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三天使の使命を

経験せよ

第3編 第4章 天のマナを食べる人々


第4章 天のマナを食べる人々 「しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、彼らの上にマ ナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。人は天使 のパンを食べた。神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた。」 ―詩篇78:23-25 天使の食べ物―マナ われわれは「第三天使の使命」の経験を通して、「マナ」から も教訓を学ばなければならない。この章では「マナを食べながら 生きていく経験」について学んでいこう。マナはもともと人の食 物ではなく天使の食物であった。詩篇記者は「しかし神は上なる 大空に命じて天の戸を開き、彼らの上にマナを降らせて食べさせ、 天の穀物を彼らに与えられた。人は天使のパンを食べた。神は彼 らに食物をおくって飽き足らせられた」と記録した。 マナは天使の食物であり、罪を犯した人間が食べることのでき ない食物であった。しかし神はイスラエルの民に天使の食物を与 えてくださった。これは神がイスラエルの民をどれほど愛してく ださったのかという証拠でもあり、最後の時代を生きる我々に重 要な教訓を与えるためでもある。 神はイスラエルの民にマナではなく小麦粉を与えることもで きたが、天使の食物であるマナを与えたのである。 「兄弟たちよ。 このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみ な雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセ につくバプテスマを受けた」(第一コリント10:1,2)。エジプトか ら出て荒野を旅するイスラエルの民を神は天使のような尊い存

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在として見ておられたに違いない。であるから天使の食べ物であ るマナを与えられたのである。しかし天使の食物を食べたイスラ エルの民はそれが尊いものであるということを知らず、「われわ れはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパ ンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった」 (出エジプト記16:3)とつぶやいた。 このように彼らは神から尊ばれてもその神の愛を認めず、感謝 し、栄光を帰すべきであったのに、つぶやきと不平をもらし、つ いに彼らは荒野で死なねばならなかった。 世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒 「また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならな い。つぶやいた者は、『死の使』に滅ぼされた。これらの事が彼 らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれ たのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためで ある。」―コリント第一10:10,11 古代イスラエルの民が経験した全てのことは、エジプト(世)か ら出てモーセ(キリスト)に属して海(水)でバプテスマを受け、 「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづけ」ながら荒 野のような世を生きていく現代のイスラエルの民を象徴してい る。 今日第三天使の使命を信じる再臨信徒たちを神は天使のよう に尊い存在として見ておられる。だから第三天使の使命を受けた われわれを「第三天使たち」として象徴されたのである。 再臨信徒たちよ、われわれがこのような神の愛を受ける尊い民 であることを悟ることは大きな慰めと力となるのではないだろ うか?神は今日の再臨信徒たちに天使の食べ物である天のマナ

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を食べさせようとの計画を持っておられるということを知って いるだろうか? 悲しいことに多くの再臨信徒たちは天のマナを与えられたが、 昔のイスラエル人のように無知な言葉を語っている。天からマナ が与えられた時、「イスラエルの人々はそれを見て互に言った、 『これはなんであろう。』彼らはそれがなんであるのか知らなか ったからである。モーセは彼らに言った、『これは主があなたが たの食物として賜わるパンである』」(出エジプト16:15) 。 イスラエルの民は天使の食べ物であるマナを見て「これはなん であろう」とひそひそと語った。それでその時から「マナ」とい う言葉の意味は「これはなんであろう」と言う意味を持つように なった。 現代、肉や魚、体に悪い添加物等を一切使用せずに野菜と穀類 だけで調理された食事を見て、世の人がいったい「これはなんで あろう!人は牛ややぎではないのに、なぜこのように草だけを出 すのか?」と驚き、理解できないという人々がよくいる。そうで ある。彼らが無意識に語る不平や批判の言葉は、今日の神の民の 食べる健康的な食事が第三天使たちの食べる「天のマナ」である ということをあかししているのである。 彼らが健康的な食事を見ながら「これはなんであろう」と言う 不平の言葉を語る時、彼ら自身が無意識のうちに今日の天のマナ とは何かという真理をあかししているのである。 「これはなんであろう」と言う言葉はマナと言う意味であるが、 古代イスラエル人がマナを食べながらエジプトの肉なべを懐か しがった歴史が今日も繰り返されてもよいものであろうか?

