することが できたので、その悪魔的な能力とずるさによって、神のみ子まで

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倒して、自分の生命と王国を救いたいと望んだ。」―初代文集27 2ページ なぜキリストは神性を捨て、人性を取らねばならなかったのだ ろうか? 「キリストは、われわれの人性をもって、アダムの失敗をあが なわれるのであった。」―各時代の希望上巻124ページ サタンは神の律法に服従できない証拠としてアダムの罪を指 摘した。だからキリストが地上に来られて、神の律法が服従でき るものであるということを証明しなければならなかった。しかし、 神性の力を利用して律法を守るのなら、それは証明にならない。 キリストは必ず完全な人間になり、神の律法に服従することによ って証明しなければならなかった。 私達と同じ肉体を取られた 「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、 イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の 力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、」― ヘブル2:14 「しかし、アダムが誘惑者から攻撃された時には、彼には罪の 影響がすこしもなかった。彼は完全な人間としての力をもってい て、心もからだも活力に満ちていた。彼はエデンの栄光にとりか こまれ、天使たちと毎日交わっていた。イエスがサタンと争うた めに荒野へ入って行かれた時には、アダムの時のようではなかっ た。4000年間にわたって、人類は体力も知力も道徳価値も低 下していた。しかもキリストは退歩した人類の弱さを身につけら れた。こうすることによってのみキリストは人類を堕落の一番深 い底から救うことがおできになるのであった。 キリストが試みに負けることは不可能だったのだと主張する

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人が多い。もしそうなら、キリストはアダムの立場に置かれるこ とはできなかったし、アダムが得られなかった勝利を得ることも おできにならなかったであろう。もしわれわれが何らかの意味で キリストよりもきびしい戦いをたたかわねばならないとしたら、 キリストはわれわれを救うことがおできにならないであろう。だ が救い主は、罪の負債ごと人性をおとりになった。彼は試みに負 ける可能性のまま人間の性質をおとりになった。」―各時代の希 望上巻124ページ キリストはアダムよりも不利な立場を取られた。彼はアダムの 失敗を贖うために来られた。罪によって弱くなった人間の肉体を 取り、サタンから受けるすべての試練に勝利することによって、 人間に模範を示し、人間も同じように勝利することのできる希望 を与えられた。 キリストは私達を罪から救うことを求めておられる。罪から救 うということは、私達も罪のない生涯が可能であるということで ある。その目的は罪が人間の生涯から終わる時、成就されるので ある。罪は不法である。罪から勝利し、罪のない生涯を送るとい うことは律法に完全に服従できたということである。 サタンは人間には神の律法に完全に服従することは不可能で あると主張してきた。しかし、キリストが人性をとってサタンの 主張が偽りであることを証明し、最終的にサタンの欺瞞が全ての 人々に暴露される。その時、宇宙の中の罪が消滅し、サタンは火 によって裁かれる。 私達はキリストが本当に人間と同じ人性を取ったということ を信じなければならないし、キリストが勝利なさったように、私 達も勝利の生涯が可能であることを感謝しなければならない。 「アダムがエデンで罪を知らなかった時でさえ、神のみ子が人 の性質をおとりになることは無限の屈辱に近かった。ところがイ エスは、人類が4000年にわたる罪によって弱くなっていた時

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に人性をおとりになったのである。アダムのすべての子らと同じ ように、イエスは遺伝という大法則の作用の結果をお受けになっ た。そのような結果がどういうものであるかは、イエスのこの世 の先祖たちの歴史に示されている。主は、われわれの苦悩と試み にあずかり、罪のない生活の模範をわれわれに示すために、この ような遺伝をもっておいでになったのである。」―各時代の希望 上巻35ページ 14万4千人の信仰 「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていな い事実を確認することである。」―ヘブル11:1 あなたは何を望んでいるのであろうか?これはとても重要な ことである。なぜなら信仰とは望んでいる事がらを確信すること だからである。キリストの罪のない生涯、サタンに勝利された生 涯が私達の望むべきことである。 多くの人はキリストのような罪のない生涯は不可能であると 言う。しかし、これは救いの計画を知らずにサタンからだまされ ている証拠である。 「あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、 イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、 すべて神から出ているものであり、」(第一ヨハネ4:2)。このみ 言葉を見ると、人間に罪のない生涯が不可能ならば、キリストが 私達と同じ肉体を取られたということに反対することになる。な ぜなら聖書にはキリストが肉体を取って、罪のない生涯を送った という記録があるからである。人々はキリストが神の御子であっ たから、罪のない生涯が可能であったと主張する。しかし、聖書 は次のように記録している:「わたしは、自分からは何事もする ことができない」(ヨハネ5:30)。