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今日のために保管された天のマナ 神はモーセにイスラエルの民に与えられたマナを一オメル集 め、金のつぼに入れて至聖所の契約の箱の中に保管するように指 示された。 「モーセは言った、 『主の命じられることはこうである、 「それ を一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。そ れはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒 野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである」 と。』そしてモーセはアロンに言った『一つのつぼを取り、マナ 一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のために たくわえなさい。』そこで主がモーセに命じられたように、アロ ンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。」―出エジプト1 6:32-34 その後、この保管されたマナのつぼがイスラエルの民へ教訓を 与える為に使われたという記録は残っていない。イスラエルの民 はこのマナの入ったつぼを保管するのに失敗し、ソロモンが聖所 を建てた当時には、契約の箱の中から紛失していたのである。 「箱の内には二枚の板のほか何もなかった。これはイスラエル の人々がエジプトから出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれ、 モーセがホレブでそれを納めたものである。」―歴代志下5:10(列 王記上8:9) これは彼らが神から与えられたマナの重要性を知らず、おろそ かにして、不注意に扱ったという証拠である。結局マナを入れた つぼは紛失してしまったのである。その結果は何であったのだろ うか?イスラエルの民は十戒が記録された二枚の石板を保管す ることにも失敗したのである。 それだからその後立てられたゼルバベルの聖所とヘロデが建

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てた聖所の至聖所には二枚の石板のない契約の箱だけが置かれ た。それは預言者エレミヤの時代にエルサレムの聖所がバビロン によって燃やされる前に忠実な神の僕らによって隠されたから である。 「神のみこころが明らかに示された義人たちがまだエルサレ ムに残っていたが、その中のある人々は、十誡の戒めが 書かれ た石の板を納めた聖なる箱が、乱暴な人々の手に入らないように しようと決意した。彼らはそれを決行した 。彼らは嘆き悲しみ つつ、箱をほら穴の中に隠したのである。箱はイスラエルとユダ の人々の罪のゆえに、彼らから 隠されて、再び彼らにもどるこ とはないのであった。その箱は今なお隠されている。それはそこ に隠されて以来 、人手に触れたことはないのである。」―国と指 導者下巻p.70 このようにイスラエルの民によって失われた契約の箱とその 中に入れてあったマナのつぼは、石の板とともに使徒パウロと最 後の預言者であるホワイト夫人の掲示の中で見出すことができ る。神は石の板とマナのつぼが天の聖所の至聖所の中の契約の箱 の中に大切に保管されている姿を彼らに見せてくださったので ある。 「そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置か れ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロ ンのつえと、契約の石板とが入れてあり、」―ヘブル9:4 「イエスは第二の幕をあげて下さった。そして、わたしは至聖 所に入った。わたしは、至聖所で箱を見た。それは上も横も純金 でおおわれていた。箱の両側に美しいケルブが立っていて、箱の 上にその翼を広げていた。…箱の中には、マナの入った黄金のつ ぼと、芽が出たアロンの杖と、書物のようにたたまれた石の板と があった。」―初代文集p.91,92

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であるからモーセに命じてマナを保管するようにされた目的 は当時のイスラエルの民のためだけでなく今日、至聖所の時代を 生きていく再臨信徒たちのために保管されていたという事実を 悟るようになるのである。イスラエルの民によってその後一度も 使用されなかったマナのつぼが、大贖罪の日に生きる我々に公開 されているということには大きな意味がある。 第三天使たちは天のマナを食べて生きる 1844年から天の聖所の至聖所の門は開かれ、まさに厳粛な大贖 罪の日が始まったのである。ところがマナのつぼは天の聖所の最 初の部屋でなく第二の部屋、至聖所に保管されているのを預言者 は見た。ではマナのつぼを至聖所の中に保管されたという事実は、 1844年から大贖罪の日を生きる神の民のために保管されたとい うことなのである。 マナは天使の食物である。それだから第三天使たちとして象徴 される再臨信徒たちは天から与えられるマナを食べなければな らない。天使が天使の食物を食べるのは当然のことだからである。 厳粛な大贖罪の日を生きている今日の御自分の民に神が与え られた天のマナとは何なのだろうか?それは最後の預言者を通 して与えられた健康改革のメッセージである。人々が言うように 「これはなんであろう」といわれる健康的な菜食が天から与えら れたマナであり、第三天使たちつまり現代の再臨信徒たちが食べ なければならない食物なのである。神はこの地で天使たちの働き をしなければならない民に、清められた食事、天が指定した食物 を食べさせようと計画されたのである。 過去においてイスラエルの民は神が立てられた遠大な目的と 計画を悟らず、エジプトの肉なべを懐かしんでつぶやき、不平不

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満を言い続け、結果的に荒野で死んで、カナンに入ることに失敗 した。 「イスラエルは神が食物として制定してくださった計画に背 くことによって大きな損失をこうむった。彼らは肉食を熱望しそ の結果を自ら刈り取った。彼らは神が望まれる理想的な品性に到 達しなかった。『主は彼らにその求めるものを与えられたが、彼 らのうちに病気を送って、やせ衰えさせられた』(詩篇106:15)。 彼らは世俗的事物を聖なるものよりも高く評価することによっ て、神がイスラエルの民に望まれた聖なる標準に到達しなかっ た。」―家庭と健康p.95 「食欲の奴隷となった人はクリスチャンの品性を完成するこ とに失敗するであろう。」―教会への証3巻p.491 われわれはエジプトの肉なべを熱望しながら荒野で死んでい ったイスラエルの民から教訓を得るのを忘れてはならない。高尚 で理想的なクリスチャン品性に到達するためには感謝の心で天 のマナを食べなければならない。今日の再臨信徒たちはどうであ ろうか?どれほどの感謝の思いをもって健康改革の原則に従っ ているであろうか?もしかしてまだエジプトで食べていた肉な べを熱望してはいないであろうか?健康改革の原則を無視して 不節制する人には天の都の門は開かれないであろう。神は動物的 な性質を持った人を天の都に入れることはなさらないからであ る。 「あなたの家庭は多くの肉を食べている。それで動物的性質が 強まり、半面知的能力は弱まっている。私たちの体は食べるもの によってつくられる。わたしたちが死んだ動物の肉を食べるなら 動物のような性質を持つようになる。あなたは高尚な部分を弱め 低俗な部分を強めた。」―教会への証2巻p.60 「私は肉食が人を動物のような性質に変え、男女が各人に対し

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て感じなければならない愛と同情を奪い、天使の高尚な能力を卑 しい欲で支配するような傾向を持っているということを示され た。」―3TTp.359 人々が動物の死体を食べることは神のご計画ではない。それだ から肉食を廃すように目標を立てず、神の創造された動物の生命 を奪い、その肉を食べるものは、天国で催される晩餐には招待さ れないであろう。 「今こそ全ての人々が肉食を廃すように目標を立てる時では ないのだろうか?天使たちの友となるために純潔で、高尚で、清 められることを追求する者がどのように魂と身体に害毒を及ぼ すものを捨てず、食べることができるのだろうか?どうして神が 創造された動物の生命を奪い、その肉を豪華な食事として食べる ことができるのだろうか!初めに人間に備えられた健康に良い 上品な植物の食事に帰ろう。」―家庭と健康p.100 「神は人類が食するように計画された食物を最初の祖先にお 与えになったのであって、どんな生き物であってもその生命を取 ることは、神のご計画に反することであった。エデンにおいて死 は存在しないはずであって、園の中の木の実が人間の必要とする 食物であった。」―Sp.GiftsIV,120,1864年 聖所となるべき我々の体に動物の死体を入れることを軽いこ ととみなしてはならない。このように聖所を汚すものたちに神は 報いを与えられるであろう。 「野菜と果物と穀類が、我々の食事を構成すべきである。一か けらの肉も、我々の胃に入れてはならない。肉食は不自然である。 我々は人間の創造における神の最初の御目的に戻るべきである。」 ―食���と食物に関する勧告p.354 「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っ ていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、

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神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるもので あり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。」―コリ ント第一3:16,17 「主の来臨を待っている人々の間で、肉食は最終的に廃止され るであろう。肉類が彼らの食事の一部を占めなくなるのである。 我々は常に、この目的を覚えつつ、それに向かって着実に行動す るよう努力すべきである。肉食の習慣にある限り、神が喜んで与 えて下さった光に調和しているとは考えられない。」―食事と食 物に関する勧告p.355 断食する民 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を 開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。その日 には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのた めに、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だ からである。すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから 断たれるであろう。」―レビ記23:27-29 もう一つ覚えていなければならないことはイスラエルの民で 大贖罪の日に自分を悩まさない者、つまり断食しない者は民の中 から断たれたのである。では実際的な大贖罪の日を生きる民は断 食しなくてもよいのであろうか?そうである!今日の神の民も 断食しない者は天のカナンに入ることはできないのである。 過去の大贖罪の日に彼らは実際的に食を断ったが、現代の霊的 イスラエルの民はどのような断食をすべきであり、また現代の真 の断食とは何なのであろうか?最後の預言者を通して与えられ た健康のメッセージ、つまり全ての汚れた食物を禁じ、健康に有 害な食物を慎み、清い食物を摂るように勧告している節制のメッ