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「サタンは神の愛の律法を利己主義の律法であると言う。彼は われわれがその戒めに従うことは不可能だと宣言する。人類の始 祖アダムとエバが堕落してあらゆるわざわいが生じたことを、彼 は創造主の責任にし、人々に神が罪と苦難と死の張本人であるか のように考えさせる。イエスはこの欺瞞をばくろされるのであっ た。イエスはわれわれ人間の一人として服従の模範を示されるの であった。このためにイエスはみずから人間の性質をとり、われ われと同じ経験をされた。『イエスは・・・・・・あらゆる点において 兄弟たちと同じようにならねばならなかった』(ヘブル2:17)。も しわれわれが、イエスの耐えられなかったことを耐えねばならな いとしたら、サタンは、この点で、神の力はわれわれにとって十 分ではないと言うだろう。そこでイエスは、『すべてのことにつ いて、わたしたちと同じように試練に会われたのである』(ヘブ ル4:15)。イエスはわれわれの会うあらゆる試みに耐えられた。 しかも彼はわれわれに自由に与えられていない力をご自分のた めにお用いにならなかった。人間としてイエスは試みに会い、神 から与えられた力で勝利された。『わが神よ、わたしはみこころ を行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心の内にあり ます』と、主は言われる(詩篇40:8)。イエスが、よい働きをし、 サタンに苦しめられているすべての者をいやしながらお歩きに なったとき、彼は神の律法の性格と神への奉仕の本質とを人々に 明らかにされた。イエスの一生は、われわれもまた神の律法に従 うことができることを証明している。」―各時代の希望上巻9ペ ージ 14万4千人の勝利 神の律法に完全に服従できるということを証明する人はだれ であろうか。神の律法は守ることができないというサタンの主張

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を永遠に沈黙させる人々はどこにいるのであろうか。モーセと小 羊の歌を歌う14万4千人が証人である。14万4千人は獣とそ の像とその名の数に勝利した者であるということを記憶しても らいたい。世に勝利した者、サタンの力に勝利した者、神の律法 を完全に守った者である。キリストの仲保の働きが終わったヤコ ブの悩みの間、この地上で信仰を守り律法に完全に服従し、神の 律法の完全さを証明してサタンの主張を永遠に沈黙させるため に、14万4千人が必要である。 「第三天使の使命が閉じられると、もはや地の罪深い住民のた めの憐れみの嘆願はなされない。神の民はその働きを成し遂げた のである。・・・天使たちは、天をあちらこちらへと急ぎまわっ ている。一人の天使が地から戻ってきて、自分の働きが終わった ことを告げる。すなわち、最後の試みが世界に臨み、神の戒めに 忠実であることを示した者はみな、『生ける神の印』を受けたの である。・・・キリストはご自分の民のために贖いをなさり、彼 らの罪を消し去られた。キリストの民の数は満たされ、・・・そ の恐ろしい時に、義人は仲保者なしに聖なる神のみ前に生きなけ ればならない。」―各時代の大争闘下巻385,386ページ キリストの仲保と聖霊の助けなしに神の律法を守るというこ とよりもっと完全な証明があるであろうか。この目的のために一 つの民が選ばれたのである。彼らは三天使の使命によって「生け る神の印」を受ける民なのである。 「次に、わたしは、第三天使を見た。わたしと一緒にいた天使 は言った。『彼の任務は、恐るべき任務である。彼は、麦を天の 倉に入れるために、麦を毒麦からよりわけて印をおし、たばねる。 われわれは、こうしたことに全身全霊をかたむけ、すべての注意 を向けなければならない。』」―初代文集221ページ 「なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っ ていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小

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羊の名とその父の名とが書かれていた。彼らは、御座の前、四つ の生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地 からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができ なかった。」―黙示録14:1,3 「またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。 そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字と にうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、『全能 者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべ きものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実 であります。』」―黙示録15:2,3 再臨信徒たちよ!獣とその名の数とに勝利し、小羊の新しい歌 を歌う14万4千の特権を得ようではないか。 ・・・3章に続く。

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救いの計画と14万4千人第2章  

「14万4千人と律法の戦い」

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