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セージを実行することが、現代の大贖罪の日を生きる民が守らな ければならない真の断食であることを知ることができる。 「すべての人に勧めなければならない真の断食は、あらゆる刺 激的な食物を禁じ、神が豊かに備えて下さった、健康的かつ単純 な食物を正しく用いることである。」―食事と食物に関する勧告p. 173 「神の民は今も、また最後の時まで―最も単純な食物を控え目 に食すべきである。」―食事と食物に関する勧告p.173 再臨信徒の中のある人々はレビ記に書かれた清い肉を食べる ことは罪ではないと考えている。そして健康のために少量の肉を 食べる必要があると思っている。しかし、我々は過去の歴史を振 り返って考えてみなければならない。イスラエルの民が食事をす ることは罪ではなかった。しかしなぜ大贖罪の日に食事をする者 は民の中から断たれたのであろうか?食事をすること自体が罪 となったのであろうか?否、決して食事をすること自体が罪では なかった。しかし大贖罪の日に断食をしない者は民の中から断た れ、カナンに入ることは許されないのであった。そうである!現 代の再臨信徒も清い肉を食べることは罪とはならないと考える かもしれないが、実際的な大贖罪の日を生きる再臨信徒たちが断 食をしないならば民の中から断たれて天のカナンに入ることが できないのは確実である。肉食を禁じ、害となる食物を慎めとい う節制の使命は古代イスラエルの民の大贖罪の日の断食と同じ 使命なのである。 「その日、万軍の神、主は泣き悲しみ、頭をかぶろにし、荒布 をまとうことを命じられたが、見よ、あなたがたは喜び楽しみ、 牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、『われわれ は食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから。』万軍の主はみずか らわたしの耳に示された、『まことに、この不義はあなたがたが

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死ぬまで、ゆるされることはない』と万軍の神、主は言われる。」 ―イザヤ22:12-14 嘆き悲しみ罪を贖罪しなければならない日はいつなのであろ うか?大贖罪の日である。それなのにその日に喜び楽しみ牛をほ ふり羊を殺して肉を食うという行為に罪がないと言えるのであ ろうか? 今日厳粛で、実際的な大贖罪の日に生きている我々が肉を食べ て、食欲を節制しないなら、身を悩まさない古代イスラエルの 人々が断たれたように、神の残りの民から断たれるのである。な ぜなら不節制な人々が神の遠大な品性の標準に到達することは 不可能だからである。 「間もなくおいでになるキリストを待っていると証する人々 のあいだで、より大きな改革が見られるべきである。われわれの 信徒たちのうちにまだなされていない衛生改革の働きがなされ なければならない。彼らの中には今も肉食をしていて、肉体と知 的また霊的な健康を危険にしている人々がある。その人たちは肉 食の危険に目ざめなければならない。今日肉食の問題で中途半端 な改心をしている多くの人々は神の民から去って行き、もはや彼 らと共に歩まなくなる。」―教会への勧告下巻p.285 「神の民は肉食に反対して、確固とした立場をとらなければな らない、ということをわたしは明らかに示された。きれいな血液 と明せきな頭脳を持ちたいと思うならば、肉食をやめなければな らないというメッセージに彼らが従うことを、神がお望みになっ たのでなければ、三十年間もこのメッセージをその民にお与えに なるだろうか。肉食によって動物的な性質は強められ、霊的な性 質は弱められるのである。」―教会への勧告下巻p.286

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肉を食べるものは聖なる講壇から下りなければならない? 聖なる講壇に上がる牧師であるのに、まだ肉食をしているとい う話を聞くが、それは噂話だけではないようである。彼らはそれ 以上聖なる講壇の上に留まらず、そこから降りなければならない。 もしそうしないなら神に恥を与えることになる。 「人類に与えられたうちで最も厳粛な真理を宣べ伝えている 福音の牧者のうちに、エジプトの肉なべに戻る模範を示すような 者があるだろうか。神の倉から出る十分の一献金によって生活を 支えられている人々が、自己の欲を満たすことによって、自分の 血管を流れる生命の流れを毒するようなことをするだろうか。神 が彼らにお与えになった光と警告を無視するだろうか。肉体の健 康は、恵みのうちに成長することと、バランスのとれた気質を身 につけるために欠くことのできないものと考えるべきである。胃 が正しく取り扱われなければ、正しい道徳的な品性の形成は妨げ られる。」―教会への勧告下巻p.296 「我々の牧師は誰でも、肉食をして悪い模範を示してはならな い。彼らも彼らの家族も健康改革の光に従って生活しなさい。牧 師たちは、彼ら自身の性質も、彼らの子供たちの性質も動物化さ れてはならない。」―食事と食物に関する勧告p.375,376 「肉の出される食卓で、他の人たちと一緒にそれを食べる牧師 たちに、我々は信頼を置くことができるだろうか。 『あなたの神、 主の命令を努めて守らなければならない。』健康の法則を犯す者 は誰でも、必ず神の怒りを受ける。」―食事と食物に関する勧告p. 378 「節制の問題に関してわたしたちが他の全ての人々の先頭に 立たなければならないにもかかわらず、教育を受けた教会員と福 音を伝える牧師の中にさえ神がこの問題に対して与えられた光

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をほとんど顧みない人がいる。彼らは食べたいだけ食べ、働きた いだけ働く。」―3TTp.358 「第三天使の使命と共に健康改革の原則を知らせる働き人を 教会に送りなさい。彼らの同僚のための働きに参加するようすべ ての人を励ましなさい。その後、教会に命の呼吸が直ちに戻って こないかを見なさい。」―WMp.124 健康改革は第三天使の使命の右腕 多くの人が健康改革の重要性を知らない。単純な健康の問題に すぎないと考え、多少の清い肉を食べることは健康にそれほど害 にはならないという結論をくだし、それ以上深く研究することを 望まない。 しかしマナを至聖所の契約の箱の中に保管するように命令さ れたことによって、健康改革の重要性を知ることができる。健康 改革の使命を最後の至聖所の時代の民に与えられたのは、ただ 我々の健康のためだけではないということがわかる。 神は古代イスラエルの民にマナを与えながら、「見よ、わたし はあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々 の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの 律法に従うかどうかを試みよう」(出エジプト記16:4) と言われ た。 マナは神の律法を守るか守らないかをテストする試金石であ った。もちろんマナを与えられた事から様々な教訓を受けること はできるが、神がマナを与えて、律法に従うかどうかを試みられ たというみ言葉と、そのマナが第三天使たち(再臨信徒たち)が 信仰によって至聖所に入ったときに見られたという事実を見落 としてはならない。

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健康改革のための節制の使命は神の律法に従うかどうかを試 みる使命である。健康改革に従うことによって自分の体を清めな ければ、決して神の律法を守ることはできないであろう。肉食に よって動物のような情欲を強め、野獣のような性質を助長しなが ら、同時に聖なる神の律法に従うことはできないのである。 契約の箱の中に二つの板と共にマナのつぼを保管され、この最 後の世代に公開された目的は何であろうか?神は健康改革の節 制の使命は律法のように重要であるということを示し、品性の完 全を追及する民を助けるために与えて下さったものなのである。 それだから預言者は健康改革が第三天使の使命の一部分である と書いたのである。信仰によって天の至聖所に入る者たちは契約 の箱の中にある十戒と共にマナのつぼを見るようになるであろ う。 「私は健康改革が第三天使の使命の一部であり、まるで腕と手 が人間の肉体につながっているようにその使命と密接につなが っているのを見た。」―教会への証1巻p.486 「わたしは、第三の天使が、上の方を指さして、失望した人々 に、天の聖所の至聖所への道を示しているのを見た。信仰によっ て彼らが至聖所に入る時に、彼らはイエスを見出して、新たな希 望と喜びを味わうのである。」初代文集p.415 第三天使の使命がどれくらい重要な使命であるかはホワイト 夫人の書いたあかしによって証明されているが、同時に健康改革 の重要性も共にあかしされなければならない。 「わたしは、第一、第二、第三の天使による三段階の使命を示 された。わたしにつきそっていた天使は言った。『この使命をす こしでも変える者はわざわいだ。この使命を本当に理解すること が非常に大切だ。魂の運命は、この使命をどう受け入れるかにか かっている。』」―初代文集p.420

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健康改革なしに品性は完成できない 現代のキリスト教会の中で「ただ信仰によってのみ救われる」 と言う声が聞こえている。しかしその信仰が健康改革の重要性を 無視する信仰であるならば、偽の誤った信仰である。 生きたまま昇天する事を望む者は必ず健康改革の原則に従う ことにおいてキリストと協力しなければならない。そうしなけれ ば品性の完成に失敗するであろう。 「昇天するのにふさわしい状態となるために神の民は彼ら自 身を知らなければならない。…彼らはいつも食欲を道徳的、知的 能力に屈服させなければならない。」―教会への証1巻p.486,487 「健康改革の原則を実践することによって自制力を培い、精神 と信仰に助けとなる力を見出すことができるであろう。」―親と 教師と聖徒への勧告p.293 「食事の習慣が人の健康と品性、この世の有用性と永遠の運命 に実に大きく関与しているということを理解するために十分に 目覚めている者はあまりいない。」―教会への証1巻488,489 「私は天におられる御父が健康改革に対する大きな光の祝福 を与えられて、私たちがその要求に従い、彼の所有である私たち の肉体と精神を通して神に栄光を帰し、ついに神のみ座の前に汚 れなく立つことができるようにされたのを見た。」―教会への証1 巻p.488 イスラエルの民は紅海の水が分けられるという奇跡を見たが、 エジプトを去って一ヶ月に経つと飲食にたいする心配で心が鈍 くなり、モーセと神につぶやくにようになった。彼らのつぶやき を要約するなら、「神を拝み乳と蜜の流れる地に入ることも良い ことではあるが、とりあえず今のところはこの荒野でどのように 生きていくかが重要な問題である」と言うことであった。つまり

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「このような厳しい環境でどのように神の律法を守りながら生 きていくことができるか」と言う抗議でもあった。そう言いなが ら彼らが「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座 し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んで いたら良かった」(出エジプト記16:3)と言ったことから考えて みると、「あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全 会衆を餓死させようとしている」とのつぶやきが実は彼等がエジ プトで食べていた肉なべを熱望していたのだったということが わかる。 このように彼らは食欲の奴隷となっていた。現代も食欲の奴隷 となっている者はみな、荒野で死んだイスラエルの歴史から教訓 を得ないなら、同じ運命になるということを覚えていなければな らない。今も動物性食品を食べながら、特別な理由を口実にして 言いわけをし、不平をもらすが、そのような人々は実は食欲の奴 隷から抜け出ていないのである。 歴史からの教訓 古代イスラエルの民が代々に保管すべきマナのつぼを失った という歴史は、現代の霊的イスラエルの民にとって大きな教訓と すべきものである。 マナを入れた金のつぼは聖所の第二の部屋である至聖所の中 にある契約の箱の中に石の板と共に保管されなければならなか った。 「モーセは言った、 『主の命じられることはこうである、そ れを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。 …』」そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ 一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のために たくわえなさい。」そこで主がモーセに命じられたように、アロ

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ンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた」 (出エジプト記1 6:32-34)。 このように保管されたマナのつぼをイスラエルの民は保管す ることに失敗し、ソロモンが聖所を建てる時には契約の箱の中の マナを入れたつぼは失われていた。 「箱の内には二つの石の板のほか何もなかった。これはイスラ エルの人々がエジプトの地から出たとき、主が彼らと契約を結ば れたときに、モーセがホレブで、それに納めたものである。」― 列王記上8:9 現代の霊的イスラエルの民はどうであろうか?第三天使の使 命と共に重要なものとして扱われなければならない健康のメッ セージが不注意に扱われていないであろうか? 石の板と共に保管しなければならなかったマナのつぼを失っ た民のように、現代の民も健康のメッセージを単なる健康問題と して扱い、その重要性を見失っている。そしてこの使命をあかし するために召された僕たちが清い什一献金を受けていながら、汚 れた動物の死体を食べる模範を示しているならば、これ以上に神 を侮辱していることがあるだろうか?このような状態であるの に、どのように神の審判を避けることができるのであろう? 再臨信徒たちよ!イスラエルの民はマナのつぼを保管するこ とに失敗し、ついには契約の箱と十戒を保管することにも失敗し た。そうである!第三天使の使命と共に与えられた健康改革の使 命に従うことに失敗するなら、ついには神の戒めに従うことにも 失敗するであろう。神の戒めを守ることに失敗するならその結果 は何であろうか?ついには獣とその像を拝する民の中に自分自 身を見出すことになるのである。 「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶど

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う酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦し められる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、 獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けてい る者は、昼も夜も休みが得られない。」―黙示録14:9-11 再臨信徒たちよ!節制し、天使の食物であるマナを食べる生涯 が第三天使たちの経験とならなければならない。二枚の板と共に マナのつぼを守る忠実な第三天使たちとなろうではないか! それは「神の戒めを守り、イエスの信じる信仰を持ちつづけ」 て、勝利者となるためである。アーメン。 ・・・第5章に続く。

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三天使の使命を経験せよ3編4章